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1984/06/19 第102回国会 衆議院 衆議院会議録情報 第102回国会 法務委員会 第22号
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1984/06/19 第102回国会 衆議院

衆議院会議録情報 第102回国会 法務委員会 第22号

#1
第102回国会 法務委員会 第22号
昭和六十年六月十九日(水曜日)
    午前十時一分開議
出席委員
  委員長 片岡 清一君
   理事 太田 誠一君 理事 亀井 静香君
   理事 高村 正彦君 理事 森   清君
   理事 天野  等君 理事 横山 利秋君
   理事 岡本 富夫君 理事 三浦  隆君
      井出一太郎君    上村千一郎君
      衛藤征士郎君    熊川 次男君
      丹羽 兵助君    稲葉 誠一君
      小澤 克介君    金子 みつ君
      中村  巖君    伊藤 昌弘君
      柴田 睦夫君    林  百郎君
 出席国務大臣
        法 務 大 臣 嶋崎  均君
 出席政府委員
        内閣法制局第一
        部長      前田 正道君
        法務大臣官房長 岡村 泰孝君
        法務省民事局長 枇杷田泰助君
        法務省刑事局長 筧  榮一君
        法務省矯正局長 石山  陽君
        法務省保護局長 俵谷 利幸君
        法務省人権擁護
        局長      野崎 幸雄君
        法務省入国管理
        局長      小林 俊二君
 委員外の出席者
        内閣審議官   森  正直君
        警察庁刑事局捜
        査第一課長   藤原  享君
        警察庁刑事局保
        安部保安課長  清島 伝生君
        警察庁刑事局保
        安部経済調査官 武居 澄男君
        警察庁警備局公
        安第二課長   菅沼 清高君
        経済企画庁国民
        生活局消費者行
        政第一課長   里田 武臣君
        文部省初等中等
        教育局中学校課
        長       遠山 敦子君
        文部省初等中等
        教育局小学校課
        長       熱海 則夫君
        文部省初等中等
        教育局教科書検
        定課長     小埜寺直巳君
        通商産業省産業
        政策局消費経済
        課長      糟谷  晃君
        資源エネルギー
        庁長官官房鉱業
        課長      林   暉君
        自治省行政局行
        政課長     柳  克樹君
        参  考  人
        (順天堂大学医
        学部付属順天堂
        委員院長)   石井 昌三君
        参  考  人
        (同志社大学法
        学部教授)   大谷  實君
        参  考  人 
        (女   優) 藤村 志保君
        法務委員会調査
        室長      末永 秀夫君
    ―――――――――――――
委員の異動
六月十二日
 辞任         補欠選任
  稲葉 誠一君     野口 幸一君
  小澤 克介君     藤田 高敏君
同日
 辞任         補欠選任
  野口 幸一君     稲葉 誠一君
  藤田 高敏君     小澤 克介君
同月十九日
 辞任         補欠選任
  高沢 寅男君     金子 みつ君
同日
 辞任         補欠選任
  金子 みつ君     高沢 寅男君
    ―――――――――――――
六月六日
 外国人登録法改正に関する請願(網岡雄君紹介
 )
 (第五二四二号)
 同(井上一成君紹介)(第五二四三号)
 同(小川仁一君紹介)(第五二四四号)
 同(岡田利春君紹介)(第五二四五号)
 同(木島喜兵衛君紹介)(第五二四六号)
 同(佐藤敬治君紹介)(第五二四七号)
 同(佐藤徳雄君紹介)(第五二四八号)
 同(島田琢郎君紹介)(第五二四九号)
 同(嶋崎譲君紹介)(第五二五〇号)
 同(清水勇君紹介)(第五二五一号)
 同(田中恒利君紹介)(第五二五二号)
 同(竹内猛君紹介)(第五二五三号)
 同(松浦利尚君紹介)(第五二五四号)
 同(水田稔君紹介)(第五二五五号)
 同(武藤山治君紹介)(第五二五六号)
 同(安井吉典君紹介)(第五二五七号)
 同(安田修三君紹介)(第五二五八号)
 同(横江金夫君紹介)(第五二五九号)
 同(伊藤忠治君紹介)(第五三一七号)
 同(兒玉末男君紹介)(第五三一八号)
 同(竹村泰子君紹介)(第五三一九号)
 同(野口幸一君紹介)(第五三二〇号)
 同(馬場昇君紹介)(第五三二一号)
 同(細谷治嘉君紹介)(第五三二二号)
 同(和田貞夫君紹介)(第五三二三号)
 同(井上泉君紹介)(第五三四七号)
 同(伊藤茂君紹介)(第五三四八号)
 同(石橋政嗣君紹介)(第五三四九号)
 同(上野建一君紹介)(第五三五〇号)
 同(小澤克介君紹介)(第五三五一号)
 同(上西和郎君紹介)(第五三五二号)
 同(河野正君紹介)(第五三五三号)
 同(木間章君紹介)(第五三五四号)
 同(串原義直君紹介)(第五三五五号)
 同(後藤茂君紹介)(第五三五六号)
 同(佐藤観樹君紹介)(第五三五七号)
 同(佐藤誼君紹介)(第五三五八号)
 同(城地豊司君紹介)(第五三五九号)
 同(新村勝雄君紹介)(第五三六〇号)
 同(田並胤明君紹介)(第五三六一号)
 同(武部文君紹介)(第五三六二号)
 同(中村重光君紹介)(第五三六三号)
 同(中村正男君紹介)(第五三六四号)
 同(日野市朗君紹介)(第五三六五号)
 同(堀昌雄君紹介)(第五三六六号)
 同(前川旦君紹介)(第五三六七号)
 同(松沢俊昭君紹介)(第五三六八号)
 同(村山喜一君紹介)(第五三六九号)
 同(村山富市君紹介)(第五三七〇号)
 同(元信堯君紹介)(第五三七一号)
 同(八木昇君紹介)(第五三七二号)
 同(山下八洲夫君紹介)(第五三七三号)
 同(吉原米治君紹介)(第五三七四号)
 同(渡部行雄君紹介)(第五三七五号)
 スパイ防止法制定に関する請願(中山正暉君紹
 介)(第五三七六号)
同月十一日
 外国人登録法改正に関する請願(天野等君紹介
 )
 (第五四一七号)
 同(伊藤忠治君紹介)(第五四一八号)
 同(石橋政嗣君紹介)(第五四一九号)
 同(上田卓三君紹介)(第五四二〇号)
 同(上田哲君紹介)(第五四二一号)
 同(岡田春夫君紹介)(第五四二二号)
 同(川俣健二郎君紹介)(第五四二三号)
 同(後藤茂君紹介)(第五四二四号)
 同(左近正男君紹介)(第五四二五号)
 同(新村源雄君紹介)(第五四二六号)
 同(多賀谷眞稔君紹介)(第五四二七号)
 同(高沢寅男君紹介)(第五四二八号)
 同(戸田菊雄君紹介)(第五四二九号)
 同(水田稔君紹介)(第五四三〇号)
 同(山中末治君紹介)(第五四三一号)
 同(山本政弘君紹介)(第五四三二号)
 同(池端清一君紹介)(第五四九三号)
 同(川崎寛治君紹介)(第五四九四号)
 同(沢田広君紹介)(第五四九五号)
 同(辻一彦君紹介)(第五四九六号)
 同(土井たか子君紹介)(第五四九七号)
 同外一件(中村茂君紹介)(第五四九八号)
 同(浜西鉄雄君紹介)(第五四九九号)
 同(矢山有作君紹介)(第五五〇〇号)
 同(渡部行雄君紹介)(第五五〇一号)
同月十三日
 外国人登録法改正に関する請願(小川国彦君紹
 介)(第五五八四号)
 同(角屋堅次郎君紹介)(第五五八五号)
 同(河上民雄君紹介)(第五五八六号)
 同(小林進君紹介)(第五五八七号)
 同(上坂昇君紹介)(第五五八八号)
 同(関山信之君紹介)(第五五八九号)
 同(田中克彦君紹介)(第五五九〇号)
 同(土井たか子君紹介)(第五五九一号)
 同(渡辺嘉藏君紹介)(第五五九二号)
 同(阿部未喜男君紹介)(第五六九一号)
 同(島田琢郎君紹介)(第五六九二号)
 同(城地豊司君紹介)(第五六九三号)
 同(森中守義君紹介)(第五六九四号)
 同月十四日
 外国人登録法改正に関する請願(佐藤敬治君紹
 介)(第五八二七号)
 同(渋沢利久君紹介)(第五八二八号)
 同(日野市朗君紹介)(第五八二九号)
 同(細谷昭雄君紹介)(第五八三〇号)
同月十七日
 外国人登録法改正に関する請願(大原亨君紹介
 )
 (第六〇〇六号)
 同(嶋崎譲君紹介)(第六〇〇七号)
 同外一件(鳥居一雄君紹介)(第六一一二号)
 同(伊藤茂君紹介)(第六三三四号)
 同(永井孝信君紹介)(第六三三五号)
 同(松前仰君紹介)(第六三三六号)
同月十八日
 福島地方法務局西会津出張所存置に関する請願
 (渡部行雄君紹介)(第六四八四号)
 外国人登録法改正に関する請願(奥野一雄君紹
 介)(第六四八五号)
同月十九日
 訴訟記録保存法制定に関する請願(稲葉誠一君
 紹介)(第六八二四号)
 同(上村千一郎君紹介)(第六八二五号)
 同外五件(林百郎君紹介)(第六八二六号)
 同(三浦隆君紹介)(第六八二七号)
 同外一件(山花貞夫君紹介)(第六八二八号)
 同外一件(柴田睦夫君紹介)(第六八九七号)
 外国人登録法改正に関する請願外一件(中西績
 介君紹介)(第六八二九号)
 福島地方法務局西会津出張所存置に関する請願
 (滝沢幸助君紹介)(第六八三〇号)
は本委員会に付託された。
    ―――――――――――――
六月十四日
 外国人登録法改正に関する陳情書外七件(近江
 八幡市議会議長小西昭六外十一名)(第四三八
号)
刑事施設法案等の再提出反対に関する陳情書
 (大阪市港区築港一の一二の二七山本敬一)(
 第四三九号)
は本委員会に参考送付された。
    ―――――――――――――
本日の会議に付した案件
 参考人出頭要求に関する件
 法務行政及び人権擁護に関する件(生命と倫理
 に関する問題)
 法務行政、検察行政及び人権擁護に関する件
     ――――◇―――――
#2
○片岡委員長 これより会議を開きます。
 法務行政及び人権擁護に関する件、特に生命と倫理に関する問題について調査を進めます。
 この際、参考人出頭要求に関する件についてお諮りいたします。
 本問題調査のため、本日、参考人として順天堂大学医学部附属順天堂医院院長石井昌三君、同志社大学法学部教授大谷貴君、女優藤村志保君、以上三名の方々の出席を求め、意見を聴取したいと存じますが、御異議ありませんか。
    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
#3
○片岡委員長 御異議なしと認めます。よって、さよう決しました。
    ―――――――――――――
#4
○片岡委員長 この際、参考人各位に一言ごあいさつを申し上げます。
 本日は、御多用中のところ、本委員会に御出席をいただきまして、まことにありがとうございます。参考人各位におかれましては、生命と倫理に関する問題について、忌憚のない御意見をお述べいただきたいと存じます。
 次に、議事の順序について申し上げます。御意見の開陳は、石井参考人、大谷参考人、藤村参考人の順序で、お一人二十分以内に取りまとめてお述べいただき、次に、委員からの質疑に対しお答えをいただきたいと存じます。
 それでは、石井参考人にお願いいたします。
#5
○石井参考人 石井でございます。
 本題に入ります前に、問題の本質をよりはっきりと御理解願うために、お手元の図を参照していただきたいと思います。この図では、人間の生の営みにかかわりを持つ脳の仕組みが簡単に説明してございます。
 人の命の中には、まず、命あっての物種というふうな、ともかく生きているという生命があり、これは主に脳の中の脳幹で統御されております。ここでは、原始的な反射、例えば目に光が入ると瞳孔が収縮する、あるいは角膜に触れると目を閉じる、あるいは気管内に異物が入るとせき込むというふうな反射、さらに呼吸や血圧の調節、体温調節のような調節作用を営みます。また、睡眠、覚せいのサイクルもここで行われております。
 図一と三をごらんいただきたいと思います。この生きているという生命の基盤の上に、精神に裏づけられました生きていくという人間行動が展開されるわけですが、そのためには、まずたくましく生きていかなければなりません。たくましく生きていくためには辺縁皮質が主役を演じます。第一図の点が入っているところでございます。
 この部分の脳は、本能行動と情緒行動の統御を行います。本能欲には、食欲、性欲さらには集団欲がありまして、いずれも辺縁皮質の一定の部位にその中枢が存在します。しかも、こうした本能の欲求が充足されたときに示す快感、プレゼントネス、充足されないときに示す不快感、アンプレゼントネス、あるいは怒りの反応、恐れ、おびえの反応等もこの辺縁皮質でつくられ、外に向かって情緒行動、エモーショナルビヘービアとして表現されます。
 ここまでの生き方は人間も動物も余り大きな差異を認めませんが、人間を人間たらしめる生の営みは新皮質によって統御されるのでございます。ここでは、うまく生きていくという適応行動と、さらに、よく生きていくという創造行動が中心となります。
 図二をごらんください。まず、うまく生きていくためには、我々は外界から得られる多くの感覚的情報、例えば視覚であるとか聴覚であるとかをそれぞれの中枢でまず知覚し、これを了解、認識しなければならない。さらに、必要に応じましては幾つかの情報を記憶にとどめて後にこれを呼び起こす必要もございます。こうして外界から加えられました複雑な刺激に対応しまして最も目的にかなった巧緻な自発運動や言語をもって反応しなければならない。こういうものを総合して適応行動というのでございます。
 これらの中枢は大脳新皮質に存在いたします。そして、特に人間ですばらしく発達を遂げているのは主に前頭葉の部分でございまして、この部分の皮質は、よりよく生きるための脳でございます。ここでは、創造、意欲あるいは思考といった、動物では余り認められない活動を持つものでありまして、これらの新皮質は、他の動物の脳に比べ、人間で際立って比率が高く、よく発達しているのが特徴でございます。
 しかし、困ったことに新皮質は何らかの侵襲が加わった場合、例えば脳損傷であるとかあるいは心停止、ショックあるいは薬物中毒等が起こりまして、脳に対する酸素あるいは栄養分の供給不全が起こるような局面になりますと、この新皮質が最も傷つきやすい。それに対して古い部分の脳、すなわち脳幹部は最も強い抵抗を示します。そうして、辺縁皮質はその中間の抵抗力を持つものでございます。したがって、いろいろな状況下で新皮質及び辺縁皮質の機能が脱落し、脳幹のみが生き残るような状態が起こりますと、ただ生きておる、あるいは人間の場合ですと種々の介護によってただ生かされているというような状況が出現します。こういう状態を遷延性植物状態、俗に植物状態と申しますが、こういうことが起こってまいります
 植物状態の患者は、外界の刺激に対する反応は極めて乏しい。あらゆる精神活動は廃絶しまして人格は崩壊します。涙を流したり苦痛や不快を示すような情緒反応もほとんど認められません。しかし、呼吸、循環あるいは消化、排せつ、発汗というふうな基本的な機能は正常に近い状態に保たれておるのでございまして、睡眠、覚せいのリズムも保たれております。しかし、このような患者さんは、つい先日、発症以来十二年目に死亡いたしましたカレン嬢に象徴されますように、年余にわたって生存することができる、さらに、まれにではございますが、植物状態からの脱却もあり得ます点で、次に述べます脳死とは厳しく区別をする必要があると思います。本日は、時間の関係上、植物状態についてはこれ以上触れないで脳死の問題に入りたいと思います。
 不可逆的な呼吸及び循環機能の停止が死の判定の最も大切な基準となっていることは今も昔も変わりありません。しかし、それら重要な生命機能の不可逆的な停止を一〇〇%の確度をもって判定することは、従来必ずしも常に容易ではございませんでした。呼吸の有無を胸郭の動きで見る、あるいは心臓の鼓動をたかだか聴診器で確かめる、あるいは頸動脈や橈骨動脈で脈拍が触れるかどうかで調べる、こういう簡単な検査法で死の判定を行っていた時代には、しばしば誤った死の判定、早過ぎる死の判定が行われたことは成書の記載に見ることができます。例えば一八九六年に発表されたモンゴメリーの報告によりますと、彼が戦没者墓地を掘り起こし棺の中の死体の体位を調べたところ、少なくとも二人は生きたまま埋葬された証拠が見られたし、実際にはその数はもっと多いだろうと推測しております。このような話は巷間に伝えられるうわさや伝聞のたぐいを含めますと、古くから数多く交わされており、医師による早まった死の判定が潜在的な恐怖と考えられる時期もございました。こういうわけで、医者は常に死の判定に慎重の上にも慎重であるべきことが要求されてきたわけでございます。
 それでは、なぜ今の時点で脳死が問題になってくるかという問題を幾つかの側面から眺めてみたいと思います。
 まず医療的な側面から申し上げます。
 近年の医学や生命科学の進歩がいかに目覚ましいものであるか、だれしもお認めくださると思います。しかし、このような進歩は改めて死、したがって生は何かという極めて基本的な問題を投げかけることになります。
 診断機器の進歩によりまして、呼吸停止、心停止を確認することは容易となりました。我々がこの点で過ちを犯す可能性はほとんどなくなりました。しかし、一方、延命技術や機器の開発によりまして新しい問題が発生してきました。例えば、呼吸停止が起こった場合、通常なら短時間の間に心停止も起こってくるはずでありますが、精巧な人工呼吸器を装着しますと、心臓の動きを数日あるいは時に数週間、時に年余にわたって持続させることも可能であります。また、何かの原因で心停止が一次的に起こりますと、数分のうちに意識はなくなり、やがて他のすべての生命機能も障害され死を迎えることになるのが普通の経過でございます。しかし、もしこの時期に心蘇生術が施されますと、心拍は再開することがあります。そして心停止の持続時間の長短によりまして、あるいは自発呼吸は保たれているものの新皮質、辺縁皮質の機能が廃絶したいわゆる植物状態、あるいは全脳の機能廃絶を起こして辛うじて人工呼吸下に心臓だけが機能しているという脳死の状態も起こり得るわけでございます。
 このように、本来ならば密接に共軛して働き、相互依存性を保ちつつ推移するはずの呼吸機能、脳機能、循環機能が人工的操作の介入により不自然な形で解離することになります。そして、当然のことながら死の判定基準にもかなり複雑な要因が入ってくるわけです。
 しかしながら、その後の臨床経験から我々は幾つかの大切な結果を導き出すことができました。すなわち、大脳皮質、そして脳幹を含む脳のすべての機能が廃絶し、しかもこのような全脳の機能廃絶がある期間以上持続すればその個体はまず絶対といっていい確率をもって死亡することが明らかになりました。すなわち、個体の生命のポイント・オブ・ノー・リターンは、体の一つの構成器官にすぎない脳の不可逆的な機能停止、すなわち脳死を確認したときにこれを決定できるということが医学的には異論なく認められるようになりました。
 脳死の状態では脳幹の機能障害のために自発呼吸は停止します。しかし、人工呼吸器を装着すれば心臓はその機能を続ける。すなわち心筋は収縮し、脳を除くほとんどすべての器官、組織に不完全ながらも血液を送り続けることができる。血圧が下降すれば、適当な薬剤を投与することによって一定期間これを正常値に戻すことができ、管理がうまくいくなればこういう状態を数日、ときに数週間持続することも可能でございます。しかし、その後例外なく心臓の拍動はとまり、循環機能の不可逆的停止を結果するのでございます。脳機能の廃絶が確認された時点以後は、たとえ心臓は動いておってもほとんどの場合脳には血液が届いておりません。かくして脳は代謝的に死を迎え、融解過程に入ってまいります。
 このように、脳死の患者さんで人工呼吸が長期にわたった後死亡した患者さんを解剖してみますと、脳は軟化、融解しておって、ほとんど原形をとどめないことがしばしばあります。すなわち、これは「生体内で死んだ脳」と呼ばれる状態でございまして、こういう状態が続くわけでございますが、このような個体の状況が生命と呼ぶに値するか否かに関しては論議のあるところでございます。
 第二の理由は、社会的側面からする理由でございます。全脳機能の不可逆的な廃絶が確認された後、生命維持装置の助けをかりて個体が生かされているという状況については、医師だけではなく、医療を受ける側の人々も、さらに社会一般の人の関心もだんだんと高くなってまいりました。
 この問題に関連して特筆すべき事件として、さきに述べましたカレン嬢の裁判がございます。彼女の場合には本当の意味では脳死ではなく、いわゆる植物状態であったわけですが、この裁判で初めて尊厳死という言葉が使われました。彼女の場合のように、ユースフルライフに復帰する見込みの全くない長期昏睡の患者に対して長期間延命措置を続けることの是非について、いわゆる尊厳死の立場からの論議も盛んになってまいりました。ましてポイント・オブ・ノー・リターンが確立され、生への復帰の可能性がまず一〇〇%否定された脳死の状態で、言うならば無意味でみじめな生命を維持するよりも、人工呼吸器を外して人間らしい死を迎えたいと願う人も次第に多くなってまいりました。
 さらに、脳死の問題に関しては、経済的な側面よりする議論も決して無視できません。周知のごとく、医療費は新しい診療機器、開発された治療法によって無限に高騰いたします。患者または家族の経済負担能力には限界があり、限られた医療費予算の枠の中で助かる可能性の全くない患者に高価でしかも考えようによっては無益と思われるような延命措置を続けることはいかがなものであろうかという議論も多いわけでございます。
 しかし、脳死の問題が大きくクローズアップされた最も大きな要因は臓器移植の問題でございまして、脳死の問題を臓器移植の側面から論ずる必要が必ずあるかと思います。
 生体あるいは死体から臓器を摘出しまして、もらい手すなわちレシピエントに移植して、それら患者で欠損または廃絶した臓器機能を回復させる療法を臓器移植と呼びます。今までに心臓、肝臓、肺臓、膵臓、腎臓等の移植が行われましたが、これらのうち肺及び膵臓の移植成績は極めて悪く、現在ほとんど行われておりません。
 現在世界じゅうでどのくらいの数の臓器移植が行われているかの実態を把握することは極めて困難ですが、世界で大体千かそれを超す心臓移植が行われ、八百例以上の肝臓移植が行われている様子であります。
 腎移植に関しましては、一九七六年、今から十年前の五月までに二万二千二百六十一名行われたという報告があり、その半数以上が土着に成功して、最長の生存は二十年であるという報告がありましたが、現在ではその総数はその数倍に達するものと思われます。
 臓器移植の最も厄介な合併症の一つはいわゆる拒絶反応でございまして、他人から移植された臓器組織を個体の免疫機構が異物と認識し、その生着を拒絶する反応でございます。ところが、ここ数年来、免疫学の急速な進歩により臓器提供者ともらい手の組織適合性を検査する方法が確立しました。そして、適合性の高い臓器間の移植はその成功率が極めて高いことがわかりました。さらに最近、拒絶反応に関与する免疫反応を効果的に抑える新しい免疫抑制剤が開発されまして、これらが相まって臓器移植の成績を飛躍的に上昇させました。
 もし、脳死が死と認められた場合、しかもその個体の臓器がいい状態に保たれていると判定されたとき、これらの臓器を他人の救命という大きな目的のために使用することは理論的には許されるべき行為と思われます。しかし、さきにも述べましたように、脳死の問題が大きく論じられるようになった直接的なきっかけは臓器移植の必要性からであったことが、多くの人々に一種の抵抗感を与えたことは否めません。死の判定が早まって行われるのではないかという先人たちの危惧と同じように、脳死を死と判定することが臓器移植の問題とリンクして行われるとすれば、人々はやはりある種の危惧を抱くかもしれません。これをどう解決して社会的承認を得るかはこれからの問題であります。
 脳死をどういうふうに判定するかということはちょっと時間の関係で省略させていただきます。が、全脳の機能の廃絶ということを神経学的な検査あるいは脳波検査や脳血管撮影、脳幹誘発電位等を使用して判定することは、専門家にとってはそれほど難しいことではございません。これは後に御質問があればお答えすることとして、先に進みます。
 今度は、脳死判定の問題点についてお話しします。
 現在のところ、我々は心臓死をもって死としておりまして、全脳機能の廃絶が判明しましても、心臓が動いている限り人工呼吸器を外すことはない、また循環機能の維持や補液等の延命措置も少なくとも最小限に持続しておりますので、現在のところ脳死の判定が我々にはそれほど急務ではないわけです。
 しかし、もし我が国で脳死で死を判定していいという社会的コンセンサスができ、法もこれを認めるとなると、心配になってくることが幾つかございます。恐らく厚生省の方で日本の実情に適した新しい脳死の判定基準が遠からず整備されるであろうと思われます。しかし、基準が整備されたとしましたら、その後はだれがこの基準に沿って脳死を判定するかという問題がすぐ起こってきます。いかに行き届いた基準をつくっても、心臓死を心電図で確認するほど簡単に脳死、すなわち脳幹をも含む全脳機能廃絶を診断することは、神経学の苦手な人の多い一般医家にはあるいは容易に行い得ない可能性もあります。理想的には、神経学、神経外科学を専攻した複数の医師がベッドサイドで比較的簡単にできる検査はもちろん、脳波検査、脳血管撮影、その他の方法で全脳機能廃絶を確かめ、合議の上慎重に脳死の判定を下すことが望ましい。脳死の判定を行うことが臓器移植のため必要なときには、多くの場合設備の整った大きな病院で行われるでありましょうし、専門医も関与でき、かえって大した問題はないかもしれません。
 しかし、尊厳死が問題となったり、あるいは家族の経済的苦境から無益で高価な延命措置をとめるということが主な脳死判定の動機であれば、そしてこういうケースの方があるいは将来臓器移植の場合よりも数においてより多くなるかとも思いますが、こういう場合は、どのような施設においても、また神経学以外の専門の医師によっても脳死の判定が行われなければならない。したがって、やはり不安は残ります。もっと根本的には、臓器移植や個人の尊厳の死の目的のためには脳死をもって死とし、遺産相続やその他の法律的問題の目的のためには心臓死をもって死とするような、いわば便宜的な死の使い分けを医師の責任において行うことが正しいかどうかという問題もよく考えなければならないと思います。
 結論に入りますと、脳死を認める国は欧米に限らず世界的にふえ続けてくる傾向にありますが、だからといって日本の医師がこれに先走って脳死に関する解答を出し、これを社会に押しつけるほど簡単な事柄ではありません。医学の立場から見た脳死を論ずることは非常に簡単かもしれません。しかし、医学を修めた我々医師は常に患者やその家族を通じ社会と接触しております。すなわち、日本の文化、歴史、宗教、国民性によって形づくられた社会の中で患者の診療に当たらなければならないのであります。したがって、医師の立場から見た脳死という問題を論ずることがいかに難しいことか、この原稿を書き始めて改めて痛感いたしました。
 まことに要領を得ないお話で、しかも建前の部分の多いお話になりましたが、この不鮮明さがあるいは日本の大多数の医師の脳死に対する理解度、考え方を象徴しておるかもしれません。御清聴を感謝いたします。(拍手)
#6
○片岡委員長 ありがとうございました。
 次に、大谷参考人にお願いいたします。
#7
○大谷参考人 大谷でございます。
 きょうのテーマであります生命と倫理に関する問題におきましては、現在、人工授精や体外受精、さらに選別出産あるいは遺伝子スクリーニングといった生命の誕生にかかわる問題、それから安楽死とかあるいは尊厳死、さらに末期医療といった、いわゆる生命の終期にかかわる問題等がございます。いずれも重要な課題でありますけれども、全般にわたりますとしり切れトンボになりますので、ただいまの石井先生と同じように、私もきょうは主として脳死と臓器移植に限定してお話をしたいと思います。それ以外の点につきましては、なお質疑のところで、もし必要であればお話をしたいと思います。
 そこで、私は、やや重複するところがあると思いますけれども、法律学の見地からまず脳死問題についてお話をしたいと思います。
 法律上の脳死問題といいますのは、要するに脳死をもって人間の個体の死としてよいか、つまり法律上の人の終期というふうに取り扱ってよいかという問題でございます。ここでは、これを肯定する見解につきまして便宜上脳死説というふうに呼ぼうと思います。
 さて、脳死というのは、ただいま御説明がありましたように、我々の理解でも要するに脳機能の全体がもう後戻りをしない、つまり不可逆的に停止するというふうに定義されていると思います。それは、人工呼吸器等の生命維持装置を用いた場合に特にあらわれる症状であること、そして脳死患者は深い昏睡状態、それから瞳孔が開いている、それから自発呼吸がとまっている、さらに急激な血圧の降下がある、さらに脳波は平たんであるというふうな症状を呈しておって、その後数時間あるいは数日間で心臓がとまる、こういう点では医学上共通の理解に達しておるといってよいと思います。
 従来、法律上の死として考えられてまいりましたのは言うまでもなく心臓死でございますが、その判定は呼吸と脈拍の後戻りしない、つまり不可逆的停止と、それからただいま触れました瞳孔の散大、こういう三つの兆候を確認する方法で死を判定してきた、また法律上もこれを認めてきたというふうに言ってよかろうと思いますが、この判定方法に従いますと、脳死はもとより法律上の死ではないのでありまして、生命の回復力を失っているばかりでなく自発呼吸の不可逆的停止、それから瞳孔の散大というように、心臓死における三つの特徴のうち二つまでも備えているという、こういう脳死につきましても、これを今はとりあえず生命があるというふうに取り扱っているわけでありますけれども、しかし、こういう状態を果たして生きている状態と言えるのか、ここに脳死を法律上の死とすべきではないかとする脳死問題のいわば実質があるわけでございます。
 しかし、脳死問題が論議されるようになりました直接の背景は、もとより臓器移植にあったことは言うまでもございません。移植学の進歩は目覚ましいものがあるわけでありまして、心臓移植もただいまのお話のように治療として十分可能になったのでありまして、そのためにはいわば新鮮な臓器といいましょうか、そういうのが必要でありますし、心臓移植におきましては脳死患者がいわば不可欠というふうに言ってもよかろうかと思うのでありますが、要するに脳死説が強調された唯一の、あるいは直接の契機というのは移植問題にあると言ってよかろうと思うのでございます。
 なお、ただいまお話がありましたが、脳死問題の背景として脳死患者に対する無益な医療をやめて家族の医療費負担の軽減を図る、また病院の効率的な運用を目指す必要性を指摘する向きもあります。つまり、広い意味での医療経済からの要請、これが脳死説を生み出したというのでございます。確かに脳死説のメリットとしてこのような医療経済的側面があることは否定できませんが、翻って考えてみますと、もはや生命の回復力を完全に失った脳死患者に生命維持の治療を加えても全く無意味なのでありますから、したがってそのような状態で医師にはもはや治療義務はないと言ってよいのであろうと思います。したがって、あえて脳死ということで死亡宣告しなくてもお医者さんは家族と合意の上で治療をやめてよいはずでありますし、これは法律の理論的な観点から見て十分肯定できるのではなかろうかと思うのでありますし、また現在医療の現場ではそのような取り扱いをしているはずでございます。無論、だれもがというわけじゃございませんけれども、そういう調査も現在あるわけでございます。要するに、現在において脳死が問題となりますのは、全くこの臓器移植との関係においてであるというように、脳死のいわば射程距離をはっきりさせた方がよかろうというのが私のまず前提でございます。
 ところで、最近の新聞報道などを見ますと、ここ二、三年の間に脳死と判定されました患者から二つの腎臓を摘出いたしまして移植した例は数十に達するというふうに言われておりまして、現に御自分で手術した例を公表されている著名な大学の先生もいらっしゃるわけでございます。
 さて、移植する場合に、まず患者が脳死状態に陥ったことを患者の家族に説明して、それから家族の同意を得て摘出手術を行うのでありますが、ここで注目されますのは、その段階で死亡を宣告していわば死体から腎臓を摘出する形をとっていることでございます。これは、現行の角膜腎移植法におきましては死体からの摘出しか認めていないわけでありますから、いわばやむを得ない措置なのでございますが、もし脳死状態が生きているという先ほどの前提をとりますと、これは明らかに殺人になるのではなかろうかというふうに思われますし、現にそうだというふうに主張する人もおられるわけであります。
 果たしてこのような死の判定の仕方は、今のような前提をとりますと現行法上認められてしかるべきなのであろうかどうか。言いかえますと、今我々は脳死説の採否の是非ということを議論しているわけでありますけれども、むしろ問題は現在行われている脳死判定に基づく治療の中止あるいは臓器の摘出というのが果たして現行法上許され、また今後も現状のまま放置してよいかということが、まさに当面の問題であろうというふうに思うのでございます。
 さて、そういう問題を解決するために、少し基本的な死の問題を考えてみたいと思うのでございます。
 この人の死の問題はしばしば宗教や倫理の側面からお話しになられる方が多いのでございますけれども、しかし、私は、まず死の判定は現行法上どういうふうな取り扱いを受けているかという見地、いわば法律の見地から一遍確かめてみる必要があるのではなかろうかと思っております。現在、法律上は、死の判定は、法律に別に定義がございませんから、したがって原則として医師がこれを行うというふうにしている、これが法の建前だと言ってよいのでございます。我が国の現在の医師法あるいはその他の民法等の法律によりますと、医師に対しては死亡診断書をつくるべき義務を課しているとともに、医師はみずから自分で診断して、そうして死亡時刻を確定し、それを何時何分というように正確に診断書に記載する、そういう義務を課されているのでございます。これを裏から見ますと、法律上の死の判定はいわば医師が独占的に行うべき医学上の診断であるということ、このことだけを法律は定めているというふうに見られるのでございます。
 このように、死の判定はあくまで医学上の診断、判定というよりむしろ診断なのでありますから、医師の直観やあるいは価値観に基づいて行われてはならないことは無論でありまして、専ら医学上の知識と経験に基づく基準、すなわち医学常識に従って行われなければならないということでございます。
 ところで、医学上の死の診断方法が確立しましたのは十九世紀だと言われておりますが、当時はヨーロッパで御案内のとおり早過ぎた埋葬ということが社会問題となりましたことからこの死の診断方法の確立が盛んに叫ばれたのでございます。そうしてたどり着いたのがいわゆる三兆候説でございました。要するに、死亡の確認方法として医学上承認されたからこそ、この三兆候説が法律上の死の判定方法になってきた次第でございます。
 そうだとしますと、脳死説を採用すべきかどうかは主として医学上の問題ということになるのでありまして、結局は脳死説が医学上一般に承認されているかどうか、すなわち医学上の常識になっているかどうかということに帰着するのだろうと思います。死の判定も診断であるということ、したがって、脳死問題は法律的な価値判断以前のいわば医学上の問題であることをまずここで確認しておかなければならないと思います。
 それでは、脳死説は医学上の常識となっているかということが次の問題でございます。私は、門外漢として単に推測できるにすぎませんけれども、現状では依然として脳死説が完全に支配的になったとまでは言えないのではなかろうかと思っております。最近の筑波大学の移植告発事件におきましては、脳死判定による腎臓等の摘出についてほかならぬ医師が告発人になっているのでありまして、これは医学界における対立の深刻さの一端を物語っていると思います。そうすると、現在脳死説は全く法律上検討の余地がないと言うべきで、脳死説が常識化するまでは伝統的な心臓死の概念と三兆候説による死の判定方法を維持すべきであるということになるでありましょう。これによりますと、先ほど申しましたように腎臓を二つ取ってしまうというふうな臓器の摘出は、少なくとも形式的には現行法上は殺人罪の構成要件に当たると言わざるを得ないのではなかろうか。したがって、もとより心臓を摘出することも許されないという結論になるはずでございます。
 問題は、それでよいかということでございます。医学界における対立を慎重に検討してみますと、第一に、脳死の概念自体についてはほぼ共通の理解に達しているというふうに私は思っております。第二に、脳死状態が従来生命現象として理解されてきたものと異なるという点でも大体一致しているようでございます。言うまでもなく、脳死患者はいわば人工的に生かされているわけで、しかも、先ほど触れましたように瞳孔も開いてしまっている、しかも呼吸も自発的にできないということでございますから、したがってむしろどちらかというと死に近いという点でも、これは恐らくお医者さん同士の共通の理解になっているように思うのでございます。
 このようにいたしまして、脳死状態という症状があるということ、それからそれが生命現象として従来の生命とは違うという点で共通の理解が得られているのでございますが、脳死説に反対する人たちが一様に指摘いたしますのは、脳死を判定する確実な方法が確立されていないという点でございます。そして、もしそうであれば、私は脳死説など論外だろうと思います。脳死の判定法が得られていないのに脳死説を問題にするということは到底許されないわけでありますから、したがって、もしそうであれば脳死説は論外であるということはまず確認しておきたいと思うのであります。
 しかし、この点もよく疑問をただしてみますと、どうも脳死状態の診断は確実にできる、ただ、その診断方法が今のところまちまちである。我が国でも日本脳波学会のつくりました基準と昨年発表されました阪大の基準とは違う、あるいはまた外国で発表されておる基準とも違う。どうも国によってあるいは機関によって判定の基準が違っているというところに皆一様に疑惑を抱いているというふうな感じがするのでありまして、この点、現在厚生省でやっております研究班の脳死判定基準の作成等も含めまして、今後判定基準の一元化あるいは明確化ということが急務だろうと思います。ただしかし、脳死状態が確実に診断できるということだけは共通の理解が得られていることも、これまた確認しておくべきだろうと思っております。
 このように見てまいりますと、純粋に医学的見地から脳死説に反対するお医者さんは案外少ないというふうに私は思っております。
 では、どうして脳死説がこれだけいろいろな反対を生むのかということでありますが、私の理解では、そのお医者さんの医療観あるいは生命観というふうな、どちらかというとその人の価値観というものがこの脳死に対する反対の理由になっていると思っております。とりわけ心臓移植について反対する方は脳死説をも認めようとしないというふうな、これは私の直観でありますけれども、そういう方も明らかにいらっしゃるように思うのでございます。私の理解では、このように脳死説の医学常識化を阻んでいるのは、いわば医学上の疑問ではなくてこの医療観の問題だということでございます。そうだとしますと、今後医学の進歩につれて脳死説が素直に承認されていくことを期待するのもいささか困難ではなかろうかと思うのでございます。
 今日の医学界の対立が今述べたようなものであるといたしますと、現在行われている脳死による死の判定というのも、いわば医学上の脳死という概念では共通の常識といいましょうか、そういうのが得られているのだから、したがって、それに従って個体の死を判定しても必ずしも違法ではないという答え方もあり得るのではなかろうかと思っております。つまり、あくまで死の診断というのは医学上の常識によるべきだけれども、そして現在脳死説というのは医学の常識にはなっていおいけれども、しかしその前提である医学上の概念については共通の理解が得られている以上は、その脳死の判定をもって個体の死の判定に結びつけても必ずしも違法ではないというふうに思うのでございます。あるいはそういう立論も可能ではなかろうかという程度にとどめておきたいと思います。
 この考え方をとれば、つまり現状のままでもよいということになるのでありまして、先ほど言いましたような現実の腎臓移植の摘出につきましても、これを適法と認めてよいということになろうかと思っております。そういたしますと、腎臓を二つとるのも心臓をとるのもこれは同じことでありますから、したがってそういう前提をとれば心臓移植も可能であろうということになろうかと思っております。
 しかし、そういたしますと、現在では脳死を認める立場と認めない立場、それぞれのお医者さんはそれぞれ独自の死の判定をしているわけですから、いわば二つの死亡宣告ということが可能になってくるわけでございます。法律上は現在死亡にかかわるのは無数にあるわけでございまして、特に権利義務の発生あるいは消滅の原因となります民法上の相続等を含めてさまざまな場面で死亡ということが問題になるわけであります。それが現在のように二つの死亡概念ということで決められるといたしますと、法律上の混乱を恐らく余儀なくされるであろうということが一つ。
 また、この医学界における対立が専ら先ほど言いました医師の倫理観の対立てあるといたしましても、一般の国民の目から見れば、従来は心臓死が人の死と考えられてきたのでありますし、新たにそれに脳死が加わってくるということになってまいりますと、少なくとも完全に医学界の合意が得られる必要があるでありましょうし、またその合意がなければ社会的合意も得られないでありましょう。したがいまして、今日のような二つの死亡宣告というのを認めるといたしますと、これは何らかの手当てが必要になるのではなかろうか。つまり、このままほっておいてはぐあいが悪いのではなかろうか。
 さらに第三に、脳死問題は先ほど言いましたように常に心臓移植と結びつくのでございます。したがって、どうしても早過ぎた死の判定ということが疑惑の対象にならざるを得ない。
 それやこれや考えてまいりますと、これはどうしてもはっきりとした法的な手当てが必要なのではなかろうかという感じがするわけでございます。もとより、そこにいく前に、例えば厚生省に少し頑張っていただきまして、我が国のお医者さんの共通の理解が得られるような努力をしていただく、そうしてごく少数の人たちが脳死に反対するというような状況をつくっていただきますと、これはこれで先ほど言いましたような要請は満たされるのであろうかと思うのでございます。イギリスや西ドイツはそのような方法、つまり医学界の承認ということをもって脳死説を採用している次第でございます。
 しかし、また一方で心臓移植や脳死問題は日本人の死生観と深くかかわっておる。したがって、それが心臓移植について慎重な態度をとらせているのだというふうに言う人もおります。さきに述べました医学界の対立もそれを物語るものだと思いますが、私の理解ですと、倫理観での対立が先ほど言いましたような医学界での承認、つまりイギリスや西ドイツのような解決を阻んでいるのだといたしますと、私は、そのような医学界の対立だけに放置しておいてはいけないので、むしろその解決を国民全体の意思にゆだねるべきではないかと思うのでございます。国民の一部の倫理観あるいは一部のお医者さんの倫理観、そういうものでそれを国民全体の考え方とするのは、いわば倫理の押しつけになるのではなかろうかというような感じがするのでございます。
 私はこのような観点に立ちまして、アメリカのカリフォルニア州で行われておりますような脳死の立法化ということを提言してきたのでありまして、脳死をもって人の死とする法案を提出いたしまして、議会を通じて国民的な論議を巻き起こして、脳死の判定等にかかわるさまざまな問題点あるいは医学界における対立は一体どこにあるのかというような点を国民の前に明らかにして、そうして議会を通じて国民の社会的な合意というのを得るのが今我々にとって必要なことではなかろうかと考えるわけでございます。
 いろいろな方の御意見の中で、この社会的合意というのが必要だというふうに脳死説採否の正否を論じている人がいるのでございますけれども、この社会的合意というのを一体どうやって確かめるのであろうか。だれかが、あるいは新聞が合意すれば社会的合意が得られたというふうになりかねない。それよりも、むしろ今日の我が国の社会では、議会こそこの社会的な合意を確かめる場であるというふうに考えるべきではなかろうかと思うのでございます。そして、もし議会の同意が得られないのであれば、脳死説の採用ということは、世界の流れに逆行いたしましても我が国では撤退せざるを得ないというふうに思うのでございます。
 ただ、その場合におきましても、先ほど言いましたように脳死説の射程距離はあくまでも心臓移植にあるということ、あるいは臓器移植にあるということでありますから、したがって、移植の見地からこの脳死説を認めるのであれば、その立法化は移植と結びつけて立法化するのが適当であるというふうに考えるのでございます。
 あと幾つか用意してまいりましたが、時間の関係で後の質疑の方に譲りたいと思います。どうも御清聴ありがとうございました。(拍手)
#8
○片岡委員長 ありがとうございました。
 次に、藤村参考人にお願いいたします。
#9
○藤村参考人 おはようございます。藤村志保でございます。
 ただいま両先生のお話を聞きながら、私、改めてこの脳死の問題、臓器移植の問題の重さと申しますか、大変な問題であるということを痛感いたしました。
 きょうは、私は、本当に素人の立場として、どうして脳死という問題に興味を持ったか、そして、私自身としてはどういう考え方に到達したかということを申し上げることで、御参考になるかどうかはわかりませんけれども、本当に素人の私見だということを皆様お考えいただいてちょっとお話を聞いていただきたいと思います。
 私が脳死に直接関心を持ちましたのは、去年埼玉の牧野太平さんがアメリカへ心臓移植の手術に行ったときでございました。そのときに、どうして日本では行われないのか、和田先生の心臓移植以来途絶えておりましたことは知っておりましたけれども、三千万のカンパを集めてなぜアメリカまで行かなければいけないのかという、全くなぜなのということから始まったわけなんです。そのときに脳死という問題がネックになっているということで、では脳死ということはどういうことなのか。新聞でいろいろ書いてあるけれども、実際には、私、頭の中では、何か植物状態とは違うらしいけれども、どこがどう違うのかはよくわかりませんで、それではこの目で確かめてみたいなという気になりまして、素人記者と申しますか私なりの取材の仕方で、知っているお医者様方にお頼みして脳死という患者さんを見せていただきました。それから植物状態の方たちにも会いまして、それがどんなに違うものかということがよくわかりました。
 それは、自分が書きました「脳死をこえて」という中に書きましたので、もしお読みいただいた方には話が重複するかもしれませんが、植物状態の人には、私は本当に会ったと思ったのです。会ったというのは、人間として患者さんと私とが何か通じ合うものというか、その患者さんの中に命がきらきら輝いているようなそういったものを感じたのです。ですけれども、脳死の患者さんには、私は見たという感じ、つまり、何かこちらと通い合うようなもの、それは医学的にはもう死んでいるんだということが今先生のお話でもわかりましたし、私もその時点ではわかっておりましたけれども、やはり生きているということと死んでいるということはこんなにも違うのかな、これは私の感じ方なんですけれども。それでその脳死の人が、脳が解け出して腐っているにもかかわらず人工呼吸器という医療技術の発達のために死を引き延ばされている状態を目の当たりに見ましたときに、私は、もしも私がそういう状態に置かれたら、それこそ自分の人間としての尊厳を傷つけられることではないかなと思ったのです。私だったら、脳死の状態になったらもう安らかにあの世へ旅立たせてほしい、無理やりに人工呼吸器で呼吸をさせられるようなことはしてほしくない、そう思いました。
 それで、私が医学的なことを理解した上で人間としてどう考えたいかということに関して得た結論は、脳死は死と認めたいということでございました。ただ、脳死の患者さんをというか脳死の家族を持った大勢の家族の方たちにお会いした結果、幾らお医者様にこれは医学的には死であると説得されても、機械の力とはいいながら、心臓が動いている家族を前にしてはなかなか人工呼吸器を外す勇気が出なかった、もし外せたとしても、やはりそれは心のどこかに、何か死を早めたのではないかとか、自然に心臓がとまるまであと一日か二日かもしれなかったけれども待った方がよかったのではないかとか、そういう御家族の苦しみというものも、私が想像した以上に大きいものでございました。
 ただ、そのときに感じましたことは、それもあるところまでその家族が納得できるというかこれでいいのだというふうに思えるかどうかは、お医者様と私たち患者あるいは家族との人間的なつながりと申しますか、あのお医者様のおっしゃることなら信用したい、何かそういうことにどうしても強く左右されるなということも感じました。ですから、医学的に脳死であるということをさらに家族に納得してもらうためには、最後の最後までそういった意味での人間としての信頼関係と申しますか、つながりというか心の問題というか、そういったものも私たちはとても大切だなと思いました。
 それから、私が書きましたものを読者の方が読んでくださって、その感想文が読売新聞に今約千三百通ぐらい届いているそうでございます。私の家の方へ来ましたものも含めまして、私はその中から約三百人ぐらいの方の感想文を読ませていただきました。この結果が脳死とか臓器移植をよく知らない素人の立場の意見をとてもよくあらわしていると思いますのでちょっと申し上げたいのですが、そのほとんどは、脳死とか臓器移植という言葉を新聞や雑誌で見たこともあるし聞いたこともある。ところが、それは、あくまでもお医者様とか宗教家とか法律の先生方とか、そういった専門の方たちの間での問題であって、自分たちに実際にこんなに身近に降りかかってくる問題だとは思わなかった。いつ交通事故に遭い、あるいは脳の病気になって脳死になるかわからない。自分もあるいは家族もそういったときにこれをどう受けとめたらいいか、どう考えたらいいかということを、私自分の作品で申し上げるのは僭越ですが、一つのきっかけとして「脳死をこえて」を読んだことで考えるようになった、そういう御意見が圧倒的に多かったのです。
 脳死を認めるかどうかは別として、少なくとも脳死の問題が身近に感じられたという御意見を私読みましたときにとてもうれしゅうございました。実は、書いたものを皆さんに読んでいただく段階になってからだんだん恥ずかしくなりまして、一週間新聞に連載されている間、何となく町を歩くのも気が引けるような気がしまして、私が書いたようなものがそんな大したことないのに、どうしたらいいかしらと本当に消え入りたいような気持ちだったのですが、その千三百通来ました感想文の中のほんの三百通ではございますが、ほとんどの方がそう言って関心を持っていただいた、身近に感じるようになったとおっしゃっていただいたことは大変ありがたいことだと思いました。
 それからもう一つは、臓器移植に関しまして、例えば、それでは自分たちももしも死んだら、自分はこの世の中で何もお役に立てなかったから何かの形でお役に立ちたい、もしそういうことで病気に苦しむ人を助けられるなら何とか角膜や腎臓バンクに登録をしたいけれども登録方法がわからないという方が、これもほとんどでございまして、一体どうしたらいいのか、どこへどういうふうに手続したらいいのかというような問い合わせが実は今殺到しております。私、これも一つの私たち素人の現状だと思うのです。ですから、脳死問題というものは、医学的にまず正しく死であるということを私たちは知らなければいけませんし、また知らされる努力というものを、お医者様あるいはマスコミの方あるいはそういった専門の御研究の方々が私たちに知らせてくれる方法、何かもう少しわかりやすく知らせてくれる方法がないものだろうか。そして、本当に私の想像以上に多くの方が、臓器移植という問題を、もしものことがあったらどうしようかということをこの際家族みんなで話し合った、その結果登録をしたい、大勢の方がそういう意思を持っていらっしゃるということがよくわかりまして、それも私は何かとてもうれしゅうございました。
 その牧野太平さんに引き続いて、今大阪の循環器病センターに入院していらっしゃる仲田明美さんという二十八歳ぐらいになるお嬢さんがやはりスタンフォード大学に心肺同時移植を申し込んでおられるのですが、いまだにそのお返事が参りません。その方の記録を大阪の朝日放送が二年間撮り続けまして、それをついせんだって私ナレーションを入れさせていただいたのですが、その二年間必死に生きようとする仲田さん。循環器病センターの曲直部先生が、とにかく日本ではこの心臓移植がまだ行われないし、まして肺が一緒という手術はさらに困難をきわめることで、例えばスタンフォードでもまだ二十四例しか行われていない、そのうちの約半数近くが残念な結果になっている。それほど難しい手術なので、仲田さんもスタンフォードからの返事が来ないのも仕方がないというようなことでございましたけれども、私は、やはり自分が実際にこの目で見て、取材して感じたことは、日本人は日本人同士で助け合えないものだろうか。脳死が社会的に認知されなければ心臓移植も再開されないということですけれども、何とかいろいろな方法を考えて、私どもに正しくまず脳死というものを知らされ、そしてそれについてみんなで考えていきたいな、そういう場をもっと与えられないものだろうかという思いを本当に強くいたしました。
 これは全く私の私見でございますが、今西先生のお話を聞いても、私、きょうはどちらかといったらここでお話を申し上げるより議員の皆様方の席の方に座らせていただいて両先生のお話を聞く立場だったと思うのですが、この間も生命倫理委員会というところでちょっとお話をさせていただいて、きょうも私としては国会というふだん全く御縁がないと言ってはあれでございますが、本当は一番御縁があってというか、一番大事な政治の場のところでございますから、私ども関心を持たなければいけないのですが、ちょっと場違いなところに呼び出されて、それはあくまでも素人の意見でいいということでございましたので伺わせていただきましたが、それでもきょうは大変残念に思っておりますことは、何か議員の先生方よりは外野の席の方たちの方が多いようでございまして、やはりこういう問題は先生方が、御自分たちがまず国民に率先して考えていかなければいけないという趣旨でこういう会があるのだとは思うのでございますけれども、それでも大変残念な出席人数じゃないのかしら。もっと本当に私たちのレベルのところでお考えいただくというか、国民のほとんどは、脳死や臓器移植、つまりこの問題に関しては素人なんでございますから、もっと私どもの立場というか、どうやったらみんなにわかりやすくて、そして合意が得られるか、もっと真剣にというか、みんなで考えさせていただきたいなと、大変僣越でございますが、それが実感でございます。
 どうも失礼いたしました。(拍手)
#10
○片岡委員長 どうもありがとうございました。
 以上で参考人の意見の開陳は終わりました。
    ―――――――――――――
#11
○片岡委員長 これより参考人に対する質疑に入ります。
 質疑の申し出がありますので、順次これを許します。高村正彦君。
#12
○高村委員 参考人の三人の方々におかれましては、大変貴重な御意見を本当にありがとうございました。
 時間の関係もありますので早速質問に入らせていただきたいと思いますが、まず大谷参考人にお尋ねしたいと思います。
 脳死を死と認めるかどうかということについて、立法的な解決が必要だという意味のことを述べられたと思います。死の判定に当たるお医者さんというのは大変だなと思っていたら、我々が大変な荷を負うことになるわけでございますけれども、また藤村参考人からもきょうの出席者が少ないということでおしかりをいただいているわけでございますが、その死の判定に関する立法をする場合におきましてどういうことを考慮すべきかということを御示唆いただければ大変ありがたいと思います。
 それからもう一つ、先ほど、筑波大の臓器移植につきましてはかならぬ医師が告発人になっておるというお話がありましたが、これは脳死が医学的に死と言えないという理由で告発されているのか。あるいは、医学的にはともかく、社会的コンセンサスがない以上法的に死とするべきではないということで告発しているのか。その点がもしおわかりになりましたら教えていただきたいと思います。
#13
○大谷参考人 お答えいたします。
 まず第一点でございますが、脳死を立法的に解決すべきだという私の提案でございますが、私自身は、先ほど言いましたように、もし医学界において合意が得られればこれはあえて立法するべきではないというように思っております。
 私、この問題にかかわりましてからもう五、六年になりますけれども、その間にお医者さん方の意識はかなり変わってきたというふうに思っております。特にこれまでは、現在はいかがか知りませんが、医学部で脳死の講義というのはしなかったそうですね。したがって、ほとんどのお医者さんは、脳死というのはどういうものか知らないし、見たこともないということであります。したがって、脳死については必ずしも積極的ではなかった。しかし、今日になりますとかなりの人たちがそれを肯定するという状況になってまいりましたので、今後どういうふうに変わるか予測の限りじゃありませんが、ただ先ほど言いましたように、かなり著名なお医者さんでありましても心臓移植は医療として認めない、とすると脳死説というのは要らない、そういうふうな論法で脳死説に反対されるということでございますから、そういたしますと、これは今後医学が進歩いたしましても必ずしも全体の合意が得られるということは言えないのじゃなかろうか。そういう意味で、先ほど言いましたように、二つの死亡宣告があるのは好ましくないので、したがってこの辺でそろそろ立法的な措置を必要とすべきではなかろうか、こういう提案でございます。
 その際、脳死を主張する方にもいろいろな角度から主張される人がありますが、脳死問題というのは行き着くところ移植問題でありますので、したがって、移植にかかわってこの脳死について、これも死と認めるという形の立法が必要であろう。その場合に死というのは二つの概念があってはぐあいが悪いわけですから、したがって現在の三兆候説による死の判定、これも結局はその前に脳死が起こっているわけでありますので、したがってその判定もいわば脳死を判定する一つの手続にすぎないというような形で、やはり死の概念というのは一つであって、それは全脳機能の不可逆的な停止というものを死とする、そういうふうな定義で立法化しなければいけないだろうと思います。
 その際に、御質問の、どういうことに配慮すべきかということでございますが、一番大切なのは、今言ったように、まず第一としては、死としては一つしかないのだということを明らかにすること、それから脳死判定の手続だろうと思います。だれがそれを判定するかというのが一番大切なことなので、先ほど石井先生からもお話がありましたように、脳死というのはどうしても外部からはっきりわかるものじゃありませんので、したがって、いつの段階から植物人間から脳死に入ったかということがはっきりしないわけです。そういたしますと、信頼できる、臓器移植について言えばそれと関係のないいわば第三者的な機関の先生が診断しなければいけない、そこが最も重要なところだと思っております。
 それから、先ほどの筑波大の告発でございます。これは私、詳しく知りませんので申し上げられませんけれども、ただ、第一の趣旨は、やはり現在は心臓死が死なのであるから、したがって心臓死に至ってない段階で腎臓等の臓器を摘出したのは殺人に当たる、そういう趣旨でございました。したがって、いかがでしょうか、恐らくそういう脳死説を認めないという前提があって、そしてああいう告発に及んだのだろうと思っておりますが、これは正確じゃありませんので、一応……。
#14
○高村委員 石井参考人にお尋ねしたいのですが、先ほどの御説明で、我々混同しがちの脳死と植物状態の人間ということがよくわかりました。本当にありがとうございました。
 石井参考人も、脳死を死とする以上社会的コンセンサスが必要で、医学的見地からだけで押しつけるべきでない、そうおっしゃっておられましたが、この社会的コンセンサスをつくるべき努力をするということは必要だと思われるのかどうかということが第一点でございます。
 それから、脳死と尊厳死の問題あるいは植物状態患者に対する延命医療と尊厳死の問題について医学者としての所見をお伺いしたいわけでございます。
 それに付随して、植物状態患者の今日本における実態、世界じゅうの実態でも結構ですが、簡単に御紹介いただければ大変ありがたいと思います。
#15
○石井参考人 第一点の社会的コンセンサスをどうして獲得すべきかという御質疑でございますが、これは大谷参考人それから藤村さんもおっしゃっておりましたように、脳死あるいは植物状態の患者のことが医学の雑誌だけじゃなくマスコミにおきましても、いろいろな雑誌にも著書にも出てくるようになりまして、一時よりははるかに認識が進んできたというふうに私、思います。どういう具体的な手だてがこれ以上必要かということを具体的に私ははっきりお答えできませんけれども、我々が続けてまいりましたそういう啓蒙的な努力を地道に続けること、それから法律の先生や宗教家の先生との意見の交換も十分に行うこと、そしてある時期では大谷参考人がおっしゃいましたように議会がこれを取り上げて立法していただくということが一番早い道じゃないかというふうに思います。
 それから植物人間と脳死の関係でございます。これは先ほども言いましたように峻別しなければならぬということでございます。植物人間、と言うことは非常にいけないので、植物状態の患者さんでございますが、先ほども藤村さんがおっしゃいましたように目のあいた昏睡状態、オープン・アイ・コーマといいまして、いわゆる目に輝きのある昏睡というふうに言うことができるかもしれませんが、こういう患者さんは自分で移動はできない、それから自分でそしゃくして食物を摂取することはできない、それから言語を発することができない、それから目は動く物を辛うじて追うことができても、それ以上の意思の開陳の方法を知らない、そういう状況があり、人格の崩壊した状況でございます。
 これが日本で実態的にどのくらいあるものであろうかということ、これははっきりはわかりませんけれども、東北大学あるいは九州大学、北海道大学の脳外科の先生が関連施設をいろいろ調査いたしまして、さらに運輸省関係のある法人が自動車事故によって植物状態に陥った患者さんだけに介護料を補助するという方法を行っており、ある程度のデータが出ております。非常にシビアな基準をつくりますと、恐らく二千数百名の植物状態の患者さんがいらっしゃるのではないか。これより基準を若干甘くしますとその約倍、五千人ぐらい。これは主に脳の疾患の患者ばかりを集めているわけでございますから、重症の脳性麻痺だとかその他の原因によってほとんど同じ状態になっておられる人はさらにその数を増すと思いますが、日本で一万人を超すことはないのではないかというのが私の感じでございます。
 それから、脳死だけではなくて、植物状態の患者さんも、先ほど藤村さんがおっしゃいましたように、自分であればそういう状況になることを御免こうむりたいと言う方は非常に多いのでございます。先ほども申しましたように、若い人の頭部外傷では時に数%の頻度で植物状態から脱却することがございますけれども、それ以外の五十歳を超したような人が植物状態になったらまずユースフルライフに戻ることがない。しかし、そういう状況で我々がどういう選択をすべきかということは非常に難しいものでございまして、一番容易な道、それは延命の努力でございまして、現在それを行っているというのが実態でございます。
#16
○高村委員 では、藤村参考人にお尋ねいたします。
 生命と倫理の問題について大変深い考察をされていることに心から敬意を表するものでございますが、最初の尊厳死患者と言われている米国のカレンさんが十年余の昏睡状態の後つい最近死亡されたわけでございます。先ほど参考人は、自分だったら、脳死の状態になったら尊厳死を認めていただきたいというようなことをおっしゃったわけでございますが、植物状態になった場合、その他のあるいは脳死の場合、そういったことも絡めて尊厳死についての所見をもう一度お尋ねしたいと思います。
#17
○藤村参考人 実は脳死に関しては、私は、自分がそれでもなおかつ人工呼吸器をつけられていることは私の尊厳を傷つけることだと考えます。
 ただ、植物状態というのは私ははっきり脳死とは違うと考えておりますし、でももう一方では、植物状態になって意識がないのになおかつ何年も何十年も生き続けることが本当の意味で人間として生きていることかと問われればそれは違うと思うのですけれども、その辺のことで、カレンさんの問題も含めて、尊厳死という問題に関しては私はまだ結論が出てないというかケース・バイ・ケースというか、植物状態でも例えばかすかに反応を示す人もいれば、何年間も眠り続けているカレンさんのような状態もあるわけですから、その辺のところは私自身のこれから考えるべき課題で、現時点ではこれが尊厳死だとかという結論はまだ得ておりません。考えている最中でございます。
#18
○高村委員 大谷参考人にお尋ねいたします。
 植物状態に陥った患者に対する延命治療の打ち切りと現行刑法上の問題点、そして尊厳死に関して何らかの立法の必要があるのかないのかについて刑法学者としての御意見をお尋ねいたします。
#19
○大谷参考人 現在の刑法の解釈で尊厳死、植物状態の患者に対する延命医療の打ち切りをどう考えるかということでございますが、私は、脳死の場合については、現在の法律の考え方でもお医者さんが治療を打ち切るということは十分可能である、つまりもはや治療義務はなくなっているというふうに思うわけで、その点が尊厳死の場合と違います。
 尊厳死といいますのは、特に我が国の尊厳死協会の方が言っていますのは、いわば生命力のある植物状態の患者に対して医療を打ち切るべきだ、特に本人の意思を尊重してと。最近いわゆる「生者の意思」という言葉を使っているけれども、あれは適当な訳じゃないだろうと思うのですが、私どもは要するに「生前遺言」というふうに言うわけでありますが、つまり生きている間に効力を発する遺言という意味でアメリカの「ア リビングウィル」というのはそういうふうに訳すべきだと思いますけれども、それを前提にして、もし植物状態に陥った場合には一切の治療を拒否するというのが尊厳死だろうと思います。それを現行法の枠の中で考えた場合には、やはりそれは認められないのではなかろうかと私は思います。植物状態の治療打ち切りというのは、要するに栄養を与えない、それから、聞くところによりますと、植物状態の患者は非常に抵抗力が弱いので絶えず抗生物質等を投与しなければいけない、それをやめてしまうということでありますから、これはどうも生きている人を殺すと言わざるを得ないのではなかろうか。そういうわけで、我が国の刑法の考え方では尊厳死を正面から認めるという人は非常に数少ないと思います。現行法上は違法である。
 特に問題になりますのは、これはいわゆる同意殺人にかかわるわけでありますけれども、同意殺人というのは嘱託を受け、あるいは承諾を得て殺す行為なのでありますけれども、この場合にいわゆる生前の意思といいましょうか元気なときの意思というものがまさに医療を打ち切るときにまで及んでいるかどうか、つまり同意の効力というのがないのではなかろうかということでありますので、そういたしますとこれを正当化する根拠というのはない。
 せいぜい安楽死との関連でこれを議論する人があり得ると思います。また、現にそう言っている人がいますが、安楽死の場合ですと、安楽死というのは、現在我々が定義いたしておりますのは、まず非常に死期が迫っているということ、それから死苦、死ぬ苦しみが非常に見るに忍びないというふうな状況に陥っているという場合に本人の真摯な求め、とにかく殺してくれというふうな意思が表示されているときに初めてそれが適法になる、あるいは違法でなくなるといいましょうか、そういうふうに考えているわけです。尊厳死の場合にはそのような苦痛はないわけでありますし、死期が迫っているとも言えないわけです、先ほどのお話のように十年以上も生きている人もいらっしゃるわけですから。そういうわけで、これは現行法上安楽死と同じように考えられないというふうに思います。いずれにいたしましても、適法化の道はなかろうというふうに思うわけでございます。ただ、医療の現場でどういうふうに扱っているか私は知りません。これはよくわからないことであります。恐らく普通のお医者さんであればそういう医療の打ち切りというのはしないはずでございます。
 それでは立法化はどうであるかということでございますが、先ほど石井先生のお話にありましたように、どこかの新聞によりますと全国で七千人いるであろうというふうに言われておりまして、この看護費用というのは大変なものであって、私の知っている方では、やはり一家離散の憂き目に遭わざるを得ないというくらいに、患者家族は非常に大変だろうと思います。したがって自分もそういう姿で生きていたくないというふうに思うだろうし、また生きていれば家族に迷惑をかける、だからそういうふうになったときには治療を打ち切ってくれというふうに言う心情はよくわかるわけでありますし、また患者家族にしても何とかお医者さんに頼んで、適当に治療を打ち切ってもらいたいという心情もよくわかるわけでございます。
 しからば、アメリカで行われているような、立法化によって先ほど言いましたリビングウィルを有効にするという取り扱いをすべきかどうかということになりますと、私は現状のままでは適当でないというふうに思っております。
 なぜそうかというと、これは我々法律家からいいますと、人間の生命というのは、ある限界を超えてその保護をしなくなってまいりますと、いわばかつてのナチスドイツの安楽死計画のように、この社会において意味のない、存在する価値がないというふうに思われた人の生命は抹殺してよいというふうなものに結びつく。そうしますと、植物状態の場合は家族は大変である、だったら、老人の場合はどうであるか。あるいは、変な言い方でありますけれども、家族の中でどうしても一緒に住めないというふうな性格の人とか、そういう人についても同じような取り扱いに行き着いてしまうのではないか。これを我々はくさび理論と言うわけでございますが、生命の保護にくさびを打ち込むというふうになるのではなかろうか。
 したがって、今大切なことは、これは先ほどお話がありましたが、交通事故については運輸省がどこかがそういう手当てをしているようでありますけれども、これは自治体あるいは国が、二千人、あるいは七千人でありましょうけれども、そういう人たちを保護するのにはそんなにお金がかかるわけじゃないわけであります。しかし、家族が負担するのは大変な苦労を味わうわけであります。したがって、現在必要なことは、これは福祉的な方法ということで解決せざるを得ない。これは皆がそういう状態に陥る危険を持っているわけでありますので、国としても、生命にくさびを打ち込むような方向に国民の意識を向かわせないように手だてをする必要がある、それだけの財政的な支出をする価値があるのではなかろうかというふうに私は思っております。
#20
○高村委員 石井参考人に臓器移植についてちょっとお尋ねしたいのですが、臓器の移植をほとんど外国に依存しておるというふうに聞いておるのですが、現状はどんなものなのか、そのことの問題点についての所見をお尋ねしたいと思います。
#21
○石井参考人 臓器移植を外国に行って受けるという外国依存の仕方と、それから腎移植のように新鮮な状態で適当な方法で保存されるならば死体腎でも移植可能である、したがって適当に保存された腎臓の補給を外国から受けるという二つがあると思います。
 まず後者から申し上げますと、人工透析研究会がまとめた統計によりますと、腎移植を必要とする患者さんは一万人を下らないであろう、日本ではそういうふうに考えられております。正確な数字は知りませんが、腎移植が日本で実際に行われているのは過去一、二年でもたかだか四百例がそういうものであろうというように思います。腎移植のドナー、提供者はほとんどが近親者、ごくわずかに先ほどお話がありました脳死の患者からの生体腎でございますが、三分の一ぐらいは死体腎、しかもその中のかなりの部分を一時はアメリカの死体腎の供給を受けておったという状態でございます。
 それから、私は移植の専門家でないのではっきりはわかりませんけれども、今の状態であっても脳死患者から一つの腎臓を摘出して移植に供するということは、今のたくさんの人工透析患者さんの実情を見ておると許されていいんじゃないか、現在の時点でですが、そういうふうに個人的には思っております。
 以上でございます。
#22
○高村委員 きょうのお話から少しずれるかもしれませんが、やはり生命と倫理の問題ということで、川崎市で交通事故で両足骨折した小学生の治療に関して両親が信仰上の理由で輸血を拒否した、その結果出血性ショックで死亡された。この問題、信仰の自由あるいは子供の生命、医者の良心、いろいろな問題が絡まって余り軽々しく論ずるべきでないかとも思いますが、それぞれの参考人の方々からそれぞれのお考えを、この問題についての所見をお示しいただきたいと思います。
#23
○片岡委員長 石井参考人からお願いします。
#24
○石井参考人 この間の川崎の事例は、ある宗教団体に属する人たちには非常にたくさんある問題でございまして、多くの場合輸血が行い得ないと判断したときは麻酔医あるいは担当医がその手術を拒否することがほとんどでございます。その患者さんは治療拒否できると同じように、一定の条件をはめられての治療は責任は持てないということは法律的には許されることかというふうに思いますが、我々ごく最近もそういう患者さんの脳下垂体の手術をしたわけでございまして、某大学の麻酔科ではこれを拒否されたわけですが、人工血液とかいろいろな方法を使って、手術を分割するとかそういう方法をもってこの手術を行いました。成功いたしました。しかし、問題は、失敗したときに本人は一切その責任は問わないと言ってもそれが法律的に効果があるのかどうかということは別でございまして、こういう事例はそれにとどまらず医療の第一線においては無数にあると言っていいかと思います。
#25
○大谷参考人 法律の立場からお話しいたしたいと思います。
 今お話しのように本人が宗教上の理由で輸血を拒否するという場合でありますれば、これは医療拒否の問題でございますから、したがって医者は当然これに従わなければならないと思います。つまり最近の患者の自己決定権の枠の中からこれは当然の結論かと思います。この間の事例はお子さんについて両親が反対したわけでありますが、この場合に通常医療を行う場合にはお医者さんは本人、子供の場合には本人よりもむしろ両親の同意ということを前提として医療を行っているはずでございます。また、それが有効なはずでございます。問題は、治療を行なわない方向で拒否した場合に親の意思を尊重すべきかどうかということだろうと思います。
 まず一般論でありますが、一般論として言いますと、この場合はまさに子供は重傷を負っているわけですし、親が病院に連れていったわけでありますから、したがって親としては病院に連れていった以上はその人命が救われるような治療を受けるのが当然でありますし、したがって子供に対してそのようないわば保護責任者の立場に置かれている。我々、社会通念から見ても親が助けてやるというのが当然でありますし、また治療する場合に適切な治療に同意するというのも親の保護責任の一場面だろうというふうに思うわけでございます。この場合にそのような保護責任が認められているのになお保護しないという方法をとったのでありますから、したがって、私はどちらかというと保護すべきものを保護しないでそうして死に至らしめたといういわゆる保護責任者遺棄致死罪にかかわる問題になるのではなかろうかというふうな感じを持っております。
 従来でも、こういう事例は今の石井先生お話しのように各病院であったわけでありますが、今回の場合はたまたま交通事故でありましたので一般に知れ渡ったわけでありますが、実際には今のような場合には治療を受けず、また病院側も治療しないということでありましょうけれども、私はこのあたりでこの問題について一応決着をつけるべきだという趣旨から、この親に対して何らかの刑事責任というものを考えるべきではなかろうかというふうに思っております。
#26
○藤村参考人 私は命より重いものはないと思っておりますから、両親はもちろんのこと、お医者様にも、もしもその後でいろいろ刑事問題が起きたとしても輸血をして助けていただく勇気があってほしかったと思っております。
#27
○高村委員 今の問題について大谷参考人にもう一言お尋ねしたいのです。
 親に保護責任者遺棄の罪を問うべきだという御意見だと思いますが、医師の方には何らかの責任が、しても問われるかもしれないし、しなくても問われるかもしれないという大変気の毒な立場にあるわけですが、その点についてどういうふうにお考えか、あるいはまた何らかの立法的な解決方法を考えるべきかどうか、そういう点についてお尋ねして私の質問を終わりたいと思います。
#28
○大谷参考人 大変難しい質問でございますが、医師に対する刑事責任が問題になるといたしますと、恐らくこれは業務上過失致死ではなかろうかというふうに思うのでございます。医者としましては当然輸血をしなければ手術ができないし、手術しなければ死んでしまうということは知っているわけでございます。その場合に本来ならば親が同意しなくとも、医者が一たん引き受けた以上は治療する義務があるというふうに義務を意識して、そうして治療に当たるべき義務があるというふうに言えるかと思います。
 ただ、この場合に、親が反対しておったならばこれは治療してはいけないというふうに思ったところの不注意、これをもって過失というふうにとらえることは必ずしも不可能ではなかろうと思っております。ただ、従来の刑法上の過失の考え方はそうでなくて、この行為をしないと、例えば今手術をしてやらないとあるいは輸血をしないと死んでしまうであろうというふうに普通の人ならば思うのに、それをぼけっとしておって不注意のためにその結果を予見できなくて死なせてしまった場合に、これがいわば典型的な過失でございます。そうしてみますと、そういうことはよく知って医者は十分意識しているわけですし、今手術しなければ死んでしまうということは知っている。ですから、その意味では十分注意しているわけでありますし、ただ、もし不注意というのならば、親が反対した場合には手術できないというふうに思ったところに不注意があるということが、強いて言うならば言えるというのが現在の私の考え方でございます。したがって、我が司法当局、果たしてこれを業務上過失致死として起訴するかどうかと言われれば、恐らくしないだろうというふうに私は感じますけれども、つまり、従来の過失の考え方からするとかなり距離があるというふうに思うわけでございます。
 しからば、立法的な解決はどうであろうかということでございますけれども、これは信仰上の問題でありますので、立法的な手当てをしましてもやはり拒否する方は拒否するだろうと思いますね、一種の確信犯的なものでありましょうから。したがって、それが果たして効果があるかどうかでございますけれども、私自身は、立法的な手当でよりも、例えば今回の事件について一応司法当局が保護責任者遺棄致死罪に当たるというふうな形で一たん介入するというふうなことになれば、かなり今後の動きが変わってくるのではなかろうかというふうな感じがしておりまして、立法的な手当てについては必ずしも賛成ではないのでございます。
#29
○高村委員 どうもありがとうございました。
#30
○片岡委員長 横山利秋君。
#31
○横山委員 三人の参考人から貴重なお話、大変感銘をいたしました。短い時間でございますが、まず、私の気持ちを申し上げてなんでございますけれども、こういう近代社会にあって私ども政治家として考えますことは、いかにして人間が人間らしく生き、人間らしく死ぬかということが私ども政治の一つの理想であり、条件づくりをする義務がある、そう考えておる一人であります。また、私個人は尊厳死協会の会員でございますし、死刑廃止論者でございます。
 その前提を含めてまず石井先生にお伺いをいたしますが、腎臓移植普及会の統計を見ますと、現在、腎臓提供登録者が六万三千四百四十九人おります。このほか先ほどのリビングウィルにしても、いろいろなことで自分たちの体を提供してもいいという人は随分あるわけです。ところが、腎臓提供といいましても、六万三千人、これは決して多いと私は申しませんが、ともかくあるのにかかわらず、地域的要素あるいは専門病院あるいはまた血液型とか健康とか、そういうことでこれがうまく作動しないという感じを持っておるわけでありますが、こういう点ではどういう改善の方法があるでしょうか。
    〔委員長退席、高村委員長代理着席〕
#32
○石井参考人 私、先ほど申しましたように移植の専門家でないのではっきりお答えできるかどうかわかりませんけれども、まず第一に、その登録の仕方ではなく、ただ単に自分に何かのことがあったら腎臓を提供したいという登録もございますが、血液にABO型あるいはRh型があると同じように組織にそれぞれの型がございまして、例えば心臓のようなものであればその心臓の一部を心カテーテルを通じてとっておく、そしてこれを移植される側の人の心臓の型とも合わせて、それを組織適合性といいますけれども、それは何も組織だけではなくてかなり難しい検査ではございますが、リンパ球からもその型を測定することは可能でございます。こういう組織適合性というものを含んだデータの処理、バンキングというものがより効率的な移植を進める方法ではないか。もちろん、それだけではございませんが、一つのファクターでございます。それから、常に決まった場所でそういう手術ができるというチーム、四六時中それができるという態勢の病院を日本各地にレジスターしておくということももう一つの方法かと思いますが、それ以上はっきりした返事は私にはできません。
#33
○横山委員 私は、腎臓移植にしましてもいろいろなことにしましても、法理論の前にもう少し運用といいますか行政といいますか、そういう点でかなり改善さるべき点があるのではないかということを考えておる一人でございます。
 大谷参考人に伺いますが、先ほど早過ぎた埋葬の話が出ました。逆に遅過ぎた判定という論議が出てくる可能性を私は考えておるわけであります。例えば、脳死を死と見るという判定は、大病院であり、あるいは専門医であり、そういうところでは脳死を死として見る。けれども小さい病院、山間部落では三兆候説でやるのが順当である。いろいろなコンセンサスがあって脳死を死と決めたところで、そうはいかない条件が生まれる。そうすると二つの死といいますか、おかしなことですが、二つの死が出る。これが、私どもの法務委員会の立場から言うならば相続の問題にひっかかってくる。それからまたお医者さんの責任問題にひっかかってくる。家族の負担――家族からいえば、あのとき死と言ってくれればこんなに、財政的ばかりではありません、心理的にも苦しまなかったのにという問題がある。死の判定が、遅過ぎた判定、遅過ぎた埋葬ではありません、判定。その二つの問題が出てくることにどうお考えでございましょうか。
#34
○大谷参考人 先ほど私がこの脳死問題というのは臓器移植に限定すべきだと申し上げましたのは、実はそれが一つ頭にあるからでございます。臓器移植のときにだけ脳死をもって死の判定をしてよいという形の規定の仕方で足りると思っているわけですが、そういたしますとその時点で死となるわけですから、したがってそれが死亡時刻になるわけでございます。他方、そうじゃなくて普通の場合、移植じゃない場合については、通常は心臓死をもっていわば脳死を判定するという手続をとるということでございます。
 なお、もう一つ残ります問題は、脳死状態のときに医療をやめる、打ち切るという場合に問題が残ってくるわけですね。打ち切るときに死を判定する、死の診断をするという場合、しかし移植はしないという場合、これをどう取り扱うのか、これは大きな問題だろうと思います。やはりこの場合には、さっき言いましたように現在の考え方でも医療を中止していいわけですから、医療を中止しますれば間もなく心臓死になってまいります。だからそのときに死と判定するのか、それとも脳死と判定しても治療をやめるというときにこれを死と判定するのかということでありますけれども、これはやはり法的な手続が必要であろうと思います。その場合も、つまり脳死を基準に判定するのであるから、したがって、移植をしない場合であっても脳死の判定をした段階で死亡時刻を決める、こういうことになろうかと思います。
 結局は、普通の場合、つまり人工呼吸器等をつけていない場合についての判定の仕方は心臓死をもって脳死の判定をすればいいわけですね。つまりそれはかなり時間的に接着しているはずでありますから。外国でもそういう立法をしているわけですね。つまり、脳死を死と決めた上で、しかしその脳死の判定の手続として、一つはそのような三兆候をもって判定してもよいという認め方で足りると思うのです。
 要するに、前提としては脳死問題というのは移植問題でありますけれども、しかし、脳死を個体の死として認めた以上は、人工呼吸器の取りつけられているような植物状態の患者が、ある時点から脳死状態に移るわけでありましょうから、その時点をもってこれを死とするというふうに決めておいて、そしてそれは移植もしてよい、それから治療も当然打ち切ってよい、なお、それ以外の人工呼吸器を取りつけてない場合については心臓死をもって脳死の判定とする、こういう手続でございます。そうしますれば、おっしゃるような二つの死ということはあり得ないのではなかろうかというふうに思います。
#35
○横山委員 先ほど大谷参考人から尊厳死否定論がございました。私は尊厳死協会の会員でございます。三人の先生に私どもの気持ちを言っては恐縮でございますが、こういうことなんですということを申し上げて、それぞれ御意見を伺いたいのであります。
 尊厳死といいましても安楽死といいましても、定義が実はないのでございます。場合によれば嘱託殺人なり同意殺人という疑いがかけられることは言うまでもございません。一番物差しになりますのが、昭和三十七年十二月、名古屋高等裁判所の判決文の附則文として六つのいわゆる要件が列挙されているわけです。ちょっと読み上げますと、
  (1) 病者が現代医学の知識と技術からみて不治の病に冒され、しかもその死が目前に迫っていること。
  (2) 病者の苦痛が甚しく、何人もこれを見るに忍びない程度のものなること。
  (3) もっぱら病者の死苦の緩和の目的でなされたこと。
  (4) 病者の意識がなお明瞭であって意思を表明できる場合には、本人の真摯な嘱託又は承諾のあること。
  (5) 医師の手によることを本則とし、これにより得ない場合には医師により得ない首肯するに足る特別な事情があること。
  (6) その方法が倫理的にも妥当なものとして認容しうるものなること。
この六つの要件を挙げています。尊厳死協会の「リビングウィル」は省略をいたしますが、少なくとも我々が法務委員として論争に値する、討議に値する判決文の附則文としてこの物差しで社会に問う、こういう考え方を実は持っておるわけでございますから、先ほど大谷さんがおっしゃいました条件とはかなり物差しが限定されておるということで御意見を伺いたいのです。
 まず、石井参考人にお伺いしたいのですが、実は医者は家族の同意でこれをやっておる、消極的に死に至らしめる方法としてこの条件は現実に行われておると私は思うのですが、いかがでしょうか。
#36
○石井参考人 そのとおりでございます。私の恩師荒木教授は非常に生命の尊厳に厳しい人でございましたけれども、かねがね自分に何か起こって意識が一週間、十日なくなるような状況になったら、二つのことだけはやめてくれ、それは気管切開をすることと、鼻から管を入れて栄養物を無理やりつぎ込むことでございます。やはり先生が心配されたと同じように重篤な脳障害の発作に襲われまして、我々はその生前の依頼を守って、一週間か三週間のうちに静かに息を引き取られました。私は、目下一番容易な道、すなわち延命努力を続けることを自分ではやっておりますけれども、もし自分にそういう状況がやってきたときは、私の教え子たちが施すであろうあらゆる延命努力は御遠慮申し上げたいということを公式の席で申し上げましたら、随分方々で全体の調子を知らない方からしかられまして、新聞でもたたかれたりしたことがございます。
 例えば植物状態といいますと、この状態は治療する方法があるかというと多くの場合はございません。といいますのは、脳に粗大な病変が起こりまして、血腫が例えば吸収される、それから壊死に陥った組織が吸収される、そのかわりに癩痕組織がとってかわる、そういう形は不完全な形であり、欠陥を残した形での治癒でございますから、多くの場合、これ以上の治療の方法はないわけでございます。しかし、そういう患者さんは、非常にしばしば肺炎であるとか、膀胱炎であるとか、敗血症であるとか、治癒可能な合併症を併発されることはございます。ほとんどの場合、それに対して抗生物質をやったり膀胱洗浄をやったりするわけですが、最後の最後までこの処置をすれば三日、四日あるいは一週間延命できたかもしれないけれども、諸般の事情を考えてその治療手段をあえてとらなかったということは、我々の良心に従ってではありますが、何回もございます。
#37
○大谷参考人 医療の実態として、先ほどおっしゃいました例えば名古屋高裁判決のような六つの要件を満たして、そして安楽死を行うということは恐らくあり得るのだろうと思います。あるいはやっているのだろうと思います。また、尊厳死については今石井先生のおっしゃったような実態が恐らくあるのだろうと思います。現にあるということと法律をつくってそれを公認するということとは質が違うのじゃなかろうか。多くの場合は関係者、お医者さんもあるいは家族も皆が見ておって、これが限度である、本人もそこまでは望まないであろうというふうな、医療関係者及び家族が皆合意した上で後は自然の死を迎えさせるということと、法律をつくってこういう場合には自然の死を迎えさせるために医療を打ち切ってよいというようにするのとは、やはり意味が違うのではなかろうかと私は思っておる次第でございます。
#38
○横山委員 ちょっと、藤村さんのお答えになる前に申し上げておきたいのですが、私は生命と倫理の懇談会の委員でございます。この間藤村さんおいでになるときちょっと所用があって御無礼いたしましたが、私はお芝居が好きなものですから、「高瀬舟」の小説やお芝居も見ました。森鴎外の文章を引用いたしますと、私は弟と二人で暮らしていましたが、弟は体を壊し私が働いていました。弟は済まないとかみそりでのどを切り自殺を図ったのです。苦しがっておりましたので、かみそりを抜くと傷口が大きくなって弟は死んだのです。庄兵衛はその様子を目の当たり見るような気がした。いずれ死ぬ弟である、これが人殺しというものだろうかと思った。これは森鴎外先生の「高瀬舟」の文章の引用でございます。この場合は殺したのではなくて、弟が自分でかみそりで自殺を図ったので、苦しがっているからかみそりを抜いたら死んでしまった。抜かなかったら――そのことはちょっとおかしいと思うのですけれども、とにかく罪に問われて遠島申しつけられて、庄兵衛が高瀬舟でこれを送っていく。いわゆる嘱託殺人になったということは社会的にも一般の人がよく知っていることなんですが、今お二人の御意見ございましたけれども、私としては六つの要件が満たし得るならば、また国民のコンセンサスが得られるならば法制化をいたしたいと思っておるのですが、藤村参考人はどうお考えでございましょう。
#39
○藤村参考人 だんだん御質問が難しくなってまいりましたようでどうお答えしていいかと思いますが、先ほども尊厳死の問題でどう考えるかと御質問がありましたときに、そのことに関しては、私は今現在考え中である、まだ自分なりの結論は出てないと申し上げました。ただいまもそう申し上げるより仕方がないとは思うのですが、ただ、私、尊厳死を認める場合に、私自身が経験いたしましたことで、たまたま植物状態の方たちに会ったときに、あの感じは生涯忘れることができない。確かに人間として生きていると言えるかどうかいろいろ問題はあるかと思うのですけれども、やはり自発呼吸ができていることの意味の大きさ、かすかに反応を示す人もあるいは反応を示さない人にもまだ命があるんだなといったあのことがどうしても忘れることができません。じゃ、その人たちに治療をやめて死を認めたらいいのかどうか、あるいは私がああいうふうになったときにあるいは家族がそういう状態になったときに私だったらどうするか、本当にこのことは脳死を死として認める問題よりももっともっと重く私自身にのしかかってまいっております。
 ですから、そういった意味では私は逆に、これからそのことを考えていきたいなと思っておりますし、そして、私が脳死問題に関心を持ちましてから得た結論というのは、脳死であれ心臓死であれ、新しい死に方が、脳死というものが生まれてしまったとは言われても、結局、人間というのは、死んでしまったらおしまいと言ったらおかしいのですが、私たちが何が大事かと言ったら、死に方の問題云々よりも、逆に、今命を与えられている、この生きている今というものをみんなで感謝して、今生かされている私たちのこの喜びというものをもっとみんなが謙虚に受けとめるべきではないかな、そういうところに私は結局は到達したというか、現時点で考えられることは、先ほどの輸血拒否の問題も含めて命のとうとさというものだと思いましたのです。ですから、そういうことも含めますとますます、死に方というと大変語弊があるかもしれませんが、脳死の問題は別として、尊厳死とか安楽死というものを本当に謙虚にというか、真剣にこれから考えていきたい問題だなと私は思っております。
#40
○横山委員 ありがとうございました。
 全く同感でございまして、例は違いますけれども、私は、平沢被告の恩赦の問題に取り組んでおります。そのことを深く申し上げるつもりはございませんが、冒頭に申しましたように、こういう移り変わる世の中、しかも物質文明が極めて高い世の中に、私たちが一番大事に思わなければいかぬのは人間らしく生きる、人間らしく死ぬ条件を整えることである。西行法師が「ねがはくは花のもとにて春死なむ」と歌いましたが、どんなに年とっても、仕事が仮になくなってきても人間らしく生きるということを私どもは大事に考えていかなければならない。生きるということは、生命があり心がある、単に肉体だけではないというふうに思っておるわけです。
 誤解をされては困るものですから、一言付言しておきますと、この間、全国心臓病の子供を守る会の会報を見て、説明を受けました。ところが、私自身も短絡的にいろいろなことを考えているわけではございませんが、この子供を守る親の会の皆さん自身のアンケートが、非常に戸惑いや矛盾に満ちた思いでいっぱいなんでございます。脳死を認めるというのは満場一致ではございません。心臓移植をやるというのが満場一致でもございません。自分だったらどうするか、わからない、こういう戸惑い、矛盾が関係者の中でもあるんだということでございます。ですから、私はつくづく思うのでありますが、どうぞ諸先生も、今こもごもおっしゃいましたが、どうしたら国民的なコンセンサスを得てこれからの社会に適合した医学なり法学なり、あるいは社会常識を進歩的な方向でやるかということにぜひ一層の御協力を賜りたいと存じます。
 同僚委員の関連質問がございますので、私の質問は終わります。
#41
○高村委員長代理 天野等君。
#42
○天野(等)委員 横山先生の大変格調高い質問の後に多少即物的な質問をさせていただきますが、関連をいたしまして一つずつお尋ねしたいと思います。
 実は、脳死問題を含めまして死というものを法制化することについてどういうふうにお考えになるかということでございますが、まず石井先生に、死というものについて法的な定義をきちっと置くことが、これは医学的に見た場合にどうなんだろうか、逆に医学の進歩なりなんなりを狭めてしまわないだろうか。
    〔高村委員長代理退席、委員長着席〕
先ほど大谷先生のお話の中にございましたように、死というものについて今は一応医師法の医師による自由な判断ということで、それが脳死というような問題についても一つ出てきたものじゃないかというふうに考えるわけです。しょせん人間の統一体としての生命体というものをとるのか、あるいはその中の一つ一つの臓器の生き死にというような問題、こういう問題もどう評価するのか、ということになってくるのだと思うのですが、その点で法的にきちっと死というものを定義づけることを医学の立場から見てどういうふうにお考えになるか、その必要性あるいはその可否等についてお考えをお聞かせいただきたいと思います。
#43
○石井参考人 まことにお説のとおりでございまして、死は特定の時点に限って起こるものではございません。非常に複雑な幾つかの過程を経て段階的に進むものでございます。したがって、心臓が停止したという時間は固定できるかもしれません。しかし、その後にその皮膚あるいは腎臓、骨髄細胞を採取いたしましてこれをほかのもらい手、レシピエントに移植してもその臓器は土着するわけでございますので、その意味ではそれらの臓器は生きていたと言わなければいけない。そういう意味で、幅をうんと厳しくとるのは、一九一八年ですがフランスの法律では、すべての三兆候はもちろん、死後硬直が来ても側頭部の血管を切ってそこから出血しないまでは死と認めないということで、そういうふうな極端なものから、最近非常に問題になっております脳死を死と認めるというまでの非常に幅の広い死の判定基準があるということだけは確かでございます。
#44
○天野(等)委員 大谷先生にお尋ねしたいのですが、先ほど脳死と心臓死ということの関係で、二つの死ということではなくてむしろ心臓死というのは脳死の一つの兆候といいますかその判定の基準、そういうふうに考えたらどうだろうかというふうなお考え――確かにそういう寺つな考え方もあるかと思いますし、また別々な死というとらえ方も考えられるのじゃないか。アメリカ等でも別々な死と考えているような大統領委員会の報告書もあるようでございます。
 そこで、ただ私は、脳死というものについて今石井先生もお話がありましたように、死というのが必ずしも一点じゃないということがこの脳死問題の中でかなりはっきりしてきているんじゃなかろうか。従来死というものはかなり私たちに目に見えるものとして、心臓がとまったり脈拍がとまったり呼吸がとまったりという形で目に見えるものでございましたけれども、それがそういうものではなくなってきつつあるのか。その辺は後で藤村先生にちょっとお聞きしたいと思いますが、そういうことで死が一点じゃなくなってきているという状況の中で死の定義づけ、特に民事的な関係とのあれで死の時間が動かし得るということになると、これはやはり非常に問題でございます。むしろその点で法的に死を定義づけない方が、従来からその方が正確であったんじゃないかという感じさえ実はするわけでございますが、その点でいかがでございましょうか。
#45
○大谷参考人 まず、先ほどの石井先生への御質問に対する私の感想、ちょっとよろしゅうございましょうか。
 私はあえて脳死立法をしない方が望ましいのだけれども、しかし、現に脳死を判定してその時点を死亡時刻にし、それから腎臓を摘出しているという事実がございます。これをこのまま放置しておく方がいいのか、それとも一定の規制を加えた方がいいのかというと、私はこの辺ではっきり規制を加えた方がよろしい、そうでないと非常にあいまいになってしまう。それから、今はまだいいでしょうが、いずれ民間病院でもやるようになりますと死の判定について相当ルーズになってくる可能性がある。そういうことがありまして、やはり願わくはお医者さんの医学上の定義で処理していただきたいのですけれども、現実にはそうもいかないというところが私が脳死立法を考えているゆえんだということでございます。
 その際に、今おっしゃられましたように、確かに心拍がとまるというふうなことを基準にすれば死を点としてとらえることが可能であるのは事実でございます。従来死を点として考えてきたわけでございますが、ただ、それも死に方というのはいろいろあるわけでございまして、お医者さんが臨床に立ち会っていればそれでわかりますけれども、多くは立ち会っていないときに亡くなってしまうわけでありまして、あとは推定しているわけであります。ただ、推定する場合に、法医学上何時何分という場合と――どうも司法当局はできれば何時何分というふうに鑑定してくれと言うそうでありますが、それはわかったものではないわけでありまして、大体何時ごろというふうになるのでありましょう。ですから、これまでその上でおっしゃるような相続問題等処理してきているわけでございます。
 今度は、脳死は確かにある線としてとらえられるという感じがいたします。ただ、定義から言うと、これまで植物状態であったものがある時点で急に血圧が下がってくる、それから瞳孔が開いてくる、これはむしろ例えば山の中で亡くなったというような場合よりもはるかに確定、確認しやすい点があるのではないか、そういうものを前提にした死の定義を立てざるを得ないのではなかろうかと思っているわけでございます。したがって、線というふうに見えるけれども、例えばそういう状態になったときから現在の脳波学会の判定基準でありますと六時間という形にしているわけでございますが、そういうふうな形の定義の仕方でやれば必ずしも先生おっしゃるような相続問題で争いになることはないのではなかろうかという感じを持っております。
#46
○天野(等)委員 もう一問、それでは藤村参考人にお尋ねしたいのです。
 先ほどちょっと申し上げましたけれども、死というものが我々にとって非常に直接的だった時代があり、現在も大部分はそうでございます。実は藤村さんのお書きになったものを読ませていただきまして私も大変感じましたのは、脳死ということについて非常に直観的につかまえていらっしゃるし、自分の経験として脳死の患者については見たんだということであり、植物状態になっている人については会ったという感じだったんだ、そういう大変直観的な表現というのは私は死というものについてはどうしても必要なのじゃなかろうかという気がするわけです。この人が死んだのか死なないのかということについて、それは医者の判断によるんだと言われれば確かにそうかもしれませんが、身内の者にとってはやはりどうしても死んだのだという直接性が必要なのじゃなかろうか。それを抜きにして、もう死んだのだから器具を外してしまうということはなかなかできにくいことだ。それだけに、藤村さんの書かれたものの中にも、信頼できる医者の判断という言葉がございますし、先ほどのお答えの中にも医者と患者あるいは家族との信頼関係というようなお話がございました。ただ、死そのものは突然やってくるという場合もあるわけでございまして、必ずしも日常的にかかわっている医者のところで死ねるというような幸せな状態になるとは限らないわけでございますから、そういう点で死というものを一義的に考えなければならないという立場からすると、信頼できる医者の判断があればという条件は死にはなかなか当てはまらないのではなかろうかという気がするわけです。万人に当てはまる定義づけというものを考えなければならないでしょう。
 そういう点で私は藤村さんに対して、臓器移植という観点から脳死というものを考えていかれると確かにそれは都合がいいという言い方は悪いかもしれませんけれども、ある線で引いた方がそのことによって臓器移植ができるという面があるのかもしれません。逆に、臓器移植という面が強くなってくると、生命の尊厳、絶対的な価値というものの観点から見るとどうだろうか。そういう点で、仮に脳死の判断を医者がする場合に臓器移植とは切り離した判定者というようなものを当然考えなければならないのではなかろうか、そう考えないと、臓器移植のための死の判断というようなものがなされたとしたら、これは生命の尊厳にとって非常に恐ろしいことではないだろうかという気がするのでございますが、いかがでございましょう。
#47
○藤村参考人 おっしゃるとおりでございまして、私も脳死と臓器移植というのは本当は全く次元の違う問題だと考えております。ですから、先ほども石井先生がおっしゃいましたように、脳死というものは医学的に判定することは難しいことではない、今ほとんどのお医者様ができる、それほど医療技術としては恩恵の中で私どもは生きているわけです。ですから、脳死というものを医学的に死と認めるということとそれが臓器移植のためということとは私は決して一緒に考えておりません。逆に、臓器移植というものはあくまでも心の問題というかその人の――こういうことをおっしゃった先生がいらっしゃるのです。臓器移植と脳死とを結びつけるものがあるとしたらそれは愛の心だとおっしゃった先生がいらっしゃいまして、世の中の方たちとか今先生方のお話を聞いても、脳死の問題が出てきたこと自体は臓器移植という問題があるから今それが大変論議を呼んでいるという御意見もお聞きしておりますけれども、本当は臓器移植がなくても脳死という状態は今生まれているわけで、それをただ死と認めるかどうかが私たちが考えなければいけないことであって、さらにそれから進んで臓器移植という問題は、これは決してお医者様が臓器を提供してほしいともし頼んでも本人あるいは家族が同意しなければできないことですし、やはり皆さんの同意というか合意があった上でのことで、それも全く無償の行為ですね。病気で苦しんでいる人をこれで助けられたらという気持ちでやることですから押しつける問題でも絶対ないと思いますし、これはそういった意味では直接結びつけて考えてはいけないと私も考えております。
#48
○天野(等)委員 終わります。時間を超過いたしまして大変失礼いたしました。
#49
○片岡委員長 中村巖君。
#50
○中村(巖)委員 まず石井参考人にお伺いいたします。
 今、同僚議員が質問したことに関連するわけでありますけれども、従来、死について三兆候説というかそういうものがあったわけでありまして、最近それに対しまして脳死の問題が起こってきた。こういうことは言ってみれば、従来の三兆候説が医学的に見ておかしいのだという観点から出てきたのでしょうかということをお伺いしたいと思います。
#51
○石井参考人 三兆候と申しますのは、自発呼吸の停止、瞳孔の散大、それから心拍停止でございます。この瞳孔散大というのは、言うなれば脳幹を含めた全脳機能の廃絶を意味する兆候で、簡単に見分けられる兆候でございます。本来的には呼吸機能と心機能と脳機能とは共軛して作動するわけでございますけれども、そこに人工呼吸器であるとか人工心肺、体外循環というような要因が入ってまいりますと、その共軛が外れていきまして、同時にあるいは相接して起こるべき死がいろいろな形で乖離してきたということでございますので、従来の死の概念は、容易に行われておったのが難しくなったということは言えますが、間違っていたとは言えないというふうに思います。
#52
○中村(巖)委員 続けて石井参考人にお伺いをいたしますけれども、脳死の判定の基準というものはなかなか難しいだろうというように思うわけです。脳死を死と認めるといたしましても、その基準をどうするかという問題がどうしても起こってくるわけでございまして、従来日本脳波学会の基準というようなものがあったようですけれども、最近これを考え直さなければいけないということで厚生省なんかでも研究班というものをつくってやっているようでございます。また、一部には、脳幹の死、脳幹の反射がなくなったということをもって脳死とすればいいのじゃないか、こういうような意見もあるわけでございますけれども、今脳死の判定基準についての医学界の考え方というものは大体どういう状況になっておるか、お伺い申し上げたいと思います。
#53
○石井参考人 さきに申し上げましたように、一九六八年、ハーバード大学で初めて基準が出てまいりました。それから十年くらいおくれて日本脳波・筋電図学会から出ておるのでございます。その間に方々でいろいろなものが出ておりますが、実際これらは大同小異でございます。例えば筋電図学会で行われている脳死の判定で問題になるのは、瞳孔は脳幹の障害があっても必ずしも散大しない場合もある、あるいは一部の下部脳幹の反射は残ることがある、あるいは血圧の急激な降下ということが言われておりましたが、その血圧の降下を六時間黙って見ておる医者はおりません、適当な治療法で血圧を維持しますので、これはある程度不都合でございますけれども、共通して言えますことは、無反応で非常に深い昏睡と自発呼吸の停止、ほとんど全例に見られる瞳孔散大、それから脳幹反射の消失でございます。この中には、光を当てて瞳孔が収縮するか、角膜で目が閉じるか、冷たい水を耳の穴に当てて眼球振盪が起こるかとか、それから脳幹の誘発電位というのがございますが、誘発電位が出てこないかというふうなものがあります。この中で循環機能は正常であってもいいですし、脊髄反射、そこの図に、配ってちょっと説明しませんでしたけれども、脊髄だけでも外から加わった侵襲に対して反応する反射がございますが、これは脳死の判定を損なうものではない、こういう状態が少なくも六時間、多い場合には十二時間続けばこれは脳死と認めてよかろう、これはいずれもベッドサイドでできる検査でございます。そのほかに、これを確認する意味で脳波検査で活動電位がないとかあるいは脳血管撮影によって脳循環が途絶しているかということを加えれば一〇〇%その診断は可能でございまして、今まで余り項目ごとに詳しく検査していない、そうして脳死の判定をしていないということは、言いかえれば、我々が心臓死をもって死と認めておりますので、こういう反応がなくなってもずっと患者の管理を続けるということから余り一例一例をこの基準に照らし合わせて判定したことがないだけで、もしもこの判定が必要となっても大きな混乱はない、さように思います。
#54
○中村(巖)委員 さらに石井参考人にお伺いをいたします。
 心臓死ということをもって死の大きな兆候とするならば、これは極めて判定がたやすいというか外部からもすぐわかるということでありますけれども、今おっしゃられたような脳死の判定基準というものを精緻につくればつくるほどこれはたやすく判定ができないということになって、非常に混乱をする。先生が書いておられますものによりましても、家庭医なんかでは判定できない可能性があるのではないかということでございまして、その辺やはり脳死をもって死とするという考え方には問題があろうかと思いますけれども、いかがでございましょう。
#55
○石井参考人 そのとおりでございます。我々も望むらくは心臓死をもって死と認めたい。ただ、こういうふうに人工呼吸という不自然な形で死の形が乖離した現在、今問題になっております臓器移植との関連においてあるいは本人の尊厳な死を選ぶというその選択において死の判定を急ぐ必要がある場合は、脳死をもって死と認めてもいいであろうというのが私の意見でございます。
#56
○中村(巖)委員 今の点で石井参考人にもう一度念を押してお伺いをするわけですけれども、先生のお考えでは、原則的には従来の死の判定基準によっていいのだけれども、臓器移植その他のことを考えると脳死の場合にも死と判定していいのだ、こういうことを考えなければならないのだという御意見になるわけですか。
#57
○石井参考人 さようでございます。
#58
○中村(巖)委員 それでは、次に大谷参考人に伺います。
 脳死をもって死とするということについて反対が世の中にあるわけでありますけれども、それは哲学というか倫理観、生命観、こういうことから反対が非常にあるということだろうと思いますが、それらの反対意見というものは先生の御承知の限りでどういうふうな反対意見があり、それに対して先生としてはどういうふうなことをお考えになっておられますか、それを伺います。
#59
○大谷参考人 法律家の反対論は、主として判定基準が確実にできているのかどうかというところにあろうと思います。それが、現に幾つかの判定基準が公表されておって、先ほど述べましたように、国や機関によって違うというのはどこかおかしいのではなかろうか。ですから、それは強いて言えば、まだ脳死になっていないのに脳死として扱われる危険がある、これがまず私の見たところ法律家の第一の反対論だと思います。
 それからもう一つは、社会一般の意識としては心臓死をもって死と考えているので、それが脳死というものにかわるのであれば、死というのは単なる医学上の問題ではなくて社会的な関連を持つので、したがって社会的合意というのが必要ではなかろうか。そういう意味で、現段階ではその社会的合意というところまではいっていないのではなかろうか、これが第二の反対論だろうと思います。
 お医者さんの反対論について私の知る限りでは、例えば最近の「治療学」という雑誌を拝見いたしますと、ある著名な脳神経外科のお医者さんは、大学の先生でありますけれども、私の家内や娘に心臓移植について説明してもどうも納得してもらえない。何でそんなことをする必要があるのかというふうに言う。とすると、家族さえも納得させられないものがどうして患者、例えば提供する例あるいは受け入れる側を説得できるであろうかというふうに自分は思う。したがって、心臓移植には自分は反対である。したがって、脳死説についてもそれを別に積極的に認める必要はなかろう、こういうのが私が知っている最も典型的な反対論だろうと私は理解しております。
 では、私がそれをどう思うかということでございますが、先ほど藤村さんからお話があったのですが、なるほど、この脳死説というのは心臓移植とは直結させるべきではないと思います。私の報告で申し上げましたように、実態としてはやはり従来の生命現象の概念には当てはまらないものが出てきた。つまり、自発呼吸あるいは自発的な心拍が失われだというのは、従来の動物機能の基本が失われているわけで、したがってそれから見ると生ではない。しかし、今の概念からすれば死でもない。いわば生と死の中間に属するものである。こういう実態があるということが脳死説を生み出した背景だろうと思います。
 したがって、心臓移植と直結させるべきではないけれども、しかし結果的に見ますと、何のためにそれをするかといえば、先ほど石井先生からお話がありましたように、社会的な意味、つまり脳死説をとる社会的意味があるからだと思います用意味がなければほうっておいて心臓死まで待てばいいわけなんで、しかし今言ったような状況のもとについて社会的な意味があるとすればそれを生かすべきではなかろうかというのが心臓死との結びつきだと思います。
 それで、いわゆる心臓移植との結びつきでありますが、心臓移植と結びつけて考える場合に一番大事なことは、例えば本人が元気なときに、自分はぜひ心臓を提供したいというふうに言っておった、あるいはそういう文書も残っている。そこでその家族が、脳死状態に陥ったのでこの心臓をぜひ提供したいと希望しておる。それに対して他方で、ぜひ心臓をもらって生きていきたいと思う人がいる場合に、現にいるわけでありますけれども、それを他の者が、いや、日本人の死生観に合わないから、あなた、やめておきなさいというふうに言える根拠がどこにあるのだろうか、
 それで、脳死問題は行き着くところ、そういういわばささやかと言っては変でありますけれども、提供したいという人がいて、家族もそれを願っておって、そしてぜひそうして生きていきたいというふうに希望する人たちの意思を尊重するのか、それとも否定するのかというところに帰着するのだろうと思っております。そういう意味で、私は、先ほどの著名なお医者さんが奥さんを説得できない、子供を説得できない、それはそれでいいのでありまして、欲しいという人、それから提供したいという人がいる場合に、それを寄ってたかって、おまえやってはいかぬと言える根拠があるのでありましょうかということで申し上げているわけであります。
#60
○中村(巖)委員 そうなりますと、大谷先生の御意見では、結局心臓なり臓器を提供したいという人があり、一方においてはそれを受け取って生き続けたいという人があった場合に、脳死の段階でそれを死と判定をしてそういう臓器移植をしても、それが刑法上の構成要件該当性あるいは違法性というものを阻却をすることになるんだ、こういう御意見になるわけですか。
#61
○大谷参考人 現時点でそのままストレートにするのは難しかろう。だから、やはり一つは、先ほど言いましたように、医学界で脳死説がいわば死判定の常識になってきているということが実際に実現するか、それとも実現しないとして、今度は、例えば議会において脳死立法をして、そしてそれを死とするということが決められたという段階になれば、おっしゃるように構成要件にそもそも該当しないというふうに言えるかと思いますが、現時点では必ずしもそうはいかないだろう。消えつつある命でありましょうけれども、しかし法律上今のような状態である以上はやはり、死んだとは言えないのじゃなかろうか。そうすると、純粋に形式論でありますけれども、やはり生きている者を、例えば心臓を摘出して死なすというふうになるのではなかろうか。つまり、ある意味では作為的に死なすというふうにならざるを得ないのじゃなかろうか。
 ただ、しからば現在行われている腎臓移植が果たして殺人罪として起訴されるべきかどうか。現に筑波大ではそれが今問われているわけでありますけれども、これは具体的な状況を知りませんからごく一般論として言うにすぎませんけれども、まさに現在の法律の状態から見ると、生きているか死んでいるか、その半ばである。そういう状態のものを、それを他の者に移植して他の者が元気になっていくとすると、その行為は社会的に許容できる範囲のものではなかろうか。
 つまり、殺人罪としての構成要件に当たると言えば当たるかもしらぬけれども、かといってそれを一般論として言うと、それが社会的に許しがたい、つまり殺人罪としての罪責を問う実質的な違法性があるかと問われれば、私はそこまでは言えないのではなかろうか。仮に今、これまで腎臓移植をしてきたお医者さん方を皆殺人罪で起訴してみた場合にどういうふうな社会的反応が起こるかというのは、これは想像するにかたくないというふうに思っております。
#62
○中村(巖)委員 さらに大谷参考人に伺いますけれども、そうなりますと先生のおっしゃる意味での脳死立法というようなものは、これは死一般について脳死をもって死とせよ、こういう立法ということではなくて、むしろ臓器移植のために脳死をもって死と判定をして臓器移植をしたような場合においては、それは別に罪に問われないのだ、こういう形での立法ということになるわけでございましょうか。
#63
○大谷参考人 結論から言えばそういうふうになろうかと思います。ただ、その場合に、先ほども御質問があったところでございますけれども、仮にこの臓器移植について脳死を判定して死とするというふうにいたしますと、今度はそうじゃなくて、つまり、家族は自分のところでは移植は絶対反対である、しかし今脳死状態にある。しかしその場合に、お医者さんとしてはこの辺で治療を中止しましょうと言った場合に、やはりそこで死としなければいけないだろうという意味で、移植が直接の目的ではあるけれども、しかしそれは、ひいてはそうでない場合についてもやはり脳死をもって死としなければいけないだろうし、そして死というのが法律上二つあるというのもぐあい悪いでしょうから、したがって、これまでの三兆候説の判定というのは、いわば脳死を判定する場合に人工呼吸器をつけていれば脳死と判定できるけれども、ほかの場合できないわけですから、三兆候説の判定をもって脳死の判定にかえるということに、あるいは脳死を判定するということになるのだろうと思います。
#64
○中村(巖)委員 ちょっと別のことでやはり大谷参考人に伺いますけれども、先ほど来のお話でありますけれども、現行法のもとにおいて、あらかじめ自分が脳死の状態に立ち至ったならば心臓を提供する、あるいは腎臓を提供する、あるいは肺を提供するというようなことを書面にしたためるなり何らかの意思表示をして、あるいは一定の協会に登録をしておいて、そして現実的にそういう状況に立ち至った、その場合に、お医者さんが摘出手術をする、そういうことについては、これは一つの殺人なら殺人あるいは傷害なら傷害の構成要件に当たらない、あるいはまた、そういうものは同意殺人というような形で救済をされるのかどうか、現行法のもとにおいて。その辺についてのお考え方はどうでしょう。
#65
○大谷参考人 先ほど来申し上げておりますように、現行法上は、形式的に言うと、そういう文書があるかないかは別としまして、やはり構成要件に該当せざるを得ないと言わざるを得ないと思うのですね。元気なときにしたためておいたそういう文書は、これは同意殺人との関連の問題になるわけですけれども、恐らく、尊厳死のところで申し上げましたように、そういう文書が同意殺人における嘱託、承諾の要件に当てはまらないだろうと思うわけであります。そういう意味で、嘱託殺人の問題にもならない、言いかえると、殺人罪の構成要件に該当せざるを得ない。
 言うまでもなく、構成要件に該当したからといってそれが犯罪になるというわけではございませんから、犯罪が成立する場合には、そういう形式的なものが今度は実質的に見て社会的な相当性を欠くかどうかということでございますから、我が国の生命を守るという観点から見た法秩序の維持において、この脳死患者から心臓を摘出するというものが、あるいは腎臓を摘出するというものが、果たしてそういう見地から見て許容しがたいものかどうかということ、そういう実質的な判断に結びつくわけで、強いて言えば、初めから真っ白ではございません。つまり灰色であります。やりようによっては黒くなりますよという性質のものではなかろうかと思っております。現行法では少なくともそういう解釈をすべきだと思っております。
#66
○中村(巖)委員 最後に藤村参考人に伺いますけれども、藤村参考人のお書きになりましたものを私も読ましていただきましたが、お書きになりましたものについては腎臓移植にかかわる事柄でございますけれども、私ども考えてみますると、事柄が心臓であったらちょっと事態が違うのではないかというような感じが非常にするわけでございます。先ほど、倫理的な反対というような話もありますけれども、やはり人の腎臓であったらば、人の腎臓で生き続けるということが何となく納得ができるわけでありますけれども、人の心臓で生き続けるということは、同じ臓器であっても非常に何か倫理的に違うというような感じがいたすわけでございます。藤村参考人は、やはり心臓の場合についても、早急に脳死を認めて心臓移植を大いにやれるようにすべきだ、こういうお考えでございましょうか。
#67
○藤村参考人 私もそのことは最終的に考えたことなんです。実は、きっかけとしては私は、臓器移植の中でも腎臓移植の現場をいろいろ勉強したり、見学したり、あるいはそれを書いたことで、自分も腎臓は提供していいという結論に達しました。現実に人工透析で苦しんでいる方々に大勢お会いしたら、やはりこの方たちがもし腎臓をいただくことによって再び生きる喜びを与えられるならば、臓器提供はいいことだ、私はそういった意味で、自分自身も腎臓バンクに登録したわけですが、そのときに、もし私が逆に、きっかけが心臓病で苦しんでいる人に出会って、そしてそれを調べていくうちに心臓提供をではどう考えるかということになったときに、果たしてそれが自分は提供できるかどうかということも考えました。
 それから、例えば角膜にしても、私は実は角膜バンクにはまだ登録はしてないのです。ということは、これはもう全くおかしな私の、意見というよりも自分の考えというか、あれなんですが、つまり私は、仕事が女優でございますから、自分の目というものはとても大切に今までしてきたつもりですし、そしてまた、この目で世の中の美しいことも嫌なこともみんな見てきた。私自身は、個人的なことですけれども、目に大変愛着があるわけです。そういたしますと、腎臓はいいけれども、角膜はまだ登録する勇気がなかったというのが、あれを書き上げた時点での結論だったわけです。
 そうしますと、心臓もどう考えるか。まして、心臓の場合は――腎臓の場合は、心臓死の方からの腎臓でも生着することはできるけれども、心臓の場合は絶対、脳死が条件なわけですから、その場合に、心臓をできるかなと考えました。結局、あれを書いたときは去年の九月、秋口に書き上げたことなんですけれども、去年私が関心を持ち出して書き始めてからこの一年たった間に、世の中の、脳死論議を初め臓器移植も含めまして、皆さんの関心が大変高まった、そういったことの中で私自身が考えたことは、やはり心臓移植は再開されていいのではないか、心臓病で苦しんでいる人、それしか生きる方法がない人が日本には何千人といるわけで、それをわざわざアメリカにまで行って助けてもらわなければいけないのだとしたら、なぜ日本で行われてはいけないのかというのが私の率直な疑問でしたから、今となりましては、やはり脳死を死と認めた上で、心臓移植で助かる人がいるならば助けてあげてほしいなと、お医者様たちに逆にお願いをしたい気持ちでございます。
#68
○中村(巖)委員 三人の参考人の方々、貴重な御意見をいただきまして大変ありがとうございました。
 終わります。
#69
○片岡委員長 三浦隆君。
#70
○三浦(隆)委員 本日は、参考人の先生方には、生命と倫理に関する問題ということで貴重なお時間を割いていただきまして、まことにありがとうございました。また、三先生の書かれましたものは十分に読ませていただき、大変参考になりました。先生方の書かれましたように、今、生と死に関しまして、脳死の問題あるいは今話題となりました尊厳死の問題のほかにも、堕胎、嬰児殺し、自殺、死刑、暗殺、テロ、戦争など、生死にかかわる法律上あるいは倫理上の問題というのがいっぱいあると思います。
 そこで、とにかく与えられました時間が大変短いのでございますが、脳死あるいは臓器移植に関する問題、それから先ほどもちょっと話題になりました輸血を拒否した「エホバの証人」に関連した問題、あるいは体外受精についての問題、人工妊娠中絶に関連しての問題と、少しずつお尋ねをしたい、こう思っております。
 初めに、脳死、臓器移植の方は諸先生方がやられましたのでむしろ後にいたしまして、例の「エホバの証人」の問題に関連しまして、大谷先生にお尋ねをしたいと思います。
 この問題は、信仰の自由との関係とか、あるいは両親の信仰と別人格である子供に対する問題、あるいは今回のことに対する両親、医師、運転手の法的刑事責任、その他の問題、いろいろありますが、それらを一応おきまして、こうした「エホバの証人」を信ずる人たちがあくまでも輸血を拒否するのだ、それで医師として良心的な治療が困難であるということからきまして、今後、医師が、「エホバの証人」、そうした教えを信ずる人たちの入院を拒否し、いわゆる治療を拒否した場合の法的責任の問題、また、両親の意思を無視しまして輸血を強行し治療した場合、西ドイツなどでは患者の意思を無視した治療はたとえ成功しても罰せられると言われておりますが、それぞれ我が国の実情として法的にどう考えたらよろしいでしょうか。
#71
○大谷参考人 今の点でございますけれども、まず、本人が「エホバの証人」を信じてそして輸血を拒否したという場合については、医者としては治療する手だてがないわけですから、これについて何ら罪責の問題は出てこないと私は思っております。したがって、医師法が決めておりますところのいわゆる診療義務といいましょうか、仮に運ばれてまいりまして、自分は輸血はしてもらっては困る、だけれどもそれ以外の方法で治療してくれというのが普通らしいのでありますけれども、そういう場合に輸血しなければ治療できないという限りではもう病院としてはどうしようもないわけでありましょうから、それではうちはできませんと言わざるを得ないだろうと思います。しかし、輸血しなくてもなお可能な範囲の治療はできるというのであれば、その場合にはやはりその範囲で診療義務を負うのだろうと思います。したがって、それをしない場合については民事上不法行為等の責任が成立するということはあり得るだろうと思います。これが一つであります。
 それから今度は、医者がどうしても治してやるということで無理やり治療すれば、我が国の場合においては、学説は分かれているわけでありますけれども、私はむしろそれは義務なきものをさせるという意味で強要罪的な犯罪を構成する――西ドイツの場合にはどちらかといえば外科手術の場合は傷害罪までいくということでありまして、我が国の場合は、そういうふうに主張する学説は有力でありますが、一般論として言えば私はむしろ強要罪的な犯罪ではなかろうかと思っております。
 それから今度は子供についてでありますけれども、先ほど信仰の自由の問題にかかわるというふうにおっしゃいましたが、私は、これは全く別問題であって、信仰とは関係ない、要するに自分の子供を治せば治るのに治させなかったということにすぎないのであります。したがって、これについては医者が家族の意思に反して治したって今問題になりましたような罪責は何ら生じないというふうに思っております。民事上の責任も、例えば親が、どうして輸血してくれたんだ、我々はそれでずっと苦しんで生きていかなければならないと主張して仮に損害賠償を請求したという場合に、私の感じでは、親に対して慰謝科を払えというふうに裁判所は言わないのじゃなかろうかと一般論としては思いますけれども、そういうことです。
#72
○三浦(隆)委員 次は体外受精の問題に関連してお尋ねしたいのですが、これは石井先生、大谷先生にお尋ねしたいと思います。
 体外受精にかかわる者の資格として、例の越谷市の病院で医師の資格のない畜産学の研究技術者が加わったということで最近話題になっております。そこでお尋ねしたいのは、人間の生というのはいつから始まるものなのだろうかということでございます。厚生省令四十二号の死産の届出に関する規程二条ですと、「死産とは、妊娠第四月以後における死児の出産」云々というふうな規定が一つ気がついたのですが、あとわかりませんので、いつから人間の生というのは始まるのか、お尋ねしたいと思います。お医者さんの立場から、それから法学者の立場からお尋ねしたい。
#73
○石井参考人 私、正直言って自信を持ってお答えできません。生命を細胞のレベルで論じるか、組織のレベルで論じるか、個体のレベルで論じるかによってその定義が問題になるでありましょうけれども、四カ月というのは恐らく胎児の心拍が外からの方法で確認できる時期に相当するということであろうと思います。しかし、生命の定義が先ほどから問題になっておりますように呼吸あるいは脳機能、それに循環機能の備わった時期に起こるという考えになりますと、これははるかに後になるということでございまして、いずれにしてもきっちりした点は固定できないのじゃないかと私は思いますが、自信を持ったお返事はできません。どうも失礼しました。
#74
○大谷参考人 生命という場合に、二つ考えられると思います。一つは、法律上は人の生命というふうに考えているわけでありまして、それは刑法で言えば母体から一部露出した段階から人の生命というのであります。それに対して、胎児の生命もやはり生命でございます。今、先生がおっしゃいましたのは恐らく胎児の生命を問題とされているのだろうと思います。
 私は、これはいろいろな見解があるわけですが、我が国の刑法ではいつから堕胎罪が始まるかという場合について特に限定しておりません。したがって、これは解釈の問題だろうと思いますが、解釈の問題として見た場合には恐らく母胎に受精した卵が結びついた段階、これを着床説というのだそうでありますけれども、我が国では余り議論にならなかったのですが、ドイツで盛んにそれが議論されて、我が国でもそういう考え方が紹介されているわけです。それまではどうも、つまり子宮に着床しないと受精した受精卵というのは外に出てしまう可能性が非常に高いのだそうであります。着床しますとそのまま妊娠して、そして成長していくということでありますから、したがって、法律上問題とします生命というのは着床時をもって始まるというふうに私は思っております。
 なお、体外受精で問題になりますのは、これはアメリカで起こった事件でありますけれども、ある宗教運動家が、試験管で受精させたものについて、それをみんな壊したのですね。したがって受精卵を死なせたのでありますけれども、それについて、これは堕胎になるのであるかということで議論になったわけですが、結局は物を壊したという器物損壊の範囲で検討したようであります。結論は私、知りませんけれども、それはまさに、受精いたしましてもすぐ生命は始まるという考えに立ってないという証拠でございます。
#75
○三浦(隆)委員 今、先生から刑法での一部露出にわたってのお話があったのですが、もう一つ堕胎について、刑法の二百十四条だったと思いますが、業務上堕胎。こうした場合に、生がいつから始まったのかということは刑法上だけじゃなくて民法上も踏まえて大変大きな問題があるのじゃないかな、その割にはこれまで法律の場で余り論議されてこなかったことの方が極めて不思議ではなかったかなという気が実はいたします。
 そこで、昨今特に試験管での受精の研究というのでしょうか、大変進んでいるようでして、これは石井先生にまたお聞きしていいのかどうかわかりませんが、キメラマウスというのでしょうか、有名な実験の成功例がよく伝えられておりますけれども、そういう受精卵遺伝子操作というふうなものを踏まえて、倫理上、体外受精の実験というのでしょうか、そういうことはどこら辺まで許されるか。倫理上なりお医者さんとしてどうお考えでしょうか。
#76
○石井参考人 医者ではございますけれども、申しわけございません、私は専門が脳神経外科でございまして、体外受精その他の問題を責任をもって参考人としてお答えできませんので、御容赦をお願いしたいと思います。
#77
○三浦(隆)委員 質問を変えます。
 次に、人工妊娠中絶の問題に関して、先ほど大谷先生からも堕胎の問題がございましたけれども、胎児の生命、着床という御意見、あるいは生まれたときの一部露出という意見もございましたけれども、例の先生御承知の、アメリカ、一九七三年のロー対ウエード判決ですと、大体七カ月というふうなことが書かれているようでございますけれども、胎児の生命がいつ始まるのか、あるいは胎児の生命権というものについてどうお考えなのか、この問題について先生のお考えをお尋ねしたいと思います。
#78
○大谷参考人 質問の御趣旨がもう一つはっきりいたしませんが、私の理解したところでお答えいたします。
 胎児の生命権というのは、要するに胎児に対する堕胎の正否についてどう考えるかという御趣旨と承ります。その見地から見ますと、我が国の現在の優生保護法のもとにおきます人工妊娠中絶の観点から見てそれの適否ということが問題になるのかと思います。一方で、胎児はもちろん胎児としての生命を法的に保護されるという意味で堕胎罪等の法律があるわけでありまして、その範囲でこれは保護される、つまり生命権が与えられるというふうに理解するわけでありますけれども、同時に現在問題になりますのは、あるいはこれまで問題になってまいりましたのは、母親あるいは親の幸福追求権といいましょうか、この接点がまさに人工妊娠中絶の問題になっているのではなかろうかというふうに思うわけでございます。これは諸外国でもそうでありまして、つまり国や社会がある程度の関心を持たない範囲の――例えばアメリカで問題になりましたのは、妊娠三カ月まではまだそれを産むか産まないかということは親の幸福追求権、つまりは母親のプライバシーの権利であるというふうな考え方に立つわけでございます。子供を持つということは親にとって大変な負担になることもあり得るわけでありまして、それが親の幸せを阻害するということもあり得るわけでありまして、そういう観点から見ると、そこで両者の接点をどこに求めるかということが現在の堕胎罪をめぐる問題状況ではなかろうかと思っております。
 我が国の場合については、御案内のとおり優生学的な見地あるいは倫理的な見地、さらに家庭的、あるいは社会経済的な見地、それぞれ広い範囲で堕胎罪を認めているわけであります。これはこれで昭和二十四、五年以降長い間定着しているわけでありまして、堕胎天国という汚名は着せられておりますけれども、しかし、現在これを改めて、そして厳しい堕胎罪の要件を設けるということと、果たして今言った胎児の生命権の保護と母体の保護、親の自由あるいはプライバシーというものとをどう関連づけるかという意味で見ると、一応いろいろな問題はありましょうけれども、これをより厳格にするという方向での改正というのは適当でないというふうに思っております。
#79
○三浦(隆)委員 私も先生の最後の見解の方にむしろ大変近いのでございまして、「婦人白書」ですと、無届けを踏まえると年間百五十万人から二百万人というふうに言われております。よくナチスがユダヤ人を大変残虐に殺したとか、日本の第一次、第二次戦争の被害者は何人だと言いますが、年間百五十万人から二百万人ということは、実際問題として、黙って十年たてばそれだけ、二十年たてばそれだけ。そうすると、個人だけじゃなくて、両親だけじゃなくてといいましょうか日本の国家にとってもいういろな問題で及ぼす影響は大変大きいということも、これは倫理の問題を超えて考えるべき問題じゃないかなというふうに考えております。
 それでは、脳死、膵臓移植に関してお尋ねしたいと思うのですが、藤村さんにお尋ねしたいと思います。
 読売新聞その他の記事を読ませていただきまして大変参考になりました。特に、先ほどもちょっとお言葉があったのですが、見たという印象、会ったという印象、その言葉に大変引かれました。我々とはやはりセンスが違うなというふうに思ったのですが、藤村さん、これまでそうしたケースというのはどのくらいごらんになられたのかなと思います。またそれから、そうした脳死状況にある人と植物状況で生きている人というのはそのように明確に違いがあるものなのかどうか、私は何も知らないものですから、その点をちょっとお聞かせいただきたいと思います。
#80
○藤村参考人 私も初めは脳死と植物状態がどう違うのかわからなかったものですから、まずこの目で確かめてみようということから見学さしていただきましたら、見たと会ったの違いということになったのですが、脳死の患者さんに関しては、私は、三カ所の病院で三人の患者さん、それから植物状態の人間の方は、千葉に植物状態の方たちばかりの専門の病院で千葉療護センターというのがございまして、そこではベッドが五十あるのですが、私が見学さしていただいたときは約半数、二十五、六人の植物状態と言われる方がいらっしゃいました。植物状態と一口に言いましても、ある中年の男の方はもう八年間も眠り続けているという方でしたし、ある小さな十歳ぐらいの坊やは意識がなくなってから一カ月目ぐらい、それから、その病院に運び込まれたときには無意識だったのが――そこの病院の先生方の治療法というのは、患者が元気なころにしていた日常生活のリズムを治療法の中に取り入れたらどういうことになるだろうかというような実験というか治療をしている。例えば、その坊やは、あそこにも書きましたが、坊やのそばにテレビが置いてあって、寝ている坊やなんですが、いつでもベッドが自由に動いてテレビのアニメが映し出されているのがちょうど坊やの視線に入るようにして、それを一日じゆうかけて、そうしたら坊やがどういう反応を示すだろうかというようなこととか、それから、電動ベッドに寝かされている十五、六歳の男の子は、交通事故で担ぎ込まれたときにはほとんどもう意識がなかったのが、だんだん治療することによって、その電動ベッドは三段階に高さがなるのですが、そのボタンを自分の手元に置いておいて、あー、あーと言いながらお医者様が坊や、ベッドをもっと高くしてごらんとか語りかけると、その四つあるボタンはとまるというボタンとあと高い、低い、中となっているのでしょうか、そのボタンをちゃんと押すわけですね。そういったいろいろな状態の植物状態の患者さんがそのときには二十五人くらいいらしたわけですけれども、私はそのときに、かすかに反応を示す人たちとは別に、何年も寝息を立てている人あるいは意識がなくなってから一カ月の坊や、その坊やを見たときに脳死状態の方とはっきり違うという印象を先ほどのような表現でさせていただいたわけです。ですから私の見学した例というのはまことに限られたささやかな数かもしれませんが、その状態を見学した上で書いたわけでございます。
#81
○三浦(隆)委員 いろいろとお尋ねしたいことがあるのですが、残念ですが時間がなくなりました。むしろお尋ねしたかったのが本当はあと一つあったのです。今、腎臓移植の問題などが言われていますが、あるいはそのうちに人工心臓とか人工腎臓とか、人工心肺、人工肝臓、人工骨、人工角膜、人工中耳、人工血管、人工関節、こういうことが将来はいろいろと研究が進められていくのではないかなと思うのです。また、医学が発達して、これが全部こうした人工臓器の埋め込みが成功したとすると、移植された臓器でいっぱいになってくるというふうな場合に、最後的に譲り得ない、人間としてこれなくしては人間とは言えないのだ、入れかえをしてはいけないというものは果たして何なのだろうかなという、大変先々のことでありますが、ちらとそんなことも考えました。
 さて、きょうは脳死でございましたが、実は植物状況で生きている方の尊厳死の問題を本当はお尋ねしたいと思いましたが、これは横山先生から森鴎外の「高瀬舟」の御指摘もありましたけれども、「高瀬舟」に出てくる兄弟も大変貧しかったということが弟の行動にあったと思います。そのほか、日本的な間引きだとか、おば捨ての伝説だとか、生活苦による親子心中、いろいろありますが、いずれもみんな経済的な要因というのが強くかかっておりまして、倫理的に痛みを受けながらもどうにもならないということがあろうかと思います。
 特に、植物人間となった方の例で、私の法律上の恩師が御両親を亡くして妹さんと先生と生活をしておりました。交通事故に遭って助かったときには先生大変喜んでいたのですが、その後いわゆる植物状況で何カ月か生きられているうちに財産をすっかりはたきまして、子供さんの大学入試の金も全部なくなって、奥さんの貯金もなくなって、大変円満な御家庭が夫婦、親子の争いが出てくる。先生が日増しにやつれてきて、三浦君、僕は妹を殺そうと思っているんだよ、先生そんなこと言ったら殺人罪になりますよと言ったら、僕一人が犠牲になれば家族がみんな救われるんだというふうなことを言ったのが大変深刻でして、その後一週間か十日たちましたときに電話がかかってきまして、三浦君、妹がなくなったんだ、今家族で赤飯を炊いて喜んでいるところだ、最初のときとは大変違って、確かにかかわりを持った人と持たない人とはこうも違うものかなということを感じた次第でございまして、今後国会におきましても国民のコンセンサスをどうやって得るか、社会的通念というのをどうやって確立していくかを踏まえまして、脳死立法あるいは尊厳死立法について十分慎重に対応してまいりたいと思っております。
 本日は、どうもありがとうございました。
#82
○片岡委員長 柴田睦夫君。
#83
○柴田(睦)委員 参考人の方には、きょうは長い時間本当に恐れ入ります。最後の質問になります。
 まず最初に、石井参考人にお伺いしたいと思います。脳機能の廃絶、すなわち脳死の判定につきまして先生は幾つかの論文で基準例を発表されておりまして、判定方法の将来の発展の予測などについても書かれております。そこで、将来脳死の判定方法がどのように進歩していくのだろうか、その展望などについてお聞かせいただきたいということと、ちょっと角度が離れますけれども、現在脳死と判断される状態におきまして、これは将来の問題ですが、そういう場合においても、治療し、復活させるというような医学の進歩というのは考えられないことなのかどうか、このあたりお伺いしたいと思います。
#84
○石井参考人 脳死の判定基準はただいま厚生省でも作業が進められているようでございますが、欧米の学者の経験によりますと、今まで用いられておりました判定基準は余りにも厳格過ぎるということが一般の声のようでございます。ですから、将来におきましては、十分慎重な態度は必要でございますけれども、より簡便で使いやすい基準というのができてくるのではないか、それで十分脳死の判定はできるようになるのではないか。特に、最近ではこれを確認する意味の補助器具がたくさん出ております。例えば脳幹での反射を示す脳幹誘発電位というのがございます。これは非常に簡単に耳に音を与えるだけで活動電位が出てくるわけですが、こういうものを用いますと、もちろんそれだけではいけませんが、非常に正確なデータが得られるというふうに存じます。
 第二番目の質問の、脳死と呼ばれる状況では、血管撮影をやりますと、全く脳の中に造影剤が入っていかない、すなわち血液が脳に入っていかない状態が成立するわけでございます。これはなぜかといいますと、脳の血管の緊張を保つ機能が脳幹にございまして、これがあるために脳は血圧よりも常に低い頭蓋内圧を保って、そして極めて高度に分化した脳の機能を行うに十分な環境をつくっておるわけでございますが、脳幹の機能廃絶が起こりますと、脳血管の緊張性が途絶える、したがって血圧が上がれば頭蓋内圧も上がる、すなわち頭蓋内圧が血圧と同じになって脳の中には血液が行かなくなる、こういう状況下では脳の代謝的な死が起こり融解が起こるわけでございまして、こういう状況の極めて初めの時期に適切な手が打たれればともかく、そういうのができた後に適切な治療が行い得るとは将来とも考えられないのでございます。
#85
○柴田(睦)委員 これは三人の参考人の方に御意見があれば承りたいと思いますが、脳死の判定基準を今厚生省で検討しているようですが、判定基準の制定につきまして参考人の方々の要望、あるいは注意を喚起したいと思われるようなことがあれば順次御意見をお伺いしたいと思います。
#86
○石井参考人 先ほどのお話でもちょっと申し上げましたけれども、脳死の判定は終局的には医師がその主役を演ずるものではございましょうけれども、日本の文化、歴史、伝統というものとかけ離れて医者が結論を出してそれを社会に押しつける性質のものではないということから、十分広い範囲の意見を聴取し、そして起こすべき世論は起こした後におつくりいただきたい、それだけでございます。
#87
○大谷参考人 今度の厚生省の判定基準が出ますと、恐らく新たな移植の動き、特に心臓移植の動きが活発になるのだろうと私は予測しておりますけれども、その際に法律の面から見ますと、判定基準がばらばらになっているという現状について新たにまたさらに厚生省のが一つ出てくる、とすると、どれが本当に正しいのであるかという疑念がまた一つふえるということでございますので、これを契機にしましてどうか関連の医学界で十分論議して、誤りなきものというふうに学会で承認されるものをつくっていただきたいと思っております。
#88
○藤村参考人 今までの脳波学会の脳死の判定基準では、例えば五つの条件が六時間以上経過したらそれで脳死と判定する。だけれども、私が実際に取材した病院ではその時間がまちまちで、二十四時間の病院もありましたし、十二時間の病院もありました。そういたしますと、私ども素人にとりましては何か六時間よりも二十四時間お医者様が監視して決めてくださった方がより慎重に厳しくしていただけたのではないかなと誤解をしてしまうようなことが私自身はございました。ですから、厚生省が出した答えを各病院が統一してほしいということです。そしてまた、お医者様方自身にお聞きしても、先ほどもたびたびお話が出ておりますように、お医者様の中ですら脳死と植物状態を見分けるお医者様がいないことだって間々ある、それでは私ども素人は余計混乱するばかりで、やはり脳死というものが医学的に死であるとお医者様が自信を持って結論をお出しになるのでしたら、それをもっと私ども素人にわかりやすくまずは知らせてほしいと思っております。それからお医者様だけではなくて、やはりこの問題は私どもがいろいろな機会で考えなければいけない、私たち一人一人の問題としてもっと受けとめていかなければいけないと思いますし、そういう機会をどうしたらもっとふやすことができるのか、それは先生方にもお考えいただきたいと思いますし、私どももまたそれを受けとめていきたいなと思っております。
#89
○柴田(睦)委員 藤村参考人のお書きになったものを読ませていただきましたが、いろいろ質問ございましたけれども、ダブらないようにしますと「私自身は、信頼できる複数の脳の専門医が脳死と判定したらそれを人間の死と認めたいと思う。」この点につきましてもう少し聞きたいという気持ちがします。
#90
○藤村参考人 例えば先ほどからお話が出ていますように、移植医あるいは脳神経の先生以外の方が脳死だともし判断をされたら、私はやはり本当にそうなのかな、つまり心臓死で亡くなる方だったら私ども素人にもこの目で確かに確かめることはできますけれども、脳死の場合はそういった意味ではどこがどうなったから脳死なのかな、脳波計を見ても機械をいろいろ説明されてもやはりわからないことが多いわけですから、そういった意味でもし耳鼻科の先生が脳死ですと判定したら、では私は専門の脳神経の先生に診ていただきたいな、それも一人の先生ではなくてできることなら複数の先生に診断をしていただきたいな、そういう意味でございます。
#91
○柴田(睦)委員 大谷先生にお伺いしたいと思いますが、臓器移植のときは脳死をもって死亡とする、要するに脳死を認めるということになりますが、臓器移植に関連して脳死を認めるというような法律制定ということになりました場合にどんな要件が必要か、どのようにお考えでいらっしゃるか、お伺いしたいと思います。
#92
○大谷参考人 当然、これは例えば全脳機能の不可逆的停止をもって死とするということがまず一般的には必要でありましょうけれども、それについて具体的にだれがどういう手続を経て死を宣告するかということの手続的な規定がないと、先ほど申しましたように死の宣告というのはどうしても外部的にはっきりと見えるわけじゃありませんので、そこでどの時点で死とするかというのは、例えば先ほどの脳波学会のように、その判定をした後十二時間なら十二時間あるいは六時間なら六時間、そういうふうな規定もあわせて必要になるだろうと思っております。
#93
○柴田(睦)委員 ちょっと補足して質問しますが、その場合に、家族の承諾だとかあるいは本人の生前の意思だとか、そういうものは検討の対象になるのでしょうか。
#94
○大谷参考人 恐らく脳死の判定については家族の同意は問題にならないのだろうと思います。もちろん臓器移植の場合につきましては、これは現在の角膜腎移植法においてもそう規定されているわけで、家族の同意がなければいけないわけでございますので、それはやはり脳死の判定については医師の責任でありまして、家族の意思とは関係ないということになると思います。
#95
○柴田(睦)委員 終わります。どうもありがとうございました。
#96
○片岡委員長 以上で参考人に対する質疑は終了いたしました。
 参考人各位におかれましては、貴重な御意見をお述べいただきまして、まことにありがとうございました。厚く御礼を申し上げます。
 午後二時再開することとし、この際、暫時休憩いたします。
    午後一時二十五分休憩
     ――――◇―――――
    午後二時一分開議
#97
○片岡委員長 休憩前に引き続き会議を開きます。
 法務行政、検察行政及び人権擁護に関する件について調査を進めます。
 質疑の申し出がありますので、順次これを許します。稲葉誠一君。
#98
○稲葉(誠)委員 最初に、警察の方にお尋ねをいたしたいわけです。
 きょう、「投資ジャーナル」の中江氏、そのほかが警視庁に逮捕されたとかというニュースも流れているわけですが、現在の状況においての確定した点、状況について御報告をまずお願いをいたしたい、かように考えております。
#99
○清島説明員 お尋ねの「投資ジャーナル」事件につきましては、昨年八月に捜索を実施いたしまして、押収した証拠品の分析等を行ってまいりましたが、本日、「投資ジャーナル」の中江会長ら関係者十名の被疑者を詐欺罪で逮捕した、さらに一名を取り調べ中という報告を警視庁から受けておりますが、詳細については御勘弁いただきたいと思います。
#100
○稲葉(誠)委員 これは、私が去年の七月十一日に当委員会においてその関連についていろいろ質問をいたしておるわけです。そういう関係もありまして私としては非常に関心を持っておる事件なんですが、今の逮捕事実について御勘弁を願いますということですけれども、これはもういずれ発表されることなんではないでしょうか。それを明らかにしていただきたい。それが一つ。それから、どうしてそういうふうに大勢の人を逮捕するに至ったのか。それから、日時がこれまでかかった事情等についてもうその点は説明してもいいのじゃないですか。説明をしていただけませんか。
#101
○清島説明員 私どもがただいま受けたところによりますと、一般大衆からいろいろな証券投資に関する相談を受けるあるいは証券を売買するというようなことで相談を受けまして、いろいろ実態を調べてみましたところ、そういう事実も一部にはありますが、ほとんどがこれを取り込んでおったという詐欺事件として検挙したというふうに聞いております。
 それで、関係者が多いというお話でございますが、この「投資ジャーナル」関係のいろいろな関連会社がありまして、この関連会社の中心人物等を詐欺罪の共謀ということで責任者を中心に検挙いたしましたので、多数に上った。
 今までちょっと時間かかり過ぎじゃないかという御指摘でございますが、押収資料がたくさんあったということと、非常にずさんな資料でございましたので、これを徹底解明するということで時間がかかったというふうに聞いております。
#102
○稲葉(誠)委員 そこで、私が去年七月十一日に質問しておりますので概要はおわかりだと思いますけれども、いろいろな人が出てくるかもわからないし、出てこないかもわからないのですが、いずれにいたしましても、これについて警察当局として今後の捜査についての方針というとあなたの方でも言いづらくなってくるでしょうけれども、決意ということについてなら言えるだろうと思うのですが、その点について御説明といいますか答弁願いたいと思います。
#103
○清島説明員 本日検挙に着手したわけでありますので、今後どう展開するかなお問題はございますが、詐欺事件として立証していく、固めていくということで全力を挙げていきたいというふうに考えております。
#104
○稲葉(誠)委員 これは私の要望ですけれども、全力を挙げてやっていくということについて、それこそ文字どおり全力を挙げて、いろいろなことが出てくるかもわからないけれども、そういうことに遠慮をしないで徹底的にやっていただきたい、こういうふうに考えておるわけでございます。私は時間がかかったことを決して悪いと言っているんじゃないですよ。これは本当に難しいといいますか、証券取引法関係に絡む問題ですから、人数も多いし、時間がかかるのは当たり前の事件でして、それだけ警察が準備してやってきたということですから、それを生かして徹底的な今後の捜査を続けていただきたいということを希望いたしておく次第でございます。
 そこで、ずっと前から問題となっておりました豊田商事の事件について、これは、私はことしの三月二十七日と四月十日にここで質問をいたしておるわけですけれども、実はそのことに関連をしていろいろお聞きをしようと思っていたところですが、それがきのうの夕方のことで、率直に言いますと、状況といいますか質問内容というふうなものもある程度変わってまいりましたので、問題を分けまして、第一はきのうの事件の問題、第二は現在捜査中の外為法を中心とする事件のことについて、第三は被害者の救済の問題を中心とし、第四は一般的な消費者保護の問題全体についてというふうなことでお聞きをいたしていきたいというふうに考えるわけでございます。
 きのうの夕方の事件についてまず概要の御説明をお願いしたい。現在の状態はどういうふうになっているか。その二人がああいうふうな犯行を犯すに至った動機なりあるいは背景なり、いろいろあると思いますが、これもまだもちろん全部が解明されているわけではありません。その点は私もよくわかっておりますが、現在の事態の範囲でのひとつ御説明をお願いいたしたい、こういうふうに思います。
#105
○藤原説明員 お答えいたします。
 昨日の事件でございますが、昨日の午後四時三十分ごろ、この被疑者でございます、豊中市内で鉄工所を経営し、一方で「まことむすび誠心会」代表委員と名のっております飯田篤郎、五十六歳と、同鉄工所の元従業員の二人が、大阪市北区にございます、豊田商事の永野一男会長が住んでおりますマンションに押しかけまして、現場に居合わせましたガードマンを押しのけるなどいたしまして、玄関脇のサッシ窓の面格子、同窓ガラスを破壊して屋内に押し入り、所携の刃渡り四十センチメートルの銃剣で永野会長の前頭部に切りつけ、さらに胸部、腹部等七カ所を刺し、失血により同人を殺害した事件でございます。
 この二人は、御承知のように一一〇番通報によりまして急行した警察官がその直後に現行犯逮捕いたしたところでございます。
 ところで、この事件は、白昼、衆人環視の中で強引な手段で住居内に押し入り殺人事件を行ったまことに特異、凶悪な犯罪であり、社会的影響も大きいところから、大阪府警におきましても事態を重視いたしまして、即日天満署に捜査本部を設置して、犯行の動機、背後関係の有無等について捜査を進めているところでございます。現時点では、動機といたしまして、会長らの詐欺まがいの商法に義憤を感じだということを申しているようであります。また、背後関係につきましては、現時点では特に判明しておりませんが、そういった状況をさらに今後とも厳しく追及を行い、事案の真相解明に努めてまいりたいというふうに考えております。
#106
○稲葉(誠)委員 白昼のテロ行為、これはどんなことがあっても許すことのできない行為であって、絶対に法治国家としてあり得べからざる行為であると私は考えるわけで、これはだれでもそういうように考えると思います。
 そこで、警察の警備態勢というものに何か欠陥といいますか、不足といいますか、そういうふうなものがあったのではないかということの指摘が一部にいろいろされておるようですが、この点について警察としてはどういうふうに考えておるわけですか。
#107
○武居説明員 お答えいたします。
 今回の事件によりまして永野会長が死亡されたということについては、まことに残念なことだというふうに考えております。
 さて、警察が特定の個人について警戒、警護といったことを行う場合には、当人が犯罪の被害者であるか否かということは問いませず、当人についての不穏な情報ですとか、そういったものを判断した上で本人の生命、身体の安全を図る必要があると認めた場合に、事案の内容に応じて、例えば固定張りつけですとか、重点警戒ですとか、不審者の発見ですとか、そういったような危害防止に関する必要な警戒をとっておるという状況でございます。ただ、これはケース・バイ・ケースでございまして、必ずしも基準的なものが一律にあるというわけではございません。
 そういった観点から考えますと、大阪府警で警戒等を行っていたというのは、あそこにマスコミの方が相当数おられたというようなこと等で、付近の住民の方々のいろいろなトラブルとかといったものの発生が予想されるというようなところで警戒をしていたということでございます。また、なおかつ本人に対します不穏な情報というものは把握しておりませんでしたので、そういった意味では重点警戒的な警戒態勢をとっていたということでございます。
#108
○稲葉(誠)委員 その点についてはいろいろな見方といいますか議論もあるわけですけれども、問題は、そのことによって現在行われておりまする、一つは外為法を中心とする捜査にどういうふうな影響があるか。仮に影響があったとしてもその影響を克服して捜査を続けていかなければいけないわけですが、そこで、兵庫県警が中心となってやっておりまする外為法関係の捜査についての現況、これがどういうところに行っていたのかというところをまず御説明をお願いいたしたいと思います。
#109
○清島説明員 兵庫県で捜査しています外為法違反につきましては、永野会長も重要参考人というよりは容疑者という観点から捜査をしておったわけでございますので、これが亡くなったということにつきましては、今後の取り調べその他できなくなる等々のことで支障が出てくるということでございます。
#110
○稲葉(誠)委員 その外為法のことで押収捜索をして本人から事情聴取をしたというふうに報ぜられておるわけですが、それは事情聴取というふうに承ってよろしいのでしょうか。ある程度の内容についてお話し願えませんか。
#111
○清島説明員 捜索の過程ないし捜索後、これは永野会長の自宅の捜索の話でございますが、ある程度概括的に事情を聴取したというふうに聞いております。
 事情聴取の意味が問題だろうと思いますが、取り調べという形ではないというふうに聞いております。
#112
○稲葉(誠)委員 そうすると、近い将来どういうふうにしようというふうに考えていたわけですか。
#113
○清島説明員 当然に、この外為法違反を解明するために事情聴取あるいは取り調べを行う予定でございました。
#114
○稲葉(誠)委員 それは、外為法違反というのはいわば形式犯ですけれども、それだけで終わりにするというつもりだったわけですか。
#115
○清島説明員 事件に着手したものは外為法違反でございますので、当面、外為法違反について聞くということでございます。
#116
○稲葉(誠)委員 それは当面はそうだけれども、将来の発展ということについてはどういうような一つの見通しを持っていたわけですか。あるいは俗な言葉で言えばねらいというか、そこはどうでしょうか。
#117
○清島説明員 今後の捜査のこともございますので、答弁は差し控えたいと思います。
#118
○稲葉(誠)委員 それでは、ここは法務委員会ですから、余り警察のことばかり聞いてもと思うので法務省にお聞きをいたしたいわけですが、六十年の三月十八日付で大石毅外三名に対し恐喝事件で公訴がされて、そして五月二十二日ですか、大阪地裁で冒頭陳述が検察官側で行われているわけですね。この中で、私はいろいろお聞きしたいことがあるのですが、まず公訴事実の概要と、それから大体冒険はそれをちょっと詳しくした程度ですけれども、いずれにしてもそれをまとめてどういう事件であるか、御説明を法務省の方からお願いしたいと思います。
#119
○筧政府委員 御指摘の事件は、大石毅ほか三名に対する恐喝被告事件でございます。本年の三月十八日に公判請求をいたしております。
 被疑事実の要旨は、被告人らは、豊田商事株式会社の五十九年三月期法人税確定申告書、銀河計画株式会社の子会社一覧表など部外秘書類を入手したことから、共謀の上、右両社の専務取締役に対し「マスコミに公表されたらどうなるか分っているやろ、それがいやなら三億円出せ。」などと申し向けて、昭和六十年二月十四日、大阪市内において同人から現金二千万円を喝取したという事案でございます。
 これの公判におきまして検察官の冒頭陳述がなされましたが、その冒頭陳述の中で今御指摘の部分につきましては、被告人らの犯意あるいは共謀というものの成立過程を述べた部分におきまして、被告人らは豊田商事の昭和五十九年三月期の欠損額が約三百七十四億円であることを同社の資料によって知ったという趣旨が述べられておるところでございます。
#120
○稲葉(誠)委員 大石という人は豊田商事株式会社東京本社人事部長、それから広瀬という人は東京本社財務部長、それから松宮という人は大阪の営業係ですね。それにもう一人が加わって都合四名になるわけです。
 そこで、問題になってまいりますのは、その資料というのは、公訴事実によると、「多額の欠損が計上されている昭和五十九年三月期の豊田商事の法人税確定申告書及び決算書並びに同会社の親会社である銀河計画株式会社の子会社一覧表等部外秘書類の写しを入手したことから、これにしゃ日して」云々、こういうふうになっておるわけですね。ですから、今私が読み上げました書類は、大阪の検察庁にあるわけですか。
#121
○筧政府委員 証拠品の点につきましては、確認はいたしておりませんが、当然あるものと考えております。
#122
○稲葉(誠)委員 なければおかしいわけですね。これを利用して恐喝しているわけですから、当然あるわけです。
 そうすると、本件で、昭和五十九年三月末期の欠損額が約三百七十四億円あるということがここに出ていますね。起訴状には出ていないのですけれども、冒険に出ているわけですな。それから、伝えられるところによると、累積欠損額が四百十七億というようなことも言われておるのですが、まず四百十七億というのが冒険にあるのかないのか、あればどういう性質のものなのか。
#123
○筧政府委員 四百十七億という累積赤字につきましては冒険では述べておりません。ただ、関係書類の中でそのような趣旨があると聞いております。
#124
○稲葉(誠)委員 この豊田商事というのは昭和五十九年三月末期の欠損額が約三百七十四億円あった、これは法人税の確定申告書で。そうすると、資本金二億五千万ですかの会社でしたね、それが当期の欠損が約三百七十四億あって、そこでなおかつ金を集めているということは、世間の常識から見て一体どういうふうになるかというのは、法律的な理解は別として、これは極めて常識的な理解、常識的にはまずおかしいと私は考えるわけです。
 そこで、また話が大阪地検に対する告訴事件に移るわけですが、私はこの前質問したときにも言ったのですが、去年の三月二十四日、大阪地検に対して詐欺と俗に言う出資法で告訴がされて、その後全部で七件集まってきて告訴されているわけですね。私は口を酸っぱくして、この事件について早くやりなさい、こういうふうなことを当委員会でも言っておるわけです。告訴は去年でしょう。あなたの方は何か基礎研究だ基礎調査だと言っていてさっぱりやらなかったとしか映らない、あるいはやっていたのかもしれませんけれども、映らないわけですね。外部にはやっていたようにとれないのです。
 そうすると、この詐欺の告訴についてどういう詐欺の告訴であるか。ところがこれは詐欺と出資法と両方くっつけていますから、法律論から言えばおかしいのですよ。詐欺ならば欺罔によって騙取したのだから、それが出資法に当たるわけがないという理屈がつくし、出資法ならば正規の金を預かったのだから詐欺にならないという理屈もつくし、これは二律背反で両方並べてやるのはおかしいのだということも理屈としてはあるかもしれませんけれども、それはそれとして、去年の三月に告訴されているのに大阪地検では一体何をやっていたのですか。具体的にこの際明らかにしないといけないのじゃないですか。
#125
○筧政府委員 大阪地検におきましては、現在豊田商事関係の詐欺あるいは出資法違反の告訴を九件受けております。今、稲葉委員御指摘の昨年三月ころのを初めといたしまして本年に入りましても同様の告訴が出ておりますので、現在合計九件でございます。それにつきまして現在鋭意捜査を継続中ということでございます。
 申し上げるまでもございませんが、本件は単なる外務員と被害者の間のやりとりに基づく詐欺ということではございませんで、豊田商事あるいは関連会社を含めまして全体についてのいろいろな状況というものが詐欺なり出資法なりの犯罪の事実があるかないかを確定する上にその解明をすることが重要であり、かつ不可欠であるわけでございます。現在に至るまでその関係について鋭意捜査を続けておるところでございます。
#126
○稲葉(誠)委員 この恐喝の事実で、二億五千万円の資本金で三百七十四億の欠損が出ていて、なおかつ金はどんどん集めておるということについては、これは法律的にどういうことになりますか。
#127
○筧政府委員 先ほどからお話しのように、豊田商事関係の会社にありました書類には三百七十数億円の欠損が計上された報告書があることは事実でございます。ただ、それは会社の方でそういう書類を作成した、厳密に言えばそういう事実にとどまるわけで、それが果たして実際それだけの額に上っていたかどうか、あるいはそれがどういう経過でできたものか、その経営状態を確定いたしませんと、その間の事情は明らかにならないということでございます。したがいまして、大阪地検といたしましては、今の公判請求いたしました恐喝事件で入手いたしました資料も重要な参考資料として参照しながら詐欺あるいは出資法違反の事実の有無について現在捜査を進めているということでございます。
#128
○稲葉(誠)委員 恐喝事件は普通の刑事部でやっているわけでしょう。片方は特捜部でやっているわけですから、連絡をちゃんととってないのじゃないですか。連絡をとっていれば、特捜部の方の捜査がもっと進展しなければおかしいのじゃないですか。
#129
○筧政府委員 たしか大阪地検では両事件とも特捜部で扱っておるようでございますので、その間には十分な連絡をとり、特捜部長あるいは次席等の上司も両者の関係をにらんで十分な連絡をとって捜査を進めているというふうに考えております。
#130
○稲葉(誠)委員 いずれにしても、永野会長が亡くなったということですから、捜査としては率直に言うといろいろやりにくい点があるかと思います。しかし、まだいろいろなほかの未解明の部分がたくさんあるわけですから、地検としても大阪府警なり兵庫県警なり何なりと協力をして真剣に、早急に捜査を進めてもらいたい。難しいことは私もよくわかっていますけれども、告訴は去年の三月ですからもう一年三カ月ぐらいたっているわけです。それをどの程度やっているのかよくわからぬけれども、これは告訴事件だから、率直に言うと、玉石混交で玉もあるし、石もあるし、いろいろなのがあることはわかっています。けれども、こういうふうに一年何カ月以上もやらないというか結論が出ないでいるということは怠慢だというふうにとられますから、その点についてはしっかりやってほしいと思うのですが、その点いかがですか。
#131
○筧政府委員 大阪地検におきましても、今先生がお述べになった御趣旨のとおり、できるだけ早急に事実を解明して適切な処理を行うという方針で今後努力してまいるものと考えております。
#132
○稲葉(誠)委員 そこで問題は、どうも私の理解するところでは、金(かね)を出して金(きん)の地金を買うのですか、買って預けるわけでしょう。ここに証文があるのですが、私もよく読んでみたのです、契約証券。僕は、初め賃貸借と思っていたわけですが、どうも賃貸借にしては変だなと思って見たら、賃貸借の名前は使っていますけれども、よく内容を見ると消費寄託なわけですね。いずれにしても、二億五千万円の資本金で欠損が三百七十四億円であるということから見ると、そしてなおかつ金(かね)を集めている、そして従業員に多額のプレミアムみたいなもの、給料というか歩合みたいなものを払っておるというようなことから考えてみて、営業の実態にメスが入れば、私の感じで物を言ってはいけませんけれども、俗に言う取り込み詐欺的なものになるのではないか、こういうふうに私は思うのです。
 あるYという弁護士がいるわけですが、この人がこの会社の法律相談的なことをやって、指導書みたいなものを出しているわけでしょう。それを見ると、「刑事上の問題」として「詐欺となるか」というところで「「結論」ならない。」と書いてありますけれども、そこの説明を見ると、「立証する事自体難かしく、いわゆる取り込み詐欺的な事でもない限り該当せず。」こういうふうに書いてあるわけです。今言った状況をずっと集めていくというと、私は取り込み詐欺的なものに該当するのではないか、こういうふうに考えておるのですけれども、これは私の私見ですが。詐欺で告訴をされておりますから、そういうものを含めて地検で早急に処理をしてもらいたい、こういうふうに思うわけです。
 問題はまたいろいろあるわけですけれども、被害者の救済の問題をどういうふうにしていくかということが非常に大きな問題だ、こういうふうに思うのです。これは二万人で約二千億と言われておるのですけれども、これはそのまま正しい数字かどうかは別といたしまして、私も実際に金(かね)を預けた人の話を何回も聞いたり、それから、会社で取り囲まれて、そしてサインをしろと言われて、そこから私のところへ電話をかけてきた女の人なんかもいるので、すぐ帰ってこいということで帰ってこさせましたけれども、いろいろあるわけです。そこで問題は、被害者の救済をどうやってするかということですね。現在の法体系のもとで被害者の救済について考えられておるのは一体どういうふうなものがあるのかということについて、これは民事局長が御専門ですからお答えをお願いいたしたい、こう思います。
#133
○枇杷田政府委員 豊田商事と、契約された方々との間の法律関係につきましては、私ども直接調査をしたわけではございませんので明確なお答えはできませんけれども、新聞報道等から考えましても、契約者は会社に対しまして不法行為法上あるいは契約法上の責任を追及することができるということになろうかと思います。それから、また同時に商法の二百六十六条ノ三の規定によりまして、取締役に対してもその責任を追及するということができる場合もあるだろうというふうに考えられます。その面におきましては請求権はあるわけでございますけれども、問題は、その請求権が十分に満足されるように支払ってもらえるかということに問題があろうかと思います。その点につきましては、会社なり取締役なりに資産があり支払い能力があれば、それは任意に弁済すればいいわけですけれども、この事案につきましては、どうもその関係について、財産が確保できるかどうかというところが一番問題なところではないかと思います。
 そういう点におきまして、ただいま申し上げました請求権を被保全権利といたしまして、仮差し押さえによるとかというような形で財産の保全をしておくということがまず第一番目に必要なことであろうと思います。そのようなことで、財産の保全が十分にできませんと、訴訟等で支払い義務について判決をもらったにいたしましても、結局弁償が受けられないということになろうかと思います。
 一般的な救済の関係につきましては、あらかじめ仮差し押さえ等で財産を保全するほかに、会社更生とかというふうな方法もありますけれども、このような会社につきましては会社更生ということは最も考えられない事案でございます。また、これは新聞報道で関係の弁護士さんも言っておられるようでありますけれども、もし会社に支払い能力が全くないということでありましたならば、破産手続に入って、そして財産を散逸しないように確保しておくというふうなことも考えられるわけでありますが、この問題につきましての民事的な損害賠償等の債権を保全するためには、実際上の財産を散逸される前にいかにして押さえるかというところが最大の問題になってくるのではないかというふうに考えます。
#134
○稲葉(誠)委員 今の二百六十六条ノ三は、会社は法人ですから法人として責任を負うわけですけれども、そのほかに取締役なり監査役が責任を負う場合の規定ですね、この点についてちょっとわかりやすく説明をお願いできませんか。
#135
○枇杷田政府委員 商法の二百六十六条ノ三には、取締役がその職務を行うにつきまして、悪意または重大な過失があるときには、第三者、要するに被害を受けた第三者に対しても連帯して損害賠償の責に任すということでございます。したがいまして、その契約をされた方との関係につきまして、例えば代表取締役等の取締役がその職務として、そういう詐欺的なことをするというふうなことを指示をして、あるいは慫慂してやるということになりますと、その結果生じた会社に対する損害賠償責任を自分もまた連帯して負わなければいけないという規定でございます。
#136
○稲葉(誠)委員 大臣、これは前々から新聞紙上などでもずっと見たりされて、当委員会でも問題となり、それから決算委員会でしたかで、総理もこれについていろいろ答弁をされて決意を述べておられるわけですね。だから、今の問題の中で、今後被害者の救済を中心として、法務省として、法務省は人権擁護の立場もあるわけですから、直接自分の方の関係でないというようなことでなくて、あるいは法務大臣としてというか国務大臣としてというか、あるいは中曽根さんがあそこまで答弁しているわけですから、それを含めて大臣としては被害者の救済のために一体どういうふうにして当たっていきたい、こういうふうにお考えなのでしょうか。
#137
○嶋崎国務大臣 この事件につきましては、かねて老齢者の方々に対して大変な被害を及ぼしておるというようなことも聞いておりまして、それに対する対策をぜひ進めなければいけないということでいろいろと、さきに詐欺その他の告発があった事柄、あるいは当方が持っているいろいろな資料、情報の収集というようなことに努めて、早期にこの問題の解決を図らなければいけないというふうに我々自身も考えており、また、そういうつもりで今日までやってまいったわけでございます。
 しかし、こういう犯罪を確実に追い切るというのは大変困難な事情も多くて、少し時間的におくれているような感じも、実は私自身も持っておるわけでございますけれども、ようやくそれが軌道に乗って、捜査というのが進むような段階に入ってきているというふうに私たち思っておったわけでございます。そういう意味の中で、今御指摘のような被害問題というのが非常に大きく出ておるわけでございますが、それに対処するやり方というのは、第一線でどういうような契約が具体的にどういう雰囲気で行われているか、漏れてきているいろいろなことはありましょうけれども、そういうようなことを、技術的にこれを追うということになると、なかなか事態は難しいと思うのでございます。しかし、そういう環境の中においても一番大切なことは、やはりこの財産をどうして早く保全をするかということが基本的に大切なことであるというふうに私は思っておるわけでございまして、多分、検察当局も、私は個別的な指示はしておりませんけれども、そういう点に十二分に配慮をして対処をしておるものであろうというふうに思っておるような次第でございます。
 いずれにしましても、そういう問題を取り扱っている事態に新しい事態も生じてきているわけでございますから、今後ともこの問題は、事態の変化にかかわらず、事件の真相を明らかにして、そういう意味での努力というものを積み重ねていかなければいけないのではないかというふうに思っておる次第でございます。
#138
○稲葉(誠)委員 私は、日本で一番おくれておる一つの法体系というものは、証券取引関係がおくれていると思っているのです。これは、実は私、ロッキード事件の調査のときにアメリカへ行きまして、SECへ行ったのですが、そこでSECのいろいろな状況の説明などを受けたときに、そのことを痛切に感じたわけですが、これは主として大蔵省関係の仕事だというふうに思います。
 もう一つは、消費者の保護関係といいますか、そうした立法なり制度なり、あるいはその取り巻く環境といいますか、そういうようなものが日本の場合、なれていないというのでしょうかね、非常におくれておるんですね。私どもに相談に来る人なんかいろいろあるのですが、どうしてこんなことでお金を出したのだろうか、退職金や何かをわざわざ銀行へ行っておろしてきて出したりなんかしているのですが、聞くと、とにかく三時間も四時間も五時間も粘って帰らない、それで帰らなくて泣かれたりなんかするということで、契約条項などもよくわかりませんから、わからないなりに名前を書いて判こを押してしまうというところにも一つの問題がある。日本人は法体系になじまないところがある国民性を持っていますから、そういう点も一つの理由だとは思いますけれども、問題は、日本の消費者信用全体の法体系というものは非常におくれていることなんですよ。立法府がそのことを行政府に質問するというのは、私は、かねがね非常におかしいと思っているんですよ。立法府の我々のやることなんで、それを聞くのはおかしいのですが、それは別として、私は時々商工委員会に行きまして、東京大学の竹内さんが参考人のときに聞きに行くのですが、竹内さんが去年の四月十七日に、これは割賦販売法のときでしたが、参考人として言われた中に、私の頭に残っているんですよ、とにかくあの割賦販売法でも何でも非常におくれているということを盛んに竹内さんが言われたのです。
 そこで、その参考人の意見の中に出てまいりますのは、「消費者信用取引を総合的、包括的に規制する立法をする必要がございます。」というんで、「アメリカでは十五年ぐらい前に実現されておりますし、イギリスでも十年前には実現されております。七年ほど前にOECDの理事会勧告が主張しておりますのも、」云々、こういうようなことを言っておられるんですね。これについて、一体どこが主管なのか、どうもよくわからないのですが、企画庁らしいのだけれども、よくわかりませんけれども、企画庁なり通産省なりあるいは法務省なりこういう意見について、今一体どういうふうになっているのか、将来どういうふうにしたいのか、ひとつお答えをお願いしたいというふうに思います。
#139
○里田説明員 先生が今御質問になられました消費者信用の統一的な規制ということは、これは経済企画庁の長年の念願でございまして、ことしの四月に公表いたしましたけれども、同じくやはり竹内先生に座長をやっていただきました消費者信用適正化研究会でも最後に一項設けまして指摘しているところでございます。しかし、これは関係する省庁が非常に多くございまして、なかなかその辺の省庁の御意見等も調整していかなければいかぬということでございますので、私どもはできる限りの努力はしていきたいというぐあいに考えております。
#140
○稲葉(誠)委員 企画庁は、この前、河本さんが企画庁長官のときも同じようなことを言っているんですね。豊田商事の問題が出たときに、金子さんも同じようなことを言っているのです。企画庁に求めるのは私自身も無理だと思うのです、そんなことを言っては悪いけれども。そういうような強い権限のある省庁じゃないわけよね。企画庁に強い権限を持たせたら通産省でも大蔵省でもみんなとんでもないという話で、企画庁の下になるようになってしまうから難しいのです。
 ですけれども、はっきりここまで言われておるのにやらない。これはあなたに言っても悪いので、私も反省しているのですよ。予算委員会で私は理事をやっているのですから、豊田商事や何か、こうした消費者保護を中心とする問題について、ことしの予算委員会でもっと徹底的にやるべきではなかったかと非常に反省をしているのですが、いずれにしても、もっとちゃんとしっかりやらなきゃいけないですね。
 それから、今のお話があった点については、見通しはどういうことになっているのですか。それから、昭和五十一年五月十九日の商工委員会でいろいろな訪問販売が問題になりまして、訪問販売について附帯決議が出ていますね。これについて一体どこが主管でどういうふうなことをやったのか、ちょっと簡単に御説明願えませんか。
#141
○糟谷説明員 お答え申し上げます。
 五十一年の五月に衆議院の商工委員会で訪問販売法を制定しましたときに、附帯決議をいただいております。そこでのポイントは、大きく分けて四つほどあったかと思います。
 まず第一点は、訪問販売、通信販売等についての実態把握、あるいは事業者の指導監督をきちっとやるように、こういうことでございました。この点につきましては、訪問販売あるいは通信販売につきましてそれぞれ事業者の団体をつくらせまして、そこで業界ごとの自主的ないろいろな事業をやらせるということをやると同時に、通産省からもいろいろな予算をつけまして、事業の実態把握あるいは法律の周知徹底ということをやってきた次第でございます。
 それから二番目の点は、消費者に対する啓蒙、啓発といったところだったと思いますが、これは訪問販売法の制定以前からやっていたことではございますけれども、マスメディアを使うとかあるいはパンフレット、リーフレット等の手段を使いまして、いろいろな消費者啓発をやっているということでございますし、ことしからは、特に問題の多い訪問販売のトラブルについては消費者に情報を還元するという制度をスタートさせたところでございます。
 それから、附帯決議の第三点は、交付書面とかあるいは広告で商品の品質、性能を明示するように、こういうことでございました。この点につきましても、それぞれの販売方法によって違いますが、省令とかあるいは業界の自主的な基準ということで品質、性能を消費者に明らかにするようにということで指導すると同時に、実施を促しているというところでございます。
 それから最後の点は、特にセールスマンの資質向上といったポイントだったと思います。この点につきましては、訪問販売協会がセールスマンの登録制度ということを五十六年から実施しておりまして、約六十七万人の登録を現在やっておりますけれども、こういう制度を通じまして、セールスマンの教育とかあるいは資質の向上といったことを指導しているところでございます。
#142
○稲葉(誠)委員 警察も退席するようですけれども、そこで私は、前の豊田商事、それからそのほかの問題がいっぱいあるのです。何とか信託というのもありまして、私はある銀行の信託だとばかり思っていたら、それは違うのですよ。そういうのがたくさんありまして、実にいろいろな悪らつな手段を用いてやっておりますし、それから今の「投資ジャーナル」の事件などは、将来非常に発展する事件ですね。どういう方向に発展するかは別として、それは徹底的にやらなければならないということを私は強く申し上げておきたいと思います。
 そして、いずれこれらの問題についてはこれから捜査がどんどん進展してくるでしょうから、それに伴ってさらにいろいろな問題点が出てくるということでございますが、それはその都度申し上げるなり何なりさせていただきたい、こういうふうに考えております。それで、一応その問題についてはきょうは終わりにしていただきまして、また別の機会を通じて同僚の議員や何かから質問があるというふうに思います。
 そこで、法務大臣なりあるいは入管局長に質問申し上げたいのは、七月一日から特に問題となる指紋押捺の問題をめぐって、各国の外国人登録の実態がどうであるというふうなことで毎日新聞の「国際リポート」というところに出ておったのですが、韓国の指紋押捺制度についての説明がずっと出ておるわけです。
 そこで、まず申し上げたいのは、大臣としてはこの指紋押捺問題で、なぜ、どういうような心情から日本にいる在日朝鮮人なり韓国人なりあるいはその他の外国人がこのことを問題にしているのであろうか、こういう心情ですね。理由というとちょっと違う、かたいかもわからぬ、心情と言った方がいいかもわかりませんね。そういう点については、大臣としてはどういうふうにお考えなんですか。
#143
○嶋崎国務大臣 御承知のように、在日の韓国人の方につきましては、戦後いろいろな商業上の理由とかあるいは観光的な目的で入られたというような特殊の人を除いて多くおられるのは、協定の居住者あるいはその後に整理をされまして特例永住者というふうに戦争中からこちらの方に来ておられて、二十七年の四月、御承知のように講和条約が発効になったときから一二六−二−六ですか、そういう法律の規定に基づいてずっと永住をされておる方々が非常に多いわけでございます。そういう中で、特に昭和二十年代の時期におきましては、いろいろな要件で国籍の選択の問題もあったろうし、またその後のいろいろな処理というようなことについて非常に多くの問題を抱えておったわけでございます。
 当時の資料をさかのぼってみましても、例えば登録審査をした昭和二十五年と二年前のそれぞれの外国人登録数を比べますと四万人以上のそごがある。その次の二年後の大量切りかえのときでも、やってみますと前年の数と三万近い異同がある。どうもその中身が非常に落ちつかない状態の中で推移をしておる。そこで昭和二十七年に外国人登録法というものが制定をされて指紋制度が導入されまして具体的に三十年から実施をされる、ちょうど四回目の大量切りかえのときにそれが当たるわけでございます。
 そういう長い歴史がありまして、それの次世代あるいは次の世代というものもいよいよ出てくるような時期になってきているわけでございますが、そういう長い経歴の中からいろいろその論議があったことは事実だろうと思うのです。しかし、さきの五十七年の改正までは指紋不押捺というようなことが余り表面に出ていなかったことは事実でありますが、その後非常に指紋不押捺というものが出てきておる。その感覚がどこにあるのかということは私自身もよく理解はしておらない点が多いかと思うのでございますけれども、そういう推移で今日まで来ておるわけです。
 余り数字を挙げて言うのはなんでございますが、現在でも一年に氏名を書きかえる人が二千五百人ぐらいあるんです。氏名を変える人が二千五百人を超えておるというような状態になっておる。そういうことは、結局昭和二十年代のいろいろな問題を含み、三十年にこの指紋制度というものが入ってくる。それからだんだん整理はされておるんだが、今の段階で一年に二千五百人も名前が変わるというような状態が続いておる。しかも、中で聞いてみますと、その中で七百人ぐらいの人がやはり中央へ上げてきて、それは本当かどうかということを判断をしなければならぬというような状態も現在ある。そういうことなものですから、我々としてはこの制度というものを維持していかなければいけないだろうというふうに思っておるのが実態であるわけでございます。
 そういう中で、御承知のように、この運用につきまして人権的な問題であるあるいは犯罪者まがいの取り扱いを受けるというようなことが一般に非常に大きく宣伝をされておるというような実態がありまして、それがある意味で交互作用でこの指紋不押捺というものが出てきておるのではないかというふうに推測をしておるわけでございます。しかし、一般的に申しまして、今までのところ不押捺の方というのは千人中に四名あるいはその前後というような数字になっておりますので、基本的には協力をしてやってきておるというふうに思うのでございますけれども、そういう問題の取り上げられ方ということを反映をしまして、意識的に指紋不押捺を選択をされるというような方が出てきておるということもあるんじゃないかというふうに思うのでございます。
 そういう経緯にかんがみまして、実はこの五月の十四日の改正では、少なくとも回転指紋ということをやめて平面指紋に変えてやる、これは少しでもそういう感触というものをなくしようということで、かつまた指を汚さないというような選択をしたのは、そういうことに伴う精神的あるいは心理的な負担というものを解消しようということで実は対処をしたというのが実態であるわけでございまして、そういうことをよくお含みになってやっていただきたいと思っておるわけでございますが、そういうことに伴って出ました通達につきましてもいろんな議論が出ておる。私は至極残念なことであろうというふうに思っておるわけでございます。
 的確な御説明になったかどうかよくわかりませんが、そういうぐあいに問題を考えておる次第です。
#144
○稲葉(誠)委員 私がお聞きしたいのは、日本におきます外国人登録、ことに指紋の押捺の問題が日本で非常に特別な制度だということですね。
 韓国のソウルの重村という特派員の報告をごらんになったと思うのですけれども、まず総括的に、制度だけ見たのではわからないんで、実際の運用を見ないとわからないと思うのですけれども、ここに書いてあることは、入管局長としては事実ですか、どうですか、まずそれをひとつお聞かせ願いたいと思います。ここに韓国の事情として書いてあるでしょう。一体これは事実なのかどうかというのは変な聞き方だけれども、事実と相反しているところがあるのかないのか、これはどうなんですか。
 要点は、「韓国では十八歳以上の国民に対し住民登録が義務づけられ、指紋を押した住民登録証を携帯しなければならない」、これは事実のようですね、韓国国内法ですが。
 そこで、韓国の場合には韓国人に対して指紋押捺を義務づけられている。ところが、日本の場合には日本の国民に義務づけられていないことをなぜ韓国人にだけ強制するのかという点がなかなか理解できないということが書いてありますね。これが第一でしょう。
 第二は、もう一つは、韓国の場合は日本のように五年に一回ずつ繰り返す必要はない、一回だけだということが書いてありますが、これが事実かどうか。
 それから、「不携帯を理由に逮捕・起訴されるようなことはない。」こういうふうに書いてあるわけですね。日本の場合、不携帯の場合は、大体今までで言うと、それは起訴されるのはなかなかないかもわかりませんけれども、少なくとも逮捕されることは相当ある。
 こういうことから考えてみると、今言ったような点について、一体なぜ日本の場合は五年に一回ずつ繰り返す必要があるのかということが第一ですね。韓国ではそんなことやってないじゃないか。
 それから第二は、「不携帯を理由に逮捕・起訴されるようなことはない。」こういうふうに言っているけれども、事実かどうか。とするならば、日本におけるのと違うのは一体どういうわけかというようなことを中心として、どうぞあなたの方の御意見も聞かせてください。
#145
○小林(俊)政府委員 委員御質問の諸点のうち、韓国においては自国民についても指紋の押捺を求めておるというのは事実でございます。したがいまして、若干の相違はございますけれども、外国人、内国人を問わず指紋の押捺を求めているという点に相違はございません。
 また、指紋の押捺は外国人につきまして入国直後に一回行われるだけであるというのも事実でございます。ただ、この点について若干御説明を要しますのは、現在のところ少なくとも日本人につきましては四年以上続けて商用その他で韓国に在留することを認めていない取り扱いをいたしております。したがって、四年たちますと一度日本へ帰る、そして査証を取り直してまた韓国に入国するという必要が生じております。そして、改めて入国した際にはまた指紋の押捺を求められるという建前になりますので、この点につきましては法令上は一回で済んでおるわけでありますけれども、事実上は、例えば十年なり何なり継続して在勤しようとする商社員等は何回も指紋をとられるという結果になり得るわけであります。
 また、これは事実に関する問題でございますが、しからば日本で何ゆえ五年に一回、最近五年になったわけでございますけれども、五年に一回の切りかえを求められるかといえば、これはその五年の間に正規に在留する外国人が不正規に在留する外国人と入れかわっている可能性を排除するためであります。逆に言えば、不正規に在留している外国人が正規に在留している外国人の登録を変造、利用するというようなことがないようにするためであります。
 その指紋問題につきましてはいろいろ御説明することは多うございますが、先生特に御質問の点だけに限ってお答え申し上げたいと思います。
#146
○稲葉(誠)委員 時間の関係もありますが、これを見ると、一回だけで、「外国人が仕事などの任期を終え、本国に帰国した後、再び韓国に長期滞在する場合には指紋は義務づけられていない。」というふうにソウルに駐在している特派員は言っているんですよね。今のあなたの説明とは違うように思いますが、それはどうなんですか。
 それからもう一つ、「不携帯を理由に逮捕・起訴されるようなことはない。」こう言っているんですけれども、この点はどうなんですか。
#147
○小林(俊)政府委員 罰則の問題について申し上げますと、韓国におきましてはこの登録に関連して罰則の規定はございません。したがいまして、在留申告をする際に指紋の押捺を拒否しても、それによって罰則を適用されるということはないわけでありますけれども、そのかわり居留を拒否されることがあるということでございます。言いかえれば、それによって退去を求められるということがあるわけでございます。
 これは例えば米国の場合も同様でございまして、米国におきましては永住査証の申請をする際に在外公館で既に十指の指紋を押捺する義務を課せられておるわけでございます。その十指の指紋押捺を拒否したらどうなるかと申しますと、査証の交付が行われない、したがって米国に入国できないということになるわけでございます。この点は我が国の制度と引き比べますと、我が国におきましては、査証申請の際には指紋の押捺を求めておりませんので、そういう事象は起こりません。また、入国してから一年以上滞在を認めれるものについては、九十日以内に外国人登録をする際に、指紋押捺が必要になるわけでございますが、これを拒否することによって退去強制の事由とはなりません。したがって退去を求められることはないわけであります。したがって、いずれがより厳しいかということは見方の相違でございまして、退去を求められる方が、あるいは居留を認められない方が厳しい取り扱いであるということも十分言い得るわけでございます。
#148
○稲葉(誠)委員 今の入管局長の答弁ですが、ソウルの特派員の人の言っていることが、率直な話、ちょっと簡単過ぎまして必ずしも全貌を伝えておるわけじゃありませんから、この点については私の方もよく研究させてもらいましょう。なかなかいろいろな問題を含んでいるというふうに思います。
 そこで、大臣、今韓国から何かどなたが来ているのか私もよく知りませんが、来ていて、きょうあなたにお会いになるとか、あるいはあしたお会いになるとかという話があるようですけれども、どういうふうなことから会うようになって、どんな話が出て、それに対してあなたの方としてはどういうふうなお答えをするということになっておるわけですか。
#149
○嶋崎国務大臣 中身については格別の話がありませんで、表敬訪問をしたいということでございますので、それじゃお会いいたしましょうということになっておるというのが実態でございます。
#150
○稲葉(誠)委員 この指紋押捺の問題について、向こう側からあなたに対しても要望がある、外務大臣に対してもそうでしょうけれども、要望があるというふうに伝えられておるのですが、そうではないのですか。
#151
○嶋崎国務大臣 私に対してという話はもちろんありませんけれども、さきに向こうの外務省の方が来られたときに、入管局長と会っていろいろな意見を述べられた、その経緯は私は承知はしておるわけでございます。その内容については、こういう席では御勘弁いただきたいと思うのですが、その内容は承知をしております。しかし、今度の場合につきまして、そういう具体的な内容というものは何ら提示を受けておるというような状態ではありません。
#152
○稲葉(誠)委員 では、あと残った時間は大変恐縮でございますけれども、これは内閣官房長官ですか、顧問ですか、そういう形で今靖国の懇談会ができておるわけですね。審議室ですか、これは。それは具体的にどういうふうになっておって、いつごろどういう一どういう結論が出るというのはまだわからないでしょうけれども、それはどういう見通しになっているわけですか。
#153
○森説明員 御説明申し上げます。
 ただいまお申し出のことは藤波長官の私的懇談会でございまして、閣僚の靖国神社参拝問題に関する懇談会、座長は林敬三・日赤社長でございます。昨年八月三日に第一回会合を行いまして以来、十四回を行いまして、事務局から靖国神社の概要を説明した後、ずっと自由討議を行っております。
 それから、いつごろというお話でございますが、昨年八月三日のごあいさつのときに、官房長官からおおむね一年程度ということでお願いしておりまして、したがいまして、夏ごろにはというようなことを予想しております。
 以上であります。
#154
○稲葉(誠)委員 今の夏ごろというのは、八月十五日前という意味ですか、大体。
#155
○森説明員 そこまで具体的には詰めたお話は、今のところございません。
#156
○稲葉(誠)委員 何かいろいろな論があって、両論があって結論が出ないのだというふうにも伝えられているのですが、これは本来は結論が出ない懇談会なわけですか。あるいは両論併記のままでいいという意味の懇談会なのですか。
#157
○森説明員 十五名の先生方がこもごも自由なお立場から御発言になっておりまして、会を十四回重ねておりますと、大分おのずから御理解が共通される面ですとか、必ずしもそうとも言えないような感じのところですとか、いろいろ今の段階ではございまして、したがいまして、どういう形で最後おまとめいただくかということは、それも私どもちょっと予想しかねているところでございます。
#158
○稲葉(誠)委員 じゃ、内閣法制局、おいで願って大変遅くまで済みませんでしたが、靖国神社の公式参拝なり国家行事に対する内閣法制局の見解についてもう一遍御説明を願って、今もその見解を維持されるのかどうかという点について御説明ください。
#159
○前田政府委員 閣僚の靖国神社の公式参拝に関します政府の統一見解につきましては、御承知のように従来昭和五十三年十月十七日のもの、それから昭和五十五年十一月十七日のもの、この二つがございます。現在、私どもがとっております考え方は、この政府統一見解のとおりでございます。
#160
○稲葉(誠)委員 いや、だからその要点というか、結論を御説明ください。
#161
○前田政府委員 従来の政府の統一見解としては二つございますけれども、結論的な部分を申し上げますと、閣僚の靖国神社への公式参拝につきましては、政府といたしましては憲法第二十条第三項との関係で問題があり、違憲とも合憲とも断定しておりませんが、これが違憲でないかとの疑いをなお否定できないというものでございます。
 この統一見解におきまして、違憲ではないかとの疑いを否定できないとしておりますゆえんのものは、端的に申し上げますならば、閣僚のいわゆる靖国神社の公式参拝が憲法二十条三項で規定をしております宗教的活動に当たらないかどうかということが問題になるからでございます。
#162
○稲葉(誠)委員 それは宗教法人靖国神社の規則というのがありますね。この三条に「目的」というのがあるわけですが、これとの関連でどうなのですか。これがもし変わった場合とか、あるいはそのままだからそうなんで、それが変わればこうだとかなんとか、そこら辺はどういうふうになるのですか。
#163
○前田政府委員 御指摘の靖国神社の規則におきましては、その第一条におきまして、靖国神社が宗教法人法による宗教法人であるということを明記しております。さらに御指摘の第三条におきましては、神式による祭祀を行うということが明記されておるわけでございます。そのような靖国神社に対しまして、閣僚が公式に参拝するということになりますと、それはいわば宗教にかかわり合いのある行為ということになりますので、先ほど申し上げたような結論に相なるわけでございます。
#164
○稲葉(誠)委員 じゃ、いよいよ最後でちょっと時間が短いのですけれども、これは保護局長なのだと思うのですけれども、恩赦ということについて再審との関係ですね。一方で再審を申し立てているということで、恩赦にもいろいろあるわけですけれども、大赦もあるし、特赦もあるのですけれども、この場合特に特赦ということにいたしましょうか、どちらでもいいのですけれども、その再審を申し立てておるということとそれから恩赦を願い出るということとは論理的にはどういう関係があるということになるのですか。
#165
○俵谷政府委員 お尋ねの問題は特赦と再審ということになるのだろうと思いますが、恩赦と申しますのは司法手続、裁判手続によりませんで、裁判の確定判決の効果を一部無効にする、あるいは内容を変更する、こういうものでございますから、裁判の結果と申しますか、確定判決と大変密接な関係を持つことになるわけでございます。
 そこで、再審でございますが、これは確定判決があった場合に、その確定判決の内容につきまして間違いであるとか新しい証拠があるとかいうようなことで、その確定判決の内容を争う、再度審判を求める、こういうものでございますから、これは司法手続で行われるということになります。したがいまして、恩赦の場合は確定した判決を前提といたしまして、いわばこれを尊重いたしまして赦免が行われる、こういうことになりますから、論理的にと申しますか、制度としては違いますけれども、内容、効果、機能の面におきまして相矛盾すると申しますか、やや抵触するものがある、かように理解されるわけでございます。
#166
○稲葉(誠)委員 そうすると、今までは再審を申し立てているときに特赦を認めたというふうな例はあるのですか、ないのですか。
#167
○俵谷政府委員 今までの過去の例を当たってみますと、昭和三十年代までには再審が行われておるという状態下で恩赦の決定がされたという場合もございますが、これはいずれも恩赦不相当という結論でございます。つまり、中央更生保護審査会におきまして恩赦を認めるという議決がされた例はございません。四十年代以後は、したがいましてこの二十年間でございますが、この間は、再審が進行しておりますとその推移を見ながら審理を続けていくという状態でございまして、したがいまして再審の継続中は恩赦の議決が中更審におきましてされたことがない、こういうことでございます。
#168
○稲葉(誠)委員 わかりました。
 そこで、特赦の場合の条件としてはどういうことが大体条件になるのですか。
#169
○俵谷政府委員 特赦にいたしましてもいずれの個別恩赦におきましても、犯罪者予防更生法がその手続の基準になるわけでございますが、その規定するところは、本人の行状あるいは犯罪後の状況、特に社会感情なりあるいは被害者の感情なり、こういった犯罪をめぐりますいろいろな状況、それから特に矯正施設等に入っております者につきましては、こういう人を赦免をして出すことによって問題が生じないか、こういったいろいろな個別の条件が審理の対象になり、結論的に恩赦を認めることが相当かどうかということによって中央更生保護審査会におきまして結論が出される、こういうことでございます。
#170
○稲葉(誠)委員 極めて高齢であるということですね、長い間入っていてしかも極めて高齢だという場合、そのことも常識的に一つの判断の基準になるわけですか。それだけで決めるというわけじゃありませんよ、それも含めて一つの判断の基準になると理解してよろしいのでしょうか。
#171
○俵谷政府委員 御指摘のように大変高齢であるということも含めまして、一つの事情といたしまして検討されるということになることは間違いありません。
#172
○稲葉(誠)委員 終わります。
#173
○片岡委員長 岡本富夫君。
#174
○岡本委員 最初に、豊田商事問題について若干お聞きをいたします。
 昨夕のテレビあるいはけさの新聞、永野会長の殺害事件を見ておりまして、大変驚いた。これは私一人じゃなくて日本全国の人たちが大変注目し、また震駭をしたのではないか、こう思うのです。法治国家として、どんなに悪いことをしたからといって必殺仕置人のように殺してしまうというやり方は非常におかしい。あたかもきょうは当委員会で、午前中、参考人を呼びまして生命と倫理に関する問題をお聞きしておったわけでありますけれども、この問題につきまして再発防止の上からも大臣はどういうお考えなのか、まずちょっとお聞きしておきたいと思います。
#175
○嶋崎国務大臣 昨日のお尋ねの事件につきましては、犯人の動機なりあるいは犯行の背景、事情というようなことがいかなる理由に基づくものであるとしても、それらの内容が例えばこの会社に対するいろいろな気持ち、怒り、そういうことがあったにしましても、法治国家として法秩序がきちっと守られなければならない、そういう状態の中でああいう事件が起きたことはまことに遺憾千万なことであると思っており、私も一部の報道を見まして非常に残念なことであると思っているのが実態でございます。
#176
○岡本委員 豊田商事問題は当委員会でもまた各被害者からも相当なけんけんごうごうとした意見が出ておるわけでございまして、一番頂点でありますところの永野会長に対する恨みと申しますか、あるいはまたそういった人たちの声は非常に大きいだろうと思うのです。したがって、こういう重要人物と目される人たちの警護のあり方に手落ちがなかったのかどうか、これは今後の問題もございますので警察庁にお聞きをしておきたいと思うのです。
#177
○武居説明員 お答えさせていただきます。
 警察が特定の人物につきまして警戒警護、こういった場合に当たる措置として講じます場合には、当人が犯罪の被害者であるか否かということを問いませず、当人についての不穏な情報とかそういったものを把握した上で、その判断に基づきまして、本人の生命身体の安全を図る必要性があると認められた場合に、事案の情勢に応じまして固定の張りつけですとか重点警戒ですとか不審者の発見ですとか、そういった警戒を危害防止のためにやっておるという実情でございます。ただ、こういった場合に基本的な判断基準というものがあるわけではございませんで、やはりケース・バイ・ケースでやっていくということになるわけでございますけれども、そういう点大阪の事件を考えてみますと、そういった不穏な情勢というものを把握しておりませんので、報道陣の方々がいろいろと多数、数十人おられたというようなことから、マンションでございますので付近の住民の人たちとのトラブルですとかいろいろとそういった問題があります。そういった観点から三時間ごとに警戒をしていたということでございまして、先生御指摘の所要の警戒を怠ったのではないかというのは、その段階の情報ですとちょっと無理ではなかったかと考えておる次第でございます。
#178
○岡本委員 今回、永野会長が殺された。その下にあるたくさんの系列の会社の中で、豊田商事の被害もありますけれども、そういった関係を取り調べるについて永野会長がいなくなるとこれは捜査については非常に支障を来すのではないか、こういうふうに感ずるのですが、この点についてはいかがですか。
#179
○清島説明員 先ほども御答弁申し上げましたが、永野会長も一応現在検挙に着手した事件の容疑者として捜査対象になっていたわけでございますので、着手した事件については支障があるということは明らかであります。
#180
○岡本委員 そうしますと、一つは、相当あこぎなやり方で金を集めておった若干悪い男だ、こう私たちも思うのですが、その人命を守る。もう一つは、今お話がありましたように捜査を完全に行って、そして被害者も救済する、こういう面から見ますと、もう少しこういった重要人物とみなされる者に対するところの警備、警戒というものは適切に今後おやりになった方がよいのではないか、この事件を一つの契機として、今後改めるべきは改めていく、こういうふうにした方がよいのではないかと私は思うのですが、その点についてもう一度警察庁からお聞きしたい。
#181
○武居説明員 大変遺憾な事態ではございますけれども、また判断といたしましては大変難しい情勢でもあるというように思う次第でございます。といいますのは、やはり一人の人物の警戒に当たるということになりますと、ある意味では自由を拘束するようなニュアンスにもなってきますし、一番端的に申し上げますと当人の要望なり不穏なそういった情勢というのですか、いろいろとそういったものを分析した上でやっていくということに今後ともなっていくかと思いますけれども、いずれにいたしましても豊田のこういった問題につきましては、やはりある程度先生御指摘のようなそういったものを勘案しながらやっていく必要があるかというように考えている次第でございます。
#182
○岡本委員 私は非常に頑張っておる警察官の方のことを考えましても、また今後の捜査のことを考えましても、やはり今後の警備体制についてもう一度再考をしていく必要がある、これを強調いたしたいわけであります。
 この報道を見ますと、単純に三時間体制でパトロールしておった。そしてこの凶行が行われる五十分前にそのパトロールは異状なしとした。その後に犯人がすぐ入った。ということは相当形式的であったのではないか、こういうことも言えるわけです。まあこれは後のことでありますけれども、御承知のように今度の犯人の殺人のさたを見ますと、突発的であったか、あるいは二日前からいろいろうかがっていたとか準備していたというような報道もあるわけですけれども、その情報が警察としてはとれなかったということでありましょうけれども、いずれにいたしましても今後こういった重要人物についてはもう少し警備体制を整えて、再びこういう事件の起こらないように、こういうようにひとつ私は警察として決意をしていただきたい、またその手配を整えていただきたい、こう思うのですが、いかがでございましょう。
#183
○武居説明員 お答えいたします。
 最初の点でございますが、三時間置きのパトロールということで、当日は十時半から十時四十分に一回目、二回目が一時四十分から一時五十分、三回目が三時三十分から三時四十分ということで、犯行がほぼ四時半前後に行われたということですから五十分前程度にパトロールをしておったということでございます。先ほど申し上げましたように、不穏な情勢とかそういったものは、そういった意味ではその段階においては把握をしてなかったということでございまして、やはり永野宅付近におけるトラブル防止というのがどうしても主眼にあったということで、三時間置きのパトロールということで署長判断においてやっておったという実情でございます。
 後段の方の先生御指摘の点につきましては、先ほど答弁さしていただいたとおり今後とも警戒を十分に、先生の御指摘のような方向で対応していきたいというように考えております。
#184
○岡本委員 改めていただければいいし、今後こういうことが起こらないようにしていただくことが一番大事だと思うのです。
 そこで、ゆうべテレビを見ておりまして見ていた人たちの率直な声を聞きますと、また私もそう思ったのですが、多数の報道陣がいる、その中で窓をたたき破って入っていって、そして銃剣で突いているところを映しているというような、ああいうどっちかというと映画のようなことなんですが、こういうテロ行為は絶対許すわけにいかないわけですけれども、これの背後関係、先ほど稲葉さんが聞いておりましたけれども、今調べておるということだそうでありますけれども、率直な意見として多くの国民の皆さんは、なぜああいうものを防げなかったのか――あるいはこの間大学生が総理から表彰を受けた、こういう時期においてああいうものがなぜ防げなかったのかということで、非常な疑問を国民は持っておると思うのです。そこで、今後生命の尊厳の立場からこういう事件が再び起こらないように未然防止するためにはどういうことが必要なんだろうか、これをひとつもう一度お聞きしておきたいと思います。これは警察庁とそれから大臣からもお聞きしておきたい、こう思うのです。
#185
○武居説明員 それでは大臣の前に答弁さしていただきますが、警察といたしましては、こういったものを未然に防止するためには、やはりそういった情報というものを的確に把握できるような体制をきちっとやっていくのがまず第一点だろうというように考えております。先ほども申し上げましたように、こういった警戒をするということは、やはり本人の希望もございますし、やはり情報というものに基づいてやらないといろいろと他に波及する問題等もございますので、そういった情報というものを的確にとれるようなそういったもので対応していきたい、そういったことから未然防止を図っていきたいというように考えております。
#186
○嶋崎国務大臣 具体的な捜査段階の問題についてはあるいは警察庁の所管の問題であろうと思いますけれども、今後刑事事件を捜査しあるいはそれを整理をしていくという段階を受け持つものとしまして、ただ単に今回の場合は参考人というようなところを通り越して被疑者であるというような状態もありましょうし、またこの会社をめぐるところのいろいろな具体的な問題というようなこともあるわけでございます。今度のような事例はともかくとして、やはりいろいろそういう点について十二分の配慮をしていくということが必要であろうというふうに私たちは思うのでございます。特に、この調査をやっておるところと本人の住所というようなところが離れておるというようなときにはとかくそういう連絡その他が十分でないというようなことも考えられるわけでございますから、十分そういう点についても総合的な判断をして間違いのないように対処していくということが必要であろうというふうに思っております。
#187
○岡本委員 警察の方は何か今ちょうど捜査中でお忙しいそうでありますから、これでもう帰ってください。
 きょう、私は、本論は人権問題でありますけれども、その前にちょっと大臣に一つだけお聞きしておきたいのは、私たち平沢さんの救出をしようということで議員連盟をつくっているわけですけれども、判決があってから三十年、こうしていまだ拘置所に入っているわけですが、釈放はしないというような決定だそうでありますが、今度は刑の執行ということになりますと、嶋崎法務大臣の時代にその刑の執行の判は押さないのか押すのか、この点は今のところの御心境はいかがでしょう。
#188
○嶋崎国務大臣 どうも死刑の問題につきましては、法律の規定もあるわけでございますので、私として何らかの物の考え方というのをここで表明するのが通常なのかもしれませんけれども、事の性質から考えまして、その問題についての答弁は御勘弁をいただきたいというふうに思っておるわけでございます。
 なお、かねてからこの度等でも申し上げておきましたけれども、平沢の問題につきましてはいろいろな問題がありまして、仙台拘置支所に長らくいたわけでございますが、もちろん体自身は老齢の割には健康だというようなことだろうと思うの。ですけれども、どういう事態があるかもしれない、また拘置所に置くということのいろいろな条件ということを考えてみましてもどうも適当ではない、そういうことでいろいろ医療刑務所というようなことが私も頭の中にあったわけでございますが、たまたまこの釈放要求というような問題が出てきましたことを理由に八王子の医療刑務所に移したというのが実態であるわけでございます。御承知のように、もう十七回目の再審請求が行われている、それから先ほど答弁等にありましたように、再審というのは何か裁判の当否自体を争う話でございます。したがいまして、それの答えを見、またかつそういうことを条件にしまして恩赦というようなことを考え、御承知のように四回、五回目が現在出ておるというような実態であるわけでございますから、そういう当否判断を受け、さらにその上でこの恩赦の問題をどう考えるかということが加わっておるというようなことであろうと思います。かつまた、この釈放要求の問題についても今最高裁にこの論議がかかっておるというような状況であるわけでございますから、当面八王子の医療刑務所にいるということは変わらないというふうに思っております。
#189
○岡本委員 それでは人権擁護の問題についてお伺いいたします。
 本年の三月に法務省の人権擁護局より人権擁護機関に対するいじめの問題についての通達が出ておるわけであります。この文書を見ますと、いじめを児童生徒の人柄を踏みにじる行為であると述べており、法務省の人権擁護運動を拡大されて児童生徒に及ぶようになったということで私は喜びたいと思うのですが、その内容について、また効果について、どういうように取り組むのか、またどういう効果を目指しておるのか、ちょっと局長さんからお考えをお聞きしておきたいと思います。
#190
○野崎(幸)政府委員 最近深刻な社会問題となっておりますいじめの問題は、ひとり学校教育の問題であるにとどまらず、いじめられている子供にとってはいわれのないことを理由にして心理的あるいは肉体的な苦痛が加えられておるということを見ますと、これは人権侵害であり人権問題であるという観点から、ただいま仰せの局長通達を出し、人権擁護機関がその解決に積極的に取り組むように指示いたした次第であります。
 本月の五日、六日には各地の人権擁護部長を招集いたしまして会同を開き、その具体的な取り組みについて協議をいたしたのでございますが、このいじめの背景には他人に対する思いやりとかいたわりという気持ちの欠如、つまり人権意識の立ちおくれがあるというふうに考えられるわけであります。私どもは人権思想の普及、高揚を図る啓発機関でございますので、まずこういった人権意識の立ちおくれを解消するために、いじめというものが人権侵害である、もっと子供のときから他人に対する思いやりの心を持たないといけないということを新聞、テレビ、ラジオなどの広報手段あるいは講演会、座談会、映画会その他いろいろな手段を通じまして啓発をしていきたい、そうしていじめというものを許容している土壌を何とか変えていきたいというふうに考えておるわけであります。
 第二には、人権相談体制というものを強化いたしまして、いじめというものはなかなか表面化しにくい、先生も親もなかなかこれをとらえることができないと言われておるわけでありますが、それを何とか少しでも表面化して積極的な対応ができるようにするために、いじめの情報を把握するよう積極的に努めていきたい。
 また第三に、情報を把握いたしました場合の措置でございますけれども、何分にも子供は小学生、中学生でございます。まず学校当局においてしかるべき対応をお願いするのが筋道であろうかと思いますので、人権当局としましては把握した情報を学校当局に連絡をいたしましてその対応をお願いする一方、必要に応じて学校と協力して、あるいは単独で保護者や当該地域での個別啓発を展開していこうというふうに考えておるわけでありまして、現にそのことは実施されつつあるところでございます。なお、いろいろ地方の実情によるところもありますが、地域社会の中にこのいじめに関係するいろいろな関係機関によるいじめ問題対策懇談会といったような組織づくりができればまたこの問題の解決に寄与するところも大きいと思われますので、こういったことにも心がけてまいりたい、かように考えておるところでございます。
#191
○岡本委員 「学校に通報し、又は学校から協力を求められた事象について人権擁護機関は必要に応じ児童・生徒の保護者その他に対する啓発活動を行うこと。」今お話があったけれども、三カ月たってどういうような具体的な例、あるいはまた人権擁護委員がどんな行為をした、またどういう実績があった、何件ぐらいあったか、こういう結果は出ておりましょうか。
#192
○野崎(幸)政府委員 ただいまも申し上げましたように、各法務局、地方法務局におきましてはいじめに関する情報の収集に努めているところでございます。そうして集められた情報に基づいていじめの問題に取り組んでおるところでございますが、そのいじめの原因となっておりますところは、世上よく言われておりますとおり、あるいは転校生であるとか、あるいは性格が暗いとか、あるいは孤独な性格であるといったようなことを理由にいろいろな圧力を加えられておるのでありまして、これを今法務局段階では必要に応じて学校に通報する、あるいはもっと具体的な情報をさらに補強する必要があるものについては補強しておるという段階でございます。何分このいじめというものは、御承知のように学校の先生に言っていく、あるいは親に言っていくとまた復讐をされるといった性質のものでございまして、速効的な対応をするというのは非常に難しいわけでございます。今情報を得ておる事象につきましても、目下学校と協力していろいろやりつつあるという段階でございまして、確かに通達が出まして三月は経過しておるわけでございますが、もう少し時をかしていただかないと具体的な件数や成果について申し上げることはちょっとできないと考えられますので、しばらくお時間をおかし願いたい、かように考えるわけでございます。
#193
○嶋崎国務大臣 ちょっと今の説明でございますが、実はこのいじめ問題というのを取り上げたのは、中学生に対して人権関係のことについて作文を例年募集しておるわけなんです。そうしますと、三十何万件というような数字の作文が出てくる、その中で四分の一ぐらいがこのいじめ問題というものを取り上げておる。そういう背景がありまして、やはりこの問題というのは相当深刻な問題として取り上げなければならぬということでスタートを切ったわけでございます。何しろ法務省で人権擁護の関係の仕事をやっておる人間というのは非常に限られた人しかいませんし、それをカバーする意味で人権擁護委員の皆さん方が一万一千五百人おいでになって、そういう人に今盛んに浸透してやっておるわけですが、ここで一つ御記憶願いたいのは、我々の方がそういう問題を取り上げたということで、例えば警察関係でも特にこのいじめの問題を取り上げていただく契機になっておるわけでございます。私は細かい数字は見ておりませんけれども、新聞等で報告されましたように相当数の件数が警察その他にもお話が持ち込まれ、またそういうところと連絡をとってお話をする、処理をするというような段階に来ておりますので、私は、我が方だけに来ておる数字だけで御判断を願うのではなくて、そういうことが契機になりまして非常によそのところでもこういう問題を取り上げられるような雰囲気になり、そこで処理するようなこともふえてきておるということだけ指摘さしていただきたいと思います。
#194
○岡本委員 そこで、人権擁護委員の職務の中に「人権侵犯事件につき、その救済のため、調査及び情報の収集をなし、法務大臣への報告、関係機関への勧告等適切な処置を講ずること。」こういう一節があるわけなんですが、きょうは私ちょっと提案なんですけれども、実は今公明党の教育問題のいろいろ研究をやっている本部がありまして、私もそこへ入っておるわけですけれども、いろいろ研究をいたし、また調査いたしますと、異学年、すなわち一年生、二年生、三年生……六年生まで、混合教育ですね、それをやっておるような学校、これは各科目というわけにはいきませんけれども、体操だとかあるいは特別なそういう異学年混成教育、こういうものをやっているところは非常にいじめがない。特に、ちなみに考えますと過疎地の学校、一年生から六年生が一緒の教室におる、こういうようなところはほとんどいじめがないわけですね。六年生は下級生の面倒を見る、下級生は上級生を慕うというような状態を調査したことがありますけれども、文部省はこの問題について把握をしておりますか、いかがですか。
#195
○熱海説明員 お答え申し上げます。
 文部省が現実に各県にお願いをしている研究指定校というのがございますが、そこでいろいろ実践を行っている事例は全部集めております。それからそれ以外にも各学校でそういった研究がなされた場合にこちらに紀要を送っていただく、そういうものについては把握しております。ただ、全体としてどの程度行われているかについては詳細は承知いたしておりません。
#196
○岡本委員 そこで、なにが違うかもわかりませんけれども、せっかくこうしていじめの問題に対して取り組む法務省の人権擁護局として、こういった問題も調査をし、またパイロットスクール、まあ少しずつやっているというところはありますけれども、こういうところで非常にいじめの問題が防止されるということであれば、私は、もっと日本全国にこういったものを広めていく、あるいはまた法務省としてもそういったところに気を入れてもらって、そして文部省にも勧告していく、こういうこともよろしいのじゃないか、こういうふうに考えておるわけでございますが、人権擁護局長さんはそういった問題は御存じではないでしょうか。
#197
○野崎(幸)政府委員 いじめというものがどうしてこんなに全国的に発生するようになったかということにつきましては識者からいろいろな議論がなされておりますが、今御指摘になりましたのと非常に関連がございますのは、子供の数が非常に少なくなって、家庭の中で年齢の違う兄弟同士でもみ合って成長していくということが少なくなった、また、外へ出て遊ぶことがなくなった結果年齢の異なる、つまり年長者、年少者と一緒に遊ぶ機会がなくなった、その結果遊びのルールといいますか、それから年長者というものは年少者の面倒を見ないといかぬのだといったようなことが習得されないままに少年期、青年期に入るようになってきつつあるといったことが、受験戦争の激化であるとかその他の社会的な要因とともに指摘されておるのでありまして、先生の今の御指摘を伺っておりますと、まさにその混成教育的なものが社会から消えつつあることがいじめの原因ではないかという御指摘は当を得ているのだなというふうに考えておるわけでございます。
 私どもは人権思想の普及高揚を図る啓発機関でございますので、その角度からこの問題に取り組んでまいりたいと考えておるわけでございますが、また、この問題、そう早急に解決されるような問題でもないように見受けられますので、今後いろいろな場面でこの根本的な解決のためにどういう施策をとるべきかということが議論されてまいるであろうと思われます。私どもはこれから、取り組んでまいりました結果を踏まえて、必要に応じてそういった場所で機会が与えられれば発言をしていきたい、かように考えております。
#198
○岡本委員 今法務省の答弁を聞きますと、例えばネクラというのですか、ネアカじゃなくネクラ、非常に消極的な子供たち、あるいはまた転校してきた子、こういった人たちは特にいじめの対象になっているということでありますけれども、そういうのを調べて、そしてそれを矯正していくということも必要でありますけれども、そうなる前に、現代の教育の、あるいはまた社会情勢の欠陥というものは、昔は外でみんな一緒に遊んで、そして友だちのつき合い、あるいはまた上の人が下の子をかわいがるというような、そういった非常にいい環境にあった。その環境が今ないわけですから、それにかわるべきものを手を打っていくということにも着目をしていただいて、そしてそういった面について各出先でも学校あたりにもいろいろと勧告もし――勧告し、助言をするなんてせっかく書いてあるわけですから、そういった面でいじめの問題を解決をしていただくということも私は一つの案ではないかということで提案をしておるわけでございます。
 もう一つ見解を伺っておきたいのですけれども、従来の人権侵犯事件で、私人によるところの侵犯、この表をいただいておるわけですけれども、教育を受ける権利に対する侵犯というのが、各年度の件数の一覧表がここにあるわけですけれども、これはいじめに含まれておるのか、含まれないのか、これについてひとつ御意見を伺いたい。
#199
○野崎(幸)政府委員 いじめの事例は、人権擁護機関でこれまでも実は相当扱ったことがあるわけでございますけれども、これまでの人権統計ではその事案の性質に従いまして私的制裁あるいは酷使、虐待、強制圧迫といったところに入れられておりまして、いじめというものをまとめて入れた事例はございません。今先生が御指摘になりましたのは、むしろ親が子供を学校に行かさないとか、あるいはいろいろなもつれからある地域で集団登校拒否をしたといったような事例をとらえておるわけでございまして、あるいはその中にもいじめが入るかもしれませんが、むしろ先ほど申し上げたようなところに入っている場合が多いのじゃないか、このように考えております。
#200
○岡本委員 もう時間がありませんから、最後に法務大臣にちょっと御意見を承っておきたいのですが、現在情報公開というような時代になりまして、外交、防衛の基本方針はできるだけ公開して国会で論議しようという現行制度と若干相入れないと思われるようなスパイ防止法というものを自民党の議員立法で提案をされておるわけでありますけれども、今このような時期においてこういうものが必要なのかどうか。スパイ行為の取締法規としては、公務員に守秘義務を課した国家公務員法や、自衛隊法の有事の際の敵国に軍事上の利益を与えた者に対するところの刑法の条項、米軍の機密及び米軍供与の装備に関する刑事特別法、それから日米秘密保護法、さらに電波法、出入国管理法、こういうものがあって、相当厳しい現行法があるわけです。これ以外に、保護を強化しようとするような法案が出ておるわけですが、この点について法務大臣の御意見をちょっと伺っておきたい。
#201
○嶋崎国務大臣 今回の法案と今御指摘になっております情報の公開との関係については、これらの法案についての法案提出者からの説明がまだ十分になされておらないような状況でありますので、現段階でそれらの内容の一つ一つについていろいろ御議論をするということが適当であるかどうかというのは、私も必ずしも条文を詳細に読んでおるわけでもありませんので、適当ではないと思うのでございます。しかし、委員御指摘の情報公開といった問題も十分踏まえて議論をしなければいかぬだろうと思うのでございます。
 考えてみますと、我が国の場合、いろいろな議論はありますけれども、どうも情報天国になっておるというような逆の議論もありまして、国が存在する以上、今問題になっている外交なり防衛なりというような問題につきましてもある程度の秘密事項があるというようなことは、これは避けて通れないことであろうというふうに思っておるわけでございます。したがいまして、そういう問題についてどういうぐあいに考えていくかということはたくさんの議論があるところだろうと思っております。しかし、現在までのところは、先ほど御指摘になりましたように、刑事特別法とかあるいは日米防衛秘密保護法というような特別法もありますし、また国家公務員その他の関係につきましては公務員の秘密漏えいを律するための規定というのがありまして、それで現在まで何とか対処してきたのが実態であろうと思います。
 ただ、御承知のようにこれらの問題については多くの議論があるところでございまして、また我々が刑法改正問題というものを考えてきた過程の中でも、こういう問題については賛成する人、反対する人というものがあり、かつまた賛成する人の中でも、何かやはり特別法というような形の中で対処すべき事柄ではないかというようなことも受けて今度の法案が考えられたんだろうというふうに思っておるわけでございます。したがいまして、国会の中においても先生御指摘の点も含めて十二分に趣旨説明を受け御検討願うことが必要なことではないかというふうに考えておる次第でございます。
#202
○岡本委員 時間が参りましたから……。
 私、この十四条をちょっと見ますと、「この法律の適用に当たっては、これを拡張して解釈して、国民の基本的人権を不当に侵害するようなことがあってはならない。」というように、解釈によっては非常に人権無視の運用のおそれがあるというようなこともあるわけですから。私たちも、日本の秘密スパイを許すという行為は、これは決して賛成はできない。しかし、今既にたくさんのそういった制約の法律があるわけですから、また刑法改正の中でやはりこの問題はきちっとしていくべきであって、こういったスパイ防止法という特別立法というのは非常に感心できない、こういう考えを持っておるわけでございます。これは今度、次の国会になるでしょうが、その点を一つ申し添えまして、きょうの質問を終わります。ありがとうございました。
#203
○片岡委員長 伊藤昌弘君。
#204
○伊藤(昌)委員 いじめ問題だけについて質問いたします。
 先ほど局長は、情報を得てそれを学校に伝達をして注意を喚起するとか、兄弟の数が少ないからとか、外へ出ても先輩というか目上の者と遊ぶときが少ないからとか、そういったことをおっしゃっておるけれども、今人権擁護の上からあなたの方でやっておること、これは悪いとは言いませんけれども、こういうことで今のいじめが幾らかでもよくなるとお考えになっておられるかどうか。それから、いじめの起こるもとというものは一体どこにあるのか。それは家庭のしつけの問題とか社会の環境悪というものをお話しすると時間がかかってしまうからそれはそれだけれども、先ほど学校教育の問題もちょこっと触れられたけれども、学校教育の問題については余り重視をしておられないような発言のように例えたので、いじめのもとというものは一体どこにあるのか、元凶はどこにあるのか、どうお考えか、いじめ問題に取り組むからには、恐らくかなり下調査をしてから取り組んでおられると思うのですが、時間がないから、済みませんが要点だけお願いします。
#205
○野崎(幸)政府委員 私どもの方で、いじめのよって来たるゆえんはここであるということを確定しておるわけでは決してないわけであります。ただ、先ほど申し上げましたのは、一般的に、いろいろな学者や評論家、識者が言っておられるところによると、あるいは受験戦争の結果であるとかあるいは少子、子供が少ないことだとか、いろいろなことによる構造的な理由があるのじゃないかということを言われておるわけでありますが、私どもは、人権思想の普及高揚を図る啓発機関でございますので、そういった問題について一々そこに立ち至って解決を図っていくというわけにはまいらないわけであります。
 ただ、私どもがなぜこういういじめの問題に積極的に取り組もうとしているかということは、先ほど来申し上げておりますように、いじめというものがいろいろな問題のいろいろな理由から出てきており、それが構造的なものだという考え方が仮に正しいといたしましても、そういうことを理由にして生じてくるフラストレーションを人権を侵害するという形で解消していくということは非常に問題じゃないか。つまり、子供たちが、そういう欲求不満というものを他人の心に深い傷を残すことによって解消するという方向に行っているとすると、それは間違っておるということを少なくとも我々は言わなければならないと考えたからであります。
 学校教育の内容について人権局として……(伊藤(昌)委員「調べてあるか調べてないか、ぱっと言ってください」と呼ぶ)ですから、先ほども申し上げましたように、そういった原因について私どもは具体的に調べておりません。ただ、人権機関としては、その立場からこれに取り組んでおるということを御理解いただきたいと思います。
#206
○伊藤(昌)委員 この原因は、私はこう思う。これは学校教育の荒廃、これさえ直ればいじめなんというものはなくなってしまう。それは、岡本先生が少しおっしゃられたあれだけを取り上げてもそのとおりであります。そうすると、学校教育の荒廃はどこにあるかというと、一つは、教師の資質が非常に低過ぎる。極端に言えば、今の社会の中で職場におって最も責任感の足りないのは学校の先生。その次は教科書。教科書がまずひど過ぎる。これから、時間がないけれども、大事なところだけちょこっと申し上げる。それともう一つは、学校の中の職場規律の乱れ。学校の中で職場規律が乱れておって、それで子供たちにどうやって教育をするか。職場規律の乱れの原因は日教組、これははっきりしておるのです。この三つ。
 そこで、人間としての常識を教える学問は何ですか。今学校教育でやっている人間の常識を教える学問、教科書でもいいです。わからなければわからぬでいいです。
#207
○小埜寺説明員 お答え申し上げます。
 人間の常識に関する事柄につきましては、まず学校教育全体で教えることだと考えておりますが、特に社会科あるいは道徳といった教科ないし教育内容が中心になろうかと思います。
#208
○伊藤(昌)委員 道徳は必修じゃないのです。必修は公民、現代社会公民。公民によって公の民をつくる、常識をつくる、日本人をつくる。そうすると、日本人たる公民をつくる内容は、一つは、日本の国の伝統というものをよくわきまえてお国を大切にする、これが教育の一つの大事な柱。それからもう一つの柱は何かというと、自由、責任、権利、義務、これだけですよ。これをちゃんと教えておけば、いじめだとかそんな非常識な子供が生まれるわけがないと思うが、局長、いかがお考えですか。
#209
○野崎(幸)政府委員 どうも教育の内容について私どもがとやかく申し上げる立場にはちょっとないのではないかと考えるわけでございますが、私どもとしましては、かねてから、自己の権利を主張する余り他人の権利を侵害するといったことは許されないのだということを啓発の重点目標として、ここ数年、人権の共存、互いに相手の立場を尊重して豊かな人間環境をつくろうということをテーマに人権意識の普及高揚に努力してきておるところでございまして、私どもはいじめもこういったものの一環として取り上げたい、かように考えております。
#210
○伊藤(昌)委員 日本の人権局長が今の学校教育についてとやかく言うことは遠慮するなんて言っちゃいけませんよ。学校教育がしっかりしておらないから人権侵害が起きるわけですよ、これが基本なんだから。遠慮しちゃだめですよ。あなたは日本の国の人権問題で一番偉いのだから、一番偉い人がもっと責任を持ってくれぬと、困りますよ、そんな物の言い方をしていたのでは。
 さてそこで、それでは時間がないから具体的なところから入っていきましょう。総理府の「世界青年意識調査」、これは十一カ国、この調査によりますと、まず「青年の願望」というところ、だれからも干渉されない豊かな楽しい生活がしたい、その目的を持っておりますよという青年が、世界の十一カ国の青年の中で日本の青年が一番多いです。だれからも干渉されない、自分だけのことを、自分だけよければいい、そして豊かな楽しい生活をしたいというのが、世界の青年の中で日本人が一番多いんだ。それから、国家社会のあり方に一番不満の多いのは日本の青年。国家とか社会というものを大切にしようという心がない。それから、自分から努力しなければならないというところが一番少ないのが日本の青年。
 国の将来を占うのは青年です。ところが、その日本の青年がこんな考え方、こんなような内容では、日本は亡国化と言っても言い過ぎじゃないと思うのです。これでわかるように、権利一点張りの自己主張。人や社会や国なんかどうでもいい、自分だけのことを考えていればいいと言う。こんな青年は果たして公民教育を受けているか、受けていないか。受けておったらこんな青年ができるわけがない。人権上で一番わかりやすい文言は何かというと、他人尊重、自己抑制です。この心があれば人権擁護は通るんです。これだけのことだ。これは公民教育の中できちっと行われておらなきゃいかぬですよ。だから、そういうことをちゃんと調べ上げて、そしてこの人権問題と取り組んでいかなければならぬ。そして、真剣にこの人権擁護の問題と取り組んでおったら、私のように怒るよ。腹が立ちますよ。文部省をどなりつけるよ、本当に。文部省は何やっているんだと言いたくなりますよ。
 もう一遍、総理府の調査を見てみましょう。
 「高校生の学校に対する不満」、まず第一が「学校の規則が厳しすぎる」。これが高校生の学校に対する不満の一つ。何が厳しいですかね。例えば東京都の都立高校の中身見てごらんなさい。まず、先生は、自分の授業の時間に出てきて、自分の授業が終わると家へ帰ってしまう先生がどれほど多いか。そんな学校に校則なんかあるわけはない。けさの新聞を見ますと、弁護士の会が、校則に違反をするような学生を調査をして、先生はそれに対して一体どういう措置をとるんだということを調べると言っているけれども、校則なんというものを守っていないのは学校の先生。すなわち、私どもが見ると学校は甘過ぎて非常に放任に近いと思っているけれども、権利意識過剰の子供から見ると厳し過ぎる、こうくるのです。我々が、何で子供たちがあんなひどいいじめなんかやるのかな、不思議だな、常識で考えられないですよ。高校生はこんな甘過ぎる学校の中におったって、ちょっと何か規則を子供に示すと、子供は反発するわけですよ。いわゆる校則を守る心得が生徒に大変な負担となっている。
 悪い教育を、ひとつ教科書から今の問題について解説をしてみます。
 この教科書は、東京書籍、中学校の公民。「自分が大切な存在だという事を自覚した時、」人間なんというのは、みんな自分が大切だと思っているのですよ。何も教科書で自分が大切だ、「自分が大切な存在だという事を自覚した時、」なんて、どうしてそんなこと書くんですか。その次、「個人の生きる権利を主張する事の大切さに気付くであろう、」まず権利がばちっとくるのです。その次だ、今度、「権利を侵す者があれば、断固としてこれを排除し、」自分勝手な権利を主張しても、「権利を侵す者があれば、断固としてこれを排除し、自分の権利を守り、こうした権利の一番根本にあるのが、個人の生命、自由及び幸福追求の権利である」。権利ばかり。何でこんなことを公民に書くのですか。こうなってくると、校則は自分の権利を侵すもの、断固として反撃に出るというんだ。こういう子供ばかり出ちゃう。何にもわからない子供に権利権利、権利権利。自分の権利を侵す者があれば断固として反撃する、そんな教え方をしておったら、そんな子供ができるのが当たり前なんだ。だから、子供が悪いんじゃない、文部省。教える側が間違っておるんだ。これは文部省検定済みの教科書。
 だから、生徒から暴力を受ける先生は、まず、生徒指導に関係する先生が一番暴力を受ける。何か注意をすると、何をとやられちゃう。それから少しかたくなで臨機応変に乏しい先生。それから先生としての愛情に乏しく、指導に熱心でない先生。内申書を書いてやらないとかおまえは不良だとかおまえはばかだとか言う思慮の足らない先生、これが生徒に殴られてしまう。
 また、非常に悪扇動する教科書。これも学校図書、中学校公民。「私たちの学校の生徒心得はこれでよいか検討しよう」と書いてある。権利の主張一点張りの子供になおそれに、「私たちの学校の生徒心得はこれでよいか検討しよう」。生徒の間で検討して、それで、自分勝手な判断で自分に気に食わないと今度は先生に食ってかかって、こんな生徒の心得は間違っておるんだから直しなさい、こうくるのですよ。
 もう少し教科書の話をします。「きまりを守る事によって社会の平和秩序が保たれる」、だから決まりが大事だ、こういうもっともらしく思われる。読んでみますよ。こんな内容はひどい。「きまりがなかったら弱肉強食の世界になってしまう。」何か本当らしいがね。「きまりは腕力や経済力などの弱い者の生活と利益を守る為に重要な意味を持つことになる。」これも普通の人が聞くとちょっともっともらしいですわね。「きまりを守る上で大切な三つの精神がある。」第一、「力のある者が力に訴えて物事を解決しようとする事の禁止」、これも何かもっともらしい。次に「力のある者も無い者もきまりの前には皆平等な人間である事を認め合うこと」。三、「公平な規則をつくり、それを一括に適用すること」。大臣、こういうのはどうですかね。これは平等の偏重だと私は思うのですよ。縦の系列もない、親と子の関係もない。親が何か注意すると、力のある者が何だ、こういうような論理になってきますよ。先生が生徒に注意すると、平等じゃないか、何言っているんだということになりますよ。何にもわからない子供にこんなことばかり教えては。
 「一見、何の問題もないように見えるが、戦後教育の悪しき平等主義の風潮が」、あしき平等主義の風潮が教科書によって教えられる。「学校も社会もルールによって運営されているが、ルールはすべて公平で、力による物事の解決を一さい禁止するものでなくてはならない。」だんだんひどくなってくる。次に、社会を正しく発展させることは大切。「そのためには、一人一人が自分のことだけでなく、おおぜいのことを考えることが必要である。」もっともらしい。その次がひどい。しかし、「人間はそれぞれかけがえのない価値をもっているのだから、「社会のため」という形で犠牲になってはならない。」これが締めだ。これを教われば目上の者であろうと先生であろうとそんなものは無視しますよ。過重な公平ですよ。何にもわからない子供にこういうことを教える。
 家族の問題だってどんなふうに書いてあると思う、小学校の家族の教科書。「親子、兄弟といえどもかけがえのない人生なのだから、自分のために生きても差し支えない。」そういうところで締めるのです。親子、兄弟といえどもかけがえのない人生なのだから、親子の恩愛というものを大切にして御先祖を大事にしましょうと書いてあるのなら話はわかる。「自分のために生きても差し支えない。」「子供が親に従うという考え方がまだ少なからず残っている。」家父長制度を売り込むためにこういうことを教える。「親が長男を次男、三男と区別するという傾向はまだ少なからず残っている。」今、教科書の中で責任とか義務とかいう文字のある教科書があったら私に見せなさい。今の小中高等学校の中で責任とか義務とかいう文字の書いてある教科書があったら私に見せてください。
 教科書の結論を出しますが、「公平」という観念の偏重であり、そこには親子とか師弟、あるいは上司と部下といった「縦の秩序」を重んずる価値観は感じとれない。とくに「犠牲」とか「奉仕」といった美徳は、「『社会のため』という形で犠牲になってはならない」というように、あたかもそれが間違った考え方であるかのように決めつけられている。「人間がみな平等」という観念が異様なまでに肥大し、その結果として教師と生徒との関係においても「教える者」と「教えられる者」という長幼の序が否定され、教師の権威はみずから失墜した。規律正しい学校生活はとかく冷笑の対象となり、秩序への強制は束縛であると誤解され、校規・校則を守ることの教育的意味はかえりみられることのないままにすごされてきた。これでは、現場において教師としての主体性を発揮する余地はなく、何事においても生徒の「ご意見」を求めてから行動しなければならなくなる。このように教師の生徒に対する権威、両者の間にあるべき教育的秩序の失われたことこそが校内暴力発生の大きな原因の一つであることに注目しなければならない。先生が権威を確立をし、校則の底にある強制的な力の理を教科書や先生によって生徒に教えなければ、そして分別のつく日本人をつくるのが公民の教科書の価値であるにもかかわらず、今の教科書は全部こういう内容です。
 大臣、いかがでしょうかね。いじめの原因は学校教育にしかないと言っても過言ではない。この前、テレビで立派な先生がおっしゃっていた。社会に問題があろうと家庭に問題があろうと、それは学校の責任において直さなければいけない。だって先生は教育のプロですもの。大臣、いじめの元凶はこれしかないと私は思う。どうお考えになるのでありましょうか。
#211
○嶋崎国務大臣 ただいま、いじめの問題、特に学校の中におけるいじめの問題というのは主として教育の分野で解決されなければならぬ部門が非常に多いと私たちは思っておるわけでございます。そういうぐあいに思っておりますけれども、与えられた条件の中で今いろいろいじめの問題を考えてみますと、私もこんな大きい体ですから昔は相当わんぱくであったこともあるわけでございますけれども、ある意味では一対一で問題が処理されておった。ところが、こういう環境の中で出てきたいじめというのは、ある程度グループをつくって特定の人をいじめるというような姿が出てきているような感じがするわけです。
 それからもう一つは、いじめられる人、いじめる人、それを横から見ているグループ、それからまるっきり逃げてしまうグループという四つのタイプがあるんじゃないかと指摘した人がいますけれども、どうも私は、この問題というのは学校教育だけの問題じゃなしに、それを少し通り越して、何というか他人に対する思いやりとかいたわりとかいうようなものが不足して、それが人権意識がまだ定着してないというところに結ばっておるのではないか。そういう意味で、法務省がこの問題の啓発機関として取り上げようということを考えたのは、今のいじめの問題というのは、個人的な生徒に対するいじめの問題は学校だけの問題じゃなしに、社会的にも、何というか思いやりなりいたわりなりというものを育てていくという環境をつくっていくことが必要だというようなことでこの問題を取り上げてきておるというのが原則であります。
 もちろん、御承知のように個人の自由なりあるいは個人の主張なりというものが、人権思想が普及した今日重んじられなければならぬことは当然のことでありますが、その反面、自分のそれが守られるためには他人の自由なり主張なりというものを十分立てていかなければならない。そういうことを理解をして、責任なり義務なりというものをよく考えて事柄を処理をしていかなければならぬという考え方においては、全く先生の御指摘のとおりであろうというふうに私は思っておるわけです。
 どうも、教育の問題を考える場合に、平等とか自由とかあるいは個々の平等観念というものを考えてみますと、形而上的には全くそのとおりでありますけれども、形而下の社会ではある程度人の生理というものを知り、社会が回っていくためのいろいろな段取りというものが必要なんだろうと思うのです。どうもそういうけじめが十分理解をされてないというようなところにも負っておるのではないかというふうに思っておるわけでございます。
 いずれにしましても、自分たちの自由なり主張なりというものが通っていくためには相手の自由なり主張なりというものを前提にして、そういう中で世の中が回っていくのだということの理解ということが十分徹底して教えられることが必要なんじゃないかというふうに思っておるわけでございます。
#212
○伊藤(昌)委員 大臣、局長、今のような常識的なお話は子供には通じない。今のような常識的なお話は、今の子供の親に話してもわかったようなわからないような。教育の荒廃は非常に根深くて、その悪影響が大人の間にどんどん出ている。こういうような内容というものをよく研究をした上で人権を説いていきませんと、ただ言っておるだけでは本当の成果が上がらないと思うのです。あなた様は人権問題では日本で一番偉いのだから、一番偉いというのは一番責任を負わなくちゃいかぬ方なんですから、本当に今の学校教育の非常に悪い内容というものをよく研究をして――私は実は少しシリーズでこの問題をずっとやっていこうと思っている。それは、今の学校教育の内容すべてがわからなかったら、今人権問題を取り上げていじめ問題を正そうということはできませんと私は考えます。ぜひひとつその気になってやっていただきたいと思うのですが、大臣もどうかお願いします。
 経済というものは頭を使って働けば何とかなるのですが、教育というものは、一遍間違った教育を何にもわからない子供のころ教わってしまいますと一生直りません。本人は悪いと思っていないのですからね。ですから、これは大問題だと思う。特に、大臣、昭和四十五、六年以後に生まれた子供の教育、これは教科書は全部だめだ。来年から使う小学校の社会科教科書、これはことしよりももっと悪い。どんな点が悪いかという内容はまた今度話します。それはひどいものだ。ひとつ皆様方のお孫さんとかお子さんに注意してくださいよ。大変なことになります。こんな教科書を使い、こんなおかしな先生に教育を受けておったらますます悪くなる。どうぞお願いします。
#213
○片岡委員長 林吾郎君。
#214
○林(百)委員 最初に、私は、豊田商事の件をもう一度お聞きしたいのです。
    〔委員長退席、太田委員長代理着席〕
 数十人の報道関係者が重大な関心を持って永野会長のマンションを取り巻いているときに、大事な刑事的な証人になり得る人でもあるし、あるいは刑事的な当事者になる可能性のある人でもあるし、民事的な賠償の責任者でもあるし、何か事があってはいけないということで警察が常時あそこを見張るということは常識じゃないでしょうか。テレビであの状態の放映を見た庶民は、何とえらいことが公然と行われるのだろう。女の人はなるべく見ないように、子供は見ないように、NHKでしたか、何か三歳以下の子供さんには見せないでくださいとまで言っている。真っ昼間公然と窓を破って入り込んで、銃剣で八カ所ですか、傷を負わせて人が死んでいるときに警察はそこに全然いない。報道関係者は数十人いた。これに警察は責任を感じないのですか。
#215
○武居説明員 お答えいたします。
 この委員会で既に何回か答弁させていただいておりますが、警察が特定の個人に対しまして警戒、警護といった措置を講ずる場合には、当人が犯罪の被疑者、容疑者であるか否かにかかわらず、当人についての不穏な情勢、情報といったものを判断いたしまして、本人の生命、身体の安全を図る必要があると認められたときに、事案の内容に応じまして固定張りつけ警戒ですとか、または重点警戒、不審者の発見といった危害防止のための必要な警戒措置をとることとしております。こういった場合にはケース・バイ・ケースでやるわけでございまして、特に基準を定めておるわけではございません。
    〔太田委員長代理退席、委員長着席〕
 今回の事案に関しましては不穏な情報その他、警察といたしましては把握をしておりません。そういうようなことから、報道陣の方が数十名あそこにおられたということで付近住民の人とのトラブルですとか、そういったものを防止するという観点から三時間に一回ずつ警戒をしていたということでございまして、情勢その他から見まして固定の張りつけというようなことを考えていたわけではございません。
#216
○林(百)委員 そこがおかしいので、例えばことしの四月、豊田グループの中枢の会社である銀河計画という会社が東京の池袋のサンシャインビルに移転しようとしたときに、右翼グループがこれを阻止しようとして、これに抗議する別の暴力団がその右翼グループの事務所に押しかけるなど、豊田グループに絡んで右翼や暴力団が動いたという前例があるのです。これを警察が知らないはずはないのですよ。そういうトラブルの起きやすい豊田グループの関係で、しかも今重要な刑事の取り調べの中枢になっている永野会長が襲撃される可能性というのは捜査当局も十分情報をつかんでいなければいけないはずなのですよ。それをあのようなことをさせておく。あんなことは文明社会で考えられますか。真っ昼間銃剣で人が八カ所も刺されて殺されるのを、しかもテレビではちゃんと撮っているのに警察は知らないで後から通知が来て飛んで行ったというのは、これはどう考えたっておかしいですよ。マスコミの人がそれだけ集まっていることは何か事態が起きるということでそこにいるのですから、警察もそれに対して関心を持つのが常識じゃないですかね。それをさっきのような言いわけばかりしたって、世間は承知しませんよ。それはあの情景を日本じゅうの人が見ているのだから、警察は何をしているのだ、あんなことが白昼公然と行われて、警察は全然あそこにいないのかということになりますよ。だから十分その点について反省をしなければならないと思うわけです。
 それから背後関係なんですが、飯田は、ある人から殺害を頼まれたが、それは絶対に言えないというようなことを言っている。これは新聞に出ておりますね。それから飯田は同時に、「まことむすび誠心会」の代表委員だと自分で言っている。「まことむすび誠心会」というのは右翼的な感じのする会ですけれども、だれかに頼まれてやったけれども絶対に言えないということは供述しているのですか。これは新聞に出ているのですが、警察、どうですか。
#217
○武居説明員 お答えいたします。
 前段の方についてお答えさせていただきたいと思いますが、何か起こるということでマスコミの方がおられたということでございますけれども、我々マスコミの方に確かめたわけではございませんが、推測するところでは、永野会長にインタビューを申し込みたいとかいうような観点であそこに出てくるのを待っていたということでございまして、特に永野会長が襲撃されるという前提であそこにマスコミの方々がおられたというわけでは決してないということだけを申し上げておきたいと思います。
#218
○藤原説明員 昨日の事件の背後関係でございますが、現在の取り調べの段階では背後関係のある、なしという点についてはいまだ判明いたしておりません。
#219
○林(百)委員 マスコミの人が数十名いたということは、マスコミの人と永野会長の関係者との間にもトラブルが起こる可能性は考えられるでしょう。面会を求めている、面会に応じない、どうして面会に応じてくれないのだというようなことで、あそこにはガードマンもいたらしいし、いろいろいたのですから。そうしてあれだけの人が白昼一人の家の前に集まっていれば、万一のことを考えて警察官が派遣されるのは常識じゃないですか。永野会長がマスコミの人に取り囲まれているからまさか殺されるとは思わなかった、そんなばかなことを私は聞いているわけじゃないですよ。一人の人のところへ白昼数十名の報道関係者が集まっている、もし何か起きてはいけない、万一に備えて警察官を派遣しておくというのは警察の任務じゃないですか。それをさっきから言いわけばかりしている。そんなことは世間には通りませんよ。白昼銃剣で人が殺されている。窓を割って入って、そうして血だらけになって殺されてから警察官が来たとか、しかもそれはテレビですっかり全国に放映されている。それで国会で聞いてみたら、警察は別にそんな責任はありませんから、三時間に一回ぐらい回っていた程度です、そんなことで世間が承知すると思いますか。その点が一つ。
 それと、新聞で、ある人に頼まれたから絶対に言えないとか、あるいは「まことむすび誠心会」の代表委員だと言ったこと、この新聞に書いてあることは新聞が想像で書いたということなんですか。その二つを答えてください。
#220
○菅沼説明員 お答えいたします。
 「まことむすび誠心会」云々ということで、また先ほど右翼関係云々というお話がございましたけれども、この被疑者二人につきましては「まことむすび誠心会」というものの名前を名乗っていたということは承知いたしておりますけれども、いわゆる右翼関係者ではございません。
#221
○林(百)委員 大臣にお聞きしますが、豊田商事の被害者の被害の賠償のために弁護士団から、商法の五十八条の解散命令の申し立てをするようにという申し立て書が大臣のところに出されているのですが、大臣、これをどう扱っていますか。
#222
○枇杷田政府委員 昨日、弁護士の方数名が見えまして、民事局の第四課の方に申し立て書という表題の書面を御持参になりました。その中身は、豊田商事株式会社は五十八条の規定により解散命令を受けるべき事実関係がある、したがってそれについての請求を法務大臣にしてほしいという意味の御書面でございます。私どもは、それを受け取りまして、その書面だけではいわば一つの主張が書いてあるわけでございますので、それを裏づける資料がありますかというふうに伺って、弁護士さん側の方でもその資料を整えてまた法務省の方に来るということになっておる次第でございます。そういう意味では、そういう申し立て書が法務省に提出されたということは事実でございます。
#223
○林(百)委員 そうすると、大臣はまだそれを知らないわけですか。ちょっと答弁してください。
#224
○嶋崎国務大臣 提出されたという報告は聞いておりますし、その内容については、今民事局長が答弁をしましたように、申し立て書というような形になっておりまして、それらの議論が整理をされた過程のいろいろな資料とか、そういうものは一切ついてないものが出てきましたということだけは承知をしておるという段階でございます。
#225
○林(百)委員 警察側にお聞きしますが、会長はあのような状態になったのですが、社長がいるわけですね、石川洋君ですか。この石川君についてまた永野君と同じようなことになってしまったのでは、捜査の点でも、それから被害者に対する弁償の点においても全く不可能な状態に陥る可能性があるのですけれども、これについては永野君の前例もあることで、警察としては関心を持っておられますか、どうですか。
#226
○武居説明員 お答えいたします。
 そういった意味では関心を持っておるということでございます。
#227
○林(百)委員 そうすると、再びあのようなことの起きない保障を警察としては考えていると聞いておいていいですか。
#228
○武居説明員 お答えいたします。
 今後とも情勢その他を勘案しながら所要の措置をとってまいりたいというように考えております。
#229
○林(百)委員 非常に抽象的ですけれども、一応この問題はさておいて、通産省も呼んでありますので通産省にお聞きしますが、通産省が握っておる豊田商事の被害額というのは幾らと見ていますか。被害額というのは実際は金(きん)を売ったと称する金(かね)なんですけれども、これは幾らと聞いておりますか。それから、このような事態に対して、通産省もあらかじめ事態を知っておって庶民に対して行政的な指導もしていたと思いますが、それが今後はどうなるのか。通産省サイドでの問題の把握の仕方をちょっとお聞きしたいと思います。
#230
○林説明員 御説明いたします。
 豊田商事など金の現物まがい商法について通産省に寄せられた相談、苦情の状況でございます。これは通産省消費者相談室、地方の通産局を合計したものでございますが、五十九年度中に寄せられました消費者相談九千四百九十五件のうち金にかかわるものが千四百三十六件でございます。このうち国内の金取引にかかわるものは千三百七十八件ありまして、この相当数がいわゆる金の現物まがい取引に関するものだと考えられます。また、同じ五十九年度の国内の金取引にかかわる相談のうち金額が把握可能のものについて集計いたしますと、相談金額の合計は三十九億七千五百万円となっております。それから六十年度に入りまして、これは本省だけでございますが、本省消費者相談室に寄せられました国内の金取引にかかわる相談件数は四月が十九件、五千八百万円、五月が三十六件、一億六千百万円となっております。
 それから、通産省のこれまでの対応でございますが、消費者相談室に寄せられましたものに対する対応でございますと、今申し上げました金の現物まがい商法にかかわる相談に関しましては次のような対応を行っております。基本的には当事者間の交渉または弁護士への相談を勧め、交渉のノーハウの助言、各地の弁護士会、法律相談センターの紹介などを行います。それから消費者の希望に応じまして業者に連絡をとり、解約や返金のあっせんを行う場合もあります。また、脅迫的行為など違法の疑いがある場合には警察への通報をあわせて進めておるわけでございます。
 また、一般的に対応しております通産省の対策といたしましては、このような商法に対しましては、当省では第一に、消費者が現金と引きかえに安心して金地金を購入する、いわゆるペーパー証券ではなくて金の地金を購入することが大事だという観点から、金の地金の流通機構の中核的機関といたしまして社団法人日本金地金流通協会の設立を許可いたしまして、同協会内に約三百店の登録店制度を設けまして、このような信用のある商店網から現物を実際に買うというような指導を進めておるわけでございます。第二には、御指摘のような悪質な取引があることを十分消費者に認識してもらうためポスター、テレビ、新聞等によりましてPRをこれまで進めてまいったわけでございます。
 また、本件のような、関連する省庁も多く、さらにはいわゆるペーパー証券、豊田商事の関連会社でも同じようにゴルフ会員権等にまで及んでおりますので、かかる商法に対しまして、消費者保護の観点から幅広い観点に立った対応が必要だと考えており、関係省庁とも連絡をとりつつ対処してまいっております。
#231
○林(百)委員 通産省にもう一つお尋ねします。
 九千件ぐらいの相談があって、そのうち千数百件が金の取引に関係したというと、他の方はどういう案件について相談が来たのかちょっと言ってください。それが一つ。
 それから三十数億の金が被害額としてあるそうですが、それは被害者から集めた金ですけれども、その金の流れ、動きというのはどういうように動いているか把握していますか、どうですか。
#232
○林説明員 私は実は通産省では金の地金の生産、流通を所掌しているものでございまして、消費者相談室に入りました案件のうち、金にかかわるものだけを承知しているわけでございます。ただ、聞く限りに関しましては、件数等はわかりませんが、物の故障とか規格外れとか、そのようなものだと承知しております。それが第一点でございます。
 第二点、まず、豊田商事が金を売ってその引きかえにペーパーを渡すという商法のために、現金といいますか、お金を持っているはずでございますが、私ども現実に、金の地金について保有状況を会社にたびたび問い合わせたわけでございますが、金の地金の保有状況も、同社は企業上の秘密という立場をとりまして、これを明らかにしておりません。また、実際、キャッシュフローといいますか、お金のフローについては、それと同様、明らかにしていないわけでございます。
#233
○林(百)委員 時間が参りましたのでもうやめなければいけないのですが、せっかく呼んであります人権擁護局についての、いじめの問題については、各議員がそれぞれの立場から質問をしましたし、私も非常にいいアイデアだと思いまして、これが健全な教育を発展させ、いじめというような陰湿なものが教育の社会からなくなることの方向へ、積極的な、人権擁護局らしい責務をぜひ果たしてもらいたい、こう思っておりますが、時間がありませんので質問はもうカットいたしまして、地元の問題があるのでもう一つだけお許し願いたいと思います。
 実は、警察と自治省にお尋ねしますが、昨年九月二十三日の日本テレビの大日本民族連合会という右翼団体の約一時間に及ぶ放映を、豊田問題があったものですから改めて私は見たのですが、ここの会長というのは公然と、殺人を目的としている、そして憲法を改悪して天皇主権のクーデターを起こすのだと、銃でもって人を殺す訓練までさせておるわけなのですけれども、そこで、その放映の際のテレビの放映責任者の方が、一体資金はどこから出ておるのですかと聞いたところが、まあ建設業者から年に約一億ぐらいのものずつはもらっている、こういう答えがあって、建設業者と右翼とのつながりというものがあるということがこの日本テレビ放映ではっきりと、大日本民族連合会の会長が口で言っているから間違いないので、この点を警察としてはどういうように把握しているかということが一つ。
 それから、右翼団体の一つである玄洋社という、これも右翼団体なのですが、これが私の地元の岡谷市で、約四十数億の新しい庁舎建設で六社のジョイントの指名をして入札をしようとしたら、この右翼の玄洋社なるものから、地元の業者と、それからジョイントを組んでいる東京の大手業者と市長が一枚加わって、指名入札について談合している、だからおまえたちは、六つの業者があったのですが、この一つの業者を、名前も挙げてありますけれども、私はこういうところで言いたくありませんから申しませんけれども、市長と談合しているというこの業者を外せ、外して指名をし直せ、こういう公開質問状を右翼が突きつけてきているわけですね。市側は驚いて、何の理由もないのにこんなことを、玄洋社なるものから内容証明で言われる理由はないのだ、何か建設業者の外されたものか、あるいは建設業者の利害に絡んでこういうものが来たのか、とにかくこういう公開質問状が来た以上、実情を調べなければ入札させるわけにはいかないということで、今月の八日に入札をするための全員協議会を開いたのですが、今庁舎の入札が延期されてしまっているわけですけれども、一体、この玄洋社なるものはどういう性格の右翼なのか警察にお尋ねしたいし、それから建設業者から右翼への資金が投ぜられているということについて、警察はどの程度の把握をしているかということ。
 それから、自治省には、右翼が地方自治の、殊に建設行政についてこのような脅迫じみた介入をされてきたのでは、自治体の建設行政が円満に行われないので、一体どういうことなのか、この実情を調べて、もし自治体の側に、例えばジョイントを細めという、大手のジョイントの指名までおまえのところはこの大手と細めというようなことも市長は言ったらしいけれども、それは円満に事態を遂行するためにそうしたのだと市側は言っておりますけれども、いずれにしても自治体側でそういう乗ぜられるようなことがあっては、これは将来注意しなければなりませんので、自治省としては、こういう地方自治体に対する右翼の介入を排除すると同時に、そういう右翼に乗ぜられないような自治体の建設行政を行うようにということをぜひひとつ配慮してもらいたい。あるいはアドバイスもしてもらいたい。調査の上でアドバイスすることがあったらアドバイスしてもらいたい。このことを、私の地元なものですから、委員長、ちょっと時間が超過して恐縮でございますけれども、この点を質問して、私の質問を終わりたいと思います。
#234
○菅沼説明員 お答えいたします。
 まず最初に、テレビ放映の件でございすけれども、私どもも、御指摘のございましたテレビにつきましては承知いたしております。右翼の活動及びその資金等につきましては、私ども、十分関心を持って見ておりますので、活動形態はもちろん、資金等につきましても違法行為等があれば厳正、的確に対処するという方針で臨んでおります。
 第二点の玄洋社なるものについてでございますけれども、玄洋社関西本部についての御質問だと思いますが、この団体は、昭和五十四年五月ごろに結成された団体でございまして、事務所は大阪東区にございます。構成員は約十五人ぐらいというように見ている団体でございまして、そのときどきの時局問題等をとらえまして、いわゆる右翼的な主張を掲げて街頭宣伝活動などをやっている団体でございます。活動はもちろん、資金等につきましても十分関心を持って見ております。違法行為等があれば所要の措置をとりたいと思っております。
 それから第三番目に、岡谷市の市の庁舎の建設問題につきまして公開質問状が出ておるという点につきましても承知いたしております。ただ、公開質問状が出たというだけでは、違法をもって問題するわけにもまいりません。一連の経緯につきまして違法行為、法に触れる点が出てまいりましたならば厳正的確に対処してまいりたいと考えております。
 以上でございます。
#235
○柳説明員 言うまでもなく、契約というものは適正に行われなければならないわけでございまして、本来こういう問題は、地方団体が自律的に行うべきことだと思いますけれども、私どももただいまの事情について十分存じませんものですから、県を通じまして事情を聞き、必要があれば適切に対処いたしたいと考えております。
#236
○林(百)委員 それでは警察と自治省へ……
#237
○片岡委員長 ひとつ質疑時間が終了いたしましたので、結論をお急ぎください。
#238
○林(百)委員 これは希望だけ述べて、せっかく市民も望んでおることですし、市当局も意欲に燃えている新庁舎の建設に関することでございますので、警察も自治省も関心を持っていただいて、是正すべき点があったら是正させるし、また右翼の方で、大阪の玄洋社が長野県の岡谷市へそんな内容証明を出すということ自体がおかしいので、どこかとつながりがなければそんなことできるはずがない。長野県の右翼が長野県の市へやることならわかりますが、大阪の玄洋社が何で長野県の岡谷の私の地元、事もあろうに林吾郎の地元の市へそんな脅迫状じみたものをよこすのかわかりませんので、その点も警察も十分ひとつ関心を持っていただきたい、こういう希望を述べて終わります。どうもありがとうございました。
#239
○片岡委員長 次回は、来る二十一日金曜日午前十時理事会、午前十時三十分委員会を開会することとし、本日は、これにて散会いたします。
    午後五時十二分散会
ソース: 国立国会図書館
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