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1984/03/15 第102回国会 衆議院 衆議院会議録情報 第102回国会 本会議 第14号
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1984/03/15 第102回国会 衆議院

衆議院会議録情報 第102回国会 本会議 第14号

#1
第102回国会 本会議 第14号
昭和六十年三月十五日(金曜日)
    ―――――――――――――
 議事日程 第十二号
  昭和六十年三月十五日
    正午開議
 第一 国家公務員等退職手当法の一部を改正す
    る法律案(内閣提出)
    ―――――――――――――
○本日の会議に付した案件
 多賀谷眞稔君の故議員田中六助君に対する追悼
 演説
 議員請暇の件
 日程第一 国家公務員等退職手当法の一部を改
  正する法律案(内閣提出)
    午後零時三分開議
#2
○議長(坂田道太君) これより会議を開きます。
     ――――◇―――――
#3
○議長(坂田道太君) 御報告いたすことがあります。
 議員田中六助君は、去る一月三十一日逝去せられました。まことに哀悼痛惜の至りにたえません。
 同君に対する弔詞は、議長において去る二日贈呈いたしました。これを朗読いたします。
    〔総員起立〕
 衆議院は 多年憲政のために尽力し さきに大蔵委員長の要職につき また再度国務大臣の重任にあたられた議員正三位勲一等田中六助君の長逝を哀悼し つつしんで弔詞をささげます
    ―――――――――――――
 故議員田中六助君に対する追悼演説
#4
○議長(坂田道太君) この際、弔意を表するため、多賀谷眞稔君から発言を求められております。これを許します。多賀谷眞稔君。
    〔多賀谷眞稔君登壇〕
#5
○多賀谷眞稔君 ただいま議長から御報告のありましたとおり、本院議員田中六助君は、去る一月三十一日、東京女子医大病院において心筋梗塞のため逝去されました。
 自由民主党幹事長であられた田中さんは、昨年九月十九日自民党本部の放火事件が起こった際、病床より直ちに現場に駆けつけ陣頭指揮をとられたのでありますが、結局この無理がたたり、一層体調を崩され、御家族の懸命な御看護もむなしく、ついに不帰の客となられたのであります。政治家の常とはいえ、一身を顧みずすべてを政治にささげ尽くされたあなたを思うとき、同じ政治の道を歩む者として、痛恨哀惜の念ひとしお深いものを覚えるものであります。
 ここに、ありし日の田中さんの面影をしのび、私は、諸君の御同意を得て、議員一同を代表し、謹んで哀悼の言葉を申し上げます。(拍手)
 田中さんは、大正十二年一月、炭鉱の町、福岡県田川郡赤池町の旧家の三男としてお生まれになりました。炭鉱節に歌われる香春岳と彦山川の自然に親しみつつ、御両親の厳しくも温かい愛情に包まれて少年時代を過ごされたのであります。
 長じて田川中学に進み、「水平線上に突起をつくれ」との校訓を体して切磋琢磨されたあなたは、昭和十八年、海軍予備学生として海軍航空隊に入隊され、以来、特攻隊長として実戦に参加され、数多くの戦友、教え子、部下を失うという、生と死を見詰めた厳しい日々を送られたのであります。
 再び起こしてはならないこの戦争の悪夢こそが、あなたをして政治家への道を歩ませ、その遺作「保守本流の直言」の中で、憲法を守らなければいけない、この憲法こそ、世界に冠たる日本の宝、誇りと確信しておりますと語られているのであります。
 終戦後の昭和二十一年、早稲田大学政経学部新聞学科に入学され、卒業と同時に日本経済新聞社に入社し、社会部記者を振り出しに、政治部記者として夜討ち朝駆けに励み、第三次吉田内閣の抜き打ち解散の大スクープをするなど、「日経の六助という若いすばしっこい記者」として、早くも頭角をあらわしてこられたのであります。
 そして、池田首相との出会いがありました。後に、あなたがロンドン特派員として日本を離れる日、池田さんは、「ロンドンヘは私の家から出発しなさい」と、池田邸において赤飯を炊いて前途を祝し、わざわざ羽田まで送ってくださったそうでありますが、あなたは、往時をしのび、これが私の原点ですと、感慨を込めて語っておられるのであります。
 その後、池田自民党総裁の秘書となり、昭和三十八年十月、衆議院が解散されるや、当時全国有数の激戦区と言われた福岡四区より自民党公認として立候補し、郷党の厚き信望と支持により見事初当選を飾り、あなたの夢であった政界への転進を実現されたのであります。
 本院に議席を得られたあなたは、故池田首相、大平首相を政治の師と仰ぎ、記者時代に培った豊富な経験と知識を生かして、すぐれた政策通として国政の審議に当たられました。
 田中六助さん、あなたの多彩な政治経歴のうち、ひときわさん然と輝いているのは、昭和五十三年大平内閣の官房長官を初めとして、自民党筆頭副幹事長、通商産業大臣、政務調査会長、幹事長と、実に六年間にわたり内閣と自由民主党の枢機に参画し、幾多の重要な政治決定に深くかかわってこられたということであります。
 まず、大平内閣が成立するや官房長官となり、総理のよき女房役として先進七カ国首脳会議の東京開催を成功に導き、大平首相がモットーとする信頼と合意の精神を国際的に広げられました。
 また、鈴木内閣においては通商産業大臣に就任、その専門のエネルギー問題に全精力を傾け、第二次石油ショック後の揺れ動く世界のエネルギーの最前線であるアラブ首長国連邦やサウジアラビアを駆けめぐり、石油エネルギーの安定的供給の確保に努力されました。大臣就任中、実に関係諸国を訪問すること八回、二十数カ国をめぐり、日本の対外通商問題の発展に多大の成果を上げられたのであります。(拍手)
 一方、党にあっては幹事長、政務調査会長の重責を担われ、特に大平、鈴木、中曽根と三代にわたる政権樹立期にあっては、すぐれた洞察力と抜群の行動力をもって党内の意見調整に遺憾なく力を発揮されたことは、衆目の認めるところであります。(拍手)その異才ぶりは、まさに「幕が上がらないうちに芝居が終わっていた」と感嘆させるほどのものでありました。
 ここで私は、政務調査会長当時の二回にわたる代表質問を語らずにはおられません。一回目は、用意した分厚い原稿の大きな文字が病のため見えず、立ち往生なさいましたが、次回の代表質問では原稿なしで登壇し、まさに気迫のこもった演説をやり遂げられたのであります。(拍手)殊にマックス・ウェーバーの言葉を引用して、「政治家の大きな課題は、物欲をなくすること。これが職業としての政治家の大きな務めである」と政治倫理を説かれたのであります。私は、あなたの不屈の根性と政治家としての責任感に、敬服の念と深い感動を覚えたのであります。
 田中六助さん、あなたがこよなく愛した郷土田川は、あなたが政治家になられたときは、既に少年時代の繁栄は一変し、相次ぐ炭鉱の閉山により失業と荒廃の町と化しつつありました。この筑豊をいかに再生するか、郷土の皆様は、あなたの政治家としての成長を楽しみにしながら、郷土復興に多大な期待を寄せていたのであります。
 あなたは、郷土のために実によく尽くされました。予算の獲得、石炭六法と言われる諸法律の延長など。あなたは、昨年八月、あなたの幹事長就任祝賀会でもあった田川六宏会の講演において、「満場の皆さん、新生田川をどうしたらつくれるか。二十一世紀に向けて子孫に誇りの持てる豊かな郷土をどうしたらつくれるか。この私は皆さんと一緒に考えます」と語られましたが、これが郷土の皆様に対する最後の言葉になりました。
 私は、あなたが郷土の人々に送る一通の電報、一つのメッセージの中に、常にあなたのぬくもりを感じていました。あなたは文章を大切にされました。短い文章が珠玉のように光彩を放ち、人々に深い感銘を与えていたのであります。あなたの郷土に尽くされた幾多の業績と御遺志は、郷土の人々の心に末永く刻まれることでありましょう。
 全く分刻みという多忙な党務、政務の中に、あなたは宗教書に親しみ、クラシック音楽を愛し、絵筆も握る心優しい趣味豊かな方でありました。
 あなたの最後の著書「保守本流の直言」のあとがきは、「家内が今、傍らで筆記してくれているのである。この出版にあたっては、日夜の看病に加えて、口述筆記の負担までかけることになってしまったが、こうして家内と水いらずというのも、多忙な政治生活の一断章として、将来の跳躍台になるものと確信している」で終わっております。
 このあとがきは、あなたの長く、厳しい政治生活を内に常に支えてこられた奥様への愛情と感謝をあらわしたものであり、奥様の胸中をお察し申し上げ、まことに哀惜の念を禁じ得ないのであります。(拍手)
 御年六十二歳、本院議員として当選すること八回、在職二十一年五カ月の間、保守本流の指導者を目指して驀進に次ぐ驀進をされたあなたの姿はすさまじいものがあり、今後ますますニューリーダーとして御活躍が期待されていたのに、ついに病にかてず、忽然として生涯を閉じられました。ひとり自由民主党のみならず、国家のため、国民のため、郷土のため、まことに大きな損失と言わなければなりません。(拍手)
 しかも、中曽根首相、田中元首相、歴代首相、野党議員あての遺言状を残されたことは、我が国政治史上希有のことであり、死を見詰めながら生涯を政治に燃焼し尽くした田中六助さんの面目躍如たるものを感ずるのであります。(拍手)
 六さん、どうぞ安らかにお眠りください。
 ここに、謹んで田中六助さんの生前の御功績をたたえ、そのお人柄をしのび、心から御冥福をお祈りいたしまして、追悼の言葉といたします。(拍手)
     ――――◇―――――
 議員請暇の件
#6
○議長(坂田道太君) 議員請暇の件につきお諮りいたします。
 柿澤弘治君、小杉隆君及び野呂昭彦君から、三月十八日より二十七日まで十日間、伊藤英成君、江田五月君、日野市朗君及び二見伸明君から、三月十八日より二十八日まで十一日間、右いずれも海外旅行のため、請暇の申し出があります。これを許可するに御異議ありませんか。
    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
#7
○議長(坂田道太君) 御異議なしと認めます。よって、いずれも許可するに決しました。
     ――――◇―――――
 日程第一 国家公務員等退職手当法の一部を
  改正する法律案(内閣提出)
#8
○議長(坂田道太君) 日程第一、国家公務員等退職手当法の一部を改正する法律案を議題といたします。
 委員長の報告を求めます。内閣委員長中島源太郎君。
    ―――――――――――――
 国家公務員等退職手当法の一部を改正する法律
  案及び同報告書
    〔本号末尾に掲載〕
    ―――――――――――――
    〔中島源太郎君登壇〕
#9
○中島源太郎君 ただいま議題となりました国家公務員等退職手当法の一部を改正する法律案につきまして、内閣委員会における審査の経過並びに結果を御報告申し上げます。
 本案は、本年三月三十一日からの定年制度の施行並びに民間企業における退職金支給の実情等にかんがみ、国家公務員等の退職手当制度について、定年退職に関連する規定の整備を行うとともに、退職手当支給率の改定並びに定年前早期退職特例措置の新設等を行おうとするものであります。
 本案は、二月十三日本委員会に付託され、二月二十六日後藤田総務庁長官から提案理由の説明を聴取した後、質疑に入り、定年制度の施行に伴う退職手当の取り扱い、定年前早期退職特例新設のねらい、退職金の官民比較、退職手当の支給率、地方公務員の退職手当等、広範多岐にわたる質疑応答が行われましたが、その詳細は会議録によって御承知願いたいと存じます。
 かくて、三月十二日質疑を終了し、討論を行い、採決いたしましたところ、多数をもって原案のとおり可決すべきものと決しました。
 なお、本案に対し附帯決議を付することに決しました。
 以上、御報告申し上げます。(拍手)
    ―――――――――――――
#10
○議長(坂田道太君) 採決いたします。
 本案の委員長の報告は可決であります。本案を委員長報告のとおり決するに賛成の諸君の起立を求めます。
    〔賛成者起立〕
#11
○議長(坂田道太君) 起立多数。よって、本案は委員長報告のとおり可決いたしました。
     ――――◇―――――
#12
○議長(坂田道太君) 本日は、これにて散会いたします。
    午後零時二十二分散会
     ――――◇―――――
ソース: 国立国会図書館
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