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1947/09/26 第1回国会 参議院 参議院会議録情報 第001回国会 文化委員会出版関係小委員会 第1号
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1947/09/26 第1回国会 参議院

参議院会議録情報 第001回国会 文化委員会出版関係小委員会 第1号

#1
第001回国会 文化委員会出版関係小委員会 第1号
  付託事件
○著作権及び出版協会の業務に関する
 件
  ―――――――――――――
昭和二十二年九月二十三日(火曜日)
文化委員会委員長において左の通り小
委員を選定した。
           金子益太郎君
           久松 定武君
           赤松 常子君
           松野 喜内君
           大隈 信幸君
           岩本 月洲君
           三島 通陽君
  ―――――――――――――
昭和二十二年九月二十六日(金曜日)
   午後一時二十三分開会
  ―――――――――――――
  本日の会議に付した事件
○小委員長の互選
○著作権及び出版協会の業務に関する
 件
  ―――――――――――――
#2
○仮委員長(金子益太郎君) では只今から出版関係小委員会を開きます。始めに小委員長を選任したいと思いますが、その方法はいかがにいたしましようか。
#3
○三島通陽君 選挙の手続きを省きまして、委員長に久松君、副委員長に赤松君を御推薦いたしたいと思います。
#4
○仮委員長(金子益太郎君) 御異議ありませんか。
   〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
#5
○仮委員長(金子益太郎君) それではさように決定いたします。
   〔仮委員長金子益太郎君退席、委員長久松定武君着席〕
#6
○委員長(久松定武君) それでは甚だ僣越でございますが、皆樣の御指名によりまして私小委員長を勤めることに相成りましたが、不慣れのことでございますから、どうぞ何分よろしくお願いいたします。それでは今日は新聞に関する実情を一つお伺いいたしたいと思いまして、先般日本新聞協会事務局長津田正夫さんにお願いいたしましたところ、本日こちらにお越しを頂きましたので、先ずその実情を一つお伺いいたしたいと存じますが、津田さんを御紹介申上げます。
#7
○説明員(津田正夫君) 日本の新聞の実情について御説明を申上げますが、只今委員長からお示し頂きました項目に從つて大体御説明申上げたいと思つております。
 現在日本の新聞紙は数といたしましては相当多数に上つておりまするが、内閣の用紙割当を、委員会の議を経まして用紙の割当を受けておりまするものの中で百二十三社が昨年の七月に新聞倫理綱領というものを樹立いたしまして、その倫理綱領を守つて、新らしく新聞界の発展を期そうというので、日本新聞協会というものを作りました。この新聞倫理綱領と申しますのは、私今日どういうことで伺うのか分りませんから、材料を持つて参りませんでしたが、一言に申上げますと、新聞の記事についての正確と品位を保つということが、大体の項目になつております。そうしてこの日本新聞協会におきましては、会員がこの倫理綱領に反した場合に、お互に自粛して、お互の向上を図つて行こう、こういうふうな方針でやつております。從いまして新聞協会の中には記事審査室というものを設けまして、これには各社のベテランを包容いたしまして、日本の新聞殊に新聞協会に属しておりまする百二十三社の新聞の記事につきまして、毎日調査をいたしております。その結果若し記事に正確を欠くことをがある、或いは著しく品位を傷つけるものがある、或いは他人の名誉毀損というようなことがあるというような場合には、その社に注意を喚起いたしまして、その社からの申出によりまして、又各社の編輯局長を集めて、編輯委員会というものを拵える。そこで協議の結果、どうしてもその当該社の記事が面白くない。倫理綱領に反するという場合には、いろいろお互同士の制裁と申しては非常に言葉が強うございますが、警告を與えたり、いろいろの手段を取るようにしております。
 今日までの新聞の記事につきまして我々が一番望んでおりまするところは報道の正確ということでありますが、いろいろ社会事情のためでございましよう、非常に歪められた記事、殊に思想的に歪められた記事が多いので、今までその審査室で取扱いました記事でも、單に名誉毀損というようなこと以上に、数といたしましては思想的に歪められた報道、例えば最近の例を申上げますると、日本の或る所で或る労働講習会をした、ところが或る新聞によりますると、その講習会が非常に主催者の不手際のために、又宿舎の設備が十分でなかつたがために、参集者は非常に不満足を感じて、そうしてお終いまで講習者が残つていないで散会したという記事があつたのであります。これは普通に読みまするとその通りでありまするが、これはこれを取材いたしました記者が非常に偏見に囚われ、或いは記事を取材いたしまするに、自分の観察以外に或る方面の意見を参酌したものでありまして、事実を調査いたしますると、これは外の取材者と違つたイデオロギーを持つた人たちの非難攻撃をそのままに報道したということが分つたのであります。こういうような報道が今まで審査室で取扱ましたものに非常に数が多い。こういうことが我々といたしましては新聞の倫理綱領に反するので、こういうものをぜひ是正したいということが我々新聞としての使命と感じ、それを実行しております。
 更に同じような問題で、取材に他人の名誉を毀損する場合が、しばしばございます。これは幸いにも我々新聞協会を組織しておりまするメンバーの中にはございません。新聞用紙割当を受けていない新聞、我々の方で調べましたところでは、日本全國の中三十六縣調査しまして、八百三十七という用紙割当を受けていない新聞がございまするが、そういうものの中に、非常に他人の名誉を毀損する記事が掲げられております。この問題につきましては新聞協会といたしましては、メンバー以外の者でありますから、これについてどうすることもできませんけれども、まあお互に新聞をやつている人間としてその新聞を向上させたい、日本の新聞を向上させたいという氣持から、目下調査を極力進めております。
 現在すでに八百三十七のものにつきましては大体調査を完了して、全部これを日本の檢察廳の方に廻す手続を取つております。
 それから廣告の問題をお話申上げるようにここに書いてございますが、廣告につきましても、只今の新聞倫理綱領というものがそのまま実践されなければならない。現在新聞を見ますると相当いかがわしい廣告がございます。これにつきましては私の方に各社の廣告部長から組織されておりますところの、廣告委員会というものがございまして、その委員会でしよつちゆうこの問題を檢討しております。ただ目下のところは用紙が非常に不足のために廣告面というものが、大体全紙面の二割三分というものが全國平均になつております。この小さな部面でありますから廣告についてもそんないろいろな大きな問題が出て参りませんが、將來用紙が十分になり、廣告が自由に掲載されるようになりますと、相当いろいろな問題も出て來はしないかと思われ、このことは非常に心配でありますから、この廣告面の倫理化ということにつきましては我々は非常に苦心している次第であります。
 それから現在新聞用紙の割当はどういうふうになつているかということを申上げますると、新聞用紙の割当に関しましては、現在内閣に新聞出版用紙割当事務局というものがございまして、この事務局が事務を担当し、実際の割当に当つておりますのは、用紙割東委員会というものがやつております。その委員は新聞に関する限り御説明を申上げますると、新聞界から三名、商工界から一名、教育界から一名、労働及び農業界から一名、宗教界から一名、それだけが委員を構成しておりまして、そこで毎月の新聞紙の割当をいたしております。ただこの割当をする場合に、内閣の事務局だけで原案を作るといろいろ問題が起りますので、この用紙は割当規則によつて、新聞の場合には、新聞協会において用紙割当の原案を作成して委員会に提出する。委員会は新聞協会の作成した用紙割当の案と、内閣の用紙割当事務局で作成した原案との二つを同時に審議して割当を決定するということになつております。そうして毎月割当を実行しておりますが、問題は割当を実行するときの調査、それからその後の消費状態、消費の規正ということが問題であります。現在割当をする場合の調査ということは私の方でもいたしますし、又内閣事務局の方でもいたしますが、消費規正ということになりますと、商工省にも権限がない。内閣の用紙割当事務局にも権限がない。又民間の我々の團体にも何ら権限がないので、今日までいろいろの問題が起つたのであります。それで私の方ではこの責任の所在をどうにかはつきりしたいというので、生産当局であるところの商工省と協議いたしまして、どうやら最近に商工省で方で割当した用紙についてのその消費規正は、商工省が担当するようになつたと記憶しております。この消費規正ということを余程しつかりやりませんと、新聞用紙の割当を受けまして、その後に換骨奪胎のような新聞が発行されることがしばしばありますので、これはぜひ皆樣方でこの問題について御研究を願いたい。実際用紙の割当を受けてから非常にいかがわしい新聞を出る場合があるのであります。又消費規正が監督機関がないために、單に経済犯として取扱う以外に適当な機関がないために、いろいろ用紙の横流しの問題等も出るのでありますから、これについては將來とももつとしつかりした責任の所在をはつきりしたいと思つております。
 最後の項目の講和條約後の新聞紙法制定の問題については、目下鋭意研究中であるということを申上げておきます。大体項目については申上げたつもりですが、尚御質問があれば御説明申上げます。
#8
○委員長(久松定武君) さつき新聞倫理要綱につきまして、組合員は百二十三社と言われましたが、これ以外のアウトサイダーはどうなつておりますか。
#9
○説明員(津田正夫君) 正確な新聞というのは分りませんが、用紙の割当を受けております新聞の中で日刊新聞、週刊新聞、旬刊新聞、不定期な新聞と、こうございますので、日刊紙だけ、新聞協会に属しない日刊紙と申しまするのは、ほんの一、二じやないかと思います。あとは週刊紙、それから旬刊紙その他不定期の刊行物、そのあと一、二のものも現在申込をしてございますが、例えば赤旗のようなもの、これは新聞協会の規則といたしまして、党の機関紙は入れないということにしてございます。赤旗がたとい日刊紙になりましても、これは新聞協会としては入会の資格がないということに赤旗の方に傳えております。その点については赤穂の方から非常に非難攻撃がございまして、どういうわけでそういう規則をつくつたかという質問が始終私の方にございます。まあそういうふうな規則がつくつてあります関係上、党の機関紙は、その党が共産党であろうが、社会党であろうが、自由党であろうが全部お断りするということになつております。
#10
○三島通陽君 つよつと伺いますが、旬刊とか或いは週刊とか初めは考えるでしようけれども、新聞を一枚出して、出し放しでしまうのが沢山あるように思われるのです。というのは初めから一枚くらいしか出さないつもりで新聞をやる。例えば選挙のときなどに新聞をやつて、金を貰つて置いてそうしてその貰つた人のことを褒めるなり、金を寄越さないと惡口を書くなり、そうして新聞を一枚くらい出しまして、少くとも二、三部出しまして、そのままになつてしまつたというのが随分地方の中にあるんじやないかと思われますが、そういうのはあれはやはり紙を配給して貰つて置いて、そのまま貰わなくなつてしまう場合が多いんじやないか、それとも全然そういうのは闇でやつておるのでございましようか、どつちでございましようか。
#11
○説明員(津田正夫君) 用紙の割当を受けて、そういうふうなのは今までは例がございません。恐らくそれは用紙の割当を受けないいわゆる闇じやないかと思います。用紙の割当の受けてない新聞と申しましても、現在は多少そこに拔け道がございます。例えば御承知のようなセンカ紙を使う新聞或いは和紙を使う新聞は現在はまだ割当の枠に入つておりませんが、これは合法でございます。割当を受けていないで割当の用紙、特定生産資材であるところの用紙を使つておる。これは皆闇で取得しておる。今お話のような選挙のために使うというようなのは割当を受けておる新聞の場合にはちよつと例を聞きません。多分それはセンカ紙を使つたり或いは和紙を使つたり或いは闇の紙を使つたりいたしたものじやないかと思います。
#12
○三島通陽君 序でにもう一つ伺いたいのですけれども、今の名誉毀損の場合は大体どういう方法で……罰則でございますね、罰則はいろいろありますでしようが、その名誉毀損を取返すことは記事でやるというのも一つの方法でありますが、何かそういうことをお考えになつていらつしやいますか。
#13
○説明員(津田正夫君) その点が日本人とアメリカ人の考の相違でございます。どうしても私共には意見がぴんといたしません例えば、私のことにつきまして或る新聞が非常に名誉を毀損するような記事を書いたという場合に、私はこれを告発いたします場合、アメリカ人の考としては金で片付ける。向うが拂えないような程度の金を言つて、名誉に対しては評價というものは幾らでもできる。八十万円でも百万円でもそれをやつたらよい。ところが日本人の考といたしましては、それよりももつと何か体刑的な制裁とかその他の制裁とかいうように考えます。その点がどうもまだ実際案をつくつておりまする間にでも意見が一致いたしませんでしたことで、困つておるのであります。
#14
○三島通陽君 大きく大々的に一頁一杯惡口を捏造をして書いて、翌日小さく一行くらいどつかの隅で取消されてもそれは意味がないという氣がします。
#15
○説明員(津田正夫君) それは大体の慣習は、つまり外圀の慣習では、同じサイズでやるという慣習になつております。而も向うの記事を全部載せて、それに対して同じサイズでこつちで應える。ところが最近外國の例にこういう場合があります。或る新聞の経営者に対して或る新聞が非常な惡口を書いた。その惡口をその新聞社がそのまま廣告として相手の新聞に申込んで來た。一頁くれ、それで何かと思つたところが、その一頁全体にその新聞の惡口を書いたものだつたが、その社長はそれをのつけたそうです。のつけて連者に亘つてそれを反駁しておる。そういう場合に果して名誉毀損罪が成立するかどうかということでございますけれども、その場合にはアメリカの場合でございましたが、親告しないで、名誉毀損ということにしないで、ただ反駁した結果、その方がよかつたからそのまま片付けた例を最近聞きました。やはり記事になりまする場合には、大体同じサイズで應えるというやり方を取つております。
#16
○委員長(久松定武君) それから一つお願いいたしたいのでありますが、倫理要綱でありますが、あれを一つ私共の委員会に頂きたいと思います。
#17
○説明員(津田正夫君) 承知いたしました。今日は持つて來る筈でありましたが、どういうことで伺うのか分りませんでしたから、何も用意いたしませんでした。
#18
○金子益太郎君 新聞協会の割当の原案と内閣の原案と、大した喰い違いはないものですか。
#19
○説明員(津田正夫君) それは違います。
#20
○金子益太郎君 どうういう觀点からそういうことになるのでありますか。
#21
○説明員(津田正夫君) 私の方は新聞の事情に通じておりますし、それから新聞の同業者が調べる。果してこの新聞は経営能力があるのかどうか、それからまあ詳しく申しますと輪轉機も持つていないような、印刷機械も持つていないような新聞社、或いはそれと余り関係していない新聞社に対しては、將來性がございませんから、その点で非常に吟味いたします。それから新聞の担当者、責任者、例えば編輯局長なら編輯局長という人間が、これが相当の経歴を持つておるかいないかということで、その新聞のことについて多少分るのでございます。それは自分の畑でございますから、そういうことが分り易いのであります。そういう点で私の方で作りました原案は自信があるわけであります。お役所の方はお役所の方で、別の觀点からこれを御覧になる。ただ委員会で、この場合には甲の方の原案を採つて、乙の原案は参考にしないという場合もあるかと思います。それはもう全部委員会の決定に從うことであります。
#22
○金子益太郎君 結局紙の割当というのは、割当委員会で審議して決定するわけでありますか、結局はその原案が大きく物を言うと思うのです。で全部の新聞は一切割当委員会の供給やなどによく目を通すわけに行かないのみならず、実情も分らない。二、三の知つておるものに対しては的確なる批判をいたすでしようけれども、三百近い新聞に対して、そういう的確なる批判はできない。結局やはり両方の原案において左右されるが故に、これが原案というものは非常な重大性を持つておる。それは今のところは内閣と新聞協会の方と違うと、將來これはどういうふうになるのですか。
#23
○説明員(津田正夫君) 現在はまだ実際に両方の案が出たことはないのでございます。それは御承知の通り、今度の委員会ができましたのが昨年の十月の二十五日、それから用紙事情がこういうふうでございますから、新規の割当は今日までいたしておりません。從つて原案を両方から出してやつたという事実はないのであります。建前を申上げたのであります。出版の方は、それはやつております。出版の方は、出版協会というものがございまして、それが原案を作成するということが規則になつております。
#24
○金子益太郎君 今のところは、新聞の方は内閣の方から原案は出ないわけですね。
#25
○説明員(津田正夫君) 出ないのです。新聞協会としての新規の割当がありませんから、前の委員会の割当を踏襲しておるわけです。それは過渡的な扱い方であります。用紙事情が好くなりましたら、それからもう一つは、現在輿論調査をしております。新聞の購読調査をしております。その結果が分りました場合には、今度は恐らく新らしい新規の用紙の割当をするか、或いは今までの新聞に増配するか、或いはその両方を併行してやるかということを委員会で決めるわけです。そのときに初めて両方に原案が作成されるわけで、現在はそういう建前だけで、実際はやつておりません。
#26
○松野喜内君 ちよつとお尋ねいたします。私遅れて参りまして、前に伺つておりませんでしたから、或いは重複する嫌いがあるかも知れませんが、新聞協会と新聞に対して、いろいろ文化のために御苦心なさつておるということは分りますが、私が日頃感じておることは、劍よりもペンと言いたいくらいに、ペンの力、文字の力によつて國民の文化の向上を図る重大な使命を持つておる新聞、どうか眞相を傳えて貰いたいと思うが、ときには眞相と違つたこともないではない。そういう眞相でなかつたことを発表される時分に、先程名誉毀損という言葉がありましたが、名誉毀損ということまでに当らないにしましても、実相、眞相を知らして貰いたいと思うのに、それと違つた場合があるときに、一体責任や取扱いはどういうふうになるべきものか。先程名誉毀損のときに、金の要求、又は反駁の資料に使う云々ということがお話にあつたようですが、私はこのことは、新聞記事を見ていろいろ自頼しておる場合が実際多いと思いますので、つまり大抵の方は新聞に出たからというので眞相、眞実に取ることが多かろうと思うが故に、若しその眞相、眞実に違つたことがありました場合には、國民に錯覚、誤解を生ぜしめると思う。これが教育の場面からも、文化の場面からも、いかがかと思つております。今後の在り方は、一体そういう眞相を知らして貰うためにはどうしたらいいか。更に轉じてニユース・ヴァリューとして、まだ公に発表されない先に何とかしてこれを早く傳えたいという熱心の余り、公然の発表の前にいろいろ出るというようなことがあります。そうすると、例えば議会方面、地方議会等の方面から言いましても、まだ議員の知らない前に新聞に現われる場合がある。ニユース・ヴァリューの方から言えば大変いいかと思いますけれども、当の責任者、論議する者も知らない中に先に出てしまうという嫌いがあると思います。國家全体から見てそういう点をどうすべきかということを明らかにして貰いたいと思います。或いは若し間違つた場合、眞相が違つておるということがあつた場合に、訂正というようなことは、よし出ても申訳ばかりと言つては済まんが、極く小さなものが出ておる。これらに対する今後の在り方はどうというようなこと、我々がこの出版法に対するいろいろ審議をいたすのに、先ず第一に過去の新聞を見ておつて、文化向上の上においてこの点はどうであろうかということを実は思つておりますので、お考えがありましたら伺いたいと思います。
#27
○説明員(津田正夫君) 新聞の誇大報道、或いは歪められた報道につきましては、先程御説明申上げました通り、私の方のメンバーに関する限りは、新聞協会の記事審査室の調査を主力といたしまして、それでできるだけ是正をするつもりでございます。
 それから名誉毀損のような場合には、これもやはり現在まで、実例といたしましては、警告を與えた事実は数囘ございまするが、それ程大きな社会問題にもならずに済みましたのですが、今後もこれは是非やつて行きたい。そうして名誉毀損に関する法律のできますまでは、お互に自粛をしてやつて行きたい、こういうふうに考えておりますが、ここで先程委員長の御注意がございました、進駐軍に関係しますることでございまするが、アメリカの人の考え方は、名誉毀損についても、これを法律で縛つて止めさせるようにするよりは、ここが日本人と非常に考えの違うとろでありますが、教育をして、そうして読者の知識を高め、又記者の再教育をして、そういうことのないようにする、そつちの方を先にやるのが至当であると、我々今までの日本の教育を受けた者の考え方からいたしますと、ちよつとそこがピントが外れるのでありますが、そういうようなふうにやつて行きたいというふうに申すので、まあ私共の方の新聞協会といたしましても、現在までに各地で数囘講習会をいたしまして、新聞記者の再教育ということを盛に努めております。そういうことで、非常に足並みは緩うございますが、そういうことで新聞記者の向上を図り、名誉毀損とか誇大な記事の報道のないように努めておる次第でございます。
#28
○委員長(久松定武君) 御質問もまだございましようけれども、津田さんこれからお出向き先がございますから、新聞協会の方のことは、今日はこれで一應打切りにいたしたいと思いますが……。
#29
○專門調査員(青木節一君) 先程のお話で、新聞法というものは現在停止しておるわけですね。今度作るとすれば、まあ名誉毀損くらいなものを置いて、あとは全部なくなるかも知れないというのであつたならば、今度作る場合には、新聞紙法というものは要らないのじやないか、名誉毀損という問題は、刑法なり民法なりに任せて、もつとその点を強化して、新聞紙法はなくてもよいというようにも考えられるのですが、どうでございましよう。
#30
○説明員(津田正夫君) 昨年の十一月から私の方の法制委員会というのがございまして、しよつちゆうそれに出席して、意見を交換いたしておりますが、私共の間において新聞紙法案というものを作成して見たのであります。結論といたしましては、今おつしやつたようなこんな法律は要らないんじやないかという結論の方が圧倒的でございました。できるだけ刑法、民法の改正の方に入れて、それで新聞の罰則というものは自由にする。名誉毀損が起つた場合には刑法でやつたらいいじやないか、その他の問題は民法でやつたらいいじやないか、こういうようなことで、今おつしやつたような結論になつたように私も記憶しております。ただその間に若しそういうような場合に新聞協会としてはこういう事項は是非刑法の改正案に入れなければならん、こういうものは民法の中に入れなければならないということを、新聞社としてうんと主張すべきである。併し新聞社側の方から新聞の法律を作れということは、余り適当じやないんじやないかというようなふうに解釈される意見も度々聽きました。
#31
○岩本月洲君 津田さん、これは私の希望なんですが、名誉毀損や公安を害はる方面の規定とか、風紀を維持する方面の取締りを立法化してやつて行くということは、これからいろいろ問題でありますが、出版乃至新聞の良心の涵養の問題ですね。これは諸外國を見渡すところ何としても新聞は國民の一つの普遍的な教科書なんだから、特に日本では、最前松野さんもおつしやつたように、非常に新聞記事というものに皆が全面的に信頼を持つておるので、一つ新聞の良心的な方面に力を注いで頂きたい。そうしなければ國民の文化水準は本当に上つて來ない。これはもう日々の重大問題だと思う。一つ協会の方でもその方面に特別に意を留めて貰いたい。これは希望でございます。こういうことはめつたに機会がないから一言申上げます。
#32
○説明員(津田正夫君) 先程申し残しましたが、日本の政府なり、或いはその他が新聞紙法というものを作るということは、それは新聞を統制する一歩手前であるというふうに解釈しております。それについては我々の考えといたしましては、惡い新聞の出ないように新聞紙法があつたらいいんじやないかというようなふうに考えておるのでありますが、又一面の考え方としては惡い新聞が出ないようにするためには文化の水準を外の方面で上げればいいのであつて、何も法律で粋を拵えて、それで縛る必要はない。むしろそれは政府が変れば、その時代の政府によつて却つて新聞に対する統制の具に使われる、こういうふうな意見もしばしば聽くのであります。これは非常に強い意見のようにも考えられるのであります
#33
○委員長(久松定武君) それではこの次は日本文藝協会の理事をしておられます舟橋聖一さんを御紹介申上げます。今日たまたま文藝協会より偶然こちらにお越し願いまして、多少の御陳情があるようでございましたから、つきましては今日幸い小委員会を設けましたので、一應皆様にその御趣旨をお傳えしたい。こういう氣持から今日ここへ御出席を頂きましたのですが、どうぞ御腹藏なくおつしやつて頂きます。
#34
○説明員(舟橋聖一君) 只今御紹介に預かりました日本文藝家協会書記局長の舟橋でございます。今日は御説明がありましたように、偶然に上りましたのですが、過日九月の十九日に私共の協会で理事会をいたしまして、その時の意見で、是非協会の意見を文化委員長の方にお傳えしたいという希望が理事諸君にありましたものですから、その時の意見書を印刷いたしまして、そうして本日こちらへ伺つたわけであります。その意見書は山本勇造氏宛に書きましたのでございますが、丁度今日の委員会がこういう意見をお扱いになつておると伺いまして、非常に好い機会だからというので出席したのでありますが、併しその意見書は極めて要約的でございまして、当時の理事会のニユアンスを必ずしも表現して余すところがないというところまでは行つておりませんので、やはりここでできればそういうニユアンスに関しましても、お傳えできればいいのじやな、かというふうにも考えるのであります。これは実は協会としましては、山本勇造氏に理事会に出席して頂いて、そうして審かに協会委員の各方面の意見を聽いて頂きまして、当委員会に諮つて頂くということを最も適切と思いましたのですが、山本委員長はいろいろ御多忙でございまして、当日御出席がなかつたものですから、そこで当日の理事会の動きを大体私が綜合いたしまして申上げたい。但し私は、又この協会自体もそうでございますが、大体作家の集りでございまして、作家というものは余り、何と申しますか、具体的なことばかりしか申しませんので、理論的な綜合的な意見に欠けるところがございますが、從つて私の御説明も非常に一般的なことを申上げて、或いは余り具体的な言い方でお話するかも知れないが、それはこういう場合に不慣れでございますし、いろいろな点で御了解願いたいと思うのであります。要するに率直に腹藝なく各方面の意見を取纒めてお話したいと思います。
 大体こういう問題が起りましたのは、漱石の商標問題が社会問題になりましたのが、切つ掛けでございますが、併し元々作家たちが著作権の擁護に関して切実な要求を持つておりましたことは、すでは長い昔からでございます。丁度同席せられる山本委員長は無論のことですが、金子さんにしても文藝家協会の理事をしばしばやつておられまして、過去の協会におきまして、著作権のためには非常に働いて頂いた我々の先輩なんでありますが、併し戰爭中に著作権問題は非常に等閑に附せられまして、殊に日本文学報國会というような團体ができまして、これが文士、作家の統制團体として発足しましてからというものは、著作権擁護のような問題は、全く放置せられたのでございまして、そういうことを口にすることさえもが、何か惡いことのように考えられたというような実情がございます。要するに著作権の問題は約ここ十年ばかりブランクになつていたわけであります。折角曾て著作権擁護のために闘かつた仕事は、そのまま中途で燃え残りになつてしまつたという感じがしておるのであります。戰後におきまして、從つて当然そういうものの、今まで長い間等閑に附せられておつた著作権問題が当然問題になるのでありまして、從つて日本文藝家協会はやはり当面の問題として著作権擁護の問題に乘出して來たのは無理からんことだと思うのであります。そういう時にたまたま漱石問題が起りまして漱石問題に関しましては協会よりも先に手を付けましたのが著作家組合というふうなところでございまして、著作家組合と出版協会とであの問題をいろいろ問題にして來たのでありますが、本來から言いますると、日本文藝家協会は文藝家の立場でありまして、著作家組合と違います点は、こちらは作家、評論家と言いますか、文藝家だけの会であります。著作家組合はより廣い範囲の全著作を網羅しておりますから、スケールは非常に大きいのでありますが、漱石問題につきましては協会の方が或る意味において篏まり役であつたかも知れないと思う節がございますが、併し一般的には協会はあとから……出足が少し遅れた形になつております。そうして私が出版協会の委員会に招聘されまして行きました時は、すでに結論に近い状態でございまして、もうすでにいろいろと討議されたあとでございます。從つて私としてはあとから出しやばつて行くような形になつたのであります。併しそのときの私の率直な、直観的なこれも把握でありますが、直観的に申上げますと、漱石一家が非常にああいうことをやつたことを非難するというか、漱石遺族の彈劾というふうな空氣の方が濃厚でございまして、そうしてそういう漱石遺族が或る一部から言えば甚だ文士の遺族らしからん振舞があつた。藝術を、作品を商品化するようなものがあつた。その点我々のセンチメントには適さないというような意見から、これを彈劾するという空氣がございましたにしても、私の意見では、それは併し、漱石遺族としても苦しい手であつた。苦しまぎれの手を打たせたものはなんであろうか、そういうところに触れないで、ただ現下の当面だけを、表面化したところだけを取出して、あつちが殴つたから……併し殴るにはいろいろの事情があつたのではないか、そこらは等閑に付しておるという感じが否めなかつた。そこで私としては協会の立場におきまして、その意見書にとにかく現行著作権法が不備だということを認識して貰いたい。それの認識がなくて、ただ漱石一家が商標権を持ち出したというだけを問題にして、そうしてそれによつて作家を擁護するのは卑しいというふうな考え方に出るのはまずいのではないかというふうな私の考えを申上げたのでありますが、幸いにそれは賛成を得まして、この間の出版協会特別委員会の意見書の昌頭には、我々は先ず何よりも先に現行著作権法の不備を認識するということを掲げたのであります。併しそれはあとから私がそういうふうにちよつと曲げただけでありまして、大勢は何と言つても漱石問題については、著作権法の不備よりも何よりも、とにかく漱石の遺族がああいうことをして本屋を泣かせたという点、それが大体の輿論でありまして、殊に小宮豐隆氏や安倍能成氏の意見のごときは、全く間接に出版協会の独占的利益を擁護するというふうな言い方で來られておるので、協会としてはこれに対しては非常に反対なり、不賛成なりの考え方を持つておるのであります。これにつきまして理事が集まりまして、そうしてとにかく先ず現行著作権法の改正ということを是非強力にお願いしたい。併し何分作家達でございまして、作家は鷹揚を以て美徳とするというような意見も片方にあるくらいでございまして、余り作家がこせこせと飯のことや何かのことを言うのは文人らしからんというセンチメンタリズムに禍いされまして、そうして法律上の知識がございませことも禍いいたしまして、そのために我々としてだけの意見を纒めたところで、それが何らかの強力な政治的な行動に移らない。それではやり切れない、これは是非國会の文化委員会に陳情して、そうして國会の政治力を背景にいたしまして、我々著作家の立場を擁護して頂きたいというようなことになりまして先ず現行著作権法の改正に関しまして、強力な何か公的な特別委員会を設置して頂きたい。そういう場合はそのメムバーに我我が入るということに関しては、絶対的に御協力を申上げる準備があるというふうに先ず考えたのであります。それから著作権法改正に関しまして、いろいろの説がございますが、実はこれはまだ協会自体といたしましても、何年くらいがいいだろうというような年限に関しましては、実は完全に一致は見ておりません。これは一致を見るのはなかなか困難でありまして、理事会で決めましても、実はどうかと思う点がございますから、成るベく廣く各作家の意見を聽きたいというので、それらを集めておりますのですが、つきましては、大体二十五年説と三十年説と五十年説と三説がございまして、これに対しては、これからも檢討を続けて行きたいと思いますし、各方面の意見を徴したい。そうして最も公平な、妥当な結論に達したいということを我々は切望しておりますのですが、ただこの間におきまして、さつきも申しましたような、一部の極く道学者的なセンチメンタリズムが文化財というものに一種のヴエールを掛けまして、リアリスチツクな考え方を阻んで行くという、そのために本質を履き違えてしまうという、これは大体日本の一部の姿だとも思うのでありますが、こういう傾向もなきにしもあらずで、事実小宮豐隆氏や安倍能成氏の意見も殆んどそういう点ではセンチメンタルそのものであるというふうに考えられますので、その点を警戒して行きたい。結局は出版業著の利益を擁護することになるばかりである。そういう言論はたといそれが相当有名な著作家から出たにしても、そこに我々が十分警戒を必要とするのではないか、又出版協会というようなものの動きは、やはり出版協会自体日本の文化團体である、再建日本の文化團体である、従つて倫理要綱を以て出版界を粛清しようというような点に関しましては、相当公平な、つまり必ずしも出版業者ばかりの肩を持たない立場に立つておる筈でありますけれども、併し事著作権というような問題になりますと、何と申しましても、日本の今の出版業者においては作者から印税をごまかすということばかりに汲々としておるというような長い歴史がありますから、その欲望から脱し切れないために、やはり出版協会の動向というものは、どう考えましても、必ずしも文化的な点だけではなく、これは併し出版協会の当事者が相当文化人として優れた方であるということをなにも誹謗するのではないのでありますが、併し各出版業というものの現実的な立場から言つて、やはり業者の利益を、代表する形にある。そういう点から今度の漱石問題などでも実にはつきりしておるように、やはり常に出版者側にのみ意見が概ね傾いて行くというような傾向を見るにつけまして、この点を警戒したい。そうしてこの二十五年説、三十年説、五十年説というのは、これは私個人の意見ではございませんで、各作家の意見を代表して言いますと、二十五年説というのは、これは二十五年間は印税は二割でも三割でも、つまり本屋と作者との間で契約をしたその印税の率を本屋から支拂つて貰う。併し二十五年後にこれを一般的な取決め、即ちその時の法定的な取決め、例へば一割二分とか一割とかいうふうに、大体國会なりがその著作権法を決めまして、その著作権法によりまて、二十五年以後二十五年間はこれを一割なら一割、一割二分なら一割二分というものだけを支拂う。作家との直接取り引きではなくなるというのが二十五年説の考え方であります。三十年説は現行通りを行うという考えであります。それから五十年説はこれは一部相当強い意見でございますから、特に今日申上げて御参考に供しないと思うのでありますが、これはつまりすでに漱石が三十年経つても賣れておるではないか、そしてこれから先谷崎潤一郎、里見淳というような作家がどんどん出て来た場合、三十年後においても著作権問題は相当紛糾する可能性がある。これは現行の出版部数と漱石生存中出版した部数その他から考えまして、漱石だから三十年後も賣れるが、もうそんな作家はそんなに出ないのだということは言い切れないのでありまして、むしろ今日の出版部数を考えますと、今日の作品が三十年後においてもまだ十分に販路を持つておる、その場合にどうするか、三十年打切り説といたしますと、これはどうしてもその後は賣れるものを本屋だけが儲けて、遺族の方へは廻らないという形になるに違いないのでありまして、その場合は本屋だけが印税を確実に読者の方へ拂い戻してくれれば、遺族としてまあ何ともないにしても、実際問題として本屋はその印税を定價の方に拂い戻しをするかどうかというようなことは、そういう細かい勘定ずくの話になりますと、大体日本の官僚的な役所ではそういうことの見当などはできる筈はないのでありまして、長いものに巻かれろでありまして、大体本屋の親父の言う通りが正しいということに、これはなるのであります。從つて定價を附ける場合に、本屋の方の定價の付け方は、二割儲かるとか三割儲かるとか、天引き頭で定價を附けて行きますので、印税のごときは、殆んどこれはまあ大体今では製本屋の製本代より少し高いというような印税でありまして、そういうものをまあ拂えばそれでよいということに大体なつております。その関係から言いますと三十年後において本がどんどん賣れる場合に競つて本屋はそういうものを出して行くに違いない。それは儲かればそういうものを必ず出すに違いないのでありますから、そこに三十年説がすでに実際問題としてはこれから先き紛糾を見るに違いないという感じと、それから三十年説の根柢は、死んだときに一歳だつた者が三十年経てば三十歳だから、もう独立できるという考え方ですが、遺族を保護するかどうかという問題よりも、むしろ一つの著作がどれだけの権利を持つてよいかということに觀点が置かれるべきではないか。遺族の窮情を救うとか救わないとかいうことは、やはりこれは曖昧でございまして、果して本当にどこまでが窮情と言うべきであるか。窮情らしい窮情もあろうし、いろいろ窮情にもありまして、一方的な申出では必ずしも窮情と認定できない。となりますと結局窮情と決めるということにも、今のセンチメンタリズムが入つて來る惧れが十分ありますので、そういうことをどこで決めるかという点にも疑義があると思います。それから子供もそうですが、配偶者の関係もございますし、要するにこれはいろいろの説がありましたのですが、とんでもない遺族が出て來て貰う場合も起る可能性がある。そんな者に馬鹿々々しいじやないかという説もございました。要するにこれはそういう遺族の状況とか何とかいうことで立法せらるべきではなくして、著作の権利として、その作者の死後五十年くらいがよいじやないかというふうに考えられるという点が、五十年説の根柢であつたようなわけであります。例えば、たとい著作家の遺族がどんな強慾無道な男であつても、権利は権利でないだろうか、強慾無道であるから権利を失うべきであるか。そういう問題に立入りますと、我々は法律のことは分りませんが、法律というものはそういうもんじやないかというふうにも考えますので、五十年説というものを主張する側の方からは、相当強くこれが持出されて來ておるのであります。その点を著作家組合の方では殆んど三十年説で決定いたしまして、その後三十年間を特別委員会か何か拵えまして、そこでその印税を貰つて、それを適当な文化事業に分けようというようなお考であるようにこの間拝見したのでありますが、併しその場合は今申しましたように、窮情というような問題についてもはつきりしないという点がございまして、多少の疑義は残つておりますので、まあ文藝家協会としてはこの点は纒めておりませんが、併し相当有力な説として今の五十年説、或いはそれに代るべきものとして二十五年・二十五年説というような、二つの意見が流れております。外にも無論三十年説そのまま通りという説も流れております。これらを一つ綜合いたしまして、そうして適当な結論に行きたいということを我々としては尚感ずる次第でございます。
 尚その著作権法が改正されるまでの間、尚これからもすでに三十年の期限の切れて來る作家もございますし、旁旁著作家と出版業者との間におきまして紛爭が相当頻発するものと考えられますので、その間過渡的にでも著作権調停委員会というようなものを國会の責任において設置して頂いて、そうしてそこにはできるだけ各方面の知識階級、知識経驗者をお願いいたしまして、そうしてそういういろいろな紛爭の解決に具体的に当つて頂きたい。今囘の漱石問題のような問題が今後も起る可能性がございますので、その場合にはそこへ持つて行つて諮る。そういう場合に著作家側の意見も一つ是非反映して頂きたいというのが我々の希望でございます。
 話は少し違いますが、目下この外にも例えば著作権侵害は隨所に起つておりまして、映画関係でございますが、映画の方で現代の作家の作品が、細かに調べれば恐らく十本くらい、大まかに言いましてもはつきり出て來るのが五、六本は直ぐ頭に浮ぶ程度に著作権の侵害を受けておるのであります。これにつきましては文藝協会としては映画連合会の方へ嚴しい要求書を差向けたのでございますが、著作権法が実際はあつても、実に簡單に蹂躙されておるという事実、これは映画界その他におきまして顯著に最近現われて來ておりまして、大体物を書かせるということにつきましては、著作者もなにもないという頭から、つまり書かしておいて、それはどう使おうと、使う方は何遍使つても同じだ、書きさえすればいいのだ、書く時間は同じだ、一度書いてしまつたら、それが当つても当らなくてもいいのだというような考え方から何囘でも何囘でも映画を撮し直しまして、そうして只で上映しておるというような傾向は、映画界に非常に頻発しておるのであります。從つてこういうふうな民主的な世の中になりまして、段々民主的な圧力で不良出版社というものが実際に消えてなくなつて行くだろうという希望的観測は、我々も持つておりますが、併し顧みまして実情としましてく、今言つたような著作権が頻々として侵害されておる、それが特に官僚的な團体である放送協会等において最も簡單に蹂躙されるという数々の事績がありますので、そういう点からいいましても、これは一つ十分に著作者側の立場を諒として頂きたい。そうしてこれ程著作権が侵害されておる我々であるから、從つて今度の改正さるべき著作権法におきましては、十分に権作家側の立場、長い間我々が出版者側から搾取されて來た長い間の歴史を参照をせられまして、作家に有利な著作権法を作つて頂きたいというのが我々の陳情したい眼目であるかと思うのであります。甚だ不備な言い方でございましたが、大体の意見を申上げた次第でございます。
#35
○委員長(久松定武君) 何か御質問ございませんでしようか。著作権の頻々として侵されるというのは、無断でやるのですか、無断で以て放送されるという意味ですか。
#36
○説明員(舟橋聖一君) そうでございます。
#37
○専門調査員(青木節一君) 今のお話に出ました実例ですが、著作権が、著作者側の方から御覽になつて侵害された実例がありましたら纒めて御提出願うということにいたしたいと思います。
#38
○説明員(舟橋聖一君) それは実例としましては、只今映画のことをちよつと申上げましたから、映画について申上げますが、私の記憶ですが、岸田國士氏の「暖流」、川口松太郎氏の「男の友情」、私舟橋聖一の「母代」、加藤武雄氏の「春雷」、吉屋信子氏の「男の償ひ」、丹羽文雄氏の「東京の女性」、それから濱木浩氏の「浅草の灯」もそうだそうでございます。金子さんも……
#39
○金子益太郎君 僕のもあるのだけれども、全然盗作だから問題にしないでいます。
#40
○説明員(舟橋聖一君) それらは、実は戰爭前に頼まれて原作料を映画会社が拂つておりますが、それを戰爭後に新作として二十本乃至二十五本燒付けまして、第一流の封切館で封切つて行きますので、それを只今ではおかしいのじやないか、殊に私のものになりますが、新興キネマに賣りましたのを大映でやるというようなふうに、会社が変るというような場合はどうかと思いまして、そうして去年の六月の末日に、松竹、東宝、大映の代表者、殊に大映では永田雅一氏が現われまして、そこで約三時間余ばかり激論的討論をいたしまして、そうしてそれじや仕方がないから拂うことにしよう、三百円以上、一本三百円以上というのですから二十本燒付けますと六千円以上です。この「以上」に眼目がありまして、そこに論爭がありまして、到頭「以上」ということにいたしまして、そうして調印を終つたにも拘わらず、今申しました五、六本の映画は、全然これは無断で封切になつてしまつた。封切前に当然交渉がありまして、そうして作者がよろしいと言つたら映す、燒付けする、作者は、実は戰爭前のものですから、いやだという場合もあり得るわけであります。それを交渉しろ、必ず通告しろということも嚴重に申出てあつたのですが、今の六本は全然通告なしに封切られまして、そうして封切られてから後で交渉に行きますと、六千円持つて來るというだけのことでありまして、それでは差押をしてくれないかと連合会に申しましても、連合会では差押をする権利はないということでありまして、結局これでは泣寢入りということになるのであります。六千円という数字なども、実際合理的だというふうには、どう考えても考えられない数字であります。そういうことが頻々として起つております。放送協会が過日……実例的に申しますと、石川達三氏のものの放送だつたのですが、これを全然無断で……これはやつたのではないのですが、無断でその日のプログラムに組みまして、石川達三氏が見ると、自分の作が出ておるというので、急いで放送協会に電話をかけまして、それは俺に無断であるというので、取止めろと言いますと、これはBKからのものであるといつてAKは急いで取下げましたそうです。それだけから見ても、作家に無断で放送するという場合が多い。林房雄氏の場合も二本ばかりあるそうですが、それを石川達三氏が「新夕刊」で暴露しておりますが、そういう実情が映画、放送その他において無断で上映があるということは、著作権がいかに具体的に侵害されておるかという一つの例であります。本など無檢的のものが沢山あります。或いは盗作、偽作のごときも沢山ございますから、その実例を挙げては枚挙に邉がないのじやないか、そういう場合は檢印紙を渡したけれども、どうも拂つてくれないというような例は頻繁にございます。つまり岸田國士氏の場合は、「慶流」のタイトルから岸田國士の名前を削つたのであります。これは岸田國士氏がパージというか送放者であろうという慮りから松竹がやつたものらしいのであります。これに対しても岸田さんは非常に憤慨しておられまして、これはGHQの方は、そういうことは滑稽なことであるという意見だそうでありますから、これは松竹のやはり変な技巧じやないかというふうに考えられますので、岸田さんはこれに対しては訴訟までして問題にしておるというようなことであります。それはいろいろ例がございますが、差当りはそのくらいのことであります。
#41
○三島通陽君 今の舟橋さんの御説明の中の前の御説明なんですが、道義的センチメンタリズムと仰しやいましたが、あれはどういう意味でございますか。
#42
○説明員(舟橋聖一君) それは僕のさつきから申上げておるように、僕だけに直感的な言い方かも知れませんが、つまり小宮さんや何かの意見は、一種のセンチメントには合うけれども、つまり本当の実情を縛えていないんじやないか、一種の美辞麗句に過ぎない意見であつて、本当に著作者側と出版者側の機微に触れていないのじやないか、眞実を傳えるのに一つの感傷的な問題が入つておるのじやないかということであります。
#43
○三島通陽君 私共小宮さん、安倍さんがどう言われたかよく知らないので分らなかつたのですが、さつきお話の二十五年説、三十年説、五十年説、一々御尤なように思うのですが、この三十年説は、私共がこの前大体三十年くらいでいいだろうということを決めましたのは、これはずつと古いことでございますけれども、今日御出席の山本勇造氏は当時作家として、私が院内におりまして連絡しておりました。この前から大体そうなつておりますが、それを支持した意味は三十年経てば、これは舟橋さんに御説明しなくても御承知でしようが、大体子供が一本立ちになる、それからは社会の文化財として認める方がよいじやないかという氣持が一番多かつたのだろうと思うのでございますが、これは私もよく法律のことは分かりませんが、外のいろいろ財産い言いますか、そういつたようなものはなかなか親父から引継いて行くということは今の時代では行われないわけです。著作物は親が死んで子供が印税で食つて行けるかも知れない。それが一本立ちになるまでというので三十年くらいならば一本立ちになれるから、親の印税によらないでも、それは子供は子供として生活して行く。そうして親の印税はもつと社会の共有物になつた方が……もつと本が安くなればよいが、今は実際問題として本が安くなりませんが、そこで社会の共有物といつたような、今の御説明にもございましたが、何かそういう組合とか、委員会とかそういうものを拵えて、或いは國家が保管するなりして、文化のために三十年以上で集つた印税を使うということも考にあつたと思いますが、それは遺族には心配してやらないように先程お話がございましたが、そういう話が出た時に、一應遺族も随分困つている人もあるだろうから、勿論その中に含めようし、又作家というものは、これは著作家のみに限らず、学者とか作家というものは、自分が生きている時は不遇であつて慘めな生活をしていても、死後名前がよく出て來て、そうしてその残した著作物というようなものは長い間続いて行くという場合があるのだから、そういうのは少し遺僕のことも考えてよいのじやないかという、そういう考え方は少し人情論に過ぎるかも知れないが、そういう考も亦あつていいじやないか、やはりその委員会なりそういつた組合なりが、そういう遺族のことも相当心配して食えないような場合には考えてよいのじやないかというようなことをことを話合つたこともあつたのでございますが、そういう話が引つ括めてさつきお話の中にあつたのでございましようか。
#44
○説明員(舟橋聖一君) あつたのであります。
#45
○小委員外委員(山本勇造君) ちよつと舟橋君にお尋ねいたしますが、この意見書というのは総会をお開きになつて、そうして文藝家協会の総意というわけでありますか。
#46
○説明員(舟橋聖一君) これは理事会で決めました。
#47
○小委員外委員(山本勇造君) 第二には、この意見書をお作りに際して、協会の顧問弁護士か何か法律の専門家と御相談の上でお出しになつたのですか、全くあなただけの……
#48
○説明員(舟橋聖一君) 理事会の席だけの裁量です。こちらの文化委員長にお出ししようというのであります。
#49
○小委員外委員(山本勇造君) ちよつと私申上げます。文化委員長としてでなく、小委員会でございまして、小委員会の私はメンバーでないのでございます。私の立場上発言を許されているものですから、個人の立場で私ちよつと申上げるのでございますが、この意見書には大体において三つのことが言われていると思うのです。第一に、公的特別委員会を設置しろ、そうしてそれには文藝家協会から委員を送るように、これが一つ、もう一つは著作権の死後何年というその死後の期間の問題、第三は著作権調停委員会というようなものを國会の名においての設置、大体この三つに分れているように思います。
 そこで、第一の公的特別委員会を設置せよというわけでありますけれども、この國会の中には御承知ではありましようが、常任委員会がすでに二十一設けられております。特別委員会は容易に設けられないのでありまして、そのために今までと違いまして二十一の委員会ができております。尤も現在においては同胞引揚の問題で、これは二十一のどの中にも入れ難いものがありますので、特別委員会が設けられております。こういうものはむしろ例外の問題であります。國会においてはこういう特別委員会は容易にできないのであります。又この問題は著作権でありますから、そうでありますれば、これは当然文化の委員会で取扱うことになるだろうと思います。從つて特別委員会のいうのは恐らく……尚私調べるつもりでありますけれども、今の私の考え方から言いますと、國会の常識としてはこういうものは恐らくでき得ないだろうと思います。又ここの中で仮に特別委員会を設けるなり、或いは文化委員でやるにいたしましても、それは議員が委員でありまして、議員以外の者を委員にすることはやはり國会法の上からできないと思います。但しあなたの方に御意見があり、又こちらも聽く必要があると思う場合には、今日のようにおいでを願つて御意見は十分に聽く、できるだけあなた方の意見を聽く。それは單に文藝家だけの意見を聽くというのでなしに、あなた方とは対蹠的な立場に立ちましようが、出版者の方の意見を聽く。或いは新聞社の意見を聽くという工合で、できるだけ公平にあらゆる方面の意見は聽くことはでき得ると思いますが、殆んど第一の公的特別委員会を設置せよというふうな問題は困難であろうと、私一個として申上げます。
 第二の方の年限の問題は、これはさまざまの立場の方から十分においでを願つて御意見を承わりたいと思います今日あなたの御意見があつたので、これを速記にとどめてありますから、十分皆が承知できると思います。それを土台にして考えて見たいと思います。それから第三の著作権調停委員会というものを國会の名において設置せよ、この問題は今の著作権法に不備の点がある。これはあなたの方からの御指摘までもなく、ここの文化委員会としましては、漱石問題が起る以前において我々は小委員会を作つておるのでありまして、且つ又仮に著作権法だけでなしに、一般法規全体に対して我々は檢討を加えておるつもりで、すでに小委員会を作つておるのでありますから、これについての不備は、我々もすでに十分に考えております。そこでそれができ上るまでの間に、何か中間的な解決ということが書いてありますが、そういうものが、民間において必要である。これは私もそういうものがあればあつた方がいいかと考えられます。但しこの國会の中において、著作権調停委員会というふうなものは、これは私はできないだろうと思います。ここは御承知の通り立法府であるから、立法のことはできますけれども、調停をするとか、或いは中間的解決をするということは、これは裁判なんです。裁判はこれは國会がやるべきことでない。それは又別にやる部門があるのでございますから、この方の問題については、あなたの方でお考えがあれば、その方に向つておつしやつて頂いた方がもつと適当に進んで行くのだと思います。先程某々氏が出版の方の肩を持つたというようなお言葉がありましたが、それはいろいろ見解の相違もあるかも知れませんが、國会といたしましては、どこまででも國民全体のことが目標なんでありますから、どちらの肩を持つということはあり得ない。又裁判のようなことはここではいたさないのでありますから、その点はよくお考えを願いたいと思います。先程文藝家協会から私を呼んだが、私が忙しくて來なかつたというお言葉でありましたけれども、これは忙しいので上らないのではなくて、私が或る一つの協会のために委員長が出て行くというようなことをして、一方の肩を持つとか、一方の意見だけを多く聽くというようなことになりますと、誤解を生じたり、或いは又公平な立法に妨げを來たすと思いまして、特に御招待がありましたけれども、私は電話ではつきりそういうふうな意味でお断りを申上げたのでありまして、これらの点も國会の立場は一つ十分に御了承を願いたいと思います。
#50
○説明員(舟橋聖一君) 只今の言葉の不備で山本委員長が忙しいから出席がなかつたと申しましたのは、重々間違いでありますから取消したいと思います。それはもう分つていたことなんですけれども、言葉が間違つておりました。それから成る程この意見書が不備のように思うのですが、最初の公的特別委員会というのは、これは國会の中に置くという意味でしたかね。
#51
○説明員(竹越和夫君) それではちよつと御説明申上げますが、公的特別委員会というのは、言葉の点におきまして先程山本さんが御指摘になりましたような不備があつたかと思います。これは國会の中に特別委員会というものを設置しようというところまでの理事会の意向じやなかつたと思います。むしろ公的な立場で民間人、それから官界の人、或は國会の人たち、そういう人たちの公の團体でそういう委員会式のもので、著作権を廣く各層の識者を集めた形で研究したい、こういう意味が理事会の大体の意向であつたと思います。
 それから一番最後の著作権の調停委員会でございます。これは國会において調停をすることができないという御意見は御尤の意見でありまして、この國会の名においてという意味は、國会の議員のいわば文化委員の方々、こういう文化委員会の委員の方々が御発案下すつて、やはりこれは民間の官廳側議員の方々、こういう方々が集つて調停委員会を設置して頂きたい、そういい意味が本当の意味だつたと思います。その点ちよつと御説明だけ申上げて置きます。
#52
○三島通陽君 さつき舟橋さんの御説明の中で、創作の映画化の問題は三百円以上とかいうようなお言葉があつたようですが、余り今の時代に安過ぎるようにちよつと伺つたのですが、例の著作家協会ですが組合ですか、あすこでいろいろなそういう規則が初めありましたですね。最近まで……小説を出版する場合には幾らとか、映画化する場合には幾らとか、あれを値上げでもされたのでしようか。
#53
○説明員(舟橋聖一君) 値上げして三百円になつたのです。ですからもう去年の六月の末ですね。それは再版の場合です。新版は一万円、それも安いのですが、一万円以上ということです。
#54
○委員長(久松定武君) 何か御質問ございませんか。
#55
○三島通陽君 もう一つ、日本の創作をどこかの國で飜訳している……戰爭中でございますね。戰爭前は無論ベルン條約によつて何らかの交渉があつたと思いますが、そういうような例があつたのでしようか、何かお調べになりましたか。
#56
○説明員(舟橋聖一君) 終戰後でございますか。
#57
○三島通陽君 いや戰爭中から今日まで……
#58
○説明員(舟橋聖一君) それは殆んど作者との関係はないのでございますが、事実飜訳が出なくとも、我々の書いたものがそのまま写眞版でもつてアメリカで在留邦人に賣つている場合があるのです。そういうものの印税というものも全然参りませんから、それは二世の人が飛行機かなんかで送つて、それをロスアンゼルス書店とか、デンバーの平和書店とかいうところで写眞版で刷つて、綺麗な紙で賣つておる。二ドルぐらいで賣つておるのです。そういうものは全然我々には無関係でございまして、私のものも一つ行つておるのですけれども、それは印税関係はないのです。それはどうも敗戰國としてどうも手を拱ねいておるだけじやないかと思います。我々はあきらめておるのですが、本質的に言えばそれが賣れておれば、二ドルの一割は貰いたいですが、貰える方法はないのじやないのでせうか。
#59
○金子益太郎君 さつき舟橋君からセンチメントということを言はれて、三島委員の質問となりましたが、これは一般の委員の方には文壇の実情が分らないと、舟橋君の言つたことがはつきり具体的に呑込めないのではないかと思つて、聊か補足するのですが、曾て文藝協会の委員諸君が税金について大藏次官と会つたことがある。そのとき次官は藝術家というものは貧乏した方が立派な作品を書けるのじやないか、その例としてドストイエフスキーはあの通り貧乏であつて、立派な作品を書いたのではないかと、僅かな知識をもつて言つたようでありますが、そういうことがいかにナンセンスであるかというと、現在の精神主義を唱える日本の現状を見て、直ちに分ると思う。飯は食えない、貧乏だ、そういうことの諸々の惡い條件が日本の現在の道徳低下であり、混乱であり、虚脱の状態である。作家は霞を食つて傑作なんか書けるものじやない。然るに作家が倉を建てた例はないがだね、出版社にして巨万の富を積んだ人は幾軒もある。岩波書店を初めとして改造、新潮社、中央公論、それから沢山あるでしよう。然るに一般の世間の人は出版業者は沢山金を儲けても、作家は貧乏であるのが当然であるように考えて、そうして要求するのは傑作が出ないという。傑作が出ないのが当り前である。大体日本の最高峰の傑作である源氏物語はいかにして書かれたか、これは皇室の扶養を受けて書かれた。生活に不安なんか何も持たないで書かれた。そういうことに対するはつきりした物質と精神との統一的な觀点から物を見なければならない。その認識の足りなさを、やはりその点を舟橋君がセンチメントを主觀的に表現されておる。私が最近聞いたことによると或る出版屋が林不忘の丹下左膳を出版するという計画を立てた。奧さんに交渉したところが、印税前渡六十万円なら出版を許す、これは相当な印税ですが、然るに本屋の曰く、六十万円拂つても痛くはない。これは三巻出すならば二百万円は十分儲かる可能性がある、かくの如き現実の状態である。六十万円作家が取るといかにも大きいように見られるが、そういうことはめつたにない例ですが、然るに六十万円拂つても本屋は二百万円儲けるという。こういう実情にあるということを我々はよく認識しなければならん。今後十五年になるか二十年になるか、五十年になるか、これはいろいろ研究しなければならないことだが、文化財の開放という言葉の美名に囚われて、実質を把握していない。例えば今日の時代になつて初めて幸徳秋水の全集が出た。幸徳秋水の思想がいいか惡いか、私はここでは批判しませんけれども、死後何十年間において初めて幸徳秋水の全集が出た。三十年後作家の遺族が生きてないとすると、血を以て妻子と共に書いたそういう著作物は三十年後は一物も遺族に與えられないで出版屋の利益のみにそれがされるということは、作家としてはどうしても納得できない。そういうことは今後の社会においてしばしばあることで、これはいろいろ研究した結果、どうなるか分りませんが、そういうこともあるということも一應考えなければならない。どうも文化財々々々というとセンチメントに走るけれども、個人が國宝を持つておつて、その國宝を持つた個人が死んで、三十年後に國宝が開放されるかというと開放されない。これはどういうわけか、これは文化財ではないか、文化財を開放するというならば、こういう國宝までもすべて開放するというところまで行かなかつたならば、本当の公平な途ではないというふうに考えておるわけなんです。ということを一言蛇足でありましようが皆さんの御理解を得たいために申上げて置きます。
#60
○委員長(久松定武君) 他に御質問ございませんでしようか、御質問ないものと認めます。本日の小委員会はこれで散会いたします。
   午後三時二分散会
 出度者は左の通り。
   委員長     久松 定武君
   委長
           金子益太郎君
           松野 喜内君
           大隈 信幸君
           三島 通陽君
           岩本 月洲君
   專門調査員   青木 節一君
  説明員
   日本新聞協会事
   務局長     津田 正夫君
   文藝家協会書記
   局長      舟橋 聖一君
   文藝家協会書記
   局次長     竹越 和夫君
ソース: 国立国会図書館
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