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1947/08/27 第1回国会 参議院 参議院会議録情報 第001回国会 文教委員会第一小委員会 第2号
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1947/08/27 第1回国会 参議院

参議院会議録情報 第001回国会 文教委員会第一小委員会 第2号

#1
第001回国会 文教委員会第一小委員会 第2号
  付託事件
○教員養成の諸學校に宗教講座を設置
 することに關する請願(第一號)
――――――――――――――――
昭和二十二年八月二十七日(水曜日)
   午後一時五十二分開會
  ―――――――――――――
  本日の會議に付した事件
○教員養成の諸學校に宗教講座を設置
 することに關する請願(第一號)
  ―――――――――――――
#2
○假委員長(松野喜内君) それではこれから第一小委員會を開會いたします。本委員會に付託されました教員養成の諸學校に宗教講座を設置することに關する請願について、先に梅原紹介議員から御説明があり、本小委員會においてもこれを審議いたしましたが、その結果を本委員會に報告いたしました。その席上におきましては、更に内容を具體的に示して欲しい、而してこれを審議して内閣の方に送付すべきか否かを決定すべきである、こういう御意見が出たので、この小委員會は更にその具體案について審議せねばならんことに相成りました。本日は一つその意味において、これについて皆樣から、御意見を仰しやつて頂きたい。第一にこれを講座を設けるという小委員會の議であつたが、それについては今更論ずる必要がないかどうか、羽仁委員から、先委員會の時にこれに對する反對の御意見が出ました。更にこれを審議し直さなければならんかという氣もいたしますので、それは特定宗教に對するものであるという意味からであると解すれば、それでよいのかどうか、こういう點も併せて一つ御審議を願いたいと思います。
#3
○梅原眞隆君 この前の委員會の大體の氣持としましては、これは新しい一つの試みであるために、そういう宗教講座が具體的に成り立つにはどういうふうにするか、そこまで示してくれないと十分でないというような意味の氣持が一つと、新らしい試みであり、又重大な問題であるから、餘程愼重な審議を要するではないかという氣持が動いておつたと思います。更に羽仁委員から、憲法の國及びその機關は宗教教育を施してはならないという、憲法を遵奉せねばならんという説が出ておりました。これに關しまして私の考えを一應率直に申上げさして貰いたいと思いますが、第一の問題では、私は是非共必要であるという考えを持つておるということは、この前は申しませんでしたが、現在新らしい制度、いわゆる六三制度の上におきまして文部省が學習の教科規程を示しております。その中に宗教科としては擧げておりませんが、社會現象としての宗教を十分に取扱つておる。私はこれを見まして、私は相當な宗教に對する研究をしていないというと、この指導ができないであろうと思われるような状態になつておる。そういう點におきまして私は現在行つておる文部省の教科規程、こういうものを見ましても宗教に關する正確な知識を日本の教育者の間に浸透せしめるということが非常な必要なことであると考えておるのであります。從つてこれは全般に及ぶべきものであると思いますが、併し私は現實に即して、又いろいろな制度の變革期でもあり、又いろいろな點に問題のある時だから、或いは師範制度それ自體について多少變革が豫想せられるから、私は年次計畫でこれを實行されたらどうか、こういう考えを持つておるということを假に申しますというと、第一年度には東京及び廣島における文理科大學に宗教講座を設置する、次年度には全國の高等師範にこれを設置する、第三年度に全國の師範學校にこれを置く。そうしてその途中に何か學制の變革が假にあり得るとすれば、それは最初の意思を以て、その變革が行われた上で今のような原理を活用して行けばよい。こういうふうに私は考えておるのであります。そこで豫算の關係もあり、又いろいろな關係がありますから、私は先ず今年度は東京と廣島の文理大にこれを置くことがどうであろうか、これは行わうとすれば私は餘りの困難なしに行ける、こういう豫想をしておるのであります。そこで先ず科目としましては、無論これは十分に文部省の當路者なり、學校の當路者の意見でやるべきであることは言うまでもありませんが、試みにどういう形のものを入れるか、こういう問題になれば、私は宗教概論、その次に宗教史、これは宗教制度史、それから文化及び宗教の思想史、そういうものを内容とした宗教史です、これはいわゆる日本、西洋を問わず全體として入るべきであろうかと思います。第三には宗教心理學、これも特別として置くか、教育心理學の上に附帶させるかということも考慮せられていいと思いますが、とにかく宗教心理學、これは教育におきまして重要な立場を持つている。その次には、こういう言葉の使い方は正しいかどうか分りませんが、宗教社會學と假に名付けた。これはソシオレリヂヤス・ムーヴメントというような字を宗教社會學と飜譯しているから、社會現象としての宗教研究、これは現在の文部省の新制度における教科規程の中にもこれが非常に出ているのだから、少くとも社會現象としての宗教から入つて行くという方針を取つておられるから、これはやはり宗教社會學が是非必要である、ただここで一つの問題になるのは、宗教哲學なんですが、さてこれを別個として入れることがいいか、宗教心理學と哲學を一つの課程に入れ、宗教學と宗教史を一つの課程に入れるということも考えられますが、むしろ宗教學概論の中に宗教哲學を加味して行くというふうにしたならば、餘り煩瑣にならないであろうかという意味で、宗教學概論の中に宗教哲學を包含して行く、こういう建前で文理大に作つて貰つたらどうか、大體の考えは一週二時間の課程を一單位とする。そうして或いはこれを三單位か二單位かの課程によつて取つて行かれるということは、學校の規程においてお決めになる。大體これだけの講座は、私は專任教師一人、それから助教授若しくは講師三人という程で行けるかと思います。私は、金の方は今の實情は分りませんから、日高さんあたりが見えなければ分らないが、漠然と私昨夜考えたところでは先ず十萬圓程度でないだろうか、固よりこれに參考書としての書物なんかを假に整備するとなれば、非常に大きな金が要るけれども、重大なものは人件費であります。だから先ず十萬圓という程度で行けはしないかというふうに實は考えたのであります。そういうふうにしまして、私は年次計畫として第一年度に東京、廣島の文理大に宗教講座を設定する、科目は今申上げましたように、宗教學概論、宗教史、宗教心理學、宗教社會學ということにしてお決めになつたら成立ち得るであろう。特にその中に宗教社會學と私は假に譯して置きましたが、社會現象としての宗教研究は、これは現在の文部省の出しておる教科規程というものを見ますと、是非共これはなくちやならない。宗教講座を置くかおかないかは別として、今の日本の教育に是非入れなければならないと考えます。それから宗教心理學、それは入れることは別として、教育心理學というものの上には重大なものであるということが分る。それをやるとすれば宗教史というものが宗教社會學の基盤としてどうしても必要である。それをやるとすれば、宗教哲學という專門の形而上學にまで入らんでも、宗教概論ということは是非共心得て置かないというと、人生全體の生活というものと宗教との關係なり、又宗教自體の持つべき特異な立場というようなものに對する認識が必要だから、是非これが必要だろうということで、せいぜい簡易な形において組織的に考えて見て、以上のようなことを御參考に申上げた次第であります。
 それから第二の問題の、事重大であるから愼重にやつて貰いたいということには、私もこの前申上げましたが、全面的に贊成をしておるわけであります。ただここに、そういう意圖はないであろうが、考えたいことは、重大であるからというために、判斷を中止する材料にならないようにして貰いたい。重大なるが故に愼重審議をして貰うということは非常に必要であると思う。又これは無理に通したり政策的にに通したりするものでない。これは國民の文化國家を作つて行く重要な基礎なんだから、これを縱横に論じて論じ盡されるだけ盡して行われる方が穩健である。そういう點におきまして私はこの前も申上げましたが、私はむしろ公聽會を一遍開いて行くようにお願いしたら、そういう意味においてよくはないだろうか、そこで日本の各宗教の上における權威及び宗教というものを恐らくイデオロギーで否定するであろうと考えられる。そういう立場の人たちの權威、そういう人たちを假に二十人集めまして、この人たちの嚴肅な一つの公聽會を開いて貰つたらどうか、こういうことが日本の文化國家、特に宗教というものの地位、教育と宗教の關係を明確に認識する少くとも嚴肅な問題の提起にもなるだろう、こういうふうに私は考えているのであります。そういう點におきまして、私は今こういう問題を一つ公聽會を開いて、そうして我々の參考にし、又この運動の推移を考えて行くという上に一つの方法であるまいかということは、この前にも申上げましたが、そういうことで私は人間なんかも考えて見たのであります。
 それから第三の羽仁委員のおつしやつた議論は、その場でもこの前説明申上げましたが、丹羽さんの理論は、これは特定宗教の上に立たれた立論であつたのでありまして、この點におきましては羽仁さんの意見には全面的に贊成である。從つて今ここに出している宗教教育というものは特定の宗教でない、これは教育基本法の上におきましても、それから昨年の田中文部大臣の説明から言いましても、殆んど憲法の上で先ず制限せられている宗教教育は、特定の宗教教育であるということは、今では基本的な觀念になつているのだから、それを羽仁さんがおつしやるのであつて、それは毛頭違憲ではない。ただ、今ここに取上げているのは、學問における宗教的な客觀的知識を採り入れるということで、これは教育の全面的價値を高めるために是非とも必要なものであるという立場から現われているのであつて、これは憲法の第二十條第三項の制限というものには何らの矛盾を持つているものでないということだから、私は問題の性質を明瞭にされた時に、羽仁さんの意見に對しても私は心から贊意を表すると同時に、我々の意見に對して根本的な相違したものを持つておられるのであるとは私は認識をしなかつたのであります。そういう點において、私は羽仁さんがここにお越し頂いたらその點が明瞭になると思つて來たような次第であります。簡單でありますが、そういうような次第であります。
#4
○假委員長(松野喜内君) 外に御意見はありませんか。
#5
○小委員外委員(岩本月洲君) 第一小委員會の堀越儀郎氏が今日は差支があつてどうしても出られませんので、この問題に對する意見を私に託されたのであります。代つてお述べしていいでしようか。
#6
○假委員長(松野喜内君) どうぞ。
#7
○小委員外委員(岩本月洲君) それでは書き付けてありますから文章のまま讀みます。教員養成機關に宗教講座を設ける件について、一、當分の措置として社會科に宗教講座を併置し、主として困苦迫害に耐えて傳導された開祖や教祖の行傳を講ず。これは傳記でしよう、傳記を講ずる。二、神、佛、基各宗派教團より教義概要の提出を求め、導義昂揚の觀點に基ずいて文部省において適宜これを編纂する。以上の御意見であります。
 それから堀越委員の御意見はこれで終りでありますが、私の意見も述べさせて貰いたいと思います。
#8
○假委員長(松野喜内君) どうぞ。
#9
○小委員外委員(岩本月洲君) 梅原委員の今お述べになりました御意見に、論理的な筋道を通しての御意見に全面的に私は贊成をする者でありますが、ただ具體的に講座のあり方乃至内容その他については暫く檢討することもまだあろうかと思いますが、私は論理の問題は梅原先生の言われたことにおいて盡きておると思うのであります。實際問題を取上げて申しますると、年度計畫で先ず第一年目に、東京及び廣島の文理大においてこの宗教講座を開設するようにという御意見でありましたが、この前の委員會の時にも私意見を述べましたように、これはやはりその實際の面を觀察する必要があると思う。というのは、直接學校にいて經驗したことから言えば、現に宗教講座を要求しておる例を擧げますと、今廣島乃至東京の文理大に宗教講座を置く、これは年次計畫でそれが先ず第一年目にということを言われましたが、東京の文理大では、文部省の方から豫算が貰えないために、その宗教講座が開設できないというために、或る特殊の人が寄附行爲で財團的なものを拵えて、それによつて現に日本佛教の研究講座を特設しておるのであります。で、これは花山信勝氏が非常に斡旋の勞を取つて、そうして現に正科として一單位としてそれをやつておるわけなのであります。それに倣つて私の關係しておるいわゆる廣島の文理大でも文部省の方から豫算が貰えないならば、廣島の方でも何とかして一つ暫定的にでも、有志の一つ寄附によつてでもそういう講座が欲しい、東京の文理大に倣つてそういう講座が欲しいという非常な熱望がございまして、それを實現さそうというために隨分現在も骨を折りつつあるのであります。そういうように、教育機關、而も最高の教員養成機關である文理大あたりで、學校の内面から宗教講座というものを特設するということの要望が實際にあるわけなのでありまするから、これは宗教講座を設置するということの論理的な方面の考究も大いに我々は必要としますけれども、又實際面ということを我々は重要に觀察をしなければいけないと思うのでありまするから、これは實例でありまするし、現に私自身のやつて來た仕事の一部分としての生々しい問題でありますので、この宗教講座設置についての私は要望を、私自身としてもですが、文教委員會としても十分に一つ取上げて頂きたいという希望を持つているのであります。内容は只今梅原委員の言われましたように、取敢えず私は宗教學概論乃至宗教史であります。この二つの中に織込んだもので、十分に成果を擧げて行くことができると考えておるのであります。以上であります。
#10
○假委員長(松野喜内君) ちよつと皆さんにお諮りいたしますが、今教育局長がおいでになりましたが、文部省に重要な會議が開かれておりますから、ちよつとしか出て頂けませんが、先程梅原委員からのお話がありました中に、豫算關係についての事柄が出ましたので、文部當局からそういう點について伺うことにしたらいかがですか、どうしたらいいですか。
#11
○梅原眞隆君 伺つたら……。
#12
○假委員長(松野喜内君) それでは局長さんにお尋ねを申上げたい。本日小委員會を開き、引き續いてこの宗教講座を取り入れることについての具體案を審議中であります。そうしてその科目、時間、教授、講師等のことについて梅原委員から具體的な提案がありました。その豫算としては、取敢えず人件費として十萬圓程貰つたらと思うが、一應局長等においては、何かそれについての具體案を練られたことがありますか。
#13
○政府委員(日高第四郎君) 廣島と東京文理大に取敢えず年次計畫で以て、第二年目にはこれを地方に及ぼすと……。
#14
○梅原眞隆君 こういうふうに申上げたのです。年度計畫で願つたらどうか、それで第一期に東京と廣島の文理大、第二期に高等師範、第三期に全國の師範、こういうふうに年次的にやつて貰つたらどうか、若しもその間に多少教育制度に變更があるとすれば、それに應じて貰えばどうか、要するに最初には文理大に一つ宗教講座というものを置いて貰つたらどうか、この前社會學の一つとしてという話もありましたが、大體宗教講座としてお出し願つた方がどうだろう、それには現在に即して教授の教授細目を見ても、いわゆる宗教社會學というか、社會現象を對象とした宗教研究というようなものが是非なくては、六三制の項目を見ましても、これはやり切れんだろうと思う。先ず宗教社會學、それと同時に宗教心理學、これは教育心理學に織込まれてもいい。それから、宗教史と宗教概論、それから宗教哲學は宗教概論の中に織り込んでもいいだろうかと思います。三年間に四つの課程をお取りになつて、一週に二時間として專任教授が一人で、そうして補助になる講師若しくは助教授級が三人で行けはしないだろうか、これは金のことは分らないが、漠然と見て十萬圓程あれば、材料であるとか、圖書館とか、研究資料を言えば切りがないが、一應俸給、手當としては十萬圓程あればいいのではないかということを申上げた。これについては日高局長が見えたから、御意見をお伺いしたらどうか、こういうふうに申上げて置いたのであります。
#15
○假委員長(松野喜内君) 尚それに關聯して堀越委員から、書面で意見を述べられていると思いますが、社會科の中へそれを併置したらどうか、そうして各宗教家の傳記を入れたらどうか、教材の要綱をば求めて、それを文部省で編纂するようにしたらどうかという、岩本委員からもこのことについては必要なことが理論方面から見られるのでありますけれども、我々實際面を扱つた者といたしましては、學徒、學生の方からの強い實際の要望なんだから、そういう面から見ても、これは是非設ける必要があると思う。内容としては岩本委員のお話になつたのは、宗教學概論、宗教史といつたものの中に今梅原委員の言われたような内容を嵌め込んだらどうかというお話であります。
#16
○政府委員(日高第四郎君) 初めに基本的な問題で今解決ができないということを申上げてお答えの準備にいたしたいと思います。實は教員養成諸學校を大學に轉換することにつきまして、教育刷新委員會の意見と司令部側の意見との間に相當の意見の開きがありまして、文部省は今間に入つてそれを適當に調節いたしたいと思つておるのでありますが、それは大體の線は次のようなことなんであります。教育刷新委員會は、從來の日本における師範學校の弊害を非常に鋭く指摘して、それを根本的に改革しなければならないというような意味において、教師に人間的な一般的な教養を與える必要があるから、學藝大學というようなものにおいて教員の養成を圖るがよい、そういう意見を一應答申したわけなんであります。併しそれには積極的に今後の教師の養成のために、どういう科目をどういうふうに取入れて、どういう方法でやるかというようなことについての積極的の意見が非常に稀薄なんであります。これに對して司令部側の專門家は、外の方面の職業においても專門的教養が必要である、人間の教育についても專門的な、學問的な教養竝びに訓練というものが必要である。一口に言えば教職的教養というものにもつと重きを置かなければならん、それが教育刷新委員會の答申案の中には積極的には現われていない。その點は甚だ遺憾であるというような話がありました。その二つの意見を綜合いたしまして、今後の教師養成機關の内容的の改善を圖らなければならないというのが現在の文部省の立場である。その中で勿論教育刷新委員會で指摘しておりますように、教師たるものは一般的な、人間的な教養が必要であるということは言われますが、その外にただその方面の學識だけではいけないのであつて、教育者としてのトレーニングが必要である。それをどの程度まで重んずるかということについて意見が分れておるわけであります。文部省の意見といたしましては、從來のありきたりの教職的教養というもので甚はだ不完全でもあるし、又餘り學問的でないというような意味において、それを相當根本的に檢討して直さなければならないということを認めておりますけれども、併しそれが不必要だというふうには思いません。むしろこれは改善をした教職的教養というのは大いに必要だというふうに考えております。まあ司令部側の意見も十分聽かなければならないと思つております。刷新委員會もその趣旨を十分説明いたせば理解して貰えるものと信じております。いずれ近い中にその兩方面の代表的な意見を突き合せまして、具體的の案を作るために委員會を作りたいと考えております。その場合に恐らくこの宗教的情操を養うためにも必要な處置として、今お申出のようなことが問題になると思いますが、そのときに檢討いたしたいと思つております。外の學科との振り合がありますので、どの程度にそれを見ますか、或いは宗教學概論とか、或いは宗教史というようなものは人間的の一般的の教養の學科の中に入れることもできるかもしれません。その振り合というようなことも一應考えて、こういう全般の問題として一應考えて見なければならん。それともう一つの問題は、今文部省では大體大學の自治ということを十分重んじて行きたい。學問の研究につきましても、或いは研究するに必要な教授の選定等につきましても、或いは研究の方法とか、或いは研究の題目とかいうことについても、成るべく大學の自治を重んじて行きたいということに考えておりますので、お申出のような東京文理科大學、或いは廣島文理科大學にそれを初めて置くということになりますれば、大學との十分の了解の下に置きたいと思つております。御意思は十分重んじて折衝したいと存じております。その邊の交渉のゆとりをお殘し頂けると幸いと存じております。それから講座の中の時間數のこととか、それから教授や助教授の定員等につきましては外の學科の標準がありますので、今私十萬圓で事足りるかどうか、ちよつと詳しい點を御返事いたすだけの準備を持つておりません。その邊は尚よく檢討いたしまして御返事申上げたいと存じております。
#17
○小秀員外委員(矢野酉雄君) 文部當局にお願いして置きますが、若しも參議院の文教委員會が教員養成を目的としたる諸學校に宗教講座を置くということを可決して、そうして合法的の方法を以て當局に對してこれを要望した場合には、十分な積極的な熱意を以てこれが可決された請願の趣旨を十分に果すことができるように一つお取計らいを願いたいと思います。その前にこれは今冒頭においてこの問題については贊成の意見を述べて置きましたが、全面的にこれに反對しておられる方は一人もないように私は存じておりますが、是非この問題は本委員會においても可決して頂いて、そうして文教の全體委員會にこれをお出し願うように、私自身の意見を申述べて置く次第であります。
#18
○假委員長(松野喜内君) 外に日高局長にお尋ねになることはありませんでしようか、お歸りになりますから……
#19
○梅原眞隆君 今の日高局長のお話御尤もでありますが、先程私の出しましたのは、ただ問題がこの前の相談の時には餘り抽象的で檢討のしようがない、だから幾分か目鼻を附けて貰いたい、こういう話がありましたので、そういう意味で假に形を付けたのであります。それで今おつしやるこれを實施するのには、局長のおつしやつたような周到な用意と、それから實際的な割當を考えて貰うのは言うまでもないので、今私はただこういうふうなことをして貰いたいという要求よりも、この宗教科をおくとすれば、こういう形になりはしないのかという具體的説明をしたので、これに私に別個の主張はありません。ただこれを具體的に説明せねば話が分らないという意味であつて、今私が作つたのは、今日の文部省の持つておる教授規程というあれを見まして、これに即したもので行く必要があるという觀點で、私はこういう講座のやり方を選んで見た。これも何も強いるのじやありません。當然これはこつちの文理大あたりの方なり、向うの方とも相談しなければならないし、又廣くこれは學者にも、お問いにならなければならんことであると思います。ただこれはそういう意味においてちつとも主張しておるのじやない。ただ具體的に出さなければ話が分らんということになればという意味で、これを具體化して見た。こういうことなんです。その點は一つ彈力のあるように自由にお考え願つたらいいのであります。
#20
○假委員長(松野喜内君) 他にどなたか御意見ありませんか。
#21
○小委員外委員(鈴木憲一君) 私はこの請願書に對して、非常に具體的な論までも必要とする程の重大さを餘り認めておりません。請願の趣旨がよろしいか惡いかという大體の常識的な見方によつてこれを採決して結構だと思うのであります。たまたま文教委員會に、さほど他に法案がないものだから、こういうような非常な込んだ問題になつて、これは宗教講座を實際設置する專門委員のごとき觀を呈しておるのであります。宗教講座が必要なりや否やということの見解さえ付けば、採決して差支ないものだと思うのであります。そういう點からいいまして、新學制によりましても、宗教に關係した文化的なものが、教科課程の中に相當入つて來ておる面から見まして、やはり宗教に對する一般的常識を持つた教育者がどうしても必要なりと私は考えるのであります。でありますから教員養成學校におきましては、少くとも公正妥當な宗教的見識を養成すべきのであるというふうな立場から、この請願は採用して差支ないものだというふうに私は率直に考えておるわけであります。
#22
○小委員外委員(小野光洋君) 只今日高局長のお話を伺い、又私共が考えて見て、宗教情操涵養に必要な學科を教員養成の諸學校に講座或いは學科課程として設けるということは、これは原則的には極めて必要なことで、ただそれを具體的にどういう種類の學科をどういうような方法で入れるかということに對しては、憲法第二十條の問題或いは學校教育法の問題等がありまして、それに牴觸しないような範圍で、宗教一般論の立場から、或いは歴史學、社會學、或いは心理學というような立場から、そういつた學科を入れて頂く、そういうことを是非實現させたい。こういうことであつて、その具體的な問題としては、先程の局長の説明のように、この委員會でその具體論まで決めるということは、これは實際困難なことで、又決めて見たところがいろいろ當り障りがあつて、そこまで入つて行くと一ケ月議論しても、あらゆる關係筋にここへ皆來て頂いて、大學の教授會でもここで開いて貰わなければならんということに勢いなつてしまいますから、これは原則論を決めて、先程鈴木さんのお話にもあつたように、文部當局が熱意を以て必ずこの趣意を實現させる、何らかの方法を以て必ず實現させる、こういう肚を決めて頂けば、又肚を決めて頂くことが、本委員會の決議の要項じやないかと思うのです。具體的のことまで決めるということは、この委員會としては不可能のことである。違憲であるかどうか、その邊のことは分りませんけれども、不可能のことをここで議論するということは、幾ら審議しても結局不可能に終るのじやないかと思います。そういう點で、餘りに具體論に入り過ぎるというと迷宮に入つてしまう。原則論としてこれを採擇して、文部當局に要望するということに願えればよいのではないかと私は思います。
#23
○梅原眞隆君 これは今鈴木さんなり小野さんの話ですが、私も尤もであるとは同意をしておる。ただこれの課程がこういうことになつたところを一遍お互に見て置かなければならん。私はこの前おりませんでしたが、總會でこれを採擇して内閣に送付すべしという案を持つて出られた。ところが總會で起つて來たことは、二つの非難が起つた。一つは、具體的にどういう科目をどう入れるのかを出さなければ問題にならんという議論が一つ。第二には、重大な問題であるから愼重審議すべし。この二つが出たのです。それではというので、第一小委員會がもう一遍戻つて來て、それではせいぜい具體的にというても、施行細則というようなことではありませんけれども、宗教科というものを入れるとしても、どういうものを入れるのか、又入れ得るのかどうか、これを出す。それが一つ。今日私が出しましたのは、私案としては、こういう形においてならば入れねばならず、又入れ得るだろうというサンプルを出した。
 それから第二の問題として、審議をやるのには公聽會を開いて貰いたい、そうして宗教に贊成しそうな人と贊成しそうでない人を、反對の人も十人ぐらい出して堂々と一遍やつて貰おう、とにかく愼重に審議すべきことは私も贊成する、そういう話の成り行きに結局なつておる。今あなたの言われること、鈴木さんの言われることは尤もであつて、そういうこととしては第一囘に通つてしまつておる。ところが、實はそういうことなんです。ただそれを餘り形式的に取るのもどうかという肚があるので、せいぜい皆が納得されるまで論じて貰つたらよかろうという肚を私は持つておるのです。進んで序でに第二の公聽會も一つ議題に上げて頂けませんですかどうですか。
#24
○小委員外委員(左藤義詮君) 私もオブザーバーですが、お許し頂けますか。
#25
○假委員長(松野喜内君) よろしうございます。
#26
○小委員外委員(左藤義詮君) 今梅原さんから、二つの理由でもう一度第一小委員會に戻されることになつたというお話でしたが、その二つの理由の起つて來る因は、結局は憲法第二十條の問題、下手をするとそれに觸れるのじやないか、觸れないような具體案を示し、又いろいろな意見も聽けと、こういうことなんでありますが、これは非常にデリケートな問題で、私實は衆議院で憲法審議の時に委員をいたしまして、特にこの問題には今文教委員長の田中文部大臣ともいろいろ問答をして速記録にも殘つておるのでありますが、實は宗教教育、或いは宗教的な儀式をしてはいけないということ、一宗一派に偏してはいけない、廣く宗教的情操というものを陶冶することにおいてはちつとも差支ないということであるので、或いは宗派的と修正しようということで、これも宗派的であつてはいけないということが小委員會で問題になつたが、原夫次郎君一人の反對で、事情は分つておるのだから、今更修正しなくてもいいというので、宗教的儀式をやつちやいけないということになつたのですが、趣旨は宗派となつちやいけないのであつて、廣い意味で宗教的情操を陶冶することはちつとも差支ない。一方においてあのままで出すその裏付けとして、衆議院で宗教的情操の尊重の決議案というものを出しまして、絶對多數を以て可決せられておるのでありして、こういう點から申しましても、委員會で問題になりましたような、憲法に觸れるということに餘り怖がつて、この問題を微に入り細に入つて論議しておると、只今鈴木委員の話のように請願というものの趣旨にも反するのでありまして、大きな意味で參議院としては公聽會を開いたり、贊否いろいろの意見を討わして、具體的の問題に立入らなくても、相當な見識を持つた者が集つておるのでありますからして、これを教員養成の學校にすべきか否かということの大きな判斷を下せばいい。餘り細かいことに立入り過ぎると、却つて問題が横道に外れて折角の請願の趣旨が徹底しなくなつてしまう、憲法の精神はそういう意味なんでありますからして、それにはいろいろな實例をお出しになりましたが、憲法のこの趣旨に副うて、第二十條に觸れないように、一つ文部省でも又實際これをやられる兩文理科大學その他においても、自主的に研究せられて、是非これを實施されるように、私はこの委員會でこれを採擇したらいい、そういうふうに私は考えるのであります。この問題の起つて來た根本から考えまして。それにこだわり過ぎて、鈴木委員のお話のように、請願の扱いとしては、いくら法案のない暇な時でも、餘りに專門の議論に立入り過ぎておる、かように思うのであります。
#27
○小泉秀吉君 私は一體この請願というものの取扱い方に對して、いろいろ御意見があるようだが、請願というものはそう細かく、請願された立法府が審議するには及ばないんだという見解を持つておるのであります。從つてこの問題も大體請願者の意思を拒否するか受入れるかという大綱を決めて、そうして受入れるならそれをどういうふうに扱うかというふうな行き方で行けばいいのだ、從いましてこの問題の、宗教講座をこういうところにやることが必要だと決めれば、その範圍のことを適當に取上げればいいので、あとは政府が適當にやるし、又必要があれば政府から逆に立法府に持つて來た時分にそれを審議すればいいのであつて、そういう見解に立ちまして、私はこの請願者の意思を尊重して、これを採擇をする。或いは適當に處置をするということを第一委員會が最初に委員會に持つて行つた、私おりませんでしたが、そうだそうですが、その線に沿うて行くようなふうにここで決定をして行つたらどうかと心得ております。(贊成と呼ぶ者あり)
#28
○假委員長(松野喜内君) ちよつと速記を止めて……。
#29
○假委員長(松野喜内君) では速記を始めて下さい。それでは羽仁委員の御發言を願います。
#30
○羽仁五郎君 私のこの問題についての考は、先日の文教委員會の席上で申上げた通りでありまして、私の根本精神はこの請願をお出しになつた方、又御紹介になつた梅原委員と全く同じであつて、國民の間に宗教的情操を高めたいという目的においては全く同じなんです。私自身も實際日本人の間には、必ずしも現在の若い人と言いませんが、從來の日本人の間には宗教的情操が非常に低いということを、歴史的にも痛感いたします。例えば江戸時代の日本の儒者が無神論であるというふうに普通言われているのですが、よく研究して見ると全然深い哲學的な無神論じやないですね。つまり佛教なり、宗教についての理解のない、つまり機械的なものであるのです。ああいうふうな江戸時代の錚々たる儒者がああいう宗教に對する低級な理解しか持つていない、それを今日の日本思想史を研究される方も、江戸時代の儒者のああいう宗教に對する無理解を無神論であるかのごとくに、思想的な内容を持つた無神論であるかのごとくに誤解しておる。そのためには實は宗教的情操を高める問題と、今一つは日本における無神論というものが信仰の自由の上から、健全に成長する上からも、私は宗教的理解を高めたいということを實に切望するわけなんです。
 宗教的理解というものがないところに無神論が發生する、これは實際非常に危險です。そういう滅茶苦茶な無神論は、本當の思想的な内容を持たない。宗教に對しては全然無理解の無神論が起つて來る。そういう意味から日本では宗教は理解されていないし、無神論が理解されていないし、全くつまり我が國民のモラルというものは實に歎くべき状態にある。そういう意味で私も實は永年に亙つて、我々が一般に宗教的な理解を高め、宗教的な情操を高めたいということを實際切望して來たのでありまして、この目的においては全くその請願を提出された方、又御紹介になつた方々に深く訴えたいと思うのですが、目的は全く同じでありまして、私もその點完全に御同感なんです。この點に御同感であればある程、そういう目的を實現する方法が、こういう方法において取られることが適當ではないかということを非常に心配するわけなんです。實際問題として我々が教育の上で體驗をして參りました場合にも、人の内心に關する問題は、外面的な強制が少ければ少い程實際の效果があるということは、先輩の諸君のよく御承認下さるところであると思うのです。外面的の力が加われば加わる程、内心の問題が逆の效果が常に發生して來る。これは我々教育に關係しておる者の痛切の體驗であり動かすことのできない眞實であると思いますので、私はこの宗教に對する理解を高め、宗教的情操というものを高めるということを切望すればする程、これが公立學後において教科目に組み入れられるということが、悲しむべき結果を生みはしないかということを非常に恐れるのです。日本の青年は過去においてそういう點で非常に氣の毒な目に遭わせ過ぎておるような氣がするのです。私自身もまだ青年であるからその感じが非常に痛切なんですが、内心の問題に對して指圖されることが餘り多過ぎる。從つて内心からそれを研究したいと思つておるときに、形式の上から教科目として公立學校でこれをやれということを言われると、青年の純情の氣持としては、どうしてもこれを純情に受入れることができない。そうして素直に宗教を理解し、素直に宗教的情操を高めることとは反對に、日本では絶えず宗教がそういう公的な權力の力を借りるという點において反撥を感ずる、こういう實情が非常に多いのです。現在師範學校の實際を見ても、實は私共の高等學校時代の體驗を顧みても、宗教に對する講義どころじやない、倫理學についての講義ですら我々率直に言つて反感を非常に懷いたということを申上げなければならないと思うのです。善をなすということを學校で公式に講義をされるときに、我々自身の内的な善に對する意慾というものは、むしろ逆の效果を發生するのではないか、惡をすることもできるのだ、惡をなすこともできるが、自分たちは善をなすのだというところに我々倫理的行爲の價値があるのである。從つて宗教的情操を高め、宗教的理解を深めるということは、そういう便宜を與えられたからそういう活動をするとは限らないのであつて、これは宗教の歴史自體が示しておるように、宗教はむしろ迫害された場合にその信仰が非常に純粹のものになる。優遇せられた場合にその信仰が非常に腐敗するという歴史上の事實が示しておる通りである。何も私は宗教なり思想なりが迫害せられることを少しも希望するものではございませんけれども、併し優遇されることによつてそれが高められるということはないのである。で現在の公立師範學校に入學されるところの青少年諸君の心理状態を考えますと、どうかこの委員においてもその點を十分お汲取り下さつて、御裁斷を願いたいというふうに訴える次第であります。先日の文教委員會におけるものと同じ趣旨であります。たびたび同じ趣旨を操返して申譯けないと思いますが、御了解を願いたい。
#31
○小泉秀吉君 私は今の羽仁さんの御意見には御意見として非常に傾聽すべきことがあるし、又尊敬を感ずるものでありますが、羽仁さんのおつしやつておることは、宗教というものを、私の了解するところでは、信仰というようなことに非常に強くお取りのように思つておりますが、私共はこの請願にあるのは宗教講座というのは知識としての宗教、それから紹介者である梅原さんの仰せになつた講座の内容に對しての御意見を伺つて學問的に、或いは知識的に宗教を入れようじやないか、入れる方がよいのだというようなふうに心得ておりましたのですけれども、これはそういう意味においてまるで無知識に放つて置くよりも、やはり宗教に關する一般の知識を與えるという意味においてこの請願はいわゆる羽仁さんと同調するようなふうに思いまするので、やはり私は最初と同じようにこれを採擇するように支持する者であります。
#32
○梅原眞隆君 私はこの前申上げたのですが、私も羽仁さんの言われた今の意見に今も全部同感であります。ただ我々が今申上げておるのは、日本の憲政の教育態度の上における先ず教育者の知識として、宗教に關する正確な理解と、この憲法下に正しく宗教を取扱う心構えを教えるということが、非常に私は必要な問題になつて來ておる。そこで教育者に宗教に關する客觀的な理解を明哲にするということは、羽仁さんの言われた信仰に關する教養とかなんとかいうのは別個の立場でこれは取上げられるものじやないかと、この前と同様に私は思つておる。現在でも御覧の通り六三制における社會科の中に入れておられる、教科規程の内容を見ると可なり宗教というものが深く入つておる。どうしてもこれは宗教に對する正しい理解と又正しく宗教を取扱う、日本におきましては澤山の宗派があるんだから、これに對する公正妥當な、而も批判的な良い氣持を養つて置かないと非常な迷惑が起つて來る。こういう點において日本の教育者をして完全にその使命を展開させるためにも、又先程おつしやつたような無理解な無神論や、又無理解な盲信が起つて來ないためにも、信教の自由を不斷に獲得して行くという民主國家の教育の立場から言うても、私はこういうものを考えることが、今日本として重大なんじやなかろうか、昨日申上げたように羽仁さんの言われる論理、それを私は全面的に贊成をすると同時に、それとは違つた觀點から、私はこの講座を受入れてよいのではないかというふうに實は考えておるのであります。小泉さんの言われるのと結論において、同じことなんであります。
#33
○假委員長(松野喜内君) 大體御議論が一通り濟んだと思いまするが、愼重審議する意味において議を重ねて御審議を願つた次第でありますが、羽仁さんいかがでしようか、今の信仰という……眞の信仰という意味から言つての御議論に、外部から言つても却つて逆效果を現わすという趣意もあるので、御意見も御尤ものように思いますが、それに至つては各人が自由に教會かその他に行つて信仰を深めるというような策を便宜取ることに任意にすることにいたしまして、各學校においては信仰というところまで行かなくて、先程來諸君の言われるようなふうにしての意味から、これを採擇するという方に御同意を願えませんでしようか、そうすると全部委員は一致いたして採擇することになるのですが。仰せの信仰という意味から言つて誠に御尤もでありますが、そうでなく、觀念上正當なる理解上、或いは社會科科目として扱う必要上、教師にはそういう方面の知識が必要ではないかという意味からの上において御贊成願えんでしようか、委員長として御質問申上げます。
#34
○羽仁五郎君 委員長の大變鄭重な御質問で痛み入るわけでありますが、私やはりこの信仰の問題と、知識としての宗教に關する問題というものは、そんなに簡単に切り離すことはできないのじやないかというふうに考えます。又それを完全に切り離した場合の知識としての宗教學というふうなものは、教育者にどんな有益な效果があるかということも非常に疑わしいと思います。それで私はやはりそういう意味で、そういう程度の教科目ならば、これは行政官廳にお委せしても構わない。我我立法府として考えなければならないことは、やはり假に學問的な客觀的な知識としての宗教學を教えるという場合にも、立法府として考えなければならないことは、それが信仰の問題とどういうふうに關係するかという根本問題に關して初めて立法府で取上げる必要があるんじやないか、そうでない限りただ技術的に知識の一環として教えるか教えないかということは、行政府にお任せした方がよいというふうに思います。それで行政府にお委せすると言つたのはちよつと語弊がありましたが、行政府というよりも學校長でありますか、各學校に委せた方がよい。今日普通の師範學校長或いは師範學校の教授諸君というものも、やはり我々と同じような點を反省しておると思います。教育者たるものは宗教上に全然無理解で以つて教壇に立つということは許されないということは、師範學校長なり、或いは師範學校教授諸君というものも、十分に理解しておると思うので、これは文部省なり、各學校なりにおける學校の校長、或いは各學校の教授諸君、又學生諸君に委せた方がいいのではないか、本請願が本委員會で問題にせられるならば、やはりそれはもつと根本の問題、つまり信仰の問題との關聯において問題にせられるのではなかろうか、それで私はその意味において採決の御意見についても十分愼重に考えまするが、私自身の考をまだ翻えすに至つてないことを非常に遺憾に考えますのですが、今一つは、この小委員會がこれを採擇に御決定になるとすれば、當然文教委員會で採擇するということになり、文教委員會が採擇になると參議院が採擇するということになるのであります。その際この小委員會がいろいろな點でやはりこの小委員會の採擇の意義の重大なことも考えなければならない、これが單に知識としての宗教學を師範學校においてやるか、やらないかという程度の問題ならば大したことはありませんが、こういうふうなことを契機として再び日本の宗教が政治の下におかれる、それで我我は再び日本における宗教を政治以下のもの、法律以下のもの、つまり行政權の上に宗教が置かれるというような、江戸時代なり戰爭中の非常な状態を導く一つの端緒を作るようなことがあると、私はこれの採決に贊成をしない限り私には責任はないようでありますけれども、併しこの小委員會の御名譽のためには、どうも甚だ殘念に思いますので、これは私は特に自分の專門が歴史であるために、宗教と教育の問題は實にデリケートな問題であるので、取上げられるときは何時も客觀的に知識として取入れられてもいいじやないということで取入れられるのですが、宗教は實はそんな生易しないものではなく、或る意味においては恐るべき力を持つものである。又その恐るべき力を持つていなければ宗教の値打はないのでありますから、本當に知識として取入れられたような宗教が、恐るべきいい結果を發生するか、然らずんば恐るべき惡結果を發生するか、いずれかに必ずなる。これは歴史の示すところで、中世カトリツクにおいても宗教と教育は分離しておる。ヨーロツパでは我々が神經質だと思う程分離しておる。又新憲法もその精神を受繼いで嚴格にこれを分離しておる。そこにどうしても積極的な意味があるのであり、この前にも申しましたように、宗教と教育をはつきり分けるために、我我の先輩がそれこそ血と涙を以てやつて來た。第一囘國會における文教委員會の小委員會が覆すことの第一歩を歩ゆまれることになることは、私は最後まで反對せざるを得ないと思うのであります。
#35
○梅原眞隆君 私は羽仁委員の意見を、この前から非常な寛容と尊敬を以て處理をして來た。併し今のお話を聽いておつて、私が羽仁委員の立場を寛容し又尊敬しておるとは違つた意味で、今のこの決定をいかにも憲法の蹂躙者であるかのごとく最後におつしやつた。これで私は今の憲法を遵守せなくちやならんということは、恐らくは參議院のすべての方々の信念である。憲法の第二十條には政教の分離をはつきり示しておる。それから宗教教育、特定の宗派教育を施してはならないという規定も憲法に明白に示しておる。それだけの憲法の今の民主化の在り方を受け入れながら、これに伴うてややもすれば宗教無視になり、そうして心得方が惡いと、大變な文化的の損失を持つという點を顧慮してここに現れて來たものが今の問題であると思う。だからこれを採用することがつまり憲法における政教分離の鐵則、信教自由の鐵則若しくは特定の宗教的信念を強いてならないという憲法の條章に十二分の理解と、又信念を持つた上の議論であるということを一應御了解を願つて置きたい。
 さて、それだけのことを受入れて、公立學校において宗教に關する客觀的知識を入れるということは、今の日本の現状においてはそれが限界である、併しそれがすべての人間の信教過程としてどれだけの價値を持つかということは別の話、それは人間の宗教心を作つて行くことの源泉なり基礎であるということに間違いない。若しも學校において人間の信仰を育成するということになると、明らかに憲法違反になる。それだから學校としましては教育に關する客觀的知識を與え、宗教を取扱い、正しき理解を持つて教育者を作るということが、今の憲法治下において特に必要でなかろうか、こういうことがつまり先立つてからの議論の要點であつた。これに何遍も繰返されたことであります。だからこれに關して、この委員會がこれを採擇したことがいかにも憲法違反であるというようなふうなお考えは、私は先立つてからの我々の議論を全部お聽きになつておらんからの話であつて、その點は一つ正しい御了解を願つて置きたい、こういうことなんです。今あなたのおつしやるような知識と信仰を分離すべきものかどうかという哲學的な問題は別個であります。併しながら今の日本の憲法におきまして、信仰を勸めるということは、斷じて國家としてはやつちやいかん。それはあなたが先程言われた通りであります。ただ併しながら多くの宗教生活を行う基礎的理解を正しく持つて行くということの一つの礎石であるということは相當の價値があるので、そうしてそれは憲法に決して違反しておるものではない。むしろ宗教を尊重し、信教の自由というものは不斷の努力によつて確保すべきものであるという精神で、私は憲法の精神に順應するものである、こういう考え方なんです。その邊は今あなたが言われる知識と理解はどうかという哲學的の問題は別個の問題で、知識が全部であるとは誰も主張しないのであつて、ただ一つの教育の中にそういうことを入れることが必要であるという立場から來ておつて、完成は教會と家庭と學校においてやらるべきものであるということは言うまでもない。その點において私は意見が相違しておるのではない。結論において我々の考えが憲法違反であるがごとき議論がちよつと出ると、多少むきになつて訂正を要求して置かんといかんということになる。決して討論をしておるのではないのですから、そこはよく御了解を願いたいと思います。
#36
○羽仁五郎君 今の梅原委員の御發言に對して、非常に私の眞意が十分御理解頂けなかつたので訂正を願いたいと思うのですが、私は本委員會の、殊に採擇御贊成の方々が、憲法違反の疑いがあるということを申上げたのではないのです。この委員會において御採擇になると、その後においてそういうふうな動きに解釋され、そういう動きに利用され、或いはそういう動きを刺戟するようなことになる場合を恐れたわけであります。それでこの委員會で今御採擇になろうというのは、客觀的に、公平に宗教に對する知識を與えるということであるのですから、憲法違反というのではないのですけれども、併し具體的な實際の從來の例に徴しますと、どうしてもそれが各學校において實行される場合には、それが信仰と關係を持ち、又信仰の自由の關係を持ち、少數の場合には非常にいい結果が擧がるかも知れないのですが、普通の大多數の場合には逆の效果か發生する、そうして結局新憲法が企圖した即ち宗教と教育をはつきりと分けて、そうして双方の地位を高めしめるという、それが企圖しておる目的を實現することはできないことになるのではないか、そのために世界の諸國においても、こういう問題については非常に――デリケートな態度を取つて來たのではないか、差支えない程度のことはやつていいじやないか、又新憲法に必ずしもそのまま違反しておるということはないわけですが、併しそういうことが新憲法の精神を積極的に擁護し、それを發展させて行くことになるかどうかという點について、今までの現實の實例は宗教と教育とをできるだけ分けた方が、宗教の地位を高めるためにも、教育の地位を高めるためにも非常に效果がある、それを一見差支えないような關係においてであつても、結びつけた場合には、そこから非常に恐るべき弊害が生じて來たことがあるのじやないかということについてお考えを請うた次第でありまして、本委員會の委員各位の中に、憲法違反の疑いあるというふうなことを私は決して申上げたわけではないのでありますから、どうかその點については誤解を頂きたくないように考える次第であります。
#37
○小委員外委員(左藤義詮君) 羽仁さんの御心配は一應非常に御尤もでございますが、世界各國が宗教と教育とを分離する、その宗教は勿論信仰としての宗教でございますから、その場合は國民に健全なる宗教に對する判斷を持つように、それを指導する教員に特に宗教の學問的又常識的な十分な理解を持たせるということは、先程お話があつたように、無神論になるにしても、或いは或る特定の宗教を信ずるにしても、非常に正しい判斷を持つことになると思うのであります。こういう意味におきまして、餘りに私は歴史的な過去のことを羮に懲りて膾を吹くというように心配をされ過ぎると思うのでありますが、私はただ新憲法の下において十分な注意を以て行われまするならば、それがいわゆる信仰としての宗教の方に影響を及ぼして、政治或いは教育と宗教とが混同されるような虞れはないと私は信じますので、羽仁さんの御意見、非常な御心配は謹んで了承をして、その點について信仰としての宗教と混同しないようにということは、十分一つ當局においては注意をして、宗教の學問的又は常識的な理解を高めて、教育にそれを徹底せしめるという意味においては議論は盡きておると思いますので、私は委員長において御採擇になることを希望いたします。
#38
○假委員長(松野喜内君) 私から一つ羽仁さんのお言葉を伺つて、最後に申上げて見たいと存じます。歴史に非常に權威を持つて御研究になつておる羽仁さんのお言葉であり、それが過去においての宗教と社會というようなものの實情を見られてのお言葉、而してその間におけるいろいろの御心配、これは御尤ものことと思います。そういうことから結局これを客觀的に判斷し、推理力的に行くにしても、それがいろいろ逆效果を呈してはいけないという御心配で、登る高嶺の目的は皆同じだと思うのであります。
 そこで私は羽仁さんのおつしやつたようなことを教師が十分理解して掛かることが必要だと思いますから、その意味で、宗教に何も觸らないでおるよりは、そういう公正な批判力を持つ意味において、これを一つ採擇するについては、教育者としてその點についての十分な理解を持たしめる、丁度羽仁さんが今おつしやつたようなことを教師が持つようになることが必要であるという意味から御贊成願いたいのですが、いかがでしようか。そういう弊害なり先の觀念を起させないことの必要上、判斷力を養うために必要であるとして御贊成願えませんか。
 それからおつしやる通り總長なり學長なりに、その科目その他の選擇を任せる、これもおつしやる通りであります。先程おいでの前に局長から司令部の考え或いは刷新委員會の考えと、その間にいろいろな教育、師範の在り方についても今や論議中ということで、そうしますと文教委員會においても、こういうような請願のあつたことに觸れまして、そういう一つの宗教に對する正當な判斷力を持たしめることが、教育者に特に必要であるという意味から、委員會においても採擇の案があつたということが反映いたしますれば、やはりそこでも丁度御議論のごとくに強くそういうことが論議されまして、弊害を起さないように、皆信仰の講義については各自が任意に決めるように動くだろうと思います。社會科という科目があり、その社會科という内容についてもそういう點が必要ではないか、教育法とか或いは教育の科目に關しましても、宗教に對する判斷力も少しもなかつたのではない、こういう意味からおつしやつたと思いますから、仰せの逆效果を呈したり、信仰の方面やいろいろな歴史上の過去のことを考えて見て、御心配の向きは御尤もであります。そういうことをなからしめるために必要なものとして御贊成願いたいと思います。
#39
○小委員外委員(左藤義詮君) 羽仁さんには羽仁さんの信念がおありですから、それを無理に全會一致にするためにこれだけ御意見も伺つたのですからして、そこで必ずしも全會一致でなくても、こういう御意見もあつたということを、一つ反對意見も入れて、ここで採擇なさつてもいいじやないかと思います。
#40
○羽仁五郎君 委員長のおつしやるのは私を強制されるという意味ではなく……。
#41
○假委員長(松野喜内君) 決してそういう意味でありません。
#42
○羽仁五郎君 反對論の根據をできるだけはつきりせしめ、若し贊成論の論據に服するならば潔くこれに服せというお考えだろうと思います。言論の自由の機會を與えられたと思いますから……私の申しますことは、要するに今少し具體的に申上げれば、さてこれが實行せられました場合に、差當りの問題としては憲法違反ではない。その點については十分御研究になつて、憲法違反ではない。むしろ憲法の精神を生かすものである。全國の師範學校が一齊に宗教學の教授を始める、幸いにして師範學校長或いはその教授の任に當る人が、本委員會の精神を體してこの教育を行われた場合には所期の效果が上るわけであります。併しこの點各委員におかれまして、又行政當局におかれても、現在師範學校長なり、或いは師範學校の教員諸君が、この問題をデリケートの問題であるというふうに扱える方も非常に多いと思います。これも私は信用するのですが、併し萬一その取扱い方を誤つた場合、これは現在の非常に敏感な純眞な學生諸君に與えるシヨツクは實に大きい、必ずここに問題が起つて來るだろうと思う。その場合に、まあどうかすれば非常に頑迷な校長がおつて、そうして客觀的な比較的な知識的な教授をする筈を、隨分我流の信仰を無理押しに生徒に押し附ける場合が起る。そういう場合が起つて、青年が、師範學校生が激昂してそこに紛擾を發揮するというようなことも或いは考えて置く必要があるじやないか、そういう場合が非常に少いが、それともそういう場合が非常に多そうであるかということについて、先程申上げましたが、歴史上そういう場合も非常に多い。その場合が多いために、世界の各國においてはこの點についてそんな點まで心配しないでもいいじやないかと思われるような神經質な點にまで、宗教と教育とを分離することに努力を集中して來ておるのではないか。私共實際ヨーロツパなりアメリカにおいて學校教育を宗教と非常に切り離しておる點およそこの兩者を關聯付けまいというふうに努力しておる點は、私共から見て意外に感ずるくらいそういう點が非常に神經質に敏感であるということは皆さん御承知の通りでありまして、可なり上の學校に行つてつまり大學などにおいて初めて只今日本の公立の普通の師範學校でおやりになつておるような比較宗教學、そういうふうなものが研究されておるのであつて、餘程上の高級の學校の場合に初めて弊害なく行われるので、一般の師範學校の場合にそういう點が、或いは私の過大な杞憂であるかも分らないと思いますが、そういう點心配されますので、目的においては全くさつきおつしやるように同一であり、むしろそういう目的を思えば思う程どうか愼重にお取計らい願いたいというふうに考えるのであります。
#43
○假委員長(松野喜内君) 皆さんの御意見はよく分りました。大體御意見御議論が盡きたかに思いますから、ここで一つ纏めて見たいと思いますが……。
#44
○小委員外委員(高良とみ君) 折角皆さんがいろいろ御討議になつたあとで大變恐縮でありますが、今の學制改革の制度と、それから學科目の行き方がどういうふうに進んでおるかということを考慮いたしますと、私の了解する程度ではまだ最後的決定はないようでありますが、關係方面とも御相談になつて、各私立及び公立の學校、即ち專門學校が一般教養科目の一つとして宗教學科というものを入れておるのであります。で、殊に文學部の方では專門學科の一つとしても入れておるのでありまして、これが大體將來の日本の教育に入つて來る道の緒のように思うのであります。で、從來からそうでありましたけれども、今後はもつとそれが文科をやる人は專門學科として、或いはその外の法科なり、經濟、政治等をやる人は一般教養學科として、これを選擇して行くことができる。その重要なものの一つに入つておるのでありまするから、今囘請願なすつた諸團體の心配なさる趣旨は、そこにおいて今囘の教育改革の根本にはすでに考慮に入れておると考えても過ぎているのじやないと思うのであります。殊に師範教育というものが改革の途上にありまして、その學科等も必須科目というものが極く限られたものであつて、その他は一般教養その他の學科として、自由に個人の個性及び研究の要求に從つて選擇して行くことができるのでありますから、師範教育の中に本當の民主教育を入れて行く點からも、餘りこの學制制度として、この學科は必ず取るべしというように強いることは、宗教科に限らず、何科に對しても多少考慮を要するのじやないか、勿論教育學科その他基本的なものは必要でありますけれども……で、その點でこの前私が申上げました通り、一般教養學科は心理學、哲學、宗教學、殊に社會學というようなものを取らないでは先生になれない。その先生の試驗を受ける資格に缺けるということが新らしい教育制度の中に段々に入つて來ると私共は信じておるのであります。その點を考えますならば、請願を出された諸團體の御意思を非常に尊重しますけれども、敢えて今囘の請願のように必須科目として師範學校の教師たるものにのみこれを課すべしというような行き方が、果して教育的であるかどうかという點に憂慮を持つものであります。そんなふうでありまするから、この問題につきましては固よりこれが立法の原案となつているのではなくて、請願なのでありますから、請願者の趣旨をよく理解いたしますと共に、これに對して國會の議員としてはこれは皆大切なことと思うが、今後こういうふうにして、ただに師範教育の關係者のみでなく、一般の商業をやる人、政治をやる人、經濟をやる人にも教養學科として、自分の身邊にある宗教に對して正しい態度を持ち、寛容の理解力を持つようにということを、すでにもつと廣い意味で取上げられておるのであるが、こういうふうにやつて行くことを、一層文部省に對しましても推進するようにというふうに答えて行く、そういう附言を附けて、そうして文部省に囘送して置いたからといつて、請願者の方では不滿と思われるようなことはないのではないかと、こういうふうに解するわけであります。只今伺つたところによりますというと、憲法及び教育基本法にありますところの、國家は宗教的行事を行わず、或いは特定の宗教のための宗教教育は行わないということについては、もうすでに昨年の衆議院における宗教情操の教養の決議案も通つておりますし、又今後の教育改革の指導問題において、もつと進んで來ておると私は理解するのであります。更に關係方面の意向等も私折がありまして相談いたしましたところ、參議院がそれぞれの道の專門家を擁しておつて、宗教と教育の問題、宗教と政治の問題を根本的に考えることは、歴史的に非常に意義のあることであつて、日本の文教のために非常に喜ふべきことであるから、どうぞそういうふうに寛い態度でもつてこれを文教の中に入れて行かれることを希望するということがございましたので、そういう意味で私共はもつと大局から見ましたならば、別のこの小委員會において非常に議論することよりも、もつと先の方は明るく開けておつて、これを勇氣付け、エンカレージして行くことについては躊躇する必要はないと思います。私の考を一應申上げて御參考にしたいと思います。
#45
○假委員長(松野喜内君) 高良委員の御意見必須でなく選擇科目としていいという御意見を拜聽いたしましたが、皆樣決議なさる前に、これを纏めることについて御相談申上げたい。これを採擇することに御贊成の方は御起立を願いますというふうにしたのがいいのか、それとも又意見書を作つて、これをし内閣に送付なければならないことになると、その意見書の纏め方についても何か原案等を入れなければなりませんが、今日伺つた中には、それぞれ眞理が含まれておると思いますが、そういう最後の纏め方について御意見を承わりたい。どんなふうにいたしましようか、贊否起立に問うことが……御參考に申上げますが、この議員規則によりますと、委員會は、審査の結果に從い、左の區別をして、議院に報告しなければならない。
一 議院の會議に付するを要するとするもの。
二 議院の會議に付するを要しないとするもの。
その二つに區別する、そのどつちにするか、議院の會議に付するを要するとするものとすれば、更にこれを内閣に送付するを要するとするものと、内閣の方に送付することを要しないものとに分けなければならぬ、又内閣に送付するを要するものであれば、これには意見書案を附せねばなりません。そうすると、今日はその意見書をも附けなければならんことになります。議院の會議に付することを要しないものとするならば、内閣に送付もせず、又意見書案を附する必要もありませんが、どつちの取扱をしていいか、いかがいたしましようか。
#46
○小委員外委員(高良とみ君) 只今申上げましたような趣旨で、私個人としてはそう思いますが、又大勢がそういうふうにあるとしますれば、勿論その意見書には、憲法の趣旨及び教育基本法の趣旨はこうであるけれども、ここに要請された宗教情操の教養に關する具體策は、憲法や教育基本法には反しないものと認めるので、この請願の趣旨を更に一層肝要な具備しないものとして、文部省が適當な處置を採られることを本國會は、或いは委員會は希望するというような意見書でありましたならば、別に差支がないではないか、こう考えます。いかがでございましようか。
#47
○假委員長(松野喜内君) 皆さんこの意見書の纏め方について、今高良委員から仰せのようなことがありましたが、外に御意見はありませんか、高良さんの御意見は、議院の會議に付するを要するものである。從つて内閣の方に送付を要するものというわけですね。そうしますと、これは又院議に付せられて、本會議で論ぜられることになりますが、どうでしようか。
#48
○小泉秀吉君 採擇をして内閣に送付を要するものなりとして、その理由書というのは、請願書の大體をとつて、そのままを寫すような成文を委員長のところでお作りになつて頂いたらどうですか、餘りいろいろそれ以上のことを附け加える必要を認めないと私は思います。
#49
○假委員長(松野喜内君) それでは小泉委員からの御意見のごとくに、議院の會議に付するものとし、それを内閣に送付を要するものとして、從つて意見書案を作る、その意見書案については、請願の趣旨の大要を書く程度でいいのではないかという御意見でございました。先ずこの請願の趣旨を本委員會は採擇するかせんかをここでお決めを願いたいのであります。この請願の趣旨を採擇する方に御同意の方は御起立を願います。
#50
○假委員長(松野喜内君) 過半數と認めます。採擇することに決します。
 つきましては、その意見書案を出さなくちやならないことになりますが、この意見書案の作成はどういたしましようか。
#51
○小泉秀吉君 委員長一任。
#52
○假委員長(松野喜内君) 御一任願えますでしようか。
#53
○假委員長(松野喜内君) 御異議ないものと認めまして、私の方で意見書案を作成して、更に皆樣にお諮りすることにいたします。
#54
○小委員外委員(鈴木憲一君) オブザーバーなんですが、小委員會で請願を今後扱う場合に、いかにすべきかというような根本的な、もつと闡明な態度を決めて置く必要が大いにあると思うのであります。それでないと、こういうひまな時はいいですけれども、もつとたて込んで來た時に、横槍でも入つてぽんぽん言われた時には、どうにもしようがないことになると私は思う。ですからこうういことを前例にせずに、小委員會が請願を扱う場合はいかにすべきかということを、三つの委員會の委員長さんが本委員長さんとよく打合せて確立されて置くのがよくなはないかと私は思うのです。委員の者も非常に迷惑します。
#55
○假委員長(松野喜内君) この點は、文教委員會の方の三つの委員長が、それぞれ打合せなければならんという鈴木さんの御意見御尤もと思いますが、それのみでなく、他の委員會の方におきましても、請願をいかに取扱うかについては、只今御協議中のように聞きましたので、どういう取扱かまだ決定いたしておりませんようですが、おつしやる通り請願が多數を占めておりますので、この取扱はいずれも同じような程度に扱うことが必要と思いますから、今後はその點は注意をいたします。
#56
○小泉秀吉君 先刻その點で私發言いたしましたが、私は相變らずそれを主張いたしまして、この請願の取扱というものは、それに對する對策なりデイテールに亙つて行くという行き方でなしに、大綱を握つてイエスかノーかというようなことを決める程度にして頂きたいということを改めて申上げて置きます。
#57
○假委員長(松野喜内君) 分りました。今日はこれを以て散會いたします。
   午後三時四十六分散會
 出席者は左の通り。
   假委員長    松野 喜内君
   委員
           小泉 秀吉君
           安部  定君
           梅原 眞隆君
           羽仁 五郎君
   小委員外文教委員
           左藤 義詮君
           岩本 月洲君
           鈴木 憲一君
           小野 光洋君
           高良 とみ君
           矢野 酉雄君
  政府委員
   文部事務官
   (學校教育局
   長)      日高第四郎君
ソース: 国立国会図書館
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