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1972/07/07 第69回国会 衆議院 衆議院会議録情報 第069回国会 本会議 第2号
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1972/07/07 第69回国会 衆議院

衆議院会議録情報 第069回国会 本会議 第2号

#1
第069回国会 本会議 第2号
昭和四十七年七月七日(金曜日)
    ―――――――――――――
  昭和四十七年七月七日
   午後二時 本会議
    ―――――――――――――
○本日の会議に付した案件
 議員岡沢完治君逝去につき院議をもって弔詞を
  贈呈することとし、弔詞は議長に一任するの
  件(議長発議)
 原田憲君の故議員岡沢完治君に対する追悼演説
   午後二時四分開議
○副議長(長谷川四郎君)これより会議を開きます。
     ――――◇―――――
 弔詞贈呈の件
#2
○副議長(長谷川四郎君) 御報告いたすことがあります。
 議員岡沢完治君は、去る六月二十七日逝去せられました。まことに哀悼痛惜の至りにたえません。
 つきましては、同君に対し、院議をもって弔詞を贈呈いたしたいと存じます。弔詞は議長に一任せられたいと存じます。これに御異議ありませんか。
    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
#3
○副議長(長谷川四郎君) 御異議なしと認めます。よって、さよう決定いたしました。
 弔詞を朗読いたします。
    〔総員起立〕
 衆議院は議員正五位勲三等岡沢完治君の長逝を哀悼しつつしんで弔詞をささげます
 この弔詞の贈呈方は議長において取り計らいます。
    ―――――――――――――
 故議員岡沢完治君に対する追悼演説
#4
○副議長(長谷川四郎君) この際、弔意を表するため、原田憲君から発言を求められております。これを許します。原田憲君。
    〔原田憲君登壇〕
#5
○原田憲君 ただいま議長から御報告のありましたとおり、本院議員岡沢完治君は、去る六月二十七日逝去されました。
 私は、君と所属党派こそ異にしておりましたが、すぐれた政治家岡沢君と今後相ともに活躍することを期待していたのでありまして、今国会、新たに内閣が組織され、わが国が転換期を迎えんとするときにあたり、君を失い、まことに痛恨の念にたえません。
 岡沢君がかねて病気のため御療養中と承り、お見舞いしたのでありますが、私は、君のあの頑健な体躯と、いまだ四十九歳という若さを思うとき、必ずや再起されるものと信じて疑わなかったのであります。しかるに、その願いもむなしく、君は、奥さまと四男二女、六人の愛児を残して去っていかれたのでありまして、いまや君の議席には、ありし日の君の人柄そのままに白いカーネーションが楚々として飾られているばかりであります。生者必滅のことわりとは申せ、何とも申し上げようのない運命の無慈悲さに、私は暗涙にむせび、君を奪い去った病魔に対し、深い憤りを覚えずにはおられません。
 ここに、私は諸君の御同意を得て、議員一同を代表し、つつしんで追悼のことばを申し述べたいと存じます。(拍手)
 岡沢君は、大正十二年、大阪府枚方市津田町に生まれ、幼児より英邁の誉れ高く、小学校卒業後、府立四条畷中学校に学び、その俊才は広く知られ、当時より将来を期待されておりました。
 時に戦火は日に日に拡大し、当時の青少年の多くがそうであったように、君は、祖国の運命を背負う一員として一身をささげんと決意し、昭和十六年三月、陸軍士官学校を志望され、入学されました。しかし、昭和二十年、君が士官学校卒業のときは、すでに日本は敗戦の色濃く、同年八月十五日、ついに戦い敗れて戦闘は終わったのであります。
 占領下にあって、岡沢青年は、ひたすら変転きわまりなかったわが国の歩みのあとを顧みてこられましたが、大きな試練を経て平和国家としてよみがえった日本の将来のために、真の政治家となって政治に身命をささげることこそ、みずからに課せられた使命であるとの信念に到達し、他日を期すことになったのであります。
 そして君は、昭和二十一年四月、京都大学法学部に入学し、同校卒業後は、さらに大学院に進んで国際法を専攻されました。
 学窓において大いに研さんを積まれた君は、昭和二十九年、法曹界に身を投じられました。若き弁護士として新しい出発をされた君は、あくまでも愛情と信頼を信条として、進んで恵まれない人たちの弁護を引き受けられ、庶民の岡沢、正義の岡沢としてつとに名をはせるところとなったのであります。
 昭和三十四年、大阪府議会議員の選挙に際し、君は、生まれ故郷枚方市でなく、やがて第二の故郷となった大東市から日本社会党公認として立候補し、当時無名に近い岡沢青年が、堂々と当選の栄を獲得されましたが、これは、君が庶民の中に親しく入っていかれた庶民性と行動力がその根底にあったからであります。(拍手)
 私は、この時代に初めて岡沢君の存在を知ったのでありますが、君は府会に議席を持つや、その豊富な知識を生かし、若い行動力をもって活躍し、ことに住宅問題には執念を燃やして取り組み、「住宅議員」の異名をとどろかせ、早くも政治家として将来を嘱望されるに至りました。
 昭和三十五年、西尾末廣氏を中心とする同志により民社党が結成されるや、志を同じくする君は、これに参加し、特に関西地方に強い基盤を擁する同党の大阪府連の幹部として同志の拡大につとめられ、昭和三十八年の総選挙には、民社党若返りの先兵として大阪第三区から出馬されました。そして、わずかの差で敗れられましたが、昭和四十二年一月、衆議院議員総選挙に再び立候補し、みごと最高点をもって本院議員の栄冠をかちえられ、年来の宿願を達成されたのであります。(拍手)
 本院議員として岡沢君は、「自己の良心に忠実でありたい、正しいことを勇気をもって発言する政治家でありたい」との政治姿勢を堅持して、何ものにも動ぜず、また、何ものをもはばからず、所信を貫かれたのであります。
 日ごろ君は、「ぼくの趣味は新聞、雑誌の切り抜きだよ」と言われておりましたが、書だなには各党の政党機関紙を含んだ十年来の切り抜きが二百に及ぶ項目に分類して整理されております。国政の審議にあたって、君は、必ずしもはでな議論を展開するということはなかったのでありますが、整備の行き届いた資料をもとに問題を掘り下げて、その本質を的確にとらえ、しかも、長期的展望に立って大胆に論断を下されました。
 君は、法務委員会の理事をはじめ、大蔵、文教等各委員会の委員として活躍され、その本領を遺憾なく発揮されましたが、そこには政治家としてのすぐれた資質に加え、この不断の努力があったからだと信じます。(拍手)
 民社党にあっても、君は、中央執行委員、政策審議会副会長、法務政策委員長あるいは青年学生対策委員長等の要職につかれて、大きな役割りを果たされましたが、とりわけ、庶民的にして新鮮な感覚と若々しい行動力をもって党と国民大衆とを強く結びつけられたのでありまして、民社党将来の展望の上からも、まさに欠くことのできない存在であったことは、衆目の認めるところであります。
 また、特に郷土を愛する念の厚かった君は、国鉄片町線の複線化による北大阪の環境の整備と開発の実現推進のために熱意を傾けられましたが、その努力が実り、去る三月、この工事のくわ入れ式が行なわれました。かつて、運輸大臣として君の熱意を知っていた私は、この晴れの席にだれよりも君の御出席を願っていたのですが、そのときすでに君は病床にあり、ついにその姿が見られず、返す返すも残念なことでありました。しかし、君の願いは近々実現を見、郷土の輝かしい発展が期せられる日も近いのであります。
 かくて、岡沢君は、本院議員に当選すること二回、在職期間は五年七カ月でありましたが、その間、国会議員の本務に精励し、よくその重責を果たされた功績は、まことに大なるものがあったのであります。(拍手)
 「質素な生活、高遠な理想」、岡沢君は、尊敬してやまなかった安部磯雄先生のこのことばそのままに、厳に身を律し、しかも旺盛な正義感と情熱をもって信ずるところを断行された勇気の政治家でありました。また、「人間、長所とつき合えば悪友なし」を人生哲学として、人間の善意を信じて疑わず、だれとでもあたたかい態度をもって接した庶民政治家でもありました。岡沢君こそまことに国民の代表者たるにふさわしい政治家であったと申せましょう。(拍手)
 君は、次代をになうべき政治家として、将来を大いに嘱目され、多大の期待を寄せられていましたが、これこそ君が、その深い洞察力と飽くことなき知識の吸収によって、時代の流れを鋭敏にとらえて、常に新鮮さを失わず、すべてを政治にかけ、政治に徹してこられたからにほかなりません。
 五月末には、みずからの病状の容易ならぬことを知りながら、御家族のことについては一言も口に出さず、病床から国会の審議状況を見守り、ことに、水不足に悩む大阪のために、琵琶湖総合開発特別措置法案の成立を懸命に訴えておられたとのことであります。そこには、私人としての岡沢はなく、公人としての岡沢のみがあったのでありまして、私は、岡沢完治君の真摯な政治姿勢に思いをいたし、あらためて国会議員としての責務の重大さを覚えずにはおられなかったのであります。(拍手)
 しかしながら、家庭人としての岡沢君は、無類の愛妻家として、また、子福者として知られていましたが、ことに、母上を早く失った君は、御夫人の母上に尽くすに実母のごとく、万国博あるいはまた園遊会にお連れして孝養を尽くされていたのでありまして、私はそのお姿に接し、常にほのぼのとしたものを感じておりました。このような中ではぐくまれた御遺族の皆さまは、君の心を心として、これからも、さびしくとも必ずやあたたかく、明るい日々を送られていくものと信じます。
 君は、ひまさえあれば、竹やぶに行って竹を見、ことに土を持ち上げて出てきた竹の芽を見つけたときには、たとえようのない喜びとうれしさを感ぜられたとのことでありますが、君もまた、政治家として、若竹のごとく成長され、いよいよ大成が期待されていたやさきに、雄図むなしく中道にして倒れられたのでありまして、岡沢君の胸中を思うとき、まことに痛恨やる方ないものを覚えます。
 今日、内外の情勢を思うとき、君のごとき政治の使命感に徹した前途ある有為の政治家を失いましたことは、ただに、民社党のみならず、本院にとっても、国家にとっても、大きな損失であり、惜しみてもなお余りあるものがあります。(拍手)
 岡沢君、私は、わずかな期間とはいいながら、本院において君と議席を同じくし得たことを誇りとし、生涯心にとめてまいりたいと存じます。
 ここに、岡沢君の生前の御功績をたたえ、その人となりをしのび、心から御冥福をお祈りして、追悼のことばといたします。(拍手)
     ――――◇―――――
#6
○副議長(長谷川四郎君) 本日は、これにて散会いたします。
    午後二時二十分散会
     ――――◇―――――
ソース: 国立国会図書館
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