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1970/04/07 第63回国会 参議院 参議院会議録情報 第063回国会 予算委員会公聴会 第1号
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1970/04/07 第63回国会 参議院

参議院会議録情報 第063回国会 予算委員会公聴会 第1号

#1
第063回国会 予算委員会公聴会 第1号
昭和四十五年四月七日(火曜日)
   午前十時十一分開会
    ―――――――――――――
  出席者は左のとおり。
    委員長         堀本 宜実君
    理 事
                木村 睦男君
                柴田  栄君
                任田 新治君
                山本 利壽君
                吉武 恵市君
                鈴木  強君
                横川 正市君
                矢追 秀彦君
    委 員
                岩動 道行君
                大森 久司君
                鬼丸 勝之君
                梶原 茂嘉君
                川上 為治君
                小山邦太郎君
                郡  祐一君
                白井  勇君
                高橋文五郎君
                初村瀧一郎君
                平泉  渉君
                増原 恵吉君
                柳田桃太郎君
                足鹿  覺君
                小野  明君
                岡  三郎君
                木村禧八郎君
                鶴園 哲夫君
                戸田 菊雄君
                羽生 三七君
                山崎  昇君
                塩出 啓典君
                三木 忠雄君
                中沢伊登子君
                春日 正一君
                青島 幸男君
   政府委員
       大蔵政務次官   藤田 正明君
       大蔵省主計局次
       長        橋口  收君
       大蔵省主計局次
       長        竹内 道雄君
   事務局側
       常任委員会専門
       員        首藤 俊彦君
   公述人
       法政大学教授   花原 二郎君
       社会保障研究所
       第二部長     地主 重美君
       昭和電工株式会
       社副社長     鈴木 治雄君
       関西大学教授   庄司  光君
    ―――――――――――――
  本日の会議に付した案件
○昭和四十五年度一般会計予算(内閣提出、衆議
 院送付)
○昭和四十五年度特別会計予算(内閣提出、衆議
 院送付)
○昭和四十五年度政府関係機関予算(内閣提出、
 衆議院送付)
    ―――――――――――――
#2
○委員長(堀本宜実君) ただいまから予算委員会公聴会を開会いたします。
 公聴会の問題は、昭和四十五年度総予算についてでございます。
 本日は午前中お二人の公述人の方に御出席を願っております。これから順次御意見を伺いたいと存じますが、その前に、公述人の方に一言ごあいさつを申し上げます。
 本日は、御多忙中にもかかわりませず、本委員会のために御出席をいただきまして、まことにありがとうございます。委員一同にかわりまして厚くお礼を申し上げます。
 それでは、議事の進行上、お手元に配付いたしました名簿の順序に従いまして、お一人三十分程度御意見をお述べ願いまして、お二人の公述が終わりましたあとで、委員の方から御質疑がありました場合、お答えをお願いいたしたいと存じます。
 それでは、花原公述人にお願いをいたします。
#3
○公述人(花原二郎君) 私は、昭和四十五年度の予算案と物価との問題につきまして幾つかの問題点を指摘したいと存じます。
 御承知のように、十年間にわたる高物価のため、新年度の予算案作成に当たりましても、物価安定が重要な政策課題として主張されたわけでございます。そして、一年間の消費者物価の上昇率を四・八%と見込んで予算案がつくられておりますが、ことしに入りましてからの異常な物価高を考慮に入れますと、四・八%で編成されました予算の執行にはかなり問題が出てくるのではないかというふうに思われます。もしそうであるとするならば、四・八%以上の激しい物価高が起きるとするならば、たとえば、減税の額にいたしましても物価調整分だけ大幅に減ってしまうことになります。
 そこで、私はまず最初にいまの政府の作成しております物価指数の中に生活の実感からかけ離れた問題が幾つかあるのではないか。ぜひ物価指数を改善をしていただきたいという点、これをまず最初に申し上げて、次にはどうして昭和三十五年の秋以来十年間にわたる高物価が続いてきたのか。これに対してもし予算編成上手を打たなければならないとしたならば、どの点を考慮すべきであるのか。この問題につきましては五つの点にわたって申し述べてみたいと思います。
 まず第一の物価指数の点でございますが、昭和三十六年から四十三年まで平均いたしますと五・七%の消費者物価の上昇率が総理府によって発表されております。昨年はやや減少したと言われておりますが、年度で見ますと、昭和四十四年度も五・七ということになっておりますが、この五・七という物価上昇率は、実はたいへんな高さであると言わなければなりません。郵便貯金の普通預金の場合ですと、三・六%の金利ですし、銀行の定期預金をとってみても五・五%に過ぎないわけですから、貯金をしまして将来に備えてふやそうと思っても、それが不可能な状態におかれているわけですが、しかし、問題は、五・七%というのは国民生活の実感とか、実態からかなりかけ離れているのではないかという点でございます。
 つい先日発表されました第一銀行の調査の結果を見ますと、三百六十四品目ございます調査項目の中から、一年間に百回以上購入するものと申しますから、一週間に二回以上になると思いますが、一年間に百回以上購入する品目だけ選び出しまして、一年間の物価上昇率をとってみますと一一%になるということを報告しております。
 そこで、物価指数作成上の問題点としまして、第一には、数限りなく存在します商品の中から、どの商品を選ぶかという調査品目が第一に問題になるだろうと思います。三百六十四品目は外国と比較してもかなり多いわけですが、調査品目数が多いからといって、正確に生活の実態があらわれるとは限らないと思います。なぜならば、しばしば主張されてきたことですが、非常に大切な品目がこの中に入っておりません。
 たとえば、地価――土地価格がその代表的なものでございます。土地価格が上がり、また、それがほかのすべての商品にはね返ってくるということを考えますならば、消費者物価指数の中に、土地価格を入れるのは当然ではないかと思われますし、最近のように、情報化社会といわれて文化的な分野についても各種のデータを収集せざるを得ないような状態のもとでは、書籍代も高まってきておりますが、政府の指数の中には、雑誌と辞書を除いて、普通の書籍は全く含まれておりません。上昇率の高い書籍もぜひ指数の中に入れるべきではないかと思います。
 さらにまた、問題になりますのは、五年間あるいは十年間に一度ぐらいしか買わない商品、耐久消費財、とりわけ電気製品がかなりの品目この中に入っておりますが、これらは大量生産のためにコストが下がって価格の上にも幾らか値下がりの傾向が見られるわけですが、こういう品目がいまの統計調査上では、毎月毎月物価指数の上に価格減としてあらわれて、全体として物価指数を低くあらわすようなものになっておりますが、日常ひんぱんに買う商品と、それから耐久消費財とは物価指数を作成する際に別に考えて別立てにするということが必要になってきているのではないかと思います。
 二番目には、調査の基準としまして、いまの政府統計では非常にあいまいなところがございます。生鮮食料品などにつきましては、鮮度が問題でございますが、その鮮度を確かめるべき調査員は、かなりの経験を積んだ人でなければ適当でないと思われますのに、全国約二万軒の商店を調査するために必要となります費用の関係からだと思いますが、学生のアルバイトなどを使っておりますが、学生の判断で鮮度をどれだけ正確にとらえることができるか非常に疑問であります。また、一部の新聞が伝えるところによりますと、調査費を節約いたしますために、電話による調査を行なっているといわれております。電話調査ということになれば、ますます実情が、指数の上に出てまいります数字からかけ離れてしまうということにならざるを得ないと思います。この点もぜひ改善していただきたい点でございます。
 三番目には、ウエートの置き方ですが、昭和四十年基準が現行の消費者物価指数作成の際に用いられておりますが、約八千世帯の家計調査をもとにいたしまして、四十年当時の消費構造が五年間そのまま引き継がれてしまうわけですが、この家計調査にあたって、単身者、独身者を除きまして、そして一カ月間の支出を記入してもらうわけですが、記入の協力してくれないような人もおのずから除外されてしまいますので、どちらかといえば、裕福な家庭の主婦がこの家計調査に携わるということにならざるを得ません。そのため、地代、家賃のウエートは二・五七%となっておりますが、一般の勤労世帯からいたしますと、一けた違っているのではないかと思われるくらい低いウエートになってしまいます。したがって、幾ら家賃が上がりましても、二・五七%のウエートしか持たないものとして計算をされてしまいますので、この面からも物価指数は現実よりもかなり低いものになってしまうのではないかと思われます。
 もう一つ、四番目の問題点としましては、電気製品の価格の調査を見ますと、たとえば、五万五千円程度の電気冷蔵庫につきまして、最近発表された数字によって見ますと、一年間に四千九百円値下がりしたことになっております。店頭で私ども調べてみますと、千円程度の値下がりはございますが、四千九百円というのは実情からかけ離れておりますので、その点を一度確かめたことがございますが、それによりますと、去年よりもことし電気製品の品質が改善されている場合には、値下がりしたものとみなして計算をするという答えを受けたことがございます。もしそういうことが行なわれていいとするならば、さらにこの物価指数は現実離れしたものになるだろうと思います。したがって、ちょうどことしは消費者物価指数改定の年に当たるわけですが、消費者構造はますます近代化していくわけですから、五年間そのままウエートを維持するというやり方ではなくて、毎年毎年実情に合わせた見直し、計算のしかたの変更ということが望ましいのではないかと思います。
 そこで、現実の物価高が今度の予算で考えられております四・八を上回る危険性がきわめて大きいし、また、計算のしかたによっては、五・七%という昭和四十四年度の物価上昇率も、これも再検討しなければいけないということになるわけですが、十年にわたって物価高が続いてきた理由というのはどこにあるのかということを五点にまとめて考えているわけですが、ぜひこの点についての改善をお願いしたいと思います。
 まず第一は、政府のインフレ政策にあると言わざるを得ません。昨年金融引き締め政策がとられてきております。その際、いまの物価高の大きな理由としまして、総需要が強過ぎるから、高過ぎるから需要を押えるということが必要である。そのための金融引き締め措置であったはずでございます。
 しかし、いまだに金融引き締めの効果が十分にはあらわれていないために、物価高が低下していないわけでございますが、政府の金融政策をとってみますと、いままで貿易の自由化や資本の自由化に対処するため、国際競争力を強めるためという理由で、企業に対してかなり思い切った融資を続けてまいりました。この融資は、三十五、六年ごろから、いわゆる所得倍増計画の中で高度経済成長を支える一つの力でございました。外国と比べて自己資金の比率が低いということをとってみましても、自己資金、あるいは自己資本の比率が低くならざるを得ないような手が政府によって打たれてきたのではないかと思います。そのことと、私は、現在の土地価格の上昇とは結びついていると思います。
 企業は土地を手に入れて、それを担保にして金融機関から融資を受けて、その一部でまたさらに第二の土地を買うというようなやり方をとって、どの企業をとりましても、多かれ少なかれ土地投機に走っていると言わざるを得ません。そのことが一般の勤労者にとっては、土地を手に入れて家を建てる夢を奪われてしまうということにもなるわけですが、この土地を担保にしまして、あるいは土地と結びついた融資が昭和三十五、六年以後今日までの一つの特徴であったと思います。そのために、現金通貨のふえ方もかなりの高さではございますが、それ以上に預金通貨のふえ方が激しいということをとってみますと、金融政策が一時的な引き締めに終わることなく、企業の融資活動に対する点にまでメスを入れた構造的なものにしていただきたいと言わざるを得ません。
 また、昭和四十年度から発行されました国債が、インフレ政策に新しい時期を画するものになったという点も指摘しないわけにはまいりません。昭和二十八年当時もまた不況の年でしたが、歳入欠陥を補うために国債を発行したらどうかという意見がありましたときに、当時の向井大蔵大臣は、公債は一種のアヘンのようなものであって、一ぺん景気が悪いからといって、発行しますと、次々と膨張せざるを得ない、やめることができなくなるおそれがあるということを主張いたしました。そのことが四十年度以後の公債発行の動きの中で確められたというふうに思います。不況のときに建設公債ということで出されました国債は、その後の好景気の中でも――増減は多少ごさいますけれども、一貫して発行され続け、そしてこれは民間の資金を当て込むというよりは、一枚の発行高の金額が高いことからも明らかなように、十万円、百万円、五百万円、一千万円と、金額からも明らかなように、どうしても市中金融機関、さらには日本銀行に集中をするということにならざるを得ません。ここから生まれてまいります通貨の増発が現在の物価高の一因になっていると思うわけでございます。これが第一です。
 第二は、巨大企業の寡占価格が今日の物価高の一因であって、きのう開かれました物価安定政策会議の提言の中にも一部読み取ることができますが、各種のカルテル行為が行なわれて、電気製品とか薬品、あるいはアルミニウムの地金、写真フィルム、洗剤等々の名前があげられておりますが、代表的なものとしてしばしば指摘されておりますのがカラーテレビでございますが、カラーテレビをつくっている主要七社の社長が定期的に会合を持っているというところまでは新聞に報道されておりますが、原価の三倍程度の価格が今日押しつけられてきております。こういう寡占価格は明らかに独占禁止法に違反をするわけですが、公正取引委員会の立場をたどってみますと、証拠不十分な場合には罰則を適用しないという考え方に立っているようであります。そのために、それでは確かな証拠をどうやって手に入れるか、これが非常にむずかしい問題になるわけですが、私はぜひ公正取引委員会が本来の機能を持つようにすると同時に、国会が価格形成過程についての調査権を持って、国民が納得できるような原価と小売り価格のあり方を国民の前に明示することが大切ではないかと思います。
 高度成長のもとであれだけ生産が増大をし、そして高い利潤を手に入れておりますのに、下がっていい価格が少しも下がらないとか、あるいは多少のモデルチェンジ、デザインを変えまして新型あるいはデラックス型という名前で逆に価格を引き上げることも、われわれの日常茶飯事になっているわけでございますし、あるいはまた部品がないために新しく買い直さなければならないような消費財、これも実質的な値上がりに属するのではないかと思います。これが二番目の問題です。
 三番目は、公共料金についてでございますが、公共料金は公益的な性格が多いわけでございますから、消費者の立場からいえば、できるだけ公共料金は引き上げないほうが望ましいわけでございます。予算の編成とも関連してくるわけでございますが、公共料金の中の何といっても主要なものは運賃と米価であろうと思います。
 運賃につきましては、国鉄が膨大な投資活動を行なって、一年間に四千億円程度の投資活動を行なっております。これは東海道新幹線の建設費に匹敵するものでございますが、この膨大な設備投資に必要な資金を現在の利用者だけの負担に依存するというのは一考を要するのではないかと思います。低利の資金を財政投融資その他によって供給することができるならば、値上げについては新しい見方が出てくるものと思いますし、近く値上げが予想されます私鉄の運賃などにつきましても、私鉄は、本来の鉄軌道業以外に、不動産業、デパート、ゴルフ場等々、数多くの関連会社を持って、その関連部門ではかなり大きな利益を計上しておりますが、私鉄の経営は鉄軌道業以外の関連部門を全部ひっくるめて経営内容を検討するならば、私鉄経営が今日危機に瀕しているということは言えないと思います。
 そのほかの公共料金についても、真に国民生活に深いかかわりを持つものについては、会計管理の上での政府の適切な指導と、それから国家資金の供与ということで、値上げを最低限に押さえるべきではないかと思います。
 で、米価の問題につきまして考えてみますと、食管会計の大幅赤字が、自主流通米等の制度の導入となってあらわれたり、あるいは一割の作付減反という政策になってあらわれておりますが、私はいまの、ことに最近野菜が急激に上がってきた、この農産物価格の現状に照らし合わせるときに、農業に対して新しい角度から保護政策を採用すべきではないかと思いますが、その保護政策といいますのは、従来は米だけが安定した作物であったというので、これにしがみつく、あるいはむしろ畑をたんぼに切りかえるということだったわけですが、米作以外に安心して耕作ができるような作物を保証すべきではないか、つくり出すべきではないか。基本的な野菜とか、主要なくだものとか、あるいは主要な畜産物などについての保証があるならば、農民は安心して作付の転換を行なうことができると思いますが、そうでない限り、農民を新しい苦しみに追い込むような減反政策というのは、私は適切ではないように思います。もしそうであるならば、三千億円からあるいは三千八百億円程度の食管会計への財政資金の投入ということは、私は農業が健全な形で発展するということであれば、国民の納得するところとなるのではないかと思います。
 四番目に間接税の問題がございます。この間接税を引き上げれば、消費者価格にはね返ってくるということは明らかでございますが、特に問題になりますのは、私は電気ガスというような、近代的な生活に不可欠なものにまで税が設けられ、――これは昭和十七年に戦時税として導入されたものでありますが、いまだに電気ガス税七%が設けられている。こういうものを取り除くということが望ましいし、また酒、たばこ、砂糖といったものについての税率の中で、とりわけ砂糖の場合に一キログラム当たり輸入価格が三十一円程度で、税金は合計しますと、約六十円というような、こういう不当に高い税金というのは考え直すべきではないかと思います。で、お酒などにつきましても、ビール五一%の税率は世界で最高だと言われておりますが、大衆が消費するようなものについての税率をもっと低めるべきではないかと思います。
 それから最後に、五番目に流通機構の問題でございますが、生鮮食料品の値上がりが土地価格と並んで非常に大きいわけですが、生鮮食料品の価格を異常なものにしている一つの原因に、流通機構が巨大会社によって支配されているという問題があろうかと思います。
 たとえば、野菜につきましては、幾らか保存がきく野菜についてでございますが、大青果会社がこれを買い占めてしまうということが、今度の万博を契機とする玉ネギ、ジャガイモの値上がりにも見られておりますし、新聞の伝えるところでは、青森市の八百屋で売られているジャガイモは、北海道産のものでありながら、一ぺん東京まで運ばれて、東京からUターンしたものであると言われております。新聞などでもこのUターンものの野菜が最近ふえてきたことを言っておりますが、これは明らかに消費者の立場からみて、むだな経費をつぎ込んでおるというわけでございますから、この面についての規制が強められる必要があると思います。
 魚につきましても、巨大漁業会社がそれぞれの港を押えて、できるだけなまものを少なくして冷凍もの、あるいは干ものなどにいたしまして、高い利潤を手に入れるということだけが目的になっているような流通機構の独占とそれから非近代的なやり方をぜひ変えていただきたいと思うわけであります。
 そういう点では物価安定政策会議が行政の介入度を低めるようにという趣旨の提言をきのうなされたわけですが、これはこれとして重要な問題点の指摘であると思いますが、逆に私はもっと行政の介入あるいはことに国会の調査権を伴った政府の介入の必要な分野がまだあるのではないか。そういう点については介入をして、介入すべきでない点からは手を抜くという二本立てのやり方が物価安定のために必要なのだろうと思います。
 十年も続く物価高ということになりますと、私は明らかに政府の責任は重いと言わざるを得ません。ぜひ七十年代の最初の年にあたって、いままでの物価高の原因を一つ一つ点検をしまして、この物価高の原因を取り除いて国民生活が安定したもの、そうして将来が楽しめるものであるようなものにしていただきたいと思います。
 時間がまいりましたので、まだ申し述べたい点がございますが、これで終わらせていただきます。(拍手)
    ―――――――――――――
#4
○委員長(堀本宜実君) 次に、地主公述人にお願いをいたします。
#5
○公述人(地主重美君) 本日、私は社会保障のあり方を考える場合に、問題となると思われるような点について、およそ五点ばかり指摘いたしまして、そういう観点から今度の四十五年度予算、特にその中の社会保障関係費について意見を述べさせていただきたいと思います。
 社会保障制度といいますのは、われわれを取り巻いておりますもろもろの生活不安なり、リスクといったものをできるだけ縮減する、少なくする。もし、このリスクが発生したときには少なくとも最低限生活水準を割ることはないように、全国民に対してナショナル・ミニマムを保障する。そういう社会の仕組みであろうと考えているわけであります。ところが、ここで社会保障制度が対象にいたします生活不安とかリスクといったものは、決して固定したものではないはずでございます。時代とともに形を変え、姿を変え、また、性格をすら変えておるわけであります。ことにわが国のように、社会変動が非常に激しい、経済成長が非常に著しいようなそういう社会においては、こういう生活不安とかリスクといったものが非常に大きく姿を変えておるということをわれわれは指摘しなければならないと思うわけであります。このリスクとか生活不安が、もしこのように大きく変動するものであるといたしますならば、社会保障といったものもそれに対応するように姿を変えていかなければならないはずであります。たとえば、貧困問題が一つの例でありましょう。従来、われわれの二十年代に経験した絶対的貧困、その絶対的貧困の時代における貧困と、高度経済成長のもとにおける相対的貧困とは同じ貧困といっても、その性格が非常に違っておるということを考えざるを得ないわけであります。したがって、この社会保障、そういった貧困問題に対応すべき社会保障といったものも、その機能や仕組というものも、それに伴って大きく変わらなければならない。この点がわれわれ考えなければならない大前提であろうかと思うわけであります。ところがこの日本の社会保障――日本だけではないと思います。海外の社会保障についてもやや同じような点が指摘されると思いますけれども、日本の社会保障を考えます場合に、実はこの大前提についていろいろ問題がある、こういうふうに考えるわけです。
 そこで第一の点はこういうことであります。それはつまりリスクや生活不安の形態なり、性格なり、機能なりが変わっておりますのに、それに対応すべき社会保障の制度そのものが非常に硬直化しておるということです。端的にいいますと、二十年代に妥当したであろう制度が、現在でもそのまま生き続けておる、そのために社会保障が本来目的にするような保障の実効のある効果が期待できなくなっておると、こういう点が第一に指摘されると思います。で、一、二それについて例をあげて申し上げたいと思います。
 生活保護を一つ問題にいたします。現在、日本の生活保護におきましては、いろいろ原因の違った貧困者を、いろいろ違った原因で貧困階層におちいった人々を一つの生活保護という受け皿に受けております。どうもこの生活保護の基準を決定する場合には、一般に勤労者出帯の平均的な消費水準の、たとえば、五〇%であるとか、あるいは五〇何%であるとか、こういうふうに、かなり大幅な格差をおいてきめているわけであります。この考え方の背後にありますのは、どういうことかというと、こういうことではないかと思います。
 それは保護基準をあまり上げ過ぎますと、それが受給している人たちの勤労意欲に非常に影響を与える。ですから、これは非常に好ましくない。つまり、高い保護、生活保護に甘んじて、あえてこれから脱出して勤労の機会を求めようとしなくなる、こういう考え方であろうと思います。この生活保護世帯の大部分が労働能力を持っているような、そういう事態においては確かにこういった考え方もある程度妥当性はあったかと思います。ところが最近の厚生省の統計なんかを見てもわかりますように、現在の生活保護世帯の大部分は労働能力のない世帯であります。特に老人世帯が非常に多いわけであります。そういたしますと、もはやこの勤労意欲を問題にして保護基準をきめるという、そういう考え方そのものが現実に合わない、そういう事態になっているというふうに考えるわけであります。さらに生活保護の受給者が、いま申し上げましたように、老人でありますとか、あるいは母子世帯でありますとか、あるいはまた心身障害者でありますとか、そういうふうな労働能力を持たないか、あるいは労働能力を発揮する機会が非常に限定されているような、そういう階層であるようになってまいりますと、そういう人たちの福祉を向上させる道は、決していわゆる現行の生活保護費を引き上げるというやり方ではないと思うわけです。で、これをやるためには、やはり老人に対しては老人福祉のサービスを提供する、母子世帯に対しては母子福祉のサービスを提供する、こういう形ではじめてこういう人たちのほんとうの福祉の向上に役立つことができると思う。単に生活保護費を引き上げるということだけでは問題は解決しないし、また、それだけではいわゆる生活保護費そのものも伸ばすことはできないわけでございます。まあ、こういうふうに考えてみますと、現在の生活保護制度といいますものは、どうも古い時代の、昭和二十年代の、そういう現実には妥当したけれども、現在の事態にはあまり機能しないし、生活保護が本来の目的としております目的にも十分こたえることができない、そういう事態になっているのではないか、こういうふうに思うのです。これがまさに制度の硬直化、社会保障制度の硬直化ということでございます。
 また、失業保険なんかもよい例だと思います。失業保険というのは、非自発的失業、労働能力がありますのに労働するチャンスがない、こういう人たちを対象にした制度でございます。でありますから、非自発的失業が失業者の圧倒的多数である場合には、この制度がうまく運用されたわけであります。けれども、現在の失業というのは、それとかなり性格が違っております。そういう失業ももちろんあるにはありましょうけれども、しかし、現在の労働不足経済のもとでは、そういうタイプの失業というのは非常に少なくなっている。現在、日本の失業というのは、いわば産業構造が急速に高度化する、急速に変動する、あるいは技術革新が非常に激しい、こういうことに伴う失業、いわば摩擦的な失業でありますとか、あるいはまた構造的な失業であります。こういった失業者を失業保険で救済することが適切かどうか、この点が実は問題であります。こういう失業者を救済する方法は、実は、失業保険というよりは、むしろ、産業政策でありますとか、職業再訓練でありますとか、そういうものであるべきであろうと思います。ですから、失業保険そのものをここで廃止するというのではありませんけれども、失業保険制度そのものにこういった制度をいわばリンクさせる、こういうことが非常に重要である。労働の再配置という見地からそういうふうな政策をとらなければならない。こういうことでございます。その他、現在の制度は、ほとんど大部分がそういう現実そのものが非常に変わっておりますのに、制度そのものが非常に硬直化している、こういうことをわれわれは認識いたすわけであります。
 第二の点は、こういうことであります。まあ、従来われわれが社会保障の規模を考えます場合に、国民所得に対して社会保障の規模がどれだけであるか、五%でありますとか、六%でありますとかいうことが言われています。西欧諸国は二〇%――ドイツなんか二〇%になっている、非常に格差が大きい、こういうことを言うわけです。これは確かにそのとおりであって、これを否定するつもりは毛頭ございませんですけれども、しかし、社会保障が目的としております生活不安とかリスクをなくすのに、いわゆる経常的な社会保障費を増加するというだけでその目的を達成できるかというと、この点は非常に疑問であります。われわれが生活水準というものを考えます場合に、単に一人当たりの国民所得の水準だけで考えることは非常に非現実的である。住宅も貧しい、住宅環境施設も貧しいような状態で所得水準が上がっても、これは生活水準の上昇だということは言えないわけです。未来学者は、一人当たりの国民所得水準がアメリカ並みになるということを、即生活水準のアメリカ並みというような即断をしがちでありますけれども、この点は非常に問題でございます。と同じことが社会保障についても言えることであって、単に経常的な社会保障費を増加させるというだけでは、これだけでは社会保障の目的を達成することはできない。むしろ、社会保障関係の施設の整備、施設の充実、これをストックとかりに名づけますならば、このストックを充足するということは、経常的な社会保障費の増大と並んで、あるいはそれ以上に将来はますますそういう重要性が大きくなる。いま生活保護の問題で申し上げましたように、老人問題が非常に大きな問題になるということになりますと、老人ホームでありますとか、そういう関連の福祉施設がどうしても必要になります。こういうようなことがありますので、単なる経常的な社会保障費の増大だけでは福祉的な目的を達成することはできない。どうしても施設の整備、施設の拡大、充実ということが必要だということが第二の点でございます。
 第三の点は、これをかりに「物から人へ」と呼んでおきましょうか。これはつまり、われわれが家計の消費の内容を見ましても、次第に、サービス、特に人的なサービス、個人的なサービスに対する需要が非常に大きくなっています。これは当然のことで、生活水準が高まってきますと、そういうものに対する需要のウエートが高まってくるわけでございます。実は社会保障についても全く同様だと思います。老人問題が非常に大きくなってくるということになりますと、やっぱり、老人をケアする、そういう要員がどうしても必要であります。その他、心身障害者の問題、あるいはまた母子世帯の問題、これ、すべて個人的なサービス、こういった階層をケアするような、そういう人たちのサービスに対する需要が非常に高まっていくはずであります。そういうものを考えないで、ただ社会保障費を上げるとか、あるいはまた施設だけをふやすということでは本来の目的を達成することはできないわけであります。ところが、人をふやす、要員をふやすということは非常にたいへんなことでございます。これには非常な長期の時間がかかる、養成に非常に時間がかかるということとともに、この社会保障の部門というのは、一般の民間の部門と違って、非常にじみな部門であります。こういう部門に若い有能な人たちを導入する、誘い込むということは、これは非常にたいへんなことであります。しかし、これをやらないことには、将来の社会保障のほんとうの水準を上げるということにはならないわけであります。この点はこれからぜひ考えていかなければならないと思います。
 それから第四番目。これは、ただいま生活保護の問題で触れましたけれども、現在の生活保護をいわば機能分化させて、一方、サービスに回せるものはできるだけサービスに回す。ですから、生活保護というものは、いわば純然たる所得保障になる、所得保障として純化されるわけです。所得保障として純化されるわけでありますが、この所得保障というのは、言ってみれば逆な所得税、マイナスの税金だというふうに考えることもできるわけです。税金というのは、われわれが徴収されるわけですけれども、しかし、こういう階層に対して給付を与えるということは一種のマイナスの税金だ、こういうふうに考えることもできるわけです。ところで、納税をしているようなある一定所得以上の階層に対しては、減税でありますとか、いろんな優遇措置が講ぜられております。ところが、そういうものと一緒に、じゃ低い階層に対する優遇がなされているかというと、必ずしもそう言えない。これは明らかに所得の再分配という点からすると、非常に問題であります。一方のほうでは非常に優遇しているのに、下のほうでは、それに相当するようなものをやっていない。あるいはまた、それと同時にやっていない。そこで、ここでそういうマイナスの税金、つまり、いま言った給付をさすわけですが、マイナスの税金と、いわゆるプラスの税金――われわれが納めているプラスの税金、これを一元化する、税制として一元化する、こういう方法を考える。つまり、生活保護といったものを所得保障として純化すると、そういうことが可能なはずであります。そういう一元化することによって、いろいろ分配にまつわる不公平というものが除去できるのではないか。よく言われておるように、逆所得税というものをひとつここに導入してみたらどうだろうか。これもやっぱり真剣にこれから考えてみる必要がある問題であろう、こういうふうに思います。
 それから最後、第五の点でありますが、こういう施設の整備でありますとか、要員の養成、これは非常に時間がかかります。時間がかかりますということは、これをやろうとすると長期の計画が必要だ、こういうことであります。ただ、しかし、施設の整備、要員の養成だけを単独に計画するということでは効果がないわけであって、このことは、つまり、社会保障全体としての長期計画が必要だということを示唆しているわけであります。社会保障に関する長期計画をどうしても策定しなければならない、こういう要求が当然ここから出てくるはずであります。つまり、社会の大きな変動、経済成長の中では、どうしても長期計画なしには社会保障の実効ある制度の運用ができない、こういうことを申し上げたいわけでございます。
 こういうような視点から、今年度の予算をながめてみたいわけでございます。いま申し上げた事柄は非常に長期の問題でございますので、これを単年度の短期の予算にそのまま当てはめて批判するということになりますと、これはいろいろ見当違いの批判にもなりかねないわけでありますが、しかしながら、一つの方向づけというものはあるはずであります。つまり、そういう長期の計画なり、長期の目標なりがはっきりしておりますと、それはおのずから予算の面においても反映されてしかるべきはずであります。そういうような視点から、今年度の社会保障関係費をながめてみたいわけでございます。
 御案内のように、今年度の社会保障関係費は一兆円の大台をこえる、これはたいへんな増加でございます。政府予算の対前年度増加率、これは一七・九%になっておりますが、これを上回って、二二%もの大きな伸びをしているわけでございます。ところが、この内容を見ますと、いろいろと問題があるわけであります。全体の五四%近くが、これが医療費に食われております。厚生行政は医療行政だと、よく悪口を言われますけれども、まさに、この予算を見ますと、そういう感じがするわけであります。しかも、社会保障関係費に占める医療費の割合は、年々わずかながら上昇しております。といいますのは、ほかの厚生行政に振り向けられる、ほかの社会保障に振り向けられる予算の割合がだんだん減っているということです。ましてや、新規の政策に向けられる費用というものはなかなかひねり出せない、こういうことになってしまうわけであります。この点は、現在の医療問題を根本的に考え直さないことには、どうにもならないことでございまして、すでに国民一般の世論もそういうことを要求しているわけです。そのためには、単に医療保険を手直しするというだけではなくて、やはり医療制度全体を根本的に考えるということが必要であります。これは別に金額が大きいからよいとか悪いとかというものではありません。そういったことをやって、なおかつ、これだけの費用がかかるかもしれません。かもしれませんけれども、しかし、医療にこれだけの金が食われて、ほんとうに国民のための医療になっているかどうかということは、やっぱりそういう見地から検討し直す必要があろう。そのためには医療制度を考えなければならない。医療保険だけで終わってはならない。医療制度そのものが実は問題だ。こういうことを申し上げたいわけであります。まあこの点はここで深入りいたす余裕もございませんので、次に進ましてもらいます。
 第一に、先ほど申し上げた長期計画という観点から、今年度の予算はどうなっているかということを考えてみます。社会保障の長期計画については、いまの経済社会発展計画の中で強くその実施を迫っております。それから現在策定中の新経済社会発展計画でも、とにかくこの社会保障の長期計画を出せということを強く要求しているわけです。また、この計画自身の中にも、非常に大まかでありますけれども、ある種の計画、ある種の長期的なビジョンというものが載っておるわけであります。ところが、御承知のように、現在の経済社会発展計画は、発足わずか二カ年くらいで、現実と計画との間に、実績と計画との間に大きな乖離が生じた。この乖離が生じた原因は何かと申しますと、これは、私の意見では、計画どおりに実効性ある政策手段をとらなかったからだ、こういうふうに考えます。つまり、あそこの計画の中でこれだけのことをやりなさいということをうたっておりますのに、その政策をとらなかった。これが一つには乖離をもたらした大きな原因であろうと思います。こういう政策がとられなかった。つまり、計画に予算的裏づけがなかったということ。このために、計画が絵にかいたもちに終わってしまった、こういうことではないかと思われるわけであります。そういう観点からこの予算を見ましても、どうもそういう長期的な計画を持っておって立てられた予算であるというふうには、どうも見受けられないわけでございます。これが第一。
 第二は、先ほど言ったストック、つまり物的な施設の整備でございます。この施設につきましては、生活環境や衛生対策のほうで施設の整備がかなり大幅になされております。これはやはり政府が真剣にこの問題を考えているという一つの徴候であろうとは思いますけれども、しかし、こういう、いま言った生活環境や衛生環境の施設整備費というものは、いわば都市化に伴ったそれでございます。これももちろん、保健福祉という点からすると非常に大事でございますが、社会保障にとって、もっと大事なことは、社会福祉関係の施設の整備でございます。ところが、これについては、どうも今年度の予算を見る限りでも、あまり大胆な考え方を打ち出しているというふうには見受けられない。つまり、あまりいまと違ったような傾向があるようには見受けられないわけでございます。もちろん、これには、社会福祉そのものを将来どうするかという、そのことがきまらないものですから、それでなかなか予算をつけにくいということもありましょう。たとえば、老人福祉であるとか、老人ホームをたくさんつくるのが老人にとって幸福かどうかというような基本的な問題というか、考え方の問題にも連なるわけでありますので、そういう点でも、なかなかつけにくいということもありましょうけれども、それならばそれで、やはりそういう問題を真剣に考えるような何か手だてをする必要がありはしないか、こういうふうに思うわけであります。
 第三の、要員の養成でございます。これはむしろ一番重要な問題であろうかと思うわけでありますが、今年度の予算で考えられております、あるいはまた、われわれが見てすぐ気のつくのは、看護婦養成のための予算、これが倍増しております。看護婦問題が非常に大きな問題になっておるというわけで、政府はこれに真剣に取り組んだということは確かによくわかるわけでありまして、これは大いに歓迎すべきところであります。しかし、これは、広い意味では医療問題の一環でございます。ところが、そうではなくて、ほかの社会保障の分野において要員に対する需要が現在非常に大きいだけでなくて、将来非常に増加するであろうと予想されますのに、そういうものに対する対策というものが、この予算で見る限りでは、あまり見受けられないということでございます。いずれ、こういう人員の問題にせよ、施設の問題にせよ、これは非常に長期を要する問題でございますので、単年度の予算でどうこうということではないでありましょうけれども、しかし、やはり計画を持っている予算と持っていない予算というのは、おのずから違っているであろうと思います。そういう点では、やはりこういった計画といったものをしっかり固めて、それを予算の上でも反映させるようにしてもらいたいものだ、こういうふうに思うわけです。ただ、施設とか要員の整備、あるいはまた養成というものをもっぱら国費でやるのがよいか悪いかというのは、これはおのずからまた別の問題であろうと思います。つまり、費用の負担をどこでやるかということは、これはまた別の問題として考えなければならない。何もかも、要員の養成であるからこれは国費でやる、施設の整備であるから国費でやる、ということには実はならないであろうと思います。これはかなりむずかしい問題でありますが、そういう点は一応別にして――別にしてということは、これを離れて考えるということでなくて、これを考えるときに同時に財源問題というものも考えていかなければならない、あるいは財源問題と費用の負担、これを考えていかなければならない、こういうことでございます。
 最後に、こういったふうに流動する経済的社会的な変動の中で、じゃ、今度の予算がそういうものを全く見なかったかというと、そうではない。実は、金額としては非常に小さいが、かなり重要な点の指摘があるように思います。それは何かと申しますと、母子保健対策でございます。これは、当初の厚生省の原案では、全国民にこれを広げるということであったようでありますが、結局D4階層までということになったようでございます。それでも八五%までカバーできる。ということは、つまり、こういう福祉サービスというものが、ある低い階層だけでなくて、全国民に広げようという、そういう考え方を打ち出したということであります。これは社会保障を考える場合に実は非常に大事なことであって、社会保障というのは低所得者対策だというふうな従来の考え方では実は処理し切れないということです。全国民的な広がりを持たなければならないということ、そのことをこれは非常によく認識しているものであろう、こういうふうに思うわけであります。そういう点で、この点については私高く評価をしたいわけであります。
 以上、あまりまとまりのない話になりましたけれども、しかも、問題の焦点が社会保障のあり方といった、今年度の予算とは直接関係のないところに大きな時間を費やしてしまったわけでありますけれども、所見の一端を述べさしていただきました。(拍手)
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#6
○委員長(堀本宜実君) それでは、公述人の方に御質疑のおありの方は順次御発言を願いたいと存じます。
#7
○川上為治君 花原先生にお伺いしますが、労働賃金の上昇と物価の関係をどういうふうにお考えでしょうか、それをお伺いします。
#8
○公述人(花原二郎君) いま御指摘の点は、賃金と物価との関係ということでございますが、おそらく、賃金が上がるから物価が上がるという、いわゆるコストインフレ論が広く行なわれておりますので、そういうことに関連して御指摘があったのだと思います。
 いまの高度成長のもとで、どっちが原因であるのか、あるいは鶏と卵、どっちが卵であるのかということは簡単に断ずることはできませんが、十年間の動きをとってみますと、こういう結果があらわれてまいります。さっきもちょっと申しましたように、消費者物価のほうは五・七%、一年間に大体五・七%の上昇率でございます。賃金のほうは約一一%となっておりますが、それだけをとってみますと、消費者物価の上がり方よりも賃金の上昇率のほうが高かった。ただし、この賃金は製造業三十人以上の規模のところでございます。ということになるわけですが、問題は、消費者物価の指数に問題があって、さっきも少し指摘したわけですが、たとえば第一銀行の、年間百回以上購入するものについては一一%、賃金の上昇率とほとんど同じくらいになってしまうということになります。そしてまた、労働者、農民の生活の実感から言うと、所得が上がりながら、しかし、名目的に上がりながら、あまり生活が楽になったという実感を持つことができないのは物価上昇に食われてしまうからだといろことにならざるを得ないと思います。賃金が最近の春闘で大幅に上がってまいりました一つの理由が、この物価高に追いつくということにあって、物価が上がるから賃金が上がるということがこの春闘においては強調されるわけでございますが、問題は、賃金の上昇を上回るような生産性の上昇率があるのかどうかということになるわけです。これにつきましては、たとえば、日本生産性本部が一月の二十日に発表いたしました、昭和三十年から四十三年までの生産性の上昇率と、それから賃金の上昇率という数字がございます。これを見ますと、一年間に平均しまして、三十年から四十三年までの間に賃金は一〇・四です。一〇・四%。それから生産性は一三%ということを申しております。これが、近年ですね、おととしとか去年ということでとりますと、生産性の上昇率を賃金のほうが少し上回ったということになるわけですが、これは平均でございますから、大企業と中小零細企業とでは生産性の伸びにかなり違いがございます。大企業の場合には、生産性の伸びの中に大体賃金の上昇率を押えていると見ることができるのに、中小零細企業においてはなかなか生産性を上げにくい分野が多いものでございますから、そういうところにおいては、ことに若年労働力の不足で賃金が上昇してまいります。賃金を上げないと労働力を確保することができません。その分野においては生産性の伸びよりも賃金のほうが上がって、それが中小企業における製品のコスト高の一つの原因になっていることは、これは認めないわけにはいかないと思いますが、大企業については、賃金が上がったからすぐ物価にはね返ってくるという、こういう論理は私は成り立たないのではないか。なぜならば生産性の伸び率のほうが大きいから、こういうふうに考えておりますが、何しろ、物価を構成いたしますコストの中で賃金の占める比重は、製造業全体をとってみますと、一〇%から一二%ぐらいにすぎません。これを十年間とってみますと、製品コストに占める賃金の割合というのはほとんど変わっておりません。一〇から一二。ですから、一人当たりの名目賃金が上がっても、それが生産性によってカバーされているということをここではあらわすのだと思いますし、いわゆるコストインフレ――コストの中には賃金コスト以外にいろんな費目があるのに、賃金が上がるから物価が上がるというふうに、したがって、労働者がいまの物価高の犯人であるかのように指摘をするいわゆるコストインフレーションという考え方は正確ではないのではないか、コストの中で占める賃金の比重というのは一割程度にすぎないということを考えますと、私は、大企業と中小企業とを分けて考えるというのが現実に即した見方ではないかと思います。
#9
○木村禧八郎君 花原先生に一つ。
 最近、卸売り物価が上がってきましたね。その原因について、いろいろ輸入インフレというふうなことを言われて、海外の原料の値上がりから、それがまた日本の物価にはね返る、特に卸売り物価にはね返って、だから金融なんか締めても、いわゆる総需要を押えないと、この物価高はとまらないというような説をなす人もいるようであります。そのいわゆるインポーテッド・インフレーションですか、そういう点が最近特に言われておりますが、その点ひとつお教え願いたいと思います。
 それから、委員長、地主さんに対する御質問も一緒でよろしゅうございますか。
#10
○委員長(堀本宜実君) どうぞ。
#11
○木村禧八郎君 地主さんに二点伺いたいのですが、その一つは、いま非常に参考になる御意見、ありがとうございました。その中で、確かにフローだけで社会保障費が大きいと簡単には言えないと思います。それにしましても、国民所得に占める日本の社会保障給付費の割合が欧米諸国とあまりにもかけ離れ過ぎちゃって、たとえば、EEC諸国あたりでは一八%ぐらいですね。国によっては一九%ぐらい。ところが、日本は大体六%前後でしょう。これは、今度の新経済社会発展計画では五カ年間に二ポイントぐらい引き上げるというような答申のようでございますが、それにしても、五年間に二ポイント上げて約八%、それも上がるかどうか。いままでの過去の経験を見ますと、全然その比率が上がってないですね。日本の場合、二ポイント上げることはたいへんなことじゃないかと思いますが、その上に、二ポイント上げても、なお欧米諸国どの間にものすごい格差があるのですね。この格差は一体縮まるものか縮まらないものか。確かにストックの点がもう非常に重要だと思うのですが、あまりにかけ離れ過ぎている。しかも、日本の経済は世界第三位ですね、総生産は。実現をして経済大国になっておりながら、この点が一向縮まらない。その点はどう見たらいいのか。もう縮まらないものと見ていいのか。ただ総生産がふえるから、同じ比率でも金額がふえるからいいと、こう見ていいのか。それにしても、どうもそこのところが私としては納得できない。
 もう一つは、私はこの間石神井の養護施設を見てまいりました。したがって、先生のお話はもうそのとおりなんですよ。施設、それから要員ですね、サービス。これがまた非常に不足なんです。しかも、その中で、あれは地方公共団体が実施するわけでしょう。地方自治体の持ち出しというのは非常に大きいのですね。この点が、たとえば養護児童ですから、お小づかいなんかも国のほうのあれはごくわずかですね。それに対して都のほうが相当負担している。それから、おやつですね。おやつなんかは、何か心身安定剤とか安定費とか言うのだそうですね。そういうものをくれるのも都の負担になるわけです。そういう公共団の、地方団体の負担が非常に重い。それでまた、施設の内容が非常に悪いのです。実際に私は老人ホームなんかは見ませんでしたが、養護施設だけ見たのですが、これは非常にもう、先生から伺いまして、全く、単に予算だけつけたのではだめだということを痛感したのでございます。それで、ことに地方公共団体に対するしわ寄せ――われわれはしわ寄せというふうに思うのでございますけれども、そういう点、どういうふうに考えたらよろしいのか、この点ひとつお教え願いたいと思うのです。
#12
○委員長(堀本宜実君) まず、花原君からお願いいたします。
#13
○公述人(花原二郎君) いま木村先生御指摘の点は、卸売り物価の上昇の一因としまして、外国から輸入いたします原材料の価格の上昇が作用しているのではないかという考え方があって、それがいわゆる輸入インフレになるわけですが、私は、この輸入インフレという考え方は適切ではないと思います。その理由は、卸売り物価指数、現行のものは昭和四十年に作成されたものでございますが、八百六品目含められて、日銀で調べているわけですが、この中には公共料金が入っていませんし、生鮮食料品も入っていませんし、サービス料金も入っていないというようなことから、長い間消費者物価が上がりながら卸売り物価のほうは比較的安定していたわけでございます。それがこの一年間急激に上がってきたわけですが、四十年基準で見ますと、輸入品のウエートは七・四五%程度にすぎません。で、国内品が八七%、輸出品が五・四八%程度のものでございますから、その後事情が変わったにいたしましても、輸入品の持っている比重は、ウエートは、全体の中で見れば、さほど大きくはないと思います。特にいま値上がりが顕著なのは木材でございますが、木材のウエートは六%です。全体の六%でございますから、いくら木材が大幅に上がったとしても、全体の中に対して与える影響というのは限られたものになってまいります。日本のように、基礎的な原料資源を外国からの輸入に仰いでいるような場合、それらの大幅な値上がりが日本の物価にはね返ってくるということは十分に考えられるところでございますが、にもかかわらず、日本の工業製品の中で占めるこのウエート、それから現実に諸外国で値上がりしている比率が、割合が特定の品目に限られているというようなことから見ますと、むしろ、輸入品が上がったために卸売り物価が上がったというよりも、ここのところ、資本取引の自由化に備えまして、八幡・富士の大合同に見られますような企業合同が相次いで行なわれる、それに伴う地下カルテルのような価格協定の動き、これが一つ大きく作用していると思われますし、さらにまた、公共料金の引き上げとか、新たな設備投資などが、このコストの面にはね返ってくるというふうに見るべきではないかというのが私の考えでございます。
#14
○公述人(地主重美君) ただいまの御質問、二点ございます。
 一つは、国民所得に対する社会保障費の比率が日本の場合はいかにも低過ぎるということでございます。これは、私先ほど申し上げましたように、もっともでございます。これについて私は全く同感でございます。いかにも低過ぎると思います。この低過ぎる原因は、おおよそ二つあると思います。一つは、ヨーロッパ諸国で採用しておる児童手当制度が現在まだ日本では採用されておらないということが第一点。第二は、年金制度そのものがまだ成熟しておらない、こういうことでございます。これは、企画庁内部で試算したところによりますと、年金制度がいま成熟したとみなして計算し直しますと、大体対国民所得比で一四%ぐらいになる、こういうことでございます。ですから、そういうふうに年金制度そのものが成熟する段階になりますと、西欧の水準にかなり近いところまでいくであろうと思います。ただ、それでよいか、それまで待っていてよいかということが問題であろうと思う。つまり、社会保障費が低過ぎるということは、現在社会保障に対する需要があるのにそれを満たしていないということでありますから、そういう意味では、やはり何か抜本的な方法を講じなくちゃならないし、特に年金は長期性のものですから成熟まで時間がかかるということで済ましているわけにいかないであろう。やはり経過的に、受給要件を満たしていない人に対しても、かなり大幅な年金をやるというようなことも一つ考えてしかるべきことではないだろうか、こういう気がいたします。ただ、もう一つの児童手当のことにつきましては、私実は二、三これについて意見があるわけで、これをいまこのまま採用することがよいかどうかということになると、やや否定的なわけでございます。
 それから第二の点でございますが、施設の整備についても地方財政の負担が非常に大きいということでございますが、これもまさにそのとおりでございますが、ただ、これを国が肩がわりするのがよいかどうかということは、一つ別の問題であろうと思います。と申しますのは、こういう施設におけるケアというのは、やはりそれにできるだけ近い行政機関がやるのが効果が大きいわけであります。そういたしますと、機関がそれに必要な自主的な財源を持つということが必要なわけですね。ですから、何かやはり地方公共団体がそういうものに自主的につけられるような自主財源を持つということが先決で、ですからやはり地方行政機関を通してやるのが福祉的な効果が大きいのではないか、こういうふうに考えるわけです。それから第二は、こういう福祉施設の組織の問題と関係があるわけでありましょうが、先ほど御指摘がありましたように、ただ金を流すというだけでは事柄は解決しないということ、この点はやはり十分に考えてみる必要があるであろうと、いまのやはりそういう福祉行政の仕組みというものを根本的に考えてみるということが必要ではないだろうか、こういうことでございます。
#15
○木村睦男君 花原先生に四点ばかりお尋ねしたいと思いますが、簡単でよろしゅうございますから、お教えいただきたいと思います。
 一つは、先ほど川上委員から御質問がありました物価と賃金の問題でございますね。もうちょっとこの問題でお聞きしたいのは、先生のお話しのように、なるほど賃金の高騰ということが物価に若干の影響があるというお話がございましたが、特に最近春闘相場ということで年々の春闘相場の上がる率が非常に高い。しかも、これはまあ一律にそういうふうな線が出るものですから、さっきお話しのような、大企業のみならず、それに中小企業も引きずられて賃金が非常に上がる。そこで、合理化なり生産性の向上によって企業の内部でそれが吸収できればいいけれども、だんだんそれができなくなる。しかも、最近対前年の春闘相場の上がり方を見ますと、四十年ごろは三千円台のが昨年は六千円台だ、ことしは一万円というようなことで、一四、五%にも近年の間は伸びている。これと生産性の伸びとのギャップがだんだん大きくなってきておる。確かにこれは物価高騰の一つの原因になっておると私は思いますが、そういう関連について――いわゆる春闘は日本だけしかない、春闘相場というのは。これについて御所見をひとつお聞きいたしたい。
 それからもう一つは、先ほどのお話の中で、昨年の秋から金融引き締めをやってきた、しかし、まだその効果はあらわれていないというお話でございます。私もそう思います。しかし、これはわれわれの常識から言いますと、金融引き締めは大体半年ぐらいたたなければほんとうの効果はあらわれないと、こういうふうに考えられるのですが、今日の段階でこの金融引き締めの効果があらわれないということは、まあ、先生学者でいらっしゃいますから、学問的な立場で、もっともっと早く効果が出るべき性質のものであるという前提でのお話であるかどうか、その点をお伺いいたしておきます。
 それから企業内における自己資本が非常に低いという御指摘、私もそのとおりだと思います。しかも、その自己資本が低くなるような政策を政府がとっておるのだというお話でございましたが、税制その他いろいろあろうと思いますが、具体的に、現在まで政府がとっておる政策の中で自己資本が低くなるような政策というものは具体的に一体どういうものがあったかということを教えていただきたい。
 最後に、公共料金の問題で、確かに公共料金の問題がいま物価抑制と非常に強いつながりがあることは御指摘のとおりであります。そこで、先生のお話の中に、公共料金の中でとにかく特に運賃と米価、これは二つの柱で、非常に大きなウエートを持っておる。で、料金で、運賃の問題で、ことに私鉄等の料金等でちょっとお触れになりましたが、われわれも従来非常に疑問に思っておりますのは、先生のお話しのように、いま私鉄はいろいろ傍系事業、関連事業をやっておる、だからそのほうでもうかっておるから、鉄道そのものの本来の経営がかりに赤字であっても、傍系事業の黒字でこれを補ってしかるべきじゃないか。これは私もそう思うのです。ところが、交通運賃というものの本質的な改訂は、その企業体が関連事業をやっておっても、交通事業そのものとして、独立のものとして経営計算をやって運賃をきめるのがいまのたてまえになっております。それが傍系事業が黒字のときにはいいんですが、傍系事業が黒字だから交通事業そのものの赤字もこの黒字で埋めたらいいじゃないかという議論を今度は裏を返しますと、傍系事業がそれじゃ赤字のときに、交通事業は黒字だからといって、企業全体が困るのならば、黒字の交通事業の料金を今度は上げてもいいのかという反論を受けるわけです。したがって、その点についてどういうふうにお考えになっておりますか。この四点、簡単でよろしゅうございますから。
#16
○公述人(花原二郎君) いま、木村先生から四点、簡単にということでございますが、非常に大事な問題点の御指摘を受けたわけでございます。なるべく簡単にお答えしたいと思いますが、まず最初は、物価と賃金の問題、ことに春闘とのかね合いということでございますが、生産性の伸びとのズレの点が中小零細企業の場合に目立ってきたということはさっき申し上げたわけでございますが、それならば、この春闘が最近は一律方式を中心にいたしまして、企業の規模にかかわらず、年齢にかかわらず最低何円の引き上げという形をとってくるわけでございますから、中小零細企業においてどう対処するかということは、深刻な問題にならざるを得ません。そこで、賃金というのを生産性と比較をして、生産性の伸びのワクの中だけにこれをおさめるべきじゃないかという議論、いわゆる所得政策――インカムポリシーが数年前から出て、ことしの春闘にあたって日経連が主張している考え方もここのところに落ちつくと思います。しかしその場合に、個々の一つ一つの企業の生産性の伸びの中で、賃金の上昇率を認めるという考え方ではなくて、生産性基準原理という言い方をしておりますが、社会の全体の生産性の伸びということを念頭に置いてきめると、そういう配慮があるように思います。零細企業の場合に、中小零細の場合に、概して言えば、生産性が伸びにくい分野が多いわけですが、しかし、社会の生産活動にとって不可欠な分野が多いこともまた事実でございます。そうしますと、いままで、非常に賃金が低かった、企業の規模別格差が大きかったということがございますので、利潤との関係で賃金という問題を一つ考えなければいけないのじゃないか。賃金が上がって利潤が食われる、利潤のほうが減るということが当然出てまいりますが、その利潤の減少ということで、生産性の伸びを上回る賃金の上昇というのを吸収すべきではないのか。それが限界に達したということであれば、いわゆる最低賃金制、いかなる小さい企業でも最低これだけ、労働者が健康で文化的な生活を営む水準のところまでは国の責任で保障するというような最低賃金制ということで考えていかなければいけないのではないかと思います。いずれにせよ、中小零細企業にあって、初任給は上がっても、しかし昇給率が低いわけですから、生活が決して楽ではない。ことに住宅の問題一つとってみても年々苦しみが増してきているというようなことから見ると、賃金を中小企業だけ区別して押えるという方向以外の道を追求することが望ましいのではないかと思います。
 二番目は、金融引き締めの問題でございますが、半年くらいたたないと効果があらわれないのではないかという意見に私も賛成でございますが、去年は、引き締め前に日銀券の増発が二五%一年前に比べてふえるという異常なことがございました。ここで過熱を押えるということであれば、従来から言われておりましたように、いわゆるポリシーミックスで、金融面でも引き締めるし、財政の面でも押える、そういうことをやれば半年ぐらいたたないと効果があらわれないというのが早まることが十分考えられるわけでございます。そうしてまた、いままでは外貨の手持ちが潤沢であるというような条件もありますし、金融の引き締めをもっとスピードアップするというやり方ができたはずなのにそれをとらないで、最近ではもうゆるめてもいいのではないかという意見さえ出てきておるということは、私は危険ではないかと思います。もしそうならば、もっとこの物価高がひどくなりそうだということを心配するからでございます。
 三番目に、自己資本の比率が現在日本では一八%程度でございますが、こんなに低い国は外国と比較いたしましてもないわけですが、政府のほうがこういう自己資本の比率が低くなるようなふうに誘ってきたと思われる問題を考えてみますと、一つは税制でございます。税制については、借り入れ金の利子ならば損金として認める、しかし、配当などについては課税されるというわけですから、損金として認められる借り入れにたよったほうが有利ではないかということが出てまいります。それから二番目は、開発銀行の融資も巨額ですが、市中銀行が貸し出しを促進をしていった、あるいはそういう政策を政府が助けたということになるかと思いますが、この点は土地投機と関連しましてさっきも申し上げた点でございますが、資本金の五倍から六倍というような借り入れがなされる。借り入れ金額が一千億円をこえるような企業が日本には十六ございますが、三千億円程度の借金ということになりますと、金利が日歩一厘上がっただけでも年間十億円の負担増になるという、気が遠くなるような膨大な借金をしてきており、それを放任してきた政策がとられてきたというわけですし、そしてもっとたどって言うならば、いまのように物価高が続く時代は、「貯金するばか借金りこう」の時代だという週刊誌のキャッチフレーズがございますが、それは一面の真理を言い当てているように思います。なるべく長期の資金を借りておいて土地に向けるということをやればいいわけですから、そういう関連があって自己資本の比率がなかなかふえないということが生じたと思います。
 最後に私鉄の問題でございますが、たてまえとしては私も、木村先生おっしゃるように、一つの事業体としていろんな分野を持っている場合に、一つ一つの事業体が独立採算制を保つというのが、これが当然であろうと思いますが、しかし、私鉄の場合に歴史的な経過をたどってみますと、過去において十四の主要な私鉄が鉄軌道業であげた収益を関連の分野に投資してきた。私はこれを一種の資本の逃避活動と言っていいかと思いますが、鉄軌道業でもうげたお金で、デパート、スーパー、不動産会社というふうに投資をしてきたということがありますので、それとの関連で言うならば、その投資活動が実を結んで関連事業で収益があがってきたようなときに、それを含めて私鉄の経営全体で見なければいけないのではないかと思うわけです。つい先日も新聞に出ておりますが、たとえば東武のような鉄道をとってみますと、全体の事業の中で鉄軌道業であげている利益が一三%で、八七%までが関連分野と。その次が東急ということになっているようでございますが、そういう現実を過去の資本の逃避ということと結びつけて考えますと、いまの時点では、私は関連分野の収益状況と本来の鉄軌道業の収益状況とをトータルとして、全体として見るべきではないかと思います。将来の問題としては、私は一つ一つが独立の事業体として行なうということが望ましいと思います。
#17
○矢追秀彦君 花原先生に二問と、それから地主先生に一問だけお伺いしたいと思います。
 公害対策費の問題ですが、これから公害対策が非常に大きな問題になってくると思いますが、この公害対策費が物価にはね返るかどうか、はね返るとするならば、そうしないように、公害対策費はいかにあるべきか、またもう一つは、公害対策費を特に大企業の場合がかなり――現在日本においてはあまりやっておりませんが、かなりウエートを占めてきた場合、それが経済成長のある程度の抑止力になって、急激な経済成長というものをとめるある程度の要因になって、かえってそれが非常にいいという方向になるのかどうか、その点に関してどういうお考えをお持ちか、それが第一点。もう一つは、非常に幼稚な質問で恐縮ですけれども、さっき生産性ということが出ておりましたが、非常にいまの国民の消費の問題ですけれども、要するに、現在いろいろたくさんの生産をしてそれを売るということで、非常に宣伝に力を入れている。特に自動車の場合であれば、モデルチェンジを盛んにやる、あるいは入れものがだんだん大きくなってくる。たとえば歯みがきの場合、チューブは最近大きなのばかりになってきた。穴もだいぶ大きくなって、非常に消費をさしていく。また、化粧品にしてもセットにして売る、本にしても全集で売ると、そういうふうな非常な消費をかきたてるような方法になっております。それはそのままそれですぐ物価が上がるとか高いとは感じませんけれども、やはり消費の側にしてみれば、結局物価は上がったと同じような結果になってしまう、こういうふうな面をこれからどう抑制していったらいいか、それは無理なのか、自由競争というところでやむを得ないのか、そういう問題をどうお考えになっておるか、その二点。
 地主先生は、先ほど児童手当の問題を少しおっしゃいましたけれども、実はお聞きしょうと思っておったのですが、この児童手当が、本年度の実施は無理になりましたけれども、この方向として、現在の日本の社会保障が非常に低い、だから児童手当はやらなければなりませんけれども、やり方にはいろいろあると思います。所得制限の問題、あるいは第一子からやるかどうか、現在地方公共団体では第三子からというのが非常に多いわけですが、地方でやるか、国でやるか、そういう具体的な方向のもっていき方、一挙には無理だと思いますので、やはりステップ・バイ・ステップになるかと思いますが、その実施への方向のビジョンでもお持ちでありましたらお伺いしたいと思います。以上です。
#18
○公述人(花原二郎君) いま二つの点について御質問をいただきました。まず最初は、公害対策費が物価にはね返ってくるかどうかという問題でございますが、可能性としては、企業としてなるべく負担をかけたくないという経済的な合理性に立っているわけでございますから、その公害対策のための特別の費用が物価にはね返ってくることが考えられるわけですので、これをはね返ってこさせないような監視機能が重要になると思います。もともと税調の調べによっても、法人税のようなものまでこれが価格の中に織り込まれているケースがあるとされておりますが、こういうことも追跡調査などの手によって、消費者だけの負担で公害対策が立てられることのないように、どういう有効な監視のしかたがいいのか、ここが問題になる点だろうと思います。
 二番目の大量消費に関連します大量宣伝でございますが、なるほど不当な宣伝が日本の中で行なわれているように思いますが、それについては最近表示法ができましたが、消費者の側から見た四つの権利ということを、ケネディ大統領が、消費者の権利宣言として出したことがございます。安全性の権利とか、知らされる権利、選択の権利、意見を聞いてもらう権利という四つの権利でございましたが、この知らされる権利が、日本の場合に非常に弱いのではないかと思います。そこからうそつき食品とか、危険な食品の問題なども出てくるわけですが、一つ一つの商品について正確な表示がなされるようにならなければいけないと思いますが、そのために、いたずらに大量消費を誘うような分野について私は規制すべきであると思います。あるいはまた、この規制のしかたとしてぜひお願いしたいと思いますのは、たった一つの部品があればまだ使えるのに、その部品がないために新しい電機製品などを買わなければいけないようなことがよくございます。そこで、どうしてその部品を置かないのかについて、たとえば、こわれておりますテレビを電気屋さんに持っていきますと、お宅はまだこんな博物館行きのものを使っているのですかという軽べつのことばを投げかけてカラーのほうに誘うという手もあるわけですが、まあ部品がないということを言うわけですが、この部品の問題について、総理府にあります産業構造審議会の中で、数年前に企業に勧告したことがございます。これこれの部品は三年間置くように、これこれは五年、電気洗たく機などは五年の中に入っております。アイロンのようなものは三年ぐらい。これは勧告ですから、これをもっと強制力を持たせて、部品だけきちんと何年間かそろえておくということをやりますと、消費者としては実質的な物価引き下げという恩恵に浴することになると思います。あるいはある食品の宣伝などをとってみますと、従来は耳かき一ぱいぐらいで効果があったと思われるのに、容器の穴の数をふやして、さっさっさの何とかというように三回、三十四穴がありますが、三回振らないときき目がないような宣伝も少し行き過ぎではないかと、そういう行き過ぎの分野について個別の指導が望ましいと思いますし、部品を置くような問題については、法的な規制が望ましいというふうに思います。
 以上です。
#19
○公述人(地主重美君) ただいまの児童手当に関する御質問でございますが、実は、児童手当問題について私は先ほどちょっと疑問があると申し上げたわけですが、それにはおよそ四つほど問題があるように思います。
 第一の問題は、児童手当についてはいろいろな目的が並べられておりますけれども、どうも背後にある考え方というのは多子貧困、貧乏者の子だくさんという、それではないかと思うわけです。どうも、しかし、貧乏者の子だくさんというのが、現在、現状でそうであるのかということになりますと、この点ははなはだ疑問でございます。むしろ所得の多い人ほど子供が多いと、こういうこと、そういたしますと、そういう状況の中で児童手当を置くということになりますと、所得再分配上はなはだ問題だ。そこで所得制限ということが問題になるわけでありましょうけれども、しかし、こういうふうにせっかく全国民を対象に広げようという、そういう制度を所得制限という形で何か区別するということにやはり抵抗を感ずるわけでございます。これが第一点。
 それから第二は、現行のいろいろな制度の中に、どうも児童手当と似通ったものが幾つかある。違う制度とは言えないにしても、そういう似通ったものが幾つかある。企業なんかでも児童手当みたいなものがある。そういう現行制度とのかね合いはどうなるのか。これをそのまま残して、別建てに設けようとするのか、あるいはまた、それを組み込んでいくのか、この点の解明がまだ十分になされておらない、こういうふうに思います。
 第三は、費用の負担の問題でございます。費用負担についても、いま企業につきましては、ちょうど健康保険における、被用者保険におけると同じように、事業主の負担というものがあります。ところが、事業主の負担がないような、たとえば地域保険のようなもの、これを児童手当について見ますと、それと同じような問題が出てくるわけですね。ですから、全国民に同じようなレベルでやるということになりますと、そういうやはり地域保険に対応するような、そういう児童手当の財源をどこにどういうふうに求めるかということがもう一つの問題であると思います。
 それから第四の問題、これはいつかある評論家が児童手当をふやせば学習塾の収入がふえるのだと、学習塾に流れていくのだと、こういうことを言ったことがありますが、これは非常に重要な点をついていると思うのです。つまり児童手当制度の本来の目的がこの創設によって支援されないで、何かこの周辺部分の、つまり教育の問題とか、そういった現在大きな問題をかかえているところにお金が流れてしまって、児童手当が本来目的といたします児童の健全育成というところに必ずしも行かない懸念がある。そういう周辺部分の諸制度というものを同時に考えていきませんと、やはりこの児童手当をいま論議されているような形で創設するということにははなはだ問題がある。ですから、これを創設するについては、いま言ったような点を十分に詰めていく必要があるということでございます。
#20
○柳田桃太郎君 花原先生にお伺いいたしますが、物価値上がりの原因の中には、消費者支出が非常に膨張していくことと輸出増大ということがやっぱり総需要の非常な膨張に関係がありますが、まず消費者支出についてこれを適正化する方法がどういう方法がありますか、御意見をお伺いしたい。それから消費者教育という問題もやはりなお一そう強化しなきゃならないと思いますが、これについての御意見をお伺いしたいと思います。
 次に、輸出需要の増大でございますが、これに対しましては、租税特別措置法や、あるいは低金利政策や、あるいは市場開拓政策等をもって政府はいまだに助長政策をとっております。一方、これは外貨の蓄積には役立っておりますけれども、やはり国内物価値上がりの一つの原因になっておるのじゃないかと思いますが、これをどういうぐあいに御判断なさっておられますか。
 次に、消費者物価の調査品目についての御高見を拝聴いたしまして、これはたいへんけっこうでございますから、これは今度改定の場合には品目並びにウエートについて改定が行なわれることと期待はいたしておりますが、地価をこれに入れるということはどういう方法で地価を組み入れるか。従来は土地住宅等は地代家賃というものでこれを反映しておったが、その値上がり率の反映の方法に誤りがあるので、これを改めようと言われるのか、地価そのものを消費者物価の中にどういうウエートで組み入れようというお考えなのか。あるいは書籍を入れるというようなことはけっこうですが、むしろ自動車であるとか、あるいは和服生地などは一越ちりめんというものが一品目入っております。私は男で一越ちりめんというものがどんなものかは知りませんけれども、もっともっとめいせんだとか、金紗だとか、御召とかいうような、最近、家庭生活が豊かになることによって和服生地の需要が多くなって、それが家計簿に載る。むしろ一越ちりめんという家計簿はあまり見たことは私ございませんが、まあそういう問題で一番気になりますのは、その地価をどういうぐあいにして組み入れるか、この三つの問題についてお伺いをいたします。
#21
○公述人(花原二郎君) いま柳田先生から三点御質問をいただきました。
 まず第一は、消費者支出についてでございますが、これが適正であるかないかということはにわかに判定しがたいわけでございますが、最近の消費者の消費支出の傾向が短期間の間に変化してきている、この点が大事な点ではないかと思います。五年間に一ぺんの消費者物価指数の改定が追いつかないぐらい消費構造というのが激しいテンポで変わってまいっております。これがいいか悪いかという価値判断は別でございますが、そうだとしますと、それに、そういう消費の実態に見合ったような形で消費者の物価指数というのをつくりかえていく必要が出てくるのだと思います。その際に、消費者教育ということですが、どういう消費のしかたが長い目で見ていいのかということについて、政府あるいは自治体がやはり教育活動を行なうのが好ましいと思いますが、それは、消費構造が変化するだけじゃなくて、高度化して、いままで全く知らなかった新しい商品がどんどん出回るようになってまいります。ことに薬などは、十年前と現在と比較しただけでもたいへんな変わりようだと言わざるを得ません。そうしますと、そういう商品知識を正確に教えるということや、あるいはまだ消費者の中には高ければ品質もいいのではないかという錯覚がございます。自治体によっては「賢い消費者」という定期的なパンフレットなどを出して啓蒙活動を行なっているようですが、高ければいいというこの錯覚をぬぐい去って、品質本位ということで消費態度をもっと合理的なものにするということを主限に置いた教育が大切だと思います。その際に、さっきもケネディの四つの原則を申し上げたわけですが、この中で知らされる権利と、それからもう一つ意見を聞いてもらう権利、消費者が実際に消費を行なって、そのことについてこういう意見を持ったというのを責任ある窓口が受け取って、そしてその返事を返してやるというような、そういうことが消費者教育の中では、一方的な教育という形じゃなくて、消費者の声が行政の窓口のほうにはね返ってきて交流が生ずるというようなのが望ましい姿ではないかと思います。
 それから二番目に、輸出の増大が総需要を高めている一つの原因になっているではないかということでございますが、この点については、輸出金額より若干低いわけでございますが、輸入が日本の経済の流れの中では輸出に見合ったものとして入ってまいります。そこで総需要ということで考えなければなりませんのは、出超分が幾らであるか、入超に対して、輸入に対する輸出の増大の部分がこれが総需要を高めるものとして作用するというふうに考えるべきだと思いますが、柳田先生御指摘のように、いまのような激しい輸出増大が続いていくようですと、これからこれが大きな問題になっていくんじゃないだろうか。いまのところは輸出、輸入の差がそう大きくはございませんので、総需要を動かしていく大きな要因として考えることはできないと思いますが、今後の問題として重要になると思います。
 それから三番目の調査品目でございますが、地価については、実は政府が調査すらしていないということが問題になると思います。全国の市街地の価格、工場の価格等についてのまとまった調査さえなくて、現在用いられておりますのは、不動産研究所が調べておりますのを便宜的に利用させていただくというような状態ですが、今度の予算の中でも、私は物価対策ということで考えるならば、正確な物価の状況を調べるための調査の仕事にもっと金をかけていただきたいと思うわけですが、特にこの土地価格については、国の手で調査をするということが適切ではないかと思います。その上でこれを品目の中に入れるについてウエートをどうするかということになりますと、従来やっておりましたような家計調査のやり方に準ずるわけですが、その家計調査の不備な点を変えていって、所得の高い人だけに片寄ることがないようないろいろな層の所得層について、現実にマイホームのために土地を買った場合の価格、土地価格というものが集計されるようなやり方が望ましいと思うわけです。現在の地代、家賃でございますが、これが二・五七%というふうになるのには、調査されております世帯の相当数が自分の家を持っている持ち家のところを調べているということがございますので、そういうやり方とは別に、現実に土地を購入した場合にどうなるかということで新しく品目をおこすということが妥当ではないかと思います。
 それから和服について、私も実情に合わないというふうに考えております。たとえば女性ならばだれでも着るようなブラウスも入っておりませんが、そういうブラウスのようなものを入れることと、それから十年前とか五年前に比べますと、和服が普及してきておりますので、現実のケースをとってみても、和服が終戦直後の一時期よりはいま日常化してきているということから見て、一越ちりめんのお話がございましたが、ほとんど入っていないと言っていいと思いますが、こういうのは消費実態のつかみ方に問題があるのじゃないかと思います。ですから和服も入れるべきだと思いますし、それと引きかえに、私はこんなになくてもいいと思うのに、はきものがありますが、七五三のときぐらいしかはかないと思われるようなげたまでも含めて、はきもの十一品目が入っておりますが、こういうのはもう少し整理、淘汰していただくとか、それからたばこなどにつきましても、しんせいなどのウエートが多いわけですが、現実にはハイライトの消費の比重が半分に達しているわけですから、そうしますと、現実に見合ったたばこの消費のしかたということを考えて変えていかなければならないと思いますし、自動車についても、現在いまの段階では調査品目の中に入れるということが望ましいと思いますし、同じような意味で、テレビと別にカラーテレビのようなものも入れていいのではないか。で、どこをものさしにするかということを考えますと、資本家でも労働者でもない平均的な日本人というのは想定しがたいわけですが、圧倒的多数の国民のごく普通の消費構造ということでモデルをつくって、だれでも実感として受けとめることのできるような、信頼されるような指数の作成が昭和四十五年に私も望みたいところでございます。
#22
○岩動道行君 私は、まず物価問題について少し具体的な点についての質問とそれから社会保障について二人の方に伺いたいと思います。
 まず第一に、物価問題について、本日の新聞で、行政介入という問題が出て、これについては花原先生は介入すべき分野もあるのではないかというおことばがあったわけですが、私は、行政介入が行き過ぎておるから、それをある程度やめることによって物価を引き下げることができるというような――新聞記事でけさ見ただけでありまするから、その思想なり、具体性についてはまだよくわかりませんけれども、そういうものの中には、いわゆる免許制度を基礎とするものがあります。さらに財政物資として、たばこであるとか、あるいは酒であるとか、こういったようなものが項目に入っているようでありまするが、これらの問題は物価とも関連はいたしまするけれども、一方においては財政収入という一つの大きな別の使命を持った物資でもある。こういうことから、行政介入の問題については慎重でなければならぬと、かようにも考えるわけでありまするが、この点に関する御所見と、さらにまた介入すべき分野ということについては、具体的にはどのようなものをお考えになっていらっしゃいますか。たとえば今後農業問題等が非常に大きな転換期に来ており、そうして酪農、畜産という方向に向かっていきつつある、また、国民の所得が向上すれば、食生活もその方向に向かっていく、そのような場合に、たとえば肉の流通機構、これらの点については、むしろ介入すべき分野じゃないか、かようにも考えるわけですが、これらの点について御所見を承っておきたいと思います。
 それから社会保障の関係でございまするが、社会保障の充実、これは一兆円をこえたということで、一つの画期的な数字を見たわけでございまするが、まだまだ充実しなければならない問題、あるいは児童手当等創設しなければならない問題もございまするけれども、社会保障が行き過ぎると申しまするか、そういうようなかっこうになってくると勤労意欲が衰えてくるのではないか。
#23
○委員長(堀本宜実君) 岩動君、なるべく簡単に願います。
#24
○岩動道行君 こういう観点から、今後の日本の経済の発展の段階において脱社会保障の思想と申しますか、そういったようなことが今後必要になってくるのではないか、なまけ者をつくるようなそういう社会保障制度であってはいけない、かようにも思うのでありまするが、今後の日本経済の方向としてこのような点についてどうお考えになりますか。
#25
○公述人(花原二郎君) いま行政介入の問題について御質問いただきました。行政介入すべき問題としまして、きのうの物価安定政策会議の中で、直接介入すべきもの、間接介入すべきもの等々指摘があったわけですが、その中の一つに免許制度に関係して、介入すべきではないという分野が、たばこ、お酒などあったわけですが、これらについては私も免許制度があることが、ことに酒ですが、お酒については小売りのマージンを不当に大きなものにしているのではないかという気がいたします。二級酒の製造原価、大蔵省のほうに問い合わせますと、大体一・八リットル百八十円で、特級酒と二級酒との間の原価の差は五十円というふうに大蔵省からこの前、つい最近回答をいただきましたが、そういうものが、特級酒ですと千百円をこえるようなもの、二級酒で五百八十円になるということは、税金ということもございますが、その税金以外にマージン――免許制度によって簡単には酒屋を開くことができない、自由価格でありながら現実には定価がついたような形になっている、こういうものについては、もっと簡単にお酒の小売りができるようにするならば、本来の自由価格の機能が果たせるようになると思いますので私も賛成です。介入すべきものとして、いま食肉のお話がございました。私は食肉を含めて生鮮食料品についてはもっと介入すべきではないか。さっきは野菜のUターンの例を申し上げたわけですが、魚につきましても河野一郎さんが農林大臣のころ、築地に長ぐつをはいて出かけた日だけ魚の価格が下がるというようなことが報道されたことがございますが、もっと近代的な流通機構をつくっていくということで、そして魚の取り扱いというのは結局四つの大きな水産会社に集約されるようでございますが、その水産会社が荷物を、魚を動かすだけでマージンを取ることのできるような、そういう制度というものにメスを入れていただきたいという意味では、私は肉を含めまして生鮮食品全体には行政介入がいままで以上に必要ではないかというふうに思います。
#26
○参考人(地主重美君) ただいま実は社会保障に関する非常に重要な指摘があったわけであります。それは、つまり社会保障というのはなまけ者をつくりはしないかという、これはよく言われてきたことだし、古くて新しい問題であろうと思います。ただ、例のイギリス病というやつがそれでありますが、イギリスが経済停滞を来たしたのは社会保障の充実したせいだ、こういうふうな議論が一時かなり一般受けをしたのでございます。ただ、そのイギリスなんですが、イギリスの社会保障というのは西ヨーロッパの中ではむしろ低いほうに属するわけです。西ドイツとかあるいはまたフランスなんかに比べて低いわけです。ですからイギリスの経済停滞の理由が社会保障の充実だという、そういう考え方はどうもあまり現実的ではないと、こういうふうに反論ができるように思うわけです。
 そこで、そもそも社会保障というのは生活不安というものをできるだけ少なくするということにあるわけでございますので、生活不安があるような状態ではなかなか人間の勤労意欲がわかないということも逆に考えられる、むしろ生活不安をなくすることによって精一ぱい勤労にいそしむというようなこともあり得るわけでございますので、はたして社会保障の充実そのものが勤労意欲を落として日本経済の成長にマイナスになると、こういうふうなことは一がいには言い切れないのではないか、こういうふうに思います。
 それから第一、現在の日本の社会保障というのはその水準からして、まだそういうことを心配する段階にはないということだけは確かだろうと思います。それからもう一つは、社会保障というのは単に天から降ってくる自由のようなものではございませんでして、これにはそれ相応の負担を国民がしなくちゃならない、どういう形でするか、税金でするか保険料でするかわかりませんが、とにかくそれ相応の負担をしなければ社会保障が伸びないわけですので、問題は財源をどこに求めるか、負担をだれがするか、こういうことでございます。ですからなまけ者をつくるということがもし事実であるとするならば、その負担の面でやっぱり考えなければならないでありましょう。ですから、財源を別にして、社会保障が伸びたということだけから結論を出すということは非常に危険だというふうに私は考えるわけでございます。
#27
○委員長(堀本宜実君) 他に御発言もなければ、質疑はこの程度にとどめます。
 公述人の方々には、長時間有益な御意見をお述べいただきましてまことにありがとうございました。お礼を申し上げます。(拍手)
 午後一時再開することといたしまして、これにて休憩いたします。
   午後零時十六分休憩
     ―――――・―――――
   午後一時九分開会
#28
○委員長(堀本宜実君) ただいまから予算委員会公聴会を開会いたします。
 午後もお二人の公述人の方に御出席を願っております。御意見をお伺いいたしまする前に、公述人の方々に一言ごあいさつを申し上げます。
 本日は御多忙中にもかかわりませず、本委員会のために御出席をいただきまして、まことにありがとうございます。委員一同にかわりまして厚く御礼を申し上げます。
 それでは、これより順次御意見をお述べ願うのでありますが、議事の進行上、お手元に配布いたしました名簿の順位に従いまして、お一人三十分程度の御意見をお述べ願いまして、そのあとで委員から質疑がありました場合にはお答えをお願いいたしたいと存じます。
 それでは鈴木公述人にお願いをいたします。
#29
○公述人(鈴木治雄君) ただいま御紹介にあずかりました鈴木でございます。
 昭和四十五年度の総予算については、一般会計の規模が前年度に比べて一七・九五%の伸びであります。政府の経済見通しの名目成長の一五・八%を上回っておって、多少中立型をこえた刺激的な感じもいたしましたけれども、これに対して大蔵省の主計当局の説明では、中央・地方の財貨サービスを含めてみれば、政府財貨サービスの伸びは一四・九%となって、名目成長率の伸びより一%以下となるという補足的な説明もありましたので、第一印象としては、総体としてまずまずのところかと考えておりました。おそらく産業界の大部分の方々の受け取り方も大体そんなことかと思います。規模の点については後ほどさらに詳しく申します。しかし、実は今回公述人としてこの席で意見を申し述べる機会を与えられましたので、昭和四十五年度の予算を若干立ち入って勉強してみますと、いろいろな疑問と批判を持つようになったわけでございます。私のこれから申し上げますことは、四十五年度予算というものを一つのたたき台として、今後の予算案作成についての意見をなるべく建設的な立場で申し述べたいと思っております。
 まず、この予算の公表のしかたでありますけれども、私どもの感じでは、どうも毎年だんだん複雑になってきて、国民にとってはなかなか理解しにくいものになっているような感じがいたします。私もいろいろ勉強してみましたけれども、なかなか複雑で、内容の理解が困難でありまして、はたして私がこれから申し上げることも、内容について適切かどうかということについて自信がないように思いました。と申しますのは、産業界あるいは国民として、現在非常に関心の深い物価対策であるとか住宅、公害、技術開発というような政策項目がいろいろあるわけですけれども、政府全体として、どのような予算措置が総合的に講ぜられているかということについて、実際に公表される予算は各省庁ごとに示されておるわけでございます。したがって、その結果、項目ごとに統一的な把握は非常に困難なように感ぜられました。もちろん予算説明において、ある程度の総合的な説明がなされておりますが、所管別の相互関係あるいはバランスというようなことについて、今後さらに説明についてくふうをしていただきたいというふうに思います。
 ところで、社会の実態はますます高度化、複雑化するにつれまして、特定の政策目的遂行のためには、ますます各省庁の協力が必要となってくるわけでありますから、そのための予算の支出というものは、当然各省庁に分属せざるを得ない実情であります。たとえば、技術開発関係の予算は科学技術庁、通産省、その他。また、公害関係は通産省、厚生省などにそれぞれ所管ごとに別々に計上されております。そこで、こういう項目に対して、政府全体としてどのくらいの予算が計上されておって、その内容の相互関連というものはどういうふうになっているか。また、バランス等につきましても十分な説明がほしいように思います。また同様のことは中央・地方についても言えることであります。そこで、今後ぜひこうした時代の要請に応じて政策目的ごとに予算をできるだけ組み直して、わかりやすく内容と政策意図というものを公表するようなくふう、努力をしていただきたいというふうに思います。このことは、予算をより一そう民主化するといいますか、国民の関心を高める上にもぜひ必要であるというふうに考えます。
 次に、昭和四十五年度の規模の問題でございますが、先ほど冒頭にちょっと申しましたが、政府の予算案編成の前提となる基本方針として、政府は、総需要を適正に保ち、わが国経済の持続的成長を確保するとともに、物価の安定をはからなければならない云々というふうに発表しております。しかし、その後の経済政策、特に金融政策を見ておりますと、非常にきびしい引き締め政策を政府は採用しております。そしてここ当分、この金融引き締めを緩和するつもりはないというふうに言明されております。そしてその理由としては、新聞紙上その他で拝見しますと、消費物価、卸売り物価の連続的な上昇を押えるためには、総需要を押える必要がある。そのために特に産業の設備投資が高過ぎるという理由で引き締め政策を強化するんだということがいわれております。私自身といたしましては、物価の問題の対策には、総需要抑制のための設備投資を押えるというような方策よりは、むしろ自由化、その他の方策が優先すべきだというふうに考えております。しかし、もし、かりに、物価対策のために総需要を押えたいという目的であるとすれば、財政、金融の混合政策、ミックス・ポリシーの中で、むしろ財政に重点の比重をかけるべきではなかったかと思います。その意味から言えば、昭和四十五年度の予算規模は若干大き過ぎるということになると思います。
 現在、国際的な国際収支の基調が黒字化になっておりまして、この日本としては初めての条件のもとで金融引き締めをやるということはいままでなかったことでありますが、この金融引き締め政策の目的と解除条件というものが、どうも私どもから言いますと十分に明確化されていないように思います。このまま金融引き締めをさらに強化しながら継続していくということについては、副次的な悪い影響も出てくることが心配されるわけであります。つまり、財政は刺激ぎみの中立型、金融は過度の引き締め政策、こういう組み合わせは好ましくないのではないか。こういうパターンが今後続けられることは好ましくないというふうに考えます。しかし、私自身といたしましては、四十五年度の財政規模は、中身の問題はともかくとして、予算の規模自身についてはまずまずの大きさではないか、そして政府の懸念する物価問題の対策としては、輸入の自由化とか流通の合理化とか、あるいは公共料金を押えるといった諸点に特に重点を置くべきだというふうに考えます。
 次に、社会資本について申したいと思いますが、一般に社会資本についてはその立ちおくれということが世上言われております。つまり経済の成長の速度、大きさに対して社会資本の充実がおくれをとっているということであります。この点について、昭和四十五年度の予算案においては、社会資本の充実に特段の配慮を加えたという説明のもとに、一般公共事業費では一八・〇%増、四十四年度は一五・三%でありましたから、これを上回っているわけであります。一八・〇の事業費が計上されておりますから、その限りでは政府の社会資本充実に対する意欲は認めたいと思います。しかし、実際に金額的に大きくなったということが、即効果がそれだけあがっているかどうかということとは直ちに一致しないわけでありまして、その点で若干心配が予想されます。
 どういう点について心配するかということについて、三、四点あげたいと思いますが、一つは、公共投資に占める用地費のウエートというもの、比重が非常に高くなっているのではないか。つまり年々土地価格が非常に上がっておりますから、用地費が当然ふえるわけでありまして、それを差し引いてどういう効果があるかということが問題だと思います。このことは、裏から言いますと、土地価格について何ら手が打たれてないということが、この公共投資についての効果を相当減殺することになるのではないかと思います。それから社会資本が国民、産業の必要度にはたしてマッチした形で、システム的に建設されているかどうかという問題であります。つまり鉄道、道路、港湾等が相互の関係を十分に考えて、均整のとれた形で開発されてほしい。もしも、ばらばらに建設されておりますと、効果が減殺されるのではないかという心配をいたします。もう一つは、社会資本の地域的アンバランスの問題でありまして、かように金額は相当支出しているということになっておりますけれども、たとえば都市部においては、相当まだまだ見たところ社会投資が不足しておるという反面、地方の一部では余剰もあるのではないか、赤字線の問題等もあるわけでありますが、そういう都市地域の地域的アンバランスというような問題もあるのではないかというふうに思います。それから公害関係予算、住宅関係予算というようなものは、まさに時代の強い要請でありますけれども、それに比較しては不十分ではなかったかというふうに思います。
 社会資本の問題はその程度にいたしまして、次に、企業の海外進出に関連して予算に触れたいと思います。御承知のように、日本経済は非常なテンポで拡大しておりますが、日本は資源が非常に貧弱でありまして、経済を継続的に安定的に発展させるためには、単に海外資源、原料をその場その場で購入するということではなく、海外資源の安定した確保をする方策をとらなければならないわけであります。そのためには、海外に企業が進出して資本を投ずるというようなことも必要であります。そういう点から言って、輸出入銀行の機能の強化ということも非常に必要でありますし、資金量の増加も必要だと思いますけれども、今年度予算におきましては、そういう点について不十分のように考えます。それからなお、今後の貿易輸出構造というものが相当変わってまいりまして、機械類とかプラント類の輸出の比重が相当増大してくるわけでありますけれども、かような種類の輸出については、各国とも相当長期の延べ払いの条件とか、いろいろな点で優遇条件を与えているわけであります。もしも、日本は国際収支の黒字化が定着したのだという理由で、かような輸出に対して輸出促進的な政策が後退するとすれば、非常に心配なわけであります。ぜひこういう点については、従来にも増して積極的な促進策がとらるべきものだと思います。
 次に、技術開発の問題でありますが、今後の日本経済の発展において一番軸となるのは技術開発でありまして、この点は強力に推進していかなければいけないわけであります。すでに先進諸国におきましては、研究投資の大半が政府によって行なわれている実情でありまして、たとえばアメリカに例をとりますと、約二百四十億ドルの研究投資が国としてありますが、そのうち、政府によってまかなわれているのは六四%というふうになっております。日本では政府の研究投資の割合はわずかに一三%と、きわめて低いわけでありまして、今後技術開発研究費については、抜本的に拡充する必要があるのではないかと思います。特に、利潤動機の働きにくい化学プロジェクトの開発について、政府は積極的に大幅な研究費を投じてほしいものだというふうに思います。
 次に、予算全体を見まして、よく硬直化ということが言われます。できるだけ考え方として、うしろ向きの支出を減らして、前向きの支出により多くの比重をかけていただきたいと思うわけであります。全体の予算規模を大きくしないで、その中で効率的に運用するためには、なるべくうしろ向きの支出を軽減し、前向きの支出の比重を高めるべきだと思います。もちろん、農業問題のような重要な問題、あるいは石炭対策等も、社会問題としてはこれに費用をかけるということについて、私も必ずしも反対いたしませんが、しかし七〇年代というものは情報化時代である、あるいは海洋開発もやらなければいけない、それから全国的に工業立地も狭隘になって、雄大な、国内の国土開発計画にも取り組まなければいけないという際に、前向きの近代的な要求に応じられぬということでは問題であります。要はその比重の問題であると思います。こういう意味で、財政全体の優先順位の決定と効率化という問題は非常に重要になるというふうに考えます。それからこの硬直性に関しては、毎度民間側から非常に強く問題にしておりますのは行政の簡素化の問題でありまして、この点に関して、政府がはたして、この定員の削減であるとか、定年制の創設であるとか、つまり行政機構の近代化、効率化、簡素化というものにどれだけ真剣に取り組んでいるかということについて、すこぶる疑問を持たざるを得ないわけであります。年々公務員給与の既定費は増大して、財政を全体的に圧迫しておるわけであります。また
 一方、この配置の問題というようなことも重要でありまして、郵便であるとか、警察であるとか、徴税等の方面における現業の人手不足がある。しかしまた、よく世間で言います地方食糧事務所関係には余剰があるのではないかというようなことも指摘されておりますので、各省庁をこえた合理的な配置がえというようなことも必要ではないかというふうに考えるわけであります。
 以上で大体この支出関係のことを終えますが、税の問題について一言触れたいと思いますが、四十五年度の予算では、法人税を若干上げ、所得税を大幅に軽減したわけであります。これについては特に批評をいたしませんが、わが国もようやく経済成長でここまで生活水準も全体的に上がってきたわけでありますので、ここら辺で、所得の面に税を加重してかけるという政策から、漸次間接税へもう少し比重をかけるほうへ移行することを研究すべき、あるいは実施すべき段階ではないかというふうに考えるわけでございます。
 最後に、この予算全体についてかねがね私非常に疑問に思いますのは、財政とか予算については民間の企業のようにプライス・メカニズムというものが働かないものであります。また、この利潤とかあるいは金利概念も通用しない制度であるわけであります。しかし、非常に多くの金額を使うわけでありますから、その効率化というものをどういうふうに測定すべきなのか、また各異質の、目的の違った項目の優先順位をどういうふうに評価するかという問題は、今後非常に重要性を増すのではないか。で、従来の実績主義というものの上にパーセンテージをふやしていくというようなやり方でなく、この効率化というものをもっと研究し、優先順位の問題を深刻に検討して、予算全体の内容、質というものに進歩と改善をもたらすためにどういう措置が必要かということにぜひ取り組みたいものだというふうに考えます。
 以上をもって私の意見を終えたいと思います。ありがとうございました。(拍手)
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#30
○委員長(堀本宜実君) 次に、庄司公述人にお願いをいたします。
#31
○公述人(庄司光君) いま御紹介いただきました庄司ですが、私公害問題について若干研究してまいりましたので、その観点から現在の日本の公害あるいは公害行政について感じていることを簡単に申し上げて御参考に供したいと思います。
 私は、元来、専攻いたしておりますのは、環境衛生であるとか、あるいは衛生工学であるとか、それから自然科学であるとか、あるいは技術の立場から出発いたしまして、戦前から大阪市あるいは大阪市立大学、京都大学というようなところでそういう方面をやっておりましたのですが、戦後大阪市の復興を通じまして、単に公害問題というのは技術的な覧点からだけではなかなか解けないというようなことで、社会科学方面の研究もいたしましたり、またそういう方面の学者と手をとっていろいろ研究し、昭和三十年ごろすでに都市の公害問題の本質というものはどういうものであるかというようなことについて若干の報告をいたしました。その後再び、各地方公共団体における公害防止条例であるとか、その他政府におきますいろいろな委員会なんかに参加し、その方面をやってきたわけでございますが、昭和三十九年に大阪市立大学の宮本憲一助教授と一緒に「恐るべき公害」というような本を書きましたのですが、そこで私どもが大体公害問題の今後の解決というような点はどういう点に重点を置かなければならぬかというようなことを申し述べておりますが、私は、公害問題の本質というものは、その原形と申しますか、それはやはり産業公害から始まっておりまして、これはいろいろな資本主義的な企業がいろいろな廃棄物を出す――ばい煙であるとか、あるいは有害ガスであるとか、あるいは工場排水であるとか、あるいは騒音であるとか、振動であるとかいうようなものを出しますけれども、結局そういうことに対して、防除産業といいますか、防除装置、そういうようなものに対しては、やはり資本というものは最大利潤を目的としておる関係上、社会的な規制がなかったらなかなかやらないというところに根源があるし、さらに、産業が発達する基盤であるところの都市づくりにおきまして、国あるいは地方公共団体の施策、すなわち、都市計画であるとか、国土計画であるとか、そういうようなところにおきまして産業第一主役を、経済の発展の第一主義をとっておるというようなところに問題点があるのじゃないか。さらにもっと大きく申しますと、いろいろ米軍の基地の問題における公害であるとかいうような国自身が責任を持つような場面があり、以上申しましたように、産業公害であるとか、あるいは都市公害というようなものをひっくるめて、責任の所在というものが明確にされてなかった点にあるということを、いままで日本における日本の資本主義の発展の経過の中で、産業公害というものがどういうふうに発生してき、またそれがどういうふうに扱われてきたか、古く足尾銅山の問題以後どういうふうに扱われてきたかという点をいろいろ検討いたしましたが、結局におきまして、それは、住民自身がその問題に対して立ち上がり、公害の防止に対しての運動を起こすということが基本的になり、いろいろな施策の変更を迫っていくということがキーポイントでないかというように結論いたしておるわけでございます。一、二例を申しましても、日本における水質規制法というのが昭和三十三年にできておりますが、御承知のように、これは東京都における本州製紙の乱闘事件をもとにして急速に具体化し、その後公害対策基本法におきましては、いわゆる三島、沼津において石油コンビナートの誘致反対運動を契機として起こっております。そういう点に問題があるということを私は明確にしなければならぬということでございます。
 次に申しますことは、世界的に見てこういうような公害という問題が現在の段階においてどういうふうに考えられているかということでございますが、これは御承知のように、一九七〇年に国連から、一九七二年に環境問題についての世界的な会議を開こうということにおきまして、公害というものがどこにおきましても非常に大きな害をして、これはもう少し本格的に解決しなきゃならぬということが認識された結果だと思います。はたして日本においてそれだけの認識を持っているかどうかという点が私は問題になるんではないかと思います。そういうような世界的規模におきましては、やはり産業の発達に伴いまして不可避的に大きな公害があるということが世界の人たちの中でようやく認識され、特に外国におきましては、自然の破壊というような点からそれが強くとられております。ただ、外国におきましても、公害という問題がそんなに簡単に解決しないということは事実でありまして、欧米を見ましても、やはり公害現象というものはたくさんあるわけでございます。
 次に、日本の公害の実情でございますが、日本におきましては、昭和三十二年の経済の高度成長の過程におきまして、全国的にも広がり、また、その強さにおいても非常に被害を多く出しております。その過程において政府あるいは地方公共団体においては公害防止条例あるいは公害対策基本法というものがされておりますけれども、なかなか現実は簡単に解決し得ず、あるいはことばを返せば、それらの法律の効果というものが疑われているのが現状でないか。しかも、被害は非常に広がり、住民の側からいたしますと、政府の施策に対してなかなか満足せず、最近におきましては、それが訴訟という形で、訴訟闘争と呼ばれておりますが、四大訴訟闘争と言われておるように、四日市であるとか、水俣病であるとか、あるいは新潟県の阿賀野川の水銀中毒あるいは富山県のイタイイタイ病という形で、どうしてもしんぼうし切れないで公害訴訟闘争が始まっているというのが現在の段階ではないかと思います。また、そういう意味におきまして、われわれは政府あるいは地方公共団体の公害行政あるいは公害立法というものに大きな何か欠陥があるというように考えていいのでないかと思います。
 それだけのことを前提にいたしまして、現在の国の施策についてぜひわれわれが考えておかなければならない問題を二、三申し上げたいと思います。
 第一は、日本においては人権の尊重と申しますか、あるいは憲法に言われておるような人間の健康だとか、福祉の尊重という考え方が社会にやはりまだ定着していないというところに私は公害行政に対する姿勢の脆弱性があらわれているのかと思います。なるほど、最近の、ここ数日前の日航機の乗っ取り事件におきましては、人間の生命を第一ということが言われておりますけれども、それと同じ現象が公害の被害においてたくさんあらわれております。最近大阪府なんかで調べましたところ、大工業都市における公害、特に亜硫酸ガスその他のガスの汚染によって、小さな学童であるとか、老人というような人たちの健康が慢性的にではあるけれども、ぜんそくであるとか、あるいは慢性気管支炎であるという形でじわじわやられているという現象が明らかになっております。私は、人間の生命の尊重あるいは健康という問題はまんべんなくどの問題についても貫徹されなきゃならぬというように考えます。また、公害対策基本法において規定はされておりませんけれども、交通災害というのは私は一つの公害現象だと解釈いたしますが、ここでは毎年数万人の人たちの生命が失われているというところに生命の尊重という考え方がもっと貫徹されなきゃならぬじゃないか。そういう点は諸外国におきましては非常に違いまして、この諸外国の発達の中で人命尊重というのはだれもがみな一応納得し、そういう基盤の上ですでに行なわれているという点が大いに違うのじゃないかと思います。
 次に、そういうような観点から現在の法律であるとか行政というものを見ますと、やはり生命の尊重、健康の保持ということに対する姿勢が非常に弱い。第一に、被害を受けた人たちの救済、特に司法的な面での救済ということは、日本においては非常に困難な情勢にございます。先ほど申しましたような公害訴訟におきましても非常に長い年月がかかりますし、また、それに至りませんまでのいろいろな大きな日本の水俣病その他の犠牲者というものがどういうふうにして救われてきたかと申しますと、はなはだお粗末なやり方で、たくさんの人たちがいまにも生命を失うとか、あるいは健康を傷つけられるということで、相変わらず苦しんでいる。そういうものに対して裁判の迅速性の確立だとかいうような、いろいろ被害者の立場に立っての法律上の理論であるとか、あるいはその手続においてもっともっとくふうする必要があるかと思います。
 第二番目は、いろいろな公法的な救済方法についてでございますが、先ほど申しましたように、日本の政治というものが企業第一主義を、企業追従主義を主としてきた長い体質の関係上、その立法においてもそういう非常に弱い点がたくさんあらわれております。いつも指摘されますように、公害対策基本法におきましてその「目的」のところでうたわれておりますように、生活環境の保全と産業の発展との調和という、いわゆる調和理論というものがいろいろ御論議の中で打ち立てられたんでありますが、結局においてあれが非常に公害行政を促進していく、強化していく足を引っぱる作用をたくさんしております。私は京都において公害対策審議会に関係し、市長の諮問に答申をいたしましたが、その際におきましても、企業の方々はあの一項、一条をたてにとって、調和ということを強調する、そして、それによっていろいろな法的規制を弱めるということに非常に努力されておるということでございます。同じようなことがいろいろなところであらわれておりますから、そういうあの項目自身を今後どう扱っていくかということは非常に大切でないかと思います。同じく公害対策基本法に基づいていわゆる亜硫酸ガスの環境基準というものが設定されましたが、それが最初の専門家の意見を経ていろいろ討議される過程において、やはりその調和理論に災いされて非常に後退した環境基準というものができております。私どもはそういうような公害対策基本法において調和理論を打ち出していくという姿勢自身に大きな疑問を持ち、今後改正を要求せなきゃならぬかと思います。さらに、公害対策基本法あるいはその具体法であるところの大気汚染防止法あるいは騒音規制法を見ましても、いつも調和理論がうたわれているがゆえに、その罰則は外国の諸法令と比べてきわめて弱いものでございます。たかだか、いろいろな違反をいたしましても、その額は企業にとってほとんど痛くもかゆくもないという程度でございます。皆さんがカリフォルニア州の大気汚染防止法その他を参考にされますと、少なくとも日本より相当強い姿勢を持っております。先ほど申しましたように、企業の公害に対する態度というものがあくまで利潤追求の原則の中で、社会の世論の激しさに押されて何らかの方法を講ずるというのでありますから、相当強い規制のない限りにおいては、これはざる法案とならざるを得ません。
 もう一、二申したいと思いますが、次に、こういうような法律をもとにして出てくるところの政府の姿勢というものを考えてみたいと思いますが、公害、ことに大気汚染等に関係いたしましては、公害対策というものは大きな原則がすでにございます。というのは、居住地と工場地域との分離という原則があります。それからまた工場排水については、下水道の完備という大原則がございます。ところが日本におきましては、これは明治以来の町づくりにおける大きな欠陥でありますが、ただ企業を誘致するという点に重点を置かれて、町らしい町をつくらないでやってきたというところに大きな欠陥があります。そしてこの点が、日本における公害というものが外国の公害と非常に本質的に解決において違う点でないかと思います。なるほど外国においても公害現象はありますけれども、基本的にそういう点が相当程度守られている。したがってそういうものに対してわれわれが今後の政策というものは一段と違った形で展開しない限り、これは、日本における公害というものは防がれないのじゃないかと思います。そういう施策がどういうようにあらわれているかと申しますと、決してあらわれておりません。新全国総合開発計画においても、公害の防止ということは書いてあるけれども、具体的に大胆にそういう町づくりの構想、工場と住宅を離すという具体的な方策というものは一向打ち出されておりません。たかだかいま言われていることは、亜硫酸ガスに関して申しますならば、高い煙突によって拡散する、外へ散ってしまうという原理が相変わらず強いのでありますが、すでにそういうことは外国において経験済みでありまして、高い煙突をもってやりましても、一口で申しますならば、ただ公害が、公害現象が広範にいくと、むしろ私どもはある地域にはある程度以上の廃棄物をなくするように全体を制限する必要があるということ。自動車によるいろいろ大気汚染の問題に関係いたしましては、都市の中に入る自動車を放置いたしておきまして、これで防ぐということは、木によって魚を求めるような困難があるかと思います。そういう抜本的な考え方というものは、単にこれは私の考えだけでなしに、すでに世界的にも言われておるわけであります。そういう点についてもっと検討が必要じゃないかと思います。同様に、土地問題、あるいは都市計画の面におきましても、現在のいろいろな諸法規を使ってどこまで効果があるのかという点の詰めが必要じゃないかと思っております。
 もう一つ申しますと、日本の政府におきましては、なるほど環境基準であるとかいうのは世界に先がけてつくりましたり、あるいは非常にこまかい公害の法規はつくっておりますが、それを裏づけるところの財政措置であるとか、あるいは監視の制度というものが、いわゆる日本全国に起こっておりますところの公害に対応するものかどうか、一口に申しますと、例を申しますと今度騒音規制法というものが市町村に委任されておるわけなんですが、大都市は別といたしまして、騒音の問題が起こっているところの地方の都市、あるいは衛星都市において、それを裏づけるところの行政担当者がおるか、あるいは技術担当者がおるかということはお調べになっておらぬ。ほとんどないわけでございます。そういう点が、いろいろな工場が立地するときに、市町村が住民の要求にこたえて公害に対する正しい指示をすることができぬということが、いろいろなところで非常な紛争を巻き起こす一端でございます。私はいろいろなところで、そういうような公害問題あるいは工場の立地問題について若干の調査をやっておりますけれども、そういうときに地方当局においては、企業側が提出する公害はだいじょうぶだという案に対して、みずからそれを調べる能力をほとんど持っておりません、大都市は別にいたしまして。そういう状態が日本の公害問題を非常に激烈にし、解決を困難にしているのじゃないかと思います。
 以上簡単でございましたが、私はそういうように公害問題というものは、たとえて申しますならば、ちょうどガンのような問題でありまして、社会の中に発生してそれはだんだん増殖するし、これをほうっておけば命取りになる危険性が非常にあるのじゃないか。もちろん抜本的な解決そのものについては非常に困難があるといたしましても、よくその本質を見きわめ、対症療法であるとか、あるいは予防的措置というものがもっと考案されなければならないのじゃないか。そういう点について、以上いろいろ申しましたような点について、今回の予算というものの中で、そういうものが生きているかどうか。ただ形だけ整えていくという弊害がないかどうかという点――私は今回の予算案につきましても、公害行政についてそういうような企業追随主義だとか、あるいは官僚主義だとかいろいろな問題が、対症療法主義だとかいうものが、ただいたずらに糊塗し、日本の将来を誤るのじゃないかと、非常におそれている次第でございます。
 以上、簡単でございましたが、公害について申し上げました。御清聴ありがとうございました。(拍手)
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#32
○委員長(堀本宜実君) それでは、公述人の方々に御質疑のおありの方は順次御発言を願いたいと存じます。
#33
○塩出啓典君 鈴木さんにお聞きしたいと思いますが、今後の日本経済の発展のためにやはり中小企業、それからまたいわゆる下請企業、さらに下請のもう一つの下請の孫請企業、そういうものが非常にありまして、その間のいろいろな待遇の違い、そういうものが非常に問題になってくるのじゃないかと思うのです。またそういう面の近代化のおくれですね、こういう点を、やはり今後日本の企業が国際競争力をつけていくためには、解決をしていかなければならない問題ではないかと思いますが、そういう点についてどのような考えを持っておられるのか、政府のいまの施策に対する御意見と、また将来の、このような姿に持っていかなければならない将来のビジョンというもの、そういうものにつきましてお伺いしたいと思います。
#34
○公述人(鈴木治雄君) お答えいたします。
 中小企業の問題でありますが、産業全体見ますと、中小企業の問題というのは非常にやはり大きな部分をなしておると思います。それで、よく中小企業は能率が悪いというようなことを一般的に言われておりますけれども、実態を見ますと必ずしもそうではなくて、中小企業の中には、非常によくやっている能率のいい企業も数多くありますし、そういうものがやがて中堅企業というふうにさらに発達して呼ばれるような内容のものにもなっております。ただ、中小企業の行くべき道、方向としては、どうしても専門化をできるだけやって、特色を出すようにしないと長続きしないのじゃないかと思います。大企業と中小企業は分業関係にありますし、また協力関係にありますので、中小企業が自分の専門化ということについて努力していくならば、中小企業の今後というものは決して暗くない、大いに明るいのじゃないかと思います。ただ中小企業の中で、専門性がなくて能率の悪いものは、当然やはり競争が激しいのですから淘汰されるような方向にいくのではないか。それからもう一つは、労働力の不足という問題が全国的に起こっております。それで先ほど御質問の中には賃金問題も出ましたけれども、私はおそらく中小企業なるがゆえに安い賃金で人を雇うというようなことは非常に困難になってくるのじゃないか、おそらく賃金の点については、大企業、中小企業というものの賃金格差というものは狭まる方向に行くのではないかと思います。そういう意味からも、やはり中小企業が能率をあげて、専門に徹していくと、そういうことをやっていけば、十分に存在理由がありますし、全体の産業の配置からいっても心配のない姿になっていくんではないかと、かように考えております。
#35
○横川正市君 鈴木さんにちょっとお伺いをいたしますが、一つはいまの御質問と同じなんですが、中小企業の専門的な技術というものを持つと、こういうことが非常にむずかしいのは、中小企業の発祥ですね。発祥とそれから体質、これがほとんど見るべき改善策を得ないまま来ているわけです。そこで私は、中小企業の体質が改善されればそれは非常に大きな生産性につながって、経済の成長により大きな貢献力を持つのではないか、こういうふうに考えておりますが、そういう点で、ただ単に専門的な技術だけに依存するのではなくして、中小企業の体質改善という点は、もっと多面にわたっての改善策が必要なんじゃないだろうかというふうに思う点が一つです。
 それからもう一つは、日本の農業なんか見てみますと、技術が開放されて全体の技術になれば、そのことによって収穫を高めることができるというふうに思われることであっても、非常に自分の持っておる技術を隠して、他との競争に使うというエゴイズムがあります。これはまた企業の中にも同じようなものがあるんじゃないだろうか、これはたとえば、アメリカの技術開発の度合いと日本の技術開発の度合いとでは大きな開きがありますから、その技術の輸入を行なって、それで日本の企業が成り立っているというような形をとっていますけれども、これを今度は逆に日本が技術を開発して、企業の体質を改善していく、こういうふうになる場合、企業のエゴイズムの中では、これはどうも十分ではないんじゃないかというふうに思われるわけですが、技術開発についてどのようなお考えを持っておるか、お聞きしたい。
#36
○公述人(鈴木治雄君) ただいまの御質問ですけれども、私、専門化ということを専門的な技術というふうに狭くおとりになったような意味もあったかと思いますが、もちろん中小企業の場合も経営という全体の中でそういう専門的な技術が必要だということでありまして、そういう意味から言いますと、専門的な技術さえあればいいというのではなくて、人使い、たとえば人事面の問題も重要でありますし、それから技術の中には、必ずしも外国でやっている最新の技術とかいうような技術以外に、非常に熟練度、日本の手先の器用であるとか、非常にくふうをこまかいところにするとか、そういう大企業ではできない、あるいは外国でもできないというような技術の熟練度のような、あるいは器用さというようなものも技術の中に、専門的という中に入れてよいかと思います。
 それからもう一つ進んだ技術と、まあ企業エゴイズムということで表現されたものの相関関係でありますけれども、いかなる企業も自分で非常に苦心努力した技術を、それをほかの企業に公開するというようなことはしないと思います。これは技術の発展、企業の発展に重要なことであって、それを直ちに企業エゴイズムというような表現で非難するわけにいかないのじゃないか、ちょうどどの国も特許制度というようなものがあり、また、特許にならなくても非常な技術的なくふうというものは、ノーハウというような形で機密が保持されております。したがって、もしもそういう技術がほしい場合には、その技術を持っている企業に対して適当な代償を払ってそれを使用できるようなふうにすべきではないかと思います。ただ中小企業が、ただいまお話がありましたように、その発祥、歴史からいってそう簡単に自分の努力だけで技術を開発できないというような御指摘もありましたが、確かにそういう面もあります。しかし、今日では中小企業は単に孤立して存在しているわけではありませんで、それを納入している先は、大企業であるとかあるいは政府であるとかいうような場合もあるわけでありまして、そういう大企業から技術的情報の提供を受けるという便宜もありますし、また、国も将来、さっき研究開発のことを申しましたけれども、中小企業の技術指導をするようなセンターのようなものをつくって指導するとか、あるいは研究の委託に応ずるというようなことも一つの方策かと思います。
#37
○横川正市君 たとえばアメリカが原子爆弾を持っているときは世界の優位に立っていた。ところが、原子爆弾は、金とそれから人力をかければどの国でも開発ができるというふうになって、事実上いま原爆の保有国がふえてくる。それが一つの力の均衡にもなっておる。将来の企業というのは、自分のところで非常に金をかけて開発をしてそれを後生大事に特許として持っていくというような、そういう行き方から少しやはり前向きに進みますと、私はそのことだけでは企業全体の利益というものが保護できなくなるのではないか。技術開発の全体的な力というのは、やはり国がもう少し大きな観点から技術開発に対して金も人も使うという、そういう方向が出てきて、それが企業家によって企業化されていくというような状態へ移行するのではないだろうかというふうに思うわけですが、単にいまの企業の持っている特色といいますか、あるいは優位性というものをこれを否定するわけではないのですが、将来企業がより高い技術開発をしていくための努力といいますか、それはもう非常に困難である。しかし、国がそれを総体的にやれば可能なのではないだろうかというふうに考えておりますので、その点あわせてひとつお聞きしたいと思います。
#38
○公述人(鈴木治雄君) いまの問題は、技術が進む領域の問題だと思うのです。それで各企業は、もちろん利益をあげ企業を発展維持するために自分の必要とする技術研究は何かということでテーマを選びましてやるわけです。しかし、社会全体として見ると、そういう利潤動機の技術開発だけで社会全体の技術力があがるかどうか、あるいは社会全体の要請にこたえ得るかどうかという問題は別にあるわけです。したがって、原子爆弾を持っている国が原子爆弾に関する研究を政府が大いにやると、そのために費用をかけているというような問題がありますが、原子爆弾というテーマは、日本の場合には全く適当でありませんけれども、たとえば国土を開発するプロジェクトとかあるいは公害の除去の技術なんかについても、あるいはそういう問題があるかもしれません。それから、あるいは大きく国全体の能率をあげるための情報化技術というようなものを国として取り組むと言われている大型プロジェクトというようなものがあるんですね。これは、企業が対象とするのには適当でないけれども、社会全体から見てやらなければいけない、これからの時代の進歩とともにやらなきゃいけないというテーマについて政府が相当大きなお金をかけて技術開発をやると、そういう問題あると思います。それは大いにやるべきだと思います。で、それから発生した技術というものは、今度は逆に、副次的効果として、民間の企業にも技術の進歩として循環して潤ってくるんじゃないか。そういう点が、先ほど私申しましたけれども、日本ではどうも技術開発について非常に費用のさき方が少ないということで、ここら辺で、七〇年代を迎えて、技術がすべての軸である時代に入ったわけですから、そういう点で、態度、姿勢を変えたらどうかということを先ほど申し上げたわけであります。
#39
○矢追秀彦君 庄司先生にお伺いしたいんですが、公害問題でいろいろお伺いをしたわけですが、裁判の問題にも少しお触れになりましたけれども、私、一番これから問題になるのはその問題じゃないかと思うんです。というのは、私、イタイイタイ病はずっと参議院のほうでやらしていただきましたけれども、あれも、政府が公害に認定はいたしました。ところが、企業責任という問題になるとそれは裁判と、こういうことで、政府がやったのはただ公害認定しただけであって、あとは、責任の追及ということはやらないわけなんです。結局は裁判に持ち込まれて、おそらく相当時間がかかると思います。いまのイタイイタイ病の患者さんなんというのはみんなお年寄りですから、おそらく判決が下るころにはだれもいなくなるんじゃないか。しかも、あの病気は今後発生はあまり予想されません。あれほど大量のカドミウムが流れることはありません。したがいまして、いまのような――いま政府のほうでは公害罪という問題も出てきておりますけれども、たとえ公害罪ができても、いまの裁判所でいまのような裁判のあり方でいったのでは、私は、公害がはっきりこの企業が責任であると、したがって損害賠償すべきであるという線がなかなか出ないんじゃないか。現に、いまちょうど昭和電工さんがおられましてまことにあれですけれども、あの阿賀野川の問題も、やはり昭和電工の言い分もあるわけです。農薬が流れたと。片方では、そうじゃない、昭和電工が流したんだと。それで、議論が非常に――これの判定など非常にむずかしいと思うんですけれども、したがって、公害罪――公害だけは、別に公害罪ができた場合、いまの裁判所とは違った公害だけの専門のそういうふうな機関をつくったほうがいいのかどうか。その点についてどういうふうにお考えになっておるか。それが第一点です。
 もう一つは、ちょっとテーマは変わりますけれども、海水汚染です。水の汚染がこれから問題になると思います。それが非常に問題にはなってきておりますけれども、いろんな、各省とか、あるいは河川の問題もからんでおりますし、非常にむずかしい問題になってきておりますが、非常にこれは早急にやらなきゃならないと私は思います。それについて何か御意見がおありかどうか。
 もう一つは、産業廃棄物、ごみの問題です。特に、最近、ビニールなどが船のスクリューに巻きついていろいろ事故も起こっておる、このように聞いております。産業廃棄物に対する処理、これはどういうふうにやっていけばいいか。この三点、お伺いしたいと思います。
#40
○公述人(庄司光君) お答えいたします。
 訴訟の問題は、これは外国の法規でもいろいろありまして、被害者側に有利なような法規、主としてイギリスの公害に関係する法規は被害者側に有利、それから大陸法、ドイツ法その他においては――なかなか日本と――法律の体系がそういうふうになっておりますから、非常にむずかしい。そういう点を認めなければならぬと思うのですが、現在公害訴訟闘争と申しますか、あるいは公害訴訟ということが開かれている意義は、あの段階において、公害の認定というものをどういうふうにしていったらいいか。いままでにおきましては、挙証責任といって被害者側のほうが、原告ですね、原告のほうが証明しなきゃならぬというような法律のたてまえになっているところに非常にむずかしい問題がありまして、これは公害罪の問題と別に損害賠償に関係してきます。そういう点に、四つの訴訟闘争において、弁護団のほうは、新しい理論において公害というものを無過失責任に近いような法律によってやろうというように努力しつつあり、また、世論の支持もかなり強いので、若干変化を見せていくんじゃないかと思いますが、現実のあそこらの人たちの、被害者、いまお説のように、この訴訟はどこも非常に長引くというようなことになると思うんですが、そういうものに対してどうしたらいいかという問題につきましては、やはり今度は訴訟手続において、いまおっしゃいましたように、非常におくれますから、それの専門の――これは私の特に専門のほうではございませんけれども、公害を扱う裁判所というものを別につくって、訴訟手続その他において被害者側を有利にするというようなことを検討されることは、やっぱり正しいのじゃないかと思っております。非常に簡単ですけれども、それについてはそれくらいにします。
 それから第二の河川の汚染ということにつきましては、やはり現在の水質規制法におきまして、これはいま、水質の基準ということばかりつくるんですけれども、これをきめていくと、指定河川というものをきめなきやなりませんし、これまたそういう姿勢を示しただけであって、なかなか解決しないというのは第一の問題ですが、やはり今後の日本の行政においては、すぐ目の前に危険の迫っている人たちにどういうふうにやっていくかということをもっと考えなきゃならないのじゃないかと思います。
 御承知だと思うんですが、この間、経済学者を中心にしました国際社会科学評議会というのが東京にあって、私もそれに参加したんですが、世界のそういう経済の専門家で、公害のほうをやっている人たちが、富士市だとか、あるいは四日市へ行って、あまりにきたない排水を川にやってるんで非常に驚いたということはすでに新聞にもいわれておりましたですが、結局、そういうものに対してはいまの法律をもっと全面的に使えるような形にする。非常にきめのこまかい規則ばかり考えるより、現実をどう救うかという点が、日本の行政において少し欠けた観点じゃないかと私は考えております。したがって、その指定河川をきめるのに数年を費やすというよりも、全面的に拡張して、とにかく、現在目の前にあって、苦しんでいる人を救うように、除害装置をさすということによって相当いけますのです。除害装置をやらせればいいわけです。
 それからもう一つは、やはり下水道というものをもっと強力にやらすようにしなければいけない。現在非常に日本の政府においても何年計画というものが盛んに立てられていますけれども、地方のほうへ行きますと、財政的な行き詰まりでこれがなかなかいかないということが大体いわれております。これは京都の下水というものが淀川を通じて大阪の飲料水に影響するというので、非常にやかましくいわれますが、丹念に御検討いただけますと、やっぱり財政的な意味において非常に長くかかる、そういう場面に到達しているのが河川問題の実態じゃないかと。そういうことに関連いたしますと、もう少し実際的なものの考え方をし、そうして規制を強くするという、いつも調和論に押されて何にもできぬというのが日本の公害行政の特質なんです。その点を踏み切らぬ限り、非常な立ちおくれが出てるんじゃないかと思っております。
 それから産業廃棄物につきましては、これまた同じようなことでして、外国においても産業廃棄物は問題になっておりますけれども、向こうのほうは、やはり地域が非常に広いという点で救われております。しかし、日本においても、私はその点は、地域が狭いから解決できるとかできぬという考え方でなしに、もっと抜本的に地域の問題を考えるというような方策が必要じゃないか。いまは産業廃棄物については、やはり政府だとか、大阪府で相当調査も進み、計画が立てられておりますけれども、これはごく小範囲の問題で、日本全体の市町村についての廃棄物についての対策というものはやっぱり欠けておるので、そういう点でもっと思い切った対策が必要。ただ、土地が狭いというようなことだけで考えないで、土地の狭いところといいましても、日本では多少産業の関係がありますけれども、込んでいるのは太平洋沿岸ベルト地帯なんで、もう少し頭を切りかえていったら、解決が出てくるのじゃないかと私は思っております。方法といたしましては、やはり現在では焼却だとかあるいは埋め立てということが考えられております。
 なお、この機会に一言しますと、公害の問題は工学的なとかあるいは技術的な面では若干の問題はある程度困難な問題がありますけれども、それ以上公害問題の解決というのは技術の問題以上に、政治の決定の問題のほうがずっと大きいというふうに言えるのじゃないかと思います。
 非常に不十分でしたけれども。
#41
○鈴木強君 鈴木公述人に二つお聞きしたいのです。一つは、貿易の自由化、資本の自由化、これに対応する日本産業はどういう対応策を持っていなければならぬかということですね。たとえばお述べになりました情報化社会に進む場合のコンピューター開発等につきましても、日本はIBMと技術提携をしてやってきております、富士通さんは独自の開発をしてきておりますけれども。そこで、これからIBMというものがどういうふうに日本産業の中に入ってくるのか、ここら辺はわれわれとしても心配になるわけですけれども、これはハードの開発については日本はあまりアメリカに負けてない、こう言われるのですけれども、私は必ずしもそうでないと思うのです。ソフトウエアは十年間おくれておる。大体私もそうだと思います。昨年私はソ連の科学アカデミーの招待で約十四日間ソ連のコンピューター開発について見てまいりました。これはやはり月に向かってああいうスプートニクを上げていく、アメリカでしたらアポロを上げていく、そういうところにアメリカはNASAを通じてやっぱり軍事的な研究からコンピューターにうんと金を出している。またソ連は、科学アカデミーを通じて軍事的な目的のために、平和的な目的と言っているのだが、実際には軍事的な問題もからんでおりますから、相当に金を出しておる。この二つの国のコンピューターというものは、これはたいへんな財力をバックにしてやられておると思うのです。日本の場合には残念ながらそういうことはなく、ただ民間の産業諸君が苦労をして今日まで開発をしてきていると思うのです。こういうときにIBMがどういう影響を与えてくるか。これはヨーロッパの例を見ると、これはおそるべき国内産業に影響を来たしております。いまやっとフランスあたりでも再建の方途を見出して立ち上がりつつあるのです。そういうわけで私は一つのコンピューター産業についてだけ触れたのですが、こういう例は日本のこれからの産業の中に大なり小なり出てくると思います。特に中、小企業あたりに対する影響というものは一体どうなるか。これを私は非常に心配をするわけです。したがって、産業自体がその対応策を打ち立てていただくことは当然ですけれど、同時に国の施策にたよるところもあると思います。ですから、そういう点についてはこうしてほしいとか、そういうふうなお考えがあったら、この機会に教えてもらいたいと思います。
 それからもう一つは、税制の面ですけれど、あなたは税制の問題について所得税から間接税にと、こうおっしゃいました。これは政府のほうもこの委員会を通じて大体そういう方向で税調が考えているということでございます。ただ、われわれは、あなたがおっしゃるように、日本もここまで高度に成長をして、国民の生活もよくなってきたということを前提にして直接税から間接税へと、こうおっしゃっておるのですけれども、一つ問題になるのは法人税のことです。これは税調が出しましたように、二%ことし上げたらどうかというその答申が残念ながら半分くらいしかいかなかったということでして、この辺に対するわれわれの不満があるわけです。ですからそういう点は、ただ単に一方的にわれわれが考えることでなくて、大企業の皆さんは法人税については一体どういうふうに考えておられるか。そういう点をお伺いしないと、間接税に切りかえるということについてのちょっと理解ができませんから、たいへん恐縮ですけれども、その点をひとつ教えてもらいたい。
 それから庄司公述人にひとつ伺いたいのですけれども、お話しのように、たとえば日本の産業がどんどん発展をしていく、技術が開発されていく、たとえば静岡県の富士市でいま公害が問題になっておりますけれども、あそこは御承知のように、製紙工場がどんどんと発展したわけですね。ですからそこに大工場ができて大量に生産され、コストがダウンして、それを買う消費者から見ると確かに一つの利点であります。だがしかし、実際にそこに住んでいる富士市の市民からして見ると、工場から出てくるばい煙によって実際健康を害し、また、日常生活の中でいろいろな弊害を受けてくる、たまったものではありませんね。ですからして、そこに第一次的には企業がそのばい煙をできるだけ薄めるような技術的な面、あるいは重油を使うか石炭を使うか知りませんけれども、燃料の面における亜硫酸ガスを出さないようなものを使うとか、最大限公害をなくして地域の皆さんに迷惑をかけないような私は施策をすることが筋道だと思うのですね。ところが、なかなか法律的な不備な点もありまして、企業のほうではこれをやってくれない。したがって、住民から赤旗が立ってくる、こういうふうなことになるわけでありまして、今度政府のほうでは公害対策というものを真剣にやろうということを総理もここで述べられております。したがって、そういう点はやはり基本的に、企業、そしてまたそれに対しては国というものがお互いに支援協力しあって、公害をなくしていくというそういう基本に立たなければならぬと思うのですけれども、そういう点の基本的な問題をちょっと教えてもらいたい。
 それからもう一つ、私はここで政府のほうに質問してわからないのです。というのは、東京に霞が関ビルとか貿易センター、ああいった会館ができますけれども、あれが普通の状態ならいいのですけれども、少し風が吹きますと、そこに乱気流を起こすわけでありますね。そうしてあの下の商店街ではそういうときには表の玄関が明けられないわけですよ。明けておくとばっばっばっとばたばたやられてしまいまして、ガラスをこわされてしまい、屋根が飛んでしまう。したがって、やむを得ずそういうときにはどこか入るところを変えて、店を締めて通ることがあるというわけです。これも一つの公害ですね。ところが、現在これをどこがどう責任を持ってやるのですか、さっぱり政府のほうも対策がない。先生は非常にその方面で勉強されておりますから、新しいそういう公害に対して着目をされ、何かお考えを持っておられると思いますから、いい機会ですから伺いたいと思ってお願いしたわけです。
#42
○公述人(鈴木治雄君) 私に対する質問二つあったわけでありますが、あとの税のほうから先にお答えしますが、私は、働いて収入を得る、つまり個人でも法人でもそうですが、その段階ではなるべく税をかけないほうがいいのじゃないか。要するに、使う段階でかけるほうが個人も法人も蓄積をするのじゃないかという考え方があるわけです。しかし、それがまだその段階に来ていない段階でやると非常に弊害がありますけれども、日本の場合、ここまで来れば、消費のほうは選択ができるわけですから、間接税にかけてもそんなに弊害がない。むしろそのために所得税とか法人税というものに大きく依存する税制というものはあまり好ましくない。これはいろいろな議論がありますと思いますが、私はかせいで取る段階ではあまり取らないで、使う段階で取るほうが、勤労それから蓄積というような点からいい段階に来たのじゃないかと、そういう考え方です。それから法人税について何かふやした幅が小幅で釈然としないというようなお話しでしたけれども、逆に産業側が、降ってわいたように法人税の増徴という案が出て、だいぶん景気もいいようだからここら辺で取れというようなそういう感触で受け取っておりまして、逆に釈然としていないわけです。それで、税というようなものは景気がいいからふやすとか、悪いからどうとかいうのじゃなくて、もう少し一つの体系的な、制度的なものなんじゃないだろうか。
 それからなお、日本の法人は、よくいわれておりますように、自己資本率が二〇%を割ってきたというような段階でもありますので、ここで一%にしても二%にしても、思いついて降ってわいたようなやり方の法人税の引き上げというようなことについては、ちょうどその反対になりますけれども、釈然としていないというのが、産業界の感情といいますか、そういうことだということをちょっと率直に申し上げておきます。
 それから第一の御質問のコンピューターの問題ですけれども、私はIBMが日本に対してどういう戦略を持っているかというふうなことよく承知いたしません。ただコンピューターの世界における外資の強さというものを、即ほかの日本の他の企業分野も同様だというふうに即断する必要はないのじゃないか。今日各産業部門の技術力は相当なものになってきましたので、一部の非常に先端的な技術産業以外については、大体日本の産業の資本自由化に対する体制はほぼできつつあるんじゃないか。あまり心配し過ぎないほうがいいというのが私個人の意見です。しかし、これは産業界全体がその意見かということになりますと、若干違うかもしれません。いま私どもが感じているのは、大体産業界は総論的には資本の自由化に賛成しておりますけれども、いざ自分の企業についての資本の自由化ということになると非常に慎重で、まだ早いという姿勢をとるわけですけれども、全体の国際的な流れですし、例外的な幾つかの産業を除いては、もう資本の自由化に対する大体かまえができつつある、かように考えております。ただ、御指摘がありましたように、非常に先端技術関連産業というのは、先進諸国では確かに国が大きな研究投資をしている、関連の効果というものを相当受けているわけですから、そういう意味で、日本はやはりこれから技術で競争し、自己開発技術というものを相当やらなければならない段階でありますので、そのやり方についてはいろんな議論があると思いますけれども、やはり国として相当その点について思いをいたすべき段階にきたのじゃないか。そのことが産業に対しても競争力を強化するんじゃないかと思います。しかし、産業側としては、そういうふうに政府に依存しなければだめだという考えじゃなしに、独力でできるだけ外国の企業と競争するような努力をしなければいけない。いたずらに他力本願で、政府がしないからというような泣き言でやることは許されない。企業は企業ごとに防衛的に努力すべきだというふうに思っております。
#43
○鈴木強君 中小企業のほうはどうですか、内容は、中小企業に対する影響……。
#44
○公述人(鈴木治雄君) 中小企業ですか、資本の自由化の問題ですか――これは私は一般的によくわかりませんけれども、私どもは外資といろんな仕事を相当しておりますけれども、それで、外国人が日本で仕事をやって感ずるのは、やはり日本の市場とか人間関係というのは、非常に特殊性がありまして、結局日本では日本の人と一緒にやらなければうまくいかないとかあるいは全部日本にまかして、資本だけをある程度持ってやるのがいいというふうにだんだんなってきておりますので、その影響についても、業種によって違うでしょうけれども、私はあんまり心配し過ぎないほうがいいのじゃなかろうかという感触を持っております。
#45
○公述人(庄司光君) 富士市を例に引いて、ああいうところは今後どういうふうにやっていったらいいかというようなお話でございましたのですが、私は日本ではやはり国全体として、あるいは企業団体と申しますか、そういうふうなもの自身がまだ公害に対する取り組みが本格的になってないんじゃないかということをまず第一に申し上げたらいいかと思いますが、それはアメリカですと、ナショナル・エア・ポリション・コントロール・アドミストレーションと申しますか、何というのですか、公害省というのですか、大気汚染に関係する省ですか局ですか、そういうようなものがあって、非常に大規模に問題を総合的にやっております。そこにおきましては、公害の問題でも、いろいろ技術的な問題、医学的な問題、行政的な問題あるいは法律的な問題で、各パートができて、非常に大きな予算を使ってやっております。そういうのも比較してみますと、まだ日本におきましては、そういう国自身の公害に対する取り組み、その施設なんかにおいて、非常に劣るのではないかと思います。本格的にやるためには、先ほど地方公共団体における担当技術者が足らぬということを申しましたが、同じようにそういう点が非常に足らないということをまず指摘したいし、まだ、そういうことに大いに力を入れていただきたいと思います。それからまた、企業側におきましても、非常に私は企業追随主義ということに甘えているのではないかと思うのです。外国においてはやはり社会が非常に公害に対してきびしい。また、いろいろ迷惑をかけたときの損害賠償の額というようなものがやはり相当高い。したがって、企業においても、一たん法律にきまった以上は、守るために個々の企業じゃなしに企業団体といたしまして、また個々の企業におきましても、それに対して社内組織で相当の準備をしております。私も昨年の秋に若干視察をいたしたわけですが、大きな企業団体で、あるいは石油関係の業者の団体だとか、いろんなところがありますのですが、そういうようなところにおきましても、ちゃんと専門の担当の重役がおりまして、その人たちが相当専門的なことにでも受け答えできるような態勢をとっております。また個々の企業におきましても、会社の中にそういうものができている。日本でも最近大きな会社で公害担当課ができたところがあるのでございますが、まだ全体から見ますと、非常に甘えたようなあるいは対症療法的――実情、御承知だと思うのですけれども、富士市だとかあるいは四日市市に行きましても、結局何とか住民側から悪臭問題だとか排水問題できた場合に、そいつを何とかうまくやっていこう、その場所場所で若干の解決をしようというようなことになっているので、社会全体あるいは国全体として、公害に対してきびしい態度をとっていただくことによって、また住民のそういうことによって、企業自身もこれから開発してくるのではないか。そういうことなくしては、住民のいろいろな直接的な運動というものを、やめてもらうというわけに私はいかないと思います。もう一つは、公害に対しては情勢――あるいは会社でもそうだと思いますが、もっと啓蒙ということが要るし、もっと実態を率直にオープンにする必要が私はあると思うのです。日本におきましては中央官庁でもいろいろな調査がされておりますけれども、それが公に事前に知らされるという程度が非常におくれております。外国におきましては、これもアメリカの例ですけれども、環境基準に対する基礎資料というものがりっぱな本になって、だれの手にも入るようになって、そういうことのゆえにこういう基準をつくるということが知らされるようになっております。日本においては、公表されているといっても関係の学者の手に入るくらいで、なかなか一般にはどういう公害行政が進められているかという、その途中がわかりません。また、地方公共団体でいろいろな公害審議会があっても、直接住民の代表がそこに入っているというケースは非常に少ないのです。そういうようなことが非常に不信感をつくっていく。だから立地問題というのはなかなか解けぬ大きな原因になっているということを申し上げておいたらどうかと思います。
 それから第二番目の霞ケ関ビル云々の問題ですけれども、これは私はちょっと答えられない。ああいうようなものができて、乱気流というおことばでございましたけれども、あるということはともかく気象学的にはわかっておったのでしょうけれども、そこまで都市計画というものはまだ煮詰められていない。やはりそこにも都市計画というものが、住民の立場からそういうことを予想したことが、もっと研究されなければいけないのだけれども、やはりそういうところが手抜かりがある。名案がないかと言われるが、一ぺん建ったものをどうするかということは、ちょっと私ここで答えられませんので、お許しを願いたいと思います。
#46
○柳田桃太郎君 庄司先生にお伺いいたします。
 いま、硫黄硫化物の測定器は導電率法をとっておるのですが、いまの亜硫酸ガスの測定器、これは四十三年の一月の専門委員会でも相当問題になりまして、ある場合には硫黄化合物以外のガスも入って、高く表示され、ある場合には低く表示されるということがあるそうですが、各地方団体におきましては、国の基準以上にきびしい基準を設けて条例でもってこれを取り締まるということになった場合に、その測定器がよほど正確でなければ、これはその企業側にも非常に困る場合があり、また住民に困る場合もあるのじゃないか。さらに公害法などを設けて、これに罰則を設けるということになると、現在のような測定方法で、はたしてこれが法の対象になり得るかどうかということに、非常に心配がございますが、どうでしょうか。これが一つ。
 それからもう一つは、ロンドンとアメリカのバッファローの例によれば、浮遊ばいじんのほうが、呼吸器病並びに死亡率に非常に関係があって、亜硫酸ガスのほうは、それほどでもなかったという数値が、両方こう出ておるわけですが、そこで、ロンドンでは最近見ますと、あまり亜硫酸ガスのほうはやかましく言わずに、浮遊ばいじんを除去するということに非常に力が注がれておるようであります。これはわが国では逆で、亜硫酸ガスの問題に非常に重点があって、浮遊ばいじんは、もとより大気汚染の対象でございますけれども、それほどやかましく言わないということは、どちらが正当なのか、これは私どもも非常に聞きたいところでございますので、専門的見地から御説明をいただきたいと思います。
#47
○公述人(庄司光君) いろいろな大気汚染の害を測定するという場合に、いま電導法というのをおっしゃいましたのですが、電導法におきましては、必ずしも亜硫酸ガスだけでなしに、ほかにアンモニアが存在するとかいうようなことによって高く出たり低く出たり、いろいろな現象をいたしております。で、亜硫酸ガス自身をはかるという方法もありますことはありますのですが、現在においては比較的簡便だという点であれを使っておるのですが、その点につきましては、亜硫酸ガスだけに限りましたならば、各地において亜硫酸ガス自身をはかる方法と、それからいまの電導法との比較というものをやっておけば、ある程度のことは私は言えるのじゃないかと思っております。それ以上に現在ああいうふうに、環境基準においていろいろやっておりますが、一番問題はどういうところではかるかという点で非常に大きな問題があるわけなんで、そういう点をはっきりしなければ、なかなかああいう環境基準をつくりましても、その正当な評価というものは、まだまだ問題があるんじゃないか。法的な規制の根拠となり得るかということですが、やはりこれは相対的なものでして、完全にはかれないからといって法的規制ができないということは、私はないのじゃないかと思っております。また、私どもはそういうようなところへ追い込まれるということによって、結局大局を誤るのじゃないか、そういう考え方でいきたい。また、原因と結果の関係においても、先ほどちょっと申しましたように、今後法的な考え方というものがだんだん変わってくるのじゃないか、そういうように私ども持っていかなければ、重箱の底をつっつくようなことでやっておりましては、いたずらに時がたつばかりで、解決しないので、そういう点、ひとつ御賢察をお願いしたいと、こういうように思っております。
 それから第二の問題は……。
#48
○柳田桃太郎君 浮遊ばいじんと……。
#49
○公述人(庄司光君) 浮遊ばいじん――あの点は結局イギリスにおきましては、外国と日本とは亜硫酸ガスの条件は違いまして、向こうにおいては土地が広いというようなことも一つありますことと、日本のように重油一辺倒になっておりませんのです。そういう点で、今後亜硫酸ガスの問題をやっていこうということでございますけれども、そういう点であまり学ぶべきものがなくて、今後やっていこうというような事情が一つ背景にあることと、それからロンドンにおきまして、ああいうようにいわれておりますのは、ロンドンはクリーン・エアーアクトというのを一九五六年ですかつくりました、一九五二年の四千人も大ロンドンで死亡したということについてやりましたのですが、そのときの考え方としてやはり亜硫酸ガスも問題であるけれども、まず実際的な方法としてそれをやって、浮遊ばいじんをまず少なくしていこうという背景があったのじゃないかと、その後におきまして、一九六二年でしたか、次の事件のときに同じように亜硫酸ガスはある程度出たのですが、死者なんかが非常に少なかったのです。そういう点は、やはり大気清浄法によって浮遊じんあいを減したことに効果があるのではないかというようにいわれております。イギリスのほうの解釈はそうかと思いますが、日本におきましても、なかなか亜硫酸ガスだけで判断できぬ問題がたくさん起こっております。四日市なんかにおきましては、亜硫酸ガスの濃度だけをとりますと、あれほどぜんそくが起こるということはちょっと異例に属するのではないかというようにもいわれておりますが、そういう点、あるいは医学者のいろいろな研究で亜硫酸ガスだけで、純粋のガスだけの実験ですと、あれは刺激性のガスですから、あまり入っていかないわけです、肺の奥のほうまで。ところがそこに浮遊ばいじんに付着すると、非常に入っていくという点で、この浮遊ばいじんの効果は今後もっとやられなければならぬと思うのですが、日本ではまだそういう背景があって、亜硫酸ガスだけをとにかくいま押えておりますけれども、当然いま浮遊ばいじんについても研究が進められ、環境基準も準備されていると聞いておりますが、当然やっていかなければいかぬのではないかと思っております。以上です。
#50
○委員長(堀本宜実君) 他に御発言もなければ、質疑はこの程度にとどめます。
 公述人の方々には長時間有益な御意見をお述べいただきまして、まことにありがとうございました、お礼を申し上げます。
 明日は午前十時開会することといたしまして、本日はこれをもって閉会をいたします。
   午後二時四十八分散会
ソース: 国立国会図書館
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