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1970/03/17 第63回国会 参議院 参議院会議録情報 第063回国会 文教委員会 第5号
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1970/03/17 第63回国会 参議院

参議院会議録情報 第063回国会 文教委員会 第5号

#1
第063回国会 文教委員会 第5号
昭和四十五年三月十七日(火曜日)
   午前十時十三分開会
    ―――――――――――――
   委員の異動
 三月十二日
    辞任         補欠選任
     内田 善利君     渋谷 邦彦君
 三月十三日
    辞任         補欠選任
     渋谷 邦彦君     内田 善利君
    ―――――――――――――
  出席者は左のとおり。
    委員長         楠  正俊君
    理 事
                田村 賢作君
                永野 鎮雄君
                杉原 一雄君
                安永 英雄君
    委 員
                大松 博文君
                土屋 義彦君
                中村喜四郎君
                二木 謙吾君
                吉江 勝保君
                秋山 長造君
                内田 善利君
                萩原幽香子君
   国務大臣
       文 部 大 臣  坂田 道太君
   政府委員
       文部大臣官房長  安嶋  彌君
       文部大臣官房会
       計課長      安養寺重夫君
       文部省初等中等
       教育局長     宮地  茂君
       文部省大学学術
       局長       村山 松雄君
       文部省体育局長  木田  宏君
       文部省管理局長  岩間英太郎君
   事務局側
       常任委員会専門
       員        渡辺  猛君
    ―――――――――――――
  本日の会議に付した案件
○教育、文化及び学術に関する調査
 (昭和四十五年度における文教行政の重点施策
 に関する件)
 (昭和四十五年度文部省関係予算に関する件)
    ―――――――――――――
#2
○委員長(楠正俊君) ただいまから文教委員会を開会いたします。
 教育、文化及び学術に関する調査として、昭和四十五年度における文教行政の重点施策に関する件及び昭和四十五年度文部省関係予算に関する件を一括して議題といたします。
 政府側から坂田文部大臣、安養寺会計課長、宮地初等中等教育局長が出席いたしております。
 質疑の申し出がございますので、これを許します。杉原君。
#3
○杉原一雄君 大臣にお伺いするわけですけれども、二月の十四日に佐藤総理が所信表明をされたことは御承知のとおりですが、その中における、特に事、教育に関する部面を指摘いたしますならば「教育の目的は、人間の形成と個人の創意を生かしつつ国家、社会に貢献するための能力を啓発することに」ある。「このため、特に、教育者のあり方をはじめ、幼児教育から大学まで、教育の内容及び制度の全般にわたって、新時代に即した教育体系をつくり上げ、もって国運興隆の基礎を確立したい」と力説されているわけであります。これはもちろん佐藤内閣全体の政策であり、基本
 であり、展望でありますから、大臣にも異存がないことだと思うのであります。ただ、私はこれを聞きながら、憲法なり、教育基本法なり、もう一度見直してみたわけであります。非常に気がかりになることは、やはり特に教育基本法の前文等に指摘してある事柄と、第一条、第二条に指摘してある教育の目的等について照合した場合に、かなり意欲的に違った方向を示されているように思うわけであります。たとえば、「国家、社会に貢献するための能力」云々、あるいは「教育者のあり方」、そうして最後に、「国運興隆の基礎を確立したい」。今日的な社会環境の中で、何ら思考することなくすなおに受けとめれば問題のない感じがいたします。しかし、私のように過去、戦前、戦中、戦後の教育を受け、かつまた教育をしてきた者としては、ここにかなり警戒的なまなざしでそれを読み取らざるを得ない、このように思うのでありますが、大臣の所信についても後ほどお伺いいたしますが、ここで確認しておきたいのは、佐藤総理の所信は、憲法なり教育基本法に照らして寸毫も間違いがない、このように御判断になっているのかどうか。私のいま指摘した点等について、もし私を説得をする論理をお持ち合わせなら、お聞かせいただきたいと思います。
#4
○国務大臣(坂田道太君) この総理の演説は、すなおに読んでいただけばわかることで、また、いま先生もおっしゃいましたように、すなおに読んでそのまま受け取っていただきたい。それは、何ら憲法あるいは教育基本法の精神に何か違背するとか何かということじゃなくして、むしろそれに即しているというふうに私は考えております。
#5
○杉原一雄君 憲法は一応預けておいて、教育基本法の第一条の目的、それから第二条の方針、この間に貫かれている大精神と総理が期待する教育とは、私は若干のズレがあるように思われるわけです。たとえば第一条の目的の欄においては、「人格の完成をめざし、平和的な国家及び社会の形成者として、真理と正義を愛し」云々、あくまで人間の尊重、そういう点の精神が一貫して貫かれていると思われるわけです。ところが、総理の主張はそうでなくて、必ずそういう経過を経ながら、最後の落としは、国家社会に貢献をするということに落としを持っていっておられる。そこに私は一つの大きな、国民をその方向に誘導しようとするたくましい意欲を感じますが、しかしそのことは結果的に――かつて私は赤い日記帳の問題を起こしたときに、現地の山口に乗り込んで実態調査をしたわけでありますが、そのことは別にして、赤い日記帳の問題を大きくアピールする中で、当時の政府は何をしたか。教育二法という法律を国会で審議し、かつ通したのであります。なおかつそのあと、あるいは勤評をやった。その結果どういうことが政府の政策として貫かれていったかというと、今日のような、私が見た政府の動きとして把握し得るのは、憲法の第九条の精神をわれわれはよりどころといたしておりますが、その後は政府の文教政策の中で第九条をよりどころにしていると思われない節は非常に多い。端的に言わしていただけば、軍国主義の方向、文教反動化の方向、その方向へ積み上げているように私は思うのです。それは幾つか、あとほどの質問の中で明らかにしていきたいと思います。とりわけ、私はいま申し上げましたような、かつての戦前、戦中、戦後の教育者として一貫して教育をしてきた一人として、からだをもってそれが証明できるような気がいたします。大臣はお若いですから御承知ないかもしれませんが、特に戦争、敗戦の色濃い時期に、文部省がどのような本を出したか御承知でしょう。「國體の本義」です。「國體の本義」に貫かれている精神は何ですか。しかし、私はそれをいろいろことあげいたしません。ただ、その中で教師の態度としてわれわれに押しつけられた精神は、考え方は、随身ということばでした。文句を言わずに従いなさいということです。それは「國體の本義」の中における方法論としてわれわれに押しつけられた考え方でした。しかし、そのことは結果的に戦争に負けたのであります。何かしらいま進められている文教政策の中に、後ほど指摘いたします学習指導要領の問題にしても、教育研究の問題にしても、現職教育の問題にしても、私は意図はそこらにあるように思いますが、大臣のほうでその点についての的確な御返答をいただきたい。
#6
○国務大臣(坂田道太君) この教育基本法第一条、ただいま先生お読みになりました(教育の目的)、「教育は、人格の完成をめざし、平和的な国家及び社会の形成者として、真理と正義を愛し、個人の価値をたつとび、勤労と責任を重んじ、自主的精神に充ちた心身ともに健康な国民の育成を期して行われなければならない。」、総理のこの演説は、「教育の目的は、人間の形成と個人の創意を生かしつつ」、つまり人格の形成ですね、これが一番大事な点。そして「国家、社会に貢献するための能力を啓発することにあります。戦後のわが国の教育は、ともすれば、知的教育に偏して人間形成という面がおろそかになり、社会生活における個人の責任と自覚を促すための努力もまた、十分でなかったことは否定できないのであります。国際化の時代において、日本人が世界で敬愛されるためには、国民の一人一人が市民としての良識を持ち、他に対するおもんばかりを持つ人間であることが要請されるのでありますが、」云々ということですね。近代生活にふさわしい倫理観と社会連帯感というものを備えた国民として育つということが大切である、こういうことなんで、私から言いますと、戦後の教育はともすると知的教育だけに走って、人間性とか、あるいは情操教育とかいうものがともするとないがしろにされたということは、私は率直に認めざるを得ないと思うんです。そういうものが欠けておるんじゃないか。それからもう一つは、自己中心というか、真の意味における個人主義に徹するということじゃなくて、つまり人格の形成ということを目ざすんじゃなくて、ほんとうの意味の個人主義に徹するならば他を重んずるということが必ず出てくる。そうじゃなくて利己主義みたいな形が非常に出てきている。つまり、社会連帯感が失われている。社会の中の一員として、あるいは国家社会の中における一員として、世界の中の一員としてと、そういうことが欠けておるということは私は言えると思います。こういうようなときにこの点を多少強調されたということはむしろ当然なことである。政治家として当然なことであると私は考えるわけでございまして、これは憲法や、あるいはむしろ教育基本法の目ざすところである。いま戦前のことをお話になりましたけれども、われわれの民主憲法というものはその反省の上に立っておる、そう私たちは考えておるわけでございます。その道を歩んでおる。しかしその間におきまして、いろいろのまだ憲法の精神や、あるいはまた教育基本法の精神というものが、十分にすべての教職員に、あるいはわれわれおとなたちにしみ込んでおるかどうか、あるいは、したがって子供たちにそういうようなことが身についておるかどうかということについて、いわば、まだ十分ではない。だから、われわれは努力をしなければならない、こういうことかと思うわけでございます。
#7
○杉原一雄君 いまの答弁の限りにおいては私も反論する余地がないようにも感じますが、ただ、あえて佐藤総理の所信表明の中で私指摘したかったのは、国家、社会に貢献する、国運興隆の基礎を確立したいということが繰り返し強調されていることです。先ほど私が言ったように、「國體の本義」の中に貫かれている、理念じゃなくて、方法的には随身の道を歩くということが強要されてきた私であります。でありますから、そういう表現の中にそのような意図が隠されているんじゃないか、なかんずく、いまお読みになった教育基本法の第一条にしても、第二条にしても、そのような表現は見当たらないのであります。とりわけ、教育の方針を示す第二条の末尾において、「文化の創造と発展に貢献するよう努めなければならない。」――だから、一条、二条ないし前文に強調されていることは、あくまでも子供のための教育、しかもその子供とは、これは「人間像」の問題もありますが、国家に忠誠を誓う、国家ということを置きかえるともっと別なことばになるんですが、そのことをぼくは特におそれるわけですが、そういうような教育の方向を指向しておられるように勘ぐるんでありますが、非常に失礼でありますが、そういうことを、あくまでも憲法ないし教育基本法前文、第一条、第二条の精神に従って教育行政が行なわれているということを、坂田大臣のほうから明快にもう一度確認しておきたいと思います。
#8
○国務大臣(坂田道太君) この総理の演説をすなおに読んでいただけば、先生が御指摘になるようなことにはならないと私は思います。「新時代に即した教育体系をつくり上げ、もって国運興隆の基礎を確立したいと念願しております。」――国運興隆を願わない者はいないんじゃないでしょうか、日本国民として。そういうものの考え方こそ私はおかしいと思う。国運興隆の基礎を確立したいということが何で悪いのか。私はそういうような気がしてならない。しかも、その前段のところに明らかに「人間の形成と個人の創意を生かしつつ国家、社会に貢献するための能力を啓発することにあります。」、これが教育の目的とはっきり言っておられる。こういうようなことに疑問を持つこと、それ自体が私にはわからないんですよ。もうちょっとこれをすなおに読んでいただくならば、そういうような取り方にはならないのじゃないかという気がしてならないのですが、私が間違っておればひとつ御指摘をいただきたいと思います。
#9
○杉原一雄君 ぼくはすなおでないということになったわけですが、私だけでないので、すなおで
 ない、とんでもない別な証明をいたしましょ
 う。
  それは、あなたは十五日、大阪に相撲を見に
 行っておられるね。
#10
○国務大臣(坂田道太君) 行っておりました。
#11
○杉原一雄君 その目的は何ですか。
#12
○国務大臣(坂田道太君) これは相撲協会から要請がございまして、招待をするということでござ
 いましたから、私は参りました。
#13
○杉原一雄君 しかも日曜ですから、大臣が行かれることはけっこうであります。とりわけスポーツ行政を担当しておる大臣が行かれることば意味があることです。そのことを私はとやかく申しません。しかし、その大臣の出席をこのように見ている人がおるということです。申しましょうか。
#14
○国務大臣(坂田道太君) どうぞ。
#15
○杉原一雄君 それは、相撲が土俵に上がったときに双方が礼をする、また負けた者も勝った者も下がるときには正しく礼をしておる。これは事実でしょう。どうです、見ておられたからおわかりでしょう。
#16
○国務大臣(坂田道太君) 私が相撲を見に行ったことがどうだこうじゃなくて、相撲を見に行きたい気持ちは先生方だって御同様だと思うんです。文部大臣だって人間なんです。ですから……そうして相撲というのは、礼に始まって礼に終わることぐらい私も承知をしております。
#17
○杉原一雄君 そこまではあなたのおっしゃることも理解できるんですけれども、非常に善意に行動をしておられることを私は問題にしようとは思いません。ただ、その相撲を見ながら、こういうふうに言っている人もおるわけですね。いまだかってない礼儀正しい当日は相撲であったと。しかもそれがどこでどのようにたくまれたかという内幕まで書いてある。結局坂田大臣がおいでになりますので、相撲の皆さんにも十分注意をして、またバッテン、まるの掲示まで出して、礼をしなかった者はあらためて礼をさせるというぐらいにまで徹底的に当日はやったそうであります。そのことについて新聞の評論家が言っているわけですけれども、それは一月文部省が蔵前国技館の改築に当たって二千万円のお金を出された。これは私ここに書いてあること知りませんよ。そこで、そのことが結局相撲協会に大きな反省を呼んだと言えばきれいなことばだが、結果的に礼に始まって礼に終わる結果を生んだ。しかも、それは坂田文部大臣がおいでになっておりましたので、この表現をそのまま申しますと、申さないといけませんから――そのことについて「初場所後、文部省からきついお達しがあったそうだ。文部省は、一月から始まった蔵前国技館改修工事に二千万円の助成金を交付した。財団法人とはいえ興行団体の相撲協会に多額のカネを出すのはおかしな話だが、相撲が国技だからである。」この人は肯定はしておりますが、「国技である以上、まずもっと礼儀正しくしなければというのが文部省の言い分だったのだろう。八日目、〃お達し〃の元締め坂田文相が相撲見物にやってきた。万国博の開会式に参列した寄り道だが、きびしく言い渡した力士のマナー検分のためかもしれない。」これはつむじ曲がりで、私と同一人種とみなされるのかどうか、そこらのところをお尋ねしたい。
#18
○国務大臣(坂田道太君) 実はお尋ねの趣旨がよくわからないんですけれども、相撲を私は見に行った。そして、その結果として何か批評があった。そんなことを私は一々気にしません。
 それから、国技館に二千万円の要求がございまして、これにお金をつけたことも事実でございます。また今度の予算の中に御審議をわずらわしておることも事実でございます。それと今日国民が相撲に対して相当に関心を持つ、これは社会党の人だろうが共産党の人だろうが、公明党の人だろうが自民党の人だろうが、イデオロギーを越えて相撲をみんな楽しんでいるじゃありませんか。そして、この相撲道というものは、ただいま御指摘になりましたように礼に始まって礼に終わる、いいことじゃございませんか。単に相撲だけじゃない、剣道だったって柔道だったって礼に始まって礼に終わる。だからこそ剣道――剣の道と言う、あるいは柔道という道と言う。こういうような倫理観というものがなぜ悪いんですか。こういうものをそのまま国民の素朴な気持ちを受け取るということが私は民主主義だと思いますし、非常に大事なことだと思うし、今日青少年が倫理観を失って非行に走ったり、あるいは人に迷惑をかけたってちっとも反省する余地もない、そういうようなことは先生方それ自体がそういう倫理観というものに何らかの否定的な考え方を持っておられるところに問題があるんじゃなかろうか。それは一部の教職員のことでございますけれども、そういうふうな反省を私自身が持っておるわけなんです。国民大多数の人たちは、もうちょっと学校の先生方何とかならぬのかというような素朴な気持ちが、いま国民の間にとうとうと私は出てきておると思うんです。これに処することが私はやはり大事なことじゃないかと思うんでございますけれども、何か間違っておりましょうか。
#19
○杉原一雄君 私の意図はちょっとわかりにくいようですね。
#20
○国務大臣(坂田道太君) わかりませんね。
#21
○杉原一雄君 わからぬですか。私は、そこに中村さんもおいでになりますが、剣道や相撲の道における礼儀、そういうことを否定もしなければ反論をする必要もありません。実は私の言っているのは、せっかくのあなたの善意、あるいは文部省の好意で二千万円、こういうものがこういうとらえ方をされているものがあるということ、またごく一部の、あるいはまた正常な判断を失った人たちの考え方というふうにとらないで、あなたがここにすわっておられる文部大臣のいすとプラス二千万円と、こういうものとがひとつの社会構造の中で大きな変わった形にとられた。変わった形で圧力になっているという事実を、やはり常に謙虚に考えていただいて、教育行政をやっていただきたいということなんです。だから文部大臣が、いや総理大臣が、国家興隆のために――いま社会主義国家といえどもナショナリズムにきちんと立っておるんです。その意味で祖国愛とかそういうことを私は否定するような気持ちはいささかもない。ただ、とらえ方の問題、そこは根本の出発点をどこに置くかという問題なんだ。だからあなたがおっしゃったように、憲法とか教育基本法の精神に従って教育行政をやっておるという先ほどの答弁で私は尽きると思うのですけれども、具体的な問題についてはまたあとこまかくお話し申し上げる、質問申し上げますけれども、私は確認しておきたいことは、憲法の大精神なり教育基本法の精神も日本の教育の行政のよりどころとして進めていきますという大臣の答弁で、私はそれでいいと思う。
#22
○国務大臣(坂田道太君) いまあなたは社会主義国家が国家興隆のことを言っておるから、それでもいいですがとおっしゃいましたですね。われわれは社会主義国家が国家興隆を言っているから、国家興隆はよろしいなんて考えておりません。社会主義国家だろうが資本主義国家だろうが、中国だろうがソ連だろうが、どこの国がどうあろうと、われわれはこの憲法の手前、われわれの日本の国を愛し、日本民族を愛し、国家興隆を願う。これは全国民の大多数の気持ちじゃございませんでしょうか。私はそう思うのです。それが何で悪いんですか。しかもですよ、一番最初に、人間の形成と個人の創意を生かしつつ、国家社会に貢献するための能力を啓発すること、これが教育の目的だということを言っておられる。一番最後の結びにそういうことを言っておられる。この結びだって私はりっぱなことである。これを願わない人たちがおるということこそ問題じゃないかというふうに思う。しかも社会主義国家ではこういうことを言っておるからよろしゅうございますなんというその論理が、発想が私はどうもわけがわからない。
#23
○杉原一雄君 文部大臣はなかなかじょうずにものを誘導しておるわけですが、私の気持ちはあなたはわからないという気がします。いま私が言っていることは、祖国愛とか国家の興隆を願う国民の気持ちというものは否定するわけではないけれども、あえて総理の方針の中で繰り返しそのことが強調されている面に、私はちょっと被害者意識が強過ぎるかもしれませんけれどもね、そういうものを感ずるわけです。そこで、大臣が、そうじゃないのだ。憲法の精神を大黒柱にして、教育基本法の精神に従って行政をやるということで御答弁なすったんだから、それをそれなりに私は受けとめながら、それを第一の柱にして次の具体的な問題についていろいろ質問をしていきたいと実は思う。回りくどい論法の進め方ですから、なかなか私の意図するところは御理解いただけないのでありますけれども、何かすべてそういうことが、おまえらみたいなものがおるから教育はだめなんだというような言い方にとられがちでありまして、非常に私心外に思っておるわけです。ですから、いろいろな倫理なり、ものの柱がありますから、それこそ総合的に御判断していただきたいと思うわけです。
 きょうはそうした問題でやり合ってするつもりはいささかもなかったんですが、若干話がそこにきて申しわけなかったんでありますけれども、先般三月五日ですか、当委員会における文部大臣の所信表明があった。この中で、三枚目の裏に、中心命題は「初等中等教育の改善充実について申し述べます」とあるわけでございますが、その終わりから三行目に、研修の問題について述べておるわけです。「こうした教育内容の改善を進め、その成果を高めるためにも、教職員の資質の向上と処遇の改善をはかることは、きわめて重要なことであります。このため教職員の研修の充実、海外派遣の拡充を行なうとともに、その処遇の改善についても今後さらに努力を重ねたいと考えております。」と、このようにきわめて明快に所信を表明なさっているわけであります。このことを読む限りにおいては、また聞く限りにおいては、私はごもっともだともちろん賛意を表し、大いに努力をしてもらいたいのでありますが、その努力の中身なり、過程なり、進め方の問題について若干これも、また先ほど同様にいろいろ危惧される問題がございます。そういうことで、いまさら大臣にこのことはどうだという必要はありません。そのことが具体的に行政の姿となって予算にあらわれてまいります。
 これも三月五日にこの委員会で説明なさった四十五年度予算の中に出てきております。これは四ページです。「教職員の現職教育につきましては、従来までの校長等の研修を拡充し、海外派遣による研修の機会も大幅に拡大するほか、新たに新規採用教員の研修に助成を行なうことといたしました。」こういうふうに説明をされ、かつまた、示された予算案の中にはそれが具体的にあらわれております。それは要求額事項別表、これ会計課長から説明があったのでありますが、これの一四ページに、「教職員の海外研修と現職教育の拡充」この中に、昨年に比較して、いずれもがあるいは四倍になったり、あるいはゼロから一千万になったり、八百万になったり、四千九百万になったりするように、かなりこれに対する文部省の努力あるいは意図するところがきわめて濃厚に出ております。この限りでは、私たちは反論の余地はありません。ただ、ここで現職教育あるいは教育の研究、教師の教育活動等についてこれだけの説明なり、これだけの予算計数ではわれわれにはわからない、そのわからない点をこれからいろいろお聞きしたいと、こういうわけなんですね。特に金額を一千万ふやせとか二千万ふやせなどというようなことは、私は何ら総合的な見解を持ちませんので、そういうものの申し述べ方をいたさない。
 そこで、先ほどの教育基本法に戻りますが、教育行政のあり方、何が悪い、何が悪いという連続の答弁でありましたが、問題は教育行政のあり方が、教育基本法の第十条に指摘されてあるわけです。これをひとつ押えていかないと、私の疑問もから回りいたしますから、一応押えていきます。「第十条(教育行政)教育は、不当な支配に服することなく、国民全体に対し直接に責任を負って行われるべきものである。」「教育行政は、この自覚のもとに、教育の目的を遂行するに必要な諸条件の整備確立を目標として行われなければならない。」とあるわけです。説明するまでもありませんです。だからいま申し上げた教育行政、特に研修と現職教育のことなど、大臣が所信表明の中に述べておるわけですし、予算の中でも具体化しているわけですが、第十条とのかかわり合いにおいてそのような懸念は断じてないということをもし確信を持って述べていただければ、私は次の質問を必要としないような気がするわけですが、お伺いしたいと思います。
#24
○国務大臣(坂田道太君) これもまた先生の御質問が私にはよく、何をお聞きになっているのか実はわからないです。ですから、この十条に関する限り、「教育は、不当な支配に服することなく、国民全体に対し直接に責任を負って行われる」ものである。これはこのとおりなので、たとえば一部の団体の非常な利個的な支配に服してはいけない、国民全体に対して直接責任を負って教育行政は行なわれなければならない、こういうことだと私は思うのです。
 それから研修についてのこれとどういう関連なのかが、実は私はもうちょっと解説していただかないと質問がよくわかりません。で、研修という意味は、私たちは、この世の中が発展し、変化をしていくということになりますと、かつて師範学校を出られたり、あるいは大学を出られまして、教壇に立っておられましても、なかなかそれだけの知識では教育ができないのじゃないか、もう少し広く深く知識を求め、日日研修をする。先生それ自体が一番研修というものをみずからやられるということ、あるいは国の行政機関を通じてやるということ、それを受けるというようなこと、そのことがあって初めて教育というものが成り立つのじゃなかろうかと私は思うのでございます。今日この社会の変化に対して、たとえば企業の社長や重役級の人たちですらも非常に勉強しておられる、それから各党の政治家の先生方だっていろいろな形において勉強されておる。学校の先生は特に勉強をし研究をしなくちゃならない、そういうふうに私ば思うわけでございまして、それとどういう関係にあるのかが、ちょっとわかりませんな。もう少し何か解説をして御質問をいただきたいと思います。
#25
○杉原一雄君 いま大臣の答弁のとおり情報化社会とか何とか言っておりますから、教師も幅広い厚みのある教養を持つことは当然であります。そこまでの答弁に関する限りは私は問題はありませんが、ただ耳ざわりになったことが一つありますのは、一部の団体の利己的ということばを盛んにさっきから使っておるが、大臣の意中にある具体的なものは何ですか。
#26
○国務大臣(坂田道太君) たとえば今度の大学紛争を見ておりましても、一部の政治的主張を持った学生が、いろいろのゲバを手段として、そして大学を拠点として社会革命を起こそうというような考えにある、こういうようなことは、それに対して大学当局はどうもき然としてその暴力を排除するというようなことができなかった。最近やっと各大学も努力されまして、そうして学問の自由、大学の自治というからには、そういう暴力は一切大学ではまかりならぬというような強い決意のもとに、そういう暴力的支配、あるいは一部学生の政治的主張というものを排除されて、勉強しよう学問をしようという大多数の学生を守り、そうして静かに研究をしようという大部分の教授を守るような立場になってこられたことは、私、非常にありがたいと思っておるわけでございますが、昨年度はどうもその一部の学生団体によって大学それ自体が、もう学問の自由、大学の自治を言えないような状況におちいっておる。こういうようなことに対して、ある一部の教官あたりは、何か学生のこういう気持ちはわかるとか、あるいは暴力を肯定するような言動もございましたけれども、こういうような考え方は間違っているのじゃなかろうかというふうに私は思うわけでございま
 して、やはり教育は国民全体に対して責任を負っ
 て行なわれなければならないということが言える
 のじゃなかろうかというふうに思います。
#27
○杉原一雄君 ちょっと間に間の抜けたことを申しますが、文部省の予算が四十五年度文部広報二月二十三日号によりますと八千九百七十二億六千六百万円、伸び率が一三・七だと。これは大臣、不本意なんですか、大蔵大臣とけんかしましたか、どうですか。
#28
○国務大臣(坂田道太君) 最終的には大蔵大臣と完全に一致をいたしましてきめました。
#29
○杉原一雄君 全体の伸び率は一七・九だと承知しております。とすれば、文教重視ということが数字面ではぼくは言えない。そうでしょう。
 そこでこれは宮地さんに聞いてもいいと思うのですが、この研修費のやつですね。事項2の(4)の研修のところが総体的に前年度に比較して何%の伸びですか。
#30
○委員長(楠正俊君) ちょっと速記をとめて。
  〔速記中止〕
#31
○委員長(楠正俊君) 速記を始めて。
#32
○杉原一雄君 研修のほうは去年同じく款項目があるわけですから、それの伸び率が一三・何%か、 二〇%か。
#33
○政府委員(宮地茂君) 前年度が三千二百万円でございますが、四十五年度が三億三千万円で、二億九千八百万円の増ということになります。ちょっと比率は、割り算しないと出てきませんが、ちょっと時間がかかりますので、数字だけお答えさせていただきます。
#34
○杉原一雄君 すぐわかるわけですがね。ただ概してたいへんな伸びだと思う。言いかえるならば所信表明にあったとおり、教育の研究、現職教育等においては文部省は非常な馬力をかけて努力しておるということが計数面では出ておる。そこで私はやはりその馬力のかけ方と今後の運営の問題に若干の危惧を感ずるから、後ほど見解も述べ質問もしたいと思いますが、ただそれに入る前に、昭和四十四年度の「国と地方の文教予算」という、こういう冊子をいただきました。これによりますと、それぞれ現職教育の必要等も力説されているわけですが、特に力説されておる点で気がかりになる点は、七四ページの、「特に中学校の学習指導要領が改訂されるので、その趣旨を四十四年度から三年計画で全教員に徹底するため、中央一講習会、地方講習会を開催する経費として二千二百二十四万二千円を計上した。」と、こうあるわけであります。このことばの限りにおいては、すんなりと受けとめれば何でもないようでありますが、そこで教育は国民のものだ、国民のものだという一つの論点を先ほどの答弁等から私そうしぼってもいいと思いますが、そういうしぼり方をしていくと、講習なり現職教育というものが、何か上のこれを下へおろしていく、戦時中よく言いました上意下達ということ、いやになるほど私ら聞かされて、いやになるほどそういう講習を受けている。戦後もまた認定講習という形で焼き直しだということで、居眠りしながら講習を受けた人もおるはずであります。そうしないと教員としての命が続かないわけでありますから、そういうことをさせられてきた。被害者ということばは当たらないかもしれませんが、私としてはやや被害者の感がするんです。先ほど大臣の所信を、そこへぼく問題点をしぼったのはそこにあるわけで、そういう形で現職教育なり教員の研修を規制していくような意図があるのかないのか、それをはっきり聞いておきたい。
#35
○国務大臣(坂田道太君) これまた新たに改訂をいたしました指導要領、やはり指導要領に基づいて教育行政が行なわれるわけですから、そういうことをやはり知っておかなければいかぬわけなんで、その講習会をするのはいいんじゃないでしょうか。そしてそれに対して相当の予算を計上してやるということは非常に親切なやり方だし、そういうものがはっきりわからないでかってに何かやるのがおかしいので、どうも私にはよくわからないですけれども。
#36
○杉原一雄君 大臣がちょっともたもたしておられるから、初中局長補足してもらいたい。
#37
○政府委員(宮地茂君) 私ども一口に研修と申しましても、実態といたしましては、先生がおっしゃいますような上意下達ということばは古いんですが、そういうことばを使ってはいろいろ誤解を生じますので、使いませんが、まあニュアンスとしては講習会をやるという講習会形式のものと、それからいわゆる相互に研究をしあうといったような研修、まあ研修にはいろいろな種類があろうと思います。先生はこの「国と地方の文教予算」の七四ページの、二千二百二十四万二千円を計上したというのを例示されましたが、これは私ども講習会と思っております。書いてあるとおりでございます。これは御承知のように、学習指導要領が改訂になりますと、変わりましたのはこういうことでこのように学習指導要領は変えましたということを勢い学習指導要領をつくりました文部省として説明する必要がございます。したがいまして、これは言うならば講習会と呼ぶほうが適当であろうと思います。それを上意下達であるというふうに受け取られれば、これは受け取る方の御随意でございますけれども、そういったものは例年やるわけではございません。まあ十年ばかり前に学習指導要領の改訂をいたしましたときもいたしましたが、やはりこういう趣旨で変えましたという説明は十分してあげる必要がある。しかしながらこれも文部省に全員を集めてやることができませんので、一部代表的な人に集まっていただいて趣旨の説明をし、それらの方が帰られて都道府県でまた趣旨の説明をするという形をとっております。そのほかにその他のいろんな研修を文部省でも主催し、教育委員会でも行なっておりますが、これはたとえばその教科科目等それぞれテーマを持ちまして、そのテーマについて、これは講習ということじゃなくて、相互に教師の方々が平常授業をしておられることをもとにしてお互いに研究協議なさるという研修会もございます。まあそういうことで、先ほど申しました来年度三億三千万円になりますものには、海外に派遣するものが二億五千万ございますので、非常な伸びになっておりますが、海外に行きまして海外の事情を十分見る、それから国際的な視野に立って先生方が教育をしていただくための参考にしてもらう、こういった海外派遣も私どもは研修の一環であるというふうに考えております。そのようにいろいろございます。
#38
○杉原一雄君 大体おっしゃる気持ちは非常にわかるわけですが、これから私の私たるひねくれた根性を露骨に出してまいりますからお許しをいただきたいと思います。ただ、よって立つ私の根本的な考え方をまず明らかにしておきましょう。
 教師の教育活動なり研究活動というものが本来自主的でなければならぬというのがぼくの大前提なんです。教育行政はそれを財政的に援助する、そういうたてまえをとるのが正しい、私はこう思うんです。それで、局長なり大臣が、いやそんなことはない、おまえたちはかいしょうないからこれだけめんどう見るということなら、話はまた違ってくる。しかも、先ほど繰り返し巻き返し、総理大臣の所信表明に戻るわけですけれども、しかし、やはり教育は憲法の理想の実現、それが教育の力によるところが非常に大きいという教育を大事にする意味において私は大臣に負けないつもりでございます。だがしかし、教育の役割りが重要である。それだけ重要であるだけに教師の責任は非常に重い、私はその観点に実は立つわけです。であるならば、教師がその責任を全うするためには、教師自身平和と社会進歩に貢献する、基本的人権と自由に対する深い理解とそれをつくり出す実践がなければならないものだと私は考えるわけです。しかし、おそれられるのは、教師自身が教育活動における自主性を押えられる、また、いま問題になっておる教育研究の主体性が制限されるならば、それは私は好ましからざる方向に日本の教育が動いていくのではないか、あくまで教師の自主的な活動、研究、研修の自由を保障するという大前提があっての現職教育、あっての海外派遣、こういうことでその点について心配なさるなというお気持ちを意思表示があればきわめて辛いであります。
#39
○国務大臣(坂田道太君) いま先生お述べになりましたその自主的な精神にのっとって研修をやる、それが基本だと、これは私はそのとおりだと思っております。それが、たとえば文部省主催であれ、あるいはその他の団体が主催するにしてもその精神でなければ研修というのは成り立たないと私は思います、本質的に。私はそう思うんです。だから、それはその受ける人たちの心がまえの問題なんで、しかしそれを政府がやるからけしからぬということは、ちょっとそこはまたおかしいんじゃないかというふうに私は思うんです。政府がやるということはその自主性をそこなうんだとする、きわめてその論理というのは私はどうなのか、それは極端な場合そういうこともあり得ましょう。だからそういうことはやってならないというようなことは私はあり得るかもしれない。しかし、どだい政府がやる研修というものは悪いんだ、やらぬでもいいんだ、われわれが組んだ研修だけが研修なんだ、そういうようなこまかい考え方では、世界の中の日本人として育てるというその考え方にはつながっていかないのではないかというふうに思う。しかし、先生のおっしゃいました基本的にはやはり自主的精神を持った教師がみずからほんとうに研修をして日々自分をみがき、自分の足りない知識を吸収し、そうして児童に対しなければいかぬのだ、こういう気持ちは私は非常に大事なことだし、その要素を失ったならもう教師は教師ではないのではないか。その教師が教壇に立つ以上は、日々が研修だということが一番教育者としてふさわしい人だというふうに念じておりますし、大多数の人はそうだと私は思います。しかしながら、このような世の中の変化、このような世の中の発展ということに対応していろいろな研修を受けられて勉強されることが非常にいい。そうでなければ今後の子供たちを育てることができないのだ、こういうふうに私は思います。その意味合いにおいて、今度五百名の中堅の小・中・高の先生が海外に一人当たり大体五十万円で見聞をし研修をし、そうしてまた帰られてから子供に対せられる場合は、非常に目が開けてくるのではなかろうか、あるいは外国に行って日本というものを初めて見直すということもできるのではなかろうか、これはわれわれ自身もそう思います。われわれ自身が日本だけにおって日本を見るのと、われわれ自身が海外に行って日本を振り返るのでは、日本というものがまた違った見方になる、これは先生方も御経験になっていることだと思います。同様のことを小・中・高の中堅の先生方に味わわせる、研修をお願いするということで非常に私は今度の予算、先ほどお話しになりましたように全体のパーセンテージは、その一般の予算に比較して劣っておりますけれども、しかし文部予算のこの内容につきましては、相当私はきめこまかに配慮をいたしたつもりでございます。たとえば私学助成にいたしましても、あるいは理科教育の中の数学の設備に対する八億円の予算というようなもの、あるいは身体障害者関係の総合特殊教育センターの建築費を今度認めていただいたというようなことで、かなりきめこまかに配慮をいたしたつもりでございます。でございますから、私はむしろ今度の予算は量より質だというふうにひとつお考えをいただきたいものだと思っておるわけでございます。
#40
○杉原一雄君 そうした表現の限りにおいては、私は否定する何ものもございません。ただ、ここにちょうど宮地さんもおいでになりますが、あなたは去年八月五日に豊島公会堂で、第十一回教育評価大会において講演をされましたね。そのときにこういうことを言っておられるわけですね。私もまあ聞いたわけじゃございませんが、日本教育新聞のスクラップから取ったのですが、「日教組の進めている教育課程の自主編成は違法行為であるとともに、教育権は親にあるもの、親や国にかたがわりしてカリキュラムをつくるなどは、思いあがりもはなはだしい。」という一説がある。この主張はきょうはいまもなお変わらないわけですか。
#41
○政府委員(宮地茂君) 先生があげられましたそのカリキュラムの自主編成ということでございますが、日教組ということばをお使いになりましたので申し上げますが、教員組合の方々が教育というものを行なう権利ですか、そういうものが教師集団にある。教師集団が、あるいは教師がカリキュラムを自主編成をするのである。そのためには、国がいま法律の規定に基づいて学習指導要領をつくり行なっておる、それに対して抵抗していくのだということは間違った考えであるというふうに思っております。その教育新聞に載った云々ということにつきまして私は、さだかに覚えておりませんが、豊島公会堂でしたか、そこで教育関係のあれば研究会でございましたかがございましたときに、そういった趣旨のことを確かに申しました。
#42
○杉原一雄君 そうすると、まあ去年からまだ一年たっておりませんが、局長としてはいささかも変わっていない、おれの言ったことは間違っていない、こういうふうに受けとめていいわけですね。同時にまた、これはだいぶん古いんですがね、当時の初中局長は福田さんですが、自民党の安全保障関係の委員会があるそうですが、そこでやはり、ことに日教組の問題について論じておられるわけですね。その中身はこうなんです。それぞれの学校の職場において教師が自分たちで教育課程を自主編成して好きかってなことをやっている、そういう運動を展開しています、それは少しも変わりませんと、こういう表現で、けしからぬ……。あなたもおっしゃるし、福田さんもけしからぬとおっしゃっているわけですね。これは変わりませんでしょう、一致してますからね。そこで、第十条をわざわざ出したのはそういうことなんです。それと関係ありませんか、この十条とぴったり一致しますか、あなたの主張は。文部大臣の方針が、福田さんの考え方は変わりませんか、間違いないですか、論理的に。
#43
○政府委員(宮地茂君) 私の考えと申しますか、先ほど申しました、教育課程を教師が自主編成するということは私は間違っておると思います。それは、教育基本法十条にその私の考えは間違っておるかというお話ですが、間違っていないと思います。同時に、学校教育法には明快にそのことが文部大臣の権限として規定されております。
#44
○杉原一雄君 私も長い教師歴と運動歴を持っておりますから、そのつどそのつど文部省がどういう形で学習指導要領をつくっていかれたかということをよく知ってるわけです。最初のときは、これは指導、助言だと。その次は基準だと。今度、四十四年のこれによると、これを徹底するんだという形になって、あくまでも文部省がこうしたものの編成なり伝達なり、一切の権限を持ってるというふうに先ほどの答弁から理解できるのですが、それは曲解でしょうか。
#45
○政府委員(宮地茂君) 学校教育法の規定によりまして、教育課程の基準としての学習指導要領を文部大臣が定めるんだということがはっきり法律に明定されてあります。ただ、監督庁として文部大臣という読みかえがしてありますが、その法律があります限り、文部大臣が教育課程の基準として学習指導要領を定めるということは法の命ずるところでございますし、文部大臣がこれを告示として一般に明定していくということは忠実な法の施行であろうというふうに考えております。
#46
○杉原一雄君 私は、学習指導要領のごときものはやはり教師に対する一つの助言と、位置づけをそういう形にしていくほうが、第十条に忠実なる方法だと思います。同時にまた、地方教育行政法二十三条の五号に、教育課程の事務、それは教育委員会の権限である。文部省が第一に参考基準を出し、教育委員会は第二の参考基準を示していくということで、落ちつくところは現場教師がこれをつくっていくというのが最も好ましい教育の前進的な姿だとぼくは理解しますが、こう申しますとすぐに学教法なりそういう法律を出して、そう言うけれども法律はこうだとおっしゃるだろうと思いますが、考え方としてどうでしょうか、間違ってますかね。
#47
○政府委員(宮地茂君) 学校教育法の規定の二十条で、小学校の教科に関する事項は監督庁がこれを定めるということになっておりまして、それも受けまして小学校の教育課程については教育課程の基準として文部大臣が別に公示する小学校学習指導要領によるものとするということが書かれておりますので、私は先ほど来申しております。ただ先生のおっしゃいますような、そうじゃなくて参考案としたらどうだという政策といいましょうか、そういう点についてはいろいろな考えがあろうかと思いますけれども、私どもとしましては学校教育法の規定、これは先生があげられました教育基本法十条の趣旨にも反しておりませんし、少なくとも、実定法上の解釈としては文部大臣が学習指導要領をいまのような形で定めていくのが法律の命ずるところである。ただそれがよいか悪いか、政策としていろいろ論議され、将来の問題としてそれを改定するかということは、これは別の問題であろうかと思います。
#48
○杉原一雄君 私はそういうときに、法律のところへずっと下がっていくわけですから、私はどうしても憲法二十六条の精神に戻ろうとする。これではいうまでもなく教育を受ける権利がすべての子供にあるわけだ、それをまたさせる親の義務もうたわれておるわけだし、国家としては機会均等と無償の原則を義務づけられておるわけですね。そういう大精神等から考えて、いまの法体制を私は十分知らずに、めくらめっぽうやっているんですよ。しかし、めくらめっぽうやっているのだけれども、私は間違っているような気がしない、それは私がかつてそうした道を歩いてきたから。だんだんとしぼられ、しぼられていきますと、最後はそうした方向で指導要領が示され、それによって振り回され、それに従わざる者は、ということになってくると思うのです。その辺を非常に危惧しますので、いまここで、いやそれは法律を改正して云々ということはいただけないだろうし、ただ、運営なさる場合、私のような危惧を持つ国民が少なくないのじゃないかと私は思うのですがね。その点を一応配慮して今後の教育行政の運営に当たっていただきたいと思いますし、問題は先ほど言ったように、教育の研究の自由、あるいは現職教育のあり方に焦点を置きながら、ぐるぐる回っているわけですが、そういう観点からいま三億三千になった、二億九千八百万円のプラスにしたという努力を多とするわけですが、ただ、この際わが党が山中試案を発表したように、初めて教師になった初任教師に、全員外国に行かせるというのとは違うのですね。おたくの場合、選ぶわけでしょう、選択するわけですね、それが一つあります。その選択はどういう形をとるかということを私は心配するし、同時にまた選択された者あるいは選択した者が自分の財産として教育にあらわせばいいという大臣のお考えでは、せかっくのお金をかげながらたるいと思いますがね。おのずからそういうところへ行って来た者には、勲章を与えなくても、現場では勲章以上の光を持っている。それに報告の義務なり、周辺に及ぼす影響力にどうした期待をしておられるか、その点もひとつ伺っておきたいと思います。
#49
○国務大臣(坂田道太君) 私は指導要領というものはやはりわれわれのきめまして、そしてその一つのワク内で相当自主的に教育がなされ得るというふうに私は思うのです。この点をそうあまり御心配になる必要はないのじゃないかというふうに思うわけでございますけれども、しかし、危惧される人もあるわけでございます。それから教育の自由、教育の自由とおっしゃいますけれども、学問の自由はありますけれども、少なくとも小・中の義務教育に関する限りは一定のやはり指導要領等の基準がなければいけない。なければいけないと私は思います。その意味において、教育の自由はないといえばないと私は思います。私はしかし、その指導要領というものが一応は示されますけれども、これはこまかい具体的なことまでを指示してはおそらくおらないと思います。その中においてどうやって教師が自主的に教育をやるかというところに教師自身の創意、くふうがあり、そこに私は教育のうまみ、味というものが出てくるんじゃなかろうかというふうに思います。
 それから海外研修につきまして、山中試案、お尋ねがございましたのでお答えをいたしました。私は、新たに入ってきたばかりの人を海外に出すのと、五年なり十年なり教育現場において日本の教育行政がどういうふうに行なわれ、子供たちがどういうような考え方でおる、そうして教師として批判やいろんな悩みやというものを身につけた人たちが、さらに海外に行ってみるということのほうがはるかにはるかに私はいいと思っておるわけです。山中君の説によりますと、なかなか先生になる人がこのごろいないから、こういうようなことをして先生を集めるんだと。私は、教育者というものは、そういう手段に考えるべきじゃないと私は思っております。ほんとうに使命感に燃えて五年なり十年なり教育それ自体に、献身をして、そういうすぐれた教師たち、その方々を選び出して、そうしてこういう方を海外に派遣するという、そういう研修を積むということはずっとベターだと私は確信をいたしております。その意味において、山中試案と私たちのほうとの比較でございますけれども、私たちのほうが実際に即し、またほんとうに教育効果があがる。何にもまだ自分の使命感や何もできない、まだ定まらない、場合によってはやめるかもしれない、そういうような先生をただ連れて行く、ただ人数だけをふやす、そういうことばあまり好ましくないというふうに私は思います。
#50
○杉原一雄君 まだ答弁残ってます。選択のほう。
#51
○政府委員(宮地茂君) 従来は海外派遣の場合は四十人程度でございましたので、一県に割りあてましてせいぜい一人ということでございました。したがいまして、勢い校長とかせいぜい教頭、それに県の教育委員会の指導部関係の人々とか、こういう方でございました。したがいまして、各県から一名の推薦をしていただいておりました。ところが昭和四十二年からでございましたか、わずかな、四十名前後だけれども、これは校長とか教頭であれば校長会、教頭会、こういったような日ごろからの団体でいろいろ研究もしておるし、そういうところの推薦にしてほしいというような要望も片やございましたし、また私どもといたしましても、団体に助成するということも意味があるであろうということでそちらのほうに変えてまいりました。ところが、今後は、先ほど大臣が説明されました五百名というふうになりますれば、ただ従来から校長、教頭だけでよいとは決して思っておりませんでしたので、中堅教員にも幅を広げていきたいというふうに思っております。で、その人選でございますが、一応県からの推薦も得たいと思っておりますが、県から推薦がありましたものをその序列どおりにきめていくということではなくって、文部省としても、この人々に対して文部省としても自信の持てる人に行っていただきたい。そういうようなことから、一方におきまして内地研修とも称すべき研修をやりたいと思っております。したがいまして、これは単なる講習会ではございませんで、相当テーマ等もその受講者の中から一部分選択さしたり、まあ講習会でなく、むしろ研究協議会のようなものにしていきたいと思っておりますが、そういう研修会でいろいろ参加していただいた中から原則として選考していくというような方法をとったらどうであろうか。まだはっきり確定いたしておりませんが、県だけの推薦とか、あるいは文部省だけの考えということじゃなくて、できる限り大ぜいの人々の御意見を総合して、文部省として責任をもって派遣をするという形にもっていけるような人選をしたいと思っております。
#52
○杉原一雄君 いまの考え方が現職教育なり校長の研修会あるいは中堅教員の研修会、そうしたものについても、これは全員やるわけじゃないですから、やはりそうしたかなり文部省の意図で選ぶという作業が行なわれると思うのです。いまのによりますと、県の推薦はわかるが、文部省も自信のもてる人をやりたい、こういうことですから、財政運営上から見れば非常にりっぱなことなんだけれども、その自信のもてる人を選ぶ過程がぼくは明らかにならない。でありますから、いまここで白黒をつけるわけでもないし、必要もないが、問題は去年の場合、ことし新しく行なわれるものは別としても、通達その他のものが出ていると思いますが、私、実は知らないわけであります。委員長の了解を得て後ほど昨年出された通達等をお見せいただければ、いまの答弁を聞いて実に痛感するわけですから、その点いかがでしょう。
#53
○政府委員(宮地茂君) 昨年、私のほうから海外派遣をします場合にたしか私の名前で候補者の推薦を依頼したものがございます。したがってその御要望だと思いますので、それでございますれば後ほどお手元にお届けいたします。
#54
○杉原一雄君 わかりました。
 そこで、ぼくは先ほどから回りくねっていろいろお尋ねしているわけですが、大臣の答弁にしろ、局長の答弁を聞く限りにおいては、何か私の言っておることは全くの危惧のように感ぜられるわけです。ただ、それとは若干のズレがあるかもしれませんが、具体的な現場、県教委等の受けとめ方、そのズレを一々指摘いたしますから、それに対して御承知の分については御答弁をいただきたいと思います。
 第一点は、茨城県のできごとであります。一九六八年度のことでございますが、講習を受けた度数、たとえば校長は平均六十回、一般教員は十三回、この結果に対して行なわれた教育委員会の判断は、校長の六十回はよかろう、教員の十三回はけしからぬということが公にされたように伺っておりますが、御承知でしょうか。
#55
○政府委員(宮地茂君) 承知いたしておりません。
#56
○杉原一雄君 これは私の入手が間違いかどうか知りませんが、一応局長のほうでお調べいただく。同時に私は、六十はいい、十三はけしからぬという論理、判断の基準、そこに問題がある。同時にまた、そうなると次々に憂慮すべき事態を想定できるわけですが、これは私は申しません、現実は現実ですから。
 二番目に、各県では校長なり教頭の試験を行なっております。その試験の願書と申しますか、何か受験願いといいますか、そういうものを出す場合に官側の言うことは、耳ざわりでしょうけれども、指導の研修を何べん受けたかということを記入させているという事実があるか、いかがでございましょうか。
#57
○政府委員(宮地茂君) ちょっとまことに失礼でございますが突然の御質問でございますので、先生がいま具体的にあげておられるものを私承知いたしておりませんが、ただ一般論といたしまして、その校長、教頭試験を受ける候補者の記録として、研修を受けたとか受けてないとかいうものを出すだけであれば、その調査書に書いても、何ら書いて出せといっても支障はないと思いますが。
#58
○杉原一雄君 それは上におる人の判断ですね。受ける側の立場というものをもう一度考え直してほしいのです。私はやっぱりエリートコースを歩いたことのない男でございますから、裏のそういう立場を通ってまいったものですから、常にそういう問題について非常にきびしい警戒心を持つわけであります。でありますから書くことは何でもないじゃないかという受けとめ方じゃ困るわけですが、そこに現職教育、文部省の講習会の持っている意図が出てくる。ぼくは勤評には強く反対した一人です。そういうようなことが、やはりこういうところへのこのこ顔を出していく、そういう意味で私はこれはけしからぬことだなと実は思う。十五回、十七回、二十回、書いたことによって、教頭、校長の任用の道が閉ざされるか開かれるかの分岐点になるようなことになると、これはたいへんなことだと思う。しかもあなた方の言う研修、ここにあがってきているものはほかの研究団体、民間研究団体たくさんあります。そういうところで自発的、自主的に非常なたくましい意欲と生きがいを感じてやっている講習事項、これらについていささかも配慮されていないわけです。そういうふうに私はこのレポートから受けとめられるわけですから、この点は今後の人事行政の面で、特に人事行政の面でたいへんな問題を残しておるのではないか、これは局長に直ちに明快な答弁いただくのは無理かもしれませんが、静かに省内で御検討いただきたい。同時にそのことが、いま進められようとする、ばく大な経費を突っ込んで行なわれようとしている研修その他のあり方の問題にも、もう一度ほかに出して研修させたらいいじゃないか、喜んで講習受けなさいという恩恵的なものじゃないので、そういう点で私の言ったことは全く危惧であるかもしれませんが、危惧であれば幸いです。私はそうは感じない現場におった一人ですからよくわかります。
 もう一つは、島根県に起こったできごとであります。これは研究の自由とか、講習を受けるとか受けないとか、そういう問題ではない。昨年の十一月十二日、たしか佐藤さんがアメリカに渡った前日かもわかりませんが、それは偶然の一致でしょう。島根県のある中学校において研究授業が行なわれたわけであります。ところが研究授業を行なうプランをある教師が立てて、授業の計画を立てて校長に提出いたしました。ところが校長から職務命令が出ました。「正義が支配する理想の社会をつくることはこれまでも人間が絶えず願ってきたことであるが、人はとかく自己のいだく思想や所属する団体の立場からのみ何が正義であるかを判断しがちであり、そのような判断からは専制や暴力や過激な感情も正当化されやすい。
 あなたの十一月十二日道徳指導案の主題設定の理由は」主題というのは正しい自己主張という意味であります。「前記の誤りをおかしているとの疑いが濃いので十一月七日そのようなことのないよう指示しましたが、うけ入れられませんのでここに改めて誤解をまねかないよう書き改めることを命じます。昭和四十四年十一月十一日」何々殿、何々学校長何々、こういうような写しを私のほうに持っているわけです。これは具体的におわかりにならなければ判断できないかもしれませんが、あなた方が先ほど盛んに使われる常識では、普通一般的な考え方では、こういうことが起こっていいのかどうか。そういうやり方で職務命令を出されるのが妥当なのかどうか、一般論としてひとつお答えください。
#59
○政府委員(宮地茂君) これも私、先生があげられた例をあいにく承知いたしておりませんので、いま先生がおっしゃいました一般論としてということでございますので、一般的な問題としてお答えいたしたいと思いますが、職務命令を出すほどのものかどうかという点につきましては、もう少し詳細を知らないとお答えできませんので、これは一応職務命令の是非ははずしまして、校長が言ったという、まあとかく正しい主張という、研究授業の場合に、自分だけの立場とか、あるいは自分の所属する団体の立場というものとか、とかく人間としてはそういうものにおちいりやすいというのは、私は一般論としては親切な言い方だろうと思います。先ほど来先生がいろいろ私どもにおっしゃっていただいておりますことも、文部省の立場としては正しいと思って言っているのかもしれないが、世の中にはいろいろこういう例があり、文部省のものが思わざる考えを、とんでもない意図しない考えを他の人は持つものだというような例で前からおあげになっておられますが、そういったようなこともやはり謙虚に反省する必要があるように私もすわってお聞きしておりました。そういう意味から申しますと、校長が部下の教員に、とかく人間というものは自分だけの立場とか、所属する団体の立場というものに立って正しいかどうかを判断しがちになるというのは、私はこれはすなおに聞いてよい問題ではなかろうかというふうに感じました。
#60
○杉原一雄君 とにかく深くえぐることがこの際適当でないと思いますからこの程度にとどめるわけですが、やはりある教師が自主的に計画をしてプランを示した。それをおまえはそれは間違っているということで校長が職務命令を出したわけですから、こうした事例は全国数多くあるかどうか承知しません。しませんけれども、こうしたことが私の先ほど言う教育の自由とか研修の自由とかいう問題と非常なかかわり合いを持ってくるわけです。ぼくも左翼事件で豚箱に放り込まれたわけですけれども、その時点の価値判断、価値評価は治安維持法によって処分しているわけです。その時点ではそうなんです。しかし私がその当時主張したことを、いまそのままここで主張したとしても、うしろに警察はついてこないでしょう。でありますから、歴史はもちろん現実を踏まえながらいかなければなりませんが、万博が示すように、新しい未来像を描いて教育をやるわけです。しかもまた新しい未来をつくるのはわれわれじゃないのです。子供なんです。いわんや繰り返し大臣も先回の所信表明のときにおっしゃったように、情報化社会だなんだかんだでわれわれの想像を越え、知能を越え、経験を越えた社会がいまあらわれようとしているこの時点でございます。でありますから、おまえのやる授業はこれは間違いだ、こういうふうなきめつけ方で校長が職務命令を出すということが妥当かどうか、私は具体的に内容は持っておりますけれども、校長との関係、職場の関係は知りませんのではっきり申し上げかねますけれども、こういう事例もあるんだということをあなた方もやはり踏まえていただかないと、何でも虎の門から号令を出せば、どこでも徹底するのだというような考え方だけでは、大臣の言う精神にぼくはそぐわないというふうに実は思うわけであります。
 その次に、同じ教育研究の問題でありますが、御承知のように、二月の七、八、九、十ですか、岐阜市において教育研究集会があったわけであります。重ねること十九回、私も第二回教研、第三回教研、第四回教研、それぞれの教研にはいろいろの立場で参画をしてまいりました。そこで文部省のほうに岐阜県教委から、これに対する、開催までの処置、開催中の経過報告、開催後の評価、こうしたものが教委から求められていると思います。想像します。その点について詳しくお願いするわけにいかぬと思いますが、概括お願いします。
#61
○政府委員(宮地茂君) これは正式文書では参っておりませんが、昨年秋ごろでございましたか、一日教組のほうで、岐阜市で教研集会をやりたいという話が出ておりますということは聞きました。それから会場の問題で、多少日教組の方々と県とのほうで話し合いがございますというようなことも聞きました。それから二月――いま先生のあげられました日にちの直前に岐阜市で行なうことに決定いたしまして、日曜日には一部の高等学校の施設を貸すようになりますが、あとは市の公会堂でございましたか、市民センターでございましたか、何かそういうところで行なわれるようになったということを散発的に聞きましたが、文部省は、従来からこの種の問題につきましては文部省の問題でございませんので、地元の教育委員会が自主的に処理してきたというのが従来の経緯でございます。
#62
○杉原一雄君 その程度のことしか掌握しておらないわけですか。
#63
○政府委員(宮地茂君) はい。
#64
○杉原一雄君 教研の前、中、終わってから、読売や毎日や朝日のような、まあ天下に誇る新聞がかなり大きくこの問題をとらえているわけですからね、教育行政の元締めがその程度の掌握でいいのですかね、どうですかね、おそらくもっとしっかりしたものをつかんでいるはずですよ。もし岐阜教委が、県教委がとった措置が間違いであるならば間違いと言っていただきたいし、妥当なら妥当と言っていただきたいし、いや、そんな心配する必要はないのだと、いろいろあるでしょうね、その判断をお聞きしたいと思います。
#65
○政府委員(宮地茂君) 県の自主的判断によって行なうということを私どもたてまえとしております。岐阜県がとられた処置につきましては、私ども妥当だと思っております。
#66
○杉原一雄君 その間、助言なり指導といったようなものはいささかもしていない、はっきり言えるわけですね。その点をお聞きします。
#67
○政府委員(宮地茂君) 助言、指導を県は求めてまいりませんでした。
#68
○杉原一雄君 それではね、ちょっと、大会にはぼくは行っておったのですよ、第一日目と第二日目と。いわゆる全体集会と私が期待する分科会にも参加して、二日間私も参加してきたのですが、会場の雰囲気も経過も大体了解いたしますが、ただ、私が主観的な判断でものを言ってはいけませんから、大会当日、岐阜教組連合会の委員長である岡本君があいさつをいたしました。それはよく新聞にも伝えられているわけですが、あいさつの中でこういうのがあります。昨年の夏、日教組より全国教研の要請があったときに、私たちは組織の力量からいって、はたしてできるだろうかという不安がありました。それから約二カ月の組織内の十分の討議の結果、必ずやり抜こうという心をきめました。ちょうどそのころ、十月七日に治安上心配があるからという知事発言がありました。それを打ち破るために大量の動員などを背景にして、連日連夜の交渉が続けられ、遂に一月十二日の早朝、前言を訂正する知事の約束を取りつけることができたのです。苦しいときは道の開けるときであるということばを、いまこそ私たちは本心から皆さんに訴えることができます。このところで、一万二千の人たちがひとしく目頭を熱くしたのであります。まあ大臣も一個の人間としてこの場にお立ちになれば、私たちが受けた感銘と同じものを受けられるのじゃないか、人間性豊かな大臣のことですから。私はそう思うのでありますが、岡本君をして、かく言わせたものは何か、確かに昨年からことしにかけて苦難な道、しかもそれは教育を研究するということなんです。文部省の受けとめ方は私どもと違うでしょう。あるいは抵抗だとか、反対だとか、戦いだとかという面だけを強調されて受けとめられるでしょうけれども、私は岡本君のこの短かい表現の中に、無言の教師の怒りがひそんでいるように思います。いま私が申し述べた範囲の中でどのようにお感じですか、お聞きしたいと思います。
#69
○国務大臣(坂田道太君) これも非常に御質問に対してお答えが、むずかしいかと思いますけれども、やはり日教組の研究集会というものが、今日のこの社会の変化に対応していないのじゃないか。その点は率直に日教組の主催されます研究集会、それ自体をすなおに考え直してみられる必要があるんではないだろうかという気がするわけです。一時は非常に研究集会、研究集会で、各県こぞって来てくださいというような気持ちもあったと思います。率直に申し上げまして、それは事実だと思いますが、今日では必ずしもそうではないのじゃないか、何かほんとうに国民のための教育ということだけでなくって、ちょっと一つの特定団体の利益を守るための立場からこの研究集会が行なわれているんではなかろうかという心配が国民にもぼつぼつ出てきているんではないだろうか、こういうことには謙虚にやはり先生方もお考えいただくほうがいいんじゃないかというのが私の実は感想なんでございまして、たとえば政治上の問題、これはお互い国会議員としておのおのの主張があることであり、どっちが正しいかどうかということは、これは結局、この議会政治の中においては、多数という形においてきめていかざるを得ない。そういうおとなの政治家ですらもきめがたい問題を小、中の子供たちに右だ、左だ、こうだ、ああだというようなことは、これは私は非常に慎重に謙虚に取り扱うべき問題だというように私は思うわけでございまして、その意味において教育基本法の第八条に教育の中立性というものがうたわれていると思うわけでございまして、自分がどういうような政党を支持しようとも、あるいはどういうような信仰を持とうとも、あるいはどういうイデオロギーを持とうとも、教壇に立つ以上は、やはりそれをあまりにもこれがすべてである、これが絶対であるというふうないわゆる政治教育というものはなしてはならない。私はそう思う。そういうことが、私は、教育者として非常に大事なんで、その先生方のお集まりでありまする研修会、いかにそれが自主的研修会でございましょうとも、その点は十分お考えになってやっていただきたいというふうに、文部大臣としては考えるわけでございます。その意味合いにおいて、岐阜県の場合においてはたしかかなり日教組の脱退は多いと思います。ということは、日教組の行き方に対して先生方それ自体が非常に反対ということがあらわれておる県だと思います。ということは、その県全体がやはりそういうような気持ちであるというところで、よその県ではスムーズにいっておるのに岐阜県においてはいろいろトラブルが出たということでございます。やはり教育というものが国民全部に対して責任を持って行なわれなくちゃならぬ、あるいは地域住民の意思を反映して教育行政が行なわれなければならない、国民全体に対して。一部の特定の団体のみに奉仕するようなそういうようなイデオロギッシュなことはやはり慎むべきであるということを私は物語るんじゃないかと思うわけでございまして、その辺が岐阜県の場合にはやはりちょっと受け入れがたいような空気があって、だからよそではあまりトラブルが起こらなかったことがトラブルが起きたんじゃなかろうかというような気がいたすのでございます。何か間違っていればなんでございますけれども、一応私の感想はそういうことでございます。
#70
○杉原一雄君 ただ私が申した範囲の中で御判断をしていただくということは非常に無理なことだけれども、大臣はやはり先入観というのをしっかり持っておいでになりますね。それで私に対する答えをしているわけです。そのことについて私は若干おそろしいと思うわけです。先入観があるわけです、あなたの発言の中には。一部団体とかなんとかそういうことで、私は政治のセの字も言ってないのにセの字まで出てきてしまった。あなたはそんな先入観を持っておられる。政党の大臣ですからしかたがないと思いますけれども、あなたの教育行政を拝見すると……。それを間違うとたいへんなことになる。そのことを初めから底意に持っているわけですよ。だから、日教組は一〇〇%何でもいいことをやっているとは思っていませんよ。私はそんなことはよくわかっております。だけれども、大臣、そのことも、そうした何か拒否反応みたいのものがちゃんとあってばっと反応してくるわけですね。そのことを私はあなたが言われた教育の中立性の問題から考えても、やはり危険なことが次の段階で想定される。私はここに文部省の教研の客観的な評価といっていいかどうかしりませんが、私は教師の立場だということにあなたはお考えになっていますから、若干客観的な評価を御披露申しますがね、それは毎日新聞の二月十四日の社説です。「〃教育創造〃の方向を問う――日教組研修会から――」とあるわけです。この中で、いろいろくどくどしく申し上げる必要はありませんが、「このほど岐阜で開催されたが、この集会が一応の成果をおさめ、それなりの意義をもったことは、認められなければならない。少なくとも、第一に、集会の会場設定の問題が地元の関係当局の協力を得られずに、ぎりぎりまで難航したにもかかわらず、どうにか開催にまでこぎつけたこと、第二に、会期四日間を通じて、組合員教師が全国的な交流を深め、その連帯を確かめ合うことができたことは、十分評価されてよい。それに、第二の点のもつ意義は、第一の特殊事情を背景としただけに、これまでの教研集会の場合以上の深みと重みを持ったということも、見のがせないだろう。」、その他いろいろ述べられているわけですが、これだけ見ても一つの客観的評価が出ているようであります。でありますから、文部当局もこれは右だ左だ、赤だ白だというふうな文理判断をしないで、やはり謙虚にいろいろな情勢をキャッチされて、その中に多くの教師のこいねがっている教育、教育研究のあり方、子供に対する鋭くかつ強い責任感といったようなものなどをくみとる努力、それは、ぜひともしていただきたいがと私は思います。これに答弁はおそらく必要はないと思いますが……。
#71
○国務大臣(坂田道太君) 偏見を持って考えてはいかぬ、それはおっしゃるとおり、私も人間でございますからあるいはそういうようなことにおちいらぬとも限りません。しかし、文部大臣としては、そういうことがあってはならないわけでございます。しかし、私の申し上げておりますことは、何も一般論を言っているわけじゃございません。「国民の皆さんに訴える」という一九七〇年二月十日付日教組第十九次、日高教第十六次教育研究全国集会ということの中に「ぎまんに満ちた日米共同声明にもあきらかなように、いま、日米の支配層は、帝国主義的な、海外進出と軍備強化をいっそうすすめ、日本の真の平和と独立にとって危険な道をあゆみつつあります。」、あるいは
 「わたしたち教育労働者は、この岐阜集会で「教え子を再び戦場に送らない」決意をあらたにし、父母・国民の批判に正しくこたえ、正しい教育実践を、いっそう強めなければならない」、それから「教育過程編成権は学校の教師集団にある」、こういうようなことが、そして最後のところには
 「教育を国民の手にとりもどし、「国民の、国民による、国民のための、国民教育の創造」に向かって、」云々とあるのですけれども、いま教育がそんなに国民のためになっていないのか。この議会制民主主義の立場において、選挙に選ばれた形において多数のわれわれが政権を持ちまして、そうして民主憲法あるいは教育基本法、学校教育法をとにかく忠実に守ろうとして努力をしてきておるそのところにおいて、ここまで「国民の、国民による、国民のための、国民教育の創造」に向かって」云々と、私から言わせると、どうも日教組の方々が国民の中の一部の団体、この団体の利益を中心としてすべてを、世の中を見る、世界情勢を見るという見方、これが私は少しどうだろうかという気がしてならないのですよ。もう少し先生というものは目を開いて、そうして国民の中における教師、そうしてその集団というような、もうちょっと目を大きく開いていただかなければ、次の、未来の青少年を育てるのにどうなのかという気がしてならないのですけれども、私はやはりこういうような文章を見てどうも少しどうだろうかなというふうに思うのですが、こういうような文章というものは国民にアピールとおっしゃいますけれども、国民の大多数がはたしてそこまでアピールにこたえるだろうか、むしろ少なくとも岐阜県においてはこたえなかったのじゃないかというような気がいたすのです。ですから、この日教組の研究集会それ自体も、まあ十九回ですか、長い間やってこられたことは事実として認めますけれども、このあたりでもう一ぺん総点検をして考えていただくほうがいいのじゃないかというふうに思えてならないのでございます。もう少し教育それ自体の問題に、ほんとうに国民のために、国民による教育というものはどういう教育なのか、単に教育は日教組により日教組の教師団だけがやるなんというようなもし考え方、それはないと思いますけれども、お思いになっているとするならば、それはちょっと間違いじゃなかろうか。ほんとうに国民のための、国民による教育なんだから、これを踏まえて日教組の先生方はやはり考えていただかなければならない。日教組できめたことはすべて正しいんだ、絶対なんだというような考え方がもしあるとするならば、それは間違いだ、そこまではお考えになっておらないと思いますけれども、そういうような気がいたすのでございます。
#72
○杉原一雄君 私はまあ次の過程でこのアピールをとらえる予定でありましたが、大臣はだいぶ先に勉強されたものですからまあ出されてしまったわけですけれども、先般の委員会で同僚の安永委員が中教審の問題で質問をしているわけです。その際に大臣が繰り返しおっしゃったことは、国民的合意ということばをお使いになったと思っておるわけですが、国民的合意を非常に大切にする、これは否定されるわけもないでしょう。そこで大切にするしかたの問題いまさら私は中教審にだれだれを入れろとかそういう注文はつけません。ただ、いま申し上げたような岐阜教研に教師一万二千人集まったから私はたくさんだとは言いません。しかしこれはピラミッド方式で各県集会を積み重ねて一万二千人になっているわけですから、すそ野は非常に広いわけです。しかも、私も現場を離れてみて、最近学校の教科書がどうなっているかろくろく知らない、初めて大阪書籍の社会科をひろげてみるとこんなに変わったかなと思ったことがいっぱいあります。教科書の問題はまた別の機会に文部大臣の所信をお聞きしたいと思っておりますが、非常な変わり方であります。でありますから、現場の教師の発想、それを集約しながら岐阜教研に持ってきたこのプロセスをやはり大事にしてほしい。それから中教審が国民的合意を尊重する一つの機関だと、その点では十分配慮をしながら運用しているんだという先般の答弁を私は了としたいと思うが、それを了とする限りにおいてはあなた方がこれは赤だ、これは白だ、これは右だ左だというような選別、いわゆる拒否反応的な立場から処理されることは必ずしも好ましいことではない。その意味で岐阜教研の集約されたものは「国民の皆さんに訴える」、このアピールに集約されていると思いますから、うそも隠しもできません、これは各委員にも見ていただいているわけです。各委員の中にはこれは行き過ぎだ、これはいろいろ判断があるでしょう。そうしますと、初めから終わりまで文部大臣は全部気に食わぬというような言われ方をされたんですけれども、文部行政を担当する責任者としていままで進めてきた文部行政、なかんずくこの「訴える」の議論の背景になっている経済、社会、政治、かてて加えて国際情勢、そういうものを踏まえて訴えているわけでありますから、この中でも大臣としてうん、なるほどこれはこれはというところがないだろうか、全然だめなのか、その辺のところをはっきりしてもらわぬと、あなたはこの次、公安委員長ぐらいになったらたいへんなことになってしまう。いま文部大臣だからちょっとかっこうがいいようなことを言っている。その辺のところをはっきりしてもらいたい。
#73
○国務大臣(坂田道太君) 「国民の皆さんに訴える」というのはこれを一々ことばだけをとらえれば、それは何かありますけれども、そういうとらえ方それ自体が私はおかしいと思うのですよ。これ全体を流れているものは何かというとらえ方をしなければいけないと私は思います。そういうふうにたとえば文部大臣の所信表明につきましても、それから総理大臣の所信表明についても先生方それ自身がそういうふうに言われるでしょう。私もそう言いたいわけなんです。ですけれども、たとえばこの中に「子どもたちは、競争を強いられ、受験テストに追いまくられ、勉強ぎらいや、無気力な子どもが増大し、教育は重大な危機を迎えています。」、これはやはりそういうふうに思います。いかぬと思います。これは思わないほうがどうかしていると思います。それはそうなんですよ。ですから、先生方も集団の政治活動を何も禁止しているわけじゃございませんけれども、しかし何か政治家みたいな文章ですね、これは。こういうようなことで貫かれて、すべて集まったその一万何千の人々がこういうふうな考え方で教壇に立って、すべての学校行事、すべての学校教育課程、これをしみ通るようにやれと、もしこういうことをやられるとするならば、それは教育基本法の精神にもとると私は思うのでございます。ですからそういう何といいますか、全国からピラミッド型に集めてさておいて、教師団を集めておいて、そうして一方的な一つの政治主張、考え方というものをそこで講習をして、そしてそれを現場に散らばせて、そして教壇、学校行事その他において具体的にこれをやれということをもしやったとすれば、それは、たいへんなことになる。そういう中央集権的なやり方こそやめるべきことであって、もう少しそれと別の考えを持っている教師集団がおるわけなんです。あるいは教師がおるわけです。現に岐阜県には相当おるわけです。そういう人に向かってこういうような一つの考え方でおまえたちもこういうふうにやれというふうにおっしゃったとするならば、それこそ先ほど先生が御指摘になりました教育者が持っております自主的な教育熱といいますか、そういうものを踏みにじるものではないか、許すべからざることであると私は思います。そういうことはやってはならないと思うのであります。またここまでは考えておられないと思いますけれども、しかし、やはり注意しなければいかぬというふうに思います。
#74
○杉原一雄君 上に上がってきたところから見られるからそうなんです。上がってきた過程という、プロセスというものをあなた方十分点検しておられないと思うのです。だから上からこういうアピールができれば下へおろす、それはけしからぬ、こういう論理があるんですが、そういう論理をあなた方のほうに移していったら指導要領の問題、いろいろの問題に逆戻りするわけです。あなた方はいつピラミッド的な努力をされたことがありますか、教育行政で。
#75
○国務大臣(坂田道太君) 私が申し上げておるのはそういう意味じゃないんです。どんなに積み上げてきましても、いまのお話を聞いておれば、積み上げてきたのだから、この場合ここできまったことが一方の政治的主張というものをきめてしまって、そしてそれをおろしたならば形式的にはよろしいというお考えでしょう。それは間違っておりますと言うんです。そういうようなことがもしあったとするならばそれは不都合千万だ、私は教育基本法の精神に照らしてよろしくないと申し上げているんです。だから日教組というものは先生の集団である、その集団がきめたことならば民主的手続によってきめたことはすべて正しいというものの考え方はよろしくないんだ、もう少し国民全体の日教組に対する批判なり、あるいは日教組を脱退していったという人の気持ちなり、父親、母親の立場になって考えてください、やはり国民全体に対して責任を負えるような日教組の研修集会をやっていただきたい、そういう研修内容にひとつ努力していただきたいというのが文部大臣の考え方なんです。
#76
○杉原一雄君 えらい元気な表現ですが、どうでしょうかね。それはあなたと私とはずいぶん立場は違いますよ。私がお願いしたいのは、これは黒とか白とかはっきりできれば分けて、黒だからけしからんから問題にするに当たらんというのではなしに、国民的合意、文部大臣として文教行政について吸収するという謙虚な、寛大な姿勢と考え方があれば、こうした主張、こうしたプロセスについても十二分の検討をいただき、また反省すべきところは大いに反省していただきたいという期待を込めた私は質問でありますか、あなたの御答弁を前後左右通じてみると、われわれは多数をとったのだ、だから国民を代表しておるのだ、われわれやっておることに文句があるが、文句あるやつはだめなんだという印象を私は受けます。それは私の主観だとうかがえるのですよ。そういうことがあってはならないということで私はこの質問をこれ以上進めようとは思いません。私の時間も終わりました。もうあと五分であります。
 そこで十四日、万博の開会式に大臣も私も――私は特に一番前におったのであります。いろいろ経過等をよく見て、万博の、大臣なり文部省が主張している教育的意義はどこにあるかということを私も心の中で反すう作用を繰り返しておったわけです。で、私らも「日本万国博指導のために」という文部省のこれをいただいております。この「まえがき」にまん中ぐらいにあるのでありますが、「東京オリンピックと同様、今回の万国博覧会も、わが国の青少年にとって、またとない教育の機会となるでしょう。小学校、中学校、高等学校等においては、それぞれ学校として万国博覧会を見学するとしないとにかかわらず、この機会をじゅうぶん生かして、適切な指導をされることが期待されます。」、この語尾のところはちょっと私わからぬわけです。どこに主語があるのか主体があるのか、わからぬわけですが、「期待されます。」ということになっているわけです。これだけ読む限りにおいてはそれはどう受けとめるか、どうその中から新しい未来像をそれぞれが開いているかは、子供の自由ということで尊重されているでしょうが、ただ文部省が万国博に対する教育的意義と、端的に言ってどういうことを期待しておいでになるのか、この席を通じてもう一度明確にしておいていただきたい、それをまずお聞きします。
#77
○国務大臣(坂田道太君) まず第一に、この万国博覧会がいままでヨーロッパ周辺だけに行なわれた。それがアジアにおいて行なわれた。そうしてアジアの中の日本において行なわれた。しかも参加国が七十七カ国にも及んでおるということは、これは非常に私は意義のあることだというふうに思いますし、ちょうど戦争終わりましてから二十数年を経ておるわけでございますが、あの戦争に負けましたその当時、東京も大阪も廃墟のような状況で、食うに食なく、着るに着物もない、住むに家ない、まことに惨たんたる状況でございました。私も昭和二十一年に国会に出てまいりましてから、自来ずっとその世の移り変わりというものを知っております。私が政治家として昭和二十一年に東京に出てまいったときに、一体これで日本の復興はできるだろうか、われわれはほんとうに人間並みの食事がとれるだろうかということをほんとうに心配をいたしました。それから二十数年、とにかく御飯は食べられるようになりました。着物も着れるようになりました。まだ住宅問題はいろいろございます。またなさなきゃならぬ問題いろいろあります。それからまた人間疎外の問題がいろいろ出てきております。逆に経済成長があまりにも早くなって、その結果としてのひずみが出ておることも私は承知しております。公害しかりであります。しかし、とにかく負けた日本がこの万国博を日本でできますということは、これは私は日本の大部分の人の何といいますか、うれしさだと思うんです。そしてこの万国博を通じまして、全世界の七十七カ国の人々が参加をし、そして七十七カ国のいろいろの風俗、習慣あるいはその国がつくり出しましたいろいろの近代的な技術あるいは物資といもうのを展示して、これを次の世代の青少年に見せるということは、これは非常にいい、意義のあることだというふうに思いますし、おそらく子供たちがわれわれの時代になって、あのときに万国博が行なわれたんだと、そしてあのときはこうだったということを印象に持ち続けるだろうと私は思うわけでございまして、まことに意義のあることだと考えております、教育的に見まして。なかなか自分の一生には訪れないような万国博覧会を日本において、しかもアジアにおいて開かれたということは非常に意義のあることだというふうに思います。
#78
○杉原一雄君 これはまあいろいろ国民には国民のさまざまな考え方がございますので、あなたが大阪の相撲を見ているときに、博覧会の中央入り口のところで激しい反対の行動が労働者なり学生の手で行なわれたということは御承知だと思います。それはやはり国民の一人でありますから、どういう意図をもってそうした行動が行なわれているか、キャッチしているのであればお聞きしたいし、また同時に、私は清水谷の宿舎に宿泊しております。向こうからこちらまで大体ぼくは歩くことにしておりますが、そうすると、陸橋その他のところに赤尾さんのポスターが張ってあります。万博反対のポスターであります。反対の中身は、キャッチしておられるかどうかわかりませんから、私のようなものでないとわからないかもしれません。あくまで唯物的な立場から万博が行なわれようとしている、これは間違いである。あくまで――まあ赤尾さんのことですから、赤尾敏さんですから、魂の問題を的にしていると、よって、けしからぬと、これはあくまでブルジョアのための博覧会だというような表現で強く指摘されているわけです。このような人たちもやはり国民の一部でありますから、そうしたところのこと等についても文部大臣その他で十分情勢をキャッチして、万博のマイナスの面がどこにあるかないか、こうした点、いまの前向きでしに、善意――よい意味の解釈でない面の側面をあなた方はどういうふうに理解しておいでだか、それを聞きたいと思います。
#79
○国務大臣(坂田道太君) まあとにかく万博には人が集まりますから、けがをしないようにしてもらわにゃならぬと思うんです。それからおそらくパーキング・センターが三万五千とかいいますけれども、これからだんだんだんだん全国から集まってまいりますと、パーキングするところもないというふうなことで、大ごとになりかねない。そうしてまた不祥事も起こりかねない。この点は十分われわれとしては反省をしたい、またそれに対する対策を考えていきたいというふうに思います。
 この自由社会におきましては、いろいろの反対意見や、あるいはその批判があるというところが自由社会の非常に特徴なので、私は、少数の人がいろいろの意図で、学生たちがどういう意図でやったか、知りません。しかし、そういうもののあることのほうがいいことなんです。社会主義ではともいたしますると、それが言論統制をやっておりますから、外に出ないんですよ、不満や批判や。そういうところが私は自由社会を自分としては選んでおる一人でございますけれども、しかし、それになじめない人だって日本社会にはたくさんおられる。それまたけっこうだと思います。しかしながら、また政治をきめていく行き方は、一応この憲法のもとにおきまして議会制民主主義をとっている以上は、最終的には多数決によってきめていくという約束のもとにこの制度というものが成り立っておる、私はまあそういうふうに考えるわけでございます。したがいまして、文部大臣も人間でございますから、相撲を見る自由を与えられておるわけでございまして、とやかく言われることはないと思うんです、私は。相撲を見に行こうが、あるいは映画を見に行こうが、そういうことを一々こう気にするというのがまだ私は日本人が世界の中におきましての日本人としての大きいところがないんじゃないか、そういうような人間性を養って、もう少しおおらかに人の立場を認め合うような、そういう子供たちを私はつくっていかなければならぬと念願しておるわけでございますが、どうも二十数年間あまりにも、戦争に負けましたこともございましょうけれども、日本人が卑屈な考えを持っておる。そうじゃないんだと、日本民族にはわれわれが努力さえすれば相当のこの精神的文化を築く力を持っておるんだ、こういう自信をひとつこの万博におきましても子供たちが考えまして、世界の中の日本人としてすくすくすこやかに伸びていくように文部大臣としては念願をいたしておるわけでございます。
#80
○杉原一雄君 万博の問題の最後の締めくくりでございますが、ここにあるのは、これはことし採用されている教科書ですね。これは大阪書籍の中学社会二年生の歴史的分野のところです。これは後ほどごらんいただければいいのでありますが、これは二二九ページになっております。その中で、時間もありませんのではしょりますが、最後のところにこういう表現をしているわけですね。「一九六四年には、東京で第一八回オリンピック大会が開かれた。また、一九七〇年には大阪で万国博覧会が開かれ、世界に日本の文化と技術を示すことになった。」、こうあるわけですが、内容的に問題にするようなことはないようでありますが、ただ、こうしたことが、去年の教科書をつくる場合の製作者に対する暗示なり、誘導行政なり、そういうものは何かあったのかどうか、一応聞いておきたいと思います。
#81
○政府委員(宮地茂君) いまあげられましたオリンピックとか万博の記事を載せるようにとか載せないようにとかいったような、そういうことは教科書を検定する場合の基準的なものとしては考えてもおりませんし、示してもおりません。
#82
○委員長(楠正俊君) 午前中の委員会はこの程度とし、午後一時まで休憩いたします。
   午後零時二十一分休憩
     ―――――・―――――
   午後一時二十分開会
#83
○委員長(楠正俊君) ただいまから文教委員会を再開いたします。
 休憩前に引き続き質疑を行ないます。
 なお、政府側から坂田文部大臣、宮地初等中等教育局長、村山大学学術局長及び岩間管理局長が出席しております。
 質疑の申し出がございますので、これを許します。内田君。
#84
○内田善利君 私は、大臣の所信表明について最初に二、三質問したいと思いますが、まず大学問題ですけれども、昨年の八月、あのような参議院では全然審議することなしに臨時措置法が通過したわけですが、私たち委員としてはまことに残念であったわけでございますが、その後臨時措置法がどのような効果をあげておるのか。大臣はよく大学紛争の収拾は大学運営臨時措置法の効果によるものであると、このように宣伝しておられますけれども、同法の運営状況と、どのような効果があったか。この点についてまずお伺いしたいと思います。
#85
○国務大臣(坂田道太君) 昨年来激化の一途をたどっておりました大学紛争も、大学の運営に関する臨時措置法が施行されました昨年の八月十七日現在で、施設の占拠、封鎖または授業放棄が行なわれておりました大学は六十四校にのぼっておりました。国立三十八校、公立五校、私立二十一校、全大学の約一七%でございましたが、その後急激に減少いたしまして、昭和四十五年三月十六日現在、十二校、国立八校、公立一校、私立三校、全大学の三・二%を数えるのみとなり、ほとんどの大学におきまして正常な教育研究活動が行なわれております。
 また、国立大学の入学試験も、一期校はすでに済みまして、二十三、二十四日、第二期校が始まるわけでございますが、いままでのところ混乱もなく無事に終了できるものと私は期待をいたしておる次第でございます。
 私は、この大学の運営に関する臨時措置法というものの効果につきましては、むしろこれをきっかけとしまして、紛争大学におきまして大学当局がその自主的な収拾のための努力を積み重ねられて、そうして社会的責任を痛感して、き然たる態度でこの暴力学生をも排除する、場合によっては警察力の援助を得て学内の正常な秩序の維持回復につとめられたことが最大の原因であったというふうに思うのでございます。
 それから、私は、国会が終わりましてから三十三都道府県回りまして、この立法の趣旨、それから大学のとるべき態度等につきまして、地元に参りましていろいろ大学の先生とも話し合う、あるいはテレビで座談会に出席をする、あるいは講演会等をやりまして、そういうようなことで次第に国民の世論も形成されてきた。これもあずかって力があったのではなかろうかというふうに考えておる次第でございます。
 しかし、これでもってもう大学問題は終わりなんだという考えではございませんで、これから先やはり大学が持っておりまする改善すべき幾多の問題を私たちは時間をかげながらねばり強くひとつ解決をしてまいりたい。それには、なんと申しましても大学それ自体の努力ということも必要でございましょうし、われわれがせっかく努力をいたしております中教審の進みぐあいということも私は大事なことだというふうに考えておる次第でございます。
#86
○内田善利君 ただいまの御答弁をお聞きしまして、確かに大学当局の自主的な努力が非常に多大であったと、このように思うわけですが、またこの大学問題は一応の収拾を見たのであって、まだまだこれからの問題であると、このように考えるんでございます。
 特に大学紛争の原因の一つとして、大学における教育者と学生の、教官と学生の間の人間的な接触、これの欠如、これが大きな原因の一つであると、このように言われておるわけですが、この点につきまして、ある私立の工業大学では、大学のキャンパスを離れて自然環境の中で、研修寮をつくって教官と学生が一定期間ここに起居を共にして研修を行なう、そういったことで人間的な接触、対話、そういうものによってこの欠如を是正しておる、成果をあげておると、このように聞いておりますし、さらに八王子では、共同ゼミナールの施設もつくりまして、人間的な触れ合いを強めるという意味で大きな効果をあげておると、このように聞いておりますが、また中教審の末尾においてもこの点にちょっと触れておられますが、こういった研修寮あるいは共同ゼミナールの施設、こういう施設はもっと奨励すべきではないか、特に国立の「青年の家」が逐次拡大されておるようですが、学生にもこういった人間的触れ合いができるような施設が推進さるべきであると、このように思いますし、こういった点については国も積極的な助成策を講ずべきである、そうして大学における人間形成上の推進をすべきである、このように思いますが、その点についてはどのようにお考えになりますか。
#87
○国務大臣(坂田道太君) この、教官と学生との人間的な接触と申しますか、これらはやはり非常に大事であるということは先生御指摘のとおりだと私は考えておるわけでございまして、今後の新しい構想の大学は、やはり学生たちの意思をどういうふうな形において吸み取っていくかという、まあ管理運営の問題もあろうかと思いますが、あるいは教育、研究を通じましての接触を豊かにするためにセミナーをふやしていく。
 たとえば東京大学におきましてもその改革案の中におきまして、いままでのセミナーの数を倍ふやす、そうして全教官がこれに当たる、研究所の教官もこれに当たるというような具体案も示されておるようでございますが、こういう形は私は非常に好ましいことであるというふうに思うのでございます。同時にまた、いま御指摘になりました、ある私立大学において、校外あるいは自然環境のもとにおいてセミナー、寝泊まりをしながらセミナーを開く。そうしてまた八王子にできておりますセミナー・ハウスのことにもお触れになりましたけれども、これは創設の際には国といたしましても施設費を若干持ちましたし、それからまた御審議をわずらわしております本年度の予算におきましても、わずかなお金ではございますけれども運営費を計上いたしておるわけでございます。
 私は、こういうセミナー・ハウスというものがやはり数カ所できまして、そうして国立、私立、公立を問わず、先生方が学生たちとともに学問の研究、教育という雰囲気はこういうものだというようなことを体得されることはきわめて必要かつまた望ましいことであるというふうに考えるわけでございまして、でき得べくんば来年は関西に、この東京にありますような、八王子と同じようなものを一つつくりたいという気持ちを私は持っておるわけでございまして、すでに昨年度からこれを関西方面の大学の先生方や、あるいは経済界の方々にも御相談を持ちかけておるというような状況でございます。そういうわけで、自然的条件に恵まれたところに、しかも大学のありまするところからそう遠くないところにセミナー・ハウスができますことはまことに望ましいことであり、考えなければならぬことであるというふうに考えておる次第でございます。
#88
○内田善利君 先ほど国立大学の入試状況にちょっと触れられましたが、本年度の大学進学希望者の状況はどうなのか、国公立大学と私立大学に分けてその応募状況を教えていただきたいと思います。と同時に、国立大学では志望者が、志願者が本年度は非常に減少したと聞いておりますか、その減少の原因は何であるか。
#89
○政府委員(村山松雄君) 国立大学につきまして志願の状況を申し上げますと、一期校が十六万三千名、二期校が十九万五千名、合わせまして三十五万八千名ということになっておりまして、倍率といたしましては五・三倍でございます。これは昨年の六・七倍に比べますとかなり倍率として下がっております。
 私学につきましては、国立と違いまして、現在の時点においてまだ詳細な報告を受けておりませんので、これは五月一日現在の指定統計を待ちませんと正確な数字が出ないわけでありますけれども、私学につきましては国立よりもむしろ志願者の減り方が少ないというぐあいに、これは個別的なお話を総合してのことでございますが、承っております。
 まあ大学入学志願者が横ばいないし減少している原因といたしまして、いろいろな問題が考え得ると思いますけれども、やはり一番大きい問題は、高等学校の卒業者が減っているということが働いているのではなかろうかと思います。ことしは昨年に比べて高等学校卒業者が約八万人減ることになっておりますが、こういうことがやはり大学入学志願者の数を減らしている大きな要因だと思います。あとは、まあよく言われますように、学歴偏重に対する反省でありますとか、あるいは最近の大学紛争の影響で、紛争の激しい大学については特にその志願者の減少傾向が目立っておりますが、そういうことも響いたのではなかろうかといわれておりますが、志願者減少の原因につきましては、かなりデータを集め時間をかけて検討いたしませんとはっきりしたことは申し上げかねる次第でございますので、若干の理由を指摘して御説明にかえる次第でございます。
#90
○内田善利君 大臣の所信表明に対する質問で大まかに質問してまいりますが、その次は、私立大学に対して百三十二億円の経常費補助が認められて非常に喜んでいるわけですけれども、特に人件費補助については来年度は二割補助で六十九億円ということでございますが、文部省は五カ年計画で私大の人件費の国庫補助を五割にする計画ということでございますが、その具体的なプログラムがありましたらお教え願いたいと思います。
#91
○政府委員(岩間英太郎君) いだいま御指摘になりましたように、来年度から新しく人件費の補助をするということでただいま国会におきまして予算の御審議をお願いしているわけでございますけれども、人件費につきましては、これは多少傾斜をつけておりまして、医歯系が三〇%、それから理工系が御指摘のように二〇%、それから人文系が一〇%というふうなことでございます。なお今後の計画といたしましては、これは別に予算上認められたというわけではございませんが、私どもの目標といたしまして五年間で五割までは持っていきたいというふうな考えでございます。五割という数字は、これは私どもの考えでは、私学につきましても教育費の半分はまあ個人負担といたしましても、半分は当然国家社会に対する貢献度というものを考えまして国から援助してよろしいんじゃないかというふうな一応の考えに基づいたものでございまして、今後増額をいたしていきます過程におきまして、さらに考え方につきましてはまとめていく必要があるんじゃないかというふうに考えております。
#92
○内田善利君 このように新たに国庫補助が行なわれるわけですが、まだ十二の私立大学で授業料値上げをせざるを得ない、こういう状況と聞いております。まだ二割程度の補助では焼け石に水ではないか。健全な私立大学の発展は焼け石に水程度では望み得ない。いま五割までは持っていかれるということですけれども、来年度の私立大学の新入生の大学納付金にいたしましても、医学部、歯学部が平均六十二万八千円、文科系十八万円、理科系で二十六万円、このように文部省の調査にあるわけですけれども、こういった金額は一般国民にとりましては、父兄にとりましては大きな負担であり、こういった金額は負担できないし、したがいまして、子弟の入学ということについては非常に困難を来たすわけですけれども、こういった私学の入学の納付金等を考えてみましても、きのうの中教審の公聴会にもお話がありましたけれども、全大学を私学化すべきであるとか、いろいろ意見が出ておりますが、こういった父兄が負担にたえられないような納付金をしなければならない私大について、どのように大臣は考えておられるかお聞きしたいと思います。
#93
○国務大臣(坂田道太君) ことしから私学に対しまして人件費を含む経常費の国庫補助をいたすということに踏み切ったわけでございます。これはいまお尋ねのように、まだ金額はわずかなお金と思いますけれども、しかし、このことは非常に画期的なことだというふうにひとつ御了解を賜わりたいと思うのでございまして、いままで国立大学だけが大学なんだというような考え方に対しまして、そうじゃない、国・公・私立すべて百五十万、百六十万のこの学生を対象として考えていかなければいかんのだという点が出てきたということについては、ひとつ一応の評価をお願いをいたしたいというふうに思います。金額のほうはただいま局長から申し上げました意味合いにおきまして、今後努力を重ねて、できますならば本務教官の給与の半分まではぜひとも積み重ねてまいりたいというふうに考えておるわけでございます。こういうような経常費補助に踏み切りましたゆえんのものも、やはり教育の質的向上あるいは学生の教育研究の中身をよくしていくということにつながるわけでございまして、一学生当たりの経費は、医学部あるいは歯学部あるいは理工系、人文社会と各学部によって差等はございますけれども、しかし、これは国立、公立を問わず、一学生当たりの経費というものは相当多額なものを要することは、もう避けられないことでございまして、それであるがゆえに、各国におきましても私立大学といえども、国が助成をするというようなことになってきたわけなんで、それを単に、日本の現状のように、私立大学においては、その授業料あるいは納付金等だけによってまかなうということには、おのずともう限界があるわけなんで、御指摘のとおりだと思うのでございます。急激にはまいりませんと思いますけれども、しかし、われわれの私学援助への努力が積み重ねられてまいりまするならば、そういった納付金も、将来においては漸減できるものだと考えておるわけでございます。ことしは、二、三年来前に比べますると、この納付金の額も、授業料の値上げその他のことにつきましては、かなり大学側において自粛をしておるというように承っておるわけでございます。まあ、そういうふうに御理解を賜わりたいと、こういうふうに思います。
#94
○内田善利君 私学のみならず、国立大学でもそうでございますが、大学に入るとなれば、非常にこういった多額の学校納付金が要るわけですけれども、まあ入学の際に、入学のときだけでも父兄負担の軽減をはかる、そういった意味で、大学入学金貸与制度というようなものを設けたらいいんじゃないかと、こう思うわけですけれども、この点についてはいかがでございましょう。
#95
○国務大臣(坂田道太君) 詳しくは局長から御答弁を申し上げたいと思いますが、私どものほうでもそういう銀行ローンの考え方を持っております。したがいまして、本年度のこの予算におきましても、その調査費をつけまして、一年かかりまして、ひとつぜひ欧米の銀行ローンに対する調査をいたしたいというふうに考えておるわけでございまして、来年度は、ぜひそれを実現したいというふうに思っております。
#96
○内田善利君 まあ、ひとつ、その点よろしく推進方をお願いしたいと思います。
 なお、私学のことにつきましては、また後ほど質問したいと思いますが、特に所信表明の中で、私学振興財団についてですけれども、これも後ほど詳しく質問したいと思いますが、この性格についてですけれども、まあ従来、ともすると、教育外郭団体は、他の場合もそうでしょうが、役人の天下り人事の転出先になったという例もありますし、まあ実質的には官僚支配の機関になると、こういうおそれがないとは言えないと思うのですが、この点については、どのように対処されていかれるか、お聞きしたいと思います。
#97
○国務大臣(坂田道太君) この日本私学振興財団法案は、ぜひとも今度の国会において、皆さま方の御審議と、それから御協賛を経たいと考えておるわけでございます。せっかく、この私学助成に対して踏み切ったわけでございますが、それがうまくいくかいかぬかということは、まさに日本私学振興財団の運営がうまくいくかいかぬかにかかっておると思いますし、その運営がうまくいくかいかぬかというのは、この私学財団の人的構成というものを適切にすることだと思うのでございまして、何と申しましても、私立学校の振興ということを目標に掲げておるわけでございますから、十分ひとつ私学の方々の御協力を得るということがその前提でございます。したがいまして、この人選等につきましては、かなり私学側からの御推薦を期待したいというふうに考えておるわけでございます。
#98
○内田善利君 私大の入学について、もう一つお聞きしておきますが、私立大学の一部には、入学前の寄付金制度というのが、公然の秘密として行なわれているわけですけれども、この入学前の寄付金制度が強制的になって、受験者の合否の前提条件になるおそれもある、そのように思われるわけですけれども、こういった点について文部省はどのように考えておられるのか、お聞きしたいと思います。
#99
○政府委員(岩間英太郎君) 御指摘のとおりでございまして、入学前に寄付金の募集をするということは、心理的にも非常な圧迫を加えるというふうなことも予想されるわけでございますので、私ども、そういうふうなことがわかり次第注意をいたしまして、やめてもらうように指導をいたしておるところでございます。最近におきましても、日大の芸術学部におきまして、そういうふうなことがございましたが、これは学部長から話を聞きますと、むしろいままで寄付金というのが、むしろ性格があいまいではっきりしなかった点がある。やみの寄付金みたいな感じがあったということで、今度は使途まで明らかにいたしまして、これを父兄に公開をいたしまして、むしろガラス張りにした寄付金をもらうというふうなつもりであったようでございますので、そこには大いに受け取り方に違いがあるわけでございますけれども、しかし、先生の御指摘のとおりでございますから、これは今後やめるようにお願いをしておるような次第でございます。
#100
○内田善利君 次に、中教審の問題につきましては、先日以来、いろいろ質疑がかわされているわけですが、中教審の最終答申はいつごろになる見込みか。その中教審の最終答申を得てから、具体的に大学の問題は改革に移られるのか、この点もう一度お聞きしておきたい。
#101
○政府委員(村山松雄君) 中央教育審議会の学校制度の改善に関する最終的な答申は、四十六年の三月か四月、つまり四十五年度の終わりまでを目標にいたしまして、現在作業をいたしております。せんだって、基本的な骨格に対する試案を発表いたしまして、現在、各界、各層の意見を聞いているわけであります。各界、各層の意見をとり入れまして、若干、手直しをいたしまして、ことしの四月、あるいは五月を目標にいたしまして、中間報告を出すことを予定しております。この中間報告はまだ基本的な方向でございますので、この中間報告を出しましたら、さらにまた各界、各層の意見を聞く機会も考えておりますし、また、それに中教審としても、そのような意見を聞きながら、これで具体的な段、取りをどうするかとか、あるいは財政的な裏づけの見積もりをどう考えるかというような肉づけ作業をでき得る限り行ないまして、来年春最終答申を出す、こういう予定でございます。文部省といたしましては、まあ学校制度の根本的な改革というようなことになりますと、やはりその最終的な答申を受けて、具体的な案を立てることになろうかと思いますけれども、現在までに、学校制度、特に大学関係につきましては、いろいろな改善の意見も出されております。その中にはまあ各大学で考えておりますことも、中教審で考えておりますことも、また産業界などで考えておりますことも、いろいろ違っているようにみえますけれども、中には共通的な考え方もございますし、また法令その他全体的な骨格を動かさなくても、現在の法令のワク内でも改善できるものもあるのではなかろうか。たとえば一般教育と専門教育とのかみ合わせの問題でありますとか、一般教養過程の組織や運営の問題でありますとか、こういう問題につきましては、必ずしも全般的な制度の改革をしなくても改善は可能ではなかろうか。各界、各層の意見が違っておるところは別としまして、ほぼ共通の方向を目ざしておるところにつきましては、最終的な答申、それに伴う抜本的な改革を待たないでも並行的にやってもいいのではなかろうかという考え方もございます。
 それからまた、たとえばこれだけの制度の改革をする際には、ひとつ試験的と申しますか、モデル的に新しい方向を目ざして何かやってみるということも必要ではなかろうか。それには現行制度のワクをはずれてそういうことを企画するには、またそのための法的措置も必要かと考えられますけれども、そういう実験的な試みもやってよろしいのではなかろうかという御意見、御指摘もございます。
 そういういろいろな順序、段階を経まして、できるものからできるだけすみやかに大学制度あるいは学校制度全般の改善、改革をはかっていきたい、こういうことになろうかと思います。
#102
○内田善利君 先ほど杉原委員から質問があったわけですが、「教職員の資質の向上と処遇の改善をはかることは、きわめて重要なことであります。このため教職員の研修の充実、海外派遣の拡充を行なうとともに、その処遇の改善についても今後さらに努力を重ねたいと考えております。」と、このところでございますが、先ほどのお答えの中から、昨年度五十名ということでしたが、各県から一名ずつ、校長クラス、教頭クラス、指導主事等々からということですが、校長が何名行かれたのか、教頭が何名行かれたのか、指導主事等何名行かれたのか、一般職員は何名行かれたのか、この辺お聞きしたいと思います。
#103
○政府委員(宮地茂君) 手元に校長別、教頭別という資料を持っておりませんので、持っております資料でお答えいたしまして、また補足さしていただきますが、昨年は小学校の先生が八名、中学校が十名、高等学校十四名、特殊学校四名、教育委員会四名、合計四十名、大体校長、教頭の先生と教育委員会の課長であったと記憶しております。
 なお、詳細必要でございますれば、後ほど資料としてお届けしてもけっこうでございます。
#104
○内田善利君 先ほど質問がありましたので、重複しますから避けますが、本来、従来のこういった海外派遣はどう見てもやっぱり校長クラス、教頭クラス、あるいは委員会はけっこうだと思いますけれども、何となく論功、慰労、そういった目的で派遣になったようなにおいが感ぜられるわけです。今度五百名にされた意図は非常にけっこうなことだと思いますが、ひとついままでのようなこういった慣例を打ち破って、国内において非常に経験を、中堅幹部として、というお話がありましたが、そういった方々がさらに外国に行って学校教育全般にわたって視察してくる。そして国内に帰って教育が倍増されるような、そういった観点から人選はしていただきたいと思いますし、この人選の基準もひとつ民主的な方法でやっていただきたい、このように思うわけですけれども、この点いかがでございますか。
#105
○政府委員(宮地茂君) 従来四十名前後でございましたわけでございますが、従来からも内田先生御指摘のように、校長となれば功成り名遂げて、来年、再来年やめるという校長を行かしておるのであろうといったような御批判がよくございましたが、一応実態を申し上げますと、昨年、四十四年度は最高年齢の方が五十三歳、最低年齢の方が三十八歳でございました。そういうふうになっておりますし、また私どもの一応の基準とでもいうべきものでは、県の教育委員会には、大体五十二歳あるいは五十三歳までの校長さんあるいは教頭の方といったような形で従来からもいたしておりました。しかし今度五百名ともなりますれば、特に中堅教師の方々も入りますので、まだ詳細に年齢別に中堅教員とは何歳から何歳までといったような基準をつくるつもりはございませんが、中堅と申しますれば、年齢で申しましても三十歳代から四十歳代の半ばくらいが中堅に、大体年齢的には当たるであろうかと思いますし、また数がふえましても、来年やめる校長に論功行賞、そういったことを特に基準の中に一項目考えるというようなことは考えておりません。原則といたしまして、先生御指摘のように、ただ海外に派遣して、戻ってもらってすぐやめるということじゃなくて、せっかく得た知識をもとに、できる限りわが国の小・山学校でしっかりした教育をやってもらうという、そういう考えでございますので、その趣旨に沿った人選をしていきたい。
 それから、民主的に人選をせよというお話でございましたが、まだこれは予算が御審議中で通っておりませんけれども、一応私どもといたしましては、教育長の方々の御意見を聞くなり、あるいは校長の方々の御意見とか、その他事あるごとに、どういったような場所がよいかとか、あるいは派遣する場合に小・中・高の組み合わせがよいか、小学校だけがよいか。あるいは来年は女子教員もと思っておりますが、女子だけのグループがいいか、そうでないがよいかといったように、いろいろな面で関係者の意向をいま徴しておるところでございます。
#106
○内田善利君 実施するとすれば何月ころ、あるいはどういう国々へというようなことは御検討中ですか。
#107
○政府委員(宮地茂君) 大体日程一カ月と考えております。
 それから全員が五百名でございますし、また欧米諸外国で、七月、八月は大体夏休みに入ります。そういう関係で、せっかく学校へ行きましても、夏休みで学校が視察できないというのでは困りますので、私ども派遣する側としては夏休みなどが非常に校長さん方もいいと思うのですけれども、視察地の関係でそれは避けなければいけない。それから、あまり年度末で、卒業式が近くなって校長さんがいないというのもいけません。そういうことで非常に限定されますので、大体いまの考えとしましては、ことしはとりわけ予算が四月一日から施行になりません。そういう関係もございまして、六月の終わりころまでには第一陣を出したいというふうに思っております。しかし、百人搭乗する飛行機があるというので、百人びっちり教員研修団を飛行機に乗ぜるということも、
 これはいろいろな観点から適当でないと思います。一グループ二十名か二十五名くらいで、できるかぎりあまり画一的でないように、行き先はヨー
 ロッパ、アメリカ、それから東南アジアあたり、まあ大まかに申しますと三つぐらいですが、それもヨーロッパでございますと、ヨーロッパの中のイギリスとかドイツといった一、二カ国を中心にして見るグループ、あるいはフランスとかを中心に見るとか、あるいは北欧を中心に見るとか、いろいろなグループにしたい、こういうふうに考えております。
#108
○内田善利君 わかりました。
 教員の処遇の改善についてですけれども、一般国民の世論としても教育者の給与を、処遇を改善すべきであるというようなことは、もう従来引き続き言われてきたことでございますが、この教員の処遇の改善について、文部省ではそのため教員の給与に関する実態調査を行なっておられるわけですけれども、その調査の進行状況はどうか。また、いつごろ発表になる見通しであるか。さらに、大臣はこの教員の処遇の改善について基本的にはどのような構想をお持ちであるか、この点お聞きしたいと思います。
#109
○政府委員(宮地茂君) いまお尋ねの前段の、調査の手順はどうかということでございますので、その点私からお答えいたします。
 四十三年度に教員の本俸関係の調査をいたしました。四十四年度に諸手当関係をいたしました。ところが、何ぶんにもこれは何十万人の教師でございまして、個票で詳細な調査をいたしております。したがいまして、今日それを電算機にかけて整理をいたしております。それで大体その整理ができかかりましたので、この四十五年度に調査会のようなものをつくっていただきまして、そこで調査をいたしました資料をもとに、あるべき姿というものを四十五年度中にその調査会とでも言うべきところで検討していただいて結論を出したい、そういうふうに考えております。
#110
○国務大臣(坂田道太君) けさほども申し上げすしたように、教育は何と申しましても先生方それ自体の人によるわけでございます。したがいまして、よき人材を教育界に求めるということが非常に大事なことでございますので、したがいまして、やはりこの先生方の待遇改善に対しましては、基本的に、私は抜本的な改正で待遇の改善ということをはからなければならないと思っておる次第でございまして、二年ばかりこの調査をしておりますが、もうしばらく、調査をいたしました暁には相当の待遇改善を実現したい、かように私は考えておる次第でございます。
#111
○内田善利君 教員の超過勤務手当はその後どのようになっているか、その推移をお聞かせ願いたいと思います。
#112
○国務大臣(坂田道太君) 教職手当の問題は残念ながら前々の国会におきまして審議未了になったわけでございますが、私どもといたしましては、できるだけ早い機会にこの実現を期したいと考えて、本国会におきましても、実は率直のところ野党の方々にも御相談いたしまして、成立できるような法案にいたしたいということで、せっかくいま努力をいたしておるわけでございます。
#113
○内田善利君 次に、学校給食について二、三お聞きしたいと思いますが、最近の児童、生徒の体位は非常に著しく向上しているわけですけれども、これには種々の原因があろうと思いますが、特に学校給食普及の結果であろう、このようにいわれてもおりますし、またそうであると思います。しかももっぱら学校給食にはパン、ミルクを中心として学校給食が進められてまいりました。この体位向上も、このミルクとパンの学校給食が大きく体位の向上に貢献していると思われますし、そのように学問的にも立証されているわけですが、来年度においては、学校給食に米食を取り入れるために全国に実験校を設けるということでございますが、これは政府の食糧政策の失敗の犠牲を学校給食にしいるようなかっこうになっているんじゃないか、これは非常に不当な措置であると、このように非難する向きもあるわけですが、この点についてお聞きしたいと思います。来年度米食の実験校は何校くらい計画をされているか。
#114
○政府委員(木田宏君) 来年米食の実験校といたしましては、小・中学校で九十二校、高等学校で二十校予定しておりまして、小・中学校の九十二校は各県にそれぞれ一校ずっということで指導してまいりたいと思っております。
#115
○内田善利君 実験の結果は、この米食の普及をさらに推進していかれる予定であるか。
#116
○政府委員(木田宏君) 学校給食でお米をどのように取り扱うかということにつきましては、かなり考えなければならぬ問題点がたくさんあろうと思います。お米の取り上げ方につきまして、従来指導してまいりましたことは、僻地とかごく特殊な事情のあるところで、パンの入手しにくいところの地域におきましては、米で学校給食をすることも差しつかえないという言い方をしておったわけでございますが、お米を利用いたします学校数は現在のところきわめて少数であり、しかも僻地に限られている今日の状況から考えてみまして、お米をもっと学校給食で広く使ったらどうかという御意見が出ておることは御承知のとおりでございますけれども、それをどのように取り上げるかという点につきましては、現実のお米の取り上げ方の問題、あるいはその食事内容に及ぼすいろいろな関連の問題、また人手の問題等いろいろと考えなければならない点がたくさんございますので、そういう点を一両年かかりまして詳細に調査し、検討したい。栄養上の扱いだけから申しますと、米でも小麦でも、それ自体の栄養上の差というのはそれほどないようにわれわれ聞いております。ただどちらをどうやったほうが取り扱い等の関連から、また特に戦後子供たちがたくさん口にするようになりました乳製品と合うか、そういう食事内容全体との関連におきまして考えなければならない点がいろいろあろうかと思いますので、それでお米の実験をいたします場合には、その取り扱いが容易であるということと、また、米飯でありますならば、おかずとの組み合わせによって栄養価がどのように動くか、あるいは経費がどうなるか、そうした問題を少し慎重に検討してまいりたい。また乳製品をどうするかということもあろうかと思います。また、お米を取り入れるにつきましては、必ずしも炊飯ということだけが唯一の方法であるとも思いません。われわれの生活習慣の中には米の加工利用ということについては、あまり十分な方途が開発されておらないようでございますけれども、古くからありました玄米パンもその一つでありましょうし、またお米の粉にいたしまして、いろいろな利用のし方もございましょうし、また牛乳との食べ合わせがうまくできるような新しい方法も、たとえばスープのような形で考えることも不可能なことでもないと思います。ですから、日本で古くからできております主食としての米というものを、われわれの食生活の中でどのように扱うことが可能であり、またそれを学校でどのように扱うことができるのかという点については、しばらく慎重な検討を続けていきたい、そのデータの結果によってまた今後のことは考えてまいりたいというふうに思っております。
#117
○内田善利君 この問題については、また後ほど質問していきたいと思いますが、もう一つお聞きしたいことは、小麦粉の国庫補助の問題ですけれども、一円補助の問題ですが、これは来年度限りというように聞いておりますが、四十六年度は廃止されるのかどうか、この点お聞きしておきたいと思います。
#118
○政府委員(木田宏君) 学校給食で使っております小麦粉に対しまして、百グラムについて一円、現在利用いたします総量約二十万トンについて二十億の補助金が食糧管理特別会計に繰り入れられることになっております。その補助金を食糧管理特別会計に繰り入れまして、食管の責任において学校給食用の小麦粉をつくってもらって、それを各県の給食会が購入してパンをつくるという一つの流れができ上っておるわけでございますが、その流れ自体について考え直す必要があるのではないかというふうに思っております。このことは文部省だけの一存ということではまいりませんので、食糧庁のサイドのこともございますし、食管によって扱われます製粉過程に関連する製粉業のあり方のことにも関連いたします。またひいては、各県それぞれが県内でつくりますパンの流れにも関連いたします。そういうことにつきまして、現在の段階では、私ども自身、もう少し再検討をして、もっと全体の流れとして改善すべき点があるのではないかというふうに思っております。先般保健体育審議会から答申をちょうだいいたしましたが、その答申の中におきましても、小麦粉の取り扱い、流れというものについて、もう一度改善、合理化を考えてみろという趣旨の御指摘も出ておりますので、できますならば、すみやかにそうした問題点を整理いたしまして、食管へいままでどおり一円補助を入れるということでなくて、他にいい方法がありますならばそのように変えていいという気持ちを持っております。その意味で、四十六年度も従来どおり食管への補助金を続ける、こういう考え方は現在とっておらない。もう少し弾力的にその問題は考えて、改善に資する方向で将来進めたい、このように思っておるところでございます。
#119
○内田善利君 後ほど質問したいと思いますけれども、学校給食は、教科活動と並んで非常に重要な教育活動として行なわれてまいっておりますし、さらに一段とこの点については普及して、その教育効果も大きいわけですが、さらに憲法の義務教育制、こういう原則から、教科書の無償配布に引き続いて学校給食費の無償についても、もうその実現を考える時期がきているのじゃないかと、このように考えるわけですが、最後に一言大臣にお聞きしたいと思います。
#120
○国務大臣(坂田道太君) 学校給食の教育における重要性ということは、いま先生がお述べになりましたとおりだと思います。しかし、これを全面的に無償というところまでは、ただいま考えておりません。やはり現在僻地におきまして一部完全に給食を行なっておるところはあるわけでございますけれども、全般的にこれを無償というふうにはただいま考えておりません。
#121
○内田善利君 もう一言聞いておきたいと思いますが、情報処理教育の推進というのがございますが、大臣の学校教育における情報処理教育の展望と申しますか、簡単にお聞かせ願いたいと思います。
#122
○国務大臣(坂田道太君) この情報処理教育は、やはり今日の社会の発展に伴いまして、ぜひとも教育の中に取り入れていかなければならないというふうに考えます。一つは、大学、短期大学、高等専門学校において取り入れると同時に、それからもう一つは、高等学校におきましてもこれを取り入れなければならぬというふうに考えておるわけでございます。情報処理教育に関する会議というものの中間報告の趣旨を生かしまして、昭和四十五年度におきましては、国立の大学、短期大学及び高等専門学校の八学科、入学定員三百六十人でございますが、及び二つの講座を新設し、また、高等学校におきましては、理科教育及び産業教育審議会の建議の趣旨に基づき、情報処理センターを設置し、情報処理推進の核とするとともに、その人材養成をはかる考えでございます。
 また、情報処理教育振興のかなめでございます教員の養成につきましては、情報処理関係内地研究員及び高等専門学校、高等学校の教員を対象とする各種講習会を開催する予定でございます。
 なお、電子計算機を中心とする情報処理は、急激に発達してまいりました分野でございますので、その教育内容、人材養成等具体的な施策につきましては、なお研究すべき問題点がございます。大学、短期大学及び高等専門学校につきましては、情報処理教育に関する会議におきまして検討中でございます。また、高等学校につきましては、前記建議に沿うように高等学校学習指導要領の改定や学科の設置について検討を進めておる段階でございます。
#123
○内田善利君 以上で大臣の所信表明に対する質問は終わりますが、さらにこまかい点については、後ほどの委員会でやっていきたいと思います。
#124
○萩原幽香子君 質問に入りますに先立ちまして、私はまず坂田文部大臣の御再任を心から喜びたいと思うものでございます。今日まで、大臣御就任以来、本委員会で種々審議を重ねてまいりました問題につきまして、ぜひ大臣の御在任中に実を結んでいただきますよう、あわせまして、沖繩復帰問題を含む非常にむずかしい段階にきておりますわが国の教育を真に前進させていただきますよう大臣に大きく期待を申し上げまして、質問に入りたいと思います。
 近年に入りまして、いわゆる教育投資論なるものが、学者のみならず、国連でも、OECDでも採用されてまいりましたことはすでに御案内のとおりでございます。つまり一国が繁栄をなし得るかいなかは一に教育に投資する度合いにかかるというものでございます。この観点に立ちまして、世界各国は競って教育の長期計画が策定され進められてまいりましたが、このような教育投資論につきまして大臣はどのようにお考えになっておりますか、承りたいと存じます。
#125
○国務大臣(坂田道太君) まあ教育というものが民族の発展のために非常に大事であるということは申すまでもないことでございます。教育は人にあり、まさにそうだと私は思うわけでございます。したがいまして、教育は人にあるけれども、しかし同時に、やはり教育はその環境というものに影響されるところが非常に多いというふうにも思いますし、そのためにやはり教育にはある程度金がかかるものだ、そうしてまた教育は金をかけなければならない問題だというふうに私は思っております。確かに日本の戦後の、いな明治以来の発展のぐあいを考えてみました場合におきまして、先進諸外国に比べましてひけをとらないような教育投資をしてきたということが言えるかと思うのでございます。その意味合いにおきまして、いま御指摘のように、諸外国の人たちも、またOECDの人たちも、あるいは東南アジアの方々も日本の教育制度というものに対してひとつ調査をしたいというような意欲はもう数年前から起こっている現象でございます。そういうことで、ことしは国際教育年でございますが、特に教育競争の時代が一九七〇年の政治目標なんだということすら言われるようになってきたわけと思うわけでございまして、私どももそのようなつもりで万般の施策を進めてまいりたいというふうに思います。ただ、この前フランスの首相でありかつフランスの学制改革を担当されましたフォールさんが来られまして言われたことは、経済成長が目的ではなくて、教育目的を促すために経済成長があるのだ、その辺が非常に大事なことなんだというお話がございましたが、私もそのように考えるわけなので、その意味合いにおきまして、やはり教育の内容そのものあるいは教育者として立つ先生方の資質あるいは態度というものがいかに小さい子供たちに強い影響を与えていくかということを考えますときに、私は先ほどからお話がございますように、教育界に人材を得るために待遇を上げてやらなければいかぬじゃないか、そのために相当のお金がかかるならば、それは国として当然考えていくべきものであるというふうに考えるわけでございます。
#126
○萩原幽香子君 たいへんありがたい御答弁をちょうだいしたわけでございますが、去る昭和三十七年の文部省の教育白書の中で、明治三十八年から昭和三十五年までの五十五年間における教育投資の測定を行ないまして、わが国の現在の繁栄に教育投資がいかに大きく貢献したかを明らかにしております。それば先ほど大臣の御指摘のとおりだと存じます。ところが、高度経済成長期に入りました昭和三十年以降五年間についてながめてみますと、物的資本の伸びが一・八三倍になっておりますのに比較いたしまして、教育資本の伸びは一・三二倍の増加にとどまっているわけでございます。また文教予算について見ましても、昭和三十六年度の前年度比の増加率は実に二四%もございましたのに対し、それ以降の増加率はだんだん減少をいたしてまいりました。そうして昭和四十五年度の増加率は一三一七%と減っております。こうしたことにつきまして、特にまた国の予算の伸びと比較いたしますと、昭和四十年度までは文教予算の増加率は国全体の予算の増加率を上回っておりました。ところが昭和四十一年度では、国の予算の増加率は一七・九%に対しまして文教予算は二二%増に逆転をしておるわけでございます。それ以降は両者の関係は逆転をいたしましたままで今日までまいっておりまして、それが常態化したということでございますが、昭和四十五年度の当初予算におきましては、国家予算の一八%増に対しまして文教予算は一三・七%増にとどまっているということでございます。文部大臣は午前中の杉原委員の質問に対されまして非常にきめこまかに配慮した、だから量はそんなにふえなかったが、質的には非常に考慮を払ったんだという御説明でございまして、私も大臣のそうした御尽力に対しましてはまことに敬意を表するものでございます。しかし、佐藤内閣はいつも人間尊重ということを唱えられまして、また教育の重要性ということを常にうたわれておりますのにもかかわらず、予算面ではこうした反対の方向をたどっておられるということは一体どういうことでございましょうか。その間の事情を私の納得のいくように御説明賜わりたいと存じます。
#127
○国務大臣(坂田道太君) 数字につきましてはあとで会計課長なりだれからか答弁をいたしたいと思いますが、大ざっぱに見てみて、また先生のお話をお伺いしていて、大体のお考えは私もそういうふうに実は見ておるわけなんです。ですからこれではいけない、これから先相当の教育投資をやらなければいかぬ、特に高等教育に対してやらなければいかぬのじゃないかというふうに考えておるわけでございます。御承知のように、二、三年来大学の改革というものをわれわれは考えてきておるわけでございます。それから昨年は一年じゅう大学紛争に明け暮れたということ。ところが、全体としての高等教育機関に対する投資というものが、確かにおっしゃるように三十八年ぐらいまで、あるいは四十年ぐらいまではかなり上がってきた。これは急増の関係もございましょうが、とにかく上がってきた。それが並行か、あるいはダウンと、こういうような十年。それでイギリス、フランス等の先進国においては、十年前までは非常に高等教育機関に対する投資がおくれておった、おくれておったのを取り戻すために、十年ぐらい前から急角度に上がってきておる。それに引きかえて並行線か、あるいは少し減りかかってきておる。これは何とか上向きにしなければ、世界の学問の水準あるいは世界の技術に追いつかないんじゃないかというような気がいたしておるわけでございます。ですから、両三年後に相当思い切った投資をやるべきだ、そのときにはいまおっしゃるようなパーセンテージが必ず出てくる、また出てくるように予算を組まなければならないと思います。しかし、ただいま紛争のこの大学、あるべき姿の大学というものがどういう教育研究をやったらいいのか、あるいはどういう大学をつくったらいいのか、あるいは管理運営をどうしたらいいのだ、学生の意思の反映をどうしたらいいのだということ自体まだきまっておりません。したがいまして私たちは出そうにも出し得ない、あるいは大蔵当局に対して、これということを言おうと思っても言えないというところでございます。しかし、これも先ほど内田先生にも局長から答弁いたしましたように、来年の三月末か四月の初めごろに至りますと、大学に関する最終答申というものが出されます。そしてその間におきまして、長期計画、それからおおよそでございますけれども財政計画が出されるわけで、萩原先生がいま御指摘になったようなことも計算をしてその財政計画は立てられるものだと私は期待をいたしております。そういうことで、来年の予算はちょっとまだ無理かと思いますが、四十七年、四十八年という段階には急激にやっぱりある程度の投資をはからなければならないんじゃないか、それにはやはり国民各界、各層の合意を求めつつ、そういうような相当多額のお金を大学に向ける、そして教育全体の予算はこうなりますということを納得させた上でそういう予算編成に至るというふうに私は考えて、着々といま検討を進めておるということでございまして、本年度の場合におきましては、もう萩原先生御指摘のとおり全くそのとおりで、遺憾に思っておりますが、しかし、与えられました財政の中でわれわれの気持ちをどれくらいきめこまかにやるかということで努力をしたということはお認めいただけましたので、私もほっといたしたような次第でございます。
#128
○萩原幽香子君 やはりああいう御答弁がいただけるわけでございますから、大臣はなるべくならこの任におとどまりいただきまして、ぜひそれを実現にまで持っていっていただきますようにお願いを申し上げる次第でございます。
 さて、昭和四十五年度の公立の文教施設整備費につきまして、その概要をまずお尋ねをいたしたいと存じます。
#129
○政府委員(岩間英太郎君) 昭和四十五年度の公立文教施設整備の予算は総額で四百三十三億円でございまして、前年度より六十九億円、率にいたしまして一九・一%の増となっています。私どもが特に重点を置きましたのは事業量の増大でございまして、合計で三百三十八万平方メートル、前年度より三十万平方メートルの増となっています。これは率にいたしますと約九・七%でございます。特に過密対策といたしまして小学校の校舎は九十二万平方メートル、前年度に比べまして二十万平方メートル、前々年度に比べまして約倍に増加をいたしているようなわけでございます。また建築の単価につきましては、超過負担の解消というふうな点も考えまして、前年度に比べまして九%から一一%引き上げております。それから構造比率につきましても鉄筋、鉄骨造の比率を約五%引き上げまして、全体の九六%が鉄筋と鉄骨造になるように構成をいたしております。それから過密地帯の市町村におきます小学校及び中学林の新設校の整地費につきましては、これは前年度三億円でございましたが、予算要求どおり四億五千万円が計上されております。
#130
○萩原幽香子君 次に、過密地帯の地域の問題が出たわけでございますが、その過密地域の市町村におきまして義務教育関係の施設の不足状況はどのようになっておりますでございましょうか。
#131
○政府委員(岩間英太郎君) 昭和四十四年五月一日現在で、社会増の校舎につきましては、小学校の校舎が八十三万平方メートル不足しておりました。それから中学校の校舎は十四万平方メートル不足しておりました。これを四十四年度の補助の事業で小学校は七十万平方メートル、中学校は十二万平方メートル実施いたしまして不足面積の解消に努力したわけでございますけれども、なお不足分がございましたので、四十五年度の予算につきましては、ただいま申し上げましたように、小学校の校舎が九十二万平方メートル、それから中学校の校舎につきましては引き続き二十一万平方メートルを計上いたしております。社会増の問題は非常に重要な問題でございますので、その配分につきましては、こういうところを重点的に取り上げてまいりたいというふうな気持ちでおります。
#132
○萩原幽香子君 最近プレハブ教室というのがかなりできているということを聞いておりますが、どれほどプレハブ教室がございますでしょうか。市町村別にひとつお示しをいただきたいと存じます。
#133
○政府委員(岩間英太郎君) 市町村は三千くらいございますので、一々お答えするわけにいきませんけれども、おもなところを申し上げますと、全国で一番多いのが横浜市でございまして、プレハブ教室が小学校二百九十四教室、それから中学校五十三教室、合計いたしまして三百四十七教室、それから関東地方がわりあい多うございまして、たとえば埼玉の川口市でございますと、小学校で五十二教室ございます。それから千葉の船橋市で一小学校が三十八教室、中学校が六教室、合計いたしまして四十四教室ございます。それから関西方面では、大阪の守口市では小学校が二十二教室、中学校が五教室、合計いたしまして二十七教室、それから兵庫県の神戸市では小学校が二十三教室、中学校が三教室、合計いたしまして二十六教室、そのような数字が出ておりまして、全国的に見ますと、小学校では合計いたしまして二千二百七十八教室、中学校では二百七十四教室というふうになっております。
#134
○萩原幽香子君 ずいぶんだくさんプレハブ教室で学んでいる子供があるようですが、できます限り仮校舎のようなものはほんとうのものにしてやっていただきたいと、こういうふうに考えるわけでございます。で、第三次文教施設の整備五カ年計画の終了します向こう四年間に、過密地域が必要とする義務教育関係の事業量はどれくらいございますでしょうか。
#135
○政府委員(岩間英太郎君) 昭和四十三年の五月において、私どもで一応四十八年度までを推計いたしまして五カ年計画を立てたわけでございますけれども、その際の社会増の校舎は小学校で約三百五十万平方メートル、中学校で約九十万平方メートルというふうな不足が予測されております。しかし、こういうふうな予測には、住宅の建設のぐあい等がございまして、的確な予測がなかなか困難だというふうに思われますので、私どもは一応五カ年計画は五カ年計画といたしまして、これを毎年補足してまいらないと実際の需要には応じられないのじゃないかというふうな気持ちで、毎年度一応正確な数字を確かめました上で予算要求をするというふうな態度をとってまいりたいと、かように考えております。
#136
○萩原幽香子君 現在過密地域をかかえております市町村は義務教育関係のことでいっぱいでございます。施設に追われていっぱいです。特に私の県では川西市というところがございますが、そこらあたりはもう義務教育の問題にかかわってしまって、ほかのもう民生にいたしましても、あるいは衛生、労働、土木、何にも手がつけられないという状態だ、こういうことも聞いております。また、私の町は姫路でございますが、姫路市に例をとってみましても、社会増によって新築しなければならないものが小学校で五校、中学で二校、そうして養護学校で一校、幼稚園で一園、こういうふうになっております。加えまして一方では、老朽危険校舎、いわゆる四千五百点以下のものが小学校で六校、中学では二校もあるわけでございます。全く義務教育に追われてお手あげの状態といったようなことがいわれるわけでございます。私もちょうど姫路に参りましたときに、そういった市のいろいろな悩みを聞いてまいりました。さらにその市が苦しんでおりますことは、補助基準と適正基準との間にギャップがあるということでございます。つまり小学校十八学級を例にとりますと、補助基準は木造で二千六百四十五平米、そうして鉄筋では二千九百七十六平米となっておりますけれども、適正基準でございますというと、それが木造では三千三百八十九平米、鉄筋では三千八百十二平米となっておる、こういうことを聞かされたわけでございますが、私がふしぎに思いましたことは、同じ文部省の基準でございますにもかかわらず、なぜこんなふうに違いが出てくるのか、そういうことを聞かせていただきたいと存じますし、そういう開きがあるといたしますれば、せめて補助基準を適正基準まで引き上げていただくことはできないものでありますか。こういうことを考えるわけでございますか、その間につきましてひとつよろしくお願いいたします。
#137
○政府委員(岩間英太郎君) ただいま御指摘のように、補助基準と適正基準とあるわけでございますけれども、実際に公にされておりますのは補助基準でございますが、一般的に考えまして、一つの基準がございました場合には、それに対してほんとうに望ましい基準はどういうものかというものをやはり持っておりまして、そこに向かって絶えず努力をするということが必要ではないかと思います。その意味では、文部省の中におきましてもいまの基準を望ましい基準に改めればどういうふうな基準の案があるかというものを考えておりますのが、実は適正基準というものでございまして、これは表には出ていないわけでございますが、御参考のためにあるいは各県にこれをごらんに入れる場合もあるかと思います。しかし、これはあくまでも文部省の案でございまして、実際の基準が現在補助基準としてきめられているものでございますが、その中身の一番違っております点は、これは小学校の十八学級の例をお示しいただきましたが、その場合には特別教室が適正基準で二つばかり多うございます。補助基準では六つのところが八つになっております。その内容は、音楽教室が一つ、それから資料室が一つ多いということでございまして、そういたしますと、時間的なことを考えなくても有効に授業ができるというふうにしてございますが、現在の補助基準で時間的に合理的な基準を考えますとそれで実施が可能であるということでございます。それから、そのほかに管理関係の部屋、たとえば適正基準でございますと、教育相談の部屋とか、あるいは児童会の部屋とかいうものが特別に考えられておりますし、それから会議室、職員室にいたしましても、現行の基準よりは高いというふうな点もございます。そういうふうな点をひっくるめまして、先ほどお示しいただきましたような面積の差になっているわけでございまして、私どもも予算要求の際にはこの数字を実現してほしいということを実は大蔵省に要求しているわけでございますが、まだその実現ができませんことはまことに残念に思っております。なおその方向に向かいまして努力を続けてまいりたい、こういうふうに考えております。
 それからお話しのございましたいわゆる過密地域の市町村でございますか、例をお示しいただきまして、ただいま御指摘になりましたように、たいへんな量の教育施設を整備しなければいかぬというふうな問題でございまして、これにつきましては私ども校舎の面では何とかそういう地域につきましても需要にこたえるように努力してまいっておりますけれども、そのほかに過密地域につきましては、私どもいささか手の及ばない面がございまして、非常に歯がゆい予算になっているわけでございますけれども、実態といたしましてはいささかその市町村の規模を越えました――規模と申しますか、財政能力というか、あるいは行政能力とかを越えました大きな仕事が出てきたというふうな事情でございまして、教育関係ばかりではございませんで、上下水道、道路その他いろいろなことをやらなければならないというふうなおそらくことであろうと思います。たとえば、横浜市の場合を見ましても、全国平均教育予算が一六%に対しまして、一八%というふうに若干高くなっておりますけれども、そんなに大きな割合ではないということは、そのほかにもいろいろな事情が出てきているのではないかという点でございます。
 それからもう一つは、これはかりに二十年後にこういうことが起こりました場合には何とか始末がついたかもしれません。と申しますのは、そういうところには所得の比較的低い、若い、しかも子供の多い、小さな子供の多い方がお住まいになっているわけでございますから、二十年後になりますと、その市町村にとりましては非常に貢献度の高い方々ではないかと思いますけれども、たまたま現在におきまして需要ばかり大きくて実際の入ってくる収入が少ないというふうなことでございますので、二十年後にかりにこれが起こりました場合には何とかつじつまの合う問題であったかもしれません。そういうふうな地域的な、あるいは時間的な差というものを私どもは財政上どういうふうに見ていくか。また、文部省ばかりではなくて、ほかの省にもいろいろ関係のある問題を含んでおります。それから、さらに地方財政が苦しくなったという場合に、文部省としてできることよりは、むしろその地方財政全般としまして処理をしていかなければならないような問題があるのじゃないか。いろいろな問題がございまして、私どもの予算だけでは先生方からごらんになりましてたいへん歯がゆいものであると思われるわけでございますが、私どももまた同じような感じがするわけでございます。御指摘に従いましてできる限りのことはしてまいりたいと考えますが、現状はそういうぐあいでございますので御了解いただきたい、こういうふうに考えます。
#138
○萩原幽香子君 まあ二十年先といったようなたいへん気の長いお話をお聞かせいただいたわけでございますけれども、十年一昔と言ったのはだいぶ昔のことでございまして、もうこのごろでは一年一年たいへんな変わり方を示しているわけでございまして、その中で成長してまいります子供の問題でございますということをどうぞひとりおつむの中にお入れいただきたい、こういうふうに考えるわけでございます。
 姫路のほうでちょっと聞いてまいりましたことでは、県に割り当てられてまいります平米というようなものについて考えましても、市町村が県へ申請したものの約四倍から四倍半ぐらいは市町村のほうから県へ申請するそうで、県はそれを割り当てるのに非常な御苦労のようでもございます。そうしたあたりもひとつお考えいただきたいと存じますし、兵庫県教委では、この十八教室につきまして、非常に適正だと思われるのは鉄筋ですけれども、五千二百二十三平米は要るということを県教委としては各市町村に言っているということでございます。それのいわゆる一・八倍ということにもなるわけでございますから、十分御考慮をいただきたいというふうに考えるわけでございます。
 それからもう一つ、市のほうで悩んでおりますことは、四十四年度の基本補助額は一平米二万九千五百円であったということでございますが、聞違いございませんでしょうか。ところが、実質は三万四千円というようなことで、ここにも開きがあるということでございます。ですから、基本補助額にも非常にそういったような問題かあって、これを何とか実質額まで引き上げるということを考えていただきたいのだがといったような要望もあったわけでございますが、そのあたりいかがでございましょうか、承りたいと存じます。
#139
○政府委員(岩間英太郎君) 四十四年度の単価は、全国平均で申しますと三万三百円でございますが、これを昭和四十五年度におきましては三万二千九百円というふうに引き上げをいたしております。
 なお、お尋ねの神戸市は、四十四年度におきましてはいわゆるB地区というふうに、A、B、C、Dというふうに地区を分けまして、そのうちのB地区ということで、御指摘のように二万九千五百円というふうな単価をとっているわけでございますが、四十五年度におきましては、先ほど申し上げましたように、全国平均の単価が上がっておりますので、それに見合いまして神戸市の分を引き上げていくということを計画しているわけでございます。
#140
○萩原幽香子君 私のお願いしておりますのは姫路でございますが、とにもかくにも基本補助額と実質額というのはどこの県にいたしましてもやはり違うと思うわけでございます。ですから、そういったものに対して引き上げていただきたい。実質的なところまでもっていっていただきませんと、適正基準とそれから補助基準との違いがあり、さらに加えて、こういったような基本補助額と実質額との違いがある、こういうことになりますと、二重にも三重にも市としては負担が大きくなる。こういう問題についてどうぞひとつ十分お考えをいただきたいと存じます。
 あわせまして、過密地域をかかえております市町村の場合には、まず用地を取得するという費用か非常にたくさん要るわけでございますね。そういうことに対して何とか国庫負担率――国庫負担はいまございませんようですけれども、そういう用地を取得するのには国庫はこれだけの負担をするといったような、その国庫負担率というものをまず新設をしていただきたいということ、それから、小・中学校の校舎の建設に対する国庫負担率を何とか、いまのところは小学校三分の一、中学二分の一といったようなものでございますけれども、それを引き上げて、少なくとも三分の二というところへ持っていっていただきたい、こういうふうに考えるわけでございます。それから、地方債に対しましての利子補給などの配慮はできないものでございましょうか。その点ちょっとお聞かせをいただきたいと存じます。
#141
○政府委員(岩間英太郎君) 長々と答弁しておりますとちょっと時間がないようでございますので、簡単にお答え申し上げますと、いま土地の問題、土地の購入金に対する補助の問題、それから利子補給の問題等、土地につきましてはいろいろな御意見が出ております。こういう問題につきまして、来年度は検討いたしまして、できる限りその土地の問題につきましても必要な措置を考えていきたいというふうに考えております。
#142
○萩原幽香子君 ぜひお願いいたしたいと思います。
 地方債の利子、金利の問題いかがでございましょうか。
#143
○政府委員(岩間英太郎君) 地方債は、現在政府保証債がことし五十億ございましたものが、来年度の予算では八十億をお願いしているわけでございます。また年限も延ばしまして、二十年から二十五年にするというふうな措置もとっております。
 そのほかに縁故債等ございまして、毎年二百億以上のものが土地につぎ込まれておるわけでございますけれども、縁故債のほうは、これは御指摘のとおり利子が高いわけでございます。それを何とか引き下げてもらえないだろうかというふうな話も聞いておりまして、先ほどの土地の問題全般の問題といたしまして、その一環としてこの問題を考えてまいりたいというふうに考えております。
#144
○萩原幽香子君 ぜひみなの喜びます方向への御検討を重ねてお願い申し上げたいと思います。
 一方では、世界第二位の生産力を誇るわが日本の国の顔があり、片や青空教室、プレハブ教室あるいはすし詰め幼稚園で、ほんとうに教育を楽しむことも、ほんとうの教育を受けることもむずかしいわが国の顔がある。こういったようなアンバランスこそわが国の悲劇の一面ではないかと考えるわけでございます。明治以来の、一貫してとられてまいりました教育優先の施策は、経済成長を続ける一九六〇年代以降崩壊しつつあるという感を深め、まことに悲嘆にくれておりますのはひとり私だけではないと考えるわけでございます。何とか一九七〇年代の幕あけに臨みまして、大臣は文教予算獲得にどのような挽回策をお考えでございましょうか。最後にお伺いを申し上げたいと存じます。
#145
○国務大臣(坂田道太君) 先ほどもお答え申し上げましたように、われわれの先人が明治以来たゆみなく文教優先の政策を進めてまいりましたことが、やはりアジアの中におきまして日本が相当に高い近代社会をつくり出したことだと思っておるわけでございまして、今後われわれも先人に負けないように、次の世代を背負う青少年のために何らかの、ほんとうに世界の人から見ても日本人は単に経済成長だけじゃないんだ、ほんとうに教育もあまねく行き届いておる、あるいは国民道義も確立しておる、あるいは芸術的にも文化的にも高い水準にある、世界の人がほんとうに日本人はえらいと、そういうような日本人をつくり上げるために私は精いっぱいの努力をすべきであるというふうに考えており、またその責任を痛感いたしておる一人でございます。ことしは国際教育年でもございますし、また国際競争の始まりの年でもございますので、私たちも懸命のひとつ努力をいたしたいと思います。それにつけましてもやはり金を、あるいは予算を編成いたしますにつきましても、財政当局が納得するような予算を私たちが要求しなけりゃいかぬわけでございます。そのことは、同時に、国民大多数の支持のもとにおいてその要求というものが財政当局に示されるという形でもっていきたいと考えておるわけでございます。その意味におきまして、ただいま中教審におきましては幼稚園から大学まで、そしてまた特に大学教育のあり方、あるいは大学の教育研究のあり方等について抜本的な改正の検討をいたしておるわけでございますから、それとにらみ合わせながら将来は将来、またその答申が出ないまでも当然われわれとしてもやらなきゃならないこと、そして方向としてはちっとも中教審の将来考えておるようなことと矛盾しないというような面については、十分来年度の予算にも盛り込んでまいりたい、かように考えておる次第でございます。
#146
○萩原幽香子君 時間がなくなりましたので、最後に沖繩の問題教育についてちょっとお尋ねをいたしたいと存じます。私は去る九日から十二日までの、まことにわずかな日数ではございましたけれども、沖繩を見せていただく機会に恵まれ、まことに百聞は一見にしかず、二年後の復帰に対して現地の人々のさまざまな思い、さまざまな姿というものを身に感じてまいったわけでございます。その中で経済などにつきましてはいろいろな問題もあり、混乱動揺もございましたわけですが、その中でたいへん教育におきましては混乱はないという、そういうお答えをいただいて、私はまことに感激をしたわけでございます。特にそういった先生方のなみなみならぬ御努力に頭の下がる思いがいたしました。日本国民を育てるという信念のもとに今日までやってこられた、こういうことを承ったときに、私はほんとうにそれであればこそいまの復帰ということに対していろいろな問題を持ちながらも、大多数の人が喜べる事態になったのかという感じもしたわけです。しかし使用しております本土の教科書は、あまりにも沖繩の実態とはかけ離れた個所がございまして、沖繩の先生方は、各教科に副読本を出しながら教育を進めておられる。たいへんなことだと思います。そういうことからきます格差というものもございましょう。ですからこういう格差是正のためにはほんとうに復帰を真に喜んで迎えることのできるためにも、私はいまこそ文部大臣がどのような施策をおとりになって、この二年後に返ってきます沖繩を迎えてくださるのか、そういうことについて簡単でございますが承りまして、質問を終わりたいと存じます。
#147
○国務大臣(坂田道太君) 沖繩の教育につきましては、教育水準向上のために昭和二十七年度からいろいろのことをやってまいっているわけでございます。それはもうすでに先生御承知のとおりと思います。たとえば沖繩教員の内地派遣研究制度の実施とか、あるいは教育指導委員の派遣とか、これは昭和三十四年からでございます。現職教員の再教育講師派遣、昭和三十六年からでございます。琉球大学への教授派遣、三十六年からでございます。また物的援助といたしましては義務教育諸学校教科書無償供与の援助、三十八年からでございます。義務教育諸学校施設整備のための援助、四十年からでございます。義務教育諸学校備品費援助、四十年からでございます。社会教育施設等整備のための援助、四十年からでございます。教育研修センター建設のための援助、四十二年から実施されているわけでございます。しかしながらまだまだ日本と沖繩県との格差というものは非常に大きいと思うわけでございまして、沖繩復帰がきまりました本年度におきましては、特に学校施設設備の整備、琉球大学施設設備の拡充整備をはかりますとともに、商業の高校の新設、これは特に力をいたした一つでございます。それから産業教育設備の整備、風疹難聴児学級備品の整備、僻地教育振興のための整備、教育研修センター宿泊施設等増築、それから水産高校実習船の建造、私立学校理科備品整備等の新規事業も計画しておりますし、この総額七十億八千三百万円、前年度に比べて七億一千五百万円増ということになっております。しかし、まだまだこれでは十分でございませんので、今後とも復帰に備えまして、毎年ひとつぜひとも充実した予算を組んでまいりたいというふうに考えておる次第であります。
#148
○萩原幽香子君 大臣、ちょっとすみませんが、たとえば沖繩の子供が大学にまいりますようなときに、これはやっぱり教育の、質的にもやっぱり本土の学生と比べて格差があると思うんです。そういうときに、やはりこれは学力が違っていても、ある程度の差を認めて大学に入れていただくとか、そういったようなことはいかがでございますか。
#149
○国務大臣(坂田道太君) いまの、大学に入るというのは本土の、内地の大学に入るという意味でございましょうか、あるいは琉球大学……。
#150
○萩原幽香子君 いいえ、そうじゃなくて、本土の大学。
#151
○国務大臣(坂田道太君) まあこの辺のところは、ちょっと私としては即座にお答えできないんでございますけれども、私はやはり将来の考え方といたしましては、琉球大学を充実しまして、そしてまあ国立大学への願望も非常に強うございますから、その整備をいたしますとともに、そして教育研究の内容を高めると同時に、やはり琉球大学を第一次にお考えいただくということが好ましい姿ではなかろうかと思います。
 それから、やはりかなりできる人は内地のほうで受験をされるというようなことをお考えいただくほうがいいんじゃないかというふうに思います。ただ、いますぐ何か沖繩の方々は試験を少しやさしくしてというようなことはいかがかというふうに思っております。しかし、何か当局で考えがあればひとつ説明していただきたい。
#152
○政府委員(安嶋彌君) 現在やっております制度としては、国費沖繩学生の招致というような予算が一億四千六百万円、昭和四十五年度の予算に計上されております。これは沖繩の学生を本土の国立大学へ入学させるために必要な奨学資金を支給するということがその趣旨でございますが、本年度予算におきましては、学部学生といたしまして八百十一名、大学院学生といたしまして五十九名の予算を積算いたしておるのでございます。ところが、ただいま先生おっしゃいましたように、沖繩の教育水準と申しますか、学力水準が本土に比べまして若干低いというような事情にございますので、本土の高校生、高校卒業生と同じ水準で大学の入試を受けるということにいたしますと、沖繩の学生が、本土の、特に、いわゆる一流大学ないしはいい大学といわれる大学に入学することがかなり困難なような状況にございます。したがいまして、これは従来から特別な扱いをいたしまして、沖繩の育英会と文部省が協力をいたしまして特別な選考をし、それに合格いたしました者を文部省が各国立大学へ入学のあっせんをいたしまして、いわば別ワクで入学させておるというのが実情でございます。この制度ば、もちろん引き続き継続してまいりたいと思いますが、問題は、沖繩が本土に復帰いたしました場合に、直ちにこの制度をやめてしまうということがいいかどうかという問題があるわけでございます。直ちにやめてしまうということになりますと、沖繩の学生が本土のいわゆるいい大学になかなか入りにくくなるというようなことがございまして、現地側の要望といたしましては、復帰いたしました後におきましてもこの制度を続けてもらいたいという要望がすでに参っております。しかし、復帰いたしました以上は、これは本土と同一に扱うということが一方原則でございますので、沖繩の実情と、それから復帰後、本土の府県と同様に扱うという、そういう原則との調和をどうはかっていくかということが、今後私どもに課せられた具体的な問題であるというふうに考えております。実際上支障のないような方向で十分検討してまいりたいということでございます。
#153
○萩原幽香子君 わかりました。できるだけ沖繩の人たちに対するあたたかい御配慮をお願い申し上げる次第でございます。ありがとうございました。
#154
○杉原一雄君 最後に、資料をお願いしたいわけですけれども、それは予算の説明書の中の算用数字の(8)、この(8)の中に「(公害対策を含む。)」とあるわけで、それを、具体的に説明の中では約四百万円を予算化されているわけです。しかもここにあらわれた文面から見れば、「学校公害に対する学校施設対策に関する調査研究」と、こうあるわけでありますから、私がお願いしたい資料というのは、現在時点で学校がどのような公害を受けているか、公害の発生源も含めて、子供の被害実態等を含めながら、全国的に調査をされた現在の状況、それを資料としてお願いしたいわけですが、もし私がいままでそういう点について知らなかったとすれば、あるいは教育の何々の、文部省の何のどこに書いてあるか、そうしたことを次の委員会等でも明らかにしてもらえばいいのでありますが、もしかりにそういうことがなければ、調査の結果を明示していただきたい。と申しますのは、私が国会に出てから見聞した限りにおいては、あるいは新潟の山下地区の山下小学校の被害の実態、町の人はカラスの学校といっております。これはまさに産業公害であります。それから、去年は軍事基地小松の問題で緊急質問をやっておるわけですが、その際の現地調査の中で、小松小学校の防音の問題がある。しかもそれは二重窓その他である程度飛行機の騒音を阻止することはできたのでありますが、しかしそのことが逆に、防衛庁からこれこれの費用をいただきありがとうございましたという感謝状なり、基地司令永田司令を呼んで学校では感謝の会をやっているというような、私としては全くおかしいことをやっておる。かつまた、この間、二月の十日に佐賀県に行ったわけでありますが、佐賀の農業の実態を調べる中で、白石というところがございますが、これは佐賀県知事等を先頭にして、新しい米つくり運動を展開しておる中で、非常に創意くふうしてやった。つまり地下水、二百メートル掘り下げてかんがいをやった。ところが、そのことで結果的に地盤沈下が起こっている。それは山場と言わずさまざまなところで起こっておりますが、白石中学校のごときは、まさに一メートル沈下しております。沈下しないところとしたところというのは、はっきり歴然として出ておりますから、そうした実態に対処する道は、自主的に地方自治団体がやれということだろうと思いますが、しかし、そういう実態を全体的に掌握しながら、日本の万博に示すような明るい面と、公害に示されたような暗い面を浮き彫りにしながらも、なおかつ、その暗い面に対する、文教部門に対する積極的な努力を期待するがゆえに、私がいま申し上げたような調査を用意していただきたいと思いますが、いかがでございましょう。
#155
○政府委員(岩間英太郎君) 御趣旨に沿うような調査は、四十二年度にアンケート調査をいたしたものがございますので、それを提出いたしたいと思います。
#156
○委員長(楠正俊君) 本件に対する質疑は、本日はこの程度にとどめて、これにて散会いたします。
   午後三時八分散会
ソース: 国立国会図書館
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