くにさくロゴ
1970/04/21 第63回国会 参議院 参議院会議録情報 第063回国会 文教委員会 第11号
姉妹サイト
 
1970/04/21 第63回国会 参議院

参議院会議録情報 第063回国会 文教委員会 第11号

#1
第063回国会 文教委員会 第11号
昭和四十五年四月二十一日(火曜日)
   午前十時五分開会
    ―――――――――――――
   委員の異動
 四月二十日
    辞任         補欠選任
     大谷 贇雄君     鬼丸 勝之君
     宮崎 正雄君     長屋  茂君
     萩原幽香子君     松下 正寿君
     小笠原貞子君     順藤 五郎君
    ―――――――――――――
  出席者は左のとおり。
    委員長         楠  正俊君
    理 事
                田村 賢作君
                永野 鎮雄君
                安永 英雄君
    委 員
                鬼丸 勝之君
                大松 博文君
                土屋 義彦君
                中村喜四郎君
                長屋  茂君
                内田 善利君
                多田 省吾君
                松下 正寿君
                須藤 五郎君
   国務大臣
       文 部 大 臣  坂田 道太君
   政府委員
       文化庁長官    今 日出海君
       文化庁次長    安達 健二君
   事務局側
       常任委員会専門
       員        渡辺  猛君
    ―――――――――――――
  本日の会議に付した案件
○参考人の出席要求に関する件
○著作権法案(内閣提出、衆議院送付)
    ―――――――――――――
#2
○委員長(楠正俊君) ただいまから文教委員会を開会いたします。
 委員の異動について報告いたします。
 昨二十日、大谷贇雄君、宮崎正雄君、萩原幽香子君及び小笠原貞子君が委員を辞任され、その補欠として鬼丸勝之君、長屋茂君、松下正寿君及び須藤五郎君が委員に選任されました。
#3
○委員長(楠正俊君) 参考人の出席要求に関する件についておはかりいたします。
 著作権法案審査のため、四月二十三日、参考人として、日本写真家協会総務委員丹野章君、日本雑誌協会著作権委員会副委員長豊田亀市君、日本映画監督協会専務理事西河克巳君、日本映画製作者連盟製作部会委員藤本真澄君、日本芸能実演家団体協議会常任理事高橋寛君、著作権制度審議会委員野村義男君の出席を求め、その意見を聴取したいと存じますが、御異議ございませんか。
  〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
#4
○委員長(楠正俊君) 御異議ないと認め、さよう決定いたします。
    ―――――――――――――
#5
○委員長(楠正俊君) 著作権法案を議題といたします。
 前回に引き続き質疑を行ないます。
 政府側から今文化庁長官及び安達文化庁次長が出席いたしております。
 質疑の申し出がございますので、これを許します。大松君。
#6
○大松博文君 著作権法は国の文化水準また知的水準のバロメーターであり、そうして同時に国民の文化への憧憬を物語っているものだと考えます。また著作権法は国際的なつながりを持っている法律で、民法とも深い関係があるものです。このような観点で著作権を考えるならば、国際的な考慮が必要であることは申すまでもありませんが、また同時に国内の事情、習慣についても考慮しなければならないものと思います。以上の観点からいたしまして、本案の提案における経過、すなわち著作権制度審議会における作業の概要についてお伺いしたいと思います。
#7
○政府委員(安達健二君) 著作権制度につきまして、戦後久しくいろいろの機会に問題となりましたけれども、正式には取り上げられなかったのでございますが、それが昭和三十七年に著作権制度審議会というものが設けられまして、そこで著作権制度全般について検討することとなったのでございます。以来著作権制度審議会におきましては小委員会を設けまして、慎重に審議をいたしまして、それぞれの小委員会等の会議を合計いたしまして約二百八十回に及ぶ審議を続けられまして、昭和四十一年の四月に答申をいただいたわけでございます。
 この答申に基づきまして、当時文化庁ではなく文部省の文化局でございましたが、文化局の試案といたしまして、著作権及び隣接権に関する法律草案というものを発表いたしまして、それぞれ関係方面、その他一般の意見を徴しまして、四十三年の四月に著作権法案の第一回の閣議決定がございました。それからさらに四十四年の四月――昨年四月にまた著作権法案の閣議決定があり、第六十一回国会に提出されたのでございますが、衆議院の文教委員会で熱心な御審議がございましたが、そのときは審議未了になったのでございます。それから昭和三十七年から四回にわたりまして、これらの著作権制度改革の過程において権利の消滅することとなる著作権者を救済するために、著作権の暫定延長措置が行なわれまして、現在著作権の保護期間は原則として死後三十八年というようになっているのが大体の様子でございます。
#8
○大松博文君 どうもありがとうございます。
 次に、先ほども述べましたように、著作権法というものは国際法上にもつながっておる法律でございまして、こういうことを考えて立案するということ、いろいろ考えますことからして、諸外国でも現在こういうことを考えまして、法を改正をする、問題点があるというときには、その報告書を国内だけじゃなくして、諸外国の専門家にも頒布してその意見を求める方法をとっておると私は聞いておりますが、このたびのこの法案採用にあたりましては、こういうことはおそらくやっておられないのじゃなかろうかと思いますが、まあいまからではこれは無理だという気もしますが、こういうことを今後やられるおつもりはありますか、ありませんか。そうしてまた、この国際的なものにつながるということから考えますと、各国の方にそれを知っていただいて、いい面は指摘していただくという面におきましても、そういう方面に回したほうがいいのじゃなかろうかという気がするわけですが、文化庁のほうでは、そういうことは今後やられるかやられないかというお考えをお聞きしたいと思います。
#9
○政府委員(安達健二君) ただいま御指摘の点でございますが、諸外国まで意見を聞くというようなことをやったのはアメリカだけでございます。そのほかの国はそれぞれの国内におけるいろいろな意見を聞く手続を行なっておるわけでございまして、アメリカは非常に広範な資料を配布いたしておるわけでございますが、これも別に日本の意見を聞きたいといって配ってくるわけではなくて、こういうのができておるから参考までに見てくれという程度のことでございます。
 それから日本におきましては、従来から審議会の答申がありましたとき、あるいは試案がありましたとき、国内におきましては講習会、説明会等を随時開催いたしまして、一般の意見を徴しておるところでございますが、外国等につきましては、これはベルヌの同盟の事務局で出しておりまする「コピー・ライト」という月刊誌がございまして、それにいろいろの国の事情が紹介されておるわけでございます。あさっておいでになる著作権制度審議会委員の野村さんが、それにこの日本の改革の状況はレター・フロム・ジャパンというような形で紹介をされておるわけでございまして、私ども国際会議に参りますときには、それぞれ私ども知り合いになっておりますので、それぞれの人から、そういうものに載せたことの反響、意見などもこれは非公式な形でございますが、聞いてやっておると、こういうことでございます。したがいまして、これを公式に翻訳して各国の意見を問うというようなことは世界もやっておりませんので、そのようなことはいたしませんでしたけれども、私がただいま申し上げましたような非公式な形で意見等は聞いてやってまいったと、こういう事情でございます。
#10
○大松博文君 著作権制度審議会のメンバーというものがどういう分野の方たちであったか、また本案に関係する諸団体の意見などをどの程度この案に反映されたか、さらにまた審議会の答申と本法案との内容の相違があったかどうか、もし相違があるとするなれば、どのような点か、具体的にそういう点をお知らせ願いたい。以上三点をお伺いいたしたいと思います。
#11
○政府委員(安達健二君) 著作権制度審議会は三十名以内の委員で組織するということになっておるわけでございまして、この審議会の委員は学識経験がある者から選ぶと、こういうことになっておるわけでございまして、昭和三十七年に任命されました方々――その後若干の変動等もその間にございますが、審議会の委員になっていただいた方は著作権について十分な理解があり、しかも学識経験のある方というような形で選んでおるわけでございます。最初のときの著作権制度審議会の会長は、いまはおなくなりになりましたが、東京大学の国際私法の先生をしておられました江川英文先生でございました。その後お変わりになりまして、ただいまは金沢大学の学長で民法学者である中川善之助先生が会長になっておられるということでございます。一応学識経験のある方々でございますが、若干はそれぞれの著作権の分野におけるところの意識を反映さしていただくというような意味で権利者的な方々、あるいは著作物を使用する側の方々、中立側の方々、色分けは多少はございますけれども、考え方といたしましては、学識経験のある方から著作権に理解と関心と見識のある方をお願いをしておる、こういうことでございます。
#12
○大松博文君 そうすると、関係する諸団体の意見はどの程度この法案に反映されたのですか。
#13
○政府委員(安達健二君) まず著作権制度審議会におきますところの関係団体の意見の聴取でございますが、先ほど申し上げましたように、著作権制度審議会は四年間にわたりまして検討が行なわれたわけでございますので、その間において、まず審議会の審議の各段階におきまして関係団体等から意見の提出をいただいたわけでございますが、さらに応用美術とか、映画とか、隣接権制度とか、レコードの二次使用等の主要な問題点につきましては、数度にわたって特に関係の方々に来ていただきまして、参考人としていろいろ御意見を伺ったというのが第一の点でございます。
 それから小委員会で中間報告をまとめました段階において、それを公表いたしまして意見を聞く、あるいは小委員会の審議結果がまとまったところでまた意見を聞く。それからさらにまた審議会の審議経過報告に基づいて総会で審議会の答申があった後において関係団体の意見を聞く、こういうようにやってまいりました。それから先ほど申しました文化局の試案の公表、昭和四十一年の十一月に公表いたしました法律の草案についての意見を聞く。それからさらにまたそれを法制局等の間で練り直したのをさらにまた意見を聞くということ、あるいはまた四十三年にできました法案についても意見を聞くというようなことで、随時と申しますか、ある程度まとまったところで段階的に意見を聞きまして、関係団体の意のあるところで入れ得るところはもう十二分に考慮をするというような形でまいったのでございます。
 それから、先ほどお尋ねにございました著作権制度審議会の答申とこの法案との間にはどのような差異があるかということでございます。これにつきましては、こまかいこともございますが、おもなる点だけを申し上げさしていただきますと、第一の点は著作者の死後の人格権の保護といいますか、死後における人格的利益の保護という面につきまして、審議会の答申では、財産権としての著作権が死後五十年でございますが、それと同時に著作者の死後の人格的利益の保護も消滅する。五十年たったならば著作権とともに人格権も消滅する、こういうことになっておったのでございますけれども、これは著作者人格権と著作権とは性質も異る。あるいは現行法における保護の態様、あるいは権利者側としてはそういうことでなしに、死後の人格的利益は永久に保存してもらいたい、保護期間が切れたから五十一年目からは人格的利益は保護しなくてもいいということでは困る、こういう御要望もございましたので、この法案におきましては、死後の人格的利益については、無期限に保護するというように直したことが第一の点でございます。
 それから写真につきまして、嘱託における肖像写真の場合におきましては、嘱託本人がその写真を自由に利用できる方途を講ずる。著作権は御存じのとおり写真をとった撮影者にあるけれども、肖像本人がその写真を自由に利用することができる方途を講ずべきである、こういうような答申があったのでございますが、それをやめたということもございます。
  それからまた写真につきましては、未発表の真の著作物についていわゆる展示権というもの答申では認めてなかったわけでございますが、真にも展示権を認めるというようにしたといような点。あるいはさらに著作隣接権制度におきまして、実演家の保護につきまして、録音、録画権につきまして実演家の保護を厚くしたという点があるわけでございます。
 したがいまして、この答申とこの法案との間におきましては、たとえば保護期間だとかそういうような基本的な点は、原則としては変えていないわけでございますけれども、こまかい問題におきましては、権利者の要望あるいは権利者の保護を厚くするという観点に立って修正と申しますか、答申になかったことをつけ加えたり、あるいは答申とはやや趣きを異にするような規定を置いておる、こういう状況でございます。
#14
○大松博文君 そうすると、いまお答え願いました本案に関係する諸団体の意見は、十分本法案には反映されているということをいま言われたわけですね、十分反映されておりますか。
#15
○政府委員(安達健二君) いわゆる手続の面におきましては、十二分にというほどきいておると思うのでございます。しかしながら、すべての団体の意見を全部取り入れておるかということになりますと、やはり取り入れていないところも残っておるわけでございます。したがって、各団体から言えば、なお望蜀の願いがあるということはこれは当然のことと思いますが、著作権というものは権利者、使用者の間、あるいは権利者同士の間におきましていろいろ利害の錯綜しているところもございますので、全くそれぞれの団体の要望が一〇〇%取り入れられたかと申しますと、一〇〇%でない。やはりなお足らないところがあるということは事実問題としてはございますけれども、
  〔委員長退席、理事田村賢作君着席〕
各団体の意見をできる限り聴取して、そうしてまたその著作者の保護を厚くするという観点に立って、できるだけの努力をしてきたということは事実だと思います。
#16
○大松博文君 本法案の第一条でございますが、「この法律は、著作物並びに実演、レコード及び放送に関し著作者の権利」、この「著作者の権利」といいますのは著作物をさすわけですね。その権利ですね。そうして「及びこれに隣接する権利を定め、」とありますが、「隣接する権利」というのは、「実演、レコード及び放送に関し」の権利を「隣接する権利」とここでうたわれているわけですね。
 それからもう一つ、その次に「これらの文化的所産の公正な利用に留意しつつ、」、その次に「著作者等の権利の保護」とございますが、この「著作者」というのがこの著作権の権利者であり、「等」というのが「及びこれに隣接する権利」と、こう解釈してよろしゅうございますか。
#17
○政府委員(安達健二君) 第一条におきましては、まず著作物に関し著作者の権利というように、著作者の権利は著作物に関する著作者の権利、それから実演、レコード及び放送に関して著作者の権利に関連する権利ということで、ただいまおっしゃいました著作隣接権が含まれるわけでございますか、そのほかに著作者が設定するところの出版権というものも、著作隣接権という厳密な意味ではございませんけれども、著作者の権利に隣接する権利ということで、これに隣接する権利の中には御指摘の著作隣接権のほか出版権も含ませておるつもりでございます。
 それから「著作者等の権利の保護」、この「著作者等」の中には著作者とそれから実演家、レコード製作者、放送事業者あるいは出版権者、こういうようなものの権利の保護をはかるということになるわけでございます。
  〔理事田村賢作君退席、委員長着席〕
#18
○大松博文君 そうしますと、隣接権というものは著作権と評価は同等同格にみなされていると解釈してよろしゅうございますか。
#19
○政府委員(安達健二君) この法律におきましては、著作権と著作隣接権とを同じ法体系のもとに保護をする、こういう考え方に立っておるわけでございます。この著作権と隣接権とは別の法体系でこれを規定するということももちろんあり得るわけでございます。しかしながら、この法案におきましては著作権も著作隣接権も同時にこの法律によって保護をする、こういう考え方に立っておるわけでございまして、したがいまして、この著作権と著作隣接権とは、著作権が著作物を使用することに関連して生ずる権利である。実演家は、歌手は、作詞、作曲家のつくった歌を歌うということによって実演が生まれるわけでございます。この著作物を利用する、著作者に関連して生ずる権利である。あるいはレコード製作者は著作物を録音して、そしてそれによって生ずる権利である。あるいは放送は著作物を放送することに伴って生ずる権利であるというようなことで、著作隣接権としてとらえておるわけでございまして、そして著作権と著作隣接権とはそれぞれ権利の内容等も違うわけでございます。したがいまして、この同等とおっしゃいます意味が、同じこの法律でひとしく保護をしているという意味におきましては同等、同格ということになるわけでございますが、その権利の内容等はそれぞれ若干異なっておるということでございます。その意味において全く同じものである、同格であるということにはならないわけでございますが、この法律におきましては著作権と著作隣接権をあわせてこの法律の中で保護をするということ、そしてそれぞれの権利にふさわしい保護のしかたをしておるというのがこの法案のたてまえでございます。
#20
○大松博文君 この第一条によりますと、著作者の権利保護ということが掲げられております。この権利保護がいわば全体を包んでおるような感じを私は受けるわけでございます。しかし反面、ここに「文化の発展に寄与する」ということで利用ということも一応掲げられていると思います。そうしますと、一方では権利を保護しながら一方では文化の発展のために利用を促している。保護と利用とは相反する意味が含まれておるような気が私はいたします。この相反する二つの目的のためにどのような調整をするのか、その方法、またその調整の基準はどうであるかということをひとつお伺いいたしたいと思います。
#21
○政府委員(安達健二君) この第一条に書いてございますように、この法律の究極の目的は「文化の発展に寄与すること」であるということが、「もつて」というようなこと、「もつて文化の発展に寄与することを目的とする。」というようにしてあらわしてあるわけでございます。著作者等の権利の保護をはかるために、文化の発展に寄与すること多大であるという観点に立って著作者等の権利の保護をはかり、もって文化の発展に寄与するということでございますから、著作者等の権利の保護をはかることと文化の発展に寄与することは両者相反するものではなくて、文化の発展の中に権利の保護は含まれるものであるというように考えられると思うのでございます。
 次に文化の発展という面からいいますると、著作者等の権利を保護するだけではこれはやはり文化の発展に寄与する面において問題もあり得るであろう。たとえば著作権の保護期間というようなものにつきましてこれは永久ではない。保護期間につきましては、法案によりまして原則として死後五十年というように一定の期間を限って、それ以後におきましては著作物の自由なる使用を認める、こういうことも著作者の権利を死後五十年保護をしておる、同時に文化の発展という面から考えても、五十年後は自由にしていくということもあるわけでございます。その他公共の必要性その他によりまして、著作権の制限というものは設けられてあるわけでございまして、この著作権の制限ということも、この文化的所産が公正に利用されるということが中心でございまして、そういう面からいたしまして著作権を制限していくということでございますが、これはいわば著作権というものを認める場合におきましても、そこに公共的な一種の限界というものがある。その限界をつけるのは何かというと、それは文化の発展に寄与するためには権利の保護をはかると同時に文化的所産の利用にも留意しなければならない、しかしながらその利用というものが著作者の権利を全く無視して行なわれないように、公正に利用が行なわれるようにという意味におきまして、「これらの文化的所産の公正な利用に留意しつつ、著作者等の権利の保護を図り、もつて文化の発展に寄与することを目的とする。」、このように規定しておる次第であります。
#22
○大松博文君 次に、この著作者の権利の保護については、著作者には経済的な面からの保護を与えるとともに、またいまも言われましたが、人格的な面からの保護を与えるということも非常に重要なことであると思いますが、この点今回の法案においては、現行法と比較しましてどのような保護を与えておられるのか、それを簡単に説明していただきたいと思います。
#23
○政府委員(安達健二君) 著作者の人格的利益を保護するということは、ただいまお示しのとおり経済的利用権の保護にまさるとも劣らない非常に重要なことであるという観点からいたしまして、この法案におきましては、現行の著作権法と比べまして、その著作者の人格的利益を保護するためにいろいろな措置をいたしておるところでございます。
 まず第一の点といたしまして、現行法におきましては、著作者の同意なくして著作物を改ざん、変更することを得ずというように、一種の公法的な制限にいたしているのでございます。これに対しましてこの法案におきましては、著作者はその有する人格権的なものはこれを私の権利、私法上の権利としてこれを設定いたしたわけでございまして、十八条以下にございますように、たとえば公表権でございますと、「著作者は、その著作物でまだ公表されていないものを公衆に提供し、又は提示する権利を有する。」というように、権利を占有するというようにいたしたのでございます。これはどういう違いがあるかと申しますと、そういう著作者人格権を「侵害する者又は侵害するおそれがある者に対し、その侵害の停止又は予防を請求することができる。」というような物権的請求権というようなものをはっきり認めるという結果になる点が第一点でございます。
 第二点といたしましては、著作者人格権の内容を拡大をいたしておるわけでございます。現行法におきましてはいま申しましたように、著作者の同意を得ない著作物の改ざん変更、それから著作者の同意を得ない氏名称号の変更、隠匿、著作物の題号の改変というようなものは禁止されているのにとどまるのでございますけれども、この法案では、著作者に未公表の著作物を初めて世に問うかどうかを決定する権利、自分の著作物を世に問うかどうかをきめるのは著作者であるという意味におきましての公表権というものを新たに認めた。それからまた氏名を表示する権利、著作物に実名でいくか変名でいくか、あるいは無名でいくかというようなことを決定する権利、それから従来からございました同一性を保持する権利というようなものをはっきり規定いたしたというのが内容でございますが、さらにこれは多少あとのほうに出てまいりますけれども、百十三条の二項に「著作者の名誉又は声望を害する方法によりその著作物を利用する行為は、著作者人格権を侵害する行為とみなす。」と、これは具体的な例を申し上げますると、たとえば芸術作品として作成されたところの裸体画をたとえばストリップ劇場の宣伝看板に利用するというようなことは、これは著作物を別に手を加えているわけじゃございませんけれども、その著作物の使い方によって著作者の名誉を傷つける、声望を傷つけるということもこれははっきりと禁止をしようというように、著作者人格権の内容を拡大しておるというのが第二点でございます。
 それから第三点といたしましては、著作者人格権の性格とかあるいは権利行使の規定を整備いたしたのでございますが、一番大きな点は、著作者人格権の侵害について、いわゆる経済的利用権としての著作権の侵害と同一の刑罰をもって臨むということでございます。現行法は、著作権の侵害の場合には二年以下の懲役と五万円以下の罰金ということになっておるわけでございますけれども、人格権につきましては五万円以下の罰金だけになっているわけでございます。これがこの法案におきましては、著作権も著作者人格権の侵害も、いずれも三年以下の懲役または三十万円以下の罰金というように、著作者人格権の侵害に対して強い刑罰をもって臨む、著作権と同様な刑罰をもって臨むというようにいたしておるのでございまして、その他著作者の死後における人格的利益の保護についても種々規定をいたしておるところでございます。
#24
○大松博文君 非常によくわかりましたが、まあこの法案を見ますと、この人格権という著作者または隣接権者、こういうものを非常に保護し、そして刺激していろいろ文化の発展に寄与するように促進するんだということから、まあ新しいこの法案によりますと、公表権というようないままでになかったのが新しく出てきたというほど、こういうものを保護し刺激を与えるということに非常に熱意を注いでおるということをいろいろ考え合わせましたときに、この前も鈴木委員からちょっと話が出ておりましたが、「学校教育の目的上やむを得ないと認められるもの」とございますが、この前に、「その意に反してこれらの変更、切除その他の改変を受けないものとする。」、まあこれはかってにその意に反してそういうことをしちゃいけない。そして、学校教育の目的上やむを得ないと認められるもの、これはまあ学校教育上だから十分これはいろいろなことをやっていいんでございますが、これほど人格権を認めておるならば、ただ通知するだけじゃなくて、そこにやはり相手の意思を尊重して承諾を得るというような何かそういう文句に修正したらいいんじゃなかろうかと私は思うのでございますが、どうでございましょうか。
#25
○政府委員(安達健二君) この二十条の二項は、教科書に著作物を利用すると、ある人の文学作品を教科書の中に挿入すると、あるいはある人のつくった音楽を音楽の教科書に入れると、まあこういう場合のことを言っておるわけでございます。この場合におきましても、原則といたしましては、第二十条の第一項に従って著作者が同一性を保持する権利でございますので、その意に反してこれらの変更、切除その他の改変は受けない。もし無断でやった場合には、先ほど申し上げましたような罰則、あるいは侵害するおそれのある場合の物権的な請求権というものがまあ認められるわけでございます。で、この第二項の第一号の場合は、そういう原則を踏まえました上でなお教科書に著作物を利用する場合におきまして、そのまま載せる場合はもとよりよし、それから著作者の同意を得て内容を変える場合はこれはよい、しかしながらそこまで至らない軽微なものについては、これはこの教科書の編集者なりの判断でできるところを若干は残してもいいのではないかというのがこの第二十条第二項の意味でございまして、これはこの前の委員会でも具体例を申し上げましたけれども、たとえば「弟のたかしを自転車に乗せて連れて行った」、この場合に自転車に乗せる相乗りというところが問題になるわけでございます。相乗りであるからほんとうはこのときの文章の意味がわかるというようなこともないわけではございませんけれども、小学校のような段階になりますと、むしろ子供はその自転車に相乗りすることがいいことだというように教科書に書いてあると思いがちでございます。したがいまして、これはこう書いてあるけれども、ほんとうはいけないのだということを先生が説明してもなかなか子供はわかりにくいわけでございます。したがいまして、そういうようなまあ小学校の発達段階等からいたしましても、やはり相乗りは教科書にも書いてないほうが望ましいということが言えるわけでございますので、「弟のたかしを一緒にお店まで連れて行った」というように直す程度のことは、用字用語の変更に準ずるようなことではないだろうかという考え方でこのような特例を設けておるのでございます。
#26
○大松博文君 よくそれでわかるのですが、そうして「通知する」ということになっておりますね、ただ通知だけすればいいと。これはこの前鈴木委員も言っておりましたが、これは通知するだけでいいようにとられがちだからして、了承を得るというような何か文句に私修正したらいいんじゃなかろうかと思っていまお聞きしたわけです。これはただ通知すればそれでいいのだというようなとられ方をしがちだと思う。まあ人格権を認めておるのだからして、そういうところをもうちょっと尊重しちゃどうだろうかというのが私の意見なんです。
#27
○政府委員(安達健二君) 人格権を尊重することは非常に大事なことでございます。したがいまして、人の著作物を教科書に利用する場合には通知をしておくと、あなたのものを使いますよと。そうしてそのままであればよし、それがある程度の改変を加えるならば、もちろんその通知とは別に著作者の同意を得て直さなければならない。しかし、その用字用語の改変とか、それに近い準ずるような非常に軽微なものについては、これはまあ著作者のといいますか、教科書の編集者の判断でやること、まあこういうようにするわけでございます。もし通知があって、著作者の人格権を侵害するというような事態が生ずれば著作者は直ちにその著作者人格権に基づくところの侵害の予防停止の措置を講ずることができるわけでございます。したがいまして、この教科書に載せる場合においても人格権というものを尊重するために、特に同じ、そのまま、載せる場合でも通知をするというような形でこの保護をはかろうといたしておるのでございます。
#28
○大松博文君 この人格的利益の保護について、この著作者と同様に実演家にも同様のことを考えなければいけないと私思いますが、この法案に規定がない理由と、また当然そうされるべきだと私自身考えますが、これについてのお考えをお聞かせ願いたいと思います。
#29
○政府委員(安達健二君) 実演家の人格的利益の保護をはかるという必要があることにつきましては、全くお示しのとおりだと思うわけでございます。ただ、その実演家の人格的利益の保護をはかるという場合にどういう方法があるかと申しますと、一つは民法の不法行為による保護ということがあるわけでございます。ある実演家のたとえばレコードを、実演が入ったレコードを非常におそく回す、あるいは非常に早く回すということにすると、その実演が変な歌だなあというふうになるわけでございまして、その場合には直接実演家というものの名誉が棄損されるというように、民法の不法行為によって保護が十分はかられるというようなことも考えるわけでございまして、それと並んで、あるいはそれ以上に著作権法において実演家の人格的利益の保護を規定する必要があるかどうかということにつきましては、現段階においては、なおそこまでの必要は認められないということでございますが、将来非常にビデオカセットとかというようなものが普及してまいりまして、あるいはそういうことが出てくるかもしれませんが、それはもう少し実演の利用の実態ということを十分勘案いたしまして、今後の検討課題にすべきところではないかということで、この法案におきましては、民法による保護をもって現段階においては足りるのではないか。で、それ以上必要かどうかにつきましては、今後の実演の利用の実態を見きわめた上でさらに検討をいたしたい、かように考えているところでございます。
#30
○大松博文君 このいわゆる隣接権者に対して人格権を認めておらない。そうすると、著作物に対して創造的なものが加わってこそ初めて著作物も生きてき、そしてまた著作物もその実演家によって死にも私はすると思います。そうするとたとえば幾らいい作曲、作詞をしたところで、悪いピアニストにひかれては、その作曲、作詞は私は生きてこないというのと同様で、こういう実演家にだって人間としての固有権利があるように、人格権というものを私は認めるべきであると思うし、またあるものだと私思います。こういう点において今後創設すべきものであり、この際だって私入れていくべきものじゃなかろうか。ちょっといまの御説明によりますと、隣接権者というものはワンチャンスを与えるものだけだと、また与えられるべきものだというような受け取り方を私しましたが、これは以後契約的になるからということかもわかりませんが、しかし、こういうものだって、第一条の目的のところに「隣接する権利を定め」、として保護すると、これだけうたっておられることから考えますと、十分こちらも同等に扱っていいものであり、それだけの資格家に評価をすべきものだと思います。いかがでしょう。
#31
○政府委員(安達健二君) 実演家の人格的利益もまた保護すべきであるということにはもちろん私どもも同意でございますけれども、ただ、保護が民法のいわゆる不法行為に対する保護とは別に、さらにまた実演家の人格利益の保護のための特別な規定を置かなければならないかどうか、この辺については、そういう民法に保護がなければこれは問題でございますけれども、そういう保護が一応ある以上はそこで足りるのではないかということでございまして、これがさらに足りないというような事態が将来出てまいりますれば、これはやはり考えなければならないのでございますけれども、現在のところはこの民法による保護で足りるのではないか。また著作権制度審議会でもこの問題は十分審議をされたわけでございますけれども、まずはこの民法による保護でいいのではないだろうかと、こういうことになったわけでございまして、今後の課題としては、実演の利用の実態等を勘案して、特別な民法による保護以上に必要なような事態が出てくるようならば、これに応じて適切なるまた規定を置かなければならない、こういうことでございます。
#32
○大松博文君 今度の第百一条に「著作隣接権の存続期間は、次の各号に掲げる時に始まり、当該各号の行為が行なわれた日の属する年の翌年から起算して二十年を経過した時をもって満了する。」となっております。そして、「レコードに関しては、その音を最初に固定した時」として、二十年というこの期間についてどういう算定法によってきめたか、お伺いしたいと思います。
#33
○政府委員(安達健二君) この著作隣接権という権利の形で保護をするということは、今回の法案によって初めて生まれたものでございまして、この新しい著作隣接権の保護期間というものをどう定めるかということにつきましては、いろいろの検討をいたしましたが、この隣接権につきましては一九六一年、昭和三十六年に制定されました実演家、レコード製作者及び放送事業者の保護に関する条約、いわゆる隣接権条約というものができておるのでございます。これは実演とレコードとそれから実演家とレコード製作者と放送事業者を、実演というものの利用形態等を勘案いたしまして、その三者の間を適切なる関係を持ちながらこれを保護するためにはどうしたらいいかということについての国際的なメド、基準をつくったものでございまして、その意味におきまして、この条約はパイロット条約であるということが言われておるわけでございまして、今後これらのものを保護する場合には、この条約を一応基準とすればまずは誤りのないその保護の体制がしかれる、そういうことになるわけでございます。したがって、日本で著作隣接権という制度を創設するにつきましては、やはりこの条約を参考にするということが一番安全な道であるということからいたしますと、その隣接権条約の第十四条に、「この条約が与える保護期間は、次に掲げる年の翌年から起算して二十年より短かくてはならない。」ということで、二十年というものが一応最低期間の保障として定められているわけでございます。新しく著作隣接権の保護の制度を出発する場合には、やはりこの国際基準として定められた二十年から出発するのが最も妥当ではないかということから出たのでございます。
#34
○大松博文君 これほど隣接権にしましても保護を与えて、そうして今後大いに活躍してもらうという意味において、これほど第一条に目的に入れておるにもかかわらず、この隣接権だけを、ほかの著作物なんか五十年、映画にしたって写真にしたって五十年、にもかかわらずこれだけを三十年から二十年にする。そうしてその原因はどこかというと、この昭和三十六年につくった隣接権条約の十四条だと、こうおっしゃるのです。しかし、これはそうすると、そのときの二十条に、「この条約がいずれかの締約国について効力を生ずる日の前に当該締約国で獲得された権利をなんら害するものではない。」、二項として「締約国は、この条約が当該締約国で効力を生ずる日の前に行なわれた実演若しくは放送又はその日の前に固定されたレコードに関しては、この条約の規定を適用する義務を負わない。」というこの二十条がございます。これからしますと、いまさっきおっしゃられました昭和三十六年の隣接権条約、これは加入国も現在締約国が十ヵ国だと思います。そしてこの十ヵ国だけが締約国であって、そしてほかの国はいまのところは締約国じゃない。そして日本が今後こういうものを参考にして、いま最低限としてやられようとしておりますが、ほかの国だってこの隣接権というものは人格権も認めていこうという傾向にあるのじゃなかろうか、日本でも現在この隣接権というものをもっと大切に、人格権も認めていかなければいけないというような声があちらこちらに上がっているような気がいたしますが、この点に関してどういうお考えかお伺いしたいと思うのです。
#35
○政府委員(安達健二君) この隣接権条約の第二十条のいま御指摘の第1項は、この条約に入ったことによって、その前に生じた当該締約国で獲得された権利を何ら害するものではないということで、これはそれぞれ締約国関係の問題をいっておるので、直接いまの問題とはかかわりはないものと思うのでございます。
 それから第2項は、実はこれは隣接権と著作権と若干といいますか、根本的に考え方の違うところでございます。この隣接権は第二十条二項で、「この条約が当該締約国で効力を生ずる日の前に行なわれた実演若しくは放送又はその日の前に固定されたレコードに関しては、この条約の規定を適用する義務を負わない。」ということは、隣接権制度をつくった場合に遡及しては適用されない、こういう考え方でございます。これに対しまして著作権になりますると、ベルヌ条約の第十八条によりますと、「この条約は、その効力発生の時に本国において保護期間の満了によりすでに公有となった著作物以外のすべての著作物に適用される。」、公有になって保護期間を終わっているものには適用されないけれども、なお保護期間が進んでいるものについては著作権を、この条約に入った場合にはそれについて適用されるという、いわゆる遡及の原則が定められておるところでございます。しただいまして、著作権と隣接権とはその点が違うというような、国際的にそういう考え方があるということを二十条は言っておるわけでございまして、この法案の百一条でこの二十年をきめたことと矛盾するものではないものと考える次第でございます。
#36
○大松博文君 三十年を二十年に引き下げた、これが妥当じゃなかろうかということでございますが、私これは三十年なれば三十年にし、ほかのものを五十年にしたんだからして、何も下げずに三十年をそのままにしておいても、ほかの国でもこれから三十年いや全部五十年に持っていくということになっていく可能性も私あると思います。だからして、まあ二十年を下らないということだからして、これが最低限だから、最低限にしておけば無難だということじゃなくして、現在三十年なれば三十年にして、そのままおいでおいでいいのじゃなかろうかという気がするのでございますが、どうでございましょうか。
#37
○政府委員(安達健二君) お示しのことは、現在著作権法によりまして、いわゆる演奏、歌唱というものは著作物として保護するという形になっているわけでございます。この演奏歌唱と今度の実演とはだいぶ違うわけでございまして、もちろんこの実演の中には演奏歌唱も含んでおるわけでございます。具体的に申しますと、実演家には俳優、舞踊家というようなものが演奏家、歌手のほかに加わっておるということが一つあるわけでございます。
 それから、いわゆる演奏歌唱というものを著作権で保護する意味が一体どういうことであるかということにつきましては、いろいろ学説その他もあるわけでございます。それにつきましては、この現行の法の二十二条ノ六によって、レコードに写調する権利というようなものが実質的なものではないかというようにいわれておるのでございます。それが今度の実演に関する権利というものは、そのほかにたとえば放送権、有線放送権、あるいはこのレコードの二次使用料の請求権というように、いわゆる実演家の権利として保護するところの実演家自体の範囲も非常に拡大しておるし、たま権利の内容自体も拡大をしておるということでございますから、従来のものとの比較だけでは、この保護期間の問題を三十年を二十年に削ったんだと、そういうものではない、従来とは全く新しいものとしてつくられておるということを御了承いただきたいのでございます。また放送事業者の権利というものは従来全然認められておらなかったのでございます。それを新しく隣接権として認めるというようなことになっておるのでございますので、前とは非常に事情が、前提が異なっておるということでございまして、言うならば、新しく著作隣接権の制度を設けたということでありまして、その中に従来の演奏歌唱、レコードの製作者の権利というものがある部分は入ってきておるけれども、事柄はそのものを乗りかえたものではなくて、新しい権利を設定した、その中に前のものが乗り移ってきておるものもあると、こういうことでございますので、三十年を二十年に削るというような、そういう趣旨のものではないということを御了承願いたいのでございます。
 それから隣接権の保護期間につきましては、死後五十年とか、実演家の場合にそういうようなふうな規定のしかたをしておる国はございません。やはり実演の行なわれたときから起算をして、そして二十年なり二十五年なりというような形の規定をいたしておりますので、そこは著作権保護の期間とは根本的にたてまえが違っておるということからひとつ御判断をいただきたいと思う次第でございます。
#38
○大松博文君 そうしますと、この附則第十五条でございますか、このレコードですと、いままでは保護期間が三十年だと、そうすると今度は二十年になりますと、その間いままで二十九年であったものならば、そこで二十年でぱんと切られてしまう。二十三年であったものならば二十年になりますから、三年間ぱんと切られて、あと二十年ということになってきますと、いままでのレコード製作者とかはいろいろな企業的な安定を失ってしまうということになる。そういうものを何か保護してやると、こういうことはこの中につけられないものでしょうか。これを見ますと、「(その期間が同日から二十年の期間より長いときは、同日から二十年間)とする。」と、これでぱっと切ってしまいます。そうしますと、いままで三十年であった方は、三十年あるものだと思ってその権利を持続してきたにもかかわらず、そこから切られた場合に、この人のいわゆる人間としての人格権というか、そういうものをもっと尊重し認めてあげたいという気がするのです。
#39
○政府委員(安達健二君) それは附則の第二条の第四項と、それから第十五条とをあわせごらんいただきたいわけでございまして、附則の第二条四項にございますように、三項からいたしますと、原則といたしましては、この法律の施行前に行なわれた実演、レコード、放送については適用しないということをたてまえとしつつ、四項でもって、旧法によるところの著作権があるものについては、新法のほうに乗り移ることを認めると、こういう規定を条約の規定にも言っておるわけで、さかのぼらせる、遡及効を認めるという前提の上で、今度は十五条の第二項が出てくるわけでございますので、十五条の第二項を見ていただきますと、「前項に規定する実演又はレコードに係る著作隣接権の存続期間は、新法第百一条の規定にかかわらず、」、いまの保護期間の規定にかかわらず「旧法によるこれらの著作権の存続期間のうちこの法律の施行の日において残存する期間――とする。」というのがたてまえでございまして、従来のものの残存期間は原則として認めていく。ただし、二十年間だけは、その従来の期間を保証するということで、二十年後においては新しい制度に切りかえていく、こういうことで新しい保護期間にそろえていくというような配慮をしているわけでございますので、不当にこれらの旧来の権利者の保護に欠けるということはないものと考える次第でございます。
#40
○大松博文君 附則第十四条、レコードによる音楽の演奏権というのがございますが、この本条の政令において定めるとする事業としては、具体的にはどのようなものを予定しておるのか、お聞かせ願いたいと思います。
#41
○政府委員(安達健二君) この附則十四条の規定は、ただいまお話がずっとございましたいわゆる実演家の権利ではございませんので、ここは著作物の演奏のことでございますので、著作権にかかわる問題でございます。具体的に申しますると、作詞作曲家の著作権の権利の及ぶ範囲の問題でございまして、しかもレコード等を用いてするところの演奏、レコードによって音楽を演奏する場合について、この法律では原則として放送、有線放送、公の演奏のすべてに権利を認めるというたてまえをとっておるわけでございますが、わが国の現状からいたしまして、「営利を目的として音楽の著作物を使用する事業で政令で定めるものにおいて行なわれるものを除き、」従来のままであるということでございますが、権利が及ぶのは放送と有線放送と政令で指定されるものにのみ限られる。そのほかのものは従来のとおり自由である、こういう規定になっておるわけでございます。そこで、政令で指定すべく、現在考えておりますのは、およそ三つの種類がございます。第一の種類は、いわゆる名曲喫茶、音楽喫茶のたぐいでございまして、かりに、たとえば規定といたしましては、名曲喫茶、音楽喫茶等客に音楽を鑑賞させることを営業の内容とする旨の表示を店頭に掲げる、まあ名曲喫茶といってもわからぬじゃないかということですから、看板にはっきりと、わが店は音楽喫茶、名曲喫茶であるということを店頭に掲げるか、しかし店頭には掲げてないけれども、中で名曲喫茶のようなことをやっておられては困るということで、または客に音楽を鑑賞させるための特別の設備を設けておる、たとえば通常のステレオでなしに、試聴室を設けるとか、あるいは曲目の解説をするというようなふうにして、お茶を飲ませるだけじゃなくて音楽を鑑賞させることを目的とする設備が内部にあるというよりな、いわゆる音楽の鑑賞を営業の内容としていることが明らかなものにまずは限定しよう。それから第二の部類は、ダンスホール、ナイトクラブ、キャバレー等でダンスをさせるわけでございますけれども、その場合になまでバンドを入れてやる場合には、これはなま音楽でございますから音楽の著作権が現行でも及んでおるわけでございますけれども、ダンスホールでなまでなしに、レコードをかけてダンスをさせるということになると、音楽がないとダンスはできないわけでございますから、したがって音楽は不可欠でございますから、そこではダンスホール、ナイトクラブ、キャバレー等で客にダンスをさせる営業で録音物によって音楽を演奏する場合には権利が及ぶと、こういうようにしよう。それから第三のグループは、たとえば新宿のコマ劇場等で営利を目的として行なわれる演劇、舞踊、ショーというようなことの芸能的な催しをいたしますと、そこではやはりこの音楽の使用に伴って舞踊なりショーが行なわれるわけでございますから、したがってその場合は音楽の使用は不可欠であると、したがってその場合におきましては、この録音物による音楽の演奏権を付与すべきである、こういうような非常に音楽の使用ということが直接的なものをとりあえずは指定をいたしまして、そして権利を及ぼしていくと、こういう考え方でこの十四条の規定が成り立っておるところでございます。
#42
○大松博文君 そうしますと、今後いま地方でいろいろ心配されておりますが、コーヒーの値段が上がるのじゃなかろうか、またその徴収の基準というのはどういうところに置かれるかというようなことの危惧がございますが、まあおそらく、ちょっと私聞いたところによりますと、ドイツあたりでは一年間に喫茶店でそういうものを徴収したところで四千円か五千円だということを聞いたことがございますが、こういう基準とか、そうしてまた一般の方がコーヒーの値段が上がるのじゃなかろうかという心配をされておりますが、その点についてちょっとお伺いしたいと思います。
#43
○政府委員(安達健二君) いま申し上げました音楽喫茶等で、レコードによって音楽を演奏する場合のその使用料をどうするかということでございますが、現在この音楽の使用料につきましては、日本音楽著作権協会という団体ができておりまして、その団体が社団法人でございますが、文化庁長官の許可を受けまして著作権の仲介業務を行なうということになっておるわけでございまして、その仲介業務者が使用料の規程を定める場合には文化庁長官の認可を受けなければならないということで、かってに値段をきめて取るわけにはいかないということになっておるわけでございまして、そのきめます場合の手続といたしましては、まずその仲介業者が著作物使用料規程をつくって文化庁長官の認可を受けなければならないとして、持ってまいりますと、その要領を官報に公告をいたすわけでございます。そしてその要領について公告の日から一ヵ月以内に関係団体に意見を求めるわけでございます。それでその一ヵ月以内に意見を求めて、その意見を一カ月後に著作権制度審議会につけまして、著作権制度審議会でこれを審議する。その審議の結果に基づいてこの使用料規程を認可すると、こういうことになって初めて徴収が始まると、こういうことになるわけでございます。
 ただいまお尋ねの音楽喫茶等でやる場合に、一体どれぐらいを取るのだろうかということでございます。これにつきましては、もちろん音楽の著作権協会と関係団体の間でお話し合いがあって、それから認可申請が出て、これを認可するということになるわけでございますけれども、先ほどお示しのように、まあ大体この国際的な値段というものがあるわけでございまして、そういうものによりますと、その店の規模によっても違うわけでございますが、大体まあ五千円から一万円ぐらい、しかもこれは月額でなくて、年額一つの音楽喫茶店について五千円から一万円ということでございますから、著作権使用料が取られるようになったからコーヒーが上がるということはとうてい考えられないということでございまして、今後はその便乗をむしろ警戒しなければならないとすら思うようなことでございます。
#44
○大松博文君 商業用レコードの二次使用については九十七条に、レコード製作者の権利及び権利の及ぶ範囲を放送事業者及び有線放送事業者と限定されております。しかし現在ミュージックボックスといいますか、これはレコード放送事業者と同じように、絶対の不可欠要素として使用しておるが、こういうものも本法案で規制していただけないだろうかということをひとつお伺いしたいと思います。
 現在こういうジュークボックスを持った方、こういう所有者があります。そうしてそういう所有者が大きい企業としてやっている場合もありますが、また一台、二台持っていて、それをいろいろなところへ回しまして、そうしてそこから一回に二十円程度の使用料を取ったり、あるいはダンスホールとか、また旅館とかいろいろなところへそういうものを入れておきまして、向こうからそれの賃貸し代というものだけを取って商売しているというのがあちらこちらにありまして、こういうことから言いますと、放送業者以上にこういう方にとってはレコードが不可欠要素になってくるのじゃなかろうかという気が私するわけでございます。こういうジュークボックスの業者もここに入れるべきじゃなかろうかという気がするわけでございます。
#45
○政府委員(安達健二君) ジュークボックスはただいまお示しのように、コインを入れると、それでレコードが回って音楽が聞える、こういうことでございまして、ジュークボックスを置いてある形態は、ある業者が総括的に持っておって、それをそれぞれの旅館とかその他のところに置いておくという場合もございましょうし、あるいはその店の人自体が持つということもあり得るところでございます。で、ただいまお示しのところは、いわゆるレコード製作者の権利としてどこまでそのレコードによる使用料の徴収権を認めるかという問題でございます。これにつきましては、審議会でも非常に議論のあったところでございます。まず条約関係と申しますか、先ほど申し上げました隣接権条約ではどうなっているか、国際的にはどういう考え方になっているかをちょっと紹介させていただきたいのでございますけれども、この隣接権条約によりましては、そのような権利を認めるかどうか、二次使用料請求権を認めるかどうか、認める場合にどこまで権利を認めるかということは、それぞれ締約国の判断に待つということでございまして、二次使用料請求権を認めるかどうか、どこまで認めるかはまだ国際的に確立されたものがないというのが実態でございます。したがいまして、新しくその権利を認める場合には、どこまで認めるかということ、あるいはさらに認めるかどうかということから出発しなければならないわけでございます。
 で、このレコード製作者にそういう権利を認めることの理由は何かということでございますが、レコードは実は製品として売っておるわけでございます。売った製品からさらにそれを使うために金を取るという理由ははたして出るであろうかという問題が生ずるのでございます。売ってあるならば、その中にもう製作者の利益というものはすでに含まれておるのではないかという議論もあり得るところでございます。しかしながら、これについてはこういう見解がございます。レコード製作者の売っておるのは、言うならば家庭用に売っておるから、それを使って営業用に使ってもうけるならば、そのもうけたものについてやはり元の売り主もまた何ほどかの利益に均てんすべきだ。こういう考え方にいわば立っておるところでございます。したがって、これは著作者の場合とは非常に考え方が違ってくるわけでございます。そこで、ジュークボックスまで及ぼす、どこまで及ぼすかということにつきまして、まず第一段は放送であろう。放送は非常にレコードを使いまして、なまであれば相当金がかかるところをレコードによって非常に安くやっておるということがあるから、その利害の均衡上からして、そこに放送というものに対して権利を認めることはいいだろう。あるいはさらに音楽の有線放送ということの場合になりますと、まあそれはいいではないか。そこまではいいが、しかし最初の出発であるから、これをどこまでに及ぼすかということは非常に議論のあるところである。初めて認める権利であるから、その範囲は、初めて認めるかどうかは問題だけれども、まずは認めよう。認める場合には、一番そのレコードによって利益を受けるところまでにとどめておくべきではないか。こういうことで、一応この答申におきましても、法案におきましても、放送と有線放送、そこのところまでにしておこうということになったのでございまして、そこのところはなおこれを及ぼしていけばいくらでも及んでいくわけでございます。しかしながら、先ほど申しましたレコード製作者の権利、メーカーとしての権利というものはどこまでにとどめるかどうかについては非常に慎重でなければならない。最初の権利であるから放送と有線放送にとどめておくべきである。こういう考え方に立っておるわけでございまして、この範囲は、将来のレコードの使用の実態等においてなお検討の余地はあるかと思いますが、この著作隣接権を新たに設けて、しかも二次使用権を、従来なかった権利を認めるということであれば、その範囲はおのずからモデレートなところから出発をすることが最も妥当である。こういうことで放送、有線放送に限ったと、こういうことでございます。
#46
○大松博文君 今度は紛争処理、第百五条で「この法律に規定する権利に関する紛争につきあっせんによりその解決を図るため、文化庁に著作権紛争解決あっせん委員を置く。」ということになっておりますが、これはこの法案の目的である双方の主張の争点を確かめ、また実情に即した事件の解決にあるとも解釈されますが、この目的達成のためには、現行の司法機関に属する民事調停制度があり、これで十分私は目的を達せられるのじゃなかろうかと思うのですが、この紛争のあっせん制度というものをつくられた趣旨をひとつ御説明願いたいと思うのです。
#47
○政府委員(安達健二君) 著作権に関する紛争と申しますか、争いと申しますか、これは非常に専門的なものでございまして、したがいまして、そういう問題についてはなかなか解決が権利者等で簡単に片づかないという問題があるということが一つ。それから訴訟をするということになりますと、これは非常に金とまた時間を要するということがあるわけでございまして、この著作権に関する紛争を合理的に、しかも容易に解決する方法はないかと、こういうようなことが出発点でございます。そこで、ただいまお示しの民事調停によるということももとより可能ではございます。しかしながら、民事調停の段階になりますと、民事調停の分野におきましてやるということになると、やはり著作権の専門家を得るとかいうようなことで非常に困難がございまして、民事調停による著作権の紛争を解決するというようなことはあまり行なわれていないのでございます。それはまあ結局行なわれていないということは、またその制度が十分そういうものに適合していないきらいがあるということではないだろうか。そこで、今度著作権制度を整備しました機会に、著作権者の権利を擁護するとか、あるいは著作物の利用を円滑にするように、権利者、使用者が合理的な解決を簡易にやるというようなためには、こういうあっせんの制度を設けたらどうか、こういうような考え方に立ちまして、この紛争処理、著作権紛争解決あっせん委員の制度を設けた次第でございます。
#48
○大松博文君 いまあまり民事調停というこの制度は活用されていないと言われましたが、著作権法というものがこれは無体財産であるということから、世間でもあまり関心もないというところにも私はあったのじゃないかと思いますが、こういう法案をつくって、そうしてこれが法律となっていきます場合に、皆によく知ってもらうということにおきましても、裁判で法律の適正な解釈と運用がなされ、そうして数多くの判例が次から次へと出ていくことによって、社会一般人もなるほどこういうものがあってこうなるのかということにも私はつながっていくのではなかろうか。一つは話し合いだけでということになりますと、とかく法を無視するような形になって、はらでああそうか、それじゃまあああそうか、そうだというようなことになって、これではあまりにもいわゆる日本人的な解決方法になってしまうのではなかろうかという私懸念を抱くわけなんでございます。それともう一つ、民事調停法というのがありながらこういう法案の制度というものをつくることにしますと、国民は両方あるならば、一体どちらにどうしたらいいだろうという迷いを生ずることにもつながってくるのではなかろうか、こういう気もするわけでございます。
 それともう一つ、百九条の二項でございますが、「委員は、事件が解決される見込みがないと認めるときは、あっせんを打ち切ることができる。」、こういうことがうたわれておるわけですね。「この事件が解決される見込みがないと認めるときは、ということになりますと、打ち切ってしまえば、それじゃ今度は民事調停法のほうに持っていくのかということにもなるし、また、こういうことをうたっておりますと、どの事件でも解決しないでいいのだ、いいのだということにとられる可能性も私はあると思う。そういうとられ方をするなら、この調停制度というものは要らないのではなかろうかという気がするのでございますが、どうでございますか。
#49
○政府委員(安達健二君) この著作権紛争解決あっせん委員は、文化庁長官が事件ごとに三人以内の著作権または著作隣接権に関する学識経験のある方を委嘱して行なうわけでございます。したがいまして、お示しのように、なあなあであまり合理的でない解決がはかられるということではなくて、なあなあではなくて、むしろ逆に法律的な正しい考え方に立ちつつ実情に即した解決をしようということがねらいであることを御了承いただきたいと思うわけでございます。
 それから民事調停との関連でございますが、これはあっせんという制度でございまして、調停のように強制力を持たせるというようなことがないわけでございますから、したがって、あっせんの見込みがないときにはやむを得ずあっせんを打ち切る。そうして、もうその段階ではあるいは民事調停なり訴訟に持っていってくださいということで終わるということが、このあっせんということのほどほどのところではないか、こういう考え方に立っておるわけでございます。したがいまして、人によって紛争あっせんのほうが簡単でいいと思われる方もあるでしょうし、それじゃなかなか解決できないから民事調停がいいという方もあるでしょうし、あるいは訴訟にまで持っていかなければならないという方もあるでしょうから、それぞれによっての実態に応じてこれは紛争当事者の考え方に待つというようなことで、いろいろな方法を設けて合理的な解決をはかるということが、この著作権法によるところの権利者の保護と、そして文化的所産の公正な利用、そして文化の発展に寄与する、こういう目的に沿い得るのではないかと、こういうような考え方でこのような制度がつくられておるわけでございます。
#50
○大松博文君 そうすると、たとえばこの法案が法律になりまして、あっせん委員を置くのであるが、これに解決を頼みに持っていかなくともいい、民事調停に持っていってもいいということになるわけですね。どちらでもいいわけなんですね。
#51
○政府委員(安達健二君) ええ。
#52
○大松博文君 どちらでもいいということになれば、あまりこれは重みがなくなって、まあそれでいいんじゃなかろうかということになるんじゃありませんですか。
#53
○政府委員(安達健二君) 両者とも認められるわけでございまして、その紛争当事者があっせん委員による解決が簡易で合理的でよろしいということになれば、こちらのあっせんの制度に依頼されましょうし、そうではなくて民事調停のほうがいいと思われる方もありましょうし、それぞれの紛争当事者の意思に従ってそれぞれの解決のいろいろな方法を設けておくということがいいのではないか。相互矛盾して、あっせんの申し立てをしたり、調停ができないとか、裁判ができないということになれば困るわけでございますが、それぞれの道が開かれておるということであれば、それが一番いいのではないだろうかと、こういうことでございます。
#54
○大松博文君 この第二条の1項に著作物の意義として、「思想又は感情を創作的に表現したものであって、文芸、学術、美術又は音楽の範囲に属するものをいう。」となっていますが、近ごろ情報媒体の発展に伴いまして、コンピューターでこの創作がいろいろなされておると思いますが、このコンピューターというものは感情というものは入らない、感情というものを創作的に表現したものでもないと私思いますが、私最近このコンピューターが作曲を、そしてまた文章をつくるということも現にもうやっているように聞きます。そういうことになってまいりますと、翻訳ということに関しましても、まあ音翻だけならばもう現在やっておるのです。そのうちに翻訳までやるような時代になってきますからして、こういうものにつきましてもプログラムとか、またこういう文章とか、音楽とかいろいろなものの著作権というものが生じてくるんじゃなかろうか。そういう点について明らかに持ち主がだれだ、依頼した人がだれだと、そういう人に、それともコンピューターにこの点をはっきりしておかなければ今後紛争のもとになってくるような気がいたします。これは今後の課題だろうと思います。こういう点で当局はどういうようにお考えになり、またどういうように処置されようとしておるのか。この法案の中には一応そういうものがいまのところ見当たらないような気がするわけでございます。
#55
○政府委員(安達健二君) まず第一点は、著作物として「思想又は感情を」ということで、「又は」といったりしておりますから、思想だけ、でもよろしいし、また感情だけでもよろしいということでございます。それからコンピューターに関しましては、まあ著作権の領域ではソフトウエアが問題になるわけでございますけれども、そのプログラムが著作物と認められるものであれば、そのプログラム自体を複製して持っていく、それを使ってまたほかの機械でやるということになれば、盗んでいってやるということになれば、その複製に当然著作物としての保護が及ぶということにはなるわけでございますけれども、コンピューターの問題はそういうことではむしろないわけでございまして、コンピューターに関連する著作権の問題といたしましては、プログラムの内容を保護しなければならないということになるわけでございます。またコンピューターに他の著作物を利用するというようなことがございます。あるいはコンピューターによって新しい著作物ができてくるというようなこともあるわけでございまして、そういう場合に一体どういうふうに、だれが著作者であって、その著作権をどう保護するかというようなことは非常にむずかしい問題でございまして、こういう問題については国際的にもまだ固まった考え方ができていないのでございますが、これはしかし、大事な問題だということで、ユネスコとそれからベルヌ条約のベルヌ同盟の事務局でもってこの問題を検討しようということになっておりまして、まず事務局で資料をつくるということになっておりますが、まだ事務局では資料自体ができないという状況になっておるところでございます。資料が出ましたならば、おそらく国際会議が開かれると思いますので、そういうところで問題点、解決方法などもだんだん出てくるだろうと思うわけでございまして、しかもこのコンピューターになりますと、そのハードウエアとの関連もやはり当然考えなければならないわけでございまして、あるいはプログラムの保護自体が逆にまた工業所有権の保護の問題でもあるというようなこと等もございますので、この法案でそういうことまで解決することは不可能でございますので、こういう問題は、ぜひひとつ将来の問題として国際的な動向をも見きわめながら、適切なる保護の方策を考えていかなければならない重要な問題であると考えるところでございます。
#56
○委員長(楠正俊君) 午前中の質疑はこの程度とし、午後零時三十分まで休憩いたします。
   午前十一時四十一分休憩
     ―――――・―――――
   午後零時四十分開会
#57
○委員長(楠正俊君) ただいまから文教委員会を再開いたします。
 休憩前に引き続き質疑を行ないます。質疑の申し出がございますので、これを許します。多田君。
#58
○多田省吾君 午前中に大松先生から御質問があったようでございますが、この著作権法案は高度の文化的な法であり、また文化のバロメーターともいわれている大事な法であると思います。しかしながら、この現行法の著作権法は七十年来のものでございますから、いわば前世紀の遺物であると、このようにもいわれているわけであります。びほう的には何回も改正はされてきたのでありますけれども、この進展する社会において、開発途上国であるとかあるいは新興諸国にも劣るような内容であるということで今回は全面改正をはかられたわけでございますし、この改正法案がなるべく早く施行されるようにという要望も非常に強いのでございます。で、それに関連しまして、この法案には政令も非常に多いし、あるいは現在著作権というものがいわゆる無体財産権であるということで、わが国の著作権意識も非常に低いと言わざるを得ません。訴訟を起こしてもすぐ示談になったり、あるいはここに審議会長の中川氏のことばにもありますけれども、「何といってもわが国の著作権意識はまだ極めて低いといわねばなるまい。」、少し読み上げますと、「試みに地方へ講演に行ってみたまえ。「今日拝聴できなかった者のために、御講演を録音させて頂かして下さい」などと、五度に三度は頼まれる。あるときは、いかにも向うに当然の権利があるかのように、またあるときは、講演者を喜ばせるためのお世辞の気味を含めて、いわれるのである。そんなとき私はよく、「著作権制度審議会の会長としては、そうした録音をお断わりしなければならない筋合いのものだと思いますが、今日は特別に中川個人として承知することにいたしましょう」と諧謔と皮肉をまじえて答えるのである。」というようなことをおっしゃっているわけでございます。講演のみを考えましても、非公開の講演をテープにとって、講演者の了解を得ないで公開をしたり、そういうことが平気で行なわれる。あるいはその他の著作権においても同じようなことが言えるのじゃないかと思います。
 こういった現状において、文部大臣、また文化庁長官にお尋ねしたいのでございますけれども、この法改正案が施行される段階において、この政令にきめられたいろいろな運用の適正化をはかる問題、あるいはこういった著作権意識を高揚する問題についてどのようなお考えを持っていらっしゃるか、また今後もいろいろな社会の進展に伴って改正しなければならないようなことも起こるに違いありませんけれども、それに対してどういう態度で臨もうとしておられるか、まずその基本的な態度についてお伺いしたいと思います。
#59
○国務大臣(坂田道太君) 今回の著作権法の改正というものは明治以来の抜本的な改正でございます。そして、またいまお示しになりましたように、なかなかこの著作権の内容というもの、あるいはその権利というものについて、関係者は幾分承知はいたしておると思いますけれども、一般にはきわめて十分了解をしていない、理解をしていない面があろうかと思います。したがいまして、この法律が通り、そして施行されるというようなときには、もちろんわれわれといたしましては、その運用について十分この法案の趣旨、精神を体しまして、その実をあげたいというふうに考えます。と同時に、またこの法律の趣旨等を広く浸透するように、広報活動を通じ、いろいろのやり方でもって周知徹底させなければならないというふうに考えておる次第でございます。
#60
○多田省吾君 これは安達次長でけっこうでございますが、著作権とは何かということでございますが、まあ学問的には、著作権とは著作者人格権と著作の財産権の併存を説く見解という二元説とか、またその二つの権利を持ったところの一元的権利である、基本権であるというこういうような一元説というような学説もありますし、まあそのほかこの法案を見ますと、十八条から十九条、二十条の一項に規定する権利を著作者人格権として、二十一条から二十八条に規定する権利を著作権と言う。このような規定もあります。この場合の著作権というのは、著作の財産権といわれるようなものであるとも思います。最初にこの著作権というのはどういうものであるか、そういった定義を簡単でけっこうですからおっしゃっていただきたい。
#61
○政府委員(安達健二君) 著作権は、まず著作物に関する著作者の権利であるということになるわけでございますが、著作者は、法案の第二条で定義いたしますように、「思想又は感情を創作的に表現したものであって、文芸、学術、美術又は音楽の範囲に属するもの」、この著作物について、著作物を創作した著作物が持つ権利であると、まあこういうことになるわけでございます。この法案では、著作者の権利を著作者人格権と、それからいまお示しのように、経済的利用権としての著作権というように二つのものを総称しておるわけでございまして、著作者は著作に伴ってこの人格権と財産権としての著作権を共有すると、こういうことでございます。日本におきましては、従来からただいまお話のございました著作者の権利、この人格権と財産権としての著作権というものにつきましては、従来からいわゆる二元説的な考え方に立って運用されておるわけでございます。著作者の権利でございますけれども、著作者人格権というものは一身に専属するものであって、譲渡することのできないものである。これに対して著作権というのは財産権であって、これは他人に全部または一部を譲渡することのできるものである。こういう考え方に立っておるわけでございまして、また、運用上からもそういうように処理するのが適切であるということでございます。したがいまして、著作者人格権と著作権とは、両方が著作者の権利である、こういうように考えられるのでございます。したがいまして、この法案におきましても、従来と同じいわゆる二元説に立っておるところでございます。ただ、法案の名称を著作者等の権利というようにいたしますとわかりにくいので、著作者の権利等は隣接権等も入っておりますので、総称しまして、簡易にわかりやすく著作権法と言っておるわけでございますけれども、厳格に申しますと、著作者の権利と隣接権者の権利と、そういうものに関する法律ということになるわけでございます。
#62
○多田省吾君 次に、国際条約関係について若干お尋ねいたしますけれども、ベルヌ条約と万国著作権条約と、この二つに日本は入っておるわけでございますが、残念ながらまだ一九四八年のブラッセル改正条約等においては入ってない。この入ってない理由として、レコードの二次使用の問題で若干特例を設けておるので入ってないんだと、こういう御答弁もあったわけでございます。で、審議会の答申等においては、このブラッセル改正条約に入れないというような答申ではおそらくないと思いますけれども、今後それをどうなさるおつもりなのか。いまのままで何とか入ろうと思われているのか、あるいは但し書きをとって改正して入ろうというようなお気持ちなのか、あるいはやむを得ないというお気持ちなのか、その辺のところはどう思っておられますか。
#63
○政府委員(安達健二君) 日本が入っておりますベルヌ条約はおよそ二十年ごとぐらいに改正をされておりまして、現在の一番新しいのは、一九六七年――昭和四十二年のストックホルム改正条約でございますが、その前の一九四八年、ただいまお示しのブラッセル改正条約というものに相当数の国が現に加盟をしておるということでございますから、政府といたしましては、やはりこのブラッセルの改正条約にも加入したいと、加入することが望ましいという基本的態度をとっておるのでございます。ただ、これに入るためには、ベルヌ条約のブラッセル改正条約の要求するところを満たしたものでないと、満たした国内体制ができないと入りがたいということがあるわけでございまして、いわゆる死後五十年の保護ということは実現されましたし、また録音物によるところの音楽の演奏権等も一般的に認められておるわけでございますから、内容的に申しますれば、これはこのベルヌ条約の定める国際的基準は実質的には満たしておるわけでございますけれども、わが国の実情からいたしまして、附則十四条というものを設けるということが必要であるということになりますると、ブラッセル改正条約に加入することは困難であると。困難であるというところは、多少解説をいたしますると、このブラッセル改正条約に入りました場合に、外国の著作権者が条約上の権利として、たとえば著作権の暫定的に認められていないところの一般喫茶店等に対して権利を主張するというようなことがございますと、条約のほうがその場合には優先をいたしますので、外国の権利者にはその一般喫茶店にも権利は及ぶけれども、国内の権利者には及ばないというようなそういう矛盾を生ずるおそれがあるわけでございます。ところが、日本がやっておりまするこの制度は、原則的に言いますると、非常に国際的水準にほとんど近いわけでございまして、したがいまして、外国の権利者等が、まあこの程度にやってくれれば、もう日本としては十分国際的水準にこたえたものであるからといって、そういう権利を行使しないというような見通しがはっきりすれば、必ずしも入って入れないことはないだろうというようなところがあるわけでございますけれども現在のところはもう少し世界の国々の状況等も考えなければなりませんし、音楽の権利者団体というようなものの統合がどうあるかということ等も勘案しながら考えていかなければならない。その意味におきまして、一つは、いまお示しのような附則十四条の問題でございまして、これはやはり国内における著作権意識というものとの関連において考えなければならないということでございますから、そういうものについての著作権意識を十分徹底するということが第一段でございます。それから第二段としましては、外国等に対して日本の実情を十分知ってもらうというようなことによって日本に対する信頼性を持ってもらうというような両方のことがございますると、このブラッセル改正条約にあるいはこのままでも入れるということもあるだろうし、あるいは十四条というものがある程度要らなくなるという段階もくるだろう、そういう内外の状況を見ながら、あるいは努力を重ねながらそういう状況に持っていくようにいたしたいと、かように考えておるわけであります。
#64
○多田省吾君 やはり日本の特殊性ということから附則十四条をそのままにしても、ブラッセル改正条約あるいはストックホルム改正条約に加入する体制をとったほうがわが国としては望ましいのではないか、たとえばいままで翻訳権の十年留保について日本の特殊性をストックホルム改正条約でのんだというような例もありますので、そういった点から働きかけをしたほうがいいのじゃないかと、こう思いますけれども、どう思っておられますか。
#65
○政府委員(安達健二君) 翻訳権の十年留保の点は、これは条約上留保が正式に認められているわけでございますから、その留保に基づいて国内法の特別規定を設けることは許されるわけでございますけれども、いまの附則十四条の関係はそういうものではございませんから、したがって、正式にこのままでブラッセル改正条約に加入できるかということになりますると、困難であるということになるわけでございますので、先ほど来申し上げているようなことによりまして、一面では著作権の意識を高める、あるいは同時に外国のほうにもこの実態を知らせるというようなことと相待って将来を期するということではないかと思います。
#66
○多田省吾君 それでは、隣接権条約は昭和三十六年に三十九カ国がローマに集まって、現在十ヵ国が加入しておるわけでございますが、今回の改正案ではその条項をほぼ参考にしたということでございますから、全部オーケーだと思いますが、隣接権条約に加入する考えはございますか。
#67
○政府委員(安達健二君) これは附則の第二条第五項がございまして、「新法中著作隣接権に関する規定は、国内に常居所を有しない外国人である実演家については、当分の間、適用しない。」というような規定を置いておるわけでございまして、この著作隣接権の制度はわが国において今回初めて採用した制度でございます。それからお示しのように、隣接権条約自体がなおまだ十ヵ国しか入っていないというような関係もございます。条約に入ります場合には、国内の実演家と同時に締約国の実演家について保護を与えなければならないということになるわけでございます。国内の実演家に対して国内で保護を与えるということは条約云々の問題は生じないわけでございますが、締約国の国民の実演家を保護するということは、同時に日本の実演家が締約国において保護されると、こういう相互関係というものを予想してそういう条約に入る、相互保護の関係に立つということになるわけでございます。しかしながら、まだ現在のところは十ヵ国であるということと、また諸外国、ヨーロッパのように非常に近接した国でございますと、実演の相互利用ということが非常にたびたびございますけれども、日本とまだヨーロッパ等との間は遠うございますので、そういう点からいいますると、わが国の実演家が外国で保護をされなければ困るというようなところまでまだいっておりませんので、この隣接権条約の問題はもう少しく世界の情勢を見、また実演の利用の状況等も考えた上でいたしたいということで、現在の段階では、なおまだこの隣接権条約に加入するというような方向でなしに、まずは世界の情勢と日本なり外国の実演の利用状況を見たいと、こういうことでございます。
#68
○多田省吾君 もう一つ外国との関係でございますが、まあ共産主義諸国、あるいは韓国、台湾等の諸国はまだ二つの著作権条約に入っていないわけでございます。日本と特に親密な関係にあるアジア諸国においてもインドとタイとフィリピンだけが入っておるというような状況でございます。当然ソ連との文化交流も非常に盛んでございますから、いろいろな関係が生じていると思いますし、また韓国等においては、そういった条約に入っていないためでしょうか、日本の新聞小説等がまだ製本されないうちに、韓国においては製本がなされるというようなことも起こっているようでございます。こういった共産圏諸国、あるいはこういった韓国、台湾等の近接のアジア諸国との関係はどうなっているか、簡明にお答え願いたい。
#69
○政府委員(安達健二君) お示しのように、ベルヌ条約に入っている東南アジアの国はインド、フィリピン、タイというようなことになっておるわけでございまして、日本との間に十分な条約関係がないということでございます。条約関係がないと、日本人の著作物はそれぞれの国で保護をされないということになるわけでございます。ただ、中華民国、台湾との関係におきましては、日華間の平和条約というものによりまして、無体財産権に関して最恵国待遇を与えるということを約しておるわけでございまして、それでこの条約によってわが国は中華民国の著作物を保護するというようなことになり、あるいは中華民国がわが国の著作物を保護すると、相互関係になるということもございますけれども、中華民国では登録制をとっておりますので、登録をしなければ保護しないということで、実際に保護が十分行なわれないという関係になっておるわけでございます。これらの国との間の関係で、日本人の著作物をそれぞれの東南アジアの諸国で保護し、またそれぞれの国のものを日本で保護するということは望ましいわけでございまして、その方法としては、これらの国が、ベルヌ条約なり万国著作権条約に加入してくれるということが一つと、二国間の条約を結ぶと、こういう二つの方法があるわけでございます。これらの東南アジアの諸国でまだ入ってない国につきまして、現在なおまだこういう条約に入るという動きが現実にはございませんけれども、実は来年になりますると、ベルヌ条約と万国著作権条約の一部改正が行なわれまして、新興国、開発途上国のためには先進国の著作物を利用するについて便宜を与える、著作権の保護期間を半分にするとか、そういうふうな措置がきまってくると思います。そうなってくると、これらの国もベルヌ条約なり万国著作権条約に入りやすいというような事態も生じてくると思いますので、われわれといたしましてはそういう条約の成立に協力するというようなことによって、これらの国との間で条約関係ができる日を期待いたしておると、こういうことであります。
#70
○多田省吾君 アジア諸国の問題はわかりましたですが、たとえばソ連とか中国、あるいは東欧諸国は日本との貿易も非常に盛んになっております。また文化の交流も非常に望ましいわけでございます。残念ながら平和条約が締結されておりませんけれども、こういった国々との間の二国間条約というふうなものはできないものかどうか。また、いま現在無条約のもとにおいてはどういうまずい点が起こっているか、また支障は何も起こってないか、その辺をお伺いしたいと思います。
#71
○政府委員(安達健二君) 共産圏諸国でございますが、まずソ連は、ベルヌ条約にも万国著作権条約にも入っていないわけでございます。このソ連がそれらの条約に入るということを期待するということで、条約改正会議があるたびに、そういう国が入りやすいように改正を試みておるという状況になっておりますけれども、たとえば著作権の保護期間などが、ソ連におきましては著作者の生きている間と、その法定相続人の生存間というように立て方がちょっと違っておりますので、なかなか入りにくいというようなところが一つあるということでございます。
 それから、東欧の共産圏諸国――ポーランドとかルーマニア、それからチェコスロバキア、ユーゴスラビア、こういう国はみなベルヌ条約に入っておるわけでございまして、相互保護の関係に立っておるということでございまして、まあ中国との関係につきましては、現在そういう条約を結ぶような状況になっていないわけでございまして、これはまあ将来の問題でございますが、実際に条約関係になりませんと、お互いにソ連の著作物は日本では保護しない、日本のものはソ連では保護しない、こういう関係でございまして、やはり文明国でございますから、相互に著作物を保護する関係が望ましいということはお示しのとおりだと思います。
#72
○多田省吾君 次に、この法律の目的、第一条について御質問いたします。これは衆議院においても何回もやられておりますけれども、大事な問題でございますので、簡明に大臣または長官にお答えをいただきたいと思いますが、「これらの文化的所産の公正な利用に留意しつつ、」という文言が入っているために、どうも著作権の保護よりも利用者保護に傾いているのではないかというような非難があるわけでございます。いままで特許法とか実用新案法とか、あるいは意匠法とか、こういったいわゆる無体財産権というような法律を見ましても、従来もたとえば特許法でも、「発明の保護及び利用を図ることにより、発明を奨励し、もって産業の発達に寄与することを目的とする。」というような、産業発達というような全体的な目的のために奉仕する手段だというふうにとられるような目的にしているわけでございます。また、いままでの現行法が、目的そのものは書いてありませんけれども、どうもいままでの現行法の成立の条件等を考えますと、まだまだ、たとえば学芸美術の発展をはかり、よい著作物が世上にあらわれることを奨励するというようなことが言われておるわけです。で今回は、やはりこれだけの相当な改正案でありますし、こういったいわゆる基本権というものは、特に現行の憲法とか、あるいは近代社会のもとにおいては、個人権的な意味に着眼すべきである、あるいは私権や財産権性を強調すべきである、このように言われている段階でございますので、第一義的に、前面にこの著作権の保護ということを打ち出すためには、これらの文化的所産の公正な利用に留意するというような利用者保護に傾いた文言が入っていることはどうも望ましくない、こういった非難が強いわけであります。この点なぜこういう文言が入ったのか、そうしてあくまでも著作権保護を第一義的に掲げるのだという趣旨があるのかどうかですね、それをお答え願いたい。
#73
○国務大臣(坂田道太君) 著作権保護の目的は、著作者等の人格的及び経済的な利益を確保するということによりまして著作者等の労苦に報い、かつは著作物のより豊かになることを期待し、そうして文化の発展に寄与するということでございますから、この法律の目的がいまお述べになりましたように、著作者等の権利の保護を第一義とするということは申すまでもないところでございまして、そういう精神でこの第一条というものが書かれて、その目的といたしておるところでございます。でございますけれども、また一方におきましては、そのような権利を認めるその著作物そのものがやはり広く国民に利用をされて初めてその意義があるというふうに考えられるわけでございまして、著作物の利用につきましてもやはりこれは考えていかなきゃならないと思うのでございます。この場合においても、しかし著作物の利用が公正に行なわれなきゃならぬということはまた当然なことでございまして、著作者の利益を守る上において十分考慮をすべきところだと考えるわけでございます。で、このことを明らかにするために、実は「公正な利用に留意しつつ、著作者等の権利の保護を図り、」ということにいたしたわけでございます。
 なお、この「公正な利用に留意しつつ、」というこの文言は、著作物を使用する営利企業等の利益を考慮したからではございません。あくまでも一般国民の公正な著作物の利用あるいは享有というものを考慮したことでございまして、このことはむしろ著作物というものの権利を認めるその趣意そのものが、むしろこういうような公正な利用ということにおいてその存立の意義があるんじゃないかということから、このようなことも第一条で目的に入れたわけでございます。
#74
○多田省吾君 次に、応用美術の保護の問題でございますが、ブラッセル条約等においては、応用美術というものを著作権の中に入れているわけでございますけれども、この案では美術工芸品ですか、それだけを入れておるようでございますが、そのほかの染色図案等は入れていない。イギリス等の先進諸国においては、こういったものは全部入れているというようなふうになっておりますけれども、なぜ応用美術を美術工芸だけに限ったのか、その辺を簡明にひとつお答え願います。
#75
○政府委員(安達健二君) 第一の点はブラッセル改正条約、まあ一般的にベルヌ条約におきまして、ストックホルム改正条約におきましても応用美術は保護をするけれども、応用美術の著作物及び意匠に関する法令の適用範囲、その保護の条件は同盟国の法令でそれぞれ定めるのである、こういうことでございまして、応用美術を保護するけれども、その範囲と保護のしかたはそれぞれの国の実情に応じた方法でしなさいと、こういうことになっておるのが第一点でございます。それで今度の法律におきましては、先ほどお示しのように、美術工芸品というこれも一種の応用美術であるわけでございますが、一品制作のようなそういう応用美術、美術工芸品というようなものは保護対象にはっきりと入れようと、こういうことになったのでございます。そのほかいわゆる応用美術にはお示しのような染色図案等、実用品の模様として利用されることを目的とするものがあるわけでございます。これにつきましては、実は現在日本の保護体系といたしまして、意匠法による保護というものがあるわけでございます。意匠法による保護によりますると、登録を要件といたしましてその保護期間は十五年というふうに、登録から十五年というふうになっておるのでございます。ところが、著作物が保護いたしますると、これは死後五十年というようなことになるわけでございまして、それからまた意匠法と著作権法では保護の中身も違ってくるわけでございまして、したがって、そういう染色図案のような応用美術を保護するためにはこれらの関係を明快にしなければならない点があるわけでございまして、それぞれの国でいろんなやり方がありまして、たとえば両方で保護する方法もございまするし、あるいは物によって物品に応用されたならば、もっぱら意匠法による保護にゆだねるというような方法もございまして、これらにつきまして著作権制度審議会でいろいろと審議がございまして、一応の調整案も出たわけでございますけれども、なお関係者の十分なる意見の一致と申しますか、大体の方向においての一致ができなかったというようなことで、これは今回はできなかった。それからなお応用美術の問題につきましては、国際的にもなお保護方策をどうするかという、より有効な保護の方法はどうかということの研究も行なわれておりますので、そういう方向等も勘案して、将来の課題として染色図案等の応用美術については検討をしていこう、こういうことになっておるところでございます。
#76
○多田省吾君 次に、第二条の用語のほうで若干質問いたしますが、たとえばオペラ、オペレッタ、こういった場合は、第二条の用語の定義によりますと、三の実演に入るように思えますし、また十六の上演に入るようにも思えますけれども、これは一体どうなるのか。たとえばオペラなんかは言語の著作物と音楽の著作物と一体化したものであるということもいわれておりますけれども、この権利の範囲を明らかにしてください。
#77
○政府委員(安達健二君) オペラは主としては音楽の著作物でありますが、同時にそこに演劇的な要素が加わったものでございまして、あるいは楽劇的な著作物というような言い方をしておる場合もございます。ただし、これはオペラの台本なりそのもとになった曲が著作物になるわけでございまして、そのオペラに出た人は実演家ということで保護される、こういうことになるわけでございます。
#78
○多田省吾君 次にやはり第二条に関してでございますけれども、映画の著作権の帰趨ということも非常に問題になっておりますけれども、映画製作者は「映画の著作物の製作に発意と責任を有する者」とありますが、これはプロデューサーにあたるのかどうか。それから同時に二条の十二号の共同著作物の定義から見ますと、映画というものは共同著作物になるのかという疑問が持ち上がります。もしなるとしたならば、今度は六十五条によって監督云々は共有著作権を持っておる、こういうことにもなると思います。また「各共有者は、他の共有者の同意を得なければ、」云々、こういう文言がございます。そうしますと、この二十九条の規定と矛盾しないかという問題が起こりますが、これはどうですか。
#79
○政府委員(安達健二君) まずプロデューサーということばをお使いになりましたけれども、いわゆる製作者といっているのは、条約のメーカーということばを使っておるわけでございまして、著作物の衣へんのある製作とはメーキングとイニシアチブと責任を持っておるもの、こういうことで映画会社とか独立プロのプロダクションをいうわけでございます。それに対していまおっしゃいましたプロデューサーというのは、この十六条の映画の著作物の著作者の中にございますが、衣へんのないほう、すなわち芸術的な意味でそういう著作物を制作する人がプロデューサー、こういうことでございます。したがいまして、いわゆるプロデューサーというのは監督等と並んで映画の著作者になる、こういうことでございます。それが二十九条によりまして、先ほど来申し上げておりまする経済的利用権としての著作権はメーカーたる映画製作者に帰属する、こういう関係になるわけでございます。したがいまして、この六十五条でいっておる場合の著作権は、すなわちその二十九条からいたしまして、映画については共有著作権が直ちにはそこからは共有状態にはならないということになるわけでございます。したがいまして、映画の著作物が完成したときに、映画製作者に帰属する著作権は直ちにはそこでは共有関係にはならないということになるわけでございます。しかしながら、映画の監督等は著作者であって、いわゆる人格権を付与されるわけでございますから、したがいまして、その六十四条にいうところの共同著作物の著作者人格権の行使ということになると、監督等はその共同著作者として著作者人格権を六十四条によって行使をする、そういうことになるわけでございます。
#80
○多田省吾君 次に、十条の五に「建築の著作物」とありますけれども、建築の範囲というのは非常にわかりやすいようでわかりにくいわけなんで、たとえば学問的に庭園なんかの造園を建築だという見解もありますし、あるいは今度は学園都市のような都市全体が著作物とみなされるのかどうか。その場合の共同著作権との関係はどうなんですか。その辺の範囲をどう考えていらっしゃるのか、その点お答え願いたい。
#81
○政府委員(安達健二君) 通例庭園の場合でございますが、庭園の設計などをいたしまして、それに基づいて庭園ができるという場合は、一種の庭園が著作物であるということが言い得ると思うのでございます。ただ、まあ借景とか、そういうものが入ったものまでは、もちろんそこまでは入らないわけでございますけれども、一応庭園はそういう意味の著作物になるということが言えると思います。
 それから第二のいわゆる学園都市のようなそういう全体の建築計画と申しますか、そういうものがここでいう建築の著作物として保護されるかどうかということにつきましては、まあこの全体の設計図というようなものは一種の著作物として保護されるのでございますが、それは一種の設計図なり模型というもののことでございますが、それに基づいて建てられる全体の設計計画自体というものは、ここでいう「建築の著作物」としては保護されないのではないか。ここでいっているのは個々の建物をいうわけでございまして、その場合にはもちろん神社、仏閣、教会等のような装飾的な建築のみならず、実用的な建物等であっても、それが美術的な著作物性を有するという段階になれば、それは「建築の著作物」として保護をされると、こういうことだと思います。
#82
○多田省吾君 それに関連しまして、第二十条の第二項第二号に「建築物の増築、改築、修繕又は模様替えによる改変」は認められているわけでございますけれども、昭和十一年に帝国ホテル増築事件というものがあったと思います。昭和十五年のオリンピックに備えて帝国ホテルを増築しようとした。ところが、米人建築家のライト氏より抗議が寄せられて、帝国ホテルは過去の日本に対して尊敬の念を起こさしめ得る東京における唯一の場所であったが、いまは一朝の夢と化さんとしている、こういうことで改変まかりならぬというような、増築まかりならぬというような抗議が寄せられました。そしてその増築反対運動を起こした人たちも著作権侵害を相当口にしていたわけでございます。こういった事例がありますけれども、まあ幸か不幸か戦争のためにオリンピックが延びまして、この問題も流れたわけでございますが、この帝国ホテルのような建築物の増築が著作権違反になるのかどうか、現行法から見たらどうなのか。また、この改正案によってはっきりと、「建築物の増築、改築、修繕又は模様替えによる改変」は許されるという条項が入ったわけでございますが、この限度はどの程度までなのか、その辺のことをお尋ねしておきたい。
#83
○政府委員(安達健二君) 建築の場合には、いわゆる美術的なものと実用上の価値というものが常に矛盾する場合も生ずるわけでございます。そこの調整が大きな問題になるわけでございます。まず第一点のいまお示しのような、ライトさんが帝国ホテルの改築に反対をするというようなことが現行法上どうであるかということになりますと、現行法の第十八条の問題になるわけでございまして、他人の著作物云々については、その同意なくして、その著作物に改ざんその他の変更を加へてはならないと書いてあるわけでございまして、現行法からいいますと、まさに「改竄其ノ他ノ変更」ではないかという議論も起こり得るわけでございますけれども、しかしながら本質的に考えると、そういうものも一切いけないのだと、一ぺん建築家に頼んでうちをつくってもらったら、建築家がいかぬと言ったらどうにもならぬというようなことは、常識としてはいささか無理な要求になるのではなかろうか。そういうところで一種の著作者の権利の乱用というようなこともあるいは起こり得るかもしれないという問題だろうと思うわけでございます。そこで、この法案におきましては、「建築物の増築、改築、修繕又は模様替えによる改変」というようなものにつきましては、特にその程度を示していないわけでございます。したがいましてこの問題については、どこまでがいい、どこまでやったら悪いということではなくて、考え方は、もちろんその著作者の同意を得て、建築家にこういうふうに直しますと言う状態が望ましいと思いますけれども、しかしながら社会的に建築物の場合は、特にその「増築、改築、修繕又は模様替えによる改変」というものは、同一性保持権の例外として認めるということが一番常識にかなっているのではなかろうかということで、現行法ではどうにもはっきりしないその点を二十条の二項二号で明らかにした、こういうことだろうと思います。
#84
○多田省吾君 先ほど大松委員からも質疑があったわけでございますけれども、第三十三条の2項の教科書の問題でありますが、「著作者に通知するとともに、」云々とありますけれども、通知は事前か事後かという問題があります。当然その趣旨からして事前にすべきだと思いますけれども、事後でも許されるのか。
 それから第四項に、教師用指導書にも準用するとありますけれども、教師用指導書というのは文部省は正式に教科用図書として認めているのかどうか。認めているならば、その法的根拠、これを明らかにしてもらいたい。
#85
○政府委員(安達健二君) まず、第一番目の三十三条の「通知」でございますが、これは先ほど大松委員の御質問にお答えいたしましたときにも申し上げたと思いますが、著作者人格権の発動を促すというのが趣旨でございます。したがいまして、ごく趣旨という冷ややかな法律論で申しますと、そのまま載せるというような場合におきましては、著作者人格権の侵害という問題は生じないわけでございますから、その冷ややかな法律論からいえば、事後でもいいということも言い得るのでございますけれども、しかしながらこの三十三条で設けましたその趣旨は、お示しのように、事前に通知をして著作者の人格権を尊重するという趣旨でございますので、これは指導といたしまして、これを事前に通知をするように、全くそのまま載せる場合においても事前に通知をするように指導をすべきものだと考えておるわけでございまして、しかもこの場合は文部大臣の検定ということで行なわれるわけでございますので、したがいまして文部大臣――文部省の検定の手続の中で、その通知を事前に行なってこの申請をするようにというような指導が容易に行なわれるわけでございますので、そういうような指導をするようにいたしたいもんだと、かように考えておるところでございます。
 それから第二点の教師用指導書というものでございます。これは教師用指導書と申しますのは、教科用図書の内容を説明したり、あるいは指導の要点を先生方に知ってもらうということで、その中にはたとえば教科書の中に出ておりますところの他にほかの人の著作物があるといたしますと、教科書の中では児童用でございますので、一部分しか載せていない。しかし、その前後がどうなっておるかというようなことが書いてある。こういうものを指導する場合にはどういう点に留意したらいいかというようなことが主として書かれておるものでございまして、そういうようなものといたしまして教科書と不離一体のものであるということでございまして、そういうものにつきましては、教科書に使われるものが同時に教師用指導書にも行なわれるというようなことからいたしまして、やはりこの趣旨を教師用指導書にも及ぼすべきものであるという考え方からこういう規定ができたものでございます。
#86
○多田省吾君 次に、三十五条、「(学校その他の教育機関における複製)」という問題でありますが、「学校その他の教育機関(営利を目的として設置されているものを除く。)」とございますけれども、営利を目的としているかいないかということはどなたが判断するのか。それから三十六条にも営利を目的とする云々とありますけれども、この両方どなたが判断するのか、どこで判断するのか、その基準をお知らせ願いたい。
#87
○政府委員(安達健二君) いわゆる各種学校のようなものがあるわけでございます。各種学校の中でも学校法人が設置したもの、あるいは準学校法人が設置したもの、こういうようなものがございます。こういうようなものによって設立されたものは非営利目的の教育機関というように考えられるわけでございます。しかしながらそういう正式の認可を得ないでやっておりまする町のそろばん塾とか、あるいはギター教室、そういうようなものは個人経営にかかわるものが多いということでございまするし、または教育機関としての実態を備えているかどうか、備えていれば認可を受けるべき勧告があるわけでございます。そういうものもないわけでございますから、一種の営利的なものであると考えられるわけでございまして、こういうものは非営利としてこういうものの著作権の制限を利用することはむずかしいのではないか、こういうことでございます。
 第二の、一体だれがそれを判定するかということでございます。こういう点は一応法律解釈として、いまのようなことを一般には公表するわけでございますけれども、これはだれが最終的に判断するかと申しますと、結局は裁判所がこれは営利を目的としておるものであるから、三十五条の著作権の制限は及ばないというようなことが判定されるところであると言わざるを得ない。いわゆるこれは公法ではなくて私法でございますので、そういうような形できめられてくるということでございますが、考え方は先ほど申し上げましたようなものでございます。
#88
○多田省吾君 もっと詳しく聞きたいのでありますが、時間の制限もありますので、次にまいります。
 第三十七条に今度新しく「公表された著作物は、盲人用の点字により複製することができる。」、第二項に「点字図書館その他の盲人の福祉の増進を目的とする施設で政令で定めるものにおいては、もっぱら盲人向けの貸出しの用に供するために、公表された著作物を録音することができる。」、このように拡張されたわけでございます。盲人用の特にテープの問題等については、著作者等はこれはもう社会保障でやるべきだと、こういうことを申される方もおりますけれども、現在の社会保障の程度ではなかなかそこまで回らないような姿ではないかと思います。それでこういう条項も設けられたのではないかと思いますが、実はこの前毎日新聞の四月十四日号にも出ていたのでありますけれども、豊島区立図書館の中にあるところの本年度から誕生した「ひかり文庫」というものが、区立としては都内初の盲人図書館という豊島区自慢のものだと言われておりますけれども、この「ひかり文庫」でテープを録音しようとしたところが、結局やっかいな問題か起きている。「詩や小説などの著作権のある図書をテープに録音し、それを不特定多数の者が回し聞きするのは」云々と、こういう理由でなかなか実現しないということでございます。これは現行法ではどうなのか、またこの改正法ではこれは広く許されるのかどうか、また制限があるのかどうか。なるほど不特定多数の者が回し聞きすることも考えられますけれども、盲人のために専用に貸し出しをする分においてはそういうことにもならないんじゃないか、こういった点から、この盲人の方々に対するあたたかい保護という観点から、 これは著者の方々には申しわけないのでありまするけれども、テープにどんどんとれるようにしたらどうか。こう思いますけれども、これは現行法または改正法、両方でどのように考えておられるか。
#89
○政府委員(安達健二君) まず現行法ではこういう著作権の制限がございませんので、先ほどお話ございましたように点字訳をする場合には原著作者、音楽などを録音する場合にはそれぞれの権利者、音楽でございますと、日本音楽著作権協会の許諾を受けなければ録音できないということになっておるわけでございますが、この点字訳等におきましては、多くの著作者の方々は盲人用のものであるというような申し出がありますると、これはけっこうである、ただで使ってよろしいと、こういうような御協力をいただいておるわけでございまして、したがいまして私どもとしましては、こういう方々からそういう盲人福祉のためにいただいておる協力には感謝しておるわけでございます。したがいまして、いまお示しのように盲人の福祉の増進というような面からいたしますと、点字訳が簡単にできるようにしよう、そうしてまたこの点字図書館その他盲人福祉の施設でもっぱら盲人向けの貸し出しの用に供する、そういう場合に限っては著作権者に許諾を得なくても録音ができるというように法律によってはっきりしたほうが、より盲人の福祉に合うものではないかということで、これは北欧などの著作権法にございますので、それにならってこういう制度をつくった、こういうことでございまして、現行法ではこういうような手続はございません。
 それからここに書いてございますように、もっぱら盲人向けの貸し出しでございますので、もっぱら盲人向けの貸し出しのテープをほかへ貸し出す、盲人以外のところへ貸し出す場合におきましては、この条文四十九条によって著作権法違反ということになるわけでございます。
#90
○多田省吾君 ですから、改正案においては点字もさることながら、テープにとってテープ蔵書をつくるという場合、改正案においてはすべて許されるのかどうか、改正案においてはすべて盲人用のテープ蔵書をつくることは許されるのかどうか、無制限に。それからこの政令で定めたものと申しますけれども、たとえば豊島区立図書館の「ひかり文庫」なんというのはこの中に入るのかどうか、この二点をお伺いいたします。
#91
○政府委員(安達健二君) まず第一の点でございますが、「もつぱら盲人向けの貸出しの用に供する」ということで厳に貸し出しをする場合にのみ許されるということが一つ。それから政令で指定するものといたしましては、点字図書館、点字出版施設、それから失明者更生施設、その他盲人の福祉の増進を目的とする身体障害者更生援護施設で、国・地方公共団体または社会福祉法人が設置するものと、学校図書館で盲学校に設置されるもの、これだけに限定したいと思っております。
#92
○多田省吾君 ですから、いまお伺いしたような区立図書館の中にあるような、いわゆるその中に「ひかり文庫」として盲人図書館を設置したというような場合許されるのかどうか。
#93
○政府委員(安達健二君) 許されると思います。
#94
○多田省吾君 まあそうすれば、いままでは日本点字図書館にテープのものは古典のもので八千五百本しかないというようなことが言われておりますけれども、明年一月一日にもし施行になりましたならば、それ以後は新刊であろうと何でも録音してテープ蔵書に幾らでもすることができる、このようにできるわけでございますね。
#95
○政府委員(安達健二君) まずその法律施行と同時に政令で指定され、それに該当するという要件があってのことでございます。
#96
○多田省吾君 次に、四十条に「政治上の演説等の利用」という場合がいろいろ規定されてありますけれども、たとえば本会議等においては官報の号外で出しておりますから、これはもう利用することができるけれども、予算委員会とか、そういったものは出せないんじゃないか、利用できないんじゃないかというような考えがあるんですが、その点はどうなんですか。
#97
○政府委員(安達健二君) それが公開して行なわれた状態であるかどうかということの判断――判断と申しますか、そういう状況であるという条件に該当するかどうかということでございまして、本会議、予算委員会、こういう各委員会それぞれがどういう状態において開かれたかというその状況において判断されるべきことと思います。
#98
○多田省吾君 ですから、私は具体的にお尋ねしておるわけでございまして、本会議なんかはもう官報の号外等に掲載されるし、ほぼ公開じゃないかなと思われる。ところが、予算委員会とか、こういった委員会においては、傍聴等も、特別許された者以外は傍聴できないわけでございますから、一面、非公開と言うこともできるんじゃないか。そういう具体的な問題に関してはどうなんですか。
#99
○政府委員(安達健二君) この公開という解釈につきましては、著作権法といたしましては、通常、傍聴が許される、一般に入場が許されている状態をいうのでございますが、放送される場合、報道関係者の入場が許されるような場合におきましては、これは公開されたものと考えております。
#100
○多田省吾君 まあ、国会のほうは何だか具体的に答えていただけませんけれども、それじゃ、予算委員会なんかは、大体それに合致しているようですから、幾らでも利用することができるということになりますか。
#101
○政府委員(安達健二君) さようでございます。
#102
○多田省吾君 ただ、非公開の、会員にのみ許されるというような会場における政治演説あるいは時事問題の解説、講演等においては、もちろん許されないということでございますね。
#103
○政府委員(安達健二君) そのとおりでございます。
#104
○多田省吾君 それから第六十条でございますが、著作者人格権の問題でございますけれども、ただし書き以降は、具体的に、「その行為の性質及び程度、社会的事情の変動その他によりその行為が当該著作者の意を害しないと認められる場合は、この限りでない。」と。先ほどのお答えもその中に入るんじゃないかと思いますけれども、具体的に、一体どういうことなのか。むしろ、こういった例外をほとんど認めないで、永久不可侵という取り扱いをしたらまずいのかどうかですね。
#105
○政府委員(安達健二君) 先ほども申し述べましたように、著作者の人格的利益の保護は、いわば永久にわたるわけでございます。しかも、この著作者人格権、生前におきます著作者人格権というのは、先ほど来申し上げましたように、公表権、氏名表示権、同一性保持権と、こういうのがあるわけでございます。したがいまして、著作者が損をしているとしたならば、著作者人格権の侵害となるべき行為をしてはならないということで、著作者が公表について一切いかぬというような遺言を残した場合にそれはどうかと、こういう問題にもなってくるわけでございます。そうすると、未来永久にそのものは公表されないことになるのかどうかというところも問題になってくるわけでございます。それが、死なれてまだ日がたっていないというような場合におきましては、やはりそういう遺志を尊重する必要があると思いますけれども、百年たったあとでもなおそれを言わなきゃならぬかということになると、それはやはり社会事情の変動その他によって、もうそのようになればそういうことをしても意を害しないと、そういうような状況もあり得るだろうということもございましょうし、あるいはまた、内容の問題につきまして、たとえば自分は一切当用漢字は許さない。当用漢字に直すことは一切相ならぬというような、そういうような考えにあった人がなくなられまして、それから百年たってもやっぱりそれは変えてはいけないというようなことも言い得ないようなこともあり得るわけでございます。したがいまして、やはり永久に保護する、これが先ほど申しました著作権審議会のような、死後五十年で著作者人格権もそのままだと、そのままそこで消滅するというような形であれば、これはまた別個の考え方があるわけでございますが、未来永劫にわたってこの人格的利益を保護するということになりますると、公表権、氏名表示権、同一性保持権等につきまして、行為の性質、程度、社会的事情の変動その他によって、「その行為が当該著作者の意を害しないと認められる場合は、この限りでない。」というようにならざるを得ないということでございまして、現行法は、そのいわゆる人格権というもの、といいますか、人格的利益の保護につきましては「著作者ノ死後ハ著作権ノ消滅シタル後ト雖モ其ノ著作物ニ改竄其ノ他ノ変更ヲ加ヘテ著作者ノ意ヲ害シ」と書いてあるわけでございます。加えてもいいけれども、著作者の意を害してはならないということが書いてあるわけでございます。そこで、その意を害するかどうかというのは、死人に口なしということでございますから、結局はそこで社会的な事情その他によって、これならばまあいいのではないかという、一定の限度というものが社会的通念に従って出てくるわけでございまして、そういうものによるところの変更、その他というものは、ある程度認めざるを得ないという考え方に立ってこういうただし書きを置いておる。ということは、現行法にいうところの著作者の意を害せざるということをもう少し具体的に示したと、こういうことでございます。
#106
○多田省吾君 次に、九十五条の二項によりますと、あっせんの問題でありますが、「当該団体によつてのみ行使することができる。」、個人には支払わないのだというように解釈していいのかどうかですね。そうすると、3項では、文化庁長官が認める団体、その団体の資料及びその内容について、ひとつこういう資料を提供してもらいたいと思いますし、また、簡単でございましたら言っていただきたいと思うんです。その各種団体間の調整というのはどのようにするのか。それからまた、文化庁長官が決定する基準というのはどこに置くのか。また、百五条の、今度はあっせん委員の選定の基準、文化庁長官の権限が非常に大きいようでありますけれども、その基準をどうなさるおつもりなのか。こういったことについてひとつ長官からお願いしたいと思います。
#107
○政府委員(安達健二君) 長官から答えてもらいます前に、私からこの法案の九十五条の趣旨その他のことにつきまして、おおよその説明をさしていただきたいと思います。
 まず第一番目に、商業用レコードの二次使用について、実演に関連を有するところの、現在実演家の団体としてはどんなものがあるかということから申し上げたいと思います。
 それは、日本音楽家連合会、これはポピュラーと申しますか、そういう音楽のほうの実演家の団体、それから日本演奏連盟、これはクラシックのほうの関係の実演家の団体、それから日本歌手協会、これは文字どおり歌い手の歌手協会、そういうのが十数団体あるわけでございますが、さらにそれのほかに、これらの実演家の団体の連合体というようなもので、徳川夢声さんが会長をされておる日本芸能実演家団体協議会というものがございます。
 で、この法案の、九十五条の第2項において、文化庁長官が指定する団体というものは、法文上は特に一つの団体に限られるということにはなっておりませんけれども、しかし権利者団体といたしましても、権利者側としても、使用者側といたしましても、いろいろな、たくさんの団体が指定されてきますと、放送局のほうにいろんな団体から二次使用の請求がありますると、実際問題としては非常にやりにくいというようなことでございまして、で、したがいまして、こういうような関係からいたしますと、実演家の団体の連合体でございまする日本芸能実演家団体協議会というようなものがこの第三項に定めておるような要件を満たすというようなこと、特に二次使用料を徴収したり分配することについての能力があるということが示されるならば、そういうものを指名するということが考えられるということでございます。で、文化庁長官がその芸能実演家団体協議会等のような団体を指定する場合には、その徴収した二次使用料を各団体あるいはその団体に属している会員にどのように配分するかというようなことが実演家の団体の間で協議が整いまして、公正な分配を確保できるようなそういう事務機構が整備されることが必要でございまして、こういうために文化庁といたしましては、こういう関係者の話し合いのあっせんあるいは求めに応ずる指導というようなことが必要になってくるわけでございますが、従来からその方面での話し合いのあっせん等はやっておるわけでございますが、法案がもし通過させていただくならば、さらにこういうものについての話し合いを煮詰めてまいりたい、こういうような考え方でおるわけでございます。
#108
○多田省吾君 いまのいわゆる商業レコードの二次使用の問題、それから百五条のあっせん委員の選定基準の問題、大体文化庁長官の指定ということになっておるわけでございます。たとえば商業レコードの二次使用の問題にしましても、いまは日本音楽著作権協会が使用料徴収の業務を仲介の業として行なっておるようでございますけれども、いろいろな陳情がまいりまして、どうも特に社交場といわれるような第二次的に音楽を使用するようなところは演奏の場合の規定の五割の範囲内で使用料が徴収されているということでありますけれども、いろいろまちまちだというような不満があるし、料金のきめ方も業者に何の相談もなく一方的に押しつけられておると、こういう不満もあるわけでございます。そういう業者が二万以上もあるというようなことでございますけれども、今後そういった徴収使用料を増額するようなことも将来あるかと考えられます。そういった場合に業者にいろいろ相談される必要もあるでしょうし、あるいはこういった仲介業との話し合いも必要かと存じます。こういった問題に対して文化庁長官としてどういう態度で臨まれるか。
#109
○政府委員(今日出海君) いろいろ憶測が巷間伝わっているようでございますが、私はこういうわれわれの認定する団体とそれを支払う業者との間に十分な話し合いがあって、了解のもとにきめられた料金というものが一番望ましいので、そのようなやり方をしているので、私は業者がいまこの問題に対する不安はなかろうかと存じます。
#110
○多田省吾君 続いて長官にお伺いしますけれども、百五条のあっせん委員の選定の基準ですね、また長官の権限が非常に大きいということにかんがみて、どういう態度でこれに臨まれるかということです。
#111
○政府委員(安達健二君) ちょっと条文の解釈にもわたりますので私から答えさしていただきますが、百五条の二項に、「著作権又は著作隣接権に係る事項に関し学識経験を有する者のうちから、事件ごとに三人以内を委嘱する。」ということになっておりますので、一つのあっせん事件についてそれぞれ別の三人以内の委員が指命される、委嘱される、こういうことになるわけでございまして、したがいまして、委員会というものができて、その委員会が常にやるというものではないわけでございます。それから、もちろんこの委嘱する場合には、この紛争解決のあっせんに最も適切な人を、個々の事件に適切な人をお選び申してお願いをする、こういうのが基準であろうかと思います。
#112
○多田省吾君 次に、衆議院でもずいぶん論議されたようでありますけれども、いわゆる附則の第八条ですね、翻訳権の十年留保を廃したことでありますけれども、どう見てもこれは日本の特殊性から見て大きな問題だと思います。これを廃止されたあとに翻訳本が非常に高価になるということはないかどうか。また、翻訳の問題もわずか二一%だと言っておりますけれども、二一%でも非常に大きいし、今後はまたどうなるかわかりませんし、こういった廃止したあとの対応策といいますか、それを考えていらっしゃるのかどうか、そして、どうしてもこれは廃止しなければならないのか、まあ日本としては大国意識の上からは忍びがたきものかもしれませんけれども、やはり日本の、日本語という特殊事情もありますし、またストックホルムですか、二年前においてもこれが一応了承されている事項でありますから、急にこれを廃止するということは、まあ十年のあれもありますけれども、結局来年の一月一日までに発行されたものに限るのでありまして、それ以後発行されたものについてはもう翻訳権の十年留保というものは廃止されるわけでございますから、この問題について簡明にお答え願いたいと思います。
#113
○政府委員(安達健二君) 翻訳権十年留保の廃止という考え方は、今回の著作権法案におきまして著作者の権利を尊重する、著作者の保護を第一義とするという第一条の目的からいたしまして、著作者は単にわが国の著作者だけに限らない、諸外国の著作者もまたこれは尊重すべきである、したがって、よその国の著作物を利用する場合にも許諾を得、その正式の著作権使用料を払ってするということで足りるのではないかという考え方に立ちまして、この翻訳権十年留保の制度を廃止するというのが基本的な考え方でございます。お示しのように、この附則八条によりまして、なおこの法律の前に発行された著作物についてはこれの従来の規定が働くわけでございますから、十年留保の規定が実質上十年間なお行なわれるという状況でございます。したがいましてお示しのように、これを急に廃止するというわけではなくて、十年間の暫定期間を置いた上で廃止するというようにいたしておるところでございます。
 それから、これが廃止されると本が高くなるのではないかというお話でございますが、これは実際問題といたしますると、先ほどお話ございましたように、日本の翻訳著作物の上で二一%のものがこの翻訳権十年留保の規定を適用しておるというわけでございます。その二一%のものに影響を生ずるというのは、今後どの程度になるかわかりませんけれども、おおよその見当としてはそういうことがあり得るわけでございます。しかしながら、実際に、現在たとえば翻訳者に支払っておる印税というような場合におきまして、この印税とそれから原著作者に支払う印税というようなことでは全体としてやはり一五%くらいになると、翻訳者に払う分とそれから元の著作者に払う分合わせまして一五%、その翻訳権がない、まあ翻訳権十年留保の適用を受ける者につきましては、いわゆる翻訳者に対する印税だけで済むというわけですから、結局、大局的なことを申しますと印税が五%高くなるということが言えるわけでございます。これが実際の翻訳著作物の上にどの程度あらわれてくる、出てくるかということは必ずしもはっきりしないわけでございまして、実際問題といたしまして、たとえば双書などで出される場合におきましては、その中には十年留保を使うものもあり、使わないものもあるわけでございますが、これは同じ値段で売っておるわけでございます。したがいまして、その場合に特に読者のほうでそういうもののために値段が上がるとか、あるいはその翻訳権のあるものについてまで上がるというほどのものではないということでございますから、この制度を廃止したがために、翻訳物が高くなるということは、まあ通常それほど目に見えるようなものになるとはとうてい考えられないところでございます。
#114
○多田省吾君 終わります。
#115
○松下正寿君 現行著作権法というのは非常に古くなっておりますからこれを改定して、実情に即するようにしなくてはならない。そういう点から大局的に見て、今回の改正案は早く通過してもらいたい、私はかように考えておるわけでございます。したがって、私はこの法案の批判をするというよりか、若干疑問に思っておる点や、あるいは疑問でないまでも多少希望的なものもありますから、そういうことを申し上げて、議員としての職責を幾らか尽くしたいと思っておるわけでありますが、しかし、残念ながら私はこの法案についての十分な研究をしておりませんし、文教委員会では民社党では萩原議員がずっと研究しておりましたが、急に差しつかえて、きのうの午後になって私のほうに番が回ってきて、いわばピンチヒッターであります。したがって、私の質問は、衆議院その他でいろいろ御答弁になったことと重複するかもしれませんが、その際は、それは言ったからこれ以上繰り返す必要はないとおっしゃれば私はそれで引っ込みますから、御心配なさる必要はありません。
 ちょっと気づいたところだけお伺いしたいと思いますが、第二条の「この法律にいう「美術の著作物」には、美術工芸品を含むものとする。」これについて先刻からいろいろ質疑応答があったようで、私は全面的にこれを伺っておりませんでしたが、この点については衆議院の附帯決議にも、応用美術についてもっと慎重に考えてもらいたいというような附帯決議があったようであります。私はそれほど実際上の矛盾はないと思いますが、私自身の理解を高める、深めるという意味で、美術工芸品は入るが応用美術は入らないという理由についてごく簡単に説明していただければ、私としては非常にありがたいと思います。
#116
○政府委員(安達健二君) 応用美術というものが一体具体的に何をさすかということにつきましては、いろいろあろうかと思いますが、おおよそ四つのものが中身に入るものと言われておるわけでございます。一つは、ここにございますごとく美術工芸品のようなたぐい、その美術工芸品でございますが、同時に実用品でもあるというようなそういう種類のもの、それから家具に施された彫刻というように実用品に結合されたもの、あるいは文鎮のひな型というように、量産される実用品のひな型として用いられることを目的とするもの、それから、先ほどお話出ました染色図案等、実用品の模様等実用品の模様として利用されるのを目途とするもの、こういうおよそ四つのものがあるわけでございます。これをどういうように保護するかということになりますると、なかなかその点での問題を生ずるわけでございます。ここで「美術工芸品を含む」というのは、一品製作のそういうような美術工芸品といわれるようなものは、それとして著作物として保護をするということは、これはわりあいに容易にできるのではないかということで、従来も一応そういうものを保護されると言われてきたわけでございますが、はっきりと保護をするということを明らかにする意味での美術工芸品を美術著作物に含むということをはっきりしたのが第一点でございます。
 それから、一番問題になりますのは、染色図案等実用品の模様として利用されることを目的とされる美術的な著作物でございます。この染色図案等の物自体は、これはやはり見てきれいであるというようなことで、それ自体が美術的な価値がないということはもちろん言えないわけでございます。しかしながら、これを保護した場合に、これをどうするかということでございますが、先ほど申しましたように、現在これらの図案等につきましては意匠法によって一応保護はされることになっておるわけでございます。意匠法でございますと、それは登録をしなければ保護をしない。登録の場合において新規なものでなきゃならない。それで、たとえばネクタイにいたしましても、水玉模様というようなものはありふれたものであって、それはかりに著作物になるような水玉模様の模様をかいても、それは意匠法によっては保護をされない。こういうことになる。それから、著作権法では、その原図を複製するというだけでございますが、意匠法では類似の意匠も禁止するというように権利の内容も違っておる。それから、さらに保護期間が意匠法でございますと、登録後十五年ということになっておる。著作権法ですと、著作をしたときから死後五十年まで保護するというようなことでございまして、したがいまして、こういうようなものの保護で二つの法律の保護が重複することになるわけでございます。それぞれの法律はたてまえが違いますから、重複の保護でもあるいは可能ではないかという考え方もございます。あるいはまた、さらに著作権法では、そのものに応用するまでのところを保護すると、ものに応用したならば、それからは、意匠法の保護にゆだねる。こういうような方法もございます。
 それで、その第二の方法によっていろいろ権利者、使用者等の意見を徴しましたところ、両方ともまあ不満がございました。著作権者のほうは、これは著作物として重複的に、重畳的に保護をしてもらいたい。それから、使用者側のほうでは、そういう著作権のような保護になった場合には、非常に多量に製作されるものであるからして、それが著作権侵害であるというようなことで差しとめを食うというと、たいへんなことになる。いまは意匠法による保護がない、登録等がないものは自由だということになっております。それを著作権によってその差しとめを食うというようなことになっては、意匠法によってつくられておる現在の秩序が破壊される。こういうような非常に強い反対が相互にございました。そこでこれは大事なことであるけれども、なかなかそう簡単に調整がつかないという点が一つと、同時に先ほどもちょっと申し上げましたが、この応用美術、そういうようなものについては、著作権制度と、工業所有権との両方にまたがるものであるから、そういう染色図案等の意匠の保護のためには、より効果的な方法を考えるということで、国際的にも研究グループがつくられておるわけでございます。したがって、そういう研究グループなどの結論等も見ながら、日本の実情に即して権利者も使用者も、これならばやっていけるというような形において、この保護の方策が樹立するような方向でさらに年月をかけてこの問題を検討する必要があると、こういうようなことで現在の段階といたしましては、美術工芸品を保護すると、応用美術のうちで美術工芸品を保護するということにとどめまして、そのほかの問題は将来の課題として積極的に取り組んでいきたい、こういうことでございます。
#117
○松下正寿君 御説明で非常にはっきりわかりましたが、この問題だけで特別に時間をとるほどの必要はあるかどうか問題だと思いますが、ただ、次長がいま言われたとおり、この問題を今後検討するとおっしゃったわけでありますが、検討するについていろんな利害関係が錯綜しておると思いますから、その調整もひとつ問題だと思いますが、やはり利害関係の調整だけでなく、一つの論理を一貫させるということも必要じゃないかと思うわけでございます。
 そこで、私は美術工芸品を美術の著作物に入れるのは、これはけっこうであるし、非常に論理的に合っていると思うのでありますが、ところで、応用美術のほうですが、この区別あるいは限界というのは非常にむずかしいと思いますが、これを現在のように意匠法に含ませるということがちょっと論理的に正しいかどうか、こういう点にちょっと私は疑問に思うわけであります。私は意匠法についての専門家でございませんからよくわかりませんが、昔こういうものを勉強したときのかすかな記憶によりますというと、意匠というものは特異性というところに重点があるわけであって、かりに、これが美しいなと思う、その美しいなと思うその審美観に訴えることによって、それがその結果として特異性が出て、消費者に対して訴えるということはむろんあるわけでありますが、しかし、美しいと思うか思わないかは別として、その特異性というところに重点があるのだというふうに、私ら昔習ったように記憶があるわけであります。そうしますというと、やはり応用美術というものは、応用であるかどうかによって意匠と著作との区別がつくのでなくして、やはり意匠というものの性格から、特異性というものから来るのじゃないだろうか。私は、応用美術のほうは特異性というよりかむしろ消費者の、あるいは一般の観衆の審美観に訴えるかどうかというところに重点があると思うんであります。したがって、利害関係の調整ということも、これはわれわれもむろん考えなきゃならぬわけでありますけれども、そればかりを考えるのでなくして、やはり理論的根拠あるいは論理性ということをやはり一貫して新しく考える場合に、そういう点をもやはり十分に御考慮を賜わりたいと思うわけであります。御意見を伺いたいと思います。
#118
○政府委員(安達健二君) 意匠法によりますと、「「意匠」とは、物品の形状、模様若しくは色彩又はこれらの結合であって、視覚を通じて美感を起させるものをいう。」という定義になっておるわけでございまして、一方、著作権法では「思想又は感情を創作的に表現したものであって、」ということになっておるわけでございまして、しかも、先ほど先生からお話のございましたように、意匠の場合は新規性ということを要件にいたしておりまして、ある人が実際にそれをつくったもので新規性のないものは意匠登録を認められない、保護されないと、こういうことになるわけでございまして、その点について、おっしゃいますように著作権というものの目的からして意匠法だけでいいんだということにはならない。著作権によるところの保護をやはり考えていかなければならない内容を持っておるものだということについてはまことに同感でございまして、それについては、もちろん、利害関係の調整ということではなしに、それぞれの筋を通してやった場合にどうなるか、そうしてしかもそれが実際に合うようにどうしたらいいかと、こういう二つの理論と実際と両方を勘案いたしまして、むしろそういうものが最も実際的に効果的に保護される方途は何かということを発見する方法を考えなければならないということでございまして、その場合、お示しのように、そういう保護を考える場合には当然筋を立ててその筋に合うように、しかも実際にも適合するようにということが基本的な考えであることは全く同感でございます。
#119
○松下正寿君 次に、この第十六条のことにつきまして、第二十九条との関連においてもう一ぺんお伺いしたいと思いますが、その前に、この十六条の第二行目に「制作、監督、演出、撮影、美術等」、これはもう何か御答弁になったかもわかりませんが、「等」というのは、美術、前に例示されたもののほかどういうものが入っているわけですか。
#120
○政府委員(安達健二君) たとえば怪獣映画と申しますか、特撮の映画というような場合の特撮の監督というようなものは、いわゆるこの前のほうの監督というようなものとも違うわけでございまして、そういう特殊撮影監督というようなものがこの「等」に入るのではないかと思います。
#121
○松下正寿君 これはいままでだいぶ問題になったところで、この第二十九条でございますが、衆議院でもだいぶ問題になったように聞いておるわけなんですが、私の言うことは幾らかまあ古くなっているかもわかりません。同じようであったら御答弁なさらなくてもかまいませんけれども、ただ、どうもこの点が私としてちょっとあとめんどうを起こしはしないかということが心配になるわけなんです。というのは、この第二十九条のあとの部分であります。この第一項のあとの部分でありますが、「当該映画の著作物の製作に参加することを約束しているときば、当該映画製作者に帰属する。」、これをそのまま読みますというと、つまりこの製作に参加しておるというと、自動的に、本来の権利であるものを自動的に何というんでしょうか、放棄したんでしょうか、あるいは譲渡しておるのか、その点はっきりわからぬわけでありますが、まあ偶然憲法のほうの同じ第二十九条ですが、「財産権は、これを侵してはならない。」ということになりますというと、これはまあ固有の権利でありますから、何か明示的な譲渡の契約というものでもないというと、この著作権法という法律でこの権利を極端にいうと奪うような形にならぬだろうか。ですから、参加することを約束しておるからして直ちにこれを譲渡すると、ちょっと何か論理が飛躍しているような感じもするわけなんです。ですから、各国の立法例などをちょっと見ますというと、譲渡したものとみなすというのが、フランスと西ドイツですか、二つあるようですね。著作者は映画製作者に譲渡されたものと推定するという規則がある。西ドイツの場合に、譲渡されたものと推定する、同じようになっておりますね。これははたしてこう推定していいものか、私はちょっと行き過ぎのような感じもするので、あとからこの二十九条が問題になるというと、まずいことになりはしないかと思います。あるいは何かもっと事務的に契約書の譲渡するようなものを一ヵ条でも入れるようにするとかなんとかしておいたほうがめんどう起こらぬじゃないかと思いますが、いかがでしょう。
#122
○政府委員(安達健二君) 映画の著作者をだれにするか、それから映画の著作権者をだれにするかということは、世界的に言っても非常に大きな問題でございます。これにつきまして、この考え方は映画というものができるという場合には、この定義にございますような映画の製作に発意と責任を有するもの、そういう映画製作者というものがまずあって、それから監督、カメラマン、美術監督あるいは俳優というようなものを集めまして、どういうものをやるかということをきめ、そしてその映画についての最終責任を負うところの映画のメーカーというものがまずなければ、映画というものは事実上製作されないということが一つあるということを御了承願いたいわけでございます。そして映画はそういう製作者というもののこの発意と責任の中でまず原作者があり、それから監督、カメラマン、そういうものが実際に映画をつくっていく、こういうことで映画ができ上がるわけでございます。そこで、でき上だった映画の人格的な保護ということになりますと、映画会社がその人格権を持つのではなくて、これはやはりあくまでもその映画を実際につくった人、中身をつくった人が権利を持ち、義務を負うべきであるということになるわけでございますけれども、この実際の映画の経済的利用権ということになりますると、これは映画の製作について発意と責任を有する映画製作者が著作権を持つべきものだと、こういう考え方に立っておるわけでございます。したがってそういう考え方に立ちますと、二十九条で「映画製作者に帰属する。」というのは、この映画の著作者、監督等からの権利を奪って、そして映画製作者にやるのだという考え方ではなくて、映画の著作の実態からして、その映画の経済的利用権である著作権は映画製作者に帰属させる、こういう考え方に立っておるわけでございます。一たん与えたものをそれからこれへ強制的に譲渡させるというような趣旨ではない。それは映画の実態からそういうふうに考えられるということでございます。したがいまして、この二十九条というものは、憲法の二十九条に言うところの「財産権は、これを侵してはならない。」というそういうものではない、それ以前の問題である。つまり財産権の帰属ということでございますから、一たん生じた権利をそれから移すということではなくて、そのそもそもの財産権の帰属を何人にするかということは、それぞれの財産のものに即してきめなければならないことでございまして、映画というものはそういう特殊な性格を持っているがゆえに、映画の財産権である著作権は、これは映画製作者に帰属させるということでございますから、これを侵す云々の問題は生じないと、こういう考え方に立っておるわけでございます。
#123
○松下正寿君 少し何かことばの問題みたいになるのですけれども、私はそこにまさにいまの御説明に問題があるんじゃないか、こういう感じもするわけです。元来、会社側ですね、製作者、メーカーにあるのだと、したがって侵すわけじゃないし、したがって譲渡を受ける必要もないと、こういう御議論のようであるわけですが、これは私は理論とそれから実際問題とちょっと混乱しておられるんじゃないかという感じもするわけなんです。
  〔委員長退席、理事永野鎮雄君着席〕
私はやはり映画というものはいわゆるメーカーが一本でもってつくるわけではなくて、俳優とか監督とかいろいろな人が共同してつくること、これは常識でわかっているわけです。したがってそういう人たちには本来権利があるわけです。その権利というものは人格権もあるし財産権もある。これがむしろ私は常識だろうと思うのです。ただ実際問題として、それを売ったり、あるいはことに輸出したりする場合に、あらゆる人にみな交渉しなくてはできないということになっては、これは商習慣としてまことにどうも不便である。だれかどこかに一つ帰属しないとぐあいが悪い。そのためには俳優さんにお願いするのもちょっとわずらわしいし、また監督さんも不適当だろう。したがって会社が、メーカーがちゃんと事務的にやるのが好都合である。それは常識だろうと思うのです。したがって私はどこを窓口にするか、どこが著作権者として行動をとるかということについては、これはメーカーに持ってこられるのがごく当然だろうと思う。私はそれを、実際問題としてのそういう二十九条というものをそういう意味で批判しているわけではないのですが、ただやはり本来メーカーにのみあるのだという、この考え方ですね。そこに私は問題かあるのじゃないかと思うのですよ。やはり著作者たる、あるいは著作隣接権者ですか、ちょっとめんどうくさいことばですが、こういうものに固有の権利があるのじゃないですか。その権利が人格権である場合、むろんそれは抵触しないわけですが、財産権になりますと、単にこれは参加しているからと言って自動的にすぐ会社側のほうにいくということにちょっと論理の飛躍があるのじゃないか。その点もう一ぺんひとつお伺いしたい。
#124
○政府委員(今日出海君) その前に、先ほど松下委員がおっしゃったように、フランスと西独の例をお引きになりましたが、フランスには映画会社というものは現在ございません。西独にも、前にございましたが、現在ないと思います。こういうベルヌ条約に加盟している主要な国は映画会社というものの存在を非常に知らないか、あるいはイギリスのように、あっても非常に希薄な名前だけというような場合もございますが、フランスでは監督協会――組合みたいなものです。カメラマン組合とか、俳優組合とかというようなものからあるプロデューサーがこれはひとつこういうものをとってみたいというときに、あの監督にしようということで組合からそれぞれ交渉して持ってきて、その一つの映画をつくるための会社みたいなもの、会社じゃございませんが、そういう団体ができる、その場合に発意のほうが監督にあるかもしれない。金を持ってくるのはプロデューサーかもしれない。こういう場合に一体メーカーはだれにしようか。一本ごとにいろいろとメーカーというものは変わり得る場合があります。こういう場合には先ほどの条文にございましたように譲渡というようなことばが使われ得るのでありますが、会社組織でやっているところはアメリカでございます。アメリカの場合には、これは問題なく著作権はメーカーに行くことになっております。日本ではアメリカ風の会社というものをまず映画会社がつくりましたが、いま五社ございますが、力が非常に弱まっておりまして、これに参加する人々というものは会社には不満がございますし、大体払えないところもあるというような、いまの現状というものはいろいろの批判があると思いますが、それ以外に今度は独立プロというようなものが非常に勢いを得て、いい写真をたくさんつくっております。そして監督が会社から離れて独立プロでやるというようなときに、監督が一つのメーカーであり得る場合もございます。それからプロデューサーというものが独立のプロにもございまして、それが一つの責任を負うというような場合もございます。いまこの新しい著作権によりますと、会社というものと独立プロというようなものも認めての立案なんです。それからもう一つは、テレビに映画が出ます。これをつくる下請みたいないわゆる独立プロというプロもあるわけです。こういうのはどんどんほうぼうから引っ張ってくる。キャメラマンをだれにしよう、いやこれでなくてもいいんだ、高いから別な安い人を借りてくるというような、いろんな種類がございまして、そういうものを包含して、製作者というものは、メーカーというものは必ずしも会社あるいは会社の社長というようなものではないわけで、ただプロデューサーとメーカーとも分けて、メーカーに大体著作権がいくものだとアメリカ風にしておりますが、その内容が監督の場合もあるし、プロデューサーの場合もあるということを包含し得るのでありまして、その辺に誤解があるといえば誤解があるかもしれませんが、事実から申しますと、大体だれにあるというと、会社の社長にいくんだというようなわけじゃないのです。その中のメーカー、この写真の全責任、経済的な責任を負ったり、あるいはその作品のこまかい部分までタッチし得る創造的なメーカーにいくというだけのことでありまして、これが参加の約束をしたときにメーカーにいきますが、その前に監督なりだれかがいろいろな条件を付することを妨げていないのです。これは映画館で上映するときにはよろしい、しかし、これをテレビにやったり、あるいは外国へ持っていったり、これを外国で上映するという場合はどうというような条件をこれは付することを妨げていない。ですから、そのときに条件なり契約なりを参加の約束のときに結べばいいのではないか、こういうように思っております。
#125
○政府委員(安達健二君) ちょっと法律的な面からお答えを申し上げさせていただきたいと思います。この論理の構成の問題でございますが、たとえばイギリスなどにおきましては著作者がだれであるということを言わずに、著作権は映画製作者に法律上与えておる、こういうことがございます。アメリカの場合は映画製作者が著作者であるということで、著作権を与えておる、こういうようなやり方をしておるところがございます。イギリスのような場合におきましては御案内のように、人格権のようなものは言うなればコモンロー上の保護を与えているわけです。特に人格権の問題に付議することなくしてできるわけでございます。日本の場合でございますと、人格権というものをはっきりさせるためには、やはり著作者をはっきりさせなければならない。そういうことで著作者は監督等であるけれども、映画の著作権は映画製作者に帰属する、こういう論理構成をとっているわけでございます。それからイタリアとかオーストリアというのは、いままでの法案と同じような著作者を出しながら、同時に著作権は映画製作者に帰属する、こういう立て方をしているわけでございます。それから西ドイツとかフランスではその著作権は映画製作者に譲渡されたものと推定する、こういうやり方もあるわけでございます。この法案では、イギリスあるいはオーストリア、イタリア、そういうような考え方と同様な思想に立って、著作者人格権を明記するためにという点から著作者というものをはっきりし、そうして財産権は法律によって映画製作者に帰属させる、この考え方はイギリスでもまたイタリアでもオーストリアでもそういう考え方だと思います。
#126
○松下正寿君 長官の御説明で、会社というのとメーカーの区別が非常にはっきりいたしましたが、それにしてもいわゆるメーカー、これは会社であろうと監督であろうとですが、メーカー以外に参加したものですね。俳優なりあるいは監督なりですが、こういう人の人格権は別として、こういう人たちの財産権、著作権はメーカーにあるわけですね。これはここにはっきり書いてあるから間違いないですが、それ以外の人は財産権はないりですか。著作者であっても財産権は全然ない、こういう推定になっておるわけですか。
#127
○政府委員(安達健二君) 参加をする場合には当然そこに参加契約があり、あるいは参加契約がなくてもそれに伴う契約によりまして、参加する際におきまして、先ほど長官からお話がありましたように、テレビで利用する場合はどうだ、外国へ出す場合はどうだということを債権上の契約として、そういう契約上の利益を確保するということはもちろんできることでございまして、それをある程度この気持ちを出す意味におきまして、参加することを約束しているときはこういうようなことで映画に参加するという約束をするということが前提になって、そこでそういう契約上の利益が確保される機会を確保する、そういう上において著作権というものは、映画の著作の実態に即応して、映画製作者に帰属せしめる、こういう考え方をとっておるわけでございます。
#128
○松下正寿君 まだきっぱりと私の疑問が完全に解消しないわけなんですが、それでは何ですか、メーカー以外に財産権があることを認めておられるわけですか。あるいはないという立場に立っておられるわけですか。
#129
○政府委員(安達健二君) いわゆる映画の著作権というような意味における財産権というものはないのです。契約上において、契約をする場合においての債権的な経済的利益を確保する機会は当然与えられておる、こういうことを申し上げておきます。
#130
○松下正寿君 結局同じことを繰り返すわけですからこの程度にして、債権ということばを使われましたからこれで幾らかお答えになったかもしれないと思っております。
 それから第三十五条ですか、これは先刻多田委員の御質問に対してもいろいろ御説明がありましたから大体はっきりいたしましたが、私はこの「学校その他の教育機関」というものは、学校法人の学校だけかどうかということをお伺いしようと思いましたが、そういう狭義のものでなくて、もうちょっと広い意味であるということに理解をしたわけであります。
 ところで、小さい問題かもわかりませんが、いろいろな会社に学校といいましょうか、いろいろな教育機関があるわけであります。こういうものがこれに該当するかどうかという点をちょっとお尋ねいたします。
#131
○政府委員(安達健二君) 「営利を目的として設置されているものを除く。」ということでございますから、営利を目的とする会社の、そのものの目的のために即しているようなものにつきましては除かれるほうに入ると思いますが、いわゆる職業訓練法に基づく職業訓練施設というような形ではっきり認められているものは、この学校その他の教育機関に入る、こういうふうに考えております。
#132
○松下正寿君 次に第六十条です。これも先刻多田委員の質疑応答で大体はっきりいたしましたが、私もやはりただし書き以下が何となくむだな感じがするわけで、ただし書きの前だけで十分じゃないだろうか、これはどういうことを意味するかということの御質問に対して、まあ未来永久の権利というと、百年も二百年もあるいは千年も全然変えられない、これでは話にならぬじゃないか、大体そういうような御答弁があったと思いますが、しかし、どの法律でも改正ということはできるわけで、現に法律改正の話をしているわけでありますから、実情がすっかり変わってきたら、その法律改正ということは簡単にできるわけであります。したがって、私はこの五十年先、百年先のことまで考えて、そうなった場合には、これは社会的事情の変動も大いにあるし、いまいいことがそのときになって悪いこともたくさんあるわけでありますから、それは問題ないんじゃないか、当然のことじゃないだろうかと思うわけですが、何かただし書き以下というものが少しあいまいのような感じがして、むしろ第六十条のこの本文のほう、ただし書き以前のほうを弱めるのじゃないかという感じがいたしますが、もう一ぺんちょっとお聞きしたい。
#133
○政府委員(安達健二君) この六十条の本文のほうは、第二款の十八条から二十条までに掲げるものと同一の内容のことになるわけでございます。「著作者が存しているとしたならばその著作者人格権の侵害となるべき行為をしてはならない。」ということは、第二款のこの十八条、十九条、二十条に入っているそのものの内容を存しているものとしたならばという形で、中身は一緒になるわけであります。つまり「存しているとしたならばその著作者人格権の侵害となる」というのは、かりに、著作者人格権がそのまま続いておると考えるならば、ということになるわけでございます。そこで、このただし書きのほうは、未来永久であるからして、そこのところをもう少し広げておく必要があるのではないかということで、「その行為が当該著作者の意を害しないと認められる場合は、」ということで、もう少し広くしよう。しかしながら、その場合でもそれだけでは不十分だから、「その行為の性質及び程度、社会的事情の変動その他により」という、まあ著作者の意を害しないと認められるときの判断の基準をそこに明らかにする、こういうことでこのただし書きが入っている、こういうことで御了承いただきたいと思います。
#134
○松下正寿君 まあその問題はその程度で切り上げます。
 それから、簡単なのですが、第六十四条の第二項に、「共同著作物の各著作者は、信義に反して前項の合意の成立を妨げることができない。」「信義に反して」という、これはどういう意味ですか。
#135
○政府委員(安達健二君) 六十四条の一項では、「全員の合意によらなければ、行使することができない。」、こういうことに原則がなっているわけでありまして、全員が、たとえばある人格権侵害の行為があると、そういうときに、それを共同で防止しようというような場合において、みんなの意見が一致しなければならないということであるわけでございます。あるいは共同で著作したものを初めて世の中に公表するという場合に、十人の人はいいと言ったけれども、十一人目の人がどうしてもいやだと言った、こういうことがあり得るといたします。その場合に、その十一人でその本をつくって、そしてお互いに直し合って出したわけであるから、その場合に一人の人が非常に感情か何かで、自分のほうはこういうのはいやだ、みんなでいついつまでにつくろう、いついつになったら出そうということで著作をしておった。ところが一人の人がどうしても意地悪をしてそれを出させないというようなことも考えられるわけでございます。そういう場合には、お互いの信義というものによって、その関係の上で共同著作が行なわれたわけでございますから、その場合においてはその十一人目の人が信義に反してその合意の成立を妨げてはならない、こういうようなことではないかと思います。
#136
○松下正寿君 要するにごね得はまかりならぬ、こういう意味ですね、それでわかりました。
 それから第六十八条ですが、これは放送にだけ強制許諾ということが認められているわけですが、ほかのものにはみんな許諾が必要になっておるのに放送だけ特に強制許諾という制度をおとりになった、その根拠をちょっと御説明願います。
#137
○政府委員(安達健二君) この放送のために著作物の利用ができるようにするための特別の措置をするということは、ベルヌ条約にもこういう制度ができるという根拠の規定がございまして、それから現行法にもこの種の規定があるわけでございまして、その趣旨は、この著作権者の権利の乱用というようなことによって、公共性を有する放送の使命が果たされないことがないようにする必要があると、こういうのが立法趣旨になっておるわけでございます。たとえばある放送を一たんは許諾してたくさんの人が一緒に放送をいたしたといたします。数人の人が共同してその著作物の放送に寄与したと、音楽もあれば原作もあるというような場合があったといたします。その場合に、一たんあったものを今度再放送しようというときに、Aという人は再放送いいと言ったけれどもBという人は非常に高い値段を言って、これだけの著作権料くれなければ自分は再放送を認めないというようなことになったというようなことで、その著作物を再放送をしたいという場合にできなくなるというようなことでは、放送の公共性という面からいかがなものであろうかというようなことで、従来ありましたし、また条約の根拠もあるし、著作権者の権利の乱用を戒めて放送の公共性を守るという見地から、この種の制度をなお存置するということにしたわけでございます。しかしながらこの規定が乱用されないように、一つは七十条の三項におきまして、文化庁長官の裁定を経なければ放送ができないわけでございますが、その場合の裁定については、まず著作者が、自分のそういう著作物を今後はもうやめたい、もう世の中に出したくないというようなことで、その利用を廃絶しようとしていることが明らかである、こういう場合には裁定をしてはならない。またその著作権者が、著作物の放送の許諾を与えないことについてやむを得ない事情があるとき、たとえば特定の放送事業者との間で、専属的にその放送事業者だけからしか出さないというような契約をしているような場合、そういう場合にある他の放送局で強制的にその放送ができるとすることも不当であろうということで、こういうような裁定についての制限をはっきりいたしまして、放送局のほうがこの逆にそれに名を借りた放送の強制許諾というようなことが行なわれないように十分確保する、こういうようにしようということになっておるわけでございますが、もとより、戦後はこの制度がございましたが、一回もまだ使用されたことはございませんし、今後こういうものの利用といいますか、裁定申請があった場合には非常に慎重に、著作権者の利益が害されないように十二分に配慮をすべきものだと考えておるところでございます。
#138
○松下正寿君 わかりました。
 そこで最後に権利の侵害と、それから罰則のことについてお伺いしたいわけであります。第百十四条によりますというと、「自己が受けた損害の賠償を請求する場合において、その者がその侵害の行為により利益を受けているときは、その利益の額は、当該著作権者、出版権者又は著作隣接権者が受けた損害の額と推定する。」と、これだけ読みますとこれで取れないように見えるのですが、三項には「金額をこえる損害の賠償の請求を妨げない。」と書いてありますから、これで幾らかバランスがとれていると思うのですが、ただ、その点は、アメリカと日本のどっちがいいかわかりませんが、日本の大体判例としては、この損害賠償の場合の裁判所の大体のやり方としては非常に渋い。非常にりっぱな、整った、のっぴきならないような証拠でもないというと、なかなか損害の賠償は実際の損害とはだいぶ隔てがあるわけです。私はそういうことを非常に心配しておるわけで、この第一項のほうでこの額というものは、実際に「その利益の額は、当該著作権者、出版権者又は著作隣接権者が受けた損害の額と推定する。」これはほんとうかうそかわかりませんが、どこかの国で人のものをどろぼうする。それで、それいかんじゃないか、と言うと、すっとすぐ返しちゃって、返せばいいだろう、という話を聞いた、うそかほんとうか知りませんが。ちょっと人に損害を与えただけだから、あともうけただけ返せばいいだろうというような、そういう思想と相通ずるような気がするわけです。したがって、ちょっと権利を侵害された者に対して不利な判決が下りやしないかということがちょっと気になるわけです。それが一点。
 それから、もう時間がありませんから最後の一点としてお伺いしたいのですが、これは罰則のことであります。現行法によりますというと、その著作権あるいは出版権を侵害した者に対しては、懲役二年以下あるいは罰金五万円以下。これが「三年以下の懲役又は三十万円以下の罰金」、こういうように改正になってこれはけっこうだと思うのですが、ただ、私はどうして三年以下にしなくちゃならぬのか、むしろこれは五年ぐらいのほうがいいんじゃないかという感じがするわけです。というのは、私有財産というものを認めないという立場に立てばこれは別問題でありますけれども、私有財産というものを認めるという立場に立つ以上は、おそらく窃盗罪というものはそこからきていると思うのですが、窃盗は御承知のとおり十年以下ですね。この無体財産というものの重要性が、今日のような情報化時代になりますというと、ますますそのウエートが高くなってくるのじゃないかと思うのです。ところが、それがいままでのように、実際の有体物を取った場合には相当重い罪が科せられておるわけでありますけれども、無体財産の場合には何となく取らなかったような感じがしているという錯覚があるのじゃないかと思うのです。そういう点においてむしろ立法政策としては厳罰主義をもって臨むべきじゃないか、さように考えるわけでありますが、ちょっと御意見を伺います。
#139
○政府委員(安達健二君) 著作権侵害等に対してどのような罰則をもって臨むかということは、この著作権法の精神によりまして著作者人格権が担保されるようにと、こういう趣旨でございますけれども、同時に同種の体系における罰則との均衡の問題もあるわけでございます。これにつきましては、この意匠法等によりまして「三年以下の徴役又は三十万円以下の罰金」というような刑罰の規定もあるわけでございまして、そういうような国全体としてどの程度の罰則を定めることがいいか、こういう二つの面の考慮が必要になるわけでありまして、そういう両面から見まして二年以下を三年以下に、五万円以下を三十万円以下にするということが現段階においては適切ではないか、こういうような判断になったわけでございます。なお、懲役刑の規定を設けましたのは、三十三年の改正によりまして海賊版の横行に際して懲役刑が科せられたわけでございます。そういう状況もございますから、現段階といたしましては、三年以下、三十万円以下の罰金刑というものがこれらの著作者人格権、著作権等の侵害に対する刑罰としては適切ではないか、かように考えるところでございます。
 それから先ほどの御質問がありました百十四条の関係でございますが、第一項、第二項、第三項とございまして、第一項の場合は、その利益を受けているその額というものを推定して損害の額と推定するという考え方で、まあ出版権者というような場合におきましてはこの規定を適用する。この規定による請求が便利である。ところが一般の著作者等になりますると、むしろ二項によりまして、「通常受けるべき金銭の額に相当する額」たとえば印税相当額というようなものが一種の額として請求できる。これは推定ではなくて請求できる、これだけが確保されると、こういうことでございますが、なおそれ以上の損害の賠償をもちろん妨げないというのが第三項の規定でございまして、現在はこういう規定がございませんが、こういう規定を設けることによりまして著作権者、出版権者、隣接権者等の損害の賠償が十分現実的に可能になるようにこういう規定を置いた、こういうことでございます。
#140
○須藤五郎君 私審議に入る前に文化庁長官にお願いをしておきたいことがあるのですが、私も実は著作者の一人なんでございまして、私はその著作者の一人の立場としていわゆる芸術家を代表してこれらの点について御質問申し上げたいと思うのです。
 私は、この法案を二、三度全部繰り返して読みました。前の著作権法と比べると前進した個所もあります。それは明らかに私は認めるわけです。しかし、それではこの著作権法が、今度のがりっぱなものか、十分なものかと、こうなりますると、やはり芸術家の立場に立ってこれを見まするならば、やはりまだ不十分な点がところどころあると思うのです。それでせっかく芸術家の作家の今さんが文化庁長官としていらっしゃるときにできるこの画期的な著作権法なんでありますから、やはりほんとうにあらゆる面の芸術家に心から喜ばれるりっぱな著作権法を私はつくっていただきたいのです。そのことをまず最初お願いをいたしておきたいと思うのです。
 それから、まあ法律というものはどの法律でもなかなか意味のわかりにくい条文が多いのですが、芸術家というものはこれは法律には非常にうといものなんですね。ですから芸術家がこの法案を読んだ場合に正しく理解できるかというと、私できないと思うのですよ。だからこの審議の過程でだれが聞いてもかわるような、芸術家にとってわかりよいことばでわかりやすく説明をしていただきたい、こう私はお願いをいたしたいと思うのです。次長のさっきからの説明聞いておっても、まだやはり芸術家にはわかりにくいことばがあり、どうも何を言っていらっしゃるのかということがはっきりつかめない面があると思うのです。
 それからこの法律は第一条でちゃんと「この法律は、著作物並びに実演、レコード及び放送に関し著作者の権利及びこれに隣接する権利を定め、これらの文化的所産の公正な利用に留意しつつ、著作者等の権利の保護を図り、もって文化の発展に寄与することを目的とする。」と、こうなっておりますが、「著作者等」と、この「等」が私はくせ者だと思うのですが、私は著作権法というものは著作者の権利を守るべき性質のものだと、こう思うんです、著作者の立場に立つならば。ところが、この「等」という字でやはりこれを利用する人たちのことを含んでいるんだろうと私は思うんですが、ここでいう「文化的所産の公正な利用に留意しつつ、」ということは、「公正な利用」ということは一体どういうことでしょうか。これは芸術家には非常に難解なことばでございますので、芸術家にわかりよく説明をしていただきたいんですが、長官は芸術家ですからどういうふうにこれを理解したらいいんでしょうか。芸術家の今長官から私は説明を聞いておきたいと思います。
#141
○政府委員(今日出海君) どうも芸術的な説明がつかないかもしれませんが、この「著作者等」というのはくせ者だとおっしゃるんですが、これは隣接権者というようなものを繰り返さないために「等」というふうにしたんで、利用者は入っていないんです。「文化的所産の公正な利用」、これは芸術家、まあ芸術品を売らなくてもいいんですが、私どもは文字を書いておりますと、これはどうしても本にして本屋から出したい。このときに本屋、あるいは少しでも大ぜいの読者に読んでもらいたい、こういうものを出版屋あるいは読者を利用者というようにここでは考えているわけです。で、いつでも問題は、この著作者と出版者との間にいろいろと利害の衝突が起こったり、やっぱりこの利用者は少しでも安くなることなら著作権料を払わないでやりたいというのが目的かもしらない。そうすると、著作者はそれようもう少し多くもらったほうがいい、こういうのでいつでもトラブルが起こるんでありまして、これは「公正な利用」と、「公正」を加えないことにはこのトラブルは直らないし、また先ほどの放送局と著作権者との間の問題も著作権者が法外な値段を吹っかけたりしてはいけないというようなことを規定してあるように、ここで「公正な利用に留意しつつ、」といったのは、私はこれでいいんではないか、それほどひっかかったり、それからこの法律の中にそういうごまかしのことばではないと、私ははっきり言えるものだと思います。
#142
○須藤五郎君 今長官も御存じのとおり、日本の芸術家というのは、生活の面から申しましたら社会的に特に保護されている面が私は非常に少ないと思うのですよ。本来ならば芸術家は社会のために物をつくるのであって、いわゆる日本ならば日本の国民に対する大きな愛情からすべての創作が生まれてくるということは、これは最も好ましいことで、私も一音楽家として常に心がけてものをつくっているわけですが、しかし、日本の今日の社会状態では、それじゃわれわれの生活というものが一生涯国によって保護され、守られておるかというと、そうではないわけなんですね。だから芸術家として最も好ましいことは、そういう財産権とか、人格権は別の問題ですが、財産権などを設定しなくても私たちが安心して国のためにまた国民のために創作活動をやって、そうして生涯何ら生活の不安なく芸術家としての楽しい生活が送れる時代というものがくれば、私はこの著作権の中の財産権なんというものはなくてもよいものだ、むしろ私は芸術家としてそういうふうに実は考えておるのですが、しかし、今日の社会というものは、そういうふうに芸術家を守っていないのですね。まあ一例をあげますならば、ある、かけ出しの人気歌手がちやほやされてプロダクションや放送局でもてはやされる、しかし、彼らの生命というものは非常に短いのですよ。短いから彼たちはその短い間に自分の生涯をちゃんとした生活を送れるようなものをかせいでおかないと、それが安心ができないのですね。だから彼たちはワンステージ四十万、五十万というような高い出演料を取るというようなことも起こってくるわけですね。また、それを利用しておる連中も、それによって法外な利益を得ておこうという、いわゆる悪質なプロダクションの連中はそういうことをやる。しかし、そういう結果、その歌手の生命というものは数年でなくなってしまうわけですね。それじゃあと歌手としての生命――声がつぶれてしまうとか何とか、そういう、あとの歌手たちをどうやって国が保護していくかと言うのです。その生活のめんどうを見ていくか、それは何ら見てないのですね。だから、どうしても自分らの力でとにかく人気のある間に金をかせいで、生涯暮らせるだけの金をかせいでおかなければならぬというような、われわれから見たら不合理だと思うようなことも起こってきておるわけです。それは歌手の責任ではなく、やはり私は今日の政治の責任だと思っておるのです。そういう立場に立ちますならば、やはり今日は財産権というものは明らかにしていかなければならぬ、そういうふうに思うわけです。
 そこで私は、この法案をせっかく通すのですから、委員長、十分に審議をして、りっぱなものを私はつくっていきたい。立法府としても恥ずかしくない法案を今回はつくっていきたい、こういうふうに私は強い希望を持っておるのです。私はこの法案はできるだけりっぱなものにして通したいという立場で質疑をするのですから、委員長におかれましても、あまり時間の制約とか、そういうことなしに十分審議をするという立場に立って私はやっていっていただきたい。文部大臣としてもそのほうがいいのじゃないですか、どうですか、文部大臣。
#143
○国務大臣(坂田道太君) この著作権法案というのは明治以来の大改革でございますから、私といたしましてはぜひとも通していただきたい、かように思っております。そのためには、でき得る限り皆さま方の御審議を十分に果たして御理解を得て、そうしてできるならば衆議院で全会一致で通りましたように、参議院のほうでも全会一致で通るというようにお願いをいたしたいものだと思っおりますから、十分ひとつ須藤さんにも御審議を願いたいと思っております。それに対してわれわれのところでも十分お答えを申し上げたいというふうに思います。
#144
○須藤五郎君 私たちも全会一致で実は通したいと思っておるのですよ。だから私もそういうことを申し上げたのです。ですから、行政官の皆さんとしましても、この法案に不十分な点があれば、この点はこういうふうに直すとかなんとか、そういうことも率直に受け入れられて、私はより一そうりっぱな法案にして当国会中に通そう、こういうふうに私はお考えいただきたいと思うのですが、まあ、そういうことを前提といたしまして、この「公正な利用」ということは、先ほど今さんがちょっと説明してくださいましたが、もう一度ちょっと具体的にどういうことなのか。字だけだと、「公正な利用」ということが何の立場に立って言う公正か、ちょっと私はむずかしいような気がしますがね。
#145
○政府委員(安達健二君) この「文化的所産の公正な利用」に関連するこの法律の具体的な規定といたしますと、第一番目は三十条からの著作権の制限に関する規定がまずございます。これらの著作権の制限の規定につきましては、現行法と比べていろいろと詳しく、またその要件なども厳密に規定をいたしておるのでございます。たとえば、具体的に申しますと、三十二条で「引用」というところがございます。引用は認めなければならないのでございますけれども、その場合でも三十二条にございますように「この場合において、その引用は、公正な慣行に合致するものであり、かつ、報道、批評、研究その他の引用の目的上正当な範囲内で行なわれるものでなければならない。」ということであって、引用がいいからと言って、みだりにたくさん引用するようなことがないようにしようということもございます。それから三十三条になりますと「教科用図書等への掲載」でございますが、これは現在では修身、国語の読本に抜粋収集する場合におきましては出所を明示すればよろしいということになっておりますが、この場合には、文化庁長官が定める補償金を払わなければならないというようにしておるわけでございます。それからまたたとえば、この三十五条の「学校その他の教育機関における複製」というのでも、ここにございますように、「教育を担任する者は、その授業の過程における使用に供することを目的とする場合には、」ということで、当該担任の先生以外の人がたくさん複製物をつくってみんなに配ったりするようなことのないようにしよう、そしてしかも、「当該著作物の種類及び用途並びにその複製の部数及び態様に照らし著作権者の利益を不当に害することとなる場合は、この限りでない。」、たとえば、ワークブックなどで、ちゃんと印刷して出ているものをさらに一部だけ買って、子供に五十部全部やってしまうというようなことはいけないので、これもそういう配慮をするというようなことで、著作権の制限の規定につきましても一々要件をはっきりすると同時に、必要な場合には補償金を払うようにいたしていくというのが第一の点でございます。
 それから、たとえばもう一つは、先ほど来説明いたしました「裁定による著作物の利用」、放送のような場合も、裁定による強制許諾の点もございますが、第八節の六十七条以降におきましても、その「公正な利用」が必要な場合に必要なことができるようにするけれども、同時にちゃんと金を払うとか、それが、その利用が無断に何と言いますか、非常に著作権者の利益を不当に害するような形でないように配慮するというようなこともございます。それからまた著作権の保護期間というのも一種の「公正な利用」ということでございますが、それも今度は少しくその期間を長くいたしまして著作者の利益をはかっておるというようなことで、著作権についてのいろいろの制限期間等を定める場合にも、著作者等の権利との関係においてその利用が公正になるようにと、こういう配慮をいたしておると、こういうことが具体的に申し上げられることでございます。
#146
○須藤五郎君 そうすると、この一条で言う「公正な」という意味は、いまあなたが具体的にいろいろ例をあげておっしゃった、そういうことなのですね。それ以外のことではないというふうに理解をしていいですね。
#147
○政府委員(安達健二君) そういうことでございます。
#148
○須藤五郎君 それからもう一つ念を押しておきますが、「著作者等」という「等」について、長官は隣接権者をさしているものだというふうなお答えでしたが、次長もそういう理解でいいのですね。
#149
○政府委員(安達健二君) 長官の答弁のとおりでございます。
#150
○須藤五郎君 私はこれを逐条的にずっと質問してまいりたいと思うのですが、時間がかかりますので、きょうは重点的な質問をして、またこの次に逐条的な質問をさしていただきたいと思うのですが、この第二章の「著作者の権利」、第一節「著作物」、第十条ですね。ここの中に、一が「小説、脚本、論文、講演その他の言語の著作物」、二が「音楽の著作物」、三が「舞踊又は無言劇の著作物」、四が「絵画、版画、彫刻その他の美術の著作物」、五が「建築の著作物」、六、七、八と、こういうふうに著作物があげられておりますが、ここにあげられている著作物はすべて著作権がある、こういうふうに理解していいのですか。
#151
○政府委員(安達健二君) これは例示でございますけれども、おおむねこういうようなものが著作物である。そうすればその著作物については著作権が認められる、これは当然でございます。
#152
○須藤五郎君 無言劇の著作権というものはこれはどういう立場に立って認定していくのでしょうか。
#153
○政府委員(安達健二君) 無言劇、パントマイムと同じことでございますが、ここで言っているのは、そのパントマイムの台本のことを言っているわけでございまして、そのパントマイムをやる場合にその台本があるわけでございまして、その台本そのものが著作物でありまして、あるいは舞踊にいたしましても、振付といいますか、台本という本ではございませんが、もう少し抽象的な意味の振付、まあ舞踊にいたしましても無言劇にいたしましても、振付そのものが著作物であって、それをその舞踊家なり無言劇をやる人は、これは実演家ということになります。
#154
○須藤五郎君 そうするとチャップリンだって無言劇の大家ですが、あのチャップリンがやった無言劇ですね、あれは台本ではないのですよ。動きですよ。動きに著作権があるとするならば、あのチャップリンの模倣をした人が、もしも舞台でそういう身ぶりと同じ身ぶりをやる場合には、それは著作権侵害として罰則の対象になるのですかどうですか。
#155
○政府委員(安達健二君) チャップリンの無言劇というものが、チャップリンは振付の著作者であると同時に、また自分で劇をしている、無言劇をしている、著作者と実演家とをかねている、こういうことになるのだろうと思うわけでございます。そこでその場合に、チャップリンと同じ動きをした場合において、チャップリンがその振付をしたその著作物をまねたのか、そういう振付でなしにチャップリンのその実演自体をまねたかという問題にもなってくるわけでございますが、そこでチャップリンがもしそれを著作権侵害で言うためには、確かにおまえのあれは自分の振付の侵害であるということをはっきり証明しなければならないということになるわけでございます。そういう場合に、たとえば振付のその台本があるとかそういう場合には容易にできますけれども、そうでない場合はなかなかその立証がむずかしいという問題が出てくると思います。ただし、たとえばある歌手の物真似といいますか、声帯模写をやるといっても、これは別にその侵害の問題にはならなくて、そのもとの著作権、その著作物の侵害にはなりますけれども、その歌手の声帯模写といいますか、その声を模倣したから、その人なりの歌声をしたからその実演家の実演を侵害したということにはならない。そこは著作権と実演との差でございますけれども、そういう一緒に、舞踊のようなもので著作物の振付とその実演とが合体している場合につきましてはそういう問題は生ずるのでございますけれども、著作物としてはむしろ振付そのものが著作物であると、こういうふうに考えております。
#156
○須藤五郎君 私はこういうものが著作権を持つことは賛成なんですが、著作権侵害という点から申しますと非常にむずかしいのですね。というのは、踊りのある家元、花柳さんなら花柳の家元が弟子に一つの踊り振り付けますよ、そうすると弟子はその振り付けられた踊りを持っていってほうぼうで発表するわけです。それじゃこれは家元の著作権侵害になるのかということにもなってくるわけですね。それで、著作権があるならば、まあ舞踊家、藤間さんでもだれでも、舞台で踊る俳優に振り付けますよ、一つのね。するとその俳優がその振りのとおり踊る場合に、その振付師の著作権を侵害しておるのか、侵害してないというならばどういう形で守っていくのか、その舞踊の著作権というものはどういうふうに評価されていくのかという、非常にむずかしい問題が起こってくるんですよ。どうなんですか。
#157
○政府委員(安達健二君) 先ほど来申し上げておりますように、振付自体を保護しておるわけでございまして、いま花柳のお師匠さんが弟子に振付をされたといって、その弟子の人がそれによってまた舞踊をする、公衆の前で舞踊するというような場合は、そのお師匠さんは教えるときに、おまえには今後自分の振付を使うときには著作権を許可をしたよと、こういうのが普通まあ、その振付を教えてもらえばその著作権の許諾があったものということで踊りをされておるということでございます。それを今度は、そうでない第三者がその踊りをまた踊るという場合には当然、理論的にはその侵害の問題が生ずるわけですけれども、それを立証するということがなかなかむずかしいということはございます。それで、この舞踊なり無言劇の著作物については、それを固定を要件として保護するということも一つあり得るわけでございまして、ベルヌ条約などでは固定を要件として舞踊なり無言劇を保護すると、こういうことで、たとえば舞踊なり無言劇の保護の場合に、ちゃんとそこに振付の台本があったり、あるいは十六ミリでとってあると、そういうようなものがあったときに初めてそういうものを保護するという保護のしかたもあり得るわけです。まあそういう考え方もかつて草案のときにはとったわけでございますけれども、しかし、舞踊については固定をしないと保護しないというのも理論的に一貫しないじゃないか、そこで、侵害の場合においての権利の保全というところにつきましては、問題はあるけれども、やはりその固定を要件としないで保護するというのが筋ではないかということで、一応この舞踊または無言劇の著作物としてはその振付自体を保護するという考え方に立って、それについてさらに固定をも要求するということはしないで、その振付があればその振付についてはこれを保護するんだと、こういうたてまえに立っておるわけでございます。
#158
○須藤五郎君 踊りは、家元さんというものがありましてね、花柳なら花柳の家元さん、それが何かの踊りを自分で考える、そうするとお弟子さんにはそれを教えるわけですね。お弟子さんはそれを自由に変型することができないんですよ。やはり家元から習ったとおり、いわゆる名取さんになって、家元から名取という一つの資格を与えられればね、花柳流なら花柳流の踊りを順守して、教わったように忠実にそれを踊っていくというのがこの名取さんの義務なんです。それからまた、それを自分のお弟子さんに教えていくということですね。だから、そこに著作権というものがあるのかどうかということなんですよ、私はね。あるならば、どういうふうにその著作権が保護されていくのか、どういうふうに著作権というものが認められていくのか、そこを私は聞きたいからこういう質問をしているわけなんですがね、どうなんですかね。
#159
○政府委員(安達健二君) たとえば、花柳流の舞踊家がやっておられると、それを録画するという場合があるといたしますね、その場合にこの法律によりますと、そこに振付があるならば、それを録画することは振付の著作物の侵害になる、無断でやった場合に。もう一つは実演家がそこで踊っているわけですから、その実演家の踊りを無断で録画すると、実演家の権利の侵害という、二つの権利の侵害が発生するわけでございます。したがいまして、そういう録画するというようなことになりますると、そこに著作者としての振付をした人の著作権と、それから実演をする舞踊家のその隣接権と、そういう両方を侵害することになるわけでございます。したがってここに舞踊または無言劇の著作物を例示することは、そういう振付の著作権を保護することがはっきりしてくるわけでございます。そういう意味におきまして私はこういうふうにはっきり固定を要件としないで保護するということの必要はそういうところにも出てくると、そういうふうに考えます。
#160
○須藤五郎君 それじゃ、今後振り付けた家元が、自分の弟子が映画をとるとか、それから公衆の前で入場料を取って踊る場合は、家元はそれに対して著作権料というものを、使用料というものを請求していいですか、いままでやってないですからね。そこをはっきりしていかなければいけない、長官どうお考えになりますか。
#161
○政府委員(今日出海君) 著作権料というような形において取るか取らないかということはこれからの問題でありますが、従来これは非常にきびしいもので、家元が弟子に振り付けてやったということはこれは必ず弟子は何らかの意味でお礼をしていると思います。またどこかよそでそれをやった場合には必ず花柳なら花柳家元振付というものを番付に書いて、それを何回かやった場合には、一回幾らというような形でないかもしれませんが、一門である以上弟子は家元に年に幾らかお礼を出しているはずであります。必ず断わりなしにめちゃくちゃにやるということは、まあ、よほど悪い弟子でない限りなかったと思います。しかしこれからこういうものができた以上、これはもう少しかた苦しい意味になるのじゃないか、そういうふうに考えられます。
#162
○須藤五郎君 それは何がしかのお礼はする場合もありますよ、今さん。しかししない場合もある。早い話はこういうことが一つ。京都の都おどり、新橋演舞場の春のおどりなどは、そうすると花柳なり藤間の先生が行って、若柳さんでも何でも、それで芸者衆に踊りの振付をしますね、その人たちはあそこで踊っているわけですね。その踊りに対してほんとうに著作権があるのかどうかということですね。それからその芸者衆がお客さんに座敷に呼ばれる場合があるわけですね。それで座敷でお客さんにあそこの踊りがいいから、あそこの踊りやってくれといわれた場合に、やっぱり踊ると思うんですよ。その場合にはたして著作権料を払うのかどうかというえらい問題があるわけですよ。だからこの際私は、そこまでやっぱり掘り下げて審議しておく必要があると思うので、こういういろいろな例をあげて言うのですが、どうですか、そういうときにどういうふうにそれを評価して、どういうふうに認定していくのですか。
#163
○政府委員(安達健二君) その振付というものに著作物性があり、その振付者が現にあり、
  〔理事永野鎮雄君退席、委員長着席〕
そういうような場合においてその振付に従って舞踊をするという、そうして公衆に見せるというようなことになれば、そこに当然振付の著作者の権利というものはあるという状態だ。その場合に弟子、芸者さんが踊ることについて、あるいはそれを見せることについて、通常は著作権の許諾を黙認して与えておるということが長官の言われた、ちゃんと名取料を払ってそれからまた年に――月々ではないでしょうけれども、一応のものを持っていく、そういうところに一種の黙示の著作権使用の許諾があるということもあるでしょうし、あるいは一方、著作権者側である振付者が、その著作権を主張しない。よろしい、おまえの弟子がやる場合には、おれは何にも要求しないよというようなことも、もちろんあり得るわけでございまして、そういう面からして、特にそういう要求がない限りは、そこに一応そういう状態において黙示で著作権の許諾をしたか、あるいは著作権者が著作権を行使しないというような状況においてそういうものが行なわれておる、こういうようなことだろうと思います。
#164
○須藤五郎君 まあその辺でとめたいと思いますが、先ほど今さんがおっしゃったようなことがあるために、逆に今度、非常に封建主義的なものが今日まだそういう社会にはいろいろ残っておるのです。だから、そういう封建的なものはなくしていかなければならない。なくしていくならば、こういう法律ができた以上、やはり権利義務でこの法律に従って著作権料というものを払っていくという形にすれば、家元のところへ毎年、盆、正月にどれだけのものか知らぬけれども、持ってお礼にいくというようなことも、そういう封建的な形もなくなっていくだろうと思うのです。だから私はやはり著作権を守っていくということはいいだろうと思います。しかし、それを守るためにどう守っていくのかという点がいまなかなかむずかしい点です。まだたくさんありますが、一例をあげたわけです。
 それからその次に、四の「絵画、版画、彫刻その他の美術の著作物」こうなっておりますが、これは四十一年四月の著作権制度審議会の答申、この四ページを見ますると、ここには「舞台美術」「舞台装置は、それが美術の範囲に属する場合は、著作物として保護されるものとする。」という一項がこの答申には入っておるのです。ところが、今度の著作権法を見ますると、その「舞台美術」ということばがなくなってしまっておるのですが、この「その他の美術の著作物」の中に舞台美術も含まれておるのですか、どうなんですか。
#165
○政府委員(安達健二君) 「その他の美術の著作物」に含まれるものとして立案をいたしておるわけでございます。「その他」の中には、書とか、あるいはいけ花、あるいはウィンド・ディスプレー、そういういろいろなものがありますので、ここでは特にそういうものは掲記しておりませんが、「その他」の中に含ませるつもりでございます。
#166
○須藤五郎君 もう一ぺん念を押しておきますが、それじゃ舞台美術、いわゆる舞台の背景、背景のデザイン、そういうようなものは、この「美術」の中に含まれているのですね。
#167
○政府委員(安達健二君) この答申にもございますが、「舞台装置」ということでございまして、その衣装とか、照明とかを含んだ全体の舞台美術という、舞台効果全体ということじゃございません。その舞台装置というようなものが保護されるものである。舞台の効果全体、照明とか衣装も入った、そういうものは、ちょっと保護ということは非常にむずかしゅうございますので、ここで言っているのは、いわゆる舞台装置というものでございます。
#168
○須藤五郎君 それは間違いありませんね。それじゃ舞台装置は「その他の美術」の中に含まれるとしますね。そうすると、私の親友に田中良さんという日本でも有名な舞台装置家があるのです。あの人が書いた、菊五郎が好んで踊った「保名」という舞踊、今長官もたびたびごらんになっておると思いますが、あの背景は非常に美しい菜の花の咲いた、桃の花、菜の花という非常に美しい背景ですが、もしもあの背景が今後だれかによって、どこかの劇場で使われるとするならば、これをかいた田中良さんのところに著作権料というもの、いわゆる使用料というものはいくのですか。
#169
○政府委員(安達健二君) 当然著作権者の許諾を得なければならない。その場合に、田中先生が幾らを要求されて、幾ら払われるかは別としまして、その著作権者の許諾を要するということでございます。
#170
○須藤五郎君 それじゃ無断で使用する場合は、やはりこれは罰則の対象になりますね。
#171
○政府委員(安達健二君) まあ舞台装置の場合には非常にアイデア的な要素というものもありますから、なかなかむずかしうございますけれども、一応その舞台装置と全く同じもの、そういうようなものをつくれば、その最初につくった著作者の著作権を侵害することになる、こう考えていただいたらけっこうだと思います。
#172
○須藤五郎君 これは昔の話をするようですが、中里介山さんが「大菩薩峠」という小説を書かれましたね。あのときにさし絵を書いたのが、石井鶴三さんだったのですよ。そのときに、あのさし絵の著作権がだれに帰属するかということで、もめたことがあるのです。それで私たちは、当然さし絵は、絵をかいた石井鶴三さんに著作権がある、こういうふうに判断しておりました。ところが中里介山さんはがんばって、なかなかきまらなかったのですが、しまいに中里さんがもうそれはおろしてしまったわけです。それで石井さんにその著作権があるということに、まあまあなっておるのですが、そのときにこの点をもっとはっきり論争して、はっきりきめておけばよかったのですが、あまり突き詰めた論争なしでこれが簡単におさまったために、今日まだそういう点もはっきりしないのですが、新聞小説あるいは小説なり何なりのさし絵というもの、そのさし絵の著作権は、そのかいた画家にある、こういうふうにはっきり申し上げていいのですか。
#173
○政府委員(安達健二君) さし絵の著作者なり著作権者は、そのかいた人にあるというのは当然だと思います。
#174
○須藤五郎君 それじゃその次の五に「建築の著作物」というふうに出ておりますが、早い話が、京都の昔の古い建物には著作権はもうないかもわかりませんけれども、しかし、りっぱな一つの建築をつくる。それに似たような建築をまたやると、それはやはり――あの帝国ホテルを建てたライトさん、そのライト式の建物、あれには著作権というものがあることになりますか。それを模倣したようなもの、それは著作権法違反になるのですか。
#175
○政府委員(安達健二君) その模倣というものの程度の問題等もございますけれども、それと全く同じような建物を建てる、そのもとのものが著作物であれば当然そういうことが起こるわけでございます。
#176
○須藤五郎君 今度は第二款の著作者の人格権というところに飛びますが、人格権の期間というのはどれだけなんですか。
#177
○政府委員(安達健二君) これは五十九条に「著作者人格権は、著作者の一身に専属し、譲渡することはできない」こうあるわけでございまして、いわゆる著作者人格権というものは一応本人の生きている間、ということになるわけでございます。
#178
○須藤五郎君 そうすると、著作者が死んでしまうと、人格権というのはなくなってしまうわけなんですか。
#179
○政府委員(安達健二君) 形式的にはなくなるのですが、その五十九条のすぐあとの条文で「(著作者が存しなくなった後における人格的利益の保護)」ということで、著作者人格権というものはなくなるけれども、それと同じようなものがこの法律によって保護される、こういうことになりますから、実質的には著作者人格権は永久だといえるのですが、形式論としては、著作者人格権は一応本人の生きておる間だということ、こういうことになります。
#180
○須藤五郎君 そうすると、いまあなたがおっしゃった後段ですね、後段には期限がないわけでしょう。ですから一口で言うならば、人格権というのは永久であると、こういうことがはっきり言えると思うのですね。それじゃ人格権の内容は、これは一体何なんですか、人格権というものは思想なんですか、何なんですか、これは芸術家の今さんにお答え願いたいですがね。官吏の答えじゃどうも困っちゃうのですがね。大臣でもいいですよ。
#181
○政府委員(安達健二君) 著作者が著作物との関係において有する人格的利益、こういうことでございます。たとえば、著作物を公表するかどうか、未公表の著作物を公表するかどうかということを決定する権利というのは、これが著作者人格権として保護されているわけですが、その著作者はその著作物が世に出ることによって、その自己の名誉というものにかかわりが出てくるわけですから、したがって、その著作物との間において、著作者が有する人格的利益というものが著作者人格権の法域である、こういうことになると思います。
#182
○須藤五郎君 何で私こんな質問をするかというと、さっきあなたが、著作者が好まず死後まで発表しなかったものがあると、ところが、いつまでも発表せぬというのはおかしいじゃないか、だから著作者が死んでしまって著作者に著作権がなくなれば、五十年も済んでしまったら、それは発表していいじゃないかという、さっき私は答弁があったように思うのですよね。そうすると、それは永久に守られるべき著作権、著作者の人格権というものが、死んで五十年たつともう無視されていくのかということなんですよ。そこで私はそういう質問をする。これは芸術家にとりましては財産権より以上に人格権というものはとうといのですよ。だから石川達三さんなんかはそのことを常に言ってらっしゃるのです。われわれの人格権は尊重されなければならない。もしもわれわれが死んで何年かたって著作権がなくなったときに、石川達三さんの作品のあるものと、とんでもないつまらぬ作品とを結びつけて一つのものに構成されて発表されたらたまらない、がまんかならないじゃないか、だから人格権というものは財産権より以上芸術家にとってはとうといものであり、また守っていかなければならぬものだと、こういうことを石川さんがあるときおっしゃっていましたですよ。ところがあなたの意見だと、石川さんがこれは発表してもらいたくないぞということで発表しなかったものが、石川さんが死んでしまったあと、いつまでもそれをお蔵にしておくのはおかしいじゃないか、発表しても差しつかえないじゃないかといって発表するとすると、作家の思想というもの、考えというものはそこで無視されてしまうことになるのですよ。そこで私はそれはどうなんだと、人格権はその作家の持っておる思想を尊重するのか、何を尊重するんだと、こういうことを私は言いたいです。
#183
○政府委員(安達健二君) この六十条のただし書きに、「その行為が当該著作者の意を害しないと認らられる場合は、」ということでございます。したがって、先ほど非常に大ざっぱに申し上げましたけれども、たとえば、この本は未来永劫に発表することはいけないというように言われた場合と、黙って、その場合残った、いわゆる遺著でございますね、そういう場合とではやはり「当該著作者の意を害しないと認められる場合」というのが非常に違ってくると思いますね、実際問題としては。だからそういう全体的に考えて、そういう行為が当該著作者の意を害しないと認められるかどうかということは、著作者の意思というものと、それからその社会的事情その他の事情の変更、あるいは年数とかそういうようないろんなものを総合的に考えなければいけませんから、したがいまして、こんりんざいこのものは一切発表まかりならぬという場合にまでこの「ただし、」が適用されると少し極端になると思いまして、少しく一般的に申し上げましたけれども、そこは「当該著作者の意を害しないと認められる場合」、そういう場合でないとこのただし書きが動かないということでございます。
#184
○須藤五郎君 生きてる間ならその作者に、これはこういうふうに発表してもよろしいかと言って尋ねることできますよ。しかし死んでしまったあと、尋ねることできないでしょう。そうすると「害しない」という認定は使用者が認定するのであって――だれが認定する。作者の考え方というのはそこでもう無視されてしまうことになるじゃないですか。
#185
○政府委員(安達健二君) 著作者の死後の人格的利益をどのようにして守るかという大きい問題がございます。これにつきましては百十六条というのがございまして、「著作者の死後においては、その遺族(死亡した配偶者、子、父母、孫、祖父母又は兄弟姉妹)」というものがその遺族になるわけです。その者がまず死後における人格的利益を守る。それからもう一つは、第三項で「遺言により、遺族に代えて第一項の請求をすることができる者を指定することができる。」ですから自分の人格権はたとえば文芸家協会においてやってもらいたい、あるいはこれは須藤五郎さんにやってもらいたい、そういうことを遺言した場合は、その団体またはその個人がその利益を守っていく、こういうことになるわけです。そういうようなことで著作者に最も親しい人、またその著作者の意を十分わかる人、そういうような者が人格的利益を守っていこう、こういうことでございまして、
#186
○須藤五郎君 財産権ならば、子供、孫、曽孫、ずっと譲渡を受けて財産権を受けていくということはこれはあり得ることですよ。しかし人格権というものは子供と親の間でもう人格が違ってくるのですよ。まして孫や曽孫になれば、おじいさんがどういうことを考えてこの作品の発表を拒んだかということはわからないですよ。孫になったら欲の一点張りで、おじいさんが発表いやがったものでも発表してくれ、そうしたら自分のところへ金が入ってくるじゃないかというような気持ちで、おじいさんの意思を無視して発表してしまう場合だって起こってくるのです。だからやはりこの人格権というものは、やはりそういう「ただし」というようなことばだけじゃなしに、作者が発表を好まなかったものは永久に発表しない、こういう形が私はほんとうだろうと思うのですよ。同様に、今度アメリカから戦時中軍部に強制的にかかされた絵がたくさん返ってくるでしょう。ところが日本の画家でもあれを好んでかいた画家ばかりじゃないのですよ。軍部の圧力でかいた人が相当あるわけなんです。だからあれを展覧会に出そうというときに反対して、あんな絵並べてもらいたくないという意思表示をしているものだってあるわけですよ。まずその画家の意見を私は尊重すべきだと思うのです、文部省としましても。だから発表してもらいたくないというならばそれはもう発表しないで、むしろその画家にその絵は返してしまうべき性質のものだと思うのですよ。絵の問題は改めてまたやりますけれども、同じことが絵の芸術の分野で言えると思うのですよ。だから私はこの人格権は思想か何かと言ったのはそこなんです。芸術家がこれは発表したくない、それには何かの理由があるわけですね。だからやはりその創作をした人の、作家の、著作者の意見を尊重して、あなたのさっき言ったような、あんなことばで表現すべき性質のものじゃない。役人さんはそんな無責任なことを言うけれども、作者の立場になるとそんな無責任なこと言っておれないですよ。なぜならば、作品は自分たちの産んだ大切な子供なんですよ。だからその子供が人から非難されるようなものは発表したくないのですよ。だから考え方を私は作者の立場、芸術家の立場に立ってこの法案を、法律をつくってもらいたいのですよ。佐野課長は音楽の面は非常に詳しいようですから、音楽の面は比較的よくできているのですがね。ほかの面にいくとどうもできが悪いのですよ。それは今さん答えてくださいよ。
#187
○政府委員(今日出海君) 著作者の意を害しないということが非常に問題だと思うのですね。先ほどから死後五十年を保護すると、こういって、それからほったらかしだというようにお考えの方もあるだろうと思いますが、私は、ほったらかすのじゃなくて、それは国のもの、国民のものに帰すという考え方で、むしろ、須藤先生の言い方をすれば、現在、国が守らぬからだけれども、もし守るならば著作権なんかないほうがいいとおっしゃった。まことに私はそのとおりだろうと思いますが、五十年後は国のものになると、また、国のものになるような作品というものが私は大事だと思うのですが、まあそういう偉い作家になりますと、全集が出ます。そうすると、書簡集、日記というようなものがどうしても全集には欠くべからざる要素なんです。これは作家が、発表しようとして、発表してもらうために日記は書いてないと思うのですよ。しかし、これは、その作家を研究するためには非常に大事なことなんです。
 また、これはフランスに例をとりますと、サント・ブーブという、十九世紀に批評というものを最初にこしらえた人なんですが、このサント・ブーブというのは非常に意地の悪い男で、りっぱな批評家でありますけれども、まあこれはちょっと発表するのは控えようとしてひそかに書いていたものがあるのです。しかもそれに表題をつけて、「わが毒」という題をつけて筐底深くしまっていたものがある。こういうものはサント・ブーブはやはり出したくなかったのだろうと思うのですが、これは、サント・ブーブの価値を、こういうことを考えていたのか、こういう人間であったのかという、サント・ブーブ研究には非常に大事な文献なんです。こういうことを考えますと、人格権の永久保護というようなものも、これも一つの考えようで、そこに、ひとつ出したほうが、また死後五十年後に出したほうがいいんじゃないかというような考えも、私は文学の分野から言えるのでございます。
 また、エッフェル塔、一八八九年にあれを建てたのですが、あれが非常な反対を受けた。その反対論文を全部あのエッフェルという人は切り抜いて、五十年後に発表せよと遺言をして、箱の中に密封したわけですが、さて五十年後にあけてみると、どえらい人が反対しておるのです。何だ、五十年後のことはこんな偉い人でもわかっていなかったのかというようなことがあるので、これは遺族があえて発表しなかった。こういうような事実もありまして、これは未来永劫にわたって発表しないとかするとかというようなことは、孫や曽孫は、さっきおっしゃるように、やっぱり人格権は擁護するかもしらぬけれども、人格はどうもみなおやじの言うとおりにはならない。だから、やっぱりそういうようなことを、社会が社会のものとしてこれを考えるというような考え方も私はできるんではないか。ここにやはり社会的な変化に応じてというようなことばを入れたのは、私は、そういう意味で、あくまで守るとかというようなことも、これは百年先のことはちょっとわかりにくいというのですね。ですから、そういう点で、これは守り抜くとか、いや百年くらいたてばまあいいのじゃないかというようなことをいまからどうもはっきり述べがたいのじゃないかなと思うのです。
#188
○国務大臣(坂田道太君) 第六十条は、いま文化庁長官から御説明がございましたように、基本的にはこれでできるだけその人格権を守ろうという意思が秘められておる。こういうふうにひとつ御了解をいただきたい。須藤五郎先生はもうこの世の中にたった一人の方で、二度と再び須藤五郎という人は出てこないのです。過去にもいなかったのです。坂田道太という者もそのとおりだと思うのです。それゆえに、やはり私はその人格というのはとうといと、こう思うわけです。
 それからまた、須藤先生が発表されたその作品というものは、これはまた須藤先生と違った一つの人格を持ってこれはひとり歩きをするし、また、生命力を持つわけなんです。それほどに、作者としては、芸術家としては、それを残したいし、あるいはそれが多くの人達に、まあ音楽の場合でございましたら、いい音楽として聞かれたいという願いがやはり芸術家にあるだろうし、それから文学者にとっては、その作品というものをそれこそ国境を越えて読んでいただきたいと、あるいは子孫永遠に読んでもらいたいという願いというものがやはりあると、 こう見なければいけない。それをやはり守っていくのだという考え方はやはりこの中ににじみ出ているのじゃないかと、こういうふうにひとつ御理解をいただきたいと思います。
#189
○須藤五郎君 いま長官や坂田文部大臣からお答えがありましたがね、まあ芸術家としてはやっぱりそうありたいのですね。ほんとうに自分たちのつくったものがりっぱに保存され、そうしてりっぱに発表されるような時代をいつも夢みているのですよね、坂田さん。
#190
○国務大臣(坂田道太君) そうです。
#191
○須藤五郎君 ところが、そういう時代がはたして来るかどうかということが一つの問題でありまして、そのために、芸術家は、自分のものがゆがめられてしまいやしないかという懸念が常にあるわけなんですね。だから、やはり芸術家の人格というものは、いまおっしゃったようになかなかむずかしいのです、どういうふうに守っていくかということは。これは芸術家の人格そのものは、思想そのものはあくまでも尊重して守っていくという立場に立ってこの法案がつくられたものだと、まあ現在のところそういうふうに私も理解しておきますがね、どうか、これから行政官としても、運営していく場合も、そういうような方向でこの法案を運営していっていただきたいのですね。
 そこで、この問題をはずしてほかの問題に入りますが、芸術家のつくったものに対する改変ですね。その人格を尊重するという立場ですよ。改変は許されるのか許されないのかですね。
#192
○政府委員(安達健二君) 第二十条によりまして、「著作者は、その著作物及びその題号の同一性を保持する権利を有し、その意に反してこれらの変更、切除その他の改変を受けない」、ですから、芸術家の意に沿う範囲内においては変更はあり得るということになるわけでございます。
#193
○須藤五郎君 そうすると、先ほどの質問で、人格権は永久のものだというその答えから出てくるのは、私は、べートーベンの音楽にしてもチャイコフスキーの音楽にしても、やはりべートーベン、チャイコフスキーの人格権というものは、もう死んで百五十年になってもやはりあると言わなければならぬと思う。ところが、そのべートーベンの音楽に対して、べートーベンの嗜好、好み、それと全く合わない何というか使われ方といいますか、早く言えばジャズですね、こういうやり方にべートーベンの音楽が使われておるということね、これは私は法的に規制しなければならないとそう思うのですよ。まあ一例を申しますならば、坂田さん、べートーベンの「運命」というシンフォニーありますね。あのテーマはダダダダーンというあそこから始まるわけですね。ところが、それをジャズに編成する場合に、リズムを変えて、シンコペーションにしたり付点をつけて演奏したりする場合があるわけですね。まるで、べートーベンの考え、思想とはまるなんですよ。だからそこで私は、人格権というものは思想なのかという点を私はお尋ねしたわけですがね、こういうことが最近方々でやられるわけなんです。チャイコフスキーの音楽もやられてますよ。べートーベンもゴーゴー音楽などにこういうものが使われているんですよ。それに対しては文部省としてはどういう処置をとっていこうとされるんですか、どうなんですか。この法でそれが規制ができるんですか、どうなんですか。
#194
○政府委員(安達健二君) 非常にそれはむずかしい問題でございまして、そのべートーベンの、もとになったものを変えるという場合、まあ一種の翻案すると、新しくアレンジし直すというような面からいいますと、翻案権の問題としてこれは著作権、いわゆる財産権としての著作権の問題になるわけです。そこでもう一つは、その場合の同一性の問題。べートーベンの場合の著作権はもう切れておるわけでございますから翻案を許諾する権利はないわけでございますからもっぱら人格権の問題になるわけでございます。で、その翻案の場合においての人格権の問題は一応外面形式の変更ということは、これは編曲、翻案という場合には、翻訳とか編曲、翻案の場合に当然あり得るわけです。問題はその内面形式そのものを変える等の場合において大きな問題になるわけでございます。その場合に、その変えたものをべートーベンの曲であって、そのべートーベンの曲をやっておるんだということになると、それがべートーベンの内面形式をかりにアレンジしたものとしてもこれは人格権の問題になるわけでございますが、そういうものでなくて、全くべートーベンとは関係なしにそれを変えるということになると、これはちょっとべートーベンとのつながりが関係がなくなってくるわけでございますから、その場合には、ベートーベンのいまおっしゃった「運命」なら「運命」のその楽奏なら楽奏というものをべートーベンのものとしてやるならば、これはやっぱり著作権、人格権の侵害となるんですが、そうでなく全く別個のものとしてやる場合についてまでべートーベンの人格権の侵害ということには至り得ないのではないか、そういうように考えます。
#195
○須藤五郎君 今さん、芸術家の立場でいまの次長のような解釈でそれで満足できるんでしょうか。私は満足しませんよ、そんな解釈で。
#196
○国務大臣(坂田道太君) これは私も須藤さんと同じように、近ごろテレビやあるいはラジオ等においてそういうようなものを聞きます。実に不愉快きわまるわけでございます。しかし、これをそれじゃ法律的に規制しろといってもこれまた非常にむずかしい問題。結局は私は音楽愛好家やあるいは音楽家、その人たちが自発的にそういうようなことについての警告といいますか、ああいうものを起こらせないような、ああいうことが生じないような国民的雰囲気といいますか、そういうものをつくっていくということ以外にこれを防ぎ得るものはない。したがって、先ほど来須藤さんおっしゃるように、世の中が一体こういうような人格権を認めるような世の中になっていくのか、それとも逆にそういうものはもうどうでもいいというような世の中になっていくのかというところが、まさにわれわれ政治家に課された課題であると。したがって、そういうようなものは自然と国民のあるいは音楽を愛好する、あるいは人を愛する、芸術を愛する、あるいはそういう人格権を尊重する人たちがたくさん出てくる世の中、社会であったならばこういうものは守られていくということに望みを託して、われわれは一片の法律だけでこういうものを規制はできないと、だからこそわれわれが世の中をよくしていかなきゃならぬと、こう思うわけでございますが、ただいまのこの法案は現行法よりもそのような人格権を一歩やっぱり認めるような方向に進んでおる、こういうふうにひとつ御理解いただきまして御了承を願いたいと、かように思います。
#197
○須藤五郎君 それはね、ああいうべートーベンの音楽なんというのはね、あれは私は、普通の音楽と違って人類に対してもうはかり知れないだけの影響を与えていた音楽なんですよ。あれを聞けばやはり心が慰められる、また勇気づけられる、あらゆる面ですばらしい、バイブル以上、宗教以上の影響を与えてきたもう人類の宝ものだと思っているんですよ。だからああいうものはいつまでもやっぱりりっぱな形で私は残していくべき性質のものだと思うんです。これはやはり政治家の私は義務だと思うんですよ。ところがそういうりっぱな世の中がくるんじゃなしに、坂田さん、現在のようなこんなだらしない、もうでたらめな世の中になって、それで何でべートーベンのあの「運命」のシンフォニーをジャズ化したりばかにしたような扱い方をなぜしていかなければならぬか。そんなものは自分でつくってできるものですよ、ああいうものは。なぜべートーベンの音楽を使って運命ゴーゴーとかなんとかというような名前をつけて、そうしてあんなものをやっていかなければならぬか。政府としてもそういうことはやはり規制していかなければ文化国家として恥ずかしいと思うのですよ。ドイツで、ドイツ人がべートーベンの音楽を聞くときは、ほかの人の音楽を、シュトラウスなんかの、あるいはヨハン・シュトラウスの音楽を聞く場合と違った態度ですよ。私は、ベルリンで、フィルハーモニーのべートーベンのシンフォニーを聞きに行ったが、みんながしーんとしてね。教会の中へ入ったような雰囲気で、そしてスコアを見て、その音を聞いて、そしてもうほんとうに緊張しているんですね。ああいう受け取り方をしている。日本ではあれをジャズ化してジャンジャカジャンジャカゴーゴー踊っているなんといったら私はほんとうにドイツ人に対して顔向けならないような恥ずかしさを感じるんですがね。せかっく著作権法という法律をつくる以上は、せめてそういうことはないように法的に規制していくということが私は必要だと思うんですよ。人格権は永久にあると言いながらもう今日その人格権が無視されてああいう侮辱を受けているんですよ、ベートーベンの音楽そのものが。べートーベンの音楽が侮辱を受けるということはベートーベン自身が侮辱を受けるということじゃないですか。そういうことを私は考えていかなければならぬと思うのですよ。
#198
○国務大臣(坂田道太君) おっしゃることはよくわかるわけでございますが、まあ最近ジャズもあるいはゴーゴーもいろいろありますけれども、一面においてクラシックを愛好する層というものは非常にございますし、それから学生たちも最初はそういうことであったのがだんだんやはりべートーベンやシューベルトやチャイコフスキーやというふうに、そういうクラシックに対してこう興味を持つというふうにだんだんなってきている面もあるわけなんで、それからたとえばべートーベンの第九なんかでも日本くらい上演されておる国はないんじゃないかというふうに思います。私も学生時代に、アンディフロイデをへたなコーラス員の一員として歌ったものでございますから、十分須藤先生のおっしゃることはよくわかるわけでございまして、その意味合いにおいて、われわれの文化行政におきまして、今長官を迎えて大いにこの際芸術文化の向上、特に地方文化ですね、地方の文化というものを振興するというところに重点を置いてやっていただいておるわけでございますが、私どももともどもにそういうような文化国家を建設したいと考えておるわけでございます。
#199
○須藤五郎君 そうするとね、自分の死後のことを委託していく、いわゆるまあ音楽家なりだれかに委託をしていくというならば、その委託を受けた人はそういう扱いを受けたことに対して裁判に訴えてそういう名誉棄損の訴えを起こすことができるんですか、どうですか。早い話がべートーベンの音楽がそういう扱われ方しているのはわれわれ音楽家として忍びがたい。だからそういうやり方をする人を、べートーベンの名誉の棄損だという立場に立って、また音楽家に対する侮辱だという立場に立ってそういうことを裁判に訴えることができるんですか、どうですか。
#200
○政府委員(安達健二君) ただいまお話しのようなことは、先ほど文部大臣からお話ございましたように、一般の国民の文化意識の向上と申しますか、あるいはまた別途な方法によって考えられるべきことでございまして、著作権法によりましてそこまでのベートーベンの人格を保護するということは、著作権法としては困難であろうと思う次第でございます。したがいまして、そういうような訴訟につきましては著作権の問題ではなくて、一般の民法上の問題としてそういうものが成立するかどうかという問題として考えられるべきものであると考えるわけでございます。
#201
○須藤五郎君 時間が迫ってまいりますからもう一点だけ私きょう質問しておきたいと思うんですが、映画の著作権の帰属の問題です。これは昭和四十三年四月二日の閣議決定第五次案ですね。それとこの二十九条とは内容が変わっていると思うんですが、その第五次案の中には、「映画の著作物の著作権は、その著作者が映画製作者に対し当該映画の著作物の製作に参加することを約束しているときは、契約に別段の定めがない限り、当該映画製作者に帰属する。」これが第五次案の内容だったと思うんです。間違いないですか。
#202
○政府委員(安達健二君) そのとおりでございます。
#203
○須藤五郎君 それじゃ今度の著作権の二十九条からこの「契約に別段の定めがない限り、」という条項はなぜはずされたんですか。
#204
○政府委員(安達健二君) 映画の著作権の帰属について、著作者の契約による留保というものの余地を残すかどうかという問題でございますけれども、この点についてさらにその後検討をいたしたわけでございますけれども、映画の利用に関する権利関係を明確に簡明にして、映画の利用を円滑にするということになりますると、やはり著作権審議会の答申に返って、「契約に別段の定めのない限り、」というような文言は入れないほうがよいと、こういう判断に立ったわけでございまして、ただ、このことは先ほど来話が出ておりますように、映画の監督等の著作者が映画製作者との間において、映画の利用に関して契約することはもとより可能でございまするし、私どもといたしましてはこの規定があるからといって、そういう契約ができないというようなことはあり得ないということを十分周知徹底をいたしたい、かように考えておるわけでございます。
#205
○須藤五郎君 それならば、「契約に別段の定めがない限り、」という条項を省く必要はないじゃないですか。私の聞くところによりますというと、この「契約に別段の定めがない限り、」という条項が入ったときに、大映の永田社長がやってきて、そしてこの条項をはずせと、こう永田社長が言ってきたからはずしたということを聞いておるんですが、これをはずすということは映画製作者、いわゆる会社ですね、映画会社の利益を一方的に守るものであって、映画監督をはじめ映画の著作者、これらの権利を無視しているものじゃないですか。ただ、つくればつくりっぱなしで、できた日からその映画に対する権利は全部会社にいってしまって、いわゆる監督や俳優そういう人たちに何ら権利が残っていないじゃないですか。どうしてですか。
#206
○政府委員(安達健二君) この映画は多数の芸術家その他を集めてつくられるところの総合的な芸術作品でございます。同時に、映画の著作物自体が商品としてつくられるものである。そして映画の著作物の場合におきましては、先ほど来申し上げておりますように、映画の製作に発意と責任を有する製作者というものなしには、これは会社であることもございましょうし、あるいは先ほど今長官言われましたように独立プロというプロダクションの場合もございましょうし、いずれの場合におきましてもそういうものが映画の製作に寄与をいたしておるわけでございます。その寄与という、またあるいは映画の著作物の利用を円滑にするということが、同時に映画の著作者の利益をも守るゆえんでございますから、したがって、そういう観点から、映画の著作物の著作権は映画製作者に帰属せしめて簡明にする。そうしてその後において――その後と申しますか、その帰属するという前提のもとにおいて映画の著作者、監督者と映画製作者との間において映画の利用についての債権的契約を結ぶということにすることのほうが、映画という著作物の実体に即応し、また映画の利用を円滑ならしめる。これがまたひいては著作者の利益にも資するものである。こういう観点で契約に別段の定めがない限りというのを取ったのであります。
#207
○須藤五郎君 それじゃ、いまあなたのおっしゃったことは、この当該映画製作者に帰属する、ただしとかなんとか言って、なぜあとへそういう各項をちゃんと入れておかないのですか。これはすべての権利が帰属しちゃってそれで実際の著作者は何ら権利を持たない。それは相談に乗るような会社もあるかもしれない、しかし相談に乗らない会社もある。相談に乗らないからといって文句の言いようがない。あなたの考えは、映画会社がスタジオやフィルム代、金を出したりすることによって、映画のすべての権利はおれのものだと、こういう立場に立ってこの法案をつくられている。私は金が重点なのか技術が重点なのか芸術が重点なのか、そこらの考え方が少し狂っているのじゃないかな。映画会社は金を借りてくることができる。しかし監督の技術というものはよそから借りてくることができない。監督、俳優のすべての技術を評価しないで、金を出したからその映画についてのすべての権利はおれのものだという映画会社のためにこの法案の二十九条はつくられているのじゃないか。だから映画の監督はみんなおこっています、二十九条に対して。これはおれたちの権利を無視している、おれたちはどこに権利があるのだというふうにおこっておりますが、どうですか。あなた映画の監督さんたちの納得するような説明できますか。
#208
○政府委員(安達健二君) この法律案で言っている映画製作者はただ金を出すだけだというものじゃないのであります。その定義にございますように、二条の一項の第十号、映画製作者の定義がございますが、「映画の著作物の製作に発意と責任を有する者」というように書いてあります。ですから、金を出すだけだということじゃなくて、どういう映画をつくろうか、どういうスタッフでやろうか、あるいはどういう経費でやろうか、どれだけの日数でやろうかとか、そういう全体の映画というものの製作の発意を持って、そうしてそれを企画し、そうしてその著作物についての責任を持つという立場にあるわけであります。したがって、その場合に映画の著作権をだれに帰属させるかということにつきましては、先ほど申し上げましたように、ほとんどの国において映画製作者に帰属させている、あるいは譲渡させている、あるいは推定しているということは、やはり映画というものの実体から映画製作者の寄与、あるいは映画の利用という観点からして、そうすることが最も妥当である、そういうことに立っているというわけでございます。
#209
○須藤五郎君 それは映画会社の立場に立っての意見ですよ。映画会社の社長が映画の企画とかそういうことができる社長ばかりじゃないですよ。ぼくは映画界も知っておりますが、やはり監督が今度こういうものをやりたいという計画を立てて、そうしてシナリオライターが書いて、そうしてやるとしても、ここでプロデューサーという映画制作者、あなたの言っている製作者というのはなんでしょう、いわゆる大映なら大映、松竹なら松竹というその会社でしょう。会社を言ってるんでしょう、そうですね、間違いないですね。そうすると、その社長たちが考えるもんじゃないんですよ。そこにはプロデューサーというものが一つあって、そして今度監督などと相談して、今度こういうものをやろうじゃないかという相談をしてやろうと、こういう衆議一決になれば、その方向に向かってスタッフが全部動くわけですよ。それは、会社の中には、社長の中には、おれはこんなもんやりたいというのがあるかもわからぬ。新東宝の大蔵さんのように、戦争ものやりたいのだと言って、いまごろ戦争もの引っぱり出してくる人もあるかもわからぬ。しかし、それは戦争ものやろうということだけであって、こういうふうにやろうという考えはあの人にはないんですね。それはプロデューサーや監督が考えるものである。ところが、そういう会社の利益に立ってこの二十九条をつくって、それを実際知恵をしぼり、頭をしぼり、技術を注入して、そうしてつくった映画の帰属というものはそういう人たちになくして、単に金を出し、プロダクションの建て物を貸した、こういうものにすべての映画の権利が移ってしまうということは、これはとても著作者である監督や俳優、そういう人たちはがまんならないことじゃないですか。どういうふうにして説明しますか。
#210
○国務大臣(坂田道太君) これは、やはり映画というものの作品の本質に根ざしておるものであって、たとえば、確かに非常な意欲的な、そしてまたすばらしい監督が全責任を負ってつくるという場合も、これはありましょう。しかしながら、実際上はその原作者があると、あるいは脚本をやる人がおるでしょう。それから今度は監督がおるでしょう。それから、これは映す場合においてはカメラマンという者がおる。そうすると、装置については美術家がおり、音楽を入れなきゃならない。いろいろの人たちの創作意欲を持った人たちが一緒になって、そして一つの作品をつくる。そこで、それじゃ監督に著作権がいくとすると、いや、おれのカメラマンはどうしてくれるんだと、美術のほうはどうするんだと、あるいは音楽のほうはどうするんだと、こういうような主張が繰り返されるということになれば、なかなか著作権をみんなに認めろというわけにもいかないというようなことから、結局、今回の段階では、むしろその特別の契約がある場合は別としまして、一応製作者に帰属するということも、単に須藤先生おっしゃるように、 メーカーだけの利益というために、あるいはメーカーだけのことを考えてこれを立法したというわけではないんで、しかもその根拠としましては、先ほど長官からお話がございましたように、たとえばアメリカ、それからイタリア、それからオーストリアでは著作権は映画製作者に帰属すると、こういうふうにはっきりいっておるわけでございますし、西ドイツにおきましても、著作権は映画製作者に譲渡されたものと推定する規定を設けておると、あるいはまた、イギリスにおきましても、法律上映画製作者に映画フィルムの利用に関する権利を認めておると、こういうことを考えてみますると、何もメーカーだけだという意味じゃないんだけれども、実際上の映画そのものというものがやはりつくられて、そしてそれが映写をされて、そして入場してもらって、そして利用されてたくさんの人たちに見てもらうということを前提とする以上、やはりそういう形において著作権というものがここに帰属するということも、そう先生のおっしゃるほどふらちなことではないということが言えるんじゃないか。
 しかしながら、おのおの協力いたしました人たちに対して、ちゃんと人格権というものは認めている。それからまた、独立プロとか何とかいう場合は、その製作者と監督というものが一緒の場合だってこれはあり得るわけなんでございますから、むしろそういうようなことが出てくるということも考えられるわけなんで、まあこの辺が妥当なところじゃないかということで、 (笑声)判断をいたしまして、こういうふうな案文になったわけでございます。
#211
○須藤五郎君 それは坂田さん、あなたやっぱり監督の心を知らぬからそういうことが言えるのですよ。監督は自分のつくったものが一日も早く世の中に出て、そうして人々のために役立って、そうして大いに喜ばれたい、これが監督の気持ちなんですよ。そういう意味においては、何も映画製作者のみにそういう気持ちがあるのじゃなくて、むしろ監督のほうがより気持ちが多いと思う。俳優、監督。ところで、私はこの点はいろいろ論議をしていかなければならぬ問題があると思いますが、それは次回に私は保留しておきますが、一つだけきょう言っておきたいことは、映画をつくったその瞬間に、当該映画製作者に著作権が帰属してしまうということで、もう映画を実際につくった著作者の権利というものはここでなくなってしまうのですね。そのために、せっかく映画を監督がつくりながら、いわゆる製作者、この会社の意向、一方的な意向によりまして、この映画がお蔵になっちゃう、蔵の中に入れられてしまうわけですね。そうして、日の目を見ないということがずっと起こってくるわけですね。この著作者に権利がないからそういうことが起こってくるわけですね。また製作者である会社は、著作者の意向を聞かないから、そういうことがある。尊重しないからそういうことが起こってくるのですが、今日まで劇映画でお蔵入りをした映画をあげますと、谷口千吉さんの「赤線基地」、それから小林正樹さんの「壁厚き室」、大島渚さんの「日本の夜と霧」、日活の「私の捨てた女」、吉田憲二さんの「朝霧」、藤田茂八さん、河部一夫さんの「日本の若者」、それから成沢昌茂さんの「雪夫人絵図」、それから鈴木清順さんの三十本の作品は、日活との契約が切れているにもかかわらず、日清のカラーに合わない、日活の社風というのですかね、合わない。内容がわかりにくいと、こういう理由で出されていないのですね。映画監督は自分の子のごとく、俳優も自分たちの芸術をつくると、一生懸命つくったものが、いわゆる会社の一方的な意図によってそれがお蔵になっちまうんですね。一体こういうことは許されていっていいものかどうか。
 それからもう一つ、私はついでに例をあげますがね、せっかくつくった映画でも、会社の意向によってそれが焼き捨てられるようなことが起こり得るわけですね。その焼き捨てられるということは、その芸術家たち、著作者の全生涯を抹殺されてしまうことなんですよ。そういうふらちなことが、この一項で著作権というものがなくなってしまうからそういうことがなされてしまう。そういう危険すらもあるわけですね。いま現在やられているかどうかということは、私はまだ調べておりませんけれども、いわゆる会社の意向にそぐわぬ、気に入らぬということで焼き捨てられても映画監督はこれに対して文句を言えないのです。文句を言う権利がなくなってしまっているわけです、著作者としての権利がなくなりましたから。そういうことが今後も私は起こると思うのですがね。こういうことで大体いいものでしょうか、こういうことをそのままにしておいて、そうして日本の映画芸術というものは発展していくのかどうか、それは映画会社は金をもうけるものはどんどんつくらすかもわからぬ。いわゆるエログロの映画をつくらすかしらぬが、りっぱなものは映画会社つくらぬという、こういう状態がずっと続いていくならば、日本の映画芸術というものはこれで発展していくんですか、どうですか。文部大臣どうお考えになりますか。
#212
○政府委員(安達健二君) 著作権というものの性格の問題になるわけでございます。ある人が非常に熱意を込めて作品をつくった。その人は著作権を持っている。しかしながらその出版社が出してくれなければ、これは永遠に世の中に出ないわけです。著作権というのは自分のものを複製する権利、放送する権利でございますけれども、権利の実体としては無断で放送されない、無断で複製されない権利になるのですね。ですから、放送する権利があるからといって、放送局へ押しかけて行っておれのものは放送するというわけにはいかない権利でございます。したがいまして、いまの問題は、この二十九条とは全然関係がない。これは著作権というものの性格からそういう権利の内容であると、こういうことを御了承いただきたいと思います。
#213
○政府委員(今日出海君) 全く須藤さんのおっしゃることも私は非常によくわかるし、また私も実は映画の監督でありましたから、その気持ちをくんでくださるということは非常に私はありがたいことだと思う。思いますが、また映画会社というのはある時期にそういうときがありまして、非常に利益追求ということに一生懸命になったときがありますが、必ずしも利益になるとは限らないので、このごろのように一向当たらないという時代もあるので、いろいろ映画会社の中にも消長があると思うんです。いまの製作者は確かに著作権を持ってもうける場合もあるし、また非常に損する場合もある。いままでに監督なり、キャメラマンなり、シナリオライターなりが非常な損害、リスクのとき払った監督はだれもない、会社だけが損しているという場合もございますし、また、いま黒沢監督のような名人があらわれますと、これは東宝と契約を結んでこの著作者が東宝のプロデューサーと、それから黒沢君と二人が共同の著作権保有者という場合もありますし、そのときのリスクも彼が負担する。また、もうけたときにはこういうようにしようという非常にこまかい契約を結んで共同著作権者になっておるという場合もございまして、一がいにあらゆる監督がこれだけの労苦をしたんだから、監督監督という監督を非常に擁護する声が監督協会あたりなんかがよく発しておりますけれども、確かにそういう面もあるけれども、また私は必ずしもそうは――監督だけに著作権者となるということがいまだかつてよその国にもないし、日本でも独立プロ以外はないのでありまして、これを本法で何かそこにただし書きをつけなきやならないというようなことも私はおかしいんじゃないか。これで十分意味は通るし、またそこで監督と著作権者の間に契約というものを妨げてないので、黒沢君のような契約もしているし、もっと素朴な、もっと直截にして真実な契約を結ぶことは私はできると思うんです。これはいままで契約をしなかったというところにかえって、しない人もあったというところに習慣上の欠点、弱点があるので、私は大いにこれから契約によってやっていかなきゃならぬという、契約意識というものを高揚しなきゃならないとも思うんです。
#214
○須藤五郎君 今長官のおっしゃるように、契約というものをしていかなければいかんと思うのですよ。そこで、私はここに「契約に別段の定めがない限り、」と、こういう条項が入っているんだろうと思うのですよ。今さんのおっしゃるようならば、この条項を生かしておいて、差しつかえないと思うのですよ私は。ところがこれがないために、契約を結ぶという余地もなくなってしまって、つくったとたんにその著作権が製作者に移ってしまって、その映画の生殺与奪の権すらもこの製作者に移ってしまって、実際に映画を苦労してつくったほんとうの意味の著作者には何の権利もなくなってしまってる。そこに今日の映画監督はじめ、俳優、キャメラマンすべての人の不満な点があるわけですよ。だから今さんのおっしゃるようならば、この「契約に別段の定めがない限り、」というこの条項は生かしておいていいんじゃないですか。なぜこれは取ったんですか。その理由が私はわからぬからこういう質問をしているんです。
#215
○政府委員(安達健二君) まずこの第二十九条に、先ほどお話のありました「契約に別段の定めがない限り、」と入れた場合と、入れない場合との違いでございますが、これは著作権の帰属の問題でございます。したがいまして、契約をいたした場合におきましては、その契約上の権利は物権であると、したがって第三者に対しても支配する権利であるということになるわけでございます。で、したがって、たとえば海外の配給権というものをある監督が留保したと、カメラマンは留保しなかった。それから美術監督は留保した、いろいろなことが考えられるわけでございます。これを第三者が利用する場合には、そういうことについて一々チェックをしなければ、映画を利用した、映画製作者がいいと思ってその配給をしたところ待ったがかかる、こういうことになるわけであります。これは契約によって留保されたものが物権であるということから生ずることでございます。これに対しまして、「契約に別段の定めがない限り、」がないという、そういう規定がないという場合においては、字句がない、現在のような法案の内容になっておりますと、映画の著作権は映画製作者に帰属するわけでございます。一たんそこに帰属するわけでございます。その後、その映画の著作物を利用することに伴う契約は、一種の債権契約ということになるわけでございますから、その契約はこの映画製作者とその監督等との間の関係になるわけでございます。したがって、その契約に違反したような場合におきましては、これは映画製作者に対してその監督等から、その契約上の不履行の問題を遡求できるけれども、第三者に対してはその権利を主張することができない、こういうのが一般的になるわけでございます。そういうような意味で、そういうようないわゆる債権的な契約と申しますか、そういうものはこの映画の製作に参加するときにできるわけでございます。映画の監督をしようというときには、その際、参加契約なり、それとの付随の契約におきまして、海外配給はどうしようとか、あるいはテレビに出す場合にはどうしようという契約を結ぶことができる。それは映画製作者との間の契約として、これは有効に働くということでございまして、したがって契約に別段の定めのあるのとない場合との差は、ある場合には、その留保されたものが物権として、絶対権として働くということになるということでございます。そうでない場合におきましては、もちろん著作権をさらに再譲渡、再といいますか、もう一度譲渡してもらう、製作者からもらうということも、もちろん可能でございます。買うということも可能でございます。そうでない普通の場合におきましては、映画の著作物の利用につきまして契約を結んだ場合におきましては、これは債権的な契約として、そこに映画製作者に対して要求する権利として、これは当然私法上の契約自由の原則からそれができると、こういうことでございますから、そのことは特に書いてない。しかしそれは当然できるのだということでございます。
#216
○須藤五郎君 時間まだよろしゅうございましょうか。
#217
○委員長(楠正俊君) もう時間は来ております。
#218
○須藤五郎君 私、時間が超過しておりますので遠慮を申し上げ、この続きの質問は次の機会にいたしたいと思っております。まだまだ時間が相当かかりますのでそういうふうにいたしたいと思うのですが、時間が許されるならば続けてもいいのですが、どういうことに……。
#219
○委員長(楠正俊君) 速記をとめて。
  〔速記中止〕
#220
○委員長(楠正俊君) 速記を始めて。
 本法案に対する質疑は、本日はこの程度とし、これにて散会いたします。
   午後四時四十三分散会
     ―――――・―――――
ソース: 国立国会図書館
姉妹サイト