くにさくロゴ
1947/08/11 第1回国会 参議院 参議院会議録情報 第001回国会 司法委員会 第11号
姉妹サイト
 
1947/08/11 第1回国会 参議院

参議院会議録情報 第001回国会 司法委員会 第11号

#1
第001回国会 司法委員会 第11号
  公聽会
  ―――――――――――――
昭和二十二年八月十一日(月曜日)
   午前十時二十一分開会
  ―――――――――――――
  本日会議に付した事件
○刑法の一部を改正する法律案(姦通
 罪廃止の可否に関する件)
  ―――――――――――――
#2
○委員長(伊藤修君) それではこれより司法委員会の公聽会を開会いたします。
 開会に先立ちまして一言公聽会を開くに至りましたところの経緯について申上げて置きたいと存じます。御承知の通り、新憲法下におきまして、國会法の第五十一條におきまして、委員会は一般的関心及び目的を有する重要な案件につきましては、公聽会を開き得るところの規定が設けられたのであります。この公聽会を開くゆえんのものは御承知の通り、アメリカにおいては夙にこれが利用されまして、法案の重要なるものは公述人の意見を聽き、恰も法廷におけるところの弁論のごとく、これによつて委員は公正なる意見を拜聽し、以て委員の意思を決定するというがごとき、非常なるところの活用を見ておる次第であります。我が國会法におきましても、この制度を取入れまして、重要なる法案に対しまして國民の有せられるところの各御意見を直接委員会にこれを述べて頂き、以て委員会は國民が把握されたところの、或いは國民が抱かれるところの、國民が持たれるところの御意見というものを拜聽いたし、以て委員会は公正にこれを決定したいと、かような趣旨に基ずきまして公聽会は開く所以のものであります。
 この司法委員会におきまして、目下刑法の一部を改正する法律案が上程せられておる次第であります。その刑法の改正の一部の中に、姦通罪を廃止するところの原案が議題となつておる次第でありますが、これに対しましては今日まで法制審議会以來、又一般輿論におきましてもこれを廃止するや否やということに対しましては、非常なるところの議論があるのでありまして、今日の状態におきまして廃止することは非常に早い、或いはこれによつて今日の國民道義の過程におきましては、むしろ危險を伴うものではないか、或いはこれは各人の愛と、及び道義とに訴えまして、道徳に委ねることがいいではないかと、こういう御議論もあり、又今日憲法において両性の平等を規定する以上は、むしろ今日の情勢から考えてこれを両罰すべきが至当ではないかと、こういういろいろな御議論があるのであります。故にこの法案に対するところの結果は、少くとも日本の將來に対しまして、男女両性の結合によつて國家民族が発展する基礎をなす以上は、我々といたしましてこの問題が非常に重大なるものと考える次第でありまして、この意味合が即ち本公聽会を開いた所以であるのであります。どうぞこの趣旨を体せられまして、公述人の方々の十分なる御意見を拜聽し委員の法案を決定するところの資料に供して頂きたいと存ずる次第であります。
 尚本日お集まり願いました公述せらるる方々は、各界の代表であらせられまして、且つ学識経驗の豊かなお方のみを今日我々委員会といたしましては指名いたしまして、この方々の高遠なるところの議論を拜聽し、以て我々の参考にいたしたいと存ずる次第であります。
 尚明日は、即ち國会法に基ずきまして一般にこれを公告いたしまして、全國から御意見のある方を求めた次第であります。この方々の数は百三十八名南は鹿兒島から北は北海道に至るまでこの間におきまして百三十八名のお申出がありました次第であります。中、姦通罪を廃止するに賛成のお方は四十三名、中、女子一名であります。姦通罪の規定を廃止することに反対するものとして挙げられる者が九十一名でありまして、この反対者の中で両性を平等に罰すべしとする者が四十一名、中女子三名、現行法を維持すべしとする者十八名、中女子一名、單に姦通罪に反対する旨を表明するだけで、その賛否を明らかにしないお方が四名であります。勿論この現行法通りとすべしという十八名の方の御議論は今日の憲法の上におきはしては成り立たないのでありまして、いわゆる憲法二十四條の規定するところの趣旨に対しますれば両罰するか、或いはしないか、この二点にある次第でありますから、この点に対しますところのこの十八名のお方の意思表示は、今日の情勢においては採用できないと存ずる次第であります。
 かような次第でありまして、本日の公聽会は、即ち先程も申しましたごとく、各界の代表者のお方の御意見をお伺いいたし、明日は一般公募によるところの人々の御意見をお伺いするという順序となつておる次第であります。
 尚本日の公聽会におきまして十分御意見を盡して頂きたいとは存じますが時間の関係上、各公述人のお方は三十分以内に成るべく御意見を纒めて頂きたいと存ずる次第であります。一言開会に先立ちまして御挨拶を申上げます。
 尚本日は非常に暑うございますからどうか御自由に上衣をお取り下さいますように……
 宮城實君。
#3
○公述人(宮城實君) 新憲法の下におきまして姦通罪をいかように取扱うべきかということについて、即ち罰せざる法意の平等として刑法の上からこれを削つてしまうか、或いは又罰すべき法意の平等として現行法の上に改正を加えてこれを置くかどうかということは、甚だ重大な問題であります。昨年の夏、丁度今頃でありましたが、司法省の法制審議会におきまして、この問題を論議せられたことがありましたが僅かの差で以て姦通罪は廃止しろというような議論の方が多数だあつたのでありまして、而も不思議なことには、当時婦人の委員のお方に廃止賛成者が多かつたために、姦通罪を罰せざる法意の平等ということに決つたようであります。併し私は結論から先に申上げますが、この問題については罰すべき法意の平等として、姦通罪の現行法の規定を改めて、これを存置することを主張する者であります。即ち姦通勝手たるべしということには反対であります。沿革から見ましても、姦通罪はローマ法においても亦ゲルマン法においても、支那律においても、当初は非常に嚴格な重い刑罰を科しておつたのであります。我が國においても大宝律以來ずつと姦通罪というものは処罰しております。殊に徳川の百箇條におきましては死刑に処す、又姦通を現場において発見した場合においては、重ねて置いて四つにしても差支なしということになつております。新律綱領、改定律例、明治当初の法律におきましても亦何れもこれを処罰しておつたのであります。旧刑法においても姦通の現場において殺したる場合においては、その罪を宥恕する。宥恕するということは罪一等を減ずるということになつておりましたが、さような関係で今日までずつと姦通罪というものが古今東西の立法において、罰せられておつたのであります。最も家族主義、家族制度盛んなローマ、日本等においては、女の方だけを大宝律以外においては罰しておつたのであります。それが漸次軽くなつて來まして、刑罰の上においては、日本では現行法においては二年以下の懲役、ドイツ等においては六ケ月以下の懲役、草案では一年になつておつたようでありますが、これがだんだん軽くなつて來ておりますが、とにかく姦通罪というものを刑罰法規の上に今日まで依然として一般に持ち來りつつあるのであります。そこでこの立法例を見ますというと、大体において四つになつておりますが、第一にこの平等処罰主義、罰する法意の平等、第二に男を罰しない、女の方だけを罰するという主義、第三に罰することは罰するのであるが、男に有利に罰する、つまり男の場合においては妾を置くとか、或いは特殊の場合においてのみ罰する。一囘の姦通はこれを放任しておるというような差別を設けておる。例えばフランスなどにおいては、千フラン以下の罰金、男は罰金ですが、女には重刑を科するというふうになつて、いろいろ不平等に罰する主義があります。ただ姦通を罰しない立法例というものは、ソビエト・ロシアにおいて、革命後1926年後改正せられて、姦通罪を罰しないというようなふうになつておるようでありますが、併しこれはロシアの特殊の関係のあることであつて堕胎罪についても当初罰しないという法律を持つておつたのが、十年後の一九三六年、どうも堕胎罪を罰しないでは國力の消長に関係があるというので、遂に今日では堕胎罪を罰するようになつております。当初堕胎罪というものは罰すべき理由がないというので、國立堕胎場というものを設けて、公然と堕胎をさせた。併しそれはどうも工合が惡いというので止めた。姦通罪というものは又止めになるかも知れません。ですからソビエト・ロシアの法律を以てこれを推すわけのは行かん。ただ古くから姦通罪というものを罰していないのは英國のコンモン・ロー、この英國のコンモン・ローが姦通罪の処罰をしておらないで、ただ姦通罪は離婚原因である。又別居の原因であるというふうになつております。併しこれも英國全体においてそうなつておるのかというと決してそうではないのであつて、英國においても、寺院法においては罰金に処すことになつております。ですから罰しないのは俗人だけであつて、お寺の法律では罰する。こういう関係になつております。さような関係で、漸次刑が軽くはなつて來ておりますが、一般に姦通罪というものは、尚今日においても存置せられておる次第であります。
 そこでこの姦通罪の廃止に対する議論を少しく考えて見たいと思いますがこれは一九〇八年、ドイツのミツタリ・マイヤーが主張しており、日本においてもさような議論を聞くのでありますが、夫婦というものは民法上の夫婦契約である。かるが故にその姦通は民法上の夫婦契約に対する契約違反である。その契約違反については、離婚という民法上の制裁を加えることを以て足りるのであつて、敢えて刑罰によつてこれを処罰すべき筋合のものではないのだ、かように主張しております。成る程夫婦契約が民法上の契約であつて、姦通はこれの債務不履行であつてそのために離婚をすればよろしい。離婚原因として十分であるように考えられるのでありますが、この姦通罪を処罰するという理由は、單なる民法上の契約違反なるがために、これを処罰するのではないのでありまして、御承知の通りドイツが第一世界大戰後、数次の刑法改正草案を発表して、一九二七年の改正草案の姦通罪の規定を置いたのでありますが、後いろいろ論議せられた結果、この規定を草案の上から削つた。然るにその当時オーストリーは独立がいかんために、ドイツと一緒になろうという意見があつたのでありますが、ベルサイユ條約のためにこれを履行することができない。そこで先ず第一に法律から一致しようというので、あらゆる法律に同じ草案を作つて同時にこれを法律にし、違うものについては各委員を選んでこれを調和したのでありますが、その時の独澳刑法改正委員会において、オーストリーの委員に中に姦通存置論者が多かつた。我我が姦通を処罰するということは、何も契約違反を処罰するんじやないんだ夫婦関係の基礎、つまり家庭の秩序、フアミリー・オルドンを保持するのである。これに違反するということは、フアミリツク・オルダーを破壊するのである。これは刑罰を以て処罰するということは、我々委員の信念である。かような議論が勝を制して、僅かの差を以て、遂に独澳刑法改正委員会において姦通の規定を復活した。かような関係にあるのでありまして、決して契約違反なるが故にこれを放任するというような関係ではないのであります。從つてこの議論は意味をなさん。
 次に、これは昨年の法制審議会等において随分いろいろな方から聞いたのでありますが、姦通なんということは一軒の家の私事なんである。一家の私事であつて、法律の干渉すべき筋合ではないのだ、他人入るべからず、法律の干渉を許さんと、かような議論が主張せられまして、まあ結局審議会の案ができたのであります。成る程一家の私事であつて、門内入るべからずというようなことであれば、それでもいいかも知れません。殊に現行法は、この性的生活の秩序に関して不干渉主義を採つておる場合が外國の法律に比べて多いのであります。例えばブルート・チヤンデー、近親姦、或いは和姦、そういうものは処罰しておりません。これは日本の徳川時代においても、又それ以前においても、外國のおいても、近親姦、つまり近く親族、兄が妹を姦するとか、親が子供を姦するとかいうような場合において、これを処罰しておつたのでありますが、日本の現行法においては、これを不問に附しております。又徳川時代においても、和姦即ち了解の上に姦せられたる場合においては、杖七十杖、七十毆つたのです。こういうものが現行法においては皆削られておるのでありまして、これは性的秩序に関する國家の干渉を除いた、こういう点にあるのでありますが、姦通は決してこの場合と違つて、單なる当事者関係の問題ではないのでありまして、夫婦間に対する他人の介入であつて、配偶者以外の者がこれに関係しておるのでありまして、第三者が他人の平穏無事な家庭、夫婦生活に横槍を入れるのであつて、決して放任すべき筋合のものではないと思います。殊に從來までは家族制度が主張せられておつたために、祖先の系統を保持する、その点に重大な意味があるために、日本の刑法はいかにも野蛮のように見えますが、実は家族制度維持のために日本の刑法に限つて女の方だけを罰するかようなことになつております。ですから、一家の私事なるがために干渉すべきでないというのも、理由がないと思います。
 次に姦通罪の事件というものは少いのです。そんなものはありはせんのです。從つてそんな規定を置かなくても道義に任して置いて沢山である。何も法律を以て罰するという必要も理由もないのじやないかというようなことも聞きました。併し姦通というものはないのじやない。姦通というものはかなり多いのです。私は戰災のためにすべての材料を燒いてしまつたので、今日持つておりませんから、材料を持つて來ませんが、統計から見ても、ただ大審院の判決を受けるまでの事件が少かつたというだけであつて、姦通罪というものは相当あります。殊に戰時中は戰地に行つておる夫の留守中において姦夫を引き入れて姦通をしたという事件が非常に沢山ある。これは裁判上にこの事件というものが非常に沢山現われたということは、本來は姦通罪は親告罪で、夫の告訴を要することになつておりますが、この場合は夫が戰地にあるために告訴がなかつた。そこで憲兵等においてこれを放任するわけに行かんものですから、夫の留守中に勝手に他人の住宅に入つたということで以て、家宅侵入罪を以て告訴をして來た。從つて官憲の自由で以てこれが告訴することができるようになつたものですから、法の上において非常に多くなつた。ただ姦通の手段として家宅に侵入するので、家宅侵入罪として罰する、刑法百三十條の家宅侵入罪で以て懲役三年から五年まで高められた、かような状態にあります。ですから決して少ないのじやない。多いのです。ですからこれを取つてしまうということは、実際に刑に処せられて懲役に行くことが多い少いという問題よりも、刑法の上に存するが故に成る程その事件が少くなるのだということは言えると思うです。殊に実際に裁判上起きるか起きないかというような問題を見ますというと、刑法の姦通罪の次の條文百八十四條、これは重婚罪の條文です。重婚をなしたる者は二年以下の懲役に処すということになつておりますが、この重婚罪の條文は、今日まで実際の裁判の上に現われたということは殆んどないのです。約一件ぐらいしかない。何故ないかというと、これは実際起きないのです。日本の民法の夫婦関係の規定が悪いために、重婚罪というものは起きないが、実際には重婚をやつておる者は非常に沢山ある。沢山あるのですけれども、日本の民法が形式主義を採つて届出を必要としておる結果何人細君を持つておろうと届出をしなければよい。放つて置けばよい。だから実際には五人も六人も細君を持つておるけれども、届出ていないため一向構わない。いくらぼんくらな村長でも、一遍届出をしてあるものを、又届出て來ても受付けはしない。籍面が塞がつておるのですから、又書く筈がない。だから重婚罪なんというものは、刑法の上には書いてあるが、実際には今日まで僞造してやつた事件が一件あるということを聞いておりますが、それ以外には殆んど起きないのです。起きなくても、重婚罪の規定を刑法から削るという議論を今日まで聞いたことがない。ですからやはりこれは法律の上に置く必要がある、かように考えます。
 第四に、これは夫婦離婚の上に行われることであるからして、むしろ復讐になり、恐喝等に利用せられるからして宜しくないのだというような議論もあります。併しこれは親告罪にしてある結果、止むを得ない。姦通罪を親告罪にするということは、これは本人の名誉と利益を重んずるために、止むを得ないのであります。お前の家内姦通しておるからちよつと來いと言つて引つ張られては困るから、そういうことのないように親告罪にしてありますから親告罪にしてある以上は、親告罪が訴訟條件である関係上、さようなことが起るということは、必ずしも姦通罪のみに限るということはないのであります。親告罪である以上、あらゆる犯罪についてさようなことが言い得ると思います。以上挙げました理由によつて、私は姦通罪を存置する、而も憲法の趣旨に随つて平等にする、法意の平等としてこれを存置することに賛成する意見であります。
 ちよつとここに附け加えて置きたいことは、刑法の改正と同時に、姦通罪の兩罰主議を存置するためには、是非民法の規定をこれに歩調を合せて改正をして貰うということが必要であります。日本の民法は現行法によると、姦通が男については離婚原因にすらなつておらん。離婚原因にならんと、これが告訴ができないから、必ずこれを男についても離婚原因にするということ及び離婚について原因を與えておる者については、必らずその相手方について扶養の義務なり賠償の義務なりを負わせるということ、スイス民法なりドイツ民法のごとく、離婚原因の有責者は、必らず相手方を扶養する関係の規定を置くことが必要なのではないか。この規定がないというと、今日の経済状態において、婦人が男子を告訴するということが甚だ困難な状態に至るのではないかと思いますので、兩罰主義と民法の規定をこれに合わせるように改正せられんことを希望する次第であります。御清聽を感謝いたします。
#4
○委員長(伊藤修君) 守屋あづま君
#5
○公述人(守屋あづま君) この大きな問題につきまして、私は学問的に、又法律的に申すものを持つておりません。ただ一人の婦人として、永い間この問題に対して一つの請願をしておりました立場から、自分の思うところを述べさして頂こうと思いますが、結論は撤廃でございます。私の属しておりましたキリスト教婦人矯風会は、明治十九年に創立されました当初、先ず第一に請願として、議会が始まりますると共に民法、刑法の改正ということを申出ました。勿論請願でございますから、年々その改正を多くの人に調印を求めまして、民法、刑法の改正ができなければならないという運動を起しておまりす。その目的はこの姦通罪、女子のみ姦通罪として罰せられても、男子は罰せられておらないということは不平等だ、どうしても男子も女子も罰せられるべきものである。だから改正して頂きたいというので、その請願を出しました。年々その案を出し、請願に記名する人も多くなつて参りましたけれども、議会においてはこれに対して誠に冷淡で、この問題が出ますと、時には女の嫉妬だ、やきもちだというような言葉さえ投げ掛けて、まともに取扱われるということが薄く長年過ぎて参りました。たまたま一人の代議士の方があつて、これはどうしても日本の風俗を立派にするために必要なことだから、代議士の中にも沢山そうしたことに理解を持ち、應援する人もあるのだから、法律案として出した方がよかろう。法律案とすればかくかくの次第だと言つて、御親切にそのことをお勧め下すつた方がございました。当時の会長さん矢島楫子はその御親切に対して重ねて申しまするのに、この問題が、若しも兩方ともが罰せられるということになつたとしたらどんな結果が來るでしよう、大事な父も母も罰せられてしまう、という今の日本の状態……私どもはこの改正の請願を出す理由は、どうか良い家庭が作られるようにそういう道義は破られないようにということで出しておるのだから、私はこれは請願で通します。丁度日本の道義戰に対して半鐘を叩くようなもので、みんな氣を附けなければならない、注意しなければならないというような意味で、この請願を私は続く限り出しますと言つて返事をした。御親切に申された方は甚だその手温いことを残念にお思いになつて、こんなことでは駄目だ請願ということでは駄目だと言つて大変に残念にお思い下すつたような一つの事実がございましたけれども、この氣持は、私は今日も自分に持つておるのでございます。罰するということが主体じやなくて、國民の中にそういう罪過を犯すことのないようにしたいというところに主点があると思います。勿論そういうことを考えましてもそういうことをした者に対する罰はしなければならないとも考えますけれども、この問題は盗みをした、或いは火をつけたとかいうのと違つて、人間の一番大事な徳義、道義という問題に触れたことであつて、これを罰するにしても非常にそこに一つの力を、又省みなければならない問題があるのじやないかと考えます。そういう行き方におきまして、私はこれは罰を與える、刑法において罰するということよりも、どうしても道義という立場で以て何とか途を附けなければならない。勿論そのことは容易でないことでございます。けれどもこれはやはりその容易でないことを國民として知つていなければならないと思うのでございます。一体刑法というものはその人を罰して、そら、こういうふうに惡いことをしたから罪にしたぞと言つて、報復的に罰するのが目的でなしに、殊に今囘の刑法に対しては罪したものでもその罪を悔いて、その刑罰を受たことによつて希望を持つて、改めて更生する生活ができるようにするということが、刑法の主体であるといたしますならば、私はその姦通罪などというようなことに考えを及ぼした時に、果して更生し得又それによつて希望のある生涯を持つことができるかどうかということを本当に憂います。或る不良な子供の取扱いをして見ました時に、或いは又理想的にいろいろ惡化をした人などの取扱いをして見ましたその経驗から申しますと、言い知れない間に満ちたその空氣がどんな恐ろしてものを、子供自身もどうしてよいか分らないといふ間に、默々の間に恐ろしい考えを持ち又親を親と思わないという考を持つということが土台になつて、不良行爲や又思想的に陷る人などもあるという事実に当つて見ました私自身から申しますと刑法のこの問題も單にそういう罪を犯した、惡いことをした人を責める、罰する、ということを考える前に、もう一つこの子供の身になつたらどうかということを、ここに是非考えて頂きたいと思うのでございます。自分の最も信頼する大切な、取り去ることのできない親子の愛、父が姦通し、母が姦通したというような、そのこと自身でも苦しいところにもつて來て、刑罰までも受けたということになつた時にその子供が果して満足な生涯が持てるかどうか、その子供にとつては、このくらい苦しいことはなかろうと思います。盜みをした親の子供が実に可哀そうな、言うことのできないあがきを持つておりますことを思いますと、もつとその子供が成長して知つたら、苦しいその姦通罪で両親が罰を受けた者の自分は子だということが、子供として堪え切れない。そこに子供がどういうような動きを起して來るかということを考えて見ますと、これはどうしてもこういう罪を與えるというような刑罰はとつてしまい、何かそこにもつと好い方法がないだろうか、実は私はそれに対してこうしたらよいといふことが申せますならば、この上ないことでございますが、それが分らない。何か法を廃して、こういう刑法において姦通罪というものを肯定しておいてどうこうというのでなしに、これをないということにして、その人達に対するよい方法はないだろうかというところに、私の苦みはあるので、今日はそのことをむしろ教えを受けたいぐらいでどうしたらよいかということ。もう一つは、姦通罪というようなものに対しましても一般によく申しますことは、立派な人ならば余りないけれども、そこら辺の大衆の所にはこういうことはざらにあることだから、こういう法律がなかつたならば駄目だ、その法律があつて漸くその人たちを伏せておくことができるのだというお話を聞きますけれども、私が不幸にして承知した範囲におきましては、決してこういう罪過を犯す者は教育のある人とかない人とかいうことでないと思います。やはりいかに教育を受けておつても、こういう罪過を犯す人は沢山にある。又教育がない人でも、こういう問題に対しましては実に立派な人もあるので、これはどうしても人としての本当の教育を施すことがそこに起つて來なければならないのだ、私はどうしてもこの問題は一般の道徳の問題、それによつて何かその道を開くのでなければならないということを考えております。今宮城先生のいろいろのお話を伺いまして、ああしたいろいろ世界各國の例がございますけれども、日本として今度新しい新憲法下におきまして、あの戰爭さへも放棄した今日、殆んど理想といつてこのくらい理想はない、無謀と思われるくらいな戰爭放棄というその新らしい條項をはつきり掲げた日本としまして、私は是非共この姦通罪というものは刑法から取つてしまう。そうしてそこにそういうことの起らないように進めて行く途を他に開くという立場の氣持で、それに対しての賛成をしたわけであります。撤廃ということに賛成をした理由であります。
#6
○委員長(伊藤修君) 小野清一郎君。
#7
○公述人(小野清一郎君) 簡單に私の所見を申し述べたいと思います。姦通罪の問題は、多年私共刑法学者を惱ましていた問題でございます。今までの現行法では、妻の姦通だけが罰せられ男の姦通は罰せられないという、姦通といえばもう妻の姦通に決まつておるように、言葉の上からいつても、日本語だけではございませんので、英語のアダルタリー、或いはフランス語のアデュルテール、姦通といえばもう女のものに決まつておるようなことが昔からの実は観念なので、日本だけのことではないのであります。で我が國の現行法はその観念でできておるから、夫が妻以外の他の女と通じても、それは罪にならない。こういう建前を取つております。併しそれではいけない。今守屋さんから明治初年以來ずつと反対運動を続けられたことをお話になりましたが、これはもう極めて当然のことでありまして、そのままで置くわけには行かんというので、昭和二年に発表せられました刑法改正の予備草案というものがございますが、その中に夫の姦通と妻の姦通とを何れも罪するという規定を設けたのであります。即ち配偶者のある者が他の者と通じたら、夫でも妻でも姦通罪になる、こういうわけであります。併しその後又いろいろ議論がございまして、昭和十五年に発表になりました普通に私共が改正仮案と呼んでおりますが、刑法改正仮案これではその立場を若干修正して、いわば逆戻りをしたわけでございますが妻の姦通は無條件に罰する、これに反して夫の姦通といい得るならば、その規定は、夫が他の女と私通した場合、ただそれだけでは罪にならないで、その結果として妻を遺棄することになつたとか、或いは妻を虐待した、妻に重大な侮辱を與えたといつたような場合には、それを罪として罰する。こういう立場を取つたのであります。で、これもいわば完全に平等ではないのであります。これも今日の問題では恐らくないと思います。併し私といたしましては、この刑法仮案の立場がそう簡單に捨てらるべきものであるとも思つていないのであります。と申しますのは、私は勿論男女の人格としての平等ということは、どこまでも原理として打ち立てて行かなければならない、これは論理的に重要な意味を持つておると思いますが、併してそうだからといつて、一体すべてのこの問題に限らず、法制上抽象的に画一的に、すべての取扱を同じにしていいかどうかは、これは又別問題だろうと思うのであります。抽象的なこの制度を抽象化して、皆平等にしようとしても、根本的に生理的な違いをどうすることもできない。夫が妻になるわけの代用品にはならないし妻が夫の代りをするわけには行かんのであります。それが又心理的にも違いがあり、社会的にもまあいろいろその差が少くなつては参るでありましようけれども、結局においてこれが全くなくなるということはない以上は、この画一的抽象的な平等というものはむしろ或る場合には、現実に即していえば却つて正義に反するような結果になる場合もあると思います。併し私は今その問題を取上げようとはしない。今問題になるのは、今の立法問題として姦通罪を刑法から抹殺してしまうか、それとも夫の姦通というものを新に罰することにして、即ちその意味で男女平等を認めて、妻の姦通と夫の姦通とを共に、例えば二年以下の懲役と刑法の上に規定する。こういう問題はそれ以外にないと思うのであります。で私はそういうふうに問題を限局した場合にどちらに加勢いたしますかというと、これは非常に私といたしましても迷うのでありまして、一体学問というものは、ただ常識的にどつちといつてしまえば、どつちにも理窟がつきます。学問としてはそれを分析して、こういう立法をしたらばどういう結果を生ずるか、それによつてどういう目的を達するか、併し副作用としてどんなか結果が起りはしないか、そういう立法の考は一体どういう動機から來るのだろうかというような、いろいろ詮索をしてこれをこちらとこちらを見比べたところに学問があるのでありまして、だから学問をやればやる程勇氣に乏しくなるともいわれるでありましよう。併し勿論結局の判断はなければならないのであります。そう簡單には行かないということを考えれば考える程むづかしい問題だということを、過去三十年の経驗から告白せざるを得ないわけであります。
 そこで、併しこの場合どつちにしましようかと、さつきも委員の係の方から詰め寄られまして、私はそれでは反対の側、即ち姦通罪の抹殺に反対する、というお答え、そちらの側に加わりましようと申したわけであります。そのわけは、何としても夫婦というものが人倫関係といたしまして極めて重大な事柄であるということ、夫婦間の信義というものはどこまでも守られなければならない。それは妻であると夫に拘わらない。どこまでも夫婦間の信義を重んじなければならない。それは單に契約とか約束とかいうだけのことではないので、二人だけのことではないのでありまして、家族ということを考え又ひとり家族のみならず、民族、國家或いは世界人類の運命を考えましても健全な人類の文化のために、これは基本的な重要性を持つところの事柄である。で、まあ文化というものは自然に進むものでありますから、例えば昔は非常な重い刑に処する。死刑にしたからといつて、今もそれが必要であるということはいえない。やはり時代の必要に應じてむしろ刑罰などはだんだん軽くなり、又でき得ればそれが全然抹殺される方が理想的でありましよう。併しそこには何と申しますか、刑法の悲劇性とでも私は言いたいのですが、人間生活、人類の矛盾というものをどう裁くかという、実にむずかしい問題に触れるのでありまして、私は結局において少くともやはり今日現在において尚姦通罪を抹殺することは尚早であると思うのであります。ことに現在の世相といいますか、道義頽廃的な傾向のある際に、姦通罪が廃止されたということの國民全体に対する影響はいかがなものでありましようか。これは政治的に十分責任を持つてお考えを願いたい問題である、かように思う、そこから來るわけであります。先程立法例については、宮城さんから縷々お述べになりました。時間もございませんし、実は立法例としても、両方を罰するという立法もあり、それから両方とも罰しないという立法もあり、それから又さつきの我が國の改正仮案のような、一種の折衷的な立場を取つた立法もあるのでありまして、つまり人類が迷つている当惑した問題に相違ない。窃盗とか殺人でありますならば、どこの國に行つても犯罪である。併しこの点は人類が迷つており、当惑しておる問題に違いない。ここで社会学的に科学的に言う場合には実驗が必要であるというならば、現に実驗しておるのです。いろいろな立法の下に住んでおる國民がある。而も一々その國の名前は挙げませんが、文明國においてもそれ程違うとは思えないのです。そういう点から言えば、いずれでもいいではないかとも申されますが、併しこれは外のことと違いまして、我が國としてはこれが一つの大きな実驗になるのですが、そういう意味の実驗は余程愼重にいたしませんと、勿論想像の上で、観念の上で考えて、こういう立法をしたらどういう結果になるかということを、想像の上で実驗するのは、学問の務めであり、又立法の際には是非できるでけ廣く又深くそういう点を檢討して頂きたいのですが、併しいよいよこの立法をどうするかという場合には、その決断は非常に愼重なることを要する、道義のために……。勿論刑法というものはよく両刀の劔と言われますように、一方を切るかわりに自分も傷つくという性質を持つておりますが、而も尚且つ私といたしましては、この姦通罪の抹殺には容易に賛成できない保守的な氣持であることを告白いたします。これを道徳の問題だから道徳に委せたらいいと言いますけれども、刑法というものはそもそもこの問題に限らず、すべてが道徳、道義の問題である。それを一般の教育とか宗教とか、その他の文化的な影響によつてその目的を達成し得られるならば、固より刑罰というものは望ましいものではない。併しながら最後の一種の強力的な手段として止むを得ない場合には、これは刑罰も止むを得ないというのが、現実の人間生活の上からはどうしても刑法というものを取り去ることができず、この点についてもいかに悲劇的であつても、或る場合にはやはりこの姦通を犯罪として取上げるという、稀ではあつても、少くともそういうことの可能であることを國民に覚悟して貰う必要があるのではないかと思うのであります。現在でも姦通罪は統計の上において極めて少数であります。多くは道徳的に処理されるのでありますが、併しそうだからといつて、刑法に姦通罪というものがあるかないかということは、やはりそこに大変な違いがあると思うのでありまして、仮に一年に二件か三件しかないとしても、尚且つ國民の心理、道義的意識の底に深く潜んでおる、潜在的にまでなつておるところの抑制意識、抑制感情というものがやはり必要であると思うのであります。今姦通罪の規定を抹消しましても、明日からもう大手を振つてそこらに姦通が行われる、そういうことはあり得ない。人間はそれ程簡單ではない。人間は道義心、道徳心を持つておりまして、おのずから道徳の法則に從つて行動するでしよう。併しそのこと自体が人類の生活あつて以來、長年の教育のみならず、刑法の力が加わつておるということを反省しなければならないと思うのであります。ただ両罰主義――他に解決の道はないと思いますが、両方とも罰するという主義を採つたら法の威信を損なうことになりはしないか、恐らくは男がそこらでいろいろなことをやるそれを一々犯罪として取上げるということはできない。して見れば書いて見たところで無効に終る。実際は余り実行性がない。実行性のないような法律を作るということはこれは法の威信を損なうばかりである。こういう反駁ができるのでありますが、併しこれはいかなる法律でありましても、これが百パーセント実施されるというものではない。又百パーセント実施されなければ法律を作る必要がないのだというようなことも言えないのでありまして、今姦通罪を廃止するのに比べては、私は少くとも國民の道義意識の上から言つて、男女共に夫婦間の信義を破つて他の男女と私通するということは犯罪であるという意識を先ず養う必要がある、こう思うのであります。勿論その副作用として、只今守屋さんがおつしやいましたように、父も母も罰せられるその家庭は一体どうなるのだという、悲惨な例を申されるのでありまして、これは御尤もなことでありますが、望ましくない副作用であります。併し刑法に例えば二年以下の懲役と規定いたしましたとしても、すべての場合を、それこそ千篇一律に画一的に皆現実に処罰するというようなものでもない。今日の司法制度はそんなものではない。起訴猶予というものもあり、執行猶予というものもあり、又恐らくはそれ以前に、刑法にはこう規定があるけれども併し徳義的にこういう解決に出たらどうかというような、そこは國民の文化と教養との問題でありまして、又社会一般の物の考え方の問題でありまして刑法にそう規定されたから、俄かにそういう家庭悲劇が続出するとは、私には思われないのであります。少くとも今までの悲劇が倍加する……、数字の上ではそういうことになるかも知れんけれども、実際はそういうことには決してならないと思うのでございます。併し現在は恐らくはさつきの意見を言つて來た人の数からいうと、反対の人が多いようでありますが、私の恐れておるところはやはり姦通罪の抹消の方が通りがよいのじやないか、現在の思想の大体の風潮から申しましても通りがいいのじやないかとも思はれます。併しこれは一時の風潮でなしに、一つ眞面目に國民の道義という観点に立つて考えて頂きたい。のみならず全廃するという心理の中には、私は男の我儘があると思うのです。男が俄かに姦通を罰せられるということになつては、ちよつときまりの惡い人がやはりありはしないか、それならもう妻の姦通は諦らめる、併しその代り姦通を罰することは我慢してくれ、そう言わないでもどこかの片隅にそういつたような心理作用があるのじやないかと思われる。本当に男女の人格的な平等を認めるという立場からいつてそれはどうかと思うのです。併しそれは政治面などには相当有力に働いている。少くとも今まどの議会だつたらばその面が非常に有力に働くということを、刑法の改正案の審議などの際は、そういうことまで常に念頭に置いてやつて來たわけでありまして、現在の改まつた國会は又違うか知れませんが、ともかく男の一人々々の人がどうというものでなしに、男子層というものの中に、而もはつきりした思想とか観念とかにならずに、そういつたような意識がどこかに潜在していて、そこで両方罰するか、それはどうもむしろリディキュラス――おかしいことになりはしないか、それよりいつそのこと姦通なんてものは止めてしまえ、それは道徳に任せた方がいいというような、ちよつと通りのいい自由主義的な道徳思想が勝を制するのではないかと予想される節がありますが、その際は一つ愼重に國民道義という立場に立つて、愼重にお考えを願いたいと思うのが私の意見であります。
#8
○委員長(伊藤修君) 泉二新熊君。
#9
○公述人(泉二新熊君) 先刻來いろいろ御説明がありましたので、私は成るべく簡潔に申上げて見たいと思うのであります。現代の欧米諸國における刑事立法の状態を見ますというと、姦通罪を処罰する立法と、姦通罪を刑法においては不問に附する立法例こういうふうに大別することができると思います。その理由といたしまするところは結婚は人生の意義において最も神聖なる事柄である。その結婚の神聖を維持し、家庭の生活の平和というものを維持して行くがためには、かくのごとき最も重要なる事柄について、道義の基盤を犯すような姦通罪というものを処罰するにあらざれば、社会の平和なる秩序を維持して行くことは、殆んど不可能である。それ故にこれは刑法として不問に附すべき問題であつてはならない。况んや刑法の任務の一面といたしましては、社会道義の標準を向上せしむるということにも懸かつておるのであります。我々がこの男女間の関係殊に結婚問題に関する道義精神というものを強化して行く必要から見ましても、刑法を一つの教科書として考えて是非教科書の中にこの問題を採り入れるべきであるというのが大体の要旨であります。これに反しまして、これは不問に附すべきものであるという考え方には、いろいろの理由があるのでありまするが、先ずこれを処罰しないところのイギリスのコンモン・ロー、又これを採用しておりますところのアメリカ諸州の法律等におきましては、こういう問題は刑法上の処罰を以て臨む必要がないのである。社会的制裁及び宗教法上の制裁というものが、刑罰よりは却つて有力なものである。更に又民事法上の救済の途もあるのである。それ故にこれを刑事問題とするということは必要がない。成るべく國民の自由というものを尊重して、刑罰の前にはむしろでき得る限りこれを救済する途を考える必要があるというのでありまして、現にイギリスのコンモン・ローでありまするというと、この性問題に関しましては特別の手段、例えば暴行脅迫が行われるとか、或いは陵虐行爲が行われるとか、或いはまだ年歯の熟していない少女に対して姦淫行爲が行われるとかいう特別の場合には、刑罰を科するのでありますが、その他はすべて刑法ではこれを不問に附しているのであります。のみならずこの姦通罪を処罰するという刑法の規定は、非常に逆用され濫用されて、却つて社会の秩序を害する場合が少くない。今日日本の刑法で申しますと、御承知の通りに妻の姦通というものだけが認められておるのでありまするが、その本夫の方が道義的に見まして非常に不都合な人間である、性格者であるという場合には、その妻の姦通というものを口実にしまして、相手方に対する極めて何と申しましようか、むしろ不道義極まるような要求をする、脅迫をするというようなことが少なくないのであります。夫の姦通を認むる、これから後の法律でそういうことをいたしましてもやはりこれと同樣な弊害は起つて來るであろうと思われる。そういう理窟からいたしまして、むしろ姦通罪は刑法外に置くべきではないかと、こういうのが理論上の根拠であります。そこで更にこの欧米諸國の立法というものを他の観察点から分類して見ますというと、片一方だけを罰する嚴罰主義と、それから両方を罰する、夫も妻も姦通罪について罰する。それから両方とも罰しないというようなふうの対等主義の刑法、こういう二つに分けることができると思います。沿革の上から申しますと嚴罰主義が最も古い形式であります。殊に妻の姦通というものは非常に憎みまして、社会的罪惡の最大なものであるとしてこれを掲げましたものは世界最古のハムラビー法典においてもすでにこれを見ることができるのであります。先刻宮城君からお話のありました徳川時代の刑法でも非常に極刑をもつてこれに臨んだのであります。今日この嚴罰主義の中には、日本の刑法それからヨーロツパ大陸諸國の大部分がこれに属しておるのであります。そうして殊に妻の姦通のみを処罰するということについての理由といたしまして妻の貞操の純潔というものが家族制度の維持、家庭平和の確保の点から見て最も大切なことである。それから又男子は女子よりもその性的精力において勝るところがある。それから又男子は女子と違つて方々で事務所を持ち、職業上の関係で出張などをして仕事をするというような場合があつて、やはり時にはその内助者たるべきものを必要とすることが非常に多いなどというようなことを理由にいたしまして、妻の姦通は罰するが、夫の姦通は罰しないとするのであります。併しこれは男の方の我田引水の議論でありましてやはり昔から家族制度、それから夫権の尊重という長い間の慣習に囚われた立法上の遺物であろうと見て然るべきだと思います。今日のところでは我が新憲法におきましては、先程委員長からお話もありました通り、いずれかに平等にすべきことは当然のことであります。嚴罰主義で行くべきものでないことは明白であると思うのであります。
 そこで、罰すべき対等主義か、罰せざるところの対等主義かということになるのでありまして、大きな問題がそこに横わつておると思うのでありますが、罰することを要求する対等主義の実例は、先ず一八七一年のドイツの刑法を代表的なものとして見ることができるのであります。それからフランスの刑法は両方とも罰するという大きな枠の中に入れて見るというと、やはり対等主義であるということが言えますけれども、併し條件が非常に違つておる。夫の姦通よりも妻の姦通は極く軽微なる條件の下に処罰されるということになつておるのであります。罰せざるところの対等主義というものは英米法は申すまでもないことでありますがここにちよつと注意を要することは、一八六〇年にできましたインド刑法典の規定であります。これはやはりその理念といたしましては妻の姦通は処罰すべきものであるという考え方が頭に入つてゐるのであります。併しながらインドにおいては殆んどポリガミーの制度が廣く認められているということそれから婦女は幼少の時から人妻にされて、なんら自分の思慮分別に從つて相手方を選ぶという余地が與えられておらない。そうして多数の妻がおりますから、その中のある者は非常な虐待を受けるというような憐むべき状態で婦女の地位を向上せしむるがためにはこれを保護して行く必要がある。然るに現在の状況においてその姦通の妻を罰するということは、ますます婦女の地位というものを下落せしむるだけのことに過ぎない。これはインドの実際の社会情勢から見て、妻の姦通は罰すべからざるものであるという決議になりましたが、人妻であることを知り若しくは知り得べき相当の理由ある場合において、人妻と姦淫を行う男は処罰するのであります。我が現行刑法でも有夫の婦、他人の妻が姦通すれば処罰をされる。これと相姦する者は男でありましようが、相姦する者は又処罰される。インドの刑法典でいわゆる相姦する男だけが処罰される、こういうことになつておるのでありまして、妻は姦通で処罰されない。だから形式の上から申しますというと、これはやはり姦通そのものを不問に附するところの対等主義の立法であるということが考えられるのであります。而して婦女のそういう状態に関して立法上どういうふうにこれを斟酌し、同情を以て立法をするかということは、やはり立法者として大いに考慮を用うべき事柄であろうと思います。
 私の卑見を簡單に申上げて見まするというと、理論といたしましては処罰をすべき必要があるということも、大いにこれは参考になるべき意見であつて、結婚、家庭の問題というものを最も大切なものとして考えるとき、これが侵害された場合に法律上放任して置くということは決して適当でない。だから何らかの方法で法律がやはりこれに干渉してよろしいのであると思うのであります。單純に一家の私事であるといつて放任して置くということは、本当に道義、風教上高尚なる文化社会というものを再建して行くゆえんではないだろうと思うのであります。これを他の一面から考えまして成る程理論はそういうことが言えるのであるが、実際の上から考えて見るというと、さつきその無処罰の理由として考えられたような理由の前に、これを無処罰にするということは適当でないのであるのみならずこれはやはり法律で以て刑罰を科するということは、決して不都合なことじやないと思われるのであります。刑法を社会教化機関の任務を兼ねて有するところの國家法制として見るときにおいて、今の問題を刑法は余り不問に附しない方が宜しいのであると思うのでありますが、一面から申しまするといとう、イギリスのコンモンローの取つておりまするように、刑罰節用ということを一面において考えて見なければならない。刑罰は、國家の科する制裁の中で、最も嚴格にして最も不利益な制裁でありますから、これを科するについては相当の理由、強い根拠というものがなければならないと思うのでありまして、イギリスやアメリカにおいて、現在これを不問に附したままで社会の秩序が別段その点から紊れておるということも言えない状態にあるのでありますから、これが処罰規定がなければ秩序が保たれないという論を維持するということも困難であると思うのであります。併し他の一面から更にこれを観察して見まするというと、若しこの姦通に関する規定というものが、仮に、純理論的にのみ取扱われて、社会の現在における情勢、習慣、風俗等というものが殆んど無視されて、観念的の立法になつてしまうということになつたらば、その結果はいかがであろうか、アメリカやイギリスでは何と申しましても長い間の訓練に基ずきまして、他の民主主義とか自由主義とかという観念において國民が長い間の訓練を受けております。それ故に、社会制裁、それから宗教上の制裁とかいうもので、これを喰い止めるのに十分だろうと思いまするが、その点において日本は甚だ遺憾ながらまだ訓練を積んでおらない。若しこの刑罰規定というものが全く除去されてしまつたならば、家庭はみじめになる。その家庭がみじめになるということは他の言葉を以てすれば、妻、子供、妻子というものが、そのふしだらなる本夫父の不倫行爲によつてその生活が脅やかされ、その不幸を招くということが幾らも出て來ると思うのであります。今日におきましても相当にそういう問題が社会の裏面にはあるのでございます。何とかしてもう少し有効的にこれを防止するような方法を講じなければなるまいかと思うのであります。それで夫の姦通を放任するというよりは、むしろ今日の情勢を改善するという意味において夫も処罰するがいい。そういう意味において新憲法の下における男女平等権利を攝理して行く方が、私は今日の情勢に照らして見れば適当じやないかと思うのであります併しながらどこまでも刑罰節用ということはできるだけやる必要があるのであります。それ故に私の考え方から申しますれば、両方共平等に処罰をするのである。フランスのようなふうに両方処罰はするけれども、夫の方には條件が少しむつかしいのだというようなことでは、やはり新憲法の対等主議というものには当らんと思います。だから刑法の條文は同一でなければならん併し処罰はする、刑法に処罰の規定は置くけれども、配偶者から遺棄された場合であるとか、それから精神的の虐待を受けた場合であるとか、姦通を慫慂される、或いは勧誘される、惡い夫が妻に姦通を勧めるなどということは珍しからない。例が少くないのであります。その他若干処罰を緩和することろの規定を設ける必要があろうかと思います。そうして尚これは特別の場合で、でき得べくんば刑罰ではないようにしたい。併し止むを得ない時には、どうしても今のところでは刑罰を離れるわけには行かない、社会の道義観念というものがもう少し向上するまでの間は、過渡的にでも、とにかく刑罰を全廃するということは、実際の今日の日本の情勢には適合しないと私は考えているのであります。
 そこで、それじや刑罰を緩和すればいいのか、只今申しましたような若干の條件を附するということもいい例でありますが、その外に今家事審判所の法律が研究されているようでありますが、私はその内容の如何を存じませんけれども、やはりこういう問題は家事審判所で取上げるようにするのが最も適当であるだろうと思うのでありますそこで姦通の問題は先ず家事審判所でその審判をする、その審判所では將來かくのごとき行爲を繰返すことのないということについての宣誓をさせる、それから相手方に対する相当の……相手方といつても、つまり妻か夫かに対するところの、扶養の義務を十分に盡す。そういう場合においては没收されても差支えないような保証金を積ませるなどというような方法で家事審判所がこれに干渉する。そうして一年なら一年或いはその他の期限でも、著しくこの條件を破壊するような行動を本人がとるという場合には、刑事裁判所にその審判所の方から通知をする。敢えて配偶者、被害者として配偶者などの告訴などを必要としない。尤も通知が行つておつても、その配偶者が積極的に処罰を欲しないという時には、その旨の意思表示をすれば、裁判所の方ではこれに干渉しないという條件を附けるということも一つの考え方でありましよう。而して裁判所の方に來た場合においても、やはり一年とか二年とか相当の期間今の第二次的の方法を取りまして、刑の執行猶予をして置く、或いは刑の宣告猶予をして置くというようなことをやりましてそれでも効果がないという時には、嚴罰に処するというようなことを考え又研究するということが最も適当じやないかというようなことを考えるのであります。まあ私の考の要領だけを申上げて御参考に供する次第であります。
#10
○委員長(伊藤修君) ここで今まで公述せられました方々に対する御質疑のある方は質疑をお許しいたします。
#11
○山下義信君 諸先生にお尋ね申上げます。大体私共の承知いたしておりまする範囲では、この姦通罪の撤廃ということについては学者、專門家の方々は大体において撤廃に御賛成のように承わつております。併しながら一般の世論といたしましては存置論の方が多ようでありますことは、先刻委員長の報告がありました通りでございますそこで私共関係の委員といたしましては、余程これは愼重に研究審議いたさなければならんと考えまして、この公聽会も、それによつて開かれましたる次第でございますが、只今諸先生から非常に深遠該博なる御意見を拜聽いたしまして、感謝に堪えません。一、二関聯して伺いたいと存じます。法律学的なお尋ねをいたしまするよりは、一般の國民常識という点から私は伺いたいと思うのでございます。そこで反対論者の諸先生に一括して伺いまするも一方法でございまするが、二、三の点を分けまして簡單に御指示、御指導を受けましたら有難いと思います。
 それは宮城先生に伺いたいと思いますのは、両罰主義で姦通罪を存置いたしまするならば、即ち処罰する必要があるといたしまするならば、これは親告を待たないでむしろ進んで檢挙いたしましたらば、檢挙主義を採りましたらばいかがでございましようか、私共が考えますのでは、親告を待つということになりましたのでは、かかる罰目を存置いたしました目的が十分に達し得られないのではないかと考えます。それはです、婦人の方々は、男子が不品行することが分からない、男が旅行先やその他で、先程も小野先生のお話もございましたが、どこで何をしておるかわからないというようなことでありまして、御婦人にもなかなか分かりにくい点があるか知りませんが、間男をされた男の方でもなかなか分からんところがあります。町内で知らぬは亭主ばかりなりと申しまして、夫が氣付きますことはなかなか遲い。それで親告を待つてというようなことでございましては手温いように思うのでございます。それで親告ということに相成りますと、私共が常識的に疑問に思いまするのは、姦通をせられました相手の方の夫、若しくは妻が、若しまだ愛情がありとしまするならば親告する筈がございません。尤も愛の変型として憎しみが加わつて來るということもございましようが、愛情がありとするならば、親告ということが成り立ち得ません。万一親告をいたしまして、愛情がある場合に親告をいたしまして自分の最愛の夫と、憎いその相手の女とが仲良く刑務所に行く姿を見ますれば、尚更以て堪まりませんのであります。愛情がある場合に親告ということはあり得ない。又先程もお話がありましたように、残されたる妻が経済的にも非常に困りまして、親告いたしますれば却つて逆効果を受けまして、夫を取られた上に尚ひどい目に留守宅が遇うようなことでございます。それ故愛情が冷却しておるということでありまするならば実害はない。少しも愛情のない妻が姦通しましようと……最近も某官廳の相当の地位のある者の夫人が、不倫の結果いたしましたことが新聞紙上に出ておりますが主人公は何ら痛痒も苦痛も感じていないらしい。愛情がないからで、愛情がない場合には実害がないのでございまするから、尚更親告の必要がない。親告を待つということになりましては、かかる刑罰の存置の理由がないように思うのでございますが、この点指導願いたいと思います。
#12
○委員長(伊藤修君) ちよつと申上げます。質疑の要点だけにお留め願います。
#13
○山下義信君 それから若し刑罰、姦通罪によりまして処罰するということになりますと、一方姦通しました場合でございますが、された方は不都合でございますが、いたしました方の者は愛情の結合でございます。人権の尊重といたしまして、これではどういうふうに刑罰の上にお取扱いになりますか、この点の御指示御指導が願いたいと存じます。
 次は小野先生に私は伺いたいと思います。姦通ということの成立要件はどういう程度までが姦通罪が成立いたしますか、姦通になりますか、これは時代の変遷、その時代々々の道徳的の道徳の程度によりまして、姦通罪の成立要件が相違いたしまするかどうか、この点を御指導得たいと存じます。
 それから泉二博士に伺いたいと存じますることは、姦通罪というものが今日まで存置されてありました、又姦通ということが行われておりまする社会現象は、私共はこの不合理なる結婚というものがその前提であつた。つまり本人が意思がないのにも拘わらず、女房を持たされ、亭主を持たされ、押しつけられた強制的な結婚ということが、これが前提でありまして、即ちそこに愛情というのがどうしても培養されて行かない、存続されて行かない、そういうことで姦通が起り得る。併しながら今囘新憲法の改正と同時に、民法の上におきましても婚姻の自由ということが非常に拡大せられまして、年齢の上におきましても、或いはその他におきましても御承知の通りでございます。かくのごとく結婚というものには本人の自由が認められる、又離婚というものが非常に自由になつて参りますと、だんだん姦通ということの必要性というものが薄くなつて來るんじやないかということが思われるのでございますが、それでも尚且つ姦通罪の必要ということが、存在の必要ということをお考えになりますかどうでございましようか、以上の点を簡單に御指導願いたいと存じます。
#14
○委員長(伊藤修君) 答弁は自席からお願いいたします。
#15
○公述人(宮城實君) 私、宮城でございます、簡單に申上げます。何故親告するか、どうも愛情が問題になると不思議であるというお話、これに対して簡單に申上げますというと、姦通ということが、性的秩序及び社会的、家庭的秩序を破る、かるが故にこれを罰する。かようなことになるのでありますが、これについては特に姦通という特殊の犯罪のために、離婚ということの第一の要件と、親告という第二の要件この二つの要件をこの犯罪を処理するために各國とも要求しておるのであります。親告なしにやるということは、戰時中家宅侵入という名前で、親告なしに随分やつたのがあるのですが、それはどうも非常に本人に迷惑する、本人の利益と名誉とを重んずるために親告ということにしてありますし、又離婚ということは、一緒におつてこれを処罰するということは、これは甚だ宜しくないというので、そこで必ずこれを離婚をしなければいかん、第一の條件として離婚せなければならん。第二の條件として、配隅者の訴追を要求する意思が必要になつて來た、かようになつて來ておるのでありまして、犯罪として取扱う上においては、これらのことは必要はないのであります。この犯罪について、これを訴訟的にどう取扱うかということについて二つの要件を要求しておるのでありまして、刑法が一向その点について、かれこれ問題にしておるのじやありませんが、刑法はただ犯罪の成立として、これを要求しておるので、犯罪が成立した場合にいかに取扱うか、どう処罰するか、という訴訟法的な意義から二つの條件を要求して、名誉と利益を重んずるとともに、もう一つ親告ということを要求しておりますし、又離姻の継続の下に罰を加えるということはよくないので離婚ということを要件としておる。この二つの要件が充たされた場合に犯罪として成立するが、この手続を充たすためにこの要件を要求しておる。かような関係でありますのですが、これをもう少し詳しく御説明しないと分りませんが、大体そういうことになつております。
#16
○公述人(小野清一郎君) 姦通罪の成立に関する構成要件は肉体的な関係を必要とする、これは各國の刑法ともにそういうことになつております。
#17
○公述人(泉二新熊君) 私に対する御質問に対しましては、法律と実際というものとがなかなか一致しないことが多いのでありまして、今度新憲法に基ずいて結婚と離婚の自由ということが著しく拡張せられまして、何も姦通罪など犯す必要はないじやないか、これは一つの理論としての考え方でありますが、妻は経済的な独立ということが法律では許されておりますけれども、実際はまだ今のところでは、妻は経済的基礎ができていないのでありまするから、少しぐらいは、或いは少しぐらいというより大きい不満がありましても、子供のために、自分自身の感情というものを犠牲にして、とにかく離婚しないで我慢しようというような者が随分世の中に多いので、実際において我々がこれを承知することができるわけでありますから、やはり姦通罪というものは撤廃するということは、実際の見地からいうと適当でないとこう考えております。
#18
○山下義信君 簡單でございますから関聯しまして……宮城先生に今一つ伺つて置きたいと思います。從來長い間の司法官の御経驗上姦通いたしました犯人は再犯の虞れがございましようかいかがでございましようか、伺いたいと思います。
#19
○公述人(宮城實君) 今材料を持つておりませんが、再犯は殆んど聞いたようなことがないように思つておりますが、姦通罪が裁判所の事件に上つて來て、私の長い間の司法官の生活によりますと、大審院まで來て最後の判定を受けるという事件というものは非常に少い。大抵控訴院程度で現在日本の刑事訴訟法は告訴の取下げを第二審控訴審で許されておりますから、第三審へ持つて來るともう告訴の取下げはできなくなる。そこで大抵二審で片附いてしまいますから、本当に刑を確定して大審院で姦通罪で処罰するというようなことは殆んでないじやないかと思います。特に先程の御質問で、家内も罰せられるならば告訴はするのではなかつた、男だけを罰して貰いたかつたというような事件が随分あつたように思つております。両方とも罰するならばというので、一審で取下げるという事件も随分あつたように聞いております
#20
○齋武雄君 私は守屋さんにお伺いいたします。守屋さんは長年の間両性の平等ということを主張されまして、そうして男子も罰しろ、こういう請願を長年の間したということについては敬意を表します。然るに今日のお話によりますと、廃止に賛成である。現在まで長年両罰を主張して來たお方が、今日は廃止、こういうお話でありますが現在の状態は日本の國民の道義が非常に昂揚して、必要がなくなつたというのでありましようかどうか。そういう御心境の変化には重大な理由が存すると私は考えておるのでありますが、その理由をお伺いしたいのであります。
#21
○公述人(守屋あづま君) むずかしい御返事になりますけれども、私、心境の変化と別に申しますよりも、私共の属しておりました團体が、その請願をずつと出して來ましたが、今日の世の中に、両方とも罰した方がよいというふうなことは誰も簡單に考えることでございますけれども、長い間、その間にして來ました私の実際からいいまして、私は罰して行くというふうなことよりも、自由に、もつと何かよい方法があつたならば、撤廃して、その他の途を考えた方がよい。先程泉二先生のお話がございましたように、私は先程ちよつといい落しましたのですが、刑法で云々ということよりも、やはりこういうような問題は家事審判に廻して、そこでよく熟議して行くというふうな方法を取りたいと考えております。両方罰して欲しいといつていたものが、急にどつちも罰しないようにしなければいけないというようにしたという御質問でございますけれども、両方とも惡いということについては強く感じておりますけれども、それ以上に、罰することよりも、もう少し……罰するということを拔かすと工合が惡いが、罰したい氣持は十分ございますけれども、普通の今のような罰し方で行くよりも罰することを止めて、もつとよい途を取つて行きたいという氣持があるので私は撤廃論にしたのであります。
#22
○委員長(伊藤修君) この程度で暫時休憩いたしまして、午後一時再会いたします。
   午後零時六分休憩
   ―――――・―――――
  午後一時十七分再開
#23
○委員長(伊藤修君) それでは開会いたします。午前に引続きまして、公述の方から公述をお伺いいたすことにいたします。三宅正太郎君。
#24
○公述人(三宅正太郎君) 学理的のことは午前中に論ぜられましたのでありますし、又私のあとに多分牧野先生がお見えになつて十分に御説明になると思いますので、私のこの賛成論については、私は主として実際の立場から法律を取扱つて申上げたいと思うのであります。
 午前の質疑の際に、第一に御質問になりました方から実際的な御質問がありました。私はあの御質問に答えるような言葉を実は用意しておつたわけであります。成る程姦通罪の規定は昔から、むしろ大昔からある規定でありますが、その実際の適用というものについて、恐らく多くの方が御注意をなさつていらつしやらないのじやないかと思うのであります。私も宮城君のように、長い間大審院におりましたが、大審院におりました間、姦通罪の事件を取扱つたことはないのであります。十何年の間、姦通罪が一件も大審院に來ていないということは、一体どういうことなのか、このことについて一應お考えを願いたいのであります。
 先ずそれについてちよつと繰返すようでありますが、実際的な問題をお話いたしますと、先ず仮に今日妻に姦通された夫が、妻に対して姦通の告訴を起すということ、又告訴を起さなければ姦通罪というものは論ぜられませんから、告訴を当然起さなければならん。その告訴を起すには離婚、つまり婚姻が解消されているか、或いは離婚の訴訟を起したか、要するに本夫の方で結婚生活の継続ということに見切りをつけなければ告訴はできない。これは実は昔はそうでなかつたのであります。刑事訴訟法が変りましたときにこの規定が入つて、つまり本婦を告訴するには先ず婚姻を解消するという企てから始めるということに定められたのであります。さあそうなりますと、先ず姦通の告訴をしようとするには、婚姻というものに見切りをつけて始めなければなりません。少くも先程おおせられたように妻に未練のある者はできないのであります。先程も宮城君が言われましたように、間違つて妻だけは助けて、そうして姦夫だけをやつつけようと思つて告訴したが、そういうわけには行かないと知つてびつくりして告訴を取下げたということは、裁判には極めて面白い事実として常に話柄となつていることなのであります。ですからどうしても妻というものとの間の婚姻生活の継続ということと、姦通の告訴というものとは両立できないことなのであります。そうなりますと告訴する者は要するに妻はもう他人にするつもりで告訴するわけであります。從つて妻は姦通罪の裁判を受けるのであります。ですが御承知の通り告訴の取下があれば免訴となるのであります。刑務所へ行かないですむのであります。ですから告訴をし、いよいよ起訴せられて罪に服しなければならんと言つて姦夫姦婦はまあ非常に狼狽しまして百方本夫に泣きついて、そうして取下を求めるわけであります。結局そういうことで大体が大審院に來るまでに取下になつて終了するというのが普通であります。実は私は刑務所の中に姦通罪でもつて処罰された受刑者がいるだろうかということの統計を調べて見たのですが、残念ながら日本の行刑統計には姦通罪の犯人と、それから強姦罪の犯人と一諸の受刑になつておりますので、ちよつとそこのところが分らなかつたのであります。ですから先程宮城君の言われましたように、恐らく受刑はしていないだろうと思う。大体そういうことでちよつと私の分つている数字を申上げます。少し古いので恐縮でありますが、昭和四年、五年の統計を申上げますと、姦通罪として第一審の裁判を受けたのは四十八件です。これは一件について関係が大体二人でありますから、姦夫姦婦と二人であります。結局四十六人と四十九人でありまして、四十六人の方が数が足りないのは男の方が逃げちやつたのでありましよう。要するに四十六人と四十九人両方合せて百人足らずの数が第一審の判決を受けているのであります。ところが第一審の判決を受けておりますのはこれは裁判を受けているという意味でありますが、その中で結局公訴棄却になりましたのは男女合せて二十六人、まあこの二十六人がそこで取下げてもらつているのであります。あとの六十何人という者が第二審に行くのでありますが、恐らく第二審でもつて又取下げて公訴棄却になつて、一人もまだ刑務所には入つていない、こういう事情が先ず我々の常識であり、又数字の示すところだと私は考えております。そういう事情でありまして、姦通罪というものは実際の法律にありましてもこの姦通罪で赤い着物を着る者は極めて稀な例外と言わなければなりません。私はこの事情について説明申上げることは止めましよう。皆さんがそれを御判断下さつて、そういつた犯罪というものが沢山あるかどうかということを先ず考えて下さればよいのであります。
 それからもう一つ申上げますことは私共が若い判事であつた時分に、やはり姦通罪というものを一審あたりで取扱つたことがありますが、いや、私共ばかりではありません、私共の同僚たちが姦通罪の実際に現われた事件を見ると、先ず大体が本夫が非常にいわばえげつないやり方でどこまでも追及しておる。そのためにとにかく姦夫姦婦がとうとう法廷に立たなければならないようになつておるというような実情であります。それは勿論本夫としては自分の権利を害されたのでありますから、えげつない処置をするのは当然と言えば言えることでありますけれども実際お考えになりますと、今申すようにすでに結婚が解消されてしまう。惡いことをしたのだけれども、もうこれから先は、去つた女房に未練はないという諺で言うならば、大体の先ず憤りはそこで解消してよい筈なんでありますが、それがどこまでも執拗に行くということを考えて見ますと、大体がこれは妻の方が何とかして取下げについて條件を提出する。その條件について折り合えば取下げるし、折り合わなければ取下げないというような、えげつない取引が裏面において行われておるということを先ず我々は見受けるのであります。大体がそういうふうにして結局取下げということで多くの事件が殆んど全部途中でもつて雲のごとく消えるわけであります。私は最近の統計を存じませんけれども、恐らくこういうのが実情でありましよう。これは先程議員の方がおつしやいましたように、これは告訴だからいけない、親告罪ということであるからいけないのだ、こう言われましよう。併しこれは親告罪でなくするということは、恐らくいかなる姦通罪に関する権威ある議論をなさる方でも、親告罪にする必要なしと言う人は一人としてなかろうと思いますから、その点については触れませんけれども、どうしても親告罪でなければならんお考えならば、結局その親告ということが、かような結果を生ずることを当然なこととして、少くとも世の中は甘んじなければならないのであります。
 更にこれは別の方面から考えますと皆さんの御協賛によつてできまして、五月三日に効力の発生されました民法の應急措置法によりますと、妻からも夫の著しい不貞に対しては離婚の訴えを起すことができるようになる。そうして最近発表せられましたところの、又恐らくここで御審議になつて、來年から施行されるであろうところの民法の改正案によりますと、離婚についてはその一方は相手方に対して財産の分與を請求するところの確実なる権利を持つことができるようになるわけであります。これは本年行われた離婚について遡つて適用するというような構想であるということも承わつております。そうなりますと実は男の姦通は罰しても、罰しなくてもとにかく夫婦の両方から離婚の訴訟を起せるし、又被害を受けた方から相手方に対して財産の分與の請求もできるし、又或いは一面において暴行による損害賠償もできましよう、とにかく多くは大体において夫としては満足し得る、少くとも自分の家の中のこととして処置のできるだけの手筈が法律にはちやんと明示せられてあるのであります。ですから甚だ失礼ですが、皆さんの中ではそんなことはないでしようけれども、若し皆さんの中でそういう不貞な妻をお持ちになつていらつしやる方があつて、姦通を発見されたところで、恐らく皆さんの全部が決して姦通の告訴を起すことはなかろうと思う。何となればすでに皆樣にとつては離婚という武器もあり、又損害賠償の武器もある。何を苦しんで今姦通の自分の妻をそういうところにまで、暗い牢獄にまで入れなくてもよいんじやないかということは、私ははつきり申上げられるので、それにも拘わらず尚且つこれを追及して止まないという一体夫の心情が果して奈辺にあるかということを、先ず皆樣お考えを願いたい。でありますから、私としては実際からいうと、実際家としては実は姦通罪というものを審議するということは、裁判官自身が甚だえげつなく感じておるのであります。何とかこれはならんものかという感じは、私共裁判官の第一歩から考えたことであります。併しこれはどうにもならないのであります。むしろこれは家庭の中のことであり、そうしてすでに家庭の中で処理のできることであり、一体姦通するような家内を持つというようなことは亭主の欠点であります。若し本当に夫がしつかりしておるならば、妻が姦通する筈はないとまで言つてもよいと思います。夫にも欠点がある。現に先程御引用になりました最近の新聞に出ておつたあの官吏の方も、みずからやはり自分に欠点があることを告白しておられるじやありませんか。ですからそういう一家の中のことは一家で片附けなければならない。
 それからもう一つ私の言うことは、一体一家の中の不始末を、これを私の憤り、私はそう言うのです、姦通の告訴をするまでには、本夫というものは決して公の憤りを持つているのじやない。私の憤りを公けに託して、そうして行使しておるのが殆んど大部分の例でありますから、そういう私の瞋恚、憤りも、いわゆる人間の三大惡の一つというその瞋恚を、一体何のために法律がこれを助ける必要がありましよう。私はそういう意味において、私は実際の立場から、あつてもなくても殆んどこれは何ら用をなさないものを存置する必要はないというように考えるのであります。
#25
○委員長(伊藤修君) 久布白落実君。
#26
○公述人(久布白落實君) 今日はどういう廻り合せですか、三十年間同じ仕事に同じに就いて参りました守屋女史と、同じ日に、違つた立場から同じ問題を論ずるというような羽目になりました。私は存置論者であります。昨年の夏、あの法制審議会に出席いたしまして、この問題が論ぜられました時に十五票と十六票、たつた一票の差でこれを撤囘するということに決まりました私は最後までこれを置いて置こうという意見を出した者の一人でございます。これがどうも私は不安で不安で堪らないのです。どうしてもこれを置いて置こうと思つておりました時にそう決まりましたので、どうにもならないものと思つておりましたら、又こういうふうに最後に決まります前に、こうやつて公聽会まで開かれるということはやはりこの問題が随分皆樣の間にいろいろと不安に思われて、又大きな問題であるということの証拠であると思います。私がこれを置きたいというところの理由は、これによつて罰したいのじやない、併しながら國民の目の前にはつきりと、男にも女にも、この純潔ということは守らなければならないものだ、一家の土台というものは純潔に行われなければならないものだ、姦婦などという手合が家庭の中に、あるべきでないという事柄を、心の底から分るように法律においても明示して置きたい。そういういわゆる法というものを明らかにして置きたいというのが私の眞意であります。
 何故そんなことを言うか、そのくらいのことは誰だつて分つておるじやないかと申しますけれども、やはり分らない証拠には、この頃のように婦人の数が多くなつてしまつたり、又お金がうまく儲かつたりいろいろいたしますと、自分で分つていてもまごつく者があるんです。殊に男性の中にもこうしたことがあります。殊に悲しいことには、女性の中にもこの頃闇なんといつて、縛る法律も何も……前借というようなことが禁ぜられても、まだ自分から進んで行く娘もあります。それでこれはどうかして、この姦淫ということはまだ野蠻國かも知れませんけれども罪であるということを明示しておいて欲しい。それから今朝ほど守屋女史は子供のことを、心からほろりとするように話して下さいました。私も実際ほろりとした人間の一人であります。けれども罰せられるということは、今の前の弁士もおおせられた通り、殆んどないのであります。これはいわゆるこの法律は何に役立つかと言えば、赤信号として役立つ。一歩手前の赤信号として役立つのでありますから、子供を守るという点においては、子供のあるほうが家庭を守ると私は思います。一つの実例としてここに申上げたいのは十数年前のこと、これも極く古い例でありますけれども、英國、あの紳士道を以て立つておりますところの英國で或る人が統計を発表いたしました。英國紳士の中に四万人の今年は私生兒があつたということでございます。その報告を聞きましたときに、私は或る人に英國で今年四万人ぐらいの私生兒がある、若し日本だつたらどれだけあるでしよう。その人は、さあ、まあ三倍ぐらいあるだろうというようなことを、半分笑い話のように言われました。その過ちというものはあり得るのであります。で、私は日本は外の点においては非常に優れております。忠孝などという点においては、世界に誇るところの道義を持つておりますけれども、遺憾ながらこの純潔ということに対しては、男も女も決して世界に誇ることができないんです。それで私はこの日本においてはこれが欲しい。併しこれはさつき申しましたように、これはいわゆる傳家の宝刀で、抜くために置くのじやない。御承知の通り米國のごときは麗々しくあの電車の中に、唾を吐いた者は二十ドルの罰金と書いて貼つてあります。けれども人が誤つて唾を吐きますと、その中の車掌は二十ドル出せとは申しません。そうして靜かに呼んで、こうして向うの方を見せて、あれだから氣をつけなさいと、こう言うんです。それで誰も二十ドルの罰金を取られないでしようけれども、とにかく唾を吐くということは不道徳、非衞生の行爲であるばかりでなく、不道徳であり、且つ犯罪であるということを米國民、又あの米國へ沢山入つて來るところの異人種たちは教えられるわけであります。その意味におきましてこれを私は置きたい。これが親告罪であるということが、これが本当によいブレーキだと思うんです。男だつても男子の方が妻の姦淫罪を告訴なさることが恥であるごとく、女性に取りましても自分の冠ともするところの夫の姦淫罪を告訴することは、決してこれは名誉でもなければ喜びでもありません。それでもありますからどつちにしたつてこれが両方を罰するようになつたつて、これは千に一つも用いられるものでは私はないと思う。併しながら今日はこの國の法を明らかにするということのために、私はまだもう暫くはこれを置いて欲しいというところの結論に達しておるものであります。
#27
○委員長(伊藤修君) ここで順序を変更いたしまして、山川菊栄君。
#28
○公述人(山川菊榮君) 只今久布白さんの廃止反対論を伺いましたし、又その他の方々の反対論を伺いまして、一應どなたのおしやることも御尤もに聞える点がございます。確かに只今までのように性道徳というものが男子にばかり非常に有利であつて、女の立場から男子のどんな不合理な点も反対の意見を発表することもできず、自分達の立場を有利に問題を解決することもできないような事情に置かれておりましたし、又当分なかなか女の方で憲法で保障されただけの実力を発揮することもできないような事情にあります場合に姦通罪の廃止が今まで通りの男子の身勝手に大変に有利であらうというようなお考えも一應尤もに思われるのでございます。けれども本当に婦人を解放して、本当に男も女も幸福に平等の権利を樂しんで生きて行く社会の理想から申しますと、結婚というものが今日までのような家族制度に束縛されていてもなりませんし、又將來も甚だしく感情的なお互の私有観念に妨げられても、やはり幸福には行くまいと思うのでございます。今日まで女だけの姦通に対する制裁というものは、元は女に対する私有観念から出ておるということは申すまでもございません。姦通という言葉が專ら女の姦通についての意味であつたということを先程おつしやつた方がございますが、そういう意味でも女に対する制裁だけが今までは考えられておりましたので、今後それを男に及ぼすことによつて女がそれだけ幸福になるかということは疑問であらうと思うのであります。女の立場から申しますと、只今までは自分を裏切つた夫を離縁することもできませんし、又仮に離縁いたしましても親権がございませんから、愛する子供と別れなければなりませんし、又仮に子供を連れて別れましても、夫の方で生活の責任を持つわけでございませんから、実家の厄介になる外ない。子供を連れて女が自分で自活して行くということは普通にはなかなかむずかしいことでございます。そういういろいろな理由から余儀なく夫の非常な身勝手を忍んでいなければなりませんでしたけれども、今後愛情のない夫、自分を裏切つて、そうしてよその女性と同棲するような夫とは離婚もできますし、又親権も保障されており、そうして経済的の責任も夫の方で持たなければならないとなりますと、それ以上女の方で夫の生活に干渉するだけの必要はなかろうと思うのでございます。結婚はもともと夫婦の幸福を目的としておるのでございますが、一方の愛情が冷めまして、どうしても幸福な同棲が続けられないとなりましたならば、理由が姦通であらうとなからうと結婚生活を維持することはできないので、その場合は離婚する外ないのでございます。離婚した後で相手の男なり女なりが誰と結婚しようと、又独身でいようと自分では関わりのない筈でございます。今までの姦通罪では單に姦通した男女が罰せられるのみならず、將來その人達は結婚してはならないことになつております。けれどもすでに一旦離婚してしまいまして、その被害者たる妻なり夫なりは新らしく家庭を営んで幸福な生活をしておる。前の夫なり妻なりが自分を裏切つた結果として、監獄に入つておつても別に自分の幸福が増すわけでもございません。ましてその罪を犯した男なり女なりがその刑期を終りました後で結婚したいと思つても結婚することができない。非合法的に同居いたしましたならば、その子供が迷惑して私生兒としていつまでもいろいろなハンデイキヤツプを受けなければならない。そうすると甚だ不合理な妙なことになりまして、被害者であつても、その配偶者の裏切りの爲に迷惑したその損害だけは償われてしまつて、自分は新らしく結婚することもできるに拘わらず、一旦その加害者となつた人たちは互に結婚することができない。外の犯罪でございましたならば、刑を済ませば又復権するということもできるのでございますけれども、姦通罪の場合はそれができないように思います。そんなにしてその人たちの幸福を妨げたところで、誰の幸福にもなることでもございませんで、ただ一旦被害を受けた妻なり夫なりが復讐心を満足させるに過ぎない、腹いせをするに過ぎないのでございます。そうして社会一般の人たちにとつては、余りに利害休戚を感じないで、その人たちがどういうわけで合法的に結婚できないのか、その子供たちが私生兒とならなければならないのかということについては、誰も詮議立てをする者もなく、ただ事情を聞いて見て、成る程そうか、それは氣の毒なと言う人もありましようし、当り前だと言う人もありましようけれども、大体において、世間はそんなに氣を止めることはなかろうと思います。私の考えますところでは、勿論一夫一婦婚を維持することは必要でございますし、そのためには若い人たちの間にできるだけ性道徳に関する教養を高めて行かなければなりません。そうして又結婚するとしないとに拘わらず、純潔ということを尊ばなければならないことも勿論でございます。けれども何らかの事情で、殊に日本の在來の家族制度は先程どなたかおつしやつたように、非常に、不自然な結婚が多いのでございますから、そのためにいろいろな不合理なことも起りやすいのでございますそういうことのために心にもなく罪を犯すようなことになる場合もあり得ないことでもありませんので、昨今のような場合には殊にその点によく考をいたさなければならないと思うのでございます。これが將來ずつと性道徳の水準が高まりまして、又本当に女も男も自分の自由な考で配偶者を選ぶことができるようになればよろしいのでございますけれども、今までの非常に不自然な道徳で、家族制度のために無理に結婚させられた女や男、それから又現在のような非常に歪められた家庭生活を強いられておるもの、こういう人たちに対して一律に非常にどんな場合にも最高の道徳を以て臨む。むしろ最高の道徳と申しますより杓子定規の規律を以て臨みましたならば、男よりも女の中にかなり苦しむ人も多いだろうと思うのでございます。それで結婚生活の問題は夫婦の間で解決する。夫婦の間で解決できなければ、成るべく事情を知つた人、いろいろな人に、思いやりのあるような人に話に立合つて貰つて解決する。そうして刑法というようなものに持つて行かないでも、その以前に別れることができるのでございますから、それを以て最後の解決としてそうしてお互いに不幸な結婚を解消した上は、新らしく生きる。その後の生活まで互に干渉し合うことなしに、お互に自由に良い市民として、不幸な家庭生活に煩わされることから免れて、そうして新しい生活を築いて行く、その点に重きを置きたいと思うのでございます。一旦犯したことのために、殊にそれが人の命に拘わるというようなことでなしに、或る情操上の誤りから妻なり夫なりに非常な苦しみを與えたということは、勿論惡いことでございますけれども、そのためにその人の一生を葬つて、外の点でもつと社会的に貢献することもできるし、又新らしい家庭の父なり母なりとして生活することもできる人を、そういう機会を奪つてしまうことはないようにしたいと思うのでございます。その点から申しまして、私は姦通罪を存置するよりも、これを廃止いたしまして、そうしてできるだけの力を男女共通の性道徳の水準を高めることに注ぎたいと思います。
#29
○委員長(伊藤修君) 安平政吉君。
#30
○公述人(安平政吉君) 予め一言お断りして置きますが、私は只今檢察陣営の一人に加わつております。これから申述べますことは全くそれとは関係ないのでありまして、私一個の人間としてこれから意見を申述べることにさして頂きます。
 今日の檢察の方は相当に常識が発達しておりまして、姦通というような行動を罰すべきであるかどうかというようなことにつきましては、我々の仲間は必ずしもこれをどこまでも処罰すべきであるというような、そういう観念は必ずしも皆が皆持つておりません。現に檢事総長のごときは、この間ラジオで放送になりましたが、これはあつさりと道徳その他に讓る、こういう御意見であります。そういうような意見を持つておる同僚が相当に多いのでございますが、私は併しながらこれに反対であります。問題の所在は要するに姦通というような事柄に関しては、これを罰するところの規定を設けるということが、刑罰なら刑罰の立法をする場合によいか、或いはそれは刑罰の立法の上に置かない方がよいか、即ち刑罰立法上の問題として処罰法規を置くことがよいか惡いかということに問題は引掛つておるように思うのであります。これは現実に姦通という行爲があまりした場合に、これを実際として刑罰を科して罰するがよいかどうかという、この現実姦通行爲に対する処罰問題とは聊か趣を異にする。成る程現実にそういうような行爲が起りました時には、これを処罰するということになりますというと、いろいろ考えさせられることがありましよう。その点につきましてやはり最も辛辣に、現実に姦通を処罰する場合には、こういう不都合を生ずるというようなことにつきまして、やはり我々の胸を突いて來る思想を展開をしておられますのは、最近には、先程御報告になりました三宅正太郎先生の御意見であります。繰返すようでありまするが、この御意見が非常に我々の胸を突いて参りますから一應指摘しますが、三宅氏の御意見によりますというと、離婚とそれから姦通ということについては、何も刑罰で以てえげつなく処罰しなくても、すでに離婚という一つの制裁法があるのではないか。それから又最近の民事その他の立法によれば民事賠償というような制裁もあるではないか、即ち妻を許し得ん場合でも、そこに離婚という途があり、損害の賠償ということも求められる。姦通の殆んどすべてはかく解決されておるのである。それで又宜いのである。然るにそれにも慊らずして夫が妻を脅迫して牢獄に投じなければ慊らないという心の怨みは瞋恚ばかりでなく、妻の過ちに乘じて、これが脅かして何かしようというえげつない。貧欲根性が現われておる。これは日本の恥辱ではないかというような、誠に傾聽すべき思想が展開されております。併し私の考えから申しますれば、これは先程指摘しましたごとく、現実に姦通行爲があつた場合に、これを処罰すべきかどうかという実証的、具体的事実に当面した場合の問題でありますがこれは勿論立法の予想する事柄でありますから、無論これを予想せんければならんのでありますけれども、刑罰立法という問題は聊かこれと趣きを異にするのである。私はどこまでもこれを一國の取締りの法規として刑罰を立法する場合に、これを処罰規定を置くことがよいか、或いは置かないことがよいか、この当面の問題として今日は意見を少し申上げて見たいと思います。
 結論から申しますと、私は必ずしも姦通というような観念を使用しなくてもよいのでありますが、要するに配隅者の一方が婚姻を破る、婚姻の目的を破局に導く、そういうような行動がありました場合に、これを配隅者の一方が訴え出まして、そうして結婚が解消しました曉におきましては、場合によつては処罰を求める意思があれば、例えば一年以下の懲役或いは罰金……相願わくば罰金で済ましたいのでありますが、それでは威嚇の力が少いということでありますれば、或いは一年或いは二年以下の制裁と罰金と二つを認めて、一應刑罰立法の建前といたしましては、そういう可能性があるぞよ、だから我々は普段から注意せんければならんという一つの刑罰警報、先程どなたかおつしやいました赤信号、それを示す意味におきまして刑罰立法の建前としては、やはり罰則を置くがよい、こういう考を持つておるのであります。その理由でありまするが、午前中にもいろいろ先生方が諸國の立法例について御報告になりました。現在諸國の立法法制を仔細に檢討いたしますというとこの姦通罪について処罰規定を法律の上におきまして一應規定しておりますのはロシアであります。ロシアにおいてなぜこれを規定するに至つたかということは一々ここで申上げる遑もありませんが、問題になりますのは英國、或いは北米合衆國、成る程英國、或いは北米合衆國におきましては、こうした問題はコンモン・ロー、普通法の上におきましては、これを罰することにいたしていないかも知れませんが、併しそれでは法律的、或いは社会的の制裁がないかというと、実はそうではないのであります。これはもともと婚姻は神これを結び給うが故に、これを破棄するものは神これに制裁が加える、人事の問題ではないというような見地から、宗教裁判若しくは宗教上の制裁に委せておるやに承わるのであります。即ち制裁法規を認めておりません英米法などにおきましても、これは宗教上の制裁に委せておるのであります。そこで日本におきまして、今度の立法に全然姦通罪について取締罰則を抹殺してしまうということになりますと、果して事なきを得ましようか、殊にクリスト教その他の宗教的信念が遺憾ながらまだ十分に確立して居りません現在の日本の文化、或いは一般大衆の文化、若しくは道義観念ということを前堤といたしまして、私はこれは甚だ申しにくいのでありますけれども、果して罰則というものを全面的に省きまして、事なきを得るや否や、聊さか疑問に思います。これは只今我々の経驗というと語弊がありますが、成る程理想といたしましては、こういう姦通というような忌まはしいことにつきましては罰則を設けずに、全く道義観念その他の社会の制裁に委せればいいのでありますけれども、併し日本の秩序を全般的に維持するという立場から申しましては、必ずしもそうは行かない。日常生活殊に大衆、ここに見えております皆様の前にはそういうことを申す必要は全然ないと思いますが、併し廣く世の中の一般の社会生活を見渡しますと、姦通というようなことは何と申しましても性慾関係の問題でありますから、智者も愚者も、場合によつては邪心が起るかも知れないのであります。併し万一一時の本能その他情慾に支配されて、そういう行動に移るならば、若しそれが公沙汰になつた場合刑法というものがあつて罰せられるとなると、自分には子供がある、兄弟もある、親もある、こういうようなことで社会上の問題に取上げられるならば面目が立たんというので、必ずしも刑罰を恐れるという意味ではありませんが、刑法に対して敬意を表する。そのことがきつかけとなりまして、折角邪惡の心を起しましても、それを差控える場合が果してないでありましようか。私は刑罰法というものの効力は二つの方面から効力を認めております。それは一つは現実に犯罪行爲が発生しました場合に、刑法の約束いたしました刑罰を科して、これに制裁を加える。これが実際的方面、併しその他に刑罰即ち罰則と申しますものは、犯罪の起らない以前に犯罪に傾いて來た人間を刑罰で恐れしむることによつて、犯罪から遠ざからしめて行くというところの、つまり罰せずして刑法を恐れしめるという一つの考え方があるわけであります。学者はこれを称して一般的警戒と申しております。その最も代表的な理論を展開いたしておりますのはドイツの刑法学の先祖と称せられるアンセルム・フオン・フオイエルバツハというものがこの代表的のものであります。これは永久に捨て難いところの一つの大原則を示しておるのであります。それはどういう点であるかと申しますと、一々國家が刑罰を設けるということは、現実に犯罪があつた場合それを取つ捕えて処罰するかというとそれは必ずしもそうでなく、否な実を言えば、そういう現実に刑罰を科するということは、実は嫌うにも拘わらず國家が刑法を設けるのは、それは即ち犯罪というような事柄が起らない以前に、お前さんたちこういうことをするならば社会の人々はこういう制裁を加えるのだ、だから愼しまなければならないと言つて、犯罪行爲に傾いた場合に、それに対して赤信号を與え、よつて以て犯罪から遠ざからしめて行くところに、罰則即ち立法の本來の使命がある。これを称して心理強制説、即ち一般予防の刑法理論の中の一般予防主義の理論、一つの赤信号を示すことによつて犯罪の起らない以前に、犯罪から遠ざからしめて行くというのが刑罰立法の本來の任務である。人呼んでこれを一般警戒心の刑法理論と称しておるのであります。私は姦通罪処罰ということにつきましては、特にこのフオイエルバツハの一般予防の理論、即ち心理強制説の理論というものを眞先に頭に想起せざるを得ないのであります。そういうふうな眼を以て諸國の立法例を参照して見ますると、この点について最も我々に良い参考を與えてくれますのは、世界で今一番新らしき刑法と称せられておりますスイスの、一九四二年七月からでありましたか、実施されておりますスイスの刑法における姦通罪処罰の規定であります。御承知のごとくドイツでは姦通という言葉は避けまして、姦通のことを婚姻破り、エーエ・ブルツフ、婚姻破棄と称しております。即ちこの婚姻放棄、エーエ・ブルツフ、婚姻破棄の規定を見まするに、男女両方共これを処罰するのでありますが、その規定は一應姦通という事実がありました場合に離婚の手続をします。そうして離婚が解消した後に、若しむごたらしいところの婚姻破棄であつて、それに堪えないという場合には裁判所に告訴する、即ち訴えて然る後に処罰するという規定になつております。これは甚だ迂遠な、一度離婚ということまでしてしまう。その後に尚刑法上の訴追を求めるというのは、先程の議論の方がいげつないやり方だ、これは甚だ残酷であるというようなふうに初め読んだのでありますが、これは読み違いで、そうじやないのであります。スイス刑法の狙いはやはり婚姻破り、即ち姦通、婚姻破棄に対してはあくまでも刑罰は科したくない、科したくはないのでありますが、先程まで數々申上げておりまする通り、一應刑法の罰則というものを置いておかなければ、犯罪のある以前に國民に対する赤信号を示すことができないのであります。そこに赤信号を示す方法といたしまして、そういうような実際として処罰に困難なような、離婚を先ずさして、然る後に処罰の意思を求めるというような親告罪の二種の方法を認めておるのであります。同樣な規定がドイツ、それからポーランド、それからお隣りの中華民國、あの國は御承知の通りなかなか妾を置くことが相当にあるのであります。その中華民國のこの度の刑法におきましても、これは無條件に男女の両方を姦通罪として処罰することになつております。お隣りの中華民國でもあれ程蓄妾なんかが流行りますけれども、刑法の上ではやはり男女同樣に、平等にこれに対して制裁を加えるという、一應そういう形式になつておる。私は台湾に長い間おりました。前後十数年かかりまして、三百いくつの高砂族の刑罰制裁を取調べたことがある。蕃界におきましてもやはり姦通については三通りありました。男のみを罰しておる場合と、それから全部処罰を放棄しておる場合と、それから男女双方を平等に処罰しておるのがあるのでありますが、その結果ははつきりとはいたしませんですが、成る程実際問題といたしましては、これを双方とも罰しましても、或いは個罰といたしましても、或いは大差はないのであるかも知れません。併しながら苟くもこと刑罰立法の議論といたしまして、事前的にそういう取締法規を設けることがいいか、或いはそれは不必要である、或いは有害であるという問題になりますと、私はやはり先頃から申します通り、これは一應罰則を設けて、そうして事前に赤信号を示して置くということが本格的じやないか、又常識的ではないか。現に諸國を見ましても、ロシアその他英國をのけましては、概ね諸國は何らかの形式において姦通行爲を刑罰法規の上において取締つておるのであります。但し先程から申しますごとく、この姦通罪の取締りは、実際問題としては先程三宅先生もおつしやつた通り厄介な、且つ又弊害も多いのでありますから、実際に処罰するということは、或いは親告制を持たす、告訴を持たすということや、或いは事実におきまして子供があつたり、家内があつたりして困るときには檢事というものがおりまして、起訴猶予、又そのほかのいろいろな便宜方法を講ずるのでありますから、必ずしも罰則を設けたから常に必然的にそういう行動があつたときに、これは処罰せんけりやならん、こういう結論は生じては來ないのであります。
 以上甚だ簡單でありますが、要するに事前におけるところの非行その他を取締り、刑罰を必ずしも予期しない、刑罰を使わないところの刑罰法規というものを設けて置くことも、これは一策である。反対論から申しますと、使わないところの刑罰法規は直ぐ止めてしまえ、初めから拵えないという理論も成り立つのでありますが、早い話が今日の統制経済法なんかを見ますると國民は沢山に経済取締法規を拵えておりますが、これは事実行われておりませんことは皆樣御承知の通り、世の中はそういう取締法規にお構いなしに、実際に闇相場或いは闇取引というものが行われておることは皆さん御承知の通りであります。それが事実その取締り法規が行われていず、從つて世の中はぐんぐん或る一つの方向に向いて行くから、初めからそれじや刑罰法規を置かないではどうかという議論も起りますけれども、併しそれは不可でいけない。やはり事実行われなくても、或る程度において罰則を置いておくということは、やはり時代に対して一つの社会規範というものを示して、お前さんたちはそういうふうにやつているけれども、それは必ずしも良くないというような、いろいろなことの國家的社会規範というものを掲げて置く。これは何かの一つの安全弁的方式をなすのである、こういうふうに私は思うのであります。甚だ議論は少し乱暴であるかも知れませんけれども、率直に私の意見を申述べました。
#31
○委員長(伊藤修君) 増田シズ君。
#32
○公述人(増田シズ君) 先刻より先生方からいろいろお意見がございましたようですが、私は家庭の主婦の立場より少し申上げて見たいと思います。今までの刑法は男にだけこの姦通罪が適用されていたようでありますが、これは男尊女卑の点からではなくて、日本の家族制度から來た男系の男子というような点から母体の尊重を意味してこういう刑法が定められていたものと考えられるのでございます。けれども民主主義國家となりました現在では、基本的人権と道徳的立場からいたしましても、女性にも告訴権が與えられたならば、この姦通罪は存続した方がいいと思うのでございます。なぜならば貞操は人生にとりまして最も嚴粛なる道徳でございますので、これを犯した者には当然罰せられる必要があると思うのでございます。これは永遠に徳風を維持するゆえんだと思います。眞の文化人としたならばないことが理想でございましよが、現在の社会情勢ではまだそれまでに道徳的に向上されておりませんので、これを廃止されるということになりますと、貞操観念が薄らぐ虞れがあると考えるのでございますが、それからいま一つには結婚はお互いの同意によつて、一生涯立派な家庭生活を営もうとの約束の下に結婚というものは行われるものであつて、若しその間かかる約束を無視して他の男女と関係を結ぶようなことがあれば、いずれかの一方に精神的打撃、それから家庭に及ぼす影響というものは非常に大きいと思います。こういう点からも当然罰せられていいものと考えるものでございます。殊に今までは女よりも男子の方がこの問題は多いと思うのでございます。私の知つておる範囲内でも、この問題で家庭の主婦がいかに惱まされていらつしやる方が多いかということは、見たり聞いたりした経驗上やはりこれは存続さして置いた方がいいと思う。前にも申上げた通りこれを存続させる上には、女性に告訴権を與えるということを前提としてこれを主張するものでございます。子女の躾けといたしましても、先程久布白先生からお話がございましたように、こういう刑法が定められておりましても、これは赤信号として子供の躾けからも、貞操観念を教え込むという点からも、國家がこれを定めて置くということは非常にいいと思います。こういうような姦通罪というようなものがたとえ起りまして、主婦の場合ですが、告訴して相手を罪に陷れるということは誰も欲しないことと思うのであります、普通の一般家庭婦人としては……。ですけれども社会國家の道徳保持の上から止むなくこういう告訴ということをしなければならないような場合が起つて來ると思うのでございますが、これはそれにしてあくまでそういうことはどなたも欲していないと思います。
 以上述べましたような私の考からこれは女の告訴権を與えて頂いて、この姦通罪は存続して頂きたいと思うのでございます。簡單でございますが……。
#33
○委員長(伊藤修君) 牧野英一君。
#34
○公述人(牧野英一君) 姦通罪ということは、これは女子の不貞行爲ということになりましよう。姦通罪は固より不徳行爲として軽いものでございません。併し三つの点から考えて見なければならんものがあると思います。
 その一つは姦通罪が親告罪とせられておることでありまするし、又恐らく今後立法問題として、どこまでもこの親告罪たることは維持せられなければならんことと思います。そのために実際においては、姦通罪はその公益的性質にも拘らず、実際においてはむしろ軽い私益的犯罪のような姿になつておるのでありまするし、又その処罰は実際において、甚だ偶然的な條件にかかつておる。即ち富籖的な状況にかかつておると学者が説明するのであります
 又第二には、これは差当り現行の制度について申しますると、現行の姦通罪の制度はこのままでよろしいかということが、すでに長く問題になつておるのであります。この現行の制度には一種の弊害が伴つておるということが唱えられておるのであります。
 そうして第三には、この姦通罪を大体現行の制度のままに維持することになりますと、新らしく男子の不貞行爲についても、平等の原則の下に規定を設けねばならんということになるのであります。これが申すまでもなく、この問題が新たに差当つての時事問題になつたゆえんでございます。
 そこで男女の双方に亘つて、その不貞行爲に刑罰を科するということは、果して道義を維持するのに妥当な方法であるかということを考えねばなりません。社会学的に申しますれば、古い法律或いは下級民族の法律においては、姦通は重大なる公益的な犯罪であり、その國、その部落における農作物のでき工合などが、殊に凶作というようなことは、誰かが姦通というようなことをしたのであろうということに嫌疑がかかるくらいに、公益的な犯罪とせられておるのであります。併しながら今日においては余程様子が変つて参りました。今日においては家の問題、血統の問題というのが、そこに大いに考慮せられるのでありまするが、これは固より重要なことでありまするけれども、それにしても余程その意味がだんだん少くとも法律の上では薄らがざるを得んことになつて参りました。更に最も重大なることは刑罰には副作用が伴うこと、逆効果が免れられないということであります。刑罰を科することによつて、刑罰を科してその行爲を放任することよりも、より大きい損害を免れないことになるならば、我々やはり退いて考えねばなりますまい。学者が刑法の謙抑主義、刑法というものがいかにそれが國民道徳を保持する重大な任務を持つておるものであるといつても、謙遜な立場を持たねばならんという刑法の謙抑主義ということが常に考えられねばならんことであろうと思います。不徳な行爲が遺憾ながら多くの場合において刑法の網の目を漏れるということはこれはこの場合のみのことではございません。姦通罪は國民道徳の上で大いに非難せらるべき行爲であるとせられつつ、併しその性質上親告罪とせられておりまするが、これについては最近にナチス・ドイツにおいては反対論がありまして、少くとも或る重い場合においては姦通を非親告罪とせねばならんという説があつたのであります。ドイツにおいては一九三〇年の刑法改正草案においては姦通罪の規定を取止めにすることにしたのでありますが、その後ナチス政権の下においては、やはりこれを旧に復せねばならんということにしたばかりではなく、かくのごとく特殊の場合においては職権的に訴追しなければならんとまで主張されたのであります。固より親告罪であるから軽い犯罪であるというように見てしもうわけにも参りません強姦罪のごときは親告罪でありまするけれども、重い犯罪であります。併し姦通罪というものを立法的に考えまして、どうもそう重い刑を科するというわけには参るまいと思います。現行法では二年以下であつたと思いますが、実際においては一体幾ばくも罰しておりません。どの位ということは実は私今日統計を調査して來るだけの余裕を持ちませんでしたが、私が昔実務に当つておつた間においては、姦通罪は実は起訴しても結局ものにならんという経驗があつたくらいであります。しかのみならずこの姦通罪の告訴をするには離婚を要件といたします。日本の刑事訴訟法ではややもう少し複雑に、婚姻の解消又は離婚の訴訟の提起ということになつておりまするが、簡單に離婚としましよう。離婚を要件といたしまする。家庭が継続する限りにおいては告訴は許されません。そこで親告罪で、而も家庭の継続される限りにおいては告訴は許されん。こういう制度になつておることを男子の不貞行爲に適用する、こうなると実際どういうことになるでございましようか、女子の法律上の地位は新らしく高まつたとせられるのでございまするが、併しながら我々はその社会上の実際の地位ということを考えて見なければなりません。のみならず潔く離婚をした上で告訴があつたとしましても、上告までには……先程申上げた通り告訴が取下げられるというのが一般であると考えております。統計の上でどのくらい刑の言渡の確定した例がありますが、まんざらないとは申しませんが、非常に少い数であると私は考えております。のみならず親告罪であつて、そこに取下げが効くという制度になつておるために、忌まわしい一種の関係が行われるのであります。率直に申しますれば、告訴権者が恐喝をするという事実であります。私は世の中の実際の事情をよく存じませんから、余り自信を持つて申上げるわけにも参りませんけれどもこれは相当に廣く行われておることであるということを聞いております。それでありますから、今日の制度として公訴が、公訴権者の非違によつて、公訴権者の欲するままに繋属中に影響を受けるという制度は、これは変えようと思えば変えることができるのでありまするが、この現行法上の制度は相当に考慮せらるべきでありまするばかりでなく、告訴権者がその行動においてその権利を濫用して一種の行動に出るということが、相当に廣く世の中に行われておるということになりまするというと、それが一種の問題であると言わねばなりません。これは現行法だけの問題でありまするから、姦通罪を親告罪として置いても、この点だけに或る程度の修正を加えるというこはできないこともありますまい。そこで私はこの際特にこの男子の不貞行爲に対して、女子の地位を放任して置いてよろしいということを言うつもりではございません。否、反対に女子の地位は大いに保護すべきであると考えます。併し我々の今想像し得る形において、刑事上の制裁を加えることで、果して我々の希望するような効果を收めることができるであろうかということを心配するのであります。それで方法としては、むしろ他の方面に求めることにしたいので、結局は事は刑事政策の問題でなくして、民事政策の問題であろうと思います。即ち先ず何人でも氣付くことは、離婚の原因として不貞行爲は男女の問に平等であるべきであります。これは当然改正せらるべきであり又改正されました。更に第二に、不貞行爲を原因とする離婚の場合について賠償乃至扶助を容易にし、且つ適当ならしむることを考えねばなりません。これは何も女子の地位のみに関したことではございませんけれども特別に女子の地位を保護する上に必要なことであります。尚この場合においては從來の裁判所のような裁判のやり方ではなく、新らしく家事審判所において、我我のいわゆる具体的妥当性の原則によつて、事柄の一つ一つをよく考えて、形式的に法律論をしないで、事物の実態をよく考えた取計らいをする途を開くことがあつて欲しいと思います。この第二の方法、不貞行爲に基ずいて、その相手方を民事上保護するということは、論理だけで申しますれば、不貞行爲を処罰するということとは喰い違うことはございません。監獄へも入れる、損害賠償もするということは両々成り立ち得ることでございまするけれども、実際においては監獄へ入れれば賠償を求めるということはできません。これは監獄へ入れるということを考えないで、賠償の方を完うするということがこれからの解決を、十分ではなくともできるだけ効果的ならしめるゆえんであろうと思います。これについて或いは監獄へ入れ得るという、告訴をなし得るという、何といいますか、強みを與えて置くことが賠償を求めるのに都合がよいのではないかという議論を成り立ち得ましようが、これは先程申上げました現行制度の下において恐喝が行われておるということになることと同じ虞れがあると考えます。不貞行爲というものは、固よりそれだけとして責むべき、又非難すべき行爲でありまするが、多くの場合においてそれが家族の益を伴います。家族益を伴う場合においては、理論の上においては家族益としてこれを論ずることができまするので、慨念に上においては不貞行爲と家族益とは別であります。けれども実際においてはこの二つの間には密接な関係があることを考えて置きたいと思います。これはすでに立法例もあることでありまするし、罪法の改正案の中には、家族益という新らしい項目を設けて置きました。家族生活の尊重ということは、私が貴族員議員として特に主張した事柄の一つでございまするので、これはいろいろな方面にその適用を見ることでございまするが刑法においては特に家族益という形でその適用が現われるわけであります。不貞行爲に対する制裁は、家族益というものを犯罪とすることによつて、実際又刑法上の制裁を免かれないことになるということも考えて見たいと思います。要するに貞操の義務ということは両性に通じて法律上の義務であります。これはすでに大審院の判例も我々に示しておるところでありまするので、できるならば法律の上に明らかにこれを規定することにしたいと思います。即ち不貞行爲に対しては法律上の制裁が明らかに規定せられねばならんのであります。併し法律上の制裁であるからといつて、それが刑事上のものでなければならんと急いではなるまいと思います。刑法には刑法の副作用、逆効果がどういうふうにその欠陥が現われて來るであろうかということを常に考慮して見なければなりません。姦通罪の規定が、今日では甚だ片面的な形になつておりまするので、重大な批判を免かれないことになつておりまするについては、この機会にその姦通罪の規定を男子の不貞行爲に拡大するというやり方よりも、むしろ刑法の謙抑主義によつて姦通罪の規定そのものを廃止する方が賢明なのではなかろうかと思います。併し同時に私は民事制裁の方面において大いに考慮すべきものがなければならんということを特に主張して置きたいと思います。離婚の原因が不貞行爲について平等であるということは固よりでありまするが、これだけでは足りません。私は民事政策の方面における発展ということに重きを置きまするので、單純に姦通罪の規定の廃止に無條件に賛成するという意味ではないということを御承知願いたいと思います。
#35
○委員長(伊藤修君) それではこれより公述せられたる方々に対する質疑を許します。
#36
○小川友三君 刑法第百八十三條の削除問題につきまして、賛否両論のお説を拜聽したのでありますが、近代國家は法律と政治を結び付けて文化が向上しておるのでありまして、特に現在の日本の欠陥は、近親姦と和姦を罰していないところに大きな起因があるのでありまして、今の御説によりましてもこの近親姦と和姦問題を罰せないために大きな喰い違いができておりますので、その点を各お立ちになりました方方から御説明を願いたいのであります。牧野先生はその点について、特に近親姦、和姦等の問題について御答弁をお願い申上げます。これから安平先生の御説の、貧欲の愛情をして云々の條項でありまするが、これは処罰論者でありますが、体刑で行くか、罰金刑で行くかという点をはつきりと御答弁願いたいのであります。それから山川菊栄さんの御説は、原始時代の昔に還つたような感じがありますから、それに対して御答弁願いたいと思つております。三宅正太郎先生の御説は、夫の欠点を非常に重大に衝いておられまして、妻の欠点を始んど衝いていないという片手落のところがあるように思つておりまするが、この点に対して御答弁をお願いいたします。
#37
○公述人(三宅正太郎君) 議論なら幾らでもしますが、長くなるますが、それでもいたしますか。
#38
○委員長(伊藤修君) 簡單にお答えができましたら……。
#39
○公述人(三宅正太郎君) 今のは非常に説明を長くいたせば、恐らくお分りになつたと思うのであります。私の申上げたことは、この規定の実際の運用が面白く行かないということを申上げただけでありまして、ですからその点についてお考えになれば、或いは只今御疑問になつたような点があるかと思いますが、併し私の申したことは、その後に牧野先生がすつかりお裏付けなさつたので、私としてはそれで十分でありますから、どうぞそれで御勘弁願います。
#40
○委員長(伊藤修君) 牧野先生、只今の質問に対してお答え願います。
#41
○公述人(牧野英一君) 近親相姦を罰しないということと、姦通罪を罰するということと、どういう関係があるということは、私今日まで考えたことはございませんが、関係がないと心得ております。それはドイツあたりでは、ブルート・チヤンデーというものを罰しておりますが、姦通罪も罰しております。日本ではブルート・チヤンデーは罰しませんけれども、姦通罪は罰しておる。どうもその間に関係はないもののように私は心得ております。向うで近親相姦を罰するということは、ドイツ、スイスでは宗教上の問題がからんでおりまして、これは宗教上において非常にやかましいのであります。これは私向うへ参りましてだんだん話を聞きますと、これは意外なものです。非常に宗教上の非難性と申しますか、これは我々日本で考えておる想像以上のものであります。それであの規定がありますので、これはどうも姦通とは別口と心得ております。
#42
○松井道夫君 牧野先生に教えて頂きたいわけなんですが、教育刑の立場から見た姦通罪の処罰について……。
#43
○公述人(牧野英一君) 若し姦通罪というものを処罰することによつて教育の目的を十分に達することができるならば、姦通というものを処罰したいと思います。併しながら先ず今問題になつておるのは、男子の不貞行爲に対して刑罰というものを行うということにして、先ず実体関係だけにして、親告罪の点を別にいたします。そこで、男子の不貞行爲はすべて罰するぞ、仮借しないぞと、こうやることにして、それで一つ世の中の安定が得られるかとこういうことを私考えて見たいと思うのです。それでありまするから刑罰は教育的なものでありまするけれども、その副作用のために刑罰としての教育は他の教育方法に讓らねばならない、こういうことになります。情けないがこういうことになります。刑罰というものは教育方法でありまするけれども教育方法として望ましいものでもなく非常に有効なものでもないのです。成るべく避けたい教育方法で、できるだけ我々は他の方法を考えねばならんのであります。であるからいよいよ止むを得ざる最後のときに刑罰を行います。我々は強い注射をしなければならないので、少々の副作用は厭わずしてやることもありますが、できるなら滋養分でなおして行きたいと思います。そういうわけで姦通罪とか不貞行爲に対する刑法上の処分ということは、今日の事情の下において、殊に男子の不貞行爲というものを罰するということに対する社会の通念というものが、それで素直に治まるかどうか、これが第一点。
 第二点は、今度はこれが親告罪になりまするから、女子の方から離婚をして、そうして告訴をしなければなりません。女子は果して潔く離婚をするだけの勇氣がどれ程ありますかということを一つ考えて見なければなりません。法律上平等の地位を獲得することになつた女子が、果して経済上、社会上男子に対して、男子が女子を離別するの勇氣を持つ程女子が潔く離別をして行く勇氣を持ち得るかどうか。そうして見ると離別ということが告訴の要件になつておる限り、実に女子というものはお氣の毒になるのであります。そういうことも一つ考えて見たいと思います。故に問題は刑法の問題ではないのであります。これは刑法で解決すべき問題ではない。教育刑などといつて、教育刑という言葉が誤解されまするのは、監獄にさえ行けば直ぐ聖人見たようになると我々が唱えておるように考えられますが、そんなものじやありません。言うまでもなくこれは止むを得ない最後の教育方法なので、そこで今の状況では、不貞行爲に対する教育方法というものは他の方法で導いて行かねばならない。社会の一般の風習が改まることによつて段々に導いて行かなければならない。まあ我々の風習は恐らく五十年前、三十年前に比べれば顯著な進歩をしておると私は思います。それで教育刑ということに余り拘泥なさらないで、刑罰の副作用、逆効果ということにここで一つ重きを置いて考えて頂きたい、こう思いまするのと、親告罪にすると、どうしてもこれは家庭のことでありまするから、女子の方の思惑を無視して檢事が訴追するということは、やはり犯罪の性質上面白くないに違いありません。女子の思惑を考慮するということになりまするというと、今日の女子の社会的、経済的事情から言うと、よくよくの場合でなければ女子が離婚をして告訴をするということはないでありましよう。而も女子が思い余つて離別をして告訴をしなければならんようなときには、これは刑法上の訴追で溜飲が下つたなどというような方法でなくて、家事審判所がもつと実質的に婦人の身の立つように取計らつてやることを考えて貰いたい。これが本当のむしろ文化的な取計らい方ではないか、こう私は思つております。刑法で取扱わんと道徳を無視するというような議論をなさる方があるので、尤もだと思いますけれども、必ずしもそうでないと私は思います。やはり家事審判所でしつかりと叱つて、そうして適当に処置をするということで道徳を保持するという道は十分立つのではないか、こう私は思いますが、いかがなものでございましようか。
#44
○齋武雄君 牧野先生にお伺いします先生は姦通罪は惡いことではあるけれども、副作用が起きる。副作用によつて、それを罰するより惡い効果が発生するから、この際罰しない方がいいじやないか、こういう御議論もあつたと思います。
#45
○公述人(牧野英一君) さようでございます。
#46
○齋武雄君 それで、それは私も賛成でございます。併しながら先生のような非常に高い道徳をお持ちの方は結構でありますが、若し姦通罪を処罰しない、放任だということでありましたならば、現在の國民道徳から考えて、許されたものである、放任されたものである、勝手だ、こういう考が國民の中にないかどうか、そうして何でもかんでも民主主義を穿き違えたと同じような穿き違えが來るのではないか。私は警戒の意味においても、これは惡い行爲であるということを知らしめる意味においても兩罰がいいじやないか、その外に民法上において、民事上において保護することは無論当然のことでありますが、ただ姦通罪というものは惡いものである、実際においてそういうことは具体的に夫を告訴するか、或いはどういう問題になるか、そういう問題は具体的にないということはありましようけれども、ないあるは別問題として、姦通罪は惡いものである。未だ放任するには早いのだ、こういう警告の意味において、今暫く姦通罪は存置した方がいいように考えるのでありますが、その点いかがですか。
#47
○公述人(牧野英一君) どうもその点私も一番憂慮いたしておる点で、これは我々のような理論的に物を考える立場ではなく、むしろ政治的に参議院の諸君としてお考えを願いたいと思います。この点についてやや違つた問題でございますけれども、私は貴族院議員として議論したことを御参考のために申述べて見たい。
 民法應急措置法の第四條に、成年の男女は婚姻をするのに父母の同意を要しないという文句がありました。これは政府に対して篤と私は念を押しました。この文句は風教に害がある。成年の男女は婚姻については親なんぞはどうでもなれ、こういう形になつておるが、これで立法の形式を完うしたと言えるか、こういうことを念を押しましたが、時正に三月三十一日で今更修正の余地がないということでございました。かようにして附帶決議を明らかにして私は退去いたしましたが、誠にこの立法の形式というものには余程の注意をいたしませんと、現に日比谷の公会堂で、これからは親なんぞはどうなつても養老院へ送ればいい、夫婦だけの世の中になつたとこう演説をした人があつたそうであります。そういうわけで、この姦通罪の規定の取扱方については、余程当局において立法の形式上その他の方法で注意を願わんと、遺憾なる誤解を生ずることを憂えなければなりません。故にこれはどういう方法を以てしたらいいか、私の実体的な議論としては、最後に私はどこまでも不貞行爲は、法律上非難すべき重大なる軽からざる行爲であつて、法律上の制裁は免れないものである、故に刑法上は暫くこれを罰することはできないとしても、民法上の責任は免れないということを明らかにして、民法と刑法との関係を車の兩輪のようにするということの條件の下に、政府案に賛成をするということを申述べた次第であります。どうも刑法だけの議論としてこれを議論されては私の趣旨は貫けませんので、不貞行爲の非難すべきことというのは、私はどこまでも考えます、非難すべきことであるから罰しろ、こうなると私はちよつと待つて下さい、こう言いたいと思う。こういう意味です。遺憾ながら刑法だけでは解決することのできないことがあり、殊に今までの姦通罪の規定だけでは放つて置けない新らしい事情が起つた今日、何とかせればならんことになつて見ると、そこに遺憾ながら或る程度の無理と申しまするか、我慢と申しまするか、そういうことのあるものができて來るという情けない、状況になつておる、そこにできるだけの立法上の苦心を重ねなければならんということになるだろうと思います。それであるから、この難局に際して、この問題を円滑に進めるには、民法の方面において、何とかもう少し考えて貰えんだろうか、曾つて大正十四年に夫の貞操義務の判決があつた時に、それまでは夫には貞操の義務がないという学説が一般にありましたが、あれが一つの進歩でありました。そういうわけで、今度民法の中にやはり貞操の義務は相互的なものだということをはつきりと書いて貰うということにして、民法の方から責めて参るという途がありはしないか、私はこう思います。あなたの御心配になる点は至極御尤もでありますが、御心配になりますから、さてどうするか、こうなると、どうも男子悉く監獄へ入れ、こういう工合になつたのでは、どうも社会の通念が承知しないことになりはしないか、こう思う。そこに從來の傳統、この傳統はこの際批判を免れない傳統でありますが、併し氣短かに傳統を破るということもどうかと思いながらもそこに苦心が要る、何とかしなければならんということならば、殘念ながらと、こう申します。殘念ながら刑法では取捨てましよう。こう私は考えます。残念ながらという私の考を御酌量願います。
#48
○來馬琢道君 今日は各方面の方から日本の姦通罪に対する御意見を承りました。短い時間であつたけれども相当あらゆる方面から話があつたように思いましたが、私は徳川時代の諺であろうと思うが、明治になつてからもしばしば聞かされたことを思い出しますのは、刑法上の問題ではないけれども、民事のことでありますが、間男は七両二分、という言葉がある。今の貨幣價値から言つたらおかしいようなものでありますけれども、元祿の時分にできた言葉であるか、文化文政時分にできた言葉か分りませんが、貨幣價値においては我々ははつきりしたことは言えませんが、相当重大なる罰金刑、罰金と申しますか、賠償金を要求して、それによつて仕末が付いたのか、それとも町奉行あたりでああいう判決をされることが例となつていたのか、我々が司法委員としてこれからこの問題について考えるのに当りまして、日本の姦通の刑罰史というようなものの概念を得るために、民事上で解決せられたのか、刑法上の事柄であるか承知して置くことが大変にいい参考になると思いますので、どなたか、殊に三宅先生、安平先生のごとき方が、若し御承知でありましたならば、こういう場合でなければなかなか伺えない問題でありますから、明らさまに御指示を願う方がいいと思いまして、これを質問いたします。
 それから私ヨーロッパに行つた時に例の十字軍に関するものが所々の博物館にありまして、日本にもそれに関する書物が一册出ておりましたが、私持つておりましたが燒けてしまいましたが、私の見たのはパリーのクルニーの博物館でありました。今でもありましようか、貞操帶でございます。確か十字軍に從軍しております中の間における妻の不貞行爲に対して、いかんとも仕末がつきませんので、ああいう手きびしい機械を考えて、これを妻に帶びさせて錠をかけて行つてしまつたというようなことは、可なりこの問題につきましては、西洋人でも困つたということの実例を我々が知るに足るものと思います。いろいろと西洋各國における刑罰事情の例をお話になりましたが実は刑罰上の問題と、あの貞操帶を要求するような國情との間において、何かもう少し進んだ指示を我々が受けることができないだろうか。私は西洋を僅か一ケ年余り廻つております間にも諸方で聞きます声は、ダンスホールにおける婦人の不貞行爲というようなことがしばしばあつたのであります。こういう問題について西洋各國においてはどうするのか知らんと思つて、今日までひそかに悩んでおりました。今囘この問題に直面することになりましたので、俄かにその当時のことを思い出しまして、冷静に考えねばならないと思います。この点若し御指示が得られれば誠に好都合かと思います。
 増田さんは婦人の不貞行爲は國風によつて制裁さるべきものであるというようなことを言われました。私共も從來、婦人は受胎いたしますから家の血を乱すものである、即ち相続権者に婦人の血が入る。即ちその家の者でない者が生れて來るという問題が起るからというので、我が國においては非常に婦人の方を重く罰して、男子の方は責めないようになつていた。腹は借り物というような言葉が我が國にありまして、江戸には少くともありました。然るところ新憲法によつては、もう家という観念は、いつまで続くかわかりませんけれども、当分は破つて行かなければならないことになつたのであります。この時代において、一体、この事情の下において、我々が家ということを中心とせる貞操観念を從前通り支持して行くべきものかどうか、維持して行くべきものかどうかということが、我々参議院の議員として、法律問題に関係する部面において非常に苦しんでおるところであります。この点について先程申された点をもう少し詳しく説かれる方が我々は大変に便宜と思いますから、甚だ失礼だけれども御指示を願いたい。
#49
○委員長(伊藤修君) 只今の御質疑の中、第一、第二は委員会において適当に調査して行きたいと思います。それから第三の増田さんへの御質問に対して、増田さんにおいて御答弁がありましたらば御答弁願いたいと思います。
#50
○松村眞一郎君 私は増田さんと久布白さんにお尋ねしたい。この姦通罪という問題を妻という立場から貞操を紊るものであるという眺め方の外に、私は外から眺める関係において女性の方はどうお考えになるか、そう言う意味は、男の姦通が今日に行われております。その刑法で罰しております姦通が行われました場合に、処罰されます者は、妻の外に間男という男がおります。婚姻関係は夫婦の関係であります。併しながら外の男が犯して來るということは、これは婚姻関係でないと私は考えております。人の婚姻関係を破壞するという、外から來る外敵でありますから、この外敵について御婦人のお方々はどういうふうにお考えになつておりますか、それが私非常な要点なんであります。どういう意味かと申しますと、男性は自分の妻が不貞なことをいたしました場合には、同じ男性を訴える権利を持つておるわけなんであります。そこで女性の場合に、妻たる女性が不貞の行爲をした場合に、夫を訴えるということの外に、自分と同性の婦人に対して、外から結婚の関係を破壞したものであるという意味の何かお考は、強く御考慮になつておりませんでありましようか。私の申すのは、不貞の妻の罰と、それから男の場合でありまして、その男を誘惑するという同じ女性があるわけであります。今度男を罰します場合に、その不貞の妻の方の罰と、今度は夫の貞操を害さしめるところの同じ女性の、外からの破壞の態度というものに対するお考えはどうでありましようか。これは久布白さんにも、増田さんにもこの点をお考え願いたいと思います。
#51
○公述人(増田シズ君) 私ちよつとお答え申上げたいと思います。女性の身上から申しまして、何とか立ち帰えるように、忍びに忍んで、夫が立ち帰えることを念願するものであります。どうしても改心せずに、自分を棄てた場合には、遂に離婚ということになります。そうして全く離婚ということが成立して別人となつた場合、婦人の立場としては、妻の立場としては、幾ら離婚されて他人になりましても、家庭を結んだ当時の夫婦生活の樂しかつたことを思い出しましたならば、それでも告訴して罰にするということは忍びないことだと思います。が先程も申しました通り、社会、國家の道徳保持の立場から、止むを得ずこれを告訴しなければならないというような場合になることがあると思うのです。ですけれども、これはあくまでも告訴するなんということは、妻としてはもう忍びないことだと思います。
#52
○松村眞一郎君 私のお尋ねするのは妻の立場で夫を見る考え方ぢやないのです。夫に不貞行爲をさせる女性が外にあるわけです。その女性に対してどういうお考をお持ちになつておりましようか。
#53
○公述人(久布白落實君) ちよつと御返事いたしましよう。今までは公娼制度というものがございまして、公にそれのできる相手がありましたわけであります。それをなくそうというために何十年もやつて來て、それは今日では幸にして法の上ではなくなりましたけれども、今まででもその男性を誘惑する力は、そういう女性よりもむしろ藝妓という方たちにある。それは自由でして、それ程今までの公娼程見苦しくもありません、そして理智的でもありますし、すべての点において自由を持つておりました。その人たちの方が男性を誘惑する力はありました。それで私共はこの運動、廃娼の運動をいたしております時分に、多くの家庭婦人からあなた方は的が外れておる。敵はそこじやないということを言われました。その藝妓という方たちの、いわゆる貞操誘惑をあなた方防がなければ、家庭を保護して行くことはできないということを散々言われたことがございます。それに対しましては、今日では藝妓という人たち、その人たちも人の家庭を破壞して本当の幸福はないし、それから又あの人たちも中途半端の恋愛をしても、それがために幸福はありませんから、いわゆる藝者は藝を賣る人であつて、恋を賣る人でないようになつて貰いたいということが私共の主張であつて、又それに向つてこれからもやろうと思います。
#54
○宮城タマヨ君 守屋先生と久布白先生にお伺い申上げます。姦通罪削除の法律上の問題については、お二方とも反対の立場に立つていらつしやいますけれども、矯風運動家として長い間貴い経驗を持つて、可哀そうな婦人の友となり、それから家庭においての貞操責任の持てませんところの、男子及び女子の行動から起つて來ます家庭問題についての、沢山の相談もお受けになつておると存じております。それで、この刑法や民法の、この法律上の議論はちよつと措きまして、実際両先生がこれらの人に対する教育というもの、教育の効果というものをどのくらい考えていらつしやいますか、評價していらつしやいますか、或いは宗教の立場に立つての教育というものについて、どの程度に効果あるものだと長い経驗の間にお考えになつておりますか、その経驗についての点を質問いたしたいと思つております。
 それから今一つは、牧野先生にお伺い申上げますが、先程刑罰の逆効果、或いは副作用ということをおおせになりましてございますが、これについて私具体的のことを伺えれば結構だと思つております。
#55
○委員長(伊藤修君) 守屋さんお答えをお願いいたしたいと思います。
#56
○公述人(守屋あづま君) 只今の宮城さんの御質問は、立法的の問題でなしに、姦通といつたような実際問題においてどんなことかとおつしやいますことなんですか……そうなりますと、話が大変くだけてしまいますけれども身の上相談をいたしとおりまして、一番悩みを持つて來られるのは、自分の夫の不貞行爲であるし、そうしてそこに他の女子に子供ができ、而もそれをどう処置していいかというようなところまで行くことがあります。單に刑法上の問題で行つたならば、そういうふうな不貞なことをしても、夫だから云々ということになつてしまいますけれども実に人情というものは妙味のあるもので、今も増田さんもおつしやいましたように、一度自分の夫として愛した者がしくじりました時は、丁度女の立場は息子のしくじりのような考になるらしうございます。どうしてこんなことをしてくれたんだろうという悩みになつて、そうしてその夫のしたよくないことを、できるだけ一番いい方法で、人にも恥をかけず自分たちも体面を傷つけずに処置して行こうという悩みは実際氣の毒なようでございます。そういうことを思いますと、私はいつでも男つてなんていう奴だろうと思います。併しその男が自分の父親である、又息子である、世の中の殆んど不思議なことの最大なことは、男女の問題であると思います。そこに宗教上の問題を加味して御質問もございましたが、私はこれが本当に因果だと思いましてそういうような問題につきましては、できるだけ情実でなく……情実というと語弊がございますけれども、その過ちをするようになつた原因を尋ねて見ますと、その何という男かというような人にも氣の毒な点もある。又女の人にも氣の毒な点がある。悩みを持つて來た女の人には、そこに男の人の苦しみを持つて來ますし、男の相談になると、同性の女性がそこに現われて來るということになつて参りますから、この問題は私は簡單にこういうような所で、ああだ、こうだと決めるような問題でなしに、これこそ本当に人間の人間としての一番の苦しみだ、この苦しみはできるだけ互に信じ、愛して解決をして行かなければならない問題と考えております。宗教的に云々ということがございますが、私は先ず宗教の前に、先程久布白さんのお話にも、まだこの世の中はひどいからということがございましたけれども、その数十年の社会というものは、一面非常に道徳も廃頽したように見えますけれども、又非常に進歩したと思います。成長したと思います。まあここは一番近い例で議会などへ参りまして、今から三、四十年前に議会を傍聽したときの議員諸氏の御樣子と、今日の皆さん方の眞摯なその御樣子を比べて見ると、ああ進歩したものだと思います。又こうして私共女子がこういう所に出まして、何か言わせて頂き、何か言うことができるようになつたことも、これに対しましても或いは眞底から尊敬して聽くていうことじやなく、まあ出て來たから聽くんだという氣持がいくらかあるかも知れませんが、併し今日の平等になりましたこの世の中におきまして、きつぱり聽きもしよう、相談もしようということになつたことは成長している。この成長の蔭には、一番人類の苦しい性慾問題、これもやつぱり進歩してい道ことと思います。私は一層宗教的に、又教育的に、こういう問題を麗わしい、嚴そかな、大切な問題として取扱つて行くようにして参りたいという氣持がございます。大変御滿足が行かないかも知れませんけれども……。
#57
○公述人(久布白落實君) 私もそれでいいでしよう。
#58
○委員長(伊藤修君) 牧野先生、副作用に対する実例ということを……。
#59
○公述人(牧野英一君) 副作用ということですが、刑罰というものを科しまするというと、先ずそれだけ当人が苦しみを受けるわけでございますし、それからしてこの問題に直接に考えますると、この問題だけについて申しますれば、社会が十分納得をするかということを私考えて見たい。
 それからして第二に、婦人の保護という立場から考えて見て、婦人が離婚をしてそれからして告訴をして、男子を今の現行刑法のように二年以下の懲役に処した場合に、却つて損をしはしないかと思います。刑罰に処することによつて自分の方が経済的、社会的に損をするようなことがありはしないか無論それで一時感情は滿足されるということがありましようけれども、よく長きに互つて考えると損をするようなことがありはしないかというようなことを考えます。全体として刑罰副作用と言えばいろいろな点があるわけで、とにかくいろいろなことがあります。その間監獄へ入れて置けば、その人が十分な働きをすることができなくなる。或いは殊に身体が惡くなる。或いは留守のものが貧乏をするというような大きな問題がある。刑罰というものはいろいろな意味において直接関接に社会に損害を及ぼすことが大きい。それであるから刑罰というものは、丁度医者ができるだけ藥を我々にのませないように、刑罰というものはたとえ效く刑罰でも科さないことにしなければならん。こういうことを我々は考えておりますのです。この問題などについても、刑罰を科することによつて、意外なところに却つて社会の反動を招くというような、告訴した当人が却つて不幸なことに陷ることになりはしないか私としては先ず法律問題としては民事の方で解決する方が比較的解決がし易い。民事の方法が今までは弱い。或いは裁判所、或いは國家がその方にもう少し強くなければならん。民法の方に貞操の義務ということを明らかにしてそうして民法上貞操の義務を執行する上において、國家はもつと権威を持たせなければならん。こういうことを考えております。
#60
○山下義信君 こういう機会は減多にないと思いますから、女性の諸先生に伺いたいと思いますが、増田さんのお説のように両罪といたしまして、姦通罪を存続いたしましたときに、女性の方が沢山告訴なさいます。即ち夫なる相手方をお訴えなさいますようなことが、女性の権利として沢山出て來るお見込でございましようか、或いはやはり余りないようなお見込でございましようか。これはお四人の御先生方でお相談なさらずに、思い思いに、御答弁お願いたいと思います。女性の嫉妬深い疑い深い人が、何でもかでもすぐに訴えるようになつて、事件が殖えますでしようか、それともやはり姦通罪を廃しても殖えませんでしようか、私共審議いたします上に非常に重大なる参考になりますので、伺いたいと思います。
#61
○公述人(増田シズ君) それは女というものは家庭に子供がございますのですから、女にそういう権利が與えられても、その事件を女が告訴するとか、どうとかいうことはないと思います。
#62
○公述人(守屋あづま君) 私も同じでございます。そればかりでなしに、これからの女の人はもつとこういう問題に積極的に進歩した氣持で子供を教育して参る。男の子供に貞操ということの大事なことをよく教えて参る。女の子供に女の純潔ということのために、しつかりしなければならんということをよく教えて参るだろうと思います。
#63
○公述人(久布白落實君) 殖えないばかりか、私はないと思つております。
#64
○公述人(山川菊榮君) 私は殖えるとか、殖えないとかいうことは、今まで男はこういう場合には姦通罪はないのでありますから、女は告訴することができなかつたが、今度新らしくそういうことができるのだから、こういう刑でがきれば当然多いか少ないかは別としてできて來ると思います。ただこういう場合にも、さつき誰か知らん外の先生がおつしやいましたように、本当に社会風教のために、というよりは随分やはり金の問題がからんで來るだろうと思います。それと感情問題であつて、本当にさうするために社会の風教がよくなるというような問題以外のことが原因になつて、そうして自然そういう告訴をする人が必ずしも同情すべき人ばかりとは限らないと思います。これは今まで女の場合、例えば女の姦通した場合に告訴する側にいろいろ面白くないことがあるというお話でございましたが、そういうことが随分からんで來るだろうと思います。多くなるか少なくなるかというその問題に対しては、とにかく今までそういうことができなかつたものが、今度は女の方からできるのですから、多少なりとも新らしく出て來るには出て來るに違いないと思います。
#65
○委員長(伊藤修君) 質疑はこれで打切りまして、委員会を代表いたしまして諸先生方に厚くお礼を申上げます。お暑いところを長時間に亘りましていろいろ御高説を承わりまして、法律審議の上におきましていろいろ参考になることを、関係事項についてお伺いしたことを厚く感謝いたします。本日はこれにて散会いたします。明日は午前十時から続いて開会いたします。
  午后三時三十分散会
 出席者は左の通り。
   委員長     伊藤  修君
   理事
           松井 道夫君
   委員
           齋  武雄君
           鈴木 安孝君
          大野木秀次郎君
           鬼丸 義齊君
           來馬 琢道君
           松村眞一郎君
           岡部  常君
           宮城タマヨ君
           山下 義信君
           小川 友三君
           阿竹齋次郎君
  公述人
           小野清一郎君
           久布白落實君
           安平 政吉君
           牧野 英一君
           増田 シズ君
           三宅正太郎君
           宮城  實君
           泉二 新熊君
           守屋あづま君
           山川 菊榮君
ソース: 国立国会図書館
姉妹サイト