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1947/08/12 第1回国会 参議院 参議院会議録情報 第001回国会 司法委員会 第12号
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1947/08/12 第1回国会 参議院

参議院会議録情報 第001回国会 司法委員会 第12号

#1
第001回国会 司法委員会 第12号
  公聽会
―――――――――――――――――
昭和二十二年八月十二日(火曜日)
   午前十時三十分開会
  ―――――――――――――
  本日の会議に付した事件
○刑法の一部を改正する法律案(姦通
 罪廃止の可否に関する件)
  ―――――――――――――
#2
○委員長(伊藤修君) 大変お待たせいたしました。これより司法委員会の公聽会を開会いたします。開会に先だちまして、口述人の方々に一言御挨拶旁旁この公聽会を開くに至りましたところの経過について申上げてみたいと存じます。
 御承知の通り、新憲法が施行されまして第一國会がここに開催せられまして、この國会において初めて公聽会なる制度を採り入れた次第であります。即ち國会法第五十一條におきまして、一般的関心及び目的を有する重要なる法案に対しましては、國民諸氏の輿論を議案審査の上に反映せしめるためにこの公聽会の制度が設けられた次第であります。御承知の通り、アメリカにおいてはこの制度が夙に多く利用せられまして、非常なるところの成績を挙げておる次第であります。重要なる法案につきましては、殆ど公聽会の口述人の御意思によつて、口述人の御意見によりまして、その法案は決定せられるというような現状にある次第であります。我が國におけるところの議会制度におきましても、この新らしい制度を採り入れまして、以て重要なる法案に対しまして、國民諸氏の輿論をその審議の上に反映せしめて、法案の決定に資するということになつた次第でありますから、どうか口述人諸氏の御意見は、十分その審査の上に反映せられることを御期待の上、御意見を徹底して頂く、むしろ諸氏の御意見によつて法案の帰趨を決定せしめる、こういうような固い強い御意思を以て御口述をお願いいたしたいと存ずる次第であります。勿論この國会法の上におきましても又参議院規則の上におきましても委員は偏つて御意見を伺うという趣旨はないのでありまして、又法規の上におきましても、これを公平に、例えば賛否両論を十名ずつというふうに公平に御意見を伺い、且つ口述せられる時間は公平にこれを定めるということになつておる次第であります。本公聽会におきましては口述人の数が二十名となつておる次第でありますから、各持時間は十五分以内において御意見を徹底して頂きたいと存ずる次第であります。
 この司法委員会が公聽会を開きましたゆえんのものは、只今刑法の一部を改正する法律案が上程せられておるのであります。この刑法の一部を改正する法律案の中に改正せられる点が多々ありますが、殊に第百八十三條におきまして姦通罪を廃止するという原案が提出されておる次第であります。これは御承知の通り憲法第二十四條によりまして、法律は個人の尊嚴と両性の基本的平等に立脚いたしまして定めなくてはならん、この原則に從いまして公平という見地からいたしまして、從來の婦人のみを罰するという規定を廃止するという原案が出て参つたのであります。併しながら憲法の公平なるところの観念は、廃止するという方面においても公平でありましよう。又両罰するという意味におきましても公平であるのであります。ここで皆樣の供述をお願いいたすところのものは、廃止するか或いは両罰するか、この二点にある次第でありまして、現行法の通り、婦人のみを罰するということについては皆樣の御意見を伺うことにはなつていないのであります。これは若しお伺いいたしましても憲法の原則に反するのでありますから、当然問題外であるということを御留意願いたいと思うのであります。委員会におきましては、先月二十五日にこの旨を決定いたしまして、三十一日の朝日新聞及び八月一日の官報に、又ラジオによりまして、國民諸氏に口述の機会を與うべく公告をいたした次第であります。然るに南は鹿兒島から北は北海道に到るまで、百三十八名の御申出があつた次第であります。この中即ち姦通罪を廃止するという御意見の方は四十三名、うち婦人が一名であります。姦通罪を存置すべしという御意見の方は九十一名でありまして、廃止も存置も意見が分明ならざる人が四名、こういう統計になつておる次第でありまして、本日お集り下さいましたお方々は、この百三十八名の中から、委員会において適当に公平に銓衡いたしまして、今日わざわざ御足労願つた次第であります。
 どうか諸氏におかれましても、この席上におきまして、皆樣が國民の意思を代表するという強い意味におきまして、委員諸氏の意思を決定ずける御意見を御吐露願いたいと思います。遠路わざわざの御出席を感謝いたす次第であります。
#3
○來馬琢道君 議事進行について……。只今配布せられました書類に口述人諸君の姓名が書いてあります。職業も幾分か書いてありますが、全國から集つて來られた方々でありまして、昨日今日のごとく我々の承知しておる方々でありませんから、この際口述の際には職業と年齢とを申されて、それから御発言になりますように、委員長においてお取計らいをお願いいたします。
#4
○委員長(伊藤修君) 口述人の方に申上げます。只今委員の方から御発言がありましたごとく、皆樣の御意見をお伺いする上におきまして、皆樣のお立場を我々が知ることが、法案決定の上におきまして参考の一端となると考えられますから、何卒皆樣の現業とお年齢をおつしやつて頂きたいと存じます。それでは宮原兎一君。(拍手)
#5
○公述人(宮原兎一君) 私は東京都立の或る中学校の教師でありまして、年齢は二十五歳であります。併しまあ獨身ではありません。
 私の立場は、姦通罪は現状におきましては時期尚早でありまして、廃止さるべきでなく、改正の上存続すべきであるという点であります。
 さて、現在の刑法百八十三條に妻の姦通罪を規定してありますが、大体刑法は刑罰を科することによりまして利益を保護する点に特色があるのでありまして、生活上の利益は刑罰による保護を必要とするのでありますが、性に関する事柄は刑罰によつてこれを保護することは極めて困難であります。從つて強いてそうすることは社会に却つて損害を與えることがあり、社会生活に不利益を與えるものでもありますイギリスのごとくいずれも罰しないものもあり、ドイツのごとく平等に男女いずれも罰するものもあり、或いはフランスのごとく妻の姦通はすべてこれを罰し、夫の姦通は妾を妻と同居せしむる等の場合にのみこれを罰するものもあるのでありまして、立法論としてはイギリスの行き方に從來養成する者が多いのであり、又誠に当然であります。然るに我が日本の姦通罪は、婚姻中の婦人が夫以外の男子と通ずる場合にのみ姦通罪の成立を認めるという極端な差別主義であります。今日の道義観念は、婚姻中にある男女双方に対し、て貞操の義務を要求するものであります。夫婦の貞操義務は、申すまでもなく夫婦間における最も神聖にして且つ最も大切な義務であります。これは人倫道徳上の問題であるに止まらず、法律上の義務でもあります。從來におきましても、夫の貞操義務違反は、姦淫罪によつて処刑されたときは勿論、その程度状況に應じまして、妻に対する重大な侮辱、若しくは惡意の遺棄に該当するものとして、民法上離婚の原因となり、且つその場合には婚姻の不法破棄によつて慰藉料等の損害をも賠償しなければならないのであります。又妻の姦通は民法上の離婚の原因ともなります。刑法上におきましては、今日問題となつておる姦通罪としてあるのであります。かくのごとく現行の刑法におきましては、構成要件として妻の姦通だけが規定せられておりますが、果して妻の姦通だけが違法でありましようか。婚姻関係において夫婦が平等の地位であるとするならば、百八十三條は非常に片手落の規定であります。併しこの規定は又歴史的な産物でありまして、歴史は常に進展するものであります。現在のごとくあらゆる方面で夫妻の平等が認められまするならば、当然姦通におきましても平等の地位が認められねばならないのであります。傳統や習慣は保守的、現状維持的でありますが、法律は文化的要素を生かして行くべきものであります。現在のこの姦通罪廃止の問題は結局文化の問題であり、時代がこれを決定するものであります。從つて元來離婚を最大限度の手段、乃至は制裁を見るべき姦通において、刑罰を利用することは確かに時代の流れに逆らうものであり、窮極において刑法の姦通罪は廃止さるべき運命にあるのであります。
 然らば、この刑法の姦通罪が廃止せられ、これに代るべき何物もない場合を考えますと、廃止後の犯罪を廃止後おいて罰することができるかどうかということが問題となるのであります。この場合、刑法を廃止する場合、二つに分けて考えられます。第一に社会情勢社会事情が変化したときに、曾て犯罪であつた一定の態度を、合理的のものと考えるようになつたという理想から刑法を廃止する場合があります。第二には一時的な事情により規定されたものが、その事情のなくなつたために自然效力を失う場合があります。勿論この場合は第一の場合に当嵌めて考えることができようと思われます。然らば我々が理想からして姦通罪を廃止しようとする場合、その社会事情は果してどういうふうに変更しておるでありましようか。ここにおいて我々は現状を正しく把握し、その上で我々の理想へと歩一歩進めるべきであります。さて殺す勿れ、姦淫する勿れ、盜む勿れ、という條理、筋道は、これは民族、國家により、或いは同一の民族や國家におきましても、歴史的に多少の変遷を受けたのでありますが、この條理自体の存在は到底規定せられないのであります。殊に敗戰國たる我が國におきましては、我々の周囲において、日々に毎日見るところであります。又從來の家の束縛、傳統、習慣などから解放された我が國民の現状は、表面上はよくいへば自由がありますが、半面責任なく、非常に放埓に流れております。新らしい憲法によりまして、夫婦関係や男女間は、從來の考え方を以てすれば驚く程の自由となりつつあるのでありますが、自由と共に要請せらるべき責任につきましては、眞に自覚が非常に少いのであります。敗戰後という事情もありまして、貞操観念の混乱も現在著しいものがあるのであります。勿論必ずしも從來の男尊女卑的な封建道徳がよかつたというのではありませんがそこに見られますものは、女性の権利人格、自主性を無視した一方的な重い女の貞操義務があり、男の貞操義務は極めて軽いものであつたのであります。かかる弊を打ち破つて、眞に我々が民主的に立ち上がれるためには、女性をして從來の隸属的な道徳から、眞に自覚したる自主性を持たしめると同時に、男性の一方的な権利を認めたる從來の姦通罪は廃止さるべきであります。併し現在の日本の社会状態におきましては、從來のごとく一方的でなく、男女平等の権利を認めて、姦通罪は改正存続せしむべきであると信ずるのであります。
 要は、國民の教養、文化水準の向上教育の普及にあるのでありますが、現状におきましては理想に甚だ遠く、且つかかる性道徳の問題は、人間の本能に基くものでありまして、全くなくなるということは考えられないのであります。実際問題としまして、姦通罪が非常に数が少いとしましても、これが一つの赤信号として、否定さるべきではないのであります。一体夫婦関係というものは、これは人倫の関係でありまして、從つて姦通罪によりまして、姦通罪がありますために、ある場合には家庭の平和を犠牲にしても、倫理道徳を固く守るべきであります。
 結論的に申しますと、終戰後のいわゆる民主革命は、あらゆる面に進んでおりますが、この民主主義、自由主義が敗戰により與えられたものであり、從つて我々の現在歩みつつある道が、とかくこのデモクラシーの理想に走るあまり、まあそれが敗戰國として止むを得ざる事情としましても、いささか形式に流れ、現実に遊離し、正しい民主主義自由の精神に遠くなることを憂うるものであります。故にこの姦通罪の問題も未だ時期尚早と思う。從つてこの廃止に反対するものであります。以上であります。(拍手)
#6
○委員長(伊藤修君) 公述せられるお方に重ねて申上げますが、時間は十五分で、成るべく嚴格にお守り願いたいと思います。上田觀平君。
#7
○公述人(上田觀平君) 三十二歳、上田觀平であります。元軍人、現在は会社経営であります。
 要旨――姦通罪の規定は刑法より廃除することが妥当である。理由の要点――婚姻関係繼続中、夫婦の一方が他の異性と関係することがあつても、必ずしも刑法上の犯罪として規定する必要はありません。これは民法上の離婚原因として取扱うことが妥当であります。
 一、形式上の婚姻関係が存続していても、夫婦間に、精神上、肉体上眞に融和一体化したところの夫婦関係がなかつたとしたならば、それは実質上の婚姻関係があるとはいえないのであります。現行法に規定してある姦通罪の起ります場合は、こうした現在の婚姻関係というものがすでに眞の実質上の婚姻関係がなかつたというような場合が多いのではないでありましようか。たとえ形式がいかに具備していても、かくのごとき夫婦関係というものは、すでに病に罹つて死んだもの、消滅してしまつたものといわざるを得ません。これは婚姻の法律上の形式が具備されていなくても、実質的に見て、両性の夫婦生活を社会一般人が肯定しておるような場合には、事実婚として法律上の婚姻関係があるときと殆ど同一の取扱を受けるのと丁度同じように、形式を超越した、実質的なものの見方がこの問題に必要となつて参るのであります。右のような眞の愛情なき状態にある夫婦関係において、その夫婦の一方が他に愛情を求めて異性と関係したとしたら、これは道徳的にはやはり非難される行爲でありますが、多分に同情の余地ある問題であり、その不道徳性も、事実婚における両性の交渉と同一程度のものといわざるを得ません。而もこの場合、單に形骸のみとなつてしまつた前の婚姻関係は、もはや法律上保護されるような價値が果してありましようか、即ちすでに死んだ夫婦関係の婚姻関係というものは法益を失つているのであつて、むしろ新らたな愛の結実に対し、法の保護を必要とするこそ、眞の活きた社会の欲求であると思うのであります。然るにこの行爲を、妻の側においてのみ、法律上の犯罪として取扱つておる現行刑法の精神は、一体奈辺に存するでありましよう。これは全く妻を封建的桎梏に縛りつける意味の何ものでもないのであります。
 二、旧來の封建的思想によれば、女の結婚に対する考えは全く悲壯なものであります。その成立に当つては、自由意思は全然沒却され、一度他家に嫁したら、夫にいかなる欠陷、惡癖が発見されようとも、「二度と実家の敷居を跨ぐべからず」という固い禁制によりまして、夫の專制的、横暴の玩弄物となり、一方家族制度下の僕婢とされて、婚家の家風に合わんとの一事により、三下り半を叩きつけられて、飼犬にも劣る動物的待遇を受け、正に女は妻となることにより一切が無能力的存在となることは、つい最近までの日本の現状であります。そこには妻の一つの自由意思も見出し得ません。自己の意思で離婚できんばかりか、暗黒の家の中に一生を化石のごとく暮せ、若し不貞の行爲があつたら刑法を以て嚴罰に処し、一生を前科者として社会から葬るというのが、実は社会の安寧秩序を保持し、醇風美俗の我が家族制度を保たんとする刑法の表看板の裏なのであります。
 三、故に、現行刑法における妻にのみ一方的な姦通罪の規定は、新憲法に基く両性平等の思想上、当然廃止されねばならんものであることは言うを俟たん次第であります。
 四、然らば、両性平等の立場から姦通罪を認むべきでありましようか。理由の冒頭に述べたように、私は姦通罪廃止論者であります。それではこれに対する反対論者は、次のような反駁をするでありましようと存じますので、以下姦通罪存置論者の三四を挙げまして、それに反駁をしてみたいと思います。
 A、愛情なき夫婦といえども、離婚手続完了前、不貞の行爲を許容することは性道徳の頽廢、社会秩序の破壞である、こう主張されるでありましよう。かくのごとき行爲が不道徳であることは勿論であります。紊りに放任することは社会秩序の破壞であります。故にこのような行爲をなした者に対しては民法上の制裁を加え、夫婦の一方は離婚請求権を行使して、社会的秩序を維持することができるのであります。何も刑法で罰することのみが唯一の秩序保持であり、制裁ではないのであります。
 B、刑罰で罰するのでなくては制裁としての價値が少いのでありますが、道徳上の惡事は又刑法上の惡となすことが法の理想である、こう主張されるでありましよう。理想社会は道徳と法との完全一致にあることは確かでありますが、「すべて色情を懷きて女を見るものは、すでに心のうちに姦淫したるものなり」というキリストの教訓を、直ちに刑律とすることができんと同じように、法は道徳の最小限の保障に過ぎんのであります。又制裁の價値論でありますが、これは相対的のものであるばかりでなく、道徳の昂揚を民主主義教育を以て徹底するならば、各人の責任ある自由意思を以て、両性の眞意に基く婚姻を結ぶことにより、又夫婦相互の人格の尊重による婚姻関係の継続により、夫婦関係は余程道徳的規範に則したものとなると信じます。刑罰の制裁を以て國民を威嚇し、他律的に性道徳の頽廃を防止し、以て國民道義を昂揚せんとする考え方は本末を顛倒した考え方だと思います。
 C、次に姦通罪を規定することにより姦通なる事実を減少しなければならない、こう主張するでありましよう。これに対しましては、法律は夫婦、親子というような家庭の者の中に成るだけ立入らないことが理想であつて、これらの問題は、法律とか第三者が立入らない、当事者の自主的解決が望しいのでありまして、現行刑法の姦通罪が、被害者の告訴を俟つて法律問題とした趣旨もこの点にあるのであります。又近く設けられんとしております家事審判所などもこの趣旨に即したものでありまして、いわゆる夫婦相互間の問題というようなものは、努めて自主的に解決した方がよろしいのであります。
 次は、通常人は夫婦の間に不貞の行爲があつたからといつて、これを告訴して刑事問題とし、夫又は妻を罪人として社会より葬り去るような行爲に出でるでありましようか。常識ある眞面目な人間は、当事者間の自主的な解決に出るのは当然であります。
 次は、家庭の経済主体は原則として夫であり、妻は夫の経済に從属しておるものでありますから、妻は容易に夫を告訴する挙に出でないでありましよう。
 次は、姦通罪の規定は、むしろ惡徳漢に惡用される虞れがあります。通常人は、前に申しましたように、姦通なる事実があつても、姦通罪として取扱うことを好まないのであります。これを刑事問題とするのは、仮りにも夫婦関係にあつた者が、最愛の愛人を犯罪人として極刑に処するということは果してどうでありましようか。尚多くの場合、姦通罪の告訴というものは、本人の意思に反した第三者の強迫行爲などによつて、本人の意思に反した第三者の介入、或いは強迫の材料とされるようなことがあります。
 次に欧米文明諸國並びに法制史の発達過程を見まするに、姦通罪の規定は逐次刑法から姿を消しておるようでありますし、英國のごとく……これは研究が不十分でありまするから間違つているかも知れませんけれども、英米露國は確かに姦通罪を規定していないと思います。こういうふうに世界の趨勢は姦通罪を規定しておりません。以上で終ります。(拍手)
#8
○委員長(伊藤修君) 向山敏也君。
#9
○公述人(向山敏也君) 向山敏也、長野縣、農業、六十歳。
 結婚生活と申しますのは、当事者二人の完全なる共同生活であります。そして絶対にその間に第三者の介在を許しません。互いに貞操を守つて、平穏なる感情の上に生活するということが結婚生活の内容であります。結婚生活とは互いに貞操を守る契約の実行であると言つて間違いないと認めます。法律が結婚制度を認める限り、その法律がこの契約を保護することは当然であります。
 罪惡とは何であるかといいますと、結局他人に苦痛を與えることであります。他人に苦痛を與えることが罪惡なのであります。罪惡に対して法律が処罰の規定を設けることが社会的通念であります。姦通が配偶者の一方へ苦痛を與えることは言うまでもないことであります。法律が姦通罪を設けることは当然であつて、議論の余地がないことのように思います。今日姦通罪廃止の思想が浮び上つたということは、新憲法によつて結婚の上に自由が保障せられたために、誘発せられたことと思うのでありますが、拘束せられた結婚の場合においては、或いは姦通罪を存することが苛酷であるとも言えますが自由なる意志によつて行はれた結婚の場合においては、姦通は少しも宥恕される必要がないと考えられるのであります。
 姦通罪を存して置くことが、少くとも氣まぐれの姦通を防ぐことができるのであります。第三者との深刻なる恋愛が起つた場合のことも考えなければなりませんが、これは民法において、離婚についての規定の上に考慮すべきであつて、結婚中の姦通は必ず罰することにしたならば、大多数の人には安心ができて、お互いに幸福の家庭生活が営まれることと思います。
 現行法は、姦通罪は親告罪であります。新刑法においては、これを親告罪でなくして、配偶者の一方が宥恕認容する場合にのみ罪を罰しないのがよいと思います。結果においては同じと思いますが、姦通罪廃止と主張せられる人でありましても、姦通を正しいとは考えてはおらないと思います。ただ法律の上に規定を廃止することだけを考えておると思ひますが、この廃止するということが、一般の人には姦通を罪惡と考える思想を除去することになる虞れがあります。その結果は社会の堕落を來すことは勿論でありますが、その外に更に大きな恐るべき結果が來ることが予想できるのであります。日本民族はいろいろの人種によつて合成した雜種であります。そのためと思いますが、民族的貞操観念が殊に女性において乏しいと観察せられるのであります。この反対をユダヤ人に見ることができます。ユダヤ人は、國滅びても、これあるがために、二千有余年流離顛沛の生活の中にあつても、民族の純粹を保ち、遂に実事において世界を支配する結果を來たしておるのであります。貞操観念の低下はますます民族的貞操観念の低下に拍車をかけることになると思います。生活必需物資の乏しい國が、豊かなる國と相隣り合つて行くとき、民族的貞操観念に乏しい國民は、二千年といはず、その半ばの歴史の中には、その民族は全く異つたものとなることも考えられるのであります。日本の名はあつても、民族が異つたら事実において日本は滅びたのであります。姦通罪廃止は國家滅亡の遠因であります。この理由におきましても私は姦通罪の廃止に絶対に反対いたすものであります。
 姦通罪廃止は、我々の自由の範囲を法律の上に拡張せよとの要求と見られるのであります。自由とは慾望を充たすことに妨げをされないことであります。さて我々はどんな慾望を持つているかといいますと、人類社会が進化向上したことを考えますと、我々の一番大きな慾望は秩序ある善美な社会生活を営むことだと思います。人類の最高の要求が、秩序ある善美の社会生活であり、最大の慾望がそれであるならば眼前の低級な自由と慾望というものを抑えて行くことが、或る場合には人間の眞の慾望に一致する結果になると思われます。法律は個人を擁護し、社会を擁護し、民族を成長させて行くべきものであらねばならないと思います。
 この故に私は姦通罪廃止に反対いたすものであります。(拍手)
#10
○委員長(伊藤修君) 小野俊夫君。
#11
○公述人(小野俊夫君) (拍手)小野俊夫、二十八歳、無職であります。
 先に申されましたように問題は男女共に姦通罪を認めるか、或いは又男女共に廃止するかということになるのでありますが、これも刑罰の要素としてまあ述べられておるところによると復讎的な要素、或いは威嚇的な要素、人道的な要素、科学的な要素、こういつたものが挙げられておるのでありますが、最後の人道的、科学的、この二つの要素は、これを合わせて救済的要素と、こう言つてよろしいかと思います。この要素について考えて見ますと一体男女の結合というものは非常に本質的なものでありまして、法を以て禁じましたところで、そのために姦通、まあ配偶者のあるものが他の異性と結合する、そういつたことが行われないとか、又法はこれを罰せんからといつて無暗矢鱈に他の異性と結合する、こういつたことはないと思うのであります。それでこの威嚇的な要素につきましては、威嚇的ということは、それを以て威嚇して、そういつた犯罪が起きるのを予防する、そういつた意味でありますが、威嚇的な要素につきましては、殆ど、殆どというより、全くその実效はないかと思うのであります。それから人道的、或いは科学的要素、合わせて救済的要素と申上げたいのですが、これにつきましては刑罰を科するとき、その受刑者の教育、そうして教育をした上で、その反社会性、或いは危險性というものを除いて、社会人として復帰させる、そういつたことを目的として刑罰が行われるのでありますが、姦通によつて処罰せられた者を刑罰によつて教育或いは救済し得るか、又或いはそれを救済しても、救済するというようなことに意味があるかどうかということになりますと、これはやはり全然その眼目ということが果されるとは思わないのであります。姦通者はこの刑罰があるとなしとに拘わらず又は相姦婚――これは民法でその結婚を禁止されておる、そういつた規定があるとないとに拘わらず、実質的には又結合を続けるということは、この実例として決して稀ではないと思われますし、又同時にこの段階におきましては法は全然無力でもあるし、干渉するということは無意味でもあると思うのであります。
 それから、一体姦通そのものが、反社会性を持つか、危險性を持つものであるかといいますと、私は必ずしもそうは考えないのであります。今この反社会性を持つとか危險性を持つということは、主に一夫一婦制度、そういつたものに対する侵害、現今の一夫一婦制の下におけるそういつた考え方だろうと思うのですが、その本質を見ればむしろこういつた制約のために結合の本質を失いながらも、尚又結婚、婚姻という名の下に賣笑的な結婚生活を続けて行く、賣笑的な結合を続けて行くということがむしろ多いのじやないかと思うのであります。大体恋愛とか結婚、そういつたものは別にその目的があつてやるというわけじやなく、結合そのものが目的なんでありまして、これをまあ本質的と先程から申上げておるのでありますが、こういつたものは技術或いはその制度といつたものを超越しておるものじやないかと思うのです。このことはまあ昔、昔といつても西欧で教会法の非常に盛んだつた時分、離婚原因としては姦通とか遺棄とか、そういつた限られたものばかりでできておりましたけれども、十六世紀、或いはそれからずつと下りまして、十八世紀頃になりましてから、離婚原因が非常に拡大した。こういつたことは、この本質的結合を、権威とか制度とか――権威というのは、その時分の言葉でいうと、バイブルの権威とか、そういつたもので左右できないということを証明しているんじやないかと思います。それで現に又日本で、或いは外の文明國でも、一夫一婦制度が行われているのでありますが、一夫一婦が必ずしも絶対的なものであるかどうかということは、これも亦疑問でありまして、現にこの制度を採つていない所だつてあるのであります。併しそれを以て一夫一婦、そういう制度に対する侵害ということで以て、反社会性とか危險性とか、そういつたことを言うのは当らないんじやないかと思われます。この一夫一婦制度に意味があるというのは婚姻というものが相互に尊敬し、或いは相互にその愛情を持たねばならないという点で、一夫一婦制度が理想的と考えられ、又は從つて長く行われて來たものであろうと思うんです。それでこの救済的な要素、先程から申上げております、この点につきましても、姦通罪、こういつた刑罰、罪を決めて置く。これはもう全然意味のないことじやないかと思うんです。
 それぢや、残るものは何かというと應報的、復讎的な要素ばかりでありますが、じやあ一体その侵されたものは何でありますかといいますと、これは夫権、夫の権利、或いは今度憲法が改正になりましたので、若し両方共姦通罪を認めるとすれば、別に女の方の婦権、こういつた言葉も出るわけでありましようが、一体この夫権というものが、さほど主張できるものかどうか、これも私非常に疑はしく思つておるのであります。夫権と申しますのは、愛情と信頼があつてこそ存在するものであつて、互いに相隔たつた、或いは又は相憎しみつつその生活を続けておりながら、妻が姦通したからといつて、今更夫だといつて夫権、この権利を主張できるかどうか、これは考えものだと思います。或いは愛情を抱いておりながら、背信的な行爲であるということはいはれますが、こういつた信義則を破られる……夫婦間の性的信義、これを破られるということは、非常に悲しむべきことではありますが、その愛情を相手方から強制する、相手の愛情を自分に、一遍自分のところから去つて行つた愛情を自分の方に向けるように強制するということは、これは実際問題としても、到底人の心を勝手に外から動かすということはできないのでありまして、又或いは、ラツセルの言うところを見ますと、極めて多くの夫や妻が、思いがけない偶然から、殊に余儀なくせられた別居生活等の間に、背信の行爲をすることが多い、さればといつて、その人は家庭を破壞するとか、夫婦間の愛情を侵害する等ということは決してないのだということを言つておりますが、こういつた場合に愛情は続いていながら、尚且つ妻なら妻を姦通罪に訴える、そういうことは愛情でもできないし、又若しそういつたことを刑罰に訴えるということは非常に酷に過ぎはしないかと思います。
 要するに、この問題は民事的なものに止めるべきでありまして、姦通罪によつて処罰することを考えるよりは、社会が愛情や信頼のない結婚は不道徳と考えるように、又この愛情とか信頼のない結婚はしないように、尊敬と責任とによつて、恒久的な婚姻生活を営む努力の必要を、高度に認識するように努むべきでありまして、決して姦通罪を設定して置くということには私は賛成できないのであります。終ります。(拍手)
#12
○委員長(伊藤修君) 月田澄江君。
#13
○公述人(月田澄江君) 群馬、教員、二十五歳であります。
 私は姦通罪の廃止に反対いたしたいと思います。理由としては、その一つに性道徳の紊乱、その二つ目には家庭の不幸を招くという点で反対いたしたいのであります。
 民主主義が云々せられまして個人の自由が認められ、一口に自由なのだからということをよく言います。自由なのだからという意味の中には、良い意味と惡い意味とが含れまていると思いますが、人を愛することも自由だということが言えると思います。併し結婚して夫婦生活を営む者が、濫りに情を通ずることは、社会に及ぼす影響の大なるものがあると思います。若し周囲の事情で氣の進まない結婚をした者があつて、たとえ他の異性に愛情を感じたとしても、それが眞劍なものであり眞に生甲斐を感ずるものであるならば私は当人達の感情を尊重したいと思うのであります。併しこれを法律で認めるときは、性道徳の紊乱を來す憂いがあると思います。特に現今のように自由と放縱とを混同している過渡期においては、姦通罪の廃止ということは考えるべきことであると思います。又離婚の自由が、從來よりも女性のために有利になつたと聞く今日においては特に愼重を期すべきだと思う者であります。
 二番目の家庭の不幸を招くという点では、自分の周囲にもかかる事柄をよく耳にするのでありますが、母親に忘れられた子供の惨めさは悲惨なものであります。教育に携わる身といたしまして、かかる家庭の悲劇が子供に及ぼす影響は、物質的にも精神的にも大なるものがあるということを痛感しておりまして、家庭生活の円満と健全とは女親が特に深く感じておらなければならないと常々感じております。基本的人権の尊重、個人の意思の自由が認められても、かような家庭の不幸を齎らすことが明暸であるのに、これを廃止するということはいけません。要するに、社会的には性道徳の混乱を來し、家庭的には一家の悲劇を捲き起し、精神的物質的に家族の不幸を齎らす姦通罪の廃止をすることは反対したいのであります。
 次に、姦通罪の改善、女性の立場から姦通罪には反対でございますが、更に男性に対しても、家庭の清淨と幸福のために、男性の貞潔を望みたいのであります。只今の場合の姦通罪を見ても、夫の場合には妾を置いても、刑に処せられなければ、いかに他の女と関係しても離婚はできないというような不公平な法律は、男女の本質的平等が認められた現在においては、甚だ不平等であると思うのであります。一夫一婦制を原則とするならば、当然夫にも家庭の清淨のために、この点責任をとつて頂きたいと思うのであります。妾の一人や二人持つことが、男の偉さを証明するのだという考え方を清算して頂きたいのであります。要は、男女共に同じ責任において、健全明朗な家庭生活を営みたいと願うが故に、かく希望するのであります。(拍手)
#14
○委員長(伊藤修君) 松波治郎君。
#15
○公述人(松波治郎君) 松波治郎、東京、四十八歳、小説家であります。著述業。
 今まで本問題に対しまして討論会などで論議されたところを見ますと、姦通罪の廃止を否とする人は、女性の味方として論じておられるようでありますが、私は同じく女性の味方として政府原案の姦通罪廃止に却つて賛成する者であることを申述べたいのであります。
 そもそも姦通という、いまわしい問題につきましては、諸賢のごとき紳士淑女、教養、徳性ある人が常識を以て想像し、判断することは不適当でありまして、姦通は人間心理の葛藤によつて生じ、これを概念的に考えることは極めて危險であり、事実に遠いことを、私は永年の小説家としての研究、作家として直面したる事実によつて証明することができるのであります。それは勿論、姦通には淫奔、悖徳という場合のあることは、そのいまわしさにおいて当然でありますが、併し姦通が止むなき悲痛な愛情若しくは事情によつて社会的の欠陷により生ずる場合の多いことを考慮せねばならないのであります。姦通せる男女に多くの共通点は、男性の頑迷不戻によるもの、女性の始末におえん分らずや、タイラントによるもの、言い換れば愛情の如何を知らず、女性に理解を欠く男性に堪えられん女性、じやじや馬ならしをしようにも、どうにも手につけられん女性に対し、男性の僅かに吐息するところに発生し勝ちなことであります。又姦通せる事実はなくとも、これに近い心理の存在するが故に、姦通罪の告訴を以て男女の交際を脅やかされた事例は殊に多いのであります。私は端的にまず姦通の事実について語りたいと思います。
 これは関西方面にあつた実話でありますが、相当な地位にあつた人が、事業の蹉趺から半ば自暴自棄となりまして、藝者と関係し、殆んど家を明け、遂には六、七年も夫婦関係を絶つに到つたばかりか、ときにはその藝者を家に連れ込みまして、正妻を眞正面から侮辱した行動があつたのであります。併しその正妻はよく隱忍しまして、やがて夫の覚醒する時期を待つたのでありますが、もはやその望みなしとみて止むなく涙をふるつて夫に離別を求めたのであります。夫は勿論承諾しました。よつてその婦人は今後の生涯のために家を出て、自分が信じておつた東京の人に頼つたのであります。そうしてその頼つた人によつて新生活を孜々として経営しようとしました頃に、夫なるものは上京いたしまして、その婦人並びに婦人に頼られた男性に向つて姦通罪で告訴すると脅迫し出したのであります。婦人は勿論姦通の事実なきを証言しました。更に正式に離婚届に捺印してくれるように嘆願したのであります。然るに、夫は前言をひるがえして、頑として應じない。ここに私は言いたいのであります。男女間の問題は、とかく去る者は追わずとは行かないのであります。居れば相手としませんくせに、去るとなると追つかける、これが人情の機微であります。自分が怪しからん行爲を六、七年間も続けながら、さてそのために去つて新生涯に雄々しく出発した婦人を見ると、今度は胴慾にも、それが惜しくなつた。そしてその婦人に離婚を與えるどころか婦人が新生活のために努力するあらゆる面の男性に向つて、姦通罪の告訴を以て脅かし、逐にその婦人に男性封鎖をするに至つた。ここにおいて婦人は全く行動の自由を失い、了解者、援護者も求められず、逐に望みを失つて悲惨なる末路を辿つたという事実があるのであります。かかる場合、それは夫が悔悟したのであるから、昔通りになつたらよかろうといえばよろしいようなものでありまするが、これは暴戻なる夫の眞の悔悟ではありません。又人間の心理として、一端冷えた愛情が戻るものではなく、その不都合なる夫も又それを欲せず、ただ自分の納得する者の手に行けばよろしい、さもなくば姦通で訴えると言い続けていたことは姦通罪の存在するのをよいことにしてこれを以て善良なる婦人を束縛し、嗜虐性……虐待するのを好む熟語でありますが、嗜虐性を満足させ、その全生涯を埋沒させることであります。姦通罪なかりせば婦人の正当なる自由は保障され、かかる脅迫と束縛を受けなかつたのであります。その他、事実上の離婚をなし、別居しておる女性が、離婚届の提出が済まないのをよいことにした先夫から、その勤め先、その交際先の悉くへ、「あれは俺の女房だ」と出現して、暗に姦通罪告訴をほのめかせて、前途を暗黒にし、生きるに道なき痛苦を味わされたことは甚だ多いのであります。
 世に卑怯なる男性は、己れが不当なる行爲を続けておるのを承知して、妻にいつでも離婚を與えると口では称しながら、いざその時となると、正式の離婚はせず、口頭で與えられた離婚を眞の離婚と解して、新生活に踏み出そうとする女性に対し、脅かし、その自由を峻拒し、冷酷なる鉄鎖として利用するのが姦通罪の存在であります。かかる姦通の実相は枚挙に暇がないところでありまして、而も姦通罪の存在はときに幾多の惡の温床となります。脅迫、監禁、婦女虐待、つつもたせ、このような犯罪が背後に姦通罪の武器を持つて迫つたことは、諸賢の周知される通りであります。
 かかる刑罰の存続は、今や結婚の自由、離婚の自由が保障されようとし、男女平等の時代は來り、民主主義政治の徹底を期せねばならん今日におきまして、許さるべくもないと考えるのであります。又、現下敗戰日本にその例の少くない生きたる英霊の悲劇、即ち戰死の公報によつて、夫は死せるものと思い、その近親と生きんがために再婚した婦人が、たまたま戰死したと思つた先夫が生きて復員した場合において、その不幸なる女性を悉く姦通罪で処罰することなどあつては、事甚だ重大であります。
 姦通罪の在続を希望さるる諸君は、「妾を蓄うる男性」、「二号を持つ男」を懲罰し、これをなくすることを目標とされておるようでありますが、これは思わざるも甚だしく、やぶ睨みの議論でありまして、これを制するには他の適切なる方法がある筈であります。若しそれ、かかる目標を以て姦通罪を在続させれば、これ即ちひいきの引き倒しとなり、前に述べたように、却つて悲痛なる愛情或いは事情により発生した女性の愛恋を踏みにじり、却つて女性の多くを泣かしむる惡法となるのであります。若しそれ淫奔悖徳の場合は、これを離縁することによつて、その懲罰の目的は達せられます。男女同罪の姦通罪の存在によつて告訴した当事者が、告訴された者から愛情の還元を求め、事情の復帰を願うこときは、木により魚を求むるよりも難事であります。
 而も姦通罪あることによつて、愛情の問題は所有の観念に混同され、婦人は却つて所有物視せられるのは疑われないのであります。かくては婦人の解放でなく、婦人の束縛であります。
 姦通罪の存在することによつて、個人の束縛と脅迫と心理的監禁は続けられ、人間の自由と愛情の発展と道徳的相互の了解による平和の解決は至難となります。私はむしろ婦人の味方として姦通罪の廃止に賛成する者であります。
 姦通の絶滅を期するは、ただ教養と認識と道徳と社会人としての自覚を高め、愛情の責任を感ぜしめる以外に途はないのであります。それは情感の正しさ、美しさ、潔らかさを教うることによつて防ぐことができるのであります。不純なる動機による姦通も、姦通された男、或いは女の愛情の絶縁、或いは離婚によつて、それが向上された社会通念、道徳上の糺彈となつて、十分に制裁を加えられ、道徳的にも人間性本來の痛恨を喫することは、疑いを容れんと思います。從つて姦通惡を懲罰すべき有効適切なる道は、刑法上の処置以外にあると私は思います。
 法の精神たるや、弱き者をして哀れに泣かしむるにあらず、弱き者の正しきを助くべきであります。若し本法ありとせば、その申告は弱き女性に多からずして、不当なる男性の利用惡用となる。姦通罪の存在は弱き者に不当なる迫害を、苦難の愛情或いは事情の上に二重に加え、而もかかる事態を生ぜしめた者に復仇的嗜虐性を満足させる暴君の鞭となつて及び、悖徳漢の好奇冒險の好餌となり、惡の華の刺戟となるに役立つのみでありまして、倫理上道徳上、愛恋上の正当なる発達匡正に実効なきのみか、弊害多いと考えます。
 故に、私は私が小説家たる立場におきまして、小説に現われたることを、抽象的に、概念的に考えるものでなく、政府案の姦通罪の廃止ということに私は賛成いたすものであります。失礼いたしました。(拍手)
#16
○委員長(伊藤修君) 酒井茂一君。
#17
○公述人(酒井茂一君) 酒井茂一、三十五歳、職業は船員です。
 先程、一番最初に宮原さんという方が時期尚早論を述べられましたが、自分も殆どそれと同意見であります。その理由とつきしては、我々船員の立場から二、三事実をここに挙げまして、申上げて見たいと思います。
 御承知のように、船員は大体二重生活をしております。その結果が家族が家に残りまして、勿論この問題がいいとか惡いとかいうそういう問題でなくて、所詮人間として、神樣でない限り間違いのないということは断言できないのであります。この間違のあつた場合に、海上勤務をしております船員がどういう氣持になるか、勿論結婚するときには、最善の信頼を以てその細君を迎えたのでしようけれども、そういう結果になつた場合は、陸におる細君のことを信頼している船員が、海上でこういう問題に直面すると、殆どが自暴自棄というような結果になります。現在のように、道義観念が殆ど地に落ちておるような時期に当りまして、これ以上、このような問題で、海上勤務……今後の経済建設の上には非常な役割を持つ船員が、こういう問題で、これ以上に苦しめられるということは、非常に今後船舶運行上にもまずい問題が多々起るのであります。これは門外者の方にはちよつと御存じないでしようけれども、今船舶が、この近海の朝鮮支那、又は引揚輸送をやつておりますが、我々の立場から言うのも甚だ変なものでありますが、非常に犯罪が多いのであります。これが、どういうところから來ているかといいますと、結局その因を質して見ると、皆家庭の不和とか、家庭的に惠まれないとか、そういう問題が殆どの原因をなしておるのであります。勿論、今までの姦通罪というようないまわしい名前は、私共としても非常に歓迎はできないのでありますが、併し衣食足りて礼節云々という言葉がありますけれども、今現に衣食住の足りない日本に、先ず與えよという言葉が、非常に各界で唱えられておりますけれども、我々船員の立場から、これは例でありますが、海上で遭難します、数時間泳いで救助船に救助されますと、相当のカロリーを要求します。併し疲れた船員には、カロリーを要求しても、それを消化するだけの力がないのであります。身体が疲労しておりますから……。これは御婦人の方に非常に失礼のように当りますけれども、現在の日本の國情というものは我々の立場から見ますと、人間の生きる三大原則としての衣食住の問題もありましようけれども、非常に道徳が低下しております。この際に、こういう問題を與えるということは、解放するということは、結局消化不良を起すのじやないか、私達はそういう観念を持つのでありまして、一番初めに宮原さんの述べられたように、時期尚早ということが僕らの立場から考えられるのであります。
 もう一つ例を挙げますけれども、船員というものばかりでなく、我々と大体同じ職業に関聯を持つて働いておる石炭の坑夫とか、こういう方もありますけれども、現在のような住宅難、そのために結局自分の家庭から職場へ通うことができないのであります。そのために非常に出稼ぎという問題が起りまして結局これらの方々も我々船員と同じ立場におかれているのであります。
 こういう点から考えまして、今の日本の情勢では日本の元の家族制度の封建制のために惡かつたという理由もあるでしようけれども、現在、参議院、又は衆議院の選挙におきましても、勿論男子もそうですけれども、婦人の方がどれ程この選挙に関心を持つたかということに対して、私は非常に疑問を持つのであります。昨日鹿兒島からこちらへ駆けつけました。昨夜の二十三時に着きましたが、その間汽車の中で二三の御婦人の方とも話して見ましたが食うこと、着ること、住むこと、今の御婦人の中流以下の方は、これで頭が一杯です。それより以上のことは全然考える余裕がありません。そういう今の現状に対して、先ず與えよ式に、何でも與えてやつて、それが果して消化し切れるでしようか。結局この問題は刑法的の問題と申上げるより、むしろこれは、私は道義的問題だと思うのであります。併し道義的としてこれを解決するには、要するに時期が早いと思います。私はただ一番初めに述べられた宮原さんの御意見に賛成いたしまして時期尚早論を述べまして、二、三簡單に例を挙げて見ましたけれども、我我の立場からは、この問題には廃止に反対であります。(拍手)
#18
○委員長(伊藤修君) 板垣久敬君。
#19
○公述人(板垣久敬君) 二十八歳、日本医療團職員。
 現在までいろいろと時期尚早論、反対論、賛成論も出まして、それぞれの立場が一應はつきりしておるようであります。私は若輩且つ未婚の故を以ちまして、かくした問題の経驗はございませんが、次の二つの大きな慨念からいたしまして、この問題の廃止に賛成いたすものであります。
 その第一は、法律というものの改正は、ただその法律一つのみの改正ではないということであります。即ち一國の一法律の改正は、一國の基本法の理念、慨念に副わなければならないものであると思います。これは余りにも当り前のことでありまするが、私はこれを強調したいのであります。と共に、一つの法律の規定が、他の一つの法律の規定と矛盾、乃至は、そのために一つの法律の規定が不可能性又は不必要性を生ずるようなことがあつてはならないと思うのであります。この点は一つの例といたしまして、姦通罪に反対せられる方々の意見を採りまして、若しも姦通罪を残して見たならば、どういうことになるかと思います。これは別の問題ではありまするが、先日民法の改正案が発表されました。それによりますと、離婚の申立資格は、男女平等であるということが規定せられております。然らば、姦通罪なるものは復讎的に離婚の後までも取沙汰せられるであらうかどうであろうかということに疑問があります。例えば、その妻たる者が夫たる者に対しまして、罪人扱いをする感情が生ずるであろうかどうかという問題、及び新らしき民法の改正案による離婚手続によつてなされた離婚後も、その夫を告訴するの勇氣があるかどうかということであります。そうして見ますと、夫の姦通罪を以て刑法の手続によつて告訴するような婦人であるならば、私は民法の改正による離婚の手続を先きになすであろうと思うのであります。そうして見ますと今仮に刑法の姦通罪が規定せられるとすれば、それは民法の離婚の規定と共に併せ考えたときに、刑法の姦通罪はその必要性及び可能性が薄くなるのではないかと思うのであります。これは余りにも当り前のことでありますが、法律の改正は法理論的に展開せられなければならないということの一つの強調であります。と共に姦通罪存置に賛成せられる方に対する一つの批判でもあります。
 次に、成るほど刑法の姦通罪の存置に賛成せられる方々の意見には、一應の尤もさがございますが、道義的、倫理的問題においては、成るほど我々日本人として考えなければならない幾多の問題を含んでおります。日本の道徳的水準の劣等及び男女間の経済的、社会的地位の現実的な差異でございます。女の悲劇は、その愛情にもありましたでしよう。併し私の強調したいのは、経済的、社会的位置の実質的な差異であつたと思うのであります。例えば、一つの例としまして、疎開先に妻子を疎開させ、夫は東京に残つて職業を持つておつた、その男が他の女と関係して一子を儲けたという場合に、その女性は別れたくとも、いわゆる経済的な自己の不安定を感じて、泣寢入りになる場合が多いのではないかと思うのであります。そういういろいろの問題がありまして、私は姦通罪を主張せられる方々の主なる問題は、日本の道徳的水準の劣等と、男女間の社会的、経済的位置の現実的差異だと思うのでありますが、これは姦通罪廃止を困難視させる余りにも十分なる要素であります。併しながら、新憲法それ自体が新らしい文化國家の創造を目指し、國民の基盤たると共に、目標である意味におきまして、一つの日本社会の革新であります。旧概念を以て、現実を消極的に、悲観的に、判断の対象とすることはなく、社会的にも、家庭的にも夫婦共々、親子共々、すべてを新憲法のその道徳的、社会的理念を以て改むるの努力と責任とが必要ではないかと存じます。少々の無理はあろうとも、新憲法の実施による日本人は生れ変つた筈であります。私はこの点を時期尚早の論者に申上げたいと存じます。一應の無理はあろうとも、我々國民が文化國家を作るのだという熱意と責任がなければ、新らしい憲法改正による刑法の一部改正法律案などというものは審議する必要は私には分らないのであります。
 先程來いろいろの方々から御意見が出ましたので、私は以上二つの私の大綱的理由のみを申上げまして、次にこれは私から姦通罪の存置される御意見の方にお尋ねしたいのでありまするが、若しも姦通罪を両罪として残しますならば次の幾つかの疑問が私には生じて参ります。その一つには、その罪人数を増すであろうということであります。これは当然でありますが、將來に或る禍根を残すものではないでしようか。次にその子孫に與える社会的感情的不安、これは却つて人格、人権の保護を主張する新憲法の理念とは矛盾を生じないでありましようか。これも又將來に残す禍根の一つではないでありましようか又嚴罰主義は必ずしも減罪ではないと存じます。この三つの点を私は姦通罪存置論の方にお尋ねしたいと思うのであります。
 これを要するに、私は文化國家建設即ち憲法理念を消極化する虞れのないような憲法改正、もつとはつきり申上げるならば、新憲法実施に伴う刑法中一部改正法律案というものが立案せらるる價値のある頭を以て、この問題を國民共々に道義的倫理的な自己反省と共に考えて行きたいと思うのであります。
 誠に拙い意見でありまするが、私は以上を以ちまして、本姦通罪廃止に賛成するものであります。(拍手)
#20
○委員長(伊藤修君) 別に御質疑がないようでありますが、午前はこの程度で打切りまして、暫時休憩いたしたいと思います。午後は一時から再開をいたします。
   午前十一時五十五分休憩
   ―――――・―――――
   午後一時二十六分開会
#21
○委員長(伊藤修君) それでは午前に引続きまして公聽会を続開いたします。吉野勝君。
#22
○公述人(吉野勝君) 吉野勝、二十二歳、農業であります。
 姦通罪廃止問題につきまして只今より卑見を述べさして頂きます。固より私は農村における実情に立脚して考えたいと思うのでありますが、先ず最初に当り、該問題に関して私のたまたま行いました輿論調査の概要を申上げてみたいと思うのであります。
 調査地域といたしましては、私の住む所は純農村でありますが、この村の内の三部落及び隣接町の一部を含む約一里四方であります。次に調査方法としましては、右の地域において職業、年齢、学識、経済状態等の諸観点から、更に調査すべき單位を私方において選拔いたしまして、主として戸別訪問の形により、又駅頭、街頭、公共團体等における面接により意見の調査を行いました。
 次にその結果について簡單に申上げます。調査人員九十一名、うち廃止可二十一、否六十三、全くの無関心七。次に性別内訳、男が四十二名、うち可一六否が二十六。女四十九名、うち可五、否三十七、無関心七。次に年齢別内訳、法定結婚年齢から三十歳まで五二名、うち可十八、否三十四。三十一歳から四十歳まで七名、可零、否七。四十一歳から五十五歳まで二十三名、可三、否二十。五十五歳から最高年齢(七十六歳)まで九名、可零、否九。となつております。次に職業別の内訳を見ますと、農業五十一名中可十三、否三十八。俸給生活者十六名中可三、否十三。職人六名中可一、否五。無九名中可四、否五。その他十一名中可零となつております。以上の成績から、男性は廃止可が多く、女性は否が多くなつており、又年齢別に見ると、廃止可は三十歳までの青年層が殆どを占めております。而して全体的には廃止否が圧倒的であります。尚この調査において廃止の可否に理由を付し得た者は十七名、この問題の存廃が当院において論義されておるということを承知しておつた者は僅か四名で、かかる社会問題に農村の関心の程度がいかがであるかということを如実に物語つております。
 次に私の考を申上げますと、固よりこの問題を考えるに当りまして、根抵となるのは男女同権の思想であらねばならんと考えますが、而して姦通罪は存在せん方が結構であり、廃止した方がいいと一應は考えるのでありますが顧みて農村の実情を考えますとき、未だそれは理想論に近いとしか思えんのであります。元来姦通罪は人倫上の問題でありまして、これは訓練されたる男女両性の道徳的自覚によつて処理さるべきものと考えます。
 併し現在の状態におきましては、この問題につきまして、農村においては余りに無知、無関心であるのが実情であります。特に婦人においては、この問題に関する限り、男女同権は與えられたる以外の何ものでもないのみか、今後これをみずからの手によつて戰い取らんとする努力すら窺われないのであります。これは該問題が農村において左程切実でなかつたという幸福な過去によるとも思われますが、その社会的常識の盲目が、一度現在のごとき社会暗黒情勢の到來に際しまして、この問題の惹起しますとき、常に女性側の敗北に終るという悲惨なる半面を実例の上に示しております。
 而して私は今直ちに姦通罪を廃止することは、尚大きな問題を残していると考えます。特に現在の農村の実情から申しまして、廃止により当分の間苦しむのは、やはり女性のみであると私は決言いたします。それは從來封建的であつた農村の家族制度乃至は習慣がそう一挙に改善されてはいないということ、及び女性には育兒という特別な任務があることなど考えられます。
 結論といたしまして、姦通罪の廃止は、農村におきまする限り尚時期尚早であると考えます。勿論この存廃は男女同権の見地よりいたしまして、方法の差に過ぎないとは考えますが、現段階におきましては、存置した方がより方法論的にすぐれ、且つ適應していると私は考えます。而して近い將來において、男女兩性の社会的道徳心の向上と訓練によつて、廃止の線に向うべきものと信じ、且つ念願する次第であります。終ります。(拍手)
#23
○委員長(伊藤修君) 大柴八重子君。(拍手)
#24
○公述人(大柴八重子君) 年齢二十三歳、警視廳会計課勤務、法政大学專門部二部法科一年であります。
 私は今囘の姦通罪に関する規定を刑法中から削除することに賛成するものであります。
 婚姻とは直接には家庭生活の基礎であり、又間接には國家生活の基礎であります。原則的には一夫一婦制を採つており、又その根柢は誠実を基礎としております。その誠実の上に立てられた婚姻制度は、神聖ともいうべき性質のものでありますが、その誠実さが男女いずれかの一方から破られた場合においてもその責任は同一ではないかと思うのであります。併し從來の結婚生活は、女性の男子依存により経済的に從つて法律的にも男子の隷属物として存在したのでありますが、いわゆる封建的陋習の中に育てられた女性は、階級観念ばかり強く、人格的尊嚴を自覚せず。又卑屈な程にみずから卑下して來たのであります。併しこのような状態において、女性の無人格的奴隷的無自覚が、男性の享樂慾の満足にとつて都合のよかつたことも事実でありました。女性みずから自分たちの無知さを知らず、男性から悔辱されておることに対して全然反駁する知能もなかつたのであります。その結果として、男性はそれをよいことにして享樂慾をほしいままにして女性を隷属物化して來たのであります。
 併しこの現在の民主主義の世の中となり、男性、女性を問わず、人権が尊重され、一般民衆の自由が確保されて來るに連れて、男子の女性に対する見方も段々と変化して参りました。又女性も、ただ男女同権を振り廻して、急に偉くなつたような氣持で以て威張り散らすなどというようなこともないとは言えませんけれども、それはむしろ過渡的なものではないかと思うのです。人の社会というものは権利義務の道徳とか智とかいう問題だけでは処理できないのであつて、男の人の理窟というようなものを女性の愛情によつて包んで行かなければならないのだと思います。その愛の大きな支柱が根幹とならなければならないし、又その愛の空氣を世の中に養い瀰漫させるところに、女の又妻としての偉大なる使命があり、とかく理想に走り、高い天空に飛ぼうとする男性を鞭ち、又共に励まし合い、又國家社会人類に貢献することが、結婚生活の本当の意義なのではないかと思います。こうして夫婦共に手をつないで、夫の足らざるを補い、妻の足らざるを夫が導いて行くところ、そこに大なる夫婦愛があり、すべてを許し合つて共同生活を送るということが、結婚の道なのであります。
 併し、このような理想的な結婚生活を送れる人ばかりがあるとは考えられないのであります。又不幸にして一方に大きな欠陷があるとか、愛情が薄いとか、又何らかの原因から、夫婦間の愛情に破綻が來たとき、人間の宿命的な弱い心は強い愛を求めています、この弱い心が愛を求めてさまよつているときに、偶然一つの逃避場を見つけた場合、そこに必死になつてしがみついて行く、併しそれは大きな障害なのであつて、やがてその魂は姦通罪として訴えられて行く、姦通罪は、特殊な例外を除いて、一般にその罪を犯した本人は勿論としても、他方の配偶者もまた責任の一端を負わなければならないと思うのであります。愛されたい、愛したいという常に愛を求める弱い心は人間の宿命ともいうべき弱点でありますが、満たされぬ心を抱き、外に愛を求めて行く心が罪を犯した場合、夫婦互いに愛の片鱗も残らぬとすれば問題はないのでありますが、まだそこまでは行つていないとき、姦通罪という犯罪は表立つては現われないと思います。そうして夫婦互いに協調して、その事件を処理して行くというのではないでしようか。
 私は、法は罰するためにあるのではなくて、罪人をこの世の中から少しでも少くするためにその任務があると思うのであります。刑罰を科せられたために、一層罪の深淵に沈んで行く者を一人でも少くすることができれば、その目的は達せられるのではないでしようか。一度收拾すべからざる愛情の破綻が來たとき、外に向つて愛を求める自由な心を、刑罰の力によつて引止めることができるでしようか。私はそれは絶対に不可能だと思うのであります。事件の発生を未然に防ぐことができないような無力な法であつたならば、又その法によつて罪人を作るなどというようなことがあつた場合には、その法はむしろない方がどれ程世の中のためになるか分らないと思います。結婚生活というような精神的なものを刑罰の力によつて引止めて行くというようなことは、私にとつては到底考えられないことなんです。
 要するにこういつたような事件は、各自の自覚とそれから知性向上とによつて、その根本的な解決をしなければならないのではないでしようか。又本罪が成立した場合、その家族に與える影響はどういうものでしようか。自分の親が姦通罪として起訴され離婚する親を失つたような子供は、その親に対して信頼を失いますし、又社会からの冷たい眼に耐えることができないで、遂には罪の深淵に落ち込んで行くというようなことも非常に多くの例があるのでありまして、現在の世の中において、その罪人の子供とか親族が、社会の片隅で以つてどんなに卑屈な生活をしておるかは、そういつた人の生活を見ればおのずから明らかだろうと思うのです。その卑近な例としては、彼の小平の姪だとかいうような者、ただそういつた姪という親族という見方だけで以て、社会からは冷たい眼で見られ、遂には闇の女に轉落したということを耳にしたことがありますが、そういうような例が世の中にどんなに多いかということは言うまでもないと思います。
 以上、私は学生という立場から、非常に観念的な消極的な見方をしたのでありますが、理想というお叱りを受けるかも知れませんが、理想は現実のより一歩高いところに立つて、それを目標として現実生活を築き上げて行くところにその意義があると思うのです。私の考えは甚だ消極的でありますが、これで終ります。(拍手)
#25
○委員長(伊藤修君) 久保田きぬ子君。
#26
○公述人(久保田きぬ子君) 久保田きぬ子、東大法学部二年、三十五歳。
 この問題を理論的に考察して参りますと、姦通というような親族間におきます信義の問題に対しまして、國家の法律殊に刑法を以て干渉いたしますということは適当なことではなくして、当然それは民法上の問題として、すべてを民法に委ねて然るべき問題であると思います。それは実益、それから法律效果の点から考えましても、民法の規定で十分救済されるのでありまして刑法上の規定が必ずしも必要ではなく姦通罪が廃止されても、その影響するところはないと考えるのでございます。
 併し、現在の日本の社会状態を考慮いたしますときに、先程からの御意見にもございます通り、時期尚早ではないかと私も考えるのであります。姦通が離婚請求條件となりまして、離婚が成立いたしましても、現実に離婚によつて不利益を蒙むるのは女でございますし又損害賠償が請求できるといたしましても、果して適当な賠償が現実に履行されるかどうかということも疑われるのでありまして、又そういう精神的の損害に対して、物を以てそれは購なわれるものではないと思うのであります。
 更に、廃止を立案なさいました立法者の意図せられますところは、新憲法の精神に基きまして、あくまでも個人の尊嚴を重視し、その自由を尊び、個人の人格に依拠せんとする点にあることは、よく理解できるのでございますけれども、こういう立法者の高い理想に基く趣旨が、十分に一般大衆に理解できるでございましようか。又その趣旨を生かし得るだけの道義感を持つておる一般でありましようか。私は疑うのであります。数年に亘る戰爭、敗戰、続いて社会のこのような不安によりまして、社会各人の道徳観念、道義心というものが著しく低下しておることを認めねばならない現在におきまして、姦通罪の廃止ということになりますと、立法者の意図せられるところとはおよそ反対に、姦通は罪惡に非ずとして姦通を國家が……これは言い過ぎかも知れないと思いますけれども、是認するような印象を一般に與えることがあるのじやないかということを、私は憂慮するのでございます。そうして廃止に藉口して、一層の頽廃を招來することも、たといそれは一時的な過渡的な現象に過ぎないだろうと思いますが、生ずることがあるのじやないかと思うのであります。
 諸外國の立法例を見ましても、不罰主義を採つておりますのは、御承知のようにソ聯と英國だけでございます。只今ソ聯の場合は別といたしまして、英國の場合は、そこには國民の生活感情の中に深く強く滲み込んでおるキリスト教という宗教があるのでございます。それから又社会全般の比較的高い道徳観念があつて、それと相俟つて、宗教規範が強く支配して、これによつて律せられておりますので、こういう社会的基盤の上に立つてこそ、姦通不罰ということも可能であると私は思うのであります。我が國におきましては私共の日常生活の中に、英國におけるような意味の宗教的要素というものは滲透しておりませんし、又道徳的観念倫理感というものも、決して英國程に高くなつておるとは言い切れないと私は思います。こういう所におきまして不罰の主義を採用いたしましても、果して不罰の目的としております理論が貫かれ、それが実現されるでございましようか。
 新憲法は個人の自由、基本権を保障尊重すると共に、文化國家の理念を開明して、新らしい意味の家族生活尊重の憲法であると私は思います。かかる文化國家、社会の構成員の單位は、夫婦中心の家族生活であります。その家族生活の基礎をなすものは婚姻であり又間接的には婚姻は社会生活の基礎をもなすものであります。夫婦の結合は愛情の理想化の意味において神聖であるべきのみならず、客観的文化に奉仕するものとして神聖であらねばならんと思います。かかる神聖な婚姻の信義を破る行爲は、強く非難されなければならないものであり、私は罪惡であると思います。男女共にその責を追求され罰せらるべきものであると思うのであります。高い倫理道徳の支配する社会に導くためには、先ず個人の生活を清純なものとすることこそ第一であると思うのであります。
 このように考えて参りますとき、姦通は個人の信義、道徳上の問題故に、民法の分野に属するものとして刑法が触れないということは、前述のごとく社会的な聯関をも有し、且道義的責任を問うべき問題であります点を、軽視することになると思うのであります。たとえ法の效果、実益は民法上に讓るといたしましても、刑法の分野からも積極的に罪惡なりとして、心理的強制を加えることによつて、各個人の家庭ひいて社会全体を向上せしめることこそ、眞に新憲法の意図するところを活かすところであり、日本の現状として必要であると考えるのであります。
 右と並びまして、二義的消極的な面ではありますが、姦通罪が存置するか否かは、一般に與える心理的作用におきまして、非常な大きな差があると存じます。即ち犯罪を構成するという心理的圧迫を感じて行う場合と、犯罪にはならないという心理的圧迫から解放されて行う場合とでは、結果において大きな隔りを生じて來るのではないかと思うのであります。
 從來の例より考えまして、將來もかかる行爲に主として主動的立場をとるのは男性側に多いのではないかと考えますとき、男性の自覚向上を期することはもとよりであります。この種問題は、女性の意識の向上によつて十分防止できる性質のものでありますが、遺憾ながら、女性全般の意識のそこまで及んでいないとき、社会に起るべき悲劇の数を少しでも少くする意味からも姦通罪は両罰を以て存置させたいと私は考えます。
 私は、法律というものは、どこまでもリアルな社会に基盤をおいてやらなければならんものと思います。立法は現実と理論との調和妥協であると私は思います。廃止は、理論としては、又理想論としては当然のことでございまして、それはもう論議の余地はないのでございますが、現実の法律としては現実に数歩を先んずるだけで甘んじなければならないと思います。
 そういう意味で両罰を主張する者であります。(拍手)
#27
○委員長(伊藤修君) 野口俊夫君。
#28
○公述人(野口俊夫君) 野口俊夫。年齢三十九歳、元教員、元軍属、一ケ月ばかり前シンガポールから帰つて來た者であります。現在は無職であります。
 旧刑法におきまして、「有夫の婦姦通シタルトキハ二年以下ノ懲役ニ處ス」と掲げまして、婚姻中の婦人を対象としまして、長い間威嚇して参りましたことは、歴史的な過去の社会理念としましては止むを得なかつたものがあるとはいえ、眞に文明國の恥辱であつたと考える者であります。
 今や、新憲法下におきましては、個人の尊嚴と男女両性の本質的平等とが尊重せられるに至りました今日、そして民主國家、高度の文化國家を我々の手で築こうとしている今日、かかる法規を撤廃すべきであることは至当と考えるのであります。
 今日より文化の程度の低かつた過去の或時代におきましては、姦通とか姦通罪とかの言葉のもつ意味内容が、当時の夫婦関係を律する上におきまして適当であつたのでありましようが、自由意思の下に、複雜微妙な精神生活を営んでいる現在の夫婦生活に当てはめますには、余りにも縁遠い間の拔けた言葉となつてしまつたのであります。ですから、かかる意味内容を持つ死んだ言葉は、現在の刑法と共に葬り去らるるべきものであります。
 試みに服部宇之吉博士の漢和辞書を手にとつて見ますならば、「姦通とは有夫の婦人が他の男子と密通すること」「不貞とは夫に事ふるに忠実ならず、妻たるの操を守らざること」、というように解説が與えられております。かかる旧時代の旧語は、両性平等の原則によつて作らるべき新刑法の法規から追放せらるべきものであると考えるのであります。
 男女平等の原則によりまして、妻のある男子の不身持をも姦通と呼び、姦通罪を以て罰すべしという考えもあるようでありますが、新らしい酒を盛るのに何で古い革嚢を要しましようか。我々は刑法によりまして復讐的刑罰を受ける前に、社会の非難と自己の宗教意識乃至道徳意識によりまして、十分制裁され得る現代社会の中に呼吸しているのであります。宗教的に又道徳的に制裁し得ることに対しまして、更に復讐的刑罰を與えよと叫ぶのは、余りにも現実の暗黒面のみ提はれ過ぎて、人格の尊嚴を軽視した御意見ではないでしようか。
 世の中には貞操堅固な者ばかりはおりませんし、又貞操堅固な人であつても過ちというものはあり勝ちであります。だからといつて、姦通罪を存続せよという御意見には賛成でき難いのであります。というのは、成年者が自由意思に基き十分に選擇して配偶者として選んだ者に叛かれるには、叛かれた方にも全く責任がないということはできないのであります。宗教的ともいうべき愛情によつて結ばれた夫婦は、人爲的に離そうとしてもたやすく離すことができないのが常態であります。
 世の中に夫婦の倦怠期というものがあるそうでありますが、そのような時には、お互いに努力し、足らざるを補い合い、過ちを許し合い、不幸を慰め合い、互いに誠実を傾けて偕老同穴の生涯を終るのが、結婚当初の誓でもあり、これが常態なのであります。併し不幸にして相手の心が変り、相手が不身持になつてしまつた場合、共同生活を続けて行こうにも、もう疲れ果ててしまつて、これ以上いかに努力しても覆水を盆に返えすことはできない、誰の幸福にもならないと考えた場合には、協議によつて離婚することもできるし又相手が承知しなければ、裁判によつて離婚し得る道も開かれているのであります。尚又相手に財産があれば、財産分與の請求もできるのであります。配偶者が叛いたからといつて、自分の不明の責任を棚に上げて置いて、相手を不貞呼ばはりして、離婚しただけで尚満足せず、姦通罪として刑法によつて相手を処罰して貰わなければ氣がすまんなどという念入りな氣持の人が今の世にありましたならば、その人は昂奮の余り瞋恚のとりことなつているからでありまして、この人が冷靜に還つたとき、決して「ああ、よいことをした」と、その結果に対して眞に満足することはないでありましよう。若し満足したとしたならば、それはその人の復讐心を不当に満足させたものであつて、平和國家を築き上げようとする我々の賛意を表し得ないものであります。この昂奮している被害者の訴えを取上げて、加害者を公判に付し、姦通罪のレツテルを貼つて処罰しまして、大局的には被害者までをも不幸に落し込むような法規の撤廃を叫ばなければならないのであります。
 夫婦には子があり、又親があり、兄弟姉妹、親類知己と、樣々の関係で結ばれている立体的な社会生活におきまして、二人が別れただけで、どれ程不幸な影響をそれらの人々に與えているが知れませんのに、尚その上に刑法上の罪人を作り上げましたならば、罪なきその関係者たちに対して余りに惨酷ではないでしようか。
 この逆效果を狙つて姦通罪の存置を説く者があるとしますれば、それは法律の威嚇の效果を狙つたものと思います。威嚇の效果も又必要でありましようが、民主國家を築き上げようとしている現在、姦通罪によつて罰せられると困るからというのでやらないというような、消極的な、卑屈な暗い考えを止めるように、お互いに導き合うべきではないでしようか。
 一体、姦通罪が廃止になつたから、明日から大いに不品行をやろうなどというような愚かな考えを持つ人は、現代においてはいないと思います。又いかに嚴罰主義を以て臨みましても、人々の道義心が低下し、貞操観念が稀薄になつたのでは、この種の罪人は決して減るものではないと思います。姦通のようなものは、刑罰による威嚇によつて防ぐよりも、道義心の昂揚によつて防ぐのが、遠いようで最も近道であるということは誰もが考え得るところであります。
 道義心の昂揚を図るには、一方には経済力の充実を図ると共に、他方には教育の普及徹底を期さなければなりません。一方には生活難、就職難、結婚難の緩和解消を図ると共に、他方には学校教育、社会教育の振興を期さなければなりません。併し政府は只今これらの方向に向つて全面的に努力を傾け、國民又必死となつて協力しておる時でありますから、道義心は日一日と漸次昂揚の機運に向いつつあるものと推断いたすのであります。かかる時、新らしく生れ出でようとする刑法典から、復讐的な、威嚇的な法規であるところの姦通罪の廃止をすることは誠に時宜を得たるものと考えまして、双手を挙げて賛成をするものであります。(拍手)
#29
○委員長(伊藤修君) 齋藤要君。
#30
○公述人(齋藤要君) 齋藤要、元日本大学に勤めておりました者であります。本年五十三歳になります。
 いろいろ反対、賛成の御議論があるようでありまするが、この廃止の方面に御賛成の方の御意見を聞いておりますというと、独り姦通罪のみならず、他の窃盗のごときものでも寛容にすべきような議論、或いは撤廃すべきような御議論にも承つたような氣がいたします。元來この姦通ということが先ず犯罪行爲であるか、犯罪行爲でないのであるかということも吟味をする必要があると思います。私はこれは明らかに犯罪行爲であるということを断定いたします。
 又將來この姦通というものが生起するや否やの問題については、姦通罪廃止論の方といえども、姦通というものが將來発生するものであるという御考えはお持ちのようであります。然らば、この姦通罪は発生するものであり、而もその姦通ということが犯罪であるとすれば、國家の法律を以てこれに処罰を與える。ということは当然のことでないかと考えるのであります。
 大体、結婚というものに対する本質を把握するということに、今までも議論が欠けておるような氣がいたします。これは支那の老子の言葉に一、二を生じ二、三を生じ、三、万物を生ずという言葉がありますが、二というのは取りも直さず陰陽である、男女両性であります。男女両性だけではこれは万物を生ずるものではない、三というものがあつて男女二つのものが一つの三という新らしいものを構成して、そこに万物が生じて行くものであります。結婚生活というものは取りも直さずこの三つであつて、その結婚の成立がよしんば当事者間の自由意思によつて結ばれたものとしましたところで、一度結ばれましていわゆる三というものになつた以上は、もうそれは必ずしも個人の自由意思によつて左右すべき問題でなく、社会的、社会協同体としての一つの責任を負わされたものと考えなければならないのであります。
 從つて私は結婚というものは、こういうように考えております。結婚とは、男において女が完成され、男が女によりて完成され、男女の協力によつて、よりよきものを創造して行く、さらにより良きものを創造して行くということが、即ちこれ結婚生活だと考えるのであります。從つてそれはすでにもう個人的なる性本能、性慾本能によつて結ばれたるところのもの以上のものが、そこにでき上つたということを考えなければならないのであります。從つて我々はこの結婚生活によつてより良きものを創造する一つの社会的な協同体として、そこに夫婦は互いに責任を負わなければならないと信じます。
 もう一つは、この家庭というものはいわゆる万物創造の、すべての新らしき、より良きものを創造して行くところの基盤をなして行くものでありまするが、これが平和に維持され、或いはそれが秩序を持つて行くということに対しては、夫婦お互いに責任を持つておらなければならん、その責任を囘避するということが、即ち姦通であります。
 元來家庭というものは愛情の獨占意欲によつて構成せられるものと考えるのであります。この愛情の獨占が、夫婦愛情の独占によつて始められたのか母と子の愛情によつて始められましたのか、これは問題があるわけでありまするが、要するに愛情の独占により結ばれたものであるとすると、姦通というのは、要するに、この独占権の侵害であります。男も女もその双方を独占しようとする意欲というものは非常に強い、夫婦は二世だという、その考え方も、要するに独占意欲の現われであるのであります。この独占権というものを侵害するということが、さつきもお話になりましたように、何か妻を、夫を、物と考えるというように、誤解され易いのでございまするが、結局は名誉毀損というようなものも、名誉というものは物ではありませんので、これは問題にならないと思います。この独占権というものによつて、家庭が結ばれておればこそ、家庭は強固に、そこに子供の教育も、即ちより良きものを造り上げて行くことができると私は考えます。これに破綻を生ずるがごときことは、私はやはり社会的に見て一つの犯罪だと見ます。その犯罪に対しては刑罰を以てこれを是正しなければならないと考えるのであります。
 考えて見ますると、新憲法の精神に則つて、姦通罪のごときは撤廃するのが本当であると考えまするが、現在の日本國民の道徳的レベルにおきましては、時期尚早であることは、何としても免れないことであろうと思います。都会において相当教養の高い方々ばかり御覽になつておられる方であれば、そうはお考にならないかも知れませんが、地方農村あたりにおける性道徳の頽廃と申しましようか、性道徳の低劣なることは、実に思半ばに過ぎるものがあります。先程もお話になつた方もありまするが、若しこの姦通罪というものを撤廃いたしましたならば、消極的に國家が姦通を公認したということになるのは明らかなることでありまして、恐らく將來幾多の姦通罪が発生して收拾することのできないような状態に陷りはしないかと考えるのであります。自由と申しましても……自由というものは、カントも申しました通りに、普遍的法則において、他人の自由を阻害しない程度の自由という言葉がありまするが、いかに自由と申しましても、その行動が第三者に累を及ぼすがごとき行動であつたならば、これは社会的自由ということはできないと私は考えます。現今民主主義、自由主義、個人主義という言葉がありますが、言葉だけありまして、まだ國民の教養がそこまで立ち至つていない今日、國民を教育するという意味におきまして、この刑法の、この法律の存置することを私は希望して止まない次第であります。
 從來と雖も姦通罪が規定せられておりましたけれども、その犯罪が非常に少なかつたということは、その刑罰を規定せられておつたればこそ少なかつたとも言えるのでありまして、牧場に馬がおつて、その馬が逃げ出さないということは、結局柵があつて逃げ出さないのでありますので、馬が逃げ出さないからといつて柵を取つたならば、恐らく馬は一匹もいないように逃げてしまう結果になると思うのであります。且つ民法上の問題として、この姦通罪を処理すればいいということでありまするが、それは若し離婚というよいな原因だけにこれを止めるとすれば恐らく姦通者自体の利益となつて、姦通被害者であるところの者は却つて不利益となるようなことになると思うのであります。
 かかる見地に立ちまして、私は絶対にこの刑罰の存置をお願いして止まない次第であります。私の主張はこれで終ります。(拍手)
#31
○委員長(伊藤修君) 得田耘君。(拍手)
#32
○公述人(得田耘君) 私は弁護人、六十歳、得田耘であります。
 私は姦通罪の廃止論者であります。その理由を申上げます。
 新憲法に基きまして基本的人権確立の宣言がなされまして、苟くも男女平等の原則を徹底したいというところの理念は、この姦通罪が、從來の姦通罪が甚だ不公平で、男女不平等である、故にこれを撤廃したいというところの思想が出て來ますのは当然でありますが、私はこれについていろいろ考えて見た結果、この平等の原則を徹底するということになりますと、結局男女共双方の処罰主義で以て臨むのが一番よい方法であろうと私は存じております。で、現在の刑法が我ら國民の倫理的要求というものに合致して、今日まで刑法というものが現実に行われて來ておる、何もこれによつて著しい弊害が生じたというところの問題もなくて参りましたということは、実際この社会に最も適合したところの事柄であるということを立証するものであります。この我々の倫理的要求、倫理的の要求というものに、今日の刑法規定というものが合致しておる、よく合致しておるということは、私は少しも異論はないのであります。でありますからして、これを存置して置くということは、この我々の倫理的の要求から申しますと、決して異論はないわけであります。ただ併しこれを徹底するということになりますと、いわゆる只今申しましたように、男女差別待遇をしておるということはよくありません。即ちこれを撤廃して行きたいというのがこの新憲法の精神からもよつて生ずるところの事柄でありまするから、この差別を撤廃したい、こう考えるのであります。
 その結果、我々はどうしても論理上いわゆる男女双方処罰主義というものを採らねばならんという結論に達するのであります。さもなければ、人種による、性によるところの差別の撤廃というものができません。こういう観点から言えば、私は決して異論はないのであります。ただ併しこういう観点というものからすれば異論はないが、一方又は別の方面からも、この問題を考えて見ることができる。我々のこの問題に対する要求というものは、つまり法制の上で禁ずるということが適当であるか、或いは又、これは社会の道義観念の昂揚、即ち或いは教育、その他夫婦各自の自覚、精神的自覚に基いて、こういう不徳というものを社会から芟除するか、どちらがいいかと申すことになりますと、ここに二つの見解が生ずると思うのであります。
 こういう観点に立つて見ますと、私は先ず考えねばならんのは、一体姦通罪というものによつていかなる法益が擁護せられておるかと申しますと、まあ夫の感情、それから血統の純潔を守るという、この二つの法益が最もその重点となつておるようであります。そうしてその血統擁護というものは、固より我々人類というものが永遠に見逃すことのできない欲求であります。いかなる民族と雖も、家系が紊れてもいいというふうな考えを持ち得る人間はないのであります。この家系を守るということは、第一の欲求であり、これを擁護するということが、この姦通罪の法益の第一義であります。夫の感情であります。それからその他社会風教上の問題もありましよう。併しながら第一義的のものは、つまり法益というよりはむしろ私益、夫の感情或いは家系の混乱を防止する、このことに本來の設けたところの趣旨がありますからこの観点からいたしますと、こういう問題に対して、國家が法規を以てこれに臨む、刑罰法規によらざれば、こういうことを防止することができないということは、甚だ望ましいことではないように私は考えるのであります。先程からもしばしば御意見があつたようにこういうことは、先ず刑罰規定というようなものによつて威嚇的に防壁を設けるよりは、むしろ一般社会の教養というものを高めて、そうしてこれに基いて不徳の行爲を社会から除去する方がいいのぢやないか、殊に今日日本が將來文化國家を建設しようと云うております、その途上におきまして、一層このことを痛感するのであります。相成るべくは、その倫理的要求に対しては決して私は異論はないのでありますが、ただその要求を充実する手段として刑罰制裁を以てこれに臨むか、或いは他の方法によつてこれを芟除するかどちらがいいかという問題に帰する、そうなりますと、私はやはり後の方法がいいという考を持つのであります。
 結局方法論としましては、姦通罪の廃止を主張するのであります。尚新憲法第十三條におきましては「公共の福祉に反しない限りは、立法その他の國政」、つまりここでは立法だけでいいのでありますが、この立法の上において最大限に國民の自由を尊重せよという趣旨のことが載つておるのであります。これはどういう意味かと申しますと、つまり只今のような問題に対しまして、國家は公共の福祉に反し、どうしてもこういうものは刑罰制裁を以て臨まなければならないというふうなものは已むを得ません。これはよろしく刑罰制裁を以て臨み、こういう犯罪の防止に努めるという趣旨でありますがさもない場合におきましては、先ず成るべく國民の自由を尊重した方がいいであろう、最大限に尊重して行く、つまりこれを半面から申しますと、立法の干渉の程度を成るべく狹く最少限度に止めて置きたい、こういう趣旨に解してよかろうと思うのであります。
 こういう趣旨から申しましても、公共の福祉云々ということについてはいろいろ御議論も生ずることと思いまして、私はここに姦通罪が公共の福祉にどの程度に反するか合致するかというようなことは、ちよつと申上げることはできませんが、併し兎も角姦通罪の法益というものが、夫の感情若しくは家系の維持というような、つまり私益というものに重点を置きまして、まあ社会風教云々ということに関しましては、これは第二義的の法益としておるのであります。そうしますると、先ずかようなものが犯されましても、結局私益の範囲に止まるというふうにも考えられる、こういう意味におきまして、私は先ず新憲法の精神から申しますとやはりこういつた制度、つまり制裁規定というものは、今日の刑法からは廃除されてもいいのではないかというような考えを持ちます。
 甚だどうも行き届きませんが、これで私の話を終ります。(拍手)
#33
○委員長(伊藤修君) 藤澤廣男君。
#34
○公述人(藤澤廣男君) 計理士、弁理士、税務代理士、藤澤廣男、年齢は四十歳であります。
 私は姦通罪の廃止の可否につきましては絶対に廃止に反対する者であります。
 終戰以來僅か二ケ年しかなりません。世を挙げて民主主義、民主主義と言つておりまするけれども、我が日本國民におきましては、その民主主義を把握しておる者が果して幾人ございましようか。民主主義といえば我がまま勝手であり、怠けることを民主主義と心得たり、男女平等といえば女が男のいうことをきかんことを男女平等と心得たり、姦通罪廃止をすれば姦通をやつてもよいという錯覚を起すように思うのであります。私は曾て警視廳に職を奉じまして、刑事保安を担当しまして姦通罪の幾多の事例を扱つた者であります。その事例を通じて僅か述べて見たいと思うのであります。
 現在の法規規則は少し先走つていはしないかと思う者であります。憲法の改正もよろしいでしようし、先走ることもよろしいでしよう。その大綱のものはよろしいと思いまするけれども、個々の細則が置かれましては、國民の実情に合致したものを作つて行く必要があろうと思う者であります。その法規に追随できないような國民の心……法規と國民の心とが合致しないものでは意味がなかろうと思う者であります。
 姦通罪廃止論者のいうことを聞きますると、刑法上の罰則を設けなくても民事上において救済ができると申しまするけれども、私はそれは机上の議論であつて、実際問題として民法上の救済はでき得ないと断言する者であります。何となれば私が取扱つた事例から申しまするならば、いずれも民法上の救済はできておりません。なぜできないか、お互い皆さんお考え下さい。自分の妻がです、他の男と姦通したときに、それは一人と一人ならよろしいでありましよう。けれども、親戚、知人、或いは小さい子供がある場合に、実際問題としてこれを離婚することができない。又民法上の損害賠償、或いは慰藉料請求を要求しましても相手が無財産ではこれ又何の意味もないのであります。今まで私が幾多の事例を扱いました関係を言うならば、檢事局に送致したものもいずれも取下げておる。勿論こういう問題は新聞に載つていないから、姦通罪は至つて少くて殆どないように思つておる方があるかも知れませんが、その数の多いのには一驚するのであります。いずれも闇から闇に葬むられております。姦通を犯した妻の夫の心たるや実に想像に絶するものがあります。皆さんお互いお考え下さい。自分の妻が他の男と通じた場合に、いかなる心持でしよう。離婚をするにも小さい子供がおる、親戚知人の関係もあつて離婚ができない、泣くにも泣けない、やつたらやり得という状態になつておるのであります。結局檢事局に送致いたしましてもやはり取下げる、妻が可愛いのではないのです。これは子供が可愛いから取下げるのでありまして、こういう見地から見ましても、私はすべて今までの夫の申し分を申しまするならば、妻は仕方がない、仕方がないが今後やつてくれるな、但し男が憎いから男を処罰してくれというのがその殆どすべてであります。私は男女双方処罰するよりもむしろ姦通を防止する意味におきましては男を一方的に処罰すれば目的は達し得るものと思うのであります。すべてものには因果関係があります。原因があつて結果があると思うのであります。原因のないところに結果はありません。すべて姦通罪は……恐らく女から姦通を要求するものはなかろうと思うのであります。いづれも男の方から能動的に出たものであると、今までの私の扱いました経驗上から思うのであります。男を処罰することによりまして、姦通罪を防ぎ得る一端にもなると思うものであります。
 今これを廃止いたしましたならば、姦通罪はなくなつた、自由に姦通をしてもいいという錯覚は当然起すものであると私は思うものであります。恐らく姦通罪を廃止いたしましても、二三年経ちましたならば、朝令暮改、必ずや姦通罪の存置出來得る時期が來ると私は確信を持つて信ずるものであります。
 現在の姦通の動機というものをちよつと申上げまするならば、私の取扱いました事例を申上げますならば、いずれもその同居人が多い。現在敗戰下、家がないために、同居人は非常に多いのであります。又或いは言うでしよう妻と夫の関係は愛情で以て姦通を防ぎ得ると申上げる方もあるかも知れませんけれども、さようなことは絶対にありません。いかなる愛情がありましても、姦通という問題におきましては、一時のいわゆる魔がさすということが往々あるのであります。その事例は私は数件知つております。男の立場におきましても同樣であります。自分の妻に対しましては愛情はある、但し偶に外で遊ぶということもあるのであります。妻におきましてもそういう場合が往々にある。長年自分の夫が外泊しておるとか、旅行しておる、或いは病氣で寢ておるという場合に、或いは刑務所に入つているときに、その妻が姦通をする場合が多々ある。例えば世話になつておる人とか、或いは同居しておるという場合に、夫に愛著を感じながら更に他の男に通ずるという、この事実は一体何を物語るのでありましようか。私はその意味におきまして絶対に姦通罪の廃止に反対をするものであります。
 これを以ちまして私の意見を終ります。(拍手)
#35
○委員長(伊藤修君) 横田和男君。
#36
○公述人(横田和男君) 年齢二十六歳、飜訳の仕事をいたしております。元海軍軍人でありました。
 大分あとに私の意見を述べるような結果になりましたが、相当に賛成者としての同意見も沢山ございますので、相違する点のみを強調して申上げます。
 いわゆるこの姦通なるものは、その立法精神においては、社会の風俗とか秩序、特に夫婦関係の和合という点に於てそれ第一の目的といたしております。故に法令の設定又は廃止という点においても、この目的を達するために根本の観念が置かれねばならないと思います。法令というものは、いろいろと世の中の繁雜な出來事を隅から隅までやつて行くということもなかなかできなくて、例外までも採り上げなければならないという点が隨分あるのであります。而して姦通論の問題となりますと、それが往々にして夫婦間におけるところの和合を欠くところの唯一の見方となる時は間々出て來るのであります。先程からいろいろと賛成論者又はその反対の方の御意見を伺つておりますと、今はこの姦通罪というものは非常に尚早であつて、まだその廃止までは現在は行つておらんという御意見が沢山ありましたが、日本が敗けて以來早や二年も経ち、それで社会の混乱は、敗戰当時と外見は、少しずつ原色におけるところの裝飾などによつて変化しておるものの、内実において少しも変らないところの結果になつておりますが、時期の尚早などという意見は私は賛成でき得ない点と思います。
 それから姦通罪を廃止をした場合において、世間の人々は、それが一種の罪に対するところの奬励となるという意見を出された方もありますが何事でも馬鹿はいるもので、全部が全部賛成とそうしてその法令の意味までもよく考える者はないのであります。それ故一〇〇%まで廃止になつた原因を探求することを望むのは無理であります。世の中の少しの犠牲というような点と、表面と裏面があるという点はよく皆樣御存じのことと思いますが、それと法律も同じことで、分らん者に分らせようとすることは、なかなか政府としても又法律論者としても大変なものでありますが、そのパーセンテージの少しの向上を以て可とする外、人間社会においてはそれ以上は望み得ないものと私は信じます。新憲法において男女同権論が設定されまして、而して都会に氾濫するところの男女性は、恰かも我が世の春のごとく外見は見られる男性や同性が往々にして濶歩しておることがありますが、それらは男女同権論即ち女性は男性と同じ権利を持ち、同じ頭腦と同じ働きを持つてをるものと思つてやつておる。併しそれは新憲法における男女同権論とは意味が相当に違つて來ておるわけであります。いわゆる眞の男女同権論というものは、夫が会社へ行き、而して妻も会社に行き、そうして両人で以て共稼ぎをして生活費を半分々々にしてやるというのではないのであります。日本においても、手を繋がなくても、男女同権論は家庭の中においても行はれるものと信じます。然るにそのような男女関係におけるところの現日本において、姦通罪が昔のごとく妻に不利な場合は除いても今の不罰にするとか両罰にするとかいう問題は、根本は、それが確定しなくては眞の法令は出ないと思います。
 家庭内における愛情は、最近皆樣もよく御覽になると思いますが、外國人の作法を、模倣の上手な日本人は、それを日本人にも似合うものとしてやつておるが、それは外國と日本とはそれぞれの美点があり、模倣が上手になつても日本人は絶対に進歩しないのであります。昔から日本人は俯いて歩くとかよく言いますが、それはそのしぐさのみでなくて、謙讓なる心の発露であります。かくのごとき精神を持つた婦人が、相当に理解あるところの男女と婚約をしたならば、いはゆる將來におけるところの日本的の男女同権論というものが生まれてくるのではないかと想像いたしております。而して姦通罪におけるところのいわゆる罪の成立というものは、先程から沢山の人が述べられましたが、いわゆる家庭におけるところの愛情の欠除、それが一番の原因であると思います。
 イギリスにおけるタイムスという新聞に、ときどきこのような廣告が出るということを聞いております。それは「余の妻に掛賣を、嚴禁する」という廣告が堂々と出るそうであります。日本においては考えられないことでありますが、英國においてはそれが当然なことであります。いわゆる結婚前の妻の所有物、而して夫の所有物もそれは夫婦同一のものではなくて、別々に結婚前の主に還る、自由に処分してもいいというような点において、そういう方法も出ると思いますが、いろいろと社会情勢の入つて來る敗戰後の日本において、いわゆる他の長所を採らず短所を採るような行いがあつては、法律も姦通論の單なる……單なるというと語弊がありますが、両罰と不罰、そんな関係以上に、日本の將來は危險に瀕して來るものと信じます。
 イギリスにおいてはコムモン・ローというものがあります。それが不罰の論になつて相当前に改正されたのでありますが、それはやはり夫婦間の愛情という点において、一般の意見が一致したものと私は信じております。
 以上をもちまして終ります。(拍手)
#37
○委員長(伊藤修君) 阿部よしの君。
#38
○公述人(阿部よしの君) (拍手)阿部よしのでございます。主婦を代表して参りました。四十三歳でございます。
 私は主婦の立場から、又母親の立場から、撤廃に賛成いたし兼ねますので、一言申上げたいと存じます。
 その理由は、まづ第一に、夫婦関係の本來の性質から申しますと、夫婦は相互の深い愛情、信頼、相互扶助の全く私的な関係でございまして、その間に第三者の介入を許すことのない二人だけの関係でございます。若し男女いずれにせよ、隨意に外の者と性的交渉を持つようなことがございますならば眞の夫婦生活は成立つものでないのでございます。それでありますから、夫婦間の貞操が互いに強く要求されるものと存じます。從つて男女いずれにおきましても、夫婦生活を正しく守りますためには、絶対に姦通を許容することはできず、どこまでも一夫一婦を守るべきでございます。
 ただ問題は、これを民事の問題でなく、なぜ刑法上の問題として扱われなければならないかということでございます。でございますが、これは先にも申しましたように、夫婦は男女間の私的な関係ではございますものの、夫婦によつて形作られる家庭は、社会生活の基礎をなすものであり、その重大な秩序の一つであると存じます。そこで若し多くの家庭の家庭生活が紊れますならば、それはやがて社会生活そのもの國民生活そのものの紊乱となつて参ります。
 その意味におきまして、家庭生活が整つておりますかどうかということは、決して私事でなく、國家的、社会的の問題でございます。それですからいかなる國におきましても、婚姻の成立には種々の條件を設け、又必ず公けの届出を必要とするように定められておるのでございます。
 このように成立いたしました夫婦生活を破壞する姦通は、男女いづれが行いましたにもせよ、國家社会の秩序を破壞するものであり、これを犯罪として國家がその責任を追及することは理の当然であるものと存じます。
 更に、姦通が犯罪とせられなければならない他の理由として考えられますことは、今後の國民生活が個人の人権を尊重することを建前としておる点からでございます。
 婚姻は固より当事者の神聖な契約による愛の結合でございまして、子孫繁栄のための人格的結合でございます。夫婦親子の美しい團結を終生持続して行くべきものでございますのに、姦通はこれを一方的に破棄するもので、相手の人格を甚だしく侮辱するものでございます。各般の國民生活におきまして、人権の尊重を建前といたしております今日、ひとり夫婦生活におきます人権蹂躪ばかり、これを捨てて顧みないということは、全く條理に外れたことであらうと存じます。
 更に又、子供のある夫婦の間における姦通の問題でございます。両親揃つておりましてさえ、惡に走る子もできますものを、まして乱れた家庭に育つ子供の不幸はどの位だか知れないのでございます。姦通は子供の教育という重大な責任を放棄したものでございます。子供は國家社家の明日の進歩を担うものでございますから、この大切な子供の養育を捨てるような行爲は、國家社会の進歩を妨げるものでございます。それ故姦通は決して私事ではなく國家社会がその責任を追求いたすことは当然と思います。
 第二は、國民道徳の現状から考えまして申し述べたいと存じます。
 新憲法が制定せられましたけれども長い間の封建的な考えや、家族制度の習慣は、深く我々の日常生活に喰い入つておりまして、今後も惰性となつて残るものでございます。今までも道義観念としては男女双方に貞操の義務を要求し、姦通を不倫行爲として見て参りましたけれども、男子中心の思想、男系尊重の結果として、社会的に男子の性的行爲は解放されていて、男子への道義観念は余り嚴しくはなかつたのでございます。そのために不倫な行爲を行う者、妾を蓄える者は、生活程度の低い者とか、教育程度の低い者と限られておりませんで、案外教養もあり、地位もあり、生活程度も高い人達の間に多いのでございます。一方女の方でも長い習慣で男のそのような行爲に対してはあり勝ちのことと大目に見る傾向や、不幸な目に遭うても締らめておる者が多いのでございます。又女自身の問題としましては、法律上はつきり封鎖されておりました上、経済的事情や肉体的條件、子女の養育等々のため種々の制約を受けますので、犯罪者の統計の数にも現われておりますようにこうした問題を起す者は少かつたのでございます。まあ地域的にもそういう傾向があつたのでしようが、或る女学校五年生の生徒の話では、クラスの随分沢山の者の家庭がこれに類する問題を経驗し、母や姉の惱みを語られたので、むしろ父を早し亡くした自分を嬉しく思いもし、又將來の結婚に対して非常な不安を感じるということを聞いて、私も心を重くしたのでございます。
 右申しましたような慣習が依然として残ります上に、男女同権にはなりましたものの、まだまだ女子は男子に依存して生活する人が多く、社会的にも女子の地位や経済的條件が確立しておらない現状でございます。そのために男子の不道徳を止むなく容認するようになり、又一方では未婚者や未亡人などが、今日の困難な経済生活のために自分自身の生活のため、或いは親兄弟の扶養、子女の養育を細腕に支え切れないで、みずから貞操を蹂躪した生活をするようになる場合も往々あるのでございます。又戰爭によりまして、男女数が不均衡でありますのと、経済的事情が加わりまして、結婚難の状態でございますし、敗戰によりまして一般的に道徳も混乱しておりますが、性道徳に対しましても目を覆いたいような現状でございます。
 その上、新憲法の公布により男女の同権が認められ、又家族制度も撤廃され、日常生活の隅々にまで自由を実現するようになつたのでございます。このことは甚だ喜ぶべきことでございますけれども、日常生活に大きな変化が起き、大きな動搖を起こしております。殊に國民生活の中から、十分の用意を整えた後に行われたのではなしに指導的な外からの力が大きく作用して漸く実現できたものでありますだけにこの動搖は相当深刻なものがあるように存じられます。
 男女の交際にいたしましても、一般に自由だという観念が先に立ちましてこの交際に自覚と責任を持つという心構えが十分でないように見受けられます。この責任感なしに、ただ自由な交際の点ばかりが行われますならば、家庭生活、社会生活の紊乱、國民道徳の頽廃は考えても恐ろしいことでございます。それでございますから、法の力を以てこれを抑えることが必要であろうかと存じます。
 姦通罪は、この点からいたしまして是非とも存続させたいものでございます。尤も教育の力によりまして國民道徳を高め、こうしたことを未然に防げばよろしいという考え方もございますけれども、こうした問題について実際上どれだけの力を持つているのが、甚だ疑問に考えております。例えば教育者の非常な努力にも拘わらず、不良青少年が決して減つていないことでも明らかなことであります。又対象が、生意氣盛りの青年層から、陶冶性のなくなつてしまつた成年、或いは老年でありますため、教育の効果は疑われるのであります。
 それでいかにもまずいやり方のようでありますけれども、法文としてはつきりさせ、道徳観念として許容できないものであるとしておきたいのでございます。
 併し、夫婦生活は微妙なものでございまして、この罪の起因とするところも、相互の間にはつきりしておりましようから、やはり今まで通り親告罪として存続させ、男女平等に罰したいと考えております。(拍手)
#39
○委員長(伊藤修君) 千葉博君。
#40
○公述人(千葉博君) (拍手)小学校教員、二十六歳、今年の五月にシベリヤから帰つて來た者であります。
 この姦通罪の廃止の可否について、一言簡單でありますが、意見を述べさしてもらいます。
 過去において姦通罪を施行しておりましたことは、法定主義によつて、我我人間生活の人倫を規定しておりましたものでありまして、そこには人間としての人格というものが認められておらなかつたというのであろうと思います。このまま姦通罪を存続せしめて行くということは、新憲法の二十四條に「法律は、個人の尊嚴と両性の本質的平等に立脚して、制定されなければならない」とある新憲法の趣旨に反するものであると思います。併しこれを廃することによつて、社会道徳が以前にも増して頽廃し、民主國家即ち最高の文化國家を建設するのに支障を來すようなことがあつてはならないのであります。ここに姦通罪の存否の重要な点があると思います。
 而して、姦通罪存否の問題は、これを廃止することによつて、過去における女性は勿論のこと、男性も法に拘束された暗い生活より脱却し、夫婦が同等の権利を有することによつて、法的に、社会的に自己の尊嚴を誇り、明るい社会生活、家庭生活を営み、文化國家建設に努力することができるか、或いは從前通り、この一方的なる姦通罪を存続せしめて、自己自身は固より、妻をして自己に隷属せしめ、法の下に屈辱的な、耻辱的な暗い生活を送り、文化國家の建設を阻害するか、ということになると思います。私のこのような見方は、一方的な見解であると思いますが、個人の尊嚴と、男女の本質的平等の観点より、私は姦通罪の廃止に賛意を表する者であります。
 吾人が個人の尊嚴、権利を主張するからには、当然自己の義務、責任を果すということは誰しも知つていることと思います。姦通におきましては、その行つた両人と、その第三者に罪があると思います。即ち夫は妻に対して、妻は夫に対して貞操を十分に盡さなかつたところに罪があり、又夫をして、妻をしてその隙を與えしめたところに妻としての、夫としての責務を果さなかつた罪があると思います。それ故に從來のごとく、女性をのみ罰せるところの一方的なる姦通罪は、不合理なものであるばかりでなく、すでに女性の尊嚴を汚すものであると思います。又この姦通なるものが、男性の女性に対するところの主動的な行爲であると見ますれば、女性をのみ罰するということはその姦通罪のいかに一方的なものであるか、こういうことが又分ると思います。
 姦通の場合におきましては、その当事者の良心こそ、道徳的規範に照してその善惡が判断せらるべきでありまして、法を以つするには及ばないと思います。凡そ他人の人格を尊重し、自己の尊嚴を誇りとする者には、少し言い過ぎかも知れませんが、動物的姦通行爲というものはでき得ないものであると思います。若しこれを行う者がありましたらば、國家においてその者を罰するまでもなく、社会が罪人と見まして、その者の人格は勿論認めず、社会の生活圈内より追い出すことは当然のことと思います。それ故敢えて國家において罰するには当らんと思います。この姦通罪を存続せしめて置くということは、少数の背徳者をして処罰するのみでありまして、社会の文明國家の恥辱であると思うのであります。
 姦通罪の減少ということは実に各人の道徳心に存するものでありまして、それが決して法律の存否にあるとは思いません。又刑法が威嚇的なものであつて、これを防ごうということは不可能であり、又應報的なものであるにしても、その效果は十分挙がり得るものでありましようか。少くとも刑法が人格の尊巖を認め、改善的、教育的なものにその本旨を置くならば、この際廃止すべきものであると思います。
 過去の封建的制度下においては姦通罪は認められて來ましたが、新憲法下の今日においては、その存続を認めて置くということが不合理であると思います。姦通罪の廃止ということによつて女性の地位は向上し、女性の尊嚴性が社会に明確化せられ、両性の本質的平等の一端が実現せられるものであらうと思います。女性の尊嚴、それは姦通罪の存否に拘わらず、女性自身の貞操観念の堅実なることにあると思います。女性が男性の行爲を敢然と防ぐその女性によつて女性の尊嚴性が社会に表明せられると思います。勿論この姦通罪を廃止するに当りましては、國家としてはその犯罪を防ぐ政策を施し女性に対しては、貞操観念の育成に過去のような消極的な教育を廃し、大担に積極的に教育すべきであると思います。國家の民主化に伴つて、國家の女性に対する各種の教育は必須なものとなり、又女性自身の自覚努力が必要となるのであります。殊に性教育におきましては重要であると思います。過去におきまして、日本におきましては余りにその性教育の徹底しておらなかつたところに又このような問題があると思います。姦通罪が廃止された曉において、各女性が自覚し、國家が教育をする、その教育を受けた女性、そのような女性こそ民主國家建設のための女性であり、道徳の頽廃を防ぐところの、又道徳を振興せしむるところの女性であると思います。
 日本國家の男性女性が、等しくこの刑法の存否に拘わらず、否むしろ、廃止されたときにおいて、人間の尊嚴を誇り、道徳的に表裏の別なく、明るい生活を営むことこそ、人間の尊嚴を誇り、理想的な民主國家が建設されるものと思います。
 以上簡單でありますが、私は新憲法を演繹的に引用しまして、廃止に賛成するものであります。これで終ります。(拍手)
#41
○委員長(伊藤修君) 阿部文二郎君。
#42
○公述人(阿部文二郎君) (拍手)私は中央大学の教授の阿部文二郎であります。本年六十八歳になります。
 皆さんのいろいろの御意見を伺いまして、私自身も得るところが沢山ございましたが、これから私の所見の一端を簡單に述べさせて頂きます。
 私は姦通という行爲は、夫婦の間に婚姻と同時に成立する倫理上、道徳上の最も重大なる義務、即ち貞操義務の違反行爲であると考えております。この重大なる貞操義務の違反行爲に対しまする制裁といたしましては、これを三つ考えることができるのであります。その一つは道徳上の制裁、その二は民事上の制裁、第三が即ち刑事上の制裁となります。
 そこで、姦通罪が成立するかどうか問題になつて來ると思うのであります。我々のこの社会的の道徳的制裁が強くなつて参りましたならば、姦通罪のようなものは認めなくともよいことになるのであります。又民事上の離婚という制裁だけで、我々がこの問題を解決することができるならば、これ又刑事上の姦通罪なる制裁は要らなくなること論理上間違いがありません。
 ところで、現代の敗戰後における我が國の道義の頽廃いたしましたる今日において、我々はこの貞操義務違反というこの重大なる問題の制裁を、今日の社会道徳上の制裁だけに任じて置いてよろしいのでございましようか。これは私としては大変な間違いであると思うのであります。又更に第二の問題といたしまして、民事上の制裁、即ち被害者に離婚請求権を與えまして、離婚の判決を得ただけで、この問題を解決するに十分でありましようかといいますと私はこの点においても不満足に感ずるものであります。然らば、第三の問題といたしまして、刑事上の制裁を加えることに必要があるかないか、こういう問題になりまするが、私はやはりこの刑事上の制裁を加えまして、積極的に國民各位がこの貞操義務違反が一人でも世の中になくなるようになりますことを希望して止まないところのものであります。だから私はこの姦通罪を以て処罰するという規定は今後も尚存続せしめて置くべきである、こういうふうに考える次第であります。
 併しながら、この現行刑法を御覽下さいますと、皆さんもお話下さいましたように、女の人だけを罰しております。即ち我が國における姦通罪なるものは間男の罪でありまして、間女をする罪ではない、こういうことになつておる。世間往々にして妾をおきましたり、或いは女中に手を出したり、藝者買い等をするような人間も多々あるように見受けるのでありますが、これらは何ら処罰をされないのであります。これはどういうわけでありましようかといいますと、男尊女卑というような從來の感服しないいろいろの慣習が支配しておつた点もあるのでありますが、女には男よりも貞操を守るべき生理学上の重大なる要素が潜在していると考えるのであります。その一つは女の人は御承知の通り男子と性交いたしますると、その血液に変化を起して來るものであります。ところが男の方は随分の道樂者でも、自己の血液には何らの変化を來さない。この生理学上の重大なる差別が一つあります。その次には、御承知の通り、女の人には妊娠という重大な危險があるのであります。男はどんなに道樂者でも妊娠するということはございません。第三に、女の人は妊娠すると、皆さん御承知の通りに、外面的には乳の色が変化をいたします。処女の時代と妊娠した女とは色が変つてくる爭うべからざる生理学上の外形現象があります。而も尚御承知かも知れませんが、女の人が妊娠をいたしますというと、子供を産む度に、子宮の中にあばたが一つずつ増えて行く、外から見ては分りませんが、その御婦人の子宮を取去つてあらためますと、この婦人は何人の子を過去において産んだかということが歴然と分るように生理学的にできているのであります。これらの点がやはり女子の貞操というものが生理学的に見ましても男子より重く見なければならない、こういうところに理窟をつけまして、過去においては御婦人の方だけを処罰しておつたものと思うのであります。
 併しながら、新憲法の治下におきまして、女子も男子も平等な位置に置かれましたる以上は、女子にのみ貞操の義務があつて、男子の方にはないというような論理はもはや成り立たないと思うのであります。從いまして、只今申上げましたように、生理学上に男女との間に若干の区別はありまするが、我々法律家としてこれを見ます場合においては、やはり法律的には男女双方に貞操の義務あるものと考えるのであります。從つて私は姦通罪は廃さないで現行刑法の百八十三條を更に修正せられまして、そうして男女共に処罰するように改正せられることを希望してやまないものであります。
 併しながら、この姦通罪というものは、御承知の通り闇のことを明るみに出すところの事柄でありますから、これを普通の犯罪のごとく、司法警察官がそれを聞知いたしましたる故を以て直ちにこれを起訴し、審判すべきものとは思わないのであります。私の考えといたしましては、從來私も姦通罪に関する犯罪を若干取扱いましたが、どうも初めはやきもちをやきましたり、或いはかツとなりまして、怪しからんというので告訴をいたすのでありますが、夫は妻が法廷に立つのを見ますると、段々考えて、奧さんが惜しくなつたり、或いはかわいそうになつたりいたしまして、裁判所が一生懸命になつて取調べておるのに、告訴は取下げられるということになりまして、姦通罪をして実刑を科せられ獄に投ぜられておる人は極めて少ないと、私は経驗上考えるものであります。そこで、今度の刑法を改正遊ばれるにつきまして、もう一つ希望することは、私は姦通罪を親告罪となすべきものでありますることは、只今の通りでありまするが、親告をする前に、ドイツ刑法のごとくに、民事上親告をしよう、夫なら夫を姦通罪として処罰しよう、或いは妻を姦通罪として告訴しよう、こういう人はその告訴の前堤行爲といたしまして、民事裁判所に離婚の訴えを起す、そうしてその離婚の訴えの判決が裁判所において確立せられても、尚且つその人が告訴をするの固き決心をもつ場合においてのみ、この親告罪を犯罪をして取上げることにいたいますれば、従來の弊害を救いまするし、又無暗に軽々しく姦通罪として告訴するということがなくなります。民事上の本当の離婚をして貰う決心ができて、そうして裁判所の確定判決を得て、初めてここに告訴権が成り立つ、こういうふうにいたしますれば、私は姦通罪というものを拡張し存置せしめましても、ちつとも社会の公安を害するものでもなければ、道徳上の原則にも反するものでもないと、こう信ずるものであります。
 簡單でありまするが、私の所見を述べさして頂きました。(拍手)
#43
○委員長(伊藤修君) 出口敏夫君。
#44
○公述人(出口敏夫君) 出口敏夫、会社員で三十歳です。
 私は姦通罪の廃止の方に賛成するものであります。先程來、反対賛成の意見が順次述べておられましたから、私の賛成の方の意見には前と重複するところが非常に多いのでありますが、私の考えておることを申上げたいと思います。
 姦通罪によつて受ける家庭内の被害というものは、これは國家が刑法を以て律するような性質のものでなくて、むしろ民事問題で解決すべきものであると思います。それと申しますのは、從來の姦通罪において、それでは姦通された妻に全体的の罪があるかというと、むしろ妻を姦通させる状態に置いた夫の方にも相当に過失があるのでありまして、これを救済するのは刑事問題として法廷に立つて行うのでなく、民法の規定によつて離婚或いは損害賠償、そういう方法で解決すべきもので刑法の対象としてこれをもつて行くということは、少し妥当を欠くのではないかと思います。それと、こういうことが起らないようにするためには、この対象が道徳律に当て嵌まるべきことであつて、畢竟道義を昂揚する教育方法によつて、十分これを防止することができると思いますし、徒らに威嚇的な刑法の規定で以てこれを予防するということは、少し個人の意思を尊重していないところがあるのではないかと思います。
 それと、先程來、廃止すると直ちに姦通罪が公認されたものと見て、誰でもが姦通をするようになるだろう、そういうような意見がありましたのですが從來法の規定によつて処罰をするというやうに定られたことは、今直ちにこれを廃止しても、各人はこれを公認されたものとして、今まで姦通をやらなかつた者も大いに姦通をやろうぢやないか、そういうようなことは常識のある國民においては起らないことであつて、最近の終戰後の道義の混乱から日本國民は道義が頽廃してしまつて、もう救い難い状態にあるというふうに直ちに断定することは、我々自身が我々を侮辱することであります。或る時期を経過すれば、道義は教育によつて十分昂揚されると思います。我々は敗戰國民であつても、個人の道義において敗戰したわけではありませんから、刑事政策的にいつて、廃止されたから直ちに姦通罪が容認された、というように早合点をする者はないと思います。
 その次に、なぜこれを刑法の上に存置して貰つては困るかというその主要なる趣旨でありますが、これは從來の姦通事件を見ておりますと、被害者である夫は、最初は、先程お話にありましたように、告訴までして刑法上の事案にいたしますが、その後における不明朗な状態、これは前にお話がありましたように、その夫は最初は非常な怒りを以て告訴をして刑法上の事件にするのでありますが、そのあと和解をしてしもう。それからもつとひどいのになりますと、それを種にして脅迫をする。これを存置することによつて却つてこういうような不明朗な状態を起す場合が出てくると思います。それとこの存置によつて救われる法益というものが、夫の法益が果して十分救われるであろうかという点から考えますと、むしろ姦通罪を起された被害者である夫は世の笑いものとなる。そればかりでなく、一般予防のために、その個人の事件が面白く喧傳されて、却つて救済せられるどころか、これはジヤーナリストの種になり、ジヤーナリストの上に踊らされる、といふような、むしろ間拔けじやないかといつて一般的な見方をされる。そうすると少しも夫の被害は、法益は救済されていない、そういう点があると思います。そうしてこういうような規定があることは、今後文化國家としての日本の発展の上においてむしろ非常に恥辱的な問題である。そうしてまあ現状に照し合せて、それが最も重要な規定であれば止むを得ませんが、以上述べましたように、民事上で十分救済せられ、而も、廃止をされても直ちに容認されたものとして、姦通罪が縱横無盡に行われるというような氣配もありませんし而も被害者である夫は左程に救済をされない、そういうような不公平な状態から見まして、今後日本が文化國家として立つて行く上に、刑法の規定にこういうものを残すということは誠に恥ずべきであると思います。
 それから、先程時期尚早論が大分出ましたのですが、それでは果して姦通罪を廃止する時期がいつ來るかという問題になると思います。それは規定を置いておけば、いつまででもこれに頼るのが人間の本能でありますから、むしろそれを廃止して、これを廃したことによつて教育による道義の昂揚を図る。そういうことは道徳上してはならないことだ、そういうふうな教育によつて十分これは達せられるのではないかと思います。我々の道義というものはそんなに廃つたものではない、これは一時的な現象であつて、終戰による一つの反動であると思います。そういう点から考えて、現在は道義が廃つておるから姦通罪を両罰にしなければならんという議論は、むしろ國民感情からして我々が我々自身を侮辱するものではないかと思います。
 私は、以上の民事上で救済でき得るということ、廃止しても刑事政策的に何ら害がない、法益の救済において不均衡がある、そういうことを、刑事問題として置いておくと非常に不明朗な状態が生ずる、こういうようなこと、それから文化國家として、こういうような規定が刑法の上に残されるということは、甚だ面白くないという点、それから両罰論者の言われる、両方が告訴をするということは、夫の場合には成る程でき得るかも知れませんですが、妻の場合に果して欣然とそれを告訴して法廷の問題に出し得るかというと、それこそ時期尚早であつて、却つて有名無実な規定を残すということになるのではないかと思います。
 以上の点で、私は姦通罪廃止の方に賛成いたします。(拍手)
#45
○委員長(伊藤修君) お諮りいたします。質疑はこれを省略いたしたいと存じますが……。質疑はこれを省略することに決定いたします。
 公述人の方に申上げます。暑い中を御遠路わざわざ御出席下さいまして、國家社会のために尊い御意見を御熱心にお述べ頂きまして厚く御礼申上げます。皆樣の御意見によりまして、ここに列席せられましたところの司法大臣初め政府委員の方々、及び衆議院、参議院の各傍聽議員の方は勿論、我々委員に対しましても、非常なるところの参考を得たことと存ずる次第であります。この点厚く感謝を申上げまして皆樣の御厚意を御礼申上げます。
 それではこれで散会いたします。
   午後三時三十一分散会
 出席者は左の通り。
   委員長     伊藤  修君
   理事
           松井 道夫君
   委員
           大野 幸一君
           齋  武雄君
           鬼丸 義齊君
           岡部  常君
           小川 友三君
           來馬 琢道君
           松村眞一郎君
           宮城タマヨ君
           山下 義信君
           阿竹齋次郎君
  國務大臣
   司 法 大 臣 鈴木 義男君
  政府委員
   司法事務官
   (刑事局長)  國宗  榮君
  公述人
           宮原 兎一君
           上田 觀平君
           向山 敏也君
           小野 俊夫君
           月田 澄江君
           松波 治郎君
           酒井 茂一君
           板垣 久敬君
           吉野  勝君
           大柴八重子君
          久保田きぬ子君
           野口 俊夫君
           齋藤  要君
           得田  耘君
           藤澤 廣男君
           横田 和男君
           阿部よしの君
           千葉  博君
           阿部文二郎君
           出口 敏夫君
ソース: 国立国会図書館
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