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1947/10/09 第1回国会 参議院 参議院会議録情報 第001回国会 司法委員会 第33号
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1947/10/09 第1回国会 参議院

参議院会議録情報 第001回国会 司法委員会 第33号

#1
第001回国会 司法委員会 第33号
  付託事件
○刑法の一部を改正する法律案(内閣
 提出、衆議院送付)
○岐阜地方裁判所多治見支部を設置す
 ることに關する請願(第十一號)
○帶廣地方裁判所設置に關する陳情
 (第四十九號)
○刑事訴訟法を改正する等に關する陳
 情(第六十號)
○民法の一部を改正する法律案(内閣
 送付)
○家事審判法案(内閣提出、衆議院送
 付)
○函館市に札幌高等檢察廳支部設置に
 關する陳情(第百四十號)
○法曹一元制度の實現に關する陳情
 (第百四十五號)
○農業資産相續特例法案(内閣提出)
○經濟査察官の臨檢檢査等に關する法
 律案(内閣送付)
○裁判官彈劾法案(衆議院提出)
○裁判所法の一部を改正する等の法律
 案(内閣提出、衆議院送付)
○札幌高等裁判所並びに高等檢察廳帶
 廣支部設置に關する陳情(第三百二
 十四號)
○最高裁判所裁判官國民審査法案(衆
 議院提出)
○廣島高等裁判所岡山支部設置に關す
 る請願(第二百八十一號)
  ―――――――――――――
昭和二十二年十月九日(木曜日)
   午後三時五分開會
  ―――――――――――――
  本日の會議に付した事件
○刑法の一部を改正する法律案
  ―――――――――――――
#2
○委員長(伊藤修君) これより委員會を開會いたします。本日は、刑法の一部を改正する法律案を議題に供します。前囘に引續きまして、本日はこれに對するところの討論に入りたいと存じます。討論につきましては、各自贊成、不贊成を明らかにして御意見をお述べ願いたいと存じます。
 討論に入る前に、昨日委員長より政府に確かめておきましたところの、本案施行に對するところの費用の點について、政府委員から發言せられます。
#3
○政府委員(國宗榮君) 本改正法律施行のためには、その周知徹底と運用の萬全を期するために、實務家の會同を開催し、或いは解説書を配付するなどの經費といたしまして、約三十一萬五千圓を必要とすると考えております。併しながら、これらは概ね既定の豫算を以て賄い得る見込と存じております。一言申上げておきます。
#4
○委員長(伊藤修君) それではこれより討論に入ります。
#5
○小川友三君 百八十三條につきましては、本員は男女兩罰論を主張するものであります。この罰し方は、體刑を科せずに罰金刑を以て臨む。但し賣淫行爲により金銭或いは物品を收受した場合は罰せずという條項につきまして、原案修正を主張するものであります。
#6
○委員長(伊藤修君) 松村君。
#7
○松村眞一郎君 私は原案に對しまして、修正意見を持つておるものであります。それは原案には、第百八十三條削除とありますが、それを修正いたしたいというのであります。文句を讀みます。
 第百八十三條削除とあるのを次のように改める。
  第百八十三條第一項中「有夫ノ婦」を「配偶者アル者」に、「二年以下の懲役」を「三月以下ノ懲役又ハ五千圓以下ノ罰金」に、同條第二項中「前項」を「第一項」に、「本夫」を「配偶者」に改め、同條第一項の次に次の一項を加える。前項ノ罰ヲ犯シタル者ハ情状ニ因リ其刑ヲ免除スルコトヲ得
 こういうように修正をいたしたいと考えるのであります。
 大體私の考えておりますことの概要を申述べたいと存じます。
 この問題は、公聽會でもいろいろ論議がありましたので、専門家の學識經驗のある方々の御説明を承り、國民一般の聲も公聽會において伺つたのであります。從いまして内容が非常に豐富にあります。一々それに對しまする私の意見を述べるのも非常に煩わしいと思いますが、大體纒めてそれに對して意見を述べてみたいと思います。
 第一は、初めから大きな問題を揚げての御意見でありましたが、それは憲法で戰爭を放棄するということまでいたしたのであるから、姦通罪というような問題についても、その線に副うような意味において革新的な考慮を拂わなければならんじやないか、こういうような意味の意見があつたのであります。それは結局姦通罪とい問題について思い切つた考えをしなければならないではないかという意味と私は了解いたします。烈らば戰爭放棄はどういうような工合にそれを釣合いを取るようにするのかということを私は先に考をて見ましたが、どうも方法として甚だ明瞭を缺くのであります。憲法において戰爭を放棄したというのはどういうことを言うておるかというと、戰爭というものは非常に惡いものであるということを先ず規定しております。そういうことを述べております。そうしてその次に戰爭を放棄するのであるということを述べて、然る後今度は刑法の方において戰爭行爲を放棄したけれども、それに違反して戰爭行爲をなすようなことに援助する者があつたならば、努力する者があつたならば、それは處罰するということが今度の改正案の中に入つておる。それならば、姦通の方についてはどういうことになりますか。姦通を放棄するのであるということを天下に宣言しようとするならば、姦通を放棄するのであるということをこのどこかに宣言しなければならない。宣言するということは、姦通行爲を放棄する、こういうことになる。姦通行爲を放棄するという裏に、それは姦通行爲をしたならば罰するという規定が要るわけで、それに姦通罪を處罰する、こういうことになる。戰爭を放棄した、そうして戰爭を誘發した者は處罰する。こういうのでありますから、姦通行爲を放棄した。然らば姦通行爲をする者に對して、姦通する者は處罰する。これは結局戰爭放棄の論理で行けば、姦通というものの行爲をやつた者は處罰するということの規定を置かなければならん。こういうふうに私は結論がなると思います。
 その次には、どうも刑法の關係からいうと、姦通罪といものは將來日本の罪刑法の中からなくなるのが當然であるというような前提の議論から出發しておるようであります。そこで今日姦通罪を廢止するのは尚早であるというような議論がある。尚早ということになる議論があるならば、今やつてもいいじやないかという者があるわけであります。その前提は凡そ姦通罪というものは世界の刑法から影を没するのが當然であるという前提から出發しておる。その前提がなければならん。
 今果してどこの國がやつておりましようか。今日文明國において姦通罪がない國というのはロシヤとイギリスであります。
 イギリスについて考えて見ますると、イギリスは宗教が非常に盛んな國でありますから、そのキリスト教の信念から、神の合せたところの婚姻は破つちやいけないということが原則になつておるわけであります。どうしても離婚は許さない。こういうことになる。離婚を許さないということが鐵則であります。だから姦通ということは行われない。離婚というものについてどうしたらよいかという處理がむつかしい。婚姻そのものが意思によつて起つておるものだから、姦通とか離婚という問題は宗教の方に廻すという意味において、私は宗教裁判でこれが取扱われるべきものであると考えます。
 その次はロシヤであります。ロシヤはどうであるかというと、これは新らしい國でありまして、いろいろな關係から新らしい試みをされておる國であると思います。それではロシヤはどういう國かと申しますと、これはキリスト教國であります。私はロシヤを自分で實見したのでありますが、それを申上げますというと、私のモスコーにおつたのは、これはトロツキーとスターリンの爭いの時代であります。その際に宗教は阿片であるというような思想があつて、そうして政教分離ということをやかましく言つておつた。併しながら國民全體は非常にキリスト教を信じております。そうして全體にキリスト教の信仰が浸潤しておるのであります。復活祭について申しますと、その日は、夕方から翌朝にかけて祭をする。私は私と同行いたしました事務官と一緒に殆ど十以上の教會を巡禮して視察した。非常に熱烈なものであります。ところが或る意味において申しますと、ロシヤはキリスト教一色として、一つの色に染られているものであると私は信じます。そうして事實一夫一婦制というものが行われておる。それで法律の方ではともかく犯罪にしておりませんけれども、事實一夫一婦制ということが行われておる。その點についてはあとから詳しく申上げます。事情が違うのであります。
 そうしますと、世界の文明國というものは、宗教の方からであるか、法律の方であるか、とにかく姦通罪というものを罪惡と認めているのは明瞭であります。
 ところが、日本ではそういう状態でない。世界はどうかというと、大多數の國は姦通罪は有罪です。いつそれが無罪になるのでありますか、無罪になるということが決まつておれば、戰爭放棄をやつたのであるから、先廻りして、率先して姦通罪を廢しようじやないかという、第一その前提が甚だ薄弱でありますから、そういう説は取るに足らんと思います。
 それからこんなようなことがあります。その子供には罪がないのであるが、罪の子になるということは氣の毒であるから、姦通罪は廢したらよかろう、そういう議論があります。それは初めから姦通をしなければいいのですから、本當に親が子供を愛するならば罪な子供ができないように初めから姦通しなければいい。その方が前提です。
 その方からいろいろの御議論がありますけれども、要するにそういつたような感情的と申しますか、そういう問題について一々私が申述べるのはどうかと思いますが、尚こういう問題があります。私は男女平等だということは、法律の上から申し得ますけれども、何としても生理上男女は違つておる。これによつて適當に法律の規定をすることが、眞の平等であると私は考える。それは一つの例を申しますというと、婦人には妊娠ということがある。ところが男には妊娠ということはありませんから、そこは姦通罪の現象としてこういうことになります。夫あるところの妻が姦通をしますというと、必ず懷胎をするという虞れがあるということを斷定しなければいかん。ところが妻のある夫が姦通した場合は、相手方は未婚の人もあります。それから結婚した人もあります。そうすると未婚の人の場合と、結婚した人の場合と違うということをいわなければならん。なぜかというと、妻の場合は必ず婚姻契約に決まつたところの血統の子供ができるべき運命を持つておるのを、他の男と姦通すれば、その男が單身の者であろうが、配偶者を持つておる者であろうが、同じ結果を婦人に起しますけれども、男の場合は先に申したように違います。そんなことがありますから墮胎罪というのがある。墮胎罪は女の犯罪である。そういうことを考えましたならば、女と男というものを同じように見なければならんという出發點は餘程考慮を要すると思います。何故かというと、こういうことを申上げられます。從來妻の姦通の場合は、子供を生まないことを豫定としておりましよう。ところが日本の男が妾を置くという場合には、子供を儲けることを目的にしておるということが事實であります。親の血統を絶やさぬがために、子供を儲けんがために妾を置く。當然妻の場合と違います。
 そういう場合がありますから、いろいろ考えて適當な立法をしなければならんと思います。その意味は刑の盛り方において融通の效くような廣い範圍の規定をするということにおいてこれは救われると思います。私の案はあとで説明する意味において、そういう用意をして提出したのであります。
 それから、こういうことも考えなければならんと思います。男女平等にすればいいのであるから、兩方とも無罪にしても、兩方とも有罪にしてもどつちでもいいじやないか。これは大變な議論の間違いであると思います。一つが正しければ一つが間違いである、そう輕く取扱うべき問題でないと思います。有罪が正しければ、これは無罪が惡いのであります。どつちでもいいという輕い問題でないということを眞劍に考えざるを得ない。
 そこで新憲法は權利義務を非常に強く認識せよということを要望しておる。今日どういう状態であるかと申しますと、妻が姦通をすることがないという意味において貞操の義務を持つておるわけです。それから相姦者たる第三者、それは人の妻を犯しちやいかんという義務を持つております。それから今度夫の方は自己の權利を侵害をされたというので賠償請求權を持つております。この状態が今日の状態であります。それを私の主張するのには、妻にも告訴權を持たせよう。民法上の請求權を持たせよう。そうして夫にも貞操義務を持たせよう。第三者たる女性にも貞操義務を持たせよう。こういうことを言うのでありますから積極平等を主張するのであります。若し姦通罪を無罪にしたなれば消極平等であつて、何人も權利を有せず、義務を有せないという消極平等になるわけであつて、今まで持つておつたところの權利義務がなくなつてしまう。大變なことであります。ところが、私の要求するのは、積極的平等にしなければならんというのであつて、從來持つておる權利義務はそのまま守る。その上に女にも權利を與える。男にも義務を負わせる。尚第三者たる女にも義務を有せしめるというようにして、男女等しく權利を有し義務を負うということの積極的平等でありますから、全然本質は異にしております。
 これを前提といたしましていろいろ項目を分けて申述べたいと存じます。
 第一は婚姻というものが從來は因襲的に行われておつたことがあります。そういうような因襲婚姻であつて、どうも本心で結婚が行われておらなかつたから姦通の行われるという事實があるのは止むを得ないじやないかというような、公聽會でもそういう説があつた。それは舊憲法時代の話であります。新憲法は自由結婚の成立することを初めから要望しておるのであります。男女兩性の合意のみに基いて成立する結婚を要望しておるのでありますから、そういう結婚の下には從來の因襲的の結婚から生ずる姦淫というものを議論にする必要はない。そういう問題は私は考えなくてよろしいと思います。公聽會の中にもそういうことはあつた。そこで婚姻はそういうことに今日以後はなりますから、因襲婚姻に基く姦通というものを何とか大目に考えなければならんというような事情のないことを前提とするのみならず、今後因襲的結婚をする者があつたなれば、それこそ憲法の要望に違反しておるのであります。憲法が要望しておるのであるから、兩性の合意のみによる婚姻をなすような工合に行かなければならんのであつて、その第一歩を誤まつた場合において、今度はそれを姦通で自分の慰めを得ようということは二重の罪惡を重ねるということになりますから、そういうことは今後心配する必要はないということになるのであります。
 そうして婚姻によりまして夫婦は協力をして社會公共のために働くのであります。そうしてこの婚姻の届出によりまして公認せられたる、それから制約せられたる血統の生殖によりまして民族の存續繁榮が行われるのであります。それでありますから婚姻は國民生活、國家秩序の基礎であると私は考えます。この制約せられたる血統ということは、これは證人訊問のときに安藤博士の述べた言葉を私はここに使つたのであります。民法で届出をする、それによつて公に認められる、そうしてこの男女の間に婚姻が結ばれて子供が生まれるということに、制約された血統が定まつて、こういうようなことが基礎になつて國家が繁榮し、國家の秩序がそれでできる。
 そこで妻の姦通は性慾のためであります。生殖を欲しないのであります。若し妊娠となれば、今申上げました公認制約の血統を紊るのであります。夫婦間に子供があれば、その子の教育、名譽を害することは當然であります。相姦者も又妻を持つておつたときのことを考えたら、これはいわゆるダブル・アダルタリーということになりますれば、二つの家庭に亙りまして害惡が生ずるのであります。こういう場合において姦婦と本夫と相姦者と三人だけの問題ではありません。社會風教を害することは明瞭であります。
 民法が不貞行爲を姦婦と本夫との間の離婚原因としております。今度の改正の民法にはそう書いております。不貞行爲のあつたときには離婚原因にする。ところが、離婚原因にする理由はどこにあるか。それはそういう姦通が行われるような場合においては、夫婦の間に愛がなくなつておる、和合がなくなつておる、だから離婚原因にする。こういうわけであつて、決して罪惡観から來ておるのじやない。それは夫が姦通罪でない他の犯罪を犯しても、妻の方で我慢をしておればちよつとも結婚は破れませんので、なぜ姦通のときに離婚の原因になつたかといえば、すでに愛が缺乏しておる、和合が缺乏しておるからである。それは民法の關係であつて、その不貞行爲が罪惡なりや否やということはこれは刑法が定める、これは刑法の責任です。
 第二に、相姦者の侵害行爲のことを考えます。夫婦關係の外から侵害するところの相姦者の破壊行爲、それを考えなければならんというのが私の要點であります。妻の姦通というのは、内から妻が貞操の裏切り行爲があるわけです。それは契約違反的の行爲と申してよろしい。外から犯す行爲はこれは不法行爲であります。全然本筋が違う。
 そこで宗教上の姦淫罪について考えて見ます。宗教上の姦淫罪には、色情を懐きて女を見るとき姦淫したるなりというキリストの言葉があります。佛教の戒律にパーラーヂカー(邪淫戒)ということがあります。これによりますれば、むしろ單に男性が女性一般に對して、况んや人妻に對しては勿論のことであります、不浄の想いを懸けてはならいという戒めであります。それはすべて相姦者の側から見ておる、外から犯す人間を戒めておる言葉であります。それから萬葉集の巻一、ひつぎのみこのみ歌に
  「人妻ゆゑに吾戀ひめやも」
という言葉もあります。これもやはり外から人妻故というところの思いを述べておる。併しながら精神的な戀というものと肉慾的な姦通というものは全然區別しなければなりません。ともかくも妻の姦通罪というものは外から犯すところの相姦者たる男性の婚姻破壞、ドイツではエーヘ・プルフといつております。これが侵害行爲であつて それが不法行爲であります。これい重點を置かなければなりません。
 第三に、對世權侵害と風俗を害する罪、こういうことで申述べて見たいと思います。それは只今申しましたことを法律學的に説明するとどういうことになるかと申しますと、婚姻は契約であります。併し婚姻成立によりて生ずる貞操義務は法律上當然の相互義務即ち相互權利であります。この相互關係は第三者の介入を排除する絶對權であります。即ち對世權であります。刑法は物權とか身體權とかの對世權侵害を犯罪としておるのであります。それでありますから、第三者たる姦通相姦者の侵害は對世權の侵害でありまして、民法上でも不法行爲の性質であります。これを罪刑法から申しましたなれば、社會風俗を侵害するのであります。だからこれを風俗を害する罪として規定するのが當然である。それ場合には侵害者は男性たると女性たるとを問わず男女平等に罪と考えることが眞の一夫一婦制であります。
 そこで昭和二年の刑法改正豫備草案というものを見ましても、昭和十五年刑法改正假案におきましても、姦通罪を姦淫罪から區別して定めております。現行刑法は姦淫罪の中に姦通罪を入れておる。ところが今申しました昭和二年の案も昭和十五年の案も姦淫罪から分離しておる。姦通罪は風俗を害する罪として定めております。これは適當なことであります。今申しましたような工合に法律的根據に私は合するものと考えます。
 第四に、夫の貞操観というものと一夫一婦制ということについて述べて見たいと思います。今までは妻の姦通のことを申しました。ところが男の立場から考えなければならんと思います。これで多妻制度(ポリガミー)、多夫制度(ポリアンドリー)、これは現代の國家では國民生活の秩序として許されません。
 歐米諸國はキリスト教の一夫一婦制であります。ソ聯邦は姦通を犯罪としておりません。併し一夫一婦の國でキリスト教國であります。いかに國民一般にキリスト教の宗教信念が浸透しておるかということは、先程申しました復活祭パスハの場合に私自身が實見したことで十分御了解できると思います。
 英國はやはり一夫一婦の國であります。曾ては離婚は許されなかつたことは先程申した通りであります。コモン・ローでは姦通を犯罪としておりませんけれども、併しながらイギリスは政治と宗教の合體した國でありまして、宗教上は姦通を罪惡としておる。ロード・コークの述べておるところによりますれば、昔は姦通は法律上犯罪としておつた。コモン・ウエルスのときに男女平等有罪の成文規定があります。これはレストレーシヨンに時の行われなくなつたのであります。
 それから佛、獨、伊、スイス等の國、又北米合衆國の諸州は一般に一夫一婦制男女平等有罪制であります。
 ところが、アジアの囘教國、儒教國中華民國は一夫多妻制の國でありまして、中華民國は書經の堯典を見ますと、堯が二人の娘を舜に嫁せしめるという記事があります。これは一夫多妻制であります。禮記の曲禮には、天子に后あり、夫人、世婦、嬪、妻、妾あり、公侯は夫人、世婦、妻、妾ありとありまして、一夫多妻制であります。ところが今日の中華民國の刑法には、姦通を男女平等有罪としております。一夫一婦制を確立しておりまして、全然性道徳は革新をいたしております。
 取殘されておるのは日本だけであります。日本の古事記にある伊弉諾、伊弉册尊は一夫一婦制であります。ところがその後久しきに亙りまして儒教を道徳の基準として來た、そのために、一夫多妻制であります。殊に日本は男系の男子を相續人とする法規慣例がありましたから、一夫多妻制が段々行われておつたのであります。
 そこで刑法の沿革を調べて見ますというと、明治三年の新律綱領に五等親圖というものが掲れられております。一等親は夫、子。二等親は妻、妾。三等親は庶子とあります。これは明瞭に多妻制であります。又犯姦律には、凡そ和姦は各各杖七十、夫ある者は各各徒三年、夫ある者というのは妻と妾であります。又明治六年の改定律例の犯姦の規定第二百六十條には、凡そ和姦、夫ある者は各懲役一年、妾は一等を減ずとあり、一夫多妻制であります。又明治十三年の刑法即ち舊刑法では、妻の姦通罪の規定はありますけれども、妾の姦通罪の規定はありません。そこで明治四十年の刑法即ち現行刑法では、妻に對する夫の貞操義務を定めていない。妻だけは姦通罪があり、夫の貞操義務は法律上定めていない。義務はないのであります。これは法律上のことを申すのでありまして、道徳のことを言うのじやありません。大正天皇崩御のときに、米國の雑誌、カーレント・ヒストリーと思いますが、それに崩御せられた大正天皇は曾てなき一夫一婦の天皇であつたという記事がありました。私はそれを讀んだとき或る感に打たれました。
 新憲法に伴いまして、先ず皇室典範は改正せられました。皇位を繼がせられるのは嫡出に限ると定めたのであります。これは開闢以來の改正であります。皇室においても嫡出本位ということで純潔ということに力が入れられておる。これは議會を通つたのであります。衆議院、貴族院みなこの趣旨に贊成し私は皇室典範の贊成演説に、貴族院本會議においてその點については力を入れて申述べております。新憲法は民法、刑法の改正につきましては性道徳の革新一夫一婦制の確立を要望しておると思います。これはどうしたらいいかというと、刑法を改正しまして、姦通男女平等有罪制とする外に適切な方法はない。これが一番適切な方法であります。
 第五に、一夫一婦の根據について考えて見ましよう。ショペンハウエルの婦人論(イーバー・デイ・ワイバー)にこういうことを言つております。自然が男性を體格、理性等で女性よりも優れたものにしておるから一夫多妻となる、又それが正しいのであると言つております。併しながら今日の遺傳學の教えるところでは、男女の遺傳子は同數であります。遺傳現象に優性、劣性という正別はありますけれども、遺傳力は男女平等であります。男女は大體に於て同數でありますから、數を基礎とする民主主義の政治においては一夫一婦制が正しいと思います。
 第六に、罪と罰との意義と姦通罪存置の價値を考えて見たいと思います。
 罪と罰とを規定しておる法律を日本では刑法と言つております。何故それを罪法と言わないのかというのが私の疑問であります。フランスではコード、ペナル、ドイツではストラーフ・ゲゼツ、(刑法)と言います。併しながら元來罪を掲げて、罪の認識、反省によつて、實際は犯罪のないようになる、刑に處せられないというのが目的でありますから、私はむしろ英米のごとく罪法といつた方がいいと思う。クルミナル・ロー、クリミナル・コードと稱する方が適當と思う。尤もアメリカでもカリフオルニア州ではクリミナル・コード(刑法)という文字を使つておりますが、これは例外的と見ております。
 それからロシアでは罪「プレストウプレーニエ)と罰(ナカザーニエ)というものを規定する法典をウゴローヴヌイ・コーデクスと言つております。ウゴローヴヌイ・コーデスクというのは罪法ということであります。罪に對しましては社會防衞手段というものによつて罪を排斥することになつておる。そうして刑罰というものが社會防衞の一つの手段であるとしておる。
 ところが、先程申しました日本の刑法の假案とか豫備草案というものはこの思想を採り入れておつて、いろいろなことが書いてありますことは、これは皆さん御承知の通りであります。これは刑法の立て方としては、ロシアの刑法が一番進んでおると思います。日本の假案にもこういうのがあります。第十五章に百二十六條というのがありまして、これは假案でありますが、「保案處分ハ左ノ四種トシ裁判所之ヲ言渡ス、一監護處分、二矯正處分、三勞作處分、四豫防處分」、こういうことが書いてあります。これは全くロシアの刑法と形を大體同じくするようなものであります。これは餘程進歩した考え方であります。一々監護處分をする場合には監護所というものに入れる。それから矯正處分をするときには矯正所というものに入れる。勞作處分をするときには勞作所に入れる。豫防處分をするときには豫防所というものに入れるという工合に、非常に進んだことを日本の假案なり豫備草案に書いてございます。ですから私はロシアの刑法の立て方というものは參考になる價値があると思います
 そこで日本の大祓の祝詞にはどういうことが書いてあるかといいますと、「天津罪、國津罪」「祓ひ給ひ。清め給ふ」ということが書いてありますけれども、罰に處するということはありません。刑罰は過去の反社會性の不正行爲、それに對する糺彈制裁ということになると共に、將來起るところの不正行爲のないようにということ、それに對する威嚇的の力、鎭壓的な力、それから社會がこれからいろいろな犯罪などが起るということになる惡傾向を防止するという意味においての社會防衞手段、これはロシアの民法に書いてあることと同じであります。刑罰はやはり社會防衞手段であります。
 ところが、刑のみを見てはまだ足りないというのが私の議論である。更に刑法というものをみますと、その刑法に罪が書いてあるということだけを見て、刑の有無、輕重まで考えない。刑法の罰と書いてあるということだけを顧みて、反省警戒して、これを犯さないということが、私は犯罪の規定の道徳上の法として考えられる效果であると思います。それを姦通については考えなければならんというのが私の考え方であります。
 そういうわけでありますから、誤つて罪を犯しても、改悛すれば、刑罰は無用であります。だから現在の刑法でも刑の免除、執行猶豫などの制度のあるゆえんであります。凡そ國家秩序を破壊する作爲、不作爲は、罪として網羅して掲げるのが整つた罪刑法であります。罪刑法というものを作る以上は、罪というものを數えてそれを網羅するのが整つて刑法であります。かかる行爲は犯さない。こういうような工合に罪として掲げられておるが、かかる行爲は犯さない。たとい刑法では罪としない行爲があつても、罪惡感が非常に浸透しておつて反省するということが、道徳標準を高くする所以であり、それは私は歐洲のいろいろな深く考えた小説などにおいてそういうことを考えさせられます。例えば、僅かな罪に對する過大な刑罰の影響をユーゴーはレ・ミゼラブルで説いております。ジヤンバルジヤンにおいて説いております。いかに罪刑の關係について考えたかということを我々は考えさせられます。それからドストエフスキーの「罪と罰」(プレストプレーニエ・イ・ナカザーニエ)というものは、罪と罰との複雑深刻なる關係を書いております。それからトルストイの「復活」(ヴオスクレセーニエ)、これは罪惡の反省を教えております。こういうわけでありますから、以上の趣旨によりまして、刑法に姦通罪の規定を存置しなければならんと私は思います。
 それで、貞操について罪惡感を深刻にし、反省警戒することを私は願うのであります。そうして誤つて犯しても、刑罰は輕くする。情状によつては刑は免除するということにしなければならんということを主張するものであります。
 第七に、姦通罪廢止の社會的影響というものを考えてみたい。我が國の社會現象を直視しますときに、姦通行爲を刑法から取除いてしまつて解放してしまうという理由を私は發見することができません。憲法と異りまして、刑法は現下の實情に適切なる規定を必要とするところの、日常の現實法であると私は考えます。理想を掲げるものではありません。憲法は理想でもよろしい。併し必要に應じて改正すればいいだろうといつて輕率に規定することはよくありません。愼重に書くけれども、時の變遷によつて變える。これが刑法であります。一番初めに申上げましたごとく、戰爭の放棄とこれを一緒に考えるとか、將來はすつかり刑法はなくなつてしまうのだから一足飛びに刑法も止めてしまおうじやないか、というような議論をしたらこれは笑うでしよう。刑法というものがないことは人間の理想でしよう。併しながら現實は許しません。現實を見なければならないと私は思う。刑法を論ずる場合に、空のことを考えておつてはいけない。現實を見なければならん。これが私の要望するところであります。
 日本は從來一夫多妻制であつたことは、先程申上げた通りであります。漸く眞に一夫一婦制確立に到達せんとしておる大事なときであります。一方において妻の姦通は古から法律上の犯罪であります。今これを刑法から解放してしまう。これは法律的に見ますと放任行爲ということになる。刑法の學問をする者は有責不法の行爲、放任行爲、權利行爲と三つに分ける。今度は放任行爲になる。法律上の放任行爲である。そした場合に、日本の現状では世間にどういう影響があるかということを深く考えなければならん。これは私は政治家の責任であると考えます。輕率にやるべき問題ではない。若しこれが放任行爲になつたときにどういうことになるかというと、道徳上でも……、法律じやありませんよ、道徳上でも、姦通勝手次第になつたような感を一般社會に與える虞れがあります。なぜかと申しますと、法律の規定は同時に道徳規定として尊重されておるのでありますから、餘程これは考えなければならん。
 それからその次には宗教的制裁が日本にどのくらい行われておるかということを靜かに考えなければなりません。先程申上げましたごとく、英米のことを申上げますと、私共がアメリカにおつたときの經驗を申しましても、國會の開かれるときに儀式がある。それは祈祷で始まる。始終キリスト教というものと一致しております。政教は分離しておりますけれども、必ず神の信仰ということが伴なつておる。新教、舊教といろいろ派はありますけれども、一つのキリスト教というものに一致しておる、だから法律がなくても道徳で姦通のごときものは制裁することができます。
 併し日本はどうでありますか。宗教的制裁としても、一夫一婦制の貞操觀念が英米のごとく一般的に存するに至つておりません。例えば佛教で申しますと、僧侶の戒律、先程申しました邪淫戒というものは僧侶の書いたものであります。それは前述の通りでありますが、俗人の邪淫戒というものを字引などを引いて見ればすぐ分りますが、邪淫戒というのは夫又は妻妾でないものと淫事を行なつたはいけないというような戒めであるということが書いておる。すでに一夫多妻を佛教の字引それ自身が認めておるのであります。こういう状態であります。その上に、日本にはキリスト教もあればその他多くの宗教がありまして、性道徳に對する宗教的制裁というものは歸一しておりません。國民道徳はもう刑法を基礎にする外ありません。
 尚考えなければならん問題があります。それは敗戰後道徳低下、風紀弛緩を我々は憂えておるのであります。その今日に姦通罪を廃止するということは、國民の性道徳の低下を助長することになるのではないかということを私は非常に憂えるのであります。
 第八、男女平等有罪性と刑の量定と、いうことについて申上げて見たいと思います。現行刑法は妻の姦通行爲と相姦者の相姦行爲を犯罪とするが、私は夫の姦通行爲も、相姦者たる女性の相姦行爲も共に犯罪としようとすることを主張する者であります。而して刑罰は、現行規定は二年以下の懲役とありますが、これを三月以下の懲役又は五千圓以下の罰金に處せんとする者である。そうして「情状ニ因リ其刑ヲ免除スルコトヲ得」とするのであります。そうして親告罪といたします。そうして婚姻の解消又は離婚訴訟提起後たるべきことは刑事訴訟法第二百六十四條に規定してあります。それはやはり明文が存在するのでありますから、この姦通について列法上の親告をするときには婚姻がなくなつてしまつているわけです。それは前提條件です。これは現行の刑法には書いてありませんが、刑事訴訟法にはある。そこで姦通を縦容したるときは告訴することを得ざることとする。これも現行の通り。
 そこで罰金刑をなぜ選擇刑として加えたかということをお考えを願いたい。それは男と女は違います。いろいろ事情に即した差違を設けなければならん。そこで夫の姦通の場合には、どうも今までは妾を置くということが一つも犯罪でない。妾になるということも犯罪じやない。ですから今度は刑法がここに改まつて、性道徳の革新を叫ぶのであるというときに、それが直ぐ徹底するかどうかということも考えなければならん。そこで夫の姦通には、場合によつては事情もよく考えて、そうして從來はいろいろな因習もあるから、輕微なものがあるということも考えなければならん。それでありますから、罰金刑というものを入れるのであります。それじや罰金刑だけでいいじやないか、幾らか金を積めばよろしいというような人が出て來るから、そこにやはり懲役を附けておいて、そうして裁判官の方でよく事情を見て判断すべき筈であるから、それで罰金は二十圓から科することは一向差支えない。それは先程申しましたように、罪ということを認識することが大事である。非常に大切である。それのみならず、「刑ヲ免除スルコトヲ得」と書いてありますが、なぜこういうことを書いたか、これはむしろ妻に關して考えなければならん。何といつても妻の經濟力は十分でない。幾ら憲法で平等にしても、婦人にはそう男通りのことはできません。それでありますから、妻が配偶者から遺棄されるようなことがあつたり、その他いろいろな事情で夫婦が別居している。もう殆ど離れているというようなことがあります。それで夫が死んだかも知れないということがある。それはこういうことが公聽會の際にも事例として話された。夫がないものと思つて、新らしい男を聟に取つたが、今度は夫が歸つて來て、いろいろなむつかしいことでやかましくなつたということもあります。そんなようなことで、事實上夫婦關係が斷絶しておつたというような後に、いわゆる法律上の姦通というものを考えることも必要だと思います。そこで只今申上げましたような場合は、これは犯罪にはならんと思います。これは事實の認識がないから、夫が死んでしまつたと思つて、確信している。それはいろいろの場合があると思います。獨身の人と考えてやつたということもありますから、これはそのときの模樣で、刑の量刑の範圍を廣くして置けばよろしい。これは新らしい刑法では、刑の量定の範圍を廣くして、裁判官に適當な判決をして貰う。今度の改正法にはこういうことが澤山あります。この思想で私の案はできております。これは適當であると思います。そこで罰金刑は五千圓以下と決めておりますが、今度の改正の規定によりまして、五千圓以下の罰金は執行猶豫になる。それから刑の免除の言渡しをすると、その言渡しを二年經過するときは言渡しが效力を失うということになる。親告罪としたのは、これは男女の貞操觀の問題でありまして、自分の方が却つて姦通罪の適用によつて困るというような場合がありますから、貞操罪に對してこの點をはつきりした。これは現行法と變りありません。
 それで第九には、告訴の成行きがどういうことになるかということを考えて見ますと、離婚の訴えをすると、裁判所は一切の事情を斟酌して、婚姻の繼續を相當と認めるときは離婚の請求を却下するということが今度の民法の改正規定八百十三條の第三項にありますが、できるだけ婚姻の繼續を希望するという態度を裁判所がとるわけであります。それだから、結局姦通罪の告訴の事實が行われないで解決するだろうということも考えられるのであります。それから親告があつても檢察官は不起訴とすることができます。そこで檢察官、判事の介在によりまして、時の經過によつて、冷靜な事態に落ち著きますか、或いは公聽會で述べられておりました、執念深い變態心理的の告訴をする者があるから、そのために法律を規定する、姦通罪の規定を置く必要がないじやないかという御議論がありますが、そんなことで國家機關が愚弄されるということはありません。今申したように、冷靜になつて靜まるということ、國家議關はそんなことでどうこうされることはありません。それで恐喝などに濫用されることは防ぐことができます。それでありますから、法律が愚弄されるということはありません。ところが、よくこういうことを言う人がある。どうも姦通の問題は、折角骨を折つてやつて見たけれども、途中で取下げられる。それならそれで結構である。そのときまでの國家機關の介在というものは決して無駄でない。自分が關係したから、それをはつきり決めなければならんというようなことで裁判官が仕事をしているということは、これは採るべきことでない。裁判官が中に介在して、冷靜になつたときに任務は終つたものと私は考えております。
 第十に、個人の尊嚴と、刑法尊嚴ということについて考えて見ましよう。こういう議論があるわけです。姦通罪の規定というものは、個人の尊嚴を傷つける。そんな規定を置いたら個人を侮辱するものである。國民侮辱である。こういう議論が果して正しいか。そういう議論をしたならば、強姦罪とか、親殺しの罪とか、窃盜罪等もいかにするか。國民の尊嚴を害するであろう。國民がそういうことをやるものであるということ、そういうことがあるかも知れないということを書いてあるわけですから、それは個人尊嚴の問題でない。刑法そのものを否認するものである。先程申しましたように、刑法はどうしても存在をしなければならん。刑法そのものを否認するという議論は、法律論として成立たない。元來刑法というものは何かというと、個人の尊嚴を傷つける行爲を犯罪として刑法が掲げている。それが刑法である、それはむしろ目的である。それを書いたから、個人尊嚴を害するというようなことは、これは法律論でない、乃至は常識論でもありません。
 それから性道徳については、刑法の規定が勵行されない憾みがあるから、却つて刑法の尊嚴を害するという議論がある、折角書いた以上は勵行されなければならんじやないかということを申しますけれども、國民行爲の規律として一般的に遵守されれば、法の目的は達せられるのであります。それは先程來申しましたごとく、罪ということの認識を深刻にすることが要點であります。それでなければ國民は反省しない。我々がよくないということを考えるのは、我々が罪惡觀念が深刻であるからである。それだから、遵守されなくても、反省があればそれで法律の目的は達成できる、こう思います。
 第十に宗教と法律と道徳ということについて考えて見ましよう。簡單に私は考へます。完教道徳というのは何を戒めておるかというと、物慾、性慾、名譽慾を貧るのが罪惡であるということを戒めておる。そこで凡そ男女の存する以上、宗教上の姦淫罪、キリストの言われておるように、宗教上の姦淫罪というものは、これは人間社會からなくなるということはないでありましよう。併しながら貞操純潔を尊ぶ觀念は永久に人類が有すべきものであると考えます。それですから罪刑法律の中に姦通罪の規定を置いて、それは國民反省の道徳のものとして考えなければならんと思います。國民おのづからその法を超えない。醇風美俗、道義日本の確立を期せられんことを私は念願するのであります。
 これが私の大體の趣旨であります。
 その他いろいろなことを私は想像をせしめられるのであります。經過現象としてこういうことも私は想像しております。
 第一として經過現象、男女平等、無罪制となりまして、刑法上の姦通が公認行爲であつた場合にどうなるかということを考えて見ると、今度の民法が改正案の通り通りますというと、民法の第七百六十八條というものは削除されております。これは昔から姦通をした後にはその相姦者の間の結婚はいけないということは昔からの掟です。姦通をした後の結婚を禁ずる、姦後禁婚の掟というものはなくなつてしまう。それは私はなくなつてもいいか知れませんけれども、併し姦通罪がなくなつたという場合には、妻の姦通の相姦者は、妻の離婚後は適法に結婚することができるのです。私は姦通の反社會性というものがこれは薄弱になると思います。これは私は考えなければならんと思います。
 次に男女平等有罪制とする場合にどうなるかという問題ですが、これは從來妾を持つておつた男性がありましよう。それはやはり妻を持ちましよう。妾を持つ男性、妾となる女性、これはどういうふうになるだろう。これは私は極く簡單に無事に解決するのじやないかと思います。それは妻の縱容を、承認を得ればよろしい。恐らく私は日本の一夫一婦制になつておるというところは、そういうところで別に私は經過の歩みができておると思います。
 もう一つの問題は、民法で庶子の認知ということがある。これは私は民法の改正案のときにも質問したのでありますが、認知というのは一體何かということを考えますと、これは子供を生むために妾を置くということです。大體の目的は繼續して子供を生むということでありますから、その生れたということと、認知するということは、これは姦通を自白しておるものです。繼續姦通の自白であります。ところが、默つておればそれは犯罪であるから、それでは大變ですから、そこで認知するときには必ず妻と想談しましよう。それは民法の規定にもあります。認知の場合には妻と相談してやるのでありますから、相談するということは、これで妻の承認を得ております。法律上認知ということは姦通罪の自白であります。併しそれは民法自身は認知のときに夫婦相談しろという民法上の規定でありますから、妻の承認を受けるということで濟んでしまう。結局どうなるかというと、離婚もありません、告訴もありません、處罰もありません。併しながら妻の承認を得るということそれ自身が、貞操觀念が漸次私は強くなると思います。
 第二には實踐標準の向上ということを私は考えて見なければならんと思います。無罪制では法律上の道徳は低下します。法律上それはやつて惡いということにならないのですから、法律上も道徳上も低下します。有罪制とすれば高くなる所以です。なぜかといえば、今度は夫に責任を認めるのでありますから、今後は男女兩性の交際を自由にさせなければいけません。そうして婚姻は兩性の合意のみに基いて成立するようにしなければいけません。そうして一夫一婦制を確立するということが必要でありますから、結婚した後の問題です、結婚して一夫一婦制で固くお互いに協力して行こうじやないかということにどうしてもならなければなりません。そうするにはどうしても性道徳の實踐ということにならなければならん。刑法で姦通を放任して置きながら實踐行爲の高いことを期するということは無理である。法律も高めて行つて、實踐行爲も上げるということでなければならんと思います。
 それからこういうことがあると私は思います。姦通罪を無罪にするという場合のいろいろな議論の中に想像しなければならんのは、男女平等有罪制尚早という思想があると思います。今日は妾を置くことも自由である。妾になることも別段法律上惡いことじやない。ところが今度有罪になるということになりますと大變である。どうも妻の姦通はこのままにして置く方がよいように思う。併し夫が罰せられたり、妾になることが罰せられたら、これは大變ですから、現行のままにして置きたいんだが、どうも憲法の建前上いけない。一そのこと無罪にしてしまうという意味の無罪論があると思います。これはどこに濳在しておるかというと、これは男が罰せられ、妾になることが有罪になるということが尚早であるという思想です。まだ早いと、こう言うんです。その尚早論は、結局或る意味においていうと、當てずつぽという議論になる。道徳は低下します。そういう議論はいけない。そういう頭が濳在しておるということは、これは餘程考えなければならんと思います。
 又こういうことを申すのもあります。一體妻の姦通の場合に、夫に過失がある。夫の愛の缺乏である。夫に告訴權を認めるのもおかしいじやないかということもあります。併しそれは私は先程申しましたように妻の關係だけ考えます。夫と妻との間がしつくり行つていないからといつて、外から出掛けて來て女を唆かす、そういうときは男が合理的であるが、相姦者の侵害行爲というものはどうしても罪惡であるということを私は深く信ずるのであり、且つこれはどの方面から見ても、その惡いということは誰でも認めておる。罪惡であるということは誰でも認めておると思います。罪惡であるけれども、法律に書かない。どこで罪惡ということがはつきりいたしますか、そういうことを考えまして、姦通罪は男女平等の有罪にすべきものである。そうしてこれを取扱う場合においては、これの量定についで細心の注意を拂うべきものである。
 以上の趣旨を以ちまして修正案を提出したのであります。
#8
○委員長(伊藤修君) 只今松村委員より御提案になりました修正案に對しまして、先ずこの問題について、發言十分以内において御意見をお述べ願いたいと思います。順次その後に修正案が提出されましたら、それに對する個々の御意見を拜聽することにいたしたいと存じます。
#9
○松井道夫君 只今松村委員から修正案が提出せられまして、實に尊敬すべき該博なる御意見を拜聽できましたことは、本委員會が刑法の改正案を審議いたしまする上におきまして、ひたすら尊敬の念を深くする次第であります。併しながら結論から申しますと、この修正案に遺憾ながら賛同いたしかねますので、やはり政府の原案、衆議院の送付通り第百八十三條は削除さるべきものである、かように私考えるのであります。ここで、松村委員の御意見の個々に亙りまして、一々御反駁申上げる時間もなければ準備も力もございませんので、私極ぐ簡單に要點と存ぜせれるものを申上げて見たいと存ずるのであります。
 新憲法によりまして、個人の尊嚴、兩性の本質的平等という世界普遍の原理がここに鮮明されまして、我が日本の社會もその原理に則りまして、これから營々努力して參る、革新して參るという段階に到達いたしておるのであります。それで兩性の本質的平等という立場から、妻が罰せられるのであるから、夫も又罰せよという結論なのでございまするが、私はその反對に、夫は罰せられなかつたのであるからして、妻も又罰せられないというようにいたせ、かようなことに相成るのであります。凡そ男女關係と申しますものは、人と人との最も本來的な關係でありまして、これに對して臨むに刑罰を以てするということは、私はいかがかと存ずるのであります。道徳と法律といいますものはおのずからその持分、分野がございまして、殊に刑罰が極く控え目にいたさなければならないというのが、これが刑法の學者の言われるところであります。
 姦通という行爲がどうして起るのであるか。このことを考えて見まするに、これは松村委員も指摘せられましたように、經濟的原困にあり、又社會的原困があるのであります。一夫一婦制度と申しますものは、すでに日本の民法、刑法に取上げられておるのでありまして、今更それをとやかく言うべき筋合でないのは當然でありまして、その一夫一婦制度を鮮明いたしまするために、兩罰で行かなければならんということは、いささか思い過しではないかと私存ずるのであります。例えば今の配偶者のある者は重ねて婚姻をすることを得ない。又重婚の罪というのがありまして、これは日本といたしましては、明白にすでにずつと前から法律上大精神を示しておるのであります。併しながらその一夫一婦が時に守れない所以のものは、これは先程申しました社會的關係といいますのは、日本の結婚が從來の家族制度の關係から封建的ないろいろの制約によりまして、本人の意思でないのに結婚する。甚だしきは寫眞結婚とか或いは政略結婚といつたようなもので、人間を人間と見ていない、女性を女性と見ていないといつたような婚姻關係から、それが破綻に陷る。又その家庭の人々もすべて封建的の考えを持つておつて、嫁の人格を認めない。それは古陋の家風がございまして、その嫁がいかに立派な嫁でございましても、その古陋の家風に合わなければこれを虐待し、強いて追い出すようにする。その他いろいろの封建的遺風がございまして、その結婚が成立から最後に至りますまで、そういうものが附纒うのでございます。又經濟的にいいましても、今の女性というものが、これが社會全般から本質的平等に拘わらず、片手落に虐待されておつた關係から經濟的に惡まれませんで、これが經濟的の關係からいろいろ社會的の害惡を増し、つい先程まで賣笑というようなものが公認されておつたといつたような状態でございまして、かような女性の非常に社會的地位の低いということから、こういつた姦通というようなことも起きて參つておるのであります。又一昨年の四月頃の統計によりますれば、二十歳以上四十歳以下の青壯年の男女の數が、これは女が三百萬人程多いのでございます。その外におきましても、いろいろ封建的の關係でありまするとか、或いは外の關係によりまして、なかなかよい配偶に惠まれない、それも經濟的社會的の關係によつてよい配偶が求められない、性格が合わんということも勿論でございますが、そういつた契機からこの姦通というような忌わしいものが出て參るのでありまして、その人間と人間との根本的本來的の關係、これが止むに止まれずして、そういつた亂れた關係が出て參るのであります。にれに對しまして刑罰を以て臨むがごときは、人間性の尊重という點から申しまして甚しき非違と相成る場合が實に多々あると存ずるのであります。如何に机の上から考えまして制度維持をしなければいかんといいましても、大事なお孃さんが、結局お嫁にも行けない。これは嫁に行けないといいますことは、夫婦同士の家庭を作ることができないということは、要するに人間といたしまして死刑になつたと同じであります。法律で認めました正當の關係で子孫を作ることができない。一體自分の首を刎ねられ、子孫を作らない。こういつた本質的の、人間といたしまして生命と同じ本質的の關係から出て參る、そのお孃さんを一體どうするか、皆非常に弱つておるのでございますが、私は一夫一婦制度がいけないというのでは勿論ありません。堅持しなければいけませんが、そういう契機から姦通罪というものが出て參るものである。そういうものに對して刑罰を以て、人間の社會の作りました制度で一番苛酷でありますところの、止むを得ずして在置しておりますところの刑罰というものを以て、それを蹂躙いたすというようなことは、私共の考えからいたしますと、どうも飛んでもないことであるというように感ずるのであります。勿論甚だよからん關係から、そういう不倫行爲に及ぶこともございませう。ないとはいえません。恐らく道義が頽廢して參りますれば、そういうことも多いと存じまするが、併しながらその十人の中一人でも二人でも、今私が申しましたような關係がございますると、私から見ますれば、十人が八九人とも私が申します關係と存じますけれども、假に讓りまして一人、二人そういう關係の人がございますといたしましても、その刑罰を存置するといつたようなことは至當でないと私は存ずるのであります。
 時間も參りますので、簡單に結論をつけますが、要するにこれからの社會は、これからの女性、男性、若き男女は、人間といたしまして配偶者を求めまする上に、最善の用意を以ちまして、今までの封建的なあらゆる絆を絶ちまして、正しい結婚に入るということが、これが唯一の姦通等を避けまする方法でございます。それから經濟的にも人の厄介にならないだけの實力を少しづつでも作つて參る。これが今までは女性には教育もさせない、何もさせない、まあ洗濯でもしておればいいのだといつたような社會的の不平等がございましたので、今までの女性はそれができなかつたのでございましようけれども、憲法で認められましたところの個人の尊嚴、兩性の本質的の平等によりまして、自分の生命力を伸ばす上におきましては、遠慮することなく正しいと信ずるところを、どんどんお母さんなりお父なりに主張いたしまして、それから正しい教育も受け、上の教育も受け、經済力も持ち、正しい結婚、理想の結婚をいたす、これより外に姦通問題を解決する方法はないのでございます。
 私は法律家でございまするが、法律的見解をそれに附加えて申上げたいのでありまするが、これにつきましては、すでに公聽會で牧野先生或いは三宅先生等が蘊蓄を傾けられておりますから申す必要はございませんし、その他これは親子關係の確認だとか、その他姦通ということが、どういう惡い影響を女性の身體に及ぼすか、生理的の立場に立つたいろいろの見解、遺傳的の見解でございますとか、そういつたこともすでに古畑、安藤兩先生によりまして明白になつておると存ずるのでありまして、これ以上この問題について申上げる必要はないと存ずるのであります。
 これを以て遺憾ながら松村先生の修正案に贊同することを得ない理由といたします。
#10
○宮城タマヨ君 私は松村委員の修正案に贊成するものでございます。そうして是非男女兩罰にして、刑罰として存置したいという意見を持つております。
 法律論も宗教論も道徳論ももう盡き果てておりますのでございますが、實は私は家事調停裁判所やそれから警視廳の人事調停で取扱つておりますこの種類の問題について、數字の上で明らかにすることが一つの材料と思つて詳しく調べましたのでございますけれども、この數字は發表することを許されませんので非常に殘念でございますが、ぼんやり申しますと、家事調停裁判所においても警視廳の人事調停におきましても、この夫婦間のいざこざが因になつてすべての家庭問題、人事問題が起つておるかということは大したものなんでございます。それで結局男女お互い、男の人が、夫が貞操責任を持たないで、隨分今までの封建的家族制度の蔭に隠れましていかに不貞行爲をいたしておりますかということで、數字の上でも驚くのでございますが、實際私がいろいろ長年の間取扱つて參りました相談の問題につきましても、生活問題、それから就職問題、いろいろございますけれども、結局段々掘つて行つて見ますと、その因が家庭の不和、男女の貞操責任のないというところに歸一して來ることが隨分大きいということを感じております。殊に私が引受けております問題は、インテリ層だの、或いは上流の家庭と申しますか、とにかく高位高官であるといつたような家庭に、いかに忌わしい問題が澤山あるかということで私は驚いております。現在もこういう人たちから生れております子供たちを、蔭になつて隠れて、名前を出さずに預つてそれぞれ育てております子供は隨分澤山でございます。こういう子供たちの始末につきまして、實は私はずつと以前に、子供の一家創設という逃げ道があるということも、こういう問題から或る人に教えられたのでございますけれども、とにかく父の不名譽にもならず、母の籍をも汚さないで、そうして闇から闇に子供を葬むることができるという逃げ道のやり方があるので、そうして皆一家を創設させて子供を今育てておるのでございます。でございますから、私は高度の教育をし、高度の教養を積み、そうして相當な地位のある人ならこういうことはないだろうといつたら大間違いで、むしろ私は姦通罪が今まで、女にばかり科せられて、男は逃げ道があつたなということを知つて、その法律に明るいような人がどんな惡いことをしておつたかという事例から考えまして、この兩罰をなくするということは非常に問題だと思つております。
 昨日も私は九時半に東京驛に著きます急行で關西から歸つたのでございますが、熱海驛に著きましたときに、二等車から隨分澤山の人が降りて行く。そのときに私の側におりました割に若い人がこういうことを言いました。私が何者であるかその人は知らないと思つたのですけれども、「奥さん、あんなに澤山熱海に人が降りるのはどういうわけか知つておりますか。皆あの人たちは大阪や京都で松茸を澤山買いましたでしよう」。本當に何百人松茸を下げて、それこそぎつちりと思う程汽車の中の人が熱海に降りたのでございますが、「それは皆第二號のところに行くのですよ。家では奥さんが東京は食べ物は少いので困るだろうと、お辯當を澤山拵えて、お米も持たせて心配しながら寄越しておるのですけれども、その人たちは皆熱海で今晩どんな贅澤をするでしよう。困つた世の中ですね。」と言つて若い人が私に話をしましたときに、私一體世間に疎うございますから、成る程そういうことがあるか、そのために松茸を買い込んだのか知らんと思つて本當に昨夜のことですが驚いたのです。そういうことが實際私どもの周圍に餘りに澤山ございますために、私は本當をいうと、こういう忌わしい法律なんかもう無いことにしたいけれども、とてもこれは現段階において置きたいということでなしに、私はこの問題については、教育も私信頼しないのであります。ですから私は法律を置くよりももつと社會的の制裁があるならば、その方でうんとやつてやればよい。私の知つておる、それこそ名前を言つたら皆さん御存知のような、立派な社會的地位を持つておる奥さんが悶死しておる人があるのです。それは澤山子供を生まして、それを一々かばつて育てなければならないという、その苦勞に堪えないで、そうして悶死しておる。そういう種類の人も隨分あると思つておるのでございます。
 だから、私はこの姦通罪はいろいろ歴史的に調べて見ましたならば、いろいろ法律が昔から日本にも、外國にもあるのでございますけれども、實に痛快なのは、明治三年かに出しておりますもので、普通の女の人に對して手を付けました者は、丈夫な杖で七十程お尻を叩けと書いてある。夫のある女の人に對しては三年以下の懲役に入れるということを書いてあるのを見ましたときに、私は本當に惡いことをする人は、一年や二年の懲役に入れるなんというよりも、もつと日本橋のまん中につないで通る人が皆叩く、この罪はそれだけの罰に値する罪だと私は思つております。
 それでありますから私は殘念ながら今の段階でといわないで、私はこの點についての教育を信じませんから、殘念ですけれども、是非この修正案に對して法律として置いて頂きたいと思つております。私共夫婦はそれこそ男女間の私的な關係で結ばれておるので、それを公の問題にするということは、それは内々に片付けたらよいというような論も今まで出ておりましたけれども、併し夫婦が作つております家庭というものは、これはいわゆる國家社會の基礎になるものでございますから、この家庭を破壞するということは、結局は社會や國家を破壞するということになるので重大な問題だろうと思つております。
 殊に私は姦通によつて生れて出ますところの子供に代つて代辯したいと思うのでございますが、この姦通ということはすぐ子供が生まれる。そうしてその生まれて出ましたところの子供が、今度の民法では庶子だとか、私生子だとか、今まで附けられておりましたような、肩身の狹い名前は附かないにしましても、その子供たちが一生を通りまする中に、どんなに辛い思いをしながら虐げられて、そうして心細い生活をしなければならないか。それらの者の多い量の者が不良となり、或いは浮浪となつて、そうして罪の子とならなければならんような境遇を親が作り出すのでありますから、子供の立場からいつても、誠に由々しき問題だと思つております。それからこういう姦通によつていろいろ家庭がごたごたすることによつて、正しく生まれて出ました子供に非常な影響があると思つておりますのでございます。ですからどうしてもこれはそのできた子供の生まれません前に何とか強い赤信號を出す、そうして自制させる、殊にインテリ層で或いは有識有産の者で、何がどういうふうになつているということをよく知つております人たちに對しては、本當に私は赤信號が必要だろうと思つております。
 そうして丁度九月號の中央公論に團藤さんの出していらつしやいます論文の中に、東京を中心といたしまして、姦通罪に對して即ち輿論調査をなすつなものが出ておりましたのでありますが、これによつて見ますというと、平等に處罰するという強い見地に立つておりますものがプラスの二點とし、罪しないというものをマイナスの二點として輿論に對する調査の點數が擧げてございますが、皆様お讀みなにつた方もございますかと思いますが、それによりますというと、その結果を見ますと結局プラス、マイナスをしまして、プラスの方が男の方では一〇・五五、つまり處罰論の方が勝つております。それから女の方の輿論でも一〇・八四というだけプラスになつております。両方とも輿論としましては罰する方がいいということになつておりますが、面白いことには段々年齡が進みますにつれてプラスの方が多い結果になつておりましたようであります。私の所なんかにも地方から澤山の手紙が參りまして、どうしても今度の刑法ではこれを兩罰にして置いて欲しいという意味の手紙が、實に讀み切れない程毎日舞込んで來るのでございます。そういう意味からいうと勿論反對の意見を持つていらつしやる方の所にはきつと反對意見の主張の手紙が來ると思いますが、私なんか自分を中心に考えて見ますと、世の中の輿論としてはどうしてもこれは兩罰して置いて頂きたいということが強いのじやないかというような我田に水を引いてるのでございますけれども、私は是非とも子供のために、それから家庭や社會の純潔、秩序を保ちますために是非兩罰として置いて頂きたいという希望を持つております。
#11
○中村正雄君 姦通罪の廢止、兩罰につきましては、委員會なり公聽會で論議が盡されていると思いますので、直ちに採決に入つて頂きたいと思います。
   〔「贊成」と呼ぶものあり〕
   〔小川友三君 發言の許可を求む〕
#12
○委員長(伊藤修君) 反對論ですか、賛成論ですか。
#13
○小川友三君 私は原案修正意見であります。
#14
○委員長(伊藤修君) 別の修正意見ですか。
#15
○小川友三君 松村さんに關聯いてお許し願いたいと思います。
#16
○阿竹齋次郎君 小川さんの意見を伺つたらどうですか。
#17
○小川友三君 この問題にいたしまして、初めに松村案が出ておるものと見まして申上げたことでありまするからして、あれは取消しまして、改めて申上げます。松村委員の詳しい御説明を拜聽いたしまして成る程御尤もであると考えられますが、併し禁錮の刑に處すということに對しては私は絶對反對する者であります。
#18
○委員長(伊藤修君) 賛否の結論だけ願います。
#19
○小川友三君 體刑はなくして罰金刑位にするということに私は賛成するのでありまして、お母さんが懲役を喰いますれば、子供は懲役に行つた子供として笑われ、一生末代笑われる。そういう理由から反對いたします。法律上詳しくいろいろ法律を作りたいならばここまでやる、例えていうならば、未亡人が浮氣をする、これを處罰をするというところまで法律が行かなければならんと思いますが、未亡人で浮氣をしておる者は相當ある。併しそういう法律はないのでありまして、併しこの姦通罪に對しまして體刑は絶對反對であります。
#20
○齋武雄君 私は松村さんの修正案に賛成する者であります。
 いろいろな理由がありますが、憲法上から一つの理由を申上げて見たいと思います。憲法二十四條に「婚姻は、兩性の合意のみに基いて成立し、夫婦が同等の權利を有することを基本として、相互の協力により維持されなれけばならない。」、憲法は夫婦間の相互の協力ということを高く強調しております。姦通行爲は夫婦間の相互間の協力を破るものであります。これを破る者に對して刑法が刑罰を掲げることは當然ではないか、こういうふうに考えておるのであります。その他これは個人のみに關する問題に限られるか。公の秩序、善良の風俗に反する行爲であつて、法益を害する點が大きいとかいうことについてはいろいろ意見がありますが、時間が長くなりますからただ簡單に憲法の精神を擁護する上からも兩罰の規定が必要である、こういう意見を申上げます。
#21
○鈴木安孝君 私は松村さんの修正案に反對であります。
 一點男女兩性の問題は法律によつて制裁を加えるということは餘り好ましくない。道徳的に制裁をすべきものでありまして、若しこの法律が男女兩方とも罰するということになりますれば、却つて家庭の和合を缺くことが多いと思います。
 更に從來の例を見ましてもこの姦通罪がありますために多くはこれを惡用して恐喝等の材料にしております。第一審で有罪になりまして、第二審になると取下げておる。それは不當に金錢の要求をして、その目的を達するから取下げるのであります。裁判所に手數を掛けまして取下げるということで、それを恐れてこの犯罪をないようにするという意味じやありません。要するにこの法律を利用して恐喝というような罪を犯す者が多い。そうして一家の平和というものは却つてこの法律のために破られるのでありまして、私はやはり原案の通りで修正案に反對いたします。
#22
○來馬琢道君 松村さんの修正案に賛成いたします。
 松村委員から述べられたことですべての理由は盡きておる。私は只今の日本においての姦通罪を存置するという理由を述べる點においては法理的に殆ど盡きておるものと考えます。
 ただ私共は、法律的でなくても、法律をバツクに置いて人間をして正しい生活をなさしめようとする目的で以て働いておるものでありますから、今日本の國がすでに道義の頽廢ということが言われておりますのは、戰爭に敗けてしまつて、日本の國は何もかも滅茶滅茶になつてしまつたのである。若し闇行爲というようなことをやつても取締られるべき筋がないので、取締つておるのが間違いである。依つて片山内閣を倒せというような議論を平氣で唱えておる人が相當あります。
 私は浅草といういろいろな人の集つておる町に住んでおりますために、自分たちの選擧について運動して呉れたような人と話をすることがしばしばでありますが、そういう人々の話でも、今言つたような實に道徳を無視した論法で得意になつておるのが決して少くないのであります。先達つて公聽會において、新聞紙の書き方が正しかつたのか正しくないかは知りませんけれども、四對六であつたそうだなんというようなことで、もう簡單に姦通罪なんというものはどうでもいいのだというような見方をしておる人も相當にあります。
 從來の日本の刑法は、夫に向つては制裁を加えないで、妻に向つてのみ制裁を加えておりました。これは家という觀念を尊重していたからこれでよろしかつたのでありますが、今や家という觀念がなくなつて見ると、兩罪ということにするのが、世道人心を指導して行く上におきまして、日本の新らしい道徳觀を作つて行く上に多大の利益があるものと信じます、先達つても公聽會のときに船員の話が出ましたが、私は日立鑛山に行つて視察をしたときの感想に、夜の十時頃から入つて行く工夫諸君の氣持というものはなかなか苦しいものがあるということを聞きましてはつと思つたことがあります。かような法律が、今までありましたものがなくなつてしまうということは理想ではありましようけれども、日本はこの戰敗のためにかような法律を廢してしまつて、道義的にたがが緩んだものであるというような考えを諸外國にも與えるかと思います。
 私はスエズ運河の邊に二週間ばかり滯在したことがあります。あの邊の人人の生活の樣子を見たり聞いたりしたこともあり、又支那の各地において西洋人の働いておりますところに行つてその生活の樣子を見たり、インド、ジヤバ等においても見て參りましたが、東洋に來ますと、西洋人の考え方は餘程ルーズになつておることを認めざるを得なかつたのであります。東洋におきましては、一夫多妻ということは罪惡のごとくに思われていないと思つておるのであります。この際日本が一夫一婦ということを高く旗印を換げまして、更に夫妻共に姦通に對しては罪するというこの考えを以て新らしい刑法を編成しつつあるということが世界各國に傳えられますならば、中華民國はすでにそういうことを發表したそうでありますが、その實行力については私共はまだ信用いたしません。他の各國における一夫多妻の状況から考えて見て、日本がこの點において先驅者となるべき一つの大きな運動であると思います。東洋民族の權威を高める一大契機になるものと信ずるのであります。
 このような法律があつたところが、それが效がないという議論もしばしば聞かれることでありますが、丁度少年禁酒法、少年禁煙法というようなものがあつても、一向行われておらないじやないかという議論をする人々の考え方と同じでありまして、やはり日本の少年は煙草を喫むものではない、酒を飮むものではないということを、この少年禁酒法、少年禁煙法によつて宣言しておるために、親は不良な少年を叱ります上に、この法律のことを話して聞かせますと、成る程國家はそういうことを要求しておるのかということを反省して、これによつて大いに自己の今までの過失を詑びてこれを改める者もあります。佛教の戒法のことが先程松村委員から出まして、性慾の問題につきましては佛教は少しくルーズであるというようなことを言われましたが、酒に對しましては東洋各國における佛教徒は皆酒を飮まないのでありますが、日本の僧侶は餘程以前から酒を飮んでおるのであります。私共も現にその酒を飮むことにはなれております。印度へ行きまして、殊にセイロンの佛教徒と會つたとき、ふとこのことを感じまして、佛教には酒を飮んではならんという戒法があるということを深く深く頭に刻み込んだために、戻つて參りましてから禁酒を斷行することになり、又多數の人々にもそれを奬めるような確信を得て來ました。形式的の戒法のごとくであつても必ずその中には反省するものがあるのであります。
 この刑法に多少の改正を加えても、ここに存置せられることによりまして、日本國民の品位は一面においては少くともこの一世紀ぐらいはこの法律によつて高められることであり、又實質的にも必ず善導せらるることがあることを信じます。尚早という言葉は松村委員において否認されたようでありますが、私は否認という程ではありませんが、確かに半世紀か一世紀はこの法律この條文を存置することが國家のために利益なりと信じてこの案を贊成いたします。
#23
○阿竹齋次郎君 贊成論が出ましたが、私は反對いたします。御熱心なる修正論に對しまして敬意を表しますが、同意はいたしません。姦通罪のごときものは道徳的批判に俟ちたいと思います。姦通は兩者に勿論落度があると思います。從つて原案に贊成いたします。現階段において尚早だと思いますが、時勢を進歩させるために斷行してよろしい、姦通罪をなくしたいと思います。
#24
○委員長(伊藤修君) 本問題につきましては討論は盡きたものと存じます。採決は後に一括していたしますが、次に修正の通告がありますから……鬼丸君。
#25
○鬼丸義齊君 私の修正案は百九十五條の第一項中「三年以下」を「七年以下」に改めるとありまするのを次のように改める。「暴行」の下に「若クハ脅迫」の五字を加えまして、「三年以下」を「七年以下」に改める。
 その理由極めて簡單に申上げます。憲法が改正されまして基本的人權が尊重されることとなりまして、それがために百九十五條の涜職の罪に對しましては、政府は「三年以下」とありまするものを「七年以下」に加重いたしております。涜職が及ぼしまする惡影響につきましては今更多くを申上げまするまでもなく御承知の通りでありまするので、從來この裁判、檢察、警察の事務に當りまする者が暴行ばかりでなく、むしろ暴行よりも遙かに優るべき脅迫というようなことをいたしますることによつて、被告人その他の者に對しまして不實の陳述をなさしめることによつて著しく人權を害しておりますることも、この際事新らしく申上げまするまでもないと思います。すでに現行刑法におきまして、この暴行の次に脅迫を落しましたのは、先般も刑事局長より御説明のありましたごとくに、泉二博士の「凌虐」というものの中に多分にこの「脅迫」の意味を含んでおるという解釋からいたしまして「脅迫」というものが落ちておつたのであります。これがために從來暴行に優りますること遙かなるものがありまするがごとき弊害が滔々として行われておつたのであります。この際憲法が改正されまして、基本的人權の尊重というこの機會におきましては、獨り刑を加重いたしますることばかりでなく、當然この暴行に優るとも劣らざる不正行爲の「脅迫」というものを加えることが適當であるということを信じまするために、この修正案を提出した次第であります。何率御贊成を願いたいと思います。
#26
○齋武雄君 私は只今の鬼丸委員の修正案に贊成するものであります。
 理由は簡單であります。刑事訴訟法には被告人に對しても丁寧親切に施行しろということになつております。基本的人權が尊重される今日、脅迫によつて職權を濫用するというのは取上げられて然るべきであります。そういう意味において私は贊成であります。
#27
○委員長(伊藤修君) 本問題に對しまして他に御意見はないようてありますから、次に發言の通告のあります松井議員の發言を許可いたします。
#28
○松井道夫君 私も修正案を提出いたしたいと存じます。印刷が遅れまして間に合いませんでしたので、ここで申上げますからお聽き取り願います。
 第二十六條に次の一項を加える。「猶豫の期間内更ニ罪ヲ犯シ罰金ニ處セラレタルトキハ罰金ノ執行猶豫ノ言渡ヲ取消スコトヲ得」、衆議院の送付案と違いますことは「罰金」という二字が「執行猶豫ノ言渡ヲ取消スコトヲ得」という上に加つただけでございます。
 簡單に提案の理由を申上げます。政府の原案によりますと、猶豫の期間内に、更に罪を犯して罰金に處せられましたときには、罰金の執行猶豫のみならず、禁錮、懲役についての執行猶豫まで取消され得ることになつておるのであります。ところが現行法によりますと、御承知の通り罰金の執行猶豫という制度はございません。その關係もございますが、禁錮、懲役について執行猶豫の言渡しを受けておりまして、その猶豫期間内に罰金に處せられたということがございましても、その禁錮、懲役の執行猶豫が取消されるということはないのでございます。ところが先程申しましたように、今度の原案で禁錮、懲役の執行猶豫も取消され得ることになりますことは、從來より比べまして國民の不利益に歸する、さように考えるのであります。要するに現行法では、罰金では禁錮、懲役の執行猶豫は取消されないという既得權を持つておるようなものなんでありますが、今度の政府原案ではその既得權を奪うという形になつておるのであります。それでそれが不都合と考えまするので、罰金のときは罰金の執行猶豫だけ取消されることにいたしたい。こういうわけであります。
 次に、今度罰金の執行猶豫が附けて頂けるということに原案はなつておりまして、頗るこれは結構なことで、双手を擧げて大贊成なんでございますが、その金額が五千圓以下ということになつて、五千圓を超ゆる場合には執行猶豫を附けて貰えないことになつておるのであります。だから國民は今の五千圓以下という罰金でありますと、執行猶豫を附けて貰えるという權利があるということでございますが、それと今の既得權との比較考量をいたして見ますと、これも今の物償の状況などからいたしまして、どうも折角五千圓以下の罰金の執行猶豫を附けて貰いましても、既得權を取られましてはどれ固有難いか分らんという恰好になる。それから輕い罰金という罪を犯したのに、重大な懲役、禁錮の執行猶豫を取消されるということは理論上も直ぐ出て來ないので、大は小を兼ねまして、懲役のときに、禁錮、罰金が取消されるというのは、これは頗る分りますけれども、輕い罰金のとき禁錮、懲役の執行猶豫を取消されるということは、どうも理論的に成り立たないではないか、かように考える。
 それから次に、今は非常に處罰規定が氾濫いたしておりまして、法律に通ずるということは非常にむづかしい。殊に統制法規その他で、食糧関係などからいいますと、法律に何かしら觸れるということがなしに生きて行くことさえも不可能ではないかと考えられますので、そんな場合に、たまたま間違いまして罰金刑になつた。そうしたことが前の懲役の執行猶豫を取消される可能性があるということでは、國民が非常な不安になる。安心してやつて行けないというようなこともあるではないかと考えまして、そそで只今の修正案を提出いたしました。どうか御贊成を願います。
#29
○小川友三君 今の松井案に贊成するものであります。本員は昨日同様の修正案を出しましたのでありまして、松井さんの提案に同意いたします。
#30
○大野幸一君 松井委員の修正の御提案は御尤もでございますけれども、要は「執行猶豫言渡ヲ取消スコトヲ得」とありまして、指摘になられたような缺點は、裁判官の裁量よろしきを得れば、これを救済し得られるものと存じます。この請求は檢事が請求をいたしまして、たとえ取消の決定ありましても、上訴の方法がありますので、一下級裁判所の裁判によつて終るとも考えられないのであります。從つてこの規定が初めて先づできましたことは、罰金に對しても執行猶豫を與えられるということになり、半面執行猶豫の本質は、その猶豫の期間内に被告人に謹愼をせしめて、そうして改過遷善に向わしめよう。こういう場合に重きを置くのでありまして、たとえ幾らかの過失があつた場合にも、その責任は負わなければならない、併し御指摘になつたような缺點は、「取消スコトヲ得」という規定によつて補われるものと存じますので、先ず一應これは裁判官に委して置いて、後に又この弊害が多くなつたときには、國會において適宜修正すればいいじやないかとも考えられますので、本員は松井案に遺憾ながら贊意をすることができないことと思います。
#31
○來馬琢道君 司法保護ということは今國家の重大な問題でありまして、前科者を作らないようにしようというために、我々は長い間罰金刑の執行猶豫ということを希望していたのであります。今囘それが改正刑法として現れて來ることは我々の喜びとするところであります。併しながら我々司法保護業務に努力いたしておりました者は、その人が罰金刑と雖もこれを犯すということを容認するというような態度をとることに對しては反對せざるを得ないものと存じます。この點において只今反對論が出ましたが、私もその反對論に贊意を表して、松井委員の御提案には同意いたしません。
#32
○鈴木安孝君 私は松井氏の修正案に贊成します。それは大野さんのいう、裁判官はそういう罰金の場合、前の懲役、禁錮以上の刑を取消すことはなかろうとおつしやるけれども、裁判官は極めて常識のない人が實際上相當ある。自分の解釋は事由によつては拘束されないというようなことをいいまして、立法者は、そういう場合にはもう取消されるようなことはなかろうということを考えて立法しましても、法律の下にはつきり現れておりませんというと、その意味を間違えて解釋しまして、罰金の場合でも前の懲役、禁錮以上の刑を取消す場合があると思いますから、私は松井氏の案に贊成いたします。
#33
○政府委員(國宗榮君) 松井委員からの修正案につきまして、政府といたしまして一應意見を述べさして頂きます。禁錮及び懲役につき執行を猶豫せられた者が再犯によりまして罰金に處せられた場合は、その猶豫の取消をすることができるように今度まあ改正いたすのでございますが、こうしましたのは、罰金につき執行猶豫の制度を認めることにした當然の歸結だと思うのであります。即ちこの罰金の執行を猶豫されていた者が、後に再び罰金に處せられたときに、前の執行猶豫の取消しが認めらるべきことにつきましては、誰も異存がないことと思うのでありますが、そういう制度を取りまする以上は、懲役、禁錮の執行猶豫につきましても、同程度の取消の事由を認めなければ均衡を失するのではないかというふうに考えております。松井委員の修正案によりまするというと、前に懲役、禁錮に處せられて執行猶豫になつております場合に、罰金に處せられた場合には取消されない。ただ併し輕い刑で以て罰金に處せられておりまして執行猶豫になつておる場合には、更に罰金に處せられた場合には取消され得る、こういうことに相成つておるのであります。これを非常な俗な言葉で考えて見まするというと、謹愼中の者なので、兩方とも執行猶豫中の者は謹愼中の者でありまするが、重い刑に處せらるべき者が輕い刑に處せられた者よりも謹愼の程度が輕くてよろしい、こういうふうにも解されるのでありまして、私共といたしましては、理論上その點におかしいと思われる點があるのであります。むしろ逆に、重い刑に處せられて執行猶豫になつておる者の方が強く謹愼しなければならない、こういうことがいい得るのではないかと思うのであります。これはまあ前囘もこの點につきまして、甲乙兩方の罰を受けた場合の例を擧げまして、均衡の點を御説明申し上げたと思いますけれども、以上のような點からいたしまして、どう考えましてもこの規定からいたしまするというと、取消しの事由につきまして不均衡を生ずるということがいえると存ずるのであります。
 尚御指摘になりましたように、裁判所の扱いにおきまして「取消スコトヲ得」となつておつて、その裁量に任しても思うようには行かない。こういう御意見がございますけれども、この運用につきましては、檢事の方から請求をいたすのでございまして、この點につきまして司法省は十分責任を持ちまして、詰らない罰金刑に處せられたことによりまして、體刑の執行猶豫が取消される、そういうような運用は是非愼しみたい、かように考えております。
 更に先程松井委員から既得權云々という問題がございましたが、この問題につきましては、附則の二項に規定してございまして、當然この法律施行前に犯した罪につきまして、この法律二十六條の改正條項を適用するということがないのでございますから、この點につきましては、既得權を侵害すると趣旨の點はなかろうかと存ずるのであります。
 一言政府としての見解を申し上げて置きます。
#34
○松井道夫君 政府委員は、私の申したことを誤解しておるようですからちよつと申し上げます。私の既得權と申し上げましたのは、要するに現行刑法では、罰金の言渡しを受けても禁錮、懲役の執行猶豫を取消されることがないという點を例えて申したのでありまして、これからは要するにそうでなくて、罰金の言渡しを受けても禁錮、懲役の執行猶豫を取消される可能性ができてきたというので、その状態と比べまして、例えて既得權とかように申したわけですから、御了承願います。
#35
○委員長(伊藤修君) ちよつと速記を止めて。
   〔速記中止〕
#36
○委員長(伊藤修君) 速記を始めて。
#37
○松村眞一郎君 私は只今の松井君の修正意見に反對であります。元來、一旦罪を犯しました後に、もう一遍罪を犯すということは、禁錮であろうが、罰金であろうが、やはりその際に再檢討して私はよかろうと思います。禁錮とか罰金とかいうことを切盛りをして、刑は犯罪の情状を酌量しての決定でありますから、すべての全般のことを考え直さなければならん。たまたまそれが罰金であるからといつて、それは罰金だけを取消すのだというような機械的な案には私は贊成いたし兼ねます。殊に今度の刑法の改正は、刑の量定の範囲を非常に廣くしておるということが澤山あるのであります。例えば猥褻罪のごときものは科料であるものを懲役まで附けておる、そういう場合は、殊にその中の文書の場合は五百圓以下の罪金とあるので今度は非常に重く罰しております。そういうようなことを考えますと、例えば二百三十二條です。とにかく猥褻の罪というものは、科料であるものを懲役までやつておる、そういうような量定を、裁判官を信用しておるのでありますから、裁判官は誤りをするだろうということで、裁判官を間違つたものであるという前提下に我々は刑法を改正することには贊成いたしません。その意味におきまして私は原案に贊成いたします。ちよつと速記を止めて下さい。
#38
○委員長(伊藤修君) 速記を止めて。
   〔速記中止〕
#39
○委員長(伊藤修君) 速記を始めて。他に御意見もないようでありますから、これを以ちまして討論は終結いたします。
 直ちに採決に入りたいと存じます。
 先ず第一に松村委員の提出にかかるところの修正案を問題といたしまして、採決いたしたいと思います。採決の方法といたしましては、本問題についてのみ、記名投票をお願いいたしたいと存じます。御記名の上、贊否を明らかにして頂きたいと御注意までに申上げて置きますが、松村委員の提出にかかる修正案について贊否を明らかにして頂きたいと思います。贊成、反對を御明記を願いたいと思います。問題は、松村さんの提出にかかるところの修正案についてのみであります。投票は書記にお渡しを願いたいと思います。
   〔投票執行〕
#40
○委員長(伊藤修君) 投票洩れはありませんか。書記をして開票せしめます。
   〔事務局員が投票を點檢する〕
#41
○委員長(伊藤修君) 投票の結果を御報告申上げます。投票總數十七票、修正案に對して贊成の投票は六票、修正案に反對の投票は十一票、只今御報告申上げました投票の結果、松村委員提出に係る修正案は否決せられました。
  ―――――――――――――
 贊成者氏名
   齋  武雄君 池田七郎兵衞君
   岡部  常君  來馬 琢道君
   松村眞一郎君  宮城タマヨ君
 反對者氏名
   松井 道夫君  大野 幸一君
   中村 正雄君  鈴木 安孝君
   山下 義信君  奧 主一郎君
   水久保甚作君  鬼丸 義齊君
   鈴木 順一君  小川 友三君
   阿竹齋次郎君
  ―――――――――――――
#42
○委員長(伊藤修君) 次に鬼丸委員提出に係る修正案に對しまして採決をいたします。本案に對しましては起立によつてこれが可否を決定いたしたいと思います。
   〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
#43
○委員長(伊藤修君) 鬼丸委員提出に係る修正案について贊成の方の起立を願います。
   〔起立者多數〕
#44
○委員長(伊藤修君) 過半數、よつて鬼丸委員提出に係る修正案通り決定いたします。
 次に、松井委員提出に係る修正案を問題に供します。これも前同様起立によつて可否を決定したいと存じます。松井委員提出に係る修正案に對して御贊成の方の御起立を願います。
   〔起立者少數〕
#45
○委員長(伊藤修君) 少數、否決となりました、
 以上修正案三件に對しまして決定いたしました。
 次に修正可決された部分を除く原案全部に對しまして、これが採決をいたしたいと存じます。修正可決された部分を除く原案全部に對しまして御贊成の方は御起立を願います。
   〔起立者多數〕
#46
○委員長(伊藤修君) 過半數、原案通り可決すべきものと決定いたしました。
 では、本委員會の經過及び結果につきまして、本會議におけるところの委員長の報告につきましては、從前通り委員長に御一任を願うことに御異議ありませんですか。
   〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
#47
○山下義信君 誠に恐縮でございますが、先般鬼丸委員にも御相談申上げ、委員長のお耳にも入れたのでありますが、二百三十二條の點に關しましてどうかよろしくその邊お含みを願いたいと存じます。
#48
○委員長(伊藤修君) ではさよう決定いたします。
 尚多數意見者の御署名を頂くことになつておりますから、只今書記をして廻付させますから多數意見者の御署名を願います。
   〔多數意見者署名〕
 では本日はこれを以て散會いたします。
   午後五時三十六分散會
 出席者は左の通り。
   委員長     伊藤  修君
   理事
           鈴木 安孝君
           松井 道夫君
   委員
           大野 幸一君
           齋  武雄君
           中村 正雄君
          大野木秀次郎君
           奧 主一郎君
           水久保甚作君
          池田七郎兵衞君
           鬼丸 義齊君
           鈴木 順一君
           岡部  常君
           小川 友三君
           來馬 琢道君
           松村眞一郎君
           宮城タマヨ君
           山下 義信君
           阿竹齋次郎君
  政府委員
   司法事務官
   (刑事局長)  國宗  榮君
ソース: 国立国会図書館
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