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1982/05/12 第98回国会 衆議院 衆議院会議録情報 第098回国会 議院運営委員会 第22号
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1982/05/12 第98回国会 衆議院

衆議院会議録情報 第098回国会 議院運営委員会 第22号

#1
第098回国会 議院運営委員会 第22号
昭和五十八年五月十二日(木曜日)
    午前十時一分開議
 出席委員
   委員長 山村新治郎君
   理事 瓦   力君 理事 山崎  拓君
   理事 北川 石松君 理事 鹿野 道彦君
   理事 小里 貞利君 理事 広瀬 秀吉君
   理事 渡辺 三郎君 理事 山田 太郎君
   理事 西田 八郎君
      狩野 明男君    北口  博君
      北村 義和君    古賀  誠君
      近藤 元次君    桜井  新君
      谷  洋一君    野上  徹君
      保利 耕輔君    川本 敏美君
      清水  勇君    渡部 行雄君
      東中 光雄君    甘利  正君
 委員外の出席者
        議     長 福田  一君
        副  議  長 岡田 春夫君
        議     員 広瀬 秀吉君
        議     員 山田 太郎君
        議     員 西田 八郎君
        議     員 東中 光雄君
        議     員 甘利  正君
        事 務 総 長 弥富啓之助君
    ─────────────
委員の異動
五月十二日
 辞任         補欠選任
  高橋 辰夫君     谷  洋一君
同日
 辞任         補欠選任
  谷  洋一君     高橋 辰夫君
    ─────────────
本日の会議に付した案件
 議員田中角榮君の議員辞職勧告に関する決議案(田邊誠君外九名提出、決議第三号)
 農業基本法に基づく昭和五十七年度年次報告及び昭和五十八年度農業施策、林業基本法に基づく昭和五十七年度年次報告及び昭和五十八年度林業施策並びに沿岸漁業等振興法に基づく昭和五十七年度年次報告及び昭和五十八年度沿岸漁業等の施策についての発言及びこれに対する質疑に関する件
 本日の本会議の議事等に関する件
     ────◇─────
#2
○山村委員長 これより会議を開きます。
 田邊誠君外九名提出の議員田中角榮君の議員辞職勧告に関する決議案を議題とし、審査を進めます。
 質疑の申し出がありますので、これを許します。小里貞利君。
#3
○小里委員 私は、ただいま委員長の方からお話がございましたように、議員田中角榮君の議員辞職勧告決議案に関連をいたしまして質疑を申し上げる次第でございます。
 最初にお断わり申し上げておきたいと思うのでございますが、御案内のとおり、過ぐる先月の二十六日、わが党の山崎代議士の方から一応質疑を申し上げたところでございます。同議員は、八項目を基本に立てまして質疑をなさったわけでございます。その中におきまして、ざっと申し上げまして二、三割方質問をなされたかと思う次第でございますが、私は同議員の質問と重複することをできるだけ避けまして、新しい観点から質問を申し上げようと心得ておるところでございますが、先般の広瀬議員の明快なる御答弁をいただきましたにもかかわらず、なおかつ、まだ納得できない一面もございますので、いささか重複するかと思いますけれども、その点御了承を願いたいと思う次第でございます。
 なおまた、本日は山崎議員の方からも後ほど私の質問を補完していただき、あるいはまた発言があるかとも思うわけでございますが、その点も御了承いただきたいと思う次第でございます。
 なおまた、前回は広瀬議員を主体にしてほとんど広瀬議員の方から御答弁をいただきまして、本日も広瀬議員を主体にして御答弁になるやにも承っておるところでございますが、時間の関係もございますので、答弁はできるだけ要点を簡潔にお述べいただくようお願いを申し上げまして、これから質問を申し上げる次第でございます。(「質問も要点をやれ」と呼ぶ者あり)
 ただいま、質問も要点をというお話でございますが、簡単に申し上げまして、先ほどお話し申し上げましたように、私はまず国会決議の重みにつきまして、議員の憲法上の身分保障に関連して疑問点をただしてみたいと思います。なおかつ、本決議案のよって立つ理由である政治的道義的責任論に触れてもみたいと思うわけでございます。なおまた、時間がありますれば、目下第一審の裁判進行中でございますが、最終的に確定裁判におきまして仮に無罪となった場合の本院の責任のとり方等につきましてもお尋ねをしてみたいと思う次第でございます。
 では、時間がございませんから直ちに本論に入る次第でございますが、本件につきましては、過ぐる三月四日、本決議案が提出されましたときに、わが党の鹿野議員の方からも意見を申されたところでございまして、あわせまして、同月の二十五日におきましては参考人を呼び、いろいろ貴重な御意見を承ったところでございます。参考人の意見が終わったからとて、これをこのまま看過するというわけにもいきませんでして、後ほど慎重にそれを見てみますと、本日の質疑におきましても、なおかつ参考人の意見をチェックしながら質問を申さなければならない点があるわけでございます。加えまして、さらに過ぐる四月二十六日には、先ほど申し上げましたとおり、わが党の山崎理事の方からも提出者に対しまして質疑を行ったところでありますけれども、残念ながらわれわれの疑念は一向に払拭されないのみならず、かえって本件にはいかに多くの重要な問題が内在しているかを痛感いたした次第でございまして、その点を申し上げると同時に、非常に御理解いただきたい点であります。
 本件は、申し上げるまでもなく政治倫理の問題として取り上げられております。そして提出者はこれを積極的に処理することを、すなわち、これを議決することがあたかも政治倫理に適合しているかのごとく主張される一面もあるわけでございますが、果たしてそうであろうか、さような疑念も持つ次第であります。もとより政治倫理は厳粛なものであります。これまでもわが党の議員によって述べられておりますように、われわれ国会議員はすべからく政治倫理の基本理念を尊重し、常日ごろ、清潔にしてかつ公正な姿勢で国政に一貫して携わってまいったつもりでございます。しかしながら、われわれはこの決議案がそのような政治倫理高揚の線上にあるものとは必ずしも認めるわけにはいかないのであります。それほどこの決議案には憲法上大きな問題があるのであります。
 すなわち、わが国はいやしくも法治国家であります。同僚議員からすでに幾たびか御指摘を申し上げたように、そしてこれから私もお尋ね申し上げる次第でありますが、本決議案には憲法上、法理論上幾多の問題があるのであります。これらの問題が十分解明されず、合意が得られないままに本件を処理することは許されないのであります。われわれが本件について慎重な取り組み姿勢をとらざるを得ないのも、実にそうした理由からであることをあえて申し上げておく次第でございます。
 御承知のとおり、国会の決議というものは全会一致を原則といたしております。このことは先日の山崎代議士の質問に対しましても、広瀬議員も全会一致が慣習であるということをお述べになったのでございまして、決議案の取り扱いはこれをどう処理するにせよ、その合意を求めるために徹底した話し合いがなされなければならないと思います。私どもが質疑により提出者の御見解を承り、また提出者の御意見を繰り返しお聞き申し上げるのも、実にそうした努力のあらわれであると御理解を願いたいのであります。
 また、われわれは、提出者並びに野党の皆さんが、単に政争の具としてこの決議案を取り上げておられるとは思いたくありません。われわれもまた、単なる引き延ばしのために論議を重ねているわけでは決してございません。
 以上申し上げましたような趣旨において、また基本的精神に立ちまして考えますときに、申し上げるまでもなく議会は永遠であります。われわれ議会人は、議会政治の将来に悔いや汚点を残さないために、この際十分慎重な論議を重ね、あくまで合意を目指しての努力を尽くしていかなければならないと思うのであります。
 私は、質疑に入る前に、まず最初に本院としてこのような特殊な議案に対処する基本的な取り扱いについて、私なりの考えを申し上げた次第でございますが、まずこの点につきまして御答弁をいただきたいと思います。
#4
○広瀬議員 私もできるだけ簡潔に答えようと、先般来努力をいたしておるわけでありますが、非常に長い、精緻な、一応の理論構成をした質問でございますから、私もそれなりのお答えを申し上げたいと思うわけであります。
 なお、この決議案は、社会党を初め野党全部が共同提案をいたしております関係で、私の答弁の足らざるところは、他の提案者にも補っていただきたい、こういうようにも思っておる次第であります。
 まず、いまの小里理事の質問の要旨は、政治倫理といいますか、政治道義といいますか、そういうものについては全く異論はないのだ、しかし、憲法上非常に疑義があるということを言われる。そしてまた、その具体的な中身としては、決議の重みといいますか、全会一致を原則とするけれどもというような、この前の私の答弁を引用されました。そういう点で、議員の身分保障との関係において、議員の権利にかかわる重要な問題を含んでいやしないか、こういう趣旨に私、受け取ったわけであります。
 まずその政治倫理というのは一体何かということでございます。私どもは、前回にも申し述べましたように、この政治の倫理というのは国民主権原理、しかも人類普遍の原理である、憲法の前文にも、今日の日本国憲法のよって立つ基礎が明確に示されていると考えております。そういう立場から、国民の世論に背くような言動があった場合に、それは政治家として道義的責任を負うべきであり、また政治的責任を負うべきであろう、こういうように考えるわけであります。
 もちろん、いま私どもが辞職勧告を行おうとしております田中角榮議員は、論告求刑は行われましたけれども、今日第一審の裁判の途中である。そしてまたきのうから、弁護団による最終弁論も行われておるわけであります。前回、山崎理事の御質問にもありましたけれども、あなた方は有罪の認定の上に立っているではないか――私どもは、そういうものとは何も関連づけていない。有罪になるであろうか、あるいは最終的に無罪になるであろうかという点では、私どもは直接関知する立場でもないわけでありますが、そういう中におきましても、昔の中国に、「十目の視る所、十指の指さす所」という言葉があります。これは中国の古い書物の「大学」に出てくる言葉でございまして、人口に相当膾炙している言葉であろうと思うわけでありますが、前回の場合には、国民のほとんど一〇〇%に近い人たちが、田中角榮元総理が総理大臣時代に、今日裁判において容疑事実として問われている、いわゆる受託収賄、外為法違反、こういうものがあったのであろうということで、まさに「十目の視る所、十指の指さす所」ではないのか。
 そうだとするならば、国民の厳粛な信託を受けて、国民の直接の代表者として私どもは権限を与えられ、まさに国政の権威は主権者たる国民に由来するわけでありますから、その国民がそういうように見ておる以上、私どもは、そこに国民の期待に反する非違行為があったとするならば、その道義的責任は当然発生するし、道義的責任を負うて、議員としても辞職せられるのが当然の道であろう、こういう考えを持っておるわけであります。
 ただ、この決議は、私ども全会一致ということになれば大変結構であるけれども、われわれはこの決議案が過半数でも通り得る、そういうものとして出しておるわけでありまして、決議の諸問題いろいろございますけれども、国是ともいうべきものが与野党一致、全会一致で、たとえば武器輸出禁止の問題について、わが国の国是並みの扱いを受けさせようという意図をもって与党さんも全部交えてやる、こういうような決議もありますし、院としてのいわゆる自律的な機能の発揮として、国会法の五十六条に基づいてこういう決議案を発議する、それは通常のものでありますから、もし与党がそういう点で疑義あり、反対であるというならば反対をされても結構であります。その場合には主権者たる国民が判断をされることでありましょう。
 私どもは、強制を伴う罷免を要求しているわけではない。あくまで辞職勧告という形をとっている。そういうものでありますから、そういうものとして、決議についても国の命運にかかわるような問題について全会一致で上げたものは国是と同じような意味がある。そしてまた、この決議だって過半数で決せられるけれども、話し合いをして十分審議を尽くして、与党の皆さんもなるほどそうだというお考えになるならば全会一致になる。そうなればこれはすばらしい決議になるであろうと前回も申し上げたわけであります。
 ただしかし、この場合は、私どもはあえて全会一致でなくてもやむを得ないのではないかということで、その手続として、過半数であっても、辞職勧告なのでありますから、その立場において提案をしておるのであるということで、いささかも矛盾した、また憲法に反するとか、あるいはなじまないのではないのかというような議論は全く当たらないもの、このように考えておる次第でございます。
#5
○小里委員 ただいま国会決議の意義と評価に関連しながら、田中問題をどのように位置づけておいでになるのか、また今日の段階においてどのように位置づけられるのか、その辺に一つの解明を求めながら広瀬議員の御説明をお伺いいたしたのでございますが、まだなおかつ基本的に納得いたしがたい点が数点あるのでございます。
 あと一点だけ、これに関連をいたしまして重ねてお伺いいたしたいと思うのでございます。
 私どもは、この決議案は、内容的には国会議員の身分を奪うことを目的とするものであり、またその効果は実質的な拘束力を持つものであるとの認識を持っております。(「違う、違う」と呼ぶ者あり)そうでないというお話もございますけれども、後ほど参考人の御意見なども具体的に列挙しながらお尋ねしてみたいと思うのでございますが、そのような観点から、われわれは、この決議案については、憲法上重大な疑義を持っておるのであります。
 その理由とするところを申さなければならないと思うのでございますが、昨年八月十一日、当委員会において二人の参考人、林参考人と慶谷参考人の御意見、さらにまた本年三月二十五日、御承知のとおり当委員会におきまして、松本参考人の御意見によって明らかになったところでございます。いわゆる公権力の場における、ハウスにおけるこのような問題の取り扱いは慎重でなければいけませんぞということを耳しげく強調なさったことを御承知であります。あえてまたこの段階におきまして、国会という公のステージにおいて、この問題を時の最も大きな焦点であるかのごとく取り上げておいでになるやにも感ずるわけでございますが、実はただいま触れました林参考人、慶谷参考人あるいは松本参考人の意見もここであえて申し上げたいわけでございます。準備はいたしておりましたけれども、時間がございませんから、参考までに、この中で松本参考人がおっしゃいましたことをちょっと一部だけ取り上げさせていただきたいと思う次第であります。
 すなわち、松本参考人は、
  議員に辞職を迫ることは、ある意味では刑罰以上に厳しい制裁と考えられます。なぜならば、今後判決で一審か二審か、あるいは最高裁判所等において無罪ということになりましたならば、議員辞職というような制裁を受けたことに対する補償は一体だれが負うべきなのでしょうか。
こういうようなことを視点に置きまして御説明をなさっておられるのでございます。申し上げるまでもなく、慶谷、林参考人も同じことを、むしろもっとボルテージを上げて御説明になっていらっしゃると私は申し上げたいのであります。
 私どもは、こういうような参考人の数多くの御意見を一応参考にしながら、今国会におきましても、先ほど広瀬代議士お触れいただきましたように、対米武器技術供与の問題としていろいろ議論がございました。予算委員会におきましても論議されましたこと、先ほどお話しのとおりであります。特に、国会の決議は国是ではないかという平林先生の御意見も先ほど若干触れられたところであります。
 私は、実はきのうの夕方、この質問を命ぜられまして、ゆうべ速記録を出しましてちょっと読んでみました。非常に傾聴に値する平林先生の議事録も見ることができるのであります。
 一々ここでるる申し上げる時間もありませんけれども、特に私が感激を高くして読ましていただきましたのは、平林先生の予算委員会における質問の中で、
 すなわち、国権の最高機関であって、国の唯一の立法機関である国会において、多くの国民から選挙によって支持された国会議員全員によってなされた決議は、形式的には法的拘束を有しないとはいいながら、政治的には憲法と同次元に位置するくらい重いものであり、一たん決議されたからは、立法府はもとより行政府もその決議に反することは政治的にはできない。言いかえれば、国会議員全員一致の決議は、日本国民の総意の意思であると見るべきである、
こういうふうに触れておいでになることもきわめて注目を要すると思う次第であります。
 このようなことから、今回の決議につきましても全く同様でありまして、いかにこれが勧告であると申しましても、先ほど広瀬議員も勧告だ勧告だということを補充的に、何回かこの言葉を使っておいでになるようでございますけれども、申し上げるまでもなく、勧告とは、ある特定の人に対してある一つの行動をとるように勧めることであります。しかも、国権の最高機関の決議の、このステージにおいてやるというその重さを考えますときに、何をか言わんやという感じもするわけでございますが、そのようなことでこの問題をあえて議院の決議により行おうとされておられるのも、まさに裏返しに申し上げますとそうした意味合いからであろうと推察いたしておるのであります。
 言いかえますれば、一たん議院において決議されましたならば、その効果といたしまして、辞職への内外の圧力はきわめて高度で強いものであろうかと思うのであります。また、もし仮にそうした効果の期待されないようなものであるといたしますならば、率直に申し上げまして議院の権威のためにも決議などすべきではないと考えるのでありますが、いかがでございましょうか。
 前回の質疑における広瀬議員のお答えはもう一つ明確でなかったような気がいたしましたのでお尋ね申し上げたわけでございますが、要点を簡潔にお答えいただきたいと思います。
#6
○広瀬議員 私どもが出しております田中角榮議員に対する辞職勧告決議は、文字どおり辞職勧告の決議であります。これはとりようによっては、一種の制裁だというとりようをあえてしようと思えばできないこともないかとも思います。しかし、私どもは、本来、田中角榮議員個人が政治的道義的責任をお感じになってみずから職を辞する、このことがどれだけ――国民は今日、国会に対してもあるいは政治に対しても不信の念を持って見ている。その原因は、やはり田中議員をめぐるあの受託収賄、外為法違反で今日裁判になっておるというこの事実、こういうものでなおかつ政治的道義的責任を明らかにされない。しかも、冒頭陳述においては、万死に値する、総理大臣のまさに恥辱ともいうべきものであるということを言っておる。そういう表明もなさっておる。
 それで、実際に、完全に根も葉もない容疑においてそういうものになっているのだ、まさに致命的なといいますか、検察ファッショ的な行為によってやられたのだとするならば、一国の総理大臣として、それではなぜあのときに総理大臣をおやめになったのか。これはやはりどこかに、彼自身やましく感ずるところがあったからこそやめたのだと思うわけであります。そういうようなことでありますから、その延長線上では、議員までやめて、本当に率直に国民の前に政治的道義的責任を明らかにして出直してくるということになるならば、私どももこのような決議を出すこともなかっただろうと思うのであります。
 ところが、議員としてはずっと田中角榮議員は健在であって、しかも、いろいろ世評によれば、目白の将軍というようなことを言われたりして、現実の政治に対して強大な支配権力をふるっておられる、これが現実の姿のようだ、こういうようにも見られるわけでありまして、そういうようなことでありますから、そういうことに対する国民の不信、政治に対する不信、国会は一体何をやっているのだという不信は、本当にほうはいとして全国津々浦々に満ち満ちているのではないか、そういうように思うわけであります。
 そういうようなところから私どもは、このような決議を野党が――野党にもいろいろな問題でいろいろな立場もあります。しかし、この問題に関しては少なくとも全野党が全く心をそろえ、気持ちをそろえて共同提案ということにもなっているというその重みも考えていただかなければならぬだろう、こういうように思っておるわけであります。
 そういうような点から申しますならば、与党はいろいろ政治的道義的責任は当然だということもおっしゃいましたし、またそういう立場から、わが衆議院に自律機能がある、その中で国会議員に与えられた特権にふさわしい、その裏づけとなる倫理観、道義観、政治的責任、こういうようなものは当然である、そういう自律機能も認め、自浄作用も認めるということもおっしゃっている。それにもかかわらず、なお延々として質疑が続行され、この採決が行われないということは、私どもとしてはまことに残念であって、その裏には今日の保守永久政権的な、これはわれわれとしても大変残念なことであるけれども、そういうものがあるのではないかというように思うわけでありまして、永久政権の座にあっても、議院内閣制の名のもとに国会における議席の多数におごらず、少数野党の議席に代表されている国民の声に対しても率直に従っていくという態度こそが、本当に国会を健全に運営させていくということについては非常に大事なことである、このように私どもは思うわけでありますから、硬直したそういう態度をとられずにこの決議に賛意を表され、審議を進められ、決着を急がれたい、こういうように思っておるわけでありますが、その辺のところを私は申し上げたいわけであります。
#7
○小里委員 広瀬議員の方からいろいろお答えいただいておりますが、ある面におきましては心情論としてわからないでもないと思うのでございます。
 なおまた、私どもも、ただいま先生の方からの御指摘にありましたように、このように長期間にわたりましてある意味のトラブルとして大きな問題を提起いたしておるわけでございますから、重大に日夜チェックいたしておる、このことだけは皆様方と同様であると思う次第であります。しかしながら、この決議が、先ほども申し上げましたように、もし国会議員の身分を実質的に奪うものであるとするならば、最終的に実質的にそのような決定的影響力を及ぼすものであるとするならば、なおまた、私が前段で、国会の決議というものは高度に重大ですよ、これは国権の最高機関におきまして、そのステージで正式に取り決めをする決議ですからという前置きを申し上げているわけですが、そういう前提に立ちますれば、憲法上における国会議員の身分の保障、この精神との関連でますます重大な問題を一応提起をし、また議論をしていただかなければならないのではなかろうか、こういうふうに私は痛感するのであります。
 この決議案が実質的に辞職せしめるような強制力を持つかどうかという点に関して、前回の質疑におきまして、広瀬議員は特にこういうことをお答えになっていらっしゃるわけでございます。特に私がただいま申し上げましたような前置き、いわゆる憂慮の念をこの際もう一回チェックしておこうではありませんかということを申し上げる根拠になっているものでございますので、ここでもう一回読ませていただきたいと思う次第でございます。
 すなわち広瀬議員は、
 先ほど読み上げました憲法前文における精神を内心から呼び起こしてやめていただく、そういうように持っていくということでありますから、これはまるきり強制を伴うものではない。まあ一種の社会的強制であろうというようなことを皆さんも言われるわけでありますが、
ここまでは一応お聞きできるかと思うのでございますが、その次に、
 そういうことではなくて、田中議員の内心の政治的道義的責任を、心を揺るがして、そういう方向でやめていただくようにしたい、
こういう一つの具体的な願意を――あえて願意と申し上げる次第でございますが、具体的願意を含めてはっきりとこうお述べになっていただいておるわけであります。
 こういうところからいたしますと、先ほど御答弁いただきましたが、いささか具体的に方向を決め過ぎておいでになる。あるいは願意というものを決定的な一つの究極として、当面もうすでにスタートしていらっしゃるという感じがいたすのでございますが、御本人の内心の問題としての認識に立つ一つのやわらかい呼びかけはよくわかるのでございますけれども、そういうことから関連をいたしまして、辞職要求そのものであると言われてもいたし方ないのではないかというふうに感ずるわけです。
 このような内容のものを議院が公の議決として行った場合に、広瀬議員が強制力を伴うものではないぞと言われる。その受けとめ方が果たしてなされるのでありましょうか。雰囲気としては、率直に申し上げまして日ごろの先生の御人格、御見識を私は十分存じ上げておりますから理解できるわけでございますけれども、この議事録上から推察して集約してまいりますと、どうもその点をもう一回指摘しなければならないのではないか、そういう感じを受けるのでございます。恐縮でございますが、重ねてお答えいただきたいと思います。
#8
○広瀬議員 私どもは刑罰を課するとか、懲罰をするとかあるいは制裁をするとかいうようなことで出しているものではないということは、いま先生が読み上げられた私の前回の答弁は、全くそのとおりにいまも考えておるわけであります。
 もちろん国会の決議というのは、先ほどから議論がありますように国の運命にかかわるような現実個別的な、非核三原則であるとか武器輸出三原則であるとか平和憲法の条章に反するのではないか、そういうものが国政の中で運用が少しおかしくなっているなという場合に、与野党を問わず全会一致で新しい国の方針、国是にも等しい方針を決めようという場合には、これは私どもも、五十六条の規定があるからということでぼんぼん出して多数決ででも何でもやれないことではないと思いますが、そういうことはいまだかつて一遍もやったことはありません。そうして、いままでもある程度の収賄事件というようなものは戦後も戦前もありました。そういう中で、それに対する政治的道義的責任という問題について辞職勧告決議というものが行われなかったということも十分承知をいたしておりますが、まさに民主主義の根幹を揺るがすような立場で全国民に大ショックを与えた、国民の政治不信を大変増すようなことにもなったロッキード問題については、国会があれだけ特別な関心を払って、全会一致で決議をやっている。いままでの歴史と、今度のロッキード問題をめぐる政治的道義的責任の大きさというものは、やはり画然たる違いがあるのではないか。
 そういう立場に立って、われわれは新例を開こうといたしておるわけであります。前例は確かにないけれども、ここであの国会決議にこたえるような意味でも、当然辞職勧告決議――われわれは懲罰をする、制裁をする、辞職を強制をするという意思ではないけれども、国会議員という立場で、これはもう先ほどから何遍も繰り返すように、国民主権主義の中において、国民の厳粛なる信託を受けて、全身全霊を挙げて清潔な政治をし、そしてまた国民のために福利を最大限にもたらすように努力をする。その福利はすべて国民が享受するのだ。それを、先ほど松本参考人のお言葉を引用されたり、林先生のお言葉を引用されましたけれども、星野参考人は、福利を途中において私するというような疑いがかけられておるのではないか。それはまさに主権者から選ばれ、主権者にその権限の由来があるわけでありますが、そういう国会議員としては、やはり国権の最高機関を構成するメンバーとしては、それだけの道義的責任感というものをお持ちになって、おやめになるのが当然であるし、それがおやめになられないので、それはやはり国会議員の名誉にかけてということで、これは私は田中角榮議員に対する国会議員同士の愛情でもあろうというようにすら思うわけであります。
 後世の史家は、恐らくそういう評価を下されるであろう。この決議が通ることによって田中角榮議員がおやめになった、国会はさすがにむだな決議はしなかった、りっぱな決議をし、その流れの中においてこういう決議もされたという評価を、後世の史家から高く与えられるであろう、そういう自信と確信をこれまでも持っておる次第であります。
#9
○小里委員 後段の方で、政治的道義的責任論でお触れいただいたのでございますが、もとより本決議案は刑事責任論ではなくて、おっしゃるように、政治的道義的根拠に立ってその責任を求めておいでになるわけでございますが、少なくとも政治的道義的責任の論を一つの根拠にして、かかる決議案をお出しになり、そしてその決議案は、こういう高度な一つの機関によって、それぞれの手続によってチェックされ、あるいは集約をされていくわけです。
 その一つの方向の中で私は、先ほど申し上げたように、実質的に議員の基本的身分を脅かすおそれが十分にありますよ、また、参考人の皆さんもそのことを指摘しておいでになりますよと申し上げているわけでありますが、少なくとも議員の身分を失わしめるような行為をとる以上は、政治的道義的責任の概念の明確さ、あるいはそれを裏打ちをする明白なる事実の存在を示すことが大前提ではないか、私はそういうふうに思う次第です。提出者は、政治的道義的責任の概念をどのように理解しておいでになるのか、ひとつお伺いしてみたいと思う次第であります。
 次に、確かに政治的道義的責任という言葉には、先ほど広瀬議員も触れておられましたが、これを耳にし、目にし、あるいは口にするときには、何人も襟を正し、心を正さんとする倫理的な響きが感じられるのであります。また、私ども公人こそ、そういうことを十分基本に置いて自重してまいらなければならぬと思うのであります。
 しかし、この言葉は、改めて申すまでもなく、刑事責任という言葉のような法律上の用語ではありませんから、その意義について、厳密かつ普遍的に確定したものがあるというものでもありません。政治的道義的責任とか政治倫理という言葉は、よく使われる言葉ではありますが、いわば哲学的概念に属するものでありますから、一般的に用いられているときは、人それぞれ感覚的に理解できるのでありましょうけれども、いざ具体的規範としてこれを理解しようとするとき、それは大変困難な問題を提起するのではないかと私は思うのであります。人は、その社会生活においてさまざまの価値観あるいは倫理観を持っておるものでありますから、これに一つの基準を求めること自体、容易なことではないからであります。
 国会においても、政治的道義的責任とは一体何ぞやという、この言葉の一つの定義について、議論もし、あるいは合意が見られたというような議事録は、私はいまだかつて見当たらないのでありますが、そのことはさておきまして、この言葉はあくまで一つの理念をうたう場合になじむものであると思います。したがいまして、特に具体的な特定の人の権利義務を律する、こういう場合に、何らの定義もせずにこのままこの言葉を適用することはすこぶる困難なことではなかろうか、私はそういうふうに思いますので、政治的道義的責任論の定義を整理してかかる必要があるのではないかと思うのでございますが、お知らせいただきたいと思う次第であります。
 時間もないようでございますので、一応ただいまお尋ね申し上げました点について御説明をいただきたいと思うのであります。
#10
○広瀬議員 私ども、政治倫理、政治道義、政治責任、いろいろ言葉を使っております。大体そのくらいの言葉を使って、特に国会がロッキード事件について決議を行った際にも、政治的道義的責任を国民の前に明らかにしていかなければいけないということを言っておると思うのでありますが、その基本は、厳格な定義――現実の成文法律、そういう中における概念の規定というようなものは比較的容易にできるわけでありますが、政治倫理とは一体何なのだ、あるいは政治道義とは何なのだというような場合に、その概念を明確にせよと言われても――私は私なりの見解は一応持っているわけでありますけれども、それはやはり憲法の前文において、私は先ほどから引用しておりますことをあえて申し上げて答弁にかえたいと思うのであります。
 「そもそも國政は、國民の嚴肅な信託によるものであつて、その權威は國民に由來し、その權力は國民の代表者」われわれでありますが、「代表者がこれを行使し、その福利は國民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、」ここにその原点を求めていく。政治倫理とはかくかくのものであるという厳格な概念確定をいまあえてしようといったって、だれがやるのかということになりましたら、これは一体どなたがなさるのでしょうか。やはりこういうところに原点を求めて、この趣旨に反する非違とも思われる行為、不当と思われる行為というようなものがあれば、それは政治家が負わなければならない政治責任であり、またいま読み上げましたような立場において、われわれが常時身命をなげうって国民の福利のために行動するということが政治倫理の基本である。そういう確信だけは揺るぎなさものとして持っておるつもりである。
 そういうものに対して、先ほどから申し上げておりますような、田中角榮議員がいささかこれから踏み外れた容疑を少なくとも現実に受けて、六年余の裁判を通じて――もちろん論告求刑というのは、第一審裁判もまだ終わらない段階での一つのプロセスにすぎないということも当然あるわけでありますが、この問題が事実として新聞に報道され、田中総理自身がおやめになった時点で、当然その延長線上として議員もおやめになるというようなことをなさっておったならば、田中角榮議員がいま選挙を何回かやってきておられるということで、これはこれなりに一種のみそぎ論も通用するのではないかと思うのでありますが、一度もその点で国民の前に政治的道義的責任を明らかにしないまま――国民に対して申しわけなかった、そういうことはあったというようなことをお認めになって辞職をされるというならば、いまこういうものを出す必要も恐らくなかったであろうと思うのです。
 松野頼三さんの例を引いて申しわけありませんが、彼は一応とにかく政治的道義的責任をとられて議員の職を辞された。そして出ておいでになった。それに対してわれわれはいまそのことを云々しようなどということはいささかもないわけであります。
 そういうように一つのけじめをつける。少なくとも今日までその事実関係について、これは選挙のみそぎという問題で一言触れたいと思うのでありますが、事実関係は全くないのだ、あんなことはないのだということを選挙民には少なくとも訴えてきているはずであります。全く私は青天白日、何のやましいところもないのである、そういうことで選挙に出てきているわけですから、それではみそぎにならないわけです。いささかでも政治倫理、私が原点として読み上げたそういう問題に触れる非違行為があったと思うから総理もおやめになったのだろうと思うし、その延長線上でけじめをひとつつけておこうというならば、議員をおやめになって、その次に堂々と選挙に名のりを上げて当選をされてきた、こういうようなことならばわれわれもこういう決議案を野党そろって出すというようなこともなかったであろう、そういうように思うわけであります。
#11
○小里委員 政治的道義的責任論に関連してお答えいただいたわけでございますが、なるほど部分的には傾聴に値する御意見もお聞かせいただいております。
 これは質問ではございませんが、政治的道義的責任論の字義の論になぜ私がこだわるかということをちょっと御理解いただくために申し上げてみたいと思うのでございますが、政治的道義的責任論を通常私どもが理念として、あるいは精神論としてぶち上げるときにはなるほど結構であろうかと思うのでございますが、いまやこの政治的道義的責任論というものが、具体的なこの場におきまして、具体的な意義の合意も見られないままに特定の目的を持ちまして、すなわち国会議員の身分、権能といった高度に重要な法律関係の領域に、そのまますらすら入り込んでこようとしているからであるわけです。その点を十分チェックしてかかる必要があるのではなかろうかと私は思うわけであります。しかも、先ほど申し上げましたように、政治的道義的責任論の一つの概念の不明確さ、あるいはそれを裏打ちするに足る十分なる事実上の論拠というものが例示されない。
 先ほど、率直に申し上げまして、広瀬先生は中国の言葉をもってお話をなさいました。十人が十人どうだろうか、この問題は黒白の論争の中で一つの物を目指していますよ、一つの結論を持っているのじゃないかというがごときことをおっしゃった。私は、同じ中国の先生のお話をお伺いして連想したのでございますが、失礼ではありますが、中国の故事に「疑わば用うるなかれ、用いては疑うなかれ」という一句があります。こういうことを申し上げまして恐縮でございますけれども、参考までに私なりの意見を申し上げたわけでございます。
 いよいよ時間が参りましてまことに恐縮なんですが、もう一点だけお伺いいたしてみたいと思うのであります。
 先ほど広瀬議員がお触れになりましたので、この点は、なるほど先生ようこそ御指摘いただいたということで私も感じたことがありますからお伺いするわけであります。
 すなわち、田中議員は、先ほどからお話し申し上げましたように、現実に無実を主張して裁判で争っておられる。きのうもきょうも最終弁論のさなかであろうかと思うわけです。それはわれわれが関係することじゃない。しかも、現在は第一審の段階で最終弁論、そういう中間の、裁判の全行程からいいますとまだ最も初期の段階にあろうかとも思うのであります。松本参考人の言葉の中でも触れられたわけでありますが、また私が先ほども触れたわけでありますが、このような状態において議員にとっては刑罰以上に厳しいとも見られる辞職を迫り、結果的に、それによって辞職が実現した後、一審か二審か、あるいは最高裁判所において無罪ということになりましたならば、議員辞職という制裁を受けたことに対する補償は一体だれがするのか、議会の責任が問われるところであるわけでございます。
 松本参考人は率直に「こういう点において大きな人権問題だろう、」とも言っておられます。一方の星野参考人はしきりと政治的道義的責任ありとされながら、これもいささか論理が不明確なんですが、この辞職勧告決議案に賛成されておられながら、山崎議員の質問、すなわち「仮に辞職勧告決議案が成立をいたしまして、先生は強制力はないとおっしゃいましたが、強制力がございまして、事実上あってやめたとした場合、そしてまた無罪になった場合、これはその議員に対する救済について、あるいは補償についてどういうふうにお考えでございますか。」こういうように山崎議員は尋ねたのですが、そこで答えていわく、「倫理の問題というのは、本人の内心の問題でございますから、」とか、「人間の倫理の問題というのは、外的な強制に屈するものではございません。」とか、あるいは「したがいまして、そのことによっておやめになって、最高裁で無罪の判決が出たからといって、別に本人はだれに損害賠償とか慰謝料を請求するものではないでしょう。」というような答弁を、実はこの参考人はなさっておられるのです。
 実にこれは、私どもは納得できないと思うのでございますが、このことをお尋ねしておるわけじゃないのです。この後の質問があるわけでございますが、そういうふうにいとも簡単に申されておるのでありまして、私は率直に申し上げまして大変無責任な一つの参考人の言論というか態度ではなかったかと思う次第であります。もしそれほど倫理の問題が本人の問題であると言われるならば、なぜ憲法上このように重大な疑義がある辞職勧告決議を議院が行うことがあるのでしょうか、こういうふうに言いたいわけであります。
 さらに、先ほど広瀬先生の方から触れていただきました問題でありますが、いまさら申し上げるまでもなく、かつて、わが国の著名な政治家で、議員在職中疑獄事件に問われ、起訴され、あるいは第一審において有罪の判決を受けた幾つかの例が不幸にしてありました。しかしながら、いずれの場合にも本院は冷静に裁判の成り行きを見守る姿勢を崩さず、いわんや当該議員に対し辞職勧告決議案によってその身分を奪おうとするようなことはしなかったのであります。しかも、このことについては、先ほど広瀬議員は、それは事件の規模において差があったのではないか、こういうような意味の説明であったかと私は理解いたしたわけでございますけれども、法理論上におきましてこのような一つの議論が成り立つのであろうかという疑問を私なりに持った次第でございます。
 われわれは、ただいま申し上げましたように、冷静にして裁判の成り行きを見守るという姿勢を崩さない、こういうようなことから考えまして、そこに先輩議会人の英知といったものを酌み取ることができるのであります。果たせるかな、それらの事例におきましては、いずれもその後、念のため申し上げておきますが、確定した判決は無罪だったのであります。もしこれらの事例におきまして、起訴の時点で、あるいは第一審有罪判決の時点で、その議員をハウスの圧力によって辞職に追い込んでいたとしたら、無罪の確定を見たとき、議会はその議員の名誉について、またその果たせなかった議会活動について、さらにはその議員を選出した主権者たる国民に対していかなる説明をすることができたでありましょうかという疑問が出てくるのであります。
 以上、たまたま広瀬議員の方からお触れいただきましたので、そのことに関連して所見を申し上げ、お尋ねを申し上げた次第であります。
#12
○広瀬議員 御質問があったわけでありますが、中国の古い言葉に「善を責むるは朋友の道なり」というのがある。これは「孟子」にあるわけであります。この決議で先生から疑問がいろいろ出されましたけれども、決議は必ず強制されなければならないということに、何もわれわれ国会がみずからを縛る必要はないのであって、これは衆議院の自律権、そしてまたその中で自浄機能を発揮しよう。その自浄機能の原点は憲法前文の国民主権主義に基づきながら、そしてまたわれわれの道義と非常にかかわりのあるただいま申し上げた中国の言葉、そしてまたわれわれ同じ国会議員として田中角榮議員に、本当に朋友として、国権の最高機関を構成するメンバーとして、そういう態度をとられるのが一番賢明な道でもあろう。国民の政治不信とか、あるいはこういうことが許されるならば民主主義の根幹を揺るがすことにもなりかねないのだという疑問は、同じような例の佐藤孝行議員なり橋本登美三郎前議員なりという人たちの判決の中でも、そういう文言が明確に言われておるわけであります。
 そういう立場からしますならば、政治的道義的責任というものは、特にこれは総理大臣であった当時における行動にかかわる容疑でありますし、そういう問題については容疑をかけられるだけでも国民に向かって万死に値するとすら田中さんはおっしゃったわけでありますから、そういう立場においてみずから決せらるべきであった。私どもは大変残念に思うが、それをなさらない。わが国会において、ロッキード事件が発覚した当初において、この処理をめぐって特に異例の国会決議を全会一致で行ったという系列の中で、私どもは野党全体で田中角榮議員の政治的道義的責任感に迫って、おやめになることが政治の信頼を回復し、本当に議会制民主政治が健全に機能をする方向に向かってとるべき態度として一番正しい、こういう確信を持って提案しておるわけであって、それに従うか従わないかは、本人自身の決するところであることには間違いがない。したがって、この決議が通ったからといってやめないというならば、それを審判する者はもはや主権者たる国民以外にはない。
 こういうことで、元来、最高機関の構成メンバーである国会議員は最も高度な特権も享受しており、その特権の裏にはそういう一種の犠牲というか、そういうものがある。道義と倫理の前には、その間における損害をどうしてくれるんだということは言うべきでない。それは主権者たる国民の判断にすべてゆだねてしかるべきものである、こういうように私どもは考えるわけでございます。
#13
○山村委員長 山崎拓君。
#14
○山崎(拓)委員 ただいままで同僚議員間の質疑応答を承っておりまして、率直に私の印象を申し上げるならば、これは答弁者側と申しますか、提出者側にどうも無理がある。(発言する者あり)
#15
○山村委員長 御静粛に願います。
#16
○山崎(拓)委員 広瀬議員もみずからお述べになり、憲政史上に新例を開くという御発言があったのですが、そのようなきわめて重大な審議でございますので、イモーショナルな議論に流れてはならない。きちんとした理論構成がなされなければ、このような決議案を出すのは重大な過ちを犯すことになると私は思います。
 そこで、私はいまの御答弁の中で数点感じたのでございますが、たとえば一点申し上げますと、このような決議の重みに関しましては、全会一致の場合と過半数の場合とでは異なるという趣旨の御答弁がありましたね。これは広瀬議員みずから御指摘になりました憲法五十六条との関連におきまして、憲法を否定することになります。
 あるいはまた、もう一つ申しますならば、これは完全に民主主義の否定なんです。憲法五十六条には、特別の定のある場合を除いては、過半数でこれを決するということになっているわけでございますから、これは全会一致であろうが、三分の二であろうが、過半数ぎりぎりであろうが、国会で決したことは重みが変わらないわけですよ。さもなければ、きょうも行われ、ありとあらゆる決議が国会で行われているわけでございますが、そういう際に、全会一致の決議は重みがあるが、これは過半数ぎりぎりであったから重みがないのだという話にたりかねない。これは多数決を原理とする民主主義の否定につながる、こういうふうに私は考えるわけであります。(発言する者あり)私はこのように考えますが、この点についてはどのようにお考えになるか、伺いたいと思います。
#17
○広瀬議員 第二点目の問題からまずお答えをしたいと思います。
 私どもは、過半数で決まったものだから、それは従わぬでもいいのだということではないわけでありまして、それが委員会で採決をされ、本会議にかけられ、そこで過半数で辞職勧告決議が決まったというたら、それはやはり田中角榮議員といえども、やめられるのが当然の成り行きであろうという期待は当然持っておるわけであります。
 しかし、それは法的強制力はないのである。期待はするけれども、法的な強制力は持たない。私どもは最初からそういうものとして出している。しかし、その決議が国会の院の意思として行われるかどうかということはこれからの問題であって、われわれはそういうことで少なくとも過半数の支持は得られるのではないかという確信を持って、皆さんの疑問に率直にお答えをしながら、そういうことを期待して、そういう決議を上げようといたしておるわけであります。
 法的拘束力を持たせよう、そういう方向で行こうじゃないかということで決議が行われた場合には、国会を過半数で通った決議であっても、それは当然政府も内閣も従うべきであるし、また、みずからを律する決議を行った場合には、そのとおり従うのは当然のことであって、それは論理以前の問題であろう、このように考えるわけであります。
 それからもう一つ、私どもが今日このようなことをなさざるを得ないということは、私、いまの政治の状況は昭和初期の段階に非常に似ているのじゃないかと思うのです。実に長期にわたる不況が進行しておる、そういう中で国民大衆が苦しむ。また、当時も政党政治であったわけですけれども、政党政治において汚職、疑獄の事件が非常に相次いだのが昭和初期の状況である。そしてまた、その中から、軍国主義化への傾斜が物すごいピッチで進み始めた。思想的には右傾化の現象が進んで、いわゆる右翼の跳梁、そして五・一五事件あるいは二・二六事件というようなクーデターまがいの、あるいはクーデターそのものであったかもしれませんが、そういうところまで発展している。その先は言わずと知れた戦争への道であった。もう議会制民主政治というのは全く国民の信頼を失って、右翼の跳梁のままに、そしてまた軍国主義者の跳梁のままに任さざるを得なかった。そういうものと今日の段階が似ておるのじゃないかという恐れを持っております。議会制民主政治を本当に憲法の原理、国民主権主義の原理に基づいて守っていこうというわれわれの立場からすれば、やはりこういう時期には中曽根総理も、レーガン大統領との会談の前後を通じて大変物騒なことをおっしゃっている。これは世論誘導をそういう一つの方向に持っていくのじゃないか、そういうことを私どもは恐れるわけであります。
 これは昭和初期のいろいろな疑獄事件をリストアップしたものであります。皆さん御承知のことでありますから、一つ一つこういう例がありましたということはあえて挙げませんけれども、議会制民主政治がそういう方向で主権者である国民の信頼を失うことが最も恐るべきことであり、民主主義の根幹を揺るがしかねない。
 最近、このロッキード問題をめぐって、法務大臣系列と言っていいのでしょうか、そういう出版社が、何か「ニュースペーパー・トライアル」だとか「トライアル・バイ・ニュースペーパー」というようなことで元判事に論文を書かせ、秦野法相の例の問題発言を、これほどりっぱな発言はないなどと言っているというようなことなどもあるようであります。
 そういう諸状況を考えますと、私どもは、あのロッキード事件発覚当時に国会が全会一致で決議をしたというのは、実に重大な意義を持っておったと考えるわけでありまして、その延長線上において田中議員が総理大臣をみずからやめられる。総理が本当に一点もやましいところがない、全く青天白日だというならば、総理大臣をおやめになる必要もなかったし、全くのでっち上げをやろうというような検察官だったら、解雇でも懲戒免職でも、幾らでもできるはずであります。検察官の職務を怠ったというようなことがあるならば、そういうことのできる立場にあった人が、やはりおやめになっておるじゃないか。
 それ以上に国民は、総理大臣をおやめになったのだから議員もやめてけじめをつけて出直しをされるならば、これはある程度腹に落ちるといいますか、そういうことだってあったのじゃないかと思うわけでありまして、そういう立場に立って――皆さんは憲法上疑義がある、疑義がある。いろいろ理屈をつければ疑義があると言えるかもしれぬけれども、(発言する者あり)われわれはきわめて明快な立場で、国民主権主義の原点に立って政治倫理を守り抜こう、政治倫理を確立すること、そして国民の信頼を回復することこそが今日の急務である、こういう立場において私どもはこの決議案を提出しておるものであるということは、皆さんも議会人として議会制民主政治を守る立場に立っておられるでしょうし、先ほどから憲法をしばしば引用されているその憲法の基本原理を踏まえてこれをしっかり守っていく、そういう立場においてお考えをいただぎたいな、こういうように思う次第でございます。
#18
○山崎(拓)委員 私どもは、政治倫理の重要性についていきさかも否定するものではないということは再三再四申し上げているわけです。ただ、これは街頭演説をやっているのではないのですから、憲政において新例を開くような重大な決議になるということをみずから提案者側がおっしゃっているのですから、そのような決議を行うに当たっては、その決議は、憲法上、法律上問題でないものでなければならないということを私は申し上げているのです。
 先ほどのお話で、過半数であってもこの決議は全会一致と同じ重みを持つのだということを前言を翻してお認めになった。そうなりますと、これは国是と同じ扱いだ、こういうことですね。ですから、仮に過半数でこれを決した場合、国是と同じ重みを持つということであれば、そしてまたそれはどうしても聞いてもらわなくてはならぬ、強制力は持たないけれども、法的拘束力を持つものではないが聞いてもらわなければならぬ、こういうことですね。
 これはまた不思議なことなのでございますが、要するに、実質的に私は強制力を持つものになるというふうに考えるわけでございまして、その場合は、たとえば憲法に特別の定めのある場合、たとえば憲法改正とか五つのケースのうち、二つは国会議員の身分に関するものでございますから、国会議員の身分保障は二つのケースにおいてあるわけでございます。この場合は三分の二の多数でなければならぬというふうに書いてあります。それが過半数ということでしょう。ですから過半数で国会決議をやって、国是とも言うべき重みがある場合には、実質的な強制力を伴って国会議員をやめさせるということになる、これは憲法違反だ、こういうことに当然なるわけであります。(発言する者あり)
 仮にまた、その決議が、本人の自主的判断だ、こういうことで受け入れられないとするならば、決議の重みがなくなってしまうわけですから、そういう過ちを憲政史上は残してはならないということを私は強調いたしておるわけでございます。
 それから、今回の決議の提出に当たって、憲法の前文を引用されまして、われわれは国民の信託を受けている、国民の判断が最も厳粛なものである、そういうことでございますが、それはそのとおりでございましょう。しかしながら、どうも承っておりますと、国民はこの容疑を事実だと考えている、九割も十割近くもこの容疑は事実であるということを国民が考えているからおやめなさい、こういうことでございます。(発言する者あり)
#19
○山村委員長 御静粛に願います。
#20
○山崎(拓)委員 国民がそういうふうに考えているからやめるということになれば全く情緒的な議論になるのであって、われわれはこの容疑が事実であるかどうか、その有無についてはまさに司法にゆだねているのですから、裁判の進行中ですから、これは裁判が最後に結論を出すのですから、その事実がここで明確になってくる。(「それは刑事責任だ」と呼ぶ者あり)われわれはそれを踏まえて議論していくということでなければならないので、そういうイモーショナルな議論をここでやる、あるいは国民のイモーショナルな考え方に振り回されるということであってはならないわけで、事裁判に関しては、特に人民裁判のようなものになってはならないのだということを申し上げているわけです。
 いま不規則発言の中で、それは刑事的責任の問題だとおっしゃった。しかし、これは政治的道義的責任であっても、政治的道義的責任の根拠については何ら明快なお答えがなかったが、やはり事実を踏まえなければならない。たとえば刑事的責任を問われないような事実もある、しかしながら社会的常識に従うと――国会議員としてそれはいかがなものか。そういう事実があったならば、その事実を本人が認めるならば、刑事的責任はたとえ問われなくても政治的道義的責任を感じて、あるいは出処進退を明らかにするというケースはあるでしょう。それは事実があるからです。御本人が事実はないのだ、こう言っているのですから、事実は認めていないのです。青天白日の身であるからと選挙で言った、それはけしからぬと言うが、本人がそう言って、それを有権者が認めたから当選されたわけです。
 提出者側は、どうもそういう事実があるのだから提出したのだ、間違いない、検察庁が言っているから間違いないとある政党はおっしゃるが、検察庁が言っているから間違いないなどと言ったらこれは司法の否定になる。(発言する者あり)
#21
○山村委員長 御静粛に願います。
#22
○山崎(拓)委員 検察ファッショを認めることになるのですよ。
 そういう問題点をいっぱいはらんだ決議案なのだから、ここは本当に冷静沈着に、われわれは政治倫理の重要性について否定しているのではないということを再三再四申し上げているのであって、それはそれとして、この決議案が持つ重大な法律上、憲法上の問題点があるから、この問題の道義的な側面につきましては、われわれは今後もいろいろ別な形で論議をとり行っていこうではないか、それは一向構わない、しかし、この決議という形をとる必要があるのかどうか、こういうことを私は申し上げたいわけでございます。(発言する者あり)
 御答弁の中にたくさん問題点があろうかと思いますが、以上御指摘申し上げておきたいと思います。
#23
○広瀬議員 まさに街頭演説的反論があったわけですが、牽強付会ともいうべき論理を行使して、イモーショナルであるとか、あるいは憲法上疑義があるとか――私どもは憲法上疑義ありという立場に立っておりません。そしてまた、いままでもいろいろ同じような事件があった場合に、国会は慎重を期して何もしなかったじゃないかという御意見もございましたけれども、ロッキード事件については、しばしば繰り返すように、国会がわざわざ異例ともいうべき、政治的道義的責任を真相の徹底的究明を通じて明らかにせよというようなことを決議をしておるわけでありますから、そういう立場において私どもは、憲法上一点の疑義なし、こういう立場でこの決議案を提出いたしておるわけでありますので、その点だけ明確にいたしておきます。
 イモーショナルであるとか、情緒的であるとか、感情的であるとかいうような御意見などは、街頭演説ではいいだろうと思いますが、私どもに対する反論としては、いささかお粗末ではないかな、こういう感じがいたします。
#24
○山村委員長 この際、渡辺三郎君から発言を求められておりますので、これを許します。渡辺三郎君。
#25
○渡辺(三)委員 四月二十六日、本案件を提案しております野党全部がそろって、これまでの経過にかんがみて早急にこの問題については結論を出すべきである、こういうことを強く申し入れをいたしました。特に具体的には、四月二十六日にそういう申し入れをしたわけでありますけれども、二十七、二十八も日程はつくれるのではないか、しかし、自民党側から、さらにこの問題については慎重に準備もしたいし、検討もしたい、したがって、連休明けの五月十二日にどうしても日程をずらしてもらいたい、こういうふうな話もありましたから、私ども野党間で慎重に検討して、いままでの経緯にかんがみて、それならば十二日、つまり本日でありますけれども、質疑を続行しよう、しかし、この日は十分な時間をとって結論を出すべきである、どうしても本日じゅうに結論が時間的な関係上出せないというならば、明日つまり五月十三日も引き続きこの問題についての質疑を続行して、そこで質疑終局をさせるべぎである、したがって、そうなれば当然、議事手続に基づいて討論、採決、こういうふうな形になっていくわけであります。
 いままでの経過をずっと考えてみますと、三月四日に提案の趣旨説明を行いました。その際には鹿野委員から冒頭意見が開陳をされました。四月二十六日は山崎委員から質疑が行われました。そして本日は小里委員から質疑が行われ、さらに山崎委員からは補充質問が行われました。こういうふうにきわめて慎重に、しかも異例というほど長い時間をかけて今日の事態を迎えたと私どもは考えておるわけであります。したがって、これは当然もう質疑の終局を迎えたのではないか、こういうふうに強く私どもは考えております。
 ただいまの質疑応答を聞いておりましても、これはもはや事実上の討論なんですね。質問、答弁というよりは事実上の討論が行われている、こういうふうな状態でありますから、四月二十六日に私ども全野党が一致して申し入れをした、これに対して行われている本日の質疑、この状況をもう一度十分に考えてもらって、もう質疑終局の委員会の結論を出すべきではないか、このことを強く要求いたします。
#26
○山村委員長 次に、瓦力君から発言を求められておりますので、これを許します。瓦力君。
#27
○瓦委員 本日の質疑におきましても、この問題の持つ重要性にかんがみまして、なお一層疑問が深まり、明らかになってまいったわけでございます。議員辞職勧告決議案の不当性と、そしてまた問題点につきましては、われわれは慎重に今後も質疑を続けてまいりたい、そういう考えでおりますので、委員長におかれましては慎重に取り扱われますようにお願いをいたします。(発言する者あり)
#28
○山村委員長 それでは、本決議案の今後の取り扱い等につきましては、後刻理事会において各党間で協議してまいりたいと思います。
 この際、暫時休憩いたします。
    午前十一時二十七分休憩
     ────◇─────
    午後零時二分開議
#29
○山村委員長 休憩前に引き続き会議を開きます。
 まず、金子農林水産大臣から、農業基本法に基づく昭和五十七年度年次報告及び昭和五十八年度農業施策、林業基本法に基づく昭和五十七年度年次報告及び昭和五十八年度林業施策並びに沿岸漁業等振興法に基づく昭和五十七年度年次報告及び昭和五十八年度沿岸漁業等の施策について発言の通告が参っております。
 右の発言と、これに対する質疑は、本日の本会議において行うこととするに御異議ありませんか。
    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
#30
○山村委員長 御異議なしと認めます。よって、さよう決定いたしました。
 なお、右の発言に対し、日本社会党の小川国彦君から、質疑の通告があります。
 質疑時間は、十五分以内とするに御異議ありませんか。
    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
#31
○山村委員長 御異議なしと認めます。よって、さよう決定いたしました。
 なお、質疑者の要求大臣は、お手元の印刷物のとおりであります。
    ─────────────
 一、農業基本法に基づく昭和五十七年度年次報告及び昭和五十八年度農業施策、
 林業基本法に基づく昭和五十七年度年次報告及び昭和五十八年度林業施策並びに
 沿岸漁業等振興法に基づく昭和五十七年度年次報告及び昭和五十八年度沿岸漁業等の施策について
       農林水産大臣 金子 岩三君
   質疑通告
      総、農、外、文 小川 国彦君(社)
    ─────────────
#32
○山村委員長 次に、本日の本会議の議事の順序について、事務総長の説明を求めます。
#33
○弥富事務総長 まず最初に、日程第一でありますが、これは委員長提出の議案でありますので、議長発議で、委員会の審査を省略することをお諮りいたします。左藤逓信委員長の趣旨弁明がございます。全会一致であります。
 次に、日程第二及び日程第三でありますが、日程第三につきましては委員長提出の議案でありますので、議長発議で、委員会の審査を省略して、日程第二とともに一括議題とすることをお諮りいたします。葉梨文教委員長の報告及び趣旨弁明がございます。次いで採決に入ります。まず日程第二につき採決いたします。全会一致であります。次いで日程第三につき採決いたします。全会一致であります。
 次に、日程第四及び日程第五を一括して、山崎農林水産委員長の報告がございます。両案を一括して採決いたします。全会一致であります。
 次に、農業、林業及び漁業の各年次報告及び施策につきまして、金子農林水産大臣の発言がございます。これに対しまして、社会党の小川国彦さんから質疑が行われます。
 以上でございます。
    ─────────────
 議事日程 第十六号
  昭和五十八年五月十二日
    午後一時開議
 第一 有線ラジオ放送業務の運用の規正に関する法律及び有線テレビジョン放送法の一部を改正する法律案(逓信委員長提出)
 第二 学校教育法の一部を改正する法律案(内閣提出)
 第三 医学及び歯学の教育のための献体に関する法律案(文教委員長提出)
 第四 沿岸漁場整備開発法の一部を改正する法律案(内閣提出)
 第五 漁業法及び水産資源保護法の一部を改正する法律案(内閣提出)
    ─────────────
#34
○山村委員長 それでは、本日の本会議は、午後零時五十分予鈴、午後一時から開会いたします。
    ─────────────
#35
○山村委員長 次に、次回の本会議及び委員会につきましては、後刻理事会において協議いたします。
 暫時休憩いたします。
    午後零時五分休憩
     ────◇─────
    〔休憩後は会議を開くに至らなかった〕
ソース: 国立国会図書館
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