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1982/03/23 第98回国会 衆議院 衆議院会議録情報 第098回国会 法務委員会 第5号
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1982/03/23 第98回国会 衆議院

衆議院会議録情報 第098回国会 法務委員会 第5号

#1
第098回国会 法務委員会 第5号
昭和五十八年三月二十三日(水曜日)
    午前十時二分開議
 出席委員
   委員長 綿貫 民輔君
   理事 熊川 次男君 理事 稲葉 誠一君
   理事 横山 利秋君 理事 沖本 泰幸君
   理事 岡田 正勝君
      上村千一郎君    大西 正男君
      木村武千代君    高鳥  修君
      森   清君    栂野 泰二君
      鍛冶  清君    安藤  巖君
      林  百郎君    田中伊三次君
 出席政府委員
        法務大臣官房長 根岸 重治君
 委員外の出席者
        参  考  人
        (久里浜少年院
        長)      岡村 宏一君
        参  考  人
        (保護司)   坂本 新兵君
        参  考  人
        (東京家庭裁判
        所次席家庭裁判
        所調査官)   菊地 和典君
        参  考  人
        (神奈川県少年
        補導員連絡協議
        会副会長)   渡辺 三郎君
        法務委員会調査
        室長      藤岡  晋君
    ─────────────
委員の異動
三月二十三日
 辞任         補欠選任
  亀井 静香君     粕谷  茂君
同日
 辞任         補欠選任
  粕谷  茂君     亀井 静香君
    ─────────────
三月二十二日
 国籍法の一部改正に関する請願外一件(土井たか子君紹介)(第一六六六号)
 同(土井たか子君紹介)(第一七六九号)
は本委員会に付託された。
    ─────────────
本日の会議に付した案件
 裁判所の司法行政、法務行政、検察行政及び人権擁護に関する件(少年非行と矯正・保護問題)
     ────◇─────
#2
○綿貫委員長 これより会議を開きます。
 裁判所の司法行政、法務行政、検察行政及び人権擁護に関する件、特に少年非行と矯正保護問題について調査を進めます。
 本日は、参考人として久里浜少年院長岡村宏一君、保護司坂本新兵君、東京家庭裁判所次席家庭裁判所調査官菊地和典君、神奈川県少年補導員連絡協議会副会長渡辺三郎君、以上四名の方々に御出席いただいております。
 参考人各位には、御多用中のところ本委員会に御出席いただきまして、まことにありがとうございます。参考人各位には、それぞれのお立場から忌憚のない御意見をお述べいただきますようお願いいたします。
 次に、議事の順序について申し上げます。御意見の開陳は岡村参考人、坂本参考人、菊地参考人、渡辺参考人の順序でお一人十五分以内に取りまとめてお述べいただき、次に委員からの質疑に対しお答えいただきたいと存じます。
 それでは、まず岡村参考人にお願いいたします。
#3
○岡村参考人 久里浜少年院長の岡村でございます。
 私は、現代の非行に対応しまして少年院がどういうふうな運営をしているか、こういうことにつきまして御説明を申し上げたいと思います。
 先生方御承知のとおり、二十歳未満の非行のある少年たちといいますのは、ほとんどが犯罪を犯した少年ということでございますけれども、そういった事件は警察または検察を通じまして全件家庭裁判所に係属いたします。昭和五十六年の資料でございますが、家庭裁判所に係属しました一般の保護事件といいますのは十九万一千件余りあるということでございます。そのうちで少年院送致になる子供たちというのは二・四%、四千六百十七名が一般保護事件で家庭裁判所で審判の結果少年院に送致されております。そのほかに、道路交通法の事件とか業過の事件で五十六年に少年院に送致されました少年の数は五千四名でございます。これを暦年別に見ますと、昭和五十年には少年院送致された数というのは二千八百七十八名でございますから、歴年収容増がありまして、五十六年には五千名を超えてしまったということでございます。
 家庭裁判所に係属します事件の処理につきましては、家庭裁判所の調査官の方からまたお話があろうかと思いますので……。
 そういった五千四名の少年を受けます少年院といいますのは、少年院法で決めておりますとおり初等少年院、中等少年院、特別少年院、医療少年院の四つの種別がございます。この初等少年院といいますのが、まさに現在問題になっております十四、十五、中学校の子供たちに対応する少年院でございます。この中学校に対応する子供たちの少年院、初等少年院の収容につきましても、先ほど申しましたように昭和五十年には三百五十四名でございましたが、昭和五十六年を見ますと六百三十人、二倍にはなっておりませんがほぼ二倍に近い数字になってきております。
 これらの子供たちについてどういう対応をしておるかということは後ほど申し上げることにいたしまして、まず初等少年院が少年院の中で占めます少年の数といいますのは大体一二・六%くらいでございます。少年院に送致になります子供たちはそのほとんどが、七八%弱が中等少年院送致でございます。私は久里浜少年院長でございますが、久里浜少年院は特別少年院でございまして、犯罪的傾向の進んだ子供たちを収容する施設ということでございます。そのほかに医療少年院、これは心身に著しい故障がある少年たちを収容するということで、特別少年院と医療少年院につきましては、歴年さほど大きな人員の変化はございません。むしろ特別少年院につきましては、若干その送致が減っているような傾向もございます。
 そういう収容状況でございますけれども、少年院の対応の仕方といいますのは、個々の少年の問題性に見合った課程を設定していこうということで、これは審判決定のときに家庭裁判所の裁判官の勧告がつく事例でございますが、たとえば交通関係に問題がある少年、それを反復繰り返す少年というふうな子供がいるとします。そういった子供たちは四カ月くらいで社会復帰が可能なのではないか。というのは、問題の所在が比較的単純で、そしてその非行性としましてもさほど悪質でないというふうな場合には、四カ月ぐらいの課程で社会復帰可能ではないか。あるいは一般の非行の場合でございましても六カ月以内で仮退院、社会復帰させることができる少年たちもいるわけでございまして、そういった子供たちのために短期処遇コースといいまして、四カ月のコース、六カ月のコースという二つのコースを用意しております。
 それからその他のもの、いわゆる中等少年院あるいは初等少年院も一部入りますけれども、そういった子供たちに対応しましては、いろいろな類型がございまして、たとえば職業訓練を施した方が更生復帰させるに有益であろうというふうな少年は、全国に一つでございますが浪速少年院というのがございまして、そこで労働省がやります職業訓練所を少年院の中に設置しまして職業訓練法に基づく職業訓練を行っております。
 それから中学校の問題もさることながら、最近高等学校に進む子供たちも多うございます。少年院には送致されたけれども、将来高等学校に復学する、あるいは編入学する、卒業資格を取るというような少年たちには高等学校に見合うコースを用意しておりまして、それは全国に二カ所、喜連川少年院と福岡少年院を設けております。
 それから、非行少年の中には精神薄弱の子供たちあるいは情緒障害の子供たちがおります。そういった子供には特殊教育課程をつくりまして治療教育的な処遇をする必要があるということで、これは全国に三庁、神奈川医療少年院、宮川医療少年院、これは名古屋でございますが、それに九州の中津少年学院の三庁を用意しております。しかし、いずれにしましても、少年の非行の問題といいますのは学校の関係もございますし、それから保護者との関係もございます。ですから、地域性に重点を置いてなるべく近いところの施設に収容するということで、全国を八つのブロックに分けましてそれぞれの管内に主たる少年院は設置してあるということでございます。
 ですから、少年院の基本的な運営といいますのは、それぞれの問題性に見合った類型をつくりまして、そういったところに問題を持つ少年たちを入れて、そこで矯正教育を行うというやり方でございます。各院共通して言えますことは、少年院の教育の基本といいますのは、やはり規律正しい生活、それから日課の編成につきましても、勉強するあるいは仕事をするというふうなことに重点を置いた日課編成、それから少年院に移送されます子供たちは、たとえば家庭内暴力、校内暴力、暴走族、シンナー、ボンドのような有機溶剤の非行、それから非行が進んでまいりますと覚せい剤の汚染というふうなこともございます。それぞれに問題を持っておりますから、少年院の方ではその子供一人一人につきまして個別的な処遇計画というものをつくります。個別処遇に重点を置いた指導を展開していくということで少年院を運営しております。
 先ほど申しました初等少年院でございます。
 初等少年院の場合も同じような基本構想で、五十六年には六百三十名が初等少年院に送致されておりますけれども、そのうちで五百五十六名というのは義務教育課程中の中学生でございます。そういった少年が入ってまいりますと、すぐに在籍の学校に連絡いたします。在籍の学校から学籍簿の写しをちょうだいしまして、少年院でやりますいろいろな教育課程の要旨を連絡いたします。学校と連絡をとりながら、少年院の中で文部省の定めます学習指導要領にのっとった教育をやります。
 ちょうどいまが卒業の時期でございます。関東で言いますと赤城少年院が初等少年院でございますけれども、そこには例年九十名内外の少年たちがもとの学校の校長から卒業証書をもらって、そしていずれ少年院を仮退院していくということでございますが、九十名の卒業生がおりますと九十の学校の校長先生あるいは担任の先生が少年院にお見えになります。これは一般の学校の卒業式よりも若干ずれて卒業式を行いますけれども、そのときにはもちろん保護者の方も赤城少年院に来ております。そこで、学校長が少年院に入っている子供たちに学校の卒業証明書をお渡しになります。これはちゃんと式服を着てお見えになっております。そのときに私ども横で見ておりまして、校長の目に涙が光ります。これは私どもは、かわいそうに、もう少し何か手だてがあればここで卒業証書をやらなくてもよかったんじゃないかなというふうな学校の先生方の気持ちがそこに表明されているんじゃないかというふうな感じがして拝見しております。もちろん卒業証書を受け取る少年たちも目にいっぱい涙をためております。これは、どうも校長先生済みませんでした、私はりっぱに更生しますよという決意の涙であろう、私どもはそのように見て、非常に感激の深い卒業式をやります。それはNHKで「涙の卒業式」という題で放映しておりましたので、あるいは先生方はごらんになったかもしれません。
 そういったことで、五十六年は五百五十六人、義務教育課程中の少年たちが来ておりますが、五十六年の当初入ってきた子供たち、それから五十七年に入ってきた子供たちの中で、在籍した学校から中学校の卒業証書を直接もらって出た少年といいますのは四百十八名です。それから、たとえば少年院に来まして、帰るときが中学校の二年の課程である、あるいは三年の課程である、卒業まで至らないというふうな場合には復学の手続をしまして、もとの学校に百七十一名の子供たちが帰っております。少年院で卒業資格を得ました子供たちも、進学の希望がある者は高等学校に四十八名、それから専修学校に二十名がそれぞれ進学しております。これが初等少年院の状況でございます。
 先ほど申しましたように、少年院といいますのは勉強するか仕事をするかということでございますが、仕事の方でございますが、先ほど言いました職業訓練をやる少年院では五十六年はちょうど百名の子供たちが木工、板金、電気工事、溶接の一年間の履修証明書を持って巣立っていっております。その他の生活指導課程の少年院でも職業指導はやっておるわけでございまして、たとえば溶接士の免許を六百二十七名の者が取った、あるいは危険物取扱者の資格を百九名が取った、それから大型特殊自動車、これはブルドーザーでございますが、この資格を二百八十五名が取ったということで、在院中に二千名余りの子供は何らかの資格を取って、そして社会に復帰していくということでございます。
 一般に、少年院に来る子供たちというのは落ちこぼれとか学力遅滞とかいうふうな評価が強うございますけれども、少年院におります子供たちが日課の中で、たとえば午前中に学習の時間がある、自習の時間がある、それから夜間に自分たちの持つ自主学習の時間がある。そういう時間を利用しまして通信教育を受けます。通信教育を受けておる子供がどのくらいいるかといいますと、五十六年、八百五十六名おります。その中身は簿記とか孔版、自動車、英語、書道、ペン習字あるいは調理師、また、女の子の場合ですと洋裁、和裁、そういった通信教育を受けております。ですから、私どもが見ます限り、少年院に入っております子供たちは立ち直るために一生懸命勉強しているということです。また、私ども少年院の教官は、その立ち直りをサポートして、何とかりっぱな人にして社会復帰させたいということを念願しまして、二十四時間少年たちと起居をともにしまして生活指導に当たっておる、そういう状況でございます。
 以上、雑駁でございましたけれども、少年院の説明をいたしました。
#4
○綿貫委員長 ありがとうございました。
 次に、坂本参考人にお願いいたします。
#5
○坂本参考人 坂本でございます。
 私はタレントでございまして、保護司のお役をいただきまして大体足かけ十年ということでございます。現在川越少年刑務所の特殊面接員というのもやらせていただいております。現在、少年を四人、それから女子を一人担当させていただいております。御存じの方もあるかもしれませんが、子供番組を二十五年やりまして、タレント生活三十年でございますけれども、二十五年間子供と一緒にやってきました中で、何かのお役に立てばということで保護司という仕事で活躍させていただいております。
 いま、なるたけ全国を回ろうと思っておりますが、対象者を見ておりますと、やはりほとんどが八〇%が家庭の欠損ではないかと私は痛切に感じます。それを何とか賢いお母さんになり、お父さんになっていただくために、私は全国を回ってお母さん方と話し合って、少しでもいいから手抜きのない子育てをやっていただくために、とにかく真剣に取り組もうじゃないかということでお話をさせていただいているわけでございますが、現実問題、いま専門の先生方がおっしゃったように、非行になった現象だけをただいま騒いでいるというのが、私にとりますと、実に何か見苦しい大人の足らないところを子供に見透かされているのではないか。本音の立場で、大人はたてまえを一生懸命申し上げておりますけれども、子供たちはその本音を見抜いて、それに立ち向かってきているんではないだろうか。そういうこが一つ一つに何かあらわれてきているように思いますので、とにかく子育てのところからいかないと、私はいつも申し上げるのですが、もう幼児期に、本当に六歳までにすべての人間としてのぴしっとしたものを持っていなければならない、人間らしい人間をつくるのはもうその辺で決まってしまうのじゃないかというくらいに私は思っております。
 いまも先生が落ちこぼれとかなんとか言いますが、結局落ちこぼしている、彼らは落ちこぼれたんではなくて落ちこぼされているという、それが現実にあらわれてきている、そしてわれわれに向かって、天につばと申しますか、上を向いてつばをしてそれが自分の顔にべたっとかかってきている、それがいまの現状のような私は気がいたします。これをよくするというためには、とにかくもうたてまえ論をしゃべっていたんではにっちもさっちもいかない、何とか本音で大人たちが立ち向かっていかなかったらばどうなるんだろうかというところに私はもう来ておると思います。
 ですから、この間あたりも有識者の皆さんがお集りになって、いろいろなお話を聞いておりますと、何となくたてまえ論で終わってしまって、そしてそれを子供たちが聞いているわけでございます。あの程度のことを大人たちがしゃべって、そして何か上っ面でおれたちのことをわかってくれているんだなというような気持ちを彼らに見抜かれているんだったらば、これは大変なことだ。マスコミでも何でもそうでございますけれども、現象面だけをとらえて、そして子供をああだこうだと言うあの見苦しい姿を見たときに、子供たちはどういうふうに感じているんだろうかと真剣に私ども感じます。
 いま、特に幼稚園、保育園へお邪魔いたしましてお話をさせていただいているのですが、あの幼稚園、保育園にいる子供たちが、顔を見ていると、この子供たちが絶対に悪くなるはずがないんだ、こんなにかわいらしい、すくすくと育っている子供たちが悪くなるはずがない、その子供を悪くしていくのは、私を交えてですが、われわれ人間社会、大人の社会ではないんだろうかとやはり痛切に感じてまいります。
 ですから、毎日のように新聞、そしてテレビで騒がれているあの子供たちを見ますと、私どもはやはり、特に私は、あの子供たちがとてもかわいそうになります。本当に真剣にわれわれは取り組んで子供たちにやってやっているんだろうか。私も「ピンポンパン」という番組を十五年半、長かったのでございますが、やらしていただきまして、親子三代見ていただきました。おばあちゃまがいらっしゃいますと、四代の方々に見ていただいた。そして真剣に子供たちとやってまいりましたが、いま現在マスコミの中でも子供番組というのはなくなってしまいました。あんなに毎日たくさんの番組があったものが、子供番組は、幼児番組は一本もなくなりました。いま現在やっと一本残っておりますが、それも長くないというお話でございますが、本当に子供のために真剣にわれわれ大人はやってやっているんだろうか、細かいところまで気を使っているんだろうか、大人の都合のいい、大人の考え方だけで子供を縛っているんじゃないんだろうか、そういうことを痛切に私感じております。ですから、これは世の中よくするためにはあと何十年かかるかもわからないと思います。いまここで法律なり規則をちょっとした上っ面だけ変えても本当に直らない。あと何十年か、世代がかわって、何代かかわったところで、その人間づくりをやったところからその子供たちがよくなってくるんではないかと私は思っております。
 ですから、この間あたりも文部大臣のお話を聞きまして、これから道徳教育をやらなければいかぬなと言われたことを聞きまして実に残念に思い、また嘆かわしく思ったのですが、もうそんなことを言っている場合じゃないのじゃないか、もう真剣にすぐにでも、あしたにでも、子供たちのことを本当に考えたら、直してやらなければにっちもさっちもいかない世の中になってしまうのじゃないか。
 ですから、非行に走ったり、親に刃向かったり、先生に刃向かったりする子供たちは、われわれ保護司にとってもどうすることもはっきり申し上げてできません。そんな、一人間を直そうなんというおこがましいことは考えておりません。ただ、あの子供たちが自分で立ち上がらなかったらば絶対に起きられないということでございます。
 きょうも所長さん方がお見えになっていらっしゃいますけれども、本当に大変な苦労です。私どもも川越に行きましたり喜連川へもお邪魔しましたりしておりますけれども、こういうところにお勤めの方々は大変な、本当に人には言えない努力をしていらっしゃいます。その努力が報われないという方が多いのでございますけれども、もうそういうところに入るような子供になった場合には、先生方にお任せして、とにかく何とかみんなの力で直すような方向へ持っていきたいとは思いますが、しかし、そういう子供たちをつくらないような社会づくりを何とか、私のような小さな力でございますけれども利用して、そして全国のお母さん方にも立ち上がっていただくような方向に持っていきたいと思います。
 現実問題としまして、あの非行に走った子供たちが、突然何かああいうふうに悪くなったごとくに言われておりますけれども、決してそうではなくて、現象としてあらわれるのはある日突然でございますね、きょうからやめた、きょうからまじめ人間やめたというところからがらっと百八十度ひっくり返る。しかし、そこへ来るまでに十年、二十年という月日をかけて手抜きをして育てているわけでございますから、それを何とかするというのは、それは並み大抵のことでは直りません。
 専門家の先生方がいらっしゃる前で本当に失礼かもしれませんけれども、本当に直る子供たちというのは何分の一、本当に直るのは何分の一だろう、半分以上はまた何かのきっかけで再犯を犯し、事故を起こし、自分でだめになっていく子もたくさんいると思います。しかし、周りからだめにされる子もたくさんいると思います。そのためには、私どものできることというのは、そういう子供にならないようにとにかく真剣にお母さん方に訴えて、そして手抜きの製品をつくらないでくださいよ、普通の品物であるならば、ぶっ壊してもう一回つくり直すことはできますけれども、本当に一個の人間というものは、壊れたらばそれを直すということは大変だと思います。
 でございますので、全国おかげさまでどこへ行っても子供たちも知っていてくれますし、そういう中で、対象者でも私のうちへ参りますと、最近でございますけれども、やはり一人の高校二年生でございますけれども来まして、そして両親そろって見えられました、本人の前で私はいつも言うのですが、お母さん、お父さん、手を抜いて育てましたね、きっと本人はさみしかったと思いますよ。そういうことすらも社会では、その子供に対してかけてやっていないんです。ですから、お母さん方にそういうように言いますと、確かに手を抜きました、きっと本人は小ちゃいときにもさびしかったろう――さびしくないはずはなかったわけです。ところが、親は気がつかないだけのことでございまして、本人が初めて両親の前でそれを言ってくれたということで、やはりからっと変わってくれました。そんな小さなことでございますけれども、本人も言っておりましたけれども、本人にとったら大きな救いだった。それ以来、やはりちょっとしたきっかけでよくなる。それを大人のたてまえでもって子供とぶつかっていたらば、私は幾らたってもよくならないし、どんどんできてくるんではないかと思います。
 この間もちょうとニュースを見ておりましたち、ああいう子供たちをどんどん取り締まって、そして処分をするなり何なりするなりというお話を聞いておりまして、そこをやって本当によくなるんだろうか。そうではない。子供たちが本当に悪くならないような社会づくりを、人間づくりをやるととが私一番大事な面だと思いますので、ぜひひとつたてまえ論で終わらずに本音で子供たちにぶつかっていただいて、そして一人でもそういう子供がなくなるような世の中にしていただければ私はありがたいと思います。
 偉そうなことを申し上げまして大変申しわけないのですけれども、幼児の小ちゃな子供たちを見ておりますと涙が出てまいります。この子供たちが本当にどうして悪くなるんだろうかということを痛切に感じます。そして、少年院なり川越に入っている子供たち一人一人に会ってみますと、本当にいい子です。そういうことを肝に銘じながら毎日仕事をしておりますが、またそういう意味で何かお役に立つことがありましたら、ぜひさしていただきたいと思います。
 簡単でございますけれども、これで終わります。
#6
○綿貫委員長 ありがとうございました。
 次に、菊地参考人にお願いいたします。
#7
○菊地参考人 東京家裁の菊地でございます。昭和二十七年に大学を卒業しましてすぐに調査官になりましたので、すでに三十年の職歴を持っております。大部分が少年係の調査官ということで、少年事件を担当してまいりましだ。それですので、きょうはその実務を通じまして、現在の少年非行の状態について三点ほど申し上げてみたいと思います。
 第一点は、非行少年の低年齢化が着実に進んでおって、中学生を中心とする年少少年の非行が急増していろという事実でございます。このことは新聞紙上でもよく言われることではございますけれども、現在年少少年と申しておるんですが、これは十四歳、十五歳のことを申しておりますが、この十四歳、十五歳の年少少年の非行が昭和三十六年ごろでは一五%ぐらいしかございませんでした。ところが、五十年になりますと三〇形を超えまして、現在ではすでに四十数%になっております。それで、人口比と申しまして、人口千人当たりの非行少年の占める割合は、これも最高でございまして一八・〇、簡単に申しますと、千人の同年齢の子供がおればそのうち十八人は非行少年だということになります。中間少年、これは十六、十七歳でございますが、これが一五・六人、年長少年と申しまして十八歳、十九歳の子供は一〇・四人ということに比べますと、大変高率であるということがわかります。
 このことは、どこの白書でも強く訴えるところでございまして、ことに五十七年の犯罪白書によりますと、少年刑法犯、これは触法少年と申します十四歳以下の子供も含んでおるわけでございますが、人口比が年少少年については二八・五という数を示しております。それで、昭和四十七年に比べますと、年少少年はその人口比において二・三倍だなっておる。中間少年は一・七倍だ。ところが、若年成人と申しまして、二十歳から二十五歳の者は〇・八倍、結局人口比が減少しているということを訴えております。このように、若年成人は減っているのに年少少年、十四歳、十五歳の子供は二・三倍もふえておるというふうに言っておりまして、年少少年などの人口比の急激な上昇傾向、これは年少少年が悪くなったという一つの証左でもありますけれども、その点と、もう一つは、成人との人口比の格差が年々広まっておる、拡大しておるということを言っておるわけでございます。当然のことながら、年少少年がふえますと刑法犯少年の中で中学生の占める割合は年々ふえておりまして、すでに中学生は四六・三%というふうになっております。ですから、百件少年事件がございますと、そのうち四十六件、四割六分は中学生の非行だということになると思います。人口動態調査によりますと、昭和六十一年まではこの中学生の数は年々増加してまいりますので、総数においてこの犯罪少年はますますふえるであろうということが予測されるわけでございます。
 それで、つい最近も問題になりました校内暴力事件に中学生が多いということでございますが、これは昭和五十六年の家庭裁判所で扱いました校内暴力事件を分析した結果を若干御紹介いたしますと、やはり中学生が大変に多い。中学生と高校生の比率は八対二でございます。十件校内暴力事件があれば、八件は中学生がしておるということでございます。それで観護措置、この観護措置と申しますのは、警察や検察庁から事件が家庭裁判所に送られてまいりますと、これを少年鑑別所に入れるという措置をとるわけでございますが、これを観護措置と言っております。これが一般事件に比較して大変高うございまして、特に対教師暴力事件と申すものが普通の事件の約三倍になっております。それで終局処分、これは少年院送致が大変多うございまして、普通の事件の二・二倍になっております。そういうことで、一般保護事件に比べますと、この中学生の校内暴力事件は大変に厳しい処置をとられておるということが言えると思います。
 第二番目でございますが、女子非行の増加と質的な変化ということでございます。一般に女子少年というのは余り非行が見られないというのが普通でございましたけれども、十年前の二・七倍に増加しております。男子は一・二倍でございますので、女子非行の増加は大変顕著でございます。一般保護事件全体に占める女子の割合、これを女子比と申しておりますが、四十六年は八・五%でございましたのに五十六年度には一七・八%に達しております。結局二倍ぐらいになっておるわけでございますが、女子非行の約七〇%は万引きを中心とする窃盗事件だというふうになっております。これに比較して男子は四六%でございますから、約二倍の率で万引きがふえておる。ことに注目しなければならないのは、女子非行の粗暴化と申しましょうか、粗暴犯化と申しましょうか、傷害、暴行、脅迫、恐喝というふうな粗暴犯がふえておりまして、財産犯の増加率が四十七年に比較して二・九倍なのに粗暴犯の増加率は四・六倍に達しております。これは先ほども御紹介しました女子の校内暴力事件について大変顕著にあらわれるわけでございますが、やはり昭和五十六年度中の最高裁判所の調査によりますと、まず対教師暴力がないというのが一つの特徴でございます。九五・四%が生徒間暴力、生徒の間で出す暴力でございます。対教師暴力は二・九%と大変少ない。
 特徴的に言えることは共犯率が九八・〇%、ほとんど全体が共犯を持っているということでございまして、共犯七名以上が七〇多を占めるということでございます。それから、一つの特徴としましては、他に非行がないということが特徴と言えると思います。九五・一%に前歴がございません。そういう意味で、共犯、それから前歴なし、生徒間暴力、これが女子の校内暴力事件の特徴であると思われます。
 さらに、共犯者がある事件の割合、これを共犯率と申しておりますが、年々高くなっておりまして、現在は約七〇%でございますから、十件のうちの七件は必ず共犯者を持っているということになると思います。これは先ほど御紹介しました年少少年にその傾向が強うございまして、年齢が低いほど共犯率は高くなりますし、先ほど御紹介しました女子の共犯率はいつも高くなっております。たとえば十四歳の少年の共犯率は七六・四%でございます。これに比較しまして十九歳の子供の共犯率は五一・五%になります。ちなみに、校内暴力事件の共犯率は七八・五%でございますので、校内暴力事件というのは共犯がきわめて多いということができるだろうと思います。
 このことはどういうことを意味するかと申しますと、よい意味でも悪い意味でも現在の子、現代っ子というのはひとりでは何もできないのではないだろうかというふうなことを考えます。それは、彼らというものは何よりも孤立が恐ろしい、自分ひとりになるというのが恐ろしい。ですから、その場の雰囲気によって簡単に、友人や仲間同士で安易に集団行動を起こしてしまうという特徴があるだろうと思います。そしてその同じ行動をとることによって、ひとりではできそうもないことが容易に達成できるという現象も否定できないと思います。そういう意味から、共犯者がふえる、共犯率がふえるというのは現代っ子の特徴を示しているのではないだろうかというふうな感じがいたします。
 以上、三点にわたって御紹介いたしましたけれども、年少少年というのが最近大変ふえてまいりまして、その処遇にもいろいろ困難な事態が予想されております。その点につきまして、家庭裁判所の調査官と申しますのは、家庭裁判所におりまして非行少年の社会調査という役割りを負っております。と申しますのは、少年の背景、環境、それから家庭、性格、そういうものを詳細に調査いたしまして裁判官に意見を提出するという役割りを負っておりますので、この三点がことに痛切に感じられておりますので、発表した次第でございます。終わります。
#8
○綿貫委員長 ありがとうございました。
 次に、渡辺参考人にお願いいたします。
#9
○渡辺参考人 渡辺でございます。
 私は保護司十五年、同時に神奈川県の少年補導員といたしまして十九年街頭補導や継続補導を行い、非行少年の更生保護に微力を尽くしているものでございます。
 きょうは、継続補導によりまして更生した事例ということで、私が長年取り扱ったものの中から特に印象に残った事例につきまして、多少年月はたっておりますが、当時の社会環境など現在と余り変わりない状況と思いますので御報告させていただきます。お話の都合上、少年をI少年と呼ばせていただきます。
 I少年は現在二十六歳になっております。私が本人を取り扱いましたのは十四歳のころでございます。この少年は、昭和三十一年四月二十一日生まれ、生まれたときから家庭では両親の葛藤が絶えませんでした。祖母、お父さんの母親でございますが、祖母に養育されておりましたが、両親はその後、事実上長い葛藤の末、離婚いたしております。それはこの少年が九歳で、小学校三年のときでございました。そして父親は継母を迎えたのでございます。
 昭和四十四年、I少年は中学に入学し、翌年の二年の夏ごろから不良グループとシンナーの乱用や怠学、深夜外出、不良交友をするようになりました。
 四十六年、中学三年のときには、先生に乱暴したり、仲間と学校の施設を壊すなどして、この間、補導されること数回に及びました。このころ、私は民間少年補導員といたしまして何回か本人の補導をしたこともございます。そして、このときに初めてこの少年を知るようになりました。
 中学を卒業後、定まった職業を持たずアルバイトをするぐらいで遊んでおり、シンナーやボンドの乱用も続けておりました。
 そうこうしているうちに四十八年一月十日、強姦事件を引き起こしまして横浜の山手警察署に逮捕されました。二月七日中等少年院送致が決定し、静岡少年院に入院をさせられたのでございました。このときから私がこのI少年を担当するようになりました。I少年は、少年院入院中も嫌がらせをしたり、暴れたり、態度も悪く、そのため謹慎十八日の懲罰を受けております。
 昭和四十九年五月二十日、予定より二カ月おくれまして少年院を仮退院いたしましたが、定職もなく不良グループとの交際も切れず、シンナー、ボンドの乱用も復活いたしました。そのあげく、暴行、傷害、恐喝事件を引き起こし、再び逮捕されたのでございます。八月二十一日、神奈川少年院に収容され、五十一年三月に仮退院となりました。
 このとき、私はI少年を更生させるのはいまがチャンスと考え、いままで以上に本人及び家族との接触を深めたのでございます。静岡少年院に本人が入りましたときに私の保護観察に入りまして、さらに神奈川少年院に入りました。このときの環境調整も私進んで観察所にお願いし、再度私が持たせていただくように観察官並びに所長先生にお願いをしたのでございます。
 まず、I少年の性格について申し上げますと、情緒的に非常に不安定なところがございます。ささいなことにこだわり、すぐ元気をなくしたり気が沈みがちであり、また一方では短気で怒りや不満を抱きやすく、それにより攻撃的に振る舞うことが多い。その反面、自分をよく見せようとし、おだてられるとすぐ調子に乗り、だれとでもすぐ同調して行動してしまうという点がこの少年の性格の特徴として挙げられます。
 このようなI少年を指導していく上で問題となりました点を幾つか挙げますと、一つは、不良グループとの交友関係でございます。I少年の場合、居住地域中心の交友関係があり、中学時代からの不良グループがそのまま継続しており、容易にそのグループから脱し切れず、ずるずると引き戻されてしまうという点です。
 二つ目といたしまして、幼児期から規則正しい生活習慣を身につけていないことです。怠け癖が強く、ぶらぶらと無為徒食の生活を繰り返すという点でございます。
 三つ目としては、習慣性のあるシンナー等の常習者であり、つらいこと、嫌なことがあるとすぐシンナーに手を出し、いわば現実から逃避しようとする点でございます。
 そして四つ目といたしましては、両親の不仲、祖母の溺愛などからこの少年の監護は放任状態となっておりました。保護観察中でありましてもたびたび所在不明になり、少年と接触しての指導ができなくなる点がありました。
 これらの問題点を踏まえ、私は時間の許す限り少年宅を訪問し、少年とその家族に会いました。最初はいい顔をされず困ったことがたびたびございました。何度も玄関払いを食わされたり、居留守を使われましたが、何度も訪ねるうちに何とか話ができるようになり、だんだんと打ち解けて話をしてくれるまでになりました。
 この少年にはよい友達を持つことがいかに大切であるかを話し、少年院に入院前につき合っていた不良グループから離脱するよう説得を繰り返しいたしました。さらに、せっかく少年院で電気関係の技術を習得したのだから、ぶらぶらしていないで、その技術を生かせるところに就職し、定職を持つよう指導いたしました。そしてさらに、シンナーを吸引することは心身にどんなに有害であり、自分自身をだめにしているかを話し、やめるように繰り返し説得いたしました。
 I少年の父親には、子供の成長に親の果たす役割りがどんなに大きなものであるかを繰り返しお話しいたしました。特に少年の就職については、父親の勤務先へ就職させるよう働きかけ、その間の指導監督をするようにお父さんに働きかけたものでございました。
 一方、母親、継母でございますが、幼児期から家庭の温かさに飢えている少年であることをお話しし、できる限り家庭的な雰囲気をつくるよう助言いたしました。幸い、このお母さんが家族の中で一番この少年の更生に力を入れておりましたので、この少年も徐々に落ちつきを取り戻してきたのであります。ちなみに、本人が神奈川少年院から退院いたしましたときに母親は尾頭つきのタイで本人の出所を祝ったものでございます。
 私は昭和五十一年四月二十日までI少年の保護観察を行いました。その後、この少年は、少年院入院中に習得いたしました電気関係の技術を生かしまして横浜市内の某電気工事関係の会社へ就職し、その会社でよい人たちにめぐり会えたこともありまして、いままで犯した罪の重大さに気づきました。一生懸命働くことがいままで迷惑をかけた人たちへのおわびであると、現在では後輩を指導しながら会社の中心的存在として一生懸命働いております。
 昔から曲がった木を矯正するのはまことに困難であると言われておりますが、この少年の両親の長い間の葛藤は最愛なるわが子まで巻き込み、その大人同士の憎しみは子供を愛情を知らぬ子供として育ててしまいました。長じてこの少年が親から学んだ家庭教育は、人はみんな信頼できないと考えることでした。父が教えるべき規範意識、母が教えるべきやさしさや思いやりの心は、I少年の両親の場合はその役割りを果たせなかったのであります。その結果、少年期に入った少年はあらゆる反抗を繰り返しすべてのものに示しまして、前述のような逸脱した問題行動を起こしてしまったのではないでしょうか。
 I少年が定職につき、一生懸命働いている姿を見ますと、少年院を仮退院後に受けた社会環境がこの少年に愛と生きるとうとさを教えてくれ、更生させる上での大きな支えとなりまして、大人として自立させたものと思います。
 I少年は、現在、自分には過ぎた妻だという奥さんがおります。保護観察解除後も一カ月に一度くらいは必ず元気な姿を見せて私どもに来訪してくれます。本当にここまでこの少年が更生したこと、本当に私は心から拍手を本人に送りたいと思います。来年は独立して店を持ちたい、シンナー、ボンドの吸引があったために子供はつくれない、でももう数年、五年も六年も経過しているので来年は大丈夫じゃないかと思いますという非常にうれしい報告も聞かしてくれています。
 以上でございます。
#10
○綿貫委員長 ありがとうございました。
 以上で参考人の意見の開陳は終わりました。
    ─────────────
#11
○綿貫委員長 これより参考人に対する質疑に入ります。
 質疑の申し出がありますので、順次これを許します。
 なお、理事会での申し合わせにより、各党が一人一問ずつこれを行い、後ほどは、その都度、委員の発言を許可することといたします。熊川次男君。
#12
○熊川委員 諸先生には非行少年に接していろいろと原因の究明あるいは更生に対する努力に非常に頭の下がる思いですが、いま参考人の諸先生からお聞きして、一つには愛情の欠如を訴える先生もおられる、それからもう一つは、対教師暴力について調べてみると、ほかに非行歴のない方が多い、裏を返せば家庭内暴力と学校内暴力には質的差があると推測できるような御意見も伺いました。また他面、道徳教育というようなものは余り価値がないのではないかという御疑念もある、こういうお話でありますが、家庭内における教育、それは本音で立ち向かえ、こういう御意見もありました。
 そこで、できたらまず菊地先生には、校内暴力者の傾向あるいはその原由というようなものと家庭内暴力との質的差があるのかどうか、またあるとすればどういうものであるのか。
 関連して渡辺参考人にも、愛情の欠如というものを訴えられておりましたけれども、家庭内における愛情と同じ側面でまた学校内における教師の愛情の問題もありはしないかと思いますので、触れていただけたらありがたいと思います。
 坂本参考人には、本音で立ち向かえという点についてのもう少し具体的なことを教えていただけたらと思いますし、お父さん、お母さん手抜きをしましたねという、その一言でもって子供の立ち直りの大きなインパクトになったということは、学校におけるところの教師にも言えないかどうか、手抜き教師がいないかどうか、この辺についての参考意見など、また道徳教育の点についても坂本先生に一言触れていただけたら、こんなふうに思います。
#13
○菊地参考人 お答えいたします。
 これは私の見解というふうなことでお断りしておくわけでございますけれども、校内暴力事件と家庭内暴力事件は質的に大変な差があるだろうというふうな気がいたします。と申しますのは、校内暴力事件というものの真の底にあるものは、やはり自己顕示といいましょうか、自分はこれほど偉いのだぞということを他に見せるということが中心になっているだろうと思うのです。よく言われる番長とか番長グループとかというのは、先ほどからお話しございましたように、学力の面で、それから学校生徒としての評価としては大変いわゆる落ちこぼれでございます。そうしますと、その他の分野で、おれはここに存在するのだぞということを何らかの意味で示さなければならない、それが校内暴力の大きな原因だろうというふうに思っております。それは暴走族でも同じ傾向があると思います。というのは、一般社会では全然歯牙にもかけてもらえない子供たちが、暴走行為をすることによって、おれたちはここに存在するのだ、おれたちに注目せいということがあるというふうに私は思っております。
 ところが、家庭内暴力はそれと全く逆に、そういうふうな他に自分の存在を知らせるというのではなくて、自分のうっぷんをきわめて弱い抵抗力の少ないそういうものに向けるのが家庭内暴力だというふうに思っております。ですから、家庭内暴力の最初の犠牲者は必ず母親であるわけです。母親でございまして、徐々に弟妹に及び兄姉に及び、最後が一番腕力のある父親に向かっていくというのが典型的な家庭内暴力のパターンであると思うのです。そういう意味では校内暴力をする少年にはむしろ家庭内暴力は見られないのじゃないか、家庭内暴力を見せる少年は校内暴力というのに直接的に参加するということはないのじゃないだろうかというふうに私は思うわけでございます。
 以上でございます。
#14
○渡辺参考人 先生からの御質問でございましたけれども、家庭の愛情の欠如ということでございますが、長年本人たち、家庭に接したことで得られましたことは、常に私思っておることでございますが、過保護という言葉がございます。物を与えることが過保護というような解釈をしておりましたけれども、実はそうではなくて、本当の過保護というのはこれじゃなかっただろうかという一つの考え方がございます。すなわち、お母さん方、お父さん方が自分の子供の本当の能力、適性というものを早い時期に発見してやったならば無理な教育姿勢をとらなかったのではないか、この辺のところが親が過保護にしてしまったのではないかというような考え方を私持っております。
 また、いろいろお話もありますけれども、それに関連して、母親が、子供が学校へ行く、勉強する、塾へ通う、母親に追従するあらゆる行動をとるために、母親がより以上に子供に対して物を与える、すなわち子供自身の耐える力を母親自身が摘み取っていくのではないかというようなことを長い経験の中から感じ取らせていただきました。
#15
○坂本参考人 先ほどの御質問に、本音とたてまえということでまずお答えしたいと思います。
 いまやはり本音とたてまえがあり過ぎる、ほとんどが何か本音とたてまえではないかというふうに、すべてのものを見ると私そう見えるわけでございますが、学校の先生も教科書の上では本のとおりに教えておられる。しかし、社会の動きは本当にそのとおりいっているだろうかというと、実はそうではない。たとえばこの間、あるテレビ局で、学校の先生、信用できるか、できない、みんなでやりました。学校の教科書、信用できるか、できない。あれはもっと流そうと思ったのでしょうが、あれはやめたというところに、私はそれを見ていて、ははあ、これが本音だな、学校の本と先生を信じていたらおまえたちは学校へ上がれないぞ、私立の中学へ上がるときに、小学校六年生で中学三年生の力の試験ができないと私立中学には入れないのだ、もうそういうところにいま来ているのだ、本当にそれが子供のためになっているのだろうか。
 あの、先生を信用できない、本を信用してはいかぬのだという言い方を全予備校の先生がやっているならば、子供たちはあきらめ――いまの子供たちは本当にあきらめます。だめだと思ったら、幼児と同じように簡単にあきらめてしまう。そのあきらめが親にもありますし、社会にもあります。みんなで万歳してしまう。そして手を下せないでみんな責任逃れしてしまう。結局はあの子供たちがおろそかにされているのではないか。すべて一つ一つ小さなことの積み重ねが、結局子供の心に傷をつけているのではないかというふうに私は思っております。
 それはお答えになるかどうかわかりませんが、それと、先ほどの子供がうちへ参りまして、両親が来ましで、そして実は両親とも、いまほかほか弁当というのがはやっておりまして、そのお店をやっておりまして、その子供が結局はおばあちゃんにずっと小さいとき、幼児のときから預けられまして、両親は朝からいない。一日じゅういない。夜遅くまでいない。結局はおばあちゃんと二人だけでやっております。この子供がさっき申し上げましたように、本当にどのくらいさびしかったかということでございますね。これはやはり本当に真剣に子供の立場になってあげなければわからないかもしれませんけれども、本当にどんなにさびしかったろうか。その一言、君、さびしかったろうと言ったときに、本人がにこっと笑って、僕の顔を見て本当のことを初めて言ってくれたということを後で言ってくれましたけれども、その一言でその少年はわかってくれましに。ですから、お母さんを恨んではいかぬよ、お母さんは認めたんだ、お父さんも君を手を抜いて育てたということを認めたんだ、きっと君がさびしかったということは君しかわからないだろう、お母さんにもきっとわからないかもしれない、だけれどもそれはわかるかなと言ったら、わかります、そう言ってくれた人が初めて先生だけでしたと言ってくれたのです。
 それは別としまして、やはり子供というのは敏感なものでございますから、ちょっとしたことでも、大人にとってはこんなに小さなことでも、子供にとったらこんなに大きいことであるというふうに感じるわけでございますけれども、いまいろいろな意味でタブーとされていることが世の中にたくさんございます。何かそのタブーをやらないと生きていけないような風潮もございます。たとえば貸しレコードがいけないと言う。しかし法律的にないのだから、いまのうちに、法律ができる前にやってしまえというような、他人に迷惑がかかろうと自分さえもうかればそれでいいではないかという、一つの例でございますけれども、あれも法律ができればきっとやめると思いますが、それまではやっても決して罪にはならないのだ、だったらやってしまえ。一つのことでございますけれども、本当にその積み重ねがいろいろなすべてに出てきているのではないか。それは子供は厳しくちゃんと見詰めている。大人は自分たちの都合のいいようにやっているだろうけれども、子供はちゃんと見抜いている。それに対して幾ら言ったって、じゃ大人はどうなんだと言われたときに、何にも言えない。
 ですから、学校の先生、昔は家庭と先生というのは一体になっておりまして、先生の言ったことは家庭でもやはりそれはそうだなというところがありましたが、いまはお母さん方が大変学問もおありになるので、先生に食ってかかってくる。うちの子にそんなことをやらせないでくださいというようなことを言います。すると、どっちを子供が信用するのだろうか。結局は自分の都合のいい楽な方に子供はつきます。親がかばってくれればそっちの楽な方につき、先生の方にはつきません。ですから、学校に参りまして、先生を先生と思うかと言うと、思っていないというのがほとんどでございますね。中にはそれは御家庭のしつけのいい方もいらっしゃるでしょうけれども、やはりほとんどない。一つ一つ見ますと、大変恐ろしい現状だと思います。
#16
○綿貫委員長 それでは横山利秋君。
#17
○横山委員 皆様、どうも御苦労きまでございます。
 非常に感銘の深いお話でございました。
 岡村さんと菊地さんに伺いたいのですけれども、少年院を出るまでは、いまお話のございますように本当にあらゆる努力を続けていらっしゃる。調査官としても、少年をいろいろな家庭状況や何かをお調べになっていらっしゃる。その任務が終わった後、少年院なり家庭裁判所のアフターケアというのは一体あるんだろうか。先ほど坂本さんから、半分以上は何かのきっかけでまただめになるというお話がありました。私もそうは思うのですけれども、仮にそうだといたしますと、少年院なり家庭裁判所なりの蓄積された少年の観察、措置の方法、そういうものは後々非常に重要ではないかということが考えられるわけなんであります。
 御存じのように、いま少年法、少年院法、犯罪者予防更生法、更生緊急保護法、保護司法、いろいろございます。ございますが、これらの法律が制定された当時は、かくも年少犯罪が増加するということは考えていなかったんではないか。また、法律が多過ぎるという感じもいたしますね。いま法務省で統合を考えておられるようですけれども、この法律にいたしましても、何か少年に関する諸法律を見ましても、いまお話を承るように少年を処罰するというわけであって、更生させるという立場からするならば、この少年に関する法律体系というものは、法律に書いてあることと皆さんの努力していらっしゃることとのそごが少しありはしないかという感じがするわけです。
 ですから、私の質問したい焦点は、これほど御努力なさったアフターケアの問題について、生かす方法はどうあるべきか、またはそれに立法的にも考えられるべき点があるのではないかという点でございます。
 それから、坂本さんと渡辺さんにお伺いしたいと思います。
 お二人の非常な御努力に対して敬意を表しますが、保護司さんも全国にたくさんいらっしゃる。そして、かねがね私ども言っているのですけれども、お二人は別にいたしまして、保護司さんが年少の犯罪に年齢的にも体験的にも本当に適合をしておるんだろうか。率直に言いまして、高年齢化しておったり、実際的に年少者を本当に――坂本さんのように日常接触していらっしゃる人とは違いまして、そういう点では保護司さんのあり方について、御体験上、教育だとか保護司の切磋琢磨だとか、こういう点について改善すべきことはないだろうかという点をお伺いいたしたいと思います。
#18
○岡村参考人 かなりむずかしい御質問でございます。少年院で教育をいたします。少年院で教育をいたしました記録といいますのは、一つは少年調査記録にとじます。それから一つは少年簿にとじます。それらのものといいますのは、少年院の中でいつ幾日どんなことがあってどんな指導をした、どんな結果であったという記録は、少年が家へ帰りますと、これは保護観察所へ行きます。保護観察所でその観察官がごらんになって、その情報を保護司の先生方にお伝えになるということです。それともう一方やっておりますのは、少年院を出ますと一人一人の子供に院内の成績経過票というのをつくります。これは、少年院に少年が送致されてきまして、それを送致された裁判所にも送りますし、それから、次にバトンタッチする観察所にも送りますし、そういうふうにして少年院からのそういった情報を関係機関に通知する。
 いま御指摘の点は、かなり昔問題がございまして、昭和五十二年に少年院のありようを少し考え直そうということで、運営改善という作業を行いました。その際に先ほど言いました短期課程、そういったものの発想も出たわけでございますが、そのときに同じような検討をされましたのが、少年を取り囲む関係機関がそれぞれ少しばらばら過ぎやしないか、だから、それの連携を保つという方策は何かということでございます。
 そこで、少年院に送られてきた子供が社会復帰しますと、成績票を保護観察所にお渡ししまして、それが保護司の先生方に行くとか、あるいは少年院で仮退院を申請いたしますときに、この子は社会復帰したときにこういう問題点があると思いますので、その辺の指導をよろしくお願いしますという保護観察に対する少年院としての意見、そういうものをつけて申請いたします。いまはそういう状況でございます。
 それから、もう一点つけ加えさせていただきますと、確かに少年院を出た子供たちの予後はいかがであろうか、これは私どもまことに関心を持っておるところでございます。
 この調査はなかなかむずかしゅうございます。たとえば少年院の中での成績というのは一体どう評価したらいいのか。少年院を出まして一年たったときに身柄がどこか、少年院とか刑務所とかにもし入っていれば、それは不良だろう、そうでない者はよしと考えたらどうだろうか。それを三年じゃどうか、五年じゃどうかというふうないろいろな議論がございます。法務省は法務省の研究所で、少年院を出た後の予後調査というのをやります。これはいま申しましたように、一年の時点でいまやっておるわけです。それを一年が妥当か二年が適正じゃないか、この辺の議論はいろいろあると思いますけれども、昭和三十二年と昭和四十九年と昭和五十三年と三度にわたってやっておりまして、これは、少年院を出た子供が一年たった時点で身柄が再収容されているかどうかという調査でございます。
 ですから、成績の評価で、身柄は収容されてないが保護観察中の成績はどうもよくない、これは不良だということであればそれは不良に入るんでしょうが、再収容率だけで見ますと、昭和三十二年には三三多の子供たちが一年たちますとまた少年院や刑務所に入っていた。昭和四十九年の調査では一三・六%の子供が少年院や刑務所に入っていた。それを昭和五十三年で見ますと、八・七%の子供が少年院や刑務所に入っていたということでございます。
 それで、少年院でもいろんな教育をやりますけれども、先ほど申しました交通の短期課程、きわめて短い、二カ月か三カ月少年院の中で訓練して社会復帰させる、これは非行性が余り進んでいない子供でございます。その子供たちは三%の再収容率であった。それから、一般短期課程の子供たちは六%の再収容率であった。長期課程は一〇%余りありまして、平均しますと八・七%であった。そういうことでございますので、御参考までに御報告申し上げます。
#19
○菊地参考人 先生方御存じのように、家庭裁判所は司法機関でございまして、行政に余りタッチしないというのがたてまえでございます。それでございますし、少年法で認められている保護処分というのは三つしかございません。保護観察にするということ、それから少年院に送るということ、それから教護院または養護施設に送致するということでございますが、実際上は教護院、養護施設に送るということは考えられないほど少ないわけでございます。そうしますと、保護観察か少年院に送るかいずれかの方法を選ばなければなりません。それからもう一つは、少年法によりまして一回保護観察なり少年院送致なりにしてしまいますと、その取り消し、変更ができないことになっております。それでございますので、家庭裁判所としましては、少年院に送致する場合にも保護観察にする場合にも大変慎重に考えなければなりません。けれども、先ほど御紹介いたしました家庭裁判所調査官の社会調査によりましても、その踏ん切りがつかないケースが大変多うございます。
 そこで、われわれ家庭裁判所調査官は保護司さんと同じような仕事をしていると言っても過言ではないわけでございますが、試験観察という方法をとっております。と申しますのは、少年を先ほど申しました保護観察もしくは少年院に送る前に若干の期間様子を見まして、その様子のいかんによって保護観察なり少年院に送ろうという制度が試験観察制度でございます。
 それで、私ども調査官は、家庭裁判所の裁判官の命を受けまして保護司さんと全く同じような仕事を数カ月にわたってやっております。たとえば校内暴力事件でございますけれども、これを試験観察の割合から申しますと、一般の事件に比較して約二倍試験観察をやっております。ことに対教師暴力、教師に対する暴力事件についてはこの比率が高うございます。
 なぜ保護処分にする前に家庭裁判所の調査官がこういうふうな試験観察をするかと申しますと、やはり少年院に入れる施設処遇というのは、いかなる意味におきましても自由の拘束性が高うございますし、それから最近よく言われておりますラベリングと申しまして、あの子は少年院を出てきたんだ、少年院出だというふうなラベルをなるべく張りたくないという気持ち、それから現在の刑事政策の主流が施設処遇ではなくて社会内処遇に向いているということ、そういうことを考えましてこの試験観察が使われるわけでございます。
 先ほど御紹介しましたように、校内暴力事件につきましては、送致機関、警察なり検察庁からは大変厳しい処遇意見が付されておるわけでございますが、家庭裁判所が収容処分、少年院に送るというようなことを避けて社会的処遇であります試験観察を使いますのは、次の四点にあるだろうと思います。
 一つは、まず年少少年であるから義務教育中であるということでありますね。可塑性に富む年代であって、いかようにもわれわれの指導によって変えられるのではないかという可能性に信頼をしておるということ。
 それから二番目でございますが、校内暴力事件と申しましても非行性の深化が進んでいるとは認められないケースが多うございます。これは坂本参考人からお話があったと思うのですけれども、何らかの手を加えることによって非行性の進むのを食いとめることができますし、それからむしろプラスの方向に引きずっていくこともできるというふうな点に着目していることが原因でございます。
 三番目でございますが、これもやはり問題にはなると思いますけれども、保護者に引き取りの意思があって、少年の問題行動を改善しよう、それに対して努力をしようという決意が見られるということ。
 四番目に、これが一番重要な点だろうと思うのですけれども、少年が非行について反省をして復学を希望しているというふうな点がございます。これはことに私の実務上の経験でございますけれども、いかに番長であれ、いかに校内で暴れ回っている少年であれ、観護措置と申しまして先ほど御紹介しました鑑別所に入れますと本当に借りてきたネコのように小さくなってしまう、おとなしくなってしまうということが現実でございまして、こういう点を考えまして、先生御指摘のアフターケアと申しますかその少年に対する具体的な指導をしております。
 その結果が悪ければこれはやむを得ません、保護観察にしたり、それから岡村参考人の言われるような施設処遇、少年院に送るということになるわけでございます。
 以上でございます。
#20
○渡辺参考人 私、先ほど自己紹介させていただきましたけれども、保護司であると同時に少年補導員ということでございます。実は少年補導員の場合には、すでに私の場合は年齢が高うございます。現在、この一月で五十八歳になりました。私が少年補導員を拝命いたしましたのは三十九歳のときでございます。社会でどういう方を人的資源で採用するか、その辺のことはよくわかりませんけれども、少年に対する啓蒙に関心が非常に深いあるいは少年に対して造詣が深い、少年に対する熱意が非常にあるということがこういうような一つの職務につかせてくれたのではないかというふうに思って非常にありがたく感じておるところでございます。年々年をとっていきますので、五十八になりましたけれども、保護司を拝命いたしまして十五年を経過させていただきました。
 しかし、十五年、十九年間の経験を通しまして、少年たちに接するというときは、私は本人たちの人格、自尊心というものを尊重いたします。すなわち人間関係はお互いの信頼であるということをたてまえにしながら接触を深めていきます。子供は生まれながらにして悪い子は一人もおりません。何かそこの間にある環境が本人たちを赤に染めたり黒に染めたりしていったんではないかと思います。それなりに本人たちも含め、両親とも話し合いながら、家庭環境を研究しながら、限られた期限の中で本人を含む家族たちとの接触を深めていくことによって、保護観察もできたり、継続補導もできたりということではないかと思いますので、自分は年齢ということに関しては余り感じておりません。それと同時に少年に対する熱意は人に負けないように持っているつもりでございます。
#21
○坂本参考人 お答えいたします。
 私は昭和十年生まれでございますから、いま四十七でございますけれども、保護司さんの仲間では若造の方でございます。でございますので、そういう意味で、先ほどもお話がございましたように、確かに私のところへ保護観察で最初に参りますと、一番うれしいことは、玄関を入るまではどういう人間がいるのだろうということで大変疑問に思って来るようでございます。玄関をあけてどうぞ入りなさいと言ったときに、あらという顔で、まず笑顔で子供たちが接しでくれるわけです。そこで一年なり半年なりの接近する力も出てまいりますので、そういうことではタレントをやっていてよかったなと思っております。
 それから、後の処遇でございますけれども、確かに昔の保護司さんというのは名誉職でございまして、一つの何かかっこいいというようなこともあったようでございます。しかし現在では、やはり本当に更生させてあげなければ何にもならないのだということを真剣に考えております。そのためには、たとえば何か問題を起こすような家庭で育った子が所長さんのところでお世話していただいて帰ってきても、まただめになるという確率が多いわけであります。ということはなぜかといいますと、だめなところから出てきまして、まただめなところに帰るわけでございます。そこでやはりだめな引き取り手の方がぴしっとしておりませんと、これはまた帰ってから大変な問題を起こしている率が多いようでございます。幾ら直していただいても、そのだめなところで育てられて、だめにされたところへまた戻るのでございますから、その辺が大変むずかしいのだろうと思っております。
 それと、一番問題なのは、保護司さんが子供に上対処するときに、昔でしたらどうかわかりませんが、いま、寒いときに寒そうなかっこうをして来まして、そして、おまえ寒いだろうけれども、その寒さに耐えてりっぱになるんだよと幾ら言っても、これはかぜを引いたのではどうしようもないのだ。よし、ではたとえいいものではなくても、安いものでも暖かいものをひとつ与えてあげなければいけないとか、それから中にはサラ金に手を出してしまいましてアパートを追い出されたり、御飯も食べられないという子もおります。そういうときには、これは観察所の方へ御相談しますと本当はやってはいけないのかもしれませんが、やはり御飯ぐらいは食べさせてあげなければいかぬぞ、後で食堂の方へこちらからお金を払うというような形をとるときもございます。
 それともう一つは、一番大事なことは、少年院なり刑務所に入っているときに保護司さんが何回か面会に参ります。ところが、面会に来る率が、先生はどうかあれなんですけれども、わりと少ない、これはなぜ少ないかというと、予算がないのだそうでございます。法務省というのは大変予算のないところで、びっくりするぐらい予算がございませんで、そういう交通費を払うのにも、何回も行かれてしまうと困るのだという、表向きは言えませんが、おっしゃいませんけれども、現実的にはそういうところがある。私なんかもちょっと行き過ぎるぐらい行くのでございます。ただ、行き過ぎるぐらい行っておけば、出てから楽なのでございますね。やはりそこのつながりというものが出てきます。
 さっきも申し上げましたように、社明運動というのが七月にございますけれども、それにしても、社会を明るくする運動を番組で取り上げてくださる放送局はほとんど無に近いものでございます。総理府の番組というのはたくさんあるのでございますが、法務省の番組というのは一本もない。これは私は社明にも使いたいし、それから一つの問題として、法務省の番組を三十分でも結構でございますので、ぜひ一本ぐらいつくっていただく、そしてそのためにいろいろなことで使えるのではないだろうかというふうに思っておりますが、その辺をお役所の方はわりと言えないようでございますので、私はぜひこれだけは何とか三十分、十五分でも結構でございますので、そういうところの御予算をいただければありがたい、こういうふうに思っております。
#22
○綿貫委員長 それでは、鍛冶清君。
#23
○鍛冶委員 きょうは参考人の方には大変ありがとうございました。
 それでは、ちょっと質問を申し上げたいのですが、岡村参考人にお尋ねをいたします。
 少年院に入ってこられる子供さんたちといろいろとお話し合い等を皆さん職員の方はやられていると思いますが、大体こういうふうなところに来るようになったのはどういう理由でそうなったのだということを言っている人が多いのか。これは少年院の中で統計上あったかどうかわかりませんけれども、それぞれわかりましたら、そういう形でいろいろこういうところが一番理由が多い、それから次はこれが多いというようにわかる範囲でひとつお答えを願えればと思いますが、岡村参考人にそれだけ質問しておきます。
 それから、坂本参考人と渡辺参考人に同じ問題をちょっとお尋ねしたいのですが、実は本年三月に総理府の教育に対する世論調査がございまして、御承知だろうと思いますが、その中で私どもがちょっとびっくりしたのは、八三%の親が家庭でのしつけが非常にうまくいっている、こういうふうに答えているわけですね。そうであれば私どもは大変うれしいことなんですが、そういうことに対して、私もこういう関係で足を運んでお話し合いをしたりいろいろしたことがございますので、果たしてそうかなという感じが、大変悪いのですが、気持ちがあります。その反面に、学校にしつけの責任があるかというような質問に対しても、たしか相当高い率で学校に責任があるのだというようなことも言っているわけですね。ちょうど何かそれとうらはらの感じがするのです。そういう調査結果に対して、現実は一体どういうふうにあるのか、そういったあたりのお考えを、現場でいろいろと体験されている中から判断をして、このアンケートの答えのパーセントが果たして内容的にはどう考えたらいいのだろうか、どういうふうにお考えだろうかということをお聞きしたいと思います。
 それから、菊地参考人にお尋ねしたいのですが、いろいろと資料を挙げて御説明いただきましてまことにありがたかったのですが、ともすれば、こういう校内暴力とか少年非行のデータ、これは大体警察関係から出ている資料がそのまま用いられることが多いわけですね。たとえば校内暴力なんかになりますと、出てこない部面が非常に多いのじゃないか。警察に報告をされない、出てこない地面下にある問題の方がむしろ大変多いのではないかというような気が私はするのです。そういうものに対する実態調査というものは、調べにくいこともございましょうが、出てきている資料がどうもないようなんですね。ところが、そういうところがむしろ早期にいわゆる手抜かりなく対策を立てるためには大変必要な分野の内容のものではないだろうか、こういうふうな気もしているわけです。いま資料を挙げて御説明いただきましたが、実際に起こっている内容というものはまだ多いような気もしておりますが、そこらあたりどれくらいあるのだろうかということが、推測でもできるようでございましたらお聞かせをいただければ、こう思うのです。
#24
○岡村参考人 少年院に入ってきます子供たちに私どもが指導の取っかかりをいろいろつかんでいこうとします。多くの少年院でやっておりますやり方は、その入ってきた子供に、自分が意識してからその後でございますけれども、親のこと、学校のこと、友達のこと、いろいろな作文を書かせます。われわれは読みながら、その中で、なるほどこの子供は親子関係がこうだったのだなという指導の取っかかりをつかむわけでございます。そういったことからの私の意見でございますけれども、少年院に来る子供たちの家庭というものはわりあい早くから崩壊してしまうということです。ちょっと比較資料が違ったので私もいまちゃんと覚えておりませんけれども、総理府で、たとえば一般の家庭の十五歳から十八歳まででしたか、その子供きんの両親そろっているのはどのぐらいあるかといいますと、九五%ぐらいそろっているという資料を出しております。それから今度は、少年院に来るまでではなく一般非行があった少年、その非行があった少年の保護者はどのぐらい実父母がそろっているかといいますと、七五%ぐらいそろっているという資料が多うございます。ところが、少年院に入ってきている子供たちの保護者、両親はそろっているかといいますと、がくっと落ちまして五二%、五三%という数字でございます。ですから、少年院に来る子供たちの両親、家庭環境はわりあい早くから離婚その他で崩壊してしまう。ですから、非行につながっていくのは、家庭における温かさ、家庭における安心、そういったものが小さいころからなくて、不安に誘われて非行化していくのじゃなかろうか。特に感じますことは、そういった両親がそろっておりますような家庭でも、父母の養育態度にかなり問題があると思います。一つは、私のところは特異少年ですからそういった保護者が多いのかもしれませんけれども、お父さんが大酒飲みで、酒を飲みますと、お母さんと小さな、私の方へ預かるようなまだ小さい子供をぶん殴る、お母さんの手を引いて逃げ回ったというようなことをよく作文に書いております。ですから、そういった幼いころの心の安らぎを欠くような家庭の雰囲気、そういったものが非行につながっていくような気がいたします。それが成長してきますと、そういった家庭ですから当然家庭の中での子供に対するしつけというのは放任というふうなことでございます。そういう生育をたどっていきますと、ある場台は自分が体力ができたときにひとつほかの者に力を加える、暴力的な非行に走っていく。あるいは性格の弱い内向的な子供でございますと何かいらいらを発散するために薬物、そういった非行に逃避していく、そういうタイプが出てくるようでございます。
 それからそのほか、成長していきますと、少年たちか書く作文の中には学校の記録がございます。この学校の記録というのは先生に対する記録が多いのですが、一番子供たちが書いておりますのはシカトされたという表現を使います。シカトされたというのは無視されたということで、教室に出席していようとどうしていようと自分が無視されてしまって、そのクラスの集団には属していない、疎外感を持ってしまう。そういった感じを持ちますと、そういう子供たちがグループをつくって非行化していく、そういうことが言えるのじゃなかろうかと思います。
 それから仲間の関係でございますが、先ほど校内暴力の問題が出まして、私どもが預っております子供たちから聞くことでいいますと、いまのこの校内暴力といいますのは、先生が憎いからやるというのではないのですね。そういう校内暴力ももちろんありますけれども、そうではなくて仲間同士の話し合いで全く無関係の先生を殴る。これは仲間同士の話し合いというふうなことです。そういったタイプの少年たちといいますのは、それは一つの仲間に対する示威行為で校内暴力というものをふるう。自分の憂さ晴らしというのじゃなくて、暴力をふるうことによって仲間に勢力を誇示しまして、今度自分たちのカツアゲといいましょうか、小遣い、軍資金をせしめる一つの示威行為として暴力を行使する。ですから、校内暴力の中でも実際に先生に向かっていく校内暴力と、何かそれを自分たちの仲間の資金カンパをやるための方法として使うような校内暴力もある。特別少年院に来る子供たちのやった校内暴力というのは私がいま申し上げたような類型の校内暴力がある、そういうふうに感じております。そういったことが非行につながっていくいろいろな背景にあると思います。
#25
○坂本参考人 先ほどお話がございましたように、私もいま講演にお邪魔しますと、お母さん方はとにかく一生懸命やっているという態度はやはり一〇〇%見えます。その中で、さっき八三%というのが統計でございますけれども、結局私は、やっているんだ、だけれども子供側から見ると、まるでつぼ外れのところでやってもらっている。
 この間も中学三年の女の子でございましたけれども、やはり売春でございました。御両親と子供と別々に話を聞きますと、まるでからっと違うわけでございます。うちは両親で一生懸命愛情を込めて三人の子供を育てました。本人に聞いてみますと、私だけ疎外されてあとお姉ちゃんと妹だけめんどうよく見てもらったという言い方をはっきりといたします。だから私はこうなったんだという言い方を子供たちはする。そういうちょっとしたことでございますけれども、やはり親というのは生活に紛れて、流されて、何か大人の都合のいい方向に持っていってしまうのじゃないか。
 たとえば、小さなことでございますけれども、デパートへ行っておもちゃを買うときに、自分の好きなのを買いなさいと言って、二百円の安いおもちゃを手にしますと、そんなの買ってはだめ、もっとこっちの方のを買いなさい、一事が万事、小さなことでございますけれども、子供はこの二百円のおもちゃが買いたいんだけれども、大人は、せうかく来たんだから五百円、千円のを買いなさいと言う。すべて学校の問題でも、自由にしなさい、選びなさいと言っておきながら、ここを受けるよ、そんなところを受けちゃだめよという、すべて反論に出てくる。ですから、何か自由にしているようで、意外にしていない、縛りつけている。それが親とのバランスの違い、しつけの違いではないかというように思います。それと同時に、やはりちゃんとしたところをぴしっと押さえていない。その辺が大きな問題点だろうというふうに思っておりますけれども。
#26
○渡辺参考人 先ほどちょっと触れさせていただきましたけれども、母親と子供との関係というのはやはり基本的な人間をつくるための信頼関係ではないかと思います。母親はすべて子供を信じております。絶対わが子に限ってはという信頼感はほかの者よりかあろうかと思います。その母親が、父親が、まず自分の子供は絶対能力的にも社会に出ても将来りっぱな人間になれるということを信じて教育をしているのが現実ではないかと思います。ときには、いま坂本参考人が申し上げましたように、的外れな教育をする方もいらっしゃると思いますけれども、能力、適性、そういうものの発見がなかったために子供が長じて非行化してきた、あるいは非行の兆しが見えてきたときに、この責任は自分ではなく、親ではなく、学校教育にあるのではないかという責任の転嫁があるというように私聞いております。どんな親でもわが子に限っては絶対そういうことがないんだというそういうことの育て方はしていると思います。そういうことの育て方が、すなわち子供に対するしつけというように親はしてきたのじゃないでしょうか。
#27
○菊地参考人 統計のことで御質問でございますか、先ほど私が発表いたしました統計は昭和五十六年に最高裁判所が実施した統計でございまして、私も及ばずながら協力した統計でございます。
 先生御指摘のように、この校内暴力というのは大変暗数が多うございます。これは私はおもしろい現象だと思うのですが、一つのパターンがございまして、あるところで、新聞だとかテレビ、ラジオで報道されるまではそれが全然表に出てこない。それで一つ某々中学校で校内暴力があったというふうな報道が流されますと、いや、うちにもあったんだ、あそこにもあったんだというのが普通の状態でございます。そういう点で暗数が非常に多いということは言えると思います。ですから、先ほど発表した統計は、当然警察、検察庁を通って家庭裁判所へ来たケースに限られるわけでございます。
 それで、何倍ぐらいあるのかという御質問でございますが、ちょっと私、想像ができない。ただ、大変多いということは言えると思うのです。ことに、私どもは中学生の万引き少年や何かを調査をいたします。そうしますと、うちでも校内暴力があった、いやお金をおどし取られたとか殴られたとかというのがしきりに訴えられるのですけれども、家庭裁判所にはそういう事件が来ていないというケースが多うございまして、ちょっと何倍とは申し上げかねるのですけれども、相当な数の暗数があるだろうというように思います。
 それから、これはやっぱり教師の考え方がそういうことだろうと思うのですが、教師としては学校内で起こった事件をなるべく学校内で処理したい、他機関の力をかりずに自分たちだけの力でどうにかしたいという思いが大変強うございまして、なるべく外へは出さない。それで、学校教育の範囲というものの広さ、限界というのが各学校によって大分違います。それで、警察は警察で、すべて少年の非行は警察に通報せいということを言われますけれども、多少の万引き事件、それから生徒間暴力事件の小さなことまでも警察に通報するというふうな姿勢はとりたくないというのが人情だろうと思うのです。そういう点で、先生の御質問でございますが、公表された事件の何倍ということは言えませんけれども、相当の暗数があるということは確実に言えるんじゃないかというように思います。
 以上でございます。
#28
○綿貫委員長 岡田正勝君。
#29
○岡田(正)委員 参考人の皆様大変ありがとうございました。結構なお話でございます。
 一、二お尋ねをいたしますが、坂本さんのおっしゃいました内容というのは非常に私は共感を覚えまして、八〇%が家庭の欠陥だろう、そして手抜きのない子育てというのがやはり一番必要ではないだろうか、幼児期の六歳までにきちっとした人間にするようにしつけが必要ではないだろうか、問題は、とにかく非行少年をつくらぬことだ、後で立ち直りをするといっても、それは全く何分の一かですよ、こういう御経験も含めたお話がありました。
 実は、私は私立の六十名の定員の保育所を経営いたしておりまして、ことしがちょうど満十年目でございますが、私は保育所に入ってくるお母さん方にいつもこう言っているのです。とにかく保育所に子供を入れることはできるだけ避けてください、私は子供が来ぬようになったら経営ができなくなるので困っちゃうんだけれども、しかし、できるだけ保育所に入れないようにしていただきたいというのが私の本音でございますと言って、冒頭にお話をするのです。それはいま先生のおっしゃいました手抜きのない子育てということから考えまして、やはり親の愛情というものを吸収する一番大事なときに親の手元から離すということは、私は感心できませんと、こう言ってお話をしておるのでありますが、全くぴったり一致いたしまして、非常に喜んでおるわけであります。
 そこで、ある児童心理学者から私は非常に貴重な御意見を承りまして、ますますその信念を固めておるのですけれども、統計的に知らないものですからお尋ねをするのでありますが、その学者の方がおっしゃいますのに、非行少年少女をつくらないためには、小学校三年生までに、もう九八%大脳が固まるまでの間にしっかりした家庭のしつけをしないとだめです、その家庭のしつけが小学校三年生までに行き届いた家庭からは、これは世界の黒だ白だということは抜きにして、全世界で一人も非行少年が出た例がないそうです。これは非常にショッキングな報告でして、ほう、そんなものかと思ってびっくりしたのですが、多少余談に走りますけれども、そのときに、そのしつけというのは、先生、一体どんなことをするのですかと、ある教育ママさんが御質問になりまして、そうしたら先生いわく、それはもうたたくんですと、こうおっしゃるのです。みんな一同ぎょっといたしまして、暴行ということにすぐつながるものですから。へえ、暴力を使うんですかという質問になって、それでどこを殴るんですかと言ったら、あの映画に出てくるように子供を抱えておしりをぺたぺたたたくやつはこれは最もへたなしつけです、それはなぜかと言えば、子供が親の表情がわからない、だから恐怖感を持つ、だから絶対におしりをたたいてはいけません、顔を見てたたきなさい。たたくというたら、どこですか。頭をたたいたら、これは将来恨みを持ちますから、バットで殴り殺されますよというようなお話もありまして、ほっぺたをたたけとおっしゃるのです。その教育ママさんが質問をして、ほっぺたをたたいて鼓膜を破るようなことがあったらどうしますか。それはあなた、子供とけんかをしているのではないですか、それは愛情のあるしつけではありませんね、だから、愛情のあるしつけでほっぺたをたたくのなら、鼓膜が破れるなんていうことはあり得ないじゃありませんかというお話が取り交わされまして、そのときに来ておりました約千名の父兄というのは、非常にショックを受けて帰ったことをいまでも覚えておるのであります。
 そこで、先生のお話の中に幼児期の六歳までにと、大分年齢が下がったお話をされたのでありますが、いまの児童心理学者の小学校三年までのしつけというのと、そう大したあれはないのだろうと思いますが、ちょっと気になりましたので、お教えいただければと思うのであります。
 それからいま一つ、これは坂本さんと菊地さんにちょっとお尋ねしたらと思うのでありますが、母子家庭の子供というのが意外に非行少年がおらない。これもちょっと私はびっくりいたしました。なぜかといいますと、母親一人になると、もう本当に一生懸命になって子供を育てることに責任を感じてがんばっている。そういうお母さんがほとんどなので、親の背中を見て子供は育つ、こういうので、意外に母子家庭というのは非行少年少女が少ないということを聞くのでありますが、全くそのとおりであるかどうか、お教えいただ看たいのです。
 それから岡村さんにお尋ねいたしますが、少年院で大変御苦労いただいておるわけでございますけれども、先ほど御質問に対するお答えの中で、事後の調査というのは一年くらいである、それでその調査というのは何かと言えば、再収容をしたかどうかということであって、近年の傾向は、昭和三十二年の三三%に比べ、昭和五十三年は八・七%というような比率でございまして、大変効果が上がっておるというように聞こえたのでございますが、それは即、少年院を出た少年少女たちはりっぱに更生をした、八・七%を除く子供たちはりっぱに更生をしたよということに受け取っていいのでしょうか、ということであります。
 それから渡辺さんに、大変御苦労をしていただいておりまして、貴重な一例をお聞かせいただきましたが、大変だなという気持ちで、本当に感謝いっぱいでございます。その一例をお挙げになりましたけれども、保護観察処分になりましたあなたがお受け持ちになりました数多くの例の中で、りっぱに更生してくれた、りっぱになったというのが大体何%ぐらいあるものか、何十%と言ったらいいのでしょうか、その点をお知らせいただければありがたいと思います。
 以上です。
#30
○坂本参考人 お答えいたします。
 意外なところでぴったり合ったものでびっくりしておりますが、実は六歳までというのは、基本的にいい悪い、そして本当に人間として生活していく上で必要であるべきことはやはりぴしっと教えなければいけないだろう。私も、年なんでございますけれども、いま小学校三年生と四年生、二人おりますんですが、それを番組をやりながら育ててまいりました。そういうことでぴしっとしてまいりましたのですが、まあまあ――私はいつも言うんでございますが、子育てには、こういう育て方がいいというのは絶対にないのだ、どう両親が真剣に必死になって子供と取り組んでいくかというのが、それが結果として後で出てくるのだ。ですから、うちの子はとっても手がかからなくて育ったと言うお母さん方に、しかし、そのうちにうんとかかるようになるから安心してくださいなんて、よく嫌みを言ったりするんでございますが、そのくらいに、本当にどうやったらいいかということはないのだろう。ですから、それだけにぴしっとしなければいけない。それから、私は講演の中でいつも言うことは、やはり六歳までであるが、小学校三年生でおかしいと思ったら手おくれですよと。その先生、まだ私は存じ上げないのですが、私もそれを言っております。
 ですから、敬語も大体小学校三年から四年までにやらないと、もう手おくれである。いまの子供たちがもう敬語も使えなく、めちゃめちゃになってしまったという時期に入っております。子供と話をしてみると、そういう面があるのでございますけれども、やはり三、四年のところで敬語をぴしっとやっておかないとだめだ。現実問題、いま小学校では余り敬語というものはやらないようでございますね、先生に聞いてみますと。教科書の上ではやるけれども、敬語としてはぴしっとやってないようなところがあるようでございます。ですから、私はお母さんに、小学校三、四年でちょっと芽が出ていたらと、これはもう半分おどかしのつもりでおりますけれども、でも、本当にそうだろうと思う。ということは、やはり母親というのはただうるさいだけでございますから。母親離れをしていくのは三年、四年、うちの子を見ておりましても、三、四年で離れていく。そのときにもう自立の精神を、小学校へ上がると同時に突き放していくような育て方、自分一人で生きていくんだよということを暗黙のうちにやはり教えていかなければいけない。
 それと、先ほどたたくというのは――うちは余りたたかない方なんです。ただ、私は真剣に怒ることにしております。そして、目と目でございますね、目でもう真剣に訴えていく。子供はわりとじっと父親なり母親の目を見るものでございますね。そういうことで目で――ときどき大きな声を出しますが、出ないような思い切りの声を出して怒る。怒るときは感情で怒るのではなくて、やはり真剣に取り組んで怒ってやるということ。それと同時に親の生きざまをはっきり見せるという、もうそれしかないような気がいたします。
 まだ大した人生経験でもございませんので、その程度のことをかみしめながら、自分で毎日生活しております。
#31
○菊地参考人 先生御指摘の、母子家庭と父子家庭で、母子家庭の方が非行少年を生ずる率が少ないんではないかというふうな御指摘でございますが、統計を持っておりませんですけれども、感じとしましては先生と同意見でございます。
 と申しますのは、これは数年前に「クレイマー・クレイマー」という映画がございまして、あのときにダスティン・ホフマンの父親が大変家事労働で苦闘するという場面が出てまいりました。ということは、ああいう家事労働がなければ家庭の本質はないんだということを訴えているんだと思うのですね。母親がおりますと、やはりそういう意味では最低限の家庭の本質が保障できる。食事をつくったり洗濯をしたり掃除をしたりすることが、最低限のものが保障できるという意味で、父子家庭とそれから母子家庭とを比べますと、やはり母子家庭の方が家庭らしさが保てるというところに原因があるんじゃないかと思うのです。
 問題は、ブロークンファミリーというふうなことがいままで少年非行の原因であるというふうに言われておりましたけれども、どうも最近はそうではなくなってきている。ということは、父子家庭、母子家庭を通じて昔は大変非行少年が多かったわけですが、いまは普通の家庭とどっこいどっこいだということなんですね。ということは、おやじがおり、母親がそろっておりましても、いわゆるブロークンファミリー的な要素が大変多くなってきた。父母とも働きに出ておるということでは、何ら欠損家庭と変わらない状態が生まれてきておるので、いまや父子家庭、母子家庭は犯罪の原因をつくってはいないとまで言う学者があらわれてきておるわけでございます。
 以上でございます。
#32
○岡村参考人 少年院を出た子供たちの予後がいかがであるかということは、いろいろのやり方で保護観察の成績をつかまえてみるとか、それから法総研でやりましたように、出てから一年の時点でつかまえてみるとかというやり方があるわけです。
 それで、このやり方というのは統一したものはないんですね。これは私の古い記憶でございますけれども、どうもこのやり方を採用しましたのは、アメリカでハイフィルズという少年院がありまして、そこの成績を調査したときに、出て一年たった時点でほかの少年院や刑務所に入っているのはどのぐらいいるかというふうな調査をやったことがあるのです。その資料が日本へ参りまして、当時多摩少年院で同じような調査をやった。そして相互比較をしたということがあるのですが、そのやり方が今日もやられている。ですから、いまやっておるやり方が適正なものかどうかということは、これは疑問があると思います。ですから、保護観察の良否、そういったものを加味したもので成績の良否を考えた方がいいのか、あるいは再収容されたかどうかで考えた方がいいのか、これはまだ各国とも統一した見解はないというふうに考えております。
#33
○渡辺参考人 更生事例が何%あるかというのは、確かな数字はわかりませんけれども、私の勘では、自分自身が保護観察中に、確かに僕は間違っていました、私も間違っていました、これから一生懸命働きます、親にも孝行しますというようなことで、保護観察終了と同時に本人が誓ってくれる者がまず六〇%ぐらいじゃないかと思います。中には、保護観察が終了した後で十分社会なりそういうものの中で立ち直っていく青年たちがおります。こういう方たちを含めますと、もうすでに相当高額な数字になるんではないかと思います。少年院における再犯は大体二〇%ぐらい、二割ぐらいと言われております。先ほど私、事例で申し上げましたけれども、この少年も再犯事例の一つでございます。
 それから、交通事件の場合は、暴走族の場合は、家裁送致されてしまった。しまったというのが一つの動機になりまして、ほとんどの少年が車に乗りません。一〇〇%近い数字でございます。保護観察に入りますと同時に、暴走族、交通事件の場合は一〇〇%近い数字の更生事例でございます。学校へ復帰いたします。一生懸命学校へも通いますし、車にも乗りません。四つ車が取れる免許年齢になったら親の助けをするようにしますというように子供たちは話しております。
 それから、これは余分なことかもわかりませんけれども、交通事件の場合の少年たちのアフターケアを私たちさせていただきます。それは本人たちを交通安全講習会というものに――先ほどほかの先生もおっしゃいましたけれども、短期処遇が目的でございますので、あくまでも少年たちを早く健全な形になって社会へ送り出そう、復帰させるというのがたてまえでございます。早い機会に少年たちを送り出す、それがためにもどんどん交通安全講習会を開くというようにして、それに出席し、または観察所で開く講習会、そういうものに出席する者はできるだけ早い機会に保護観察を解除するという方向がとられております。
 私が扱ったものについては、暴走族の場合は一〇〇%近い者が更生しております。ただ、あわせまして、暴走族だけでなくそれに関連するものがあるんですね。たとえば薬物をやっている、覚せい剤をやっている少年たちが暴走族に参加したという、これは両面のものを指導していかなければならない、この辺のところのむずかしさはあろうかと思います。それだけとってみますと、本件は暴走族、交通事件であっても、その内容においては心の方の問題が主であるという場合もあります。いま保護観察している一名については、その者も一名含まれております。
 以上でございます。
#34
○綿貫委員長 安藤巖君。
#35
○安藤委員 いろいろ貴重な御意見ありがとうございました。なかなかむずかしいお仕事で、しかも忍耐を要しますお仕事に取り組んでおられることに対しましては心から敬意を表する次第であります。
 それぞれのお立場に基づいて御意見をお伺いできればと思いましてお尋ねするわけですが、岡村さんの場合、少年院での扱いがそれぞれの少年の個別的な処遇計画に基づいている、これは大切なことだと思いますが、それが、坂本さんのお話によりますと、一人一人に面会すれば非常にいい子なんだというお話があるわけですね、ところが、一面、これは菊地さんのお話だったですか、いわゆる校内暴力の場合で言うと、共同行為といいますか、いわば集団というか、そういうケースなんですね。それから渡辺さんのお話によると、事例を挙げられたI少年の場合、グループに入っておったのが、これがまた再犯後そのグループに戻ってしまったというのが一つあるということをお伺いしますと、一人一人は非常にいい少年だ、それからそういうふうに更生していくという事例も多いということをお伺いしたのですが、家庭内暴力以外の暴走族とかあるいは薬物だとかその他の暴力ですね、どうも集団というようなことがついて回るような気がするんですね。ですから、自分はもちろんそういう悪いことはしない、暴力はしないんだということと同時に、集団の中でそういうことをすべきではないということを積極的に発言することができるような、意思表示することができるような、そういうのがひとつ必要なんじゃないかなと思うのですね。だから、そういう点で少年院ではこういうふうなことをやっておられるんだとか、あるいはこういうふうにした方がいいんではないかとか、あるいは坂本さん、渡辺さんのお立場から見て、こういうふうにやって成功した事例があるとか、こういうことをやって、あるいはこういうふうにしたらどうかという御提言、あるいは菊地さんもそういう調査官として試験観察の話がございましたが、そういうグループの中でそういうことを積極的に発言することができるような、そういうようなことを何とか考えていただく、何とか対策を立てたらいいんじゃないのかなという印象を受けながらお伺いしておったんですが、その辺お伺いしたいと思います。
#36
○岡村参考人 いまの御質問でございますが、確かにいまの少年たちといいますのは、一つの集団をつくりますと、その集団にその子たちなりのいろんな約束事、しきたりのようなものをつくります。それでその範囲で生活、遊んでいるわけです。そういった雰囲気を持った集団というのは、なかなか正当なことを主張するというのはむずかしゅうございます。それでフォーマルな場面、少年院に入ってきますと教官がついておりますから、そこで少年院で多く取り上げておりますのは、集団相互作用を利用した討議集会、略してGGIと申しますが、これはグループそのものの価値観とか持っている雰囲気とかというのを望ましいものにする、そこへ少年を入れましてお互いに討議をさせる。そうしますと、正当な論理が正当な役割りを果たすわけです。インフォーマルなグループですと、正当な論理を言いましてもかっこうつけるなということで済んじゃう。ですから、集団の雰囲気を正当なものにしてしまうこと、これは少年院でやる集団指導、生活指導でやる最も大事なことでございます。
 ですから、いまの校内暴力なんかの場合の対策にもなるかと思いますが、私どもがやります場合に、少年院も昭和二十八年、三十年、ちょうどいまの学校内暴力がすさんだように、私は昭和二十六年から法務教官をやりましたけれども、入って数年というのは相当な暴行がございました。教官襲撃もございました。そういう時代に、そういったインフォーマルなグループをそのまま置いて外から幾らつついてみても、なかなか安定しなかったのです。それでとりました措置はどういうことかといいますと、その中の核になるような子供たちがおります。これはもう少ないときは一名の場合もあります。二、三名のときもあります。そういった子供を少年院と少年院の間で移送いたしまして、そして核を一応抜いて、そしてそこに教官が集まって良好な集団の雰囲気を盛り上げるような指導を展開いたしました。現在、少年院にはそうありません。教官にたまに年に何回か反撃するというのはございますけれども、いまはわりあいに素直に平穏に経過しております。それはその少年院の持つ雰囲気、少年の生活の場の雰囲気を平穏で正当なことが言える、主張できるような場として維持していくような日ごろの指導が必要であるということです。ですから、少年院でいまGGI、集団相互作用というような方法を取り入れた、集会活動をやっております。
#37
○坂本参考人 先ほどお話がありました、子供たちが一人一人会うととってもいい子である。それは、幼児的にぱっと見まして、やはり大変素直に答えてくれたりするんでございますが、しかし、ひとつ突っ込んでみますと、やはり私なんかも知らない方でございますけれども、わりと物を知らないという点が多い。一番基本的なことでございますね、さっきのしつけの面ではございませんが。そういうやはりちゃんとした礼儀作法一つにしても、何かものをやるにしても、こういうことはあたりまえじゃないか、このぐらいのことはというようなことがまずできません。できないというのは、これは教えられていないわけでございますね。ですから、いま一番われわれが気をつけなければいけないことは、若い者ができない、おまえらそんなことも常識で知らないのかということが、それは常識ではなくなっているような気がいたします。要するに教えていないんだ、教えていないのに、おまえそんなこと知らないのかという言い方をするところに、やはり何か大きな問題があるのではないか。
 ですから、学校でおまえ勉強できないのかと言うと、できない前に教えてくれてないのだと言う。この前も何か統計――私は統計というのは余り好きでないのでございますが、要するに学校でわかる勉強をしてくださいという言い方を子供はしております。わかる勉強をしてくれということは、裏を返しますとわからない勉強をしている。子供たちの六〇%ぐらいがわからない、授業についていけない子がいる。そうしますと、やはり教えてやらなければわからないのがあたりまえであって、礼儀作法にしても何にしても、やはりきちっと教えてあげて、そしてできないと言うなら話がわかるのでございますが、どうもいまの社会では早くどんどんいってしまう。親もせっかちでございます。本当に一回か二回注意すると、もう一生言わなくてもいいという親が多いようでございますね。そういうところで一人の子供に質問をしまして、そういうことは常識じゃないかなと言いましたらば、常識というのはだれがつくったんですかと言うわけです。反論しようと思ったけれども、うん言われてみればなかなかうまいことを言うなと思いまして、常識というのは君はどういうように感ずるか、あれは大人の都合のいい自分たちの取り決めだと言うわけですね。若い者には若い者の常識があるのだという言い方を子供たちはするわけでございます。
 それは確かに大変あいまいな言葉でございますね。そんなことは常識だよと言うと、大概それで逃げられてしまう。そう言う場合には、完璧に教えていながらそういう言葉を使うならいいのですが、そうでないときには大変無責任ではなかろうかということを、私どもは毎日反省しながら言っております。ですから、その辺のところが、やはり子供たち一人一人に何か欠けたものをつくっているのではないだろうかということをしみじみと感じております。
#38
○菊地参考人 先生御指摘のように、それから坂本参考人も指摘されたわけでございますけれども、一人一人は大変よい少年なんですね。ですから、私がよく鑑別所で会いますと、これが暴走族の頭かしらと思うこともございます。これが○○中学校の番長かしらと思うようなことが大変多いわけでございます。一人一人は大変よい少年なんですが、それが集団になりますと、先生御指摘のように人を引っ張っていくというよりも、ほかの連中がそれについてくると言った方がよろしいのだろうと思うのですが、正当な意思表示ができない、しないという集団に変わってしまうわけでございます。
 それで家庭裁判所としましては、われわれ調査官がいろいろ工夫をしまして、集団を対象にした活動、これをグループワークと申しておりますけれども、いままでの調査官活動というのはケースワークと申しまして、個々の事例に即した対応策を考えるというのがいままでの調査官がとってきた方法であったわけでございますが、これを現代社会ではグループワークに置きかえなければならないのじゃないかということに思いをいたしまして、最近では各家庭裁判所でもやっておることでございますが、シンナー事件、いわゆる毒物劇物取締法違反のシンナーを吸っている少年に対しては集団でいろんなことをやっていこう。もちろん、そのイニシアチブは調査官がとるわけでございますけれども、その集団をいかに解体し、集団の中でいかに正当なことを主張することができるか、またはしなければならないかということを教えるというような方法をとっております。
 私も何回も参加したのでございますけれども、暴走族の合宿というようなこともやっております。というのは、普通暴走族を合宿させればまたまた暴走に発展するのではないかという懸念がないわけではなかったのですけれども、やってみましたら大変効果が上がっております。そういう点で、家庭裁判所もケースワークからグループワークへの転換というのが大変急速に進んでおりまして、グループを解体させること、それからグループのモラール、士気でございますが、モラールをどういうふうに高めるかというふうなことを研究しております。
 以上でございます。
#39
○渡辺参考人 これは、先ほど御紹介申し上げましたI少年が少年院に入院したときに私にくれた手紙でございます。読まさせていただきます。
  拝啓
  この前の面会、わざわざ忙しい中を来て下さって本当にありがとうございました。
  おかげで、あの日は、なんか明るい気持ちで過ごせました。
  これからも、たまに来てもらいたいところですが、どうやら、もう先生のおせわを受ける必要もなさそうです。なぜかと言うと、先生には申しわけない事ですが、今月、又も事故を起こしてしまい、又、一ケ月のびることになり、どうやら、本退院と言う事になりそうだからです。
  まあ、あれだけ先生に言われていたのにもかかわらず起こしてしまったのですから、馬鹿野郎とあきれて下さい。
  ですが、これからは、もう少し自分を大切にするよう努める気でいます。
  先生には、なにかとおせわになりっぱなしですが、今までの間、本当にどうもありがとうございました。今後、直接的におせわになる事は、おそらくないと思いますが、これからも保護司としての指導上の仕事に精を出し頑張って下さい。
  それから、最後に、筆不精のため、便りをもらっておきながら、返事も出さずに今日にいたってしまった事おわびして終ります。
  御身に気をつけて下さい。
   サヨウナラ!
この手紙の内容を見ますと、本人はこれだけの非行歴を重ねていながら、十分自分自身を反省しております。それと同時に、事件を起こしてしまった、中で懲罰を受けなければならないだろうという自分のせつない気持ちも出ております。それと同時に、保護司として面会に来てくれて本当にありがたかったのだ、そういう感謝の気持ちもこの中に出ております。これからも、恐らく自分も満期になって出ていけば満二十を過ぎてしまうだろう、保護司にお世話になることもないだろう、だけれども本当にお世話になったことは忘れません。この文面の中に彼が訴えたことです。体に十分気をつけてください、常日ごろ筆不精でいる自分自身が情けない。自分自身を反省し、しかも私に対する思いやりの気持ち、自分自身の犯した罪の重大さをこの手紙の中で訴えたわけであります。
 そして、彼が戻ってきて集団の中に入っては大変という気持ちから、彼と接触を始めました。先ほど申し上げたとおりでございます。すなわち、仲間意識というのは常にあろうかと思います。そういう仲間から自分自身が外れれば、仲間外れとされてしまう。薬物をやる子供たちは総じてそうですけれども、何か現実から逃れたい気持ち、つらい気持ち、そういうものを薬物にぶつける。薬物にぶつけて、それが何であるかということは十分わかっているのです。この少年も十分にわかっているのです。その代償が少年院という一つの枠の中にはめられてしまったのだ、十分わかっているのです。そういうように少年がやはり仲間意識、グループ、そういうものを解体していかなければならないのだなということは、この少年たちを持って痛切に感じております。
#40
○綿貫委員長 ありがとうございました。
 それでは、各委員の質疑の申し出があれば、これを許可いたします。林百郎君。
#41
○林(百)委員 もう時間も大分過ぎましたし、皆さんお疲れですから二問だけ許していただきたい。
 最初に岡村参考人、先ほどから再犯という問題が出て、少年院に入った人でも再犯がある、パーセントは低いようですけれども。しかし、菊地参考人のあれですと、大分多いという数字が出ておりますが、これは少年院での矯正教育が十分なされていない――本音とたてまえというのがありまして、表は改悛したように見えるけれども、本当は改悛しないままに出されてしまう。それが社会へ出ると再発してくるというのか、あるいは少年院にいる間は本当に善良な少年に戻ったのだけれども、出てきた社会が冷たいために再び非行を犯すような気持ちになるのか、両方なのか、その辺ですね。ひとつあなた苦労していますから、お聞かせ願いたい。
 それから、各参考人にきょうこうやって国会へ来ていただいて御意見をお聞きしましたのは、われわれも国政にあずかる者として連帯の責任を感ずるから法務委員会でこういう催しを持ったわけでございますけれども、最近こういう少年の非行問題、ことに菊地参考人の御意見によりますと、特徴は低少年化してきているということと女子少年の間に非常に増加しているということ、それから共犯が圧倒的だという傾向を持ってきているというのです。最近特にこういう傾向を持ってきた根本的な原因は一体どこにあるのか。私たちとしては、やはり学校、父母、地域全体が責任を持ってやらなければ先生方の、きょうの参考人の方々の個人的な御努力だけでは限界があると思うのですね。
 そういう意味で、坂本参考人が、こういう問題を法務省が予算をかけてもいいからテレビで放映して社会的な責任を喚起してもらうようなことが必要ではないかという御意見、非常に貴重な御意見だと思ったのです。
 それから菊地参考人から、ブロークンファミリーというような傾向が出てきている、こういうところから少年の非行問題が出てくる原因もあるのではないかというようなお話もございまして、われわれ非常に参考になっておりますが、各参考人の方々に、最近特にこういう傾向が出てきた根本的な原因は一体どこにあるのだろうか。ことに国政にあずかるわれわれとしては、どういう観点を持つ必要があるかということもあわせてお聞かせいただきたいと思います。
 昨年、私たち法務委員会で南米の方へ視察に行ったのです。そのときに学校の非行、生徒が先生に暴力をふるうなんということは私の国では例がありませんという話を、開発途上国ではございますけれども、そういうことがあると言うと、驚いて聞いているのです。これは私は国際的にはどういうことか知りませんけれども、私たちが視察に行った経験によりますと、そういうことを南米の少年の感化をしておる施設の中に入って聞いたときは、社会復帰ということは言っておりますけれども、そういうことは私の国にはありませんというようなことを言っております。特に最近の日本の国の特徴として校内暴力等がはびこってきておりますので、そういうようなことも一体どこに根本的な原因があってこういう風潮が最近とみに顕著になってきたかという御意見も聞かせていただければと思います。
 以上でございます。お疲れのところ恐縮でございます。
#42
○岡村参考人 先ほどの御質問については、両方の要素があると思いますけれども、私どもが少年を社会に復帰させますときに、久里浜少年院で、先ほど言いましたように、入院してまいりますとすぐに自分の幼いころからのいろんな記録を書いていきます。指導の中心に据えておるのが作文指導でございます。その作文に、出院後の生活設計とか、それからどういうふうに保護者とうまく調整してやっていこうかとか、そういった卒業前の決意を書いていきます。
 私どもは、少年が書いたものはすべて真実であるとは思いません。といいますのは、物の考え方が浅うございますから、たとえば――たとえばでございますが、よく書きますのは、今度帰ったら少し町をぶらぶらしてみたい。ぶらぶらしてみたいなんという表現を使います。そうしたら、私どもは、ぶらぶらの中身は何かと聞きます。喫茶店に行ってお茶を飲むのをぶらぶらと言うのか、あるいは女友達を求めてさまようのをぶらぶらと言うのか。そういうふうにわりあい詰めて作文指導いたします。ですから、出る前に、今度帰ったら新聞屋に住み込んでというふうな生活設計は一応何度も何度も繰り返してやっております。それが作文指導の文章の上で表現されてきますのは、僕は帰ったら新聞の配達人をやりたいなんて書いているときはこれは決意じゃございません。それを何度も何度もやっておりますうちに、こっちが黙っていても、僕は帰ったら新聞屋に住み込んで配達をすると書きます。それが作文指導の変化でございまして、私どもはそういったことを細かく生徒から聞き出していっている。それで仮退院をさせていきますから、少なくとも出るときには帰ったら一生懸命やりましょうと思って出ておるはずだと私は思います。
 ただ、人間の非行行動といいますのは、外的な規制、確かに少年には外的な規制がございます。ぼくは帰ったらいたずらしますなんて言ったらなかなか仮退院できないかもしれない、そういった意識がございますから、その辺をどう読んでいるのかと聞かれますと私もいささか困りますけれども、その判定は子供の書いたものをよく読んで、これは固定化してきたな、本当にそう思っているなと判断して出していくわけでございます。ですから、もしその子供が失敗するとしますならば、ある程度失敗するわけでございますが、外的規制に並行して自分で自分の行動を抑え込んでいくといういわゆる内部的な規制の育成が少し欠けておったのかと反省いたしますけれども、一応出る段階ではこの子は大丈夫であると思って出院させております。
 それから、後の、少年非行の低年齢化なんかの問題でございますが、これを総括して申し上げますと、私は、いま価値の指導というものがどうもないのじゃないかという気がしております。
 たとえば、こんな時期ですから、よく周辺の学校のPTAのいろいろなお話し合いに参ります。そうすると、学校の先生あるいは父兄から傘がなくなるという話をよく聞きます。持っていって名前を書いて置いてあるのにその傘がない、ただ、うちの子はほかの人の傘を持って帰ってくる、別に被害感も加害感もない、そんなのをどうしたらいいですかということですけれども、人のものを黙って使っちゃいかぬという指導がぴしっとしていない。その辺がまだ不明確になっているのじゃないか。それをもう少し大人、先生、われわれは、これはだめなこと、時代がどう変わってもだめなことというのをはっきり教えていかなければならぬ。その辺があやふやであると何か非行が許容されたようなものというふうな受け取り方を子供たちがしていっているのじゃないか、万引きなんかもそうじゃないかという気が私はいたしております。
#43
○坂本参考人 きょうも保護局でお話を聞きましたところ、低年齢化のために、中学生、また少年、小さな子供たちの保護観察も始まるようであるというお話をちょっと耳にいたしました。だんだん小さい子供たちまで保護観察をしなければならないのか。
 私はいつも言っているのでありますが、保護者というのが一番責任がある。その保護者がしっかりしてくれないと、保護司、われわれのような身分の者が幾ら一生懸命やろうとしてもこれは何にもならないんだ、まず第一として保護者がしっかりしてください、がんばろうじゃないか。さっき先生がおっしゃいましたように、私も交えて国民全体の責任なんだ。本当に真剣にこれをしませんと大変なことになると思います。
 それから、先ほど先生がおっしゃいました保育園がいまどんどんふえております。幼稚園がつぶれているのです。なぜかといいますと、幼稚園に預ける親がだんだんいなくなりまして、保育園へどんどん預けている。そして一時間でもいいからたくさん預かってくれるところへ親が子供を預けようとしている姿勢があります。ですから、保育園でも一時間でもよけいに預かってくれないとそこへは行かなくなってしまう。ともかく一時間でも子供から離れていたいというのですかどういう気持ちですか、その辺のところが大変にある。ですから、共稼ぎをどうしてもしなければいけない、その内容ももうちょっと真剣に考えなければいけない。ですから、教育費におきましても、大きな問題になりますが、教育費も費用がかかり過ぎでございますね。こういうところも問題がそういうところへ来ているんではないだろうか。何かいろいろなものが絡み合っていっているような気もいたします。
 それと学校においては、私いつも偉そうなことを言うのでございますが、学校で先生方に義務教育というのを本当にやっていらっしゃるのですかとお話をして、できましたら校長先生でもどなたでも結構ですから、この壇へ来て義務教育をやっているんだったら説明してくださいと言ったら、どなたもいません。これはやっていないからいらっしゃらないのですか、そこまで嫌みを言わしていただくのですが、もう一度義務教育というのはどういうのが義務教育なんだ、あの文部省の要綱に書いてある文章だけでは困るので、本当に義務教育というのをみんなで真剣に考えて、こういうのが義務教育だ、枝葉の勉強だけじゃなくて人間づくりの幹の勉強をさしていただけたらいまの子供たちは少しでもよくなるのではないか。ただ試験に受かるための枝葉の勉強だけを、枝葉の勉強をしないといま試験に通らないそうでございますが、その辺のところをもう一回総ざんげをするべきではないか。
 何か偉そうなことを申し上げまして申しわけございません。
#44
○菊地参考人 いま先生から御指摘された点でございますけれども、私の考えでございますが、学校、家庭、地域ともに最悪な状態に向かっているんじゃないかというような感じがいたします。
 これは低年齢層の少年がふえたことですとか、女子非行がふえたこととか、共犯事件がふえたことの大きな原因であろうと思うのですが、学校におきましては高学歴社会でありますし、偏差値社会でございます。当然のことながら、そのルートから外れた者は落ちこぼれというふうに評価されるということが一つの厳然とした形をつくってしまっているわけでございますね。当然のことながら余り者といいましょうか、そのルートから外れる者がたくさん出てくるということは考えなければならないと思います。
 それから家庭でございますが、先ほど先生方からしつけが十分できているか、大変高率で私のうちはしつけをしているというふうな反応があったようにお聞きしましたけれども、私は、家庭学習はしているけれども家庭教育はほとんどしていないのじゃないかという感じがいたします。
 それで、まず親との対話が少ないということも一つの原因でございますし、それから先ほども触れましたけれども、経済的には安定をしておりますけれども、貧困家庭だと私はよく言うんです。というのは、絶対的な貧困家庭ではない、あしたの米に困るような家庭は絶対ないわけでございますが、相対的な貧困家庭であるということは言えるだろうと思うのです。いま坂本参考人もお話しになりましたけれども、家のローンを払わなければならぬ、自動車のローンを払わなければならぬ、やれ教育費はたくさんかかる、やれ新しい冷蔵庫を買いたいということで夫婦が共働きをしなければならない家庭の方がむしろ多いわけでございます。そういう点では、先ほど申しましたように典型的なブロークンファミリー、崩壊してしまった家庭というのは余り多くはないのですけれども、ソイド・ブロークン・ファミリーというのでしょうけれども、疑似欠損家庭というのがますますふえているし、またふえつつあるんであろうと思います。
 それから地域社会でありますが、これを私ども村社会の崩壊というふうに言っておるのです。昔は地域同士で子供のめんどうを見たり、子供の非行があった場合にはそれに対して何らかの制裁というと大げさでございますが加えます。そのために子供は非行をしないし、非行をすれば地域社会の全体から何らかの意味での制裁を受けるというのがございました。これを私ども村社会と言っておるのですが、都市化現象がだんだん進んでまいりまして、この村社会は完全に崩壊してしまった。隣の子供が非行をしても全然注意もしない、それから青年団だとか少年団だとか、そういうふうな地域社会全体での活動というのがどんどん衰退していってしまった、そういうことがございまして、地域も少年の非行を助長さえすれ抑止するという機能を失ってきてしまった。こういう点で、学校、家庭、地域、それぞれが非行抑止力を失ってきたというのが根本原因だろうと私は思っております。
#45
○渡辺参考人 非行の原因というのはそれぞれさまざまであろうかと思います。そうなるためには、けさ起きたらもう非行化されていたというのではなくて、やはり長い間の積み重ねが非行へと走らせていくのではないかと思います。
 昨年五十七毎度の警察白書によりますと、その原因をこのように言っております。少年がルールを守る意識がなくなったのか、あるいは家庭教育の欠如なのか、または社会環境が悪なのかということを取り上げておりました。こういうことを踏まえてみますと、確かに地域のわれわれにも責任があろうかと思います。
 私は少年補導員をさせていただいておりますが、少年警察の目的というのは真相究明ではございません。成人犯罪の場合は真相究明です。少年の場合は、犯罪を犯した少年であっても、あくまでも健全育成が目的でございます。そういう点を踏まえまして少年補導員として本人たちをいかに更生させ、住みよい環境にするかということがまず私たち少年補導員に課せられた使命であろうかと存じます。
 そういう中で、私はまず小さい地域社会、すなわち自分たちのコミュニケーション、心と心が通じ合う社会の中で住民の方々に関心を持ってもらう啓蒙活動を続けていきたいということでやっております。特に神奈川県の場合は、毎月第三土曜日を少年を非行からまもる日と設定いたしまして、補導員は積極的にこの日に補導活動に参加し、地域の中に入り込み、住民の方々に関心を喚起してもらう運動を続けております。今後ともそういう形で続けていきたいと思います。これが非行対策になるかどうかわかりません。非常に時間がかかろうかと思いますが、一生懸命やらしていただいております。
#46
○綿貫委員長 ありがとうございました。
 以上で参考人に対する質疑は終了いたしました。
 参考人各位におかれましでは、貴重な御意見をお述べいただきまして、まことにありがとうございました。厚く御礼申し上げます。(拍手)
 次回は、公報をもってお知らせすることとし、本日は、これにて散会いたします。
    午後零時四十三分散会
ソース: 国立国会図書館
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