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1982/02/10 第98回国会 衆議院 衆議院会議録情報 第098回国会 本会議 第6号
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1982/02/10 第98回国会 衆議院

衆議院会議録情報 第098回国会 本会議 第6号

#1
第098回国会 本会議 第6号
昭和五十八年二月十日(木曜日)
    ─────────────
  昭和五十八年二月十日
    正午 本会議
    ─────────────
○本日の会議に付した案件
 永年在職の議員金子岩三君、齋藤邦吉君、毛利松平君、金丸信君、安井吉典君、角屋堅次郎君、倉成正君及び竹下登君に対し、院議をもつて功労を表彰することとし、表彰文は議長に一任するの件(議長発議)
 原子力委員会委員任命につき同意を求めるの件
 原子力安全委員会委員任命につき同意を求めるの件
 中央更生保護審査会委員任命につき同意を求めるの件
 日本銀行政策委員会委員任命につき同意を求めるの件
 中央社会保険医療協議会委員任命につき同意を求めるの件
 商品取引所審議会委員任命につき同意を求めるの件
 航空事故調査委員会委員長及び同委員任命につき同意を求めるの件
 鉄道建設審議会委員任命につき同意を求めるの件
 労働保険審査会委員任命につき同意を求めるの件
    午後一時三分開議
#2
○議長(福田一君) これより会議を開きます。
     ────◇─────
 永年在職議員の表彰の件
#3
○議長(福田一君) お諮りいたします。
 本院議員として在職二十五年に達せられました金子岩三君、齋藤邦吉君、毛利松平君、金丸信君、安井吉典君、角屋堅次郎君、倉成正君及び竹下登君に対し、先例により、院議をもってその功労を表彰いたしたいと存じます。表彰文は議長に一任せられたいと存じます。これに御異議ありませんか。
    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
#4
○議長(福田一君) 御異議なしと認めます。よって、さよう決定いたしました。
 これより表彰文を順次朗読いたします。
 議員金子岩三君は衆議院議員に当選すること九回在職二十五年に及び常に憲政のために尽くし民意の伸張に努められた
 よつて衆議院は君が永年の功労を多とし特に院議をもつてこれを表彰する
    〔拍手〕
    …………………………………
 議員齋藤邦吉君は衆議院議員に当選すること九回在職二十五年に及び常に憲政のために尽くし民意の伸張に努められた
 よつて衆議院は君が永年の功労を多とし特に院議をもつてこれを表彰する
    〔拍手〕
    …………………………………
 議員毛利松平君は衆議院議員に当選すること九回在職二十五年に及び常に憲政のために尽くし民意の伸張に努められた
 よつて衆議院は君が永年の功労を多とし特に院議をもつてこれを表彰する
    〔拍手〕
    …………………………………
 議員金丸信君は衆議院議員に当選すること九回在職二十五年に及び常に憲政のために尽くし民意の伸張に努められた
 よつて衆議院は君が永年の功労を多とし特に院議をもつてこれを表彰する
    〔拍手〕
    …………………………………
 議員安井吉典君は衆議院議員に当選すること九回在職二十五年に及び常に憲政のために尽くし民意の伸張に努められた
 よつて衆議院は君が永年の功労を多とし特に院議をもつてこれを表彰する
    〔拍手〕
    …………………………………
 議員角屋堅次郎君は衆議院議員に当選すること九回在職二十五年に及び常に憲政のために尽くし民意の伸張に努められた
 よつて衆議院は君が永年の功労を多とし特に院議をもつてこれを表彰する
    〔拍手〕
    …………………………………
 議員倉成正君は衆議院議員に当選すること九回在職二十五年に及び常に憲政のために尽くし民意の伸張に努められた
 よつて衆議院は君が永年の功労を多とし特に院議をもつてこれを表彰する
    〔拍手〕
    …………………………………
 議員竹下登君は衆議院議員に当選すること九回在職二十五年に及び常に憲政のために尽くし民意の伸張に努められた
 よつて衆議院は君が永年の功労を多とし特に院議をもつてこれを表彰する
    〔拍手〕
 この贈呈方は議長において取り計らいます。
    ─────────────
#5
○議長(福田一君) この際、ただいま表彰を受けられました議員諸君の登壇を求めます。
    〔被表彰議員登壇、拍手〕
#6
○議長(福田一君) 表彰を受けられました議員諸君を代表して、金子岩三君から発言を求められております。これを許します。金子岩三君。
#7
○金子岩三君 ただいま、私ども八名が、本院在職永年議員として、御丁重な表彰の御決議を賜りましたことは、まことに光栄至極であり、感激にたえません。
 ここに一同を代表しまして、一言お礼の言葉を申し上げます。
 私どもが二十五年の長きにわたって国政に参画いたし、今日このような栄誉に浴することができましたのは、ひとえに先輩、同僚議員の御厚情と、郷土の皆様の多年にわたる温かい御支援のたまものでありまして、心から御礼を申し上げます。(拍手)
 顧みますれば、私どもが本院の議席を得ましたのは、昭和三十三年五月、第二十八回衆議院議員総選挙であり、昭和三十年の保守合同など、政党の再編成後初めての国政選挙でありました。
 その後、日米安全保障条約の改定や所得倍増計画の推進などを経て、国際的地位の目覚ましい向上と高度経済成長の時代に入ったのであります。
 しかしながら、昭和四十八年以来二度にわたる石油危機など、世界経済の大きな変化とともに低成長時代を迎えるに至り、わが国の国際的な責任はますます重大となってまいりました。
 この重大な時局を乗り切るために、私どもは、今後一層、本日の栄誉と感激を肝に銘じ、心を新たにして、国民の負託にこたえ、二十一世紀へ向かって粉骨砕身、努力を続ける所存であります。
 何とぞ皆様の変わらぬ御指導、御鞭撻をお願い申し上げまして、お礼の言葉といたします。
 まことにありがとうございました。(拍手)
#8
○議長(福田一君) 本日表彰を受けられました他の議員諸君のあいさつにつきましては、これを会議録に掲載することといたします。
    ─────────────
    齋藤邦吉君のあいさつ
  このたび、永年勤続議員として、院議をもって丁重な表彰の御決議を賜わりました。まことに身に余る光栄であり、感謝にたえません。
  私が本院にはじめて議席を得ました昭和三十三年当時は、わが国民がようやく敗戦の虚脱状態から脱し、廃墟の中から復興に立ちあがった頃でありました。世界の奇蹟と言われた高度経済成長が緒につく前夜であります。以来二十五年、ここに至る過程において、日米安保条約改定により、日本の安全保障体制を確立するとともに、所謂ニクソン・ショック、オイル・ショックなど幾多の経済的難関を見事に乗り切り、いまや、わが国は、世界で最も活力ある経済を確保し、国民生活水準は世界の一流に達し、自由と平和と安定を享受しております。即ち、戦後国家再建の諸目標は、一応の達成を見たと申せましょう。
  満二十五年を顧みるとき、まさに隔世の感を禁じ得ないのであります。古今東西を見ましても、一億一千万の国民が、僅か二十五年の間に、かくの如く目覚ましい飛躍と変貌を遂げたことは稀有のことでありましょう。国家と民族の歴史的な興隆の時に際会し、身をもってこれを体験し、諸先輩の驥尾に付して、この大事業にいささかなりとも参画することを得ましたのは、人生の冥加に尽きるものと言うべく、光栄この上もありません。
  これもひとえに諸先輩、同僚各位の御指導と郷土福島県民の皆様の渝わらない御支援の賜物であります。ここに心からなる御礼を申しあげる次第であります。
  現在、世界は未曾有の変革期に際会し、わが国の政治、経済、社会もまた大いなる試練に直面しております。この試練を乗り越えてこそ、我々が為し遂げた成果は、磐石のものとなるでありましょう。二十一世紀への明るい展望が開けるでありましょう。
  私は、力乏しく、任重く、わが身に課せられた責務の重大さを思うとき戦々恐々たるものがあります。
  しかしながら、私は、今日の栄誉と感激を銘記し、菲才な身に鞭打って、ただ全力を尽すことのみが、皆様方の御芳情に報いる道と信ずるものであります。
  先輩同僚各位並びに郷土の皆様の一層の御指導と御鞭撻を御願いして私の御挨拶といたします。
    …………………………………
    毛利松平君のあいさつ
  ただいま永年在職議員として院議を以って御鄭重なる表彰の御決議を賜りました。誠に光栄の極みであり感謝に堪えません。
  二十五年の長きにわたり引き続き本院に在職し、本日のこの栄誉に浴することができましたのも、ひとえに先輩諸賢、同僚議員の御指導御鞭撻の賜であり、また郷土愛媛の皆様の変わらぬ御理解と御愛情のおかげであります。ここに改めて満腔の謝意を表するところであります。ありがとうございました。
  顧みますれば、昭和二十一年満洲から命ひとつで引き揚げてより敗戦で荒廃した祖国日本再建の至情に燃え、昭和二十七年本院議員たらんと立候補し、三たび戦い、三度とも敗れました。昭和三十三年に初当選致しましたが、その間「地盤・看板・鞄」全てない私にとりまして本院の席は真に遠い荊の道でありました。この失意の七年間を支えて下さった後援者友人の中で既に鬼籍に入られた方も少なくありません。人の情は言語に尽くせず、この方々に敬慶の祈りを捧げ、唯々合掌するのみであります。想いかえせば、この失意の七年間が私にとりまして議会人としての師でありました。本院議員たる者の義務と責任の重さを教えてくれました。議席のもつ意義の貴さを教えてくれました。民意は貴いものであります。これが私の二十五年間にわたる議会人としての心の柱であります。
  国政に参画する者にとりまして「国民の生活の恒久的安定と国際社会への貢献」が最大かつ終局の願望であると考えます。今日の日本は国民の血の滲むような弛みなき努力により経済大国として豊かさを誇っております。国際社会の枢要な地位を確立するに至りましたが、当然国際社会への責任も十数年前には想像もできなかった程多岐かつ重大となっております。内外共に難問が山積している昨今であります。我が国は一日たりとて安眠を許されません。議員たるもの一瞬の怠慢も許されません。
  私はこのたびの表彰を我が身の栄誉のみではなく、旧に倍して努力せよとの天の激励の声として、今後とも民意を体し、民心を我が心として粉骨砕身、国勢の伸展に精進努力する所存であります。重ねて皆様の長年の御厚情に感謝申し上げ、謹しんで御礼の御挨拶を申し述べます。
    …………………………………
    金丸 信君のあいさつ
  このたび永年勤続議員として、院議をもって表彰の御決議を賜わりましたことは、議会人として誠に身に余る光栄であり感謝にたえません。
  二十五年の永きに亘り本院に在職し、この栄誉に浴し得ましたのは、ひとえに郷土山梨のみなさまの変わらざる御理解と御支援の賜物と、そして諸先輩ならびに同僚議員各位の御厚情と御鞭撻によるものと衷心より御礼申し上げる次第であります。
  私は昭和三十三年五月、第二十八回総選挙に当選して以来、「政治は政党や政治家のためのものでない。国民のためのものである」あるいは「困る相談にのることが政治」を信条に、人と人のつながりを大切にしながら、今日まで邁進してまいりました。四分の一世紀を思いかえしてみますと、経済の高度成長時代を経ながら、わが国の社会環境は大きな変革を遂げました。国会議員としてその順調な復興の一端を背負うことができましたのは私の喜びであります。
  しかし、国民大衆は常に次の時代に対しての夢と、明日の生活への期待を強く求めております。今日より明日を明かるくすることこそ政治の原点であり、我々の使命でもあります。国家・民族の安全を図り、国民の福祉と文化を守り、経済発展により国民生活の向上を期することにこれからも政治生命のすべてを賭する所存であります。
  そして私は、国民一人一人が将来に向って安心して貯蓄できる環境をつくり、大人たちが明日の人づくりを責任をもって行なえる社会を築くことが、わが国の繁栄につながることと確信します。また、日本経済を支えるためには、諸外国との均衡のとれた貿易振興と公共事業の拡充を図らなければなりません。
  それにつけましても、微力非才の私が今日まで議会人として活動でき得ましたのは、わが郷里の武田信玄公の言葉にありますように「人は城、人は石垣、人は堀」、まさに人と人とのつながりと、その信頼関係を糧にしてきたからだと考えております。
  内外の情勢は多難の時ではありますが、わが国がさらに大きく飛躍するよう政治の選択の道を方向づけることこそ、今日の栄誉への恩がえしと心に念じ、初心にもどって、今後一層の精進と努力をつづけることを固くお誓い申し上げ、謝辞といたします。
    …………………………………
    安井吉典君のあいさつ
  このたび、院議をもって、私に対する永年勤続表彰をご決議いただきました。光栄これに過ぎるものはありません。深く感銘するものであります。
  私のこの栄誉は、何よりもまず一九五八年以来九回の選挙で連続して私を国会にお送り下さった郷土北海道の皆さんの永年にわたるご支援のたまものであり、かつ、先輩・同僚議員各位のご協力ご教導のおかげであります。心から厚くお礼申しあげます。
  「烏兎匆々」とか「光陰箭の如し」というように、この二十五年はまたたくうちに過ぎたような気もしますが、しかし、その一年一年は、国の内外の各般にわたる情勢の変化のなかで激動を続け、国会はそのたびにゆれ動き、私は幾多の経験を重ねてきました。いわば大小の起伏の多い、二十五年でありました。その間、私は、微力ながらこの国権の最高機関の一員として、一貫して平和と民主主義の憲法のさし示す路線に立ち、終始政治活動を続けてきたことに高い誇りをもつものであります。
  今日、二十一世紀に向うわが国の現状と新しい展望においては、なお数多くの困難な問題があり、国政はその解決に迫られています。ここで、その方向を誤っては断じてなりません。私は、あくまで、反戦平和と国民生活優先の二つを政治の原点として見すえ、決意新たに明日に立ち向いたいと思います。
  今後とも、各位の一層のご指導ご鞭撻をお願い申しあげ、一言謝辞といたします。
    …………………………………
    角屋堅次郎君のあいさつ
  このたび私が本院在職二十五年に及びましたことに対し、院議をもって御丁重な表彰の御決議をいただきましたことは、議会人としてこのうえない光栄であり、終生忘れることのできない感激であります。
  私がこのような栄誉に浴することのできましたのも、ひとえに諸先輩および同僚議員各位のあたたかい御指導と御鞭撻のたまものであり、あわせてわが愛する郷土三重の皆様の終始変わらぬ御支援と御協力のおかげでございまして、衷心より厚くお礼を申し上げる次第であります。
  私が本院にはじめて議席を得ましたのは、戦後の復興から再建への道を模索しはじめた昭和三十三年五月でありました。爾来二十五年の国会活動をかえりみますと、まことに感慨無量なものがあります。特に六〇年安保闘争、伊勢湾台風の大災害にあったときの国会内外の活動、長きにわたる農政論議の展開、本院の災害対策並びに環境保全特別委員長として公害問題に取り組んだ思い出など、いまもはっきり脳裏に刻みこまれております。私の心の支えであったいまは亡き母や多くの支持者のはげましの中で、ただひたむきに走り続けた風雪二十五年の歩みも、かえりみてその功の少いことを恥じいる次第であります。
  現下激動する内外情勢の中で、平和日本の進路をいかに舵とるべきか、国民経済の安定や福祉の向上をいかなる手法で達成すべきかなど、来るべき二十一世紀に向けて今日政治の果すべき課題は山積しております。現代に生きる政治家の一人として、子孫のためにその選択に誤まりなきよう最善を尽くさねばならないと存じます。
  この上は、今回の栄誉と感激を深く胆に銘じ、初心を忘れず、今後一層の精進と努力を傾ける決意であります。重ねて長年にわたる皆様の御厚情に衷心より感謝申し上げ、謹んでお礼の御挨拶といたします。
    …………………………………
    倉成 正君のあいさつ
  このたび衆議院議員在職二十五周年に及びましたことに対し院議を以て表彰の決議を賜りましたことは、身に余る光栄であり感謝にたえません。これは一重に先輩同僚議員各位のご厚情、ご鞭撻の賜であり、わけても今日まで変らぬご支援をいただいた長崎県の選挙区の皆様のお蔭でございまして、ここに心から厚くお礼を申し上げます。
  私が本院にはじめて議席を得ましたのは昭和三十三年五月でありますが、当時農林関係の行政に携っていた私は、真面目に精一杯生きている大衆の声を国政の場に生かそうというのが私の立候補の動機でありました。私は庶民の常識で考えておかしいことはたとえ法律であっても、行政であっても、どこか欠点があると思う謙虚さが政治家には必要であると考えてこれまで過して参りました。
  又、政治は民衆の信頼を裏切ってはいけない、本音と建前を使いわけたり、目的のためには手段を選ばないことは政治の邪道であるとの信念のもとに自分の与えられた仕事に対し、私なりに誠実に精一杯の努力を致して参りました。
  更に、この十年来、日本・EC間の議員交流やエレクトロニックス・コンピュータ・通信を中心とする情報産業を日本の戦略産業として育てるべく微力を尽くして参りました。
  この二十五年の間に日本の国際的地位は飛躍的に向上し、国民生活も豊かになりましたが、現下、日本をとりまく内外の情勢はきわめて厳しいものがあります。一歩その対応を誤れば日本は世界の孤児になるだけでなく、世界各国の限りない軍拡は人類を破滅に導く恐れさえあります。又、国民の心の中に、ともすれば日本の誇るべき文化は忘れられようとされております。
  いまこの様な歴史的な大事な局面を迎えて、いやしくも政治の場に身を置くものの一人として、私はいま一度初心に立ち返り、国家のため、又、郷土長崎県発展のために微力を捧げる決意でございます。
  どうぞ、こんごとも皆様の変わらざるご指導を賜りますよう心からお願い申し上げましてお礼の言葉といたします。
    …………………………………
    竹下 登君のあいさつ
  このたび、院議をもって永年在職議員として表彰のご決議をいただきましたことは、私にとりましてとのうえない光栄であり、まことに感謝にたえません。
  二十五年の永きにわたり、ひき続いて本院に在職し、今日この栄誉に浴することができましたのも、ひとえに諸先輩、同僚議員各位そして郷土の皆様など多くの方々から賜わりました計り知れないご厚情とご支援のおかげであり、心から深謝申し上げます。
  私は、昭和三十三年の総選挙で初めて議席を得て以来、議会人として与えられた任務に対し、ひたすら微力を尽くしながらこれまで歩んでまいりました。その間、昭和四十七年には沖縄の祖国復帰がついに実現するなど、いまだに忘れることのできない思い出も数多く、感慨無量なるものがあります。
  この四分の一世紀を通じ、我が国は奇蹟ともいわれる驚異的な成長を続け、年を追って国民生活はめざましい向上を遂げました。反面、ドル・ショックやオイル・ショックなど予期せぬ事態が発生し、深刻な打撃を受けたことも少なくありませんが、これらの危機も賢明な国民の皆様の総力を結集することによって、次々に克服することができました。
  とはいえ、世界第二位の経済大国とはいいながら、我が国をとりまく内外情勢はきわめて厳しいものがあります。国際社会において果たすべき役割の増大はもとより、迫まり来る高齢化社会への適切な対応、さらに物の豊かさの中に心の豊かさを求めはじめた国民のニーズに応じて、生活の質的向上を図ることなど実に多くの問題が提起されております。
  その中でも、行財政の改革は当面最大の懸案であり、たとえ道は険しくとも次の世代に重い負担を課すことのないように、根気強い努力を続ける必要があります。
  二十一世紀まであとわずか十七年を残すのみとなりました。私たちは、日本国民のすぐれた英智と創造力を生かしながら、世界に誇りうる平和で自由な社会、しかも物心両面において真に豊かな高度の文化国家を築くため、確固たる基礎をつくることこそ肝要ではないかと存じます。
  私自身も、このたびの栄誉と感激をしっかりと胸に刻み、自からの責務を忍耐強く果たすため、勇気を持って新しい出発をしたいと固く決意した次第であります。これからも、皆様の暖かいご指導ご鞭撻を改めてお願い申し上げ、私の感謝の言葉といたします。
     ────◇─────
 原子力委員会委員任命につき同意を求めるの件
 原子力安全委員会委員任命につき同意を求めるの件
 中央更生保護審査会委員任命につき同意を求めるの件
 日本銀行政策委員会委員任命につき同意を求めるの件
 中央社会保険医療協議会委員任命につき同意を求めるの件
 商品取引所審議会委員任命につき同意を求めるの件
 航空事故調査委員会委員長及び同委員任命につき同意を求めるの件
 鉄道建設審議会委員任命につき同意を求めるの件
 労働保険審査会委員任命につき同意を求めるの件
#9
○議長(福田一君) お諮りいたします。
 内閣から、
 原子力委員会委員に西堀正弘君及び渡部時也君を、
 原子力安全委員会委員に大山彰君及び御園生圭輔君を、
 中央更生保護審査会委員に本明寛君を、
 日本銀行政策委員会委員に村上素男君を、
 中央社会保険医療協議会委員に圓城寺次郎君を、
 商品取引所審議会委員に別府正夫君を、
 航空事故調査委員会委員長に八田桂三君を、
 同委員に糸永吉運君、榎本善臣君、小一原正君及び幸尾治朗君を、
 鉄道建設審議会委員に竹田弘太郎君、山田明吉君、宮崎輝君、藤本一郎君、大和田啓氣君、松沢卓二君、八十島義之助君及び山口真弘君を、
 労働保険審査会委員に浦田純一君及び溝邊秀郎君を
任命したいので、それぞれ本院の同意を得たいとの申し出があります。
 まず、原子力委員会委員及び原子力安全委員会委員の任命について、申し出のとおり同意を与えるに賛成の諸君の起立を求めます。
    〔賛成者起立〕
#10
○議長(福田一君) 起立多数。よって、いずれも同意を与えるに決しました。
 次に、中央更生保護審査会委員、商品取引所審議会委員及び労働保険審査会委員の任命について、申し出のとおり同意を与えるに御異議ありませんか。
    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
#11
○議長(福田一君) 御異議なしと認めます。よって、いずれも同意を与えるに決しました。
 次に、日本銀行政策委員会委員、中央社会保険医療協議会委員、航空事故調査委員会委員長及び同委員及び鉄道建設審議会委員の任命について、申し出のとおり同意を与えるに賛成の諸君の起立を求めます。
    〔賛成者起立〕
#12
○議長(福田一君) 起立多数。よって、いずれも同意を与えるに決しました。
     ────◇─────
#13
○議長(福田一君) 本日は、これにて散会いたします。
    午後一時十六分散会
ソース: 国立国会図書館
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