1982/05/25 第98回国会 衆議院
衆議院会議録情報 第098回国会 本会議 第24号
#1
第098回国会 本会議 第24号昭和五十八年五月二十五日(水曜日)
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議事日程 第二十号
昭和五十八年五月二十五日
午後一時開議
第一 昭和五十四年度一般会計歳入歳出決算
昭和五十四年度特別会計歳入歳出決算
昭和五十四年度国税収納金整理資金受払計算書
昭和五十四年度政府関係機関決算書
第二 昭和五十四年度国有財産増減及び現在額総計算書
第三 昭和五十四年度国有財産無償貸付状況総計算書
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○本日の会議に付した案件
木村俊夫君の故議員田口一男君に対する追悼演説
日程第一 昭和五十四年度一般会計歳入歳出決算
昭和五十四年度特別会計歳入歳出決算
昭和五十四年度国税収納金整理資金受払計算書
昭和五十四年度政府関係機関決算書
日程第二 昭和五十四年度国有財産増減及び現在額総計算書
日程第三 昭和五十四年度国有財産無償貸付状況総計算書
午後一時四分開議
#2
○議長(福田一君) これより会議を開きます。────◇─────
#3
○議長(福田一君) 御報告いたすことがあります。議員田口一男君は、去る一日逝去せられました。まことに哀悼痛惜の至りにたえません。
同君に対する弔詞は、議長において去る七日贈呈いたしました。これを朗読いたします。
〔総員起立〕
衆議院は 多年憲政のために尽力された議員田口一男君の長逝を哀悼し つつしんで弔詞をささげます
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故議員田口一男君に対する追悼演説
#4
○議長(福田一君) この際、弔意を表するため、木村俊夫君から発言を求められております。これを許します。木村俊夫君。〔木村俊夫君登壇〕
#5
○木村俊夫君 ただいま議長から御報告のありましたとおり、本院議員田口一男君は、去る一日、三重大学附属病院においてにわかに逝去されました。まことに痛惜の念にたえません。君は、このたびの地方統一選挙中、立候補者の応援に東奔西走されておりましたが、四月二十三日の夕刻、突然体の異常を訴えられ、入院を余儀なくされました。そのとき、君は、二十五日の月曜日には東京で仕事が待っているので、入院を早く切り上げて帰京しなくてはと申されたそうで、軽い気持ちの御入院であったとのことであります。しかし、翌日からの君の容体の急変を、そのときだれ一人として予測することはできませんでした。
君とともに学び、君とともに歩んだ労働者の祭典、メーデーのさわやかな早朝に、医師団の懸命の手当ても、御家族の切なる回復の願いもむなしく、君は五十七年の生涯を静かに閉じられました。
君の急逝を知り、私は、人の命のはかなさと、私ども政治家の持つ宿命の厳しさに、改めて胸ふさがるる思いをいたしたのであります。
私は、ここに、議員各位の御同意を得て、議員一同を代表し、謹んで哀悼の言葉を申し述べたいと存じます。(拍手)
田口一男君は、大正十四年五月十一日、三重県尾鷲市南浦で山林労働者の家庭に生をうけられました。
君は、幼少のころより、すぐれて利発であり、尾鷲小学校の時代には成績抜群のまじめな優等生でありました。御家庭の事情は中学への進学を許さず、小学校を卒業すると、愛知県豊田市のトヨタ工科青年学校に進まれました。
そして昭和二十年三月、卒業と同時に、トヨタ自動車工業に入社されました。当時、太平洋戦争の敗色は日増しに濃くなり、国の運命は大きなあらしの中に揺れ動いていた時期でもありました。
昭和二十年七月、現役兵として入隊された田口君は、大刀洗航空隊に幹部候補生として配属されましたが、間もなく迎えた終戦により、君は、まさに九死に一生を得て復員されました。
田口君は、青春の日々を戦火のもとで、さらに戦後の混乱の中で過ごされ、君の平和に対する希求、社会の安定に対する願いが特に強かったのも当然のことであったと申せましょう。
故郷尾鷲に帰られた君は、尾鷲郵便局に勤務された後、昭和二十三年二月には三重県庁に奉職されました。二十年間に及ぶ県庁での経験は、君の郷土に対する深い理解と郷土愛を育て上げたのであります。
ことに、この間、北牟婁地方事務所において保護家庭の仕事を担当されたことは、君のその後の進路に大きな影響を与えたのであります。
社会的に弱い者を保護する必要に目覚め、さらには働く者の生活の擁護をと思い立った君は、組合運動に身を投ずることを決意されたのであります。君がその後、社会保障と福祉の問題についてエキスパートとして大成されたのも、この時代の経験によるところが大きかったと申せましょう。
生来、誠実にしてまじめ一方の君は、組合活動に入られてもこつこつと運動一筋に進まれ、組織の強化、労働条件の維持改善、社会保障問題等に真剣に取り組まれ、たちまちのうちに多くの組合員の信望を得られたのであります。
やがて君は推されて、昭和三十三年、県職員労働組合書記長、昭和三十六年、県職員労働組合中央執行委員長、昭和四十二年には、県労働組合協議会議長に就任され、三重県下の労働運動の指導者として、勤労者の福祉、社会保障制度の確立に多大の貢献をされたのであります。
君は、昭和三十五年、日本社会党に入党し、長年の組合活動の実践の中で、幾多の問題が政治の場でなければ解決されないことを痛感され、その実現を国政にと決意し、昭和四十四年十二月に行われた第三十二回衆議院議員総選挙に立候補されました。惜しくも当選を果たすことができませんでしたが、捲土重来、昭和四十七年十二月に行われました第三十三回衆議院議員総選挙に再出馬され、選挙民の圧倒的な支持を得て、みごと初当選の栄冠を得られたのであります。(拍手)
本院に議席を得られてから君は、社会労働委員会、公害対策並びに環境保全特別委員会、商工委員会、災害対策特別委員会等の委員として、あるいは理事として、幾多の問題の解決に参画され、卓越した識見を披瀝し、ぬきんでた指導力を発揮して、多くの業績を上げられました。
とりわけ君は、社会労働委員会におきまして、君の初志でもあり選挙公約でもありました労働、福祉、社会保障の問題の追求と解決に専念され、存分に活躍されたことは、衆目の一致するところであります。
この間、君が関与され、その尽力によって成立を見た法案や、また、その対策が樹立され、その措置がとられました問題は、きわめて多数に上るのであります。
児童扶養手当の改善、国民の老後保障等の充実強化のための厚生年金保険法改正案、寡婦に対する各種施策を改善するための母子福祉法改正案、ベビーホテルに対する規制整備のための児童福祉法改正案等、さらにはまた、ボランティア活動の拡大等々に尽くされた君のたゆまない努力、問題についての真摯な取り組み、時代を先取りする鋭い識見、果敢な決断、そしてまた、問題取りまとめのための幅広い調整力には、感嘆を禁じ得ないところであります。
特に、君は、早くから時代の変化を予見され、医療保険、年金制度等の全般にわたり、常に党派を超えた高い立場から、その健全な発展と基盤育成のために献身的な努力を続けてこられました。君の輝かしい業績と、君のこれからの活躍に寄せられた期待は大きく、「年金の田口」「福祉の田口」の声が世にほうはいとして起こったのも、けだし当然と申せましょう。(拍手)
昭和五十六年十月十五日、この壇上において、君が日本社会党を代表して、当時の鈴木総理に対し、「健やかに老いた幸福な老人たちをわれわれの周囲に持つことは社会全体の利益である」との観点から、老人保健法の質疑に際して、診療報酬の支払い方式、老人医療費の問題等について鋭く追及されたことは、私どもの記憶に新たなところであります。
君は、党におきましても、砂糖産業合理化対策特別委員長、社会保障政策副委員長、労働政策委員長、失業問題対策副委員長、育児休業対策特別委員長、年金改革総合副委員長の要職を歴任され、党の政策立案の担い手として、常に生活優先を念頭に政策を掲げ、粘り強く行政の転換を迫り、国政に反映されました。
かくして、本院議員に当選すること四回、在職十年七カ月に及び、その間、国政に尽くされた功績はまことに偉大なるものがあります。
君は、国政に専念する傍ら、ふるさと三重への愛情はいつまでも変わることがありませんでした。県庁に長年御勤務になったという貴重な経験は、君自身、故郷が何を求めているか、いま必要な施策は何かを熟知され、郷土三重県の発展にも全力を挙げて取り組んでこられました。労働、福祉問題はもちろんのこと、伊勢湾の赤潮問題、四日市公害問題、県下産業の業種指定、砂糖産業合理化問題等々の解決のために尽力されるなど、君の多くの業績の跡が残されております。
田口君、君は平素からはでに振る舞うことを好まず、人に愛想の一つを言うことさえも不得手な人でありました。しかし、信念はあくまでかたく、仕事に対しても対人関係におきましても、じみに、誠実に努力を積み重ねていくという、知れば知るほど味わいの深い人でありました。(拍手)君のこのような人柄に好意を寄せる人は多く、君の連続当選四回、在職十年余の基盤は、このようなところにあったのではないかと思われます。
君の出生地の尾鷲は、風光明媚の地であります。しかし、その気象の激しさは日本屈指の土地でもあります。そのような自然が、君の内に秘める強さを形成したものでありましょう。また、君を「尾鷲の自然薯」にたとえる人がありますが、君はまさに自然薯のごとく素朴で、土の清浄な香りに満ち、何ものにもくじけない粘り強さを感ずるのであります。人に接するに温顔、難事にくじけない君の心根に、熊野灘の潮騒を思い浮かべるのであります。
もとより日常きわめて多忙な君ではありましたが、ときには木刀の素振りに汗し、心身の統一を図るとともに、政治の疲れをいやしておられたとのことであります。また、若いころ、一時、小説家を志すほど文筆の才にすぐれ、日ごろの心境を素直に俳句に託しておられます。
春灯下拍手喧し議事了える
読初めの戦争論にとまどいぬ
萩薄老人ホームに至る道
句作は、君にとって心を洗う道でもありました。君のまじめのうちにも、温かいユーモアがこもっていることを、改めて痛感するものであります。
いま、わが国の社会は高齢化が進み、医療、社会福祉、社会保障制度の見直しが大きな政治問題となっており、福祉国家としての国民の要請は、多様化の一途をたどっております。年金問題一つをとりましても、いかに対応すべきかが問われております。このようなときに、指導的役割りを期待された君を失いましたことは、きわめて大きな損失であります。
田口君、あなたは道半ばにして、しかも、これからあなたの活躍される時代がまさに始まろうとするこのときに、忽然として去っていかれました。まことに痛惜のきわみであります。
もはや、この議場において、あの田口君の温容に接することはできません。多くの人々から愛された大衆政治家、田口一男君を失いましたことは、日本社会党のみならず、本院にとっても、国家にとりましても、大きな損失と申さなければなりません。(拍手)
ここに、田口一男君の生前の御功績をたたえ、そのお人柄をしのび、心から御冥福をお祈りして、追悼の言葉といたします。(拍手)
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日程第一 昭和五十四年度一般会計歳入歳出決算
昭和五十四年度特別会計歳入歳出決算
昭和五十四年度国税収納金整理資金受払計算書
昭和五十四年度政府関係機関決算書
日程第二 昭和五十四年度国有財産増減及び現在額総計算書
日程第三 昭和五十四年度国有財産無償貸付状況総計算書
#6
○議長(福田一君) 日程第一、昭和五十四年度一般会計歳入歳出決算、昭和五十四年度特別会計歳入歳出決算、昭和五十四年度国税収納金整理資金受払計算書、昭和五十四年度政府関係機関決算書、日程第二、昭和五十四年度国有財産増減及び現在額総計算書、日程第三、昭和五十四年度国有財産無償貸付状況総計算書、右各件を一括して議題といたします。委員長の報告を求めます。決算委員長古屋亨君。
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〔報告書は本号末尾に掲載〕
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〔古屋亨君登壇〕
#7
○古屋亨君 ただいま議題となりました昭和五十四年度決算外二件につきまして、決算委員会における審査の経過及び結果を御報告申し上げます。初めに、各件の概要を申し上げます。
まず、昭和五十四年度決算でありますが、一般会計の決算額は、歳入三十九兆七千七百九十二億二千八百万円余、歳出三十八兆七千八百九十八億三千百万円余、差し引き九千八百九十三億九千七百万円余の剰余金を生じております。
特別会計の数は三十八で、その決算総額は、歳入八十三兆七千八十二億一千二百万円余、歳出七十二兆一千九百五十九億三千五百万円余となっております。
国税収納金整理資金の収納済額は二十四兆三千百四十一億六千二百万円余、支払命令済額及び歳入への組入額は二十四兆二千四百五十九億八千万円余となっております。
政府関係機関の数は十五で、その決算総額は、収入十九兆四千八百二十一億三千九百万円余、支出十九兆二千七百八億五千五百万円余となっております。
次に、昭和五十四年度国有財産増減及び現在額総計算書でありますが、増加額は二兆六千百八十八億一千三百万円余、減少額は七千六百二十七億五千万円余で、年度末現在額は二十八兆三千五十三億四千七百万円余となっております。
次に、昭和五十四年度国有財産無償貸付状況総計算書でありますが、年度末の現在額は四千四十七億八千九百万円余となっております。
次に、昭和五十四年度決算についての会計検査院の検査報告では、不当事項百五十七件、意見を表示しまたは処置を要求したもの九件、検査院の指摘に基づき改善の処置を講じたもの十三件、また、特に掲記を要すると認めたもの二件となっております。
各件のうち、決算は昭和五十六年六月二日、国有財産関係二件は同年一月三十日に、それぞれ委員会に付託されました。
委員会におきましては、五十七年五月十二日各件について大蔵大臣から概要説明を、また、会計検査院長から検査報告の概要説明を聴取した後、質疑に入り、政府の予算執行と行政運営に関する重要な問題を中心に審査を行ったのでありますが、その詳細は会議録により御承知を願いたいと存じます。
かくして、去る十九日締めくくり総括質疑を終了し、決算については、委員会審査の内容をまとめて、委員長より議決案を提出いたしました。
以下、その内容を申し上げます。
すなわち、
昭和五十四年度の一般会計歳入歳出決算、特別会計歳入歳出決算、国税収納金整理資金受払計算書及び政府関係機関決算書につき、左のごとく議決すべきものと議決する。
本院は、毎年度決算の審議に際し、予算の効率的執行並びに不当事項の根絶について、繰り返し政府に注意を喚起してきたにもかかわらず、依然として改善の実があがつていないのは、まことに遺憾である。
一 昭和五十四年度決算審査の結果、予算の効率的使用が行われず、所期の成果が十分達成されていないと思われる事項が見受けられる。
左の事項がその主なものであるが、政府はこれらについて、特に留意して適切な措置をとり、次の常会のほじめに、本院にその結果を報告すべきである。
1 会計検査院の検査の充実強化については、本院において数回にわたり議決を行ってきたところである。
政府は、会計検査院の検査の充実強化が行政改革との関連においても重要な課題であることにかんがみ、今後とも会計検査の実施に当たっては、その目的が十分達せられるよう所要の措置を講ずべきである。
2 政府広報が無断で転載されることのないよう、今後、厳重に注意すべきである。
3 行政改革の推進について、政府は、高度成長期に肥大化した行財政の徹底した見直しを行い、もって財政再建に資すべきである。
4 政府は、第二回国際連合軍縮特別総会に関する国会決議の精神を生かし、世界の軍縮を真剣に推進するよう各国に強く訴えるとともに、開発途上国に対する経済協力を強化し、特に、海外経済協力基金に対する一般会計及び資金運用部からの資金の充実についても考慮すべきである。
5 国有地の無償貸付に当たっては、当該無償貸付の本旨を逸脱した利用が行われることのないよう、今後、管理に十分留意すべきである。
6 近年、医療費が増高しているなかで、保険医療機関等における医療費の不正請求が毎年指摘されている。
しかるに、保険医療機関等に対する指導、監査体制は、指導医療官の欠員などのため、その機能が十分に発揮されているとはいえない現状にある。
政府は、医療費の請求の適正化を期するため、その指導、監査体制の強化、充実を図るべきである。
7 農地の造成を目的として実施されてきた国営干拓事業において、造成された土地が農地以外の用途に転用されたり、中途で事業を廃止したりなどしているものが相当数見受けられる。社会経済情勢の変化に起因する面もあるとはいえ、いずれも投下された多額の国家資金が所期の効果を十分発揮していない点が認められる。
財政再建が叫ばれている折から、今後の事業遂行に当たっては、厳格な選別のもとに投資効果の発現が確実と認められるものについて実施するよう努めるべきである。
8 日本中央競馬会が日本軽種馬協会に無償で寄贈する外国産種牡馬の購入に関し、種々の問題が指摘され、国民の不信感を招いたことはまことに遺憾である。
政府は、日本中央競馬会に対し、指摘された事実の解明に努めることはもとより、今後再び同種の事態が生じないよう、購買馬の決定手続、価格決定方法、会計処理等、種牡馬の寄贈に至るまでの一連の手続きについて、公正かつ適正を期するよう改善を図るべく指導すべきである。
二 昭和五十四年度決算検査報告において、会計検査院が指摘した不当事項については、本院もこれを不当と認める。
政府は、これらの指摘事項について、それぞれ是正の措置を講ずるとともに、綱紀を粛正して、今後再びこのような不当事項が発生することのないよう万全を期すべきである。
三 決算のうち、前記以外の事項については異議がない。
政府は、今後予算の作成並びに執行に当たっては、本院の決算審議の経過と結果を十分考慮して、財政運営の健全化を図り、もって国民の信託にこたえるべきである。
以上が議決案の内容であります。
次いで、決算外二件を一括して討論に付しましたところ、自由民主党は、決算について議決案のとおり議決するに賛成、日本社会党、公明党・国民会議、民社党・国民連合及び日本共産党は、議決案のとおり議決するに反対の意見を表明されました。
次いで、採決の結果、決算は多数をもって議決案のとおり議決すべきものと決し、国有財産関係二件は、いずれも多数をもって是認すべきものと議決いたしました。
以上、御報告申し上げます。(拍手)
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#8
○議長(福田一君) これより採決に入ります。まず、日程第一の各件を一括して採決いたします。
各件を委員長報告のとおり決するに賛成の諸君の起立を求めます。
〔賛成者起立〕
#9
○議長(福田一君) 起立多数。よって、各件とも委員長報告のとおり決しました。次に、日程第二及び第三の両件を一括して採決いたします。
両件の委員長の報告はいずれも是認すべきものと決したものであります。両件を委員長報告のとおり決するに賛成の諸君の起立を求めます。
〔賛成者起立〕
#10
○議長(福田一君) 起立多数。よって、両件とも委員長報告のとおり決しました。────◇─────
#11
○議長(福田一君) 本日は、これにて散会いたします。午後一時三十一分散会