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#1
第096回国会 公職選挙法改正に関する特別委員会 第11号
昭和五十七年六月二十三日(水曜日)
   午後一時一分開会
    ―――――――――――――
   委員の異動
 六月十九日
    辞任         補欠選任
     梶原  清君     名尾 良孝君
 六月二十三日
    辞任         補欠選任
     矢田部 理君     対馬 孝且君
    ―――――――――――――
  出席者は左のとおり。
    委員長         上田  稔君
    理 事
                中西 一郎君
                降矢 敬義君
                村上 正邦君
                赤桐  操君
                多田 省吾君
    委 員
                井上  孝君
                小澤 太郎君
                小林 国司君
                斎藤栄三郎君
                田沢 智治君
                玉置 和郎君
                名尾 良孝君
                鳩山威一郎君
                藤井 孝男君
                円山 雅也君
                対馬 孝且君
                野田  哲君
                宮之原貞光君
                大川 清幸君
                峯山 昭範君
                近藤 忠孝君
                栗林 卓司君
                前島英三郎君
       発  議  者  宮之原貞光君
   委員以外の議員
       発  議  者  本岡 昭次君
       議     員  金丸 三郎君
       議     員  松浦  功君
       議     員  青島 幸男君
       議     員  中山 千夏君
   政府委員
       自治省行政局選
       挙部長      大林 勝臣君
   事務局側
       常任委員会専門
       員        高池 忠和君
    ―――――――――――――
  本日の会議に付した案件
○公職選挙法の一部を改正する法律案(宮之原貞
 光君外二名発議)
    ―――――――――――――
#2
○委員長(上田稔君) ただいまから公職選挙法改正に関する特別委員会を開会いたします。
 まず、委員の異動について御報告いたします。
 去る十九日、梶原清君が委員を辞任され、その補欠として名尾良孝君が選任されました。
 また本日、矢田部理君が委員を辞任され、その補欠として対馬孝且君が選任されました。
#3
○委員長(上田稔君) 公職選挙法の一部を改正する法律案(参第二号)を議題といたします。
 これより質疑を行います。
 質疑のある方は順次御発言願います。
#4
○前島英三郎君 先般、参考人の方々のいろいろとお話を伺いまして、法案に対する賛否はともかくとして、参考人の方々は異口同音に制度を十分に周知徹底を図らなければだめだと、こういうことをおっしゃっられておられました。
 また、私の先般の質問のときに自治大臣も、法案が成立するとすれば初めての経験となるために、選挙の管理執行に関しては十分時間をかけて宣伝、周知徹底を図る必要がある、こうも述べておられました。だから、一日も早く結論を出してほしいというような意見もあったわけでございます。これは四月二十三日の委員会でのことでございます。
 あれからもう月日も流れまして二カ月たっておるわけでございますけれども、自治省に伺いますが、事務的に考えてみた場合、国民及び各段の選挙管理あるいはまた執行に携わる人々に周知徹底するためにどのような手順が必要であり、またそれぞれどのくらいの期間をこうした一つの制度などが誕生する場合には要すると考えておられるのかをまず自治省に伺っておきたいと思うのです。
 それで、いろいろな人たちがだんだんこの拘束名簿式比例代表制の自社両党案というものがわかりかけてきた。それがわかりかけていることがすなわち賛成ということではなくて、それゆえに大変なんだなという雰囲気を私もいろいろ質問を受けるわけでありますけれども、そのようなまだ選ぶ側というところは本当にかやの外といいますか、そういう感じになっているわけですから、なおのことこの問題は関係する自治省とすれば頭を痛めている部分ではなかろうかと思いますが、その辺はいかがでございましょうか。
#5
○政府委員(大林勝臣君) 選挙制度が変わりますたびにまず一番大切なことは、有権者一人一人に十分その内容、やり方をわかっていただくというととが先決でありまして、私どもとしましても、今回の法案がもし成立いたしますれば、都道府県あるいは市町村の選挙管理委員会はもちろんのこと、全国にございます明るい選挙推進協議会なりあるいは青年会あるいは婦人会あらゆる民間団体にもお願いをいたしまして、あるいはマスコミにもお願いをいたします、テレビ、ラジオ、新聞、あらゆる報道材料を使いましてこの内容の周知徹底を期してまいりたいと思います。
 もちろん、期間につきましても来年の参議院選挙もあと一年に迫っておりますので、濃密に各有権者一人一人に徹底していただくように努力をしてまいる所存でございます。
#6
○前島英三郎君 そうすると、もし来年の参議院通常選挙から実施するとした場合、いまからその十分な時間が確保できると自治省は考えているのかどうか。
#7
○政府委員(大林勝臣君) まあ比例代表制度というものは一般に非常にわかりにくいというふうな評価がされておるわけでありますが、今回提案されております制度の仕組みというのは、比例代表制度の中でも大変わかりやすい制度であろうと私どもは事務的には考えております。ただ、いままでの投票の仕組みというものが全く変わってまいりますので、その点無効投票がふえないようにやっていきたいと思いますが、時間的な余裕は十分あると私どもは考えております。
#8
○前島英三郎君 皆さんは専門家ですから時間的余裕は十分あるという判断をしておられるようですけれども、私はいろいろな人たちにこの自社両党案を説明したときに、やっぱりわからない部分というのを大変多くの人々から声を聞く。そういう部分では非常に十分な時間があるとは考えられないと思うのですけれども、その辺が専門的な人たちのその気持ちを果たして有権者に押しつけていいものか、大変時間がないのではないか、こういう気がするのです。
 念のため伺っておきますけれども、法案成立を前提にしてその具体的な作業に手をつけているようなことはなかろうと思うのですけれども、その辺はどうですか。
#9
○政府委員(大林勝臣君) 周知啓発につきましては、制度が改正されるまでの間に手をつけるということはございません。
#10
○前島英三郎君 参考人の方々は、選ばれる側の論理ではなく選ぶ側の論理で考えるべきだと一様にまた述べておられました。私も同感でございます。
 そこで、有権者の立場に立って発議者がどう考えているのか改めて伺いたいと思うのですけれども、政党支持の多様化が進みまして、また参議院全国区におきまして現実に無所属が多くの票を得ております。このような中にあって個人、無所属の立候補を締め出すことは、選挙制度といたしましても有権者の意向を無視しているというふうに私はかねがねから思っております。まさに選ばれる側の論理によりまして選ぶ側の論理が踏みつけられている、そのようにも言えるのではなかろうかと思うわけでございます。自民、社会両党の発議者はこの点どのような見解を持っておられるのか、伺いたいと思います。
#11
○委員以外の議員(金丸三郎君) 現実に無所属の方々が大ぜい立候補なさっていらっしゃいますし、また多くの得票を得ていらっしゃることも私どもも十分に承知いたしております。また、わが国の制度は個人本位の選挙制度になって長いことそれでまいっておりますから、このたびの改正案のように政党本位の選挙制度になりますというと、有権者にある戸惑いがあるのではなかろうかということは私どもも十分に考えております。
 したがいまして、この法案が成立をしたといたしますならば、政府側におきましても、国民、有権者に対する周知徹底をしていただきますと同時に、今後は政党が主体で選挙をやるわけでございますので、私どもといたしましても党員並びに国民に対してその面の啓発と申しましょうか、ということに十分努力をしてまいらなければならない、かように考えております。
#12
○宮之原貞光君 政党本位の選挙制度ということは自民党案と本質的に同じでございますので、私の方からお答え申し上げるのもただいま御答弁なったものと大同小異だと、こういうふうにお考えいただいていいのではないだろうかと思います。
 確かに、現行制度のもとにおきますところの実際の状況は質問者が指摘されたところのとおりでございます。それだけに、先ほども御指摘ありましたように、先般の参考人の御意見等はまさに重要な問題かと思いまして、もしこの制度が成立するとすれば、その面については単に行政府にだけ任ぜることでなくて、それぞれの政党もやはりこれらの問題について国民の理解と協力が得られるような努力をする必要があるのではないだろうか、とう考えているところでございます。
#13
○前島英三郎君 何か自社両党の答弁はカーボンコピー的でありますから、またゆっくりと社会党案の問題は別の日に伺いたいと思います。
 そこで、引き続き自民党案に対しての発議者の御意見を伺ってまいりますけれども、さきの質問におきましても、支持政党なしという人が大きなグループとして存在することについて触れたわけなんですけれども、支持政党なし層というのは政治的無関心層ではなく、既成政党不信層、批判層ではないかと私は思うわけでございます。拘束名簿式比例代表制にいたしましても、政党名を書くことを強要することは有権者の批判を封ずることになりはしないか、こういう気が大変するわけなんです。
 それにまた、政党は政治資金規正法の中で定めたものですけれども、自由民主党それがいいのか、あるいは自由クラブ、あるいは新政クラブ、無数にいま政治団体が日本国土の上を覆っていると言っても過言ではないわけでありまして、たとえば地方議会におきましては無所属クラブもありますし、あるいは社会クラブもありますし、あるいは中政クラブなんていうのもありますし、この辺は自治省、政治団体の中にいま登録されている政党名というのは全国で幾つぐらいあるものだとお考えでございますか。
#14
○政府委員(大林勝臣君) いろいろ全く同じ名前の政治団体あるいは類似団体がたくさんございます。自治大臣所管、つまり全国的な規模の政党あるいは政治団体でも現在約三千三百ほどございます。全国の各県単位の団体まで含めますと五万を超えております。
#15
○前島英三郎君 三千以上ということになりますと、いま全国区では大体百人の候補者がいる。で、それぞれの政党といいますか会派が、もし三千がそれぞれ二十五名ずつ候補者を立てたとしたら総勢何人ぐらいになりますか、三千掛ける二十五、かなりの数だと思います。そういう中から選ぶということになると、いままでの百人の中から選ぶよりももっと大変なことになりはしないか、混乱が起きはしないか、またその会派名、政党名の一つの規制みたいなものも出てきやしないか、その辺は金丸さん、いかがお考えですか。
#16
○委員以外の議員(金丸三郎君) 自治省で政党ないし政治団体として登録を受けておりますものはそのような数かもわかりませんけれども、私どもは参議院の選挙制度のことを考えておるわけでございまして、現在国会で国政を動かしておる政党は私はここに御列席の皆様方だろうと思いますし、また現在の制度でございますというと、まず六十万票はとらなければ参議院に当選ができないわけでございます。だから、三千政党がございましても、また多くの個人の立候補がございましても、きわめて当選なさる方は少数でございます。
 だから、数多く政党がございましても、六十万も――個人の立候補のいまの制度を前提にしてでございますけれども、そういうような多くの得票の可能性のある政党あるいは政治団体というのは少ないので、私どもは現実には従来のような立候補の状況ではなかろうか。別に政党その他の政治団体の規制を今後さらに強化するとか、そういうことは現実的には必要がないのではなかろうか、私はこのように考えております。
#17
○前島英三郎君 その辺が解釈の違いですけれども、いまある政党がもうこれ以上ふえないという果たして気持ちを持つことがいいのか、たとえば最近では革自連というようなものも誕生しておりますし、また非常に批判層、無党派層もふえていく傾向の中では、いわば政党というものに対する模索の時代ではなかろうか。いまある政党が何か国民にとってすべてであるやのような部分は大変やっぱり問題があるのではないか。これから三千幾つかの人たちがそれぞれまた発言する門戸というものをこの政治の中では広げておくこともやはり民主政治の中では必要ではないか。
 こういう点を思いますと、いまの発言には非常に規制すべしという部分が何となくその裏に台頭しているような部分を感じまして、大変私も疑問に思うところでありますけれども、私の予定しておりました時間も参りましたので、残余の問題は後日に譲らせていただきます。
 ありがとうございました。
#18
○栗林卓司君 この委員会の審議がいろいろな事情で大分とぎれたものですから改めて再確認をしておきたいと思うのですが、金丸さんはいつまでおれを答弁台に出しておくんだと大変お怒りのようでございますけれども、実はわれわれ反対野党の方としては、まず第一回が自民党案と参議院の性格の問題、第二回が自民党案と憲法問題、第三回が自民党案と拘束名簿、政党法問題、その次が選挙制度、定数是正問題、第五回目が政治資金規正法についてという段取りでこの大改正の審議を煮詰めてまいりたいと前々から言ってまいりました。
 ところが、四月二十人目に審議打ち切りが強行になりました。大体、一党単独議員立法をその政党が強行で審議打ち切りというのは前代未聞でありました。とどのつまり、国会は不正常になりどうするかという話になったときに、議長をまじえて会長・国対委員長会談が持たれて、円満正常に進めてもらいたいとなったわけですが、その円満正常というのは、われわれはこういう予定で審議をいたします、自民党、社会党にそれぞれ異なる意見があることはそれは当然です、それはそれとして審議を進めてまいりましょうということが、円満かつ正常の当然の含意でありました。その意味で、われわれの主張に対して自民党としても再三真剣に留意をするということを約束をされてまいりました。今回は自民党案と憲法問題のちょうど途中でありました。そういったことでわれわれ一は考えておりますということを改めて再確認をしておきたいと思います。
 念のために申し上げますと、一巡をしたらこの各テーマが終わるということではございません。テーマ別に詰めていきたいというのであって、何巡したら間に合うのか、それはお答えの内容も含めてこの委員会審議がどこまで煮詰まるかということであります。この点だけまず申し上げておきたいと思います。
 それで、まず憲法問題を国会で審議する場合にどういう態度をとるべきなんだろうかという点からお尋ねをしてまいります。
 在宅投票制度廃止違憲訴訟というのがございました。この内容については御存じでございましょうか。――御存じでないようですから私から申し上げます。
 これはわりと有名な違憲訴訟でございまして、立法不作為の違憲性を問うた判決なんです。第一審はどうなったかといいますと、まずこれは状況からお話ししないとわからないかもしれません。在宅投票制度というのが前にありました。ところが、種々選挙違反に悪用される等の弊害があったということでこれが廃止になりました。ところが、ある方が昭和三十年を境にして御不自由なお身柄になりまして投票所に行くわけにいかぬ、在宅投票制度は廃止になったと、したがって私の選挙権は事実上阻害をされたのだという違憲訴訟なんです。
 これに対して第一審の判決が何て言ったかといいますと、国会の過失だと、被控訴人が車いすに乗ることが困難になった昭和三十年以降についても在宅投票制度を設ける立法をしなかったことの違憲、違法が問題になるという問題指摘でして、では国会の過失は何かというと、「合議制機関の行為の場合、必ずしも、国会を構成する個々の国会議員の故意・過失を問題にする必要はなく、国会議員の統一的意思活動たる国会自体の故意・過失を論ずるをもって足りる」として、「立法をなすにあたっては違憲という重大な結果を生じないよう慎重に審議、検討すべき高度の注意義務を負う」と、こう第一審判決は書きながら、国会の立法不作為による違憲を認めたんです。
 控訴審ではどうなったかといいますと、この立法不作為に関連する国会の過失はこれは否定しました。ただ損害賠償は認めたというちょっと中途半端な判決になったのですが、なぜ国会の過失を認めなかったかといいますと、「昭和四七年末ごろまでに、憲法による普通平等選挙の保障には、選挙権行使の機会平等の保障が含まれるとする学説・判例もなかったから、国会議員は、在宅投票制度を設ける立法をしないで放置することが違憲、違法であることを予め知ることができなかったものであり、それが被控訴人の選挙権を侵害することにつき、故意又は過失があったものということはできない。」ということで過失は退けたのですが、簡単に言い直しますと、当時不作為が違憲だという学説も判例もなかった、それは国会審議の中で気がつかなくてもやむを得なかったであろうということなんですが、第一審で言っている「立法をなすにあたっては違憲という重大な結果を生じないよう慎重に審議、検討すべき高度の注意義務を負う」、これはそのまま生きているわけです。
 現在、この法律案がどうなっているかといいますと、少なくとも日弁連は憲法違反だと言っております。日弁連はわれわれ素人と違って法曹家集団であります。それぞれ専門家です。で、あに日弁連にかかわらずこの改正案が違憲ではないかという疑いを持たれる方は少なくないようであります。そのときにこの国会審議のあり方というのはどうあるべきなのか、金丸さんの御所見を伺います。
#19
○委員以外の議員(金丸三郎君) 私からもうお答えを申し上げるまでもないぐらいに存じますけれども、憲法に違反しはしないかという重要な問題につきましては、昨年の本会議以来たびたび御質問がございました。また、具体的な条文につきましての御質疑があり、お答えも申し上げ、私どもは違憲でないと信ずると、このようにお答えを申し上げてまいったところでございます。日弁連の御意見も私どもも拝見し、検討いたしてみましたけれども、私どもとしては従来の見解を変える必要はないように思っております。
 違憲の問題は大変大事な問題でございますので、本委員会におきましてやはり十分に御審議を尽くしていただいて、将来この違憲訴訟というようなことがないことを私は願っておるわけでございます。違憲の問題につきましては私どもも慎重に数年来検討いたしまして結論を得た次第でございます。
#20
○栗林卓司君 自民党のお立場としてはそうだろうと思います。ただ、意見というのが分かれておりまして、違憲とおっしゃる人もいるということになると、よほど慎重な注意をもってこの問題を審議しなければいけない、そういう義務を国会議員が負っているんですと、この点は御異論ないと思います。その意味も含めてわれわれは先ほど申し上げた慎重審議を主張しているのでありまして、ちょうどこの委員会でまことに断続的ではありましたけれども約一年ですな。一年もかかってと見るのか。
 では、西ドイツの場合は政党法をつくるのに何年かけた。政党法というのはつくれという主張と政党は生き物であってつくるべきではないという主張が全く相反する。折半といってもいい。この対立する意見を乗り越えながら西ドイツが政党法をつくるまでに十八年かかった。あらゆる法曹学者が参加をしながら議論を起こしてきた。もともと憲法問題というのは、変えようとすると、何も十八年かけろとは言いませんよ、言いませんけれど、それほどの慎重さが必要なんだということをこの際申し上げておきたいと思います。
 そこで、憲法問題について伺っていくわけですけれども、これも学者によりまして諸説また分かれておりまして、したがって一応この議論としては極力通説に従いたい。通説といっても手元にあるわけではないので、宮沢俊義さん著、芦部信喜さんが補綴されたこのコンメンタール、それから有斐閣の新法律学辞典、あとは憲法学者の本はいろいろ拝見しましたけど、恐らくこの佐藤功さんの著書には御関心が多かろうと思いますので、通説と違うところは所見を述べますけれども、一応この本に沿いながら議論を申し上げてみたいということで御異論ございませんか。
#21
○委員以外の議員(金丸三郎君) 結構でございます。
#22
○栗林卓司君 そこでお尋ねをしたいのですが、今回の公選法改正案というのは革命的とも言える大改正だとおっしゃっておられましたけれど、憲法を形式的な意味と実質的な意味で分けて考えますと――もう少し申し上げましょうか。これは佐藤さんの言っていることをそのまま抜き書きしたので読みます。
 まず、「憲法典とは別に、憲法附属法律の中に実質的意味の憲法がなお存在している。そこで、憲法典のみではなく、これらの憲法附属法律も併せて全体としての実質的意味の憲法を促える必要がある。」これは佐藤さんだけが言っているのではなくて、大方の憲法学者が共通して言っているところであります。形式的には日本国憲法という憲法典、実質的にはそれを取り巻いている憲法附属法律を含めて生きている憲法ができ上がっている。
 この生きている憲法と形式的な憲法典がどういった関係になっているかといいますと、続けて読みますと、
  憲法典は最高法規として規範的、統制的機能を果し、一方現実の政治や社会の要求は、立法、行政、訴訟の手段により憲法典に働きかけてこれを動かそうとする。即ち、憲法典は、その外延にある法令や政治社会の要求に対して(規範的、統制的に)働きかけ、法令や政治社会の要求は憲法典に働きかける。このお互いに働きかげる二つの力が交叉するところに憲法典の諸規定が現実に機能しているということができよう。
これは御所論のとおりだと思います。
 そこで、現実に機能している実質的な憲法として問題をとらまえ直しますと、憲法典の外延として存在している憲法附属法律のうち最も重要なものの一つが公職選挙法です。もちろん国会法も当てはまります。この公職選挙法の大改正というのは事実上実質的な意味で憲法改正に当たる、そう理解してよろしいでしょうか。
#23
○委員以外の議員(金丸三郎君) 私どもは、選挙法は憲法じゃございませんが、わが国の現在の憲法が動かされ、国政が運営されていく上に最も重要な法律の一つであろう、このように考えております。
#24
○栗林卓司君 いや、実質的な意味で憲法をとらまえた場合に、今回の大改正というのは憲法の改正に当たることでありますと。これは別に他意があって聞いているのじゃないんですよ。
#25
○委員以外の議員(金丸三郎君) 学者の説としてはいろいろあるかもわかりませんけれども、私どもは選挙法は国法の中で最も重要な法律の一つである、このように考えております。
#26
○栗林卓司君 形式的な憲法典――いまこの本が大変売れているそうです、ベストセラーだそうですね。こういう「日本国憲法」といういわば無味乾燥なものがなぜ売れるのだろうか。日本の社会を規範している重要な法律が日本国憲法だと国民が知っているということです。したがって、形式的な意味の憲法というのはこれです。実質的な意味では、取り巻いているいろいろなものを含めて実質的な生きている憲法がある。生きている憲法というのは微細な検討をしますと日々刻々変わるんです。その変えている立法作業にわれわれは参加しているわけです。したがって、自民党としては実質的な憲法のそれは当然改正ですと、そうお答えになってよろしいんですよ。ただお隣の方がお困りだろうなと思うだけであって、その質疑はいまはいたしません。実質的な意味では憲法改正でしょう。
#27
○委員以外の議員(金丸三郎君) 私は、わが国の最も重要な法律の一つであって、これを軽々に変えることはもちろん許されませんけれども、憲法の附属法典と申しますかどうか、これは学説ではそういう方もあるかもわかりませんけれども、私どもはきわめて重要な国の基本的な法律の一つとしてその改正には慎重な態度で臨むのが当然であろう、こういうふうに考えております。
#28
○栗林卓司君 形式的な憲法と実質的な憲法と分けて聞いているんですから。それで、金丸さんのお立場としては実質的な意味の憲法の確かに改正なんですとお答えになって何ら困らないじゃないですか。困るのはお隣なんですよ。それをいまは聞かないと言っている。ちゃんと答えてください。
#29
○委員以外の議員(金丸三郎君) 私は、学説としてはそのような学説があるのかもわかりませんけれども、国会議員として本当にまじめに考えてみまして、最も重要な法律であるからその改正につきましては慎重な態度で臨むのが当然だと、このように考えております。
#30
○栗林卓司君 恐らく承知の上ですれ違い答弁をなさっているんだろうと思うのです。ただ、金丸さんね、そういった御答弁して時間をかければこの法律が通るという筋合いのものでは私はない。だから、憲法問題について国会というのはどういう態度をとるべきかと最初に伺ったのです。金丸さんもお役人御出身ですけれども、いわゆる役人答弁はここでは避けていただきたい。率直にやはり同じ国会議員同士としてお答えをいただきたい。
 そこで、憲法改正だと本当はお答えいただかないと先の質問にいかないのだけれど、(「本音を言えということだろうな」と呼ぶ者あり)いや、違う。本音を言う前の話でね。ではこう整理しましょう。公職選挙法というのは実質的な意味の憲法に入る、これは通説ですから、私は通説に従ってきょうの議論は展開したいと言っているので、これに対してあなたはノーと言う必要はない。それは認めるでしょう。やっぱりこだわりますか。
#31
○委員以外の議員(金丸三郎君) 先ほど申し上げたとおりでございます。
#32
○栗林卓司君 改正に決まっているのですよ。ただ形式的な憲法典の改正でないということは事実です。
 問題なのは、その改正をするとして、この日本国憲法を含む、しかもこれを頂点にした憲法規範にこの改正がうまくなじむかどうか。これが実は違憲性の議論が出る中心なんです。なじむかどうかを考えていくのに、では憲法というものを立体的にとらえたらどういったぐあいに理解されるのだろうか。
#33
○委員以外の議員(金丸三郎君) 大変失礼でございますが、立体的にとらえたらという御質問の御趣旨が私にはよくわかりませんので、そこのところを大変相済みませんがもう一遍お願いいたします。
#34
○栗林卓司君 通説で言いますと、平面的にとらえますと憲法というのは基本的人権と政治組織、この二つでできているのです。どこの国の憲法もそうです。基本的人権条項とあとは政治組織、この二つでできているのです、憲法というのは。しかし、これを平面的じゃなくて立体的にしてみたらどういう分類になるのだろうか。この分類も、何も佐藤先生の説を私は言っているんじゃないのですよ、ただ通説だからその佐藤先生の説を読み上げているだけで、別に大変奇妙な質問をしているのではない。
 お答えいただけないようですから申し上げてみます。佐藤さんはこうおっしゃっているのです。憲法には憲法の憲法というべき部分がある。それが日本国憲法というこの規定の中のいわば上の構造になる。この憲法の憲法、いわゆる根本規範、それが憲法の中には含まれている、これも通説です。
 では、その内容は何かというと、憲法の制定権力の主体は何であるかを指定する性質、具体的に言いますと憲法前文、主権が国民に存することを宣言している部分、第一条「主権の存する日本国民」云々とある、国民主権。国民主権が憲法を決めるもとになる力ですから、したがってそれを憲法では必ず指定してある。ほかにもありますけれど、これが憲法の憲法ともいうべき部分である。なぜこんなことを言うかというと、この憲法の憲法という部分はこれは改正できないのです。
 同様に、第二項、憲法の基本原則を定める性質、これは統治組織の基本原理あるいは基本的人権の原理、これも憲法を改正できない。そういったものとして日本国憲法ができておりますというぐあいに理解をされておられますでしょうね。これも私は珍説を言っているのじゃなくて通説なんです。その点はいかがですか。
#35
○委員以外の議員(金丸三郎君) 現在の憲法を前提にいたしますというと私もそのように考えます。私も学者ではございませんので十分な自信はございませんけれども、現行憲法を前提にいたしますならばそのように考えてよろしいと、かように思います。
#36
○栗林卓司君 そこで、日本国憲法の中の前文の中でも最も重要だと言われる部分を私は読んでみます。
 それは何かと言いますと、「その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。」、そうですね。「その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。」、この文章はどう読めばいいのだろうか。このコンメンタールが何と言っているか。コンメンタールを引く理由は一応これが通説だろうということで申し上げるのですがね。これは実はリンカーンのゲチスバーグ・アドレス、それとちょうど照応した文章です。したがって、「その権威は国民に由来し、」というのは「国民の」、「その権力は国民の代表者がこれを行使し、」、これは「国民による」、「その福利は国民がこれを享受する。」、「国民のための政治」。いわばリンカーンが言った「国民の国民による国民のための政治」、それをいわば言い直したものということができる。私はそのとおりだと思います。
 問題は、「これは人類普遍の原理」である。この「人類普遍の原理」というのは、ここで憲法は何を言っているのだろう。しかも、「この憲法は、かかる原理に基くものである。」、この「人類普遍の原理」というのはどういう意味だとお考えになっておりますか。
#37
○委員以外の議員(金丸三郎君) 大変高邁な憲法論議でございまして、私も初歩的な理解しかあるいはできないかもわかりませんけれども、現在の日本国憲法の考え方からいたしまして、「人類普遍の原理」という考え方でございますが、それはやっぱりそのとおりであろうと思います。現行憲法を前提にいたします限り、私どももそのような考え方に基づいて国政が運用され、憲法が守られていくべきであろうと、このように思います。
#38
○栗林卓司君 私は何でこんな質問をしているかといいますと、参政権は基本的人権ではないということをおっしゃるものだから、一遍この問題整理しておかないと議論が前に行かないから、基本から組み立ててお尋ねをしているのです。
 そこで、「人類普遍の原理」といいますのは金丸さん、簡単なんです。日本人普遍の原理とは書いてないんです。「人類普遍の原理」ということは日本国憲法という枠を超えた原理だと言っているのです、前国家的な原理だと。言っている意味はこれなんです。
 それで、さっきの「国民の国民による国民のための政治」ですけれども、さらにこれを整理すると、私はこう整理して大体通説だと思うのだけれど、「その権威は国民に由来し、」というのは国民主権です、言っているのは。「その権力は国民の代表者がこれを行使し、」、これは代表民主制です。「その福利は国民がこれを享受する。」、これは生存権、幸福追求権です。こうしたものを前提にして基本的人権がどう組み立てられているかというと、国民主権、代表民主制から論理必然的に出てくるのが参政権なんです。生存権、幸福追求権から論理必然的に出てくるのが自由権であり社会権なんです。そして、この参政権、自由権、社会権を基本的人権だとしているのが現行憲法なんです。しかも、しているだけじゃなくて、これが「人類普遍の原理」であると宣言しているのが日本国憲法なんです。
 したがって、第十一条で「国民は、すべての基本的人権の享有を妨げられない。との憲法が国民に保障する基本的人権は、侵すことのできない永久の権利として、現在及び将来の国民に与へられる。」、この憲法の文脈の中では参政権は基本的人権ではないという理屈は成り立たないのですよ。したがって、当然参政権、自由権、社会権は基本的人権です。それをあえて否定なさるから議論が変な方向に行くんで、これは前言撤回されて結構ですから、端的に基本的人権ですとお認めいただきたい。
#39
○委員以外の議員(金丸三郎君) この憲法の前文の規定はまさにそのとおりであろうと思います。また十一条の規定もこのとおりでございます。
 十五条の関連でございますが、これは前回私も申し上げましたとおりに、国民固有の権利であり、国民主権の原理に基づいて参政権が国民固有の権利として認められてまいっておると、これは私もそのように考えております。しかし、憲法の前文は全般的なものであり、十一条の規定も私どもはやっぱりそのように解釈をすべきではなかろうか。十五条は、国民の権力、主権在民に基づきます国民の一つの権利と申しましょうか、政治に関与する基本的な原則を十五条は規定をしたものでございまして、具体的なこれが選挙というものにあらわれてまいります場合には、やはり四十四条に規定をされておりますような法律によって定める、具体的にはこれによって定めると、こういうようなふうに解釈をしていくべきではなかろうかと、私どもはこのように考えるわけでございます。
 申し上げるまでもなく、大正時代までは制限選挙でございました。選挙権というのはそのような過去に厳然たる歴史を経過してまいっております。今日は主権在民という憲法のもとでその選挙権をどのようなふうに解釈するかということになってまいり、論理的に申しまして主権在民という考え方からいまの選挙権を理解しようというようなふうになっておることは私も御指摘のとおりだと思います。
 しかし、じゃ現実の参政権の中身の一つである選挙権、選挙の資格あるいは被選挙の資格、立候補の資格ということはこの憲法におきましても第四十四条で規定をされておるのだと、私はそのように考え、また従来もそのようにお答えを申してまいったところでございます。
#40
○栗林卓司君 いまのお話はだんだんに触れてまいります。参政権は基本的人権の一部であるという点については御異論がないわけですね、それはね。
 これは法学辞典からあえて引きますと、
  近年になって、自由権を現実に保障するためには参政権を確保することが必要であり、かつ自由権は社会権の裏づけを伴わないかぎり、実際上は貧乏の自由に帰着しないわけにはいかないところから、自由権のはかに参政権や社会権をも基本的人権に含ませる場合が多い。日本では、現行憲法で初めて基本的人権の語が用いられたが、それはこの意味である。世界人権宣言にいう人権も同じ意味で、自由権・参政権及び社会権の三者を含んでいる。
 この法学辞典の書き方というのは私は正確だと思うのだけれども、この書き方で御異論はないわけですね。
#41
○委員以外の議員(金丸三郎君) 実際にはその文章をよく読ませていただきました上で、私が本当に理解できますかどうかでお答えをさせていただきたいと思います。
#42
○栗林卓司君 読ませていただいた上でではなくて、私は通説をしゃべっているんですよ、これは。
 それで、基本的人権かどうかを妙にこだわっていますのは、さっき人類普遍の原理だと言いましたね、人類普遍の原理というのは前国家的概念なんだと、前国家的概念というのは法律によって権能が与えられる以前から存在をしている。したがって、先ほどのコンメンタールの表現をかりますと、参政権というものを自然権的なものとして認めた文章である、これも通説。それは十五条、四十四条というぐあいにあなたが論旨を展開されるのには余りにふさわしくない観点なんだけれども、そちらの方が通説でございます。
 この憲法前文というのは参政権を自然権的なもの、自然権的なものというのは前国家的なもの、これは一つのイデオロギーですよ。実証法学的にそういうことがあったかないかではなくて、憲法というのはそういう精神で貫かれている。その読み方を、重点の置き方を書いてあるのが憲法前文ですよ。したがって、まずここのところは、ああなるほどそう決めたんだなと、まずお認めいただければもう議論する必要ないんです。したがって、この参政権というのは前国家的な権利として、自然権的なものとして憲法では評価している。
 評価のよしあしは別ですよ、あくまでも日本国憲法の文章に沿い通説に沿って理解する限りはこのほかの説はない。これが最高裁判例の中で選挙権、被選挙権は基本的人権だという説が再三出てくる理由なんだ。金丸さんはその最高裁の判例はちょっとおかしいみたいなことをよくおっしゃるけれども、それはおかしいのはあなたの方であって、最高裁判例ではないんですということを私はるる申し上げている理由はそれなんです。
 それで、そうだと認めたって、ではそれを制限するためにはどうしようかという議論は立つんです。立てていいのです、お立場からすれば。しかし、それはそれで議論するんだけれども、入り口のところで違っていますとね。
 それで、世界人権宣言というのは――ちょっといま手元に資料が見当たらないけれども。金丸さんね、世界人権宣言、これは戦後つくられた宣言です。それに付随してたしか三つか四つの国際条約が決まっておりました。ちょうど第二次大戦直後の、あれから十年ぐらいたったころです。それは当時世界のイデオロギーをある意味で支配していたのはアメリカでしたからね。アメリカというのは英米法ですから。「国民の国民による国民のための政治」という、あの自然法的な物の考え方というのはどちらかというと英米法に根差している。それに沿って国際条約ができて、日本はそれを批准しているんです。
 では、批准した国際条約というのは憲法との関係ではどうかというと、たしか憲法九十八条、条約の遵守についての規定が入っています。それこれ含めますと、さっき言いましたように、「日本では、現行憲法で初めて基本的人権の語が用いられたが、」、ちなみに基本的人権という言葉がわれわれの目に最初に出現したのは御承知でしょうけれどもポツダム宣言です。基本的人権という言葉が用いられたが、それは自由権、参政権、社会権の三つを含んでいる。それは世界人権宣言でも全く同じであります。したがって、参政権、自由権、社会権を考える場合には、これは当然の前提としてこれで認められたと言ったって議論進まないので、この後私はだんだんに四十四条の議論したい。しかし、最初のここだけはもう無用な議論は避けたいのでいま申し上げているのです。
#43
○委員以外の議員(金丸三郎君) たびたびお答えを申し上げておりますように、私どもは参政権は基本的な国民の権利だと、基本権だと、このように考えております。これはもう何遍もお答えを申し上げております。ただ、その参政権の具体的な中身、それが選挙権、被選挙権ということになりまするというと、私どもは憲法四十四条に明確に規定をされておると、このように考えておるわけでございます。
#44
○栗林卓司君 佐藤教授の御本ですけれども、そこの中に簡潔に書いてあるのはこういう文章なんです。参政権とは要するに選挙権、被選挙権であると、イコールで結んでいるんですよ。それが普通の言葉の意味ですよ。それから、さっきの法学辞典から引きますと、参政権として、前段抜きますが、「選挙権がその代表的なものとされる。」、続けて読みますと、「元来、自由権と対立させられ、基本的人権に属さないとされたが、日本国憲法や世界人権宣言では、基本的人権に含まれるとされる。」、参政権と選挙権を何か違うみたいな話をするのはやっぱりこれも常識的な法律用語とは違う。
 ちなみに申し上げますと、基本権と言いましたけれども、基本権というのは基本的人権なんですよ、言葉としては。基本的人権のことを基本権とも言うのです。別に違ったことを言っているわけじゃない。これは必要があれば何ぼでも抜き書きありますから、言っていいですよ、申し上げます。したがって、参政権は基本権なんですと言うんだったら、字をあと幾つか足して基本的人権ですとおっしゃればいいじゃないですか。
#45
○委員以外の議員(金丸三郎君) 先ほど申し上げたとおりでございますが、参政権の中身が具体的に何かとなれば、私どもも選挙権とかあるいは被選挙権とか、そういうものが含まれておると、これも先般来申し上げておるとおりでございます。ただ、具体的には憲法の四十四条に規定されておりますように、選挙人の資格とか、議員の資格とか書いてございまして、選挙に関する事項は憲法みずからが四十四条に規定をしておるので、この規定を根拠にして私どもは具体的な選挙の制度を定めていけばよろしいのだと、かように考えておるわけでございます。
#46
○栗林卓司君 佐藤教授のじゃ別な文章を引きます。「憲法への忠誠と政治家の義務」こういう文章があるんです。内容を読みますと、「問題は個々の規定を形式的に尊重するということにあるのではない。」、個々の規定、たとえば憲法四十四条というそれを形式的に尊重するということにあるのではない。いま申し上げているのは「憲法への忠誠と政治家の義務」というテーマでの佐藤教授の論文から抜粋しているのですよ。
  憲法尊重義務が要求するものは、むしろ憲法の個々の規定の基本にあるもの、あるいはそれらの前提にある憲法の精神そのものへの誠実と忠誠である。ここで、憲法の基底にある歴史的な理念や伝統的信念であってもよいし、またその憲法における価値体系であるといってもよい。憲法とは、それらの精神や信念や価値体系を国民の意思として法典化したものであり、それらに対して誠実と忠誠をささげ、それらの実現のために努力することが、憲法の運用にあたるもの、特に政治家の任務なのである。
  憲法はこのような努力を政治家に要求する。
 これは佐藤教授がお書きになっているとおり。したがって、憲法四十四条を見る場合には四十四条だけ抜き出してこれは読んではいけませんという意味です。あくまでも憲法の精神を踏まえながら、一体その底に何が流れているのか。
 そこで、四十四条に御執心のようですから、その議論に移りながらお伺いしますけれども、参政権と選挙権というのはイコールで結んでもいいほどの関係にあります。では選挙権というのは権利なんだろうか。これは御承知のとおり長年の大論争がございました。いまでもあります。どういう論争があったかといいますと、林田とおっしゃる大学の先生がいまや古典的とも言える整理をしているとある御本に孫引きしてあったものですから、恐らく古典的なんだろうなと思いながら御紹介するのですが、御承知のように四つあります。
 一つは個人的権利説あるいは自然権としての選挙権説。これを言っていたのはロックとかモンテスキュー、ルソー、ロベスピエール、 コンドルセ、あの時代のあの人たちが言っていた。選挙権を人間の自然権に属するものとした主張です。
 もう一つは何かといいますと、全く逆でして、ラーバントが中心になって主張した説だそうですけれども、これは国家主義的実証法学説。これは非常にむずかしくて、ドイツ人てこんな考え方するのかなと思うのだけれども、「選挙権は主観的な「選挙する権利」ではなくして、ただ議会の構成手続に関する憲法規範の反射にすぎない、」、法の反射だと言っているのです。「それは、例えば陪審裁判所の傍聴人として出席する権利が主観的な個人の権利ではなく、ただ憲法上の裁判公開の原則の反射にすぎないのと同じであり、」、これもドイツ流法学としてはまことにきれいな整理だと思う。
 三番目は何か、これは権限説、イエリネックが言った説です。これはなるほど法の反射でしょうと。しかし、選挙権を持つということは実は個々人の利害に関係する。したがって、その地位に立つことを請求する請求権がある。その意味でこれは個人の権限、権能である。
 四つ月が二元説です。実はこれが日本では通説なんだそうです。どういう説かといいますと、選挙という行為は公務ですね、選挙人団を組織してそこの中の一員として投票する、公務員が選ばれる、国家の組織が確定するという国家の機関行為の一つであって、それは任務である。しかし、反面ではこの参政権というのはまことに抗争的概念であって、闘ってとってきた概念。そういった意味では国民の法意識という面であっても明らかに権利である。いわば公務という面と権利という面と同居をしている。この二元説が日本では通説だそうでありまして、これはいろいろな本を調べてみてもこの通説がほとんどです。
 そこで、まずこの四つの説を御紹介申し上げたのですが、金丸さんは選挙権が権利でありや否やという点についてはどういうお立場でございますか。
#47
○委員以外の議員(金丸三郎君) 私どもは第四の説を実は昔からそのように教わり、現在もそのように考えております。
#48
○栗林卓司君 そうしますと、二元説でしょう。
#49
○委員以外の議員(金丸三郎君) そうです。
#50
○栗林卓司君 あなたのこの御本でも同様にお書きになっていました。
 すると、公務としての側面はこれはあります。公務としての側面は何かというと、選挙権、選挙資格を与えるのは国家機関なんだ、したがってだれに選挙権を与えるかということは事の合理性に従って判断してよろしいという議論がこの側面から生まれる。
 片方、権利だとしますと、しかもこの権利が憲法の前文を受けて基本的人権としての権利なんだとなりますと、これは制限していいという話は毛頭出てこない。したがって、本当はこの二元説というのは中途半端な学説なんです。
 従来、この選挙権の議論がなぜなされてこなかったかというと、普通選挙はもう来るところまで来ていまして、投票自書主義が差別であるかないかという大変学究的な問題が残っているだけで、ほとんど選挙権というのは権限であろうと公務であろうと余り研究する値打ちのない分野に置かれている。
 たとえば杉原泰雄教授の表現をかりますと、選挙権が権利だということは「われわれの法的常識・法的確信」である。「参政権は、自由権、受益権、社会権とならんで、基本的人権の一類型であり、その権利性については今さら論証を要しない」、「参政権が公務としての側面を帯びることは不可避的である」、ここで検討はとまっているんです。
 そこに今度は拘束名簿式比例代表制という明瞭に選挙権、被選挙権を制限する案ができたので、初めて実はいま学界としても検討が始まるか、これから始まるんだろうと思います。したがって、学者の説を見るとまことにこれはまちまちです、二元説をとりながら。
 いま金丸さん、二元説とおっしゃったのですから、公務説は当然否定なさらないでしょうけれども、片一方の権利の面で、これはあくまでも基本的人権としての選挙権という形で把握をされておられると思いますが、それはそれでよろしいわけでしょう。
#51
○委員以外の議員(金丸三郎君) 繰り返しお答え申し上げておりますように、第十五条第一項の基本的な参政権の中身だと、このように解しております。そういう面で、権利性と申しましょうか、そういう面があることは私どもも否定できないと思います。
#52
○栗林卓司君 権利性というのは基本的人権としての権利性、そう明確に――ここはちょっと言葉をはぐらしたままでは先に進めないのです。基本的人権としての性格と公務としての性格と二つあわせて持っているのが選挙権です。
#53
○委員以外の議員(金丸三郎君) 第十五条の第一項に先ほど来申し上げておりますように基本的な参政権としてあり、その具体的な中身として、選挙の権利と申しましょうか被選挙の資格と申しましょうか、第四十四条に規定されておると。ただ、その中身の、「選挙人の資格」と憲法も書いておるわけでございます。「選挙人の資格」と書いておりますが、その中に権利性はある、私そういう意味で申しておるわけでございます。
#54
○栗林卓司君 これは重ねて重ねてお尋ねをしておかないと先にいかないんですよ。だから、権利性は認めるというのならどんな権利でございましょうか。先ほど基本権とおっしゃっていた。だんだんといま言葉を節約して権利になっちゃった。
 基本的人権として、国民主権でしょう、代表民主制でしょう、そこから論理必然的に展開されてくるのが参政権なんです。参政権の主たる部分が選挙権なんです。したがって、佐藤功教授は、参政権とはすなわち選挙権である。学者というのは言葉に正確な人であろうと思いますが、そこまで大胆な表現をしたって決しておかしくない。したがって、参政権と選挙権というのは別物ではないのです。別物ではない。ですから権利性の側面ではある。憲法前文の精神を受けていきますと、この選挙権というのは基本的人権です。最高裁判例になるんですよ。ですから、ここは何遍でもお尋ねしなければいけません。
#55
○委員以外の議員(金丸三郎君) そういう意味では基本的な人権と申してよろしいと思います。私どもは、誤解いただかないように私が念のために申し上げておりますのは、十五条の第一項と四十四条との関係でございます。これは論理の問題でもございますが、同時に現行憲法の実定法というもとにおいて、私どもがわが国の選挙制度を考え、あるいは改正を考えてまいらなければなりませんので、現行の実定法に即して私どもはいろいろの理論的な問題やら実際上の問題を考えていきたいと思っておりますので、繰り返し申し上げておる次第でございます。
#56
○栗林卓司君 そこまでおっしゃれば私ももう少し正確にお尋ねをするのですが、実はさっき選挙権の権利性について四つの説があると言いましたね。この四つというのはこれは通説的分類なんです。大体どの御本を見てもそう書いてあります。あの林田さんの古典的と言われるものを御紹介したのですが、表現が少し違ったとしても大体四つに分類してある。
 ところが、ある御本を拝見しますと五つ目がある。五つ目は何かというと、十五条で権利性、四十四条で公務性、条文の使い分けをしながら説明しようとする説がある。しかし、この説はいかがであろうかと書いてあるので私はあえて言わなかったのだけれど、それでいきますと金丸さんは本当は五番目なんです。四番目とおっしゃったから聞いているのです。十五条で参政権の性格、権利性がうたってある。四十四条では、今度は選挙権の内訳について法律で規定していいと書いてある。したがって、これは非常に公務性が強い。選挙権というのは選挙人集団に参加をする資格等々というぐあいに議論が進んでいくんですね。だから、そういった場合に、十五条と四十四条を分けて考えるというのは五番目の立場なんです。
 その五番目の立場から言いますと、この選挙権というのは非常に技術的概念なんだ。参政権からは非常に遠いところに位置するんですよ。その立場で物を見たら、それは、最高裁判例が選挙権は基本的人権と言ったのはおかしいという主張も成り立つのです。しかし、それは通説ではない。私は通説で議論したいと言っている。国会というのは憲法審議に当たっては細心の注意が必要だ。注意の内容というのは、通説で解釈をしてどうにもうまくいかなくなったら、ここは立法府なんですから憲法を直せばいい。通説ではいかなくたって第五番目の理屈を立てれば解釈できるというのでは、それは国会議員としての注意義務に反する。しかも、佐藤教授がるる言われている「憲法への忠誠と政治家の任務」、そこでも言っているのは流れている精神です。十五条と四十四条をぶった切ってこれはどうかというのは、その立場はとれないんですよ、参議院法制局はどうか知らないけれども。
 話を戻しますと、要するに選挙権は、片面では基本的人権だ、片面では公務だ、ここはよかったわけですね。そうすると、基本的人権だとすると、今回の御提案は、基本的人権である選挙権、被選挙を、しかもそれはそれぞれ最高裁が言っているんですよ、それを制限することであることは間違いない。
 では、この基本的人権というのはどういう論拠で制限するのでしょうか。
#57
○委員以外の議員(金丸三郎君) 先ほどのいわば選挙権の性格の問題についてでございますが、私の先ほどお答え申しましたのが第四の部類に入るのか第五の部類に入るのか、私にはよくわかりませんけれども、私どもは十五条と四十四条を切り離して考えておるのでは決してございません。十五条と四十四条との論理的な関係から考えまして、十五条は基本的な参政権、その中身が選挙権、被選挙権が含まれておる、こういうふうに申しておるのでございまして、選挙権が選挙人団の資格になって選挙に参加するという公務の性格と権利的な性格を持っておる。この点は私どもは十五条と四十四条を総合的に考えましても言い得る、このように考えておるわけでございます。
 私どもは、十五条が基本でございますけれども、四十四条で選挙人の資格は法律で定めると書いてございますので、制度のいかんによって四十四条を基礎にし、また合理的な選挙の制度を新しくつくる面からいろいろな制約が出てくる場合、これは合理的な理由があれば憲法上許されるものである、こういうような見解でおりますこともたびたび今日まで申し上げてまいったところでございます。
#58
○栗林卓司君 そうおっしゃるから聞いているのです。私は毎度申し上げますように通説に立って議論を展開しています。
 それで、権利とは一体何だ。これも非常にややこしい法説学論争が展開される部分ですけれど、一応これも新法律学辞典に沿って私は申し上げます。むずかしく書いてあるんだけれど、「法規範及びその体系である法秩序によって個人又は団体に対して認められた活動の範囲。」これを権利というのだそうです。
 なるほど、権利というと、法律あるいは法規範で認められた、そこは動いていいよ、これが権利ですよ。権利の実体というのはある範囲、ある資格なんです。したがって、四十四条に「選挙人の資格」とありますけれども、これはこの「選挙人の資格」ということを特に際立ってこれは選挙権と書いてないではないか。「選挙人の資格」と書いてあるんだから法律で与えるも奪うもいいんだ、合理的でさえあれば。この一点がさっきの佐藤さん、この人の議論の私は誤った点だと思います。学者ですから主張していいんですよ。一般の本を見ますと、選挙人の資格と選挙権というのはさほど厳密に使い分けておりません。
   〔委員長退席、理事中西一郎君着席〕
 そちらの方が私は権利という言葉の理解にしてもむしろ通説に近いのじゃないか。
 それはおきまして、いまあなたがおっしゃらなかった部分を先に私言っちゃったんだけれども、問題は「両議院の議員及びその選挙人の資格は、法律でこれを定める。」、「法律でこれを定める。」というのはいわゆる法律の留保なんだろうか。これが法律の留保ということになりますと、日本国憲法は基本的人権に対して法律の留保を持っているということになる。驚いたことに憲法学者の中には法律の留保ですとお答えになった学者さえいる。
 したがって、その立場をとったっておかしくないのかもしれませんけれど、基本的人権というのは前国家的な権利として、先ほどの前文に戻りますけれども、それが憲法の精神でしょう。明治憲法には法律の留保はあったんです。じゃ一体四十四条というのは基本的人権に対する法律の留保なのか。法律の留保でないとしますと――あればあれですよ、あればこの日本国憲法というのは、参政権がなぜ基本的人権になってきたかという経緯を踏まえても、基本的人権性はここで空洞化するわけです。それは十一条で言ってある内容とは大いに違い過ぎるのです。
 では、参政権、選挙権は基本的人権であります、しかも四十四条には「法律でこれを定める。」と書いてあるではないか、これをどう読めばいいのか。私は通説的な立場で申し上げますと、これは法律に委任してある事項ですけれども、その精神を生かすとなると、選挙権をなるべく幅広い国民に平等に与える、その前提において法律に委任してある、そう読むべきだと思うのですよ。法律で委任してあるから合理的な根拠があれば制限していいということではありませんね。
   〔理事中西一郎君退席、委員長着席〕
#59
○委員以外の議員(金丸三郎君) 基本的な人権にいたしましても、生命を尊重される、あるいは自由を尊重される、言論や出版の自由を保障される、いろいろあろうと思います。私は、その中の参政権につきましては、やはり特に、そして憲法が、基本的な人権と、政府の統治機構とか国会とか、国の根本の組織を定めるのが憲法の第二の範疇だということでございまして、確かにそのとおりで、それに関連して国会の章があり、また民主政治の基本でございます選挙に関するいろいろな規定がございまして、選挙権、被選挙権その他を通じて、選挙の制度については憲法が四十四条で明確に法律で定めると書いておるんだと。いわば、いろいろ国民の基本的な人権もございますけれども、現在のわが国の民主政治の制度の中できわめて重要な選挙について、そしてその中でまた最も基本的な選挙権とか被選挙権については四十四条が明確に規定しているんだと。
 私は、この点は何と申されましても厳然たる事実であって、できるだけ多くの人に選挙権を与えるとかいうようなことは、私も御説のとおりだと思いますけれども、どのような選挙の制度をとるか、どのような範囲の人に選挙権、被選挙権を与えるか、これは国権の最高機関である国会の立法で決めていくように憲法が四十四条ではっきりと規定しておるのだ、私はこのように解釈をするのが実定法から申しまして一番正しい態度ではなかろうかと思います。
#60
○栗林卓司君 いや、ですからこの回りくどい議論をしてきたのです。そこに来るとあなたはまたもとに戻るんですよ。だから、参政権、選挙権というのは基本的人権なんだと。しかも、選挙権の二元説というのは基本的人権の側面と公務の側面と両方見る説でしょう。あなたはそれに加担をされた。その基本的人権をどうするかが、四十四条で、法律に、国会に任せられている、立法裁量の範囲だというのは憲法の読み違いではありませんかと言っているのです。
 あなたがそう読んでいるのは知ってますよ。再々そういう御答弁でした。それに対して違憲論あるいは違憲の疑い論が出てくるのはそれは憲法の読み違いではないか。――隣に聞かなくてもいいの。私は、これは重要なところで、要するに最高裁の判例が再三基本的人権だと言っていますね。あれはちょっとおかしいみたいな議論も出てみたり、最終は、全部それは法律事項に一任されていると、それは四十四条なんだという言い方をされると、ではこの憲法を流れている参政権というのはなぜ基本的人権になったんだろうか。もともとこれは人権というよりも市民権ですよ、生い立ちから言うと。
 昔は自由権であった基本的人権になぜ参政権が加わったのか。これは、今度、小林直樹教授の本からの抜き書きを読みますと、「国民主権に立脚する憲法は、公務員の任免を国民固有の権利として全体制が基本価値を守り得るような民主的構造をとった。国民の参政権はこの主権原理の権利としての現われに外ならない。」「この意味で参政権は基本的人権」、この場合の基本的人権は狭い意味で使っておりますが、「基本的人権を実現するための不可欠な政治的道具である。」まさにそうだからこの参政権が基本的人権に組み入れられてきたんです。
 それが国際条約――国際人権宣言が条約であるかという議論は別にありますが、少なくも国際規範で社会権と含めてこの三権が基本的人権なんだと。その啓蒙に各国大いに努力をせい、日本代表、サインをしているんですよ。これが通説なんです。日本国憲法を取り巻いている日本の国際環境なんです。そして、日本国憲法ができてきた背景でもあり、全文に流れている精神なんです。したがって、四十四条を盾にとって合理的な根拠があれば制限できるというのは、どこを押したって出てこないんですよ。それを言い張るんであれば、それはあなた方のあくまで憲法の読み違い。
 もう一遍お答えいただきます。
#61
○委員以外の議員(金丸三郎君) 読み違いか読み違いでないか、これは見解の相違ではなかろうかと思います。私どもは四十四条は私どものように解釈をいたしますのが常識的に言いまして正しいのではなかろうかと、このように思っております。
#62
○栗林卓司君 常識だとおっしゃるので一言だけ申し上げておきますと、私は通説に立って物を言っているのです。それは尊重していただきたい。四十四条がそうだという通説はありません。ただ最近の傾向としてそういう説が私はふえてきたような気がする。
 なぜそうなるのか。これは、一つだけ申し上げますと、小林孝輔という教授の基本的人権論なんですが、いま私が口が酸っぱくなるほど言っている立場で基本的人権をおっしゃっている人で、とつちの方が普通だというのは、宮澤さんの御説もそうです。このコンメンタールの書き方もそう。ところが、このコンメンタールで、四十四条で制限できると書いてある。その意味ではコンメンタール自体がある問題を持っている。したがって、御説の主張があることも私はわかる。
 ただ、この小林教授の意見、これはおかしいと思ったらおっしゃっていただきたいのだけれども、素直に日本国憲法の精神を受け継いで、あるいはそれに乗りながら基本的人権をつかまえておいでになるなと私は思うのだけれども、まず言っているのは、憲法の保障する基本的人権、こう十一条にありますけれども、これについて「憲法の規定をまってはじめて生ずるという権利ではない。したがって右の憲法の保障の真義は、人間には法をもってしても奪うことのできない基本的権利が存するという観念を現行憲法は認める、というにある。」。これは、憲法が保障する十一条の基本的人権、憲法が保障するというのは、見ようによっては法律の留保に見える。そう読んでしまうことは、前文も含めて憲法の精神とは違いますよということをおっしゃっているのです。
 それで、途中抜き書きしますと、
  かくて、現行憲法によって、初めて、わが国は、先進近代諸国にならって基本権の絶対保障を持った。ここには、明治憲法のようないわゆる「法律の留保」はない。法律による基本権の制限は許されない。また、基本権を「侵すことのできない永久の権利」として保障した十一条、九十七条は、現行憲法の基本性格を規定する条項であって将来の憲法改正によって改廃することもできないと考えられる。
 私がいま申し上げているのは、こうおっしゃっている学者がいますということです。日弁連だけじゃなくて、こういう御所論も含めてわれわれの国会審議の対象にしなければ慎重に配慮したことにはなりませんぞという意味です。
 そこで、実はいま私が一番言いたかった部分なんだけれど、この小林教授が引用されているのは、ハンブルクの州裁判所長官のW・レールという人の発言なんだけれど、こう言っているのです。
  英米では基本権は憲法以前のもの、大陸では憲法以後のものである。基本権が英米流に生得のものであれば、それは憲法とともに現実化されるが、大陸では法律にない権利は認められない。これが司法にも影響し、もし大陸で基本権に限界を認めようとするならばそれを示す法律が必要であり、英米式に理性または時代の社会的要求が導く何らかの限界というわけにほいかない。大陸法的思考になじんだ日本の法律家が、漠然とした公共の福祉概念と基本権の制限に、困却するのも道理である。
私はこの混乱があると思う。で、佐藤教授はどちらかというと大陸型の発想をしながらこの問題を説いておられる。
 それで、いま金丸先生がるるおっしゃった四十四条を抜き出したような法実証学的な解釈というのも一つの見方です。ただ、そうやってドイツ流で読んでいくのが正しい日本国憲法の読み方なんだろうか。
 そこで前文に戻るんです。「その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。」だれが見てもわかるようにこれはリンカーンのゲチスバーグ・アドレスです。「ガバメント・オブ・ザ・ピープル バイ・ザ・ピープル フォア・ザ・ピープル」、これを前文にしょっている憲法を考えていく場合、しかも憲法の基本的人権というのはポツダム宣言によって初めて日本にもたらされた実情、それ以上に現在の日本人の法意識の中で選挙権は間違いなく基本的人権として定着している事実、これを無視して、四十四条だけ抜き出して、これは法律の留保なんです、参政権は基本的人権かもしらぬけれども、具体的にどういう選挙権を与えるかは国会の裁量事項であります、そう憲法に書いてあるではありませんかと言うのは私は読み違いだと言っているのです。そう思いませんか。
#63
○委員以外の議員(金丸三郎君) どうも、御指摘でございますが、憲法全体の精神から見ましても、各条との配分から見ましても、四十四条につきましては私どものように解釈してもよろしいと、私どもはこのように確信をいたしております。
#64
○栗林卓司君 そういうお答えの繰り返しをしておりますと、何年かかってもこの法案の審議は終わりません。議論に発展がないんですよ、全然。それで、もうこう答えると決めたらてこでも動かない。あとは時間がたてばいい。お役人の人たちがそういう立場をとるのは、国会議員の方も言いたいほうだい言いますから多少わからないでもない。しかし、あなたは国会議員じゃないですか。しかも、議員立法として出した法律案ですよ。しかも、国会というのは、先ほど引用した不作為の違法性でもありませんけれども、憲法問題に対しては最も慎重な配慮をしなければいけない。
 なぜなんだと思いますか。国会で成立した法案は合憲の推定を受けるのです。しかし、いまのていたらくだったら違憲訴訟はもう絶対出る。では最高裁が違憲の判決ができるか。あの衆議院の定数是正で、第一審、第二審、それぞれ苦しげに書いてある文章を国会議員としてどう読んだらいいか。内心は憲法違反と書きたい。書いたらそれまでの選挙は全部無効になる。そんなまねができないから、国会議員というのは国民の代表である、せめて判断する良識があるだろう、それでおずおずと定数是正、衆参含めての判例があるんじゃありませんか。
 私は、いまのような御答弁で終始するんだったら、五年の時間もらっても間に合わない、そう申し上げて質問終わります。(拍手)
#65
○委員長(上田稔君) 本日の質疑はこの程度といたします。
 次回の委員会は明二十四日午前十時から開会することとし、本日はこれにて散会いたします。
   午後二時三十七分散会
     ―――――・―――――
ソース: 国立国会図書館
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