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1980/04/17 第94回国会 参議院 参議院会議録情報 第094回国会 エネルギー対策特別委員会 第5号
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1980/04/17 第94回国会 参議院

参議院会議録情報 第094回国会 エネルギー対策特別委員会 第5号

#1
第094回国会 エネルギー対策特別委員会 第5号
昭和五十六年四月十七日(金曜日)
   午後一時開会
    ―――――――――――――
   委員の異動
 四月十四日
    辞任         補欠選任
     神谷信之助君     市川 正一君
 四月十六日
    辞任         補欠選任
     小柳  勇君     吉田 正雄君
    ―――――――――――――
  出席者は左のとおり。
    委員長         細川 護熙君
    理 事
                遠藤 政夫君
                亀井 久興君
                中尾 辰義君
                市川 正一君
                井上  計君
    委 員
                大木  浩君
                川原新次郎君
                高橋 圭三君
                福岡日出麿君
                阿具根 登君
                大森  昭君
                対馬 孝且君
                吉田 正雄君
                高木健太郎君
                峯山 昭範君
                森田 重郎君
   事務局側
       常任委員会専門
       員        町田 正利君
   参考人
       日本エネルギー
       経済研究所会長
       国際エネルギー
       政策フォーラム
       議長       向坂 正男君
       一橋大学助教授  室田  武君
       神奈川大学教授  川上 幸一君
       日本学術会議前
       エネルギー・資
       源問題特別委員
       会幹事      中島篤之助君
    ―――――――――――――
  本日の会議に付した案件
○理事補欠選任の件
○エネルギー対策樹立に関する調査
 (原子力エネルギー問題に関する件)
○参考人の出席要求に関する件
    ―――――――――――――
#2
○委員長(細川護熙君) ただいまからエネルギー対策特別委員会を開会いたします。
 まず、委員の異動について御報告いたします。
 去る十四日、神谷信之助君が委員を辞任され、その補欠として市川正一君が選任されました。
 また、昨十六日、小柳勇君が委員を辞任され、その補欠として吉田正雄君が選任されました。
    ―――――――――――――
#3
○委員長(細川護熙君) 次に、理事の補欠選任の件についてお諮りいたします。
 委員の異動に伴い現在理事が一名欠員となっておりますので、この際、理事の補欠選任を行いたいと存じます。
 理事の選任につきましては、先例により、委員長の指名に御一任願いたいと存じますが、御異議ございませんか。
   〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
#4
○委員長(細川護熙君) 御異議ないと認めます。
 それでは、理事に市川正一君を指名いたします。
    ―――――――――――――
#5
○委員長(細川護熙君) エネルギー対策樹立に関する調査を議題といたします。
 本日は、原子力エネルギー問題に関する件の調査のため、日本エネルギー経済研究所会長、国際エネルギー政策フォーラム議長向坂正男君、一橋大学助教授室田武君、神奈川大学教授川上幸一石及び日本学術会議前エネルギー・資源問題特別委員会幹事中島篤之助君、以上四名の参考人の方々に御出席をいただいております。
 この際、参考人の方々に一言ごあいさつ申し上げます。
 本日は、大変御多忙中のところ本委員会に御出席をいただきまして、まことにありがとうございました。
 本委員会はエネルギー対策樹立に関する調査を進めているところでございますが、本日、皆様方から原子力エネルギー問題に関する件につきましてそれぞれ忌憚のない御意見を賜りまして、本調査の参考にいたしたいと存じている次第でございます。どうかよろしくお願いを申し上げます。
 これより参考人の方々から順次御意見をお述べ願うのでございますが、議事の進行上、まことに恐縮でございますが、お一人十五分程度ずつ御意見をお述べいただきまして、その後、委員からの質疑にお答えをいただきたいと存じます。
 それでは、御出席の参考人の方々に順次御発言願います。
 まず、向坂参考人からお願いいたします。向坂参考人。
#6
○参考人(向坂正男君) 私からは、石油情勢の変化に伴う原子力開発の必要性についていろいろな側面から申し上げたいと思います。
 国際的な石油情勢が七〇年代に入ってから大きく変化いたしまして、また特に最近二年間、イラン革命及びイラン、イラクの間の紛争を通じて非常に大きな変化を遂げつつあることは御承知のとおりでございます。その変化に伴って、石油にかわるべきエネルギーの開発導入をできるだけ急がなければならないという情勢になったわけでございます。
 第一は、産油国の資源保存政策が強化されてきているということが挙げられるわけでございます。これはOPECに加盟している産油国だけではなくて、メキシコあるいはヨーロッパの北海で掘っているイギリスやノルウェーにおいてすら、石油資源は大事に使って、そう需要があるからといってどんどん増産するという政策はとらない、資源保存政策を強化しているということでございます。つまり、それぞれが国益の必要に伴って石油の生産量を決めていこうという方向に変わりつつあるということでございます。
 今後、開発途上国の石油消費はふえましょうし、恐らく東欧圏の石油輸入量もふえることを考えますと、一方において石油の生産を抑制ぎみに産油国がしていく、それに対して現在の工業国を中心とした石油需要以外に開発途上国、東欧圏からの石油需要がふえるといたしますと、世界的に非常に石油の需給が逼迫して価格が急騰を繰り返すという状況になあ、八〇年代、そういう状況になるというおそれは十分あるわけでございます。したがって、資本と技術を持っている工業諸国、その工業諸国は西側の石油の約八割を消費しているわけですから、この工業諸国が石油にかわるべきエネルギーをできるだけ早く開発導入するということに大きな責任を持っていると言って過言ではないと思います。
 石油価格は、この二年間で急速に上がりました。イラン革命が起こる以前の一バレル十二ドルから、最近はFOBで大体三十五、六ドルになっていることは御承知のとおりです。この急速な大幅な石油価格の上昇によって、エネルギー情勢、特にいろいろなエネルギーの間の相対価格、価格関係がここで激変したわけでございます。つまり、石油価格が他のエネルギーに比べて独歩高になっている。したがって、市場メカニズムを通じて、つまり経済性において石油以外の他の代替エネルギーを開発する条件が成熟してきたといいますか、そういう条件が強まってきたということが言えるわけでございまして、ここで代替エネルギーの開発導入のために政府が適切な援助政策をとるならば、石油代替エネルギーの開発導入及び、もちろん省エネルギーもやらなければなりませんけれども、そういうことが進め得る状況になってきたと言えると思います。
 石油価格と他のエネルギーとの価格は、この二年間の上昇によって非常に価格差が開いてまいりまして、たとえば石油と石炭、これを発電市場において見ましても、つまり発電コストで見ますと、石油価格を一〇〇にして石炭火力発電コストは大体六割ないし七割、いろいろな環境対策を十分にやった上での発電コストを考えましてもその程度に開きができてきたということ。それから恐らく石油火力と原子力発電とを比べますと、大体原子力は二分の一程度のコストでできるということになっていると思います。また、発電用だけではなくて、鉄鋼、セメントなどにおいても、重油が割り高であって石炭が割り安になり、その石炭への移行が急速に進みつつあることは、こういった大きな価格差が生んだ結果と言っていいと思います。今後、恐らくOPECは長期戦略において石油の国際的な需給をタイトにしていく。売り手市場、売り手に有利な市場を形成しながら、つまり石油資源の生産を抑制して売り手に有利な市場を形成しつつ石油価格を漸次引き上げていく、石油の実質価値を漸次引き上げていくという方策をとるであろうし、またそれが可能な状況であろうと思います。
 OPECの長期戦略委員会の報告によれば、それに沿って価格が引き上げられたとしますと、大体年率一〇%から一五%くらいずつ引き上げるということが予測されるわけでございまして、したがって、現在生まれている石油と他のエネルギー価格との価格差、これはむしろ縮まる可能性よりも拡大する可能性の方が大きいと私は見ているわけでございます。石油は限られた有限の資源でございますから、できるだけこれを早く輸送用とかあるいは石油化学などの原料用にその用途を限定して、大量の熱を利用するようなもの、熱エネルギーに向けられるようなものはなるべく石油を使わないという方向に移していくことが、これは経済的な利益、単に主業国、われわれ消費国の利益だけではなくて、世界人類にとってそういう方向に向けていくことが正しい方向であろうと思いますし、それを推進し得るのは、先ほど申し上げたように資本と技術力のある工業諸国ということになると思います。
 さて、石油の代替エネルギーの開発促進でございますが、時間がございませんから以下日本の問題にしぼって申し上げますが、代替エネルギーの中軸をなすものは私はやはり原子力であろうというふうに考えております。現在、政府あるいはエネルギー関連産業界が考えている代替エネルギーには、三本柱があることは御承知のとおりで、天然ガス、LNGと、それから石炭、原子力、この三つでございます。
 LNGは、アジア、中東地域において大量の未利用資源があるわけでございますし、また開発途上国の工業化を援助するということにもなりますから、これを今後大量に日本で使っていくということは石油代替の上で非常に大きな貢献をするわけでございます。それから第二は石炭でございますが、これは国内炭の現在の水準を維持しつつ、今後、一般炭の利用の増加分は海外から輸入するという方向で、石炭の利用拡大を図るという方向であろうと思います。原子力については後で申し上げますから省略いたしますが、いわば自前のエネルギーとしての原子力というものは、日本の今後のエネルギーの中で非常に重要な役割りを演ずべきものと期待すべきだと思うわけでございます。
 以上は、大体今世紀を頭に置いて申し上げましたけれども、恐らくそのほかのいろいろな新エネルギーと言われるもの、石炭、タールサンドその他からの合成石油であるとか、あるいはまた太陽熱その他の自然再生可能エネルギーの利用とか、こういうものは漸次今世紀末から来世紀に向かってふえていくでありましょうけれども、まあ今世紀中を限って見れば、大ざっぱに言えばやはり研究開発の段階というふうに、考えていい。つまり、量的に石油代替エネルギーとして大きな貢献を期待することはむずかしいというふうに考えているわけでございます。
 さて、原子力ですけれども、原子力の位置づけについて若干申し上げてみたいと思います。
 恐らく、現在のような核分裂方式による原子力エネルギーの利用は、今世紀中だけではなくて、来世紀の半ばに至るまで相当重要な役割りを果たすことを期待すべきではないかと思うのです。原子力は、その意味でまず第一に、先ほど申し上げたように自前のエネルギーであって、つまり国民のコンセンサスといいますか、意思において決定すれば、日本の工業技術力をもってすれば、原子力を安全にしかも今後その発電量をふやしていくという能力は十分持っていると思いますし、また原子力は先ほど来申し上げたように相対的に安価でございます。また、外貨負担も少なくて済みます。たとえば、外貨負担のことでちょっと御説明申し上げると、燃料だけを比べてみますと、原子力は石油に比べて外貨支払い額が、同じく百万キロワット当たりの燃料、それで比較してみますと、大体五分の一ないし六分の一と言われているわけでございます。それから石炭に比べても大体三分の一程度の外貨支払いで済むという状況でございます。
 現在は、日本は十分国際競争力を持っておりますけれども、産業の国際競争力はあり、輸出力がございますけれども、現在の石油の輸入外貨負担量がすでに六百億ドルを超えているという状況、これがさらにふえていくということになる。現在ですらも輸入外貨の大体半分以上を占めているという状況で、輸出の花形商品の頭から六番目ぐらいまでを全部合計してやっと六百億ドル、自動車とかあるいは鉄鋼、造船、さまざまな音響機器、テレビ、ラジオ、そういった花形輸出品を六位まで全部合わせてやっと石油の輸入外貨を稼いでいるという状況でございまして、たとえば私、先々週ドイツへ行きましたけれども、ドイツがいま経常収支、昨年は二百七、八十億ドイツマルクの赤字、この赤字をなかなか消せない、消せそうもない。それを消すためにドイツはいま石油の輸入をいかに減らすか、他のエネルギーの利用によっていかに減らすかということ、つまり代替エネルギーの利用を急がなければならない大きな理由として外貨収支の改善ということを挙げている。
 これは、あるいは日本は五年は大丈夫かもしれませんけれども、その先になったらまたドイツが当面しているような問題に必ず私は当面する可能性があるのじゃないか。したがって、そういう外貨負担の軽減ということ、その意味で石油の輸入をできるだけ抑える、できれば減らしていくというような方策を考えていく必要があるように思います。恐らく来世紀を踏まえれば、原子力の利用も、単に電気にして利用するだけではなくて、熱利用、蒸気利用というものを考える時期になると思われますし、先ほど申し上げたドイツにおいても、石油の輸入を少なくするために発電所の熱併給ということをいま非常に力を入れて検討しつつあるということが言えるわけでございます。
 恐らく、原子力を今後積極的に進めましても、今世紀末の発電量に占める比率は四割程度にとどまるかもしれません。エネルギー消費全体の中で電力の形態で消費するものが約三割、その中の四割を原子力にかえるという程度にとどまるかもしれません。それでも重油の消費を抑える、減少するという意味では非常に大きな役割りを果たしますが、同時に、原子力だけではなくて、石炭、LNGなど、そういう他の代替エネルギーの利用の拡大によって石油をできるだけ減らしていく、輸入を減らしていくという努力を続ける必要があると思うわけでございますが、国時に、来世紀の前半を考えたときに、私は、エネルギー供給の主役は何である、大宗は何であるというような状態ではなくて、いろいろなエネルギーを多様に使う時代、エネルギー源多様化の時代というふうに考えます。
 したがって、いわば従来からあるコンベンショナルな石油や天然ガスも掘って使いますけれども、これは多分来世紀前半、半ばに向かって減衰するでありましょうし、したがって石油を、石炭とかあるいはオイルシェール、タールサンド、ヘビーオイルとか、世界各地にあるそういうものから合成して使うということもかなりの量をやらなければなりません。同時に、石炭そのものの直だきもふやす必要があると思いますが、その中で、やはり原子力は、高速炉の開発実用化に結びつけつつ、核分裂による原子力の利用拡大ということは恐らく今世紀中よりもさらにその要請が強まる、エネルギー供給確保という面からは原子力に対する期待が強まるというふうに考えるべきではないか。
 もちろん、クリーンなエネルギーとしての太陽熱とか、あるいはそれに基づく水素の利用とか、あるいは核融合とか、こういうものをできるだけ利用することが必要であるし、恐らくエネルギーコストが相当上がりますればこういうものも経済性を持つようになると思いますけれども、それはしかし、来世紀の前半を考えたときに決して支配的なものになるという期待は現在のところむずかしいのではないかと思うわけでございます。要するに、私は、今後のエネルギーの供給多様化を進めるという中で、原子力というものをいま申し上げたような長期の見方で、またいろいろな総合的な判断、つまりエネルギーの供給コストであるとか、あるいは外貨支払いの節約効果であるとか、あるいはまたエネルギーの安全保障の問題であるとか、そういったいろいろな観点を総合して、原子力に対する政策というものを決めていく必要があるのではないかということを申し上げたいわけでございます。
 原子力の進め方については、ここの直接の議題ではないかもしれませんけれども、まず第一は、安全性を高めるための技術改良をさらに進め、あるいはウランの燃焼効率を高めるというような技術の改良というものを進めていく必要があることが第一でございます。
 それからいわゆる原子力利用のインフラの整備、これが第二に重要なところでありまして、それは恐らくいろいろなものがございますけれども、使用済み燃料の中間貯蔵であるとか、あるいは再処理であるとか、再処理から出てくるプルトニウムの利用であるとか、またその貯蔵であるとか、あるいはまたハイレベルの放射性の廃棄物の安全な処理処分であるとか、いわゆるこういった原子力利用のインフラの整備ということを今後計画的に進めていく必要があると思います。
 第三は、FBRその他の新動力炉の研究開発の推進であります。これなくしてはウランの供給限界、原子力利用の限界というものを突破できないという意味で、これを推進しなければならないと思います。
 第四は、電源立地の推進であって、これは電源立地と地域振興との連結といいますか、そこをうまく結びつけていく。それによって、電力の大量消費によって所得を上げている都市と、それから所得水準の低い、いろいろな文化的な施設も低い農山村との均衡を図っていくという意味で、電源立地と地域振興の問題というものを一層真剣に進めていく必要があると思います。
 最後に、原子力利用が、恐らく先進工業国だけではなくて開発途上国にその利用が広まっていくということは長期的に考えますと必然の勢い、それに伴う核兵器の拡散をどうやって防止するか、この問題について国際的な協力のもとに進めていく、日本もそれに対する積極的な貢献をしていくということが必要ではないか。
 この五つの方策を進めつつ、原子力を来世紀半ばに向かって――まあいまの原子力は核分裂のことを申し上げておりますけれども、進めていく必要があるのではないかということが私の意見でございます。
 どうもありがとうございました。
#7
○委員長(細川護熙君) 次に、室田参考人にお願いいたします。室田参考人。
#8
○参考人(室田武君) 室田でございます。経済性のことを中心にエネルギーの問題、特に原子力について意見を申し上げてみたいと思います。
 原子力の経済性が問題になるときにいつも言われることというのは、大体燃料について言われることが多いのではないかという感じがしているわけですけれども、そのことについてちょっと考えてみたいと思います。
 燃料費ということになりますと、一番わかりやすいのはきっと太陽光発電だと思うのですが、太陽光発電の燃料費というのは考えてみるとゼロなわけですね。太陽の光をそのまま電力に変えるわけですから燃料費はゼロである。しかしながら、その太陽光発電、具体的には太陽電池などを使いまして、そこから得られる電力の単価がなぜ火力発電から得られる電力の単価より高くつくのかということをちょっと考えてみたいと思います。
 そうしますと、こういう問題というのは、燃料費を中心にして見たのでは全然その経済性というのははっきりした答えが出ないということがすぐにわかると思います。太陽光発電の燃料費はゼロであるのになぜそこから出てくる電気が高くなるのかということは、もちろん言うまでもないことですけれども、その太陽電池をつくるためのいろいろな材料を地下から採掘したり組み立てたりするその過程で非常にたくさん石油が必要だからであります。つまり、少なくとも現状においては太陽電池をつくるために火力発電に投ずる以上の石油が必要になるということが実際のところで、そういうことがあるために、その太陽光発電というのは燃料費はゼロだけれども、日本全体に広がるというふうになってないというふうに私は理解しているわけです。
 ですから、石油はたくさん使うのだけれども、その用途として、どうしても太陽電池でないと困るのだというような特殊な用途についてのみ太陽電池というのは日本で使われている、具体的には、みさきの突端にある灯台とか離島にある灯台とか、そういうところでは人が火力発電所を一年じゅう動かし続けることができないということがあって、太陽電池で昼間の間太陽の光を集めて蓄電しておいて、それを夜、灯台の光にするという特殊な用途で太陽電池が使われているわけであります。したがって、燃料費がただの太陽光発電ということを考えてみますと、燃料費のことだけ見てこういった問題の経済性というのを考えるわけにはいかないのではないかというふうに思うわけです。
 原子力についても恐らく同じようなことが言えるわけで、電力一キロワットアワー当たりの発電単価というようなことを考えてみますと、燃料費の点についてだけ、単価の中身を細分しまして燃料費の部分を見ると、確かに火力発電に比べて原子力の核燃料の部分、それは少ないわけです。しかしながら、原子力発電全体をとってみると、原子力が他のやり方、水力発電とか火力発電に比べて、必ずしも経済的ではないということが言えると思います。ただ、その問題というのは、非常にわかりにくい込み入った問題であって、具体的に申し上げますと、現在のいわゆる九電力体制というふうに言われているその九電力体制のもとでの原子力発電の経済性と、それから原子力をそれ自身単独で取り出した場合の原子力発電の経済性、その二つを区別して考える必要があるというふうに思うわけです。
 私は、経済学を勉強しているものですから、経済学的な考えで少しその点いまの区別を申し述べてみたいと思うのですけれども、現在日本において原子力発電がすでに営業運転という形で運転しているわけです。営業運転である以上それが利益が上がらないとおかしいというふうに思います。少なくとも日本経済というのは、たてまえとしては競争的な市場経済を前提にして動いているわけです。ですから、競争的な市場経済の中でもし原子力に経済性があるということであれば、原子力に限らない、どんな企業活動でもいいわけですけれども、その企業の行っている活動の経済性というのはどういうふうに普通評価されるかというと、言うまでもないことですけれども、なるべく安い費用で安価に製品を供給し、しかも利潤が上がるということが市場経済における企業の前提だと思うわけです。
 ところが、そのことが原子力について見るとどうもそんなふうになっていないのではないか。確かに、九電力体制のもとでの電力事業を見てみますと非常に利益が上がっている。特に最近、円高差益とかいろいろなことがありまして膨大な利潤が上がっているということが言われるわけですけれども、そういった火力発電も水力発電も原子力発電もみんな込みでやっているそういう九電力でなくて、原子力発電だけをやっている会社のことを見たら、そのあたりの経済性というのは非常にはっきりするのじゃないかというふうにかねがね考えているわけです。
 具体的に申し上げますと、日本原子力発電株式会社という原子力専業の卸電気事業というのがあるわけで、そこの経営状態を見てみると、それで市場経済を考える場合に、その経済性の評価として、なるべく安い値段で製品を供給してしかも利潤が上げられる、そういう指標に照らしてみた場合に日本原電がどういうような状況になっているかということですけれども、御承知のとおり日本原子力発電株式会社は、一九五七年、昭和三十二年十一月に創業をして、その後間もなく東海の一号炉を運転し始めるわけですけれども、株式会社として営業を開始して以来今日まで二十三年以上たつわけですけれども、二十三年間にわたってまだ累積赤字が一度も消えてないという状況なわけです。株式会社でありますけれども、二十三年間以上にわたって一度も株主に配当が出ていない。
 これはもちろん特別な株式会社ですから配当が出なくても構わないわけですけれども、少なくとも市場経済、その中で公正な競争が行われるというような市場経済を前提にして考えた場合に、株式会社でありながら二十二年間も配当が出なかったら、普通だったらずっと前に倒産しているということが言えると思います。しかしながら、累積赤字が消えないまま今日も営業運転という名前でずっと事業が続いている、非常に不思議な事態だという感じがするわけです。
 その場合に、利潤が全然上がらない、配当も出ないというのは、非常に安い値段で電気を売っているからそういうことになるのじゃないかという疑問が一つ当然あいてくるわけで、卸の電気事業者ですからどこかに電気を売っているわけで、実際に売る電気の売電単価というのを見てみますと、必ずしも原子力による電気が安く供給されてないという事実がわかるわけです。具体的には、一キロワットアワー当たりの売電単価というのが東海の一号炉なんかの場合ですと、十円以上ということが多いわけです、年によって変動しますけれどもかなり高い。一番安い場合でも六円以上という感じで、六円から十一円ぐらいの間を恐らく変動しているのだと思いますけれども、そういう状況である。
 それに対して、一つ比較の基準として、公営の水力発電というのが日本には御承知のとおりたくさんあるわけですけれども、それを考えてみますと、日本には現在のところ、私の記憶に間違いがなければ、三十一の都道府県、一市一町一村に公営の水力発電所がおよそ百八十五ぐらいだと思いますけれどもあるわけです。その公営水力の売電単価というのを見てみますと大体五円前後、安い場合だったら四円三十銭ぐらい、そういった状況で電気が供給されている。たとえば東京都の場合なんかですと、昨年の四月までは一キロワットアワー当たり三円程度で売電をする、量は少ないわけですけれども非常に安い値段で電力を供給している。
 いま東京都の場合は三円と言いましたのはちょっと言い間違いで、それは公営の火力発電の場合ですね、火力発電の場合三円というような例もある。先ほど申し上げました公営の水力の場合は大体五円前後。どの都道府県をとってもそういった状況というふうになっているわけです。したがって、原子力発電の売電単価に比べると、公営水力あるいは場合によっては公営火力の場合に非常に安い値段で電力が供給されている。
 じゃ、安く売ってそういうところが非常な損失を出しているかというと、実はそうでなくて、公営の水力発電所というのは、少なくとも損益計算書で見る限り大体例外なく利潤を上げてきているということが歴史的な事実としてあるわけです。ですから、そういった歴史的な事実を踏まえてもう一回この問題を考え直してみますと、まあ発電の単価というのは燃料費だけで決まるのじゃなくていろいろな要因で決まってくる。発電以外のたとえば建設費あるいは修繕費、そういったものが大きくなれば当然発電の単価というのは高くなるということが言えると思うのです。
 ただ、九電力体制のもとでそれを評価しますと全然話が違ってくるわけで、御承知のとおり九電力体制のもとでは電力の供給というのは総括原価方式によってなされるわけですから、総括原価すなわち適正原価プラス適正利潤、それを総括原価としまして、それを販売電力量で割り算したものが発電の単価になってくるわけです。ですからこの場合、九電力の場合は競争的な市場経済の中にあるのじゃなくて独占なわけですね。各地域におけるその独占が認められているわけですから、独占事業にとっては幾ら原子力が不経済であっても、利潤の方を最初に決める形で料金がつけられる。そういう現在の法律の体系のもとでは原子力が不経済であることは一向に差し支えない。むしろ適正利潤を計算をする場合のレートベースですけれども、そのレートベースの中に入ってくる電気事業固定資産だとかあるいは核燃料だとか、そういったものがふえることによって利潤の幅というものをふやすことができるわけで、原子力発電それ自身が不経済であっても、独占事業としてはそのことは必ずしも不利な要因になってこない、そういった矛盾があるのではないかというふうに思うわけです。
 それから原子力が経済的に一見そんなに不利でないように見せているいろいろな要因がほかにもいっぱいあると思うわけです。時間がないので申し上げられませんけれども、たとえば核燃料というのは安いと言われるけれども、これはアメリカ政府がその核燃料の製造に関していろいろな形での補助を行っているということがあるわけです。あるいは損害賠償補償制度の面から見た場合に、御承知のとおり原子力損害に関しては、たとえば地震によって事故が起こった場合には民間保険が賠償補償をすることから免責になっているとか、そういったいろいろな免責事項があって、本来、そういう免責事項とかあるいは現在の日本の原子力損害賠償補償制度、それが撤廃された場合に、本当に現在のような形で営業活動として原子力発電が続けられるかどうかというのは非常にあやしいような状況になっておるのではないか、そんな感じがするわけです。
 その原子力が経済的に必ずしも安上がりでないということの背景には、細かくなりますので申し上げませんけれども、原子力発電それ自身のために石油とか石炭のような燃料、それからさまざまな希少金属、そういったものが火力発電の場合以上に、使用済み核燃料の処理とかいろいろなその他の放射性毒物の長期的な保管というようなことを考えますと、そういった地下資源が非常にたくさん必要になるということがあると思うわけです。火力発電では必要でないような特別な金属が要る。その金属を地下から掘り出すためにはまた石油なり石炭なりが要る。そういった関係が背後にあって、それを総合したときに、原子力発電単独で取り出した場合にそれが余り安上がりにならないということの物理的な背景があるのではないかというふうに思います。
 ただ、日本の場合は核燃料なんかを輸入しておるわけですから、その辺の核燃料をつくるためにどれだけ地下資源が浪費されているかということが日本にいる人間にとってははっきり見えないわけですけれども、それは核燃料を提供する国でそういうことを行っている。日本の場合はそれをお金を出して買っているわけで、そのお金の裏づけになるものはやはり日本で工業製品をつくって輸出しているということがあると思います。日本で工業製品をつくるためには国内で石油とか石炭が必要なわけですから、原子力発電を拡大していくということそれ自身が、やはり日本の産業構造として石油なり石炭なりをたくさん要求する形になってこざるを得ない。原子力が一口に石油の代替エネルギーというふうに言われますけれども、私はその点少し意見が違いまして、原子力開発というのはやればやるほど石油、あるいは石油でなければ石炭、それがますますたくさん必要になってくるというふうに理解しておるわけです。
 ですから、原子力開発をしなければならないというふうに言われる場合に、どんどんエネルギーの消費が今後もふえるのだというふうな見通しの中でそれが言われるわけですけれども、果たして日本でエネルギーが今後ともどんどんふえていった場合に、いろいろな面で、環境面だけでなくていろいろな経済的な面で、今後ともそういうエネルギーの消費量がどんどんふえるような状況の中で日本経済がやっていけるのかどうか、むしろそちらの方が非常に大きな問題です。どちらかと言えば、私の個人的な意見からすれば、日本の場合、エネルギー消費というのはこれ以上ふえる必要はむしろないという意見を持っているわけです。
 古代から考えてみますと、文明というのはいつも大きな川のそばで起こって、地下資源を乱費することによって繁栄して、最後に土を荒廃させて滅びる。その歴史的な事実にほとんど例外がない。日本の場合、石油を少し使い過ぎてだんだん川が汚れて土が荒廃してきている。それに加えて、さらに原子力をつけ加えて放射能がふえるということで、日本全体が非常に大きな取り返しのつかない荒廃に向かってしまう可能性があるということで、原子力発電というのは日本には経済的に見ても環境的に見ても不必要なのではないか、そういう考えを持っているわけで、原子力はまずい、要らないと。石油についても少しずつ消費を減らしていってもいいのではないか。
 ただ、国産の石炭については非常にいろいろな意味で、雇用対策ということだけでなくていろいろな角度からこれはむしろふやした方がいいのではないか。石炭をふやすといっても、輸入石炭をふやすということであったらいつまた石炭ショックということになるかわからないわけで、輸入石炭に余り大きく頼ることはできない。むしろ国産のものを北海道を中心にしましてもっともっとふやすことができるのじゃないか。そのための技術がいまだんだんなくなってきている、日本国内に石炭の採炭技術を持っている技術者自身がいなくなってきているというようなことがむしろ問題なのではないか。
 そのほかいろいろなまきとか小規模な水力の利用、先ほど公営の水力発電所のことをお話ししましたけれども、日本には公営の水力発電所だけでなくて、農協の発電所とかいろいろありますし、現在でも水車によって発電している家庭とか、水車動力をまだいまでも活発に利用しているようなところが日本の各地にあるわけで、むしろそういったそれぞれの地域に根差した燃料なり動力の獲得ということを中心に考えていくのがいいのではないか。
 防衛問題に関係して一言だけ申し上げますと、原子力発電所を持っていること自身がある意味で大量の放射性毒物をそこに蓄積しているわけで、その放射性毒物の蓄積場所を外国に攻撃されたらそれこそそれが一番こわいわけで、原子力開発を進めるということは防衛力の増強ということにならなくて、むしろそこが攻撃の対象にされるという意味ではマイナスの防衛力である、そういった意見を私自身は持っているわけです。
 以上でございます。
#9
○委員長(細川護熙君) ありがとうございました。
 次に、川上参考人にお願いいたします。川上参考人。
#10
○参考人(川上幸一君) 最初に一般的なことを少し申し上げまして、それから経済性のことに入りたいと思います。
 原子力発電というのは、本格的に開発され出したのは御承知のように五〇年代の初めごろでありまして、したがって現在までの開発年数は大体三十年、その前の核兵器開発の時代を入れますと四十年ということになります。開発を始めたときから石油あるいは石炭の枯渇に備えて原子力を開発するという考えがはっきりありまして、たとえばウランあるいはトリウム資源の量が石油、石炭、天然ガスの資源量の合計よりも多い、したがって原子力の開発をやる必要があるというようなレポートがその当時すでに出ております。つまり、先進国は石油の浪費ばかりしている、代替エネルギーの開発を怠ったというふうに産油国とか途上国から非難されているわけですけれども、一つだけ原子力という代替エネルギーを用意して、その開発に先進国はかなりの国家予算をつぎ込んで現在までやってきたというのが実情であろうと思います。
 ところが、御承知のように、原子力が実用化しかけたちょうど七〇年前後から安全性の問題が提起されまして、初財の見通しというのは非常に甘かったということがわかってまいりまして、その手直しが必要である、そのために計画がおくれる、計画がおくれれば非常に金利もかさんでくるし、安全を向上させるための追加投資が必要になるというようなことでコストが上がってまいりまして、住民の反対も当然強くなって計画がまたおくれる。そういう一つの悪循環みたいな状態になりましたけれども、原子力がそういう状態になったときにちょうど例の石油ショックが起きたわけでありまして、石油の穴埋めをするのに原子力では十分できない、一体エネルギーはこれからどうなるんだと、そういうことで騒ぎになった。つまり、現在のエネルギー危機というのは、石油の供給制約ということが第一原因ですけれども、それと同時に、一つだけ用意していた代替エネルギーである原子力が事態に間に合わなかったという二つの原因で、現在のエネルギー危機というのは起きているというふうに私は理解をしております。
 そこで、それじゃ原子力というのは一体当てになるのかと、どの程度頼みにしたらいいのかということが問題になるわけですけれども、きょうは何か経済性の問題が主題だということですので、その点にしぼって二つの点をちょっと申し上げてみたいと思います。
 一つは、原子力と火力のコスト比較ですけれども、これは各国の電力会社その他から非常にたくさんの数字が公表されております。それぞれ計算の前提が違ったり、目的が違ったり、あるいは各国の法制とかエネルギー事情とか違っておりますので、単純に比べるというわけにいきませんけれども、そういう公表数字に共通していることは、現在、原子力が一番電源としては安い、それからその次が石炭火力あるいは天然ガスの火力、一番高いのが石油火力、これは大体各国共通してそういう評価が出ているわけです。大体の比率でちょっと申し上げますと、たとえば原子力を一〇とすれば、石炭火力等が一一から一四ぐらいの間、それから石油が一六から二〇ぐらいの間というようなのが大体の見当としては言えると思います。つまり、現在の電源のコストというのはかなり大きな開きが生じている。
 その原因は何かというと、これは申し上げるまでもなく、一番効いているのは燃料価格でありまして、そのためにそういう大きな差が出てきている。これはコストの構成を考えますと、原子力の場合は資本費が大体五十数%、それから燃料費は二十数%ぐらい。ところが、石油火力の場合ですと資本費が大体二〇%前後、燃料費は七十数%というような全く逆の構成になっておりまして、つまり燃料費というものの影響がいかに大きいかということを示していると言っていいと思います。原子力はもともと資本費が高いということですけれども、安全装置の追加その他でますます資本費は上がってきているわけですが、そういう状況の中でもやはりいま申し上げたような数字になっている。それだけ石油、石炭の値上がりの影響というのは非常に大きいということが出ておるわけであります。恐らく現在の燃料市場の趨勢から言いますと、今後も当分の間はやはりどちらかと言えば在来火力といいますか、火力発電の方に不利なファクターが多いというふうに見るのが自然ではないかと思います。
 次に、第二点ですけれども、しかしいま申し上げたその公表の数字だけではちょっと経済性の判断ができない、そういう問題が幾つかございまして、特に原子力の場合に、現在のコスト計算、コスト評価の中に計上されてないコストがあります。これは、特に主要なものというのは原子炉を使い終わった後の廃炉の問題、廃炉のコストが一つあります。それからもう一つは放射性廃棄物の処分のコスト、要するに原子力利用をやったその後始末のコストが現在計上されておりません。なぜ計上されないかというのは、少し日本の場合そういうことをサボってきたという面が確かにあると思うのですけれども、やはりまだそういう廃炉だとか廃棄物の処分だとかそういうことの技術的な方法が確立されていない、したがってその正確なコストの評価ができないということが一つの原因ですけれども。
 ただ、そういうふうにコストを計上しないでいるということはやはり問題があります。一つは、そういうコストは将来必ずこれはかかってくるコストですから、仮にそのコストがかかってきたときに非常にそれが大きいということになりますと、原子力は経済的だといまは言っていますけれども、必ずしも経済的じゃない、石炭火力の方がむしろ有利だというふうな結果になるかもしれない、そういう少なくとも可能性があるということ。それからもう一つは、そのコストを計上しませんと、われわれの世代は非常に安い電源、安い電力を使ったけれども、子孫の代になってその後始末のコストを子孫に背負わせるという結果になりますから、これはやはりほうっておけない問題で、そういう不合理なことにならないようにする必要があるということが言えるだろうと思います。
 ただ、それじゃそういう技術の確立を早くやれと、急げといいましても、これはどちらもなかなかいまから五年や十年でそういう技術を確立することはできないのでありまして、そこでどうするかということになりますが、一応一つの方法といいますか、たとえば廃炉の場合原子炉を解体する方法、あるいは廃棄物を処分する方法、そういう一つの具体的な方法というものを前提にして考えますと、コストの大体のオーダーぐらいは見当がつくのではないかというふうに私は考えます。各国でもそういう考え方で現在そういうコストの評価を急いでおりまして、そのコスト評価に基づいて現在から積み立てをしていく、そういうコストを積み立てしていくということをすでに始めている国もありますし、またそのための検討をやっているという段階でありまして、日本でも当然そういうことは急いでやる必要があるというふうに思います。
 いま申し上げたように、なかなか正確なコストの数字というようなことはいま申し上げられないのですけれども、大体のオーダーがどんなものかということを若干申し上げますと、廃炉のコスト、つまり原子炉を仮に解体して処分するとしまして、その解体のコストというものについてまず申し上げますと、これもいろいろ検討は進んできておりましていろいろな数字が各国から出ております。最近は、そういう数字の中でわりあい高い方の線といいますか、大体原子炉の最初の建設費の二〇%前後というようなところに各国の評価がだんだん落ちついてきつつあると言っていいのじゃないかと思います。仮にその数字を発電原価に割り当てますと、大体キロワットアワーで五十銭ないし六十銭というくらいの数字になります。ですから、原子力のコストが十円ぐらいだとしますと大体五、六%というような大体のオーダーと、現在の段階ではそういう数字が出ております。
 ただ、一つ考えられることは、じゃ解体が実際に行われるのがいつかといいますと、これは放射能の冷却期間をどれぐらい置くかということによって違いますけれども、恐らく少なくとも二、三十年先であろうと私は考えておりますが、そのころになりますと、これは原子力に限らず工場立地というのは現在よりもずっと困難になっているはずでありまして、したがってこの廃炉を解体するというのは、その現在のサイト、現在の敷地をもう一遍新しい発電所を建てるために使う。つまり、現在のサイトというのは国土計画上から見て発電用に割り当てられたサイトだというふうに考えて、新しい発電所を建てるために解体するというような傾向に恐らくならざるを得ないのではないか。そうしますと、解体コストというのは実は実質的にはこれは立地コストでありまして、したがってそのときの解体コストの値が立地コストとして合理化できる程度のものかというような話に、恐らくなってくるのではないかというふうに私は考えます。その段階で立地コストがかなり高くなるだろうという見通しから言いますと、先ほど申し上げたような数字はそれほど非合理な数字ではないのではないかというふうに思います。
 それから廃棄物処分のコストですけれども、これは現在各国の処分計画というのは余り順調にいっておりません、いろいろ問題がございまして。したがって、余り数字的なことを申し上げることは差し控えますけれども、現在考えられているような処分方法というものを前提にして考えれば、やはり一応どのくらいのコストになるだろうかというオーダーぐらいは見当がつくのではないかというふうに私は思います。たとえば再処理工場から出てくる一番問題の高放射能の廃棄物、いわゆる高レベル廃棄物と言っておりますけれども、それを処分するためのコストがどうなるか。これはその高レベル廃棄物が液体の状態で出てくるのを固化体にしまして、大体三十年間ぐらいは放射能を弱めるために地上に置いておきます。三十年以後にそれを大体地下千メートルぐらいのかたい岩層の中に封じ込めようというのが現在考えられている処分方法であります。一体その固化体の量がどのくらいかということは、これはいろいろ計算された数字がありますが、大体百万キロワットの発電所で一年間に三立方メートルといいますか、つまり固化体の本数にして大体十四、五本ぐらいというのが現在試算されている発生量であります。
 これはちょっと一般に誤解がありまして、低レベルの放射能、発電所から出てくる低レベルの廃棄物と非常に混同されておりまして、低レベルの方はドラムかんで一千本とか二千本とかと普通言われますけれども、そういうものと非常に混同されますけれども、高レベルの廃棄物というのは量的にはいま申し上げた程度の量であるということで、したがってその処分がいま申し上げたような方法で可能になるとしますと、その量に対応するぐらいのコストと考えるのが常識的な考え方で、それほどべらぼうなコストになるということはまず考えられない。
 たとえば地下掘削、地下を掘る技術というのは現在鉱山で使っている技術が確立されておりますし、特に技術的な問題はその点にはないと思います。ただ問題は、じゃ地盤、その固い岩盤というのが日本に果たしてあるかどうかということが実は一番恐らく問題だと思います。これはボーリングを実際にやらないと、そういう深層の地層の状態というのはよくわかっておりませんので、相当数のボーリングをできるだけ早い時期にやって、そして岩盤の状態も確かめた上で、さてその安全な処分方法というものが可能かどうかという議論をすべきでありまして、早くそういう段階まで持っていくことがまず必要であるというふうに私は思います。
 そういう現在考えられている処分方法を前提にしますと、冷静に議論すればそれほどとっぴなコストにはまずならないと考えていいのじゃないかと思いますけれども、ただ、現在考えている処分方法というのは実は不可能だという見方に立ちますと、これはその廃棄物を半永久的に監視する、あるいは半永久的に管理する必要があるという話になってまいりまして、これはコストが幾らでもかかるだろうということになるわけであります。ただ、そういう場合の議論というのは、これはコストの議論を実はしているのではなくて、技術的可能性の議論をまずしているわけでありまして、つまり私が申し上げたいのは、こういう問題の議論のときに、技術的な可能性の問題とそれからそれに伴うコストの評価の問題、これはやはり区別して議論をしていく必要があるというふうに私は考えております。
 そういう一つの処分概念というものを前提にして議論をすれば、それほど非現実的なコストというのは恐らく出てこないであろうというふうに私は考えております。したがって、原子力の経済性というものが、そんなに将来のコストのために原子力が使えないというほどにコストアップするというようなことはまず考えられないと私は思っております。
 以上、簡単ですけれども。
#11
○委員長(細川護熙君) ありがとうございました。
 次に、中島参考人にお願いいたします。中島参考人。
#12
○参考人(中島篤之助君) 中島でございます。私は、きょうの参考人の中では自然科学をやっているどうも唯一の人間でありますので、この経済性ということについては必ずしも専門ではございませんけれども、いま川上参考人も申されましたように、現在の原子力発電というのは、私の見るところではまだコストを算定すべき前提となる技術的ないろいろな可能性というものが必ずしも確かめられていないということをむしろ申し上げたいためにきょうは出てきたわけであります。
 それで、最初に一般論を少し申しますと、現在の原子力発電と申しますのは、もう少し広く申しまして、現在の世界では原子力発電という形で原子力のエネルギーを利用しているだけではございませんで、実は主流はやはり原子力のエネルギーを核兵器として利用する、あるいは軍事利用、たとえば原子力潜水艦の動力として利用するという方が残念ながら主流と申さなければなりません。そういう状況でございまして、したがって現在の原子力発電というものは、その原子力の軍事利用の技術の直接的な延長という性格を持っております。したがって、原子力のいわゆる平和利用というものと軍事利用というものを技術的に区別するということは大変むずかしいということをまず申し上げたいと思います。
 したがいまして、原子力の軍事利用が廃絶されたというふうな状態、たとえば核兵器が世界的に禁止されたというふうなことは、われわれ自然科学者として非常にそれを希望するのですけれども、そういうものが廃絶されていない現在では、したがって経済性を考える場合には、その場合でも軍事技術との密接な関連というものを検討しないわけにいかない、それを除いて考えようということはできないということを申し上げなければならないわけです。
 そういうことでありますから、いわゆる経済性、コストというふうなものを考えるときに非常に多くの不確実なパラメーターがどうしても入ってきてしまうということになるわけであります。そういうことは非常にたくさんございますけれども、時間もございませんから二、三の例だけを申し上げさしていただきますと、一つの例としまして、現在世界でいわゆる商業用原子力発電の主流というふうに目されておりますのは、軽水炉と呼ばれる、要するに普通の水でありますけれども、普通の水を減速材と冷却材に使う型の原子炉でありますが、これはそのもとをただしますと、原子力潜水艦などのつまり船舶用の動力炉をスケールアップしてつくったものであります。日本でも使われております加圧水型の原子炉はそうでございます。
 それからその軽水炉に使います燃料は、そういう普通の水を使いますために濃縮ウラン――天然のウランを燃料として使うことはできませんで、濃縮ウランを使うわけでありますけれども、その濃縮ウランは、現在でも特にわが国の場合は全部といってよろしいと思いますが、米国の核兵器用の濃縮ウラン工場であります三つの大きな工場がございますけれども、その工場に直接依存しているということになるわけで、したがって、たとえば原子力発電では燃料の価格はコストには余り効かない、二十数%しか効かないといたしましても、その価格そのものがこれは技術的にだけではなくて政治的に決まる、全く一方的にまた決まる。これは歴史的に見ましても、最初キログラム二十六ドルぐらいの賃濃縮費が現在四十八ドルでしょうか、変わっている。私はそれが四十八ドルになったから高いということを申しているのではなくて、一方的な通告だけでどんどん変わっていくというようなところに非常に問題があるということを申し上げておきたいと思います。
 それからもう一つは、原子力発電の特徴でございますけれども、原子力発電をいたしますと必然的にプルトニウムが原子炉の中で生産されるわけです。この利用方法が実はまだ残念ながらして確立している状態ではないわけです。このことは現在、私、核融合のことを除外いたしまして核分裂のことだけ申しますが、核分裂の原子力エネルギーを利用するということが石炭とか石油とかよりも有望な、つまり有用な代替エネルギーという言葉を仮に使うといたしますと、そういうものであるためには、天然ウランの中にわずか〇・七%しかないウラン235だけを使っている、そういう原子炉ではこれは非常に限られたエネルギーにすぎないわけであります。
 これは、具体的にちょっと数字を申し上げますと、一九五四年にいわゆるアトム・フォー・ピースという政策をアメリカがとりましてからもうすでに三十年近くたちますけれども、仮に二十五年たったという時点の一九七九年ぐらいをとりまして、どのくらいのエネルギーがそれじゃ原子力発電で生産されたかということを勘定してみますと、それは大体十の十八乗ジュール程度のものであります。このジュールというのは、専門語を使って大変恐縮ですけれども、それは全世界のエネルギーの消費量の一%ぐらいのものであります。それから累積でもって一年間の世界の全消費エネルギーの十二日分ぐらいのものにしかなっておらないわけです。
 ですから、私の申したいことは、原子力発電というものは、いま川上参考人も言われましたが、先進国としてはそれなりの努力をしたのでありましょうけれども、やはり非常に長い目で見ればまだ完全な実験段階にとどまっているものであって、とても石油あるいは石炭といますぐ置きかえられるものではないということをこういう数字が示しているわけです。そうして、しかもいま使っておりますような熱中性子炉、あるいは軽水炉のようなものは特にそうでありますけれども、そういうものだけに頼っておりますと、現在世界にある、リーズナブルなコストであるとされておりますウランの量、これはいろいろな推定がございますけれども、たとえばOECD・NEAが毎年発表しておりますデータを見ましても、せいぜい数百万トン程度のウランしかないわけであります。百三十ドル・パー・ポンドでしたか、ぐらいの価格のものでそのぐらいのものである。これを考えますと、これはもういますぐにも枯渇するような――枯渇はしないのですけれども、枯渇するかのように言われている石油の資源、石油の埋蔵量よりも実は小さい資源にすぎないのであります。
 ですから、いまのような形の原子力発電をただやっているだけではこれは未来のエネルギーにはなりっこないということは科学的に非常にはっきりしていることでありまして、それが少なくとも未来の代替エネルギーであるということのためには、いま申しておりますプルトニウムの利用ができるようになる、つまり高速増殖炉でありますとか、最近は高速増殖炉だけではなくて、そのほかの方法でむしろブリーディングをした方がいいというような幾つかの提案が出てきている。これはたとえば加速器を使ってやった方がいいとか、あるいは全くこれはまだエネルギー源になっているものではございませんが、将来膨大なお金を投じて研究されております核融合炉というようなものがもしできたときには、それによって核燃料の増殖をした方がかえって高速増殖炉よりも合理的ではないかとか、しかし結局、それじゃそれができて一体幾らお金がかかるのかということは、全くいまは試算することもできない試験研究の段階であると申し上げなければならないと思います。
 高速増殖炉につきましても、現在いわゆる原型炉と申すものが幾つかの国で動いておりますし、日本もそういうことをやろうとしておりますけれども、またそれは着手もされていないということでございますので、実験炉がようやく動いただけの段階でありますから、これも研究課題と私は考えておくべきものであろうと思います。ですから、そういう意味で、原子力のエネルギー利用そのものにやはりそういうコストを考える場合にそういう限界がある、現在の技術で考えるならばそういう限界があるということを申さなければならないと思います。
 それからプルトニウムを利用するということは、必然的に軍事技術とのかかわり合いが厳しい問題になってくるということでございまして、これは私が申し上げるよりもすでに御承知と思いますが、昨年の二月に米国の提唱で四十カ国が参加して国際核燃料サイクル評価会議というものが開かれました。INFCEと言っております。こういう会議が開かれたこと自体が、つまり現在の段階においては原子力技術を推進するということ自体が核拡散につながるということを認めたということであります。
 このINFCEの結果、いろいろな問題がありますけれども、一番大きなことは、いま私の関係しておることで申しますと、核拡散というものの概念というものについてもまた定義のやり直しが行われまして、単に核物質、つまりプルトニウムとか濃縮ウランとかいうものを管理すればいいのだという単純なことではなくて、核物質であるとか、核物質をつくる技術及び機器、それから施設の転用といった、その核爆発の製造能力の拡散をどうするかということが国際的に問題になったわけでありますから、わが国の場合には原子力三原則があるということでありますけれども、国際的にはこの問題に対してどうすべきかというむしろわが国独自の核政策を明確にしない限り、これはもう全部またコストにもはね返ってくる問題でありますし、原子力発電を推進すること自体に非常に大きな政治的な影響をもたらしてくる問題ではないかと思うのであります。
 それから次に、これは川上さんもおっしゃったことですけれども、現在の原子力発電が技術的にも決して確立したものではない。これは安全性の点でも非常に重大な問題をはらんでいるということは、一九七九年の三月、ちょうど二年少し前でありますけれども、アメリカのスリーマイルアイランドの事故というのが起こりまして、これは世界に衝撃を与えたわけであります。どういうわけか、わが国ではもうスリーマイルのことはなるべく忘れようとどうもしていらっしゃるように私には見えますけれども、事故そのものが現在でも終わっているわけではございませんで、現在でも格納容器の中には七十万ガロンという膨大な放射能を帯びた水がまだたまっておりまして、やっと建屋の外にある三十万ガロンほどの水はそれを精製してタンクに移しかえたというような事故処理が終わっているだけで、当時、もしスリーマイルアイランドが再開できるとしても、五年ぐらいの日時と二十億ドルの費用が必要であろうというふうに、たとえばアメリカの大統領調査委員会でありましたケメニー報告ではそういうことを言っておりますけれども、現在その見通しがだんだん長くなってまいりまして、四、五年ではなくて十年くらいかかるであろうというようなことになってまいりましたから、したがって損害額というのは実際に直ってみなければこれはわからぬというような状況でございます。
 問題は、こういうことが現実に起こったということが非常に重大でありまして、しかもこれを防ぐ方法というものについて、現在までの安全性の考え方そのものを根本に返ってもう一度考え直しをする。つまり、そうめったには起きないにしても、一たび大きな事故が起きたときの社会的なインパクトというのは非常に大きいというのが原子力技術の特徴であります。関連して申しますと、たとえば日本では米国よりもさらに狭い国土に、しかも原発を密集して集中立地しております。これが事故を起こした場合には、これは非常に大変なことになるわけでありまして、きょうはそういうことを申し上げるところではございませんから省略いたしますけれども、たとえばスリーマイルの場合も隣の原発を動かすというわけにはいかなくて全部やはりとまったわけでございますから、これは電力供給上も非常に重大な障害が起こる。こういうものをどういうふうにそれじゃコストとかそういうものに評価するかというのは大変なことだろうと思うわけであります。
 それから、先を急ぎますが、この原子力発電と火力発電との非常に大きな違いと申しますのは、たとえば石油火力の場合には、原油を運んで参りまして、極端な場合には原油の生だきというようなことも可能であります。燃やしてしまえば炭酸ガスと水と多少大気汚染を起こすというようなことで、技術的には問題点ははっきりしているのですけれども、原子力発電の場合には、ウランをまず採掘するところから始まりまして、それを精製しなければいけない。それから現在の軽水炉であればそれを濃縮しなければいけない、濃縮したものをさらに転換して成形加工をするというような幾つかのいわゆるプロセスを経てやっと核燃料ができ上がって、それが原子炉に装荷をされるということになります。
 これを普通アップストリームというふうに呼んでおりますけれども、それだけではありませんで、一定時間原子炉に入れた後には必ず燃料を取り出していわゆる核燃料再処理を行わなければいけない、そして未使用のウランを回収し、プルトニウムを抽出し、高レベルの放射性廃棄物を処理するといったことを行うというふうにいままでは考えられていたわけであります。もう川上参考人が触れられましたから余りつけ加えませんけれども、特にその高レベル廃棄物の処理処分につきましては非常に多くの研究や提案がなされてはおるのですけれども、問題は未解決だと申し上げるべきだろうと思います。
 わが国では、この問題についてどう当面の対策を立てておるかと申しますと、当面イギリスとフランスにそれぞれ千六百トンずつの使用済み核燃料の再処理を委託するということをやっております。千六百トンと申しますと、大体百万キロワットの原子力発電所がほぼ一年間に三十トンぐらいの使用済み核燃料を排出いたします。ですから、これで当面は確かに再処理の方はできるはずでありますが――はずでないことを後でちょっと申しますが、この廃棄物の方はそのまま引き取ってくれるわけではございませんで、これは御丁寧にもガラス固化、多分ガラスに固化されて日本へまた戻ってくるわけであります。
 実は、このことも考えてみますと非常に重大な問題でありまして、つまり一トン当たり数百万キロキュリーというような非常に膨大な放射能を持った核燃料を日本からはるばるインド洋を越えてヨーロッパまで運んでおるわけであります。その運んでいる船は余り大きな船ではございませんで、これが沈没したらどうなるかというようなことは実はどなたもお考えになっていらっしゃらないわけですが、私の所属しております学術会議には国際法の御専門の方もいらっしゃいますので、そういうときはどうするのだ、法律学者というのはそういうのをどうお考えになるのだと聞きましたら、法律というのは事故が起きた後でやっぱり考えるのだという大変心細い話であります。
 行きはそういうことでありますが、帰りはさらに危険でありまして、今度はガラスも、これも放射能が全くなくなったわけではなくて、量は決して多くはございませんけれども、それがやはりどういう――まだ帰ってきたことがありませんからわかりませんが、またはるばると日本へ戻ってくる。戻ってこられると、実は日本はいま戻ってこられたら置くところがないのでありまして、なるべくならば、フランスの再処理工場などは最近いろいろ事故を起こして余りうまく動いていないので、関係の方々の中にはなるべく再処理の契約よりもずっとおくれて帰ってくることを御期待になっている向きの方がむしろ実情に近いわけです。これはちょっと脱線になりますが、そういう状況でございます。
 原子力委員会の放射性廃棄物処理処分の専門部会が処理処分の研究開発計画というものを最近お出しになりました。それを見ましても、これはいままでの考え方に従いまして再処理が順調にできるものとして、再処理から出てきた高レベル廃棄物をガラス固化等々の形で固化をする、そしてそれを陸地処分をするということを決めておりまして、一番問題になりますのは、そういう危険なものが人間環境から安全に隔離ができるかどうか、それにはいわゆる工学的なバリアと地層的なバリア、天然のバリアとを併用する方法でいくんだと。おっしゃっていることはごもっともでありますけれども、実際にその計画を見てみますと、本当にそういう試験処分が始められるのは二〇一五年であるということになっておるわけです。三十五年先にこれはまだ本当の処分を始めるのではなくて試験処分をやる。ただし、これは私の意見でありますが、日本にうまい地層が見つかったときにそういうことになるということでありまして、これは非常に気の長い話だということを御理解いただきたいと思います。
 ところが、何といいますか、高レベル廃棄物をガラスやその他の方法で固化してやるというのができるためには実は再処理工場が動かなければいけない、順調に動かなければいけない。ところがこれは、最近でもこの問題は非常に深刻な問題だと私は考えているのでありますけれども、フランスのたとえばラアーグの工場においてもいろいろなトラブルが起こっております。それからわが国で、これは本格操業ということであったのですけれども、国会等の議事録を拝見いたしますと、また試験運転だと、こう動燃の理事者の方はおっしゃっているようでありますが、いずれにせよいろいろなトラブルが起きておりまして、そのことは、時間がありませんからこれも一言で申しますと、いままで軍事利用のために開発されてきた、つまり軍事利用ということは、原子炉からプルトニウムを製造するために開発されたやり方は現在でもうまく動いているのであります。フランスのラアーグにも二つ工場がありまして、片方の方は順調に動いておる。これは軽水炉の酸化物燃料ではなくて、フランスが開発したガス炉の燃料であるとか、あるいは軍用の燃料とかいうものはともかく順調に処理ができるのだけれども、経済性を追求して非常に燃焼度を上げた酸化物燃料については、もう一度根本的に基礎化学から見直す必要があるというふうに私は考えております。
 ですから、こういうことが非常に迅速に行われて再処理の技術が確立したとしましても、私はコスト等々が出されるのはそれから先のことではなかろうかというふうに思っておりまして、要するに現在原子力発電というものが経済性を実証し得るためには非常にたくさんの問題を解決しなければならない段階でございまして、非常に性急なせっかちな実用化を急ぎますことは、むしろ原子力エネルギーの持っております未来の可能性というものをかえってなくすことになってしまうのではないかということを私は考えておるわけでございます。
 スリーマイルアイランドの事故の後、アメリカ大統領調査委員会でありましたケメニー報告の最後は、原子力発電、このスリーマイルの事故の反省といたしましてこういうことを言っております。「もし一部の企業や規制担当機関があえて根本的に姿勢を変革しなかったら、やがて一般大衆の信頼を完全に失うことになるだろう。こうして彼らが」――「彼らが」というのは、こういう原子力発電をむしろ推進しようとしている企業でありますとか規制担当機関でありますが、そういうところが「有用なエネルギー源としての原子力を手離す責任を負うはめになると我々は確信している」というふうに書いてあるわけですけれども、この言葉は十分わが国ではかみしめるべきものではないかというふうに思うわけでございます。
 簡単でございますが、以上で私の意見を終わりたいと思います。
#13
○委員長(細川護熙君) ありがとうございました。
 以上で参考人の方々の御意見の開陳を終わります。
 それでは、これより参考人の方々への質疑を行います。
 質疑のある方は順次御発言願います。
#14
○大木浩君 自民党の大木浩でございます。
 本日は、四人の参考人の方々からそれぞれの専門の立場からいろいろとお話を伺いまして大変ありがとうございました。私、ちょうどお向かいに高木先生が座っておられますが、高木先生のようなナチュラルサイエンスの方の専門家でございませんので、いろいろと御質問いたしますけれども、あるいは非常に科学者のお立場から言いますとプリミティブな御質問をするかもしれませんが、あらかじめお許し願いたいと思います。
 ただ、プリミティブではございますけれども、私は先生方のいまのお話を伺いましても、それから平生からいろいろと原子力あるいは原子力発電についての専門家の方々の御意見を伺いましても、一つ素人として感ずるのは、専門家の方々がおっしゃるのですけれども、それぞれ非常にその結論が違っておるということで、本日もお話しいただきました先生四人のうち、向坂先生はとにかく積極的に原子力発電を進めろというお話のようですし、川上先生も必ずしも反対じゃないけれどもいろいろ多少問題があると、他方、室田先生あるいは中島先生の方は、むしろもっとこれは慎重にしなければいかぬということで、当分何か進めることに基本的に問題ありというような御意見のように私、あるいは間違っているかもしれませんけれども、一応そういうふうに理解しているわけでございます。
 私は、たまたま二年ほど前までちょっと役人で外国にもおりまして、いろいろなよその国の状況も見ておったわけですけれども、確かにこれは何といっても科学技術の問題ですから、たとえば、本日は直接の議題ではございませんけれども、原子力の安全性というようなことについてもいろいろ問題があるというようなことで、私、実は原子力発電反対の方々の基本的な反対は、一番強いのはどうしても安全性の問題じゃないかというようなふうに理解しておりましたし、それからきょうお話ございました経済性の問題でも、やはり安全性と非常に結びついた経済性ということがかなり大きな、むしろ一番大きな問題ではないかというふうにも感ずるわけでございます。
 ただ、安全性と申しましても、あるいは経済性と申しましても、これはいろいろ相対的に考えなければいかぬわけでございまして、きょうは直接安全性が議論のあれでないので、ここは余りそれで時間を費やすのはいかがかと思いますけれども、やはり各国でいろいろこれだけ原子力発電、原子力開発ということを進めておるわけでございまして、これは何も日本だけではない。しかも、そういった一生懸命に原子力発電、開発を進めております国々というのを見ましても、日本よりははるかに何といいますかエネルギー状態がいい、外国に対する依存度あるいは石油に対する依存度というものが非常に少なくて、自分自身のエネルギー源もかなり持っているというような国もおしなべてやはり原子力発電というものは進めておるという状況だと私は理解しておるわけですけれども、そういうことになりますと、先ほどからお話しになりました経済性についていろいろわからない部分があるということは、確かに細かいところであるとは思いますけれども、やはり基本的には現実の何と申しますか生きた経済、生きた政治が行われておるわけなので、その中で許容し得る程度の不分明なものがあるとしても、一応その安全性もそれから経済性も大体推定できる。
 先ほど川上先生のお話でも、いろいろ付随的なコストと申しますか、そういったものについて一応の研究も行われておるし、だんだんわかりつつあるということなので、これは私、現実の政治経済の中では、いまの段階まで安全性も大変改善されましたし、それから経済性についてもかなりな程度にはっきりしておるという状況では、原子力発電というものはさらに一層推進するということがわれわれの国益じゃないかということ、これは私どもの自民党の立場でもあるわけでございますが、そういうことでいろいろお話を伺いまして、反対のお立場にある先生のお話というのは、多少何といいますか理論的にはそういうわからない部分もあるんだろうけれども、ちょっと何か現実の問題としてつながりが薄いのじゃないか、そこまでわからないから何にもやらないということではないのじゃないかというようなことを感ずるわけでございます。
 それで、まず最初に中島先生、御反対のお立場でございますけれども、私、核兵器開発の延長として原子力の平和利用が出てきた、それは確かに経過的にはそうかもしれませんけれども、やはり科学技術というものは軍事用でも平和用でもいろいろなフォローで開発されてきて、それが使い方によるということでございますので、極言すればそれはもう本当に小刀でも自動車でも凶器になるわけなんで、その辺のちょっと御議論だけで御反対ということにはどうもいささか納得がしがたいわけでございますけれども。
 先生先ほどいろいろわからない面はあるとおっしゃいましたけれども、私、いろいろ各国の研究、たとえば先ほどちょっと、アメリカが言い出しで、INFCEですか、中島先生おっしゃったのは。
#15
○参考人(中島篤之助君) INFCEです。
   〔委員長退席、理事亀井久興君着席〕
#16
○大木浩君 でも、いろいろの研究もあるようでございますけれども、他方、先生も御存じだと思いますけれども、アメリカの、あれは七五年ごろですか、ラスムッセン報告というのもございまして、大体われわれの常識的な範囲では、原子力発電というのは安全に行い得るのじゃないかというふうに私どもは感じておるんですけれども、先生いま、先ほどの経過論は別にいたしまして、どうしても原子力発電をいまの程度で、現在軽水炉による発電というようなとにかく段階だと思いますけれども、いまのような段階でいろいろ状況は考えながら進めるということについて、非常に何といいますか経済的に困るのだ、こういう御判断だと理解してよろしゅうございますでしょうか。
#17
○参考人(中島篤之助君) 私の申しようが大変悪くて、原子力発電に反対というふうにおとりになったようでございますけれども、私、最後で申しましたように、いま安全性も確かめられていないうちにせっかちに原子力という未来のエネルギー源を使うことは、かえって、推進なさっておるおつもりであろうけれども、それはそうではないのだということを私は申し上げたわけであります。
 それから軍事技術の問題でございますけれども、これはINFCEというものが開かれて、そこでむしろ日本の方は、原子力基本法に、日本は平和利用に限るんだ、民主・自主・公開の三原則でやるんだということになっておったから、平和利用のつながりということをそういう意味では真剣に追求は私はしていなかったと思うのですけれども、たとえば日本が多少濃縮ウランを自給しようと思って濃縮ウラン工場をつくったりしますと、これは別の国からは日本は核兵器をつくっているのではないかというふうに見られるという客観的な事実があるわけです。それですから、私がわざわざさっき申しましたように、こういう核爆発物の製造能力の拡散ということで、やはりあらゆるいままでの原子力技術が全部洗われてきたのがINFCEであります。
 ですから、たとえば重水から、あるいはわれわれ研究者にとっては実はのどから手が出るほど欲しいような高濃縮ウランを使った研究用原子炉まで禁止される、四〇%以上の濃縮ウランは特例の場合でも四〇%までであって、昔のように九〇%の濃縮ウランは使えないということが改めて出てきておる。これはどうしてかと申しますと、私は、現在米国とソ連が核兵器を両方持っていてやめようとしないことが根本原因だと思っておるわけですけれども。そのことが、さらにもし現在の発展途上国もそういう核兵器製造能力を持つようになったときには非常に世界の平和にとってゆゆしいことになるという認識では一致しているということだと思うので、そういう点で、原子力技術を発展させる場合、この問題を避けて通るわけにはいかないということを私は申したのでありまして、誤解のないようにしていただきたいと思うわけです。
 それで、そういう点で申しますと、たとえば最近、九州で化学濃縮法によります濃縮ウランの新しい製造方法のパイロットプラントをある会社がつくるという問題が起こっております。これは私も知っておりますけれども、大変すぐれた技術で、これは低濃縮のウランしか実はつくれないと申し上げてよいわけでありますが、ところが、そのものを仮に人形峠で動いておる高濃縮遠心分離工場につなげたらどうなるのかということが非常に問題になるから、これはINFCEではそういうことが当然討議されておるわけでありまして、問題は、日本が非核三原則を本当に堅持するというふうに見られるかどうか、発展途上国がそういうふうに見てくれるかどうかということだと思います。
 その点で、私、大変遺憾に思いますのは、われわれ原子力の平和利用をむしろ、私は原子力研究所におりますので、進めている立場から申しますと、大変心ないことを政府などがおっしゃってくださって、防衛的ならば核兵器も違憲でないというようなことを言われますと、われわれ研究者としては、これはもうやめなければならぬかというような深刻な問題になるのでありまして、むしろその辺をお考えいただきたい。きょうは経済性の御議論でありますからこれ以上申しませんが、経済性を考える場合にも、このことをもっともっと突っ込んで考える必要があるということだけを申したかったわけでございます。
#18
○大木浩君 確かに、いまの核兵器と原子力発電、平和利用の方との関連というのは、いろいろつながっておることは全くそうでございますけれども、科学技術ということだけ取り上げて考えれば、何か最近アメリカの雑誌なんかで、どこかの大学の学生がいろいろ自分で勉強して原子爆弾をつくるようなことを考えたというようなこと、理論的にはいろいろつながりがあると思いますけれども、これを二つはっきりと切り離すというのはやはり私どもの何といいますか政治なり外交の任務だと思いますので、そういうことについてはまた一つしっかりさせなければいけないと思うわけでございます。
 ちょっと室田先生、きょうは室田先生もお話を大体経済性の方のお話に限ってしていただいたわけですけれども、私、仄聞しますところによりますと、室田先生、むしろ基本的に経済性だけでなくて、何といいますか、哲学として。というとちょっと言い過ぎかもしれませんけれども、一般論として、原子力発電、原子力利用について非常に御批判というか、お反対の立場にあるように理解しておるわけですけれども、先ほどおっしゃいました、いろいろエネルギー消費全般に、原子力に限らずに、もういまぐらいのレベルかあるいはもっと下げるのか知りませんけれども、余りふやすことをやめたらいいじゃないかと、こういう御議論があったのですが、そう言われてもなかなか私ども現実の政治経済の中では、それはやっぱりいろいろ国民の生活を守っていかなければいかぬわけでありまして、そう簡単にエネルギーをこの辺のいまぐらいの程度で何とかとどめてもいいというような議論にならないのですが、先生、何かその辺のところ、もう一つつけ加えてお考えをお示しいただければ参考にさせていただきたいと思います。
#19
○参考人(室田武君) その点でございますけれども、少し振り返って考えてみたいのですけれども、昭和三十五年、一九六〇年ですけれども、一九六〇年のころ、日本では国産の石炭の消費量が輸入石油の消費量にカロリーで数えて追い抜かれるということがあって、それ以降石油の消費が本格的に日本全土でふえていくわけですけれども、その中で国民生活がどういうふうに変わってきたかということに私の関心があるわけです。
 その点で、いろいろな研究がなされているわけですけれども、いろいろ見てみますと、たとえば一番典型的な場合、日本人が毎日食べている米の生産というようなことを見ても、同じ一トンの米を生産するのにどれぐらい石油が要るのだろうかというようなことを見てみますと、それは非常に急速な勢いで伸びている。それを見てみますと、たとえば米なら米をつくるのに労働生産性は確かに上がっている。一人の人が一日働くことから出てくる米の量はどれだけかということになりますと、確かに以前より少ない労働投入で同じ量の米ができるというような形で労働生産性は上がっているわけですけれども、その反面非常にエネルギーの消費がふえているということで、エネルギーの生産性を見ていきますと、米の場合はそうですし、それ以外のものについてもどんどん生産性が下がっているということが言えるわけです。
   〔理事亀井久興君退席、委員長着席〕
 それで、幾らエネルギーの生産性が下がっても労働生産性が上がっているから大丈夫なんだということが一具言えそうなわけですけれども、よく考えてみますと、労働生産性が上がっているというのは、米なら米をつくっている水田の現場では確かに労働が節減できているということになりますけれども、その節減された労働力というのは今度別なところで新しい仕事をやっている。たとえば米に関連していえば、化学肥料とか農薬をつくるためにいままで農業をやっていた人が工場労働者という形で別な部門で働いているというような形になっていきまして、結局、社会全体で見た場合の労働生産性というのは本当に上がっているのかというと、それもはっきりしない。はっきりしているのはエネルギーの生産性が非常に大幅に下がっているというようなことで、エネルギーをたくさん使えばそれで国民生活の向上に何か寄与するところがあるかということを考えてみますと、どうもそうではないというのが私の判断になってきているわけです。
 それで、エネルギーの生産性が下がるということは、その分、同じだけのエネルギーを使って、それがいろいろな国民生活の向上にとって有用な部門に使われないで、たとえば発電所の廃熱だとか、あるいは最近海が廃油ボールというようなことで非常に汚れているわけですけれども、そういった廃熱とか廃物をふやすという形に使われて、真に生活の中身をよくするという方向に使われていない。環境面から言いますと、エネルギーの使用量というのは昭和三十五年から今日に至る約二十年の間に環境的には非常に悪くなってきている。エネルギーが四倍になったほど生活の中身はそれほど変わっていないのに環境が非常に汚染されているというような形で、どうやら日本社会全体の活力といいますか、それが非常に失われてきて、一方的に汚染の方だけがふえてきているというような判断をしているわけです。
 そこに原子力というようなことがつけ加わりまして、さらに放射性の毒物が日本の各地に蓄積していくということになりますと、将来の日本全体あるいはそれぞれの各地域社会、そういったところに非常に悪い影響が今後ますます積み重なっていくのではないか。ですから、エネルギーの消費のふえることが必ずしも政治的に考えてみても経済的に考えてみてもそれがいい方向に働くというふうにどうも言えないというのが一九六〇年、昭和三十五年あたりから始まる石油大量消費社会の問題であるというふうに考えているわけです。
 私は、一般的にエネルギーの消費がふえるのはぐあいが悪いというようなことを申し上げているのではなくて、たとえば戦後の日本の荒廃した状況の中から日本経済あるいは各地域社会における地域経済が復興していく過程でエネルギーの消費がふえていったわけですけれども、そういった戦後の住宅難、食糧難の時代から昭和三十五年前後までに至るような時期のエネルギー消費の増大あるいは経済活動の活発化ということを決して否定しているわけじゃなくて、それは確かに国民生活の向上に寄与するところがあったというふうに考えているわけですけれども、物事にはどこかに限界というのがあるのじゃないか。
 無制限にたとえばエネルギーの消費というのをふやしていったら、これはもう頭の中で考えるだけでわかるわけですけれども、どこにも限界を設けないで、とにかく使えるエネルギーは全部使ってどんどんそれを消費していったら、もう日本だけじゃなく地球全体が、熱汚染とかあるいはそれに放射能汚染、海洋の汚染とかあるいは農地の汚染とか、いろいろな形で恐らく人間が住めないようなところに世界全体がなってしまうということは、だれが考えても、無制限にふやすということだったら当然そういう結論になるわけです。
 ですから、どこかで線を引かなければならないわけで、私はそういう意味から言いますと、オイルショックというのは一つの何というか、いいきっかけで、それを一つの教訓として、むしろこの辺で線を引いた方がいい、そういった判断に立っているわけです。ですから、原子力発電をやめてしまったら何か日本の国民生活が江戸時代の水準になってしまうとか、あるいは石器時代みたいなことになってしまうというようなことがよく言われるわけですけれども、私はそういう極論を決して申し上げているわけじゃなくて、その適量といいますか、どの辺が一番いいところかという点をそれぞれの人が考えておかなければならない。いまはそういう問題を考える意味で非常にいい時期ではないか。
 特に、原子力の場合、私は基本的に問題があるというふうに考えているわけですけれども、それは原子力利用に関するウランとか核融合の場合、それ以外の元素が使われるわけですけれども、そういう資源の性質そのものからして、余り人間に役に立つような形でそれは使えそうもない、そういうかなり原理的な判断に立っているわけです。それは、ウランを一つとってみましても、ウランというのは石油とか石炭なんかと違いまして、地球上ある意味でどこにでもあるということがむしろ問題なわけです。石油とか石炭の場合は、場所は偏在しているわけですけれども、それを探し当てれば簡単に役に立つ燃料なり原料なりとして使える、ところがウランの場合はどこにでもある。どこにでもあるということは非常に散らばって存在しているということでありまして、それを一カ所に集めてきて発電なりその他の目的に使うためにそれ以外の資源が消費されなければならない、そういうどこにでもあることからくる問題。その資源の質として石炭とか石油にもっと太刀打ちできるようなそういう質を持っていない。
 一番いい場合でも、たとえばウラン鉱石の中に天然ウランが〇・二%も入っていたらもう上等で、しかもその天然ウランの中に核分裂を直接起こすようなウラン235というのはそのうちの〇・七%ということですから、全部合わせると、もとも一とのウラン鉱石から出発してウラン235というのは全体の百万分の十四ですか、そのくらいしかないわけで、それが発電その他の目的で役に立つように使われるためにその鉱石をいろいろな形で確保していく。そのためにいろいろな資源が、石炭、石油だけでなくていろいろな水の消費その他を含めて使われるということで、資源そのものの性質として非常に問題が多い。そういう原理的な判断に立っているわけです。
 以上です。
#20
○大木浩君 非常に基本的なお考えなんで余り議論するつもりはないのですけれども、やはりどこにでもあるというのは、むしろ一つの強みであるような気もいたしますし、それから人類の、まだまだ開発途上国を含めてこれからエネルギーの消費というのはむしろふえていくのじゃないか、そういう時期ですから、やっぱり私はこれから大いにわれわれ知恵を出して原子力を利用し得るようにコントロールしながら利用していくというのが道じゃないかと思いますが、大変マクロの話の後でちょっとミクロの話で恐縮でございますが、先ほど発電コストの話で、水力や火力等の比較で、むしろ水力、火力の方が安いんだというようなお話もございましたけれども、私どもいろいろなところからいただいているのでは、少なくとも今後これから水力発電なり火力発電なりでやるのと原子力とでは、やっぱり原子力の方が安いのだというふうに理解しておるのですけれども、これはどうなんでしょう。
 先ほどたまたま二、三の例をお挙げになりましたけれども、むしろ全般的には、いろいろな関連のコストは別にいたしまして、燃料ないしは直接の運用費というようなものは、私どもはやはり原子力の方が安いというふうに理解しておりますが、その点、何か補足がございましたら。
#21
○参考人(室田武君) その点、非常に大切な御指摘だと思うのですけれども、恐らくその問題は規模の問題に関係しているのじゃないかというふうに考えるわけです。と申しますのは、原子力発電所の場合は、たとえば現在の日本ですと、電気出力が一基で百十万キロワット、そういった発電所もつくられているのが現状でありまして、規模をそういう形で考えますと、それに匹敵するようなたとえば水力発電をやろうということになりましたら、これは新しくまた山を崩して大変大きなダムをつくるということで、恐らくそういうことをやりますと水力発電の方がはるかに高くつく。少なくともそれ以外に付随する問題を除きまして直接の出費ということで考えると、確かにおっしゃるとおり非常に大きな問題があるということだと思うのです。
 ですから、問題は、規模をどう考えるかということでありまして、エネルギー消費全体をどんどんふやしていくという前提に立てば、確かに原子力というのは、安全性の問題とかそういったことを抜きにした場合、規模の大きなものが最初からできるということで、大木先生の意見に反対するわけでは決してないわけです。
 ただ、私が先ほど申し上げましたように、規模がどんどん大きくなること自身がいま問題になってきているわけでありまして、規模が小さいものでいいということになったら、先ほど幾つかの例を出したわけですけれども、そういった小規模の水力の利用というようなことが非常に大きなメリットを持ってくるということになるわけでして、原子力についてもさしあたって規模を大きくすればそれが有利なのではないかということはそのとおりなんですけれども、その規模が余り大きくなってきますと、オイルショックと似たような話で、今度は、核燃料に対する需要が世界全体でどんどんふえていくということになりますと、その核燃料を提供する側としては、それほど買いたい人が世界じゅうにいるんだったら値段をつり上げようと。その場合に、政策的に値段を必ずしもつり上げないとしても、市場経済の需給のバランス、それだけを考えてみても、規模が余り大きくなってくれば今度はいつか需給関係から値段が上がる、そういうおそれも当然予想されるわけです。
 オイルショックのことをもう一度考えてみますと、オイルショックの場合でも、恐らく世界じゅうで石油の消費をそんなに急激に、数十年の間に四倍とかそういった急速な規模で拡大してこなかったら、石油を売る側としてもそんなに値段をつり上げるということは意味がないわけで、需要がふえるということは、経済学の理屈で考えても政治的な判断からしても、規模が大きくなるから値段も高くするというのは当然な成り行きでありまして、規模が大きい場合には原子力の方が有利だということでそれを進めていった場合、将来、今度はオイルショックでなくて、原子力ショックみたいなものがいつ来るとも限らないというようなふうに考えているわけです。ですから、規模そのものが少し大きくなり過ぎているという判断に立ちますと、先ほどの私のいろいろな経済性の比較というものが大きな意味を持ってくるのじゃないかと、かように考えているわけです。
#22
○大木浩君 最後の質問をいたしますが、向坂先生から先ほど原子力発電推進の立場からいろいろお話がございまして、コストの話もしていただいたわけですが、ほかの先生のお話の中に、何といいますか、非常に間接的ないろいろなコストと将来の廃棄物の処理とか、そういったものも含めてまだわからないじゃないかというような御議論もあったのですが、その辺も含めまして先生ひとつ全般に、やはりお立場はお変わりにならないだろうというふうに理解いたしますので、ちょっとつけ加えて御説明をいただければありがたいと思います。
#23
○参考人(向坂正男君) 私は、経済性についてはごく大ざっぱに申し上げましたけれども、後から川上参考人や中島さんのお話のあれを含めて、将来とも原子力は他のエネルギーに比べて安いだろうと、大量供給としては安いだろうというふうに申し述べたつもりでございます。
 第二次の石油ショックが起こるまでは、原子力と石油、LNGあるいは石炭火力などとの差は余り大きくない、そこにもしいろいろなまだ現在の発電コストに盛られていないコストを勘定したときには石油火力よりは高いかもしれないとか、そういう議論がありましたけれども、その時期は確かにそういう議論が妥当だったと思います。しかし、いまやもう半分になっているということですね。資本費も原子力の方が石炭火力などの二倍ではないだけでなくて、今度燃料費の方は何分の一と。たとえば五十五年の運開ベースで計算しますと、大体原子力の燃料費が二円三十銭、それから石油火力ですと十三円五十銭というような燃料費の差ができてきているわけです。
 それで、固定費の方はどのくらいかというと、原子力が六円十銭くらいなのに対して火力の方は三円六十銭というような程度の差。いろいろ川上さんなどが言われた中に、確かに固定費を今後上げていくという要素もございます。それはたとえば、もし建設費の中に廃炉の費用を含めるとすれば、仮にそれが二割高日に見積もるということになれば、それに見合うだけの引当金を考えておかなければならないというような要素で、固定費関係の若干の上昇の要素もあると思います。
 主として中島さんなどのいま指摘されたことの大部分は燃料費に関する部分であって、川上さんも言われたように、それを具体的に現在のある見通しで、比較的みんなの意見が収斂されたような見通しで考えてみると、キロワットアワー当たりの燃料費に換算すると五十銭であるとか七十銭であるとかそういう程度になってくるので、この大きないまの燃料費の差を、いまウェーストの処理費用とかそれからあるいは濃縮ウランが将来上がるだろうとかいろいろなことを考えてみましても、この格差を埋めるというようなことはまずあり得ない、依然として相当大きな燃料費の格差が続くだろう。これは、特に石油価格が上がります。工業国のインフレレート以上に多分上がると思いますし、それからそれにつれてLNGの価格は大体それと等価で上がりますし、それから石炭も最近の状況でわかるように、一般炭需要が急速にふえたために石油に大分さや寄せしてきたと、大分と言うと少し大げさですけれども。そういう状況から考えると、私は、いろいろないま発電コストに算入されていないで将来算入されるべきものやあるいは廃炉などの別の費用を考えましても、やはり原子力は他のエネルギーに比べると安いというふうに判断していいかと思うのです。
 いままでの議論を伺っていまして、やっぱり原子力に対しての基本的な問題は、長期的に見て、来世紀の少なくとも半ばを考えたときに、原子力は人類のために必要なのかどうか、また日本のために必要なのかどうか、その判断がやはり大事なところで、室田さんの言うようにエネルギー節約をもっと強力にやれということ、あるいは分散社会をつくれというようなことがあるいは一つの方向かもしれませんけれども、私は現実になかなかそういうことはむずかしいので、やはり大量エネルギー供給のシステムを、できるだけ供給が安定しており、それから外貨負担も少なくてそういうものをやっていくということで、確かに中島さんも指摘されたようにいろいろな問題、特に先ほど申し上げたインフラというかダウンストリームといいますか、そういうところでまだ技術が確実になってない面があおことは御指摘のとおりだと思いますが、問題は何といいますか、問題指摘型でいくのか、それとも挑戦型、進取型でいくのか、やっぱり必要ならいまのわれわれの持っている高度の技術水準で挑戦してみようというような姿勢でいくかどうかが原子力を決める分かれ道じゃないかというように思います。
 繰り返しますけれども、私は、日本にとって、この狭い国土に高度な経済水準、福祉社会をつくり上げたのですけれども、省エネルギー、エネルギーを効率的に使うという仕事はやはり非常に大事だと思います。しかし、それでも大量のエネルギー供給をふやさざるを得ない。その中では、安くて、それから放射性のあれも含めて、原子力は大気汚染要因の少ないもので経済性もあるということになれば、これのために高度の技術をもっと投入していく、それで物にするという姿勢が私は必要ではないかと考えている次第でございます。
#24
○吉田正雄君 参考人の皆さんには大変御苦労さまでございます。社会党の吉田正雄でございます。
 私は、エネルギー問題について国民に選択を求める場合には、このエネルギー問題の本質というふうなものや現状というものについて正しい情報というものを提供するということが最も重要ではないかというふうに思っているわけです。私は今日叫ばれておりますエネルギー危機論というものについて非常な疑問を持っておるわけです。
   〔委員長退席、理事亀井久興君着席〕
どういう点で疑問を持っておるのかと申し上げますと、危機論の内容というものはいろいろなものがミックスされて、俗に言うみそもくそも一緒にした論議が行われて、そして国民に無用な不安感を与え、そして原子力に基本的に賛成するか反対するかの問題は抜きにして、原子力はやむを得ないというふうに誘導的な国民世論をつくり上げていく、こういう点で私は非常に問題があると思うのです。
 具体的に申し上げますと、私はこの危機なるものの内容を整理した場合に、資源的な面から、いま石炭、石油が中心ですから、その埋蔵量というものが果たしてどうなのか。ところが、国民の多くや率直に言って国会議員の皆さんまでが、二、三十年後には石油というのはなくなってしまうのじゃないかという認識を――認識というよりもそういうふうに情報を受けとめておる方が圧倒的に多いと思いますし、国民の多くの皆さんも、もう化石燃料、とりわけ石油というのは二、三十年後には枯渇してしまうのじゃないかというふうに思わされておる方が大部分だろうというふうに思うわけですね。極端な例で言いますと、原子力に賛成をしなければ、夏の甲子園の高校野球についても各家庭で冷房を入れてそしてカラーテレビをつけて見るから電気が不足しパンクをするんだと、だから生活水準を下げるのがいやだという人はやはり原子力を認めざるを得ないのじゃないかと、こういうふうに世論を誘導していく。果たして資源論的にそうなのかどうなのかということを私はまず検討していく必要があると思うのです。
 それから同じ危機論でも需給バランスがあるわけです。この需給バランスの中には、政治的あるいは軍事的状況によって一時的に供給が減少するとか中断をするという、たとえば第一次石油ショックのときのように中東の第四次戦争の勃発によってああいう状況が出てきた、あるいはイラン革命やイラン・イラク戦争等のいわゆる第二次石油ショックと呼ばれるこういう政治あるいは軍事状況によってつくり出される供給上の問題、さらに消費構造についても考えていく必要があるのじゃないか。今日の資本主義の大量生産、大量消費という中で、一体エネルギーはどこに使われておるのか。不足だ不足だという一体その原因というのはどこにあるのかという、今日のエネルギー消費構造というものについて十分分析をする必要があるのじゃないか。
 政府においても、産業構造、特に省エネルギーという観点から――省エネルギーというものとむだを省くというのは大分違うと思うのですね、効率的なものということと、全くのむだなものというのがあると思うのですけれども、そういう点で産業構造というものをできるだけエネルギーの少ないものに切りかえていくという点。その場合に、大産業用でどれだけ使われているのか、民生用でどう使われておるのか、その区分もきちんとしないで、エネルギー危機だから家庭は大変になりますよと言って、国民の民生用のエネルギーまでが直ちに供給中断の憂き目に遭うような危機論、こういうことで国民を原発賛成の方向に持っていくということもあるだろうと思います。
 それから今度は価格面からくる私は危機論というものもあると思うのです。いかに資源的に大量豊富であったとしても、一バレル二、三ドルの石油からわずか数年にして三十五ドル、四十ドルという価格に急速に上昇したという点で、これが経済に大きな影響を及ぼし、あるいは石油を使えないという、こういう今日の不況の一つの原因、とりわけ開発途上国においては高価な石油というものがその国の経済活動、産業活動にとって非常に大きな支障を与えておるということも事実であるわけです。
 そういう点で、私は、このエネルギー危機論というものについては内容というものをきちっと整理をして国民に判断を求めるということをしないと、安全性の問題やその他いろいろ問題はありますけれども、そういう面からも私は国民に正しい選択というものを迫るということが行われるべきではないかというふうに思っているのです。
 そこで、向坂先生にお尋ねをいたしたいのですけれども、この資源論については、まあよく言われますように、ムーディーの究極可採埋蔵量というのは二兆バレルくらいだということが従来盛んに言われてきたわけです。確認埋蔵量が約六千八百億バレルと、今日まで使った全人類の石油消費量というものが約三千六百億バレルというふうなことが言われておるのです。しかし、考えてみますと、この資源危機論というものは百二十年前の石油企業発足以来常に繰り返されてきた危機論であって、石油の値段が上昇するとともにまたこの埋蔵量がふえていく、油田が発見をされるという、繰り返してきたわけです。
 ムーディーのこの二兆バレルというふうな内容を分析してみますと、たとえばメキシコの埋蔵量等についても非常に低く見積もってあるわけです。しかし、PEMEX、メキシコ石油公社の発表や大統領教書等によりましても、メキシコの埋蔵量というのは、特にことし三月に発表された確認埋蔵量というものが六百七十八億バレル、そして推定埋蔵量を含めた潜在埋蔵量というのは大体二千五百億バレルというふうに非常にふえてきておるわけです。したがってムーディー等も、従来の二兆バレルから、いや大体三ないし四兆バレルくらいになるのじゃないかというふうな言い方に変えてきたり、あるいは調査機関等によっては、ムーディーの大体根拠になっておったのは、採油の量というものは大体埋蔵量の四割くらいというふうに見た数字であるということが言われておるのですが、今日の科学技術の発展で採油量も大体六割ないし七割くらいまで引き上げられてきているのじゃないかというふうなことも言われておるわけです。
 そういう点で、私は、従来のこの資源的な面からくる危機論については、どうも過大な危機論というものが振りまかれてきたのじゃないかと。化石燃料というのは石油に限ってみてもそんなに少ないものではないだろう。しかも戦略物資ですから、これはもうメジャーにしろあるいはCIAにしろ決して正確な数字というのは発表しない。発表しないけれども、確実に確認埋蔵量はふえてきておることはこれは事実なわけですね。だから、かつて五年でなくなる十年でなくなると言われて今日百二十年もってきたわけですね。そして、現状で見る限りにおいても、まだ確認埋蔵量というものはふえていくだろうということが言われておるわけです。とりわけ、メジャーやCIAの手の届かないいわゆる社会主義圏であるとか、あるいは今日盛んに言われております渤海湾だとか尖閣諸島とか、そういうところでもどんどん出てきておるわけなんです。
 そういう点で、向坂先生のこの化石然科に対する埋蔵量ではどのように観測をされておるのか、ちょっとお聞きをいたしたいと思います。
#25
○参考人(向坂正男君) エネルギー危機論の実態を国民によく理解させるように十分な情報提供をしなければならないというただいまの御意見には私も賛成でございます。
 いま御質問の、エネルギー資源枯渇が現在論じられているエネルギー危機の最大の要因であるともし言われるならば、その意見はもう大分古臭いと思います。
   〔理事亀井久與君退席、委員長着席〕
いま問題なのは、私が先ほど冒頭に申し上げたように、産油国が資源はあっても増産しないということなんです。いままではメジャーにやたらに掘られてどんどん資源が枯渇する方向に向かってきたので、それを産油国は、資源の主権を取り戻して、それで生産量、価格について自分の手で決めるという方向へ向かってきた。それが七〇年代の大きな転換であって、これからの石油資源の不足問題は、八〇年代、九〇年代においても、決して資源枯渇論ではなくて、産油国が需要者、消費国の思うようには掘ってくれないという問題、そのために価格が相当に上がるというそういう問題だと私は考えております。現在、少なくとも専門家の間では、資源枯渇論を現八〇年代のエネルギー危機の問題として取り上げているということは私は余りないと思います。ちょっとよけいなことを申し上げました。
 資源の確認埋蔵量については、石油の実際の探査開発が進むに従ってふえていくということは、これまでもそうですし、今後もそうだと思います。たとえば、メジャーは、大体そのときの生産量の二十五年分か三十年分ぐらいの確認埋蔵量を持っていれば十分であって、仮にそれ以上わかっていたって、別に自分のところの確認埋蔵量はこんなにたくさんあるということを言わないということはこれまでだってあって、たとえばサウジアラビアにおいても、メキシコのお話でもそうですけれども、やはりこれで探査掘削が進んでいけば、確認埋蔵量がそのときどきに、まあ大体何年かに一回くらい掲上されますけれども、ふえていくということは事実であって、今後とも確認埋蔵量が、まあ大体私は減ると思いますけれども、新規に新しい確認埋蔵量が発見される可能性はまだまだあると思います。
 メキシコのデータはよくわかりませんけれども、メキシコ政府あるいはPEMEXが言っている確認埋蔵量については、あるいは推計埋蔵量については、一方ではやはり疑問を投げかける専門家もたくさんいるということでございます。そこいらの本当のところはよくわかりません。しかし、現在メキシコは二百五十万バレルか三百万バレルくらい掘っているでしょうか、その程度の生産を続けていくには十分の埋蔵量があるし、恐らく将来、もし国内で必要になれば、外貨をかせぐ必要があれば、あるいは国内の石油消費がふえれば、なお五十万バレルや百万バレルふやすということをやることは十分見通し得ると思います。ただ、日本が欲しいからといって、アメリカが欲しいからといって、自国の必要とする以上に石油を輸出するという考えは依然として持っていないということを申し上げたい。
 それから回収率について技術の進歩があることは事実でして、ただしかし、現在中東でも恐らく平均すると三〇%をちょっと超えたくらいじゃないでしょうか。アメリカあたりでずいぶんその回収率引き上げの研究が行われていて、ガスの注入その他いろいろな方策をうまくやれば四〇%くらいまでに上げるということは技術的には可能だという報告は知っておりますけれども、六割、七割に上げるということはまず不可能ではないでしょうか。ですから、今後恐らく石油の回収率を引き上げていくという方向へ努力する必要があり、それが石油資源の枯渇をおくらせる意味で非常に必要な仕事だということは、私もそうだと思います。
#26
○吉田正雄君 資源論的にはまあ先生のおっしゃることは大体私もそのように理解をしておったんですが、今日はそういう資源論的ではなくて、当初先生からお話のあったようなOPECの長期戦略に基づく資源国の政策的なものが非常に大きいのじゃないか。私は、これは何も石油に限った問題でなくて、今後は石炭あるいはLNGにしろあるいはオイルシェール、タールサンド、さらにはウラン燃料も含めてそういうことは当然に出てくることであって、私は国際的なエネルギーに関するいろいろな委員会なりあるいは各国間の協議あるいは協力によって切り抜けていかなければならない性格なものだというふうに思っておりまして、そういう面からも直ちに供給が中断をされて、日本がエネルギーで干上がってしまうというふうな悲観論を必要以上に国民に与えるということも、これやっぱり問題じゃないかというふうに思っているわけです。
 事実、ここ第二次石油ショック以後というもの、石油の消費量というものは、省エネルギーその他の節約努力によって減少してきておることは確かですし、OPECの長期戦略と先進七カ国の消費というものを考えた場合には、その面からも直ちに何か供給中断や不足で混乱が起きるであろうというふうな心配もないのじゃないか。ちょっと甘いかもわからないのですが、OPECはOPECなりに、やっぱり先進国との協調なくしてはまたOPEC自体が成り立っていかないということも、基本的には私は認識をしているのじゃないかというふうに思うのですが、その点はどのようにお考えになっているでしょうか。
#27
○参考人(向坂正男君) 石油に関しましてまず申し上げれば、石油の供給が一時的に中断する、特に中東原油においてそういうことが起こるということはむしろないと思う方が不思議であって、第三の石油危機というものが起こる可能性というものは、私は非常に高いと考えて日本は対処した方がいいと思いますし、あるいは大きな石油消費国は国際エネルギー機関中心に現にやっておりますけれども、そういう第三の石油危機にどう対処したらいいかということを、私はやっぱり十分考えておく必要があるように思うのです。
 それは詳しく申し上げるまでもなく、現在の中東情勢は、われわれ日本人にとってはわりあいに遠い国であり、いろいろな情報、いわば生の情報が十分に伝わっておりませんからよく把握できないけれども、しかしヨーロッパやアメリカの中東情勢、つまり一次情報に非常に詳しい人たち、中東の研究家たちに聞くと、常にそういう、つまり第三の石油危機は起こっても不思議でないということを強調されるわけであって、現在の中東情勢を考えると、やはり供給中断がまたいつ起こるかわからない。それに対してどう備えていくかということは、どうしても日本としてよく考えておく必要がある。それは石油備蓄でもありますし、緊急事態におけるエネルギーの配分方式というものを含めて私は考えておく必要があるように思うわけです。
 それで、石油ショックが起こるという、これに対応を誤るということになりますと、今度の場合でも、第一次よりはよかったのですけれども、しかし現在石油消費が落ちていることは事実ですけれども、これは石油が一挙に三倍も上がるという状況、その石油消費の低下の裏には、ヨーロッパやアメリカの大きな失業問題、失業の犠牲においてエネルギー消費が下がり、石油の輸入が減っているという状況であって、やはりこういう石油ショックなどによる石油価格のジャンプアップというものを、どうやって防ぐかということは、アメリカ、ヨーロッパ、日本共通の大きな挑戦すべき課題ではないかというように考える次第でございます。
#28
○吉田正雄君 きょうは原子力の経済性の問題を中心にということでありますから、まだエネルギー問題についていろいろその他の面でもお聞きしたいのですが、第一次石油ショックというのは、むしろ価格の面であった。第二次石油ショックというのは、確かに需給の関係でいろいろな問題が出てきた。しかし、これも日本は結構うまく切り抜けてきておることも事実ですし、それからイラン、イラクに限らず、サウジの政情についても、もっと大変革ということが起こるのじゃないかというふうに憂慮をされている人たちもあるわけなんですけれども、その際私は、仮に第三次が大激動という形で起きたとしても直ちに原子力では解決できない、これもうはっきりしていると思うのですね、長期的な時間建設に要するわけですから。したがって、何かまた中東で問題が起きそうだから、原子力がすべて解決してくれるという安易な国民へのPRというのは、私は非常に誤らせるものだと。
 現在、原子力が全エネルギーに占めている割合というのは二%そこそこですし、電力についてもようやく一二、三%という段階に来ておるわけですね。しかも電力を見ますというと、現在いわゆる夏の最大需要電力とその設備電力というものを比較をしてみましても、一六%の予備率を持っておるわけですね、最大需要電力に対しても。ですから電力、そのうち火力が多いわけですけれども、原発が現在千五百万キロワットになりましたけれども、予備率から見ますと仮に原発を直ちに現在中止をしても、なお約三%程度電力には余裕があるということは、これはエネ庁の統計でも出ておるんです。
 それはとにかくといたしまして、私はもう一つ、政府なり産業界、電力会社が国民に対する資料、情報を提供する際に、もう少し慎重になってもらいたいと思いますのは、これからも申し上げますように、クリーンだということは最近言わなくなってきました。もう事故が起きて必ずしも安全性が確認されていないと、むしろきわめて危険な状況なり問題点というものが明らかになってきたということなんで、そういう点では危険な状況、危険な問題点が明らかにされたから、逆に技術改良とか安全性の改良ということが盛んに言われているんです。
 もう一つ価格の面なんですけれども、先ほど来先生方のいろんな御意見をお聞きをしておりまして、私は政府は相も変わらずまだ十分資料というものの提供がされていないという感を実は深くしているんです。廃棄物処理についてのたとえば通産なり科学技術庁なり、この経費どれだけかかるのかという資料を私もらっているのですけれども、何のことはない、結局アメリカ側からの引き写しにしかすぎない。これは当然だと思うのです。現在、日本ではいまだに廃炉の処分もやっておりません。したがって、アメリカ側からの資料を参考にする程度に終わっておるということはもうはっきりいたしておりますし、それから廃棄物処理についても、やっぱり先進国であり大量に扱ってきたアメリカに学んでいく。また、アメリカの資料を非常に参考にしておるということも事実であるんですけれども、いずれにしても廃棄物の処分処理、管理についての技術がいまだ確立をされていないという点では、先生方の御意見も一致をしておると思うのです。その費用をどういうふうに見積もるかということなんですが、これはもうアメリカにおいても研究機関や発表する機関によって大分差がありまして、これはという数字、確定的なことはなかなか得られていないということも事実だろうと思うのですが、しかしこの客観的事実だけは否定できないと思うのです。
 先ほどもお話がありましたように、一九五四年にアイゼンハワー大統領が原子力法に署名をしてこれが発効されて、いよいよ産業用原子炉、原発というものが出発をした。五七年に初めてシッピングポートで小型商業炉が運転を開始したんですが、本格的な建設計画というのは六五年から六六年ということで、この二年間で大体二十五基が建設をされたんです。その後も二〇%くらいの割合でずっと建設が延びてきたのですけれども、御承知のように、七四年ごろになりますといろいろな問題が出てきたわけですね。技術上あるいは安全上の問題と並んで実は重大な経済上の問題があるということで、むしろ電力会社、資本の側でこの建設について非常にちゅうちょをしたした、足踏みをしたしたということがありまして、七四年に九基がキャンセルをされて九十一基が延期をされておるわけです。それから七五年から七六年の六月までにさらに二十基がキャンセルをされ、百九十二基が延期をされておる。
 この数字は大変だと思うのですが、実はアメリカの原子力計画によれば、紀元二千年までに一千基建設というのができたわけですね。ところが、スリーマイルアイランドの事故等もあって、現在運転をしておるものは、これは原子力産業会議の調査ですが、昨年六月末現在でわずか七十一基しか運転をされていない。その主要な原因は、TMI事故もあれですが、その以前のもう七四年から、経済上にも非常に大きな問題があるということが、大きなブレーキになっておることは間違いがないわけです。とりわけ、廃棄物処理処分、管理、これについて解決方法が見出されていないということと、それから廃炉の処分、そういうものについても確たる見通しがないということで、これはもう政府自身やあるいは各州のいろいろな機関でもそのことは認めておるわけです。
 したがって、建設費の約二〇%くらいになるのかならないのかということが先ほどもお話が出ているんですが、私はもう一つ、コストを考える場合、いままで日本の場合には稼働率七〇%、それから耐用年数三十年という言い方で、他の石油、石炭火力よりも安価であるということを盛んに言ってきたのです。しかし、アメリカの実情を見ますと、十年から十五年という年数で廃炉に追い込まれておる原子炉が非常に多くなってきたという事実があるわけですね。
 たとえば、アメリカの例をとるまでもなくわが国をとってみましても、福島第一の一号炉というのは七七年に大改修をやったわけです。その際にはこれで大丈夫だと言っておったのですが、実はまた昨年、まあ人間で言うならば心臓から肺臓から胃腸全部取りかえるという大改造を行ったわけです。この修理費についても正確な数字というのはなかなか発表されない。むしろあれは事実上新しい炉と取りかえたと言っても支障のないほどの大改造であったわけです。つまりは、もう耐用年数としては、あれはちょうど十年目なんですが、その程度で終わっておるということなんです。
 したがって、私はこのコストを考える場合、建設費、いわゆる資本コストと同時に、先ほど来盛んに燃料費が言われておりますけれども、私は燃料費の問題よりもむしろ原発の稼働率、耐用年数というものが非常に大きく影響してくるのではないか。しかも建設費で見ますと、石炭、石油火力の建設費の数倍の建設費、しかも消費者物価の約十倍まではいかないが、アメリカの場合にはほぼ消費者物価の十倍の値上がりになっておるわけですが、日本の場合でも、建設着手の段階から完了までの段階を見ますと、大体三年から四年かかる、当初の計画からですと十年ですが、建設に着手してからは大体三、四年というくらいになっていくんですが、建設費は約倍になるんですね。
 たとえば、具体的に申し上げますと、柏崎原発の一号炉、これは総理大臣の認可当初では三千七百五十億円、これ百十万キロワットですが、これがわずか半年たたないうちに二百億追加になっている。そして現在では、完成時には六千億円から七千億円かかるだろうと。つまりキロワット当たりの建設単価は、当初言われているように十五万だとか二十万ではなくて、もう今日では一キロワット当たりの単価というのは安いところでも四十万くらいになっておりますし、特に地盤が悪いというふうなところでは五十万、六十万というふうに言われるところまで今日建設単価が上がってきておるわけです。
 そういう点で私は、先ほど来のいろいろな御意見をお聞きいたしまして、とにかく廃炉であるとか廃棄物処分処理については、どなたも未確定であるというふうにおっしゃっておりますし、これまあ事実そうなんですけれども、そういう点で、エネルギー収支の面からしてもこれだけ耐用年数が低い。よく石油の二百万倍のエネルギーを持っているなんていう、そういう言い方で、国民はこれはまあ大変なものだと思っているのですけれども、私は、この廃棄物あるいは廃炉の管理費までを抜いても、エネルギー収支の面では大体四、五倍からまあ六、七倍と言えばいいところではないかというふうにも思っておるんです。
 そういう点で私は、国民に原子力についての選択を迫る、あるいは判断をしてもらうという場合には、きれいごとの言い方ではなくて、きちんといろいろな資料等も材料も、またまずい点――長所欠点というものも全部明らかにする中で国民に選択を迫るべきだと思うのですが、いま私が指摘をした点については、実は国会論議の中でも余り明らかにされていないのですね、率直に申し上げまして。一方的に電力会社がマスコミ、特にテレビを通じていまだにクリーンで安価だなんて言って、クリーンだという言い方をしてるところがあるんですが、私はコストの中でもう一つ忘れてならないものは、環境破壊と労働者被曝に対する経費をどう見積もっていくのかと、こういうことも忘れてはならないと思うのですね。
 いま、自然放射能から比較したら大したことないという論議が盛んに行われておりますが、バックグラウンドに一%も原子力から出る放射能というものが加わったならば、大変な私は事態が出てくると思うのですね。そういうものについての一体経費はだれがどう持つのか、こういうものも不問に付されて、そしてとにかく原発建設やればいいのだという面での宣伝が非常に行われておるのじゃないかと。国会論議の場合も、時間の不足もあって、実はいま申し上げたような点で突っ込んだ論議というのは、必ずしも十分行われていないということで、宣伝力のある政府の一方的な宣伝がすうっといま国民の間に浸透しているという感じがしてならないわけです。
 そういう点で、もう特に時間もありませんから、個々について先生方の御意見もいろいろお聞きをしたいのですが、私がいま申し上げたような点について、先生方から一言ずつ見解をお聞かせ願えれば幸いだと思います。ありがとうございました。
#29
○参考人(向坂正男君) まあ幾つかの論点があると思いますが、結論的に言われた、国会で政府も関連の業界も十分なデータを出して、原子力の経済性などについても十分な論議をするということは私は賛成でございまして、国会でこういったエネルギー委員会をつくられたということは、そういう趣旨で非常にエネルギー問題の解決のためにいい――いいと言うとちょっと僣越ですけれども、結構なことだと思うわけです。
 それで、幾つかの問題がございましたけれども、アメリカで非常にたくさんキャンセルが出たということは、TMI事故も関係してることは事実でございますが、私、先般アメリカへ行って電力業界やなにかの人に聞きましたところでは、いろいろ安全規制などの変更もあって建設期間がずいぶん長くなって、その間の金利負担がもうたまらぬと。しかも、アメリカは分散した小さな電力会社が多いものですから、大きな百万キロワット、百二十万というような投資を一社でできませんで、何社かが集まらなければできないのですけれども、それが小さな会社はこういう資本費負担はかなわぬということでキャンセルしたというものもあるし、これからレーガン政権下で原子力の開発促進の方向に政策を移したとしても、果たして原子力開発がアメリカで盛んになるかどうかはまだわからない状況だと思います。といいますのは、アメリカの電気料金が比較的安く抑えられていて、いまですら配当も十分できないというふうな状況なので、高い建設費を払って原子力に投資をするよりは、かえって石炭の方がいいとか、そういう事情もあるようであって、もし今後大きな発電所をつくろう、原子力でつくろうとすれば、料金をもう少し高くしないととてもやれないということもあったようでございます。いずれにしても、原子力が大変長期間かかって初めの投資額が非常に大きいということがやはり障害になっているかと思います。
 それから、軽水炉の耐用年数とか操業率の問題ですけれども、確かに初期の日本の軽水炉があるいは耐用年数が短くて廃炉になる可能性があるのかもしれませんし、ずいぶん建設以降大修理といいますか、あれに金がかかったことは事実でございますけれども、日本の軽水炉の場合には、たとえば西ドイツなんかと違って、軽水炉について基礎研究なり、特に原型炉段階での試験をやらないで、それでいきなり実用炉に入ったものですから、初期のものについてはいろいろ改良すべき点が多かった。あるいは操業率が低いとか、あるいは耐用年数が短くなるかもしれません。それはよくわかりませんが、そういう事情があったのであって、その点は軽水炉の開発戦略としてやはり反省すべきことであるかもしれません。しかし、そういった初期の炉が耐用年数が短くなるかもしれないということであって、いろいろコスト比較などで現時点で建設したらどうなるかというようなこととは直接関係はない。やはりいまから建設するものは、二十五年なり三十年なりの耐用年数を考えてやれるのではないかというように思う次第でございます。
 以上でございます。
#30
○参考人(室田武君) 余り時間もございませんので簡単に申し上げますが、最初に御提出の問題ですけれども、エネルギー収支の点から原子力の問題というのをちょっと考えてみますと、今日世界的に一番恐らく権威があるというふうにされているのは、アメリカの現在のエネルギー省の前身であるエネルギー研究開発局、ERDAが出した報告だと思いますけれども、その報告を基準にして考えてみますと、たとえば最初に一キロリットルの石油があるとして、その一キロリットルの石油の使い方として、それでウランの鉱石を掘って、核燃料をつくって発電所を建設して、それから電力を取り出す、そういうやり方と、その一キロリットルの石油を火力発電所の燃料として使う、その場合に同じ一キロリットルの石油からどちらがたくさん電力が出てくるか、そういう比較をやってみますと、ERDAの場合十三倍ぐらいしか出てこない。
 ですから、先ほど問題提起がありましたように、何か石油の二百万倍のエネルギーだとかいうふうに言われるのは、物理的な事実としてはそうでありますけれども、実際の技術的な中身としては、原子力によってどれだけ石油が有効に利用できるのかということを考えてみますと、発電という目的に限ってもせいぜい十三倍ぐらいということで、二百万倍という数字と全くかけ離れているということがわかってきたわけです。その十三倍という数字にいたしましても非常に問題が多いわけで、三十年間の耐用年数とかいろいろな仮定があるということで、比較的現実に近い形に計算をやり直してみるというふうにいたしますと、結局のところ、同じ石油が一キロリットル最初にあって、それを原子力にした方がたくさん電気が得られるのか、火力発電に使った方がいいのかという比較において、どうもどっちとも言えないというようなぐあいになってくるわけです。
 それで、特に放射性の毒物がいろいろ出てくるわけで、プルトニウムも含めて、そういったものの長期的な保管ということの技術がほとんど確立されてないわけで、判断のしようもないわけですけれども、ある程度の見当をつけて計算をしてみると、非常に長期な保管ということを考えると、同じ一キロリットルの石油から出発して、原子力の方が結局長期的には少ししか電気をふやさない、そういう結論も出てくるわけです。私はその辺の計算に興味がありましていろいろ勉強しているわけですけれども、石油を発電という目的のために、どちらが有効に利用できるかという観点から見ましても、原子力が有利という結論はどうしても出てこないという状況であります。
 そういった状況を打開するためには、増殖炉が完成してウラン235だけでなくて、ウラン238も使えるようにすればそういう状況は変わるだろう、そういった御意見もいろいろあると思うのですけれども、その増殖炉の問題にいたしましても、ウラン238がみんなプルトニウム239に変わって利用できるのかというとそういうことでは必ずしもないわけで、現在のところ、増殖炉の技術にとって必要なのは、再処理ということになるわけですけれども、その再処理ということである程度見通しがついているのは、軽水炉の使用済み燃料の再処理が何とかできるのじゃないかということがわかっているだけで、再処理後の核燃料をもう一回再処理する、すなわち再々処理ですか、そういうことをどうやっていいかという見通しはほとんどついていないわけですし、それから増殖炉でいろいろ使用可能燃料がふえるためには、今度増殖炉の核燃料を再処理しなければならない、そういう問題も出てくるわけです。
 そうすると、増殖炉の核燃料なんていうのは、いろいろな核分裂生成物がたくさんまざっていて、増殖炉の使用済み核燃料の再処理なんていうのはとてもできそうもないということで、現在のところ幾らかでも見通しがあるのは、とにかく軽水炉で一回使った使用済み燃料を再処理するということしかできない。そういうことでありますと、増殖炉を使ったら軽水炉の場合の六十倍とか、六十倍と言わなくても十数倍ぐらいウランの利用効率が高くなるという従来の考え方というのも、かなり大幅に修正しなければならないのじゃないか。その再々処理の問題、いろいろな形での使用済み燃料の再々処理ということが、事実上技術的に非常に困難でできそうもないという中で増殖炉を使ったところで、先ほど私が申し上げましたようなエネルギー収支の見通しというのは、余り変わりそうもないというような判断を持っているわけです。
 それから二番目の問題として、環境破壊とか労働者被曝にかかわるような費用が、必ずしもいろいろな電気代その他の形で反映されてないという問題に関連するわけですけれども、その辺のところで恐らく一番私自身が大きな問題だというふうに考えておりますのは、先ほどもちょっと触れましたけれども、現在の日本の原子力損害賠償補償制度の中で、民間保険で負担する分について非常に大きな免責条項がある。すなわち、原子炉が正常運転している際に起こった事故については民間保険が免責される。あるいは地震、津波、噴火による事故についてはこれも免責だ、あるいは十年以降の請求についても免責であるというようなことで、特に地震のことなんか考えますと、地震が免責されるという原子力保険というのは、世界中で恐らく日本だけだと思うのです。地震国であるということがわかっている日本で、地震が免責されるというような状況であったら、幾ら安全性がどうかというようなことを議論しても、何か技術的な議論に終わってしまって、なかなか普通の人がわかるような議論にならないという非常に大きな問題があると思います。
 特に日本の場合、一昨年ですか法改正がありまして、労働者被曝についても原子力損害賠償補償制度の方から賠償をするというような形に法改正がされたわけです。その点に関して従業員の被曝についても原子力保険が効くということは、非常に一見結構な話というような感じもするわけですけれども、よく考えてみますと、たとえば十年以降の請求ができないということでしたら、被爆した時点がいつだったかというのがよくわからない人が十年以降に請求しても、もうそれは民間の保険からは賠償金が取れないというような問題も出てくるわけで、そういった免責になるようないろいろな諸問題というのは、全部政府の補償金という形で支払われる、そういう形になってくると思うわけです。
 環境破壊のいろいろな問題についても、電気事業者と民間の保険会社との間で結ばれる契約によって必ずしも損害補償がなされない。政府の補償金という形で負担がなされるということになりますと、結局政府の負担というのは、よく考えてみますと国民一人一人が税金を通じてそれを支払うということで、十年以上も前に従業員が被曝して後で、十年後に気がついて賠償の請求をすると、ところが事業者とか民間の保険会社は責任を持たないということで、私たち国民が税金という形を通じてそれを補償するというようなことも十分将来予想されると。そんな点を考えますと、そういったいろいろな環境破壊要因とか労働者被曝の問題というのが、どうも現在の損害賠償補償制度の中で、いろいろな形での免責条項を通じて、コストの中にそういう要素を入れなくて済むような法体系になっているというような感じを持っているわけです。国会議員の先生方の前でそんな法律の問題を言うのはまことにおこがましい次第ですけれども、経済学者として考えてみますと、その辺に非常に大きな問題があるのではないかと思います。
 以上でございます。
#31
○委員長(細川護熙君) 川上参考人、時間が大分予定より過ぎておりますので、できるだけ簡潔にひとつお願いいたします。
#32
○参考人(川上幸一君) 吉田委員の言われたことは非常にたくさんの問題がございまして、どこにお答えしていいのかちょっとわからないし、私はかねがね原子力の問題というのは、もう少し時間をかけて一つ一つの問題を十分議論する必要があると考えておりまして、余り簡単にちょっと申し上げたくないのですけれども、ただ、若干先ほどから申し上げた中で、たとえば設備稼働率七〇%、三十年というようなことでコストが出されていると言われましたが、現在やはり出ている数字というのは、法定耐用年数の十五年と、設備利用率は一応原子力も石油も全部七〇%と同じ条件で評価しておりますが、
   〔委員長退席、理事亀井久興君着席〕
大体そういう数字、私が先ほど申し上げたような数字はそういう線で出ていると、ただ、設備利用率が落ちた場合の影響は当然ございますけれども、そういうことでございます。
 それから、非常に断片的になりますが、たとえばエネルギー収支が非常に低いのじゃないかというお話がございまして、これはお隣の室田さんとも若干議論したことがありますけれども、私はエネルギー収支論を原子力でやるということが、果たしてどういう意味があるだろうかということに疑問を持っております。これはある目的、たとえば先ほどおっしゃった環境破壊とか労働者被曝とか、そういうようなのを評価する点では確かに有用性があるように思うのですけれども、原子力全体のコスト評価をする場合に、エネルギー収支でやることはむしろ非常にこれは緩いんでありまして、むしろコスト評価の方がはるかに厳しいというふうに私は考えております。つまりエネルギーの支出だけを計上するのと、コスト評価、経済コストの評価というのは全部のかかったもの、エネルギーだけじゃなくて諸材料その他全部計上するわけですから、そちらの方がはるかに厳しい。だから、経済コストのむしろ議論をしていった方がいいのではないかというふうに考えております。
 それから、福島一号炉などの例をおっしゃいましたが、確かにそういう例があって、これは非常に問題でありまして、そういうコストはやはり長期的に見てペイされていかなければならないコストだと思います。そういう点で電力会社の初期の考え方が非常に甘かったと、研究開発費的なものがつまり後からかかってきたということでありまして、当然国民経済的には研究開発費と考えて、それは一体どのくらいの期間で、どのくらいの原子力発電がやれるようになれば、ペイされていくのかというようなことは、よく考えておかなければいかぬというふうに私は考えております。ちょっと大ざっぱな計算をしたこともありますけれども、三千万キロワットあるいはそれ以上にならないと、そういうペイされる見通しというのが出てこないのじゃないかというふうに私は思っております。
 ただ、三千万キロワットとか、それ以上の規模になるために、きょうは安全性の問題じゃございませんけれども、安全性という問題はあくまでコンセンサスがないと成り立たない問題でありまして、そういうコンセンサスを得るための必要な措置が十分に行われているかどうかという点については、私はまだ非常に疑問があると思いますので、そういうことをやはりやることがまず先決だというふうに思っております。
 以上です。
#33
○参考人(中島篤之助君) 時間もないようですから、なるべく簡潔に、申したいと思います。
 一つは、たくさんの問題をおっしゃいましたが、エネルギーが二百万倍出るんだという話は、これは確かに物理学上の話でございまして、実際には同じ出力の石炭の発電所と比べますと、原料で比べますと、現在の軽水炉を仮定しまして、これもその燃料の燃焼率がどのぐらいかというようなことをみんな仮定しなければなりませんが、ざっと石炭の二十倍ぐらいのものになります、計算してみますと。これはその程度のことだというふうに御認識いただきたいと思います。
 それから、コストの中での環境破壊と労働者被曝ということについてだけ、まず簡単に申し上げたいと思うのですけれども、これは非常に大事な問題でありまして、私は労働者被曝という形で被曝を認めていることだったら、原子力というものの未来はないだろうと思っておるわけです。ですから、原則として放射線下の労働というのは禁止すべきである、むしろそういうことを決めた上で、それが実行可能かどうかと言えば、これは現在進んでおりますメカトロニクスの技術、それこそ向坂先生がおっしゃったような意味での技術的挑戦がいろいろあるわけでありまして、現在やられておりますことは、最初に入ってきた非常に狭い格納容器をごくわずか改良して広くすると、それだけによっても労働者の被曝が減るという程度の頼りない、通産省のおやりになっている改良標準化というのは、われわれ技術者から見ますと理想にほど遠い、多少減るというようなことでは、やはりふえてきますと何にもならないわけでありまして、人間の福利のために開発するものが、放射線被曝を認めるということはこれはあり得ない。医療被曝その他でむしろ別の部分で放射線を浴びなければならぬことはふえてくるわけでありますから、私は原則として禁止すべきであると思っているわけです。
 この点で実は、環境破壊でもあり、一種の労働者被曝にもなる問題は、現在の核燃料サイクル全体の中で一番大きいのはウランの採鉱の部分なんですね。この問題が日本では国内問題ではなくて、発展途上国のつまり鉱山で行う、あるいはオーストラリアのところで露天掘りをやる、これを防ぐ方法というのは実は非常に、簡単でありまして、確実に一つは埋め戻しをすればいい。ただその場合でも、露天掘りに参加した労働者は被曝を起こしますから、これはオーストラリアでは大変な国民的論議を起こした問題でありまして、例の御存じだと思いますが、フォックスさんという最高裁の判事が委員長になって、フォックス報告という膨大なものをつくっております。この論文が一番よくまとまった環境被曝の評価の論文でございますので、機会があったら御検討くださるとよろしいかと思いますが、ともすると日本は先進国でありますために、発展途上国の労働者の犠牲の上にエネルギー産業をつくるというようなことだけであれば、これはもうたちまちエネルギー供給の将来がなくなるというぐらいに考えていただいて、やはり人道的な立場、あるいは広い意味の南北問題を解決するという立場から、この問題は取り組む必要があるんだということだけを申し上げたいと思うのです。
 一番まずい例では、戦争中に軍事利用ということでウランを採掘いたしまして、そのテーリングを大変いいかげんな処理をして、実はちょうどその上に小学校が建ってしまった。コロラド州というようなところで、ウランの鉱物のかすの上に小学校が建った。ちょうど東京でクロム問題というのがございましたけれども、あれよりもっとひどいことになって、それを、最近でもありませんが、数年前にアメリカの環境庁が、EPAが調査をいたしましてびっくりしたけれども、手の打ちようがないことになっては困るわけだということだけを申し上げておきたいと思います。
#34
○理事(亀井久興君) 向坂参考人には大変お忙しい中を御出席をいただき、まことにありがとうございました。先に御退席をいただいて結構でございます。(拍手)
#35
○高木健太郎君 時間もございませんから、一言ずつお尋ねいたしたいと存じます。
 まず室田さんでございますが、私も現代文明というものの行き先ということについては非常に関心を深くしている者でございまして、有限な資源、有限な環境の中に人類というものが自分の力をあくまで伸ばしていくということは、人類にとって果たしてどうであろうかということも考えております。しかし、人間はやがては死ぬものでございますし、人類もやがては滅亡するということはわれわれは知っていなければならぬと思うわけですが、それをどのような形にもっていくかということの方が重大であろう。また、エネルギーでなくとも、実はそれよりも前に私は食糧があると思うわけでして、現在も多くの人々が食糧の不足のために死んでいるということは、私たちよく知っているわけでございます。
 そういう意味で、室田先生のおっしゃることも大変よくわかるのですけれども、たとえば水車小屋の例を引かれましたけれども、そのような小さな単位でやるよりも大きな単位でやった方が実は経済的に成り立つのではないか。先生と逆の立場ではどうであろうか。その点をお聞きしておきたいと思います。
#36
○参考人(室田武君) その点は先ほど大木先生の方からも出た問題ではないかというふうに思うのですけれども、規模の問題でありまして、仮にいま日本に全然発電所がないというような状態を想定いたしまして、その中で出力が百万キロワットぐらいの発電所をつくる必要があるということで、原子力発電所をつくるかダムをどこかにつくるかということになったら、事によるとダムをつくる方がお金がかかるという可能性がかなりあると思います。ですから、非常に大きなものをどうしてもどんどんふやしていかなければならないという前提でしたら、さしあたってはそういうような判断ができるのではないか。
 ところが、そういう形で安そうだからということで、原子力発電所がたくさんできるということになってきますと、いままで日本に一基しかなかった状況から出発して、それが二十基、三十基というふうになっていった場合に、今度は非常に大きな土地の買収交渉それ自体にしても大変長引くというようなことで、インフレはどんどんその間に進んでいきますから、資本費が非常に高くなるというようなことに結局つながっていくということになりますと、やっぱりどんどん大きくしていくということは、さしあたっては、ある時点まではそれが非常にスケールメリットということで右利であるけれども、たとえば日本の海岸にもうすき間もないぐらい原子力発電所を立地するというようなことになったら、非常にそれが今度高くついてくるということだと思うわけです。
 ですから、やはりどの辺が適度かということになるわけで、そういう点で日本のエネルギー供給全体を考えてみますと、もちろん私のこれは個人的な見解ですけれども、先ほどの話とも関連して、大体昭和三十五年ぐらい、石油換算でエネルギーの総使用量が一億キロリットル相当ぐらい、そのくらいのところでかなり日本の環境というのはよく保全されていたし、食糧の自給も当時でしたら穀物の自給率だけとってみますと八三%ぐらいということで、かなりいい状態にあったのではないか。
 しかしながら、石油が非常に普及してきますと、その石油は幾ら埋蔵量があるということはわかっていても、だんだんなくなっていくということと同時に、なくなっていく一方で非常に便利ですから、いろいろなものが簡単に石油の力で国内あるいは国際的に移動できる。その移動の動力源として非常に便利なものですから、食糧なんかも日本でそんなにつくらなくてもいいというようなことで、石油の力をまさに利用して海外からの食糧をどんどん日本が取り入れるということで、いま穀物の自給率が四〇%以下ということで、いわゆる先進諸国の中でこんなに穀物の自給率が低いのは、日本だけという非常にお寒い状況になってきておるんです。
 ですから、石油が便利だから、それでどんどん物を移動していってどんどん日本で食糧がつくられなくなる。いま食糧不足というのは、アフリカあたりで起こっているような印象を持つわけですけれども、だんだんこういう状況が続いてきますと、おっしゃるとおり、まさに石油がどうこう言う前に、食糧ショックというようなことも起こりかねないような状況だと思います。
 そういう中で、やっぱり基本的にはエネルギーの消費をふやさないというような方向で、有限な地球の中でどういうふうにやっていくのかということになると思うのですけれども、いまのお話ですと非常に悲観的な、人間もいつかは死んでしまうんだからということですけれども、私は必ずしもそういうふうに考える必要はないのではないか。それはいつかは滅亡するかもしれないけれども、いままでの歴史を考えてみて、確かに一人の人間は長くても百年ぐらいたったら死んでしまうわけですけれども、それにもかかわらず新しい人間がまた生まれてくる。そういう生物には非常に不思議な定常性といいますか、そういうものがあるわけで、一つの個体が死んでもまだ新しい個体が生まれてくる。そういう連続性ということも一方で無視できないのではないかというふうに思うわけです。
 その場合に、なぜ一人の人間が死んでも、その後に新しい人間がまた生まれてくるのかということですけれども、それが基本的には石油のおかげでそういうことができているのじゃなくて、実は水があり土があるからそういうことが可能になっているというふうに判断しているわけです。すべての命の源は水にありというふうに言われますけれども、水がいろいろなものを浄化する働きをしている。それからいろいろな廃物が出てきても、それが放射性の廃物の場合はどうしようもないということで、それが一番大きな問題なわけですけれども、有機的な廃物の場合だったら土に分解されて、またそれを植物が摂取して人間の食糧になるという形で、水と土が保全されている限りにおいて、一人の人間は確かにいつかは亡くなるわけですけれども、また新しい人間がその土地の上で住むことができる。そういう連続性というものが一方にあるわけで、そのことを無視して、こういう議論をすると非常に絶望的なことになるのではないか、そんなふうに考えているわけです。
 一番人間の生活にとって大事なのは、石油をどれだけたくさん使うかということよりも、水と土がどれだけ保全されているかということで、日本の場合はエネルギーを少し使い過ぎて、水が汚染し過ぎて、だんだん土が少なくなってきているということがむしろ問題で、水と土の保全ということがいろいろな問題の基礎になるのではないか。非常に抽象的ですけれどもそんなふうに考えております。
#37
○高木健太郎君 どうもありがとうございました。何か石油ショックのときがいいあれであったからということでしたが、私はこれはやっぱり人間自身の問題で、そんなふうになれるかどうかということが非常に問題で、私もそれに悩んでいるわけでございまして、私も生理学者でございますので、その点を一番心配をして、大変室田先生とは私似た考えも持っておりますので、わざわざお聞きしたわけでございます。
 それじゃ次に、川上先生にお尋ね申し上げますが、私ここに、一方は通産省の公益事業部の方からいただいたものです。一方はある電力会社からいただいたものです。このデータを見ますと、先生のおっしゃったこととほとんど同じでございまして、大体こんなところだなという気がいたします。ただし、この二つがかなり違う面もございまして、そういう点をどのようにお考えになるか、そのことをちょっとお伺い申し上げたいと思うわけです。
 たとえば一方のこちらの方ですけれども、石油火力だけを取り上げてみますと、送電端の発電原価というのが、石油で言いますと十七円から十八円・キロワット・アワーで、原子力の方は八ないし九円・キロワット・アワーです。割合でいいますと、片一方が八割としますと、片一方が二・五割ぐらい。ところが、もう一つの電力会社からいただいたものを見ますと、原子力の方がキロワット・アワーが大体十五円ぐらい。片っ方が二十九円ですから、これは二倍になりませんが、こちらの方も大体二倍ですかね。だから大体同じかもしれません。この程度に合っている。私は違っていると思って御質問しようと思ったのですが、大体こんなところが普通試算されている勘定でございましょうか。それをまず第一にお伺いしておきます。
 それから、先ほど中島先生からもお話がございましたけれども、原子力の燃料の単価というものの中には、精鉱とかあるいは濃縮、あるいは成型加工、再処理というものが含まれて、それを一〇〇として考えておりまして、再処理には四五ぐらいかかっておる。一〇〇のうち四五、精鉱が二〇、濃縮が一五、成型加工が二〇、大体こんなものでよろしゅうございましょうか。それをひとつお聞きしておきたいのです。
 それから三番目には、先ほどお話しのように、耐用年数が大体これでは十六年ぐらい、十五年とか十六年とか書いてございますので、これも先ほどおっしゃったのと大体似ております。この耐用年数を全部入れて計算をしますというと、原子力の方がキロワット・アワーが十六円でございますが、石油の方は四十九円で、石油の方がかえって高くなっておるわけです。火力の方が結局高いということになっておるんですが、その点どんなふうにお考えでございましょうか。大体こんな数字でよろしゅうございましょうか。その点をひとつお伺いしておきたいと思います。
#38
○参考人(川上幸一君) いまおっしゃった通産省の方の数字と電力会社の数字と単価が非常に違っておりますけれども、恐らくその前提条件が違うと思います。つまり、いつごろ運開する原子力のコストを計算しているのかですね。
#39
○高木健太郎君 こっちの通産省の方は五十五年で、こっちは六十年です。
#40
○参考人(川上幸一君) そうですね。先の方にあれになりますと、エスカレーションが入ってきて、単価としては大きな数字が出てまいります。それからいろいろ実績を出したやつもありますし、いろいろありますので、それはちょっと区別して見ていただいた方がいいと思います。ただ、石油との相対比というのは、先ほど私も申し上げましたように、簡単に言うと一対二といいますか、そのくらいの数字になっていることは事実でございます。
 それから耐用年数の話で、全部入れたらとおっしゃいましたが、法定耐用年数じゃなくて三十年という意味でしょうか、三十年間というような計算をすると……
#41
○高木健太郎君 原子力の方が十六年、火力十五年、水力四十年というような形で計算してあるわけです。
#42
○参考人(川上幸一君) どちらがそうなんでしょうか。
#43
○高木健太郎君 原子力の方が十六年です。
#44
○参考人(川上幸一君) いやいや、二つの数字をお比べになりましたけれども……
#45
○高木健太郎君 原子力がキロワット・アワー十六円。それから石油火力の方は四十九円。
#46
○参考人(川上幸一君) ですから、それはいま申し上げたようなことで、運開年度の問題が一つあるということですね。
 それから法定耐用年数じゃなくて、仮に三十年で計算したらどうなるかというのは、これは原子力の場合はまだ耐用年数がどのぐらいもつだろうかということは、これは実証されておりませんので、はっきりしたことは申し上げられませんが、仮に十五年以上、二十年とか三十年原子力が運転できるということになりますと、資本費が原子力の場合高いですから、資本費が償却されてしまって、十五年、十六年目からはほとんどゼロに近くなると、ゼロにはなりませんけれども。そうなるとその段階では非常に原子力が安いということはこれは言えると思います。ただ、そこまで原子力がもつかもたないかというのは、まだちょっと実証されているという意味ではちょっと言い切れないということでございます。
 それから燃料サイクル費の比率は、いまおっしゃったような多少の変化はありますけれども、特に石油と同様に、原子力の場合もウランコストとかあるいは濃縮料金とか、そういうのが非常に変動しております。したがって、若干その比率が動きますけれども、大体おっしゃったようなところで考えていただいていいだろうと思います。
#47
○高木健太郎君 じゃ時間もございませんから、中島先生にお伺いを申し上げます。
 私も二期ばかり学術会議の方におりまして、あるいはお会いしたかも存じませんが、わざわざおいでいただきましてまことにありがとうございました。
 いま核燃料の方はアメリカからいただいているということでございましょうが、うわさに聞きますと向こうでは軍事用にそういうものをやっている。その途中でできるものを出しておって、何かがあればこちらにはストップすることがあり得るかもしれない、そういう話を聞きましたが、そういうことを先生御存じでしたらちょっとお聞かせ願いたい。
 それから、日本では実際に濃縮ウランをつくる設備なり、それが将来できる原発に対して十分供給し得るようになる、そういう見込みはいつごろ、どれぐらいでしょうか、ひとつお聞かせ願いたいと思います。
#48
○参考人(中島篤之助君) 濃縮ウランの問題でありますけれども、アメリカには三つの大きな濃縮工場がございまして、オークリッジとポーツマスとそれからパデューカですか、三カ所に大きな工場がございます。濃縮ウランの工場の能力をはかりますのに、分離作業単位という単位、ちょっとやっかいな単位を使うのですが、それでアメリカの供給力が一万七千トン分離作業単位あるというふうに言われておりまして、これは現在でも、独占は揺らいできておりますけれども、世界で一番大きな供給力でありまして、実は世界の原子力発電でアメリカの軽水炉が主流を占めた原因というのは、アメリカは兵器開発でつくり上げた濃縮ウラン工場をバックに、それで濃縮ウランの供給保障をしたということが市場競争で勝った理由でありまして……
#49
○高木健太郎君 これは年間。
#50
○参考人(中島篤之助君) 年間です。年間一万七千トンです。そういうことであります。これはですからたしか一九七三年からだったと思いますが、原子力発電を世界じゅうにアメリカの大企業が売り込んだわけでありますが、それに伴って濃縮ウラン工場の運転態様が、それまでは三つの工場をばらばらに動かしておったのですけれども、それを連結して供給できるような操業に切りかえたということがございます。それをどういうやり方で動かすかというのはDOE、アメリカのエネルギー省のそのときそのときのポリシーで決まるわけでありまして、これは少し専門的になって恐縮ですが、たとえばウランの資源の方が高いときにはいわゆる資源を節約するように動かす。それから少し工場の効率を上げたいときには、ウランの資源のロスをしてもいいからそういうふうに動かすと、つまり、完全にしぼり取らないで期を少したくさん残した形で廃棄物にするというような形で動かすことで、大分効率が変わってくるわけです。
 そういうやり方をいろいろいたしますが、とにかく日本は日米原子力協定によってその供給を受けるということになっているわけで、それを前提にして原子力発電が進められているのだと思います。それでは余りにアメリカ一辺倒ではないかということで、自給するのだということで実はおやりになっているのですけれども、実際考えてみますと、動力炉・核燃料開発事業団という政府の事業団がございますが、それが岡山県の人形峠に遠心分離法という、これはアメリカの方法とは違った方法の濃縮ウラン工場をいま建設しておりまして、全部でき上がりますと、たしか七千台の遠心分離機が入りまして動くことになりますが、その工場の規模というのは年間五十トンSWUという単位でありますから、先ほどの一万七千トンと比べますといかにも小さいものである。それで、そこから出てくる三%程度の濃縮ウランをもし百万キロワットの原子力発電所に供給するとしますと、半年分の燃料にしかならない程度のものでございまして、とても自給するというようなことができるものではないのです。
 私が非常に心配しておりますのは、ところがその工場をもし軍事利用するということになると、これはかなりの量の核兵器を生産することができるということは技術的な事実でございまして、そういうことがないような歯どめを何かつくる必要があるのではないかということを、私どもは大変心配しておるわけでございます。
 そんなことでよろしゅうございましょうか。
#51
○高木健太郎君 先生のお話だと、まだまだ問題になっている点が多いので、そうあわててやらないでじっくり研究と同時に進めながらやったらどうだと。私も、まだまだ問題はたくさん残っているだろうけれども、石油の今後の見通しをこういうプリントで見ますと、大体一九九〇年には八百万バレル・パー・デーという値が出ているわけですね。これを何とか補わなければならぬというようなことから、一つはこれが出てきたんだと思うわけです。
 ところで、通産省から出ておるいわゆる長期の需給見通しという表をごらんになったかと思いますが、先生のお考えですと、こういうものでも早過ぎるとお考えでしょうか。こういうものに対してもしも先生の御意見があれば、それに対してコメントをいただいておいた方がいいのではないか。これからどういう順序で進めていくのが最もいいとお考えなのか。いやもう原発なんというのは全然考えぬ方がいいと、何か太陽熱でも考えた方がいいと言いますけれども、太陽熱なんというのは、やはり私は非常に少ないものじゃないかと思うわけです。
 そういう意味では、これはやむを得ずそういうことをやっていかなければならぬ。だから、少しは冒険的なところがあってもいまから準備しておかなければ、一つ建てるのに十年とか十五年かかるということですから、急いでやっているという面もおると思いますけれども、いわゆる研究開発とそれから実際に建てるのと、どういう形で今後進めていったらよいか。これは中島先生と川上先生の御意見、両方お伺いしまして私の質問終わりたいと思います。
#52
○参考人(中島篤之助君) 大変大きな問題でございまして、一言ではお答えしにくいのですけれども、時間もございませんから。
 実は私、きょうまで学術会議の総会がありまして、また今期はエネルギー・原子力特別委員会というのが実はきのうできまして、やはりまたその幹事をやらなければいけないわけですが、そこでやっておりますことは、学術会議というのは調査権、調査費もないわけですが、しかし、いろいろな立場の方が自由に議論をするということで、エネルギー問題を考えておるわけです。これについては昨年でしたか、政府の方でエネルギー総合研究開発機構をおつくりになったときに申し上げたのですが、学術会議の方では政府に対しまして、エネルギー問題を何か総合的に考えるまず研究センターをつくってほしいということを申し上げているわけです。
 そうしませんと、向坂先生もうお帰りになっちゃいましたが、ちょっとおっしゃったように、エネルギー問題の一番むずかしい点というのは、石油が幾らあるかというような肝心なことについて一番よく知っている人が言わないということであります。というのは、価格についても、たとえば国際原子力機関が一九八五年には九十ドルに石油がなるだろうというようなことを言えば、これはパニックが起きるから言っちゃならぬということで言わないでいるうちに、本当は幾らかわからぬというような、そういう問題がエネルギー問題の非常に困難な点でございまして、それで、なかなか国民が本当のことを知り得る機会というのは、非常に少なくなっていると学術会議も考えております。しかし、そうは言っていられないので、学術会議として言うべきことは、そういう総合的な研究センターを、社会科学者も含めたそういう研究センターを、まずぜひ実現してほしいということを十一期のときに勧告として申しておるわけです。
 それで、先生御質問の需給バランスですか、見通しですね、これは私、経済学専門でございませんので、そう詳しく見ているわけではありませんけれども、われわれの委員会でも議論になりまして、つくった人も本気に実現するとは思ってないのではないかという雰囲気であります。これは、たとえばそれを個々にいろいろな方をお呼びしまして御意見伺いましても、たとえば地熱の達成目標が本当にできるということになると、これはえらいことになっちゃうとか、原子力にしましても、これはつじつま合わせでどうも数字をお入れになっているのではないかとかいうようなことで、そういうことにどうもなって、まあ政府としては、通産省としてはお立場があるので、需要増が見込まれるところにこういうふうにつくらなければならぬということで、数字を合わせなければならないわけですけれども、われわれから見ておりますと、多少自由な立場で見ておれば、それは相当無理ではないかと、私もそう思っております。
#53
○参考人(川上幸一君) 通産省の数字というのは、やはり一つ目標数字として出ているわけですけれども、原子力というのは通産省なり電力会社が計画をしたからそうなる、そのとおりやれるというもう時代では全くないわけで、やはり原子力の立地というのは地域問題である。基本的に地域の問題だと、地域の将来がどうなっていくかという、そういう問題であるわけですから、そういう意味で果たして地元の同意が得られるような施策が十分に出されるかどうか。そこに原子力発電が進むかどうかということにかかっていると思いますので、無理をして、つまりどうしてもこれだけの数字が要るというような進め方をすることは、決して賛成できないということでございます。
 それからまた、現在の進め方は、結局、現在もうすでに一基なり二基なりあるようなサイトに増設をしていくということで進んでおりまして、新しいサイトがふえていくというようなことは、まあ一つか二つはあっても、ほとんどない状態で、そういう進め方でいきますと、仮にキロワット数がふえましても、もう早晩行き詰まることは目に見えているわけであります。その辺を一体どうしていったらいいか。
 たとえば、公聴会の問題にしましても、アメリカの公聴会あるいはドイツの公聴会その他と比べますと、二日間に限定して公聴会をやるというようなことは、これは公聴会ではないわけで、十分にやはり議論をする。たとえばアメリカなんかじゃ半年かかるというのが普通でございまして、それだけやはり議論をして、それで電力会社の方のデータとか調査結果とかそういうものと、それから住民の側から出てくるいろいろな意見あるいはデータ、そういうものを十分突き合わして、そこでやはり一つのコンセンサスをつくっていくということでやりませんと、公聴会というものは全く本来の公聴会ではないというふうに私は思います。
 だから、まずそういうことを少し時間をかけてきちっとやっていくということが必要なんであって、当然私は時間がかかると思います、原子力は、だから、努力はしていくべきだと思いますし、日本のエネルギーの将来というのは、特定のエネルギーだけでやっていけないのが日本の現状でありまして、いろいろなほかの代替エネルギーについての努力も必要でありますし、その中の一つとして、やはり原子力についても国民にアクセプトされるようなものにしていく、そういうことで努力すべきだというふうに考えております。
 以上です。
#54
○高木健太郎君 どうも貴重な御意見ありがとうございました。
#55
○市川正一君 私は日本共産党の市川でございます。
 きょうは長時間ありがとうございますが、まことに、残念なことに私の持ち時間が非常に短いので、問題をしぼってお聞きせざるを得ないということを御了解いただきまして、まず中島参考人にお伺いをしたいと思います。
 原子力発電の現状は、原子炉それ自体の安全性はもとより、それだけではなしに使用済み核燃料の再処理、各レベルの放射性廃棄物の処理あるいは処分の問題など、技術的にも未解決の問題を抱え、システム全体としてもまだ未完成の技術ではないか、私はそう考えております。したがって、現状ではきょう主題になっております経済性云々というような段階ではない、あえて私はそう認識しているところでありますが、そこで伺いたいのは、第一に、先ほども少しお触れになりましたけれども、放射性廃棄物の処理処分の問題点と今後の見通しはどうなのか。
 第二に、再処理の問題でありますが、東海村の動燃事業団の再処理工場がトラブル続きで現在操業を停止しているようでありますが、この再処理の問題点と今後の見通しはどうなのか。
 私は、これらの問題は経済性そのものにも直接かかわる問題でありますし、また、先ほど大木委員の質問に答えて向坂参考人は勇ましくも挑戦型でありたい、こうおっしゃったのでありますけれども、これは科学の問題でもありますので、この点もう少し立ち入ってお伺いしたいというふうに思います。
#56
○参考人(中島篤之助君) まず、放射性廃棄物の処理処分という問題でありますが、私は原子力研究所ができましたときから原子力研究所におるのですけれども、最近この問題が学術会議などで問題になりまして、われわれの同僚の科学者からまず最初に聞かれるのが、もう二十何年もたっているのに、どうしてこういう問題をやってないのかという大変厳しい意見が出るわけです。これは決して何といいますか、処理処分の問題が大変だということをわれわれが知らなかったわけではなくて、二十五年前からやはり大変だというふうに思ってはおったんですけれども、しかし、そのころのは廃棄物と申しましても、研究用原子炉の廃棄物であるとか、それに伴って出る低レベルの廃棄物、あるいはアイソトープを医療用その他で利用する、あるいは研究用に利用したものが廃棄物というものでありましたが、七〇年以後原子力発電が大量に始まってからこの問題が非常に深刻な問題に変わったということは言えるわけです。
 それで、しかし根本的にこの問題がやられなかった原因というのは、実はやはり軍事利用にあるわけでありますが、その前に、まず放射性廃棄物は、大きく分けまして非常に放射能の強い、しかしかさはそんなに大きくない高レベルの放射性廃棄物と、それから放射能のレベルとしてはそう強くはないのだけれども、非常に膨大な量のいわゆる低レベル廃棄物、その二つの問題に分けることができます。それで、いまいろいろ海洋投棄等で問題になっておりますのは、いわゆる低レベルの放射性廃棄物の問題であります。しかし原子力発電にとって一番本質的な問題は、先ほど川上参考人も言われましたように、高レベル廃棄物の処理処分が果たしてできるかという問題でございます。
 それで、実はこの問題がいままで解決しなかった根本原因は、やはり軍事利用にあったわけでありまして、一番大量の高レベル放射性廃棄物を抱え込んでおります国はアメリカでございまして、カーターのブレーンが書いたと言われておりますマイター報告にその経過が出ておりますけれども、マンハッタン計画で原爆をつくって以来、一九七六年までに米国内に蓄積された高レベル放射性廃棄物の量は八十万立米に達するというふうに書いてございます。しかも、毎年二万立米ずつそれが追加される。その八十万立米のものがどういうふうに保存されてきたかと申しますと、要するに鋼鉄製の大きなタンクに入れて、ただ保存をされてきただけであります。
 そういう問題でありますから、これが三十年近くたちますと、タンクが事故を起こしまして、高レベル廃棄物の汚染事故というのがもうあちこちで起こっている。これは最近さあ大変だということで、深刻な環境問題でありますから、新しいタンクをつくって移しかえをしておるというような状況にあるわけです。それでは金もかかるし、どうしようもないというので、今後は溶液のままでタンクに貯蔵することはやめようという政策を、たしか一九七三年ごろ出したと思いますが、当時の原子力委員会が出したのですけれども、その場所としましては、カンザス州のライオンズというところに大きな岩塩鉱がございます、そこへ適当な方法で固化して固体廃棄物にして処分をするのだという案を出しまして、ジュネーブの原子力平和利用会議などでも大変華々しく発表したのですけれども、その後、岩塩鉱が必ずしも何といいますか、廃棄物の処分場として適当でない。つまり、そこから放射能がたとえば結晶水なんかを伝わって人間環境にリークする可能性があるということが指摘されて、この計画は一回たな上げになりまして、現在はとりあえずいわゆる工学的貯蔵設備と申しますが、地上にコンクリートピットをつくって置いておく、そういうようなことをやっておるという状況でございます。
 この問題で処理処分と申しますが、処分というのは、つまりもう回収をしないでどこかに捨てちゃうということなんで、処理と申しますのは処分に適するように適当な形に変える、たとえば、さっきからお話に出ておりますがラス固化をするというようなことが処理でございます。この処理方法としても幾つかの方法がありますが、原理的なことではなくて、いま一番世界で進んでいるんだと言われているのが、実はフランスのラアーグ、フランスがずっとやっておりました普通の硼珪酸ガラス、こういうガラスと同じ組成の中に、高レベル廃棄物の固形化したものを溶かし込むわけです。それで保存をするという方法が最も実用性があるものというふうにされておりますけれども、しかしこれも完全でない。科学者の間ではいろいろな批判があるという状況でございます。
 それから、今度最終的にどこに処分するかという問題につきましても、これは非常にたくさんの提案がありまして、たとえば宇宙へ飛ばしてしまえばいいとか、南極の氷に入れたらどうかとか、いろいろな提案がありましたけれども、結局、いま最終的に残ったと申しますか、現在の科学技術のレベルで考えられる技術としましては、地中処分であるということであります、地層処分ですね。
 これは最近、国際学術連合という組織がございまして、これは日本学術会議も加盟している団体でありますけれども、その国際学術連合がワーキンググループをつくりましてこの評価をやる。つまり、どういう処分方法がいいかという評価をやる。これが大変おもしろいんでありまして、政府レベルではいろいろなことをやっているけれども、これは結局どうも信用されない。だから、いわゆるノン・ガバメンタル・オーガニゼーションと申しますが、つまり非政府組織、国連にそういう組織がございますが、そのNGOのレベルでやった方が、科学者の意見は尊重してもらえるだろうということで、作業を一年ほど前から始めておるというような状況で、まだその結論は出ておりません。
 ただ、取り上げている内容が、一つは地層処分であり、それからもう一つは海洋底処分ということを検討することになっております。それからもう一つは、その二つの処分方法についてのいわゆる放射能汚染の経路の研究ですね、パスウエーのアナリストをやる。この三つのワーキンググループができていま仕事が進行している。どういう結果が出るかまだわかりませんけれども、そういう状況でございます。
 それで、つまりまだわかっておらないんだ、見通しも立っておらないんだということを申し上げたわけですが、日本ではさっき私申しましたように、やはり地層処分の方向を考えていらっしゃるわけですが、これは自然科学者の立場から申しますと、実は高レベル放射性廃棄物の処理処分というのは、完全に放射能がなくなるまで、もしヨード129というような一番寿命の長い放射性核種まで考えますと、一千万年ぐらい考えなければいけない。非常に短い場合、ストロンチウム、セシウムなんかだけでしたら千年くちい管理しなければいかぬ。プルトニウムなんかだったら数十万年管理が必要であるというようなことになるわけです。
 そうすると、これはもうだめではないかというふうにお思いになるかもしれませんが、今度は地質学的に、それじゃ一千万年以上安定な地層は地球上にないかというと、これはあるわけなんです。ただ、現在はそういうことで放射性の廃棄物の処理処分を決めているのではなくて、ちょうど公害と同じでありまして、発生したら国が自分の責任で始末をするという、これは政治上の原則だと思います。これは自然科学上の原則ではない。ですから、世界的にはそういう場所があったとしても、日本では結局、わが国内で探すということになりますと、プレートテクトニクスといいますと、太平洋プレートが大陸の周辺を押しているという非常に複雑な地層にあるわけでありまして、適当な処分地を探すことは非常に困難である。もう初めから大体無理ではないかと申し上げていいぐらい困難な状況にある。だから、できれば世界平和が実現して、そういう安定な国にそういう処分を、安定な地層を探しておくことができるようになれば、そういうことは科学的には全く可能だと私は思っております。
 長くなりますから、それはその程度にいたしまして、再処理の今後の見通しということでございますが、実はいま申し上げた放射性廃棄物の処理処分というのは、ピュレックス法と申しまして、使いました原子炉の燃料を一回ばらばらに壊して酸に溶かしまして、そこからいわゆる放射性の核分裂性物質を分離して、抽出したものをガラス固化するわけです。
 最近、わが国の再処理工場でいろいろなトラフルが起こっておって、操業停止しておるわけですけれども、これはいままでの再処理技術と申しますのは、端的に申しますと、余り原子炉で核燃料を燃焼させないで、つまり比較的短時間照射をいたしまして、そして再処理工場へ持ってまいります。それはなぜかと申しますと、長時間原子炉の中に置きますと、プルトニウムの239のほかに239から24〇という同位体ができてしまう。これはいままでは核爆弾の材料としては望ましくない性質を持っているんだということで、軍用のプルトニウムの場合には、なるべく短時間照射をして原子炉から取り出して、処理するという方法に対応してつくられた再処理工程が基礎になっております。ところが、商業用炉ということになりますと、これはもう一日でも長く入れてエネルギーを発生させた方がいいということになりまして、実はどんどん燃焼率を伸ばすということになってまいるわけです。
 それで、いま起こっているトラブルは、私の考えでは、軽水炉の燃料でありますが、非常に燃焼率の高い酸化物燃料がたとえば動燃で起こっております事故では溶解しない、あるいは一回溶解しても原因不明の原因でパイプを詰まらせるというようなことが起こってしまっておるわけです。これは現在の再処理方法というよりも、工場ということから申しますと、本当は化学工場でありますから、わかっているものしか扱ってはいけないわけなんですけれども、実はいままで経験のないものを、つまり技術的に言えば未経験のものをできるものとして扱っているというのが、私はトラブルの一番大きな原因に狂っているというふうに考えております。
 同様な事故が日本だけではなくてラアーグでも起こっておりまして、ただこれはフランスの場合、大変情報統制が厳しくてなかなか本当のことがわからないのですけれども、フランスで二番目に大きいCFDTという原子力関係の労働者や技術者で組織している労働組合の発表した資料によりますと、かなり深刻なトラブルが起こっておりまして、二つあるプラントのうちで一つの、つまり軍用といいますか、あるいは照射率の低い、燃焼率の低い燃料を処理している工場では余りトラブルがなくて、一応四百トン・パー・イヤーという能力で操業しているけれども、軽水炉燃料の方はほとんどとまっている。とまっているといいますか、年に八十トンとか百二十トンとかまだ試験段階である、そういうような状況であります。
 ですから、先ほどたしか室田参考人がおっしゃいましたが、将来の高速増殖炉の燃料の再処理はおろか、いまその辺のところでまだまごまごしているというのが残念ながら実情だということでございます。
#57
○市川正一君 これで最後でありますが、御三方に簡単にお伺いしたいのでありますが、もともと原子力技術というのは、先ほどお話もありましたが、軍事技術として発達してきたという経過もございます。現に、先般アメリカのポラリス型原潜による当て逃げ事件というような事態も発生しておりますけれども、現実に軍事的に利用されている。いまお伺いしたように、原子力発電システム全体としてまだ多くの問題がある。かつまた、核兵器との関連でも問題を持っている。こういう中でのわが国の原子力開発のあり方そのものについて、私はいまや根本的な再検討が求められているのではないかと、こう考えるのでありますが、この点向坂参考人にもぜひお伺いしたかったのでありますが、お帰りになりましたのでまことに残念でありますが、御三方の御意見を簡単に結論的にお伺いできればまことに幸いであります。室田参考人からひとつ承りたいと思います。
#58
○参考人(室田武君) 原子力利用に関してですけれども、私の考えでは、どうやら原子力利用というのは必然的に、それを軍事に利用するにしろ平和的に利用するにしろ、最終的にはむずかしい言葉で言えば、核分裂生成物ということになりますが、一言で死の灰ができると、それから死の灰につけ加えてプルトニウムも発生するということが一番大きな問題だと思います。先ほども少し申し上げましたけれども、人間のいろいろな活動が何か水に流せたり土に返すことができる、そういう限りでは確かに幾ら使っても問題はないわけですけれども、原子力利用の場合には、どういうふうに利用するにしろ最終的に水にも流せない。それから土に分解してもらおうと思っても、土が分解する能力を全く放射線毒物の場合持っていない。そういう生物に、とって基本的な困難と申しますか、そういう点があるということを考えますと、どういう形にしろ人間がそれを使いこなすというのは無理なんじゃないかと、そういう判断をしておるわけです。
 その点に関しまして、いやそうじゃなくて、現在核分裂型の開発を進めていく中で、知識を集積して核融合が成功すれば全く話が別になってくる。というお話もいろいろあるわけですけれども、その核融合のためにも、基本的には最初に核分裂型の発電で、たとえばいろいろなタイプがあると思いますけれども、一つのタイプでトカマク型の核融合炉というようなものを考えますと、結局そのために最初にトリチウムのストックがかなり必要だと、そのトリチウムは結局普通の核分裂型の発電所をつくって、その中で死の灰の一部という感じになると思いますけれども、そういうどうしても放射性の毒物ができてしまうような過程の中で、初めて核融合の燃料も提供可能になる。核融合やれば当然中性子がたくさん出てくるというようなことも含めまして、核融合にしても結局核分裂型の原子力利用と大して変わらない、あるいは規模が大きいだけにもっと危険かもしれないということで、どうやらそれが水に流せない。
 水に流せないというのは、よく悪い意味で使われて、悪いことを水に流しちゃうという意味で言われるわけですけれども、私はむしろいい意味で水に流せるようなことというのは、もし水に流せたら非常に結構だと思うのですけれども、水に流せない、それから土に返せない、その辺の原理的な問題をはらんでいると思いますね。人間が手をつけない方がいいタイプの資源だと。先ほど資源の質ということを申し上げましたけれども、
#59
○市川正一君 私、いまの原子力政策のあり方についてということなんで、それに即しておっしゃっていただけば結構です。
#60
○参考人(室田武君) はあ、そうですか。
 だから、そういう問題点をはらんでいるために、開発をいますぐあしたからやめると言われたら失業問題になるわけですけれども、それを縮小していく、最終的にはなくしていくというような方向で、いろいろな経済政策その他準備していくということが必要なんじゃないかと、政策的にはそういう判断をしておるわけであります。
 それで、原子力があるということは、すでに石灰、石油たくさん使っているわけで、それもやっぱりふえていくという前提の中で原子力もふえていくというのが現在の状況でありまして、本当に石炭、石油がなくなってしまったら、原子力発電というのはできなくなるわけですね。石炭、石油があって初めてウランの採掘なりいろいろなことができて、発電所も建つわけです。ですから、石炭、石油がなければ原子力が一番最初に動かなくなるということは火を見るより明らかでありますが、そういう観点からいきますと、それを減らしていくと同時に、エネルギー全体もそれほど無理をしてふやすということよりは、かなり減ってもいいのじゃないか。
 目安としては、現在の日本のエネルギー使用水準というのは、石油換算四億キロリットルというふうに言われておりますけれども、それを極端に減らして四分の一まで持っていくということがもしあったとしても、それでも決して非常に生活が不便な状況になるかというとそうではなくて、実は現在の四分の一というのは一九六〇年でありまして、その一九六〇年には、よく私申し上げるのですけれども、ちゃんと自動車にも乗れたし電車も走っていた、飛行機もある程度飛んでいたということで、決してエネルギーの使用量がある程度減るということが、国民生活にとって何か決定的な障害になるということじゃなくて、むしろかなりいろいろな形での公害が減って環境がよくなる、あるいは子供にとって住みやすい社会ができると、そういう観点から言ったら、はるかにある程度減るという方が望ましいのじゃないか。
 世界的ないろいろな議論としても、たとえばアメリカの有名な学者でニコラス・ジョージェスク・レーゲンというような、非常に保守的なこの方は学者ですけれども、そういう非常に保守的なジョージェスク・レーゲンのような学者が、現在のようなエネルギー消費というのはむしろ減らす方が望ましいと、そういうような意見を述べて世界的にも注目されております。そういうような時代に入ってきているのじゃないかと、そんな判断をしているわけでございます。
#61
○参考人(川上幸一君) 日本の原子力政策をどうするかというのは非常に大きな問題で、私どもそういう質問は非常に困る方なんですけれども、先ほどから申し上げているように、やはり国民のコンセンサスを得ながら進めていく。そのために一体何をしなければいかぬかということが、当面の問題であろうというふうに思います。私はある研究会で立地関係、地域問題について検討したのに参加しておりまして、それの勧告みたいなものもできておりますけれども、どういう社会的なシステムというか、あるいは法制的なシステムをつくれば、地域の合意が得られていくだろうかということについて若干意見もございますけれども、簡単に申し上げるわけにもいかないので、そういうことだけをちょっと申し上げておきます。
 それから、先ほどから核兵器との関連の問題がよく出ておりまして、私何も申し上げておりませんので一つだけ申し上げますが、確かに軍事利用から生じてきた技術であることは事実です。つまり、軍事利用の方が先行してその後に平和利用、これは政治的な問題、政治的な状況でそうなったということで、ただそういう原子力みたいな非常に強いパワーを持った技術というのは、昔から軍事にも利用され平和にも利用されということになってきているので、私はやはり基本的には人間の問題である。つまり、それを軍事に使うか平和に使うかというのは人間の問題だと、やはり現在核軍備競争というのが続いているという状況が一番悪いということだと私は思います。
 ただ、その辺でちょっと御意見が違うかもしれませんけれども、つまり、核兵器とのつながりがある、あるいは潜在的に核拡散の可能性があるということのために原子力の平和利用、原子力発電をやっちゃいかぬという議論は、私はちょっと問題があると思っております。つまり、そういうことで仮定的な話ですけれども、平和利用がいかぬと言われるのは、実はその根本にある核軍備競争みたいなものの責任を、何か原子力発電が問われているような形になりまして、仮に原子力発電をストップしても、その後で核兵器の方、つまり核軍備競争みたいなものは依然として続いていくということでは、これはやはりちょっとおかしい。
 特に日本の原子力開発の始まったときの一つの合意というのは、やはり原爆の被爆国である日本が一番平和利用をやるべき立場にあるのじゃないか、平和利用をやっぱり育てようという一つのあれがございましたし、その後の進め方が全部よかったと私も思いませんけれども、何とか平和利用というものはやはり育てていかなければいかぬ。いろいろむずかしい問題はありますけれども、それを何とかやっていかなければいかぬというふうに思っておりまして、核問題について実際的に考えますと、現在の国際原子力機関、あるいは核防条約、NPT体制というものをやはり広げていく以外にないと。NPT体制というのは確かに不完全ですけれども、現在百何カ国がそれに参加しているということは、それに対してやはり各個の期待が集まっている、何とかNPT体制を確立していこう、それによって核拡散を防ごうという各国の願望みたいなものがそこに表現されているのだと思いますので、それをなるべく十分なものにしていく努力をすべきだというふうに思っております。
 以上です。
#62
○参考人(中島篤之助君) 時間もないようですので簡単に申したいと思いますが、私はやはりいま市川さんがおっしゃったように、根本的に再検討すべきであろうと思っているわけです。
 いまの日本のいろいろなたとえば立地が困難になった原因等々も、結局、未完成の技術であるアメリカの軽水炉を、経済的にも技術的にも実証済みだというふうに考えて導入をしてしまった。してしまいましたから、これをただやめればいいと言っても、もう放射性廃棄物は日本に相当の量だまってしまっておりますし、国民の安全という立場から仮にやめることをいまとったとしましても、これをどうするかという重大な問題がすでにもう起こっているわけであります。
 いずれにせよ、それをどうしていくのかというようなことは、本当に由民の英知を集めて検討しなければ、そのうち事故が起こったら取り返しがつかない。こう私は思っておりまして、決してスリーマイルで起こって日本では起きないだろうと考えておられる方は、よほどどうかしているのじゃないかと私は思っているわけでございます。急いでむしろ国会等のお力で、そういうことを提唱していただければ非常によいのではないかと私は思っております。
#63
○市川正一君 私ども日本共産党の立場は、核絶対否定でないということを、特に川上参考人に申し添えまして質問を終わらせていただきます。
 どうもありがとうございました。
#64
○理事(亀井久興君) 他に御発言がなければ、参考人の方々に対する本日の質疑はこれにて終了いたします。
 参考人の方々には、御多忙中、長時間にわたり御出席をいただき、貴重な御意見を拝聴させていただきまして、まことにありがとうございました。委員会を代表いたしまして心から厚く御礼を申し上げます。
 どうぞ御退席いただいて結構でございます。(拍手)
    ―――――――――――――
#65
○理事(亀井久興君) 次に、参考人の出席要求に関する件についてお諮りいたします。
 エネルギー対策樹立に関する調査のため、参考人の出席を求め、その意見を聴取することにいたしたいと存じますが、御異議ございませんか。
   〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
#66
○理事(亀井久興君) 御異議ないと認めます。
 なお、その日時及び人選等につきましては、これを委員長に御一任願いたいと存じますが、御異議ございませんか。
   〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
#67
○理事(亀井久興君) 御異議ないと認め、さよう決定いたします。
 本日はこれにて散会いたします。
   午後四時五十八分散会
ソース: 国立国会図書館
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