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1980/05/29 第94回国会 参議院 参議院会議録情報 第094回国会 エネルギー対策特別委員会 第7号
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1980/05/29 第94回国会 参議院

参議院会議録情報 第094回国会 エネルギー対策特別委員会 第7号

#1
第094回国会 エネルギー対策特別委員会 第7号
昭和五十六年五月二十九日(金曜日)
   午後一時一分開会
    ―――――――――――――
   委員の異動
 四月二十四日
    辞任         補欠選任
     佐藤 昭夫君     市川 正一君
     森田 重郎君     前島英三郎君
 四月二十七日
    辞任         補欠選任
     吉田 正雄君     小柳  勇君
 五月二十八日
    辞任         補欠選任
     市川 正一君     神谷信之助君
 五月二十九日
    辞任         補欠選任
     神谷信之助君     山中 郁子君
    ―――――――――――――
  出席者は左のとおり。
    委員長         細川 護熙君
    理 事
                遠藤 政夫君
                小柳  勇君
                中尾 辰義君
                井上  計君
    委 員
                岩動 道行君
                大木  浩君
                川原新次郎君
                河本嘉久蔵君
                熊谷太三郎君
                高橋 圭三君
                竹内  潔君
                福岡日出麿君
                前田 勲男君
                三浦 八水君
                阿具根 登君
                大森  昭君
                対馬 孝且君
                高木健太郎君
                山中 郁子君
   事務局側
       常任委員会専門
       員        町田 正利君
   参考人
       日本原子力研究
       所東海研究所安
       全性試験研究セ
       ンター長     天野  恕君
       原子力資料情報
       室世話人     高木仁三郎君
       名古屋保健衛生
       大学教授     古賀 佑彦君
       日本科学者会議
       原子力問題担当
       常任幹事     舘野  淳君
       全国電力労働組
       合連合会政策局
       長        高松  実君
    ―――――――――――――
  本日の会議に付した案件
○理事補欠選任の件
○エネルギー対策樹立に関する調査
 (原子力エネルギー問題に関する件)
    ―――――――――――――
#2
○委員長(細川護熙君) ただいまからエネルギー対策特別委員会を開会いたします。
 まず、委員の異動について御報告いたします。
 去る四月二十四日、佐藤昭夫君及び森田重郎君が委員を辞任され、その補欠として市川正一君及び前島英三郎君が選任されました。
 また、去る四月二十七日、吉田正雄君が委員を辞任され、その補欠として小柳勇君が選任されました。
 また、昨二十八日、市川正一君が委員を辞任され、その補欠として神谷信之助君が選任されました、
 また本日、神谷信之助君が委員を辞任され、その補欠として山中郁子君が選任されました。
    ―――――――――――――
#3
○委員長(細川護熙君) 次に、理事の補欠選任の件についてお諮りいたします。
 委員の異動に伴い現在理事が欠員となっておりますので、この際、理事の補欠選任を行いたいと存じます。
 理事の選任につきましては、先例により、委員長の指名に御一任願いたいと存じますが、御異議ございませんか。
   〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
#4
○委員長(細川護熙君) 御異議ないと認めます。
 それでは、理事に小柳勇君を指名いたします。
    ―――――――――――――
#5
○委員長(細川護熙君) エネルギー対策樹立に関する調査を議題といたします。
 本日は、原子力エネルギー問題に関する件の調査のため、日本原子力研究所東海研究所安全性試験研究センター長天野忠君、原子力資料情報室世話人高木仁三郎君、名古屋保健衛生大学教授古賀佑彦君、日本科学者会議原子力問題担当常任幹事舘野淳君及び全国電力労働組合連合会政策局長高松実君、以上五名の参考人の方々に御出席をいただいております。
 この際、参考人の方々に一言ごあいさつ申し上げます。
 本日は、皆様方には大変御多忙中のところ本委員会に御出席をいただきまして、まことにありがとうございました。
 本委員会はエネルギー対策樹立に関する調査を進めておるところでございますが、本日、皆様方から原子力エネルギー問題に関する件につきまして、それぞれ忌憚のない御意見を賜りまして、本調査の参考にいたしたいと存じておる次第でございます。よろしくひとつお願い申し上げます。
 これより参考人の方々から順次御意見をお述べ願うのでございますが、議事の進行上、まことに恐縮でございますが、お一人十五分程度ずつ御意見をお述べをいただきまして、その後、委員からの質疑にお答えをいただきたいと存じます。
 それでは、御出席の参考人の方々に順次御発言をお願いいたします。
 まず、天野参考人からお願いいたします。天野参考人。
#6
○参考人(天野恕君) 天野でございます。
 本日は、原子力の安全性につきまして四つのポイントに話をしぼって、その特徴と申しますか、他種産業との違いという点についてお話を申し上げたいと存じます。
 まず第一に申し上げたい点は、原子力はその開発の当初から、非常に厳重な審査並びに検査の行政体制がつくられているという点でございまして、この点は他の産業と比べましてきわめて特殊な点でございます。この点は原子力発電所の設置から運転に至るまでの過程にかかわる規制と、通常の火力発電所の設置から運転に至る過程にかかわる規制とを比べてみますとよくわかります。
 たとえば設置に関しましては、原子炉は原子炉等規制法と電気事業法の二重の規制を受けております。許可権者は総理大臣であるのに対し、火力発電所は電気事業法による規制で許可権者は通産大臣となっております。それから指定許可の基準、変更の許可などは、原子炉がすべて総理大臣の許可事項となっているのに対しまして、通常の火力発電所は通産大臣の権限範囲内となっている。また、設計工事方法、それから使用前検査等におきましても、原子力発電所は一ランク上の規制が定められております。さらに運転計画の届け出が義務づけられている。この点が大きな特徴と申せます。
 発電所に関しましては、火力発電所も原子力発電所も電気事業法、特に火力発電所の場合には、電気事業法という一貫した体系のもとでの規制がございますが、これをさらに他の産業分野に移しまして、たとえば大型の化学プラント等の設置に対して、どのように行われているかという点に着目いたしますと、大型の化学プラントにおきましては、業務内容に対応いたしまして消防法、労働安全衛生法、高圧ガス取締法、毒物及び劇物取締法、公害対策基本法、大気汚染防止法、水質汚濁防止法、海洋汚染防止法などの幾つかの法律の個別の適用を受けているのが現状でありまして、運転計画に対しましても特段の規制はございません。
 環境に対する影響という点ではしばしば鉱山が例として取り上げられますが、これにつきましても鉱業法、鉱山保安法を基本とし他の法律が個別に適用されている。そのような点では化学プラントの場合と本質的に差異はございません。
 このように最初から安全を重視した視点のもとで開発されました原子力発電所は、世界じゅうで現在約二百五十基商業用発電所が運転されておりますが、いままでに一般公衆及び従事者で明らかに放射線によるとされる障害者の発生はございませんし、まして放射線被曝による死者は発生しておりません。このことは、さきに述べました設置から運転に至る過程で、安全性にかかわる規制というものが、十分に効果を上げている証拠であると見るべきではないかと考えられます。
 次の点は、そのような観点のもとで平常時の原子力発電所の安全性というものは、どのようになっているかという点に触れてみたいと存じます、原子力発電所は、運転計画の届け出を義務づけられているということは、すでに申し上げたとおりでございますが、この計画の中では、環境への放射能の放出に基づきます一般公衆の被曝線量を、発電所の設置前に行った事前被曝評価の値以下に抑えるように要求されております。日本におきます原子力発電所周辺の一般公衆の受けます被曝線量は、一つのサイト、原子力発電所群当たり年間五ミリレムと規制されております。このことはサイト内に複数のプラントがあるときは、一基当たりの規制基準が下がるということを意味しているわけでございますが、これは世界の中でも最も厳しい規制値であると申し上げて差し支えないと存じます。
 たとえば、米国では原子炉一基について年間五ミリレムと定めておりますが、これはフランス、ドイツなどの国々よりも厳しいものとされておりますが、日本はそれよりさらに厳しい考え方をとっておりまして、これがわが国におきます原子力の安全性のレベルを高めていると考えてよいと存じます。
 さらに、このような基準値と比較して、実際に軽水型の原子力発電所から放出される放射性物質等に起因する周辺公衆の被曝線量は、実績に基づく限り年間五ミリレムのさらに百分の一ないし一千分の一となっております。この値は、日常的に人間が体の内外から受けている放射線の被曝線量、年間六十ないし百三十ミリレムという値に比べてはるかに小さいものでありまして、自然放射線の変動幅である数十ミリレムという値と比べてもきわめて小さいということが明らかでございます。この意味で、平常時における安全性は十分確保されていると考えてよろしいかと存じます。
 事前に周辺公衆に対する被曝線量を評価することが要求されていることはすでに申し述べたとおりであり、その際の基準値が世界でも最も厳しいことも申し上げたとおりでございますが、それらをさらに一歩進めまして、原子力発電所の設置に当たっては、事前に各種の仮定を置いて、実際には起こり得ないような事故、たとえば、数十センチメートル以上の径で、管の厚みが三十ミリ以上の配管が瞬時に破断して、切れてしまって、原子炉の一次側の冷却能力が失われる場合などを想定して、その場合の安全性を解析しております。
 安全解析には、現在までの知見、たとえば日本原子力研究所あるいはアメリカ、西ドイツ等で行われている研究の成果というものを取り入れて実施されておりますが、もし十分にわからない因子がある場合には、非常に安全側に立った仮定、と申しますことは、考えられる限り危険度を大きくとってということでございますが、それに基づいて評価が行われております。したがって、原子力発電所で仮に事故が発生したとしても、安全審査で考慮した以上の重大なものとなる確率というものは小さいわけでございまして、そのことを具体的に申し上げますと、最も環境への影響の大きい放射能の漏れ出しということを、そのような仮定に立って最小に食いとめる努力といたしまして、現在は防護壁を多重に設けるという考え方で進んでおります。
 核分裂を利用する以上、核分裂生成物の発生は避けられないわけでございまして、それに対して、燃料の外側を被覆管で一次的に食いとめる、さらに外側を原子炉圧力容器で押さえ、さらにその外側を容器として押さえ、さらに建物自身、それからサイト自身も防護壁として考えて、何重にも防護壁を設けておる。それらを通過するには、考えられないほどの低い確率の事象が起きなければいけないということで、実質的な安全を保っているわけでありまして、たとえば第一次の防護壁でございます被覆管につきましては百四十カロリー、一グラム当たりの燃料でございますが、酸化ウランに対して百四十カロリーまでは何の故障もございません。それをさらに少し上目に見て、十分高いところで、その二倍ぐらいのところを一つの設計の基準値としてとるように要求され、このような多重的な考え方で安全が確保されていることでございます。
 さらにこの点で御指摘申し上げておきたいことは、このような厳重な解析を行っておりますものは、近代科学の産物でございます他の多くの利器に比べてみましても、原子力についてのみである。つまり、事前に十分に評価して、しかも動き出した後も十分な規制が行われているということでございます。
 いままでに申し述べましたように、原子力発電所の安全性を確保する上での実際的な努力について申し上げたわけでございますが、最後に、これらの基礎となっております原子力安全性の考え方について述べてみたいと存じます。
 原子力の安全性という普通名詞につきましては、多くの方々の受け取り方が種々雑多であり、混乱しております。この点についてまず整理すべきことは、人間が通常生活において自動的に取り入れている安全というものについての考え方を、原子力についても取り入れるべきであろうということでございます。すなわち、安全性とは、人間がある行為を行うことで得られます利益と、そのために生ずる危険とをバランスをとって判断するという基本的立場をとることでございます。たとえば、個人が自動車を買って運転する場合を考えますと、そのことで交通事故に遭うという危険性が生じますが、それによって得られる随時に門口から門口への輸送手段が確保できる、そういう利益と比べてみて判断が下されているわけでございます。原子力におきましても、基本的には原子力のもたらす利益と、危険を正当に評価するという態度は不可欠と考えております。
 しかしながら、この考え方に立って見ましても、必要性と経済性の認識の仕方によって安全の意味合いが異なってまいります。この点については非常に多くの視点から、つまり日本なら日本というコミュニティーの特性までも取り込んで、代替のものは何があるかということを十分にあらゆる方面から判断して、最終決定を下すべきだということを意味しているわけでございまして、きわめて教条的な判断に頼ってはならないということでございます。
 それから次の大事な点は、いろいろなリスクを、危険を評価する場合に共通した言葉で比べるということでございます。この点につきましては、原子力発電所は幸いにと申しますか、非常に確固とした国際的な合意がございます。それはICRP、国際放射線防護委員会と申しますところで、活発に活動して設定されております一つのリミットでございます。これは放射線の線量預託というような言葉であらわされておりますが、この数字につきましては一つ例を申し上げたいんでございますが、私どもが現在医療によって毎日非常に身近なものとしておりますエックス線は、一八七五年ごろに発見されたわけでございます。それからわずか二年後に、そういう放射線のもたらす災害というものが認識されました。現在、先ほど申し上げましたICRPの母体となるものは、一九〇〇年代の非常に初期に結成されている。繰り返し繰り返し多くの学者が、非常に低い線量の影響とか、高い線量の影響、放射線障害というのは一体どういうものか、こういった点を突き詰めていって、その結果として現在の基準と申しますか、合意と申しますか、そういったものが設けられているわけでございます。
 そのようなもので比べられて、しかも十分にそれが低くなっている。余り詳しく申し上げると混乱いたしますが、たとえば普通の産業におきまして排出基準というものが考えられておりますが、その場合の排出基準と申しますものは、これ以上出ると間違いなく害が出るというところに値が設けられております。それに対して原子力発電所にかかわる放射能の排出基準というものは、それよりもはるかに、害が出るよりもはるかに小さいところ、どうだかわからぬがまあここら辺に線を引こうと、そういった感じのところに引かれている。この点で私どもとしては、原子力の安全性というものについては十分に根拠のある規制が行われており、かつ実施されていると考えているものでございます。
 以上要約いたしまして、安全性に関しましては、究極的には原子力を利用することの危険性と、原子力を利用しない場合の日本の経済社会に与える危険性についても、十分考えた上で判断が下されるべきであり、またそのような御判断をいただくに際しての十分な根拠は、つまり原子力を採用して安全であると言っていただくに足る材料は、十分にそろっているものと考えております。
 以上、私の意見を終わらしていただきます。
#7
○委員長(細川護熙君) ありがとうございました。
 次に、高木参考人にお願いいたします。高木参考人。
#8
○参考人(高木仁三郎君) 御紹介にあずかりました高木でございます。時間の制約もありますので、ごく基本的な安全性についての私の考え方を述べてみたいと思います。
 私の考えは、いまの原子力開発には基本的に非常に大きな危険性が内在しているということでありますし、その安全性というものは、決して確立されていないところか、実は非常に危険などころに私たちの社会を追いやるのではないかという基本的な考えでございます。
 問題の基本を考えてみますと、何といってもまず原子力問題の基本は、非常に大量な放射性物質が燃料の燃焼に伴って発生し、しかも、その放射性物質を非常に高温、高圧で運転される原子炉の炉心に内蔵しながら、運転が継続されなければならないということであります。原子炉の炉心に内蔵される放射能は、たとえば原子炉停止一日後でも、現在の標準的な大型の原子炉だと数十億キュリー、三十億キュリーとか四十億キュリーに達します。
 キュリーと言うと、ややわかりづらい単位ですけれども、一人の人間が取り込む許容量、一般人が取り込んでもよいとされている許容量という観点からしますと、数千兆倍にも当たる膨大な放射能量でございます。もちろんこれがそのまま人間に取り込まれるということではございませんが、やはりそれだけ基本に大きなものがかかわっている、一人の人間にとっては巨大過ぎるものがかかわっているということが、いろんな点で問題を発生させること、この基本は忘れるべきことでないと思います。
 しかも、この放射能の取り扱い方というものについては、歴史的に見ましても、何とかこれが無害化できるとか、完全に閉じ込められるというふうな安易な技術的な楽観主義というものが、やはり一つ一つ破られていく、現実によって破られていくというのが、歴史の過程であったというふうに思っております。このような問題を基本としまして、具体的に私たちが生活の場、あるいは生活環境において受ける危険性というものを考えてみますと、大きく分けると四つの問題があると思います。
 一つは、日常的な放射能の排出ないし小規模な漏れということによる環境の汚染、それを通じての人体への影響ということでございます。第二点は、そこで働く労働者の被曝による労働者自身の危険性及びそれを通じて、また遺伝的というような二次的な効果を持って、社会にその影響が伝わっていく問題でございます。第三番目は、これは安全問題としては、一番よく議論されるところであります大事故の可能性が否定し切れないという問題でございます。第四点目が廃棄物、結局漏れがあろうと事故がなかろうと、大半の放射能は放射性廃棄物としてたまってくるわけですけど、この処理の方法のめどがないという問題でございます。
 細かい話はまたいずれ後回しにしますけれども、こういう問題を考えるに当たって、安易な楽観主義は非常に禁物だというふうに思います。その理由は、放射能というものあるいは放射線の影響というものを考える場合、幾つか基本的に、まず心しておかなければならないポイントがあると思います。
 一つは、放射線の影響というものの特殊性でございます。低レベルの放射線によって起こされる障害は、基本的にがんであるとか、遺伝障害であるとか、潜伐期が二十年、三十年と長く、あるいは世代を超えて伝わっていくような問題でございまして、五年や十年の経験で、安易に障害がなかったとか安全が保たれたとかいうことが言えない側面というのがあります。その点を十分に押さえておかないと、二十年、三十年たったときに、問題が発生してからではすでに回復の手段がないというようなたぐいのことが起こってきます。これはいままで人類が経験したいろんな技術の中でも非常に特殊な問題であって、そのことをきちっと踏まえる必要があるだろうと思います。
 第二番目の問題は、先ほど天野参考人の方からICRPという国際基準の話がありましたけれども、こういった国際基準で決まっている許容量、いわゆる許容量というものについても、これは絶対的なものではないということでございます。これはICRP自身の歴史がそうでありますし、許容量という考え方の歴史自身がそうでありますように、歴史とともに認識が深まるにつれ、許容量というのは厳しくなってきております。低レベルの放射線の影響というのは、より厳しい形で認識されているのが歴史だと思います。しかも最近においても、つい先日の新聞にも出ましたように、ICRPの基準あるいはアメリカの科学アカデミー等で行われております放射線の発がん効果についての評価の一番基本になっております広島のデータというのの基本的な見直しが、いまという時点でまた問題になっている。この見直しいかんによっては、再び許容量が変わるかもしれないというような事態、さらに切り下げられると、厳しくなるというふうなことになるかもしれないという事態が起こっております。もちろん、この点については今後の論争に待つほかない、いまの時点で結論を出すことはできませんけれども、歴史とともにさらに許容量が下がる、認識が変わるという可能性があるので、現行で事足れりとするようなふうにもいかない点がございます。
 第三番目の問題は、主として放射線の効果、影響を考える場合に、これは計算に上る評価に頼っているわけですけれども、コンピューターを使ったこういう大型計算が、なかなか実際を反映しないという問題がいろいろ出てきております。これは原子力のような形で問題になります巨大科学技術共通の問題ですけれども、実証的になかなか確かめられない。システムが巨大になり過ぎますと、実験をやるのに危険性が大き過ぎて、実際規模の実験ができない。したがって、それをコンピューター計算でカバーすると、これがいま行われている事前のアセスメントというものの実態でありまして、それは積極面よりも、むしろ計算によってしか保障できないという消極面を忘れてはならないと思います。
 先ほど申しました点を、もう少し補足して具体的なことを申しますと、余り細かい技術論をやるよりも、問題をこういうふうに考えていただければ結構なんではないかというのが、私の基本的な立場です。
 先ほど数千兆人分ぐらいの許容量に当たる放射性物質が、原子炉内に一年間運転されると内蔵されるというお話をしましたけれども、これがどのくらいの精度で閉じ込められるかという問題ですけれども、閉じ込め率をたとえばいまの非常に優秀な技術と、原子力のようにお金をかけてやったとして、これは百万分の一から一千万分の一ぐらいの閉じ込め率ではないかと思います。これは一般の産業の概念からすれば、非常に高度な閉じ込め率といいますか、安全率だと思いますけれども、なおかつ、数千兆というような人間の分の許容量に当たる放射性物質というようなことから言いますと、そこから一千万分の一が漏れても、たとえば一億人分の許容量に当たる物質が漏れるということになりますから、これは非常に大きな問題になる。そこのところがやはり原子力の基本的なむずかしさであって、その問題を安易に考えてはいけないということでございます。
 実際そのような漏れというのは、核燃料サイクルの全体、原子力発電だけでなく、核燃料サイクルの全体を考えますと、特に再処理工場というようなところで、実際に起こっていることだと思います。しかも人工的な放射性物質というのは、必ずしもいままでの自然環境になかったものですから、自然系における生態系における食物連鎖というような過程を通じて、濃縮といったような現象が起こる、それに対して人間が進化の過程では、特にそういう人工放射性物質ということを体験してきていなかったわけですから、基本的には防御を持っていないという問題があります。
 さらに、そういった漏れが起こらなくても、その残りというか、放射性物質の総体が放射性廃棄物ということになります。この問題は、先ほど申し上げたように、いま一番深刻な問題だと思います。廃棄物は数万年から数十万年の管理を必要とするでしょうし、どこにこれを処理しようとも、あるいは人間が管理しようとも、人間の社会あるいは自然環境も含めて、それだけ安定を保障されるようなところは現状ではない、そういう知識も十分ではないということがあると思います。
 それから、労働者被曝ですけれども、労働者被曝も現在では一年間一万人レムというようなレベルに達しております。これはやはりかなり深刻な問題で、いままでの累積的な被曝線量も、六万人レムに近くなっております。こういった労働者被曝の最近の傾向を見ますと、特に一般に原子力発電所がふえてきたというふえた率を上回って、労働者被曝の方が先を越して急増しているということでございます。これは一つの原子炉当たりの被曝線量がふえてきているということを示すわけで、原子炉の老朽化という問題とあわせて、いよいよ今後深刻になる可能性のある問題だと思います、さらに、大きな事故が起こるという可能性が捨て切れないという問題があります。スリーマイルアイランドの原子力発電所の事故のように、いまだに大きな事故が起こるという可能性は捨て切れないのであります。
 最後に、こういった安全性に対する物の見方といいますか、考え方について少し基本的なことを述べてみたいと思います。
 一つは、いまの安全対策というのが、多重な防御手段というような工学的な閉じ込め対策ということに傾き過ぎているというふうに思います。何重もの守りをすることによってかえってシステムが複雑になる、全体が複雑になって巨大になる。そのことによってかえって人間の操作性、あるいは人間との折り合いという面からいきますと、むずかしくなる面がございます、そういったようなものを具体的に示したのが、スリーマイルアイランドの事故だったというふうに思います。
 さらに、先ほど申しましたように、システムが巨大になりますと、実験によって危険性をなかなか確かめられなくなる。つまり、実証性がなくなるという問題が起こります。厳密に実証的に、原子炉のたとえばメルトダウン、炉心が溶融するというようなことについての防御を厳密に実験によって確かめようとすれば、そういった実規模の原子炉をつくって、何回もメルトダウンに近い状態を起こして対策を考えるしかないわけですけれども、もちろんそんな実験はなかなか現在では、この地上では永遠にできるところがないといってもいいと思います。そういったような実証性離れという問題が一つ深刻だと思います。
 さらに、もう一つの別の面から見ますと、いま原子力はエネルギー上の理由から、かなり早急な推進策がとられています、そのためになかなか安全面といいますか、たとえば廃棄物の問題であるとか、労働者被曝の問題であるとかいうことに、技術の現場が十分な時間をかける間もなく、設備が大型化し、集中化し、原子炉の数がふえるというような状況があります。こういった厳しい政治、経済からの要求と技術の現場とが、なかなかマッチしないという状況が、一つ安全性を損ねる要素になってきていると思います。
 それからもう一つ、最後になりますけれども、原子力が基本において危険なものだということの認識があるかないかということが、原子力を推進する立場に立っても、ぼくは安全を考える上での基本になることだろうと思います。これはアメリカのスリーマイルアイランド事故が起こった後で、大統領委員会のいわゆるケメニー報告というのにもあることですけれども、原子力は潜在的に大きな危険を抱えているという認識を、しっかり持つことであるということですけれども、そういった基本的な認識が、どうも日本の原子力にあずかる行政、あるいは電力会社、あるいは原子炉メーカーのサイドに欠けているのではないかというふうに私は思います。
 そういった立場を具体的にするには、まずやはりすべての事故、故障を公開する必要があると思います。
 それから第二に、第三者的な批判といいますか、特に安全性の基本というものを批判的に検討している人たちも含めました検討の場をしっかりと設ける必要があるだろうと思いますし、あるいは直接そのことに関係を持っている住民の意見というのが、十分に反映されるようなシステムが必要だろうと思います。
 こういったことは、つまるところ、安全性の問題というのを技術的な対策というふうに考えるべきではなくて、そういった安全性への基本的な姿勢というのが基本だと。そうでない限り、今回の敦賀の事故で起こったようなことも、技術的な対策としてだけ総括され、今後に反映されることであるならば、やはり同じような問題が起こるだろうというふうに思います。そういった観点から、私は、現在の原子力の安全性というものは非常に危なっかしいものであり、現在の原子力開発あるいは原子力発電は非常に危険な綱渡りだというふうに感じる次第です。
 以上です。
#9
○委員長(細川護熙君) ありがとうございました。
 次に、古賀参考人にお願いいたします、古賀参考人。
#10
○参考人(古賀佑彦君) 古賀でございます。
 私は、放射線医学を学んでいる医師でございます。きょうの主題は、原子力の安全性ということでございますが、私に与えられました課題は、放射線を浴びた人間が、どのような影響を受けるのかということについての現在の知識を御紹介することであろうというふうに私は考えました。
 そこで、次のような順序でお話を進めたいと思います。最初は、まず放射線が発見され、そして放射線の障害及び防護について、いままでにどのような取り組み方がなされてきたのかということ、次に放射線の人体への影響について御説明申し上げ、最後に障害の起こる確率、いわゆる危険度というもの、それから現在の被曝レベル、そして防護の考え方といったことについて申し述べようと思います。
 最初の問題ですが、御存じのように放射線、この場合には電離放射線を指しますが、これは天然の物質の中、あるいは宇宙に太古の昔から存在しておりまして、人類もずうっとこの放射線を浴び続けてきていたわけであります、
 この放射線を初めて意識的に利用したのは、一八九五年末、レントゲン博士がエックス線を発見したときからであります。続いて、翌年にベクレルという人が、天然の物質の中にもこういうエックス線と同じような放射線を出すものがあるということを見つけました。さらに、有名なキュリー夫妻のポロニウム、ラジウムの発見と続きまして、積極的な放射線利用の時代が始まったわけでございます。一九三四年、フレデリック・ジョリオとイレーヌの夫妻が、人工的に放射能をつくり出すということに成功しました。これが現在の原子力利用の基礎をなす発見でありまして、原子爆弾のような武器への利用というような忌まわしい時代を経まして、現在の平和利用へと連なっていると考えております。
 このような初期の研究者あるいは利用者というものは、初めは放射線障害というものに対する知識が余りございませんでした。したがって、多くの犠牲を出しました。この初めのころは、医学利用ということが主でございましたので、先ほどのお話にも出ましたICRPですが、国際放射線医学会議――これは私どもの学会の国際会議であります――に、一九二八年にエックス線及びラジウムに対する国際的な防護委員会というものが発足しました。これが現在のICRP――国際放射線防護委員会の出発であります。それ以後、このICRPを中心に防護に関する仕事がまとめられ、そして、この委員会の出します勧告は、わが国を初め、多くの国々において放射線防護の法律の基礎をなすものになっていることも御案内のとおりだと思います。
 さて、放射線の人体への影響はどのようなものがあるのかということでございます。放射線の防護という立場から、この影響を二つの型、タイプに分けて考えております。
 一つは、非確率的影響と呼ぶものでありまして、たとえば、放射線によって日やけど同じようなやけどをつくります。こういうものでありますとか、不妊あるいは白内障、目の水晶体が白く濁ってくる白内障という病気がございますが、そういうものがこの非確率的影響に当たります。これらの障害は閾値がある。つまり、ある線量以下ではその障害は起こらない。しかし、それ以上の線量になりますと、その障害はほとんどすべての人に起こります。そして線量がふえればその障害のひどさが増していくというような型のものでございます。
 もう一つの型は、確率的影響というもので、放射線の被曝線量と影響の間にはこの閾値がございませんで、線量と障害の発生率が比例する。つまり、障害はある割合で起こります。そして、その線量がふえますと、その障害の起こる割合もふえるというようなタイプのものでございます。このタイプのものとしては、子孫に対する遺伝的な影響及びその被曝をした個人に後になって起こってくるがん、つまり発がんのこの二つが確率的影響として考えられております。
 これらのさまざまな影響といいますのは、放射線を、原爆のように一度に全身に浴びるのか、あるいは放射線の医学利用でありますように、写真を撮る、あるいは治療をするというふうな場合には、ある限られた体の場所に繰り返し照射をするということをいたします。そういうようなかけ方によって、あるいはある量を一度に照射をするのか、繰り返し照射をするのか、労働者の被曝の場合には、繰り返しの照射に当たるわけですが、そういうことによって若干変わってまいります。さらにまた、環境が汚染されたときには、外部被曝だけではなくて、内部被曝の寄与分ということをふやすということになります。
 このような、発がんのような確率的影響の知識といいますものは、昔、大量の医療被曝、これは放射線治療が主でありましたけれども、そういう医療被曝を受けたグループ、あるいは広島と長崎の悲惨な経験などから、線量と影響の関係式が導き出されております。その導き出した線量は、大体百ラド以上のレベルでこういうような関係が認められております。後でも述べますけれども、こういうような影響の発生率というものは、実質的にかなり小さい値でございます。したがいまして、百ラド以下の、いわゆる低線量レベルのところでの障害が、どの程度あるのかという見積もりに関しましては、多少幾つかの論文がございますものの、まだ現在、非常にそれを明らかにするというようなことには至っておりません。そういうような低線量レベルでの線量と障害の関係を明確にすることは非常に困難であります。したがいまして、比較的に高い線量レベルで見つかった関係式が、少ない線量でも成り立つというふうな仮定を置きまして、防護の対策を立てているということにしているわけでございます。
 最後の問題は、障害の線量当たりの発生率、つまり危険度、それから現在のわれわれの被曝レベル及びICRPが勧告しております、そして国の法律にもなっております線量限度ということについて御説明申し上げます。
 先ほど申し上げましたように、非確率的影響に関しましては閾値がございまして、この線量以下では安全ということが言えるかと思います。しかし問題は、幾ら小さい線量でも、それに見合った大きさのある発生率であらわれてくるという確率的影響でございまして、その危険度の見積もりというのが次のポイントになるかと思います。
 この発がんの危険度はいろいろのがんで見積もられておりますが、総合しますと次のようになります。いま百万人という集団を考えまして、この百万人の集団の人が平均一ラドずつの全身照射を受けたと仮定します。そうしますと、この百万人の中から将来、この将来というのは二十年から二十五年という意味でございますが、この被曝のために百人の人ががんになって死ぬであろう、つまり、一ラド当たりに直しますと一万分の一の確率、一万分の一の危険度と申しております。
 遺伝的な影響に関しましては、被曝を受けた人の二世代後までの重い遺伝的障害の危険度が、やはり一ラド当たり一万分の一と見積もられております。これらの値は、先ほど申し上げましたように、線量と影響との間には、いわゆる直線関係が成り立つという仮定に基づいて計算されておるわけでありまして、決して過小評価ではないと考えられております。
 それでは、いまわれわれがどのくらいの量の放射線を浴びているのかということでございます。先ほどの天野参考人からも御紹介がございましたけれども、私どもが受ける放射線の源は、自然放射線源と人工放射線源がございます。自然放射線源としては、宇宙線でありますとか大地に含まれる放射性物質、それから出てくるガンマ線を体の外から照射されるいわゆる外部照射、それから放射能を持つ物質を飲んだり食べたりしまして体内に取り込み、そこから出る放射線を受ける内部照射がございます。この両者を合計しますと、世界じゅうで平均的に一年間で約〇・一ラドということになります。これにもまた地域差が非常にあることがわかっております。
 人工的な放射線源で最も大きいのは、私どもが使っております医療に使われる放射線であります。この大きさは、わが国におきましてはほぼ自然放射線のレベルに近づいてきております。次は核実験によるフォールアウト、いわゆる死の灰によるものであります。原子放射線に関する国連科学委員会の一九七七年報告のデータから計算しまして、さまざまな放射線源からの地球全体としての線量預託を比較しますと、自然放射線を一〇〇としましたときに、医療被曝が一九、フォールアウトが八、原子力発電は〇・〇〇六という割合になっております。わが国のデータを私は正確には存じませんけれども、医療被曝は、先ほど申し上げたように、かなり大きい値になっております。原子力発電も、いま述べた値よりはかなり大きな値になっているかもしれません。
 ICRP――国際放射線防護委員会は、放射線の利用が現在の世界でどうしても避けられないとしたら、その利益は失わないようにしながら、それに伴う被曝をできるだけ減らそうという考え方をとっております。そして行為の正当化、防護の最適化、個人の線量制限という三本柱を立てて防護を考えております。このICRPの言う線量当量限度、わが国の法律では最大許容被曝線量と申しますが、作業者は一年間に五レム、一般の人は〇・五レムという値が勧告されております。この値は一九五八年以後変わっておりません、現在のところ、職業人でもあるいは一般人でも、平均的に見ればこの限度値よりもはるかに低いレベルであることはわかっております。
 以上私は、放射線の体への影響ということを中心に御説明申し上げました。
#11
○委員長(細川護熙君) ありがとうございました。
 次に、舘野参考人にお願いいたします。舘野参考人。
#12
○参考人(舘野淳君) 御紹介いただきました舘野であります。
 先日、日本原子力発電株式会社敦賀発電所において発生しました一連の事故及び事故隠しに対して、国民の厳しい批判が集中していると思います、この批判の内容は、一つは、現在の原子力技術そのものに対する不信、不安であり、いま一つは、現場技術者から行政担当者に至るまで、いわゆる原子力開発に携わる人間に対する不信であるというふうに考えていいと思います。私は原子力開発に籍を置くものでありますが、私から見ましてもこの不信、不安は根拠のあるものであり、真剣に受けとめるべきであるというふうに考えております。しばしば言われますように、あれは核アレルギーであるとか、あるいはためにする反対であるとして、これを無視するならば、今後のわが国の原子力開発の道を大きく誤るのではないかというふうに考えます。
 米国スリーマイルアイランドの原発事故が起こりました後、大統領の特別委員会が設置されました。これはケメニー委員会と申しますが、この報告の中で次のような一説がございます。「もし、一部の企業や規制担当の機関があえて抜本的に姿勢を変革しなかったならば、やがて一般大衆の信頼を完全に失うことになるだろう。そして彼らが有用なエネルギー源としての原子力を手離す責任を負う破目になるとわれわれは確信している。」と。まさにわれわれがいま直面しているのはこうした問題であり、この点をぜひ御認識いただく必要があるのではないかというふうに考えます。
 次に、原子力の安全性とはどういうことかということに関して、いままでの参考人の方からもお話がありましたが、私も一言述べさせていただきたいと思います。原子力の安全性を考える上で重要な点は、第一に、原子炉の中にはきわめて高密度のエネルギーと、きわめて高濃度の放射能が内在されており、われわれがこれを完全に制御することができるかどうかというのが第一点だと思います。第二点は、核燃料の採掘から放射性廃棄物の処分に至るまで、いわめるトータルシステムとしての完結した安全性を保つことができるかどうか。第三は、さらにこういう取り扱いをする労働者の健康が損なわれないかどうかというふうな問題があるというふうに考えていいと思います。
 いま第一の点に関してもう少し考えてみたいと思います。これは先ほど高木参考人からもお話がありましたので、簡単にしますが、一定期間運転しました原子炉の炉心の中には、数百億キュリーという莫大な量の放射能が蓄積しております。これをその炉心の体積当たりで割りますと、大体一CC当たり数千キュリーというふうな値になりますが、一方環境において許容される放射能の濃度は、これもいろいろ核種によって違いがありますが、一CC当たり数千ピコキュリーであるというふうに仮定しまして、この割り算をしますと、実に十の十二乗倍、つまり原子炉炉心の濃度の百万分の一のさらに百万分の一のものが漏れても問題になる、こういうことになるわけであります。
 幾つかの壁を隔てて、これだけの濃度差を制御しなければならないわけですが、これはこれまでの工学技術にかつて課せられたことのないきわめて厳しい条件であるというふうに言って構わないのだと思います。この放射能やエネルギーの制御に失敗しました例が、スリーマイルアイランドの事故であり、また敦賀原発の事故であるというふうに言えると思います。これらの事故は、現在の原子力技術が、いまだ安全なものでないことを事実をもって立証したと、こういうふうに考えていいのではないかと思います。
 トータルシステムとしての安全性や労働者の被曝についても、大きな問題を抱えていることは皆さんによっていろいろ指摘されております。特に応力腐食割れなどの技術的な欠陥によって、労働者の被曝が大量に出ているという現状は、技術の欠陥を人間の犠牲においてカバーするというものであり、技術の正しい発展という見地から見ましても、見過ごすことができない一種の技術の退廃であるというふうに考えることができるのではないかと思います。
 さて、安全の問題を取り扱う際に関してきわめて大切なことは、事故から学ぶということだと思います。一昨年三月、スリーマイルアイランドの事故が発生して、二週後に当時のカーター大統領は特別命令を出しまして、広範な分野の人々からなる委員会をつくり、大きな権限を与えまして徹底した調査を命じました、こうしてできた報告書の指摘は、ある意味では問題の核心をついたものであり、先ほど引用しましたように、思い切ったことをずばりと述べているということができるのではないかと思います。事故の全容とその原因、これは装置ばかりではありませんで、人的あるいは制度的な側面も含めてですが、これを科学的、客観的に解明し、評価するということの必要性は、幾ら強調してもし過ぎることはないというふうに考えます。
 ところが、わが国におきましては、きわめて残念なことに、政府の手でこのような試みがなされたということはかってありません。スリーマイルアイランド事故後、通産省が行った措置の一つが、運転管理専門官を原発に常駐させることでしたが、新聞の報道によりますと、この専門官が今回の事故では全く役に立たなかったということであります。もし本当だとしますと、こうしたことは形式だけを整え、問題を掘り下げようとしない今日の行政のあり方をきわめて象徴的にあらわしていると言っていいんじゃないかと思います。
 スリーマイルアイランドの原発事故の教訓を学ぶ試みとしまして、行政ではありませんが、わが国における行政に近いところで行われた唯一のものは、原子力安全委員会、それから日本学術会議共催の「米国スリーマイルアイランド原発事故の提起した諸問題に関する学術シンポジウム」というのが、昨年の六月に行われました。ここには原子力分野以外の専門家が討議に参加されており、今日の原子力開発のあり方に対する率直な批判も含めまして、大変有意義な討論が行われております。その結果は大蔵省印刷局より報告書となって印刷市販されております。ここに私、本を持ってきましたが、こういうふうなかっこうで結果が集約されております。私は、こうした議論を日本の原子力開発に携わる人たちがもっと真剣に受けとめる必要があるというふうに考えます、この内容はきわめて豊富なものですが、時間もありませんので以下に幾つかの論点を紹介したいと思います。
 先ほどからも幾つかお話がありましたが、原子炉を設計したり安全審査を行ったりする際、その手がかりとして用いる安全評価のための手法がございます。いわば安全性をはかる物差しの役割りを果たすと言っていいと思います。たとえば、ただ一つの事故を想定して事故解析を行う単一故障指針、専門的な用語で恐縮ですが、単一故障指針というのがありますが、これはスリーマイルアイランド事故においては、実際には幾つもの故障や誤りが重なって、事故を大きく発展させたことが明らかになっております。原電敦賀の場合にも同様なことが言えると思います。そして、この考え方の有効性が疑わしいものとなってきております。
 それから、設計基礎事故、これはわが国では最大想定事故などと呼んで、あり得ない事故というふうな言い方をよくされますが、そういう考え方、あるいは多重防護の考え方、あるいは低人口地帯というふうな考え方、こうした概念が無意味であるかあるいは疑問があるということを、このシンポジウムの中で専門家の先生方も指摘されております。すなわち、安全性をはかる物差しの欠陥がこうして明らかになっているわけでありますが、しかるに、現在の安全評価は依然としてこういう欠陥のある物差しを使って行われているというのが現状であります、
 学術シンポジウムで指摘されましたもう一つの重要な点は、情報公開の問題です。この点に関しましては、参加した六人のパネリストが一致しまして情報の公開が促進されることを望んでおります。わが国では、原子力基本法に定められました公開の原則というりっぱな原則がありながら、事故などの情報はさっぱり公開されておりません。私たち原子力研究所に勤める者にしましても、新聞で知る以上のことはほとんど知らないし、わからないというのが実情であります。
 情報の公開には二つの意味がございます。一つは、今回の事故隠しのようなことをなくして、国民の信頼をかち得るということがその第一点であり、第二点は、この情報を研究にフィードバックして、初めて安全な技術が確立するということであります。さきに述べたように、原子力研究所におきましても、事故情報が手に入らないということは、せっかく安全性研究に莫大な予算を注ぎ込みながら、これが本当に生きた研究になっていないということが言えるんじゃないかと思います。
 このほかにも、シンポジウムでは原子力聖域論といった形で原子力界の閉鎖性が厳しく批判されております。このことは、たとえば事故隠しなどといった体質的なものとも関係するものと思いますが、時間がありませんので省略させていただきます。
 以上、スリーマイルアイランド原発事故に対する学術シンポジウムの内容の一部を紹介しましたが、こうしたりっぱな問題提起がなされながら、行政や研究開発に一向に取り入れられようとしておりません。もっと謙虚に耳をかすように国会からもお力添えをいただければありがたいと思います。
 次に、私は過去二十年原子力研究に従事してきましたが、その立場から自主開発の重要性について一言述べたいと思います。
 現在日本の各地に建設されております軽水炉は、一九六〇年代の中ごろGEとかウェスチングハウスと申します米国の電機メーカーによりまして実証炉、英語で言いますとプルーブンタイプのリアクターと言いますが、実証炉として売り込まれたものであり、電力の各会社はそれを信用しまして大量に導入しました。現在もその導入が続いているわけです。実証炉とは一体何かといいますと、これは安全性が現実に証明されたという意味で使っているわけです。そして、その結果わが国における軽水炉に関する研究は放棄されてしまいました。原子力研究所においても、小型の軽水炉である動力試験炉――JPDRというふうに申していますが、この試験炉の増力計画は大幅におくれ、ついには放棄されてしまいました。いま廃炉になろうとしております。それから軽水炉の研究テーマは予算がつかず、研究者は四散してしまいました。
 ところが、その後になって軽水炉がいろいろな問題を抱えているということが判明しました。ECCSの問題とか事故の続発、どれをとってみても、現在の軽水炉がいわゆるプルーブンでないことはどなたもが認めるのではないかというふうに思います。今日のわが国の原子力開発における最大の誤りは、軽水炉が実証炉であると誤認して、自主的な研究を放棄するという政策をとったことにあると言ってもいいと思います。もし軽水炉を有用なエネルギー源として今後も役立てることを考えるとするならば、この誤りを早急に正す必要があります。そして基礎研究も含めた自主開発をきちんと進めていく必要がある、こういうふうに考えるわけであります。
 最後になりますが、これは私の専門ではございませんが、行政の問題について一言述べたいと思います。
 一九七六年に出されました原子力行政懇、これは例の「むつ」事件の結果、こういう首相の私的諮問機関として懇談会が設けられましたが、その原子力行政懇の答申として、基本姿勢として、「原子力の開発利用に当たっては、国民の健康と安全が確保されなければならない」、あるいは「可能な限り民主的な手続を機能させ」るといったことが表明されまして、この結果、一九七八年、昭和五十三年の原子力基本法の改正では、安全確保という一文が入れられたわけです。しかるに、こうしたことを具体的に保障する法律が整備されないままで今日に至っております。公開の原則は定められてはいますが、報告義務の法的根拠は不明確なままであります。それから多くの規制が行政措置、行政指導とか内規とか目安線量などといった形で定められているにすぎず、たとえ違反したとしても、その法的な責任はきわめて不明確であります。こういう事態に立ち至ったのは行政の怠慢であるというふうに言っていいのではないかと思います。
 法律との関係で最後に一言つけ加えますならば、バックフィットという問題があります。これは新しい規制ができましたら、その規制を以前の施設にまでさかのぼって適用するということなわけですが、このバックフィットは一般的には行われておりません。これは技術的に言いますと、原子力技術が急速に進歩してきている技術だからということは言えますが、その規制の面からしますと、国民の安全を守るためですから、積極的にこのバックフィット、つまりさかのぼって適用するということを進める必要があるのではないかと思います。
 以上で私の考えを終わります。
#13
○委員長(細川護熙君) ありがとうございました。
 最後に、高松参考人にお願いいたします。高松参考人。
#14
○参考人(高松実君) 電力労連の政策局を担当している高松でございます。
 私は、原子力発電の安全性について、所属をしております電力労連の方針を踏まえまして、私の意見を述べさせていただきたいと思います。
 意見を申し上げる前に当たりまして、あらかじめお断り申し上げておきたいと思います、私は原子力の専門家ではありませんし、直接原子力発電所に従事をした経験もございません。電力労連がエネルギーの安定供給、中でも国家的な命題であり、電力産業として率先をして取り組まなければならない課題であります脱石油政策として、原子力発電は安全対策を第一義の課題として推進しなければならないとの認識に立って運動を進めてまいりましたので、その立場から意見を申し上げますので、御理解をいただきたいと思います。
 先ほど天野参考人の方からいろいろな安全問題について述べられましたし、私もそのような観点を持っておりますが、冒頭に、今回の敦賀発電所で起きました事故について述べてみたいと思います。
 国民の皆様を初め、多くの皆様方に御心配をおかけをいたしましたことに対しておわびを申し上げますとともに、現時点における電力労連としての態度を申し上げておきたいと思います。
 電力労連は、エネルギーの安定供給のためには、現実的な問題として原子力発電は不可欠の選択と認識しています。そういう中で、スリーマイルアイランドの事故の教訓を生かしながら、ガラス張りで運営をしていくべきだということを強調してまいりました。特にスリーマイルアイランドの事故が、人為的なミスの重なりにより大きな事故に発展をしていった経過を踏まえまして、人為的なミスをいかに最小限に食いとめていくか、またそれに対応するような保安規定の見直しなど、運営体制の確立などを求めますとともに、仮に人為的なミスが発生をいたしましても、十分カバーできるようなハード面、設備面を整える、いわゆる品質管理のあり方などを電力経営はもちろんのこと、関係各位に要請してまいりました。
 また、労働組合としての組合員を初め、従事者に対しましても、みずからの技能におぼれることなく、安全を最優先に心がけるよう指導、教宣をしてきたところであります。その観点から、今回の敦賀原子力発電所の事故は、まことに重大であり、地域住民の方々を初め、多くの関係者の皆さんに多大の御迷惑をおかけいたしておりますが、事故の事前防止に労働組合として力が及ばなかったことについて、責任を痛感をしているところであります。目下、事実関係の把握に当たってまいりましたが、ほぼ全容が明らかになる中で、次々にこれまで知り得なかった新たな事実が明らかになるという事態は、率直に申し上げまして組合も背かれたと断ぜざるを得ないと思いますし、憤りの気持ちでいっぱいであります。この結果を会社が謙虚に反省をし、会社が責任の結末を厳格に措置して、特殊性の強い原子力発電を管理運営するに値をする経営体制の確立を断固として求めていきたいと考えているところであります。
 電力労連といたしましては、今回の問題を重要視いたしまして、内部に特別委員会を設置をいたしまして、事実関係の調査の終了次第、原子力発電所の安全確保に対する労働組合としての見解を明らかにしてまいりたいと考えております。
 このたび資源エネルギー庁の報告もありましたことを踏まえ、特別委員会を開催をいたしまして、現在対応項目等について検討を進めているところでありますが、今回の一連の事故は貴重な教訓を得たと考えておりますので、この教訓を今後に生かす意味合いからも、この事故をめぐって、それを弁護したり、また誤解を与えるようなことのないように対処をしてまいることをお約束しておきたいと思います。
 私たちはTMI事故が起きました直後に、アメリカに現地調査にも参りましたし、ケメニー報告を受けて、労働組合として関係各界にいろいろな提言をいたしてまいりました。このことは、私たちが直接原子力発電所に従事をしているという立場から、このことを非常に重要視をして考えてまいったわけであります。
 その一、二を御紹介をいたしますと、特に行政内容につきましては十項目にわたりまして行政主管官庁に要請、提言をいたしてまいりました。安全審査指針の法的な裏づけ、さらには工事計画認可と品質保証体制など、十項目の行政省庁に対する申し入れを行ってまいっておりますし、また経営体制につきましても、社内自主監査機能の強化と、自主点検のルール化などを求めてまいっております。さらには、緊急時におけるいろいろな情報公開のあり方を含めた問題等についても提言をしてまいってきたところでありますが、残念ながらこれらの問題については提言の域を出ず、私たちの力不足もございますけれども、具現化されていなかったことに今回の大きな問題の起因があるというように考えている次第であります。
 そういう立場で、今後まずわれわれとして労働組合の立場からやらなければならないのは、今回の敦賀事故について、やはり原子力発電所に対する国民の不信というものが助長されたことは否めない事実でありますから、そういう観点から、いかにして原子力発電に対する信頼回復を行うかということが第一義だと思います。
 そのためには、先ほど申し上げましたように、経営に対しては厳しく運営管理体制を含めたあり方というものを求めていかなければならないというふうに考えておりますし、また直接従事をしております労働組合の立場から、十分チェック機能が発揮できるような組合運営のあり方というものも、抜本的に考えていかなければならないと考えております。この両者が相まって、まず原子力発電の安全というものについて、当事者みずからが責任を持って対応するということを前提として、行政のチェック機能というものに対する見直しを要請をしてまいりたいと考えている次第であります。
 その一つといたしまして、事故をめぐる解釈の問題であります。現在は、軽微な事故でも報告が義務づけられておりますが、軽微な事故とはどういうものなのか、また事故と故障の区分けは、どういうところで区分けをすべきなのか明らかでありません。その観点から、われわれはいままで環境への影響がどうなのか、さらには、そこに直接働くわけでありますから、作業の安全性についてはどうなのかという視点で物を考えてきたのが実態であります。そういう観点で見ますならば、今回の事故もその観点のみで見ていく場合には、十分配慮されたと確信をいたしておりますが、その判断の前提でありました設備の不信、設備が悪かったわけでございますから、設備に対する信頼が崩れていたわけでございまして、そういうことが今回の問題の大きな起因となっているというふうに思います。
 そこで問題なのは、軽微な事故をめぐります判断が、率直に申し上げまして、直接原子力発電所に働いている者と、国民の皆様方との間にやはり事故、故障に対する認識に対してのギャップがあったということは否めない事実として、われわれとしては認めていかなければいけないと考えております。そういう中で、軽微な事故でも報告をしていくという前提で、事故の公表範囲を明らかにするために、第三者の中立機関を早急に設置をすることを検討していただきたいと考えております。そのための協力については、電力労連といたしましても積極的に協力をしていきたいと考えております。
 次に、運転中の保修範囲の問題についてであります。原子力発電所には、火力発電所や水力発電所に比較して多くの機器が設置されておりますし、加えて原子力発電所の場合は、御承知のとおり、放射線、放射能により管理区域が設けられております。私たちは被曝低減の立場から、作業方法や日量の最大計容線量、三カ月、年間の最大許容線量を重視してまいりましたが、今回の事故問題で、これに加えまして運転中に可能な保修範囲についても検討が必要ではないかと考えております。そのための検討にも着手をしてまいりたいと考えている次第であります。
 次の課題は、資源エネルギー庁の報告でも指摘をされておりますが、運転管理専門官制度のあり方と並行をいたしまして、現在の主任技術者の役割りについても検討することが必要だと思っております。原子力発電所の場合は、安全設計は国の審査に基づき建設されておりますが、その設備維持は、保安規定の遵守はもとより、自主的な保案件業により確保されているのが実態であります。しかし、より慎重を期すために、保安規定の遵守を確実に監査できる機能と、その位置づけを明確にすること、自守点検すること、さらに記録にとどめることをルール化する必要があると考えております。そのためにも原子炉主任技術者を可能な限りスタッフ化し、監査機能の任務が果たし得る体制を確立すベきであると考えております。
 いずれにいたしましても、人為的なミスを皆無にすることは不可能であります。仮に人為的なミスがあっても、設備的に安全が担保されていることが条件であり、そのため現在の原子力発電所の安全設計の基本的な設計は、多重防護を重点としたところにあると思います、その視点から今回の事故を見る場合、付帯設備に対する考え方に安易さがあったと指摘せざるを得ませんし、この教訓を生かすことがより安全を高める前提であると思います。そのほかにも今回の事故を教訓として生かさなければならない課題がありますし、原子力安全委員会の調査結果を踏まえて前向きに検討いたしまして、来月上旬までには電力労連としての見解をまとめ得るよう作業を進めているところであります。
 最後に、原子力発電の安全性についてでありますが、安全問題は、環境への安全性と従事者への安全性に分けることもできると思います、原子力発電所を運転する限り、放射線、放射能の放出をゼロにすることは不可能であります。しかし、現状を見ますと環境への放出はごく微量でありますし、その値は法令で定められている値より数段低いものであります。この値は、自然放射能の変動値の範囲内であり、問題ないと確信をいたしております。私たちは、環境への放出はさらに減少するよう努力をすべきであると考えておりますと同時に、作業従事者の被曝低減にも積極的に取り組んでおります。
 現在、作業従事者の被曝管理は、合理的に達成できる限り低く抑えるというICRPの勧告に基づき対策を講じられてまいりましたし、今後もあらゆる方策を検討し、その低減に努めてまいりたいと考えております。現状はICRPの勧告を取り入れた国の法令の定めてある年間五レムを大幅に下回る被曝管理がなされているわけでありまして、その安全は十分に担保されていると考えております。
 次に、事故時の安全性でありますが、多重防護を初めといたしまして、ECCSを初めとする設備的なものが、絶えず安全サイドに機能するようなシステムになっておりますので、環境等への影響は心配ないと断言できると確信をいたしております。また、その確信がなければ、だれよりも早く、まただれよりも多くの影響を受けるわれわれ従事者として許容できるものではありません。
 電力労連が原子力問題に取り組み、原子力発電を推進する立場をとっておりますのは、電力労連にとってみずからの損得勘定や打算に根差しているものではございません。原子力発電について、これらの推進を図ること自体が目的ではなく、わが国のエネルギーの安定確保こそが目的であります。現状では当面の戦力として、エネルギーの安定確保のために、原子力発電所の推進が不可欠の条件であると認識していますし、今回の事故を教訓として、さらに安全性を高めるたかの諸対策に積極的に取り組むことを申し上げ、簡単ではございますが、私の意見とさしていただきます。
#15
○委員長(細川護熙君) ありがとうございました、
 以上で参考人の方々の御意見の開陳を終わります、
 それでは、これより参考人の方々への質疑を行います。
 質疑のある方は順次御発言願います。
#16
○熊谷太三郎君 私も、いま高松参考人がお話しになりましたが、原子力の技術者でもありませんし、専門家でもございませんので、お尋ねします中には、めだるい点も多々あるかと存じますが、御寛容いただきまして、簡潔にお答えいただければ幸いでございます。
 天野参考人にお伺いいたしたいと存じますが、天野参考人のお話では、原子力開発は初期の段階からきわめて厳重な審査、検査の行政体制がつくられていて、他の産業分野ではこのような例はないというようなお話かと存じます。そこで、どのような産業分野、たとえて比較していただけばと思うんですが、一つ二つ例がありましたらお話を願いたいと思います。
#17
○参考人(天野恕君) 御質問にお答えいたします。
 直接比較することは大変むずかしいわけでございます。と申しますのは、私の意見の中でも申し上げましたように、原子炉、原子力発電所の設置に当たりましては、原子炉等規制法と電気事業法二つを軸といたしまして、系統的に工程の順を追って規制がなされております。
 最初に、許可については総理大臣に設置の許可を求め、それを得ることが不可欠となされておりますし、それから非常に俗なことでございますが、たとえば合併をしたいというときには、総理大臣が認可しないといけない。これに対し、御案内のように、ほかのプラントでは、合併その他を行うことは比較的容易である。こういった幾つかのことがあるわけでございます。
 それで、非常にむずかしい御質問ではございますが、可能な限り比べてみますと、大型の化学プラントというものと、原子力発電所を比べさしていただきたいと思います。最初に、主要な規制法規ということで考えてみますと、大型の化学プラントにおきましては、工場立地あるいは事業の内容に関して、工業立地の調査等に関する法律に基づいて、着工九十日前に申請をすればよろしい。それから、常時十人以上を使用する危険または有害な事業及び常時三十人以上を使用する一般の事業にあっては、着工四日前に事業場の設置届け出を、労働安全衛生法に基づいて申請または届け出ればよろしい。こういうふうなことになっておりまして、原子炉等規制法による限り、このようなことは考えられないわけでありまして、御案内のように、十分な安全審査等を行いました場合にはきわめて長い期間を要すると、この点からして異なっているわけでございます。
 それから次に、実際に工事の各ステップで、どのような安全に関する検査が行われているかということに限って比べてみますと、化学プラントにおきましては工程の各部分、たとえば、高圧容器を使うとかそういう場合に、高圧ガス取締法あるいはボイラー及び圧力容器安全規則などと申します関連法規に基づいて、その部分についての検査が行われます。もちろん従事者に対する安全、それから企業自体が確保しなければいけない利潤の確保ということもございまして、そういう事業所では、それ以外にも自主的に配管の健全性その他は行われているわけでございますが、仮にそれらについて何らかのデータが不足しても、ボイラーそのもの、高圧容器そのものは、一応設置されるという仕組みになっております。
 しかしながら、原子力発電所におきましては、一つ一つについて細かく現場に係官が立ち入ってまいりまして、物差しを持ってはかって、人によりますが、私どものような研究開発機関におきましても、設置に際しては一ミリ違うということで半日近く怒られると、そういう例もたまたま起きるぐらいに厳重に行われているわけでございます。
 それからいま一つ、仕上がった後、一体どれだけのテストが必要かと申しますと、それらの検査に合格して化学プラントが動き出す場合には、一応通しの運転を企業として行うということが適例でございます。これは無事に動いているということが確認されると、直ちに本格操業に入るわけでございます。原子力発電所の場合には、十分な試験運転期間を置いて、その間に当初評価しましたとおりのことが確保されているかどうかを確認した上で、次のステップへ移る。ですから、実際に設置を計画いたしましてから、実際の商業運転に入るまでには、非常に長い期間をかけて安全性を確認しながら一歩一歩進んでいく。
 さらに、動き出してから後も運転計画はその都度提出し、事前に評価を行ったものとの照合を怠っていない。このような例は、やはり他種産業と比べてみていただいた場合に非常に特殊な例である、原子力のみに適用されている点であると考えます。やはり基本的にいろいろなことを考えました場合に、このような態度が持続されているということは、安全確保上大変大事なことである。この点は守られていると、私はそう考えております。
#18
○熊谷太三郎君 続いてお尋ねいたしますが、言うまでもありませんが、この世の中には絶対安全というものは、それこそ絶対にないわけであります、しかし、そういうことを考えてみますと、必要な何物をも実用にするわけにはいかないわけでありますから、いま参考人がお話になりましたようにリスクとベネフィットの関係、たとえばでございますが、いろいろな関係から必要な機器やサービスは安全法規を忠実に守って、慎重に運転するということを条件にして、実用に供していくというのが現状であるかと考えるわけであります。
 そこで、原子力発電ということも、いま言った考えの中に当てはまるのではないかと思いますが、当てはまるかどうかということを、簡単に一言だけお答えをいただきたいと思います。
#19
○参考人(天野恕君) お説のとおり、絶対安全ということは原子力の世界においても残念ながらございませんが、リスク、ベネフィットその他を参考といたしまして、安全慎重に一つ一つのステップを確実に行うということで、さらに多重的にいろいろな防護措置を講ずるということで、実際人間生活の中で考え得る限りの最高の安全性を保つようにしているし、現に実行されていると、そのように考えております。
#20
○熊谷太三郎君 いまお答えのとおりであると思いますが、そういうふうなことで原子力発電が実用に供されているわけでありまして、その中では先ほどお話にありましたように、現在までに事故のための犠牲者はなかった、あるいは環境に著しい被害を与えたことはなかったということを承りましたが、従業員の問題でありますが、従業員が治療を要するといったような被曝を受けたことがあるかどうか。あるとすればその内容等について承りたいと思います。
#21
○参考人(天野恕君) 現実に商業用発電炉に関して申し上げる限り、従業員において非常に重大な障害が発生した事例は寡聞にして聞いておりません。
 それからいま一つ、治療を要するような被曝はあったかというお尋ねでございますが、確かにいわゆる基準というものと比較したときに、非常にそれに近い被曝、あるいはならしで見ないで、そのときだけで考えたときには、非常に大きな被曝と考えてよいものを受けた人たちが非常にわずかに存在いたしておりますが、その際も特殊な治療ということではなくて、念のためにお医者さんに送って、その後監視したと、念を入れたという程度のことだというふうに私は理解しております。
#22
○熊谷太三郎君 それから、よく言われておりますし、どなたか参考人の方からもお話がございましたが、放射線の被曝によりまして遺伝的な障害があらわれるとか、あるいはがんの可能性が多いとかというようなお話がありましたし、われわれも始終耳にしているわけであります。果たしてその根拠がどうかということになりますと、なかなか学問的にこうだああだというような結論はむずかしいかと思いますが、それはとにかくとしまして、現実に放射線の被曝によりまして、そういう遺伝的な障害があったとか、あるいはがんが発生したとかというような実例が今日までにあったかどうかということを、やはり天野参考人にお尋ねいたしたいと思います。
#23
○参考人(天野恕君) 現実に、明らかに原子力発電所周辺で、それの被曝に基づく遺伝的または発がん等の影響が起こったと、はっきり言えるような事象は起こっておりません。
 それからまた研究につきましても、これは古賀参考人の方からお話がございましたように、研究は数多くなされておりますが、なかなか低い線量になりました場合には、ぽっきりと科学的に断定できるようなところまではいっていないと、そういうことと照らしてみまして、いままでにも起こっておりません。
 結局これらの点を考慮いたしまして、私どもとしては、現在の規制値と申しますものは十分に安全サイドに設けられていると。たとえば、今後いろいろなデータが蓄積されてきても、十分にまだ余裕を持った安全性のある基準であると、一応そのように考えております。
#24
○熊谷太三郎君 これは高松参考人からもちょっとお話のあったことでございますし、これまた、ときどき話題になる問題でありますが、原子力におきます事故という問題であります。
 一口に事故と言いましても、いろいろの場合があるかと考えるわけであります。通常の常識で言いますと故障にすぎないといったような場合もあるかと思いますし、あるいはまた、非常に重大なストレートに外部に影響を与えるというようなことがあるかもしらぬと思いますし、その中間的な、言ってみればいろいろな故障、事故というものがあると私どもは考えるわけであります。
 もちろん、どんなささいな問題でありましても、技術上一つの注意しなければならぬ点と認めて、これを取り上げるということは、原子力の安全性をより高めていくために必要であると考えますが、ただ一概に事故、事故というようなことで取り上げられて世間に発表されたりいたしますと、場合によっては一般の国民に、あるいは地元の住民に無用の刺激、無用の心配、無用の不信、無用の混乱、そういうものが起こることもあると思います。
 ただし、どういう影響がありましても、重ねて言いますが、ささいなことでも安全性に関係のあるものはこれを取り上げて報告し、発表していただかねばならぬと思いますが、ただそういう故障なり、事故なりの区別といいますか、そこに一つの区別を設けまして、これはこの程度の範囲である、この程度の事故であるということを明らかにしていただくことが、今後の原子力の円滑な運転のために非常に必要ではないかと思っているわけでございます。したがって、そういうことを区別することが可能であると思いますが、そういうことをすることの適否といったような問題、果たして幾つかに事故の種類を分けて取り扱うことが適当であるかどうかということについて、天野参考人はどういうふうにお考えになっていますか、お考えがございましたら、承りたいと思います。
#25
○参考人(天野恕君) 最初にお断りしておきたいことは、これに関しては私の全くの私見でございますが、ただいまの御質問にございましたように、事故、故障というものをよく見きわめて、ある区別をつけていくということは可能であると考えております。と申しますのは、システムが全体に大きくなったために、事故も含めてそのとおりに再現するということが非常にむずかしくなっているというお話がございましたが、一つ一つの部分について考えてみますと、これは人間が取り扱えるサイズの範囲に入っております。
 したがいまして、その両端に適当な模擬条件を設けまして、その際に部分品がどう働くかということを確かめていくということで、それが起こす故障ないしはそこに起こった何かの事故が、次にどのようにどこに影響していくかということを確かめていくことができるわけであります。そういう部分をつくった上で、全体をいろいろな組み合わせでつないでみましたときに、いろいろなタイプの事故を再現していくことができる。そういう観点から見ましたときに、この部分についてはここまでは安心できる、あるいはここはどんなに小さなことでも、つながる先を考えてみたときに厳重にすべきである、そういった区別はできるようになると存じます。
 ただ、実際には、幾ら部分的な部分でそれぞれが分担して実験を行いましても、全体の事象の数が非常に多くなるため、一部まだ欠けている面がございまして、トータルシナリオと言っておりますが、全体の事故シナリオというものを完全に近い形までは持っていけない現状でございますが、しかしだんだんに解決しているし、それから先ほども申し上げましたように、どうしてもわからない部分は、危険度を少し大き目にとっていくということでカバーすることで十分にやっていけるものと、そのように考えております。
#26
○熊谷太三郎君 これは参考人に申し上げることではないかもしれませんが、大別してもいいと思いますから、われわれとしましては、何とかそういう定期検査を待って修繕してもいいというようなものがあれば、そういうものと、すぐに運転とめて直さなければならぬというもの、あるいはこれが外部にどの程度に影響するかというふうな点も、解析といいますか、評価していただいて、そしてそういう区別がなされるといいと思っておるわけでございます。
 そこでおしまいに、高松参考人に一言だけお尋ねかたがた御要請したいと考える点がございます。
 今回の、たとえば敦賀の日本原電におきまして事故隠しということが数回行われてきているわけであります。これが非常に原子力発電に対する信頼をあるいは損ねているという点があるかと思いますので、このような点をなくさなければならぬというふうに思います。ということは、もう先ほども言いましたように、どんなささいな問題でも、決してこれを隠すとかあるいはそれを公表しないということではなくして、どんなささいなことでも、技術上明らかにすべき点は明らかにしなければなりませんが、日本原電の例によりますと、ただいまも申し上げましたように、それが内部から会社の現場なりあるいは当局なりを通さないで、直ちに通産省なりあるいは報道機関なりに知らされているわけであります、これが非常に、いま言ったように国民に不安と不信を与える結果になっているわけであります。
 言うまでもありませんが、そういう事故が発生しましたときには、もし会社の責任者なりあるいは会社当局においてそれを気づかないといった場合には、願わくは現場に従業されます電力労連の方々、一応会社にそれを通報していただき、そして会社からいわゆる正当な方法で世間なり政府なりに通報され、公表されるということが非常に望ましいと考えるわけであります、いま、この問題については、むろん電力労連の方々がどうだというのではありませんので、ただそういう問題を知り得られる機会が一番多いわけでありますので、将来はそういうことにつきましてもやはり電力労連の御協力によりまして、ひとつ会社の当事者なり責任者なりに厳重にそういうことを御通報願うなり御指摘いただいて、そしてこれが会社の上部を通さないで、直ちにだれかの手によってそれが外部に、あたかも会社なり現場なりが事故を隠したように受け取られるということがないようにということをわれわれは念じているわけでありますが、そういう御協力を今後ともしていただきたいと思いますが、何かお考えがありましたら承りたいと思います。
#27
○参考人(高松実君) ただいまの熊谷先生の御指摘、先ほど私の方からも申し上げましたように、そのとおりだというふうに認識をいたしておりますし、労働組合として果たしていかなければならない役割りの大きな課題であるというように認識をいたしております。そのために、やはり私たちみずからが事故であるのか故障であるのかという判断をするのではなくて、事故か故障か、またそれを報告をしなければならないのかどうなのかという問題について、ささいなものでも公開をし、報告をするという前提に立って、どういうものをするべきなのかというルール化を、まずしていただきたいというふうに思います。
 それは私は、天野参考人が言われましたように、全システム的なものをつくるということは事実上不可能だというふうに思いますので、例示的な問題でもそういうものをつくっていただけますならば、その例示との比較の中で、労働組合としてのチェック機能を働かしていくことが十分可能であるし、そういうことを十分やっていきたいというように考えているところであります。
#28
○熊谷太三郎君 ありがとうございました。
 おっしゃるとおりでございまして、先ほどもお話がありましたように、果たしてこれは公表すべき事故であるか、それに及ばない事故であるかということについては、今後ともそういうことが明らかになった上での御協力を求めるというのが正しいかと思いますが、どうかそういうおつもりで今後とも善処をしていただければ大変ありがたいと考えるわけでございます。
#29
○岩動道行君 委員長、関連。
 本日は参考人の各位におかれては大変貴重な、それぞれ専門的なお立場からお話を承りまして、大変参考になりました。
 ところで、ただいま熊谷委員からいろいろな点についての御質問がございましたが、私はそれに関連しまして国民が今度の敦賀事件、敦賀事故についてどうもよく理解ができてない点があるのではないかと思いますので、この点について御意見を伺いたいと思います。
 敦賀事件それ自体はまことに遺憾なことであり、日本の原子力政策を推進する上においても非常に大きな障害を与えたことは否めません。これは国を挙げて反省をしなければならない点だと思いますが、ただ今回の事故が、ただいま高松参考人からもお話がございましたように、環境にあるいは従業員に対しても致命的な影響を及ぼしたものではないということは、せめてもの慰めであったと思います。
 ところで、今回の事故発生に伴って通産省が新聞発表いたしました。そして、それに基づいて報道関係は大々的な報道をされたんでありますが、その放射能の数値について、何ミリレムであるとか、あるいは何ピコキュリーとか、これが専門家でもよほどちゃんとやってないとわからぬで、われわれにはどうもよくわからない。一般の国民も全くわからなかったのではないかと思うんです。
 これはIAEAとかなんとか、国際原子力機構等で決まった国際的な技術的な用語として通用しているものだとは思いますが、国民にはわからないんですね。これをもっとわかりやすく言わないと、ピコキュリーの何万倍だと言われることになっても、とんでもないことだと言ってみんなあわてふためく。実際には環境にも影響がなかった、魚にも何の影響もなかった、こういうことでございまするから、そういう点につきまして、私は、国際の技術的な決まった数値は使わざるを得ないかもしれないけれども、一方において国民にわかるような何か表現はないものか。先ほど古賀先生は、レントゲン何枚とかいろいろなことをおっしゃいました。あるいは自然放射能でどうだとかおっしゃいました。
 そこで、たとえば地震でいえば震度一から震度七まであるというと、震度一か、ああ、まあまあと。震度七と、これは大変だなと。こういうことで、それぐらいのものが来るとか、あったということになると、皆心配をしたり同情したりなんかする。そういうような何かわかりやすいものをひとつ皆さんで御検討なさって、この機会に何かいいお考えあればお教えもいただきたい。レントゲン何枚撮ったらどうだとかといったようなことも、一つの基準かもしれない。しかし、それだけでは正確なものではないという専門的なお立場もございましょう。そこら辺をこの機会に、参考人のそれぞれの方からひとつ何かお考えがあればお教えをいただきたい。
 それから、被曝被曝という言葉をお使いになるんですが、これは広島、長崎の原爆を受けた日本国民としては、当然被曝という言葉はそれに結びついてくることは間違いありません。あるいはビキニの実験から受けたような問題。そういうことで、被曝というと原爆にすぐ結びついちゃうんですね。これは原爆とは全く違うんですよ。そういうことから見ましても、何かもっと適切な表現というものが、学者や専門家の間からも出てよろしいのではないか。そこら辺について、この機会に参考人のそれぞれの方々からお話を聞かせていただければ幸せだと思います。
#30
○委員長(細川護熙君) それじゃ簡潔に一言ずつ。
 天野参考人からお願いいたします。
#31
○参考人(天野恕君) 大変むずかしいお話でございますが、ただ、被曝という言葉は、これは学術用語でございますので、これを変える、あるいはほかの言葉に置きかえるということについては、実は私もほとんど考えておりませんでしたので、今後勉強させていただきたいと存じます。
 それから、数値につきましては、地震の震度に相当するような表現などはできないかということは、非常におもしろいと申し上げては失礼でございますが、御着想でございまして、確かに何かあるような気もいたしますが、この点につきましても、もう少し勉強さしていただきたいと思います。
 御趣旨のほどは十分にわかりました、どうもありがとうございました。
#32
○参考人(高木仁三郎君) やはり非常にむずかしい御質問だと思います。私もいまこれという意見を持ち合わしていないんですけれども、一つの問題としては、やはり余り他の世界の用語に還元してしまうと、かえって単純化のきらいがあるということがありますので、御意見は私どもの今後の参考にさせていただきますが、いまのところむずかしい専門用語のようなことをやたらに使うべきでないということについては、私も同意見でございますが、なおかつ、問題の全体の広がりというものを正確に理解するように、余り単純化し過ぎないような形で、わかりやすい問題の提示の仕方ということに心がけていきたいと思っています。
#33
○参考人(古賀佑彦君) 私も特別に考えはございません。ただ、基本的に先生のおっしゃるような考え方というものは私どもも同感いたします。
 線量について、レムとかラドとか、先ほど私も申しました。それからレントゲンの検査ということなどもちょっと申しましたが、レントゲンのたとえば撮影枚数に比べるというのは、余り適当ではございません。レントゲンの検査というのは、一つそれによって利益を受けるということがございます。ところが、こういう原子力の問題は、被曝という言葉を使うとしかられるかもしれませんが、被曝をした人は直接の利益を受けないというところで違うわけでございます。
 ただ、この問題は安全という言葉、たとえばよく安全宣言などをいたしますけれども、安全という言葉を、どういうふうに皆さんがお考えになっているかということによって、使い方がまた変わってくるのではないかと思います。
 被曝という言葉に関しましては、これは実は私どもの仲間うちでも、被曝という言葉は適当ではないのではないかという議論が少し出ておりますことを御紹介申し上げます。しかし、特にそれに対していい言葉を思いつきませんです。
#34
○参考人(舘野淳君) おっしゃったことは、確かにそのとおりだと思います。たとえばケメニー報告ですと、これはぜひ一度読んでいただきたいと思うんですけれども、スリーマイルの事故があって、それの情報の伝わり方が非常に混乱をしたということで、一般の知る権利というところで、新聞記者の方を通して、あるいは発表その他のあり方に関して、その用語がむずかしいからということではないんですけれども、やはりきちんと、どういうふうに一般に知らせるかということを考えていかなければいけないという適切な指摘がしてあると思います。
 ただ、私としましては、レム、キュリーというふうな表現が非常にむずかしいということはあると思いますけれども、私が先ほど述べましたように、一例を挙げますと、原子炉の中の放射能とそれから外で許容される比率というのは、十の十二乗という比率なわけです。この十の十二乗というのは、われわれの常識で考えられる数字かといいますと、これは先ほど言いましたけれども、非常に大きな数字なわけですね、百万分の一のまた百万分の一というふうなことで。これを簡単に常識で理解しろといってもむずかしいのと同じように、つまり原子力技術というのは、それほど一般の常識を超えてまだいろいろ問題があるということも含めまして御了解いただければというふうに思っております。
#35
○参考人(高松実君) 私たちも、国民的なコンセンサスを得るという立場で、先生と同じ悩みを持っているということを率直に申し上げておきたいというふうに思います。科学用語、数学用語でございますから、これを一朝一夕に切りかえるということは、私は事実上不可能だというふうに思っております。
 ただ、そのことが与える影響というものは非常に大きいわけでございますので、それをどのようにしていくのかということになりますと、たとえば一つの事例でございますが、数値の問題で言いますと、国の環境放出基準との関係でどう見るべきなのかというような考え方で、一般的な知識を広めていくというようなことなども必要ではないだろうかというように考えておりますが、いずれにいたしましても、現在のところは、たとえば放射線、放射能、放射性物質というような言葉を使いましても、それがどのように違うのかすらもわからないのが実態でございますから、ある意味から言えば、原子力を定着をさしていくためには、正しい知識グループというものをより広めていかなければならないではないか。そういう意味で、やはり労働組合としてそういう意味での正しい知識の核をより多く広げていく運動というものを、今後ともやっていきたいというふうに思っております。
 それから、なお被曝という表現の問題でございますが、この問題も私たち労連内部の中では印象的にまずいという意見は出ておりますけれども、これにかわる言葉ということはいまのところ見当たりませんので、私たちも被曝を低減をするという言葉で、被曝という言葉を通しているところでありますが、実態をやはり認識をしていただくという意味で、先ほど申し上げましたような運動、正しい知識を普及させる連動というものに力点を置いていく必要があるのではないかというように考えております。
#36
○小柳勇君 参考人に質問いたします。
   〔委員長退席、理事遠藤政夫君着席〕
 先般、OECDのエネルギーのシンポジウムがありまして脱石油、省石油の代替エネルギーは、石炭と原子力とLNGと三本の柱であるということは、大体各国とも一応の合意を得たにかかわりませず、原子力発電の安全性についてはけんけんごうごうで合意がありません。それほど世界で原子力発電を使っておるにかかわりませず、安全性についてなお意見が非常に分かれている、そういうことは非常に人類の不幸であります。
 特にきょう五人の参考人の御意見を聞きながら、現在千数百万キロの原子力発電の電力を使っておる日本の国内で、これだけの意見の分かれがあると、こういうことを考えています。同時に、このエネルギーの特別委員会で、いま安全性について参考人から話を聞かなきゃならぬ、そのこと自体が私は大変な問題ではないかと思います。したがいまして、この委員会としては、年々歳々原子力発電あるいはその他もそうでありますが、安全性についてはもっと金をかけて研究陣を強化して、安全性を国民が本当に理解できるような、そういうものを積み立てていかなきゃならぬと考えました。
 時間が私に三十五分ありますが、時間を節約する意味で、御三人の方にまとめて質問いたします、初めに高木参考人、次に古賀参考人、最後に高松参考人、簡単に問題を言いますのでお答えを願いたいと思います。持ち時間が三十五分でございますから、どうぞ御勘案ください。
 第一は、高木参考人でありますが、舘野参考人からもスリーマイル島の事故の問題については御報告がございました。この事故によって、世界の国民が原子力発電に対して非常な不安を持ち、危惧の念を抱いていることは事実であります。したがいまして、高木参考人にはスリーマイル島の事故の安全性の問題で、それにしぼってどういう分析をされておられるのか。なぜこれが発生して、どういう欠陥がアメリカの原子力発電にあるのか、それはどうしなきゃならぬのか、そういう問題についての御意見を聞かしていただきたいのであります。
 次に、同じ高木参考人に第二の問題でありますが、このスリーマイル島の事故は、日本の電力その他原子力発電についても相当大きな教訓を与えているはずです。にもかかわりませず、敦賀の原子力発電所の事故が発生している。まだいろいろ新聞を見ますというと、ほかの発電所でもいわゆる隠し事故があるのではないか、敦賀自体にも事故が隠してあるのではないかということが報道されている。したがって、あのスリーマイル島の事故を教訓に生かして、今後敦賀の発電所の事故のようなものを発生させないためには、たとえばその原因は何であるか、安全基準はどうしたらいいのか、安全行政のあり方は一体どうあるべきであるか、これらの問題点についてお聞かせを願いたいのであります。
 それから第三点は、きょうも天野参考人からお聞きいたしましたが、従業員の被曝については、人体に影響するようなことは余りないんだと、それから放射線の許容量以下でありますということ、そういうことをおっしゃいました。したがって、労働者の被曝で、人体がどういう変化を受けて、どんな危険性があるのか。しかも現在の発電所の設備では、天野参考人及び高松参考人も、従業員としては心配ないんだという御意見でありますが、被曝の恐ろしさ、そういう危険性についての本質的なものについての御説明を願いたい。
 それから最後の、これも高木参考人でありますが、原子力は軍事利用から出発している。軍事利用と平和利用というものが、完全に区別できるかどうか。たとえば平和利用を盛んにいたしまして、これがまた軍事利用に簡単に移行していくのではないか。平和利用をわれわれ進めるが、これが軍事利用に安易に、簡単にと言いましょうか、転化できるとするならば大問題であります。その点の軍事利用に転化しないということですね、これは全然別ですよと、そういうことが言えるかどうかについてのお話を聞きたい。高木参考人は以上の四点であります。
 それから古賀参考人には一問でありますが、私が方々からお聞きしたところによりますと、病院にレントゲン技師がおられますね。そのレントゲン技師さん、若い人たちは防護装置が大変発達しまして心配ないけれども、中年以降年配の方は、子供を持った人が非常に少ないと、言うなら男性の機能が鈍っておられるのではないかと。たとえば私は福岡ですけれども、福岡に帰って、病院に行って先生聞いてごらんと、年配のレントゲン技師は、恐らく子供は余り持っておらぬのではないかと言われております。こういう問題について、私だけの相愛であるか、この点について古賀参考人から御意見を聞きたい。
 それから高松参考人からは、大体労働者の被曝は基準以下でありますと、だから心配なくやっておりますというお話であります。労働組合段階での分析の結果でありましょうが、現場の労働者、働く労働者あるいは下請産業の労働者諸君は、あの原発の中で働いておって、被曝の問題については一切心配はないのでしょうか、本人たちは。もう安心ですよと、そうやって現在の設計の発電所で本当に安心して働いておられるかどうか、高松参考人のお話を聞きたいのであります。
 以上です。
#37
○参考人(高木仁三郎君) お答えいたします。
 問題が四点ばかり大きな問題ございまして、時間も制約がございますので、それぞれ簡単になるかと思いますが、その点は御了解いただきまして説明させていただきます。
 まず、スリーマイルアイランドの事故でございますが、これはケメニー委員会の報告にも、二度と起こしてはならない事故であるというふうに言われているように、私もこの事故は結果として大したことなかったということで済ましてはいけない事故だと思います。その上で、この事故はなぜこういうことになったかという問題でございますが、一つは、先ほど私、原子力発電所は十分に実証性がないということを申しましたけれども、そういったやはり実証性のなさからきている問題だと思います。特にコンピューターによる安全解析というものが、小さな配管の故障も含めて、あらゆる現象をカバーできない。にもかかわらず、そういった小さな事故からスリーマイルのような大きな事故まで発展し得るというのが、実例をもって示された例だと思います、そういうことを一々安全審査の過程ではやっておりませんし、把握もされておりません。そういった、しかし安全審査で予想した気体性の放射性物質の放出量をはるかに超える、技術的見地からはあり得ないとされたような事故が、あのスリーマイルの事故だったわけですから、そういう点で一つ問題が考えられなくてはならないと思います。
 さらに申しますと、どういうところに問題があったかと言いますと、一つは共通要因、これは原子力の安全性についての、言ってみれば安全神話というような形で言われるもとになりましたラスムッセン報告というものがございますけれども、そのラスムッセン報告というもの、ラスムッセン報告自身は、わりあい詳しく事故に至る経過等についての分析を行っているものでございますけれども、結果としてはそのまとまり方が、非常に原子炉の大事故を起こす確率は小さいというような形でまとめられて、俗には隕石が頭の上に落っこって死ぬぐらいの確率だというような形で済まされてきたことによって、いろいろと安全性の問題というのが曲げられてきたところがあると思います。
 ラスムッセン報告の大きな問題点というのは、事故の絶対確率というようなことが非常に無理にもかかわらず、それを結果としては印象づけるようなことをやってしまったということ。それから、人間の行動や動作の要素というのを数量化できない要素があるわけですけれども、そういうものを十分に数量化し切れていなかった。それから、小さな故障というような問題から、大きな事故に発展する可能性があるという問題は、ラスムッセン報告では指摘があったんだけれども、その指摘が十分にその後の行政等に生かされなかったということ。それから共通の要因、火災でありますとか、地震でありますとか、あるいは人為的なちょっとしたミスが、いろんな故障を次々呼び起こすような共通の要因になってしまうというようなタイプの事故があります。
 こういうことがうまくラスムッセン報告では把握されなかったということがあります。やはりその一つ一つがスリーマイルでは起こっているわけです。そういう共通のちょっとした要因から大きな事故に発展するということであるとか、いままで無視されてきたような小さな配管破断、小さなちょっとした穴あきみたいなことが大きな事故に発展するとか、それから、小さな事故の重なりみたいなこととか、そういう問題がうまく把握されてこなかったのが、スリーマイルアイランドの事故でははっきりした。
 それからあと、人為的要素というものが重要視されてくるようになってきました。これは一般に人為ミスの問題と言われておりますけれども、人為ミスというよりは、人間の操作と非常に複雑化してくる機械、事故のときにたとえばアラームが何百も鳴るというようなこととか、そういうシステムの中で人間の判断には限界があるという問題とか、これが原子力のような大きな発電システムの非常に基本的な問題だと思います。そういうことが次々とスリーマイルアイランドの事故で実際問題として明るみに出た、この点はひとつはっきりしておかなくてはならないと思っております。
 それから念のためつけ加えておきますけれども、スリーマイルの事故で、結果として影響はなかったというふうに軽々しく言うべきではないと思います。これは事故の後で、たとえばペンシルベニアの大学のスターングラスというような人は、風下地域で新生児の死亡率が上がっているというような報告を出しています。スターングラス報告については若干疑いを持つ人もいますけれども、当時ペンシルベニアの保健局長であったマクレオドという人の論文でも、やはり新生児の死亡率の増加、それから幼児の甲状腺機能低下というのがありますけれども、これは発育異常を起こす病気ですけれども、はっきりと異常が認められているという報告をしています。
 ただ、マクレオドの言い方がぼくはある程度慎重な言い方としては当を得ていると思うんですけれども、こういう問題を詳しく調べ得るような体制も、当時スリーマイルにはなかったし、周辺にもなかったし、それから漏れ出た放射能量についても、厳密な意味で初期の段階では体制が十分でなくてはっきりしていないとか、しかも、いまのところ統計に出てきている数はまだ例が少なくて、ここからはっきりした影響というのを、否定的にも肯定的にも言うことはむずかしいような状況がある。だからということで、影響がなかったと言うべきでないというのが、マクレオドの言い方ですけれども、そういうような複雑さを事故というのは必ず持っているわけですから、決してその影響がなかったというふうにこの問題を考えるべきでないと思います。
 さらに言えば、NRCが委託しましたロゴビン報告というのが八〇年の一月ごろ出ていますし、その中でも、もうちょっと事故の処理を誤れば、完全なメルトダウンに至っているケースというのが幾つかあったというふうに指摘がございます。それほどやはり深刻な事故だったというふうにとらえるべきだと思います。
 さて、そのような事故がどう総括されたかといいますと、これは一つにはアメリカでも非常に不十分な、たとえば大統領委員会なんかでは全面的な組織の改編とか、物の考え方の変更というようなことを舘野参考人からも言われたわけですけれども、そういう体制が十分でないという指摘が、最近また非常になされております。それを裏づけるように、各種のまた大きな一次冷却材漏れの事故のようなことが、アメリカでも盛んにスリーマイル以降起こっております。具体的には、ちょっと時間がありませんので省略いたしますけれども、起こっております。
 さて、日本ではこの問題は言ってみれば、あれはアメリカの事故であったという形、あるいはあれはバブコック・アンド・ウィルコックスという会社でつくった原子炉ですけれども、そういった会社がつくった加圧水型の原子炉の固有の事故であったというような形で済まされた点が少なくなかったと、その結果の総括が十分に踏まえられなかった。
 たとえば一例ですけれども、スリーマイルの事故というのは、その一年前ぐらいに起こっているデービスベッセという原子炉の事故に酷似した前例があるわけですね。そのときの総括がきちっとなされなかったために、スリーマイルの事故を防ぎ得なかったという側面があるわけです。それと同じようなことが、日本でも起こっていないかと。つまり、一つ一つの事故が軽視されて、小さなことといえ、ちゃんと総括されないできたために、次に大きな事故に発展する。その教訓が生かされないというケースがなかったかという問題、そこは私は基本的に敦賀の問題を考えるポイントになるんではないかと思います。
 二つあります。一つは、これはやや細かいことですけれども、敦賀の原発の今度起こりました三月八日の廃液漏れでも、通産省の報告によっても昨年の十二月六日に同じような事故が起こっていたということがあります。もちろんこれはやや軽度のもので済んだということでございまして、それはそうでございましょう。ですけれども、そのときにきちっと総括されていたら、同じようなことを繰り返すことはなかったはずです。そこで、通産省の報告でも、この十二月の六日の事故というのは、軽い事故であるという形で、ほとんどその原因が何であったかというようなことも分析されていないんです、最新の五月十八日時点の報告を読みましても。そういった態度が、次には大きな事故を生むということがあるんだと思います。
 それから、敦賀の事故の本質については、ぼくは廃棄物問題の深刻さという問題に尽きると思います。あれは廃棄物の発生量という、特に原子炉の中に発生する水あか、専門的にクラッドと言ってますけれども、その水あかの発生量を間違ったために、非常に液体系の廃棄物処理が不完全な形で、あの原子力発電所は発電に入り、しかもドラムかん詰めなりにして処理できると思っていたその水あかが処理できないために、フィルタースラッジなんて言ってますけれども、スラッジが処理できないためにタンクの増設、増設という形で、その場しのぎの増設で補ってきたわけです。その増設の継ぎ目のようなところでひび割れが起こったりして、そこから水漏れが起こったというのが通産省の報告ですね。
 それから、制御系統も旧建屋と新建屋に、あるいは中央制御室と、廃棄物に関して言えば三分割してしまったとかいうような問題でございます。これは要するに廃棄物の発生量を甘く見ていた、あるいは廃棄物処理の問題というのを後回しにしてきていたという、これはいまの原子力行政の中の重大な欠陥でありまして、この点に関しては原電ばかりでなくて、そういうものを認可してきていた通産省や科学技術庁ということの責任も、同時に問われるべき問題であるというふうに考えます。
 それから、従業員被曝の問題でございますけれども、この問題に関しては幾つかの側面があります、先ほど天野参考人から実際に人間が死んだ事例はないというような話がありましたけれども、これは把握のむずかしさということを考慮しないといけないと思います。それから、実際に商業用原子炉でも、アメリカやフランスでは、いま実際に被害を受けた人の訴訟というのがかなり起こっておりますし、補償の出た事例もイギリス等であります、実際に裁判の結果ですね。それから、SLIというようなこれは実験炉ですけれども、アイダホの原子炉では、原子炉が爆発して三人が死ぬというような事故も起こっております。
 それから、特にむずかしいと思いますのは、先ほどICRPの考え方ということで、古賀参考人の方から大体原子力発電の安全率というのは、放射線の発がんの危険性というのは一万人に一人ぐらい、十のマイナス四乗ぐらいの危険率だという話が、ICRPの方の例を出されてありました。私はこのデータは、先ほど申しましたように、またもっと認識が厳しくなって下げられてくる可能性があるというふうに考えておりますけれども、たとえこの観点に立っても、年間いま一万人レムぐらいの被曝が起こっているわけですから、一人ぐらいの発がんがあってもいいはずですね。
 ところが、実際ではゼロになっているというのは、そういう事例というのは、一万人に十人であっても非常に発見がむずかしいという、がんといっても普通のがんですから、ほかのがんの中に埋もれてしまうと。これは疫学的といいますか、統計的に有意になってくるようなときには、もう大変なことになるというふうに思います。ですから、事前に非常に厳しい規制をやらなくてはならない。ところがいまの規制は、これは規制上の問題になりますけれども、トータル・マン・レムと言いますけれども、総被曝線量についての規制というのはないわけでございます。
 一人当たり先ほど年間五レムという話がありましたけれども、これはICRPの精神においてはそうですけれども、実際の法規では三カ月三レムという法規しかございません。蓄積線量に関しては年間五レムという考え方が生かされておりますけれども、実際の被曝に関しては三カ月三レムという規制しかございません。ですから、このままでいけば年間十二レムまで浴びてしまうというような規制であるわけです。そういう点でもなまぬるいし、少なくとも年間五レムというのをはっきり明記すべきだと思います、それは個人当たりですけれども。
 それから集団的に労働者が受けた量に対する確率として、発がんが生じるとしたら、先ほどそういう古賀参考人の説明がありましたが、その総量についての規制がないというのが、やはり非常に規制上の大きな問題点でございます。国会議員の皆さん方にも、この点は今後ぜひ御考慮に入れていただきたい点だというふうに考える次第です、
 やや、ICRPの考えとは違いますけれども、厳しい物の見方をとっている人たちの考え方に立てば、一万人レム当たり六とか十人ぐらいの発がんになるというような観点をしておる人たちもいます、そういった観点からすると、いままで五万八千人レムというような被曝が七〇年代に起こっているわけですから、数十人から百人規模の障害者が出ても不思議はない数だと思います。問題は、こういうことが現実化する前にどう防ぐかという問題であって、安易なこの点における楽観主義は危険だというふうに考えます。
 それから最後に、軍事利用と平和利用の問題ですけれども、これはまた非常にむずかしい問題でありますけれども、私はこういうふうに考えます。
 技術的に考えるならば、軍事利用の方が簡単だと思います、どんな立場に立つにせよ、非常に安全性というものに気をつけて、非常に制御された形で核分裂を行っていかなければならない技術という方が、技術的に考えれば数段上の技術でございます。ですから、技術面で軍事利用と平和利用を切り離すことはできないと思います。これは単に私の考え方ではなくて、いま原子力産業会議あたりが盛んにいろいろと公開の問題ということを言っております、それは再処理技術であるとか濃縮技術であるとかいうことが軍事利用、他国のということでございましょうけれども、他国の軍事利用に供される可能性があるから、安全性の公開は慎重でなければならないという言い方をしております。
 そのことは、裏を返せば、実は日本のいまの原子力産業のレベルというのが、軍事転用に可能な段階に来ているというふうに考えなくてはならないわけです。それがまた逆に公開を妨げる。実際に再処理の施設のいろいろな書類であるとか規定であるとか運転要領であうとか、あるいはプルトニウム転換施設というのがいまつくられようとしていますけれども、それの安全審査資料すらいま私たちが見ることができない、商業機密であるとか核ジャックの問題だとか軍事転用の問題とかということで。それは逆に安全性の問題も傷つけるという可能性が十分あるわけです。そういう面でも軍事利用の問題というのは、安全性の問題とも絡んで重視しなくてはならない問題です。
 これはさらに、いまパキスタンであるとかインドであるとかというのが、相当核実験との絡みで問題になっております。そういう国、あるいは他国から見ますと、日本の方で基本的には軍事利用という考え方がなくても、日本の技術はそこまできているというふうな見方をされるのが、もう国際的には当然そういうレベルになっているということも忘れてはならないことだと思います。
 最後に、一言だけちょっと言い漏らしたことを言っておきますと、安全性を確保する基本は、やはり公開の原則をほとんど無条件に認めることだと思います、それによって、ささいなことも報告されるというようなことがあっても、むしろそういった形で若干のマイナスがあっても、そのマイナスはむしろより大きなマイナスを防ぐための担保として、むしろ積極的に評価しなくてはならないことだと思います。特にいま私どもが、事故が起こったりあるいはいろいろ問題点を考える場合に問題になっている、安全上公開されないものは、原子力発電所の保安規定、さらに原子力発電所の運転要綱ということです。これは商業機密にかかわるというふうな理由で公開されていないわけですけれども、実際にどういう運転がなされ、どういうふうな規定のもとに実際原子力発電所が動いているのかということが、細かい点では何もわからないんです、私どもには。そこは運転要領みたいなものを見るのが一番いいわけですけれども、それに基づいて具体的な批判をしないと、安全性というものについての建設的な発展がないんではないかというように考えるわけです。そこがいま企業側に握られているために、結局は基本のところで企業が事故を隠し得る体制ができているというふうに考える次第でございます。
#38
○参考人(古賀佑彦君) 私へのお尋ねは、年配の放射線技師に子供がない人がいるのではないかというふうなことでございました。
   〔理事遠藤政夫君退席、委員長着席〕
 この問題に関しましては、昔のレントゲン技師の子供の性比が変わる、男の子が多いか女の子が多いか、そういうような論文はございますけれども、子供の数がどうかということを調べた論文は私は存じません。
 ただ、先ほど高木参考人もおっしゃいましたけれども、ICRPの線量限度、最大許容量の値も、初めに勧告が出ましたのは一九三四年でございまして、一九五八年以降は基本的に変わっておりませんけれども、その間、昔は一日に〇・二レントゲンというような非常に大きな値でございました。それから、日本で放射線による障害防止に関する法律ができましたのが昭和三十二年だったと思いますが、それ以後は病院などでも防護が非常にきちんとされるようになりましたが、それ以前は非常に不完全でございました。
 それで、ある論文によりますと、一九二〇年代の日本の病院におきましては、レントゲン技師は一年間に九五レントゲンというような大量を浴びた可能性があるということを推測している人がございます。このくらいの値になりますと、当然不妊という問題は、先ほど申し上げましたいわゆる非確率的影響という言葉の中に入りますけれども、十分に不妊になっていい線量でございます。ですから、そういうことはあり得たかもしれません。したがって、そういうような事例をたまにごらんになる、お省きになるということがあるかもしれませんけれども、それがまとまった形でわれわれ一つの論文としてなかなか見るということはございません。
#39
○参考人(高松実君) 私への質問ですが、安心をして働いているのかということでございますが、結論から申し上げまして、組合員並びに下請の方を含めて、安心をして働いているというふうに確信をいたしております。
 ただ、先ほども申し上げましたように、私たちも組合員教育並びに下請の作業者に対する教育というものについて、非常に重視をしております。そういう観点から申しますと、私たちが実際に下請の方々がどういうような印象を持っているのかということで、無差別で調査を委託をした経緯がございます。そういう結果から見ますと、やはりまだ不安感を持っているというように答えてきた経緯もございますので、先ほどの御質問にもお答えをいたしましたように、正しい意味での理解というものが、まだ十分行き届いていない面もあるのではないかというように考えておりまして、組合の立場からも、放射線、放射能の作業の教育のあり方というものを十分やってまいりたいというように考えております。
 それから、さらに私たちはいま労働組合の立場で、ICRPで勧告をされました内容というものの精神の中にもありますように、ALAP、ALARAの精神がございますから、より低く、合理的に達成できるように低く抑えるという精神がございます。その精神に基づいて、労使間でいかに作業の被曝量を下げていくのかという努力を、計画段階からチェックをするように行っておりますし、これはただ単に社員という範囲ではなくて、下請の方々を含めて、いかに被曝量を少なくして作業を行っていくのかということをいまやっているところであります。
 また、これからはただ単に労使間の問題だけではなくて、こういう問題を社会化していくということが必要ではないだろうか。特に言われておりますICRPのパブリケーション二十六の中でも指摘をされておりますように、正当か最適か線量制限という、この精神というものを十分踏まえながら、いかにして快適な労働作業条件をつくり上げていくのかというのが、われわれ電力労連を含めた原子力産業に従事をする者の責務だというふうに考えて対処しております。
#40
○中尾辰義君 最初に、天野参考人と高木参考人にお伺いします。
 今回の敦賀発電所事故の教訓として教わったことは、原子炉の本体は非常に厳しい厳重な放射能漏れの防護対策があるわけですけれども、それに比べて廃棄物の処理を軽視する傾向が指摘されておるわけでございます。
 そこで、廃棄物の処理問題につきましては皆頭を抱えておるようでございますが、この廃棄物の処理、処分技術ですね、この技術が非常に未確実で危ないという声もあるわけでございますが、原発の増設に伴って廃棄物の発生量もだんだんふえてまいるわけでございます。そこで、わが国のこの面での技術はどの程度進んでおるのか。
 それから、廃棄物対策は十分信頼ができるのかどうか。たとえば、廃棄物の低レベルのものの海洋投棄につきましても、いろいろこれは賛成、反対等もございますが、あわせてこれに対する御意見も承れば幸いと存じます。
#41
○参考人(天野恕君) お答えいたします。
 原子炉本体に比べて廃棄物処理、処分体系に対する規制が不十分であったのではないか、あるいはそれを軽視する傾向があったのではないかということに関しましては、たまたま起きました敦賀の原子力発電所における事故のみで、いろいろな感想を申し上げることは差し控えたいと思いますが、少なくとも私の理解する限りでは、廃棄物の発生からそれをいかに処分し、貯蔵管理するかと、現在の段階では貯蔵管理しか行われていない、処分が行われていないのが日本国の現状でございますが、いままでの段階ではかなり系統的に考えられ、実施されていると受けとめております。
 次に、廃棄物の処理、処分技術というものについて、どのような現状であるかという点についてでございますが、私は廃棄物の処理、処分全体を考えます場合に、処分をも含めて全体をながめることが必要だと、そのような認識がはっきりとございまして、それに基づいて中間の段階であります処理の段階、それから貯蔵保管の段階というステージを各所が実施し、かつ規制側も規制を加えているという状況でございまして、したがいまして、一応満足できると考えられる状態であっても、さらにもっと突っ込んだ環境影響、特に放射線影響を確かめた後に踏み切るのだといったてまえで、まだ実施に移されていないものがあるという状況だと考えております。
 それで、いささか専門にわたって恐縮でございますが、私ども廃棄物処理、処分の研究開発に携わっている者といたしましては、処分というものと、それから貯蔵管理というものとを二つに分けて、別個のわざとして考えるべきであると、そのように考えております。
 貯蔵管理というステージは、廃棄物が発生いたしました段階で、それをそのままの形あるいは一時的な処理を施した形で囲って、環境かも隔離しておくと。こういう動作でございます。したがいまして、閉じ込めが原子炉の場合と同じように、最も大事な原則になります。その閉じ込めを完成するために、先ほど原子炉についても申し上げたように、原子炉についても適用されております多重的な防護の考え方で対処していくと、これが現状であると思います。廃棄物の貯蔵管理という段階では、環境にはまだ漏れ出しているのではない、したがって影響は与えないというふうに考えてよろしいかと存じます。
 それから、もし万一ということがあったときには、これは多重に設けられた障壁が働いて、それらが十分に働くと、それからさらに貯蔵管理はしっかりとした状態が保たれるということが原則でございますから、直ちに原状に戻すという働きが要求されるわけで、これが働いて原状に戻る限りにおいては施設の外には出ない。そういうふうになっているならば、この貯蔵管理のシステムというものは正常に働いているとみなしてよいと、そのように考えられております。
 それで、結局今回の敦賀の事故で、最も私としても残念に存じますのは、その多重性をいろいろと設けてはあったが、最後の詰めで見落としがあったという点でございますが、幸い多重効果、多重防護の効果というものは保たれた、それで戻すことができたというふうに考えております。
 それからさらに処分でございますが、処分というものは、これについては現在まだ意見が食い違うかもしれませんが、処分というものは、貯蔵管理とまるっきり違って、環境中に放置して監視または回収の意図を持たないと、そのようなことをやったときに、放射能が人間のつくったものであるから、どんなに閉じ込めの工夫がなされていてもいつかは外へ出てくるであろうと、そういう前提に立って、ただし人間の環境に移ってくるまでには、幾重にも設けられた、ちょうどハードル競走で言うハードルを乗り越えるようにして、時間がかかってしまう。その間に放射能の持つ毒性というものは減衰してしまうと、そういう考え方で実施すべきものでございまして、これにつきましては、当初非常にむずかしいということが言われておりましたが、少なくとも現在世界じゅうの専門にやっております人間の間では、十分に可能性を持って検討し、議論すべき段階まで来たと、そのように認識されておりますし、私ども自身もそのように考えて旦仮研究に従事しているわけでございます。
 最後に、海洋投棄に関してでございますが、海洋投棄に関しましては、陸上に処分するとか、そういうこととは別に、きわめて安全サイドに立った事前評価を繰り返し行いまして、その結果として安全が確認されたものでございまして、何ら危険はないものと考えております。
 たとえば、私どもが現に実験して得られた結果によりますと、実際にドラムかんに入ったセメントの固化体を、四十分ぐらいのスピードで普通の状態、一気圧の状態から五百気圧の状態まで上げてやるわけです。これは自由落下の状態で、海面に投棄されたドラムかん入りの固化体が、五千メーターの海底に到達するまでに要する時間でございます。そのような実情に即した状態で、現実に同じサイズのものを圧力を上げてやりますと、現在国が定めた暫定指針がございますが、その暫定指針において定められた条件を守る限り、粉々になるということは起こっておりません。
 それで、さらに念のためにということで、ドラムかんをわざわざはがしまして、放射能を現実に含んだ廃棄物、セメント固化体を五百気圧の中で温度も海底の条件に等しい状態、さらにもっと溶け出しやすい真水を使う、海水ではなくて真水を使うという条件下でコバルト、セシウムのようなものがどのように溶け出すかということも、実際に実験しておりますが、これにつきましても非常にゆっくりとしか溶け出さない。セメントの中にいる間に崩壊して放射能を失ってしまうものもいるという計算で計算してみますと、実際に環境中に移行してくる放射能の量は、セメント固化体中に実際に存在したものの百分の一程度にはなると、こういった実験結果も出ております。
 しかし、そういったことをさらに無視しまして、海洋投棄に際しての安全評価では、海底に着くまではばらばらにならないということは一カ所、間違いなく海底のある場所までは届きますということでございます。海底に届いた途端にドラムかんはどこかに行ってしまうし、セメントはばらばらになって粉になってしまう。重いから底には沈んでいく。そういう状態で、そこからしかも、直ちに中に含まれている放射能の全量が海水中に移ってきて広がってきたと、そうなったときにどれぐらいになるかという形で評価をし、それから逆に換算いたしまして、一つの海域にはこの量以上は捨てないという、そこまで詳しく決めているわけでございます。したがいまして、現在の海洋投棄に関する安全評価というものは、十分に安全サイドであるということが、実験的にも確かめられていると申し上げていいかと思います。
 なお、これと関連いたしまして、私どものところでは、さらに海水中あるいは真水の中につけたドラムかんが、どのようなスピードで腐食されていくか、つまりせっかくの閉じ込めがいつごろになったらなくなってしまうかということについても実験を行っておりますが、海水の中に鉄のものを浸すというふうな、もちろん塗装はしてございますが、そういうかなり過酷な条件であっても、十年程度は十分に密閉効果を保つであろうと、そのような中間結果を得ております。
 以上でございます。
#42
○参考人(高木仁三郎君) 簡単にお答えします。
 敦賀の事故が、放射性廃棄物の処理問題の軽視にあるということは、お説のとおりだろうかと思います。特に広範にこの問題を解してみますと、廃棄物問題というのは、一般にたまってくる廃棄物を一たん保存しておいて、ある将来において何か問題が出てくるというふうに考えられていますけれども、そうではなくて、排水、液体廃棄物系統に、ないしは固体廃棄物系統に日々出てくる廃棄物の処理そのものが、いま現実の問題として、日常的な運転の中で問題になっているということでございます。
 さらに、今度の原電の事故隠しという問題、一連の事故隠しと言われた問題ですけれども、一番その中で多かったのは、濃縮廃液タンクの配管のつけ根の溶接部分のひび割れを隠していたというような問題ですね、あるいは内密に処理したという問題ですけれども、この問題でも典型的に見られますように、非常に強い放射性物質が置かれているようなタンクの溶接でありますとか、長い間の耐用年限ということについては、重要な疑義があるわけです。しかも、そういったタンクが現実にいま置かれているわけで、そこから廃液が漏れてくると、一たん漏れてくると、五十年の事故隠しと言われた五十年の例ですと、一月段階で漏れたけれども、放射能が強過ぎでその段階では漏れっ放しということで、六月になってからやっと下請労働者を使って処理をしたというふうに問題が深刻でございます。
 さらに、今度の三月八日の事故に関しましても、一番肝心な事故発生現場であるフィルタースラッジ貯蔵タンク室というところは、まだ調査が行われていない。それはなぜかというと、放射能が強過ぎて入れないということですね。ですから、あの通産省の調査報告でも、一番物足りないのはその点でございまして、事故発生現場についての調査が釈然としないわけです。それは調査に入れないんだからしょうがないわけですけれども、そういった場所ができてくる。そういったいわばあかずの間というか、入れないような場所ができてくる。しかも、そういうところに置かれた廃液タンクが長い年限安全を保障されているかどうか、きわめて疑問であるという問題が、いま現実の廃棄物問題として深刻な問題だと、そういう点の考慮がされていないということが、私の軽視という問題の一つです。
 それからさらに言えば、安全基準という面でも、原子炉系の安全基準に比べたら、たとえば耐震設計でもランクが一つ下がるということですね。やはり廃棄物処理建屋という問題は、実は非常に大きな放射能抱えることになる施設なわけですけれども、安全面で十分に対策が出されていないというふうに思います。
 それから、より長期的な問題に関して言えば、私はこういうふうに考えます。いま天野参考人の方から、貯蔵管理という問題と処分という問題を分けて考えるということがありましたけれども、当初の発生の歴史から言うと、当初は処分というふうに考えられてきたんだと思います。ところが、処分という形では簡単にはこの問題はいかないということで、貯蔵管理、回収可能な形で、常時見張るような形での管理ということで、この問題を片づけざるを得なくなってきたというのが、実は現状ではないかと思います。
 それにしましても、やはり放射性廃棄物の寿命何十万年という期間、これは処分の問題でも同じでございますけれども、われわれはそれだけの期間安全を保ち得るような、人間的な管理という面でも、それから技術的な容器の問題にしましても、それから地質構造上の問題にしましても、それだけの経験を持っていませんし、そこまで含めて問題を考えざるを得なくなってきたというのが、原子力問題のいままでのわれわれの技術の経験を超えた時間の広がりといいますか、そういったふうな深刻なものとして、この問題を受けとめなければならないと思います。
 最後に一言、海洋投棄の問題ですけれども、先ほどから申し上げますように、計算による評価という、たとえば海洋投棄をしたものが崩れた場合に、中で放射能が出だした場合に、どうなるかという計算による評価というものには、数々の不確かさがございます。その不確かさが安全側に評価されたといっても、どこまでが安全側だということは、十分に確定されていないことだというふうに考えます。そういった不確かさを残した海洋投棄という問題、いま実証的に安全性が確認されているという話が天野参考人の方からありましたけれども、私はそのデータに関しても、たとえば五百気圧までの実験をやっておりますけれども、実際にいま海洋投棄が予定されているところは、六百気圧ぐらいの圧力がかかる地点でございます。
 そこまでのデータはありませんし、実験室的なデータというのは、何分にも海の実際の条件を再現しているわけでもなければ、さらに非常に長い年月にわたっての安全性、閉じ込めを保障するような実験データというのは、実験室的に得ることはちょっと現状では不可能でございます。そういった不確かさをいろいろ残している。しかも、一たん捨てられた海洋投棄の放射能というのは、これはもう回収できないものでございますから、そういう意味では私は海洋投棄というのは、ましてやそれが日本の近海を遠く離れて、他の国の人間も重大な関心を持つような地点に投棄されるというようなことにつきましては、私はやるべきでないというふうに考えております。
 以上です。
#43
○中尾辰義君 それじゃ最後に、もう一括してお伺いします。
 最初に、原発行政に関係いたしまして、今日は原発行政の安全を期するために原子力安全委員会、これがあるわけでありますが、これを現状のままの総理大臣の諮問機関では、これまでにやられたように政府の従属機関というようになりやすいわけです。そこで、これを改めて原子力委員会を、たとえば公正取引委員会のように中立的立場と権限のある行政委員会、こういうものに改組をして、その充実と強化を図るという考えはどうか。これにつきまして、天野参考人と高木参考人と舘野参考人にお伺いをいたします。
 それから最後に古賀参考人にお伺いしますが、先生は放射能の人体に及ぼす影響につきまして、学問的に非確率的影響、それと確率的影響、こういうように分けて説明があったようでございますが、もうちょっとわかりやすく、たとえば世代に伝わらない、つまり本人だけの身体に及ぼす影響、それもわりあい早くあらわれる影響とかなり遅くなってからあらわれる影響。それからもう一つは、これは遺伝的影響ですね。こういうふうに分けて、どのくらいの被曝量で、そのときの状態にもよるでしょうけれども、どういう症状が出るのか。またどのくらいの期間で出てくるのか、その辺のところをひとつお伺いいたします。
#44
○参考人(天野恕君) お答えいたします。
 全く個人的立場に立っての御返答でございますが、改組ということに関しましてはしょせん運用にかかわることでありまして、現在すでに二つ、クロスチェックするという体制がとられております以上は、運用に心することで恐らく十分に機能を発揮していくと、現在のものでも機能を発揮していくと、私はそのように考えております。
#45
○参考人(高木仁三郎君) お答えします。
 私は、安全委員会がもう少し行政的にはいかなるものにせよ、ちゃんとした機能を発揮しようと思えば、独自のちゃんとしたスタッフを持たざるを得ないと思いますけれども、その点ではいまほとんど専門的な常勤のスタッフもいないという状態で、非常に不十分なところがあると思います。
 それからもう一つ、中立的な立場という問題ですけれども、何をもって中立的な立場とするのかというのは、やはり一番問題です。中立的な立場というか、いわば原子力を進める立場で直接的にないような立場に立ち得る機関ということが、どうしても必要であるということは、私たちの持論でございますけれども、それをどう確保するかという問題は、実は非常にむずかしい。全く中立的な人間というようなものもいないわけですから、結局そうなるといろんな意見の人が入り得るような、あるいはいろんな意見を持った人たちに開かれたような機関にすることが、実質的に中立というか、第三者的な立場を確保する要点ではないかというふうに思います。そういった方向を志すべきではないかというのが、私の意見でございます。
#46
○参考人(舘野淳君) 実はこの原子力行政懇の答申が出ましたときに、五十一年ですけれども、私は原研労働組合の委員長をやっておりまして、そのときに原子力行政懇の中間答申についての申し入れという文書をつくりまして、行政懇のメンバーの方々とお話しをしたことがあります。
 有沢委員長を初め皆さんとお話ししたわけですけれども、そのとき私たちが述べましたことは、一つは、推進を旨としてきている通産が、原子力発電に関しては規制をするということはどうもおかしいんじゃないかということが一点。それからもう一つは、原子力安全委員会が行政委員会でないということは、これもやはりおかしいと。必要な権限を持たせた行政委員会にすべきであるというふうなこと。そのほか幾つかありますけれども、そういうことを申し述べたわけであります。いま考えますと、全くその両方とも正しかったんじゃないかというふうに考えております。
 それから中立的という問題に関しましては、一つはやはり原子力界の体質の問題がありまして、これは先ほど言いました学術会議のシンポジウムでも、皆さん御指摘なさっておりますけれども、どうも原子力界は少し独善的かつ閉鎖的ではないかということが言われておりますので、そういう点をもう少し開いたところにしていく必要があるんじゃないかと、こういうふうに考えております。
#47
○参考人(古賀佑彦君) 放射線の影響の分け方には、先ほど先生が御指摘になりましたように、本人にあらわれるものと、それから子孫にあらわれるものと分けることができます。それから、本人にあらわれるものが被曝をして間もなくあらわれるもの、それから後になってあらわれるもの、その二つに分けることができます。早くあらわれるものといいますのが、先ほど非確率的影響で申し上げましたやけどでありますとかあるいは不妊でありますとか、そういうようなものが早くあらわれる。あるいは白血球がたとえば減る血液の障害、そういうものが早くあらわれるものに入ります。それから、遅くあらわれるものとしては、これはがんになる発がんの問題でございます。そのほかに、昔よくわからない寿命の短縮ということも申しましたけれども、最近ではこの寿命の短縮ということは余り申しておりません。
 確率的影響、非確率的影響という放射線影響の分け方は、放射線防護の立場から、確率的影響の場合にはどんなに少ない線量でも、それに見合った発生率でがんが起こるかもしれない、あるいは遺伝的影響が起こるかもしれないという立場の影響でありますし、それから非確率的影響というのは、早く起こりますけれども、それはまた回復いたします。あるいは障害が起こっても回復する場合があります。あるいはある線量以下ではその障害があらわれません、そういうようなことから、その境目となる線量以下では安全ということが言えるわけで、そういうような防護の観点からその二つの型に分けたわけでございまして、放射線影響のあらわれ方、それからどのような症状かというのは、いま御説明し、それから先ほど危険率、危険度ということで御説明申し上げたことの繰り返しになるかと思います。
#48
○山中郁子君 参考人の皆さんには御苦労さまでございます。
 重ねてお二人の参考人からお伺いをしたいと思っております。古賀参考人から一点と、舘野参考人から三点お伺いしたいわけですが、大変に限られた時間しか与えられておりませんので、お尋ねを最初にまとめて申し上げますので、よろしくお願いをいたします。
 古賀先生、先ほどから御専門の立場から医学上の影響についての御意見を伺わせていただいたわけですけれども、そういうお立場に立ってということも含めて、今回の事故に見られる原発の安全管理の問題。それから今後の原子力開発のあり方がどうあるべきかということについて、柱で結構でございますけれども、御意見をお聞かせいただきたいと思っております。
 それから舘野先生からは、今度の敦賀原発の事故について、環境に流出した放射能はせいぜい数十ミリキュリーにすぎない、事故としては大したことはないというふうな意見もあるわけで、きょうもいろいろな観点からの御質問もあったわけですけれども、また通産省の最終報告書では、いずれの事故も原子力発電の安全管理にかかわる問題ではあるが、原子力発電の基本にかかわるような性格のものではないと、こういうふうに述べられているんです。私は大変重大な問題だというふうに認識しているんですけれども、この点についての先生の御意見をお伺いしたいと思います。
 それから二点目は、今回の事故が新聞の報道や福井県の調査などによって明らかになるきっかけがつくられたという点について、つまり、これが日本原電みずから明らかにしたものではないし、また安全管理に責任がある通産省が明らかにしたものでもないというところに、私は重要な問題点があるというふうに認識しているんですが、その点についてです。結局、原子力文化振興財団がトラブルを細大漏らさず公表したら、全国の原発は運転不能になるという趣旨のことを、この原電敦賀発電所の放射能漏れという文書の中に述べているんですけれども、これについての先生の御意見をお伺いしたいと思います。
 三つ目は、先ほど古賀先生にもお尋ねしたんですけれども、そういう面からの安全管理の問題、今後の原子力開発の問題です。それらの点について、これもごく柱で結構でございますけれども、御意見を伺わせていただきたいと存じます。
#49
○参考人(古賀佑彦君) 私は、原子力発電の問題は専門家でございませんので、いい答えといいますか、果たしてお答えができるかどうかわかりませんが、放射線の安全性あるいは安全管理という観点からは、これはたとえば病院で使います放射線も、あるいは私どもが病院で患者さんに使います放射線も、基本的には同じであろうと考えております。
 それで、安全管理のあり方というのは、原子力に安全あるいは放射線に安全はないという立場に立った対策を立てるというのが、基本的な立場であろうと私は考えております。ただ、基本的に安全性はないとは言っても、それはあくまでそういう考えに立てということでありまして、そこのところがしばしば世の中で誤解されるところにもなるんですが、少なくとも基本的な立場としては、あくまで謙虚なといいますか、そういう安全管理といいますのは、特にこの場合には先ほどから申し上げたがん、それから遺伝的な影響といういわゆる確率的な影響ということを考えた場合にでございますが、そういう危険の大きさを、一般に許容されているような、一般の人がほかの危険な場合に受け入れているような、日常生活で受け入れているような安全の度合いといいますか、危険の度合いといいますか、そういうものを基準にしたものでやらなければいけないというふうに考えております。
 具体的な問題に関しましては、私は専門でございませんので、ちょっといますぐここでお答えが出てまいりませんので、失礼させていただきます。
#50
○参考人(舘野淳君) 最初の環境に流出した放射能がせいぜい数十ミリキュリー云々というお話ですが、これお答えする前に、私ども日本科学者会議で敦賀問題に関する緊急シンポジウムを持ちまして、通産省の報告に関しても討論がその中でなされたわけです。
 そこで問題点として出ましたのは、一つは、旧廃棄物建屋における洪水が起こったわけですが、この事実関係に関して非常に究明されてない点が多い。たとえばアラームとランプが鳴ったりついたりしたわけなんですけれども、これをリセットして消してしまっただけで、どうして必要な措置をとらなかったか。これは個人の責任を追及するということじゃなくて、そこの背景にある事情を掘り下げてないというふうなこと、それからあと環境に流出した放射能の量が不明のままである、それから廃棄物関係でも新廃棄物関係の建屋の事故に関しては一切触れられてない、こういうふうなことで、もっと掘り下げた究明をするべきであるということが、そのときの結論だったわけです。
 御質問の件なんですけれども、原子力発電の基本にかかわる性格ではないということが、どういう意味で言われているのかよくわかりませんけれども、事故として本質的なものを含んでないというふうなことであるとすれば、私は大変おかしいと思います。先ほどのアラームを消してしまった問題なども、実情を申しますとある程度警報ランプをつけたまま運転しているというふうな制御の一つの実態があるんだと思うんですけれども、そういうものをもっと本質的に掘り下げる必要があるんじゃないかというふうな気がしますし、それから事故隠しの点とかそのほか、やはり教訓として学ぶべきものが非常に多いんじゃないかと思います。
 それから環境に放出された放射能の量に関しましては、先ほどのシンポジウムでも、非常に専門家の間から重大な疑問が寄せられました。それは、果たしてそれだけ少量の放射能で、あれほどホンダワラに濃縮されるかどうかということなわけです。そういうことでいろいろ議論があったわけですが、私、現地にちょっと事故調査に行ったんですけれども、実際に放射能の測定をしているのは福井の衛研だけなんですね。科学技術庁が調査したということは出ていますけれども、実際は福井衛研の方にお聞きしますと、いや、あれは科学技術庁がスポンサーになって私たちがやったんですということなんです。衛研の技術レベルというのは、非常に高いというふうに私は考えますけれども、やはりこの際行政としてやるべきことは、原子力安全委員会が必要な専門家に要請して、徹底したダブルチェックを行っていくべきじゃないかというふうに思っております。
 それから、新聞報道がきっかけで事故が明らかになったというふうな点ですけれども、これも原子力開発に従事する者、私たちも含めてですけれども、この中からこの事故が明らかにならなかったということは、非常に残念だというふうに思います。原電当局の事故隠しは論外でありますし、それからそういうことがあったとしても、これは先ほどから御議論があったところですけれども、労働者は十分そのことを知っているわけです、私の経験ちょっと申し上げますと、原研でもJPDRと申します原子炉のサンプというところから、ひび割れがあって環境に放射能が漏れたわけで、そのときに原研当局はこれを隠そうとしましたけれども、私たち労働組合はこれを現場の労働者と話し合って公表したということがあります、事故の問題というのは、やはり労働者の安全にもかかわりますものですから、今後労働組合の果たすべき役割りは非常に大きいんじゃないかというふうに考えます。
 それから最後に、監督官庁である通産省は、ともすれば原電は悪いということで、そこへ集中しているようですけれども、やはり監督官庁の通産省の責任は免れないんではないか。そして、本当に事故をチェックする能力があるのかどうかということに関しては非常に疑わしいと思います。環境放射能一つとってみましても、通産省の下には環境放射能に関する研究所というものはございませんし、そういう点を考えますと、先ほどもちょっと申し述べましたけれども、一九七六年の原子力行政懇の答申に基づく行政改革は、再度見直していく必要があるんじゃないかということを述べたいと思います。
 それから、トラブルを細大漏らさず公表したら云々ということなんですけれども、これも非常に原子力に携わる者としてははだ寒い思いがするわけです、国民が信頼するかしないかの分かれ道に立っているときに、そういうことを言うというのは、やはり意識の上に大きなずれがあるんではないかというふうに考えます。それといいますのは、先ほどから何遍も言いましたように、原子力聖域論ということで、いろいろシンポジウムがあるので混乱しますけれども、先ほど言いました学術会議のシンポジウムで、ある大学の先生がおっしゃっているんです。
 原子力関係の人たちは、国家の手厚い予算的保護があったりして、いつかおごると言っては申しわけないけども、原子力や原子炉といった一つの聖域をつくり、侵すことのできないグループをつくっているということをおっしゃっていますし、それからあるパネリストは、特に安全評価については、利害関係のない第三者を入れた安全評価が重要であるというふうなことを強調しております。
 さらにつけ加えますと、外部に対して閉鎖的であるだけでなくて、内部におきましても、今日の原子力開発のあり方に批判的な学者や研究者に対しては圧力をかけたり、排除したり、差別したりするという、きわめて前近代的な体質が残っているということをつけ加えたいと思います。
 最後に、今後どうすればいいかということですが、一つは事故の調査の問題です。いろいろ今回の事故に関しては、先ほどから申しましたように、わからない点が非常に多くありますので、徹底した科学的な調査と、客観的な解明を行っていただきたい。できれば、少し大げさになりますけれども、首相直属の特別調査委員会を設置すると、このメンバーには原子力関係以外の人たちを入れて、第三者で主に構成すると、原子力の専門家はこれを証人として呼べばいい。これはケメニー委員会はそうなっているわけですけれども、そういう形をとるならば、国民をある程度納得させる結果が得られるんではないかというふうに考えます。
 それから第二は、これも先ほど申しましたが、軽水炉はプルーブンであるという認識を改めて、本腰を入れて自主的な研究開発に取り組む必要があると思います。政府関係の機関で総合研究開発機構――NIRAというのがございますが、そこでこの原子力のプロジェクトの問題を取り上げております。そこで出ております結論としては、同じ軽水炉を導入したけれども、西ドイツは非常にこの自主開発をやって、たとえばブラジルなどに軽水炉を輸出するというほど力をつけたと、ところが日本では非常に失敗してるということを、政府関係の機関でありますNIRAがそういう報告書を出しております。私はある程度当たっているのではないかというふうな気がします。
 最後には、これは皆さん言ってらっしゃいますけれども、総点検ということなんですが、これまで総点検といいますと、どうしても装置の問題だけに限られがちですが、先ほどから述べておりますように、体制とか行政とか法律、こういうことをあらゆる面で一遍ぜひ総点検をしていただきたいというふうな気がします。
 以上です。
#51
○山中郁子君 どうもありがとうございます。終わります。
#52
○委員長(細川護熙君) 他に御発言がなければ、参考人の方々に対する本日の質疑はこれにて終了いたします。
 参考人の方々には、御多忙中、長時間にわたりまして御出席をいただきまして、貴重な御意見を聞かせていただきまして、ありがとうございました。委員会を代表いたしまして厚く御礼申し上げます。どうも御苦労さまでございました、
 本日はこれにて散会いたします。
   午後四時十二分散会
ソース: 国立国会図書館
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