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1979/04/22 第91回国会 参議院 参議院会議録情報 第091回国会 建設委員会 第10号
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1979/04/22 第91回国会 参議院

参議院会議録情報 第091回国会 建設委員会 第10号

#1
第091回国会 建設委員会 第10号
昭和五十五年四月二十二日(火曜日)
   午後一時開会
    ―――――――――――――
  委員の異動
 四月十六日
    辞任         補欠選任
     成相 善十君     最上  進君
     山本 富雄君     上條 勝久君
     降矢 敬雄君     寺下 岩蔵君
     降矢 敬義君     八木 一郎君
 四月十八日
    辞任         補欠選任
     八木 一郎君     降矢 敬義君
 四月十九日
  委員寺下岩蔵君は逝去された。
 四月二十一日
    補欠選任        上田  稔君
 四月二十二日
    辞任         補欠選任
     上田耕一郎君     小巻 敏雄君
    ―――――――――――――
  出席者は左のとおり。
    委員長         大塚  喬君
    理 事
                上條 勝久君
                降矢 敬義君
                増岡 康治君
               茜ケ久保重光君
    委 員
                植木 光教君
                遠藤  要君
                中村 禎二君
                内田 善利君
                小巻 敏雄君
                栗林 卓司君
   衆議院議員
       建設委員長    北側 義一君
   国務大臣
       国 務 大 臣
       (総理府総務長
       官)       小渕 恵三君
   事務局側
       常任委員会専門
       員        森  一衞君
   参考人
       奈良県副知事   上田 繁潔君
       橿原考古学研究
       所長       末永 雅雄君
       奈良教育大学名
       誉教授      寺尾  勇君
    ―――――――――――――
  本日の会議に付した案件
○理事の辞任及び補欠選任の件
○明日香村における歴史的風土の保存及び生活環
 境の整備等に関する特別措置法案(内閣提出、
 衆議院送付)
    ―――――――――――――
#2
○委員長(大塚喬君) ただいまから建設委員会を開会いたします。
 議事に先立ちへ一言申し上げます。
 本委員会委員寺下岩蔵君は、去る四月十九日、急性心筋梗塞のため逝去されました。まことに哀悼痛惜にたえません。
 ここに、皆様とともに謹んで黙祷をささげ、哀悼の意を表しまして御冥福をお祈り申し上げたいと存じます。
 御出席者全員の御起立をお願いいたします。黙祷をお願いいたします。
   〔総員起立、黙祷〕
#3
○委員長(大塚喬君) 黙祷を終わります。御着席を願います。ありがとうございました。
    ―――――――――――――
#4
○委員長(大塚喬君) 次に、委員の異動について御報告いたします。
 去る四月十六日、成相善十君、降矢敬雄君及び山本富雄君が委員を辞任され、その補欠として最上進君、寺下岩蔵君及び上条勝久君がそれぞれ選任されました。
 また、昨二十一日、委員の欠員に伴う補欠として上田稔君が選任をされました。
 本日、上田耕一郎君が委員を辞任され、その補欠として小巻敏雄君が選任されました。
    ―――――――――――――
#5
○委員長(大塚喬君) この際、理事の辞任につきお諮りいたします。
 増田盛君から、文書をもって、都合により理事を辞任したい旨の申し出がございました。これを許可することに御異議ございませんか。
   〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
#6
○委員長(大塚喬君) 異議ないと認め、さよう決定をいたします。
 委員の異動及び理事の辞任に伴い、理事二名が欠員となりましたので、この際、その補欠選任を行いたいと存じます。
 理事の選任につきましては、先例により、委員長の指名に御一任願いたいと存じますが、御異議ございませんか。
   〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
#7
○委員長(大塚喬君) 御異議ないものと認めます。
 それでは、理事に上條勝久君及び降矢敬義君を指名いたします。
    ―――――――――――――
#8
○委員長(大塚喬君) 次に、明日香村における歴史的風土の保存及び生活環境の整備等に関する特別措置法案を議題といたします。
 まず、政府から趣旨説明を聴取いたします。小渕総理府総務長官。
#9
○国務大臣(小渕恵三君) ただいま議題となりました明日香村における歴史的風土の保存及び生活環境の整備等に関する特別措置法案について、その提案理由及び内容の概要を御説明申し上げます。
 この法律案は、飛鳥地方の遺跡等の歴史的文化的遺産がその周囲の環境と一体をなして、わが国の律令国家体制が初めて形成された時代における政治及び文化の中心的な地域であったことをしのばせる歴史的風土が、明日香村の全域にわたって良好に維持されていることにかんがみ、かつ、その歴史的風土の保存が国民のわが国の歴史に対する認識を深め、国を愛する心の滋養に資するものであることに配意し、住民の理解と協力のもとにこれを保存するため、古都における歴史的風土の保存に関する特別措置法の特例及び国等において講ずべき特別の措置を定めるものであります。
 次に、この法律案の概要について御説明申し上げます。
 第一に、内閣総理大臣が定める明日香村歴史的風土保存計画に基づいて、奈良県知事は村の区域を区分して、都市計画に第一種歴史的風土保存地区及び第二種歴史的風土保存地区を定め、それぞれの地区に応じて、歴史的風土の保存を図ることとしております。
 第二に、奈良県知事は、明日香村における生活環境及び産業基盤の整備等に関する計画を作成し、内閣総理大臣に承認の申請をすることができることとしております。この明日香村整備計画に基づき、明日香村が昭和五十五年度から昭和六十四年度までの各年度に国から負担金または補助金の交付を受けて行う事業については、首都圏、近畿圏及び中部圏の近郊整備地帯等の整備のための国の財政上の特別措置法の例により、国は財政上特別の助成を行うこととしております。さらに、明日香村整備計画の円滑な達成を図るため、国は、地方債についての特別の配慮を行うとともに、財政上及び技術上の配慮を行うこととしております。
 第三に、明日香村が、歴史的風土の保存との関連において必要とされるきめ細かい施策を講ずるため、条例の定めるところにより、明日香村整備基金を設ける場合には、国は、二十四億円を限定として、その財源に充てるため必要な資金の一部を補助することとしております。
 以上が、この法律案の提案理由及びその内容の概要であります。何とぞ、慎重御審議の上、速やかに御賛同くださいますようお願いいたします。
#10
○委員長(大塚喬君) 以上で趣旨説明は終わりました。
 本案は、衆議院において修正議決されておりまますので、この際、本案の衆議院における修正部分について趣旨説明を聴取いたします。衆議院建設委員長北側義一君。
#11
○衆議院議員(北側義一君) ただいま議題となりました明日香村における歴史的風土の保存及び生活環境の整備等に関する特別措置法案に対する修正につきまして、その趣旨を御説明申し上げます。
 御承知のように、本案は、第一条において、古都における歴史的風土の保存に関する特別措置法の特例である旨を規定しております。
 したがいまして、先法の第一条に照らし、本案の第一条中にある、国を愛する心の涵養に資する部分を削ることを適切としたものであります。
 以上が修正の趣旨でありますが、委員各位の御賛同をお願いする次第であります。
#12
○委員長(大塚喬君) 以上で説明は終わりました。
 本法律案につきまして、本日、お手元に配付いたしております名簿の方々に参考人として御出席をいただいております。
 この際、参考人の方々に一言ごあいさつを申し上げます。
 皆様には御多忙中のところ御出席いただきましてまことにありがとうございます。皆様から忌憚のない御意見を拝聴し、本案審査の参考にいたしたいと存じますので、よろしくお願いを申し上げます。
 なお、会議の進め方といたしまして、上田参考人、末永参考人、寺尾参考人の順序で、お一人二十分程度御意見をお述べいただき、その後各委員の質疑にお答えいただきたいと存じます。
 それでは、上田参考人にお願いをいたします。上田参考人。
#13
○参考人(上田繁潔君) ただいま御指名いただきました奈良県副知事の上田でございます。
 明日香村の特別立法措置法案に関連いたしまして意見を申し上げたいと存じます。
 その前に、議員の皆さん方十分御承知かと思うのでございますが、若干、明日香村のことにつきまして触れてみたいと思います
 明日香村は、大和平野、奈良県の大和盆地の東南部に位置しておりまして、奈良市からおおむね二十五キロの地点にあるわけであります。また、一面、大阪へは大体四、五十分程度で行けるというふうな立地条件にあるのでございまして、申し上げるまでもなく、わが国の六世紀から七世紀、ちょうどいまから千三百年前におきまする当時の都の所在地であります。したがっていわば当時の飛鳥文化あるいは政治、経済等の中心地であったわけでございますし、また、加えて律令国家体制が初めて形成された土地柄であるというような歴史的事情にあるわけであります。
 明日香村の面積は二千四百四ヘクタールでございまして、人口は七千百人でございます。先ほど申しました土地柄の中に三十七大字が点在といいますか、あるいは散在といいますか、いたしておりまして、いま申し上げました数の人口が住みついておるという状況でございます。標高なども恐らく四百ないし五百の高さがございまして、山村といいますか、中山間の農村であるという実態にあるわけでございます。
 しかも、この土地は、先ほど申しましたように、歴史的事情から現在すでにいろんな規制を受けておるのでございます。たとえば古都保存法による規制を受けておりますものだけで千二十ヘクタール、もちろんその一部百ヘクタール余りが古都保存法の中の特別保存地区として厳しい規制を受けておるということでございますが、なお、そのほかに都市計画法によります県の風致地区条例によります風致地区規制を受けておりますものが千二百四十五ヘクタールあるというふうなことでございますから、これらだけを合わせましても、おおむね二千四百ヘクタールのうちの九割前後まで全体として規制を受けておるというふうな土地柄であります。
 そういうことでありますから、住民生活はいろんな不便をかこっておるというのが実情でございまして、生活を営む場が即文化財の限る場であるというふうなかっこうに相なっておりまして、建築あるいは農業近代化等の施設につきましても、そういうことでいろんな規制を受けておる状態にいまあるわけでございまして、そういう意味からは、今日、皆様御承知のとおり、良好な状態で保存されておりますということは、そういう規制を受けながら住民の皆さん方の格別の理解と協力によって今日までまいったものである、そういうことで乱開発からこれを守ってきたものであるというふうに私ども理解をいたしておるのでございます。
 一方、そういうことでございますが、現状の就業人口などを申しますというと、第一次産業であります農業労働者は、全体の七千百人の人口のうち就業人口はおおむね三千五百人でございますが、一千人を超える程度というふうな状態でございます。これはやはり十数年前から比較いたしますというと、第一次産業が大分に減ってまいっておる。逆に第二次、第三次産業が農業人口とは別に相当ふえておるというふうな実情にあるわけでございます。そういうことでございますので、村全体の事情から言いますというと就業人口はさようなことでございますけれども、村の重要な歴史的風土を守る立場から言いますというと、申し上げるまでもなく、農業を振興さす、農業をこのままで持続をしてもらい、あるいは振興させるということがこれは非常に重要な問題でございまして、今後の明日香村の保存に関連して、そういう問題が非常に重要な問題であるということを認識せざるを得ないのでございます。
 また、一面、村の財政事情でありますが、村の財政事情はきわめて窮乏しておると申しますか、決して豊かではございません。私は、村の標準財政規模と申しますか、あるべき財政規模というものは大体十二、三億であろうと思うんでありますが、その十二、三億の標準財政規模に対して税金は二億上がらない、二億を割る程度の税金しか上がらないというような事情でございますので、そういう財政力指数から言いましても、村の財政事情がよくないことを端的にあらわしておるものであるというふうに考えるわけでございます。
 私は、そういう意味から、先ほど申しましたように、一つは、住民の理解と協力によりまして今日の乱開発から防止をして良好な状態であの歴史的風上を守ってまいったということが一つの問題でございまして、もう一つは、一面、村政を預かる村の財政事情というものがよくないということをもう一つの問題として考えざるを得ないのでございます。
 県では、かねて地元の明日香村と共同歩調をとりまして、たしか昭和四十五年、いまから十年前から、この明日香村の歴史的風土を国の力によって保存してもらいたい。そうして内容は、一つは、保存対策が必要、保存対策を改めて見直す必要がある、保存対策を考えなきゃならない。同時に、これと並行して住民対策、住民の理解と協力を求めてやるんだ、しかも住民は隣接の地域がどんどん開発されてまいる、そういうことでございますから、従前の気持ちから言いますると、よほど変わってまいっておる、あるいは不安がある、あるいは不満があるというふうな形が出てまいっておりますので、この際、やはり生活面について配慮をすべき住民対策を考えなきゃならない。もう一つは、村の財政対策、村政を預かる基礎になります財政を何とか強化しなければならないというたてまえから村の財政対策を考えなきゃならない。この三本の柱を基本にして、実は、特別立法措置方を要請し続けてまいったのでございますが、そういういきさつがあるわけでございます。
 そういう意味から言いますと、一つは、今回の法案の第八条に盛られております明日香村整備基金の問題があります。明日香村整備基金の運用によりまして、私は、明日香村の保存のために将来末長く、もう一つは、きめ細かく行き届いた方法
  といいますのは、先ほど申しました村の財政あるいは村政としての行き方では、いま申しましたように、きめ細かい行き届いたやり方というものを住民に対して行うわけにはまいらない。末長く、しかもきめ細かく行き届いた形でこの基金の果実を運用していく、そして村民に対していろんな生活上の配慮をしてもらったらどうかというような考えでございます。そのため、私は、この基金の運用につきましては、公正に、しかも適切にこれを運用して、先ほど申しました成果を上げなきゃならないと考えるのでございまして、ただいま村の方では、鋭意、この法案が議決をいただきました場合、本法案の公布施行後、速やかに関係条例、規制等を制定するために、村においてただいま検討中でございます。また、県としても、したがいまして村の方針に沿って、先ほど申しましたように、公正かつ適切な運用を期するために十分御相談を申し上げ、また県として御協力を申し上げてまいりたい、かように考えておるのでございます
 同基金は五カ年計画で積み立てられるのでございますが、県としては、初年度分として五十五年度の予算に一億二千五百万円を助成いたすことにいたしますとともに、当初は基金の果実が十分でございませんので、さしあたり、県としては、五十五年度の予算に五千万円の補助を別に行うことにいたしておるのでございます。いずれにいたしましても、地元としては国庫からの五億円の速やかな交付を要望しておりますので、この辺の御配慮を特にお願い申し上げたい、かように考えるわけでございます。
 また、もう一つの問題は、本法案が公布施行されますならば、内閣総理大臣から示される明日香村の整備基本方針に基づきまして明日香村における生活環境及び産業基盤の整備等に関する計画を作成することとなるのでございますが、この整備計画の作成に当たりましては、県といたしましては、明日香村の意見を十分反映させることはもちろんのこと、住民生活における現状と将来の問題のかかわり合い、あるいは歴史的風土の保存と調和したところの整備をする問題あるいはまた事業費が村財政に及ぼす影響なども十分考慮いたしまして、できるだけ早く県と村とで十分検討して、この整備計画を策定することに努力をいたしたい、かように考えておるのでございまして、先ほど申しましたように、前者の基金の運用の問題は、私は、他の税の減免などとともに明日香村の住民対策の一つの基本であると思っておるのでございます。また、後者の整備計画の問題は、村財政に寄与する、あるいは明日香村の整備のための重要な問題であるというふうに考えておるのでございまして、さように御理解をお願い申し上げたいと思うのでございます。
 なお、最後に申し上げておきたいと存じますが、諸先生方には、この法案の審議のために、公私ともに御多忙にもかかわらず、さきに地元を御視察いただきまして、また本院でこのたび十分な御審議をいただくものでございまして、この点、厚く感謝を申し上げる次第でございます。
 明日香の村民は歴史的風土を保存することの重大さを再認識いたしておるわけでございますし、今後とも、明日香の村民の方々が誇りを持って、一面また安心をして、そうして貴重な文化遺産を守ってまいるために、本法案の成立を一日も早くいたされますように望んでおるのでございます。この点は私は県の立場から強くお願い申し上げまして、私の意見にかえる次第でございます。
 どうもありがとうございました。
#14
○委員長(大塚喬君) どうもありがとうございました。
 続きまして、末永参考人にお願いをいたします。末永参考人。
 なお、大変失礼でございますが、御年齢のあれでおかけいただいてお話をお聞きしていただいても差し支えございませんので、どうぞひとつ。
#15
○参考人(末永雅雄君) ただいま委員長様から非常に志の厚いお言葉をいただきまして感謝にたえない次第でございます。
 私は、いままで多少講義をしたりいたしまして、立って話をする方がしやすいこともございますので、途中で弱りましたら委員長様の御指示に従いますが、それまではやはりこうして申し上げたいと思います。
 ただいまから申し上げますことは、過般諸先生が現地をごらんになっていただきましたあたりの調査成果でありますが、この地域につきましては、かなり私だけでなくほかの人たちの関心もございます。私がこの調査に着手をいたしましたのは昭和五、六年のころからであります。しかし、飛鳥に関する多くの人たちの歴史的関心はそれよりも古くからございました。しかし、きょうは、私の調査をいたしました成果に基づいて御報告をいたしたいと思います。
 私は、飛鳥の調査を担当してまいりまして、調査の進展に伴って考古学、古代史上の重要性を認識させられました。そしていろいろの考古学条件から、日本古代遺跡としてこれは保護しなければならないというように考えました次第でありますが、昭和四十七年三月七日に、同志の集まりを機会に「飛鳥古京を守る会」というものを結成いたしまして、政府への請願と社会の同調を求めました。
 今日までの主な調査成果を申し上げますと、地上にはたくさんの古墳が残されております。その古墳は、おおむね国史上に記されておる飛鳥時代を中心に築造されたものと判断をいたしますが、特にここでは壁画をかいた古墳が出ました。これはいわゆる高松塚でありますが、高松塚に対する考古学的な観察では、ただいまのところでは七世紀後半から八世紀の時期にかかるものと考えておりますが、一番問題になります壁画は、従来日本の各地で見出されておりますところのいわゆる装飾古墳とは違いまして、私たちはこの装飾古墳というのを、自由画でかいたものではなく、いろいろの原始文様をあらわしたものに該当しております。たくさんございますその種類の中で自由画的なものはごくわずかでありますが、高松塚の壁画はそれにも増して非常にすぐれた描写方法をとっております。この描写方法は多分中国か朝鮮の古墳の影響を受けたものと学界では考えております。したがって高松塚の壁画は従来知られました同種類のものの中では群を抜いたものである。法隆寺の壁画が消滅いたしました日本の現在の美術学界では、この高松塚の壁画は唯一の史料であることになります。
 この壁画の系統に対する問題点は、やはり中国から来た人がかいたのか、あるいは朝鮮から来た人がかいたのか、あるいはそれに基づいて日本人がかいたのかというようないろいろの点がございますが、しかし、私は確定することはむずかしいと思いますけれども、朝鮮的要素もあるけれども、恐らく中国の唐代の文化の影響を受けてこれがなされたというふうに考えるのが一番よろしいのではないか。単に壁画だけの問題ではなしに、盗掘されて内部は撹乱されておりましたけれども、若干取り残されておりました太刀の金具とかあるいは鏡とかいうものから考えましても、高松塚の場合はやはり中国唐代の文化との直接関係を考えるべきではないかと存じますが、これもまだ私の私見にとどまる程度でありまして、学界としては承認されておりませんが、今後、この研究は続けていきたいと思います。
 次の問題は、飛鳥の地下に広々と広がっておる建築遺跡であります。これは先般飛鳥をごらんいただきましたときに敷石の部分においでになったと思いますが、あの敷石は地下にあのとおりのもののあることを示しておるわけであります。ところが、日本全体の遺跡を考えまして、あれだけ壮大な遺構の残っておりますところは飛鳥以外にはないと言ってもよろしいんでありますが、ことに敷石による遺跡というものは、従来私たちの調査をした範囲内では吉野の宮滝以外にはあれだけ規模の大きなものは残っておりません。この点につきましても、私は、なおそこにかつてありましたいろいろの建築物、そういうものには国史の記載と該当して考えるという一つの道順がございますが、ただいまのところでは、私たちは飛鳥板蓋宮とか浄御原宮とかいうふうな国史の記載と対照しながら考えておりますけれども、なお、これは断定をいたしますには慎重な考慮を要すると思います。
 飛鳥の調査は、いま飛鳥地域全体にわたってまず発掘調査を進めております。この調査を担当いたしておりますのは奈良文化財研究所と橿原考古学研究所の二つでありますが、私は橿原考古学研究所の方の調査指揮をいたしております。今日までにすでに二十年を経過いたしまして、主として飛鳥板蓋宮伝承地というところを調査いたしましたが、ここではいろいろの遺構、つまり建築の跡、これがわかっておりまして、特に掘立柱の配置などから、現在、われわれが調査をいたしました範囲内では大規模な一角の建物がわかっております。それを飛鳥板蓋宮の地域とか浄御原の地域とかいうふうにただいまでは推定をいたしておりますが、これらはやがてわかる時期が来るだろうと思いますが、ことに一つの建物で二百畳敷ぐらいの大きなものが出ております。調査をいたしました範囲は今日までに約七万平米に近い広さを調査いたしております。したがって、この以外に飛鳥全域ではなお建築遺構、あるいは建築ではないかもしれないが、いろいろの遺構が出ております。
 かように申しますと、飛鳥の地下はことごとく歴史だということが言えると思います。しかも、その間には、いわゆる古墳時代、五世紀中心の文化時期より以前の縄文とか弥生とかいう先史時代の遺物がときどき見つかっております。これは分離したものではなく、飛鳥の文化をあそこで育て上げる以前に、いわゆる縄文、弥生の先史文化があそこにあったと考えていいのではないかと思います。したがって、この先史遺跡がこれからどう発展するか、あるいは把握されるかということでありますが、これがはっきりいたしますと、飛鳥の古代文化のけんらんとして栄える以前に、その基礎をなすものがあったというふうに考える次第でございます。
 かようなことを列挙しておりますと、まことに切りなく申し上げなければならないと思いますが、時間の関係もございますので、最後に、私は、以上の現在までの調査報告を申し上げまして、まず、その遺跡の保護・保存及びここに住居いたしますところの明日香の住民たちの生活安定とその向上に対する配慮を賜り、そうして飛鳥地域の保護及び今後の調査についていろいろの御援助をお願いする次第であります。しかし、私は一介の考古学徒であって、先ほど申し上げたように、調査事実は報告いたしますが、行政の問題につきましては控えておきたいと思います。ただ、最後に申しましたようにお願いをする次第でございます
#16
○委員長(大塚喬君) まことにありがとうございました。
 次に、寺尾参考人にお願いをいたします。寺尾参考人。
#17
○参考人(寺尾勇君) 寺尾でございますが、私は、主といたしまして、この特別措置法の第一条の目的に関しまして御参考までに申し上げたいと思います。
 その中の題目をなしております「歴史的風土」、一行目の「その周囲の環境と一体をなして」、三行目の「全域」、その下の「良好に維持されていること」、それから四行目の「歴史に対する認識を深め」、五行目の「住民の理解と協力」これらの点にしぼって、特別立法にからめまして、なぜ明日香を保存しなければならないかというふうな問題につきまして御参考の一助に申し述べたいと思います。
 明日香は、かつて万葉集に示されましたように「山高み川遠白し」と、日本のエネルギーと非常なあらしのような時代でありました日本歴史の創成期の時代のかつての舞台でありまして、いまはその昔日の面影をとどめるものは地下に埋められたものと山野のながめだけが残されました。二千四百ヘクタールと人口七千という小さな村でありまして、しかも非常に壊れやすい、もろい自然を持ち、かつ、地下に埋もれておりますときは何らの物の意味を持たないものが、先ほど末永先生のお話しのように、これを一たん掘り出しますと、日本の歴史上根本的に考え方を変えねばならないような重大な意味を含めました果てしない地下埋蔵古文化財の密集しておる地帯であります。しかも、ほとんど全域にわたって規制の網をからめられた形であって、村というものを対象にいたしました法律といわれるものは、先ほど承りますと日本にはごく一つ二つにとどまるきわめてまれなケースでありますし、また、そのために非常に困難な問題であり、また、その意味において一見平凡でありながら非常に貴重な意味を担っているものではないかと思います。
 私は、この特別立法がなぜ明日香を守らねばならないかという意味から申しまして、やはり一つの宿命であると考えます。これを政治の問題として取り上げねばならなかったことも、すでに御承知のように、四十年の十二月十四日の建設委員会、明くる年の四十一年に古都法が成立いたしました。この古都法の中で、すでに最初から「歴史的風土」「古都」という言葉であるとか、そういう風土、古都というような概念がそこに生まれてきたわけでありますが、これはたとえば風土とは文化財の周辺の土地の状況を言うとか、自然環境と一致しているとか、あるいは「国土愛の高揚に資」して「ひろく文化の向上発展に寄与する」という、これはその古都法の第一条の言葉でありますが、そういうことでありましたが、正確に申しますと、この場合には、非常に草々の間に、荒廃しゆく古都の廃滅を防ぐために急遽立法されましたので、風土であるとか古都であるとかという概念が完全には把握されておらないうちに、この法律は出発したのであります。
 当初は自然景観に重心を置きましたが、やがて精神的な景観、それにはたとえば文学的な環境であるとか、あるいは史実には確証はないけれども、しかし、それが人間の精神景観に与えるものとして、第二次的に山の辺の道と明日香あたりが取り上げられてきたのであります。いままで鎌倉、京都、奈良に限られていたものがそこに拡大をいたしまして、やがてはこの精神的景観に人文景観を加えてまいります、そういう状態でこの古都法が成立いたしました。この場合に、一番問題になりますのは、やはり風上という言葉が単なる自然環境だけではなくして、その後ろには風土というものが一つの人間存在の表現であるという、これは古く風土という言葉を最初につくりましたドイツのヘルデルがこうした言葉をすでに残しておりますが、そういう意味のものが当初からありました。
 その後、非常に緻密な行政のもとに、この古都法が進歩いたしまして、昭和四十五年の九月十一日の歴風の答申によりまして明日香立法というものが成立いたしました。これは主に土地の買い上げであるとか、あるいは税の減免であるとか、固定資産税の問題とかいうふうな問題が取り上げられまして、そしてちょうど本年で十年の軌跡を踏んでまいりました。この法律のために、周辺から押し寄せてまいりますところの宅地化の波をみごとに食いとめ、破壊への防波堤としてこの条文にあります良好なる維持ということが実現されたと思います。正確に申しますならば、それなら今度の法律は要らないんでありますが、これを私なりに解釈しますと、その上におおむねという言葉をつけないと少しおかしいんですが、条文では「良好」という言葉の中にすでにそれを含めておると思いますが、正確に申しますならば、おおむね良好な状態が本日まで続いてまいりました。
 続いて、四十五年に閣議決定が行われまして、村民が長く待望いたしておりましたところの施設などが行われました。しかし、この問題に対しては、その答申に「当面の方策」とあって、言いかえますと、これは明日香の永遠の方策、まあ永遠というよりも恒久の対策ではあり得なかったということをすでに断っております。まさに今回の特別立法はその要望にこたえたものだと思います。
 自後、四十六年に予算化されまして、百億に近い金を費やされまして、さまざまの施設がそこに実現し、明日香保存は歩み出しまして、その間着々と成果を上げてまいりました。しかし、その過程の中で、住民生活というものがまるぐるみこの中にあるという、いわゆる歴史的風土の核に、その中に七千の人たちの運命と、その人生と、そしてその生活があったということは、これは当初からわかっていたことではありますが、しかし、多少その後の政策は住民生活と違ったところで費やされました。決してこれはむだではなかったので、将来の明日香保存への一つの布石をしたいということは高く評価されていいと思います。しかし、次第にこの重心の落とし方が微妙に揺れ動きまして、この住民の生活というものが次第次第に悪意なくして積み残された点はたくさんございました。
 そのときの文章を読みますと「地域住民の生活と調和を図り」という、四十五年にはその住民生活との調和という言葉がありましたが、今回のこの特別法においての「理解と協力」という言葉は、単に文字の問題ではなくして、一つの大きな進歩を意味したものだと考えていいと思います。
 で、そのために住民を保存の中に取り入れる、デザイン化するのではなくて、やはり住民生活というものを考えていかなければならない。四十五年の時の村長は、日本人の心のふるさととして恥じない文化村と十年後にしたいということを村会で話しております。また、明日香村に生活を営むということは、われわれにとって心の幸せにつながると村民にあいさつをされております。確かに明日香の村民がかつてこの明日香を大事にしたのは、昭和八年、末永先生を中心にいたしました石舞台の発掘調査の以後、明日香の村民の人たちは、この地下に埋もれている歴史のなぞというものを本能的に守らなければならないという、腹の底から彼らはそれを思っておりました。それは単なる欲でもなければ義務でもない、むしろ本能的な、素朴な村の心として本日までこれが守られてきたのであります。
 しかし、次第に重なっていくところの規制の重みというものは、彼らの生活に物理的、心理的なさまざまな障害をもたらすようになりました。これはやがては一部の村民に生活意欲を喪失させ、あるいは愛郷の心を失わせ、かつては自分たちの心の寄る辺であった地下埋蔵物を歴史の奇妙な遺失物であるとさえ感ずる村民が出てまいりました。やがて村民はこの歴史の保存の中で、このままでいくならばミイラ化され、歴史の喪章となり、歴史の仮装行列の古典に化するような危険さえ生まれてまいりました。それを示すがごとくに、いまから九年前の新聞社の世論調査によりますと、急激に関心が薄れて、生活優先派が村民の七割を占めるという報道が出てまいりました。そして国の政策が明日香に役立つかというのに対して、初めは重大な期待を持っていた中から、三〇%が役立たないという、この村民感情の変化というものが見えました。かつての村長でありました脇本村長は、明日香の人は腹の底から明日香を守りたいと思った、その心を変えたのは村民ではなくして、外の人なんだ、村民に金を見せてくれるな、金を見せるから村民はこういうことになるんだという言葉をそのときに申しましたが、この言葉は現在の明日香村にはそのまま通用しないほど、そのいわゆる受忍の限りを尽くす、いわば規制の網の中に村民がまいりました。当然、この明日香保存の透視図の中には、住民の安定向上、生活の基盤、そして明日香をトータルイメージとして守り、そのためには農業を重んじなければならないという、そういうことはあったのでありますが、ちょっと外から見ますと、その十年の間には、外部から来る人たちの施設であるとか、あるいは観光のためであるとかというような、このままにしていくならば明日香村は間違った観光のえじきになる可能性が生まれてまいりました。
 しかし、特別立法をしなければならないという要望は、保存は住民が利権の制限を受けているのであるからその代償措置として特別立法をしなければならないということは、すでに四十五年四月二十五日の毎日新聞の社説にも出てまいりました。佐藤総理はここをかつて訪ねられましたときにその所見を発表されまして、特別立法とあわせて予算措置をしたいと。また、文化財保護委員会は、四十五年八月十日に、基本的な保存は現行法では処置できないということを言っております。そうして四十九年には、村民協議会の中で、村民参加の特別立法をしなければならないので、閣議決定は当面の施策ではあるけれども、明日香の将来を託するべき法律ではないという言葉が語られております。このようにまいりますと、この特別立法は当然明日香村がたどりました十年間の経過の中で宿命的に本日どうしても考えなければいけない十年の苦闘の歴史でありました。そのために、今度の特別立法の基本的な特色は、住民生活のための基金、あるいは特別の助成、あるいは生活環境及び産業基盤に対しますところの税の減免を含むどころの予算措置が講ぜられた。これは十年間置き忘れてきた問題をいま改めてこの問題の中に取り入れたのであります。
 それともう一つは、明日香を保存するならば、その全域保存をしなければならない。つまり全域にわたって第一種と第二種に分けまして保存計画を立てていくという、そういうものが特別立法の内容となりました。
 それでは、横並びにあります鎌倉、京都、奈良とこの明日香との違いで、なぜ明日香に特別立法をしなければならないか。それは住民生活がまるぐるみの全地域を持っているということ。都市計画との調和がきわめて保存の間にはむずかしいということ。都会の鎌倉や京都では住環境をよくするという目標と歴史的風土を保存するという目標が比較的一致しやすいんですが、これは村であるというために、その住むところは単に住むところだけではなくして、同時に生産の基盤であるということ。三番目には重複されたさまざまな規制がかぶせられて、凍結地区が全体の中で非常に大きな面積を占めているということ。そしてその上に先ほど御説明のありました密集した埋蔵文化財を持っているということ。それから中核になるところの有史的文化財、たとえば法隆寺とか東大寺とか、そういうはっきりした文化の核を持っていないきわめて平凡な農村景観であるということ。しかも、現在においては農業を主体とし、村財政は貧困であり、村民と行政の処理能力というものは、都市の市民においては比較的自分たちの手で解決できる問題をすら解決できないような、処理能力の非常に困難な立場に立ち至っているということ。
 そういう点を考えますと、やはり私は明日香というものの特別立法の根本にあります、村の人にも国民にも行政にも腹の底から納得できるところの明日香保存の目的といいますか、論理といいますか、哲学といいますか、あるいはこれらの共同連帯性の持っておりますところのものとして考えなければならない。したがって明日香保存の目的は単細胞的なものではなくして、非常にさまざまな契機が複合し、複眼的な構造を持っていると考えたいと思います。
 で明日香を考えるためには、その中に住んでいる七千の住民と、われわれのように外から考えている人間を私は分けて考えることが必要だと思います。
 外から見た明日香というのは、これはあくまでも精神的な一つの契機を持ち、われわれが歴史的風土の景観、いわゆる古都というものを通して、そこには現在の明日香の人々の生活を通して、そうしてそこに歴史の追体験の中に未来への創造的エネルギーを持ち、古代への回帰をそこに持つということ。しかも、地下埋蔵文化財の持っておるものの中からさまざまなイマジネーションを描き、歴史への変革の資料を得、現代における機械文明と映像のはんらんに対して人間回復の場として、戦後の日本の持っておる民族のバックボーンとしての精神文化的な人間の創造を行うということが私は一つのものであり、また、政治経済的な契機としては、高密度経済成長の中で物質文化のひずみを、あるときにはエコノミックアニマルなどと言われている人たちに対して日本人が生活の真の意味を求め、そうして企業中心の政治から人間中心の政治に向かって、開発重点の過程の中で自然保護を展開し、その中では、たとえば土地の私有権の制限、公共性の土地の問題、国土計画、土地の利用計画、都市問題、宅地問題、農業問題、結論としまして土地の問題に落ちつくと思います。三番目に、文化政策の契機としては、文化遺産を再認識してその活用をし、保存し、在来の物見遊山的な観光に対して新たな意味を加えた心の憩いの場として明日香を考えるというようなことが外から見た明日香であります。
 それに対して、内なる明日香というのは、あくまでも現在住んでおる明日香の人たちがそこに生気あふれる生活形態を創造して、そしてその中に安らかに自分たちの人生の創造の喜びを感じ、規制の網に張りめぐらされながら、その歴史的風土の環境を逆用して、その中にみずから新たなるいま一つの生活像を築き、住民とそして行政の処理能力を高め確立し、その住民たちの意思や意向は、たとえば生活においても住宅像においても、その意匠、形態においても、この住民の意思をプログラム全体に実現するという、そういう一種の立村の軸と申しますか、つまり明日香の村民の希望はさまざまで多様化しておりますが、将来像としては農業立村ということを現在掲げられております。土地の非農業部門への利用価値による地価の上昇の期待に対し、農業による土地の収益性と農業の粗収入が宅地化より高能率報酬のあるところのものであるという、そういう農業政策が中心であります。しかし、その農業が将来日本の転移の中でどういう形をとるか、あるいは農村がどんな運命をたどるかという、五年後十年後の先を考えてみなければならないと思います。
 要するに、明日香というものは、現在、何が残っているかというと、われわれの「袖吹きかへす」古代の風という万葉集の言葉をそのまま引用いたしますと、そこに現在あるものは、古代から現在まで変わらず吹いているところの風であります。それから土であります。それからそこに訪れる者にも住む者にも人間の営んでいる人生がある。この風と土と人生が明日香の私は本質であると思います。このような文化財を持つところの村を他に求めることはできないと思います。
 しかし、純粋に凍結保存するならば、それは村の解体につながるし、そうかといって多様化し、また変遷絶え間ない将来に向かって村人の欲望だけを満足させるならば保存は不可能になります。とするならば、住民生活の重視ということは、当然、この法律の予算措置において解決せられるのでありますが、しかし、それじゃ住民生活を重視するためにその過程の中で保存は何のためにするかということをもし失うならば、それは心情欠落のものとなってくると思います。あるいはこの立法はダム補償と同じような権利とか恩恵とかいうふうなものになると思います。しかし、私が特に申し上げたいのは、この特別立法は単なる魔法の棒でもなければ、一切の保存を解決するところのものではなくして、むしろ手だてであり、一つの突っ張りであって、この財政援助によって特別立法は単なる明日香保存の後始末をするのではなく、これからも、きょうまで経てきましたところのさまざまな重荷が村民にとってもまたこれを行政する面にとっても新たなる課題としてわれわれの前に与えられているということを考えなければならないと思います。
 したがって、特別立法は、その法律の運用においてさまざまな問題を持っております。たとえば規制と整備助成との交換をどうしてバランスをとるか。「生活の安定」と言われている生活の実態とは、ここに言う「住民の生活」とは、一体、何を意味しているのか。また「住民の利便」という言葉がありますが、村民の利便というものとこうした特殊な地帯の保存とはどういう関係を持っているのか。また「生活環境」とは何か。こうした地帯における「産業基盤」というものはどうした特色を持っているのか。その上において「風土の保存」とは何を持っているのか。また、この法律が実施される以前に、十年歩んできた傷だらけの明日香の歴史の中における、すでに現在荒廃の道をたどりつつある、一部にあるその集計、あるいは格差における村民のいわば苦情、これをどのように処理していくかということになりますと、あるいは無神経な保存のために、その保存がときには破壊につながる場合もあったということをわれわれは考えなければならないとするならば、私は、この法律は、その明文の上においては明確な一つの理念を持ち、方法を持っていながら、この運用に当たっては今後の課題が大きな問題になると思います。
 いずれにしましても、私は、村民がこの法律に対して、十年間、その運命として期待をしておりましたその七千の明日香人のためにも、また多くの国民がここにしばしの心の安らぎを求め、いわば励ましの心の翼をここに得て飛ぼうとする国民に対して、私からお願い申し上げたいんですが、一つの法律が成立するためにはきわめて厳正な審議と、各党のさまざまの角度からのさまざまな意見が出て、その上において一つの立法が生まれ出ることは私も承知しておりますが、この立法はきわめて特殊な立法とお考えいただいて、どうぞ励ましの立法として、悩める村民のためにも、またこれを待望する国民のためにも、そして昭和が後世に残す最大の遺産として、これを長い目で、いわゆる近視眼的な、短距離的な、あるいは微視的なところももちろん必要でありますが、巨視的な目で、われわれが今日、五百年後、千年後の日本に、たとえば正倉院や源氏物語やあるいは芭蕉や浮世絵や墨絵が現代の日本人に心の糧として生きたように、これは景観の正倉院、景観の限りない文化財の一つとして、しかもその中には村民の生活が含まれているというこの村を後世に残すことは、私は昭和の一つの最大の遺産だと考えますので、私からも、村民にかわりまして、また日本の明日香を愛する人たちにかわりまして、さまざまの御意見を各党各派でお考えと思いますが、一致の上でひとつお願いしたいと思います。
 最後に、私は、川端康成が自殺直前にこの明日香を訪ねましたときに言いました最後の言葉を私自身もかみしめておりますので、それを一言申し上げておきたいと思います。――文化の保存は創造性なくしてはあり得ない。
 大変失礼いたしました。
#18
○委員長(大塚喬君) まことにありがとうございました。
 以上で参考人の方々の御意見の開陳を終わります。
 これより参考人に対する質疑を行います。
 質疑のある方は順次御発言を願います。
#19
○茜ケ久保重光君 お三人の参考人の皆様方の御意見を拝聴いたしまして、この法案の持つ意味はもちろん、非常に重さを感じております。また、何かこう日本人としての感慨もひとしおのものを感じております。
 私は、二回、現地をお訪ねして、いろいろと拝見をしたり御意見を承ってまいりました。私なりにそれでいろんな意見を持っておりますが、ひとつ限られた時間のもとで端的に参考人の皆様方にお伺いしたいと思っています。
 第一点は、副知事さんにお尋ねするんですが、いまお三人の参考人の方々から共通に出ました言葉は、このたぐいまれというか、ほかには求め得ない文化財が村じゅうにある明日香村が今日までいわゆる原状のまま、もちろんこれはもう上の建物はありませんけれども、残ってきたというのは、村民の非常な協力と申しますか努力と申しますか、それが非常に大きいと、いやもうそれが実は明日香のこうした風土を今日にまで持ってきた基本だとおっしゃっていただいております。そしてまた、さらにそれを今度は法的に裏づけをしていくわけでありますが、そこで、明日香の村民の皆様方が明日香村をそのようにして保存したことに対するプライドと申しましょうか自信と申しましょうか、そういったものをお持ちである。かつて何か新聞の調査で一時的に明日香村に対する考え方がダウンをしたこともあるようでありますけれども、今日では、私どもが接した限りにおいては、やはり明日香村の村民の皆さんは大きなプライドを持っていらっしゃると思います。
 このことに対して物的なものをどうこうすることがいいとか悪いとかじゃなくって、やはり今後長い間この法律が施行されまして以後、村民の皆様方が安心をして生活をされ、しかもなおかつ自信と村に対する愛情を持ちながら明日香村の保存をやっていただくためには、ただ単に精神面だけを強調してもこれは容易でないと思うんであります。そこで、政府としても五年間に三十億という財政措置をするわけでありますが、これは一面から言うと、政府としてもこの財政難の時代に思い切った措置であるという評価もできないわけじゃありません。これはできないわけじゃありませんが、しかし、私が現地に行き、様子を拝見し、いろんな御意見を承った限りでは、もちろんこれはいま言ったようにある程度評価はしますけれども、どうもそれだけでは、いま先生方がおっしゃった明日香を保存し、村民の人たちのためには、何か少なきに失するような気がするわけであります。
 もちろん、この委員会を通じて、すぐにこれを幾らにしろということは、これはなかなか問題がありますが、副知事さんにお聞きしたいのは、三十億、もちろんこれは結構ですよ、しかし、お聞きすると、当初は百億とか八十億とか五十億とかいう金額が出ておったそうであります。それに対する村民の期待も大きかったようですが、これがいろんな意味で三十億になった。それで、これは何も副知事さんね、あなたの言質をとったりするわけじゃありませんよ、そういうことで聞くわけじゃありません。あなたは将来知事になられる方かもしれませんよ、奈良県のいわゆる知事として、あの明日香を守っていくために、村民の期待にこたえるために、あなたはいまでは三十億でもいいとお考えだと思うんですが、しかし、これは五十億とか八十億とか、やはり額が多いにこしたことはないんだけれども、お気持ちとしてやはりこの基金がもっとたくさん出ればいいんだ、いまはできぬかもしれないけれども、いま言った五十億なり八十億なりという額が私はやはり村民に対する一つの大きな支えになるんじゃないか、こう思うんですが、副知事さんの率直なひとつ御意見をお伺いしたい。
#20
○参考人(上田繁潔君) ただいま茜ケ久保先生から御意見を拝聴いたしました。県といたしましては、もちろん当初村とも相談をいたしまして、一つは非常に意欲的に、あるいは積極的にこの基金の果実を運用する中身について検討したのでございます。そういう意味では、言いかえますというと、たとえば村が当然村の財政の中で賄うべきような事業もやっぱり入っておったのは事実であります。そのため、いろんなことも考えておりましたんで、先ほど申しましたように、相当大きな額で要請しておったこともあったんでございますが、その後、県としてもいろいろ検討を加えてまいったということでございますので、先ほど私は村の財政事情など若干のことを申しましたが、村の財政事情、ことに税金の収入などの関係から考えますというと、まあまあ三十億を積んでもらえば、その果実で大体所要のものが、先ほど私はきめ細かく云々と申しましたが、賄えるんじゃなかろうかと思っておるのでございます。
 ただ、将来、貨幣価値の下落などの問題、物価騰貴の問題に関連いたしまして、目減りするというようなことが明らかな事態になりますれば、県といたしましても、あるいは村もそうでございましょうが、これはその時点において適当にひとつ見直しをお考えいただきたいというふうに考えておるものでございます。
#21
○茜ケ久保重光君 そう大きな期待は持ちませんけれども、しかし、やはりこの法を決めるに当たって、そういった一つの空気、村民の要望なり、いろんな県当局のお考えなり、そういったものが実際実施面においてにじみ出るようなものにしたい、こう思ったわけですね。したがって、これから審議を始めますから、審議の途中で今度は政府なりにいろいろなことが出てまいります。それに私どもがとやかく言うよりも、皆さん方の御要望を私どもはその過程で出していきたい、こう思っているわけなんです。したがって、あえてお尋ねしたわけなんです。
 いろいろとお聞きしたいことがございますけれども、時間の制約がございますので、本当に端的な質問をします。
 末永先生にお尋ねいたします。末永先生は飛鳥古京を守る会を結成されて、非常に長い間御努力されていらっしゃるわけでありますが、私どもが見ましても素人にはわからないですね。埋蔵されているものはわからないわけですが、先生の専門的な立場から、明日香を守るということの、何といいますか、意義というか、先ほどお話しを聞きましたけれども、端的に素人にもわかるような状態で、ひとつ明日香をこういうことで守るんだという一言のお言葉がもしいただけますならば大変ありがたいと思うんであります。いわゆる明日香を守ることはこういう意味だということを、一般の人が聞いてもわかるような言葉でお話しいただければ大変ありがたいと思います。
#22
○参考人(末永雅雄君) 私が明日香を守らなければならないという考えを持ち始めましたのは、やはり周辺地区の開発が非常にひどくなりまして、だんだんと明日香の方へも侵食をしてくる。その明日香の土地には、至るところに遺跡が、しかもその遺跡は大体建築遺構を中心にしておりますので、この建築遺構の状態はちょっと言葉では具体的には申し上げられませんが、飛鳥の地域の特にわれわれが調査をいたしました場所、いわゆる飛鳥板蓋宮伝承地といま申しておりますところは、遺跡が三重になって重なっておりまして、そのために一番上層に、現在地表に近いところに残されております敷石の遺構、この敷石の遺構は、現地をごらんになった方にはすぐおわかりになると思いますが、今日地上にあらわれておりますのは、先ほど申し上げましたように、その地下にそれと同じ遺構がございますので、多くの人たちが見学に来られても、こういう状態であるということがわかるようにしたものであります。で、その地下に残っておりますのは敷石の下に二層、二重になっておりまして、その下層の方にやはり遺跡がございますが、その遺跡をどういうふうに判断をするかというわけであります。飛鳥京の古いところからだんだんと上層の方へ時代をさかのぼってまいりますれば、飛鳥のかつてそこにございました宮跡の時期、その時期を推定することになりますけれども、いまのところ、私はそれに対する特定の宮跡とかあるいは殿堂の名を当てることについては控えております。
 いま御質問のように、飛鳥を残すべき遺跡であるという点につきまして最もよくわかりますのが敷石あるいは井戸のあたりがだれが見ても具体的にわかると思います。それからもう一つはっきりいたしますのは古墳でありますが、これは石舞台の古墳を初め幾つかそのまま残されておりますので、いつかあのあたりが草に覆われておりましたけれども、現在では周りが整理をされまして、石舞台古墳はだれが見てもすばらしい古代の記念物であるということはわかると思いますが、そのほかに、まだ飛鳥の各地域にはいろいろの建造物、たとえば酒船石と申しますような巨石建造物が残されております。
 地下の問題につきましては、恐らく今後もなおいろんな遺構が出てくると思いますが、先ほどここへ入場いたします前にわれわれが話をいたしておりましたが、現在、われわれは平地の遺跡を調べ、その平地の遺跡の下に残されておる建造物の跡を追求しておりますが、山の方に行ってもあるいは特殊な遺跡があるのではないかと考えられますのは、細川谷に古墳がたくさん残っております。こういうものに対しての調査はまだ十分にできておりませんで、そこにあるということだけしかわかりません。これは一例でありますが、恐らくはかの山の中にもこういうものが出てくると思います。細川谷の古墳は、破壊されておるものもございますが、行けば古墳であるということはよく具体的に知ることができると思います。
 大体、以上のようなことでございます。
#23
○増岡康治君 御三人の参考人の御意見を伺いまして、本当にありがとうございます。末永先生、寺尾先生のお話を前提にいたしまして上田副知事さんにお聞きしたいのでございますが、まさしく寺尾先生がおっしゃるように、今回の法律は励ましの法律であろうと、先般私ども現地を見さしていただきまして、その感を深くしたわけでございますが、したがって今後の課題が非常に多いのではなかろうかと思います。
 従来、奈良県におかれましても、古都の保存あるいは歴史的風上を守るために県自身も非常に御努力なさって今日までおいでになったことを非常に輝く評価するわけでございますが、この明日香の新しい特別措置法が出るに及びまして、県におかれては、県の部局におかれて、どういうところがこの明日香の問題を受けとめられる窓口となられるか、あるいはまたほかの機関との関連、どういう組織になって今後受けとめられるか。従来どおりの組織で大丈夫だとおうしゃればそれでも結構ですが、新しいこういうものに対して、今後とも長く続くわけでございますので、この窓口といいますか、のことをお聞きしたい。
 それで、いろいろな村からの御相談あるいは村民からの御相談には、これは教養の高い人でないとなかなか判断がつかないと思うんです。家を直されたりいろいろなことで、これが歴史的風土でいいんだろうかと、この判断基準というものは相当やはり県の部局の御指導いかんによって物が決まっていくんではなかろうか。そういう方々の人材養成といいますか、こういう方々に対しての御意見。
 それから、さらに中央へ来ますと、これは総理府がいまは窓口になっておりますが、いろいろ各省、建設省を初め農林水産省も関連をいたしますでしょう、文部省や文化庁、いろいろ関連があるわけでございますが、地方公共団体のいわゆる県といたしまして、中央官庁に対する要望がございましたら、あわせてお聞きいたしたいと思います。
 以上でございます。
#24
○参考人(上田繁潔君) ただいまの御質問でございますが、組織と申しますか、これは私自身としては二つのことを考えております。一つは、窓口といたしましては、県の組織で、この法案の運用を中心に考えますと、やはり総務部という組織で全面的に窓口としての機能を果たしたいと思うんであります。ただ、本県の場合、私の先ほどの説明から関連させて申し上げますと、明日香の保存については、窓口の中でもその規制面につきましては県の組織上企画部でやる。したがって規制以外の問題につきまして、要するに先ほどの村の住民対策あるいは村の財政対策、これにつきましては総務部でやる、そういうふうなことを考えておりますことを御了解いただきたいと思います。
 それからもう一つは、いろんな規制を受けますための具体的な対応策でありますが、これはいま申しましたように、県では企画部でそういう意味では対応いたしますけれども、やはり諮問機関、審査機関を持っておりまして、現在、古都法などの運用、あるいは都市計画法によります風致規制条例などの運用につきましては、本県で、たまたま末永、寺尾両先生がそうでございますが、有識者、学識経験者の方々で組織しております古都風致審議会というのがありまして、これを動かしてひとつ御意見を承って適切な運用を図ってまいりたい、かように考えておるわけでございます。
#25
○増岡康治君 中央に対する御要望はないですか、今後の運営といいますか。
#26
○参考人(上田繁潔君) それはやはりいろいろあるんでございます。ことに、やはりたとえば農業振興が明日香の問題といたしましては非常に重要な問題でございますんで、私は、率直に申しますと、少なくとも農業労働人口、先ほど申し上げておりましたが、あれらを基礎にして今後農業ということを振興させなきゃいかぬのでありますから、たとえばビニールハウスあるいはビニールトンネルなどいろいろ規制がございますが、これなども、第一種地区は別といたしまして、第二種地区では施設農業などに支障ないような方向でやっぱりやってもらいたい。
 それからまた、先ほど申しました整備計画でございますが、整備計画の関係で、これは今後の問題でございますが、できるだけひとつ明日香村の振興整備のためにこの事業が行えますように国庫補助対象として取り上げていただきたいというふうなことを考えております。
#27
○増岡康治君 ありがとうございました。
#28
○降矢敬義君 大変いいお話を承って、ありがとうございました。
 私は、皆さんに村や県を代表いたしましてお答え願いたいんですが、先ほどもいろいろお話がありましたが、今回の法律をどう受けとめておられるかという基本的なお気持ちを御披露いただきたいと思います。
 それから第二番目には、先ほども基金の運用についていろいろお話がございましたが、県としても基金の運用、その前の基金の造成についてずいぶん御協力をなさるような御決意でありましたが、その基金の運用について行財政上の指導というものが一番重要になると思いますが、何か審議会のようなものをおつくりになって、そういうことで整備計画をつくり、そうして具体的に運用されるというようなお考えかどうか、この点をまず上田さんにお伺いいたしたいと思います。
 それから末永先生に承りたいんですが、文化財の調査、そして保存というためには相当専門家の方々が必要だと思うんですけれども、この人たちの養成といいますか、こういうことについて先生としてどうお考えになっているのか。つまり一人前になるためには相当時間もかかるし、また発掘をされても、まだ相当調査にも時間がかかるので専門家を養成する必要があると思うんでありますが、その辺をどうお考えになっておられるのか、御所見が承りたいと思います。
 それから寺尾先生にでありますが、大変いいお話を承って、ありがとうございました。私は、一点だけ、この明日香村の整備計画をつくるときに、県がつくられるわけですが、寺尾先生として、何項目かここの整備計画の項目が挙がっておりますが、どういう点が一番大事だとお考えになっているのか、お示しをいただきたいと思います。
 以上であります。
#29
○委員長(大塚喬君) ただいまの質問に、順次、参考人の御答弁をいただきたいと存じます。
#30
○参考人(上田繁潔君) 一つは、私の法律ができます場合の受けとめ方でありますが、長年の要請が結実いたしまして法律ができますことを非常にありがたく存ずるのでございます。
 しかしながら、先ほど寺尾先生もお述べになりましたが、むしろ問題は今後にある。この法をいかに適切に運用するか、そうして成果を上げるかということにあるわけでございますから、これはよほど私も県の当局者の一人として、覚悟と決意を新たにしてこの法律の運用に取り組むべきであるというふうに考えておるのでございます。
 それから基金の運用につきましては、先ほど若干申しましたが、村でもいろいろ御検討中でございますが、恐らく村の地方自治法による宿主的な立場における基金として運用をされるわけでありますから、恐らく運用のための管理委員会と申しますか審議会と申しますか、そういうふうな機関が必要であると思います。そういう機関を設けられます場合に、県もやはり関係者が参画をして、お互いに衆知を集めて公正適切な運用をするような方向で御協力を申し上げたい、かように考えております。
#31
○参考人(末永雅雄君) 私たちの仕事は、この問題につきましては非常に苦労するところでありますが、地下遺構の保存は、調査をしなければその状態がわからない。で調査をすれば、その遺構はある意味ではもう破壊になるということになりますので、われわれはこの調査と保存と、それからその後の利用、これにつきまして一つ一つの問題解決に対して努力をしなければなりませんので、これに対する具体的な方法は、調査をいたしましても、その場所が全く消滅するという場合と、調査をして残せばもとの姿のままで残せるという場合、この問題がございまして、明日香の場合には、大体、地下遺構として残し得るものがまず多いことになります。したがって明日香の地下遺構の保存と地上の利用とにつきましてはある程度の話し合いをもって進めることができると思いますが、それを強引に調査が済んだからというので建物を建てちまおうという場合がいままでからよく見られました。それに対しては私たちは非常に残念なことだと思いますが、その問題を解決するのは、われわれの考古学の面ではなく、文化財保存課とかあるいは明日香村役場とかでやってもらわなければなりません。
 私自身としては、考古学徒である以上は、遺跡はことごとくまず保存ということの前提に立って調査を進めていきたいと考えておりまして、現在もその方針で進めておりますが、明日香の例をとりますと、遺構の上に建物をする、その建物が遺構を破壊しないというんであればまた話し合いの道があると思いますが、全く遺構を破壊しなければ建物が建たないというようなことになりますと、これは私個人の考えですが、絶対にそれに対しては妥協しないというふうな考え方で進んでまいり、今後も、そういうふうにしたいと考えております。
#32
○参考人(寺尾勇君) お答え申し上げます。
 私は、やはり整備計画を進めます場合に当たりまして、この法案の第四条のところに主として並んでおりますが、これは各省の慣習に従いまして並んでおりますが、一番重要な問題はこの十一から逆に重要性を持っているのではないかと思います。道路とか河川とか下水道とか都市公園とか教育施設とか厚生とか消防とかということは、これは風土に見合ったものということですが、やはり住宅の整備に関する問題、それから農地並びに農業用施設及び林業用施設の整備、それから文化財の保護及び明日香村における生活環境及び産業基盤の整備、それを総花的ではなくして、非常に重点的に、しかも有機的に考えていかなければならない。限られた予算でありますので、よほどこれは長期計画に基づきまして段階的にしていかなければならない。
 しかし、それらの中で一番大事なのはやはり村民の意向をどういう形で吸い上げ、それを組織化していくか、また村民のこの保全に対するプログラムをこの整備計画の中にどのような形で取り入れるか、必ずしも現在行われている住民参加というような一般的な形式とはまた別個の立場において、私はこれは可能でないかと思うんです。
 もちろん、この法令施行以前及びそれまでの十年の間に、先ほど申しましたように、村内には、かつて非常に仲のいい村でありましたが、買い上げの土地が数年前に買った土地といま買った土地との格差が起きたために、格差から生まれてくる村内のさまざまな問題が村行政の悩みの種でありますので、これは前に風土審の堀木会長が提案されましたように、苦情処理委員会というようなものを設けまして、そして村民にそういう不満を持たせない、本当に腹の底から計画に対して協力できるような方途をしなければならないと思います。
 この計画の中核を占めるものは、先ほど末永先生のおっしゃいましたように、地下埋蔵物及び地下埋蔵物の上につくられております自然景観及び歴史的な景観、精神景観というものを維持するということが、しかもこの中心に向かって集中しなければならないと思いますが、しかし、その景観の基準は何かといいますと、現在の明日香村は必ずしもかつての古代における飛鳥の状況とは全然違っております。大昔の飛鳥は大森林であったし、また仏寺も建立された時代もありますが、現在形成しておる明日香の状態は、いつの時代を基準とし、何を基準としてその計画を立てていくかということも必要だと思います。
 したがって、風土の丘とかふるさと村だとか、あるいは自然保護の立場におけるところの設営とは根本的に異なっているものを中に含んでおると思います。その中で一番大きな問題は、今度の基金の一つの使い道の重要な要素をしておりますところの住宅及び集落の形態、色彩、意匠でありまして、これをどのような形にするかということについてはよほど考えなければならないし、いわゆる農業立村を中核にしておりますが、しかし、純農はこれから五十年、百年後に明日香村で後継者がそれをどういうふうな形で受け継いでいくかということを考えますと、これが純農村でなくなった、農業が完全に成功すればそれにこしたことはないんですが、農業というものが次第に明日香の中から時代の進展とともに影を薄められたときにも依然としてやはり今日の農村風景を維持するような方途をどういうふうに考えるかということ。
 また、観光客というものは、果たしていま一番明日香が望んでいる人が来ているかどうかは疑問なんですが、明日香に憩いを求めるべき人はどういう人でなければならないか、しかも、この観光公害というものに対して村民が非常にある意味においては迷惑をしている。明日香はあくまでも、観光というものは自由であって別に人が来なくてもいいわけなんです、これが残されればいいんであって、観光ではなくして、一つの心の憩いとして本当に求める少数の人が来てくれればいいのであって、これは一つの日本のいわゆる観光地としての、レジャーの設備としてのものではないというふうなことも将来の交通計画や計画の中に考えていかなければならないと思います。
 いずれにしましても、村民の生活を重視し、また、ここに訪ねてくる人たちの本当の憩いの場をつくるという、そういう目的のもとにこの整備計画が着々と進められて、村民が真に納得のできるような施設計画をつくり上げるような構造といいますか、機構といいますか、たとえば産業基盤の場合でも非常に不便だと思うんです。新しい商業地帯をつくることも、サービス機関ができることも、また商売をしましても、ネオンを掲げることも、あるいは享楽機関のパチンコ屋などをつくることも明日香の風土としてはふさわしくないとするならば、そういうものをどのように忍んでこの計画の中に協力できるか、これはあくまでも手づくりの計画でなければならないと思います。それを概念的に上からつくった計画を村民に押しつけましても、村民自身は外から押しつけられた計画は納得できない。しかし、村民自身がこれをつくるためには処理能力として村民自身がこれをつくる、たとえば明日香歴史的風土保存の憲章というふうなものを村民自身がつくって、その村民の中からつくられたものをこれを援助していくという、そういう形の計画の取り上げ方というものが大変に今後の問題になると私は考えております。
 以上でございます。
#33
○降矢敬義君 ありがとうございました。
#34
○内田善利君 私も、先日、奈良県視察団の視察に行かしていただきましたが、私は観光で行ったわけではございませんけれども、
   〔委員長退席、理事茜ケ久保重光君着席〕
当委員会の委員派遣として行ったわけですが、初めて参りまして、私は日本の歴史に帰ったような、非常にごみごみした東京都から奈良に参りまして強い感激を覚えたわけです。そういった意味から、きょう三人の参考人の方々に、行政の立場から、また考古学の立場から、また文化財、歴史遺産保存の立場から種々お話しいただきまして、非常に感銘を受けているわけでございます。
 今度のこの法案につきまして、時間がございませんので、三人の参考人の方々にそれぞれ私が思いつくまま質問をしたいと思いますが、まず最初に、上田参考人にお伺いしたいと思いますけれども、奈良県は非常に史跡、文化財の豊富な県であるわけですが、いままでのこれらに対する県行政の指導方針といいますか、そういった基本的な考え方をまずお聞きしたいと思います。
 それから飛鳥時代の歴史的風土に関する地域は、これは明日香村だけに限ってはいないんじゃないかと、この間の視察のときも、地図にちょっと詳しくありませんが、県全体にわたって文化財、史跡は多いんじゃないか、こう思うんですが、今回、これに限ったことに対する県の考え方がございますならばお聞きしたいと思います。
 それから保存と住民の対策ということで、先ほどお話がございました、県としては、一つは保存対策、二つには住民に対する生活面の配慮、住民対策、三番目は村の財政強化ということを考えているということでございましたが、この保存と住民対策の調和といいますか、非常に行政面としてはむずかしいんじゃないかと思いますが、この点についてお伺いしたいと思います。
 それから、末永参考人にお伺いしたいことは、明日香村は面積が二千四百四ヘクタール、そのうちどれぐらい発掘調査がなされているのか、また発掘された内容は建築遺構が、先ほどお話がありましたが、非常に大きい。こういった遺構、遺跡の保存についてどのような対策を考えておられるのか、明日香村の場合にどういう対案を考えていらっしゃるのか、この点お伺いしておきたいと思います。
 また、発掘が進むに従って、この保存と住民生活の調和ということが問題になってくると思いますが、高松塚古墳の場合も緊急に規制が行われたようでございますけれども、こういった問題が発掘が進めば進むほど出てくるのではないか、こういった面についてお伺いしたいと思います。
 それから、寺尾参考人には、先ほど大変感銘するようなお話をいただいたわけですが、先生の保存の必要性、保存の哲学をお聞きしたわけですけれども、お二人の参考人にもお伺いするわけですが、調和をどのように図っていくかということが、この法案にも、今回、この点、第一条にも「住民の理解と協力」ということが言われておりますが、この保存ということについて、私ちょっと第三者的な立場でお伺いしますが、各種の規制を行っているわけですが、その規制を行ってまで保存する必要性がどこまであるのかということを、特に生活が近代化され、どんどんどんどん周辺は近代化生活を営んでいく、文化的な生活を営んでいく、そういう立場にある住民の立場も考えなければならないんじゃないか、そうしますと、その保存の必要性についてお聞きしたいと思います。先生の著書の中に「文化財はそこに住む住民にとって「負」としての無償の存在である」という先生の達見がございますが、これとの関係からお伺いしたい、このように思います。
 それから最後に、本法律の施行に当たって、可決された場合ですが、本法律の施行について特に先生の重要な提言があればお伺いして、私の質問を終わりたいと思います。
#35
○参考人(上田繁潔君) 一つは、奈良県行政の指導方針という御質問でございますが、私は、奈良県政の宿命は開発と保存の調和をいかに図るかというところにあると、実は、平素から思っておるんでございます。言いかえますならば、保存すべきは保存する。しかし、また一面、開発してもよいところは開発をする、そういう意味で開発と保存を常に調和させることについて県政の運営上心を痛めておるのでございますが、そういう意味では、明日香村につきましては、明日香全体として、先ほど来御意見が出ておりますように、やはり保存に重点を置いて行政を行うべきであるというふうに考えておるのでございます。
 それから次は、明日香に限ったことに関しての御意見でございますが、これは明日香につきましては非常に古代の歴史の貴重な文化財や埋蔵文化財が包蔵されておるわけでございますので、これはどうしても保存しなければならないということが一つの前提になりますが、一面、実態を見ますというと、明日香村の今日の行政区域全般にわたって、現状におきましても、先ほど若干私が申し上げましたが、二千四百ヘクタールの九割までが厳しい規制を受けておるという実情であります。また、もう一つは、橿原市など隣接の地域まで開発の波が押し寄せておるという現状であります。そういうふうな地域というものは、私は恐らく奈良県においてももちろんございませんし、
   〔理事茜ケ久保重光君退席、委員長着席〕
また、全国各地区におきましても恐らくこれに比肩し得るものはないと実は思うんでございますが、そういう意味から、私は、県としても、明日香村という行政区域に限ってこの特別立法措置の対象にしていただきたい、かような考えを持っておるわけであります。
 それから、もう一つは、私が申し上げました三本柱の関係でございますが、これはなるほど仰せのように非常にむずかしい問題であります。むずかしい問題でありますけれども、やはりこれは何と申しましても、従前もそうでありましたけれども、今後もそうでありましょうが、明日香の村民の皆さんの理解と協力を得ることが一番大事である。そのためには、やはり不便なあるいはいろいろ御迷惑をかけておる生活面についてできるだけきめ細かく行き届いた配慮をすべきである。私は、これをもって果実を運用して、そしてうまいぐあいにこれを救ってまいらなきゃならぬ、かように考えておりますが、いずれにいたしましても、住民の理解と協力を得るということが何と申しましても一番根幹であろう、そういう方向でこの法律の運用に当たらなければならないというふうに考えておるところでございます。
#36
○参考人(末永雅雄君) ただいま上田参考人のお話しになりました中で、奈良県の文化財調査についてちょっと私の方からつけ足しておきたいと思います。
 それは文化財といういろいろの取り扱う範囲の中で、埋蔵文化財を私の方の橿原考古学研究所が担当いたしております。この埋蔵文化財の調査は、戦後の開発とともに非常にその負担が大きくなりまして、現在では十数人の担当者が明け暮れ調査に従事しております。そのために橿原考古学研究所の仕事というのは全員非常に重い負担を抱えてやっておるわけであります。ちょっとそれだけを奈良県の文化財調査の一つとして申し上げます。
 それから、私に御質問の遺構の保存の問題、これは飛鳥だけには限りませんが、今日、飛鳥の問題についてだけ申し上げますと、地下遺構の場合は、飛鳥では幸い建築の遺構とか、それに関係をする施設というものが主になっております。中には全く発掘をすればもうその後の保存ということはとうてい考えられないというような場合もございますけれども、飛鳥では幸いに遺構の原状を残すことの可能なものがかなりございますので、この保存につきましては、やはり原状の遺構をそのまま残すということをたてまえにしたいと思いますのと、遺構の中になお調査をしなければならないという部分的な場所もございますけれども、これはやはり急がなければ、おもむろに次の保存方法、保存処置に対するいろんな条件が確立するまでは手をつけないでおきたいということを考えております。
 その保存に対する考古学的な技術の方面、これにつきましては、いろいろ原状保存のための復元とか、あるいは薬品による保存方法とかいうものを考慮しつつ進めておりますが、その将来の保存方法につきましては、私は余り差し出がましいことは申せませんと思いますが、できればその遺構のある地域をことごとく買い上げていただきたいということが調査担当者としての希望になります。さしあたって飛鳥には二カ所大きな問題が出ております。それらもやはりまず私の意見としては二カ所とも買い上げていただいて、そうしてその遺構の保存に心配のあるような妥協的な処置はとらないでほしいというのが私の調査担当者として考えておるところであります。この問題は、いろいろ行政の方に係ると思いますが、金額の問題よりも、その地域の買い上げということをお願いしたいと思います。
#37
○参考人(寺尾勇君) 御質問の保存の問題につきまして、これはやはり大きな問題でありまして、私自身も現在悩みつつある問題で、決して解決した問題だとは思っておりません。
 かつては開発と保存という言葉が必ず使われまして、この両者が全く相反したごとくに考えられたのでありますが、新しい一つの考え方としては、保存が同時に開発であり、開発が同時に保存であるということが必ずしも不可能でない、そういう調和をとることが可能ではないだろうか。もしこの知性が欠けるとすると、片一方開発が進めば保存が破壊されるし、保存があれば開発がおくれていくという、そういう二者択一ではなくして、この両方を実現――非常に困難にして、しかもむずかしい問題なんですが、明日香においてはそれがある意味においては可能でないだろうか。
 それから、いまお話しのように、各種の規制があって、なぜその保存の必要があるか、村民も近代的な生活をする権利があるじゃないか、仰せのとおりでありまして、史跡の指定であるとか古都法の規制であるとか、あるいは市街化調整区域のものであるとか、風致地区であるとか、景観保全地区であるとか、第一種地区であるとか、農業振興地区であるとかという数限りないがんじがらめのいわゆる規制がここにかかっております。で、その規制というものに対する一つの考え方なんでありますが、これをもう少し明日香の場合では、こういう法律的な規制という、ただ並列的な区分的な規制ではなくして、この規制というものを逆にいわゆる歴史的文化的空間といいますか、明日香に特に許されているような古代を追想し得るような、そういう地域を確立するために、たとえば森林空間とか学園空間とか、あるいは集落空間とか緑地空間とか農地空間とか、あるいは凍結空間とかというふうな、これを立体的に連動させまして、そして何かそういう新しい工夫によって、この規制というものを、ただ村民の意欲を鈍らし、保存に対する熱意を薄らぐ形でない形に、つまりわれわれが今日、先ほどお話しのように、都会におりまして求められないところのさんさんと輝く日光、そして輝く緑、そしてそこには静かな古代を追想し得るところの景観というふうなものをその中核にした一つの理想ができるのではないだろうかというふうに考えます。
 しかし、当然、ある住民は赤い屋根をつけブロックのへいをつくり、サッシの窓をつくるのが何が悪いかと、自分はそのために一生暮らしてきたんだから、それが許されないぐらいだったら死んだ方がましだと、明日香の村民だって言うかもわかりません。当然のことだと思いますが、しかし、果たしていま申しましたようなことがわれわれの住宅の理想像なんだろうか。考えてみると、それはなるほど便利であり強くあり重宝ではあるけれども、われわれの持っている日本人の住まいというものの本質というものは、だからといって舞台の上につくるような、つまり芝居の小屋のような一列並びの、必ずしも、だから妻籠のようなそういう理想をこの明日香に私はしょうと思わない。やはりその中で人間が本当に生き生きと幸福に暮らし得るような、そういう文化的な生活、あるいは農業の場合でも、ビニール問題が絶えず浮かんでまいりますが、私はあのビニールがある一定のところにあったから明日香の景観が全部つぶれるとは思いませんし、そういうセンチメンタルな感傷的な、いわゆる静御前の繰り言みたいな景観ではなくして、もっと本質的な人間の心を安らぐような、もっと有機的な景観をわれわれは工夫することができると思います。
 先ほどお話しのように、私は宿命として明日香は負の存在であって、これは必ずしも今日のように欲望をいわゆる主義として何もかも自分の欲望を満たしていくのではなくして、そこにはマイナスの世界があり、負の世界がある、しかし、その負の世界の運命を自分の中にしょうことによって、ほかの地域においては与えられない、あるひそやかな幸福な人生がそこにあり得るのではないだろうかと、私は絶えずそう考えておりますし、明日香の人々はやがてはそういう自主能力を自分の中につくると思います。
 で、私は、先ほど申しましたように、明日香を考える場合に、七千の住民の立場を内なる明日香から見るならば、われわれは明日香の住民ではございませんので外なる明日香の人間でございますので、内なる明日香の人は保存というものを重視し、外なる明日香の人は常に明日香の人たちに対して生活の重視ということを考えるという、そういういわゆる複眼的な考えを持たなければならないと思うんです。そういう形で、なるほど負の存在であるというその宿命を自覚することによって、かえってそれを跳躍板といたしまして、それをいわゆる逆手にとりまして、われわれの考えられないような新しい生活像、それはたとえば具体的に申しますならば、職業像、住宅像、あるいはその自分たちの持っているところのいわゆる人間像というふうなものが家族生活の中にも住まいの中にもつくられる日が必ずあるということを、この法律の実現によって私は期待しております。
 最後に、何か私に提言をというお話でございましたが、私は、ただ明日香がこの法律によって保護されるのではなくして、いつの日にか明日香の人々がいわゆる新飛鳥人として自主独立の精神によって自分たちの生活を築くような、そういう励ましの法律としてこの問題が実現することを私は深く期待しております。
 なお、この法律の精神は、日本に数ある他の古都、たとえば京都、鎌倉、あるいは指定されていない都市に対しても、今日そのさまざまな問題を持っておりますので、この法律の制定が同時に他のそういう地区に対しても大きな励ましの法律となり、また、新しい日本の風上と歴史を守るためのよい意味におけるモデルケースであり、そのヒントとなるということを私はひそかに心の中に期待しているということを申し上げて、提言とは申し上げられないんですが、私はそういう期待と希望を持って、明日香という言葉が「あすにおう」と書いてありますので、私は大変に子供っぽい考えですが、あしたににおう、将来の日本ににおいを放つところの、そういう一つの、これがわれわれの営みの一つとしてこの法律が国民の祝福と村民の期待とそしてわれわれの大きな希望によって着々と実現されることを、行政当局にも、また皆さんにもお願いしたいと思います。以上です。
#38
○小巻敏雄君 私、以前に大阪府立高校の国語の教員をやっておったことがありまして、生徒を遠足に連れていくこういう地域でもありましたし、その後もたびたび訪れて飛鳥の地域を見るわけですね。奈良県はいま日本一の人口急増地なんじゃないですか、行くたびに周辺景観は変わってくるわけだと思います。まず、末永先生にお伺いするわけですが、先生はこういう状況の中で橿原の考古学研究所をして、この中でとりわけ埋蔵文化財、私は文化財として民族遺産として最もすぐれておるんだと思いますが、どういう範囲でいまお仕事をなさっておるのか、その問題とのかかわりで今度の立法についてもまたお伺いしたいと思うわけです。
 今度の立法は、その趣旨が歴史的風土、景観を維持するというふうになっておるわけですが、明日香の全村に広がっておる貴重な地下の文化財と一体のものとして保存するという点では、そっちの方については今度新しく講じられる措置というものは必ずしも定かでないわけですね。こういう点についての問題点についてひとつお伺いしたいと思いますし、確かに「あすか」という名前が行政区として残っておるのは明日香村でありますけれども、橿原市の市域、桜井市の市域もこれはもともと一体の飛鳥地方と、こう考えるわけですが、その中で埋蔵文化財等は一体性を持ってこの地域に広がっておると思うわけであります。こういう問題についての埋蔵文化財の保存、こういう点についての今日の問題点をお伺いをしたいわけであります。
 続いて、第一級遺跡として私も知っておる板蓋宮の跡、島宮の推定地、こういうものが病院建設とか宅地造成の破壊の危険がある市街地の予定地にかかっておるわけですね。これらの地域は周知の遺跡埋蔵地なわけですが、やっぱりかなり危ないんじゃないかと思って心配になるわけです。市街化区域にかかわっておる問題の埋蔵文化財の保存のあり方についてひとつ御意見を端的にお伺いをしたいと思います。
 三番目には、今日の明日香の保存計画、環境整備計画の策定に当たっては、私は、この際に専門家の意見が絶えず反映をされ、専門家の意見を無視して行政の方が進んでしまわないようにするということ、これはもう村民の意見が絶えず反映されることと車の両輪として必要だろうと思うわけですが、この運用上、先生の橿原考古学研究所、並びに奈良県には文化財の研究所もあるわけですが、これらの研究者、こういった方々の意見が制度的に入れられる保証になっておるのか、どうすればいいのかという点についてお伺いをしたいと思うわけであります。この点につきまして、寺尾先生の方からも御意見が重ねてございましたら、そこであわせてお伺いしたいと思います。
#39
○参考人(末永雅雄君) ただいま御質問の第一点、橿原の研究所でありますが、これは橿原研究所の成立を申し上げますと、まことに奈良県としてはお恥ずかしいようなことからスタートしたわけなんです。最初は、紀元二千六百年の記念事業ということで調査を始めました。しかし、事業は紀元二千六百年の事業でありますけれども、私たちは、遺跡調査を主として、事業は奈良県内における一つの埋蔵文化財のある地域の調査ということになります。しかし、その当初においては全く県予算というものもなくて、みんなわれわれが手張り、手弁当でやっておったわけであります。しかし、それが今日県当局の御配慮によりまして予算約二億という仕事のできるところまで進めていただきました。
 この橿原考古学研究所は、初め、私は、県内の調査を進めておりましたが、昭和十三年以来、先ほど申し上げました紀元二千六百年の記念事業による畝傍山周辺の整備ということに伴って、そこに本拠を置きましたのが橿原考古学研究所の最初になります。そうして県内の遺跡調査を進めていましたが、このこととは違いますけれども、やはり奈良県は場所柄各地に遺跡、遺物が出てまいります。そのために橿原だけではいけない、県内のそういう調査を進めていくための研究所が一つどうしても必要になると思いまして、橿原考古学研究所というものを、あそこでささやかなバラックの建物を幾つか擁してスタートしたわけなんです。その後、橿原考古学研究所の仕事はだんだんと拡大されてまいり、そうして今日一応奈良県内の埋蔵文化財を中心とした調査の本拠になってまいりました。これが橿原考古学研究所の今日に至る概要であります。
 御質問の第二点の、明日香、畝傍の地域、あのあたりは明日香とか畝傍とかある行政区画によって区別されておりますけれども、古い文化史的には明日香も畝傍も同一地域と見て差し支えないと思います。古墳を例に挙げますと、明日香地域と畝傍との中間に見瀬の丸山という大きな前方後円墳がございます。この丸山古墳と少し離れますが、南に欽明天皇陵が前方後円墳でございますが、古墳の規模から申しますと、この二つの前方後円墳と、ほかに二、三前方後円墳として顕著なものがございますが、それを中心に古墳分布を一わたり見ることができますが、少し東へ寄りますと明日香地方になってまいります。私たちは畝傍地方、明日香地方というふうに便宜的な取り扱いをして区別をいたしますけれども、本来はあれから高取あたりへかけまして一つの古代文化地帯というふうに考えることができます。
 ただいまの御質問はそういう御意図を持ってお尋ねになったのかもしれぬと思いますが、今日は明日香だけを取り上げておりますけれども、できればいま申しましたような地域を一つの研究客体として進めていくのがいいのではないかと思いますし、いま橿原考古学研究所と博物館を橿原に置いておりますが、あの場合も、最初奈良にあれを置こうかという意見が出たことはございました。そのときに、私は、奈良市には帝室博物館あるいは女高師、県庁というふうに文化施設が幾つもある、しかし奈良県の南部にはそうした文教施設が一つもない。だからこの研究所なり博物館なりは南の方に置くべきだというので、やっとそのことが入れられたわけでありますが、確かにいまの御質問は、大和の南部地域の文化開発ということについて一つの着眼をされたことと存じます。この点で、将来、われわれは明日香とその周辺地域を含めたもう少し広い視野でもって研究をすべきだと思いますが、橿原研究所と明日香村との結びつきは、これは近いところにもございますし、それから私も昭和五、六年以来明日香村に調査のために参りますので、それと、いま先生がおっしゃったように、堺においででしたら、私たちが生まれ育った狭山、あれは田舎でありますが、その田舎で育ちました関係で、明日香村へ行きましてもやっぱり非常に意思の疎通が速い。そういうわけで研究所と明日香村との結びつきもいまでは田舎の村を中心にした一体の結びつきのような関係で今日まできております。この関係はいつまでたっても崩してはいけないぞと研究所員には言うておるようなわけであります。
 御質問に答えます最後の一つといたしまして、これからわれわれは明日香の研究というものももとよりでありますが、できれば明日香を中心に明日香の南、高取地域、それから現在の橿原地域、あれを含めて広い視野のもとに研究所員を動かしたいと考えております。
#40
○参考人(寺尾勇君) 私にお尋ねになりました項目は、村民の意思をどういうふうに吸収し反映する手続にあるかというふうに私は解釈をいたしました。その点に限って御返事を申し上げたいと思います。
 明日香保存が住民にとって重荷になってきたという事実については、これは七千の村民全部ひとしく一致している意見なんです。かぶせられた規制の重さが次第にかかってまいります。じゃ、その重さは具体的にどこに来るかというと、もちろん物理的なものもあれば心理的なものもあります、生活の利便の問題もありますが、根本の問題はやっぱり私権と所有権が制限されるということに対する一つの問題だと思うんです。しかし、明日香が普通のようにいわゆる私権とか所有権とかというものをもし持ちますと、これは全然明日香の保存というものはできません。逆に私権の乱用を仮にするといたしますと、自分たちの住民生活の中で、おれも一人の国民であって、明日香というのは、自分は明日香にたまたま住んでいるだけで人間としての権利は同じじゃないかと、こういう形になりますと、私権を乱用いたしますと、そのことによって行われる開発は、かえって現在の明日香にとってはその生活基盤をすら破壊するという、いわゆる反射作用を起こすことは必然であります。ここまで明日香が参りまして、いまさら明日香が大阪市の郊外の衛星都市の一つになるなんということは絶対できるはずはないんです。するとすれば、この歩んだ十年のその問題を自分たちが歩んでこなければならないのではないか。
 そういう点で、明日香の村民に会って話をしてみますと、百人百様でありましてその人々によって意見はさまざまであります。この多様性と将来起きてくるであろうところの変化に対する不安、こういうものはぬぐい切れないものがあるのでありますが、この特別立法の実施を機会にいたしまして、明日香の村民たちが自分たちの意向を十分話し合って、そうしていままではそのために行政当局の意思と村民の間にもなかなかむずかしい問題があって村長はずいぶん苦労したと思います。あるいは県との間にありましても、やはり多少その間においては善意における見解の相違があったと思います。しかし、あくまでも地域は住民のものというその原則に立ちますならば、やっぱりお互いに話し合っていく、その話し合ってきた村民の百人百様と申します実に多様なその意見をどういう形で吸収し、まとめて、この計画に盛っていくかと考えてみますと、明日香問題が発生して十年たっているのに、いまさら改めていまごろになって計画という言葉が出てくるのはいささか不思議といえば不思議なんであります。じゃ十年間何をしていたのかということにもなりますが、しかし、これは実はこれからあるための長い長い実に長過ぎた準備期間であったわけであります。
 これから予算がつきまして計画を立て、その予算も一時にはいただけませんので、順次、その予算に応じまして、その基金の利子でいたしますから、使える金というのは当初の予算などはごくわずかであります。そういうわずかに限られた金額でもって明日香のいわゆる恒久計画を着々と住民の意思を吸収してやっていくということはもう非常に困難なことでありますが、この法令の全体の趣旨は国から県へ、そして村へという方向でほぼ決まっております。もちろん、これに対して住民から村へ、村から県へ、県から国へという、その逆方向も当然考えられなければならない。この二つの相乗作用によりまして上からはよき知恵を明日香にかし、また経済的な援助を与え、下からは明日香村民の意向を十分くみ上げて、そしてその問題を解決していくような糸口を今後つくらない限りは、ただ金は与えられるが、その計画の実現についてはその目の前のさしあたりの問題だけを解決して、ついに永久計画は立たないので、また五年後、十年後にもう一遍新明日香特別立法をお願いしなければならぬというようなことになりますと、全然意味を失いますので、やはりこの点においては村民にとっても行政当局にとってもまた国会の諸先生方におかれましても、長い目と慈しみの目をもってこの法律の運用について今後いろいろと御配慮をいただかなければならないと思います。
 そういう点で、その通路、いま御質問になりましたいわゆるパイプの道をどのように築くかということは、やはり最もわれわれが知能を傾けて考えなければならない問題で、これが失敗いたしますと、断片的、個別的、単発的な保全というばらばらの保存に終わって、せっかくこの法律の一番特色になっております全域保存と言われている精神を失い、ひいてはその保存が保存でなくなるという、そういうこれから困難な仕事に立ち向かうことを私は考えなければならないと思います。
 以上でございます。
#41
○小巻敏雄君 上田副知事にお伺いいたします。
 私も、何回か現地でも住民の方の御意見も聞いたわけですが、村長さんと副知事さんも力を合わせられたと思いますが、今度のこの明日香村の環境整備基金に一切のもう希望が集中をしておって、これが来れば決め手になるという期待感もある一方、そこのところに対して果たしてこれによってどうなるのかという不安も双方あそこにつながっておると思うんですが、五年間で国が二十四億円、県が六億円、こういうことで利子が二億一千万円入ってこれが順調に動くというのは五年先になるわけですね。いまかなり狂乱物価も迫っておるわけだし、一体、この利息の計算というのは果たしていままで十年間累積した諸矛盾にこたえ得るものか、これにはデータがあり計画があり積算があるのかという問題があると思うんです。この点について、県としてはとりあえず五千万円のお金を積んで当面の問題にこたえるために努力しているというお話があるわけですが、この点についての見通しなり、今日の所感、要望等があったらお伺いをしたい。
 また、確かに住民の善意と良心で支えてきたと言う以上、やっぱりいままで農村であったからもってきたんだと思うわけですね。水田というものは遺構を保存するのにはなかなかよいものだったと思うわけです。この点で、農業で村を立てるという場合に、少なくとも水田というので暮らしが立つことが一番よい方法であろうと思うんですが、全国のあの減反政策はかなり強烈なもので、県でも苦心されておると思うんですが、ここの場合には、その点については、減反政策その他から免れて、米をつくる限りでは自由にやりなさいということになるのか、この点で県でどのように保証されますかということと、やっぱりここが免除されれば、見返りに割り当てが横の方で取られて困るというような状況の矛盾なんかに対しては、国でこの問題については特別補償するような手だてと方法はないのか、そういうこともお伺いしておきたいと思うんですね。
 それから、農村ではそうは言いながら、豊かに生きなければならぬと、最低の要求として農林道の問題や用水路、排水路の問題なんかについてもかなり具体的な意見がありました。こういうものについては、現地との話し合いで解決をされ、満足をしてやっていける見通しは持っておられるのか、あるいは国の方でいろいろ考えるべきことはないのかと二、三の点をお伺いして終わりたいと思います。
#42
○参考人(上田繁潔君) 数点ございましたが、一つは、基金の問題であります。
 先ほど茜ケ久保先生からも御指摘がございましたが、いまの小巻先生の御意向から言いますと、率直に言いますと、私も基金の運用につきましては、いまの段階では試行錯誤といいますか、やはりこれからやってみなければわからぬという点も多分あると思います。もっとも、しかし基金が三十億完成いたしました場合以降は、これはずっと末長くやってまいるわけでありますから、そういう意味では、私は大いにその成果に期待すべきであると思うのであります。
 したがって、これは当初出発点以降しばらくの間は、相当やはり慎重に、基金が完成するまでいろんな事情を考えて慎重にやってまいらなければならない。同時に、私は、一つは、この明日香村に対しましては、今後も、特別交付税その他で他の町村よりも手厚い保護策をとってまいっておるのでありますから、これは引き続いてとってまいりたいし、また、今回御議決いただきます法律の公布施行以後におきましても、いままで以上に明日香村に対しまして、法律以外の問題としていろいろ手厚い行き方をしていかなければならないと思います。そういうことを含めて慎重にやってまいりたい。
 それともう一つ、これは先ほど増岡先生の御質問に対しちょっとお答え申し上げなかったんですが、基金の額三十億につきましては、将来物価等の事情が変動しまして、基金設置の効果が発揮できないような場合には、これは県といたしましても、その時点において改めて適切な措置を講じていただきたい、こういうことを県としてもかねて要望として持っておりますので、その辺をあわせて御理解をいただきたいと思います。
 それから、減反の問題でございますが、これは大変重要な問題でございますけれども、これは県といたしましても、農林省へ重ねて要請いたしておりますけれども、農林省の立場からはなかなかいろんな事情もありまして、むずかしいようでございます。県といたしましては、そういうこともありまして、引き続き要請はいたしたいのでございますけれども、県の立場からは、県内において県内の全体のあんばい調整の中において、引き続き、この第一種の特別保存地区については転作割り当ての対象としないという方向で今後とも措置をしてまいりたい、かように考えておるわけでございます。
 それから、最後の農業施策の問題につきましては、これは先ほど前段申しましたが、明日香村は今後農業を大事にし、農業が明日香村保存に通じるわけでありますので、そういう意味では、農地、農業用施設、非常に大事で、これはできるだけ私も法律に規定されます整備計画の対象にしてもらいたいし、できないものは何とかまた別途の方法を講じて、万遺憾なきようにしてまいりたい、かように考えております。
#43
○栗林卓司君 どうも貴重な御意見をありがとうございました。
 お三方の皆さんに一つずつ最後にお尋ねをしたいと思うんですが、最初に末永参考人にお尋ねをいたします。
   〔委員長退席、理事茜ケ久保重光君着席〕
 先日、明日香村へお邪魔をしまして、甘樫丘ですか、あすこに登ってながめますと、橿原市地区の開発状況がまことに際立って見えているわけですが、なぜ橿原市であの開発が進んでしまったのか。一つは、規制の方が間に合わなかったということかもしれませんけれども、私がいまお尋ねしたいのは、伺いますと、明日香と比べて遺跡がないというわけではない、むしろ一つの地区として見るべきだろうというお話があったんですが、たまたま現地にお邪魔をして地域の住民の方々の御意見を伺ったときに、若者の代表ですということである神主さんが来られました。伺いましたら、何と八十六代目か何かだそうです。八十六代目の神主といいますと、初代を考えますとね、かつての飛鳥の時代にまさに入ってしまう。
 結局、この明日香村の問題というのは、その人にとってはいわば自分と先祖とのかかわり、日本の文化のというよりは、もっと身近な自分の問題として受けとめながら、この遺跡保存という問題を考えられ行動してこられたのかなということをつくづくと思ったんですが、そういう明日香の場合、いまたまたま一つの例で申し上げたんですが、それと同じような橿原地区でやはり遺跡文化を守ろうということが自然発生的に起きてこなかった、結果としてあの開発になってしまった、というのは橿原と明日香と比べてみてどの辺に違いがあったのか、ひとつ教えていただきたいと思います。いま隣の方であれは天皇陵だと言っていますけれども、あすこのところに神武、綏靖、安寧、懿徳と天皇の御陵がございましてね、いま学界の通説ではあれはいなかったことになっているんだけれども、そうも言えませんという、実はなかなか退けるにしては相当根拠を持っているらしい民間の俗説もあります。いずれにしても、その解明というのは実は遺跡調査が決め手になってくる。その意味で、なぜなんだろうかということが大変疑問でしたので、お教えいただきたいと思います。
 それから、その次に、寺尾先生にお尋ねしたいんですが、明日香に行く前に平城京を私見ました。お話を伺いますと、平城京を建てる前に古墳があったんだそうです。いわば古墳をつぶして平城京をつくったということがわかりましたとおっしゃっていましたけれども、ただ、考えてみると、平城京そのものが開発行為、現在残っている地下建物遺跡、これも開発行為の結果として残っている。したがって昔は遺跡保存などということはなかったものですから、古墳をぶっ壊して平城京をつくって住んできたんだけれども、そこでいま残っている地下の遺跡というもの、これはかつての開発行為の結果である。かつての開発行為の結果を守るために、いまの開発行為がそれは困るよというのは、どうも私には半分わかって半分わからない気がする。
 そこで、お邪魔をしながらつくづくに思ったのは、なるほど地表では古墳がありますし、地下では建築遺跡がある。そこまでは守りようがある。問題は、景観というやつです。景観は何かというと、景観を守ろうとして一番いいのは全部買い取ってしまうことでありまして、いまの平城京が大体そんなかっこうでおおむね保存されております。明日香の場合には人間も小道具として要るというんです。ということは、住民を遺跡の中に取りくるんでしまって文化的景観として保存をしたいと、私は大変無理な気がするんです。したがって、あの遺跡を残せということは、あすこの人たちに昔と同じように暮らせということを求めているにほかならない。先ほどの八十六代目の神主さんは、したがって、本当に守りたいんですと言いながら、何ともうんざりした若者の表情を決して隠しておられませんでした。
 そこで、寺尾先生が先ほど来おっしゃっておられた問題指摘に私は同感する面が多々あるんですけれども、古墳とか地下の遺構を守ることはそれはそれとしてやりようがあるんだけど、この景観を守る、しかも万葉のふるさとを守るというような非常に多彩な目的を含めて景観を守るということを明日香に求めるのは本当に正しいんだろうか。私がお邪魔したときの実感というのは、ああこんな田舎は昔どこにでもあったけれども、最近なくなっちゃったなという感じが強かった。したがって内心非常にあれは保存したいんです。したいんだけれども、本当はそれは全国各地のいわば農村のたたずまいの問題であって、あそこに赤いトタン屋根の家をつくっていいのかということも含めたいわば全国の問題、それを明日香だけに求める。しかも、特殊な領域として、万葉のふるさととして求めていくということは、あそこにいる七千人の人にとっては大変迷惑であるし、その意味で、今回の法律も審議、可決、成立はしていくんだけれども、その後はいよいよむずかしいことになるなという実感が大変私は深いんです。その意味で、全村対象にして景観を残すということが、文化的遺跡保存という角度から見て、そこまで求めていいんだろうかという点についての寺尾参考人の御意見を伺いたいと思います。
 最後に、上田参考人にお尋ねします。いま七千人村民があるわけです。七千人全部そっくりそのままいることを前提にして整備計画はお立てになりますか。恐らく若者はだんだんと重荷に耐えかねて、おれは外で暮らすよと、外へ生活基盤をつくってくれという要望が私は恐らく出ると思う。景観を残すというんなら、そういうあそこを出ていきたいという村民の要望も当然のこととして受けとめて諸対策を講ずべきではないか。それが奨学資金であるのか、あるいはほかに土地を求めることであるのかはわかりませんけれども、それを含めて今後お考えになるかどうか、その点をお尋ねしたいと思います。
#44
○参考人(末永雅雄君) ただいまの御質問は、どうも私たちには、現在あれを、明日香だけでなく古墳も保存しようというたてまえからは、御質問はちょっと痛いところです。つまり、平城京の現地域内に前方部だけを削られて平城天皇の陵になっている。円墳だと思っておったところが前方後円墳。その前にあったのも一つつぶしておるんですね。そうなりますと、都市計画のために古墳を削ったり、つぶしたりした事実がいま残っておるわけです。それを現在のわれわれが遺跡保存の立場からいま考えますと、これは理解できないことになります。さしあたって、いまなら私たちが平城京造営長官に抗議を申し込むということになるわけなんですが、しかし、一方また平城京内に杉山古墳を残しておりまして、あと二、三古墳を残しておるんです。そうしますと、平城京造営長官は、あの前方部を削ったのと一つの古墳をつぶしたのは、都の中心部であって、建物の必要あるいは政治の場所の必要から、あれはやむを得ずとったんだというふうな弁解を受けるかもしれないと思いますが、しかし、確かに記録に残り、そうして現に考古学の調査結果からははっきりとそれはわかっておりますので、ただいまの質問に対して私はどうもいいかげんな返事はできないと思いますので、これは御勘弁をいただきたいと思います。
 それに基づいて明日香の遺跡を保存するということとは、話は少し違っておりまして、現在のわれわれの文化財保存の立場からは、やはりつぶしてくれては困るということになるわけです。しかし、平城京の場合は明らかにつぶした痕跡が残っております。しかし、あの北の方の宇和那辺古墳群も、もう都市計画区域から北になって、あるいはあの都市計画地域を古墳をつぶさないようにして設計したかもしれないと思いますが、しかし、いまの御質問に対しては、私は全く弁解の道はないと思いますが、これはひとつ平城京造営長官にかわってお許しを順いたいと思います。
 私への御質問で私がお答えをするのはその程度だと思いますが、二、三御質問の中で気づいたことがございますけれども、それは上田、寺尾の両氏からお答えすると思います。
 平城京の古墳をつぶしたという事実に対しては、どうぞそれは御勘弁をお願いいたします。
#45
○参考人(寺尾勇君) ただいまお尋ねいただきました平城京からまず始まりまして、確かに平城京、あれはやはり開発によって生まれた一つの破壊への招待状というもの。私はこう考えております、開発というのはそれ自身の中に破壊への招待状を含んでいる。そして、やがてそれが破壊されて、捨てられて、廃墟と化して後に残されて、思わない役立つ場合がある。たとえば平城京は、現在、末永先生のお言葉をまつまでもなく、地下の正倉院と言われまして、日本の文化史に大きな貢献をしております、さまざまなものが発掘され、調査され、なお数年間の問題を残しております。もし、あの空間が今日に残されなかったら、奈良市街のあそこに発達いたしまして、あんな巨大な空間が、いま近鉄電車が横断しておりますが、残されることはないと思います。ああいう空間が歴史のいわば落とし物として現在の文明に与える価値体系というものをどのように考えるかということが、お尋ねいただきました、そんなにまでして景観をなぜ保存しなければならないかと。
 その景観というものの場合に、特に人間の生活をその中に内包し、くるみ込んでいるような、そういう景観、平城京のように全域を買い上げてやるならばまだ意味はわかるけれども、困難に近いことだし、それは全然できないことではないだろうかとおっしゃることは、もうお言葉どおりの問題で、実に困難な問題でありまして、それは明日香の人たちを全部金を出してあそこから追い出して、それを残して平城京のようにすれば問題は何も残らないわけであります。しかし、あえてこの立法ができましたのは、そこに住んでいる住民、先ほどのお会いになりました何十何代と言われている、恐らく飛鳥坐神社の宮司だと思いますが、これは実に古い系統でして、考えてみますと、あそこに住んでいる人たちは馬子の系統もあれば、聖徳太子の系統もあれば、采女の系統もあれば、豪族の系統もあれば、また帝王の血を引いている者もあると思います。
 御承知のように、飛鳥はまことに日本歴史の中においては権力と権力、血と血をもって争いました、最も日本民族のたくましいエネルギーの暴発した時代でありまして、外来文化の伝来、そして仏教の伝来した中における激しい闘争、そしてある者は焼かれ、ある者は殺され、まことに殺戮と血に染められた歴史の中に新しい日本国家の誕生を告げる苦闘の地でありまして、それがいまとしては廃墟と化して本日ここに伝わってまいりました。それらの人の子孫が、ここにいまなお、その生活の根拠を持っております。
 私は、お言葉でありますが、ただいま御質問いただきました、そういう長い伝統の中に住んでいた人間を全部追い出して、ナチスドイツがフランスを占領したように、全部いわゆるクリーニングしてしまったその空間だけを保存するのがいいのか、困難ではあるけれども、その土地に住まいを求め、それらの人がおのおのの長い歴史のある伝統的な人生をそこに行う、そういう地域を残すのがいいかということになりますと、私は、日本に一カ所ぐらい、そういうところがあってもいいのではないかと寛大なお許しをいただきたいという思いに迫られるのでありまして、こういうものが日本全国に広がりましたら、それこそ大変であります。たとえば東京を救うのなら、東京の人間を全部追い出してしまえばそれでいいわけなんですが、なかなかそうはいきませんので、やっぱりそういう地域が日本にたった一つ、村ということで法律、条例になりましたのは北海道とこの明日香村二つなんだそうです、日本の歴史の中で、非常に希少価値と申しますか。
 しかし、さりながら、私もあなたと同じようにときどき考えます、何を好んでこんなに明日香を残さなきゃいかぬのだろうかと。唐招提寺長老森本孝順師は私の友人でありますが、ときどき突拍子もない意見を出しまして、あの甘樫丘に立って、寺尾君、あの上からブルドーザー三百台でこの明日香を全部踏みつぶしてしまったらさっぱりするだろうな、こう言うたのですが、これは一つの冗談であるのか、あるいは何なのかわかりませんが、そんな気持ちさえいたします。なぜあの明日香をそんなにまでして保存しなけりゃならないか、その保存というものが現代の文明世界におけるわれわれの生活体系の中にどんな価値と意味を持っているのかということを問いますと、そんなにまで、こんなに法律を制定し、資金の援助を与え、苦労し、十年にわたってこの問題をわれわれはしなければならない理由というものは見つからないのでありますが、私はやはりこれがもし、おっしゃるように、単なる日本のどこかにある田園風景、農村風景ならおっしゃるとおりだと思うのです。明日香以上にもっと素朴な、水が流れ、そして水車がめぐり、そしてまだ田舎の昔のいわゆる木の橋があり、わら屋根の家があり、そこに素朴な生活をし、そしてわれわれの食糧にはとても入らないようなものを食べている田園は日本列島の至るところにもう掃いて捨てるほどまだたくさんございます。開発されたとはいえ、たくさんございます。そういうものと同じものであるならば、私は直ちに明日香はこの際それこそブルドーザーで消してしまってもいいと思うのです。
 けれども、私はやはり明日香がどうしても捨てられない理由は、その中に歴史があり、われわれが一歩進むためには二歩振り返っていかなければならない、そういうわれわれが絶えず過去に対して振り返りながら前進していくところのもの、そしてそこにはたとえば万葉集であるとか、あるいは過去の歴史に流れているさまざまな古代への連想というものがあり、しかも、それを裏づけるためには、地下埋蔵物がきわめて予期しない形において、未来の可能性として、いつどこにどんな形であらわれてくるかという期待に満ちた、まことに希代な土地であります。
 これは先ほども末永先生にお伺いしたのですが、どこから何が出てくるかはわからない。先に地図を開いて、そして遺跡の確認をして、こことここにこんなものが出るのだという、考古学がこれだけ進歩していたらそれぐらいのものは出てくるのじゃありませんかと言ったら、末永先生は大変不愉快な顔をされまして、そういうことはできないのだと。それからまた、何も現代掘ったから全部掘り出して、それを私の生きている間に調査してしまう必要もないのだ、やっぱりこれは後世の人たちにも残しておきたい。そういうミステリーといいますか神秘といいますか、不思議さに包まれた一つの歴史を回想するところの機会が残されてもいいのじゃないかと。
 御承知だと思いますが、あの「よど号」を占領しました赤軍の学生においてすら、航空機の中で何を読んでいたかといったら、万葉集を読んでいた。あの赤軍の兵士においてすら万葉集を読んだということは、日本人がいかに、そういう人間であったにしても懐古の情を持っていたかということをわれわれは知ると、やはりこの土地は民族のイマジネーション――戦後、日本の民族と学校教育の最大の欠点は何かというと、模倣の才能は発達いたしましたが、物を創造する、つまりさまざまなイマジネーションの中から生まれてくるところの人間の喜びを知るということが大変少なくなって、情報といわゆる映像のはんらんのために人間の頭脳が抑圧されております。
 そういうときに、われわれは、何の用もなくむなしい空間のごとくに見える平凡な、ただそこには風と土と山河があるだけの、小さな汚い川と、そしてただ山河があるところの明日香に、何することもなく一日あそこをお歩きになりますと、さまざまな思いがわれわれの思いの中に迫り、またわれわれの生きてきた道を考え、過去を思い、またわれわれの来るべきこの国の未来を思い、また自分自身の人生の将来を思うという、わずか三千ヘクタールにすぎないその土地を日本の土地に一つくらいは残していただきたい。そういう意味において、私は、この景観はやっぱり残していただきたいのではないかと。
 つまり、何にもない、たとえばそれは華厳の滝だとかあるいは温泉であるとか、あるいは火山であるとか気象であるとか、あるいは日本アルプスであるとか、そういうれっきとしたいわゆるケルンのある、核のある風景ではございません。ましてや文化財においても、地下に埋蔵しているだけであって、地上には半分壊れて、傷みだらけの飛鳥大仏と石舞台と若干の石造物が残されているだけで、他はどこにもない、平凡なところであります。現に、あそこに住んでいた女帝たちにおいてすら、あの飛鳥に住むことを喜びとしなかった。だから吉野に行幸されている、あるいは大津に都を移されている。それは、あの狭苦しい、ネコの額みたいなところが必ずしもこの人たちにとって安住の地ではなかったと思うんです。しかし、現代のわれわれにとっては、都市が開発し、恐らく将来日本人が大阪市からあの周辺が発達したらば、水田を持っている地帯、そしてあの何にもない、一見平凡な山河を持つ明日香という土地があのあたりに残される最後のホリゾントであり地帯だと私は思います。
 たとえば小学校の子供を、先ほどもある参事官の方から承ったんですが、将来明日香の農業がもしあれしてくれば、都会の小学生たちが明日香に来て稲を植え、米を収穫するところのそういう農作業を実習して、そしてこういう時代があり、こういうこともあったんだという意味に使ってでも、明日香というのは日本人にとって最後に残されるべき教育的価値もあるんじゃないかというお話がありましたが、私は、そういうものを含めて、日本人の将来のために、長い今後の千年の歴史のために、ぜひ明日香というものの景観だけはひとつ――おっしゃることは私は十分承知しております。私もあなたと一緒に明日香をブルドーザーで壊したいです。しかし、この土地だけはぜひ残していただきたい。そのことを私は伏してお願いいたしたい。
#46
○参考人(上田繁潔君) 先ほど小巻先生も触れておられましたが、奈良県の人口はここ十年の間に県全体といたしましてはおおむね三割ばかりふえておるんでございますが、それに対しまして明日香村は同じく十年間で約八%ばかりふえておるんでございます。もっともこれは、明日香村は、先ほど前段に私が申し上げましたように、わりあい交通も便利であるということもございますので、ここしばらくの間にもちろん著しくふえたり、したがってまた逆に著しく減るというようなことは私は考えられないと思うんでございますけれども、ただ、しかし、問題は農業の後継者を確保できるかどうかというところにやはり私は明日香村の今後の問題があると思うんでございますが、そういう意味では、先ほど栗林先生がお述べのように、この現状とそして将来の動向というものを踏まえて整備計画もつくらなければならぬでございましょうし、また、一面、この基金の果実の運用についても、それにどういうふうな効果の上がる使い方をすべきかどうかということも考えなければならぬ。その辺、十分に将来の動向を踏まえましてやってまいりたい、かように考えております。
#47
○理事(茜ケ久保重光君) 他に御発言もなければ、これにて参考人に対する質疑を終わります。
 参考人の皆様方には、本日は御多忙中にもかかわりませず長時間にわたり貴重な御意見をお述べいただき、また各委員の質疑に対しまして懇切な御答弁を賜りまして、まことにありがとうございました。委員会を代表いたしまして謹んで御礼を申し上げます。
 本案の自後の審査は明後二十四日に譲ります。
 本日はこれにて散会いたします。
   午後三時四十七分散会
     ―――――・―――――
ソース: 国立国会図書館
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