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1978/05/31 第87回国会 参議院 参議院会議録情報 第087回国会 外務委員会 第14号
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1978/05/31 第87回国会 参議院

参議院会議録情報 第087回国会 外務委員会 第14号

#1
第087回国会 外務委員会 第14号
昭和五十四年五月三十一日(木曜日)
   午前十時一分開会
    ―――――――――――――
   委員の異動
 五月三十日
    辞任         補欠選任
     立木  洋君     神谷信之助君
    ―――――――――――――
  出席者は左のとおり。
    委員長         菅野 儀作君
    理 事
                稲嶺 一郎君
                鳩山威一郎君
                田中寿美子君
                渋谷 邦彦君
    委 員
                安孫子藤吉君
                大鷹 淑子君
                二木 謙吾君
                町村 金五君
                戸叶  武君
                塩出 啓典君
                神谷信之助君
                和田 春生君
                田  英夫君
   事務局側
       常任委員会専門
       員        山本 義彰君
   参考人
       東北学院大学教
       授       久保田きぬ子君
       明治大学教授   宮崎 繁樹君
       弁  護  士  永石 泰子君
       部落解放同盟中
       央本部書記長   上杉佐一郎君
       全日本労働総同
       盟政治局長    小川  泰君
    ―――――――――――――
  本日の会議に付した案件
○経済的、社会的及び文化的権利に関する国際規
 約の締結について承認を求めるの件(第八十四
 回国会内閣提出、第八十七回国会衆議院送付)
○市民的及び政治的権利に関する国際規約の締結
 について承認を求めるの件(第八十四回国会内
 閣提出、第八十七回国会衆議院送付)
    ―――――――――――――
#2
○委員長(菅野儀作君) ただいまから外務委員会を開会いたします。
 委員の異動について御報告いたします。
 去る二十八日、片山甚市君が委員を辞任され、その補欠として上田哲君が選任されました。
 また、昨三十日、立木洋君が委員を辞任され、その補欠として神谷信之助君が選任されました。
#3
○委員長(菅野儀作君) 経済的、社会的及び文化的権利に関する国際規約の締結について承認を求めるの件及び市民的及び政治的権利に関する国際規約の締結について承認を求めるの件、以上両件を便宜一括して議題といたします。
 本日は、両件につきまして参考人の御出席をお願いしております。参考人として、午前中は、東北学院大学教授久保田きぬ子君、明治大学教授宮崎繁樹君。午後は、弁護士永石泰子君、部落解放同盟中央本部書記長上杉佐一郎君、全日本労働総同盟政治局長小川泰君、以上五名の方々から御意見を伺うことといたします。
 この際、参考人の皆様に一言ごあいさつ申し上げます。
 本日は、御多用のところ本委員会に御出席いただきまして大変ありがとうございました。本日は、両件につきまして、参考人の皆様から忌憚のない御意見を拝聴し、今後の審査の参考にいたしたいと存じております。
 これより参考人の方々に御意見をお述べ願うのでございますが、議事の進行上、まず、お一人十五分程度でそれぞれ御意見をお述べいただいた後、委員の質疑にお答えいただくことといたしますので、よろしくお願い申し上げます。
 それでは、まず久保田参考人にお願いいたします。
#4
○参考人(久保田きぬ子君) 申し上げます。
 私は、国際人権規約と日本国憲法との関係を中心にして申し上げたいと存じます。
 日本国憲法は、御承知のように、基本的人権の保障をその基本原理にいたしておりまして、詳細な規定を設けております。
 まず第一番に、日本国憲法が保障いたします基本的人権の性格、本質というようなものに関しまして、憲法自身が「侵すことのできない永久の権利」であると述べており、それは人間が人間であることによって当然享有する自由あるいは権利を意味するものと解されております。御審議中の国際人権規約と呼ばれますもののA規約及びB規約も、両規約の前文で、両規約が認める権利は「人間の固有の尊厳に由来する」としております。したがって人権の本質についての基本的認識は、日本国憲法及び国際人権規約は全く同一であると申せます。
 第二番目に、日本国憲法は、基本的人権とは個人として尊重されることである、そして生命、自由及び幸福追求に対する権利であると述べております。それは人権の保障の歴史に照らして考えますれば、もっぱら伝統的な自由権を意味していることは明瞭でございますが、現代国家におきましては、それに加えまして、右の伝統的な自由権をより実質的に保障し、実効性を確保するために、参政権さらにいわゆる社会権もその中に含まれていると解されております。こういう立場から日本国憲法の人権保障の規定は成り立っております。この点につきましても世界人権規約の構成、考え方とは、私は、全く同一であると存じます。
 第三番目に、基本的人権を享有する主体についてでございます。だれが人権の持ち手であるかということでございます。日本国憲法は「すべて国民は」と申しますし、あるいは「何人も」と言い、規定によりまして差異が見られますこと御承知のとおりでございます。しかし、表現上の差異がございましても、たとえば参政権のようにその性質上、当然、国民にだけ限定されるべきものは別といたしまして、個人関係、生活関係の権利については、原則として、国民だけでなく外国人についても認める、すなわち日本国憲法の人権保障の諸規定は外国人にも適用されると考えられます。この点につきましては、すでに判決におきまして、いやしくも人たることにより当然享有する人権は不法入国者――つまり外国人でございます、不法入国者といえども、これを有するものと認むべきである、昭和二十五年の判決で申しております。
 第四番目に、社会権と呼ばれるものの性格でございます。日本国憲法第二十五条は、社会権についての総則規定であると言われております。通説は、本条の法的性格につきまして具体的な内容を持った請求権ではない、政治に対する指針を示した規定であると解されております。昭和二十三年四月七日の最高裁判決もこの見解をとっておりますし、昭和四十二年五月二十四日のあの有名な朝日訴訟の大法廷判決でも、傍論ではございますが、重ねて本条につきまして、健康で文化的な最低限度の生活を保障する国の責務を宣言したにとどまり、国民に対して具体的な権利を与えるものではなく、何が健康で文化的な最低限度であるかの認定は政府の合目的的な裁量権に任されていると申しております。
 国際人権規約のA規約、すなわち経済的、社会的及び文化的権利に関する国際規約は、同規約の実質条項で規定する諸権利につきまして、その第二条で、立法措置その他の方法により「権利の完全な実現を漸進的に達成するため、自国における利用可能な手段を最大限に用いること」、そのための「個々に又は国際的な援助及び協力」を約束することを求めておるのでございます。この意味は、本規約で定める諸権利が達成されるべき目標であると解していることを示すものであろうかと存じます。A規約の実質条項及び日本国憲法が保障する社会権の規定が、いずれも、以上のようにプログラム的あるいは政治的マニフェストと解されますことは、この権利の内容、本質を考えますとき、きわめて当然であろうかと存じます。
 以上、国際人権規約の批准に際しまして、日本国憲法との関係で重要であろうかと考えました四点につきましてのみきわめて簡単に申し上げました。
 ただ、国際人権規約と呼ばれますこの経済的、社会的及び文化的権利に関する国際規約、ことに市民的及び政治的権利に関する国際規約の実質条項には幾つかの耳なれない、また、日本国憲法にはない、あるいはまた日本を含めまして一般的に国内法としては十分に成熟していない権利が含まれております。しかし、私は、全体としては国際人権両規約の実質規定は、日本国憲法の基本的人権の保障の諸規定とは、その精神におきまして、また原理的に見ましても、何ら抵触したり矛盾したりする点はないものと確信いたしております。
 次に、付言させていただきたい点が一、二ございます。
 国際人権規約の制定は、諸先生御承知のように、国連発足当初からの重要案件の一つでございました。その背景にありますのは、国連の目的である国際社会の平和と安全の維持には、その構成員の人権及び基本的自由を、それぞれの国家が保障するだけではなく、さらに国際的にも保障することが必要であるという認識であったと存じます。世界人権宣言の前文が言う「人類社会のすべての構成員の固有の尊厳と平等で譲ることのできない権利」とを承認することが世界における「平和の基礎」であるという、こういう考え方であろうかと思います。また、別の言葉で申し上げますならば、力の政治ではない、力の支配ではない、パワーポリティックスではない、法の支配、ルール・オブ・ローによって国際社会の実現を目指すという考え方でございます。そしてまた平和と人権が不可分に論理的に離れがたく結びついているという考え方がその背後にあったと思うのでございます。
 国連創設から今日まで三十余年の間に、国連を中心にいたしました国際社会はきわめて遅々とした歩みではございますが、この方向に着実に動いている、少なくともそのための努力が懸命に続けられていると私は思っております。また、この間に、国際社会では、各国家間の交流、相互依存、相互連帯の関係が年ごとに強まってきております。いまやどんな大きな国でも国家間の交流、相互連帯、相互依存の関係を拒否してこの地上に存立し得ないのが現状であろうと存じます。
 こういう段階に至りましては、人権保障はもっぱら各国家にゆだね、その国内法によって保障するという近代国家成立以来の伝統的なやり方では人権の実効ある保障を期待することができません。どうしても国際的な場でも保障することが必要となります。各国家による人権保障は論理必然的に国際的保障を要求することになってまいります。人権保障は国際法的な裏づけを得て、より実効ある保障が実現されると言えます。わが国が国際人権規約を承認し、その締約国になりますことは、日本国憲法の基本的人権尊重の基本原理をより一層実効あるものにする道であると考えます。また、わが国は平和国家を憲法の基本原理といたしております。そのわが国がこの規約の締約国になりますことは、わが国が平和で安全な国際社会の実現という全人類の理想に対して積極的に協力し、貢献しようとする意思を国際社会に示すことにもなると確信いたします。
 さらに、わが国は、連合国との平和条約で、国連「憲章の原則を遵守し、世界人権宣言の目的を実現するために努力」することをお約束いたしております。以来、わが国の外交は国連中心主義をその基軸として今日に至っていると私は承知いたしております。国際人権規約はその国連で採択されました重要な国際条約でございます。世界人権宣言とあわせて国際権利章典とも言うべきものでございます。わが国が国際人権規約の締約国になりますことはきわめて当然のことであろうかと存じます。
 国際人権規約が国連総会で採択されましてからすでに十三年に近い歳月が経過いたしております。発効いたしましてからも三年余りになります。国際社会の指導国家の一つでございますわが国の本条約に対する批准は遅過ぎたというのが私の率直な感想でございます。速やかな御承認が望ましいものと考えるものでございます。
 以上でございます。
#5
○委員長(菅野儀作君) ありがとうございました。
 次に、宮崎参考人にお願いいたします。
#6
○参考人(宮崎繁樹君) 参議院の外務委員会がいま国際人権規約の批准承認案件を審議され、わが国が国際人権規約の批准国になろうとしておりますことは、きわめて意義のあることであり、長年にわたって国際人権規約の批准を念願してその運動を進めてきた者にとっては大きな喜びでございます。
 まず、国際人権規約の持つ意義について簡潔に見解を申し述べさせていただきたいと思います。
 国際人権規約は、わかりやすく申せば世界人権宣言を条約化したものであります。世界人権宣言は、一九四八年に「すべての人民とすべての国とが達成すべき共通の基準として」第三国連総会で採択されたものでございますが、その国際連台創設に当たり、各国が人権及び基本的自由の尊重及び遵守の促進を国際連合と協力して達成することを誓約いたしましたことは、世界人権宣言とこの国際人権規約の前文がともに明記するところであります。
 わが国では、すでに基本的人権の尊重をその基本原則の一つとする憲法を保有しておりますけれども、いま久保田参考人が申し述べられましたように、一九五二年、サンフランシスコ平和条約によって独立を回復し、国際社会に復帰するに当たり、「あらゆる場合に国際連合憲章の原則を遵守し、世界人権宣言の目的を実現するために努力」する意思を宣言しております。
 国際人権規約は、御承知のとおり、一九六六年の第二十一国連総会でA、B両規約とも全会一致で採択され、わが国の代表もこれに賛成いたしました。一九六八年、世界人権宣言採択二十周年を記念してテヘランで開催されました国際人権会議は、国際人権規約の批准促進を各国に呼びかける決議を採択し、以後、それにこたえて続々と批准・加入が行われ、一九七六年には発効に必要な批准・加入を得てすでに発効し、現在、その批准・加入国は、A規約五十九、B規約五十七、B規約の選択議定書は二十一に達しております。このような経緯を考えますと、わが国がこの国際人権規約を批准すべきことは当然であり、むしろ遅きに失している感じは久保田参考人と同様に私も思うのであります。
 さらに、世界的に見ますならば、ヨーロッパにおいては一九五〇年にヨーロッパ人権条約、一九六一年にはヨーロッパ社会憲章が採択され、アメリカ諸国においても、一九六九年、米州人権条約が採択されて、昨年発効いたしております。それらはこの国際人権規約よりもさらに進んだ形で人権の国際的保障をすでに実施していることを考慮する必要がございます。
 時間の制約上、私は、次の三点について指摘さしていただきます。
 第一は、国際人権規約による人権の保障と憲法、国内法による人権の保障とはどのような関係にあるか。第二は、国際人権規約を批准するといままでとどのように変わるか。第三は、いわゆる留保の問題であります。
 第一の点は、すでにわが国では憲法上人権が十分に保障されているのであるから、いまさら国際人権規約に入らなくてもよいのではないかという疑問に対応いたします。
 まず、憲法に規定しておりませんけれども、国際人権規約に規定されている人権があります。その主なものとしては、人民の自決権、公正・有利な労働条件を享受する権利、ストライキ権、社会保障についての権利、年少者の保護、十八歳未満の者に対する死刑・妊娠中の者に対する死刑執行の禁止、飢餓からの自由、中等・高等教育の無償化、文化的生活に参加し科学の恩恵に浴する権利、自由を奪われた者に対する人道的処遇、未決者と既決者・成人と未成年囚人の分離、外国人追放のための条件と審査請求権、プライバシーの保護、情報入手の自由、戦争挑発・差別待遇・国家的・人種的・宗教的敵意扇動の禁止、少数者の保護などが挙げられます。
 特に強調いたしたいのは、それが人種、性別、言語、宗教、出身、国籍による差別なく、すべての個人に対して保障すべきことを国際人権規約が定めている点でございます。かつて法務省入国管理局のある参事官がその著書の中で「外国人は煮て食おうと焼いて食おうと自由である」と書いて、国会でも問題となりましたが、国際人権規約のもとでは、このような考え方は全く通用しなくなるのであります。
 現在、日本人と外国人との間に差別取り扱いがあるものとして、A規約に関連いたしましては、弁理士資格、水先人資格、社会保障、生活保護、公営住宅、国民年金、児童手当、児童扶養手当、特別児童扶養手当、国民金融公庫・住宅金融公庫の利用、B規約に関連するものといたしましては、国家賠償法の相互主義の適用などがございます。
 就職に関連いたしましては、一九七〇年、日立製作所が在日韓国人の朴鐘碩君を外国人であるとの理由で不採用とした事件、また最高裁判所が司法試験に合格しても外国人は司法修習生として採用していなかったのでございますが、一九七七年に至って、ようやく在日韓国人の金敬得君を司法修習生に採用した事例があります。また、法律上の根拠はないのでございますけれども、日本学術会議において外国人には学術会議会員の選挙権・被選挙権を与えていない事実もあります。公務員への就任につきましても、国家の重大な意思決定への参加もしくは公権力行使に関連する以外の公務員につきましては外国人の就任を認めてよいと考えられるのでありますけれども、現状は、内外人を区別しており、最近は、国立または公立の大学における外国人教員の任用等に関する特別措置法案をめぐって論議が生じていることはすでに皆様御承知のとおりであります。
 さらに、入学に関しましても、一九七二年に、在日韓国人の黄真紀さんという十五歳の女の子が私立武蔵野高等学校への入学を拒否ざれた事件があります。また外国人子弟に対するところの無償初等教育の保障という点についても問題があり、また外国人登録法上の罰則と住民登録上の罰則に著しい相違があるということも問題であろうかと思うのであります。
 B規約上の諸権利につきましては、内外人平等を即時実行すべきことは言うまでもございませんけれども、A規約上の権利につきましては漸進的に内外人平等を実施すればよいと考えている方がございます。しかし、これは大きな誤りでございます。これはA規約第二条を国連総会第三委員会で審議した際に、レバノン、モロッコが平等原則の適用についても漸進的に実施しようとする修正案を一たん提出したのでございますが、平等原則に漸進的実施の考えを適用するのは国連憲章に反するということが強調され、結局、修正案は撤回されたという経緯から明らかであります。
 このことは男女の平等についても当てはまる点であります。現在、男女間に差別取り扱いがあるものとして、出生した子の国籍取得に当たっての父系主義、帰化許可条件の相違、これは衆議院ですでに御指摘がございますが、賃金以外の労働条件についての男女差別、女子若年定年制、天皇の地位からの女子の排除などがあると思います。
 さらに、わが国において真剣に取り組むべき差別の重要問題として、同和差別の部落地名総鑑等の問題があることはすでに御案内のとおりであります。
 第二に、国際人権規約を批准すると、どのように変わるかという点でございます。
 現在まで、わが国では憲法や法律によって人権は保障されてまいりました。しかし、それは国内法という物差しによって保障され、いわば国内的にそれが行われてきたわけであります。人権をどのように保障するかはその国の国内問題であるから、外国からそれについてとやかく言われる筋合いではなく、また言うべきものではないという考え方があり、金大中事件や韓国国内における人権の抑圧、在日韓国人が明白なアリバイがあるにもかかわらず韓国で政治犯とされ、そのうち六名に死刑が言い渡されて、これが確定し、その家族や弁護士会等から人権救済の要請が日本政府に行われても、政府は、それに対し、国内問題であるから内政干渉になるからと消極的態度をとってまいりましたが、国際人権規約においては、もはやそのような閉鎖的な考え方は通用しなくなるのであります。人権の保障も国内的物差しから国際的人類的物差しで行われるようになり、密室からガラス張りの時代へと変わるのであります。そのことは具体的には締約国による人権規約実施状況の報告に対する国際的審査、締約国から人権委員会への申し立てによる具体的審査、人権を侵害された個人から人権委員会への申し立てによる具体的審査などにあらわれております。
 ここで、衆議院の審議では触れられなかった二つの点を指摘しておきたいと思います。
 一つは、B規約のセルフ・エクセキューティングな性格であります。通常の条約やA規約は国家に対して一定の義務、たとえばその条約を実施するに必要な立法措置をとる義務を課するだけで、その条約により直接個人が権利を取得したり義務を負うわけではありません。しかし、B規約の場合には、二、三の例外を除き、直接に個人に権利を与え義務を課している。つまり、この規約が日本につき発効いたしますと、改めて立法措置をとることなく、個人は直ちにこのB規約自体を根拠として権利請求ができる、そのようなものとして理解すべきものと解すべきであるという点でございます。この点は、わが国における条約の締結承認手続との絡みで将来異論を生ずるおそれがありますので、参議院における人権規約締結承認に当たり、決議として明確にしておく必要があると存じます。
 第二は、衆議院では、わが国の国内における国際人権規約の適用だけが問題となっておりましたが、わが国の国民が外国に行って人権の侵害を受けた場合に、この国際人権規約によって保護を受けるのだという点に十分の注意が払われていなかったように思われるのであります。
 B規約の四十一条の宣言を日本がいたしますと、すでに同条による人権委員会の具体的事案についての審査権限は去る三月二十八日に発効しておりますから、人権侵害について日本以外の宣言国も日本人の人権被害につき人権委員会に申し立ててくれることが可能となります。日本政府ももちろん申し立てることができますが、それは日本国の利益に基づいて申し立てるのではなく、被害者個人の人権を加害国が人権規約に反して侵しているということについて注意を喚起し、人権委員会の審査を求めるという性格を持ちます。申し立てに先立って、政府としては、加害国に対して人権の保護、救済を求め、それが満たされぬ場合に人権委員会に申し立てることになると思われます。しかし、この加害国への人権救済の要求や人権委員会への救済申し立ては、従来言われてまいりました外交的保護や在外国民保護というものとは異なったものであります。時間の制約がございますので簡単に申し述べますが、従来の外交的保護は国家の権利と考えられていたのに対し、国際人権規約による場合は、個人の人権の国際的保護という異なった次元の請求と解すべきなのであります。このことは、わが国がB規約四十一条の宣言をする以前においても、当てはまることだと思います。
 第三に、留保の問題に触れたいと思います。
 政府は、昨年五月三十日、国際人権規約の署名に当たり、公の休日についての報酬、ストライキ権、中高等教育の無償化の三点を留保いたしました。外国の例を見ますと、公の休日についての報酬についてはデンマーク、スウェーデン、ストライキ権についてはノルウェー、オランダが留保しておりますが、中高等教育の無償化につき留保した国は実質上皆無であります。衆議院におかれましては、五月八日、国際人権規約締結承認に当たり、要望決議の中で、国際人権規約の留保事項につき、将来の動向を見て検討を行うことについて誠実に努力するよう政府に要望いたされましたが、私は、早急にこれらの留保を撤回すべきものと考えます。
 最後に、強調して申し上げたいのは、B規約の選択議定書の批准承認案件が国会に提出されず、署名さえもされていない点と、B規約四十一条により人権委員会の審議権を承認する宣言を当面政府が考慮されていない点であります。
 外務省が昨年六月作成されまして、お手元に配付されてございます人権規約の説明書によりますと「議定書で定める制度が今日の国際社会の現実の下で円滑に機能し、人権の保護という目的を達成する最善の方途であるといえるかは、なお、慎重に見極めるべき」であるとし、B規約四十一条の宣言についても、同様の理由を挙げておられます。
 しかし、この両者は、国際人権規約の審議経過からも明らかなように、国際人権規約実施のためきわめて重要なものでございます。よしそれが最善ではなくても、次善であるならば、人権の保護のためにこれを採用すべきであり、個人の立場からは、国内で十分の救済が得られぬ場合、国際的な保護を受けるということの十分の意味があるわけでございます。
 また、衆議院での御審議におきましては、これらのものは文化、経済、社会の各面での同質性がある場合可能なような御説明がございましたけれども、現在、この選択議定書を批准し、あるいは四十一条の宣言をしている国とわが国と本質的な異質性があるというふうには考えられないと思います。また、将来、開発途上国がこれに参加してくれれば、それらの地域で日本人の人権が侵害された場合に、国際的保護が受けられるわけでございますので、これらの趣旨はきわめて有効なものだというふうに考えられるのであります。
 つまり、その実現は国民の利益のために強く望まれるところでございますので、本委員会におきましても、ぜひ御検討の上、政府に対し早急にそれらを実現するよう、適切な処置をおとりいただきたいと思うのであります。
 私の意見はこれで終わります。
#7
○委員長(菅野儀作君) ありがとうございました。
 以上で参考人からの意見の聴取は終わりました。
 これより質疑に入ります。質疑のある方は順次御発言を願います。
#8
○田中寿美子君 大変時間が制約されておりますので、お二人の先生方の御意見は、私どもも承認の日ももう決まっているような状況でございますので、十分に参考にさせていただきながら、今後、この規約が批准された後も参考にさしていただきたいと思います。大変感謝申し上げます。
 短うございます時間ですので、まず久保田先生の方に御質問申し上げる点をまとめて申し上げます。
 一つは、原則的に人権というのは、第二次世界大戦後における世界の国民の反省の上にでき上がった、真に将来の平和を目指してつくられた世界人権宣言、並びに、もう少しその内容を規約にあらわした国際人権規約、こういう経過をたどってきて、ようやく日本が批准する段階になってきたものだと思います。その中で、私は、久保田先生は国連の経済社会理事会の第三委員会に代表としてお出になったこともありますので、特に男女平等の保障の問題についてお尋ねしたいと思います。
 一つは、A規約第二条で「この規約の締約国は、この規約に規定する権利が人種、皮膚の色、性、言語、宗教、政治的意見その他の意見、国民的若しくは社会的出身、財産、出生又は他の地位によるいかなる差別もなしに行使されることを保障することを約束する。」とございますね。それは二条であって、さらに三条で改めて「この規約の締約国は、この規約に定めるすべその経済的、社会的及び文化的権利の享有について男女に同等の権利を確保することを約束する。」とまた重ねてさらに規定しておりますのはなぜかというと、つまり男女間の差別というのは非常に大量に世界的にも存在するし、日本でも私はもういろいろな面であると思います。それでこれが特に強調されてあるのではないかということが一点です。
 それから、第七条で、公正かつ良好な労働条件の保障というところでも、第一項の(a)で「同一価値の労働についての同一報酬。」というところで「特に、女子については、同一の労働についての同一報酬とともに男子が享受する労働条件に劣らない労働条件が保障されること。」というふうに書いてございますね。ここのところでも特に女性に対する配慮がされていると思いますが、このことは女性の特質に対する保護というようなことも含めて、全く同じでなくてもこれは平等というふうにみなして、女性の保護、平等の保障をする意味なんではないかということ、それが第二点目です。
 さらに、第三十三回国連総会で、例の懸案の婦人の差別撤廃条約案が審議されました。そして未了で、ことし三十四回の総会にも持ち込まれておりますし、来年は一九八〇年の「国連婦人の十年」の中間の世界会議が開かれる年でございますが、ことし採択されなければ、さらにそれに続いてやられることだと思います。その差別撤廃条約に関連して三十三回総会に日本政府代表として出席された高橋展子さんの御報告を聞きましたときに、最近では、いわゆるイコール、平等という言葉に対して、多くの国々がイコールではだめだ、セイムでなければいけないという議論が大変あったということを伺いました。それでイコール・ペイ・フォー・イコール・バリュー・オブ・ワークと言うんですが、こういう場合のイコールというのをセイムにしなればいけないという議論が相当にあって、すでにそういうふうに変えた国もあるというふうに高橋さんから聞きましたけれども、このことをどのようにお考えでしょうか。
 つまり、たとえば日本の労働婦人の場合を考えますと、男性と全く同じの仕事をしていない場合がいっぱいある。で同じの仕事をしていなくても、価値が同等であれば同等の報酬を得るべきであるというふうに私は考えますので、同一というふうに規定してしまうと困るんではないかという問題が出てくると思いますが、その点の御意見を伺いたいわけです。
 さらにもう一点は、第十条で「産前産後の合理的な期間においては、特別な保護が母親に与えられるべきである。働いている母親には、その期間において、有給休暇又は相当な社会保障給付を伴う休暇が与えられるべきである。」とあります。で現在の日本の労働基準法は産前産後休暇について有給の規定をしておりません。このようなものは、A規約でございますから、漸進的には有給にしなければならないというふうにお考えになっているかどうか。
 以上、久保田先生の御意見を伺いたいと思います。
#9
○参考人(久保田きぬ子君) 申し上げます。
 御指摘の国連総会第三委員会に私が出させていただきましたのは、A規約ではございませんで、私のことに専門にいたしております市民的政治的権利に関します条約実質条項の最後のところの三総会でございまして、具体的にA規約の二条、七条、十条等の経緯は、私、国際法が専門でもございませんものですから、不勉強で勉強いたしておりませんけれどもへ常識的に考えまして、これは国際社会でのいろいろの法体系、いろいろの文化的段階、いろいろの社会的な条件のあります国の合意でございますので、したがって精緻な法律規定がなされないで繰り返しが多かったのではないかと思うのでございます。ことに二条と三条の問題あるいは繰り返しは、男女の平等をという強い要求のあらわれであったろうと思うんでございます。
 第二点の、七条に関しましでは、私は、これは当然保護を含むものであろうかと思います。そういう意味では、保護をすることによってある意味での合理的な差別をすることがより自由であるという場合がございます。社会権は、まさに差別、区別をすることによって平等を達成いたしておりまする最適の例であろうかと思うんでございます。それと同じふうに私は考えております。
 三十三総会以降の問題といたしましては、私、十分フォローいたしておりませんけれども、イコールとかザ・セームというのは、これは言語学上の問題であろうかと思うのでございます。
 さらに、十条に関しましての特別な保護、有給制度の問題でございます。日本は、御指摘のとおり、定めておりませんけれども、それとこの条項、そしてもう一つの労働法上の大原則でございますノーワーク・ノーペイという原則をどう調和させるかというところが課題ではなかろうかと考えますのでございます。
 以上、十分ではございませんけれども、申し上げさせていただきます。
#10
○田中寿美子君 それでは、大変時間が短いものですから、先生のおっしゃっている意味は私自分の方でいろいろとそんたくすることによりまして、次の宮崎先生の方に移らせていただきます。
 宮崎先生の御指摘の中で、まず第一番に、先生のおっしゃいました両規約のことの中から、両規約の基本的精神は内外人平等の原則に乗っているという言葉がございましたが、それはそのように考えてよろしいですね。A規約もB規約も、ともに、外国人も国内の人も平等に取り扱うべきであるというその原則にのっとっているものである、こういうふうに考えてよろしゅうございますか。
#11
○参考人(宮崎繁樹君) いま田中先生から御質問がございましたけれども、私としては、A規約もB規約もともに内外人平等という考え方に立っていると思います。
 それはA規約の二条2項、3項、B規約の二条1項、3項にそれぞれ規定がございますけれども、これについて国民的出身によるところの差別禁止ということがございます。国籍によるところの差別禁止という言葉がございませんので、解釈の問題としては、この「国民的若しくは社会的出身」というのではなくて、「他の地位によるいかなる差別もなしに」というふうにある「他の地位による」ということに入れようとする考え方もあるのでございますけれども、解釈としては「他の地位」というのは非常に付属的な表現をしているわけでございまして、締約国のほとんどがこの国民的出身による差別の禁止ということの中に国籍による差別禁止というふうに考えておりまして、私も、これらの条項から、内外人平等というものをA規約、B規約ともに目指しているというふうに思います。
#12
○田中寿美子君 そうしますと、先ほどちょっと触れられましたが、たとえば金大中氏の事件なんかに関して、韓国はこの国際人権規約の締結をしていない、日本は今回これで批准をする。そういうふうな場合に、日本国内に滞在していられた金大中さんがあのように不法に拉致されたという問題、これは日本の主権の侵害の問題もありますけれども、金大中という方の人権を守るという意味でどういうことができるかということです。それから日本の国民が外国で人権を阻害された場合、相手方の国が締約国でなくてもその救済を求めることができるのであるかどうか。四十一条のことも仰せになりましたが、それに対して人権委員会への審査を請求するというのは、どういう形でやっていくものであるかというようなことをお尋ねしたいと思います。
#13
○参考人(宮崎繁樹君) お答えいたします。
 国際人権規約は条約でございますから、基本的には、この条約に参加した国についてだけ適用があることになります。しかしながら、世界人権宣言、国際人権規約の前文でも明記しておりますように「人権及び自由の普遍的な尊重及び遵守を助長すべき義務を国際連合憲章に基づき諸国が負っている」そういうこと、これは憲章の五十五条、五十六条によるものでございますけれども、それを具体化するというのが国際人権規約の考え方でございます。ですから、人権を守るということは各国の義務であるということが言えるわけでございまして、国際連合憲章の中にも、その加盟国以外に対しても第二条の6項で「この機構は、国際連合加盟国でない国が、国際の平和及び安全の維持に必要な限り、これらの原則に従って行動することを確保しなければならない。」そういうふうに言っているわけであります。人権の擁護ということも、南ア問題などに見られますように、人類、国際社会の平和に通ずるものでありますし、さらに韓国について申しますと、日韓基本関係条約によりまして、第四条で「両締約国は、相互の関係において、国際連合憲章の原則を指針とするものとする。両締約国は、その相互の福祉及び共通の利益を増進するに当たって、国際連合憲章の原則に適合して協力するものとする。」そういうことがあるのであります。とすれば、細かい規定は別といたしまして、国際人権規約の精神、人権を保護するという国家の義務というものは、日本はもとより、韓国についてもこれを推し進めていくということが許されるというふうに思うのであります。
 御質問の中の金大中事件の問題でございますが、金大中氏が日本の国内において不法に逮捕され拉致されたということは日本国内における人権の侵害でございますから、日本として当然その人権を保護すべきものであります。また、韓国について申し述べますならば、韓国もまた基本的人権の尊重を基本とする国際連合憲章の原則を尊重すると言っているのでございますから、それを守らせるということが必要になってくるわけでございます。つまり四十一条によるところの宣言ということにつきましても、それの適用というのはその宣言をした国についてだけでございますけれども、その考え方、つまり人権は国内的な問題あるいは内政プロパーの問題ではなくて国際的な関心事項であるということが国際人権規約によって明確にされているということを考えますと、その処理についても、やはり人権尊重の考え方から処理していくということが当然であるというふうに思うのであります。
 なお、選択議定書などにつきまして、これに入っていない国についてはどうかということでございますけれども、たとえば日本人が選択議定書を批准している国の国内で人権を侵害されたという場合には、日本はたとえ選択議定書に入っておりませんでも、その個人は国内的救済が得られない場合に人権委員会に申し立てすることができるわけでございます。
#14
○田中寿美子君 最後にもう一問ですが、この国際人権規約が発効しまして後、国連の人権委員会にその救済を求められた件数など、これはどちらの先生でもいいんですけれども、どのくらいあるかということと、それから、この国際人権規約は日本の憲法にない部分があるということを先ほど宮崎先生もおっしゃいましたが、反対に人権規約を締結することによってマイナスの面がありますでしょうか。
#15
○参考人(宮崎繁樹君) 第一の点でございますけれども、昨年、人権委員会の最初のリポートというのが出ておりますけれども、これにはまだ個人からの申し立てについての数は出ておりません。ことし第二リポートが出ると思いますけれども、それにはその数が出ると思いますけれども、そういうことでまだ報告されておりませんので、私も承知しておりません。
 それから第二の点でございますけれども、これは御案内かと思いますが、国際人権規約につきましては、これは最低限度であるということが書いてございます。たとえばA規約につきましても第五条の2項でございますね、「いずれかの国において法律、条約、規則又は慣習によって認められ又は存する基本的人権については、この規約がそれらの権利を認めていないこと又はその認める範囲がより狭いことを理由として、それらの権利を制限し又は侵すことは許されない。」またB規約につきましても、同様に第五条2項にその規定がございます。したがいまして日本国憲法あるいは法律によってより高い保護が与えられている場合にはそれによるということで、この規約を批准いたしましても、何らそれを害するものではないというふうに思います。
#16
○参考人(久保田きぬ子君) 私も、国際人権規約を御批准になりましても日本国憲法の人権の尊重にいささかの――プラスの面はございましょうとも、マイナスの面はあろうはずがないと確信いたしております。
 ただし、先ほど、私、耳なれない、日本国憲法にもない権利というのがございますと申し上げたのでございますが、これはもっぱらB規約の方でございますけれども、たとえば十一条というような規定がございます。契約上の義務不履行による拘禁というようなもの、これは法体系の異なります国、主として英米法の国で、前世紀までございまして、まだその遺物として残っているようなものがございます。そういう国の法体系に属します開発途上国等におきまして強い反対があって入っていったと思うんでございますが、これはいずれはなくなるだろうと思うんでございます。
 そのほか、いろいろ戦争宣伝であるとか、宗教的人種的憎悪の唱道であるとかというようなもの、あるいは児童の宗教的道徳的教育を確保する、これはたしか十八条かであったと思うんでございますが、いろいろ耳なれないものがございますし、自国に戻る権利というようなものもございますし、たとえば十六条にいたしましても「法律の前に人として認められる権利」――何のことを言っているのか実はわからないんでございますが、お考えいただきたいと存じますことは、人権の歴史が示しておりまするように、人権というのは、でき上がったものではございませんで、私どもがつくり上げてまいりますものでございます。歴史の過程でつくり上げてまいりますものでございますので、そういう意味で、いろいろ私どもの法体系にないものもございますし、それから、これから内容を充実していかなければならない、あるいは法律家の社会では真の権利として認められておりませんものも、それが権利性を持つ、いわば権利としての要件を充実していくというのは、これは立法を通じて、あるいは判決その他を通して解釈という問題でしていくべきものではないかと存じます。そういう意味で、決してこれをしたからといってマイナスになるものではないと存じます。
 それから第二点の、個人による通報制度の問題でございます。プロトコール、議定書に関係いたしますのでございますが、もしお許しいただけますならば、この機会に私の見解を申し上げさしていただきたいと思います。
 宮崎参考人御指摘のとおりに、できました人権委員会は現実にはまだ十分動いておりません。非常に多くの問題が山積いたしておりますのでございます。通報制度というのは、すでに宮崎参考人がおっしゃったのでございますが、ヨーロッパ人権協定にあったものを採用いたしましたのでございます。そしてこの規定の原型になりましたのは、実は、私が出せていただきました二十総会の人種差別撤廃に関します条約案の実質条項といたしまして、本来でございますならば人権委員会から原案が作成されて出てまいって、そしてそれをECOSOC、経社理を通りまして審議いたしまして、そしてそれが第三委員会に付託されるのでございますが、そういう手続を一切省略いたしまして、第三委員会において原案から非常に早急なものをつくりまして、人種差別撤廃の条約を一九六五年に仕上げたのでございます。翌年、実質条項の審議を終わっておりますこの人権規約のB規約の議定書といたしまして、それをそっくり援用いたしたと私は承知いたしております。したがって、これには十分の審議も尽くしておりませんと思いますのでございます。したがって問題点が大変多くございまして、私の記憶に間違いがなければ、賛成国が五十二で、反対が二で、棄権が三十二と非常に多くの国が棄権に回っておりまして、わが国もこの棄権の中に入っているように私は記録で読んだ記憶がございます。
 この個人による通報システムというものは非常にりっぱなものでございまして、いつの日にか私は結実いたしますことを希望いたしますものではございまするけれども、現実に、一体、どこにどういうふうにして人権侵害の違反があったかといういわゆるアサーテンする、確認をする道もないのでございます。それから、一体、だれがどういうふうにして、委員会がいたしますけれども、解釈権がどこにあるかというような問題もございまして、全くまだ不備でございまして、政府が議定書に関しましては今回の御批准の案件の中にお加えにならなかったのは、私は御賢明であると存じておりますのでございます。
 同様のことは、B規約四十一条に関しましての、締約国による本条約義務違反の同じく通報制度でございますけれども、この宣言もお控えになりましたことは、私は、これまた余りにも問題が多過ぎるのでございまして、もう少しそのために歳月を経てやっていく必要がある。その証拠に、先ほど宮崎参考人からも申し上げましたように、このコミティー、委員会ができましても、実は、非常に多くのものをどうやって調査するかということもできないで、事実上できておりまするけれども、私の理解いたしましておりまする限りにおきましては、動いていないというのが実情ではないだろうかと思うんでございます。
 以上、よけいなことかもしれませんですけれども。
#17
○戸叶武君 いま久保田さんがおっしゃいましたように、グローバルな時代にはそれにふさわしい世界の中の日本のあり方というものが明確にされなければ、そこに古い形の狭量なナショナリズムと抽象的なインターナショナリズムとの現実的な混乱が生まれるのであって、うちからの人権擁護の動きと国際的なスケールによってのヒューマニズムの発揚としての基本的人権の発展、これとをどうやって結びつけるかといういまターニングポイントに立っていると思います。この問題は、お二人とも、久保田さんも宮崎さんも、承認すべきである、批准すべきであるという見解点においては一致しておりますが、しかし、このことが現実的に成熟するまでには幾多のプロセスを経なけりゃならないということも事実だと思うのであります。
 このように民主政治への発展ということ、戦争をなくさせるということ、暴力革命というものをそれほど過大評価すべきでないということ、これが先進諸国、世界の良識者の常識とはなっておりますが、依然として国内法整備の問題に対しても、日本政府のような怠慢を平気でやっている国もあります。やはり古い国家観念から離脱しないで、逆に、われわれの戦争の苦悩を経て踏み込んだ万国に相通ずる平和共存を目指しての憲法を堅持している国においても、それを取り崩そうという考え方が政府・与党なり何なりにおいてなされております。ここでグローバルな時代における国際政治の流れにどうマッチしていくか。
 また、国の最高機関は日本においては国会だと言われているが、行政府の最高機関にすぎないところの内閣、政府がガバナビリティーということだけを強調して、人民の意思なり世界の流れなりに刃向かって、自分たちの長期政権を維持するために政治的腐敗なり、あるいは政治的決着の名による不明朗なあれをしていると思いますが、これに対して、国を愛するというもの、人類を愛するというもの、もっと基本的人権の根源であるところの人間個人の自由、創意、そういうものを尊重するものとがこういうふうにごちゃごちゃになって混迷している状態というものは、法秩序を説くにしても、法の権威というものは現実的に非常に失墜しているし、政治というものが政治的決着と言うけれども、これはごまかしだという形で国民が受けとめるようになっております。
 それをとにかく、私は、観念的な法理論でなく、金大中の問題でもそうですが、きわめて不明朗じゃないですか。日本の主権侵害に対しても、国際的な人権尊重の問題に対しても、一つとして具体的な回答が出てこない。こういうばかげたことは、論議をいたずらに重ねていても、現実的適応性において法をないがしろにし、権威をなくさせることだと思います。
 久保田さん、宮崎さんは、参考人の御意見を尊重しますが、前向きの姿勢で学者的良心でお答えしておりますが、ハイモラルで物を言っているけれども、現実の地上においては混沌と混迷が深まっております。この理想と現実とをどういうプロセスを経て発展させるか、最終的に久保田さんはその苦悩のほども表現しておりましたが、もっと具体的にお答えを願いたいと思います。
#18
○参考人(久保田きぬ子君) 私のようなものがそういう哲学的な問題になかなかあれでございますけれども、人権を実現してまいりますということは口ではやさしいのでございますけれども、これは行動でございましょうと思います。そしてまた人権の持ち手は私だけではございませんで、個々の人間が持ち手でございます。そういうふうに考えてまいりますと、人権の本質とでも申しますものがどうやって人権と人権の対立、矛盾、摩擦というものを解決していくかというその努力というのは、これは私は法を超える、あるいは法以前の問題ではないかと思うのでございます。
 そのぐらいしか申し上げられません。
#19
○戸叶武君 宮崎君からも一言お答えを。
#20
○参考人(宮崎繁樹君) むずかしい問題でございますけれども、ユネスコ憲章の前文は「戦争は人の心の中で生れるものであるから、人の心の中に平和のとりでを築かなければならない。」「政府の政治的及び経済的取極のみに基く平和は、世界の諸人民の、一致した、しかも永続する誠実な支持を確保できる平和ではない。よって、平和は、失われないためには、人類の知的及び精神的連帯の上に築かなければならない。」と言っているのであります。
 先生がおっしゃいましたように、政府というのは往々にして人民の知らないうちに勝手なことをし、次には戦争というところまで引きずっていってしまうという危険があります。しかし、政府もまた、わが国のような民主国家においては国民の意思によってつくられるものであります。そうしてロッキード事件あるいはグラマンなどにおいても見られますように、アメリカからの情報によってその汚職が明らかになる、あるいは金大中問題についてもアメリカの外交文書によって韓国のKCIAが関与していたということが明白になる、そういうような問題があります。B規約におきましても第十九条で「国境とのかかわりなく、あらゆる種類の情報及び考えを求め、受け及び伝える自由を含む。」と言っているのであります。
 そういう情報の交換あるいはお互いに人間として尊重し合う、そういうことを、冒頭に申し上げましたように、密室の中でなく、ガラス張りにして、それぞれの国の人権、人間としての尊重ということを通じていくならば、先生がおっしゃいます危惧というものに、すぐではございませんけれども、必ず実現していくというふうに思うのであります。
#21
○鳩山威一郎君 久保田先生、多年、国連活動と申しますか、特に第三委員会で大変なお力添えをいただきましたことに厚く感謝を申し上げる次第でございます。
 この機会に、時間が五分しかないものですから、一点だけ。
 先ほど田中先生から問題の提起がありましたことと大体似た問題なんですけれども、基本的人権というものが尊重さるべきこと、そしてこれはいかなる差別もなしにという点はまさに非常に結構なことと思うんです。思うんですけれども、他方、国というものを運営していくためには、やはり権利とともに義務を負うということになっており、憲法で言えば国民は基本的人権は尊重される、しかし、国民はいろんな義務を負うわけでございます。そういう意味で国民である、国籍があるかないかということについて、これはやはり基本的な問題を含むように私は思うんです。
 ただ、B規約のように、たとえば裁判所の前に平等であるというようなこと、そういう点では基本的なぎりぎりの人権というものはもちろん尊重されなきゃいけないけれども、経済的な権利になるといろいろまた問題が出てくる。A規約の方の第二条を見ておりますと、2項では「いかなる差別もなしに行使されることを保障することを約束する。」とあり、3項では「開発途上にある国は、人権及び自国の経済の双方に十分な考慮を払い、この規約において認められる経済的権利をどの程度まで外国人に保障するかを決定することができる。」とあって、この3項の規定を裏返しに読めば、日本のような発展した国は、これはもうどんな差別もなしに経済的な権利を外国人にも与えなきゃならない、与えるべきだ、こういうふうに読める。しかし、本来の差別というものがいかぬということ、これは非常に大きなものだといいますと、外国人であるか日本国籍を持っているかということによる差別と、皮膚の色とか性、言語、宗教、そういうものによる差別とどうも少しずれているという感じがするわけです。どうもその辺がすっきりしない。
 そして国籍の有無――国籍という言葉は、B規約の方で、児童については国籍を取得する権利を与えると、国籍を取得させるというのも一つの大きな権利になっておる。しかし、本当に国籍の有無を通じて平等だということになれば、どうして国籍を取得するという権利を児童に保障する何の値打ちがあるんだろうかということにもなりますし、その辺が非常にわからなくなったわけでございます。
 そして先ほどお話しのありました、たとえば不法入国者といえども基本的な人権、いやしくも人たることによって当然享有する人権は不法入国者であってもこれを有する。しかし、これはやっぱり裁判関係でありますとか法の前に平等であるとか、そういう基本的なものであるというふうに思って、経済的な権利まで不法入国者が持つとは思わない。また、居住の自由とかというものは合法的に居住する者について与えられると書いてありまして、不法入国者にはそういう権利はこの規約にはない。
 そうすると、事の性質と手段によって、たとえば政治的な権利は一定の住居要件というものが要る。「シティズン」と書いてありますね「市民」という表現を使ってある。したがって主体をどういうふうに判定するかということについて、先ほどの話はきわめて明確なんですけれども、不法入国者にどれだけの人権の範囲が及ぶのかとか、特に日本人と言った場合に、どうも日本は単一民族といっておりますから、それが本来の大和民族ということと日本国籍を有している人というのとえてして混同されやすいと思うのですけれども、その辺の御判断は、経済的な、特に納税の義務というようなものを考えて、税金を払って、そしていろんな社会保障の給付も受ける、こういうバランス感覚がわれわれにはあるわけですけれども、そういう点、要するに社会人としての義務と権利との関係はどういう関係になるんだろうかという点について、もう一つちょっとわからなくなったわけでございます。その点、お教えいただきたいと思います。
#22
○委員長(菅野儀作君) 参考人の方にお願いいたします。質疑時間が限られておりますので、恐れ入りますが、答弁はなるべく簡略にお願いいたします。
#23
○参考人(久保田きぬ子君) ただいまの鳩山先生の御質問にお答え申し上げます。
 基本的には国連と申しますのは、依然として民族国家の集団でございますということが私一つ前提にあると思うのでございます。そこから考えてまいりますと、やはりどこまでまいりましても国籍ということは残っていくだろう、先ほど宮崎参考人は両規定に共通いたします総則規定の二条をお挙げになりまして「国民的」と申されました。これは原文は「ナショナル」でございます。ナショナルというのは、日本国憲法でも国民と訳しているところもございますので、国民でございますけれども、私が先ほど引用いたしました判例、ことにB規約の人身の自由であるとか精神活動の自由であるとかいうぎりぎりの自由というものは、私は、これは国境を越えて認めるべきものではなかろうかと思うのでございますけれども、権利の性格によりましては、B規約でございましても、宮崎参考人は、これはセルフ・エクセキューティングの条約である、これだけで立法措置を待たないで国民にも及ぶものだと、私もそうだとは思うのでございますが、おのずからその中に権利の実体というものによりましていささかの差が出てくるのは当然のことではないだろうかと思います。ましてやA規約、社会権関係のものになってまいりますと、御指摘のとおりだと存じます。
 具体的な例を申し上げますと、国連はそこまでまいっておりませんけれども、連邦国家におきましてはそれぞれ各州によりまして社会保障の度合いが違うとか、いろんなものが違ってまいっております。私はこれがまさに見習うべき点ではないだろうか。具体的に、たとえばアメリカの例をとってみますと、刑事補償の手続にいたしましても州によって厳しいところと緩いところとございますのがだんだん連邦憲法にならっていけという方向をとっております。社会保障にいたしましても、これは州がいたしておりまして、社会保障をするということは決まっておりまして、それをどうやるか、実施に関しましては州の独自性を持っております。それと同じことが類推的に私はこの人権、ことにA規約の実施に関しましては考えられるのではないか。
 そういう意味で、一律に原則は内外人全部平等でございますけれども、具体的なものに関しましては、とりわけA規約に関しましては、御指摘のように、国籍というものが、いまの国家の発展段階が依然としてネーションステーツであります以上、私は、そこからまだ脱却できない。その基盤から脱却いたしまして世界政府のようなものができてまいりましたときには、これはまた別でございますけれども、現状を考えますと、御指摘のとおりで区別されるべきものではないだろうかという気がいたします。
#24
○鳩山威一郎君 ありがとうございました。
#25
○渋谷邦彦君 先ほどお二人の先生から大変貴重な御意見を承りまして、本来ならばもっと逐条的に先生方のお考えをお聞かせいただくことがより将来的に参考になるのではなかろうかなということを先ほど来からお話を承っておりまして大変強くその点を感じました。残念ながら限られた時間の範囲でございますので、あれもこれもということはとても不可能でございます。ただ、総括的に再度お考え方というものをお聞かせ願えればという観点に立って一、二お尋ねをしてみたいなと、こう思います。
 確かに日本の場合も、ようやく人権というものが申すまでもなく戦後において守らなければならないという非常に強い意識のもとに、特に平和憲法のもとでそれが着々成果ある方向へ向かってきたという、これは大変貴重なわれわれにとっても経験であったろう。振り返ってみると、戦争中はどちらかというと大変厳しい義務を押しつけられたという、そこに人間本来の機能というか、暮らしの営みというものが全く無視されたと言ってもいい、そういう背景があっただけに、われわれ国民としては得がたい平和憲法での人権というものが取得できたであろう。加えて、ようやく国際人権規約にいま加盟しようとしている、これも大いなる前進ではなかろうかというふうに思いますし、むしろ先ほども御意見の中にございましたように、あるいは遅きに失したうらみがないでもなかった。ただ、国内法の規定がしばしば人権規約の個々の規定と衝突をするというような観点から、その整備がきわめておくれた。ようやくここに日の目を見るようなことになったわけでございまして、われわれとしても大変喜ばしいことではなかろうか、このように思っております。
 ただ、先ほど久保田先生がおっしゃった中で、やはり気になることがございますね。人権委員会の機能というものが、長年の御経験の上からお述べになったお話を伺っておりましても、実際に機能していない。また、人権が侵害されたというそうした事実関係についての通報、こうしたことも具体的にはどこで確認されるのか、どこでチェックされるのかということが実際定かではない。むしろ今後の処理にまたねばならないだろうと、たしか記憶に間違いなければ、そのようなお話だったと思うわけでございます。
 もちろん、一つのこうした体系ができたわけでございますから、今後運用あるいは具体的な行動の上でそれぞれ英知をしぼって結論というものを出していけばいいのかもしれませんけれども、今後の展望といたしまして、せっかくこうしたすぐれた人権規約ができた折でもございますので、日本としてこれからどういう働きかけをしながら、この人権委員会の機能、あるいは個々の人権侵害についての通報体制というものの整備、どういうようなことが考えられるのか、また、それは後どのくらいの期間的な経過を経れば一応の目安が出てくるものなのか、この辺の長年の御経験を通してのひとつ御展望をお聞かせ願えれば大変ありがたいと思います。
#26
○参考人(久保田きぬ子君) 私のような一介の書生に先生に申し上げるようなものは何にもございませんけれども、私も人権の保障ということに関心を持っておりますものといたしまして、まさに先ほど宮崎参考人が御引用になりましたユネスコ前文の平和の基礎は人の心の中に平和のとりでを築くことだと言われたのと同じことでございまして、日本人一人一人、あるいは世界のすべての人たち、全人類の心の中に人権というもののとりでが築かれていかなければ、なかなかうまく機能しないんではないだろうかというのでございまして、どのぐらいたったらということはいかないんじゃないか。
 この人権委員会と申します、あるいは条約の中では「委員会」となっておりますけれども、これは国連のコミッションと区別いたしました「コミティー」でございまして、これは各国から個人の資格で選挙されて出ておりまして、その観点から言えば国籍をある意味では離脱して国際人といたしまして、ちょうど国連公務員が国際公務員であると同じようなステータスを持ってやっていらっしゃるんですけれども、世界は非常に広うございまして、伝統も違っております、法体系も違っております、発展段階も違っております中で、まさに主観と客観の問題もございますし、私が最も評価いたしますのは報告書の制度でございますけれども、報告書の制度にいたしましても、この条文の解釈権が一体どこにあるのか、解釈権をこの委員会にあるいは国連にゆだねるのかどうかというような疑問もございます。加盟国の中には解釈権はそれぞれの自国に持っているんだという表現もなさいますんですけれども、人権規約というものをつくってまいりました以上、少なくとも解釈権ぐらいは委員会にあるいは国連に移譲できないものだろうかなという気がいたします。
 確認をいたしますにいたしましても、やはりこの条約は、私は、国際法上の大原則でございますところの国内問題というものを一歩打ち破った原則だと思うのでございますが、それは私は全面的にまだ取り扱われている段階ではないと思いまして、どこまでも、先ほど鳩山先生の御質問にお答え申し上げましたけれども、国連は国家の団体、民族国家ネーションステーツの集団であるという限界がついている。その間にどうやって調和をとっていくかということでございまして、私のような者はまたここでも返ってまいりまするのが法以前の問題である人間の一人一人――日本は、先ほど戸叶先生が御指摘でございましたけれども、まさに日本の人権の歴史は戦後に始まると思うんでございます。これは人権という近代国家が数百年をかけてかち取りましたものを継ぎ木したのでございまして、ややともいたしますると、現状はその果実だけを味わおう、賞味しようといたしまして、それが実りますまでの過程を、私は、日本国民は若干忘れているのではないか、軽視しているのではないかという疑問をこの年になりますと思うのでございまして、そういう意味で、究極のところは、私は心の問題に返ってくるような気がいたします。
 以上ぐらいしか申し上げられません。どうも失礼いたしました。
#27
○渋谷邦彦君 重ねて長年国連でもお仕事をされました久保田先生の御意見が伺えればと思いますことは、このA規約にいたしましてもB規約にいたしましても、加盟国が忠実に履行するという大前提に立ったときに、まず端的に考えられることは、この世界から戦争という愚かな行為はなくなるであろう、そこまで突き詰めますと判断できる内容のこもった条約ではなかろうか、こう思うわけです。
 それだけに、われわれとしても、再び愚かな戦争への道を閉ざす意味からも、この国際人権規約というものが各国においても尊重されなければならないだろうし、履行されなければならないだろう。そのためには、いまも御経験を踏まえての国連のことについてお触れになりましたが、最近、特に国連の機能というものが御承知のとおり役割りを果たせないんではないだろうか。それは確かに各民族が集団的に集まったそういう形態でございますので、なかなか一概に理想的なことを求めようといたしましても大変な障壁もございましょうし、いろんな発展の形態がいまお述べになったように違いがございますだけに、あながち短絡的に何とかならぬかというような期待を持つ方が無理なのか、われわれとしてはやはり国の方向といたしましても国連中心主義というものをうたっている以上は、もっと国連を主体にした機能的な働きができるよな方向へわれわれとしてもこれからも当然のことながら不断の努力を重ねていかなければならないことは言うまでもございませんが、現状のとかく批判を受けなければならないという現在の国連のあり方、国連の機能というものは果たして改革し得るいろんなまだ要素が残されているのか、これは御経験の上からで結構だと思うのですけれども、お聞かせ願えれば大変ありがたいと思うんです。
#28
○参考人(久保田きぬ子君) 私は、戦後、国連が発足いたしましたとき、日本は国連に対しまして過大な夢を描き過ぎた、バラ色の夢を描き過ぎたと思うのでございます。また、ただいまは余りにもそれは灰色の失望を持っていると思います。私は国連はいずれでもないと思うんです。初めから決してバラ色の存在ではないと思いますし、決して私はいまの国連に失望いたしておりません。
 私は国連に三回出席させていただきましたけれども、そこで私が学び取りましたものは、こういう場がもしなかったならばどうであろうかと、存在しなかった仮説の問題でございます。あそこに一年一回集まりまして、そして言いたいことを言い合いますだけでも私はかなり大きな一種の意味があるんだろうと思います。それに対しまして一番やはり各国が恐れますのは国際世論ということでございます。国際世論をあそこに集中的に出しますという意味におきまして第二番目の意義があるだろう。一種の自分の欲求不満を吐き出す場でございますし、第二番目は国際世論形成の場であります。第三番目は、それらを通じまして加盟国が国際社会について学んでいると思うんでございます。そういう意味で国際社会は教育の場であるという考え方は持っておるのでございます。
 そういう意味からいたしまして、長い――長いと申しましても、まだ三十数年の国連の歩みというのは、国連の生命からいたしましたら、私は短いと思いたいのでございます。しんぼう強くどんなことがございましても国連中心主義で、そしていわば私の基本的な立場は、人権の尊重ということは平和理論、平和の概念と申しますものと表裏一体の関係にある。これはまさに世界人権宣言に書いてあるわけでございまして、戦争ほど人権を侵害するものはございません。また、人権の尊重は平和なくしてはあり得ないわけです。しかし、同時に、人権が侵害されましたところに戦争が起こってきていると思います。私は、平和と人権の不可分の関係は、決して二度の大戦の経験から学んだだけではなくて、論理必然的にそうなるものであろうかという気が個人的にはいたしておりますので、そういう意味で、具体的な政策は私の守備範囲ではございませんけれども、少なくとも政治をおやりになります方が人権の尊重ということを心の中に置いて政策を決め、法律を定め、それを実行していくかどうかというところにかかっておりまして、恐らく私は日本もその先頭にお立ちくださるものと確信いたしております。
#29
○渋谷邦彦君 確かに後段でおっしゃられたように、心にそれをどう描くかということが非常に大きなウエートを持つであろうことは宮崎先生の御意見の中にもございました。これがなかなかまた言うべくして大変むずかしい問題だなというふうに感じざるを得ませんし、これはまた歴史の経過のもとにわれわれもそれを見詰めつつ、また不断の努力を重ねていかなければ解決のできない問題であろう、こんなふうに感ずるわけでございます。
 特に、大戦が終わった現状におきましても大きな変貌があったと思います。それはもう自由主義社会におきましても社会主義社会におきましても、その歩みはそれぞれの違いがあろうかと思いますけれども、大きな変革があったと思います。しかし、だからといって必ずしも国際人権規約に盛られている中身のとおりの営みというものが果たして具体的にいま貫かれているであろうか、こう思いますと、これは確かにまだ問題がございますね、これは社会主義国家だって例外ではないと思うんです。
 私にいやな思い出があるんですが、先年、東ヨーロッパ諸国を回りまして、要するに反政府的な言動をしたという、単純な、そんなに深い意味のことではなかったと思うんですが、もう一カ月、半年、一年どこへ行ったかわからぬ、こういう話を聞きまして非常に悲しい思いをしたことがございます。確かに思想、良心、宗教の自由というものはございますけれども、そうしたようなことがやはりまだ厳密には履行されていない。しかも留保条項なんかを見ましても、決してこれは留保をつけてないんですね。にもかかわらず、そういう矛盾した現象というものがあるいは現状におきましても行われていはしまいか等々、そうしたことがやはり何らかの形で抵抗運動となってあらわれたり、あるいはさらに革命的な運動となってあらわれたりということになって、結局、いつも被害を受けるのはその渦中に巻き込まれる善良な多くの市民であり国民ではなかろうか。
 こうしたことを考えますと、私はまたもとへ戻りますと、やはり国連なら国連というせっかくの対話の場所があるわけでございますので、そういったところで不断の経験の蓄積を重ねて、そういう状態の起きないことを念願しながら取り組む必要があるだろう。大変抽象論的な言い方になるわけでございますが、恐らくなかなか結論といってもそう明確に、こうなればこうなるだろう、こうなればこうなるだろうということはなかなかできにくいだろう。しかし、いずれにしても一歩前進であることは間違いないと思っております。
 最後に、御存じのとおり、国連におきましていわゆる人権規約として取り決められたのが十八ございます。その中ですでに加盟しておりますのが二つ、いま審議されているものが批准されますと、これで四つになるわけです。あと十四残っているわけでございますけれども、その十四の中には非常に大事なことがございますことは御存じのとおりでございまして、たとえば集団殺害罪の防止及び処罰に関する条約であるとか――難民の地位に関する条約は次の国会に出てくるそうでございます、これまた前進だろうと私は思うのでありますが。それから、あらゆる形態の人種差別撤廃に関する国際条約等々、非常に重要と思われるような国際条約がまだ残っているわけでございます。これに対する早期批准というものが望ましいと思いますが、お二方の先生の御意見を伺って、私からの質問を終わらさしていただきたいと存じます。
#30
○参考人(久保田きぬ子君) 人権関係の個別条約が幾つかございまして、未批准であることは私も承知いたしております。できますものは速やかに御承認になった方がよろしいのではないかと思うのでございます。その点に関しまして私一点だけ申し上げさしていただきたいことがございます。
 大変、私、日本は誠実な国だと思うのでございます、国内体制が整備されなければ条約を批准しないということで。国際社会へ出てまいりますと、日本は大国になったから世界が知っていてくれると思ったら大間違いでございまして、よその国の法体系、制度というようなものは知っておりません。そうしますと、たとえば人権規約にいたしましても、なぜ日本は批准しないのかと。私は、日本ぐらいに人権の制度的な措置ができておりまする国はそうないと思うのでございます。そうでない国が、いま御指摘のように、留保もつけないでどんどんなさる。私は誠実な御処置は、条約でございますから、これは国際法上の義務を負いますから、御慎重の上にも御慎重にならなければならないと思うのでございまするけれども、同時に、この種の性格のものはいわば人の心という非常に困難な、あるいはイラショナルなエレメントの入っておりますものでございまして、条約自体が、私は、何というんでしょうか、これは人権宣言でございますけれども、すべての人民とすべての国とが達成すべき共通の基準的な、条約ではございますけれども、条約には到達すべき一種の、何と申しますか、ザインではなくてゾルレンを規定いたしますものが多いと思うのです。そこまで引き上げていこうという、そういう性格のものでございます場合に、国内法ががっちりできなければ批准できないという考え方には私は余り賛成できないのでございまして、そういう意味では、おできになりまするものから逐次なすっていらしたらよろしいんじゃないかという気がいたします。
#31
○渋谷邦彦君 宮崎先生ひとつ。
#32
○参考人(宮崎繁樹君) 結論から申しますと、私は、人権に関する諸条約については、もちろん検討を要しますけれども、早期に批准すべきであるというふうに思います。日本は大体七十番目ぐらいにこの国際人権規約を批准するわけですけれども、私は人権に関する勧告がやっぱり世界から見て七十番目ぐらいじゃないかというふうに思います。
 先ほど先生がおっしゃいました、政府を批判したということによって長く抑留されているという問題についても、もし四十一条の宣言をその国がしている、あるいは個人の申し立てによるところの救済の権限を認める選択議定書に入っているということならば、その問題は、密室ではなくて、ガラス張りに国際的にそれを討議し救済することができるわけです。
 ところが、日本はどうでしょうか。そういう国と同じように、国内では人権を救済すると言いながら、そのことが国際的な場にオープンになることを非常に恐れております。これが議定書にも参加せず、四十一条の宣言もしないという結果だと思います。その基底には、やはり国内では人権を尊重すると言いながら、実際的には国際的な物差しではかられるということを恐れているのである、このことが国際人権規約の批准のおくれてきた本当の原因ではないかと思うのであります。
#33
○渋谷邦彦君 どうもありがとうございました。
#34
○神谷信之助君 お二人の先生方の非常に貴重な御意見を拝聴いたしましてありがとうございました。大変失礼になるかと思いますが、時間の関係で私の質問は宮崎参考人に三点についてお願いしたいと思います。
 第一点は、A規約の八条の2の権利の行使の制限に関する規定はどう理解すべきかという問題ですが、特に公務員の解釈範囲といいますか、これについて御意見を聞かせていただきたいと思います。
 それから第二点は、先ほどから議論になっております選択議定書の問題、それからB規約四十一条の宣言の問題です。久保田参考人の方からは、言うならばまだそれに対応する体制が十分に整っていない、ある意味から言うたらば時期尚早といいますか、したがって政府が直ちに議定書を締結するとか、あるいは宣言をするとかいうことをしない政府の態度は賢明だという御意見でしたが、宮崎参考人の方は、逆に、やっぱり締結をすべきだし宣言をすべきだという御意見でした。そういう解釈権の問題あるいは具体的な人権委員会自身の権能の問題、こういったものが国際的にもまだ確立をしていない段階で、先生がおっしゃるように、議定書の締結あるいは四十一条の宣言を行うこと、これが一体どういう意義を持つのか、そしてそのことがわが国にとっても国民にとってどういう利益になるのか、この点についての御意見を承りたいと思います。
 それで第三点は、B規約第二十条の「戦争のためのいかなる宣伝も、法律で禁止する。」この点は、先ほども久保田参考人の方からも、なじまないといいますか、目新しいといいますか、そういう内容の一つとしておっしゃっておりましたが、この点、わが国の憲法との関連から見でも具体的にどういう意義を持つのか、あるいはまた、わが国がこれによって負うところの義務についてどういうようにお考えか。
 以上、三点にしぼりまして、宮崎参考人の御意見を伺いたいと思います。
#35
○参考人(宮崎繁樹君) いずれもむずかしい問題でございますが、第一点のA規約八条の問題でございますけれども、これは一部政府は留保いたしておりますが、それ以外に、先生御指摘の第2項には「軍隊若しくは警察の構成員又は公務員による1の権利の行使について合法的な制限を課することを妨げるものではない。」とございまして、この「公務員」の問題について、私が論文に、この訳は適当でないというふうに書いたことがありますので、そういう点の御指摘かと思いますが、この原文は、衆議院でも御指摘がありましたが、「メンバーズ・オブ・ジ・アドミニストレーション・オブ・ザ・ステート」というふうにございまして、
 私はこれはやはり「ジ」という定冠詞がついておりますから「国家の行政府の構成員」というふうに訳すのが適当だと思うのであります。
 もちろん、この国際人権規約の拘束力ある公文は中国語、英語、フランス語、ロシア語及びスペイン語でございますから、それが問題になった場合にそれらの原語に当たってみればいいわけでございますけれども、しかし、通常の条約集とか法令集には日本語の訳文しか載らないことになると思いますので、「公務員」というふうに訳して載せますと、一般には行政機関だけでなく、立法・司法機関、また上級・下級公務員、現業の公務員、地方公務員も含むように普通の人は理解すると思うのであります。しかし、これは間違いでございまして、ILOの一九七一年の公務合同委員会報告書や一九七三年の総会条約勧告適用専門委員会の報告書などによりましても、その機能から見て、直接に国の行政に従事している公務員と、それらの活動を支える補助的な公務員や公企業、自治体の雇用員は区別すべきだというふうに考え、ILO九十八号条約の第六条につきましても、条約勧告適用専門委員会は、その者の活動が国家の行政に関している公務員に限るべきである、それ以外の公務従事者に範囲を広げるべきではない、そういうふうに言っております。
 このように見てまいりますと、ここで「公務員」と書かれておりますのは、やはり行政府の構成員というふうに明らかにすべきであって、その任務が政策決定もしくは管理に関係していると通常考えられる高い地位にある者またはその義務が高度に機密的な性格を持っている者、これはILOの百五十一号条約に関連して出ておりますけれども、そういうふうにはっきりと解しておくということが今後のために必要であると思うのであります。
 また、衆議院では、この「ステート」というのは地方自治体も含むかに言われておりますけれども、連邦のような場合には、連邦とそれから構成支分国、ステートあるいはラットなども含めることができると思いますけれども、これはプロバンスだとかクライスなどは含まれていないわけでございまして、日本における自治体を含むべきではないと思います。
 第二の問題は、ほとんど久保田参考人と同じようでありながら、この点が非常に食い違っているようでございますけれども、私は、やはりこの議定書とそれからB規約の四十一条というのは国際人権規約のかなめであると思います。久保田参考人は、四十一条は十分に行われていないではないかというふうにおっしゃいましたけれども、これは三月の二十八日に発効したばかりでございまして、もちろんまだ準備が整っておりません。この人権委員会の細部の規約もその点は抜けております。しかし、議定書については明らかに人権委員会が詳細な手続の規則も決めておりますし、そのための作業部会というものも設けることを予定しております。
 そうして、これにつきましては、久保田参考人もお触れになりましたように、有力な先例があるわけでございまして、ヨーロッパ人権条約によるところのヨーロッパ人権委旨会、さらにヨーロッパでは人権裁判所というのを設けておりますけれども、そこにおいて数多くの取り扱いをいたしております。最近の一九七七年の年鑑によりますと、設立以来、八千百十三件の個人による申し立てを行って、そのうち百七十四件を受理。国家と国家との関係、これは四十一条宣言に対応いたしますが、これは十五申し立てがございまして十三受理ということになっております。
 その中には、時間がございませんので多くは申し述べませんけれども、たとえば高裁での本人、弁護人の出頭ということを認めていなかったオーストリアの刑法、刑事訴訟法が問題になりまして、その事件の過程でオーストリアは刑法改正をして対審を認めたという事例もあります。あるいは、高等裁判所において、控訴審において弁護人の弁論というものに対して不当に裁判官がそれを非難したというところから、ベルギーで六万五千ベルギーフランを払うということになった事例などもあります。あるいは、長期の抑留ということが問題になりまして、それについても改善の処置がとられたという例があるのであります。
 これらのことは、具体的にその委員会というようなものによって判定がなされる、あるいは人権裁判所の決定があるということももちろんでございますけれども、そういうことがあることによって、申し立てられた場合に、国家が反省して人権を抑圧する規定をみずから変えるということが行われて、そこで有効的解決がなされるという例がしばしばあるのであります。また、こういうことがあるということによって国内においてもその国の勝手なことができない。先ほど渋谷先生でございますか御指摘がございましたけれども、密室内ですることはできないということから、国内での人権の保障ということが担保されるという大きな役割りがあるわけであります。この点について衆議院でも政府御当局においてはやや消極的な評価がなされましたけれども、私はやはりそういう有効な例があるわけでございますので、日本としても積極的にこれに参加すべきであると思います。
 第三点の問題でございますが、これは戦争のための宣伝の問題で、これは政府が留保するのではないかというふうに考えられておりましたけれども、留保に入りませんでした。しかし、衆議院では、政府委員は現状で足りるというようなことを言っておられますけれども、しかし、私は、やはり条文上明白に「戦争のためのいかなる宣伝も、法律で禁止する。」とありますので、立法すべきものであると思います。
 政府委員の御説明では、具体的な法益というものがない。仮にそのような宣伝行為が行われたとしても、現状においては具体的な法益を害するということは考えられないから立法は必要ないということでございますけれども、私は、これは違っている。もしそういう戦争を宣伝する、戦争に至らしめるということになれば、国民全体、さらには人類の平和な生活、生存の維持へ社会の安全、わが国については絶対平和主義をとる憲法の秩序、国際社会については不戦条約以降の戦争放棄によるところの国際平和の維持、そういうようなものが具体的に侵されるわけでありますから、やはりこの点については国際人権規約に基づいて具体的な立法ということをなさることが必要であろう、そういうふうに思います。
 不十分でございますが。
#36
○和田春生君 まず最初に、宮崎参考人にお伺いいたしたいと思うんですが、先生の御意見は、議定書あるいはB規約四十一条に対する評価というような点で示されておりますように、国内において勝手なことをしない、自国がこの人権規約を尊重しそれを守るとともに、各国もその義務を同様に負うべきだというようなお考えだというふうに承ったんですけれども、私のこういう受け取り方が正確であるかないか等はまた先生からお答えを願うといたしまして、そういう前提で一つお伺いしたいことがあります。
 それは先ほど金大中事件の問題と韓国のことを取り上げられました。これは日本と韓国の外交上の問題あるいは国家主権にかかわる問題としてこの金大中事件を追及していくということについては、アプローチの方法に議論はあるにしても、私は当然だと思うんです。しかし、人権規約という立場から日本にかかわりのある問題でありますと、一つは、戦争中に日本人として樺太に連れていかれ、終戦後、そのまま抑留をされておる。日本人は帰しましたけれども、韓国人の人は帰されていないんです。そして望郷の念もだしがたく、あの地で悶々の一日を送っているという韓国人がかなり多数おる、これは厳然たる事実であります。もう一つは、日本人妻として北朝鮮に渡りまして、その後、帰国ないしは里帰りを希望しているが、全然これは認められておりませんし、われわれの働きかけにもノーアンサーである。
 人権規約のたてまえから考えれば、私は、金大中事件は政治的外交的主権の問題としては重要な問題と思いますが、この樺太に抑留されている韓国人、また北朝鮮に渡った日本人妻ははるかに重要だと思うんですけれども、その点について、どういうお考えをお持ちかお伺いをしたいと思います。
#37
○参考人(宮崎繁樹君) 先生御指摘の、たとえばB規約四十一条について日本も宣言を行い、韓国も宣言を行い、ソビエトも宣言を行ったというふうにいたしますと、現に樺太において抑留されている韓国人、これについては国籍確認訴訟もございますから日本としても無関係ではないのでございますけれども、その帰国が認められない、あるいは人権が保護されていないという場合に、これはたとえ韓国人であっても、日本がソビエトを相手どってその事実について人権を尊重せよ、そして本人が希望するならばその本国に帰すようにということで、人権委員会にそれを持ち出して、その解決を求めるということができるわけであります。
 また、朝鮮民主主義人民共和国は国連にも入っておりませんけれども、もし朝鮮民主主義人民共和国が四十一条の宣言をする。その前提としてはB規約に入るということがもちろん必要でございますけれども、そういうことになった場合には、具体的に朝鮮民主主義人民共和国にある日本人の女性について、帰国を希望しているかどうか、どういう状況にあるかということを取り上げて審査してもらうということができるわけであります。朝鮮民主主義人民共和国におけるところの日本人妻につきましては私も関心を持ったのでございますが、この委員会の委員でおられる大鷹淑子さんの新聞に対する寄稿がございましたけれども、比較的よい取り扱いであるということで私もほっとしたわけではありますけれども、もし本当に朝鮮民主主義人民共和国が人権を保護するということについて明らかであれば、ガラス張りでいいということならば、やはり国際人権規約というものに参加し、四十一条の宣言をするということが期待されるわけであります。これにつきましては朝鮮の統一の問題もありますけれども、そういう意味からいきましてもB規約の四十一条の宣言というのは大事である。これは日本ではなくて、ほかの国が数多く宣言をしてくれば、そこにおけるところの日本人はもちろん、どこの国の国民の人権も保護されるということですから、これを拡大していくということがやはり人権の国際的保障ということの担保になると思うのであります。
 それでは、これをしていない段階でどうかということも先生御指摘かもしれませんけれども、私は、先ほども申し述べましたように、B規約の四十一条の宣言をすれば具体的にそういう提訴はできますけれども、四十一条の宣言をしていなくても、相手国に対して人権を尊重せよということは言えるんだ、そのことを国際人権規約の前文というものは明らかにしているし、それは国連の精神である。ソビエトは国連の加盟国でありますし、また、朝鮮についても、現在においては人権の尊重ということが国際的な理念になっている、そういうことで要望していくということは可能だと思います。そういう点から、日本国政府が、樺太に残されているところの韓国人の人あるいは朝鮮民主主義人民共和国におけるところの日本人妻について問題があれば、積極的に救援の行動をとるということは期待されるというふうに思います。
#38
○和田春生君 大変B規約の四十一条の問題に重点を置いてお話になっているわけですけれども、その論理を進めていきますと、国連に加盟していない、B規約の四十一条あるいは議定書、こういうものを承認していないというところについては手がかりがないということになりはしませんでしょうか。もし北朝鮮が国連に入っていない、人権規約に署名をしていないということであるならば、韓国も同様なんですね。
 そこで、私は、韓国の場合の金大中事件が政治的外交的に問題になるというのは当然だと言っているんですよ、それは。人権上問題にするのなら、北朝鮮の日本人妻の問題がもっと大きな問題じゃないだろうか、韓国の抑留されている、樺太における人々の方がもっと大きな問題じゃないだろうか、それについてどうお考えになっているかということをお伺いしたんです。
#39
○参考人(宮崎繁樹君) 二つのことが含まれていると思います。
 ソビエトについて申しますと、これは国際人権規約に入っておりますから、国際人権規約に基づいて人権を尊重するという義務は負っているわけです。だから人権委員会に提訴しなくても、ソビエトよ、人権を尊重するという態度で処遇せよということを言って一向構わないと思います。
 それから、条約論から言えば、条約に基づくところの義務というものは、これは条約に入らなければ当事国として負わないということは先生御指摘のとおりでございますけれども、人権の尊重ということについてはやはり国際的なもうすでに通念になってきている。これは国連憲章について先ほど申しましたけれども、もう五十五条、五十六条から人権を尊重すべきという一般的な義務は負わされている、そういう考え方と、加盟国でない国に対しても国連憲章の原則というものを推し広めていこうという考え方を示している。そういう点から言うならば、日本が韓国についても、朝鮮民主主義人民共和国についても、人権について要請をしていくということは私は同様に可能であるし、すべきであると思います。
 ただ、金大中事件の方が軽いではないかというふうに先生もしお考えでしたら、金大中事件は明らかに日本の国内におけるところの人権侵害が行われたということで、より日本にとっては密接であるということを考えなければならないと思います。もちろん北朝鮮との関係におきましては、韓国と違いまして正式の国交が開かれておりません。そういうむずかしい点はございますけれども、どちらを軽くしどちらを重くするということではなくて、ともに人権が世界において実現できるように、国交がある場合には国交を通じ、国交がない場合でも民間ベースを通じてそれを実現していくという努力が期待されるというふうに思うのであります。
#40
○和田春生君 それでは、次に、久保田参考人にお伺いしたいと思うんですが、先ほど大変貴重な御意見を伺いまして、実は私も国際労働関係で長いこと仕事をしておったもんですから、ILOの条約関係についても、批准をしていながら、国内ではまるで違ったことをやって徹底的に組合を弾圧しているという国がたくさんあることを承知しております。そういう点では、日本はどうもばか正直というのか、律儀過ぎるといいますのか、ILOの関係、また今度の人権規約についてもそうでありますけれども、たとえば労働組合並びに労働運動の自由については、世界で最高レベルに日本では認められていると私は実態を通して感じているわけですね。ところが、もう全然そういうことを守っていない国が国際会議の舞台に行きますと、日本を名指しで得々と批判の大弁説をふるう、そのお国へ行ってみればまるで実態が違う、たくさんあるわけなんです。
 そういたしますと、この人権規約というものは、久保田先生のおっしゃるように一つのラインではなくて、そこへみんなが努力しよう、こういう一つの目標であるというお話でございまして、私もそういうふうに受けとめたいと思うんですけれども、いま申し上げたような実態がかなり存在している。人権規約についてもここに署名しておりながら、中身においてはまるで違ったことをやっている。それに対して批判がましいことを言うと、必ず返ってくる答えは内政干渉であると言うんですね。そういう面を国際的に今後どういうふうに、規制をしていくといいますか、あるいはいい方向に向けて進めていくべきか。これは政治的外交的な問題もあると思いますが、国連等にしばしば参加をされまして議論をされたお立場で、もし私どもの参考になる御意見があれば、お聞かせいただきたいと思います。
#41
○参考人(久保田きぬ子君) 私は、実は、制度をやっている人間でございますけれども、制度は結局人であるというのが私の結論でございまして、いかにりっぱな制度ができましても、それを運営する人が変わらなければどうにもならないことでございます。
 私のような者には何にもいい知恵はございませんけれども、やはり国連の場というようなもの、あるいはILOの総会の場というようなもので、こういうふうにやっているんだということを積極的に表明していく。そういう意思表示の一つといたしまして、人権規約も批准をするというようなことが一つの貢献する、日本の意思を示す、あるいは実態を示す道ではないか。ともに大変大きな目標に向かっていく努力を絶えず続けていくということよりほかにはないんではないだろうか。そういう意味では、私は、国連の場とか、あるいはILOの場、その他いろいろ専門機関の場、このごろは大変しばしばいろんなところにいろんな会合がございますのに、できるだけ日本が積極的に参加して、積極的に貢献をいたしまして、全世界的なレベルを焦ることなく上げていく、それよりほかには道がないんではないだろうかという気がいたします。
 それだけでございますが、ただ一点、先ほどからの四十一条の問題あるいは議定書の問題で、ヨーロッパ人権規約の人権裁判所の問題についてでございますが、この機会をかりて一言申し上げたいと思います。
 まさにこの問題だと思う。ヨーロッパ人権規約の協定締約国と人権規約の締約国との間には、社会的な基盤の共通性というものがほとんどないと思うんです。ヨーロッパの場合には、あれだけ、そしてそれも五一年にできましてやがて二十年の歳月をかけてやっております、この点をお見逃しになりませんように。いまの段階は、これを批准いたしまして、それからあと国際社会のレベルを上げていくことに日本政府、日本国民が全精力を挙げなければならないんではないかというのが私の感想でございます。
#42
○田英夫君 お二人の参考人の貴重な御意見ありがとうございました。
 この国際人権規約の審議を通じて一言私の感想を申し上げますと、いままでは資本主義か社会主義かというようなイデオロギーが政治の一つの大きな問題点でありバロメーターであったと思いますが、まさに今後は人権というような問題が、国際人権規約に集約されているような考え方というのが人類にとっての政治の大きな柱になっていくんだと。いままで資本主義が保守で社会主義が革新だという言葉で私どもは政治を区別してまいりましたが、国際人権規約に盛られているような考え方に対して積極的な考えを持つか持たないか、これで保守か革新かという言葉を使うべきではないかという気持ちさえ実はしているわけでありますが、そういう中で実は御質問したいことがたくさんあります。たとえば先日のアメリカの情報自由化法に基づく動きがありましたが、この問題も日本にとって一つ重要なテーマだろうと思いますし、あるいは政治亡命の問題というようなことも関連をしてくると思いますが、きょうは、ひとつ宮崎先生に問題をしぼってお尋ねをしたいと思います。
 それは、先ほど先生は、この条約を批准した結果、今後どういうことが起こるか、起こるべきかということをおっしゃいましたが、私も、そういう意味で日本には六十万人の在日朝鮮人、韓国人の皆さんがおられる。この皆さんは戦前そして戦争中にいわゆる強制労働を主なる目的に強制的に連行されてきた方が非常に多いという、そういう歴史的な事実を踏まえて考えたときに、国際人権規約を批准した以後、現在のような取り扱いをしていていいかどうかということに私は非常な疑問を持つわけであります。
 たとえば朝鮮国籍と韓国国籍という分け方は、これは残念ながら現在朝鮮が南北に分断されている、その一方を日本が承認をしているという中で、政治的にある意味ではやむを得ないことかもしれませんが、人権という立場からすると、重大な問題ではないかという気がいたします。こういうことを含めて在日朝鮮人、韓国人の取り扱いという点について、宮崎先生は、この批准後どういうことが起こるべきなのか、こういう点で御意見を伺いたいと思います。
#43
○参考人(宮崎繁樹君) 大変感銘深い田先生のお話を承りまして、心強いのでありますけれども、冒頭におっしゃいましたように、私は、資本主義か社会主義かということは実は余り問題にならないのである、これはもう一つの経済的な仕組みの中の一手段にすぎない。ところが、一番大きいのはやっぱり人権を尊重するか、人間を人間らしく取り扱う政府であり政治であり国家であるか、そうでないかということの方がより大きな基準であるというふうに考えておりまして、これはもう田先生がおっしゃることに非常に強い感銘を受けるわけであります。
 そういうようなことから考えて、在日朝鮮人、韓国人の取り扱いをどういうふうに見るかということでございますけれども、私は、やはりこの点が日本において本当に人権というものに日本人が目覚めるかどうか、日本政府が人権を尊重する政府であり、国になり得るかどうかという基準になると思うのであります。
 この点につきましては、具体的にどうなるかということでございますけれども、先ほど申し述べました日本人と外国人との取り扱いの違いということをるる申し述べましたけれども、それらのことがいずれも実は一番多い在日外国人であるところの六十万の在日韓国人、朝鮮人についての差別の問題であります。ですから、簡単に言えば、それらのことが解消されていくということでございますけれども、たとえば社会保障の問題あるいは住宅金融公庫・国民金融公庫の違いの問題、年金の問題あるいは子弟についての無償教育の問題、外国人学校法の問題、国立学校についての外国人教員の問題、それらのことがすべて関係してくるのであります。これらの問題を解決していくということによって、実は、この国際人権規約の意義というのが日本において強く実現していくというように考えますので、さらに細部の点もあると思いますけれども、時間もありますから、これでお答えとさしていただきます。
#44
○田英夫君 具体的にひとつ、在日韓国人の方々の日本に在留をする在留の仕方について区別がある。これは他の外国人の方に比べて区別があるのは、先ほど冒頭申し上げたような歴史的ないきさつからして私は当然だろうというふうに思うわけですね。むしろ非常に配慮しなければならないんですが、その中に今度は朝鮮籍の方と韓国籍の間に区別がある。そのまた韓国籍の中に永住権の問題というような点で区別がある。こういうことは法的に許されていくべきなのかどうか、許されていていいのかどうかという点、これはいかがでしょう。
#45
○参考人(宮崎繁樹君) これは許されているかどうかということでございますと、法的には現在のところ許されているということになると思います。
 国際人権規約につきましても、外国人の入国に関しましては権利というふうにされていないわけでございまして、それは各国の領土主権に基づくところのいわば裁量にゆだねるということが一般的でございますし、国際人権規約も実はその壁を突き破ることはできなかったというふうに考えられますが、国際人権規約の精神から申しますと、先生がおっしゃいますように、そういう差別的な待遇ということは間違っているわけでございますし、国際人権規約も、この基準は最低限でございまして、これ以上のことを各国内で実行するということはむしろ歓迎しているわけであります。
 そういう点から申しますと、歴史的に非常に密接な関係にあります在日朝鮮人、韓国人の人たちに対して、その人権が十分に保障されるように、先生がおっしゃいますように、在留について有利な待遇を保障するということが国内法の処置としては望ましい、そういうふうに私も思います。
#46
○田英夫君 いま具体的に起こっている問題で、いわゆる韓民統と言われる組織があります。韓国民主回復統一促進国民会議ですか、通称韓民統と言っておりますが、一言で言えば金大中さんを支援している在日韓国人の皆さんの組織でありますが、この方々に西ドイツから招請状が来ております。社会民主党のブラント党首から六人の名前を挙げて招請状が来ているんでありますが、ところが、この方々は朴政権に反対をしている立場のために朴政権のパスポートを持っていない、期限が切れてもう持っていないわけであります。したがって日本から出国をし再入国することができない。
 この方々はもう日本にずっと永住をしている人たちですから、日本に帰ってくるのが当然のことと思いますけれども、それができない。目下、法務省と交渉をしている段階でありますが、西ドイツ側は、当然、与党の党首が招いているわけでありますから、西ドイツ政府としても歓迎の態勢をとっているわけであります。日本政府側が再入国を認めないから出ていけないという。国際的には非常に手続がむずかしい。パスポートがないために出られないという。国際赤十字にそうした意味の救済の制度もあるということで、そこにも連絡をとっているわけでありますが、必ずしも円滑に機能してくれない、こういう事態がいま起こっているわけです。
 これは多分に政治的な問題を含んでいるんで、国際人権規約を批准したからといって解決できる問題ではないことは当然でありますけれども、精神からすれば、こういう問題をどうしたら人権の立場から――つまり人間がどこへでも自由に旅行できるということは、この精神からしても、特にAB両条約の第二条第2項という規定からしても当然のことだと思うんですけれども、これをどう取り扱ったらいいのかですね、御意見をお聞かせいただきたいと思います。
#47
○参考人(宮崎繁樹君) 御指摘の点を国際人権規約との関係で見てみますと、B規約十二条の関連になると思います。その第2項に「すべての者は、いずれの国からも自由に離れることができる。」第4項で「何人も、自国に戻る権利を恣意的に奪われない。」そういうふうにございます。ですから、日本を離れるということの自由ということはあるわけでございます、保障しなければならない。
 ところが、自国に戻る権利というものは、これはどういうものであろうかと考えますと、条文的に申しますと、本籍のある国、国籍のある国が自国であるから韓国に戻ればいいじゃないか、日本に戻るということは自国に当たらないというふうにあるいは政府当局はお考えかもしれません。しかし、この自国に戻る権利というのはどういうものであろうかというふうに考え、さらに国籍ということを考えてみますと、国籍の考え方につきましては、日本のように戸籍主義をとっているところと、それからドミサイル、定住所地を国籍の基準とするというところとあるわけであります。そういう定住所地を国籍の基準というふうに考えますと、在日韓国人の人たちはその生活の本拠が日本にあり、家族も日本におり、取引先も日本にある。つまり日本に根づいているわけであります。そういうところに戻るということの方が自国に戻る権利ということに近いのではないか。形式的な一片の戸籍簿に載っているということよりははるかにそのことの方が人権的に見た場合に保障されるべきである、そういうふうに考えられるわけであります。
 国籍の概念につきましても、実は、国により本当は多様なのであります。そういうことを考えますと、先生御指摘のように、B規約十二条4項の精神というものは、まさに在日韓国人のその人たちが出国するに当たって再入国を保障し、自由に外国にも行けるようにするということのためにも必要ではないかというふうに思います。
 法律というのは、厳格な条文の解釈ということもございますけれども、先ほども申し述べましたように、これは最低限でございまして、それ以上に各国が人権を保障するということは期待されることでございますから、日本の政府も、国会では、人道的な精神に基づいて処遇するということをいろんな場合に言っておられますけれども、先生御指摘の問題についても、そういう点からぜひ実現するように世論を高めていく必要もあると思いますし、参議院におかれましても、政府の方に要望されるということが期待されるところであると思います。
#48
○田英夫君 大変貴重な御意見を伺わせていただいたんですけれども、私ども、とかく、日本では法律というものは政府が国会に提案をいたしまして、私どもがそれを審議して成立をさせていくという、本来の立法府と行政府というものがやや転倒しているのではないかということを常に反省しているわけでありますが、お二人のお話を伺いながら、国際人権規約というものを批准しながら、行政府にそれに伴う国内法の改正なり新設というものを任せておいていいかどうかという点は改めて非常に疑問を持っているわけです。むしろ国会の中に国際人権規約の批准に伴っていかに法を整備すべきかという特別委員会を置くというようなことすら必要ではないかと個人的には思うわけでありまして、きょうは、そういう意味からも大変貴重な御意見を伺わせていただきまして、ありがとうございました。
#49
○委員長(菅野儀作君) 以上で午前中の参考人に対する質疑は終わりました。
 参考人の皆様に一言御礼のごあいさつを申し上げます。
 本日は、お忙しい中を本委員会の審査のため貴重な時間をお割きいただきまして、まことにありがとうございました。ただいまお述べいただきました御意見等につきましては、今後の本委員会の審査に十分に活用させていただく所存でございます。委員会を代表して厚く御礼を申し上げます。
 午後一時まで休憩いたします。
   午後零時二十分休憩
     ―――――・―――――
   午後一時六分開会
#50
○委員長(菅野儀作君) ただいまから外務委員会を再開いたします。
 休憩前に引き続き経済的、社会的及び文化的権利に関する国際規約の締結について承認を求めるの件及び市民的及び政治的権利に関する国際規約の締結について承認を求めるの件を便宜一括して議題とし、参考人から意見を聴取いたします。
 この際、参考人の皆様に一言ごあいさつ申し上げます。
 本日は、御多用のところ本委員会に御出席いただきまして大変ありがとうございました。本日は、両件につきまして参考人の皆様から忌憚のない御意見を拝聴し、今後の審査の参考にいたしたいと存じております。
 これより参考人の方々に御意見をお述べ願うのでございますが、議事の進行上、お一人十五分程度でそれぞれ御意見をお述べいただいた後、委員の質疑にお答えいただくことといたしておりますので、よろしくお願い申し上げます。
 それでは、まず永石参考人にお願いいたします。
#51
○参考人(永石泰子君) 私は、国際人権規約締結のための本委員会での御審議に際しまして、国籍の問題について意見の陳述をいたしたいと思います。
 国籍の問題を取り上げましたのは、たまたま私が弁護士として取り扱うようになったケースを通じまして国籍の得喪という問題、わが国が国籍権を国民の固有の権利として把握していないのではないかという疑念を持ったからであります。今回の国際人権規約の中にもうたわれております基本的人権とか両性の本質的平等、国籍権尊重の精神、そういったものに沿ってぜひ国籍関係法規の立法整備をしていただきたいと思うからでございます。
 問題を二つ持ってまいりました。まず、第一の問題から申し上げます。
 これは現行国籍法の規定でございます。国籍法の二条一号という規定をごらんになっていただければおわかりと思いますが、婚姻中に産まれた子の国籍につきましては、その父が日本人であるということを国籍取得の要件として、いわゆるこれを父系優先血統主義と申しておりますが、その立場をとっておりまして、母系を父系に劣後させるというふうにしております。これは生まれた子供の国籍取得の権利を、父母、つまり第三者の性によって差別をしているというふうなもので、憲法十四条に違反しているというふうに考えられます。
 さらに、国籍の現実生活面における機能というところに焦点を当てました場合に、人間というのは、大体、夫婦、親子、兄弟姉妹というふうな身分関係で家庭というものをつくります。その家庭という単位の集団が日本社会をつくり上げるわけですが、そういうふうなことを考えますと、日本人父とその子については無条件に日本人としての家族関係を承認する、しかし、日本人の母とその子についてはそれを否定するというふうな結果を招きますので、これは家族の具体的な身分関係に関して、個人の尊厳と両性の本質的平等を定めた憲法二十四条にも反するのではないかというふうに考えます。
 日本に住む日本人妻を持つ国際結婚の夫婦は、子供を日本人とするために内縁関係のままで子供を非嫡出子として産む、その場合には父が知れない場合というふうになりまして、母の国籍を取得することができますので、そういうような方法をとって子供に日本国籍を取得させるというふうなことを現実にやっているというふうに聞いております。
 また、直接には父系優先の問題から外れるかもしれませんが、国籍法五条、六条という規定をごらんいただきますと、日本国民たる女性の外国人夫に対する帰化要件と、日本国民たる男性の外国人妻に対する帰化要件というのを差別しております。これも外国人の配偶者を持つ女性と、外国人の配偶者を持つ男性とを性により差別しているというふうに言えると思います。この日本人夫とその外国人妻については非常に容易に日本人として受け入れ、これを家族関係として認める。しかしながら、日本人妻とその外国人夫に対しては帰化要件を厳しくして日本人としての家族関係を容易に認めないというふうな結果となりますので、やはり憲法二十四条に違反するのではないかというふうに考えられるわけでございます。
 これらの差別規定は、本件国際人権規約AB両規約にございます第三条とか、あるいはB規約の第二十六条に反し、また、B規約二十三条1項の趣旨にももとるものではないかと考えるわけでございます。
 父系優先血統主義というのは、重国籍防止のためにやむを得ないという考え方がございます。しかし、これはそのような法技術から生まれたものではございません。沿革的にはこれははっきりと家父長制の名残でありますし、理念的にも男子中心家族主義のあらわれと言えます。父系優先血統主義というのは、家族のすべてが父の所属する国家の共同体に所属すべきであるという家父長制的な封建思想に根づいているもので、妻とか子供が父に生存の基礎をゆだねるというふうな歴史の上に成立してきたものでございます。しかしながら、家族のあり方というのは非常に変わってまいりました。それから夫と妻とは家族構成員として平等な立場で責任を分担しているという意識も強まっておりますし、また、現実面でもそのようになってきております。外国人の夫と婚姻しても、夫の国に居住して夫の国に同化するという生活ばかりではなく、妻の国で居住するという例もありますし、さらには海外で、つまり夫婦いずれの国でもない国で生活するという夫婦も非常に多くなってくることも考えられます。ましてわが国は、終戦後、家制度というものを廃止しまして、昭和二十五年七月一日、夫婦国籍独立主義、つまり結婚しても妻は国籍の異動を生じないという、そういう立場をとる国籍法を施行いたしました。この制度のもとにおきましては、この父系優先血統主義というのは理念的にもその根拠を失ったというふうに言われております。
 もっとも、長い間、夫婦の国籍同一主義、つまり妻の国籍は婚姻によって夫の国籍の方へ吸収されるというふうな考え方のもとにありました国の中には、夫婦国籍独立主義というものを採用した後でも、やはり父系優先血統主義を残していた国は少なからずございました。しかし、人権思想や両性平等の思想の観点から、その理念に反するではないかとして改正が行われております。主な国を申し上げますと、たとえばフランス、これは一九七三年に民法の妻の地位に関する規定の改正とともに、両性平等の見地から改正したというふうに言われております。また、ドイツは一九七四年に、これはそれまで採用していた父系優先血統主義は憲法違反であるという憲法裁判所の判決が出まして、その趣旨にのっとって改正されました。また、スイスも一九七八年に改正され、いずれも父母平等血統主義に変わっております。父母平等血統主義の採用というのは民主制国家の趨勢ではないか、現在、世界における趨勢というふうに言ってよいと思われます。
 なお、法務省の見解によりますと、父母平等血統主義の採用は重国籍を招くから、それを防止するために、やはり父系優先血統主義はなお合理性があるのだというふうなことを言われているんですが、しかし、国籍立法には、この血統主義という考え方と生地主義、つまり産まれた場所でその国籍を取得するという、そういう立法趣旨と二つが対立しておりますので、この重国籍の発生ということは避けることができません。現に、わが国の国籍法の九条というのも重国籍を承認している規定でございます。また、世界の中で数多くある血統主義に立つ国でも、先ほど申しましたように、次第に父母平等血統主義をとる国がふえてきますと、日本が父系優先を非常に固執しておりましても、重国籍の発生を防ぐことはできないのでございます。結局、世界の統一国籍法というのでもできない限りは、重国籍の発生はある程度やむを得ないということでございます。さらに、出生子の国籍をいずれか一つに選択させるという方法をとりますれば、この重国籍防止というのを法技術的にはできると考えられます。これらのことを考えますと、基本的人権とか面性平等の原則を曲げてまで父系優先血統主義を貫き通さなきゃならないという合理性はないし、むしろ的外れではないかというふうに考えるわけでございます。
 で問題となることは、無国籍者の発生をどうするかということでございます。国際社会におきましては、人はいずれかの国に所属すべきであるということが当然の要請になっております。世界人権宣言の十五条の1項にも「すべて人は、国籍をもつ権利を有する。」と決めてありますし、児童権利宣言というのも第三条に「児童はその出生のときから姓名及び国籍を有する。」と決めております。また、今回の国際人権規約、B規約の二十四条3「すべての児童は、国籍を取得する権利を有する。」と定めておりますのも、無国籍者の存在が人権上ゆゆしい問題であるというふうな観点から、その発生防止に国家が努力すべきことを求めているわけでございます。ところが、現行の国籍法は無国籍者の発生の防止ということを考慮した規定を全く欠いております。日本人母から産まれて日本に居住する子供でも無国籍者となる場合があるということについては、事実上、放置しているという現状でございます。
 ところで、これはアメリカとの関係でございますが、一九五二年、アメリカ合衆国の移民及び国籍法という規定がございまして、この規定によりますと「合衆国人父が国外で外国人女性と婚姻した場合、その子がアメリカ国籍を取得するためには、父が通算十年以上米国内に居住し、そのうち五年間は十四歳から継続していることを要する。」というふうになっております。この規定のために、この条件を満たさない米国人の父と日本人母とが日本国内で婚姻生活中に子供を産みました場合に、その子は無国籍者となるわけでございます。
 私が現在代理人として訴訟を起こしておりますケースも、父が米国籍は持っておりますが、日本での居住歴がほとんどでございますために、この法律によって子供は無国籍とされております。沖繩県のことでございますが、特に沖繩の場合には、現在非常に米基地というのが残っております関係上、ここに勤めている米国人と婚姻した日本人女性の生んだ子供が父の国籍を取ることができずに無国籍となるケースが多い。法務省の調査によりますと、このようなケースでの沖繩県での無国籍児は八十名ぐらいいるということで、児童の人権上見逃せないというふうなことになっております。さらに、現在は米国籍を持っている児童でも、先ほどの移民及び国籍法という規定によりますと、満十四歳から二十八歳までの間に継続した二年間を米国内で居住しないと、原則として米国籍を失うというふうにされておりますので、これまた無国籍者の予備軍とも言えるわけです。昭和四十八年九月現在の外人登録によると、この該当者というのが三千九百十三名であるというふうな資料がございます。
 私が扱っておりますもう一つの事件は、米国人の父が日本に永住する気持ちを持っておりまして、子供は一応先ほどの米国の条件にかなって米国籍を取得しましたけれども、米国へ居住するといち条件を満たさない場合には将来あるいは無国籍になるというおそれもあるわけでございます。米国籍を持っているというふうに申しましたけれども、この子供たちは日本人を母とし、日本で産まれ、日本に住み、日本語の教育を受けているわけでございますが、特に沖繩などの米国軍人家庭の場合は、この父母が何らかの事情で別居したり、あるいは離婚したりして母子家庭となっている場合が非常に多い。で、その子供は全く名目だけの米国人というふうな状態になっているわけです。このような母子家庭の子供が将来自分の国籍を留保するために米本国へ居住して、その要件を満たさなければならないのだということを知っている者が非常に少ない、あるいは知っていても、経済的にそれをし得ないという問題もあるわけでございます。
 それから二番目の問題に移らせていただきます。
 これは昭和二十七年四月十九日、法務府民事甲四三八号という通達で「平和条約の発効に伴う朝鮮人、台湾人等に関する国籍及び戸籍事務の処理について」と題する民事局長の通達でございます。この通達は、言うなれば、民族的な意味での朝鮮人、台湾人は内地に住む者も含めてすべてサンフランシスコ平和条約の発効とともに日本国籍を失う。それからさらに、もと内地人であった者でも、条約発効前に朝鮮人または台湾人と結婚したり、あるいは養子縁組などをして、その身分行為などによって内地の戸籍から除籍せられるべき事由の生じた者は、朝鮮人または台湾人であって、条約発効とともに日本の国籍を喪失するというふうなものでございます。で、この通達によりまして、実務上は、血統的な意味での朝鮮人、台湾人及びその者と婚姻、養子縁組などによって、内地人であったけれども内地の戸籍から除籍されるべき事由の生じた者は朝鮮人や台湾人であるとして日本の国籍を失うというふうにして扱われております。この後者につきましては、共通法の三条一項というのを基礎にしておるのでございます。この共通法三条一項というのは「一ノ地域ノ法令ニ依リ其ノ地域ノ家ニ入ル者ハ他ノ地域ノ家ヲ去ル」という規定なんでございます。
 この通達に関しましては、当初から法律上いろんな問題があるとしまして、学者の間にも議論が多いし、今日非常に有力な学説が有効性を疑問視しております。この法律上の問題につきましては細かく立ち入る余裕がございませんので省略さしていただきます。
 私がたまたま扱うようになりました事案というのは、戦前、十歳ぐらいのときに内地に来住した朝鮮人と昭和二十二年七月二十五日に婚姻届が出されて、そして自分の戸籍を消失されたという日本人の女性の問題でございます。
 この女性は十七歳のときに、父の独断によりまして、ヤミブローカーをしていた朝鮮人と一緒にさせられまして、昭和三十一年五月末日、一応事実上離婚をして、それで次に日本人の男性と内縁関係に入りました。それで子供も産まれるというふうなことになりまして、婚姻届を出そうと思って自分の戸籍を取り寄せたところ、戸籍が除籍されていたというふうなことがわかって、本人はどういうわけでそうなったかわからないということでいろいろ聞き歩いた結果、これは自分は日本国籍はないのだというふうなことを初めてわかったということで、何とか戸籍をつくろうと思いまして実に二十年余り奔走しました。しかし、現在なおその婦人と、その日本人の内縁の夫との間に産まれた二人の子供は戸籍がございません。そして法務省のその通達によりますと、結局、三人とも韓国籍にあるということになるわけでございます。
 法務省では、このような境遇にある女性とその子については、帰化手続をするほかないのだというふうなことを言っておりまして、この女性の場合も司法書士に依頼しまして帰化手続というのを進めておりましたが、そう簡単にできるものじゃございませんで、いろいろ数年を費やしているうちに、その手がけてくれた司法書士が亡くなってしまって、ついに手続未了というふうに終わりまして、私が、昨年、その事件の相談を受けましていろいろ調査しましたところ、韓国人の本籍がはっきりしていないというふうなこととか、それから、この人は昭和四十年二月三日に死亡しているというふうなこともわかりました。
 法務省の通達に対する見解ですと、平和条約の発効までは朝鮮人、台湾人はなお日本人である、平和条約の発効とともに日本は朝鮮半島や台湾の領有権を失ったから、その土地に属すべき人は日本国籍を失ったというのでありまして、そのいずれの土地に属すべきかというのを戸籍の所在によって決定したのでございます。しかし、もし法務省の言うように、たとえ理論上にせよ平和条約発効までは朝鮮は日本の一部であり、朝鮮人は日本人なのだという考え方で処理を考えるならば、戦前、日本の植民地時代に施行されていた共通法というのは日本国憲法が施行されたもとでどんな効力を持つべきかということを頭に浮かべないで適用するということは、非常に片手落ちではないかというふうな気がします。
 共通法三条一項は、朝鮮人の家に入る婚姻をした結果、日本人の女が内地の家を去る。だから朝鮮の家に入ったから日本人ではなくなったのだというふうなことでございます。法務省は、共通法というのを、便宜、朝鮮や台湾と日本との間の準国籍法規というふうに見て処理したのだというふうに言われるのですが、戦前の家制度とか植民地時代の考えに立った法律を根拠とするというのは、憲法の精神を全く無視したものと言わざるを得ません。
 現在、その戸籍のない親子三名でございますけれども、帰化手続をせよと盛んに言われますけれども、二番目の子供は、不幸せにもゼロ歳のときに受けましたほうそうの予防接種によって現在重度心身障害者になっております。こういう場合には、本人が十五歳未満ですとともかく、現在二十歳になりましたので、全然帰化能力なしということで帰化ができません。そうなりますと、血統上全く、あるいは地縁的にも朝鮮と関係のない人が韓国人であるというふうな扱いを受けたまま、この日本で戸籍もなしに生きていかなければならないということになるわけでございます。
 以上、私がたまたま扱ったケースについて申し上げましたので、焦点を日本人女性というところに当てて述べましたけれども、結論として申し上げたいことは、民族的な意味での朝鮮人、台湾人も含めまして、民事局長通達というような一行政機関の通達をもちまして個人の国籍を一方的に取ってしまうというふうなことは、憲法十条の「日本国民たる要件は、法律でこれを定める。」という、それに反しているではないか。さらに平和条約の前文を読みますと、日本国としては、あらゆる場合に国際連合憲章の原則を遵守し、世界人権宣言の目的を実現するために努力する意思を宣言するというふうなごとを言っております。世界人権宣言の十五条の1項は、先ほど申しましたように「人はすべて、国籍をもつ権利を有する。」第2項は「何人も、専断的にその国籍を奪われ」ないというふうに書いてございます。この規定にも反します。かつ、従来の国際慣例とか、あるいはわが国の過去においてとってきた実際上の措置にも例を見ないことでございます。少なくとも領土変更に伴う住民の国籍の変更につきましては、当該相手国との条約をもとにした立法措置が必要であるということ、さらに国籍の変動を生ずるであろうような関係者に対しましては、国籍選択の機会を与えるべきであるというふうなことでございます。
 今回の国際人権規約につきましては、ぜひ一日も早く締結していただきたいと思いますが、それに当たりまして、このような通達が既成のものとされてしまうことは、せっかくの批准の趣旨にももとるものとも思われます。決してこれは済んでしまったことではございません。これらの人たちに対します国籍回復の道を開く立法措置も、国籍関係法規の整備とともに、とっていただきたいと思うものでございます。
 簡単でございますが、述べさしていただきました。
#52
○委員長(菅野儀作君) ありがとうございました。
 次に、上杉参考人にお願いいたします。
#53
○参考人(上杉佐一郎君) 私は、永年にわたって深刻な差別を受けてきた六千部落、三百万の兄弟姉妹の強い願望を代表して、国際人権規約の批准と具体化を願って意見を述べたいと思います。
 周知のように、部落差別は、織豊政権から徳川幕府の確立期に、人民大衆を分裂支配するために政治的につくられた身分差別に端を発しています。私たちの先祖は封建社会において言語に絶する差別を受けてきました。一八七一年に太政官布告第六一号、いわゆる解放令によって形式的に差別の廃止の方向が打ち出されました。しかしながら、永年にわたる身分差別を払拭するための経済的な保障や積極的な教育がなされませんでした。それだけではなく、新たな身分差別がつくり出されて、反動的な政治経済体制が確立されていく中で、部落差別はなくなるどころか、国民を分裂させる道具として引き続き今日まで利用されていることになります。
 一九二二年、われわれの先輩は全国水平社を創立し「人の世に熱あれ、人間に光あれ」と叫んで、部落差別を初め一切の差別撤廃に向けて果敢な闘いを進め、幾多の成果を上げてきたのであります。しかしながら、その努力も太平洋戦争の勃発の中で押しつぶされてしまいました。一九四五年、わが国は敗戦し、内外の平和と民主主義を希求する人々の努力によって新憲法が制定され、平和と基本的人権の擁護が高らかにうたわれ、第十四条に「すべて国民は、法の下に平等であって、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。」と定められ、部落差別の撤廃が盛り込まれたのであります。憲法の中に規定されたとはいえ、これまた永年にわたる深刻な差別を撤廃するに足る経済的な裏づけなり、積極的な教育が実施されなかったため、部落差別はなくなるどころか、敗戦の混乱の中できわめて劣悪なる状況に放置されたのであります。
 こうした中で、一九五七年、国策樹立請願運動を提起し、数次にわたる全国大行進などを行う中で、一九六五年に同和対策上審議会答申をかち取ったのであります。答申の前文では「いうまでもなく同和問題は人類普遍の原理である人間の自由と平等に関する問題であり、日本国憲法によって保障された基本的人権にかかわる課題である。したがって、審議会はこれを未解決に放置することは断じて許されないことであり、その早急な解決こそ国の責務であり、同時に国民的課題である」と指摘し、一九六九年に十カ年の時限立法として同和対策事業特別措置法が制定されたのであります。
 この十年間、環境改善を中心に若干の前進を見たというものの、部落地名総鑑なる悪質な差別図書の続出という事態が証明しておるように、部落差別はなくなるどころか、ある面では厳しくなってきているという現状であります。こうした中で昨年末の第八十五回臨時国会で、現行の法の期間を三年間延長し、その間に実態を把握し、法の総合的改正及び運用の改善に取り組むことが附帯決議等によって定められたところでございます。こうした歴史的な経過と厳しい差別の現状の中で、私たちは、国際人権規約が部落問題の根本的な解決にとって大きく役立つものと強い期待を持って批准運動を今日まで進めてまいったところであります。
 私は、以上の立場に立って、以下五点にわたり具体的な関心を持っている事項について意見を述べたいと思うのであります。
 一つには、周知のように、同対審答申の中で、部落差別の解決に当たって、市民的権利の自由のうち、職業選択の自由、すなわち就職の機会均等が完全に保障されていないことが特に重大であると指摘しています。ところが、わが同盟や地方自治体の実施した調査によって、被差別部落における失業率は二〇%を超えており、勤労人口のうち五人に一人が仕事を求めているという深刻な実態がございます。また、現に仕事に従事している者の場合でも、労働省の発表によれば、臨時工、日雇い、失対で働く不安定労働者は一五%に達しており、全国平均の五%の三倍となっている現状であります。こうした労働面における差別の実態の抜本的な改善が部落問題の解決にとって決定的に重要な問題であります。
 経済的、社会的及び文化的権利に関する国際規約――以下A規約と略します――の第六条では「すべての者が自由に選択し又は承諾する労働によって生計を立てる機会を得る権利」を認めるとともに「着実な経済的、社会的及び文化的発展を実現し並びに完全かつ生産的な雇用を達成するための技術及び職業の指導及び訓練に関する計画、政策及び方法」をこの規約の締約国がとることを定めている点が大いに役立つものと思っております。また、七条の中に「すべての者が公正かつ良好な労働条件を享受する権利を有することを認める。」「労働者及びその家族のこの規約に適合する相応な生活」ができる報酬、「定期的な有給休暇並びに公の休日についての報酬」等の条項は、不安定な部落出身の労働者の地位向上に大きく役立つものと考えているのであります。
 二つ目に、部落問題の解決にとって、教育の問題はきわめて重要であると考えています。特に就職の機会の保障を実現するためには、教育の機会の均等が保障されることが前提となっていると思いますし、根強い差別意識を克服するためには教育の果たす役割りはきわめて大きなものがあります。
 ところが、最近、部落における進学率は一定高まってきたといいますけれども、高校進学率を例にとれば、全国平均が一九七七年で九三・一%であるのに、部落の場合には八二・六%にとどまっています。大学進学率になれば、一番高い水準を持っている大阪を例にとってみても、平均が四八・四%であるのに、部落では二五・二%で半分にとどまっている現状でございます。この点で、A規約の十三条で中等・高等教育の漸進的無償化を定めている点はきわめて重要な条項であることと考えておりますが、今回、この重要な条項が留保されている点は速やかに撤回されるよう強く求めるところであります。
 さらに、部落問題に関する認識の実態を調査しますと、差別意識の大半が家族や友人さらには隣人によって教えられており、学校の先生から正しく教えてもらったという人はわずか一〇%前後にとどまっているという現状であります。この点に関して、同じ十三条の1項で教育の内容に触れ、その根底に基本的人権の尊重を据えていますが、この精神を踏まえますと、学校教育は無論、社会教育等においても、部落問題の解決に役立つ積極的な教育が実施される必要が出てくると考えておるものであります。私たち部落の兄弟姉妹の中には、差別によって教育すら満足に受けることができなかった仲間が多い。さまざまな面で不利益をこうむっている状態であります。現在、東京高裁に対して再審を求めています狭山事件の石川一雄君もその一人であります。
 こうした点に関して、同じく十三条の2項の(d)では「基礎教育は、初等教育を受けなかった者又はその全課程を修了しなかった者のため、できる限り奨励され又は強化されること。」と規定してあり、各部落で夜間実施しております識字学級に対する国家的な保障がなされるものと期待を持っているところであります。なお、十三条では義務教育は無償と定められております。その中には、わが同盟が先頭に立って獲得したと確信をいたしております現在全国民に給与されている教科書の無償が含まれていると思うのでありますが、最近、私どもが聞き及ぶところによりますと、一部政府の中で教科書の無償化の見直しが検討されているということを伺うわけでありますが、人権規約の条項に照らすならば、このいう誤った考え方は許されるべきではないと私どもは考えているところでございます。
 三番目に、狭山事件との関係で意見を述べたいと思います。
 この狭山事件とは、一九六三年五月一日に埼玉県狭山市で起こった女子高校生殺しの犯人として、私たちの兄弟の石川君が被差別部落出身なるがゆえに見込み捜査を受け、別件で逮捕され拷問や甘言を加え、弁護人との正常な交通も遮断され、一審では死刑、二審では無期懲役、最高裁でも上告が認められず、現在、東京高裁に再審を求めて運動をしておる事件であります。
 私たちは、この問題をひとり石川君の問題としてとらえているのではございません。六千部落、三百万人部落民全体の問題として受けとめているものであります。そのことは日常的に学校や職場、地域社会において、物がなくなったり、事が起これば、予断と偏見の目で見られてきています。そしてたくさんの部落の若人たちが各地で事件があるごとに警察に引っ張られて、捜査を受け、そして間違っておったら済みませんでしたと言って帰される。こういう事件が年間に千件を下回らないというような人権じゅうりんが起こっておるからであります。だからこそ狭山の問題をこうした予断と偏見の象徴と受けとめて、十数年にわたって取り組みを続けてきたのであります。
 さらに、私たちは石川君の無実を訴えて取り組む中で、今日の司法権力のあり方にきわめて問題が多いことに気づいてまいりました。この点で、市民的及び政治的権利に関する国際規約――以下B規約と略します――の中で、九条で不当に逮捕されないことを定め、十条で被拘禁者に対する人道的待遇を規定しています。一四条で公正な裁判を詳しく規定しておりますことに強い関心を持っているものであります。この規約の批准とともに、国内での厳格な実施を求めているものであります。
 特に、現在、千葉刑務所に石川君がつながれています。面会は原則として月に一回、信書は原則として月に一通、月のうち二十五日近く働くわけでありますが、一月にもらえる償与金がわずか千五百円から千七百円であることは全く人道的待遇からかけ離れていると断ぜざるを得ません。このようなことでは、一たび罪を犯した人が社会人として復帰する何らの要素も確立されないという条件であるということを私たちは痛感をしておるわけであります。この規約の批准とともに、いまから七十一年も前につくられた監獄法の改正が私はなされなければならない。そういう非人道的な取り扱いを刑期を受けておる人たちが受けるというようなことは速やかに監獄法の改正がなされなければならないという点であります。
 第四番目に、「部落地名総鑑」差別図書販売事件の問題であります。
 この事件は一九七五年の末にわが同盟の手によって明らかにしたわけですが、今日までのところ、実に九種類もが作成され、購入企業は百五十三を超えているという実に深刻な事件です。これが作成され購入された動機の大半は、雇用や結婚において部落民を排除することを目的としたもので、全くもって許すことのできない悪質な事件であります。この事件が判明してからすでに三年半が経過しています。真相究明も遅々として、政府の方針は進みません。この間に新たな地名総鑑が次々に作成され購入されるといった、とどまるところを知らない実情にあるわけであります。かかる重大な差別事件であるにもかかわらず、抜本的な解決が全くなされていない原因には部落差別に対する厳しい認識が日本の政治の中に欠如しておるということを私たちは指摘せざるを得ないと思うのであります。
 法的な裏づけが不備であるという問題もあります。特に私たちは地名総鑑を作成して売って歩いたりするところの、それを使って差別調査をしている興信所、探偵社などが日本では何らの規制もなく野放しになっていることに強く憤りを感じているところです。しかし、B規約の十七条ではプライバシー、名誉及び信用の法的保護が定められておるのであり、この規定によって少なくとも野放しになっている興信所や探偵社の登録認可制が速やかに実施されなければならないと思っているところであります。
 次に、第五番目でありますが、ABの両規約とも、その第二条において、社会的出身も含めて「いかなる差別もなしに」この規約に規定されている権利が行使されることを締約国が保障することを定めています。この規定の中に、当然、部落差別も含まれていますが、部落差別の現実を見ますときに、環境面だけではなく、生活、労働、教育、人権のすべての分野において、いまだ深刻な差別の実態があります。その点で、この条約の精神を踏まえるならば、現行の特別措置法が環境改善を中心にした事業法にとどまっている点を総合的に改正して、すべての分野における部落差別が完全になくなるまで有効な「部落解放基本法」(仮称)を制定するべきであると思っています。
 この点について、同対協の前会長磯村英一教授は「三年後に迫った同和問題というものを改めて人権規約の視点からとらえ直し、部落解放基本法の制定に向けて取り組みを開始する必要があると存じます。国際人権規約の今国会での批准と、その国内での具体化である部落解放基本法の制定を強く要請いたします。」と述べられているところであります。
 私は、以上の観点から人権規約の今国会批准を強く求めるものでありますが、批准後の課題についても若干この機会に意見を述べさせていただきたいと存じます。
 一つは、画期的な内容を持つ人権規約の内容を、学校教育、社会教育、マスコミ等すべての手段を投入して、徹底的に普及、宣伝することがきわめて重要だと思います。人権規約の内容が多くの人々に知られ、人権意識が全般的に高まることによって初めて部落に対する差別意識を初め一切の差別意識が払拭されると思うからであります。
 二つ目には、批准した条項の即時具体化という問題であります。
 B規約に関しても、批准即実施が原則でありますから、監獄法の改正を初め、司法の民主化、興信所や探偵社に対する登録認可制を実施するなどによってプライバシーや名誉に対する法的保護などが速やかになされなければならないと思います。
 また、A規約についても、わが国は先進国でありますから到達目標を高い水準に設定し、短期間の年次計画の策定によって労働の権利、公正かつ有利な労働条件、教育の権利などを実現するとともに、部落問題の解決についても速やかに部落解放基本法を制定し、各分野ごとの年次計画が制定される必要があると思います。
 三つ目には、今回の批准に当たり留保された条項についてでありますが、私は、日本国憲法の精神からして、すべて留保等を撤回して、速やかにこれらについても批准することを求めるものであります。特に、部落差別の撤廃にとって直接的な関連を持つ公休日の報酬、中等・高等教育の漸進的無償化の条項は可及的速やかに批准をされるべきものであると思っておるものであります。
 四つ目の課題としては、人権規約の批准を皮切りに、就職差別を禁止したILO百十一号条約や、あらゆる形での人種差別撤廃に関する国際条約等の一連の人権条約を批准することを強く私どもは要求するものであります。
 五番目には、国際人権規約の規定する権利の広さ、さらには具体性、さらには不断の向上等の要素を考慮に入れるとき、私は、この際、人権擁護基本法をわが国の国内法として制定し、この法を実施していくための人権擁護推進委員会といった本格的な組織づくりが不可欠だと思っています。この点についても国会で真剣に論議をされ、前進的な措置がとられることを心から期待するものであります。
 最後に、わが部落解放同盟は、全国水平社の掲げた、先ほども申し上げました「人の世に熱あれ、人間に光あれ」という言葉、さらには前参議院議員でありました松本治一郎委員長が常に主張いたしておりました「不可侵、不可被侵」という言葉の精神に立脚して、国際人権規約の完全批准と即時具体化を、今後とも私どもも努力いたしますが、一日も早くその実現が達成されることを心から願って私の意見といたします。
#54
○委員長(菅野儀作君) ありがとうございました。
 次に、小川参考人にお願いいたします。
#55
○参考人(小川泰君) それでは私から総括的に意見を述べさしていただきます。
 いま前の上杉さんがしばしば同盟という言葉を使われたんで、私の方も労働組合の方の同盟でありますので、似たような言葉なんでその辺はうまく区別していただきたいなと冒頭お断り申し上げておきます。私も同盟という言葉がしばしば出るかもしれませんが、御理解をいただいておきたいと思います。
 言われております国連人権規約の問題について政府の説明書を読ましていただきますと、全体的に批准の方向ということで幾つかの留保条件、こういうことで御提示があるようでございますので、そういうものの取り扱いというものについて前段で申し上げてみたいと思います。
 まず一つには、私どもも、このA規約あるいはB規約と俗称言われておりまする社会権と自由権というものの基本的な立場に立つこの規約を批准するということは原則的に賛成であります。
 二番目に、これを批准いたしました日本において、この規約の趣旨をどのように実施、実行するかということは私は大変大切なことではないかというふうに思います。
 三番目には、そのために必要とする国内法の整備、改定というものをぜひ批准の後に努力をしていただきたいものだということを申し添えます。
 四番目には、そういうことを具体化していくために、できれば院におきまして恒常的な審議検討機関とでもいいましょうか、そういうものを設置されることが必要ではないか、そういう決定をぜひお願いを申し上げたいと思います。
 五番目に、この規約の文言条項に直截に触れる部分を挙げるわけにはまいりませんが、特にわが国のような立場にある場合に、難民問題、この問題について、この規約の批准とともに、別途、集中的に検討を行う委員会を設置していただいて、東京サミットのホスト役も務めるくらいに国力の高まった日本が対処すべき方針を早期に取りまとめる、こういうことが私はこれと一緒に必要ではないかと思います。昨今、難民条約の批准の意向が仄聞されておりまするけれども、できるだけ早目に具体的な条件整備ということに意を注いでいただくことを特段に私からお願い申し上げておきたいと思います。
 以上がこの規約全体を取り扱う問題、あるいはこれにかかわる日本としてここまで思いをいたし、具体的に実施をすべき課題ではないか、こういった点を含めて全体的に申し上げさしていただきました。
 大きな二番目として、この規約批准に当たりまして政府は幾つかの留保事項をつけております。いただきました資料を読ましていただきまして私なりに解釈を加えながら一つ一つについて意見を述べさしていただきたいと思います。
 まず第一の公の休日の報酬、これにつきまして一つの留保条件というものがついております。確かにこの規約はいまから十何年前につくられ、多くの国々のそれぞれの労働慣行とかあるいは給与のあり方とか、たくさんのばらつきの中で決められた最大公約数の公の休日の報酬という表現になっておろうかと思いまして、私ども労働組合といたしましても、国際的な組織を持っておりますので幾つか調べてもらいました。その国々によって大分これは違っておるということも事実であります。そこで、一体、ここで言う公の休日の報酬、これは何を意味するのかという多少不明確な問題がそこに存在することも承知いたしておりますので、むしろ私の方といたしましては、院の権威によって、できればこの辺の内容をすっきりとただしていただきたいなという気持ちすらも持っておる一人でございます。
 さはさりながら、だからといって、この問題を留保したままでよろしいかということになれば、私は、そうではない、この留保条項というものを留保としておくべきではないという意見を申し上げたいと思います。特段、日本のように月給という制度の賃金体系の場合には、その賃金決定の際のいろんな労使間の解釈、こういったものはありましょうが、おしなべて一月幾らと、こういう体系になっておりますが、そうでない日給の方あるいは臨時工の場合あるいはパートタイムの場合等等は、なかなかこれは不文律のままにおられますので、これを契機にしてそこら辺もひとつ整理するのも一つのきっかけではないか、こういうふうに考えておる一人でございます。どうぞひとつ、批准を前提にして国内的な取り扱いとして今後急いで整備すべきではないかというので、留保を撤回していただきたいという意見を第一に持っております。
 二番目に、同盟罷業をする権利、俗に言われるスト権、こういう問題でございまするが、現在、日本のこの種の問題にはスト規制法とか国家公務員法というふうな別のサイドで幾つかの規制や制限があることは事実であります。したがいまして、しばしばILO条約批准の問題等でこの問題が論議されることも御承知のとおりだと思いまするが、私どもの考え方といたしましては、いわゆる全日本労働総同盟、俗称同盟というものが主張しておりまする、いま検討の課題に上がっておる同盟罷業に関する、なかんずく公企体、公務員等のスト権の問題については、明確にみずからの規制において条件づきスト権というかっこうで、早急にこれを決定すべきだという意思表示を申し上げ、その条件とはこういうものだという対案をすでにお示し申し上げているとおりでございますので、そういう範囲内でこのスト権というものが設定されることはいささかも私どもは忌避いたしませんので、どうぞそういう意味合いでこのスト権という問題についても、留保条件というものは撤回なさるが賢明ではなかろうかというふうに思うわけでございます。
 なかんずく私ども同盟は、民間の組合を主体に組織しておりますが、特にこの中でも電気事業、ここにもいまついておりますが、電気事業の労働者というのは、国家公務員の方々のスト権制限以上に、いまから二十年前に、たしか昭和二十九年だったと思います、当時の吉田内閣時代のスト規制法以来の問題として、電気を消してはならぬという規制法が適用されたまま今日に至っております。大変労使関係のバランス上ほぞをかむ思いでじっとがまんの子で今日まできておりますが、その電気労働者がもし仮に、悪法といえども法は法なりという立場を放棄して、ストライキをやったとするならば、現在違法ストの及ぼす影響どころの騒ぎではございません、ということをわれわれ電気労働者は十分承知いたしておりますので、そういう場合に、国民の民生に及ぼす影響あるいは国家のすべての機能に対する影響等を判断いたしまして、みずから電力労働組合というものはそういう無謀なストライキはしないという意思決定に基づいて、労使の立場のバランスというものはこうしてとりたいものだということを再三意思表示申し上げているということでもございますので、あくまでこのスト権という問題は、いわゆる公序良俗に照らして国民ひとしく納得のいく範囲内で労働運動といえども私は進めるべきものだという基本的な立場に立つならば、あえて、この際、日本にいま申し上げたような幾つかの矛盾の法律はありとはいえ、だからこの国際人権規約の批准ができないんだという発想はまさに逆さまの発想ではないか、こういう感じでありますので、この条項も速やかに撤回を願うことを、この際、意見として申し上げておきます。
 三番目の中等教育あるいは高等教育の漸進的な無償化の問題につきまして、前の上杉参考人も言われたとおりでございまして、私も、この条項の留保には反対をいたします。素直にお認めいただいたらいかがかというのが私の前提でございます。
 さはさりながら、この規約をじっと読みましても、一体、中等教育、高等教育というものの範囲はどこにあるのかということがきわめて明確さを欠いております。さらに公的な教育機関、私的な教育機関、それぞれ国その他によっていろいろこれは差がありまするので、その辺の整理を十分行わなければいけないということは知っております。知っておりますが、基本的に、この種の問題は、私は批准をするという立場で対処するのがよかろうというので、この条項の撤回も意見として申し添えておきます。
 四番目の団結権の制限という問題で、警察あるいは消防、こういったような問題の判断というものが是か非かといった点のあれが残っておるから基本的にはどうなんだというので留保条項をつけておるようでありまするが、スト権制限問題と同じような発想に立ちまして、私どもは、この問題もあっさりと御撤回いただきまして、全体の中でこの種の問題は整理していくべきものだ、このように考えるものでございます。単に消防官だけの問題ではなくて、いわば自衛隊の中でも制服組や机上組やいろいろあるわけでありまして、そういったものの整理こそがむしろ急がれるべきであって、基本的な人権に匹敵するようなこのストライキ権、団結権といったようなものをこういう条件があるがゆえに留保するなどというのは、まさに先進国家の日本のすべきことではない、このように申し添えて、この条項の撤回を意見として申し上げます。
 以上のようにいたしまして考えてまいりますると、大方、当局の考え方を私は是とするわけでありますが、思い切って、この際、選択議定書という問題がここに触れられておりませんが、この問題も含めまして、きれいにひとつ御批准いただくのが一番得策ではないかということを申し添えておきたいと存じます。
 最後に、大変生意気なようでございますけれども、私もこういう職掌柄あっちこっち飛び回りまして、一体、日本という国がこれだけ国際化された社会の一員として、どのように対応するのがこれからの一番基本的なあるべき姿ではないかという問題を、われわれ労働サイドにおいて労働外交等を通じまして、ついせんだっては十一回にわたる日米労働会談を終わりまして帰ってまいりまして、東京サミットに対する労働サミットの下準備をしてまいりました。その際も、アメリカの労働組合側から見る日本への貿易の問題、経済の問題、政治の問題、各般にわたった検討をジョージ・ミーニー以下行いました。そういう経験に照らしましても、日本のこの種の、たとえばこの人権規約あるいはILOにわたるような条約その他の条約批准という問題に対しての構え方というものが、もう一つ私は開いた姿勢でいくのが国際化時代の日本のあるべき姿ではないかというふうに思えてなりません。ややもすると、日本人は、いい意味できちんとしておりますから、すべての条件を整えてから、さあ行こうというやつが多いものでありまして、これはまさにあべこべでございまして、むしろこうしたいなあという希望がありましたら、その希望を大きく掲げて、それへ向かって一日でも早く一生懸命到達しよう、こういう努力をしようという姿勢に変わりません限り、世界の中の日本という立場で、世界からの日本の評価というものは私はおくれていくのではなかろうか、こういう感じを体験上いたくしておる一人でございます。
 ましてやこのA規約あるいはB規約と言われるきわめて具体的な規定、きわめて理想的な規定、いろいろございまするけれども、私は、この際、決定以来十有余年たった今日、いまだにこの種の条約批准ができてないという日本のこの立場は一日でも早く卒業いたしまして、むしろ先進国日本たるその地位をもってイの一番にこれを批准して、世界のリーダーとしてちっともおかしくないだけの力量を持っておる民族だ、このように考えますので、そういう立場で、ぜひ、遅まきではございますけれども、この種の規範的な人権規約というものは、いろいろの留保条項は全部取り外して、議定書も含めて、そしてさっぱりと御批准をいただいて、むしろ内容を充実するための諸活動、実行行為に移っていただく、この姿勢こそが世界が日本に対して正しい評価を下すものではなかろうか、こんな感じを時間がありませんからまとめて申し上げさしていただきまして、私の意見にかえさしていただきます。
 以上であります。
#56
○委員長(菅野儀作君) ありがとうございました。
 以上で参考人からの意見の聴取は終わりました。
 これより質疑に入ります。質疑のある方は順次御発言を願います。
 参考人の方にお願いいたします。質疑時間が限られておりますので、恐れ入りますが、答弁はなるべく簡略にお願いをいたします。
#57
○田中寿美子君 お三方ともお述べになりましたことに私も本当に共感するわけですし、ことに最後の小川参考人のおっしゃったことは私も全面的に同感でございますので、小川参考人への御質問は省かしていただきまして、永石参考人並びに上杉参考人に御質問をさしていただきたいと思います。
 最初に、永石参考人にお尋ねするわけですが、国籍法上の父系優先主義、それによって、日本の、特に国際結婚においてアメリカ人父と日本人母との間に産まれる子供が無国籍になりやすい。こういう問題につきましては、実は、私ども、もう数年来、これを国会で問題にしてまいりました。七七年に衆議院で土井たか子さんが予算委員会で問題にされ、また、七八年に私も参議院の予算委員会でこのことを問題にして、そして国籍法の中にある父系優先主義というのを、父母、男女平等の血統主義――日本は血統主義をとっているわけですが、それに改めるべきではないかということで、具体的にそういうケースが訴訟に上ってきましたことなども挙げまして国会で議論してきたわけでございます。
 それで、今年、土井たか子さんの発議によって私ども社会党は国籍法の改正案を出しております。これは日本国民男性と日本国民女性との間に国際結婚によって産まれる子供への国籍の継承権が差別されている、だからこれは改めるべきではないかということで、現行国籍法の第二条に「子は、左の場合には、日本国民とする。」ということにして「一 出生の時に父又は母が日本国民であるとき。」と、これまでは「出生の時に父が日本国民であるとき。」というふうに限定されていて、そのときでなければ日本国籍は取れないということになっておりますのを「父又は母」というふうに直すべきではないかということ。
 それから先ほどお触れになりました帰化の条件についても男女不平等で、日本の男性が外国の女性と結婚した場合には、妻たるその外国の女性は一切滞在期間も何も問題にされないで日本国籍を取得することができるけれども、日本人の女性と外国人の男性が結婚した場合には、その男性は三年以上日本に在留していなければいけないとか、そのほか実際上にはいろいろと制限がついております。そこで国籍法第四条の二として、男性の場合と同じように「引き続き一年以上日本に住所又は居所を有するものについては、」男女ともに帰化ができるというようなふうに、ただ二点の改正なんですけれども、改正案を提出しておりますが、そういう改正案でいまお話しになりましたような問題が解消されるというふうにお思いになりますでしょうか、それが実現すれば。
#58
○参考人(永石泰子君) お答えいたします。
 第一点の問題でございますが、父系優先血統主義というものを父母平等血統主義に改めるという法案をお出しになっていらっしゃるということでございますが、この点は私どもも現実に訴訟でそうあるべきであるというふうなことで争っているわけでございます。というのは、先ほども申しましたように、憲法十四条その他の関係法上から読みますと、父だけが自己の国籍を子供に継がせることができるというふうな形で性による差別をしているということは非常におかしい。憲法の規定に合わせてみると、この国籍法の二条一号は「出生の時に父が」というのを「父又は母が」というふうに読みかえなければ憲法の規定との兼ね合い上おかしいのではないかというふうなことで訴訟を起こしているわけです。ですから、その御質問いただきました第一点の点は、国籍法がもしそのように改正されますと問題はなくなると思います。
 なお、参考までに申しますと、先ほどもちょっと触れましたけれども、日本の国籍法というのは無国籍になるであろうというふうなことについて非常に配慮が欠けておることがございますね。ドイツの国籍法などは、改正前にやはり父系優先をとっておりましたけれども、その条項の中に、もしその父系優先主義をとった場合に子供が無国籍となるときには母の国籍を取得できるというふうな規定まで置いておりました。それでもなおかつドイツの憲法裁判所は、それは西ドイツの基本法、つまり日本の憲法に相当するものですが、それに違反するとして違憲判決を出しているわけでございます。日本は無国籍はこれは仕方がないというふうな形で何も手を下しておりません。だから、そういう意味におきまして一層その第一号の改正ということは望まれることでございます。
 それから第二番目の五条、六条に関係する改正案でございますが、これもおっしゃるとおりに同じ条件にすべきであるというふうに考えられるわけでございます。
#59
○田中寿美子君 国際人権規約の批准に当たって、私どもは、ことにことしは国際児童年でございますから、無国籍の子供たちを生み出していくような国籍法は改めなけりゃいけない、そしてそれはまた、いま言われておりますように男女平等の立場に立ってやられなければいけないという点で、人権規約B規約の二十四条の3項の「すべての児童は、国籍を取得する権利を有する。」というこの立場に立って、無国籍の子供の生まれることをいかにして防ぐべきかということを考えなけりゃいけないと思っております。それからさらに、三十三回国連総会で審議して、いま三十四回でも審議されることになっております婦人の差別撤廃条約案でございますね。これは「国連婦人の十年」の中でこの差別撤廃条約は国連でも採択され、そして日本でもこれは批准されなけりゃならないものだと思っておりますのですが、この条約案の九条にも、国籍の取得、変更等における権利についての男女差別を撤廃せよということがありますので、両方の趣旨から、いまお述べになりましたような国籍法上の父系優先主義というのを改めて父母平等にする方向にいかなければならないというふうに思います。
 最近、先ほどお触れになりましたが、沖繩に無国籍の子供たちがあることについて大変問題にされてまいりました。沖繩の方からの訴えがいろいろされておりますが、沖繩の国際福祉事務所の大城安隆さんですか、からの「沖繩からの提言」というようなことで、国際児童年に際して、沖繩に無国籍の子供たちが――米軍占領とその後に続く今日の米軍基地の存在から生まれてくるところの無国籍の子供たちに対して、これに何とか手を打つべきであるということのお訴えがあるわけでございますが、いまでもなお年間四百五十の国際結婚がある、そして離婚が百五十件もある、そして母子家庭が七十も毎年出てくる。そして多くの場合、米軍の兵隊は、最近数がふえているそうでございますが、海兵隊なんというのは大変若い人が多いですね、十九歳以下の者も多い。そういう人が日本の女性と結婚関係に入ってそして子供を産むという場合に、主として夫であるところのアメリカの軍人が簡単に帰ってしまって母子を遺棄してしまうとか、そういう問題もありますけれども、正式に結婚しても子供の籍が取れない理由といいますか、それはどういうところにあるか御説明していただきたいと思います。
#60
○参考人(永石泰子君) これは先ほどもちょっと触れさしていただきましたが、一九五二年アメリカ合衆国で移民及び国籍法という法律をつくりまして、これの三百一条a項の(7)というのがございます。a項というのは「左の者は出生による合衆国国民であって、かつ市民とする。」となっていまして、その7という個所に「合衆国及びその海外属領外において両親の一方が外国人であり、他の一方が合衆国市民であって、出生に先立って合衆国の市民である親が合衆国もしくは海外属領に通算十年以上、そのうち少なくとも五年以上は十四歳に達してから事実居住した者より出生した者」というふうになっていまして、海外にいた場合には合衆国もしくはそれと同一とみなされるような場所に通算十年以上、そのうちの五年は満十四歳に達してから後継続居住しなければならないということになっております。ですから、先ほどおっしゃいました未成年の十八歳、十九歳のアメリカの兵隊が日本の女性と結婚した場合に十四歳から満五年という要件を満たさないというふうなことになります。そうすると、その移民及び国籍法の規定によりまして、米国籍を取れないということになるわけでございます。
 それから参考までに申しますと、私が扱っております事件もやはり無国籍となりましたが、それは未成年というわけじゃございませんで、その以前に日本に居住歴の長かった米国籍人であったためにやはりこの法律にひっかかりました。
#61
○田中寿美子君 私が昨年問題にいたしました事例も、やっぱりそれはアメリカの移民の方で、十五歳以上のアメリカでの在住年数が足りないということから、産まれた子供はアメリカの国籍が取れない。それから日本の方は父系主義だから国際結婚による子供は夫の方の国籍を取るべきものであるというようなことで、届け出しても受け付けてくれなかったという事件でございますね。
 そういうふうなことで無国籍の子供たちをたくさんつくっていってしまうというようなことに対して、どういう方法でこれを――いますでに沖繩には相当おりますね。そしてその子供たちは就学もできない、あるいは進学もできない、就職もしにくいという状況にあるのをどういうことでいま救済することができるか、何かお考えございますでしょうか。
#62
○参考人(永石泰子君) これは母親の国籍を承継させるというふうなことが一番抜本的でございます。そのほかにあるいはアメリカの国籍関係法規の改正というものをあるいは日本としては働きかけるという必要もあるかと思いますけれども、いずれにしましても、アメリカという国は生地主義の国で、生まれたところの土地の国籍を取るべきだという考え方でいて、いわゆる寄り合い世帯と申しますか、非常に多民族が自分たちで国をつくっているんだという意識がありますから、アメリカの信条を持ちアメリカの生活をするということを米国人の条件としているというのは一つのこれは理由のあることだと思います。ですから、日本の場合には、日本の母から産まれ、日本に住み、日本の教育を受けというふうにすべて日本的な実質を備えているのですから、そういった意味では日本の国内での関係法規の改正、整備ということで解決すべきが本筋であろうというふうなことを考えるわけでございます。
 それから帰化手続をすればいいのではないかというふうなことがしきりに出るのでございますけれども、いわゆる日本国民の子であるとか、あるいは元日本国民であった者は簡易の帰化ができるというふうなことをしきりに言われるわけでございますけれども、先ほど例に述べました韓国籍になった日本女性のケースでは、それほど簡単に帰化というのはできません。現に数年かかってあげくの果てにできない状態になりました。たとえば具体的に申しますと、履歴書というものをつくらなきゃならない。産まれてから現在までの、どこに住んで、どういうふうな仕事を持ったかということを逐一書いていかなければならない。自分の親族関係も全部書かなければならない。あるいは学歴を証明するにめに小学校の卒業証明書をとらなきゃならない。ところが小学校を転々としている場合にはそこら辺に学籍簿がないなんという場合がございます。そういうふうな場合に、苦心して卒業証明書をとって、ようやくこの中に写っているこれは私なので、しかるがゆえにこの小学校を卒業したという証明をつくってくださいというふうに、実に苦心惨たんしてその書類の作成をしているわけでございます。
 ですから、簡易帰化というふうな言葉ですと誤解を生ずるような気がしますけれども、その帰化というふうな考え方は根本的に私はおかしいのではないか。その手続の難易の問題よりも、帰化というのは、何よりも権利ではないんですね。国の方で帰化させてやるぞという一方的なものですから、不服があってもそれはどうすることもできないというような形になって非常にお情け的な感覚がございます。出生による国籍の取得とは本質的に違うわけでございます。ですから、もしすでに生じてしまった無国籍児を救うというふうな問題を考える場合には、やはり母親が日本人である場合に、その国籍の取得を届け出によるとか何か非常に簡易な方法で、帰化でない感覚で立法措置をするというようなことはぜひ必要じゃないかと考えております。
#63
○田中寿美子君 国籍法の改正はそう容易にすぐにはできないかもしれません。それで現在沖繩でそういう無国籍の状況で非常に苦しんでいる子どもたちや母親を救う方法としては、これはやはり何かの便法を考えなければならないと思っておりますが、そのことに触れている時間がございませんので。
 それで、先ほど第二番目にお触れになりました昭和二十七年の台湾及び朝鮮に籍を――朝鮮人が元日本人としての国籍を持っていた、そして日本から切り離されて、そして台湾人、あるいはさっき韓国籍の人の話をなさいましたが、そういうふうになって、そのためにそれの妻である日本人が国籍を失ってしまった問題ですね。それについての民事局長通達のことをお話しになりましたが、これは一体そのようなことが妥当なのか、もしそれが妥当でないとしたらどうすべきだというふうにお考えになりますか。
#64
○参考人(永石泰子君) これは非常に当初から法律上議論をされたところで、いろいろな学者がいろんな面から論文その他判例批評などを書いておりまして、裁判所の判例は、最高裁などは、戦前に朝鮮人とかあるいは台湾人と結婚して朝鮮あるいは台湾に戸籍があって、日本の内地の戸籍を除籍されてしまったような人の場合に、これは先ほどの通達、サンフランシスコ平和条約を根拠としているようでございますが、それによって国籍が喪失したのだという判断を下しております。ところが、先ほど挙げましたケースは終戦後、しかも日本国憲法施行後のケースなんでございます。それで、この共通法というものを根拠にして、その「一ノ地域ノ」云々というふうなことで家というものを前提として、つまり朝鮮の家に入る結婚をしたから内地の家から出るというふうな処理の仕方をして日本国籍を取るんだというふうなことをしたんでは非常におかしいわけで、まして終戦直後というのは、いわゆる入籍という手続を現実にしていないわけでございます。
 これはいろいろ通達がございますけれども、戦前戦中は内地人と朝鮮人というのは婚姻届をしますとその婚姻届書は朝鮮に送られる、で夫の本籍に記入されて入籍通知を待って内地の戸籍を消すという扱いをしていたわけですね。で終戦近くなってから実際上送付できないという場合が出てきた。昭和二十年の十月十五日民事局長通達によって当分の間その発送を保留すると言われたまま今日までその発送ができない状態になっているわけなんでございます。それで昭和二十二年当時というのはもちろんまだ韓国の領事館もございません。それから事実上の代行と言っていいかどうかわかりませんけど、韓国居留民団代表部というふうなものもまだなかったわけなんでございます。聞くところによりますと、そういうふうな場合に、夫が個人的に自分が婚姻受理証明というのを日本の役場からもらって、それを私信で自分の本籍地の役場に送った場合には、向こうの戸籍に載るけれども、そういうふうなことをやった人は実際上ほとんどいなかったのではないかというふうなことを言っております。したがって、そのようなケースの場合には、この日本女性は日本の戸籍からは出た、外地の戸籍には載っていないと、非常に宙に浮いてしまうというふうな状態になっているわけです。
 それで昭和二十七年四月二十八日までは日本人である、それで共通法が動いているんだというふうな考え方でいくんなら、なぜじゃ共通法に基づいてちゃんと戸籍の処理をしないのだというふうなことも言いたくなるわけですが、それは現実にそういうことができるはずもないし、それは一種のフィクションであるとしか考えられないわけなんですね。ですから、フィクションならばフィクションらしく日本国憲法というものをもとにしたフィクションをつくってもらえば、こんなことにならなかったのではないかというふうに私考えたわけでございますけれども、非常に理屈づけといいますか、何か技術的に何とか片をつければいいというふうな形で処理されて、その結果、生存権にも等しい国籍が一方的に知らないうちに取られてしまったということの重大さを余り考えていなかったというふうな感じを受けるのでございます。
#65
○田中寿美子君 詳しくお話を伺っている暇がなくて大変残念ですけれども、素人的に専門家でない立場から考えますと、現に日本にいた、そして日本にいるそういう女性が全く国籍を失ってしまっているというような者に対して、国籍を回復するための何らかの救済をやらなけりゃいけないんではないかというふうにいま感じておりますが、そのことについては国際人権規約を批准したことを記念として、やっぱり今後私どもはいろいろと努力してみたいと思っております。
 次に、上杉参考人に私は二点だけお尋ねしておきます、時間の都合がございますから二つ続けてお尋ねいたします。
 先ほどから差別の歴史あるいは実態などについてお話があって、私どもは国際人権規約を批准するということは、今後、私たちが国際的なレベルで人間の権利を守っていかなければならないという意味で本当に感銘深く伺いましたが、同和対策事業特別措置法が三年延長され、そのときに三項目の附帯決議が全会一致でついている。その中で「同和問題に関する事件の増発状況にかんがみ、国民の理解を深めるため、啓発活動の積極的な充実を図ること。」という附帯決議がついておりますね。それがどういうふうにしてそうされて、そしてその後それがどういうふうに運営されているかということ。
 それから、同じ特別措置法が延長されます際に全野党合意の附帯決議が作成されました。その中で「最近、「部落地名総監」事件をはじめ就職結婚などの悪質な差別事象が多発している現状に鑑み、「法的規制」をはじめ人権擁護、教育、啓蒙、雇用対策等格段の努力をはかるものとする。」というふうにされております。特に、先ほども就職の面のお話がありましたが、そのあたりをもう少し具体的にお話しいただいて、この特別措置法との関係を伺いたいと思います。
#66
○参考人(上杉佐一郎君) お答えいたします。
 差別事件は、逐次、増加の一路をたどっておるわけですが、これは私どもが申し上げるのではなくして、前回の臨時国会の十月十七日、同和対策小委員会での論議の中で法務省の鬼塚政府委員がこういうふうに現実を指摘しております。差別事件は減っているのか、それともふえているのかということについては、私ども現実に扱っている審判事件から見て決して減ってはいない、逐次増加の一路をたどっているということを申しております。
 その数字を具体的に述べておりますが、これは法務省が部落差別事件を取り上げた件数だけを述べておるわけですが、それが四十七年から五十一年まで累計をとっておるようでありますが、ふえているんです。四十七年が三十九件、四十八年がちょっと三件減りまして三十六件、四十九年にこれまた三件減りまして三十三件、ところが五十年になると今度は三倍になって九十件、五十一年になりますと二百二十六件というふうに、私はこれは日本の政治の影響を非常に反映したものだというふうに考えております。さらに法務省で調べました同和問題に対処することを目的とし、同和地区住民を対象とした特設人権相談所で扱った件数というものを報告しておりますが、この中で四十五年が一万七千件。端数は言いません。四十六年が二万件、四十七年は三万一千件、四十八年は三万五千件、四十九年が四万一千件、五十年になると五万件というぐあいに、多くの人たちが日本は民主主義がだんだん発展をしている、こういうふうに言われますけれども、この法務省が調査をした結果から見ると、差別人権侵犯事件は非常に急速に倍加をしているという現実を物語っております。これは法務省が調べたものでありまして、私どもの組織が調べました件数は、大体一年に一つの県で五十件から六十件、大体一年に合計で千件以上の差別事件がある、こういうふうに思っております。
 その中でも特に悪質な問題をとらえると、今日、どういう関係からか知りませんが、部落問題の研究所、学者の人たちがつくっておりますそういうところや私ども団体に来ます投書で、はがきの投書ですが、一例だけ紹介しますと、「おまえたちは悪魔の集まりである、社会のウジ虫たちである、おまえたちに子孫を残す権利はない、悪魔は永久に地上から消し去らねばならないからである、部落民専用の強制収容所が必要だ」こういうようなはがきの投書が枚挙にいとまなく日本国内で行き来をしている、舞っているという現状を私たちは述べることができます。
 さらに日本の国の中でこれはどういうふうになってるかというと、私どもはここは参議院ですから余り申し上げとうないんですが、日本の政治をつかさどるところでさえも、言うならば、一昨年ですか、法務省の安原刑事局長さんが差別事件を起こされる。それから、今日問題になっているのでは、以前三十九年の段階に厚生省の水道課長をした人が、現在、水資源開発公団の監事をされておるわけですが、この人が水道産業新聞で大々的に差別事件を報道される。こういうように、日本に特別措置法ができちゃって、そして国を挙げて国民に差別はしてならぬぞと言われていますけれども、その国民に差別はしてならない、そういうことはいかないぞと叫んでおる人たちが先頭になって、日本の国では差別が絶え間なく起こってくるという現状であるということを私たちはぜひとも明らかにしておきたいと思うんです。
 それから二番目の問題で、就職の差別の状況ですが、これは地名総鑑の問題に代表される問題です。これは私どもが言うんでなく、地名総鑑を買いました企業、一、二を紹介しますと、ある銀行ですが、これが地名総鑑を買った。これは法務省が調べた中で出ておる問題ですが、これはやっぱり部落民を採用しないという目的で地名総鑑を買った。それからB企業の場合は、部落民というのは恐ろしい、こわいものだというふうに考えておった。だから部落名を、明記した地名総鑑を買って、そして部落民を採用しないようにしようということで買いましたということをはっきり述べておるわけです。
 さらに、地名総鑑をつくりました坪田君というのがおるんです。これはつくった人ですが、この人が述べておるのを見ますと、非常にこれは重大な問題だと思うんですが、この人は探偵社、興信所を三十年経験をした人ですが、自分の三十年の興信所を体験した経験から見ると、今日百の企業が――今日は履歴書は身元をいろいろ明らかにしないとか、いろいろ変わったわけですね。身元調査をしないということになっているんだが、今日、この人が言っておるのでは、日本で私のところのいわゆる興信所に依頼をしている企業は百ある。これは団体で契約をして、それで企業が探偵社、興信所に身元調査を依頼している、団体契約、カードで。依頼しているということでありますから、これは企業自体が調査をするより、探偵社、興信所の直接商売をしているところが採用試験のときに身元調査をするわけです、部落民であるかどうかということを的確に調べて、そして部落民である場合は採用しない、こういうことがたくさん起こっているということを述べておきたいんです。これは限りありません、たくさんでありますから。切りがありませんが、そういう状況であるということを御承知願いたいと思います。
#67
○田中寿美子君 ありがとうございました。
 時間があれですから、続いて戸叶先生に。
#68
○戸叶武君 参考人の方々のお話を承り、全日本労働総同盟政治局長の小川泰さんの特にストライキ権の問題、休日の取り扱いの問題、きわめて常識的な見解であると思います。私は、いまこのあらしの時代に、いつも考えるのは、形式的な観念的な法理論よりも、国民が納得し得られるような常識というものが、国民の合意を得さしめるためには一番必要なのじゃないかと考えております。しかし、いま時間が私は三時十一分までしかありません。
 やはり一番深刻な問題になっている部落解放同盟の上杉さんの苦悩の報告を聞きながら、私も、十九から二十、若き日にクロポトキンの自叙伝を読みロシア文学の影響もありましたが、やはり苦悩のどん底に陥っている人々のモラルというものを本当に探らなけりゃならない。ゴーリキーの「どん底」じゃないが、どん底と思われる中に本当の新しいモラルの芽が育つんじゃないかということを感じて、ぎりぎりのところを知りたいと思いまして、ちょうどその時分東京商大の予科にあって山川さんのところの門下生となった高橋貞樹君が関西から九州の部落の研究をやりましたが、私は栃木県ですが、栃木、群馬、埼玉、この渡良瀬河畔と那珂川のほとり及び京都、奈良、大阪、和歌山等の研究調査に従事したことがあります。
 上杉さんの言われたように、封建的な――封建的というよりは、きわめて冷酷非情な当事者によってつくり上げられた差別感であって、長い間の因襲がこれによって引き継がれておりますけれども、これはこの国連人権規約問題が批准のところまでこぎつけた段階にもっと明るく一掃することが必要であるし、また六十万を超えるであろう朝鮮の人々も日本の内地に日本の人々と一緒に同化しておるのが事実であります。こういう問題はやはりもっと抜本的に満足のできるような、生きがいのあるような、将来に希望が持てるような対策を、いま国内の形式的な法の整備も必要ですが、それ以上に私は教育の力によってマスコミの力によって国民の対話と理解によってつくり上げることが必要だと思います。
 ビヤード博士夫妻の記録したアメリカ合衆国史は、アメリカのフロンティアの精神というよりは、ヨーロッパの限りなき民族闘争あるいは革命と戦争、非人間的なあの状態に絶望してアメリカに移った人々が主体となってアメリカをつくったんだという形において、実証主義的であるが、新しいロマンをあの中にぶち込んでおりますが、まだまだアメリカの現実を見たときに、なぜ黒人がベトナム戦争にいやがるのを麻薬を飲ませられて、そうして死ぬようなところへ追いやられたか、アメリカは、そういう行為の中に、国内の混乱はとめどなく半分絶望的と思われるようなものを戦争によって醸し出しております。
 また、私は、ポーランドでいろいろな人と、また日本海海戦のときのロジェストベンスキー将軍の従卒をやった人からも話を聞きましたが、ポーランドの連中を旅順の第一線に出して鎖でつないで、そうして逃げることができないようにして虐殺した。日本とロシアが激突する機会でなければポーランドの独立は予約できないと言ってわれわれは日本に呼びかけたと、あの九州大学の総長をやった山田三郎さんも国際法の権威でしたが、ポーランドのインナーの大学にいたときに地下室の秘密結社に連れられていって、ポーランドの独立は、ツアーの圧制を外から打ち砕く勢力がなければ、内からの爆発は困難だと言って扇動されたことを記憶していると言っていました。
 いま、私は、世界はあのとき以上に、一九〇五年前後のあらしの時代、一九一七年前後、一九三〇年前後のあらしの時代より深刻な世界的規模のあらしがよぎっていると思います。これを戦争と暴力革命の方に持っていかないために――戦争が諸悪の原因です。それには国内におけるわれわれの本当に自由にして濶達な明るいヒューマニズムの光をつくり上げる以外に、長期腐敗政権の権力によって国をひん曲げていくなどという心得違いでは危ないと思うんです。
 そういう意味において、私は非常に上杉さんの諸説から感銘を受けましたが、その第一にあなたが挙げているのは、就職の自由、働く場の自由を確保したい、生きがいのある生涯を持つには差別待遇のない、そうして働きがいのある職場を持ちたいという考えで、その事例も幾つか挙げられましたが、第二の、一番問題を強調しているのは、やはり未来を担う若者たちに差別感を与えない、そうして国が責任を持つ、知性と技術を与える教育並びに教科書の無償を国家で保障してもらいたいという要求、これは私は最も具体的な要求だと思いますが、現在、大阪ではあるところまでそれが実施されたという話も漏れ承っておりますが、実態ばどのような状態になっておるでしょうか。
#69
○参考人(上杉佐一郎君) お答えします。
 御指摘されましたように、部落差別の現実も先ほど申し上げたとおりでありますが、就職の問題、教育の問題というのは、先ほども高校進学率の問題を挙げました。しかし、これは私たちは高校の教育の程度をバロメーターにするときに進学率がつくのを申し上げておったんです。ところが、現場の担当教師に聞きますと、いま高校進学率を物差しにはかっては基準にならない。なぜかというと、途中で退学する高校生が物すごくふえてきた。日本の社会の中で高校を出たって希望がない、大学出たって希望がないから中途で退学をしちゃって、結局、いろいろな社会から批判を受けるような行動に走る人たちが年々ふえてきているという、この中途退学者というのが物すごく部落の中にふえているんですね。それで、これが正しい社会からいろいろ批判を受けるような行為をする場合もあり得るわけです。
 私たちの部落の仲間の中で、これは失対労働者の問題がございますが、この失対労働者の中で私が体験したところで、失対労働者が二つに労働組合が割れました。その割れた要因は何かというと、部落の人たちが結果的に全失労というような労働組合を全国的につくったわけです、全日自労から離れて。その経過は何かというと、その当時全日自労というのは、これは社会保障の一環であるから働かないでよろしいという方針をとっておりました、その当時。いまは変わりましたけれども、とっておりました。ところが、私たちの部落の失対労働者は、職業安定労働者は、あの二十三日のカードをもらいますと就職をしたと言って親戚を集めて就職祝いをするんです、就職祝いを。そうすると、部落の失対労働者は就職したと考えていますから、働いて当然の報酬をとるという考え方。それからその当時の全日自労というのは、あれは社会保障の一環であるから働くべきではないという考え方で二つに分かれているから、私たちの失対労働者と一緒になれなくて、全国的に二つに二分されるのと同じですね。
 部落の大衆は働きたいという意欲を持っているんです、物すごく働きたいという意欲を持っているんです。持っているにかかわらず、それが先ほど申し上げるような形で差別を受けて働かれない、労働する権利が与えられないということが今日の大きな要因だというふうに考えていますから、私たちは、この問題が一日も早く、やっぱり人権規約の批准とそれから具体的な国内法等の関係、それから部落問題の基本法、そういうものの中で解決することを心から願っているところです。
#70
○戸叶武君 教育の中でも、中学出ぐらいはもとは黄金の卵だなんと言ったが、このごろはやはり専門技術を手に持った人ということになり、あるいは大学ぐらいまで行かないとなかなか社会に入って不利だという形で、かなり無理をしても大学進学なり、技術を身につけさせるために努力している模様でありますが、いまどちらの方にあなたの調査ではウエートが注がれているでしょうか。技術習得ですか。たとえば大工さん、電気機械あるいはコンピューターの関係、そういうふうな技術習得の面か、それともやはり大学を出てというような考え方が基礎になっているか、その辺はどういうふうに受けとめておりますか。
#71
○参考人(上杉佐一郎君) お答えします。
 先ほどの大学の進学率は、平均の半分に達していない状況であります。この問題はよほど国の政治の中で擁護されなければ伸びていくということはございません。
 そして日本の教育というのは、ただ高等学校、中学校それから大学という形だけで一生懸命力を入れられても、部落の置かれておる条件の中では、もう育児教育、子供の小さいときからの対策が日本の中で講じられなきゃ、母親が教育の機会を受けていません、父親が教育の機会を受けていません。私も、私事でありますけれども、昔の尋常小学校しか卒業していません。ですから、もう五十代の部落の人で高等学校、中学校にいたというのは二〇%に満たないわけです。その人たちが今日子供の補習教育ができるかというと、絶対にできないんですね。そうすると、金持ちのところではいろいろな塾だとか、そういうところにやれますけれども、貧乏人のところはそんな塾どころではない。じゃ今度は親がそれを補習する手だてもないという形ですから、やはり私たちは小さいときからの対策が教育の中に講じられなければ、言うならば産まれたときからもう直ちに教育の機会を保障する対策が、日本の中で特に圧迫を受けている人たちに対する対策が講じられなきゃならないと思っています。
 特に、そういう形ですから、私たちは、率直に申し上げて、今日職業訓練を受けましても、今日のような条件ですから雇用はございません。しかし、私たちは、生活保護であるよりも、国は、いまの失業している人たち、そして高校、大学を出て就職できない人たち、この人たちに改めて職業訓練所を設置して技術を身につけさせて、いつでも国力が伸びたときには、その人が技術者として採用される条件をつくりなさいと労働省に言っているんです。ところが、日本の政治では、そういうものをつくってくれないんです。私は、いま失業者がたくさんおるとき、雇用の条件がないとき、その失業者にやはり技術を習得させて、いつでもこの人たちが、今度国力がついたときには、雇用増進がされるときには、いつでも技術者として国家に奉仕できる条件をつくり上げることが好ましいと考えていますが、それがどうも日本の政治の中では受け入れられないということを残念だと思っております。
#72
○戸叶武君 次に、これは大化の改新以後における豪族連合体としての日本の国家ができ上がった時分に、朝鮮で問題を起こして中国との連合軍のために白村江で打ち破られたときに滅亡した百済の知識人なり有力者というものが船やいかだに乗って日本に大量に渡来した。近畿においては三分の一を超したろうと言われるような時代。この中には新羅に滅ぼされた高句麗やあるいは新羅の捕虜の人やいろいろなものがまざっていたと思いますが、あの当時、聖徳太子のパトロンであった秦氏が技術集団の長として、そうしてあらゆる種類の技術集団を率いてそれを開拓期の東国、東の方へ移したという歴史的な事実がいまにも残っております。その当時の朝鮮は日本より先進国であり、その技術集団が蚕を飼うにしても、あるいは呉や越から織物の技術者を呼んでそれを習得した熟練工もあって日本の産業に貢献するところがあり、非常に尊敬された時代もあったと思うんです。
 そういう点において、日本の歴史をもう一つ、悲劇の面の歴史だけじゃなく、この国の開拓時代において大陸の先進的な技術集団が日本の国の、当時で言うならば、近代化のために非常な貢献をしたという明るい歴史観も植えつける必要があります。これの実証的な説明は幾らでもできるのです。聖徳太子が三十一ぐらいの若さで十七条憲法なんかを自分一人でできるもんじゃない。あれは高句麗の慧慈とか百済の五経博士の覚狽ニか、そういう知識人の協力を得て、和もない不和の時代に、天皇も殺されるという時代に、政治責任の主体は責任を回避するわけにはいかないから、女帝を天皇にして民族統合の象徴にして、みずからが政治責任を担って、豪族連合体のボスであった蘇我の大臣に対抗するというような構想も、恐らくはシルクロードから苦難を経て民族大移動の時代に把握したいろいろな知識と経験を基礎として日本の古代立法もつくられたのであって、ゲルマンの森に育った納税者という資格においてジェントルマンは統治者の王様と団体交渉の結果マグナカルタを、聖徳太子の十七条憲法より六百十一年おくれて、つくったのです。日本の最古の憲法は、いまの憲法とは違うにしても、参考に供すべき面があります。
 いま、私は、第二次世界大戦中に日本に強制的に拉致されてきた朝鮮の人も、アメリカに移住したアイルランドの農民も――あの中からケネディでもニクソンでも出たんだが、彼らの先祖にはアメリカでの開拓者としてイバラの道があった。私たちは部落の人たちや朝鮮からの渡来人にもっと自由にして濶達な民族融合の姿を実現させてやらねばならない。特に部落の人々には屈辱の歴史をはね返して、そこに新しい日本をつくる意欲を培ってやらねばならない。また朝鮮民族に対しても、ビヤード博士がアメリカの将来に対してヨーロッパからの渡来者に大きく期待したように、戦争と暴力的な行為によって人類が進歩をしないという理念、平和憲法の理念を植えつけ、国連における盛り上がった人権の取り上げ方、これに呼応する新勢力たらしめねばならないと思う。排他的ショービニズムはかつてのドイツのように滅びていく、ツァーも滅んでいくように。
 私たちは、空理空論じゃない、理想と現実との調和、ハイモラルな一つの理念をここから崩さないで地についた具体的運動をやるためには、そういう連動の中核の中に苦悩し、意欲を高揚することによって、そこから哲学が生まれるんです。観念的な哲学なんというのは思弁学派の遊戯であって、大衆とともに苦悩し、模索し、対話し、前進していくことによってのみ具体的な活路は開かれると思いますが、いかがですか。
#73
○参考人(上杉佐一郎君) いま非常に私ども貴重な御指導をいただいているわけです。
 確かに、私たちは差別と圧迫を受けています。そして日本では日本人民の最底辺に置かれて本当に苦しい思いをしています。特別措置法ができる以前ですと、就職の差別や結婚差別で一年に百二十人若人が鉄道自殺や農薬自殺をして死んでいきました。ことしは四人になりました。これはなぜかというと、国が特別措置法をつくって擁護をしてやるから少なくなったんじゃないと私は思っております。先生が御指摘されるように、部落民自体がみずからの人権を守ろうという運動が部落の大衆に高まることによって、差別されても死なないぞ、おれはその差別の抵抗を乗り越えて生きていくんだ、闘っていくんだという人間が多くなったから、自殺者が百二十人であったのがことしは四名の自殺者になることができたと思っています。
 ですから、先生御指摘のように、私たちは虐げられている、圧迫されている者ほど本当の民主主義を、そして戦争にも反対するし、元号法案にも反対しますし、今度の人権規約の運動にも私たちは日本国民の一番先頭に立って、この人権規約の批准を求めて運動を続けてきたつもりなんです。そういう決意で今後も私たちはみずからの人権を守ると同時に、そのことはすべての日本の人権を圧迫されておる人たち、また日本に住んでおる朝鮮人や沖繩県人やあるいは中国人や、あらゆる人たちの人権を守る運動と深くかかわり合いを持っておるという確信を持って運動を続けていこうと思っております。
#74
○戸叶武君 ありがとうございました。終わります。
#75
○塩出啓典君 三人の参考人の方からは大変いろいろ有益なお話を、また御意見をお聞かせいただきまして本当にありがとうございました。
 私、公明党の塩出啓典でございますが、限られた時間の中で二、三質問をさしていただきたいと思います。
 永石参考人からいろいろ国籍法の問題、それから無国籍者の問題、こういう問題の提起がございまして、先ほど田中委員からもお話がありましたように、私たちもこういう問題の解決に党派を超えてお手伝いをさせていただきたい、このように考えております。
 そこで、特に先生がおっしゃいました二番目の問題の一番最後に、日本女性が韓国人、台湾人と結婚した、そういう場合に昭和二十七年の民事局長の通達によって強制的に日本の国籍を奪われた、そういう方が現在御主人様が亡くなったり、あるいは離婚をしたりしておる。これは日本へ帰化すればいいじゃないかというように政府は言うけれども、なかなか帰化手続は簡単にできないという、こういう御意見だったわけであります。
 先生のおっしゃる御趣旨は、こういう二十七年の通達で一方的に政府が決めるのではなしに、どちらの国籍をとるかということ、日本にとどまるかどうかということはその人の権利として認めるべきであって、一方的に決めてしまうということはよくない。したがって現在そのために日本の国籍のない人が日本の国籍をとりたいという場合には、一般の帰化の場合と違って、無条件で帰化を認めるようにすべきではないか、こういう先生の御意見と理解をしてよろしいのかどうか。
#76
○参考人(永石泰子君) 帰化という言葉が妥当かどうかちょっと私もその点よくわからないんでございますけれども、むしろ、この通達というのが一応平和条約を基本にしていると言っておりますけれども、平和条約というのは領土放棄ということだけを言っているわけでございまして、そしてその相手国になる――この場合には朝鮮半島とかあるいは台湾になる。台湾はどこに属するかというので、その相手国との間の基本条約はないんですね。仮に基本条約ができても、それは国会で承認されて法律で決めなきゃいけないことであり、かつそれで決めた場合も、その法律の内容として、先ほど先生のおっしゃいましたように、やはり国籍の変動ということは国民固有の権利であるのですから、本人に選択の機会を与えなければいけないはずであった。だから、それらの措置をもう通達ができたからおしまいだよと言われては困るんで、何らかの形でその国籍を回復する道を与えるべきではないか。ですから、それは帰化というよりも、もっと一歩進んで何らかの措置をとらなきゃいけないということでございます。
 それで、これはちょっと先ほど申し上げる機会がなかったんですけれども、この通達の二番目に、あるいは朝鮮人、台湾人であっても、養子縁組みとか婚姻によって日本の戸籍に入った場合には、平和条約発効によって日本の国籍を失わないという部分があるんで、それを先ほど省略したんですけれども、それも実はまた問題になってくるかと思うんでございます。
 たとえば私が具体的に相談を受けましたのは、現在、台湾にいるんです。それで戦前に内地の人と養子縁組みをしまして内地の戸籍に入りまして、台湾の本島人と結婚してその人は婚姻によって日本の内地の戸籍に入りまして、それで旧法時代に親族入籍と申してその一族がずっと日本の戸籍に入っちゃっているわけなんですね。台湾に住んでおりますので、台湾の方が中華民国に入るという時点において、向こうがみんな戸籍をつくりまして向こうの戸籍に載っているということなんです。そうしますと日本の戸籍にも載っているので、その通達によって日本人だというんですね。すると二重国籍になっているのではないかと思うんです。その場合に、将来そういう人たちが日本国籍があるとして日本に入ってきていいのかどうかという問題も現実的に問題になってくる。この場合には国籍法八条による自己の意思によって外国の国籍を取得したというふうにはいかないのではないかというふうに考えられるわけですね。そういう問題も眠っているけれども現在でもまだ残っているわけでございますね。ですから、そういうものを見直すためにはやはりおくればせながらきちっとした措置がとられなきゃならない。
 外国の例としていろいろ申し上げたいんですが、たとえばドイツがナチスドイツの時代にオーストリアを併合しまして、第二次大戦で負けて、それが合邦無効であるということで、やはり国籍の問題が出て、ドイツでも行政措置とかあるいは裁判所の判例が区々となって非常に困ったということで、一九五七年に法律をつくってきちっとしているというふうに聞いております。そのほか、イギリスが戦後ビルマが独立したときも法律をつくっておりますが、いずれも皆国籍の選択という余地を認めた法律というのをやっているわけなんです。
 ですから、民事局長通達でということが、私、どうも民主制国家として根本的におかしいのではないかというところにぶつかって仕方がないのでございます。ですから帰化ではちょっとおかしいのではないかという感じを受けております。
#77
○塩出啓典君 わかりました。
 それから、次に、上杉参考人には後でいろいろお尋ねがたくさんございますので、その前に小川参考人にお尋ねしたいと思います。
 今回の人権規約に対する小川参考人の御意見には私たちも全く同感でございます。そこで小川参考人は同盟の政治局長さんで、そういう労働組合という立場にいらっしゃる方でございますので、今回、この人権規約の審議の過程で問題になった点の一つが就職の問題ですね、就職差別の問題。これには現在の国家公務員のように法的に外国人を差別している、日本国籍がないと国家公務員にはなれない。これはもちろん政府の答弁では、公権力の行使とかあるいは国家意思の形成に関与する仕事につく人は日本国民でなければならないと言う。
 しかし、現実には、在日朝鮮人等の場合を見ましても、非常に就職において差別をされておる。そういう法律的な面と、それともう一つは上杉参考人からもお話がありましたように、部落出身の方に対する企業の差別、こういうものは法律の文章の上にあるいは会社の入社規則の上に差別されているんではない。しかし、現実には、そういう差別があるわけでありまして、われわれはそういうようなものを本当になくしていかなければならない。そのことはわかっても、じゃ具体的にどうするか。これは人の心というものはなかなかひもをつけて動かすわけにいきませんし、非常にむずかしい点もあるわけでありますが、そういう点、小川参考人としてお考えがあれば承りたい。
 それともう一つは、先ほど申しました国家公務員等ですね、私は、国家公務員をやはり国籍で差別をするというのはどうかなと、もうちょっとその点、大学の教授とか、あるいは国家公務員にしても、もっと外国人にも門戸を開放すべきじゃないか。特に日本に長く住んでいる在日朝鮮人の人たちに対しては歴史的経過を踏まえてそうすべきではないか。この二点についての御意見を承ります。
#78
○参考人(小川泰君) 私もちょっと先ほど時間がなくて触れ損なったんで、順序は逆になるかもしれませんが、特に在日韓国人という方の実態というのは大変多うございますから、私どももこれは何とかあたりまえにしなきゃいかぬなというのはもう基本的な考え方です。したがって、これは就職のみならず、生活万般にわたってできるだけ差別をなくす、こういう前提でやっていかなきゃならぬ、こういう基本に立ちます。
 たとえば在日韓国人等の場合には、納税の義務というものは一面相当課せられておって、それじゃそれに見返るような社会保障全般の問題であるとか、そういったものはどこまで見返りとしていっているんだろうかとか、いろいろ問題がこれ探ってみますとございますね。そういったような基本から正していきませんと全体のバランスが私はとれていかないんじゃないのかなというので、大変多く問題を持っていることも承知しております。その中の一つとして、雇用といいますか、そういったような問題についても御意見のように私は差別なんてことは全然考えておりませんので、扱っていかなきゃならぬ、このように考えております。
 それから公務員を国籍等によって差をつけるという考え方ですね、これは私やっぱり間違いじゃないかというように思っています。余り差別というのはよくないなあというのがぼくの基本でありますから、そういう悪いものは取っ払ったらいいと。何も法律というものは変えちゃいかぬということはないわけですから、実際の生活や慣習になじんで最もいい方法だというなら、あんまり法律があるからというのでそこにかじりつかないで、むしろ社会の進歩に伴ってそれをうまくコントロールしていくというか、誘導をしていくというために法律があるわけですから、そういうふうに変えていったらよろしいというぐらい、私は、非常に幅を持って物の規範というものを見ますものですから、御意見のとおりだというふうに考えております。
 そういう発想に立つものですから、さっき私は難民なんかの問題も実際私どもこれを避けて通れない体験をしておるものですから、これは先ほどの戸叶先生じゃないけれども、最も虐げられた立場にある人ほど先に手を出そうという感じがあるものですから、特にベトナムの難民の人なんていうのは、端的に言って、私ども海員組合という組合が私どもの仲間におります。洋上を私どもの仲間が船を操っていれば、もう難破寸前のような船で助けてくれと言われれば、これはもう日本に難民条約批准がないからさようならなんということは絶対できないんです、これは人道上の問題で。やっぱり救い上げて帰ってくる。帰ってくればどこでだれがめんどうを見るのかという現実に何回もぶつかりまして、どこも何もしてくれない、こういうことになりますと、やっぱりみんなで手を出すかというので、カンパを集めたりいろいろな方法でそのボランティアのためにやってやるというようなところに何回か逢着していますからね、そういう点から考えても、いまの御質問の点とも、私、規範は一緒だ、こう見るものです。あるいは留学生の方なんかお国がなくなちゃって帰るところがないというので、学校に行くにも金がなしと、こういった連中がずいぶん相談に来ますよ、大いにじゃ助けましょうと、こういったような問題とか、やっぱりみんな同じだと私は思っております。ですから、物事が一遍にそういかないとするならば、一番火急を要するところから逐次実績を持ってこれを積み上げていくという延長線上にいまのお話のようなものが私は自然に解かれていくんではないか。その場合に邪魔な法律ならそれは大いに変えていただいて結構と、こういう感じです。
#79
○塩出啓典君 上杉参考人にお尋ねいたしたいと思います。
 参考人からは非常に具体的な数字を挙げて部落民に対する差別があるという、こういうお話をしていただきまして、私も非常に勉強になったわけでありますが、しかし、その解決というものが、われわれは政治家として現在立法府にいるわけで、立法府は法律をつくるところでございましてね、ところが職業選択の自由あるいは教育の機会均等の問題あるいは地名総鑑の発行の問題、こういうような問題やあるいは結婚の差別にしても、これはなかなか法律では云々できない問題である。私はやっぱり教育というものが非常に大事じゃないか。教育は、先ほどお話がありましたように、部落関係者の皆さんがそういうものに負けないで、われわれは同じ人間じゃないかという、こういう自覚に立つ教育とともに、国民全体に対する教育、そういうことで人間を差別するということはいかに間違っているかという、こういう教育に力を入れていかなければいけないのではないか。
 現在、同和対策特別措置法が三年間延長になったわけでありますが、正直言いまして、私たち田舎の町村長さんなんかに会いますと、中にはこれが新たな差別をつくるんじゃないか、こういう考えを持っている人も実はいるわけなんですね。そういう点から、先ほど上杉参考人が一番最後に、現在のような事業法ですか、道路をつくるとか家をつくるとか、そういうことだけではだめなんだと。確かにそういう点でぼくはやっぱりそうだと、もっと人の心の中にあるものをとっていかなければいかぬわけでね、家をつくるとか橋をつくる、それをもって同和対策がいっているという考えは私は非常に間違いで、もうちょっと足りないものがあるんじゃないか。そういう意味で、最後に事業法を改めてすべての分野にというような御内容のお話だったんですが、上杉参考人としては何が必要であるのか、そのあたりのお考えを承りたいと思います。
#80
○参考人(上杉佐一郎君) いま御指摘されましたように、私たちは差別をなくするために、今日の四十年にできました同和対策事業特別措置法、もう名が示すとおり事業特別措置法なんです、これは制定当時に、私どもは同和対策部落解放特別措置法というような名称でよろしいということを言ったんですが、これはわれわれの力が不十分であったために事業法になってしまいました。
 で、私たちはなぜ反対をするかというと、差別の本質と言っておりますのは、部落の環境が悪いとか、たとえて教育の援助金を出してもらわなきゃならぬとか、道路の拡幅に国の補助金をくれとか、そういう問題――私たちは、部落の人たちも国民と同じように教育の機会が保障され、そして会社や銀行にだれでも勤めることができたら、あの同和対策事業は要らないんです、要らないんです。ところが、今日、残念なことに、民主主義憲法と言われます憲法があるけれども、その憲法が日本の国民の一人一人のものになっていない、また政治の中でもそれが保障されていない。ですから、部落の人たちは、差別のために、そして今日の政治の差別のために雇用の機会がない、失業しているから、これを直していく。いわゆる教育と雇用の促進、そして社会全般に残っておる社会意識としての差別観念、これをなくするということが非常に今後の問題として私たちは何よりも大切だと。
 で、指摘されますように、いまのような事業法を延長いたしますと、まだ差別意識が残っている国民から見ますと、部落民というのはわれわれよりも下であったんだ、住むところも惨めなところだったんだ、生活状態も惨めだったんだ、ところが特別措置法ができちゃって、おれらのところには集会所がないのに部落にはりっぱな集会所ができちゃったという形のものがございますから、逆差別と言われるねたみ意識が差別意識に拡大をしているというのが今日の状況であろうと思います。だから、形をつくることよりも中身をつくる、就職の機会を保障する、教育の機会を保障するということに重点を置いてもらわなきゃならぬと思います。
 ところが、私は、これはやっぱり教育やその雇用の促進の問題は、じゃ企業に対して部落民を何名使えという法律をつくったら解決するのかというと、そんなもので解決することはないと思います。それからインドなどでつくっております賎民の代表を国会議員に何名比例代表で送れるといったからといったって、こんなことで解決するものじゃないと思うんです。問題は、やっぱり今日雇用の問題は日本の中に、部落民だけじゃなく、たくさんたくさん日に増してどんどんどんどん失業者が出てくるこの現状がなくならなきゃ、私たちの部落民だけ特別措置法があるから一般の人は首になっても部落民だけは最優先的に雇用しなさいと言ったって、そんなことが実現されることは世の中にありません。ですから、失業者がたくさん出てくるようなこの世の中というものを政治の中で直してもらう。それから教育そのものが復古調の教育ではなくして、民主憲法の原点に返った、一人一人の国民が主人公であり、一人一人の国民がみずからの人権を守っていくという、この教育精神が日本の教育の中に確立をしないとだめじゃないかと思っていますね。
#81
○塩出啓典君 地名総鑑の問題ですが、興信所等の問題につきましてはプライバシーの保護ということで、いま日本全国でも何万台というコンピューターがあっていろんなデータが入っているわけですね。そういうデータの中に、この人はどの政党を支持するとか、あるいはこの人は部落出身だとかないとか、そういうようなことは入れるべきではないんじゃないか、こういうことでプライバシーの保護法という、そういう法律をつくろうじゃないかと、社会党さんの方からも案も前に出ましたし、わが党もですね、そういうような点で、これはある程度法律的に規制はできるわけですけれども、しかし、これは民間の興信所までやれるかどうかとなりますといろいろ論議のあるところなんですけど、そういう点は今後努力していきたいと思っております。
 それで最後にお尋ねするんですけれども、就職を世話する、あるいは教育のレベルを上げていく、結局、そういうところが大事だと思うんですね。それは部落出身の方とかあるいは在日朝鮮人の方とか、要は日本人の中にも差別を受けている人もいるわけですから、そういう困った人をだんだん上げていく、全体のレベルを上げていくという、そういうことの方がいいんではないか。
 ということは、部落なんというものは、いま産まれてくる子供なんか全然知らぬわけです、本当は。部落解放ということを余りやると、知らない人にまでそういう差別を教えていくという――これは、私は、そういう点でいつの日か皆さんとお話ししたいと思いつつ今日まで来て、きょうはちょうどいい機会でお尋ねするんですけれども、そういう点についてはどうなのか。そのあたりは非常に路線の根本的な問題でございますので簡単にお話しできない問題かもしれませんが、もしそういう方向ではまずい点があるのか、この点をお伺いしておきたいと思います。
#82
○参考人(上杉佐一郎君) 今日では、いろいろ寝た子を起こすなとか、部落解放運動をするから差別を受けるんだとかいうような意見がございます。確かに部落の人で相当な地位、財界の地位を得た人も万人に一人ぐらいいます。それから芸能人だとか、そういう有名人になった人もいます。そういう人たちは、えてして、おまえたちが解放運動というのろしを上げて、松本治一郎が先頭になってああいうことをやるから、おれたちは肩身を狭くして歩かなきゃならぬと言う人たちがごく少数いることは事実です。
 しかし、それは万人に一人の問題でありまして、部落大衆、多くの人たちは今日やっぱり差別を受けているわけですから、差別を受けている人たちがみずから立ち上がってみずからの人権を守る運動をやらないことには、今日の日本じゃ――国際人権規約だって、これは世界でもずうっと日本は、私は詳しくは知らないけれども、おくれているんでしょう。私は、本当にいま問題になっているのに失礼ですけれども、日本はいま人権規約を批准しようと努力されている、そのことは本当に日本の圧迫されている人たちの人権を守るという立場で前向きの姿勢で人権規約の批准が求められているのか、それとも国際の立場上で、外国との立場上でせなきゃならぬじゃないかという立場が優先しているんじゃないかという気がしてどうもならないんですね、どうもならない。
 そうじゃなしに、本当に、本当に日本の国民が、このようにあらゆる場で人権がじゅうりんされている、人権の権利が圧迫されている、この問題を直すためにこれをつくらなきゃならぬというふうに日本の国の全体がなってくるなら、私たち部落民が運動をしないでも国民全体が運動をしてくれるわけですから、私は、部落民が部落の解放をと言うて毎日叫ばないでいいと思うんです、そういうふうに思っています。
#83
○委員長(菅野儀作君) 以上で参考人に対する質疑は終わりました。
 参考人の皆様に一言お礼のごあいさつを申し上げます。
 本日は、お忙しい中を本委員会の審査のため貴重な時間を割いていただきまして、まことにありがとうございました。ただいまお述べいただきました御意見等につきましては、今後の本委員会の審査に十分活用させていただく所存でございます。委員会を代表して厚くお礼を申し上げます。
 本日はこれにて散会いたします。
   午後三時四十一分散会
ソース: 国立国会図書館
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