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1978/06/05 第87回国会 衆議院 衆議院会議録情報 第087回国会 法務委員会 第18号
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1978/06/05 第87回国会 衆議院

衆議院会議録情報 第087回国会 法務委員会 第18号

#1
第087回国会 法務委員会 第18号
昭和五十四年六月五日(火曜日)
    午前十時十四分開議
 出席委員
   委員長 佐藤 文生君
   理事 青木 正久君 理事 鳩山 邦夫君
   理事 濱野 清吾君 理事 山崎武三郎君
   理事 西宮  弘君 理事 横山 利秋君
   理事 沖本 泰幸君
      二階堂 進君    原 健三郎君
      福永 健司君    三池  信君
      村山 達雄君    下平 正一君
      武藤 山治君    飯田 忠雄君
      長谷雄幸久君    正森 成二君
      阿部 昭吾君
 出席政府委員
        法務大臣官房長 前田  宏君
 委員外の出席者
        法務省刑事局参
        事官      宇津呂英雄君
        参  考  人
        (上智大学教
        授)      青柳 文雄君
        参  考  人
        (元日本弁護士
        連合会会長)  和島 岩吉君
        法務委員会調査
        室長      清水 達雄君
    ―――――――――――――
委員の異動
六月一日
 辞任         補欠選任
  正森 成二君     柴田 睦夫君
同日
 辞任         補欠選任
  柴田 睦夫君     正森 成二君
    ―――――――――――――
六月一日
 刑事訴訟法の一部改正に関する請願(上田卓三
 君紹介)(第四五五三号)
 国籍法の改正に関する請願外一件(土井たか子
 君紹介)(第四六五七号)
は本委員会に付託された。
    ―――――――――――――
本日の会議に付した案件
 参考人出頭要求に関する件
 刑事訴訟法の一部を改正する法律案(西宮弘君
 外五名提出、衆法第一五号)
     ――――◇―――――
#2
○佐藤委員長 これより会議を開きます。
 西宮弘君外五名提出、刑事訴訟法の一部を改正する法律案を議題といたします。
 本案審査のため、本日は、参考人として上智大学教授青柳文雄君及び元日本弁護士連合会会長和島岩吉君の御両名に御出席をいただいております。
 この際、両参考人に対し一言ごあいさつ申し上げます。
 本日は、御多用中のところ御出席をいただきまして、まことにありがとうございました。
 本日は、再審制度について御意見を承るのでありますが、参考人各位それぞれのお立場から、忌憚なき御意見をお述べいただくようお願い申し上げます。
 次に、議事の順序について申し上げますが、青柳参考人、和島参考人の順序で御意見をお述べいただくこととし、なお御意見の開陳は、お一人十分程度に取りまとめてお述べいただくようお願い申し上げます。次に、参考人に対して委員から質疑がありますので、さよう御了承願います。
 それでは、まず青柳参考人にお願いいたします。
#3
○青柳参考人 青柳でございます。
 本日は、私の後で参考人としてお述べいただく和島さんの方から、具体的な事件についての再審の問題などはお話しいただけると思いますので、私は、ほかの国の再審についての立法例との比較であるとか、あるいはわが国の刑事訴訟法においての再審が占める地位とでも申しますか、そういうものを中心としてお話しをいたしたいと思います。
 社会党案の趣旨の説明によりますと、この案の要点は七つあるということになっておりますが、時間の関係上、最も重要と思われます第一の再審要件の緩和及び理由の拡大、それから第二に裁判官の除斥の問題、第三に検察官の反対立証制限という三点について、まず意見を申し述べたいと考えます。
 結論から申しますと、一と三は反対、二は賛成ということになるわけでございます。
 再審は、御承知のとおり、確定判決の事実誤認のはなはだしい場合を救済する制度でありますが、本来大陸法の制度でありまして、英米法には存在しないものなのであります。大陸法でも、ドイツ法の場合においてはわりあい広く認めますが、フランス法は非常に狭い範囲でしか認めておりません。このことは恐らく、犯罪必罰の思想がドイツでは非常に強いので、そのために被告人であった者に間違った裁判というものがあり得ることが多いのに対して、フランスの場合は陪審でありまして、そしてむしろその陪審員が被告に同情をして有利な誤判をするという批判こそは多いわけでありますけれども、反対の批判は余りないというところから来るのではないかと思われます。
 このドイツもフランスも、歴史的な事実を明らかにするということが刑事訴訟の任務であるというふうにしているわけでありますが、英米法では、刑事裁判は適正手続が行われればよいという考えでありまして、それともう一つは、陪審との関係で再審を認めません。それでも裁判の誤りはもとよりあるわけでありますから、その救済は特赦あるいは人身保護令状というようなものを利用をいたしております。
 現行の刑事訴訟法は、日本国憲法の規定を受けまして、旧刑事訴訟法に比べますと、アメリカ法的な適正手続、人権保障の規定を取り入れました。陪審ではないということ、捜査の段階での強制処分があること、起訴が慎重であるというような点は、アメリカ法にはないものがある関係で、無実の者が有罪になるという蓋然性はきわめて低く、再審で無罪になる者が少ないということは、再審の開始のための門が狭過ぎるというよりは、その対象となる裁判が少ないためであると考えられます。
 この観点で、一の再審要件の緩和、再審理由の拡大には賛成いたしません。再審理由をどの程度に認めるかということは、通常手続としての控訴理由、上告理由とつり合いのとれたものでなければならないのです。
 現行の刑事訴訟法は控訴審を事後審といたしまして、上告審も同様の構造にいたしております。事実誤認ということで控訴理由となり(刑事訴訟法三百八十二条)上告審での職権破棄事由がある(刑事訴訟法四百十一条三号)というためには、上級審の裁判官が見ましてどうもおかしいというだけではいけないので、経験則違反ということができるほどに事実誤認がある場合でなければならないということは、通説が認めているところであります。それであるからこそ事後審なのでありまして、旧刑訴の覆審としての、つまりやり直しの控訴審、民事訴訟法の続審、つまり引き続いての審級としての控訴審とは異なるわけであります。それであるからこそ、一審の充実であるとか、伝聞証拠の排斥であるとか、任意性のない疑いのある自白の排除であるとか、弁護人による防御の機会などが保障されているわけであります。
 控訴理由としては、ほかに再審事由あるいは上告審の職権破棄事由としてのやはり再審事由というのがありますが、この案のように、確定判決後の再審事由を広げますことは、当然に控訴理由や上告審の職権破棄事由としての再審事由にはね返ってくるわけでありまして、さきに述べた事実誤認との間につり合いがとれないことになるきらいがあります。すなわち、事実誤認の場合は一審判決後に生じた事実は主張できないということになっておりまして、これは事後審の実を上げるためであるのに、他方では再審事由としてならば一審判決後に生じた事実も主張できるということになるからであります。現行刑事訴訟法のように再審事由が狭ければ、これは例外として認めてもよいでしょうけれども、社会党案のようにこれが広がってまいりますと、この矛盾が正面から出てくるのではないかと思います。
 それだからといって、控訴審を続審制に民訴のように改めますことは、必然的に上告理由の拡張を招きまして、上告審としての最高裁判所の裁判官を思い切ってふやしてでもする以外にはないことになってしまいます。最高裁判所を現在のままにするというのであれば、控訴審も現在の程度の事後審とするほかはないでしょうし、再審事由だけを広げればそれで済むというわけではないと思います。
 最高裁の第一小法廷がさきに白鳥事件の再審について示しました、疑わしきは罰しないという鉄則が再審開始決定にも適用があるという判例は、私個人の見解から見ますと、このつり合いの点の考慮を欠いたきらいがあると考えられます。あのようなものを真正面から受け取りますと、無限の上訴を認めよというのと同じ理解さえできることになります。しかし判例が出た以上、あとはその運用にまつべきでありまして、それをさらに広げるという立法には賛成できないのであります。
 二番目の原判決関与の裁判官の除斥というのでありますが、これはドイツの刑事訴訟法にも例がありますし、現在の刑事訴訟法ではそういう除斥の規定は置いておりませんけれども、事実上再審申し立てまでの間に相当長期間があるのが多いものでありますから、同じ裁判官が同じ裁判所に在勤しているということは余りありませんので、結局、実際上は別の裁判官がやっておるのが実情でありますから、この改正案でそれを明らかにすることは、もとより差し支えないと考えます。
 三番目の検察官の立証の制限でありますが、これは、検察官が公益の代表者として再審申し立て人にもなっている、あるいはまた唯一の非常上告の申し立て人でもあるという現在の制度は、検察官の職責を公益の代表者と見ているわけでありまして、これを当事者の一方にすぎないアメリカの検察官と同じに見ようとすることになります。社会党案は確かに検察官に意見を述べる機会を与えておりますけれども、それでもなお片言訟を聞くということになる非難を免れないと考えられます。
 これにつけ加えまして、再審の開始をすべきか否かの審理を公開の法廷で行うという改正案についても、意見を申し述べたいと思います。
 今日、マスコミが裁判所による判断に先立っていろいろに書き立てまして、捜査、公判にある程度の影響を与えるのではないかということが危ぶまれておりますけれども、再審開始までの手続の場合においては、日本人の赦す哲学が影響をしまして、あるいはだれだれを守る会というようなものが結成されまして、マスコミと合流をして不相当な影響を裁判に与えるのではないかということが案じられます。
 ただ、事実の取り調べへの立ち会いは再審開始までの主たる手続が書面の審査であるので、その例も恐らく余りないと思われますし、人証の取り調べなどは現行の刑事訴訟規則にも立ち会いを認めることができることになっておりますので、念のために裁量的な規定を設けるということや、事実の取り調べ終了後の適当な機会に被告人、弁護人に意見を述べる機会を与えるということは、規則にはその時期の規定がありませんので、これを明定してもよろしいかと思います。しかし、それらは何も法を改正しなくても、規則の改正で間に合うのではないかと考えられます。
 最後に申し述べたいことは、次のとおりのことです。
 再審事由を拡張しさえすれば無実の者が救われるという議論は、赦す哲学を信奉する日本人の耳には快い響きを与えますけれども、英米法に再審という制度がないこと、日本国憲法はその制度を持たないアメリカ法を取り入れていること、現行刑事訴訟法が日本国憲法のもとにあることを考えますと、根本的に考え直しを迫られる問題であろうかと思います。英米法は中世までの決闘裁判の伝統を引いておりまして、証人の交互尋問さえ十分に行えば、真実の発見は特に考えないということを基本にいたしております。現行刑事訴訟法は、そこまで割り切ることなしに、反対尋問による吟味を経ない供述も、伝聞証拠の例外として大幅に認めておりますけれども、それでも大陸法に比べれば、公判廷での当事者の攻防ということを重要視いたしております。
 現行刑訴は、歴史的事実の発見を唯一の理想としていた旧刑訴に比べますと、真実の追求という点では一歩退いているわけであります。それが当事者による攻防の充実、人権の保障に必要だとしたのが現在の刑事訴訟法でありますので、再審の制度についてもそれに合うように、裁判所での訴訟手続による真実の発見には限界があるのだということを率直に認めなければならないと思います。
 この訴訟構造のもとでの無実の者の救済は、起訴を慎重にし、通常手続、ことに一審の手続を慎重にすることによって得られるので、上訴理由の拡張によって得られるものでもありませんし、もとより再審による保障によって得られるものではないと考えます。そして、それでも起きる無実の者の救済は、英米法にならいまして特赦によるのが相当であり、そのためには裁判官、検察官、弁護士により構成される特赦委員会というようなものが立法上設けられるのが相当であろうかと思います。そうすれば、そこでは伝聞証拠というような証拠法則の制限なしに、歴史的事実を追求することもできるわけであります。この点についても、国会の方で十分の御研究をなされることを望んでやまないわけであります。
 私の参考人としての意見の陳述は、これで終わらしていただきます。
#4
○佐藤委員長 ありがとうございました。
 次に、和島参考人にお願いいたします。
#5
○和島参考人 和島でございます。
 およそ世の中に、無実の罪に泣く人ほどの悲惨はないと思います。弁護士として多年再審事件に関与してきました私は、あの人、この人のことを思い浮かべながら、このことを痛感せずにはおれないのであります。
 昭和の巖窟王と喧伝された吉田石松翁は、五十年目に再審が認められ、無罪となりました。この五十年の彼の人生はどうであったでありましょうか。
 また、これは私も直接弁護人として関与した事件でありますが、一昨年広島で六十二年目に再審が認められて無罪となった加藤新風羽の場合を考えてみます。二十四歳から八十六歳までの人生は人の世から疎外され、娘のキクヨさんは、生まれ落ちたときから六十年の人生、暗い悲惨な生涯を強いられました。
 いまなお再審を求めて苦闘を続けております免田栄事件の場合を考えてみます。昭和二十六年十二月に死刑の判決が確定しました。徹底的に無罪を叫んで再審を請求して、昭和三十一年八月十日に熊本地裁の八代支部で、無実の疑いが十分あるということで再審が開始されましたが、検察官の即時抗告によって取り消されて、いまなお死の壁を見つめながら再審請求を続けております。
 同じ日本の裁判所が数十名もの証人を調べて慎重に審理をした上、開かずの門とされた再審の門を開いたが、これは新規、明白の証拠に該当しないという冷たい法の解釈で、これが取り消されました。西独では、一たん開始決定があれば、検察官は異議を申し立てられないという制度になっておることに強く思い及ぶのであります。同じ日本の裁判所で、無罪以上のことを意味する再審を開始した事件が、公判にもかけられずに棄却されて、いまなお死を見詰めさせているこの現実をどう理解すればよいのでありましょうか。
 これらは、わずかな例を挙げたにすぎません。文化を誇り、民主主義を強調するわが国で、この悲惨が放置されておいてよいのでありましょうか。再審問題は、こうした点から出発しなければならないと思います。
 最近、ようやく何件かの再審開始の決定を見ました。これは、ようやく世論も事の重大性、深刻性に目覚め、再審制度はこれでよいかということが真剣に取り上げられることになり、最高裁の白鳥決定もこれを反映してか、従来の法解釈を常識の線に近づけたことがあずかって力があると思います。
 時間に制約がありますので、多くを申し述べる余裕はありませんが、私が直接、間接に経験した事例を踏まえながら、いかに現在の再審制度が不備であるか、再審の実情が不条理かということを述べて、この制度をどう改善すべきかという点に限って卑見を述べたいと思います。
 私が関与した幾つかの納得のできない再審事件について申し上げます。
 昭和三十二年、神戸の有馬街道上で起こった徳本事件は、神戸弁護士会、日本弁護士連合会で再審事件として取り上げ、私は、終始日弁連の人権委員の立場から弁護人としてこの事件に関与いたしました。
 この事件は、徳本吹喜雄という青年が、ほか二人とともに自動車運転手を襲い、強盗殺人事件として起訴され、終始否認のまま、ほか二人というのも判明しないまま裁判に付され、各審で有罪とされ、上告審で確定しました。
 徳本は、この事件で未決勾留中に、同じころ同じ有馬街道上で同じ年ごろの三人組が、同じ手口で自動車強盗事件数件で起訴され、有罪判決を受けたが、なおほかに隠している同種事件のあることを同房の者に漏らしていたのを聞きました。
 しかも、その一人が徳本と年齢、容貌、体格が酷似していることを聞き、この三人が真犯人と信ずるに至り、保釈中、刑の執行間近になった三十六年十月に右の真犯人と目された三人を次々神戸に招致し、私立探偵の大塚義一氏の協力のもとに詰問しましたところ、徳本の前記事件は三人の犯行と自白し、大塚氏の手で自白調書がつくられ、その状況が録音されました。三人は、徳本にわびるとともに、自首するということになったのでありますが、このことが新聞に大々的に報道されました直後に、三人は態度を変えて、右の自白は、徳本とその協力者の監禁強要による虚偽の自白であるものと言い、警察は徳本及び協力者八名を逮捕し、起訴されるに至りました。
 この公判で、はしなくも徳本の前記事件は神戸地裁で徳本が真犯人なりやの審理となりました。前後百三十回の公判が開かれまして、実に注目すべき判決となったのであります。前記三名から自白調書をとった大塚氏は無罪、徳本を初め他の協力者は、一年半から二年の求刑をされていましたが、一応有罪とはされましたが、各四十五日の懲役という名目だけの裁判になり、一年の執行猶予、徳本本人は四十五日のうち三十九日通算、六日という刑になりました。
 こういう名目の裁判で、何よりもこの判決で注目されましたのは、詳細な証拠を検討の上、裁判は、徳本の冤罪の主張はこれを首肯するに足る、おまえは無実だというのはもっともだという事実認定の判断が示されたのであります。
 これに対し検察官は、再審でもないのに徳本に対する前記認定は重大な事実誤認と控訴しましたが、控訴審も一審の前記認定を支持しまして、検事の控訴は棄却されました。この判決は結局確定したのであります。
 われわれは、この証拠を理由に神戸地裁に再審の請求をしましたが、意外にも他の部で棄却となり、大阪高裁に即時抗告をしました。高裁では、前記監禁強要事件の控訴と再審の抗告を同じ部で審理することとなりましたが、昭和四十三年十二月二十一日、前記の控訴も再審の抗告も、いずれも棄却となったのであります。
 これは奇妙なことであります。徳本の無実を肯定した一審の判断を支持した同じ裁判官が、再審を認めずに棄却しているのであります。こうしたことが国民の正義感情を納得させるでありましょうか。こうしたことがまかり通っているのが再審の現状であります。
 昭和二十八年十一月五日に起こった徳島ラジオ商殺し事件にも、日弁連人権委員会は昭和三十四年から再審請求に関与し、私もその後今日まで弁護人として至っております。
 事件の内容を紹介する時間的余裕はありませんが、この事件には多くの人たちが重大な関心を払い、犯人として有罪判決を受けた富士茂子の雪冤に協力されました。日弁連の人権委員会は早くからこの事件に注目し、独自の立場で調査を遂げ、茂子無実と結論し、天下に声明しました。徳島の検察審査会は、茂子有罪の決定証拠とされましたラジオ商の二少年店員の証言は、茂子無罪を意味する偽証であるという結論を出し、検事正に起訴勧告を行いましたが、検察庁は取り上げませんでした。
 作家の開高健の「片隅の迷路」瀬戸内晴美その他の人たちは、小説その他いろいろの形式で調査結果を発表して、茂子の無実を強調しております。映画の「証人の椅子」も同じ結論の筋書きで強い感銘を与えました。これらの人たちはことごとく例外なく茂子無実の結論を出しております。私流に言えば、国民裁判は早くから無罪の判決を下している観があります。しかし、自後二十有余年、本人茂子はいまなお雪冤のために苦悩の人生を続けているのであります。
 裁判史上前例のない広島の加藤新一翁の事件は、六十二年目に再審が開始され、無罪の判決を得た希有の事例であります。この事件でも私は、再審請求、開始後の公判にも弁護人として関与しましたが、私の偽らぬ実感は、なぜこの事件が有罪となったか、なぜこの再審が長い間認められなかったかということであります。
 この事件では、加藤は終始否認を続けましたが、共犯とされた岡崎太四郎の自供のままに事実認定されました。証拠調べで岡崎は、初め榎並夫婦と一緒に犯行に及んだと自白しましたが、この榎並夫婦の不在証明がはっきりしましたので、一転して今度は、加藤と一緒に犯行に及んだと供述するに至ったことも、再審の証拠調べで明らかとなりました。
 被害者には全身二十三カ所の切創、切り傷がありましたが、これは凶器とされたわら切りのような重いものでは傷をつくることは不可能という、成傷不可能という鑑定が出、確定判決で唯一の証拠となった着衣のしみを人血という鑑定を下しておるが、この鑑定をした安西医師がやったという方法では、大正四年当時では法医学上不可能だという鑑定が出ました。
 この事件の筋は細かく説明できませんが、常識では想像もできない態様の事実認定が見直されて再審開始の決定となり、無罪の判決となったのであります。
 今日まで、再審が認められた事件は数件にすぎません。そのうち何件かが、白鳥決定で、新たな証拠と前の証拠を総合的に見て合理的な疑いを生すれば足り、疑わしきは被告人の利益という刑事裁判の鉄則は再審にも適用されるという趣旨で、幾らか解釈が緩和されることになったためであります。常識から見れば余りにも当然と考えられるこの白鳥決定が出るまで何十年の間、冤罪を訴える人たちが開かずの門をたたき続け、いまなお多くの人たちが苦闘を続けているというのが現状であります。この実情は、日弁連の人権白書が明らかにしております。いまや、ようやく再審問題の深刻な実情が認められて、現状打開の要請は一致した世論だと私は思います。
 今日、当院で審議されております改正案は、多年再審で苦闘してきました私にはいずれも適切な提案と思われます。そのいずれも、多年、日弁連を中心に再審問題に取り組んできた人たちの血のにじむような経験から割り出されているのであります。
 いろいろな再審事件に関与してきた経験から、幾つかの点で卑見を開陳したいと思います。
 何より再審の要件を緩和しなければならぬと思います。改正案にもあるように、刑訴法四百三十五条六号の新規、明白な証拠の意味を明文で規定されねばならないと思います。白鳥決定の判例で任しておけばよいではないかという議論があるかもしれませんが、この余りにも当然と思われる道理が多年にわたり通用しなかった苦い経験をかみしめて、これが再審制度に生命を与える根本であることの認識に立ち、いまなお裁判所の底流となっている再審開始に二の足を踏む実情から見て、明文化がぜひ必要と思います。
 一々細かな点に触れる余裕はありませんが、手続面はできるだけ再審制度を生かすように考慮されたいと思います。
 明後日決定が出る予定になっておる財田川事件では、昭和三十九年に出された再審請求が昭和四十四年まで五年間放置されていました。だれ一人協力する者もなく、当時小学校の低学年の学力しかなかった請求人の手紙は、意を尽くさぬものがあったでありましょう。これを生かして今日の状況を展開するためには、裁判官の職を賭して想像を絶する犠牲を甘受してこの事件に取り組まれた、当時の矢野判事の努力が必要であったのです。矢野氏なかりせば、とうの昔に、このだれが見ても間違いだと思われる死刑が執行されていたのではなかろうか、思うてここに至れば、はだえにアワを生ずる思いがいたします。こうした深刻な実情を踏まえて改正案を見ると、初めて、その意味するところが正しく理解できると思います。
 終わりに、再審が開かずの門として多年機能しなかった理由はどこにあるのでしょうか。これを審理する裁判官は、多くの場合、先輩の裁判官のやった誤りを正すことを意味する再審に二の足を踏むのであります。そして、確定判決を動かすことは法的安定を害するという体制側の理論づけを、その姿勢の逃げ場としていると思います。
 こうした姿勢は、法的安定に果たして役立っているでありましょうか。逆でありましょう。人間のやる裁判にも誤りがあることは免れません。このことは、古今東西多くの事例が明らかにしています。しかし、この誤りは裁判所によって謙虚に正される、みずから正される、これで国民は納得して裁判所を信頼するのであります。これが本当の法的安定というものでありましょう。誤りがあってもこれを認めないで、強引に権力で封殺していくのは独裁国のやり方です。
 裁判には相当誤りがあります。このことは、再審問題を取り扱うと実感がわきます。われわれが取り上げることのできなかった中にも、相当深刻な事件が埋没しているだろうと考えるのは、私だけではないと思います。さきに挙げた事例のほかにも、死刑判決となっている免田事件や財田川事件の例に見られるように、ある判事は、冤罪を認め再審を理由ありとし、ある判事は、これを簡単に取り消して平然としています。誤判が問題となる事犯は、大抵事実認定がおかしいと思います。健全な市民常識が加われば考えられないような事実認定が平然として行われています。
 誤判の理由の多くは、捜査官の人権無視が横行して、裁判所がこれを寛容に看過するところにあります。私の関与した再審の多くの場合でも、ともに誤判を正す姿勢、公益の代表者たる日本の検事はしかあるべきにかかわらず、そうした姿勢をとらず、ひたすら真相究明を妨げる姿勢をとっています。これが看過されるのは、一つには人権無視、軽視が看過されやすいわが国の国民的風土が省みられなければならぬと思います。徳川江戸三百年の権力政治、これにならされた国民は、明治以後の政治支配にも人権軽視に馴致されてきました。再審制度の改正には、こうした観点が大切だと思います。
 終わります。
#6
○佐藤委員長 以上で参考人の意見の開陳は終わりました。
    ―――――――――――――
#7
○佐藤委員長 これより質疑に入ります。
 質疑の申し出がありますので、順次これを許します。西宮弘君。
#8
○西宮委員 まず、きょうはお二人の参考人においでをいただきまして、ただいま貴重な御意見を聞かせていただきまして、まことにありがとうございました。
 最初にお述べになりました青柳参考人からは、特に私どもがつくって出しました再審法の改正案について、いろいろ理論的な面から御批判をいただいたということは、これまた貴重な御意見として私ども拝聴いたしまして、なお十分そういう問題についても検討していきたい、そういう面で十分理論的にも批判にたえ得るものをつくっていきたい、そういうふうに私ども考えております。そういう意味で、いろいろ御意見をいただいたことを感謝をいたします。ただしかしながら、大分私どもの考えている考え方とは参考人の御意見は距離があるようでありまして、たとえば白鳥決定も、これは私見としてという断りでありましたが、あれでもすでに行き過ぎているというふうに考えるという御意見でありましたので、そういうようなことになりますと、私どもの考えとは余りにも相違をするわけであります。
 私は、いまいろいろ御意見を伺っておりまして、青柳参考人の御意見は、要するにいまの日本の犯罪については、捜査の段階ないしは裁判の段階、これがいずれも完璧に行われているということを前提にしての御意見ではないかと思うのでありますが、私ども、本当はそれが一番望ましいと思います。捜査も完全であり、裁判も全く完璧に行われる、こういうことになりますと、もうすでに一審で、特に一審が重点でありましょうから、一審で問題はすべて解明されるということであってほしい、これはわれわれも願ってやまないわけであります。
 しかし、現実は決してそうはいってない。いま和島参考人がお述べになりましたようなたくさんのケースもありますし、あるいは私、この委員会で質問をいたしましたときに、当時の法務大臣は福田一さんでありましたけれども、裁判には誤判もあり得る、捜査段階におけるでっち上げも絶無とは言えない、こういう答弁をされたのでありますが、私は、それが実際の世の中の実情ではないかというふうに考えます。したがって私は、いま申し上げた捜査についての問題と、それからさらに裁判についての問題と、これは主として実例に即しながらお尋ねをいたしたいと思いますので、お二人の参考人のどちらでも結構でございますが、お答えをいただきたいと思います。
 ここに持ってまいりましたのは「犯罪捜査の基礎になる考え方」という書物でありまして、これは警察学校で使っておられる教科書みたいなもの、準教科書ではないかと思うのであります。
 私、いま捜査段階における問題として、見込み捜査の問題、二番目には、社会的な不安を解消するあるいは警察の威信の確保といいますか、そういう問題、三番目は別件逮捕の問題、四番目は自白に依存し過ぎるのではないか、そういう問題に分けて、一つ一つお尋ねをしたいと思うのでありまして、まず第一に、現に行われております見込み捜査ということについて伺いたいと思うのであります。
 この書物の中には、見込み捜査というのが歴史的に考えると四つの段階に分かれている、第一の段階は直覚的見込み捜査の時代、これは神代から徳川幕府の創設の時期までというのであります。第二の段階は合法的見込み捜査の時代というので、これは徳川の初期から明治時代の末期ごろまで、第三の段階は科学的捜査時代、これは明治の末期から大正の中期ごろまで、大正五、六年までというふうに書いてあります。そしてその後の時代は合理的捜査の時代、こう呼ばれるのだと言っておりますが、私は、今日なおこの見込み捜査というのがずいぶんイージーに行われているという感じが強くいたします。
 つまり、大体あの男だろうというふうに見当をつけて、そこに的をしぼって捜査をする、こういうやり方ですね、これが、私が誤判を生む原因として第一に挙げたい点なのであります。そういう点では、本当にふだんの行状とかあるいは性格とか、いろいろそういう点を勘案して見当をつける、まず見当をつけて、そこにしぼっていく、こういう捜査が、実は現在でも犯罪捜査の場合に至るところに行われておるというふうに考えるわけです。決して、そういう見込み捜査なるものが、神代から徳川幕府の創設の時期までとか、あるいは仮に第二段階としても、合法的見込み捜査というのは徳川幕府の創設時代から明治時代の末期までというので終わっておるのではない。この教科書によりますると、いわゆる見込み捜査なるものは明治時代の末期で終わっておる、それ以後は科学的捜査時代あるいは合理的捜査時代というので、そういう見込み捜査等はないような説明になっておるわけでありますが、実際はそうではないという事実を私どもは余りにも多く見聞をしているわけです。
 そういう点について、どちらでも結構でございますが、何か御所見がありましたら伺わせていただきます。
#9
○青柳参考人 見込み捜査という言葉は非常に感じが悪い言葉でございますが、大体、捜査のやり方というのは、私の聞いておりますところによりますと、何か犯罪事実が起こりますと、犯人はだれかということにつきまして線をたくさん引く。たくさん引けば引くほどいいわけでして、それをだんだんにアリバイその他で消していきまして、残った者について証拠を集めていくというようなことであるかと聞いております。もし、そういうものを見込み捜査であるとおっしゃるならば、それも見込み捜査であろうかと思いますが、その程度のことはやむを得ない。それが当然のことであろうかと思います。
 なお、私は、現在の捜査から一審の裁判というのは完璧に行われておるということは決して申しておりませんので、それであるからこそ、控訴審で破棄されあるいは上告審で破棄になるというようなことが起こるわけでございまして、ほかの国に比べれば、かなりよく行われているという意味で申し上げたわけでありますから、御了解いただきたいと思います。
#10
○和島参考人 見込み捜査はいかぬ、自白中心はいかぬというのは、表の看板にすぎないと思います。
 私は、約五十年近く特に刑事裁判に関与してまいりましたが、弁護士として一番問題になるのは、この科学捜査が実際には行われておらない。見込み捜査に始まって、捜査官が、わしの勘であいつだと思うとなると、ひたむきに自白を追及する。これは自白を追及することが捜査の第一の要請だということは、現職の検事が法務委員会なんかで、たくみな言葉ではありますが検事を教育しておる中に出てくるのであります。
 今日問題になっておる多くの冤罪事件、これらの問題のほとんどの誤判の理由は、見込み捜査が理由になっておる。そして自白偏重の捜査のやり方が誤判を生む根源だということを、私ははっきり申し上げていいと思います。
#11
○西宮委員 その見込み捜査で、つまり見当をつけて、あれはふだん酒癖が悪いとか、あるいはけんか早いとか、あるいはときには隣の鶏をかっぱらって食ってしまったとか、いろいろそういったようなふだんの行状、そんなものを見ておって、大抵あいつに違いないというような見当をつけて捜査に着手するというのが、俗にいうところの見込み捜査だろうと思うのであります。
 その次は、そうして引っ張ってきた人間について、まず警察は、早くとにかく犯人を挙げないと社会的な不安を解消できない、こういうことから非常に焦る。特に時間がかかればかかるほど焦る。一般の世論も警察何やっているんだというような非難が集中するということになりますので、非常に焦ってくる、こういうことに当然ならざるを得ないと思うのであります。
 そこで、見込み捜査で警察に連れてきたのはやむを得ないとしても、私が第二の点として指摘をしたいのは、そうすると、直ちにもうそれが完全に犯罪人であるかのごとく一般に公表するわけではないかもしれません、どこからか取材記者に漏れていくのかどうか知りませんが、警察の見解があるいは罪人だ、有力な容疑者だ、こういうことで紹介されてしまうという点に問題があると思うのです。
 私は、現在問題になっております、いわゆる冤罪ではなかろうかと言われております事件について、事件の発端からの新聞を、三十年前、四十年前の新聞でありますが、そういう新聞を全部取り集めて見ておりますけれども、それによると、警察に同行したという時点で、すぐ新聞記者が警察の玄関に待ち構えていてフラッシュをたくというようなことで、犯人に仕上げられてしまう、こういうことがあるわけです。
 古いのはしばらくおいても、ごく最近の新しい問題を一つだけ例に挙げましても、四月十日に千葉県で少女が殺された。死体が発見されたのは十日午前でございますが、そうすると、午後には有力容疑者として木更津のこれこれのこれで名前は鶴田武夫、二十九歳、これが容疑者として取り調べを受けておるということが堂々と新聞に出ておるわけであります。逮捕はその後であります。そして、犯人というのは鶴田武夫でありますが、犯人は母親の知人であるということで、電話で呼び出して凶行を行ったということが、堂々と新聞に出ておるわけであります。続いてその次の新聞を見ると「鶴田ふてぶてしく 核心に触れると沈黙」してしまうという大見出しの記事が出ております。
    〔委員長退席、鳩山委員長代理着席〕
その次の十三日には「黙秘のまま送検」ということで、幼い子供さんの葬儀の模様などが詳しく出ております。その次の次の新聞には「”模範”プレス工・鶴田の凶行 依然黙秘 ”兄”と慕う子をなぜ……自供迫る捜査本部」というので、捜査当局は勾留期間を延長してさらに自供を迫っておる、こういう記事が出ております。ところが四月二十二日には、拘置期間を再延長、鶴田は依然として核心には黙秘しておるという記事が出ております。そして五月三日には「「少女殺し」の捜査振り出しへ」というので、全部何もかも事実がなかったのだ、こういうことで「鶴田さん、二十二日で釈放」こういう記事が出ておるわけであります。
 これなどを見ても、最初から警察に引っ張ってきたとたんに犯人であるということを世間に印象づけてしまう。したがって、集められる証言なども、全部警察に同調するような証言だけが集められてくる。こういうことを私は経験いたしております。
 たとえば丸正事件などでも、現に会社の同僚で久保田さんという人とか、犯人とされておる人間が住んでおったところの、厄介になっていたそこのおかみさん、こういう人は、最初に警察官が来たときに、あの男に限ってやるはずがない、あの人はそういうことをやる人間じゃない、こういうことを言ったら、後は全然、証人として呼び出しもなければ意見を述べる機会も全くなかった、こういうことであります。あるいはさらに、久保田さんというのは会社の同僚でございますが、これなどは同じようなことを言ったために会社から首になってしまった、こういうことがある。要するに、世論をつくり上げてしまって、もうあの男に違いないのだということで、そのために有利な証言だけを集める、こういう結果になっておるという現実を見ておるわけであります。
 たとえば、例に引くのもどうかと思いますけれども、この間の航空機汚職の問題について参考人として取り調べを受けた人は松野頼三氏であるということが公にされたのは、ずいぶん後の後のつい最近のことであります。それまでは政府の発表も、もっぱら単数の政治家、こういう抽象的な言い方で終わっておったのでありますが、その取り調べというか、参考人としての事情聴取でありますが、それなどもホテルの一室で、全く世間には秘匿して意見の聴取をやっておったわけであります。ああいうふうに慎重にやるのならば大変結構だと思うのであります。
 ところが一般庶民の場合は、見込み捜査で連れてくると、もう直ちに犯人であるかのごとく世間には印象づけてしまう、そしてそれに有利な証言を集めてくる、こういうことになりまして、結果は大変思わない方向に発展してしまうのだというようなことを痛切に感ずるわけですけれども、これは和島参考人が適当かもしれませんが、何か御意見がありましたら……。
#12
○和島参考人 先ほども申しましたが、科学捜査でなければいけないというのが、今日の社会的な共通の理念だと思いますが、残念ながら現実は、いま指摘されましたような見込み捜査が横行しておる。それから、捜査には自白が第一だということで、まず自白をさせて、そしてその自白の裏づけを捜す。憲法では自白は証拠にならぬという理念、刑事訴訟法が現に具体的に自白についての証拠価値を否定する明文を備えておりますが、現実はそうでないということが一番大きい問題だと思うのです。
 それからついでに、なぜこういうことが通用しておるかということについて、私は、私をも含めて法律家の責任が大きいのじゃないかと思うのであります。事件の筋から見て、今日誤判と言われているあるいは再審開始になったような事件を見ますと、健全な常識が入っておれば、こんな事実の認定はできなかったであろうというような問題が公行しているのであります。それを学者、われわれ法律家も含めて、法律解釈では、理論ではこうなるというようなことがともすれば大きくなり過ぎて、常識から見て納得のできないようなことが公行しておるということが、一番大きい問題じゃないかと思うのであります。今日、私は、その意味で再審法改正問題が健全な常識をお持ちになっておられる国会の皆様の手によって審議されるというのは、非常に画期的なことじゃないかと考えるのであります。
 ちょっと横道にそれましたが、しかし、根本はいま指摘されましたような見込み捜査ということが裁判で公行される、放任される。先ほども言いましたが、捜査官の行き過ぎには裁判所が非常に寛容な体質を日本では持っておるということが、いま言われたような見込み捜査をいつまでもなくしない、自白偏重の捜査をいつまでも続けておる根源じゃないかと考えます。
#13
○西宮委員 私は、いわゆる誤判の原因として冒頭に、見込み捜査、それから捜査当局、特に警察でありますが、そこで同道してきた容疑者を直ちに犯罪人としてむしろ世間に紹介してしまうというようなやり方に、非常に問題があると申しました。
 続いてさっき申し上げたのは、別件逮捕の問題と自白に依存し過ぎるという問題でありますが、この自白の問題については、先ほど来何回か参考人の御意見も拝聴いたしましたので、省略いたします。
 別件逮捕の問題も、本来逮捕するというのについて何らの確信がない、証拠がない、証拠がないから別件で逮捕する、これはまことに不合理なやり方だと思うのです。十分疑うに足りる根拠があって逮捕するならばよろしいと思いますが、それだけの理由がなくて、根拠がなくて、証拠がなくて、したがって別件で逮捕する、こういうやり方は大変に困る。
 判例としては、別件逮捕も違法ではないという判例が出てはおりますけれども、私は、誤判を生む原因としては見逃すことのできない重大な問題だと思いますが、この点について何か御意見がありましたら簡単に……。
#14
○青柳参考人 別件逮捕と申しますのは、先ほど御指摘になりましたように、最高裁でも別件逮捕は違法ではないということを言っておりますが、その違法でないというためのいろいろな前提条件があるだろうと思います。
 現在、大体下級審で一つの形になってまいりましたのは、別件逮捕が違法なものと違法でないものとがある。では、違法でないものというのはどんなものかと申しますと、結局、つかまえてきた者の余罪の捜査をすることは構わないわけでございますので、それに類するようなものならばいいのだ。つまり、逮捕状を請求をした事件そのものがやはり起訴に値するようなものでなければならないとか、あるいはその逮捕状を請求したものとそれから別件との関係、これがかなり密接な関係を持っていなければならない、あるいはまた、その取り調べがただ別件、本件といいますかその逮捕状の出たもの以外のものに向けられまして、逮捕状の出たものはもういまさら逮捕しなくてもわかっているのだというものであってはならないというような条件をつけておるようでございまして、その程度の条件でしぼってまいりますれば、いままでのような、ことにあの最高裁の判例が出たころはかなりルーズであったと思いますけれども、その点はかなり改善をされたのではないかというふうに思っております。
#15
○和島参考人 ここでは細かな法律論を闘わすより、まず実際の問題から御考察願いたいと思うのでありますが、現在、冤罪事件で再審になったり再審開始されたりする事件の大半は、別件逮捕を理由にしております。
 御承知のように、刑事訴訟法では二十日以上の勾留は許さないのでありますが、現に問題になっております重大な事件で、先ほど言いました財田川事件の場合を見ますと、強盗傷人事件、これは素直に認めて起訴されて裁判が進行しておったのでありますが、この問題の財田川の強盗殺人事件を調べるために四カ月ぐらいの勾留を続けております。一方で別件で審理しておるから、それを理由に別件逮捕して、四カ月以上して自白さしておるのであります。
 この事件で法律家以前の皆さんが関与されておったら、その当時から、こんなばかなことがあるかとおっしゃったろうと思うのでありますが、小学校の二年か三年の学力しかない無学に近い被告人が自白は十三回、四百ページかの自白調書をとられておるのであります。
 それは別として、五回にわたって手記を書かされているのです。親に手紙も書けぬ男が、五回にわたって長文の手記を書かされておる。その内容たるや、実に小説家でも書けぬような詳細をきわめた手記を書かされておる。それで誤字はたくさんあるのですが、中には、むずかしい字も本字で書いているのですね。そういう内容を法律家でない皆さんがごらんになったら、こんなばかなものあるか。案の定、これは当時の高松地裁の丸亀支部の支部長で再審問題を取り上げた矢野判事が、こんなおかしなものはないということで筆跡鑑定さしたら、これは本人の書いたものと思われぬということで、その後再審の弁護団からの鑑定でも、一人は、そういうものは全然本人の筆跡でない。
 私は、いつも考えるのですが、法律家以前の国民の健全な常識が裁判に導入されると、そういう非常識、むちゃ、無理というものが通用しなくなると思うのでありますが、残念ながら日本には迷信があるのですね。学者の先生方は、判決の表だけを見て何年か後に批評なさる。しかし実際の本人は、そんな学者の批評より、国民の皆さんの健全な常識で救ってもらいたいというのが願いだと思うのです。
 これは、別件逮捕の一番典型的な事例は幾らでもありますが、死刑というような重大な結果を見ておる財田川事件をごらんになるだけでも、もう多くを語る必要はないのじゃなかろうかと私は思います。
#16
○西宮委員 私、持ち時間が少なくなりましたので、最後に、裁判官のやり方と申しますか、人間がやることでありますから、ときに間違いがあるということがあっても、ある程度許されるということもあり得ると思いますが、裁判官が、これは熊谷という判事でありますが、昭和三十年の三月号の中央公論に書いておる心境であります。
 判決が客観的事実に符合するかどうかという心配は、裁判官の仕事と共に、永遠に存在するもので、極端にいえば、生涯その心配を持ち続けることであろう。その苦しみ、悩みを僅かでも慰めてくれるのは、ただ自己の誠意と努力をつくしたことを信じる事だけ
以下ありますけれども、そういう心境ですね。要するに、果たして自分のやったのが間違いがなかろうかということについて生涯悩み続ける、しかし、わずかにそれを慰めてくれるのは、自己の誠意と努力を尽くして、要するに全身全霊を尽くしてやったのだ、こういうことで慰められるのだ、こういうふうに言っておるわけでありますが、私は、世の中のすべての裁判官が、これほど深刻に問題を考えながら果たしてやっているだろうかということに、実は疑問を感ずるわけであります。
 その一例として、先般無罪の判決が出ました例の弘前大学教授の夫人殺し事件というのがありますが、昭和二十七年の地元の新聞によりますると、これは、仙台の高裁で那須被告人に対して懲役十五年の刑が言い渡されたときであります。
 それに対して、当時その弁護を担当しました弁護士が、いろいろ大変に驚いたということを言っておるわけでありますが、その中で一つ
 懲役十五年という判決もおかしい、もし本当に被告が犯人と確信したら無期懲役或は死刑が相当であり、証拠に自信が持てないのでいい加減なところで妥協したとしか見られない、
こういうことを語っておるわけでありますが、私も、この点は全く同様だと思うのであります。
 何ら罪のない人間をめったやたらに突いて突き殺してしまったのでありますから、それは堂々と無期もしくは死刑になるのがあたりまえだと思う。ところが、それが懲役十五年だというのはかえっておかしいということを弁護士が言っておるわけでありますが、果たせるかな、その明くる年、昭和二十八年にその当時の裁判長が転任をいたしました。そのときの新聞記者に語った思い出の記事、それを読んでみますると「松永事件」――松永事件というのはいまの那須隆の事件ですね。
 松永事件は難解で思い出になる。証拠といっても被告(那須隆)の海軍シャツについている血痕をめぐる古畑教授らの鑑定書だけなんだ。それに被告を犯人とした場合の動機が判らない。物取り、怨恨そういった証拠が全然ないんです。起訴状では変態性欲者となっているが、東北大の教授連に鑑定させたところ変態性欲とは認められないという。しかし古畑教授の鑑定書は絶対的といえないまでも一応これに従わねばならぬし、他の情況証拠などで被告を犯人と断定した。ただ量刑を決める動機が判然しないものがあるため重からず軽からずというところで懲役十五年を言渡した
こう言っているのですね。
    〔鳩山委員長代理退席、委員長着席〕
私は、これなどを見ると、第一何も証拠がない、ただ古畑鑑定一つだ、古畑鑑定は天下の権威者だ、こういうことを言っているだけ。同時にまた、その動機が全然わからない。動機がわからない場合に犯罪と断定するということは、当然に間違いだと私は思うのでありますが、この裁判長は、動機は全然わからないと言っている。そして量刑については重からず軽からずということで十五年にした。これでは全く足して二で割るというので、この辺ならまあ適当じゃないかということで十五年を選んだというようなことで、その前の年に十五年の刑が言い渡されたときに弁護士が抱いた疑問が、そのまま明くる年の転任のときの談話にあらわれているわけですよ。
 私は、こういうのを見ると、どうも裁判官も、先ほど読み上げた中央公論に書かれたような裁判官だけではないのではないかというふうに考えると、ますます不安を感ぜざるを得ないわけであります。したがって、捜査段階のみならず、裁判の段階にもいろいろ誤判を生む原因があるというふうに考えるのでありますが、もう最後で時間がありませんが、簡単にお答えいただきます。
#17
○青柳参考人 私も、刑事裁判官をある程度やりましたけれども、熊谷さんは私の同期で非常に尊敬できる方、恐らく刑事の裁判官の多くの方はそういう心境で裁判をしていらっしゃると思います。
 ただ、確かにおっしゃるように、死刑を言い渡すような場合、それから自由刑を言い渡す場合、その自由刑についても重いの軽いの、それから罰金にする場合、それから執行猶予にする場合ということで、多少心証というものが緩められてくるような感じは持っております。そうじゃないと、常識上かえっておかしいのじゃないかというふうにも思うわけでございますが、そういう重い刑を言い渡す場合に、死刑でないからいいのだというようなことであってはもちろんいけないわけでございまして、その辺が、結局自由心証の問題でございますけれども、非常にむずかしいことであろうかと思います。
#18
○和島参考人 いまの御質問の趣旨は、数字でこれだけの裁判官はどうというようなことは証明できない数字であります。
 しかし、私は二つのおもしろい例を皆さんに申し上げて、後は皆様の御判断に任せたらいいと思うのです。
 戦争中私は、尊属殺人、戦時強盗殺人という、親を殺したという事件で起訴された事件を担当しましたが、これは無罪になりました。それは控訴できない時代で、上告しかできぬという時代で、大審院へ上告しましたが、大審院でも事実審理をやり直して、結局無罪になりました。ところが、おもしろいことには、その裁判をやった裁判長と、数年たってある場所でお目にかかったのです。そのときの述懐が、もしあのとき控訴できる場合であれば、私は一応有罪にしておいて、判断を上告審に任したかもしれぬですよ、むずかしい事件でしたねという述懐を聞いたのを、いまなお思い出すのであります。これは、全部とは言いませんが、相当裁判官に共通したなにじゃなかろうか。
 それからもう一つ、これは十数年前、もっと前かもしれません、新聞で現職の判事同士が論戦をやっておる。論文を書いて、一人の判事は、私は無罪の判決を下すのに勇気が要るということを述べておったのであります。無罪の判決を下すのに勇気が要る、これは何を意味するのでありましょうか。そうすると、今度は反駁した論説を出した判事がおりまして、この人は、いや、わしは有罪の判決をするのに勇気が要る、決して無罪の判決には勇気は要らない、こう言うて、これはどちらが正しいかというようなことは、ちょっと裁断を下せないのであります。
 しかし根本は、私はいつも考えるのでありますが、先ほどお話も出ましたが、法曹界の通説、世界共通の理念として、疑わしきを罰せず、十人の犯人を走らしても、一人の無実を罰するなかれということを、英国のブラックストンという有名な法曹が言いまして、その言葉が世界の法曹の共通の合い言葉になっております。
 日本の学者も実務家も、抽象的に議論をすれば、これに反対する人はないと思います。青柳先生も恐らく賛成だろうと思います。しかし、実際の実情は、疑わしきは罰すというのが現状ではないか、われわれ弁護の側、被告人の側から、多年苦い経験をなめてきた者においては、疑わしきは罰するというのが実情ではないかということを言いたいのであります。
#19
○西宮委員 どうもありがとうございました。
#20
○佐藤委員長 横山利秋君。
#21
○横山委員 お二人の参考人には大変有益なお話をいただきましてありがとうございます。
 私ども社会党ばかりではございませんが、社会党といたしましては、かなり再審の問題については多年にわたり心血を注いでおるつもりでございます。もちろん、その基礎になりますものは日弁連や各在野有識者の御意見を伺っての判断でございますが、両先生はそれぞれ専門家でもある、教授であり、あるいは弁護士でもある。私どもはむしろ立場を若干異にいたしておりまして、政治の舞台から見る再審、ですから、ある意味では理論的にも若干の問題があるかもしれません。しかし、政治として放置できないという判断をしておるわけであります。
 たとえば、再審の開始決定のあったのは、四十八年では七十四件請求して、決定が三十件。四十九年では八十九件請求、決定二十五件。五十年が九十三件請求、決定二十件。五十一年が百三十五件で、五十二件決定。五十二年では八十三件ありまして、二十六件の決定であります。私どもが統計をとってみますと、いかに再審請求が多いか。そしてまた、決定がわりあいに多いなという感じがするわけであります。
 このことは、一体何を意味するのであろうか。新聞に出ますのはきわめて著名な事件でございますけれども、その著名な事件以外にも、再審決定がかなりの数字を占めておるということは、いかに再審の意義が重要であり、かつ現実的に定着しておる、そしてその中で、再審の門をくぐれないで泣いておる多くの人々がいるということを痛感せざるを得ないのであります。
 そこが、私どもが入りました導入部の一つでございますけれども、さらに私が政治家の一人として感激をいたしましたことは、巖窟王の無罪判決の判決文の一部であります。朗読いたしますと
  当裁判所は、被告人、いなここでは被告人と
 いうに忍びず吉田翁と呼ぼう、われわれの先輩
 が翁に対しておかした過誤を深く陳謝し、翁が
 実に半世紀の久しきにわたって、あらゆる迫害
 にたえて、無実を叫び続けてきた崇高な態度、
 その不とう不屈、驚嘆すべき精神力、生命力に
 深じんなる敬意を表し、翁の余生に幸多からん
 ことを祈る。これは裁判官の判決の中にあるわけであります。
    〔委員長退席、青木委員長代理着席〕
私は、この裁判官の謙虚な態度というものに深く敬意を表したいと思います。もちろん、再審を請求したからといって、それがすべて合理性のあるものであるとは思いませんが、いかに再審が期待されておるかということであります。そして、その再審の目玉が、まさに私ども提案の再審要件の緩和及び理由の拡大にかかっておる。他の問題については、両先生の御意見の中で、私どももいろいろな意見の違いはあるけれども、共通点が多いと思うのでありますが、再審の窓を緩和するのは、まさに要件の緩和、理由の拡大なくしてはいけない。
 そしてまた、ここからは青柳参考人にお伺いしたいのでありますが、このことについては、白鳥判決で要件が事実上緩和されておる。そしてそのことは、法律を改正しなくても、検察陣では、裁判所では定着している、こういう論理が多くあります。したがって、法律を改正しなくてもいい論理にも、それはなるわけでございます。白鳥決定がもうあるのだから、判決があるのだから、それがもう実際問題として定着しているのだから、法案改正をしなくてもいいという論点、そこまでが最低線、共通線だと私は思うのであります。
 青柳参考人は、その白鳥判決を認められないようなお考えのようでありますが、現実にはそれが定着している、そこだけはコンセンサスが得られるかどうか。
 そこで、もう一歩踏み込んで、私の心配いたしますのは、それは定着しておると思ってもいいけれども、いまの最高裁が、最近の労働判決やいろいろな判決に見られるように、人がかわれば判決も変わっていくという実勢というものがずいぶんあるわけです。だから、一番のポイントである要件の緩和、理由の拡大が白鳥判決――それには私もちょっと問題があると思っていますが、仮にそれが正しいと認め、定着していると認めるならば、少なくとも改正の要件はある、そこを法律改正する、そしてそれが法的に確定するということをすべきではないかと思いますが、青柳参考人はどうお考えでございますか。
#22
○青柳参考人 白鳥決定の読み方でございますけれども、これはいろいろな読み方ができるわけでございます。
 非常に広く申しますと、恐らく社会党の御提案の趣旨と同じことになるだろうと思いますし、もっと狭くも読むことができる。それで、もうしばらく様子を見なければならないのではないかというのが私の考えなのです。非常に広く認めますと、先ほども申しましたように、ほかの国との再審制度のつり合いであるとか、現在の控訴、上告の理由、職権破棄事由とのつり合いをあるいは失するのではないか。したがいまして、いまここで性急に法律をつくるよりは、しばらくこれでどういう状態になっていくのかということを見定めていかれる方がいいのではないかと思うのであります。
 と申しますのは、それだけで一応、確かにおっしゃるように再審の門が幾らか広くなります。そういうことで、ほぼその後の再審請求というものは認められてきておるように思うわけでありますので、しばらく様子を見た方がよろしい。また、最高裁の裁判官がどうかわるかによって変わるかどうかということについては全く予測ができませんけれども、白鳥決定は、むしろタカ派だと言われている岸さんが主任としてなすったものだと聞いておりますので、どの程度そういう変更のおそれがあるのかどうか、余りたくさんはないのではないかというように一応想像いたします。
#23
○横山委員 その点について、和島参考人はどうお考えでございましょうか。
#24
○和島参考人 まず、白鳥決定というものは、簡単に再審理由が広がったというふうに理解されておりますが、そのとおりだと思います。
 しかし、あの内容をよくよくごらんになると、余りにも常識的なことなのです。これまで出ておった証拠と新たに出た証拠とを総合して、新規、明白と思われる証拠であれば理由になるという、これは皆さん、法律家でなかったらあたりまえなことじゃないかとおっしゃるような内容なのです。それから、再審についても疑わしきは罰せずの法則が適用されるのだという内容なのです。しかし、これだけのわかり切った、三歳の童子でも物心がつけばわかる道理が、法曹界では、司法界では何十年という間、白鳥決定が出るまで通用しなかったということを、ひとつこの際よくよくお考え願いたいと思うのであります。
 先ほどの私の意見陳述の中でも、この点に若干触れましたが、判例が出たからいいじゃないかとおっしゃいますが、いま言いましたような個々の歴史、日本の裁判史、何十年の間これだけの簡単な道理が認められなかったという歴史的地盤というものを考えて、なおまた判例というものは、先ほども問題になりましたが、一応下級審を拘束しますが、下級審は上級審の判例に反する判決を書く権利はあるわけです。しかし、その判決がさらに上級審で是認されるかどうかは別問題として、何回かやっているうちに判例は変更できるわけです。できなかったら上級審の意味がないというのが判例というものの性格であります。
 この意味において、今日、皆様において、日本国民の人権を守るためにはいま提案されるような再審改正が必要だという結論に達すれば、明文をもって、どういう人がこの問題を取り上げても、その法によってくくられねばならぬという法改正が私はぜひ必要だと思うのです。ことに、先ほども意見を述べましたように、再審問題については、再審にタッチする判事が頭を抱えるのは、自分たちの先輩がやった裁判は明らかに間違いだと思うけれども、この間違いを指摘するのはどうも思い切れない。裁判問題でなければ人にやたらに反対しない、人の非を追及しないという性格は東洋人的に麗しい性格かもしれませんが、事裁判に関しては、国民の人権を守らなければいかぬから、そういう間違いを、これは法律がこうなっておるからやりますと言えるような法をつくっていただきたい、これが今日改正提案の本旨だと思います。
#25
○横山委員 ありがとうございました。
 近く判決があるであろう財田川事件を含めて、いま政治的に再審の問題を議論する非常に重要な時期にあると私は思っておるわけであります。
    〔青木委員長代理退席、委員長着席〕
そこで、御両氏のみならず在野の皆さんにも申し上げたいのですが、この峠を越えると、また水がすうっと引いてしまう。いろいろ議論があろうとも、いろいろ問題があっても、いろいろ出し尽くしても、この成熟しつつある時期を外すといけないのだ。恐らくもうじき財田川の判決が出る。それは画期的なものになることを私は確信しておるのでありますけれども、そういう世論も非常に大きな波になる。波になったときに、私ども政治家の一員として、世論を煮詰め、私どもの意見を煮詰めて再審の問題を処理しないと、学問的には仮に青柳さんのおっしゃるようなことがあろうとも、政治的にはそれは百年河清を待つようなものだ。これは私の意見でございますけれども、お含みおきを願いたいと思います。
 それから、別の角度でございますが、青森市の米谷四郎の再審判決公判が無罪判決、五十三年七月でございますけれども、その中で新聞が一斉に取り上げましたのが検察当局の問題であります。
 事件の時効寸前に、被害者のオイが犯行を自供し、その男を”真犯人”と断定した東京地検と、米谷さんを犯人とする青森地検の間で、なぜ徹底的に事件を究明しようとする努力が払われなかったのか、いまもって理解に苦しむ。「検察一体の原則を空文化し、メンツや意地に引きずられた検察の一大汚点として歴史に残る事件」といわれても仕方があるまい。
こういうことが言われております。これは毎日の社説でございますが、読売におきましても「検察一体の原則にもとり、起訴権の乱用」であるということを言い、検察一体について厳しい批判をしておるわけでありますが、この問題について、和島参考人はどうお考えになりますか。
#26
○和島参考人 御指摘のとおりだと思います。
 これも抽象論じゃなしに、実際問題として検察官というものは、法律家、学者の本を読むと必ず公益の代表者だというふうに言われております。しかし、その公益の代表者が果たして公益の代表者として行動しておるかということになると、ただいま指摘のようなことになります。
 私が経験したことで一番極端な事例は、先ほど意見陳述の際に引用しました加藤新一翁の事件のときに、再審が開始されて公判になってから、私たちは、再審開始になれば検察官も、裁判所側の詳細、情理を尽くした意見で協力してくれるものだと考えておったのであります。
 しかし、本人にはこういう不利な証拠があるといって持ち出してきたのが、皆さん恐らく驚かれると思うのでありますが、七十幾つのある老人の調書をとってきたのです。その調書の内容は、私は六十年前――というと、その調書を書かされた人が十二のときですが、六十年前に、加藤新一という男は悪いやつだという評判を聞きました、こういう調書をぬけぬけとつくって持ってくるのです。そしてその証人申請をしましたが、さすがに裁判所は却下しました。そうしたらもう一つ、こういう驚くべき調書を出してきました。それは、四十年ほど前に私はある女のところへ夜ばいに行きました、それを加藤は伝え聞いて、金を出さないと言うてやるぞと言われて二十円ゆすられました、こういう調書を検察庁がぬけぬけと出してきました。
 英米法では、本人の悪性の立証を許さぬというのが刑事裁判の通則でありますが、そういう理屈は別にして、そういうものをぬけぬけと出してくのるが公益の代表者でありましょうか。
 それから徳島事件で、これは国会でも問題になりましたが、偽証したという二少年の調査に、われわれは徳島へ出張しました。そうすると、われわれが調べようにも、その少年は検察庁の方がどこかへ連れていって、呼び出しても来ないのです。それから宿屋の様子をいろいろ調べてみると、何だか様子がおかしいので、宿屋にいろいろ追及すると、われわれが泊まることになっておる隣の部屋を、検察庁の事務官が借り受けているのです。そして、われわれが何をするかを隣から聞こうとする。これが公益の代表者のやることでありましょうか。これは極端な事例であります。
 しかし、私でも幾らも事例は出せますし、弁護士会あたりへ照会なされば、皆さんの材料は幾らでもあると思います。こうした現状、これは、学者が紙の上で考える抽象論ではない。日本の裁判の現実はどうか、日本の検察の実情はどうか、日本の警察の体質はどうかということを、ひとつ国政調査権でも発動なさって御調査になれば、驚くべき結果が出るのではなかろうかというのが私の意見であります。
#27
○横山委員 著名な事件の闘いといいますか、これを整理してみますと、吉田巖窟王は、大正二年事件発生より昭和三十八年冬高裁無罪判決まで五十年、金森老事件は三十年、弘前の大学教授夫人殺し事件は二十八年、それから小平事件は十二年、米谷事件は二十六年の苦闘であります。ただ五十年、三十年、二十八年、二十六年と一言で言いましたけれども、該当者のまさに生涯をかけた苦しみであったと私は思うのであります。
 そこで、その点を含めて、別な角度で御両所にお伺いをいたします。
 たとえば狭山事件であります。いま、ずいぶん話題になっておるのでありますが、その中の仮出獄の問題であります。それで、仮出獄は未決通算はしないということになっておるようでありますが、この仮出獄の要件に未決は含まないという問題について、どうお考えになっておるでありましょうか。私どもとしては、未決といえども実際は服役しておると変わりないのでありますから、仮出獄の要件の中に未決を含めてもいいのではないか、そう思いますが、御両所はどうお考えでございますか。
#28
○青柳参考人 未決の通算の点でございますけれども、現在の法務省のやり方は、おっしゃるようなことでやっておるというふうに聞いております。
 改正刑法草案で、それを通算して計算するようなことにいたしましたのは、やはりその方がよりすぐれているという考え方なのでございます。
#29
○和島参考人 未決の実情というものを考えると、御指摘のように、当然通算さるべきものだと私は考えております。
 これは法務省の解釈はいまだしでありますが、国民的の良識といいますか、そういうものからもってすれば、当然通算さるべきものだと思うのです。これが控訴したり、いろいろやって裁判が長引いておれば、確定したときからでないと通算できないということになりますから、不服があっても控訴しない、上告しないということを心理的に強制することにもなります。そういう観点から見ましても、未決は全部通算すべきだと私は考えております。
#30
○横山委員 法務省にちょっとお伺いします。
 私、この点勉強不足だったのですが、いまの和島参考人のお話で、この通算しないということは解釈の問題ですか、それとも何によって決まっているのですか。
#31
○和島参考人 通算しないということは、法律の明文は知りませんが、法務省の何か内規というようなものではないでしょうか。
#32
○横山委員 法務省、御存じですか。
#33
○宇津呂説明員 申し上げます。
 私、たまたま、仮釈放につきまして具体的にお答えする所管におらないのでございますけれども、私が理解しておる範囲としましては、刑法及び刑事訴訟法の現在の規定自体から、現在のような法務省の解釈が出ておると理解しております。
#34
○横山委員 明文規定がなくて、法務省の類推解釈によって行われておるとすれば、これは法務省独自の作業で改善できるというふうに考えていいでしょうか。御両所、御存じありませんか。
#35
○青柳参考人 恐らく法務省の解釈を変えさえすればいいのだろうというふうに思います。
#36
○横山委員 ありがとうございました。
 再審の審理のシステムとでも申しましょうか、千葉の方では、私の承知するところによれば、事実調べが始まれば弁護士の秘密交通権を許すということだそうでありますが、再審の請求をするときに、弁護士のいろいろの期待、希望、証拠も欲しいし、あるいは被告に会っていろいろ話も聞きたいしという、そういうことについてかなり障害があるという訴えがございますが、和島参考人は、その点についてどういう希望がございますか。
#37
○和島参考人 現在、その問題で一番痛烈な問題になっておるのは財田川事件、これは死刑が確定しておる事件で、恐らくあさっての決定は再審開始決定になるのだと思っておるのでありますが、一々内容を御紹介できませんが、その財田川事件で高松で再審の証拠調べをやっておるのです。
 ところが、裁判所は、証拠調べに本人を立ち会わすことを承認したのでありますが、法務省の方では、移監する手続法がないから高松へ連れてくることはできぬというので、本人不在のまま証拠調べをやっているのです。いろいろ重大な証拠調べにまず本人を立ち会いさせられないということは、私たち実務家としては、非常に重大な問題だと思うのです。
 それから、いま御質問を受けました本人との面接も、刑事訴訟法では、起訴された被告人また被疑者に対しては、弁護人は接見していろいろ事情聴取して弁護を許しておるのですが、再審の場合は特別の許可を受けなければ面接もできない。それは確定している被告人だからというような理由なんです。これが実情です。
#38
○横山委員 ありがとうございました。
 次は、証拠物件の問題であります。私どもの案の中におきましても、証拠の問題について提案をしておるわけでありますが、なかなか証拠を出してくれない。再審が終わるまで保存義務を課そうと思って、いろいろ討議をしたわけでありますが、証拠物件についてはいろいろな問題がございますけれども、時間がございませんので、再審と証拠物の問題について、御両所から何か意見があったら伺いたいと思いますが、いかがでございますか。
#39
○青柳参考人 証拠物あるいは訴訟記録の保管のことでございますけれども、これは現在、ある程度法務省の方で再審が多くなりましてから改善をしたように聞いておりますけれども、なおその点を十分に、滅失を避けるような内部の規定でもよろしいのかと思いますけれども、そういうものがあった方がなおいいかと思っております。
#40
○和島参考人 これも実際の例から申し上げますが、いま私たちがやっておる徳島事件で、いろいろ裁判所も中へ入って検察官と交渉しましたところ、膨大な未提出記録、これまで弁護人、被告人側に見せなかった膨大な記録が出てきまして、これが非常に有力な再審の材料になっております。
 これが物語るように、記録というものは、無実を立証する再審の理由になる非常に有力な材料であります。しかし、これはどんな事件でも永久に、無限に保存しておけというのは言うべくして無理だと思いますが、いやしくも無実を訴えるような事件は、ことに再審請求でもあった事件は、それが決定するまで記録を保管しろ、保管しなければならぬということを法定する必要があると思います。
#41
○横山委員 時間がございませんから、これで質問を終わりますが、先ほど申し上げましたように、御両所いろいろ御意見がございますけれども、私どもとしては、いま引用いたしました財田川の判決が出れば、改めてもう一度再審問題についてかなえの沸くような議論がちまたにも起ろうと思うのであります。
 理論的な問題やあるいは意見の相違は、社会ですから一般にあるのは当然でございますけれども、この機会を逸しないで再審のあり方、改善の方法をいい意味での政治的に盛り上げていただきますように希望申し上げまして、私の質問を終わることにいたします。
#42
○佐藤委員長 飯田忠雄君。
#43
○飯田委員 飯田でございます。
 和島参考人の先ほどのお話によりますと、現行法の再審請求事由、これは明白な事実の発見ということになっておるが、これでは十分ではない、もう少し範囲を広げるべきだ、このように伺いましたが、それにつきまして、たとえば事実の誤認があると疑うに足りる証拠を新たに発見したとき、こういうふうにすればいいじゃないかという御意見の人もあると聞いております。
 先生の御意見は、この程度まで広げればいいという御意見でしょうか、それとも、それ以上もっと広げることになるのでしょうか、お教え願います。
#44
○和島参考人 私は、いまの白鳥決定の範囲、また今日私たちもいただきましたが、広げる範囲は、いまの御提案の範囲でいいと思っております。
 その範囲で運用していけば、画期的に再審問題が前進するんじゃないか。これを基礎に、すべての手続規定を整備すればいいというのが私の考えです。その意味では広げることになるかもしれませんが、理由としては原案のとおり賛成です。
#45
○飯田委員 ただいまの件につきまして、青柳参考人の御意見はいかがでしょうか。
#46
○青柳参考人 私は、最初に述べました意見の中でも、しばらく様子を見た方がいいということを申し上げましたので、いまでもそういうようなつもりでおります。
#47
○飯田委員 和島参考人にお伺いいたしますが、新規、明白な証拠の意味を法定した方がいい、こういうふうに私はお聞きしたのですが、この意味がちょっとはっきりしなかったのですが、法定するという意味は、たとえば先ほどの事実の誤認があると疑うに足りる証拠を新たに発見したとき、こういうふうに書けという意味でしょうか、あるいはそれ以外の何かあるかどうか、お伺いしたいのです。現行法は非常に抽象的に書いておるので、これをそうでなしに、もっと具体的に事実を挙げて書け、こういう意味でしょうか、お伺いいたします。
#48
○和島参考人 従来の再審の取り扱いは、新規、明白な証拠というのは、新たに発見した証拠だけで無実だというはっきりした証拠でなければいけないというのが、これまでの裁判の実際だったわけです。
 ところが白鳥決定では、これまでの証拠と新たに発見した証拠とをあわせて総合的に判断すれば新規、明白な証拠になるという程度でいいんだ、それも合理的な疑いを差しはさむ程度になればいいのだというのが、白鳥決定の本筋だと思うのです。その範囲でいいと思います。
#49
○飯田委員 それでは、また和島参考人にお伺いいたしますが、事実誤認の判断の基礎に伝聞を導入することを考えておいででしょうか。
 つまり、すべてのものを総合的に考えてもっともだと思われるということになりますと、そのことは現行法よりももっと広げた範囲内のものですから、伝聞を導入して、その判断をしてもいいというふうにお考えでしょうか、いかがでしょう。
#50
○和島参考人 伝聞という専門用語が出ますと、ちょっと議論が複雑になって、簡単には答えられないのですが、しかし先ほど申しましたように、これまでの証拠と新たに発見された証拠とを総合して、一つの新規、明白と思われる証拠になればいいのだということになると、ある程度情況証拠も入っていいということだと思うのです。ですから新規、明白の意味が、白鳥決定で言うように、これまでの証拠と新たに発見した証拠とを総合して、無実と思われることが合理的な疑いを提出する程度でいいのだということになると思います。
#51
○飯田委員 少しく確かめてお聞きしたいと思うのですが、これまでにあった証拠とこれから新しく出てきた証拠、これが直接証拠であり明白な証拠であれば、これはもっともでございまして、関係ありませんね。
 ところが、従来の証拠が実際はあいまいなんだが、今度新しく出てきたのは、たとえば真犯人が自白をしたというふうにはっきしているような場合は、もちろん前のものなんか関係しなくていいと思いますけれども、必ずしもそういう場合だけじゃなくて、新しく発見された事実は、論理的に追及すればどうも証拠になるらしい、しかし、まだはっきりとした明白なものじゃないというような場合に、明白なものでなくても、前にある明白なものといま論理的に詰めればいいもの、こういうものを合わせて事実誤認の判断をすべきだ、こういうふうに理解していいのでしょうか。
#52
○和島参考人 その問題について、私の実際に経験した実例から申し上げます。
 現在、問題になっておる徳島事件というのに、第三次でしたか、第四次でしたか、朝日放送の記者が設営して、刑務所から出てきた富士茂子と決定的な証言をしている二少年を、大阪のある旅館で面接さしたのです。そしてその席上で二少年は、奥さん、わしは間違ったことを言うてえらい目に遭わして済みませんと謝ったのです。これを理由に再審請求したのです。ところが現行法にありますように、同じ理由で再審請求はできない。二少年の偽証ということは何回も問題になっておるのですね。だから極端に言うと、新規性がないのじゃないかという問題が起きそうなんですが、これについては、裁判所は前向きの判断を下したのです。これまで二少年の偽証は問題になっておるが、新規に大阪の旅館においての状況をプラスすると新規性があるというところまでは認めたのです。これが具体的な例としては新規性についての問題です。
 ところが、この問題で裁判所は、明白性がないからと言うて、そのときは再審を棄却したのです。棄却したことについて、私は大いに意見を持っておるのですが、その二少年を証人調べすることは、裁判所も認めたのですね。認めたのだけれども、二少年に対する証拠調べは大阪の旅館における状況に限る、これまでの証言と総合して、全般にわたって尋問することは認めない、許さないということなんです。これが、いまの白鳥決定の趣旨から言うと、その新規の証拠とこれまでの証拠の矛盾をついていろいろ追及すれば、もっと明白になり得たと思うのです。案の定、現在やっておる再審では、白鳥決定の趣旨に従って、裁判所は前向きに、真剣にこの証拠調べを許しております。
#53
○飯田委員 先ほど青柳先生から、特赦制度ということをお聞きしたのですが、これはどういう制度か、簡単にお教え願いたいのと、その場合に、伝聞追跡をそこでやっていけばいい、こういうことをお伺いしたのですが、どういうことでしょうか。
#54
○青柳参考人 特赦制度と申しますのは、イギリスあるいはアメリカで行われておる誤判救済の一つの方法でございまして、あそこでは、伝聞証拠の排斥ということは日本よりももっと厳しいものでございますから、証明力はあっても証拠能力がないために法廷には出てこない。
 したがって、再審というものを仮に設けましても、もうそういうものは使えないということから、もっと広い立場で救済をするというために設けられたものと考えております。もし日本でも特赦制度というものをつくるといたしましたら、何かそういう委員会をつくりまして、そうなれば、もう証拠法の制約を取り払って判断をしたらよろしいのではないかというふうに考えております。
#55
○飯田委員 再審する場合が非常に狭いということで、今日議論になっておりますが、そこで新規性だとか明白性だとかいったようなこと、あるいは証拠があるかないかといったようなこと、こういうことを新しい公判廷で審判する、こういう制度を設けることは不都合があるのでしょうか。
 つまり、特別にそういう制度を設けまして、特別にその公判をやるわけなんです。そういうことにつきまして御意見を承りたいのですが、和島先生及び青柳先生、ひとつよろしくお願いいたします。
#56
○和島参考人 手続としては、証拠調べは公開の席でやるのがいいと思います。しかし現在の考え方では、再審制度には、刑事訴訟法上明文で公判手続を準用するという規定はないのです。それで書面審理だから、非公開でやるのが原則だという考え方が、現在の運営の実情です。
 しかし、いやしくも証拠調べをするということの性質から考えると、公判の場合でも、公開の法廷で証拠調べをやることが、国民の審判に触れて非常に公正が担保されるわけですから、やはり再審においても、改正の際には明文がないとどうも――そうでなくても、日本の裁判所、検察庁というところは、あらゆる問題に消極的ですからね。明文で公開手続にすべきだ。その意味で、いま出されておる再審の手続規定の改正は、私は全幅的に賛意を表しております。
#57
○青柳参考人 手続の公開につきましては、確かにそれによって得られるプラスの面があると思うのですけれども、同時に、それによってまたマイナスの面もあるのだろう、そのバランスをどうとるかということでありますと、現在では、どうもややマイナスの方が多いように思いますので、むしろそういうのは、実際の事実の取り調べに当事者をどの程度立ち会わせるかということの運用をもうちょっと広げるように、最高裁などで指導してもらえばいいのではなかろうかというふうに考えます。
#58
○飯田委員 それでは、私の質問を終わりまして、長谷雄君にかわります。
#59
○佐藤委員長 それでは、関連質疑の申し出がありますので、これを許します。長谷雄幸久君。
#60
○長谷雄委員 初めに和島参考人にお伺いしますが、先ほどの意見陳述の中で、誤判が相当ある、こうお述べになりました。
 誤判を避けるために、捜査及び公判に関して制度として改めるべき点について、もし御意見があればお伺いしたいと思いますが、和島さん、いかがですか。
#61
○和島参考人 実際、実務をやっておる観点から言いますと、誤判の一番の根源は、捜査官の法律無視だと思うのです。
 先ほどもちょっと触れましたが、財田川事件で、目に一丁字とまではいかぬが無学文盲に近いと言われるような被疑者に、七千字にわたる手記を書かせておる。これは調べてみると本人は全然知らぬ。筆跡鑑定を求めても、これは本人の字でないというような結論が出ておるのです。だから、捜査官の捜査の方をはっきりというか、捜査の結果をチェックできるような制度が一番必要ではないかと思うのです。具体的に言えば、調書を取る際には弁護人の立ち会いがなければいかぬというようなこと、それから一口で言うと法律をもっと守らなければいかぬということを制度化していく必要がある。
 ちょっとついでに触れますが、先ほど、英米には再審制度はない、特赦の制度だと言われますが、こういう問題を判断なさる際には、英米における人権感覚というか人権を守る社会的、国家的制度の実情と、日本における現状というものをよく御調査なさらぬと、結論が変わってくるのではないか。皆さんにはおなじみの深い政治家で、有名な三土忠造さん、戦争中文部大臣なんかにおなりになった、この人が帝人事件で偽証罪で六カ月未決へ入れられて「幽囚徒然草」という本を書いておられます。その「幽囚徒然草」の中にいまでも残っておるのは、英国における電話交換手のミス・サルビッジという少女が警察で調べられたときの状況を詳細に紹介しておられます。こういう、英国における人権が、いかに国家、社会、法曹界において守られておるかということと、日本の現状というものを御調査になって対照されて、その上で、日本にはどんな制度が必要かというような判断をされたいと思います。
#62
○青柳参考人 再審の理由になってまいりますような誤判の例を見てまいりますと、その九〇%ぐらいが身がわりで、これは自分が悪いのですから特に言うこともないと思います。
 そのほか、最近特に目立ちますのは、鑑定の誤りがございます。その鑑定の誤りにつきましては、恐らく、フランス法などは二人以上の鑑定人に別々に鑑定させるというような規定を設けておりますが、そういう規定を設けないにしても、もう少し、専門家だから尊重するというだけでなしに、裁判官はもっと厳粛な、厳格な目で鑑定というものを見なければならないのではないかということを、いまさら考えておるわけでございます。
 それから、そのほかに共犯者が自分の罪責を軽くするために人を巻き込むということが一つあります。それからまた、証人あるいは参考人の見誤りというのがかなりあるように思うわけでございます。アメリカなんかでの誤判の研究などは、ほとんどそれのようでございます。
 それからまた自白につきまして、大体いままでもずっと問題になっておりましたけれども、それらにつきまして、いま和島参考人が言われましたような弁護人の立ち会いを認めて調書をつくるというのはフランス法にあります。
 そういうようなものは、もう少し立法的にいろいろ考えてよろしいかと思うわけでございます。
#63
○長谷雄委員 控訴審の構造につきまして、先ほど青柳参考人から御説明を拝聴しました。
 この問題につきまして、第一審の審理重視等の理由から、刑事事件につきましては事後審査制になっておりますけれども、誤判を排除するという点から、この制度の当否について御意見を伺いたいのでありますけれども、まず和島参考人、いかがでございましょう。
#64
○和島参考人 現在の控訴審は事後審ということになっておるのは御承知のとおりであります。
 平たく言いますと、事後審というのは、一審にあらわれた証拠、記録にあらわれたところだけで判断する、きわめて特別の場合、限定的に証拠調べをやるというのがいまの法解釈、法の内容だと思います。しかし、実際は無実、無罪を主張するような事件では、控訴審ではある程度この証拠調べを認めております。認めておりますが、やはりいま言いましたような規定から見て、きわめて消極的であり、裁判官によって、進んで真実を発見するために広く認める人と、きわめて限定的に認める人とがあるのが、実務の面から見た実情です。
 そこで誤判を防ぐためには、現行法は事後審ではあるが、控訴審でもある程度被告人側の証拠申請を認めねばならぬという規定を設ける必要があるのではなかろうか。しかし、これは手続面でありまして、誤判を防ぐ根本理由は、先ほど私が意見陳述の中で申しましたような、むしろもっと深いところに、もっと深い日本人の国民性というところにある。裁判官は、検事や警察は、間違いをやらない、わしらと同じような役人で月給をもらってやっておるりっぱな人たちだから、絶対間違いをやらないというこの迷信、私から言えば迷信が誤判の根元だということを、私は強調したいと思います。
#65
○青柳参考人 控訴審の事後審制につきましては、現在の裁判所の機構そのものと関係をいたしまして、現在の最高裁判所をあの程度に保つためには、控訴審は事後審のほかはなかろうかと思うわけでございますが、ただ理論から言いますと、事後審というもので事実誤認の審査ができるのかどうかは非常に問題でございまして、昔の大審院の旧刑訴時代には、事実審理開始決定というのをやりますと、それから後はもう全部覆審として大審院が審査をしたようでございます。
 あるいは、もっと突き詰めて何か考えなければいけなかったのかもしれませんけれども、あの制度をつくりますときには非常に急がれたことでございまして、そこまで突き詰めて議論をしておりませんので、もうちょっと、この点はいろいろ考えてみてもよろしいかと思うわけでございます。
#66
○長谷雄委員 再審公判の開始要件を緩和することにつきましては、各方面から意見が出されておりますけれども、被告人の人権保障、実体真実の発見あるいは法的安定性などのさまざまな要請との兼ね合いで、どの程度に緩和するのが妥当か、この点についての御意見を和島参考人から伺いたいと思います。
#67
○和島参考人 まず限度は、現在原案となっております程度には最低限度広げるか合理化しなければいかぬというのが根本だと思います。
 そこで、先ほど言われました法的安定というのは、先ほどの意見でもちょっと言及しましたが、再審をなるべくやらぬという方向の人たちを理論的にバックアップしているわけなんです。そうやたらに確定した判決を動かすのは、法的安定を害するのではないかということにあるのでありますが、この法的安定というのはそもそも何かということは、先ほど私が申し上げたように、裁判官といえども間違いがある、これはもう多言を要せず、洋の東西を問わず、古今東西にわたって裁判の間違いがいかに深刻な誤りを犯すかということは、もう歴史が十分立証しているわけなんです。
 ところが、それを、法的安定を害するというような形式論でもう目をつぶって、どんな間違いがあっても再審は開かずの門にしておこうというのが、これまでの再審問題の実例です。これは一度、日弁連の人権白書等を参照してごらんいただくとわかると思うのです。
 そこで、法的安定とはそもそも何かということを、皆さんがひとつ良識でお決め願いたいと思うのです。裁判官といえども間違いはあるのだから、間違いがあれば正さなければいかぬ、謙虚に裁判官がその誤りを正すようにすることで、国民が裁判というものに信頼を持ち得るのだ、この信頼を持ち得ることによって裁判というものが、あるいは本当の意味の法的安定というものが招来できるのだ、これが本当の法的安定だと思うのです。これを開かずの門にしておいて、一たん裁判所がやった裁判だから、是が非でもこれを動かしてはいかぬということでは、国民は安んじで寝ておれない。皆さんでも、帰る道でどんな間違いで疑惑をこうむるかもしれないということをお考えいただければ、法的安定の問題もおのずから答えが出てくるのではなかろうかと思います。
#68
○青柳参考人 再審理由の拡張につきましては、先ほど私が意見を申し上げましたように、白鳥事件の決定の成り行きと申しますか、それがどの程度に下級審に及んでいくのかということを、もう少しごらんになってからでいいのではないかというふうに考えます。
#69
○長谷雄委員 終わります。
#70
○佐藤委員長 正森成二君。
#71
○正森委員 時間がございませんので、ほんの二、三点だけ聞かせていただきます。
 和島参考人に伺いますが、参考人は「自由と正義」の七七年四月号に論文を書いておられます。その中で「検察官の姿勢は単に消極的ということに止らず、妨害的ですらある」というようにお書きになっております。
 先ほど徳島事件についての例をお話しになりましたが、ごく簡単に、徳本事件あるいは免田事件等と言われるものについて、お感じになったことがございましたら、おっしゃってください。
#72
○和島参考人 徳島事件の例はさっき申しました。
 それから徳本事件の場合も、先ほど触れる余裕がなかったのですが、徳本事件の場合は、その真犯人が同じような事件を同じ時期に同じ場所でやっておるという、そういうことを一切無視して、ひたむきに真実発見の方向に進まずに徳本を真犯人に仕立て上げるために狂奔しておる。これは具体的に、いまちょっと資料を持ってこぬと無責任には言えませんが、この事件にかかわらず、筋としてそういうことが言えると思います。
 それから免田事件を例示されましたが、免田事件の場合も、いま記憶を呼び起こしますと、事件発生の晩に免田と同会したという職業的な女が法廷へ出てきて、そのアリバイを証言したのです。ところが、証言があった直後に検事がその女を引っ張ってきてぎゅうぎゅう調べ上げると、一あれはひょっとすると一日違うておったかもしれませんというような調書を取られたのであります。しかしこれも、神様以外はその場におったわけではないから、どういう取り調べをしたかということは言えませんが、事の筋から見て、その女の人は法に触れるような職業をしているわけなんです、そういう人間がぎゅうぎゅういじめられると、いまのようなはっきりした記憶でも、言葉を緩めて被告人あるいは再審請求者に不利なことをやる、こういうことが実際問題としてあります。
 その他、具体的には幾らでもありますから、そういう例を一つ挙げまして、あとは御判断願った方がいいのではなかろうかと思います。
#73
○正森委員 四百四十二条の改正案で、裁判所は、申し立てまたは職権で、再審の請求についての裁判があるまで、決定で刑の執行を停止することができる、こうしておりますが、この点についての参考人の御意見を承りたいと思います。
#74
○和島参考人 これはぜひ必要な改正案だと思います。
 と申しますのは、法の形式的な解釈からいくと、もう明らかに無実だとわかっているような者でも、こういうやつを生かしておるとつべこべ言いよるから殺してしまえという勇猛果敢な法務大臣があらわれて署名すると、これは死刑執行されるわけです。こういうことは大変なことだと思うのですが、さすがにその点は、歴代の法務大臣は非常に慎重にやっておられるようです。
 しかし、やはりいま言いましたように、再審制度としては非常に必要な制度であると思います。そういう解釈、執行ができるということ自体が黙視できないことではなかろうかと思います。
#75
○青柳参考人 刑の執行停止をだれにやらせるかということで、現在のところは検察官の方の裁量になっておりますので、それの運用で賄えばよろしいように私は考えております。
#76
○正森委員 それでは、最後に一点だけ伺いますが、青柳参考人が「法律のひろば」の一九七六年十二月号に論文を書いておられます。
 その最後のところで、筋から言いますと、白鳥事件の決定について多少疑問を投げかけられた後のことでありますが、「訴訟手続の下においては救済できないものがなお残ることは完全には否定できない。」つまり、いろいろ一審が慎重にやり、二審、上告審が慎重にやっても、無実の罪の者が残ることはあり得るということをお認めになった上で「それらは無理に現行法の解釈を拡張して訴訟構造の釣り合いを失うよりは、適当な委員会が厳格な証拠によることなしに或いは遡及的に或いは将来に向っての特赦を与えられるよう立法すべきものであると考える。」こう言うておられるのですね。
 これは、再審制度によらずに、そういうことを考えておられると思うのですが、そうだとすると、一層恣意的になり、あるいは裁量的になり、なかなか困難ではないかと思われるのですが、具体的にはどのように考えておられましょうか。
#77
○青柳参考人 これは、私の個人の前からの考え方でございまして、英米法の考え方を参考にいたしまして、そのように主張をいたしておるわけでございますが、結局、そうなりますというと、やはり裁判官、検察官、弁護士から成る委員会でなければならないであろう。あるいは学識経験者を入れてもよろしいかもしれませんが、そういうものの間で、伝聞証拠とは無関係にひとつ判断をするというような方向を考えていたわけでございます。
#78
○正森委員 お説はごもっともでありますけれども、その場合には、いまの日弁連やあるいは社会党さんの御案のような再審制度を整備することよりは、もっと法的に不安定で基準が定まらないというようになると思うのですが、和島参考人、その点はいかがでしょうか。
#79
○和島参考人 御意見のとおりだと思います。ことに、先ほど来問題になっておりますように、日本の検察官は、公益の代表という美名はありますが、現実は先ほど言うたような、どこまでもそういう妨害をしていくというような体質を持っているわけです。
 ところが、日本にはいろいろ社会的な委員会がありますが、それが理想どおり機能している例もすこぶる少ないと思うのです。ことにこういう問題になると、日本の国民は非常に謙虚で従順でありますから、官庁側の主導権で容易なことには機能しない。現在でも恩赦、特赦等をやれるような制度になっておることは、あなたも御承知のとおりだと思うのですが、これは非常に消極的で、国民感情から見て、私は、ほとんど不満足というか不十分きわまる現状だと思うのです。
 こうした観点からみましても、やはり再審制度をもっと機能するように改正していくことが必要ではないか。このことは、何より国民の正義感情を満足さすと思います。
#80
○正森委員 終わります。
#81
○佐藤委員長 これにて参考人に対する質疑は終了いたしました。
 両参考人には、貴重な御意見をお述べいただきまして、まことにありがとうございました。厚くお礼を申し上げます。
     ――――◇―――――
#82
○佐藤委員長 この際、参考人出頭要求に関する件についてお諮りいたします。
 人権擁護に関する件(ドラフト制度問題)につきまして、参考人の出席を求め、意見を聴取することといたしまして、その日時、人選等につきましては、委員長に御一任願いたいと存じますが、御異議ありませんか。
    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
#83
○佐藤委員長 御異議なしと認めます。よって、さよう決しました。
 次回は、明六日水曜日午前十時理事会、午前十時十分委員会を開会することとし、本日は、これにて散会いたします。
    午後零時四十五分散会
ソース: 国立国会図書館
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