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1978/05/16 第87回国会 衆議院 衆議院会議録情報 第087回国会 本会議 第25号
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1978/05/16 第87回国会 衆議院

衆議院会議録情報 第087回国会 本会議 第25号

#1
第087回国会 本会議 第25号
昭和五十四年五月十六日(水曜日)
    ―――――――――――――
 議事日程 第二十三号
  昭和五十四年五月十六日
    午後一時開議
 第 一 日本専売公社法等の一部を改正する法
     律案(内閣提出)
 第 二 船員の雇用の促進に関する特別措置法
     の一部を改正する法律案(内閣提出)
 第 三 防衛庁職員給与法の一部を改正する法
     律案(内閣提出)
 第 四 繭糸価格安定法の一部を改正する法律
     案(農林水産委員長提出)
 第 五 農業者年金基金法の一部を改正する法
     律案(内閣提出)
 第 六 通信・放送衛星機構法案(内閣提出)
 第 七 昭和五十二年度一般会計
     予備費使用総調書及び各
     省各庁所管使用調書(そ
     の2)
     昭和五十二年度特別会計
     予備費使用総調書及び各
     省各庁所管使用調書(そ
     の2)
     昭和五十二年度特別会計
     予算総則第十一条に基づ
     く経費増額総調書及び各
     省各庁所管経費増額調書 (承諾を求
     (その2)       めるの件)
 第 八 昭和五十三年度一般会計
     予備費使用総調書及び各
     省各庁所管使用調書(そ
     の1)
     昭和五十三年度特別会計
     予備費使用総調書及び各
     省各庁所管使用調書(そ
     の1)
     昭和五十三年度特別会計
     予算総則第十一条に基づ
     く経費増額総調書及び各
     省各庁所管経費増額調書 (承諾を求
     (その1)       めるの件)
 第 九 昭和五十二年度一般会計国庫債務負担
     行為総調書
 第 十 昭和五十二年度特別会計国庫債務負担
     行為総調書
 第十一 昭和五十三年度一般会計国庫債務負担
     行為総調書(その1)
 第十二 エネルギーの使用の合理化に関する法
     律案(第八十四回国会、内閣提出)
    ―――――――――――――
○本日の会議に付した案件
 田中昭二君の故議員森田欽二君に対する追悼演
  説
    午後一時四分開議
#2
○議長(灘尾弘吉君) これより会議を開きます。
     ――――◇―――――
#3
○議長(灘尾弘吉君) 御報告いたすことがあります。
 議員森田欽二君は、去る四月十三日逝去せられました。まことに哀悼痛惜の至りにたえません。
 同君に対する弔詞は、議長において去る四月二十八日贈呈いたしました。これを朗読いたします。
    〔総員起立〕
 衆議院は議員正五位勲三等森田欽二君の長逝を
 哀悼しつつしんで弔詞をささげます
    ―――――――――――――
 故議員森田欽二君に対する追悼演説
#4
○議長(灘尾弘吉君) この際、弔意を表するため、田中昭二君から発言を求められております。これを許します。田中昭二君。
    〔田中昭二君登壇〕
#5
○田中昭二君 ただいま議長から御報告のありましたとおり、本院議員森田欽二君は、去る四月十三日、肝硬変のため、入院先の福岡大学附属病院において急逝されました。
 私はここに、諸君の御同意を得まして、議員一同を代表し、謹んで追悼の言葉を申し述べたいと存じます。(拍手)
 思えば、本年二月下旬、議員会館のエレベーターの中であなたとお会いした際、郷里のことなどを語り、顔色のすぐれないあなたを見て、お互い健康には十分気をつけようと、握手して別れたのが昨日のことのようであります。
 お聞きすれば、森田君は、本年二月半ばごろからすでに体の不調を訴えておられたとのことでありますが、人一倍責任感の旺盛な君は、政治家として連日の激務に追われ、三月の上旬に至り、ようやく医師の診断を受けられましたところ、病は意外にも重く、治療に専念するのやむなきに至りました。その後、一時小康を得られたとお聞きし、御回復の一日も早からんことを心からお祈りしておりましたが、病勢にわかにあらたまり、ついに不帰の客となられたのであります。
 私は、君の計報に接し、政治家の常とは申せ、一身を顧みずひたすら国政に殉ぜられた君を思うとき、同じ政治の道を歩む者として、哀惜の念ひとしお深いものを覚えるのであります。
 森田君は、大正六年十二月、筑後平野を一望する風光明媚な古処山のふもと、福岡県朝倉郡旧安川村にお生まれになりました。
 父君弥七郎氏は、長年にわたり村長を務められ、また福岡県議会議員としても活躍された人格識見ともに高い方でありまして、郷土の誇る政治家中野正剛先生とも親交深き仲であったと聞き及んでおります。君は、生来のすぐれた資質に加え、父君の政治的感化と、賢夫人の誉れ高い母堂の御薫陶を受けながら少年時代を過ごされたのであります。
 思うに、君が後に政治家森田欽二君として大成された基盤は、まさにこの時期に培われたものと想像するにかたくありません。
 しかし、みずからの生涯を教育にささげることを理想とされた君は、長じて朝倉中学から福岡師範学校に進まれ、昭和十二年同校を卒業するや、直ちに郷里の立石小学校の教壇に立ち、若き情熱と温かい愛情を傾けて熱心に教鞭をとられ、さらに福岡県視学委員として、教育の指導にその手腕をふるわれたのであります。戦後、わが国に平和がよみがえるや、君は再び教壇に立ち、知育と体育の両面を備えた心情豊かな教育をモットーに、次代を担う青少年の育成に力を注がれたのでありますが、荒廃した郷土と教育界の現状を目の当たりにして、同憂の士とともに青年同志会を結成し、教育界の民主化と教職員の生活向上のために日夜努力を払われたのであります。その過労がもとで、君は不幸にも病に伏す身となられましたが一君の脳裏を離れなかったのは、真に豊かな社会を築くことでありました。そして、この実現を図ることこそみずからに課せられた使命であるとの信念に立ち、君は、教職を辞して政界への進出を決意されたのであります。
 昭和二十二年四月、新憲法施行に先立って行われた第一回地方統一選挙に際し、君は、病床にありながらも、周囲の人々から推されて福岡県議会議員選挙に立候補し、弱冠二十九歳で初当選、以来連続当選すること七回、在職二十五年の長きにわたりました。(拍手)
 この間、土木委員長、議会運営理事会長等を歴任されたほか、県農協中央会理事、県畜産会会長、全国大規模土地改良事業協議会副会長あるいは全国山林種苗協同組合連合会会長として活躍し、農林業の振興と農山村の生活向上に力を尽くされた功績は大なるものがありました。(拍手)また、昭和四十二年から再度にわたって県議会議長の要職につき、多年の経験と豊富な知識をもって、与野党伯仲のもとで、円滑なる議会の運営にその力量を遺憾なく発揮し、県政の発展に多大の業績を上げられました。
 君の地方自治の育成発展に寄与された幾多の功績に対し、昭和四十二年九月には藍綬褒章を授与されたのであります。かくして、福岡県政に森田ありと称せられ、名実ともにその名をいよいよ高められたのであります。
 しかして、地方政界において確固たる基盤を築かれていた君は、真に豊かな国民生活と地域社会の充実を実現すべく、昭和五十一年十二月の総選挙に立候補し、地元の熱烈なる支持を得て、大激戦の上、みごと当選の栄冠をかち取られました。(拍手)
 本院に議席を得られた君は、在職二年余という短いものでありましたが、その間、豊富な経験と卓越した識見をもって、議院運営、農林水産、商工、予算、石炭対策等の各委員会の委員となり、精励をもって議員の職責を果たされたのであります。(拍手)
 とりわけ、君の専門分野である農林水産委員会での活躍は目覚ましいものがありました。農村に生まれ、農民の生活をつぶさに体験している君は、機会あるたびに農業の持つ重要性を主張し、農民に対し国がより積極的に手を差し伸べるべきであると強調してこられました。この主張をもとに、君は委員会において、農業後継者の育成、農村における生活環境の改善、酪農振興、国有林野の開放あるいは米価問題等について質疑をされましたが、そのうんちくを傾けての質疑は、さすがにその本質を的確にとらえたものであり、日本農業の将来に寄せる君のひたむきな情熱と真摯な姿勢は、政府を初め委員会関係者に深い感銘を与え、先輩、同僚議員のひとしく敬服してやまなかったところであります。(拍手)
 また、自由民主党にあっては、文教局次長、交通部会副部会長、国民運動本部推進部長、都市公園緑地対策特別委員会副委員長として、政策の推進あるいは党勢の拡大に尽力されました。
 君は、平素中央政界にあって多端な激務に当たられるとともに、常に郷土の発展を念願しておられたのであります。
 その一つは農業用水の確保であり、君は、その対策に真剣に取り組み、並み並みならぬ努力を払われてこられたのであります。その結果が江川、寺内両ダムの完成となって実を結び、農民は言うに及ばず、地域住民の生活安定に多大の寄与をされたのであります。また、昨年五月以降の深刻な福岡市の水飢饉に当たっては、この江川、寺内両ダムからの緊急配水によって、福岡市民が水の危機から救われたのであります。その陰には、君の寝食を忘れた献身的努力があったことを忘れてはなりません。(拍手)
 思うに、森田君は常に、人の声を粗末にしてはいけない、そしてやれることとやれないことをはっきりさせることだ、できることはまともに取り組むという政治信念で大衆に接し、「政治は心だよ」と言いながら、大衆の心を心として、これを現実の政治に反映するという使命感に徹した真の庶民政治家でありました。(拍手)
 また、剣道に親しまれた君は、古武士のような風格を持ち、信義を重んじ、おのれを厳しく律するの反面、温かい心と細やかな心配りを持つ人情味あふれる人でもありました。恵まれない人たちは言うに及ばず、不遇の同僚、知人に対しても、親身になって援助の手を差し伸べられておられたことは、君を知る者、だれしもが心からの感動を禁じ得なかったところでありまして、郷土の人々から信頼と期待を寄せられていたのもけだし当然のことでありましょう。
 去る四月二十八日郷里でとり行われた市町村民葬は、君を送るにふさわしいものでしたが、その参列者の中には、はるか韓国から駆けつけ、君の霊前に涙するかつての教え子の姿があったのであります。仄聞するところによりますれば、君は、第二次大戦末期、空襲で傷ついた多くの学童のために、当時としては貴重かつ人命救助に必要な血清の入手に奔走され、また、君みずからの輸血によるなど必死の救護活動に当たり、これによって辛うじて命を取りとめた韓国出身の教え子もいたとのことであります。(拍手)私は、君の薫陶を受けてりっぱに成長したこれら多くの教え子たちが、いまに至るまで君を敬慕してやまなかったのは、君が分け隔てなく愛を持って子供たちに接したからでありまして、そこに、人間森田欽二君の真の姿をうかがい知ることができるのであります。(拍手)
 私は、このような、君からあふれ出る人間としての深い愛情と政治家としての行動力に対して、常に敬意と信頼を寄せていたのでありまして、今後いつまでも相携えて国政に貢献できることを念願いたしておりました。しかるに、君が政治家としていよいよその本領を発揮されんとしていたやさき、雄図半ばにして倒れられた君の胸中を思うとき、痛恨哀惜の情ひとしお深いものを覚えるのであります。(拍手)
 現下、内外の情勢はきわめて重要な時期に直面いたしておりますが、このときに当たり、君のごとき真実一路の生涯を貫いてこられた前途有為な政治家を失いましたことは、本院にとっても、国家にとっても、まことに大きな損失であると申さなければなりません。
 ここに、森田君の生前の功績をたたえ、その人となりをしのび、心から御冥福をお祈りして、追悼の言葉といたします。(拍手)
     ――――◇―――――
#6
○玉沢徳一郎君 議事日程は延期し、本日はこれにて散会されんことを望みます。
#7
○議長(灘尾弘吉君) 玉沢徳一郎君の動議に御異議ありませんか。
    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
#8
○議長(灘尾弘吉君) 御異議なしと認めます。よって、動議のごとく決しました。
 本日は、これにて散会いたします。
    午後一時十九分散会
ソース: 国立国会図書館
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