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1978/11/22 第85回国会 衆議院 衆議院会議録情報 第085回国会 文教委員会放送教育に関する小委員会 第2号
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1978/11/22 第85回国会 衆議院

衆議院会議録情報 第085回国会 文教委員会放送教育に関する小委員会 第2号

#1
第085回国会 文教委員会放送教育に関する小委員会 第2号
昭和五十三年十一月二十二日(水曜日)
    午後一時五分開議
 出席小委員
   小委員長 嶋崎  譲君
      石川 要三君    石橋 一弥君
      唐沢俊二郎君    小島 静馬君
      藤波 孝生君    木島喜兵衞君
      千葉千代世君    湯山  勇君
      池田 克也君    鍛冶  清君
      曽祢  益君    山原健二郎君
      西岡 武夫君
 小委員外の出席者
        文部省大学局長 佐野文一郎君
        参  考  人
        (東京大学法学
        部教授)    伊藤 正己君
        参  考  人
        (日本放送協会
        専務理事)   堀 四志男君
        文教委員会調査
        室長      中嶋 米夫君
    ―――――――――――――
十一月二十二日
 小委員坂田道太君同日小委員辞任につき、その
 補欠として藤波孝生君が委員長の指名で小委員
 に選任された。
同日
 小委員藤波孝生君同日小委員辞任につき、その
 補欠として坂田道太君が委員長の指名で小委員
 に選任された。
    ―――――――――――――
本日の会議に付した案件
 放送教育に関する件
     ――――◇―――――
#2
○嶋崎小委員長 これより放送教育に関する小委員会を開会いたします。
 放送教育に関する件について調査を進めます。
 本日は、去る八日の会議に引き続き、放送大学の諸問題について、参考人から御意見をお聞きすることにいたしております。
 御出席願いました参考人は、東京大学法学部教授伊藤正己君及び日本放送協会専務理事堀四志男君のお二人でございます。
 参考人各位には、御多用中のところ本小委員会に御出席いただき、まことにありがとうございます。
 参考人の方々にはそれぞれの立場から御意見を承り、今後の調査の参考にいたしたいと存じます。
 なお、議事の進め方について申し上げますが、初めに参考人各位からそれぞれ三十分程度御意見をお述べいただき、その後、小委員の質疑にお答えいただくことにいたしたいと存じます。
 それでは、伊藤参考人にお願いいたします。
#3
○伊藤参考人 本日は、放送大学につきまして私に意見を述べる機会が与えられましたこと、非常に光栄に存じております。
 放送大学の構想につきましては、御案内のとおり、それが始まりましたのは約十年以前でございます。私がこの放送大学の設置にかかわります研究会議に参加いたしましてからでも六年余になっているわけでございまして、そういう意味では、ある意味で私は関係者の一人でございまして、放送大学の発足がなるべく早いということを非常に期待している者でございますので、そのため、私が述べますことはやや偏りがない意見とは言えないかもしれませんが、私が考えておりますことを率直にこの機会に述べさせていただきたいと思います。
 なお、私は私の仲間の研究者とともに、数年前から放送通信制度研究会というのをつくっておりまして、これはむしろ放送制度の研究会でございます。現在、日本の放送制度も一つの曲がり角に来ているのではないかということで、何人かの研究者とそういう研究会をつくって研究を続けているのでございますが、その中の一つの問題として、ここで取り上げられております放送大学の問題というものを検討いたしました。私が主になりまして、九月に「放送制度」という本の第三巻目を出しましたところに「放送大学の問題点」という小さな文章を書いたわけでございまして、何分それを九月に出したものでございますから、いまのところそれ以後余り意見は変わっておりませんので、私、本日お話しいたしますこともほぼそこで書いたことを繰り返すということになるかと思いますが、これも御了承いただきたいと思います。
 本日の私の話の要旨は、お手元に「「放送大学」の問題点」についてとしてお配りしていただいておりますので、それに即しながらお話をしてみたいと思います。なお、前回何人かかの参考人の方がお話をいただいておりますのを若干拝見をいたしましたので、そこで余り重複しているところは避けながらお話をさしていただきたいと考えるわけでございます。
 では早速内容に入らせていただきまして、第一が放送大学の意義あるいは放送大学をつくる理由と申しますか、そういう点について考えるところを最初に簡単に述べさしていただきたいと思います。と申しますのは、後でかなり問題点を挙げるわけでございまして、放送大学をつくる場合、あるいは発足したとしてその後の運用の問題などについての問題点を幾らか指摘するのでございますが、その問題点だけを指摘しますと、いかにもこの放送大学にはいろいろな検討すべき点があって、私自身が非常に消極的ではないか、あるいは少なくともそれに対して非常に慎重でなければならないというふうに受け取られるおそれがございますが、最初に申しましたように、私は、こういう問題点は解決できる問題であるし、また解決しなければならない問題である、それを解決した上で早期に放送大学が発足した方がいいと考えるものでございますので、最初に簡単に放送大学の意味、現在つくる意味のようなものがどこにあるかということについて、これもたくさんあるかと思いますが、私が重要だと思われる点を指摘しておきたいと思うのでございます。
 第一が、そこにあります学問の公開ということでございます。御案内のとおり、日本の大学というものはかっては象牙の塔と言われまして、大学の中で研究をしている、その中には非常に高度の研究が発展をいたしまして、日本の社会の近代化に役立ったわけでございますが、しかし、現在はやはり、大学で行われている研究の成果というものが国民に広く公開される、国民に還元されるということが必要ではないかと思うわけでございます。そのために、いまの大学は御案内のとおりいろいろ努力をしております。公開議座その他をやっているわけでございますが、放送を通じて国民に公開されるというのは言うまでもなく最も効果的であり、実際的な実効の上がる方法ではないかというふうに思うわけでございます。そういう点で、放送大学を通じて学問の成果が国民の前にさらされるということは一つの大きな意味ではないかと思います。そしてこのことは、私は、また日本の学問にも非常にいい影響を与えるのではないか、つまり、国民の批判を受けながらまた学問が発達していく、そういう意味では、学問の発達に寄与するところが大きいのではないかと思うわけでございます。
 第二が、大学教育の機会の開放という意味でございます。日本では、御案内のとおり大学への進学率が非常に高まってまいりました。同じ年齢の四〇%に近い若い人が大学に進む、短期大学を含めて高等教育を受けるという状況でございます。これは多少頭打ちになるかとも思いますが、しかし数はますますふえていくのではないかというふうに思うわけでございます。そのような大学進学の希望者に対して、それを受け入れるだけの大学をつくることができるかどうか。これは無論金をつぎ込めばできるかもしれませんが、しかし、先生の問題その他いろいろな問題を考えますと、かなりむずかしいのではないかというふうに思うわけであります。これは設置基準というものがありますが、安易につくりますと質の悪い大学というものができてくるのではないかというふうに思うのであります。そこで放送大学というものをつくりまして、これは定員の問題などがありますけれども、比較的多数の学生を受け入れることができる。しかも、地理的、経済的な理由によって、大学進学の意思がありながら大学に進むことのできないような若い人たちを受け入れる大学としては、この放送大学が最も適切な形態ではないかというふうに思うわけであります。もちろんこれだけでいいというわけではございませんが、従来の形式の大学をつくると同時に、こういった放送大学で多くの学生を受け入れて、大学教育の機会を広げていくということが必要ではないかと思うわけであります。
 第三が、生涯教育の機会の拡大ということであります。現在、生涯教育ということが非常に議論をされておりまして、私も加わっております今期の中央教育審議会におきましても、この生涯教育の問題を最も重要なテーマとして取り上げて現在検討しているわけでございますが、この生涯教育に対応する意味での高等教育をどうするかという問題が、非常に大きい問題ではないかというふうに思うわけであります。放送大学をつくりますための検討をする過程においていろいろな調査をいたしましたが、放送大学ができたときにこの大学に入って学びたい、あるいは少なくとも単位を取って学びたいというような人を調べてみますと、高校を卒業して入りたいという人も無論ありますけれども、比較的、主婦などで暇ができた、子供の養育が終わって暇ができた、そこで大学の教育を受けてみたいという人、あるいはもうすでに大学卒の資格を持っている人がここで学びたいというわけであります。自分の学んだ、たとえば工学なら工学というものが急速に進歩しておりますから、この放送大学で現在新しく進歩した工学を学んでみたいという人も多いわけであります。あるいはまた、自分は大学では法律を勉強したけれどもこの際経済を勉強してみたい、大学で学んだものと違った学問を学んでみたいという人も多いわけであります。そういう人たちにとっては、何もここを卒業して学士の資格を得るというよりは、そういった生涯教育の一環としてあるいは社会人として必要な学問を身につけたいということであろうかと思います。そういう希望に即応する意味においては、そういう人たちは普通の大学に通学するということはきわめてむずかしいわけでありますから、この放送大学がまた最も適当な形式ではないかと思います。
 それから第四番目は、多少異論があるかもしれませんが、いまの大学は非常にたくさんございまして、各大学において非常に高度の質の講義が行われているかどうかということになりますと、これは各大学の先生が非常に努力をしてやっておられると思いますが、全体を通じて、最先端の高度な学問の成果が講義されているかどうかということについては多少の疑いもあるわけでございます。そうなりますと、ここで放送大学で一流の先生が講師として放送を通じて講義をされるということになりますと、これは非常に意味があるのではないだろうかという気がするわけでございます。そこで日本全国を通じて質の高い講義というものが期待されるのではないかと思います。確かに、放送大学はマスプロ教育を一層マスプロにしたのではないかと言われるかもしれません。私の所属しております法学部などは五、六百人を相手に講義をするわけで、確かにマスプロでございますが、それよりも、マスプロだという面もありますけれども、むしろ、自分の家庭にあってテレビの画面を通じて先生に接触するという意味では、五、六百人の大講堂の教室よりはマスプロ性が少ないのではないか。そういう意味では、高い水準の講義に親しく接触できるのではないだろうかというふうに思うわけでございます。
 その次が、これは私の専門ではございませんが、いま科学技術というものが非常に進歩をしてまいりました。これに対して現在の大学の講義のあり方というものは、いろいろ苦心がされておりまして、新しい科学の利用というものが行われておりますが、きわめて一般的に申しますと、やはり旧態依然の講義の形式、これは非常に意味があると思いますが、いまの大学は明治、大正とはそれほど変わらないような講義が行われているわけであります。しかし、科学技術がここまで発達した、せっかくその発達したものを利用しないという法は私はないと思います。ことに電気通信技術が非常に発達をした、端的には放送でありますが、それを高等教育、大学教育に利用するということは十分に考えられていいのではないかと思います。そうして、私は専門ではございませんけれども、この電気通信の技術というものは、ここまた十年、十五年で急速度で進歩すると見られるわけであります。放送についても多重放送というようなものが出てまいっておりますし、また、単なる一方向ではなくて、双方向の技術、つまり受け手が送り手の方にまた質問を出したり、そういう方法もまた電気通信の技術によって可能になってくる。そうしますと、放送大学というものがまた多様な放送教育というものを実現できるのではないだろうか。この科学技術の利用という点も一つの大きなメリットではないかと思います。
 それから最後に、高等教育機関の協力の促進ということがございます。残念ながら、日本の大学は従来かなり孤立的と言いますか、閉鎖的でございました。いろんなすぐれた大学がありますが、それが協力体制をとるということが少なかったわけであります。しかし、これにつきましてはいろいろな方法が講じられておりまして、単位を互換するというような方法もその道が開かれております。これから既存の大学もまたいろんな点で協力体制が進むと思いますが、放送大学をつくるということによって、既存の大学の協力体制というものがますます進むのではないかと思います。放送大学は、後で申しますような国・公・私立の大学の協力なくしてはできない大学でございます。そういう意味では、放送大学も全国の国・公・私立大学と協力するということが必要でありますし、そのことを通じて、放送大学というものを媒介にして各大学の協力関係というものが進められる、こうなりますと、日本の大学のあり方というものについてきわめて好ましい影響力を持つのではないかというふうに思うのでございます。
 そのほかにもあるかと思いますが、簡単に申しますとそういうメリットを放送大学が持っているのであり、それはこれから重視すべきであるという点でございまして、簡単に結論を申しますと、私は、放送大学の設置に非常に積極的になっているということが言えるかと思います。これを前提にいたしまして、しかし、それでは問題点がないか、検討すべき点がないかと申しますと、これは少なからずございます。しかし、先ほど申しましたように、これは解決できる問題だというのが私の結論でございますが、以下にその問題点を指摘してみたいと思います。
 これも大きく分けますと、大学の教育の面と、それから放送制度にかかわる面と、それからその他と、三つに大きく分けられるのではないかというふうに思うわけでございます。
 まず第一に教育の面でございますが、これにつきましてはことに前回太田参考人がかなり詳しく申しておられるようでございますので、簡単に申しますと、まず第一に、これは私たちの調査研究会議でも議論がございました。およそ、大学教育というものが、放送のように一方的に、また受け手から言うとただ受動的に受け取るような方法でできるだろうかということでございます。大学教育というものは、ただ知識を伝承するといいますか、知識を与えるというだけではなくて、学生自身がみずから考える、あるいはみずから学ぶということを教えることが私は大学教育の本質ではないかというふうに思います。その点が初等中等教育とは違う点ではないかというふうに思うわけですが、ともすれば、放送を自分の家庭で聞くだけである、そういう受動的な態度であると、そういった大学教育らしい教育を受けることができるだろうか、そういう点が一つあるかと思います。
 それから第二は、ここにありますようにキャンパスがないということであります。放送大学は、もちろん本部に一つの敷地があり、建物がございますが、通俗的な意味でのキャンパスなき大学であるということが言えるかと思います。キャンパスというものは、ただ物的なもののようでありますが、これは大学教育にとっては非常に必要なものではないか。そのキャンパスにおいて教官と直接接触する、あるいは学生同士が接触する、そういういわばキャンパスの雰囲気というものが学問的な雰囲気をつくり出すということになるわけでありますが、放送大学にはそれがないということはかなり大きな意味を持っている問題ではないかと思います。
 しかし、私はこれらにつきましていろいろなことを考えているわけでありまして、調査研究会議の出しました基本構想あるいは基本計画も、これを十分に踏まえた上でこれに対する対策を講じているわけであります。たとえば、放送を聞き流しにして聞いているだけではなくて、印刷媒体を非常に充実する、すぐれた教科書のような印刷した教材をつくって配付するというようなこともみずから学ぶことを促進するでありましょうし、通信指導というものが、回数はそれほど行われないかもしれませんが、通信指導によって自分たちの学んだ成果がテストされる、それからチェックされるという方法もあるかと思います。
 しかし、何よりも重要なのは、これは基本構想、基本計画にも出ております学習センターというものでございます。これは太田参考人も非常に重視されておられたかと思いますが、私もそのとおりだと思うのでありまして、学習センターを各地域につくる。それには実習センター、演習センター、ビデオセンターというものがつくられておりまして、各地域で学生がそのセンターに行って学ぶ、そこでまた他の学生とも接触するということであります。私はある意味では、その学習センターがうまくいくかどうかということは放送大学の成否を決すると言ってもいいのではないかという気がするわけであります。イギリスの公開大学でも、このようなセンターを非常に重視しているということは御承知のとおりだろうと思うわけであります。もちろん、学習センターについてもいろいろ考えなければならない点がございます。果たしてそこによき指導者、よき助言者が得られるかどうか。これは恐らく各地域の国・公・私立の大学に依頼するということになりますが、その意味でも、学習センターの成功のためにも、国・公・私立の全国の大学がこの放送大学と協力体制をとっていただくということが必要になるかと思います。それから、何といっても地域に離れて散在しているものでございますから、本部と有機的な連絡をつけるということも考えなければならないと思います。また、センターの教育者というものはある意味で普通の教育者とは違いまして、仮に演習にいたしましても、放送で流された放送教材というものを中心にしながら各センターで指導者が指導されるということでありますので、そこにまたいい人を得られるかという点も出てくるかと思います。しかし、いずれにいたしましても、この学習センターが非常に重要だ。そしてまた、これを整備することによって放送大学が本当に大学らしい大学ということになっていくのではないかと思うわけであります。
 それから、第二番目の教育面につきましては、教育内容の問題がございます。これもいろいろ議論がございますが、放送大学というのは、いまの構想によりますと、学生も非常に多様でございます。大学に行きたくても行けなかった勤労青年、あるいは余暇を得た主婦、あるいは相当な知識を持っておられる社会人、そういう多様な学生が入ってくるだろうと思います。また、それらの人たちも、必要単位を取って学士号を得たいと思われる方もありますし、幾つかのまとまった科目を聞いて一つの自分の学識を深めたいという方もありましょうし、場合によってはきわめて少数のものを一種の社会教育的に聞いてみたいという方もおられましょうから、非常に多様な学生が多様な希望を持っているということになります。そうして、その学生の年齢、学歴、職業なども違うわけでございますから、この大学がどのような教育内容を提供するかも非常にむずかしい点でございます。
 基本構想、基本計画は、広い意味での教養学部、教養を与える教養学部一つを置く大学という構想をしております。これは、そういった多様な目的に応ずるための教育内容を非常にバラエティーに富みながら与えていくしかもそういう各学問系列、従来のディシプリンに分かれないで学際的なものを与えていくという点にあるのではないかというふうに思われるわけでございます。ただ、教養学部というような形をとるために、これまた問題点がないわけではございません。下手をするとといいますか、あるいはその方が効果があるという見方もあるかもしれませんが、市民大学講座のようなものと変わらないようなものになってしまうのではないだろうかという心配もございますが、これは基本構想、基本計画にありますように、大学としてのカリキュラムをちゃんと工夫をする、そしてそれぞれ体系的にある学問領域を学ぶこともできるような用意をすることによって解決できるのではないかと思います。
 それから第二は、非常に残念ながら、自然科学については多少弱くなると言うことができます。自然科学は広範な実験設備その他が必要でございますが、これはイギリスの公開大学なども非常に努力はしているようですが、やはり現在の水準の高い自然科学、特に工学あるいは特に医学の領域などについて、いまと同じような大学教育を与え得るかと申しますと、これは多少無理ではないかと思います。そういう意味では、多少自然科学に弱い大学になることはどうも避けられないのではないかと思います。
 それから第三番目に、これは余り指摘することが必要ないかもしれませんが、一時、調査研究会議でも問題になりまして、日本ではいわば学問の公定ということが行われる可能性がある。いわば、法律学で言いますと通説、大先生の学説は通説である。この放送大学が、全国に向けて電波を通じて国民の手に渡るということは、そこで言われる学説が公定的学説になるのではないかという心配があるのではないか、そういう指摘がございます。私は、これはしかしそうではなくて、むしろ、放送大学というような形で電波を通じて全国民の批判にさらされるということでありますから、これは一つの公定した学問になるのではなくて、いろいろな批判を受ける講義になり得るのではないか、必ずしもそういった学問の公定ということにはつながらないのではないかと思いますが、一つの問題点として挙げさせていただきたいと思います。
 それから、教育面と多少離れますが、第三番目に、この大学についての研究活動というものも必要であります。大学である以上は、やはり教育だけ行うのではなくて研究がそこで行われる、しかも相当高度の研究が行われるということが必要ではないかと思います。やはり、放送大学であっても、研究活動の面を軽視するということになりますと、大学そのものとして軽視されることになるのではないかという心配がございます。もちろん、既存の大学でも研究と教育の一体性という過去の神話のようなものがだんだん崩れていることは事実でありますが、しかし、放送大学においても研究活動というものを整備していく必要があるのではないかという気がするわけでございます。ただ、これについては多少ほかの大学に比べて困難があることは事実であります。教養学部というものは、東京大学にもございますが、いろいろな学問分野を含むものですから、教官の共同研究などが比較的むずかしい。自然科学から人文科学、社会科学、各分野の先生がおられまして、それぞれの分野をとりますとそれほど数が多くないということから、共同研究が十分行いにくいという点があるかと思います。それから第二に、教養学部というところから、教員の専門が広くなって、その広い分野にわたって研究設備を充実させるということも多少困難があるかと思います。それから第三に、放送大学の教員は、ただ講義だけに専念するのではなくて、教育面、つまり放送教材をつくったりするような教育面の仕事が非常に多い、ともすれば研究時間が少なくなるというような困難があるかと思うわけであります。
 そういう意味では、先ほど申しましたように、ここで放送大学の専任教官になられる方にとっては、研究活動も十分できるような体制にしなければいい先生が集まらないという意味で、やはりそこに適当な措置が必要ではないかと思います。たとえば、大学管理面の仕事を非常に軽減する必要がある、あるいは場合によっては免除するということが考えられると思いますし、あるいは教育に携わる時期が過ぎますとまた一定の研究専念期間というようなものをこの大学の先生には設けるということ、あるいは放送大学に特有の研究目標を持つような、場合によっては研究所というようなものをそこに付設するということもあろうかと思います。放送教育開発センターというものが今度出発いたしました。これの将来のあり方についてはまたいろいろ考えなければなりませんで、これが絶対よいというわけではございませんが、一つの方法としては、ああいった放送を利用する高等教育を研究するような研究所というものを放送大学に付設することによって、そういった面の研究は日本ではあそこが一番よくやられているというようなことになると非常に望ましいのではないかと思います。それから最後に、放送大学の教員というものが、それだけでは共同研究がやりにくいものでありますから、他の大学、国・公・私立の大学の先生たちと共同研究をする、そして研究設備も利用できるというように配慮する必要があると思われるわけでございます。
 以上が教育面についての問題点でございます。
 その次が、放送制度面からの問題点ということになりますと、これも多々ございます。これは放送法とのかかわり合いということが出てまいるわけでございます。あるいはさらには日本の放送の基本政策とのかかわり合いというものが出てまいるわけでございます。
 第一が、この放送大学は放送を主たる教育手段にするものですから、どうしても放送局というものが必要になってまいります。放送局のない放送大学というのは教室のない大学と同じになるわけでございますから、これをどうするかという問題を検討しなければならないわけであります。そこで一つの方法は、放送大学がやはり放送局を持つ、私はこれが一番自然な姿だろうと思いますが、ここで設置形態の問題が当然出てくるわけでございます。
 調査研究会議でもいろいろな方式を考えました。大きく分けますと三つの方式がありまして、第一が国立大学の方式であります。一部の委員は、国が基本的な金を全部出すのだからこれは国立大学であるのが自然であるという意見でございました。ある意味では国立大学方式というものがこの放送大学に適当している面がないわけではございません。しかし、ここでは御案内のとおり、わが国の放送制度の基本にかかわる問題が出てくるわけでございます。御承知のとおり、わが国の放送法は国営放送というものを認めないという態度をとっているわけでございまして、放送はすべてNHKという法人と、それから一般放送事業者、いわゆる民間放送とがやるわけでありまして、国は、ほかの場合に電波を持つことはありますが、放送のために電波を持てないという形をとっているわけであります。これは確固とした日本の放送政策の基本ではないかと思われます。過去においてもそういうことが指摘されております。私は、その放送政策の基本というものは支持されていいのではないかと思うわけでありまして、やはり、放送という重要なメディアが、国の利益のために、国の意見を伝えるために用いられるということはかえって放送というものの信頼感をなくするのではないだろうか。無論、世界を見ますと、国営放送をやっているところは社会主義国のみならず自由主義国家にもあるのでございますが、やはりアメリカなどと並んで日本がこういう態度をとっているのは支持できるように思うわけであります。そこで、国立大学方式をとりますとこの基本的な点にひっかかる。これを乗り越えていく、放送の基本政策を変更するということは一朝一夕にはできないことでありますし、なかなかむずかしい問題が出るのではないかと思います。ただ、私は、普通の国営放送と、この国立大学にした放送大学の場合の放送とは違うのではないかという点は多少考えておかなければならないと思います。恐らく将来において、この放送大学のような全国的なものではありませんが、アメリカでよく見られますような、狭い地域に大学が放送局を持ってその大学を開放するということは考えられると思います。これを何も私立大学だけができるというのではなくて、国立大学もできるようにしたいというふうにも考えますので、大学が放送局を持つことは絶対いけない、国立大学が持つことは絶対いけないということは将来においては考えてほしいと思いますが、この放送大学をつくるに当たってその基本方針を変えるということは、余り適切ではないと思うのでございます。
 私立大学方式というのがございます。これは余り法律に手を触れなくてもいいということでやりいいかもしれませんが、しかし、私立大学方式というのは調査研究会議でもほとんど賛成がなかったのであります。恐らく、これは相当巨額の資金を必要とする、いまの助成金の場合に、この放送大学が私立大学に入り込みますとそれがたくさんの金を取ってしまうということもあろうと思います。やはり、私立大学は非常に自由な教育の制度でございますが、放送大学となりますと、これは多少国のコントロールというものを加えざるを得ない。電波を持っているということもそうでありますし、その他放送教育内容についても全く野放しで、いまの私立大学と同じような自由さを与えるということはできないのではないだろうかという気がするわけであります。そういう意味では、私立大学方式というのはここでは余り考慮しなくてもいいのではないかと思います。
 そこで残りましたのが特殊法人方式でございまして、基本構想、基本計画ともに放送大学は特殊法人を設置者とするという案を出したわけであります。もちろんこれは学校教育法上、現在のところは国、地方公共団体と学校法人だけでありますから、こういう特殊法人をつくって大学の設置者にするということについては学校教育法の手直しが必要でありますが、これはそれほど重要な改正ということではないと思われるわけでございます。むしろ、私の仄聞するところでは、特殊法人方式というのはそういう法的な問題ではなくて、現在の実際の行政管理の問題から特殊法人というものをつくることは非常にむずかしいというところに難点があるかと思いますが、私は、この放送大学の必要性から見まして、この放送大学というものが必要なものであるとするならばやはり特殊法人という形をとり、それがむずかしいとしてもこれを乗り越えなければならないのではないかという気がするわけでございます。もちろん、特殊法人をとった場合にいろいろな問題点があるかと思います。現在の特殊法人全体を見まして、それがうまくいっているだろうか、官と民のいいところだけをとるという趣旨が、悪いところだけをとっているような特殊法人があるという指摘もございますが、これは運用の問題でございまして、放送大学がこういう形でできた場合には、やはり放送大学の当事者が努力をして特殊法人としてのよさを出していくということによって解決すべき問題であり、また解決することができるのではないかと思います。
 これが設置主体でございますが、もう一つ、そういう厄介な問題があるのならば、大学と放送局を分ければいいではないか、大学は大学、放送する放送局は別に置けばいいではないかという議論があるかと思います。この場合に二つございまして、一つは、既設の放送事業者に放送をさせればいいということが出てくると思います。しかし、これは全国的なものですから、県域放送を中心にする民間放送ではむずかしゅうございましょうから、どうしてもこれはNHKということになろうかと思います。後で堀参考人からあるいはお話があるかと思いますが、NHKというものはすばらしい教育放送の伝統を持ち、経験を持ち、歴史を持っております。そういう意味で、いま行われておりますNHKの大学講座などは本当にうらやましいような、すばらしい大学の講座がNHKで行われているわけであります。NHKを使うということは普通にすぐ思い浮かべることではないかと思います。現にイギリスではBBCが公開大学の放送を担当しているということになるわけでございます。ところが、このNHK方式については、NHKはどうお考えかわかりませんが、当初はNHKはかなり熱心でありましたが、このごろそれほど熱心でなくなったように思うわけで、それにはそれなりの理由があるように私は思うわけでございます。国からの資金が相当たくさん流れ込むということがNHKの体制に合うかどうか。これは国際放送にはございますけれども、放送大学というものが国の資金を受けることがNHKの体制からいって適当かどうか。あるいは、たださえNHKは巨大だと言われているのに、放送大学になりますともう一つのテレビのチャンネルとラジオの波をもらうわけですから、ますますNHKが巨大化するではないかという意見もあるかもしれませんが、最も重要な点は、NHKの持っている番組編集権と大学の講義の自由というものがぶつかることがあるのではないかと私は思います。NHKは放送事業者としてやはり番組編集については自由を持って、他から拘束を受けないということが必要でありましょう。しかし、放送大学もまた大学の自由として、大学の講義には放送事業者から介入を受けないということが必要かと思います。この二つがぶつかるということはきわめてむずかしい問題を生ずるのではないか。イギリスなどはその辺はうまくやっているようですが、日本ではこれが衝突したときに非常に大きな問題が出てくるのではないかと思うわけでありまして、やはりこのほかの方法――NHKを使うということについては非常に難点が多いのではないかと私は考えているところでございます。
 それでは別の放送局を新しくつくればいいじゃないかということになります。これはそういう問題が出てこないかもしれません。大学が番組をちゃんと大学の意思でもってつくり、そしてそれを下請のような形でその放送局が放送するという体制でございます。こういうことができるかどうかということも議論をいたしました。しかし、これがまた日本の放送制度の、現在のところ少なくともとっている基本体制にひっかかってまいります。御案内のとおり、日本の放送法は、いわば放送について無線局の免許という、ハードの面を通じてコントロールをするという、電波法によるコントロールというものをたてまえにしておるわけであります。放送番組内容には手を触れないということになっているわけであります。つまり、あくまでハード面をコントロールすることによって放送を正当なものにしていく、ソフトの面については放送事業者の自由にゆだねる、これは憲法論にもつながってくるということになります。ところが、ここで新しく放送大学にそういう制度をとりますと、これはもっぱらハードとソフトが分かれているということになります。いまの放送基本体制は、ソフトを通じてハードにも多少及ぶということですから、ソフトとハードが一致していないと困るわけであります。これか分かれてしまいますと、そういった放送面の規制がハードだけに及ぶ、しかしソフトの方には手が及ばない、主体が分かれるということになりますと、ハードとソフトを一緒にして放送体制をつくるという基本体制を崩すことになるわけであります。もちろん、ハードとソフトの一致という体制がこれからもずっと続くかどうかは別といたしまして、放送大学をつくるときにこの基本体制を崩すということはきわめて困難ではないかという気がするわけでございまして、この方法もいま直ちにとることができないのではないかと思うわけであります。
 以上が、放送体制から見た主体と放送局との関係でございます。
 もう一つ、放送法との関係で重要な問題が、学問の自由と放送法の問題でございます。放送大学の放送が放送法に言う放送かどうかということは多少議論がございます。特定の学生向けに出しているものであって、多少専門用語で言えば同報通信のようなものではないかという意見もある。これは放送ではない。放送は、御承知のとおり、公衆によって直接受信されることを目的とする無線通信の送信でありまして、そういう公衆によって受け取られるものでないというふうに解することも全く不可能ではないと思いますが、しかし、実際は、放送大学の放送というものも各家庭にあってスイッチをひねりチャンネルを回せば映ってくるというものですから、常識的に考えてやはり公衆が直接受信できるものだ。そうしますとやはり放送であると言わざるを得ないと思います。
 そこで、現行の放送法の規定をどの程度受けるのかという問題が出てまいります。特に重要な問題として放送法四十四条、ことに第三項は御案内のとおり、放送内容につきまして、「公安及び善良な風俗を害しないこと。」「報道は事実をまげないですること。」これはある意味では当然でありますが、なお、放送という特殊な形式にのっとりまして、「政治的に公平であること。」「意見が対立している問題については、できるだけ多くの角度から論点を明らかにすること。」という規律をしているわけでございます。これについて放送大学の講義がどの程度関連してくるかという問題が出てくるわけであります。政治的に不公平な講義が行われるということは、意図的に行われることはないと思いますけれども、しかし、講義によっては、ことに社会科学の講義によりましては、先生の意見というものがあるいはある政治的立場とつながるということはあり得るわけでございます。また、ある問題について議論をする場合に、意見が対立する問題についてできるだけたくさんの角度からと言いましても、これは大学の講義ですから恐らくそうなっていると思いますけれども、しかし、そこに放送法から見て適当でないという講義が出てくるかもしれない。この場合に、一体、放送法四十四条の規定と、一方では大学の先生の持ちます講義の自由、学問発表の自由とどう調和させるかという問題が出てくるように思うわけでございます。この辺も非常に大きな問題でございますけれども、しかし、これは実際において解決していくことができるのではないだろうか。原則として、放送である以上放送法の適用を放送大学の放送も受けると思いますけれども、その点に関する限り、放送大学の講義の自由が多少の制約を受けるということは言えると私は思います。しかし、ここは良識をもって解決できるのではないだろうか。ことに、放送大学の放送というものは、全国民に開かれた大学である、国民がこれを批判するということになりますから、やはり強い自主規律というものが大学の講義を担当される方に働いてくるのではないだろうかというふうに思います。放送法自体が、御案内のとおり、四十四条三項には直接の罰則のない、一種の倫理規定でございます。放送大学の場合には、そういった強い倫理規定の上に立っての講義が行われると思います。さらに、その背後に大学の人事権というものが働いてまいろうかと思うのであります。そういう大学の講義だからといって放送法を全く無視する人、あるいは放送法があるからといって自分の学問の自由を極端に狭める人は、やはり放送大学の講義を担当する資格のない人だと私は思うのであります。そういう形でコントロールを行うことによってこれを調和させることができるのではないかと思います。それと同時に、普通の放送の場合と放送大学の放送の場合には、四十四条三項の各号の適用についてもおのずから考え方が違ってくるのではないだろうかと思います。たとえば一例を挙げますと、現在の放送ですと、十五分の放送の中でいろいろな角度の見方を全部出さなければならないというのが一応現在のたてまえになっているわけでございますが、放送大学の場合に、ある特定の時間の講義だけであらゆる問題、極端に言えば憲法九条の講義の場合に、それに対する意見は全部出さなければならないということは多少むずかしい場合があり得るのではないか。放送大学の講義はやはり連続して聞いてくれるということが前提にされている以上は、ある時間で一つの立場を出し、次の時間でこれに対立する意見も出すという形でも、普通の放送の場合よりは緩やかに考えられていいのではないかと思うわけでございます。
 以上が、放送法の四十四条と大学の講義の自由の問題であります。
 その他、放送法の規定を見ますと、放送大学の場合にどうなるのかというふうに考えなければならない点がいろいろございます。たとえば、放送局は番組基準をつくらなければならないということになります。放送大学の放送の場合、こういう番組基準というものはどういうものになるのか。これが、いまNHKなり民放なりがつくっておりますように非常に具体的あるいは詳細な番組基準ということになりますと、やはり大学の講義の自由を拘束するという問題があるでしょうから、番組基準をつくるにしても違った、かなり抽象的、一般的な基準になるのではないかと思います。あるいは放送番組審議会をどうするかという問題がございます。放送局である以上は、法律上放送番組審議会をつくらなければならない。放送大学の放送にこういう番組審議会というものをつくらなければならないのか。私はつくっていいと思いますが、つくった場合のその構成員というものがまた問題になってくるわけでありまして、外の人ばかりの審議会で放送大学の講義がいろいろ批判されるということになりますと、大学の自由、大学の自治から見て問題がございますので、つくるとしてもいろいろな問題を考えなければならないと思います。第三に細かい点では、この特殊法人の持つ放送局は、一般放送事業者、民間放送に準ずるということをやった場合に、一体広告放送ができるのかという問題もございますが、細かい問題なのでここでは省略させていただきたいと思います。
 これが第三の放送制度面の問題点でございます。
 その他、問題点が幾つかございます。その中には重要なものがございますが、私まだ十分検討していないものですから、このレジュメでは簡単に項目だけ挙げさせていただいたわけです。
 第一に、特殊法人方式をとるとした場合に、法人と大学との関係をどうするか、そういう大学の管理運営組織をどうするかという問題を考えなければならないと思います。基本計画などではかなり詳しくこの大学管理の制度を考えておりますが、なお検討の余地のある問題かと思います。
 第二に、どうしても放送大学というのは最初何か、放送大学で放送を送りっぱなしだから安上がりの大学である、金のかからない大学ではないかと思われたようですが、先ほど申しました学習センターを各地域につくるということだけ考えましても大変金のかかる大学でございます。そういう財政の裏づけをどうするかという問題もございます。それに反して受益者負担的な授業料というものをどう考えるか。これをもし相当取りますと、学生数が多いものですからかなりの部分を授業料で賄えるということになりますが、果たしてどうなのだろうかという問題もございます。
 第三に、現在文部省で検討中でありますが、設置基準との関係をどうするのか。大学設置基準は、いまのところは既存の通学制の大学を前提にした設置基準がつくられておりますが、やはり大学として学士号を出す以上はそれと余り離れたものであってはならない。しかしまた、放送大学としてある程度の変容をこの設置基準に加えてもらえないと、たとえば学生数が多いわりに専任教官が少ないということになりますから、学生数に応じた専任教官ということになりますと大変な数になってくる、それではなくて、非常勤講師その他先ほど申した学習センターのインストラクター、そういうような人で、非常勤で賄うということもありますので、設置基準の教員数の問題を考えなければなりませんし、校地、校舎の問題なども別の考慮を必要とするのではないか。現在文部省ではこの放送大学関係と通信制大学との設置基準をあわせて考えているわけでございますが、そういう方向で、新しいそういった大学設置基準の問題を考えていく必要があるかと思います。
 第四番目は、先ほども指摘しました既存大学との協力関係の問題でございます。これが必要であることはもう繰り返す必要もございませんが、ことに、先ほどちょっと触れました通信制の大学というものは、前回もお話があったようでございますが、この放送大学に非常に強い関心を持っておられます。一時は、放送大学は通信制大学をつぶす気かというような御意見もございましたが、現在、審議を進めていきまして、基本構想、基本計画ができるに従って、私の見るところではそういった御異論は少なくなってきているように思います。むしろ、放送大学と各私立大学が持っておられます通信制大学とが協力することによって、こういった新しいタイプの大学、通学制とは違った大学のよさが発揮できるのではないかと思います。
 最後に、放送衛星との関係がございます。これも大問題でございまして、放送大学ができるのが当初の予定よりおくれてまいりました。放送大学がやがて、いま実験でありますが、試験が受かって実用化する日も余り遠くはないということになりますと、放送衛星を考える人たちは何よりもこの放送衛星に乗っかる電波としては放送大学が一番適当ではないかというふうに言われるのでありまして、私もそう思うわけであります。放送衛星というものを見越してどういう形で考えていくか。また、放送衛星に乗っかる場合には、御案内のとおり国際的な規律その他のいろんなむずかしい問題が出ているわけでございまして、そこで放送大学がどういう形で放送衛星に乗っかるのかという問題が出てくるかと思います。
 三十分という時間を、いろんな問題があるものですから非常に超過をいたしましたが、私としては問題点を列挙してみたいと思いまして、大急ぎで問題点を列挙したわけでございます。結論として、基本構想、基本計画という、調査研究会議が出しましたものに即して早急に放送大学を実現していただきたい。現在はかなり政治的な決断の時期に来ているのではないかというふうに思うわけでございまして、本小委員会の委員の皆様方がそのような方向に持っていっていただければ非常に幸いだというふうに思っているわけでございます。
 では、私の意見をこれで終わらせていただきます。
#4
○嶋崎小委員長 ありがとうございました。
 次に、堀参考人にお願いいたします。
#5
○堀参考人 放送大学についての意見をNHKの立場から述べてみよということでございますが、NHKといたしましては、放送があらゆる面で積極的に利用されるということが私たちの念願でございます。その意味におきましても、大学レベルの教育においても放送が十二分の利用をされるということは望ましいことだというふうな態度を持っている次第でございます。
 ただ、放送大学自体に対してNHKがどう考えているかということにつきましては、現段階では、放送大学というものがどういう構想のもとでつくられ、そしてNHKとの間でどういう関係が定立されることが望ましいかどうかということは、主として放送大学設置者の御意向というものが前提になるわけでございますから、そちらからのお話に応じて私たちは積極的な放送利用という面で協力してまいりたいというふうには考えておりますが、具体的にどうこうということを申し上げる段階ではないというふうに思います。また、放送大学全体については、ただいまも伊藤先生から非常に包括的かつディテールにもわたった御意見がございまして、私からこれにつけ加える何ものもないというふうに考えておりますし、また、前の参考人の意見の陳述を拝見いたしましたが、かなり委曲を尽くしてのお話でございますので、私が特にこれにつけ加えるという必要を感じないものでございます。
 ただ、NHKといたしましては、過般、昭和四十六年から四十九年度、四年間にわたりまして、文部省の依頼を受けて、そして放送大学ができた場合、放送と実際教育との関連いかんということで実験放送をいたした経験がございます。これは当時まだVU転換、すなわちいまのVHF電波からUHF電波に切りかえるという郵政省の考え方がございまして、それに基づいてNHKが紀尾井町の鉄塔からUHF電波を発射していた当時でございますが、UHFの波によりまして、文部省の依頼に基づきまして私たちが実験放送をいたした次第でございます。したがいまして、その経験、どういう実験放送をいたしたか、そしてまたその結果はどうだったかということについてここで御報告申し上げ、さらに現在行っております大学放送というものについて多少敷衍いたしまして、私の責を果たしたいというふうに考えるものでございます。
 まず、どういうことで文部省の委託を受けたかと申しますと、私たちはNHKの性格上、文部省の依頼を受けて、その注文に応じ番組をつくり番組を放送するということはできません。しかし、私たちが調査研究を行うということは当然私たちの許された範囲内でございますので、自主的な立場から、委託により、放送及び受信の進歩発展に寄与する調査研究といたしましてこの放送を行ったわけでございます。そして、もちろんのことではございますが、放送法に基づきまして、教育番組の編集は、対象が明確で内容が適切かつ組織的かつ系統的に行わなければならないという条項も満たし、同時に、ただいま伊藤先生からお話のございました編集の自由ということと学問の自由ということについては、両者が相侵されないように実際的な話し合いが進められるようなシステムをつくるということでこの放送をお受けしたわけで、基本的には、NHK自体が行っております大学レベルの教育放送番組に役立つという認識に立ったわけでございます。
 まず、昭和四十六年度は四科目について行いました。文学は「日本文学の思潮と作品」経営学は「企業組織論」工学は「システム工学」家政学は「住居論」ということで、各四十五分を十五本制作いたしまして、その際には、番組内容の水準、視聴効果、印刷教材の役割りなど教育に必要な基礎資料を得るための三種の調査を実施いたしました。その三種の調査は、公募した一般モニターによるものと、教育の立場を考えて専門モニターによるもの、印刷教材購入者によるはがきアンケートという方法をとって、この三つの効果をはかったわけでございます。
 また、四十七年度は同じく、文学といたしまして「日本文学研究〜芭蕉・西鶴〜」経営学は「経営と社会」工学は「生物基礎工学I」家政学は「食品化学」ということで、これは四十五分のもの十四回にプラスいたしまして六十分のもの十二回ということで、放送時間においてバラエティーを持たせて演出的に工夫したものであり、かつ効果をはかったものでございます。一科目、文学だけにつきましては、実際に受講生を特定いたしまして、通信方法や集合学習にフィードバック回路を設定いたしまして、学習の有効度を調べました。
 また、四十八年度につきましては同じく四科目、「言語と思考」「物理科学の世界」「日本文化史〜近世・近代〜」「確率統計論」というものを、今度は四十五分九回と九十分五回ということで調査を行ったわけです。そして全科目に送り手と受け手の相互交流を可能にするフィードバック回路を設け、その有効度を調べました。また、特定対象者には生電話による質疑応答も行いましたし、郵便による添削、解答も行いました。また、チューターを介した集合学習の実施を「物理科学の世界」及び「日本文化史」などで行いました。そういたしまして、四十八年度は九十分ということの有効度を調べたわけでございます。
 四十九年度は四科目、「日本語の世界」「適正規模論〜自然・生態・人間〜」それから「西欧精神の探究〜中世〜」「構造と材料の科学」ということで、今度は六十分を八回と九十分を六回ということで、送り手と受け手の相互交流というフィードバック方式を前年度の特定対象から一般学習まで広く広げて学習の効果を調べました。それから放送と他の教育手段との総合化による学習状況を調べるため、「構造と材料の科学」では自宅学習のほか集合学習の場を設けまして、チューターを介しての学習効果を調べました。
 また、五十年度は、われわれがつくりました番組、四十九年度制作した四科目を東北四県、青森、秋田、山形、岩手、関東二県、千葉、神奈川の両県の民放により再放送をいたしました。
 五十一年度は、放送大学の放送業務に関するシステムについての調査研究会議を文部省が主催いたしまして、放送大学設立のための基礎資料を得るために、特にハード面での会議で、技術サイド及び番組サイドから私たちは協力いたしました。
 以上が協力の具体的内容でございます。その成果につきましては、一年一年かなり浩瀚な報告書類を作成いたしまして文部省に提出いたしておりますし、また現に文部省のこのことに実際タッチいたしましたNHKの山本職員を同行してございますので、委細についてはあるいは答弁に当たっていただきたいとも考えておる次第でございます。
 しかし、概括的に、それらの実験を通してかなりの問題点が明らかになりました。それを今度は先生の側から、また番組を制作した側から、そしてこれを受けた側からと三つに分けまして、その問題点の指摘をしてみたい、あるいは希望を述べさせてもらいたいと思います。
 まず、先生といたしまして、確率統計論を担当いたしました東京工大の森村教授の意見が特に代表していると思われますので、その森村さんの意見を述べますと、まず、放送大学の講義は、初年級向きの基礎教養コースと、限られたテーマについての特別専門コースと、二つに分けた方がいいという意見。基礎コースでは、複数の教授が番組制作者と協力して独立に講義のVTRをつくるということが一つでございます。そして、ちょっとこれ、話が飛びますが、放送大学については当然、多数の学生、そして各大学間の閉鎖性の排除ということがうたわれておりますので、そういう点からもやはり放送番組あるいはVTRの使用はある程度の融通性を持った方がいいというようなことも考えておりますので、したがって、ここでは既存の各大学での放送を利用しての講義ということも考えましたので一各大学ではVTRの使用をして、その残りの時間を補講、質問に当てるなど、放送番組を各種いろいろに利用してもらいたい。また、そういう利用にたえ得る放送番組をつくった方がいいというようなことが先生の意見として出ております。そのほか、分校の教室と放送大学を結ぶ、先ほど伊藤先生が有機的連絡とおっしゃいましたが、そういう回路の設定とか、あるいはどういう人をチューターにしたらいいとかというようなことも、いろいろ問題を指摘しております。
 また、今度は番組をつくる側といたしましては、同じく放送番組を中心に考えておりますので後で触れたいと思いますが、放送番組の制作者と先生との関係を非常に重視いたしまして、放送番組の制作過程として、まずラフなテキストをつくり、そしてそれに基づきまして放送番組をつくり、その番組に基づいてその放送番組が使用しやすいように浩瀚かつ詳細なテキストをつくるという手順を踏んで番組をつくり、番組の利用の便を図るという方がいいんじゃなかろうかということで、非常に長い準備期間を設定すべきだということが主張として出ておりますし、また特に優秀な一流の先生にこの番組に登場してもらわなければならない、番組の質の問題等を非常に強調しております。また、番組の演出あるいは番組システムといたしましては、やはり一方的にたとえばニュース解説のように話を進めるというよりも、実際にそこに私塾形式をとるというようなことも必要ではないかというような、いわゆる番組制作者の具体的な内容が参考意見として数多く出ております。
 それからもう一つは、今度は受け手の方から言いまして、受け手としてはどうしても、テレビ番組である以上、テレビ番組が講義形式より映画形式の方がいい、非常に内容のすぐれた番組を必要としているということが、各種の調査で受講者から寄せられた最も大きな意見でございました。それと、すぐれた講師を必要とするということも相当ございました。さらにその中で、番組の時間といたしましては六十分が一番よろしいという意見が圧倒的でございまして、四十五分ないし九十分という時間はちょっとまずいんじゃなかろうかというふうにアンケート調査は示しております。またそのほか、再放を望む声が非常に多いということもこの調査の結果圧倒的でございました。それから最後に、今度の放送大学との関連を述べますと、やはり高度の教養知識を身につけたいという人の数が半分以上を占めまして、大学の卒業資格を取るということは一〇%に満たなかったというふうにこの調査は指示しております。
 以上が、放送大学の設置の場合の実験放送をいたしました経過でございます。
 なお、私たちはそのほかに通信制大学との関連で現在大学放送を行っておりますが、この経験から申しますと、やはり先ほど伊藤先生が申し上げましたように、放送と学問の自由についてはかなりむずかしい問題があるように経験的に感じております。と申しますのは、通信制大学が設置され、放送がこのために利用された初期におきましては、通信制大学で実際その責任にある人が講義をする、そしてそれを学生が聞き、また添削等を行い、さらに試験もするという状況のときは、実際に通信制大学の学生の利用度が非常に高かったわけでございます。しかし、われわれ放送側としましては、一番大事な出演者の選定とか、こういうものを学校側にゆだねなければ事実上効果が上がらないという結果になりました。そしてまたその内容が、先ほど触れましたように、放送法の内容と非常にぶつかる危険性を感じさせるていの放送もなきにしもあらずでございました。したがって、大学放送を聞いた人の中では、NHKの放送としてはいかがであろうかという抗議も実際にあったわけでございます。そして、その制約を私たちは乗り切るために、今度は、通信制大学の中でも、通信制の実際の大学の専門あるいはかかわり合いのある先生以外の、その範囲にとどまらず、その大学全体からの教授を選ぶということで通信制大学との話し合いが進みまして、かなり先生の範囲を広げまして、いわゆるその間の矛盾といいますか衝突を回避しようといたしました。しかし、これも限度がございまして、必ずしも利用の実態は進まない、かつ放送的内容も満足できるものではないというような事態が起こりました。
 そこで昭和四十七年に、ここでひとつ思い切って通信制大学と関係なしに、われわれの全く自主的に大学レベルの講座をやってみようというふうなことで、当時の通信大学協会会長、いまでも責任者でございます有光さんとの間で話し合いをつけまして、そして翌年度から徐々に大学講座の内容を高めるように努力をいたしました。そしてその結果、本年度くらいになりまして、かなり世間にも評価を受ける放送内容が出るようになりました。最近では吉川幸次郎先生の「杜甫」という番組が非常に好評を得ました。と同時に、実はその学習に役立つテキストの売れ行きも本年度から約四十二万と、これはかなりの、一講座当たりに直しますと約三万以上になりますが、そういうふうにテキストが売れ、一般的に利用されるようになりました。すなわち、放送大学、通信制大学という特定対象もその中には含まれますが、それから離れれば離れるほどある意味で放送というものの利用度が高まるというのが、少なくとも通信制大学と大学講座との関係でございました。しかし、これはすぐれた番組が教育に利用されるということとは理論的には矛盾しないわけでございますが、しかし、実際問題としてはそういう経過もございました。
 したがって、繰り返しになりますが、放送大学が非常に多くの学生を相手にすること、さらに学校間の閉鎖性を打破するということの二つもその目的になっておりますが、そういうものを達成するためには、放送番組をつくる方と、そしてこれを実際に教育に利用する方法との関係をはっきり定義しておかなければならないというふうに私は考えている次第です。すなわち、言葉をかえて言いますと、放送をする先生とチューターと、あるいは添削をする先生、さらには試験をする先生というものが全然別であるということを前提にして考えなければならないんじゃなかろうかと思います。そしてその場合には、放送番組というものはかなり高度の、また金のかかった見やすい番組をつくる必要がある。これを言葉をかえて言いますと、学校の講義をする先生と番組をつくる制作者、プロデューサーとの関係におきまして、かなりプロデューサーの地位を高め、そして大学の先生はある意味で、まあ亜流とは申しませんけれども、かなりそれの意向を聞き、いろんな人の意見を聞いてさらによい番組をつくる必要があるということでございます。そういうことをはっきりポリシーとして設定しておきませんと、必ずそこで学問の自由と制作の責任というものがぶつかる危険性が非常に多いということでございます。したがいまして、私たちは、放送大学が設置される場合はそういう意味で、放送の持っている、放送の利用の仕方を初めに明確にしておくということが一番必要なことではなかろうかというふうに放送側からは感じておるものでございます。
 ちなみに、私たちが実験放送をお引き受けいたしました段階におきましてもそのことを考えまして二つの委員会を設置いたしました。NHKが自主的につくりました放送大学のためのいわゆる諮問委員会、これには九名の非常に各方面で有名な教授を網羅いたしました。それに制作委員会というものを十五名のスタッフでつくりました。その中には実際に番組づくりに参加していただく教授を含めまして十五人の教授を設定いたしまして、また一部の先生は制作委員会と諮問委員会とに共通するというような先生もつくりました。たとえば手塚富雄先生でございます。そういうものをつくりまして、そして番組が一人の先生の恣意でなく、そういうふうにいろいろな使われ方のできるように、少なくとも三人の先生のディスカッションの結果に基づいて番組に出演するというような形態をとって、そういうトラブルを排除する努力をしたわけでございます。したがいまして、これにつきましては番組内容としてはかなりの評価を得たわけでございます。しかし、実際問題といたしまして、いまでもUHFの局でございまして、その当時は必ずしもUHFの受信機が普及しておりませんでしたので、テキストの売れ行きその他が約千台、平均千五百程度にとどまったというのが状況でございます。
 以上、私の陳述はこの辺で終わりたいと思います。
#6
○嶋崎小委員長 これにて参考人の御意見の開陳は終わりました。
 これより参考人に対する質疑に入るのでありますが、質疑は懇談の形式で行うこととし、これより懇談に入ります。
    〔午後二時十九分懇談に入る〕
    〔午後三時四十八分懇談を終わる〕
#7
○嶋崎小委員長 これにて懇談は終わりました。
 参考人各位には、貴重な御意見をお述べいただき、まことにありがとうございました。厚くお礼を申し上げます。
 本日は、これにて散会いたします。
    午後三時四十九分散会
ソース: 国立国会図書館
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