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1976/04/14 第80回国会 参議院 参議院会議録情報 第080回国会 文教委員会 第10号
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1976/04/14 第80回国会 参議院

参議院会議録情報 第080回国会 文教委員会 第10号

#1
第080回国会 文教委員会 第10号
昭和五十二年四月十四日(木曜日)
   午後一時十六分開会
    ―――――――――――――
  出席者は左のとおり。
    委員長         宮崎 正雄君
    理 事
                中村 登美君
                山崎 竜男君
                松永 忠二君
                小巻 敏雄君
    委 員
                久保田藤麿君
                山東 昭子君
                藤井 丙午君
                内田 善利君
                白木義一郎君
                有田 一寿君
   政府委員
       文部省大学局長  佐野文一郎君
   事務局側
       常任委員会専門
       員        瀧  嘉衛君
   参考人
       国立大学協会入
       試改善調査委員
       会委員      湊  秀雄君
       日本私立大学協
       会専務理事    矢次  保君
       全国高等学校長
       協会会長     森  武夫君
                林  竹二君
    ―――――――――――――
  本日の会議に付した案件
○国立学校設置法及び国立養護教諭養成所設置法
 の一部を改正する法律案(内閣提出、衆議院送
 付)
    ―――――――――――――
#2
○委員長(宮崎正雄君) ただいまから文教委員会を開会いたします。
 国立学校設置法及び国立養護教諭養成所設置法の一部を改正する法律案を議題といたします。
 本法律案の審査のため、本日、国立大学協会入試改善調査委員会の委員であり、東京大学教授の湊秀雄君、日本私立大学協会専務理事の矢次保君、全国高等学校長協会会長であり、都立両国高等学校校長の森武夫君、前宮城教育大学学長林竹二君、以上四名の方々を参考人としてお招きいたしております。
 この際、参考人の方々に一言ごあいさつを申し上げます。
 本日は、お忙しいところを本委員会に御出席いただきましてありがとうございました。
 それでは、議事の進め方について申し上げます。
 ただいま議題といたしております国立学校設置法及び国立養護教諭養成所設置法の一部を改正する法律案について忌憚のない御意見をお述べ願いたいと存じます。
 議事の都合上、御意見を述べていただく時間はお一人十五分程度にお願いいたしたいと存じます。
 なお、参考人の意見陳述の後で、各委員から質疑がございますのでお答えいただきますようにお願い申し上げます。
 それでは、まず湊参考人からお願いをいたします。
#3
○参考人(湊秀雄君) 湊でございます。
 まず私の立場を一言、御説明申し上げます前にお断りさしていただきたいんでございますが、国立大学協会といいますのは、御承知のことと存じますが、国立大学の学長をもって組織しております会議でございまして、私ども普通の大学教授と申しますのは、その協会の意見等をいろいろ申し上げる形ではございませんので、まずそのことをお断りいたしまして、これまで私どもが検討してまいりました国立大学共通第一次学力試験につきましての内容につきまして御説明申し上げたいと思いますので、その点ひとつ御了承いただきたいと思います。
 すでに御承知のように、現行の大学入学者の数が当該年度の国民の割合から申しまして大変高い率になりました状態、これはひとえには日本の高等教育の伸展と申しますか、普及化と申しますか、という点で大変望ましいことではございますが、同時にまたいろいろの問題点も引き起こしておりますこと、これは皆様方重々御承知のことと存じます。
 そういう状況でございまして、ひとえには大学の入学者選抜という問題につきましていろいろの問題点を引き起こしております。この点は大学の入学試験の制度等を改善いたしますことから始まりまして、さらに大きな社会的な問題、大学のあり方等も改善していかなければならないということは当然のことではございますけれども、まずやはり問題を持っております入学者選抜ということにつきまして、少しでも改善を即刻始めなければならない、これも大学におります私どもの重要な立場であるだろうと、こう考えております。こういうことで、大学関係者におきましてもいろいろの方面で大学入試改善ということを検討してまいっております。
 一つには、大学基準協会というのがございまして、これでは国公私立三グループの大学がそれぞれ共同いたしまして大学入試の改善を長年検討しております。ところが、この場合は国立、公立、私立というふうに三つの大学のグループがございまして、それぞれ事情が違いますものでございますので、いろいろと具体的な問題まで立ち入ることが現状ではまだ進んでいない状況でございます。こういうことで大学の間におきましてはそれぞれのグループでいろいろ御検討をくださっております。その中でも国立大学は一つのまとまった土俵でございますのでわりあいに具体的な問題に対しましての検討が進んでいると私どもは考えております。こういうことでまず国立大学から試験の改善につきましての共通第一次学力試験というものを進めてきた次第でございます。なお、このことにつきましては当然のことでございますが、文部省におきましても大学入試改善ということを進めておられるわけでございます。
 で、御承知のことと思いますが、文部省の大学同大学課の方でいろいろお世話をいただいております大学入学者選抜方法の改善に関する会議、略称大学入試改善会議というのがございますが、この改善会議の方で――メンバーでございますが、これは国公私立大学の関係者、高等学校関係者、さらに学識経験者で構成しておりますが、この方で長年大学入試改善を検討してくださっております。昭和四十五年十二月のことでございますが、長期的展望に立ちました大学入試改善策といたしまして中間発表をし、さらに四十六年十二月に大学入学者選抜方法の改善という報文を出しております。この報文の中では、大学入学選抜というものにつきまして、これまで多く重点を置かれておりました学力選抜試験一つの方法ではこれでは十分でないであろう、もっと多元的な方法で大学入学者選抜をやるのが適当であろうということで、まず高等学校でつくっております調査書の活用、それから第二に共通学力検査の実施、それから第三に大学が行う学力検査、これをいろいろ改善してよりよい方向に持っていくべきであるというような、こういう多元的な方法で入学選抜を行うのがよろしいであろうということが進められたわけでございます。
 こういうことと同時に、先ほど申し上げました国立大学、国立大学協会の方では、ときをほぼ同じくしてではございますが、昭和四十五年の秋の総会より、国立大学の入試改善方法の一策といたしまして共通第一次試験を行うのが必要であろう、適当であろう。これも学力選抜試験を共通第一次試験一つとそれから各大学において行われる第二次試験という二つに分けまして多元的な方法で行う。さらにこれにプラスいたしまして高等学校からの調査書の活用、さらに身体検査、実技等を兼ね合わせまして検討する。その一環といたしまして共通第一次学力試験を行うのが適当であろうということで鋭意検討を進めてまいった次第でございます。
 当時は、国立大学協会の中で第二常置委員会という委員会がございますが、この方面でまず第一に大学入学者選抜方法の改善を検討してまいりましたが、その後この問題は第二常置委員会から発展的に継承されまして、入試調査特別委員会というものを設けましたし、さらにこれから実情を、具体的な検討を進めますために入試改善調査委員会というものをつくり、文部省からの調査研究費等もちょうだいいたしまして数年間にわたりまして検討をしてまいった次第でございます。その結果、御承知のことと思いますが、昨年十一月の十七、十八日、国大協総会におきましてわれわれが検討してまいりました国立大学共通第一次試験と申しますものは入試改善に資するところありという結論を出しまして、そして具体的な方向に踏み切ることになったわけでございます。
 そのときに考えました形でございますが、現行の学力検査の方式を、全国的に共通で適切な試験問題を課することによりまして、高等学校における一般的学習の達成度を客観的に評価する国立大学共通第一次試験と、この共通第一次試験の趣旨と方法に対応しつつ、各大学が自主的に学部・学科の特性に応じて重視される能力と適性を検査する第二次試験、これを組み合わせる方式に改めまして、そしてさらに大学が必要に応じまして実施する面接等の結果、調査書その他必要と認める資料を総合的に判断いたしまして、入学志願者の能力と適性を判定するより適当な方法をもって大学入試を行うことが必要であろう、こういう結論に達したわけでございます。
 ここで明らかになりましたことは、この共通第一次試験と各大学で行います二次試験、これは学力、面接等もあわせてのことでございますが、これを適当にあわせましてより適切な入学試験、選抜を行い、入試改善に資するように進めていきたい、こういうことでございます。これにつきましていろいろ文部省、大蔵省、国会等でいろいろお世話になりまして、現在進められておりますように実施の段階に進んでおりますが、国立大学協会の方でお願いしておりますのは、昭和五十四年からこの方法が実施されることが可能である、こういうふうにお願いしております次第でございます。これにつきましては、この試験を行いますに当たりましてのいろいろの事務機構、または研究を伴った事務機構というものが必要でございまして、これにつきましては国立大学入試センター、仮称でございますが、こういうものをつくっていただきまして円滑に事務体制を整え処置をする、さらに研究等も進めて行っていきたい、こういうお願いでございます。で、全体といたしましては約百三十名の教官を含みます人員をこのセンターにお願いいたしまして具体的な方法をとり進めていくということになっております。現状におきましては、国立大学の入学試験の一環を行うということでございますので、このセンターを運営いたします評議員会、運営委員会等も大部分は国立大学の教官をもって充てるということを現在私ども考えております。こういうことで中央の機構をもちまして進めてまいりますが、実際の入学試験の共通第一次試験の試行と申しますのは、これは各国立大学でございますので、各国立大学でもその試験を行います受け入れ体制も十分に整えまして、五十四年を期してこの方向に進めていきたい、こういうことで現在進めております次第でございます。
 次に問題になりますのは、この共通第一次学力試験の方法でございますが、これは先ほどから申し上げておりますように、共通第一次試験においては高等学校の学習の達成度を平均的に見せていただきたい、こういうことでございまして、課する学科といたしましては、これは必須科目に限るということにしております。そういうことでございますので、国語におきましては、現代国語、古典I甲合わせて一科目、社会におきましては、倫理・社会、政治・経済、日本史、世界史、地理A、地理Bという六科目の出題をいたしまして、この中から選択いたしました二科目を試験場で選択するということでございます。それから数学につきましては、数学一般、それから数学I、二科目出題いたしますが、数学一般につきましては履修者に限りこれを受験させる。理科につきましては、基礎理科一科目、それからこれも履修者に限りでございますが、そのほかですと物理I、化学I、生物I、地学Iの中から二科目を試験場で選択解答ということでございます。以上は必須科目に限っておりますが、なお大学入学後のいろいろの状況、学習の事情等によりまして外国語一科目をさらに加えましてこれに課するということでございます。それで計画といたしましては、英語B、ドイツ語、フランス語三科目を出題いたしまして、この中からあらかじめ届け出た一科目を選択受験ということでございますが、なお、最近いろいろと職業高校等の御要望等もございまして、英語Bにかわる英語Aの履修者に限り英語Aの出題受験ということも現在具体的に進めております。
 こういう方向で進めておりますが、なお、受験生の数といいますものを私ども検討しております結果においては、当初三十万人ということを考えておりましたが、いろいろの事情によりましてあるいはこれが四十万人になり、四十五万人になるということも考えなければならないであろうと思います。そういう点につきまして、現行多くの大学の入学試験でとられておりますような、筆答いたしましたものを採点官が採点するということはとうていこれ物理的にも不可能でございますので一つの方法といたしまして現行考えておりますのは、客観テストを中心にいたしましてマークシート形式の答案用紙、さらにこれをマークリーダーで読み取りましてコンピューター処理をして採点を行うということを考えておる次第でございます。それにつきましても具体的な方法等現在数年間にわたりまして外国の例等も参照しながら十分検討をしております次第でございます。その結果いろいろの問題点もございますが、第二次試験とあわせましてほぼ所期の目的が達せられるという状況にまで到達しております。
 それからこういうことをやるに当たりましてスケジュールは一体どういうふうになるかということでございますが、それには共通第一次学力試験の試験要項の発表を大体六月末ごろまでにいたしまして、それから各大学で行われます二次試験のやり方につきましては各大学で六月一日から七月三十一日までの間にその内容を発表するということでございます。それに引き続きましてのことでございますが、共通第一次学力試験の受験出願の受け付けを九月一日から九月三十日ごろまでに、これは一応の計画でございまして少しは今後変更があるかと思いますが、出願をするように考えておりますが、これにつきましては出身高校を経由することを趣旨としております。なお、検定の人たちだとかあるいは外国居住者の人たちにつきましては別途の方法を考えております。
 そしてそれに引き続きましての予定でございますが、志望大学学部の申請状況と申しますものを、これを共通第一次試験の出願のときに資料といたしまして調査をいたします。それが十二月ごろセンターの方で集計公表ということになるわけでございます。なお、申し落としましたが、共通第一次学力試験の出願はセンターに全部していただくわけでございます。その結果は集計いたしまして第二次試験の志願状況等につきましては集計いたしましてセンターで公表するということでございます。それから各大学の入学者選抜に関する細目の発表、これは募集人員等の発表でございますが、これは現行行われておりますように十二月末日までに各大学で発表するということ、これが大体各大学での受験票、それから要項等になるわけでございますが、こういうものを発表いたします。
 それで続きます予定といたしましては共通第一次学力試験の実施になるわけでございますが、この時期といいますのは大変問題が多いのでございますけれども、これまでいろいろの問題点を整理して考えてみましたところ、まず現行の国立大学の入学試験期というものを著しく変更することは社会的にも大きな問題があるということで、とりあえず現行の国立大学の一期校の入学試験の時期というものを想定しております。これを検討してみますと合格者発表が三月二十日ごろ、それから入学試験が三月三日より各大学の所定の日にするということでございます。こういうことから順次さかのぼって想定してまいりますと、各大学への二次試験の出願と申しますのが現行どおり二月一日から約十日間ということでございます。そういうこと、それと現在行われております私立大学、公立大学の入学試験期の、この共通第一次試験を行うがためのディスターバンスというものはゼロにしなければなりませんというようなことから考えてまいりますと、現行の私立大学の入学試験期がほぼ一月の二十日過ぎからでございますので、共通第一次試験につきましてはその前に完全に終えてなければならない。こういうことで、後ほど申し上げます追試験、再試験ということも含めますと一月の初めに共通第一次試験を行わなければならない、本番の試験を行わなければならないということになります。こういうことからさらに十二月末から一月十日ごろまでの日本の習慣で申しますお正月休みというものを考えてみますと、その間というのは恐らく何もできない時間でございますので、そういう日本全国を挙げましてのお正月というものを検討いたしてみました結果、具体的にこの共通第一次試験を行い得ますのは十二月の冬休み前後ということにならざるを得ないのではないかということでございます。そういうことを考えましてそのころの二日間と考えておりますが、なおこのことは気象状況から申しましても一つの利点がございます。と申しますのは、北海道、東北、裏日本地区の豪雪地区での入学試験のディスターバンスというのがこれまで頻々と起こっておりますが、そういう点を勘案してみますと、十二月末というころまではまだ大量の降雪もございませんで何とか試験が行われるであろうということでございますので、そういうことを考えております次第でございます。なお、この点につきましては高校の授業の状況等もございますので、また後ほど御質問がありますれば御説明申し上げたいと存じますが、その時期までに授業が完成しておりませんような学科の出題につきましては出題委員会とも十分検討いたしまして出題範囲の調整ということを考えていかなければならない、こういうふうに考えております。
 それから共通第一次試験が行われました後に速やかに正解例の公表をするということを現在考えております。これは共通第一次試験が行われるようになりますと一期校、二期校の試験期が統合されるということも含めてお願いをさしていただいております。こうなりますと国立大学の受験の機会が一回になるという問題になりますので、より適切な出願ということを考えてもらいますために、速やかに正解の例を公表いたしまして自己採点をして、そして自分の志望する大学に二次試験の願書を提出するということを現在考えております次第でございます。
 なお、こういうことの一助といたしまして共通第一次学力試験の成績が出ました場合に科目別の平均点を一月中には報告いたしまして、二月一日からの各国立大学への出願に対しまして少しでも助力をいたしたいというのが私どもの考え方でございます。こうして各大学に出願いたしました結果、三月三日から各大学の二次学力検査等これは実技等もございますので、が行われるということでございます。
 こういうのがスケジュールでございまして、三月二十日までには国立大学の合格者の発表というものが行われるということになります。これがスケジュールでございますが、なお大きな問題としていろいろ考えなければなりません点は、各大学で行われます二次試験のやり方ということでございますが、これにつきましては現在各国立大学で鋭意検討しておりますけれども、重要な問題点といたしましては、これまでの学力試験といいますものが共通第一次と第二次試験と二つに分かれますので、受験生及び大学にとりましてなるべく負担の軽減が行われるようにということでございますので、その場合に出題されます学科・科目、さらに二次試験において課せられます学科・科目、さらに分量等につきまして十分いろいろのことを考え、国大協の方で各大学にいろいろの資料を提供しつつ、現在鋭意検討を進めているのが現状でございます。
 こういうことで進めてまいっておりますが、この共通学力検査の成績の取り扱い方、それから各大学の二次試験の成績の取り扱い方、またこの共通第一次試験をどういうふうに取り扱うかの一つにつきましては、たとえば予備選抜に使う場合にはどういうことを、これは本来望ましくないんですが、こういうやむを得ない事情がある場合はやむを得ず使わなきゃならないにしても、その場合にはこういう重要な点はぜひ守っていただきたいというようなこと等も含めまして現在各大学に御検討を願っております次第でございます。
 それで、こういうことで国立大学協会の方で国立大学の共通第一次試験を含む入試改善を進めておりますが、この実態につきましてはいろいろの方面で御承知おき願っていると思いますが、これをいち早く公立大学の方で御検討くださいまして、五十四年度から公立大学もこれに参与したいと申しますか、この成果を利用したい、こういうお申し出がございまして、現在これをお受けするように鋭意検討中でございます。で、私立大学につきましては、まだそれほど具体的には進んでいらっしゃらないようでございますが、私ども数回にわたりまして、私立大学の関係の方々に私どもの研究成果をその場その場で、その時点その時点で御説明申し上げております、と申しますのが現状でございます。
 大変時間超過いたしまして、説明不十分かと存じますが、一応御説明申し上げます。
#4
○委員長(宮崎正雄君) ありがとうございました。
 次に、矢次参考人にお願いいたします。
#5
○参考人(矢次保君) 私ども私立大学協会におきましても入学者選抜方法研究委員会というものを設けまして、ただいま研究をしておるさなかでございます。大体の考え方を本日は申し上げたいと存じます。
 今日、入学試験の制度の改善が急がれております理由は、大学の入学というものに関連いたしまして、多くの弊害あるいは行き過ぎ、いわゆる過熱現象が起きておるのみならず、そのことが高等学校、中学校、小、幼稚園の教育に至るまで多くの弊害を及ぼし、教育をゆがめておる。そこで、このような現象をできるだけ早く改善しなければならないという社会的要請から問題が起き、解決すべき課題となっておる、こういうふうに思うわけであります。さすれば解決をしなければならない、改善をしなければならない問題点はどこにあるか、それらの問題点がよって来るところの原因は何にあるかということを明確にすることが問題解決の第一段階であるというふうに考えられるわけであります。今日、社会的に解決をしなければならない弊害、大学入学に関連して生じておるところの弊害というものの、これは各種あるのでありまするが、その究明がもっと明確になされなければならない、そしてその一つ一つの弊害のよって来る原因というものが明確に分析をされなければならないと思うのであります。それらの点が、わが国においていま、なおかつ究明不十分であるというふうに私どもは思うのであります。
 さて、それについて一応考えられます幾つかの弊害、原因を挙げてみたいと思うのでありますが、第一は、何と申しましても、わが国の大学が、国立大学は国の経費のまる抱えで行われておって、私立大学の方はまあ、最近助成金が相当拡大されたとは言いながら、まことに焼け石に水でありまして、ほとんどその経費が自費負担である。この大きな経費負担の差というもの、その結果、やはり国立大学、経費のかからない自己負担のない方に集中するというわが国の特殊現象が生じておるのであるというふうに思われるのであります。ですから、これを解決すること、これは多年国会において、あるいは政府が努力をしておられるところでありまして、今後さらに前進を、大急ぎで実現をしていただきたいと思うのであります。
 第二点は、やっぱりわが国社会における明治以後培われたところの官学中心主義の思想、それに関連して、いま抜きがたい、官庁、会社、あらゆる社会分野における残滓がいまなお牢固として存在しておる、これであります。
 第三は、それにやっぱり関連すると考えられるのでありまするが、大会社の一部におきまして、いわゆる指定校方式というものを大学卒業生の採用に際して行っておられる問題が解決を見ていない。こういう点から、やはり志願者は、国立大学、さなくんば私立大学に行く場合にでも、いわゆる有名校に集中をするという現象が生ずるというふうに考えられるわけであります。
 第四は、国民の教育、特に進学に対するところの基本の心構えに誤りがある、あるいはそれが確立されていないというところに大きな原因があると考えられるのであります。申し上げるまでもないことでありますが、高等学校を卒業する段階におきまして、一人一人が自己の持っておるところの能力の分野及びその段階、特色というふうなものを明確に自覚することがまず第一であります。そうして、それに適応した大学に入って、そこで自分に適応した知識、技能を身につけて、卒業後一生涯社会に貢献をする、働く、このことが実現されることが、個人にとっても、国家、社会にとっても最も重要なことであります。どうも社会の風潮に押されて、自己の能力の種類あるいは段階と無関係にお門違いの大学に進学しようという、この無理、無益な無理、これがわが国の改めなければならない根本的な風潮の一つではないかというふうに考えられるのであります。
 また、これに関連いたしますが、高等学校の側におかれて、一人でも多く国立大学あるいは私立大学の有名校に入学させることをもって能事終われりとする誤った教育観を持っておる教師が非常に多いのではないか。これは即刻改められなければならない。そのことは本人の一生を台なしにするというふうに思うのであります。そして、さらに予備校あるいは受験雑誌、通信添削等の会社が、営業上高校生のウイークポイントにつけ込んで、と言っては言い過ぎかもしれませんが、受験熱をあふる、受験難をあふる、入学難をあふる、また有名校に入らなきゃ意味ない人生になるかのごとき誤った文章が受験生の目にとまるような行き過ぎがありはしないか。このことがまた世の中すべてを、母親を、受験生を誤らせておるというような幾つかの原因が複合いたしまして、そうして今日の弊害を、過熱をもたらしておる、こう考えられるのでありまして、それらの点が解決を見なければ、今日問題になっておるところの大学入学に関連する多くの行き過ぎ現象というものは解決されるものではない。大学の入学試験のやり方が悪いから弊害が起きておるのではないとさえ言えるというふうに思われるのであります。
 さてしからば、大学の入学試験制度はこれでいいかと申しますと、これも決してよくないのであります。それはしかし、先ほどの問題とは別でありまして、大学の入学制度のあり方につきましては、私立大学協会の委員会の基本の考え方は、いまのやり方が少し、というより大いに無責任である、もう少し手間暇をかけて親切緻密に適格者を選ぶべきであるという方向で検討が進められております。なぜかと申しますと、申し上げるまでもないことでありますが、教育の目的は何と申しましても、その中心たる、基本は人格の形成であります。あわせて職業的知識を身につけることであります。ことに大学は専門的学問を勉強して、そして知的、道徳的応用能力を展開させる。これは御承知のとおりであります。
 されば、入学試験において最も大事なことは、その人間の高校卒業までに形成したところの人間形成度、価値観、道徳観、これであります。気違いに刃物を持たしたら世は乱れます。一番大事なのは価値観形成度、人間形成度、これも最も重きを置いてもう少し見るべきである。非常にむずかしい方法でありまするけれども、これであります。
 次に、私立の各大学には建学の精神があります。一つ一つの大学が建学の精神を持っております。この建学の精神に適する者、これは見逃すことのできない私立大学としてのいわば生命であるわけであります。
 第三は、高等学校までの科目の履修度であります。どこまで身につけておるか、またどういう科目が本人はすぐれておるかという点であります。これにつきましても私立大学は個々の大学の建学の精神に基づきまして四年間あるいは六年間の学科課程が編成されておるわけであります。体育の大学もあります。美術、音楽、もちろん医学、法学、各種各様の大学があります。それらの学科課程――四年ないし六年における学科課程を履修するに適しておるかどうかということをもっと綿密に見る必要があるのでありまして、最近、長い間惰性的に行われておりまするような、たった英語や数学やあるいは社会や理科や一部のものだけの試験で合否を決定するということは決して合理的ではない、これは今後研究をして大改善をしなければならないという方向でいま検討を加えておるわけであります。さらに体力――大学を卒業後一生涯社会に役立ち得るだけの基礎体力を持っておるかどうかということ、いろいろな角度から大学の入学試験というものはもっと緻密に、親切に手間暇をかけて行われるべきものである、こういうふうにいま検討が進められておるわけでございます。
 さて、国立大学の方でいまお話を伺いましたような方法をとられておる。これは国立大学とされては非常に簡便、多くの国立大学が個々の大学で煩瑣な入学試験をやられることを統一してやられれば非常に煩瑣さから免れることができる。その方法によって高等学校の履修度というものは、ある程度わかると思うのでありますが、その結果につきましては私立大学の入学者についてもそのテストを受けた者については何がしかの参考になる材料にもなり得るだろうというふうに考えられるわけでありまして、私どもはこれを見守っておるわけでありまするが、私立大学といたしましては、個々の大学教育のいわば入学試験は最初の教育行為である、みずからの大学に入学する者を、適者を選ぶということは大学の自主性の最初の行為であって、個々の大学皆その教育目標、カリキュラムが違うのであるから、これを一律に入学試験をやるということはとうてい初めから考えられない不可能なことであって、あくまでも今度のそれは、できることならば高等学校卒業までの科目の履修度調査ということにしていただくならば非常に参考になるであろう、こういう考え方でございます。
 以上、大筋だけを申し上げました。
#6
○委員長(宮崎正雄君) ありがとうございました。
 次に、森参考人にお願いします。
#7
○参考人(森武夫君) 私は、全国高等学校長協会会長として、現場の高校長がこのたびの新しい大学入試の改善についてどのような考え方を持っているかという点を重点にして考えを述べさせていただきたいと思います。
 第一に、総論としてはこのたびの新しい大学入試のやり方について賛成でございます。これは昭和四十四年から四十五年にかけて全国的に高校紛争という厳しい状況がございました。その反省に立ちまして、高校生のためにぜひとも当時の大学入試のあり方について改善の方策を高等学校の校長としても万難を排して対策を考えなければならないということを全校長の協会として打ち出したわけでございます。当時昭和四十五年十月の総会で三つの事項を決議しました。一つは、調査書の尊重、第二は、統一学力テストの実施、第三は、各大学に入試改善に関する常置の機関の設置という三つを取り上げまして、関係の文部省あるいは大学入試改善会議、国大協等関係筋の方々にお願いをしたわけでございます。それから六年たちましていまようやく現行の大学入試について改善の方策がとられると、先ほど御説明がありましたように、共通第一次試験を実施し、各大学の行う第二次試験並びに調査書等、複数のデータを総合判定をして合否を決定するという新しいやり方でございます。で、私が申し上げましたように昭和四十五年時代にわれわれの協会がすでに何とか大学入試の制度を改善してほしいということを申し上げてきました立場上からも、今回の新しい改善の方式について、総論といたしましては賛成でございます。ただ、各論について先ほど御説明もございましたが、なお若干の点について私たちの希望を申し上げたいという事項が幾つかございます。以下、簡単にその要項について御説明を申し上げます。
 その第一は、共通第一次試験についてでございます。教科・科目数、先ほど御説明のように現在の試案といたしましては五教科・六ないし七科目という線が打ち出されております。五教科といいますと英語、国語、数学、社会、理科、これで五教科でございます。で、六ないし七科目というのは社会と理科はそれぞれ二科目選択受験、ただ理科の場合、先ほどの御説明にありましたとおり基礎理科といいますか、これを履修した者は二科目選択しなくてもよろしいということで五教科・六ないし七科目、こういう線が出ております。われわれの現場の校長会といたしましては先年科目数についても大方の意見を聴取いたしますと、五教科・五科目でも十分高等学校の履修の到達度を判定するのに可能なのではないか。しかも現在実施されておりますところの国立大学等の入学試験等を見ますと五教科・六ないし七科目という大学はきわめて少数でございます。大部分が五教科・五科目ということで現行でも行われている。したがって今後この科目数を五教科・六ないし七科目。言いかえますと社会、理科各二科目というのは平均的な高校生が大学受験の場合には負担がやや過重ではないかという立場に立ちまして、将来この問題、五教科・五科目という線も御検討をいただきたい。
 それから第二次試験で小論文、面接あるいは実技を課す、これについては賛成でございます。ただ学部・学科によっては第二次試験に学科試験を課するということもあり得るという御説明がございましたが、できましたら、これもガイドラインに示されておりますように一ないし二科目という程度にしぼるようにお願いできたらありがたいと考えております。大体共通一次試験で六ないし七科目の勉強をし、また各大学で二次試験で学科試験を課するということになりますと、悪くすると共通一次試験というものの意味が失われてくる。方法はマークシート方式ではございますが、高校の履修度という到達度を見るのに第一次のマークシート方式も非常に進んできておりますので、相当の程度まで判別が可能ではないかと考えられますので、極力、二次試験で学科試験を課するという方向を避けるようにお願いできますと、このたびの新しい大学入試改善が画竜点睛といいますか、非常に受ける側の高校生にとってもプラスになるのではないかと考えられます。
 なお、その時期でございますが、先ほど御説明がありましたように、最終的に合格者発表あるいは各大学の行う二次試験、その前に共通一次試験あるいはその中間に追試験を行うというような物理的な条件を追いますと、五十三日ないし五十五日程度の余裕が必要だと、しかも豪雪地帯等の状況を考えると十二月下旬、すなわち来年の五十三年十二月下旬に第一回戦の本番が行われるという状況がかなり現実的になってまいっているわけでございますが、これが私たち現場から言いますと、高校三年生が教育課程を終了するいわゆる授業内容が終了するのがどうしてもぎりぎり一月末ぐらいまではかかる。したがって十二月下旬では若干抵触する。特に先ほどの七科目といいますか、社会、理科二つ選択ですから、その一つが恐らくは三年生で履修している者がまだ授業が終わらないうちに共通一次を受ける、こういうような問題点がいま残っているわけでございます。これもできましたらば、科目としてはそうたくさんではないはずですが、できましたら一月下旬あたりまで共通一次の時期をずらしていただけますと、高等学校としては正常な教育が進行できるということで期待をいたしておる次第でございます。
 第二は、職業課程出身の受験生のためにお願いを申し上げたいと思います。御承知のように、高等学校全日制三年間ですが、普通課程の場合と職業課程の場合はほぼ同じような授業の内容を、職業課程では職業に関する専門の勉強をしているわけでございます。したがって同じ英語、数学、国語といいましても、履修単位等にも当然差が出ておりますので、普通科と職業課程が全く同じ条件で受験をするということになりますと、職業課程の生徒がどうしても不利にならざるを得ないという客観的情勢がございます。したがって職業課程における生徒が職業についてしっかりと学習をしているという判定に立って推薦入学制度の推進というようなことを特に職業課程についてはお願いを申し上げたい。それとかかわりまして職業課程の専門教科で特に入試の第二次試験等において工業、商業等の科目で代替試験といいますか、代替で数学のかわりに工業のこういう科目というふうに普通科の受験者と違った形の代替科目で受験ができるような御配慮を是非お願いしたい。先ほど御説明で英語については、職業課程の場合は普通科のBというほど時間をとれない場合が多いから英語はAで受験できる。かなり単語のボキャブラリー等が少なくても受験できるような体制をお考えいただけるということも伺いまして大変ありがたいと思っております。
 大きな第三項目として、第二志望を生かすということでございます。先ほど御説明がございましたが、いままであります国公立の一期、二期が一元化しまして受験生は一つの国立大学、公立大学しか受験できない、いままで二回チャンスがあった、今度はそれが一回になる。そこでぜひともその志望をどこかで生かすということです。先般伝えられるところによりますと、希望する国立大学は第一回戦で定数の七割なり八割を採って、第二次募集で残りの二割なり三割を採用する、合格させるというような方法などもお考えいただいているようでございますが、ぜひそういう大学が数がふえますことを期待を申し上げたいと思います。
 なおもう一点、四月上旬あるいは四月になりまして、各国立大学等が合格発表した後で、状況によっては辞退をする、その大学に入学してこないという生徒がいるはずでございます。そこで、定数を相当程度割った場合、すなわち欠員が生じた場合は共通一次テストを受けた者がその補欠募集に応募する資格がある、いわゆる敗者復活戦をやっていただけたらありがたい、こう考えております。
 最後に第四点は、大学入試センターが、本日、国立学校設置法の改正の中で、現実にこれから大学入試改善の大きな目玉になっていくはずでございますが、この大学入試センターの機能というものが今後の日本の大学入試のあり方を大きく変えていく機能を持っていると私は信じております。したがって、この大学入試センターが着々と入試選抜という業務の遂行のみならず、今後の大学入試のあり方についても大きな役割りを果たしてくれることを期待いたしまして、私の意見陳述を終わります。
#8
○委員長(宮崎正雄君) ありがとうございました。
 次に、林参考人にお願いいたします。
#9
○参考人(林竹二君) 私の話は、いままでのお三方とかなり帳じりの違ったものになろうかと思うんです。で、私は確かにいま日本には、入試に関して地獄、試験地獄とよく言いますが、その試験地獄とも呼ぶべき事実があると思います。しかし、この事実を、この地獄を何とかして解消しようと思うと、制度論や技術論ではほとんど何にもできないんじゃないかという気がいたします。その前提にもっと別なものが必要であるというふうに思うわけです。それで、私はもっぱら本質論とか実質論的なことを申し上げたいと思っております。
 それで、第一に申し上げたいことは、いわゆる試験地獄というものをつくり出したことに対する責任というものは、果たしてその大学の入試だけにあるんだろうかということであります。それで、試験は確かに学校教育を破壊しております。その破壊の程度は大変いま深刻になっておると思います。しかし、それよりももっと深刻な事実は、この学校教育があらゆる段階において、学校教育というものが空洞化しているんじゃないかという点であります。また厳密な意味で教育というものが放棄されているんじゃないかというようなことが私は感じられて仕方がないんであります。それで私は、少し逆説的になりますけれども、この学校教育の空洞化が試験地獄を生んでいるので、その逆ではないということを申し上げたいように思います。
 で、私、大学に三十何年くらい御厄介になりましたけれども、この試験地獄という問題について大学は最大の加害者であるかどうかということについては、先ほど申し上げたように私はそれを認めるのにかなりちゅうちょを感じますけれども、非常にはっきりしておりますのは、大学がこの熾烈な受験戦争の最大の被害者であるということであります。ところが、大学の方々も自分が被害者であるという実感が何だか非常に希薄なように思います。それで、激烈な受験戦争に勝って大学に入ってくる人間は、その人間に対して大学が第一に求める、学ぼうとする意思と能力をほとんど失い尽くしてしまっているわけであります。その受験準備のためにその能力を根底から破壊してしまわないと大学にはいれないのであります。そういう人間が大学にはいってくるわけであります。で、彼らは、何かを学ぶということが何であるか教えられていない。それから、学ぶということの喜びはもちろん教えられていない。それですから彼らは、何か学んで、何かそこで身につけるために大学に入るのではないわけであります。彼らは、ただそこを出るために、楽をしながら社会におけるしかるべき地位につくパスポートを手に入れるためにだけ大学に入ってくるわけであります。すなわち大学はそこを出るために入るだけであります。これで大学教育が形骸化されないわけはないわけであります。しかし、この事態に対しては私は大学自体が厳しくその責任を問われなければならないだろうと思います。これを高等学校の責任に転嫁するわけにいかない。これは大学自身がやっぱり責任を問われなければならないと思います。大学では一人一人の教官は自分の研究にはすこぶる熱心であります。しかし、大学が総体としてどうしたら学生の教育に対して責任をとることができるかということについてはすこぶる不熱心であります。私は、その責任をとろうとする意思さえも持たないのではないかというふうに感じます。
 で、私は、大変いままでラジカルなことを申し上げましたけれども、これは私は、これだけの主張を申し上げるのは、宮城教育大学における六年間の学長としての経験を踏まえて、それからさらにその上に、これは私、教員養成大学の学長でありましたから、何とかその責任をとるために学校教育の実態に触れたいと思いまして、小学校、中学校で授業を試みました。そして、その授業の経験、それから学長としての経験、それからその授業の経験に基づいて申し上げているわけであります。
 私は、全国のいろいろな土地のいろいろな学校で授業をやりましたが、ちょうどそれが二百三十三回になりました、六年余りであります。そしてその経験についてここに出ております、国土社から「授業・人間について」というこの書物に子供の感想を主としてこの本は編んでおりますが、その「授業・人間について」とか、日本放送出版協会から出ました「林竹二・授業の中の子供たち」、の中に、子供たちの表情を主として、それから授業の記録なんかもおさめてここに出しておりますから、関心のある方はごらんいただきたいと思います。
 それで、子供の感想ということを申し上げましたが、子供の感想というのは作文ではないのであります。これは日本の教育に関する非常に重い証言であります。で、私は、その授業をしますと子供に感想を書いてもらうだけじゃなくて、その学校の先生たちに授業を見てもらって、その上でその先生たちと話し合いをずっといたしてまいりました。ですから、この経験を通じて、私は日本の教育の現実のかなり内奥、奥深いところで日本の教育の実態に触れているつもりであります。
 で、私は、ここで一つの授業の例から私の証言を始めたいと思いますが、私の二百三十三回目の授業、すなわち最新の授業は、神戸の長田区にある定時制の湊川高校で、その二年生を相手にしてやった授業であります。それで、湊川高校については、その立地条件や何かで御存じの方がかなり多いと思いますけれども、あそこは日本で都市としては最も広大な未解放部落の番町に隣接して建てられている高校であります。そして定時制でありますから、ことに最も劣悪な生活条件とそれから労働条件のもとで生活し、労働している子供たちをそこに収容しているわけであります。ですから、この湊川の子供は、自分のそれぞれの職場における労働を、かなりきつい労働をやっている子供が多いわけでありますが、労働を終わって学校に駆けつけてくるわけであります。そこで、そういう労働を終わった子供たちを相手に私は「人間について」という授業をいたしました。これは、人間とは何なのかということ、それから、人間を人間にするものは何なのかという問題を考えているわけであります。おもしろおかしい授業ではないわけでありますが、そこでこういうふうな(写真を示す)非常に真剣な表情をして子供たちは授業を受けております。こういう非常に苦悩に満ちたような顔からだんだんきれいな美しい顔になってくるわけです。まあ私は、授業というのは一つのカタルシスだと、浄化だというふうに呼んでおりますが、これをお回ししてもよろしいかと思いますが、これをずっと続けて見ていただきたいんです。だんだん変わっているところ……。ここに写っておる少年といいますか、青年といいますか、これはそば屋の出前持ちをやっております。その出前持ちをしている子供がこんなに美しい、高度の知性を持った顔になっている。これが授業が終わった休み時間にはこういうふうにくつろいで子供のようになってくるわけです。これも普通、席に着いていることが余りない子だということでありますが、これが授業の中でこんなにみごとな威厳を持った顔になっております。こういうのもあります。それで、こういうふうな、これは三十五歳になる勤労者であります。この授業をやりまして私、まあ、写真は学校の方で写してくれたわけでありますが、私の写真を写している小野というカメラマンがおりますが、その小野君はこのとき行けないので、向うで用意された神戸のカメラマンの秋山氏と、青雲高校の西川氏が写したんでありますが、この写真を見て私は驚きました。もっとも私は一つの授業というものがそのカタルシスであるという主張をよくやってきておりますけれども、もし私に十分な力があれば、この湊川ではいままで見たこともないような最も美しい顔が見られるはずだというふうに私は仮説を立てておりました。しかし、それが裏切られなかったように思います。
 というのは、この私の授業がごく普通の高等学校でなされたならば、この湊川の子供が示したような表情は絶対に見られないと思います。その点をお考えいただけるでしょうか、なぜそういう違いが出てくるのか。それはしごく答えは簡単であります。それは、そういう、ことにエリート校なんかの場合は、私が湊川で問題にしたような、人間とは何か、人間を人間たらしめるものは何かというようなことに頭を突っ込んでいては、そんな授業に夢中になるようでは大学の入試には通りっこないはずであります。ですから、そういうものに対する感受性とか、そういうものに対する学ぶ要求とかいうものは一切捨ててしまわなければ、結局大学の入試は通過できないという事実があるわけであります。ですから、いわば本当にこういう種類の授業に深く集中し、深い厳しい学習をするような子供は大学に入れないという事実があるわけであります。ですからそういう人たちが、ところがエリート校を出ますれば、国家や社会の運命を握るわけであります。これはひどく私は恐しい事実じゃないかと思います。ですから、私は試験地獄を生み出しているのは学校教育の空洞化であるということを言いました。その空洞化というのはどういうことかというと、厳密な意味の教育が失われているということでありますが、授業というものの中で一つの問題を突きつけられて、その問題とまともに持続的に取り組むということ、これが学習であります。で、湊川の子供はそれをやっているわけです。で、問題と格闘し、自分と格闘しているわけであります。で、その格闘を通じていままで自分の立っていたところからはるかに高いところに引き上げられるわけであります。
 で、そういう授業がいま高等学校で行われているかということであります。だから、学ぶ経験を持たない、そして学ぶ喜びというものを知らない人間は、要するに有名校にあこがれて、ただ、そこを出て社会的に有利な地位に立つためにその大学を目指すということになるわけであります。しかし、本当の学びということは何であるかということを子供たちは普通は教えられていないわけであります。学ぶということと覚えるということとは全く別のことなんだというようなことを考えたことのある子供というものはほとんどいないだろうと思います。しかし、それは学校に責任のあることであります。
 ここに私、仙台市立の公立中学で一年生に入ってきた新入生に渡した心得のプリントを持っておりますが、これにはこう書いてあります。「学習にとってもっとも大切なのは「記憶」であるが、この記憶は新しいものごとをおぼえる記銘、おぼえたことをしっかりつかんでおく保持、それを後から思い出す再生、この三つから成り立っている。」、こういうことをいっている。それで、その記憶を強くするためには、お湯に入ったら五分以上入ったらいけないとか、テレビは何分以上見てはいけないとか、そういうことを長々と書いているわけであります。だから教育というものは物事を覚えることだということを初めて入ってきた一年生に中学校が公に教えているわけです。こういう教育を受けて、本当に学ぶということは単なる何かを記憶するということとは別なことなんだなということを考えろといっても無理であります。ですからそういうところに私は空洞化の一つの原因があるように思います。
 それで、私が二百三十回ばかりの授業をしている間に、小学校の四年生が書いた感想でこういうものがあります。これは小学校四年生であります。
  先生 きょうの 四時間日の へんてこなれきしのべんきょうか りかのべんきょうかわからないべんきょうを、 して はじめてべんきょうのおもしろさが、 わかりました。
  いままで、小学校1年生から4年生まで、人間とは、 なにか、どおゆう物であるか、そして、どう物と、 どうちがうか、 人間のにの字も しらべたことが、 ありません。
  先生の お話を 聞いていると、 自分のことも、 わからないようじゃだめだと、頭にうかんできます。いままでのべんきょうは、  てっていてきにしらべたことが、 ありません。
  ただ 答えを、 だしたら、 それを、 おぼえて、 りゆうを、 かんたんに、 考えて、 終りです、 だいたい一もんに 15分とかかりません。
  先生の ばわいは、 こまかくてっていてきに、 りゆうも、 こまかく しらべて終りで 一もんで、 45分いじょう かかります。
  ぼくの いままでのべんきようにくらべると、 ずいぶん ちがいます。
 ですから、こういう授業をすれば子供は初めて勉強のおもしろさがわかったと言うわけであります。子供というのはものすごい力を持っています。
 で、その一例としてこういうのもあります。これも同じく四年生でありますが、これ四年生になったばかりの子であります。四年生の子がこう書いています。
  その日一時間目のときに授業を受けた。学長先生の授業の教え方はうまい。それは大きく分けて、よく考える時間をくれるし、こまかく切りきざむところまで心を入れ、よくわかりやすく説明し、よけいなところのはぶき方もうまいからです。この差がプロフェッショナルと普通の先生方の違いです。
 と書いています。ですから子供は本当に物事をとらえる非常に鋭い、深くとらえる力を持っているのですが、それにこたえる力を持っていないわけです、学校教育は。
 それで私は、私の授業の経験、それから子供の感想と先生方との話し合いをした結果、こういう結論を出さざるを得なくなりました。その第一は、子供たちは成績などとは全く関係なくすばらしい、驚くべき力を持っている。この力、すなわち可能性であります。引き出さなければ物にならない。持っております。しかし、いまの学校ではこの力がほとんど引き出されていないだけじゃなくて、逆につぶされているわけであります。時間があれば全部その論拠を示します。それで二は、子供はみんな勉強したがっている。それはあたりまえで、子供にとっては、激しく成長している時期の子供にとっては学ぶ意思と能力がすなわち生の可能性にかかっているわけであります、それが。それがなければ生きることはできないんであります。しかし、学校教育はこの子供たちの願いにこたえていない。で、子供たちはパンを求めて石を与えられ続けている結果、学校教育によって勉強ぎらいにされてしまっているわけであります。それで、そういうときに、学校にはパンなどがあるはずがないと割り切って、与えられた石を適当にこなしていく子供がよい子になったり、優等生になったりするわけであります。で、あくまでもこれは石であってパンでないというようなことを固執する子供たちは問題児になったり、切り捨てられたりするわけであります。で、その切り捨てられた子供の何人かを切り捨てるということの上にいまの学校教育が成立しているということは、これは非常に恐ろしいことだと思います。何人かの子供を切り捨てて何人かの子供だけを相手にする教育は教育ではないわけです。
 私の結論を最後に簡単に申し上げますと、結局、この解決というのは、大学が大学になり、高等学校が高等学校になる以外には解決がないということであります。大学が大学になるというのは、大学は単なる一人一人の先生方が研究に対して責任を持つというだけじゃなくって、やはり学生の教育に対して、研究に対すると同じように教育に対してやはり総体として責任を持つことを考えなければならないわけであります。ですから、本当に学ぶ意思も能力もない学生が入ってくるのをそのまんま出してやるというようなことでは、大学は大学としての責任を果たしていないわけであります。それから高等学校について言いますと、高等学校は、高等学校に学んでいる子供たちは本当に人生のかけがえのない一つの時期にあるわけであります。その時期にしかできない生活、それからその時期にどうしても学ばせておかなければならないものを学ばせる。これは受験に必要なものとは別なものであります。それを学ばせるということに対して高等学校は責任をとるべきだと思います。入学者が少ないか多いかということに対しては高等学校は責任を問われる理由はないわけであります。ですから、そういうふうにして、大学と高等学校がそれぞれに、大学が大学になり高等学校が高等学校になるためには、やはり小学校以来のあらゆる学校の段階の中でもう一遇本当に教育というものが回復されなければならないわけであります。
 少し時間を超過して申しわけありません。陳述を終わります。
#10
○委員長(宮崎正雄君) ありがとうございました。
 以上で参考人の方々の御意見の開陳を終わります。
 これより順次質疑に入ります。質疑のある方は順次御発言を願います。
#11
○松永忠二君 各参考人に少しずつお伺いをしたいと思います。時間も短いので簡潔にひとつまたお答えいただきたいと思います。
 湊参考人にお尋ねをしたいわけでありますが、いま少し高等学校の先生からも、森さんからも出ておりますように、また第一次試験を足切りにしていこうではないか、初めこういう試験が考えられたときに、足切りとしてやる第一次試験をもしやるとすればみんなでやったらどうかというのが一つの発想の出発点だったというような話も聞いたこともありますが、足切りに使おうというような学校がふえてくるのではないか。その場合には三倍くらいはというようなことまで出しておるようであります。それからまた第二次試験が非常に重要であって、これが教科が非常に多くなると組み合わせの上で非常に負担が重くなってくるのではないか。こういう点について、お話もありましたように、これは大学の自主的ないわゆる検討にまつと言っているわけでありますが、総会では、大学の自主的な検討だけれども、当協会においても連絡調整に当たるというようなことが出てはおります。私はこうした問題について、具体的に意図したところより違ったようなものがだんだん出てきたというような段階、あるいはそういう調査もすでに今度なされるわけでありますが、七月までには各学校の要望をまとめるわけであります。そうなった段階には、自主的な検討ということを少し超えて、いわゆる国大協の考えている一つのガイドラインと称してもある程度の基準的なことを明らかにしておくとか、意思統一をするとかという、そういうことが必要ではないのだろうか。そういう点について何かいまある当協会において連絡調整という以上に進んだ措置を、こういう面について意図したところよりも違った方向に非常に考えが出てきたという場合においては踏み切ってそういう努力をするという用意があるのかどうなのか、この点、まずお聞きをしたいと思います。
#12
○参考人(湊秀雄君) ただいま御質疑の点が二、三点ございますが、順次お答え申し上げたいと思います。
 まず、足切りという問題でございますが、これにつきましては、最初から協会といたしまして、本来これは使うべきものではない、こういう点を打ち出してかかっておりまして、決して出発点から足切りということで取りかかってはおりません。ただし現状を考えてみますと、すでに五大学で一次試験、二次試験という形をとっておりまして、その一部には一次試験というものを予備選抜に使っておりますが、そのあたりではそれなりの理由と長い経験がございまして、こういう場合には、もし足切りをやるとすればこういうことは十分考えていかなければならないのだということが三倍程度ということになっておりまして、ではありますけれど、とにかくこの方法というのは、本来、今回考えております共通第一次試験の趣旨ではないので、十分そのあたりを考えていただきたいというのが、これが足切りに対する当初からの考え方でございます。
 それから第二次試験が多くなるということにつきましては、すでにガイドライン等で十分その趣旨等も説明してございます。こういうようなことを通しまして、先ほどもお話がございましたように、大学の自主的検討に任せるということを言っておりますが、実は昨年の秋の総会のときにもいろいろとこの点につきまして、これは共通第一次試験の使用方法――使い方、それから各大学で引き続いて行います第二次試験のガイドラインというような点につきまして大変長い時間かけて議論したのでございますが、そのときの内容といたしまして、一つには、ただいまお話もございましたように、てんでんばらばらというようなことで大学の自主性に任せるというのは大変困るのではないか、少なくとも各大学で共通な学部・学科においては相当一致した線が出ていた方がよりよろしいのではないかというような点等十分ディスカッションいたしました。それと同時に、一部のこれと全く反対の御意見等もございまして、各大学独自にやはりそれなりの特異性があるので、こういう点を細かく決めてこれによって規制するということも、これまた本来考えております大学の趣旨とは反するのではないか、こういう点十分議論をいたしました結果、国大協といたしましても、各大学の考えております中間の考え方というものにつきましてアンケート調査をし、そしてそのデータを各大学にお流ししまして、決定までに十分ガイドラインとして考えておりますこと等を盛り込みながら常識ある線でそれで決定していくことが大切ではないかということで連絡調査をいたしまして、そして各大学の良識によって考えていただきたい、こういうふうに進めております。それで、ただいま申し上げておりますように、なかなか協会といたしまして、命令的にこうしろと言いますことはかえって害を残すことも多うございますので、ただいま申し上げましたようなことで、連絡調査という線で十分この意図が生きますようにただいま努力中でございます。
 以上でございます。
#13
○松永忠二君 それから、この点についてはこういう要望に沿うということはできないでしょうか、いまお話しのありましたような教科の問題についてですね。これは調査によれば、一次は五教科・七科目、それから第二次は三教科以上というのがあるわけなんですね。だから、負担の軽減という点からこれはもう強い要望も出ているわけですが、これについて、一体こういう意見を取り入れるもう余地はないのかどうかという点。
 それからもう一つは、いわゆる一発勝負にならないように第一次で七割、第二次で三割、あるいは補充のいわゆる試験というものを取り入れていこう、これはもうこのものを入れる余地はないのか、それともそういうことについてはなお検討する余地を持っているのか、これを端的に、理由はもうわれわれもそれなりにわかっているわけですから、こういう強い要望について何らかこたえられるのかこたえられないのか。こたえられるとすればどういうふうにこたえられるのか、これをひとつ。
#14
○参考人(湊秀雄君) ただいまの点につきまして、国立大学協会の方でも具体的に検討しております。
#15
○松永忠二君 具体的に検討しているので一定の結論を出す、出せる。要望に、趣旨を入れた意味で要望に沿うような結論を出すようにいま努力中だと、そういうことでよろしゅうございますか。
#16
○参考人(湊秀雄君) はい。各大学の事情によりまして、いま検討中でございます。
#17
○松永忠二君 検討をして、われわれとしてはある一定の時期に、もうたとえば七月にはそういうことはやるわけですから、できたら早い時期にその意見をまとめて、そして発表していくということが何かできないものか。われわれにしても、この法律に関連がありますのでできるだけ早い機会にそれを聞きたい、そして、それのよしあしの判断にもひとつしたいというように思っておるわけでありますが、その要望にはこたえられるわけですね。
#18
○参考人(湊秀雄君) 七月末に発表する段階においてこの点も、可能性のある大学においては御公表願うように現在お願いしつつ検討中でございます。
#19
○松永忠二君 そこで、最初私が聞きましたように、いま一応のガイドラインはつくってあるわけですね。しかし、なかなかこれは自主的なんであって、学校によっては必ずしもそれはそうはとらない。むしろ有名大学というものほど第二次の教科を多く希望しているわけですね。有名校こそそのための試験準備をやっている。その中心になるようなところが足切りをやるわけなんです。それからまた科目は多くなる。どうもこれじゃ目的を達して――考えたところと違った方向に誤られるのじゃないかというような段階には――私は、いまのような自主的検討でなしに申し合わせですから、何もこれ上からやるわけじゃない。各国立大学の責任者の申し合わせとして一つのものをつくれば、これはある程度の拘束力を私は持つと思う。そういう意味の申し合わせをするということは私必要だと思うんでありますが、これについてはいまどうお考えになるのか。
 その点を一つと、そういうこともありますので、私は正規の――これは東北大学の学長にもお話をしましたら一応御賛成は得られたんでありますが、湊さんもこの仕事を中心になってやられている方でありますが、私は、どうしてもやはり高校側、それから一般学者、そうしてまた子供の受験生を代表するような意味の親たち、こういう者の世論をやはり入試センターの中で特別の委員会のようなものをつくって常にその意見を聞く。どういう形でそれをまた用いていくかというのは別でありますけれども、組織の中にそういう機関をつくっておくということが特に大事だと思うんですけれども、全般の合意をまとめるという努力をする気持ちはないのか。それからまた、もう一つは、いわゆる一般の人たちの声、そういうものを機関の中にやはり設定していこうという意図についてはどうか。この二つの点をお聞かせ願いたい。
#20
○参考人(湊秀雄君) ただいまの件でございますが、まずセンターの方で考える必要があるといっていろいろ検討しております点は、やはり何と申しましても、大学入学試験といいますのは高校との接触の段階でございますので、この入学試験の共通第一次試験のやり方、さらに科目の内容等につきまして、恒久的にセンターの方で高校側との協議の委員会、まあどういう形式になるか、ちょっとまだわかりませんけれども、そういう協議の機会をつくるというようなことを現在検討しております。
 それから、一般社会の方々とということにつきましては、いまのところまだそこまで進んでおりませんが、だんだんとこのあたりにつきましても、今後よい方向に向かうように、何か機会がございましたら私もまたお願いしておきます。
#21
○松永忠二君 これはある程度必要だというふうにお考えになっているようでありますが、こういう機関をつくるべきだと、私はこれはつくるべきだと思う。そうでなくても、失礼な言い方でありますけれども、大学はやや大学だけの意見に固執しやすい性格を持っているわけでありますので、やっぱ広く門戸をあけてそれを聞く機関を、これどういう形で入れるかは自主的なことであるけれども、これやっぱり聞いておかないと、特に非常な問題点があるということを意識をしているわけでありますから、その問題点を解決するためにも、私はこれはもうどうしても置いておかなければできないものだと思う。
 それで、次に矢次参考人にお尋ねをしたいのでありますが、まあ、お話しのような点、入学試験のあり方だけの問題じゃない、これはいろんな原因がある。だからまあ、というお話がいろいろありました。こういう段階で、いま共通第一次試験を国大協が行っていくということには、やはり意味があるというようにお考えでしょうか。あるいは、やはり相当な価値を持つというよりも、むしろ労多くして効なしというような考え方をお持ちになっているんですか、その点はどうでしょう。
#22
○参考人(矢次保君) 高校の教科目の履修度調査としては意味があるというふうに考えております。私個人としましては、積極的に全国の高等学校卒業生に対して国が綿密な履修度調査をやってもらいたいくらいである。それは必要である。それは、全大学の入学者選抜に非常に参考になるような客観的な調査を綿密にやってもらうならば本当にありがたいというふうにさえ思っております。が、ただ、当面問題になっております大学入学に関連して、ざあっと下の学校段階まで多くの混乱を起こしておる問題の解決とはほとんど無関係であろう。これは結果を見ないとわかりませんけれども、そういう認識です。
#23
○松永忠二君 私立大学の入学試験というのは改善を要すべきものであるということは、あなたのいまおっしゃったのでよくわかりました。その具体的な方法としてもっと親切に、そうして緻密なものでなきゃできぬというお話もあり、また入試改善の委員会等も持たれてということはありますけれども、これは第一次、第二次試験というような形で二つの試験、あるいは総合的な試験を行うという、そういう意味を持っているのか、あるいはまた、ひとついま現に行われている私立大学の入試の中で改善を考えて、それがもっと親切に、もっと緻密にということなのか。もう少し具体的に、やはりどこをどう直していこうという意見が強いとか、考えだとか、この点はいかがですか
#24
○参考人(矢次保君) 御質問の点では、まず前者の方でなくて後者の方であります。そうしまして、どこをどういうふうにということにつきましては、まさにいま研究に取っかかりましたばかりでございまして、明確になっておりませんが、できるだけこれも夏までにひとつ基本的な結論だけは出そうという方向で努力しております。
 その内容の主たる点といたしましては、これは先ほど林先生からお話がありましたこととも密接に関連いたしますが、人間と申しますか、教育の内容で一番大事なものはまず人間であります。人は何か、人はいかにあるべきか、人とは何か。この人間、そうして自然――地球、太陽、宇宙、海や山や川であります。この自然の子でありますから、自然について明確な知識をどの段階まで高等学校で形成してきたか、これであります。そうして、さらに鉱物、植物、動物、このおかげ、これを利用し人間は生存発展しておるわけであります。これらの性質に関する知識をどこまで持っておるかということであります。さらに、社会であります。人は社会を形成し、分業協力をして今日の生活をし、さらに繁栄をしようとしておるわけでありますが、この社会のあり方、そこにある法則、運営のあり方、政治、経済、法律、あらゆる社会に関する知識、これをどれまで形成しておるか、この辺。そうして、先ほど申しました第一の根本は道徳、人間形成度でありますが、さらに体力、こういうものをどのようにして親切緻密にその成長度を見るか、それと、その大学の学科課程を履修するのに、それがどのようにちょうどマッチしておるかどうか、この辺のところがポイントになると思うのであります。いま研究に取りかかったばかりでございます。
#25
○松永忠二君 いまの共通第一次試験、国大協で行われるものは到達度、教育課程を調べる上において一つの意味があるけども、入試という一つのやり方についての評価としては、まあ、率直に言ってそう評価しておらないというお話があられた。しかし、それじゃ私立大学はどうするんだと、私はやはり世間はとっていると思うのです。私立大学の入試がこれでいいということを思う人は一人もない。したがって、私はどうしても私立大学自身が、やはり親切緻密なものとして、いまお話を聞けば一回の中でどういう改善がなされるのか。それを七月までに基本的なところをひとつ出して、そうしてやはり一刻も早く弊害を除いていこうというのが私はいまの教育における当面した重要な一つの課題だと思うのです。そうかと言って、どの方法がよいかということはそう簡単には私は言えぬけども、やはりそれぞれ早い時期にそれに対応しないことには、いまの教育の情勢の中には、私たちは対応できないと思うので、これはひとつ十分にそれに沿って、夏ころまでに基本的ないいものを出していただきたいと思うのです。
 それから、その際に入試センターを活用するというような考え方もあるんでしょうか、その辺はどうですか。
#26
○参考人(矢次保君) 先ほども関連して申し上げましたが、高校の学科課程の履修度調査として、大学によってはそれを活用、利用させていただくところもあるのではなかろうか。これはその意味においては非常に評価できるというふうに思っています。
#27
○松永忠二君 ちょっと質問の誤解をいただきました。いまやっている共通第一次試験を活用するかどうかということを聞いているんじゃないわけです。入試センターというのはいわゆる他の高等学校、大学に対しても研究とかなんかに協力しようというようなことを法律でうたっているわけですから、私たちとしてはやはりこの入試センターを十分活用してもらって、いま言う共通第一次試験を活用せよと言っているのじゃないので、十分にひとつ活用していいものを私立大学としてつくっていただくように希望したいと思うわけです。
 次に森参考人にお尋ねいたしますが、いまあなたが希望されるようなことが事実上入れられないでですね、実際は実施をされていく。で、そういう中で非常にいま従前に比べて過重な負担になってくる、あるいは第三次が三教科以上に入れてくるとか、第一次は従前五教科・七科目だとかというようなことにだんだんなっていく、その意図にマークシート方式というもの自身の制約があるわけでありますし、またこれに対して対応するやっぱり商業的なものもあるわけです。そこへもってきてそういうものを巧みに利用するいわゆる段階的な大学の格差というものをうまく利用したいわゆる順位というようなものが出てくるとかなんとかして、考えた意図は非常によかったんだけれども、結果的にもしそういうふうになっていくとすれば、逆に高等学校教育自身が今度はそれによってゆがめられる、高等学校の教育はどうせ選抜をしなければできないんだからそのやり方は余り高等教育に刺激を加えないように、むしろ高校教育の中で高等学校の正常化を図っていくというようなことをしていかにゃできぬが、逆に準備過激化の傾向に陥ってくるかもしれぬという心配はあなたはお持ちではないでしょうか。あなた方の御希望はいずれもその過重な負担を軽減していきたい、高等学校の正常化を図るという上において何らかの役割りも今度の第一次試験にあるだろうというような意味もあるけれども、そういう点が十分に入れられていかないと、逆な現象が起きる心配というものをお考えになったことがありますか、その点はいかがでしょうか。
#28
○参考人(森武夫君) いま御質問のようなことはいままでは考えておりませんでした。大体私たちは現場で生徒が明るく伸び伸びと魅力ある学校生活を送ってもらいながら、このたびの改善によっていままでよりは高校生活が悪くならないということを期待して、総論において賛成をしておるわけでございます。いま先生の御質問のようなマークシートというような方式、あるいはその他いままでよりかなり変わる、それによって予期しないようなぐあいの悪い点が出ないかどうか私はちょっと予断ができません。実際私たちはやってみて、予期しない弊害が出ればそれを排除するために国大協その他関係の方々と御相談申し上げながら、そういう予期しない弊害が出ればその排除に努めたい、こういう考えでございます。
#29
○松永忠二君 逆にいまの、このいま伝えられている案が出ているわけでありますが、これを実施することによって高等学校の教育にはどういう影響が出てくるとお考えでしょうか、それであるならば。
#30
○参考人(森武夫君) 要素がいろいろございまして、ちょっとたとえば一期校、二期校が一元化するあるいは国立、公立が同時にこの新しい方式に乗る……
#31
○松永忠二君 いや逆にいい意味の影響を考えているのかどうかということです。
 これは大学自身も高校の正常化に何らかの役割りを果たすといっているわけでしょう。第一次の到達度を調べるということを通じて入試の改善をすることが少なくとも高校の正常化に何らかの役割りを果たすであろうといっているわけです。あなた方はどういうふうに正常化に役立つとお考えになっているのか。今度は逆に高等学校の立場からその言う言葉をどうおとりになっているのかということを私は聞いているわけです。どうですか。
#32
○参考人(森武夫君) 一番望ましい形は、第一次のテストをやるということにおいては、いわゆるその教科・科目等はほとんど必修教科が大部分だというようなことで特別にマークシート方式でまるをするというような作業は、これはそれほどいわゆる受験地獄と言われる作業とはほとんど遠い、少し練習をすればマークシート方式にうまく乗るというような作業は簡単に習得できると思います。あとは正常の高等学校で勉強したこと、それがしつかりとその生徒なりに把握できるというかつての難問奇問のような無用な作業をしないで済むということでこれが成功することを期待しているわけでございます。特に第二次試験等で大学の相当数が学科試験等を特別行わないでも済むんだというようなことになると、そういう面ではきわめて明るい面が開けてくる。現在の生徒の相当部分がいままでのいわゆる学科試験で相当苦労した面がかなり軽減されてくるのではないか、これが一番プラスになる面だと思います。
#33
○松永忠二君 私は、高等学校の方に希望したいのは、今度の共通第一次試験というのは高等学校の教育をゆがめるというところに発想があるわけですね。だからそれと同時に大学教育を受ける適性のものを選ぼうというところに半ばはやはり高等学校の教育の正常化というところにねらいがあるわけです。私は高等学校自身がこの入試をどういうふうに受け取ってその正常化にどれだけの役割りを果たすかという具体的なやはり検討と努力がないと、試験が改まったからそれでいいというばかりでは私はない。そういう意味ではもう少し御検討を進めていただくようにお願いをしたいと思うわけです。
 最後に、林先生にお願いをいたしますが、この点はどうお考えでしょうか。共通第一次試験が半分五対五、第二次と比べて五対五、相当重要視されてくるだろうということは考えられるのです。しかも第二次試験はむしろ軽減をしていくという考え方だし、そういう希望もあるわけです。そうなってくると五教科・七科目を勉強するわけです。そして予想したようにすぐ試験のいわゆる準備過激化が直ちに鎮静するというわけにいかぬわけでありますから、当然他の学歴であるとか学校格差が残るわけでありますから、どうしてもその教科を第一次試験で相当優秀な成績をとらないといけない、いわゆる教科書を中心とした非常に優等生的、全部の成績がいい生徒、非個性的な、非創造的な高等学校の教育というものになってくる心配もあるということになるわけでありますが、この点についてはどういうふうなお考えをお持ちでしょうか、お尋ねをいたしました点についてお答えをひとつお願いいたしたいと思います。
#34
○参考人(林竹二君) 私は大分違った次元で問題を取り上げてお話したものですから、直接のお答えにはなりにくいと思いますけれども、私は今度の共通第一次試験が非常に大きなメリットを持つのはただ一つの点だろう。というのは、いままで大学の入試問題というのは余りにお粗末過ぎたんですね。たとえば、社会科の先生ならみんな社会科の試験問題がつくれるというはずはないんです。数学の先生だから数学の試験問題がつくれるというはずはないんです。ところが、社会科の先生なら社会科の入試の問題がつくれるという非常にお粗末な考え方でやっている。だから、いままでの入試の問題ではむしろ出題者が落第であると判定せざるを得ないような問題が多かったわけです。そういう点は大いに改善されるだろう。ただ、私があんまりこれが決定打にはなり得ないと思うのは、やはりいまの学校教育の中で私が空洞化と呼んでおるようなものを大きく転換させるような動因になるようなものをここには求めることはできないんじゃないかということであります。
#35
○松永忠二君 そうすると、少しやや次元の低い質問でありますが、しかし現実に大学の試験は行われているわけであります。おっしゃるとおり、教育の空洞化というものが根本の原因であろうし、いろいろまだ学歴社会の偏重だとか公私立学校における学校格差もあるわけであります。ただしかし、もし大学入試を改善するとすればどこを改善すればいいとお考えでしょうか。
#36
○参考人(林竹二君) それは私、大変ラジカルな形でお答えを出しているわけですけれども、私は、何かこう頓服みたいに一服で病気が治るというようなことはあり得ないわけですね。だから、非常に長期的な、本当に泥まみれになった作業や努力が一つ一つの大学の中で行われた末に全体の制度が変わるということでないと、本当の改善にはならない。ところが、大学はそれをやっていないわけです。で、私は、いわゆる、さっき言いましたとおり、本当にそこで何かを学ぼうとして入ってきたんではなくて、そこを出るために入ってきたのをそのまま出してやるというようなことが続いていれば、これはどうにもならない。だから、入ったって半数以上はふるわれるんだという、たとえばアメリカなんかで五〇%卒業するというのはまあいい方でしょうね、四〇%ぐらいしか卒業できないわけです、大学は。だからそういう厳しさがあって初めて大学は大学であるわけです。だからどうしたって、入ったっておれにはとてもだめだということになれば、そこを何でもかんでも受けなくなるわけですね。いまのところは、とにかく一発でその試験に通ればいいんだから、あと入って何もやる必要ないんだから、実際やってないで卒業するわけですから。そういう状態だから、私は試験地獄とというのが生まれてくると。だから、それには大学がもっと教育に対して責任を持たなきゃいけない。選抜についても、あるいは入ってからの学生の学習に対してももっと厳しい徹底した責任を持たなきゃならない。それ以外に私は解決はないと思っております。
#37
○松永忠二君 もう一つお聞きをいたします。
 実は、国大協自身も、この中にも述べてあるわけでありますが、こういうことが国大協の報告書の中に出ているわけですけれども、「基本的に競争選抜試験と言う事実がある以上、試験地獄は必ず存在する。試験の技術的形式的改善を試みても結局枝葉末節の僅かな利益が予想されるのみで大勢に影響するほどの効果があろうとは思われない。そのために共通第一次試験のような大規模な計画を行うのは労多くして功が伴わないのではないか、」という、こういう意見もある。あるいはまた、参加者三十万という大きい規模は、それ自身電算機の制約とか事故処理の困難とか、全くこれから生じているということも書いてあります。しかし、そういう根本的な問題には明確な結論を出すことは容易ではないけれども、現状はもはや放置が許されない段階で、「たとえ全ての欠点を解消できなくても、現行入試に比し、ある程度の有利さが認められれば、改善の具体策をとるべきもの」であると言って、いま言う、国大協はこの試験をやろうとしているわけであります。こういう段階に一体こういうふうな入試の改善をやるということは、あなたとしては賛意を表されるでしょうか。あるいはまた、いやどうも賛成はできないというお考えでしょうか。あるいは、その二つのいずれをはっきり言うではなしに何か御意見があるでしょうか。それをひとつお答えをしていただいて私の質問を終わります。
#38
○参考人(林竹二君) 私は、賛否は先生方がお出しになるものだと思うんです。私は参考のことをいろいろ申し上げているだけですから、賛否は私は申し上げる気はありません。ただ、私はこの間まで国立協の一員であったわけです。その意味で非常に恥ずかしいんですけれども、私は、この試験地獄を解消するというとっても大変な仕事をいわば制度改正の方に持っていって――制度改正の問題は文部省の問題ですね、で、いわば文部省にげたを預けちまって、自分たちは一体何をやっているのかということです。本当に実際にこの入試問題と取り組むというために、これは全体としては動きはとれないんです、一つ一つの大学がどれだけのことをやったかということです。私はほとんど何もやってないと言わざるを得ないと思う。そうしておいてこの制度改正のところに逃げ込んじゃったというのが私の偽らざる感じです。
#39
○松永忠二君 どうもありがとうございました。
#40
○白木義一郎君 いろいろ御意見を承りましてありがとうございました。最初にこの統一テストについて取り組んだ私の感想をまずお聞き願いたいと思います。と申しますのは、私はやはり地獄に責めさいなまれて、それからそれを巧みに抜け出てきた一人で、余り勉強よりもグラウンドで青春を燃焼し尽くし、母校のために学生時代を送ったという、野球の選手の方が主体であったわけですが、したがいましてこういう専門的な問題になりますとほとんど素人に近いという立場から、なるほどいま社会問題となっているこの問題について、学生の立場、父兄の立場から勉強さしていただきました。
 数々の質疑を伺っておりますうちに、文部大臣は、一歩でもいい、半歩でもいいから前進したい、大学局長も、また国大協の代表の方もそういう御意見を述べられております。その点では私も全く賛成だと、何とかそういう方向へ行きたいということで伺っておりますうちに、どうもこれは幾ら伺っても、まあ、私も大阪府民の代表の一人、国民の代表の一人でございますから、いずれは父兄あるいは有権者の方々から、一体この問題で試験はどうなるんだろうというようなことを聞かれやしないかと思ってはらはらしているわけです。何と答えたらいいか。それについてはいまだに私は、若干でも、皆さん、これはもう半歩前進しますよとか、一歩でも前進しますからまあ期待していてくださいと、できるだけその方向へわれわれ何とか努力していきたいからと言い切れない現在の状況なんです。
 それで、結論から申しますと、この先生方の、国大協の先生方が希望していらっしゃる方向で実施をして、よくいってあたりまえなんです。ということは、各国立大学の学長さん、もう日本の頭脳といいますか、エリート中のエリートの方が大勢集まって何年となく検討した結果、さあやるぞと言ってやって、よくてあたりまえなんです。ところが、そのよさがどこを伺っても、どう考えても、現在のところでは、私は素人でぼんやりしておるせいかもわかりませんが、つかめないわけです。そういう気持ちで現在おります。何とかこれをよりよきものにすべきだという考えで伺ったわけです。
 そこで要約して申し上げますと、失礼なことになるかもしれませんが、湊先生は国大協の代表とはおっしゃっても、ここで明確な御返答はできない立場にいらっしゃる。お考えはおありになっても、幾らお尋ねしても、私の責任においてこうしますから、というような御返事はいただけない。となると、これは非常に頼りないと、こういうことになるわけです、申しわけありませんが。
 それから矢次先生の方は、人間形成とか大変重要なことをおっしゃっておりますが、結局はまあ、やるならやってみるさと、まあ、お手並拝見というような――私のこれはもう主観ですから、そういうように伺ったわけです。
 それから森先生の方は、私たちがよく言う、三木前総理じゃありませんけれども、総論賛成、各論は希望。希望を先生にかわって、もっともな御希望ですから、私が、湊先生にかわってお尋ねしても、湊先生のお立場でははっきり、ある程度一〇〇%はおっしゃってくださらなくても六、七〇%、仮に気配でもお答え願えればと思っても、これも無理だと。そうしますと、私はもう選挙民に会うのがつらくてつらくて逃げ回らなくちゃならない、と言って逃げるところはないわけです、日本じゅう選挙民ですから。
 それから林先生は、ついこの間まで現役で、国大協の先生として、この問題に真剣に取り組まれたと思うんですが、いま御意見を伺うと、真剣に取り組んだかどうかということが――大変失礼な言い方ですが、という感じを私は受けました。しかしその後まあ、野人になられて、かねて長い間教職に立たれて、それの積み重ねを今後やってのけるんだという、非常に大事な教育の原点に触れる問題といま取り組んでいらっしゃる。こういうことで制度、組織等をいじってもこの地獄は解決しないんだと、はっきり私は反対というお考えというふうに伺いました。
 ということから、若干お尋ねしたいと思いますが、先ほど写真まで見せていただいて、林先生のうんちくを傾けられた、現在の子弟の教育についての情熱を私は真剣に伺ったつもりでございます。刻々と先生と対する若人が、その可能性を開いていくさまを冷厳なレンズでとらえられたということをお聞きしながら、実は私もレンズになって林先生の表情をうかがっておりましたら、やはりこの問題に入りましたときに、林先生は非常な輝きをお見せになりました、というようなことで、確かに私は、先生がいまなさんとしていらっしゃる問題ですね、人間とは何なんだと、その原点に触れない教育というのはだめだと、こういうふうに伺います。ということは、人間というのは、われわれはどこから来てどこへ行くんだと、あるいは何がために、というような矢次先生の価値観の問題というところを避けた教育というものは無理だというようなお話だと思います。そして、確かにそういう教育、教え方をなされば、人間の心のひだに触れることですから、やはり変わっていくと思いますし、またそれに触れた林先生の生き生きとした表情を私は確かにいまもキャッチしておりますが、そこでですね、まあ、なんじ自身を知れというような宿題がいまだに解決されていない。そこで、しかし、と言っても現実は地獄は現存するわけです。その中から先生方は、可能性のある若人がその地獄に挑戦して、それを乗り切っていく人間性をどうして開発していくかというところに林先生の大きなこれからの課題と悩みをお持ちになっているように伺ったわけでございますが、その点について何かさらに有益なお考えがございましたらお聞かせ願いたいと思います。伺いますと、おかげんが悪いようで、奥様も御一緒で大変申しわけありません。
#41
○参考人(林竹二君) ちょっと私の真意が十分正確に受け取っていただけなかったようですが、国大協にいたとき私はこの審議に参加をしておりましたが、きょうの発表で、そのとき私、余り熱心にはやらなかったのではないかというあれがございましたが、私が問題にしているのは、大学共通一次とか、あるいは一挙に試験制度をどうにかするということについては一致した行動をとるのは非常にむずかしいと思いますけれども、それ以外に大学が、一つ一つそれぞれの大学がやれる範囲内のことがいっぱいあるんじゃないかということなんです。何とかこの問題について、一歩でもそれこそ解決へ近づけるためにやれることがあるんじゃないかということなんです。ところが、それぞれがめいめい自分の問題として、それの取り組み方がひどく私は怠慢であるというふうに感じてきたし、いまでも感じているわけです。だから、やはりこの問題と別にそれぞれの形で何とかやることをやらなければ、この制度改革もよき実を結ぶことはできないのじゃないかということなんです。制度だけではどうにもならないわけですから、実質はやっぱり一つ一つの大学がやらなければならないのです。
#42
○白木義一郎君 そこで、この間報道されておりました、先生は前宮城教育大学の学長さんでいらして、先生の御発想じゃないかと思うのですが、演技をさせ、そして絵をかかせてというようなテストをなすったと。その受験生の感想は、非常にいわゆる地獄から出た、極楽の方のさわやかな方の試験を受けたというような感想が出ているのですが、先生が当時に実施なさった試験でしょう。
#43
○参考人(林竹二君) 私が考え出したものではございませんが、実際しかし、立ち会っておりまして、これはやっぱり宮城教育大学では第一回の授業だと、君たちは合格するか落第するかわからぬけれども、これでひとつ宮城教大で授業受けたんだと言うと、それは本当に心から喜こんで帰っていきました。試験の中でお互いに拍手しているわけですよ、ライバル同士が何か見て。だから、ああいう空気が出ただけでも意味はあると思いますけれども、ただ、これが一つ宮城教大名物みたいになってしまっては終わりで、やっぱり絶えざる大学改革の努力の中から出てきたわけなんです。だから、大学改革の全体から切り離してああいうものを取り入れるということによってはぼくは変なものしか出てこないと思うんです。そこをひとつ……。
#44
○白木義一郎君 もう一つ、これは皆さん方専門家の方々の口まねをいたしまして伺うんですが、今回のこの共通テストが行われますと、一期校、二期校が一元化されて、第二次試験になるということは、当然一期校も二期校もなくなるようなことになりゃしないか。となりますと、二期校には二期校のよさがあったんじゃないか。これがどうなのか、私不勉強で存じませんが、それが一元化された場合には消えるとすると、そういうような試験までなすった先生としてどんなようなお考えか、あるいは御感想をお持ちか、ちょっと伺いたいと思います。
#45
○参考人(林竹二君) 少し話がそれるようですけれども、私は東北大学の哲学を出ました。われわれの時代に東京大学が偉くて東北大学はだめだというような観念は全然なかったわけです。東北大学にはどういう先生がいる、京都大学にはどういう先生がいる。だから、西田先生の哲学講義を聞きたいのは京都に行くわけですし、久保先生のギリシャ語が習いたいとか、高橋里美先生の哲学の勉強をしたいというのは東北に行くわけです。それで、それが大学間に格差が出て序列みたいのができてしまったのはやはり教育の空洞化というもの、それから価値が非常に卑俗になってしまう、価値観ですね、その問題につながっていると思うんです。だから、そこをもう少し教育の実質というものが出てくれば、やはりそういう判断力も自分がこういうものをやりたいんだからどこに行こうというようなことがだんだん復活するんじゃないかというふうに思います。
#46
○白木義一郎君 ありがとうございました。
 次に、矢次先生にお尋ねをさしていただきますが、先ほどの御意見を伺っていますと、あれもだめ、これもだめというようなことで、いま林先生がおっしゃったような教育の空洞化というような問題を幾つかにに分けてお述べくだすったわけですが、あの御意見を伺ってますと、そうすると、ずっとさかのぼりますと、日本のいままでの教育の空洞化、教育をするのは先生方、ということは、先生方の空洞化になりゃしないかなんというようなことも考えたわけですが、率直に申して。大変申しわけありません。そこで私は、学生あるいは受験生の八〇%を数える私大の先生方が半歩でも一歩でもという、入試問題を解決する共通テストに積極的に乗り出されないということになりますと、大枠でいった場合には入試地獄のわずかながらでも改善にならない、むしろ改悪につながるんじゃないかと、こういう心配が、伺っている間にだんだん強くなったんですが、その点の何かお考えがございましたら。
#47
○参考人(矢次保君) 国立大学で共通にこれからやろうとして計画しておられることについては、いま解決しなければならない入学に関連する諸種の弊害の解決とは直接つながらないと、ほとんどさしたる効果はないと、こう見るわけです。だから、それに協力しないからといって、イコール私立大学の入学試験制度が悪くなるということとはこれまた無関係であることは申し上げるまでもないわけです。私どもは、そうではなくて、本当の教育的な入学試験のあり方を研究をして、先ほど林先生もおっしゃったことですが、個々の大学が一つ一つできることから努力をしていこうと、こういう姿勢でいるわけです。いままでのような空洞化した入学試験、先ほども申しましたように、大学に入学する適者としては判断の材料としなければならないたくさんの要素があるわけなんですね。人間から始まりまして自然から社会、特にわが国の文化的伝統であるとか歴史であるとか、いろいろなこと、数学も物理もまた英語もできる方ができないよりはいいでありましょうが、そんなことよりもっと大事なことがある。そのもっと大事なことの方はやっていないで、数学とか英語とかそんなものができればもうそれで最優秀である、こんなとんちんかんな入学試験をやっておるわけでして、もっと本当に教育的な、大学として責任の持てる入学試験というものをひとつやろう、共同で考えて、実施は個々の大学ごとに最も適当な方法で改善をしていこう、こういうことでございます。
#48
○白木義一郎君 そこで、衆議院の方で大学局長が、昨年の八月に国大協の先生方と文部省のあっせんによって私大協の先生方とこのセンターの設置と第一次共通テストに対して説明があって、そして私大の方も参加することを要望し、私大の方の方々はその点を踏まえてよく検討をすると、こういうようなことに昨年の八月なった。こう記録に残されておりますが、その後その問題について私大の方で何か鋭意検討、研究をお続けになり、あるいはその後ある程度の中間報告とか御意見等をお出しになったことがおありでしょうか。
#49
○参考人(矢次保君) お話のとおりの懇談会が昨年八月たしか三日だったと思いますが、文部省で持たれました。私もそのとき出席いたしまして国立大学側の計画を伺いました。そのときも、その懇談会そのものも、私が、国立大学だけでなくて私立大学も全部含めて協議をすべきものではなかろうかという意見を申しまして、文部省の方で開催されたわけでありますが、そういうことで持たれました際に私が、本日最初の意見発表で私が申しましたようなこと、すなわち、いま社会的に多くの弊害が生じておる。どうしても解決しなければならない。その弊害の、どういうものがあるか、弊害の中には。また一つ一つの弊害がどういう原因で起きているか。それをよく究明しなければ問題解決にならないではないか。その検討は国立大学協会側あるいは文部省側でおやりになったかどうか。おやりになったならばその検討の材料を、資料をお見せ願いたいということを申したのでありますが、国立大学協会の方でも文部省の方でもその検討はまだやっていない、こういうことでありました。で、私どもといたしましては、その検討をやらずに問題を解決しようというのはどういうことなのか、よく物事の順序として意味がわからないのであります。で、出てきた結論を見ますというと、まあ今日説明をいただいたことと同じでありますが、少しもいま生じておる弊害の解決とは関係がない。さすれば、これは岡本委員長にそのときに、全国立大学が共同で、コンピューターの力をかりてふるい落として、非常に簡素、便利になって、煩瑣さを各大学は免れる方法であるから、全国立大学が問題解決とは無関係だということを承知の上でこれに全部賛成されて足並みがそろうのはごくあたりまえである、しかし問題解決とは何にも関係がないじゃありませんかという質問をいたしました。岡本委員長が、それはそうかもしれないけれども、難問奇問が出なくなるという効果だけは一つあると思いますがという御返事でした。まあ、私立大学は私立大学として本格的に生じておる弊害の解決という基本問題の解決の方に取り組むという意味におきまして、これも一つの参考として研究をしましょうという返事をいたしたわけであります。その後、全然懇談会も開かれておりませんし、問題の解決には、私の考えではそのとき文部省に申し入れましたように、文部省が中心になるのも結構、あっせん役になりまして、国公私立大学の関係者できるだけ大幅に網羅をして、各学部の問題もありましょう、地域の問題もありましょう、そうして本当に国を挙げての問題解決の研究会をつくって、教育の根本にさかのぼって、みんなが衆知を集めて解決すべきものではないかといまでも思っておるのでありまして、そのことは一向に行われていないというふうに思うわけです。協会といたしましては、この案そのものにつきましては理事会におきましても、あるいは教務部課長二百数十人が集まります研究会におきましても、また総会におきましても検討いたしましたが、本日私が申し上げましたような見解でございます。
#50
○白木義一郎君 だんだん伺っているうちにますます心細いような気持ちになってまいりました。そこで先ほど、ちょっとこの問題とはそれるかもしれませんが、先ほど先生は、人間形成にあるんだというようなことをお聞かせ願ったし、またよく人間性豊かな教育をというようなことをしばしば耳にするんですが、私もそのとおりだとうかがうわけですが、さあ人間形成どう形成していくのか、人間性豊かなというのは何をもって豊かななんということを、頭の悪いせいかしばしば迷うんですが、もしよろしかったらお教え願いたいと思います。
#51
○参考人(矢次保君) 人間性、人間の形成、これはむしろ林先生からお答えをしていただきたいと思うぐらいでありますが、そうして何か申せということでありまして、私がそれに対して答えることははなはだおこがましい限りのようにも思うので、非常にむずかしい。私もいまだにわかっているわけでもございませんし、何もわかっていないと思っておるのであります。ただ、あえて、恥を忍んで申しますならば、先ほども申しましたことと一致するのでありますが、絶えず人とは何か、人はいかにあるべきかということを常に振り返り振り返り考えて生きていく、考えながら生きる、行動するという人間、そうして、そうすれば人間というもののあり方というものが少しずつわかってくるし、それから何よりも知らなきゃならぬことは、この天地、自然、宇宙のありがたさとそこにある多くの法則をできるだけ知る、身につける。そしてそれを人間の幸福と繁栄に応用をする。実行ですね、自分のできる限り実行をする。さらに社会のありがたさ、分業、協力をしてここまで人類は発展をしてきたわけでございますが、この社会のありがたさというものを本当に知り、そうして社会にあるところのいろいろな法則、また社会の組織、運営、政治や経済や法律の組織や運営のあり方、よりいいあり方というものを絶えず考える人間、そういうことを含めまして、絶えず自己の正しい意思を決定して社会に貢献するために自分のできる道を選んで最善を尽くす人間、実行する人間、そういうふうな人間を私は人間形成、人がみずから正しい人間に自覚を持って努力してなろうとする行為、これが教育であるというふうに私は理解をしておるのでございまして、まあ、申し上げるほどのことではないのでありますが、先生が何かそれについて言う以上は何かおまえの考えていることを言えという御質問でございまするから、恥を忍んで申し上げる次第でございます。
#52
○白木義一郎君 ありがとうございました。
 次に、森先生に一、二お尋ねしたいんですが、先月の衆議院の委員会で三田高校の校長先生をやられている長谷部先生が、この問題は受験生により負担をこのテストはかけることを大変心配されているような御意見を述べられております。そこで長谷部先生は、「いまの大学が独自に問題を出すというそこにやや不安を感ずるからであります。難問奇問は出さないということを言われておりますけれども、一次試験の上にさらに高度な問題あるいは特別な問題を提出されるということになりますと、やはりこれまたそれに対応した学校側としては指導もしなければならない、あるいは生徒はそれのための受験勉強をまたやらなければならない。本来生徒の過酷な受験による負担を軽減をして、明るく伸び伸びとした豊かな高校生活を送らせたいというところにねらいがあるとするならば、いたずらに生徒を過酷なものに追い込むようなことは、ひとつ十分に御配慮をいただかなければならないと思うからでございます。」、こういう御意見、御心配を述べられております。まあ、私もよくわかるような気がするんですが、そこでですね、この問題についてこれからもし実施するとなると、高校の現場の先生方がいろいろと協力しなきゃ円滑に運営できないだろうと思うんです。そこで、高校の先生方のお考え、御意見等はどんなもんでしょうか、お伺いをしたいと思います。
#53
○参考人(森武夫君) いま一番、いまの御質問で現場の教員たちの反応ということですが、私たちも含めまして、一番問題点は、先ほど御説明にあったように、このことしの七月下旬までに各大学の行う二次試験の内容について選抜実施要項をお示しいただけるというお答えがありましたが、それが出ないと手のうちがわからないわけですね。第二次試験というのはどういう科目をどういうふうに実施するのか、面接、小論文あるいは実技等やるのかやらないのか。そういう点の内容が各大学全部にわたって、われわれの手元に、現状では皆目、途中の中間報告みたいなものは何か数日前にございましたが、これもまだ本決定ではございませんので、一番大事なそういうデータがありませんので、ちょっといまの時点では先生方の反応をかなりの不安を持っておりますが、その実施要項が明示された後において大勢が決まるという感じがいたしております。ただ、先ほどの三田の長谷部校長の危惧というのは私たちにも同様でございます。共通一次が先ほどのお話のような相当科目数がございまして、第二次試験でもかなりの大学が三科目、四科目というように相当程度の高い学力試験が行われるということになりますと、今回の入試改善のメリットというのはどこにあるかという点では、われわれ校長も現場の職員もかなりの不安を持って、それに結果を待っているという状況でございます。
#54
○白木義一郎君 生意気なようですが、素人の私も同様な心配を現在もしております。したがいまして、私たちの責任において、この法案を可決するという時点では、はなはだ現時点では時期尚早じゃないかという感じが日を追うごとに強くなってきておりますが、その点について先生の御意見がございましたら、あるいは御無理かと思うんですが――御無理なら御無理で結構でございます。
 そこで、先生の御心配の方向へいったとすると、このいわゆる革命的な共通テストに備えなければならない。それと同時に、その線を突破したその次に待っているまた第二次試験の勉強、これはいままでのあれでいけばいけるかと思いますが、プラス統一テストというものがかぶさってくるという心配が非常にあるわけです。それも七月末でなければ何とも言えない時点で私たちに、われわれがこの法案に賛否を明らかにしろというのはと、この間文部大臣に、ここで申し上げてもこれ愚痴になりますから、文部大臣にまあ申し上げたことがあるんですが、――どうもありがとうございました。
 そこで最後に湊先生に、何か意地悪したり、いじめたり申し上げるようなことになりますが、ひとつ立場上御理解願って、これから、これは先生方情熱を燃やして実施に必死になって努力をされているということで、実施の具体的な問題としてお伺いをしておきたいんですが、この法案が成立するとすぐに準備にかかられるわけですが、一体このセンターはどこへ――法案では東京都ということになっておりますけれども、どちらへ本陣をお構えになるか。
#55
○参考人(湊秀雄君) この設置の場所でございますが、いろいろ問題はございますけれど、とりあえず私どもは東京都目黒区駒場の教育大農学部の跡地の一部分を使わしていただけないだろうかということを文部省を通してお願いをしております。ただ、伺いますと、必ずしも私どものみでお願いしているわけでもないようでございますので、いろいろ御関係の部局で御審議いただけるものだと思っております。希望としてはそれを希望しております。
#56
○白木義一郎君 そこで、そういうことになりますと駒場――教育大があっちへ引っ越した後で、真剣に取り組んでいただくわけですが、その場所で、センターで印刷それから答案用紙あるいはマークシートあるいはそれらの発送、収集、それからまた集めて採点、そしてそれを連絡する。そういうような一連の作業をやらなくちゃならない。これは各大学でも小規模にやっていたわけです。ところが、先生方は、学長さんはそういうことはおやりにならないわけです。手配師が一生懸命やるわけでして、これは大変なことだ、私もちょっとこういうことは小規模でやったことなんですが、そこで小規模でも大変なことを全国一斉にやるんですから、これは先生大変ですよ。大体いま皆さんがお考えになっている試験の一科目何枚ぐらいの用紙になります、問題用紙。まあ、これは推測で結構ですけれども。
#57
○参考人(湊秀雄君) ただいまいろいろな大変御理解深いお話をいただきましてありがとうございますが、まず、駒場の場所で何をやるかということでございますけれども、これもまだ決まっておりませんので、だんだんこれから予算等もつけていただきました上でのことになるかと思いますが、一応印刷は印刷局というような形で、専門の印刷関係の官庁にお願いするということだと思いますし、ほかの場所につきましても、あの場所まで持ってまいりまして保管する倉庫ということになればこれまた大変なことになりますので、しかるべく専門的な保管庫というようなものを考えております。これ等につきましてもいろいろの裏づけがなければと思いますが、ですからそういうところで発送等につきましても十分センターで管理しながらでございますが、発送を専門家に委託するということで進むのであろうと思います。私どもおかげさまで二、三回にわたりまして外国の例等も見てまいりまして、外国の実情そのものを日本に引き移しすることはこれは大変危険でございますけれども、外国でやっております例等も参照しながら、でき得る限りのよい方法をとって進めるという形でいっております。ですけど、あとコンピューターだとか、マークリーダーの設置の場所等はこれはセンター等を考えて処置をするということでございますが、こういうことで一部はセンターで、一部はしかるべき場所でということを考えて、スムーズに行うよう考えております。
 それから問題の冊子のページ数でございますが、すでに二回ほどこういうような私どもの研究成果を報告としてお目にかけておりますが、この中に三年間の試験問題そのものの冊子が入っております。たとえば一昨年やりましたもので、国語を例にとって申し上げますと、解答用紙でございますマークシートのひな形を印刷に入れましてのことでございますが、国語で、表紙をつけまして二十四ページになっております。国語のページ数といいますのは、これは比較的多い方でございますが、大体一科目当たり十数ページないし二十ページという程度の印刷物になります。
#58
○白木義一郎君 いわゆる私どものあれしていますいわゆる答案用紙式に言いますと何枚ぐらいになるんでしょうか。
#59
○参考人(湊秀雄君) 答案用紙の数でございましょうか。
#60
○白木義一郎君 ええ。
#61
○参考人(湊秀雄君) 答案用紙の枚数は、マークシートでございまして、一科目一枚でございます。現状では一科目一枚、片面でございます。今後、私どもが検討しておりますシステムによりますと、裏表同時読み取りということも可能でございますので、そういう点も今後また進められますれば、ある程度の変更は行われるかもしれませんが、一応一科目一枚ということで答案用紙は設定されております。
#62
○白木義一郎君 失礼しました。答案用紙というのはマークシートですね。問題用紙なんです。ですから、私、子供のころの試験用紙というとこの紙で、これを国語なんかだと十枚近くになる問題集ですね。そういうふうに伺ってよろしいでしょうか。――そうしますと、仮に一問題平均六枚としても、四十万人分ということになると大変な数になってくる。それも今度は問題なんかもだんだん性質上簡略化されてきますと、いろいろなタイプに刷り上げたりなんかすることもお考えのことだろうと思うんです。それを、大体全国の会場が何千カ所にわたるということになると思いますが、それに対して発送をする、受け入れ、送り返すなんという作業は、これはぼくの考えでは、自衛隊か何かに頼まないととてもじゃないけどできないと思う。もし試験問題ジャックですか、一カ所やられたら全部やり直しなんです。ですから、このテストの作業の効果もいまいろいろ論議されておりますが、実施の段階となったら大変なことです。そこで、学長、ハイ・ハイクラスの皆さんがやっても、現場の先生方、高校の先生が手配師になってやるとなると、これはまあ、しかも十二月の暮れの迫ったときにそれをおやりになるというのは、よほどの度胸と的確な見通しと、強力な体制がないと、不測のというよりも、いまから相当な事故の起きることが予測されるわけです。しかもなお、たとえば駒場ならセンターができる、そこへ答案用紙の保管だとかいや何だとかなんてどかどかやられやしないかと思って、地元の人はもういよいよとなったら座り込みもしなくちゃならぬと。文部大臣は都市集中の問題から、もう筑波大学のように都市には大学はつくらせない、むしろ外へというようなときに、何で東京の真ん中にそういった恐ろしいものをつくらなくちゃならぬのだと。しかも、その効果たるや、まことに不鮮明だというようなことなんですが、ひとつ重々御検討を願いたいと思います。
 そこで、先ほど受験者の立場の方々とも意見を聴取する機会が将来にあるであろうというような、まことに控え目な、松永先生に対する御答弁だったわけですが、現在までに日教組の方とこの問題について検討あるいは協議、懇談をなすったことがおありでしょうか。
#63
○参考人(湊秀雄君) まず、最後の日教組とのお話し合いでございますけれど、大体こういうことを進めてまいりますに当たりまして、日教組の代表の方と私ども年二回――多分二回だったと記憶しておりますが、お会いいたしまして、その時点の進行状況等につきまして、それほど長い時間ではございませんが意見交換をやってまいっております。そういうことでほぼ御理解をしていただいてるのではないかと私ども思っております。
 それから先ほどの――ちょっと戻りましてよろしゅうございますか。――先ほどの問題保管の点でございますけれど、とうてい駒場のあの地域では狭隘でございまして、その大量の問題の保管等はそこではできませんので、問題の保管、発送等につきましてはしかるべく安全な場所を現在検討し、確保するように進めております。
 それと輸送の点でございますが、お話のとおりやはり大変な作業になりますが、これは問題輸送の専門の業者を想定いたしまして、もう具体的にいろいろ詰めておりますが、検討しております。昨年の秋いたしました場合に、そういう本番の場合を想定いたしまして、本番をなぞらえたような小規模ではございますが発送を、それから集配をやってみて、これは大変幸いにも無事に全部片づきました。それから、本年また、秋から冬にかけまして、私ども十万と想定しておりましたが予算上八万になりましたけれど、全国八万のいわゆる受験者を想定いたしまして、本番さながらの実験をその方面も兼ねて進めてまいりまして、本番の場合の万遺漏ないことを期して進める予定にしております。
#64
○白木義一郎君 本番とリハーサルのときは――リハーサルのときは何の値打ちのないものを運んでいくわけですよね。ところが本番となると、これ手に入れると地獄からこうはい上がれるんですよ、これ。その人にとっては、受験生にとってはダイヤ以上の価値のあるものが、一業者の機械的なあれで運ばれたとするならば、当然まあ、核ジャックもあり得るというような時代ですしね。それから、大学の先生の中から試験の問題をこう横流しされるという、まあ、これは私、夢で見たんじゃないかとも、はっきり記憶がないんですが、そういうあれなんですがね、そういうことも大変心配になるわけです。それでちょっと、念には念を入れて……。いや、おどかすつもりじゃないんですけどね、これは。
 そこで、大変受け入れ側の高校の先生方も非常に注目をし、心配をしながら事の推移を見守ってらっしゃる。いろいろもうお聞き及びのとおりだと思いますが、そこで、日教組の先生方は理解をしてもらえたんじゃないかというお話ですが、理解にもいろんな理解の仕方がありまして、まあ、先生となすっては非常に積極的に理解を示した、あるいは聞きおく程度の理解であったか、これどういうふうに――これも意地悪かな、もし御感想をいただければと思います。
#65
○参考人(湊秀雄君) ちょっとそこでどの程度お聞きいただいたか、私余り自信ございません。
#66
○白木義一郎君 じゃ最後に、外国の実施状況が成功している点は、これは大いに参照し、導入しなければならないのですが、主に先生方がこの問題についてはるかに進んでいる外国の例等を実際に見聞され、あるいは手にとるようにして参考にされたかという点について、概略で結構ですから参考までにお聞かせ願いたいと思います。
#67
○参考人(湊秀雄君) 外国の例といたしまして私どもが一番参考になると思っておりますのはアメリカの二つのシステムでございまして、アメリカではどちらも会社と申しますか、こういう形態で実務を果たしております。もちろん本部の企画といいますのは、これは大学、高校の方々のアレンジしております協会でやっておられますけれども、そのあたりで問題の作成それから保管、発送、採点等につきまして、実務を担当させて進めております。そのあたりにつきまして、具体的なことを私ども見てまいりまして、とるべきはとるということで進めております。
#68
○白木義一郎君 先生直接アメリカへ行かれてごらんになったと……
#69
○参考人(湊秀雄君) はい。
#70
○白木義一郎君 そうですか。大変残念ですけれども、私は当委員会でもって行くのもあれだろうと思いますが、委員長、ひとつそういう機会を与えていただくと、みんなとしても大変参考になるんじゃないかと思うので、希望を申し述べておきます。
 最後に、いろんな大変心配すべき問題が多々山積をされているわけですが、何とかひとつ国民あるいは父兄、受験生が飛びつくまでにとは無理でしょうから、強い関心を払えるような方向へ持っていかなければなりませんし、また、そのように、これは蛇足ですけれども、お願いをせざるを得ない。そして一日も早く私たちも選挙区へ帰って、やあ、こうですよ、さあ、みんなしっかり体も鍛え、勉強もして、希望を生涯貫いていきなさいよと報告できるような状態にしていただきたいことを申し述べまして、終わらしていただきます。
 どうもありがとうございました。
#71
○小巻敏雄君 私は、最初に矢次先生の方にお伺いをした上で、逐次質問をさしていただきたいと思います。
 私学協会としては、今回国立大学の大学設置法の一部改正という姿で法律案が出されておるわけです。この問題については非常に国民の関心は広く示されておりますし、中身は十分にわからないままで関心が強いというのが今日の実態だと思うわけですね。一部には私学が乗らないのはけしからぬというような意見もありますし、法的強制をして乗せろというような意見もあるわけですね。こういう状況ですから、国立大学の問題だということだけでなく、ひとつ具体的な私学側の見解をお伺いしたいと思うわけです。
 一つは、私学としては再三この国立との間で協議を重ねてこられたということなわけですけれども、基本的に言えばどういう意見を国立側の方に対して出してこられたのかということですね。
 それから今日時点で、先般衆議院の方では早稲田の村井学長が出席をされ、きょうは矢次先生においでいただいているわけですが、その中で高校の学力履修調査というようなものであれば全大学で非常に有効に利用できるんだという意見を衆議院の公述でもここでもお伺いをしておるわけですけれども、それは一体どういうふうな内容のものを考えておられるのか。高校側でテストをやって内申として取り扱うというふうに考えておられるのかどうなのか、そのことは国立側にも申し入れられて、国立側でも検討の上でこの結果が出されたものなのかどうかといったことをお伺いしたいと思うのです。
#72
○参考人(矢次保君) 最初の国立大学あるいは文部省側といままでどのような連絡協議あるいは意見の申し入れをしたかという点でありますが、先ほども申し上げましたように正式には昨年の八月三日の懇談会それ一回ぽっきりであるということでございまして、別にこれという意見の申し入れといいますか、意見の表明といいますか、そういうこともいままでチャンスも別に今日までないわけでございます。
 それから第二の点でありますが、これは大学の入学試験という意味とは無関係に、高等学校の教科の履修度調査ということを全高校卒業生に対して一律にやっていただけば、内申ということでなくて、まあ堂々とそれは法律で制度化されても結構なことではないかと思っておるのでありまして、いわゆる格差やなどがよくわかる。
#73
○小巻敏雄君 その点とは別に今度の国大協の六年の検討結果が具体化されたですね、法改正案が出ているわけですけれども、これをそのまま私学――そのままとは言わないまでも、この種のものを私学にも利用、適用せよという声があることは事実ですね。私どもはそれが妥当だとは思いませんけれどもね、決して。これについてはどういうふうな見解を持たれておりますか。
#74
○参考人(矢次保君) 個々の大学で利用価値ありと思う大学は利用するのではなかろうか。ただし当初のうちは、少なくともほとんどの大学は利用をしないのではなかろうか、これは始まってみないとわからないことであります。
#75
○小巻敏雄君 世論として、あるいは高校側からも難問奇問を出されますと、自分のところはたくさんお客の来る名門校だというわけで、難問奇問など出されますと、ここのところに世論の批判が集中しておるところは、これは先ほどの御説明の中でもありましたし、こういうものはいわば受験産業を肥やすというようなものでもあるわけですね。その点については私学側ではどういう検討をされているわけですか。
#76
○参考人(矢次保君) 全く同意見でありまして、難問奇問を出すべきではないということは同意見であります。
#77
○小巻敏雄君 その点についても協会の中で話をされて、各大学に一定のガイドと申しますか、そういう影響力が及ぼし得るというような状態になっておるんでしょうか、どうでしょう。
#78
○参考人(矢次保君) 協会の委員会の大方の意見としましては、今日入学難入学難と言って父兄や高校が巻き込まれておる現象は、東大、京大を頂点とする一部の大学に存するのであって、一般的には大騒ぎをするような状況にはないんだ、そういう大学に問題があるんだということでありまして、そういうところはいまの難問奇問でふるいにかける以外に道がなくなったりするような技術的な面も生じてくるかもしれませんが、大多数の私立大学では難問奇問を出さなければならぬような状況にないわけでありまして、何か強制的に難問奇問を出さぬように申し合わせるということはできると思うのでありますが。
#79
○小巻敏雄君 続いて湊先生にお伺いをいたします。
 今度法律案がこの国会の中でパスをして法律ができ上がった場合には、法律の案文の中に第一次共通テストというようなことが書き込まれた法律案なわけですから、いままでの経過の中で御説明いただいた、いわば実施時期も含めて法律が通過即昭和五十四年実施と、細目について若干のこれからの変更はあろうとも、これが直接そのままレールの上を走っていくというふうに考えてよろしいわけですか。
#80
○参考人(湊秀雄君) ただいま法律のお話出まして、大網をこれで決めていただきますようでございますが、なお細かい点等につきましてはまた別途細目で決まることだと私は思っております。たとえば先ほどいろいろディスカッション等もございました、一体センターの場所はどこに置くのかという話でございますが、私どもはああいうことを考えておりますが、いずれにいたしましても、これはやはりこういう法案が通りまして、予算等が動き始めまして文部省等で細かくお決めいただくことだろうと思います。それから細かい方法等につきましてもやはりその時点で要項等が出されまして、そこで細かく盛られまして進むと思います。それで国大協の方で考えております研究内容等は大部分細かくその中に盛っていただけると思いますが、幾分の変更等はこれはいろいろの事情、まあ、起こり得ることだろうと私ども考えております。
#81
○小巻敏雄君 五十四年度に実施をするかしないかというようなことは、これはこの法案が法律になったときに決まってしまうのか、それとも最終的にはこれをだれが決めるのかというような点、一つは念を押してお伺いしておきたい。
 もう一つ、各大学はこれは全員一致でお決めになったということですけれども、不利用――利用しないというのはあり得ないのか、その点についての法律的拘束力はどうなのか。こういう問題もお伺いをしておきたいと思います。
#82
○参考人(湊秀雄君) 細目等につきましては国大協の方でいろいろ研究しております結果を文部省の方の改善会議等でいろいろ勉強していただいております。その結果が共通第一次学力試験を含んでの国立大学試験の方法ということになりまして、国立大学、これは公立大学も含まれると思いますが、含みましての実施要項として後何カ月後かに出ると思いますが、それに細かい点が盛られるということであろうと私どもは理解をしております。
 それからもう一点は、各国立大学で抜けるのがないかということでございますが……
#83
○小巻敏雄君 許されるのか、許されないのかということです。
#84
○参考人(湊秀雄君) これは法律で決めるという問題よりも、現在八十五国立大学で五十四年度からの国立大学の入学試験の一環としてこれは全部行いますと、こういうふうに申し合わせをしてございます。
#85
○小巻敏雄君 念を押すようですが、それは申し合わせであって法的拘束ではないわけですね。
#86
○参考人(湊秀雄君) ちょっとその点私よくわかりませんが、どなたか文部省の方どういうふうに――答弁してください。
#87
○小巻敏雄君 いや、わからなければわからぬままで、また文部省には別途お伺いしますから結構です。
#88
○参考人(湊秀雄君) わかりました。私は法的拘束はないと思います。
#89
○小巻敏雄君 それ共同研究所的性格というわけですから、共同研究所の方から研究を大学に押しつけてくるというようなことはちょっと自治との関係もあって考えられない。これはやっぱりいわば法的拘束ではなくて、お互いに息を合わせて共同して利用する、こういう性格になるわけだと理解をしております。これは文部省にはただしてみますけれども。
 それからいまちょっと明確でなかった点があるわけですが、法定をして第一次共通テストをやるためにセンターを置くわけですから、何かいまからの内部の討論なんかの中で、たとえば私学から出ておったような意見で、どうも、何年か実施してみてこれは調査資料として高校の到達度を調べて内申に使った方がいいぞということになれば、これは法律自身が失効してしまうことになるのではないか。一次共通テストをやるがゆえにセンターが存在するんでありて、調査研究というのはその一次共通テストに従属をした調査研究なのであって、基礎調査や研究が優先しておるものではないというふうにも読むわけですが、どうでしょう、そこは。
#90
○参考人(湊秀雄君) 当初私どもが考えて出発しておりますときから、この共通第一次学力試験と申しますのは、国立大学の入学試験の学力試験の一環である、一部であるというのが大前提でございまして、それをその目的に合致しないような問題点が起これば、私は恐らくそれに戻すように今度もずっと努力を続けてこの大目的を達するように進むんだと考えておりますが。
#91
○小巻敏雄君 実は、これがいよいよ法律案として審議されるときになって、いわばレールは敷かれておる、五十四年実施も決まっておる。こういう状況の中で、細目と言われた問題の中に初めて衆議院でも参議院でも目を落としてみると、それが大きな問題であるということが、審議の中では意識され始めてきておるわけであります。
 具体的に一つ申しましても、一期校と二期校の一元化というような問題はこれは受験する側から言えば選択の機会が、チャンスが減って、一期校と二期校の格差がなくなるように一見見えますけれども、具体的には選択の範囲の中で非常に難儀をするということと、これが二年、三年と重ねてまいりますと、そうすると、ここのところから次第に――日本ではもう受験産業が発達しておりますからね、非常に。これの介入と相まって、いわば一層緻密な大学格差というものが再編成されてくるのではないかというふうな話も出てくるわけです。私自身高校に籍を置いて歩んできたわけですけれども、この進学生が出てきたときには決して今日のようでなかった状況が、テストだけで見ればいまからやろうとしておるような大学の、こういうことを高校ではやってきたわけですね。府県での統一テストで公立学校はテストをして、そして受験競争が衰えたかというといよいよ盛んになって、ほとんど能力に差があるとも思えない者に微少な差を偏差値でより分けてやっていくようなのがモンスターのように発達してしまって、このこと自身が克服をせよと言われている問題ですけれども、これに相似たシステムに移行していくわけですから、まあ一通りながめると、非常に私などから見ると、数年を待たずして同じ轍を踏むのではないかという、こういう心配をするわけです。現在では大学を出発に当たって内部意見は一致をされておるわけですけれども、これらの問題についても内部で、少数意見として心配があったとか、それについては克服のためにこういうことが考えられているとかいうことがあるでしょうか、どうでしょうね。
#92
○参考人(湊秀雄君) 先ほどから申し上げておりますように、この共通第一次学力試験と申しますのは、客観テストを一応主体として、そして高校の必修科目に限る、つまりこれは比較的低学年でのベースになりますような科目についての試験をするというのが一つの目的であるわけでございますね。それと引き続きまして、各大学で独自におやりになります二次試験と申しますのは、今度は選択科目につきまして、その学生が大学に入りましての学部における適性を判断するような、方法といたしましては比較的論文形式のものに主体を置くような試験を行う。それぞれ特徴のある、しかも重要な問題点をテストする試験方法で進むということでございまして、大学入学選抜方法の改善の一つとしては多面的な面で判定するのがよりよろしいのであるということ、これは大学でも考えておりますし、あるいは文部省の改善会議でも考えておりますが、その方法に少しでも沿って改善をしていこうということでございまして、これは私よくは存じませんで大変失礼でございますが、高校の入学試験といいますのは、恐らく統一試験の一本で行っていらっしゃるんじゃないかと思いますが、私どもは二本で、合わせて一つのより有効な判定を行おうということでございます。そういう点で共通一次試験は何点取らなければ合格しないんだということでもございませんし、各大学なりにそれぞれお使いいただくことでございますので、より多面的な面で見て、そしてより適切な入試を行おうというのがこの趣旨でございます。そういう点で御心配いただきましたような点が皆無とは申せませんけれど、十分それぞれの試験の方法の利点を生かしながら有効に選抜していこうと、こういうふうに考えております。
#93
○小巻敏雄君 そういうふうに言われますと、今度は第二次試験の中に選抜の実態というものが大きなウエートがかかってきて、一次試験というものはこれはまあ一つの内申なんかと並ぶほんの資料のようにも聞こえてくるわけです。高校の場合でも、たてまえとして内申を重視をしということですけれども、単独選抜で、たとえば大阪ですけれども、私のところは。やってきたんですが、そこで北野高校とか大手前高校とか言えば中学から全部五が来るんですから、内申というのは区別つける余地がなくって、一発の筆記試験で決まっておりますしね。実際問題として、東大の志願書を提出した者が、かなりの数、比較的やさしい問題であれば、まあかなり多数の者が、いわばより分けがたいようなレベルで入っておると、大体第二次試験が中身一発ということになる。足切りがなければ一層そうなるわけだと思うわけです。
 こういうふうに考えてみますと、まあ、一期と二期とが一緒になって、非常に学校志望選択が冒険的な状況に置かれてくる。そのために、数年を待たずして、これの相談相手というのは自分だけではとうてい解決できないから受験会社と相談をして偏差値でやる。それから第一次テストが単純であるだけに、これはやっぱり暗記と修練を積むというものになって、これはかっこうな練習の道具になるんじゃないかというような点も心配でありますし、その点では一期・二期一元化をすることのメリットとデメリットというのは、国民の目から見ても何とも言えないと。人にもよるでしょうけれども、こういう意見が非常に強いと思います。そこに私学が従来どおりの姿でテストを行うわけでありますから、まあ安全率のためにも、私学の受験競争については、これは励ます作用というとか、受験競争を激化させる作用を果たすのであって、鎮静させる方向に作用するとはとうてい思えないわけですね。この辺のところはいかがでしょうね。
#94
○参考人(湊秀雄君) ただいまの御意見につきまして、確実なお答えになるかどうか、ちょっと私もよく理解しかねるのでございまするが、これまで三回ほど実地テストをやってまいりました結果を少し吟味して見ておるんでございますが、その結果の一つを御紹介いたしますと、それぞれ試験を実施してもらいました大学、一昨年は十四大学、昨年は四十八大学でございまして、四十八大学につきましてはまだデータは出ておりませんが、一昨年やりました十四大学では、それぞれの大学の入学試験の成績と共通一次試験の相関をいろいろ細かく検討していただいて、そして大学内の資料といたしまして国大協の中で検討をしてみましたが、その結果、両者の相関というのは大変高い相関が出ておりますと同時に、あの試験では、たとえば有名大学での実情において、大変にいい成績ばかりを全部がとっているわけではございませんで、あの共通一次試験の実地テストの成績も大変常識的なばらつきを示しております。こういう点で、ああいう試験であれば有名大学では大変いい成績の者ばかりになるという、つまり判断の資料にならないのじゃないかということにつきましては、大変資料になりますよという方のデータが出ております。そういう点が一点。
 それから問題を見ていただきまして、御専門のこともございまして、いろいろ御批判いただけているのじゃないかと思いますが、今回の試験方法と申しますのは、解答用紙がマークシートでございまして、客観テストといえども単なるマル・バツではございませんで、やはり相当考えなければできないような、問題の内容がどうむずかしいということではないのですが、よく理解して考えないと解答できないような問題も含んでございますので、こういう点で、ただ受験産業で練習すれば、直ちにそれだけの成果が上がるということに直結してない問題であろうと私どもは考えているわけでございます。
#95
○小巻敏雄君 一期・二期の一元化のメリット・デメリットについては、私どもはどっちかと言えば、発足からいきなり一期・二期を一緒にしてしまうよりは、少なくとも試行期間と申しますか、ある時期まではそれを保存をして、その上でやるとか、いろいろなやり方があるんじゃなかろうか。特に評価が一定しないときですね、結果のわからないときは変える方を先にするというのはいかがなものであろうかという感じ方を持っておるわけです。
 それとあわせて、やっぱり一次試験は、客観テスト、マークシートテストというものがぼくはどのような粘っこい問題を取り扱うのが可能なのか、いまからよく勉強さしていただかないとわかりにくいわけですけれども、記述・考察の力を見るというような方法がマークシートテストで開発されると申しますか、そういうのは、端的によくわかるように言っていただけますか、具体例で。
#96
○参考人(湊秀雄君) まず、マークシート形式における解答方法による記述力のテスト、それから理解のテストでございましょうか。
#97
○小巻敏雄君 そうですね。
#98
○参考人(湊秀雄君) そういう点につきましてでございますが、まず記述的な――ちょっと私ども外国の例も参考にしつつ数年間検討してまいりまして、だんだんとその方法等につきましても成果が上がってきておると思いますが、記述力といいますのは、この方法では比較的困難な方でございまして、これで完全に記述力をテストするというところまでは、結局最後まで無理であろうと思いますけれど、方法のとり方によりましてはある程度の記述力もテストできるようになっております。これはたとえばの話で、外国の例等も引用してみますと、また、非常に長いものはこれは困りますけれど、一つの文章をつくらせますときに使います語句それから助動詞等を並べておきまして、それに番号等を付しまして、そしてこうこうこういう趣旨の文章をつくれということになりますと、多分、余分のものも入れてあるわけでございますが、適当なものを並べまして番号で文章をつくっていきますと、これで読み取れるわけでございます。こういうのはやはり一つの記述力になるわけでございますが、こういうテストも可能でございますし、それから文章の半分くらいを書いておきまして、その間にこれを入れればこういう文章になるというようなテストも具体的にもできておりますが、こういう方法で、完全とは申せませんが相当の記述力のテストというものもこのマークシート形式でありますれば可能になっております。
 それからまた、たとえばそれに類するようなことで、数学のテストというようなことになりました場合に、計算問題を出しまして、計算させました数字をずっとマークシートの上にマークしていくことも可能でございますし、それから一部に文字を入れた数式等を書かせます場合の文字についての選択肢をつくっておけば、数字と文字を組み合わせての数式等の記述もこのマークシート形式で可能になっております。こういうことで、数学における記述力の一部はこういう方法によってテストすることも可能になってきております。
 それから理解力、考察力のテスト等でございますが、これはわりあい前から可能になっておりましたが、選択肢を何段かに用意しておきまして、そして第一段階の選択肢から何を選んだ場合は第二段階の選択肢から何、第三段階の選択肢から何というような順を追ったテストが可能でございますので、こういう点で思考力、考察力等もテストができるという結論に達しております。
 で、それぞれ必要な科目ではそういう方法をおとりになってテストしておりますのが現状でございます。数年間の研究の結果、徐々にではございますが、だんだんと進んできておりますのが現状でございます。この点につきましては、さらに検討いたしますし、また、入試センターができました暁には、その中にこういう方法の研究部門もつくっていただくように考えられておりますので、その方面でもまた綿密な試験ができますように十分検討していく予定にしております。
#99
○小巻敏雄君 私も研究をさしていただかないと、それは素人判断であれこれ言うわけにはいかないかと思うんですが、いわゆるマル・バツ式の暗記力のテストはそれなりに客観性があるということと、それから記憶の量とそれに反応する瞬発力といいますか、そういうものは、いわば集積しなければ答えられないものですけれども、これが、むしろ問題の性質をよく見て、そして読解をして一定の操作を必要とする答案の書き方というようなことになると、これはまたそれを修練した者としない者との間にいわば実力以外の差がかなり出てくる、こういったふうなこともたちまちに旺文社初めコンピューターを買い込んで指導体制を整えて、これのレッスンをやるというような、これを受けた者と受けない者の間にはかなりの開きが出てくるんじゃなかろうかというようなことも感じられるわけですね。その点は各大学ごとに行われるフリーなものに比べて、やっぱりむずかしくなる点じゃなかろうか、記述のテストなんかできなくなってくるという点はですね。
 こういうことを考えますと、ひとついろいろ検討中の間ですね、たとえば今年度実施しなくたって、それだけの大学協会における合意が進んでおるのなら、難問奇問を出さないということは各大学の自覚に待ってガイドラインでも定められたら、いきなりから五十四年度実施という既定路線を歩まなくても、一定の前進は行い得るのじゃなかろうかと、こういうふうにも感じるわけなんですが、その点はどうでしょうね。
#100
○参考人(湊秀雄君) いろいろと入試方法の改善という方法があるだろうと思いますけれども、私ども六年間にわたりまして国大協の方で検討してまいりました改善の一方法として、とにかく改善は一年でも早くやらなければならないだろうというのは、これはもう当然の私どもの務めであろうと考えておりますが、そういう場合に何から取りかかるかと言いますと、やはり一つに、この方法が取りかかる方法として第一歩であろうというような結論でこれに取りかかっているわけでございます。その程度でございますけれども。
#101
○小巻敏雄君 幾つか受験者の立場から考えてみれば、今回の問題で困難が加重されるというような批判があるわけですが、その一つは、適切な志望をどう定めるかという際に、一次試験を受けて、二次試験の前の間に平均点が発表されて正解が発表される、これで自己採点をやる。こういうふうに言われるわけですけれども、これも問題と性質にもよるでしょうが、こういうようなあり方、これは御検討された際に、自己採点というので、これはやりやすく本当にできるものなのかどうか、これも数年たってくれば一応各大学の相場といいますかね、それから採点の結果との相関関係とか偏差値とかを自分ではかるところの、そういうコンサルタントに相談をしなければ自己採点と二次試験との関係を自分で導き出すことはむずかしいんじゃないかというのが心配なんですね、一つ。
 それからもう一つは、非常に多くの声に、まあ、高校側からも出されておりましたが、敗者復活戦と第二次募集の問題はどうするのだ――これは考えてみるという話はありますけれども、定かな話はないわけですね。
 こういったふうな受験生の基本的な利益にかかわる問題と申しますか、こういうものが不確かなままで最終的に、しかも法律を決めたら五十四年度出発するというわけですから、これを直ちに決めるのがいいかどうか判断に迷う点があるわけです。実際少なくともこの辺のところの答えは聞かしていただいてから判断したいというのが私どもの感じになってくるわけですが、これはどうされますか。
 一つは自己採点の問題、次はいわゆる敗者復活戦の問題、何か約束でもされるのか。
 それから足切りの問題もあいまいもことしておるわけですね。試験というのは足を切るものなんでしょうがね、最終的には。しかしながら、足切りはしない方向で指導すると、こうあって、それでやむを得ない場合にはというのがついておるわけです。やむを得ない足切りというのは、実際上これは点数で切るのではなくて、定員との関係で多分切っていく。こうなってくると、切られた本人にはいつ知らすのか、知らされないままで二次試験を受けるのか。一体これどういうふうに処理をされるのか。これもお伺いしておきたいと思うのです。
#102
○参考人(湊秀雄君) 自己採点の心配の問題、ごもっともと思いますが、私ども現在考えておりますところでは、各受験生が使いました問題冊子でございますね。これはその中にそれぞれの受験生が答案を書きましたときのマークシートのひな形がそのまま刷り込んでありまして、それを練習に使って答案を書くわけでございますが、それは持って帰れるように考えております。で、そういうことで、正解例を公表されましたら相当綿密な点数というのが出てくる、こういうふうに考えるわけでございます。それで、じゃあ、あと何点取れてればどの大学なら大丈夫だろうかと言われますと、ちょっとこれはどうにも見当がつかないところでございます。その程度のことでございます。
 それから、敗者復活のことでございますが、現行でもやはり合格者の中で辞退する合格者が何名かおりまして、特に二期校なんかでは少し多いのかもしれませんけれども、それに対して文部省の方の御意見等もありまして、なるべくこれを充足するようにということで、試験発表後、入学者手続の終わらない人たちの定員欠除を行うように各大学ともそれぞれに努力をしております。こういう補いということの一環としまして二次募集的な考え方はないかというのが一つのこれまで検討をしてまいりました一点でございます。
 それからもう一点は、こういうこともできるのではないかということも考えておりまして、これはやはり各大学のお考えによることでございますので、ここでぜひこうするようにということもできないと思いますが、たとえば二期校として受け入れることに大変利点といいますか、魅力を持っていらっしゃる二期校もあるわけでございますね。こういうところでは何とかそういうような方法を生かす可能性はないだろうかということで、二次募集というようなことの一定の枠を設けたらどうであろうかということがこれまで進められております審議の内容なんでございます。ただ、問題になりますのは、じゃあ各大学とも二次募集を何%かつくるとなりますと、一次募集の競争率よりもはるかにそちらの方が高くなるということもございますので、そのあたりいろいろ複雑な問題点が起こりますので、なるべく無理のないような形で、それからまた、A大学を受けてみたけれども、B大学の方にかわれるならかわりたいというようなこともございますと、これまた大変な錯乱になりますので、そういうことは防がれますような方法で何とか検討したらどうかということで、二次募集の問題につきましても検討中でございます。
 それから足切りでございますが、足切りの点につきまして、現在、足切りについて大変心配をしております大学の一部には、二期校であるがゆえに見かけ倍率の非常に多い大学・学部等もこの中に見られるように私は感じます。ところが、一期校、二期校の試験期が統合されますと、とにかく一回しか受けられませんので、そういう二期校の見かけ倍率というものはずっと下がる、これは明瞭であろうと思っております。そうしますと、恐れて足切りをするんだというような表現をなさっておられるところも、三倍というような線を持ってまいりますと非常に少なくなるんだというのが私どものいまのところの、これ推定にすぎませんけれども、推定でございます。こういたしますと、一応各大学で考えていらっしゃるよりも足切りをしなければならない実情というものは軽減されるのではないか、こういう見通しでございます。
#103
○小巻敏雄君 それを、お伺いしたのはですね、足切りをやむを得ない場合には、定員を定めて、倍率定めてやるというときに、その足切りをしたのを本人にいつ知らせるのかということですよ。
#104
○参考人(湊秀雄君) ちょっと私もうっかりしておりましたが、この足切りをいたしまして、予備選抜でございますが、予備選抜不合格になった人たちに対する通知は、各人にそれぞれの大学の入学試験が行われます十日くらい前までには通知をして差し上げたい、こういうふうなことを現在のところ国大協で考えております。
#105
○小巻敏雄君 足切りの通知の問題はお答えでわかったわけですけれども、いわゆる第二次試験の問題というのか、敗者復活の問題は、欠損を埋めるということであれば、いまの制度の中で欠員が出れば、せっかく施設もスタッフもそろっているわけですから、いまでもやっていることですし、当然だと思うんです。しかし、リザーブをして三割残しておくというようなことになれば、その学校の数が一定数あるとすると、実質的な二期校になるんじゃないか、それが。結局のところ、一期校だけでは不安だから、こういう話が出てきておるわけですから、これらの問題、数年を待たずにしてここのところにいわばリザーブ定員を設けて実質二期校のテストをやるところと、そうでないところというなのが、日本の場合には、反応早いですからね、数年間ぐらいで出てくるということになれば、たちまち手直し問題が生ずる。初め一回、二回は見当がわからないから、一定の混乱もあるわけですね。こういうような点考えてみると、どうもなかなかすかっとしないものがあるわけであります。そうしてそれとあわせて今度の法律というのは、いままでのいわば大学設置法とは若干なじみにくいような内容の機関が設置をされる、どうしたって共同利用研究所とは似ていないですね。何か事業団みたいな感じがするわけであります。この点は、研究というのは事業目的に全く従属をした事務的研究と申しますか、そういうものになっておる。まあ、ひとつまた機会を得て御質疑をした上で判断をしていきたいと思うわけであります。
 続いて森先生にお伺いをいたします。
 実際問題として、国民がこの大学入試制度に期待をつなぐ心情というのは、一つは、いまのテストの物すごさから幾らかでも緩和をしてもらいたい、こういうふうに願っておるわけですけれども、高校の先生方が国民と同じレベルでそういうふうにたとえば幻想におぼれたりしたんじゃ生徒諸君は救われないだろうと思うわけです。その点はぜひともよく見てやっていただきたいと思うわけです。実際問題として、先ほども申しましたが、高校自身の格差問題は高校入試制度からかかわり合って存在をしておるわけですね。そういうような点から眺めてみても、この問題について本当に一期校、二期校を一元化する問題と、それからいわば最初のテストの成績結果が自己評価やる以外にない問題とか、こういったふうな問題、それから第二志望の問題なんかについても、もっともっと具体的な意見を出していただかなければならぬのじゃなかろうか。以前からの行きがかりがありますから、総論賛成、各論では陳情というようなことで一体済むのかということですね。特に入試の時期の問題は高校の原則を立てる上で非常に大きな問題ですね。二年半でいわば大学へ行く子は卒業さしていくというのに近いわけでしょう、十二月のテストというようなことになれば。これらの問題について先生の御意見を伺いたいと思うんです。
#106
○参考人(森武夫君) いまの御指摘のとおり、詰めなければならない問題がたくさん残っております。これは一にかかって先ほどの本年七月ごろでないと各大学の第二次試験というものの全貌がわからないということともからんでおります。それでいまの個々の自己採点あるいは敗者復活二次募集、ここら辺の問題は要するに新しい仕組みで一期校、二期校が一元化する、まして国公立が一本化して一元化されるということによる予測、これがきわめて困難であるということからして、すべての問題が読めない。自己採点というのは先ほどお話がありましたように、自分でどこヘマークをしたかということと、すぐ速報で、新聞等で大体の正解というのが出るようですから、これは読めるのですね。だけれども、この点を取ったからそれじゃ、どこの大学は大丈夫かという読みが全然数年の間は困難じゃないかという感じがいたします。そういうもろもろの不確定要素のもとにこの仕組みがこれから試験を受ける生徒並びに父兄の方々にかなりの不安を与えているということが大もとだと思います。
 そこで、われわれも現場としてできるだけある程度の全貌がわかった場合に、その対応ということを早急に煮詰めていかなければならない義務を感じておりますが、とにかく全般的には非常に様相が一変して、すべて読みにくい、不確定要素が多過ぎて、なかなかいまからそれを読むということが困難なために生徒父兄に相当の不安を与え、また現場の進路指導担当の教員もこれからその対応を迫られるという厳しい状況下にございますが、懸命に努力しまして、状況がわかり次第その対応を煮詰めていきたい。ただ、新しい仕組みを五十四年春をめどに実施をしますということを早期に言わないと、それにぶつかる生徒にとっては覚悟が定まらない、対応ができないということについては、私ども関係者が、君たちから始まるよ、ということを相当事前に明示をするという義務があると思います。それでただいまいろいろ関係の先生方と五十四年春をめどにとにかく一歩でも半歩でも前進できる体制をとって、われわれ関係者ができるだけいろいろ問題点は煮詰めていく、ただ大きな方向で実施をするという線については相当期間の予告を置いてその該当の生徒に早く対応の方策をとらせるということの方向でいかないと困難を生ずるのではないかという形で現状のような進行の経過をとっている、こういう形でございます。
#107
○小巻敏雄君 先生、現場におられてかなり率直に現在の高校側の対応を述べておられるわけですが、数年は読めなくて非常に困難だと、いわば三年なり五年たてば読めるようになるということですね。いわば、逆にある程度。しかし、これは読めない間が花なんじゃないでしょうかね、いわば今度の改革というのは。読めるようになるということはいまと同じになるということなんじゃないでしょうか。結局、大学別の偏差値が明らかになって、そして入学する前に勝負をつけられるというわけですね。いま東京の場合と大阪の場合とは高校で若干様相が違いますけれども、私学の方はいわば野放しで、一方だけこう決まって、そして読めるようになったというような状況というのは、聞いていて余り楽しい状況じゃないというふうに考えますと、この入試問題について過大な幻想を少なくとも父母、国民に与えるべきじゃない。現実にやっぱりもしこれで直っていくものなら現行制度のもとにでも一定の改善が可能なんだというような点はあるんじゃなかろうか、難問奇問問題でも。まあ、それらの問題もございますので、ぜひ高校側としては読めるということはどういうことであり、読めないということはどういうようなことなのかというような中身についてもひとつ明らかにしてもらう必要があるんじゃなかろうかと思うわけでございます。
 時間が来ておりますので、最後に林先生にお伺いをするわけでございますが、やっぱり人間形成に関して、入ってきた学生を教育するという問題と、入れる前からの制度、システム、外的条件の問題と一緒に議論してしまいますと、制度の問題をやるときに根源は、というので人間形成のことをやれば因果関係は明らかになりますけれども、具体的な問題の解決にならないのではなかろうか。格差というものも確かに以前のように西田哲学を学ぶのか、どっちにいくのかという問題と今日とでは、大学の数もふえましたし、違ってきておりますけれども、やっぱり大学格差というものは、たとえば教官の配置数から、あるいは研究費から旅費に至るまで明らかに七帝大と十一官立大学と、あるいは高専、師範から昭和二十四年度以降に出てきた大学との間には具体的歴然たる格差があるのではなかろうか。これらの問題、特に教員養成大学に対するさまざまな措置というものは私は非常に劣ってもおり、受験者と文部省の条件措置とはなれ合っておるかのごとく比例しておるように思うわけですけれども、この辺のところについて教育条件の問題等でひとつ御経験から教員養成の大学に当たられて御意見があったらひとつ聞かしていただきたいと思います。
#108
○参考人(林竹二君) ちょっと私申し上げたことといまおっしゃったことはかなりずれておると思います。私は、人間形成の問題というのを大学の中で重視すべきだ、というような考えとは全く違うわけなんです。ただ、人間とは何かという根本的な問題をぶっつけたときに、いわゆる受験校の人たちがほとんど関心を示さないであろうと思うのに、非常に苦しい条件の中で厳しい労働の後、学習をしている子供があれほど深い反応を示した、受けとめ方をしたということ、それがどういうことであろうかということを一つ問題として提起したわけです。だから、そういう本当は学びたい気持ちはみんな受験校だってあるわけです。それがどんどんどんどんつぶされていないかということです。
 それから格差の問題については、私は余り生徒の問題とは考えないんで、宮城教育大学の場合は、東北大学で私がずっとやっていたときの条件と比べればまるで違うわけです。しかし条件の違いということは私にとっては問題じゃなかった。ただ、やっぱり教員養成の大学は本当の大学になる道があるんだと、そこでできるだけのことをやってみようということをやっていたわけです。ところが、いまはどうも注文するばっかりで、やれる範囲のことは何もしないというのがいまの大学の実情じゃないかと思うのです。
#109
○有田一寿君 時間の関係がありますので二項目だけお尋ねしたいと思いますが、一つは内申書の活用ということについてであります。
 昭和四十六年十二月に出されました大学入学者選抜方法の改善に関する会議の報告書にもいろいろ書いてございますが、内申書というものがいわゆる機械化された量産教育あるいは大量選抜方法に対して補完作用をなすものだと思うわけですが、一次試験にも内申書を活用するということもここに書いてあります。現実にどういうことでしょうか。一次試験のときに活用なさるのか、二次試験のときのみに活用なさるのか、それからどういう程度までこれを活用なさるおつもりであるのか、ぜひ教えていただきたいと思います。
#110
○参考人(湊秀雄君) 文部省の方でお出しになりました四十六年十二月の報文がいま問題に挙がっていると思いますが、これでは多元的な方法をもって選抜をするということでございまして、調査書の活用と共通学力検査の実施と各大学の行う学力検査等、これは実技や何かも含んでのことでございます。学力検査及び実技を含めての第二次試験というものでございますが、この三つはいずれも並行して使われるべきものである、こういうことなんでございます。
 それで次の問題といたしまして内申書をいまどのように活用しているかということでございますが、これも大学によりましていろいろ活用の方法が違っているようでございまして、ある場合には内申書によって第一次選抜を行っていらっしゃるところもあるやに聞いておりますし、それからまた内申書の結果を数値化いたしましてそして選抜にお使いになるということも伺っております。こういう方法でいろいろお使いになっていらっしゃるわけでございますが、ただいろいろ活用するに当たりまして問題点があるだろうと思いますのは、内申書の成績といいますのは、その高校につきましては序列が大変はっきり出ておりますけれど、他高校との間の比較ということになりますと幾分使いにくい点がある、大変使いにくい点があると言ってもいいかもしれませんが、こういうことで、現行の大学入試選抜というのが大体において一つの線で合格、不合格を決めております場合に、いまのような内申書の内情といいますのは比較的使いにくいデータの一つになるだろうと思います。ところが、これ一つだけを使いますとこういうことでございますが、一軸に内申書というものを各高校ごとに並べまして、他の軸の方向に今度は共通一次試験の成績というようなものを入れますと、ずっと現在よりも有効な活用ができやしないかということでございます。これはこれからの一つの希望でございますけど、こういうことでさらに共通第一次試験を盛り込んでの選抜に当たりましては有効な使用法というものを考えられるのではないかというのが、これは国大協で、統一的に出た意見ではございませんけど、寄り寄り出ております意見の一つでございます。こんなことでよろしゅうございましょうか。
#111
○有田一寿君 実は私この内申書の活用ということについては非常に悲観的な見方をしておるわけでございまして、結局活用を望まないのではないか。そうすればいわゆる機械化、コンピューター使用ということで、全く点数主義、知育中心主義ということになる。ここに書かれておりますように、もともと内申書のねらいというのは、「学力検査だけでは判断しがたい能力・適性を示す総合的な資料であり、入学者選抜のための基礎資料として多角的に活用されるべきものである。」、いまおっしゃいましたとおりですね。それから将来の能力もあるいはこの内申書で活用できる。あるいは運動をやってた、あるいはマネジャーで運動部の世話をしていたとか、非常に絵画その他に特異な才能を示したとか、いわゆる五教科・七科目の平均主義に漏れるような生徒を本当に救えるとすればこの内申書しかない。しかしながら現実は、客観性ということを求められる場合には、これが物差しが多岐にわたって御指摘のように一本の物差しになり得ない。言いかえれば、だから、いろいろ議論した末に、内申書活用はぼくは捨てられるんじゃないかという気がするわけです。ですからこれを、ここに書いてありますように「解説資料の作成を考慮することが望ましい。」ということも書いてありますが、そういう解説資料、あるいは客観性に向かっていって何とかこれを、一つの客観的な物差しをつくるという努力を入試センターでもなさってこれを活用するんだというようなことにいく、そういう議論の経過があったか、そういう意図がおありなのか、これだけは私どうしてもお伺いしておきたい。そうしないと、「調査書活用」とか、いろいろ書いておりますけれども、これにあるいは父兄が希望をつないでみても結果的には捨てられるというおそれがあるということで、もう一度お尋ねをしておきたいと思います。湊参考人の方にお願いします。
#112
○参考人(湊秀雄君) この内申書の取り扱い方につきましては、センターができました段階において、この研究部門の中に追跡、評価等いろいろの部門で研究を行います計画ができておりますが、その方面で恐らくこの問題も取り上げていただけるものだろうと私ども思っております、より具体的な取り扱い等につきましては。
 それからもう一点は、この内申書のつくり方は、これは文部省の方の改善会議で永年審議しておりますが、大学入学者選抜要項というものの中に書式がございます。このあたりにつきましていろいろの方面での検討でも進みましたら、高校側の先生方ともいろいろ御相談の上このあたりの形式についても今後もっといろいろ検討していくべき問題が残されているんだろうと思いますが、こういう方面で、やはり今後十分検討していくべき問題だと思いますし、センターの方にもお願いできる問題だと私は思っております。
 それから国大協の中でも、やはり内申書を、調査書を何とかしなければならないのだというのは、その時点時点でディスカッションされております。ただ、具体的にどうであるというところまでは到達しておりませんけれども。
#113
○有田一寿君 そうすると、今度の五十四年度実施、言いかえりゃ七月にいろいろ、最初いろんな発表がありましょうが、内申書の活用等についてはそのときは入らないわけですね。
#114
○参考人(湊秀雄君) 七月段階におきます発表につきましても、たとえば共通第一次試験を何%にとり、第二次試験を何%にとるというところまで、これやはり現行の大学の入学試験の合格者選定の実情に合わせまして発表しないと思います。そういうことで、内申書をどのように使いますということは出ませんが、内申書の内容をデータとして取り入れて発表するということは出ると思います。
#115
○有田一寿君 そうですか。この内申書についてはここまででとどめておきますが、これはまた他日、文部省ともこれは検討してみたいと思いますが、どうかひとつ内申書の活用ということは一つの補完作用をなすものであるということだけは、どうぞひとつお心にとめておいていただきたい。
 それから、これは矢次参考人にお伺いいたしますが、先ほど御提案がありましたいわゆる高校履修度調査ということを強く主張なさいましたが、これについて、これはいい提案であると思いますけれども、お伺いしたいのは、これ全高校とおっしゃいましたが、いわゆる付属高校を含めれば国公私立の高校について、これ、以前、能研テストあるいは学テ等御承知のようなことがありましたが失敗に終わりました。この高校履修度調査をやるという場合に、日教組あるいは私教組あるいは私学関係等が特に反対をするというようなことがあれば、もちろんこれはできないわけでございまして、そういう難点が私はあると思うんですけれども、そこを御提案がありましたので、そういういわゆるお見通しというか、それはどういうふうにお考えでしょうか。
#116
○参考人(矢次保君) 実現にはお話しのとおりの抵抗が当然予想されますが、それを乗り切って法律化できるものならば一番望ましいと、こう思っております。
#117
○有田一寿君 乗り切ってということですから、いまのところは困難があるであろうというお考えであろうと思います。
 私は、私学のことについて一言自分の気持ちだけを付言いたしますと、私も私学の方はいろいろ現在学長もしていますし、それから高校等の理事長等も務めておりますけれども、功績も私学はずいぶんあったと思いますが、弊害もやっぱりいろいろ生み出している面は私学にも多々あるということを、自省の意味を含めまして、やはりこれは認識しなければいけない。したがって、現在、財政的に格差がありますから、国民も行政当局もずいぶん私学に対しては同情し、支援しなければ日本の教育が完全にならないという熱意においてはずいぶん以前とは変わってきておるように思っております。ただ、その場合に、非常に謙虚であり真摯でなければ、いままで支援の気持ちでおった父兄も、これは私はひっくり返るおそれがある。だから、この入試問題を含め、どうかひとつ、先ほどお話ございました、七月までに第一回のおまとめでもあれば引き続いてそれを完全なものにし、あるいは国大協の改革案を活用するのか、あるいは別途に私学だけでやっても私はいいと思いますが、いずれにしても放置せずに行かなければ大変なことになるのではないかということだけを申し添えさしていただきます。
 それから、もう一つ最後に、これ乱暴な初歩的なことで恐縮ですが、これ湊参考人にお伺いしますけれども、私は、内申書が十分活用できるものならばですけれども、活用はできないというお考えがちゃんとわかっているんではないか、だから五教科・七科目ということで到達度調査をやろうとしているのであろうというふうに思うわけです。これ、むしろ私は二科目でいいのではなかろうか、第一次ですね。それで第二次のときに一科目程度に小論文か面接等加えればそれでいいのじゃないか、そういう補完作用のものがあるのならばですよ。しかし、それはないという恐らく大前提がおありであって、そして到達度調査はこの一次試験のこの教科で皆やるんだ、こうなりますと、先ほどいろいろ林先生からお話がありましたように、どこまでも全部点数主義になるであろう、そして機械的に処理されていく、人間が物体になるということになる。こういうことから考えて、私はそういう科目をもっと減すべきではないかということを考えています。ただし、そんなことを言っても、高等学校のいわゆる完成教育としての高校、予備校としての高校でない。これが高校の本来の姿だという御主張があるかと思いますが、ここら辺のところは、むしろ湊先生にお伺いするよりも高校長協会の森先生に感触をお伺いした方がいいかもわかりません。どういうふうにお考えでしょうか。
#118
○参考人(森武夫君) 大変むずかしい御質問で、先ほどのたとえば内申書というような問題で、これはやはり早急に検討して、いまの新しい仕組みの中でも、二次試験で面接といっても、一人当たりでしたらそうたくさん時間はとれないと思います。したがって、その面接の中で一人の個人のよさを見出すということは神わざだと思いますね。したがって、それぞれの高等学校が三年間見てきた、その見てきた点でどういうところを書き上げてくれと、そういう観点を、こういう項目についてこういう点があったら書いてくれというような形の、何といいますか、ことだけでも項目、観点、こういうことについて詳しく書いてください、あれば書いてくださいというようなところをそろえるということになれば、いまのような抽象的な表現でなくて、かなり具体性を持ったものが各高校の調査書の中に入ってくるというような形になれば、いわゆるいまの五分か十分の面接ではつかみ取れない大きな補完的役割りをする効果を上げることができる。それが、まともに三年間その生徒を一生懸命育ててきた高等学校が、当然大学入試等に当たってその生徒のよさをかわって調査書に書き上げてあげるというようなことで、それを受けとめる大学側でも短い時間の面接でできないよさを拾い上げる、そして入試が終わって入っていった場合に、その高等学校が書いている中身は本当であったということも受けとめられるという形で、私は現状の高校が一生懸命やっていれば、それが大学に入ってからでも、あの学校で書いていることは本当であるという実証が受けとめられていく。そして高等学校と大学というものが、そこにある意味の有機的なつながりが持てる。で、高等学校も安心していわゆる人間教育に打ち込めるという形のつながりを求めていきたいと、そういう感じでおります。舌足らずでございますが……。
#119
○有田一寿君 学科目の二科目に減すことはどうかというのが残っておりますけれども、それはもうこれを最後にしますから。お答えをいただけば結構ですが……。
 いま、先ほどから林参考人の率直な御意見を伺っておりまして、私が受けました率直な感じは、大学紛争以来ずいぶん、百数十の改革案は出たけれども、少なくとも国立大学の内部においてはほとんど前進はなかったのではなかろうかということ、それと、一番、高校以下の教育に求められておる、いまいろいろ朝から話が出ました、いわゆる人間的な面、友情、自己犠牲、あるいは責任、思いやり、勇気、そういうことが一番欠けておるのは大学の内部、先生方の間ではなかろうかという感じを私は正直に受けたわけです。だから、ましてそれが学生に感化を与えていくということもむずかしいなあという非常に悲観的な感じを受けました。なぜそうなったんだろうと、これはやっぱり教育の欠陥から来ているのかと。それはいわゆる有名大学の教授になっていらっしゃる先生方、湊先生には失礼だけれども、そういう先生方はやはりそういういろんな、まあよく言えば試練を経て、そしてよき大学を出て、それで教授になる。恐らく平均点主義というか、知育本位というか、そういうことの中で選ばれていったエリートの方たちが大学の教授に大体なっていらっしゃる。だから、人間的におもしろ味がないとか、いや、自己犠牲の精神がないとか、エゴだとか、そういう非難が大学紛争のとき起こったのかなあと。だから、願わくば、これは一朝一夕にできないにしても、やっぱり二十年、三十年たつ間にそういうおもしろい大学の教授もいろいろまじって出てくる――点数のいい人ばかりじゃなく。そして、それが学生に感化を与えていくというようなことがまあ望ましいなあという感じを受けました。だから、林先生にはもう重ねてはお伺いしますまい。もうほとんど私も短いいろんな言葉の中からいろんな感動を受けました。それから、先ほどの写真も、確かに四枚目の写真の顔つきというものはすばらしい顔をしておりましたし、そういう発想、そういう教育に取り組まれる林先生には私は深く敬意を表する次第であります。
 それで、森参考人にお伺いしますが、いまの科目ですね、二科目だとか一科目、科目を減す、一次試験ないし二次試験において。それについて高等学校サイドとしてどういうふうなお感じを持っていましょうか。私は、それどう返事があろうとこれで質問を終わりますから、もう一人関連質問で中村先生がいらっしゃいますから、そのお答えだけをいただきたい。
#120
○参考人(森武夫君) いまの共通一次で二科目、第二次試験で一科目ということの御質問で、すぐ私は乗りたいような誘惑に駆られました。しかし、現時点でその誘惑に乗っていいのかどうか、ちょっといま即答はできません。失礼いたしました。
#121
○有田一寿君 よくわかりました。結構でございます。
#122
○中村登美君 このたびの入試センターができますことによりまして、まあ第一次試験は高校の必須科目、第二次試験はまた選択的な科目だけというようなことを伺いますと、日本の大学は非常に入学は厳しいけれども卒業はだれでもできるとよく言われております、外国の場合などはその逆のようでございますが、こういった入学のそのセンターができるのを機会に、ひとつ、入りやすくて、簡単に卒業はさせないと、ある程度力をつけなければ絶対に卒業させないというような大学のあり方にするお考えはおありでしょうか、いかがでしょうか、湊先生と矢次先生に伺いたいと思いますが。
#123
○参考人(湊秀雄君) ただいまのお話の一例としまして、恐らくアメリカの大学等をお考えいただいてるんじゃないかと思うんでございますが、まあ私も細かくアメリカの大学を存じておるわけではございませんけれど、私がある程度伺っておりますのでは、もしアメリカの大学で、入学後一年から二年に進学いたしますときの落第率というのは非常に多いようでございますが、ただ、落第いたしました場合にアメリカでは、その全部とは言えないかもしれませんが、多くはもう少しレベルの下の大学で吸収してもらっているように聞いております。日本で考えますとそういうことが大変困難であろうというのが、まあ、これは私の個人の意見でございますけれど一点でございまして、じゃ、ほうり出したらどうしてくれるんだと言われます場合に、一体何を私どもは用意してそしてこれをやったらよろしいかという問題点があるだろうと思います。まあこういうあたりも全部の社会のシステム、大学教育の、高等教育のシステムというのが整っていきますればそういうことも可能であろうと思います。が、じゃあ、大学は入れればすぐみんな出してるかというと、そうではございませんで、ずいぶん留年生もおりますし、いろいろ困難な問題も抱えまして定員よりはるかにオーバーした学生の教育というものに日夜私どもは努力しておりますのが現状でございます。こういうことで、とにかく入れば出るんだという観点で大学の教育がすべて行われてるんではないことはひとつ御理解願いたいと思うんでございますが。
#124
○参考人(矢次保君) 入学試験制度の改善と密接不可分な問題がいま御質問の問題でございます。本来は、高等学校卒業の資格を持ってそうしてその大学に入学を希望するならば、よほどまあ客観的に納得のいく欠格条件を持っていない限り、大学はこれを受け入れて、そうしてその大学の勉強をする機会を与えるということが、本来学校のあり方であるという考え方からしますれば、できれば皆入れて、そうして一学期、二学期、三学期と、一年、二年、三年と上がる間に、特に、一般教育科目から、この専門課程に移るあたりで、その間に努力をしない者はこれはやめてもらう、他に移ってもらう、あるいはその大学の科目が本人の性質に適合しない者は他の大学に新たなる道を求めてもらう、こういうふうにすべきが本来のあり方だと私どもは思っておるわけであります。ただ、国の行政が入学のときに当然とられた定員、この定員きちきちに入れろという行政指導が非常にわが国では厳しい、これはまあ、異様なことでございまして、そうすると、いま御質問のような事態が生じてくるわけであります。ところてん式に入りさえすれば出てしまう、こういうことは一刻も早く改善されなければならないと思うのでありますが、私立大学としてはやはりこの問題になりますと経営の問題も無関係ではございませんし、今後改善しなければならない一番大事な点であるというふうに認識をいたしております。いま私立大学全体として御質問の問題をどういうふうに解決したらいいかというふうな点については、研究不十分で至急に研究しなければならないと思います。
#125
○中村登美君 オックス・フォード大学などは、毎週二、三十ページずつの論文を書かせて、それが積み重ねとなって教授と一対一でディスカッションをする、それの積み重ねがないと卒業試験がどんなにできても卒業させないとかいうお話を聞いておりますが、そういうふうな大学の基本的考え方も大分違うんではないか。もっともいまおっしゃるようないろいろ事情もおありかと思いますけれども、まあ、日本には日本のまたいろいろな事情があって、そう簡単にそういう考え方になれないようにも伺うわけでございますが、先ほどの林先生のお話などに伺いまして、大学は学ぶということよりも、社会へのパスポートのためにとにかく入るんだというような考え方が大分この受験戦争を招いているわけでございますが、今度のセンターの方式もアメリカを参考になさったということでございますが、イギリスあたりはどうか。イギリスあたりは、中学を出た途端に国家試験、高校を出たら国家試験、それから何か第三回目の国家試験が受かれば有名大学を出た人よりも社会的の地位が得られやすいというようなことで、このイギリスあたりの方式でいった方が、この日本の受験戦争の弊害は取り除かれるように考えるんでございますが、先生方の方がイギリスのあり方をよく詳しく御存じかと思いますけども、そういうイギリス方式につきましてはどのようにお考えでございましょうか。各先生方から簡単に一言ずつ伺わせていただいて終わります。
#126
○参考人(湊秀雄君) ただいまのお話でございますが、共通第一次試験のやり方といいますのはアメリカ方式ということでございますが、まあ、一つの方法としましてアメリカの様子を見てまいりまして、とるべきはとるという形でやりましたけれど、やり方、内容、それから趣旨につきましてはアメリカとは合わない点がずいぶんあるわけでございます、私ども計画しておりますのは。ただ、アメリカでの大学進学率といいますのが当該年度の人口の四〇%を超しております現状でございますが、このあたりは日本と似ているということでございます。それがじゃあイギリスはどうかということになりますが、イギリスで申しますと八%にすぎない当該年度の人口が大学に入学しているということでございまして、これはひとえにはアメリカがどうであるかちょっとわかりませんが、ヨーロッパで考えております大学というものの考え方と日本の大学の考え方というものの間に相違があるという点にも一点あるんじゃないかと思います。そういう点で、こういうふうに現状はずいぶん違っておりますが、イギリスはイギリスなりにやはりこれでずいぶん問題点持っているようでございまして、たとえば十一歳、十二歳の試験が最初の試験でございますけれども、それに合格しなければ大学にはもう行けなくて、ほとんど敗者復活はできないような状況でございますが、こういうことはだんだんと現在の情勢に合わないんじゃないかということで、イギリスはイギリスなりにやはり大学の入学制度、――学制とまで言い切れないかと思いますが、上級学校への入学制度というものを早急に変更しなければならないというようなことを私ども伺いましたときも話しておられます。また、ドイツにつきましてもそれなりにいろいろな問題点を抱えているようでございます。そういうことで、国情によりまして大学の入学試験制度というものも違いますし、また、国民性によりまして進学率というものもずいぶん違いますので、それぞれお国ぶりでなかなかむずかしい問題を抱えながら努力しているのが現状ではないかと思います。御質問のお答えにならないと思いますが、実情そんなふうでございます。
#127
○参考人(矢次保君) やはり質問に直接つながるかどうかわかりませんが、まあ、日本でも専修学校制度が今度ことしから始まっておるわけであります。これが今度どれだけ充実発展して社会から認められるようになるか、新しい高等教育の分野を占めるに至るかどうか、ということがいま御質問の問題とやはり若干関係があるように思うのであります。さらに、私が一番問題にいたしておりますのは、三百十近くもございます私立大学の特色化、それぞれの大学がいかにして他にかけがえのない特色ある独特の教育機関として充実していくか、これがやはり入学試験のあり方と関連してくる。みんな似たり寄ったりの同じような基準で同じようなことをやっておりますから、結局有名なところへ行くとか何とかいう集中が生ずるわけでありまして、みんなが特色ある教育機関にいかにしてなるかということが一番大事なことだと思っておるわけであります。御質問に直接関係ないかもしれませんが……。
#128
○参考人(森武夫君) 世界各国それぞれやはり教育の問題で非常に大きく悩んでいるというように私は受けとめております。そのすべてが国家試験を通ってという形の国は、それなりのやはり積み重ねをしてきていると思います。日本の場合は、それなりに相当の苦労をしなければならないし、現在、いま討議している問題もその一つの大きな問題だと思います。したがって、日本の現状におきましては、やはり急がば回れで、いま当面している問題を一歩一歩踏み越えていくということがある意味では近道ではないか、そのように考えます。
#129
○参考人(林竹二君) 私は、制度の問題については何もお話する気はないんですが、ただ、先ほどから、大学は自分のできる範囲内のことがあるのに、それは余りやらないんじゃないかということを申しましたが、ちょっと自分の経験について申し上げますが、私は、実はここに文部省の方がいるのでぐあいが悪いんですが……。学長でいながら一般教育ゼミというのを担当しておりまして、これは本当は兼任でないものですから単位は出せないんですが、教員は大分苦労しているのですけれども、「プラトンの対話篇」をテキストにしてゼミをやっております。ゼミをやって、最後に単位の問題になって、単位論文を書いて出したのに対して、不十分な点がほとんどすべてにあるわけですから、それを指摘して、ここは不十分だ、こことここの点をもう一遍考えて、もう一つ書いてこいと言うと、大概の場合は、いまの私にはこれ以上のものを書く力がありませんから、来年もう一遍出ますと言うのです。それが大体二年、三年となって、四年かかって単位取ったのもありますが、大体の者は単位はもう結構ですと。だからそれだけゼミを、そういうやり方をやりますと学生はちゃんとそれを受けとめる力があるように思いますね。そういうことがやっぱりいま大学では大事なんじゃないかというような気がいたします。
#130
○委員長(宮崎正雄君) 以上で参考人に対する質疑は終了いたしました。
 参考人の方々に一言お礼を申し上げます。
 本日は、長時間にわたり貴重な御意見をお述べいただきましてまことにありがとうございました。
 本案に対する質疑は、本日はこの程度にとどめます。
 本日はこれにて散会いたします。
   午後五時四十二分散会
ソース: 国立国会図書館
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