くにさくロゴ
1976/05/25 第80回国会 衆議院 衆議院会議録情報 第080回国会 文教委員会文教行政の諸施策に関する小委員会 第4号
姉妹サイト
 
1976/05/25 第80回国会 衆議院

衆議院会議録情報 第080回国会 文教委員会文教行政の諸施策に関する小委員会 第4号

#1
第080回国会 文教委員会文教行政の諸施策に関する小委員会 第4号
昭和五十二年五月二十五日(水曜日)
    午前十時七分開議
 出席小委員
   小委員長 登坂重次郎君
      久保田円次君    玉生 孝久君
      塚原 俊平君    水平 豊彦君
      木島喜兵衞君    水田  稔君
      有島 重武君    池田 克也君
      曽祢  益君    山原健二郎君
      西岡 武夫君
 小委員外の出席者
        文教委員長   藤尾 正行君
        文 教 委 員 小島 静馬君
        参  考  人
        (青少年育成国
        民会議環境部会
        長)      笠原 亨二君
        参  考  人
        (神戸大学教育
        学部教授)   津留  宏君
        参  考  人
        (一橋大学法学
        部助教授)   堀部 政男君
        文教委員会調査
        室長      大中臣信令君
    ―――――――――――――
五月二十五日
 小委員山原健二郎君同月二十日委員辞任につ
 き、その補欠として山原健二郎君が委員長の指
 名で小委員に選任された。
同日
 小委員伏屋修治君及び中野寛成君同日小委員辞
 任につき、その補欠として池田克也君及び曽祢
 益君が委員長の指名で小委員に選任された。
同日
 小委員池田克也君及び曽祢益君同日小委員辞任
 につき、その補欠として伏屋修治君及び中野寛
 成君が委員長の指名で小委員に選任された。
    ―――――――――――――
本日の会議に付した案件
 文教行政の諸施策に関する件(不良雑誌等の社
 会教育上、青少年に及ぼす悪影響に関する問
 題)
     ――――◇―――――
#2
○登坂小委員長 これより文教行政の諸施策に関する小委員会を開会いたします。
 文教行政の諸施策に関する件について調査を進めます。
 本日は、本件について参考人として青少年育成国民会議環境部会長笠原亨二君、神戸大学教育学部教授津留宏君及び一橋大学法学部助教授堀部政男君の三名の方々に御出席を願っております。
 参考人各位には、御多用中のところ本小委員会に御出席いただきまして、まことにありがとうございます。
 本小委員会は、文教行政の諸施策に関する件について調査いたしておりますが、本日は、不良雑誌等の社会教育上、青少年に及ぼす悪影響に関する問題につきまして、参考人各位のそれぞれのお立場から忌憚のない御意見をお述べいただき、調査の参考にいたしたいと存じます。どうぞよろしくお願い申し上げます。
 これより参考人の各位から御意見を承りたいと存じますが、議事の順序といたしまして、初めに参考人各位から御意見をそれぞれお述べいただきまして、その後小委員各位の御質疑に対しお答えをいただきたいと存じます。
 なお、参考人に申し上げますが、発言の際は小委員長の許可を得て御発言をお願い申し上げます。
 また、念のため申し上げますが、参考人は小委員に対しまして質疑はできないことになっておりますので御了承をお願いいたします。
 御意見は笠原亨二君、津留宏君、堀部政男君の順序でお願いいたしたいと存じます。
 まず、笠原亨二参考人にお願い申し上げます。
 御発言時間は約二十分ぐらいずつにお願いできればありがたいと思います。
 それでは順次お願いいたします。
#3
○笠原参考人 最初に、御指名によりまして私から意見を申し上げたいと思います。
 雑誌自動販売機の問題というのは前々から私どもの間で問題になっていたのでございますが、昨年になりましてこれが急に問題化してきたわけでございます。それはどうしてかと申しますと、こういう業者の中のある社が、雑誌自動販売機を使ってポルノ雑誌の販売をすると大変もうかりますよというキャンペーンをやったからでございます。これは主婦、OL、そういう人たちにとっても大変魅力のあるサイドビジネスである、そういうキャンペーンをやりました。そういったムードが急にわあっと東京付近を中心にして広がり始めました。それでこれは大変だということで雑誌自動販売機の問題が急に表面化したわけでございます。雑誌一般につきましてこれのポルノ化その他俗悪化というふうな点につきましてはもう数年前からわれわれは非常に真剣に取り組んできておったのでございますが、大体俗悪な雑誌というものはできれば売らないでほしい、もし売る場合には少年、子供たちの容易に見たり読んだり買ったりできないような方法でやってもらいたい。たとえば店に置くような場合にはだれでも立ち読みできるようなところに置かずに、必ず奥の方で店番をしている方がいる付近に置いて、子供たちが勝手に見たりあるいは買おうと思っても買いにくいようにしてほしい、こういう働きかけをしまして本屋さんとの関係では大体そういうふうにお互いの申し合わせのようなものができておったわけでございます。そこにいきなり従来の本屋さんではない方たちが飛び出してきて、そうしてこれをやればもうかるぞということで始めたものでございますから、子供たちに対する安全装置のようなものが全然ない、そういうことになってきたわけでございます。これが青少年育成国民会議で雑誌自動販売機問題にまず真剣になって取り組もうというふうになった動機でございます。
 次に、青少年育成国民会議ではこういった雑誌自動販売機に限らず雑誌一般、出版物一般につきましてどういうふうな取り組み方をやってきたかということを申し上げますと、いろいろ分け方はあるのですけれども、まず二つに分けてみますと、一つは中央での活動である、一つは地方での活動である。地方での活動というのをもっと細かく申しますと住民運動、地域運動、こういうものになるかと思うのでございます。青少年育成国民会議というのは全国組織でございまして、地域活動そのものは自分がやるわけにはまいりません。そこで青少年育成国民会議では地域活動をやるということは各自分たちの参加団体に対してはお願いはいたしますけれども、国民会議自身としてやるという仕事は中央で業界の組織と話し合うという行き方をしたわけでございます。出版業界には出版業界自身の全国組織がございますし、全国組織でお持ちになっている自主規制機関というものがございます。そういうふうなところと毎年懇談会をやりますし、あるいは日常的に電話その他で連絡をし、あるいはじかにお会いして話し合いをするなどして中央で活動をいたしました。地方ではそういう活動ができない。地方ではそういう活動が非常に中央に要望されるわけでございます。そこで手分けをしてわれわれは中央で出版業界の中央組織と話し合いをする。それから地方は地方で末端の地域活動をする、住民活動をする、そういうふうな分業の形になってきておったわけでございます。
 ところで雑誌自動販売機の場合にどういう問題が、そこで従来からのやり方について起こったかということを申し上げますと、雑誌自動販売機というものの問題が急に起こりました時点でこれは青少年対策本部、私ども平生非常に密接に連絡をしておりまして、またいろいろ御指導もいただいておりますが、ここでもなかなかわからない。それから警察でもなかなかわからない。業界自身でもお互いわかっていないというふうな状況であったと思うのでございます。
 それで雑誌自動販売機の問題にどういうふうに取り組むかということを考えていきますと、最初に私どもがやったことは実態の掌握ということであったわけでございます。各県でいろいろお調べになっておりまして、その業者のリストというふうなものを集めましていろいろ総合してどういう流れになっておるのか、どういう分布になっておるのかということを一生懸命調べたわけでございます。
 それからそれぞれ各県には青少年育成国民会議の傘下に青少年育成都道府県民会議というものがございますが、そういった県民会議の段階でそういう調査をしてくださる、そういうふうなものをだんだん総合してまた判断をしていく、そういうふうにいたしまして実態掌握ということを考えました。
 それでその実態掌握の中には一体どういう業者が何台置いておるか、どういう場所に置いておるか、中身はどういうものであるか、子供との関係、あるいは学校の周辺にないか、通学路にないか、そういうふうなことなどでございます。そういうことをやっておりますうちに各地で盛んにこれでは困るというので反対運動が起きまして、業界の方でもこれでは大変だ商売できなくなるということで雑誌自動販売業者が自主規制組織をつくろう、こういう機運ができまして昨年十一月に全国雑誌自動販売協議会という組織ができたわけでございます。この組織ができまして私どもすぐ連絡をいたしまして、協議会の方から私どもに対して積極的に報告をいたします。御連絡申し上げます。いろいろ御指導をお願いしますというふうに御連絡をいただきまして、私ども電話をしたり話し合ったりしていろいろと自主規制のお願いをしてきたわけでございます。
 この全国雑誌自動販売協議会というのは、雑誌の自動販売機をつくっておりますメーカー、これは非常に大手が多うございます。それから雑誌自動販売機に入れる雑誌をつくっている出版社、それと今度は雑誌自動販売機をあっちこっちに配置してそれで商売をしている人とございまして、一番新しいごく最近のデータで六十六社が参加しているというふうに報告を受けておるわけでございます。発足当初はもっと少なかったのですけれども一番新しいデータで六十六社だということでございますが、この中には非常に零細な二、三台しか持っていないというものも入っているそうでございまして、大体五、六十社だというふうに考えておけばいいのではないかというふうに思うわけでございます。
 私どもの従来からやっております運動の方式でございますと、こういうふうにできました自動販売機の自主規制機関と話し合って規制をしてもらうようにすればいいのでございますが、この自主規制機関がどの程度の能力、力量があるかということの測定でございますけれども、一番新しいきのう現在ぐらいのデータで一社でもその県に存在をするという県の数を数えてみましたら、十四県でございます。したがいましてこの自主規制機関の会員である会社が一社もないという県が現実において三十三県ある、そういうことになります。しかし一方から申しますと、東京の業者が入っておって東京に籍がありますけれどもこの業者の販売網は全国的に広がっている、こういう問題も当然に考えられるわけでございますので、業界の方では、この全国雑誌自動販売協議会の方では全国の業者の九〇%ぐらいは私どもが掌握いたしております。こういうことを申しておるわけでございます。しかしこの協議会自身も細かい点になりますとまだわからないというふうなことを申しておりまして、実態掌握をしてもらうように私どもも頼んでおりまして、だんだんデータをそろえておるそうでございますので、近いうちに相当詳しいデータが向こうでもできるだろうと思うわけでございます。したがいまして全国雑誌自動販売協議会というこの雑誌自動販売業者の関係の自主規制機関というものはともかくある。しかし全国に対してどの程度の掌握力があるかということはきわめて疑問である。しかしそういう機関ができているのであるから、できるだけこういう機関が積極的に活動してくれるように私どもは働きかける、そういうふうに考えて連絡をしておる状況でございます。
 次に、業界の自主規制機関ということを申し上げましたので、業界の自主規制機関というものは一体どういうふうに判断をし、評価することができるだろうかという点についての、私の考え方を申し上げたいと思います。
 私どもは、出版物全般について自主規制を促進していただきたいということで、もう十数年にわたって運動をやっております。それから、雑誌自動販売機業者は別でございますけれども、大手の出版社の入っております書籍出版協会、それから大手の雑誌者の入っております日本雑誌協会、そういう書物や雑誌を書店に配給をいたしております取次協会、全国で本の小売をいたしております書店、そういうところは全部青少年育成国民会議の団体会員でございまして、これらが一緒になってつくっております出版倫理協議会という自主規制機関がございますが、これは、青少年育成国民会議の議長が理事になっていただいております。そういうことでございますので、組織的には、大手の出版に関する限りは青少年育成国民会議、青少年育成国民運動にぴったり入っておる、こういうことになっております。しかし、われわれがいままで十数年にわたって運動をしてきた経験から、結果の方から結論をつけますと、出版業界が本当に青少年の健全育成ということを考えて自主規制をしているとあなたは信ずるかと言われれば、私は信ずることはできないわけでございます。私の経験から帰納いたしますと、出版業界の自主規制というものは、取り締まりを受けては困る、世論の激しい批判を受けては困る、それがない範囲内において規制が行われる。ですから、基本的には出版は自由である、だけど外部から激しい批判を受けては困る、批判を受けないようにしよう、取り締まりを受けては困る、取り締まりを受けないようにしよう、そういう程度の自主規制は行われるけれども、しかし、もっと積極的に前向きな自主規制までにはなかなかいかない。それは、自主規制に当たっている人たちの誠意を私は疑うわけではなくて、そういう方が非常に多くいらっしゃって、一生懸命やってくださることはわかるのですけれども、非常に大ぜいの方の集まっている組織で、この組織度によっては高度の自主規制を行うことは非常にむずかしいのだという意味で申し上げておるわけでございます。したがいまして、私は、業界の自主規制をたてまえとするけれども、業界の自主規制が的確に行われるためには外部からの強い働きかけがなければだめである。あるいは法規制が行われるかもしれない、こういう機運がありますと、業界の自主規制は非常に促進されます。しかし、法規制は行われない、外部は全く業界の自主規制に依存しているというふうな状態になったら、自主規制は非常にたるむものである、こういうふうに私は判断をしておるわけでございます。
 次に地域活動の問題を、先ほど私も申し上げましたし、新聞を拝見いたしますと従前の会議に地域活動ということが出ておったように思いますので、地域活動ということについて意見を申し上げたいと思います。
 この青少年育成会議自体は、地域活動ということは末端の方にお願いはするけれども、自分は中央活動の方を中心にやっているということを申し上げました。雑誌自動販売機の問題につきましては、私どもは、これは地域活動をやるべきであるということを盛んに申しておるわけでございます。広報活動をいろいろやっておるわけでございます。それは、業者が東京におって機械が某県にあったにせよ、この自動販売機のソケットを突っ込む電源を使うところが必ずある。それは地域である。だから、地域のコミュニティーの活動によってこれは阻止できるのだ、という考え方であります。しかし、この地域活動ということについて、私どもはそういうふうに申すのですけれども、私はそれは正しいと思うのだけれども、受ける側から見たらどういうふうに感ずるかと申しますと、必ずしもそうだそうだというふうには感じないわけでございます。それは、地方にいて、地域活動をやったらいいと言われている地域の人々から見ますと、中央は自分は何もせずに、弱いわれわれに仕事を押しつけているではないかと、こういうふうな感覚でとらえられがちでございます。地域活動での問題点として私どもが感じておりますことは、まず第一に、このコミュニティーというのは、これは万事すべてについてそうでございますけれども、非常に密着度が悪くなっている。ばらばらになってきている。隣のことについては積極的に自分は干渉しない、隣からは干渉されたくないというふうにだんだんなっておるのが現在の地域の状況でございます。そういうことで、地域活動と言われても、地域でそういう活動をできるような体制になかなかならないという点が一つあります。それから、これは従来からの純風美俗のようなもので、人様に対してそういういやなことを申し入れるということは慎むべきであると、そういう非常な道徳的な考え方があります。非常にまずいと思うのだけれどもそういうことを言うのは非常に悪いことだということで、こっちの方でがまんしてしまうというふうなことがございます。それから、自動販売機が置いてあるその場所の人が問題意識を持つということのほかに、その場所を通る子供を持った違う場所の人が問題意識を持つ場合が非常に多いわけでございます。したがいまして、その自動販売機がある地域と自動販売機に対してこれは困るという地域とが必ずしも同じでない場合がございます。そういう点が問題点だろうと思うのであります。各地域、各団体からのいろいろな報告を見ておりますと、どういう場合に地域活動で成果を上げたかと考えてみますと、県の青少年対策部門、市の青少年対策部門あるいは警察、そういった公の機関、それから少年センター、これも公の機関でございますが、それから青少年育成県民会議、市民会議、それから地方青少協というのがございます。それから婦人会、母の会とか、いろいろな婦人団体がございますが、それから防犯協会、PTA、ある場合にはいきなり町内会、そういう何らかの強い組織、強い運動体が中核になって地域住民の意識を盛り上げていったような場合にはそういう成果が上がっておると、こういうふうに考えるわけでございます。そういうわけでございまして、地域活動地域活動といいましても、そういうふうな問題点を持っておるということを申し上げたいわけでございます。
 大体持ち時間が参ったと思いますので、以上で私の総括的に申し上げたい点を終わらしていただきたいと思います。
#4
○登坂委員長 それでは、次に津留参考人にお願いいたします。
#5
○津留参考人 私は、教育心理学をやっておりまして、その立場から性教育に若干の関心を持っておりますので、やや原理的な話になるかもしれませんが、現在問題になっておりますことについての意見を申し上げてみたいと思います。四点申し上げてみたいと思います。
 まず、性というものは、人間の基本的欲求であるけれども、食欲などと違って、常に他人を必要とする対人関係を予想しないと成立しない行為なのできわめて社会的な行動である。したがって、この行動のいかんは、社会の安寧、平和にかかわるところがきわめて大きい、こういう認識をまずすべきであると思います。
 ところで、ポルノ雑誌では性というものの取り扱い、どういう態度で性を取り扱っているかと申しますと、まず第一が、主として男性側の性的興味に応ずる内容、つまり女性の体の肉体的魅力というものを極度に示そうとする方向でございます。女性を男性の性欲の対象としか見ていない。芸術性に乏しい。女体の美しさを芸術的に表現するというようなものも若干はございますが、大部分は全く女性の肉体的魅力をただ性的欲望を喚起するような姿勢において極度にまで示しているという扱い方だと思います。したがって、女性に対する正しい認識を誤らしめるものだと思います。女性一般というもの、人間としての女性というものに対する認識を、こういう雑誌ばかりを見ておれば、当然女性軽視につながっていきますし、これは大変いけない女性に対する認識になっていくのではないかと思います。
 それから第三番目に、性というものはいわば異性に対する人格的な魅力も含むものであってこそ初めて人間らしい性になると思われるのですが、特に青少年期は異性に対するむしろ憧憬的な見方をする時期にもかかわらず、ポルノ雑誌における性の取り扱いは、たびたび申し上げますように肉体的欲望を刺激する、性というのは要するに肉体的な欲望なのだ、人間の裏面の中で満たされている肉体的欲望なのだというような理解のさせ方をいたしまして、特にSM雑誌というのですか、非常に残酷、攻撃的な場面のみを扱っている場合は反人間的であるし、人間男女間の協力性を否定するものだと思います。
 以上が、ポルノ雑誌における性の取り扱いに対する私の見解です。
 第二は、こうしたものから青少年はどんな影響を受けるであろうかということでございます。
 結論的に申し上げますと、青少年、特に児童というのはまだ生理的な性的成熟はしておりませんけれども、人間の性的欲望は心理的な刺激によって非常に喚発されるものであります。
 そこで、生理的な裏づけのない、唯物的な、知的な好奇心というようなものを児童の場合は性に対して持ちやすい、つまり人間というものを総合的に理解するというか、見る目がまだ成熟していない。情操とかヒューマニズム、ヒューマニティーというようなものが未成熟な段階にある者が性知識を得ますと、それは非常に非人格的な動物的欲求として見るおそれがあります。性を通して人間を理解させると申しますけれども、そうではなくて、性というものをむしろ人間のある一つの暗い面といいましょうか、動物的な面として人格から切り離して、異性に対して尊敬も憧憬も何もない、要するに生理的欲望として性行動を理解しやすい時期だと思います。こういうポルノ雑誌的な性的知識を得ました場合は。
 そこで、性教育にかかわることでございますが、性教育というものは結局現在のところ、一夫一婦制というものが人間の合法的な、また、人間らしい性的満足の仕方であり、同時に男女協力の方法であり、家庭の営み方であるということが、文明国一般で是認されて実行されておるわけでございます。わが国ももちろんそうでございますが、そういう状況の中で性教育を行う場合に、要するに、幸福な一夫一婦制の結婚生活、夫婦生活というものを生涯にわたって完成させるような人格をつくっていくことだと思います。そういう人間をつくっていくことだと思います。決して性生理などを教えて性教育などとは言えない。それはほんの一部であって、むしろ一番大事な点は人間教育としての性教育だと思います。
 たとえば一夫一婦制というものを生涯にわたってうまく完成していくためには、もちろん性的な健康さも必要でございます。そのための若干の性生理知識も必要でありますけれども、もっと大事なことは、互いに結合を完遂しようとする思いやりであるとか、誠実さであるとか、協調性であるとか、建設的な態度とか責任感、そういうようなものがぜひ必要であります。こういうものをしっかりと同時に教えないで性生理だけを教えた場合には、先ほど申し上げましたように、むしろ非常に逆効果を来して悪い結果になると思いますが、ポルノ雑誌におきましては全くそれが見られない、そういう人格的な要素はほとんど見られない。ただ、性欲をもっぱら強調する余り、むしろ反人間的、反道徳的な態度を養うというか、刺激する結果になっているのではないかと思います。
 第三番目に、これは私の専門ではございませんが、自動販売機というものは本来省力化のために発明されたものではないかと私は思います。人間の労力を省くというか、そういう意味で労働力の高価な国々では、特にアメリカや日本ではこの自動販売機が世界で最も普及した国だそうでございますが、本来そういう省力化のために活用さるべき自動販売機が、人と向かい合って売ったり買ったりはしにくい、これを私は対面売買と呼んでおりますが、対面売買しにくいような売買に悪用されているというのが現状ではないかと思います。その自動販売機の一部が、たとえばポルノ雑誌あるいは酒、たばこ、衛生器具とか、そういうようなちょっと買いにくい、売りにくい――売りにくいということよりも買いにくい方が多いと思いますが、そういう売買のしにくいものに、ただ機械に向かってお金をほうり込めば自然に出てくるということの自動販売機の性格を利用している国ではないか、そういう状況ではないかと思います。
 最後に第四点としまして、本日ここに意見を申し上げる機会を得ましたので、若干関連雑誌等を見てまいりましたところ、大部分がポルノ雑誌は有害であり、これを自動販売機で売ることは規制すべきであるという意見が多いのですが、そうでない意見も若干見られましたので、それに対する意見を私ちょっと申し上げて終わりたいと思います。
 一つは、ポルノ雑誌から青少年が悪影響を受けていると言うけれども、客観的な実証的データがあるのか、ないではないかという反論がございます。確かに、私どもの学会といいますか教育心理学会でも、そういうはっきりこれがポルノ雑誌の影響であるという研究は私の知る限りではございません。ポルノ的な映画を見て生理的な変化、たとえば呼吸とか脈拍数とか、そういうものが増大したというようなことを測定した調査が大分前に東京のある大学で行われたということを聞いておる程度でございます。本来青少年に限らず人間の性行動というものを規定する因子は非常に多様でございますので、その多様な因子の中からポルノの影響だけを抽出して、これがポルノの影響だということを示すことは調査上困難であるということであります。それから警察などでは性非行を行った青少年の動機を調べた中に、ポルノ雑誌を見て興味を感じたとか興奮したとかということがうたわれておりますが、それはその程度の調査でございまして、学問的にはおっしゃるとおりこれがポルノの青少年に与えた影響であるということをはっきり出した調査はないと私は思いますが、ポルノというものに対するわれわれのごく直接的な印象、ポルノというものを見たときの印象は、わざわざ調査をするまでもなくきわめて常識的というか一般的な性的興奮をもっぱらねらいとした場面であるということは言えると思います。したがって、そういうものを子供に見せてどう思いますかというような問いを出して調査をするというようなことはいたしておりません。いたすまでもないことではないかと考えております。
 それから第二の反論は、ポルノその他から青少年が悪影響を受けたとしても、それは人間の社会の中で非教育的なものがあることは避けられないことなのだから、それに対する抵抗力を増すような青少年を育てることこそ教育ではないか、自分の教育の無力をむしろ周囲の状況を規制することで避けようとしているのではないかという反論がございます。
 現在の青少年を取り巻くいろいろな環境のうちで思わしくないものはたくさんございますが、そうした中で、あらゆる青少年、年齢も若い、知能その他もさまざまなそういう青少年を、家庭教育あるいは学校教育によってそれで食いとめるというか、それに対する抵抗力をつけるということは一般的に期待できないし、期待する方が無理ではないかと思います。むしろ教育というものは直接的に教えて抵抗力をつけるというよりも、悪い環境に置きながらそれに染まらないような子供をつくるというよりも、悪い環境そのものを除去して何も教えない、何も教えないけれども子供は悪くならない、自然にその環境の中に順応していくうちによい人格、人間ができ上がっていくというような環境をつくってやる方が一番理想的な教育なのであって、そういう方面を放棄して言葉であるいは学校、ある教育という一つの場面だけで教えてそれに抵抗させるというような教育は、特に年少者に対しては望ましいことではないと思います。
 それから第三番目が、よく言われることですが、性の解放というのは戦後の一つの特徴なのであって、これを統制するということはさらに思想統制に発展する口火になるのではないか。やはり憲法で保障された表現の自由、営業の自由というようなものは基本的に尊重されなければいけないという議論でございます。
 これはむずかしい法律論でございますから、法律の先生方に論じていただきたいのですが、私の全く素人としての感想ですが、確かに私は自由というものは思想に関する限り保障されなければ自由主義国家とは言えないと思います。自分の思想というものがあるならその思想というものをいつでも表現できるという自由は尊重すべきだと思いますが、ポルノには思想と言えるほどのものがあるのだろうかということでございます。確かに人間の中における性欲というものを強調しているという意味で人間観の一面を示しているかもしれませんが、それは思想と言えるほどのものではない。われわれの表現というものは明らかに他人の世界に影響を与えるものでございますから、その表現が他人に著しい悪影響、社会に悪い影響を与えるような表現までが社会的に是認される、あるいは自由の名のもとに守られるということは、私にとっては理解しにくい点であって、そういう思想統制というような大仰なものではなく、もっと日常的、常識的な環境浄化の一つの問題と割り切って見てもいいのではないかと考えております。
 以上で私の参考意見を申し述べました。
#6
○登坂小委員長 どうもありがとうございました。
 次に堀部参考人にお願い申し上げます。
#7
○堀部参考人 私は法律学の観点から雑誌自動販売機規制問題につきまして意見を申し上げたいと思います。
 いま津留参考人の方から青少年に対する出版物、特にポルノ雑誌の影響につきましてさまざまな意見が述べられたわけでありますが、そこでも御指摘のように、今日までのところポルノ出版物と青少年の非行との間には科学的な証明はなされていないようであります。しかし、出版物を出すということは何らかの形で読む人に影響を与えるということでありますので、そこには何らかの影響があるということは申すまでもないところだろうと思います。
 今日この低俗出版物あるいはポルノ雑誌と言われているものを何とか撤去しよう、あるいは規制しようという動きは、そういう観点からのものであるというふうに言えると思います。そういう動きの中には、笠原参考人から出ましたような全国的な組織による運動ですとか、あるいは地域住民による撤去追放運動もございますが、それ以外に今日特に大きな問題になりつつありますのが法的手段による規制だろうと思われます。
 法的手段による規制は、具体的には新しい条例の制定または現行条例の改正でありますが、さらには、条例を定めた県が後ほど申し上げますようにかなりふえておりますので、そろそろ中央立法も必要ではないかという声が出てきているわけでございます。こういう条例による出版物規制はいま申し上げましたように今度のポルノ自動販売機の規制に始まったことではないことは改めて申すまでもないところでございます。昭和二十七年に施行されました和歌山県の青少年保護条例を初めとしまして、西暦で申しますと一九五〇年代には十の道府県で施行されましたし、それから六〇年代には二十一の都県で施行されまして、七二年には沖縄県で条例が施行されたわけでございます。これらにはいずれも、自動販売機というようなものがまだ出てきておりませんでしたので、そういうものを予測した規定はないわけでありまして、これらの条例は言ってみれば旧式といいますか旧来型の条例であるというふうに言えると思います。これで合計で三十三の都道府県で制定されたわけでございます。その後この問題につきましては、法学界でもいろいろ議論になりましたが、特に従来の条例につきまして議論が盛んになりましたのが、昭和三十九年に施行されました東京都の青少年育成条例のときでありまして、その際にはマスコミ界でも、法学界でも活発な議論が展開されたわけでございます。
 今度問題になっております雑誌自動販売機につきましては、このところ新しい条例の動きがありまして、最近のデータまですべてつかんでおりませんが、昨年栃木県と奈良県で雑誌自動販売機の規制を盛り込んだ条例が制定されております。栃木県の条例は本年の一月一日に施行されましたし、奈良県の条例は四月一日に施行されまして、たしか富山県でも四月一日から施行されたと聞いております。また、新たに幾つかの県で条例の制定の動きや、あるいは現行条例の改正が予定されているわけでありまして、これまで、富山まで含めますと、三十六都道府県におきまして条例ができたということになるわけであります。
 こういう中で、特に先ほど申し上げました昭和三十九年の東京都の青少年育成条例のときと違いまして、今回は、マスコミ界それから法学界におきましては特徴的なことがあるのではないかと思います。それはまず第一に、マスコミ界でも今度の条例につきましてほとんど反対をしていないということであります。それは第一の特徴だろうと思われます。それから第二に、法学界におきましてもほとんど議論がなされていないというのが今回の特徴ではないかと思います。マスコミ界におきましては、反対しないばかりではなくて、むしろ雑誌自動販売機の規制に賛成するものすら出ているような状況であろうと思います。このことはいろいろなことを意味すると思いますが、それは今度の雑誌自動販売機といいますのが、これまでのお二方の参考人の意見にもございましたように、さまざまな問題を持っているからであろうと思われます。私も、青少年に悪影響を与え、かつ非行に走らせるような低俗出版物の自動販売機を野放しにしておいてよいというふうには考えていないわけでございます。しかし、たとえ悪影響があるとはいいましても、法律学の観点からは、安易な規制には多くの問題があるというふうに考えるわけでございます。
 そこで、その点につきまして、以下四点にわたって意見を申し上げたいと思います。
 まず第一に、最近批判を浴びております雑誌自動販売機の中身でありますいわゆるポルノ雑誌といえども、これは表現行為の一種であることには変わりないわけでございます。こういうポルノ雑誌が表現の自由の範囲内に入るかどうかということは、これまでにもいろいろな機会に議論されてきたわけでございまして、表現の自由につきまして非常に寛大な国であるアメリカでも、この問題につきましては、一九五七年の時点では、わいせつ出版物、ポルノとわいせつというのは厳密に言えば異なりますけれども、そういうわいせつ出版物は表現の自由の範囲内には入らないという判決が出ております。しかし、六〇年代になりましてからは、この判決に対する反省も出てまいりまして、わいせつ出版物といえども表現の自由の範囲内に入るという考え方に変わってきております。
 わが国におきましても同様な傾向が見られるわけでございまして、「チャタレイ夫人の恋人」の事件の際には、公共の福祉の観点からこれを制約する意見が出たわけでございますけれども、その後の、一九六九年だったと思いますけれども、「悪徳の栄え」事件におきましては、多数意見はチャタレイ事件の意見を踏襲したわけでございますけれども、これに対して少数意見が出ております。十五人の裁判官のうち五人の裁判官が少数意見に回ったわけでして、そのうちたとえば横田正俊裁判官、これには大隅裁判官が同調しておりますが、その意見をちょっと引用させていただきますと、表現の自由の保障が重要であるということを次のように強調しております。「言論、出版その他一切の表現の自由は憲法二十一条の保障するところであり、性的文書の頒布行為等といえども右保障の例外ではなく、しかも、この表現の自由は憲法の保障する自由のうちでもきわめて重要な地位を占めるものであることにかんがみれば、性的文書についても、表現の自由を必要以上に制限することがないよう十分な配慮がなされなければならない」というふうに言っております。
 また、色川裁判官の場合には、「知る自由」という言葉を使いまして、この知る自由という観点から、性的表現の文書につきましても保障を受けるべきである。しかもここでは、いろいろ議論があるところだろうと思われますが、娯楽的価値をも認めまして、あるいはそこには思想がどの程度含まれておるかどうかという議論はもちろん問題になると思いますが、そういう性的な文書あるいはわいせつ文書であっても、それを見る方には何らかの価値があるのであって、そこにはそういう娯楽的価値をも認めるべきであるということを言っております。このように、最高裁の判決の中の少数意見ではございますが、そこでも表現の自由、特にこういうポルノ雑誌的なもの、あるいはわいせつ文書的なものの表現の自由も憲法二十一条に保障されているということを言っているわけでございまして、法学界ではほぼ通説であると言ってもいいのではないかと思われます。しかし、最近の傾向は、こういう表現の自由がこれまで裁判所や学界におきまして主張されてきて保障されているものを、言ってみれば乱用しているというふうに言えるかとも思われます。別の表現を用いれば、表現の自由に名をかりた自由の乱用であるとも言えると思います。しかし、自由というものは、一般的に申し上げまして、本来的にその乱用が伴いがちでありまして、ある程度そういう乱用も認めませんと、自由は危険になるのではないかというふうに思われます。これはあくまでも表現をする側の自由、表現者といいますか、あるいは情報の送り手の側の自由でございます。
 それから第二に、今度はそういう情報の送り手に対しまして、それを受ける側の自由、あるいは権利ということになりますが、ポルノ雑誌と言われるものでも読者がいる、あるいはそういうものを買う人がいるからこそ出されるわけでありまして、それが青少年であるかあるいは大人であるかという問題が出てまいりますけれども、読者の側にはそういうものでも読む権利があるわけでございます。青少年に対して悪影響があるということで、大人も読めないような状態に置くことは、大人の読む権利、知る権利を奪うことになるわけでございまして、この点では、アメリカにおきましても、そういう形で大人も読めなくなるような状態に置くことにつきましては、違憲の判断をしている判例がございます。日本の憲法学説の多くにおきましても、こういう読む権利あるいは知る権利という観点から、責少年に悪影響があるということで規制を加えることによって、大人の読む権利、知る権利を奪うことに対しましては批判がございます。これは受ける側の問題でございます。
 それから第三に、現代社会におきましては表現者、別の表現で言えば送り手とそれから読者、別の言い方をすれば、受け手の間を結ぶ何らかのものがなければ情報の伝達は行われないわけでございます。伝達手段、これは熟さない言葉ですが受達手段と申しますか、それを受ける手段、これはテレビなどを見れば明らかなわけですが、放送局が幾らありましてもテレビの受像機がなければそれを見ることができないわけでありまして、こういう送り手と受け手の間を結ぶ手段というものが大変重要な意味を持ってきております。自動販売機といいますのは、私は、そのような伝達、受達手段として新たに工夫されたものであるというふうにとらえることができると思われます。この自動販売機によれば、休日でも夜間でも、売る方からすれば売ることができますし、買う方からすれば購入できるわけでして、きわめて便利な機械であるというふうに言えると思います。従来の法律学では表現の自由、読む権利の手段について実質的に議論することはほとんどなかったわけでございますが、現代的言論の自由を論ずる際には、こういう伝達手段につきましても議論をすることが不可欠な段階に来ていると思われます。こういう便利な機械がいわゆるポルノ雑誌によっていち早く占拠されてしまったということは大変不幸なことでありまして、私もそれに対しましては批判を持っております。しかし、こういう手段そのものを果たして規制できるかどうかということが、今後、憲法問題として議論になってくるところではないかと思います。いま申し上げましたように、ともかくポルノ雑誌によっていち早く占拠されましたために問題が起こっておりますが、これが、たとえば良書と言われている本、社会環境をむしろよくするようなそういう本が自動販売機で売られるといたしますと、これに反対する者はほとんどないということになるだろうと思われます。このように自動販売機そのものを規制してもいいのではないかという意見も最近では出てきておりますが、それにつきましてはさまざまな法的な問題点があるのではないかと思います。いまちょっと詳しく申し上げる時間はございませんので、そういう問題があるということだけ指摘しておきたいと思います。
 それから第四に、こういう規制を公権力が行うことは直接的に憲法問題を発生させるのではないかと思います。したがいまして、法律の制定はもとよりのこと、条例の制定、改正に当たりましてもこの点は慎重にしなければならないところだろうと思います。特に不明確な基準によりまして出版物を規制することは、憲法上疑義を生ずるのではないかと思われます。
 先ほど最初の方で申し上げました自動販売機の規制を盛り込んだ条例としまして、栃木県と奈良県のものを手元に持っているわけでございますけれども、この二つの条例は非常に対照的なように思われます。その点につきまして若干申し上げた方が問題を考える際に具体的になるのではないかと思います。
 栃木県の条例の場合には、ここでは第九条で「営業者の自主規制」をうたっております。条文を読んでおりますと時間がなくなりますので省かせていただきますが、ともかく自主的方法を講ずることによって青少年の健全な育成を阻害することのないように努めなければならないということで、これに違反した場合に罰則を加えるというようなことはないわけでございます。
 これに対しまして、奈良県の方の条例は、私は、幾つかの点で憲法上、疑問があるのではないかというふうに思っております。
 まず第一に、奈良県の条例は、どういうものが有害であるかということを定義する際に、十八条第一項第一号におきまして、「性的感情を刺激し、青少年の健全な育成を阻害するおそれのあるもの」というふうに言っております。第二号で「青少年の粗暴性若しくは残虐性を助長し、又は青少年の犯罪を誘発し、その健全な育成を阻害するおそれのあるもの」というふうに言っております。これだけ読みますともっとものような感じもいたしますが、問題になりますのが、ほかの条例と比べてみましても、この定義はかなり不明確な点があるのではないかと思われます。
 と申しますのは、たとえば東京都の条例などでは、この「性的感情を刺激し」というところに「著しく」というような限定がついております。あるいは「はなはだしく」粗暴性を助長するというような表現がございます。粗暴性の問題は東京都にはございませんが、ほかのところにはございますけれども、そこでも「はなはだしく」というような形で、かなり限定をしているわけでございます。もちろん「著しく」と「はなはだしく」というのは一体どうなのかというような議論はあるかとも思われますが、とにかく法形式上見ますと、奈良県のはその点がございませんので、かなり不明確であると言えると思われます。
 それから第二に、奈良県の条例におきましては、第二十四条で、知事が自動販売機による販売の制限をすることができるわけでありますけれども、それを受けまして三十四条で、そういう指定をする際に「審議会の意見を聞かなければならない。」というふうになっているのに対しまして、ただし書きで、「ただし、急を要するときは、この限りでない。」ということで、知事が審議会の意見を聞かなくともいいようになっております。通常、緊急指定制度というふうに言われておりますが、これはほかの県でもありますので、これだけでは特に問題が、あるいはないのかもしれませんですけれども、これが自動販売機の規制と一緒になってきますと、しかもその自動販売機の規制との関係で、知事は、これは二十四条ですが、「その他必要な措置を命ずることができる。」ということで、非常に大きな権限を持てるようになっております。特に、この「その他必要な措置を命ずることができる。」という表現になりますとかなり不明確でありまして、一体どういう内容のものなのか限定されておりませんですから、こういう不明確な基準によって出版物、それからそれの販売手段を規制することには、憲法上、問題が出てくるのではないかと思います。アメリカの理論で申しますと、ボイド・フォー・べーグネス・ドークトリンというのがございますが、不明確性を理由とする無効の理論というのがございます。それで、奈良県の条例につきましては、そのような問題点があるのではないかというふうに考えております。
 時間が参りましたので、私の参考意見はひとまずこれで終わらせていただきます。
#8
○登坂小委員長 これにて参考人の御意見の開陳は一応終わりました。
    ―――――――――――――
#9
○登坂小委員長 これより質疑に入るのでありますが、会議の進行上、質疑をされる方は小委員長の指名によって御発言をいただきたいと思います。
 それでは皆さん、御質疑がありましたらどうぞ。
#10
○藤尾委員長 私は、堀部参考人や津留参考人に御質問というよりもお考えをいただきたいと思いますのは、私ども立法府でございますから当然法律を制定をするということが一つの大きな使命でございますけれども、必ずしも法律を私どもが制定をするという手段でなくても、その目的を達し得る可能性があるならば、そういう手段をとってその目的を追求することは可能であろうと思います。堀部参考人の場合には法学部の助教授でいらっしゃるわけでございますから当然憲法を厳密に御解釈になられてただいまの御説明があったと思いますけれども、しかしながらそういった判定といいますものはやはり国民を通じて裁判所がおやりになられるわけで、それまでのプロセスで問題を提起するという行為は必ずしも反法律的行為ではない、私はさように考えておるわけであります。したがって立法府といたしましては立法の一つの基礎になる行為を私どもが一石を投ずることによって前進させるということの意義はきわめて大きい。特にこの問題自体はだれが考えても、常識的ではございますけれども、歓迎をするような対象ではないわけでございますから、そういったことに自制を求め、あるいは国民的世論を喚起するということでありますならば、多少法的な疑義がある問題がございましてもそこをあえて突き進んでいくというぐらいの勇気は持ってもいいのではないかというように心得ておるわけでございます。したがいまして、法ということは非常にむずかしいことがございますけれども、広い意味で法の精神ということから考えましたならば、ただいまの堀部先生の御意見といいますものが金科玉条で動かしがたいものでもない、私はさように考えますが、この点は堀部参考人はどのようにお考えでございますか。
#11
○堀部参考人 ただいまの御意見はもっともだと思われます。ですから、立法府が立法する際に問題になりますのが、恐らく立法する利益があるかどうかということが一つだろうと思われますし、もう一つは、立法する際にどういうふうにすれば法律上あるいは憲法上の疑義を生じないでできるかという点だろうと思われます。ほかの領域、たとえば公害規制とか消費者保護というような問題になりますと、これまでも大方認められておりますように、規制することにつきましては世論の反対も余りないところだろうと思われますが、そういう公害規制あるいは消費者保護と同じような意味で表現の自由にかかわるものについて規制できるかという点につきましては、私は疑問を持っているわけでございます。したがいまして、立法によるということが一つの解決方法であることはほかの領域から見ましても私も賛成でございますが、事表現の自由にかかわる問題につきましては、少なくともかなり綿密な検討を経た上で立法いたしませんとさまざまな問題を生ずるのではないか。先生申されますように、最終的には裁判所の判断でそれが憲法に違反するかどうかということが出てくることは申すまでもないことでございます。
#12
○藤尾委員長 今度は一般的な意味で津留参考人に同じ問題でお答えをいただきたいのであります。
 ただいま堀部参考人も御指摘のとおり憲法学的には多少いろいろな意味で問題があるかもしれないということは私は確かにあるだろうと思います。しかしながら教育学的立場からあるいは心理学的立場から、それではこれを完全に野放しにしておいていいかということになりますと、社会の道徳、秩序どいうものを維持していく上で野放しにすることは必ずしも国民的御賛同を得られる道ではない、かように私は考えるわけでございますが、こういったことをずいぶん前から御研究のようでございますからいろいろな立場でお考えいただいておると思いますけれども、地方の三十数県で条例をつくっておる。そういった条例をつくらなければならないような環境がそこにあるということは確かに事実でございますので、こういったことをさらに前進をさせていくところに私は一つの意義があろうと思いますが、この点は津留参考人はどのようにお考えでございますか。
#13
○津留参考人 どうも私は行政的措置というのがどういうものが妥当であるかという点については、弱いというか、自分の専門が専門でございますから余り考えておらない。ただそういうものが青少年に対して明らかに悪い影響を与えている、非常に好ましくない影響を与えているという事実をしっかりつかんで、これを放置していいかどうかは法治国家としてのいろいろな機関で検討していただきたいと思いますが、私の意見を強いて申し上げますならば、ポルノ雑誌を全面的に禁止することは表現の自由という憲法上の問題にかかわってくるのではないか。そうではなくて私として希望したいことは、青少年が直接購入できるという状況は規制してほしいものだと思っております。
#14
○藤尾委員長 ありがとうございました。
#15
○曽祢小委員 参考人には後からそれぞれ私の申し上げることについてお答え願えれば結構だと思うのです。
 いわゆる低俗ポルノ雑誌の自動販売機は各府県でも条例で取り締まりに入っておられます。私はこれは常識的に当然だという考えがあるのですが、ただこの問題を取り上げるときに、果たして低俗雑誌の自動販売機のところだけを考えていいのかどうか。どうもわが国の現状から見ると、視聴覚いろいろな面においてほうっておいては非常に社会的に問題があるようなものが多い。特に最近はこういったような雑誌の低俗化の問題、さらにそれを自動販売機で売るというところまで来ているのですけれども、そのほかに、たとえば最近ぼくもびっくりしたのですがテレホンサービスというのがあります。これはわれわれ政治家も使うこともあるのですけれども、ある電話番号をあらかじめ決めておいて、そこをダイヤルしますと私なら私の声が出てきて政見なんかを発表するのです。それが驚くなかれいわゆるポルノのささやきの返事が来るというのですね。これも新しい視聴覚を通ずる一つの悪い商業主義のあらわれだと思うのです。それからたとえばカーステレオ、これは長距離を運転している運転手さんの楽しみだと思えば、このポルノ雑誌のはんらんほど気にすることはないのかもしれない。それにしても、まるで完全なポルノ描写的なステレオが、表現の自由なのか何か知らないけれども、乱用の形で売られている。こういうこと。
 それからもう一つ、一般大衆がそれに接近する方法から考えるなら、とにかく映画館に行って映画を見るとか、雑誌を買うというのは能動的なのですけれども、もっと受動的に、いやおうなしに茶の間にのさばり出てくるのは何といってもテレビだと私は思うのですね。われわれ親としても、いささかどうもスイッチをオフにしたくなるような――時間帯の問題もありますけれども、子供に絶対に見せたくない、聞かせたくない番組がとにかくスイッチをオンにすれば入ってくるのですから、こんな不届きな話はある意味ではない。そういうことに対しては無論自主規制が主でありましょうけれども、そういう問題もある。
 そういうことを考えてみると、話は非常に対象を広げるようで恐縮ですけれども、いまもアメリカにおけるこういうものの取り締まりについて堀部参考人からもお話がございましたが、そういう面から見ると、視聴覚を通ずる低俗な情報の伝達及び授受のほかに、国の政策から見れば、未成年者にはたばこや酒は飲ませない、あるいはまた、日本で私は少し自由過ぎると思うのは、これは自動販売機ですけれども、お酒をあんなふうに簡単に自動販売機でぼかんぼかん、駅でも売っている、どこでも売っている、酒屋さんに行かなくても買える、こんな国は世界じゅうに余りないのではないか。むしろ買ったり飲んだりする場所とか時間を制限しても、これは表現の自由ではございませんけれども、そういった飲酒なり喫煙に対しても、正常な社会を守るために、あるいは国民の健康を、それには精神的な面を含めて、守るためにもかなりの法律による規制が行われているのが普通です。社会もこれに賛成している。ところが、わが国においてはあんまり便利過ぎて、いついかなる場所においても、停車場においてもビールが飲める、お酒が飲める。私は自分の経験から言って、そういうことを申し上げては恐縮ですけれども、私の選挙区のある大きな製鉄工場の付属病院の内科部長が嘆いていたのですが、欠席というのですか、非常に多くなった。なぜ多くなったか。それから非常に健康をむしばんでいるものの一つとして、要するに工場からうちにお帰りになる前に、工場のそばの自動販売機で一杯飲んで、停車場に行くとまたあるもので、飲んで、うちまで帰るのに三合ぐらい飲んでしまって、うちへ帰ってまた飲む。(笑声)いや、本当なのですよ。本当にお医者さんが心配して、こういうことでいいのですか、酒類の販売についても、そういう点も国の政治なんかは考えてほしいと言うのを聞いているのです。
 これを私が申し上げたのは、表現の自由、ことに文学作品についての表現の自由などについては日本の裁判所もりっぱな態度で、私は賛成ですけれども、低俗なものについても表現の自由云々があると、いささかオーバーに使われ過ぎておるのではないか、そういう点から所々考えまして、少なくとも低俗な雑誌を買いやすくするということはよくない。これは明瞭だと思うのです。私は笠原参考人の御意見全くそうだと思う。お互いに買いにくくしておいた方が社会のためになるある種の出版物等があるわけですね。ですから、店頭で人のいないところでちょっと買うというわけにもいかぬでしょうけれども、一番買いやすいのが自動販売機ですよ。自動販売機で非常に低俗の雑誌が売られたときに、その販売方法についてまず規制するというのは、これは当然きわまるほど当然の社会のあれだ。特に青少年には買いにくくなる、こういうことをする必要があると思うのですね。
 これはまたアメリカの話になって恐縮ですけれども、二十一歳にならなければ喫煙ができませんからね。私の娘なんかアメリカへ行ったときに、買いに行っても、学生証を見せろと言って、本当に二十一歳でなければたばこを売ってくれないのですよ。それだって、いろいろやみを通して買う法はあるだろうけれども、そういうことをするのがやはり社会の責務、少なくとも低俗な、これがポルノであるかどうか、実は買ってみたら余りポルノ的価値が薄いのもあるかもしれない。それだったらこれはある意味では詐欺ですがね。(笑声)いや、本当ですよ。そういうものを青少年でもぽんとコインを入れれば買えるというのをほうっておくということは問題にならないので、後は法的措置がいいか、限度がどうか、自主規制でよければいいのですけれども、笠原さんのお話のように大きな出版社等については協力があっても、自動販売機の方というのはかなり乱用されているから、それを条例でいいのか、国の段階において考えるかということが問題である。そういうふうなことを、一人でしゃべっていて恐縮ですけれども、私の申し上げたことに関連いたしまして、もう一度各参考人から御意見を賜ることができれば幸いであります。
#16
○笠原参考人 ただいまの曽祢先生の御意見についてでございますが、雑誌自動販売機の問題だけを切り離して考えてよいのか、それ以外に視聴覚関係の全般について考えるべき問題があるのではないかという御意見でございますが、私は全く賛成でございます。
 それで、先ほど来いろいろ御意見が出ておりましたので、曽祢先生の御意見に直接お答え申し上げることになるかどうかちょっとあれでございますが、私の考えを申し上げさしていただくならば、雑誌自動販売機の問題を取り上げる場合に必ず関連して考えなければならない問題があると思うのは雑誌全般の問題だと思うわけでございます。あるいはこれが販売方式だというならば、スタンド販売、書店の販売等皆ポルノ雑誌という点に関しては同じ理論になるのではないかと思うわけでございます。それで、雑誌自動販売機だけを規制する、しかし、それ以外の販売方法については、ポルノ雑誌であってもそれはノータッチだというのではこれはぐあいが悪いのではないかというふうに考えます。雑誌全般の問題を考えるべきである、あるいは出版物全般について見渡して措置をすべきであるということでございます。
 それからいま一つ、曽祢先生から御指摘のございましたが、たばこの自動販売機の問題でございますが、これは条例でなくて現実に国の法律で未成年者は酒を飲んだりたばこを吸ったりしてはならぬということがあるし、未成年者が酒を飲み、未成年者がたばこを吸うのだということを知って売ってはならぬという規定があるわけでございます。しかしながらその後、知って売ってはいかぬけれども機械に売らしたのだからわしは何も責任がない、そういうことで堂々と現実に売られておるということでございまして、最近勤労少年の姿をよく見ておるのですけれども、未成年者であることが明らかにわかっておる非常に多くの人たちがたばこを吸っている。これは自分がもう大人になったのだぞということを誇示するというような気持ちから吸っている場合が多いと思うのですけれども、非常にたばこが普及をしております。これは高等学校の生徒などにも相当にたばこが普及しております。これは現実には非常なものだと思います。しかし、これは余りとがめられていない。このたばこを吸ってはならぬという法律は相当に空文化しておると思うわけでございます。これは決していいことではないので、まだ未成熟の体をむしばんでおるということはもう間違いがない。そこで、これは私自身の意見でございますけれども、自動販売機の問題ということになった場合には、雑誌の自動販売機の問題と同時に、酒、たばこの自動販売機というものも当然に問題になるべきものではないかというふうに私は考えるわけでございます。
 それから、出版物に限らず、テレビなどについても御意見がございましたが、これは現実に法律によってよそから文句をつけてはならぬというふうな趣旨の書き方がしてございますが、テレビというのは相当に自主規制が法律によって決められておって、ある程度行われておりますけれども、現実にはしばしば日中、真っ昼間であっても、あるいは夕方のゴールデンアワーであっても、ある場合には深夜であっても、相当いかがわしい場面が出てくるということは公知の事実でございます。これらについても同じような見地で何らかの対策を考えなければならないものであろうかと思っております。
 それで、私最初に申し上げましたように、青少年健全育成運動という見地では、民放連もNHKも全部青少年育成国民会議のメンバーになっておりまして、大綱においては同志として一緒になって活動しておる仲間になっております。そういう関係でございますけれども、先ほど申し上げましたようにそれでは自主規制というものがどの程度に正確に行われておるかということになりますと、必ずしも完璧に行われているとは信じがたい状況にございます。これらもあわせて、こういう問題を御検討くださいます際の検討事項にお考えいただきたいと考えるわけでございます。
#17
○津留参考人 視聴覚機器が非常に発達いたしまして、それが教育上もちろん有効に使われている場合も多いわけですが、悪用されていることも非常に見られる。一般に技術的なものが発達いたしまして、いろいろな機械が便利になっていくにつれて、これを利用する人間の人格というものがいよいよ大事になってくる。これを悪用する機会はどうしても出てくるので、この点についての行政的な措置というか、配慮というものは、私は素人ですが、必要ではないかと思っております。
 特に教育の面から申しますと、たとえば自由主義教育というようなものも、非常に年少な子供に、まだ自主的な能力のない子供に全く何もかも自由にしてしまうことが自由主義教育ではないわけでありまして、そんなことをしましたら、むしろ子供自身が破綻してしまう。やはり自主的能力の成熟度に並行して自由の範囲を広げていってやる。それを上手に広げていってやる。そして最後に全く一人の自主的な社会人として、全くの自由を間違いなく活用できるような人格を育ててやるということが自由主義教育の目標であろうと思いますが、それを間違えて、まだそういう点の成熟度の低い者にまで、過度のと申しましょうか、自主的に処置できないほどの過大性を持った自由を与え過ぎている面が教育上も、私には見られます。そういうことがあり得る、戦後の自由主義教育の中にはあったように私は思います。
 それから酒、たばこの自動販売機につきましては、笠原参考人のおっしゃったとおりで、私もちょっと見ましたら、法律は弱いですけれども、刑法に、未成年者喫煙禁止法、それから未成年者飲酒禁止法の中に、自用に供することを知りながら売ってはいけないということがありながら、これが全く死んでしまっている。自動販売機でこういうものを売ることは、こういう法律の存在が全く死んでしまっている、空文化してしまっていろのではないかと感じております。
#18
○堀部参考人 先ほど曽祢先生から出ました御意見につきまして、私はこんなふうに考えております。
 一般的に何らかの人間の行為を立法府なり行政府なりが規制するということは、一つの目的を持ったと言うのでしょうか、社会をつくるためには必要なことは言うまでもないと思います。しかし、そういう中には大きく分けて二つの種類の行為といいますか領域があるのではないか。別の言葉で言いますと、自由の面でも二つの自由に分けられるのではないかと思います。一つは経済的自由に属するものですし、もう一つは精神的自由に属するものでございます。これは学説上は広く認められているところであるわけですが、さらにその二つの自由の中で経済的自由につきましてはかなりの程度規制することも可能であろうということも、また広く知られているところでございます。日本国憲法で申しますと、憲法二十二条に規定されています職業選択の自由、ここに営業の自由が含まれるということが一般によく言われておりますが、これに関する規制はある程度可能ではないだろうか。それから第二十九条の財産権に関する規定でございますけれども、これにつきましても規制は可能であろうというふうに言うことができると思います。したがいまして、そういう領域についての規制は、すでに先ほど申し上げました公害立法、それから消費者保護諸関係法によりまして、あるいは条例によりまして、これはすでに規制されているところですし、私はそれにつきましては問題はないと思っております。
 しかし、いま分けましたうち、精神的自由につきましては、その立法による規制というのはもちろん全くできないというふうには考えておりませんけれども、それをする際にはやはりかなり慎重に、かつ厳密な制限を設けて規制をしなければならないというふうに私は考えております。したがいまして、現在問題になっておりますようなポルノ雑誌、それからテレビでの低俗番組、これにつきましては私も批判を持っております。こういうものにつきまして、これまでとってきた手段は、やはり法的な規制というのは大変むずかしい。したがって、自主規制ということでやってきたわけでございます。恐らく考え方によりますと、自主規制も限界にきているのではないか。だからこの辺で法律あるいは法的な規制もある程度やむを得ないのではないかという御意見も出てくるのではないかと思います。しかし、私はその点につきましてはなお疑問を持っておりますので、自主規制で実効性が上がらない面もございますけれども、しかし自主規制をするように、これは国民の側でも常に働きかけていく。どの道これは営業の自由やそれから営利主義と結びついてくるわけですから、何かテレビの場合でも視聴率を高めるということによってスポンサーをつけるというようなことがございますので、どうしても視聴率が高くなるようなものに傾きがちである。そういうものに対する批判を常に国民がするということで解決することをこれからも続けなければならないのではないかというふうに考えております。
#19
○曽祢小委員 一言だけ。これで終わります。
 私も何も全般的に何でも法律で正面からやれという意味ではないのです。ですからむしろ販売の手段等で地方でもできるものなら、たとえば低俗雑誌の自動販売機ぐらいは条例でやってもいいのではないか。条例の条文にもよりましょうが。それから何かにつけて文学作品を持ってきて低俗なものを自由だと言うのは、ちょっと、そういう説もあるのです。あなたの方と言っているのではないですけれども、ありますけれども、それはおかしいではないかということです。
 それからテレビの番組など自主規制というのはあるのですね、映倫とかね。そういう方面で取り締まる。映画になりますと、これは話が具体的になってあれですけれども、映画館に見にいくのなどほっておいたっていいと思うのですよ。ただ、そういう深夜映画館などのいやらしい看板を外に出しておる、ああいうものはどこかで取り締まったらいい、自主かあれか知らないけれども、警察か何かで。やはり日本の社会は西欧の健全な社会よりもある意味では健全なのかもしれない。あれだけ低俗な視聴覚がはんらんしておるのにかかわらず、余り社会のあれとしては悪くないのです。しかし、少しどうもああいうものは大目に見られ過ぎていやしないか。それは国民の判断と行動だと思います。しかし、そういうものを自主規制すると言った団体も大分無責任なものもあるので、もう少ししっかりしてもらいたい、こういうことを申し上げたい。
#20
○登坂小委員長 ちょっとお時間をいただきます。津留参考人は所用のために十二時に退席したいとの申し出がありましたので、一応御了承お願い申し上げます。
#21
○塚原小委員 自民党の塚原俊平でございます。
 おくれて参りまして大変申しわけないのですけれども、津留先生にいろいろとお伺いしたいことがあるのです。
 津留先生、非常に児童心理学の大家であられるということをお聞きしたのですけれども、会話形式で申しわけないのですが、文部省の現在やっています性教育というもの、先生は大体内容は御存じでございましょうか。私はよく存じ上げないのですけれども、どの程度のことを……。
#22
○津留参考人 文部省が特別いま何か委員会をつくってやっておるでしょうか、私そうは聞いておらない。大分前に純潔教育審議会というので答申を出したことは聞いております。
#23
○塚原小委員 先生などのところに御相談に行くというようなことはまだ全然ございませんですか。
#24
○津留参考人 文部省の方からですか。
#25
○塚原小委員 はい。
#26
○津留参考人 私のところにはありません。
#27
○塚原小委員 児童心理学の大家は、津留先生はそうでございますけれども、大体セックスというものに対するそういう心理学の大家と言われるような方、専門的な方というのはいま日本で大体数えますと何人ぐらいいらっしゃるのでございましょうか。実は、こういうふうにお聞きするのは、私、つくづく思うのですけれども、ポルノというもの、いろいろな規制をするというのもいいのですけれども、この前の委員会でも申したのですが、ともかくわれわれは性との出会いというものが非常に大切だと思うのです。私が子供のころも性との出会いというものが、みんな隠してしまうということで非常な好奇心があるということで、私自身もその好奇心からちょっと間違ったことをしようとしたような経験も覚えもございます。ですから性との出会いというものを非常に大切にしたいと思うのです。ただ、文部省のお役人の方々がいろいろなことで性教育というもの、あるいは学校の先生方が性教育というものをやられましても、やはり子供の児童心理というものはちょっと学校の先生でも把握できないぐらい微妙なものがあると思うのでございます。ですから先生方を何人かチームといたしまして、これから本当の性教育を目指すという方向にやっていければいいと私思うのでございますけれども、いま学校でやっている性教育は、私もよく把握はしておらないのですけれども、通り一遍の雌しべと雄しべ式のものだと思うのでございます。ですからそういうことで先生などが御推薦できる先生方というのは何人ぐらいいらっしゃるのかなという質問なのでございますけれども。
#28
○津留参考人 私、推薦するというほどの気持ちではございませんが、東京にいまございます性教育協会というのがたしか「現代性教育研究」というのを月刊で出しておると思います。あれが日本では性教育そのものを問題にしたのでは一番権威があるといいましょうか、まとまった大きな雑誌。あの中に編集者として入っていらっしゃる方々、朝山先生とか間宮先生とか村山先生でしたか、何か数名いらっしゃいますが、そういう方がいまのところ日本では大家と言われているのではないかと思います。
#29
○塚原小委員 それでもう一つ、まことに失礼な質問ですけれども、先生は現在、大体何歳ぐらいの子供がどれくらいの――これは私さっきいなかったのでちょっと聞き漏らしたのでございますけれども、大体何歳ぐらいの子供でどのぐらいの性的知識を欲求しているとか、その子供に対してどれぐらいのところまで教えてやる、どれぐらい具体的に教えてやればいいというようなのは学問上大体のところは出ているのでございましょうか。
#30
○津留参考人 青少年の性知識がどの程度であるかということにつきましては、総理府の青少年対策本部が「青少年の性意識」という白書を、昭和四十七年でございますが、出しております。あれはかなり詳しいものだと、私、見て参考にしております。それをどこから入手したかとか。ただ、そういう知識を何歳ぐらいから、どの程度教育的に配列しながら教えていったらよいかという研究は、性知識というのは子供によりまして非常に個人差が大きいのです。そして、もちろんその知識を聞いて、それを――まあ性に関する知識というのは人間に関する知識でございます。同時にそれは自己に対する知識でもある、いわばあすからの行動に対する知識でもあるわけです。したがって、その子の知能とか生活態度とか、そういうものとにらみ合わせながら、この子にはこの程度教えてもいいだろう、この子にはこの程度でやめておいた方がいいだろうというふうに、非常に相対的なものであろうと私は考えております。
#31
○塚原小委員 そうすると、学校で先生方がそれぞれを見ながらやるということはかなりむずかしいということでございましょうか。
#32
○津留参考人 私は性教育を一斉にやるということについてはかなりの疑問を持っております。しかし、やってもいいと思いますが、やれる範囲というものがある程度限られてくる。一斉にやっておりますね、教室でやりますと、一斉授業ですから。その一斉授業でやる範囲というものはかなり一般化されるというか、当たりさわりがないというか、ある程度制約されるのであって、本当はやはり個別教育でやるべきだと思います。
 それから、学校の性教育のカリキュラムその他は、私はたくさん見ております。各府県の教育委員会が出したりしているレポートも見ておりますが、まあいずれも、いま先生のおっしゃったような、やや性生理を順序よく教えるというようなことのようでございますが、どの先生も、性教育は持ちにくいと言っているのですね。教えたくない、教えにくい。親にやってくれと言うと、親もやりにくい。そのやりにくいというところに性の真実さがあるのであって、自分の性そのものについて自信のある人といいましょうか、自分の人間観の中に性というものをはっきり確信をもって位置づけて、自分が実践しておる人でなければ、私は人に性教育はできないはずだと思っております。
#33
○塚原小委員 それでは、もう一つあれなんでございますけれども、いま児童心理学というものの立場に立ちまして、学校に相談コーナーというようなもの、性に対する相談コーナーということは出せないとは思うのですけれども、そういうような何か具体的な事例を出して、何々について何でも相談に乗ってあげますよというようなものをつくった場合、いまの子供たちというのはそういうのに積極的に相談をするでしょうか。その辺、もしおわかりになりましたら……。
#34
○津留参考人 そういう相談コーナーというものを設けました場合に、役立つのも、ある限度は役立つと思います。しかし、私はそれが万能だとは思いません。それはテレビやら、深夜放送などでの何とかコーナーなんかでも相談みたいなことをやっているようですが、そういうのと、まあ非常に単純な問題で、一言言えばわかるようなことで悩んでいるような子供たちもおりますから、そういうものに対しては役立つかもしれません。しかし、学校でカウンセラーというのを置くことが一時はやったのですが、置いてみると、どうも十分活用できてないという現状があって、やはりその相談者の人柄というのが一番大事なのではないかと思っております。
#35
○塚原小委員 もう一つ。大体、いまおっしゃったとおり一言言えば解決することで大体のお子さんは――私もそうなんです。いまから考えれば、何でこんなばかみたいなことと思うのですけれども、そのときは深刻な問題ですし、その深刻な悩みのときに間違いを起こすか、後で、あんなことを考えたと笑い話になるかというのは、これも本当に微妙な微妙な接点だと思うのですね。ですから私はそのときに、何らかの形で子供たちに、大したことはないのだよ、そんなのはみなすることなのだよというようなことを教えるようなことが学校でできればいいなとも思っているのでございますけれども、そういう何かいい方法でもございましたら、後で結構でございますから、お教えいただければありがたいと思います。
 そういうことで、済みません、途中で入りまして……。
#36
○玉生小委員 さっきちょっとお話を聞いておりまして、津留先生にお伺いしたいのですけれども、セックスに抵抗力を増す問題として、性教育によってこれを行うということには余り賛成できない、何も教えないけれども、そういう事態に順応していけるということはもっと大事ではないかといまおっしゃったような気がするのですが、そのようなことをおっしゃっいませんでしたか。
#37
○津留参考人 何もしないけれども抵抗力ができるということは教育上ちょっとあり得ないことで、要するに性というものに対して教えることは人間について教えることだという真剣さ、これが教える方にも教わる方にもなければいけない。したがって、人間について、そういう人間の重要なある一部ですが、それを聞くことによって、自分の人間観、両親観、教師観、あるいは自分自身についての自信とか不安とか安定感とか、そういうものが動揺するような状況の中で教えるべきではない、それだけの成熟度を待って教えるべきだというのが私の基本的な立場でございます。
#38
○山原小委員 憲法上の表現の自由また営業権の問題等関連してきますが、公権力による拘束というよりも、こういう問題について表現の自由と国民的な批判というものは相矛盾するものではない、こういうふうに考えているわけです。だから、去年私どもの党としまして、自動販売機に限らず退廃文化についての見解を発表したのですが、それにつきましては賛意を表明された人たちも多くおりますし、同時にいろいろな形で自由の制限だというふうな批判も出てくる。そういう意見がたくさん出てくることは大変いいことですが、そういう意味で、私は表現の自由と国民的な批判というものとは相矛盾しないという考えを持っています。そして同時に、政治家や政党がこの問題についてタブー視をしてはならぬという立場から文教委員会にこの小委員会がつくられたということは積極的な意味を持っておるというふうに考えているわけです。
 そこで、最近起こっております住民運動は、一つは日本の文化を積極的に発展させていくという積極面と、同時にいまはんらんしている退廃的なものに対する、子供の教育上これを防衛しなければならぬというせっぱ詰まった考え方での住民運動というものも発展しているというふうに考えますと、この運動自体は大変健全なものであって、いわゆる道学者的なあるいは禁欲主義者的な立場でなくして、日本の文化と子供たちを守るという点でこの運動が全国的に広がっていると思います。そういう意味で、これは政治家としてもまた政党としても国会としても当然これらの国民的な運動、住民運動というものを本当に激励をしていく必要があるのではないか、こういうふうに考えているのです。
 三人の参考人の方々にお伺いしたいのですけれども、津留先生の方は十二時に出られるというのでございますから一つだけお伺いしたいのです。それは国際的に見まして、私は外国のことはよくわかりませんが、私の少ない経験からしましても、たとえばテレビを見ても日本のような状態ではないように思うのです。とにかく茶の間へ裸がいきなり飛び込んでくるというような事態がたとえば先進国の間にあるのだろうか。この前も話したのですが、私はパリに四日間おりまして、毎日テレビを夜見たのですけれども、そういう状態は見ることができませんでした。これは狭い範囲の経験で参考にはならぬと思いますが、かなり健全なといいますか、そういった状態に公的な放送機関とかというものが置かれているのではないかという感じがしました。これは手塚さんの「鉄腕アトム」ですが、あれは私たち見ましても、日本のテレビ漫画の中では子供たちに非常に安心して見せられるものだと思っていましたが、数年前にアメリカでこれを放映しようとしたときにチェックされているのだそうですね。どうしてチェックされているのかというと、あの中にある、多分こういうふうになぐったりする暴力的なものが子供に与える影響がどうかという点でチェックされたのではなかろうかというふうに聞きまして、それぞれの放送局なら放送局がいわゆる自主規制といいますか、子供の教育についてはかなり真剣な配慮をしているのではないかということから考えますと、日本の場合は相当野方図な状態に置かれていることも事実ではなかろうか。こういうような点について、教育学の立場あるいは児童心理学の立場から、国際的な面から見まして津留先生はどういうふうにお考えになっておるか。それから住民運動について教育学者の立場でどういうふうなお考えを持っておるか、一言伺ってみたいのです。
#39
○津留参考人 私、テレビが世界じゅうでどういうふうな放送をされ、チャンネルが幾つぐらいあって、ことに子供、青少年向きについてどういう配慮が払われているかということを調べたことはございませんので、確信を持ってお答えできませんが、二、三回ヨーロッパやアメリカへ行きましたときの印象といいますか、そのとき自然に耳に入って感心いたしましたのは、いま先生のおっしゃったとおり、たとえばヨーロッパの多くの国では子供向きの番組は週に何回か限られているということですね。水曜と金曜だけとか、あるいは土曜日の夕方から、しかも時間は何時から何時までというふうで、毎日のべつ幕なしに子供向けの番組を流しているのは日本だけだなという印象を持って帰ったことは覚えております。
 それからもう一つは、ヨーロッパの国々は子供番組をつくるということに取り組み方がもっと真剣なような感じがします。お金もかけている。それから、もっと教養の高いというか学者というか、そういう人たちがそれに参加しております。ですから、一本一本が非常にいいものがつくられている。日本は、そういう点では非常にレベルの低い人が営利的に手軽に子供文化をつくっている。これはテレビばかりではなくて、子供向きの読み物に多くそういう感じを抱いていることは事実でございます。
#40
○登坂小委員長 それでは、津留参考人まことに御苦労さまでございました。ありがとうございました。
#41
○山原小委員 ちょっとまとめて簡単な質問ですが、先ほど笠原さんの方からこういう雑誌は大変もうかるというキャンペーンが張られて、それから非常に問題化してきたというお話がありましたが、この間の委員会の御発言でもたしかこういうポルノ雑誌は約七〇%の利潤率を持っているという、他の書籍に比べても圧倒的な利潤率があるわけですね。これは公取その他で問題にならないのかという点と、その利潤の配分はどういうふうに行われているのか。その点、ちょっと伺っておきたいのです。
 それからもう一つは、業界との懇談会の問題でございますが、私の聞きましたところでは、小売店の本屋さんに抱き合わせでポルノ雑誌が送り込まれてくる。それを断ることはできない。返品すれば輸送料を出さなければならぬというようなことで、結局小売店自体がこういうものを送り込まれて本当に困っているのだという話が幾つか出ているのです。大手の書籍業がそういうことをやっておるとすればこれは大変な問題でありまして、そういう事実があるかどうか。これが二つ目の問題でございます。
 それから三つ目の問題は、自主規制というお話が出されまして、聞きますと、百六十ぐらいの業者の中で現在四十ぐらいが入りまして自主規制をやっておる、こういうのですけれども、自主規制とは一体何かという問題ですね。本当に何を自主規制するのか。たとえば販売機の前に隠すような何か表示を、たとえばポルノ雑誌の販売機にマジックミラーをつけるとか、あるいは表示をはっきりする、ステッカーを張って責任を明示するという意味だろうと思いますが、それから三つ目に、成人向け、子供向けは混売しないという程度の自主規制であって、こういうポルノ雑誌そのものの制作、販売ということ自体については規制の対象になっていないと私は思っています。したがって、これからますますこの自動販売機もふえるのではなかろうか。また現にずっとふえ続けておるわけでございますが、そういう見通しは一体どうなっておるのかということをお伺いしたいのです。
 それから堀部先生に、私もちょうどここへ奈良県の条例を持ってきておりまして、いま御指摘のありました条例のところを見ておりまして、先生の方では憲法的に見て法律上の論議が存在するというお話でございますが、奈良県だけそういう問題を含んでいるのでしょうか。また奈良県で制定される場合に、憲法上の論議からいって何らかの意見が出ましてかんかんがくがくの論議が行われたのか、あるいはスムーズにこれが通ったのか、そしていまおっしゃいました三十四条、二十四条あるいは十八条、この条例の規定が法律的に見まして法学界の間でいろいろな論議を呼んで、それに対する見解が幾つか出ておるのかどうか、その点をお伺いしたいのです。
#42
○笠原参考人 先ほどのお尋ねのうち、ポルノ雑誌の利潤率が非常に高い、これは公取では問題にならないかという御質問でございますが、そういう点について私は従来余り勉強したことがないのでお答えできません。
 それでポルノ雑誌の利潤の配分がどうかということでございますけれども、出版社がポルノ雑誌を幾らの原価で出して、自動販売機で売っているものが幾らの値段で出すかということの差が業者の利益になるので、その幅が非常に大きいということでございまして、電源を貸しているところはせいぜい一万円前後、非常にいいところで一万円台、悪いところは八千円とかそういう程度のものでございまして、利益はもっぱら自動販売機を設置して本を入れて売る人に入ってくる。それで普通の雑誌の場合には定価が比較的安くて、製造元が取る、取次が取るというふうに利益配分で取っていきますので小売店にかかってくる利益が余り多くない。それから返本の問題が一つあります。そういうことで一般の雑誌を扱ったのでは利益が少ないから商売にならないというのが大体自動販売機業者の言っておることでございます。それでは商売にならぬ、何でやればもうかるかと言えばポルノである。ポルノの場合には買い取り式でやりまして、週刊誌のようなものですと、とっとっとと回転するのでだめですけれども、ポルノ雑誌の場合には別に何月何日号という時間的要素はさっぱりないので、これは売れるまで置いておけばいいわけですから、そういう問題がない。それから比較的安く仕入れて高く売れる、それでもうかる、そういうことのようでございます。それで一般の出版社の出しております雑誌類は、一月に二回出しているものぐらいからでないと扱えない、週刊誌ではとても扱えないということだそうでございます。
 それから業界との懇談をしているのだがということで抱き合わせ販売のことをお尋ねでございますが、いわゆる札つきのポルノ雑誌というのは発行部数は多いものではないわけでございます。大手の取次がどんどん流しております雑誌類は何十万部、片一方問題になっておりますような特定のポルノ雑誌というのはせいぜい何万部ぐらいのもので、発行部数は非常に少ないものでございます。それで懇談の際に業界の方にいろいろ聞いてみますと、そういうようなことはないと普通言うのです。地方の方に聞くと、われわれ地方の小売の本屋さんからそういう声を聞いているということを言われまして、いつも意見がかみ合わないわけでございます。一般的に申しますと、取次の方でこれとこれとを抱き合わせにしてこれを買わぬとこれをやらぬぞというような言い方はしてないと私は思うのです。というのは、非常に流れ作業的にどんどんやっておりまして、特に大手の取次などの場合一々そんな小物のポルノ雑誌を特に配慮して入れたりすることは通常にはないことだと思うのです。ですけれども、私どもいろいろ懇談会をやりますと、よく地方の方から、ただいま先生がおっしゃったようなことが出るので困るという意見を聞いております。その声を業界に伝えますと、業界の代表者の方は、そういうことは通常ないはずなのだがということで答えがあります。例外的にそういう現象があるのだろうと理解しているわけでございます。
 それから自主規制とは何なのだという御質問でございますが、自主規制というのもいろいろございますけれども、出版というのは言論、表現の自由、出版の自由というので法律的な規制がない。かかって出版社の良心にまつということになっているから、片一方で表現の自由、出版の自由があるので自分たちはそれに伴って責任を果たしますというのが自主規制の大原則だと思うのです。一般の出版物あるいは一般の雑誌につきましてはそれぞれ全国組織がございまして、そこで出版倫理綱領というのがございます。出版物、書籍と雑誌についてはこの出版倫理綱領という綱領に基づいて自主規制をすることになっている。雑誌についてはさらに雑誌編集倫理綱領というのが雑誌協会にございまして、これに基づいて自主規制をするということになっております。これは私どもいつも言うのですけれども、国の憲法みたいなもので、憲法だけでは世の中は動かないので、それに伴って法律があり、政令があり、細目的ないろいろな規則があって動くのだ、だから本当に自主規制をされるのならばもっと具体的なものをお決めにならないとだめではないですかということを繰り返し繰り返し申し上げているわけです。しかし現在の出版界の大手の自主規制というのは、憲法に当たるものはあるけれども法律、政令に当たるようなものがない。非常に抽象的、観念的なものがあって具体性を欠いておるということだと思います。
 それから参考までにテレビでございますが、テレビの場合に問題になるのは民放でございますけれども、民放連に放送基準というのがございまして、放送の一つの憲法みたいなものがまずあり、それに基づいて法律に当たるような非常に詳しいものがございます。それがずっと百何十条かございまして、さらにそれを判例で補充するような形で具体例が載っておりまして、こういう放送事例があったけれどもこれは適切でないので取りやめさせたと書いてございます。あるいはこういう放送事例があった、これは気がついたときにはもう放送済みであったので後で注意をした、そういうことが判例のようにして特定の基準の後ろにつけてございます。それが本になっておりまして、これが各局にみんな配られておりまして、また全国のわれわれの方にもいただいておりまして、こういうことで私どもは自主規制をいたしますということでテレビの場合にはやや具体性を持って規制が行われております。
 映画の場合には、劇場でかける映画というのは全部映倫が審査をして合格したものでなければかけられない。それから先ほど御指摘のありました映画ポスターなんかも映倫の審査済みというマークを押さなければどこにも張ることができないということになっております。この場合には映画倫理規程というのがありまして、その下にまた映画をつくる場合の基準があり、広告をつくる場合の基準があり、それのまた細目基準がありということで非常に詳しい基準がございます。
 今度問題のポルノ雑誌自動販売機の自主規制とは何かということでございますが、警察関係、われわれ、いろいろのところから今度そういう全国自主規制機関ができたそうだけれどもしっかりやってくださいということをいろいろお願いをしてありまして、そして、具体的に、たとえば児童通学路にはそういうものを置かないでくださいということを言っております。そうすると、向こうの方で話し合いをしまして、児童通学路については、中身の変なものを入れた雑誌自動販売機は置かないようにしようということを取り決めます。これは自主規制の一つのやり方でございます。それから、ここの場所には置かざるを得ないと思うのだが、しかし子供が非常に通行する時点では、子供が見ている前に変な絵が出ておったのでは非常にぐあいが悪い、外から見えないようにしようというのが先ほど御指摘のあったマジックミラーというものでございます。それから、政府の御指導で、いかなる自動販売機でも責任者を明らかにしなければならぬという御指導がございます。それで、ステッカーを張りまして、この自動販売機について御苦情がある場合にはここへ連絡してくださいということで、責任者と電話番号を書くようになっております。ところが、そういう政府の御指導で業界もそういう申し合わせをしたのですけれども、ステッカーは張ってあるが中には字が書いてないという場合が非常に多いわけでございます。それで、こういうのは厳格に守りましょうということも申し合わせをしておる。これも自主規制のやり方でございます。
 さらに、最近一番新しい自主規制を決めたのは、今度は相当具体的に決めておりまして、通行人が嫌悪感を覚えるような表紙の製作はやめよう、表紙には成人向き雑誌だということを明らかに表示しよう、表紙に性器をずばり表現するような文章は使わない、性行為をあらわすような擬態語を使わない、女性の写真を使う場合には乳首から下の部分の裸は出さない、以下、いろいろなことを具体的に決めまして、五月一日からこれを守りなさいということを決めて出しております。それは表紙でございまして、表から見えやすいものでございますが、中の本文なんかについても、たとえば青少年の性犯罪を扱った言葉や文章や写真は避けるとか、発売を禁止されているような出版物の写真や文章を使用しないとか、性器具や産制器具の写真を使用しないとか、そういうふうなことを決めて、これもまた自分の傘下の会社に流しております。
 そういうふうなことでございますが、基本的には自分たちはだんだんにはまともな雑誌を売って商売が立つようにしたいとは思うけれどもとは言っておりますけれども、さしあたりは大人の趣味、嗜好にかなうような低俗な雑誌を売るということを前提にしておるものでございますから、これを完全にやめてしまうというような意味の自主規制ではございません。しかし、将来の理想としては、そういうものでない、社会から喜ばれていくようなものにしたいとは考えているのだがということは申しております。
 以上でございます。
#43
○堀部参考人 奈良県条例に関連した御質問でございますが、私はこの奈良県条例がどういうプロセスで、また、そこでどういう議論があったかということは、残念ながら承知しておりません。こういう条例ができるであろうという話だけ聞きましてその条例を入手してみたわけでございますが、地元紙や何かも見ていないものですから何とも申せませんですけれども、少なくとも私の知っている限りでは、学界ではこの奈良県条例につきましては、制定の過程では全く議論がなかったと思われます。その後、奈良県条例ができましてから、この条例につきまして、先ほど私が申し述べましたような意見とほぼ同様な見解を出しておりますのは青山学院大学法学部の清水英夫教授でございまして、「ジュリスト」という雑誌の四月一日号でこの雑誌自動販売機規制問題の特集をいたしまして、座談会では笠原参考人も出ていろいろ御発言されておりますし、私が司会をしたわけでございますが、論文の方は法的な観点からは青山学院大学の清水教授が書いておられます。そこで私とほぼ同じような見解が示されております。最初に申し上げましたように、法学界ではいまのところ余り関心が向けられておりませんで、この「ジュリスト」の特集をきっかけにしまして、これから議論が起ころうとしているところでございます。恐らく条例のレベルですと、その県に法学者が何人もおりますとそのことが問題になるのではないかと思いますが、奈良県の場合、私事情を知りませんので何とも申せませんですけれども、恐らく法学部のある大学はないと思われますし、議論はなかったのではないかと思います。
 ただ、栃木県の場合につきましては、一橋でやっております研究会に宇都宮大学の憲法の講師の人が出てきまして報告をしてくれたわけですが、栃木県の条例の制定の過程では弁護士がかなり疑問を提出しまして、知事や議会に対して要望を出していたようでございます。これは下野新聞の記事でかなり報道されております。
 奈良県条例とそれに関連したことにつきましてはそのくらいしか私よくわかりませんですが、もう一つ、ついでに若干申し上げさしていただきたいと思いますのは、先ほどテレビの問題が出てまいりましたけれども、確かに諸外国、私が見ましたのはフランス、イギリス、アメリカでございますが、御指摘のようにいわゆる低俗な番組というのはないというふうに断言してもよろしいのではないかと思います。特にアメリカの場合には、連邦通信委員会といいます行政委員会がございまして、かつて日本でも電波監理委員会でしょうか行政委員会がございましたが、それの模範になりました連邦通信委員会がございまして、そこが番組などにつきましてもかなりいろいろな意見を出しております。たとえば、これは一昨年だったでしょうか、ファミリーアワーというのを設けまして、夜の一定の時間帯は家族向けのものしか流してはいけないというようなことをいたしました。これに対しましては大手の放送会社から訴えが提起されまして、たしか現在訴えが係属中かあるいは控訴裁判所あたりの段階で判決が出たかと思われます。最高裁判所の判決はまだ出てないと思われますが、この場合の主張は、FCCのファミリーアワーについてのルールみたいなものが憲法修正第一条、日本国憲法の二十一条に当たるようなものでございますけれども、それに違反するという主張を放送局側はしております。しかし、FCCがそういうものを設けざるを得なかったということは、逆の意味では若干アメリカにはいろいろな問題があったということですし、そのためにこういうファミリーアワーあるいはファミリータイムというのでしょうか、設けております。そういう中で特に問題になりますのは、性的表現よりも暴力表現の方がアメリカではより多く問題になっているわけでして、先ほど御指摘のありました「鉄腕アトム」の場合なども恐らくその暴力的な表現に対してアメリカでは疑問が出されたのではないかと思います。
#44
○山原小委員 誤解があってはいけませんので、日本のテレビについて一般的に私は申し上げたわけでないのですが、それは最近、子供向け、同時に大人も見ることのできるようなテレビの放映がなされておりまして、そういうのが比較的人気がある、視聴率が高いということを聞きまして、ごく特殊な例を申し上げて、日本のテレビ一般が野方図だということを言っているわけではないのですが、そういった意味でかなり健全に受けとめる力は国民の中にあるわけで、それに対してこたえられるようなことができれば私は相当いい方向に向くのではないかと思っておりますので、そういう意味で申し上げたわけですから……。
#45
○木島小委員 不良図書などというものは大人の肉体的欲望を刺激するために発行しているわけですからね。だから、これはこのままでいいとは言えないと思うのですが、ただ一つ、やはりさっき堀部先生がおっしゃいましたように、非常に慎重で厳密でなければならぬという点で、それだけにきょう先生方からいろいろと御意見を承っているのだと思いますけれども、これはどう考えたらいいのでしょうか。しょせんは動物的人と社会的文化的な人間との関係、それはもう否定できないわけですからね。だから、あるいは性悪説があり、その性悪説が出るからまたそこに禁欲的あるいは自制的な哲学があり、あるいは宗教が生まれたり、その宗教の中でもたとえば親鸞なら親鸞はある意味ではそれに対する抵抗であったかもしれませんね。そういう経過をたどりながら、あるいは一定の、たとえばさっきお話のありました一夫一婦制なら一夫一婦制という社会システムも出てくる。しかし、たとえばわれわれがいまここで規制しようとしましても、そのときに私がどうも一つ負い目を感じますのは、たとえば明治の初めに展覧会で裸婦の像を掲げたときに警官が黒い幕を張りましたね、そういう物の考え方が自分にありはしないかという自省がまずあるわけです。そういうところに踏み切れない一つの要素が率直に言ってあるのですよ。だから、さっきお話にございましたように、そういう人類の大きな流れの中における性の問題というのが第二次世界大戦後世界全体が少し変わってきているのではないか。ところが、私もよわい六十歳、しょせん過去、ことに青少年というと未来ですね、過去で未来を規制していいのかという、ひとつせねばならないという気持ちを持っておりますけれども、そういうことをどう理解したらいいのだろうか。すなわち、性というものは人類の歴史の中でもってどういう方向へ行っているのだろうか、行きつつあるのだろうかということが一つの基本として私自身がわからないし、そしてこのことを規制せねばならぬと思いながらも悩む一つの問題ですけれども、どうなのでしょうか。どなたに御質問したらいいかわからないのであれですが、何かありましたら……。
#46
○笠原参考人 大変むずかしいお尋ねでございますが、最初にわれわれの持っている二面的な面があってという点でございますが、それについては子供の場合には一応別だということで、大人の問題をいま規制しようとしているのではない、子供についてどうかということで考えるならばおのずから違うのではないかということで考えれば、そちらの最初にお話しになった問題は一応割り切れるのではないかと考えております。これはアメリカあたりでもずいぶんポルノ問題をディスカッションした場合に、最後に今度子供の問題ということになってくると別になってくるのですね。だから、わいせつ罪一般で考えますと、これは大人の問題として考えるからいまの二面のような問題が出てくるのですけれども、今度は子供ということで考えていった場合には、大人の場合にはいいのだけれども、これは小学校の子供にこんなことをやっていいのか、中学校の子供にこんなことをやらしていいのかというふうに考えていった場合にはそれはおのずから割り切れるのではないかというふうに考えます。
 それから、今度歴史の長い流れの中でどうなのかということでございますが、これは私準備してこなかったですし、またここでいまこの話を切り出しているとずいぶん長い話になるとは思うのですけれども、ちょっと申し上げますと、現代の世界の先進国と言われている国というのは大体性の問題というのが非常に乱れてきているというのが一つの流れだと思うのです。それを進歩と見るのか退廃と見るのかということは別な問題として置いておきまして、性の問題が乱れてきているということ。
 それからいま一つ、家庭という問題ですね、あるいは家庭の前提になっておる結婚という問題が全世界的に先進国の中では物すごく乱れてきておる、そういう流れがある。
 それから、私は青少年育成国民会議の仕事をいたしておりますが、私は防犯協会の方に本務を持っておりまして、犯罪の防止ということを常に考えて先進国の犯罪の問題というのをいつも考えておりますけれども、大体世界的に見て犯罪というのが高度成長をしてきておる。犯罪が高度成長をしつつあるということは非行が高度成長しつつあるということです。つまり、非行が成長し犯罪が成長しているということは社会の道徳が崩れつつあるということです。
 それで、考えてみると、人間の民族でも何でもそうですけれども、隆盛期だとか、あるいは爛熟期だとか、退廃期だとか、衰亡期だとかいろいろあるのかもしれませんが、民族でも文化でも隆々として発展をしていく時代、それからだんだん欄熟していく時代、退廃していく時代というものがあると思うのですけれども、現代先進国というのは大体爛熟から退廃に向かっている時代だろうと私は思うのです。
 それで、性の問題について考えてみますと、現在わが国で性というものはフリーなのだ、自由であるべきなのだ、こういう議論が非常に横行しております。これはアメリカやヨーロッパでもそういうことはある程度われわれより先にあると思うのですけれども、その弊害が今度逆にきて、たとえば性はフリーであるべきであるということから、今度は結婚というものが非常におかしくなりまして、家庭というものがおかしくなっておる。
 それで、私どもは青少年が健全に育つという場合に一番最初にある一番大事なものは家庭だと思うのですけれども、家庭というものが崩れてきておる。たとえば北欧は先進国だ先進国だとわれわれの方ではしばらく言っていた時代があるのですけれども、デンマークやスウェーデンというのは結婚というものが非常に少なくなって、逆に離婚は高まっておる。つまり、先ほどお話のありました夫婦が築いて、夫婦、親子でまず固めておる家庭というものが社会の重要な構成要素にはだんだんなってこなくなっておるということでございます。アメリカは世界で最も犯罪の度合いの高い国の一つだと思うのですけれども、アメリカというのは比較的家庭が健全であるという面と家庭が崩れている面とが同時並行のような状況でございまして、結婚率というのはアメリカは非常に高い結婚率を持っておりまして、もう好きになったら教会へ行って結婚してしまう、そのかわりきらいになったらばっと別れてしまう。結婚率も非常に高いが離婚率も非常に高いということでございまして、そういう性というものの関係が家庭というものの関係になり、非行というものにあらわれ、犯罪というものにあらわれるというふうなことをやっておる。
 そこで、歴史の流れとしては、だんだん性というものが自由化していくのだという流れというものは現代見られている傾向であるけれども、同時にそれを常に伴った弊害というふうなものがどんどんどんどん累積してきておる。でございますので、性の問題についてそう簡単に性というものが解放されていくのだ、性行動というものは自由であるのだというふうに判断すべきものではないというふうに考えておるものでございます。
#47
○堀部参考人 ただいまの御質問は私の専門とするところではございませんが、法学界におきましても家庭あるいは家族というものをどのように考えたらいいのかということは最近も議論になっております。今月の十四日に早稲田大学で開かれました比較法学会におきまして、アメリカ、イギリス、、オーストラリア、カナダ、スウェーデンあたりだったでしょうか、そういう国々、それに日本も含めまして家事調停の問題をシンポジウムで取り上げたことがございます。その中での議論でも、各国破壊しかけた家庭というのをどのようにして直すのかということで、そこにはいろんな立法例がございますが、そこに国家が介入して家庭を破壊から守るということが必要なのかどうかというあたりの議論がいろいろ出てきたわけでございます。これは各国それぞれいろいろなやり方をしておりまして、どれが参考になるのかというのは、それぞれの国の歴史もございますので一概には言えないと思いますが、こういう問題をめぐりまして、法律的にも国家というものがそういう際に一体どういうふうに家庭を見て、またそれを直すのか、あるいはお互いに離婚したいということになればそれを自由にさせるのかというような点についても今後さらに検討する必要があるのではないかという印象を受けたわけでございます。
 資料をきょう持ってきておりませんけれども、そういう中で一つ出てきましたのは、スウェーデンにおきましては婚外子がすでに四〇%台にも達しているというようなことが報告されまして、果たしてそういうところで家事調停というようなことが意味を持ち得るのかどうかというような疑問も出されたわけでございます。大変大きな問題ですので、今後ともこれは法律学の観点からも検討しなければならないところだろうと思っております。
#48
○木島小委員 ちょっとすみません、もう一つ。
 そこで笠原先生、私は規制してはいかぬとかなんとか言っているのではないのですが……。それはいいです。
 さっきおっしゃるとおり、表現の自由というのは当然守らなければならないし、同時にそのことの限界は、一般大人向きでは、たとえばチャタレイ夫人あるいは「四畳半襖の下張」の話がさっき出ましたけれども、こういうようなものは限界がある。自由があっても限界がある。けれども、子供に渡すということとは違うわけですね、さっきおっしゃったとおり。
 そこで、さっきたばこの話が出ましたけれども、私、こういう経験があるのです。言ったら、それでは、二十歳になった翌日はいいの、何でのんではいけないの、健康に害がある、すると、それでは誕生日が終わったら途端にいいの、こう言うわけですよ。これにはちょっと困りまして、だから法律にあるのだからという遵法精神しかこっちは言えないわけです。根拠がわからぬのですね。ところが酒、たばこというものとセックスとは年齢が違うと思うのですよ。動物的人というものの成長におけるところのセックスの年齢というものと、酒、たばこはいけないという年齢は違うと思うのです。これは別の次元の問題であると思うのですよ。
 そこで、青少年という場合に一体幾つなんだろうという疑問が一つあるのです。私は、さっきから言いますように、構わぬでいいのだというのではないのですよ。ただ厳密に、慎重にいこうとすると、たとえばもっと言えば、ポルノとは一体どこまでかというみたいなことも議論になります。黒い紙を張ったのは詐欺だとさっき曽祢先生はおっしゃいましたが、そういうことで、具体的にやっていきますとそういう問題にぶつかるのです。この性のこういう問題におけるところの制限の青少年というのは一体何歳というものを――個人的に違いもあるわけですよね。だけれども、一般的に酒、たばこは成人まではいけないのだということと少し違う要素があるのではないのかという気がするのですが、いかがでしょうか。
#49
○笠原参考人 私は専門家ではございませんので、権威を持ったお答えをする立場にございませんけれども、通常、青少年保護育成条例という各県の条例では、十八歳未満ということで線を切っております。ところが青少年という言葉はしばしば非常に幅を持って用いられておるのでございまして、青少年対策本部で仕事をなさって、青少年対策として海外旅行などに青年を派遣される場合の青少年というと二十五、六歳まで入ってしまう。これはもう選挙権を持っておる堂々たる者まで入っております。しかし、明らかにまず二十歳には達しない者であるということは、いかなる場合でもこういう対策を立てる場合には普通言えるのではないかと思うのです。各国の例でいきましても、たとえばデンマークでは十六歳で切るとかドイツでは十八歳で切るとか、アメリカでございますと、州ごとにお決めなさいというような、そういう行き方もございます。それから、同じわが国で児童福祉法というのがございまして、普通ドイツあたりで児童と言うと青少年の下につけるのですけれども、わが国では児童福祉法でいった場合にも十八歳ぐらいになってしまう。そういうことで扱いがいろいろ違うようでございます。しかし、いままでのところ、一番多数を占めておる年齢は十八歳というところだと思います。ただし、これは科学的、学問的にどこで切るべきかという問題はまた別だと思いますが、私、それについては別に知識はございませんのでお答えできません。
#50
○堀部参考人 一般的に申しまして、法律学で成年と未成年とを分けるというのは大変議論のあるところでして、最近では少年法の改正に絡みまして一体どこで切るかということが法務省あたりでも大変大きな議論になっております。そういうことで、子供の成長に従ってどういうふうに考えたらいいのかということはこれからも検討しなくてはならないところですけれども、性に関して申しますと、これは先ほど申し上げました座談会で東京都の方が言っていたことでありますが、たとえば女子の初潮が十二歳前に五〇%を超え、十八歳で八〇%になっている。それから男子の射精は十三歳前に五〇%を超えて、十五歳で九〇%になっている。これは約十年間にほぼ一歳ぐらい促進されているというデータがあるそうであります。そういうふうに十年間に一歳早くなってきているというあたりの身体の成長と、それからそれに与える出版物、それから特に精神的な面での教育、そういうものをどう兼ね合わせたらいいのかということは、今後とも大いに議論をしてみる必要があるのではないかというふうに考えておりまして、法的にどこかで線を引く際に、そういった経験的なデータというものを十分参考にする必要があるのではないかというふうに思っております。
#51
○木島小委員 終わります。結構です。
#52
○登坂小委員長 これにて参考人に対する質疑は終了いたしました。
 参考人各位には御多用中のところ、本小委員会に御出席をいただき、貴重な御意見をお述べいただき、まことにありがとうございます。厚く御礼申し上げます。
 本日は、これにて散会いたします。
    午後零時三十八分散会
ソース: 国立国会図書館
姉妹サイト