くにさくロゴ
【PR】姉妹サイト
 
#1
第075回国会 公職選挙法改正に関する特別委員会公聴会 第1号
昭和五十年六月二十八日(土曜日)
   午前十時十二分開会
    ―――――――――――――
  出席者は左のとおり。
    委員長         中西 一郎君
    理 事
                剱木 亨弘君
                小林 国司君
                片山 甚市君
                峯山 昭範君
                内藤  功君
    委 員
                有田 一寿君
                斎藤 十朗君
                高橋 邦雄君
                戸塚 進也君
                秦野  章君
                宮崎 正雄君
                山崎 竜男君
                秋山 長造君
                戸田 菊雄君
                中村 波男君
                秦   豊君
                多田 省吾君
                橋本  敦君
                和田 春生君
   公述人
       早稲田大学法学
       部教授      浦田 賢治君
       駒沢大学法学部
       助教授      上條 末夫君
       主     婦  川上 桂子君
       明治大学名誉教
       授        小島  憲君
       明治学院大学法
       学部教授     作間 忠雄君
       平和経済計画会
       議総合政策委員  杉森 康二君
       マスコミ関連産
       業労組共闘会議
       事務局長     隅井 孝雄君
       選挙法改正運動
       協議会事務局長  福本 春男君
   事務局側
       常任委員会専門
       員        伊藤  保君
    ―――――――――――――
  本日の会議に付した案件
○公職選挙法の一部を改正する法律案(内閣提
 出、衆議院送付)
○政治資金規正法の一部を改正する法律案(内閣
 提出、衆議院送付)
    ―――――――――――――
#2
○委員長(中西一郎君) ただいまから公職選挙法改正に関する特別委員会公聴会を開会いたします。
 本日は、公職選挙法の一部を改正する法律案(閣法第六〇号)及び政治資金規正法の一部を改正する法律案(閣法第六一号)の両法案につきまして、八名の公述人の方々から御意見を伺います。
 この際、公述人の方々に一言御あいさつを申し上げます。皆様には御多忙中のところを本公聴会に御出席いただき、まことにありがとうございます。皆様から忌憚のない御意見を拝聴し、今後の両法案審査の参考にいたしたいと存じております。
 次に、会議の進め方について申し上げます。まずお手元の名簿の順序により、公述人の方々から順次御意見をお述べいただきまして、その後に委員の質疑を行うことといたします。御意見は、議事進行の関係上、お一人二十分程度でお述べいただきたいと思います。なお、六名の方々の御意見陳述が終わりましたところで、約一時間の休憩をいたします。また、委員の質疑に入ります前に約十分間の休憩を予定いたしております。
 なお、浦田公述人は、都合によりまして御出席が若干おおくれになるとの連絡が入っておりますので、上條公述人からお願いいたしたいと思います。上條公述人。
#3
○公述人(上條末夫君) 上條でございます。私は、皆様方の前で僭越ではございますけれども、きょうは率直にこの選挙について及び政治資金につきまして意見を述べさせていただきたいと存じます。
 最初に、私は一般的に選挙の問題につきましての前提を申し述べたいと存じます。最近におきまして、わが国では政治及び政党に対する信頼度が非常に欠けてまいりました。そこで、現在最も日本におきまして重要な課題は、この政治及び政党に対する国民の信頼感を回復することであろうと存じます。たとえばこういう例がございます。十年ほど前にアメリカの政治学の教授ガブリエル・A・アーモンド及びシドニー・ヴァーバは、アメリカ、イギリス、西ドイツ、イタリア、メキシコの五ヵ国におきまして、共通の質問によりまして調査を行いました結果によりますと、その中に国の誇りという項目がございますが、この調査結果を見ますと、国の誇りとしてアメリカにおきましては政治を第一に挙げておるわけでございますが、そのパーセンテージはアメリカが八五%、イギリスが四六%、メキシコが三〇%、西ドイツが七%、そうしてイタリアが三%でございましたが、私どもがこれと同じ質問項目によりまして日本で調査をいたしました結果は、日本ではわずかに五%でございまして、イタリアよりは若干高いとはいいながら、西ドイツあるいはそれ以上のメキシコ、イギリス、アメリカに比べまして非常に低いということがわかったわけでございます。これを見ましても、日本人が日本の政治に対する誇りを失っておる、しかもアメリカなどに比べますと非常に低く、あるいはこのことが政治に対する不信感ともなってあらわれてくるわけでございます。
 もう一つ例を申し上げたいと存じますが、これは昨年公明選挙連盟が調査をいたしました結果でございますが、政治に対する満足度はどのくらいであろうかという調査でございますが、これによりますと、政治について十分満足をしているという者はわずかに〇・四%でありますし、大体満足をしているという者は一五・二%でございまして、これを両方合わせましてもわずかに一五・六%にすぎないわけであります。それに対しまして、政治に対してやや不満であるという者は四七・九%に達しております。それから全く不満足であるという者が二八・〇%ございます。これを見ましても明らかなように、日本人は自国の政治に対して誇りを持っていない、同時に不信感が非常に強く、不満度が高いと、こういうことが明らかであるわけでございます。しかもこの政治は、国民にとりまして最も政治を意識いたしますし、あるいは関心を持ちますのは選挙に際してでございます。そういう意味では、政治は国民にとっては選挙というものを通じて直接的に影響を受けると言ってもいいわけでございますが、この選挙につきましてどうかということをもう一つ例を申し上げたいわけでございます。同じく公明選挙連盟の調査結果でございますが、それによりますと、昨年の参議院選挙におきまして明るく正しく選挙は行われたかどうかという質問に対しまして、明るく正しく行われたというふうに感じた者は二一・五%であります。それに対しまして、そうは言えない、明るく正しく行われていないと言う者が四五・六%でございます。また、一概にどちらとも言いがたいという答えが二二・一%ございます。つまり、昨年における参議院選挙におきましても、過半数以上の者がこの選挙が明るく正しく行われたとは思っていないということは、これは非常に重要な問題であろうと思います。
 さらに政党につきましても、最近の各種の調査によっても明らかなように、脱政党化と言われる、つまり、いずれの政党も支持しないという人の数は年々ふえてまいっております。で、終戦直後におきましては十数%であったものが、現在では三〇%に達しようとしておるわけです。つまり、いずれの政党にも不信感を持ち、あるいは支持するに値しないと考えている国民が実に三〇%いるということは、これは大変なやはり問題であろうと思います。つまり、政治に対する不信感及び政党に対する不信感が国民の間で最近徐々に高まりつつある、こういうことでございます。で、この原因には種々ございますけれども、その中で、国民がやはり一番政治に接触する直接的な機会は選挙でございまして、この選挙のあり方というものが国民の政治に対するイメージないしは政党に対するイメージを形成する上において強い影響を与えているということは確かなことでございます。私どもが見ておりましても、最近の選挙は政策を中心として争われるというよりは、それ以外のものによりまして選挙が行われているという感じがするわけでございます。種々の調査によりましても、国民がこの選挙に当たりまして政策によってその投票する候補者を決めているというのは、公明選挙連盟の先ほどの調査によりますと一二・四%でございます。したがいまして、それ以外は政策以外の要素が国民の投票する候補者の決定要素となっている、こういうことでございまして、本来、選挙というものは政策を中心として争われなければならないにもかかわらず、政党の側あるいは候補者の側におきましてこうした政策を故意に避けるという、こういう例もございますし、また、国民の方でも十分に政党なりその候補者個人の政策を聞いて、そして十分なる判断をした後に投票意思を決定するということがだんだんと少なくなってくる、こういう状態でございます。たとえば、本年四月行われました東京都知事選挙におきまして、政策というよりはむしろ言葉によって争われた感じがするわけでございます。すなわち、ファッショであるとかないとかという、こういう言葉が前面に強く打ち出されてきまして、候補者の政策はその陰に隠れる、こういう状態が見られたわけでございます。こうしたことが国民をしてますます政治に対する不信感あるいは政党に対する不信感を強めている大きな原因であろうと私は考えるわけでございます。
 そこで、このように私が考えますのは、選挙をいかにして明るく正しくするかということがいま日本の政治に課せられた最大の課題であろうというふうに考えるわけでございます。そこで、現在この委員会におきまして審議されております公職選挙法改正案ないしは政治資金規正法改正案につきまして、簡単に私は、こうした前提の上に立ちまして意見を申し述べてみたいと思うわけでございます。
 まず、選挙法についてでございますけれども、これは私は、選挙につきましてはさきの前提に基づきまして四つのことが重大な問題であろうと考えるわけです。その第一は選挙公営の拡大でございます。つまり、これは皆さんの方が十分御承知のはずでございますので説明は省かしていただきますが、いずれにしましても、この選挙公営というものを拡大することに第一のポイントがあろうかと思います。それから第二は、これと関連いたしますけれども、金権選挙と言われるこのイメージを払拭するために金のかからない選挙をやるということが、これがやはり重要な問題であろうと思うわけでございます。そして第三には、公正な選挙が行われなければならない、その政党間ないし候補者間における競争は、これは公正なものでなくてはならないというふうに考えるわけです。そして第四には、合理的で理性的な選挙でなければならないということでございまして、現在の選挙のように多く感情のレベルに訴えるという方法を一方ではとり、国民もその感情のレベルにおいて投票の意思を決定するという、こういうことを払拭するために、政党ないしは候補者の側におきましても、選挙が理性のレベルにおいて闘われ、そして国民がこの理性の上に立って判断し、そして投票意思を決定するという、そういう方向に持っていくことが重要であろうと、こういうふうに考えるわけでございます。
 そこで私は、こうした四つのポイントを挙げた上に、さらに現在この公職選挙法改正問題をめぐって非常に論議を呼んでおる問題、つまりビラ規制につきまして一言意見を述べさしていただきたいわけでございます。このビラ規制につきましては、言論の自由と関連いたしまして論議が展開されておりますけれども、私は、そのような抽象的なことではなくて、いかにして選挙を公正に、そして金のかからないものにするか、または理性の上において国民が判断できるようなそういう機会を与えるということから、そういう観点に立ちましてこのビラ規制の問題は討議されなければならないと考えるわけでございます。で、これが言論の自由を抑圧するかどうかという問題は、まさに主観的判断によるわけでございますけれども、この言論の自由というものは私が考えますのに無制限のものではない。つまり、公共の福祉に反しない限りという憲法の規定もございますように、これは国民にそうした自由が与えられることがつまり国民の福祉を増進し、あるいは幸福を増進すると、こういうことであるならばこれは十分認めなければなりませんけれども、それの阻害要因になるような問題につきましてはこれは規制をしていかなければならない。これは法治国家として当然のことであろうと思います。もし言論の自由を全く自由にすると、つまり、無制限に言論の自由を認めるということになりますと、現在法治国家においてつくられております法律はすべてこれは自由の制限であるわけでして、これを撤廃しなくてはならないというような極端な議論にまで発展をするわけであり、それは不毛なことであることは皆さん御承知のとおりであるわけでございます。
 ビラにつきましても、現在までの状況を私見まするに、どうもこのビラは先ほど私が申しましたように、政策中心の選挙に使われているというよりは、これは感情のレベルに訴える道具として多くのビラがつくられているようでございます。そうして私の調査いたしました結果でも、大体一選挙中に政党ないし候補者から配られるところのビラの数は三枚を限度といたしまして、それ以上配られた場合には効果はマイナスになってくるという、こういう反応が国民の間にあるということがわかったわけでございます。したがいまして、このビラは多ければよいというものではない、かえってマイナス効果になるということがあるということを私はまず指摘したいわけでございます。したがいまして、このビラがむしろ選挙民に対して不快感を与えるという、こういう結果になっている例もしばしばあるということでございまして、このビラはむしろ政策、つまり政党なり候補者なりの政策が十分徹底するための手段として使われるべきであるにもかかわらず、そうではなくなってくる。これは政治心理学的に申しまして必然の結果でございまして、最初はそのような政策を徹底させるという発想から出発いたしましても、これを各党、各候補者が競争いたしまして過当競争の段階になってまいりますと、すでにそうした所期の目的を外れるということがあるということは、これは政治心理学的に見まして当然の結果でございます。したがいまして、ある程度の――私はどこの線でということは申し上げませんけれども、ある程度の制限を設けるのはやむを得ないことである、そのかわりに、それ以外の、私が第一に申し上げました選挙公営の拡大というこの面で十分生かしていったらどうかと、こう思うわけでございます。
 さきに例を申し上げました公明選挙連盟の昨年の参議院選挙直後の調査によりましても、国民が選挙におきまして役立った選挙情報というものは何かということを答えておりますが、それによりますと、第一はテレビの政見放送でございまして、これは地方区の場合二一・九%の人々、全国区につきましては三〇・七%の人々がテレビの政見放送が最も役立ったと、こう答えているわけでございます。そして、第二は選挙公報でございまして、これが地方区の場合二一・六%、全国区の場合一八・六%でございまして、いわゆるテレビ政見放送、選挙公報というのは他の選挙情報に比べてずば抜けて国民の選挙の判断の材料を提供しているということがこれによって明らかであるわけでございます。したがいまして、私はこのビラ規制をするのは賛成でございますが、同時に、この選挙公営を拡大いたしまして、テレビの政見放送の回数をふやすとかあるいは選挙公報をより充実する、あるいは回数を、いま一回でございますが、二回にふやすというようなことも当然考えられてしかるべきではなかろうか。このようなテレビあるいは選挙公報というものを通じまして、ここにおきまして十分にその政党なり候補者なりの政策が国民の間に浸透するべく努力していただくことが一番望ましい方向ではなかろうかと考えるわけでございます。
 最後に、若干政治資金につきまして意見を述べさせていただきますと、この政治資金はやはり国民の政治に対する不信感を招く一つの要因になっております。それはしばしば指摘されておりますように、この政治資金の不明朗性にございます。したがいまして、この政治資金の明朗化ということは当然国民の政治に対する信頼感あるいは政党に対する信頼感を回復するための重要な要素であろうと考えるわけでございます。今回の政治資金規正法改正案によりますと、ややというか、一歩前進をいたしまして、この点で政治資金の公表あるいは献金の制限というようなものが検討されておりますけれども、私はこういう方向がより一層進むことを望むわけでございます。そうしてできることならば政党法というようなものを設けまして、そうして政党に対して国家からある程度の政治資金を提供するということも当然これから考えられてしかるべきであろうと思うわけでございます。
 時間になりましたのでこの辺で終わらしていただきますが、結論といたしまして、私は現在検討されておりますこの公職選挙法改正に対する件あるいは政治資金規正法の改正に対する件につきましてほぼ賛成をいたします。そうしてこれは一歩前進であるというふうに評価したいと思います。
 以上で終わりたいと存じます。
#4
○委員長(中西一郎君) ありがとうございました。
    ―――――――――――――
#5
○委員長(中西一郎君) 浦田先生お見えになりましたが、実はああいう順でやり始めたんですが、おくれられましたので、次の川上さんの公述が終わりましてから浦田先生に戻りたいと思います。
 それでは、次は川上公述人にお願いいたします。約二十分お願いいたします。
#6
○公述人(川上桂子君) 川上でございます。私は公職選挙法案及び政治資金規正法案に対して反対する立場から意見を述べさせていただきたいと思います。
 私は前に夫や友人からこの二つの法案について内容を聞きましたけれども、それを聞いたときに内容のおかしさからこれはぜひとも反対しなければならないと思いました。そうしているところにテレビでこの公聴会の公述人を募集していることを知りましたので、気楽に応募したところ、おとといの夕方参議院の事務局の方から電話をいただきまして、公述人に指定されたのでぜひとも来てほしいということで、気楽に応募したところ本人はあわててそれから勉強した次第で、いろいろな新聞を取り寄せたり、それから政党機関紙などを見てにわかにきょう出席さしていただいた次第です。私はこういうふうな問題には全く素人で、それに研究時間も余りありませんでしたので十分な意見を述べられないかもしれませんけれども、一人の国民として一言申し上げたいと思います。
 私はこういうふうな重要な法案についての公聴会が、私がテレビを見て応募してからわずか五、六日、しかも、私のところに出席するように言われてたった二日でこういうふうな急いでなぜ公聴会が開かれなければならないのかということにまず疑問を持っています。衆議院特別委員会でもわずか二十時間という審議で全く驚くほどのスピードで可決されました。そうして参議院においても同じような短い時間で決定されるというふうに聞いております。ニュースなどを見ていると、三木首相とか福田自治大臣なんかの答弁の内容は多少食い違うこともあるし、私たち国民にとってこの法案が成立すると実際に私たちの表現とか報道がどのように規制されるのかというふうな具体的なこともまだまだ不明確だと思います。それでまあきょう意見を述べさしていただくわけですけれども、参議院においては十分に審議をして国民のための結論を出していただきたいと思います。
 私は、いま現在大田区に住んでいて、ことしの三月から失業している主婦でございます。それまでは、あるガスメーターをつくる中小企業に勤めておりました。そこで青年婦人部活動を中心として組合活動をしてきました。で、昨年の春闘には初めて国民春闘というスローガンを掲げて、私たちの中小企業の組合でさえも、いままでは春闘といえば自分たちの企業内の要求でしがなかったのですけれども、初めて政治問題、たとえばインフレとか物価高の反対、それから社会保障を充実させるとか、そういうふうな政治問題の課題を掲げて初めて取り組みました。そして駅頭でビラをまいたり、地域の人たちの署名を集めたりしたんですけれども、その中で、初めて政治問題に取り組んで市民の反響に驚いたんですけれども、近くの商店の、まあ商店主と言われる人たちが積極的に寄ってきて署名をしてカンパをしてくれるとか、私たちが配るビラというのはみんなが進んで受け取ってくれるとか、それから道路に張ったポスターに関しても立ちどまってみんなが見てくださるとか、そういうふうな市民の様子を見て本当にうれしくというか、労働者と国民が一緒になって闘えたと思っています。そして、こういうふうな国民春闘というのはますますこれから要求されるし、必要となってくると思います。けれども、今度出されている政治資金規正法の附則第十条に基づく公選法二百一条の五以下の改正によりますと、政治活動を行う団体も公選法の規制の対象となって、当然労働組合も含まれると解釈できると思います。すると、まずいまのところは選挙期間中だけではありますけれども、ビラの配布とか、ポスターの掲示、立て看板の掲示とか、それから宣伝カーによる宣伝などが全面禁止になります。こういうことでは、労働組合が国民春闘を闘うために国民に訴えることさえもできなくなります。また、労働組合だけでなくて、婦人団体が保育所をつくれとか高校を増設しろとか、また遊び場をつくってくれとか、そういうふうな切実な要求を訴えることさえも禁止されます。また、あるいは公害で悩んでいる住民の団体が公害規制を要求するとか、それから日照権を守る要求をするとか、そういうふうな内容のビラも規制されるおそれがあります。私は、なぜ選挙期間中こういうふうにインフレ政策をやめろとか、託児所をつくってくださいとか、そういうふうな内容のビラを配ることが規制されるのか、まるで理由がわかりません。しかも、このことに反すると三十万以下の罰金という刑罰が科せられているということです。公選法二百一条の五以下の政治団体をどうしてわざわざ政治活動を行う団体と言いかえたのか、それすらもはっきりわからず、ぜひともこの条項は削除していただきたいと思います。
 それから公選法の百四十八条の要件を満たす組合機関紙については、今回の改正案によって無償の配布が禁じられています。この点について労働組合の機関紙は、街頭で不特定多数に配るもの以外は現行どおり有償配布違反として取り締まりの対象としないと、そういうふうな約束が自治大臣からなされたそうですけれども、これは口だけであり、はっきり条項に書かれてないし、また、いまの自治大臣がかわった際にはほごにされるという危険も大いにあります。私はこういうことはとても信じることができません。ということで、まあいままで述べましたように、こういうふうにこの公選法によりますと選挙についての労働組合の活動ができなくなり、またやはり反対しなければなりません。
 さて、私はいまよい職場が見つからずに主婦業ということを余儀なくさせられているんですけれども、初めて主婦になってまだ三ヵ月ぐらいなんですが、世界が狭くて、それから行動範囲も限られているという主婦の立場に驚いております。たとえば私が接する人といえば、隣のおばあさんとか、アパートの管理人のおばさんというだけで、ほかにときどき私の友人とか夫の職場の人たちと話すという機会だけです。いままで職場で働いていたときには、さまざまな情報を得られることができました。そして、まあ職場の人と話す中でいろいろ刺激されたり、自分の意見というものを成長させることができました。ところが、いま主婦だけである私にとって得られる情報といえば、テレビとか新聞とか週刊誌などが多く、しかも、それは一方的に伝えられるだけです。その上、特に政治的な事柄については主婦の日常的な雑事に追いかけられるということもありまして、なかなかそれを理解して自分の意見とすることができません。けれども、公選法二百一条の十四によりますと、選挙期間中の政党の機関新聞、雑誌の号外は選挙に関する報道評論が禁止されて、しかも選挙の政策とか他党を批判することもこの禁止に含まれるとされています。私のように行動範囲が狭い主婦にとってはますます情報が得にくくなってくるというわけです。
 私はいままで選挙においては、ほとんど各党から配られてくる号外を読んで、それでもって判断して投票しておりました。たとえばこの間行われた東京都知事選ですけれども、まあたくさんのビラがわが家にも配られたわけですが、ある日、石原陣営の方から、都の赤字財政のことが取り上げられ、その理由として、ほとんど都民が負担している税金というのが人件費に使われているというようなことが書いてありました。それだけ読めば税金が都の職員の給与に消えてしまうというように受け取られて、実際そういうビラがまかれた後、バスの中でもそのことについて都に対して憤慨して話している人も見かけました。けれども、その後、美濃部陣営から配られたビラによりますと、これは数字のまやかしで、都民税だけを収入とすると確かに高い割合になるけれども、収入はそれだけじゃなく、都の全体の収入からすれば人件費というのは四割以下であることと、また人件費の中には清掃をやってくださる方とか、それから汚水処理とか下水など、そういう都民に対するサービスをやってくださる方のものが多いということ、さらにまた、赤字の大きな理由として国がすべき福祉行政というものを都が肩がわりをしてやっているというようなこと、そういうようなことが説明されておりました。私自身も、最初石原陣営からもらったビラを見たときには都の財政に対して疑問を持ったわけですけれども、この後からきた反論の号外によって事実を知ることができて、まあ私なりに判断して投票することができました。けれども、今度出される公選法によって号外が規制されるようになりますると、決められた二、三種類の法定ビラだけで、しかも一方的に誤って書かれた内容のものが来ても反論する号外も出せないというような状態で選挙が行われるわけです。選挙というものは私が思いますには、各政党が自分たちの政策を国民の前に十分に提示して、しかも納得のいく意見を述べ合い、それを国民が判断して投票するものでなければならないと思います。それがなければ国民は正しい選択もできません。政策抜きの選挙ならば、タレント議員の人気投票になってしまいます。政党の機関紙号外によって選挙についての政策宣伝をしようとすることを禁止する理由は全くどこにもないと思います。政府は、この理由として、選挙の公正さを保つと言っておりますけれども、真の公正さというのは、金権選挙をなくすとか、上司とか取引先に縛られた企業ぐるみの選挙をなくす実際的な方策を立ててこそ初めて得られるもので、政党の政策の宣伝を規制するなどは全く本末転倒だと思います。
 この法案に対して野党の中で、社会党とか民社党が修正案を出して賛成して、成立のために努力していると聞いております。革新政党が、しかも私は、長い間社会党を支持しておりましたけれども、その社会党が法案成立の推進力となっていることはとても残念に思っております。この法案に対して多くの労働組合の中から反対の声が上がっていますし、婦人団体においても、婦人有権者同盟とか、全国地婦連とか、新婦人とか、いろいろ反対しているほか、多くの市田団体も反対の連動を展開しております。革新政治の大きな担い手である社会党にこうした声に耳を傾けてもらいたいと思い、また、こういうふうな政党の活動を規制し大衆連動を抑圧する危険を持つ公選法については、ぜひとも反対の立場に立っていただきたいと思います。もし、社会党が本当に私たちの信を担って政権を取ることを目指されるのならば、長い目で見てやはり自分たちを縛ることになると思い、今回の改正案には本当にぜひとも反対する立場をとってもらいたいと思います。
 いままで公選法に対して反対の意見ばかり述べましたけれども、定数是正に関しては私も賛成しております。国民一人一人の投票の重みというものの格差というのが直されて、公正さから見ても評価する点が多いし、いまのところ衆議院だけらしいですけれども、ぜひとも参議院でも成立させていただきたいと思います。
 次に、政治資金規正法について述べさせていただきますけれども、三木首相は、かつて企業献金廃止ということを公約しておりました。それで、私がこの法案が出されたと聞いて、いよいよ金権選挙というものが改められると思って読んだんですけれども、その内容を見て驚きました。規正法というのですから、企業献金を規制するということが普通だと思って読んだんですけれども、その内容を見ると、実際は各企業に対していままでの献金額の十倍とか、二十倍とか、上限がそういうふうに認められております。たとえばある資料によると、京浜急行などはいままで献金の実績が二百万円だったと聞いておりますけれども、今度の法案が通りますと、三千五百万円まで許されて、一挙に十七倍になってしまいます。これでは規正法でなく、全く奨励法とも言えるんじゃないかと思います。統制の額が商過ぎた場合に、実際にそれが統制でなく奨励になっている実例は、ほかにもあることを知っています。これは私の知人が、一昨年、地主の方から一挙に地代の三倍の値上げを要求されて困っていたんですけれども、その額というのは、新しく建設省が認めるようになった統制の額だというのです。統制の地代というのは、地代の最高限を決めるはずですのに、地主さんは上げられた限度を最高額、そこまで取れるものだという口実に使って、知人が悩まされているわけです。こういうふうに、やはり政治資金規正法も同じですけれども、献金を実際には奨励してしまう結果になってしまうと思います。
 それから企業の献金の一方、国民では、政党の政治活動に関して無記名のカンパが禁止されております。たとえ百円でも自分の名前を書かなくてはいけないらしいです。いろいろな事情があって、特にいまの企業の状態では、自分の名前をはっきりどの政党にカンパするということで届けられるという状態ではありません。しかも先ほどの企業献金に関しては、もし大企業が限度を超えて献金した場合でも、罰金が二十万円で体罰もなく、しかもその献金というのは取り上げられません。反面、先ほどの国民が無記名でカンパした場合ならば、三年以下の禁錮、しかも二十万円以下の罰金、それにカンパ金も没収されるそうです。全くこれでは不公正という一言だと思います。大体政治資金規正法というのは、政治を腐敗させる企業からの多額の献金を規制するものであって、どうして国民のわずかな無記名のカンパさえも規制されなければならないのか、私には全く腑に落ちません。また、そればかりでなく、第四条四項には「「政治活動に関する寄附」とは、政治団体に対してされる寄附又は公職の候補者の政治活動に関してされる寄附」とされていますように、政党に対するカンパの規制が各民主団体にも広げられるという危険があると思います。事実上、献金を奨励する一方で、国民のカンパを規制して、さらにそれが多くの民主団体にも及ぶ危険を持っている、こういう政治資金規正法には、私は反対いたします。
 いままで公選法と政治資金規正法に対して反対を述べさしていただきました。私は両案を見てみて、将来に対してとても不安を覚えます。両法案は、すべての国民の言論の自由とか、知る権利、政治活動に対する重大な侵害であって、議会制民主主義の根本である自由な選挙、自由な政治活動、主権者である国民の自主的な行動さえ抑圧するものと考えられています。私たちのような戦後世代にはとても想像さえもできないような戦前、戦時中の暗黒時代というものがありました。そういう暗黒時代というものが二度とまた繰り返されないように、ぜひともこの参議院では十分審議していただきたいと思います。
 以上でございます。(拍手)
#7
○委員長(中西一郎君) ありがとうございました。
    ―――――――――――――
#8
○委員長(中西一郎君) 次に、浦田公述人にお願いいたします。
#9
○公述人(浦田賢治君) 私は、大学で憲法を研究し、かつ教えているという学究としての立場から、今回の公職選挙法の一部を改正する法律案及び政治資金規正法の一部を改正する法律案、以下、公選法改正政府案、衆議院修正案などと略称いたしますが、この二法案について、主として憲法問題にしぼって見解を述べたいと思います。
 日本国憲法は、代表制度と選挙制度に関して憲法上の原則を定めております。代表制における国民主権、普通平等選挙、議会制民主主義、選挙制度における国民の参政権と言論、出版、表現活動の自由の確保などがそれであります。したがって、選挙関連法の改正の方向は、このような憲法上の要請にこたえるものでなければならないはずです。しかるに、今回の改正方向は、遺憾ながらこのような憲法上の要請にこたえないばかりか、これに反する、あるいはこれに反する疑いが濃いものであります。今回の改正内容の中には、代表制と選挙制度に関する政策決定が政府や立法府の裁量にゆだねられているという意味でのいわゆる立法府の立法政策の当否の問題にとどまらず、基本権の保障にかかわる憲法問題が存在しています。この点に、私は参議院が特別の注意を払われるよう求めるものであります。
 今回の選挙関連二法には、政治資金の規制、衆議院議員定数不均衡の是正など重要な事項が含まれておりますが、時間の制約もありますので、私は次の二点に限定して見解を述べておきます。
 第一点は、選挙二法改正案が、文書等による選挙運動を規制しているところに見られる憲法問題であります。そこにおける文書規制強化の中でも次の二点が特に重大であって、その一つは、政党、政治団体の機関紙誌の号外等について、選挙期間中、選挙に関する報道評論を載せることを全面的に禁止するばかりか、選挙と関係のない報道評論を載せているときでも、候補者の氏名または氏名が類推される事項の載っている場合には、当該選挙区内で配布することを規制されまして、この規制違反に対しては重い刑罰を科していることであります。その二は、政治資金規正法改正案附則第十条による公選法二百一条の五以下の改正により、政党、政治団体だけでなく、政治活動を行う団体の政治活動が全面規制されまして、その規制違反に刑罰が科せられることであります。
 私たち憲法研究者は、このような厳しい選挙運動規制立法の憲法問題を考察します際に、現行公職選挙法における言論活動、特に文書図画による選挙活動の包括的禁止、限定的解除の方式にまで目を向けております。そして、それが議会制民主主義の発達した諸国にはその例を見ない言論活動の抑圧法制であると考えております。そして、このような言論活動規制方式が、歴史的に見ると、昭和四年の内務省令で始まり、昭和九年の齋藤内閣の時期になされた選挙法改正によって形成されましたいわば明治憲法下の遺制であるという評価をしています。言論活動の包括的な禁止と一定の要件を満たす場合にのみ限定的にこれを解除するという方式、この方式は、戦後、憲法制定と同時に、法改正により原理的なレベルで改められるべきところであったと考えられますが、当時のいわゆる特殊事情を強調することによりまして、選挙公営の拡大と並んで国民の選挙活動の規制をむしろ拡大していったわけであります。もっとも、その後の公選法の立場と歩みは一貫したものではございませんが、政党本位の選挙運動に転換するということ、また言論、文書などの形式的取り締まりの自由を強化するということが目指されてきたわけでありますが、今回の改正案はこの方向に逆らうものと思います。今回の改正案の中の、さきに挙げた文書活動規制強化の部分が、政府と国会の立法政策に属する問題であって、憲法問題を生じないというのが政府側の見解であり、修正案提案者の見解もまたそうであるように思われます。はたしてそうであろうかというのが私たち憲法学者の疑問であります。
 政府案、修正案の論理は、審議過程での説明によりますと、一応次の三つの命題からなっているように思います。一つは、言論表現の自由は無制限のものではなくて、公共の福祉、つまり選挙の自由公正の確保という点から最小限の合理的な規制を許す、第二は、文書表現活動を認めることと規制することとを比較考量することによって、今回の規制手段は合理的な最小限度内のものと言える、その三は、よって今回の文書表現活動の規制は違憲でない、この三つの命題であります。
 第一点について言えば、今回の立法目的が真に選挙の公正確保を目的としているかどうかがそもそも疑問であります。確認団体の届け出機関紙誌の号外無償配布を禁止する立法目的とされているビラ公害の解消という立論は、ある新聞投書などを大臣が引き合いに出すことによってなされているにすぎない。これに対しては他の新聞社説がこれに反するという議論がありますし、参議院公選法特別委員会の報告や東京都選管委員会の調査に照らして、事実認識の問題として十分な反論がなされております。政治活動を行う団体の政治活動の全面規制が選挙の公正確保を目的としているという政府側の立証もきわめて不十分であるように思われます。したがって、この規制立法の真の目的は実はほかにあるのではないかとさえ疑われるのであります。
 第二点について言いますと、いわゆる比較考量の手法によって今回の規制方法が合理的な最小限のものだと言葉の上で説明されているだけであって、比較考量の対象となる自由の価値と規制により得られる価値がいかなるものか、現実、具体的な形で論じられているとは言えないのであります。たとえ号外ビラ規制の立法目的を達成する必要が仮に認められるとしても、改正法二百一条の十四の3のビラ規制は、それを達成する上で必要最小限の手段であるとは考えられません。選挙期間中こそ号外ビラは文書表現活動の包括的規制を補正するものとして、政党などの選挙運動と国民の真実を知る権利を保障する上で必要かつ有益なものであります。これをビラ公害といったレベルの迷惑論で規制するのは比較考量いわゆるバランスを失しております。また、その規制違反に対する罰則条項は不当に重い刑罰を科するものであって、憲法三十一条との関係で違憲または違憲の疑いが濃いと言えます。
 政治活動を行う団体の政治活動の全面規制条項についても、原理的に右に述べた問題点が存在いたします。
 要するに、今回の政府案も修正案も、いずれも公正選挙確保のためという名分において公営選挙を拡大する、選挙の公営を拡大すれば国民の、政党の選挙活動の自由は制限しても憲法問題は生じないという思考方法をとっていますが、選挙公営によって代替することのできない選挙における国民の憲法的自由という価値が存在する。この価値は、法律による規制によってではなくて、民主主義を育てる国民の政治的自覚によってこそ実現されなければならないことを私は指摘しておきたいと思います。
 ところで、私の問題の第二点は、参議院地方区議員定数の不均衡是正の立法措置がとられていないことであります。これが政府、国会の不作為による違憲状態の放置と見られるのではないかという憲法問題であります。衆議院についても参議院についても、有権者人口と議員定数配分の不均衡が国民主権、普通平等選挙制、議会制民主主義の立場から見て許しがたい実情になっていることは良識ある世論となっております。このうち今回衆議院に関しては不十分ながら是正措置がとられましたけれども、参議院についてはまだ適正な措置がなされていません。昭和四十六年六月施行の参議院議員選挙無効請求事件におきまして東京高裁が次のように言っております。票の価値、つまり配分議員数の当該選挙区の選挙人数に対する割合と全国総議員数の総選挙人数に対する割合との百分率でありますが、この意味の票の価値が全国最小である東京の区と最大である鳥取の区との不均衡は一対五・〇八にまで開いております。だから、公選法「別表第二が、今日なお違憲無効のものでないと断定することは困難であるというべきであり、国会において近い将来、現情に即応して、不均衡を除去するため、何らかの改訂が行なわれることを期待せざるを得ない。」これは四十八年七月三十一日の判決であります。ちなみに、アメリカ、西ドイツと比べれば、わが国の定数配分がいかに不均衡な状態に放置されているかということが指摘されてからすでに久しいのであります。
 なお続けてよろしゅうございますか、公述は。
#10
○委員長(中西一郎君) 十七分まで五分ちょっとあります。
#11
○公述人(浦田賢治君) ちなみに、昭和三十九年最高裁判決も、議員数を選挙区に配分する要素の主要なものは選挙人の人口比率だと言いまして、他の幾多の要素についてはそれを加えることを禁ずるものではないというふうに副次的に位置づけております。歴史的に見て主権的な州の代表としての性格を持っておりますアメリカ合衆国の上院とは全く異なりまして、わが国の参議院の議員定数配分は沿革的にも人口比率を原則としてきたのであります。この原則に照らした場合の著しい不均衡は、現実的には都市型の選挙区代表率が余りにも少なく、農村型選挙区の代表率が余りにも多いという形をとっております。この点をいまはしばらくおくといたしましても、著しい不均衡がワンマンワンボート、ワンパーソンワンボートという一人が一票を持つという普通平等選挙の実質的な憲法価値を著しく阻害していることは否定できないと思います。この意味において立法府の不作為による違憲行為ということが言えるのではなかろうかと考えます。
 いずれの問題におきましても、今回の改正案が現行憲法の要請にこたえていないということが以上の点を指摘しただけでも明らかになったと思います。この法案は政府や有力な政党の側から代表制、選挙制度をとらえたものでありまして、国民の側あるいは、いまは弱いけれども、将来国民の信頼を得て大きくなるかもしれない政党、こういう政党の立場からとらえたものではないようであります。法律で規制すべきでない文書表現活動を憲法的要請に反して規制しております。法改正によって是正すべき参議院の定数是正は憲法的要請に反して行っておりません。いずれも憲法的要請と民主主義の立場よりも政党の党利党略に従ったものであるとあえて言わざるを得ないわけであります。
 私はいまここで次の事実を想起いたします。それは約十二年前に参議院で可決されました薬事法第六条のことであります。これは薬局や薬店を新設する際に距離制限を行ったものであります。この距離制限の適正配置の基準は都道府県の条例で行うということになりました。この薬事法第六条が共産党を除く当時の全政党、全議員の賛成で成立したということに私はこの際皆様の注意を向けていただきたいと思うわけでございます。この薬事法第六条は去る四月三十日の最高裁大法廷判決によりまして、営業の自由を保障した憲法第二十二条に違反すると判断されました。この判決内容を憲法学の観点から全面的に評価することはいま差しおきますが、参議院が今回の法案について、薬事法でなさったようなそういう憲法抵触行為というものをなさらないように私は憲法学者の一人としてあえて指摘したいと思う次第でございます。
 私たち社会科学者四百七十余名の声明を過日この委員会のすべての委員の方々はもちろんのこと、すべての議員の方々にお届けいたしました。そこには、文書表現活動を規制する公選法、これが日本の民主主義、日本の健全な民主主義の発達、これを抑える、そういう危険がある、この公選法には憲法違反の疑いが濃厚である、こういうことを言ってあります。私たちが大学の研究室とそして教室を離れてあえてこういうところへ来て問題を指摘するのは、それは良識ある参議院が憲法を守るという意味での真の意味の良識を発揮されることを期待するからでございます。
 ちょうど時間のようでございますのでこれで終わりたいと思います。(拍手)
#12
○委員長(中西一郎君) ありがとうございました。
    ―――――――――――――
#13
○委員長(中西一郎君) それでは次に、小島公述人にお願いたします。
#14
○公述人(小島憲君) 果たして御参考になるかどうかわかりませんですが、ただいま御審議中の公職選挙法及び政治資金規正法の一部改正法律案につきまして私見を述べさしていただきます。
 申すまでもなく政治上の制度には一定不動の原則というようなものはなく、時に応じ機に臨み少しでも国民の要望にこたえることができるよう適正な変更を加えるべきでありまして、今回の改正案にはいろいろ問題はありますけれども、これを全体として評価いたしますならば、現在の選挙を改善するのに大いに役立つものとして強くその成立を望むものであります。
 最近の選挙の実情を見ますと、買収、供応、誘惑、脅迫、詐偽投票などの悪質違反が後を絶たず、選挙運動に伴う浪費は莫大なものでありまして、平気で違法行為が行われ、そのため政治不信の念は従来の政治無関心層にまで広がり、ひいては議会政治否認にまで発展せんとするおそれがありまして、まさに民主政治の危機と言っても過言でないのであります。特に昨年の参議院選挙以来この切迫せる危機感が高まってまいりましたので、ここに国を挙げて選挙制度の改革によって民主政治を擁護せんとする機運が盛り上がってまいりました。そこへ三木内閣の成立とともに金のかからぬきれいな選挙を実現するためには何をおいても選挙制度の改革を断行するほかなしとの結論に達し、内閣の最も重要な施策の一つとして公職選挙法と政治資金規正法の改正案が国会に提出されましたことは、多年にわたる国民の熾烈な要望の一端がようやく入れられましたものとして、一日も速やかにその成立を切望するものであります。
 明治二十三年の第一回総選挙以来、個人中心の選挙が行われてまいりました。戦後、特に昭和三十年ごろから選挙ごとに人よりも党、個人よりも政策本位という声を聞くようになりましたけれども、いまなお依然として人本位の選挙が行われている実情であります。政党も候補者も一応政党本位、政策本位を標榜しながらも、いざとなると義理人情の力が票を左右することは否定し得ない事実であります。わが国民は義理人情に厚いことをもって知られ、国民性の美徳とまで言われています。確かに、私の関係では日常生活に潤いをもたらす一種の美点と言えましょうけれども、公の選挙にまで義理人情を持ち込んだのでは選挙は腐敗、堕落するばかりで、遵法精神の欠如や公徳心の退廃などの諸悪はここから起こると言ってよいのであります。わが国の民主政治が各方面の努力にかかわらず、いまひとつ伸びない要因はこのところにあるとの前提のもとに、選挙制度審議会におきましては、いままでの個人本位の選挙から政党本位、政策本位の選挙に移行せしめなければならぬとの基本理念のもとに審議を進めてまいったのであります。今回の改正案にも、その線に沿って後援団体等の立て看板、裏打ちポスターなどの規制、選挙区に対する寄付の規制、選挙公営の拡充等が盛り込まれていますが、必ずしも十分とは申されませず、また多年の懸案でありました連座制の強化にわずかながら手を染められましたことは、立案者の苦心の跡がしのばれ、一歩前進として賛意を表しますとともに、さらに今後の課題として、政党本位の選挙への根本的改革に努力されるよう期待いたします。
 改正法案中最も重要な点は、人口と議員定数のアンバランス是正であります。私は以前から一刻も早くこの不合理を是正しなければならぬと機会あるごとに主張してまいったのでありますが、今回その実現の曙光が見えるに至りましたことは喜びにたえません。兵庫五区の議員一人当たり人口が大阪三区の五分の一で、有権者の一票の重みが五倍という不合理は、法のもとの平等の趣旨や近代国家における選挙の平等原則に照らして放置すべきでないことは言うまでもなく、しばしば憲法違反の疑いありとされてきたのでありますから、定数是正はもとより当然過ぎるほど当然であります。衆議院の定数是正と関連いたしまして、参議院地方区の定数是正の問題がありますが、全国区と地方区とを柱とする現行区制を前提とする限り、地方区の定数是正を必要とすることは言うまでもありません。ただ、衆議院はいつ解散があるかわかりませんから急を要しますが、参議院の通常選挙は二年後でありますのみならず、第一次選挙制度審議会から第七次に至りますまで、ここの席にもお顔が見えますが、当時の審議会特別委員も御存じのように、大部分の日程が衆議院の選挙制度に関する審議に費やされまして、参議院については十分の検討がなされていない事情等もございますので、とりあえず、衆議院の定数是正は、必ず次の総選挙に間に合うように御考慮を願いたいのであります。
 なお、今回の改正案で最大の問題となっておりますのは、新聞や政党機関紙の頒布の規制強化であります。申すまでもなく選挙において最も大切なことは、自由と公正とが確保されることであります。選挙が自由に行われ、選挙人の意思が自由に表明されなければ、正しく民意を反映した公正な結果を期待することはできません。その意味で、選挙人にとっても候補や運動員にとっても、選挙はできるだけ自由であるべきが理想であります。民主政治の確立した諸国では、選挙運動等の規制は少なく、比較的自由に行われています。それでは全くの自由でいいかと言えば、それがため、金のある者や、権力、圧力を有する者が選挙を支配し、選挙を左右する結果となり、真の意味での自由や公正は期せられないのであります。そういうおそれのありますからには、選挙運動についても、文書図画の種類や数量を制限し、また一定の選挙運動を公営とすることによって平等に公平に運動が行われ、それによって不当な影響を受けない公正な選挙を期し得るのであります。
 いずれにしましても、選挙における自由と公正という概念は対立して考えらるべきでなく、要は民族性、国民性に根ざすその国の歴史的、社会的、政治的条件のもとにおいて真に選挙の自由と公正とを確保するためには、どのような制度や規制が適当であるかどうかということでありましょう。わが国の選挙法は他に例を見ないほど制限を設けていますが、これによって選挙の自由と公正とを保たんとするものでありまして、欧米諸国とわが国の諸条件の違うところから生じたものと思われます。
 ところで、今回の新聞紙、政党機関紙の頒布の規制でありますが、このような規制はない方がよいのであり、現に選挙制度審議会では、できるだけ選挙運動、政治活動の自由化の方向で審議してきたのでありますが、一見それに逆行するような改正が問題となるのは無理もないとは思いますけれども、候補者の選挙運動のための文書図画が、種類も枚数も規制され、その違反が厳しく問われるのに対して、それと全く同様と受け取られるような内容の、すなわち候補者の氏名や写真を大きく掲載した政党機関紙の号外等が大量に頒布されているのは、公平を欠くことはなはだしいものがありますので、今回の規制に踏み切ったものと思われますが、このような規制は決して好ましいものではありません。ただ、最近の実情にかんがみますと、真にやむを得ない暫定的な措置と考えられます。公職選挙法の改正案は、私といたしましては決して満足なものではありませんけれども、
  〔委員長退席、理事剱木亨弘君着席〕
一歩前進、将来一層改善の足がかりとしてその成立を期待するものであります。
 次に、政治資金規正法の一部改正についてでありますが、これについては、昭和四十二年に第五次選挙制度審議会の答申が出され、これを受けて政府は過去三回にわたって改正案を提出していますが、いずれも不成立に終わっております。この問題は十年来の懸案で、国民の重大関心事となっていることは御承知のとおりであります。ことに昨年の参議院通常選挙以来、政治資金に対する国民世論の高まりのうちにあって、今回の改正案が提出されるに至りましたことは、むしろ時期遅きに失した感がないでもありません。この改正案を検討するに当たり、過去三回も流産になったいきさつを考えますと、この際、何としても問題解決の糸口を見出し、将来の足がかりを築く必要のあることは論のないところであります。衆議院における審議を通じまして、改正案の問題点も種々指摘されていますが、政治に金がかかることは現状では否定できませんけれども、それは、どこまでも公明でなければなりません。政治献金に制限を設けることは、実際上の問題として政党及び政治家個人にとり、死活にかかわる問題であることも考慮する必要があります。しかしながら、政治資金につきまして、これほど国民の関心が高まっている今日、議会制民主政治の健全なる発達を図るためにも、万難を排して時代に即応する改正を断行すべきであります。今回の改正案は政治献金につき、わが国において初めて量的制限を行うとともに、質的制限を加え、従来透明度が低いとの批判の多かった収支の公開を強化し、また、個人献金の促進を図るため課税上の優遇措置を講ずるなど、画期的な意図が織り込まれているようで、さらに五年後には再検討することを明記しているのでありますから、不十分な点は多々あるにいたしましても、ぜひこの改正案は成立させねばなりません。改正案はゴールではなく出発点と理解し、これを契機として各政党が明朗濶達な政治活動をし、国民一人一人に真の政治参加の意識を醸成することが、現在最も大切なことと確信いたしますがゆえに、多少不徹底な点がないわけではありませんけれども、改正案に賛意を表するものであります。
 衆議院での審議の状況を見ましても、現事態において、これ以上望みますことは少々無理でありましょう。
  〔理事剱木亨弘君退席、委員長着席〕
ゆえに、個々の問題は別といたしまして、全体として賛成いたします。
 万一、この両案が今国会において成立しないというようなことにでもなりますと、国民の落胆、失望はかり知れぬものがありまして、議会政治の前途を悲観し、ひいては議会政治否認の風潮を醸成するおそれなしとしないのであります。何とぞ良識の府たるにふさわしい御審議の上、多年にわたる国民の要望にこたえていただきたいと存じます。
 最後に申し上げたいのは、制度が幾ら改まりましても、立候補者が遵法精神を欠き、有権者の政治意識が旧態依然たるようでは、選挙は絶対によくなりません。現内閣成立以来、政府、国会ともにきれいな選挙、明るい選挙の実現に多大の熱意を示され、私どもも大いに意を強くしてその推進運動に全力を注いでおりますが、今後政府、国会におかれましても、さらに一層の御理解と御協力を賜りますよう、この機会に特にお願いいたしまして、意見陳述を終わります。(拍手)
#15
○委員長(中西一郎君) ありがとうございました。
    ―――――――――――――
#16
○委員長(中西一郎君) 次に、作間公述人にお願いいたします。
#17
○公述人(作間忠雄君) 作間でございます。初めに、これから申し上げます私の意見の前提となる考え方につきまして、ごく簡単に申し上げたいと思います。
 第一は、国民主権のもとにおける民主的な選挙制度の基本原理といたしまして、私流の平易な言葉で申しますと、一つは国民総ぐるみの選挙、二つは政策中心の言論による選挙、三つは自由で公平な選挙、四つは金のかからぬきれいな選挙ということを挙げることができると思います。しかしながら、わが国の選挙制度は、御承知のとおり新憲法下の現在におきましても、基本的には明治憲法時代の伝統的な官僚統制型の延長でございまして、政府が主宰し、選挙運動は厳しい各種の規制のもとに置かれ、国民の多くもまた義務感に駆り立てられて投票に赴くといった選挙である点においては、変わっていないのではなかろうかと思います。この機会に、私はこのような今日欧米諸国にその例を見ない選挙制度、たとえば欧米の選挙を明るいお祭り選挙と申しますならば、わが国の選挙は陰気な葬式選挙とでも呼びたくなりますが、この選挙制度を自由で近代的な、しかも国民の立場に立った新しい選挙制度へ一大転換させる御決意を持たれることを、この機会に議員各位に切望する次第でございます。
 さて、それでは現在御審議中の公職選挙法及び政治資金規正法の一部改正法案につきまして、若干私見を申し述べたいと思います。
 初めは、公職選挙法の改正案でございますが、問題となると思われます第一点は、供託金の大幅な引き上げでございます。全体を通じまして約三倍の引き上げになっておりますが、この供託金制度そのものではいわゆる売名候補や泡沫候補を防止することはできませんし、またいわゆるそういう候補者は国民の厳正な批判を受けてきていると思います。外国の例を見ましても、供託金制度を設けていない国もあるわけでございますが、今回のように、たとえば参議院議員の全国区の選出議員は二百万円でございますか、このような多額の供託金を要求しますことは、何といっても国民の立候補の経済的制限になると考えられます。先ほど申し上げました国民総ぐるみ、国民総参加の選挙という原則に反しますし、また具体的には憲法の四十四条ただし書き、十五条三項及び十四条一項に違反する疑いもあるかと思われます。
 第二は、選挙公営の拡充の問題でございますが、昨年の参議院選挙を特色づけましたものは、何といっても選挙費用の急増であったと思います。確かに、選挙費用は余りにもかかり過ぎるようになりましたので、これらの費用の一部を公営にする、無料化するという考え方は当然出てくるかと思いますけれども、その内容によりまして、種類によりましては、本来候補者や政党が負担すべきものを結局は国民の税金から出ております国の負担に転嫁するという面もないではないかと思います。まあ、一般論でございますが、選挙の公営とそれから選挙の自由、つまり自由な選挙運動との兼ね合いはかなりむつかしい問題かと思います。たとえば、参議院全国区のような非常に広い地域で、また各国にその例を見ないような場合におきましては、ある程度選挙公営に重点を置くということも考えられますが、しかし、今回の案に見られますような自動車やポスターの無料化というような点では、いささか疑問に感ずる次第であります。
 第三に、選挙運動の各種の規制でありますが、先ほど来、多くの公述人の方から取り上げられておりますけれども、政党その他の団体の機関紙誌及びその号外等の頒布の問題でございますが、現在の選挙は言論あるいは文書を通じまして各党の政綱、政策を中心に争うのが本則であろうかと思いますので、その点からはこういった文書図画類、それがどのようなものであれ、基本的には規制し制限することには賛成いたしかねる次第であります。実際の経験でも、昨年の選挙では大量のビラ等が配布されましたけれども、有権者は選挙広報それから新聞広告、それから一般の新聞のほかに政党などの機関紙誌あるいはその号外、そういったものも選挙の判断資料にしていることは一般に知られているところでございます。また、選挙運動が特に文書図画等によりまして活発になることは、有権者の関心を高めるばかりでなく、それらのものを比較検討することによって、いわゆる政治教育の最良の機会になるのではないかと考えられる点もございます。さらに、選挙公報や新聞広告などは、いわば公式のお座敷用の内容になりがちであります。それに対して政党等の機関紙誌や号外などは、いわば茶の間向きの各党の個性を発揮した意見の表明の手段の役割りを果たすものでないかと思います。ビラ公害という言葉もございますが、読む読まないはもちろん自由でございまして、言論、文書通じての選挙運動を促進する、発展させるという点で、その役割りは評価できるのではないかと思います。この問題につきまして、政府の提案理由におきましては、このような大量なビラが一部の政党から、あるいはその関係団体から出されることは、選挙の公正を害するということが言われておりますけれども、出したい政党は出せばいいし、ビラ以外のほかの手段で選挙運動をされる政党はそれでよいわけでありまして、どうもこのビラ等に厳しい規制を加えることこそ、私は公正かつ自由な選挙運動をゆがめるのではないかというふうに感じます。そしてさらに、先ほども御指摘ありましたが、この機関紙誌やビラ等の規制は、憲法二十一条で保障されております表現の自由と、これが前提としております国民の知る権利を制約する危険を感ぜざるを得ないわけであります。衆議院の審議の段階におきまして反対する政党がありながら、これまでの選挙法は全党一致で改めていくという基本的なルールが無視されたことは、はなはだ残念だと思っております。
 最後に、参議院議員の定数是正の問題について申し上げます。参議院の定数是正は、特に地方区について言われているわけでございますが、かつて昭和三十九年、最高裁は参議院議員の定数不均衡の問題につきまして、議員定数の選挙区への配分の要素は、単に人口比例に限られない、その他いろいろこれを考える要素があるとし、またこの問題は立法政策の当否の問題であるというような理由を挙げて、違憲ではないとした判決が出ていることは御承知のとおりであります。しかし、この点につきましては、学界だけで申しましても圧倒的に批判の意見が強い現状でございます。
 それから、参議院の定数是正につきまして、参議院は衆議院と違うんだということがよく言われるようでございます。しかし、私の見ますところ、参議院の議員の総数二百五十名も、地方区百五十――現在は二名増でございますが、当時は百五十名、全国区百名の割り振りの両方の点も、いずれもどうも明確な理由というものはなかったように思われます。しかも、地方区百五十名の配分は、これは明らかに各都道府県の人口に比例して配分されております。そういうようなことを考えますと、参議院の特に地方区につきまして、やはりその人口――厳密には有権者人口との均衡を保った比率というものが要請されることは当然のことではないかと思います。もし、それがいわゆる保革逆転を恐れるためだというようなことで妨げられますならば、やはり大きな疑問を感ずる次第でございます。
 なお、全国区につきましては若干事情が違いますけれども、わが国の全体の人口が相当の増加を見ました段階では、やはりその定数の増員も考えられることではないかと思います。
 次は、政治資金規正法の改正案についてでございますが、先ほどもお話がありましたように、政治資金規正法は昭和二十三年の制定以来基本的な改正は行われず今日に至ったわけでございまして、これは政治資金の浄化を強く望む国民にとりましては、非常に長い間待望された問題でございます。しかしながら、実際に今回の改正案を見ますと、やはりいろいろの問題点があることを感ぜざるを得ません。その最も主要な問題は、いわゆる企業献金の問題でございまして、今日のわが国の選挙が金権選挙と呼ばれるほど多額の費用を要し、あるいはわが国の政治の傾向がとかく国民から批判的に見られる状況はいろいろ原因ございましょうが、その一つは明らかにこの企業献金に根差していることは否定できないと思います。しかし、歴代総理も三木総理も、選挙に金がかかるのは仕方がないんだとか、あるいは企業献金は悪ではないというふうに言い続けておられます。最高裁も御承知のとおり、昭和四十五年六月二十四日のいわゆる八幡製鉄事件の判決におきまして、会社の政治献金を会社の政治的行為をなす自由の一環であるとか、その社会的事業の一つであるというような理由づけをいたしまして、違憲でないという判決を出しております。しかしながら、これは私見でございますが、企業は選挙権、被選挙権を持っております一般国民とは全く違った存在でございます。それは経済活動の主体として、その取引等の必要から権利義務を与えられた法律上の人格、つまり一つのつくられた法の主体でございます。結局、選挙権あるいは被選挙権を持たない企業が、なぜそういった意味の選挙活動をするのか、あるいはそれに連なる企業献金をするのかという点は、いささか不可解と申し上げてもよろしいかと思います。企業はもちろん本来政治団体ではありませんので、政治献金をするならば、その本来の目的である営利活動の点から何らかの利益を期待するであろうということも考えられるわけであります。したがって、よく言われておりますように、やはり政治資金は個人献金に限り、このような多くの国ではその例を見ない企業献金は速やかに全廃すべき問題であろうかと思います。
 なお、時間がございませんので、政治資金規正法につきましてもう一つぜひ申し上げておきたいことは、附則の十条におきまして、「政党その他の政治活動を行う団体」という新しい規定によりまして、いわゆる政治団体のほかに多くの市民団体あるいは労働組合その他の各種の団体がたまたま政治活動を行う、特に選挙について何らかの活動を行う場合に、非常に広範な規制を受ける危険は、これはぜひ指摘しておきたいと思います。
 最後に、これは一つの感想でございますが、昨年七月の参議院選挙の結果に見られました自由民主党や社会党の不振というもの、その原因は決して今日言われておりますように、金のかかる選挙あるいは大量のビラまきというところにあるのではないと思います。基本的には、これまでの自由民主党につきましては、その高度経済成長の行き詰まり、それから金権政治の体質に対する国民の批判が強く出たものと思います。また、社会党につきましては、いわゆる大企業の労働組合に乗った運営ぶりと申しますか、あるいは安易さというものに対する私は国民の批判であろうかと思います。ですから、今度のような両法の改正をなさっても、こういった全国的な選挙における不振あるいは退勢を挽回することは、あるいは私は不可能ではないかと思います。むしろ、すべての国民が参加できるような、自由で明るい選挙及び資金の調達をお考えになることが、結局は私は議会政治の大道、大きな道を歩むことになるのではないかと、こういうふうに感じておりますので、一言つけ加えまして私の意見の陳述を終わりたいと思います。(拍手)
#18
○委員長(中西一郎君) ありがとうございました。
#19
○委員長(中西一郎君) それでは、次に杉森公述人にお願いいたします。
#20
○公述人(杉森康二君) 私は一市民としての立場から、現在国民の大きな関心を集めています公職選挙法並びに政治資金規正法についての見解を述べたいと思います。
 私たち市民は、現在の選挙というものを一体どういうふうに感じているのか。これはもうすでにマスコミ等によっても明らかにされてますように、まず第一は金権選挙と言われる現状に対して非常に強い批判と不満を持っていること。第二は、巨大な組織力を持つ者だけが当選できるというふうな現状に対して、やはり非常に強い批判と不満を持っている。そういった金権やあるいは組織の力に対抗するためには、結局マスコミ等による著名度、いわゆるタレント化という現象によってのみ議員の立候補なり当選ができるというふうな現状に対して、非常に危惧をしているわけです。そういった状況がこの数年間とみに顕著になってきているということに対しても、非常に強い不満を抱いているわけです。
 この傾向というのは、一口に言えば、政党選挙化というふうに言ってもいいと思います。政党選挙化というものは、現在の複雑な管理社会あるいは組織社会という状況にあっては、いわば必然的な現象でございまして、これについては私も認めることにやぶさかではございません。しかし同時に、こういう選挙というふうなもの、あるいは政治運動というものは、単に政党だけのものではなくて、これはやはり原則というものは国民のすべてが参加できる制度、国民のすべてがその選挙に参加をする、政治に参加をするということをより保障することが、われわれの選挙運動並びに政治活動の原則ではないかというふうに考えるわけでございます。もちろん、国民というものは単に投票するという受動的な行為だけではなくて、みずから積極的に政治に参加をする、立候補する、被選挙権を行使するという意味での能動的な、いわば積極的な行動を伴ってこそ、初めてこの政治における国民の参加というものが保障されるのではないかというふうに私は考えているわけでございます。しかし、現実にこの国民の被選挙権の行使というものが保障され得るかというように考えますと、これは全くされないような状態にあるということでございます。そういう国民の被選挙権というものは、現実的な根拠を失っているというふうに申していいと思います。と申しますのは、われわれの周辺には現実に、出たい人より出したい人という言葉がありますが、とにかく能力もあり――政策的な能力もあり、政治的な判断力もある高い資質を持った人材がたくさんいるわけです。しかし、そういう人たちが一体現在の選挙というものに立候補できる状態にあるかというと、やはり全くできない。いわばこれは政党に入って、一定の政党の中における秩序を踏んで政党から推薦されるか、あるいは非常に個人として巨大なお金を持って公認を金で買うというような行為をするとかというような、異常とも言える状態の中に埋没し、その中で自分の身分を置かないことには、選挙には立候補できないというような状態が現実にあると思います。要するに、市民がみずからの被選挙権という権利を行使できないような状態、そういう状態、阻害する条件が現実の社会の中に構成されているということでございます。もちろん、この政党選挙化というふうな状態というものを考えてみますときに、これが政党が現在の国民の世論をすべてを代表しているというふうに考えますならば問題はないと思います。しかし、先ほどからの意見もございますように、現在全国的に見ては三〇%の人たちがどの政党も支持しないという態度を表明しているわけでございます。大都市においてはこの傾向はさらに強くて、四〇%にも達しております。こういった四〇%に達するどの政党も支持しないという人は、決して政治的に無関心から政党を支持しないわけではなくて、むしろ最近の調査、同じような調査によりまして明らかなように、この人々は非常に高い政治的判断力を持っている。政治についてもあるいは政党に対する知識を持っている。にもかかわらず、その結果といいますか、知ったがゆえに逆に政党を支持しないというふうな態度を表明しているわけでございます。そして同時に、こういうどの政党も支持しないという人たちが、現実に現在の選挙のあり方に対しても最も強い批判を持っている層だというふうに言っても過言ではないと思います。こういう政党不信感あるいは政治不信というものの現実を見たときに、しかもその人たちが非常に高い政治的判断力と能力を持っているというふうに考えた場合、この人々をどういうふうに政治に組み入れていくか、政治の参加を保障するかということを考えないことには、これからの選挙制度あるいは政党選挙あるいは政治というものを考える場合、全く不可能であろうというふうに考えております。こういう状態の中で、ともあれいろんな国民の批判を生んでおります現行の選挙制度というものを改正しようという動きが出たことにつきましては、われわれは非常に歓迎するものでございます。しかし、この間の衆議院及び参議院の現在までの議論を見るに及びまして、必ずしもいま私が述べたような国民の権利としての被選挙権、言いかえれば国民の政治への参加を保障する最良の方法としての立候補を阻んでいる障害というものを、いかに取り除くかという観点は、この委員会でも十分論議されていないというふうに私は考えております。無論、法の改定というものは議会の権限でありまして、議会を構成する各党にとって問題が論じられている限り、しかも選挙というものが政治活動の非常に重要な基本の部分である限り、立場の異なる各党というものが党利党略的にこの審議に反映されることは言うまでもございません。それゆえ、各党の意見が完全に一致することはあり得ないであろうし、また最終的な理想というものが、この委員会並びに衆参の委員会で一挙に実現するということもあり得ないと思います。しかし、十一年ぶりで提起されたこの両法案の改正というものは、われわれが非常に久しく待ち望んだ改定であって、その機会に今回の公選法の改正に当たっては、可能な限りの問題が解決されることが望ましいというふうに私は考えております。
 そういった前提に立ちまして、私は以下数点にわたりまして、公選法並びに政治資金規正法についての私の見解を述べていきたいと思います。
 第一は、何よりも私は今次公選法あるいは政治資金規正法というものの改正が、国民の市民的権利としての立候補という問題を、いかに回復するかという観点に基づいて出されることを望むものであります。すなわち、選挙が平等の条件において、かつ金がかからない方法で行われること、いわば公正に金がかからないように行われること、同時に、国民が理性的な判断に基づいて投票行動を行うための最適条件をつくることが、今改正の主眼目に置かれることが必要であるというふうに考えております。では、この公正化のための最適条件とは一体何であろうかというふうに考えますと、これは何といいましても民主的に運営される選挙管理委員会の指導による選挙の完全公営化がその理想というふうに考えていいと思います。無論、選挙の完全公営化というものは、他の議会制民主主義の国でも余り例はなくて、その実現のためには多くの困難があると思います。しかし、その困難というものは決して克服されないような困難ではない。そして、現在の改正案にも可能な限りその理想に沿ってその完全公営化の道が追求される必要があるというふうにわれわれ考えています。この点につきましては、今回の修正案が、選挙用の自動車であるとかあるいはポスターであるとかあるいは政策広告であるとか、あるいははがき、選挙用ビラなどに関して公営部分が幾らかでも拡大したことについては、私は評価してよいと思います。そして、これは供託金の増額によるところの候補者の負担増を補うに余りあるものであるというふうに考えております。いわば、これまでは供託金だけを納入して立候補し、売名行為とする人が多かったわけですが、そういう一部ふまじめな人を除きまして、正常な選挙活動を行おうとする者にとっては、今次改正案は金のかからない選挙への一歩前進という意味で評価できるからでございます。ただ、補足すれば、選挙の公営化というものをこの程度の中途半端なものに終わらせたくないというのが私の意見でございます。同時に、もっとこの委員会でもより審議をして、より促進していただきたい。もちろん、一部には選挙公営化というものが政治活動の国家統制につながるのではないかというふうな危惧や、あるいは選挙公営化というものは国庫支出を増大させることというふうな理由で賛成しないというふうな向きもあります。しかし、その意見というものは不要の心配であると思います。というのは、これは木を見て森を見ざる意見であるというふうに言ってもいいと思います。というのは、選挙公営化というものは、中央及び地方の選挙管理委員会が管理するものであって、その管理が民主的に運営され、選出されている限り、選挙が民主的に行われ、国家統制につながる危険性はないというふうに私は判断するからでございます。また財政事情については、幾ら公営化によって財政増になるか私は数字的にわかりませんけれども、とにかくこれは幾ら金がかかっても、このために選挙が、政治が改善されるならば、これは必要な経費であって、その経費については惜しむべきでないというふうに考えております。したがって、今次改正に当たっても、より強力に公営化の道が検討され、もし今回の改正案につきましてそれが十分盛り込めないならば、せめて附帯決議でそういう問題を具体的に検討して、そして年次を決めて完全公営化のための道を切り開くべきではないかというふうに考えております。もちろん、国会で年次を決める場合は、非常に審議が長引くということが予想されますので、たとえば三年間というふうな期限をつけて、完全公営化の道を切り開くべきではないか。そして、少なくとも今次改正案におきましても、選挙公報の全国配布を選挙管理委員会の責任において三回は実施するというふうな案や、あるいはテレビ放送の回数拡大については具体的な結論を出すべきではないだろうかというふうに考えております。
 第二の問題は、選挙期間中のルールの問題であります。
 さきにも述べましたように、国民の政治参加という課題を達成するためには、やはり選挙のルールというものを厳密に確立することが必要であると思います。すでに現行法におきましても買収、供応等につきましては厳しく禁じられていますが、今次改正案で特に問題になっている選挙に関する報道評論を掲載した政党等の機関紙誌、その号外並びに一般紙誌の一定の配布制限についても、社会党修正案のような制限を加える必要があるのではないかと思っています。というその理由は、やはり選挙というものは資金の有無あるいは組織の有無、所有するメディアの有無などの差を可能な限り排除することによって始めて公正が確立され、国民の政治参加への道が切り開かれるからであります。平等な条件における自由な競争こそ選挙の最も望ましい姿であって、そしてすでに指摘したとおり、現実に国民がみずから立候補して、政治に参加をしようとする積極的な姿勢が現在失われつつあるときに、やはりそういう人々の可能性をどう切り開くか、いわば自由な選挙の平等な法規をどうつくるかというのが、この委員会に課せられた非常に大きな任務ではないかというふうに私は考えるからであります。そして、こういう政治への不信感というものが、これ以上放置されますと、これは結局議会否定につながり、同時に政治否定につながり、逆にファシズムヘの道を切り開くものではないかというのが私の意見でございます。
 現実に、どのような著名人であったとしても、個人というものは非常に弱いものであります。それに対しますれば、政党はどのような政党でもそれは強者であります。やはり、強者というものは弱者に対する一定の配慮を行うこと、みずからの制限を行っても、そういう国民の政治への参加の道を切り開くということが、これからの非常に重要な政治の任務であり、私は一人の市民の立場から各政党の方々にそれを要望しておきたいわけでございます。もちろん、現在の改正案におきましては、選挙期間中といっても、政党としてのいろんな一般的な意味での機関紙の発行については認められているわけですから、そういう一定の自由、政治的な自由、基本的な自由を保障されつつ、一定の段階の中で一定の時期における制限というものをすることについては、これはやはり選挙のルールの確立のために必要であるというのが私の意見でございます。
 同時に、こういう選挙活動の自由化に関して言えば、われわれは、国の政党の体質、これまでの選挙運動のあり方を顧みるとき、さらにはわが国における民主主義の発展段階というものを顧みた場合に、選挙活動の完全な自由化というものは、やはりまだ時期尚早ではないだろうか。というのは、やはり現在の選挙法のもとで、政治活動というものは非常にエスカレートいたし、選挙活動が非常にエスカレートいたしまして、それがやはり選挙の腐敗あるいは政党の腐敗を招く要因になっているからであります。もちろん、私は法律の専門家でございませんので、憲法論あるいは法律論議としてこの問題を展開することはいたしませんけれども、一つの政治論としてこの問題を見るときに、やはり現在の公選法というものが、日本国憲法に準拠してつくられているということ。したがって、その日本国憲法というものは選挙法の第一の条件になっている限りにおきましては、それを前提とした選挙のあり方あるいはルールづくりというものを、やはり選挙法の枠の中で十分考えることができるし、また必要ではないかというふうに考えております。もちろん、一切の自由化論、選挙運動は一切自由化すべきであるという論も一つの理想であることには、私は疑っておりません。しかし、現実にこのルールをはずした場合、現在最も利益を受けるのは、先ほどの公述人からも話がありましたように、最も資金量において豊かであり、そして現実の政治権力を持っている特定の政党の有利というものは、圧倒的な有利というものは否定できないことでございまして、やはりそういう選挙の自由化と、現在の公選法を否定して選挙の自由というものを、自由化というものを実現した場合、もうそれは逆に現在の与党の圧倒的有利、逆に野党の不利ということの選挙の規制における不平等につながるのではないかというのが、私の意見でございます。
 無論、選挙時の政党活動が法によって規制されることは、一般的には望ましいとは思いません。しかし、逆に先ほど申しましたように、市民の、国民の政治的権利を保障するためにも、事態というものがルールの強化を必要としているわけでございます。こういったルール、矛盾というものを、もちろん法的な規制によらず、政党間の話し合い、政党間の契約によって行ってもできるでありましょう。しかし、現実にそういう可能性がない限りは、やはり現在の段階ではよりルールの強化をすることによって、選挙における国民参加の道を切り開くということが必要なのではないかと思います。
 次の問題は、政治資金の問題であります。周知のとおり、ここ数年来の金権政治の進展の中で、この問題は国民各層において最も注目された問題であります。そして、政治が正常化するか否かの判断というものも、この政治資金問題の現実の規定に求めていることは言うまでもありません。しかし、このたびの改正案を見る限り、このことは非常に不十分だったと思います。無論、今回の改正案では、政治資金の公開の原則が一応貫かれたこと、あるいは献金の上限が定められたことは一応評価できると思います。問題はその額であります。改正案は企業献金の上限が一億五千万まで許されておる。同時に、政党以外の政治団体の献金は百万円まで未公開になっている。これはやはり国民が期待した改善にはほど遠いのではないかというふうに考えております。企業献金が金権政治元凶であり、政治腐敗の最も大きな理由であることは、もうすでに国民が熟知しているところであります。この点に関しましては、三木総理自体がかつて三木私案の中で、政治資金に関する企業献金の廃止の問題を考え主張しておりますが、やはり本改正案におきましては、この政治資金の全廃の方向を、やはり具体的に明示すべきであったというふうに考えております。また、政党と政治団体を区分し、政党には一万円以上の献金の公開をうたいながら、他の政治団体は百万円以下の献金を未公開にした理由も、国民は納得することができないわけでございます。この点に関して言えば、国民の政治参加の拡大を図るためにも、政党その他の政治団体を問わず、十万円以下の小口献金については未公開として、大衆的な意味での政治参加を促すことが必要ではないかというふうに考えております。
 さらに、その政治資金規正法の中で、私が非常に大きな疑問を持ったのは、労働組合や職員団体の献金を、企業献金と同列に扱っているという矛盾でございます。この両者につきましては、その献金の性格というものは全く違ったものではないだろうか。すなわち、労働組合や職員団体の政治資金は、原則的に労働組合員の個人意思に基づいた拠金であって、それが政治資金として活用される場合は、組合員の総意を示す大会において民主的に決定された上で出されるべきであります。しかし、企業献金はその利益を生み出した原動力とか企業の従業員の意思を反映することなく、また株主総会などの承認を得ることもなく、全く企業の経営者の独断で出されるものであります。このような性格の違った資金を、現在の政治の中で同列に置くことは、私としては理解ができないわけでありまして、そして労働組合の献金というものは、このように民主的手続を経たものである限り、これからも永遠に続くでありましょうし、企業献金というものは、そういう手続を経ない限り、民主的に決定されたものでない限り、またそれが政治腐敗の原因になる限り、やはり一刻も早く全廃すべき性格のものではないだろうかというふうに考えております。
 次は、議員定数の問題であります。すでに、衆議院では選挙区の人口にバランスさせて二十名の定員増が認められつつありますが、この原則というものは、参議院地方区においてもすぐに採用すぶき原則であると思います。なぜならば、参議院の地方区は地域代表制と人口比をかみ合わしてつくられた制度であって、現に人口差によって生じたアンバランスというものは、衆議院よりも拡大しているのが現実だからでございます。とすれば、このアンバランスは早急に是正されるべきであって、まあ私はこの点に関して言えば、野党四党の共同修正案である二十六名増員案を支持して、これが本国会において、本改正案の中に採択されることを期待するものであります。すでに一票の重みその他の差別については、あらゆる機会に論じ尽くされているわけでございます。そのために一刻も早くこの問題を解決していただきたい。
 最後に、全国区につきましても政党及び政治団体の完全拘束名簿式比例代表制に転換することがどうしても必要であって、こういう問題につきましても、次期国会ででも決めて、やはり国会において論議すべき対象であり、ぜひこの点につきましても、今回の修正案、改正案の附帯決議につけ加えていただきたいというふうに考えておりすす。
 最後に、私は以上のとおり公職選挙法並びに政治資金規正法に関する見解を述べてきたわけですが、最後につけ加えておきたいことは、この改正案に対して、今日に至るまでこれらを廃案化しようとする動きがあるということでございます。両法案の改正につきましては、改正されたとはいえまだ多くの問題点が残っており、またそれがわれわれの考える理想の政治あるいは選挙というものにほど遠いということは明らかであります。しかし、もし本改正案が廃案になった場合、それは現行法がそのまま継続することを意味するわけでございます。そして、この現行法のもとで国民の批判を集めてきた、いわば金権政治がはびこってきたという現実を見るときに、やはり私はこの改正案というものの一つの意義を理解し、そしてこの修正案というものが、現行法に対する一歩前進であるという観点から、この改正案というものを、ぜひこの国会で承認していただきたいというふうに意見をつけ加えておきます。もちろん、議会制民主主義におきましては、改革というものは一挙にできるものではなくて、漸進的なものであります。この漸進的な改革のために、衆参両院を通じて社会党がとってきた努力というものを、われわれは非常に高く評価しますし、そうしてさらに社会党初め各野党、あるいは自民党の有識者を含めて、こういう選挙制度の改革あるいは政治の改革のためにこれからも努力していただくことを望みまして、私の意見の供述を終わりたいと思います。
#21
○委員長(中西一郎君) 午前の会議はこの程度にとどめます。
 午後一時二十分まで休憩いたします。
   午後零時十八分休憩
     ―――――・―――――
   午後一時二十四分開会
#22
○委員長(中西一郎君) ただいまから公職選挙法改正に関する特別委員会公聴会を再開いたします。
 午前の会議に引き続きまして、公述人の方々の御意見を伺います。
 それでは、隅井公述人にお願いいたします。
#23
○公述人(隅井孝雄君) マスコミ共闘の隅井です。
 私の周囲には、職業柄、言論、表現の自由についてきわめて敏感な人たちが数多くおります。そして、今回上程されております公職選挙法の改正案についても、自由な言論活動を規制して、国民の知る権利の侵害につながるのではないかという、憂慮する声が非常に多くて、私たちの関係の労働組合でも、反対の意思表示をする組合員が非常に多数に上っています。たまたま、この問題で公聴会が開かれることを知りまして、現在までの国会審議では、私たちが問題にしているような点が必ずしも十分に論議されてないというふうな話になりまして、できれば国会に出かけて行って意見を述べてみたらどうかと、まあ何人かの仲間に言われまして、一昨日、締め切り間際にあわてて手続をとり、そして幸い本日ここに出席をさしていただくことになった次第であります。
 すでに、皆様方も御存じのことですけれども、朝日、読売、毎日など新聞各紙は、今回の公選法の改正案に対して、一斉に社説で取り上げています。機関紙の配布制限は検討し直して、運動を自由化し、開放的にする必要がある。政党の機関紙が選挙時に啓発、宣伝に努めるのは当然ではないかと、そういうふうに述べています。で、これは選挙中といえども、国民の自由な言論活動は最大限保障されるべきだと、こういう考え方に立つものであります。新聞、出版、印刷、放送など、マスコミ産業で働く私たちも、また、選挙中であるからこそ、なおのこと国民の言論活動はより活発多彩に行われるべきだと考えております。現行公選法も規制をゆるめて、将来にかけて自由化していくということが本来の姿ではないでしょうか。選挙の直接の当事者となる政党はもとより、労働組合が、消費者団体が、市民団体が、どんな候補者を支持し、そうして国民の一人一人が政治に何を求めているのか、国会の場にどんな要求を反映したいのか、自由に述べ合い、伝え合う、こういうことこそが国民の知る権利の行使であり、そうした多彩な言論活動が活発に行われることこそが、議会制民主主義の基盤ではないかと私は考えています。公選法の名でそれを縛ってしまうということは、民主主義の基盤を突き崩しかねないというふうに私は考えます。
 ところで、私が問題にしたいことの一つに、一般商業新聞、週刊誌などへの影響の問題があります。選挙のことを報道した新聞、雑誌類は、選挙中無償で配布してはいけないとのことですが、この条項だけで直ちにあすでも問題が発生いたします。御存じのように、新聞では拡張販売のために無料の見本紙を使うことがよくあります。特に、最近では新聞社の競争が激化していますから、見本紙とか、宣伝紙の数もふえているわけですね。まあ、新聞各社は秘中の秘ということで公表しておりませんけれども、私どもの責任を持った調査では、非常に控え目に見ても、この種の、新聞社が出している宣伝のための、無償で配る無代紙が、発行部数の三%を下回ることはないというふうな調査結果が出ています。いまの新聞発行部数が、一日大体四千万部というふうに言われていますから、少なくとも一日に全国で百万部を超える新聞、発行部数のうちの百万部を超える新聞が、無償というふうなことのために使われるということを前提にして、印刷をされているという事実があることを知っていただきたいと思います。したがって、やや誇張して言うことになりますけれども、今後新しい公選法のもとで、新聞社は絶えず警察などの国家権力の介入にさらされるということになるわけです。そんなことはまずあるまいと、大方の人たちは考えられるでしょう。しかし、つい最近、こういう実例が起こりました。
 ことしの三月二十五日から、名古屋で中部読売新聞という新聞が発刊されていますけれども、その新聞が四月二日と三日に、統一地方選挙に関する記事を載せたところ、これは新聞ですから全く当然な話なわけですけれども、これが何と公職選挙法百四十八条違反−現行の、これで愛知県警から警告を受けるという事態に発展しました。そうしてついに、選挙中、この中部読売新聞は選挙に関する記事を全く一行も掲載することはできなかったという事実があります。
 ここに実物があるから、ぜひごらんいただきたいというふうに思いますけれども、これが四月二日の紙面です。(資料を示す)別にどことかの政党とか、候補者の肩を持ったわけではなくて、「候補出そろう」ということです。中の方を見ますと、候補者の写真が載ったり、「わが党はかく戦う」という記事があります。それから社会面には「ああ路地裏「お願い合戦」」というようなサイド物があります。これが二日と三日にかけて、この種の、ごく常識的な選挙報道が中部読売新聞に載ったわけですね。しかし、載った次の日、三日の日、この日はちょっと小さい記事になったんですけれども、「県・市議選締め切る」という報道です。
 こういうものが載った次の日、警告を受けまして、四日以降――いま、ここでお見せしているのは、四日の新聞ですけれども、この新聞は頭から最後まで、どこを見ても選挙の話が一行も、一字一句出てないわけです。恐らく当日の、四日のほかの新聞をお持ちすればなおわかると思うのですけれども、このトップ記事というのは恐らく穴埋め記事だろうというふうに思うんです。ほかの新聞はそんなに大きく扱うんじゃないんだけれども、急に警告を受けたわけですから、急遽記事を差しかえたという印象を持たれる記事が随所にあります。こういう事態が現実に発生をしているということをぜひ知っていただきたいというふうに思います。その告示前一年以上定期発刊されていなければならないということにひっかかったわけですね。御存じだと思いますが、中部読売は実体上読売新聞だというふうに私たちは考えていますけれども、いろいろな諸般の事情がありまして、一応中部読売新聞社が、読売新聞とは別で新しい新聞を出したんだということを言っているわけですね。ですから、そういう事情のもとで、一ヵ月に満たないというふうなことで記事が削除されたわけですけれども、少なくとも常識的に言って日本の三大新聞のうちの一つに数えられるその新聞で、選挙報道について警察からくつわをかまされて、何一つ放送できず、穴埋め記事で何とかしのいだという事態は、私たちジャーナリストにとっては非常に衝撃的な事態であったわけです。
 話はちょっと飛びますけれども、例のウォーターゲート事件に際して、ニクソン大統領はワシントンポストを沈黙させるための工作をいろいろ練りました。手段はワシントンポストが系列として持っているテレビ局とラジオ局の免許を、独占禁止法のマスメディア複合支配の禁止という条項に適用して、免許を合法的に奪おうということで圧力を加えたわけですね。後に公開された秘密録音テープでは次のような会話になっています。
 大統領=あんちくしょう、ポストに仕返しして
  やるんだ。めんどうな問題を抱え込ましてや
  る。あそこはテレビを持っているから免許更
  新が必要だな。
 ハルドマン=ラジオも持っていますよ。
 大統領=それは好都合だ。手荒く扱ってやれ。こういう発言があります。
 お隣の韓国では、御存じのように民主主義擁護の論陣を張った東亜日報に対して、広告の引き上げという手段で言論弾圧が長期にわたって行われました。
 もしですね、もしです、万が一ということです、日本できわめて権力主義的でファッショ的な施政者があらわれた場合、公選法に基づいて新聞の選挙報道を選挙期間中一斉に禁止していくということが、十分可能なんだということを知っていただきたいというふうに思います。国会が解散されています、一般国民に向けての労働組合とか、市民団体とか、政党の言論活動が、組織内はいいけど、一般にはだめだということですから、禁止され、制限されているわけですね。そこにもってきて、報道機関も沈黙せざるを得ないという状況が仮に起きたとすれば、選挙期間である数週間、実際には一種の戒厳令がしかれたと同じことになってしまうではありませんか。もちろん、私はいまの日本の社会で、公選法がイコール戒厳令だなどという短絡的なことを言っているわけでは全然ありません。そういうことは私たちの民主主義の力から言って、そういうことはないでしょう。しかし、民主主義というものは考えようによってはもろいものです。あくまでも言論を唯一の武器にするものであって、力の論理を否定しています。権力や武力を背景にして力の論理がまかり通るような可能性が万が一でもあった場合、それを見逃すことなく、いかなるとき、いかなる場合にあっても言論表現の自由、国民の知る権利が一〇〇%守り抜かれるべきだという立場に立って私は申し上げているわけです。
 ところで、ジャーナリストとしての日常の仕事を考えてみますと、選挙中政党や労働組合、市民団体などの機関紙やビラの発行が、いろいろな公選法等の絡みで制限されるということによって、取材上一定の困難が起こるということが考えられます。そして、世論の動向が正しくフォローできなくなるという面があることを知っていただきたいと思うのです。最近のように、政治の問題が国民の生活のすべての分野に反映するようになってきていますと、新聞社だから、あるいは放送局だから、記者クラブの発表だけを記事にしていればいいというわけにはいかないわけですね。公害の問題などについての報道の反省も私たちにもあります。大勢としてはできるだけ国民各層に密着して取材しようというふうなことがいまの大勢になっているわけです。そうしたことの一環として、新聞社に、いろいろな政党とか労働組合とか市民団体とか消費者団体とか、各種の印刷物や出版物や機関紙やビラがたくさん送られてくるようになったわけですね。国民の側からのフィードバックですけど。もちろん、企業の宣伝物や社内報などというものありますけれども、そういうものに、国民の側から新聞社や放送局に送られてくる印刷物に克明に目を通すということが、私たちの仕事の中で非常に大きくなっているわけです。いろいろ運動がたくさん最近はありますから、量は膨大で、見るだけでも大変です。しかし、まあそのほとんどは実際にはお金で買うというのではなしに、無料でお送りいただいている――本当は払えばいいのですけれども、無料でお送りいただいています。各政党の機関紙なんかも社として公式に一部買うということはありますけれども、多くのセクションはみんな無料で送っていただいて、それを参考にしながら仕事をしているという実情もあります。今回の公選法が通りますと、これは理論的にはという、理屈の上ではということですけれども、選挙中こうした種類の基礎資料がとまってしまって、新聞社や放送局に来ないという、そして取材のための大切なアンテナの一つがなくなってしまうということがあり得るわけですね。その辺のところを私は心配しています。そういうことになると、勢い選挙報道が当選か落選かという競馬の予想のような記事、まあ現在でも公選法の枠が非常に厳しくて、候補者の政策にずばりと踏み込んだ報道ができるということになかなかなりにくい。しかし、そういうふうな傾向にどんどん拍車をかけてしまうのじゃないかという憂慮が私たちの中にあるわけです。まあ、これはちなみに申し上げますけれども、選挙が告示になりますと、選挙のこと、あるいはまあ政治向きのことをテーマにした号外の発行が、いままでは新聞の通常号の一部だというような解釈で大目に見られていたということがありますけど、今後はその号外も無償条項にひっかかって、選挙中は出せないということになることもぜひ知っていただきたいというふうに思います。政党の機関紙の若干の代償として、たとえば全国区の場合には、三十五万枚の公営ビラが許されることになったという話をつい最近伺いました。この問題ですけれども、現在の日本のように、コミュニケーション手段――マスコミですけれども、これがまあ異常と言えるまで発達した日本の社会において、実際に三十五万枚というビラの数は、まああえて言わしていただければ、私どもに言わしていただければ、ナンセンスな数だというふうに思わざるを得ません。まあ大海を二滴か三滴の絵の具で染めようとするようなことに等しいことになってしまうんじゃないでしょうか。発行部数が最も多いと言われている朝日新聞や読売新聞は、いずれも一紙だけで七百万部です、出ているのが、毎日出ているのが。一日に新聞が、日本中で発行されている新聞の総量は四千万部をはるかに超えています。雑誌では週刊ポスト六十六万部、ヤングレディー六十七万部、文藝春秋六十三万部、そういったぐあいですね。テレビの場合考えてみますと、関東地区の場合、視聴率一%ということは、まあ大ざっぱに言って八万人が見ているというふうなデータがあるわけですけれども、そういうところから非常に大ざっぱな推論になりますけれども、「八時だヨ!全員集合」のように二十何%とか三〇%とかと言われる番組は、日本中一度に二千万人もの人たちが見ているということになるのですね。まあ政府広報番組というのは最近ふえていまして、余り視聴率がよくないわけですけれども、このわずかの視聴率で、二、三%で、まあぼくらから言うと、ばかにされているような番組ですら、実際には一度放送されれば百万人近いような人たちが見ているという、そういう社会の現状と、三十五万枚という数をぜひお比べいただいて御検討いただきたいというふうに思います。
 最近では、労働組合の機関紙活動やビラまきも非常に活発になりまして、たとえば私どもが関係している春闘共闘委員会なんかで、国民にビラをまこうではないかということが決まって、機関紙やビラをつくるとなると、大体単位として二百万枚です。それでも、国民になかなか行き渡らないわけですね。一生懸命いろいろな組合の、国鉄の組合の人、全逓の組合の人、私たちが街頭に出、団地に行ってまきますけれども、それでも行き渡りません。切歯扼腕するんですけど、最低の単位が二百万枚です。それと三十五万枚ということを考えていただきたい。まあ、いわば印刷をされたということであり、実際には紙くず同然のものになって吸収されてしまうのじゃないかというふうなおそれを私たちは抱かざるを得ないわけです。
 ところで、労働組合の活動を、私は労働組合の役員もしておりますけれども、最近の労働組合の活動ですけれども、従来とは大分違ったものになっているということについて、国会の皆さん方の認識を得たいというふうに思います。まあ、国民春闘というふうなことで、私たちはここ数年推進をしてきたわけですから、国民の共通な切実な要求を労働組合が取り上げる。年金とか社会保障とか、最低賃金とか、政府を相手にして交渉したり要求したりしなければ解決できない、まあいわば政治的な範囲での要求をいろいろ出すというようなこともあります。それから、賃金闘争自体も今回のように政府が賃金を抑えるということを政策の最重点にするということになりますと、会社の中で会社の中の組合員だけにビラを配って春闘をやっているということではなしに、大きく広がっていくようなことで活動しなければならないわけです。
 ですから私たちのいまの労働組合の活動のかなりの中心部分が機関紙の号外とかビラで一つ一つ国民に訴えていくということになっているわけですね。機関紙の号外、ビラ、ポスター、ステッカー、立て看板、そういういわば多面的な言論活動が労働組合の活動の中心になって、そのことを通じて国民の支持、国民とともにやっていきたいというふうに私たちは考えているわけですけれども、そういう活動が政治の問題が書いてあるから、あるいは選挙に触れているから、不特定多数にただで配っているからということで少なくとも選挙期間中は禁止されるということになれば、選挙中の労働組合の活動はまあ停止しなさいというふうに言われたに等しいのではないかというふうに私たちは考えています。
 特に最近激増しております合理化による企業倒産とか解雇の問題ですね、このことと闘う場合に、選挙だからといって資本家は首切りを待ってくれないんです。選挙があろうがなかろうが、どんどん首は出ます。で、労働者は首を切られたその日から、雨が降っても、風が吹いても、雪が降ってもそのことを訴え続けて、ゼッケンをして町に出て、ビラをまいて訴え続けるというふうなことをせざるを得ないわけですね。
 で、しかも現在の倒産というのは、単に一人の経営者の腕がいいとか悪いとかということではなしに、いまの総需要抑制といわれている政策全体の中で引き起こされているというふうに私たち労働者は考えていますから、とすれば首を切られた労働者が、政治の貧困を訴え、働く者にできるだけ温かい手を差し伸べるような政治に変革してほしいと訴えて、それが選挙中だからといって罪に問うことが果たしてできるのかどうか、私はその辺をぜひ考えていただきたいというふうに思います。
 実例がありますけれども、まあ報知新聞において長年労働争議があったことは皆さん方御存じだと思います。まあようやく昨年の十二月で五年間の闘争に終止符が打たれて、いま報知の社内は非常に平和な状態になっていますけれども、その五年間の間に報知新聞の労働組合が社のある東京と大阪でまいたビラの数は、実に二千万枚を超す量に達しています。一ヵ月三十三万枚、一つの小さな数百人の労働組合がビラをまいているわけですね。で、その都度選挙があるからといって、その間何回か選挙がありましたけれども、そういう活動を中断していたとしたら報知の社内でのいまの平和というのはもっと先へ延びたかもしれないと思います。
 で、最後に申し上げたい問題はこういう問題です。選挙中の政党や労働組合やあるいは市民団体や、そういう人たちの国民向けの宣伝活動が大幅に制限をされるというふうに私たちは受けとめているわけですけれども、一方巨額な予算を使った政府広報活動が野放しにされているという問題があります。二年前政府広報を拡充するために内閣広報室というのが新設をされました。そのとき政府は、いままでは国会で決まったことだけを広報するという方針だったけれども、今後は政府与党が審議中の案件でも重要だと思うことは国家予算でどんどん広報活動してPRをするんだという方針にそのとき切り変わったわけですね。以来政府の広報予算はウナギ登り、昨年度で私たちの調査では百五十億円に一年間達しています。それから今年度はいま調査中ですけど、恐らく二百億円近くにいくのではないかというふうに思っています。
 中身はどんなふうな宣伝活動をしているか。たとえば全国主要五十八紙、日本じゅうのすべての日刊新聞ということです、月一回一ページ大の記事広告がどんどん出ています。まあこれはことしの計画ですからこれからということになりますけど。それから週刊誌を十二ですね、毎週二ページずつ政府が買い取ります。総理府とか防衛庁とか警察庁とかということで流します。それから一週間に実に二十五本の政府提供の広報番組が民間放送のテレビから流されています。一週間に二十五本ですよ、レギュラーが。そしてそれ以外にことしの予算では、一日に一回すべての日本じゅうの民間放送局から、その日の政府の重要施策をPRするための三十秒コマーシャルを放送するという計画が今度の広報予算に盛り込まれています。もちろん、これらの政府の広報活動というのは、選挙中だからといって休むことは全くないわけです。
 参議院全国区のビラが三十五万枚で、政府がやってくれる地方区だと十万枚ぐらいになりそうだという話がありますけれども、選挙中に政府の政策宣伝は四千万部の新聞に載っているということです。六百万部の週刊誌に載るということです。そういう単純な比較だけでも、国民のもとに政府の情報だけが圧倒的物量で届けられている。そして政党や候補者の情報がほとんど届かないという仕組みになっていることがよくおわかりいただけるのではないかというふうに思うんです。まあ政府の広報というのは選挙と関係ないというふうに言われるかもしれません。しかし、たとえば七四年七月の参議院選挙の際、政府が週刊誌に出した広告を見れば一目瞭然です。広告の項目がありますけど、時間がありませんから省略をしますけれども、日本のサラリーマンの税金の負担は低いということを訴えた広告、食糧問題での政府の政策、農業政策を取り上げた週刊誌の意見広告、騒音公害に対して政府がいろいろやっていますというPR、中小企業のおやじさんたちにいろいろな施策をしていますということ、福祉対策について政府はこう考え、こうやっていると、与党と野党の重要な政治的争点を系統的に追ったあげく、七月四日号、選挙は七月七日ですけれども、七月四日号の各週刊誌は「ぼくたちの日本をよろしく、自治省」という自治省の広告を出して締めくくるというふうに、選挙にぴたりと照準が合っているということもぜひ問題にしていただきたいというふうに思います。税金を使って政府の一方的なPRをこのように選挙中もやるということこそ、やはり私は公選法違反に問われてしかるべきじゃないかというふうに強く考えています。
 最後に、繰り返して申し上げます。選挙時における政党とか労働組合とか市民団体とか、あるいは個々の国民とかの言論活動は、私は可能な限り自由にすべきだというふうに考えています。われわれの国民は目と耳を大きくあけて、いろんな声がたくさん来るでしょう。いろんなビラもまかれるでしょう。しかしそのたくさんの声の中から、必ずりっぱな人を選び出して国会に送ることができるという力を、私たち国民の一人一人が持っているというふうに私は確信してやみません。やれやかまし過ぎるとか、ビラが多過ぎて国民の皆さんはなかなか読むのに暇がないんじゃないかというふうなことは、まあ口幅ったいようですけれども、国民の側からいえばそういうよけいな心配はしていただかなくても結構ではないかというふうに、若干言わざるを得ないというふうに思います。
 同時に、私たちは国民の一人としてこういうことを申し上げたいんです。国民は政府とかマスコミからだけのいろんな情報をもとに、投票さえすればいいんだという受動的な姿勢でいまはいないということです。政党員として、あるいは労働組合員として、あるいは市民団体の一員として、あるいは全くの個人として、政治に対する自分の意見を堂々と表明したり、それを国会の場に反映させるために選挙中にみずから活動する、自分が立候補しなくてもですね、そういう権利を持っているし、現実にいまここ数年多くの国民がそういう権利を実際に行使しているのが現状だろうというふうに思います。市民運動のいろんな効用なんかもそのあらわれだろうというふうに思いますけれども、そして議会制民主主義というのは、多くの国民をこのような活動によってこそ初めて本当に守られるんだというふうに私は考えています。公選法が選挙時における国民一人一人の政治的意見の表明や言論活動をかりそめにも規制するというようなことがあれば、それは民主主義の後退だといふうに言わざるを得ません。
 公選法改正案を、どうしたらその中で民主主義を貫くことができるのかという立場でもう一度皆さん方が見直しをされるよう切に希望して、私の意見表明を終わります。(拍手)
#24
○委員長(中西一郎君) ありがとうございました。
    ―――――――――――――
#25
○委員長(中西一郎君) 次に、福本公述人にお願いいたします。
#26
○公述人(福本春男君) 委員長初め各委員の方方、きょうの発言の機会を与えていただきましてどうもありがとうございました。
 私は昭和三十六年以来、本当に日本の汚れた選挙をきれいにし、国民の信頼をなくした議会制民主政治を立て直すために、選挙法及び政治資金規正法の改正について多くの婦人団体あるいは青年団体、一般市民団体と一緒にこう運動やってきたわけですが、その選改協を代表して一言意見を述べたいと思います。
 まず、選挙法という選挙そのものの法律は、私たちは有権者自身が自分たちの代弁者、自分たちの代表を選ぶ法律であり、基本的にやはり有権者主体であるべきであるというように考えております。そういうことで、今回の公選法並びに政治資金規正法の改正に当たっても、私たちは再三にわたって各政党並びに政府に対していろいろ意見を述べ、要求してまいりました。ところが残念ながら私たちの意見を十分聞かずにほとんど無視されたわけですが、ただ無視されたばかりか非常に改悪になる面が数多く出てきたわけです。私たちは残念ながらこの公職選挙法並びに政治資金規正法の一部改正に対する法律について反対せざるを得ないわけです。
 まず私たちが反対をするというのは、御承知のように私たちはあくまでも政党には関係ない、いわゆる政党系列には全然属しておらない本当の有権者の団体です。中立的な市民団体の立場なんですが、本当に現在の汚れた選挙なり、あるいは国民の信頼をなくした議会制民主政治を確立するためには、という立場からすべてを考えております。
 そういう点から考えますと、まず第一に今回の法改正の動機はどこにあったのか。古いことは別にして、少なくとも私はこの両案の改正についての直接の動機は、昨年の参議院選挙におけるいわゆる金権企業ぐるみ選挙であったと思います。あわせて、直接関係ないかもしれませんが、やはり田中金脈問題であったと思います。そういう中で多くの国民のいわゆる政治不信、選挙不信、これを何とかしなければいけないという多くの国民の声と、あるいは各政党あるいは議員の方々の危機感の中から、いわゆる三木内閣が今度の法改正になったというふうに私は考えます。
 で、こういうようなことを考えれば、まず今度の法改正で第一番に有権者が望んだのは何かといいますと、私は何と言っても一つは政治資金の規制であるというふうに考えます。ところが今度の政治資金の規制によりまして、残念ながら政治資金そのものが、非常にいままで一般的には、まあ古い話になりますが、四十二年の黒い霧事件のころは、亡くなった故佐藤総理が、何か政治献金は政界積年の病弊である、これをやはり早急に何とかしなくちゃいけないというので、緊急に審議会の答申を求めたわけです。その後やはり企業献金というものが企業と政治の癒着を生み、今日の政治、政界を腐敗している第一のものだ、諸悪の根源であるというようなことは、一般的な国民の感じとしては十分理解できることだと思うんです。ところが、今度の法改正に当たっては基本的にいわゆる企業献金、あるいは団体の献金そのものはちっとも悪じゃないんだ、あたりまえなんだと。国民の立場に立てばやっぱり企業献金、団体献金というのは政治、選挙の諸悪の根源であり、一刻も早く断ち切るべきなんだと、悪なんだという一般社会通念が確立されておると思うんです。ところが、今回の法改正に当たっては、やはり企業献金そのものを十分認めているというような態度に立っておるということは非常に大きい問題だと思います。
 それから二番目は、やはり献金の総額は規制されておりますが、確かに派閥献金を加えて一社一億五千万までになっておりますが、しかしこれも見せかけだけのいわゆる規制であって、先ほどどなたか公述人の方がおっしゃいましたが、実質はいわゆる奨励策にならないというようなことが言えると思います。
 それからもう一つは、やはり第八条でいわゆる五年後に企業献金について検討するだけで、五年後に企業献金、団体献金を禁止するということはちっともないわけです。ただ、その実施の状況を見て検討するということで、何らこれに対しての歯どめというものがかかってない。
 そういう点から、私たちは、あくまでもやはり現在の選挙なり政治の腐敗を正し、先ほども出たように国民のほとんどのいわゆる政治、選挙に対する不信をなくしていくためには、いわゆるこの政治資金を団体あるいは法人、会社、労働組合、すべて禁止して、あくまでも個人に限るべきだと。個人についても年間やはり五十万円というような限度額を設けることが一番大切じゃないかというように思っております。そういうのが緊急の、やはり今度のいわゆる法改正に当たって最も重視すべきことであるというように考えております。
 ところが、先ほど言いましたように、実態は奨励案であり、何ら将来に対しても歯どめがかかってない、こういうようなことは、私たちほんとに有権者として納得できない改正であるというように思っております。
 それから次は、多くの方々が述べましたが、いわゆる政治資金規正法の附則第十条の問題であります。ここで「政党その他の政治団体等の選挙における政治活動」ということでいろいろ「政治活動を行う団体」ということで規制されておりますが、やはりここで問題は、私たちは、だれがその、各私たちからいえば一般の市民団体あるいは消費者団体、住民団体が選挙中に行っている活動を政治活動というふうに認定するのか、あるいは何を基準にしてそれを見るのか、非常に危険であるというふうに考えます。それは、いままで私たちの団体は、たとえば選挙中にいわゆる政治啓発活動といいますか、一般の有権者に向かって選挙の重要性だとか、こういうことをやはり考えて投票しなくちゃいけないんじゃないでしょうかとか、あるいは何といっても選挙をきれいにするためには政策を知らなくちゃいけないからということで、各政党とか議員の方々に公開質問状を出すとかあるいはアンケートを出す、そういうような、現行法の中でそういう活動をやっていても、極端に言えばいろいろ現在の公選法のこれは解釈によると思うんですが、いろいろチェックされる場合が非常に多いわけです。これはたとえばここで政府がどう言おうが、非常に選挙のいろいろな問題の解釈になりますと、各地方の選管、地方の警察というものの解釈というのはまちまちになるわけです。だから、ある地区では認められていることがある地区では全然やれないというようなことをいろいろ私たちは体験しております。そういうようなことを考えますと、やはりこの政治資金規正法附則第十条の改正というのは、ほんとに自由な市民の活動、市民自身が自分たちの生活を守ろう、あるいは環境を守っていこう、こういう自分たちの願いを政治に反映していこうというような活動そのものがやはりチェックされる、しかも罰せられるというようなことはまことに残念なことだと思うのです。これはやはり改悪であると思います。
 次に申し上げたいことは、いわゆる衆参両院の議員定数のアンバランス是正の問題であります。先ほど多くの公述人の方々が、前の前の参議院選挙のいわゆる違憲訴訟の問題、前回のいわゆる総選挙の違憲訴訟の問題を挙げましたが、私たちの仲間、私たちは、いままでアンバランスの是正についてほんとに国民の一人一票の権利、これを確立するために、微力ではありましたがいろいろな運動をやったわけです。ところが、残念ながらちっともアンバランス是正に動いていただけない、そういうことで、最後の方法として、市民運動としてやはり違憲訴訟という手段に出たわけです。しかし、残念ながら最高裁の判決では思いどおりの判決が出なかったわけですが、基本的にやはり現在のこの両法改正の中で、有権者が望んでおる大きいものは、さきの政治資金の規制とあわせてやはりこの両方のアンバランス是正です。
 ただこの場合、衆議院は二十名増員で決まっておりますが、私たちはもちろん皆さん方の現実論、いろいろなことも知っておるわけですが、その上であくまでもこれは現行の議員定数の枠内でアンバランスを是正すべきである。同時に比率についても、アメリカのいろいろな訴訟の判決が出ておりますが、やはり少なくとも二倍以内、一対二以内ぐらいにアンバランスを是正すべきだというように考えております。ところが、衆議院でも増員だけの改正であり、何か承れば参議院でも二十六名の増員という線が出ておるようでございますが、私たちは現在の衆参両院の議員定数がこの実態で国民の、いわゆる有権者の意思が十分反映できない、あるいはどうしてもふやさなくちゃいけないという根拠が残念ながらつかめません。そういう意味でやはり現行の定数の枠内でアンバランスを是正するというようなことをすべきだと思っております。
 それから参議院については地方区のアンバランス是正とあわせて全国区制の問題がちらちら論議されておりますが、私たちはやはり全国区制のあり方と地方区の議員定数の問題は別だと思っております。そういう点で全国区と地方区のアンバランス是正を一括してとやかく論ずるというのは誤りじゃないかというように考えます。そういうことでこのアンバランスの是正については公選法の附則のところでずっとあるわけですが、私たちはこのアンバランスについては、やはり本来ならば憲法事項だと思うのですが、憲法に持っていくというのは大変だと思いますが、公職選挙法の本法の中に、ちゃんとこの衆参両院、参議院の地方区、衆議院のいわゆる議員定数の不均衡については明確にやはり法文化して、そして、五年ごとに行われる国勢調査のあれを参考にして、公正な委員会というものをつくって、そこでやっていくというようなことが大切だと思います。有権者として絶えず有権者の意思が正しくこの国会に反映するというためには、この国民の一人一票の権利、これを確保して、やはりまた本当に国民に信頼された議会政治を確立するというためには、やはりこのアンバランスの是正というのが一番大きいことだと思います。
 その次申し上げたいことは、多くの方が触れましたが、やはり機関紙等の配布規制の問題であります。これはあくまでもやはり国民の知る権利を制限するもので、市民団体のいろんな活動の自由というものを抑圧するもので反対であります。
 次は公営拡充のことですが、私たちは公営拡充については賛成ですが、先ほどもどなたかおっしゃったように、現在いままでの選挙の中で、有権者が一番親しんで、判断、選択の材料にしているのはテレビ及び選挙公報が一番ウエートが多い。こうなりますと、やはりテレビの活用というものをもう少し考えるべきじゃないか。たとえばこの前の都知事選挙において、いわゆる選挙放送の中で、立会演説会をそのまま放映したら非常に有権者の関心を集め興味を引いたわけです。現在のような三分か四分の中で、候補者がばっとしゃべる、これも大いにやっていただかなくちゃいけないのですが、できれば立会演説会を放映していくとかあるいは立会演説会の中で、公正な司会者を入れて平等な条件の中での質疑をやっていくというような形での放映とか、あるいは選挙公報にしても、いろいろビラでやるというのじゃなくて、選挙公報を非常に有権者が求めているような内容にした選挙公報を発行していくとかいうようなことをいろいろ考えるのが筋だと思います。ところが、今度の改正に当たっては、選挙運動用の自動車代だとかあるいはポスターの製作費を国費で肩がわりするというようなことは、やはり選挙の公営を強化していくという面から、少し外れておるのじゃないかというようなことで、むしろやはりテレビなり選挙公報なりを拡充するというようなことを考えるのが大切ではないかというように思っております。
 それから、特に公営の面で、私たちは全国の各市町村で、地域でいろいろ運動している団体が多いわけですが、地方選挙は御承知のように、立会演説会並びに選挙公報というのはいま任意制になっているわけです。各自治体で条例をつくらなければやれないということで、多くの青年婦人団体は自治体で選挙の立会演説会なり選挙公報の条例の、いわゆる条例制定運動をやっているわけです。ところがなかなか、運動の結果だんだん数はふえてはきつつありますが、思うようにいきません。そういう面でやはり選挙の基盤といいますか、自治体の選挙を本当に政策本位にしていくといいますか、そういう点からぜひ地方選挙の、いわゆる任意制の立会演説会なりあるいは選挙公報の発行というものを衆議院なり参議院なりあるいは知事と同じようにやっていく。公営でやっていくというようなことが大切だと思っております。
 それからもう一点は、やはり供託金の値上げでございます。これは言うまでもなく、やはり有権者がだれでも金がなくても選挙に立候補できるというような条件を考えるならば、供託金を三倍にもしていくというようなことはやはり大きい問題だと思っております。
 それからもう一点は、連座制の強化の問題です。これは現行法よりは一歩前進だという御意見もありましたが、今度の改正の中で、やはり当該選挙にかかわる総括主宰者に該当しないことを理由とし、当選無効としないことの確認を求めるための訴訟云々というようなことで、一応そういうようなことで、いままでよりは幾分進歩かと思いますが、しかしこれでも不十分で、私たちとしては総括主宰者とかあるいは出納責任者という方がやはり有罪になれば、即時当選無効にするのが正しいと思うのです。ただ選挙の、いわゆる裁判の権利を奪うとか何とかと言いますが、少なくとも総括責任者とか出納責任者が候補者との意思を通じなくていろんなことをやるはずはないわけです。そういう点で連座制は現在の改正案では非常に不十分である。そういう点で総括主宰者並びに出納責任者がやはり有罪になれば、即時当選無効にするというようなことをすべきだと思っております。
 なおいままでほとんどこの例がないのは、やはり百日裁判の保障の問題ですが、ほとんど控訴控訴で任期が終わっちゃうというような現状は、有権者として非常に、どんなに汚い選挙をやろうが、とにかく当選さえしてしまえば後は何とでもなるのだ、任期中、まあ選挙選挙でがんばってやれるのだということが、やはり有権者としての選挙に対する不信の一つ大きい問題だと思います。こういう点についてぜひ私たちは本当に現在の国民、有権者が選挙並びに議会制民主政治に対しての不信を払拭していく、本当に有権者に信頼された議会制民主政治を確立していくのだ、同時に選挙をきれいにしていくのだという立場から、各政党あるいは各議員の方々が本当に国民の選良として、特に良識の府といわれている参議院ではそういうもの、高い立場から本当に有権者が望んでいる法改正はどこにあるのだということをもう一度ぜひお考えいただいて、せめて先ほど出た国民の不信なりあるいは政党不信というものをなくしていくことが現在の国会に課せられた大きい役割りだというように考えております。
 以上でございます。(拍手)
#27
○委員長(中西一郎君) ありがとうございました。
 以上で公述人の方々の御意見陳述は終わりました。
 質疑に入る前に十分間休憩いたします。
   午後二時十分休憩
     ―――――・―――――
   午後二時二十分開会
#28
○委員長(中西一郎君) ただいまから公職選挙法改正に関する特別委員会公聴会を再開いたします。
 それではこれより公述人の方々に対する質疑に入ります。質疑は各会派おおむね三十分でお願いいたします。質疑のある方は、順次御発言願います。
#29
○戸塚進也君 大変貴重な御意見を先生方にお聞かせいただきましてありがとうございました。
 わが自由民主党は全部の委員の先生方が質問をされたいようでございますが、若い者に花を持たせていただいて、トップバッターでございますからごく簡単に、簡潔に、小島先生、上條先生、川上先生、三人の先生にお尋ねいたしますので、一括お尋ねいたしますからひとつ順次お答えをいただければ幸いでございます。
 最初に、小島先生にお尋ねをいたしたいと思っております。先生のお話の中で、政党本位の選挙ということに将来大いに期待をするということ、それからまた金のかからない選挙もちろんであると、同時にまた参議院というところは良識の府として行動せよ、こういうお話がありまして、本当に貴重な御意見だったと思っております。そこで、理想的選挙という形で考えてみました場合、現在の衆議院のいわゆる中選挙区の制度というもの、これはやはり金のかかる選挙ということ、あるいはまたお互いの同士の中で相打ち合うといいますか、そういう形の中で果たしてこれ政党本位の選挙ということが本当に理想に達成できょうかという点、私はよく疑問に思っている点がございます。しかし反面、少数政党というものも、少数の意見というものも尊重しなきゃならない、これもまた当然のことであります。したがって、当然これは少数の方がそういったたとえば小選挙区制度というものをとった場合に、これが壊滅的な打撃を受けるなんということがあっては決してならない。したがって、当然比例代表等民主的な考え方を取り入れることは当然でございますが、理想的な選挙のあり方として、私は小選挙区制度というものが将来これは望ましい姿ではないかと考えているものでございますが、先生はこの点についてどうお考えになっていらっしゃるか。
 二点目は、同じく衆議院の場合は任期四年以内と定められているわけでございますが、昨日も自治大臣に伺ったのでございますが、過去数回の例を見ますと、二年半ごとに解散をいたしております。衆議院の方々は解散ということばかりが頭にあってもうおちおち国会で審議もできないと、こういうような形、果たしてそういうことがいいのであろうか。もちろんこれは解散ということは総理が解散なさるわけでございますけれども、しかし、やはり国会議員として少なくとも国民から選挙されて一応四年以内と定められているわけでございますから、平常時の場合においては、私はやはり任期いっぱいまでお務めになるということが一つの姿ではなかろうか。これがまたある意味では金のかからない選挙にも通ずるのではなかろうかと考えておりますが、この点についてのお考えをお伺いいたしたいと思います。
 大きな二番目といたしまして、参議院のあり方、先ほど先生から良識の府として行動せよというお話がございました。この観点から三点ほどお尋ねいたしたいと思います。
 一点目は、選挙制度の問題でございますが、きょうも各公述人の先生方から、地方区の選挙制度、定員の問題、全国区のあり方等についていろいろ御論議また御意見を拝聴したわけでございますが、私は、地方区は先生のお話にも、どなたか公述人の先生のお話にあったわけでございますが、地域代表という性格というものが非常にあると、また他面ある先生からは、アメリカの上院とは根本的に違うんだという御意見もあったわけでございますが、私はやっぱり衆議院と全く参議院が同じような形になってしまったのでは、これは余り参議院の持つ意味というものがないんじゃないか。やはりそういう意味で、地方区のあり方というものは地域代表でやる、そしてまた全国区というものは職域の代表とかあるいは非常な有能な識見を有している方という方を全国的に見て、この方に出ていただくというような形がいいんじゃないか。同時にまた、第一次から第七次まで選挙制度審議会が行われたが、参議院の問題についてはとうとう結論がなかったという先生のお話もあったわけでございますが、それなりにまた参議院の制度というものはむずかしさもあるんじゃなかろうかと思うんでございます、この選挙制度を改めるということ。いたずらにただ議員の数だけを増せばいいということ、これは果たしてどういうもんだろうか。もちろんこれは議論の末、若干の増減ということは当然あり得ることかもしれませんが、いたずらにただ議員数だけを多くすればそれでいいということは、かえって国民の感情というものにある面では逆行するのではなかろうか、こういうふうにも感ずるわけであります。参議院の特色という点からこの選挙制度について先生のお考えをお尋ねしたいと思います。
 二番目は、衆議院はどうしても政党本位になるわけでございます。しかし参議院の場合はできれば、私は先ほどまで市川先生もいらしたわけでございますが、非常に市川房枝先生のような、私が自民党の党員でこんなことを言うと幹部、総裁に怒られるかも知れませんが、私はあるときは党というものを離れて、やはり自分の主義主張というものを堂々と述べられるという意味では私は市川先生うらやましいな、また参議院のあり方としてはああいうやはり先生のような政党にこだわらない立場でいけるような、こういう形というものもあっていいんじゃないか、またそれが参議院のいわゆるチェックするといいますか、そういう役割りというものを果たすために大事なんじゃないかと思っておるわけでございます。そういった点、現在では本当に政党同士の形で衆議院と何にもほとんど変わらないというのが現状でございますが、将来は一体この参議院の政党中心の運営の現況というものをどうお考えになっていらっしゃるか。
 最後の三点目は、私ども参議院議員は六年という任期を与えられております。衆議院の方はさっき申し上げたように、忙しくてしようがない。そこで私たちはもっと落ちついた形の中で、法律の立法――よくアメリカなんかでは上院、下院なんかで、議員が個人でいろんな法律をどんどん提案をするということがあるわけですね。そしてそれを国会の中でいろいろ議論を闘わしている。私たちも政党として法律を出すことは議員立法、しょっちゅうございますが、ある意味では参議院では個人の議員がどんどん法律を提案をしていくというような形なんかがもっと出ていって、それを参議院でも審議し、また衆議院の中で大局的に見ていただくというふうな、そういういき方も必要なんじゃなかろうかと思っておりますが、この点についてのお考えをお尋ねしたいと思います。
 次に上條先生にお尋ねしたいと思っております。先ほど先生のお話の中に、政党法の制定ということを急ぐべきである、急ぐといいますか、政党法の制定ということが必要なことであるというふうな御意見を伺いまして、まことに貴重な御意見と拝聴したわけでございます。
 そこで端的にお伺いするわけでございますが、現在の日本の国の状態の中で、現在の日本の国民の意識というものをお考えになった上で、もし政党法というものをわが国において制定した場合に、どの程度の国家のお金を政党の活動等に支出することが可能であろうか、国民的に許されるであろうか、かつまたその内容、たとえば事務費であるとかあるいは選挙に要する費用であるとか、政策立案費であるとか、いろいろ内容はあるわけでございますが、こういうものの中で主としてどういう内容に対し、どういう目的に対し支出が許されると考えられるであろうか、学問的に御研究の高い先生にぜひその点をお尋ねしたいと思っております。
 最後に川上先生にお尋ねしたいと思っております。私は御意見を承っておりまして立場は違う、しかし若い仲間として考えてみますと、あなたの立場で堂々と国会でそういう貴重な御意見を述べられる、大変ごりっぱな方だというふうに思っております。そこで川上さんにお尋ねしたいわけでございますが、川上さんの一主婦としての立場から、国会議員というもののイメージというのをどのようにお考えになっていらっしゃるだろうかということでございます。同時にまた、あなたからお考えになった場合に、国会議員はどうあるべきかとお考えになっていらっしゃるか、あなたのイメージの中で国会議員という人がこういう活動をしてくれればいいな、こういうことであってくれればいいなという理想像があると思います。これをひとつお聞かせいただきたい。同時に、現在の国会議員のやっている活動の中で反省すべき点、あなたからお考えになって、こういう点は改めてもらいたいということがありましたら、この際御意見を承っておきたいと思っております。私は一言つけ加えさせていただくわけでごいごますが、おそらく川上さんのイメージの中では、国会議員というとお金もあって、それから何かすばらしい服も着て、何か国民の人とは全然違った雲の上の人みたいな人じゃないだろうかというふうにお考えになっていらっしゃる面もあるんじゃないかなと思うのですけれども、またそういうふうに思わせるという国会議員も反省しなきゃならない点もあると思うのですが、実は私は去年の七月に国会に出てまいりまして、家内と子供とみんな別れまして、そこの宿舎の四畳半の一隅で約八ヵ月ひざ小僧を抱えて寝ているんです。そしてまた洗たくなんかも自分でやるんです。ですから私はあなたのようないい奥さんを持っているあなたの御主人の方がよっぽどそういう面では幸せなんじゃないかというふうに思っている。ある面では私はそういう、いかめしい顔をしていらっしゃいますけれども、私ばかりじゃありません、ここにいらっしゃるほとんどの先生が私はそんなにお金を持っていらっしゃる方じゃない、いろんな苦しみに耐えて国家のために与野党問わずがんばっておられると、私はよく各議員の先生を見て特にこの公選の委員の方はそういう方が多いと思います。ですから私ども国会議員のそうした意味での国民にわかっていただくという点も足らないかもしれませんが、私たちとすると、いわゆる一主婦である川上さんがそうした国会議員の苦しさ、あるいはまたそういうことかなあと、それなら私たちもそんなに変わらないなというふうな親近感も持っていただけると大変ありがたいなというふうに思っているんですが、あなたのお考えをお尋ねしたいと思います。
 以上で終わります。
#30
○公述人(小島憲君) ただいまの御質問に対しまして、私の率直な意見を申し上げます。
 理想的な選挙区制というものはあるかという、大体そういうことでした。私はそういうものはないと思います。よくイギリスの二大政党対立は小選挙区のたまものだと言われておる、これは私は反対だと思う。と申しますのは、イギリスでは古い時代からホイッグ、トーリーの二大政党対立、それがだんだん変わってきまして保守・自由、保守・労働というふうに変わってまいりました。それは小選挙区制があるがゆえに二大政党になったのではなくて、大昔から二大政党でもってずっとやってきた、そこで区制そのものが二大政党対立、政局安定に直接つながってきたものとは私は考えておりません。アメリカだって同じことでございます。共和党、民主党、初めから分かれて、そして南部と北と分かれてきております。そこで小選挙区制が理想的な区制とは毛頭思っておりません。先ほどお話しのありましたいまの中選挙区制というものは金がかかるし、同士打ちがあるということ、この同士打ち論は私は反対なんです。と申しますのは、政党がしっかりしておれば候補者をちゃんとはっきり決めて、そんな同士打ちなんかある道理はございません。それからそこで私は選挙区制というものは結局、失礼ですが、小物が出やすい区制でなくちゃ、つまり新人が出やすい区制でなくちゃいかぬと思っております。三木総理が昭和十二年の三月二十五日に大学を出まして、四月に出馬した。そのときはだれもあんな小物がというんで相手にしないくらいであったのですが、この小物がそれが当選をし、その当時は一番若い代議士だというんでちょっともてはやされましたが、しかし、政界においては未知数だというんで小物扱いにされておりました。それが皆さんのおかげで支持、鞭撻を受けまして、今日ようやく大物の仲間に入ったのであります。だから新人が出られるような制度でなくちゃいかぬ。その点で私は小選挙区制になりますと、従来の大物の方ばかりお出になって新人がどうも出られないのじゃないか、そういうような疑いを持っております。
 そこで私の考えといたしましては、いろいろな反対論もございましょうが、選挙制度審議会にも私の意見は出してありますが、今日の中選挙区制度で比例代表制、非拘束名簿式の比例代表制をとることは、これは同士打ちを全然なくすることができるかどうか、緩和することができますし、それから政党本位の選挙ができると、そういうふうに考えております。もっと詳しく申しますればなにですが、私だけで時間を取っちゃいけませんので。
 それから衆議院の解散でありますが、これはおっしゃるとおり任期四年、これをいっぱい務めるのは、これは当然のことであります。解散をいたずらに、政権をある個人が握るために行き詰まってくると解散をするというようなことは、これはもう困ったもので、本当の解散というのは、これはいま現に行っておるところの政策を国民が信ずるか否かの国民に信を問うという重大なことでございますので、そうむやみに解散をすべきではございません。
#31
○委員長(中西一郎君) ちょっと小島公述人に申し上げます。実は自民党からあと二人あるんです、それを三十分以内に――三十分と申し上げましたのは、私言葉が足りなかったのですけれども、質問と答弁と合わせて三十分でございますので、自民党の発言時間と先生の御答弁が五十三分まで、五十五分くらいまでには終わらせていただきますと……。
#32
○公述人(小島憲君) それじゃあと五分くらいで……。
#33
○委員長(中西一郎君) よろしくお願い申し上げます。
#34
○公述人(小島憲君) そこで参議院のあり方でございますが、参議院の制度でございますが、私は参議院は地方区と全国区と一緒にして、そうしてブロック制をとる、これが現状から言って一番いいのじゃないかということ、これもまた具体的な案を審議会の方に前に提出いたしております。
 それから政党中心の運営の現状でありますが、参議院はどうも私は政党化は感心しないのであります。そもそも参議院ができましたときの事情から申しましても、参議院の政党化は現在としましてはやむを得ないとは思いますけれども、しかしこの比例代表制をとりますと全く政党化しますので、衆議院は比例代表制をとらずにいて、参議院だけ比例代表制をとるというのは、これはどうも私どう考えましても参議院の特異性を弱めると思いますので、それはやめますが……。
 そこで政党中心の運営ですが、これは政党がしっかりなさっておれば、これは本当にうまくいくのです。はなはだ自民党の方にも、あるいは社会党の方にも、皆さんほかの党の方にも申し上げにくいことでございますが、派閥というものがあるから政党本位の選挙というものはなかなかうまくいかぬと、これは率直に申し上げます。
 それから法律を自由の立場で審議すると、これは政党本位の運営がうまくいきますれば、何も個人がお出しにならぬでも、党でもってお出しになった方が手続も簡単だし、皆さんが一人一人あれが出したからこっちも出そうと、そういうことになりますと思いますので、時間がありませんから、もっと詳しく申し上げたいのですが、まあ、その程度でございます。
#35
○公述人(上條末夫君) 簡単にお答えをいたします。戸塚先生の御質問は非常にむずかしいわけでして、私は端的にここでお答えするわけにはまいりませんので……。
 まず政党法でございますけれども、これはまだ日本におきましては急につくるというわけにはいかない事情があるだろうと思います。政党法といいますと大体ドイツを常に思い出すわけでございますけれども、わが国におきまして問題になりますのは、第一は、先ほど私が指摘いたしましたように、政党に対する不信感が強い場合にはちょっと無理であろう、したがって、政党に対する不信感がもう少し国民の中からぬぐい去られるという条件が必要であろうと思います。
 それから、もう一つは政党側でございますけれども、政党側の中に、やはり政党のあり方についての共通の御認識が必要であろうと思います。こういう二つの条件が調わない限り、ちょっとむずかしいだろうと思います。
 それから政党法でございますが、これは日本の政治的風土に合いましたものにならなければならないわけですが、この政党の活動を制約するというよりは、むしろこの政党法の目的とされますのは、政党ないしは政治家の政治的モラルを向上させるというところに主眼が置かれなければならないだろうと思います。したがって、国費がどのくらい支出が可能であろうかというような具体的なことにつきましては、まだ私はお答えをする段階にないように存じますし、それからこの支出がどのような目的に使われるべきかということにつきましては、私は現在政党と国民との間にかなり意思の疎通があるように思うわけでございます。したがいまして、政党の国民に対する政治的啓蒙、あるいは国民の政治的意見を吸収する、そういう活動の目的のために使われるのがよろしいのではないかというふうに考えます。以上でございます。
#36
○公述人(川上桂子君) 簡単に私の国会議員に対する考え方を述べさせていただきます。
 まず、私は先ほど言われましたように、国会議員と、またわれわれというものはそんなにかけ離れているものじゃなくて、私たちが選挙で選んだ代表者であるし、いまの、戦前、戦中よりはよくなっている民主主義というものを守る番人であると考えております。それから、国会議員に対する、国会議員のあるべき姿なのですけれども、国会も含めて、私が考える姿というのは、国民に対して真実を知らせなければいけないと第一に思います。たとえば、国民はなかなか真実の報道というのは得られなくて、最近でも田中首相のことがありましたけれども、あれは国会の方で私は初めて知りました。それから、つい最近出されました、社会党が自動車工業会ですか、そういうところから献金をもらっていたとか、それも私は大変憤慨し、残念に思ったのですけれども、そういうわれわれが知り得ない情報というのを国民に提供してくださる場だと思いますし、私たちは本当の事実に基づいて自分の考えをまた成長させなければいけないと思っています。それから、主婦としての立場なのですが、私、先ほどちょっと言い落としましたけれども、勤めていた会社が不景気でもって東京都内にいられなくなって地方に移りましたので、やめざるを得なくなっていま失業保険をもらっています。失業保険金というのは一応月に七万五千円ぐらいもらっていますけれども、職安に行っていろいろ探してみますところ、特に女性に関しては全く考えられないほど低い賃金のところが多くて、とても就職するような気にはならないような状態なんです。ですから、ぜひともことしの春闘に掲げられたように、全国最低賃金法ですか、それを成立さしていただきたいし、それを含めて、数年来言われている国民春闘というものを、もう少し国会議員の方も考えて、労働者と一緒に進めるようにしていただきたいと思います。それから主婦であると、やはり夫の職場のことがいろいろ耳に入ってきますけれども、夫の職場の方でも、組合活動をするということで、解雇、ほかの理由ですけれども解雇されたり、差別をされたり、賃金差別ですね、そういうこともかなり聞いております。やはりそれらは人間の平等というところから、また基本的人権の自由というところからおかしいことであるので、もう少し国民の立場に立って皆さん考えていただきたいと思います。
#37
○秦野章君 小島先生にちょっとお尋ねしたいのですけれども、いまの状況でございますと、参議院の場合も政党というものを抜きにして選挙ができないですよね、実際問題として。理想としては政党にとらわれない方がいいということは確かにそうなんだけれども、現実問題として、もし政党に依存せずして選挙で出られる人というものはどういう人だろうということを考えてみますと、これはきわめて限られた人になっちゃう。そういうことを考えますと、直接選挙というものに何かこう限界があるような感じもするのですよ。それで上院の場合、つまり参議院議員のような場合に、特に先進国を全部見てみると、直接選挙だけで選んでいるのは日本とアメリカだけなんですね。あとは一部分はやはり推薦とか、推薦母体の問題は非常に大事だと思いますけれども、そういう方式で、できるだけりっぱな人を選び出そうと、そういう仕組みになっているわけですよ。私は政党というものを抜きにしては選挙ができない、政党を抜きにして出てくる人というものは、いま出ておられる人の顔ぶれを見ても、きわめて限られた人になっちまうから、これはやっぱり選挙にならぬだろうという感じがするんですよ。もし推薦制みたいなことになるというと、これは実は憲法問題になっちゃうのですね。それで御承知のとおり、日本の憲法でも、憲法のできる、マッカーサーから与えられてつくるときには、松本国務相の意見では、一部推薦制があったわけでございますけれども、これは日本とアメリカを除けば、推薦制がどこも一部あるわけですね。それから社会主義の国に行くとみんな推薦ですよね。推薦で悪い人が出てくるかというと、推薦でりっぱな人も出てくる。だから、推薦制に全部するということはもちろん問題だけれども、一部推薦というものは、私はやっぱり参議院の良識を確保する上においては必要なことではなかろうか、だけどこれは憲法改正問題だということになるのですが、この点については先生どうお考えになりますか。
 それからいま一つ、隅井さんにちょっとお尋ねというか、御意見を。さっき、いまおっしゃった言論の自由ということは非常に大事だし、それが言うならば文明の武器でございますから、われわれがいつもやっぱりそれは悩むわけですよ。そして、ただ、いまのこの自由社会の中で全然野放しにしてしまう、全然タッチしないと、選挙の問題についても全部自由にしちゃうということになったときには、組織とか、お金とかある人は幾らでも使えるということになって、そこに競争は非常にいいのだけれども、過当競争とか、不正競争とか、これはマスコミ、文書図画の問題だけではなくて、これは世の中全体の問題になるのですけれども、競争はいいのだけれども、過当とか、不正競争とかということになっちまうと問題だから、やっぱりちょっとルールが要るのだということで、そのルールがやっぱり規制みたいなものになって、実はいわゆる先進国と言われる国では、文書図画は何がしかは全部規制があるんですよね。私に今度の公職選挙法では、ちょっとこれは手が込み過ぎているから、私自身もちょっと心配している。心配しているのだけれども、私が質問をあなた方にする問題ではないのだけれども、その点やっぱり調整の問題ね、言論の自由ということも野放しではあり得ないという感じがするのだけれども、これは御意見いかがですか、その二点だけひとつ。
#38
○公述人(小島憲君) 参議院の政党化の問題にお触れになりました。間接選挙が一番いいと私は思っております。有能の士を参議院の全国区制度を設けたときには、全国的な、有能の士を広く全国から選ぶという趣旨で、ああいう制度が生まれたのでありますが、実際やってみると、本当にりっぱな人がだんだんだんだん出られなくなりまして、結局政党に基礎を置くか、職能団体に基礎を置く人でなければ出られないという現状でございます。これはもう確かでございます。といって、間接選挙にすればいいのでありますが、それは憲法違反と、もうこれには本当に毎回審議会でも頭を悩ましておるのでありますが、そこで私は、それなら仕方がないから、地方区は、これは知事か、それから参議院、それから衆議院かたらい回し、そこに参議院の政党化に拍車をかける一つの素地があると、私はそう思っております。ですから、地方区をやめて、そして、といって全国区一本にしますと、これはいまでも困っておるのに、とても有権者自身がもう困りますから、そこでブロックに分けるという案を私は持っておりますのです。しかし、それは実際の皆様方が本当にそんなことができるものかとおっしゃればそれまででございますけれども、まあそういうことです。
#39
○公述人(隅井孝雄君) 秦野さんの御質問ですけれども、私は、基本的な考え方としては、選挙における言論活動は、まあこれは国民のという意味でありますけれども、言論活動は基本的には全く自由で野放しであるべきだという考え方は持っています。しかし、現実の社会の中ではなかなか一挙にそこまでいかないという現実もそれは確かにあるわけですね。ですから、いま一番私たちが今度の改正案を見て考えたことは、いま公職選挙法というものがあって、その中でも日常の仕事の場合や、それから活動の場合、いろいろ規制があるんですよ。それをできるだけ、いま可能な範囲でできるだけ少しにするということであれば、それは不満だけれども一歩前進だというふうにわれわれ考えられるのだけれども、今度の場合には、現行の公選法よりもさらに新しいものをつけ加えて規制を強化するということですから、そういう意味で言えば、やはりそういうやり方は逆行ではないか、規制の強化になるのではないかというふうに考えざるを得ないというふうに思います。
 それから、何らかのルールが必要なんじゃないか、過当競争とか不正競争、不正のことがあるのじゃないかということですけれども、私たちの中では、最近の著しい特徴としては、いろいろ選挙活動や政治活動や市民運動とか労働組合運動が起こっていますけれども、最近の潮流としては、基本的には私たちはみんな手弁当になっているわけですね。一ころ労働組合が日当でデモに動員するというような話もありましたけれども、このごろはそういうわけにもいろいろいかなくなりまして、やっぱりそれぞれの政治的な自覚や、社会の問題をどう考えるかということを十分話し合ったり何かした自覚に基づいて、自分たちでお金を出して、それは汚いガリ版ですけど、ガリ版でビラをつくってまくとか、そういうことになって、労働組合もそうだし、市民的な運動もそうだし、政党の運動も恐らくそういう方向に向かっているのじゃないかというふうに考えるわけですね。で、もし、何らかの規制が必要だとすれば、さっきも簡単に触れましたけれども、たとえば選挙中に政府が国家の税金を使って、それは総理大臣もテレビに出て一時間もしゃべるし、それから、政府の総理府とか自治省とか防衛庁――防衛庁が日本の国の守りは大切だなんていうことを週刊誌を四ページも買い切って載せるとか、選挙中にですよ、そういうことはむしろやっぱり遠慮していただく。あるいはお金を持っている企業家が――それは企業家は、ぼくは商売をしていればいいと思うのですけれども、政治に口を出すかっこうでお金を出して、それで今度選挙運動の資金にするというふうなことは、これは社会的に言ってやっぱり不正義だし、不公平が起こる原因ですから、そういうことはできるだけやっぱりやめにしていただく方向で、しかし、国民一人一人の自覚に基づいた行動はできるだけ自由に、フリーにだれでも、どこでも、どんなことでも遠慮なしに言えるような、主張できるような体制を社会につくっていくことが必要なのではないかというふうに考えています。
 答弁になるかどうかわかりませんけれども、私の考えはそういうことであります。
#40
○委員長(中西一郎君) ありがとうございました。
#41
○中村波男君 限られた時間でありますから端的にお尋ねいたします。
 最初に浦田先生にお尋ねをいたしたいと思うわけであります。
 先生は、今回の公選法の改正案は言論活動の抑圧であり、文書、表現の活動の規制があるので憲法違反または違反の疑いがあるということをおっしゃったわけでありますが、私も努めて言論や文書、表現の規制というようなことばやるべきでない、やらせるべきでない、こう考えておるのでありますが、しかし公正、適正な選挙をやりますために、一定のルールといいますか、同じ土俵で争うということも必要になるんじゃないかと思うわけであります。したがいまして、現行法でもポスター、選挙公報等のもちろん制限もありますし、選挙用自動車の台数とか宣伝時間の規制、その他新聞広告等の規制等々いろいろな規制があるわけでありますが、この程度であるならば憲法違反ではないけれども、今回は機関紙誌等の号外等の規制が強化されたから憲法違反だというお説なのか、そういうものを含めて憲法違反であるというお説なのか、その点をお聞きしたいのであります。
 それから憲法学者でありますので、この機会にお尋ねをいたしたいと思うのでありますが、福本公述人から出納責任者、総括責任者等が有罪になった場合には連座制としてこの点をきちっとすべきだという御意見がありましたが、自民党等からは即連座制ということになりますと憲法違反であるという、こういうことから今回のような中途半端な連座制を公選法の中でつくったという説明理由になっておるわけでありますが、この点について憲法違反になるのかならないのかということをお聞きいたしたいと思うのであります。
 次は小島先生にお尋ねをいたしますが、私の聞き違いであったかもわかりませんけれども、先生、参議院の地方区の定数是正に触れられて、最後に衆議院の通常選挙において定数是正をやるべきだと、こういうふうに私お聞きしたんでありますが、そうなりますと、また衆議院で定数是正をやるという、こういうふうにお考えになっておるのかどうか。念のためにお聞きしておきませんと大変なことになると思いますので、お聞きした次第でございます。
#42
○公述人(浦田賢治君) 文書、言論活動の規制を行っている現行法の合憲性はどうかと、こういう御質問だと思います。挙げられた条文がどういう範囲に及ぶのか必ずしもつまびらかでございませんが、現行法の中で憲法違反だとする学説がかなりの数に上っているのは次の条項であります。たとえば百四十八条の三項であります。つまり新聞、雑誌の報道評論というものが百四十八条で認められておりますけれども、これに対して一定の要件、「新聞にあっては毎月三回以上、雑誌にあっては毎月一回以上、」そして「第三種郵便物の認可のあるもの」、さらに「当該選挙の選挙期日の公示又は告示の日前一年以来、イ及びロに該当し、引き続き発行するもの」、この点で、この「ハ」の点で先ほどの中部読売新聞に対してこの春、三月の規制が行われた、この規制は違憲であるという主張がすでにあるわけでございます。で、これ以外のポスター、立て看板などの規制はどうかということでございますが、これの方向としましては、包括的な規制の一環をなしていると思います。その程度がどれくらいになれば違憲にはるかということは、やはりもっと具体的に事実に即して検討しなければなりませんけれども、先ほど私が公述の中で申しましたように、百四十八木以外は百二十九条以下この包括的な文書、言論他動の規制条項であるわけでございますね。そういう条項が敗戦直後の特殊な事情、一種の紙不足という、そういう事情を強調することによって現行憲法のもとでも存置されました。そういうわけて、この包括的な言論、表現活動の規制立法は明治憲法下の昭和九年選挙法改正の方式を受け継ぐものとして、原則的に、原理的に憲法の表現の自由を保障するというたてまえから再検討すべきだという声が次第に学界では強くなっているということを御指摘しておきたいと思います。その意味で問題になりますのは、選挙の公正を確保するということと、文書、言論活動の自由を保障するということの調整でございます。この調整は、確かに一方が選挙の公正という価値であり、他方が国内の基本権であります憲法的な価値である。この両者の価値を調整するということは、これはきわめてむずかしいというふうにこれまで、昭和三十年の判決も言っておりますし、幾つもの下級裁判決が指摘しております。しかし、私どもはこの点について原理的に考えれば、憲法は民主政治の基本的な条件として、文書、表現活動の自由、この自由を人権として定めているということが基本だと思います。この基本的な原則がそれでは選挙期間中の選挙運動についてはどうかということになりまして、原則の具体的な適用において、選挙の公正という次のレベルの価値が出てくると思うんです。この価値を保障する場合には、より高いレベルの憲法的価値が制限されるわけでございまして、その場合には、選挙の公正が本当に必要なのか、また選挙の公正を確保する上で、言論、表現活動を規制する合理的な関連性があるかどうか、第三には、規制手段が必要最小限であるかどうか、この三点について事実に即して検討する必要がある。そういたしますというと、選挙の公正のために規制するという側に事実でもって立証する責任があるだろうと、このように考えております。その意味で、同じ土俵で選挙を行うのが公正であるという、そういう抽象的な文言だけで、文書規制、立法の合憲性を推定することはできない、むしろ合憲性ではなくて違憲性の方が推定されるのではないか、こういう原則的な考え方を持っております。
#43
○中村波男君 それから連座制の問題について。
#44
○公述人(浦田賢治君) 連座制につきましては、確かに百日裁判という非難がございまして、ついこの間の最高裁判決でもその批判があったわけでございます。今回、当選人になる人が、自分の総括責任者、出納責任者と自分とは関係ないという訴訟を起こすことによって当選無効にならないという制度を設けられましたけれども、これもまた百日裁判の批判を十分に回避することはできないだろうと、こういうふうに考えております。要は、裁判の迅速性にかかりますけれども。しかし、現状からすれば、いま言ったような制度を設けても、連座制の強化には実際には役立たないだろう、こういうふうに考えております。
#45
○公述人(小島憲君) 先ほど、あるいは言葉が足らなかったかもしれませんが、現行制度、全国区制と地方区制との柱をもとにした現行区制を前提とする限り参議院の地方区の定数是正は当然やるべきだ、しかし、まだあと二年あるんで、その間に御研究くださって、次の国会にでも間に合うように御研究くださればよいのでありますが、何といいましても、いつ解散があるかわからぬので、それで次の総選挙に間に合うように、衆議院の定数是正、いま出ております定数是正を、もう一日も早く通していただくと、そういう意味だったんでございます。
#46
○委員長(中西一郎君) ありがとうございます。
#47
○秦豊君 きょうはですね、御出席の皆さんの中の、私の聞き違いでなければ、お三方から、一種の選挙運動の公正というか、あるいは公営の拡大という観点、あるいはちょっと異なった観点から、テレビメディアの活用についてもっとアクチブであれという御趣旨の発言が、ほとんど半数の方々から述べられたわけです。で、ちょうど折からきのうの当委員会で私がその問題を特に福田自治大臣や土屋選挙部長にただしたんだけれども、残念ながらまだまだ及び腰で積極性がない。したがって、この問題についてはまだまだ押さなければならないし、ぜひとも実現をしなければならぬと思っているんですが、そういう大方の公述人の皆さんの御意向を踏まえながら、私の質問の場合には、杉森さんと上條さんにちょっと一つ二つお答えをちょうだいしたい問題があります。
 最初に杉森さんに特にお伺いをしたいんですけれども、いまの七十五国会はもう七月四日までというふうに限定をされておりますので、どうしても物理的に後が迫っている。そうすると現実の判断としましては、小島先生などもおっしゃった定数是正の問題等の実現はすべて今後に任せられてくるわけです。そこで地方区の定数増の問題ではなくて、全国区の問題を特に杉森さんに伺いたいんですが、私もおのれまたこの全国区の一員でありますし、それから有権者の皆さんから、金がかかり過ぎるとか、あるいは制度上の矛盾が最も吹き出しているというわけで、一番痛烈な批判の対象になったのがまた全国区である以上、この国会が終わってから早速こういう問題についての論議が閉会中といえどもさまざまな場で行われるであろうことは疑いない、定数問題とあわして。そこで杉森さん、いまのところまだ各党に合意はありません。しかし金をかけない全国区選挙、つまり全国区選挙制度という制度を、入れ物をそのままにしておくという前提をそのままにしておきますと、金をかけないための方法論としては、よく言われている完全拘束名簿式という方法があるわけなんですね。それはもっとも皆さんの中にも部分的に散見されましたように、それでは参議院の政党化を極限まで推し進めるじゃないか、反対だという先生方もいらしたんですけれども、いまのところ私ども社会党の観点は、立場は、やはり選挙の公営を拡充しながら全国区の場合には完全拘束名簿式であれという立場をとっているんですね。杉森さんはこれについてはどういうふうなことを考えていらっしゃいますか。
#48
○公述人(杉森康二君) いずれにいたしましても参議院の全国区というのは、やはり改正をする必要があると思っております。私は先ほどやはり完全拘束名簿制支持の発言をしたわけでございますけれども、ただ一つこの問題があります。それは、どなたかもおっしゃっておりましたように、この完全拘束名簿制だと、結局だれがその推薦母体になるかという問題であります。これは現実のところ、やはり各政党がその完全拘束名簿をつくるということになるわけでございます。そうすると、やはり私が先ほど主張した市民的な運動あるいは自発的に選挙に出たいという国民の被選挙権を圧迫するという結果になるわけです。問題は、それは技術的な問題で解決できる可能性はあると思います。というのは、一方で完全拘束名簿制を置きながら、同時にさまざまな職能団体あるいは市民団体から別個な会派をつくり、それがやはり名簿を推薦するという形をとる可能性があります。もちろん現在のところ市民団体には全国的な連合組織もございませんし、いろいろな複雑な問題があると思いますが、しかし制度がそのように解決すれば、現在、先ほど申しましたように、三〇%に及ぶ政党不信あるいはどの政党も支持しないという人たちがいるわけですから、そういう人たちの間から、そういう参議院全国区選挙を目指した市民的な会派の結成というものは十分可能性を持つと思います。そういう意味で、いわば現在の政党だけにこだわらない新しいさまざまな市民活動のグループを加えた名簿制というものがやはり金のかからない選挙あるいは全国区の現在の矛盾を解決するための一番いい方法ではないかというふうに考えております。
 それからちょっと先ほど秦議員から出されましたテレビの問題につきましては、やはりこれから選挙公営という一つの理想に向かって邁進するためには、テレビにおける選挙メディアの拡大並びに選挙公報の拡大というものが一番重要な問題であると思っております。やはり、そのためにテレビの問題は非常に技術的問題がたくさんあるというふうに私も聞いておりますし、また、私も東京に住んでおります関係で、いろんな、公益テレビの問題がその地方の衆議院や参議院の地方区とどう関連するかというふうな問題もあろうと思いますが、やはりどのような方法をとっても、テレビにおける選挙の公営の拡大、先ほどどなたか申されましたような立会演説会の中継を含めたそういうあらゆるチャンスでのテレビメディアの拡大というものは特に必要ではないかというふうに考えております。
#49
○秦豊君 ちょっと論点が、観点が違いますので。もし時間が余りましたら杉森さんにはもう一つだけ伺いたいことがあったのですが、その前に上條さんにちょっとお教えをいただきたい点があります。それはさっき先生の公述の中に、ビラの規制にたしか関連をしておったと思いますが、私どもの調査によるとという前置きで、政治心理上の、政治心理学という言葉をお使いになったわけですが、ビラを、たとえばある一つの選挙期間中に――どうおっしゃったんですかね、一つの党または候補から三枚が限度であって、それ以上になった場合にはマイナス効果が働くのではないかというふうな意味に私はとったのですが、それはどれくらいのサンプルで、またどういう選挙の後でまたはさなかになすった調査なのか。大変私もこの点には関心を持っておりますので、お差し支えがなければ、先生の大学の学生たちを使われた集団作業なのか、ちょっともう少し詳しく御披見いただけませんか。
#50
○公述人(上條末夫君) 私どもがやりました調査は、これはちょっと、具体的に申し上げると実は選挙法違反の問題にかかりますので、抽象的にしか申し上げられないというのがございます。それは、ある市における市長選挙でございまして、二年ほど前に行われました。そこにおきまして、実はこうしたビラによる、大量なビラによる選挙のパターンがあらわれまして、それ以降東京の都議会選挙にもそれが出てきたわけでございます。そのときのある市における選挙におきまして私どもが聞き込み調査をいたしました結果、ほぼそのくらい、つまりこれは推定でございまして、確実なデータではございませんで、私の判断しますところによりますと、このときには三十枚くらいのビラが一政党一候補者からまかれたわけでございます。そこで、この人々の中から非常にそれに対する不満が出てきまして、三枚ぐらいまではまだいいですけれども、それ以上になってくるとどうもやり過げではないか、三枚ぐらいは何とか受け取りますけれどもという、こういう意見が非常に強かったという、この私どものインタビュー結果によるわけでございます。したがいまして、この数字を私は申し上げるわけにもいきませんし、どこで行われたかということも具体的に申し上げますと大変な問題になるだろうということで、大体私がそこで判断をしましたのは、そのくらいの限度でマイナス効果になっている。だからそのビラの内容も非常に問題であろうと思います。同じようなビラが何枚もということになると、二枚でもかなりマイナス効果になってまいりますので、内容を変えれば多少いいとしても、それにしてもそういうことが現実にあったということでございます。
 以上でございます。
#51
○秦豊君 上條さんにもう一つだけ、念のためなんですが、実は、先ほども先生が引用されました公明選挙連盟のデータは実は私も当委員会で引用したおそらく同じサンプルではないかと思いますが、二千九百くらいのサンプルで回答のあったあれですか。−そうしますと、言うまでもなく、三〇・七%、有権者の皆さんがどういうふうな媒体をお使いになって候補者を選んでいったか。モチーフ調査ですね、あれは。
#52
○公述人(上條末夫君) はい、そうです。
#53
○秦豊君 そうするとテレビが三〇・七で、選挙公報が一八・六%それから候補者自身がレイアウトをして掲載した新聞広告が六・〇、それから政党の配布したビラとかポスター類が四・二%、街頭演説の効果が二・五%、あのデーターと全く同じでございますか。
#54
○公述人(上條末夫君) そうでございます。
#55
○秦豊君 私は、だからといってビラを規制せよというふうな短絡思考をここに展開するつもりは毛頭ない。ないですけれども、選挙公営拡大の重点としては、やはりこれほど圧倒的にパンチの効くであろう、また最も茶の間に入ってくるマスメディアであるテレビを使った政見放送を、現在は全国区が対象になっているのですが、全国区の場合はNHKしか使えないわけですから、そうしますと、いま抽せんで選挙期間中二回オンエアされているのですね。私自身は私見として、また党内の合意では、序盤中盤終盤でせめて三回にして、一分間だけ枠を広げて、四分半を五分半にという私見を強く持っており、それをまた質問という形できのうもぶつけたわけですが、そういうふうな基本的な考え方については先生はどうお考えでしょうか。
#56
○公述人(上條末夫君) いまの秦先生の御質問でございますが、私も全く同感でございます。私が先ほど挙げまして、いま秦先生が挙げられたのは、これは全国区の方の例でございます。これは地方区もほぼ同じ数字になっております。私も同じように、これだから、つまり選挙の、政党のビラ、ポスター、文書というものが余り活用されていないから、したがってこれは要らないじゃないかということではございません。そこで私も重点は、むしろもう少し近代的なマスメディアを利用するということが必要であろうということを考えたわけでございます。したがいまして東京都の都議会選挙――前回でございますが、このときに大量にビラがまかれまして、印刷会社の方から、もう少し丁寧にまいてくれ、駅頭にあんなに捨てられてはこっちが印刷してばかばかしいではないかという申し入れが――俗に言いますと、そういうこともあったということで、これはほどほどになすべきで、むしろいま秦先生おっしゃいましたように、余りラジオの方の利用価値は少ないのでございますけれども、現在はテレビによりますところのこの政見放送は非常に利用者が多いわけでございます。私も秦先生と同じように、この放送回数をふやすこと及びいまの三分間の時間ではなかなか政策まで丁寧に説明するという余裕がないと思います。四分でもむずかしいだろうと思います。朝にいたしましても、一回の放送時間を延長すること、それから回数をふやすこと、それから選挙公報につきましては、ただいま一回でございますし、下手をするとこれは投票日の三日ぐらい前になってようやく回付されてくるということがございます。しかもこれはきわめてありきたりの項目を並べてあるだけでございまして、選挙民にとりましてはなかなか判断がしにくいわけですし、最近におきましてはそこに掲げられる政策的項目はほとんど似てきておりまして、なかなか比較検討する材料としては十分ではないということがございますので、仮に二回これが出されるということになりますと、それぞれ候補者の方々も考えられまして、あるいはいまのスペースをもっと広げる、あるいは回数をふやすか、いずれかにいたしまして、少なくとも候補者のそうした政策が国民に広く浸透するような方策、しかもこれは公営でなされる方向にいくべきであろうというふうに考えております。
 以上でございます。
#57
○秦豊君 うちの党の時間があと五分弱まだ残っておりますね。杉森さんに、恐縮ですが、もう一回お伺いをしたいことがあります。
 それは今回の政府原案、政治資金規正に関しまして、三木総理が総裁就任の以前におっしゃっていた線からは、言うまでもなく大幅に後退を示しております。それがまた不満であって、わが党は独自の改正案を出しております。そういう立場は当然の立場なんですけれども、杉森さんに、残った時間いっぱいでお伺いをしたいのは、政府・与党の中には企業献金を正当化する一方で労働組合からする個人的なカンパですね、これを同列、同じ次元に押し上げてもろともに切るという発想が、論理があるわけですよ。これについては、私どももちろん反論を加えておりますけれども、杉森さんとしては、その辺のところはどういうふうに整理し、割り切っていらっしゃるだろうか、これをあなたの結論としてお伺いしたいと思うんです。
#58
○公述人(杉森康二君) この点につきましては、先ほども少し私の方で話しましたけれども、やはり労働組合の献金並びに企業の献金とは全く性格の異なったものであるというふうに私は考えています。先ほども申しましたとおり、労働組合の献金というのは、あくまでも労働者が、個人が拠出したものであり、同時にそれは労働組合、その労働者それぞれの意思を結集するその労働組合の大会において民主的に承認されて、それで各政党に、政治団体に拠出をするという形をとっております。企業の場合は、全くそうではないわけです。もし私の場合、企業がもしその株主総会なり、あるいはその拠出する富を生み出したのはやはり全従業員の努力でございますから、全従業員の民主的手続を経て、たとえば全従業員総会とか、あるいは投票とか、そういう方法でもし企業が献金を決めるならば、それは労働組合と同じ同列のものであろうというふうに考えますけれども、しかし、現実には、企業献金はそのような形をとっていないわけでございまして、やはり基本的な差がある。したがって、今回の政治資金規正法改正案の中で同列に扱っていることについては、非常に大きな疑問がありまして、やはりこれは切り離すべき性格のものではないだろうかというふうに考えております。
 以上でございます。
#59
○秦豊君 じゃ、上條さんと杉森さんにお礼を申し上げて、うちの持ち時間を終わりたいと思います。どうも大変に……。
#60
○峯山昭範君 私は、作間先生とそれから浦田先生にお伺いいたします。非常に短い時間でございますので、二点にしぼってお伺いをしたいと思います。
 まず、端的に申し上げますが、第一点はビラ規制の問題であります。この問題につきましては、それぞれ公述人の皆さん方の話をお伺いしたわけでございますが、私はこのビラ規制の条項については、私たち公明党は削除しろと、こういうぐあいに言っているわけです。そこで、実は先ほどから話を聞いておりまして、上條先生が、先ほど同僚議員もおっしゃいましたように、この世論調査の結果を引いて話がございました。私は、先ほどの世論調査の結果は、今回のこの提案の理由にもいわゆる選挙の公正が害されると、同時にビラ公害と言われているということで今回の規制をやっているわけです。しかも上條先生の話では、政策中心というより感情のレベルとなっていると、こういうふうな同じような意味であります。しかもこれは、先ほどお話ございましたように、ビラを三枚以上ではもうマイナスになるというのが国民の反応であると、それ以上は不快感を与えると、こういう話が先ほどございました。ということは、私はこのビラの問題については、そのビラを配るのがいいのか悪いのかというのは国民が判断をするんだと。だから、いわゆる法の規制をもって、法で規制をするというのはかえって間違っているんじゃないか。要するに、ビラをたくさんもらって不快感を持てば、その政党には投票しないわけであります。ですから、その判断は国民がそれぞれするべきでありまして、いわゆるそのビラ公害と言われるなんということでこういうことを規制するというのは、全く本末転倒した理論ではないか、私たちそういうぐあいに考えているわけでございますが、この点に対する作間先生並びに浦田先生の御専門の立場からの御見解をお伺いしたいと思います。
 それから第二点目でございますが、これはきょう八人の公述者の中で五人の方が附則十条の問題を話がございました。この附則十条の問題というのは、私は非常に重要な問題であると思っております。先般から二回にわたりまして、当委員会におきまして私たちはこの問題を追及してまいりました。実際問題として、政治資金規正法の三条一項三号イ、ロの項で、従来目的を有するということがありましたのが、それを削除いたしまして、そしてさらに附則十条で、いわゆるその「政治活動を行う団体」というような縛り方をしたわけであります。
 それで私は、結局、端的に言いますと、「政治団体」でなければ「政治活動」を行うことができないということになるんじゃないか。そんなことはないというきのうは答弁がございましたが、現実に行動の面で規制をするわけでございますから、必ず私はそういうようなことになるんじゃないかと、そういうようなことを非常に心配をしているわけであります。そういう点から考えてみますと、しかもその上に、今度は一括して規制した上に、いわゆる先ほどもちょっと話がございましたように、罰則まで加えると、こういうようなことは、これはもういわゆる史上最悪の法だ、まあそういうぐあいに私は思うわけです。そういうような観点から、私たちはこれは非常に遺憾な問題だと考えております。
 この二点の問題につきまして、それぞれの先生から御専門の立場から教えていただければ幸いでございます。よろしくお願いします。
#61
○公述人(作間忠雄君) 第一のビラ規制の問題でございますが、先ほども申し上げましたように、あるお金、つまり選挙の資金をどういうふうな方法で使うかというのは、私はそれぞれの政党が自由になさる問題ではないかと、こういうふうに思っております。で、ビラの問題でございますが、ある政党はビラにたとえば相当重点を置いて相当額を使う、他の政党はほかの方法をするということは、私はそれこそ選挙の自由の根本にかかわり合いがあると思います。
 それから、選挙の自由と選挙の公正の問題がしばしば出ておりますが、私は選挙の自由と公正は両立するものではないと思います。つまり、すべての政党に同じ条件で同じ自由を保障することが公正になるので、つまりある政党が自分の好きなことばっかりやりますね、他の政党はさせないとなりますと、他の政党は不自由になります。そういう不自由を生じないのが公正だと、こういうふうな考え方をいたします。
 それから、現実のビラ公害でございますが、これはいわゆる小回りのきく意見表明で、他の政党に対してすぐ反論することもできますし、私は有効な方法だと思います。
 それから、三回以上マイナスというのは、同じビラかどうかですね。三回あるいは数回投げ込まれた場合か、全く違うのかは伺っておりませんが、これはもうやはりおっしゃるとおり、受け取る側の問題でございまして、それがある場合にマイナスになれば、その政党で再検討されればいい問題だと思います。
 それから二番目の、附則十条のいわゆる「政治活動を行う団体」の問題でございますが、この点は、峯山委員がおっしゃいましたことと私の考えと基本的に同じでございます。ただ、詳しい経過は存じませんが、なぜこの附則の十条、政治資金規正法の改正案の中に出てきて、その場所は公職選挙法の方でございますね、たしか。そういう経過は実は存じませんが、一つの感じを申し上げますと、何かそこにちょっと、どうしてなんだろうかという疑問を持っているわけでございます。これはきわめて市民運動を制約したり、ひいては議会政治の基礎を崩す私は最近のちょっと危険な傾向が、こういう附則という形で出てきているという感じを持っております。
#62
○公述人(浦田賢治君) 第一点については、峯山委員がおっしゃるとおりだと思います。
 理由を若干補足いたしますと、いわゆる公害という言葉は英語ではポリューションの訳語でございます。ポリューションというのは、私が指摘するまでもなく、汚染ということでございます。これが環境法あるいは環境権とかかわって使われる場合には、人の生命、身体あるいは生活環境を侵すということをもたらすので、そういう結果をもたらさないように、経済活動の自由を規制するということになるわけでございます。つまりそこでは、人の生命、健康、生活環境といった生きる権利というものが侵されているわけでございます。しかも、現実、具体的に侵されているということが、科学的に自然科学等の立場あるいは社会科学の立場からして事実をもって証明されています。ところが、選挙の公正ということが――ビラ公害とも言われているという場合のビラ公害、これがいま述べたような意味の汚染であるのか、ポリューションであるのか、ここをやはり私どもは科学者にもっと事実に即して調べていただきたいと思います。先ほどの例では、三回を超える同一政党の選挙運動期間中のビラ配布はマイナス効果であると言われたわけでございますが、もしそれがそうだといたしましても、これは各政党の危険負担においてやればよい自由の領域に属する問題だと思います。マイナス効果を生ずるから国家の側が法律を使って規制してあげようという、そういうものではないと思うんです。私が端的に言いたいのは、国民の自由の問題と、法律で規制するという問題とのけじめをつけてほしいということであります。かつて哲学者は、法律は道徳の領域に入らないと申しましたけれども、現代で言えば、国民の基本的人権、自由の領域に法律がむやみに入ってはならない、これが現代民主主義における法律と自由の関係だというふうに思います。
 次に、政治資金規正法附則十条によります公選法二百一条の五以下の改正でございます。この点につきましては、現在この公選法特別委員会でも審議中だそうでございますが、六月十二日の政府統一見解がさらに検討されているということを私は新聞で知っている程度でございますが、もしこの「政治活動を行う団体」というものが「政治団体」と同じならば、何も改正をする必要はないわけです。だから「政治活動を行う団体」というのは、かつての「政治団体」と違う。どこが違うかということを、やはり審議の過程で明らかにしてほしいというふうに思います。そうしないと、これは刑罰規定を伴っております。二百五十二条の三による三十万円以下の刑事罰を伴っております。この刑事罰の犯罪構成要件に当たります、何が犯罪であるかということを決める法律であるわけです。この法律が白地であってはならない、何も定めてないものであってはならない。これは人人の生命、自由を規制する国家権力の行動に対する規制として法律がなけりゃならぬ、そういう罪刑法定主義の要求であるからでございます。いま仮に、この「政治活動を行う団体」というものが、これが政治資金規正法三条に言いますところの政党以外の「協会その他の団体」であると考えてみましょう。「協会その他の団体」は、政治資金規正法の三条二項におきまして次のように言われております。それは、「政党以外の団体で政治上の主義若しくは施策を支持し、若しくはこれに反対し、又は公職の候補者を推薦し、支持し、若しくはこれに反対する目的を有するものをいう。」、こういうふうに言われているわけであります。もしこういうものであるとすれば、なぜ政党以外の「協会その他の団体」と言わないかという、そういう疑問が出てくるわけでございます。これまでの運用によって、犯罪構成要件に一定のかたまりのあるこういう言葉をなぜ使わないかと、そういう疑問が出てまいります。公選法二百一条の五の今回のこの改正条項、これはこれまでの運用においては、市民団体、大衆団体、労働組合などを規制するために余り用いられてこなかったというように聞いています。もっとも、憲法会議などが、政府の施策に反対することがあったとして規制されたということは聞いていますけれども、それ以外にはなかった。ところが、今後は政治団体が選挙期間中に政治上の主義もしくは施策を推進し、支持し、反対するこういうビラを頒布した場合には、これは規制される危険性が十分にあるわけでございます。国家公務員法の百二条を具体化した人事院規則十四i七がございますが、この人事院規則十四−七では政治的行為というものが非常に詳細に定められています。このように詳細に定められている政治的行為、これですらも、法解釈、運用にはさまざまな疑義があるわけでございます。いわんや「政治活動を行う団体」という、そういうあいまいな条項で国民の諸団体のビラ活動その他文書活動の規制をするということは、私は近代民主主義の基本的な条件である言論活動の自由を規制する危険が十分にあると思います。今日、選挙期間中ほど国民の、あるいは国民の諸団体の政治意識の高揚、政治活動の重要さが求められているときはないと思います。日本の政治において、最初の議会は国民の一%余りの人しか有権者でなかった、そういう議会でありました。普選法によって、いわゆる男子の普通平等選挙が実施されましたけれども、それは、先ほど申しましたように、戸別訪問の禁止、事前活動の規制、そうして一定の文書活動の規制を伴ったわけでございます。だから、戦前においては、普選の実施が実は国民の文書活動の規制ということを伴っていた。それが四年の内務省令を経て九年の選挙法改正では、選挙公営の拡大とセットになって文書活動の規制になったわけであります。つまり、戦前には国民が選挙運動の主体である、選挙をする主体である、こういうことがなかったわけであります。こういう事態は、国民主権のたてまえ、普通選挙のたてまえ、そして議会制民主主義のたてまえに反するわけでございます。先ほどの公述人の何人かの方も指摘されましたように、こういう条項が一見何でもないような形で出てくるという出方、この出方に、私は今日の政府提出法案の一つの特色が出てあるように思います。公選法でやればいいものを政治資金規正法の附則十条という形で出してきて、何でもない言葉の変化の中に実は重大な意味があるということ、ここに私は、日本の現在の議会制民主主義の重大な問題があるというふうに考えております。その意味で私は、労働組合初め多くの団体が、この条項の削除を要求している公明党の要求、こういう要求を支持するのは正当であるというふうに思っております。
#63
○多田省吾君 いろいろ貴重な御意見を大変ありがとうございます。私は、浦田先生と作間先生に、政党法の問題でお尋ねしたいと思います。
 いま政党法のお話がございましたが、私は、政党法というものは「政党」や「政治団体」を非常に規制するもので、本来自由であるべき政党活動、政治活動が非常に規制されるという意味で反対でございます。これは世界的に見ましても、西ドイツとか韓国とか分裂国家において、五%条項とか、あるいは韓国においては小選挙区比例代表併立制というような、きわめて意図的なものを持っている国あるいはアルゼンチンというような国、わずか二、三ヵ国がやっているにすぎませんし、わが国において、最近、特に衆議院の議運等においては、立法事務費を月二百万円まで上げて、そのかわりに政党法みたいな規制をつくるんだみたいな雰囲気があるようでございまして、非常に私は危険だと、このように思うわけでございます。こういう意味で政党法に対してどういうお考えか、そして、この公職選挙法や政治資金規正法の中に私は政党法を志向するような、政治団体や民主団体さえ規制するような方向、しかも金がきわめてかかる公営選挙を含めているということにおいて、私は非常に危険であると、このように思いますが、御意見をお聞かせいただきたいと思います。
#64
○公述人(浦田賢治君) 選挙は社会の仕事であるのか、それとも国家の仕事であるのか、こういう問題が原理的に問われていると思います。これまでの代議制民主主義の国家、議会制民主主義の発達した国家では、選挙は社会の仕事であると考えられてきました。社会の中で、その社会の利益あるいは理想、目的を達成するためにその社会が代表を出す、こういうのが近代民主政治の選挙の考え方であったわけでございます。ところが、この社会の仕事として選挙を考えるという考え方に対して、選挙を国家の仕事の一環と考える、これはおくれた議会制民主主義、ドイツがその一つでありましたけれども、そういう国々で選挙人団というものを国務行為を行う一つの団体と考える、そういう考え方をとりまして、選挙権の行使は選挙人団のメンバーに加わることだ、こういうふうに考えたわけでございます。だから、選挙が社会の仕事であるのか国家の仕事であるのか、この原理的な問題において、先進的な資本主義国、それは民主主義の革命を本当にやった国とそうでない国との間に違いがございます。これが近代における違いであったわけでございますが、その次に政党法をつくった西ドイツ、これはナチズムの反省の上に、この人権を法律の名でじゅうりんするようなそういう政党を排除する、そしてその上で一定の民主的な自由な憲法秩序を守るものだけが憲法上の政党であるというように考えることになったわけです。だから、自由にしてかつ民主的な憲法秩序を守るという、そういう目的を政党に与えてしまってる。これは特殊、西ドイツ的な考え方であるというふうに私どもは考えております。そういうわけで、私どもは議会制民主主義の中の選挙というものを考えますときに、やはりこれは社会の仕事であるという考え方を徹底しなきゃならぬ、こういうふうに考えているわけでございます。しかし、今日の選挙においては、さまざまなメディアで必要です。国民とそれから候補者とのコミュニケーションをする、さまざまなコミュニケーションの手段が必要であります。その手段の中でも限られているもの、それが先ほどここにおられましたけれども、秦委員が強調されたマスメディアであります。とりわけ、電波メディアであります。だから、ラジオ放送やテレビの放送、こういう限られたメディアについては、これは各政党にまさに公正に公平にその場を提供してあげる、こういう配慮か必要だと思うわけです。しかし、政治資金とか、あるいは事務費とか等々の国民の税金を安易に政党に提供する、そしてその反面、政党の目的と行動を規制するということは、近代民主主義、平等選挙のたてまえからすると大いに問題がある、こういうように私は考えております。
#65
○公述人(作間忠雄君) 政党法の問題でございますが、大筋におきまして、ただいま浦田公述人が申されたことと同じ考えでございます。
 ただ、別の角度からちょっと補足して申し上げますと、御承知のように、政党は、本来国民と議会、国会の間にいわば介在しております両者の媒体、媒介の仕事をするものだと思います。国民は確かに主権者といい、あるいはときには有権者とか、いろいろ公的な立場に立ちますが、本来国民生活のもとになりますし、これは一つの組織されたものではないわけです。他方、議会あるいは国会は、御承知のとおり、これはもう代表的な公的な国家機関でございます。その両者の間に介在している政党がその本来の役目を果たすためには、やはり自由でなければいけないというのが、これはもう絶対的な要請であると、ほとんど多くの人が説いております。そうしますと、政党法のようなものを制定いたしますと、やはりある場合には、そこに本来自由であるべき政党の組織や活動についての国家統制が入ってくる懸念がございます。もう一つは、たとえば政党法を契機に、立法事務費あるいはもっと広く経常費などの国庫補助をいたすようになりますとどうしてもその監督、監査というような問題も起きますし、政党のあり方あるいは組織の仕方まで政党法で決めるようになりますと、どうしても政党の内部の硬直化を来すという心配があろうかと思います。先ほどもお話に出ましたように、いまのところ三つほどの政党法を持つ国の例は、まあ一般に見まして、やはり国家権力の強い特殊な状態であるというふうに私は思います。もう一つ、あのドイツが、先ほども言われましたが、西ドイツが政党法によりまして結局は共産党を非合法化いたしまして、これはまあ西ドイツという東西対立の特殊性もあったか、あるいはあるかと思いますが、やはりこれは理論的に見ても、こういう事例を見ますと、政党法というものは相当慎重に考えるべきだと、こういうふうに思っております。
#66
○多田省吾君 福本先生に一点お尋ねしたいと思います。
 先ほど小島先生から、衆議院における小選挙区制は反対だ、また参議院全国区制の比例代表制は反対だと、小島先生の従来の持論をお聞きしたわけでございますが、私も政治生命をかけて、何としてもこの衆議院の小選挙区制と参議院全国区の比例代表制はやらしてはならないと。選挙制度というものは憲法と同じように、重大な議会制民主主義の根本でございます。それを一党、二党の考えだけで強行しようというのは、これは議会制民主主義の破壊であり、特に私は、参議院全国区に比例代表制なんかをつくるのは、拘束式であれ、非拘束式であれ、あるいはその他のいわゆる変則式なんて言われるものであれ、絶対あってはならない、このように思います。むしろそういったものをやるぐらいなら、参議院なんかない方がいいとまで思います。まあ時間もございませんので詳しいことは避けますけれども、参議院全国区を比例代表制にすれば、非拘束にすれば競争がなお激しくなって金がかえってかかりますし、金がかかるかからないは、その政党が自粛すべき問題であると思います。また企業献金なんかをすぐやめて、また高級公務員の立候補制限とか、そういったものをとっていけば、弊害はぐっと少なくなると思うのです。また非拘束名簿なんてものも、ますます政党本位の選挙が参議院においてのみ行われる。むしろ、政党本位の選挙は衆議院で行われるべきです。それも小選挙区制なんていうものじゃなくて、野党の大部分が主張しているような都道府県単位の比例代表制とか、もし中選挙区制を強いて変えるならそういう方向に移行すべきであって、小選挙区制なんかすべきじゃない。まあそういう意味で、参議院全国区を比例代表制にすればいろいろな弊害もありますし、また参議院の存在意味がなくなりますし、そのほかに無所属の方方や、いま大きな存在になっておられる第二院クラブの存在等も私はなくなる方向にいくんじゃないかと、このように思います。無所属で立候補する者はきわめて不利になります。そういう点で、私は強く反対します。福本先生は、この参議院全国区に比例代表制を設けるということについてどのようにお考えでございますか。
#67
○公述人(福本春男君) 簡単に申し上げます。
 私たちは、確かにいままでの話の中で御指摘があったように、参議院の全国区制の選挙いろいろ問題はありますが、やはり参議院の政党化を防ぎ本来のやはり参議院の特殊性を維持していくという面から、参議院の全国区制を比例代表制に、これは拘束名簿であろうが非拘束であろうが、すべきでないというような考え方を持っております。なお、衆議院については、やはり小選挙区制については反対であります。やはり比例代表制を採用するとすれば衆議院にこそすべきで、私たちまだ最終結論と言えないかと思いますが、現在までの検討の結果では、衆議院のいわゆる選挙区制については比例代表制を基盤にした五対五の西ドイツ方式といいますか、その併用したのが日本の現状の中に最も合っているし、現在のいわゆる矛盾を解決する一つの方法じゃないかというように考えております。
#68
○内藤功君 八人の公述人の方々全員に伺いたいんですが、遺憾ながら時間の制約がありますので隅井さんにお伺いしたいと思います。私の後から橋本委員の方からまた質問があるかもしれませんが、隅井さんには二点お伺いいたしたい。
 今度の公職選挙法並びに政治資金規正法改正案の一番大きな問題点は、一つは選挙期間中の言論規制の問題、もう一つは、「政治活動を行う団体」という概念の創設であると私は思います。その第一点の選挙期間中における新聞紙、雑誌の制限について御質問したい。政府側は、労働組合の機関紙なども選挙の期間中選挙に関する記事を載せるとこれは無償で配れなくなる、百四十八条の二項、有償でやるものとするという改正をやったことによって、いままで無償で配っていたのが配れなくなる。その結果、第一組合から第二組合に配る、それから国鉄労働組合から全日通に配る、それから地域の住民の方々に機関紙を配る、こういうのは全部有償でなきゃならぬ、こういう見解を述べておる。もっとも福田自治相は別のところでは、街頭で無差別にまく以外は、不特定多数にまく以外はいままでどおりだということを言っていたらしいんですが、この委員会の追及では、必ずしもやっぱりそうではないということも出てきている。こういう現状であります。
 そこでお伺いしたいことは、労働組合の活動を隅井さんいろいろやっておられて、あるいは他の組合をいろいろ見ておられて、労働組合の機関紙というものはいまざっと全国でどのぐらいの部数が、ざっとでいいですから、出ているものか。それから労働組合の機関紙というものは、組合員及びせいぜいその家族に限られるというような観念が世の中にありますが、今日の労働組合の機関紙あるいは機関紙号外というのは、しかくそういう内部的なものに限られるであろうか、もっともっと広く国民各層の理解を得るために頒布されているんじゃないかという問題。さらには、これが有償に限るとなりました場合に、どんな不利益を労働組合の現実の活動で受けるのか、それはちょっとした不利益なのか、あるいは相当大きな団結活動での不利益なのかという点ですね、こういう点をまず第一点としてお伺いしたい。
 ついでに第二点ですが、一方、こういうふうに労働組合などが非常に制約を受ける、これは労働組合だけだろうか。たとえば婦人団体、業者団体、あるいは青年団体、文化団体というような、いわゆる大衆団体といっておるこういう団体においても同じことが言えるんだと思うのですが、この点はどうだろうか。いろいろ実例を引いてお話くださるといいと思う。これが大きな第一点です。
 もう一つは、それと比べた場合に、さっきちょっとお話がありましたが、政府の広報活動は選挙期間中全く野放しであります。政府の広報活動としてどんなのがあるかという例を幾つか言われましたが、新聞のいわゆる意見広告欄を使って、国の予算を使ってこの間の参議院選挙の期間中に、政党の活動は大分規制されているんだけれども、政府はどんなふうな宣伝をやっているか。それは事実上、政府与党の自民党の宣伝になっているわけですね。つまり、政府が国家の予算を使って、新聞紙面を使って事実上は自民党、与党の宣伝を行っておる。こういう実例が私はあると思う。そういう例をなるべく具体的な例に即してお話を願いたい。
 以上、この二点につきまして、隅井さんにお答えを願いたいと思います。
#69
○公述人(隅井孝雄君) 最初の問題ですが、現実の問題としていま日本の労働組合の機関紙活動というのが非常に新しい興隆期にあるというふうに私は考えています。特にどういう立場でそういうふうに考えているかと申しますと、私は春闘共闘委員会の中の教宣対策委員会というメンバーで、春闘期間中は、そのことの全体の春闘で労働組合がどんな教宣活動を展開するかということで、いろんな会議に参加をしたり、企画立案をしたりというふうな仕事も若干やっておりますのでよくわかるわけですけれども、大体こんなふうな状況になっています。
 春闘中によく、たとえば年金の問題とか、最低賃金の問題とか、先ほども申し上げましたがスト権の問題とか、労働組合として春闘の中でどうしても国民に訴えたいということが起こります。それは国鉄の労働組合もそう思っているし、私どものような組合もそう思っているし、すべてのそこに参加している組合の共通の意思として決まった場合には、それぞれの単産が連合して共通の新聞を発行しようではないかという相談がよくまとまる場合があるわけですね。その場合に、まあお金がなくてその共通の発行から抜ける組合もありますから、全部入ればそれはうんと大きな数になるんですけれども、それでも大体平均しまして、それぞれの単産のやろうということで寄り集まった単産の数を集めますと、先ほども申し上げましたけれども、大体二百万部から二百五十万部のたとえば老齢年金に関する特集の新聞が出て、それを国鉄労働組合は国労新聞という題字で出すし、それから全電通は全電通労働組合という題字で出すということになっているわけですね。
 じゃあ、その共同してつくった新聞をどうするかっていいますと、それは一部は確かに傘下の組合員に配ります。配るけれども、実は年金の問題とか最低賃金の問題とか、春闘の中でいろいろ論議されて闘争の目標になる問題については、それぞれの労働組合の中ではかなり事前にそれぞれの組合の責任で学習をしたり、機関紙が行き渡ったりパンフレットができたりして、ずっとしているわけですね。春闘の期間一番大切なのは、やっぱり国民の理解と教育だということですから、そういう機関紙のほとんどは、まあ単産を経由する場合もありますし、それから労働組合ですから地方に、地方の広島県の春闘共闘委員会などという組織が全国にあるわけですね、そういうところにいろんなかっこうで機関紙なり、あるいはビラということもありますけれども全部送りまして、そして方針としては、そこの労働者が街頭なり駅頭なりでそれを道行く人に配るという方針ですね。それから大都市の場合には、よく団地などに参りまして、一軒一軒やっぱり行こうじゃないかと、それでもし団地の人から年金の問題で、労働組合どうなんだと、あんまりやってないじゃないかという質問を受ければ、それは率直に力の足りなかったことをわびながら、しかしやっぱり一緒にやっていこうということを訴えたっていいじゃないかというふうな方針で、ここそうですね、三年ぐらいずっとそれを強めてきているというのが現状ですね。特にそれぞれの組合でいろんな特徴がありますけれども、国鉄の労働組合の場合には、御存じのように、国鉄の再建の問題、赤字の問題に対して労働組合としてどうするのか、運賃値上げにどう対応するのかということが労働組合としても迫られているわけですから、たとえば、これはたとえばの話ですけれども、国鉄労働組合の教宣活動の主要な方針というのは、そういうことをビラや機関紙にしてどれだけたくさんの国民にそのことを伝えていくことができるかということが、かなり運動方針の中心になっているというふうなことです。ちなみに一つずつの大きな単産の機関紙の数を申し上げますと、日教組の場合六十九万部、それから全電通の場合二十七万部、全逓二十五万部、そういった単位で機関紙が発行されておるますから、トータルで二百万部をはるかにオーバーするわけですね。そういう意味では、いま私たちは多少自負しているわけですけれども、日本の労働組合の出す印刷物、機関紙というのは、実は、朝日や読売にはちょっとおくれをとりますけれども、少なくとも百九十万部から二百万部発行していると言われているサンケイ新聞には匹敵するだけの社会的な影響力を私たちは持っているというふうに自負しているわけです。そこのところへもってきて、まあことしの場合には特に春闘と選挙が重なりますから、しかしことしは公選法改正されていませんから、それは労働組合ですから春闘やめるわけにいきませんからいろいろ活動しましたけれども、四年後に同じ事態が起こった場合に、たとえば四月何日かに、それはもう四月十日ぐらいにどことかの組合、大手の組合で回答が出るからその前にいろいろ強めようじゃないかということで行動を組もうということで、いま言ったようなビラまき活動をすれば、それはやった組合員がみんなつかまるということになるわけですね。組合活動にとっては大きな打撃を受けるんだろうというふうに思います。ですから、そういうことを規制することにつながるような公選法の改正ということは、できるだけ慎重にし避けていただく。しかも、それは労働者の自主的な、自発的な活動であり、自分たちの利益を守るための活動ですから、それをしてはいけないということを期間の定めはあるにしてもするということは、やっぱりどうしても避けていただきたいというふうに考えます。
 それじゃあ、そういうことを思っているのは労働組合だけなのかというふうなことを考えますと、最近では、いろいろな大衆的な団体でいろんな運動があります。新幹線の騒音公害の問題だとか、それから空港のそばに住んでいる人たちが、うるさくて何とかしてくれと言って訴訟を起こすとかいうふうなことなんかもいろいろあります。そういう人たちというのは、やっぱりその補償なり解決なりを、別に伊丹空港の管理者に向かってやるわけじゃないわけですから、県議会なり市議会なり、あるいは国に対して、こうしてほしいという要求をたくさん持って、そのことでやっぱりビラをつくり、機関紙をつくり、たくさんの人に読んでもらうわけですね。で、市民運動の場合には、構成員ということが何百万人もいるということではありませんから、それは不特定多数の団地の住民その他にたくさんにやっぱり配って理解してもらうというところから始まるわけですから、やはりそういう方々にとっての運動の一番最大の武器というのは、このビラを配るといいますか、機関紙を配るとか、そういうことになると思いますね。で、選挙中になりますと、やっぱり選挙の争点として、そういう公害の問題だとか、物価の問題だとかということが争点になりますから、それは私どもにとっては、選挙の期間中ほどやっぱり労働者の主張、市民運動をしている人たちの主張をたくさんの人に伝えるチャンスになるわけですね。だれに投票さして、だれを議会に送ってくれということではなくて、われわれの運動を広げる一つのチャンスだということで一斉にまくと、それは政治活動だ、政治団体だ、選挙活動だ、罰金だ、逮捕だということに、いまのまま字句どおり解釈するとなるわけですね。これでは、そういう意味では、せっかくいま日本の世の中に大衆的に沸き起こっている、本当に国民の一人一人が体を動かしてよい社会をつくっていこうという風潮を、そういうことで法律で取り締まることになりかねないではないかというふうに私は考えているわけです。
 それから、まあ多少私どものことになるわけですけれども、御存じのように新聞とか放送、出版その他マスコミ関係の労働組合というのは、確かに賃金引き上げの闘争も非常に重要な闘争としてやりますけれども、私たち労働組合の非常に大きな活動は、やっぱり言論、表現の自由を守るとか、民主主義を守る、民主主義に対して何かこう圧迫が加えられたときには、ぼくら労働組合ということでもやりますけれども、同時にジャーナリストとして、過去の戦争中の経験がありますから、そういうことに対しては個人のジャーナリストとしても、労働組合としても、あるいはジャーナリストの団体としても、まあいわば体を張って抵抗するというふうな気風があるわけですね。したがって、たとえばある総理大臣が、新聞社の社員なんかは首にいつでもできるんだという発言があれば、それは民主主義を踏みにじるもんじゃないかということで、やっぱり大々的な運動を展開するということになるわけですね。それをやっぱりぼくたちの会社の中、組合の中で伝えるということではなくて、そういうマスコミの中で起こったことば新聞とか放送が余り取り上げないという、身内のことですから取り上げないという制約がありますから、そのかわりに、私たちは自分たちの力で新聞をつくって、県民の人や市民の人や住民の人に、こういうことがいま起こってるんだということを、若干世に先駆けて、民主主義の問題、言論の自由の危機の問題を訴えていくということが、一つのやっぱり社会的な使命だというふうに考えております。そういう活動に積極的に取り組んでいる立場から言うと、いまの公選法で、「政治活動」するから「政治団体」だと言われるんじゃないか、あるいは逮捕されるんじゃないかということになると、どうしても鈍りがちになるわけですね。
 大分古い話になりますけれども、一九六三年ぐらいに、岡山にあります山陽新聞労働組合が、ちょうどそのころ推進されていた水島コンビナートの造成の問題に関して、山陽新聞の会社側は、当時の県の当局を擁護する形で、そういう開発は県民に利益を与えるんだというキャンペーンを張ったわけですね。で、労働組合でいろいろ話し合いましたけれども、当時はまだ公害問題とは言われませんけれども、実際には公害が起こる可能性がある、海が汚染される可能性がある、われわれは県民として、一人の県民としても黙っていられないし、そういう一方的なキャンペーンではなくて、真の事実を伝えるようにする必要があるんじゃないかということを、労働組合の活動として県民にビラをまいていくという活動なんかもやったことがあるわけですね。そのことが社の体面を汚したということで、労働組合の幹部が首になりまして、五年越しに闘争して職場に戻ったというようなことがありますけれども。それで、それは労働組合がそういう活動をするのは、まさに国民の利益を守るという意味で正当なんだという判決が出ましたけれども、もし、そのときにいまの公選法があったとしたら、裁判所は、それはそういう意味では正当だというかもしれないけれども、公選法違反の面ではそれは「政治活動」だと、それで選挙中にやったではないかというふうなことで負けてしまうということだって、現実にあり得るというふうに思うわけですね。そうしますと、私たちの特殊な問題かもしれませんけれども、住民の生活の問題、言論の自由の問題、民主主義の問題に関して積極的に社会に問題を提起しようとして言っている私たちの活動の芽を摘むことになりはしないかということを非常に危惧して、本日ここにこうやって主張させていただきに参ったわけであります。
 もう一つの、この政府広報の問題ですけれども、実例の新聞などを持ってまいると非常によかったんですが、ちょっとその新聞に関する資料を持っていないわけですね。この前の選挙のときには、ぼくが非常にはっきり記憶にありますのは、一ページ大の広告で、たとえば税金の負担率の諸外国との比較の問題とか、物価の上昇の諸外国の比較の問題などを総理府の名前で出して、日本はそんなに必ずしも社会保障の国民の負担率が高くなくて少ないんじゃないかというデータをグラフで選挙のときに総理府が広告をしてたという記憶が、ちょっと時期が間違っているかもしれませんけれども、あります、選挙のときではありますけれども。そういうことになりますと、実際には、データはとり方ですから、私たちは国民の負担が非常に多いということでデータを持っているわけですね。しかし、新聞の面では、グラフで一ページ大のそういうふうに総理府ということで麗々しく載るわけですから、読んだ人たちがそれを見て、なるほど野党が言っていることはちょっと違うかもしれないというふうに思いがちになるわけですね。それが選挙の重要な争点になっているような場合には、やっぱり誘導して特定の一部の政党を有利にするということで作用しはしないか。そういう意味で言えば、私たちは選挙中に政府が新聞広告を出す、雑誌に広告をする、テレビで総理大臣が一時間もしゃべるということは、野党の民社党、公明党、共産党の反論が、同等の反論が国会のように保障されていればそれはいいということがありますけれども、そういうことがない限りは、やっぱり引っ込めていただくというのが公正なんじゃないかというふうに考えています。
 先ほどちょっと申し上げなかったんですが、七四年の七月の選挙の前に、幾つか出した総理府やその他の省庁の雑誌の広告ですね、週四回載るわけですけれども、たとえば、こんなのがあります。まあ六月から七月にかけてですけれども、軽くなったサラリーマンの所得税というタイトルで、まあ所得税を政府が安くしたんだという宣伝をしたわけですね。このときは、たまたまこれに呼応するように、自民党がテレビ局でスポットコマーシャルを買いまして、ある工員さんの男の人に、こうふところから給料袋を出して給料をあけてみる、ああ、税金が安くなったねというコマーシャルをやりまして、そのコマーシャルがあんまり白々し過ぎるんじゃないかということで大方の批判を浴びたということがありますけど、そうなると、明らかに政府と自民党が選挙を目ざしてのタイアップということで、テレビのコマーシャルを買い、新聞の広告を出すということになるわけですね。
 そのほかに、たとえば子供たちの幸せのための児童福祉ということを総理府が五月三十日付の週刊誌、現代、ポスト、朝日、新潮などに出している。それから「省エネルギーを目ざす新電気料金」、これは六月の二十日ですけど、電気料金の値上げの問題とからめてその正当性を訴え、しかも原子力発電の設置の正当性を訴えるという内容ですから、これは自民党以外のほかの野党との意見が徹底的に対立している部分だと思うんです。こういうことを野放しでやっぱりどんどん宣伝をしている、
  〔委員長退席、理事小林国司君着席〕
その費用が年間二百億にもなる。で、さっき言いました週刊誌の部数だけでも六百万。新聞広告になりますと、もっと部数がふえるわけです。政府広報とちょっと質は違いますけれども、せんだって世論を騒がせた国鉄の料金値上げの一ページ大の広告というのは、あれは六千万枚の新聞一ページ大のビラをつくったと同じ部数が発行されているわけですね。六千万枚になります。で、この公選法では、どうも十万とか二十万とか三十万の単位だということになると、けたが二けた違うところでやっぱり政党の側と政府が選挙のときに勝負するということになって、政党の側、特に野党の側が著しく不利になるというような現実が、これから起こるということではなくて、すでにあるということを踏まえて、今後の公選法の問題を慎重にやっぱり審議していただきたいというのが、私の主張になるわけです。
 もう一点、さっきもちょっと触れましたけれども、特に放送の場合には、限られた電波ですから公正でなければいけないんですけれども、選挙中に総理大臣がゴールデンアワーで一時間話して、で、みずからの政策を訴えるということになれば、それと対立している意見を持っている公明党なり社会党なり共産党なりの意見はどうなるのかという問題がやっぱりあると思うんです。そういう、ぼくがいまここで主張しているのは、少なくとも選挙中の政府広報、実はそれ以前からのいろんなキャンペーンがあるわけですけれども、少なくとも選挙中の政府の広報活動についてこのまま野放しでいるということは問題があるんじゃないかというふうに考えている、事実の一端を申し上げた次第であります。
#70
○橋本敦君 私は、まず浦田先生に質問をいたしまして、時間があれば福本先生にもお聞きをしたいと思います。
 いますでに国会には全国津々浦々から、公選法、政治資金規正法の改悪に反対して百二十万を超える国民の皆さんの署名が寄せられております。
  〔理事小林国司君退席、委員長着席〕
その中心は、何といっても、選挙に関する政策や意見を発表するこういった号外を全面的に禁止をして大きな言論抑圧をやるというそういう問題と、それからもう一つは「政治活動を行う団体」ということによって選挙期間中の自由なビラ配布その他の市民的な、あるいは労働組合運動の活動がこれが弾圧の危険にさらされる、これが中心的な課題の一つであろうと思います。そういう観点で、私どもは今度の公選法、そしてまた大企業の政治献金を野放しに事実上する政治資金規正法の改正には、断固として阻止しなければならないという立場で闘っているのですが、浦田先生にお聞きをしたい第一点は、先ほどから議論になっております「政治活動を行う団体」、この定義が実は明確であるようで明確でない。この「政治活動を行う団体」というように認定されますと、婦人の団体が、労働者の団体が、地域の市民の団体が、選挙期間中にビラ一枚出せば弾圧をされるという危険性が存する。そうであるならば、この「政治活動を行う団体」と認定されるのかされないのかは、これは政治的意見表明の自由にかかわる重大な問題です。ところが、これはだれが判断するのか。自治省に伺いますと、自治省は自治省なりの意見をおっしゃる。だがしかし、最終的には取り締まり当局である警察、起訴されれば裁判所がこれを認定するということになる。それでは警察はどういう基準で「政治活動を行う団体」と認定するかしないかを決めるのか。きのうも議論がありましたが、警察庁刑事局長は、その団体の綱領や、目的や、実際にどういう活動を日常行っているか、どういうビラを出したか、こういうことで認定すると、こう言うのです。これでは私が心配するのは、そのような選挙取り締まりに名をかりて市民団体、婦人団体、労働組合に、「政治活動を行う団体」であるかどうか、取り締まりの効果を上げるために平素から警察の目が光って、情報収集という問題が行われる危険性があるではないか。これは市民団体、国民の憲法に保障する政治的自由、これに対する重大な脅威ではないか、これが重大な問題だと思うのです。
 さらに、国民を刑罰に処する場合、当然憲法はその刑罰法規が国民のだれにも明確に理解される具体的内容と、そしてそれが恣意的な解釈を許さない明確な規定を持っていることを要求していると思いますが、この「政治活動を行う団体」という問題は、その憲法の要請から見て果たして明確な規定だと言えるのであろうか。この点について浦田先生の御意見を、百二十万を超える国民の皆さんの不安が本当に解消できるのかできないのか、その国民の声の立場に立って憲法学者として意見をお聞かせ願いたいと思います。
#71
○公述人(浦田賢治君) 私は、この公選法二百一条の五以下の改正案を提案した者でございませんので、提案理由もつまびらかにいたしませんし、またその内容、つまり条項の構成要件なるものがどういうものであるのか、「政治活動を行う団体」の定義がどういうものであるのか、それもつまびらかにすることができません。ただ、ただいま御指摘のこの二点について私の考えを申しますと、おっしゃるとおりの憲法上の疑義が出てくるのではなかろうかというように考えます。
 その一つは、もし、「政治活動を行う団体」というのがこれまでの「政治団体」よりも拡大されている。だから住民運動を行う団体、市民団体、労働組合の団体、こういう団体も、たとえば政治上の主義、主張を支持し、または反対するということをしているかどうか、これを日常活動で調査することがあり得るわけでございます。この調査がそういった団体の結社の自由、結社の自由は思想形成の自由と表明の自由とセットしておりますけれども、とりわけ結社の自由に対して実質的なあるいは事実上の脅威を与えるのではないだろうか。これはたとえばポポロ事件で、大学内の学生団体の行動に対して本富士警察署が絶えざる情報活動をしてきた、この絶えざる情報活動が最高裁の裁判官のある意見によって、やはり集会の自由を侵すものだというふうに言われたことを私どもに想起させるわけでございます。情報収集活動がいま述べたような団体の結社の自由、集会の自由、そういうものに実質的な脅威を及ぼすとすれば、その限りにおいて公選法二百一条の五、新しい条項というのは違憲であり、あるいは少なくとも違憲として適用される危険性が十分あるということが言えると思います。
 これが二百一条の関係でございますが、なぜこういうことが出てくるかというと、それは「政治活動を行う団体」の定義が明確でないからでございます。先ほども申しましたように、「政治活動を行う団体」がビラ配布をした場合には、これは選挙期間中の「政治活動」として規制されている。この規制違反に対して刑罰が加えられるわけでありますから、この刑罰を加えるには犯罪構成要件が明確でなければならぬ。これはデュープロセスの要請でもありますし、罪刑法定主義の要請でもあります。その意味で、犯罪構成要件が明確でないとすれば、これは少なくとももっと具体的に法律に書くべきだということになると思います。そうしなければこれ自体がやはり憲法三十一条に違反する、あるいは少なくとも違反するように運用されるおそれがあるということが言えると思います。ちなみに、こういう犯罪構成要件に関する問題のある条項については、よく政令に委任するということをこれまでしてこられたわけでございますが、今回はそういう政令の委任条項すらない。これは、私が先ほど申しましたように、新しい形の立法技術を駆使されていると、こういうふうに思うんです。政治資金規正法、つまり、公選法でない政治資金規正法の附則の中にこういう問題のある条項を挿入する、これは、見方を変えて言えば、きわめて巧みな立法技術でございますが、しかし運用によっては憲法上の自由、人権、そういうものを侵す危険があるわけでございますね。こういう立法の仕方を私たちは新しい形の人権規制立法のサンプルとして認識し、十分注意していかなきゃならぬというふうに考えております。
#72
○内藤功君 委員長……
#73
○委員長(中西一郎君) 共産党の持ち時間、ちょうどいま来たようでございますが……。
#74
○内藤功君 それじゃ一つだけ。
 委員長、議事進行についてなんですが、いま聞くところによりますと、参議院議長に対する不信任案が提出をされました。したがって、この院の構成の中心にかかわる問題点の不信任ですから、以後の参議院における一切の委員会の議事は、その他の議事はこれはやるべからざるものだと、こういう状況に立ち至っていると思います。この事実を確認してください。
#75
○委員長(中西一郎君) 委員長から申し上げます。
 議長の不信任は院の本会議の事項であります。ただいま委員会継続中でありますので、このまま公述人の皆さん方の質問、質疑を続行さしていただきます。
#76
○和田春生君 今朝来公聴会で、長い間公述人の皆さんにはこの席にとどまっていただきまして、まことにありがとうございます。ずいぶん時間も経過をいたしましてまことに恐縮でございますが、最後の質問者になっておりますので、しばらくの間御協力をお願いいたしたいと、こういうふうにお願いを申し上げる次第です。
 第一番目に、これは小島先生、それから上條さん、福本さんにお伺いをいたしたいんですが、参議院の地方区の問題であります。
 地方区の定数是正という問題につきまして、大方の世論は、やる必要があるというふうになっているように思います。ただ、その方法論として、増員で修正をするか、あるいは現行の百五十二名という地方区の定数の枠内でプラス・マイナス、つまり増減修正をすべきかという点について意見が分かれているわけであります。それぞれの意見にはそれぞれの立場があると思うんですが、実は、現在のわが国の参議院議員の選挙については、御承知のとおり三年ごとに半数を改選するという規定が存在をしております。したがって、どんなに人口の少ない府県でありましても、最小限二という定数が必要になってまいるわけです。そこで、現行公選法当時の配当基数、つまり府県別の議員の割り当て、これを行った計算と同じ方法によって現在百五十二の定数を配分しようといたしますと、実に減員区、つまり二名ずつ減ずる減員区が七つ出てまいります。なおかつ人員が約十名近くオーバーすることになります。そうすると、その十名を、ふやすべきところから削っていかなくてはいけないということで、結果的に人口と議員定数とのアンバランスを是正するという目的がほとんど達成不可能になる、そういう事実が出てくるわけであります。しかも、増員するところと減員するところと人口差がきわめて少なくなるばかりではなく、枠内で増減をすることになりますと、二名区から減員するわけにいかない、結局四名区から減員をいたしますから、減員をされて二名区になる一番人口の多いところと最低との間においては、結果として一対三・五というふうに非常に大きくその一票の重みのアンバランスが生じることになるわけであります。で、この原因を考えてみると、地方議員のように片方で人口がふえる、片方で人口が減る、それを増減で修正するならいいんですけれども、一にかかってアンバランスが生じたのは現行公選法制定当時七千万の人口が一億を超える――人口がふえることによってアンバランスが生じたわけでありますから、それを定数の枠内でプラス・マイナス調整をいたしますとかえってアンバランスを大きく助長するということが出ざるを得ない、これはもう物理的にそういう結果になるわけであります。
 そこで、現行定数の枠内でプラス・マイナス調整をするという御意見が出ておりますけれども、果たしてそれはいいのか悪いのか、また、そうすべきだという場合には、そのことによって減員区が出てくる、減員区が出た結果かえってアンバランスを増大する面が出てくるけれども、それはやむを得ない、定数百五十二人は動かすべからざる大前提として考えるべきだ、そういう御意見であるのかどうか、その点につきまして御所見を承ることができれば幸いであると思います。
#77
○公述人(小島憲君) この問題は理屈の、理論の問題じゃございませんですね。減員が果たして実行できるかどうかという――前回衆議院の定数是正がまあ中間的に行われました。そのときに、兵庫の第五区で審議会といたしましては一人減員という答申を出したのであります。ところがそれが実行できない。これは、減員ということは非常な問題です。理屈の問題じゃありませんです。しかし、そこは政治力の問題だと思います。もう断固としてやる決心をもっておやりになれば、これはできる。私は、もうこれは議論の問題じゃないと。
 それからもう一つ、人数をふやすこと、ふやすことによって経費が増大をするということ。それからそこに――はなはだこれは申しにくいことでありますが、人数をふやしてそこへいい人が出ればいいが、これ、悪い人が出たらなおさら悪くなるじゃないかと、こういう意見があるんですよ。もういつもそういう意見が出るのであります。しかし、それは選挙民の心がけ一つなんです。いい人を出せばいい。増員されただけいい人を出せば、それはプラスになります。これは結局もうどれがいいとか悪いとかということに公述人としてはどうも申し上げかねる問題で、これは政治力の問題だと、そう思っております。
#78
○公述人(上條末夫君) 大変むずかしい問題でございますけれども、簡単にお答えさせていただきたいと思います。
 ただいまの問題でございますが、これは和田先生の御指摘のように、参議院地方区の場合、半数ずつ三年ごとに改選になりますので、もし奇数で増減をいたしますと、六年間選挙が行われない都道府県も出てくる、あるいは一回は二名改選、あるいは他のときには一名改選という、こういうことが出てまいりますので、どうしても増減をする場合には複数で増減せざるを得ないだろうと思いますけれども、しかし、いま小島先生がおっしゃいましたように、減らすことがまず不可能に近い状態ということになりますと、ふやさざるを得ない、こういうことになりますが、私は多少はふやしてもいいのではないかという気がいたします。と申しますのは、この定員が決まりましてからすでに三十年近いわけでございますので、もうその出時の人口からいきますと相当の開きがありますので、多少はふやしてもいいのではないか。したがって、増員という形でされたらいかがだろうかと、これが一番現実性があるのではないかという気がいたします。
 以上でございます。
#79
○公述人(福本春男君) 私たちは、やはり参議院が半数交代ですから、どんな選挙区も最低二名の定員だけは確保すべきだ。その前提で、確かに先ほど小島先生もおっしゃいました、むずかしい。現実論は、議員の先生方の地位の問題にすぐかかわりますし、いろいろ非常にむずかしいことはわかりますが、しかし、現在の二百五十二名の定数でなぜやれないのか、それをふやすはっきりとした根拠というものが私たちにはわからないわけです。だから素朴な有権者の感情としては、やはり現行定数の中で、もちろん減るところも当然出る、ふやすところはふやすというのが筋だというように考えております。まあ、人口の増加はございますが、やはりこれは日本のいわゆる経済の高度成長につれてのいわゆる人口の都市集中なり、そういうところで過疎過密状態というのが出て、私たち有権者からすれば、有権者の意思が正しくいろいろ反映されていないというようなところから、やはり人口がふえたということを理由にするとすれば、明確な根拠をつくって、やはり参議院の定数はこうするんだということを明らかにした上で考えるとすれば別だと思うんですが、現在のいわゆる地方区の定数是正を増員だけでやるということについては、私たちは納得できないということです。
#80
○和田春生君 この問題については御意見承りましたので、私たちの方でいろいろ参考にして審議をさしていただきたいと思いますが……。
 次に、先ほど来一番多く問題になりました政党機関紙の号外規制の問題についてでございます。この問題についてはいろいろな意見もありますし、選挙に関する文書活動、表現は一切自由が原則だ、こういう議論も十分成り立つと思うわけであります。しかし、私自身、実は民社党では本部の機関紙局長という仕事をやっておりまして、選挙のときには大いに機関紙号外というのを大量につくり出しまして利用した張本人の一人なんでございますが、もともと本紙があって、そしてこの号外というのは、経過を率直に振り返ってみますと、現在の公選法でいろいろ文書規定がある、それをくぐり抜ける一つの手段として機関紙の号外というものを利用してきた。そこで、付録である号外の方が、本紙よりもはるかに膨大になるというような経過をたどってきたと思うわけです。したがって、こういう事実からいきますと、政党機関紙の号外というのは表現の一つの手段なんでありますが、選挙の際の文書その他、いろいろ表現の方法としてはポスターあり、パンフレットあり、郵便――これ、はがき、封書もある、あるいはスライド、映画、ビデオ、看板、それからビラ、いろいろあると思うんです。それが全般的に、現在の公選法では規制をされているわけであります。
 そこで、それぞれこの問題について多少違ったニュアンスで御説明あるいは御意見を承りました上條さんと川上さんと作間先生にお伺いをいたしたいわけですが、政党機関紙の号外規制というのはできないんだという御意見が強く出ておりましたが、私どもの考え方によりますと、むしろそういう本紙よりも付録の方が大きくなるような号外は規制しても、その他のポスターであるとか、パンフレットであるとか、あるいははがき、封書等の郵便であるとか、一般的に認められている表現の手段というものをもっと自由化をして、特に機関紙の号外というものを発行できる手段を持っているわれわれの組織と、そういうところだけがそれを利用できるんではなくて、小さな組織で立候補しても、あるいは個人で立候補されても、そのことについては機会均等が保障されるということの方が選挙運動の自由、表現の自由という面では本筋ではなかろうか、こういう感じがしているわけであります。それを、その他のいろんなポスター、パンフレット、郵便あるいは映画、スライド、ビデオ、そういうふうないわゆる手段というものについては選挙運動中に非常に厳しい批判がありました。ビラ等についても、法定ビラには大変厳しい規制がある。政党の機関紙の号外というものだけ自由にしなければならぬということについては、多少論理の均衡を欠いているような感じがするわけでございますが、その点についての、いま私が提起したような問題に関連しての御意見あるいは御所感等があれば、承れればはなはだ幸いだと思います。
#81
○公述人(上條末夫君) 私はさきにもう意見を申し述べましたので、補足的に申し上げたいと思いますが、今日のこの公聴会におきまして余り問題にされませんのが、金のかかる選挙の問題でございます。で、選挙は公正に行われなければならないわけでありますが、同時に私は、金のかから・ない、つまり公明な選挙が行われるのが、これがいい方向であろうと思うわけですが、しかし、いままでのようなこういう選挙宣伝が行われますと、どこまでこの金のかかる選挙がいくのか。非常に私どもが見ましても、選挙をするごとに選挙費用はかさんでいく。しかし、法定選挙費用は決まっている。その法定選挙費用以内で恐らく選挙をしている人は一人もいないであろうという、そういう状況に置かれているわけです。つまり、金は年々かかってくるわけです。こういう選挙がいつまでも続いてまいりますと、これは大変なことになってくる。つまり、先ほど浦田先生も盛んにおっしゃっておりましたけれども、あるいは他の公述人の中からも御意見がございましたけれども、被選挙権、つまり選挙に立候補するところの権利が制限されてくるということは当然起こり得ることであります。つまり、金がなければ立候補ができない、しかも莫大な金がなくてはならない。で、少なくとも、私の例を出してみまして、私の財力で衆議院、参議院に立候補することは不可能でありますし、町会議員あるいは村会議員の段階でも、私の財力ではとうてい立候補することこれは不可能でございます。そういうことになりますと、非常に、先ほども御意見がございましたけれども、出たい人よりも出したい人をという、こういう一つのスローガンがございますけれども、そういう選挙は行い得ない、こういうことがありまして、その一つとして、つまり選挙に金がかかる一つといたしまして、最近ではそれほど買収の問題は出てまいりません。かつてよりはありませんけれども、むしろこの文書図画によるところの宣伝に金が非常にかかっているということは、これは皆さんが面接の当事者でございますから、私よりも痛切にこれはお感じになっているところであろうと思いますし、また今日、このようなビラの規制の問題が出てまいりました背景には、そうしたものがあったはずでございます。先ほども御指摘がありましたように、昨年における参議院選挙の反省が一つの契機になっておるということでございまして、つまりいかにして金を余りかけずに、そして優秀な政治家、つまりわれわれ国民の真に代表にふさわしい人を選出するかということが問題でございまして、これは、むしろ国民の側から提起されるべき問題であろうと思います。で、先ほどもそういうお話がありましたけれども、これは立候補される方、あるいは政党のサイドというよりはむしろ国民のサイドから、つまりわれわれがいかにして公正な選挙を行い、そして真に議会制民主主義にのっとってその政治が行い得る、われわれが信託をいたしまして、十分それにこたえるような代表者を選べるようなそういう選挙制度でなければならないと、こう考えるわけでございますけれども、そういう意味におきましてもこのビラ規制だけの問題ではございませんで、そのほかにもいろいろ問題はございますけれども、こうした問題はひとつ十分に検討していただいて、そして皆さん、あるいは政党の方々が利益を得るというよりは、むしろ国民が真に民主的な選挙が行えるような、そういう配慮のもとにこうした問題をお考えいただきたいということを私は最後につけ加えておきたいと思います。
 以上でございます。
#82
○公述人(川上桂子君) 私は素人ですし、全く素朴な国民の立場からいまの御意見に対して考えたんですけれども、まず号外じゃなくて郵便物とかポスターとかと言われましたけれども、やはりそこの区別として号外の一つの性格があると思うんです。号外というのは機敏性というか、即座に配られるという、そういう面を持っておりますね。郵便物ってやはり時間がかかりますし、ポスターですと自分の述べたいこともなかなか述べにくいと思います、文章化するのも。それですから、そういう点で一つ号外の性格からくる意義があると思います。それでいま金銭的なことを言われましたけれども、私は一方ですごく企業ぐるみの選挙とか、金権選挙とか言われるそういうことがありながら、それは政治資金規正法でまあ野放し同然にされております。それで他方、国民が全くいろいろな情報を得て、それで正しく判断して自分たちの代表を出そうという、そういう選挙に関して、その手段を金銭的な公正という名目のもとに束縛するのは全くおかしいと思います。
 以上です。
#83
○公述人(作間忠雄君) 初めに、ついででございますが、私も実は憲法を専攻いたしておりますが、先ほどはそのことを申し上げることを失念いたしました。
 ただいまの和田委員の御質問でございますが、まずいわゆる号外でございますが、号外を規制してもほかに幾つも手段がある。まさに文書図画関係でございますね、だから号外を規制してもいいだろうというお考えかと思いますが、私はその点では、文書活動といってもいろいろなもちろん方法がございます、これはテレビその他含めまして。その中でどういう方法を選ぶかを、政党や候補者の方の私は選択に残したらいいんじゃないかと、まず一つそう考えております。で、和田委員は、そういうお考えでおっしゃったわけじゃもちろんございませんでしょうが、抽象的に申しますと、一般的に申しますと、自分の方ではこういう方法をやりたくない、あるいはやる方法はない、だから相手にもさせないんだという考え方がもしあるとしますと、私はその点でいま申し上げたように、どんな方法でも御自由になさったらどうかという考えが基本にございます。
 それからもう一つ、御経験上よく御存じだと思いますが、選挙運動は政策中心に、言論それから文書等によって行うのがもちろん本筋でございますが、日本の場合は、言論と申しましても、実際には各種の演説会などに出席する人は比較的少のうございます。ほとんどが広い意味のあらゆる文書図画という形になっているかと思いますが、御承知のとおり、英米、フランス等主要な諸外国におきましては、多数の市民が自分の支持する候補者の連動員になりまして、それで御承知だと思いますが、毎日事務所に押しかける、あるいは自宅で手紙を書く、それから電話をする等々、いわば市民が総参加してやるような状態でございますが、わが国は現状ではそこに至っておりませんので、どうしても広い意味で、はがきその他含めまして文書図画的なものが一番媒体になっているのじゃないかという感じがいたしますので、その中心になっている文書図画等をできるだけ自由にしたいというのが私の考えでございます。
 なお、若干それから細かい点に入りますが、はがき、ポスター等いわゆる法定されておりまして、無料で国費で賄うもの、これは量が少ないという御指摘も先ほどございましたが、私はこれは国費で賄うから枚数は各党公平にする、あるいは各候補者公平にするというのが一つの考え方だと思います。ところが、二番目に、一方テレビの政見放送あるいは新聞の広告等に関しましては、これは媒体がいわゆる公共的なものであり、また使用する経費が非常に高額でございますね。ですから、こういうものについては一応基準を定めてもいいんじゃないかむそれからビラの号外、ビラ等でございますが、これは確かに二、三の政党が中心に行われているようでございますが、号外に限らず、各政党、候補者が自由に選ばれたいろいろな手段については、私は限界があると思うのでございます。一つは経費からくる限界、それからもう一つはその効果、先ほども話題になりましたが、効果から申しまして限界がやっぱりおのずから自然にあります。あるいはこれは有権者が案外利用しないとか、あるいは批判があるとかというようなことからもまいりますが、私はある程度限界がある、こういうふうに見ております。全体といたしましては、昨年の七月の参議院選挙では、御承知のとおり、一方の側の政党では、機関紙あるいはその号外の大量の発行がありましたし、しかし他方では、金権選挙と言われた企業献金、多額の献金、それから企業ぐるみの選挙というものがちょうど昨年の選挙で代表的に取り上げられましたけれども、これ両方とも私はそれぞれの場、よかれあしかれやり方が選択されている。ところが、その一方の方の機関紙誌や号外の方だけいけないのだといってとめておかれて、御承知のとおり、今度の政治資金規正法の改正でも企業は一企業最高一億五千万まで、全体では二百億から三百億になるんだという話も、計算もございますが、つまり一方だけをとめる、他方をとめてない。やはり私、国民の立場から見ましてこれが不公平だということでついでに一言申し上げますと、いろんな選挙運動に手段がございます。どれをお選びになるのも私は御自由だと思いますが、ただお金を、簡単に言えばそのまま使われるということだけは私は大問題だし、国民の批判が、実際行われたかどうか知りませんが、そういううわさがございますが、国民の批判がまさにそこに集中してきている。ですから、そのお金でいろんな媒体を使い、そして公正明朗な選挙運動なさってはいかがか、こういう考え方でおりますので申し上げておきます。
#84
○和田春生君 私が、例示でいろいろなものを挙げたもんで誤解を招いたと思うんですが、私が申し上げたのは、たとえば政党機関紙の号外というのは一つの手段なんであり、そのほかにチラシもありますね、パンフレットもあります、いろいろビラもあります。新聞紙に刷った号外よりも、きれいなきちんとしたチラシをまいた方が効果のある場合もある。あるいは演説会も、小さなちょうちん一つぶら下げて、看板二枚ぐらいでは集まってこないけれども、どこで演説会がありますよというチラシをずっと各戸に近所にまけば、関心持ってくる人も出るかもわからない。そういうような手段は、一方で全部制限されているわけです。新聞号外だけは自由にしろと、それは一切制限するのはいかぬと、こう言いながら、その他のそういう文書図画ですね、そういう活動についての制限がそのままというのは、選択の自由という面において不公平があるのではないか。むしろ、そういうような面についてもそれでは緩めて、その人の置かれている立場あるいは運動のやり方、協力者がいろいろ奉仕をしてくれるという形で選択をされるようにした方が論議としては本筋ではなかろうか。その新聞の機関紙の号外だけを取り上げて、極端にそこに議論が集中していくということは少し議論として片寄っているのではないか、こういう感じがあったもんですからお伺いをしたわけでございまして、やはりできるだけ活動は自由にしたいということです。そこで、このことはついででございますんで恐縮ですが、最後の質問でございますが、作間先生と、それからグローバルな意味でこの公選法は一歩前進という形で認めたいという意味のことをおっしゃった杉森さんにお伺いしたいわけですが、改正法におきましても現行法においても、戸別訪問というのは一切禁止をしているわけであります。しかし、諸外国においては選挙の主要な手段は戸別訪問であります。やはり直接本人に会って話をして説得をするというか、あるいは自分の意見を聞いてもらうと、そういう形が政策を理解をするとか、あるいは人間を選ぶという場合に基本的に大切な手段ではないか。かつて有権者が限られておるときには、戸別訪問が即買収につながるというような形でそれが主たる禁止の理由になっておりましたけれども、何万、何十万という人を買収するなんということは大変不可能なことですし、むしろそういう買収等については連座規定というものを厳重にするというたてまえに立って、ある程度戸別訪問を自由化にするという方がむしろ選挙の明朗化につながるんではなかろうか、こういう感じもするわけであります。そういう点について御意見を承りたいと思います。――お二人です。作間先生と杉森さん。
#85
○公述人(作間忠雄君) 先ほどの御質問につきましては、私の方でそういう意味では誤解がございましたので、和田委員から再度御説明ございましたお考えには基本的に全く同感でございます。
 それから、ただいまの戸別訪問の問題でございますが、私、論点の関係で申し上げる機会がなかったので、大変いい御質問いただいたように思いましたけれども、私もかねがね、選挙はまさに戸別訪問中心に行わるべきだという考え方をとっております。これは先ほど申し上げた意味では、言論、文書図画のうちの私は言論、やはり本当は言論が選挙運動の中心にあるべきだということで、最も適当な運動方法だと思っております。御承知のように、諸外国の例もございますが、もう今日、日本の国民も、私はそんな簡単に買収されるようなそんな政治意識の程度ではないと確信しております。
 それからもう一つは、もし不正なことが行われたならば断固連座制で取り締まれとおっしゃることは私も全く同感でございまして、イギリスの事例はよく御承知だと思いますが、すでにもう一八八三年の腐敗及び不正行為防止法、大体九十二年前でございますが、その前はひどかった選挙が行われてましたのに、これで一応ぴたりととまったと言われておりますが、これはもう当選人の失格を直ちに招きますし、その選挙区から永久に出馬できないという厳しいものでございます。そしてイギリスでは、なおそのほかに、たとえば投票所へ行き来するのも自動車で送迎することすら認められてやっておるということは御承知だと思います。戸別訪問、私は、本当にこれが各戸のドアで十分に行われれば最も理想的な選挙方法ではないか。もう一つその前提になりますのが、イギリスの例を見ましても、日本ではその政党に所属するのもいやだ、所属していることを言うのもいやだ。それから、特定の候補者を支持していることもなるべく隠すというような現状ですね。そういう状況では、一挙に戸別訪問というものが十分に効果発揮するか問題ありましょうが、しかし、各戸の戸をたたき直接話し合うことで、私は新しい国民の立場の選挙制度が始まるのではないか、こう思っております。
#86
○公述人(杉森康二君) いまの和田議員の御質問というか御意見に私も全く賛成でございまして、これは今後公選法改正するとすれば、やはり一応そのルールづくりはルールづくりで行いながら、同時に、どういうふうにやはりこの現在のルールを、国民のその政治的関心の高揚と同時に外していくかという問題は、やはり考えていい時期ではないか。その中に、やはり戸別訪問の問題というのは非常に重要な問題でございまして、これをやはり全面的に開放していくという方向で行くことが、選挙の明朗化あるいは国民の政治意識の高揚の上から言っても非常に重要な問題ではないかと思っております。したがって、今後お願いしたいことは、この委員会その他を通じまして、先ほど申しましたその選挙の完全公営化の推進、それから政治資金の中での企業献金の規制、それから具体的な選挙運動の中では、戸別訪問なり言論の自由その他についてやはり次第に開放の方向に向かっていくと。同時に政治啓蒙を行って、そして国民の政治的な意識が高まり、同時に多くの人々がみずから選挙に立候補しようというふうな意識をどうつくり上げていくかというのが問題ではないかと思います。
#87
○和田春生君 どうもありがとうございました。
#88
○委員長(中西一郎君) 公述人の方々には長時間にわたり御出席いただき、また有益な御意見をお述べくださいましてまことにありがとうございました。厚く御礼を申し上げます。(拍手)
 これをもって公聴会を散会いたします。
   午後四時五十六分散会
ソース: 国立国会図書館
【PR】姉妹サイト