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#1
第075回国会 法務委員会 第11号
昭和五十年六月十二日(木曜日)
   午前十時一分開会
    ―――――――――――――
   委員の異動
 六月六日
    辞任         補欠選任
     大鷹 淑子君     前田佳都男君
    ―――――――――――――
  出席者は左のとおり。
    委員長         多田 省吾君
    理 事
                大島 友治君
                高橋 邦雄君
                佐々木静子君
                白木義一郎君
    委 員
                梶木 又三君
                塩見 俊二君
                柴立 芳文君
                福井  勇君
                町村 金五君
                中村 英男君
                矢田部 理君
                橋本  敦君
                下村  泰君
   政府委員
       法務大臣官房長  香川 保一君
       法務大臣官房司
       法法制調査部長  勝見 嘉美君
   事務局側
       常任委員会専門
       員        二見 次夫君
   参考人
       弁護士      天野 憲治君
       弁護士      松本 正雄君
       明治大学教授   和田 英夫君
    ―――――――――――――
  本日の会議に付した案件
○最高裁判所裁判官任命諮問委員会設置法案(佐
 々木静子君外一名発議)
○理事補欠選任の件
#2
○委員長(多田省吾君) ただいまから法務委員会を開会いたします。
 最高裁判所裁判官任命諮問委員会設置法案を議題といたします。
 本日は、本法案について参考人から意見を聴取し、質疑を行います。
 この際、参考人の方々に一言ごあいさつを申し上げます。
 皆様には御多忙中のところを御出席いただき、まことにありがとうございました。最高裁判所裁判官任命諮問委員会設置法案について皆様から忌憚のない御意見を拝聴し、本案審査の参考にしたいと存じております。
 つきましては、議事の進行上、天野参考人、松本参考人及び和田参考人の順で、お一人二十分程度御意見をお述べいただき、その後、委員の質疑にお答えいただきたいと存じます。
 それでは、まず天野参考人にお願いいたします。
#3
○参考人(天野憲治君) ただいま御指名を受けました弁護士の天野でございます。佐々木、安永両議員の発議にかかる最高裁判所裁判官任命諮問委員会設置法案につきまして、日本弁護士連合会を代表いたしまして、参考人として意見を述べさせていただきます。
 まず、結論を申し上げますと、この法案には全面的に賛成いたします。かかる法案が議員立法案として今国会に提出されましたことにつきまして、日弁連といたしまして提案者に対し深く感謝いたしますとともに、本法案が速やかに審議、可決されますことを心から念願している次第であります。
 と申しますのは、皆様も御承知のことと存じまするが、日弁連は昨年の六月、本法案と同趣旨の立法案を作成いたしまして、公表しております。同年の同月二十六日、日弁連会長名をもちまして、日弁連の立法案に提案趣旨説明書と逐条説明書、その他資料等を添付いたしまして、内閣総理大臣にこれを提出いたしまして、その実現方を建議しております。また、自民、社会、共産、公明、民社の各党、それから衆参両院議長及び衆参両院の法務委員会にもこれを提出いたしまして、その立法化につき協力を願ってまいったのであります。しかも、このたび議員立法案として提出されました本設置法案は、細かい点で二、三の相違点はありますものの 本筋におきまして日弁連が作成いたしました立法案とその考え方を一にしておりますので、日弁連といたしましては、相違点については別段異議は申し上げません。そして、私個人の意見としては、日弁連が作成した立法案よりも本法案の方がわが意を得たものと考えている次第であります。
 次に、この諮問委員会制度の必要性につきましては、先般、当法務委員会から送られてまいりました提案理由説明書の中に、簡単ではありますが、記載してありますので、重ねて申し上げることを省略いたします。それからなお、日弁連で作成いたしました提案趣旨説明書、これは先ほど申し上げましたように、当法務委員会にもお届けしてあるはずでございまするが、その中に詳細に記載してございまするので、御検討いただければ幸いでございます。
 ところで、昭和二十二年最高裁判所の発足当時には、吉田内閣のもとにおきまして、裁判官任命諮問委員会規程が閣令十四号をもって制定されております。それからまた、片山内閣のもとにおきましても同様の規程が、同年の政令第八十三号をもって制定されまして、最初の最高裁判所の長官の指名及び最高裁判所判事の任命は、この諮問委員会の答申に基づいて行われましたことは皆様御承知のとおりであります。しかし、この制度は昭和二十三年一月一日をもって廃止されまして、その後は今日に至るまで、最高裁判所裁判官の選任権は全く内閣の自由、専権にゆだねられてまいりました。
 ところが、その後の長官の指名、裁判官の任命の実情にかんがみまして、日弁連を初めとして司法に関する各専門分野におきまして、発足当時ありました諮問委員会制度を復活すべきであるという議が起こってまいりました。日弁連のことは別といたしましても、昭和二十九年の十月には衆議院法務委員会の第一小委員会において、次いで昭和三十一年の五月には、当時の法務大臣でありました牧野良三会長名をもちまして、法制審議会におきまして、最高裁判所の裁判官の指名または任命については諮問機関または選考委員会に諮問して、その意見を聞くべきものだという改正要綱私案、これは日弁連法務委員会の第一小委員会で決議、発表しておるものでありますが、改正要綱私案あるいは法制審議会の答申が行われております。
 さらに、昭和三十二年の第二十六国会では、諮問審議会の設置を含む裁判所法等の一部を改正する法律案が内閣から提出されております。この法案は、昭和三十三年第二十八国会で審議未了のため廃案となっておりまするが、それは不幸にも最高裁判所の機構改革問題と一緒に審議されたためであります。その後におきましても、最高裁判所の裁判官の指名、任命については諮問委員会制度を設けるべきだということが、憲法調査会において委員の間で論議されてきております。
 このように、最高裁の長官の指名、裁判官の任命につきまして諮問委員会を設置した方がいいということは、ひとり日弁連だけでなく、司法の各専門分野において制度上の問題として強く要望されてきたのであります。
 最近になりまして、と申しましてもここ数年来のことでありまするが、いわゆる青法協問題あるいは平賀書簡問題、再任拒否問題等が続発いたしまして、司法の独立の危機ということが叫ばれてまいったのが契機となりまして、この諮問委員会制度の復活ということが再びクローズアップされてまいったのであります。
 現在、司法の独立が果たして危殆に瀕しているかどうかという点は、大いに議論の存するところと存じます。それはしばらくおくといたしまして、日本国憲法の要請する最高裁判所の基本的な使命と性格というものは、戦前の大審院とは大いに趣を異にしておりまして、終審としての違憲審査権と規則制定権、最高の司法行政権を兼ね備えた司法裁判所でありまして、司法の独立と裁判の公正を保持し、基本的人権を保障するという重大な職責を国民から負託されております。最高裁判所のこのような使命と職責にかんがみまするならば、最高裁判所の裁判官の指名と任命が国民にとって重大な関心事であることは言うまでもありません。最高裁判所裁判官の指名と任命が適正を欠き、不公正に行われ、ことに時の政府与党と政治的見解を同じくしたり、あるいは官僚的な司法行政を是認して推進するような立場にあることに重点を置いてその選任が恣意的になされるというようなことがあれば、最高裁判所がその使命と職員を全うし、特に政治権力に対して司法権の独立を保持していくということは、これはとうてい期待することができないのであります。その意味におきまして、最高裁判所の裁判官の選任問題と司法の独立とは決して無関係ではございません。
 しかし、最高裁判所の裁判官の指名と任命に当たり諮問委員会を設置すべきだという要望は、いま日弁連等において叫ばれている司法の独立の危機問題が発生する以前から、これは制度上の問題として論議されてきたものでありますことは、先ほど申し上げましたとおりでございます。諸外国の立法例を見ましても、最高裁の裁判官の指名ないし任命が内閣の専権にゆだねられているというような国は、私は浅学でありますが、ほとんど見受けられないのであります。少なくとも民主主義国家と言われる諸外国におきましては、最高裁判所の裁判官を任命する場合には、任命権者の独断と恣意を抑え、任命権者と被任命権者、任命される者との政治的、思想的結合を排除するために、また、任命された者の任命した者に対する個人的心理的傾斜を防止するために、任命権の行使に対する民主的なチェックが行われるようにきわめて慎重な手続的保障が制度化されております。ところが、わが国の場合にはそのような手続上の保障が全くないのでありまして、これは法の不備であり欠陥であると考えられます。
 幸か不幸か、わが国では同一政党による政権が二十数年にわたって最高裁判官の選任権を独占してきたわけでありまするが、そういたしますると、選任権者が善意でやったことであっても、そこに偏った政治的色彩が入り込んでくるおそれがあります。そのため、国民の間に最高裁判所の裁判官の任命の適否について疑惑を生ずるに至ったことは、否定できないと思います。これは何も自民党政権、自民党内閣が選任したからということを言っておるわけではありません。ほかの、社会党が内閣をとって社会党内閣が、政党内閣が選任した場合には、何かそこに政治的配慮がなされたものではないかという疑いを国民は持つ可能性が非常に多いわけであります。
 しかも、悪いことに、現行制度のもとにおきましては、国民は最高裁判所の裁判官の指名あるいは任命されたその経過、事情について、全く知るすべを持たないのであります。したがって、国民がその裁判官の任命の適否について何か色目で見た、疑惑を抱いたといっても、その国民をいたずらに非難することは当たらないのであります。国民がその指名あるいは任命の適否について疑惑を抱いたことの当否は、ともかくとします。その疑惑は間違った疑惑かもしれません。その当否はともかくといたしまして、いやしくも国民があるいはその一部がその指名または任命に対して疑惑を持っている以上、その裁判官の裁判についてこれを色目で見るのもやむを得ないところでありますし、裁判の権威が失墜されるという結果が招来されるおそれが多分にあります。
 最高裁判所の裁判官が任命されますると、最初の総選挙の際に国民審査を受けるわけでございまするが、その裁判官に対して付せられるバッテンの数、罷免を可とする数が、国民審査を行うたびにだんだんふえてきております。発足当時の最初の裁判官、これは諮問委員会の答申に基づいて指名または任命された裁判官ですけれども、この裁判官の場合には、国民審査の際つけられたバッテンの数は投票総数のわずか四ないし五%でありましたけれども、その後このバツの数が逐次増加してまいりまして、最近の昭和四十七年十二月に行われました総選挙の際の国民審査の場合には、最高が一五%以上、最低でも二%以上にそのバッテンの数が増加しております。このことは、まさに最高裁判所に対する国民の信頼の低下を意味するものと考えられます。私は、最高裁判所に対する国民の信頼が低下していく傾向を深く憂慮しておるものであります。最高裁判所の裁判官の指名と任命の適正化を手続上保障して、その指名と任命が公正に行われたゆえんを国民に十分に納得してもらって、最高裁判所に対する国民の信頼と裁判の権威を維持し、さらにこれを高めていくためには、本立法案のような諮問委員会制度を設けることが絶対必要であると確信しております。
 以上、申し述べましたような見地から、日弁連におきましても、さきに立法案を作成し、これを公表してまいった次第でありまするが、このたび日弁連案とほとんど同趣旨の本設置法案が今国会に提出されましたことを心から歓迎している次第であります。なお、法案の各条文につきましては、また御質問がありましたらお答えしたいと思っております。
 以上をもちまして私の意見を終わります。
#4
○委員長(多田省吾君) どうもありがとうございました。
 次に、松本参考人にお願いいたします。
#5
○参考人(松本正雄君) 弁護士の松本正雄でございます。最高裁判所裁判官任命諮問委員会設置法案につきまして、参考人として私の意見を申し上げたいと存じます。
 この法案は、最高裁判所裁判官の選任が慎重かつ公正、適正に行われることを保障するために任命諮問委員会を設置し、委員会の構成と運営を法律をもって定めようとするもののようでありますが、私は、少なくとも現状においてはこのような諮問委員会は必要でないばかりでなく、妥当でもないと考えております。
 その理由を申し上げます。
 第一、現在最高裁判所裁判官の選任、任命については慣行が確立しておりまして、それによって大過なく適正に行われていると思うのであります。御承知のように、最高裁判所裁判官は長官を含めて十五名と定められておりますから、欠員が生じたときには補充の人選をせねばなりません。そして、その任命は、長官については内閣の指名に基づいて天皇が任命し、ほかの裁判官は内閣が任命し、天皇がこれを認証することになっており、いずれも内閣の専権になっております。憲法六条、七十九条の規定でございます。しかし、欠員を補充するための人事は、最高裁判所がどのような法律的素養のある人を必要とするのか、あるいは小法廷での配置の都合とかについて内閣でもわかりかねるのでありますから、実際に行われている慣行は、内閣総理大臣が最高裁判所長官の意見を聞いてから決定されております。この慣行は、私の知っている限りでは十年以上も続いております。
 御承知のように、最高裁判所の組織として、十五人全員で構成される大法廷と、五人ずつで構成される小法廷とがあり、小法廷は三つに分かれ、第一小法廷、第二小法廷、第三小法廷と呼ばれております。そして、最高裁判所の事件の大部分はこれらの各小法廷で処理されますから、小法廷を構成する裁判官は、民事事件に明るい人とか、刑事事件に明るい人とか、あるいは行政事件に明るい人とか、それぞれ専門が違う裁判官がおられた方がよいのであります。たとえば刑事事件に明るい専門家ばかりそろった小法廷では、民事事件の処理がどうしても手薄にならざるを得ないのであります。次に、同じ小法廷に裁判官出身者ばかりそろってもまずいし、また同じ小法廷に弁護士出身者ばかりそろってもやはりまずいのであります。すなわち、それぞれに違った職域で育った裁判官がいた方がよい。つまり、各小法廷ともこういう意味でのバランスのとれた構成が望ましいのであります。
 したがって、新たに任命される裁判官はどこの小法廷に属することになるのかということは、あらかじめ決まっているのであります。新たに任命された裁判官の配置で小法廷の配置を変えてしまうというようなことも、ときどき前から話には出ましたけれども、これは実際上むずかしいのであります。このようなことから、新たに任命される裁判官はどういう方がいいのかということは、法曹以外の外部の人にはちょっとわかりにくいのであります。したがって、人物、経歴、学識、経験等について申し分のない方でも、補充のための人事としては適当でない場合もあるのであります。
 このように、最高裁判所が新たにどのような法律家を必要とするかは、そのときどきについて最高裁判所について意見を徴しなければ、内閣といえどもこれらの点を無視して任命を決するわけにはいかず、慎重を期して最高裁判所長官の意見を必ず求められることになったのだと私は思います。もちろん、総理大臣は最高裁判所長官の意見を徴せられるほかに、各方面の声も聞かれて決断せられ、内閣に諮られるのだと思います。私は、このような慣行をいま変更する必要はないと考えます。変更してプラスになればよいが、むしろマイナスになる面をこの法案は含んでいると思います。この点についてさらに順次申し上げさせていただきたいと存じます。
 第二、最高裁判所裁判官の人選は、候補者に上っている人について、内閣の専権として総理大臣によってきわめて高度な政治的判断によって決められるのであります。このたびの法案の提案理由のうちに「国民はその選任が公正・適正に行われたことを知る道を全く閉ざされているのであります。これは明らかに法の不備であり、重大な欠陥である」とあります。しかし、私はこのような人事は本来、多数の人で討議して決するのにはなじまない性質のものと考えます。委員会の多数決によって答申した者が、最高裁判所の裁判官として必ずしも最もふさわしいとは言えないと思うのであります。そもそも人事について、多数決原理の支配する委員会の諮問を経なければならないとするのは当を得ないのじゃないか、こうも考えますし、また、わが国において公務員の任命につきまして諮問委員会制度を採用している例は、私は寡聞にして余り存じないのであります。やはり人選は総理大臣の責任においてなし、閣議に諮って定められる従来の方法でよいのではないかと考えております。
 内閣は国民の選挙によって構成された国会を基盤とするものでありますから、最高裁判所裁判官の人選について国民の意思を間接に反映しているとも言えるし、内閣はその選任について全責任を負うべきであります。諮問委員会に責任を分担させる性質のものではないと存じます。法案にありますように諮問委員会の二十一人の委員で、Aなる人が適任だと言い、またBの方がよいとか言って甲論乙駁、その結果、法案にありますように「候補者として適当と認めた理由を付記しなければならない。」(十一条二項)とか、「答申と異なる意見の併記」(十一条三項)をするようなことは、このような最高の人事については適当ではないと考えております。また、その理由を公表するということになっておりますが、そういうことですと、果たして委員会で率直な議論がなされるかについても疑いなきを得ないのであります。
 第三、この法案によれば委員会は二十一人の委員で構成されることになっておりますが、これらの委員のうちで、候補者についての知識を持っている方はごく少ないと思うのであります。現実の問題として、候補者を知らない委員が大部分ではないかと思うのであります。私は先ほど甲論乙駁と申しましたが、甲論乙駁できればよい方で、候補者の人物、見識、能力等を知らないで、裁判官として適任だとか不適任だとかの評価はできないのではないかと思います。
 人の評価は経歴を記したものぐらいではわかりません。候補者については、候補者と同じ職域にいる人がやはり一番よく知っていると思います。たとえば裁判官については裁判所部内の人がお互いに知る機会が多く、弁護士は弁護士会で日ごろ接している人が最もよく知っております。ほかの職域社会の人に比べますと、弁護士は裁判官について知る機会が多く、裁判官はまた弁護士について知る機会が多いのではありますが、それとても多数の人のことですから、知らない人が大部分です。私の経験からも、長いこと弁護士をやっておりましたが、東京に住んでおりました関係上、どうしても関西の方とか九州の方あるいは北海道の方々との交際は、特別の方を除いては知る機会が少なく、交際が薄かったのであります。このようなわけで、たとえば弁護士出身者から最高裁判所裁判官を内閣が任命しようとして二十一人の委員に諮問しても、その候補者である弁護士について知っている人は、二十一人の委員のうち恐らく三分の一もおられないのじゃないかと思います。同じ弁護士仲間でも知らない人もいるぐらいであります。このことは、この諮問委員会に内在する大きな欠陥の一つではないかと考えております。
 第四、この法案は、十一条で候補者の答申には、長官の候補者について二人以内、その他の裁判官については任命予定者の数の二倍以内というようになっており、また答申によって内閣の権限を拘束するような規定はございませんが、しかし、このような法律に基づいて権威のある諮問委員会でなされた答申であれば、内閣は法律上はともかく、事実上は拘束せられる結果になるのではないでしょうか。そうすると、指名、任命について定めた憲法第六条、第七十九条の規定に違反するおそれが生ずるのではないかと思います。
 以上申し述べましたように、この諮問委員会は短所、欠点がございます。かつて裁判所法が制定せられた当初には、この諮問委員会に関する規定があったのでありますが、結局は廃止せられたのはそういうようなことからではないかと思います。その廃止に際しての提案理由に、「その実績に徴しますと、この方式はどうも形式的に流れすぎて、所期の効果を得られないという憾みがあり、かつ指名及び任命に関する責任の所在を不明確ならしめるおそれがある」とありますのは、この間の事情を物語るものではないかと思います。
 最後に、本法案の提案理由のうちに、最高裁判所裁判官の指名及び任命について、それが内閣の専権であって「制度的に保障すべき何ものもない」とありますが、憲法七十九条の国民審査の規定は、制度的に裁判官の適不適の判断が国民の審査に任されております。この国民審査の制度が形式的なものでまだ十分実効を上げないからといって、存在の意義を失うものではないと考えます。
 以上申し述べましたような観点から、私は本法案に対しては反対であります。
#6
○委員長(多田省吾君) どうもありがとうございました。
 次に、和田参考人にお願いいたします。
#7
○参考人(和田英夫君) 明治大学で憲法と行政法を専攻しております和田であります。私は、お二人の参考人と違いまして、全く実務の経験はございません。一学究の立場からこの法案について意見を述べたいと思います
 大きく分けて三点に分けて申し上げます。一つは、最高裁のあり方と任命人事との関係についてであります。第二番目は、この法案の位置づけについてであります。第三番が法案の内容についてであります。
 まず、最高裁のあり方と任命人事という点について申し上げるわけですが、その前に、私はこの法案の基本的な考え方、あるいは基本的な内容については賛成であります。その立場から申し上げます。
 最高裁は、御存じのとおり最高の審判機関としてと、それから最高の司法行政機関としてと、二つの権能を持っております。この最高の審判機関としての中には、さらに違憲審査権、いわゆる違憲審としての最高裁判所、それと上告審としての最高裁判所、二つの機能がさらに分かれるわけであります。私たちが、ほぼ四半世紀にわたって最高裁の果たしてきました役割りを判例並びに司法行政の面から評価した場合に、果たして憲法の番人として国民の負託にこたえてきたであろうかどうか、国民のための裁判所としての本来の最高裁のあり方、いわば初心にはっきりと定着した形で来たであろうか。これは初代の三淵長官の言葉を顧みるわけでありますが、その点でかなり問題があると思います。
 私は、ラートブルッフが法学入門で書いている言葉をしばしば思い起こすわけでありますが、ラートブルッフは、司法の正しさとは結局、司法に対する人々の信頼以外の何物であろうかということを書かれております。この基本的な観点に立っての最高裁のあり方という点から考えますると、りっぱな最高裁の裁判官の方もいらっしゃるし、いろいろ評価はありましょうが、少なくとも私は、たとえば四十一年の十月の中郵判決、その後の都教組判決、その後いわゆる僅少の差で逆転しました全農林警職法判決、さらにその後の四十九年ですか、猿払上告審判決、少数意見もございますが、この辺の経過を見まして、そこに審判機関としての、つまり判決を形成する機関としての最高裁のあり方が微妙に任命人事と絡んでおったということを感じるわけであります。
 これはアメリカでも、ウォーレン長官のころの最高裁と、ニクソンが大統領になって任命して現在四人おりますが、それのいわゆるニクソンコートと言われている、あるいはバーガーコートと言われていることとはかなり判決が違ってきております。これはそれぞれの任命権者が違ってくるので、当然そこではさまざまな裁判官が任命されることは、これはわかりますが、重要なことは、アメリカでは上院で厳しい審査を受けて、そうして大統領のノミネートが、指名が完成されるという、そういう仕組みになっていることであります。この点からしまして、私は歴代の最高裁の審判機関としての評価が微妙に任命人事と絡んでいるということは、これは当然なことであって、それ自体はやむを得ないと思うのですが、だからこそ、そこにもう一つの何らかのチェックが必要じゃないかということを諸外国の制度から見ても感ずるわけであります。
 もう一つ、私は最高裁の歴代の内閣任命人事で評価として大きな問題なのは、二千五百人ぐらいでしょうか、現在裁判官がいると思うのですが、それの人事を十五人の最高裁の裁判官が持っているわけであります。実際上は、恐らくは私の推測では、長官と事務総局がかなりそれのデータを集められていると思うのですが、少なくとも二千五百人近い下級審の裁判官の人事を最高裁が持っているということは、単に判決形成の上からだけではなくて、やはり下級審の裁判官の任命ということについても最高裁の持っている司法人事権が重要な意味を持つということをあらわすわけで、その点において、単に判決形成をする機関としての最高裁だけじゃなくて、下級審の裁判官を任命する司法最高機関としての最高裁のあり方、これをも考えますと、いよいよもって最高裁の裁判官の人事というものは、国民的な視野に立って考え直される必要があるのではないかというふうに感ずるわけであります。
 宮本判事補の再任拒否事件が四十六年の三月でありまして、それをめぐって司法の異常事態が広まったことは私から申すまでもありませんが、こういう問題にも、やはり最高裁の任命人事、だれが最高裁の裁判官になったか、どういう形で最高裁の裁判官が選ばれたかということと微妙なかかわりがあるというふうに感じます。
 私は田中二郎前最高裁判事、私の実は恩師でありますが、田中先生が学士会の学士会会報四十九年一月十五日号に書かれているのに非常にサゼスチョンを受けたわけです。そのところをちょっと読んでみますと、「何よりも大事なことは、最高裁に国民の信頼を受けるに足りる裁判官らしい裁判官を得ることであり、法曹の各分野から、その経歴、年令構成等を考慮し、ヴァラエティーに富んだ適格者を求めることが望ましい」、こういうことをおっしゃっております。これはその前提として「今日のような激動の時代で、価値観の多様性がみられる場合には」というふうなのがあります。私は、最高裁の裁判官の任命については、やはり各界各層から広く広範な立場に立って適格者を得るという考え方、これが基本的にないと、やはり国民の裁判所としての負託にこたえられることはできないのじゃないかというふうに思うわけであります。
 その点で、りっぱな方が選ばれたか選ばれなかったかということの結果論の前に、どのような基準でその任命がなされたか、その場合の観点はどういう点であったかという原則的な問題でもいいわけですけれども、そのようなことがほとんど国民の間からはわからない。したがって、仮にりっぱな方が選ばれたとしても、一体どういう基準で、どういう方法でそれがなされたのかということ自体に対する、これは天野先生も先ほど言われたのですが、疑惑がやはり残るのではないかという手続的な問題があると思うのです。
 以上が第一の最高裁のあり方と任命人事についてでありますが、次に、法案の位置づけについてであります。
 私はこの法案を見まして二、三感じた点を申し上げますと、これは現行憲法の枠内における法律であるということ、憲法を改正するという前提で最高裁の裁判官の任命人事を考えるならば別な方法があるわけですが、これは現在の憲法の規定を動かさないという前提のもとでだということをはっきりしておく必要があると思うのです。
 そしてそれが、二番目としては、この諮問委員会の根拠規定が、従来の片山内閣のときには政令という根拠づけだったのですが、今度の場合にはこれは法律の根拠づけを得られております。なお三十二年の審議未了になったとぎの、これは内閣提出法案ですが、裁判官任命諮問審議会、これもやはり政令という形でこの諮問委員会の設置の根拠づけをしております。今回これについて法律という形でこの根拠づけをしたについては、提案理由にも書かれてありますが、恐らく国民の総意のもとにつくられた法律、そして逆に言うとそれは内閣の専権、政令では内閣だけの権限でできますので、それよりも法律というもっと高い法形式でやった方がいいということだと思います。この点は、私は理想としては結構だと思いますが、法律でなければならぬという、絶対不可欠の必要があるのかどうか、これも一つの問題だろうと思います。つまり政令レベルでも可能じゃないかということも考えられます。
 しかし、一番私が問題なのは、法律で規定するにしろ、政令で規定するにしろ、その運営の問題ではないかと思うのです。この点で、片山内閣のときの諮問委員会が失敗に終わったのかどうかについてはもう少し綿密に検討する必要がありますけれども、少なくとも片山委員会のときのそのままの復活ではないのであって、従来の成果、なかんずくここ二十数年以来の最高裁に対するさまざまな国民の期待あるいは疑惑をも十分教訓として取り入れたものという意味でこの法案を見ていくならば、一つのあり方として妥当なものだと思います。
 なお、国民審査があるわけですけれども、これは事後の審査であり、あるいはリコール的なものであります。いわば今回のこの法案の内容は事前のチェックでありますので、相まって最高裁のあるべき姿というものを形成するわけでありますけれども、私は事後審査もしくはリコールとしての国民審査法の運用が形骸化しているとは思いませんが、ただそれだけで十分だとはこれまた思いません。したがって、事前におけるチェックというものをもこれにさらに付加しながら、国民審査法のあり方とセットにして最高裁の裁判官の任命を考えるという考え方が、私は本来のあり方ではないかと思います。
 第三の点は、細かい点までは申し上げませんが、法案の内容について若干申し上げます。一つはこの法案が実現の可能性を意識されてつくられた法案なのか、それとも理論的もしくは理想的なものとして考えての法案なのかということを私最初見て感じたのですが、恐らく私の推測では、これは実現可能性というものを相当濃厚に意識されての法案だと思います。したがって、理論的にはさまざまな点で問題があります。以下、率直に若干の点を指摘しておきたいと思います。
 まず第一に、内閣の統括下に置かれる諮問委員会であるということ。これは第一条及び第二条で明確であります。諮問委員会でありますので、法的にこれを意思決定を迫るような、いわば何といいますか、もっと強い権限を持ったものではないわけであります。この点はこれで結構であるし、もしそうでないならば現在の憲法のもとでの内閣の持つ選任権を奪うことになりますので、これは当然だと思います。
 一番問題なのは、第四条、第五条の委員の構成ではないかと思います。この委員の構成は、相当苦労されてつくられた案文だと思います。日弁連の方の法案も大体はこれに近いし、また片山内閣のときのあれも、まあ大体ですが、かなり近いわけであります。ただ、あえて私の率直な意見を申し上げますと、衆議院議長、参議院議長というのが冒頭にあります。これは国民の代表者としての国会、それの代表者だ、まあ国民の意思を代表する者だということで設けられたわけでしょうけれども、またいままでも大体そういう形で説明してきたのですが、少し考えてみますと、内閣の所轄下に置かれる諮問委員会、つまり内閣の所轄下に置かれる諮問委員会で、片一方では国権の最高機関である衆参両院、その議長。そうなると、三権分立ということはそうこだわりませんが、少なくとも議長でないとだめだという考え方でやるならば、どうも内閣の諮問委員会にすぎない――すぎないと言うと悪いのですが、内閣の諮問委員会であるこの諮問委員会のメンバーに、当然に両院の議長がなるということはどうだろうか。私は、たとえば法務委員会の委員長でも結構じゃないかという感じがします。これは三権分立の上で言うと国権の最高機関の両院の議長ですので、ちょっとその点は私は引っかかる点があります。恐らく立案の方は三権分立ということを考えられているのだと思います。が、しかし、内閣の所轄下にある諮問委員会だということを考えますと、議長でなければならぬのかどうかは、私は理論的に問題だと思います。
 二番目に問題なのは指名のところだと思います。特に長官と検事総長、日弁連の会長、これが入られているのは恐らく法曹三者ということで、これは当然だと思いますが、問題なのは、たとえば六号にある最高裁の裁判所が指名する裁判官六名、それから日弁連が指名する弁護士六名ですね、この中で、たとえば最高裁判所が指名する六名という中身はどういうふうなものになるのかどうか。つまり、指名の中身の問題が具体的にはわかりません。恐らくこれは審議会での運営に任されるのだと思います。それと、日弁連の場合の指名の六名はどういう形で選ばれるのかどうか。これはあとで御質問があれば私の推測を申し上げますけれども、この点が運営の問題として、場合によってはどういうふうな結果になるのかについてかなり関心が持たれるところであります。
 もう一つは学識者でありますが、この学識者をどのようにして選ぶのかどうか。前に日弁連の方を拝見しましたときに、学術会議というのがあったわけなんですけれども、学術会議が妥当かどうか、私は若干問題があると思います。学術会議といっても、第一部会から第七部会ありまして、私も現在学術会議の会員ですが、第二部会が法律と経済であって、お医者さんとか農業の先生とか、物理の先生とかがいる部会もたくさんあるわけで、学術会議といってもちょっとこれは漠然としているわけなんです。あえて言うならば、学識者の中で学会関係を考えるならば、いま学会では民、商法関係の私法学会と、それから憲法、行政法関係の公法学会と、刑法、刑事訴訟法学会の刑事法学会と、もう一つは労働法学会と、この四つの各学会の存在は無視できないと思います。だから、この学識者の中に学会関係を考えられる場合には、恐らくそういったいま私が申し上げたような学会と密接な連絡がない限りは、どうも学識者というものの対象がどういう形で選ばれるのか疑問であります。
 大体以上でありますが、最後に申し上げたいことは、私は最高裁判所の裁判官を任命することが、たまたまいままで非常にりっぱな方が任命されておったかどうかということの結果論よりも、任命されるに当たっての民主的な手続そのものが問題ではないか。これは私が調べた限りでは、西ドイツにしろ、イタリアにしろ、フランスにしろ、無論アメリカにしろ、任命権者のいわば完全な自由裁量に任されてなされている例はないわけであります。これは単なる上告審だけの裁判所ですと、あるいはさっき松本先生の言われたようなことも妥当すると思うのですが、先ほど申し上げたように、全国二千四百人余りの下級審の裁判官の人事を最高裁の十五人が持っている。さらに違憲審。日本の場合には違憲審査の権限と上告の権限と両方持っていますが、このあたりはアメリカ型なんですが、アメリカでは無論上院の綿密な審査の上に最高裁の裁判官が任命されるわけですが、ドイツ、イタリアあるいはフランスでは違憲審と上告審が分かれております。いずれにしろ、しかし何らかの形で国会がそれに関与しております。こういう問題もありまして、比較憲法的に見ても日本の最高裁の裁判官任命、わけても人事権も持ち、違憲審査権も持ち、上告審も持っているという、そういうある意味で言うと非常に集中化された最高裁の権限集中、これを持っている場合に、そうであればあるだけにやはり国民的な視野で考えられて、そして何らかのチェックを設けてやられた方が最高裁に就任される方にとっても私は喜ばしいのじゃないかというふうな感じを持っています。
 以上であります。
#8
○委員長(多田省吾君) どうもありがとうございました。
 それではこれより質疑に入ります。質疑のある方は順次御発言願います。
#9
○佐々木静子君 それでは、私から最初に質問をさせていただきます。
 本日は、三人の参考人の先生にお忙しいところを国会までお運びいただき、私どもに対していろいろと有意義な御意見を賜りましたことにつきまして、厚くお礼を申し述べたいと思います。
 先ほど来先生方の御意見を承らしていただき、天野先生には提案しましたこの法案に賛成していただきまして、また和田先生におきましても基本的には賛成をしていただきまして、非常にありがとうございます。松本先生につきましても、いろいろと有益な御意見を賜りまして、大変に参考にさせていただいたわけでございますが、まず天野先生、この法案を出すに至った背景につきましていろいろと先ほど来御意見もいただいたのでございますが、日弁連御代表という意味で、日弁連としてこの法案に取り組んできた歴史的経過、それから日弁連案とこの法案とが多少中身が違っておる。これはごく技術的な面、あるいは委員の第五条の構成の面などで多少違っているわけでございますけれども、この法案と日弁連案との長所、短所、時間がございませんのでごく簡単で結構ですからお述べいただきたいと思いますことと、それから、私も提案者の一人といたしまして、日弁連の皆様方、また現場で法曹の仕事に携わっていらっしゃる現地の裁判官の方、検察官の方、あるいは裁判所で働いておられる職員の方々の御意見もできる限りお伺いさせていただき、また広範ないわゆる学者、文化人の方、そして労働組合の方、民主団体の方などの御意見も聞かしていただいたわけでございますが、やはり法曹を代表する、在野法曹でどのくらいの方がこの法案に対して、こういう法案をつくる必要があるというふうな意見をお持ちでおられるというふうに天野先生はお考えになっていらっしゃるのか、そのあたりも簡単にお述べいただきたいと思うわけです。
#10
○参考人(天野憲治君) 天野でございます。
 日弁連といたしましては、最初にこの審議会制度をもう一回復活したいという意見が出たのは、昭和二十七年からであります。当時、最高裁判所に事件がふくそういたしまして訴訟遅延という事態が起きた。最高裁判所が上告審として十分にその機能を発揮していないというような事態が起きまして、最高裁判所の機構改革が必要である、機構改革問題と関連いたしましてさらに選任についてもっと慎重な手続をとってやるべきじゃないかという意見が出て、昭和二十七年から再三決議をしております。さらに、昭和三十年にも最高裁判所裁判官任命諮問委員会制度要網というものを作成して、当時内閣総理大臣に建議したり、最高裁長官、衆参両院議長に送ってその立法方の協力をお願いしていたわけであります。
 その後、その意見が衆議院の法務委員会あるいは法制審議会等の賛同を得まして、結局昭和三十二年ですか、内閣が諮問委員会制度の復活をするという法案を国会に提出したというような事態にまでなってきたわけであります。その法案は残念ながら廃案になりましたけれども、その後もずっと引き続いて、どうも最高裁の裁判官の任命の仕方がちょっとよくわからぬ、納得がいかないということで、各国の法律などを研究した結果、日弁連案を作成してきたわけであります。
 もっとも、昭和三十二年内閣が提出した議案が廃案になった後、若干日弁連でもこの問題について手を抜いてきた経過もあるのですが、それはちょうど日弁連自体の機構改革問題でそっちの方に全精力が集中して、一時これはお留守になっていたわけでございまするが、最近例の、先ほど和田先生もおっしゃいましたようないろんな青法協問題とか再任拒否問題等が起きて、またこの問題をもう一度考え直そうじゃないかということで、この数年来から日弁連のみならず大阪弁護士会、第一東京弁護士会その他で検討してきたわけでございます。日弁連でも数年にわたって委員会を設けまして検討いたしまして、案をつくったわけでございます。
 この案は、大体このたび提出された案とほとんど考え方が同じでございます。この案の中で最も問題になるのは第五条でございまして、その委員会の構成の点でございます。
 日弁連の案と違うのは学識経験者をどうやって選ぶかという点で、日弁連といたしましては日本学術会議に選んでもらうという案が最終的に決まったわけでございまするが、その審議の経過では四つの意見がありまして、大阪弁護士会の日本学術会議に選任させるという案と、第一東京弁護士会の衆参両院議長に二名ずつ選んでもらう、そういう案と、それから従来こういう審議会の場合に内閣または内閣総理大臣に選んでもらう、そういう案とが提出されておりまして、しかし、どの案も一長一短がありまするので、いろいろ考えた結果、この本案のように、最高裁判所が指名する学識経験者二名を選んでもらう、それから日本弁護士連合会が二名選ぶ、そういう案がいいのではないかという案が第四番目に出てまいりました。日弁連で数回協議をいたしました結果、最後に採決をとると、大阪の案の日本学術会議に選んでもらうという案とこの本案の案と議論が二分いたしまして、何回たっても結論が出ない。最終的には大阪弁護士会の案の日本学術会議に選んでいただくという案に決まったわけでございまするが、その後いろいろ学者においでいただいて意見を聞いた結果、どうも日本学術会議に選んでもらうのは不適当だという意見を述べられた学者が非常に多かったわけでありまして、そのような日弁連の内部における審議の経過とその後の学者の御意見等を考慮いたしますると、やっぱりこの本案の方がいいのではないか。それで、日弁連の最終案とは違いますけれども、この案で日弁連としては異議はないということでございます。
 それから、この構成の中で衆議院議長と参議院議長、これは先ほど和田先生は、内閣の所管の諮問委員会に議長を出すのはどうかと言っておられましたけれども、違憲審査権を有する最高裁判所の裁判官の選任については、諸外国の立法例を見ましても、立法府の発言権が非常に強く認められているのが一般であります。先ほどもお話がありましたように、アメリカ、それからメキシコ、ブラジルなどでは上院の承諾を必要とするということになっております。まあ日本で参議院の承諾を必要とするという制度を設けることがいいかどうか、ちょっと疑問に思っておりまするが、少なくとも衆議院議長、参議院議長は立法府の代表者でありまするので、その代表者を通じて国会の意思をこの審議会に反映させたいというねらいと、それから衆議院議長、参議院議長ということになりますれば、単なる政治家というだけでなく学識経験者としても日本を代表する人であるということで、衆議院議長、参議院議長に入っていただくことが一等適切なのではないかということで、日弁連の審議の経過でも入れるべきではないのじゃないかという意見もありましたけれども、入っていただいた方がかえってこの審議会の権威を高めるということで、結論的には入っていただくということに決まったわけであります。
 それから、検事総長につきましては、不必要ではないかという意見も大分ありました。
 それから日本弁護士連合会あるいは最高裁判所が裁判官、弁護士を六名指名する方法ですが、これについてはそれぞれ裁判官全員の直接選挙によるべきだ、それから弁護士会なら弁護士会全体の直接選挙によって選ぶべきだという意見もあったのでございまするが、どうやって選ぶかということはそれぞれ内部事情もございまするので、最高裁判所あるいは日弁連に任せていいのではないかと。われわれがそれと同じような法案をつくりましたときには、最高裁判所あるいは日弁連の内部においてこの指名が適正、公正に行われるようそれぞれ内部的な取り決めをする、この法律自体ではそこまで干渉しないというふうにした方がいいのではないかということでこういうことになったわけでございまするが、日弁連で申しまするとあるいは直接選挙、選挙によって選ぶということも十分可能性は考えられます。
 ただ、最高裁判所の場合は、日本の裁判所というものはキャリアシステムをとっておりまして、官庁的な組織、しかも中央集権的な組織でありまするので、どうも直接選挙は向かないのではないか。片山内閣のときの最初の諮問委員会委員を選任する際に、全国の裁判官で直接選挙をしたわけでございまするが、当時、私も裁判官をやっており、私の兄が選挙管理委員をやっておりまして選挙の実情を知っておるのですが、非常に激烈な選挙で、告訴事件まで起きた。しかもその結果、反主流派、主流派とに分かれて、非常に苦い後遺症を残したというような過去の経験もありまするので、最高裁判所の裁判官の中で直接選挙をするということは恐らく不可能ではないかというふうに考えております。
 それから、その次に問題になりまするのは答申の点でございまするが、これは国民審査が現在十分機能を発揮しないのは、任命の事情が国民に全然わからないというためだと思います。もちろんその制度自体の不備もございまするけれども、根本的な理由は、任命事情が国民に全然わからない。片山内閣のときは答申をした場合に氏名だけを公表するということになっておりますが、それでは任命事情がよくわからぬので、このたびの諮問委員会におきましては、答申をしたその理由を国民が納得できるように公表するということにすれば国民審査が自主的に機能を発揮するのではないかということで、答申の理由を公表するということにしたわけでございます。こういうことにすることによって、任命制度とそのうらはらになる国民審査とが有機的に一体な制度として機能を発揮できるということでこういう制度を考えたわけでございまするが、そのとおり本法案にも入っておりまするので、この点は、松本先生はどうも御反対のようでございまするけれども、一つの重要な意義がある規定だと思っております。
#11
○委員長(多田省吾君) 参考人の方々にお願い申し上げます。
 貴重な御意見でございますので長時間お聞きしたいのでございますが、大変申しわけございませんけれども、時間に制限がございますので、恐れ入りますが、なるべく簡明にお答えいただければ大変ありがたいと存じますので、御協力をいただきたいと思います。よろしくお願いいたします。
#12
○佐々木静子君 それでは、私の持ち時間は余りございませんので簡単に申し上げますと、先ほどの松本先生の御意見を承っておりますと、最高裁の裁判官を広い視野から任命しなければならないという御意見のように承ったのでございますけれども、いまの任命方法で内閣総理大臣と最高裁長官とが十分に意見を交換し合っておるし、また各方面の意見も聞かれていると思うのでというお話でございますけれども、こういう重大な人事につきまして、内閣総理大臣が各方面の意見を聞かれていると思うのでというような漠然とした事柄で十分にその目的が達せられるか、国民が望んでいる本当に信頼できる裁判官というものをそのような漠然とした、何の保証もなしに、聞かれたと思われるということだけで任せておいてよいのかという点。
 それから最高裁判所の長官と内閣総理大臣とで十分に意見を、話を詰めるとおっしゃっても、これは先生御自身の御意見からもございましたように、委員の中でこの最高裁の判事になる候補者を知っている人が三分の一もないのではないかというふうなことから考えますと、内閣総理大臣と最高裁の長官が果たしてどれだけ広範な人を知ることができるか。どうしても自分の周囲にいるごく一部の人しか最高裁の判事の候補者を知ることができないのではないか。そういうことから考えると、少なくともこのような各層からの代表者ということの中から多くの委員を選出した方が、広くいろいろな人に当たることができるのではないか。その点、私は最高裁の中にいらしゃった先生におかれてはいろいろと内部の事情もお詳しいと思うのでございますけれども、先ほどの御意見の中に、何かそこに矛盾があるというふうに感じます。
 それから諸外国の例を見ましても、行政府の長と司法の長だけで話を決めてこの重大な最高裁の判事の任命というものを行っている国がないということから考えますと、やはり司法というものが国民から信頼される、公正らしさ、人事を含めて公正らしく行われるということに対する国民の信頼感というものが司法に対する尊敬というものに結びつくという、先ほど和田先生のおっしゃったラートブルッフの言葉などから考えましても、やはりいまの人事が仮にいかに公正であっても、諮問委員会というものを設けて、そしてその答申を待って任命するという方がさらに司法というものに対する独立なり信頼が保障されるのではないかと思うのでございますが、その点につきまして、時間がございませんので簡単に意見を述べていただきたいと思います。
 それから、和田先生にも先ほど来委員の構成その他について非常に貴重な御意見を承ったわけでございますが、松本先生が憲法の行政権に対する、諮問委員会を設けるのは行政権に対する権限の侵害であるのではないかという御意見でございましたが、和田先生はその逆のお考えであると思うわけでございますが、その点について、この諮問委員会制度を設けるということが何ら行政権を、権限を侵害するものでないという御趣旨のように承ったのでございますが、その点についての御意見を各両先生から、時間の都合がございますので簡単にお述べいただきたいと思います。
#13
○参考人(松本正雄君) 私が先ほど申し上げましたように、内閣総理大臣は人選をされる場合に、最高裁判所の長官の意見を徴しておられることは間違いございません。少なくとも私の知っている限り、十年以来そうでございます。そのほかに各方面の意見も、声も聞いておられると思うと私が申し上げたことに対しての御質問でありますが、これは私の想像でございます。恐らく聞いておられることと思うのであります。
 次に、各方面の意見をやはり総理は聞かれた方がいいのじゃないかと。ごもっともな御意見と思います。佐々木委員の御意見もごもっともと思いますが、しかし、実情は先ほど私が申し上げましたように、この諮問委員会を設置して、その委員によって果たして現在よりもよい人選ができるかどうか疑問なきを得ないので、先ほど申し上げました理由からおくみ取り願いたいと思うのであります。
 また、このような人事を総理が主として決断され、内閣に諮って決めるということは諸外国に例がないのじゃないかというような趣旨の御質問のようにいま伺いましたが、私諸外国の例、余り存じませんが、少なくともアメリカのシュープリームコートでは、大統領が決められて、そして上院の同意を得られるというふうに聞いておりますので、やはりこういう最高な人事は多数で討議して決めるよりも、重要な方面の意見を徴せられて、内閣の責任者が中心になって判断された方が私はいいように思うのでございます。私の考えでございます。
#14
○参考人(和田英夫君) 一点だけでありますが、この法案の第十一条ですね、それと法案の第二条、両方あわせて考えますと、「裁判官の候補者の選考について、調査審議し、意見を答申する」わけであります。答申するこの機関は諮問委員会ですので、しかもその場合に、仮に一名とするとかなり問題じゃないかと思いますが、一応二名、一名について二名、つまり二倍ですので、その選択権についてはむろん任命権者たる内閣が保有しているわけですね。さらに、これは余り好ましくない場合ですが、一人の欠員について二名答申される、その二名とも全く困るというようなことをもし内閣の方で、それこそ高度な政治的な判断で、また国民の納得するような理由でその二人についても困ると言うのだったら、Xを任命することも法的には可能なんです。その場合のA、Bという二名の人をともに任命しないで、そのほかの第三のXを任命したとなれば、何といいますか、まあ一種の挙証責任みたいなものは、政治的な意味ですけれども、やはり内閣が負うべきだと思います。だから私はその点で行政権に対する制約ということは、事実上もしくは心理上の成果はありましょう。あるからこそこの委員会があるのですから。しかし、法的にはいささかも違憲の問題憲法違反という問題は生じないと思います。
 ついでに言うと、オプラーがかつてこの問題について書かれた論文がございます。私の書いた論文の中に引用していますが、コーツ・アンド・ロー・イン・トランシージョンというコンテンポラリー・ジャパンの中で、一九五二年の一月号に書いておりまして、オプラーはこのときに確かにこういうことを言われているのです。「内閣は、明らかに慣例による儀礼からこの推選に拘束されていると感じていた。こうして、たんに助言者的機能だけを行使するために計画された諮問委員会は、現実においては、任命機関(appointingagency)へと化し、その結果は、憲法上予期しないものとなった。後になって、この諮問委員会制度は」「廃止された。」と。これは確かにこのときの時点における反省だと思うのです。しかし、私はこのことは別な意味で、つまり任命の制度を、委員会がもっと慎重に審議され、それがもっと賢明に運用されておったら、私はプラスに転化したのだろうと思うのです。このときにはいろんなことでプラスに転化しなかったという実績がありますが、それはその時点での評価です。
 私はそれよりも、やはり先ほど冒頭に申し上げたように、戦後二十五年の間政権が一遍も交代しなかったという、政権交代のなさということとも関連してですが、やはり戦後二十五年の間の任命権のあり方を見ると、仮にりっぱな方が任命されたとしても、ノーチェックでいいのかどうか、私はむしろあの裁判官はどうかと思うというようなことよりも、どういう基準で、どういう手続でそれが選ばれたかということの手続面に対する国民の大きな問題があるかと思うのです。したがって、そのことも含めて、しかし冒頭に申しげましたように、あくまでもこれは諮問委員会ですので、法的には何ら行政機関としての内閣の本来の権限を侵犯するものではいささかもないと思います。
#15
○高橋邦雄君 与えられた時間が二十分ということでございますので、御三人の参考人の方にまとめて御質問を申し上げたいと思います。参考人の皆さん、まことに御苦労さまでございます。
 最初に、天野参考人に対してでございますが、天野先生はいま冒頭、日弁連の代表として来られたというお話でございますけれども、私どもは天野先生、日弁連の代表ということではございませんで、天野憲治先生ということでお呼びしてあるわけでございますが、天野先生は、いまわが国で行っておるような最高裁の裁判官の選任の方式は諸外国には例がないと、こういうことをおっしゃいました。和田先生もちょっとお触れになったようでありますが、私は専門家ではございませんし、そう研究しているわけではございませんけれども、この提案のような諮問委員会というもの、しかも内閣が選任する場合はこの諮問委員会に諮問しなければならないと、こういうことになっておるわけでありますが、こうした制度はどうも諸外国にも余りないような気がいたすわけでございますが、その点はどうなのかということが第一点でございます。
 それから天野先生は、わが国においては同一の政党で政権が二十数年にわたって担当されておる。これはいま和田先生もそういうことをちょっとおっしゃっておられますが、わが国は議院内閣制をとっておるわけでございますから、その単一の政党が長い間政権を持っておるからということをこの最高裁裁判官の選任に結びつける、こういうことは当たらないのではないかと思うわけでありますが、その点についてのお考えをお伺いいたしたいと思うわけであります。
 それから天野先生にさらに、果たしてこういう諮問委員会を設置すれば、この候補者を協力一致して委員会がうまく選任できるとお思いになっておるのかどうか。これはいろいろ見方があり、考え方があると思いますけれども、そういう委員会で一致協力して選び出すことが期待できるとお考えになっておるのかどうかということをお聞きしたいのであります。
 それから松本先生には、よく最高裁判所の裁判官の構成は裁判官と弁護士、それから検察官、学識経験者、こういうものが五、五、五がいいんだと、こういうようなことを耳にするわけでありますが、こうした区分に余りこだわることは、かえって最高裁判所の裁判官に適任者を得るゆえんではないのじゃないかという気がいたすわけでありますが、その点についてのお考えをお伺いしたいと思います。
 それから和田先生にお伺いいたしたいのでございますが、先生は、内閣が選任をする場合に諮問委員会に諮らなければならないということでありまして、その諮問委員会の設置の根拠は政令による場合も法律による場合もあるわけでありますが、これを法律にした場合に、しかもこの委員会の設置法は、必ず諮問委員会に諮問しなければならない、こういうふうになっているわけであります。ですから、政令にするか法律にするかという、非常にこれは憲法との関連においても重大な問題になってくるのではないかというふうに思われるわけであります。ですから、これはただ単に運営の問題だと、こういう性質のことではないのではないかというふうに思われるわけでございますが、その点につきましてのお考えを重ねてお伺いをいたします。
 以上でございます。
#16
○参考人(天野憲治君) 最初の御質問の、本法案のような諮問委員会制度が他国にあるかどうか、そういう立法例があるかどうかという御質問ですが、私も外国のは余り詳しくは存じませんが、西ドイツにはこれに似たような制度があると聞いております。もっとも諮問委員会ではないので任命委員会、その任命委員会で決議をして、それに基づいて任命権者が任命するというような制度が西ドイツにあるというように聞いております。
 それから、アメリカの各州では裁判官が公選で決まるという州が多いのですが、どうもそれが、裁判官を選挙で選ぶのはおもしろくないというので、それにかわるべきものとしてアメリカのバーアソセーション、それが諮問委員会方式を採用して、その委員会で作成した名簿に基づいて任命権者が任命するというようにしたらどうか、その任命された者に対して国民審査をするという、そういう制度に変えたらどうかということをアメリカのバーアソセーションが勧奨しております。それで、その方式を採用した州が逐次ふえてまいりまして、最近では十州以上がそういう諮問委員会方式を採用しておるというように聞いております。
 それから、こういう委員会を設けた場合に候補者を全員協力して選ぶことができるかどうかという御質問だと思うのですが、これだけの人たちでありまするので、それぞれ十分に討議を尽くされる。ことに松本先生がおっしゃいましたような最高裁判所の内部の事情等についても、お互いに十分意見の交換をされれば適当な候補者を推薦することが決して不可能ではない。利益代表の集まりというようには私は考えておりませんので、りっぱな人たちが十分協議を尽くした上でならばりっぱな候補者を選ぶことができるものと私は考えております。
 それから、同一の政党による政権が長く続いたことと最高裁判所の裁判官の任命と結びつけるのはどうかと。おっしゃいましたように事実上は結びついておるので、これは自民党であろうとほかの政党であろうと、政党内閣が長く続いてその内閣が選任権を独占してくると、やっぱり反対党に属する人たち、あるいは一般国民の中でも、どうも何かこれ政党色が加わっているのじゃないかという疑いを持ってくる。これはもうどうも避けがたいのではないかと思っております。また、現実にその結果が国民審査のところに出てまいっておるので、それで私はそう申したわけでございます。
 それからまた、最高裁判所発足当時は裁判官出身が五名、弁護士出身が五名、それから学識経験者五名という割合で裁判官が任命されて、それが長い間の慣行になっていたわけでございますが、その後その慣行が破れ、現在では司法と法務の高級官僚出身者の比重が非常に大きくなっている。それでどうも最高裁判所は官僚化してきた、硬直化してきた、独善化したというようなことを言う人たちもふえてまいってきておるわけで、これはどうも佐藤元首相の人柄がやっぱりそこに出てきているのではないかというようにも考えておるわけであります。
 以上で御質問のお答えといたします。
#17
○参考人(松本正雄君) まず、五、五、五の比率の問題について申し上げたいと思います。私も裁判官出身者が五名、弁護士出身者が五名、一般学識経験者が五名、その一般学識経験者のうちには検察官出身者も含まれますが、その比率が望ましいと、こう思っております。しかし、それは法律で決まっているわけでもございませんし、そのときどきによって必ず守らなければならないというものでもなし、やはり弾力性のあるものでいいと思います。現在は、いま天野さん述べられたとおりで、弁護士出身者は四名でございます。私はやはり五名が望ましいと思っております。しかし、やむを得ないのでございます。
 なお、私に対する直接御質問ではありませんが、やはりわれわれに対する御質問のうちとして、現在弁護士出身の最高裁の裁判官、ほとんど日弁連の意向によって人選されているのであります。具体的に申し上げてみますと、藤林裁判官、坂本裁判官、小川裁判官、いずれも日本弁護士連合会の推薦を最高裁判所長官も受けられて、それを総理大臣に意見を述べられて、総理が内閣に諮って決められたのだと思います。また、大変恐縮ですが、私も日本弁護士連合会の推薦によって最高裁の方にかつて入るようになったことがございます。大部分そうでございます。しかし必ずしも、それは総理が決められることだし、また最高裁長官が決めることになるし、拘束されているわけじゃないですから、日本弁護士会の意向は大変尊重されておるのでございます。
#18
○参考人(和田英夫君) 一つは、同一政権のもとでの任命の問題でございますが、これはいろいろ評価があると思うのですが、私は外国の例を申してどうかと思いますけれども、御自身が合衆国連邦最高裁判所の裁判官だったジャクソンという人がおりまして、このジャクソンが「アメリカの最高裁判所」という本をみずから書いています。その中でこういうことを書いております。「憲法制定者たちは、最高裁判所を重要な諸点において、従属的な機関としたのであった。政治部門〔行政部・立法部〕が裁判官を任命し、それに承認を与えるのである。」その次ですが、このように、「裁判所の構成を政治部門が支配することは、結果的には、同裁判所の判決の傾向に多少おくれるが、政治的影響を与えることになり、また、数期の大統領任期を通じて連邦政府に勢力を扶植している政党は、どの政党でも最高裁判所に、政治に関する自党の考え方を、次第にとらせるようになるであろう」。これは後で最高裁判所の裁判官にルーズベルトによって任命されたジャクソンの書いた本です。
 私はいい悪いは別として、これは長い間同一政党の者が政権を持っておって、そこで裁判官を任命するとなれば、自然とその間に、いま言ったようなジャクソン判事のような考え方が結果としてはあらわれてくるのじゃないかと思います。あるいは結果として仮にあらわれてこないとしても、多くの国民はそのような目で見るのじゃないかと思うのです。私はその点で、アメリカではデモクラットとリパブリックがしょっちゅう交代しますので、ケネディの人事、ルーズベルトの人事、ニクソンの人事、どんどん変わっておりまして、多様な形での最高裁の構成がなされておるわけであります。私は、先ほど田中前最高裁判事の言葉を引用したのも、実は多様なバラエティーの富んだ各界から選ばれた適格者ということが基本線であって、それをどういうふうにして任命するかは、同一政党であっても可能かもしれません。しかし、多くの国民は、四半世紀にわたって同一の政権を持っている場合には、結果としてはどうも政治的な任命がかなり濃厚になっているのじゃないかという、そういう疑惑でしょうか、あるいはそういう思惑でしょうか、これは持っているだろうと思います。
 その次の問題は、法律でするか政令でするかの問題であります。これは無論政令で諮問委員会の設置を根拠づけるとすれば、これは政令ですから内閣だけの権限で廃止もできるわけですね、自由に。法律で一たんこの諮問委員会を設置した以上は、これは法律ですから内閣の一存で簡単に廃止できませんから、その点で法律での設置の方がはるかにこの制度に対する根拠づけとしては強力になるわけであります。ただ、非常に賢明な内閣ならば、私は政令でもこういう形で設置して、そうして多くの国民の声を聞こうということも、これは一つの内閣の考え方としては可能だと思うんです。現に片山内閣のときには、法律ではなくて、政令で設置してあれをやったわけであります。そうしてその後も、三十二年だったでしょうか、そのときにも、一応政令の形でこの設置を根拠づけているわけです。私はその点で、政令で設置した方がいいか悪いか問題がありますが、少なくとも政令で設置した方が廃止する場合も内閣一存で廃止しますので、簡単にその点では処理できるわけです。しかし、先ほど申し上げたような形で、国民の総意を可能な限り最高裁の任命人事に反映させたいという観点からすれば、法律で設置した方がより確実ではないかということです。
 それからもう一つ、運営と私申し上げたのは、細かい問題はほとんど全部これは運営で任されているわけです。たとえば、松本先生も先ほどおっしゃったわけですけれども、あるいは天野先生もおっしゃったわけですが、六名の裁判官を最高裁判所が指名するとなっておりますが、一体これは六名をどういうふうにして指名するのか。最高裁自身からも恐らく裁判官を指名することができるでしょう。仮に最高裁の中で最高裁の指名する裁判官のうち三名くらいとってしまう、あとの三名は東京高裁長官とか大阪高裁長官とか、あるいは東京地裁所長とかということにする、それは幾らかでも可能なわけです。そういった問題は、すべてこれは委員会の運営に任されているわけなんで、したがってこの法案だけでは、これによってもたらされる評価がどこまで高いものかどうかは、私は必ずしも何とも言えません。しかし、恐らく全く何もチェックがないという点からすれば、これは一歩前進であることは事実です。
 それから天野先生がさっきおっしゃったことですが、西ドイツの場合には、正式に言いますと連邦裁判所の場合ですが、これは連邦法務大臣が裁判官選出委員会、リヒターヴァールアウシュルスと言うのですが、この裁判官選出委員会と共同してとなっていまして、それと共同して、ゲマインザムミットとなっていまして、裁判官選出委員会と共同してその裁判官を決定して、これを連邦大統領が任命する、こうなっています。だからこの裁判官選出委員会、これはまだ詳しくわかりませんが、かなり任命委員会と似ているのかもしれません。この細部はまだ私見ていませんが、それと共同して連邦大統領が任命するとなっているのがかなり近いです。
 ただし、これは西ドイツの連邦裁判所の裁判官であって、西ドイツの憲法裁判所の裁判官じゃございません。西ドイツは連邦最高裁判所と連邦憲法裁判所と別個ですから、連邦憲法裁判所の方はこれは二つの部がありまして、各部八名の裁判官によって構成されているのですが、この各部の裁判官は半数ずつ連邦議会及び連邦参議院で選挙される、こうなっています。これは違憲審査審だけをやる西ドイツの連邦憲法裁判所ですね。それから先ほど天野先生がおっしゃったのは、連邦憲法裁判所じゃなくて、連邦高等裁判所でありまして、ちょっとこれは違憲審とは違い、上告審だけ管轄しています。日本の場合にはこれと別個で、アメリカ型ですから、違憲審と上告審と両方を持っているわけですね。
#19
○高橋邦雄君 もう一問だけお願いいたしますが、和田先生にお伺いいたしたいのでございますが、私がさっき申しましたのは、この諮問委員会の設置を法律で決めるか政令で決めるか、これは法律案でありますが、諮問機関といいましても、この諮問委員会の意見は何らかの意味で内閣を拘束するということはもう間違いないわけですね。ですから、そうなりますと、憲法においてはこれは内閣の権限と、こういうことになっているわけですね。ですからその憲法の規定との関係において疑問なりあるいは疑義なり生じてくるのじゃないかということを伺ったわけでございますけれども、先生は法律でも政令でもどちらでもよろしいと、こういう御意見でありました。
#20
○参考人(和田英夫君) そうじゃございません。
#21
○高橋邦雄君 その点もあわせてひとつ。
#22
○参考人(和田英夫君) そうじゃございませんので、私は設置は法律の方がいいと思います。なぜならば、政令ならば内閣でどんどんなくすことができますからね。法律ならばこれは国会の審議で、その上でないと廃止できませんから、私はその点でどちらでもいいと言ったわけじゃありませんが、先ほどその点はややあいまいだったのですが、逆に言うと、内閣だけでも、これを尊重するということだったら政令でやっても賄うことは可能だ、しかしそれは政令ですから、内閣だけでこれを廃止することも簡単ですので、その点はやはり一歩ダウンするわけです。
 それから拘束力の問題ですが、これは私はあくまで法律家として申し上げているわけであって、先ほども佐々木先生からの質問に答えたのですが、A、Bという者を、仮に一人の候補者に対して答申するとしますね、その場合にAをとるかBをとるかは、これは全く自由なわけです。のみならず、これは例外かもしれませんが、のみならずA、Bとも全く不適格であると内閣が判断したならば、第三のXを任命することも法的には可能だと言ったわけです。法的に可能と。したがって私は、法的には拘束されていないと思います。事実上拘束されるのはまさに法案のねらいですので、拘束されると心理的に事実上感ずることはこれは大いにあり得ることですが、そういう形でしか現在は任命の過程に国民の総意が反映されないということでこの法案ができていますので、事実上はいろんな意味で心理的には拘束されるでしょう。しかし、法的には拘束されてない。あくまでも法的にはA、Bいずれをとるかも任命権者の自由であるし、よしんば最悪の場合、A、Bもとらなくて第三のXをとることも法的には可能だと、こういうことで法的には拘束されてないと申したわけです。
#23
○高橋邦雄君 したがって、憲法との関係は問題ない……。
#24
○参考人(和田英夫君) はい、憲法の関係は問題ないわけです、法的に拘束されていませんから。
#25
○矢田部理君 天野先生に最初にお伺いしたいと思いますが、御承知のように、昭和二十二年に裁判官任命諮問委員会というものができて、たしか最初の最高裁判所の裁判官はこの委員会の答申に基づいて人選が行われたというふうに記憶をしております。その後またこれは廃止になって、岸内閣の時代に、諮問委員会という名前ではありませんけれども、諮問審議会という名前で内閣から提案をされたことがある。これも、提案はされましたけれども、国会では衆議院の解散等によって廃案になった経過がございます。そういう歴史的な経過を踏まえて、今回の諮問委員会設置法が提案をされつつあるわけでありますけれども、これまでの各種諮問委員会や審議会等が出たりまたつぶれたり、あるいは廃案になったりということで、歴史的な経過があるわけですが、それらの歴史的経過からくる問題点、あるいは運営の状況と今回の設置法との関係等について第一にお尋ねしたいと思います。
#26
○参考人(天野憲治君) 昭和二十二年の最初の最高裁の裁判官の指名、任命につきましては、これは恐らく最初のことで、一度に十五名、長官を含めて十五名を選任するということでありまするので、そのときの内閣に一任してしまったのではやっぱり人選が偏るという配慮から、特にこの諮問委員会というものは設けられたのではないかと思っております。
 それから、その後それが廃止されたのは、その後一名あるいは二名を選ぶという場合には、恐らく政権の交代という、内閣の交代も考えていたのだろうと思うんですが、だから内閣に任してもいいのではないかということ、それからもう一つは、最初の諮問委員会が、先ほど松本先生がおっしゃられましたように、審議が形式に流れるというような弊害もあったというようなことから廃止されたのではないかと考えております。ところが、その後やっぱり単一政党による内閣が余り長く続くと、人選が偏ってくる、事実上は偏ってないにしても、国民が偏っているんじゃないかと疑惑を持つ。この点が一等私としては憂慮すべきことです。やはり、諮問委員会を置いた方がいいのではないかというふうに考えておるわけです。
 それから今度の場合は、審議の結果を国民に公表するという規定が設けられておりまするので、本当に審議を尽くして、形式に流れない審議を尽くす、そうしないと、公表した答申の理由、それを見て国民からまた批判を受けるというような結果になるので、審議が形式に流れることをこれによって防止することができるのではないかと考えております。
 それから昭和三十二年内閣の提案の法律案、これは諮問審議会という名称でございますが、この法案を提出した理由につきまして法務省が発表された提案理由書を見ますと、内閣が裁判官の指名または任命を行うについて一層慎重を期するために、裁判官任命諮問審議会に諮問すべきものと、そういう理由を述べております。やはり慎重を期するためにはこういうものを置いた方がいいというのは、当時の内閣も考えていたものと考えられます。ただこの法案は、最高裁の機構改革、裁判官を増員するとか大法廷と小法廷をどうするとかいう機構改革の問題と絡み合って、審議未了になったものと考えております。必要性については決して失われてないと思っております。
#27
○矢田部理君 そこで、松本先生にお尋ねをしたいと思うのでありますが、いまお話がありましたように、岸内閣の時代に、内閣自身が慎重を期す意味で、いまと名称、内容については若干の違いがありますけれども、そういうものが必要だとお考えになっておった。少なくともそういう立場で提案をされておるわけですね。にもかかわらず、先生の御意見は自由でありますけれども、先ほど必要でないというような理由をお述べになりました。その点で、率直に申し上げると理解に苦しむわけでありますが、内閣がそういうふうに必要だと考えたことについては、先生としてはどいうふうにお考えなんでしょうか。
#28
○参考人(松本正雄君) お答えします。
 どうして当時の岸内閣ですかがそう考えられたか、私は存じません。存じませんが、本当に必要なものならばその後も引き続き熱心に提案されてしかるべきじゃないかと思うんです。どうしてその後火が消えたようになったか、それもわからないんです。それに、昭和三十二年当時にこの諮問審議会法案が出ましたのは、先ほど来からたびたびお話が出ておりますように、最高裁判所の機構改革問題が一番大きな問題でございます。当時、最高裁判所に停滞している事件数が七千件を超しておりまして、訴訟遅延が非常に社会的に問題になりました。その後だんだん処理されまして、ここ数年間は、最近では四千件を下回っていると思うんです。そんなようなことで、機構改革問題はさっぱり問題にならなくなってきた。それに関連してやはりこの法案のようなものも下火になったのじゃないかと、こう思いますし、また十数年間、時代も大分変わっておりますし、時代の影響もあろうかと思います。
#29
○矢田部理君 そういうふうに伺っておきますけれども、もう一点松本先生にお尋ねをしたいと思いますのは、先ほど必要なしという理由をいろいろ述べられました。その中で、最高裁判所の裁判官にどのような人が適任であるのか、外部の人にはわかりにくいということを述べられたかと思うのでありますけれども、今回出しました法案の中で、委員の構成等が出ております。その外部の人というのは、ここの中でどの人を指されるのか。私どもが見る限りでは、法曹三者及びその方々が指名をした学識経験者、少なくとも最高裁判所の裁判官の選任等について相当のかかわりのある人たちが多いと思われるわけですね。また、そうでなければ、学識経験者でも恐らく選任あるいは指名をされないだろうというふうにも考えられるわけでありますけれども、そうしますと、どうも外部の人ということになると衆参両院の議長というようなふうにも受け取れるわけですけれども、先生の言われる外部の人というのはどういう意味なのか、その点ちょっと。
#30
○参考人(松本正雄君) お答えします。
 私、先ほど申しましたのは、法曹関係以外の外部の方と、こう申し上げたつもりでございます。それで、法曹関係以外の方というと、この案のうちで強いて申せば、いまお話しのような衆議院議長、参議院議長等で、大体わかっておられる方は、裁判所関係の人、それから弁護士の方々が法曹の主なもので、学識経験者でも、和田先生のような方は非常に最高裁判所に関心を持っておられて、研究もしておられるし、特別なお方で、ほかの学者の方々はそう実務的に余り御存じない方が多いのじゃないか。外部の方といってもそう厳しく区別したわけじゃなくて、法曹関係以外のお方という意味で申し上げたつもりでございます。
#31
○矢田部理君 先生にお言葉を返すわけではありませんけれども、法曹関係以外の方でも、少なくとも最高裁判所の長官なり日弁連の会長が指名するという一つの枠はめといいますか、規定があるわけですから、そう無縁な人を指名することはまず考えられません。もう一つは、衆参両院の議長、これは外部の人だから適任者の判定には不適格だというのであれば、これは内閣そのものだってそういう意味では同列の議論になってしまうのでありまして、一概にこの衆参両院議長は外部の人で、適任者の選任にはふさわしくないと言われるのはやや理解に苦しむわけでありますが、その点はどうでしょうか。
#32
○参考人(松本正雄君) 外部の方と申し上げましたのは少し語弊があるかもしれませんが、要は、大体その候補者になる方は三、四名うわさに上るものでございます。その方々についてどの程度の知識を持っておられるか大変おぼつかないと、私はこう思うから、さっきのように申し上げたわけでございます。同じ弁護士仲間でも、候補者になっている方について知らない人もいるわけです。また、特別な事情で、先ほど外部の方と申しました方々に属すると思われる方のうちにも特別によく知っておられる方もあるかもしれません。ですから、私が申し上げたい趣旨は、二十一名の方々のうちで、候補に上っておる方々について果たしてどの程度の知識を持っておられるか、知っておられるかということについての、その認識について、三分の一の方もおられればまだいい方じゃないか、あとの方はわからないで、反論もできないし賛成もできないというようなことになるのが実情じゃないかと、こう懸念するのでこの法案に対して自信が持てないわけです。
#33
○矢田部理君 法案をよくお読みいただきたいと思うのでありますが、この諮問委員会の委員の方々は、今日の最高裁判所のあり方なり、その基礎になる人選の問題について適正な判断ができる人ということがやっぱり中心だと思うんですね。その判断のための資料というのは、ここにもありますように、いろいろな調査をしたり、それから資料を集めたりということの前提があるわけです。ある候補者の人柄や識見について個人的に知っているかどうかを問題にしているのじゃないのだろうと思うんですね。そういう点で、個人的に知っているかどうかではなくて、十分な調査もし、討議もし、資料も集めて、人を選ぶのに的確な判断ができる人であるかどうか、十分にその公正妥当を期せる人であるかどうかということがやっぱり基本でなければならぬと思うのです。したがって、ある個人を知っているかどうかというようなニュアンスで外部の人論を唱えるのは、余り適切でないと思われるわけでありますが、それはそれとして、きょうは議論の場ではありませんから……。
 和田先生に最後にお尋ねをしたいと思うのでありますが、先ほど先生は、全逓中郵事件の判決、都教組事件判決などを挙げられて、その時代の最高裁判所のとった態度と、その後全農林警職法事件などでとった態度が御承知のように違ってきておるわけです。その食い違いが、微妙に最高裁判所裁判官の任命人事と絡んでいるという趣旨のことを指摘をされておるわけでありますが、もうちょっとその点詳しく御説明をいただければありがたいというのが一つと、それから、先ほどから出ております外国の立法例を詳しく紹介をされておられるわけですけれども、任命権者だけに任せているような立法例はないというふうにお聞きをしたわけでありますが、そうだとすれば、たとえば何らかの形で国会が関与をしている、その関与の仕方について、アメリカの例などを引かれておるし、西ドイツの例もお話しがあったわけでありますが、たとえばフランス、イタリア等々についてはどんな関与の仕方をしておるのか、いろいろ各国の立法例について、時間があれば御説明をいただきたいと思ったのでございますが。
#34
○参考人(和田英夫君) いまのお尋ね、実は時間があれば幾らでも申し上げたいと思うのですが、私の著書で申しわけないのですが、「憲法と最高裁判所」という中にかなり書いておりますし、それからもっと詳しくは、一昨年だったでしょうか、三年になりましょうか、日本公法学会で「最高裁判所」という報告を私がほぼ一時間にわたってやっております。その記録は全部、日本公法学会の機関誌であります「公法研究」に載せてあります。時間がありましたら幾らでも詳しく申し上げたいのですが、簡単に一つだけ申し上げてよろしいでしょうか――。
 私も「判例時報」に、あるいは「法学セミナー」とか「ジュリスト」とかにいろいろ書いていますのですが、たとえば、これはもう私書いたものですから名前を申し上げてよろしいと思うのですが、全農林事件で、これは若干最高裁内部で問題になったらしいのですが、長崎事件の上告趣意書が岡原昌男裁判官の検察官時代、当時福岡高検検事長ですが、それの作成したもの、まあ自分でやったかは別として、それに関係するらしいんです。そうすると結局、岡原裁判官は検察官として作成した上告の主張に対して、事件は一応、これは長崎事件は回避していますから、別ですが、実態はかなり今回の全農林と似ていますですね。岡原裁判官が今度は裁判官として参与するわけです。これは当時の朝日新聞に書いていますが、もし同裁判官が警職法事件の審理を回避しておれば、多数意見は七人となり判例変更は行われなかったはずであると、こういうことを書かれておる。私はこれは外部の朝日新聞ですが、かなり正しいところをついておるのじゃないかと思うのです。
 この件で岡原裁判官が、全農林事件はこれによっていわゆる田中裁判官の言う僅少の差で逆転したわけですが、みずから回避されなかった趣旨は、一応別件ですから構わぬということかもしれませんが、この判決の内容をよく見ますと、基本的な趣旨、トーンというものは同じなわけですね。その点で、このときにはたしか岡原さんのこの問題について弁護士の方から申し立てがなされたのですね。で、却下されています。こういう点はかなり微妙な、判例変更にかかわる人事の問題だと思うんです。一々申しませんが、ある事件で何対何、ある事件で何対何というのを、私は都教組事件、それから中郵事件、それからいわゆる横浜事件というようなことで、かなりそれをトレースしたことがございます。
 それから外国の例も、先ほど私申し上げたことにいろいろあるわけなんです。ただここで、外国の例を御検討される場合に注意してもらいたいのは、外国の場合には、大体において下級審の裁判官の任命人事と、それともう一つは上告審だけを審理する上告審の権限と、それからもう一つは憲法違反の有無だけを検討する違憲審と、この三つがそれぞれ分かれている場合が多いのです。分かれてないのはアメリカであって、アメリカの場合には、違憲審でかつ上告審なんです。ただし、アメリカの九人の最高裁の裁判官は、連邦裁判官の人事を持っておりません。したがって、連邦裁判所の人事権をアメリカの最高裁の裁判官九人の人が審議して決めるということはないわけです。これは大統領及び法務長官がやります、連邦の。
 それからイタリアの場合は、下級審の人事はいわゆる高等司法会議というのがありまして、コンシリオ・シュペリオーレ・デラ・マジストラトゥラと言っていますが、これは各級から裁判官が選挙で選ばれるのです。高裁から何名――向こうでは控訴院ですが、それから破棄院から何名、地裁から何名、選挙で選ばれて、下級審の人事はその高等司法会議で決めるわけです。ただし、いま申したのは、これはいわゆる一般上告審の場合であります。そうじゃなくて違憲審の場合には、今度はイタリアではまた憲法裁判所、コルト・コスティチューショナリテというのがあるんです。これは大体西ドイツと同じなんです。西ドイツでも連邦憲法裁判所、ブンデス・フェアファッスングス・ゲリヒト、普通の高等裁判所と違うわけなんです。違憲審だけがカールスルーエにありまして、これは別個な裁判所です。
 そういう点で、外国のことを引用する場合に、私もかなり注意しておるつもりですが、それぞれの国情がございまして構成も体系も違いまして、にわかにそれをこうだというふうなことは、私は強引に引用いたしません。ただし、何回も申しますとおり、少なくとも形式的には内閣だけで完全に決められるというのは、これは私の見たところでは、少なくとも先進自由主義国家ではまずないと思います。その点だけははっきり言っていいと思います。
 ただし、松本先生が先ほどおっしゃったように慣行としてできておるということは、私もこれは承知しております。慣行そのものが十分に国民の批判にたえ得るかどうかが問題だと思うのです。慣行が非常にうまく行われてきたならば、恐らくそれはそれで一つの問題でしょう。しかし、いまの時点では、慣行がよいのか悪いかという問題よりも、ロジックのままでやるよりも、何らかの基準でやった方が、選ばれた方も国民のための国民の裁判所である、憲法と人権の番人であるという意識にいわば徹し得るような心境になられるのじゃないかと思うんです。これは私の憶測でございます。
#35
○白木義一郎君 三人の先生方に、それぞれのお立場からうんちくを傾けた御意見を伺いまして、心から御礼を申し上げます。ありがとうございました。
 そこで、私はこういう法律が今後のわが国に必要であるかないかという基本的な考え方に立って、一、二御意見をお伺いしておきたいと思います。
 最初に松本先生にお尋ねしますが、先ほどのお話では、この設置法の中の二十一人の委員の顔ぶれでは最高裁判所の裁判官を選ぶには不適当である、こういう御意見がございました。私は伺っていて、おやおやと思いました。と同時に、御経験の上から、最高裁の内部の職務、責任の上からそう率直に判断をされたのじゃないか、まあこういうように思い返しました。さらに、これで無理だから、それよりも従来どおりに高度な政治的判断をもとにしてやっていくべきである、こういう御意見もありました。ところが、現在の三木内閣に果たして高度な政治的判断をわれわれは期待ができるかどうかという疑問がわかざるを得ないわけで、これはまあ、いろいろよく御承知のとおりだと思います。
 そこで、実は、和田先生の書かれた本の中にアメリカの憲法学者のレーベンシュタイン、これは比較憲法学的に裁判官の選任方法の主要な諸類型を検討、研究された学者だそうですが、そのレーベンシュタインという学者がこういうふうに言っているということを書かれて引用されております。その部分をちょっと読ましていただきますと、「司法部が他のあらゆる権力掌握者〔われわれの考察にあっては内閣〕から完全に独立であるがために、司法部の官職に、だれを、どのようにして指名するかの方法は、決定的に重要なこととなる。ところで、ある官職の在職者は彼の指名に責任をもつ人に恩義を負うているものだという一般の社会心理的経験は、司法部の場合にあっては、特殊な危険をはらむ。とりわけ、その指名が政治的考慮によって影響をうけたとするならば、かようにして恩恵をうけた者は、その官職の融通ある行動によって、その恩義に酬いたいという人間的気持ちにさらされるからである。」こういうことを述べているわけですが、これは要約すれば、そういう官職に指名をされたその人は、指名をした人に対して恩義を感じて、何らかの形で融通ある行動をとって、その恩義に報いたいという人間的気持ちにさらされるからだ、だから非常にこの指名については慎重にしなければならない、こういう学者の意見です。
 私、アメリカ人でもこういう率直に物を言う人がいるのかなというような気持ちで和田先生の本を読ましていただいたわけですが、さらに引き続いて、今度はアメリカの最高裁の裁判官、先ほどちょっと引用されましたけれども、ジャクソン裁判官がこれを裏書きするようなことを言っている。しかも現職の間に言っているということで先ほど御説明があったわけですが、繰り返しますが、「憲法制定者たちは、最高裁判所を重要な諸点において、従属的な機関としたのであった。政治部内が裁判官を任命し、それに承認を与えるのである。このように、裁判所の構成を政治部門が支配することは、結果的には、同裁判所の判決の傾向に多少おくれるが、政治的影響を与えることになり、また、数期の大統領任期を通じて連邦政府に勢力を扶植している政党は、どの政党でも最高裁判所に、政治に関する自党の考え方を、次第にとらせるようになるであろう。」こう引用されております。
 ジャクソン裁判官は、政府の圧力が最高裁判所へ、裁判官へどうしてもかかってくる、レーベンシュタインという学者は、そういう恩恵を受けたら何らかの形でそれに対して人間的に恩義を感じ、融通ある行動をしたくなるのが常である、こういう考え方を引用されているわけですが、幸い松本先生は最高裁の裁判官を長い間おやりになって同じようなお立場にありますので、こういう考え方について率直な御意見を承りたいと思います。恐らくそんなばかなことはない、厳正公平にとおっしゃることは当然だと思いますが、一面、こういうようなアメリカの現職であった最高裁の裁判官あるいは学者がこういう心情を述べているという点もゆるがせにできないのじゃないかということで、お伺いを申し上げるわけでございます。
#36
○参考人(松本正雄君) 申し上げます。
 私、二十一人の顔ぶれでは不適当と、数にこだわるわけではないのでありまして、要するに先ほど申し上げましたように、このような人事は多数決にはなじまないのじゃないかという考えが根本にあるのでございます。
 それから、このような法案につきまして、私これが絶対的にだめだと言っているわけじゃなくて、将来はともかく、現在急にいままで行われている慣行を改める必要を認めない、こう考えておるので、それを申し上げているわけです。何か、現在の慣行が最善の方法だとは思いません、もう少しいい方法をということで、こういうような法案についていろいろ工夫をなさって提案なすった御努力に対しては敬意をむしろ表するものでありまするが、現在確立されつつある、先ほど申し上げました慣行にまさる案とは思わないのであります。
 アメリカのお話ですが、私どうもお答えする準備もございませんし、いまここでお答えできませんです。
#37
○参考人(和田英夫君) いまの質問に関連して、補足をしておきます。
 レーベンシュタインは、アムハースト大学でしたか、当時おったのですが、その後で西ドイツに帰りまして、本来はドイツ人ですが、ナチスのときに追われてアメリカに来たわけです。で、レーベンシュタインの引用されたのはそのとおりであります。ただこういうことも、いまのこととちょっと反するような事例がありますので申し上げておきます。
 それは御存じだと思いますが、ウォーレンなんです。ウォーレン長官は、最高裁の長官になる前にカリフォルニア州のガバナーをやっておりまして、ウォーレンはリパブリックですから、共和党ですから、時のアイゼンハワーによって任命されたわけですね。アメリカでは、日本とはちょっと違う点ですが、地理的な分布を見まして、西部とか東部とかアポイントするわけです。ウォーレンが長官に任命されたときに、これは後でアイゼンハワーが述懐しておったというのですが、ウォーレンがあんなにリベラルなやつだとは思わなかったということで、そういう漏らした話を私はあるアメリカの専門の学者から聞きました。
 私はそのときにふと思ったのは、ウォーレンは確かにガバナーとしては、あるいはその前に検事もやったと思うのですが、あれを見ているとかなりタカ派だったらしいのです。しかし、彼が一たび最高裁判所の長官として、伝統のある合衆国最高裁判所の長官として就任した以上は、彼の心理としては、やはり憲法とアメリカの伝統的な自由と人権と、これに献身するというところに彼は重点を移したのだと思うのです。言うならば一種の変身をしたのだと思うのです。したがってウォーレンは、何よりも合衆国の憲法を守る、そのことにいわば最高裁の長官になった段階で、ある意味で、言葉は適正じゃありませんが、変身をしたんだと思うのです。憲法への献身というところに彼は返ってきたのだと思うのです。
 その点からすると、任命権者が意図はどうであるにしろ、最高裁に入った以上は逆に、いまのレーベンシュタインと逆になるようですが、最高裁に入った以上は憲法の原点に返っていくのだという考え方の人も私は任命されてよかったと思うし、また、にわかにこれが法案が制定されないとすれば、そういうふうな裁判官が今後出てくることを私は期待したいと思うのです。これが一つ。
 それから、しかしやはり任命権者の意図というのがかなり露骨にあらわれたと思っておるのは、最近のニクソンなわけです。ニクソンになってから、バーガー長官とブラックマンとパウエルとレーンキストと四名入っております。これによっていままでのウォーレン長官のころの裁判がかなり変わっております、黒人問題その他で。したがって、ニクソンのこの四人が必ず一体なとは言いませんが、たとえばニューヨークタイムズの事件なんかでもそうですけれども、ニクソンの任命したのは大体において一つのグループをつくっておりまして、その前のケネディ、あるいはその前のルーズベルトといったころの任命された者とはかなり違った色彩を持っておりまして、私はこちらの方が、いま私はウォーレンの例を引いたのですが、こちらの方が恐らくナチュラルじゃないかというふうに思うわけです。これだけ補足しておきます。
#38
○白木義一郎君 どうもありがとうございました。
 松本先生、私は外国の学者の意見を申し上げて先生のお考えを伺ったわけですが、いや私は最高裁裁判官の間にはそういうことはなかった、しかし人間的心情においてはそういう面もあるであろう等の御返事がいただけるのじゃないかと思ったわけですが。
 次いで天野先生にお伺いします。昭和二十二年のときの諮問委員会では、最高裁裁判官候補者を推薦するにあたって、自薦他薦その他いろいろ弊害が多くて取りやめになったというふうに承知をしているのですが、今後この設置法のような法律ができ上がった時点において、そのような心配がありはしないかどうか。当時の自薦他薦大変にぎやかな弊害があったというような事例をもし御存じでしたら、ちょっとお聞かせを願いたいと思います。
#39
○参考人(天野憲治君) 天野でございます。
 最初の諮問委員会、昭和二十二年の場合には、確かに自薦で諮問委員会の委員がそのまま最高裁判所の裁判官として推薦された事例が、非常に多いようでございますかに聞いております。そういうことは余りおもしろくない。仮にこの法案の場合に、諮問委員会の委員に選ばれた人がたまたま推薦の候補者になった場合には、自分の利害に関することでありまするから、その決議に加わるべきものではないのではないか、そう考えております。
 片山内閣のときの法案を見ますと、何かそういう場合には、他の委員を自分の代理人として職務を行わせることができるというような規定が設けられております。片山内閣のときの政令八十三号の第十三条ですが、「委員は、事故に因り裁判官任命諮問委員会に出席することができないとき、又は議事が自己の一身に関係するため会議に参加しないときは、同委員会の承認を得て、自己の選任する代理者にその職務を行わせることができる。」という規定が設けられております。恐らくこの規定によって、たとえば裁判官の委員は他の裁判官に代理をお願いして審議には加わらなかった、かわり番つそういうことをやって結局そこにいた裁判官四名が全部推薦されたと、そういうことは今後余り好ましくないので、何か運営の上でそこをチェックする方法があればそれに越したことはない、そういうように考えておるわけでございます。
#40
○白木義一郎君 どうもありがとうございました。
 それで和田先生、素朴な質問で大変恐縮ですが、この諮問委員会の答申に対して内閣は当然取捨選択の自由があり、その答申に対し何らの拘束をされない。ですから、もしこういう委員会からこのとおりに仮に答申が出たとしても、これを内閣は高度な政治判断によって用いない場合があっても当然差し支えないわけです。そうしますと、この諮問委員会の作業はまあむだになってしまうというような、これはもう単純なあれですが、その点何かわかりやすく、いやそうじゃないのだ、それはそうだけれども、七十九条にあくまでも拘束されていくのだけれども、しかしこの諮問委員会の意見というものは非常に大きな役目を果たすのである、というような御意見がありましたらお伺いしたいと思います。
#41
○参考人(和田英夫君) これは先ほど申したことで、つまり答申の二名のうち一名をとるということ、これは問題ないのですが、きわめて例外的な場合として、二名も全く任命権者としては困るのだということがあり得ると思うのです。私は法的にはそれは可能だろう、あくまでも諮問委員会ですから。しかしその場合は、それによってもたらされる政治的挙証責任といいますか、これは挙げてやはり任命権者にあるのじゃないでしょうか。
 いわんや、私は先ほどそれほどこだわった意味で申し上げたわけじゃないのですが、いわんや先ほど天野先生も言われたような意味で、つまり高度の学識経験者、学識とも言えるような意味での衆参両院の議長が入っているという場合、私は先ほどは法務委員会委員長でいいと言ったのですが、私はこれは固執しませんので、最高裁の長官も入って、日弁連の会長も入っている、こういうふうな方々が慎重審議の上で決められた、しかもこれは多数決ですからね、それで二名を決められたということを完全に排除するというのが私はきわめて異例だと思うです。異例な場合はやはり異例なことに対応する理由を私は内閣の方で用意すべきだと思う。その理由の可否をめぐって、恐らく法曹界のみならず広く国民の間でも批判が起きるのは当然だと思うのです。
 したがって、そういう場合の批判の材料になるという意味では、万が一私が申し上げたようなきわめて異例な、つまり候補者の二名も全く拒否した、その場合の理由は何だろうかということの理由の公表をめぐって、これは大きな国民的な観点での批判、それを通して国民から、最高裁のあり方、わけても最高裁の裁判官の任命のあり方に対して国民的な関心が私は巻き起こると思うのです。それは、とかくすると最高裁というのが国民から超然としているものだという感じからすれば、国民のための最高裁判所のあり方という、私が冒頭申し上げたことには一歩近づくはずなんで、私はむだだとは思っていません、そういう論議を醸すこと自体において、いわば高度な裁判・司法教育、政治教育だと私は思うんです。私はむだだとは思っておりません。しかし私は、あくまでもこれだけのりっぱな方が慎重審議を重ねて答申されたもの、しかも二名ですから、一名にしぼってないわけですから、それを全く度外視するということはこれはちょっと考えられません。しかし、その点は法的にはあり得るだろうということであります。
#42
○白木義一郎君 ありがとうございました。
#43
○橋本敦君 三人の先生から大変貴重な御意見をいただきまして、長時間お疲れのところ恐縮ですが、私からも各先生に、一、二問ずつぐらい御意見を賜らしていただきますので、よろしくお願いしたいと思います。
 最初に天野先生にお伺いをしたいのですが、天野先生初め弁護士会の方で多年にわたって最高裁判官の任命制度について御研究なり実現のために運動していただきまして、大変敬意を表しておるわけですが、昨年、四十九年の六月二十六日にも日本弁護士連合会から衆議院議長あてに、この問題についての実現方の要望が出されているわけですね。私が先生にお伺いをしたい第一点は、弁護士会というのはいろんなお考えをお持ちの先生方が集まっていらっしゃるわけですけれども、この問題については、各弁護士会なり日弁連のしかるべき機関なりでいろいろ御討議をいただきまして、弁護士会全体としてほぼ一致をした意見という方向で論議が進んでおると、こう伺わしていただいてよろしいのではないでしょうか、こういう問題が第一点の質問でございます。
 それから第二点の問題としては、最高裁判所が国民に負う重大な職責なり、司法行政上持っている重大な任務から考えまして、国民の信頼を本当に得るものになるためにこのような制度的保障が必要だという御意見、私もその点全く賛成ですが、一方、日弁連としては臨司問題以来、国民のための司法制度という観点で、弁護士会だけの問題じゃなくて、国民のための司法という観点で研究なり運動を進めてきていらっしゃるように私聞いております。そういう国民のための司法という観点で考えました場合に、この諮問委員会制度はぜひ必要である、そういう立場からの御意見もあろうかと思いますが、その点についての先生の御意見はどのようなものであろうか。この二つの点をお伺いさせていただきたいと思います。
#44
○参考人(天野憲治君) 日弁連で同趣旨の立法案を作成いたしますにつきましては、私はその責任者として小委員会、全体委員会、それから理事会等について全部取りまとめ役として関与してまいりました。日弁連としては大体このたびの案に賛成をして、ほとんど全部の人が賛成しております。もちろん日弁連というのは、あらゆる思想信条を持った弁護士の強制加入団体でございまするので、自民党の先生もおられれば共産党の先生もおられる、社会党の先生もおられるし、それからさらに新左翼の若い弁護士もおりますので、若干反対の意見もあろうかと思いますけれども、これは右からあるいは左から反対の意見もございますが、日弁連としての総意としては大体これで一つにまとまった。先ほどの学識経験者の選任者をだれにするかという点でも、その後、日弁連内で司法問題等対策委員会がございますが、私はその委員をしておりまして、結局このたびの案で結構だという結論になっておりまするので、まあ、大体日弁連の総意としてはこの案に賛成しておるわけでございます。
 さように、われわれ日弁連の案の作成にずっとタッチしてまいりましたので、このたびここに呼ばれたについて、一体私は日弁連の代表として行っていいのかどうかと言ったら、日弁連の代表として行けというから、先ほど日弁連の代表としてと申し上げたわけでございますが、もしそれがいけなければ取り消しをいたします。
 それから国民のための裁判所ということ、この制度によって国民のための裁判所というものがすぐ実現する――国民のための裁判所というとちょっとはっきりわからない。ただ、最近どうも最高裁判所が国民から遊離してきているのではないかというようなことを、私の個人的なものかもしれませんが、そういう感じがいたしますし、また、同僚の中でもそういうことを強く述べておられる。果たしてこの委員の構成で、そういう国民のための裁判所になっていける裁判官が選任できるかどうかという点については、やはりもう少しこの委員会の構成を民主的にすべきである、ことに労働組合の方面から言いますと、どうもそういう方面の意見がここに反映する道がないではないかというような批判も聞いております。ただ、私といたしましては、この学識経験者の中にそういう方面からまず最高裁に理解のある人たちが選ばれる道が開けておる。それから、ことに弁護士というのは全国に現在一万人以上おりまして、日常、常に国民に接しております。企業者の方にも接しておるし、組合の方にも接しておる、一般市民とも接して日常法律事務を担当しておりまするので、この弁護士である委員というものが国民の司法に対するいろいろな考え方を十分理解しておるはずでございまするから、この弁護士の委員を通じて国民のための裁判所というものを構成できるのではないか、そういうように考えておるわけでございます。
#45
○橋本敦君 ありがとうございました。
 次に、松本先生にお伺いをしたいのですが、先生は、現在の実情と最高裁判事の任命の具体的技術的な細かい面に目をお向けいただきまして、最高裁長官の意見を総理が聞いて任命するという現在の慣行が最高裁の問題としては合理的ではないかという御意見だったのですが、私はその御意見は、一面において技術的にはそういう面もあろうかと思うのですが、しかし、司法権の独立という問題を考えますと、最高裁長官は内閣の助言によって天皇が任命するという、そういう立場で任命される方ですから、総理が最高裁長官の意見を聞いて任命なさるということの慣行ということだけでは、広く国民の立場から見てやっぱり密室人事ではないだろうか。あるいは本当に司法権の独立を、国民が信頼できる立場で任命制度について貫かれるということへの信頼感は、それだけでは保てないのではないか。こういう観点から、先生の御意見に批判的ではありますが、そういう考えを持っているわけですね。そういう意味で、先生のその御意見の立場からすれば、いま私が、指摘をしました問題、あるいは国民の持つであろう疑惑、これに対しては先生としてはどのように対処すべきか、どうお考えか、この点をお伺いさせていただきたいと思います。
#46
○参考人(松本正雄君) お答えします。
 私が申し上げましたように、総理が決断される場合に最高裁判所長官の意見を徴される、その慣行が十年来ほとんど確立されつつあるということは、司法独立の面から申しましてむしろ非常に大切なことだと私は考えております。総理大臣が独断で任意な人選をされるのがどうかと思うので、その点について司法独立の面から、やっぱり最高裁長官の意見を聞かれるということが必要だと、こう思うので、そういうふうに考えております。なお、最高裁判所長官の意見を徴されると申しましても、これは最高裁判所全体としての意見ではございません。ですから、裁判官会議にかけて意見を決定して、その結果を総理に申し上げるわけじゃないのです。ただ、最高裁判所長官が、総理に意見を具申される場合には、やはり実際上の問題として、弁護士出身者が候補に上っている場合に弁護士出身者の裁判官にいろんな機会に、公式じゃなくて話が出ますので、そういう話の間にそれとなく御自分の意見をまとめておられるように考えております。ですから私は、司法の独立はむしろ最高裁判所長官の意見を徴されることによって保たれると、こう考えております。
 次に、余りに密室人事ではないかと、そういう御批判はあろうかと思いますが、これはやはり一般人事問題について避けられない宿命じゃないか、私はこう考えております。人事問題をすべてガラス張りの中でやるとは限らないので、高度の人事ほどある程度密室性なり秘密性があるということはこれはやむを得ないのじゃないか、私はそう考えます。
 それから、国民の疑惑にいまの方法ではこたえ得るのかどうか、こういう御趣旨なんですか――。それは、裁判所というところは大体が一般国民と縁が遠うございますね。こういう国会のことですと、しょっちゅう新聞にも出ますけれども、裁判所のことで新聞に出るのは何か裁判があったような場合ですね。われわれ裁判所の方に余り縁がないんだというような国民の方もかなりおられますし、しかし国民のための裁判所であるという念願は、われわれも在官中もしょっちゅう頭にありまして、どうしたらいいかということは考えておりましたが、大部分の国民がそう疑惑を持っておるとは私は思いませんです。まあ御意見の違いかと思いますが、お答え申し上げます。
#47
○橋本敦君 次に、和田先生に御意見をお伺いしたいのですが、第一点は、先生も御指摘になりましたけれども、アメリカの最高裁判例の動向なり、日本の最高裁判例の動向を見ますと、私はやっぱりそこには違いがあるというように感じております。たとえば先生お触れになりましたニューヨーク・タイムズ、ワシントン・ポストの事件にしても、ベトナム軍事機密文書は最高の国家利益、こういう問題だからということで司法省はかなりの抵抗をいたしましたけれども、アメリカの国民的進路を誤らせないためには、それは国民の知る権利、言論の自由という立場を擁護すべきだということで、格調の高い判決がすでになされているわけですね。
 これは私は、ホームズ、ブランダイズ以来の伝統ある憲法修正一条をめぐる、憲法に対する、先生のおっしゃる誠実ですか、そういう伝統があるということだけじゃなくて、任命制度それ自体が一つの伝統的なしきたりになって、その中で最高裁判事になった方が憲法へのそういう忠誠ということを非常に心がけられるという、それが一つの伝統を形成している、任命制度それ自体が伝統を形成しているのではないか、こういうように私思っておるのですが、それは、先生の御指摘になりましたわが国の最高裁の四・二判決なり全農林判決、これは私も関与して痛切に思っておるのですが、御指摘のとおりだと思いますが、それとの違いを見ましてもやっぱりこういう任命制度を民主的に担保するということが必要ではないかと、こう考えております。
 いま私が質問いたしました第一点は、そのような憲法理念を本当に貫く上でも、この保障としての任命制度というものに重要なかかわりがあるように思いますが、その点の先生の御見解はいかがであろうか、これが第一点でございます。
 それから第二点としては、この諮問委員会の構成については、先生も若干の御意見をお述べいただきましたように、いろいろの意見があろうかと思います。私は、この諮問委員会をつくる限りは、この委員会の委員になられる方も、立法府の代表という特定の方あるいは検察官代表という特定の方を除いて、多人数で出る場合は、これはその委員会自体がさらに民主的な信頼を得るために、民主的な方法で選出をされることが望ましいのではないか。この点について天野先生は、弁護士会について言えば直接選挙を含めて互選によって選出することも可能だが、裁判所ではなかなかむずかしいだろうという御意見もございましたが、しかし、それは裁判所の御意見も聞きながら民主的な選出方法を別にまた研究すればよろしいことではないか、だから委員の任命について民主的な方法をやっぱり考える必要があるのではないか、これが一つなんであります。
 もう一つは学識経験者の問題ですが、これは天野先生も御指摘なさったのですが、私はこの任命委員会というのは法曹三者だけの代表ではなくて、国民的規模における最高裁判事を適正に任命をするという趣旨が基本ですから、学識経験者の数は多くて、各界からの適正な人が選出されることが望ましい。その中には国民の今日大多数を占める勤労者、労働組合に理解を持っておられる方も含め、あるいは最近公害訴訟あるいはその他国民の取引関係が大変複雑になっておりますから、そういう意味で、先生が御指摘になった公法、私法、刑法、労働法学会等ももちろん含めますが、ある程度数が多い方が各界の意見が反映される可能性がある。そういうように私は考えておりますが、この学識経験者の数が多い方がいいのではないかという私の意見について先生はどのようにお考えでしょうか、この点をお聞かせ願いたいと思います。
#48
○参考人(和田英夫君) お答えします。
 第一点は、おっしゃるとおりであります。私はその点で戦後四半世紀しかたっていない最高裁判所の制度、また憲法もそういうわけです。それと二百年近い伝統を持っているアメリカとの伝統の持つ重さ、それは大変に違うと思うのです。私は、そのことはそうですが、そうであればこそ、これからの日本をどうしていくか、その場合における憲法政治の上に果たすであろう最高裁の持つ役割りは何であるかということを考えますと、やはりこういうふうな一つの歯どめを持って、国民と最高裁との間のいわばパイプをいままでよりもスムーズにするような方向での法案として、そしてそれは最高裁を中心とする国民のための裁判所、そしてそれによって憲法の番人であってもらいたいという国民の願い、そういう点からして、憲法の理念とのかかわりでのこういうふうな法案の設置に基本的には賛成しているわけで、おっしゃるとおりであります。
 第二点の方は、私は数にはそれほどこだわらないのですが、たとえば学識者の中に、恐らくいままでの最高裁に入った学識者として考えられる人を思い起こしますと、大体行政官、亡くなった入江さんなんかそうだったと思うのですが、それから学界からは、たとえば田中二郎さんとか、あるいは横田喜三郎さんとか、あるいは最近は團藤さんといった方がいらっしゃるわけですが、この学識経験者をどういうふうに評価するかということは、必ずしもここにたくさんの方がいなくても、たとえば最高裁の長官なり日弁連の会長なり、こういう方はこれだけの見識を持ってこの委員会に臨まれるというふうな、むしろ善意を私は考えていますので、それほどこだわりません。
 むしろ私は若干、あえてこだわるとすれば、先ほどもちょっと申し上げたのですが、最高裁判所が指名する裁判官六名とございますね。そのほかに最高裁は長官が一名入っているわけですね。そうすると、まさかそういうことはないと思うのですが、最高裁の側から長官一人、さらに最高裁から指名する場合、長官も恐らく相当発言を持って指名すると思うのです。そうすると、最高裁の判事からさらに三名か何かしますと、どうだろうか、二千五百人近い下級審の裁判官を見詰めた場合に、やはり私はある意味でいうと地裁レベルから何名、高裁レベルから何名というふうなことも、これを運営するに当たって考慮してもらいたいと思うのです。この点は、イタリアの最高司法会議でははっきり法文で規定しております。私はその点で、むしろ最高裁判所が指名する裁判官六名というふうなことがどういう形で選ばれてくるかということが、やや問題ではないかと思います。
 学識経験者二名、確かにおっしゃるとおり、学識経験者は最高裁長官が指名する二名と、日弁連の会長が指名する二名ですから少ないわけです、四人ですからね。だけれども、これは恐らく学界あるいは行政界その他を含めて、日弁連なら日弁連の会長の手元で、あるいは最高裁の長官なら最高裁の長官の手元で広く考慮されるだろうというふうに思っておりますので、これを別にどうかせよということまでは私は主張するつもりはございませんです。委員長(多田省吾君) 以上で参考人に対する質疑は終了いたしました。
 参考人の方々には、本日は長時間にわたり貴重な御意見をお聞かせいただき、まことにありがとうございました。委員会を代表して厚く御礼を申し上げます。
 本案に対する本日の審査は、この程度といたします。
    ―――――――――――――
#49
○委員長(多田省吾君) 理事の補欠選任についてお諮りいたします。
 委員の異動に伴い、現在理事が一名欠員となっておりますので、この際、理事の補欠選任を行いたいと存じます。
 理事の選任につきましては、先例により、委員長の指名に御一任願いたいと存じますが、御異議ございませんか。
  〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
#50
○委員長(多田省吾君) 御異議ないと認めます。
 それでは、理事に大島友治君を指名いたします。
 本日はこれにて散会いたします。
   午後一時四分散会
ソース: 国立国会図書館
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