くにさくロゴ
1972/06/26 第71回国会 参議院 参議院会議録情報 第071回国会 社会労働委員会 第14号
姉妹サイト
 
1972/06/26 第71回国会 参議院

参議院会議録情報 第071回国会 社会労働委員会 第14号

#1
第071回国会 社会労働委員会 第14号
昭和四十八年六月二十六日(火曜日)
   午前十時二十四分開会
    ―――――――――――――
   委員長の異動
 六月二十二日矢山有作君委員長辞任につき、そ
 の補欠として大橋和孝君を議院において委員長
 に選任した。
    ―――――――――――――
   委員の異動
 六月二十二日
    選任          寺下 岩蔵君
    ―――――――――――――
  出席者は左のとおり。
    委員長         大橋 和孝君
    理 事
                玉置 和郎君
                丸茂 重貞君
                須原 昭二君
                小平 芳平君
    委 員
                石本  茂君
                上原 正吉君
                川野辺 静君
                君  健男君
                斎藤 十朗君
                高橋文五郎君
                寺下 岩蔵君
                橋本 繁蔵君
                山下 春江君
                田中寿美子君
                藤原 道子君
                矢山 有作君
       発  議  者  須原 昭二君
   国務大臣
       厚 生 大 臣  齋藤 邦吉君
   政府委員
       厚生省公衆衛生
       局長       加倉井駿一君
       厚生省援護局長  高木  玄君
   事務局側
       常任委員会専門
       員        中原 武夫君
   説明員
       大蔵省主計局共
       済課長      鈴木 吉之君
    ―――――――――――――
  本日の会議に付した案件
○理事補欠選任の件
○戦傷病者戦没者遺族等援護法等の一部を改正す
 る法律案(内閣提出、衆議院送付)
○戦時災害援護法案(須原昭二君発議)
    ―――――――――――――
#2
○委員長(大橋和孝君) ただいまから社会労働委員会を開会いたします。
 議事に入りますに先立ちまして、一言ごあいさつを申し上げます。
 私、このたび皆さまの御推挙によりまして、本委員会の委員長に選任されました。ふなれな者でございますので、委員の皆さま方の御鞭撻と御協力によりましてこの重責を果たしたい、こういうふうに存じておるのでございます。よろしくお願い申し上げます。(拍手)
    ―――――――――――――
#3
○委員長(大橋和孝君) これより理事の補欠選任を行ないたいと存じます。
 理事の選任につきましては、先例により、委員長の指名に御一任願いたいと存じますが、御異議ございませんか。
  〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
#4
○委員長(大橋和孝君) 異議ないと認めます。
 それでは、理事に須原昭二君を指名いたします。(拍手)
    ―――――――――――――
#5
○委員長(大橋和孝君) 次に、戦傷病者戦没者遺族等援護法等の一部を改正する法律案を議題といたします。
 まず、政府から趣旨説明を聴取いたします。齋藤厚生大臣。
#6
○国務大臣(齋藤邦吉君) ただいま議題となりました戦傷病者戦没者遺族等援護法等の一部を改正する法律案について、その提案の理由を御説明申し上げます。
 戦傷病者、戦没者遺族等に対しましては、年金の支給をはじめ各般にわたる援護の措置が講ぜられてきたところでありますが、今回これらの支給金額の引き上げ、支給範囲の拡大、新たな特別給付金の支給などを行なうことにより援護措置の一そうの改善をはかることとし、関係の法律を改正しようとするものであります。
 以下この法律案の内容の概要について御説明申し上げます。
 第一は、戦傷病者戦没者遺族等援護法の一部改正であります。
 改正の第一点は、障害年金、遺族年金等の額を恩給法に準じて増額することといたしております。
 改正の第二点は、被徴用者等を除く準軍属にかかる障害年金等の額を現行の軍人軍属にかかる額の九〇%相当額から同額に引き上げることといたしております。
 改正の第三点は、日華事変中の本邦等における勤務に関連した傷病により障害者となった軍属、準軍属等またはこれにより死亡した者の遺族に、公務傷病による障害年金、遺族年金等の額の七五%相当額の障害年金、遺族年金等を新たに支給することといたしております。
 第二は、未帰還者留守家族等援護法の一部改正でありまして、留守家族手当の月額を、遺族年金の増額に準じて引き上げることといたしております。
 第三は、戦傷病者特別援護法の一部改正でありまして、日華事変中の本邦等における勤務に関連して傷病にかかつた軍属、準軍属等の障害者に新たに療養の給付等を行なうこととするほか、長期入院患者に支給する療養手当の月額を増額することといたしております。
 第四は、戦没者等の妻に対する特別給付金支給法、戦傷病者等の妻に対する特別給付金支給法及び戦没者の父母等に対する特別給付金支給法の一部改正であります。
 改正の第一点は、国債の最終償還を終えた戦没者の妻及び父母等に対し特別給付金を増額、継続することとし、妻については六十万円(十年償還、無利子国債)、父母等については三十万円(五年償還、無利子国債)の特別給付金をそれぞれあらためて支給することといたしております。
 改正の第二点は、昭和四十七年の関係法令の改正により、遺族年金、障害年金等を受けることとなつた戦没者の妻及び父母等並びに戦傷病者等の妻に新たに特別給付金を支給する等支給範囲の拡大をはかることといたしております。
 以上がこの法律案を提出する理由及び内容の概略でありますが、この法律案については、衆議院において療養手当の額の改正規定、戦没者等の妻に対する特別給付金支給法の改正規定及び戦没者の父母等に対する特別給付金支給法の改正規字は、昭和四十八年「四月一日から施行する」こととなっているものを「公布の日」から施行し、昭和四十八年四月一日にさかのぼって適用することとするとともに、これに伴う経過措置を規定する修正がなされております。
 何とぞ慎重に御審議の上、すみやかに御可決あらんことをお願い申し上げます。
#7
○委員長(大橋和孝君) 本案に対する質疑は後刻に譲ります。
    ―――――――――――――
#8
○委員長(大橋和孝君) 次に、戦時災害援護法案を議題といたします。
 まず、発議者須原昭二君から趣旨説明を聴取いたします。
#9
○須原昭二君 ただいま議題となりました戦時災害援護法案について、提案理由の説明を申し上げたいと存じます。
 さきの大戦で、米軍の無差別爆撃は、銃後と思われていた非戦闘員とその住居を、一瞬にして血みどろの戦場に変え、わが国国土の諸都市を次々に焼き払つていきました。これによる一般市民の死者は、沖繩を除いて約五十万人ともいわれ、罹災者人口は実に一千万をこすといわれております。中でも、昭和二十年三月十日の東京大空襲は、わずか二時間余の爆撃によつて、全都の四割を灰じんと化し、炎の中で約十万の都民の生命を奪いました。その惨状は、イギリスの一物理学者が、原子爆弾による荒廃化を除けば、いままでになされた空襲のうち最も惨害をほしいままにした空襲と指摘しているほどでありました。
 しかるに、政府は、戦争犠牲者対策を軍人軍属及びその遺族など、わずか約十八万人に限定してきたのであります。昭和三十四年に学徒動員が、三十八年に内地勤務の軍属が、四十四年に防空監視隊員が、それぞれ新たに対象とされるなど、若干の範囲拡大はあつたものの、銃後の犠牲者にまで広く援護の手を差し伸べようとする努力は、皆無にひとしかつたのであります。
 ところが、たとえば同じ敗戦国である西ドイツでは、昭和二十五年に戦争犠牲者の援護に関する法律を制定し、公務傷病と同視すべき傷病の範囲をきわめて広範に規定いたしたため、援護の手は一般市民の犠牲者にまで行き届き、その対象は、実に四百十五万人にものぼつています。
 戦争犠牲者対策については、原爆被爆者に対する特別措置は別として、あくまで軍人軍属等に限定しようとするわが国の政府の態度には、世界大戦のあやまちを衷心から悔い改めようという姿勢が見られないばかりでなく、その態度のよつて来たるところが、軍事優先の思想にあるのではないかと疑わざるを得ないのであります。
 本年三日十日に出版されました「東京大空襲・戦災誌」第一巻に、「戦争を知らない戦後世代の数は、国民の過半数に近づき、いたましい戦災の傷痕は、歳月がもたらす風化とともに、危うく歴史のそとに置き忘られようとしていた。「戦争」というそれ自体の過ちの上に、さらに私たちは、その過ちを「忘却」のなかに葬るという二重の過ちを犯そうとしているかにみえた――だが、二重の過ちを犯すことだけは、生涯をかけて拒否せねばならぬ」といっておるのであります
 本案は、このような国民の声にささえられて立案されたものであります。
 次に、本案の要旨についてでありますが、簡略に言うならば、さきの大戦で、空襲その他の戦時災害によつて、身体に傷害を受けた者及び死亡した者の遺族に対し、戦傷病者特別援護法及び戦傷病者戦没者遺族等援護法に規定する軍人軍属等に対する援護と同様、国家補償の精神に基づく援護を行なおうとするものであります。ただし、遺族に対する援護につきましては、遺族年金にかえて、一時金たる遺族給付金五十万円を支給することにいたしております。援護の種類別に申し上げますと第一に、療養の給付、療養手当五千五百円の支給及び葬祭費一万六千円の支給であります。
 第二は、更生医療の給付、補装具の支給及び修理、国立保養所への収容並びに日本国有鉄道への無賃乗車等の扱いであります。
 第三は、障害年金または障害一時金の支給であります。第一、第二、第三の支給要件及び給付の内容はすべて軍人軍属におけると同様であります。
 第四は、遺族給付金一時金として五十万円の支給であります。その遺族の範囲は、死亡した者の死亡当時における配偶者、子、父母、孫、祖父母で、死亡した者の死亡の当時日本国籍を有し、かつ、その者によつて生計を維持し、またはその者と生計をともにしていた者といたしております。なお、遺族援護法による遺族年金におけるような、受給者が一定の生活資料を得ることができないことなどの受給要件は設けないものとしておるのであります。
 第五は、弔慰金五万円の支給、遺族の範囲は、おおむね軍人軍属におけると同じであるほか、金額その他軍人軍属にこれまた同じであります。
 最後に、施行期日は、公布の日から一年以内で政令で定める日といたしております。
 何とぞ、慎重審議の上、本案の成立を期せられんことをお願いして、提案理由の説明を終わるものであります。
 なお、この法律による援護の水準を、特別援護法または遺族援護法における軍人軍属に対する援護の水準と同じレベルにしたことに伴い、これらの法律による準軍属に対する援護でなお軍人軍属に対する援護の水準に達していない者、すなわち遺族一時金及び弔慰金の額について、同一レベルに引き上げる措置を講ずることといたしました。
#10
○委員長(大橋和孝君) 以上で趣旨説明の聴取は終わりました。
 本案に対する自後の審査は後日に譲ります。
    ―――――――――――――
#11
○委員長(大橋和孝君) 戦傷病者戦没者遺族等援護法等の一部を改正する法律案を再び議題とし、これより質疑に入ります。
 質疑のある方は順次御発言を願います。
#12
○藤原道子君 私は、まず基本的事項からお伺いしたいと思います。
 今次大戦後、二十八年が経過して、近年経済の著しい繁栄と相まって、戦後はすでに終わっている、このような情勢において戦争犠性者の現状を見るとき、ここではまだまだ戦後の処理は終結していないといわなければなりません。
 そこで、戦争犠牲者に対し、政府は今日までどのように戦後処理を行なってきたか、この点についてまずお伺いをしたいと思います。できますならば、厚生省所管だけでなく、政府全体の御答弁をお願いしたいと思います。
#13
○政府委員(高木玄君) 戦争犠牲者に対しまする戦後処理は、多方面にわたっておりますが、まず、終戦直後の一番大きな問題は、当時海外におられました一般邦人を含めまして六百万人をこえる同胞の方々を、すみやかに祖国に受け入れる、その引き揚げの受け入れ援護、これが当時焦眉の緊急の業務であったのでございます。その業務を行ないました後、当時占領中でございましたので、戦争犠牲者に対する援護は、当時の占領軍の、生活困窮者は無差別平等に援護するのであって、その原因を問うてはならないというたてまえから、特別の施策が講ぜられないできたのであります。すなわち、軍人恩給その他戦没者遺族等に対する一切の特別の援護というものは、傷病恩給を除きまして一切打ち切られておったのでございますが、講和条約発効の昭和二十七年になりまして、そういった方々のために、まず遺族援護法を制定いたしましてそういった軍人、戦没者遺家族あるいは傷痍軍人の方々に対する援護の措置を講じまして、ついで昭和二十八年にいわゆる軍人恩給の復活が行なわれたわけであります。それから留守家族に対する留守家族手当の支給、引き揚げ者に対する特別給付金あるいは特別交付金、それから戦没者の妻、父母等に対する特別給付金の支給等各般の援護措置を講じてまいってきておるのであります。また、原子爆弾の被爆者につきましては原子爆弾被爆者医療法なり原子爆弾被爆者特別措置法によりまして健康診断、医療給付あるいは特別手当の支給等が行なわれているところでございます。
#14
○藤原道子君 それだけ。――私は、農地報償とか引揚者給付金とかあるいはまた旧令の共済組合特別措置法とかまだいろいろあったと思うんですが、どうなんですか。
#15
○政府委員(高木玄君) ただいま引揚げ者の特別給付金と特別交付金については申し上げました。
 なお、この戦後の処理業務に関連いたしまして私どもが現在なお問題としてかかえておりますのは、海外におきまする未帰還者の調査、それから、それらの方々の帰国可能な人の引き揚げの促進、それから海外における戦没者の遺骨の収集、こういったような問題がなお戦後処理の問題として残されておるわけでございます。
#16
○藤原道子君 順次お伺いしたいと思います。戦後処理の基本方針のもとに具体的な計画があって遂行されたんでしょうか。つぎは対策だけでなく一つの方針があったのかどうか。
#17
○政府委員(高木玄君) この戦後処理の問題は、やはり戦後の日本におきまして何といいますか、緊急度の高いものから優先的に処理されてきたという傾向はございます。
 まず、御案内のとおり終戦の当時はいわば国内のほとんどの都市は焼け野原でありますし、非常な食糧難で国民が飢餓線上をさまよったという非常に国内も惨たんたる状況でございましたが、同時に海外におられまする同胞の方々がその祖国を目ざして帰ってこられる、この方々を受け入れるということが終戦直後におきましては最大の問題であった、あるいは一番緊急のこれは問題であったと思います。そこで昭和二十一年に現在の私どもの援護局の前身でありまする引揚援護院という役所が設置されまして、この海外引き揚げ者の受け入れ援護に当たったわけでありまして、この受け入れ援護の仕事は昭和二十四年に数の上から申しますと九九%までその引き揚げの援護を完了いたしております。それから、いわゆる戦争犠牲者の方々が一般国民以上にいろいろな意味で生活に非常に苦しんでおられたのは事実でございますが、当時占領下におかれまして、当時の占領軍の方針は生活に困っているものはすべてその原因のいかんを問わず無差別、平等に保護すべきであるということで、引き揚げ者だから、あるいは遺族だからということで特別の援護措置を講じてはならないという基本措置でまいったために、そういった特別の援護措置を講ずることなく、昭和二十七年までまいったわけでございます。昭和二十七年に講和条約が発効になりまして、まず一番最初に浮かんでまいりましたのは、やはり国の命令によって戦地におもむいて戦没された方々、戦死された方々あるいはきずついて傷痍の身をもってお帰りになった方々、そういった戦没者なり傷痍軍人という方々が最大の戦争犠牲者じゃなかろうか。そういった人たちに対する、そういった方々の遺族なりあるいは傷痍軍人の方々に対する援護の措置を講じねばならぬということがまず最初に取り上げられた問題でございまして、それによりまして、昭和二十七年に遺族援護法というものが制定され、ついで、昭和二十一年に停止されておりました軍人恩給が翌二十八年に復活した、こういう状況でございます。以後、こういった戦傷病者、戦没者の遺族、それから留守家族に対する援護、こういったものに援護業務が行なわれてまいったのでありますが、その後の経済情勢の変化等を勘案いたしまして、年金額は逐次引き上げられてまいっておりますし、また、このいわゆる準軍属につきましてはいろいろな国民の要望にこたえまして、逐次その準軍属の範囲を拡大する等この援護の内容を充実してまいって今日に至っているという状況でございます。
#18
○藤原道子君 今後の戦後処理計画は、どのようにできておりますか。
#19
○政府委員(高木玄君) 現在私どもの局で所管しておりまする戦後処理業務といたしましては、大別いたしまして戦傷病者なり戦没者遺族等に対しまする生活保障を主とする分野と、それから旧軍関係の業務に分けることができるのでございます。
 まず戦傷病者、戦没者遺族等の援護につきましては、何と申しましても戦後三十年近く経過してまいっておりますので、これらの遺族の方々なり傷痍軍人の方々が老齢化の傾向がきわめて顕著でございます。そういった点から、これらの方々に対する援護の必要性というものは今後ますます高まってくる、かように考えておりますので、今後年金額の引き上げをはかるなど、これらの方々に対する必要な援護措置というものを強化してまいりたいと、かように考えております。
 いま一つ、旧軍関係の業務につきましては、これはまあ、相当進捗はしてまいっておりますものの、いまなお外地には戦没者の方々の遺骨が多数ございますので、これらの方々の遺骨収集作業を効率的に実施してまいりたい。それから未帰還者が現在なお三千五百名おりますので、こういった方々の帰国の促進なり調査というものをさらに進めてまいりたい、かように考えておる次第でございます。
#20
○藤原道子君 その点については、あとでもう少し詳しく伺いますが、どうも国家補償と社会保障の関係でございますけれども国家補償と社会保障を比較したときに、おのずから国家補償のほうが手厚い援護措置が行なわれていると思いますが、この点はどうですか。
#21
○政府委員(高木玄君) 遺族援護法は、国家補償の制度でございまして、これは、戦傷病者なり戦没者の遺族といった、元の陸海軍と使用関係にあった者、あるいはこれに準ずる立場にあった者に対しまして、国が使用者としての立場から、それらの方の遺族なりそれらの方々に対し国家補償という立場で援護をすると、こういう制度であるわけであります。社会保障は、御案内のとおり憲法二十五条の規定に基づきまして、すべての国民に健康で文化的な最低限度の生活を保障するという趣旨のものでございまして、この国家補償と社会保障とを一がいに比較することはむずかしいと思いますが、感じといたしましては国家補償の制度のほうが社会保障よりも手厚くあってしかるべしというふうに私ども考えております。
#22
○藤原道子君 具体的な事例で、七十歳以上の夫婦の場合、本法の遺族年金の月額は、今回の改正案によって二万五千四百七十五円ですね。ところが、生活保護法の一級地、大都市の生活扶助の月額は三万六千百三十三円、四級地においても二万八千百五十六円となっております。この遺族年金額は低額であるが、これに対しましては政府はどのように考えておられますか。
#23
○政府委員(高木玄君) 遺族年金の額でございますが、これはただいま申しましたように、これは国家補償の立場から特に関連といたしまして恩給の公務扶助料に準じて引き上げを行なってまいっております。恩給の公務扶助料は、国民生活のレベルアップなり物価の動向等勘案しまして逐年改善をはかってまいってきておるところでございますが、この同じ趣旨の制度でございますので、この遺族年金の額というものは恩給の公務扶助料と見合って引き上げてまいっておると、こういう事情でございます。片方の生活保護の基準でございますが、これはもう先生御承知のとおり、それぞれの生活困窮者につきまして、資産調査――ミーンズテストを行ないまして、個別的な事情を勘案して給付されるものでございまして、そういったミーンズテストなく、一般的に一律に支給されまするこの遺族年金の額と制度の趣旨が違いますから、これも一がいに比較することはできないと思いますが、先生御指摘のように、遺族年金が低いという面もございますので、今後生活保護水準との関連につきましては十分に配慮してまいりたいと、かように考えております。
#24
○藤原道子君 私は生活に困るということで社会保障で見ているわけです。ところが、こちらの遺族の場合は、愛する者が戦争で殺されたんです。それでこういう援護法ができておりながら生活保護法よりも低い年金額という点に対しては私は納得がいきませんので、大臣どうですか。
#25
○国務大臣(齋藤邦吉君) 金額的に比較をいたしますと仰せのようにちょっと少ないんじゃないかといったふうな御意見の出るのは私は当然だと思います。しかし、法のたてまえが違っておるからそういうことになっておるわけでございましょうが、しかし、気持ちから申しますと軍人関係の方方もやっぱり生活が困っておるわけ、それには違いないわけでございますから、できるだけそういうものをにらみながら改善をはかっていくということが私は適当ではないかと思います。
#26
○藤原道子君 当然改善をはかるべきだと思う。生活扶助だけの社会保障と損害賠償は性格が違う。最低生活保障の生活扶助と同額では低過ぎると思う。一般戦争犠牲者にもその点十分考えて至急にこれは改正すべきだ。私はどうしてもこれは納得がいかない。
 それから次に、特別給付金の支給関係でございますが、国債の最終償還を終わった戦没者の妻及び父母等に対して特別給付金制度を継続する理由はどういうわけでございますか。
#27
○政府委員(高木玄君) 戦没者の妻、それから戦没者の父母等に対しましては、援護法とか恩給法によりまする年金給付とは別にこれらの方々の戦後の御労苦をお慰めするという趣旨のもとに特別給付金制度というのがございます。で、その特別給付金制度のうち戦没者の父母に対する特別給付金制度は昨年の五月十五日、それから戦没者の妻に対する特別給付金制度は本年の四月三十日にそれぞれ第一回の特別給付金の国債の最終償還が終わります。したがいまして、これらの方々の最終償還が終わったあと特別給付金制度をどうするかという問題が一つ問題であったわけでございますので、昨年厚生大臣の私的な諮問機関といたしまして、遺族等特別給付金問題懇談会というのを設けまして御審議を願っておりましたところ、この審議会から、これらの戦没者の妻あるいは戦没者の父母の方々はいまや老境を迎えて、最愛の夫や子を失ったさびしさとそういった寂寥感あるいは哀切の念というものがいよいよ深まっていくなどの特別の事情を勘案すれば、この制度は継続すべきである、引き続いて特別給付金として継続し、その金額もその後の情勢に合わして増額すべきであると、かような御意見をこの審議会からいただきました。その審議会の御意見に基づきまして予算折衝いたしまして、この特別給付金制度を継続し、しかも増額すると、かようにいたした次第でございます。
#28
○藤原道子君 今回の特別給付金の国債の発行と、その償還金の支払いは具体的にどうなっておりますか。また、その対象件数は幾らになっておりますか。
#29
○政府委員(高木玄君) 今回の特別給付金国債でございますが、これは戦没者の妻あるいは戦没者の父母ともに本年五月一日付で国債を発行いたします。そうしてその国債の第一回の償還は、戦没者の妻につきましては本年の十月三十一日にまず三万円支払われます。それから戦没者の父母につきましては、本年の九月十四日に六万円がそれぞれ支払われることになっております。その後戦没者の妻につきましては昭和五十八年まで毎年二回、四月三十日と十月三十一日に三万円ずつ支払いが行なわれます。それから戦没者の父母につきましては昭和五十二年まで毎年一回、九月十四日に六万円の支払いが行なわれるわけでございます。また第二回目の新たなる特別給付金制度の対象でございますが、戦没者の妻が四十一万五千人、戦没者の父母を九千五百人と見込んでおります。
#30
○藤原道子君 いま、そちらのあれでは戦没者は約二百十二万人、一般邦人約八十万人ですか、内地で五十万、外地に三十万、戦傷病者が約十五万人というふうにあれしていますが、そのとおりですか、対象件数。
#31
○政府委員(高木玄君) 先生の言われた、大体そのとおりでございます。
#32
○藤原道子君 改正法によって処遇対象となったため、最終償還期限の到来していない者については、やはり同じように今回の特別給付金を支給すべきではないかと思いますが、この点はどうなんですか。償還期限の到来していない者も高齢で生活が苦しいという点では同様だと思う。次の権利を受けるときまでの状態は、二五%というようになっているように思うのですが、その点はどうなんでしょう。
#33
○政府委員(高木玄君) 今回の特別給付金は前回の特別給付金の終わった時点、つまり国債の最終償還の行なわれた時点におきまして、あらためてこの戦没者の妻なり父母等の特別の事情を勘案いたしまして、この新たなる特別給付金を交付しようというものでございますので、現に特別給付金の償還を受けている者に同時に今回の特別給付金を支給するというようには考えておりません。やはり第一回の特別給付金の償還が終わった方に新たなる第二回の特別給付金を交付する、こういうようにいたしてまいりたいと、かように考えます。
#34
○藤原道子君 私はその点、金額の点から何かからいって、やはり考えてほしいと考える。
 それから次に、再婚解消の妻に対する問題についてお伺いしたい。再婚して、再婚を解消したときの、軍人恩給の復活した前というようになっているのですね。いま昭和二十七年の四月まででしたか、に離婚した者となっていますね。ところがこれを昭和二十八年七月三十一日までに延長する考えはないでしょうか、実施したときまで。私、実はこの問題でお気の毒な方、つまり再婚はしたけれども、二年くらいで離婚した。それは兄弟なんですね、弟と。ところが二年くらいで離婚したのだけれども、夫のほうが離婚に承知をしなかった。それでやっと、――離婚するまでは、むろん別居していたんですけれども、子供を連れて。ところが正式に籍が抜けたのがたしかわずか十日ぐらいおそかったと思う。そのためにこれの実施をいただけないというので、厚生省、あなたのほうの援護局へ陳情に連れて行ったことがあるんです。それでいろいろ調べていただきました。
 子供が別居した土地――御殿場ですけれども、御殿場の学校へ行ってた。いろんなことを調査して、この問題はあなた方の御理解で解決しましたけれど、そのときに、二十八年の七月三十一日まで延ばすつもりでございます。これは直ちに実行できると思うからというようなお話を伺ってたんです。それは去年の話なんです。ところが、まだその解決ができていない。今度またここに陳情が参りまして、その陳情によりますと、夫が戦死したのは、まだその奥さんが二十二歳のとき。女の子と妊娠中の子供と、――二十二歳で戦死したんですね。十九年七月二十日にフィリピンで戦死して、そこで、いなかのほうでは家庭が中心になりますから、親の主張で弟と結婚させられた。ところが、その弟がまた死んじゃったんですね。二十七年の六月に死んだんです。そうすると、これちょっと二カ月足りない、二カ月。ところが、私は、この前話があったけれども、いや二十八年、一年延期になるはずだから、延長されるはずだからと言っておいたら、今度またそれが延長になっていないわけでございますね。で、子供からの、その娘さんからの陳情が来て、その中に遺族会だかの新聞に、三十年までに延長されるはずだというようなことが載っていたと、こういうことを書いてきているんですね。私は、二十二歳に戦死されて、子供二人かかえて、親たちの要求で弟と結婚した。ところがその弟がまた二十七年の六月に死亡したのです。それで何とかお願いできないだろうかという陳情が参っておりますので、この去年援護局でお話があった、二十八年まで延期するから心配ございませんということを伺ったんでございますが、これはどうして延長にならなかったんでしょうか。
#35
○政府委員(高木玄君) この再婚を解消された妻に遺族年金を支給するということは恩給法その他一般の年金制度におきまして、従来絶対に考えられなかった制度でございます。ところが、この非常な例外措置として、遺族援護法におきましてこの再婚を解消された妻を遺族年金の対象にいたしております趣旨は、昭和二十一年の二月一日に軍人恩給が停止されました。それから、先ほど申しましたように、昭和二十七年の四月三十日から遺族援護法が施行されました。そうすると、その軍人恩給がとめられた昭和二十一年の二月一日以後遺族援護法が施行になり、昭和二十七年の四月三十日までの間に再婚して、しかも四月三十日の時点におきましてはもう離婚しているという方に遺族年金の対象にしようという制度を考えたわけであります。その趣旨は、この軍人恩給停止から遺族援護法の制定までの間はそういった遺族の方々につきましては国が何も手を打たなかった、いわばほったらかしにしておいた。そういった国の措置が何ら及ばなかったために、いろいろな事情で再婚された方が出てきて、しかも、その方がその後の事情で離婚されたと、しかも遺族援護法が施行された時点について見ますと、そこですでに離婚しておられますので、再婚を全然しなかった方と同じ状態にある。こういった点に着目いたしまして、例外的に、そういった方々につきまして遺族年金を支給しようというふうな措置をとったわけでございます。
 で、この措置をさらに国が手を打たなかった時期というものを軍人恩給復活の日まで延ばすべきじゃないか。つまり、軍人恩給復活が昭和二十八年の八月一日でございますから、その前日の七月三十一日までに再婚を解消していればいいじゃないか。そこまで延ばしてほしいという要望が実は遺族の方からございました。ございましたので、実はその昭和二十八年の七月三十一日まで延ばすように予算要求いたしたのでございます。予算要求いたしたのは事実でございますが、しかし、諸般の事情で予算要求の上でまあ認められなかったということでございますが、先生いま申されましたこの二十七年の六月に夫と死別したというようなケースは、わずか二カ月程度のことでございますので、来年度の予算要求には再びこれを、二十八年七月三十一日まで延ばすという案を要求いたしまして、ぜひ実現いたすように努力いたす所存でございますので、御了承いただきたいと思います。
#36
○藤原道子君 大臣にお願いしたいのですよ。私たちも信頼してたんです。ところが、今度要求を出された。けれどもこれが拒否された。わずかな金額でしょうが。この人なんかは二つとそれから妊娠中の子供をかかえて苦労して、で、二度目の――いなかではよく家族の関係で、兄が死んだら弟と結婚しろというような風習になってますね。だから、一つは犠牲ですよ。その夫も死んじゃった。それで、その子をかかえてずいぶん苦労してきて、もう年とりました、こういうことでございますから、わずか二カ月足らずなんです。こういう点がございますので、私は昨年信頼してきたのができなかったんで、ぜひとも今度は必ずこれが実現できるように努力してほしいと思う。大蔵省にがんばってほしいと思う。どうですか、大臣。――生活に困らない人にはわからないんだ。
#37
○国務大臣(齋藤邦吉君) 先ほど来の御質問、十分私も傾聴いたして聞いてまいりましたが、まことにごもっともな話でございまして、何とか理屈をつけられるものはつける。できるだけ理屈をつけて、延長するように最大の努力をいたしたいと思います。概算要求が八月末でございますから、何とか理屈をうまく――理屈さえ通ればいいわけですから、何とかうまい理屈を考えまして、できるだけ延ばしまして救済できるように、ひとつ最大の努力をいたします。
#38
○藤原道子君 それでは次にお伺いしたいのは、相談員の処遇の問題であります。同じ相談員の業務を行なう非常勤職員でも、婦人相談員あるいは母子相談員は月額が二万九千六百円なんです。これに対して本法関係の戦傷病者相談員及び戦没者相談員は月額おのおのたった五百円。あまりにもばかげた金額だと思いますけれども、これに対してどうお考えか。結局、老人の家庭奉仕員、身体障害者や重度心身障害児のその相談員、奉仕員は四万五千円ですね。そうして、家庭相談員、婦人相談員、母子相談員は二万九千六百円、ところが戦傷病者相談員、戦没者遺族相談員、身体障害者相談員、精神薄弱者相談員はいずれも五百円なんです。いま五百円で何が買えるか。私どもは家庭相談員の非常勤の方の金額も少ないといってがんばってきているんですけれども、このたった五百円というきめ方、今の時代に。これに対して何ら手をおつけにならないというのはどういうわけですか。四十年以来の据え置き。戦没者遺族の相談員は四十四年以来ずうっと今日まで据え置き、また、身体障害者相談員は四十二年から四十七年までは三百円だったんですね。それがたった二百円上げられて五百円。それから精神薄弱者の相談員がやはり四十三年以来四十七年まで三百円だったわけでございますが、こういう相談員の手当というのですか、給与というのですか、これはどういうところから出ているんですか。この五百円……。
#39
○政府委員(高木玄君) この戦傷病者相談員あるいは戦没者遺族相談員と申しますのは、戦傷病者なり戦没者遺族の援護の相談に応ずる、必要な指導なり助言を行なって、これらの方々の福祉の一そうの増進をはかるという趣旨で設けられたものでございまして、現在全国でそれぞれ九百四十名、一県当たり二十名平均設置されているのでございますが、このうち戦没者遺族相談員につきましては、本年十月から五割ふやしまして、一県当たり三十名ということで、千四百十名設置することにいたしました。これらの相談員の方々は、まあ性格は民間の篤志家でございまして、謝金のいかんにかかわらず、こういった相談援護の仕事に当たっていただける方々でございますが、先生ただいま御指摘のとおり、そうは申しましても五百円というのはいかにも低額なのでございますので、この制度のより円滑な運営をはかる上にもこの増額について今後努力いたしたいと、かように考えております。
 いまも、述べられましたように、身体障害者相談員、精神薄弱者相談員が本年度予算で三百円から五百円に引き上げになりまして、この遺族と戦傷病者相談員と肩を並べるところまできたわけでございまして、この四つがいま一番低い謝金となっておるわけでございます。したがいまして、今後はこの四つが歩調をそろえてこの謝金を引き上げるというふうに努力したいと思います。本年度は、気持ちといたしましてこの謝金の増額の要求をしたいのでございますが、遺族相談員の増員というほうに中心を置いて、その五割の増員のほうを果たしたわけでございますので、四十九年度以降におきましてはこの謝金を引き上げるという方向で努力させていただきたい、かように考えます。
#40
○藤原道子君 何しろ五百円というのでは、それは余裕のある人を頼んであるのかもわかりませんけれども、電車に一回乗ったってそのくらい取られちゃうでしょう。だから相談に行ってやりたいなあと思ってもつい足が重くなるでしょう。何しろ恥かしくありませんか、五百円。この点は真剣に考えていただいて、お役に立つような――ただ名前だけで働かないでそのままでいい――相談員は幾らいるんですか、戦傷病者相談員が四十七年に九百四十名、戦没者遺族相談員がやはり四十七年に九百四十名だったのが今度千四百十人にふえる。――ふやしたって、五百円じゃ真剣に戦没者やあるいは戦傷病者を考えているんだというようなことは考えられませんね。この点は十分お考えになっていただきたい。電車に片道乗ったって……。
 そこでまた、相談員の制度創設以来据え置かれているというその理由が私、わからない。ずっと押えてきた理由というものはどういうことなんですか。聞かしてちょうだい。
#41
○政府委員(高木玄君) この理由と言われると非常につらいのでございますが、要するに、私ども努力不足でございます。
#42
○藤原道子君 ほんとうにお考えになってください。
 そこで、未帰還者の現状でございますが、それと、今後の処理方針はどうでございましょうか。特に、日中国交正常化に伴い、どのような方策をとられますか。未帰還者はいまソ連地域――樺太とか、千島を含むと二百五十四名ですか、それから北朝鮮が百十六名、中国が二千九百四名、南方で百六十四名、合計三千四百三十八名というようなあれを伺っておりますが、これらに対してどのような対策をお持ちになっているか。
#43
○政府委員(高木玄君) いま先生の仰せられた数字は本年の一月一日現在の数字でございますので、新しい四月一日現在の数字で申し上げますと、未帰還者は全部で三千四百九十八名でございまして、その内訳はソ連地域三百五十名、それから中国地域二千八百六十七名、北朝鮮地域百十八名、南方諸地域百六十三名となっております。これらの未帰還者の消息の調査につきましては、私ども都道府県と連携いたしまして、いろいろな手段を講じましてその調査究明に当たってまいっております。特にいまお尋ねの中国関係につきましては、外交関係も開けたことでもございますので、いままで以上に調査が促進できるものと、かように考えております。現在この中国の関係のことを詳しく申し上げますと、いま申しましたように二千八百六十七名の方々が未帰還者としてリストアップされておるのでございますが、そのうち過去七年つまり昭和四十一年以降生存の資料がある方がこのうち千四百四十六名おられるわけでございまして、したがいまして、千四百四十六名の方は確実に生存しておられるのじゃなかろうかと考えております。残りの千四百二十一名は昭和四十年以前の資料――生存資料のある方でございますので、今日はたしてどうなっておるか、はっきりしたことはわかりませんが、千四百四十六名につきましては過去七年内に生存の資料があるものでございます。現在これらのこの方々の名簿、それからこれらの方のほかに自分の意思で帰還しないときめておられる方々が千四十名おられるというふうに考えております。それから留守家族等の申し立てもこれあり、諸般の状況から戦時死亡宣告で処理した方が一万三千五百六十四名おられます。この一万三千五百六十四名の方々の中にあるいは生存している方があり得るのでございまして、私どもはこの未帰還者とそれから自己の意思によって帰還しない者、それから戦時死亡宣告によって処理した者、この三とおりの名簿をつくりまして、中国大使館のほうにでき次第送付いたすことにいたしておりまして、すでに未帰還者の名薄と、自己の意思により帰還しないというふうに思われる方々の二種類の名簿は作成いたしまして、中国大使館のほうにもう届けてございます。あと戦時死亡宣告で処理した方々の名簿ができ次第中国大使館のほうにお送りいたしまして、そういった方々で中国大使館がその名薄をもとにいたしまして、いろいろな未帰還者の情勢を把握されるというふうの上に役立たしていただきたいと、かように考えております。なお、この未帰還者のうち、現在私どもは約三百名の方が帰国を希望しておられるというふうに聞いております。それからそのほかの方々で帰国はできないが、一時帰国を、つまり里帰りを希望するという方がおられるやに聞いております。そういったことにつきましては、遺骨送還日本訪中団といたしまして山口政務次官はじめ関係の方々が中国に現在行っておられますので、そういった点につきましても、中国大使館あるいは中国の要路の方々と接触して何らかの情報が把握できるんじゃなかろうかというふうに期待している次第でございます。
#44
○藤原道子君 講和条約を締結していない地域の未帰還者についての実績はどうですか。
 それから中国に残した子をさがしている親もたいへん多いわけですね。こういう処理についてはどうお考えでしょうか。孤児の写真を新聞に載せたり、親子の対面ができた例もありますが、これはいままでのところマスコミ等民間レベルで行なわれてきている。政府としても孤児の写真等を一斉に新聞に載せるなどをして子供をさがす親、親をさがす子の願いに協力してはどうでしょうか。
#45
○政府委員(高木玄君) 外交関係の国交の回復していない国と申しますと、もう北朝鮮でございますが、北朝鮮につきましては、私どものほうで未帰還者として調べあげました名簿を北朝鮮の赤十字社のほうにお送りいたしまして、調査をお願いしているような次第でございます。
 それからいまお尋ねのいろいろな孤児の調査でございますが、マスコミ等でいろいろ御協力いただくのは非常にありがたいことで、それによって判明した事例もあるのでございますが、厚生省独自でも調査いたしまして、現在までに十数名この消息が判明しているという実例がございます。
#46
○藤原道子君 北朝鮮へこちらから依頼して、その後どうなっているのですか。
#47
○政府委員(高木玄君) その後、回答が参っておりません。
#48
○藤原道子君 これをぜひお願いしたいと思うのは、さきのグアム島の横井さん、ルバング島の小野田さんの事例から見ても、未帰還者調査については再検討の必要があるんではないかと思うんです。何しろ、戦争が終わって何年たちますか。ところが、あすこから遺骨が出たとか、こういう事件が起こるとかいうのでは、政府として終戦後のとられてきた態度が私には許せない気がするのです。セントジョージ島の場合は、結局全員がなくなっていたことが判明しましたが、ほかにも信憑性のある情報が幾つかあるんじゃないですか。結果においてなくなったことが判明したとしても、遺族としてもしや生きているのではないかと長い期間思い続けるのはつらいものだと思う。未帰還者調査を徹底的にしてもらいたいと思う。これらについても、横井さんがお帰りになったあとで政府もだいぶ努力はしたけれども、それが問題が起こったから、そこにこういう人がいたから、といって動き出すようなやり方では、未帰還者の御家庭の人たちの気持ちはどんなにつらいかということをお考えになってほしいと思うんですが、今後のこれらに対する方針はどのように考えておりますか。
#49
○政府委員(高木玄君) 確かに御指摘のとおり、グアム島の横井さんなり、ルバング島の小野田さんの事例から見まして未帰還者調査につきまして不十分の点がございました点はいなめないのでございますが、今後とも在外公館あるいは在外商社、民間団体等の協力も得まして従来以上に情報の収集に当たりたいと、そして信頼度の高い情報を得ましたならば、直ちに職員を派遣いたしましてその裏づけの捜索をするなりの措置を講じたい。それから、こういった事件がございましたので、在外公館に対しましては外務省を通じて未帰還邦人に関する情報は逐一入れていただくようにお願いもいたしております。いずれにいたしましても情報網を強化して必要な措置を講じてまいりたいと、かように考えております。
#50
○藤原道子君 それでは海外戦没者の遺骨収集について今後の計画は立てているわけですか、いろいろ。早く収集しなければ、遺骨収集についても、結局、風化する、土になってしまう、あるいは密林に踏み込めなくなるというふうにわれわれは心配している。私もフィリピンであちこちにいたしましたけれども、四十八年度だけの計画ではなく、いつ遺骨収集が完結するお見通しですか。
#51
○政府委員(高木玄君) 戦没者の遺骨の収集につきましては講和発効後、昭和二十八年から三十三年までに第一次の年次計画をもって実施いたしました。それから四十二年度から四十六年度までこれも第二次の五カ年計画を実施いたしたのでございますが、いずれにしても予算上の制約等がございまして十分とは言えない実情でございます。そこで、御案内のとおり昭和五十年ということになりますともう戦後三十周年ということになるわけでございまして、そういった意味合からいきましても、いまのようなスローテンポの遺骨収集ではいけないのではないかということから、四十八年度では従来の遺骨収集予算を思い切ってふやしていただきまして、二億三千万円の関係経費を計上していただいたわけであります。それに基づきまして本年度は、民間団体に対する補助金等も加えまして、必要な方面に相当大規模な遺骨収集団を派遣することができるようになっております。四十八年度、四十九年度、二カ年度で主要戦域につきまして、そういった大型遺骨収集団を派遣することによりまして、もう一ぺん遺骨収集について思い切った措置を講じたい、それで残った分につきましては昭和五十年度に手を打ちたい、かように考えて、気持ちの上では戦後三十年たちます五十年までに遺骨収集はもうおもな地域については打てるだけの手を打ってみたいと、かように考えておるわけであります。もちろん、事柄の性質からいいまして、いつまでに終わるということはなかなか言いがたい事業でございますが、しかし主要戦域につきましては、国としていままでにない力を入れて五十年までに遺骨収集を進めてみたい、かように考えておるわけであります。
 なお、相手国の国内事業で遺骨収集ができないところがございます。具体的に申しますとビルマ、インド、これは相手国の国内事情から遺骨収集団を派遣するわけにはまいりません。そういった地域につきましては、将来遺族による遺霊墓参、遺霊参拝が行なえるような措置を講じたらどうかというふうに考えておるような次第でございます。
#52
○藤原道子君 私があれしているのでは、四十八年度の遺骨収集計画は、フィリピンですか、東部ニューギニア、ソロモン諸島、マリアナ諸島、中部太平洋のトラック諸島及び沖繩について実施する予定になっていると伺っておりますが、そうですか。
#53
○政府委員(高木玄君) さようでございまして、いま申されましたうち、フィリピンにつきましては本年はルソン島とミンダナオ島の二つでございますが、これは大体十一月から十二月にかけて派遣する予定でおります。それから東部ニューギニア、これは大体同じ時期、やはり十一月から十二月にかけて遺骨収集団を出したい。それからソロモン諸島につきましては、先般セントジョージ島の生存兵捜索と並行して終わりまして、約七千八百柱の御遺骨を収集して帰国いたしております。それからマリアナ諸島につきましては、この七月に遺骨収集団をサイパン、テニアン方面に出す予定にいたしております。それから中部太平洋マーシャル、ギルバート島でございますが、これは船を一隻借り上げまして、その船が中部太平洋の島島を回る、こういう計画でございまして、これも大体、十月ごろ実施する予定でおります。そのほか、本年におきましては、沖繩につきましても、沖繩の地下壕等にまだ遺骨が相当残っておりますので、昨年調査をいたしました結果に基づきまして本年も沖繩のその地下壕に隠れている遺骨の収骨をいたしたいと、かように考えております。それから、トラック環礁にございます伊一六九潜水艦の乗組員の方々の遺骨につきましても、先般技術的な調査をいたしました結果、遺骨収集が可能であるということでございますので、これは七月から八月にかけてこの一六九潜の乗組員の方々の遺骨を収集したいと、かように考えているような次第でございます。
#54
○藤原道子君 いまお話がございましたが、沈没船艦についての引き揚げ、これはもう少し真剣にやるべきじゃないかと思うんですが、これはどうなっておりますか。沈没艦船についての引き揚げ、そして、その遺骨の収集について、遺族の方は、あの船に乗っていたんだと思うと早く引き揚げてほしいと、どれだけ念願しているかわからない。この戦没船艦についての引き揚げと遺骨収集についてはどのように考えていらっしゃるのか。とにかく、肉親の気持ち、夜も眠られない、夢を見ると、こういう訴えがたくさんございますよ。このことについてひとつ、どうなっておるか、詳しく伺いたい。
#55
○政府委員(高木玄君) 先般の戦争におきまして沈没した日本の艦船は全部で約三千余隻でございます。その沈没に伴いまして海没いたしました海上におきまする戦没者は三十五万人と見込まれております。これらの沈没艦船につきましては、この沈没艦船がいろいろな理由で引き揚げられますときに、たとえば航路啓開等のために船体が引き揚げられるときに、引き揚げに伴いまして収容される遺体はわがほうに引き渡すようにそのつど関係の方々にお願いいたしておりまして、私どものほうの責任におきまして引き渡された遺骨を荼毘に付しまして、氏名の判名したものは遺族にお渡しすると、こういう措置を講じてきておるわけであります。
 日本近海で沈没いたしておりますのが全部で八百四十二隻ございまして、そのうち三百七十一隻は引き揚げ済みでございます。その引き揚げ未済の四百七十一隻のうち、引き揚げ可能なものは軍艦陸奥だけでございまして、軍艦陸奥は現在深田サルベージによって引き揚げが行なわれているわけであります。その他の船は技術的に見て引き揚げができない。と申しますのは、現在のサルベージ技術からいたしまして、深さ五十メートル以上の海中におります艦船につきましては引き揚げ不可能でございます、技術的に。五十メートルに達しないところに沈んでおりますものは引き揚げ可能でございまして、その意味で、日本近海の八百四十二隻のうち、残された引き揚げ可能の船は軍艦陸奥だけであって、陸奥は現在、深田サルベージが年次計画をもって引き揚げ作業中でございまして、引き揚げのつどあがってまいりました遺骨は私どものほうでいただいて荼毘に付しておるような次第でございます。私どもとしては、この沈没艦船の遺骨の問題につきましては、今回トラック環礁におきまする一六九潜水艦の遺骨を収容するように予算措置を講じましたのは、あの辺では一般的にダイバーが行きまして、一つの観光目的に各国のダイバーに呼びかけて、非常に海がきれいなのでダイビングに適しているというようなことで各国に呼びかけておる、たまたまそういったことから、いろいろ各国のダイバーが行ってもぐってまいりますと、日本の潜水艦があって、しかも遺骨が見えるというような状況であったわけであります。そういったことがスキンダイバー誌というような外国の雑誌に写真が載せられたり日本の週刊誌に書かれたりというような状態になりましたので、そういった人目にさらされているような、ちょっとダイバーがもぐってすぐのところに船があって遺骨が見えるというような状況は、これは遺骨の尊厳を守る意味でもほっておけないじゃないか、これはぜひ収骨して国に持ち帰りたい、かようなことで予算措置を講じたわけでございます。したがって、今後はケース・バイ・ケースでございますが、容易に人目にされるというような状況で、遺骨の尊厳を守る意味で収容するのがしかるべしというものにつきましては、予算措置を講じて収容してまいりたいと考えております。
 大体において、現在までの調査におきましては、すでにもう引き揚げ可能な艦船はおおむね引き揚げられておりまして、あとは技術的に引き揚げ困難なものが非常に多いというような状況だろうと思います。
#56
○藤原道子君 それ、三千船艦もあるというのを幾つ引き揚げたと言いましたか。
#57
○政府委員(高木玄君) 沈没した艦船が三千隻余りございまして、日本近海では八百四十二隻が沈んでおります。そのうち三百七十一隻が引き揚げ済みでございます。
 それから、今日まで沈没艦船の船体内から遺体を収容したものは、隻数にして約百隻、これは内地が約五十隻、外地が約五十隻、合わせて百隻でございまして、遺体の数で約三千六百体、これは内地で約二千五百体、外地で約千百体と、かように相なっております。
#58
○藤原道子君 私は、このことを気にしていたけれども、いまの御答弁聞いて胸が痛くなるんです。元気で出かけて、そして戦争の犠牲で沈没した船の中に、のぞいて見れば遺体が見えるというようなのもある、これが戦後二十九年たって、いまだにこれだけのものが放置されている、これが、一体いつ引き揚げが完了するんだろうかと思うと、ほんとうに胸が痛くなり、われわれも議員であるといいながら、今日までこのようなことに放置してきたということは、ほんとうに申しわけないという気持ちで一ぱいです。日本は、経済的には世界の二位だなどといいながら、世界二位まで発展してきたという日本の経済力を持ちながら戦争犠牲者が二十九年も放置されている。何としても許せない気持ちで一ぱいですし、私も申しわけない気持ちが胸をうずいております。
 そこで伺いますが、船の引き揚げは費用もかかるし、あるいは沿岸国の許可が必要で、いろいろむずかしいこともあるというふうに伺っておりますけれども、沿岸国でこの引き揚げについて反対しているという国はあるんですか。どうなんですか。
#59
○政府委員(高木玄君) 先ほど申しましたこの一六九潜の遺骨の収容にあたりまして、トラックの関係の方々と接触いたしましたときに、トラックの環礁内が戦跡公園みたいになっておりまして、もし、その潜水艦内の遺骨を収容するために爆破等の、ハッパをかける爆破等のことが行なわれますと、この公園自体の中が非常に荒らされるし、もし、それによって艦内から油とか、そのほか有毒物が流れた場合に海が汚染されるというようなことから異論が出たのでございますが、先般、私どもの職員と日本のサルベージ会社の技術者とが現地に参りまして、実際に向こうの関係者と一緒にもぐったところ、そういった爆破等一切行なわずに、もう現在すでに開いている穴の中から艦内至るところにもぐり込めることがはっきり判明いたしました。したがいまして、時間をかけますれば、艦内にございまする遺骨を全部収容できる見通しがつきましたので、それを七月か八月ごろ収集団を派遣して実施したいと、かように考えておるわけでございます。決してそういった点についての反対はそのほかあるわけではございません。
#60
○山下春江君 関連して。いま、藤原委員との間に非常に貴重な、何か当時を知っている者にはほんとうに目頭が熱くなるような御質問が継続されたんですが、私もまあ、それに関連があるといえば関連のあるようなことでございますが、いま、戦傷病者、いわゆる傷痍軍人というのは十四万ぐらいだと思います。終戦直後、私は初代の傷痍軍人のめんどうを見ておられた会長のような方から三十六万とたしか聞いたようでございますが、それがまあ、足がない、手がない、目が見えない、耳が聞こえない、ああいう大けがをいたしますと、どんなに治療いたしましても長生きができない。最初は何も法律がなかったので、身体障害者福祉法でこれを処遇していたことは御承知のとおりでありますが、恩給復活以来、戦傷病者特別援護法が制定されて、それでまあ援護してまいりましたが、さて、その援護を受けていた方々の中で、款症者の妻は、夫が目をつぶってしまったら、夫がなくなってしまったら、もうその日っきり、何も、一銭も国から援護してもらう方法がいま講じられておりません。それはたいへん残念なんです。きょうまで、まあいま藤原委員が言われたように、世界第二位の、自由世界第二位の経済発展を遂げたといいながら、この戦傷病者を抱えている妻たちは、派手なこともできない、ぜいたくなこともできない、もう静かに夫のつえになり、柱になりして生活してきたんですが、その夫が、款症者の夫がなくなりますと、妻は一銭の保障もない。私は、このことはたいへんなことだと思いまして、まだ乳飲み子を抱えているような妻もあったでありましょうし、今日より前になくなった、その款症者の妻の実態調査を一ぺんしてみたいと思いますが、そのことはこの議論には間には合いませんけれども、特別にそういうことに対しては、深い御考慮とあたたかい気持ちでいつもこの法案に当たっていただいている齋藤大臣、援護局長、どちらからでもけっこうでございますが、この夫なきあとの款症者の妻に対して、今後何か国家があたたかい手を差し伸べてやる必要はないかどうか、私はぜひそのことをお願いしたいと思います。戦後の社会情勢の中で、まあいわばその発展途上にある日本においては一番気の毒な生活をしていた婦人たちだと思うんですが、その夫がなくなったあと、これは厚生省に私からお願いをする、いまからの処遇で、これまでの処遇が何もなかったということに対して今後どうすべきかということに対して、厚生省で何かお考えになっておられましょうか、どうでしょうか。局長からでも、大臣からでも、まあ大臣はこういうことに対して非常に深い配慮をいつもしていただいておりますから、齋藤大臣からお気持ちを伺いたいと思います。
#61
○国務大臣(齋藤邦吉君) ほんとうに戦傷病者の妻は戦傷病者の方々のつえとなって長いこと御苦労されてこられているわけでございますから、御主人がなくなりましたあと、どういう生活をしているのか、やっぱりそういう実態も把握する必要が私はあると思います。まだ、そういう手当もいたしておりませんが、十分調査をいたし、国としてそうした方々について今後何らかの措置を講ずる必要があるかないか、そういうことも十分考える必要があると思いますので、今後、国会が済みましたあとに、どういう計画でやるか、具体的な例を関係団体の御協力もいただきながら調査をいたしたいと思います。
#62
○藤原道子君 いまもお話がございましたけれども、遺族に対していろいろとよくお考えをいただきたいと思うのです。さっき私が御質問申し上げましたけれども、援護法、国の援護法ですね、これが社会保障よりも安い。値上げしていただいたといってもいまの物価高でこれでやっていけるだろうかと、私はその点が非常に気になっているのです。生活保護法だって、いまの三万六千百三十三円ではなかなかやれないというので、いずれまた、問題の違ったときにこの問題は今度お伺いしたいと思っているんですけれども、それよりも一万円以上低いんですね、援護法のほうが。今回の改正案で二万五千四百七十五円になるわけです。ところが、大都市の場合には月額三万六千百三十三円。そうすると一万円以上こちらのほうが少ないわけです。こういう点について私はぜひ検討していただいて、これを引き上げるべきだと、私はこう思う。引き上げてもらわなければ、戦争の犠牲者――お互いはそうでないからいいけれども、もっとも私だって家も焼かれちゃったんだからあれだけれどさ。とにかく戦争というものの犠牲になって、自分のそばで看病して子供に死なれても親の気持ちというものはたいへんなことなんです。ところが、元気で出かけていって戦争で殺された、その援護法がこれでいいんだろうか、私はこの点は真剣に考えてもらいたいと思いますが、何とかなりそうですか、どうですか。
#63
○国務大臣(齋藤邦吉君) 先ほどもちょっとお答えいたしましたが、法のたてまえは違いますが、その額がだいぶ開きが出ているという実態でございまして、この問題については法律のたてまえが違うからこれでいいんだということは私はあまり言えない問題だと思います。したがいまして、私どもは、生活保護の基準の引き上げ、これはまあ生活水準が変わるに従って毎年上げておるわけでございますが、そういうふうなことを上げるにつけても、しかも、遺族の方々はだんだん老齢化してきているわけでございますから、やはりそういう均衡を考えて最大の努力をすることが私はどうも当然のつとめのような考えでございます。したがって、来年度の予算編成に際して、そういう年金の額として上げるほうがいいのか、あるいはプラスアルファの形で何か別に考えて全体で均衡をとるようにしたほうがいいのか、まあいろんなやり方が私はあると思いますが、均衡がとれたような形でその生活を守ってあげるように、概算要求の際に十分研究いたしまして努力をいたしたいと思います。
#64
○藤原道子君 こういう問題に対しては、ずいぶんわれわれに陳情が来るんですね。これでもう一つ伺いたいと思いますのは、傷病兵が帰ってきて、それで治療していると、ところがその病気で帰ったよりもほかの病気、つまりこの間肺結核で死んだ人、そうすると、病気で軍隊から帰ったときよりほかの病気で死んだんだから、傷病の、何というのですか、対象にならないと言って全然受け付けてもらえない。ところが厚生省の人はわかっていると思うのです。一つの病気を長く病んでおれば結局ほかの病気が起こってくる、合併症というんですか、起こってくることはもうわかっていると思うのですね。戻ってきてずっと病気でいて、それでほかの病気で、診断書で、まあ死んだんですね、そうするとそれはもう全然対象にしてもらえない。私は、これは少し薄情のような気がするんですけれども、これはどういうことでしょうね。
 それからもう一つ問題があっていつも困るのは、医者の診断書ですか、戻るときの向こうの。それを必要だとこういうんですね、県庁あたりで。ところがその戦地で診断してくれた医者がもう死んでいる。そうするとそれに対しての診断書のもらいようがない。そうするとこれはだめだと、こういうずいぶん冷たい態度を厚生省はとっているんです。これは一体どうなんでしょう。合併症で死ぬことはたくさんあると思う。私なんかも長年の肝臓が、これがもとで心臓へくる、じん臓へくるというようなことで、いま肝心なところが悪くて困っているんですがね。そういうことで、戦地で倒れた病気で内地で診断していて、そしてほかの病名でなくなった、これでもって対象にならない、こういう人が、けっこう陳情があるわけなんです、これはどう思いますか。これに対してはどうお考えになるかということをこの際聞かしてもらいたい。もう少し戦争犠牲者に対してもっと国はあたたかい対策、態度で臨むべきじゃないかと思うのですけれども……。
#65
○政府委員(高木玄君) ただいま先生の御提示されました問題は、戦地でかかられた病気と、それから現実に、国内にお帰りになりましてなくなられたときの死因とその間に相当因果関係があるかどうかと、こういう問題だろうと思います。これは、私どもは、医学の問題でございますので、医学的にその間に相当因果関係を認めるかどうかということにつきましては、私どもの役所におりまする、その障害年金の認定の場合には医者がおりまして、そのドクターが、医者が見て判定することにいたしております。それから診断書等がもうとれないという場合には、関係者の申し立てでもいいというふうな措置を講じております。いずれにいたしましてもこの障害年金の問題につきましては非常にいろいろなケースがございます。それから非常な今日までの時間の経過のためにいろんな挙証がむずかしくなっているという問題もございます。そういった問題がございますが、私どもとしてはできるだけこの障害年金の受給対象になし得るような方向に考えて措置していきたいと、かような気持ちでやっているつもりでございます。
#66
○藤原道子君 私はどうも納得のいかない点がたくさんあるんですよ。これ、もっと真剣に考えてくださいよ。
 そこで、最後になるかもわかりませんけれども、伺いたいのは、日本は、これが世界第二の経済国でありながら日本の援護法はこの程度なんですね。諸外国はどうなんです。諸外国の戦争犠牲者に対する態度というものがどのように行なわれているかを私はこの際お伺いしたい。
#67
○政府委員(高木玄君) 諸外国、いろいろございますが、日本と似た戦後事情にありました西ドイツとイタリアの状況について御説明申し上げたいと思います。
 西ドイツにおきまする戦争犠牲者に対します援護は戦争犠牲者の援護に関する法律、これ連邦援護法と呼んでおりますが、これに基づいて行なわれておるわけでございます。連邦援護法におきましては、軍事上または準軍事上の任務により身体に障害を受けた者及び死亡した者の遺族、それから直接の戦争影響等による障害者及び死亡者の遺族、この二つを対象にしております。軍事上の任務というのは旧ドイツ国防軍軍人等の任務でありまして、それから準軍事上の任務と申しますのは、これは法律上十二のものが列記されてございますが、たとえば軍命令による被徴用者、防空業務従事者、こういったようなものが十二ばかりありますが、これらのものの任務をさしておるわけであります。そういった軍事上、準軍事上の任務によって身体に障害を受けた、あるいは死亡した者の遺族、こういったものが一つのグループ。いま一つのグループは、直接の戦争影響による障害者なり、死亡者の遺族でございますが、直接の戦争影響による障害と申しますのはそういった任務とは関係なく、戦闘行為あるいはこれに直接関係する軍事行動等によって障害を受けたというような場合をさすわけでございまして、したがいまして、空襲による一般戦災者はこの範疇に含まれているものと考えられます。援護の種類は、医療の給付、障害年金、遺族年金、埋葬料の支給等でございます。それからイタリアにおきまする戦争犠牲者に対する援護は、一般戦争年金に関する法律というものに基づいて行なわれておりまして、この法律は旧イタリア国軍兵士、それから軍属、補助勤務者、それからイタリア赤十字義勇看護兵、こういったものの戦争服務中の傷病を対象といたしておりますが、そのほかにも直接の戦争行為により障害を受けたイタリア市民及びその遺族も対象にしております。これらの者に対します援護は、障害者に対しましては障害年金または更生手当、遺族に対しましては遺族年金または一時金の支給を行なっておりまして、まあ内容は西ドイツとほぼ同様のものとなっております。そこで西ドイツと比較した場合の年金額でございますが、まず障害年金について比較いたしますと、西ドイツで稼得能力一〇〇%減粍した者の障害年金が、基本年金が四十万四千三百五十二円、調整年金が四十万四千三百五十二円合計八十万八千七百四円でございます。それに対しまして、これに見合う日本の第一項症に対する障害年金が百四万円でございます。これは七二年度の数字での比較でございます。百四万円でございます。それから遺族年金は基本年金が二十四万一千九百二十円、調整年金が二十四万一千九百二十円、合計四十八万三千八百四十円で、これに見合います日本の遺族年金が二十四万円、こういうことでございます。
#68
○藤原道子君 三千幾らだって……。
#69
○政府委員(高木玄君) 四十八万三千八百四十円、合計いたしまして。ただし、いま申しました障害年金、遺族年金ともに調整年金というものと、基本年金というものと二つに分かれておりますが、調整年金と申しますのは、この本人に収入がある場合には減額されることになっておりますので、調整年金の部分は。基本年金の部分は変わりませんけれども、調整年金の部分は、本人に収入がある場合には減額措置が講ぜられることになっておりますが、本人に収入のない場合には、いま申した金額が出るということでございます。
#70
○藤原道子君 イタリアも同じ……。
#71
○政府委員(高木玄君) イタリアのほうの金額はまだちょっと調べておりませんので、ちょっといまここに資料ございません。
#72
○藤原道子君 もう時間も来ましたのであれでございますが、私は、ドイツへ二、三回参りましたけれども、最初に、二十七年だかにドイツへ行ったのですけれども、私、ほんとうにうらやましいと思いましたのは、戦傷病者でもう目が見えないとか、あるいはまた手がないとか、足がないとか、こういう人たちに国の方針で強制雇用法とかいうのがありまして、それでまあ国の施設の大きなところの受付あたりには両足のない人がいる。これはもう電話とか何かができれば、それから手が書ければ、受付はできる。それから国の施設の案内ですね、こういうものには手のない方がやっぱり案内をしている。もし、給与が同額であろうとも手のない、足のない不自由さをどれだけ人間として悲しんでおるかを想像しなきゃならぬ、これは国の方針でやったんだ、したがって、この人が社会的に平等の所得があるようにするのが国の方針じゃないか。こういうことで非常に戦傷者が明るいんですね。かたわになった方が日本よりもずいぶん多いのですね、ドイツは。爆撃がひどうございましたからね。そういう考え方で戦争犠牲者に国が対策をとっている。それから、いま援護費ですか、これをおっしゃいましたけれども、向こうでは住宅であるとか、何とかいうものに対しての保護も行なわれていると私は思いました。こういう点が日本では全然ないんです。日本では戦傷・心身障害者の雇用の問題が実はここでも問題になりますけれども、わずかしか雇用されていない。ドイツは法律できめているでしょう。重労働は工場では何人、軽労働はこのくらいというふうに国がきめて、それをどこまでも守っていっている。ですから、明るい。町歩いてもかたわの方たちが非常に明るい顔をして暮らしていらした。日本は非常にさびしい、障害者のあれはさびしい生活してますね。こういうことを考えるときに、ましてや戦争の犠牲者で、日本でも仕事のない方、生活のできない方がたくさんあるわけでございますから、こういうことを真剣に今後考えてもらいたい。それからまた未亡人になられた方、まだ若い人もありますね、早く結婚して。ところが、四十くらいで未亡人になった方はもう年寄りになってきている。こういう人たちの老後の保障というようなことも真剣に考えて、戦争をやらなければ、こんな不幸は起こらなかった。だれが戦争やったかといえば国がやったわけです。国の方針でやったんですから、国がその人の生活、その精神的な苦労を何とか慰め、生活を守っていくというのは国の責任だと思うんです。私もそういう点でいまの社会の人たちにまことにお気の毒だと、こういう考えを戦争犠牲者に、遺族にも、傷病者にも申しわけないという気持ちでいつも胸が一ぱいでございますが、大臣も真剣に考えてひとつ先ほど来申し上げました点のみならず、それぞれ受け持ちでやりますけれども、私の担当の点につきましてもぜひお考えいただいて、生活保護の問題との問題もこれは考えてもらいたい。それから何といいますか、未亡人、離婚した未亡人の問題であるとか、あるいはそれぞれの問題につきまして、ぜひお考えを願ってこの次には私たちがもう少し満足のできるような答弁を伺いたい、こう思うのでございます。
 いま社会党から提案いたしました問題につきましても、諸外国ではさっきもドイツあたりではそれをやっているんですから、こういう点を真剣に考えて今後援護法がりっぱにできるようにと念願しておりますが、大臣真剣にやってくれるかどうか、もう一ぺん答弁してちょうだい。
#73
○国務大臣(齋藤邦吉君) 戦争が済んでもうすでに二十八年ですか、経過いたしているわけでございまして、私どもほんとうにいまだにまだこういう遺家族援護の問題、傷病者の援護の問題等についていろいろ足りない点を指摘されているというふうな事態を招いていることは私もほんとうに遺憾であり、申しわけないと思います。こうした方方はすでにもうだんだん老境に入ってくるわけでございまして、私どももやっぱり国の犠牲になったこういう方々をあたたかい気持ちで守ってあげるように、やっぱり努力をしなければならぬと思いますが、特に、いろいろこまかい点と申しますか、いろいろ気がつかない問題がたくさんまだまだ残っておるわけでございますので、きめのこまかい観察をいたしながらあたたかい援護の手を強化するように今後とも一そう努力をいたしたいと思います。特に、来年度におきましてはもう概算要求の時期もだんだん迫ってくるわけでございますから、先ほど来いろいろ御指摘いただいた点は十分に考えまして、あたたかい援護の手ができますように最大の努力をいたしたいと思います。
#74
○矢山有作君 いまのお話に関連してちょっと聞きたいんですが、戦争犠牲者の援護立法の経過を日本の場合見ておりますと、まず軍人、軍属に対する援護から始まって、そしてそのワクを徐々に拡大していったという経過をたどっておるような気がいたします。ところが、いま西ドイツなりイタリアの戦争犠牲者の立法措置を見てみますと、これは軍人、軍属だけでなしに、戦争犠牲者と称するもの全体に対する援護措置としてまず基本が確立されてきたというふうに思うんです。で、太平洋戦争の実態を考えてみると、御存じのように、国内でもまさに戦場になっておったわけですから、したがって、立法として西ドイツなりイタリアの立法のやり方、日本の立法のやり方を厚生大臣比較検討して見られて、どうお考えになりますか。
#75
○国務大臣(齋藤邦吉君) 日本の援護立法は、御承知のように、マッカーサー司令部の占領時代においては軍人とか、そういうことだけを理由にして特別な待遇をしてはならないというふうなことから、一般的な社会福祉ということで救済すべきである、援護すべきである、こういうところから出発したところにドイツの援護法とそもそも出発からもう違ってきておったという感じがするわけでございます。ドイツはそういうふうな考えではなしに、戦争ということの原因を中心に出発した。日本のほうは司令部の占領中に戦争を原因とするような特別な援護はよくないというふうなことで、一般福祉ということから出発し、そして司令部が引き揚げるに従って軍人、軍属とかいうものが表に出てきた、こういうふうな援護の出発点が非常に違っておったところに今日のこういう違いになったのではないかということを私は痛感をいたしております。しかしながら、すでにもう二、三年で戦後三十年というふうなときにもなるわけでございますから、もう少し考え直すところがあれば、考え直していかなければならないかなあというふうな感じをしみじみいたしておるわけでございまして、今後とも西ドイツあたりの例も十分頭に描きながら検討を続けさせていただきたい、こんなふうに考えておる次第でございます。
#76
○矢山有作君 おことばですが、ドイツも敗戦のときに、私の承知しておるところでは、一たんこういった援護関係の援護というのは、日本と同じように打ち切っておると思うのです。それから、ドイツの場合は日本より少し早かったかもしれませんが、この戦争犠牲者の援護立法がなされたわけです。それから日本の場合は同じマッカーサーの指令で一応押えられておって、そして独立を達成した直後から、まず軍人、軍属から始まったわけです。ところが、その当時の状況というのは、日本も占領下にあったんだし、それから西ドイツも占領下にあったわけですね。ただ、じゃ、マッカーサー指令と同様なものが西ドイツで出ておったのか、出ておらなかったのかという議論になりますと、これは私はそこまでまだ研究をしておりません。したがって、マッカーサーの指令と同じようなものが西ドイツにもあったんだということは言えません。言えませんけれども、いずれにしても、占領下に同じようにあったと、そして日本も軍国主義だ、帝国主義だということで、いろいろと占領政策が打ち立てられておったし、それからドイツの場合も、同じような帝国主義だ、軍国主義だという立場から、やっぱり占領政策は、それをなくするんだという同じような基本的な原則に立って私は占領政策が行なわれておったと思うのですよ。したがって、なぜ日本だけが一般の戦争犠牲者をほったらかしにして軍人軍属の援護から始めていったのか。ドイツはなぜ全体の戦争犠牲者を包括したところから出発していったのか。私は、その出発点が違うとおっしゃるが、出発点が違うのはなぜなのか。そのことが今日検討されてみる必要がある。その検討が真剣に行なわれ、それが間違いであったという反省が行なわれなければ、これはやはり日本の戦争援護に対する立法を基本的に改めていくということには積極的にあなた方が取り組んでいけないのじゃないか、私はこういう気がするのですよ。そこのところのお考えをもう一度聞きたいのです。
#77
○国務大臣(齋藤邦吉君) 西ドイツが日本と同じようにマッカーサー司令部によって全部押えられたかどうか、その点、私もまだいまつまびらかにいたしておりませんが、そのあるなしは別として、援護が始まったときには、向こうは一般国民を対象にし、こちらは軍人軍属。これはたしかそこの点の出発は違っていたわけですが、私の想像では、当時、西ドイツという国はめちゃめちゃな戦場であったわけです。日本ももとより終戦の直前になりますと、本土が焼夷弾にやられ非常な戦場でございましたが、西ドイツはその中でやり合ったわけですね。そんなようなことでそうなったのではないかと思いますが、私も実はその詳細をよく承知しておりませんから、その辺の出発点を、どういうふうにして日本と西ドイツが違ったのか、そういう点も十分検討をしてみまして、そして、日本も反省すべきものがあるならば、この辺で考えなければならぬものがあるならば考えると、こういうふうにいたしたいと思いますから、もう少し――西ドイツと日本、同じような立場にあった国であることは確かですから、十分その辺をもう少し研究さしていただきたいと思います。
#78
○矢山有作君 これはまた、私が時間をいただいたときにもう少しお尋ねしたいと思いますけれども、なるほどドイツは陸上戦闘の場所になったということでは日本とは違う点があると思います。しかしながら、日本もドイツに負けず劣らず徹底的にやられたわけですから、おそらく県都という県都でやられなかったところはないはずですし、さらに県都でなくても、こんなところまでやられたのかというような都市までやられているわけですから、だからその戦争被害の点においては私は軽重の問題を論ずるようなことではない。要するに、本土戦場であったという事実はおおい隠せぬのじゃないですか。したがって、援護法をつくっていく上での出発点が違ったというのは、私は一つは大きな思想上の問題だと思うのですよ、これは。そこに私は最大の原因があると思う。やはり戦争災害というものは、これは軍人軍属に限らず一般人もひどい目にあっているのですから、それをやっぱり全部包んで発足するというのが当然のあり方なんです。そこの出発点が違っておるところを私どもが問題にするわけです。
 それで、厚生省のほうは、その点でいろいろ議論があれば、軍人軍属から徐々にワクを広げるという形できておるわけですね。ところが、こういうかっこうでは私は限界が来ると思いますよ。軍人軍属からだんだんワクを広げる、そのワクを広げる根底にある考え方というのは、おそらく国との関係、それが根底にあると思うのですね。そうすると、全体の一般戦災者まで含んで戦争援護を考えるということになれば、この援護の出発点の思想を変えなければならぬということになる。だから、厚生省の援護方針が基本的に変わらなければできないことなんですよ。したがって、私は、単なる委員会答弁で検討してみますというだけではだめなんであって、そこまで戦争援護の基本的な考え方を変えていくのかどうか、その決断がつかなければ、私はきょうの大臣の答弁は、ただ単に委員会における答弁だけで終わってくるおそれが多分にあると思うのです。しつこいようですが、押してその点をはっきりさしていただきたい。
#79
○国務大臣(齋藤邦吉君) いま先生お述べになりましたように、確かに日本の援護というのは、国との特別な関係、そこから始まって、そして、それだけでは社会的要請にこたえることができない、徐々に範囲を広げていくという考え方であったことは否定することはできないわけでございます。そういうふうな基本的な出発点の考え方、これを変えない限り、全国民を対象とする援護ということについて十全の措置を講ずることはできない。お述べになりましたとおりだと思います。
 そこで、私は軽い気持ちで言うのではなくて、こういうふうな問題、衆議院の段階においても今日までたびたび御指摘をいただいておる問題でございますので、こういうふうな援護の基本的な考え方を変える必要があるのかないのか、どういうふうに今後していったらいいのか、そういう問題全般をひっくるめてもう少し私は検討をしてみる必要があるのではないか、こういうふうに考えておる次第でございます。
#80
○小平芳平君 ただいまの厚生大臣の矢山委員に対する答弁は、結局逆になっているということなんですね。日本の場合はマッカサー指令によって軍人を特別扱いしてはいけないということだった。しかし、日本の場合は結果としては軍人軍属から始まって、いまなお軍人軍属中心の援護体制になっているということなんです。西ドイツの場合は、どういう指令があったかなかったか、それは私も存じませんが、全国民として取り上げたということ、逆になっているわけですね、そういうわけですか。
#81
○国務大臣(齋藤邦吉君) さように理解いたしております。
#82
○小平芳平君 ですから、先ほどの御答弁のように、ひとつ再検討、再考慮をお約束していらっしゃいますので、これ以上申し上げません。
 で、私は昨年の当委員会の関係をはじめ二、三お尋ねしてまいりますが、先ほど藤原委員が指摘されたように、昨年の当委員会では厚生省は、離婚した妻の場合、「明年度の予算の編成におきまして予算的な措置を講じ、法律的な手続をとらしていただきたいと考えております。」というふうに、二十七年四月三十日を二十八年七月三十一日までに延長するという趣旨でこういう答弁をされておられるのですが、それは先ほど藤原委員に御答弁なさった程度のことですか。この辺もう少し――こうした委員会で政府が、来年度の予算におきまして、あるいは国会におきましてこうこう、というような答弁をされますと、期待を持っているわけです。その期待に対して、全く大蔵省がうんと言わなかったからしょうがないじゃないですかじゃ困るんですが、いかがですか。
#83
○政府委員(高木玄君) 先ほど藤原先生にお答え申しましたとおりでございまして、援護法の改正の項目の一つといたしまして、再婚解消妻の処遇につきまして、この再婚解消の時期を軍人恩給復活の時点まで延ばすという予算要求をいたしたのでございますが、御提案申し上げておりまする法律案にありますように、予算折衝の過程におきまして、一番大きな問題が、特別給付金を継続させるかどうか、その金額を増額するかどうか、これが一番大きな問題でございました。
 それから、多年の懸案でございました軍人軍属と準軍属の間の年金額の格差というものをなくしてしまいたい、これも多年の懸案でございまして、当委員会の附帯決議にも何べんも御指摘になった事項でございます。それから、日華事変以降の勤務関連疾病の取り扱い、これもぜひ実現させたい、こういったようないろいろな要求項目がございまして、そういった点から何もかも全部というわけにまいりませんので、特に優先度の高いほうからとっていったというふうなことからこの問題が見送りになったような次第でございます。これにつきましては、先ほど申しましたように、私どもといたしましては、四十九年度の予算要求の中で必ず解決したい、かような気持ちで努力いたします。
#84
○小平芳平君 厚生大臣、そういうような次第なんですが、ちょっとその前に、私が具体的に昨年の国会で指摘した山梨県の坂本律子さんという方の例ですね、実際は結婚届けを出しましたが、間もなく別居して離婚同様であったと、本人はこう言っているわけです。こうした場合、厚生省あるいは県の窓口ではどういうふうに扱うのですか。
#85
○政府委員(高木玄君) 昨年、先生が御指摘になりました坂本律子さんのケースにつきまして私どもで調べましたところによりますと、これはいわゆる再婚解消妻の問題ではございませんで、援護法が施行になりました時点におきまして、この方はりっぱな援護法の適用の資格、遺族年金をもらえる資格がありまして、したがいまして、遺族年金の支給を受けておるわけでございます。二十七年の四月一日に遺族援護法が適用になった、したがって、二十七年の四月一日現在では遺族年金の受給の資格があったわけです。それで遺族年金の支給を受けられた。受けられた後に二十七年の十二月二十七日に再婚されたわけです。したがいまして、一たん発生した年金の受給権がそこで失権になるわけです。離婚されたのが二十八年の二月二十五日で、ごくわずかの非常に短い結婚期間でございますが、しかし遺族援護法上、一たん遺族年金の受給権を取得され、その後婚姻されたために遺族年金の受給権を失権された、こういうケースでございますので、その方はその失権の事由である婚姻を解消されましても、もう再び資格を取得することはない、こういうことでございます。これは恩給その他一般の年金制度の原則でございまして、一たん発生した遺族年金の受給権は婚姻によりましてその資格を失います。失ったものはその失った事由である婚姻が解消されてももとには戻らない、一たん失権したものは再び復権することはない、こういう大原則がございますので、この方はそういった趣旨のものでございますので、したがいまして、この再婚解消の時点を軍人恩給復活のときまで延ばしましてもこれは救われないケースでございます。そのために、この坂本律子さんは十二月二十七日に婚姻されたことによって失権いたしましたが、四人のお子さんが昭和二十九年軍人恩給復活とともに公務扶助料のほうに移行いたしております。軍人恩給のほうに移行いたしまして、四人のお子さんが公務扶助料を受けておられる、こういうケースでございます。
#86
○小平芳平君 私は、この坂本さんの例を尋ねた趣旨は、そういうことを窓口で教えてあげないんですね、こういうわけだということを。ですから、私のほうでそう個人的なことを立ち入ってあれこれ調べるわけにもいきませんし、そういう点は窓口でこういうわけだということを教えてあげるのが当然だと思います、そうでしょう。
#87
○政府委員(高木玄君) そのとおりでございます。もし、窓口がそういう点について非常に不親切であったということについてはそれは申しわけないことだと思っております。
#88
○小平芳平君 それからもう一件は、いわゆる昨年の、具体的には新潟県に住んでおられる方ですが、山西省に行ったということで、閻錫山の部隊に参加したということで完全な戦争犠牲者であるわけですが、山西省太原でなくなった。けれども、なくなった時点において日本軍の軍人でも軍属でもなかったということを理由に何の対象にもなっていないわけです。これは現在の援護法ではそういうものは対象にならないという答弁で終わっているんですが、やっぱりそうですか。
#89
○政府委員(高木玄君) 現在の援護法にはやはり遺族年金につきましては、明文をもちまして死亡の当時日本国籍を有するということが書いてございますのでちょっと救いようがないと思います。
#90
○小平芳平君 日本国籍は有するんですよ、もちろん。要するに、現地で召集されて日本軍に編入され、それであの大陸で敗戦という大衝撃を受けて、それでこの方は特に憲兵に召集された結果、憲兵隊に配属されたものですから、わずかの期間ですが、これは内地に帰っても追及を受けるのではないか、非常な不安もあって仲間と一諸に山西軍に行ったというわけです。それで中の一人は間もなく内地に帰ってきて、そうして留守宅の奥さんに、あなたの御主人も帰りたがっております。おそらく、閻錫山が帰すのをいやがっているから、あなたの御主人はまだ帰れませんが、間もなく帰るでしょうという手紙を奥さんはいただいているわけですが、しかし、それは軍の命令でなしに、かってに閻錫山の軍に行ったからだめだというわけでしょう、どうですか、厚生大臣、そういうケースはそんなに大勢いるわけではないんですが、何かそういう全国民をということまで考えようというときに、完全なる戦争犠牲者ですよ。それがたとえば味方を殺して逃げたとかいったことならこれはちょっと問題ですけれども、ああした大陸で敗戦で大衝撃を受けた、そういう混乱時に何人かそちらの軍に入ったということで間もなく病気で死んでおる。それだけのことで対象にならないわけですが、厚生大臣いかがですか。
#91
○政府委員(高木玄君) いま御指摘のケースは一たん現地で復員されまして、しかる後に閻錫軍に参加されていて、それでなくなった、こういうケースであろうかと思いますが、おそらく外国軍隊に従軍中の死亡、こういうふうな扱いになったんだと思います。ちょうどこれはインドネシアにおきまして現地で復員、除隊いたしましてインドネシア独立軍に参加して戦かった方と非常にケースがよく似ておるわけでございます。ただ、そういった方々の中で、私どもその後の調査によりましてできるだけ解釈を広げて救済しておるケースもございますので、具体的にお名前等教えていただければさっそく調べて措置したいと思います。
#92
○小平芳平君 それは具体的に申し上げますし、また書類も一切差しあげます。ただ、基本的な考え方としまして、インドネシアの独立戦争というものがどういう状況のもとに旧日本軍がどういう形で参加していったか、ちょっと私よくのみ込めませんですけれども、あの中国の場合は、特にそうした混乱期にあった。私の兄弟も二人とも同じ辺にいたものですから、いろいろ聞いてみると、特にそういう状況というものをよく聞きますと、やはり御主人が現地で兵隊にとられた。それから、これこれと先ほどの説明したような経過で昭和二十三年から、なくなっているわけですから、奥さんはいままで何らの国の援護も受けてない。もう何としてもあきらめ切れないと言っているわけです。それは当然だと思うんですね、ですから、その点ひとつ御検討いただきたいと思います。
 それから次に、やはり先ほど藤原委員のおっしゃっていた遺骨収集ですが、これもこまかく先ほど答弁がありましたので、繰り返しませんが、ルソン島のピナツボ山へ行って、ピナツボ山に泊まり込んで遺骨収集をした方々が帰ってこられて、そして中の横田さんという方が意見を新聞で述べておられます。この辺の事情は厚生省はどういうふうに把握しておられますか。
#93
○政府委員(高木玄君) ルソン島のクラーク地区のピナポット山付近におきまする戦没者遺骨の問題でございますが、この地区の遺骨収集につきましては昭和四十四年に政府の遺骨収集団によりまして、ピナポット山の山ろく、洞窟、そういったところにございまする遺骨の収集を実施いたしましたけれども、当時この地域はアメリカ軍の射爆場でございまして、昼間の行動が制限される等のことがございまして、十分な収骨は実はできなかったのでございます。
 そこで、先ほどもお答え申しましたとおり、本年度におきましてルソン島の遺骨収集を実施いたすことにいたしておりますので、ただいま先生仰せられましたこのピナポット山周辺の遺骨につきましてはその際に遺骨収集を実施することにいたします。
#94
○玉置和郎君 小平議員の閻錫山軍に参加した、そうして病気でなくなったとかいうような方に関連してでありますが、ぼくはちょうど、その当時曙兵団の参謀部におりまして、あの当時の事情というのはこれは実際やった者でないとわからない。当時は私も太原に約半年ぐらいおったんです。太原のどこの部隊か私わかりませんが、私たちは石家荘に兵団司令部があって、そしてあの石太線の井けいまでが警備区域だったわけです。それだけに閻錫山軍との接触は井けいというあの場所を中心にしてやられておった。私自身もまた、太原におりましたから、閻錫山軍という存在、これもよく知っておりました。終戦になりまして、あの混乱期は日本の軍隊は八路軍が徹底的な敵としてやっておったわけであります。だから、閻錫山軍がこれは八路軍と対峙したわけでありまして、われわれの兵団でも昔の大隊長クラス、部隊長クラスの者が――これは名前は言いませんが、訓辞をたれて、そうして閻錫山軍に参加をせよというふうな指令を出したぐらいなものであります。だから、現地でおそらく中国人と接触をしておった、しかも現地召集に終戦直前になったというような人たちは、やっぱり八路軍と戦うということに一つの国家使命というか、そういうものを持っておったと思います。私自身も、私のまわりに閻錫山軍に参加して、閻錫山軍の少将の資格でりっぱな戦死をした方がおります。この人たちもいま小平議員が言われたように、援護は受けていない。これは私の恩師です。柔道の先生だった。このことを見ましたときに、私はやっぱり私なりにこの問題はある時期にお願いをしたいと思っておりましたが、きょうはいい機会なんで、おそらくなくなった人は自分の意思だけではないという、もちろん自分の意思で参加はしましたけれども、やはり外部的ないろんな大きな要因があったということ、これはやはり大臣ひとつ考えてやっていただきたいと思います。
 私も、小平議員の言われた、そういうものの措置について、厚生省がこれからやられるでしょうが、私は私なりにそれを見守っていきまして、そして、私たちのまわりに閻錫山軍に参加をして、そして戦死をしたりあるいは戦病死をしたりした人がおります。またもう一つは、やっぱり日本の軍から離れて、そして土民軍に参加をした者もおります。その土民軍もやっぱり八路軍と戦っておったわけでありますが、こういう者がはたして該当するのかどうか。その辺のこともこれから私もひとつ聞きただしてまいりたいと、こう思いますので、よろしくお願いします。
#95
○国務大臣(齋藤邦吉君) 小平委員の御質問、また、ただいまの玉置先生の御質問、そうした場合におきましては、具体的な対象につきまして実情を十分に調査をして善処するようにいたします。
#96
○小平芳平君 先ほどのルソン島における遺骨収集ですが、山岳地帯であり、マラリアの多い地域であり、また治安もよくないということですね。で、こういうところへ民間の手ではもうとても無理だということを述べておられるわけです。とても遺族だけの力では集め切れない。ですから、そういう点も十分考慮して早急に手を打つわけですね。もう一度すみませんが、そこのところを……。
#97
○政府委員(高木玄君) ただいまのルソン島クラーク地区のピナポット山付近の遺骨につきましては、本年十一月から十二月にかけましてフィリピンのルソン島に遺骨収集団を派遣いたしますので、その際に収集するようにいたします。
#98
○小平芳平君 それで、そういう場合に、生存者の捜索ですね、あるいはこの遺骨収集というこの作業が、どうも厚生省のやり方はへただと、もっと関係者の意見を聞くとか、現地の情報を正確にとるとか、分析を正確に行なうとかという点で、総体的に厚生省のやり方がどうもへただという批判が絶えず新聞にも載りますが、そういう点についての検討はありますか。
#99
○政府委員(高木玄君) この遺骨収集団が出発します前に、相当期間かけまして遺骨収集対象地区のいろんな過去における収集の経験なりあるいは戦友の情報なり、その他いろいろな資料を集めまして綿密な計画を立てて、計画書を私どものほうでしっかりつくって、それで出かけるようにしております。非常にやり方がへただといって御批判でございますが、私どもの局では、たとえばフィリピンならフィリピン地区に非常に精通した職員もおりますし、過去に遺骨収集に行った人もおりますし、それから本年度から実施いたします遺骨収集は、戦友等も一諸に連れていってやるというような形にもなっておりますので、十二分に事前の計画を練って、そういう御批判を受けないようにいたしてまいりたい、かように考えております。
#100
○小平芳平君 私が批判しているんではなくて、私もそういう経験がないので、そういうことではなくて、たとえばグアム島の横井さんの捜索あるいは小野田さんの捜索も実際はもっと方法があったはずだと、もっと早く発見する方法があったはずだということが新聞によくそういう意見を発表される方がありますから、そういう点で何か厚生省として反省するといいますか、再検討するといいますか、そういう点がありますかというふうに尋ねたわけです。
#101
○政府委員(高木玄君) ルバング島の小野田少尉の捜索につきましては、確かに三十四年の時点にもう小野田さんも小塚さんもいないものとして捜索を打ち切ったという経緯がございますので、そういった時点におきまする捜索のしかた等につきまして不十分な点があったかという反省がございます。そういった点を踏まえまして昨年から本年にかけましてルバング島の捜索を実施するにあたりましては、一流の心理学者の御意見等も承りまして十分に準備をしてやったつもりでございましたが、残念ながら小野田少尉の救出ができなかったと、こういう状況でございました。
#102
○委員長(大橋和孝君) それでは本案に対する質疑は、午前中はこの程度でとどめます。
    ―――――――――――――
#103
○委員長(大橋和孝君) 前委員長矢山有作君より発言を求められておりますので、これを許します。(拍手)
#104
○矢山有作君 委員長をやめることになりましたので一言そのお礼なり、ごあいさつを申し上げたいと思います。
 一年有余にわたりまして至らぬ者でありますが、委員長をつとめさせていただきまして、皆さんの御協力をいただいて心からお礼を申し上げます。
 特に、人間の命と健康と暮らしを守ることが政治の中で優先されなければならぬということで福祉重点ということがいわれ出したその時期にちょうど委員長をやらしていただいて、特に皆さんの御協力をいただきまして、そういう施策を推進していくいささかの力になればということで、心身障害児、者対策の推進に関する決議が実現を見ましたことは私の心から喜びとしておるところでございます。御協力いただきましたことを心からお礼を申し上げます。
 また、なお本委員会の委員として残らしていただくことになりましたので今後ともひとつよろしくお願いを申し上げまして、お礼のごあいさつにかえさせていただきます。ありがとうございました。(拍手)
#105
○委員長(大橋和孝君) それでは、午後四時まで休憩いたします。
   午後零時四十二分休憩
     ―――――・―――――
   午後四時二十五分開会
#106
○委員長(大橋和孝君) ただいまから社会労働委員会を再会いたします。
 休憩前に引き続き、戦傷病者戦没者遺族等援護法等の一部を改正する法律案を議題とし、質疑を行ないます。
 質疑のある方は御発言をお願いします。
#107
○小平芳平君 戦時中、軍で毒ガスを製造して、それを敗戦とともに海へ投げたりしたというところから再三事故が起きまして、国会でもしばしば指摘されてきました。このことについては、やはり戦争犠牲はもとより、これこそ現に起きてしまっている直接の犠牲者がそのまま放任されているとそのままになっているというような実情がございます。
 初めに、厚生省から、全国的にどういう状況にあるかということと、それからもう一つは、広島県の実際に製造をしていた工場従事者、この二点について、わかっている点をお答えいただきたい。
#108
○政府委員(高木玄君) この毒ガス被害の問題につきましては、現在各省連絡協議会ができておりまして、環境庁がその窓口機関として、関係各省のいろんなデータを総括しておりまして、私どものほうでは、援護局といたしましては、この毒ガス被害の全体的な状況の資料は、現在ちょっと持っておりません。私どもが関係いたしますのは、この大久野島のもとの陸軍造兵廠の忠海製造所で毒ガス製造しておったと、援護局の関連が出てまいりますのは、この忠海の大久野島に動員学徒なり、女子挺身隊員が動員されまして、この大久野島の製造所で主として風船爆弾の袋張り等を実施したのであります。これが大体昭和十九年の九月から十月ごろから終戦のときまでに、動員学徒あるいは女子挺身隊員として学生等が動員されたのであります。この大久野島におきまする毒ガスの製造は、十九年七月に全面的に中止されております。したがいまして、この動員学徒等が入りましたときには、もう毒ガスの製造は行なっておりませんし、従事した作業は、主として風船爆弾の袋張りであったというふうに聞いております。しかしながら、当時、大久野島に入りましたこの動員学徒の関係者の方々から、昨年十一月に七名ほどの方から、障害年金の申請が出てまいりました。それは大久野島における毒ガス障害に起因して、慢性気管支炎等にかかったのであるということで申請が出てまいっておりまして、これは現在私どものところで慎重に審議中でございます。しかし、何ぶんにもこの大久野島に入りましてから、もう三十年近い年月を経てきての申請でございますので、はたして動員学徒として大久野島における作業に従事中に毒ガス障害があったのかどうか、その辺の認定がきわめてむずかしい状況でございますので、現在慎重に検討いたしておる次第であります。なお、大久野島におきまするこの製造所の職員は、旧令共済組合の組合員でございますので、現在大蔵省の所管しておりまする国家公務員共済組合連合会の旧令共済部におきまして、その方々に健康診断等を行なっているというふうに承知いたしております。
#109
○小平芳平君 それは環境庁の担当の分は除きまして、この戦争犠牲者に対する援護について、いま審議されているわけですから、そういう観点からひとつお答えいただきたいんですが、それで、それじゃその大蔵省から旧令共済の状況についてお答えいただきたい。
#110
○説明員(鈴木吉之君) ただいま援護局長のほうからお答えいただきましたとおり、国家公務員共済組合連合会が、現在ガス障害者に対しまして救済措置を行なっておりますが、これは旧陸軍共済組合の業務を国家公務員共済組合連合会が引き継いでその業務を現在行なっておりますので、その立場から旧陸軍の共済組合員であった方々のうちで、この兵器製造所に従事され、ガス障害を受けられた方について救済措置をとっておるというのが現状でございます。救済の内容につきましてはただいまもお話にございましたが、病気にかかった方につきましては、その療養の給付を行なうとか、あるいは健康診断のための手当を出すとかいうようなもろもろの対策をとっておるわけでございます。
#111
○小平芳平君 そういうふうに両省から答弁されると、いかにも問題がスムーズにいっているようにとられますが、実際は、この広島大学の西本幸男教授らがずうっと継続して研究されていらっしゃる、元従業員二千三百八十一人を対象に始めたが、これまでに四百五十七人が死亡したというような点、あるいは四十倍ものガン発生率だというようなことを発表しておられますが、この点についてはおわかりですか。
#112
○政府委員(加倉井駿一君) ただいま先生の御指摘になりました旧大久野島毒ガス工場従業者実態調査というものを広島大学でおやりになっていることも存じておりますし、その結果についても私ども手元に所持いたしております。
#113
○小平芳平君 そうすると、ここに出てきますように、毒ガス障害者に対しては昭和二十九年の旧令共済特別措置要網の制度以後、医療給付に関する改善措置は何らされてないということですか。
#114
○説明員(鈴木吉之君) 現在、ガスに起因して障害を受けられた方々につきましては、病気の状況に応じまして、元従業員であった方には医療手当を交付いたしまして、病気にかかりますと指定病院に行くような手はずが整っておりますし、病気に現にかかっておる方につきましては、認定審査会の審査を経まして認定患者として出されました方につきましては指定した病院で病気についての治療を受けられるというような状況になっておりますが、医療の範囲につきましては、当然ガスに直接起因いたします慢性の気道炎とかあるいは気道ガンとかあるいはこれらの症状を悪化させるおそれのある病状、さらにはまた併発した心蔵病あるいは呼吸器感染症というような病状を一応考えまして、専門のお医者さんの判断を経ました病状を定めてそれぞれ適切な医療の手当てをするように考えておるわけでございます。
#115
○小平芳平君 その認定は西本教授はあまりにも少な過ぎる、毎年一人ぐらいしか認定されてないというふうにいま説明の認定に対しては不満を訴えておられるんですが、これはどうですか。
#116
○説明員(鈴木吉之君) 病気の範囲につきまして前々からいろいろと論議のございました点は承知いたしておりますが、最近専門のそれぞれの立場からいろいろと御検討いただきまして、できるだけこの範囲を広げるようにという立場から現在検討中でございます。
#117
○小平芳平君 そうするとどうなんですか。加倉井局長は広島大学の調査結果は承知しておりますと、承知しているだけじゃ何にもならないんですがね。行政の上にどう生かされているんですか。
#118
○政府委員(加倉井駿一君) 私どもといたしましては、微量のガスによります影響によりまして疾病が起こるということが確実でございました場合には、私どもといたしまして、そういう方々に対する救済の措置というものは当然考えなければならないというふうに理解いたしております。
#119
○小平芳平君 救済の措置は、どこでどういうふうに救済するんですか。
#120
○政府委員(高木玄君) この大久野島の問題につきまして、現在、現地においてございます不満は、いわばそこの正規の職員として働いておられた方方は、いま大蔵省のほうから御答弁ございましたように、旧令共済組合のほうでいろいろと健康管理の措置を受けているわけでございますが、動員学徒あるいは女子挺身隊員、そういった方々につきましては、そういった方途が国において講ぜられてないじゃないか、やはり同じく大久野島で作業をしたのであるから同じような措置を講ずべきである、こういう御主張が地元の方々から出ておるわけでございます。そういった点を勘案いたしまして、私どもといたしましては、この問題につきましては、動員学徒等につきましても何らかの形で国としてもその健康管理あるいは医療費の問題、こういった点について措置を講じなければならぬだろう、こういう気持ちになっておりまして、明年度の予算要求におきましては、この問題を片づけたい、かようにいま考えているところでございます。ただ、この問題につきましては、援護局でやるのが適当か、あるいは広く毒ガス被害の救済、ということで公衆衛生局でやることが適当か、いま省内で援護局と公衆衛生局と相談中でございますが、どちらかでまとめて何らかのこの健康管理の措置を講ずるように予算措置を講じたいと、こういうように考えておる次第でございます。
#121
○小平芳平君 一つには、広島大学で研究が行なわれているのであって、もっと国が本気になって取り組んでないという点が問題でしょう。それで、来年はけりをつけたいとおっしゃるんですが、当然、もうそれこそ二十九年も前のことなんですよね。ですから、もっと早く国が積極的に取り組むべきであったということが一つでしょう。いかがですか。
#122
○政府委員(高木玄君) この問題につきましては、直接毒ガス製造に従事された方々につきましては早くから問題が提起されておりまして、大蔵省のほうで手を打ってまいったわけでございます。ところが、十九年の九月か十月ごろからこの島に入りました動員学徒等につきましては、毒ガス製造が中止された以後でございますので、直接的な毒ガス被害はないんじゃないかと、こういうたてまえでまいってきておったわけでございますが、先ほど申しましたように、昨年の暮れに初めて毒ガスに起因するのだということで障害年金の申請がございましたので、そういったことから地元におきましても、もとの動員学徒等についても本来の職員と同じように措置してほしいと、こういう声があがってまいったように、そういった経緯であるというふうに了解しているのでございます。
#123
○小平芳平君 いや、それはそうですがね、問題が二つありまして、旧令共済の認定制度に対する不満、これもあるわけですよ。旧令共済の認定制度、それがこういうふうに欠陥があるというふうに発表されているわけでしょう、それが一つと。それからもう一つは、いま局長のおっしゃる動員学徒、挺身隊の問題ですね。その両面から言って、窓口がはっきりしないこと自体も被害者にとってはまことに困るわけですよ、そういうことでは。ですから、旧令共済の認定制度に対する問題点は、それは大蔵省がそういう認定制度をつくって、あるいは認定制度に不備があるなら大蔵省が直すのか、公衆衛生局が直すのか、そういう点が、窓口さえはっきりしてないというのが一番大きな被害者の不満じゃないですか。
#124
○説明員(鈴木吉之君) ただいま先生から旧陸軍共済組合員であった者につきましての認定についてのお尋ねがございましたので、その点について私からお答えをいたしたいと思いますが、先ほどちょっと触れましたとおり、まずその製造所に従事しておった方かどうかという身分関係の認定をいたしますために、調査会というものを設けまして、それぞれもと従業員であったような方々が委員になっていただきまして、身分関係を審査するような機関ができておりますし、さらに、病気の内容につきましては、専門の医者に委員になっていただきまして、それぞれ医学的な見地からその障害者について認定を行なっておるというのが現状でございます。さらに病気の範囲につきましては、先ほどもお答え申し上げましたが、それぞれ医学的な見地から現在の病状につきましての範囲を定めておるわけでございますが、いろいろと論議され、あるいは御陳情等も伺っておりまして、さらに検討すべき内容があるかどうか、その辺の検討を現在行なって、もし内容的に広げられる範囲があるとすれば、その点につきましては、できるだけ早い機会にこの措置をとりたいということで考えておるのが現状でございます。
#125
○小平芳平君 したがって、旧令共済の認定については大蔵省でやるというわけですね。そうすると、その広島大学の研究は、では、どこでやったのですか。大学がかってにやったのですか。
#126
○政府委員(加倉井駿一君) この研究は広島大学の独自の研究でございます。
#127
○小平芳平君 ですから、厚生大臣、広島大学が独自に研究してくれたということですが、毒ガスによる健康被害というような事態はそうめったにあることじゃないわけですからね。それを、こうした問題を大学独自にまかしておいて、国は窓口さえはっきりしない、わからない、それじゃ困るじゃないですか。いかがですか。
#128
○国務大臣(齋藤邦吉君) おっしゃるとおりでございまして、窓口を一本にして、こういう方々をめんどう見る道をはっきりきめるということが必要になると思います。
#129
○小平芳平君 で、そういう医学的な研究は――大蔵省はその共済組合の運営についての責任であって、厚生省がそういう健康被害についての研究は中心になって行なうべきでしょう。これはいかがですか。
#130
○政府委員(加倉井駿一君) 私どものほうといたしましては、この研究につきましても保健所が中心になりまして広島大学のお手伝いをいたしております。したがいまして、私どもといたしましては、その地域の健康問題につきまして保健所が地域医療の一つの問題として取り上げていくというふうに理解いたしておりまして、これはやはり大久野島を中心といたしました健康被害の問題として保健所が取り上げたというふうに理解いたしておりまして、ただ、それに対して国が援助したかしないかということにつきましては、残念ながら、この研究段階におきましては国が援助をしなかったということだと思います。
#131
○小平芳平君 したがいまして、いままでの経過はそういう経過だったわけでしょう。したがって、今後、国がそうした、地域の健康管理といえば地域住民の健康管理の一環に違いありませんが、あらゆる場合ですね。こうした毒ガスによる被害というものはめったにあるわけじゃないでしょう。したがって、はたしていま大蔵省の審査会程度でいいものかどうか、あるいは、まあ、大蔵省自体もいま検討すべきことは取り上げていくと言っておりますが、これはもっと、それこそ戦争による健康被害者として国が取り組むべき問題であると、県もこれずいぶん協力しているようですがね、県と大学にまかしておいて、国はただ存じておりますという態度ではなくて、もっと具体的に国が入り込んでいっていただきたいと思うのですが、いかがですか。
#132
○政府委員(高木玄君) でございますので、先ほどお答え申し上げましたように、特に欠けておる動員学徒等を中心にいたしまして、国としても乗り出して予算措置を講ずるように明年度措置したいと、かように考えておる次第でございます。
#133
○小平芳平君 どうも、動員学徒、女子挺身隊は来年取り上げると、たいへんおそまきながら来年取り上げるということでしょう。私がいま国が取り上げるべきだということは、そうした健康被害に対する研究ですよ、調査、研究、そうして救済という。そういうことをやるとすれば、どこでやってくれるかですね。いままでのとおり、こうした毒ガスによる健康被害者は、ちょうど広島県にそういう毒ガスをつくる工場があって、その島の人は運が悪かったのだから、地域の問題としてやれということでいってしまうのか。私は、それは明らかな戦争犠牲者に対する国の態度としておかしいではありませんか、こう言っておるのです。
#134
○政府委員(高木玄君) この毒ガス被害の問題は実は非常に広範な問題を含んでおりまして、厚生省のみの問題でもないわけでございます。たとえば、終戦後、いままで貯蔵されておりました毒ガス弾を処理するという際にけがをした、傷害を受けたというような方々もおられるわけでございまして、そういった方々を含めて考えますと、毒ガスの健康被害というのは、動員学徒については援護局は準軍属として扱っておりますので、その面ではかかわり合いございますが、戦後の毒ガス処理による健康被害は援護局の問題ではない。それから、毒ガスの処理にからんで漁業被害等が起きた場合にはこれは水産庁の問題、その他各省庁に非常にまたがるところが多いので、各省連絡協議会というものをつくりまして、先ほど申しましたように、環境庁を窓口にいたしまして、この毒ガス被害にからまる各省所管の問題にからんでのいろいろ問題を協議する機関を設けておるのでございまして、そういったただいまの研究等の問題も含めまして、各省連絡協議会でよく打ち合わせてみたいと、かように考えます。
#135
○小平芳平君 そういうことになりますかね。要するに、各省連絡協議会はある段階で、――これは環境庁が発表した数字ですか、被災者合計百二十九名、死亡者四名、これらの方に対する救済については、自衛隊員が処理中に被害を受けたとか、あるいは警察が海へ投げたものを処理しようとして被害を受けたとか、そうした方が百二十九名、死亡者四名いるというような、そうした救済については、確かにおっしゃるように、自衛隊の方が被害を受けたら自衛隊の救済制度、あるいは国立公園の中にガス弾が発見されたなんていうような場合は環境庁がというようなことになるのじゃないですか。少なくともこうした毒ガスによってはたしてガンが四十倍も多いというような、こういう研究は厚生省でしょう、援護局じゃないかもしれませんがね。厚生省がそういう研究をやらなければほかに省がないじゃないですか、どうですか、厚生大臣。
#136
○政府委員(加倉井駿一君) 御指摘のように、私どもといたしましては、地域における疾病の発生状況等を絶えずにらみ合わせておりまして、それがいかなる原因であるかということの調査をいたすというのが公衆衛生の仕事かと存じます。しかしながら、これは全国至るところに、毒ガスばかりではございません、いろいろな病気に対する起因物質によります疾病等もあるわけでございまして、そういうものを長期間観察して初めて疫学的にその原因物質を追求すると、こういう態勢になろうかと思います。したがって、大久野島の場合におきましても、いま申し上げたような疫学的な調査から毒ガスではないかということに追求をされ、そして、毒ガスによるであろうという推論をされたわけでございまして、初めから毒ガスが原因でそういう疾病が起こるというふうな仮定のもとにいろいろの追求をやる場合もあろうかと思いますけれども、やはり、私どもの公衆衛生の立場といたしましては、その地域における疾病状況から原因物質の追求をする、こういう態勢になろうかと思いますので、まず、県段階におきましてその追求がなされ、それがはっきり原因物質がわかった場合には、その原因物質に因果関係を求めまして救済措置をとると、こういう形になろうかと思いますので、ケース・バイ・ケースによりまして処置をしなければならないというふうに考えております。
#137
○小平芳平君 厚生大臣、公衆衛生局長は地域住民の健康というところからいまのように答弁されます。そういう疫学調査ももちろん必要だと思います。疫学的な見地から地域住民を対象にして調査をすることがそれは必要だと思います。
 もう一つ、厚生省として、いま担当の人が来てないと思いますけれども、イペリットを吸った人はガンが多いと、あるいは呼吸器系統のガンが四十倍も多かったという現に報告が出ているわけです。こうした毒ガスとガンとの因果関係、こうした問題は厚生省の窓口でやるべきことでしょうと言っているんですが、いかがですか。
#138
○政府委員(加倉井駿一君) イペリットによりますガンの発生と申しますか、イペリットが発ガン物質であるということの研究につきましては、これはたとえば国立ガンセンター、あるいはガンの研究助成補助金によりまして研究される場合もあろうかと思います。しかしながら、イペリットというのはこれは毒ガスでございますので、現在におきましては国内ではもちろん生産されておりませんし、生産すべきではないと思います。しかしながら、類似の物質によりまして発ガン性があるかどうかということの研究の所管は厚生省だろうと思います。
#139
○小平芳平君 厚生省だろうじゃなくて、厚生省ですね。ですから、最後に、厚生大臣、こういうはっきりした問題は全国民的な見地から戦争被害者を救済しようということに対する厚生大臣の先ほどの御答弁からしましても、こうしたきわめて限られた地域における、また、その地域で働いた人の健康被害についての問題提起なんですから、したがって、動員学徒、女子挺身隊員のことはわかりましたが、ただ大学と県の報告を待っていると言うんじゃなくて、国として早くこれだけのことはいたしますと、あるいは国としてもそうした毒ガス製造というようなとんでもないことをやったわけですから、これに対してはこれこれの対策をしましたというふうにやってほしいと思うんですが、いかがですか。
#140
○国務大臣(齋藤邦吉君) お話しのとおり、私もそうだと思います。でございますから、その辺の所管の問題、連絡協議会で十分今後相談をしていただきまして、そうして、厚生省の公衆衛生局の所管として、そして何らかの研究機関を指定するなら指定する、あるいは広島の県なりを通して補助金を出すとか研究委託をするとか、何かそういう道をやっぱり考える必要が私、あると思います、率直に言うて。いま、にわかのお尋ねでございますから、あるいは間違っているかとも思いますが、どうも筋がそうだと思います。公衆衛生局の所管にして国が直接の何か研究機関で行なうか、あるいはせっかく向こうの大学で研究をしておるわけですから、国が県を通して、そうしたところに補助金を出すとか、委託研究をするとか、何かやっぱりそういう措置を講ずる必要が私はある、こういうふうに考えております。したがいまして、もう少し事務的にも詰めてみまして、来年度の予算要求ということになれば、その時点で善処するようにいたします。
#141
○委員長(大橋和孝君) 本案につきましては、本日はこの程度にとどめます。
 本日はこれにて散会いたします。
   午後五時散会
     ―――――・―――――
ソース: 国立国会図書館
姉妹サイト