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1972/05/10 第71回国会 参議院 参議院会議録情報 第071回国会 文教委員会 第8号
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1972/05/10 第71回国会 参議院

参議院会議録情報 第071回国会 文教委員会 第8号

#1
第071回国会 文教委員会 第8号
昭和四十八年五月十日(木曜日)
   午前十時十六分開会
    ―――――――――――――
  出席者は左のとおり。
    理 事
                久保田藤麿君
                楠  正俊君
                宮之原貞光君
                安永 英雄君
    委 員
                金井 元彦君
                志村 愛子君
                中村 登美君
                濱田 幸雄君
                二木 謙吾君
                宮崎 正雄君
                小林  武君
                松永 忠二君
                内田 善利君
                加藤  進君
   国務大臣
       文 部 大 臣  奥野 誠亮君
   政府委員
       文部省初等中等
       教育局長     岩間英太郎君
   事務局側
       常任委員会専門
       員        渡辺  猛君
    ―――――――――――――
  本日の会議に付した案件
○教育、文化及び学術に関する調査
 (昭和四十八年度における文教行政の重点施策
 に関する件)
    ―――――――――――――
  〔理事楠正俊君委員長席に着く〕
#2
○理事(楠正俊君) ただいまから文教委員会を開会いたします。
 教育、文化及び学術に関する調査のうち、昭和四十八年度における文教行政の重点施策に関する件を議題とし、質疑を行ないます。
 質疑のある方は御発言願います。
#3
○加藤進君 大臣の所信表明に関連して若干質問したいと思います。
 きょうの朝日新聞によりますと、こういう記事が出ています。これは神奈川県相模原市の中学につとめているA先生からの通信文だそうでございますが、これにはNという男の子の問題が取り上げられています。ほとんどのこの子の学科が2だったので、「四年になって算数をがんばり、テストで好成績をとったが、担任の先生はやはり「2」をつけた。クラス全体で「5」が何%という制限のためだ。通知表をもらったN男は家へ帰って泣く。M先生は悩み続けた……。」こういう記事であります。さらに、そのあとに「――生徒たちの多くはN男に同情的で、相対評価には強い疑問を投げかける。「成績というのは「自分の評価」であるはずなのに、このつけ方では「みんなの中の自分」にしかならない」「「5」は何人などときめないでやればいいと思う。」努力した人は上がって、さぼった人は下がるような方法がいい、こういうことが出ています。私は、この学力評価の問題について、去る四十七年九月二十日の参議院文教委員会において、当時の稲葉文部大臣に質問をいたしました。そのとき五段階相対評価というような教育的でないものについては、文部省としても検討したい、まあ、こういう答弁があったわけでございますが、そこで最初に、文部省はその後どのようにこの問題について検討されておるか、その点をまずお聞きしたいと思います。
#4
○政府委員(岩間英太郎君) ただいま御指摘になりました新聞記事、まだきょうはちょっと見るひまがなくて拝見しておらなかったわけでございますが、まことに御指摘のとおりだと思います。しかしながら、これは現在私どもが指導いたしております指導要録と、それからいわゆる通信簿というふうな問題を混同していろいろ言っておられるのじゃないかというふうな感じがするわけでございます。私どもは、学校とそれから児童、生徒あるいは父兄との間の教育的な配慮のもとに行なわれる学習の評価というものは、これは現在の指導要領とは別に考えて、教育的に最も効果のあるような方法でやっていただきたいということを考えているわけでございます。先ほど御指摘ございましたように、昨年の九月に加藤先生から大臣に対しまして指導要録の問題につきましていろいろお話がございました。その速記録も拝見したわけでございますけれども、まあ大臣は、ただいま先生が御指摘になりました学校とそれから家庭、あるいは児童生徒との関係についてのお話と、それからいわゆる指導要録との関係につきまして正確にお考えになって御答弁をしたようではないようでございまして、まあ検討ということにつきましても、大臣はそういうふうなことを言っておられないように拝見したわけでございます。まあ、しかしながら御指摘に基づきまして、私から中身につきましてはさらに機会を見まして検討していくということは申し上げたつもりでございます。それは現在の学習指導要録は学習指導要領と一緒に大体検討するような手順をいままで踏んでまいりました。学習指導要領が変わりますと教育の内容も変わってまいりますものでございますから、まあ、それに応じまして評価の問題も変えてまいるというふうなことを考えてきたわけでございます。
 学習指導要領の問題につきましてはいろんな事態が出てきておりまして、前大臣からも学習指導要領のまあ弾力的運用というふうな御指示がございまして、私ども引き続き検討を進めているわけでございますけれども、それと並行いたしまして、この問題につきましても考えてまいりたいという気持ちは持っておりますが、そういう意味で私は申し上げたようなつもりでございます。
#5
○加藤進君 そうしますと、検討は進めているけれども、ただいまのところ報告するような内容までは煮詰まっていない、こういうことですか。
#6
○政府委員(岩間英太郎君) さようでございます。
#7
○加藤進君 私は、この前の質問でもそうですけれども、いわゆる家庭に送られる通信簿と五段階相対評価といわれる指導要録の形式、これとはもちろん別のものだと考えています。関連はあるけれども別のものであると、こうは見ておりますけれども、しかし、この子供が悩み、同時に先生も非常に苦しみ悩んでいる五段階相対評価というものは、これは私は何も通信簿の問題ではなしに指導要録に基づく評価様式にあると、こういうふうに見ておりますけれども、そう見るのは正しくないでしょうか。
#8
○政府委員(岩間英太郎君) まあ、客観的に見ました場合に、私どもは現在の五段階の評価というのは、これは正しいというふうな、正しいと申しますか、正しいと言い切るにはちょっと問題ございますけれども、現在のところではこれ以上の評価の方法はないというふうに考えているわけでございます。
 それは、一番大きな点は客観性という点であろうと思いますが、現在の小学校、中学校のように子供が自分の意思で学校を選ぶことができない、つまり自然の状態でそれぞれの学校に入ってこられるというふうな状況のもとにおきましては、これはアメリカでも、日本でも、あるいはソ連でも、中国でもやはり同じような分布ができてくる。いわゆる正常分配曲線みたいなものが、これは客観的にできてくるわけでございまして、そういう意味から申しますと、ごくまあ客観的に考えますとそういう評価が当然成り立ちますし、それから現在のところはそれにまさるような評価の方法というのはないというふうに考えているわけでございます。まあ、しかしながら御指摘のように、教育的な観点に立ちますと、これはまたいろんな御判断があってしかるべきであるというふうに考えているわけでございます。たとえば入学試験の負担を軽減する、中学校の場合、中学校から高等学校に入ります場合に入学試験の負担を軽減するという場合には、やはり相対的な評価を用いなければ、これはそういうものの役に立たない。しかしながら、クラスあるいは一つの学校単位に考えまして、家庭と学校との間を教育的に円滑な連絡をとるという場合には別な判断があってしかるべきであるというふうに考えているわけでございます。
#9
○加藤進君 この問題は、前の稻葉文部大臣のときにたまたま起こった問題でないことは御承知のとおりでございまして、父兄の間ではすでに六八年ころから非常に大きなこれに対する批判の声が起こっております、御承知のように。で、これは六八年当時でございますけれども、これがテレビの問題になりまして、当時の文部大臣はそれはよくないので改めますというふうにテレビでも国民に向かって答えておられる。そうしますと、私の質問をも含めて数々国会でも論議がされておるし、そのつど大臣あるいは政府は、この問題については正しくないから検討して改めたい、こういう意思表示がたびたびやられていたわけでございますが、この点についてもしはっきり言うなら、これは政府の国民に対する公約違反にも当たりやしないか、こういうふうに考えますけれども、その点は従来の発言を全部取り消されて、この五段階評価のしかたが最良である、こういう結論を文部省は持っておられるのか、これは大臣にお尋ねしたいと思います。
#10
○国務大臣(奥野誠亮君) いろいろお話を伺いながら、私なりに文部省が指導要録等につきまして府県の教育委員会に出しております通知、その具体化をもっと検討して、指導の万全を期すべきじゃないかなという感じを持たしていただいたところでございます。いまお話を伺いながら、この通達の中には「あらかじめ各段階ごとに一定の比率を定めて、児童をそれに機械的に割り振ることのないよう留意」しろと、こういう表現が一つございます。これを具体的にどういうふうに持っていくかということについてもっと詳細な指導があってしかるべきではないかなということをいま感じておったところでございます。
 もう一つはその通達のところにこういうことを書いているわけでございます。「通信簿、家庭連絡簿等は」「指導要録の様式や記載方法等をそのまま転用することは必ずしも適当ではない場合もあるので、注意すること。」と、こう書いていることでございます。これももっと具体的にどうあるべきかというようなことを少し検討して、いまおっしゃいましたような事例がなるたけ起きないような配慮があってしかるべきじゃないかなと、こう考えたわけでございます。この辺の問題につきましては、やはり私たちのほうでもよく検討して、具体的な事例に応ずるような指導の徹底をはかるということが大切じゃないかなと、しろうと考えにそんなことを考えさしていただいておったところでございます。
#11
○加藤進君 大臣がしろうとなどということはこれはもう通りませんので、ひとつ専門家の立場で十分検討してもらいたいと思いますけれども、先ほどはこの指導要録の取り扱い方についての留意事項を読まれたと思いますけれども、しかし本文はどうなっておるかというと、「各教科の評定は、各教科の学習についてそれぞれ5段階で表わし、5段階の表示は5、4、3、2、1とする」こういうふうに出ていますね。「小学校学習指導要領に定めるその教科の教科目標および学年目標に照らし、学級または学年において、普通の程度のものを3とし、」と、こういうふうにして3を基準においてあるいは2、4、そして5、1と、こういう意味のいわば生徒の学年内においてあるいは学級内における順位振り分けをやる、これが学習指導要録の求めておる趣旨じゃないでしょうか。こういうやり方が、いわば文部省の行政指導の上で教育的な観点からいいと考えられておるのかどうか。これは長年にわたる問題でございますから、もう今日結論的なものを文部省は用意されてしかるべきじゃないかと、こういうふうに考えますけれども、その点はどうでしょうか、改められるというお気持ちあるいは検討されるという御決意があるかどうか。
#12
○政府委員(岩間英太郎君) この問題につきましては、御指摘いただいておりますように、絶えず検討しなければならないような問題だろうと思います。これは人間の評価にもつながる問題でございまして、非常にむずかしい問題でございます。これがいい、それからこれが悪いというふうなことではなくて、このほうがいろいろな観点から考えましてよりベターであるというふうなことで、私どもも現在のような評定の方式をとっておるわけでございます。この五段階の評定の場合でも、観点は、学校とそれから家庭あるいは児童生徒との教育的な関係が一つございます。それからたとえば現在問題になっていますように、中学校、高等学校の問の入学試験の負担というものをどうやって解決するかというふうな観点もあると思います。いろいろな観点から考えられている問題でございまして、たとえば高等学校というのが将来どういうふうな形になるかわかりませんけれども、入学試験を必要としないというふうなことになりました場合には、また別の観点だってこれはあり得ると思います。いろいろな観点から絶えず検討しなければならない問題でございますが、そういうふうに全般的な教育的な配慮というものからこれは検討すべきものであるという問題だろうと思います。
#13
○加藤進君 私も、相対評価は絶対だめだ、絶対評価にしろ、あるいは評価そのものをやめろなどというような暴論を申し上げておるわけではありません。一般的に言っても、言われるように、評価のしかたというのはそれぞれ目的がある問題、それから何を一体評価するのかという問題、こういう問題についてそれぞれ評価の方法が違ってもいいと思うのですね。したがって、いまおっしゃいましたように、入学試験の場合には、これはもう合格と不合格、きわめてはっきりすると思うのです。だから、その入学試験の場合には、それに合致した評価方法をとっていただいて私はけっこうだと、あるいは体力を計るといった場合には、百メートル計る場合にはそれは十何秒で走ったとかというようなこともいわば評価方法として当然成り立つわけです。問題は、文部省が行政の最高の責任をとっておられる義務教育において、学習の内容に関する評価の方法、評定の方法が、こういう五段階の相対的評価方式ではたしていいのか、基本的にその問題を真剣に取り上げて検討してもらわなければ、問題の解決はないのであって、何も入学試験の事情があるからこうこうだなどというようなことで私はこの問題は片づくものではないと思う。おっしゃるように、小学校の一年生から中学の三年生のすべてにわたってこれは一貫して貫徹されるいわば学習の評価の方法なんですから、そういう意味で、私は特に質問しておるということをぜひお忘れないようにしていただきたいと思います。
 そこで聞きますけれども、文部省のおっしゃる学習指導要録というのは、一体何のために、何を目的としてつくられておるのか、この点をまず前提としてはっきりお聞きしておきたいと思います。
#14
○政府委員(岩間英太郎君) これはもちろん子供が小学校から中学校、それから大部分の子供は高等学校、さらに、相当部分の者が大学に行くというふうな学校間の進展もございますし、あるいは一年生から二年生、二年生から三年生、こうつないでいく場合もあるわけでございますが、そういうふうに子供が継続して教育の面で発展を遂げていくというふうな場合に、担当者が一人であればもちろん問題はないと思いますけれども、次々と担任の方もおかわりになる、それから教育の内容も高度化していくというふうな場合に、その子供たちがどういうふうないままで学習の経験を経、それからどういうふうな進展を遂げてきたかということを知りながら教えるということは、これは教育的にもきわめて適切なことであろうというふうに考えるわけでございます。そういうふうに主として子供さん方が教育の中で発展をしてこられるそのあとをたどりまして、それからその際にまた留意すべきいろいろなことにつきまして、それを引き継がれた先生方が参考にされて教育を進めていくということのために、こういうものをつくるのでございます。
#15
○加藤進君 いろいろ御説明になりましたけれども、私の聞きたいのは、学習指導要録については、学校教育法施行規則第十二条の三に明確にその定義がしてありますね。これはもうお忘れないことだと思います。その定義によりますと、指導要録とは、「学校教育法施行令第三十一条に規定する児童等の学習及び健康の状況を記録した書類の原本をいう。」これははっきりしていますね。学習及び健康の状況を記録した書類の原本なんです。こういういわば非常に重要な意味を持っている書類である。こういう点をはっきり確認してもらわないと、この学習指導要録の取り扱い方について、きわめて安易な態度があらわれると思うのです。その点、局長の答弁につきましても、いろいろおっしゃいましたけれども、その基本が明確にされていない。この点こそ一番重要な問題であって、児童などの学習及び健康の状況を記録する、その記録の意味を持つのが指導要録である、こうするなら、そういう学習の記録として何をこのような要録の中で示さなくてはならぬのか、評価の中に示さなくてはならぬのか、これは明らかではないでしょうか。一体、子供がどれだけ学習によってその学力を伸ばしたのか、あるいは学習の努力が足らなくてその学習目的に十分合致しないような状態になっているのか、こういう点を正確に把握するということが評価の一番中心の問題じゃないでしょうか、その点いかがでしょうか。
#16
○政府委員(岩間英太郎君) 御質問の趣旨がよくわからなかったものでございますから先ほどのようなお答えをしたわけでございますけれども、先生のようなお話、これはある面から見れば、そういうことであるということは間違いないと思います。
#17
○加藤進君 事柄は、義務教育全般にかかわる問題ですね。だから、この評価を通じて子供たちは学習に励みを覚える、先生たちは先生たちで、この子供たちがどの点まで所期の教科内容を理解したか、こういう点では指導のための大きな指標になる、こういうのが私は教育効果をあげる一番の中心だと思う。そのために役立つのが指導要録でなくてはならぬ、そうでしょう、その点はいかがでしょう。
#18
○政府委員(岩間英太郎君) 基本的には、そういうことであろうと思います。
#19
○加藤進君 だとしますと、子供たちの成績を、5である、4、3、2、1、しかも3には大体この程度の部分を含める、これに合わせて、2、4はこの程度のパーセンテージ、1と最高の5はきわめて少ないパーセンテージにする、こういうことを画一的にどの学校でもどの学級でも、全国至るところでこれを行なわせる、これが指導要録でしょう、そうですね。こういうことが、大臣、お聞きになってはたして子供の学力を伸ばす、文部省もあるいは学校も目標にしておられるような学習内容の充実、子供が十分にこれを理解してみずからを高めていく、こういうことのめどになるかどうか、判定になるかどうか、これは先生も生徒も父兄もこのことについて非常に大きな疑問と悩みを持っている、これは全国的にそうだと思いますよ。この点の認識を私は、ぜひとも文部省、特に文部大臣にはっきりしていただかなくてはならんと思いますけれども、どうでしょうか、そういう意味の五段階評価のやり方、きわめて画一的な5、4、3、2、1で分ける、これは区分けでしょう。こういうことがはたして文部省の教育行政指導の面において許されるかどうか、こういう問題です。
#20
○国務大臣(奥野誠亮君) 従来から相対評価の問題と絶対評価の問題、いろいろ議論のあることは承知しているわけでございます。同時に、できるだけ客観的な評価をする必要がある、そして個人個人の適性をどう伸ばしていくか、その資料にしていく必要があるというようなところから、やはり相対評価であって御指摘のような問題の起こらない運営、これが一番大切じゃないかなという結論になってきているんじゃないか、かように考えるわけでございます。そういうこともございまして、お話を伺いながら私は先ほどのようなことを申し上げたわけでございます。相対評価をとるけれども、七%、二四%というような式の機械的な割り振りをしない、それじゃ、機械的な割り振りをしないのはどういう場合であるかということを私は具体の事例につきましていろいろ検討して、そして地方に対する指導の参考にさせることが大切じゃないか、こんな考えを持ちながら先ほどのようなお答えをさせていただいたわけでございます。お話よくわかるわけでございます。そうかといって絶対評価もおっしゃいますようにとれと言っているわけではないと、こうおっしゃいました。でありますので、具体の事例というものをどういうふうに把握していくか、それに対してこう考えるんですよという親切な指導が大切じゃないだろうかなと、こう考えているわけでございまして、そういう意味の研究を十分に重ねていきたい、かように思うわけでございます。
#21
○加藤進君 大臣、学校と学校とには教育上の格差が当然起こりますね、そうでしょう。あるいは山間僻地の学校あるいは大都市の中における学校、これはいろいろあります。そして教科内容の進行過程も違うと思います。先生の努力も違うと思います。しかし、その場合においてなおかつ全国的にどこでも、どの学級でも5の子供をつくらなくてはならん。そして5、4、3、2、1とつけるわけです。これで学校と学校との教育格差あるいは教育によって実現した教育効果というものがはかれるかどうか、これは非常に重要な問題でしょう。極端な例を申しますよ、文部省にはもう指導要領がありますから指導要領に教科目標があり、あるいは学年目標、こういうものがちゃんと出ていますね、これに到達させなくちゃいかん、私たちは反対ですけれども、これに法的拘束力まであるとおっしゃってこれを押しつけておられる、ここまで到達せよとこういっておられる、こういう到達線に向かって学習が進められる。しかし、もしクラスの全員がこの学年目標や学習目標に全く到達しなかった、残念ながら。これは先生からいうと5のつけようがない、こういった場合においてさえ、文部省のこの指導要録では5をつけろというのですね。それからまた逆にいうと、全部の生徒がよくできたと、先ほど私が読みましたこの学校の子供のように、努力してやった、。やったけれどもほかの生徒も上がっておるから依然として2なんです。2と評定されて、その子供がどれだけ進歩したのか、どれだけの教育内容を身につけたというのがわかりますか、わからないでしよう。私は、相対評価、絶対評価の議論をしているわけではない。こういうやり方の相対的な評価といわれるものがほんとうに教育上の効果を十分に果たし得るものであるかどうか、この点を私は問題にしておるのです。したがって、これは学習の記録といわれるものではない。そうでしょう、これ学習記録じゃないですよ、5、4、3、2、1じゃ。学習記録ではなしに、生徒を5、4、3、2、1の格づけで振り分ける、どれだけ学習の効果が上がったか下がったかもわからない。冷たい5、4、3、2、1です。こういうことは教師を悩まし、父兄そして生徒児童を悩ますわけですけれども、一体どういう効果を文部省は考えておられるのか。これをやってどういう効果があるのか、客観的、客観的とおっしゃいますけれども、もちろん数字は客観的です。ガウス曲線などというようなことを持ち出されますけれども、それはそれとしてある限られた範囲においての有効性はあるでしょう。しかし、子供らは小学校から中学校に至る教育課程、九カ年に及ぶわけです。この課程のすべての子供に対して行なう評定にあたって、このような方式でほんとうに子供の学力を伸ばす教育効果が期待できるかどうか、私は、その点だけははっきりお聞きしておきたいと思います。
#22
○政府委員(岩間英太郎君) 先生が仰せになりましたことは、少し極端な例をおあげになったわけでございますけれども、残念ながら子供の場合にも発達の早い者、おそい者がおりますし、それから勉強の好きな者、きらいな者がおるわけでございます。したがいまして、たとえば高等学校のように、同じような質の子供を集めております場合には、現在でも絶対評価を中心にしておるわけでございますけれども、しかしながら義務教育のように、一定の学区の中から自然に子供たちが一つの学校に集まってくるという場合におきましては、これは日本であろうと、アメリカであろうと、ソ連であろうと、中国であろうと、同じそういうふうに自然に集まってきた子供たちの学習の到達度を考えてみますと、客観的に見れば現在のような五段階で、しかも5が七%、それから4が二四%、それから3が三八%、そういうふうな曲線が出るわけでございます。これは客観的なもので別に作為を加えているわけではございませんけれども、ごく一般的な場合には、そういうふうな結果が出るわけでございまして、先生のような特別な場合はもちろんないというわけではございません。しかしながら、これはそういう言い方はどうかと思いますけれども、人間というもの自体がそういうものであるというふうなことも言えるわけでございまして、そういう一番現在の学校、特に義務教育の段階におきますような学校の子供たちを評価します場合には、これが一番妥当な、いまのところは妥当な評価の方法であるということでございまして、これ以外にいいものがないということを申し上げているわけではもちろんございません。しかしながら、科学的に考えまして、こういうようなふうになる。したがいまして、ある学級の子供たちを新しい先生が担任されるという場合に、全然知らない子供たちを客観的に評価、つかまえます場合にはそういうふうな客観的な評価、一番客観性に富んだ評価というものを基礎にして御判断になるということは、これは学習を進めていく上には必要なことじゃないかというふうに考えているわけでございます。
#23
○加藤進君 それはたいへんな間違いでございまして、子供たちがとにかく学習しながら自分たちの学力を身につける、その場合の状況を数字であらわす、いかにも客観的なようです。しかし、どこの学年でも、どこの学級でも、3は何%、4には何%、5、1は何%、こういうちゃんとした比率まできまっているんです。それに振り分けるだけでしょう。これで客観的だと言えるんですか。教育効果がほんとうにあがると思うのですか。私が特に聞きたいのは、文部省があれほど力を入れて、法的な拘束力があると強調しつつ学習指導要領に基づく全国的な教育をやれと言っておられる。それに学習の学年の計画、学年の目標や学級の目標までついているんです。これに到達せよと言っておられる。じゃ5と書いてあるのは全部到達していますか。あなたそう思われますか、初中局長、5と書いてあるものは全部到達していると、そういうふうにあなたはっきり客観的に評定できますか。
#24
○政府委員(岩間英太郎君) 先ほど来申し上げておりますように、これが全部をカバーするような絶対的なものではないということを申し上げているわけでございます。ただ、一般的には最も適応した評価の方法であるということを申し上げておるわけでございまして、それがもちろん先ほど御指摘になりましたように地域の問題、それからあるいは指導する先生の問題、そういうものによりましてかなり違ってくるということは、これは言えるわけでございますけれども、しかしながら、子供たちのおそらく素質あるいは能力というものは、これは都会であろうと、それから僻地であろうと、そう変わっておらない。いろんな父兄の教育程度とか、回りの教育的な環境でございますとか、あるいはまあ先生の指導の問題とか、そういうことで変わってくることは事実でございますけれども、客観的に見ました場合には、これは都会でも、僻地でも子供の素質には変わりがないということが一応言えると思います。したがいまして、平均的な場合に、一般的な場合に申しまして、いまのような評価というものが正しいということを申し上げているわけでございます。したがって、個別の場合に、いろんな例外があるということはこれは御指摘のとおりだと思います。また、先ほど来大臣からも申し上げているようなとおりでございます。
#25
○加藤進君 結局、文部省の言われることは、学校の中ではテスト、テストでマル・バツ振り分けをやる、ちょうど入学試験の合格と不合格、これをつけるようなもの、これを多少内容を広げて五段階にする、五段階の児童、生徒の振り分けを形式的にやればそれでいい、内容的には何にも文部省もあるいは教育委員会も学校もわからない。こういう形式をともかく今後ともとろうとされるなら、これは非常に重大なことでありまして、何がゆえにこういう点まで固執して、そうしてもっともっと適切な方法を研究されないのか、これは初中局長や文部大臣の頭だけでいろいろ検討されても出てこないと思いますけれども、全国には何十万の現場の教師がおります。この教師の教育実践を通じていろいろな研究がやられ、いろいろな苦悩がその中から出て、そしてこの方法でやろうというようないろいろな努力がやられておるんです。こういう努力を十分に学んだらどうですか。そういうことをやらなければ、私は文部省の教育行政に対する不信はますます高まる。父兄は離れ、教師は文部省に対して非常に大きな不信感を持つ。子供たちはどうか。子供たちはお互いに励みになるなどとおっしゃったようでございますけれども、励みどころか個人個人の競争です、ねたみです。お互いにもう話し合いもしない。あの子が病気になったらいい、こういう非人間的な状態が学校教育の内部に起こっているんですよ。これでもなおかつ何度も何度も国会においても強調されたにもかかわらず、頑強に文部省がこの方式に固執されるという理由が納得できません。これは私だけじゃないと思います。みんな納得されないと思うんですよ。私は、ぜひともこの問題について深刻に問題を反省して検討してもらいたいと思います。続いてお聞きします。
 憲法の第二十六条二項に義務教育の規定がありますね。これは御承知のとおりでありまして、「すべて国民は、法律の定めるところにより、その保護する子女に普通教育を受けさせる義務を負ふ。」と、この普通教育、こう書いてありますけれども、この「普通教育を受けさせる義務を負ふ。」という普通教育というのはどんな内容のものでしょうか。どういう教育なんでしょうか。大臣、お答え願いたいと思います。
#26
○国務大臣(奥野誠亮君) いま御指摘になりました憲法二十六条第二項は「すべて国民は、法律の定めるところにより、」云々と書いておるわけでございまして、現在のところ法律におきましては小学校教育、中学校教育、これを受けさせる義務を負うというふうにいたしておるわけでございます。
#27
○加藤進君 その小学校、中学校のいわゆる義務教育の目的は何でしょうか。
#28
○国務大臣(奥野誠亮君) 義務教育を通じまして平和な国家及び社会の形成者を育て上げていこうということだと思います。
#29
○加藤進君 私はおっしゃるとおりだと思います。憲法がわれわれに示しておるのは主権在民の精神ですね。主権者である国民を育てていく、このためにこそ九年間のいわゆる普通教育があり、それが国の責任において行なわなくちゃならぬという義務制がうたわれておると思いますね。その点からいえば明らかなように、これを受けてやはり教育基本法は憲法の目ざすこの理想の実現を根本において教育の力に待つべきものだと、こう言って教育の意義をきわめて重要視しておるわけですね。私は、こういう観点に立っていま私の提起しておる問題も考えていただかないと本末転倒におちいる危険がある、こういうふうに考えるわけですけれども、この普通教育はまさに国の主権者として今後国政に当たる国民の一人として進んでいくためにふさわしいものを身につけさせる、こういうことが基本でなくてはならぬし、これが教育の共通の目標になっておらなくちゃならぬ、こう考えますけれども、その点について異論はあるでしょうか、文部大臣。
#30
○国務大臣(奥野誠亮君) そのとおりに考えております。
#31
○加藤進君 そうするなら、この憲法、教育基本法からいって目的なり目標なりがはっきりしております。教育の目的なり目標なりははっきりしている。教育方法はそういう目的、目標にかなうように、すべての子供がその目的なり目標なりに到達させるような最も効果的な学習方法と、その学習方法がどのように実践されつつあるかということをそのつどそのつど評価するような有効な学習のいわば評価方法が必要だ、こういうことを認められるわけですね。その点いかがでしょうか。
#32
○国務大臣(奥野誠亮君) そのように思います。
#33
○加藤進君 だから問題は、どこの子供がクラスで順位が何番だとか、全校ではどの程度にいってるかというような振り分けを教育評価では目的にすべきではない。相対的評価というのは単に教育的でないばかりでなく、義務教育そのものの目的からいっても、このような評価方式というのはこれは私は正しくないと思いますけれども、大臣いかがでしょうか。
#34
○国務大臣(奥野誠亮君) 結局、絶対評価か相対評価かというところに戻ってくるように思うわけでございますけれども、なるたけ評価する人の主観が入らないような評価方法をとるというようなところから相対評価の方法がとられているわけでございますけれども、また、それに形式的に突っ走ってしまいますと加藤さんのおっしゃいますような弊害が出てくるわけでございます。したがいまして、そこはある程度弾力的な運用をしなければならないと、こう申し上げているわけでございまして、弾力的な運用をどうやっていくかという具体的な研究方法、これはたいへんむずかしいと思うのでございますけれども、そこを掘り下げて検討していくべきじゃないだろうか、かように考えているわけでございます。やはり相対評価といいながらも目標をどこまでこなしているかということは、これたいへん御指摘になりましたように重要なことでございますので、そういうこととにらみ合わせながら弾力的な運用をしていくということではなかろうか、こう思っておるわけでございます。
#35
○加藤進君 いま言われる文部大臣の御意見に基づけば依然として五段階というような相対評価方式は正しくない、私は、こういう結論が出ざるを得ないと思うんですよ。事柄はとにかく小中を含めた全家庭に及びます。その教育の評価をやる場合に、一律に五段階に分ければそれで済むなどというような安易な態度は私は許すべきではないし、そういう考え方そのものは憲法にも教育基本法の趣旨、精神にも私は背馳するものだ、こういうふうに考えます。したがって、私はここで特に要望したいのは、初等中等教育局長の通知という形で出されておりますし、かつては、これは通知よりももっと重い意味の通達になっておったはずでございます。文部省も通達から通知に変えられるところを見ると、若干この点についての反省の気持ちを加味されたとは思いますけれども、こういう通知をぜひとも早く廃止してほしい。そうして、この評価の正しいやり方、方法については、先ほど申し上げましたように、教育は今日地方分権の原則のもとにおいて行なわれておるわけでございますから、地方教育委員会、そして現場の教師集団の英知を十分に結集して、そして最も有効な適切な教育評価の方法を確立してほしい。これは私は、私個人だけの願いではなしに、これはいま父母あるいは子供たちの切実な要求であり、学校の教師そのものの要求になっておる。この点を私ははっきり自覚してほしい、こう考えますが、その点はどうでしょうか。
#36
○国務大臣(奥野誠亮君) 評価の問題はたいへん重要な問題だと私も考えておるわけであります。文部省が固執しているというよりも、絶えずいろいろな議論をしながら、やはりこれ以上出ないということで、四十六年の方式を今日なお踏襲しているということだろうと思います。御指摘になりましたように、現場の先生方でありますとか、地方の教育委員会でありますとか、そういう方面の意見も絶えず十分拝聴しながら検討を続けていかなきゃならない問題であることには間違いございません。そういう意味で今後も研究していくべきことは当然のことだと、かように心得ております。
#37
○加藤進君 その点で重ねてお聞きしますけれども、大体どの程度の年度をめどにしてそういう検討を進められるのか、その点をお聞きしたいと思います。
#38
○政府委員(岩間英太郎君) これは先ほど来申し上げておりますように、絶えず研究くふうを重ねなければならないような問題でございまして、何年までに絶対的にこれでもう間違いないものができるというふうな確信はございません。先ほど来御指摘がございましたが、私どもも、心理学者、それから教育学者、あらゆる方々を網羅いたしまして、この問題については絶えず研究を進めているところでございまして、先ほど申し上げましたように、学習指導要領の改正の機会等、そういうふうな機会をとらえまして改めていくというふうな方法をとっているわけでございますから、これも継続的にやってまいりたいというふうに考えております。
#39
○加藤進君 そうすると、聞きますけれども、文部省はどうして学習指導要録を出さなくてはならぬといういわば考え方に立たれるのでしょうか。文部省はこの指導要録はどうしてもという、何かそういう意味の法的な根拠というのはあるんですか。
#40
○政府委員(岩間英太郎君) 法的な根拠は、先ほど先生から御指摘いただきました学校教育法施行規則の十二条の三でございますかが根拠規定でございまして、この問題は、先ほど来申し上げておりますように、教育的にどういう面に利用していくかということで、たとえば入試の問題もございましょうし、それから家庭との連絡の問題もございましょうし、いろんな教育的な配慮のもとに、やはり全国的に同じような歩調でもって、一番いい評価の方法というのが、先ほど来先生のことばを聞いておりますとあるということでございますから、そういう一番いいものに向かって指導してまいるということは、これは当然のことだろうと思います。
#41
○加藤進君 文部省が学習指導要録については法的な根拠があります。しかし、学習指導要録に基づく評定の方法、学習評価の方法、この評価の方法までどうしても全国的につくらなくてはならぬ、こういう根拠は私はないかと思いますけれども、その点はどうでしょうか。
#42
○政府委員(岩間英太郎君) 先ほども先生御指摘になりましたように、何かそのいい方法があるはずでございますね。まだ私どもはいまのところは一番私どもの考えていますのがいい方法だろうと思っておりますけれども、いい方法があれば一これは全国でまちまち、それぞれの判断によってやるというべきものではないので、やはり一番いい方法に向かって努力をするということが必要であると思います。そういう意味で、私どもが現在出しております通知、これが唯一無二のものとは思っていないことは申し上げておるとおりでございまして、それにつきまして現場あるいは関係の学者その他からいろいろ御意見があって、皆さま方でこれが一番いいんだという方法があればそれを全国的に用いると、私どものほうで指導するということは別に間違ったことじゃない、文部省の指導、助言の権限の範囲内であるというふうに考えているわけでございます。
#43
○加藤進君 この学習指導要録に基づく評価方式――五段階の評価方式、そもそもこれが日本に入ってきたのはどういう事情とどういう時期なんですか。
#44
○政府委員(岩間英太郎君) これは戦後であろうと思います。前は学籍簿というふうなもの、それから通信簿と申しますか、そういうものの併用によりまして評価ないしは家庭との連絡等が行なわれておったと思いますが、まあ学籍簿というふうな形でその原型はあったわけでございますけれども、具体的な内容につきましては、これは戦後関係の方々との御相談によりましてこういうふうな形になっておるというふうに考えております。
#45
○加藤進君 あいまいなことばで表現されましたけれども、本来五段階評価方式というのは、いま進んだ資本主義の国でとられておるのはアメリカと日本だけでしょう。社会主義の国でももちろんとられておりません。しかも、日本にいつどういう時期に導入されたかというと、アメリカ占領軍が日本を押えていた戦後の状況ですね。これは由来もはっきりしております。はっきりして、しかも今日まで依然としてこれは続いている。どうしようかこうしようかと、意見はあるけれども、依然としてこれは固執されている。私はその点に国民全体の立場から見て非常な大きな疑点を持っている。この点を抜本的に改革すると、こういう決意をぜひともとってもらわなくちゃならない、こういうことを感ずるわけであります。
 そこで一つ聞きますけれども、教科内容についての目標は、これは学習指導要領、これはもう文部省は法的な拘束力があるとまで言われておる学習指導要領に明確に出されておりますね。したがって、その目標に到達するためにいろいろな形における学習教育が行なわれる。そうしてそれがどのような効果を発揮し、どのようなところまで到達したかということは、これはもう学習指導要領の教育目標、これに照らして見れば、これは決して私はかって気ままな先生のひとりよがりであるというようなことではなくして、全国的一律に私は可能だと思う。そうでしょう。そういういわば客観的な一つの学習目標、学科、学年の目標があるわけですから、それを文部省は今日まで全国の教育に押しつけられておるわけですけれども、これには私たちも異論はあります。しかし、そういう文部省の立場に立ってみても、そのような教育目標が明確になり、学科内容における目標が明確になるとするなら、それに基づく教育を全国的な教育実践の場において実践さして、そうしてそれに基づくいろいろな評価方法によってこの目標にどれだけ近づいてきたのか、どれだけの進歩発展があるのか、こういういわば評価の方法というのは、これは決して全国一律でなくてはならぬ、こういうしゃくし定木のやり方を当てはめるというようなことは私は必要でないじゃないか。教育効果の観点から言うなら、むしろそのことは有害であって、どうしてたとえば都道府県の教育委員会、こういうところにそういう評価のいろいろな方法を検討をするようなことができないのか。私はあえて聞きたいのは、都道府県の教育委員会がこういう評価の方法を、あるところでは積極的に採用する、あるところでは現場の教育集団の方たちとの相談の上でこの方法をさらに改良していく、こういうような努力は当然やられてもいいし、現に今日やられつつありますけれども、そういうことはやってはならない、そういうことを都道府県教育委員会でやってはならないというようなもし法的な根拠があるとするなら、これお示し願いたい。
#46
○政府委員(岩間英太郎君) それぞれの教育委員会におきまして、文部省が示しておりますような基準に基づいてさらにくふうを重ねられるということ自体につきましては、これは別に禁止していることでも何でもございません。
#47
○加藤進君 禁止しておられないわけですね。教育委員会が自主的にそういう要録に基づく内容の学習評価方法をとってもいいと、こういうお考えですね。
 で、法律的には、そうしますとだれが一体その評価方法の作成権というものを持っているのでしょうか。これは文部省ですか。そうじゃないですね。
#48
○政府委員(岩間英太郎君) これは、学校を所管する教育委員会でございます。
#49
○加藤進君 それは、どこにその法的な根拠があるのでしょうか。
#50
○政府委員(岩間英太郎君) これは、地方教育行政の組織及び運営に関する法律の二十三条の規定に基づきまして、学校を所管する教育委員会が持っております。
#51
○加藤進君 学校教育法施行規則第十二条の三項ありますね。この三項にはこう明記してあるのですね。「校長は、その学校に在学する児童等の指導要録を作成しなければならない。」学習指導要録というのは、校長が作成しなくてはならぬという義務が負わされておるように、この施行規則の条項は理解されると思いますけれども、その点の御見解はどうでしょうか。
#52
○政府委員(岩間英太郎君) そのとおりでございます。
#53
○加藤進君 そうしますと、お説のように、事柄は、教育委員会がそれぞれ都道府県段階やあるいは市町村段階において自主的に評価の方法をつくって実践されてもかまわない、同時に、その最終の法的権限というのはどこにあるかというと、それは校長がその作成の権限を持っている。そうですね。そういうふうに理解していいですね。
#54
○政府委員(岩間英太郎君) 評価でございますと、どういうふうな評価をするかというふうな基準は、これは教育委員会がきめるわけでございます。それに基づきまして、具体的に、この子供をどういう評価にするか、どういう点を与えるかということは、これは校長がきめる、こういうことでございます。
#55
○加藤進君 しかし、そこでも単なる記入というような権限ではなしに、これは作成するという義務が負わされている、こういう点は明らかですね。したがって、校長はその意味においては指導要録作成のやっぱり法的な権限を持っている、こう見ていいですか。
#56
○政府委員(岩間英太郎君) これは作成と申しますから、一人一人の子供につきまして、指導要録の基準に従って個々の指導要録を作成する、そういう意味でございます。基準までかってに校長がきめるというふうなものではございません。
#57
○加藤進君 そうしますと、文部省の見解では、そういう基準を決定するという点については、それは地方教育行政の組織及び運営に関する法律に基づいて地方教育委員会がその権限を持つ、こういう御見解でございますね。
#58
○政府委員(岩間英太郎君) 文部省がたとえば学校教育法の施行規則で一定の様式を全国的にきめるというふうなことをしない限り、そういうことでございます。
#59
○加藤進君 いや、そこでお聞きしたいのは、それほど地方教育委員会に権限があり、あるいは校長がその作成に当たるいわば法的な責任を持っている、義務を負っているというのに、なぜ一体文部省はいつまでも、かつては通達、あるいは今日では通知という形で指導要録を出してきておられるのですか。こういうことはむしろ行政指導の面において指導助言の形において行なうべきものであって、これをこのような形の法的な拘束力のあるかのような形で出していくというのは、これは私はいま言われた局長の見解とも違反するのではないかと考えますけれども、その点はいかがですか。
#60
○政府委員(岩間英太郎君) まあ、これは方針の問題でございますから、いろいろなやり方があると思いますけれども、私どもは、いまのように文部省からの通知というふうなことで、各所管の教育委員会でおつくりいただく。それから具体的には、学校長が作成をしていただく、そういうような体系でよろしいのじゃないかということで、こういう方法をとっておるわけでございます。やり方につきましてはいろいろあると思いますが、指導要録につきましては、やはりその地方地方の特色を生かすというふうなことも必要な点があるかもしれません。こういう方針をいまのところ変えるつもりはございません。
#61
○加藤進君 ですから、従来の経過から見ても、あるいは今日の文部省の見解から見ても、五段階の相対評価、これを必ずしも絶対的に固執するものではない。それから通知という形で出されている指導要録についても、地域地域、地方地方の自主性にゆだねる、必ずしもこれを法的な拘束力のあるものとして強制するものではない、こういう見解と理解していいでしょうか。
#62
○政府委員(岩間英太郎君) まあ、この点につきましては、あんまりまちまちになってかえって混乱が起こる、かえって弊害が起こるという場合には、別の措置をとらなければならないかと思いますけれども、いまのところは、私どもはいまやっておりますような方法で十分じゃないかというふうに考えておるわけでございます。もちろん、地方の教育委員会がそれぞれ私どもが示しております大綱以外にいろいろなくふうがあってしかるべきだと思いますけれども、しかしながら、私どもの考えております本意と申しますか、ほんとうにいまこの点だけは何とか守ってもらわなければいかぬというふうな点を大きく逸脱するというふうな点がございました場合には、これはちょっともう一度どうするかということを考えなければならないと思いますけれども、まあいまのところは、こういうふうな形でやっていただくということで少しも支障がないというふうに考えております。
#63
○加藤進君 私は、最近こういう記事を見ておるわけでございますけれども、これは大阪で行なわれておる正しい教育評価で記入するような教師集団の努力が行なわれている、こういうのですね。こういうことからも明らかなように、教育者集団がほんとうに教育基本法及び憲法に基づいて正しく未来の国民を育成すると、これにふさわしい教育実践を行なうということになると、文部省の言われるような五段階の評価方式ではむしろ有害だ、したがってこれをやめて、これにかわる相対的な教育評価の方式を探求しなくてはならない、こういう方向に動いておる点は文部省も御存じだろうと思う。したがって、私はいまあいまいなことばで言われましたけれども、さらに確かめますが、文部省の考えておる大綱から逸脱しない範囲にと言われる大綱というのは、これは五段階のいわば評価方式をさすのではないと、こういうふうに理解していいんでしょうか。
#64
○政府委員(岩間英太郎君) 私どもは、まあ五段階の評価方式というのは、現時点におきましては最もすぐれた評価方式であるというふうに考えておりますし、それからまた現実問題としましては、中学校から高等学校への入学試験の負担軽減にも非常に役に立っておるという点がございます。したがいまして現時点におきまして、たとえば五段階の評価というものを全然無視してしまうというふうなことが行なわれます場合には、これはやはり問題だと思います。あるいは新聞紙上でも問題ありましたように、オール3だとか、オール5だとかいうふうな、評価というものを放てきするような方向に向かうというふうな、非常に根幹に触れるようなことが起こりました場合には、これは何らかの措置をとらなければならないというふうに考えておるわけでございます。
#65
○加藤進君 私も、オール3だとかオール5だなどというようなことを支持するつもりは毛頭ありません。ただ先ほどからずっと触れておりますように、五段階というような振り分けは、結局3だ5だということと思想的には変わりはない。こういう点はやっぱり私は忘れてはならない。こういう格づけや、こういう位置づけではなしに、国民が将来とにかく国の主権者として生活し活動していく場合にぜひとも必要な教育をしっかり身につける、基礎的な学力、情操から、あるいは体力に至るまで身につけていくと、そういう目標に照らしてこの教育効果の発展の度合いが正確にはかり得るような評価方式に改めていこうと、私はこういう意欲をもってやっぱり五段階評価方式そのものを見直していただく必要があるし、また、その見直しがここにも言いましたように、大阪ばかりではなく、東京や全国各地で起こってきておるわけですから、このようなやっぱり前進の面、積極的な面を十分に取り上げて、これに対して適切な行政上の指導助言をしていただくというのが、私は文部省の一番正しいとるべき態度ではなかろうかと、その意味では、五段階というワクを固執してあくまで五段階のワクの中で事柄を処理しようとされるなら、これは私は先ほど申し上げましたような憲法、教育基本法の趣旨あるいは普通教育であるべき義務教育のいわば内容を実践しているという場合からいっても、これはそれに背馳するものではなかろうか、こういうふうに私は考えるわけでございますけれども、その点重ねて大臣の所見をひとつお伺いしたいと思います。
#66
○国務大臣(奥野誠亮君) 具体的に、こういう評価方式が絶対的にいいんだという結論が生まれてきますと、わりあいに判断しやすいわけでございますけれども、加藤さんのお話伺っておりましても、五段階を一律に押しつけることはいけないんだと、しかし、相対的に評価する意義はお認めいただいているんじゃないだろうかという感じを持つわけでございます。そうしますと、結局、弾力的な運用の弾力の幅をどこに置くかというところである程度気持ちも合ってくるところもあるような気もいたします。そういう意味合いで今後も十分研究を続けさしていただきたい。また、各方面の意見は積極的にお伺いするようにしてまいりたいと、かように思います。
#67
○加藤進君 念のために申し上げますけれども、私が相対評価と申し上げたのは、それは五段階は反対だけれども、それを十段階にすれば、それで満足かというようなことで私は申し上げているつもりではないと、問題は、やはり子供たちの学力がどのように進展していくのか、教育効果がどのように上がっていくのかということをはっきり見きわめ得るような評価方式にとにかく改善するような努力を文部省が率先してやってほしい、そういう意欲的な教育者集団やあるいは教育委員会の努力に対しては、これに適切なやはり前向きの指導助言を与える、こういう観点に立ってほしい、こういうふうに考えるわけであります。
 私は、きょう質問を申し上げました結論的な点から言うなら、こういう指導要録の作成はこれは都道府県教育委員会にあるのであって、これは文部省そのものにはあるのではないと、そしてその中においてこれを作成するという権限は法的にも学校長にあると、こういう点を確認したわけでございますけれども、そういう方向でひとつ文部省の積極的なやはり助言指導を強化してほしい、こう思います。よろしゅうございますか。
#68
○政府委員(岩間英太郎君) 先ほど来申し上げておりますように、また、先生が御指摘になりました点も含めまして、具体的には学校長が指導要録の作成は行なう。それからそれに関する基準は所管の教育委員会が行なう。それから文部大臣はやはり地方教育行政の組織及び運営に関する法律の四十八条の規定に基づきまして、学校の学習指導その他につきまして指導と助言を与えるというような権限があると、こういうことで現在のような仕組みになっておるのでございます。中身につきましては大臣からお答えになりましたように絶えず研究すべき事項でございますけれども、まだ先生のお話をずっと伺っておりましても、これでいけというふうな点が具体的にお示しになっておられないようなふうに承るわけでございます。お考え方の基本につきましては私どもは全くそのとおりだと思いますが、そういう方向でさらに努力をしていきたいというふうに考えております。
#69
○加藤進君 最後に、私が積極的な提案をやったらどうかというような意向も聞いたわけでございますけれども、これはわれわれがあえて個人的な見解を申し述べるという問題ではないと思います。全国の現場の教師の実践にかかわる問題でございますから、その実践と子供を学校に預ける父兄の要望、意向というものを十分に聞いて、それに沿うような方法をやっぱりはっきりと確立していく、しかも可及的に確立していく、こういうふうに私も考えるのでございますけれども、大臣もその点は異存はないと思いますが、どうですか。
#70
○国務大臣(奥野誠亮君) そのような努力を払ってまいりたいと思います。
#71
○加藤進君 私、実はもう一つ問題の提起をやりたい、質問をしたいと予定しておりましたけれども、この質問に入りますと多少時間を要しまして、私があと十五、六分程度の時間ではちょっとやりにくいわけですから、一応きょうの質疑はこの程度に終わりまして、あと適当な機会に続けさしてもらいたいと思います。
#72
○理事(楠正俊君) 本日はこの程度にとどめ、これにて散会いたします。
   午前十一時二十六分散会
ソース: 国立国会図書館
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