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1972/07/03 第71回国会 参議院 参議院会議録情報 第071回国会 文教委員会 第16号
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1972/07/03 第71回国会 参議院

参議院会議録情報 第071回国会 文教委員会 第16号

#1
第071回国会 文教委員会 第16号
昭和四十八年七月三日(火曜日)
   午前十時二十六分開会
    ―――――――――――――
   委員の異動
 六月二十八日
    辞任         補欠選任
     中村 登美君     岩本 政一君
 六月二十九日
    辞任         補欠選任
     岩本 政一君     中村 登美君
    ―――――――――――――
  出席者は左のとおり。
    委員長         永野 鎮雄君
    理 事
                久保田藤麿君
                楠  正俊君
                宮之原貞光君
                安永 英雄君
    委 員
                金井 元彦君
                志村 愛子君
                塩見 俊二君
                中村 登美君
                濱田 幸雄君
                二木 謙吾君
                宮崎 正雄君
                小林  武君
                鈴木美枝子君
                松永 忠二君
                内田 善利君
                矢追 秀彦君
                萩原幽香子君
                加藤  進君
   国務大臣
       文 部 大 臣  奥野 誠亮君
   政府委員
       文部政務次官   河野 洋平君
       文部大臣官房長  井内慶次郎君
       文部大臣官房審
       議官       奥田 真丈君
       文部省初等中等
       教育局長     岩間英太郎君
       文部省大学学術
       局長       木田  宏君
       文化庁長官    安達 健二君
       厚生省医務局長  滝沢  正君
   事務局側
       常任委員会専門
       員        渡辺  猛君
   説明員
       文部省大学学術
       局教職員養成課
       長        阿部 充夫君
    ―――――――――――――
  本日の会議に付した案件
○教育職員免許法等の一部を改正する法律案(内
 閣提出、衆議院送付)
    ―――――――――――――
#2
○委員長(永野鎮雄君) ただいまから文教委員会を開会いたします。
 教育職員免許法等の一部を改正する法律案を議題とし、前回に引き続いて質疑を行ないます。
#3
○松永忠二君 資料出していただいているのですけどね、資料の中の公立小学校教員の需給についてと出ていますが、新規卒業者の供給実績というのがそこに出ていますが、教員養成学部七千、一般大学学部千七百で、短大、養成機関等で三千三百、この合わせた数が一万二千になるんですね。ところが私のところへいただいた昭和四十七年の三月新規卒業者の学校種別の免許状取得状況というのと、この数は違うんですが、どっちがほんとうなんでしょうか。その教員養成学部は一万二百、一般大学の学部は千七百七十、それから短大などのが三千三百人と書いてありますが、五千四百人、したがって一万二千人じゃなくて一万七千三百人であるが、これは教員養成課の調査、だいぶ数が大きく違うので、これはどういうことですか。
#4
○政府委員(木田宏君) ちょっと最初のことばを聞きのがしましたのでお答えがちょっとずれておるかと思いますが、いま御指摘がございました一万七千という数は、小学校教員についてのお尋ねでございますね。小学校教員につきまして、昭和四十七年三月新規卒業者で免許状を取りました者が合わせまして一万七千でございます。そしてそのうち小学校に就職をした者の数、そのうちといっていいかどうかちょっと別でございますが、四十七年三月の卒業者で小学校に就職した者の数が一万一千七百、こういうことでございます。先ほどおあげになりました就職者が小学校で七千というような御指摘があったかと思いますが、正確には六千八百でございますが、資料によってちょっとラウンドナンバーを切り上げた資料があるいはあるかと思うんでございますけれども、一万二百人の免許状取得者がありまして、就職者が六千八百、これは教員養成大学・学部でございますが、それから一般大学につきましては、免許状の取得者が千七百で就職者も千七百、短大は免許状取得者が五千四百で就職者が三千百、そして、そのほかにちょっと大学院等の関係者がございまして、全体といたしまして小学校の免許状を取得した者が一万七千三百に対して就職をいたしました者が一万一千七百ということでございます。
#5
○松永忠二君 そうすると、これは卒業者の中で就職をした者というわけですね。だから、免許状取得してその年に出てきた者は、一万七千三百ある中で一万一千百人就職をしているということだと思うんですよね。だから実際には相当やはりここに六千二百という余りが出てきている。特に教員養成大学などでは一万二百人の免許状を持ってきている中で七千人しか就職をしてないと、こういうことですから、こういう点を考えてみると相当まだいわゆる就職ができる人がいるという、そういう把握ができると思うんですがね。その次の四十九年度以降の教員需要平均、つまり生徒がふえるために二万三千人平均して一年にふやさなきゃいけない。その中で教員養成大学とそれから一般大学・学部、短期大学機関等で一万六千五百人ですが、たとえば教員養成大学だけでも二千五百人ふやさなきゃいけないということになるんですね。それだけじゃなくて、その欄の横を見ると、今後、学生増、教員資格認定試験の実施によって供給を確保することを必要とする数が四千人ある。そうすると、ここの学生増、いま3の欄の学生増と教員資格認定試験で四千人を確保しようというんだが、その中で幾人学生増のほうでやって、どの程度教員資格認定試験で人を得ようとしているのか、それはどうなんですか。
#6
○政府委員(木田宏君) いま、お尋ねのございました資料の十ページの3の欄の表でございますが、一番左の端に教員養成大学・学部九千五百、2の欄の七千に対しまして二千五百ほどふえてございます。これは先ほど御指摘のございました教員養成大学を出たけれども、ほかの領域に行っているという人を若干教職へより多く入ってきてくれると、また、そのように指導もし、今後の給与その他の政策上の措置もとって、現在八割程度が教職についておるものを九割程度に高めるようにしたい。その他既定の学生増その他が過去数年間で約一千人の学生増もやってきておりますので、今後逐次ふえるという要素を加えて二千五百増にしたものでございます。それに対していま御指摘のございました右から二欄目のところに四千というふうに出ております。これは今後十年間の需要数との差を考えまして、かなりこのうちの三千近くは正規の学生の養成増というものを考えていく必要があるであろうと、今後なお教員養成大学の学生増、あるいは一部私立の学校におきましても初等教員の養成増というようなことの動きは出てまいっておりますから、学校におきます養成増を三千のペースでは考えなければなるまいかと、まあ十カ年間の長い過程でございますので、教員資格認定試験につきまして、そのときどきによっての補完的な作用でございますから、増減を考えますが、平均して五百前後のところを考える必要があるのではなかろうかというふうに思ったりいたしておるわけでございます。まあ、三千と五百では四千にならぬというはっきりした数字が出るわけでございますが、時によりまして千、時によりましては五百、あるいはもう少し少ないというような状況で、この資格認定試験というのはやってみなければどの程度のことかもわかりませんので、一応事務的には現在の段階で五百ぐらいを予定しておりまして、その他若干の供給増というものがそれ以外にも五百くらいあるであろうかというつもりで、正規の学生定員の増を三千は考えておかなければなるまいか、こういうようないま心組みでおる次第でございます。
#7
○松永忠二君 そうすると七千を九千五百にするのは、これは就職率を高めるということをやろうと、一般大学についていうと、これの二千五百は現在千七百ですからね、これは必ずしもそうばかりも言えないわけだが、大体就職率を高めてそこはやろう。しかし、四千人については学生増と教員資格認定試験でやると、大体三千人対千人ということが基本だと言っているわけですね。一体、一年に三千人余分に生徒を出すには具体的に一体国立の養成教員関係の学校でどのくらいの定員増をしなければできないのか、あるいはどういう計画でこれをふやしていこうとしておるのか。
#8
○政府委員(木田宏君) 三千人を供給しようといたしますと、三千を若干上回る定員で養成を考えていかなければなりません。で、今日まで小学校教員の養成を昭和四十五年のころから約千人ほどの増を進めてまいりましたが、一般的な既存大学の拡大というのをもう千人程度は進められるであろう。ただ大学によりまして教員養成学部の拡充ということ自体にいろいろな意味での限定が起こることもございますから、既存大学の拡大だけではなくって、新たな教員養成大学をつくっていく、そうした面で二千人程度のものは考えなければなるまいか、こういうふうに思っておる次第でございます。
#9
○松永忠二君 千人ふやす定員増についても、養成大学は何か引き受けていないという実情があることは御承知のとおりでしょう。定員が結局、学生定員がふえても教員増がそれに伴わない。だから私のところはふやすのはいやだと、そういうことでなかなか各大学が定員増に応じないという実情があることは御承知のとおり。そういう中で、なお千人をやっていこうという考えだし、それからまた、たとえば二千人は新たな養成大学でも増設してやっていこうということを考えておられるようですが、それだけでも一体どれくらい金がかかるのですか、一年でとにかく三千人ふやす、三千人ふやすには就職率が八割あるいは九割、いままでは一万二千二百とったものが七千人しか就職しないのですから、大体七割ですよ。そうすると七割と見て、有給となると四千人かそこらをふやさなければいけない。それで定員を四千人にふやし、新しい学校をふやすにはどれくらい金が、大体ここに出ている二万三千人教育するために必要だというような、そういう財政的な試算はどうなっているのですか。
#10
○政府委員(木田宏君) 具体に、まだ、どの程度の大学に学生増をし、何校を新設するかという細部の詰めに至っておりませんために、具体の積算をいたしておらないところでございます。
 また、もう一つは、この小学校教員の養成増のほかに、昭和六十年に向けまして大学全般の拡充という問題を一つ考えておりますので、そうしたワクどりとの関係で相当の大学一般に対する拡充投資を入れなければならぬという、その作業を全体としてもあわせて考えております。お耳に達しておるかと思いますが、新学園等の建設という作業もございますので、それらの内容と考えあわせまして、教員養成の拡充をどういう形で進めるかというのを、今後一両年の間に急ぎたいと思っておる次第でございます。その意味で、一校当たり大体のラウンドナンバーで積算をいたしますならば、概数をお答え申し上げることはできるわけでございますけれども、現在、この計画のために何億というような積算まではいたしてございませんので、しばらく御猶予をいただきたいと思います。
#11
○松永忠二君 ただ、御承知のとおり、こういうふうに、もう二万三千人という教員不足を計算しているわけですよね。で、生徒増というのはもうトータルでずっと出てきて、児童数がずっとふえることはわかり切っているわけなんですよ。だから教員数も大体わかってきて、一年平均大体二万三千人だと、現在の教員養成はどのくらいあって、どのくらいの人が出るということも数字的に確実になっているんだから、いろいろなことは、新しいこともけっこうだけれども、そういうようなことをきちっとおやりになるということが大事だと私は思うんですよ。聞いてみれば、まだ積算はしてないという、一体どこへどのくらいな定員がふえてきて、どのくらい一体学校ができてくるのか、それもわからぬのに、教員資格認定試験のほうだけはさっささっさ進んでいるという、そこに私たちが言う安上がり教員養成ということがあるということを言っているわけです。少なくも、教員認定試験という免許法の制度を一つ加えるというなら、そこから人を採ろうということを考えているなら、小学校だってきちっとなければ、並行的な措置じゃないじゃないかということを言っているわけです。大臣、そういうことを言っているわけです。
 それじゃ、またもうちょっと話、聞きますが、一体千人の人というのは、たとえば五百人にしても、教員資格認定試験を受ける人というのは、どういう人が初等教育の場合にある、どういう人が受けるだろうとお考えになっているんですか。予想している受験者というのは一体どういう人なんですか。
#12
○政府委員(木田宏君) 一つのソースといたしましては、幼稚園の教員免許状を持って幼稚園に勤務しているような人、あるいは保育所その他で保母さんとしての御経験の深いような方、それからもう一つは、現在でもそうでございますが、中学校の教員免許状を持っておりましても、専科という、その教科の担当だけということにならないために、小学校教員としては小学校の臨時免許状を持って赴任をしておりまして、在職中所定の勉強を重ねておるというような人たち、こういう人たちに対しましても資格認定試験の制度によりましてその実力を立証できるならば、小学校教員としての正規の免許状を与えることができるかというふうに考えておりまして、大きな受験者の層といたしましては、その辺のところが一層大きいんじゃなかろうかというふうに思っておる次第でございます。
#13
○松永忠二君 必ずしも自信はないと思うんですね。どのくらい受かってどのくらい来るんだか、ちょっといまのところはっきり……。もし自信があるというなら、そういう予備調査をやっているのかどうか。やはり、こういうものをやったらどのくらい希望者があるのかという、そのくらいの調査がしてあれば別ですけれども、だって、保母だって実際をいって短大なんかで免許状を持って保母になっているのは一番率が高いんですからね。その者がそう簡単にそっちへ、しかも試験があるわけですからね。保母さんで短大を出た人が、そう簡単に――短大で保母をとるというのは、大体普通の学科をとるよりはそっちのほうがあれだからとっているのであって、そう簡単に、試験があるものをそこへ乗っかってくるとは考えられないんですね。そういう意味で、さっき言うとおり、なかなか、道は開いても必ずしも期待に沿えるかどうか。千人というのは引っ込めて五百人ぐらいのときもあるというお話ですが、そういう程度のことで、そうなってくると、この上の表を見てください。1の表に「退職補充」というのを、大体二万から一万二千勘定しているわけですよね。一体、この「退職補充」という先生というのは、退職するから人を補充しなきゃいけぬ。もちろん女の先生だから退職者もふえてくるけれども、たとえば、男子の人なんかでも、まだ退職しないでやっていきたいという人があるんですよね。それでも、大体もうやめたらどうだというので、相当無理してやめさせているのも事実なんでしょう。それから、私は、実は小学校の教員というのは、むしろ年齢の高くなった人がいろいろな欲望を捨てて先生をやったら、これは一番最高にいい先生だと思うんですよ。もう上のほうへ行こうとか何とかいう気持ちがなくて、子供だけを教育しようという熱意に燃えてやるなら、この人たちは非常にいい小学校の先生になり得る。しかも、現実に小学校の先生をやめた人が、やるに仕事がなくて、ほかのほうをさがしている。何か大臣も盛んにおっしゃっておりましたけれども、今度は総理大臣が、校長さんをやった人が何かほかの仕事でぶらぶらさがし歩くようなことのないようにしてやろうというお話を言って、たいへん感激されているというお話だけれども、私は、校長といえども、何も校長をやめたあとに小学校でゆうゆうと予供の教育をやってもらうということは、希望もしている先生もありますよ。それがりっぱな方法だ、道だと教育委員会自身も考えて、そういうことを求めていけば、そうなる先生もありますし、小中学校の先生では、ずいぶんいい先生がやめさせられているんですよ。その数を二万と読んでいるわけでしょう。いま千人あるかどうかわからないという、それを補うのに、教員資格試験というものをまず考えるより先に、一体、そういう退職の先生に就職の場を広げるとか、定年を延ばしたって退職する人は少なくなるんですからね。そういう道を求めて、本格的なやはり小学校の先生を得るというのが筋であって、小学校の先生が得られないから、どうも、そこにも出ているように「大学における養成ではふじゅうぶんな分野」を考えるとか、あるいは「大学教育になじみにくい分野」という、小学校の場合には、さすがに「大学教育になじみにくい分野」ではない、「大学における養成ではふじゅうぶんな分野」であるというふうにとらえなきゃいけないんだが、そうなってくるとちゃんと経験も持った、教育実習どころか、練達の士が実は遊んでいるわけですよ。しかも、それがほかのところへ行って就職をしているわけですよ。何でその者に道を開くということをまず先に考えないのか。何も、そんな千人の人のために、そういうふうな道を考えるのが先ではなかろう。私は、道を開くということに反対じゃないのですけれども、大体それを当てにして、こういうふうな数字を出してくるような、このところにやはり考え方の問題があると私は思うのですよ。何で一体、もう少し退職補充者を教員の場に迎える、そのための制度として定員をそれじゃ伸ばすとか、その間にはどういう措置をしていこうということを考えないのですかね、そういうことをやってくれるというなら喜んでもう一度現場へ返って先生をやり、前の給与と違った給与にしても安定した退職金をもらいながらやって、ゆうゆう、しかも、ほんとうの意味で欲得離れて子供の教育をやってくれるすばらしい小学校の先生というのが得られるのじゃないか。大臣どうですかな、そういうところへ目をつけていくのがまず先だと私は思うのですが、そういう点についてはまず大臣のいわゆるあまり専門的な感覚でなしに、常識的なずばりの感覚からいって、大臣にひとつ御答弁を願いたいと思うのです。
#14
○国務大臣(奥野誠亮君) 松永さんのお話もわかるわけでございますけれども、やはり第二のベビーブームが始まる、そうすると教員の需要も非常にふえる、現在、免許状を取得して、なお教職についていらっしゃらない方がたくさんございます。これはやはり教職を魅力あるものにすることによってもう少し吸収することも可能だろうと思います。そういう道も選ばなければなりませんけれども、それだけに十分たよってしまうわけにもいかないと、こう思っておるわけでございます。同時にまた、先生方の定年もぜひ延ばしていきたいと思いますし、また、退職された方が進んでなお教職についていただける、そういう意味で非常勤講師の道も四十八年度から開いたわけでございます。しかし、これにつきましてもまた、はたしてどこまで期待できるか、必ずしもそれだけにもたよれないというような問題もあったりするわけでございます。かねて教職につきたい、しかしながらいろんな経緯でその免許状を取得することができなかった、そういうような方々もいらっしゃるわけでございまして、松永さんは、それはそれでいいことだとこうおっしゃっていただいているわけでございますけれども、そういう人たちの希望も生かす道を開く、そのことを通じて今後の需給のバランスの上においても役立たしていきたい、こういうような総合的な見地からぜひ今回の新しい仕組みを取り入れさしていただきたい、こういうような念願を持っておるわけでございます。
#15
○松永忠二君 文部大臣からはそういうことじゃなくて、いまいろいろ質問してきたわけですからね、たとえばその非常勤講師や講師の条件というのは二千人あるわけですよ、前に。だから、相当な人がきていることも事実だからそれを広げる道もあるわけです。本筋としてはとにかく養成学部の充実をはかることが本筋であり、その次にあるべきことはやはりそういういい先生を、退職者を相当二万という数を持っておるなら、その中から千人を採る、五百人を採るということは容易なことだと逆に考えられますね。制度的な保障も与えてやればそれもできる。そうして、ただ人材を広く求めるといういわゆる学歴打破、むしろ教育そのものの本質的な意味から言って学閥中心、学歴中心主義を打破するという意味でここにも教員に道を開くというそういう意味でやるというならそれはわかります。しかし、そうじゃなしに、そこを当てにしていくということになると、それは本末転倒だと再々言っているわけなんで、もうちょっと大臣からはもう少しそのものずばりの御答弁をいただきたいという感じがいたしますね。
 じゃ、もうちょっと話を進めますが、そうなってくると実は私は、たとえば大学において二年で小学校の免許状をくれようとした。二年制課程というのをつくったのですよ。これを文部省が指導して昭和三十八年から三十九年の間に全部廃止をしちゃったのですよ。それで、四年制の養成の大学に全部した。財政的にも、私たちの国にも余裕が出てきたのでもう小学校の先生を二年で得るなんということをしないで、四年制でやるということは当然なことだと私は思います。そうしておいてまた足らぬから今度は検定をやるなんという、ある意味では朝令暮改でしょう。足らないというような言い方で二年でやっていて、またやめて本筋の四年でなければできぬとやっていて、また今度は検定だという話になる。試験検定より二年のほうがまだそれでも学校というものでやっていくという意味からいうと私は本筋だと思うのですよ。二年生課程の小学校免許のいわゆる学校というほうが、免許法からいうと本筋だ。本筋だけれども、それは初等教育を尊重するゆえんでないということで四年にしたわけですよ。本筋の本格的な養成に返ったわけです。これが守れないというならば、それをまた残念ながらもう一度するというなら、まだそこにも学校というもので教員の養成をやっていくという意味でそういう方向をやっていくというならまだわかる。しかし、そんなときにはもうすでに廃止して本格的なものに入る。大体私はこの答申の中で、いわゆる初等教育というのが、初等教育にあっては小学校の教員が今度の試験検定ではまずやらるべきものだというこの考え方ですね、小学校の先生というのを、こういうところからべっ視をするということになるんじゃないですか。私は小学校の先生というのは、実は中学校、高等学校の先生や大学の先生にも匹敵するようないわゆる教育という学問、真義の学問とかそういうものについては卓越したものを持っている人が小学校の教員として望まれると思うのですよ。それで、小学校の教員というと、何かというとすぐべっ視をする。給与法でも何だかまた変えようとしてみたりする。小学校の教員というのは、小学校教育というのは非常に重要だ。私はむしろ皆さんに申し上げるが、いまの教育の中で教育らしいことをやっているのは小学校だけだ。その小学校でさえもいまやまた受験準備的なものにくずされようとしている心配しているわけだけれども、それでも教育本来という立場から取り組んで、受験勉強だとか、そういうようなことを意識しないで、とにかく教育そのものに打ち込んでいるのが私は小学校教育の中に高く評価すべきものがある。その小学校の先生を中学校ではやらぬような、小学校はもう検定でやっていくというようなやり方は、いかにも小学校教員というものに対する悪い影響を出してくるというふうに私は思わざるを得ない。どうして、こういうものが小学校の教員を例にあげたんだろう。高等学校とかそういうところに大学でなじまないものがあるから一部門戸を広げるというならわかる、特殊教育については。それを何で初等学校にあっては小学校の教員、いま現実に検討してみたって、何も正規の学校を出た者を使ってくればいいじゃないですか。何で小学校の教員をそんなものにあげるのか。私が言っているのは、初・中・高等学校全教科について道を開く。学校を出ないでも幾らでも先生になれますよ、なれる方法があるんです、そういう意味のいわゆるいま日本の国のもっとも弊害になっている学歴打破、学閥というものを打破するための一つの教員免許法の方法としてその道を全面的に開くということは私は賛成なんだ。しかし、部分的に小学校の先生にまずやらなければいけないのか。何でここにならなければいかぬ。まあ百歩譲って特殊教育や高等学校に一都そういうものがあるということをまず考えたというならまだそこにあるけれども、何で小学校の先生をこの中に入れる必要があるのか。こんなものを当てにして、高等学校については全教科も開かないんじゃないか。中学校についても全教科を検定をやらないんじゃないか。それを何で小学校だけそんなことをやるのか。そういう取り扱いの中に、小学校教育に対する重要な政府の考え方の度合いが非常に低い。むしろ私は小学校の中にすばらしい、いわゆる無着さんのようなああいう人があって小学校の先生をやっている、りっぱな先生が小学校にいる。そういうところの先生を尊敬をし、少なくも給与において差別をつけるようなことのないやり方等にやっていかないといけないのに、こんなことをやるということはいかにも小学校教育に対する認識のいわゆる足らなさがあるのじゃないかということと、二年制を設けたり、やめたり、また、資格試験をやってみたり、朝令暮改まことにその原則を貫く努力に欠けている。そういう点について私は強くそういう点を感ずるわけですけれども、この考え方は間違いですかね、大臣。見当が違っているでしょうか。もし見当が違っているならひとつ、大臣お聞きになっているんだから、こまかい話じゃないんだから、原則的なお話ですから、大臣にひとつ考え方を少し聞かしてください。
#16
○国務大臣(奥野誠亮君) やはり第二ベビーブームが始まる。そうすると小学校の児童数がふえてくる。そうすると小学校の教員需要が急速にふえるわけでございますので、それだけに全教職にわたりまして免許の検定の制度を取り入れるけれども、来年度に関しましては特に必要な問題として小学校の教員等があるということで、それに手をつけさしていただきたい、こういうお願いでございます。基本的な需給関係でございまして、同時にまた、先ほど来たびたび問題になっていますように、熱意のある方を学歴のいかんを問わず吸収していきたい、同時にまた、学歴のある方でも教員養成課程を経なかった、しかし、教員になりたいという方もいらっしゃるわけでございますので、そういう方にも門戸を開いて、熱意のある方については教員になれる道を開いたほうがベターじゃないか、こういう考え方もあるわけでございます。何といいましても、基本的には第二次ベビーブームが始まるものですから、それに対する対応策もとっていかなければならない。特にそういう意味において小学校教員の供給を拡大するという道を開きたいということでございます。
#17
○松永忠二君 そういうような大臣の御答弁なら、さっき私も取り上げたいわゆる教員の補充、退職者の問題、それから教員養成の問題については完全にやるという決意なんですね、方法も考えて。それをちょっとお伺いしたい。
#18
○国務大臣(奥野誠亮君) さっきも申し上げましたが、定年を延ばしていきたい。過疎県、過密県でなかなか非常にむずかしい問題があることはよく御承知いただいていると思います。過疎県の扱いがたいへんむずかしいのでございますけれども、しかしぜひ定年をあげていきたい。同時に退職された方についても教職についてもらえるようにしたい。したいわけでございますが、非常勤講師の道を一そうふやしていきたいわけでございますので、それがすぐ小学校教員の需要拡大に対応できるかどうか、その数字が得られるかどうか、若干疑問に思っておるわけでございます。しかし、それは積極的にやっていきたいと思います。同時に、小学校教員養成課程、若干広げていくわけでございますけれども、こういう問題につきましても真剣に検討を続けていく、また、できるものからやっていくという考えには変わりはございません。
#19
○松永忠二君 そういう点努力されることだが、いま初等教育についてすぐやろうということは考えてないようですが、具体的にはいま高等学校の問題を考えているんですが、私は初等教育にそういうことをやるということになるときには、よほど慎重な配慮をしてやってもらいたい。でき得るならば、これは何も道を開くだけであって、そこをたよりにするようなことはしない。そのかわりそういう道を開くならほかのほうだって全教科開いてやったらいいじゃないですか。何も小学校の先生に学歴がないからいけないというわけはない。高等学校の一体社会科の先生が何もそんなに検定じゃ悪いなんというようなことはないはずだと私は思うんです。そういう全部が開かれている中で、初等教育も開かれているというなら私は納得ができる。方法については問題がありますがね。そういう道を開いておくという考え方について私は教育本来の立場からいって賛成ができる。しかし、そこを当てにするという考え方は全然われわれは考えが違う。だからそういう当てにする考え方で小学校だけを先にさっとやってしまうということになると、じゃ小学校の先生というのはやはりそういうふうにして得ればいいんだろうということになって、小学校教育の重要性というものが欠ける点がある。そうでなくったって、いまでも小学校の先生はという言い方をする。全くけしからぬ言い方をしていると私は思う。むしろ重要な教育をやってくださっているここのところをひとつ充実したい。少なくとも初等教育べっ視の考え方に通ずるやり方をとらないように慎重なひとつ配慮を加えていってもらいたい、そのことについて局長のほうからちょっと言ってもらいたい。
#20
○政府委員(木田宏君) 一般的には、松永委員の御意見と私ども全く同様に考えるわけであります。ただ、現実の問題といたしまして全国の数字の上での需給の状態と、それから地域におきます地域ごとのバランス、過密県におきましては、たとえば二千人の助教諭、講師の大部分が過密であります埼玉、神奈川、千葉といったようなところに数多くあるといったような現実の問題、それからまた年によりまして調整をとらなければならないような問題、こうした点については弾力的に措置できる要素というものを考えさしていただくことが必要ではなかろうかというふうに考えるのでございます。小学校の教育が大事であり、また、それがために小学校の教員養成が非常に充実したものでなければならぬという点は全く同様に考えるのでございますが、そのためがあるためかどうか知りませんけれども、先般来ごらんいただいておりますように、小学校教員の免許資格を取っております者とそれから小学校に就職いたします者との比率は他の中等学校の、教科によって多少の違いはあるにいたしましても、免許資格を取り、教職につく者との比率と比べますと非常に数字が接近いたしておりまして、全国的に見ればなお数千人の余裕があるということではございましても、過年度の採用者等の措置とか、他講師からの振りかえといったようなことが現実に起こり、その間にどうしても若干の調整的な措置というものをとらしていただく必要があるということを考えておる次第でございます。制度論といたしましては正規の学歴主義によらない教員になる道を全種目についてとらしていただいて、そういう御提案を申し上げております。現実にどの段階からどういうふうにそれを進めていくかという点につきまして実施上の体制とか、あるいは現実にそういう補完的な調整を加える必要性という点を勘案いたしまして小学校の教職と、それから高等学校、盲ろう学校の特別の種目につきまして資格認定試験の制度を実施をするという現実の予算上の措置としてこれを御説明を申し上げている次第でございます。制度論としては、松永委員が御指摘のようにどの学校のどの種目につきましても道があるということは大事なことだと考えまして今回一般的な制度としての改正はしていただきたい、現実の運用はおっしゃいますように、きわめて補完的なものであるということの趣旨に立って運用を適切にするようにいたしたい、こういう趣意でございます。
#21
○松永忠二君 全部の道を開くのだが、その中で手をつけるのは順序があるというお話です。順序があるが、その場合に小学校のところへ手をつけるときには慎重にやってほしいということを言ったので、そのことの答弁がないわけだけれども、その辺はどうなんですか。
#22
○政府委員(木田宏君) 小学校の教職員の資格認定試験につきましてもただいま申し上げましたように、現実の実態を考えながら、慎重にこれを進めていかなければならぬという点は御意見のとおりに私どもも考えます。
#23
○松永忠二君 そういう意味で希望を申し上げておけば、これだけ全部開くが、段階的にこれをいまやるのだということが理解をされているということも一つの必要であろうし、また、検討してみた結果、その道開かれぬでも、これは他から得られるじゃないか、また、得る方法も考えていこうじゃないか、こういう本筋の点はおっしゃるとおりだというなら、本筋をまた十分ひとつ検討してみてもらいたいという要望を添えておきます。
 それから、この前ちょっと話が出ましたが、専科教員の問題でありますが、実はいま小学校にどういう専科教員があるのか、専科教員をどのくらい持っているのか、各県はどのくらい持っているだろうかということを調査をひとつ出してもらったのですが、いま小学校の担任教科別教員数というのが実は教頭で教科を特別に持っているのもあります。だから、必ずしもほんとうの意味の専科教員という筋合いでもこの表はありません。その証拠に、国語だとか社会だとか算数なんかは一教科担当しているのがありますけれども、これはおそらくそうじゃないと思う。理科、音楽、図画、家庭、体育というところに一万二千四百五十九人そういう先生があるわけです。ところが、その専科教員というものは、この前もちょっと話しましたように、実は学級編制の定数の基準の中でやるよりほかにはないわけです。たとえば五学級のところに先生が幾人いくのかというと、七人いくわけですね。そうすると、二人余裕があるわけです、学級について二人。一人は校長さんでしょう、もう一人は、ことによると教頭があれば教頭になっちゃうわけです。十八学級で二十二人で四人あと残っているわけで、それは校長さんと教頭さんでしょう。そうすると、たった二人ということになる。だから、いわゆる専科教員の必要性というものについてはもう文部省自身も意思統一をされて、重要性を認めているのが現状だ。そんなもの認めていないというお話なら私に言ってください。それはまだそういう方針はありませんというお話なら別ですけれども、これは専科教員を置いて小学校教育を充実をするという意味でそういうものを考えていく必要があるというふうに文部省自身も考えておる。そうなってくると、いまのようにただ学級編制の定数で考えていくという考え方だけじゃなくて、何か免許法の中でもいわゆる道を開く方法があるのじゃないか。小学校というのは、全教科を受け持つということになっている免許状が出ているわけだけれども、中学校の教科担任の免許状は持っているわけです。この先生をいわゆる小学校における専科の免許状を与えるという方法によって、教科によって小学校でどんどん専科教員がやれるという道を開く、免許状で開く道も一つはある。それから、定数の中にやはりもっと何学級になったら少なくともどの程度の専科教員が必要だという、そういう意味で定数法というものをもっと充実をするとかあるいは内訳を書いていくとかという、ほんとうに小学校の教育に専科教員というのは必要なんだと、かつてわれわれが師範学校時代の先生というのは、何もかもやったから音楽でも体育でも何でもやれるけれども、いまのいわゆる養成課程の中では私は必ずしも小学校の免許状持ってきた者が完全にどの教科でもというわけにはなかなかいきかねているという現状があるので、何か免許状で道を開くとか、定数法の中にもう少し道を開くことによって専科教員の充実を考えていく必要があるのじゃないか。こういう具体的な問題についてどうお考えになっているのか。まず専科教員を充実をするという考え方は、何らかの方法で専科教員を充実することが小学校教育のプラスになるし、そうやりたいというのが文部省の考え方であるのかどうなのか、専科教員というのはそれほど重要に考えていないのかどうか。もしそういう専科教員については充実していこうというならば、いまの定数法や免許法でなしに、もう少しそういう両面からこの専科教員が具体的に置けるというような道を開く必要があるのではないか。この二つの点について御答弁をひとついただきたい。
#24
○政府委員(木田宏君) 専科教員そのものの考え方につきましては、初中局長から御答弁申し上げたほうがいいと思うのでございますが、いま御指摘のございました免許制度の面からは、現行の免許法におきましても附則を設けまして、音楽、美術、保健体育または家庭の教科につきましては、中学校の教諭の免許状を有する者が、当分の間、その免許状にかかる教科に相当する小学校の教諭または講師になることができるという道を開いておるわけでございます。で、今後免許制度の上でこういう中学校の教諭の専科として認めるという道があるにいたしましても、免許制度の上で、これを小学校の教諭の免許制度の中に専科の制度を立てるかどうかという点につきまして、教員養成審議会ではいまかなり賛否の意見がいろいろあるものでございますから、論議の最中でございます。小学校教員の免許状の中にそういう特定の専科教員の免許状を立てることの可否といったのが今後の課題として残っているものでございますから、今回はそのことの御提案を申し上げてございません。そうして免許制度の上では、先ほど読み上げましたような現行の法律のワクの中で、中学校の教師が小学校の特定の教科を担当することができるし、また、そういう担当の専科の教員になる道があるという点は一応の道がついている次第でございます。これが今後、小学校教育の教員の充実の中でどういう位置づけのものになるがいいかどうかという点につきましては、御指摘がございましたように、定数全体との関係もあることでございますから、担当のほうから御説明申し上げたほうがいいかと思います。
#25
○政府委員(岩間英太郎君) 定数法上は、ただいま御指摘ございましたように、ある一定規模の学校からは専科教員が置けるような定数上の措置をとっております。一般的に申しまして、やはり小学校の高学年くらいになりました場合には、専科教員のほうがよろしいという意見がございます。ただ、現実の問題としましては、これは各都道府県の判断にまかせる、ただ定数上の措置はとる、そういうふうな方針でまいっているわけでございます。
#26
○松永忠二君 だから、やはりその辺でいま検討されているというなら、やはりその辺をきちっと結論をつけていかなければ、現実の専科教員といってみてもなかなか専科教員ができないという一つの制度上のワクがあるわけです。これをひとつやはり検討してもらいたい。高学年にいくとそうだという話だけれども、局長は。高学年じゃないですよ。一年生、二年生の小さい子供を取り扱うときに、ほんとうに技能を持った者と持たない者じゃえらい違いがあるわけですよ。ただ遊ばしておけばいいとか、あるいはたまをあずけてやるという、極端なことを言えば。それと技能を持っている者の取り扱い。学年は上にいっても非常に差ができるけれども、下にいっても非常に差ができるわけです。だから、そういう意味では、むしろやはり教員養成という現在の問題とからみ合わせてみると、一つのやはり欠陥があるとするなら、そういう面はそういう面から補っていくということも必要だし、現実的にも担任外の先生をほしい、専科の先生をほしいという気持ちを持っているわけだから、それは言うとおり免許法で一部開かれているけれども、その道をどう重ねるのか、それを定数法ではどう重ねていくのか、もう少しやはりその辺を免許法を扱うところと初中局と連絡をとって意見を固めていくということをしないと、言うことは言うけれども、ちっとも前進していかないということになるので、この点についてぜひ努力をしてもらいたいと思います。
 実は、まだ小学校のあれにも質問はありますが、なかなかこれは簡単でありません。一つ問題あるのは、いわゆる教員の採用の段階で、採用試験がどういうふうに行なわれて、いまこれだけ先生が足らないということの中で、実は卒業したのに就職もできないで一年遊んだり、二年遊んでいる者があるわけです。これがそこに言う、いわゆる過年度卒業者の中にいるわけです。これはいわゆる教員採用試験は思想の調査になっているじゃないか、各県でそういうトラブルが起こっていることは事実です。その中で若い者たちは一つのグループをこしらえて、自分らの就職する運動をやっているという実態も、実はあちこちにあることは、あなた方も御承知だと思うんで、この問題は、あるいは後ほど皆さん方から出るかもしれませんけれども、一つの大きな問題だと思う。
 少し、ちょっと理事と委員長、実は一番重要なことが一つあるんです。そのことの質問をしたいのですが、いま厚生省の局長がせっかく見えているので、その話に入るとおそらく十二時までにはできないと思うので、看護婦、准看護婦の問題を取り上げて、ここで質問したいと思いますので、この問題が残るということを承知しておいていただいて、午後の時間にひとつ質問さしていただくことでよろしゅうございますね。
 それじゃ、せっかくおいでですから、そこを一つ置いて、厚生省の関係のところに入っていきたいと思います。
 そこで、まず今度の改正で、高等学校の教員の免許状に看護及び看護実習の教科を加えるということが出ている。看護科の卒業者の就職状況は一体どうなっているのか、まずこれをひとつ聞かしてほしい。
#27
○政府委員(木田宏君) 高等学校の看護科、四十七年三月の卒業生について申し上げますと、四十七年三月の卒業者は、四千四百名でございまして、そのうち就職をいたしました者が二千四百でございます。上級学校へ進みました者が概数で一千九百でございまして、未就職者はほんのわずかしかございません。ですから大体六割が就職をし、四割弱が上級学校へ進んでいると、こういう状況でございます。
#28
○松永忠二君 そこで、この看護科の設置の状況については、ここで資料が出ておりまして、百二十九の学校で一万八千五十八人生徒数があるということが出ておる。これは百二十九校に設置されているということがわかったのですが、高等学校における准看護科の准看護婦は、准看護婦養成の何割に一体当たっているのか、この点はどうでしょうか。
#29
○政府委員(木田宏君) 准看の入学定員で申し上げますが、准看全体の入学定員が厚生省の調べでございますけれども、約三万三千、最近年度でちょっと年度はあとで申し上げますが、三万三千でございまして、そのうち高等学校の関係の入学定員が五千六百というふうになっております。それ以外が、したがいまして各種学校でまかなわれておる、こういう状況でございます。
#30
○松永忠二君 厚生省のほうそれで間違いないですか。
#31
○政府委員(滝沢正君) 数字の上では全く資料としては同様でございまして、三万三千に五千六百でございます。
#32
○松永忠二君 そうすると、これは何割くらいになるんですかな。
#33
○政府委員(滝沢正君) 二割弱でございます。一八%くらいでございます。
#34
○松永忠二君 そうすると、准看護婦の就職率が六割で、それから准看護のいわゆる学校における看護科の卒業生というのは、准看護の養成の中の二割を占めておるというのが大体考え方ですね。
 そこで、文部省にお聞きするんですが、看護科を設置するときには何か諮問をして設置をしたのか、答申を受けたのか、これはどうですか。
#35
○政府委員(岩間英太郎君) 正確な記憶はございませんが、理科教育及び産業教育審議会の産業教育の分科会で御意見をいただいておるというふうに考えます。
#36
○松永忠二君 その文書はどうなっておりますか。
#37
○政府委員(岩間英太郎君) 先ほど申し上げましたとおり、ちょっと正確な記憶ございませんので、いま調べて午後にでもお答えいたします。
#38
○松永忠二君 何か昭和三十七年にというあなたの言った産業教育審議会かが、女子教育について触れて、准看護婦の方向でできるというようなことは何だかいっておられているという話ですが、看護科というものを一体設置するということについて、特にその点について、いわゆる諮問とかを受けて答申を得たとか、そういうことは全然ないというふうに私は記憶しているんですが、それは間違いないでしょうね。
#39
○政府委員(岩間英太郎君) おそらくそのとおりであろうと思います。これは看護婦が足りないというふうな実際上の要請がございまして、各府県でそういうものを設置したいというふうな希望があって、それを取り上げて私どものほうも、たとえば産業教育の関係の設備の補助金、そういうふうな手当てをしておるというふうなことになっておるように記憶しております。
#40
○松永忠二君 大体、看護科設置の経過についてそういうふうな状況だ。
 で、厚生省のほうへ聞きますが、看護婦と准看護婦の養成については、一つの計画を持っておるのかどうか、どういう計画があるのか。
#41
○政府委員(滝沢正君) 准看護婦、お尋ねの基本の問題でございますが、中卒二年で准看護婦制度というのが、助看保法で定められておるわけでございまして、このこと自体が実は医学のあるいは患者さんという非常に重要な場面に、中卒の年齢で従事するという看護業務全体から、いまこの問題は看護制度検討会を設けまして検討していただいておりますけれども、大方の趨勢としては逐次准看制度というものを縮小して、そうして高卒三年以上を原則とする看護婦制度を充実していくという方向にあるわけでございまして、ただ計画的にこれをやりませんと、量質両面の確保の問題が看護問題にはございますので、特に衛生看護高校の場合には、すでに学校としてりっぱな制度上できておるわけでございますから、これを看護婦にするためには、進学課程を擁し、あるいは二年の専攻科を看護高校にいたすというようなことを充実しながらできるだけ看護婦養成の方向に切りかえまして、そして准看というものが、中卒の進学はほとんど高校に進学するような状態になってまいりましたので、若干の地域差はございますけれども、やがては准看制度というものを縮小し廃止していく、法制的にも時期を見てこれを廃止するということを検討いたすのがただいまの状況でございますけれども、計画的には量質両面の確保のために准看制度をにわかに廃止するということは困難でございます。したがいまして、看護婦進学課程等、看護婦になる道を広げながら、できるだけ看護婦になっていただくように努力しながら、この制度を併存して量の確保にも努力しなければならないというふうな現状でございます。
#42
○松永忠二君 厚生省のほうへいってみますが、看護婦、准看護の養成について、学校教育法によって学校養成をしているものは一体どのくらいなパーセントがあるのですか。
#43
○政府委員(滝沢正君) ただいま学校教育法で看護婦養成のものは、大学四年制で八校、これは四十七年四月の統計でございますけれども、短大三年の形で十校ということで、大部分は各種学校としての高卒三年の養成所形式のものが二百四十五校でございまして、学年定員として一万百人程度でございまして、一条校に基づくものが七百二十人になりますので七%ということでございます。
#44
○松永忠二君 七%という数字、私のほうでは一〇%ぐらいですかね、看護婦短大、高校看護科、大学専攻科のものは全体の一〇%。まああなたは七%と。これは一体厚生省としてはどういう考えなんですか。いわゆる学校教育法に基づくものに養成を本格的にしていこうという考え方なんですか、それともこれはどういう考えを持っているんですか。
#45
○政府委員(滝沢正君) 方向といたしましては、一条校に基づく学校教育的による看護婦養成というものを強化拡大していきたい、そして各種学校の養成も量の確保の上からはにわかに廃止するということは先ほど申し上げたような理由で困難でございますが、逐次拡大の方向は、一条校の学校学校教育に基づく看護養成というものも強化していきたいということで、一般看護関係者の声もそのような点でございますし、また諸外国の養成制度を見ましてもそのようなことでございますし、また看護業務という専門職としてのあり方から考えましても学校教育に基づくものを拡大強化する必要がある、こういうふうに考えております。
#46
○松永忠二君 そういうようなことについて文部省側と協議をして一つの考え方をまとめたことがありますか。
#47
○政府委員(滝沢正君) 具体的には、文部省も従来技術短大あるいはただいま御検討願っておる看護学部というようなこともございまして、具体的な数字の上で養成計画というものを年次的に詰めるというようなところまでは現在至っておりませんけれども、文部省とわれわれとはお互い委員会等においても交流してそれぞれ委員になっておりますし、発言の機会もございますし、また意思を通じまして、基本的な一条校による看護婦養成の拡大の方向は文部省にも御了承願っておるものというふうに理解いたしております。
#48
○松永忠二君 私は、文部省のほうからそのことについて連絡しましたり、そのことは聞いたことがないそうですね、協議したことはない、正式に。事実あなたおっしゃったとおりまだ計画がないといっているくらいだから、准看護婦を看護婦に持っていこうという考え方は基本であるとか、准看護婦は看護婦養成の中で二割といいますか、二五%相当を占めておることはこれも事実です。今度新たに免許法の中に看護実習という科まで設けて学校までつくっているでしょう。そうなっておる段階で、一体どっちのほうにあれがあるかといえばあなたのところのほうが所管の責任ですね。その看護婦なり准看護婦の養成というのはあなたのところが計画を立ててやるべき事柄でしょう。その計画の中で学校教育法に基づくものに移していきたいというなら、学校教育法に移す限り文部省のところになるのだから、また、こういう免許法に伴ってこういう高等学校がどんどんできておる傾向の中で、将来的だけれども、あなた口をすべらせて准看護婦なんかやめて看護婦にしたいといっておる。そういうときに学校をつくって免許法もつくっていこうというんですよ。併存的にいま必要ですということなんだけれども、この制度そのものについて根本的に連絡、協議、計画を立てる必要があると私は思いますが、文部省にしても、これだけの看護科を設置するにあたって何らの答申も受けていないし、産業教育審議会がたまたま何か一項か二項口をすべらせた程度でこういうふうにたったたったとやっていくということになると、高等学校の制度というのはいろいろの人が要望すればどんどんそういうことになってくるということにもなるので、よほどこれはきちっとした計画を立てていかなければできぬ、当然あなたのほうは学校教育法に基づいて看護婦養成をやるのを主体にしていきたい、いまや約一〇%程度だけれども、そうしたいというなら両者の間で協議をして計画を立てるべき筋合いのものだと思いますね。事実あなたのところでは五十三年までの目標の看護要員の数というものはあるでしょう、五十一万五千人という計画があるでしょう。こういう計画と一体どういう関連をもっておるのか。今度またお話を聞くと、社会保障長期計画ができればこれを再検討しなければならないといっているでしょう。そういう中で一体准看護婦制度というのはどういう位置づけをし、高等学校の准看護科はどういう位置づけをするか、こういう点について非常に何か手抜かりがあるという感じがしますね。そういう点十分両者で協議をしてきちっとした計画を立て、その計画に基づいて養成していくということがないと、学校教育としても問題がある。文部省のほうにも問題があるけれども、厚生省の側にも問題がある。むしろこういう問題に手をつけるときには、厚生省と文部省が協議をされて一定の何か目標を定められてやっていくなら別なのに、高等学校の准看護科を希望によってどんどんふやしてしまう、それがはたして需給計画の中のどういう位置を占めてどうなっておるかということについてははっきりしたものがないでしょう、あるというなら出してください。まだそこまで詰めていないでしょう。少し、こういう点は詰める必要があるのじゃありませんか、どうですか。
#49
○政府委員(滝沢正君) 看護婦の需給計画全体は厚生省の責任でございまして、確かにおっしゃるとおり、またお答え申し上げましたように、数字的に具体的に詰めたものはございませんけれども、一般的には教員の確保、特に一条校に基づきます教職員の確保ということが、これが非常に重要な問題でございます。各種学校の養成の場合も、六カ月ないしは一年の講習会等によってこの看護教員の養成をいたしておりますが、これも基本的には各種学校であっても教員の資格という問題がまだ十分確立していないという基本の問題もございます。文部省の一条校の場合は、教員の資格の問題が確立しておられますだけに、この教員の養成確保という問題がたいへんわれわれ全体からながめたときにも重要な課題だと思いますので、結論としては先生おっしゃるように十分協議をして、養成するにも三年要するわけでございますし、将来の病床の増加あるいは医療需要の増大等を見込みまして、基本的には先ほどお答えしたように一条校の看護婦養成の拡大ということを基本にお願いすることとして、教員養成確保の見通し等も踏まえて計画というものは将来立てる必要があるというふうに考えております。
#50
○松永忠二君 文部省側のほうでも学校教育に基づくものを基本にして看護婦養成を考えているというなら、文部省側はそれを受けて、どういうふうに立って計画を持ってるのですかね。そういう中で准看護科というのは一体どういう位置づけを持っているのか、この点はどうです。
#51
○政府委員(木田宏君) 先ほど滝沢局長からもお話が出ましたように、今日、中学校卒業者で准看のコースへ入るというようなそういうタイプの人が現実になくなってしまいまして、ほとんど全部高等学校へ進んでいくという高校の進学が一般化しておる現状でございます。したがいまして、この高等学校教育と別に中卒者を予定した准看の養成機関というのは実質的に縮小整備をしていくというほかはなかろうと考えるのでございます。また、私どももそういう現実でございますから、高等学校の中で看護のコースを設けまして将来のそういう希望者に教育をしていくという体制を整えていかなければなりません。しかしその現実が今日までのところ、先ほども御説明申し上げましたように、准看の養成数の約二割にも満たない実数になっておる。これは今後拡大を考えるということが必要であろうというふうに一般的には思っておる次第でございまして、これはまあ初中局の管轄になりますけれども、看護高校に対する産振の補助その他の措置を講じてきた次第でございます。また、最近になりまして、大学、短期大学等におきまして正規の大学教育のワクの中で看護の教育ができるように、また、その看護の教育を担当する教員が正規の大学教育の中で養成できるようにと、こういう御要請は看護関係者、広く医療関係者からも強く受けておるところでございまして、文部省におきましても国立大学の中に看護短大を正規に設けていくという努力を七、八年前からいたしてきておるわけでございますが、その今日における現実は、この看護婦の養成定員二万人の中の一割にも満たないというような状況でございまして、今後、文部省としてはこの看護の教育を高校、大学を通じまして、やはりその高校、大学の教育の課程の中で看護婦の希望者に対する養成がより一そう拡充していく、こういう姿勢で整備をしなければならないというふうに思っておる次第でございます。そのために教員養成大学にも看護教員養成課程を設けまして、現在のところ教員養成大学で看護教員の養成をいたしておりますのが四大学でございますが、そのほか一般大学におきます学部あるいは看護短大等の拡大ということを考えていかなければならぬ、こういう気持ちでおるわけでございます。
#52
○松永忠二君 どっちのほうが主体なんですか。文部省は受けて立つという立場でいわゆる学校教育法における養成を考えていくのですか、その計画は、つまり厚生省の一つの計画とタイアップしながら文部省のほうでいわゆる学校教育における養成を考える、充実していくという筋合いですか。そういう筋合いだと思うのですが、それと違いますか。厚生省、文部省、どっちでもいいです。
#53
○政府委員(木田宏君) 医師の場合と同様でございまして、全体の養成数。確保数がどれだけ必要かという点は、厚生省の御当局のほうで御判断をいただくべき課題でございます。で、それに対しまして正規の学校教育の中でどのような拡充策が講ぜられるかということは、私どものほうもその厚生省の御意見を受けながらわれわれが推進していかなければならぬ課題になる、こう考えております。
#54
○松永忠二君 そういう意味で、厚生省と文部省との間で統一したものはまだないということですね、それは間違いないですか。
#55
○政府委員(木田宏君) 厚生省からは看護婦養成の全体計画その他のワク取りは、私どもも相互に関係者が委員その他で入っておりまして連絡をし合っておるわけでございますが、特に看護婦の場合には、現在学校教育で受け持っております部分が医師と違いまして非常に小そうございますので、これの一般的な拡充ということで文部省も仕事をいたしておりますが、この将来の養成像の中のどの部分をどれだけ学校でというようなこまかい詰めの御相談まではまだできておりません。
#56
○松永忠二君 厚生省が出している計画はよく存じておりますと言っている。五十三年の目標のこの数も実は問題があるんですよ。例の二泊体制というようなものが確立されていないだとか、あるいは老人医療の医療化が進んできたらそれがどうなるかという計数なんかわかっていない、はっきりしていない。そういう誤差が出てくることは承知の上で、五十三年の目標として五十一万五千人という数をきめているわけですね。これは今度出てくる、いわゆる長期計画に基づいてこれを再検討しなければできなくなってきているわけでしょう。これ自体が不備の上にまた再検討の時期に迫られているわけですね。これに基づいて五十三年の目標に基づいてどこをどういうふうに詰めて自分らのほうで受け持っていくとか、そういう話はまだ具体的に詰めていないというんですからね、詰めていない。それは少しおくれているということを言っているんですよね。もっと厚生省のほうだってそういう点を文部省のほうに詰めなければいかぬが、文部省のほうだって子供を養成して学校をつくっていく以上は、その辺をきちっとしてもらわなければ、そんなむやみやたらに金がたくさんあるわけじゃないでしょう。だからやっぱりきちっとした養成の計画の上に乗っかっていかなければならないとともに、そのための予算要求というものもやはりしていかなければできない筋合いのものだ。もっとこの問題について、厚生省と文部省の間に正式の協議ができて、そしてある程度の計画ができ、そういう中でいわゆる准看護科、いわゆる看護衛生科というものがどの程度高等学校につくられていくのか。そしてまた看護婦養成は短大で、あるいは大学で、どういうふうに受け持っていくかということをやっていかにゃできないものだ。ただ、足らないんです、要望がありますということで学校をふやしていくということでは、しかも免許法でもこうなっていく。しかも話を聞いてみると、看護婦養成の教員というか、その養成の体制が全然ないので、それがなければ困りますということを厚生省は言っているわけでしょう。そうなってくれば唯一、その点について詰めた計画の上に立ってやはり今度のこういうものを進めていかなければ、少なくともこういうものが出ているのだから、そういうものをちゃんと持っていて、十分に厚生省と文部省で協議されてなされているものだと思っていたが、どうも調べてみたらそうじゃない。どうも聞いてみたところもそうでもない。厚生省は目標を持っている、目標は文部省も知っている。その目標も実は問題がある。しかしその中で一〇〇%学校教育法に持っていきたいと、こう言っているけれども、現状は一〇%も足らない程度だ。それならどこをどういうふうにふやしていくのかという話がなければならない。また話を聞くと、准看護婦というものはだんだんやめて看護婦にしたいという、こういう話があるのに、片一方じゃ、看護衛生科をこしらえて准看護婦をどんどんつくっていくというのもちょっと何だかおかしいなという感じもする。当分は並行が必要ですというお話しですがね。もうちっとやっぱりその辺をきちっとしていく必要があるということを感ずるわけです。大臣はどう見ますかね、その話を聞いていて、ちょっと大臣に伺います。
#57
○国務大臣(奥野誠亮君) 計画をつくってというよりも、現状が非常に不足しているものですから、高等学校でも受け入れてくれる限りは高等衛生看護科をつくっていきたい。同時にまた、そこの先生も不足しているようでございますけれども、技術短期大学などの卒業生もふやしていきたいという気持ちでおるわけでございまして、先般そういう必要性の問題については厚生大臣とも話し合ったわけでございますけれども、具体的に厚生省のほうから提案を持ってくるという段階までには至っていないわけでございます。
#58
○松永忠二君 厚生省に聞きますが、四十七年の七月に看護制度検討会というのをつくったのでしょう。これは間違いありませんな。
#59
○政府委員(滝沢正君) 先ほどのお答えの中にも申し上げましたように、制度検討会を発足させまして、近く中間的な御答申をいただけるものと期待いたしております。
#60
○松永忠二君 こういうところにやはりしっかり文部省側のほうもタッチしていく必要がありますね。ただ、この中には看護学校協議会というのはメンバーの中に入っているのですか。
#61
○政府委員(滝沢正君) 看護の養成に関係する各方面の御意見をこの懇談会が拝聴いたしております。その中にいま先生の御指摘の看護学校協会の御意見も承ったと記憶いたしております。
#62
○松永忠二君 そこの一体団体の意見はどうなっているのですか、このことについては。
#63
○政府委員(滝沢正君) これは懇談会といたしまして、たとえば看護協会あるいは日本医師会等、各方面の御意見を委員会としてお聞きしているというか、書面によって提出していただいているという程度に承知いたしておりますので、いまの看護学校の協議会あるいは協会、これも書面としてお出しいただいたように記憶いたしております。
#64
○松永忠二君 そうすると、看護制度検討会には文部省側の人は入っていないのですか。
#65
○政府委員(滝沢正君) 委員としては入っていただいておりません。
#66
○松永忠二君 看護制度を検討するに、自分の省だけでやっていたのではしょうがないじゃないかという感じがしますね。門戸を開くなんということを盛んに言っているのだから、自分のところばかりでやらぬで、もっとほかのところの人も入れて、入って意見を聞いてみたらどうかと思いますがね。しかし、一応文書によってその意見を提出してもらったと、大体その十六団体の意見はどこに統一しているのですか。その統一している点は。
#67
○政府委員(滝沢正君) 資料として各種団体の総合的な御意見でございますから、いまのお尋ねに的確なお答えになるかどうかわかりませんが、相対的には准看護婦制度というものを廃止する方向を示唆しておられます。と同時に、また一面、廃止は急には困難である、かなり長期の、しかし、その名称が適切でないという御指摘等もございます。それから、一般的にかなり強く出ておりますのは、特に看護関係の協会からは、先ほど来お尋ねのございましたように、看護教育を学校教育法の一条校としての教育の方向に逐次移行させるべきであるという御意見はかなり明確に出ております。しかし、必ずしもそのような方向をとらずに、たとえばもちろん並列方式、各種養成も必要であるというような御意見もございます。概略申しましてそのほか、たとえば処遇の改善であるとかあるいは看護業務を明確にしろというようなことを踏まえまして、いろいろの多方面の御意見は出ておりますけれども、きょうの問題に関係あるような重要な点としてはそのように理解いたしております。
#68
○松永忠二君 十六団体の文書による提出によってまとまった意見というのはほとんど統一している。看護婦の名称を一本化すということと、准看を廃止をしたい、それから看護学習の明確化をはかる、待遇、労働条件の改善をする、ということはほとんど全部一致している。ただ、日本医師会の意見が違っている。日本医師会のほうは医師の認定を中心にして、かってに資格の認定を行なって自由に使うというやり方をやりたい、自分で使っている者を自分で認定して、それで使いたい、ややっこしいこんなものは困るということでしょうね。だから日本医師会はそういう意見を持っているが、その他の者がほとんど望んでいる准看廃止をするといっているのに、片方は准看をつくるという、私はそこら辺がさっきからわからないんですよ。免許法上にも看護と看護実習というものをこしらえるということでね、高等学校は。高等学校はしかし准看ですよね。准看を廃止するというのが懇談会で検討されて、ほとんど意見は一致しているといっているのに、片方では、何だか准看が足らぬというか、学校の免許状まで変えて、そうしてその間は学校をふやしていく。どういうことになっているのか。この辺は何だかこういういわゆる看護婦制度が問題があるというので、看護婦制度の検討ということは非常に重要だというふうに考えていますね。しかも、われわれいろいろ施設の問題を取り上げてみても、実は看護婦がないものだからやれないんですよ。だから、ぼくら、看護婦の重要性というものは身にしみてわかっているわけだけれども、それならそれなりにきちっとしていかなければできぬと思うが、とにかく准看を廃止するといっているのに、片方では准看をつくるというのは、何だか筋が違っちゃっているように思うのだけれども、この辺はどういうことになっているんでしょうかね。どういう一体説明をすればこれはわかるんでしょうか。
#69
○政府委員(滝沢正君) 確かに先生御指摘のように、私は、委員会なりで御検討の方向あるいは看護関係者の強い要望、そういうものも、また諸外国の看護婦養成制度を見ましても、全部が全部一条校という仕組みではほとんどないのでございまして、要するに、各種養成と学校教育法に基づくものとが並存しているというのが大体アメリカはじめ各国の状況でございます。その場合、中卒二年あるいは高卒一年という案を過去に厚生省は法案として出しましたが、それは成立しませんでしたが、そういうような形の看護婦というものをもはや高卒以上の少なくとも三年くらいの線を基準とした看護婦制度というものを考えなければならぬという基本的なお考えは、私は、諸外国の実情に照らしても、また、わが国の看護業務というものの性質からいっても当然の方向だと思うのでございますが、現存するわが国の准看護婦制度というものについて、先生御指摘のように、廃止の方向というものも各界の御意見の中に出ております。
 しかし、方向ということで、現実には、先ほどお答えしましたように、量の面の確保ということも必要でございますし、また、それぞれの教育課程の中でたとえば専攻科というものを設けることによって、看護高校から看護婦になる道、あるいは進学課程を通るという者が、どんどん進学課程の増設が実現いたしておりますので、そういう方向を踏まえながら准看というものをにわかには廃止できない、廃止する方向で逐次検討しろ、こういうことは御意見としては私もっともだと思うのでございますが、具体的にこれを行政上いわゆる看護高校にいたしましても、できるだけ専攻科というようなものも設置することによってそのまま看護婦になれる仕組みというものを強化していく、こういうようなことも対策として講じながら、ただ、この廃止ということがいままでの看護高校の養成を強化してきた方向と矛盾するではないかという御指摘は、その形の上では確かにごもっともだと思うのでございますが、現実にはそういうような処理のしかたをかなりの長期の先の姿として考える必要があるということでございまして、看護婦養成問題というものがある時点を区切って、法律改正で准看を廃止するということはきわめて困難なことでございますし、場合によっては、すでに准看になっている者に通信教育による看護婦の資格の確保というような御意見も一部の団体等からも出ておりましたりいたしまして、いわゆる准看護婦制度というものを看護婦という資格にできるだけ持っていくように努力しながら、将来の方向としては准看護婦制度というものだけで終わるような資格、身分の制度というものは廃止の方向で検討すべきである、こういうふうにわれわれとしては理解しておりますので、かなり時間的には相当先のこととして考えながら看護婦になれる道というものを開き、なお、いわゆる一条項に基づく看護婦養成の強化の方向も併存しながらやっていきたいと、こういうふうに考えておるわけでございます。
#70
○松永忠二君 文部省に聞きますが、准看を廃止をしたい方向である。看護婦というものに高めていきたいということであるので、高等学校で看護婦の養成ができるようなものに変えていこうとしているのですか、それともそういうことは全然考えてないのですか、その点はどうなんですか。
#71
○政府委員(木田宏君) 高等学校教育の職業課程のあり方につきましては初中局長からも答弁があると思いますが、現実に准看という資格は将来はなくして、正規の正看に高めていきたいという方向は当然の観点だと考えるのでございますが、だからといって、すべての子供たちが高等学校へ進学をしてきております現在、高等学校で看護の教育がなくていいということではない、むしろ看護の教育はできるだけ充実した形で早くから行なわれる、それによって正看の資格というものを取得できる時期もむしろ早まりこそすれおそくなるということはないだろうと、こういうふうに考えるわけでございます。ですから、看護婦の免許資格が将来高まっていくということと、それから、高等学校におきます職業教育の一つとして、看護という教育がより需要が多くなればなるほど必要になると、こういう点は両方を考えなきゃならぬことではなかろうかと思う次第でございます。
#72
○松永忠二君 私、聞いておるのは一体高等学校を看護婦のいわゆる養成――看護婦の資格が取得できるようにするのですか、そういうことは全然考えてないのですかということを聞いているのです。それはどうなのか。
#73
○政府委員(岩間英太郎君) 高等学校でございますと、これは看護婦を養成するということは無理だろうと思います。しかしながら、看護婦を養成するためには専攻科でもつくって、看護婦を養成するということができるように、これは私どももそのようにできるように努力をしているわけでございます。つまり、専攻科の設置につきましては私どもも将来の方向にしたいということでございます。現実問題としまして、看護婦だけでいきたいということは、これは医療サービスの観点から、それから看護婦の資質の向上ないしは待遇の改善という意味から申しますと、それは当然の方向だと思いますが、現実問題としまして、看護婦の業務に携わる方が非常に少ない、病院は開いておってもベッドがあいておると、それから、私どものほうにも、たとえば特殊教育の充実ということになりますと、こういうふうな方々もやっぱり必要になるわけでございまして、そういう意味で量的な面から申しますと、やはり現在は相当高い必要度があるんじゃないかということでございますから、この養成を、私どもが厚生省とは別に独自の観点からやっていくということも、これは高等学校の資格を与えながら、そういうふうな需要に応ずるという意味から申しますと、これは適当なことじゃないかというふうに考えるわけでございます。しかし、方向といたしまして、看護婦養成、看護婦というものを養成していくということでございましたら、これは高等学校だけでは年限が足りません。内容が足りませんから専攻科というものを設置をしていくというふうなことでカバーしていくということが一つの方法であろうというふうに考えるわけでございます。
 なお、先ほど大学局長から御説明申し上げましたとおり、三分の一の方は上のほうに進学されるというふうな実態もあるわけでございます。
#74
○松永忠二君 まあその看護婦養成は無理だということでしょうね。私は、高等学校でそんなものをやる必要はない。高等学校というのは、そういうところでは私はないと思うのですよ。看護婦養成が必要なら養成の科をつくればいいじゃないですか、ちゃんと。学校教育内に。そんなことをからめつけないで。高等学校にそういうものを養成させるという必要は私はない。で、準看護婦というものがなくなるという傾向にあるということであり、それはむしろ看護養成をしたいというなら、その看護養成というものをどうするかという形の中で考えていくべきものであって、こういうふうな形で準看護婦養成を、まあいわゆる準看護婦になっていくのだから、たくさん要るから、要望するからというようなことで高等学校へどんどんこういうものを入れ込んでくるということは、もう高等学校の教育の中における職業教育のあり方という意味からいっても問題があるのじゃないですかね。そういうことは全くそういう考え方になって看護婦が足らない、それだけ準看護婦の要望がある。だから準看護婦を高等学校でつくればいいじゃないかというような考え方で高等学校における職業課程というものをそういう形だけで考えていっていいのかということですね。だから、看護婦養成というものがあって、看護養成を計画的にやらにゃできないと、そういう中で学校教育はどこの方向でタッチをし、どういうふうな立場でそれを養成していくかということは別個にそれを考えていくものであって、当然、幾ら準看護婦が将来なくなるからといって、看護婦の資格を高等学校の中でつくっていこう、そのほうが実際的だなんていうものの考え方があっていい筋合いは私はないと思うのですね。また、そういうふうに準看護婦というものが考えられているとするならば、高等学校の中で一体準看護婦をつくるという、こういう高等学校のいわゆる養成のやり方がいいのかどうかということになると、基本的にはどうもこの辺は検討をきちっとしなきゃできぬのじゃないかという感じすらしますね。もともと準看護婦というものは中途はんぱなものであって、暫定的には必要だということであるという、そういうだんだん意見がほとんどまとまっている段階の中でくるならば、一体そういうふうなものを、衛生看護科等を設けていって、しかも衛生看護科へくる者の六割、もっとがそこへ入っていくわけですからね。そういうふうになっていくというと、そういうものを高等学校で引き受けていくというそういう筋合いはないのじゃないかという、そういう形で何でも要望に応じていけば高等学校はもう限りなく多様化していくということになっていくと思うのですね。だから、そういうことにも通じていくわけですよ、この問題は。そういう考え方もとられる。特に私が疑問としたのは、片方は準看護婦廃止をしようと言っているのに、片方は準看護婦に熱を上げて養成をしていると、それで、しかも看護婦は足らないから準看護婦はやめて看護婦養成をきちっと学校でやってもらいたい。学校教育を中心にやりたい。特に看護婦養成の教員が足らないのだということになってくると、そこの辺の要望にこたえるという線のことをまずしっかりやっていく必要があるのじゃないかということを考えられて、まあ何というですかね、受け取り方がややばらばらになっているので私はこんなような質問をしたわけですがね。いま言った準看というのはやめようと、看護婦生徒にしようと、看護婦というのは高等学校で養成をしていくということに応ずる筋合いではないとし、また、それはできないということになると、そこまでは意見は一致をするわけですか。どうですか、局長。
#75
○政府委員(岩間英太郎君) ただいまの御説、私全く同感でございます。ただ、いまの高等学校の看護科というのは、まあいろいろな職業の課程の中で一番安定したものでございます。生徒の意識調査などをやりましても将来看護婦になりたいという比較的確固たる信念を持っておる。それからその看護学科を希望したその動機等につきましても非常にしっかりしたものがある。自分はこの学科に入って満足をしておるという満足度も一番高いというふうに、いずれ高等学校を卒業しましてからは職業人として世に出るわけでございますから、そういうふうに希望も多く、それからその考え方もしっかりしておる、はっきりしておる。また卒業したあとでも看護科の生徒たちはいわゆる就職率も高いというふうなもの、これは高等学校の一つの形態として私は需要にも合っておるし、それから本人の希望にも合っておるという意味では、最もはっきりした、最もいい制度だというふうな考えをしているわけでございます。将来、卒業者が就職できないとか、そういうふうな可能性が出てまいりましたら、これはやはり再検討を要するということは当然でございますけれども、私は、学校教育は学校教育、必ずしも看護婦が足りないから高等学校をどんどんつくっていくんだという考え方は持っておりません。
 それから、なお、先ほどちょっとお尋ねがございまして、お答えをおくらしたわけでございますが、現在の理科教育及び産業教育審議会の前身でございます中央産業教育審議会で、昭和三十七年の十一月に「高等学校の学庭科教育の振興方策について」という建議がございました。その備考の中で、女子教育の充実との関連で、職業教育の充実の一環として、たとえば准看護婦の養成を高等学校でやるということも考えられるというふうな、そこのところちょっとあれでございますけれども、准看の養成も考慮されるというふうな、これは備考でのそういう御意見があったということでございます。
#76
○松永忠二君 備考のほうでちょこっとあったのをやっているわけですね。
 それから、何か、私の、筋はそうでございます。それからまた、高等学校で准看護婦をやっているのはまことに適切でございますというのじゃ、どうも首尾一貫していないので、ちょっとおかしいと私は思うんだけれども、これは、大臣も聞いておられるように、厚生省とやっぱり文部省の間で、看護婦養成の問題でそれぞれの分野を明確にしなければできない時期にも来ているわけで、長期計画ができたわけで、これに基づいて看護婦養成のあの五十三年目標というのはまたあらたまってくるわけだし、その段階でどういうふうないわゆる行政のしかたをしていくのか、そういう中で高等学校の衛生看護科というのはどういう展望のもとにやっていかなければいけないものなのかということをやっぱりきちんと詰める必要があると私は思う。どっちかといえば、そんなものを詰めてないというのはおかしいじゃないかという話で、大臣からは、私はそんなものはないとは知りませんでしたというような御答弁があるかと思ったらそうじゃなくて、こういうものをつくることは必要だという、法律案の提案のほうの必要なことばかり強調されるものだから、私たちとしては、本来のものの準備がきちんとしている必要があるということを私は申し上げたわけです。まあ、なおひとつ十分にこの問題については詰めてきちんとしてもらいたい。特に厚生省と文部省の間でよくひとつ計画を練って、そうして安心したというか、高校の教育の中で衛生看護科というものをどういう形で受けとめていくのか、いわゆる高等教育の暫定的な措置のような考え方なのか、高等学校の教育の中の職業教育として適切なものであるのかどうかという点についてもやはり考えをまとめていく必要があるんじゃないかということを申し上げまして、午前中の質問を終わります。
#77
○委員長(永野鎮雄君) 午前の会議はこの程度にとどめ、午後一時十五分まで休憩いたします。
   午後零時十四分休憩
     ―――――・―――――
   午後一時二十五分開会
#78
○委員長(永野鎮雄君) ただいまから文教委員会を再開いたします。
 休憩前に引き続き教職員免許法等の一部を改正する法律案を議題とし、質疑を行ないます。
 質疑のある方は御発言願います。
#79
○松永忠二君 別表一の、一般教育三十六とか、一般教育の単位を今度削除したのはどういうわけですか。
#80
○政府委員(木田宏君) 一般教育は、大学の四カ年で終了いたしますためにどういうふうに履修しなければならぬかということは、一般的には、大学設置基準に規定してあるわけでございます。また、短期大学につきましては短期大学設置基準に定めてあるところでございます。この一般教育の扱いにつきましては、免許法にも規定してありますように、三十六単位という単位数を大学設置基準におきましても要請をしておるわけでございますが、この一般教育の扱いその他につきまして、これを弾力化するとかいろいろな意見等もございます。したがいまして、一般教育の履修は大学の一般的な基準の中で取り扱うということにいたしまして、免許法の個別の規定の中に一般教育の履修要件を規定するということを避けたい。また、一般教育自体の改革問題等も大学一般の問題との関連で考えられるようにして、その取り扱いを大学設置基準のほうにゆだねさしていただきたい、こういう趣意から今回この一般教育の関係部分を削除さしていただきたい、こういうふうに考えるわけでございます。
#81
○松永忠二君 一般教育課程を削除したのは、大学の卒業要件の中に、大学設置基準の中にあるからそれでいいじゃないかと、そういうことで削除したのですか。そのほかにまだ何か理由があるのですか。
#82
○政府委員(木田宏君) 基本的には、一般教育は大学の設置基準で一般的に規定をしますから、それにゆだねるということで足りることではなかろうかというのが基本的な考え方でございます。
#83
○松永忠二君 大学設置基準の策三十二条には、この前ちょっとぱっと少しこのことで国士館の話が出ていまして、「卒業の要件」というのは「一般教育科目については、人文、社会及び自然の三分野にわたり三十六単位」、その単位が三十六単位、二項「前項の規定にかかわらず、大学は、学部、学科又は課程の種類により教育上必要があるときは、一般教育科目について」「単位のうち十二単位までを、外国語科目、基礎教育科目又は専門教育科目についての単位で代えることができる。」、しかし別表第一の三十六単位と法律で規定をすることと大学設置基準でいわゆる三十六単位と規定することとはたいへんな大きな差があると思うのですけれども、この点は同じに大学設置基準に書いてあるからいいということなのか、そこには大きな差があるということを意識をしながらこれを出してきたのか、その点はどうなんですか。
#84
○政府委員(木田宏君) 一般的には、大学設置基準で一般教育の扱いを大学一般の課題として考えておる。三十六単位で人文、社会、自然等、保健体育も含めまして三十六というふうに書いてあるわけでございまして、それを免許法の中で、大体その大学設置基準制定の趣旨にのっとって規定をいたしたものというふうに考えておる次第でございます。
#85
○松永忠二君 いや私の聞いたことを答えてくださいよ。別表第一に三十六単位ということを規定してある、法律で規定してあるのと、それからいわゆる大学卒業の要件として大学設置基準の中でいわゆる三十六単位、一般教育科目が三十六単位と規定したのとはえらい大きな差があると私は考えるけれども、あなたは同じようなものだと考えるのか、こういうことを聞いているんですよ。
#86
○政府委員(木田宏君) 基本的には、それほど大きな差異はないのではなかろうかというふうに私は考えます。
#87
○松永忠二君 それはもうたいへんな違いだと私は思いますね。昭和四十一年の教育職員免許法等の一部を改正する法律案というのがここにありますが、これは当時反対受けてついに廃案になっちゃった。その廃案になった際に提案した別表一にも、これと同じように一般教育を削除して提出してあったんですがね。これが当時議論を呼んだことはもう御承知のはずだと私は思うのですが、そういう意味からいうと、あなたが大学設置基準にきめてある三十六単位と別表一にきめてある法律の三十六単位とには差がある、ウェートが違うということについては全然理解がありませんか。また、これは廃案になった四十一年度の教育職員免許法のときに同様な提案をしているということについてはどうなんですか。その二つを答弁してください。
#88
○政府委員(木田宏君) 私の思い至らない点があるのかもしれませんけれども、私は、この免許法の別表第一に掲げてございます三十六単位は大学設置基準の三十六単位の趣旨をそのまま書いたものであるというふうに考える次第でございます。その後、大学教育の中におきまして、一般教育の単位の弾力化ということを各大学で進めたい、一般教育のあり方につきまして、いろいろと創意くふうを考え、改善をしなければならぬということが、つとに論議になっておりまして、そしてその一般教育の改革問題との関連で、免許法には法定してあるという点が大学における一般教育の扱いとしてなお問題のある点もあるからということから、三十六単位を免許法で法定するということをはずして弾力化ができる余地を広げておきたいという趣意が前回の法律改正のときにも上がったことだと思うのでございます。その意味では免許法に法定してあるということは、この三十六単位の扱いが法律上の覊束を受けるということになりまするし、大学の一般教育の扱いを大学設置基準で一般的に規定をしておりまして、この設置基準の扱いで、一定単位数までを他の科目にかえることができるという省令の扱いと違いが起こってくるという意味での差異は確かにあろうかと思います。
#89
○松永忠二君 だから念のためにあなたにお聞きしたのは、その三十六単位に規定をしたのを削除したのは、大学設置法に三十六単位と書いてあるから、それでいいのじゃないかと思いましたと、それと同じですと言ったのでしょう。ところがいま言ったらもう少し加えたわけでしょう。そうじゃなくて、あの一般教育科目については何か弾力性とかなんとか、そういうことが議論をされているのはという話をつけ加えたでしょう。だから私が聞いたときに、三十六単位規定してあるからいいというのじゃないのでしょう。まだほかに目的があるのでしょう。それをいま言ったのじゃないですか。もし別表に法律規定してあるのは、設置基準に規定してありますからそれでいいんですと、こういう答弁なら、この提案理由はおかしいのでしょう。そう書いてないですからね。そういうふうなことよりほかにも書いてあるのですからね。「大学における一般教育の弾力化に対応することができるよう」と書いてあるじゃないですか。「できるよう一般教育科目の最低修得単位数についての規定を改め、」、「規定を改め、」と書いてあるでしょう。三十六単位に、こっち書いてあるから、三十六単位で同じことだという答弁をしたけれども、だんだん聞いてみると、そうじゃないでしょう。いわゆる「一般教育の弾力化に対応することができるよう一般教育科目の最低修得単位数についての規定を改め、」と書いてある。つまりそれを消しちゃったということでしょう。消したというだけじゃなくて、提案理由の四のところにそういうことが書いてあるだけじゃなくて、これはひとつ大臣にお聞き取りをいただいておきたいのです。法律にきめてあるわけですよ、三十六単位というのは。一般教育課程が三十六単位なければできぬと。ところがそれを消したわけですよ。消したということは、単にこっちにあるからいいというのじゃなくて、これは提案しているように、「一般教育の弾力化に対応することができるように」と書いてあるのです。だから最初の局長の答弁は違っているのですよ。片方にも規定もしてありますが、同時に一般教育の弾力化に対応することができるように消しましたということでしょう。そういう目的を、なければこれはおかしいのに、答弁としてはそういう答弁をしているわけですわね。だからもうこれを消したということは、単に消しただけじゃないのですよ。これは弾力化すという前提の上に立って一般教育課程というものの三十六単位を消したわけです。そういう趣旨のもとに基づいて、昭和四十一年に免許法を出してきたものだから、これはおかしいという議論なり反対があってとうとうこの反対を受けて廃案になったのですよ。その廃案になったそのものをそのままここに、もう一回出してきて、それで同じように一般教育科目を削除して提出してきてあるのです。大学設置基準にありますからよろしゅうございますというのじゃないのですよ。法律にきめてあるものと、設置基準にきめてあるものとの間には差異がある、設置基準のほうはどんどん変えることができるけれども、法律はこうして提案してこなければ変えられない。それだけじゃなくて、単にこっちにあるからいいですというそういう理解だけじゃなしに、これを弾力化する予定の上に立って最低修得単位数を改めたという意味でこれを消したということになれば、この前免許法に反対したことを承知の上でこういう問題を出してきているわけなんですね。だから私たちは、これからほかの問題もいきますけれども、この法律は実はそういう点では重要な免許法の改正なんですよ。これだけ出してよこせばこれは相当の議論の出るところであるのにかかわらず、三つの法律の陰に隠れてこの法律が提案されているものだから、そういう点で議論が集中をされないわけですけれども、これは本質的な大きな問題なんですよ、これをとったことは。かつてとろうとして提案して国会に出してきて廃案になったんですよ。そのほかのところもありますが、特に弾力化というところに問題があったわけですよ。一般教育科目と教職科目と、そういうものの教科の科目との配合を変えていこうと、この前はそれぞれ数字を出してきたんですよ。数字を出して、ここにもありますけれども数字を出して。今度は数字を出さなくて提案理由の中でこのことばを入れてある。「一般教育の弾力化に対応することができるよう一般教育科目の最低修得単位について規定を改め」と書いてある。規定を改めということはもう明らかにここにほかに出ている教職課程とか教科に関するものと教職に関するものと単位を移動させようという前提なんですよ。この前はそこを削って移動させる単位を出してきたものだから国会で非常に問題になって、いまは一般教育科目が非常に重要なときに何で専門的なそんなものばかり多くするんだという議論があって、とうとう廃案になってしまった。今度それを逆手に使ってですよ、削除しましたと、ただ削除しておいて、黙っていて、私ちょっと何か衆議院の答弁見たら、これはあるからいいですと、変えましたという答弁をしているようですが、それだけを答弁しているわけですが、そうじゃないんですよ。ここの提案理由の中に一般教育科目の最低修得単位数規定を改めというんですから、とっておいて改めというんだけれども、とっただけですといって改めるということを書いてあるんだから、ほかのところへどういうふうに科目が配分されていくかということになるわけです。そういうものをもっと正直に出してきて廃案になったんです。今度はそれをちょうど何というんですかね、わからぬようにしてただそこを削っただけですという言い方をして、実は提案のほうへはちゃんと一般教育の弾力化に対応するというような言い方をしてきたんですよ。これは要するに、教員養成における一般教育科目とそれから教科に関する科目と教職に関する科目をどうするかということは非常な議論のあるところなんですよ。対立した意見もあるところだ。非常にずるいやり方であるという点も一つありますね。当時このことについては非常に問題だというので衆参でもそれで、私のほうはそれほどもう議論せぬでもだめなことになっちゃったんだが、衆議院のほうでは参考人を呼んでやった。参考人の意見の中にそういうことが出ている。参考人がこういう。「一般教育の規定が別表から消えたということでございまして、これも大学設置基準の改定のほうで、御承知のように、一般教育科目の修得単位数は、現行の人文、社会、自然おのおの十二、計三十六以上ということから、人文、社会、自然合わせて二十四、基礎教育科目十二というふうに変えられようとしておるわけでございますが、このこととからみ合わせて考えますときに、」というのは、要するに、弾力化して規定を変えるということですよ、今度のことばでいうと。「一般教育についての規定が免許法に前に書かれたということは、単に設置基準とダブるとかダブらないとかいうことではなくて、やはり専門の教育課程の中で学芸学部を中心に教員養成を行なう、そういう新しい大学における教員養成というものが、それまでの師範学校における教員養成の批判に立って、真の意味の一般教育というものが中核にならなければいけない、そういうたいへん大きな悲願を込めていた一つのあらわれではないかというふうに思うわけでございます。」だから、単に設置基準にあるからという筋合いのようなもので簡単にそこをとってしまって、しかもほかのほうへ単位をあらためるものをくっつけるというのはおかしい。この前は正直に今度は教職とあれの、教科の単位をふやして出したらどうです。今度は消しただけでそこはふやさないでおいて、そうして一般教育科目は弾力性を持っていくというそういう言い方をして、これは改めようとしているのですよ。非常に何というのですかね、前に廃案になって議論をされた問題をちゃんと承知の上で、しかも、そういう目的を達成するために正直にそういうことを法的にちゃんと規定をしないでおいて、そうしてとっておいて、事実上同じ効果をあげようというふうに考えているのでしょう。あなたは一般教育科目の弾力化は必要だということを言っていた。必要だという前提の中に立って一般教育科目を消したのでしょう。消した以上はそれは今度は弾力化して、ほかのほうへつけるということであるわけです。そういう目的を持っているのであるならば、そういう目的の単位はちゃんときちっとして出すべきでもあるし、これは教員養成の問題として基本的に大きな論議を呼ぶものであるということをちゃんと承知の上でこういう出し方をしている。法律に規定したものを簡単に消しておいて、設置基準のほうできめてあるからいいと称し、その設置基準はいつどういうふうに変わっていくかわからないようなやり方でこれをやるという、こんなインチキなやり方は私たちは賛成はできない。私の言うことが違っているというなら違っているという理屈をきちっと言って、そうして答弁をしてみてください。
#90
○政府委員(木田宏君) 大臣の提案理由の中で御説明を申し上げておりますように、大学における一般教育の弾力化に対応することができるようという趣旨がありますことはもう間違いもございません。そのように考えておるのでございます。前回のときに御論議になったことは承知をいたしておるのでございますが、自来、大学教育の改革ということにつきましては、この一般教育の弾力化を進めるべしというのが大学の教育改革の第一案件でございまして、そして、その後大学設置基準に改めてございますように、各専門領域を通じまして、一般教育の扱いについてはそれぞれの大学の考え方にゆだねる。そして三十六単位を人文、社会、自然の各領域について十二単位というワクどりは一応残すにいたしましても、その弾力的な運用を十二単位までは講ずることができるという大学教育を通じた一般的な弾力化という措置を講じてまいりました。今日、それぞれの大学におきましてそれぞれ考え方等ございますが、かなりこの弾力的な措置を受けて、くふうをしておられるわけでございまして、免許制度におきまして、一般教育の規定三十六単位というのを、他の学部と同じようにここをそれぞれの大学の創意くふうで弾力的に運営できるようにしたいというのが、今回の御提案の趣意でございます。
#91
○松永忠二君 それなら一番初めにそれをいえばいいじゃないですか。そこが目的であるなら。設置基準に三十六単位ありましたということと同じですかといったら、そうですと、そういったじゃないですか。それなら、ちゃんと目的を知っているならそのことも話すべきでしょう。答弁について。
 そういうことと、もう一つは、一般教育の弾力化をはかるという趣旨でございますと言うべきでしょう。突き詰められていかなければそこまで言わない。まあそれはとにかくとして、あなた一般教育は弾力化が各大学で行なわれているっていったっていまの法律で三十六単位を動かすことはできないことになっているんだから、それ以上の単位について、それは流用するとか何とかいうことはありますよ。三十六単位というものはもうどうしても取らなければ、これはもう免許状が取れない、今度は三十六が消えちゃったんだから、大学設置基準に三十四にする、三十二にすればそれでもうどんどんそれは合法的なんです。いわゆる三十六単位の基礎の単位まで流用ができるようになっちゃったんだ。流用するというふうに提案して書いてある。だから三十六単位をきちっと法律の中にあるのとないのではもうえらい免許法のいわゆる一般教員の別表一ですね、免許状をくれるときの教育に非常な大きなやっぱり影響がある。それだからそんなに単位を流用して、三十六単位一般教育科目というものが三十六単位を減ずるようなことはだめだと、大体いまの大学では一般教育というのは非常に重要なんであって、特に昔の師範学校というのはともすれば専門教科だけについて教職課程に重点を置き過ぎるから、そこでいわゆるこの一般教科を広くして高い教養を得させようということで始めたことだから、そんなばかなことをしちゃまずいじゃないかという、こういう議論があるわけだ。それだから三十六単位をきちっと法律で規定をして、もうこれ以下には下がってはいけませんぞということをきめてあったんです。これを今度は取っちゃったことによって、しかも、それは文部省がかってに変えられる基準に、そこへ単位の数を移した。移してそのままにやっていくんですという答弁ならまだそこにあるのに、いやそれは弾力性を持たせるんですと言っているんだから、これは三十六単位は当然大学設置基準の三十六は変えていくという趣旨でもって提案をされているととらざるを得ぬじゃないですか。そんな弾力化というのは、一般教育科目について、すべき方向じゃない。それが反対の理由……。もしそれが賛成だというんなら学者呼んできて聞かしてください、これは議論の分かれるところですからね。議論の分かれるところは、これは参考人を呼んできて、おれたちの言うことが正しいんだというなら、これはひとつやってください。まだほかにありますよ。単位取得のものまで今度は法律で削っちゃった――このあと質問します。それだけじゃないんです。しかもあなた方筑波大学の法律で、何という一体提案の解説をしているんですか。「筑波大学の理解のために」というのは早くから狭い専門にこり固まらないで幅広い勉強をし、専門分野ごとの学部ではうまくいかないという言い方をしておるんじゃないですか。一般教育はすべての学生に対して専門のいかんにかかわらず人生と学問体系における自分の専門の正しい地位を理解させる、将来社会人として行動するときの必要な教養として一般教育というのはある。これはもう国大でも日本学術会議でも決定している一般教育のことなんです。一般教育に問題ありとすれば、それは実施の内容方法、課程の編成、教育の編成、組織にかかる問題である。もっとそういう一般教育をやるところの先生のいわゆる質を充実するとか数を多くするとか、あなた方が今度は筑波でやっているように一般教養というものを、教育課程をつまり縦割りにしてどこでもやるというやり方にしていくとかいうことだけども、そういうことをなぜやるかということの理由の中には、早くから専門にこり固まっちゃまずいということで提案をしているじゃないですか。一般の教育科目というのはいかに重要であり、新しいいわゆる大学の教員養成の場合に、広く大学における一般教育の位置も重要である。重要であるところが、あまりどうも教養課程でうまくいっていないからというわけで、今度は縦割りにしてはさんで、そうしてそれをやっていこうと、そういうときに、法律で三十六単位という最低の単位を規定する、そこを消してしまって、消しましたが他意はございませんと、設置基準にありますからそれと同じでございますというなら、まだそこにも少しは、まあ二重のあれだから取っておくというそんなばかな理屈はありませんがね、法律のと基準と一緒だから取るなんていうばかなことはないが、まだ話の筋はわかるのに、それはもう弾力化のため、いわゆる規定を改めるということだと、こういうことでしょう。そんな根本的な問題をこういう形で提案をしてくるということになると重要な私は問題だと思いますね。そんなことは参考人の意見を聞かなければわかりませんよ。理事はどう思っているのかね、ちょっと理事の意見を聞かしてください。
#92
○宮之原貞光君 松永さんからそのほかにあれば指摘してもらって、それでまた私ども理事会で相談さしてください。もしあったら、指摘してください。
#93
○松永忠二君 ですから私は理事に、参考人を呼ぶ必要があると盛んに言っておいた。それをいまだかつて理事会で取り上げてやっていないからそういうことになるでしょう。参考人を呼ぶほどの必要性のある免許法の改正ですということを言っていたでしょう。そういうことなんです。これはもう非常に大きな重要な問題なんですよ。ただ、単位を削りましたという筋合いじゃないのですよ。ただしかし、何だかほかの法律がぱっぱ、ぱっぱ頭にきちゃっているもんだから免許法のここのところなんか浮かび出てこないわけだけれども、非常に重要なところなんです。これは文部大臣おわかりになっていると思うのですがね。
 もうちょっと進めてみますか。それじゃ、別表の備考の単位の計算のしかたを削除して「この表における単位の修得方法については、文部省令で定める。」としたのは、なぜ、別表二から別表七まで同じような措置をしているのか、これはどういうわけですか。
#94
○政府委員(木田宏君) ただいまお尋ねの点から先にお答えを申し上げますが、これと大学設置基準で、単位ということが何であって、単位の計算方法はどうだということが一般的にきめられておるわけでございますから、こちらで重ねて規定をする必要もなかろうという整理の感覚から扱ったものでございます。で前回、四十一年の免許法改正案の際に御論議になったことは承知しておるのでございますが、その後大学関係者の大学教育改革についての強い意見がございまして、大学設置基準の三十二条にあります卒業の要件としての履修単位の履修のしかたにつきましては、昭和四十五年に文部省令をもちまして一部改正をいたしまして、三十六単位の一般教育課程のうち「十二単位までを、外国語科目、基礎教育科目又は専門教育科目についての単位で代えることができる」というふうに、大学の履修要件一般につきましては弾力化をはからせていただきました。これは大学関係者の当時一致した強い要請でございまして、こうした弾力化によって大学が自主的にそのカリキュラムを組めるようにするという意向を受け入れたものでございます。もとよりこのときにも一般教育が重要であるという御意見はございまして、一般教育全体のワクどりとしては三十六単位という基本原則を変えたわけではございませんけれども、その一部について、個々の大学のまた専門領域によっての考え方を生かし得る、こういう措置にいたした次第でございます。ただ、各関係大学におきましては、免許法の関係で御指摘のように、三十六単位という規定がございます関係上、教職の単位を、免許資格を取ろうとする学生と、そうでない学生との間に、教育上の単位数その他履修の指導等に若干こまかい差異が出てくるものでございますから、その辺のところを同じように指導できるようにしたいという現場の実態もございまするし、また、一般教育科目がもともとこれを全部なくしてしまうという趣意ではございませんから、大学の自主的な教育の方針に、大学設置基準にのっとってゆだねるということをお認め願いたいという趣意でございます。
#95
○松永忠二君 それは、前のほうにさかのぼってのあなたの希望ですよね。希望だけれども、そんなことはできないですよ、そんなことは。設置基準にまかしちゃう……。さっき言っている一般教育科目というのは重要であるので、三十六単位というのは少なく内輪に見積もって最低の単位としたんだから、その三十六単位を守っていかなければできないですよ。それで、しかもいま一般教育科目というのは非常に重要だというように、いろいろな法律にもいわれている趣旨から考えたって、これは三十六単位は守っていかなければいけない。ところが、三十六単位を削った上に、それに弾力性を持たして規定を改めますと、こういうふうなことになってくれば、もう学校教育、設置基準のほうも変えるということは、設置基準を変えなきゃほかに変えるところがないですからね。三十六単位というのは、法律で通っちゃったんだから。そこで、変えるよりほかに変えるところはない。こんなことは、あなた、そう簡単に――何だか免許法は教育検定試験をつくるための法律だと、こういっている中で、こういう重要問題をつるつる、つるつるっと織り込んできて、それですうっといって通そうということですよね。三十六単位、もっと削っても、一般教育で削ってもいいという結論を率直に言って出るのはたいへんな問題ですよ。つまり教員養成なり大学の中で三十六単位という単位を削ってもいいんだと、一般教育科目について現に。いやそういう、大臣、議論をやれる学者があったら、私は、お話を聞いてみたいですよ。せめてこれぐらいなものは法律で保障しておいたほうがいいというのが、この前の議論だったんです。しかも、筑波だって、提案の中にもそういういままでの専門のところにこれが初めからこり固まっちゃまずいと盛んに言って、それでいまの学部じゃだめだと、それで一般教育課程と、いわゆるあれを縦割りにしていく、六年制のものを考えるというようなことを言っているわけです。まあ、その議論はもうちょっとあとにとっておきます。しかし、あなたは、単位のことについては何も触れていないね。単位は、要するに設置基準のほうにそういうことと、同じことがきめてありますからいいですと、こういうのはまた間違いなく言ってくださいよ。また、ほかに目的があるというなら……それだけですか。
#96
○政府委員(木田宏君) 大学における単位の計算は、各学部を通じて共通の単位計算というふうに考えられるわけでございますから、設置基準にこの単位の考え方と、その単位の計算方法を書いておきますことによって十分足りるという趣意でございます。
#97
○松永忠二君 それじゃ聞きますが、実は単位数を変えようとしたことはなかったんですか、単位の取り方。
#98
○政府委員(木田宏君) いま、大学におきます別表第一の最低履修単位数、これをどうするがいいかということは、教職関係の単位数をふやすほうがいいという意見もあり……。
#99
○松永忠二君 教職の……、そんな話をしていない。単位の取り方ですよ、一週一時間とかなんとか、そんなことは、あなた、前の話ですよ。
#100
○政府委員(木田宏君) 失礼いたしました。その意味での単位の計算方法については、何ら変えるという意見があるわけではございません。
#101
○松永忠二君 変えようとしたことがあるかと聞いているんですよ。
#102
○政府委員(木田宏君) それもございません。
#103
○松永忠二君 そんなことはありませんよ。昭和四十一年に大学設置基準を改める考え方があって、単位の計算方法を改めようとしたんですよ。一般の授業の現行一週間一時間を十五週で一単位を、一週一・五時間ないし二時間で十五週を一単位としようと考えた、こういうことを考えたわけです。しかし、これはこんなことをされたら、大学の教員の授業というものはうんと重くなる。だから、これはもう教員増がなければそんなことをされちゃ困るという話が出てきて、ついにこれは取りやめになったのですよ。これを変えようとしたことがあるんです。また、それは変えようとすれば変えられるんですよ、これは。それはどうですか。
#104
○政府委員(木田宏君) 単位の計算方法につきましては、大学設置基準の二十六条に計算方法の規定が一般的に定まっておるわけでございまして……。
#105
○松永忠二君 それを変えようとしたことがあるかないかという……。
#106
○政府委員(木田宏君) それは昭和四十五年に一部改正を実施いたしております。
#107
○松永忠二君 改正したことがあるって……。改正したことがあるわけない。
#108
○説明員(阿部充夫君) 昭和四十五年に大学設置基準の第二十六条、単位の計算方法についての規定の改正が行なわれまして、それまで一週一時間十五週をもって一単位といっていたような方式に対しまして、毎週一・五時間あるいは二時間というような授業を行なった場合の計算方法がつけ加えられたわけでございまして、若干、単位の計算方法については、前回の免許法の提案が四十一年の当時でございますけれども、それから今日までの間に大学設置基準のほうが改正をされておるわけでございます。
#109
○松永忠二君 そうなると私だって調査室でなお調べてもらわなければいかぬ。私は何もあなた、一人で質問しているでしょう。あっちは課長もいればいろいろなのがいてやっているでしょう。そんなこまかいことを一々、なら、ぼくのほうで調査室で調べて、そうしなければわかりませんよ。これは戦後、法律は改まったんですか。設置基準のほうも変えたというのですか。この法律は改まらないでしょう。終戦後、この単位の取得は非常にやかましくて、一時間の授業について二時間の予習または復習を必要とする講義によるものについては、十五時間の授業の課程といって、これは非常にやかましかったんです。高等学校や何かについてもこういうふうな単位のこまかいあれがあった。これも単位の取り方というのは、非常に重要な問題だとして、一時間には二時間の予習と復習の時間が必要だということを考えてそういうふうなこともやったんですよ。これを読んでみればわかりますよね。だから、この法律は改まったことはないでしょう、この法律は。
#110
○政府委員(木田宏君) 免許法は、その点、いままでも一度も変えておらないわけでございます。改まっておりません。ただ、大学の単位というものの考え方、それからその単位の計算方法につきましては、大学設置基準で定めておるわけでございまして、免許法の現行規定と同じ趣旨のことを原則として大学設置基準の単位の計算方法にうたっておるわけでございます。講義につきましては、いま、御指摘がございましたように、「教室内における一時間の講義に対して教室外における二時間の準備のための学修を必要とするものとし、毎週一時間十五週の講義をもって一単位とする。」、免許法で規定しておりまするものと同じ規定をいたしておるわけでございます。ただ、この単位の計算方法に対しまして、ただし、教室外の準備のため学修が基準どおりできない事情がある場合等の、そのただし書きの規定を、昭和四十五年に、これは教員の免許法による単位とは別の、一般の大学の履修単位につきましては、これと異なった単位の計算方法ができるという規定を加えた、こういう修正はいたしております。それは一般の大学教育全体の単位の取り方につきまして、原則どおりではやりにくい事情があるというので、ただし書きを加えた、こういう趣意でございます。
#111
○松永忠二君 そういうなら何ページのどこにそれが書いてあるのですか、これの。
#112
○政府委員(木田宏君) いまお手持ちの法令集の一〇九ページの一番下の欄の大学設置基準の二十六条です。
#113
○松永忠二君 これは、根本のところは「講義については、教室内における一時間の講義に対して教室外における二時間の準備のための学修を必要とするものとし、毎週一時間十五週の講義をもって一単位とする。」これは法律事項であり、そのままでしょう。
 それから「ただし、教室外の準備のための学修が基準どおりできない事情があるとき又は教育効果を考慮して必要があるときは、」ということでしょう。こういうのをくっつけただけでしょう。だから、さっきから話の出ている、法律における単位の取り方というのは、ここに法律に、別表に規定してある単位の取り方は、いままで変化したことはございませんね、こう言ったら、そのとおりですと、だから私はそれを言っているわけです。
 それからまた逆に裏返せば、そういうふうに継ぎ足しもできるくらいだから、もとも変えられるですよ。とっちまったんだから、設置基準で。継ぎ足しがありますと、変えましたというのだから、変えますと言ったというなら、片方で単位を変え、それと同じことを書いてあったって、いつでも変えられますということを裏側に言っているわけです。だから一般教育科目については、弾力性をもって変えるといっている。だから、法律で単位の修得、履修の方法をきめたというのは、これまた柔軟に思っているわけですよ。ルーズなそういうようなやり方をするというようなことでなくて、一般教育科目の単位をきめると一緒に、単位の修得のしかたというものは、一週一時間の授業に一時間の予習、復習がくっついていて、それで十五週の講義をしなければそういうふうな一単位はくれぬということになっている。それを一度改めようとしたんですよ、昭和四十一年に。一般の授業、現行一週間一時間、十五週を一単位とするというのを一週を一・五にしよう、五時間ないし二時間、それで十五週を一単位というから、授業は一倍半から二倍に多くなるわけです。それでなければ、単位を一単位取れないようにしようとしたんですよ。ところが、それは定員をこのままにして、そんなことをされたのじゃしようがないじゃないかという話になって、とうとうこれはさたやみになっちゃったわけなんです。そういうふうに、文部省はいままでも単位計算の修得の方法を自分で変えようとした。変えようとしたけれども、それは実情に即さぬとか、反対を受けて変えることはできなかったのですよ。文部大臣は変えないこと、できなかったことがけしからぬなんというふうにまさかお考えになっているとは思わないのだけれども、そういうくらいこの単位修得の方法というのは問題があって、法律規定ちゃんと入れておく、免許法の重要な一つの項目だということで入れて、これまたそういう意味でこれも実は参考人あたりで多くの議論を呼んでいるんですよ。こっちに書いてあるからいいですということを言われても、これだけではどうも納得できないということを言っている。事実そうだと思うんですよ、私は。だからもう全然いわゆるあれが違っちゃっているわけですよ。一般教育科目をとった今度単位の修得のしかたは、設置基準にそのまま書いてあるという、そこだけでも問題はあるあるんですよ。これをどんどん変えようとするし、変えられる。重要だから法律事項にしたのに、それをさっさと削っちまって、設置基準にあるからいいという理屈もいかぬ。今度一般教育科目については、いわゆる削った上に提案の中に弾力化するという、いわゆる最低単位の規定を改めるということをいっているわけですよ。こんないわゆる単位修得、これ戦後免許法ができて、いまだかつて変えることがなかった単位修得の方法の法律規定をあっさりとっちまって、しかも別表第一から第七まで全部とっちゃった。そうして、しかもなおかつ一般教育科目もとっちまうというようなことになれば、これは単に教員資格認定試験を開いたという程度の筋合いのものじゃないんですよ、これは。私たちの委員会としても一体それがいいのか悪いのか、特に私が申し上げましたように、すでにこれは法律として国会に出されてきてそれはもう廃案になっちゃった、そういうものを、しかもこういう形で提案をしてくるしかたというものは正しい提案のしかた、考え方に意見の相違はあるとしても、やはりこれは正しい提案のしかたではないではないかというように思うんですが、大臣ひとつ少しは正直なところを言ってくださいよ、明快なことを言っていただきたい。
#114
○国務大臣(奥野誠亮君) 弾力化ということが一つの主要な課題になっておって、そのことがこの法案の改正につながっておるわけでございますけれども、同時に関係の審議会からも、こういう趣旨の意見をいただいておるのでございまして、そういう意見に基づいて(「そんなことあるものですか」と呼ぶ者あり)提案をしておるわけでございますが、その点につきましては事務当局のほうからお答えさしていただきます。
#115
○政府委員(木田宏君) 単位の計算方法は、大学教育一般を通ずるものとして処理さしていただきたい。これは免許基準を定めるときの単位等の計算方法が、他の大学の専門領域の単位の計算方法と違うということも、大学教育としては必ずしも適切でもない面もございまするから、大学教育全体として、いろんな専門領域の教育指導いたします際の単位の基準を講義の場合、演習の場合等一般的にきめさせていただきたい、また、それで足りるというふうに考える次第でございます。
 また、この一般教育につきましても、大学関係者からは一般教育の基準の弾力化ということを、昭和三十年度の後半から紛争を通じまして非常に強く要請を受けまして、その点で各大学教育、これはいろんな専門教育を通じて、一般教育の弾力化という措置を大学設置基準で昭和四十五年にとったわけでございます。これは大学制度を弾力化し、大学の自主性に教育のしかたを一歩ゆだねたものだということで、大学関係者からは当時非常に歓迎をされたことなのでございます。ただ免許法の関係だけはこの三十六単位の取り方が法律で規定してございまするから、他の領域につきましては弾力化が進み、喜ばれたわけでございまするけれども、免許の関係につきましては、従来どおりこの点の措置が弾力的には行ない得ない。現在も免許法の規定どおり実施しておるということになっておるのでございます。しかし、この一般教育のしかたその他につきましては、個々の大学が教育改善の進め方としていろいろくふうをいたしておるところでございまするから、三十六単位という原則のワク取りをゆるめておるわけではございませんで、その一部の履修のしかたその他を弾力化できるように改善くふうを認めるという、大学の自主性を認めました四十五年の省令改正の線を、免許単位につきましてもお認めをいただいておきたい。そういう意味で、これは大学の自主的な教育方針にゆだねるということにさしていただきたい。免許単位といたしましては、御指摘のように、一般教育の単位が重要であるということは、もちろん承知をいたしますけれども、免許のための必要要件といたしまして、教科、教職、その他教育の免許のための必要単位というものは別にあがっておるわけでございまするから、大学教育一般を通じます一般教育の単位につきましては、前回以来御論議は出ておったところでございまするけれども、昨今の大学改革、教育改革の一番大事な領域として、一般教育の弾力化ということを国立大学協会その他大学関係者が強く要請をされ、免許以外について実施しておる点を、教員養成の際にも、そのことの弾力的な措置が可能になるように大学にゆだねていただきたい、こういう趣意で、一般教育を軽視しようという意味ではございません。大学の主体的な、自主的な教育を少しでもゆとりをもってできるようにいたしたい。これが大学を通ずる一般教育の一般的な考え方でございますから、免許の規定からこの規定を削除させていただきたいというところに趣意がございます。
#116
○松永忠二君 大臣、いまの答弁を聞かれてわかると思うのですがね。三十六単位というのを、そのほかのものを弾力化して大学は喜ばれましたということを言いましたね。それで、三十六は、つまり弾力化といったって、三十六は大学設置基準のほうに出してあるのだから、それは確保されているから消してもいいじゃないかというのは、いま言ったでしょう。三十六を必らず確保する。三十六以外のものの弾力化というものをやって、それで非常に喜ばれた。三十六は削る気持ちはありませんと、それで設置基準には三十六ときまっていますと、こういうのがいまの説明でしょう。そんなら逆に言えば、それほど三十六が守りたい、守る必要があるなら、三十六を法律に書いておきゃいいじゃないですか、消すことはないじゃないですか。私の言っているのは、その三十六を消すことによって三十六の弾力化も自由にできるようになる。そんなことを言ったって、書いてないのだから、大学設置基準のほうを減らせばそれっきりになっちゃう。いやそんなばかなことは――三十六の一般教育単位なんて減らす気持ちは毛頭ありませんと、そんなら、免許法のほうにちゃんと三十六と書いておけばいいじゃないですか。あとのものを弾力化してどうこうというのは――違うのですか、私の言うのは。
#117
○政府委員(木田宏君) いまお手元に法令集をお持ちでございますので、一一〇ページの三十二条の弾力化されて喜ばれました条文を御説明しておきたいと思います。大学設置基準の第三十二条でございます。
 三十二条は「卒業の要件」でございまして、その第一項には、「大学に四年以上在学し、次の各号に定める単位を含め、百二十四単位以上を修得することとする。」一号に「一般教育科目については、人文、社会及び自然の三分野にわたり三十六単位」。これが免許法に書いてあるわけでございます。ここの第一項は変わっておらない。この原則はそのままにしたのでございますが、これだけでは窮屈だ、ぜひ弾力化をしてくれということで、関係者の強い御要請があり、相談を詰めました結果、第二項で、「前項の規定にかかわらず、大学は、学部、学科又は課程の種類により教育上必要があるときは、一般教育科目について同項第一号の規定により修得すべき単位のうち十二単位までを、外国語科目、基礎教育科目又は専門教育科目についての単位で代えることができる。」
 で、次のことは外国語のことについての特別の規定でございますが、この弾力化を昭和四十五年にはかったわけでございます。これは大学関係者の強い要請によりましてはかり、またこうした弾力化を加えたことによって非常に喜ばれておるわけでございます。ただ、免許関係の単位につきましては、この弾力化が行なわれていないものでございますから、大学は日常の教育指導の上にいろいろとやはりギャップが起こるというような問題等もございまして、一般の他の専門学部その他の一般教育につきましては、このような措置もとられておることであるから、教員養成の扱いにつきましても同じように扱えるようにさしてやることが、大学がカリキュラムを組みます場合にやりやすい。そして、こうした点の単位の与え方は大学の自主的な措置にゆだねさしていただきたい。先ほどワク取りを変えておりませんと申し上げましたのは、三十二条の一項一号に、免許法の現行規定と同じ原則を原則としてちゃんと残しておるわけでございます。これはこの単位数自体をいじるという考え方は持っておりません。ただ、この三十六単位の中の運用として、それぞれ若干の科目につきましては、大学の考え方によって弾力的な措置がとれるという許容は、教員養成につきましてもお認め願うということが大学教育改革のためにもよろしいのではないか。また、そこまで申し上げないまでも、大学教育一般につきましてのこうした体制ということで、教員養成の基礎になります一般教育も取り扱わしていただきたいというのが、今回の御提案申し上げておる趣意でございます。
#118
○松永忠二君 そういうことだと、裏返すと、現行の免許法に三十六単位という法律規定があっても、逆に設置基準で現実にこういうことをやっているのでしょう。現に三十六単位ない。それで、一般教育科目については三十六単位、その中で結局一般教育科目について、「十二単位までを、外国語科目、基礎教育科目又は専門教育科目についての単位で代えることができる。」と書いてあるのでしょう。「できる」と書いてある大学設置基準があって、しかも法律があるでしょう。現に実行されておるわけでしよう。されてはいないのですか。
#119
○政府委員(木田宏君) この教員養成の免許単位以外については、この弾力化が実行されておるわけでございます。教員養成学部につきましては行なわれておりません。以前からのままの形で教員養成学部の教育が行なわれておる次第でございます。
#120
○松永忠二君 そうなると、たとえば教員養成課程というものに三十六単位をそういうように位置づけたことが、一体こういう弾力化をそのまま適用していいか悪いかということにやっぱりさかのぼって議論があるわけですよ。一般の大学ではそういうことをやっています。しかし、免許法にはそういうことはやれないようになっている。現にやってはいないわけですね、免許法については。やれないのを、一般にもやるからやれるようにしてくれというのがあなたの御趣旨なんでしょう。だから、そうなってくると、三十六単位というのを規定したということについては、あなた方から言うと、弾力化の現状においてはふさわしくないという議論が根底にあるわけですよ。ところが、私たちは三十六単位、つまり教員のいわゆる免許法の資格の中の三十六単位というのは、少なくもその程度の三十六単位は教員としていろいろな授業をやる上において――これは先生の資格ですからね。片っ方のは大学を卒業するかどうかという問題ですよ。それとは違うですよ。大学について卒業して授業を教えるということについては、教職課程とか、あるいは教科に関する単位もあるわけだ。そういう中の配分で三十六単位というのをつまり規定づけているわけなんだ。一般の教育大学で幅を、弾力性をかけて喜ばれましたということと、即それがイコール免許法に三十六単位をくずすかどうかということについての議論に直結するような議論のしかたというのは、これは私たちはとるべきじゃないと思うんですよ。そういう議論をおとりになるなら、一体、三十六単位が免許法の中で、いわゆる教員免許の中で、教員養成の中で必須欠くべからざるものであるのか、くずしていいものなのかということをまず議論してかからなきゃ。この前のつまり国会で通らなかった理由というのは、それをくずすべきではないということで通らなんだ。それをだ、ただこっちのほうにそういう規定があるから、それはこっちのほうにも流用してもらいますという考え方、だから免許法のいわゆる考え方というものがどういうふうに守られていかなきゃできないかという問題になると思うし、それは、まあ大臣が意見が違うなら別に何も私は押しつけはいたしませんけれども、しかし、そういう議論をして廃案になったんですよ。それを、そういう議論を抜けて、こっちに設置基準がありますからと、ただ、そっちを移しただけでございますという答弁のしかたでこの問題を逃げていくというわけにはいかぬと私は思うんですよ。
 それからまた、いま話が出たのは一般教育科目についてで、単位については何も説明はないわけですよね。単位の取得というのはあくまでいままでも変わりはなかった。ただし、というところで少しそれを入れかえただけなんですからね。単位というものも、これは戦前、戦後の一時間の単位を二時間の予習、復習を置くという考え方のもとに立って単位をきめ、この単位について一時変えようとして反対を受けてとうとうできなかった、それを部分的に現に授業の形が違うからこうだというただし書きをつけたものが一つできたことは事実だけれども、そういうことになってくる。だからこれは、教員養成というものの中で、一般教育課程というものが戦前の師範学校の反省から出てきて、三十六単位というものを最低の単位として確保しているわけですよ、これは、教員の場合には。これは単に大学を卒業すればいいという筋合いじゃないですからね。だから、私は、そういう三十六単位をもうくずすのを前提にして提案をされてくる、単位についてもただし書きがくっついたことはありますということは、ある意味では、単位についてもこれからいわゆる弾力的にものを考えていきますということであるとすれば、これはもう免許法の根本の問題にぶつかる問題であって、そんなことを簡単に、いまぐらいの説明を聞いてそれで通すというわけには私はいかぬと思う。そういう筋合いのものじゃない。弾力性があるというなら、たとえば、三十六単位をくずして、どこに一体それを、教職科、まさか一般外国語のほうへ持っていくことはできぬでしょうな、教員の場合には。少なくも、どこかの、ここにある教科に関するところか教職に関するところへ単位を入れ込む案があるなら案を示すべきだ。ただ弾力化という名前ですり抜けていくわけにはいかぬ。また、一般の三十六単位を外国語の科目に流用している十二単位を、同じように教員の場合にもそういうことを考えることは、これまたできませんよ。そんなことをしたらたいへんなことですよ、三十六単位の中で十二単位そっちのほうへ持っていっちまうなんて。そういう筋合いのものなんですよ。何か一般教育科目の弾力化なんというと、いまどうしてもやるべきことだという、そのことばかり先に出てきてしまって、もうそのことで、大前提としていいように考えている。私は文部大臣に主としてこのことを話しているわけでありますが、やっぱりこれは、失礼な話ですけれども、私たちのほうが長くこういうことをやっていますと、そう簡単なものではないという筋合いのものなんですよ。だから、そういう単位を弾力化するなら、その設置基準の弾力化なんということは、教員の場合できませんよ。それならどこに一体弾力化して――それを正直にこの前は法律で出してきた。弾力化していく教科と教職に関する単位まできちっと入れて、数字を入れて出してきたんですよ。それで問題になってきたから、そういうところは出さずにおいて、三十六をくずすという、そういうことだけ出してきた、通ると思って。だから非常に重要な問題を比較的、要するに何というんですかね、容易にやる方法というものを、提案のしかたとしても巧みに提案をしてきたということになる。もともとから、これを提案してきたたてまえからいって、これを通したいという気持ちであるならまことに巧妙なやり方だと言わなきゃならない。巧妙なやり方だけれども、そんなことを見のがしてはおけない。それほど重要なものを、こういう二つの中にぽこっと入れてきて、それで免許法という改正の中へ、何か資格認定試験が中心のような改正の中に入れ込んでいくのも少し疑問がある。特に一般教育科目の弾力化というのなら、ほかのどういうような科目に移すのかという案も示してくるべきである。単位を変えるというなら、どこの単位にどういうふうに取得して将来変えていこうとしているのか、それではたしていわゆる小中学校、高等学校の免許取得の資格として適当であるのかどうなのかという点にも議論がある。しかも、あなた方のお出しになっている一般教育という科目に対する考え方においても重要性を強調をして、筑波で出しておるにかかわらず、こっちのほうは一般教養科目三十六を流用できるような方法で簡単に出してくるということについても終始一貫しないものがある。そういうことを、まあ私は大臣がここのことをよく御存じあってどうしても出してき、通したいというお気持ちなのかどうかという点についてはやや私は疑問を持っているんですよ。そういうことをまずちゃんと御承知の上でやってこられているのか。いや、そんなものでなしに、そういうほどの目的のものがあったんじゃないかという、私はいい意味にとっているんですがね。もしそうじゃなしに、ほんとうにその気持ちでこれを出してきたということになれば、まあ、少し考え方としては質的に悪い。しかもそれが三つの問題のある法律と一緒に出してくるという点についても、やはり少し方法としてぐあいが悪いのじゃないか。必要ならば、認定試験についてということに限って出してくる点についてならまだしも、こういう法律を、私再度申し上げておきますが、そう簡単に免許法の一部改正だといって、さっといって議論する筋合いではないということを私は提起をしたい。私は意図的に言っているわけではありませんよ。意図的に言っているのじゃなくて、そういう筋合いのものだということを委員長はじめ委員の皆さん御相談なさって、それを処理するにあたっては、そういう問題をやはりきちっと関係方面から聞くなりちゃんとしなければできない筋だと私は思うんですよ。そういう点を特に委員長、理事に要望して、あらためて何か委員長から御発言があるならばお伺いしたいし、あるいは文部大臣から御意見があるなら御意見を聞かしていただいて、私の質問は終わりますけれども。
#121
○安永英雄君 関連。理事会でも審議をしますけれども、大臣のほうでその点をはっきりおっしゃっていただかぬと、局長じゃわからぬですよ、何回繰り返したって。これはずっとやりますよ。
#122
○国務大臣(奥野誠亮君) 松永さんのおっしゃっていることはよくわかるわけでございます。ただ、私たちの考え方と食い違いがあるということではなかろうかと、かように考えるわけでございます。一般教育科目について、大学設置基準の中に人文、社会及び自然の三分野にわたり三十六単位と、こう書いておるわけでございまして、各大学の内容は区々だろうと、こう考えるわけでございます。できる限りまた弾力化を進めたいということで、単位の補完制度まで取り上げたわけでございまして、そういうこととの関連におきまして、一般の大学教育についてはさらに弾力化を進めたほうがいいじゃないかということで、先ほどありました第二項の規定をわざわざ置いているわけでございます。各大学が教職員課程につきましては、特におっしゃっているような一般教養を充実していくんだという意味ではそれで尽くされると、こう思うわけでございますけれども、単位のあり方についてはその大学いろいろ御希望があってもいいのじゃないだろうか、たまたま教職員養成課程だけは法律でぴしっと区分して書いているわけでございますので、自然それがそのままになっておったということではなかろうかと、かように考えるわけでございまして、それにつきまして、やはり各大学の弾力的な運用にゆだねるべきだという考え方で法律上の単位の数を削除さしていただいたということでございます。
 問題は、教職員養成にあたって一般教養を高めていかなければならない、それはよくわかるわけでございますけれども、一般教育の科目が三十六単位ということで、それを確保されるかどうかということになりますと、必ずしも私はそれにとらわれないで、その大学が別な科目をつけることによって実質を高めようとする場合だって私はあり得るのじゃないかというふうに思うわけでございますので、できる限り弾力的な仕組みに持っていきますこと、大学の自治にゆだねられる方向をぜひ御了解いただきたいものだとかように存じておるわけでございます。
#123
○松永忠二君 だめですよ大臣、そんな答弁ではとても。弾力化、弾力化というけれども、小学校の一級免許状をもらうのに、三十六単位の一般教育科目と教科に関するもの十六単位と教職に関するもの三十二単位ですよ。こんなものは当然なことなんですよ。それを三十二単位の弾力化、弾力化と、各学校の自主性にまかせましてどうでしょうというようなお話だけれども、一般教育科目を三十六をやはりしっかり守っていかなければできないといういわゆる考え方があるわけです。三十六を取るなら、弾力化というなら、その三十六弾力化したものを、それじゃ教科に関するところをどう入れる、教職に関するところをどう入れるとか、どうするとかというそういうものも前には明確に出してあったのですよ。それが今度は、そこはそのままにしておいて、取るだけ取ったのです。しかし、取ったけれども、ほかにいわゆる認定基準のほうできまってあるからいいじゃないかということじゃなくして、それは減らす、弾力化する予定だと、あなたから言えばそういう弾力化して、自主性にまかしてどんどんほかの大事な、必要なところに持っていったらいいじゃないかという議論があるけれども、そんな議論は、教員の免許の場合に通用しないのですよ、三十六の場合に。三十六までぶっつぶしていって、それを際限なく弾力化して自主性にまかせるなんということはあり得ないのですよ。そこに、あなたが安易にお考えになっているのか、文部省がそう考えておるなら、それはもう大いへんな議論のあるところだから、そこの議論は学者の意見も聞いてみなければいけない。そう簡単にあなた方がさっといって法律が通ってしまうわけにはいかぬと私は思う。あるいは認定を、戦後守られてきた単位修得の方法を簡単に基準法に持っていってしまう。しかも基準法へ持っていってそのまま実施をしていきますという約束じゃなくて、それは弾力化することがあるという、そんなら、こうして守ってきた免許法の基本的な最低のものを守っていくべきなのか、それとも弾力化がいいのかということについては徹底した議論が――この前は議論がなされた結果だめだということになったのですよ。通らなかった。しばらくもうそれはやめちゃったのですよ、文部省は。やめちゃったのを、今度これと一緒にすっと出してきた。それも真正面からぶつかって、教職課程とかそういうものの単位を改めないで、そこだけ削る形で提案のほうだけ弾力化という名前をくっつけて出してきた。だから、そういう点について私は言っているのであって、文部大臣は政府のほうだから、盛んにそういうことを言うのは悪いと私は言いませんけれども、これはそういうわけにはいかぬので、委員長のひとつ意見を聞いて、あるいは理事の御意見を聞かせてもらいたい。
#124
○委員長(永野鎮雄君) ただいまの松永君の提案について、後刻理事会を開いて、その結果を委員会に報告することにいたします。
#125
○鈴木美枝子君 文部大臣、皆さんもお疲れになったろうと思います。私も疲れてしまいました。いま法律ってたいへんだなと思いました。私なんかどっちかというと本職が俳優でおかあちゃんですから、子供たちが一ぱい目に浮ぶんで、頭が痛くなるほど法律を討論されたけれど、現実には子供たちはああなんだということがすぐ頭の中にくるのでございます。
 アメリカでは、法律家のことを「法律家は悪い隣人だ」というくらいです。ドイツでは「法律家は悪いクリスチャンである」と言っています。日本では、ここの席では通用しないでしょうけれども、「法律家は三百代言だ」と昔の人は申しました。やはり魂の問題について、子供の教育のことですから、人間の教育については、それだけのことを言っていましめながら法律を正していることがどの国にもあるのです。奥野大臣は大学の専攻が法律でいらっしゃる。私は、大学へ行っておりませんので、まず局長さんに伺いたいと思います。弟が高校の先生でしたので、とてもいろんな点で脳んでいました。私いままで松永先生とそれから大臣の答弁を聞いておりまして、さっぱりわからなくなってきましたので、初めから、「教員養成の改善方策について」昭和四十七年七月三日、教育職員養成審議会建議、この中にある内容をこまかくお聞きしたいのでございます。
 一ページの、この間松永先生もこれについてちょっと触れておりましたけれども、どうも答弁が同じことばかり返事をしている。狂いなく同じように答弁しているのは根本にあるものがもうきまっているからで、ここに書かれているこの文章のとおり読ませていただくと、「中央教育審議会においても、同年六月十一日、「今後における学校教育の総合的な拡充整備のための基本的な施策について」――この中央教育審議会というのを一体どうして戦後の開放性とかそれから二大原則という、まあことばで言えばそれだけのことなんですが、この内容について、伺いたい。どうしてこの中央教育審議会というのをつくらなければならなかったか、昭和二十八年て書いてあるんですけれども、どうして中央教育審議会をつくらなければならなかったのですか。そのことを局長さんに伺いましょう。そのときの大臣は奥野大臣ではございませんね。
#126
○政府委員(木田宏君) 文部省に中央教育審議会が置かれましたのは、かなり古いことになるわけでございますが、もう終戦直後から教育刷新審議会というのが置かれてございまして、これが戦後の教育制度改革についての基本的な方策をいろいろと打ち出されたわけでございます。教育刷新審議会の改組ざれましたものが中央教育審議会でございまして、文部省におきます諸般の重要事項につきまして、御意見番としていろいろと御意見を賜わるための機関、こういう意味で中央教育審議会が置かれておる次第でございます。
#127
○鈴木美枝子君 いま局長さんは戦後すぐと言ったけど、何年でございますか。
#128
○政府委員(木田宏君) 教育刷新審議会と申しますのは、戦争が終わりましてから直後に委員を新たにして構成されたものだというふうに考える次第でございます。そうして、その教育刷新審議会は文部省設置法が昭和二十四年につくられました際に、文部省設置法の中で中央教育審議会として、それが引き継がれたということでございます。たぶん、私の記憶間違いないと思うんでございますが、でございますから、中央教育審議会はできましたのが、昭和二十四年文部省設置法によってあらためて中央教育審議会としての整備ができたと、こう考えておる次第でございます。
#129
○鈴木美枝子君 それは戦前の教育を民主化するためにつくられたんでしょうが、当時はアメリカの意見が多分に含まれているわけでしょう。その当時のアメリカの意見をお伺いします。
#130
○政府委員(木田宏君) 教育刷新審議会でわが国の戦後の文教政策の基本をいろいろと論議をされた次第でございます。その際、アメリカ側の教育使節団の報告書という膨大な報告書がございまして、その中にも占領当局のいろんな教育改革の方向が出ておりましたから、それとの関連で教育刷新審議会の方々が戦後の教育改革の論議をされたという経緯はございます。ただ、その論議の過程の中で、教育刷新審議会の委員の方々が自主的にわが国の戦後の教育方針をおつくりになったと、こう私は理解をしておる次第でございます。
#131
○鈴木美枝子君 アメリカ教育使節団は幾度ぐらい来ているんですか。
#132
○政府委員(木田宏君) 戦後第一次の報告書を出しましたときと、第二次の報告書を出しましたときと、まとまって二回訪問をして来たかと記憶しております。
#133
○鈴木美枝子君 第一次の報告書は、大体アメリカ側の簡単に一番いいところでいいですから、どういうようなことを言っているんですか。
#134
○政府委員(木田宏君) 現在の学校教育法に書いてございますような新しい学校制度を立てるというようなことであります。
 それから、従来天皇大権のもとで処理をしてまいりました教育を、国民主権のもとで処理できるような体制にすること等を基本にいたしまして、文教政策の各般にわたる意見が述べられておったと思います。
#135
○鈴木美枝子君 この第一次アメリカ教育使節団の報告書の中に、いまの言い方ではちょっと民主主義の概略にもならないんですけれど、当時アメリカ使節団はこういうことを言っているんです。「デモクラシーの生活のため、組織は個人の価値と尊厳との承認を基礎とする。人間のうちには自由へ向う、また、個人的及び社会的成長へ向う測り知れない可能性が存在している。窒息させるような諸条件を除去することは、人間のエネルギーを解放する。子供のもつ測り知れない資質は、自由の陽光の下においてのみ豊に結実する。教師の最上の能力は自由の雰囲気の中においてのみ花咲くという信仰と観念が」まあ、アメリカはクリスチャン、新教をもとにした国であるから、デモクラシーの基本的なことはきっと宗教ということばを使っているんでしょうけど、「信仰と観念が、以上のような、教育制度・内容・方法改革をつらぬいてみられる思想であるが、このような観点から(報告書)はさらに、官僚とくに内務地方官僚によって主導権を握られていた。従前戦前の集権的な教育統制の機構と教育の外見的中立性を批判し、つぎの諸点を提案しているのである。」これが第一次の意見書の中に書かれております。
 私は、この意見書はものすごく重要なことだと思いました。それこそ、もしか自由主義を求める、主義と言っちゃうと違いますけれども、先ほど言った教育は人間の魂の真理の問題を明確にとらえたアメリカの報告書だと思う。これは第一次とおっしゃった。では、アメリカ教育使節団は第二次にこのすばらしい提案を、違う意見で日本に言ってきたことはございませんか。
#136
○政府委員(木田宏君) ものの考え方の基調が変わっておるということはないと思いますが、その後、第二次の使節団が参りましたのは、第一次使節団によって打ち出された報告と、それを受けた日本側の対応のしかたが両三年経た昭和二十四、五年のころではなかったかと思います。そのころに、第二次使節団が参りまして、そして、その戦後の教育制度諸改革の進み方あるいはその後若干その時点で考えなければならなかった問題点等の補足意見が表明された。改革の現状把握とそれに対する補足意見と、こういうふうに性格論としては考えております。
#137
○鈴木美枝子君 補足された部分を、おっしゃってくださいませんか。ただ、「補足」と言うことばだけじゃわからないので。
#138
○政府委員(木田宏君) いま、私、手元に一次の報告書も二次の報告書も持っておりませんので、具体的にお答え申し上げるわけにはまいりませんが、第二次使節団の報告書と申しますのは、先ほど申し上げましたように、一般的に第一次使節団の報告と、その後の実施状況に勘案していろいろと補足的な意見を述べたものでございまして、ものの考え方の基調が変わっておるというわけではない。こう記憶に基づいて御返事をした次第でございます。
#139
○鈴木美枝子君 第二次のときに状況が変わってきたと。だから、基本的には私が最初に読みましたアメリカ教育使節団の言っていることは、第一次と変わらないのだというわけでございますか。第二次の内容がわからないんですね。日本の状況が変わってきた。第二次のときにはアメリカの教育使節団が来て、最初のときとあまり変わらないと言うけれど、その辺のことがわかりにくい。第二次に来たということは、どういうことを教育問題で言っていたのか。いまの御説明ではまるでわからないのです。状況が変わっていたという、状況の変わり方って何でございますか。
#140
○政府委員(木田宏君) 第一次使節団が参りましたのは、わが国の戦後の教育改革が実施される前の段階で、戦前からの教育制度と終戦直後の現状を考えながら、将来の方向を述べたということでございました。その後、学校教育法、教育委員会法等、基本的な諸制度が打ち出されまして、教育基本法も一番その基礎にあるわけでございますが、二、三年の実施の経緯にかんがみて若干の補足的な意見を各領域について述べておる、改革の進め方、あるいは実施状況についての意見と、それからまた今後の持っていき方に対する補足的な意見であった、こう性格論を記憶して申し上げておる次第でございます。
#141
○鈴木美枝子君 私は子供たちに大事なことだものですから、聞くのですが、補足したというのは何が補足されたかわからない。私は内容を聞きたい。「補足」とか、そういうことばの内容を知りたい。何を補足したのか、それをちょっとおっしゃっていただけませんでしょうか。私も、その点について勉強したいと思いますので、その第二次の補足、アメリカの使節団の、報告書の内容が知りたいのです。
#142
○政府委員(木田宏君) 先ほども申し上げましたように、第一次、第二次と使節団の報告書の教育政策に関する基本理念が変わっておるとか、ものの考え方が変わっておるというわけではございません。具体の実施状況に対して、第一次使節団の申し述べました一般的な方針に対して各項目全部ではございませんが、重要な、あるいは第二次使節団の気づいた項目について補足的な意見というふうにいま申し上げた次第でございますが、手元にいまものがございませんので、場合によりましたらその第二次使節団の報告書の写しをごらんいただければ一番はっきりすることでございますけれども、性格論として差異はないという点は申し上げられると思います。
#143
○鈴木美枝子君 それではあとでそれも刷って皆さんに渡していただきたいと思います。
 いま手元にないとおっしゃったので。教育使節団が戦争のああいう時期にただぶらぶらと来ないと思うものですから、やっぱり知っておくことが日本人として大切なことだと、私は思いますので。いま第二次が昭和二十四、五年とおっしゃいましたね。それ見せていただくとたぶんわかると思うんですけれども、どうぞ勉強さしてください。
 私の知った限りなんですが、ちょっと局長さん聞いていてください、昭和二十八年、MSA協定、それはアメリカ教育使節団の来たあとですね。教育に関係するから申します。なくなりました池田さんとロバートソンさんの会談のときに教育と宣伝、文化、そのようなことが会談されているというのは事実でございましょうか。
#144
○政府委員(木田宏君) 私は、そのことについて何も申し上げるだけの中身を承知しておりません。
#145
○鈴木美枝子君 このアメリカの第一次に来た教育使節団の先ほど読み上げた内容がすばらしいから私は御質問申し上げているんです。そうすると、昭和二十八年、MSA相互安全保障条約の中の教育と宣伝により、これは平和憲法の九条を変えるようにというような注文があったらしいのですが、昭和二十八年の段階においては、戦争の体験者がいるうちはだめじゃないかという意見を池田さんは言っているようでございますね。その時期以後はどうしたらいいかということの中で、教育と文化と宣伝によって若い人に影響を持つというようなことを言っているようでございますけれども、その昭和二十八年に中央教育審議会――ここに私簡単な字引きで調べたところによりますと、昭和二十八年にできた中央教育審議会は文部大臣の教育政策決定のための諮問機関、こっちの池田・ロバートソン会談の昭和二十八年とやや時期を一緒にしているのですが、文部大臣の教育政策決定のための諮問機関て一体何ですか、諮問機関というのは、局長さん。
#146
○政府委員(木田宏君) 中央教育審議会は文部大臣の政策を決定いたしますための諮問機関でございまして、文部大臣が御意見を聞きますための相談機関であるというふうに御理解をいただきたいと思います。文部省設置法の二十六条に中央教育審議会のことが規定ございまして、その職務を御参考までに読み上げてみますと、「中央教育審議会は文部大臣の諮問に応じて教育、学術又は文化に関する基本的な重要施策について調査審議し、及びこれらの事項に関して文部大臣に建議する。」こういう職責を持っておるわけでございます。
 なお、先ほど私中央教育審議会の発足の時期を昭和二十四年の文部省設置法発足の時期というふうに申し上げましたが、発足の当初はまだ別の名称であったかと思うのでございまして、教育刷新審議会以来引き続いて審議会を文部省持っておったと思いますが、中央教育審議会が審議会として発足をいたしましたのは二十七年の六月六日というふうになっておりますので、訂正をさしていただきます。
#147
○鈴木美枝子君 中央教育審議会ができてから、文部大臣は何人おかわりになっているのですか。
#148
○政府委員(木田宏君) 十八人だと思いますが、あるいは一人、二人計算が違っておるかもしれません。
#149
○鈴木美枝子君 十八人ですか。それでは奥野大臣は十八人目ですね。文部大臣の教育政策決定のための諮問機関というのはいまでもあるのですか。
#150
○政府委員(木田宏君) 中央教育審議会は現在でもございます。
#151
○鈴木美枝子君 これが骨子になっているのですね。大臣は十八人おかわりになってもその骨子の中で問題をお出しになっているわけでございますね、文部大臣。
#152
○国務大臣(奥野誠亮君) 中央教育審議会のいろいろな御意見あるいは国会におけるいろいろな御意見、各方面の御意見を尊重しながら文部政策が立案されて、究極的には国会の御審議をいただいているものだと、かように考えております。
#153
○鈴木美枝子君 昭和二十七年の六月に発足したのが骨子になっているとはいえ、流動しているわけでございますか、内容については。
#154
○政府委員(木田宏君) 中央教育審議会はそのときそのときの時点におきます重要事項につきまして御意見を出しておられるわけでございます。そのときの重要問題につきまして文部省から御諮問を申し上げて、それに対するお答えをいただきながら文部省が仕事を進める、こういうことでございます。
#155
○鈴木美枝子君 諮問機関の中の教育制度、学術、文化、それらに関する基本的施策について調査し、審議すると、こうなってるわけですね。またばく然と文化といってもいろいろあるし、学術ということも私はお伺いしたいし、教育制度――昭和二十七年六月にその制度について、基本的施策について調査し、審議するという、このことが今日この法案の問題として出てきてるんですね。局長さん。
#156
○政府委員(木田宏君) 中央教育審議会からは昭和四十六年に教育改革のための基本的施策についての御答申をちょうだいいたしました。この答申の中にも教員の養成、確保につきましての一項目が入ってございまして、この際の御答申の考え方もこの法案の一部に入っておると言えば入っておるように申し上げることができると思います。
#157
○鈴木美枝子君 それでは、たいへん長くかかってつくり出した重要な教育問題をこの文教委員会でもほんとうに審議が短時間で法律化しちゃうんですね。ちょっとその点について、局長さん。
#158
○政府委員(木田宏君) 中央教育審議会でいろいろと御論議があり、またそれを受けまして私どもも具体の課題としてどういうふうに処理をしていったらいいかと、いろいろと教育職員につきましては教育職員養成審議会等の御意見もはかりながら、政府としての成案をまとめて御提案を申し上げている次第でございます。まあ国会の御審議のことにつきましては、国会でお取り運びいただくことでございますから、その審議の内容について私からとやかく申し上げることではなかろうかと思う次第でございます。
#159
○鈴木美枝子君 長い間大学の先生その他を集めて十年以上もかけたことを審議するのにたった三カ月だけですか、十年かかったものを衆議院、そして参議院で三カ月足らずで法律化しちゃうというのは、たいへん日本のために、子供のために――子供は日本の未来なんだから、私はそういうことは十分審議をやっていただきたいと思うんです。大臣、その点について。
#160
○国務大臣(奥野誠亮君) 今回お願いしております法律の改正は、教育職員養成審議会の建議に基づいて立案をし、お願いをしてるところでございます。
#161
○鈴木美枝子君 私はことばであげ足をとるような感じしますけど、ことばってのは内容を持ってるわけですから……。戦後の、開放性。大学で専門教育を受けて教師になるという、開放性がございましたのに、今度昭和四十四年の四月に文部大臣に提出した答申書では、まるで開放性とは違う問題が出て来ました。中央教育審議会で「開かれた大学」ということばがいろんな雑誌に出ていたのを私、記録しといたんですが。それには、大学の閉鎖性や独善を改め、社会の要請に即応でき、社会からの批判と協力に道を開き、社会に奉仕することを新しいあり方とする大学だと、昭和四十四年になると突然この「開放性」が閉鎖性になるわけです。どういう理由でそういうことを言い出したんですか、局長さん。
#162
○政府委員(木田宏君) いま、お尋ねの趣意がちょっとよく読み取れない点がございますが、中央教育審議会で文部省から今後における学校教育の総合的な拡充整備のための基本施策についての御諮問を申し上げまして、御論議をずっと進めていただきました間、大学問題につきましては、従来の大学がいわば戦前からのどちらかというと象牙の塔にこもったような性格を一部持っておりますから、これがもう少しこれからの大学は教育研究の場を通じて社会の諸要請との関係を密接に考えていく。教育につきましてはエリートだけの教育ではなくて、青年、大衆のために高等教育を進めるということも考えなければならないし、社会の各方面で進んでいきます新しい知識の創造、技術の開発、そういうことの中心になります知的創造活動、研究活動を大学は社会の各方面の事態の進展と相まって考えていかなければならない。で、教育と研究と、それから大学自体が社会に奉仕をする。アメリカ、イギリス等では、その奉仕ということを非常に大きな大学の課題として説明をしておるわけでございますが、社会の各方面の要請に大学が奉仕するという姿勢を持たなければならない、そういう教育研究と、社会に役立つ大学、社会の期待にこたえる大学ということを考えますならば、大学の運営についても社会各方面の人たちの御意見に耳を傾ける、そういう意味で開かれた大学ということばが使われてきたものだと思っております。別段この考え方が急に変わって閉鎖的な学校をつくるというような意見は出てないと思う次第でございます。
#163
○鈴木美枝子君 じゃこれ、単に宣伝ですか。
#164
○政府委員(木田宏君) 宣伝ではございませんで、今後の大学というものが、やはりそういう基本的な性格を持ったものとして充実しなければならない、こう考えております。
#165
○鈴木美枝子君 どうして昭和四十四年にそういう方向をとり出したのですか。
#166
○政府委員(木田宏君) やはり大学教育の内容、あるいは大学の研究の内容というものを日本の社会の動き、要請、日本の国民の大学教育を求めるその内容に即応させるというその必要性を関係者が広くお感じになったからだと思います。
#167
○鈴木美枝子君 大学生のああいう行為に対してですか、学生運動の行為に対してですか、昭和四十四年に「開かれた大学」と言い出したのは。
#168
○政府委員(木田宏君) 学生運動のこともございましょうが、基本的に大学の教育研究のあり方ということを考えての御意見だと思います。
#169
○鈴木美枝子君 私の一つの経験なんでございますけれど、一九六六年に――昭和四十四年より三年前になるわけですけれども、あのときは有田文部大臣でしたが、沖繩のおかあさんに呼ばれて沖繩に行ったことがあるのです、パスポートもまだ使わなければならないとき。一九六六年に学生運動のはしりみたいな形で早稲田大学で月謝値上げ反対がございましたね、あれはいつですか、早稲田の月謝値上げ反対で最初に目立って新聞に出たので覚えているのです。どなたかいつだったか正確に言ってくれませんか。
#170
○政府委員(木田宏君) 何回か授業料値上げ反対の動きがあったかと思うのでございますが、いまちょっと記憶がさだかでございませんので、別途お答えをさしていただきたいと思います。
#171
○鈴木美枝子君 重要なことなんでちょっと調べていただきたいと思います。
#172
○委員長(永野鎮雄君) 鈴木委員、それがないと続けられませんか。
#173
○鈴木美枝子君 はっきりすることが重要です。それでは調べていただいて、先ほど申しましたその時期同じくして沖繩のおかあちゃんのところに本土のおばちゃんだということで行きました。その行く前の十日ばかり前に、早稲田の学長さんですか、大浜さんが新聞に出ていました。まだ方々で学生運動が起きているわけじゃなくて、早稲田一件でございましたから、月謝値上げして反対しているのだなと、新聞読みながら思いました。しばらくして大浜さんが病気で倒れたと新聞に出ていました。やはり学生さんにあれされて倒れたのかなと思っておりましたら、すぐに総長がかわりました。かわった人は、そうだ、阿部賢一先生でしたか、その時期ならわかりますでしょう。突然大浜さんが病気で倒れた。私は役者でしたから、ただ新聞で見たという大衆の一人の感覚でしたけれど、大浜先生という人が倒れたというのは印象的でした。そして、沖繩へ行って小学校、中学校をおっかちゃんだというので五十カ所ばかり、ただ本土のおっかちゃんですといって回っているときに、八重山で大浜さんが元気で銅像の除幕式に来ていたのです。そのとき私こう思いました、銅像は銅だから一日でできないなと思いましたよ。早稲田の月謝値上反対の最中に銅像をつくるために銅を錬っているのだとしたら大浜さんの病気で倒れたというのはうそで。そして大浜さんは知っていらっしゃったのだと。一体そういう関係はどうなんでしょうか。でも、私がこれを言いたいのは、日本をよくしたいのですよ。私たちの愛国心なんです。局長さん。
#174
○政府委員(木田宏君) たいへん恐縮なんでございますが、お尋ねの趣意をちょっとはかりかねている点がございますが、古いことからお答えを申し上げておりますが、私もいまのポストにそう長くおるわけでもございませんので、大浜先生がその時点でどういうことがあったのか全く知らないのでございまして、お尋ねに対してどうお答え申し上げていいのかちょっと見当もつきません。もう少しお尋ねをいただきましたらお答え申し上げることもできようかと思う次第でございます。
#175
○鈴木美枝子君 沖繩と本土と、古いことを言っているのじゃないのですよ。教育にかかわるたいへん大事なことを私は見ちゃったわけですね。いつかはそのことを話したいと思っていたわけです。病気で倒れたのはうそで、私には何か学生運動に火をつけさせた感じがするのです。大浜先生というのは沖繩の人で、本土の方と結婚していらっしゃる。新聞が病気で倒れたって、何も書かなくてもいい。今度新聞の方にもここに来てもらって一度聞いてみたいです。そして学生の月謝値上反対の要求に火をつけた。沖繩の方たちが差別という問題を。私は銅像ということで、大浜先生の銅像を八重山に立てることは、本土で出世した人ということを沖繩の人々に印象づけるというふうにそのとき思ったのです。それは知っていらっしゃいますでしょう、だけれども。返事に困りますね、重当なことだから。私の愛国心はそれを聞かずにはいられないわけですよ。
#176
○政府委員(木田宏君) どうもたいへん恐縮でございますが、大浜先生の銅像のことなど全く知らないものでございますから、何ともお答えのしようがございません。
#177
○鈴木美枝子君 銅像のことを知らない。それは見なければわかりませんよ。いまも立っていますから、八重山に銅像は。東京では病気で倒れたという。もちろん沖繩の人にも言いましたよ。「東京の学生の月謝値上げにいた大浜さんが見えなくなったら沖繩の八重山の大浜さんの銅像の除幕式に元気で来ていた。」と。そうすると、そういう形で学生運動に火をつけた。そして学生運動がエスカレートしていった、早稲田を最初の動きとして。若い人というのは、血気盛りといいますか、どうしてもよしにしろ悪しにしろ前に進んで行くものです。それを指導する――よく指導ということばを委員会で聞くんですが、行きつくところまで指導しなかったように見えるんです。そのことについてはどうでしょうか。
#178
○政府委員(木田宏君) いま鈴木委員のお考えになっていらっしゃる特定の事件について、私自身が同じような認識を持ってないんじゃないかと思うものでございますから、お尋ねに対してどのようにお答えができるか、たいへん恐縮なんですが、一般的には、戦後の大学につきまして、また早稲田のように非常に学生数も大きくなってまいりました大学につきまして学生の騒動が起こる。それは特定の総長が一人で処理をされるということではなくして、教官があげて学生の指導に取り組まれなければならぬ問題でございますけれども、御意見にもありましたように、大学の教官方がどこまで学生に対して徹底的な指導ができているかという点については、いろいろな論議があり得るというふうに思うのでございます。もう少し大学生に対する指導を適切にすべきではないかという御意見もございまするし、紛争の過程を通じて出てまいりましたことでございますが、大学の教官は教育と研究を中心にすべきであって、学生のあまり何といいますか、学外における行動まで指導の能力はないし、そこまでの責務はないといったような御意見までいろいろございまして今日に至っております。これはごらんになる方のお立場によって大学の先生の指導が適切でないという御意見も成り立ちますし、さまざまだと思う次第でございますが、今日の大衆化した大学に対して、学生のどこまでを大学が指導の責任を負わなければならないかという点につきましては、一般論としてはなかなかむずかしい点もございます。個別の案件によって具体に私どもも考えてみたいものだというふうに思います。
#179
○鈴木美枝子君 文部省はどういう役目を持っているんです。
#180
○政府委員(木田宏君) 大学につきましては、文部省は、一応国・公・私立の大学を所轄をするということになっておりまして、文部省の所管の教育機関であるというふうに考えておりますが、この教育、研究の内容につきましては、大学の自主性というものをできるだけ最大限に尊重をし、また文部省として教育、研究の内容に対して不必要な介入をすべきではないというふうに考えております。
#181
○鈴木美枝子君 介入をするべきじゃないということをお考えですね。そうしたら今度この法律は一つの介入になりませんか。
#182
○政府委員(木田宏君) 教員の免許基準をどうするかということを今日、教育職員免許法という形で国会の御審議を得て立法の過程で示していただいているわけでございます。これは、教員の資格基準を一定水準に保つための必要な政策課題だというふうに思う次第でございますが、その内容につきましては、必要最小限のもの以外は、できるだけ大学の自主的な運営にゆだねるように考えていくべきものだ、このように思っております。
#183
○鈴木美枝子君 いまのおことばは確かでございますね、いまのおことばは確かでございますね、と二つ記録しておいてください。いまそういう学生運動と、中央教育審議会、昭和二十八年から発足し、今日まで文部大臣が十八人かわったという、学生運動をエスカレートさせながら教育の内容を変える二重構造を感じるのです。先般のフランスの学生運動「五月革命」、フランスの場合の例を引いてみます。一九六八年に起こった五月革命。ちょっとそれと似たようなところが日本の学生運動にもありました。しかし、その後フランスでは学生にどうしたか。文部省の方たち、文部大臣がどうしようとしているかという問題にすごい差があるので、読んでみます。フランスでは、「一八〇八年」だからいまから百六十五年前に、ナポレオン学制の中で、中央集権的な国家統制下、研究と教育の分離がはかられた。以後、百六十年にわたってその基本的性格が維持されていた。ずいぶん長いこと研究と教育が分離されていたわけです。学生運動「五月革命」は一九六八年に始まった。パリ大学を中心として大学紛争が起きた。日本の学生運動もやや時期が同じです。ただし、フランスでは一九六九年十一月に制定された高等教育基本法は、フランス共産党が破棄するという問題点を残したけれども、学生参加を積極的に打ち出すとともに、財政自治を含め大学の自治を認めた。これは百六十五年前とやや時期は同じなんですけれども、日本の場合の研究と教育を分離するという方法が、――これは一つの例です。日本はフランスのような国じゃありませんが、でも、参考として必要だと思うのです。参考にして取り入れるか取り入れないかは別です。そしてフランスは比喩的な、あの国、文化的な国ですから、そういう重要なことでもなかなかユーモアなことばで言っています。「研究は教育にとってまずしい親戚でも高貴な親戚でもない。競争相手でもない。研究は可能な限り教育と一体となり相互の利益をはかるべきである。」なかなかすばらしい解決をしましたね。フランスは、やはり私、フランスという国、映画祭で行ったことがありますけど、基本的に文化の歴史を感じます。この教育と研究の分離。先ほど分離しないとおっしゃいましたね。これから教育と研究を分離する筑波大学のこともおありでしょう。さっきは分離しないと言っていましたね。これからつくる日本の大学はフランスの百六十年前に逆行するわけなんですか。やはり若い人――いや、若い人にも日本の場合五月革命のまねをしているなというところを感じました、ある部分では。しかし文部省が指導というからには、大臣もはっきり問題をしぼって若い人のためにしゃべっていただきたいと思うんです。
#184
○政府委員(木田宏君) いまフランスのいろんなお話がございました。フランスはヨーロッパ各国を通じまして一番国の教育体制の強いといいますか、歴史と伝統を持っておる国でございまして、ナポレオンのとき以来、中央政府が中心になりまして、大学の総長も先ほどの教育基本法ができますまでの間、政府の手によって大統領まで関与するといったような国柄でございました。
 それが最近、大学への進学者の数が非常にふえてまいりまして、パリ大学一大学だけでも十七万人という学生数をかかえ込むような大きなことになってしまいました。とうてい教育も研究もうまく行なえないというようなことから、従来考えておりました大学の学部制度というものを分解をいたしまして、学部といわない、ユニテという新しい組織にして教育と研究の体制をそれぞれ整えていこうというような改革を進めておるわけでございます。もちろん、学生の参加等のことも基本法の中に取り入れまして新しいかなり思い切った改革を進めておるわけでございますが、日本の場合、フランスとやはり国の歴史と伝統か違いますから、大学の管理運営について学外者が幅広く関与するというような歴史的な伝統を持っておりませんので、日本の場合には、日本の歴史の中から必要な改革案を進めていかなければならぬと思っております。その際、文部省はやっぱり大学におきます教育研究が主体的に行ない得るように、そういう配慮を持って大学のお世話をしなければならぬというふうに考える次第でございます。
#185
○鈴木美枝子君 教育と研究を分離することはそのままやるわけですね。
#186
○政府委員(木田宏君) これは大学のそれぞれの御要請によって考えていかなきゃならぬ点があるわけでございまして、現在の大学でも、大学の中に大きな研究所を持っておりまして、研究に専念をしておる組織がございます。東京大学だけでも十数個にのぼります附置研究所等をかかえておりますが、こうした大きい研究所の体制をとっておりますところは世界の中で日本の大学の一つの特色といえるかもしれません。むしろ研究所が教育と離れて独立の研究だけしているという点に一つの問題意識を感じておる方々も少なくないわけでございます。で、大学全体が、大学の教育、研究、これは大学としては非常に大事な二つの活動でございますから、それを学内でどういう体制のもとに処理をしていくのがいいかという点は、いままでの大学のパターンにとらわれることなく、今後も考えていかなければならない、このように考えております。従来教育、研究が一体であって、今度筑波で分離するというような言い方も出るわけでございますが、必ずしも従来教育、研究がすべてについて一体であったというわけではございませんし、筑波の場合にもすべてが分離するというわけでもございません。まあ筑波の御審議ではございませんから、いずれ、そのことにつきましてはまた別の機会にお答えさしていただくことにいたしまして、われわれといたしましては、必要な大学の教育の改善あるいは研究体制の整備、これはそれぞれに進めていかなければならぬ課題だと思っております。
#187
○鈴木美枝子君 私は、教育と研究は分離できるものではないと思うんです。教育と研究が分離して離れるということは、研究は全然成り立たないのじゃないかというふうに思っているんです。で、一番最初のほうに戻りますけれども、この諮問機関の中にある文化について文部省が言っている文化って一体何ですか。
#188
○政府委員(木田宏君) 文化っていうのは、非常に幅の広い観念だと思う次第でございまして、それぞれお使いになる方がお使いになる場所に即して考えてみなければとうてい一義的な定義でもって文化とは何だということを御説明できるわけのものでもないと思うんでございます。文部省におきまして、文化ということを使っております場合には、これは文部省設置法の中で出てくることばでございまして、この場合には主として教育、学術、文化、こういう教育、学術と並んで文化ということばを使う例が多いわけでございます。文部省設置法には、その意味で教育、学術とは異なった意味の文化といたしまして、「芸術及び国民娯楽、文化財保護法に規定する文化財、出版及び著作権その他の著作権法に規定する権利並びにこれらに関する国民の文化的生活向上のための活動をいう。」、こういう法律上の定義を持っておるわけでございます。
#189
○鈴木美枝子君 それじゃ、町に出ている文化的なもの、それは娯楽のジャンルに入れていいんでしょうか、文部省のいう定義になりますと。
#190
○政府委員(安達健二君) ただいま木田局長が申し上げましたのは、文化庁で扱うところの文化はどういう範囲であるかということを明らかにしたのにとどまるわけでございます。同じ文部省関係の法律でも、たとえば文化功労者年金法等におきまして、文化ということばを使っておりますけれども、その法律に従って顕彰される方々はいわゆる芸術家のほかに学者等も含まれておるわけでございます。したがいまして、先ほど木田局長のお話しのように、各法令によってそれぞれの文化の概念も違ってくるだろうと思うわけでございます。そこで、まあいわゆる文化とは何かということでございますけれども、これを最も広く考えましたときには、それはそれぞれの国家社会の中におけるそれぞれの成員のメンバーの生活のしかたということではないか、これは最も広い意味における文化といわれておるわけでございまして、この中には知識、信仰、芸術、道徳、法律、慣習というようなものも含めまして、文化という概念に含めていると思うのでございます。要するところは、人間が単に動物的な生存にとどまらず、その生活をより合理的に、あるいはより美しくしよう、そういうところに、そしてそれぞれの社会におきまして、その生活のしかたを美しくしよう、あるいは合理的にしようとするところにそれぞれのパターンができるわけでございまして、そういうものがいわゆる最も広い意味においての文化であるというように考えられるわけでございまして、したがいまして、芸術とか、学術はそういう生活のしかたというものが最も高度な意味におきまして抽象化されまして顕現されたものが学術であり、あるいは芸術である、かように考えるところでございます。
#191
○鈴木美枝子君 抽象化されたということばをいまおっしゃったから、抽象化する、そういう作家のこと、前に私高見大臣のときに質問しましたけれども、日本の中で最も抽象的な前衛的な川端康成さんが自殺したという変事について高見文部大臣に答弁していただいたときに、私は予供のときから川端康成さんを知っておりまして、十代から知っているから、あの方が何を考えていらっしゃるか知っているんです。自殺しましたので、いま言ったような相互的な中で、日本の作家の中で、まあノーベル賞をおとりになったそういう文化人であるあの人が、なぜ自殺したんですかと言ったら、高見文部大臣の返事では川端先生から手紙をもらった。そして世界ペン大会を日本でやるのに一億円の金を借り歩いたけれども、五千万円貸してくれませんか。それから税金をただにしてくれという手紙をもらって、返事を出さないで申しわけございませんでしたという答弁をいただきました。川端先生の手紙の内容は経済ということになりますね。文化のジャンルの作家の立場。それからいま言った文化のそれぞれの立場、テレビや映画。子供は一日の半分以上を学校にとられ、あとの環境は町に飾れたエロ映画やテレビの日常生活の中で子供が自然に教育されている。そういう社会全般の環境をどうお思いになりますか。
#192
○政府委員(安達健二君) 先ほど申し上げましたように、文化という、日本の文化が高くなるかどうかということは、一面におきましては芸術が非常に盛んになり、あるいは学問が振興されるということにあらわれますと同時に、各国民それぞれがそれぞれの生活自体が合理的で、かつ美しく、美的な感覚によってささえられる、こういう二つの面からの考え方をとらなければならないと思うわけでございます。したがいまして、文化の政策という面からいいますと、一面では学問をすすめあるいは芸術を振興していくというような面と同時に、国民生活を豊かにし、その芸術やそういうものの中にはぐくまれて心が豊かになり、そうして余裕のあるものになるというようなことが必要でございまして、こういうことは単にいわゆる文化政策でなくて、教育の政策も含めまして、社会全般の中でそういうものがつちかわれていかなければならない。したがいまして、先ほどお話にございましたいろんな映画とか、そういうようなものもやはりそういう日本人全体の生活がより豊かになるような方向において位置づけられていかなければならない、こういう問題は単に文化政策の問題だけでなくて、同時に、教育の問題であり、また、各国民全体がそういうふうに意識していかなければならない問題であると思うわけでございます。
#193
○鈴木美枝子君 いまおっしゃったことはたいへんりっぱな言い方でございますけれども、そういうおっしゃり方どおりにいかないところに経済の問題があると思うのです。これは私は文化の面で言っているんです。いまノーベル賞をとった川端先生の自殺も経済の面でございましたね。金を五千万円貸してくれ、税金をただにしてくれ、これ経済です。それからテレビとか映画についても経済。つまりテレビの作品をつくるのにスポンサーというか、そういう人たちの意思が芸術家より先行して内容に口だしするというような日本でございます。そのことは御存じでしょう。そうしてまた、小学校なんかに私行きましても、応接間に学校経営というようなことが書いてありますね。学校経営というのは一体何ですか。応接間には子供も入ってくるかもしれません。ああいうものを堂々と出すという感覚が、もう金というものに麻痺されているんじゃないでしょうか、局長さん。
#194
○政府委員(木田宏君) 学校経営といったようなものの考え方、これは学校の運営をそういう経営論的な立場から考えていくときの一つの考え方だというふうに思うのでございます。しかし、いろんな世の中の事象というものは、それぞれの角度から見得るわけでございますから、学校が文化的に大事な社会の施設であるということを文化の面から見ることもできますし、また、他のいろんな事業体と同じような事業組織を考えるという意味でそのことに限定して、学校の経営という観点を考えていくこともできるわけでございますから、たまたま何かどれかの一つのことばだけで、学校の全体の性格を律してしまうということには無理があるんじゃないかというふうに思います。
#195
○鈴木美枝子君 「自由」とか、「それぞれの立場」ということばは、たいへん便利に民主的そうにうまく利用されていますけれど、このたびの教員の五段階というようなことにしても、金で格差をつける。私は文化的な立場からその五段階の点についても経済で先生を差別していく。先ほどの学校に行って学校経営と応接間に出ていた、他の学校は違うとはならないでしょう。私は、それが文部省の指導だと思うのです。たとえばいまは文化の立場から川端先生を一つの焦点として経済を言いました。それからいま働いている役者の人たちが、金を出すスポンサーから越えることができない。創造が金を越えることができないという立場に追いやられる。
 一九六六年の十月に、期待される人間像と政府は申しましたが、このことだって、やはり経済のことで言ってますね。何でも金がかかわってくるわけね、金がからんでくるんですよ。森戸辰男さんてどういう人ですか、局長さん。
#196
○政府委員(木田宏君) 私も森戸先生の御専門について深く存じておるわけでございませんが、お若いころに東京大学の経済の助教授をしてらっしゃいまして、戦後、社会党内閣ができました際の文部大臣として私どもお迎えをいたしました。
  〔委員長退席、理事楠正俊君着席〕
その後、広島大学長として十二カ年御在職であったかと思うのでございます。教育各般にわたりまして、非常に識見の高い、また御造詣の深い方でおられるというふうに考えております。(「森戸事件抜けているよ。だめだよ、それが抜けておったらだめなんだ。」と呼ぶ者あり)
#197
○鈴木美枝子君 それじゃ、ちょっとそれも教えてください。
#198
○政府委員(木田宏君) 森戸先生が東大の経済の助教授をしておられましたときに、クロポトキンの問題だったと思いますけれども、お書きになりました論文が当時の当局側の指摘するところになりまして、東大助教授をおやめになったという事件でございます。
#199
○鈴木美枝子君 ここにこういうのがあるんですけれどもね。中央教育審議会は、「期待される人間像」を含む「後期中等教育の拡充整備について」答申しました。その際、森戸辰男さん、中教審の会長さんだったわけです、中教審会長さんは、「文部時評」という雑誌で「答申と教育再改革」という文章を載せている。「戦後の押しつけられた六・三制教育体系は改めなければならない、産業界の要求にこたえて」と――。「産業界」というのは一体何ですか。
#200
○政府委員(木田宏君) その文面がどういうふうに使われてお書きになられたことかは、私もその流れがわかりませんので、御趣意を私からお答えすることも適切でないかと思いますけれども、経済活動をやっている御関係の方々からという意味ではなかろうかと推察をいたします。
#201
○鈴木美枝子君 「産業界」というのは経済界でございますね。「経済界」に対して、文部省が違う意思を持つことができないんでしょうか。
#202
○政府委員(木田宏君) 日本の教育をどう考えるかということにつきましては、教育自体の立場からものごとを進めていくべき性質のことだというふうに思いますし、戦後のいろんな学制改革その他教育上の施策を考えました際に、必ずしもすべてが、ある教育以外の側面の方々の御要請ということだけでできてきておるものでないという点は、私ども承知をいたしております。戦後、義務年限の延長ということを進めました場合にも、その教育政策が、他の経済的な観点からする方々の御意見とは異なっておったというような経緯のことも承知をいたしておるわけでございます。
 しかし、教育政策を進めてまいります場合に、やはり日本の教育政策として、日本の諸条件というものを勘案しながら進めていかなければならぬ。その意味では、他の日本の諸活動――経済活動も文化活動もそうでございますが、そういう諸活動と離れて教育政策だけがひとりよがりをするということであってはならぬというふうに考えます。
#203
○鈴木美枝子君 日本の教育が世界の中で独特なものをつくるために、「産業界」が必要なんでしようか。
#204
○政府委員(木田宏君) いまも御指摘がございましたように、われわれの国民のいろんな力と資金とでわれわれの国民の知恵を伸ばしていくということを考えなければならぬわけでございますから、そうした教育の源泉になります社会的な力というものを国民全体としてつくり上げていく、それは具体的には、国民の生産活動によってそのエネルギーをつくり上げていくという点が一番大きいわけでございます。生産活動の中に、何も二次産業のことだけ申し上げているわけじゃございません。鈴木先生のような文化活動も通じて国民の生産ということも考え得ることでございますけれども、やはりわが国の生産活動を通じて、われわれの教育あるいは社会福祉その他もろもろの活動をささえていくわけでございます。そうしてまた、教育の場合には、その教育の成果を受けて社会各層に働いていく青年層、あるいは、学校教育だけでなくて、幅広く社会教育、家庭教育等を考え、各方面の各層で仕事をしておられる方々の中に教育界から育っていった方々が溶け込んでいく、そういうことを考えますと、教育のいろいろな諸問題を考えます場合に、社会の各方面とのつながり、関連というものをよく考えておかなければならぬ、またそういう方々の御意見というものも聞きながら間違いのないようにしていかなければならぬということかと思います。
#205
○鈴木美枝子君 税金だけじゃまかなっていくことができないんですか。
#206
○政府委員(木田宏君) わが国の教育は、国民全体の活動力の成果としてささえらるべきものでございまして、その基本的な部分は、公の施策であります限り、国民の税金として流れていくという点もございまするけれども、わが国の教育活動がすべて全部税金だけのものというふうには考えておりません。やはり、国民のいろいろな諸領域におきます活動の成果あるいはその活動力そのものが、教育をささえていく力になっておるのではないかというふうに考えます。
#207
○鈴木美枝子君 国民のエネルギーやそれを土台にしてとおっしゃいますけれどもね、文化とか教育というのは、たとえばスクールという意味を申しても、ラテン語で「スコーラ」といって「ひま」という意味を言うんですよ。文化とか教育は、少しは「ひま」がなければね。――頭や心の「ひま」がなければ油も切れてしまいますよ、産業産業とか、開発開発といって宣伝してね――。それじゃ、日本でコンピューターを使うのとアメリカで使うのとでは立場が違うから使い方も違うと思います。どうでしょう、御返事ください。
#208
○政府委員(木田宏君) 教育活動は国民の精神的な知的活動の中の大事な領域でございます。これは、一面から申しますと、いま御指摘がありましたように、ひまという観点から見ていくことができるだろうと思います。しかし、それを可能にするのは、やはりそのひまを見出して知的活動ができるだけの余力を国民全体としてつくり出しておくという、その土台のあることを考えないわけにはまいりません。その意味で、教育活動というのは、一面、今日におきましても、国民の所得が豊かになり、また労働時間が短くなりまして余暇ができたということから、たくさんの青年層が、その余暇の時間を有意義に使いますために、知的活動にたくさん力をさき、時間と資金を充当することができるようになっておる。そういうことだろうと思う次第でございます。
  〔理事楠正俊君退席、委員長着席〕
#209
○鈴木美枝子君 いま、私が聞いたのはコンピューターのことなんですよ。アメリカが使うコンピューターと日本が使うコンピューターとは違うと思うんですよ。その違い方をはっきりつかんでいないとたいへんな間違いが起きてしまうということを申し上げているのです。それは人間に対して。私は人間という――「子供」とか「大人」とか、そういう言い方じゃないんです、人間に対して。
 その点について、局長さん、すみません、お答えください。
#210
○政府委員(木田宏君) 日本とアメリカでコンピューターの使い方がそう違うことはないというふうに考えております。
#211
○鈴木美枝子君 違うんです。機械は同じなんですけれども、違うんです。
 記録されますからそれじゃ私言いますけどね。たとえばNHKにコンピューターの機械が入ったとする。――私の知っている範囲で申します。日本映画の撮映の中にコンピューターは入りませんよ。だけどアメリカ映画では、コンピューターが必要になっております。大体映画を一つの例にして言いますと、アメリカ映画はキャメラ三台使うんです。日本じゃ一台しか使えないのです。金がないから。これは一つの例なんです。あらゆる人があらゆる能力をとおっしゃるから、そのあらゆる中の一つの事柄として言うのですが。アメリカ映画は撮映のために三百人、人間が必要になるのです、三台の機械になると。一台のキャメラに百人位のスタッフが必要です。三台のキャメラと三百人の人間が同時に撮映に参加するとしたら、やはりコンピューターを使わないと連絡もとれません。日本の場合を申しますと、NHKにコンピューターが入る。アメリカの撮映と違って、一台のキャメラでやっているということは、人間が五十人なんです。五十人でコンピューターを入れますと人間のほうがコンピューターに使われてしまうわけです。アメリカのように、大企業でやる場合にはコンピューターは必要なんです。人間と人間の連絡のためにです。そういう解釈がなんですよ。機械を尊重して人間をそれに従がわせる。フランスの映画の場合は、アメリカ映画と対応しながら映画芸術を使用し世界を市場にして、やはりもうけることもしなければなりませんでしょう。そういう場合には、俳優がシナリオの内容を理解できるように、二カ月前から台本を渡します「ひま」がなければ人間は想像によって人間を表現することはできません。フランス映画の場合、コンピューターは使用しません、アメリカ映画のように制作費がありませんから。二カ月前から台本を俳優に渡すのは、契約金の前に十分勉強する「ひま」をつくることができるのです。試験勉強の記憶だけをたよりにしてるのでは、文化でありません。俳優がからだじゅうにしみるほど、つまり魂がゆさぶられるほど勉強するんです。私たち、それをエネルギーと申します。あなたのほうでは、機械のほうが、信じられるような言い方をする。機械のほうが世界的な動きを持っているというふうに言う。コンピューターの使い方がはっきりしてないで、人間が機械であるコンピューター以下になるということはアメリカじゃしてませんよ。フランスでも、アメリカと対応したら金がないでしょう、だから映画を一本つくるにしましても、契約以外の準備期間を二カ月以上も台本を俳優に早く渡す。たとえば人間はどうすれば一番美しく直実に迫ることが出来るかと考えるのが文化なんですよ。何でも忙しくして、それがエネルギーだとか、そしてそれが能力だなんて、機械の歯車になるということは原爆時代じゃありません。原爆時代というのは、人間の肉体の中にある細胞を一つずつこまかく見る力を持つことですよ。だから俳優の場合で言えば、資本と対決したときに、金がないならないなりに早く台本を渡すとか、この審議をするのに忙しいから早く打ち切る。貧乏な国なら――貧乏な国とは言ってないじゃないですか、世界何位ということをいつでも宣伝しているじゃないですか。宣伝というのは自分たちの生活に関係ないことをさも「そうなんだ」と思わせることを「宣伝」と言うのです。そういう「宣伝」と「機械」の歯車に人間をなれということとは科学時代は違います。原爆の時代とよく言いますが、私は、人間を有機的に一つずつの機能を発揮できるようにすることだと私は思うのです。それを発揮できないようにしているじゃないですか。「科学のほうが優先している」という言い方。それについてちょっとお答えになっていただきたい。文部大臣は十八人目だからいいです。(笑声)
#212
○政府委員(木田宏君) 私どもも決して教育を考えます場合に、機械に従属するような教育ということを考えておるわけじゃございませんで、主体性のある国民の育成ということを考えておりますし、社会でもまた機械を使っていける人間でなければならぬ、このように思う次第でございます。
#213
○鈴木美枝子君 それではちょっとおくれているような気がするんです。原爆時代における人間の可能性なんていうことはですよ。やはり文化というものをばかにしているからですよ。文化が科学に世界的にかなわないように思えるのは間違いです。月に飛んだからって科学が入間より優位になるわけではないでしょう。たしかに月まで行ったのは、創造的な、創造的科学ですよ。文化は創造的なものだから。その点についてやっぱりたいへんに研究しなければいけない時代がきたというならば、私はそれをほんとうに文化的な人間も一緒に勉強しなければならないと思います。それを多様化とか、一律に貧乏人にしちゃって――戦争前もそうでした、基本的には日本のやり方はそうですよ。全部貧乏人にしちゃって、歯車みたいに使ったときに、そのときに平和憲法を変えるようなことにならないようにと、私が願うのは、やはり私が文化を、人間を、表現したいからそう言うんです。だからその点について平和憲法とのからみ合いの中でですね、局長さん、大臣はけっこうでございます。局長さん、どうぞお答えください。
#214
○政府委員(木田宏君) たいへんむずかしいお尋ねでございますが、私ども教育を進めていきます場合には、教育基本法一条にも教育の主旨も示されておることでございますから、人間の尊重ということを核にして進めてまいらなければならぬ、こう思っております。
#215
○鈴木美枝子君 その点についてものすごく研究をやり直してくださいませんか。――あまりいい返事してないようですね、(笑声)やっぱり文化性がないから。これははっきり言えないんですね、文化性がないから。いつもエリートの学識がある学者なんてことばを年じゅう言うんでしょう、そういう学者の考えていらっしゃること――それは学者だって必要ですよ。しかし世界的にいま文化を考えなければならないときにきているでしょう、原爆ができたから。原爆ができたから、平和のために人間について研究しなければならない。そうでしょう。
 さて、いよいよ教員養成制度という問題を伺うわけですけれど、(笑声)つまり、私はどうしていままでそれを聞いたかといいますと、最初に言いましたように、法律ね、法律の趣意を幾つか見ましたよ。文化的な立場から見ると法律というものはよくよく魂の問題を検討しながら、文化を研究しながらやっぱりつくり出さなければ。――日本に金があるといったってみんなそれぞれたいへんなんですよ。私もたいへんなんですけど。あなたはいかがですか、局長さん。(笑声)
#216
○政府委員(木田宏君) 確かに法律をつくります場合に、非常に技術的な要素もたくさんあるわけでございますが、基本理念といたしましてはそれが国民の精神生活、文化の向上という大事な要素につながるという点も考えておかなければならないかと思います。
#217
○鈴木美枝子君 あなたはどうですかと言ったら、客観的にものを言いますね。今度それじゃそれぞれの生活について別な場所でお話しし合いましよう。(笑声)経済成長経済成長というから……。
 それで、さっき何でも経済、経済というので私は人間に大事な文化的なものを言ったわけでございますけれど、確かにそうなんですよ、あらゆるところで。だからそのあせりや、あがきがあると思うんです。あせりやあがきが、子供を、ある点貧乏人をつくらなきゃならないというようなこと、――ちょっと私のことばは露骨かもしれませんけれど、今度の高校の多様化ということばを使いながら、職業別のような感じがするんですね。あの高校のあたりはやはり文化的な面から言えば最も大事な、一般教養が必要なんじゃないでしょうか。私は工員にするんじゃないかと心配しているんです。工員の方たちを悪いとは言っていませんよ。だけど高校時代に一般教養を十分にして、そうして自分の専門を生徒みずから選び出すということが大切ではないでしょうか。高校の学科に看護科もできるのですか、そのことは看護婦さんの問題だと思うんです。看護大学か何かつくったらどうなんですか、それについてはどうなんですか。
#218
○政府委員(木田宏君) 看護教育を広く学校教育の中でも考えなければならぬと思っておりまして、高校の看護科もふえておりますが、大学レベルにおいても御意見のような方向を今後進めてみたいと思っております。
#219
○鈴木美枝子君 先ほどのあれでは五十一万からいらっしゃるようですね、看護婦さん。そうすると、十一万からの生徒が高校で看護科で勉強するということは、「平和憲法に関係する」――こわくなってきましたよ、私。それよりも、子供を大事にする点において、やっぱり一般教育にするべきです――それはするとかしないじゃなくて、考えが違うんじゃなくて、もっと文化的に研究していくという時間をどうぞ生徒のためにおとりになっていただきたいと思うんです、重要なことだから。
 それから、教師の方たちの「五段階」という、金で差別をするというようなことは恐ろしいことです。スイスのようにはいかないでしょうけど、スイスでは大学の教授と小学校の先生もみんな同じ収入です。教師の方たちの「五段階」はスイスの例を研究して、その点についても考えてほしいんです。
 それから、たとえば看護婦は、アメリカでもソビエトでも、医者と看護婦は病人の肉体の中での分業ですよ、医者と看護婦さんは。(「時間、時間。一般質疑じゃないよ。」、「関連だよ、内容について文句を言う必要はない。」と呼ぶ者あり)
#220
○委員長(永野鎮雄君) どうぞ、鈴木君。
#221
○鈴木美枝子君 そういうふうにしてほしいんです。私そういう願いを持っているんですよ。それは、一つの参考じゃなくて、事実外国にあるということを参考にして「五段階」はやめることが、私の願いなんです。やはり何といっても、女というのは、例でいえば、「母校」というのも「母」というふうに書きますし、女というのは平和を愛するから――平和というのは何も戦争でたまが落ちぬということじゃないんですよ、人間の喜びや悲しみを平和にとらえていくという、そういう問題を私は提案しているんです。
 そして、学校の教員養成制度の調査報告書というのを読んでみますと、最後のほうに、「現職教員の研究が不断に行なわれるべきことを示しており、免許状を取得しながら教職につかない者が多い」と、こう書いてあるんですね。どのくらいいるんですか、そういう方は。
#222
○政府委員(木田宏君) 免許状の取得者を延数で申し上げますと、昭和四十七年三月の卒業生につきましては、二十万五千人ほどおるわけでございます。そのうち教職につきました者が三万一千という数になっております。
#223
○鈴木美枝子君 免許状を持って就職をしないというふうにここでは発表されているんですが。これは十一月三十日だから去年の教員養成制度の調査報告書ですね。ところが、私の調べたところによりますと、試験を受けて、そうして不合格になった。――私調べた一覧表を見ますと、北海道の札幌の大学で、受験者数は二百四十六人で不合格になった者が三十四人、函館で百八十四人の不合格者が二十九人、旭川では二百九人で四十四人、そして、みんな学生が自治会の三役をやった学生だけでが、全部不合格になっているんですね。そうすると教員の免許をもらった人で仕事をしない人点と考え合わせまして、今回の改正がはたしてこの精神にのっとっておるのかどうか、その点についてお伺いしたいと思います。
#224
○国務大臣(奥野誠亮君) 提案理由に申し上げているとおりでございまして、やはり大学等に在学中に教員の免許状取得に必要な単位を取得しなかった者や大学へ進学しなかった者の中にもぜひ教職を志したいという方々がいらっしゃる、そういう方はやはりそれなりに特別な能力を持っていらっしゃる方だと、単に学歴を経ただけじゃなしにやはり教職に生涯をささげようとするような意欲、これも非常に貴重なものだと思うわけでございまして、使命感に燃えているということそれなりに非常に貴重なものだと思いますので、そういう意味では広く人材を求めることを志しているということをぜひ御理解いただきたいと思います。同時にまた、特定領域の面につきましては、学校において学んだ方々にそのまま教職についてもらうことがなかなか期待しにくいものもございまして、特に特殊教育方面の養護訓練などについてはそういう問題もあるわけでございまして、両様にこの法律改正を行なうことによって満足さしていきたいと考えているわけでございます。もとより第二次ベビーブームに対応して方策を立てていかなければならない面もあることも、これも当然御指摘のとおりでございます。
#225
○矢追秀彦君 同じく提案理由の中で「このような方式だけでは、教員として適当な資質能力を有する者をすべての分野に十分確保するためには困難な面もあり、」と、このようにありますが、これは大臣の教育に対する基本的な考えともなりますのでお伺いをするのですが、教員として適当な資質能力、これについては大臣はどのようにお考えになっておりますか。また、今回の法改正によりまして、この困難を克服することができるのかどうか、その点はどういうふうにお考えになっておりますか。
#226
○国務大臣(奥野誠亮君) 教員として適当な資質、能力は、一般的に広い教養、専門的知識、あわせて教育上の技術、加えて先ほど申し上げましたような愛情あるいは使命感、そうしたものを兼ね備えているということが最も望ましい教師であろうと、かように考えているわけでございます。そういう意味合いで、この表現を使わしていただいたわけでございます。
#227
○矢追秀彦君 さらに「教育界にとっても広い視野と新しい経験を加えられるなど、教育の発展向上をはかっていく上で有益なことと考えます。」と、今回の法改正に非常に期待をされておりますが、この提案理由の前のほうには、あくまでも「免許状授与の特例として」と、こうなっております。「特例」というのは、やはり特殊なケースというふうに理解するのが正しいと思います。そうなりますと、この改正自体が特例ということはまあ特殊なケースと、そうなるわけでありますから、ここにいろいろ書いてあることがはたしてそのまま受け取っていいのかどうか、非常に疑問に思わざるを得ないわけであります。要するに、先ほど来大臣も言われましたような、そういった教育界の発展、向上に新風を送る、そういうような感じに受け取れるわけですけれども、はたしてこれが特例ということだけで可能なのかどうか、その辺は非常に私は疑わしく思わざるを得ないのですが、その点はいかがですか。
#228
○政府委員(木田宏君) 御案内のように、現在の教育職員の免許制度は、大学におきましてあるいは短大におきまして、所定の単位を取った者、あるいは教育界に職を奉じましたあとで、現職教育によって免許を重ねた者ということになっておりまして、この原則を変えようという趣旨ではございません。しかし、先般来御質問にもお答え申し上げてまいりましたように、個々の領域につきましてあるいは地域的に特定の過疎、過密の諸条件のあります地域につきまして、どうしても調整的な道を考えておかなければならぬという面がありますものですから、この補足的な、補完的な制度といたしまして資格認定試験の制度というものを取り入れておきたい。これによりまして、原則にのっとらない方でありましても適切な人材を教育界に迎え入れる道を開いておきたい、こういう趣意でございまして、この資格認定試験の制度の運用を適切に維持してまいりますならば、必ずや免許法の、いい人を教育界に迎え入れるという趣旨は実現できるものと、こう考える次第でございます。
#229
○矢追秀彦君 現実に、今度これが実施されました場合、どれぐらいその希望者があると踏んでおられますか。
#230
○政府委員(木田宏君) これは領域によってそれぞれだろうと思うのでございます。とりあえずは小学校教員と、次に高等学校の特殊な領域について、商業、工業等の一部の専門的な領域がそれに当たるわけでございますし、場合によれば看護の領域もそういうことであろうかと思っております。第三には、特殊教育の養護訓練を担任する教員について資格認定試験ということを考えたいと思っております。それぞれにつきましてのこまかい予測が立つところまでいっておりません。今日、柔剣道につきましては、たとえば柔道は昭和四十七年度の受験者が五十人ございます。剣道につきましては同じく四十七年度の受験者が六十五人、計算実務は四十六人という数でございまして、昭和三十九年から累計をいたしましても、それぞれ千五百人前後のところでございます。ですから一部の領域につきましては、必ずしもその受験者の数が多いというわけではなかろうかと思います。
 小学校教員につきましては、これまた見込みの立てにくい点もございますが、今日、午前中、松永委員の御質問に関連して資料で御説明申し上げましたように、約二千人程度助教諭その他の人が小学校に就任するというような実態があるわけでございまして、こういう方々の中で試験を受けておれば、当初から正規の教諭として就任できるということを考えて、受験を希望される方が出てくるのではないか。また、幼稚園の先生、保育所の保母さん等で、いままで正規の免許状を取れないために、小学校の希望の出ていなかった方々がこれに若干加わるということもあり得るのではなかろうかと思うものでございますから、受験者の数といたしますと、初年度実施いたしてみまして、四、五千人になるかどうか、これも全くの予測でございましてわかりません。あるいはもっと少ないのかもしれないというふうに思ったりいたしております。
#231
○矢追秀彦君 また、こまかい問題はあとで詰めるとしまして、今回法案を出されるに至りました経過ですが、いろいろいままでからの議論されておりますのを見ますと、やはり中教審の答申が出て、それを、それからさらに教育職員養成審議会の建議その他の要望等を入れてと、こうなっておりますが、まずこの教育職員養成審議会というものでございますけれども、文部省設置法によりますと、審議会の第二十七条の中に、「教育職員養成審議会」とあります。この中には「教育職員の免許、養成制度等に関する事項を調査審議すること。」と書いてあります。このほかの審議会を見ますと、「調査審議すること」と書いてあるのと、それから「調査審議すること」「審議」しさらに「文部大臣に建議すること」と二つ分かれておるわけです。調査審議するものと、調査審議をして建議をすると二つ分かれておりますが、これはどういうわけで審議だけでとまっておるのか、建議をするというのが入っておるのか、どういう性格になっておるのか、この辺をまず基本的な問題としてちょっとお伺いいたします。
#232
○政府委員(木田宏君) いま御指摘の文部省設置法第二十七条の審議会の各欄にあがっております目的の規定は、審議会によりまして表現が違っておる点がございます。これは二十七条の規定を整備いたしました際に、従来個別に審議会が、個別の政令でつくられておりました経緯等もありまして、そうした関係から従来の表現がそのまま踏襲されたということがあるのではなかろうかと考える次第でございます。いま御指摘のように表面を見ますと確かに不整合でございまするけれども、この審議会が諮問的な機関として設けられておるという性格から考えてみまして、基本的に差異はないもの。教育職員養成審議会につきましては調査審議することとだけ書いてございますが、諮問をしてお答えを願うことも、また御自分で調査、審議をして建議をされることも両方あり得るというふうに考える次第でございます。
#233
○矢追秀彦君 その辺がいま説明されましたけれども、よくわからないですけれども、中央教育審議会のこの第二十六条も、これは調査審議、建議すると書いてあるんですね。中教審は答申となっておりますね。私が聞きたいのは調査審議と答申、建議とこの四つどういうふうに分けていけばいいのか、その点いかがですか。
#234
○政府委員(木田宏君) 調査審議すると申しますのは、いろいろと審議会自身で御勉強いただくということでございまして、答申と申しますのは、文部省からこういう事柄についての調査審議をお願いしたいというふうに諮問をいたしましたことにつきまして、御回答をいただくというのが答申でございます。
 それから、それぞれの審議会で御勉強いただきまして、文部大臣に対して審議会のほうから積極的にお気づきになりました見解をとりまとめて御意見をいただくというのが建議でございます。ですから、答申の前には文部大臣からの諮問ということが行なわれておるわけでございますが、建議につきましては、諮問ということなくして審議会が自主的に御意見をおまとめになって文部省に御意見をくださる。こういう違いがあるわけでございます。
#235
○矢追秀彦君 それから、さっきの問題にちょっと戻って恐縮ですが、こまかいことかもしれませんが、要するに、この建議することというこの目的の中に、文章がなくても建議はできると、こういうことですね。そうすると、この文章はちょっと不備であると、こう理解してよろしいですか。
#236
○政府委員(木田宏君) 教員養成審議会につきましては、政令をもちまして必要と認める事項を文部大臣に建議するものというような職務規定を重ねて書かしていただいておりまして、実態的には差異がないと、重ねて御答弁を申し上げたいと思います。
#237
○矢追秀彦君 そうすると、今回のこの教員養成の改善方策については、文部省のほうから、文部大臣のほうからの諮問はなくて、あくまでも積極的に出てきたと、それを受けてこういう改正になったと、こう理解していいわけですか。
#238
○政府委員(木田宏君) 御意見のとおりでございます。
#239
○矢追秀彦君 それから、もう一つ、昭和四十七年の十二月二十一日に出ました「教員資格認定制度の拡充・改善について」「教員検定制度の拡充・改善に関する調査・研究協力者会議中間報告」というのがございます。これはどういうものですか。
#240
○政府委員(木田宏君) これは、教員養成審議会からの建議をちょうだいいたしまして、資格認定試験の制度を考える必要があるという御意見をちょうだいいたしましたものでございますから、そこで、その資格認定試験の具体的な実施範囲あるいは実施方法等につきまして検討をいたしますために、御委嘱を申し上げて具体的な御研究をお願いを申し上げた、こういうことでございます。
#241
○矢追秀彦君 この研究協力者会議というものは、どういう法律に基づいてつくられたんですか。いまの教育職員養成審議会と関係のある機関なのかどうか。もし、この教育職員養成審議会と関係があれば、第二十七条の第二項の「前項に掲げる機関の分科会、内部組織、所掌事務及び委員その他の職員については、他の法律に別段の定がある場合を除くほか、政令で定める。」とこうなっておりますから、政令が出てないとおかしいと思うんですけれども。この研究者会議をつくられた法律的根拠はどこにあるんですか。
#242
○政府委員(木田宏君) これは教育職員養成審議会そのものの下部組織ではございません。審議会からは教員養成全般にわたります広範な御答申をいただきまして、そのうち、この資格認定試験の制度、当時は教員検定制度というような呼称もされたわけでございますが、その部分につきまして事務的に具体的な立案を進めますにあたり、現場の関係者等、御相談を申し上げるべき方々に個別に御相談を申し上げるというよりは、一堂にお集まりをいただきまして御意見をちょうだいする、事務的に御協力をいただく方々、こういう意味で協力者の会議というふうに申しておる次第でございます。
#243
○矢追秀彦君 いや、私の聞いておるのは、どういう法律慣行に基づいてこの会議ができたのかということを聞いているのです。
#244
○政府委員(木田宏君) でございますから、法令上の根拠はございませんで、私どもの仕事に御協力をいただくという意味での事実上の御相談相手でございます。
#245
○矢追秀彦君 ということは、文部大臣の私的諮問機関みたいなものになるわけですか。先日来、小選挙区制で問題になりましたね、あの区割り委員会、あんなものと考えてよろしいですか。
#246
○政府委員(木田宏君) この中間報告を私あてにこうしたらどうかという文書としてちょうだいをいたしておりますので、あえて言えば、大学局長に対する諮問機関というのもおこがましいのでございますが、御相談相手である。こういうことでございます。
#247
○矢追秀彦君 いや、私は相談していただいてけっこうなんですよ。悪いことをしているんじゃなくて、やはりこれだけその審議会についてもきちんと法律でもきめられておりますし、いろいろなそういった諮問機関もそれは必要な場合はやっていいと思います。しかし、いま言われたように何かはっきりしないし、私、メンバー、別にけちつけるわけじゃございませんけれども、この人数、それから参考人の数、それから会議の回数、出席率、この辺をちょっとお示しいただきたい。
#248
○政府委員(木田宏君) 協力者としてお願いを申し上げました数は、二十四名でございます。その席にまた参考人としてお招きをいただいて御意見を聞きました方が延べ十九人でございました。
 会議の開催は、お願い申し上げましてからこの中間報告をいただきますまでの間、十四回会議を持った次第でございます。
#249
○矢追秀彦君 出席率。
#250
○政府委員(木田宏君) 出席率は、全体を通じまして大体七割であったかと考えます。
#251
○矢追秀彦君 まあ個人別の出席表がほしかったんですが、まだ出てきておりませんので、それはまたあとでお願いするとして、このメンバーの中で四名の方が先ほどの教育職員養成審議会のメンバーとダブっております。したがいまして、私はもちろん現場と相談するということで、こういう協力者の会議をつくられた意図はわからないでもないんですが、どうしてこの審議会のほうからの建議、さらにこれから文部大臣が場合によっては具体的な面を諮問して、きちんとした答申を受けて、それから法律を改正へ持ってくるというほうがプロセスとしてはいいのではないか。何か先ほどのお話だと学術局長の私的な協力、御相談相手と、こういうことで、しかもこれは中間報告ですよね。そういうことが出てきて、もうすぐ法律に出てきておる。しかも、この内容、一歩具体的にはなっていると思いますが、そう何といいますか、この建議と比べましてこまかい法律まではいってないように思うわけです。こまかくは私も検討まだしておりませんけれども。そうなりますと、どうしてこの審議会のほうでもっときちんとしたものができなかったのか。そういう点で非常に疑問を持つわけです。
 もう一つは、このメンバーでございますけれども、このメンバーは局長さんが自分で選ばれたんですか、どういうことですか。
#252
○政府委員(木田宏君) この教員養成審議会の建議につきましては、第三に教員資格取得の道の拡充についてということで、その一つが教員資格認定試験、認定制度の拡充ということで、幾つか内容のある御意見をちょうだいしておるわけでございます。ここには一般的な御意見がございますので、それを具体的にこの実施の段階で実施のプロセスとして、たとえば資格認定試験の実施を委嘱しようと考えております大学の関係者あるいは文部省で直接に委員を委嘱してやるほうがいいと考えられるものについてのその実施のしかた、基準の取り方等具体的に事務上の立案をいたしますために御相談をいただくという意味で、この協力者会議をお願い申し上げ、当面の重要な急ぐ部分と考えられますことにつきまして、それぞれ小学校、高等学校、特殊教育についての具体策の御意見をちょうだいをいたしたわけでございます。このほかもしこの免許法の御了承いただきますならば、次に具体の課題として考えられる事項をさらに検討を進めていく必要もあろうという意味で、この中間的なまとめということにさしていただいた次第でございます。
 なお、この人選でございますが、これは親審議会にお加わりいただいておりますいろんな方々の御意見も徴しながら文部省の事務当局が中心になりまして、各方面の実情を知っておる方々にお集まりいただく、こういう意味で私ども事務当局が中心になりまして御委嘱を申し上げた次第でございます。
#253
○矢追秀彦君 このメンバーの中で現場の意見を聞くと言われておりますが、校長先生は入っておられるのですけれども、実際現場のいわゆる教育をやっていらっしゃる方が全然入っていないわけです。この辺についてやはり日教組というふうな組合もあるわけですから、その辺の代表者といいますか、現場の先生の声が入るようなことがとれなかったのかどうか、それが一つと、もう一つは、いわゆる産業界のほうが入っておりますね。大阪ナショナル電子計測株式会社社長、それから株式会社日本リクルートセンター取締役テスト部長、こういう産業界を入れられたのはどういう理由ですか。もう一つは、雇用促進事業団、これは産業界じゃありませんが、そういう関係の方も研究部長が入っております。これはどういう理由で入られたのですか。この二点について。
#254
○政府委員(木田宏君) 特定の方のお名前が出た次第でございますが、治郎丸さんという方は、理科教育及び産業教育審議会の委員をしておられ、職業教育に関係のある、御造詣の深い方だ、こういう意味でお願いをいたしました。リクルートセンターは役職にも掲げてございますように、テストのやり方等について現実に領域こそ違いますけれども、御経験がある。したがって、資格認定試験という試験等を実施いたしますにつきまして、注意すべき点等を考えたい。人事院の専門官をお願い申し上げましたのも、人事院試験等そうした試験の技術的な観点等をお教えいただきたいという趣意でございます。雇用促進事業団の関係から人が見えておりますが、これも産業界におきますいろいろな人材養成等について御経験のある方という観点からお迎えをいた次第でございます。
 なお、現実に学校の教職員一般の教員がいないではないかという御指摘は確かにあるわけでございますが、これらは、この試験科目をどういうふうにしてどういう領域にどういう資格認定試験を実施したらいいかという点で、どの領域に一番足りないかとか、あるいはどの領域でどういうことを考えればいいかという点につきましては、学校の経営上の責任を持っております校長先生を中心にしてそうした御意見を伺ったほうがよろしいかという趣意に出ておるものでございまして、ことさらに、一般の先生の御判断を退けようという趣意ではございません。
#255
○矢追秀彦君 いまの局長のお話だと、実際この法律が通ることを前提にして、実際試験の中身とか、そういう人材をどうしていくかというようなことにされておるわけですけれども、この報告というのはもっと基本的な問題が先なんじゃないでしょうか。
#256
○政府委員(木田宏君) 確かにこれらのことは、この法律に御賛成をいただきまして法律ができたあとでなければ、現実の施策にはならないことでございまするけれども、教員養成審議会からの建議がございまして、このことを具体的にどういうふうに実現できるかという実施の領域のこともある程度現実の必要性に立脚をしたこの実施についての考え方を固めた上で御審議をお願いすべきだというふうに思いまして、とりあえずこの建議に沿った実施体制の御論議をいただいて中間的な報告にした、そうして国会での御審議をいただいて次に具体的な実施の段階に御賛同を得ました上で進みたいという中間的なものであるという点は御了承賜りたいと思います。
#257
○矢追秀彦君 だから私は先ほども申し上げたように、まず、その中教審の答申が出てきておりますが、これは非常にわずかな行数しかないわけです。今回のこの改正については提案理由の説明を見ましてもかなり非常に重要視をされておりますし、非常に教員の免許あるいは養成、確保となりますと、教育の非常に重要な施策になるわけですから、むしろ中教審あたりでもっと具体的なものがまず練られてこなくちゃいけない。それからこの審議会でもっときちんとしたものが出てきて、それから法律案という形になるべきではないか。それを何かこの中間報告でそのままずっと改正案に出てきておる、こういう点のプロセス、非常に私はちょっと疑義を感ずるわけです。もう少しきちんとされたほうがよかったのではないか。その点、文部大臣はどうお考えですか。
#258
○国務大臣(奥野誠亮君) 教育職員養成審議会という諮問機関、これはやはりこういう問題についての中心になる諮問機関ではないだろうかという感じを持っているわけでございます。同時にまた、大学学術局長の協力者会議、これはやはり試験の方法などについても検討してもらってるわけでございますけれども、そういう問題まで検討した上でもとへ戻って教育職員養成審議会の建議、そのとおり立案していけるかどうかという問題になるのじゃないだろうか、かように考えるわけでございます。いずれにしましても法案が成立した暁において、もう一ぺん試験の方法などについて細部な検討を加えなければならないことは当然のことだ、かように考えるわけでございます。でございますので、順序としては、これでいいんじゃないだろうかなという感じを私としてはいたすわけでございまして、ぜひ御了解を得たいものだと思います。
#259
○矢追秀彦君 いつも政府の審議会というのが絶えず隠れみのではないかということがよく言われておるわけです。中教審に対してもそういう批判もかなり強くあるわけでありますので、そういった点で特にこの先ほど私は問題にしました研究協力者会議、こういったもののあり方についてはひとつ十分きちんとした配慮をお願いしたいと思います。
 それでは時間が五時ということですから残りの質問は次回に譲ります。
#260
○委員長(永野鎮雄君) 本日の会議はこの程度にとどめ、これにて散会いたします。
   午後五時散会
     ―――――・―――――
ソース: 国立国会図書館
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