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1972/07/10 第71回国会 参議院 参議院会議録情報 第071回国会 文教委員会 第18号
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1972/07/10 第71回国会 参議院

参議院会議録情報 第071回国会 文教委員会 第18号

#1
第071回国会 文教委員会 第18号
昭和四十八年七月十日(火曜日)
   午前十時三十一分開会
    ―――――――――――――
   委員の異動
 七月九日
    辞任         補欠選任
     塩見 俊二君     鹿島 俊雄君
    ―――――――――――――
  出席者は左のとおり。
    委員長         永野 鎮雄君
    理 事
                久保田藤麿君
                楠  正俊君
                宮之原貞光君
                安永 英雄君
    委 員
                金井 元彦君
                志村 愛子君
                大松 博文君
                中村 登美君
                濱田 幸雄君
                二木 謙吾君
                宮崎 正雄君
                小林  武君
                鈴木美枝子君
                松永 忠二君
                内田 善利君
                矢追 秀彦君
                萩原幽香子君
                加藤  進君
   国務大臣
       文 部 大 臣  奥野 誠亮君
   政府委員
       文部大臣官房長  井内慶次郎君
       文部省初等中等
       教育局長     岩間英太郎君
       文部省大学学術
       局長       木田  宏君
   事務局側
       常任委員会専門
       員        渡辺  猛君
   説明員
       人事院事務総局
       任用局長     茨木  広君
   参考人
       日本聾話学校長  大嶋  功君
    ―――――――――――――
  本日の会議に付した案件
○教育職員免許法等の一部を改正する法律案(内
 閣提出、衆議院送付)
    ―――――――――――――
#2
○委員長(永野鎮雄君) ただいまから文教委員会を開会いたします。
 まず、委員の異動について御報告いたします。
 昨七月九日、塩見俊二君が委員を辞任され、その補欠として鹿島俊雄君が選任されました。
    ―――――――――――――
#3
○委員長(永野鎮雄君) 教育職員免許法等の一部を改正する法律案を議題とし、前回に引き続いて質疑を行ないます。
 本日は、参考人として、日本聾話学校長、大嶋功君が出席されております。
 大島参考人におかれましては、御多忙中にもかかわらず本委員会に御出席くださいましてまことにありがとうございました。
 それでは、質疑のある方は御発言願います。
#4
○萩原幽香子君 質問に先立ち、参考人に一言お礼申し上げます。
 本日は、まことにお忙しいところお運びいただき、ほんとうにありがとうございました。どうぞよろしく御指導のほどお願いいたします。
 きょうは、大臣をはじめ委員の皆様方にろう学校の幼稚部の生徒さんになっていただいて私は授業をさせていただくつもりでたくさんの資料を集めたわけでございますが、時間がございませんのでそれはまたの機会にいたします。けれども、せっかくベテランの参考人においでを願っておりますので、大臣にちょっと生徒になっていただいて、参考人、先生でちょっとひとつ授業をしていただきたいと存じます。
#5
○参考人(大嶋功君) たいへんな大役を仰せつけられまして、大臣に生徒になっていただくということでございますが、これは私どもが申します生徒と申しますのは耳の聞こえない子供でございますから、大臣に生徒になっていただくと申しましても、ただ年齢をお下げ願うというだけではできないわけでございます。それで、はなはだ恐縮でございますが、私の申しておりますことが耳からは完全におわかりにならないというようなことでお考えを願いたいと存ずるわけでございます。したがって、たいへんこれも恐縮なことでございますが、大臣は、生徒は教師のほうをいつも見ていることによって授業ができますものでございますから、恐縮でございますが、こちらのほうをごらん願いたいのでございます。それで、かりにこの生徒が初めてろう学校に入ってきたというような場合を想定いたしまして、そういう子供に、まあいろいろのことがございますけれども、ことばをどういうふうにして初めつかんでいくかというようなことをいたしてみたいと思うわけでございます。
 それで、先日私どものクラスは動物園へまいりました。そこでいろいろの動物を子供たちが見たわけでございます。その中でいろいろのことが話し合われているわけでございますが、いまここにいる生徒はキリンにたいへん興味を持った。それで教師であります私は、その子の興味を取り上げて、そしてこの子供にことばの初歩の観念を持っていくようにと思いまして、こんなものを用意をいたしたわけでございます。(図示)初め子供はキリンなんていうことばを知りません。サルも見たでございましょうし、クマも見たでございましょう。ところがそのキリンの首の長いところに非常に興味が引かれたと見えまして、これのしぐさをしたりなんかして私に申します。そこで私はこれを取り上げまして、「そう、キリンがいたね」というふうなことから始めます。そしてそういう場合に、これはキリンというのだというような名前を教えましても、子供はなかなかそういうことでもって名前を覚えるなんていう興味は持っておりません。ただ、ここのところがこんなに長いということ、――これはミニチュアでございますけれども――ですから私の背ぐらいでございますけれども、実際は非常に大きい、高いところにあるということが前提になるので、子供が、非常に高いということで手まねをしたりなんかをして表現すると思うのでございます。で、私は、「そうだね、ずいぶんこれは高いね。のっぽだね。」というふうなことを申します。そうすると、「のっぽ」ということばがかりに子供に最初にとらえられていたといたしますと、子供は自分があらわしたいということばと対応して、その「のっぽ」というふうなものの口の形というふうなもの、あるいは補聴器を通しての耳から入る音の断片というふうなもので、ああこういうのは何かそういうことを言うのだなというふうに感じてまいります。そこで、いろいろなことをやってまいりますと、その子が「のっぽ」みたいなことを申します。まあかりに「のっぱ」というふうに言ったといたします。そうすると、ここで「のっぱ」で通り過ぎてもよろしいのでございますけれども、これをもう少し「のっぽ」というものに近い音にさせたいと私が思ったといたしますと、それを子供に伝えるためにいろいろなしぐさ、事をするわけでございますが、まあ第一「のっぱ」というのをそうでない「のっぽ」というのだというのは口の形でもって見分けようとすればある程度見分けられるわけでございます。そういうふうなことをよく話しまして、そして、言ってごらんということでございます。大臣おそれ入りますが「のっぽ」とおっしゃらないで「のっぱ」みたいなことをちょっとおっしゃっていただけますか……。
 まあ、そういうふうなときに私は「のっぱ」とかりに言ったといたしますと、「のっぱ」というふうなのでここはあまり動きません。(教材を使う)ところが「のっぽ」というふうに申しますと、これがぼっというふうに動きますので、子供にそれをやらせる。そういうふうなことをいたしますと子供がどうやら「のっぽ」というふうな音はこういうふうなものだということを自分の筋肉の感覚なんかで理解をしてくる。そんなふうなことで、これが一つの手がかりになってまいります。そして自分がこれをあらわしたいときに「のっぽ、のっぽ」というふうなことでこれをあらわしていく。そんなふうなことから教師がいろいろのくふうをして子供にことばの初歩の観念を与えていくというようなことをするわけでございます。
 どうもありがとうございます。
#6
○萩原幽香子君 ありがとうございました。
 大臣、このろう学校の先生の御苦労がどんなものか、大体お察しがついたのではなかろうかと思います。
 そこで、お伺いをいたしますが、盲・ろう・養護学校における三歳児、四歳児、五歳児の就学者数及び就学率についてお尋ねをいたしたいと存じます。
#7
○政府委員(岩間英太郎君) 盲・ろう・養護学校の対象の数は、私のほうで一応推定はいたしておりますけれども、まだ確実はものではございませんが、一応一万七千六百人という数字を考えておるわけでございます。これは特に三歳児――五歳児の中で幼稚部に就学させることが適当であるということで、若干障害児の数よりはしぼられておるわけでございますけれども、一応の推定はただいま申し上げた数字でございます。
#8
○萩原幽香子君 それは大体就学率にいたしますとどれくらいでございますか。
#9
○政府委員(岩間英太郎君) ただいま幼稚部に就学いたしております子供の数は大体二千五百名程度でございまして、先ほどの一万七千名ばかりのうちでは一四%程度の数になります。
#10
○萩原幽香子君 たいへん就学率は悪いようでございますけれども、今後これに対してどのような計画をお持ちになっておりますか、承りたいと存じます。
#11
○政府委員(岩間英太郎君) ここに大嶋先生が参考人としてお出かけでございますけれども、特に、ろう教育につきまして幼児から訓練をするということが教育上適切であるというふうな判断に立ちまして、私どものほうは、ろう学校に幼稚部を設置するということにいままで力を注いでまいりました。しかし最近では、ほかの障害児に対しましても幼児から教育を行なうということが適切な場合があるというふうにも言われておりますし、こういう問題につきましては、ただいま特殊教育の総合研究所で検討をお願いしているわけでございますけれども、ろう学校につきましてはかなり幼稚部の設置の計画が進んでおりまして、現在九十八の学校におきまして二千人の子供たちが幼稚部の教育を受けているという現状でございます。
#12
○萩原幽香子君 中教審の答申によりまして、昭和四十七年度を初年度とする特殊教育拡充整備計画というものを策定しておりますね。それについて承りたいと存じます。
#13
○政府委員(岩間英太郎君) 私どもは、中教審の答申を受けまして、十年間で盲学校、ろう学校、養護学校につきましては、これは義務教育――義務制を完了したいというふうな計画を一応立てておったわけでございますが、私どものほうの河野政務次官あたりの強い御意見がございまして、これを七年間で完成をするようにしたらどうかというふうなお話がございました。大臣もたびたび本委員会におきましても御答弁申し上げておりますように、その計画に基づきまして五十四年度から養護学校につきましては義務制を施行したいというふうなことで、ただいま私ども大臣の御指示を受けましてその準備を進めている段階でございます。十年計画を七年計画に縮めたということでございますから、実質的にはあと五年で何とか義務教育までもっていかなければいかぬ、まあそういうような状態になっております。
#14
○萩原幽香子君 そうしますと、その七年済んだときに、大体該当幼児の何パーセントぐらいが収容可能になるのでございましょうか。
#15
○政府委員(岩間英太郎君) ちょっと先ほど質問を取り違えたかもしれませんが、私どもが申し上げておりますのは、小学部、中学部を中心にしました義務教育の問題でございまして、幼稚部につきましては、その義務教育にするということがどうしても先行するものでございますから、私ども、先ほども申し上げましたように、ろう学校につきましては確かにその必要が非常に強いということで、ろう学校につきましては何とか子供を全部収容できるようにしてまいりたいと考えておりますけれども、ほかの部門につきましては、やはり幼児段階で適当な教育を施すということが効果がありそうだというふうな段階でございまして、特殊教育の総合研究所でもその成果につきましてさらに検討を進めていただくということで、大体私どもは五〇%ぐらいまでを目標にして進めているような次第でございます。
#16
○萩原幽香子君 いま局長がおっしゃいました、どうも幼稚部でやることは効果がありそうだということでございましたね。ありそうだなんというお考えは、まことに私いただけないと思うのでございますよ。はっきりあるわけでございますね。それで、後期の計画が終了したときに五〇%と、十年かかってやっと半分ということなんでございますね。
 そこで、参考人にお尋ねをいたしますけれども、小学校、中学校と、いわゆるろう学校に入りました子供、幼稚部から終了してまいりましたのと、いきなり小学部に入りました子供とはどのように差がございますか、それをはっきり承りたいと存じます。
#17
○参考人(大嶋功君) 岩間局長も、ろう学校については十分にそれをお認めになっていらっしゃるということでございました。したがいまして、私はろう学校でございますので、あれかと思いますんですけれども、
 ここに一つ、こんな生徒が書いたものをちょっと持って参りました。これは小学部の一年生が書いたのを、壁に張ってあったのをひょっと持って参ったわけでございます。先ほど大臣に生徒になっていただきまして、ごく初歩のことを申しましたのですが、かりにいまの子供が六歳であったといたしますと、小学校一年の年齢でございます。この子はごく小さいときから教育を受けた子供でございます。この子が、これは、やはりどこかへ行ったときのことを絵にかき、またそれを文に書いたものでございます。この文をちょっと読ませていただきますと、「七月八かきょうはとしゆきくんとみんなでしたきりすずめのげきをみにいった。おもしろかった。おばあさんがすずめのところへいって大きなおみやげもらってあけてみるといろんなおばけがかくれていた。おじいさんははるなつあきふゆになるまでずーとチェン」――これはすずめの名前だと思いますが、「をさかしにいった。山火事ですりすのおやこがかけてきました「たいへんだ、たいへんだ」火事とみえたのは山の木のはのまっかなもみじだったのです。えびづかかずひろ」と、まあそういったようなものを、六歳の子供が自分で絵をかいたり何かすることができる。これが教育を受けずにはじめて六歳になりますと、大体こういうことはできないというようなことがよくおわかりかと思うのでございます。で、教育を受けなかった子供がどういうふうであるかということにつきましては、ちょうど私どものほうの学校ではそういうふうな子供がおりませんものですから、ここに適当なものを持ってくることができませんでしたので、先ほどのようなことから御想像を願いまして、そういう同じ年齢になるのに教育を受けると受けないとで非常な違いであるということ、したがって、その後の成果が非常に変わってまいります。こういう子供が小学部を終わりますと、あるいは小学部のうちに普通の小学校に移ることが適当である子供もたくさん出てまいりますし、また中学へまいるときに普通の中学へ移るとか、あるいは中学を卒業するときには大体の子供が普通高校へ入ってまいるというようなことができてまいるわけでございますが、六歳で初めて入るとか、あるいは四、五歳にいたしましてもおくれて入ってまいりますと、なかなかそういうふうなことにまいりません。したがって、子供の持った力を十分に伸ばすということのためには、ぜひとも早くから教育をするということが少なくともろう学校では大切でございます。おそらく他の障害児においてもそういうことがいろいろな形で言えることであろうかと思うのでございます。
#18
○萩原幽香子君 知的にも興味を持ち始め、伸びる時期に、耳に障害があるために、親もどうしてよいかわからない、子供同士の遊び仲間にも入れない、こういうふうな形で疎外されていく幼児たち、また、そんな子供を持つ親たちのことを考えますと、十年という長い計画の上に対象児の半数しか収容できないというのは、どうしても手直しをしていただく必要があるのではないだろうか、そういうふうに考えるわけでございますが、これはいかがでございましょう。
#19
○政府委員(岩間英太郎君) 先ほども申し上げておりますように、ろう学校の幼稚部というのは現在九十八で、二千人が対象になっておりまして、大体ほかのものに比べますともう非常に高い就学率でございます。私どものほうは、これは予算措置等によりまして一日も早くろう学校の場合には幼稚部というものを普及していきたいということでやっておりますから、一応十年計画とは別に、一日も早くということでやってまいりたいというふうに考えております。
#20
○萩原幽香子君 普通児の幼児教育計画を考えてみますと、昭和五十六年度末までに入園を希望します四、五歳児のすべてが就園できる計画でございますね。それに対して特殊教育では五〇%しか就園できないというのは、教育の機会均等ということからいってどうもおかしいような感じがするのでございますが、大臣、その点はいかがでございますか。
#21
○国務大臣(奥野誠亮君) 幼稚部のほうは義務教育ではございませんし、義務教育の部分とそうでない部分と分けて考えなければいけないだろう思うのでございますけれども、いずれにしましても、希望者の全員を収容できるように施設を整備していくこと、これはもう当然大切なことだと思いますし、そういう方向で努力すべきものだと考えております。
#22
○萩原幽香子君 いや、普通児の場合でございますね、私がいまさっき申しましたのは、普通児の場合には五十六年に四、五歳児が希望します者は全員入れるようになっていると。にもかかわらず、特殊教育いわゆる障害児の場合は五〇%というのは教育の機会均等の面からおかしいのではございませんかと、こういうお尋ねをしたわけなんでございますね。それで、もう一回、大臣いかがでございますか。
#23
○国務大臣(奥野誠亮君) いろいろな事情で幼稚部に通えないという人は別にいたしまして、通う希望がある、しかし施設が不十分だという意味で入れないということはたいへん不都合なことだと思いますので、私としてはぜひ計画をよく調べましてぜひ希望者の全員が収容できるように持っていくべきだ、こう思っております。
#24
○萩原幽香子君 それじゃ普通児と同じ取り扱いをということでございますね。
 で、ろうの場合におきましては、難聴であることがわかるのは専門医なら生後十日、学校の先生でも、満一歳になればわかるということでございましたが、それはいかがでございましょう。また、その時期を逸しますと、あとになったらなるほど幾ら集中的にやってもその効果は薄いということなんでございますが、その点はいかがでございますか。
#25
○政府委員(岩間英太郎君) ろうの子供たちにつきましては、ただいま御指摘のとおりだと思います。私どもも、かねてから耳の不自由な方々は早期に教育をしなければ舌が固まってしまって完全な発音もできないというふうなことを聞かされております。そこで、いま御説明申し上げましたように、これは一般の幼稚園に通われる子供さん以上にそういう方々については私どもとしても手を差し伸べる必要があると。したがいまして、ただいま大臣が申されましたように、そういう方々が漏れなく早期の教育を受けられますようにできるだけの努力をしたいということで進んでいるわけでございます。
#26
○萩原幽香子君 参考人の御意見をちょうだいしたいと思うのでございますが、早期発見の方法あるいは効果、あるいは処理、そうしたものもあわせてお伺いをいたしたいと存じますが、外国などで適切な例がございましたらお聞かせをいただきたいと存じます。
#27
○参考人(大嶋功君) 外国の適切な例ということがつけ加えられておりますが、むしろ外国で行なわておりますけれども、日本ではまだ行なわれていないということが多いわけでございますので、外国の例をお話を申し上げることがいいかと思います。実は私、今日そのことの非常によくあらわれております十分くらいの一六ミリのカラー・フィルムを持って伺いたいと思ったわけでございますが、暗幕その他のことからここではそういうものが使えないというようなお話でございまして、たいへん残念でございます。で、それの内容をかいつまんで申し上げたいのでございます。
 そのフィルムはアメリカのデンバーのコロラド大学の医学部の病院でとりましたものでございますが、アメリカの大学の産院で子供を産みました母親が三日ほどその病院にいるんだそうでございます。その三日の間に、そこで取り扱った子供の耳が悪くないかどうかということを検出するやり方でございます。これはきわめて簡単なやり方で、ある適当な音を出す小さな器械がございまして、生まれたばかりの赤ちゃんが寝台の上に寝ておりますところでその音を聞かせます。そうすると、その音が聞こえる場合には、それに対する反応をいたします。ある子供はこう身を縮めるか、あるいは目を開くとか、あるいは頭を動かすとか、声を出すとか泣くとか、あるいは泣いているものが泣きやむとか、そういうそれぞれの反応を示すわけでございます。その反応を示す者は耳が聞こえていると考えてよろしいので問題から除きます。その反応を示さない者がありますと、これは怪しいということになりまして、それをさらに精密に検査をするのでございます。その検査には約一カ月、二ヵ月、三ヵ月くらいを要する場合が多いようでございますが、いろいろの角度からその子供についての検査をいたします。そしていよいよこの子供の聴覚に障害があるということになってまいりますと、それはさっそくに教育をする必要があるということで、その方面のクリニシャンの手に渡ります。そこでクリニシャンがその子供並びに親たちに対する教育を施しまして、それによって子供が成長いたしましたときにどんなふうな状態になるかというようなことがフィルムにもあらわれているのでございます。で、その場合に子供の聴力そのものの損失状況が問題でございますが、そのフィルムに出ておりますところなどは、非常に悪い聴力の子供でもかなり、ほとんど普通と同じようにしゃべるような程度、なっている状況がございます。まあそういうようなことでございまして、これはデンバーの大学ばかりでございません。ロスアンゼルスにおいても行なわれておりますし、イギリスにおいてもすでに行なわれております。フランスにおいても行なわれているわけでございます。
 このやり方は、もちろん一つの方法でございますけれども、きわめて簡単にできる方法でございまして、何とか日本でもこのことが行なわれるようにということを願っているわけでございます。で、そういうことができるとできないとで子供の運命がきまるわけでございますので、私どもはぜひともこの方法が日本で何らかの形で取り入れられ、広められてまいりますことを願ってやまないものでございます。けれども、これには現実にいろいろな隘路があるようでございます。
 そこでさらに私どもが願いますことは、保健所で保健婦が新生児の訪問をいたしまするときに、その子供の耳はどうかということを親に気づかせるということをしてもらいたいわけでございます。で、先ほどの御質問にもございましたように、十日もすればわかるということでございますが、これはほんとうにわかろうと思ってかかりますならばわかることでございます。けれども、どの親も子供が生まれたときにもしやこの子の耳が悪いであろうかというようなことを考えることはございません。私どものようにこういうことに携わっております者は、もうまっ先にそのことが心配になるのでございますけれども、一般にはそういうことが考えられませんために見過ごされてしまいます。もし各家庭が生まれた子供について聴力はどうかということを考えさえするならば、そのことは発見し得ることでございますので、これなどはさらに簡便な方法であろうかと思うのでございます。そういう方法をぜひとも日本で取り入れていきたいということと、それから先ほど申しましたこのフィルムを何らかの機会に大臣はじめ御列席の皆様方に見ていただきたいと衷心から願う次第でございます。
#28
○萩原幽香子君 大臣、いかがでございますか。そういうフィルムを一ぺん見せていただくこともよろしいのではなかろうかと思います。ぜひまた何かの機会にお願いをいたしたいと思います。
 そこで、先ほど子供を生んだおかあさんが自分の子供が耳が悪いかどうかという疑いをまず持たないということでございましたね。で、まず早く発見するためには、この子供はどこかに障害があるんではないかという疑いを持つと、そういうことが私はたいへん大切なことだと思うわけでございますけれども、そういうことをおかあさんたちに教育をする。いまから子供を産むおかあさんたちにそういうことの教育をするということについて、どういうやり方をすれば、どういう場で、どういう方法でやればよろしいとお考えでございましょうか、大臣、いかがでございましょう。
#29
○国務大臣(奥野誠亮君) 身障者の問題につきましては、厚生省関係におきまして相談事業などもやっておるわけでございますし、また、文部省関係におきましては学校もあることでございますので、その学校においてどういうような、相談相手になるとかあるいはどういう教育をやっていくとか、十分な研究を続けていかなければならないと思います。同時に、また文部省内にも新たにそういう研究、調査をするシステムを発足させるということでいま準備にかかっているところでございます。
#30
○萩原幽香子君 これは大臣、私思うんですけれども、社会教育の分野でも、こういうおかあさんたちの教育ということでは、考えさせる場というものがつくれるんじゃないかと思うんでございますが、妊婦のおかあさんたちのいわゆる赤ちゃんを育てる、生むということについての教育、そういうような分野があってもよろしいのではございませんか。若妻グループとか、そういう中でこういったような子供を生むということについての教育、そういうものを考えていただいてもよろしいんじゃないでしょうか。これは厚生省が一番の関係になるかもしれませんが、教育の場でもこういうことはやれる問題ではないだろうかというふうに思うわけでございますが、その点はいかがでございましょう。
#31
○国務大臣(奥野誠亮君) お話の問題は社会教育の問題としては、妊産婦の方とかあるいは子供さんを生まれた方々に、はがきでいろいろな照復をしたりしていることは御承知いただいていると思いますけれども、そういう照復の中に、いまおっしゃいましたような事項もひとつ取り上げるというのは考えてみるべき課題ではないだろうかというふうに思いますので、よく検討さしていただきたいと思います。
#32
○萩原幽香子君 先ほど参考人のお話もございましたように、障害児は三歳から始めてももうすでにおそいという感じがするわけでございます。そこで私が訪問いたしました高等ろう学校では、幼稚部就学前の一歳から三歳までの子供の教育相談をやっておられるわけでございます。障害児の家庭においての扱いと、おかあさんたちに具体的な指導をされているということでございます。私はそれを承りまして非常な御努力だとも思い、その善意に敬意を表したわけでございますけれども、ところがその先生方に対しては、別に何の手当もないということでございまして、まことに一部の先生の善意に甘えるというかっこうになっておりますようでございます。こういう点について文部省はどのようにお考えでございましょうか。
#33
○政府委員(岩間英太郎君) 確かに先生が御指摘のような就学前の子供に対しまして、いろいろ学校が地域住民に対するサービスというふうな形でやっておられると思います。私どもは、やはり学校がそういうふうに地域の方々に対しまして、いろいろお世話をするということは、これはけっこうなことだというふうに考えておるわけでございます。そういうふうな需要がありました場合には、できるだけそういうふうなことを広げてまいりたいというふうに考えるわけでございます。これは手当とか、そういう待遇の形でやれるかどうか、実態等もまだはっきりいたしておりませんので、今後検討してみたいと思いますけれども、そういうふうな地域社会の中心的な機能を果たすということは、これまたこういうふうな種類の学校につきましては当然のことというふうに考えまして、皆さんがそういう仕事に携わっていただくという意味で、特殊教育に御関係のある先生の待遇というものを、全般的に引き上げていくという方向でいま私どもいろいろ努力をしているというような段階でございます。特別に分けて処遇をしなければならないかどうか、これはまた今後の課題として研究さしていただきたいと思います。
#34
○萩原幽香子君 今後の課題として研究していただいてけっこうでございますけれども、そういうのは善意だけでは解決できないのじゃないかという感じが私は強くしたわけでございます。そこでそういう点ひとつお願いをしたいと思います。
 それから、これは私のところに届けられました横須賀市のろう学校の女の先生からでございます。この先生のお話、はがきによりますと、「非常に最近の障害児教育の複雑性の中で、現場の教師は、一そう骨身にこたえるような勤務をしているわけでございます。教育予算は乏しく、教具教材は児童生徒の頭打ちですから、何もかも不足の中で毎日の実践を迫られ、一方、普通市販の教具教材では、その能力に合わないものが多く、毎日毎日おそくまで、果ては家庭まで持ち帰って自費で製作を余儀なくされております。子らを前にして私たちは紙と鉛筆、黒板だけでは何もできない授業をしている私たちに対して、文部省はどういうふうにお考えになっていらっしゃるのだろうか、」こういうことが私たちの手元に届いております。ですからここへたくさんお借りしてまいりましたのも、これはみんな先生方の手づくりの教材、教具ということになるわけでございますね。しかも、そういうものがやはり先生たちの自費でまかなわれているということについては、よほどお考えをいただかないといけないのではないだろうか、そういう感じがします。
 そこで、文部省にお尋ねをするわけですけれども、そういう自費で教具をつくっている、そういうものについて何とかの手当といいますか、そういう教材費というような形ででも支給されるということはできないものなんだろうかということをお尋ねをしたいわけでございますね、この点はいかがでございますか。
#35
○政府委員(岩間英太郎君) ただいま私どもが考えております教材費はかなり弾力的な運用ができるようになっております。ここでもお話に出ておりますように、大学の場合にもいろいろ経費がございますので、校費というふうな非常に弾力的な運用ができるような仕組みになっておりますけれども、また実際の運営費につきましては、これは各都道府県の教育委員会でごめんどうを見ていただかなければならない問題がございます。いずれにいたしましても、ただいま御指摘になりましたように、私どもも努力はしているつもりでございますけれども、まだ学校の先生方にかなりの負担をかけておるという点は私どもも考えまして、今後特殊教育につきましてのいろんな施設、設備の関係の充実につきましては、さらに力を入れて努力をしてまいりたいと思います。
#36
○萩原幽香子君 しかも、そういう子供さんというのは、私もこの間見せていただいてしみじみ思ったんですけれども、一斉授業というものが非常にむずかしいわけでございますね。だから一人一人の子供に合うような教材ということになりますと、それをつくろうと思ったら先生たちの持ち時間というものも、非常に私はたくさんいるということになるんじゃないか。ですからそういうことを考えると、定数の引き上げということも、一つは考えていただかないといけないのではないか、そういう感じがするわけでございますね。その点で特殊学校につとめていらっしゃる先生方、そういう問題とからめて、定数の問題もいかがでございましょうか。
#37
○政府委員(岩間英太郎君) 定数の問題につきましても、主としてこれは学級編制の改善といったふうなやり方で定数の拡充をしているわけでございます。現在、現実には大体先生一人につきまして、まあ児童生徒の数が平均いたしますと三・三人から三・四人くらいの割合になっておりますが、まあこれをさらにどういうふうに改善していくかということにつきましては、いま検討して新しい来年度からの実施というものを考えているわけでございます。御趣旨に沿いましてさらに検討を進めていきたいというふうに考えます。
#38
○萩原幽香子君 私が見せていただいたのは、大体八人から十人ぐらいおられるようでございますね。ですから、これはたいへんな御努力だと考えたわけなんです。私たちのような一斉授業しか、普通の耳も聞こえ、目も見えてといったような子供を相手にして教育してまいりました者から見ました場合に、これはたいへんなことだという感じをしみじみ持って帰ったわけでございます。ですから、いま三・三人とか三・四人とかいうことでございますけれども、実際的にはそんなにはなっていないんじゃないかということも考えられますので、どうぞひとつ今後その先生方が、十分そういう子供たちに満足した教育ができますようにお計らいをいただきたいと思います。
 憲法二十六条、また教育基本法三条におきましては、国民は能力に応じた教育を受ける権利が保障されているわけでございます。しかし、往々にして能力の劣る者には、教育を受ける権利が奪われているような感じがするわけでございます。先ほどの例から申しましても、普通の幼稚園幼児の場合は、五十六年になったら四歳、五歳はみんな入れるようになっている、希望者は。にもかかわらず、特殊教育の場合には五〇%、いま大臣はできるだけそういう差別をしないようにという御答弁で、私もありがたいと思いましたけれども、現実はそういうことになっている。こういうことはやはり教育を受ける権利が、能力の劣る者ほど奪われているような感じ、こういうことが言えるわけでございます。
 そこで、障害児が普通児以上に早期教育が必要であるというのなら、普通児以上に手厚い早期教育の保障こそ、教育基本法や憲法に沿った施策だと考えるわけでございます。文部大臣、その点はいかがでございましょうか。
#39
○国務大臣(奥野誠亮君) 先ほど来繰り返し申し上げておりますように、希望をされている方々につきましては、全部収容できるように施設の整備を急いでいかなきゃならない大切な問題だと、文化国家にふさわしい施設の整備に努力をしたいと、こう存じております。
#40
○萩原幽香子君 なお、さきに述べました幼稚部就学前の障害児指導というものについて、どういうように制度化をされるおつもりか承りたいと存じます。
#41
○国務大臣(奥野誠亮君) 施設の充実をはかるということではないかと、こう考えるわけでございますけれども、施設をふやす、学級をふやす、それに応じて先生を整備していくということになろうかと、こう存じております。
#42
○萩原幽香子君 それじゃ参考人に、この点についてお考えがございましたら承りたいと存じます。
#43
○参考人(大嶋功君) 施設の充実をしていただきますこと、ぜひとも必要でございますが、先ほど御質問の中にございましたような、三歳にならない子供たちの教育相談というふうなものが行なわれておりますのは、さなきだに手一ぱいで、幼稚部の教育をしております先生たちが、あるいは土曜日の午後であるとか、あるいは水曜日の午後であるとかというときに、それより小さい年歳の子供を連れて来る親たちの指導をしているわけでございます。これはやはりそういうふうなことが当然なさるべきものという前提に立って教員の配置というふうなものが行なわれていないからであると私は考えるのでございまして、先ほども申しましたように、特に耳の不自由な子供につきましては、三歳ではすでにおそいということがはっきりといたしておりますので、これはぜひとも国の施策としてお取り上げを願って、私にはよくわかりませんけれども、たとえば学校教育法の条文の改正、あるいはつけ加えをいたしまして、幼稚園の生徒は三歳から小学校に入るまでということになっておりますが、心身に障害を持った子供の場合には、必要に応じては三歳以前から教育を、幼稚園に入ることができるというようなことをつけ加えていただくというようなことによりまして、これがやはり正当な教育の機関として考えられるようになり、したがって、それに教員が十分に配当されていくということ、それに専任することのできる教員が配当されていくというような整備をぜひお願いをいたしたいと私どもは考える次第でございます。
#44
○萩原幽香子君 いまの参考人の御意見に対しまして文部省はどのようにお考えでございましょうか。三歳からというのを、その状況に応じては零歳からでもといったように変えていく、そしてだれもがそういうような形で教育が早く受けられる、そういうようなことに対してどのようにお考えになるか、それが第一点でございますし、先ほど教育相談をやられていることは、当然それはどの学校でも行なわれているということを前提にして、いわゆる教員の配置というものを考えてほしい、こういう御意見でございますが、その二点についてどのようにお考えか承りたいと存じます。
#45
○政府委員(岩間英太郎君) 御案内のとおり、私どもがお預かりしております子供さんは三歳から十八歳まででございます。特殊教育の場合に、全般的に申しまして、十八歳まででこれでおしまいだということで、そういう方々を社会に出してしまうことにつきまして、私どもも非常に限界を感じているような点がございます。特にそういう障害を持っておられる方につきましては、これは生涯全般を通じて適切な施策を行なうということが必要なわけでございますけれども、私どもの守備範囲というのは三歳から十八歳までということでございまして、この問題をどうするかという点につきましては、これは厚生省等とも密接な関係があるわけでございますから、そういうところととも御相談を進めていくという点でございます。しかし、現実問題としまして、ゼロ歳から三歳未満の方々を私どものほうでお引き受けするのが適当であるのかどうか、その点についてはさらにまた検討をしていかなければいけないんじゃないかと思います。これは一つは制度上の問題でございます。
 もう一つは、医療と教育との関係、その限界、そういうような点があると思います。両方でそれぞれ適切な役割りを果たしまして、障害を持たれる方々の一生をどういうふうにごめんどうを見ていくのか、そういうものを総合的に考えるというのがやはり国全体としては必要なんじゃないかというふうな気がいたしております。
#46
○萩原幽香子君 いま、参考人のおっしゃいましたのは、第一点は、学校教育法の中でいま局長さんがおっしゃったようにうたわれている、それをもう少し幅を広げていただけないかということをおっしゃったわけでございますね。それから第二点は、そういうことは当然ろう学校ではやらなきゃならないということを前提にして定員の問題をお考えいただきたいと、こういう二点でございますね。局長さんの御答弁、ちょっと私お尋ねと違うような感じがするんでございますけれどもね、いかがでございますか。
#47
○政府委員(岩間英太郎君) 先ほど申し上げましたように、学校が地域の中心的な施設といたしまして、そういうサービスをプラスアルファとしてやる、現在やっておるという点は、これは現実問題としてあるわけでございますし、また、そういうふうなことは社会的に意味のあることだというふうに考えておるわけでございます。しかし、これは制度上そういう仕事を学校がやるんだ、それに対する人員の配置も国のほうではっきりやるんだということになりますと、これは厚生省との関係がどうしても現実問題としまして出てまいります。そういう子供さんたちは、厚生省のほうで、そういう段階は自分たちのほうで預かろうということになりました場合には、これは厚生省でやるということになるわけでございまして、そういうふうな接触点と申しますか、境界点の問題が、まだ厚生省との間で、保育所と幼稚園の関係でございますとか、いろいろ課題として残っているわけでございます。特殊教育もその一つでございまして、これは大臣から御指示がございまして、私ども課長段階で厚生省と話しを進めている問題が特殊教育につきましてもあるわけでございます。その一環としまして、少し時間をいただいて検討してみたいという二とを申し上げたわけでございます。
#48
○萩原幽香子君 どうもいまの御答弁、私、冷たいように思うんですよ。プラスアルファとしてやっている、プラスアルファとして考えるとおっしゃるんですけれども、実際その子供が、その人が一生、早くそういう障害を克服して、ほんとうに社会人として働けるということ、そういうことを考えたときに、これは厚生省のかまえ、これは文部省のかまえといったようなものでなくて、教育を早期にやるということから考えれば、当然文部省が主体になって、プラスアルファではない、当然やるべきことをやっているのにかかわらず、それに対する定員がないんだということを考えていただかなきゃならない、こういうことをいま参考人はおっしゃっているわけです。私も、全くそのとおりだと思うんですね。それに対して、いまそういうことをやっているのは、プラスアルファとして認めているんだ、そういうことは評価するんだ、こういう言い方は、局長さん、少々私は障害者の方たちに対して冷たい言い方ではないかというふうに思うのでございますよ。いかがでございますか。そして、もしそれが厚生省との話し合いとおっしゃるなら、こういうものはもう第一に厚生省とのしっかりした話し合いを煮詰めていただいて、どこでどうやるのかということをきめていただかないと、これは厚生省の側から言ったら教育だから文部省だ、そして文部省の側は、これはどうもその範囲を越すから厚生省だといったような、押しくらまんじゅうをやっていただいたんでは、この人たちの解決は一体だれがしてくださることになるんですか。これをもう一回はっきり、大臣から承りたいと存じます。
#49
○国務大臣(奥野誠亮君) 身障者全体の福祉のこと、これはやはり厚生省の所管だと思います。しかし教育のことを預かっているところで、当然そこへもいろいろ相談にいらっしゃること、これはもうたくさん例はあろうと思いますので、十分そういうことにも対応できるように私たちのほうでも親切な扱いをしていく。したがってまた、定員を考える場合にも、当然そういう問題が起こるということを頭に置きながら定員の充実をはかっていくという配慮は必要だろう、こう存じます。
#50
○萩原幽香子君 あまりいまの御答弁は私納得もできませんし、うれしい答弁でもございませんけれども、とにもかくにも、こういう障害者の方たちがほんとうに生涯ここでこういう教育を受けたためにああよかったというように喜んで社会復帰をしながら、一般の人と同じように暮らしていけるように考えるということは、これは私は教育の本筋ではないかしらという感じがいたします。どうも厚生省と文部省の関係、厚生省と労働省の関係、いろいろなところで谷間に泣く人ができ過ぎているという感じがするわけでございますが、この点どうぞ私がいま申し上げましたこと、大嶋参考人からおっしゃったこと、十分大臣も初等中等局長さんも銘記をして今後の問題をお考えいただきたいと存じます。
 次いで、教員の問題についてお伺いをいたします。
 障害児の学校の教師は免許法三条三項によりますと、基礎免と称する普通の免許状と盲・ろう・養護学校の免許状が必要になっております。ところが現在ではその基礎免だけでやっていらっしゃる方も多いようでございますから、基礎免だけの人、両方所有している人、それぞれの数と割合について、お示しをいただきたいと存じます。
#51
○政府委員(木田宏君) 現在、盲・ろう・養護学校で勤務をしております本務教員の数は一万二千三百人でございまして、そのうち、基礎免のほかに特殊教育の諸学校の教員免許状を持っておりますのは六千三百八十名でございます。比率で申しますと大体五二%に当たることになろうかと思います。
#52
○萩原幽香子君 それはいつの統計でございますか。それはまた盲学校、ろう学校、養護学校に分けていただきますと、どういうことになりますか。
#53
○政府委員(木田宏君) これは四十五年の五月一日現在で調べたものでございまして、盲学校、ろう学校、養護学校に区分をいたしますと、盲学校につきましては本務教員が二千六百八十名、基礎免のほかに特殊教育の免許状を持っております者が千五百二十九名、五七%でございます。ろう学校につきましては、本務教員数が四千三百三十七名でございまして、特殊教育の免許状を持っております者が二千六百名、六〇%でございます。養護学校につきましては本務教員五千三百名のうち、免許状を持っております者が二千二百四十名でございまして、四二%という比率になっております。
#54
○萩原幽香子君 それでは、四十七年度新規採用になった教員についてその数と割合をお伺いいたします。
#55
○政府委員(木田宏君) 四十七年度特殊教育の諸学校に就任いたしました者は全体合わせまして約六百名でございまして、教員養成大学の学部卒業者三百、一般大学、短期大学等が他の残り三百でございます。このうち特殊教育の免許状を持っております者がどのくらいかというのは、県によりましてかなり採用の方針が違っておりますので、概数から申しますと、先ほど申し上げましたような、大体特殊教育の免許状を持っておる者が約半数ではなかろうかというふうに考える次第でございます。県によりまして特殊教育の盲、ろう、養護学校に採用いたしますにつきまして、全部特殊教育の免許状を所有しておる者でなければならぬという人事方針をとっておりますところが一、二あるわけでございますが、大部分の県によりましては必ずしもそれを要請しておりませんために、採用者の中で免許状を持っておる者がかなり少ない県もございまして、総数の中の比率はやはり同じ程度に、半分ぐらいというふうに推定をいたしております。
#56
○萩原幽香子君 そうしたら、四十七年度の新規採用については、先ほどの盲学校、ろう学校、養護学校のように、基礎免と特殊教育の免許というものについての割りふりはわからない、こういうことでございますか。
#57
○政府委員(木田宏君) さようでございます。新規採用と申しますけれども、盲、ろう、養護学校に就職をいたします教員は、小学校教員等から転任する者もかなりございまして、そういう関係で、その盲、ろう、養護学校の立場から見れば、新規採用ではございましても、教員としては他の学校の勤務経験を持っておる者が間々あるという場合もかなりあるわけでございます。したがいまして、それらの教員につきましてこの免許状の種別を単年度ごとに調べておるわけにまいりませんので、採用者六百名という数に対しましての内訳の比率は、全体の本務教員の中の比率と大体類似しておるものと、こういうふうに御説明を申し上げておる次第でございます。
#58
○萩原幽香子君 そういう受けとめ方でございますから、どれだけ特殊教育関係の教員が、どこの場で不足しているのかということがおわかりいただけないのではございませんか。それでは私もちょっと納得いたしかねると思うのです。四十五年にはろう学校では何%、それから盲学校では何%、そして養護学校では何%というふうにちゃんと出ているわけでございますね。ですから、出そうと思えば出せるわけでございましょう。そういうことが抜けているというところに、私は特殊教育に対する配慮の薄さというものを感ずるわけでございますね。
 先ほどの御答弁のように、養護教育なんかでは、四十五年でございますね、四二%しか養護学校の免許を持っていない。ろう学校でも六〇%、盲学校でも五七%と、こういうわけでございましょう。そういうふうに基礎免のみで教えていられる方が非常に多いわけでございますけれども、現在、特殊教育関係の教員の養成というものはどのようになっておりますのか、承わりたいと存じます。
#59
○政府委員(木田宏君) 現在、特殊教育の教員養成につきましては、養護学校の教員養成課程は、四十七都道府県にあります各国立の教員養成大学にはすべて設けられておりまして、入学定員は合わせまして九百六十名ということになっております。言語障害児教育につきましては四課程八十名、肢体不自由児教育につきましては三課程六十名、それから、病弱、虚弱児童につきましては一課程二十名で、養護学校の関係が以上合わせまして五十六課程千百二十名でございます。
 なお、このほか、盲学校の教員養成課程は、二大学に入学定員で三十名、ろう学校の教員養成課程は、六大学に合わせまして九十人の養成定員をかかえておるわけでございます。これが正規の教員養成の課程でございまして、大体全部合わせまして千二百四十名ほどの入学定員がございます。
 このほか、特殊教育の特別専攻科というのを四十八年度から創設をいたしております。三大学に就業年限一年で九十人ほど養成するということにいたしております。
 なお、現在各府県の人事管理上、小中学校の教員との交流その他のこともございますものでございますから、そうした職員が特殊教育の資格を持ち得るように資格付与の講習その他の措置は別途講じているところでございます。
#60
○萩原幽香子君 大学では、小、中、高用の普通免許状所有者が特殊教育科目を何単位取ればどういうふうになる、それから基礎免で採用された人についてはどういうふうなことになる、あるいはそのほかに、臨時養成課程というようなものがあって、そこではどうなるとか、そういうことをはっきり私はお聞きをしているわけでございますね。教育関係、いわゆる特殊教育関係の教員の養成ということでございますから、そういうふうにはっきりとお答えをいただきたいと、こう思います。
#61
○政府委員(木田宏君) 先ほど申し上げましたように、大学におきましては正規の養成課程を、養護学校につきまして五十六課程、盲学校について二課程、ろう学校について六課程設置いたしまして、合わせまして千二百五十名近い養成をいたしておるわけでございます。この養成につきましては、基礎免に対しまして特殊教育の十単位プラスいたしましたものが二級普通免許状を取り得るわけでございます。なお、このほかいまお話がございましたように、小、中学校等の基礎免許状を持っておりまして、現職教育で三年間に六単位修得いたしますならば、特殊教育の六単位を修得することによりまして二級免許状が取れるわけでございまして、現在この資格付与講習で資格を取っております者が毎年大体千四百人ほどにのぼっておる次第でございます。
#62
○萩原幽香子君 臨時養成課程といったようなものがあるんじゃございませんか。
#63
○政府委員(木田宏君) いまお尋ねがございましたように、国立大学に臨時の資格付与事業として設けられております半年または一年の課程がございます。養護学校につきましては――主としてこれは養護学校の関係でございますけれども、言語障害児の教育のために四大学、肢体不自由児のために三大学、病弱、虚弱の教育につきまして一大学、情緒障害児のために一大学、養護教育一般のために三大学という大学で、人数は合計いたしまして二百四十名ほどになりますが、臨時の授業もこのほかに行なっております。
#64
○萩原幽香子君 参考人にお伺いいたしますけれども、特殊教育教員養成について何か御意見がございましたら承りたいと存じます。
#65
○参考人(大嶋功君) いまも御説明がございましたような各大学で教員養成が行なわれておりますことでございますが、私は、私の範囲の聴覚障害の教員のことについて日ごろ感じておりますことを申し上げます。
 教員養成大学で行なわれておりまする周到な教育にもかかわらず、その課程を経た者でろう学校に就職する者がきわめて少ない状況でございまして、ろう学校では正規の養成を経た教員を得ることが非常に困難な状況でございます。それと同時に、またいま行なわれております教員養成には、これは一般の教員免許法の問題でございましょうけれども、この特殊教育の教育をいたします教師にとって実習が非常に少ないのでございます。で、諸外国で行なわれております有効な教員養成の方法には非常に多くの実習が行なわれております。で、実習を十分にいたしまして初めてその他の教育が身になるものでございまして、そういうことが現在の教員養成の組織においてはきわめて不十分にしか行なわれておりませんことが、この教育養成の最も根本的な欠陥であると思うのでございます。したがって、その養成機関を経た者が教壇に立ちましたときに、そこで自分は何をするのであるかということが十分に、ほんとうに身についておりません。したがって、この教育をいたしますにあたって十分な確信を持ってすることが困難でございます。先ほどのお話の中に、基礎免のみで教育をしている者が多いということもございまして、このことも非常に大きな問題でございますが、たとえ基礎免以上のものを持っております教員におきましても、実習が不足でありますことによって非常に教師としての力を持つことができないという状況、これをぜひ改めていただきたいと思うわけでございます。したがって、外国で行なわれておりますように、正規の普通の教員免許状を持った者が一年ないし二年、大学院の程度の養成機関で十分な実習を伴って養成されるというような制度をぜひともおつくりを願いたいと思うわけでございます。
#66
○萩原幽香子君 いま、お聞き及びいただいて大体おわかり願ったと思いますけれども、そこで実習不足ということでございましたが、この特定免許の中に実習というのはどういうように取り入れられているわけでございますか。
#67
○政府委員(木田宏君) 基礎免にプラスいたしまして十単位の特殊教育の単位数を修得するということを現在課しているわけでございますが、その中で二単位分が教育実習に充てられておる次第でございます。
#68
○萩原幽香子君 参考人にお尋ねしますが、その二単位というのでは少ないというふうにお考えなんでございましょうか。
#69
○参考人(大嶋功君) 非常に少ないと思うのでございます。有効な教員養成と私どもが考えます場合には、単位の数にして私どのくらいということを申すことが困難でございますけれども、一年間の養成のうちでその半分の期間は実習に費やすというのが諸外国で行なわれております優秀な教員養成の方法でございます。たとえば、もちろんろう教育のことでございますけれども、アメリカのクラークろう学校というところは非常に優秀な教員養成機関を持っているところでございますが、これは寄宿学校でございまして、この教員養成を受ける学生も寄宿に住まっております。この利点を利用いたしまして、講義を普通の学校が、ろう学校が始まる前のときに行ない、また学校が終わってから行なう。そして学校の授業が行なわれておりますときにはそれぞれの教室に配属して、ある時期は観察をし、ある時期は実習を行なうということで一年間をフルに実習に使っている状況でございます。またニューヨークにございますレキシントンろう学校――申し落としましたが、先ほどのクラークろう学校はスミス女子大学及びマサチューセッツ大学と連携をいたしまして教員免許の付与をいたしております。それからニューヨークのレキシントンろう学校は同じくコロンビア大学の教員養成科と提携をいたしまして同じような方法で教育をいたしておる。また、セントルイスにあります中央ろう学校という学校は同じくセントルイスにございますワシントン大学と提携をいたしまして同様の教育をいたしておる。また、アメリカの首府ワシントンにございますギャロデットろう学校は、これはろう者の大学でございますが、そこに教員養成機関がございまして、その大学独自の教育をいたしておりますが、これもまた方法におきましては全く同じような実習を重んじたやり方をいたしております。またイギリスのマンチェスター大学には特別な教員養成機関がございまして、ここも同じように十分な実習を伴った養成をいたしております。
#70
○萩原幽香子君 いまの御説明で十分だと思いますけれども、いわゆる特殊教育においては、実習というものが非常に大事になるということでございますので、その点もう少し各大学においてのその単位の問題とか、そういう実習の割り振りの問題なんかを考え直していただくことはいかがでございますか。
#71
○政府委員(木田宏君) 今日の免許制度全体におきます実習の位置づけ等から勘案いたしまして、特殊教育のための教科を基礎免のほかにプラスして十単位を取ります際に、その単位の中にはろう教育でありますならば、そのろう教育全体とか、言語指導の理論と実際とか、ろうの心理あるいは聴覚、音声、生理等の専門科目と合わせまして、そのろうの教育実習というものを考えるわけでございまするから、法律にあります十単位の中を二単位以上実習に充てるということは今日の法体制のもとでは無理が多いのではないかというふうに思うのでございます。いま御指摘がございましたように、充実した実習を特殊教育のためには必要とするという御意見もっともな点もございますので、私どもも先ほど御説明申し上げましたように、特殊教育の特別専攻科というのを修業年限一年の単位で設けておるわけでございますが、大学におきます正規の課程としてこうした教育に取り組みます場合には、実習等の運用もプラス一年の期間の中で考えていくことができるというふうに思っておる次第でございます。
#72
○萩原幽香子君 まあ、制度とか法とかいうものは、その実態に即さなければならない、そういうことを考えるわけでございますね。いま参考人がおっしゃいましたように、非常に実習が足りないということを現場の声としておっしゃっているわけでございますから、これは十分お取り上げになる必要があるんではなかろうかというふうに思いますね。大臣、これはいかがでございますか。
#73
○国務大臣(奥野誠亮君) たいへん大切なことだと思います。いまも局長からお答えをしておりますように、また大学に付属学校として盲ろう学校を持っているところもございますので、一そうそういう方面の努力をするようにいたしたいと思います。
#74
○萩原幽香子君 次いで別表第七の現職教育についてお伺いをいたします。現在この制度によって二級免、一級免を取得する者は年間どれくらいございますか。
#75
○政府委員(木田宏君) 別表第七の現職教育によって免許状を取っております者は、約千五百名かと推定しております。
#76
○萩原幽香子君 別々にいかがでございますか、二級免、一級免おのおの。
#77
○政府委員(木田宏君) 盲・ろう・養護学校別に申し上げますと、盲学校の一級が十五、二級が六十六、計八十一、ろう学校が一級三十六、二級百三十、計百六十六、養護学校が一級九十一、二級千百三十五、計千二百二十六、合わせまして一級が百四十二、二級が千三百三十一、合わせまして千四百七十三という数字でございます。
#78
○萩原幽香子君 この制度で二級免を取ろうといたしますと、最も順調にいって三年、そういうことになるわけでございますね。その間は免許なしで教えると、こういう状態でございましょう。それも先ほど御答弁いただいたように、ずいぶん多い人が無免許でございますから、そうすると三年間の間というのは非常に教えるほうも不安定な状態ということになるのではないかと思います。しかもこの現職教育の制度というものは現場の先生の声を聞きますと、あんまり役に立っていないということなんでございますね。そこで現状の現職教育のあり方について再検討する必要があるのではないかと考えるわけでございますけれども、その点は文部省いかがでございますか。
#79
○政府委員(木田宏君) いま、現職教育で単位を取りますのは、小中学校の先生が小中学校の教員としての勤務を重ねながら三年間に特殊教育の六単位を取ることによりまして、特殊教育の資格が正規の免許資格として取れるという性質のものでございます。もちろう、盲・ろう・養護学校に勤務してさらにこういう単位を取るということもあり得るわけでございますが、特殊教育の学校に勤務する以前にそうした心がけを持って事前に単位の取得をするという制度が認められておるわけでございます。
 なお、現職教育のあり方その他につきましてはいろいろと現在の運営がすべて十分という点でないということもあろうかと思いますが、毎年こうした資格付与の事業につきましては予算で補助もいたしまして千数百名の教官が現職教育での資格を取っておるわけでございますから、いろいろと改善すべき点は御注意を受けて県の関係者とも改善につとめたいというふうに考えます。
#80
○萩原幽香子君 単位を取ることももちろん必要でございますけれども、実際その授業をします上に役立つ現職教育でなければ私は意味がないと、こういうふうに考えるわけでございますね。そこで先ほどおっしゃいましたように、六単位を取るとか、それについて予算の裏づけを考えていらっしゃるとか、いろいろお話があるわけでございますけれども、一ぺんその現場の先生たちに現職教育についての意見を聴取される、アンケートでも何でもけっこうでございますけれども、そういうことをおやりになるということも必要ではございませんか。だからそういうことについていままでにおやりになったことがあるかどうか承りたいと存じます。
#81
○政府委員(木田宏君) 今日までのところ各県の事業に対しましての補助という形をとっておりますので、そうした実情まで十分に掌握できていない点があるようでございますが、今後実施の主体であります県の当局者と十分連絡を密にして実情の把握につとめたいと思います。
#82
○萩原幽香子君 県の教育委員会といろいろお話をしてくださることは本筋でございましょうけれどもね、実際私は思いますのは、現場に働いていてくださる先生方が一番望ましい現職教育はこういうことですということを、それをはっきりお聞きになることのほうがむしろ大事なことではございませんか。現にいまのようなこの別表第七の現職教育のようなのはあんまり効果がございませんよというのがろう学校の先生方の現場の先生のお声なんでございますね。そういうことを吸い上げることによって私はほんとうに現場の先生が楽しい気持ちで働いてくださるということになるんではないか、こういうことを考えるわけなんでございますがね。その点、局長さんはどのようにお考えでございますか。
#83
○政府委員(木田宏君) ただいま行なわれておりますその小・中学校の在職中に特殊教育の単位を勉強するという点につきましては、現実に特殊教育の場を担当するという緊迫感が、一般的に申しますならばやや乏しい、そういうことも実際の職場に入ってみると、かなり抽象的な勉強と現実の職場における必要な知識というものの間にギャップがあるということが、いま御意見の中に出てきた特殊教育の勤務者の立場から見ると何だかなまぬるい現職教育になっているんじゃないかというふうな御批判の出るゆえんではなかろうかというふうに考えるのでございます。ある程度その場に入って真剣に――真剣になると言うとことばがちょっと適切でないかもしれませんが、その事態に直面をする人とそうでない先の話として勉強していますときとの間にある程度の気持ちの上での開きがあるということは一般的に避けられないことがあろうかと思う次第でございます。それにいたしましても、実際に勤務してみたらどうにもあまりピントの合ってないというような現職教育であれば是正しなきゃならぬことは当然なんでございますから、そういう御批判の声を聞きました機会に、県の当事者にも注意を促しまして、意味のあるものに改善する努力というものはつとめていきたいと思います。
#84
○萩原幽香子君 どうも、実際、現場へ行って現場の先生とも話し合いをしながらいろいろ考えてくださることが必要だと思うんですね。私も、実はほんとうに特殊教育についてのことを存じませんでした。しかし、たび重ねてろう学校を訪問して見ましたときに、初めてその実態に触れることができ、これではいけないということを私は感じながら、いま、質問をしているわけでございます。ところが、それに対しての局長さん方の御答弁は、どうもあまり現場を御存じない形の中での御答弁になっているのではないかというふうに考えるわけなんですね。ですから、私は、現職教育についてもいろいろ検討しなきゃならないということも、ほんとうは一度ずっとごらんいただいて、ああこれではいけないなということで考え直していただくのが、一番、私は、近道だし、一番親切だと、そういうふうに考えるわけでございます。何にいたしましても、現職教育についてお尋ねをしましたが、採用段階で特殊教育の免許状を持っているということがまずまず基本的には大事だと思います。
 そこで、大学での教員養成が最も重要なことになると思うんですけれども、現状はどういうふうになっておりますか。また、今後、具体的な整備充実計画はどのように考えていらっしゃいますか。この点を承りたいと存じます。
#85
○政府委員(木田宏君) 先ほどもちょっと御答弁申し上げましたように、今日、大学で正規に教員養成課程として送り出せる養成数は千二百五十ほどあるわけでございます。毎年教員養成の学校に採用者として入っております者は、約六百名でございまして、養成数と就職者との関係から見ますならば、かなり養成数のほうにゆとりがあるというふうに今日でも考えておる次第でございます。
 なお、今後、先ほど初中局長も御説明しましたように、特殊教育の関係の学校の増設義務化ということを目途にいたしまして、拡充がはかられるわけでございますが、それらのためには、今後も、先ほどちょっと御説明いたしました一年間の特別専攻科の増設というような措置を進めてまいる必要があると思いますし、また、肢体不自由児、言語障害児、情緒の障害者等の特別の課程につきましての増設をはかる必要があるというふうに、計画は持っておる次第でございますが、一般的な養成数から申しますならば、今後の学校の増に対しましても十分対応できるだけの養成体制にすでになっておるというふうに考えております。
#86
○萩原幽香子君 養成者にはゆとりがあるとおっしゃいますのに、現実には実際基礎免だけでやっている人がずいぶん多いわけでございますね。それはどういうことなんでしょうか。
#87
○政府委員(木田宏君) これはおそらくは県の任命権者の当局の教員に対する配置の方針にかかわることではなかろうかというふうに思う次第でございます。特殊教育の資格免許状を取っておる者は、かなりあるわけでございますが、一面では、学生が一般の学校への就職、基礎免を持っている、基礎免で勤務のできる学校へ希望するというような一つの傾向も見受けられるわけでございますが、また、任命権者のほうの立場からいたしますならば、一般の学校の経験を持っているということもまた必要だという意味で、人事配置を全体的に考え、そういうことが、結局、特殊教育の免許状を持っている者につきましても、他の小学校への勤務を考える、若干の経験者の中から特殊教育のほうへの教師を採用していこうと、こういうような人事体制になっておるんではなかろうかと、こう思う次第でございます。
#88
○萩原幽香子君 局長さん、それは私は逆だと思うのでございますよ。やっぱりちゃんとした免許がある人がこなきゃならないのに、ゆとりがあるといいながら、それがほかの学校へ行ってしまったと、そうしてそこを、実際、特殊な免許を持っておる人でなければやってもらえないことを基礎免だけの人がやっている。これは私はどうも逆なような感じがします。むしろ、私はいわゆる特殊学級なんかでも、ほんとうは特殊教育の免許を持った人でない人ばかりがやっているというようなところに問題があると思うわけなんですね。それにもかかわらず、いまのように、特殊な免許を持った人が普通の学校へ行っているんだと、そういうお答えは、どうも私はおかしいような感じがするんです。一ぱい一ぱいあってこそいまのお話は生きます。しかし、そうでない、欠けておるのにもかかわらず、そういうことをおっしゃるのはどうもおかしいのじゃないだろうかという感じがするんですね。その点は、局長さんと私の考え方は違うんでしょうかしらね。普通に考えたらそういうことになりはしませんか。これは参考人に一ぺん聞いてみましょうか。いかがでございます、参考人。
#89
○参考人(大嶋功君) 特殊学校、まあ、ろう学校のことについて申しますと、ろう学校にろう学校の免許状を持たない教育が多いということ、それには先ほどの局長のお答えにもございましたように、教育養成を受けた学生が卒業してろう学校に就職をするよりも、普通の学校に行きたいという者があるということも一つの大きな事実であると思うのでございます。そのことは、私は先ほど申しましたように、この教員養成における養成の方法と非常に深い関係を持っていると思うのでございます。したがって、この養成がほんとうに十分な実習を伴って、そこで教育を受けた者は喜んでろう学校に就職をする自信を持つことができるような教育が行なわれますならば、そのことはなくなると思うのでございます。したがって、この問題は、現職教育の問題ということでございますけれども、教育養成の問題であると思うのでございます。そしてやはり普通教育をしている教員が特殊教育に志すという場合にも、私もやはり現在行なわれております現職教育というものははなはだ不十分であると思うのでございます。先ほど申しましたような、ほんとうの意味での教員養成が行なわれておりまして、そして特殊教育に志を持った者はそういう課程を経ていくことができるような方法が講じられて特殊教育に移ってくるということが最も望ましいことでございまして、これは実はわが国においてもかつて行なわれた方法でございます。ろう学校の教員養成が、これは昭和のころでございますけれども、普通学校から一ヵ年、場合によって二カ年の特別の教員養成を東京聾唖学校の養成部において受けまして、出たときには、その当時の中学の教員の待遇となって採用されると、それから在学中にも給費される、そういうような方法で行なわれました。で、このときには申すまでもなく、きわめて十分な実習が伴っていたわけでございます。そういうときには、ろう学校の教員はほとんどの者がその養成を経て教員になっておりました。したがって、そのころには、当時としては最も充実した教育が行なわれたのでございます。したがって、私は、どうしてもこの現職教育の問題ということは、教員養成の根本的な問題と関連して、ぜひとも十分に早急に考え直していただきたいと思うものでございます。
#90
○萩原幽香子君 自信のある態度で教育に臨む、これはまあ先生である限り一番大事なことになってくると思います。不安な気持ちでそれに当たるということは、ほんとうにいい教員ができないということにもなりましょうから、自信のある態度で教育に臨むためには、いわゆる教員養成のあり方に非常な大きな関連がある。それは参考人がおっしゃるとおりだと私も考えるわけでございます。
 そこで、義務教育段階の心身障害児童、生徒の数はどれくらいございますか。
#91
○政府委員(岩間英太郎君) これもたびたびお答え申し上げておりますように、私どものほうで一応、出現率で推計をいたしますと、対象者が五十四万人、それに対しまして就学者が十七万二千人、就学率が三二%をちょっと切るということになっております。しかし、この出現率につきましては、新しく調査をして私どものほうで採用している出現率でございますけれども、実態とややずれている面があるんじゃないかということをちょっと最近感じるようになりました。それは、特殊教育諸学校の増設計画につきまして各県から計画をとっておりますけれども、だいぶ私どもの数学と違っている面がございます。もう一度確かめてみたいと思っておりますけれども、三〇%から多くても六〇%ぐらいのところじゃないかというふうに考えております。
#92
○萩原幽香子君 大体、盲学校では三九%、ろう学校では六四%ぐらいが学んでいるということのようでございますね。局長さん、だいぶ低く押えていらっしゃるようですけれども、早急に、それなら、やらなきやならないということにもなるんではございませんか。
 そこで、免許法では、基礎免と特殊教育の両方の免許を持った者が必要だとされながら、昭和二十九年度の附則二十四項では「当分の間」基礎免のみでよいということにしております。この附則は約二十年も生きてきたということでございますが、これは何といっても、文部省が特殊教育に対する配慮の薄さを物語るものだというふうに私は考えるわけでございます。そこで、文部省では、大学における教員養成の充実と、特殊教育に先生方が積極的に取り組む、先ほどから参考人がるるお述べになっておりますような努力をしていただいて、この附則を一日も早く廃止をしなければならないと思うわけでございますけれども、この点はいかがでございますか。いつまでに「当分の間」をお取りになるおつもりか、承りたいと存じます。
#93
○政府委員(木田宏君) 先ほどもちょっとお答え申し上げましたように、一年間の正規の養成者が千二百名余、そのほか、現職教育等で単位を取れます者が千数百名、二千数百名の者が特殊教育の免許状を一年間に取れるような体制になっておるのでございます。そして毎年、今日の段階で新規に特殊教育の学校に職を奉じます者の数が約六百というふうに承知をいたしておりまするから、その免許状の取得者との関係で申しますならば、特殊教育の免許状を取った者の中でその採用が十分まかない得るだけの数になっておるのではないかという一般的な考え方はとれるわけでございます。
 ただ、今日、特殊教育の学校の増設過程にございまして、いろんな職員構成をいたします際に、幹部、中堅教員、その他の人事構成をしてまいります人事管理上の観点から、どうしても一般の学校の教育との交流ということを前提にした人事管理をしばらくの間は続けなければなるまいのではなかろうかというふうに思う次第でございます。
 一応、先ほど初中局長からも答弁がございましたが、今後、特殊教育の義務制の拡充等との関連を待ちまして、学校数がある整備の段階まできて学校としての規模が一定の水準に到達いたしました段階で、もう一度考えてみる必要がある課題だというふうに思っております。そのときまでは、現在までのような基礎免で特殊教育の学校にも勤務できるという体制を残しておく必要があるのではなかろうか。これは、もっぱら人事管理上の考慮を任命権者の立場に立って考えておかなければならないのではあるまいか、こう考える次第でございます。
#94
○萩原幽香子君 まあ養成人員に非常にゆとりがあるゆとりがあるとおっしゃりながら、二十年間も「当分の間」を捨てておくというのは、私はやっぱりおかしいと思うんですね。だから、「当分の間」というのはまだまだ続きそうなような、いまの局長のお話では気配でございますけれども、これはどうも私はいただけない話のように思います。
 次に、特殊学級の教育について伺います。
 普通学校の特殊学級担当の教員については、現在のところ資格の規定を欠いているように考えられます。そのため、特殊教育に関する専門的知識の乏しい人が担当しているのが実情ではなかろうか。先ほどのように養成にゆとりがあるなら、普通学校にも当然特殊学級というものを担当してくださるそういう人を配置すべきではないか、こういうふうに考えるわけでございますけれども、この点をどのようにお考えでございましょうか、承りたいと存じます。
#95
○政府委員(木田宏君) 普通の小、中学校の特殊学級を担当いたします教員が特殊教育についての見識を十分に持っておる教員であることが望ましいことは申すまでもございません。現在は、特殊学級も小学校の学級と考えられておりますから、免許制度の上では特別の養成をいたしてございませんけれども、将来の課題といたしましては、御指摘のように、同じ小学校でありましても、特殊学級に対してそれなりの教育を持っておる者が担当するということが望ましいと思います。また、一般に、これは今後の課題でございますけれども、小、中学校の教員養成を普通に実施いたします間に、特殊教育についての十分な理解を持って小、中学校の先生になる、普通の小、中学校の教員養成の間にありまして特殊教育への見識を深めるということも、一般的には必要になってくるというふうに思っておる次第でございます。
#96
○萩原幽香子君 大体、いま局長さんのおっしゃったこと、私も申し上げたいと思っているのですが、普通学校の免許状取得に際しまして、特殊教育科目を含める。少なくとも、教員を目ざすものは、特殊教育に対する基礎的な知識、それを持たなきゃいけないんじゃないかと思うんです。障害児に対する深い理解というものがなければ、ほんとうは先生ということはむずかしいんじゃないかというふうに私は考えるわけなんでございますね。ですから、そのような制度も考慮して、特殊教育振興向上をはかるということも一つの手だてではないかと思いますけれども、文部大臣のその点についての御見解を承りたいと存じます。
#97
○国務大臣(奥野誠亮君) お話を伺っておりまして、私もなるほどそうあるべきだなという考え方を抱いておったところでございまして、十分内部で私なりに勉強もしていきたいと思います。
#98
○萩原幽香子君 さらに、特殊教育の重要性から特殊教育機関の大学院についてお伺いをするわけでございますが、現在、その特殊教育関係の大学院、どこに置かれておりますのか、承りたいと存じます。
#99
○政府委員(木田宏君) 現在、大学院でそういう関係の体制がある程度整備されておりますのは、何と申しましても東京教育大学でございまして、東京教育大学には教育学研究科に特殊教育の専攻課程が設けられております。そのほか、北海道大学、東北大学及び名古屋大学の大学院には、教育学の大学院でございますけれども、特殊教育に関する講座が置かれておりまするし、また、九州大学の教育学研究科修士課程には特殊教育に関する授業が開設をされておるところでございます。以上の大学のほか、東京学芸大学には特殊教育の研究施設が設けられておりますし、また昨年度設置されました特殊教育総合研究所におきましても、その研究の推進とあわせて研究者、指導者の養成というような事業が課せられておりますので、それらを中心にして最高の水準を維持していきたいというふうに考えております。
#100
○萩原幽香子君 参考人にお伺いいたしますけれども、諸外国の大学におきまして特殊教育関係の大学院設置はどういうふうになっておりますでしょうか。
#101
○参考人(大嶋功君) 先ほど教員養成のところで申し上げましたように、教員養成の機関として十分なことをしておりますところはすべて大学院を持った大学との連携において行なわれているわけでございます。そして、欧米の特殊教育に関する教育研究は大学の大学院、また研究所において行なわれておりまして、たとえばスウェーデンのストックホルムなどではカロリンスカ研究所と申しますか、そこで非常にすぐれた研究が行なわれておりまして、これが同じく教員養成にも関係をいたしているわけでございますし、オランダのグローニンゲン大学というところには特別なオーデオロジー研究所がございましてこのことをいたしております。イギリスのマンチェスター大学は先ほど申し上げましたとおりで、ロンドン大学においてもこのことが行なわれております。その他ほとんど枚挙にいとまのないほどの大学において大学院の課程が置かれて、そして十分な研究が行なわれております。
#102
○萩原幽香子君 いまお聞きのとおりでございますから、わが国におきましてのこの特殊教育に対する考え方というものは先進国に比べて非常におくれているような感じがするわけでございます。局長さん、これお認めになりますか。
#103
○政府委員(木田宏君) イギリス、アメリカの学校制度と比較いたしました場合に、日本の学校制度の中で特殊教育の整備が比較的あと回しになってきたという実感は、私どもが視察をいたしましても十分に感じるところでございます。しかし、最近ようやく盲・ろう学校だけでなくて養護学校の整備も進んでまいりました。こうした現実の体制の整備に即応いたしまして、また養成あるいは研究の体制も整備を急がなければならぬ、こう考えております。
#104
○萩原幽香子君 おくれていることをお認めいただいたということで私はやらなければならないということにつながるだろうと、そういうふうに局長さんを信頼いたします。
 盲・ろう・養護学校の教員は、対象児及びその障害に対する正しい理解の上に立って、それぞれの障害児が自分の障害を克服して、人間として生きる上に必要な高度な指導原理、技術に習熟していなければならないはずでございます。ところが、現状ではそうなっていないところに私は問題があるのではないか。だから、せっかく特殊教育の免許を持ちながらほかの学校に行ってしまうということも、そうしたところにも問題があるのではないだろうかというふうに考えます。また、最近非常にクローズアップされてまいりました重複障害児の問題にいたしましても、また普通教育との連携の問題にいたしましても、研究を要する課題が山積していると考えるわけでございます。そこで、いま国立特殊教育総合研究所もその意味で大きな働きをしていることとは思いますけれども、大学の質的な向上、幅広い研究を推進するためにも大学院の充実をはかることは緊急の課題だと考えるわけでございます。今後の大学院のあり方とその整備計画はどのようになっておりますか承りたいと存じます。
#105
○政府委員(木田宏君) 教員養成につきましての大学院の整備というのが今後の大きな課題である、私どもも教員養成にふさわしい大学院のあり方を目下調査会等を設けまして検討を進めておりまして、今後その整備を急ぎたいというふうに考えております。また、東京教育大学の持っております特殊教育の大学院は筑波大学におきましても充実発展させるという考え方でございまして、特殊教育につきましての特別の課程を設け、筑波の地におきまして東京教育大学のいままでの成果を十分発揮できるようにしたいというふうに考えております。
#106
○萩原幽香子君 筑波大学で大いにやりたいということでございますから大いに障害者のためにすばらしい構想をお立てになってくださるのなら私はその点だけでも評価しなければならないというふうに考えますね。局長さん大馬力でやっていただかないと私はいけないのじゃないか、そういうふうに考えるわけでございます。常に底辺に置かれた者にあたたかい配慮をすることが教育本来のあり方だと思いますが、大臣その点はいかがお考えでございましょうか。
#107
○国務大臣(奥野誠亮君) お話のように恵まれない方々につきまして政治の面でできるだけ厚い保護を加えていくということは特に今日大切なことでございます。そういう要請が一般的に強まってきておると思いますので、いまお話になっておりますような問題につきまして特に力を入れてまいりたい、かように考えております。
#108
○萩原幽香子君 最後に参考人にお伺いをいたします。
 きょう、特殊教育の現場で抱えておりますいろいろな問題あるいは今後望ましい特殊教育のあり方についてなおお漏らしいただけなかったところがございましたら最後にまとめて御意見をちょうだいいたしたいと存じます。
#109
○参考人(大嶋功君) さきごろある難聴学級を持っております学校の研究会に参ったときに、普通の学級担当者で、その中に一人難聴児をまじえて指導をしております先生がその教育の経験を語ったことばの中で、「自分はこの子供を受け持つことになって、この子供がほかの子供と差別されないで、しかもその子供が持っているニードが十分に満たされていくためにどういう配慮をしたらよいかということでたいへん思い悩んでこれにあたってきた。ところが、そういう配慮をしているうちに、そういう種類の配慮は、ただこの子にだけすればよろしいのではなくて、ほかのどの子にも形は違っても払わなければならない配慮であったということに気がついて目からうろこが落ちるような感を持った。」ということが言われておりました。たまたまそのときに発表されましたほかの学校の先生も同様の感慨を述べていたのでございます。つまり、障害を持った子供のために配慮するということから出発して、子供に対する配慮、教育の配慮というものはどういう種類のものであるかということをその先生方は身をもって学んだのでございます。私は、今日問題になっておりますことが、いろいろの観点から特殊教育という名前で取り上げられておりますことを根本的にやはり考え直すべきときにきていると思うのでございます。これは特殊教育、どこかの片隅で行なわれる教育ではございません。障害を持った子供たちが先ほど来述べられておりますように非常にたくさんこの日本のうちにおります。その子供たちの一人一人がその子供として十分に教育をされていくことが必要でございます。そういう配慮が行なわれてまいりますときに、いわゆる普通教育といわれている子供たちに対するほんとうの配慮がまた行なわれてくるのであると思うのでございます。
 そこで、私が切に願いますことは、教育の施策の全般において障害を持った子供の教育、福祉ということが出発点になって、そこからすべての教育の問題、制度が考えられていくようにということでございます。もう一つ私がぜひお願いをいたしたいと思いますことは、今日もいろいろのお話しの中に出てまいりましたが、文部省と厚生省との連携ということでございます。これは申すまでもなく必要なことでございまして、それぞれ御努力を願っているところでございますけれども、現実にはその進みがはなはだおそく感ぜられます。このことにつきまして、もっと大幅に、もっと全面的にこのことが、文部、厚生省の連携が行なわれていくような道をとっていただきたいと思うのでございます。私どもといたしましては、障害を持った子供が文部省でお世話をいただきましょうとも、厚生省でお世話をいただきましょうとも、どちらでもよろしいことでございます。しかし、配慮はなされなければなりませんし、その配慮はあくまでも教育であるという点で行なわれる、管轄がどこでありましても文部省がこれを担当する、責任をもって行なっていっていただきたいと思うのでございます。
 ありがとうございました。
#110
○萩原幽香子君 ありがとうございました。ほんとに障害を持った子供、その子供の教育、福祉を考えるところから教育は始まる、こうおっしゃいました参考人の御意見は、私は全く同感でございます。そこを抜いてほんとに教育ってあるんだろうかという感じでございます。教育は何といっても信頼と愛情の上にこそ成り立つものだということを考えますときに、いまの参考人のお話は私はほんとに胸の痛い思いでございました。おそらく大臣も、あるいは初等中等教育局長さんも大学学術局長さんも、ただいまの参考人のお述べになりました御意見あるいは御要望につきましては十分銘記をしていただいたと思います。
 そこで、私は、最後に、大臣の御決意のほどを承って質問を結びたいと存じます。
#111
○国務大臣(奥野誠亮君) たびたび話の出ております障害児の教育につきましても最善を尽くすように努力してまいります。
#112
○萩原幽香子君 終わります。
#113
○委員長(永野鎮雄君) この際、大嶋参考人に一言ごあいさつを申し上げます。
 本日は、御多忙のところ、本委員会に御出席をいただき、貴重な御意見をお聞かせくださいまして、まことにありがとうございました。(拍手)
 午前の会議はこの程度にとどめ、午後一時二十五分まで休憩いたします。
   午後零時二十三分休憩
     ―――――・―――――
   午後一時三十四分開会
#114
○委員長(永野鎮雄君) ただいまから文教委員会を再開いたします。
 教育職員免許法等の一部を改正する法律案を議題とし、休憩前に引き続き質疑を行ないます。
 質疑のある方は御発言願います。
#115
○加藤進君 一番初めに、教員養成についての理念と申しますか、教員養成制度そのものの立つ原則の問題について若干質問いたします。
 文部大臣は四月十三日の衆議院文教委員会で、わが党の栗田委員の質問に答えて次のように言っておられます。これは議事録にございますのを引用いたしますが、戦後の改革での教員養成の意義は、今日においても守り続けていかなければならない、こう言っておるわけです。そこで、文部大臣が今日もなお守り続けていかなくてはいけないと言われている戦後の教育改革によって確立された教員養成の基本とは、一体どういうことをさされるのか、その点をまず最初にお尋ねします。
#116
○国務大臣(奥野誠亮君) 戦前は、御承知のように、師範学校を中心にして教員養成が行なわれてきた、さらに検定制度があわせ行なわれてきたというようなことを踏まえてお答えをしたわけでございまして、戦後におきましては、専門職としての教員の資質の保持と向上をはかりますために、小、中学校、高等学校、特殊教育小学校及び幼稚園の教員に対しましてすべて教育職員免許法に定めます相当免許状の所有を要求いたしまして、あわせて現職教育によりその資格を上進させる道を開いたわけでございますので、この原則、これはもうそのとおりに心得ているんですという意味で申し上げたわけでございます。
#117
○加藤進君 いまの大臣の御説明をもう少し正確に申しますと、こういうことになるんじゃないかと思いますから申し上げますと、教員養成は四年制の大学で原則として行なう、そして所定の教職課程を置くいずれの大学を卒業した者にも教育の専門職として免許状を与えている。この大学において教員養成を行なうということと、その大学の課程を経た者についてどの大学を卒業しようとこれに教育職員の免許状を与える、この二つの原則が貫かれておるものだと私は思いますけれども、その点はいかがでございますか。
#118
○国務大臣(奥野誠亮君) そのとおりに考えています。
#119
○加藤進君 そこで、昭和二十四年に教育職員免許法が制定されたわけでございますけれども、そのとき、教員資格検定制度はどうなったのでございましょうか。
#120
○政府委員(木田宏君) 教育職員免許法が制定されましたときに、ただいま加藤委員のお尋ねになりましたように、今後の免許法の本則によります免許制度におきましては、大学によって所定の単位を経た者に免許資格を与えるという原則が貫かれることになりまして、戦前ございましたようないわゆる代用教員の制度でありますとか、検定制度でありますとかというものが、一応全部整理されたと申しますか、廃止されたという次第でございます。そして検定制度ということばは現在の法律にも残っておりますが、これは教職にあります者が在職経験をもとにいたしまして上位の免許資格を得るための上進の方法としての検定制度ということに変わった次第でございます。
#121
○加藤進君 そこでお尋ねしますけれども、一体なぜいわゆる教員資格検定制度が廃止されたのか。それは単に戦後の社会事情が変わってきたからという便宜的な意味なのか、それとももっと深い意味と内容を持っているものであるか、その点についての文部省の御認識をお聞きしたいと思います。
#122
○政府委員(木田宏君) これは当時アメリカの指導によりまして、アメリカにおきます教育職員の免許制度というものをいわば範といたしまして、従来の試験検定制度に対してとられておりました批判、すなわち試験検定の合格者には独学による知識、教養の片寄りがあるのではないかといったような批判から、すべて大学における一定の資格を取った者に免許状を与えるという本則で一貫していくという態度をとられることになったからだと思うのでございます。
#123
○加藤進君 それでは、私はここに、もうすでに他の委員からも引用されました「教育職員免許法解説」という玖村敏雄先生の文章をお読みしたいと思いますが、「教育職員を一つの専門職として確立するには、その資格附与について、厳格な条件がつけられるのであって、教育という事業は、生成途上にある人間の直接的な育成であって、単に知識技能を授ける作用があると簡単にいってしまうことは出来ない。」「単に知識技能をもっているならば誰にでも教育という仕事は出来るという考えをとり除かねば専門職は成立しない。そこで本法では、従来いわれていた試験検定の制度を廃止している。」すなわち、教育を担当するものは専門職でなければならない。この専門職を確立していくということのために、検定制度の廃止がまず第一にあげられた、こう見てもいいではないかと思いますが、続いて「けだし、従来のこの制度は、例えば、中等教員の場合、国民道徳とか、教育大意とかについて簡単な試験は行なったにしても、主とするところは、免許教科の知識や、技能についての筆記及び実技試験のみであった。勿論、この試験合格者の中には、あらゆる点からいって優秀な教員もあったが、一般的にいって、あまりに偏した教養の人があり、専門分野についても将来にのびる力において欠けており、かつ、教育全体を見通すことができぬ人が少なくない。それに自ら学校生活の経験をもたないことから生ずる欠点をもつと言われている。そこで、本法では、免許状授与の基礎資格に、大学で受けた教育の年限というものが重く見られている。」こうして、大学教育こそ、教育職員の必要条件である。こういう点が検定制度の廃止の第二の理由になっておると私は読み取っていいと思いますが、このような、戦後の教員養成についての、免許法制定当時の文部省見解について、今日もなお文部省はこれを受け継いで変わらずに生かされておられるのかどうか、この点をお聞きしたいと思います。
#124
○政府委員(木田宏君) 今日におきましても、免許法の原則といたしますたてまえが、その当時の考え方と同じであることは、その後の若干の法改正等もございましたけれども、現在の実定法の規定からも十分うかがわれるところだと思います。ただ、おのずから当時におきます従来の教員養成の実態、それからわが国の高等教育の普及度の度合い等と今日とではおのずからまた違う事情もございまするので、その当時の事情が今日におきましてもそのまますべて妥当するというふうには考えておりませんけれども、考え方の基本が同じであることは御指摘のとおりだと私は考えます。
#125
○加藤進君 その点をもう少し確かめますと、第一には大学教育を経ること、このことが教育職員にとって必要な条件だと、こういうこと。それからもう一つの問題は、専門職を確立していくためにそのような過程が不可決なものである。こういう点が指摘されておるわけでございますけれども、その点については、今日もなお文部省の基本的な方針として受け継がれておるわけでしょうか。
#126
○政府委員(木田宏君) 文部省の、と申しますよりは、教育職員免許法の原則が大学において所定の勉強をした者に教育職員の免許状を与えるというたえまえになっておるという点で変わりはないというふうに考えます。
#127
○加藤進君 私は、この免許法制定当時における文部省見解、この免許法の趣旨、精神というものをあらわされた、体現された、いま以上申し上げました文章は、これは憲法、教育基本法の理念に基づいて打ち出されたものであると私は考えるわけでございますけれども、その点はどうでございましょうか。
#128
○政府委員(木田宏君) 今日の免許制度が憲法とどのようにからむかは、私、ちょっと十分な勉強を持ち合わせませんけれども、教育基本法におきます「学校の教員は、全体の奉士者であって、自己の使命を自覚し、その職責の遂行に努めなければならない。このためには、教員の身分は、尊重され、その待遇の適正が、期せられなければならない。」という基本法の学校教員に関します基本的な姿勢に基づきまして、教員養成の内容を充実させたい。少なくとも六・三・三・四の最高の段階であります高等教育のレベルにおいて、小学校、幼稚園の教員といえども養成さるべきものである、こういう基本姿勢に立った現行法になっておると考えます。
#129
○加藤進君 局長は、憲法との関係はあまりよくわかりませんけれどもと、こうおっしゃいましたけれども、このことが一番基本的に重要なことじゃないでしょうか。憲法がどういう理想を掲げておるかは、もう局長も御存じのとおりだと思いますけれども、民主的な文化国家を建設し、世界の平和と人類の福祉に貢献する、こういう理想を実現するのには、根本において教育の力にまつべきものである。これが憲法の規定じゃないでしょうか。
#130
○政府委員(木田宏君) 御指摘の点はまさにそのようかと思うのでございます。
#131
○加藤進君 したがって、教育基本法では、その第一条において、教育の目的を次のように明記していますね。「教育は、人格の完成をめざし、平和的な国家及び社会の形成者として、真理と正義を愛し、個人の価値をたっとび、勤労と責任を重んじ、自主的精神に充ちた心身ともに健康な国民の育成を期して行われなければならない。」こういう教育の目的からいって、教師とは一体どうあるべきかということが直接具体的に出てくると思いますけれども、その点はいかがでしょうか。
#132
○政府委員(木田宏君) 教師が学校教育の理想を実現する一番中心のにない手であるという意味におきまして、教育基本法に規定されてございます教育の考え方は、教師の手によって遂行されなければならない、こういう関係にあると思います。
#133
○加藤進君 だから私は、ここに免許法の精神もまたその源を持っているということを言っておるわけでありまして、教師は教育基本法一条に掲げられた教育の目的を実現する推進者として専門的な資質が要求される。そのために教員の資格と教員の専門職を位置づけることが免許法の趣旨、精神ではなかったか。この点を私は踏まえなくてはならぬと思いますけれども、この点いかがでしょうか。
#134
○政府委員(木田宏君) 御意見のとおりに考えます。
#135
○加藤進君 ですから、免許法の制定によって教育基本法の目ざす教育の目的に合致しないような片寄った知識を通じて教員の資格を認定するあの検定制度はこれを廃止するに至ったというのが、私は真実の理由ではないかと思いますけれども、その点、文部大臣に見解をお聞きしたい。
#136
○政府委員(木田宏君) 戦前の検定制度が基本法に違反するというふうにいま御意見でございましたが、そう簡単に言えるのかどうかということはちょっと私に首肯できない点があるのでございまして、むしろ教育の理念を考えながら、基礎的に教養の高い教師を位置づけたい。教育者として迎えるようにしたい。幅の広い人間形成というものを考えました場合に、やはり教養の深い方を教職に迎えたいという思想が、そしてまた小学校の教師も中学校の教師も、最高の大学を出た知的な教育者であるということが望ましい、そういう具体的な要請が大学におきます教員養成を原則とするということになったものと、こう考える次第でございます。しかし、そのことはすべて大学以外の、大学に学ばなかった者がすべてこの教育基本法の理念に反する人であると、こういうふうに逆の言い方をすることは私は適切ではないと。大学に学ばない人でありましても教育基本法の教育の理念を十分に身につけた方というのは、私は、世間にもおられるのでありまして、大学で勉強した人だけが教育基本法の教育の理念を理解した人だと、こう断定するわけにはいかぬ、こう考えます。
#137
○加藤進君 私は、そういう局長の説明を聞いているわけじゃないんです。
 そもそも免許法が制定されたとき、戦前の検定制度についてきびしい反省が行なわれたと思います。その反省の上に立って免許制度の今日及ぼす教育上の弊害からいうなら、片寄った教育、片寄った知識、一面的な知識というものにやはりこの問題の弱点があった。したがって、これを改めていくためには、教員養成は大学という課程を経て行なうという原則が出された。私は、そこに今度の免許法の制度当時の趣旨と基本的な精神があるということを先ほどまで言っておるわけですけれども、その点についての反論があるでしょうか。
#138
○政府委員(木田宏君) 一般的な原則論といたしましては、先ほど来私も加藤委員の御意見のとおりに考えておりますという御答弁を繰り返しておるところでございます。
#139
○加藤進君 私は、何も検定制度、検定ということが絶対だめだと、検定は例外なくだめであるなどということを議論しておるわけじゃないんです。そもそも教員という専門職が真に国民の教育の責任ある仕事をやっていただくためには、大学教育を経て十分な学識経験はいうまでもなく、教養においても、さらに子供を愛し子供を育てていくという情熱においても欠くるところがないというこのことが十分ためされなければ専門職としての教職につけるわけにはいかぬ。そういう意味で免許状というものは専門職としての明確に認められた資格を表明するものだと、こういうふうにして私は免許状というものは出されてきておる、これが免許法の精神だと思いますけれども、その点、間違いでしょうか。
#140
○政府委員(木田宏君) 先刻来お答えを申し上げておりますように、そのたてまえに関する限りは加藤委員のおっしゃるように私も考えております。
#141
○加藤進君 ですから憲法、教育基本法の示す教育目的に照らして、戦前の検定制度は廃止されて今回の改正案になるわけでございますけれども、この今回の改正案では、戦前に廃止されたと同様な形を持つような検定制度が事実上復活されようとしておるのではないか。もしそうなら事柄は重大だと私はこう考えるわけでございますけれども、大臣、特に今回の改正が免許法制定当時の趣旨、精神を曲げるものではない。これは検定制度の一般的な復活を意味するものではない。単なる補完的なものである、こういうふうに文部大臣は強調されるのでしょうか、その点の所信をお伺いしたいと思います。
#142
○国務大臣(奥野誠亮君) おっしゃるとおりでございます。
#143
○加藤進君 それですと、もし従来の免許法の精神に基づいてこの補完をするという意味だけに今回の教員資格認定試験の制度を導入すると、こう言われるなら私はお聞きしたいんでございますけれども、特例事項として行なっていくことで十分ではなかろうかと。私は特例を否定するという議論をいまやるわけではございませんけれども、特例としてこれを行なっていくということ、このことによって十分できるのであって、新たに教員資格認定試験制度を導入するということまでしなくってもいいのではないかと、私はそのことをお尋ねするわけでございますけれども、その点はいかがでしょうか。
#144
○政府委員(木田宏君) 特例として資格認定試験制度を導入いたしたいということのゆえをもって今回の改正案を御提案申し上げておる次第でございます。
#145
○加藤進君 それでは具体的にお聞きしますけれども、現在の免許法では、免許状授与の特例規定、第十六条の二でございますけれども、特例規定で教員資格認定試験による免許状の授与は、高等教員資格のうち、柔道、剣道、計算実務についてのみ特例として新設されておりますけれども、今回の改正によって、すなわち第十六条の三によって高等学校教諭免許状のうち、免許法第四条第五項第二号にあげている教科の領域の一部にも資格認定試験で免許状が与えられることになっておるわけでございますが、この教科の領域の一部というのは何を意味するのでございましょうか。また教科領域としてどのようなものが考えられておるのか、その点をお聞きしたい。
#146
○政府委員(木田宏君) 保健体育につきましては、現在柔道、剣道、計算実務につきましていまお示しがございましたような十六条二という現行法の特例があるわけでございますが、その柔道、剣道等が体育の教科の一部の領域でありますように、たとえば商業につきましては事務機械、計算実務、情報処理といったようなその商業の教科の一部の領域、あるいは工業につきましてはインテリアデザインでありますとか繊維工学等でありますとか、情報技術でありますとか、工業という教科の一部の領域を考えておる次等でございます。
#147
○加藤進君 私の聞きたいのは、こういう教科の領域の一部というようなあいまいな規定が今回持ち込まれたということでありまして、従来は特例としてきわめて明確にそれが出されている。この領域の一部ということをいまのような説明を聞かないと、ははあ、文部省はそういうことを内容として考えておるのかということがわれわれにもわかりかねるわけでございますけれども、そういうあいまいな規定を今回の改正案に盛り込んでいかれる意図はどこにあるのか、これは私は文部省令によって、文部省の一存でこのような領域の一部という内容にいろいろなものを盛り込み得るということを予定されておるのではなかろうか、こういう私は疑いを持つわけでございますけれども、そうでないというお答えが願えるでしょうか。
#148
○政府委員(木田宏君) 今日、高等学校の教科の一部につきましても文部省令で具体的に定めるというふうにゆだねられております。また、盲学校等の教員の特例につきましても免許制度は文部省令で具体的には規定するというふうにゆだねられております。立法技術上の問題でございまして法律の規定といたしましては一般的に教科の一定の領域、特定の領域というふうに書かしていただきまして、当面必要度の高い教科等につきましてはその特例あるいは補完的な性格にかんがみ、実態に応じて文部省令で明確にさしていただきたいと、こう考える次第でございます。
#149
○加藤進君 したがって、それは特例というふうに言われるよりも、領域を一定に広げて、その広げた範囲内において文部省の一存でその内容がきめられる、これは文部省できめるわけでございますから。こういうことができるような道を開いたということは言えるんじゃないですか。
#150
○政府委員(木田宏君) 今日の特例におきましても、その具体的な内容は文部省令にゆだねていただいておるわけでございまして、こうした措置を実態に応じて運用いたしますためにはそのことが適切かと考える次第でございます。
#151
○加藤進君 個々に特例として省令で明記することと、「領域の一部」という形でその省令の中にどのようなものを盛り込んでいくかという意味では、文部省に自由度が与えられるという意味では、私はこの法律の内容は違うと思うんです。この点をこの「領域の一部」という規定によって文部省が意図されておるのではなかろうかと私は考えるわけですけれども、そういうことはないんでしょうか。それともこの「領域の一部」というふうに表現してはあるけれども、省令では明確にその個々の例をあげると、こういうふうに考えておられるのでしょうか。
#152
○政府委員(木田宏君) 省令におきましてその領域を明確にしておかなければ各都道府県の免許事務担当者にもわからないことにもなりますし、国民の皆さんにも御迷惑をかけることになりますから、これは現在の盲学校等の教員の特例につきましてもあげて文部省令で具体的に定めるというふうにゆだねていただいておりますから、それと同じ趣旨で省令をもちまして明確にさしていただきたいというふうに考えます。
#153
○加藤進君 そうしますと、重ねて聞きますけれども、そういう意味の省令で規定される、いわば個々の科目、科目の内容は一体どれくらいあるんでしょうか。
#154
○政府委員(木田宏君) 先般来お答え申し上げておりますように、高等学校教育につきましては、工業の教科の中で情報技術、色染化学、繊維工学、インテリア、建築、土木を当面の領域として考えております。
 商業の教科につきましては、事務機械、計算実務、情報処理等の領域を考えます。
 また、保健体育の教科につきましては、柔道、剣道を考えておきたいと思います。
 また、特殊教育の領域におきましては、養護訓練、これは盲、ろう、養護それぞれの障害度に応じて養護訓練がまた領域別に違うわけでございますけれども、その養護訓練の領域を明確にいたしたいというふうに考える次第でございます。
 ただ、このすべての領域について、たとえば四十八年度一斉に実施ができるかと申しますと、これは私どもの実務上の関係、それから国会で御承認いただきました予算の関係等もございまするので、その年度におきまして具体的にどう処理するということは、もっと個別に考えていかなければならぬ、こう思っております。
#155
○加藤進君 そうしますと、いまあげられました個々の科目は、これは「領域の一部」の中で、当面の緊急度に応じていま考えられておる科目である。したがって、これは文部省がさらに必要だと認めるならば、そのワクと範囲は拡大する、こういうことを私たちは考えていいと思いますけれども、その点はどうでしょうか。
#156
○政府委員(木田宏君) 実態に対応するように措置はとらしていただきたいというふうに考える次第でございますが、冒頭から御指摘がございましたような、これが補完的な特例であるというたてまえをはずさないように措置をしたい、こう考えております。
#157
○加藤進君 補完的なたてまえをはずさないようにというのは、これはもう文部省の主観的な意図として私もことばを認めますけれども、しかし、現実にはそういう科目がさらに拡大され、しかも、それが当面緊急な必要度があるということさえ文部省が考えるなら、これが広がっていくということになれば、従来の特例あるいは例外措置、補完措置とは違う意味が具体的にはあらわれてくるのではないか、こういう点を私はこの問題については考えざるを得ないと思います。
 そこで、もう一つ、今度の改正によりまして、これは第十六条の二でございますけれども、資格認定試験に合格した者に授与される普通免許状の種類は、ここに特に高校であるとか、あるいは中学とか、いや小学とかというような学校段階は何一つ明記されておらないわけでございますけれども、私の理解する限りにおいてそういう規定がないのだから、それは小学校にも中学校にも高等学校にも幼稚園、盲・ろう・養護学校のすべてを含むと、こういうふうに読み取っていいと思いますけれども、その点はいかがでしょうか。
#158
○政府委員(木田宏君) 法文の解釈といたしましてはいま御指摘のとおりに考えております。
#159
○加藤進君 そうしますとまたきわめて範囲は広がって、小学校から中学校、中学校から高等学校、幼稚園、そうして盲・ろう・養護学校のすべてについてこういう普通免許状が与えられるように今度は変えられていくと、こう言っていいでしょう。私は、もうそういう意味からいってもこれは従来の特例や補完措置からさらに一歩出たものであると、こう見ざるを得ないと考えるわけでございますけれども、ちょうど時間が大臣の出られる時間になったようでございますから、ここで私は一応質問を中断させていただきまして、さらに続けさしてもらいたいと思います。
#160
○委員長(永野鎮雄君) 暫時休憩をいたします。文部大臣が衆議院本会議における法案採決のため退席をされますので、ほぼ三十分間休憩いたします。
   午後二時八分休憩
     ―――――・―――――
   午後二時四十二分開会
#161
○委員長(永野鎮雄君) ただいまから文教委員会を再開いたします。
 休憩前に引き続き教育職員免許法等の一部を改正する法律案を議題とし、質疑を行ないます。
#162
○加藤進君 それでは続きまして教員資格認定試験の実施についてお尋ねいたしますが、この教員資格の認定試験は文部省令できめるとなっていますけれども、これから実施しようとしておられる認定試験で授与される普通免許状の種類はどんな種類があるんでしょうか、どういう範囲でこれが出されるんでしょうか、その点お伺いします。
#163
○政府委員(木田宏君) 資格認定試験の制度ができ上がりましたならば、四十八年度からは小学校教員の資格認定試験とそれから高等学校教員の資格認定試験、高等学校教員につきましては五種目程度を教科の一部の領域につきまして考えておるわけでございます。三つ目には、特殊教育の教員資格認定試験、これは養護訓練の領域で二種目を考えておる次第でございます。これらにつきまして、資格認定試験を実施をしてまいりまして、小学校教員につきましては二級普通免許状を考えたいということにしてございます。また教科の一部の領域につきましては、一級、二級の区分のない普通免許状を考えたいと思っております。養護訓練につきましてもまた同様でございます。これらをどの程度出すかということでございますが、とりあえず種目につきましては四十八年度高等学校五種目、特殊教育二種目ということを考えておる次第でございます。
#164
○加藤進君 相当たくさんの種目について免許状が出るわけでございますけれども、これはどういう理由と根拠に基づいて出すわけなんでしょうか。
#165
○政府委員(木田宏君) 高等学校の一部の領域につきましては、これまでも柔道、剣道、計算実務等やはり特定の領域につきまして、その領域の教員がほしい、またその領域の教員養成が必ずしも大学の教育の中で十分に満たされていないという関係から考えておるものでございます。また、特殊教育の養護訓練につきましては、これは新たな領域でございまして、大学におきまして養護訓練を担当する教師の養成というのがほとんど体制がとられておりません。実務経験者の中から資格認定試験で迎え入れたいという考え方でございます。また、小学校の教員資格認定試験につきましては、幾つかの大学に委嘱をして試験を実施してもらうつもりでございますが、これは先般来資料でも御説明申し上げましたように、今日すでに小学校教員につきまして正規の免許状を持たない助教諭等の教師がかなりの数にのぼっております。そうした者の中で特に実力の上でも正規の免許状を持てるにふさわしい方がおられましたならば、それらの方々に就職前に正規の免許状が持て、そして正規の教員としての処遇もできるようにしてあげたい、こういう考え方からでございます。
#166
○加藤進君 その点に関しまして、中間報告では、大学教育になじみにくい分野あるいは大学における養成では十分できないような分野から逐次その実施範囲を広げていきたいと、こういうふうに書いておりますけれども、これが文部省の真意なんでしょうか。
#167
○政府委員(木田宏君) この中間報告に示されてありますように、大学教育でなじみにくい領域につきましては、どうしても実務者の中から資格認定試験によって教員資格を与えていくということを考えなければなりません。また、大学教育で十分な教員養成の体制がとり得ない部分、これは地域的にあるいはまた経過的な特定年度にそういうことも起こるかと思うのでございますが、そうした面につきましては弾力的な補完作用というものを考えたいという次第でございまして、やはりこの報告に示されている線で私どもも進んでいきたいというふうに思っております。
#168
○加藤進君 そうしますと、今度の改正では単にその特例による補完などということではなく、大学になじまないような分野やあるいは大学の教育では不十分にしかできないような分野ということでいくなら、これはもう文部省がそう考えられたらそのようなところにまで検定制度、免許制度が拡大されると、こう私は見なくてはならぬと思うわけです。そうしますと、これはもう教員免許法第五条一項の規定によって、大学等の卒業と必要な単位の履修によって免許状を取得するといういまの教員免許状制度と並んで、教員資格認定試験による免許状の授与という方式が今度は補完的な問題としてではなく、特例ではなしに制度としても並立したものとして位置づけられるのではないか、私は、そう見るのが普通の見方だと思います。けれども、その点文部大臣はどうお考えになっておりますか。
#169
○政府委員(木田宏君) 特例、補完というのは、それぞれの種目についてやはり必要が起こってくると思うのでございまして、今日でも工業の実習関係でありますとか、あるいは養護の関係でありますとかにつきましては、たとえば保健婦であるとか、看護婦の免許資格を持っている者を養護教諭の免許資格として位置づけるというような措置もございまするし、特殊な技能につきましては、工業実習等の教員につきまして、大学における養成ということになじみにくい領域は今日すでに特例として他の措置で免許状を授与できるような体制もとられておるわけでございます。でございますから、その例外的、補完的な措置というのは、それぞれ免許種類に応じて、その実態の推移に応じて考えられるべきものだというふうに思う次第でございまして、今回そうした例外的な措置をとり得る領域を特殊教育とか、高等学校の一部の領域のみならず、免許制度、いろいろな免許状につきまして広く認めていただきたいというお願いを申し上げておりますが、これはやはり補完的なことでありましても、教職にふさわしい人材を迎え入れる道をあけておくという趣旨から考えましたならば、そういう道を開いておきまして、教育界に意欲のある、そして実質的には大学卒と同等の能力を有するような方々を迎え入れる道をあけておきたい、そう考える次第でございます。そのことは、戦前の非常に進学者の少ない時期に教員養成を大学レベルで教育するという新しい理想を打ち立てまして教育職員免許法ができたわけでございますが、今日のようにあらゆる領域におきまして高等教育への進学が高まってまいりますと、大学における教員養成の資格を取った者以外にそうした道を開いていくということが新しい意味で教育界に人材を迎え入れるという意味のあることになり得るものだというふうに考える次第でございます。
#170
○加藤進君 ですから、補完とかあるいは特例であるとか、例外措置であるとかいわれてまいりましたこの教員免許の認定の制度、この制度が今度の改正によって一つの制度として確立され、そういう道が開かれると、これが私は今度の改正の最重点内容だと思いますが、そう理解していいでしょうか。
#171
○政府委員(木田宏君) 御指摘のように、今回の改正いろいろほかにもございまするけれども、資格認定制度を一般的にお認めいただきたいというのは重要な改正内容だとは考えます。しかしそのことは、考え方といたしまして本則を曲げようということではございません。今日までもすでに高等学校の一部の領域、盲学校、ろう学校等の特殊教育の領域につきまして認められております例外的な扱いを他の領域についても補完的な例外的な措置として認めていただきたいということでございまして、免許法の本則の考え方を否定しようというものではございません。
#172
○加藤進君 ですから、本則を曲げるものではない、こう言われるわけですけれども、本則と並行して、今回のような改正措置による教員認定の制度が導入されたということは、これは本則に並行し、本則と並列してこのような制度の存在の道を開いたということでございまするから、その結果は教員免許法制定当時の趣旨とは相当大きく内容的な変化が行なわれてきたと、こういうように私は見るのが当然だと思うわけでございますが、その点はどうでしょう。
#173
○政府委員(木田宏君) 本則に対して例外を、かなり幅広く各領域について本則に対する例外を認めていただきたいということでございます。で、その点は、免許法制定当時の趣旨を変えたことになるかという御意見でございますが、形式的にはいままで認めてなかったものを認めるのだから、免許法制定当初の原則に対して新たなものを認めるということになるではないかという御意見かと思いますけれども、しかし、免許法制定当時に学歴のない方に対して、従来の免許制度を廃止したということと、今日一般的に学歴が高まり、また大学への進学者もふえましたけれども、その中で在学中に教員の免許資格を取っている者の数は、ある一部の領域である。よって大学で在学中に教員志望のもとに所定の単位を取らなかった人でありましても、免許法制定以前の戦前のように、それらの方は学歴のない人だと一般的に言い切ってしまうわけにはまいりません。かなり一般的に幅広い教養を身につけた方が多くなった。また戦前と違いまして、ほとんどすべての青年が高等学校までは進学するような今日の状況に相なってまいりまして、そうして幅広い実務の世界にいろいろな領域でついておるのでございまするから、そういう方々の中から教育界に人を迎え入れる。その能力を十分に検討して迎え入れるということは、戦前の免許制度のようなものをそのまま復活するということには私は相ならない。ですから戦後の免許法が打ち立てました教員養成の資質が高い水準のものであるということは、今回資格認定制度を認めるにつきましても、やはり貫いていける。免許法の原則に従った水準を確保するという意味において私は本則を曲げることにはならないというふうに考える次第でございます。
#174
○加藤進君 ですから私の言いたいのは、免許法制定当時から見るなら社会事情、社会情勢の変化がある。これに対応してやはり教員の道を広げていかなければならない、その趣旨はわかります、そういう理由づけは。しかしそのことは、結果においてどうなっておるかというと、大学における履修を中心に置いて、教員の資格認定を行なうという制度から言うなら、このような制度の方向を一方で認めながら、同時に別のやはり制度をあらためて切り開いていく、こういうことは否定できないでしょう。私はそのことをとにかく確認をしてもらえるなら確認をしてほしいと思う。いいですね。
#175
○政府委員(木田宏君) 大学におきます教員養成という原則に対して、在学中教員の資格を取らなかった者に道を開くという、新たな方途を考えておるということはそのとおりでございます。
#176
○加藤進君 ですから社会事情の変化、社会情勢に応ずるためにこのような道を開かざるを得なかったと、こういう御説明だと思います。
 そこで、次に聞きますけれども、当面、実施すべき試験の種類の中に、小学校教員の資格認定試験があげられておりますね、これはどのような必要性から特に生じたのか、この点を一般論でなしに小学校の教員の資格認定試験として御説明願いたいと思います。
#177
○政府委員(木田宏君) 小学校教員につきましては、免許状の取得者と就職者との関係が、全国総数でとってみましてもかなり窮屈な状況に相なっております。たとえば昭和四十七年度におきまして小学校教員に就職をいたしました者が一万七千人おるわけであります。一方、昭和四十七年に新卒の学生で小学校教員の免許状を取った者が同じく一万七千人でございます。こういうふうに実際の現場の需要数と、それから免許状取得者の数とがかなり窮屈な対応関係になっておるということは地域別に見ますと、特定の地域におきまして適格者を得がたいという実情があるわけでございまして、事実一万七千人の就職者の中で助教諭等の資格としては不十分な方を迎え入れている数が二千人にものぼっておる次第でございます。これらは、各都道府県におきます地域的な教師の需給関係のズレから起こっておるもんでございますから、特に過密地域におきまして小学校教員の需要が十分に満たされないために、中学校の免許資格を持っておる者等が小学校に助教諭として就職をするというような例も少なくございません。また、幼稚園の先生等を小学校に迎え入れるという例もあるわけでございます。こういう需給の関係が窮屈な実態でございまするから、一般的には今後の需要増を見越しまして教員の養成増を、大学レベルの養成増をはかっていかなければなりませんけれども、特定の年次、あるいは特定の地域におきます需給の円滑化をはかりますために、補完的な措置として資格認定試験の制度を設けることによりまして真に能力のある方を正規の資格で小学校に迎え入れるようにしたいと、こういう考え方でございます。
#178
○加藤進君 そこで、お尋ねしますけれども、いま教員養成課程を持つ大学というのは全国で何校あるんでしょうか。また、そのうちで小学校教員免許状の発行できる大学は何校あるでしょうか。その数を教えてください。
#179
○政府委員(木田宏君) 大学、短大を合わせましてこの教員養成の課程認定を受けております大学、短大の数は昭和四十七年の四月一日現在で七百八十八大学ございます。そのうち小学校教員の免許状が出せるようになっております課程認定の大学は、大学におきまして七十七、短大におきまして四十二でございまして、合わせて百十九校でございます。
#180
○加藤進君 そうしますと、教員養成の課程認定のできる大学は七百八十八、そのうちで小学校の教員免許状の発行できる大学というものがわずかに約二割しかないと、こういうことですね。
#181
○政府委員(木田宏君) はい。
#182
○加藤進君 そこで、もう一つお尋ねしますけれども、小学校の免許取得者がどれくらい小学校に就職しているのか、これはできれば昭和四十六年、昭和四十七年、昭和四十八年の三月卒業でけっこうでございますけれども、その数字は明らかになるでしょうか。
#183
○政府委員(木田宏君) 昭和四十五年、四十六年、四十七年でお答えをさしていただきたいと思います。
 昭和四十五年三月卒業者で、小学校教員の免許状を取りました者は一万五千六百人でございます。そして、その年の卒業者で教員に就職をいたしました者が一万一千二百人でございます。四十六年は免許状の取得者が一万六千二百人でございまして、教員の就職者が一万二千人でございます。四十七年は一万七千三百人の免許状取得者がございまして、免許状取得者で三月卒業者の中で教員に就職をいたしました者が一万一千七百人でございます。
#184
○加藤進君 そうしますと、小学校の教員免許状の取得者で小学校に就職する率は非常に高いですね。これは私の一つの計算では七三・六%、これは昭和四十六年。ですから七〇%から七五%、あるいはそれをこえていると、こういう状況で、非常に免許状所有者が就職する率が非常に多い。ということは、そういう道をもし開くならもっともっと就職できると、可能だということですね。そこで、私はいまの数字を見て感ずるわけですけれども、もし政府が教員の養成は大学で行なうという基本で問題を解決される気なら、なぜ全大学のうちで二割程度しか小学校の教員養成ができないような現状を改めないのか。大学はある。あるけれども、大学のうちの二割しか小学校教員の免許状出さぬ。出さぬから、就職率は非常に高いにもかかわらず数が少ない。こういう結果、大学で教員を養成するということが何ら改善されておらぬじゃないですか。なぜ、このような教員養成の課程認定の大学があるなら、この大学に小学校教員の免許状を与えるような具体的な措置を、改善をなぜ文部省はやらないか。その方向で行政を押し進めていかないのか。その点はいかがでしょうか。
#185
○政府委員(木田宏君) 小学校の教員養成は、まあ全科を担当するということから、特定の専門領域の教科を担当できる中学校、高等学校と比べまして、教員養成の教育体制が必ずしも容易でないということが言えるわけでございます。したがいまして、先ほど課程認定の大学の数字も申し上げましたけれども、国立の正規の小学校教員の養成課程の大学以外にありましては、公立、私立ともまあ数が少ないと申しますか、認定を受けるに足るだけの体制を十分にとり得ていないということが一つございます。また、もう一つは、この正規の小学校教員養成大学と申しますものは、国立の大学のほかに、実は私立に二校ある程度でございまして、それ以外は、まあ課程認定こそは得ておりますけれども、やはり別の目的を持った一般大学で学生を教育しておるわけでございます。したがいまして、学生のその免許状取得という数もかなり限定をされてくる。一面で申しますと、それは確かに免許状取得するほどの学生は、小学校教員になることの意思のかなりはっきりした人であるということが一面言えますが、中学校や高等学校の教員免許状を取る者はたくさんあっても、教職への関係という点では必ずしも積極的に就職しようとしないという実態もございます。ただ、国の施策といたしまして、私立の学校に対して、その小学校教員の養成をするための措置を学校の意思と離れてとるわけにもまいりませんものですから、結局小学校教員につきましては養成大学というものを中心にして充実強化をはかっていくほかはなかろうというふうに考え、今後の養成増に対しましても正規の小学校教員の養成大学を拡充していくという方策をとる以外に方法がないのではないか、こう考えておる次第でございます。
#186
○加藤進君 私も、現状から見て直ちにこれが実施に移されるとは考えません。きわめて困難だと思う。しかし、教員養成は大学で行なうという原則はあくまで堅持しなくてはならぬ、これは免許法の精神ですから。堅持するとなれば、この困難は困難としておそれてはならぬ。どうしてもこれを解決する、解決するという意欲と努力がいままであるのかどうか、そうでなしにこの問題はこの問題で困難だとしてよけておいて、一方では免許法の趣旨を曲げてでも改正に向かう、こんな安易な方法は私はないと思うのです。その点、大臣どうでございましょうか。こういう資格認定の大学が存在するんです。この存在する大学で小学教員をもっと育成するということのために抜本的な努力を文部省が払う、こういうことができるならば、この問題の解決の道は私はあり得ると思うのです。その点はどうでしょうか。
#187
○国務大臣(奥野誠亮君) 四十八年度の予算の場合にも、大学の小学校教員養成課程、二百名ぐらいのようでございますけれども増員をさせていただいておるわけでございます。それと別個に、先ほど加藤さん自身が情勢の変化に対応してというおことばをお使いになりましたけれども、そういうような意味合いを含めまして補完的な意味であわせて資格認定試験の制度にも踏み切らしていただいたということでございます。両建てで進んでまいりたいと思います。
#188
○加藤進君 その両建てということばのことばじりをとらえるわけではございませんけれども、本旨はどこにあるかということを文部省は忘れてはならぬ。教員免許法の趣旨、精神がどこにあるのか、そのために私はいままで相当議論をしてきたわけでございますから、その趣旨、精神を十分に生かしていくという方向でこの問題を解決する、これは私は大事だと思う。しかし、同時に、なおかつ現状から見てこれだけでは不十分だと、不十分だという点については例外的な特別の措置をもって特例でこれを解決していく、こういうことを私は残されて決して間違いではない、こう思いますけれども、その趣旨、その本旨が忘れられるというところに私は今日の大きな問題点があるんではないか、こういう点を私は指摘をせざるを得ない。
 そこで、続いてお聞きしますけれども、教員養成は大学で行なうという趣旨まで文部省は否定されるわけではもちろんないと私は信じますし、そういう精神は大学だけではなく、教員資格検定制度の中においてさえできる限りこれを確保していくということを趣旨とし、努力目標として必要だと、こういうふうに思いますけれども、こういう教員資格認定制度の中においてさえ教員養成は大学で行なうと、同等のものが認定制度の中に生かしておるかどうか、この点をひとつ御説明を願いたいと思います。
#189
○政府委員(木田宏君) 御指摘のように、資格認定試験が大学の養成と同等のものであるという心証を得られるような内容のものでなければならぬというふうに考えております。そこで、試験といたしましては、第一次試験と第二次試験に分けて、第一次試験では大学で養成されております一般教養科目、教職専門科目、教科の専門科目につきまして筆記試験を行ないまして、大学において履修した内容と同等の学力を有するという立証を得るようにしたいというふうに考えておる次第でございます。また、大学でこれらの科目を履修して教職の必要単位を取ってない者につきましては、その大学で履修した部分は免除できるような、同等措置をこれは講じてまいりたいというふうに思います。
 第二次試験は、教科の専門科目についての論文試験及び小学校の場合では音楽、図画工作、体育等にかかります実技試験を行なうことによりまして、全科担当の教員としての資質を十分に立証できるようにしていきたい。これまた、これらの資格認定試験を大学に委嘱して実施をしてもらうつもりでございまするから、その水準は大学教育の内容と相当のものが確保できるもの、こう考える次第でございます。
 なお、さきに御質問のありました際に、文部省が小学校教員養成につきまして、これまでも四十五年から約千名の定員増を行なってまいりました。四十八年度、大臣が申し上げましたように、二百余名の定員増を行なった次第でございますが、今後も先般他の委員の御質問にお答えいたしましたように、四千名前後の拡充をはからなければなりませんから、大学教育を中心にして拡充をはかっていくという点はひとつ御理解を願いたいと思います。
#190
○加藤進君 この点では高等学校教員資格試験規程がございますね。その第四条に「試験の方法」として「資格試験は、受験者の人物、学力及び実技について、筆記試験、口述試験又は実地試験の方法により行なう。」こう規定してございますね。
 そこでお尋ねしたいのですけれども、こういういま規定されたような試験によって一体どうしてこの人は教員としてほんとうに素質があり、資格がある。教員としての専門職としての資格、こういうものがあるということを一体どこで判定できましょうか。
#191
○政府委員(木田宏君) 一般的な教職についての知識あるいは自分の専門とする教科についての専門的な知識、また必要な実技についての能力の立証のほかに口述試験等を行なうわけでございまして、試験官がこれは多くの場合にみな大学の教官層で構成されるわけでございますが、その試験官のその試験の過程を通じまして私は十分にその能力の立証というものが得られることになるものというふうに考える次第でございます。
#192
○加藤進君 これはたいへんなことでございまして、第一次試験と申しますとそれは筆記試験、それから口述あるいは面接試験ですね。そこで審査官がその人の人物あるいはその人の学力、資格なんかを判定するわけでしょう。これ、教員の資格がほんとうに受験者にあるかどうか、事柄は専門職でございまして、これは教育基本法第一条「教育の目的」を果たすべき資格を持っておるかどうか、こういうことを判定するのにペーパー試験や口述試験あるいは面接でできると、こういうふうに文部省考えておられますか。
#193
○政府委員(木田宏君) お尋ねの趣意がもっと別のところにあろうかと思いまするけれども、私どもは、こういう経験者がその自分の習熟した領域につきまして試験を課する、その試験はただ単なる筆記試験だけではなくて、筆記試験のほかに口述試験と実技の試験というものを行なっていきます間に、それだけの判定ができ得るものだというふうに考える次第でございます。
#194
○加藤進君 あとほどもっと具体的な内容については質問しますけれども、いまの教員免許制度では大学において四年間勉強をして、そして所定の単位を修得した者に免許状が与えられると、こうありますね。だから免許状を与えられるということの資格は非常に厳格である、きびしいものがある、内容的にも。こういう過程を経なければ教員としての専門職としての資格が判定できない、私は根本にそういう考え方があるからこそこう言っておるのだと思います。したがって、学力なりあるいは人物なりこれは四年間の学習課程を経ていればこそとにかく彼はだいじょうぶ、教員としての資格はある、彼は残念ながら子供がきらいなような性格ではだめだ、いろいろなことが判定できるのです。それはそうでしょう。そして一番基本は何かといえば、学識もありあるいは教養も必要なんだけれども、ほんとうに子供を未来の国の主人公として育てていくために必要な広い知識や教養、そして愛情が必要だと、こういうことが判定されなければ、これ教育を専門職としてほんとうにこれに認定を与えるということは不可能じゃないでしょうか。
 そこで、私聞きますけれども、この認定制度によりますと、教員となるための必要な教育実習、これは大学ではきわめて重視していますね。それから憲法学習、これは義務づけられていますよ。そうですね。規定にありますが、これどう考えておられますか、教育実習と憲法実習。
#195
○政府委員(木田宏君) いまの大学におきます一般教育の科目の中で必要な憲法あるいは心理学等について履習すべき必要科目につきましては、資格認定試験の際にも同じようにその科目につきましての試験を実施することによって担保できると考えておるのでございます。
 教育実習につきましては、広く各地に散らばっております受験者に対しまして教育実習を試験機関を通じて管理していくだけの実務上の問題点が十分に解決されませんので、これは自後の採用者側における指導にゆだねるほかはないというのが、残念ながら、今日までの論議の過程から出ておる結論でございまして、で、いままでの資格認定試験におきましても、そのように教育実習という方途をとらずに、例外的な資格認定試験を行なってきております。まあこれを他の領域にも広げたいということでございますけれども、その際にも、教育実習につきましては資格認定試験を実施したあとの採用者側の採用時の課題にして指導を適切に依頼をしたい、こう考えている次第でございます。
#196
○加藤進君 それでは、ちょっと聞きますけれども、今度の検定制度の改正によって憲法学習というのがどこに規定されているのですか。
#197
○政府委員(木田宏君) 今度、資格認定試験の制度を省令をもちまして現在ありますものと同様に明確に規定をいたしてまいりますが、その際に一般教育の内容として必要な試験科目を資格認定試験の制度として明確にしていく所存でございます。
#198
○加藤進君 ところが、今度の検定制度の改正によって憲法学習を含む一般教育科目三十六単位が削られたということはどういうことですか。
#199
○政府委員(木田宏君) この大学におきます一般教育科目という科目区分そのものも、大学設置基準で各大学を全部通じましての共通概念でございますが、一般教育科目は大学における教育の一番基本になっております重要な科目でもございまするから、大学の設置基準の定めにゆだねるという方途をとらしていただいて、各大学で一般の学生に指導いたします一般教育と同じような一般教育を教員養成の場合にも考えられるようにしておきたいということから、一般教育科目の三十六単位等の規定を削除さしていただいておるわけでございます。しかし、今日も施行規則の中で大学教育における一般教育の科目の中で教員について特に必要なものにつきましては、三十六単位の中にありましても、なお憲法でありますとか、あるいは心理学でありますとか、そういう必要単位は省令の中で三十六単位の履修区分として書かしていただいております。でございますから、今後大学におきます一般教育と同じ程度の教育を履習しておるということを資格認定試験の場合には要求することになるわけでございますが、その際にどうしても普通の一般教育科目でどれでもいいということではなくして、教育者として必要な心理学等最小限の科目は別途規定をしていく、そして受験者の受験科目の中に一般教育科目としてこういう内容のもの、教職科目としてこういう内容のもの、教科専門の科目としてこういう内容のものということを明確に位置づけていきたいというふうに考える次第でございます。これは、たとえば小学校教員の資格認定試験にいたしましても、試験の実施を各大学にゆだねることになりますので、大学によりましてあまりに試験科目が区々になるようなことがあってはいけませんから、文部省におきましてその必要基準というものは明確にいたしたい、こう考えております。
#200
○加藤進君 ともかく、従来の免許法におきましては、憲法学習を含む一般教育科目は三十六単位履習しなくてはならない、これが条件ですよ。この条件がはずされてきている。ここに私は大きな今度の検定制度の変更がある。
 それからもう一つ、先ほどは教育実習というのは、認定試験その他において非常にむずかしい、困難だ、こういうことを理由にして免許状を与えたあと採用試験の間にやると、こう言われました。しかし、本来、免許状が与えられるための必須条件として教育実習を経なくてはならぬ、これは私は免許法の基本だと思うのです。これが今回は、免許状を出してそのあと採用試験の前にやる、あるいは採用試験の中でやる、こういうふうに変えられたということもまた重大な変更だと私は見なくてはならない、その点、どうでしょうか。
#201
○政府委員(木田宏君) 現在の免許法にありましても、たとえが例外的な教科になるわけでございますが、工業の免許状を与えます場合の履習要件の例外といたしまして、専門科目でもって教職の科目を代替できるというような例外規定が今日も認められておりまするし、また盲学校等の教員の特例あるいは柔・剣道の実技等にかかわります教員の特例について資格認定試験の制度を今日でも実施をいたしておりますが、その今日の実施につきましても教育実習というものを事柄の性質上試験の内容として課することが困難でございまするから、これは事後の指導にゆだねるという制度で今日もすでに実施をいたしておるわけでございます。ですから今回初めて例外をつくるということでは必ずしもございません。ただ、こうした例外的な資格認定試験の制度が一般化します関係上、より以上その点についての指導上の留意を加えなければならぬということは十分に私どもも心得ておるつもりでございます。
#202
○加藤進君 ともかく、今日の現行の免許法では、憲法学習を含む一般教科の学習は義務づけられた。しかし、三十六単位が今度の改正において削除されたということは厳たる事実です。
 もう一つは教育実習、これは単位認定の必須条件である。こういうことが免許法の基本の精神だと思う。ところが、従来なしくずしにもうすでに行なわれてはおりますけれども、今回やはりこの教育実習というものをなくして免許状を与えるということがやられるわけですから、これも私は重大な免許法そのものの変更だと思う。そういう意味では一体政府が教育実習というのをどれくらいに見ておるのか、つけ足しのように見ておるのか。教員として教壇に立ち、子供を教えるためのぜひとも経なくてはならない必須の条件でないと考えておるのかどうか、私はこの点についての認識が非常に重要な問題だと思います。その点文部大臣どうでしょうか。
#203
○国務大臣(奥野誠亮君) 非常に必要なことだと考えておるわけでございます。
 ただ、教員資格認定試験制度の性格から、なかなか事前にそのことを十分行なえない。したがいまして先ほど来御答弁申し上げておりますように、任命権者の手で十分実習をその後において行なうということにおいて補いをしたいと、こういうふうなことを考えているわけであります。
#204
○加藤進君 そう言われるから困るんです。免許状をとにかく与えるというなら、免許状を与えるための必須条件に教育実習がなくてはならぬ、これはもう教育現場の方みんなそう言います。ところが今度の認定制度によりますと、それがあとに与えられる。いわばあとについていく。免許状は先に与えられる。免許状の資格ではないんです。こういうことが今度の改正の中で大きな問題として出てきておるということをぜひとも忘れてならぬ問題として指摘したいと思います。ですから文部大臣が一番初めに私の問題提起を聞かれたと思いますけれども、戦後の教員養成の理念はくずさないと言われておりますけれども、そういう理念の最も主要な内容である教育実習は免許状からはずされておるわけですから、その資格が。これこそ実は戦後の教員養成の理念そのものがくずされてきておると言わなくてはならぬ。これはくずすのはやむを得ない、事情むずかしい、むずかしいことはわかりますよ、現状からいって。しかし不可能だろうか、やってやれないことはないんじゃないか。こう思いますけれども、その点はどうでしょう。たとえば大学がある、付属学校がある。ところが付属学校は手一ぱいだとよくおっしゃいます。手一ぱいなら手一ぱいでもっと拡充したらどうですか。この努力をしないでおいて、そしてまたここにその大学における実習だけではなしに、教員認定試験を受ける諸君までをこれに含めて実習を課するというようなことは私は絶対不可能などと言うべき問題ではない。やればできると思います。なぜできないのか。
#205
○政府委員(木田宏君) 大学の学生でございますならば、その学生に対して指導の責任を持つ当局側がある程度の長期間にわたります教育実習の体制をとることも可能でございます。また採用の予定がきまりました者につきましては、採用者側の立場におきまして必要な教育実習の機会を用意することも可能になってまいります。しかし、ある特定の期間、それぞれ所在もあるいは日常の生活、仕事の場も違いますこの教職にまだ関係のない一般の受験者を対象にいたしまして、長期の教育実習をいたします管理上の責任機関をどうするか、あるいはそれを受け入れる側の機関をどうするかということを考えますと、なかなかこれは容易ならぬ問題でございます。でございまするから、やはりこの資格認定試験の制度につきましては今日もやらしていただいておりますように、教育実習以外のいわゆる試験によりまして免許を一応与えて、採用者側の採用内定以降の段階におきましてその指導を厚くする、こういうことには事実上非常にやりにくいということを感じておる次第でございます。
 また、教育実習全般につきましても今後改善くふうを加えなければならぬ点がいろいろとございます。申し上げるまでもございませんけれども、医師の場合には、インターンを免許状のあとの研修ということに位置づけるという改正がいろんな論議の過程のあとで行なわれました。今日、学校の、特に私立学校等の関係者の意見でございまするけれども、教育実習は採用後のことにしてもらいたいという意見なども出されておりまして、一方では、教育実習を事前の措置としてより充実しなければならぬという御意見もございまするし、一方では、事後のものにして、試補制度等もこれに加味して考えろという御意見もございまするので、教育実習全般の扱いにつきましてはしばらく検討さしていただきたい。この資格認定試験につきましては、従来やってまいりましたようなことで、教育実習の足らない点は指導上の問題として補わしていただきたい、こう考える次第でございます。
#206
○加藤進君 これは、指導上の問題というような理由では認めがたい私は重要な意味があると思います。そもそも教職を専門職として確立していく、そして国民の教育をゆだねるということがやっぱり戦後の教育理念の中心なんですから、その意味において教育職が真にその本人にとってはたして適正であるかどうかを認定する。このことがやられなければ、私は教育者としての資格を与うべきではない、これが私は基本だと思う。ですから、大学も十分に拡充する努力を払っていない、付属学校についてもあまりやる気はないということになれば、結局、ぺ−パー試験とあるいは面接試験等々によってきわめて安上がりな試験を通じて学校の教員をつくっていく、こういう道を私は文部省はとろうとしている。これが私は今度の法改正の内容になってきておる。したがって、もしこのままのことを許すならば、教員のほんとうの魂である専門制というものを忘れて技能主義に走る。試験さえ通ればいい、こういう安易なやっぱり教員養成の方向に傾きつつあるという点を私は特に警告したいと思います。
 そこで、いろいろこの付属学校の問題についても言われましたし、また、教育実習の問題についてもいろいろ意見があるというふうに言われましたけれども、私は、ここに昨年十一月に出された、国立大学協会の教員養成制度特別委員会で出されておる「教員養成制度に関する調査研究報告書」というのがございますね。お手元にあるとおりです。この中にはいろいろな指摘がありますけれども、特に付属学校についての見解を述べております。たとえば七〇ページの一番下の段によりますと、「附属学校の教官当たり積算校費の予算単価は、校長については、学科目制非実験の教授と同等であるが、教官に関しては、学科目非実験の助手の七〇%に及ばないのであり、予算的に附属学校の経営が貧困であるばかりでなく、およそ「研究」の可能性は附属学校自体としては、ほとんど財政的に保証されていないというべきであろう。学科目制あるいは課程制の場合と同様、附属学校予算についても年次毎の増加率は、講座制を上回るよう、多少の配慮は加えられているものの、絶対的な低額は改善されず、到底そのあるべき機能に見合うものではない。この財政事情は、教員の給与が地方教育公務員よりも低水準にあることと相俟って、附属学校の運営をしばしばゆがめる結果になりかねないのであって、附属学校財政の抜本的改善は、附属学校教官の待遇改善とともに焦眉の課題のひとつである。」こういう指摘が、なされておるわけでございますけれども、これは昨年の十一月、免許法改正の出される前でございますから、これはもう敏速に文部省としても検討に値する指摘ではないかと私は思いますけれども、この国大協の指摘に対してどのような文部省側の対応があるのでしょうか。
#207
○政府委員(木田宏君) 御指摘のように、この時点で付属学校の教官当たり積算校費が非常に低いという問題がございまして、これは四十八年度予算から三カ年計画で付属学校教諭の単価を大幅に引き上げる、三年計画で引き上げることにいたしまして、初年度実施に着手をいたしました。
 また、教員の給与が地方公務員よりも低水準にあるという点が人事交流上もいろいろと問題を起こしておりますので、先般人事院とも協議をいたしまして、公立の学校から国の水準よりも若干高い教官を迎え入れます場合に、あまり急激なダウンにならないように、まあどんなに高くてもそのまま受け入れるというわけにはちょっとまいりませんのですけれども、三号程度までの調整はとらせていただくという相談ができまして、今日すでに実施に入ってるところでございます。いろいろと指摘のあります点は改善につとめておる次第でございます。
#208
○加藤進君 いま、大学で教育実習が必要だと言いながら、実際上その実習そのものが困難に当面しておるというのには、これは付属学校の整備が不十分だという点が明確に私はここで出されてきていると思う。財政的な措置ばかりではないと思います。ことに重視しなくてはならない。そうしてこの付属学校において、当の大学の卒業生やあるいは実習生ばかりでなしに、検定を受くべき諸君についてまでその教育実習の場を提供する。これくらいの腹を持って取り上げていただくなら、私は教育実習の問題を検定制度の中にも生かし得るのではないかと考えるわけでございまして、その点特に、いまの局長の答弁もありましたけれども、付属学校の整備充実のためにさらに一段と努力すると、こういう文部大臣の御決意はいただけるでしょうか。
#209
○国務大臣(奥野誠亮君) 当然なことだと思いますので、努力をしていきたいと思います。
#210
○加藤進君 そこで、教育実習の問題の最後に申し上げなくてはならぬのは、こういう教育実習をしないままに教育面において仕事をしてもらわなくてはならぬわけですから、私は少なくとも文部省として認定をする以上は、教育についてこの人は十分にその能力と資質が存在する、こういうことを明確に私は客観的に表示しなくてはならぬと思います。その点について文部省はどうお考えになりますか、どうされますか。
#211
○政府委員(木田宏君) これは資格認定試験の全課程を通じまして、免許資格を与えるにふさわしい能力の実証があるという確認がされました場合に免許状を出すことにもなるわけでございますから、その資格認定試験の合格、それを受けた免許状の発行ということによりまして能力を示し得ることになると、こう考える次第でございます。
#212
○加藤進君 私は、そういう点におきましても、文部省が教育職というものの重要性とその専門的意義ということについて、なお十分な認識を持っておられないのじゃないかということを危惧します。その意味におきましても、この教育実習をはじめ憲法学習、一般教科科目の学習というような点を含めて、私は教員認定試験制度そのものを真に生かしていくという気なら、ぜひともこれを充実さしていく必要がある。こういう点を強調しなくてはならぬと思いますし、教員の免許状が渡されるというなら、その人はだれから見てもりっぱな教育者としての人材であるという太鼓判なんですから、その意味における文部省の責任というものはきわめて大きいと、こういうふうに私は見なくてはならぬと思います。
 その点で、私は最後の締めくくりとしまして、以上いろいろ論議しましたように、一つには一般教科科目が削除されて、そうしてこれが学習の義務的な内容からはずされたという点や、教育学習についての文部省の見解等々を考えてみると、私はこの文部省がこの教員認定制度そのものもきわめて安易に考えている。そしてただ単に人材確保だ、また人員不足を補うのだと言われますけれども、それは本来の教育者を真に育てて、その育てた教育者に対する太鼓判としての認定を与えるというのではなしに、安易なペーパー試験や面接試験等々を通じてこういうことをあえて行なわれようとしておられるところに、私は今度の改正案のきわめて危険な内容が重大な内容がある、こういう点を指摘しなくてはならないと思うのです。
 ですから私は、特に最後に大臣にお尋ねしますけれども、こういうことで戦後の教育政策において教員養成の理念はあくまで守ります、こういうふうに言われたけれども、守るということはことばの上では言われておるけれども、その内容においてはきわめて大きな部分が取り下げられておるのではないか、こういう点ですけれども、その点はいかがでしょうか。
#213
○国務大臣(奥野誠亮君) 先ほども申し上げたわけでございますけれども、戦後の教員養成、それは広く大学教育によって取得させるたてまえをとっておりますし、戦前の師範学校というような特別の学校制度や、一般的な教員検定の制度等による意思は毛頭ないわけでございます。
 同時に加藤さんのお話、いろいろ伺いながら、私は戦前といまの教育の実態はすっかり変わっているということについてもう一ぺんお考えいただいてもいいのじゃないだろうかという気がするのでございます。戦前、大学に進む方はほんの数%だったと思います。いまは三割の方が大学に進んでおるわけでありますし、私たちは六十年代には四〇%の人たちが大学に進むようにしたいと考えておるわけでございます。大学教育というものを何か特殊なもののように先ほど来おっしゃっておることが聞こえるわけでございまして、これは一般的な日本の姿なんだと、大学教育を終えたということは何か特別の意味があるようにおっしゃるのですけれども、私たちはもうこれが普通の世の中にしていこう、こう考えておるわけでございます。たまたま大学教育におきましても教員養成課程を選ばなかった、選ばなかったけれども、しかし教育界に自分の生涯をささげたい、こういう熱情の方もあるのじゃないか。あるいは不幸にして高等学校から大学に行かれなかった、それでも戦前と比べますと中学校も出ていますし、高等学校も出ておるわけでございます。必ずしも偏狭と言えないのじゃないか。そういう方が情熱を持っておられるならやはり教育界に迎えられるようにすることは非常にとうといことじゃないか。こんな気持ちを持っておりますので、ここら辺はひとつぜひ誤解のないようにしていただきたい。何か大学を終えたということが特別なことのようにたびたびおっしゃっておる。そこは私たちが考えておるのと相当な開きがあるという感じを抱かざるを得ませんので、これだけは申し上げさせていただきたいと思います。
#214
○加藤進君 私は、何も戦前の大学像を夢に、頭に描いているつもりはありません。今日、大学に通学し、学習をする青年諸君がその比重を高めれば高めるほど、大学こそ教員養成の場であるということがますます意義を持ってくるわけですから、その基本をとにかくはっきりさせた上で教員養成に当たってほしい、このことが第一です。
 第二には、それは教育者になりたいという情熱を持っておられるような人たちが、大学に行かれなくて高校どまりだということはあり得ます。あり得る人たちに対してどうするかということでございますけれども、その情熱は十分にくみ取りながら、なおかつ教育という専門職に当たるための必要条件を十分に備えていただかなければ、教壇に立ってもらっちゃ困る、これは私は国民教育の立場からいって当然強調しなくてはならぬ問題であって、そこに私はやっぱり厳粛な、しかもきびしい条件が必要だ。このことは私は免許法の精神として強調されてきておることだと、こういうふうに考えます。その点はよろしゅうございますね。
 そこで私は次の問題に移りますけれども、これは教員選考の問題でございます。検定制度を拡大し、普遍化するという理由の一番大きな問題として、教員が足らない、こういうことを文部省は強調されておりますから、その点の問題に入りたいと思いますけれども、教員免許状の保有者の数はいま年々ふえておるのか、減りつつあるのか、その動向について、小・中・高と分けてひとつ数字をお示し願いたいと思います。
#215
○政府委員(木田宏君) 教員免許状の取得者は、大学への進学者の増に伴いまして年々拡大の傾向にございます。先ほどは小学校教員の免許状の取得者の状況を四十五年、四十六年、四十七年の三カ年について申し上げました。その間の若干の増が見られるという点もその数字で申し上げたところでございます。また中学校教員につきましては、年によって若干の増減はございますが、大体免許状取得者の数は九万人ほど出ております。高等学校につきましては、これまた年によって若干の増減はございますが、大勢といたしますと昭和四十五年以降六万六、七千人という数字に相なっておるところでございます。もっとも、これは延べ数、免許教科単位の延べ数でございますから、実員がこれだけいるということでは必ずしもございません、念のため申し添えます。
#216
○加藤進君 ですから問題は、免許状を保有しておる方たちの数はだんだん増大してきている。これは事実ですね。したがって、免許状を取って将来教壇に立とうという意思と希望を持っておられる方は非常に多い。これもまた私は免許状の取得数字で示されてきていると思うんです。ところがそれほどどんどん免許状の取得者がふえておるにかかわらず先生が足らないということはどうなのかというのは、きわめて素朴な国民の側からの私は疑念だと思います。これはどういうことでしょうか。
#217
○政府委員(木田宏君) 先ほど申し上げましたように、小学校につきましては、免許状を取得する者と小学校で必要とする単年度の就職者の数が全国的に見ますと一万七千と一万七千というふうにほぼ拮抗した数字になっておりまして、これが地域別に見ましていろんなそごが起こってまいりますものでございますから足らないということが起こってまいります。また、中学校、高等学校にありましても、免許教科によりましては必ずしもたくさんの養成数があるということでもございませんし、また免許状を取られた方々が卒業後すぐ教壇に立つという意思を皆さんが持っているというわけのものでもないという関係上、地域的に教科によりまして、また局部的に需給のアンバランスが起こる。これらが職業教育とかあるいは特殊教育の拡大とか、そういう時代の先端的な動きのところにより多く問題意識として感じられてくる、こういうことだろうと思うのでございます。
#218
○加藤進君 いろいろいまおっしゃったことがすべて間違いだとは申しません。しかし一番基本的なことは、教員免許状の取得者がこんなに多いのに教壇につき得ないという一番大きな問題は何かというと、教壇に魅力が足らないということじゃないでしょうか。先生になって、そうしてほんとうに希望に沿うようなりっぱな教職を経ていきたい、教員になりたい、こう思っても、現状教員の現場がそれにそぐわない、魅力もない、希望も与えないような状態が存在する。私は、基本的には一番大きな問題はそこにあると思います。ところがそのような教員の希望者に魅力ある職場をつくらなくて、きわめて安易な方法で検定によって人材を集めよう、私はこういうところに大きな問題点がある。これは本末転倒の議論ではないか。こういうふうに考えますけれども、その点はどうでしょうか。
#219
○政府委員(木田宏君) 教育界の職場が魅力あるものでなければならぬということはもう御指摘のとおりだと思います。これは魅力がなければ検定をしてもやはりしょせん就職ということを期待するわけにはいかぬのでございますから、魅力ある職場にするということは、免許制度の実質を担保しますための非常に重要なことでございまして、今回、人材確保の法律案等を政府で提案いたしておりますのもその一つの方策だと、こういうふうに御理解を賜りたいと思います。
#220
○加藤進君 続いてお伺いしますけれども、教員が不足だ、不足だとこう言っておられる。ところが四年制の大学を卒業して、免許状取って、かつ本人は教職につきたいとい念願を持ってきておる。ところが都道府県の行なう採用試験できわめて意図的に不合格にされて教職につき得ない人が非常に多いという事実、この事実を文部大臣、文部省御存じでしょうか。
#221
○政府委員(岩間英太郎君) そういうことは聞いておりません。
#222
○加藤進君 ですから教育現場についてほとんど実質的な認識がないと言って私はいいと思いますが、ここに資料があります。これは二十八国立大学についての資料です。この資料によりますと、昭和四十八年度教員採用選考の結果、二十八の国立大学の教育学部教員養成課程の学生だけで千八百六十五人が不合格になっております。理由は何かというと、ほとんどは自治会活動をやったということにあります。この点文部大臣、これはうそだと思いますか、これは事実だと考えますか、どうでしょうか。
#223
○国務大臣(奥野誠亮君) ちょっと事情を私つまびらかにしませんので、何とも申し上げかねます。
#224
○加藤進君 しかし、もし自治会活動をやったというような理由で、せっかく教壇につこうと熱望しておられる学生諸君が不合格でふるい落とされたというようなことがあるとしたら、これはどうなんでしょうか。いいことなんでしょうか、困ったことなんでしょうか、改善すべきことなんでしょうか。
#225
○国務大臣(奥野誠亮君) 自治会活動ということばがよくわかりませんけれども、大学はそれぞれ自治を許されているわけでございましょうから、その自治活動のゆえをもって拒否されるということはちょっと考えられないのでございます。
#226
○加藤進君 もしあるとすると、何らかの行政指導を通じてそういうふうな点は改善される気持ちはありましょうか。
#227
○国務大臣(奥野誠亮君) いずれにしましても、自治活動をやったがために拒否されたということは私はちょっと考えられないと思います。ほかにあるいは刑法に触れるような問題かあったとかというようなことでありますと、何ぶん教職のことでございますので、そこは厳粛に考えなければいけないのではないかという気持ちはございます。
#228
○加藤進君 もう一つそれに関連しまして、人口急増地域で非常に教員が足らない、こういうことか特に強調されていますね。したがって、人口急増地域においてはネコの手も借りたいくらい教員がほしいということが当然出てくると思いますけれども、残念ながら私たちの得ておる資料におきますと、同様のことがそういう人口急増地域における大学で起こっています。埼玉大学、千葉大学、東京学芸大学、愛知教育大学、和歌山大学、大阪教育大学など十三の大学の学生の相当部分が自治会活動をやったということが理由になって不合格になっています。たとえば東京教育大学です。これは一次試験で五百九十三人受けました。そのうち百一人が不合格、第二次試験では三百二十六人が受けられたのに対して百四十六人は不合格、こういう数字は昨年に比べると三倍にのぼっているんですよ、ことしは。また別の資料によりますと、最も人口急増県といわれる神奈川県ではどうか。横浜国立大学の教養学部の学生が本年も三十一名不合格になりました。ここに資料があります。こういうことは一体、決して私はただ不合格になった、それは自治会活動だということだけを言っておるわけじゃないし、証拠がありますよ、証言がありますから。ありますからあえて私はここで資料を出して言っておるわけですけれども、こういうことは一体許しておいていいことかどうか。私は、教員が足らない、足らないといっておられる。ところが優秀な教壇を望んで一生懸命に試験を受け、そして希望を持って行かれる諸君に対しては、おまえたちは自治会活動をやったからいかぬとみんな振り落とされる。こんなことを許しておいていいのか。私はこの点については大臣真剣に考えてもらわなくちゃいかぬと思うんです。事実についても十分調査してもらわなくちゃならぬと思うんです。これは私は決してうそは申しませんよ。大学関係の諸君からみんな訴えが出てきておりますから。その点もう一度文部大臣、こういうことは決して一局部の問題ではない、全国的に起こっている問題だ。これは全国的に起こっておりますという証拠に一冊の本ができております。「教員不採用の実態、不合格通知」こういうのが出ておりますよ。全部この内容をみてごらんなさい。こういうことが文部大臣や文部省の担当局長なんかによくわからないとか、そういうことは存じませんでしたとか、初めて聞きましたなどというようなことを言わせるべきものじゃないと思うんです。読まるべきものだと思うんですよ。こういうことが現に一般化されて、その結果が一つには教員の不足ということになっておるんじゃないですか。教員は足らない足らないと言いながら、自治会活動やっている諸君に対しては足らないけれども目をつむって、こんなものは要らない、こういうことが平気で行なわれているという点について、私はもっともっと真剣な答弁をお願いしたい。
#229
○国務大臣(奥野誠亮君) 私の承知している範囲では、教員の試験をする、合格者のうちから選考して適材を選ぶというようなことをやっているように記憶しているわけでございます。したがいまして、試験の合格者は全部採用するということでやっているわけじゃないです。試験に合格しましてもみずから他の職種を求めて教職につかれない方もあるわけでございます。したがいまして、試験の合格者と教員として採用した者との間にはかなりな開きがどの府県でもあろうかと思います。
  〔委員長退席、理事楠正俊君着席〕
これはやむを得ない運営の方法じゃないかと、かように思います。もう一つ、自治会活動したために教員の適格を疑われるということは私は適当でないと思うんであります。しかし刑法に触れる行為をいろいろやっているということになってまいりますと、やはり教職の身だけに、そこは厳正に判断されてもやむを得ないじゃないだろうか、こういう感じもいたします。今後ともこういう考え方でよく指導に当たりたい、こう思います。
#230
○加藤進君 刑法に触れるような学生に対してまでどうのこうのなどということを私は申しておるんじゃありません。自治会活動といって、当然認められておる大学学校内における生徒の自主的な活動をやったということが理由になって、それが不採用のいわば根拠にされているということについては黙っておれぬ。こういうことを私はあえて重ねて強調したい。
 そこで、いろいろ試験によってやはりふるいがあるわけだからこれによる不合格ということも起こり得る、これはまあ理屈からいうとそのとおりだと思うのですね。そこで、このような大学において一体どういう採用試験が行なわれているか御存じですか。採用試験の内容です。採用試験の問題です。これはそう私が申しましてもすぐにこうだとは答えが出てこないと思いますけれども、ここに私はこまかい資料を持っておりますけれども、たいへんな試験問題が出るのです。これは逐次簡単な例証になるような問題だけを申しますけれども、四十八年度神奈川県公立学校の試験問題、こういうのがあります。これは一般教養問題の例と教職教養問題の例を簡単にいたします。
 一般教養問題。次の問いにお答えください。
 「わが家の今日の夕食で、副食は、カキフライとシュウマイとギョウザの取り合わせでした。娘が家族にそれをすべて取りまぜて取り分けたところ、丁度一人あたり十二個ずつになりました。取りかけたお皿をみると、すべてカキフライがもっとも多く、次にギョウザがもっとも少なく、取り合わせはすべて異っていました。私の皿には、ギョウザが二個以上ありましたが、妻のは家族の中でシュウマイが一番多く、娘のお皿だけがシュウマイが四個でした。カキフライは始め二十六個ありました。」
 そこで、「問1 すべてカキフライが最も多く、ギョウザが最も少なく、取り合わせがみな異なって一人あたり十二個になる分け方は何通りありますか。」
 第二問「わが家の家族は全部で何人ですか。」
 第三問「始めあったギョウザの数を求めなさい。」まあいわばこういう問題です。これは一般教養問題です。ちょっと常識はずれじゃないですか。
 次には、教職教養問題のほうの実例を紹介いたします。
 教職教養問題。「次の一から十六までの、ここに指摘したものについて密接な関連を持つものをそれぞれについて五つずつ下の一から十六の中から選んで、番号で若い順にお答えください。」こういうことで、これが教職教養問題です。
 「広域採択、IQ、CAI、無償供与、学習指導要領、教育機器、生活指導、電波教材、ホーム・プロジェクト、ワークブック、展示、視聴覚的方法」その次はちょっとわかりません。「検定、プログラム学習、学校図書館」こういうことが、これが教職教員教養問題の出題でございます。これでテストを受けて教職教養があるとか、一般教養はこれでいいとかいって、はかられる生徒諸君、受験者諸君はほんとうにかわいそうだという感じを私は持っています。これはもういろいろな内容がありますけれど、きょうは時間的に申しましてその分の紹介はできませんけれども、こういうことで教員としての資質がはかられるとなると、これはほんとうに試験といえると思いますか。私は、その点をもう少し深刻に受けとめていただかなくてはならぬのではないかという感を持たざるを得ないのです。これはまだ序の口でございますから、あとあとまた出します。
 次に、別の角度から聞きますけれども、教師の採用選考はどのような法律に基づいて行なわれるのか、この点をまず、お聞きします。
#231
○政府委員(岩間英太郎君) 国家公務員につきましては国家公務員法があるわけでございますが、まあ一般の地方の教職員につきましては、地方公務員法、それから教育公務員特例法の規定がございます。教員の採用のしかたでございますけれども、これは教育公務員特例法の十三条であったかと思いますけれども、教育長が選考する、そういうふうになっております。
#232
○加藤進君 そこにある「教員の採用及び昇任は、選考によるものとする」、この「選考」という意味はどういう意味なんでしょうか。
#233
○政府委員(岩間英太郎君) 一般的に公務員の採用の方法は競争試験とそれから選考と二つに分かれているわけでございます。一般の競争試験でございますと、これは最低のその職務に必要な資格を定めまして、それからあとは競争でやると、きわめて公正という点に重点を置きまして行なわれておるわけでございます。選考の場合には、競争試験によらないほうが適切な場合ということでございますけれども、これは二種類あるんじゃないかと思います。一つは教育長の選考によるもの、これは本来競争試験等でやるのが望ましくないようなもの、それから教員のような場合には、これは免許状を持っているというそういうふうな意味合いもございましょうけれども、これも一般競争試験でやるよりは、先ほど来先生が御指摘になりますように、教育に対する愛情でございますとか、あるいは学校という組織の中でみんなと一緒に協力し合っていけるだろうか、いろんな別の観点から選考するというふうなことが適切であるというものにつきましては、選考という制度をとっているというふうに理解をいたしております。
#234
○加藤進君 人事院にお聞きしますけれども、職員の任免についてやはり選考という問題が規定されておりますね。これについてひとつ人事院の見解を聞かしていただきたい。
#235
○説明員(茨木広君) お答え申し上げます。
 国家公務員法の三十三条に「(任免の根本基準)」が定めてございます。それによりますというと、「すべて職員の任用は、この法律及び人事院規則の定めるところにより、その者の受験成績、勤務成績又はその他の能力の実証に基いて、これを行なう。」というふうにまず最初にございます。その次に、採用と昇任と分かれておるわけでございますが、三十六条のほうにいきまして、「採用の方法」としまして「職員の採用は、競争試験によるものとする。但し、人事院規則の定める官職について、人事院の承認があった場合は、競争試験以外の能力の実証に基く試験(以下選考という。)の方法によることを妨げない。」、二項に「前項但書の選考は、人事院の定める基準により、人事院又はその定める選考機関が、これを行う。」これが根本的な定めでございまして、これに基づいて、現在任免の規則といたしまして、「八−一二」というのがございます。その中に、競争試験による場合が一般的でございますけれども、そのほか選考のものにつきましても基準等の規定がございます。ただし、大体現在のところ七、八等級は競争試験によるということで、御案内のように、各学歴相応程度の能力をねらいといたしました各種の試験をやっておるわけでございます。それより上のほうになりますというと、選考が一応現在のところは基本になって運用されておると、こういうたてまえでやっております。ただし、職種によりましては、名簿が失効しました場合等についてはやはり選考でやる場合がある、こういうことになっておるわけでございます。ただ、この国家公務員法のたてまえが官職中心主義になっておりまして、その官職の必要とします能力、こういうものを試験なり選考で有無を確かめると、こういうことを一番根本のねらいといたしております関係上、その官職の一番基礎になります分類その他の問題が御案内のような事情で職階制の問題が延期されております。その関係でいまの「八−一二」の九十条に暫定特例がございますが、当分の間は各任命権者が選考機関としてその基準を定めまして、選考を行なうことができるという条文が一つございまして、四十五条等の条文に「選考の基準」がございますけれども、いまその基準そのものは動いていないので、いまの九十条で各任命権者がおやりになると、こういうような体制で動いておるということでございます。
#236
○加藤進君 大臣、いまお聞きになりましたように、一般公務員については競争試験でとにかく一般的にはやると、こうなっておりますけれども、教員についてだけ、教育者についてだけは受験者が有する職務の遂行能力を相対的に判定すると、こういうための試験にはよらないで、一定の基準と手続によって職務遂行能力の有無を審査するという選考の方法をとっておるわけですね。これはどういう理由によるか、この点についての御意見を伺いたいと思います。
#237
○国務大臣(奥野誠亮君) 教員はまず免許状を持った人のうちから採用をいたしますので、すでに免許状を持っておるということは、一般の競争試験で、ある資格を得た人と大差ないじゃないだろうかと、こういうふうに思います。
#238
○加藤進君 ここには職務遂行能力の有無を審査するとありますね。職務遂行ですから、教員が教員としての職務を遂行する能力があるかどうか、こういうことを審査するのが選考だと私は考えますけれども、このことは教員という特別職であればあるほど重要なやっぱり意味を持っておるのであって、単に競争試験による採用ではない、こういうことがここに私は明記されてきておると思う。これが教特法の趣旨だと思いますけれども、こういうことが行なわれるのは一体なぜか、教員に対して特別そういう選考ということが行なわれなくてはならぬというのはなぜか、この点をやっぱり明確にしていただきたい。
#239
○政府委員(岩間英太郎君) 一つは、大臣からお答え申し上げましたように、免許状があるという点であろうと思います。
 それからもう一つは、先ほど来先生方が御指摘になっておられますように、まあ特に萩原先生は、これは教育に愛情を持たぬ者は教員になってほしくないというふうな強い御発言がございました。教職というのは、先生御指摘になっておりますように、これは特別の専門職でございます。その専門職にふさわしい資質というものが要求されるわけでございますが、そういう点を専門家である教育長が判断をするということであろうと思います。
#240
○加藤進君 ですから教員というのは選考によって教員としての資格を持つものであるかどうか、教員としての専門性を身につけておるものであるかどうかを調べなくちゃならぬのですね。そういう点から見まして、第一次試験という筆記試験のいわば試験内容というのが、先ほど申し上げましたような内容になってきておると、こういう点から見まして、これは選考ということに値するような試験内容であるかどうか、これは文部省当局のしっかり判断してもらわなくちゃならぬことだと思いますけれども、どう思いますか。
#241
○政府委員(岩間英太郎君) 先ほどおあげになりました例でございますが、教員になって一番困るのは、おそらく、子供たちに接しているわけでございますから、精神的に欠陥があるというふうな方がなられるのは非常にこれは困るわけでございます。そういう意味では精神あるいは性格的な欠陥というものは困るわけでございまして、そういう意味でさっきの唐突なようなテストのしかた、これも一種の性格テストじゃないかというような気もするわけでございますけれども、これは具体的には教育長にまかされている権限でございまして、私ども試験の内容あるいは問題までいままで指導したことはございません。それぞれたくさんの先生方、たくさんの子供さん方をかかえておられる県の教育委員会が真剣になって、これはお考えいただく問題である、そういうふうに考えておるわけでございます。
#242
○加藤進君 それにしてもあまりにもその内容が常識はずれだという感がしてなりません。事柄は教育職に適するかどうかということの認定を与える選考でございますから、選考としてはもっともっと内容を審査して、いわばだれが見てもこれは教職の資格としてこれを認定するための必要な試験内容だと、こう見られるようなものでなくては私は困ると思います。おそらく文部省当局も出先の教育委員会その他のやられることであるから、その内容についてまでは関与しませんとお答えになったと思いますけれども、しかし、にもかかわらず、こういうことがあちこちに起こってくるという状態を私は文部省として黙っておいていいのかどうか。これが選考に値するような試験内容であるかどうかということについては、私は法を守る立場からいっても十分に責任を持っていかなくてはならぬ、こう考えますけれども、その点はどうでしょうか。
#243
○政府委員(岩間英太郎君) 先ほど来先生が御指摘になっておりますように、教育で一番大事なのはこれは愛情でございます。子供に対する愛情と申しますか、そういう点から申しますと、試験の問題が、だれが見てもわかりやすい――わかりやすいと申しますか、明らかであるというような問題は、むしろその知的な程度をためすようなことになるおそれがあるわけでございます。また、性格とかそういう愛情をもしはかるといたしますと、これはなかなかむずかしいことでございますけれども、問題もこれは、最近の心理テストのように、必ずしも一般の方がごらんになってこれはなるほどいい問題だというものではないんじゃないかというふうな気もするわけでございます。まあ、それぞれ教育長が真剣になってやっていることでございますから、私どもはそういう方々におまかせをしたいというふうに考えております。
#244
○加藤進君 この選考ということについては一定の基準と手続を必要とする、とありますね。一定の基準と手続、これは私は主観的なものでも、あるいは教育長がそう考えたからそれが通るんだというものでも私はないと思う。これはだれが見ても客観的になるほどと思われるような一定の基準と手続というものが私は当然その前提になっていかなくてはならぬと思いますけれども、その点について、教職として問われる客観的なものとしての一定の基準と手続ということについて文部省はどう考えますか。
#245
○政府委員(岩間英太郎君) これも各都道府県の教育委員会でいろいろやっておられるようでございますけれども、大体期日を定めまして筆記試験を行なうと、それからその試験の結果によりまして登録をする。その登録をした者の中から各学校で採用したいという――まあ、校長先生あたりが面接されまして、それから教育委員会のほうに連絡をして、そこで採用が決定する、そういう日時、場所、それからどういう方法でやるか、そういうものは教育委員会のほうで明らかにして、各受験者の方々に徹底するようにしているというふうに私ども見ております。ただ、そのやり方は、採用試験の、産業界でも自粛をしておりますけれども、そういうような期日の関係もございまして、ある程度おくれているということが実際に教員を採用する場合に、まあ、いい方を採用できないというふうな問題もあるということは聞いておりますけれども、一般的な方法としましては、ただいま申し上げましたような方法でやっているというふうに聞いております。
#246
○加藤進君 客観的な基準と手続に基づいて職務遂行能力の有無を審査するわけですから、これは客観的な基準というのは、だれが見てもとにかくそうだといわれるようなものさしであるというのが私は当然の内容だと思います。ところがいままで教員採用の選考試験は、第一、試験を受けた御当人にも実はほとんど内容が知らされていない。試験の内容、試験の結果が知らされていない。自分が受かったか、どういう理由で落とされたのかもわからない、こういうこともありますし、一体どれだけの数が採用されてどれだけの試験希望者があったのかという数字さえほとんど全部、ほとんどというよりももう皆無、全部非公開、こういう秘密主義によって試験がやられておるという実情について、私はここでいわれる客観的な基準と手続に基づくものが選考であるということからいうなら、これは私は少なくとも受験される方たちに対してはその受験者の数だとかあるいは採用をされる人たちの数だとかあるいは試験の結果について私は公開していいと思いますけれども、その点はいかがでしょうか。
#247
○政府委員(岩間英太郎君) これはまあ人事の問題でございますから、原則として不利益を受けるような方々がもし出るということになりますとやはり問題だろうと思います。そういう意味では、これも各教育委員会で独自に御判断をいただいたほうがよろしいのじゃないかと思いますけれども、まああまり本人にもわからぬというふうな状態でございましたら、それは御本人には少なくともわかるぐらいのことは何してもよろしいのじゃないかというふうに考えます。
#248
○加藤進君 そういう希望が非常に強いのですね。受験をしても、一体不合格になった人たちがなぜ不合格であったのか、それから今後どの点を努力したらいいのか何もわからない。こういう点がありますから、いま答弁のありましたように、個人の要望があるときにはぜひともこれを認めていただく、こういうような行政指導をぜひお願いしたいし、基本的には教員採用というものは選考によるというのが原則でございますから、公開公募、公開採用ということが一番適切なあり方ではないか、こういうふうに考えますけれども、重ねてその点についてお答えを願いたい。
#249
○政府委員(岩間英太郎君) いまのやり方もこれはお受けになる方に対して募集をするというふうな方法でやっているわけでございますから、別に秒密でやっているわけではなくて、あるいは縁故というふうなごく限られた方に対してやっておるというわけではないと思います。そういう意味では公開といってよろしいのじゃないかと思います。
#250
○加藤進君 ともかく、免許状を持っている方たちが受けるわけですからね。もう免許状まで持っておられる方たちが採用試験の場にあたってこういう秘密主義的な非公開ということは、私は教育という事柄に直接関係する問題でございますから、ぜひともこの点の改善の指導の努力をしてもらいたいということを特にお願いいたします。その点につきまして文部大臣どうお考えになりましょうか。試験内容や採用基準などについてほとんどそれが秘密にされてきておる、全然公開されておらないという実情について、やっぱり教職を目ざす、もうすでに免許状の所有者なんですから、その採用試験についてこれを公開するということは、これは私は行政上、指導上十分になさるべきことではないかと考えますが、いかがでしょうか。
#251
○国務大臣(奥野誠亮君) 試験が秘密に行なわれているというふうには全然考えないわけでございます。どこまで内容が個々に理解されるように持っていっているのか知りませんけれども、なるたけ多くの人たちから公平に行なわれておるという確信を持ってもらうことが大切でございますので、今後ともそういう方向には当然指導していかなければならないと思います。
#252
○加藤進君 ともかく、客観的な基準に基づいてあるいは手続に基づいて行なうのが選考であるというなら、どういうものさしによって自分が採用されあるいは自分が不採用になったかというような結果について、そういう基準に基づいてなるほどと納得し得るような措置が当然私は必要ではないか。ところがそのような措置は私の知る限りでは十分とられていない、これが私は実情だと思います。その点をぜひともこれからの指導上の問題として努力してほしいと思います。
 そこで、人事院に簡潔にお答えを願いたいわけですけれども、教員採用の選考基準に思想とかあるいは政治的な見解などというものを入れるというのは、これは合法的なんでしょうか、適法的なんでしょうか。
#253
○説明員(茨木広君) 先ほど申し上げましたように、一応現在この八の十二の中に書いてあります基準等ではその他のことがいろいろ書いてございます。現状はそういう意味の職階制がスタートをいたしておらない関係上、九十条のほうで任命権者に基準の選定も含めまして委任を申し上げておると、こういう関係でございます。あとは国家公務員法の各条文等に抵触する問題があるかないかということから、いまおっしゃられました問題も判断をすべきことではなかろうかというように考えておるわけでございます。
#254
○加藤進君 そこで、もう少し具体的に聞きますけれども、教員の採用選考にあたってその学生が自治会活動をやったと、あるいはデモに参加したと、こういう理由で不合格にするということが起こったらこれは選考の内容や精神からいって正しいことであるかどうか、人事院の見解をお伺いいたします。
#255
○説明員(茨木広君) 御指摘の点が国家公務員法の二十七条の平等取り扱いの原則等に照らして問題があるという場合もございましょうし、
  〔理事楠正俊君退席、委員長着席〕
あるいはまあそれがどういうような内容になっておりますか、具体のことがいろいろ関係いたしておりますというとまた別途の判断が出てまいるのかもしれません。というのは、三十八条にございましたか、欠格条項の問題もございますけれども、あるいは懲戒処分だとか、在職いたしておるとしますれば懲戒処分だとか、分限処分だとか、いろんなものに触れる場合もございますから、そういうものから逆に推定いたしましてふさわしくないというようなふうになりますればあるいは妥当な基準であろうかもしれません。いろんなケースがあるんではなかろうかと思います。具体の自治会活動の内容がわからぬものでございますから具体的に、断言的にはお答えいたしかねます。
#256
○加藤進君 自治会活動の内容がわからないとおっしゃいますけれども、学内において学生が自主的に行なうさまざまな活動、これを政治ということばであらわすならあらわしていただいてもけっこうだと思います。
 それから、学生がいろいろな事柄を考え、あるいは勉強すると、そしてそれぞれのイデオロギー、思想を持つ、これは当然のことですね。こういう個人の思想や政治が選考にあたって一つの条件にされるということが正しいのかどうかということ、一般論としてその点は明確にしていただきたいと思います。
#257
○説明員(茨木広君) 最近の、ときどき学校にも行ってみることがございますけれども、御案内のように、昔私どもが学校におりましたときと相当変わってきておることは事実だと思います。また、先生の御指摘のような意味の平穏にやっておる場合もございますし、それからお互いにたいへん新聞に出ますような場面の、各派閥の争いがその中で行なわれるというような場面もございます。そういうようなものがありといたしますというと、やはりまあ問題になることだろうと思います。まあやはり教員もわれわれ一般のほうで採用いたしております公務員も、世間のほうからは強い監視の目でもっていろいろ見られておるわけでございますものですから、昨日も人事院のほうといたしましては年次報告を申し上げたわけでございますけれども、やっぱり新聞でお取り上げになりますのは懲戒処分その他のものを取り上げようというようなことがございますので、私どもといたしましても、やはりりっぱな方がお入りになるということが好ましいことは間違いないと思います。ただまあ二十七条に書いてありますように、信条そのものということになりますとそれは問題があるのだろうと思いますけれども、その辺が具体の行動と非常にからみ合っておるのが各大学のいまの実情でございますので、その辺がたいへんまあおそらく各選考機関としても悩んでおるところではなかろうかと思うのでございます。
#258
○加藤進君 どうも明確でございませんけれども、ともかく思想、信条によって選考の場合に差別をつけると、これはよくないですね。それからもう一つは、憲法あるいは他の諸法によって合法的に認められた学内における活動、自治会活動等々がやられたということによって選考に漏れるとか不合格になる、こういうようなことが起こったとするなら、これは選考基準そのものが非常に不可解なものになってくると見なくてはならぬと思いますけれども、選考の基準として、たとえその受験者が特定の思想を持っておろうが、その思想を持っておるという範囲内においてこれに対して差別を行なう、こういうことや、あるいは合法的な政治活動やっておるのに対してこれに差別を行なうなどというようなことが選考基準として許されるかどうか、こういう点についていまお尋ねしておるわけでございますけれども、文部大臣のほうの見解はどうでしょうか。
#259
○国務大臣(奥野誠亮君) 先ほど申し上げたとおりでございますけれども、刑法に触れた者、あるいはまた過激派集団のように政府を暴力で破壊しようとするような団体に加入した者は法律上これは採用できないと思います。そういう性格のものでございますので、それに関連をしているようなもの、これはやはり教職につけることについては相当な問題があるのじゃないだろうか。単に思想、信条の事由で差別するということは適当でないと思いますけれども、その思想というのもこれは幅の広いことばなものでございますので、私が一番極端な例を言いますと、そういうものは採用できませんと、こう申し上げるわけでございます。暴力で政府を破壊するような団体に加入した者、これは法律的にできない。しかし、それに相関連するような者につきまして、そこまで危険をおかして教職につけなきやならぬかと、こういうことになってくるものですから、その辺にはやっぱり問題がございましょうと、しかし、広い意味において、思想、信条の差で採用する、しないなんというような考え方は穏当でないと、こう申し上げられると思います。
#260
○加藤進君 最後のいまのおことばを私は信じます。そういう点で、広い意味で刑法にも触れない、行政を破壊するような暴力行為等々には関与しない。そういうことであるなら、そのような思想やあるいは政治活動については、これは決して選考基準によって差別をしない、こう理解していいということですね。
 ここに資料がありますけれども、さきにあげた不合格者の中のほとんどが全学連に加盟しておる自治会の役員の経験者やあるいは活動家なんです。刑法に触れておりません。刑法に触れておるようなことをやらない、この善良な自治会の役員の経験者や活動家である。たとえば静岡大学では、ことし教員採用選考試験で不合格になったのは、三十九名のうち執行委員であった名が十名、それから活動家といわれておる学生諸君が二十九名、合計三十九名です。これが選考試験によってこういう活動をやったということが理由で不合格になった。それから神奈川県でも、横浜国立大学の不合格者三十一名のほとんどがやはりこういう事情です。まじめな思想を持ち、学内において積極的に学生としての本分を守る活動をやっている、このことによって不合格となる、こんなことが行なわれている、こういうことを、私は許しがたいと思いますけれども、人事院はどうお考えになりましょうか。
#261
○説明員(茨木広君) 国家公務員法の二十七条の条文を先ほど読み上げましたが、二十七条の条文それから三十八条の条文等に照らしまして、そのような行動がない、暴力的な行動がない、あるいは刑法に触れるような行動がないというようなものでございますというと、御意見のとおりだろうと思います。
#262
○加藤進君 大臣どうでしょうか。
#263
○国務大臣(奥野誠亮君) 先ほどたびたび申し上げていますように、自治会活動に参加したということでこれを拒否の理由にするということは適当でないと思います。これも先ほど申し上げたわけでございますけれども、採用予定者よりも、広い範囲について合格者をきめる、その中から選考するわけでございますので、はずされた人がいろんな事情でAを選ぶかBを選ぶか総合的に判断すると思うのでございます。たまたまその方が自治会活動をやっておった、だからそれではずされたんだと、こういうふうな誤解を持っておられる方もかなりあるんじゃないだろうかという気が私はいまのお話を伺って感ずるわけでございます。やはり採用予定者よりも広い合格者をきめまして、やはりしさいに、教職についてもらうのにいずれが適当であるかということを総合的に判断して、十分慎重を期していかなければならない非常に大切な私は人事じゃなかろうか、こんな感じを持っているわけでございます。
#264
○加藤進君 私の、この問題について特に注意を喚起するのは、あまりにも不合格者の数が多いということ。学生の諸君が教職を願いながら、しかも教員免許をもうすでに取っている、そしてあと一歩というところまできたときに、いま言ったような全学連加盟の自治会活動をやったということが理由になってこういう事態が起こるということがもしあるとするなら、これは私はいまの文部大臣のことばではございませんけれども、十分事情を調査してこのようなことが今後起こらないような適切なやっぱり指導をしていただきたいと思いますけれども、その点重ねてお聞きします。
#265
○国務大臣(奥野誠亮君) 単純にいまのようなことで私はないと思うのでございますけれども、今後なおよく私なりに調べていきたいと思います。
#266
○加藤進君 それでは、試験内容について、若干もとへ戻りますけれども、採用試験はほとんど第一次は筆記試験で、第二次は面接試験になっていますね。そして大体いまの傾向では第一次には相当合格者をつくり、そして第二次の面接試験でふるい分ける、こういうやり方が今日一般化しておることはおそらく御承知のとおりであります。
 そこで、どんな試験によってふるい分けが行なわれておるのか、こういう問題になるわけでございますけれども、たとえばこの「不合格通知」という書物に収録されておる内容を見ますと、私は実に意外という感を持たざるを得ないのですね。
 東京都では、この第二次面接試験の問題として、
 問「君の最近読んでおる本は何か。」
 答「島小物語」です。――私、「島小物語」というのはよく知りませんけれども。問 あなたは片寄っている。「エミール」を読みなさい。
 問「愛国心についてどう思いますか。」
 答「わかりません。」問「愛国心について教えられるよう勉強しなさい。」
 問「自治会活動に参加したことは。」
 答「ありません。」問「では、中立ですね。」こういうことが面接試験です。これは選考ですよ。教員の資格を判定する選考でやられているのですね。
 それから教育について、「指導要領を読んで、感銘したことはありませんか。神話教育をどう思いますか。中教審答申を読みましたか。読みたいと思いますか。校長と衝突したらどうしますか。愛国心についてどう思いますか。学生運動について、学生運動をどう思うか。学生運動に関して、大学ではどういう立場をとったか。紛争、暴力事件をとめようとしたのかどうか。」等々ですね。私はこういう問題がいわば面接試験のときに出されて、これに答えることによって選考が行なわれ、教育者の資格がきめられるということになりますと、私は事柄は決して安閑と見過ごすわけにいかぬのじゃないか、こう考えますが、いかがですか、私はこれはただ一つの例です。まだあります。
#267
○国務大臣(奥野誠亮君) どうも、そういう質問をどう受け取るかということですけれども、私も公務員の採用試験なんかに当たってまいった経験から考えましても、一つの答えに対してある答えが出なければその人を不合格にする、こういうことじゃございませんで、Aの答えを出そうと、Bの答えを出そうと、Cの答えを出そうと必ずしもそれによって合否を決してしまうわけではございません。その人の態度なり、ものごとの考えの筋道なり、いろいろなことを見る意味において、また加藤さんから見ますと不都合な質問をしているようなことも出たりする例もございますので、いまおっしゃったことだけで一概にけしからぬことをやっているというふうには受け取りたくない。しかしいずれにいたしましても、誤解を与えないような質問のしかたをすることは大切だと思いますので、そういうことはよく注意するように私のほうでも指導したいと思います。くどいようでございますけれども、一つの答えでなければ、ある特定の答えでなければ不合格にしてしまうという意味の問題ではないと思います。その人の性格とか、いろいろなことを判断するためにそういうものの問い方をしているのだろうと思いますので、それは加藤さん自身もその辺よく私はむしろ御理解をいただきたいという感じがいたします。
#268
○加藤進君 私は最後の結果がどうなったか、どう出たかということでなしに、そういう試験問題を出すということ自身が問題ではないか、これは結局思想調査に当たりませんか、思想調査に当たりませんか。こういうことがとにかく面接の場合にやられて、これがやっぱり選考のふるい分けの基準にされるということになると、私は事柄が重大だと、こういうふうに言っているのです。
 静岡県の採用試験の一部を申します。その中には「現在の教員のあり方について」教師になったら賃金闘争に参加しますか。組合にすぐ入りますか。「大学の自治、学生運動について」大学の自治についてどう思うか。東大のことをどう思いますか。静岡大学ではよくアピール行為をするが、どのような手続であれがきめられているか、デモに参加したことがあるかね。友人には活動家はいないのかね。執行委員に誘われたことがあるか。執行委員をやって悩んだことがありますか。そのような役員はどのような人がやるのか、寮生が多いのかね。
 これは誘導尋問で、結局いわば思想調査に当たるわけじゃないですか。これは実に一例であって、特別な例だと私は言うことだけで許されない。こんなことがやられるということですよ。
 まだあります。横浜国立大学の一一ページです。横浜国立大学の試験、試問ですね。これにも、日中問題についてきみはどう思うか、ね、大学紛争のすごいやり方はあれはどう考えるかね、特に大学時代に学生自治会の運動に参加した学生を中心にしつこくそういう意味の問題が追及された、こういうことが学生の訴えとしても出ておる。これは私は決してうそではない。こういう状態がともかく面接試験あるいは口述試験等々で行なわれておるという事実をやっぱり文部省はよく見ていただきたい。このようなことをいわば選考と称するなら、これはは私は選考ということに該当し得ないんじゃないか、こういうふうに思いますけれども、その点いかがでしょうか、あらためて伺います。
#269
○国務大臣(奥野誠亮君) 私も、伺っていてそれほどけしからぬことを聞いているなという感じもしないわけでございまして、いまも言いますように、特定な答えが出てこなかったら拒否するというわけじゃないんでして、多少私はその問いのしかたを何か思想的におとりになり過ぎているんじゃないかという気もするわけでございまして、幅広い常識を聞いてみるというような場合もございましょうし、性格を見るという意味においていろいろ聞いてみるという場合もございましょうし、あるいはいまの若い人たちは一般的にどういう感じを持っているだろうかなということを知りたいという意味で聞く場合もあろうかと思うのでございまして、ただ特定の質問に対してある返事をした人が全部不合格になっていくというあり方は、これは避けなければならないと思いますが、その点は私はよくわかるわけでございます。
#270
○加藤進君 私は、特にとりたてて問題を申し上げているということよりも、こういう事柄が選考試験であるというふうにして行なわれるということ、これは私は一、二の特例であっても、もし特例であるなら、このことについて十分な関心と注意を払わなくちゃならない、こういう問題として、こういう点を強調したわけでして、このような点はこれは学生諸君がはだ身に感じて、こういうことがわれわれの選考試験の場合にやられている、こういう訴えがもうひんぴんと出てきておるという点を私は指摘していきたいと思います。
 そこで、もう一つお聞きしたいのですけれども、大学当局が教育委員会に人物調査書、こういうものを出しておるわけですね、いわゆる内申書。この人物調査書の中に思想傾向を記入するという項目があるんですね。この思想傾向を記入するということについて、これは文部省どうお考えになりましょうか。
#271
○国務大臣(奥野誠亮君) 採用にあたってはそういうことを知りたいということでそういう欄を設ける、しかし、それに対して大学が書こうと書くまいと私は自由じゃないかという気がするわけでございます。そういう欄を設けることがけしからぬと一概に私は言えないんじゃないかと、こう思っておるわけでございまして、いつかそういう問題でお尋ねをいただきまして同じようなお答えをしたことがございます。
#272
○加藤進君 これは、具体的な内申書でありますけれども、あるAさんの内申書によりますと、思想傾向、こういうところに、やや中正を欠く、こういうのがあります。それから、中立性を欠く、こういうような記入もあります。これは女性です。こういう中正とか中立性ということは一体どこで判定するのか、どういうことをもって中立というのか、中立性にやや欠けるという意味はどういうことなのか、こういうことになりますといきおい問題は思想問題、思想的な態度あるいは行動、こういうことにならざるを得ないわけでございますけれども、その点について思想傾向を内申書の中に記入させるということ、これは私は好ましくないと思うのですけれども、大臣としてはどうお考えになりましょうか。
  〔委員長退席、理事楠正俊君着席〕
#273
○国務大臣(奥野誠亮君) 極端な例でございますけれども、法律上、政府を暴力で破壊するような団体に加入している者は採用することはできないと明記されておるわけでございます。そういうこともございますので、そういうことについて内申してもらいたいということを採用者側がお願いをする、これは私はけしからぬと、こう言えないんじゃないかと思うわけでございます。しかし、書いてこなかったからそれだけで不合格にするということはすべきではない、こう思います。
#274
○加藤進君 私は、特に一般的な調査とか一般的な内申という問題ではなしに、これによって教員の専門性が問われるという意味の選考なんですから、これで教員の資格がはたして成立するのか、あるいは欠けるところがあるのか、こういう問題なんですね。だから、教職に立って堂々と、子供を愛し子供を育てていく、こういうことならそれは資格として言い得ると思うのです。ところが、その中に思想の問題だとか、思想性についてどうか、こういう判定が行なわれるとするなら、これは教育の専門職として問われる問題であるかどうか。事柄は私は憲法そのものにも触れるような問題になるのではないかという感じを持つわけでありますから、この意味において私は一般的な問題としてではなしに、教員の選考という点、教員の専門職としての資格を明らかにすべき選考において、このような思想の審査あるいは思想傾向というものを記入することは私は正しくない、こういうふうに思いますが、重ねてその点をお伺いします。
#275
○国務大臣(奥野誠亮君) 同じことを繰り返すわけでございますけれども、国家公務員法にしましても、地方公務員法にしましても、いま私が申し上げたような規定が入っているわけでございます。そういうこともございますので採用上は用心したい。したがって、そういうことについて万一のこともあってはいけないから広い意味で伺っておこうかという態度をとることは私はけしからぬということは少し過ぎているのではなかろうか。しかし、何も内申書に書いてなかったからということで、それだけでぼつにしてしまうという態度はとるべきではない、こう私は考えます。たいへんくどいようですけれども、採用者側が用心してそんな項目を設けておることが法に触れるとか、けしからぬ態度だとかいうことは私は少し納得しがたいという気持ちを持っております。
#276
○加藤進君 重ねて申し上げますけれども、この内申書というのは教員の採用にあたっては最重要視される書類ですね。試験の結果より最後にはこれがやっぱり当落をきめる選考にかかる、こういうほどの重要なものでございますから、この思想傾向というものはきわめて重要な意味を持っておる。これにもし書かれた内容が適切な方法でなく、本人にとってあるいは思想傾向その他を明らかにするというようなことまで出されてきているならこれは私は教職としての専門職の選考という点では正しくない、私はそう言わざるを得ないわけで、その点だったら思想的問題を筆記試験に出すというよりも、もっとこれは内容としては重要であるし、本人には何ら示されないで、隠されてそうしてこれが教員の採用試験の場合に大きな基準として持ち出される、こういうことが教員の採用の場合の一番大きな問題になっておる。この点を私は改めなければ教員採用にあたってのさまざまな不利益、さまざまな不当差別というものはあとを断たないのではないか、こういうふうに私は強調せざるを得ないわけですが、重ねてその点について。
#277
○国務大臣(奥野誠亮君) 採用者側が法に禁止されておるような暴力で正義を破壊するような団体に加入しておった者をわからないままに採用した、そういうことはあってもいいのじゃないかというわけにはいかないんじゃなかろうか、こう考えるわけでございます。日本国憲法なり教育基本法なりあるいは国家公務員法、地方公務員法等を考えてまいりますと、採用者側としてはそこだけは用心しておきたい。したがって、ちょっとこんなことを書いておいてもらおうかというのでそういう項目を設けておることは、やっぱりそのことは不穏当だとなじるわけにいかないんじゃなかろうか。ただ、それを不当に拡大解釈をいたしまして、先ほどたびたびおっしゃった広い意味の思想、信条の自由を侵すようなやり方をすることは私は避けなければならないと思う。ですから、こういう問題は、これは取り扱いのしかたの問題じゃないだろうかという感じを持っておるわけでございまして、いずれにも偏してはいけない、極端にこの問題を扱かってはいけない、こうは考えます。こうは考えますが、そういう欄を設けておることが私は加藤さんはけしからぬことだとおっしゃるけれども、そういうことには私は賛成しがたいという気持ちを持っておることを申し上げておるわけであります。
#278
○加藤進君 重ねて私は重要ですからこの問題を申し上げるわけですけれども、いま言われたような、文部大臣の指摘されるような意味の内容ですね、たとえば暴力行為を行なうとか、あるいは憲法に触れるような事柄を公然と行なうというようなことならこれはこれとしてやはり記入するとか何とかということは別問題だと思う。しかし、ここには明らかに思想傾向とあります、思想傾向いわば思想調査です。思想調査の判定が得られるということは私は学校といえどもなすべきことではない、これは学校としてもこれは行き過ぎである、こう言わざるを得ないわけですけれども、この点文部大臣は、いやこの程度のことならかまわぬと、今後ともやってもよろしいと、こういう見解なんでしょうか。
#279
○国務大臣(奥野誠亮君) 先ほど来申し上げておりますように、それに書き込まれる方、大学の方だと思うんですけれども、その方はそれぞれの考えに従って書いたり書かなかったり、書き方もいろいろお考えになればいいんじゃないだろうかというふうに思うわけでございます。私が申し上げておりまするのは、採用者側がそんな欄を設けることが不穏当だというのか、まあそういうことがあることもやむを得ないじゃないかと考えるのかという違いでございますから、この点について加藤さんと私との間に少し開きがある。しかし、どちらも極端に偏してはならないという意味においてはどうも似通ったところも考えの中にはあるような感じもいたすわけでございます。
#280
○加藤進君 まあ、結論的なことを申し上げますと、選考ということは教員の、専門職をほんとうに身につけて、教員としての資格を持つかどうかを判定するわけですから、これに対して本人の思想傾向を持ち込んだりあるいは政治的信条を持ち込んでこれを差別するということは、教育を担当すべき教育者を選ぶ場合にはふさわしくないと、私はこの点を言っておるわけであって、これを個々の問題をどうのこうのと言うんじゃなしに、基本的にそういう立場に立ってやっぱり選考というものは公正を期さなくてはならない、このことを私は再三言っておるわけでございますが、文部大臣は決してこれに反対などとはおっしゃらないと思いますけれども、その点どうでしょうか。
#281
○国務大臣(奥野誠亮君) それは、そのとおりに考えております。
#282
○加藤進君 それでは、あとまだ相当私の質問も残っておりますが、きょうはこの程度にいたしまして、あとまた別の機会がありましたら、引き続いてやらしていただきたいと思いますが、その点いかがでしょうか。
#283
○小林武君 提案理由の説明の中の何点かについてまず最初にお尋ねをいたします。
 日本の教育が、わが国の学校教育は国際的に高い水準の成果をあげたと言うが、これはどういう指標をもってはかったんですか、その点。
#284
○政府委員(木田宏君) わが国の学校教育、初等中等教育はもとよりでございますが、中等教育、高等教育の就学率一つをとってみましても、かなり国際的に高い水準を得ている、こういうふうに理解をしておる次第でございます。
#285
○小林武君 ちょっと局長の答弁はこれはいかぬですわ。就学率だけでわが国の教育水準が非常に国際的に高い成果をあげたというようなことを言うのは、これはちょっとまずいでしょう。経済的な問題であれば、これはもう経済上の指導をあげて詳細にやるわけですから、教育だって同じことだと思うんです。どういう一体標準に従ってそういう判定を下したか、これはやっぱり文部省言わなきゃいかぬですよ。就学率だけでやられたんじゃ、これはこれからの審議をやるのについてこれはまずいですよ。
#286
○政府委員(木田宏君) いろいろと国際的な比較をいたします場合の指標は、いま御注意がありましたように、就学率のほかにもいろいろあろうかと思います。しかし、端的に申しまして、就学率というのは学校教育の普及度というのを示す意味におきまして一番基本的な国際比較のデータにもなり得る。高等教育の普及度にいたしましても、同年齢人口比で考えていくということが最も一般的に行なわれておるところでございます。それだけがすべてではないという点は御意見のとおりでございまして、小学校で申しますならば、学級編制の基準であるとか、あるいは教員の一人当たり児童生徒数であるとか、そういうものが同時に教育の国際的な比較を考えます場合に取り上げられてくるということはございます。ここはきわめて包括的にあげてございますので、それらの点を個別に考えておるということではなくて、一般的にそうした諸条件を勘案しながら、わが国の学校教育が国際的に高い水準の成果を持っておる、こういうふうに申し上げておる次第でございます。
#287
○小林武君 まあ、それは押し問答やってもしようがないけれども、それはあなたも用意してこなかったんだと思う。しかし、少なくとも文章を書く上においては国際的に高い水準だということを言うならば、この点はこうで、この点はこうだというものがなければならぬと思う。それで、これ出してもらいたいね。教育研究所というのがあるでしょう。そこへ行って、専門の調査なりなんなりをやっている人に聞けばわかることだから。これはやっぱりお互いの教育問題で議論をする場合には大事なことなんです。日本の一体どこが、水準としてぼくも高いということは、高いほうへ入れてもいいと思っているんです、私自身も。しかしながら、また欠陥面もあると思う。そういうものの正確な見方をしないで、日本の教育水準は高いというようなことではこれからの進歩がやっぱりわれわれははかれないわけですから、だからそういう意味で、それはまあちょっとだしぬけに言ったから準備がなかったと思うが、これは研究所で聞いたらすぐわかるんですから、ひとつやっぱりみんなわれわれに資料を提供してもらいたいと思います。
 それから、これは文部大臣にお尋ねしたいんですが、教員の場合のすぐれた人材というのはどういうことですか、内容的に。これは文部大臣からきわめて素朴なあれでひとつやっていただいてけっこうです。
#288
○国務大臣(奥野誠亮君) 教育者につきましては、従来から師弟の間の信頼関係、そういう意味においては、学ぶ者が、みずから学ぶ意欲を持つような相手の先生でなければならない。そういう意味において、深い愛情あるいは使命感というようなことを申し上げてまいったわけでございますし、同時に、一般的な知識教養、同時に専門的な知識、加えて教育技術を身につけている方というようなことを申し上げてまいってきておるわけでございます。そういう意味で、すぐれた教育界の人材を確保していきたい、こんな気持ちでございます。
#289
○小林武君 まあ、教育界の人材といった場合に、いろいろな場合があると思いますね。たとえば日本の国の進路の場合でも、進んでいく場合でも、逆境の場合もあろうし、あるいは順調な場合もあるだろう。いろいろな局面にあたって、教師が少なくとも学校教育の中において児童生徒、あるいは青年をほんとうにりっぱに教育するということには、ぼくはやっぱりいまおっしゃったような形式的なものではないと思うのですよ。そして、またちょっと大臣がこう言われれば、大体同じような教員がずらっと並んでしまうような気がするんですよ。私はそう思わない。いろいろな違った型の教員があり、ある面では一つの欠陥みたいなものを持っている場合もある。非常に何か態度、もの腰が粗野に見えているけれども、子供の信頼を得るだけの、何といいますか、感動させるような一つのあれを持っている人もある。あるいは黙っているけれども、非常に教授、その他について実力を持った者とか、いろいろあると思うんです。一生校長になれないでいるという人もぼくは知っている。しかし、それはすぐれたとにかく担任教師として、それからまた、詩人として非常に多くの子供たちに文学上のというか、子供のつづり方教育の中に貢献をした人もおります。いろいろありますから、私は人材という場合に、あまり簡単に口で言ってしまうんだけれども、私はここで聞きたかったのは、とりわけ最近における学校教育の実情に即してというようなことがありますから、その実情の中を、いろいろなことを勘案しながら、いまこんな教師がほしいのだということを感じているならばひとつ聞かしてもらいたいということ。人材といった場合に、これはどの程度の、たとえば文部省とか、あるいは大きな企業とかいうようなものが今度新入社員を入れるなら、こういう者がほしいというのがある。そういう者を教育界の中に入れなければだめだというような考え方があるならば、ひとつ文部大臣、具体的に話してもらいたい、こう思います。
#290
○国務大臣(奥野誠亮君) すぐれた人材について小林さんからいろいろお話になりました。私も全くその点同感でございます。一般的なものの考え方、言い方として、先ほど申し上げただけのことでございまして、いろいろ具体にあたりましては、おっしゃるとおりだと、こう私も考えております。そういう意味でやはり大学を出たけれども、教職課程を選んでいない。しかし教育界に生涯をささげたい、あるいは高等学校しか出られなかったけれども、ぜひ教育で身を立てていきたい、こういう熱情といいましょうか、使命感といいましょうか、そういう方々、やっぱり拾い上げてみたいな、いまの教育界において特にそういう点、大切な点じゃなかろうかな、こんな感じも持っておるわけでございます。
#291
○小林武君 だから人材というとどうですか、大臣は考えて。その人材は必ず学校の校長になると、こう考えますか。
#292
○国務大臣(奥野誠亮君) 教育界に好ましい人材はすべて校長になっていく人だとは考えておりません。
#293
○小林武君 全く同意見ですね。校長にならなくてもりっぱな教師というものがある。それから教頭でとまってもりっぱな教頭でみなの信頼を受けたという人もある。全く平――平と言ったら悪いけれども、何にも教頭とか何とかというものにならない教師であって、それで実に教育に一生をささげたという人もある。こういうたくさんの教師を、いろんな教師があって、私はほんとうに学校の教育というものはうまくいくと思うんです。だからそういう選び方というものはあっていい。そうなりますと、これはいま、あとで時間の関係もありますから、あまりぼくは全部言う時間がないと思いますから、ちょっとここでわきへそれますけれども、そういうことを考えますと、教員の賃金というようなものを考える場合に、やはり教育界にほんとうにいい教師であったと、ここでいえば人材というと何だかあれだけれども、いい先生であったなと、いい教師であったなというようなことをいわれる人たちが校長だからとか何とかいうことで差別をつけられるのはかわいそうだという気持ちをぼくは持っているんです。ぼくらが教員をやっていた時代の中には、若いころにはそういう差があまりない、そういうことばなかったような気がするんです。ところが、このごろなかなかきびしくなったです。ところがだれも金などはと、ぼくが教員だったときは給与が上がったとか、下がったとかいうようなこと、――下がることはなかったですけれども、上がったとか、上がらぬとかいうことを気にしているような、そんな教員は役立たぬということを校長は言うわけです。そんなことを言うやつはだめだと、あるいは早く家でも一軒建てようかなんというのがあったら、こんなものは全然だめだというような、こういうがんこなのもいた。大体われわれのときは金の勘定がよくできぬような教員が大体多かった。あとは野となれ山となれとまではいかなかったけれども、大体そんな金の話をするのはちょっといかぬという気持ちの者が多かったです。そういう教育を受けた、職場へ来た。だけれどもこれはやはりうそだと思う。やはり教員をやめたあと不安定な生活というやつはだめです。それからやはり校長やめたあと何といいますか、昔の周旋屋のようなことをやっている校長もだいぶいる、それから教員もいる。これは言ってみれば私は人買いとまでは言わないけれども、そういうようなことをやってほんとうに責任持てるかというと、持てないような場合だってあるのにやるのです。だからそういうことをやらせるというのは、やはりやめさせるだけの忠告は教育をやっている周囲のいろいろな立場の者がしてやる必要があると思います。だからやめるときの条件というのを違わせるということはぼくはいけないと思っております。みんな金はやはり大事に思っております、いまの人間ですから。その証拠に、たとえば人材何とかというと、校長さんか何だか話を聞くというと、今度の法律通ったらあれだから発令を少しおくらしてくれ退職の。退職にあたっているのが、そういう声をずいぶん聞いたのです。このごろやたらにぼくのところにもはがきがくるが、あのはがきも結局教育界のためと書いているけれども、自分のためというのがあの中に入っているんじゃないかと判断している場合もある。しかしそれを笑うことはない、あたりまえのことです。きわめてあたりまえのことだけれども、しかしそれはだれも、校長よりかもっと条件の悪い者、教育のために一生懸命にやったけれども、校長にも教頭にもならなかったというような者も平等に受けるような、そういう賃金のあり方というものはあっていいと思うのだけれども、この点はどうですか、大臣。
#294
○国務大臣(奥野誠亮君) 教員それぞれが気持ちとしてはサラリーにとらわれない、しかし客観的には十分なサラリーが保障されるように努力をしていかなければならない、こういうことではなかろうか、かように考えているわけでございまして、そういう方向で努力をしていきたい、こう思います。
#295
○小林武君 このことはいずれまた議論することもありましょうけれども、私は何といいますか、人材というようなことを考えた場合に、校長になる、校長になるといって目の色を変えている人間よりかも、いい教育をやろう、やろうといってそんなことに淡白な人間のほうがまさっている場合もたくさんあるということ、あるいは僻地の学校に、いつも僻地回りばっかりやっている教師もいる。この中にはやはりすぐれた見識を持った人もいるわけですから、だから私はそういう意味でいまのことを申し上げたわけで、これはまたいずれ賃金の問題としては議論することあるでしょう。
 それから、教師というものは人材入れるわけだけれども、人材をほしいというのはだれでもそうだと、ぼくらでもそうだと思うのです。教員が教育の実質を左右するという話は、先ほどの専門職のことに関係すると思いますが、左右するということばの意味、専門職についてはどうもお二人のやりとりを聞いておりましたけれども、私はちょっと専門職というのはどういうことかと、大臣の考えでは、大学出てから初めて何か専門職、戦前の場合には師範学校のあれだったのだから専門職でないということもあるわけですけれども、日本の教育史の中を見ると、師範学校卒業生だけであれば専門職を見るべきだという考え方があったんですよ。しかし師範学校の卒業生というのは、統計見てもあまりほとんど占めるというわけにいかないわけですね。ぼくの持っている資料というのは明治二十八年からの資料ですから、わずかであった。その中にそういうこと書いているんですが、これはしっかりした本を見てぼくが言うわけです。見て言うんですよ。私が専門職の中身をいま言うんでない。ここにこう書いていますね。これは本の名前も言っていいのですが、確かに海後宗臣さんのそのお弟子さんというか、その人が書いた教育事典というのがあるんですよ。その教育事典の中にあることなんですが、このように小学校教員の養成の基本法等を特定の目的とする学校、師範学校において資格制度をきびしいものにしたことは制度、構想上の上からすれば、小学校の教員の職を専門職として考え、それにふさわしい資質を確保しようとすることを意味していると、こう書いてある。これはいつの話かというと、これは明治十九年に免許状主義のそのあれをやって、師範学校の卒業生を出しているころなんですね。しかし、そのころのあれというのはきわめて少ないということは先ほど言った。だから私は専門職ということの先ほど来の考えでいえば、大学とあれとの関係だけでは見られないんではないか。しかし専門職かどうかということについて、ぼくは非常に多くの疑問を持っているし、大学を出たということでも私は必ずしも納得しない。大学出たからといって専門職かどうか。それは専門職にするべきだし、専門職にならなければならぬという、それは持っているけれども、私のことを申し上げて、はなはだあれですけれども、私は戦争が終わってあれしたときに一番がっくりきたのは、師範学校の教育ではやはりだめだということです。この前も何かそんなことを話したような気もするんですけれども、教師としてのものの判断というか、ぼくが教師になってから戦争が終わるまでの間の世の中の移り変わりというものは非常に激動期であった。その中の社会的な状況、経済的な状況、それから日本の将来というものがどうなるかについての判断というものはまるきりそれは判断のしようがなかった。いわばまあやれやれというところにやってきたようなことです。これでは私は教師というものはつとまらぬ。教師は専門職ということばはそのころ使わなかったのですけれども、専門職というそれだけのやはり教師は教えて後々までやはり子供たちに教えたことについて文句を言われてはいかぬと思います。私はやはり戦争終わったときに言われました。先生の言うことみんなうそじゃないかというような口の悪いのがね。先生たちにいろんなことを言われて、たいしたおだてられてやったけれども、これは青年学校で教えたのがちょうど帰ってきて、ちょうど憎まれ盛りみたいのやいろいろなのがおりましたからね。そういうのがほんとうにちょっと軽べつして言われたときにはもうがっくりきた。私はそれを考えて、大学で教員を養成するということ、大学が四年制の大学を出ることが基本だということをきめられたときにもうこれだと、絶対これでいかにゃいかぬということです。そう思いました。そこで、その専門職のいまの私の考えは、大臣の考えと違うんだけれども、その点について大臣はどう考えますか。
#296
○国務大臣(奥野誠亮君) 教育の衝に当たる人は幅広い教養を身につけている。したがってまた教師になる勉強をする場合でも馬車馬的な教育を受けてきちゃいけない。門戸を開いた広い知識、それがまた変化に対応できる力を養うということにもなるんじゃなかろうか、こう考えているわけでございます。同時に、また学歴だけで判断すべきではない。やはり教師としての特質があるのだろうと思うのでありまして、そういう教師としての特質から、私は専門職ということばが生まれてきているのじゃなかろうか、かように考えているのであります。
  〔理事楠正俊君退席、理事久保田藤麿君着席〕
#297
○小林武君 あまり答えにならぬようですね。あまりそれはりっぱな答えじゃないけれども、大臣の考え方がこれは師範学校で、総体的に言えば初期の師範学校なんというものは、やや何といいますか、かなり高い学歴を持った人間のように思われた時期があるのですよ。そういうころは卒業したらもうすぐ校長なんだからなんて、北海道なら馬なんかに乗って赴任する者がいたですね。もっとも汽車がないときですよ。そういうのがあった時代があった。やはり卒業してすぐ二十そこそこのやつが校長になっていくというような時代があったのです。そういう時代のあれからいえば、かなり高い教育を受けたいわゆる学歴の高いほうだということ――だんだん下がって師範学校も下落しましたけれども、そういうあれからいえば、私は当時専門職というような考え方をとったということは、これは必ずしも誤りでないように思うのです。それで、その専門職の見解のことはともかくとして、どうでしょう、専門職ということをほんとうにいえるのには、私は教育に対して教師という者はどれだけの責任を持たなければいかぬかということです。それはもう文部大臣並びに局長にとっくり話を聞かしてもらいたい。教育というものについて、教えるということについて、どれだけの責任を持たなければ、専門職なんという口幅つたいことをいうなと、こういうことです。学者なら自然科学なら自然科学でもって、間違ったあればかり教えているようなあれでは話にならぬ。あるいは文科系なら文科系でも同じだと思う。だれからも認められないような学説を振り回しているような人はほんものじゃないと思う。人にものを教えるというのは、どんな教え方をしてもだんだんそれを吸収して大きくなって、一人前になる子供というものを見た場合に、教師というものはどの程度の責任を負わなければならぬか、これについてひとつ免許状の問題の担当の局長から、どの程度の責任を負うかということを話してもらいたい。
#298
○政府委員(木田宏君) たいへん大きな、むずかしい御質問だと思いますが、また教育についての非常に本質的な問題をついておられるのだと思います。私は、教師がほんとうに教育者と言える人であるならば、この教育者と言える人の教育的な存在と申しますか、それはまだ単に学校の教員として、職場に勤務をしている間だけの問題だというふうには考えない。職場に勤務している間だけが教育者で、うちへ帰ったら教育者でなくなるというのは、教育の本質的な姿から見るとおかしいことだと思うのでございます。ですから、真に教育者といわれ、真に専門職といわれる方々が、やはりそれは自分の生涯の社会における職責として、その自分の専門に対する職責を、やはり一生を通じて貫いていくというだけの大きさのものだろう、私はそのように思います、そうでなければ、何といいますか、教育というものを非常に崇高な専門の職だと考えることと、ほんとうは矛盾をしてしまうと思うのでございます。しかし、そうした真の意味の教育ということを、今日の学校教育の中でどこまで制度上取り入れられるかということになりますと、純粋の理論だけで、個人が生涯を通じて責任を持つというようなことを、突き詰めて言ってしまうわけにもまいりません。やはり学校教育の教師という場合に、ある程度の学校という組織集団からきます制約が起こってくる。これは、真の意味の教育者はどこまでも個人を通じ生涯を通じ、二十四時間を通じて、教育者だという責任を持ちますけれども、学校という公の組織活動の中の教育者ということになりますと、その組織活動の面からくるある制約というものを教育の面でも受けざるを得ない。おのずからやっぱり、数多くの児童生徒を前にし、それをクラスに分けて、そうして子供たちが学校におる間の責任というものを、時間を持って考えていくという要素が出てくるわけでございます。ですから現実に学校の教師の責任、教育上の責任ということを考えました場合には、ちょっと例が違うのかもしれませんけれども、公務災害とか、あるいは児童の災害に対する教師の責任というようなことを考えますと、勤務時間の中であるか外であるかということが責任上は非常に大きな考え方の区分の分かれ目になってくるわけでございまして、今日の学校制度が公の組織的な制度として行なわれますために、そういう組織的な場をつくっていきます社会集団としての教育者集団、それをマネージしていきます公務員制度というような制約が一面で加わってきて、その制約から教師の責任につきましてもある程度の理論上の差異が起こってくるということは避けられないと思うのでございます。で、その意味では抽象的な教育者、教師でなくて、具体的な学校の教師ということを考えました場合には、この近代的な職場組織のワクからくるある程度の制約というものを、責任の限界としても考えなければなるまいか、こう考えておる次第でございます。
#299
○小林武君 いま例に出ました学校の災害か何かの問題ね、これは三重県でたくさん海水浴に行って、子供がなくなったことがある。これはまあ裁判にかかって、法律上の一体責任があるかないかということの解決はついた。しかしそれとは別に、子供を連れていって事故が起こったということについては、教師はどんなことをやったってのがれられない。万全の策というのはまだなかったか、まだなかったかという、これはあるんですね。そういうことを回避するなんていう気持ちを持っている教師なんていうのは、いま日本全国の学校の中にだれもいやせぬと思っている。そんなことで責任を回避したりなんて、それじゃないんだ。もっと教師の本質の問題いわゆる教師として働くところの子供に教えるその問題いわゆる子供を、からだでもいい、精神でもいい、これを教える問題について責任はどのように考えたらいいか、これもあなたは一つの集団の中であるいは国の中でというような考え方に立ちますか。私はまあ日本の教育の中では、文部省へ行けば森有礼のあれがかかってありますけれども、あの人は学問と教育というものの分離説なんです。これは間違いないでしょう。あなたたちも知っていると思うのです、学問と教育というものを分けた。もっともそれは端的にいえば、歴史の教科書なんかには、昔はやはり学問的なのかどうか、いまはよくわからぬけれども、応用史観なんていうことをよくいわれた――歴史観ですね、応用史観なんていうことをいわれた。その応用史観でないのが純正史観だというんです。そのあれが正確なあれかどうかわかりませんけれども、応用史観と純正史観の論争というのがあった、職場の中で。歴史的な事実を教えるということよりかも、多少それが適当に変えられて、教育的効果をねらったほうがいいというのが応用史観で、日本の教育に当たってそういう教育のしかたが、おまえたちはやらなければならぬとわれわれは言われた。歴史というものはそういうもんだ。事実としての正確さの追求なんていうことよりかも、これがいかに上御一人に対する忠誠を持ったほんとうの大御宝としての教育のためにはこうでなければならぬということをいわれた。そういう問題が出てきた。この場合の一体教師の選択というのは、ぼくは応用史観なんていうのは間違いだと思う。いわゆる森有礼の考えている学問と教育の分離というようなことをいうというのはおかしい。その場合の森文部大臣の考え方は、別にそのあれだろうねえ、大学における筑波のやつにも出てくるわけだけれども、研究と教育の分離なんていうことをいうのと、それとはちょっと内容的にはちょっと違うだろうと思うけれども、そういう考え方から出る責任の問題これは教師はのがれられるとあなたたちは考えているかどうかだ、その責任からのがれることできるかどうか、どう思いますか。初中局長どうです。あなた初中局で担当だから。
#300
○政府委員(岩間英太郎君) 私どもも行政の専門職だと考えているわけでございますけれども、自分がまあどの程度の限界まで責任を負っているかということはやはり自分の良心が判断してくれることであろうというふうに考えるわけでございます。そういう意味から申しますと、先生の場合も、まあいわゆる道義的な責任と申しますか、そういうものはやはり個人の良心でそれぞれの先生が御判断になるということであると思います。先ほど来問題になっていますような法律上の責任ということは別にいたしまして、やはり教育の専門職としましては、自分の良心に従って自分の良心が判断してくれるということが教員の責任の限界というふうに考えております。
#301
○小林武君 そこが問題なんだ。ぼくはこの前にも大臣に質問したことだけれども、このことは、非常に重要なことだからぼくは重ねてやるのですけれども、ぼくはそのことでのがれられないということをあらわしたのは、何といっても教員の追放の問題、敗戦のとき教員が追放を受けた。私はその追放のときにあたりまえだと思った。われわれも審査何べんもやられた、あとで復職するときね。何べんかやられた、そのときに私はこれは当然だと思った。だれを一体、だれに対して、自分の無知のために子供に対しての教育を誤ったとしたら視学がどういったとか、教科書かどうだったとかいうようなことは、これは単なる言いわけだとぼくは思ったのだけれども、そのぼくの考え方は誤まりですか、どうですか。
#302
○政府委員(岩間英太郎君) 追放の問題でございますけれども、その際にまず自分からおやめになった方がおられます。そういう方々はまあ自分の教育につきまして、自分の良心に基づいて判断をされた方々でございます。それからまあ追放の場合には、これは形式的な要因でもって一応追放ということがきまったわけでございますけれども、それに対しては、それは不服な方ももちろんおられたと思います。そういう方々は、これは自分が自分の意思でもってこういう教育をやったのではなくて、いま先生が御指摘になりましたように、国家からそういうことをやらされて、自分が責任をとるということに対しまして不満を持っておられる方もそれはおありだと思います。まあそれは考え方でございますけれども、先生のように純粋に自分の行なったことに対して、自分の良心にかんがみて、これは当然のことであるというお考えももちろんあると思います。そういうふうなお考え方、これは特に教職につかれておられる方々にとりましては、非常に私どももとうといお考えであるというふうに考えるわけでございます。
#303
○小林武君 とうといとかとうとくないとかというようなお話じゃないですよ。ここに書いてあるね。これもさっきの同じ本ですね、昭和二十年十月三十日の総司令部の指令であると書いてある。これによって教員の適格審査が行なわれ、戦争遂行に大きな役割りを果たした教員の追放などが行なわれることになったと。その戦争遂行に大きな役割りを果たしたというのは、それはある意味で、私は、大きな役割りを果たしたと思うんですよ。だれもそのころ、いくさに行くというときに、それは、内心はいろいろな悩み、苦しみがあっても、勇ましく涙も見せず出て行く人がほとんどだったね。そうして、みんな命を捨てて戦ってきますと、こう言って行ったと。それをそういうところまで教育したのはだれかといったら、われわれでしょう。しかも、そのころの学校の前には、何か人形みたいなものを置いて、学校の出入りには銃剣で突っついて入るなんというようなことまでやらした学校もある。これはどうもおかしいと思ったって、そのときそれをやらないなんということはなかなか容易じゃない。しかし、やったっと、しかし、それだって私は、やっぱり教師として冷静に考えたらやるべきことではなかったと、こう思うね。そういう教育をやらされたというようなことを言えないのが専門職だと思うんですよ。正しい教育をやることによって迫害を受けてもそれを通すということ、子供たちのためにとにかくがんばらなきゃならぬというのが専門職の少なくともこれはとるべき道だと思う。もっと専門職ということを言えば、私は、単なる専門職という中身はそんな貧弱なものじゃないと思うんです。ぼくがいま言うようなことじゃ、ないと思う。
 そこで、そちらの局長さんにお尋ねする。専門職というものは、一体、内容的にはどういうことなのか。文部省側の見解聞かしてもらいたい。
#304
○政府委員(木田宏君) やっぱり、一般的には高度の知識、教養というものを基盤にしたある特定の専門領域についての深い識見を持つということが一つございます。
 それからもう一つ、専門職というのは、やはり社会における公の、何といいますか、社会的な職として認められたものということになりますが、一般的に専門職として考えられる職は、勤務時間といった観念とはあまり両立しない、二十四時間、あるいはまた、その人のキャリアを通じてのその専門に生きる、それが専門職としてのかなり大事な要件だというふうに考えます。ただ、おのずからそういう意味では教職のみならず、弁護士さんだとか、お医者さんだとか、あるいは宗教関係の僧職にある方々も、ある意味で専門職というような範疇で考えられる。しかし、それらが先ほども申し上げましたように、公の社会制度の中である集団としての位置づけを持つ関係から、学校だとか、あるいは会社だとか、そういうところの職場の中で特定の職制として位置づけられますけれども、それが専門職といわれるためには、その特定の社会を離れたあともその専門によって世の中一般の中に生きていけるだけの能力といいますか、技術といいますか、それを終生のものとして身につけている方、これが専門職といわれる基本の姿ではなかろうかというふうに考えております。
#305
○小林武君 どうもそれでは抽象的ですね。だけれども長々やるのもあれだから、ぼくが自分の立場で人から聞いたり見たりして考えることからいえば、やっぱり教育の専門家といったら、あまりいいかげんなのは専門家と言っちゃいかぬですよ。ぼくなんかも専門家なんて言ったら笑われる。これは専門家でも何でもない。職人、教員という職人の程度と思うわけです。ぼくは大学に入ったら、その大学というのは、だから、いいかげんな大学をつくってもらっちゃ困ると思うのです、ほんとうのことをいって。教員になる大学というものはほんとうのやっぱり専門家をつくってもらいたい。医者、弁護士ということがいま出ましたけれども、医者も容易じゃないんです。医者だって、あれは修業の年限は長いのにもってきて、一人前になってとにかく開業できるとか、あるいはどこかの大学の医局で一人前になるまでやるとなったら、相当の年配までやっぱりやらなきゃならぬ、たいへんなんです。大手振って歩ける医者になる、専門家といわれるようになるには、ほんとうに信頼されるような技術を持たなければだめだ。弁護士だって、これは簡単になれぬですよね、これ。もうあの激烈な競争をあれしていって、今度司法修習生になって、それから卒業してから今度いろいろなあれをやれば、とにかくそれだけの修練積んでやればほんとうに専門家といわれるだけのやっぱり価値はぼくはあると思う。教師はどうなんだと、卒業証書をもらったら、そうして免許状をもらったら専門家としていわれるのかどうかといったら、これはやはりそれだけでは困るとぼくは思う。どういうことかというと、それはただし教師というものの一番のぼくは大事なことは、大体成長を遂げている間は教師としての資格あると思うのです、出だしはどうであっても。毎日成長している、五十の教師でもやっぱり伸びがとまっているときはもうこの人は教師としての生命がなくなったときだとぼくは先輩によくいわれたが、そのとおりだと思っている。それは伸びの率がだんだん悪くなるのはあたりまえだけれども、しかし、そういう終生とにかく伸びていくというだけの専門家としての心意気のことをいっているのだと私は思うのですね。そうするには何かといったら、子供に対する私的な問題、精神的な問題、肉体的な問題、いわゆる人間としての成長、発達、こういうものの普遍的な一つの法則というようなものをほんとうにつかみ取れる、個々の子供についての的確な特性の把握もできなきゃならぬ。それから子供の持っている本来の教育される権利、それからこの子の持っているはかり知れない可能性というようなものを最大限に発揮させるだけの責任を持つということになると、これはたいへんなことだと思うんですよ。でありますから、これをやるのは一体だれがやれるかというと、専門家でありながら、自分がそれについてすべて責任を持ってやれるという見識がないと、私は専門家だと教師は大きなことを言っちゃいかぬ。しかし、これはなかなか数がたくさんあるものですから、何かのあれを見たら、高校からずっと下のほうの、大学は抜かして学校の先生の数は何万あるんですか、八十万ぐらいあるんですか、その八十万人の膨大な人間を養成するというか、教員養成をやる、免許状を与えるというようなことをやった場合に、それだけの大量のあれが、いわゆる医者や弁護士というような専門家と肩を並べるような――私は肩を並べるまでやらにゃいかぬと思う。そういうことが一つと、もう一つはさっきから言っている責任の問題ですよ。みずからが責任を負うということです。そこで私は教育というものについて、一体本来なら政治が干渉すべきじゃない。それから、もしやるならば、教師にその全責任を持ってやれるというような環境をつくってもらいたい。これが教育でなければならない、こう思っているのですが、この点については大臣はどうお考えですか、だいぶ考え方が違うと予想しておりますが。
#306
○国務大臣(奥野誠亮君) やはり教師が自主的に教育への熱情をかきたてて努力するということは、一番基本的に大切なことだと思います。それができるように教育の諸条件を整備していかなければならない、かように考えるわけでございます。したがって、またその諸条件の中で教師が自主的に熱情を燃やしていける、また燃やしていかなければならない、いってもらうというあり方、これが基本的なものじゃなかろうかと、こう思っておるわけでございます。
#307
○小林武君 ちょっといまの答弁はわからぬけれども、たとえば教育というものについては、試行錯誤はあまりのべつやったらいかぬと思うんです、教師は。きくかどうかわからぬけれどもやってみようかというような、間違ったらまたやり直せばいいというようなことをのべつ繰り返しておくような専門家じゃ困るわけです。取りかえしのつかないことになる。だからそれについては責任を持たなきゃならぬ。そういう教師だとするというと、いわば子供に与えるものすべては、自分がほんとうに調理して、絶対有害でないというような確信に立って、そうしてやらなきゃいかぬということになる、理想からいえばそうなんだ。私はそう言ったら悪いですけれども、反対であるならひとつ言ってもらいたいが、学力一斉調査なんというのをずいぶん反対を押し切ってやっておる。どれだけの効果いまあったのか知らぬけれども、マル・バツ式なんというのをやるから、大体このごろの若い者ろくな者いないというような話も出てくるし、いろいろな批判出るが、文部省強行してやめれ、やめれというのをやったでしょう。しかし、あとで気がついてやめた。しかし、あれもずいぶんいろんな点でよくわかって、日本の国際的水準の判断にたいへん役立ったというかもしれないけれども、ぼくはそうは思わない。学力なんてものは簡単に測定できるものでないということだけは、私もあることで十分味あわされておりますから。文部省だって試行錯誤やって、あとであれは失敗であったとは絶対に言わぬが、やめてしまえばこれで消えてしまうというような、そういうやり方では困る。だから教員がほんとうに責任の持てるというのは、ほんとうの専門家というのは、どういう教育をするかということは、自分できちんと計画を立てて、こんなやり方でこういう教材で、こういうふうにやるというようなことができれば、これは最高なんです。しかしそうばかりもいかぬ。やっぱり教科書を参考にするとか、いろんなものを参考にしてやることもけっこうだと思うのだが、そのあれはもう教師みずからの判断でやるというのが専門家だと思うが、こういう教育にしてやるという考え方には文部大臣はどうですか、立てますか、それはあぶなくてだめだと、こうお考えになりますか。
#308
○国務大臣(奥野誠亮君) やはり国家社会を形成するということには違いないわけでございますので、国家社会として大きな方向、それは考えられる。その中で自主的に創意くふうを燃やしてくれる、そういうことじゃないだろうかと、こう考えるわけでございます。国家社会の全体的な考えをそとにして、孤立的に教師が自主的に活動するということは、これは考えられないだろう。だからその関連をどうするかということでございますけれども、できる限り弾力的に教師が自主的にやれるような幅、これは大切なことだと思います。しかし、やはりそのワクの中で努力してもらうということも大切なことだ、かように思っております。
#309
○小林武君 私はそのワクの中でということでは、全く意見が違うわけです。国家はそういうことをやるものではない。それは非常に大きなワクで選択ができるようなものならば、それは国が全然やるなとは言わない。しかしながら、教師の選択というものが、その中で専門家として非常に窮屈だというような感じの与えないようなやり方でやるべきで、日本の場合は学習指導要領でも何でも、非常に微に入り細をうがっておってまるきりそこからはみ出せない。教科書についてもいろいろな検閲だか検定だかしらぬけれども、そういう議論がいまでも行なわれておるわけですけれども、それについても、やっぱり日本の教育というものを、ある一つのものに固定化するような形にだんだんいっていることを私は心配する。
 それはここでひとつ責任の問題はやめまして、私は文部大臣にお尋ねしたいんですが、そういうぼくは考え方を持っておるんで、教育を考える場合、やっぱりいまの教育をひとつ言えば、いわばいまの教育は平和憲法の中で教育をやっている。私は文部省の考え方として一番いいのは、木田さんがこの間だれかと質疑やっているときに話の出た新教育指針というもの、あれは私のほうで参考に出したんで、文部省は責任ございませんというようなことをぼくも聞いた。しかし、あれがぼくは戦前の教育と戦後の教育の境目の中において、日本の将来の教育に対して、文部省がほんとうにやっぱり腹の底を割って教育に責任を感じてわれわれ教師に示したものだと思っています。もちろんあの中にやっぱりそれはまだまだいろんな問題点あるかと思いますけれども、あるものは追放を受けた、ある者はいつでも教育に対して負い目を感じながら生きていたとかいろいろなものがある。そういう教師に対してあのものの考え方というのは、しかし私は良心的だと思っているんです。ただ、しかし教員が悪かったというようなことを言われると、少し文部省あたりの責任はどうなるんだというようなことも言いたいし、そこでこの間岩間さんに質問したんだけど、岩間さんあの資料あれしてくれたかどうかしらぬけれども、私は文部省とか、それから地方の教育関係のえらい人たちが、あの追放教員を出したところの特に教育に関係したその行政官、そういう人たちは追放になっているのかどうか、そういうもののあれをひとつ調べてもらいたいと言ったけどまだ出てきませんがね、ひどいのになると教学官というの、教学官なんかについては、何か教員を助けるためにやって、反動的なところ一つもないなんというようなことを言ったけれども、私はきょうここに二冊本を持ってきた。これはぼくが教員やっていたときにあやまちをおかしたときの本の一つです。まだだいぶある。だいぶていさい悪くてなげたけれども、それでもこれだけは自分の罪のあれだと思って、こんなことを一生懸命読んでそうして子供にやったわけです。これはどこから出したかといったら、文部省教学局編纂、これは紀平正美さんというのは「マサミ」と読むんだと思うが、この人はとにかく日本のいわゆる何といったらいいか、国家のほうを代表する一つの教育倫理についての代表的な人だ、もう極端なというくらい。えらい人ですが、えらい人というのは、別にとってもらっては困るんだけれども、この人のあれを見ても、もう最後のほうにいきますというと、とにかく「我が日本も、一時は欧米の文明に眩惑せしめられ、其の理論の巧妙に、全く屈服せしめられ、其の理論に叶ふものは之を是とするも、叶はざるが如きものは、如何なる美風良俗なりとも、之を弊履の如く捨てんとしたのである。」
 こういうようなものの見方をして、そうしてまあ極端なことをいっている。この本を見るというと、もう極端な国家主義、天皇制教育というようなものを、非常に強烈にここに書いてある。一々読むことはやめますけれども、「やまとごころ」というのを執筆した河野省三さんという文学博士も、この大國隆正の「やまとごころ」というものに対してほんとに強烈な、反動的な考え方を持って、あのファシズムのあらしの中で、とにかく日本の教育を動かしたんです。これを、いまの、反対なんかしたらどういうことになる、一たまりもなくやられたでしょう。こういう誤りというようなものに率直にやっぱり自己批判したのは、これは、何といっても、あの新教育指針だと思うんです。そこで初めて、日本の教師の中でも戦前派の中に、もう一ぺん教員をやろうかという勇気をふるい立たして、新しい教育にひとつ飛び込もうかと、あるいは飛び込んでいる者も、これからひとつ一生懸命やろうかと思った者は、そこに勇気を求めた。これが私は、日本国憲法と教育基本法の教育に教師をかり立てたと思うんですよ。いろいろなことを言って――きょうも、日教組の大会をやっていれば、何かものすごくあばれられているらしいがね。まるで命がけだ、とにかくあの大会に行くのが。この命がけの大会に行っているんだが。私はここで、これは四十七年の五月三日の社説なんだけれども、これ、私は非常に好きなものだから、いつも持っているんですがね。この中で、こういうことを書いていますわ。「平和憲法を骨抜きにするな」と書いてある。「基本的人権、国民主権と並んで、もう一つ現行憲法の基本的原理というべきものは、第九条の戦争放棄、つまり徹底した平和主義である。」こう言っている。これがどうかというと、だんだんだんだんおかしくなってきている。山中総務長官の名前がここへ出て、「先般国会で「現行憲法は押し付け憲法だ」と発言し、」と、こういうこともあげてある。閣僚はじめ、そういうことになっている。そうして、平和憲法が骨抜きになろうとしているということをこの新聞は書いてある。こういう新聞を商業紙、商業紙というて、あんまり信頼してないようなことを言うけれども、その商業紙という新聞でさえもそういうことを書いているんです。現実は、骨抜きになった日本国憲法なんです。そしてこの新聞は、「憲法学習運動を国民の中へ」入れなきゃならぬ。「平和憲法は、骨抜き同然にされ、司法権の独立に疑惑がもたれるような状況をこのまま放任してよいものかどうか。議会制民主主義の根幹ともいうべき国民の知る権利が、一方的につくられる行政官庁の機密によって妨げられるのを見のがしてよいのであろうか。」、「社会の底辺に押しやられた人々、下請け企業や小企業に働く多くの未組織労働者などの場合、果たして憲法が保障している基本的人権が守られているだろうか。」という、こういう社説、このことを考えますと、私は、いまの教育は何かといったら、あなたたち口をそろえて言うわね、日本国憲法と教育基本法に基づいてやっていますと、こう言う。私は、そういういまの教育の現状と、日本の教育が基づく、根拠になっている憲法、教育基本法というようなものを見直すためにはどうしたらいいのかといったら、私は、それは、いまの時点だけ見たってだめだと思うんです。少なくとも、日本の近代教育というものを見直すのには、そうして現状をほんとうにはっきりさせるためには、教育史の中にそれを位置づけて、そうして検討させにゃいかぬと思うんです。そういう点では、この前、大臣に対して私が質問したことなんですけれども、大臣の所信表明は、私はあんまりいただけないと言ったのはそこなんです。あのとき、学制以来百年ということを言った。学制以来百年ということはいい。百年たったんだから百年でいいけれども、その学制以来百年の中に、現今の教育を語るのには教育史的な見方に立って、現況はどうだという結論を出さにゃ私は納得しないということになるわけだ。あなたはそれをどう見ているのかということです。学制というものはどういうものだったのか、そもそも学制は。そらして、教育勅語を出した天皇制教育というものはどうであったのか。そのこともあなたは述べておらない。説明もしてくれない、所信表明の中で。私が質問したらそういうことを言うかと思ったが、それは言わなかった。そのあとの――一体どうなのか。大正デモクラシーということをわれわれが言えば、大正デモクラシーの中の教育というものが結局教育の一つの大きな問題を出した。これは教育の場面だけを言うんですけれどもね。大正デモクラシー、それからそのあとの、昭和の初めからのファシズムのほうに進んでいくあれ、敗戦。それからいまの教育、と。一体、この百年間の日本の教育の目標を教育史的にも位置づけて考えなければだめだというのは私の持論です。それがないというと、明治百年といって発展発展でたいへんおめでたいというようなことになるというと、私が先ほど言ったように、ほんとうに日本の国の教育というものが国際的水準にまで達した、めでたいめでたいというような考え方では、将来の日本の教育の大発展というものはできないと、こう考える。そのことは民族の不幸だと思っている。そう思っているんですが、大臣はどうですか。教育の、いまの私のような考え方について、全然別な意見をお持ちであったらひとつ述べてもらいたい。
 なお、これは、もう日本の教育を語って、教員養成というものを考えた場合に、教員養成の根幹にあるのはいまの教育なんですから教育の現状なんだ。その現状を踏まえて、日本の教育はどういう教員養成をやらなきやならぬかということが出てこなきゃならぬでしょう。どういう教員を要求しているのか。教育の現状がこうだから教員の養成をしなきゃならぬ。それに、たとえばさっきから言っている検定なんというようなものが適当かどうかという議論も、その中から出てくるわけです。だから、それは、木田さんもそういう観点からひとつ言ってもらいたいし、それから初中局なんというのは、一番やっぱりこれは、私は、どの局長もそうですけれども、そんなに、現場の教師じゃないから、現場のことを知らぬほうがいい。あんまり知ってよけいな干渉をするより、知らぬほうがいいんで、むしろ、もっと行政的見地から、教師にあたたかい、日本の子供たちにあたたかい、青年にあたたかい目をもって教育をよくしてやろうという考え方に立てば、そのほうがけっこうだと思っていますから。ひとつそれぞれ、そういう観点から御意見を承りたいと思う。
#310
○国務大臣(奥野誠亮君) 百年の間には、やはり山あり谷あり、大きな失敗もしておりましょうし、その失敗を生かしてまたりっぱな道に歩んでまいったこともあろうと思うわけでございます。ことに二十数年前には敗戦という非常に痛い体験をしておるわけでございますし、たいへんな人数の国民が犠牲にもなっておるわけでございますので、たんたんとした百年でなかったことはもう当然のことだと思います。そういう失敗を生かして、今日、新しい憲法のもとに、充実した国をつくり上げようと努力しておるわけでございます。そういう考え方で、みずからおっしゃいましたが、憲法なり教育基本法なりを中心にして教育の充実をはかっていくべきものだと考えているわけであります。
  〔理事久保田藤麿君退席、委員長着席〕
#311
○政府委員(木田宏君) 先刻来、教師の基本的なあり方ということについてるるお述べになりました意見については、私も共感を感ずるところは少なくございません。私も、教師とは何か、それが専門職とは何かというお尋ねに対しましてつたない私見を申し述べたのでございますが、真の意味での教師というのは、やっぱり、私は通常のことはで教育者といわれる人でなければならない。教育者というのは、先ほどの繰り返しにもなりますけれども、勤務時間の間だけが教育者ということではおかしいのでございまして、学校で教えたことが、うちへ帰って、あるいは道で会ったときには、まるっきり別の姿であるというのでは教育者にならないのでございます。ですから、その意味では、教育者というものが、これは学校におる間だけが上から言われて教えたことなんであって、うちへ帰ったら別のことだというようなのでは教育者にならないという点で、私は、別の表現をとりましたけれども、小林委員の考えておられます教育あるいは教師像というものにつきまして私なりの理解も持ちたいというふうに考えるのでございます。そういう意味で、教育の現場にあります人がそれぞれ自分で大きな責任を持って教育に当たらなければならないし、そのことは自分の勤務時間を越えて、また生涯を通じて教育という使命に生きる人でなければならないというふうに考えますけれども、先ほど小林委員の御指摘にもございましたように、そういう純粋な教育の場というものが今日の学校教育において常に行なわれておるというわけではございません。学校教育は、先ほどもお話がございましたように、小・中・高等学校等、初等中等教育をとりましても、八十数万の教師をかかえ、そして二千万に近い日本のすべての子供たちを引き受けまして、それに対してある公の組織として一定の目標をもって教育活動が行なわれておるわけでございます。これはやはり国の大きな教育制度の中でシステムとして行なわれておることでございますから、その教育について最低、この辺までは考えていかなければならぬという一定のワク組みが起こってくる。そのワク組みの中の活動として公の学校の教育活動が行なわれる、そしてそのワク組みの中の教師として教師の活動も行なわれるということでございます。ですから、そこにはおのずからあるワクどりが起こってくるということは避けられないのでございまして、例も、十分御存じの方に逆のことのようでたいへん恐縮なんですが、どんなに純粋に考えて早期教育を主張されましても、バイオリンの早期教育をある人が教育者の使命感に立って教育をされる、それがそれなりによくても、学校の中ではあまりそういう早期教育をすべての子供を相手に行なっていくというわけにはまいりません。ですから、どうしても、教育の手順も必要でございまするし、公の学校として所定のカリキュラムの中でどういうことを教えるかというワクどりが出てまいります。このワクどり自身を考えてまいりますと、純粋の教師あるいは純粋の教育論というもののある一局部を公の学校制度としては取り入れなければならぬということに相なろうかと思うのでございます。そういう意味で、国の学校教育制度の目的、ねらい等々を勘案いたしまして、教員養成のシステムも、まずこの辺までのところを考えていきたいというワクどりが出てまいります。これは、百万に近い教育者と、それから二千万の青少年を考えた場合の公の学校教育としてのスタンダードに合わせた教員養成の免許制度ということに相なってこようかと思いますので、この免許制度は、ある意味では、この純粋の教師像がこの免許制度のワクを越えておるものであって、免許制度だけでいまの純粋の教師像を十分に把握できるものだというふうには考えません。小林先生のおっしゃったような純粋な教育者は、私はそれこそ学歴を越えて存在し得るその人自身の問題であって、そしてそういう意味での純粋の教育者が、今日の教員養成大学において純粋の教育者として教育できるかという点になりますと、私はやはり違ったものがあるのではないかというふうに思います。しかし、やはり制度としての今日のわが国の教育をあるワク組みの中で考え、それに必要な教員の資質というものを考えながら、大学で養成をしていくということになりますならば、免許法の中にいろんな、教職の単位とかいろんな単位数も盛り込んでございますが、それが一応のスタンダードを確保するための内容になってくると、こう理解しておるのでございます。ですから、今日、国の公の学校制度として行なわれております教育の諸制度、またその中心であります教員につきまして、免許制度その他の養成を加えますけれども、これが先ほど来御指摘になりました真の意味の教育者をこれでカバーし得るというふうには私は考えません。真の意味の教育者はこの制度のワクを越えたものである。しかしながら、国の教育制度を公の制度として維持していきますための免許制度、そしてそれにふさわしい百万に近い教師を確保するための水準として免許法を維持し、今回御提案申し上げているような改正部分も御審議を賜わりたい、こう考える次第でございます。
#312
○政府委員(岩間英太郎君) 先ほど来いろいろお話を聞かしていただきまして私も非常に同感するところが多かったわけでございますが、特に、教師の専門性ということにつきましては、先生のお話の中にもございましたように、自分の仕事に誇りと自信を持つということが第一だろう。それから生涯を通じて進歩をしていく、そういう力を持っているということ、それからさらにつけ加えれば、自分のやっていることに基本的には間違いがないということ、それが教師の専門性と申しますか、そういう要点ではないかというふうに受け取ったわけでございます。私どもは、そういう先生方がみずからの力を十分発揮できますように客観的ないろいろな条件を整えていくということが教育の行政官としては私どものやるべき使命であるというふうに考えています。学級編制の問題、教職員の定数の問題、それから教育内容の基本の問題、できるだけ先生方が御自分の専門職としての力を発揮できるように、そして、その結果、児童・生徒が自分の能力をできるだけ発揮できるように、長所を伸ばせるように、そういうように、私ども先生方の御努力を側面から援助するというのが私どもの使命であろうというふうに考えております。
#313
○小林武君 そろそろ終わりたいと思いますけれども、あちこちはしょってやっているのでちょっとあれですけれども、いままでいろいろなことを言ったけれども、三人ともほんとうはよくわからぬらしい。答弁聞いていると大体そういうふうに感ずるわけですがね。しかし、これは議論してもなかなか、すぐにはうんと言うようなことはないだろうと思います。しかし、ワク組みの話は、ワク組み一つをやると――ワク組みというのはこれは大事なことです。ワク組みは、私は、日本国憲法、教育基本法というワク組みで、これはもうだれだって守らなけりゃならない。これは否定することはできない。天皇制の場合ならば、紀平正美さんの説のように、教育勅語をおいてないんだという、こういう主張、これはワク組みですね。もちろんそれには、結局、当時国家権力の座にあった人が、一体、日本はどういう当面する問題を持っておってこれにどう対処したらいいかというのと、自分たちの政治権力をどう維持したらいいかというようないろいろな要素でもってつくり上げたものなんです。今度は主権在民の憲法という一つのワク組みで、平和憲法というワク組みの中で、そして教育基本法というものがあって、言ってみれば、教育の権利はいまや国民が教育権を持っているという考え方にこれは立っている。このワク組みの中でいろいろな操作が行なわれる。そうすると、そのワク組みの中で教師は何をやるかといったら、おのずから、やることは責任をどこに持つかということが出てくるわけです。そこで私は、とにかく、専門家としての責任を持たなきゃいかぬと思うんです。ただし、その際、私は、ちょっと木田さんと違うのは、純粋な純粋なと言うけれども、あれは学校の先生かと、小便してでも学校の先生かと見えるような学校の先生なんてぼくはさっぱり楽しくない。ほんとうに、いい教師というのはぼくらのような変人じゃないかと。ほんとうに、何と言うか、子供たちにとっては何とも言えない愛着を感じ、尊敬を感ずるような人だと思う。またその当時はいろんなあれがあっても後々自分の脳裏の中からその人を忘れないような人だったらこれは――そんなのはそんなにたくさんあるわけじゃないんだ。そんなのばかりだったらそれはたいへんだ。やっぱりいろんなのがいて、ぼくのようなのもいていいんですよ。だからそういう意味で私は教師というものはそういう人間であっていいし、いろんな欠陥持ってもいいけれども、常に自分の専門性を持って努力しなきゃならぬというその気持ち、さっきも言ったちょっとでも毎日伸びなければ教師としてもう引退しなきゃならぬというようなそういう気持ちを持ち続けるような私は教師でなきゃならぬと思うから、ちょっと木田さんとは意見が違うけれどもね。ただ、そこで一つ言えることは、人材を求めるということの中に、これは自民党の考え方ですけれども、こういうことはやめたほうがいいと思う。何か昔は徴兵免除になったと、私はこんなばかな話ないと思っているんですよ。いやおかげでおまえも死ななかったと言われればそういうことにもなるかもしれませんけれども、ぼくらのときまでは大体短現といって五カ月、五カ月行きゃ――その前には一年行って、これは死んだんですけれどもね。その前のほうには五ヵ月短現、その前には六週間現役というのがあった。六週間しか行かない。われわれの短現のときは、行ったのは伍長になって帰ってくる。海軍で言えば三等兵曹か何かになって帰ってくる。そして行かなくてもいいというようなこれは、少なくともおまえたちは天皇陛下のために死ねというやつが戦争に行きたくないから教員の道を選んだなんというのだったら、こんな卑劣な何というか、裏切り者はないと思う。だからそんなことでもって喜んでなったやつがあったとしたら、私はこれはやっぱり問題だと思う。そういう教師になってはいけない。それから税金を納めないようにしてやろうなんてそんな、分相応の税金を納めりゃいい。税金を納めることがいやだなんということで教員の道を選ぶというのならば、そんなのは教員にならないほうがよろしい。私はそう思う。そんな低俗なものじゃないんです。そんなことじゃなくて、私に言わせれば、これは教師を専門職として待遇するということは賛成です。そうしてもらわなきゃならぬと思う。そして、よけいな金もうけなんてできない仕事ですからね。少なくともいまの教師は大都市へ来たらおそらくいろんなあれがあるんだと思うんですよ、アルバイト。アルバイトというと何だか外国語だからちょっと聞こえがいいようだけれども、われわれのころにはかなり厳重なあれがありまして、家庭教師を自分の学校のあれにやっていけないとかなんとかということをいって、それはもうみんなやることをやっぱり控えた。そういうことをやらなきゃだめだというようなことでは困ると思う。専門職としてそれに値することをやってもらいたいと。それと同時にもっと私大事なことは、さっきから言っている、専門職としてほんとうに教員が生きがいとして、自分の選んだ道としてこんな生きがいのあることはないと感ずるような状況をつくるということですからね。それはあなたたちの私はつとめだと思いますよ。何かやったらひとつ処分してやろうかという顔してるんじゃ、これはとてもたまるもんじゃない。教員だって労働者だというと、労働者というのはけしからぬというようなことを言うけれども、労働者と言ったって何だっていいですよ。いま世界どこへ行ったってそんなのは通用するんですから。明治時代のような話をして、労働者なんといったら教員の値段が下がったようなことを言うのはこれはとんでもない話だと思う。だからその新しい時勢の中でものを見て、そうしてほんとうに教師として生きがいを感ずるような、そういう皆さんは条件をおつくりになっていただいて、特に専門家としての教師たちにいろいろな手かせ足かせをやるようなそういう態度を改めることこそがほんとうに人材を集める道だと私は思うんです。教員をやってみれば、別に非常にりっぱな考えをもって教員になったわけでありませんけれども、私は教員になっていまだによかったと思っています。楽しかった。そして教壇に立っているときが一番やっぱり楽しい。大体もう教えたのが六十越していますからね。おまえの年どうだいということになるけれども。そういう、子供といったって子供じゃない、もうじじいがたくさんいるというようなあれを見ますというと、自分の一生というものについてひとつのやっぱり感慨があります。だからそういう教師にしてもらいたいというのが私のあれです。早くやめれなんていうことを盛んに言うもんですからここらでやめますけれども、ひとつこれ悪くとらないて、私はやっぱり野党の意見も聞いて、――河野議長さんは防衛と教育だけはこれはもうとにかく妥協も何もできないあれだというようなことを言う、これ考えてみればたいへんいいことを言っているようだけれども、この問題で意見が食い違ったら、もうやろうかというような話にそれが通ずるんであれば、これは重大なことだと思うんですね。私は、やはり教育の対象は日本の次の世代を背負う人間で、この少年たちのことにどれが一番適切かということになったら政治家はその判断ができなきゃだめだと思う、政治家も政党も。自分のほうに都合がいいとか悪いとかという考え方ではこれはもうだめなんです。世界の趨勢というものも考えながら、教育はかくあるべきだということになったら負けた場合にはあっさり負けるべきだ、私はそういう考えをお互いが持たなきゃならぬから、河野さんの言うのはちょっと刺激が強過ぎると、このごろ考えているが、どうぞひとつ教育問題についてはお互いがとにかく議論するだけして、そうして最善のものを日本の子供の教育政策としてお互いが責任を持ってつくりあげるんだという考えを私は持ちたいと思っております。しかし、ときどき私もそういうことを考えながら反省しなきゃならぬこともやりますからこれは大いに慎んでいこうと思っておりますが、私の質問これで終わります。
#314
○委員長(永野鎮雄君) 本日の会議はこの程度にとどめ、これにて散会いたします。
   午後六時二十八分散会
     ―――――・―――――
ソース: 国立国会図書館
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