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1972/09/11 第71回国会 参議院 参議院会議録情報 第071回国会 文教委員会 第26号
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1972/09/11 第71回国会 参議院

参議院会議録情報 第071回国会 文教委員会 第26号

#1
第071回国会 文教委員会 第26号
昭和四十八年九月十一日(火曜日)
   午前十一時十一分開会
    ―――――――――――――
   委員の異動
 九月八日
    辞任         補欠選任
     松下 正寿君     萩原幽香子君
 九月十日
    辞任         補欠選任
     高橋雄之助君     梶木 又三君
     竹内 藤男君     金井 元彦君
    ―――――――――――――
  出席者は左のとおり。
    委員長         永野 鎮雄君
    理 事
                久保田藤麿君
                楠  正俊君
                松永 忠二君
                宮之原貞光君
    委 員
                梶木 又三君
                金井 元彦君
                志村 愛子君
                棚辺 四郎君
                中村 登美君
                濱田 幸雄君
                二木 謙吾君
                宮崎 正雄君
                小林  武君
                鈴木美枝子君
                安永 英雄君
                内田 善利君
                矢追 秀彦君
                萩原幽香子君
                加藤  進君
   国務大臣
       文 部 大 臣  奥野 誠亮君
   政府委員
       文部大臣官房長  井内慶次郎君
       文部大臣官房審
       議官       奥田 真丈君
       文部省初等中等
       教育局長     岩間英太郎君
       文部省大学学術
       局長       木田  宏君
       日本ユネスコ国
       内委員会事務総
       長        西田亀久夫君
   事務局側
       常任委員会専門
       員        渡辺  猛君
   参考人
       日本育英会理事
       長        天城  勲君
    ―――――――――――――
  本日の会議に付した案件
○国立学校設置法等の一部を改正する法律案及び
 国立学校設置法の一部を改正する法律案につい
 て
    ―――――――――――――
#2
○委員長(永野鎮雄君) ただいまから文教委員会を開会いたします。
 まず委員の異動について御報告いたします。
 去る九月八日、松下正寿君が委員を辞任され、その補欠として萩原幽香子君が選任されました。
 また、昨九月十日、竹内藤男君及び高橋雄之助君が委員を辞任され、その補欠として金井元彦君及び梶木又三君が選任されました。
    ―――――――――――――
#3
○委員長(永野鎮雄君) 国立学校設置法等の一部を改正する法律及び国立学校設置法の一部を改正する法律案について、前回に引き続き質疑を行ないます。
 質疑のある方は御発言願います。
#4
○鈴木美枝子君 九月六日、文教委員会で筑波大学に関して私は二時間発言いたしました。本日は、先日の問題を引き続きまして、質問いたします。
 筑波移転最終決定の際、東京教育大学のその日の様子を、家永三郎先生が答弁なさった記録をもう一度読ませていただきます。この本に書かれている内容は、家永三郎先生が東京教育大学の「学生放学処分取り消し要求事件」について、東京地方裁判所民事第二部で答弁なさった事実でございます。「機動隊員は暴力を行使していない学生に盾をもって、こういうふうに乱打(右手を数回振りおろす状況を示す)しているのです。そういう、学生が血を流しているのを大学当局はシャッターをおろした本館の屋内から、平然と見おろしておりました。まったく人間性を喪失した行為といわざるをえません。文学部の教官はその光景にたいへん心を痛めまして、大勢の者が前庭に出て、そういうような事態の悪化をなるべく防ぎ止めようとしたのでありますが、私ども文学部教官が責任者と面会のために本館にはいろうとしましたところ、われわれの目前でシャッターをおろして、通行を阻止するという驚くべきことをやっております。」家永三郎先生の発言に対して、裁判長は、「ほかに、七月二四日の筑波移転の最終決定の際も、大分問題があったように承っておりますが。」と尋ね、その質問に対して家永先生は、「これも私目撃しておりますが、体育学部の学生が機動隊の暴行を受けて失神いたしました。ところが、機動隊員の一人が「死んだまねをしやがって」というような暴言を吐きましたので、理学部のある教授がたいへん激しく抗議したのを私は目の前で目撃しております。そして、その学生のもっている手帳を捜査令状なしに警官が押収しようとしたのを、当時たまたま来合わせていた弁護士の人が、直ちにそれを奪い返したのを私は目前で目撃しております。そのような事態が起こっていたにもかかわらず、この時も大学当局は全然そのような行動に対してそれを傍観していて、なんら学生の保護のために措置をとりませんでした。」こういうふうに答弁されているわけでございます。筑波大学の問題が、東京教育大学の移転だということはもう前々から言われていることで私も伺っております。強行採決で終った衆議院の答弁においても、このことははっきり出ているのです。その一番重要な日、七月二十四日、筑波移転の最終決定の際に起こったできごとが、ただいま読み上げた事実なのでございます。シャッターをおろしたこの大学当局というのは、一体どうしてこのようなことをするのですか。
#5
○国務大臣(奥野誠亮君) 東京教育大学の筑波移転をめぐりまして東京教育大学が激しい紛糾を重ねてまいりましたことは、非常に残念な感じがいたします。おっしゃいましたいまの紛争は四十四年七月の決定をめぐりましての学内紛争ではなかったか、こう思います。それよりも前の四十二年七月に筑波移転を評議会できめておるわけでございます。四十二年にきめましてから後は評議会に対しまして文学部は一切代表者を送らないというようなことになってしまったわけでございます。したがいまして、四十四年の評議会の決定の際にも文学部の評議員は参加されていない、こう思うわけでございます。文学部抜きの評議会での決定であっただろうと思うわけでございます。その中で学生騒動とあわせまして文学部の先生方がいまおっしゃったような行動があったんだろう、こう了承するわけでございます。いずれにいたしましても全学的な意思を決定する、それは評議会の任務になっておりますので評議会で決定されたところが一応大学の考えだ、こういうように理解せざるを得ないじゃないか、かように考えておるわけでございます。また、私たちが東京教育大学の考え方、こう申し上げます場合には、評議会の決定したところをとってそのようにお答えしてまいってきているわけでございます。
#6
○鈴木美枝子君 このような事件、私が聞いたところによりますと、おそろしい事件というように思うんです。また東京教育大学の紛争以前、つまり一九六六年早稲田大学での月謝値上げ反対の大学紛争から始まって、この十年間の学生を一まとめにして、大学紛争、学園紛争があったから、筑波大学の問題では、その紛争を利用して新しい大学をつくることを口実に持っているような気がするのですが、その点についてお答え願いたいと思います。
#7
○国務大臣(奥野誠亮君) 紛争があったからつくるというような考え方ではございません。たびたび申し上げておりますように、三十七年に東京大学が適当なところに移転の候補地を見出したい、こういう決定をされておるわけでございます。同時に、筑波移転をきめましたのは四十二年でございます。いまおっしゃいましたのは大学紛争が四十三年、四十四年にわたってあったんではなかろうか、かように考えているわけでございます。新しいビジョンを決定されましたのは四十四年の七月でございます。それがいま御提案申し上げております筑波大学の考え方の骨子になっておる、かように考えるわけでございます。そういうことをめぐって争いのあったことは事実でございますが、その争いから発生してきておるわけではないことは、いま申し上げましたような時間的な経過から御理解を賜わりたいと思います。
#8
○鈴木美枝子君 筑波大学の最終決定の日に、移転を反対をしている文学部の教授たちが大学の責任者たちと会うことができなかったというのは、どういうわけなんでございましょうか。
#9
○政府委員(木田宏君) 四十四年の七月、評議会で筑波移転を決定いたしますまでの間、これは東京大学もそうでございましたが、東京教育大学におきましても、四十三年の後半から四十四年の前半にかけまして学内はたいへん荒れた次第でございます。特に学生たちがこの大学当局、大学側で文学部に対しても、文学部学生が教官に対する暴行を働く、あるいは本館等を文学部の学生その他でございますけれども、本館等の封鎖を行なって大学としての機能を停止させるというような状態が長い間続いてきた。そういうこの当時の紛争の経緯といたしまして、正常な状態で関係者が意見の交換を行なうというようなことがなかなか実施しがたい状態があった。そして、文学部の教官たちが、この学生が本館の封鎖をしておるというようなことに対して、何ら積極的な補導、指導を加えなかった。放置したままになった。こういった学内の混乱というものが続いておりました関係上、いまお話がありました特定の時点だけをとって、その状態で急に話が通じなかったということではなくって、長い間の遺憾な状態が継続しておった。こう考えておる次第でございます。
#10
○鈴木美枝子君 この家永三郎先生の裁判所で言われたことは、筑波移転の最終決定の際だと、こう念を押れているわけでございます。いま、こうして木田さんがおっしゃった答弁、私が質問いたしましたのは、反対をしている文学部の先生方が、大学当局の責任者に会おうとして、学生のそういう状態も含めて会おうとしたのに、門のシャッターをおろされてしまって会うことができなくなってしまった。大学当局の責任者と言いますと、だれのことですか、また、機動隊を呼んだのはだれですか。
#11
○政府委員(木田宏君) これは、七月二十八日に文学部教授会の名前で出された宣言を見ておりますと、昭和四十四年の七月二十四日、文学部の三評議委員退席後の評議会は、本学移転の最終意思決定を行なった。われわれは、このような意思決定を大学運営の原則に照らし、とうてい本学の正式の意思決定であると認めるわけにはいかない。こういうことをみずから言っておられるのでありますが、文学部の評議委員の方々は、評議会で、この移転問題等議論する際には退席をしてしまう。参加しないというような状態がずっと続いておるのでございます。もし、ほんとうにこの議論をされるのであれば、これは昭和四十二年からのことでございまするけれども、文学部の責任者もお加わりになって評議会等正式な機関にも参加される。また、その他の場でもいろいろと御論議をされるということが続いてきておりますれば、いま御指摘のようなこともなかったであろうと思うのでございます。ところが、こうした筑波移転の討議については参加しないということで、みずから退席をして、そして何かいま御指摘がありましたような、会いに行ったときに話をしようとしないというふうな御意見が出てくるのは、私はいささか筋が違っておるんではないかというふうに考える次第でございます。
#12
○鈴木美枝子君 私は、機動隊を呼んだのは学長だというふうに思っているんでございますけれども、その学長さんが中心になって、名前は宮島さんですか、筑波大学へ移転していくという、移転していくのは、もちろん学長さんたちが移転していくわけですね。学長さん、つまり宮島さん等が移転していくわけでございますね、筑波大学移転賛成派でございますから。
#13
○政府委員(木田宏君) 東京教育大学が筑波への移転、筑波の地におきまして新しい大学として発展を期するということは、昭和四十二年からのことでございまして、いま御指摘がありました時の学長個人がどうこうということではございません。大学の評議会におきましてそういう意見をかわし、大学の責任機関としての意思決定をして、それによって昭和四十二年七月以降、学内の体制の準備を整えてきたということでございます。
 遺憾ながら、昭和四十二年七月に、東京教育大学が筑波の地に総合大学として発展することを期して土地を求めようという決定をいたしまして以来、文学部教授会が、この決定を不満といたしまして、自後、一切この移転に関する学内の論議に参画をしないというような異常な状態が続いたままであったということが、非常に不幸なことだと思いまするけれども、特定の学長個人が事をしておるということではございません。教育大学としての正式の組織にはかった措置がずっととられてきておる、こう考える次第でございます。
#14
○鈴木美枝子君 私が、申し上げているのは、その学長さんの責任において機動隊を呼んだんじゃないですかと言っているんです。
#15
○政府委員(木田宏君) 学内のいろいろな不穏な状態が起こりました際に、具体的にはだれがどういうふうに治安当局へ連絡をするかというのは、すべて学長ときまったわけではございません。しかし、そうした措置をとったことにつきまして、大学の最高機関としての学長にやはり責任があるという意味におきましては、当時の学長も、そのことについての措置に責任をとるべき位置にあるということは言えようかと思います。しかし、それはやはり大学の公の機関としての措置でございまして、学長が個人的に一人でどうこうということではなかろうかと考える次第でございます。
#16
○鈴木美枝子君 木田さんの答弁では、その責任を負わなきゃならないというようなことと、客観的には、学長さんだけに負わすべき問題じゃないという、その機動隊を呼んだという二重行為の責任も背負いながら、筑波大学に移転していくわけでございますね。そういうような問題は、憲法二十三条の「學問の自由は、これを保障する。」、保障するということは、どういう保障をするわけなんですか。
#17
○政府委員(木田宏君) 当時、東京教育大学と東京大学がこの関東地区では一番激しい学生運動の波に洗われたわけでございまして、いろいろな大学の研究室や本部その他の施設が封鎖される等、学問研究が学内において十分に行ない得ないような異常な状態が起こったというわけでございます。
 いま、憲法にしるされております「學問の自由は、これを保障する。」という規定を御指摘になりましたが、私は、こういう学内における学生の封鎖活動、そういったことは学内における研究活動の自由を阻害しておるというふうに考えておる次第でございまして、こういうことのないように、大学の正常な運営をはかっていく努力をしなければならぬと考える次第です。
#18
○鈴木美枝子君 宮島学長が機動隊を呼んだということに対して、そういうことをしたと同時に、それが筑波大学に移行していくというふうなことに対して、私は憲法第二十三条の「學問の自由は、これを保障する。」という問題について、いま木田さんはどうにでも取れるような言い方をしているですけれども、その憲法第二十三条をもう少し法学的な点で具体的に言っていただきたいと思います。
#19
○政府委員(木田宏君) 憲法二十三条の学問研究の自由と申しますのは、研究者が自主的に自己の考えます研究を遂行していくという自由と、その研究結果の発表が自由に行なえるという自由というものを意味しておると言われておるのであります。そして、この二十三条におきまして「學問の自由は、これを保障する。」と規定してございますのは、一面において広くすべての国民に対してこれらの自由を保障するとともに、他面におきまして、大学が学術の中心として深く真理を探求することを本質とすることにかんがみ、特に大学におけるこれらの自由を保障することを趣旨としたものでございます。また、そういう意味において、大学の管理責任者は、大学が学問研究の自由の場であるように処置をとっていかなければならぬと思うのでございまして、不法な学生運動の行動、その他によりまして研究室等が長期において使えない、そこで自由に研究をできるということができないという状態が起こっておりますときに、大学の管理責任者は、その状態を回復をして、排除をいたしまして、研究者が自由に研究できるように措置をとる。そういう意味では、必要な場合に秩序を回復いたしますために、機動隊その他の協力を得るということも大学の管理責任者としてなすべき措置であろうかと考えております。
#20
○鈴木美枝子君 ただいま木田さんは、機動隊を導入することが自治を守るためのなすべき処置だというふうにおっしゃいました。けれども、私が質問したのは、憲法第二十三条の「學問の自由は、これを保障する。」ということについて、法学的にはどういうふうに解釈したらいいのでしょうかということだけ聞いているのでございます。
 で、いまの言い方は、たいへんに真実をついていない。具体的になっていないと思いますので、これをちょっと読み上げます。法学協会が発表した「註解日本国憲法」のうち憲法第二十三条「學問の自由は、これを保障する。」「大学の自治に関しては直接憲法の明文で規定されてはいないが、それを認めることがいまや憲法上の要請となった。第一段に、大学における研究と教授の自由。第二段に、それだけにとどまらず、人事、施設、学生管理についても自治が認められていること。人事については自治が認められ、就職後もある程度身分保障が必要なのである。施設の管理及び学生の管理は、大学の自主的な秩序維持の権限を認めることが必要なんだ。大学内部において警察権を行使するにあたっては、大学の判断を尊重することを要し、警察の恣意的判断は許されないのである。」と言う。その辺がものすごく重要なんでございます。「大学の判断を尊重することを要し、警察の恣意的判断は許されないのである。」その大学の責任者である学長の宮島さんがその機動隊を呼んだことについて、先の続で、家永三郎先生がそのときの状態を発言しております。「移転問題そのものはそのときに決定されたわけですね。」「はい。」と返事をしています。そして「いつの段階ですか。」「七月二十四日の評議会で決定されました。」「それは、さきほど暴行事件のところでお話しがありましたように、機動隊が導入された中で決定されたということですか。」と裁判長。「はい、機動隊に包囲された中で決定されました。当日、われわれ移転反対派の教官自身がデモを行ない、強い抗議の意志を表明しました。」――それは移転についての決定のときに、決定しないようにという意味の抗議を申し込みました。「学生のほとんど全部、あらゆるセクトをこえた反対か」――決定しないでくれと、そんなに性急に決定しないでくれと、展開されておりました。そのような中で評議会は機動隊に守られて、文学部評議員の抗議のための退席にもかかわらずあえて移転を決定したのであります。」――決定しないでくれという抗議の表現として文学部の評議員が入らなかったのです。「移転の決定と前後するかと思いますが、大学そのものは設置廃止と新設であるというような説明もありましたでしょうか。」と、こう聞いているのです。そうしますとその答えに、「はい、筑波移転が実現するならば、東京教育大学は官制上当然消滅するというようなことが速報にかかれておりました。」――これが法律できまる前に学校内の速報に書かれていました、こういう御返事をしているのです。「しかしながら、大学の設置廃止というようなこと、これは国会の権限でありまして、大学管理機関の権限ではないはずであります。したがって、大学の廃止というようなことを」、――つまりここでいえば東京教育大学の廃止というようなことを、「大学の管理機関が表明することすら、それは権限を踰越するものであると思います。」こういう答弁をしているのです。これが筑波大学を移転決定するという最終決定の際の裁判長の質問と、家永三郎先生の答弁でございます。いま、私は、憲法第二十三条を法学協会で解釈している法的な問題として伺ったのはその点なのです。ここでは家永先生は、「これは国会の権限でありまして、」と言うからには、先日ありました衆議院の、二十二日に強行採決されたことと、いま現に延長されて行なわれている参議院との問題について、これは国会の権限で東京教育大学は官制上当然消滅するというようなことが、その前に学校の速報に書かれておりましたこの点について、憲法第二十三条ということと適応してお答えになっていただきたいと思います。
#21
○政府委員(木田宏君) 憲法二十三条が学問の自由を保障する、その観点に立ちまして大学の自治というものを非常に大事に考え、大学の中において学問研究が研究者の手によって守られていくという趣旨のものであるということは、御意見のとおりだと思うのでございます。そのために大学におきます評議会、あるいは学内の重要な会議が正常な状態で運営されるということは必要なことであろうかと思うのでございます。不幸にいたしまして、そうした学内の会議その他に対する非常な妨害が当時繰り返し起こっておりましたその関係から、治安当局に守られて評議会等の措置をとらなければならなかったというのは、非常に遺憾なことだと思いまするけれども、やはり大学の自主的な自治を守るための措置であったかと思うのでございます。そしてその会議におきまして、筑波へ移転する、新しい大学のビジョンを実現するという意味は、東京教育大学のままで移転するということではなくて、東京教育大学を主体にした新たな大学に脱皮していくという考え方である、そういうところから、この東京教育大学の発展的な解消によります新大学の建設という学内意思が議論されたものと思うのでございます。御指摘のように、国立大学の設置、廃止を御決定いただきますのは国会でございまして、法律でただいま御審議いただいておる次第でございますが、どういう原案をつくっていくかということは、当の大学関係者の意向を受けて政府が用意をするわけでございます。その際に、東京教育大学が残ったまま全然別個に筑波をつくるという考えではなくて、東京教育大学を主体にして筑波大学をつくるという大学当局の意思が、東京教育大学の新大学に移転の後には現在の東京教育大学は官制上もなくなるということによって論議をされておる、これは何ら差しつかえないことであろうかと考える次第でございまして、学問の自由等の憲法の保障の中で大学が自主的にそうした問題を決定できる、こういうことになっていかなければならないと思う次第でございます。
#22
○鈴木美枝子君 自治が破壊されて、だから、機動隊に守られて、そして筑波移転のことを決定したのですか。私はそうじゃなくて、自治を破壊しているのは、機動隊に守られながらやらなきゃならないという状態が自治を破壊しているのだというように解釈するのです。けれども、その点についての自治。大事なことですから、お伺いします。
#23
○政府委員(木田宏君) 大学の自治というのは、学問の自由を、大学における学問の自由を保障いたしますために、大学の教育研究その他の教官の人事その他重要な大学の運営につきましては、大学の関係者の自主的な判断で処理をしていくという筋道、これが大学の自治だと考えるのでございます。ところが先ほど来御指摘になっております昭和四十三年から四十四年のころにかけましては、一部不法な学生の学内占拠その他の措置によりまして、大学の正常な教育研究機能というものが停止される、そして、それに対して教授会、評議会等の機関が正常な意思決定をすること、そのことも妨害される、私は、これこそ大学の自治が侵害されておると思うのでございます。そういう学内におきまして大学の責任機関が正常な協議もできないというような状態はすみやかに改善され、その阻害行為というものは排除されなければならないというふうに考えるのでございます。でございますから、機動隊を入れてきたことが自治を阻害したのではなくて、大学が動きのつかないような状態になって混乱状態になったこと自体が私は大学としては自主的な管理能力を失った、それを回復するための措置であるというふうに考えております。
#24
○鈴木美枝子君 何もそういうさなかに筑波移転の最終決定をしなくてもいいんじゃないですか。どうしてそういうときにしなければならなかったのですか。それを聞かしてください。
#25
○政府委員(木田宏君) 筑波移転のことは、四十四年のころに突如起こったことではございませんで、四十二年から東京教育大学としては筑波移転のことを決定し、諸準備を整えてまいりました。そして四十四年には二月にも本館の封鎖状態が起こりまして、機動隊を導入して封鎖を解除する、そうした措置もとられてまいりまして、四十三年以来の学内の混乱状態を回復するための努力が長い間いろいろと続けられてきたわけでございます。一方、教育大学としては、前々から進めてまいりました筑波における新大学の構想その他の検討が実ってまいりました。それを受けて筑波への移転を決定するという手順に進んできたわけでございまして、ことさらに、混乱の中で措置をとったというふうには考えておりませんけれども、そうした措置に対して反対される一部の方々から、強硬ないわば妨害活動というものが続いたということはまことに遺憾なことだと思うんでございます。しかしこれは、大学がやはり目標を立てまして仕事を進めていきます場合に、やむを得ない措置であったかと考えております。
#26
○鈴木美枝子君 強硬に筑波大学の移転の方向へ向けていくということが、「やむを得ない処置だ」なぞとそのようなことばで言えるわけがないでせう。私は、そういうことばを聞いているのではないのです。そのときに文部省や、当時の文部大臣はどうしようとしたんですか、筑波大学について。東京教育大学の移転を口実にして、筑波大学をつくろうとなさっていたんでしょうから。移転決定を強行したことと、新しい「開かれた大学」との関連はどういうことなのですか。
#27
○政府委員(木田宏君) 東京教育大学は四十二年、四十四年と筑波への移転、また新大学のビジョン実現ということをきめまして、そして文部省へこういうふうにしたいという御意向を持ってこられました。したがって、文部省におきましても、その教育大学の考え方を受けとめてこれを実現させるべく、四十四年の十一月には、文部省に筑波新大学創設準備調査会というものを設置をいたしました。東京教育大学の関係者並びに他の学識経験者にお加わりいただいて、こうした教育大学のお考えをどのように実現するかという検討に入ることになった次第でございます。自来、四十四年から今日に至っておるわけでございまするけれども、数年の慎重な検討を経て御提案申し上げているような次第でございます。
#28
○鈴木美枝子君 御提案はしたけれども、あのときにも、早くしろとかそういうようなことは言っていたんでしょうね。言っていたからこそこういう状態になり、機動隊を呼んだときに筑波大学の決定をしたんでしょうね。
#29
○政府委員(木田宏君) 四十四年の時期におきまして文部省が早くしろとかというようなことを言っておる事実はございません。四十四年の七月に東京教育大学の態度がきまりまして、文部省としては、四十四年の十一月に、先ほど申し上げましたような筑波新大学の創設準備調査会を設置いたし、そして約一年半、二カ年近い検討を経て、四十六年の七月に創設準備調査会が「筑波新大学のあり方について」という見解をまとめて文部大臣に報告をしたのでございます。この報告を受けまして、文部省は四十六年十月から今度は筑波新大学の創設準備会を設置をいたしまして、創設準備に取りかかるという手順を進めたのでございまして、文部省の中の作業は、東京教育大学の意向がきまってから始まったと、こういうふうに御理解を賜わりたいと考える次第でございます。
#30
○鈴木美枝子君 ここにあります家永先生の発言の中にも、裁判長が、「移転の決定と前後するかと思いますが、大学そのものは設置、廃止と新設であるというような説明もありましたでしょうか」と尋ね、それに対する答えで、「はい、筑波移転が実現するならば、東京教育大学は官制上当然消滅するというようなことが速報に書かれておりました。」これは国会の権限であると念を押しながら、大学内ではすでに速報に書かれているというような国会の権限を大学内で持てるということはどういうわけなんですか。
#31
○政府委員(木田宏君) 東京教育大学が筑波に移転をする、その際に新大学のビジョンの実現を期して移転するという評議会の決定がある、そのことの意味につきましておそらく東京教育大学の関係者の間で論議があったものと思うのでございます。
  〔委員長退席、理事楠正俊君着席〕
それは東京教育大学が従来のまま東京の地に残って筑波に新大学のビジョンを実現するということではなくて、東京教育大学は筑波に新大学のビジョンを実現して、新しい大学になると同時に従来まであった東京におきます東京教育大学というものは一応店を締める、そしてそっくり筑波に行くんだと、こういう意向が論議されたものと思うのでございます。これは大学関係者がその筑波大学をつくりますときの考え方として学内で当然論議されてしかるべきことと考える次第でございます。私どもは、その大学関係者の意を受けて新大学の準備をし、東京教育大学の発展的解消という措置を今回御提案を申し上げておる次第でございまして、国会での権限を大学がとやかくしているということではございません。自分の大学の将来のことにつきまして、大学関係者がそういう方向を論議したということであろうかと考えます。
#32
○鈴木美枝子君 論議されてないんですよ。いままでは、こういうふうに読んでいる形の中には論議されてないんです。それを論議したようにして、そうして東京教育大学を自然消滅のような形にもっていこうとしているということをいまここでやろうとしているわけなんでございますけれども、自然消滅とは、一体何ですか。
#33
○政府委員(木田宏君) 筑波新大学は、東京教育大学を母体にして新しい大学をつくるということでございまするから、新しい大学ができましたときに、東京教育大学はそちらに移り変わってもとの東京教育大学というものが解消すると、こういうことでございます。
#34
○鈴木美枝子君 もうすでに、東京教育大学の教授その他、学生すべての方たちが納得して、移転していくのじゃないのでございますから、そういうことは、すべてのところで明らかになったわけでございますから、東京教育大学をそのまま存続さしておくというような重要な問題について、考えいただきたいと思うのです。
#35
○政府委員(木田宏君) 東京教育大学の関係者が、一部御反対もございまするけれども、大学としては、自分の現在の大学を母体にして新しい大学をつくると、こういうお考えでございまするから、その新しい大学を整備していくということと並行いたしまして、その整備が完了いたしましたならば、東京教育大学の関係者がすっかりそちらに乗り移っていなくなる、当然になくなるということはまことに自然のことであろうかと思うんでございます。また、そういう教育大学の関係者のお考えでございますから、それをそのとおり御提案申し上げている次第でございます。
#36
○鈴木美枝子君 東京教育大学を廃校するということを、私だけでなく、大ぜいの人たちが知っているのでございます。移転したいんだというそれだけの考えじゃないために、機動隊まで呼んで移転の決定的な機構をつくろうとしたのだと、私は思っております。その一つの証拠として、衆議院で強行採決のあったあと朝日新聞の「声」欄、これは東京教育大学の名誉教授三野教授ということになっておりますけれども、私は朝日新聞の「声」欄に投書しなきゃならないという立場。こういう偉い先生が「声」欄に投書していることは、ものすごく不幸な日本のできごとだと思いますね。そこにはこう書いてあるのですよ。衆議院の強行採決のあとです。昭和四十八年六月の二十四日のことですけれどもね、たぶん思い余って朝日新聞の「声」の欄に投書したんでしょう。名誉教授の方が投書をしなきゃものが言えないことは、重大なことですし、また、私は情けない日本の機構だと思いますね。投書欄にはこう書いてあるのです。「約束と違う」このような題がついておりまして、「筑波大学法案第一期の東京教育大学総合移転問題についての委員長という立場から一言したい。」――その当時委員長だったんですね。「まず、昭和三十八年前後の東教大の概算要求書にあるように、総合移転面積は二百四十万坪、」、いま現在どのぐらいなんですか。
#37
○政府委員(木田宏君) いま二百六十五万坪でございます。
#38
○鈴木美枝子君 ずいぶんふえたんですね。当時の文部省建築費の単価約十万円の二倍を要求している。これはやっぱり物価が上がっているから――いまどのくらいなんですか。
#39
○政府委員(木田宏君) 筑波大学全体の施設費につきましては、総額で大体約六百億というふうに概算をいたしておる次第でございます。
#40
○鈴木美枝子君 六百億の概算だけですか。もうどのぐらい使っているんですか。
#41
○政府委員(木田宏君) 四十七年に、施設費といたしましては十一億計上さしていただいております。四十八年度の予算といたしましては、施設費といたしまして五十億弱計上さしていただいております。
#42
○鈴木美枝子君 それは全部税金のお金ですか。
#43
○政府委員(木田宏君) 国の予算で御決定をいただいたものでございます。
#44
○鈴木美枝子君 となると、税金の金ということでございますね。税金の金なんですから、東京教育大学の先生たちが納得いくという点も必要ですし、国民が納得するという点も必要でしょうし、私たちが納得するという点も経済の面から、税金の面からも必要なんじゃないでしょうか、その点についてお答えください。
#45
○政府委員(木田宏君) 筑波の新しい大学の構想、またその意味等につきましては御指摘のようにできるだけ広くいろんな方に御理解を賜わり、御了解も賜わりたいというふうに考えておりまして、私どもも、及ばずながら一生懸命そのように心がけておるつもりでございます。
#46
○鈴木美枝子君 いまわかりましたけれども、木田さんは御理解を賜わりたいと言いましたね、木田さんたち文部省の方たちがつくっている筑波大学は国民の税金でつくられているのだとすると、ただ、理解をしてくれと言われても、強行採決をしたり、機動隊を入れたりしては、理解なぞすることはできないでしょう。
#47
○政府委員(木田宏君) すべての方が気持ちよく御納得をいただくということが一番願わしいことだと思うのでございます。しかし、東京教育大学が昭和四十二年に筑波移転を決定いたしまして以来教育大学の内部におきまして文学部教授会がそれに反対であるという反対の意向を表明し、それが非常にこじれてきておりますことは私どももまことに残念なことだと思います。しかし、大学全体としての処置をきめるということから考えてまいりまして、四十二年以降文学部が一切の移転審議に参画をしないというかたくなな態度をとっておられますことは非常に遺憾だと考えるのでございます。そうしたかたくなと考えられるような態度がいろいろと波紋を呼んでおるというふうに私ども思うのでございますが、できるだけ新しい大学を、いい大学をみんなしてつくっていこうという考え方に多くの方の御理解と協力を得たいというふうに私どもも考えております。
#48
○鈴木美枝子君 教育大学で反対していらっしゃる文学部の先生方は、木田さんがお考えになる大学構想よりいいことを考えているかもしれませんね。文学部の先生方が反対している理由、そして内容について、どのように思っておりますか。
#49
○政府委員(木田宏君) 私ども、この東京教育大学の筑波移転、発展への過程におきます文学部を中心とした一部教官の反対の御意見というのは、なかなか私ども自体にははかりがたい、わかりにくい点がございます。移転ということを決定して以来、すべてのこの関係の会議に参画をしない、評議会からは退席をするという態度を終始一貫とってきておられるわけでございますが、あまりにもどうもかたくなであり過ぎるというふうに考えております。そうして、この移転反対の方々がどういう大学をつくるんだというようなことにつきましては、残念ながら私どもも、その反対の方々の新しい大学のイメージとか、大学構想については伺わせていただいておりません。ただ、移転に反対であるという御趣旨のように承っておる次第でございます。これは非常に残念なことだと考えます。
#50
○鈴木美枝子君 木田さんは、すぐ残念なこととおっしゃいますが、文学部の先生方に会う気持ちはないのですか。そしてまた、東京教育大学を存続されるという意思もないのに、残念だなぞとおっしゃるのですか。一度、文学部の先生方にお会いになって反対している内容をよく話し合ってみたらどうでしょうか。
#51
○政府委員(木田宏君) 私も、文学部の学部長、評議員その他の方々に何度かお目にかかる機会もございました。そして、もう少し、この大学内の議論のことでございまするから、関係者の議論かかみ合うようにならないものかというふうな御相談もいたしたことがございます。別に、この方々にお会いしたときに、私ども自体がかたくなな態度で応対したつもりはございません。
  〔理事楠正俊君退席、委員長着席〕
いろいろと率直な御意見も聞かせていただきましたけれども、何か協力できないのだという御態度だけであったというのは残念に思っておる次第でございます。いい大学をつくろうということでございまするから、できるだけ広い気持ちで御協力をいただきたいものだというふうに考える次第でございます。
#52
○鈴木美枝子君 東京教育大学もいい大学です。だから、あなたがた文部省がいい大学をつくろうと言ったって、長い歴史があるのですからそう簡単にはいきません。いままでのプロセスしかその答えは出てこないのです。先ほどの、「約束と違う筑波大法案」、朝日新聞の「声」欄の途中で今までの問題で出てきたわけでございますけれど、「約束と違う」という中でこの三野先生が、こうも言っておりますよ。「第二は、筑波研究都市から筑波学園研究都市への閣議決定がその前年八月にあったと思うが、」そのときのそちらの意見は、「住宅公団責任者との話合いで、都心と新学園間の高速道路が完成する」と。そういうことを言ったんですか。
#53
○政府委員(木田宏君) 筑波学園都市との間には、東京都に新しい高速道路をつけるという計画がございまして、進行しておると心得ております。
#54
○鈴木美枝子君 そしてその次には、「その利用には無料パスを発行する」。無料パスを発行するのですか。
#55
○政府委員(木田宏君) 無料パスのことについては聞いておりません。
#56
○鈴木美枝子君 そのときのことをそのままおっしゃっているわけですから、この方はうそをついているわけはないと思います。そして「月給を二倍にする」、教授の月給を二倍にするとおっしゃったのですか。
#57
○政府委員(木田宏君) どなたがどういうふうにおっしゃったことか私にはわかりませんが、おそらく関係者がそうした発言をしておるとは考えられないと思います。
#58
○鈴木美枝子君 この方は東教大名誉教授でいらして、そしてそのときの委員長でございますからそのころ記録されたものをいま思いあまって強行採決のあとに投書なすったのです。ですから、それはその当時のことは木田さんはやっていらっしゃらなかったのですね、知らないとおっしゃるなら。じゃ、どなたがやっていたのですか。
#59
○政府委員(木田宏君) いま御指摘になった御論議は、昭和三十八年のころのことだと思います。十年前のことでございまして、大学の関係者はちょっと――当時の責任者がだれであったかというのは調べてお答えを申し上げるようにしたいと思います。
#60
○鈴木美枝子君 午後には調べてきてくださいませ。十年前のことですから、いま物価が三倍になっておりますので、そのことろは経済成長といわれている時期でございましたから、月給のことやバスが無料だというようなことばをつかいながら移転の問題に水を向けたというように思うのでございますけれど。また、こう言っております。「教職員には約百坪の土地と家を建設する」と。「教職員には約百坪の土地と家を建設する」という計画はどうなりましたか。
#61
○政府委員(木田宏君) その投書の方がどなたの発言としてどういうふうに言われたのか、その投書の限りでは私ども理解しがとうございますが、教職員に対しまして、いま国家公務員の宿舎の整備その他は鋭意進めておる次第でございます。
#62
○鈴木美枝子君 じゃ、筑波大学には、教授の方たちには公務員としての宿舎をつくっているのですか、土地をやるという問題と違うのですね。じゃ、ほかの大学はどうなっているのですか。
#63
○政府委員(木田宏君) 筑波の地に勤務される教官、職員等に対しまして必要な宿舎を整備するというのは、筑波大学だけでございません。あの地区にあります研究機関も含めて公務員の宿舎施設として整備を急いでおるところでございます。
 他の大学につきましても、必要な教官の宿舎その他は公務員宿舎として整備をしておる次第でございまして、別段違いがあるわけではございません。
 ただ、筑波の宿舎は、広い地域に自然環境の恵まれたところにつくってまいりますので、一般の基準よりは若干上回った基準で宿泊施設の整備をいたしておるという次第でございます。
#64
○鈴木美枝子君 私には、こういうふうな言い方は――十年前といいますと、経済成長だとか、そういう宣伝がなされた時期でございますので、すごく金ということで最もいやしい方法で最初は移転をすすめたのではないかということを感じるのです。その点について大臣はどうお思いになりますか。
#65
○国務大臣(奥野誠亮君) 東京教育大学は、主要なキャンパスだけでも三つに分かれておるわけでございまして、教育環境を保持していきます上につきましては適当でないという考え方が皆さん方にはあったんだろうと思います。東京教育大学がどういう方向に進むかということは、これは全学的な協議会であります評議会の決定に待たなければならない。その評議会で決定します場合には、やはり現在の教授の皆さん方の考え方、あるいは在学の学生たちの考え方、将来大学に入ってくる学生たちの立場、いろいろなことを総合的に私は検討した上で結論を下さるべきである、こう存じておるわけでございます。四十二年そういう意味で決定します場合に、文学部の方々は、移転は賛成だけれども、文学部だけは大塚の地区に残りたいという希望を持っておられたというふうに承っておるわけでございます。しかし、全学移転が決定されましてから話がたいへんこじれてまいってきているわけでございます。筑波の地区は、将来大学に入ってきます学生にとりましては、学ぶに非常にふさわしいところじゃないだろうか、ここに理想的な総合大学をつくり上げたいということで鋭意努力を続けてきているわけでございます。しかしながら、なお東京教育大学の中におきまする紛争が残っておりますこと、これは、もうたいへん残念なことでございますけれども、四十二年来の紛争でございまして、なかなか文部省が中に入って片がつくという姿に今日なっていません。しかし、いずれにしましても、早い時期に東京教育大学がもとの平和な姿を返してくださいますように特別な努力を文部省として払っていかなければならない、かように考えているところでございます。
#66
○鈴木美枝子君 もとの姿に返っていただきたいというようなことが文部大臣にそういうお気持ちがあるんでしたら、あわてて筑波大学問題で強行採決はしないでしょう。けれども、いまの大臣のお考えがほんとうならお続けになる形をこの筑波大学の問題で、おとりになっていただきたいと思います。
 午後からまた質問を続けます。
#67
○委員長(永野鎮雄君) 午前の会議はこの程度にとどめ、午後一時三十分まで休憩いたします。
   午後零時十一分休憩
     ―――――・―――――
   午後一時三十六分開会
#68
○委員長(永野鎮雄君) ただいまから文教委員会を再開いたします。
 休憩前に引き続いて国立学校設置法等の一部を改正する法律案及び国立学校設置法の一部を改正する法律案について質疑を行ないます。
 質疑のある方は御発言願います。
#69
○鈴木美枝子君 木田局長、先ほど朝日新聞の「声」欄の記事で申し上げました「約束と違う筑波大法案」、その中で三野与吉先生が書かれた問題の月給を二倍にすると言っていた相手方について午後から文部省のだれか出してくださいとお願いしておきましたが、お調べくださいましたでしょうか。お出しください。
#70
○政府委員(木田宏君) この朝日に載りました投書のようでございますが、三野与吉という方は、当時石川与吉という名前の方だったと承知をいたしました。そして文面に第一期の東京教育大学総合移転問題についての委員長という立場から、こう御自分のことを紹介しておられますけれども、これは石川教授が昭和三十七年、三十八年度にわたって施設小委員会の委員長、総合移転問題の委員長ということではなくて、総合移転についての施設小委員会の委員長という立場におられたということは判明をいたしました。そしてその文面で、「まず、昭和三十八年前後の東教大の概算要求書にあるように、総合移転面積は二百四十万坪、当時の文部省建築費の単価約十万円の二倍を要求しているはず。」とこうおっしゃっておりますが、三十八年のときには、こういう土地の購入についての概算要求は東京教育大学からは文部省は受け取っておらないのでございます。移転についての調査費の御要請がこの当時の話題であったかと思うのでございます。ですから、この面積だとか、単価については私ども承知をいたしておりません。それからあといろいろなことが書いてございますが、住宅公団責任者との話し合いで都心と云々というような、これはおそらく住宅公団の責任者とのお話し合いで出たことかもわかりませんけれども、ちょっと住宅公団のどなたとの間に、どういう話があったのかというのは、私どもではちょっと承知をいたしかねます。大学の関係者に聞いてみましたところ、こういう点について、いまのところ関係者の記憶はございません。そのことだけお答え申し上げます。
#71
○鈴木美枝子君 三野与吉先生が当時聞いてたことは関係者の記憶にはない。三野先生が聞いたことは間違いだ、全然そういうことを移転で土地問題を言った人物はいないということでございますね。
#72
○政府委員(木田宏君) この投書にあります事実についての確認のしようがございませんので、その点はどうであるかというのを、私どもとしては、これ以上のお答えをいたしかねます。
 なお、先ほどちょっと御答弁の中で、三十八年度土地の調査費ということは、当時その調査費を云々ということが話題になりましたけれども、概算要求書には調査費もまだ入れてございません。そういう事情であったことだけちょっと補足させていただきます。
#73
○鈴木美枝子君 その後、経済の点についてだいぶ今では変わったように先ほどおっしゃっておりましたけれど、三野与吉先生の聞いていた内容、高速道路が完成され、土地を提供され、そして学生には全部奨学費を出し、というようなことが、昭和三十八年当時のことでしたら、物価が今よりも値上りしていませんし、経済成長と宣伝されていたときですからたいへんに有利な学校ができ上がるんじゃないかと、だれでも思わされますよ。その移転のための経済は変っているのですね、昭和三十八年以後は。先ほど家永先生の「教育裁判証言集より」を読み上げました、学校内にいろいろな問題が起きたこと。先ほど木田さんのお答えの中で、移転を反対している先生方は、反対するからには、それなりの改造案や構想案を出してくれればよいのです。こうおっしゃっているのですけれど、移転を反対する先生方から、そういう提案は一度も受けていないんでございますか。
#74
○政府委員(木田宏君) 御反対の方々からは、こういう大学に改めたいというようなお話は、私、承知をいたしておりません。
#75
○鈴木美枝子君 そうですか。私の手元にあるのでは、違う話になっております。先ほど文部大臣は、東京教育大学のある大塚の地で、反対の文学部の方たちと一回話し合いたいというようなことを言っておりましたんですけれど、話し合うというようなお気持ちはおありでございますか。
#76
○国務大臣(奥野誠亮君) そういうことを言ったんじゃございませんで、将来本ぎまりになってきた暁には、できる限り大学内部が平和を取り戻せるような努力をしてみたいものだと、こう申し上げたのであります。
#77
○鈴木美枝子君 どこの大学の内部でございますか。
#78
○国務大臣(奥野誠亮君) 東京教育大学のことでございます。
#79
○鈴木美枝子君 筑波大学ができてすぐあとでございますか、それとも法律ができて、筑波が完成されたあとでございますか。
#80
○国務大臣(奥野誠亮君) 筑波大学の設置が本ぎまりになった後には、そういう努力をすべきじゃなかろうかなという考え方を持っているということでございます。
#81
○鈴木美枝子君 それでは、教育大学を廃校にせず、現在の場所に残すというたてまえにおいてお話しになりますか。
#82
○国務大臣(奥野誠亮君) 提案している法律のとおりでございまして、築波大学創設と同時に、東京教育大学がなくなるわけではございませんで、数年間なお存立していくわけでございます。
#83
○鈴木美枝子君 では、いまでもお話しする余地はございますね。筑波大学ができるということは、法律ができるということになるんでございますが。法律以前に、昭和三十八年当時よりの経済の変化、物価は三倍、今日の状態である国民の税金は筑波大学のために払われているわけでございますから、そのことを抜きに話し合いということにはならないことになるんです。いま大臣のおっしゃったこと、東京教育大学を残すということは重要なんで、お約束していただきたいんでございます。東京教育大学を現在の場所に残しますね。
#84
○国務大臣(奥野誠亮君) 法律に御提案申し上げているとおりでございます。
#85
○鈴木美枝子君 先ほど木田さんは、反対の方たちから何も提案をもらってない。話を聞いてない。何も知りませんと言っていらっしゃいましたけれども、文学部長、全学の教官の反対希望者から提出されているんですよ。木田局長のところへ行ってないとしたら、ほかの方が持っていらっしゃるのかもしれませんから、ちょっと調べてください。調べて来るまで待っております。
#86
○政府委員(木田宏君) 筑波大学に反対であるという趣旨のことは私ども聞かされておりますし、そういう御書面もちょうだいしたことがございます。しかし、東京教育大学をこういう大学にしたいという改革内容についての御意見は伺った記憶がございません。
#87
○鈴木美枝子君 先ほど木田局長が伺ったというのと、書かれたものを提出されなかったいうのは、答弁が違うんですが、伺っているのですか。それとも提出されてないのですか、書類が。
#88
○政府委員(木田宏君) 書面でもあるいはお話でも、そういう大学改革の方向についての御意見を伺ったことは聞いておりません。
#89
○鈴木美枝子君 いまちょっと聞きそこなったんですけれど文学部教授から聞いておりますとおっしゃいましたでしょうか。
#90
○政府委員(木田宏君) おりませんです。
#91
○鈴木美枝子君 聞いておりませんか、私は提出されたというふうに聞いているんです。
#92
○政府委員(木田宏君) 筑波大学の考え方について反対という御意見だけは確かに承知をいたしております。しかし、教育大学をこういう大学にしたいという積極的な御構想については聞いたことがございません。
#93
○鈴木美枝子君 文部省に提出されているんです。東京教育大学に文学部から提出された場合に、木田局長のところへ届いていないんでしょうか。全学の教官の反対の希望者を代表して文学部長が提出しているのです。大学改革「新提案」として、受け取っていないんですか。文学部の反対の立場の先生方は再三提出したとおっしゃっているのですが。
#94
○政府委員(木田宏君) いろいろな文書をちょうだいしております。いま鈴木委員の御指摘になっておりますのが、何日のどういう文書であるか存じませんけれども、私が先刻御答弁申し上げておりますのは、筑波大学に反対である旨の御意見は何度か聞かしていただいております。しかし、教育大学の改革案について、こういうふうにしたいという御意見は一度も聞いた記憶がないということをお答え申し上げております。
#95
○鈴木美枝子君 東京教育大学に残った場合、いま大臣には「話し合いの余地があります」と私は聞きました。そして話し合いを早くして、東京教育大学をどう改革していくかというような内容なんでございますが、肝心の提出された改革案が届いてないのでございますか。ただ、反対ということばを言っているだけじゃないんです。大学改革をつくりあげているのです。局長も先ほどから新しい、開かれた大学をつくるのだというふうにおっしゃいましたが、文学部の筑波大学反対の先生たちも、私たちは自分たちで、こういう大学にしたいんだという御希望を持っておりますから文部省に提案しているのです。幾ら提案してもお聞きになることができないのですか。
#96
○政府委員(木田宏君) 筑波大学関連法案に対する見解は私ども承知をいたしております。しかし、午前中から御指摘がございまして、お答え申し上げましたのは、こういう大学改革についての意見という意味での御意見は伺っていないと、こういうことを申し上げました。
#97
○小林武君 関連。いまのことについて、簡単なことですからね。木田さんね、質問者が言っているのは、あなたいろいろな形式的なことをいうようだけれども、たとえば大学を筑波に移転していくということは反対だ。しかし、それについて教育大学を将来こうしたいという意見が出れば、それは文学部長名で出ていれば、いわゆる具体的なその一つの改革案でなくても、こういう教育大学をつくるといえば、いまの場合において、その当時の場合においても、いわゆる大学にたくさんの問題がどこの大学にもあったわけですから、これは一つの案でしょう。改革案と銘を打たなくても、あなたたちのほうで、大学についてどう持っていかなければならぬかというようなことを、あなたたちのほうだって大学にいろいろ意見を述べたし、それから強行突破をやった法律案だって、あの中には一体どういう意味が含まれているということだってあるわけですから、それはやっぱり受け取ったものは受け取ったと言って、大学の中にこういう考え方と、こういう考え方があったということについては、あなた認めなきゃいかぬですよ。いろんなことを言って、こちらを惑わすようなことを言ったらだめですよ。
#98
○政府委員(木田宏君) 午前中からの御質疑との関連でお答えを申し上げてまいりましたわけでございますが、文学部の教授会あるいは教官有志の方々からいろんな御意見が出ておるということは私も読ましていただいております。また、それは直接お話を伺った内容のこともございます。しかし、午前中私がお答えを申し上げましたのは、反対をされておられます方々からは別の意味での大学改革案、こういうような大学にしたいという意味での御意見等は伺ったことがない、こうしたことを御答弁申し上げたわけでございまして、具体的に御指摘をいただきますならば、それによってまた重ねてお答えをさしていただきたいと思います。
#99
○鈴木美枝子君 そういう問題提起をしているのは、反対のための反対じゃないんです。いま木田さんがずっとおっしゃっているのは、見ていないという理由の中に、筑波大学全体を反対しているという、反対のための反対を木田さんのほうがおっしゃっているんです。それは違うんで、そういう内容を検討したことがありますかと、それは重要なことなんですというようなことを私は申し上げているのです。そして、それをやはり実行していただきたいために、大臣に「お話し合いする余地がありますか」と、お話する余地がないように感じられたので、そういうふうに申し上げているんです。じゃ、内容は木田さんは読んでいらっしゃらないんですね、今まで答弁ができないから。反対のための反対では私はないんです。
#100
○政府委員(木田宏君) たとえば、ことしの二月十四日に筑波大学関連法案に対する見解という意味での文書が出ておりますことは、私も承知をいたしております。
#101
○鈴木美枝子君 それでは、いま私がここで手に入れました文学部長、それから全学の教官の方たちが文部省にお願いし、申し込んだ二つの改革案があるから、私は反対のための反対をしているのではないのですよ。それは内容はこうなんです。自然科学と人文科学を、そういう系統の大学をつくりたいんだ、そしてそれはユニオン形式にして各大学とも交流ができること。交流する大学とはできるだけ話し合いも進んでいる、それはいいことだと、賛成し合っている大学もある。東工大などはその一つです。一橋大学もその一つです。ですから、大塚の地区東京教育大学を残していただきたいんだと、こういう改革案を持った希望なんです。これは、私は、反対のための反対だとは思えないのですが、いかがでございますか。
#102
○政府委員(木田宏君) それぞれの人文あるいは自然の系列ごとの教育研究の組織ができるということは筑波大学におきましても、そのように構想されておるわけでございます。別段異なるものとは思いません。また、他の大学との交流、交換等が行なわれますこともすでに一般的に法令上の措置も講じておりますし、学生の単位の互換制度その他各般の交流事業というのは進められております。筑波大学においても何らそれが妨げになっておることはございません。でございますから、そのおっしゃっている中身につきましては、大塚の地に残るということを除きましては、筑波大学においても同じように考えられておることだと思います。
#103
○鈴木美枝子君 他の大学が構想しているのだという一般的な言い方をいま私は申し上げているのではありません。構想されているのじゃなくて、「構想された問題」をあなたのところへお願いに上がったと、こう言っているのです。だからその私のことばになると「お願い」という形式になる。そちら側の権力を感じるので私はお願いということばを使いたくない。ですから、提出した「改革案」そのことについてのお答えをしていただきたいのです。
#104
○政府委員(木田宏君) 東京教育大学の文学部の御関係の方々が大塚の地に残りたい、動きたくないということは、昭和三十八年からの御意見であるというふうに十分承知をいたしております。そのことは、この教育大学の筑波移転問題全体にかかわることでございまして、大学として全部一緒に筑波へ行こう、こういう御決定があります以上、私どもは、大学の中での御意見を十分に尽くしていただくという以外には伺いようがないことだと思います。そして御提案のお話は、私自身、直接にその文学部の責任者の方々からいまお話がありました他の大学との交流とか、あるいは系列別の教育研究の観点から大塚へ残るという直接のお話は伺った記憶がございません。しかし、大塚の地を離れたくないという御希望があることは終始一貫しておるというふうに承知をいたします。
#105
○鈴木美枝子君 伺ったことがなければ、これからじかに話し合うというようなことにもならないのですか。
#106
○政府委員(木田宏君) 文学部の教官の方々が、昭和四十二年の七月に筑波に土地を希望するという評議会の決定がありましてから、一切の移転問題あるいは将来計画の問題について話し合いに入っていらっしゃらない、大学の中におきまして。評議会からそういう議題が出ると全部退席をされる、こういう事態はまことに残念なことだと思うのでございます。まず第一段階の問題といたしまして、学内でそうした問題を討議されます場合に、積極的に御参加になるということが第一の順位ではないかというふうに考える次第でございます。私ども文学部のこの筑波問題に御反対の方々に何度かお目にかかった記憶はございます。いろいろな案件でお目にかかり、また、御相談にも乗りました。ですから事に応じて御意見を聞くことをやぶさかに思っておるわけではございません。しかし、こうした大学内におきます意思の疎通をことさらに断っておられるということは、まことに遺憾なことだというふうに考えます。
#107
○鈴木美枝子君 意思の疎通なんという簡単なことではないと私は思うのです。これは、ぜひ、いま提案されたような改革案の内容を実現させていただきたいと思うのです。大臣にそれはお答えを願います。
#108
○国務大臣(奥野誠亮君) 東京教育大学の意思決定、これは正規の機関を通じて行なっておられることでございましょうから、それに対しましてとやかく文部省当局からさらにくちばしをいれていきますことは、一そう紛糾を強くしていくことになるのじゃないか、かように心配しておりますので、そのように御理解をいただきたいと思います。
#109
○鈴木美枝子君 筑波大学に行かない先生たちを首にするとか――私流のことばにしますと、首という簡単なことばで使って申しわけございませんですけれども、首にするということもでき得るのでしょうね。
#110
○政府委員(木田宏君) 私どもといたしましては、東京教育大学が筑波に発展的に新しい大学をつくることでございまするから、できるだけ現在東京教育大学に奉職をしておられます方は御参加を賜わるようにお願いしたい、また、それを希望しておる次第でございます。どうしても行きたくないという方につきましては、その方のお考えを受ける以外にはいたしかたございませんけれども、東京教育大学は筑波に移転いたしましたあと、御提案申し上げておりますように、法律上はなくなるわけでございますから、筑波に行くことを希望しない方は、その時点で御自分の御態度を考えていただかなければなるまいと思います。
#111
○鈴木美枝子君 すでにそういう首といいますか、パージという問題は起きているし、行なわれているというように私は伺っております。先ほどの続きでございますけれども、家永先生の裁判の答弁の中に、そういう明確なことがございます。それをちょっと読ましていただきます。お聞きください。「これは筑波大学のほうで言えば、評議会が教官選考基準についての申し合わせのことと一致するんじゃないかと思うんですね。教官選考基準ですから、選ぶ、処置することができるともとれるんじゃないでしょうか」。家永先生は裁判でこうも申しております。「文言は正確に記憶しておりませんが――、そういう趣旨の前文があり、それからまず第一項に、この大学設置基準に記されている条件を十分に満たす者と、これは当然だと思いますが、」と念を押しながら、「第二項に、昇任または採用のうえは評議会の決定を守る者、という一項があります。これを前文と合わせて考えますときには、明らかに、筑波移転の決定に反対する者は昇任もさせないし新規採用もしないという、思想信条による差別待遇を含む選考基準であると思います。しかし、この人事は、前から申しましたように、長い伝統をもつ大学の自治の根幹をなすものであり、それが教授会の専管事項である以上、このような思想信条の差別をもって、文学部の移転反対派の教官がふえることを防止しようというがごときは、驚くべき憲法じゅうりんであると思います。」、こういう答弁を裁判でしているのです。筑波大学のできるこの歴史的な年数から言えば、四十五年の四月に評議会できめました教官選考基準についての申し合わせという基準がありますから、筑波大学ができるまでに、すでにそういうふうに整理するという条件のほうが先行して、いま申しましたように、木田局長はなおかつ提案を拝見していないということは、すごい矛盾を持っていると私は思うんです。
#112
○政府委員(木田宏君) 昭和四十五年の四月十七日の評議会で、「東京教育大学教官選考基準に関する申し合わせ」というのが決定されました。その中身は、「本学の教授、助教授および専任の講師の採用およびこれらの職への昇任に際し、その候補者となる者は、次の要件を備える者のうちから選考するものとする。
 1、 大学設置基準第十三条から第十五条までに定める教員の資格を十分に満たすこと。
 2、 採用または昇任のうえは、評議会の決定を遵守すること。」、私は、両方の項目ともあたりまえのことだというふうに考えておりまして、これで別に思想、信条の自由を妨げるとか、そういうことにはなっていないというふうに考えております。家永さんのような御見解は、あまりにも御自分の立場に立って、これを考えていらっしゃるのではなかろうかというふうに推察をいたします。
#113
○鈴木美枝子君 そういうことができるという大学の権限というのは、全部学長が持っているのですか。
#114
○政府委員(木田宏君) この教官の選考基準は、評議会できめるということになっておるわけでございます。
#115
○鈴木美枝子君 それを具体的に表現した事件がございます。それは昭和四十四年の十二月に教育学部教授会で寿原教授という人をやめさしたという、それがやっぱり家永先生の裁判の中の答弁として、この本に書かれておるわけでございます。御答弁を読み上げます。「さきほどの人事選考基準なども、そのようなことで、もし反対であればたいへん本人に迷惑するからという理由でつくられた、というような説明もなされておりますが……。」という答えに対して、ちょっと記憶を呼び戻してもらいたいと思います。「教育学部で寿原教授について何らかの言明がされたということを御存じでしょうか。」「御存じでしょうか」と言うんですから、この裁判長の人は知っていたわけですね。それに対する答えとして、「はい、知っております。寿原教授が移転反対の積極的活動をされたということを理由として、これは大学自治を破壊するものであるというような、言葉は正確でないかもしれませんが、そのような趣旨で教育学部教授会では、今後寿原教授は筑波大学に関係しないと、無関係であるというようなことを決議しております。で、もし移転であるならば、免職職分を決定しない限りそのようなことは決定できないはずでありまして、これは明らかに移転ではなく、教育大学は消滅し新大学ができると、その場合にお前は入れてやらないぞ、というおどかしでありますけれども、新大学の管理機関でないものが、事前に、入れてやらないぞというようなことを決議すること自体おかしい。もしこれが単なる移転の決定であるとするならば、そういうことは、またおかしいわけであります。いずれにしても、たいへん条理に反する議決だと思います。」、そのことは御存じですか、寿原先生の問題は。
#116
○政府委員(木田宏君) 具体的なことは、私承知しておりません。
#117
○鈴木美枝子君 いま御承知なすったわけでございましょうか。
#118
○政府委員(木田宏君) いま鈴木委員からのお尋ねによって初めて聞かしていただきました。
#119
○鈴木美枝子君 そうなりますと、いまの寿原教授の問題は昭和四十四年でございますけれども、その前に申しました教官選考基準についての申し合わせ、評議会がつくることができたのは昭和四十五年という、そのあくる年になるわけでございます。それに対して裁判官はこう言っています。「そうしますと、移転に伴う新設というような形で、まあいってみれば、学長のやり方に賛成しない者をパージするといいますか、排除するというようなことが具体的に行なわれたことがあるということですか。」、答えは、「結果として、そういうことになると思います。」、学長のやり方に賛成しない者をパージすることができるんですね。
#120
○政府委員(木田宏君) いまの寿原さんの事件というのは、御指摘がございましたように、昭和四十四年とのことでございまして、東京教育大学で教官の選考基準というものを評議会で申し合わせましたのは、昭和四十五年のことでございますから、選考基準は、それ以前のことにはかかわり合いがないというふうに考えます。また、先ほど読み上げましたように、この選考基準に関する申し合わせは、「採用または昇任のうえは、評議会の決定を遵守すること。」ということでございますが、これは大学としてきまったことはきまったこととして尊重してもらうという趣旨のことでございまするから、あたりまえのことだと思うのでございます。大学の教官であります以上、評議会の決定を尊重する、順守する、これはあたりまえのことでございまして、別段これを非難すべき中身のことはなかろうというふうに思います。
#121
○鈴木美枝子君 そうすると、学長の権限ということが問題になってまいりますね。筑波大学の学長の権限というのも同じ質を持つんですね。
#122
○政府委員(木田宏君) 大学の教官の採用及び昇任は評議会が定めます基準に従って選考が行なわれるということでございますから、こうした基準をつくりますことは、学長の権限ということではなくて、評議会としての職責に属するものだと考えます。
#123
○鈴木美枝子君 学長の権限は、多数決の問題ではないのですね。それでは文学部の反対するところの教授方が、自分たちはこうしたいという、先ほど申し上げました大塚の地区に現状のままこうしたいという問題は、文部大臣、残しておいていただけますね。
#124
○国務大臣(奥野誠亮君) いまの問題は、大学当局の中で意見をまとめられるその過程の中で希望として出てきていることだと考えまして、文部省がこれを取り上げてどうこうという考え方は持っておりません。
#125
○鈴木美枝子君 村山文部次官――「前」と書いてあるんですけど、村山さんはいつごろ、文部次官をなさった方でございましょうか。
#126
○政府委員(木田宏君) 村山はいまの事務次官でございます。
#127
○鈴木美枝子君 村山文部次官当時、こうおっしゃってるんですけどね。東京教育大学は「素材」なのである、この「素材」を料理する主体は文部省なのである、このことの最もはっきりした証拠は、教育大の内部で文部省に忠実な学長、理学部長が、学内の移転賛成派の中においてさえ孤立し、ついに去る二月二十三日不信任案を突きつけられた。村山文部次官は、東教大学の昭和三十七年から行なわれた初期の移転問題は、いまの時点については「素材」に変革させられたんでしょうか。――いや、木田局長の答弁、文部大臣の答弁の内容がただ一貫して、大学内の評議会の中で、どんなに苦しい問題がこの中にあっても、どんなに希望する教育を持っていても、簡単な一つのことばで整理されている。木田局長の発言、そして大臣の発言は、村山文部次官が言いました東京教育大学は「素材」なのであるというのに近い内容を持っているんじゃないかと思えるんです。思えるんじゃなくて、全くその通りなのです。もっと話し合う余地を持てないんですか。よく新しい大学のコントロールなんて言う。ロントロールとは何ごとですか。私は、これを読ましていただき、答弁を聞き、たいへんなできごとだと思うのです。現在のことではないんです。教育の将来です。将来ってのは、いまわかるということではないのです。そういう子供を、そういう教育を受けた人間ができ上がってみて初めてわかるわけであって、だからこそ、いろいろな話し合いをしなければならないというのが教育の問題だと思うんです。それをどうして、話し合もせず文部省の都合だけでかためる教育をするのですか。将来文部省の都合のよい人間ができ上がってしまう。重大なことですよ。その国家的コントロールの中へはめ込もうとするんでしょうか。いま「素材」つまり材料だと言いたいのでしょう。村山次官がおっしゃった素材について、お答えくださいませ。
#128
○政府委員(木田宏君) 私どもは国立学校、いろんな改正、拡充をいたします場合に、その基本は法律でもって国会での御審議を経なければなりません。したがいまして、東京教育大学が自分たちの大学の将来をこうしたいということを学内で論議されまして、それを実現すべくお話を持ってこられました場合には、政府当局としてこれを十分検討し、そうして必要な調整も加えまして国会へ御提案申し上げる、こういう筋道をとっておるわけでございまして、決してだからといって、教育大学を何かこう単なる素材であるとかというふうに考えておるわけではございません。村山の発言であるかどうか、ちょっと私、いま御指摘いただきましただけでは、どこでどういう発言をしたのか、その真意もはかりかねますが、教育大学の関係者の意図というものを私どもが政府のレベルに持ち上げて提案して国会での御審議を賜わる、こういう手順のことを言ったのではないかと思う次第でございます。
#129
○鈴木美枝子君 言われるまでもなく、審議をいま行なっているんでございますけど。
 で、私は、教育大学の先生方が大塚の地区にこういう大学をつくりたいんだということは、審議できないのですか。審議の可能性を持てるんじゃないんでしょうか。
#130
○政府委員(木田宏君) 東京教育大学の関係者が筑波新大学に関する基本計画案をまとめ、また、文部省におきましても、創設準備調査会等におきまして筑波新大学の構想を練って御提案、国会へ法案としての御審議をいただいておる、こういう次第でございます。
#131
○鈴木美枝子君 文学部提案につけ加えて言えば夜間大学を持ちたい、国立大学の中に夜間の大学はいままでにないのだということまで練って考えていらっしゃるのです。木田さんがおっしゃるように、単に反対のための反対じゃないんです。「大学改革についての話し合いをしたい」。ですから文部省は話し合いをしてもらいたい。法案を通すことによって東京教育大学をなくすのじゃなくて、筑波大学に移転を希望していない教授たちと文部大臣は話し合いをするとお答えください。審議すると言いながら、だめだと言う、あなたのほうが簡単に反対の前提条件でものを言いますよ、それは、審議じゃございません。木田局長、その約束をしていただきたいです、話し合いの余地をです。
#132
○政府委員(木田宏君) 昭和四十二年以来、筑波のことが起こりましてから、文学部の一部関係者がこの学内での討議の場から退席をする、話し合いをみずから避けるという態度を今日まで続けてきておられる、これはたいへん残念に思います。今後いま御指摘のように、これからでも筑波大学をつくることについて積極的な御参加を賜わるということができますれば、それは非常にけっこうなことだ。学内の問題として、まず第一に学内でそういう十分な議を尽くしていただくということを期待したいと思います。
#133
○鈴木美枝子君 ほんとうは「東京教育大学をつぶしたいのですね」と、はっきり聞きたいところです。やはり話し合いを進めて、反対のための反対でなく。先日私は、東京教育大学のある現場へ見学に行きました。たいへんすばらしい、きれいな大学です。どうして廃校にしたいのですか、大臣に伺いたいです。
#134
○国務大臣(奥野誠亮君) 東京教育大学の環境がたいへんよいようにおっしゃいましたけれども、私はたいへんすさんでしまっていると、学ぶにふさわしい環境ではなくなっているという判断を持っておるものでございます。つぶす、つぶさぬの問題は、これは従来からたびたび御議論いただいておるとおりでございまして、今日国会で御審議をいただいておりますので、その御審議の結果に待たせていただきたいと思います。
#135
○鈴木美枝子君 御審議の結果でということで、話し合いを残していただけますね、大臣の答弁を私はそう受けとめましたから。結果的には「素材」という形にさせられ、東京教育大学では、たいへん苦しいプロセスを十年たどってきているということをはっきり申し上げます。
 今までにも何度かお願いしていることですが、話しあいの場を必ずつくってください。そして、現在ある大塚の地の東京教育大学を大学として残すことを約束していただきたい。さきほど大臣は国会で御審議をしていただきたいと申しているのですから、私は、教育大学の文学部の教授が大塚の地に残りたいという希望を受け入れる話し合いの余地があるのだと、そういうふうに受けとめます。
#136
○国務大臣(奥野誠亮君) 提出いたしております法律案に書いておりますように、筑波大学は十月から開学さしてほしいと、東京教育大学は五十三年三月でなくなるということでございます。
#137
○鈴木美枝子君 在学生も、朝日新聞の四十八年の六月十五日にやはり「声」欄で言っておりますように「東京教育大学に入学して二カ月目だが、わが大学の矛盾を感じている。筑波移転問題については率直な賛成を述べたいけれど、これは学長によって宣言されたもので、大学の主体である学生には何ら承認を得ずに、一方的にされたという。そしていま、学生の大部分と教授の約六割が反対しているにもかかわらず、何ら反応を示さない学長に不審の念を感じざるを得ない。大学とは一体だれのためのものなのか。このままでいくと、私たちは最後の教育大生となろうとしている。後輩のいない大学なんてさびしいものである。」、こういう学生が大ぜいいます。多くの学生は、こう感じているんですから、あそこの大学を、私は残してもらいたい、と思います。木田局長いかがでしょう。
#138
○政府委員(木田宏君) 筑波大学は、実質的には東京教育大学の発展し、整備されたものでございます。確かに東京教育大学という名称の学校は廃止をされるわけでございますが、しかし、この経過規定等をごらんいただきますならば、東京教育大学とは別に筑波大学がつくられておるのではなくて、東京教育大学の連続の上に発展的に筑波大学がつくられておるという点は御理解を賜わることができるのではなかろうかと、こう考えておるわけでございます。したがいまして、おそらくは、戦前の東京高等師範の卒業生の名簿も、東京教育大学の卒業生の名簿に並んで取り扱われておりますがごとくに、筑波大学の卒業生の名簿は、当然に東京教育大学の関係者の卒業生の名簿等を引き継ぐ、こういうことになっていくものと、このように考える次第でございます。
#139
○鈴木美枝子君 まだ審議が続行中ですから。東京教育大学がなくなるという。そのなくなるという一方的な「ことば」を承服することはできません。
 木田さんが「大学改革への道」、この本をお出しになりましたね。昭和四十七年二月出していらっしゃる。その中で大学改革の道ですから、これは全大学ですか、日本じゅうの全大学の道なんですか。
#140
○政府委員(木田宏君) わが国の大学改革についての考え方という意味でございます。
#141
○鈴木美枝子君 そして、この一ページに書かれたことが、その道でございますか。書かれた内容についてのお考え、そして、日本の全大学の改革の道について御説明ください。
#142
○政府委員(木田宏君) いま御指摘になりました私の文章を手元にちょっと持っておりませんので、中身について的確にお答えできるかどうか心もとない点もございますけれども、そこに申し述べましたのは、日本の大学の学生数の近年における急速な増大ということを指摘をいたしまして、大学の大衆化という問題が起こっておる。青年層の三割に近い学生が大学に学んでおるという今日の現状、また、将来はそれがもっとたくさんになるであろうというような動向を考えながら、大学教育のあり方をどのように大学生に適合するように改善していったらいいかという意味のことを一方では指摘をいたしたつもりでございます。一方では、学問研究が非常に細分化され、また高度になってまいっております。その意味では学問研究のその高度化、あるいは細分化に対応する研究の体制が整っていかなければならないということを考えておりまするし、また、それが同時に今日の公害問題にも考えられますように、総合的なものになっていかなければならぬというふうに思うのでございます。こうした研究の要請に対応する大学をどのように将来考えたらいいか、どういうふうにしてそういう大学につくっていったらいいか。また、わが国の大学がほんとに国際的な水準に立って、日本の学生のみなざず、諸外国の学生も入ってくるような、そういう大学も考えていきたいというような趣旨のことを入れておきました。なおまた、わが国の大学が今日私学が非常に多くなっている、これが日本の大学の特質として見のがすことのできない大きな要素になっておる。これを今後どういうふうに考えていったらいいかというような点も指摘をしたつもりでございます。そして、私は大学が、ほんとに充実していい大学がいろんな意味でたくさんできていくということ、これがやはり日本の社会全体のために必要なことである。大学についての考え方が、過去のものだけが唯一の手本になるのではなくって、いろんな類型の大学が将来に向かってできていくことが必要だ、こういうことを感じておりまして、いろんな機会にそうした趣旨のことを書いたり、しゃべったりしたつもりでございます。
#143
○鈴木美枝子君 私は、全大学をと、こう申し上げましたのは、全大学が過去の大学というふうなことになるのですか。ですから新しい大学ができるのですか。その新しい大学についてのたたき台は一体何だったんでしょうか。
#144
○政府委員(木田宏君) 大学の改革は、国によってやはりやり方もいろいろあろうかと思います。フランスのように大学改革についての基本法案を国会で制定をいたしまして、すべての大学を一律にそれによって改正していく、こういう考え方をとることも不可能ではございますまい。ドイツにおきましても、大学の基本構想につきまして類似の法制度がとられたこともございます。しかし、私は、やはり日本の大学を改革いたしてまいりますには、一般的な将来の方向をみんなで考えてもらいますと同時に、個々の大学の改革は、個々の大学の関係者の手によって進められていくのが一番よかろうというふうに考えるのでございます。そして、一つ一つの大学がそれぞれ特色を持って自己の大学の将来を切り開いていく、これを関係者としては、あったかい目で育てていくことが必要だというふうに考えるのでございます。したがいまして、日本の大学の改革につきましては、一般的な動向を各大学も十分認識をしていただくと同時に、その問題点の解決にあたっては、個々の大学がその大学なりの知恵と努力をしていただく、こういうことが大切だ、その両者の努力が一致し、実ってこそ、具体的の改革案になって事柄が進んでいく、こういうふうに考えておる次第でございます。
#145
○鈴木美枝子君 話を戻してすみませんけれども、個々の大学の特徴を生かしてというならば、最も特徴的な提案をした東京教育大学の文学部長の提案したことも、「育てる」という木田局長の意見と一致しますね。いままでの大学が古いと言ってみたり、新しい、提案を出すと、取り合わないような御意見を出すし、やはり東京教育大学の移転ではなく、教育大学をつぶすことになるのですね。全大学に及ぼす影響は筑波大学の法案にあるんでしょう。
#146
○政府委員(木田宏君) この筑波大学の考え方は、東京教育大学が構想いたしました筑波新大学に関する基本計画案というものが中核のものの考え方になっておるわけでございます。これは東京教育大学の関係者の新しい大学へのビジョンという意味で筑波新大学をつくらしていただいておる次第でございまして、これで他の大学を全部同じようなワクに入れてしまおう、こういう考えは毛頭持っておりません。それぞれの大学がそれぞれの大学の将来を考えていく、これが一番いいことだというふうに思っております。
#147
○鈴木美枝子君 新しい大学をつくろうとした考え方の中に、その意図の中にとは言いませんが、考え方の中に、経済の問題があるんだと私は思います。経済の問題について、経済協力開発機構という世界的な動きが出てきています。日本の代表として参加なさいました天城理事長さんにお答えを願いたいと思います。私は、筑波大学のたたき台として受けとめましたので、ちょっとお答え願いたいと思います。
#148
○参考人(天城勲君) 恐縮なんでございますけれども、OECDの考え方と……御質問の趣旨がちょっとわからないんですけれども、恐縮なんですけれども、もう一ぺん言っていただけませんでしょうか。OECDとどういうことですか。
#149
○鈴木美枝子君 いま、木田局長が新しい大学、多様化、大衆化、このことばだけではちょっとわかりにくいものでございますから、私は、そういう新しい大学という中に現在の経済の状況が裏側にすごくあるんじゃないかと思っているわけでございます。そして、そこでいつも世界に対応していくということばを年じゅう聞いておりましたので。世界に対応する中でということになりますと、この経済協力開発機構が問題に出てくるわけです。日本側の代表として参加なさいました天城さんと西田さん、これは翻訳された本の中にございますので。それが筑波大学のたたき台になっているというふうに思うわけでございます。で、参加したときのことについてお話を願いたいと思います。それができたのはいつですか。
#150
○参考人(天城勲君) OECDの会議には三回ほど出席いたしました。いまお話の翻訳ということでのお話でございますと、これは日本の教育政策に関するOECDの検討会の機会、西田さんと御一緒に出ましたのはその機会でございます。で、それはたたき台という……ちょっと私、鈴木委員のおっしゃる意味がどうもまだつかめないで恐縮なんですけれども、OECDの調査団が日本に参りまして、日本の教育をいろんな角度から調査いたしまして、それをもとにOECDの加盟国でもって、これ、コンフロンテーションということばを使っておるんでございますが、お互いに日本の事例をもとにして、それぞれの国の教育問題を考える場合の討議をするという場でございました。ですから、そこでの何か特別な結論が出て、それを筑波大学の、何と言うんでしょうか、お手本にするとか、パターンにするという、そういうことではこの会議はなかったわけでございますので、むしろ、日本の教育に対して海外の人たちがどういうふうに見ているかという、いわばわれわれ被告みたいな立場でいろいろ議論した機会でございました。ですから、いまの御質問の趣旨にどうも直接お答えしかねるのは、会の性格がそういうものでございましたものですから、ここで何か一つのパターンをつくったという会議ではございませんでした。
#151
○鈴木美枝子君 経済協力開発機構教育政策調査団、いつも木田局長がおっしゃいます世界の経済的動きの中で、たたき台ということばがないにしましても、大きな参考資料、骨子になっているという点は言えるんじゃないか。木田さんの御発言を通してみますと。そしてその中での教育政策調査団ということになっておりまして、お二人の先生が参加している。
 ちょっとこまかく伺わさしていただきます。経済協力開発機構ができましたのは何年ぐらいでございますか。
#152
○参考人(天城勲君) 正確には私、覚えておりません。OECDとなりましたのは六〇年代だと思います。その前はたしか名前が違っておりましたが、大体六〇年の初めごろからではないかと、たいへん恐縮でございますが、記憶があいまいでございます。
#153
○鈴木美枝子君 ここに調べましたのによりますと一九六一年発足となっておりますから、やや六〇年代とおっしゃいましたのは近いんじゃないか。そしてまた日本が加盟したのは、何年ぐらいでございますか。
#154
○参考人(天城勲君) OECDそのものについてどうも知識が不十分で正確にお答えできませんが、成立してからあとでございますから、何年かあとだと思います。六三、四年のころじゃないかと思いますけれども、これもはっきりいたしません。申しわけございません。
#155
○鈴木美枝子君 そのときは、真剣なる討論がされたと思うのです。けれども、いま年数がはっきりしないというのは、年数のことでございますので了承するとしましても、そのメンバーはどういう国でございましたか。
#156
○参考人(天城勲君) これはちょっと私のお答えできない問題でございまして、OECDは御存じのように、経済協力開発機構でございまして、経済開発が主でございますし、開業の当時はもちろん外交問題でございますから、外務省を中心に関係各省で十分御検討になったのだろうと思います。当時教育問題は、発足当時といいますか、日本が加盟いたしましたころは、教育問題について、文部省といたしましては関与をいたしておりません。ことばは何と申し上げてよいかわかりませんが、結果的には関与いたしておりません。むしろ経済開発ということで、経済関係の官庁が中心でございました。そのうちにOECDの中で教育問題を次第に取り上げられるようになってまいりまして、文部省側も、国内において参加するようにというふうになってきたわけでございますので、当初の加盟のときの事情その他につきましては、外務省を中心にして経済関係各省の間でいろいろ議論があったわけでございますし、文部省として直接関与いたしておりませんでしたし、その間の事情はつまびらかにいたしておりません。
#157
○鈴木美枝子君 天城先生は、いま文部省は関与しないというふうにおっしゃいましても、一九六四年に正式に加盟したという当時、日本代表者としてそこに参加したという、当時の天城先生は文部次官でいらっしゃいますから、ですから文部省が関与しないでも、文部次官として関与されたことは文部省が関与したのだと、そしてまた西田さんは、日本代表団として加盟をなさったときには、当時は文部省の文部官房審議官でいらっしゃいましたのですから、お二人の参加は文部省が参加したのだというふうに言っていいと私は思います。いかがですか。
#158
○参考人(天城勲君) 私や西田さんがOECDの会議に出たことは事実でございます。ただ、私ちょっとお聞き違えたのかもしれませんが、加盟当時の状況はというお話だったものですから、加盟当時は、文部省は教育関係は関与しておりませんで、その後OECDで教育問題が大きなテーマになってまいりまして、文部省も関与することになりまして、それ以来私のみならず関係の担当者がいろいろな機会に出席いたしております。私も先ほど申したように、たしか三回ほどちょうどポストの関係で参加したことはございます。そういう意味で、最初の加盟のときとおっしゃったものですから、加盟のときには直接関与してなかったということを申し上げたわけでございます。
#159
○鈴木美枝子君 当時、文部次官でいらっしゃって、現在では筑波大学創設準備委員でいらっしゃいますね。そうでございますね。
#160
○参考人(天城勲君) 四十六年六月まで文部省に在籍いたしました。ただいま育英会におります。
#161
○鈴木美枝子君 それでは、天城さんは筑波大学創設の準備委員ですね。確かにそうですね。
#162
○参考人(天城勲君) さようでございます。
#163
○鈴木美枝子君 そうしますと、木田局長の世界の動きというような関連した問題の中には、経済協力開発機構という、経済の中での教育。その問題が世界の問題になっているとも言えるわけでございます。ですから日本でもそのことがたたき台になっているのだ。ですからまず筑波大学、文部省の言う新しい大学のたたき台から聞いているのです。その中で、一番討論されたことはどういうことでございますか。
#164
○参考人(天城勲君) その中でとおっしゃると、いまのコンフォンテーション――日本の教育政策の検討会のことだと思いますが、この場合に、初等教育から高等教育にわたっていろいろな面から議論が行なわれました。宙で申し上げますと不正確な点がございますし、あるいは落とす点が起きるかもしれませんが、強く印象に残っておりますのは、諸外国の人たちが日本の大学制度を見て、たいへん画一的じゃないかということを強く指摘している点は大きな印象点でございます。
#165
○鈴木美枝子君 感動ばかりじゃなくて、論争点もおありになったんでしょうね。論争点についてのお記憶は、現在も筑波大学創設準備委員でいらっしゃるから、その重要なことも、ここで発表していただきたいと思います。
#166
○参考人(天城勲君) 論争点という、論争と申しますか、外国の人たちが日本の教育制度を見るわけでございますから、彼ら自身が言っております、十分、教育制度というのはその国の文化的な背景を持っているので、一観察者が十分な批判はできないけれどもという前提で言われておるわけでございますので、日本の教育制度の成り立ちや、それから実情は、われわれの立場から説明いたしましたし、また、現状がすべていいのだという立場で意見を申し上げたわけでは毛頭ございません。その高等教育の画一性という問題につきましては、OECDでそういう意見が、見解が出ましたけれども、われわれとしましても、高等教育というのはかような姿であるほうが望ましいということは前々から考えておりました点でございますし、その意見はその場で述べたこともございます。ですから、現状が一番いい制度だというふうには決して申しておりません。
 なお、OECDのお話が出たわけでございますけれども、木田局長が世界のいろんな動きということをおっしゃっているというお話でございますが、国際機構といましましてはもっとたくさんございます。ユネスコという機関もございますし、また、OECDに限らず、いろんな国で、それぞれの国で教育改革ないしは新しい大学の試みが行なわれております。先ほどもちょっと大学局長が触れられたフランスにしましても、ドイツにしましても、またアメリカ、イギリスにおきましても、いろいろ高等教育についての新しいくふうが進められております。OECDに限らず、そういうところでの新しい試みについては、できる限りその実情を調べ、検討してわれわれの参考に、当時、われわれとしてもいたしたことは事実でございます。
#167
○鈴木美枝子君 論争点で一番日本と諸外国、まあ諸外国といいましても、経済協力開発機構を中心にした教育制度調査団の中で、一番調査団と日本との基本的な対立点について、こういうふうに言っているんですけれど。人間は平等な機会を与えられ、自由な空気を吸うことによって、一人一人が他とかえることのできぬすばらしい人間になれるという信頼感である。これが調査団と日本との基本的な対立点だ」、たくさんなされた討論の中で、これが一番対立点としては重要だと、私は受けとめたのです。そういう対立点が、いま先ほどの教育大学の移転問題についても出てきています。なるほど、諸外国の人々が日本の大学をそう見たんだといえるかもしれませんけれども、何が一致点を持ったかというと、ことばだけの一致点だと思うのです。大学を「多様化」しなければならないという表現の一致点です。内容じゃありませんね、表現では、やや一致点を持った多様化という言葉の使用法です。いままで木田局長が幾度も幾度も申してる多様化だと思う。この「多様化」という問題の内容について申しますと、日本と調査団との対立の問題について「一人一人が他とかえることができないすばらしい人間になれるという信頼感である」そのことと、いま文部省の言う多様化でき得る人間と、多様化の中の一部に人間がなるということとは、全然違うと、私は思うのです。さきほどから審議してきた、東京教育大学が提案しているその問題についても、話し合うことができない問題にかかわってくるのだと思います。このことは、世界の動きとは言えませんね、経済協力開発機構でございますから、そういう先進国――欧米も、アメリカも参加していますね。だから、「多様化ということばを簡単に私は聞くことができないわけです。「多様化」の中に人間がはまるか、多様化されたいまの世界の機構の中に自分が対応して全部受けとめることができるかということは、ここが調査団と日本の基本的な対立点になった。
 また、調査団はこういうふうに日本を見ているんですね、「こうした多様化とは結局、国家経済を効率化するための新しい手段にすぎないのではないかとの疑念をかくさなかった。」、これはやっぱり隠さないでお互いに話し合うということがいまの世界の状況は持っているんじゃないかというふうに思うんです。ですから、たびたび申し上げますけれども、話す、話すということが一般的なことではなくて、専門家同士がお互いに話し合うということは重要なです。そのことについて、木田局長、お答えください。
#168
○政府委員(木田宏君) 多様化というのは、個々の大学の個性を生かすことだというふうに考えます。でございますから、多様化というのは、決してそれぞれの存在を無視するということではなくて、むしろ逆にそれぞれの大学の特質を生かしていく、また、学生の側から見れば、いろんな学生の要請に対応する多彩な教育を与え得る可能性を見出していくということでございまして、私は大学制度として考えてみましても、また、大学の教育・研究の内容という面から考えてみましても、多様化ということがOECD教育調査団の関係者も指摘されたように、わが国の大学制度の場合に今後考えていくべき重要な方向ではないか、それはむしろ大学や学生や教官の個性を伸ばしていくということにつながっていく、このように理解をしたいと考えます。
#169
○鈴木美枝子君 西田さんと天城先生もお忙しいようですけれど、これだけ、聞いていただきたいと思います。
 先ほどから申し上げているように、経済協力開発教育調査団、なぜ教育の調査団をつくらなきゃならなかったかという、そういう世界の動きの中に、経済の、それこそ経済のほうに多様な問題が出てきたということが言えると思うんです。その関係者全員の一致点、日本では問題が違いますが。一致点を持ったことは、教育はもっぱら経済成長の手段と見なされるべきものではない。教育団ができたのは、そういう世界の経済の動きの、開発ということばは使っていますけれども、開発しなきゃならないという動きの中で教育をもう一回調べ直そうという、そういう問題が、さっき単語でいいましたら「大衆化」とか、「多様化」というふうに出てきたのであって、内容の本質は世界の――世界のといいましてもヨーロッパ、アメリカですね。その調査団が一致点をもって発表されたことは、「教育はもっぱら経済成長の手段とみなされるべきものではなく、量的進歩を通じ、社会と人間の諸関係に衝撃を与えている人間のいろいろな願望を高めるべきものである。これ、衝撃を与えているということは、――科学時代だとか――木田局長は世界の動きをそういうふうにおっしゃいますけれど、調査団は多様化された経済の動きの中で、「より深い人間を」と言い切っているのだと思います。――木田局長がいつもおっしゃっている、世界の動きがとかは聞いていますが、経済成長の手段と見られるべきものではないのだ」と。世界の専門家たちが、世界の教授たちが、経済協力開発機構の中で、教育政策をもう一回考え直したいというのが調査団の問題点だと思うのです。簡単に新しい大学をつくるのが目的ではないのです。私は、現代において歴史的にとらえ、一九六一年に発足した経済協力開発機構における教育調査団の日本の大学における教育の意味を正しく受け取るのです。そのことを新しい大学に対して討論した結果、ほんとうに筑波大学の中へお持ち込みになりましたでしょうか。天城先生に伺います。
#170
○参考人(天城勲君) OECDのお話が出たわけでございますので、私も、若干お答えの中で、それに触れさしていただきますが、OECDの六〇年代から七〇年にかけてのものの考え方というのは、確かに変わってきております。本来、経済開発機構でございましたのが、教育問題にだんだん力を入れてきたということにも大きな変化がございますが、特に、六〇年代の終わりごろから七〇年代にかけまして、いま御指摘になりましたような認識は、われわれもOECDの加盟国の一つでございますが、われわれも一緒に参加しながらまさにそういう考え方をお互いに確認し合ったのでございます。OECD自身として、経済との関係における教育の見方というのは経済機構なりにございますけれども、教育問題を単に経済開発の手段としてだけ考えるという考え方ではいけないんだという認識は特に最近強くなってきておる、御指摘のとおりでございます。
 まあ、筑波大学の問題とそれとをすぐ直結して結びつけて議論して、ここがこうだということはなかなか申しかねると思いますけれども、やはり中教審において今後の教育、学校制度をどう考えるかという御検討の中でも、委員の方々全体の中で、教育が経済開発の手段だというような認識を持っている方はおられませんで、やはり教育は人間というものを中心に考えるんだという認識は強く流れておった思想でございます。
 むしろ、西田さんとOECDの会議に出ましたときに、実は、そのいまのお話は、先ほど来申し上げた日本の教育調査の結果の検討の会議ではございませんで、もう一つ別の会議がございました。七〇年代の教育政策をどう考えるかという会議の場面だったと思います。むしろ、私たちがやはりそういう認識でこの会議に出まして、西田さんと、先進国みな同じような考え方を持ち始めたじゃないか、過去の歩んできた教育制度の道は国によってかなり違うけれども、OECD加盟国に限って見た場合にも、いわゆる工業先進国が当面している問題というのは非常にみんな似てるじゃないか、当面している課題もほとんど同じじゃないかということを、その場でも話し合ったこともありますし、痛切に感じました。やはり教育について、どこの国でも、基本的に考えていることは非常に似ていると、こう思います。ですから、そういう考え方は、何もOECDで初めてわれわれが発見してきたというわけではございませんで、日本も、いままで歩んできた道から、特に六〇年代のたいへん急激な社会変化や経済成長の中であらためて感じとった人間の教育という問題を、中教審の議論の中でも十分戦わせられたと、こういうふうに感じております。
#171
○鈴木美枝子君 諸外国も悩んでいるということは、経済のそういう機構の問題の中で行き詰まった人間をどういうふうに開発しようかというようなことでは悩んでいるでしょう。が、ここにあります、パリで会議した同会議、一九七〇年十一月のパリで会議した中に先生方お二人が参加していらっしゃいまして、そうして、先ほど申しました、これは集約して申し上げたように、調査団、日本の全体の教育に対しての問題について見解を明らかにし要約されたことばを読ましていただきます。
 「天城氏が冒頭意見で出した論点にならって言えば、これまでの討議で明らかになった意見の相違」――相違というふうな問題で、諸外国、――つまり調査団。一国と一国じゃございませんよ。いま、天城さんが同じだと言ったことから、私はひっくり返す意味じゃなくて、民主主義の相違があるんだと。日本の国とヨーロッパとアメリカの違いがあるんじゃなくて、民主主義の相違があるんだという点について、私はここのところを抜粋して読ましていただきたいと思います。
 「日本社会と調査団のメンバーが育った社会との相違は反映しているといえるのではなかろうか。欧米諸国では、国家は教育をコントロールする時期を失したのである。そのため、国家は、主として国家権力と個人的福祉とをいつでも均衡させるための調整機能を果たすことになった。ところが日本では、国家が最初から自分の手で教育制度を創設し、その発展を指導してきた。しかも国家の発展、つまり権力の伸長をはかり、国際舞台で国家的繁栄を披露することが、何よりも優先すべき目的とされているのである。」――これが調査団の、意見です。会議が幾度かありましたが、要約された中での民主主義の違い方だと思うのです。で、私は文部省に民主主義を要求したいのです。世界のレベルに合わした民主主義を要求しているんです。
 だから東教大学の移転の問題でも、その教育の提案を取り上げることは民主主義として当然なことです。教授の方は専門家だと思います、そして文部省はコントロールできる立場。コントロールできる立場と教授の専門家の方たちが話し合いをしてくださいと、言わなければならない立場を私は民主的とは思いません。民主主義の結論を申し上げたんじゃない。民主主義の第一歩を申し上げることによって、日本の民主主義にみがきをかけていこうじゃございませんか。平和憲法を守っていこうじゃありませんか。ただ守るだけじゃない。守るなんて悲観的な言い方じゃなくて、みがきをかけて民主主義を発展させていこうじゃありませんか。この提案は、東京教育大学の専門家である教授の方たちの意見をどう受けとめるかが民主主義にかかわっているんだと、そういうことを私は申し上げたんでございます。
 木田局長の教育をコントロールする立場と専門の方たちの立場とのコミュニケーションさえできないのですか。
 この調査団では、コミュニケーションの段階以前のところに日本の問題があるんだというふうに指摘しているところもございます。その点について木田局長どうぞ。
#172
○政府委員(木田宏君) 私ども文部省におります者が、特に大学行政につきましては、大学をコントロールするなどという考え方は持っておりません。ただ、国立の大学につきましては、国立の大学は国の予算で整備をされる、またその基本につきましては、設置、廃止等について国会の御審議を賜わって法律でできるというたてまえになっております関係上、私どもは、国立大学側のいろいろな要請を文部省としてこれを受けとめまして、国会の御審議をいただくというような立場で必要なお世話をしております。また、その観点から政府機関として、わが国の大学の将来の発展をどのように進めていくかということについては責任を負わされておるというふうに考えておるのでございます。
 しかし、大学はあくまでも大学の自治ということばもございますように、教育研究につきましては自主的に大学人の手によって事が進んでいくということでなければなるまいというふうに私どもも十分理解をいたしておるつもりでございます。ただ、いまいろいろとOECDの教育調査団の報告書とも兼ねて御指摘がございましたが、その大学関係者とそれから文部省のわれわれ世話しております者との間に十分な意思の疎通に足りない点があるのではないかといったような、こういう点があるといたしますならば、これは私どもも、十分今後の反省として一段心得ていかなければならぬ点だというように思うのでございます。日本の大学のお世話をし、大学の将来の発展を願って国会でもこういうふうに御審議をいただきます立場に立っておるその世話役のわれわれが大学関係者と十分気心をあわせることができなければ、日本の大学をいい大学に育てていく、持ち上げていくということはできないことでございまするから、御指摘がありました点等をわれわれとしては大学関係者の意向を十分くみ、また私どもが国の全体の姿から見て、こういう大学というものをどうですかというふうに呼びかけていける、こうした、卑近なことばになりますけれども、意思の疎通を濶達明朗ならしめていくということは心がけていく必要があろうと強く感じております。
#173
○鈴木美枝子君 天城先生も西田先生も、お忙しいようでございますので、いま先ほど時間がすみましたらお帰りになりたいようにおっしゃいましたので――現在も筑波大学創設準備委員でいらっしゃいますね。でしたら、私、天城先生にも、このいまの経済的な世界的状況の中で、だからこそ教育を再検討しなければならぬという世界の動きがある中で、東京教育大学の先ほど提案いたしました問題も話し合っていただきたいと、木田さん一人ではなかなかできないのだろうと私は思うのです。「コントロール」ということばを使いましたけれど、西田さんも、そういう点についてお願いしたいのは、さっき要約して言いました、「国家の発展、つまり権力の伸長をはかり、国際舞台で国家的繁栄を披露することが何よりも優先すべき目的とされているように感じた」という日本の状態がいろいろな細分化したところで、私たちさえも感じることでございます。専門家である諸外国の。諸外国といえばフランス、イギリス、アメリカ、もっと他の国も参加しております。ここに書かれておる問題をもう一ぺん検討するということが私は民主主義の――ヨーロッパの民主主義は違うということはわかっておりますけれども、「多様化」ということばだけで済ます、「大衆化」ということばだけで済ますのではなくお願いしたいというふうに思っております。東京教育大学の問題についても、文部省、そして大臣は検討していただきたいと思います。
 お忙しいようでございますから、お二人の先生には一言ずつそのことについて御発言を願って、退席していただきましょう。
#174
○政府委員(西田亀久夫君) ただいま鈴木委員が御引用になりましたのは、この報告書の中の討論の全体の流れをOECDの事務局が総括いたしましたところの文章だと存じます。ただ、ただいま引用されました「国家の発展、つまり、権力の伸長をはかる」云々というところの文章は、実は、この全体の文脈をごらんいただきますとおわかりのように、私どもの天城が日本とヨーロッパの教育の発展の過去の歴史の違いというものを説明いたしまして、そして、向こうの人がそれを要約して、少なくとも戦前においてはそういった意味での国家の発展というものが何よりも優先される目標とされた。そのあとに、ごらんのように、「教育の世界でもその戦前の伝統が全面的に否定されて、一部の人はその国家権力に敵意をいだくようになった」、こういうようなずっと流れが書いてございまして、わが国における教育行政の中で、国家権力とか行政というものに対していかにしばしば問題が起こるかという歴史的背景を説明したものを要約された部分でございまして、ただいまのところは、要するに、その戦前の一つの趨勢を要約した文章でございまして、さような国家の発展のために、が優先される目的というものが現在の日本の教育政策の性格だという表現では全然ございませんので、この点はひとつ御了承いただきたいと思います。
#175
○鈴木美枝子君 でも、要約された中で、集約されてそういうふうに言われておりますので、文章の流れの中の一つというふうな心情的な言い方ではヨーロッパの人たちはないと思うんですね。ヨーロッパの人たちは、そういう心情的に無責任なことばにおいて問題を出してこないんだと、私は思っております、それは民主主義の点についてもです。ならば、ここでも、一番最初に言われましたそこをちょっと読み上げさしていただきます、「すべてのレベルの意思決定に代表されねばならない。たとえば、大学評議会に学生は加わるべきである。学生がどれだけの比重を占めるべきかの決定は大学にまかせ、まずその実験を奨励する必要がある。重要なのはまずゼロから一定数の代表を送る方向に一歩を踏み出し、意見を交換し意思決定に参加する方式をとにかくつくることが思い切った方式を打ち出すということなんだ」そういうものをつくり出すのは、あとの問題だという提起をしながらここで語っているのでございます。「代表は各構成部分から構成員自身の手で選出されねばならない。すなわち助教授は助教授を自分たちの代表として選び、学生は学生を選ぶ。学生の代表とは、実は学生の意見を探り当てる……」これは翻訳の形だから「発見できる」とも言えるわけですけれど、学生の意見を発見できる「ような助教授であったり助教授の代表が教授であったりしてはならないのだこの原則はすべてのレベルに適用されるべきである。このことは、また彼等があくまでも代表者であるからなんである。」学生のことをこういうふうに言っているわけなんでございますね。そして、それらのことをまた集約すると、「基本的な人間的教育的権利であるという一般原則の実現を目指す」こう言わざるを得ないほど、世界の経済機構がたいへんだという中で討論されたんだと、私は思っているのです。「一つの努力を表わしているこの基本的な権利は学生にも完全に認められるべきであり、また、大学のさまざまな構成部分はそれぞれ選挙によって選ばれ、そして、そのことは絶えず十分なる討論をなされなければならない」というふうにも言っているのです。そして、天城先生が発言なさいましたように、各代表団の中の各国の人がそれぞれ発言している中で、また日本に対してはこう言っております。これはエドガー・フォール氏でございます。「日本は一つの独特な経済組織を持っている。封建的な形を持つ資本主義に結びつけられた。専制主義を清算しながらも個人的自由は依然として抑圧するという封建主義に感じられる。」という一言もあるわけです。これは一つの文章の流れ方じゃないと私は思うのです。民主的という視点からいえば、日本は八〇%が高校レベルの教育を終了するし、大学レベルに籍を置く学生の比重もずば抜けて高い。しかし、これは高等教育を量的にむやみにふやした結果にすぎないのである。実情は、財力の乏しい親たちが子供の教育のためにたいへん犠牲をしいられているのである。これは一般的には予算の問題であり、また政治の問題ではあるが、この教育民主化は、さらに第三の人間開発に結びついている。人間開発のための教育は、一番目にあげる教育の機能性とは全く別のもので、むしろ、対照的なものとしてしばしば誤解されてきた。職業訓練のたぐいとも考えられてきた。この種の誤解は、日本ではかなり広く行きわたっているようだ。」こういう言い方をしております。「しかし人間として十分に開発されたものだけが、その職業でも能率よく、柔軟性にとんだ仕事をするようになる。文学、科学にわたる幅広い教養をもつものだけが、経済的にも有能であり、かつ民主的な人間になりうるのである。」この発言は、フランスのエドガー、フォール氏が言っております。このことについて木田さんお答え願います。文学、科学にわたる開発された教養ある者が経済的にも有能であるということに対してです。
#176
○参考人(天城勲君) ちょっと私一言、その前にお答えさせていただきます。
 ちょうど西田さんがこの本を持っておられたのでいまお借りしたんですけれども、このOECD調査団報告書の中で、いま私、お話しのところがどこか正確にページ数を追えなかったんですけれども、エドガー、フォールのお話が出ましたが、ここにございますようにイギリスのドーアとそれからフランスのフォール、それからこれはノルウェーでしたかのガルツング、この三人の個人の補論というのが、ここに載っております。これはおそらく、いまエドガー、フォールさんのお話をされたのはここの部分じゃないかと思っておりますけれども、これは調査団の意見でもないし、個々の会議でも検討されたわけじゃなくて、全体として、せっかく日本に来ていろいろ見たんだから、個人の意見をあとで加えるという形で述べられた部分だと私は思っております。調査団として出た問題は、質問それから応答要約という形で出ている部分だと思います。それだけちょっとお答えさせていただきます。
 それから、いまのお話は、まさにフォールの個人の意見として私も個人的にもそういう意見は聞いたこともございますし、たしかここにも彼の個人寄稿の論文の中にそのことが入っているんじゃないか、こう思っております。それだけのことを申し上げておきます。
#177
○政府委員(木田宏君) いま御指摘になりました最後のところは非常に印象的でございまして、文学、科学に幅広い教養のある者、これが教育を考えるときに大事なことであるという趣旨のフォールさんの最後の御見解は、今後の高等教育を考えていきます場合にも非常に大事なことだ、筑波大学につきましてもまさにそういうことを教育内容として考えておるというふうに感じてしております。
#178
○鈴木美枝子君 天城さん、西田さん、先ほどお忙しいということを聞きましたのでどうぞ退席してください。
 先ほど、文学、科学にわたる幅広い教養を持つ者だけが、そのあとの教育に深いのだというのではなく、経済的にも有能であるということなんです。いま木田さんたちがお考えになっている経済的な問題の経済開発という世界の流れの中での問題を絶えず絶えず同じように繰り返しておっしゃいますので、特にここを私は念を押して申し上げたいのです。東京教育大学の先ほど提案いたしましたことを土台にして、筑波大学に移転したあとに大塚の地に東京教育大学を残したらよいと思います
#179
○政府委員(木田宏君) いま御指摘がございましたように、文学、科学に幅広い教養を身につけた者、これが経済社会においても能力が高いという指摘、これはやはり考えていかなければならぬことばだと思います。ですから、何か狭い意味での経済のためにある特定の領域のことを考えるということではなくて、社会人として経済的にも有能だということの意味は、これはやはり幅広い教養を身につけた若人であるべきである、こういう見解だと思うのでございます。私どもも、そのことは大事なことだというふうに考えております。
#180
○鈴木美枝子君 いま、文学、科学は経済とたいへんかかわりある問題がフォールさんから出されましたので、この間うちから文学部に対しての問題も出てまいりましたけれども、文学に対する軽視みたいなものを感ずるわけなんでございまして、それに関連する問題としてこの間の川端康成先生の文学者の死についても、ここでちょっと一言申し上げておきたいのでございます。私は川端康成先生を十六歳のときから知っておりましたので、どういう形でなくなったかということもよくわかっております。国際ペン大会を日本でやるについてお金が足りなかった。なるほど経済と文学も大いにかかわってくるのだということを証明したひとつの姿でございました。私がそのことを前高県文部大臣に伺いました。文化国家とか、教育の問題とかいっておるけれども、どうしてあの作家はなくなったのか、私の質問に対しまして、「一週間前に手紙をいただいた、その手紙の内容は、国際ペン大会を日本でやるけれどもお金が足りない、一億円は集まったけれども五千万円足りない、五千万円のお金を借してください。そうしてまた、その税金をただにしてください、そういう手紙をもらいました。それに対して御返事をしないで申しわけございませんでした」という答弁をいただきました。いまの日本の社会にいま指摘されたような問題があるのだということを、私は代表的に表現したのが川端康成先生の自殺だと思うのです。私、個人的によく存じ上げた上で申し上げておるのでございます。川端康成先生は国際ペン大会を日本で開くにあたって金がなくて自殺しました。ここで言われているのは、文学や科学がそれらの教養が経済的に最も有能であるということが言えるんだ。そういうことに対して木田さんはどうお考えでございますか。
#181
○政府委員(木田宏君) いまさきの御発言、私の記憶に間違いがなければ、経済的にも有能だというような指摘だったかと思うのでございます。文学と科学を幅広く身につければ経済にだけ有能だという表現ではなかったかと思うのでございます。経済的にも有能なあるいは人間として非常に高度の教養を身につけた人、これがあらゆる領域について有能であるという御指摘はまさにそのとおりであろうかと思います。川端さんとの御関係の御発言もございましたけれども、私どもやはりこれからの多元的な社会の中で幅広い教養を身につけた若人の教育、こういう一面を考えておかなければなるまいというふうに思います。
#182
○鈴木美枝子君 調査団のセテ教授は、こういうことを言っているのですね。「中央教育審議会が困難に直面しているとしたら、それは権力の中央集権化の当然の帰着である。」と言っているんです、「権力の分散が行なわれぬ限り」――権力の分散化、これは訳してあるわけでございますけれども、「それぞれの人に権限を与えない限り、」こういうふうに訳すことができるのではないか。「異る集団が教育改革について建設的な対話を持つ見通しはまずあり得ないだろう、」中央集権化に帰着してしまったら建設的対話を持つ見通しはまずあり得ないだろう。その意味では、権力と権威の分散こそ第一の条件である。その権力と権威の分散というようなことを筑波大学の表向きのあり方として出していると思われます。「だけれどもコミュニケーションは次の問題なんだ、」こう言っているんですね。私はこれを言わしめたのは、中央教育審議会が困難に直面して、それは権力の中央集権化を持ったから当然困難になるだろうし、それから権力の分散が行なわれない限り、権力が分散され、そして、それぞれの責任においてやるということにならない限り、対話をすることもできないのじゃないか。その問題については、どうでございましょうか。
#183
○政府委員(木田宏君) これは、国柄の違いによるところもございますけれども、先ほど来お答え申し上げましたとおり国立大学につきましては、国の学校として法律での御審議、国会での予算の御審議というものをいただいております。その意味では、国立大学に関しましてそこで言われておるような権力の集中化ということは一応行なわれておると思います。しかし、私、先ほどお答えも申し上げましたように、この運営の面につきましてできるだけ分散化を考えて、個々の大学のそれぞれの特性を生かすという方向で私どもも世話をしていくという考え方をとりたいと、また、そうでなければそれぞれの大学の考え方を生かしていくということもできないであろう、こう申し上げました。筑波につきまして、まさにそのとおりに考えておるわけでございまして、東京教育大学が、こういう大学を将来自分の大学として考えたいというその見解を教育大学のものとして育てていく、それに対応していく、こうした分散的な考え方をとっておる次第でございます。
#184
○鈴木美枝子君 先ほど申し上げましたのは、中央教育審議会が困難に直面するのは権力の中央集権化が当然に帰着している、原因があるのだと、こう言っているのですね。ですから、筑波大学の問題でなおかつそれをしようとしているのじゃないんですか。
#185
○政府委員(木田宏君) 権力の集中化によってものごとを画一的に処理しようといたしますと非常に困難が伴うということは私どもも十分理解をいたします。また、それは用心をしなければならないことがあろうかと思うのでございます。ですから、先ほど来お答え申し上げておりますように、同じ国立大学で同じように文部省がすべてにわたって世話をしております大学につきましても、個々の大学の自発的な考え方というものをそれぞれに大事にしていく。そして個別に関係者が積極的な改革意見を持ち出してくるようにする、こういう方策をとりたいというふうに考え、また、そのように筑波につきましても御提案を申し上げておるわけでございます。
#186
○鈴木美枝子君 いまの御提案を、たびたび伺っておりますけれども、東京教育大学文学部教授の提案された問題の中にも適用させていただきたいと思います。そして、デビッド氏はなおかつ続けて言っております。「教育はきわめて複雑な過程である。知識伝達の技術面を論じているうちに、中心的な課題が見失われることが少なくない。」よく知識や技術ということばをここで私は百万だら聞きます。そういうことによって、中心的というのは、人間の根本的なものが見失われることが少なくない。特に日本のように技術面ですぐれた国にとってもそれは指摘せざるを得ない。「教育政策のうちで、知識伝達の技術的な問題の方が、制度が生徒の人間性にあたえる影響のような根本問題よりも重視される傾向がある。幼稚園の段階ですら知識の注入が大いに強調される。これは日本の子どもたちが教育面で受けている圧力のほんの一面にすぎない。生徒が多くなるにつれ、この圧力はいっそう強くなる。こうした圧力は軽減さるべきだというのが、調査団の見解であった。そうなれば、生徒たちはそれぞれ自分なりの学習方法を考え出し、活発な社会活動を通じてコミュニケーションの能力や集団的な意志決定の能力を身につけていく段階なんだ」と。「たがいに相手から学び合うようになるだろう。効果はすぐにはあらわれないかもしれない。しかし長い目でみれば、現在ではほとんど打開しがたくみえる社会的なコミュニケーションの問題に、将来の世代の人たちが克服していく一助となるだろう。」こういうふうにデビット氏は言っているのです。で、こういうことがいままでの教育大学、筑波の移転の問題の中に行なわれているということは絶対に思えないということが、私が午前中から質問した問題なんでございます。そのことについて、もう一度民主主義についてみがきをかけていくという段階においてもお話し合いをしていただきたいと思います。
#187
○政府委員(木田宏君) 筑波大学で御提案を申し上げております従来の学部によらない学群、学系という新しい教育と新しい研究のシステムを考える、これはこれまでも御説明をいたしてまいりましたが、東京教育大学が筑波新大学のビジョンという形で構想されたものでございまして、ここに一番早く芽ばえてきたものでございます。教育大学以外のどこからも、こういう構想を教育大学に持ち込んで教育大学をしてつくらしたというものではございません。それだけに東京教育大学が、従来からの教育・研究のシステムに対して、みずから自発的にこうした新しい構想をお立てになった、それを私どもは生かしていく、受け入れてそれを実現さしていく、これが国立大学をお世話する私どもの責務だというふうに思っておるわけでございます。でございますから、いまの御指摘になりました御意見に沿って、私どもも、教育大学の自主的な活動、考え方というものを取り入れていきたいというふうに思っておるわけでございます。
#188
○鈴木美枝子君 まだ次回も私は質問しますけれど、この調査団の中で、企業との問題を二言言っています。大学と企業との関係の緊密化が提案された。それはもちろん経済開発の中のそれで戦う人間の教育の問題を調査しているんです。教育は経済発展の手段にせよ、資本主義的生産のためのみに仕えるものではない。大学と企業と協力関係の推進のための機構、経済者と労働組合の指導者も含めるべきだと提案したい、これが世界の調査団の学生の問題を就職させる大学の全体の問題としての提案でした。
#189
○政府委員(木田宏君) 申し上げるまでもございませんが、欧米の大学は、その管理機関の中に学外の人がたくさん入っておられるわけでございます。経営者もおられれば、それから地域の行政当局の関係者も入っておる。いろいろな労働者の代表の方も入っておる。特にソ連においてはそうでございます。そういう関係者が大学の責任あるいは管理機関として参画をしておられる。大学は、そういう関係者の意見を取り入れることによって地域の社会、生産活動との関連ということも考慮された運営、教育・研究の活動がなされておる。これがヨーロッパやアメリカにおきます大学の運営の実態であるというふうに私ども考えております。わが国の大学は、今日その段階まではまだ至っておりません。しかし、筑波大学におきましては、大学が広く地域社会の関係者の意見を取り入れるという方向を打ち出しまして、参与会という組織を設け、関係者の意向を大学がみずから聞こうと、耳を傾けておるのでございまして、そういう意味でも、筑波大学につきましては、従来、日本の大学にない新たな方向が出ておるというふうに考えております。
#190
○鈴木美枝子君 いままでに東京教育大学に対する問題のとらえ方、それから東京教育大学が希望した要求、その他の話し合いなくしては、新しい筑波大学ができるとは、私は思うことができません。
 終わります。
#191
○小林武君 初めに委員長に申し上げておきますけれどもね。この前委員長はお願いしますから長くやってくれというようなことを、それぼくここで言おうというつもりはなかったんです。なかったけれども、けさ国会対策委員会をやったら、ぼくのほうの会長からの報告として、文教委員長並びにまああれでしょうな、いま問題になっている、問題の法案を持っている委員会の理事並びに委員長というような方々のお話ですというと、社会党は審議を引き延ばすために審議をサボっておると、まあ言ってみればね。そういう話があったという報告があったわけです。たまたま私はこの間あなたから、五時半にやめたら、もう少しやらぬのか、やってくれ、お願いいたしますと、こういうお話でした。そうしたら、それぞれの委員から、いかにも何か審議をことさら引き延ばしというか、あとに延ばすために、そういうことをやっているというふうにとられた。たしか楠理事は、その中には審議を一体サボっているというような意味の発言もあった。あとであんた、そんなこと言わないと言ったけれども、あれそういったことは間違いない。うちの理事も聞いている、ちゃんとね。だから、ぼくはそういうことはいまでもあなたお持ちになっているのかどうか。そういうことはやめてもらいたい、そういう報告は。そういう報告をやって社会党や、それからまあ野党ひっくるめてだろうと思うけれども、審議拒否をやっているからというような言い分を出して、社会党や野党全体に対して、どんな審議のしかたをしても、どんな運営のしかたしても、委員長の言っていることは、やったことは正しいというようなことの印象をばらまくということであれば、私はきわめて心外だと思う。そういうことをあなた報告なさったかなさらないか。私のほうの会長並びに国対委員長のこれは事実ないことをわれわれに言ったものかどうか、そこをお聞かせいただきたいと思う。
#192
○委員長(永野鎮雄君) いま小林委員のおっしゃったことは、私が議長に対して野党の委員が審議を引き延ばしをやっておる、こういうふうな言い方を議長にしたというような御意見……。
#193
○小林武君 そう、そのとおり。
#194
○委員長(永野鎮雄君) それは全く違う。
#195
○小林武君 違う……。
#196
○委員長(永野鎮雄君) そんなことを言ったことは絶対ない。引き延ばしをしておるとかいうようなことは一言も言ったことはないですよ。だれがそれ言ったの……。
#197
○小林武君 いま言うたじゃない。ぼくのほうの……。
#198
○委員長(永野鎮雄君) だれか言ったの。
#199
○小林武君 だから、言うたから、そのとおり聞いていればいい。何だ、あんたは一体ぼくの言うことをよう聞いとらんね。それはぼくのほうの国対委員長並びに会長が議長のところへ行って、議長からそう言われた。だからね、どういう事実があったのかということを理事に聞かれている。だから、私はその報告というのは、理事並びに各委員長からそういう、各というのは全部の委員会のあれじゃないけどね。そうすれば、文教とか、あるいは防衛とか、あるいはあの……。
#200
○委員長(永野鎮雄君) わかりました。
#201
○小林武君 いや、わかりましたじゃないんだ、言わなきゃだめだ、あんたときどき忘れるから。そういう事実があったのかどうか聞いているんです。
#202
○委員長(永野鎮雄君) わかりました。それはさっきお答えしたように、客観的な事実を報告をしたんですよ。審議の時間数とか、それから、ここでそういうことを言い出すとなんですが、理事会でいろいろ話をし合ったことを土台にして、現実に委員会の審議の状況はこういうことであります、これから先の何が、質疑者がどれだけあるか具体的に私のほうとしてもはっきりしないし、推測すれば前の、延長国会される前に、宮之原理事からその当時は九人、そして一人当たり十時間ずつ、そういう申し入れがあったという現実の話があったし、その後どうなっておるか、はっきりしたことはわかりかねるけれども、これは理事会の話をここでしよれば時間とるけれども、大体そういう線は変わらぬだろうが、それは個人にとっての時間は少々出入りはあろうけれどもというような話であった。そうすると、そういうことを考えると、しかも、こんなことをここで言うたら時間とってしようがないが、そういう客観的な事実を報告して、委員長としては非常に苦慮しておるのだ、こういうことを報告しただけのことです。
#203
○小林武君 それじゃ、確認しておくけれども、あなたは目下質疑の進行状態はこうで、まだ質疑を終わらない者はかくかくあるという状況を報告した、そういうことだね。
#204
○委員長(永野鎮雄君) そう。
#205
○小林武君 そうすると、これは議長がうそを言ったか、あるいはわがほうの国対委員長並びに会長がうそを言ったかということになるわけだけれども、これは各野党も聞いているだろうと思うが、あまりいいことは報告してないだろうと思うのだけれどもね。これはまあしかしぼくのほうはあなたとここで論争したってしようがない。私のほうとしては、委員長はそういうことを言っておらぬ、理事も言っておらぬ、事実こういうようになっておった、こういうあとに何人残っておって――ただぼくはそのときにぴんときたのは、この間、あなたが言うておったよね、それぞれのなかなか意見があったでしょう、だからぼくはああそういうことを言ってるのかなと思った、そういうことだというと、これはあなた、間違っているのじゃないか、まあかりに何人残っていようが、これはもうルールとしては、これは時間が切れたらあなたのほうではどうにもならぬのですよ。そうでしょう、それはけしからぬということはできないわけだ。そうでしょう。野球で九回野球やるというのは、これはもうあたりまえでね、同点でなければ九回で終わりになっちゃう。十回やれば勝てるのだけれども、十回やらしてくれといったところでそんなことはルールの上でないわけですから、そういう観点からあなたがおっしゃるならばこれはやはり誤りだ、百三十日も会期延長やっているのですからね。ただし、ぼくらはそういうことをここでかれこれ言うわけじゃないわけだ。できるだけひとつ協力するところはしておる、何のためにするのかといったら、上げるためにするわけじゃない。徹底的にこの問題で討論して、各委員がそれぞれ自分の持っている考え方を述べて、そして与党の皆さんやあるいは政府の当局がこれに対して、この法律案に対してどういう判断をするべきだというようなことを、うまく紳士的にいえばそういうことになるわけだね、ルールの上からいけばそういうことになる。いやそうじゃない、新手考えてやろうかということなら、これはまた別になる。しかしわれわれとしてはそういうことを言っている。だからその点は、ひとつぼくは聞いたことをそのまま言ったのだけれども、あなたのほうで何かあれがまたあったら、理事会でよく話して、ぼくがあまりうそ言ってるとは言わぬだろうから、そのとおり聞いたわけだから、けさみんなでね。
 それで、私の質問に入ります。
 その前に、ちょっと先ほど来の二、三の点について考えたことがございますから申し上げますけれども、大学をコントロールするなんということはないというような木田さんの話なんです。これは、あなた側からいえば、コントロールするところはない、法に従ってやっていますとこう言う。しかし、その法がコントロールするようにできておれば、コントロールすることになるでしょう。法によってやっておりますというような言い方は、大臣も言う。そういう法律を反対を押し切って戦後ずっとやってきたということは間違いない。そのことは、この間も若干述べた。だからここではひとつこれから進めていく上において、また出るかもしれませんけれども、それは述べません。しかし、きょうの新聞にやっぱりそれに関連して重大なことがあります。これは朝日の社説を見ると、これは文部省に団体交渉に――あなたのほうは団体交渉なんというのはいやがるかもしれぬけれども、日教組側から行った、あなたのほうではそれに対してもの別れになるような状況であったということを聞きました。しかし、日教組が会うとか会わぬとかというようなことでいつまでもがたがたやっているのはおかしいというようなことをきょうは朝日に書いていますわね。ちゃんと日教組を認めて、交渉の相手としてやるようなやり方にしたらいいじゃないかということを述べていますしね。その中にたとえば、中教審のことだと思ったが――ちょっと早く、ぱっと見てきたもんだから――中教審の中に日教組の代表を、まあ日教組側もそういう発言をしないし、文部省も入れないのはおかしいということを書いている。これは、ここに宮之原理事いるけれども、ぼくら当初大まじめになって、それはやっぱり日本教職員組合という組合の中から代表者を入れるべきだと、こう言った。ところが何ぼ言うてもそれを聞かないのですね。その言い分は何かというと、日教組というのは、そういう代表を送る団体として認めないと、こう言う。それじゃ、一体あの中教審の委員の中にいる財界代表はどういうことになるとぼくは聞いたことがある。財界なんというあれは認めないと言う。ないんだと、こう言う。こんなことを言うのは実にどうも、――たとえば経団連だとか、経済同友会とか、いろんなあれがある。財界というのは日本の国を引きずり回すほどの大きなあれだ。そういうあれに対して、大臣が、これは財界の代表じゃないと、こう言う。人格高潔な個人を入れたと言う。人格高潔かどうかはよくわからないけれども。まあ、ここでよけいな時間をとりたくないから言わないけれども、私は、一回から十回までの中教審のあれ見ているけれども、これなんか見ればもう歴然たる事実だ。だから私は、そういう点において、あんまりえこじになって、あるいは古い考え方に立って、文部省が言うということを、きょうは朝日の社説が書いている。もっとうまくいくことをうまくいかないようにやっているんだ、そういうふうに見られると思う。
 もう一つは、あんまりコントロールし過ぎるものだからという話が読売新聞の記事に出ている。その読売新聞の記事は私も憤慨にたえないのです。新聞の記事が憤慨にたえないのではなくて、それは、新聞の記事の中にある内容が非常に憤激にたえない。というのは、われわれその学力テスト反対ということをやった。一体マル、バツなんという妙なテストをやって、どこの県は何番だ、香川県はのべつ一位だ、それで隣の県の愛媛県はわがほうが一位取ろうということで大奮闘をやってついに一位獲得した。その一位獲得したときのやり方に非常に不明朗なものがあった。そして、その不明朗というのは何かというと、できないやつは休め、そして幽霊受験者をつくって、何でも学校の事務員か何かの名前も入っているそうだけれども、幽霊受験者をつくって、そしてそれのとにかく点数を入れて、そして一位になったということを、きょうの新聞では、そこの当時の教職員が公判廷に証人として出て述べている。これはいいかげんなことで言わないということははっきりしているでしょう。公判廷で、そういうことを言うということは、もし、それがうそ、偽りがあった場合にはどうなるかということ。しかし四十二歳の教師であるそうだが、これはよくよくのことだと思う。それはなぜかというと、教頭にとにかくやれと言われた。そんなことをやったらぐあいが悪いじゃないですかと言ったところが、教頭がやれと言った。それは何かというと、愛媛という県教組よく知っている。私は愛媛県教組というのがずたずたに分裂させられたことについて、当時の責任者であるから、私はほんとうに残念でたまらない、いまでも。分裂させられて、そうして気力のない教員が多くなったということを見て、私は残念に思っている。一体その分裂の圧力というのは何だというと、いまのようなことなんです。管理というものが徹底してくるというと、校長や教頭の命令のもとに教師は良心曲げなければならぬということになる。そうして何年かあと、忘れたころに、そのために公判廷で友人のために出て、そこでほんとうに初めて自分の隠していた――公表されてもまた信用をしなかったかもしれぬ、だれも。公判廷の中で初めて彼はそれを証人として出て言ったというのです。私はそれを見て、コントロールというようなこと、それが権力というものが持っていて、それを統制するというようなやり方、そういうやり方が非常な大きな誤りだということをもう立証していると思うのです。これに対してどうですか、一体文部大臣は、そういうことに対してあなたは、いやそれは間違いだと、学力テストというのはたいへんとにかく教育的効果あった、――このころではしかしあんまり効果あったとは言わないですね。大学紛争起こったときなんか、大体マル、バツ式でやられた教育はろくでもないというようなことを盛んに批判された。ぼくもそう思うのだ。たくさん書いてあって、そこにマルとバツをつけるといえば、これはわからぬけれども大体ここらでやろうかというようなやり方でやっても、うまく当たればそれは相当点がよくなるわけだ。そういう一体テストをやるなんというようなことは、これは私は小学校や中学校や高校でやるべき筋合いではないと思っている。そういうやり方を強行したということは間違いないでしょう。これは初中局長も、まあそのときは初中局だったかどうか知らぬけれども、初中局長だって、そういうことを強行してやってきたということは、文部省の中にいてごらんになっている。あのことは絶対正しいとあなた思っているかどうか。一位、二位、三位なんという順番をつけて、おまえのところは四十六都道府県のうちの四十何番目だなんというようなことをつけてやって、はなはだもっておまえのところは成績悪いということをそこの県民や何かに知らせたり、あるいはそこの教育界はだらしがないというようなことを言われるような鞭撻のしかたが教育のために有効であったかどうか。ぼくの言うことが事実に反しておったら、あなたは古いあれだから局長さんからひとつ答弁してもらいたい。その前に、とにかく大臣はそういうことについてどう思いますか。
#206
○国務大臣(奥野誠亮君) いろんな御指摘がございました。日教組と文部省、たいへん残念ながら考え方大きく食い違って、先日も申し上げましたように、いささか不毛の対立めいたものになってしまっていると思います。きのうもそんなことをお話ししながら、日教組の関係の方々とお会いをいたしました。お互いに考え方の食い違いを明確にしながら、何度も話し合っていきながら、国民のためにどうあるべきかということをお互いにくふうをしていこうじゃないか、こういうことを申したところでございまして、中央教育審議会の委員の人選にあたりまして、労働関係の代表と目される人、二人に交渉をしたようでございました。途中でお一人だけが辞退をされまして、現在は一人しか委員に加わっておられません。そういう経過がございます。
 けさ、愛媛県の全国一斉学力テストのことについての記事、私も読んでびっくりした一人でございます、こういうこともあったのかなあと思って。思いましたが、同時に全国一斉学力テスト全体がそういうものだったというふうに考え込んでしまうのも、これも早いなと、こう思います。いま別にこれを復活しようという考えも持っておりませんので、その是非について私、深く考えたことございませんので、ここでそういう意味の発言をすることは差し控えさせていただきたいと思います。
#207
○小林武君 もう一つ、聞きたいですがね、これは大学局長そのころよく御存じだという話なんだからね。あなたの願を見てて何だかそんなような気もしたけれども忘れてちゃってついにあれだったけれども、あなた、あのときに学力テスト反対で日本教職員組合の中でこのあれはうまくないといって処分された者が何人いるか、どうですか、あなた処分したほうだから。約でいいです。
#208
○政府委員(木田宏君) 当時勤務評定の実施問題というのがもう一つ大きな課題でございまして、勤務評定の実施と、それに対する阻止をめぐりましてはかなりの処分者が出たというふうに記憶に残っております。数その他は十年以上も前のことになりまして、どうも的確になっておりません。学力テストにつきましても、いろいろな紛議が起こったということは知っておりますが、学力テストのための処分者がどのくらいであったかという点は、これは全く私、記憶がございません。学力テストの問題は、昭和三十年の後半から四十年の初めにかけてちょっと問題が先鋭化したんではなかったかと思っております。当時、私も初中局を離れておりまして、そうした記憶につきまして的確なものを持ち合わせておりません。
#209
○小林武君 まあ、やっぱり行政面でそういうことがあったということになりますと、ぼくはやっぱりあと始末のことを考えなければいかぬと思うのですよ。一体それが日本の教育のためにたいへん有効適切なことで、それに対して、日本の教師が集団を組んでこれに反対したというようなことで、いいことをやったというのならともかく、いまのような状況やマル・バツ式の学テなんというようなものは、教育に害こそあれ何のプラスにもならぬというような事実が明らかになった場合に、私は、あなたたちはやはり行政に対する責任というようなものを反省して、あとあと教師に謝罪するという、そういう気持ちがなければいかぬと思うのです。文部大臣は、こういう点についてその当時はその当時のこと、やられたやつはやられ損というようなお考えかどうか、ちょっと聞かしてもらいたい。
#210
○国務大臣(奥野誠亮君) 御趣旨をあるいは誤解しているかもしれませんが、いろいろ個人個人には考えがございましても、一応公に確定された秩序を守っていく、これはやはり公務員として私は従わなければならないことじゃないだろうかと、こう考えているわけでございます。後に制度が変えられる、間違った前の制度においていろいろ処分された、そういう場合に、それをさらにその後どう救済していくかという問題は、これはやっぱり出てくると思います。いまのこの学力テストの問題が、それに当たるか当たらないかということになりますと、ちょっと私は種類が違うんじゃないかな、こんな感じもするわけでございます。
#211
○小林武君 あなた、そういうことを言うとまたよけいなことを言わなければならぬのですね。そういうことよりも、あなた、学力テストというものは、いまのような事件をとにかく見て、一体効果があったことなのかどうか。
 それから、その問題で教師が反対したというのは、教育的見地に立って反対したわけだから、教育の正しいあり方を求めて反対したわけだから、あなた、それについて検討してみるだけの責任ありますよ。文部大臣じゃなかったんだからそんなことは知りませんというようなことを言うべきではない。政党も同じなんだし、与党の立場にあったんですから、あなたは、そういうことでは検討してみて、正しいことを主張した教師がいわゆる文部省の行政罰、――指導による行政罰を受けている、非常に不利な立場にあるとしたら、それに対して適当なあなた措置を講ずるというのはあたりまえだと思う。その検討をやらなくてけっこうだというお考えならこれはまた別だが、私は、そういうものではないと思うのです。無実の罪だということになると、多少なりとも無実の罪でどうこうしたということになれば、何ぼかそれに対する国家だって黙っていることはできないですよ。もっとも死刑になってもこれは間違いだったといってもあまり大した金じゃないと思って、法律に賛成しながらびっくりしておったわけだけれどもね。そういうような点では、ぼくは文部省謙虚になるべきだと思うのですよ。そういうことについてのお考えを聞きたい。
#212
○国務大臣(奥野誠亮君) 学力テストをめぐりまして大きな紛争の続いておったことはよく承知しているわけでございますけれども、始められたときの事情、やめたときの事情等をつまびらかにしておりませんので、過去にさかのぼって一度よく勉強させていただきまして、そしてまたいまのお話も頭に置いて考えていきたいと、こう思います。
#213
○小林武君 まあ、質問に入る前にひとつ文部大臣、この点については、当時の関係者もおられることだから、先ほど来の話だというと、日教組でもいろいろないままでの行きがかりのこともあるだろうけれども、その行きがかりを解消したいというのが気持ちらしいから、そういう点は私らも大いに歓迎する。ひとつ組合側の気持ちというようなのは、当時の幹部もたくさん残っておるわけですから、ひとつ十分に検討していただいて、自後の対策について組合その他と話し合いをしてもらいたいと思うのです。
 で、問題に入りますが、この間中教審の答申について、答申をうのみにしないという文部大臣の発言がありましたが、私は、うのみにしないということを聞いて、あの答申について文部省としては一つの方針を出して、これはのめるが、これはのめないと、のむのまないの問題じゃないが、答申はいただいたけれども、実施をするかしないかということについて、文部省の方針があると思うのです。あったらひとつここで、この点はというのがはっきりしておったら、これはやる、これはやらぬ、それがあったらひとつ……。あまり準備がなくても、大体話し合いの中でこんなものというのがあったら述べていただきたい。
#214
○国務大臣(奥野誠亮君) 中教審の答申で出てまいりました個々の問題につきまして、それぞれ検討、調査を別途求めて、合意を得られたものから実現をしていくというような方向で進んでまいってきているわけでございます。しかし、大きな異論のある問題につきましては、それなりに避けていったほうがいいのじゃないだろうか、こういう感じもするわけでございまして、そういう意味で、何が何でも中教審の答申をしゃにむに実施するというような考え方は持っておりませんよという気持ちでお答えをさせていただいたわけでございまして、教職員の処遇の改善、資質の向上等の問題につきましては、積極的に御提案申し上げまして、努力していることは御理解いただいているとおりでございます。同時にまた、先導的試行といいましょうか、六・三・三制について別な角度からの試みをしたらどうかというような提案もあるわけでございますけれども、この問題につきましては、若干の学校においてそういうことについての調査を続けてもらっており、結論はまだ出ていないところでございます。同時にまた、いわゆる五段階給与の問題がございまして、中教審の答申の中では、上級教諭それから教頭、二つの俸給を加えたらどうかという趣旨ではなかろうかと、こう思います。それに対しましては、組合のほうから、そういうようなことをされると、職場の中の空気というものが何かいたずらに競争をあおられる、そういうものは避けてもらいたいのだという強い意見の表明もございまして、たびたびそういう問題につきまして、国会では、全く考えておりませんよということを申し上げてまいってきているわけでございます。そんなに多くの先生方がいやがっておられることを答申があるからといって強行すべきではない、これは私の率直な気持ちでございます。それは、一例を申し上げるわけでございますけれども、いずれにいたしましても、多くの提案がなされているわけでございますので、それぞれについて合意の得られるものから実施していくというたてまえで進んでいきたい。個々について、それぞれの調査、研究を並行してやっていきたいということでございます。
#215
○小林武君 なぜ、ここでこういうことを聞いたかというと、まあ筑波大学なんというのは中教審大学だと、こう一面言われている。だからいまの五段階の話も今度の国会に出たものの中には、いわゆる中教審の答申の線に沿うたと日本教職員の組合の中にいる人たちも考えるし、われわれも大体いままでずっと戦後の教育政策というものを見るとそうだろうと、こう考える。そういう状況でございますから、中教審というものと日本の教育政策というものとの深いかかわり合いということがあることは、これは間違いないわけです。そういう意味で聞いたわけです。
 そこで、とてもいま大臣に個々のことをどうかというようなことを一々言ってもらいたいと言ったところでそれは不可能なことですし、たいへんな時間がかかると思います。そんなむちゃなこと言いません。そこで、これは、この中教審の関係は、答申の関係は、これは局は初中局ですか。何局になるわけですか。初中局だとすれば、まあどこの局か知らぬけれども、私のその提案ですわ。ひとつやっぱり与党政府としてはこういう答申を受けた、しかしこことここと答申をうのみにはしないんだということのあれをかなり正確にひとつ表現して、これは各政党にも知らせる必要があるし、それから教育関係者にもやっぱり周知させるということが私は必要だと思うんです。そうでないと、みだりに疑心暗鬼になりまして、対立をしなくてもいいことをしたりするようなことになりますから申し上げる。それをやっていただきたい。それを早急にきょうどうせいなんということではありません。十分検討されてひとつお出しを願いたい。与党もあることでございますから、党の機関とも十分おはかりの上ひとつ出してもらいたい。それからわれわれもそれについてもっと取り組みをしっかりしたいと、こう思います。
 そこで、その五段階についてはあれですか。これは大臣のいまの御答弁ですね、あれはもうやる気全然ないと、こうわれわれ理解してよろしいですか。
#216
○国務大臣(奥野誠亮君) 私が国会でたびたび答弁さしていただいておりますとおり、私は、そういう意思は持っておりません。
#217
○小林武君 いや、私はでは困るんでね。私がやめたらだめだなんというような話じゃちょっと困るんです。そうでなく、これは与党政府がそういう点で間違いないんだということになると、これはもう非常にその面で明るくなると思うんです。私は、長い間教員やってね、それから教員に籍を置きながら組合の役員やった。相当知っていると思うんです。それは北海道なら北海道のことだけではなくて各地のことを知っている。それから自分も経験がいろいろあるわけです。だから五段階なんというものを持ち込んだ場合には、教育の能率なんというのは絶対あがらない。それを持ち込んできて、一番ぐあいの悪い職場というのはいわゆる教育の場だと思うんです。だから、そういうことで五段階については大臣の答弁というのはぼくは非常にいい答弁だと思っておりますけれども、しかし、先ほど言ったように、そのことが与党を含めてこれは今後そういう方法やらないということであるならば、やっぱり明確にしていただければ、それはもう教師との間でぐっと、何といいますかな、関係がよくなるんじゃないかと思うんです。そういう意味で申し上げているんですが、これは大臣の場合あれですか、大臣は、わしが大臣している限りは責任持ってということですか。それとも党並びに政府としてみんなそれは納得したということになりますか、どういうことですか。
#218
○国務大臣(奥野誠亮君) 私がここで申し上げましたようなことを自民党の文教部会、文教制度調査会でも申し上げました。私の発言は御了承いただいたと思います。ただ自民党は、将来ともどういう政策をとっていくかということについては、いままでにも五段階給与を政策的には出していないのだそうです、いま事務当局から聞きますと。しかし、これは私が拘束できるものではございませんので、そうしますと足りないようなお感じをお持ちになるかもしれませんが、私の考え方は、文教部会、文教制度調査会で御了承いただいたことから、ひとつ御判断をいただいておきたいと思います。
#219
○小林武君 まあ言ってみれば、これは中教審の答申が出て、そこで問題になったことですから、先般も何かのときに年功加俸の話を出して、私は年功加俸が予算の関係上、同じ立場にある者に差をつけて、何人かがもらって、何人かがもらわないというようなことは、これは校長もやりきれないし、あるいはお互いの友人の間でぐあいが悪いと、そういうものが一番まずいのが教育の世界だということをお話申し上げた。ひとつその点では、大臣も党の中の有力な立場にいらっしゃるから、今後ともひとつ御努力をいただきたい、こう思います。
 そこで、これは審議官にお尋ねいたしますが、中教審の答申のこと、だから言ってみれば、あなたにお尋ねするのは、中教審というのは、こんなつもりでやったという、何というのかな、文部省でこうやったというようなことでなしに、中教審の話は、こういうことで、こういうことにきまったというようなことをそういう角度でお尋ねしたいと思うのです。それに対して、文部省としてどうやったかということは、ひとつ初中局長、大臣にお尋ねいたします。
 そこで、私がお尋ねしたいのは、この中で一番第一の教育改革、第二の教育改革、第三の教育改革、今度のいわゆる中教審のさまざまな問題というのは、第三の教育改革にある。改革というのは、どういう意味ですか。どういう意味にとって――まあ偉い人たちがみんな集まったのだから非常に検討されたと思うけれども、どういうことですか、改革というのは。
#220
○政府委員(奥田真丈君) 私も、中教審の審議がなされておる期間は担当でございませんでしたので、詳細なる経緯につきましては存じませんが、後ほど答申が出ましてから解説等で聞きましたところによりますと、改革ということばにつきましては、何か常識的な日本語のイーメージとしては、白のものを黒にするとか、あるいは赤いものを黒にするとか、そういうように一ぺんに、ばさっと変えてしまうというようなイーメージがあるけれども、今回の中教審答申で言っている第三の教育改革という場合には、そういう一挙に、一挙動でもって従前のものを改めると、こういうものではないと、こういうように審議会の先生方がおっしゃっておりました。
#221
○小林武君 ちょっとあまりに、もう少し偉い先生方が集まったのだから、ぼくは改革ということばを使うことは、もっとやはりあるんじゃないですか。改革、政治の場合でいえば改革と背馳するものとしては何があるかということになりますからね。それに私は第一の改革、第二の改革、第三の改革ということになると、これはもっとやはり厳密な意味で改革というものの意味を明らかにしないというといかぬのじゃないかと思うのですが、この点あなた、何にも関知していないということになりますか。
#222
○政府委員(奥田真丈君) 第一の改革と第二の改革、第一は明治維新のときの改革でございますが、第二は第二次大戦後の新教育の改革、それから第三が今回の中教審の答申で言っておる諸提案でございますが、その第一、第二に対しまして第三の教育改革といわれております事柄で非常に違う点が……。
#223
○小林武君 ちょっとはなはだ答弁中おそれ入りますが、私がお聞きしているのは、改革という意味をもう少しはっきりしてもらいたいんです。そうしないと、第一、第二の改革の私は非常にこれについてはっきりしない点があると見ているんです。だからちょっと――それじゃ、私もう少し申し上げますと、まあ社会体制にしろ、政治組織にしろ一体その改革というのはどういうことなのか。部分的な変革なのか、それとも全面的な変革を意味するのか、こういうことを聞いているわけです。
#224
○政府委員(奥田真丈君) 中教審答申の中では、全面的に一挙に改革するのではなくして、研究開発を積んで段階的にやるんだと、こういうことを書かれております。
#225
○小林武君 まあ、私は改革というのは社会体制とか、政治組織とかいろいろそういう問題になると革命と対比されることばだと思うんですがね。改革ということになると、そうではなしに改善するというような意味、部分的な矛盾を除去することによってその変革によって改良する、そういうような本質的な要素をある程度維持しながらものを改良するとか、改革するとかいうことになるんだと、私は判断しているわけです。このことばの意味がはっきりしないと、私たちはどうしても理解ができないわけですね、第一、第二、第三の改革というのが。だからぼくは偉い人が集まっているからだから必ずそういうことについて少しは議論したんじゃないかと、こう思っている。そうでなければ、第一、第二、第三の改革ということをわりあいにすらっとやってきたというところはいささか偉い人が集まってごまかしたのか、それとも簿っぺらに考えてやっているのかということ、ぼくはその両方のことを考えながら言うわけです。
#226
○政府委員(奥田真丈君) 答申の内容に即して見てみますと、たとえば初等中等教育の問題を扱っておるところにおきましても、いままで戦後のとってきました六・三・三制を一挙に別な制度に改めるということは言っておりませんで、現在の制度の持っておる欠陥、問題点、こういうものを改めていくという趣旨で提案がなされております。
#227
○小林武君 審議官のお話ですと、まあみんな三つの改革というやつを何というか同じようなものに見ているわけです。しかし第一の改革は、これ明治初年ということを言われたですね。あの改革から始まってまあ戦前の終わりの時期までぐらいを第一の改革の大体のワクときめているんでしょう。その場合に、幕藩体制が崩壊して、そうして明治政府ができたと、廃藩置県、版籍奉還というような大きな政治的変革を行なった、これが革命であるか何であるかという論争はぼくらはたいして偉くもないからいまここでやらなくてもいいけれども、そういう大きな変革というものはこれはもう部分的な変革じゃないんですよ。既存の体制をそのまま認めながら部分的に変えていくというようなものじゃないんです。そう思うんですが、その点はいかがですか。
#228
○政府委員(奥田真丈君) 答申の前文に、「これまでわが国では、明治初年と第二次大戦後の激動期に教育制度の根本的な改革が行なわれたが、今日の時代は、それらとは別の意味において、国家・社会の未来をかけた第三の教育改革に真剣に取り組むべき」であると、別の意味だと、こう申されております。
#229
○小林武君 「根本的」ということが言われているわけですね。しかし「根本的」という意味は、明治維新からいわゆる天皇制のもとにおける教育というものに、そういう官制の形をとるまでのその変わり方というものは幕府から、いわば幕府の政治と幕藩体制というものから遮断されているわけですね。そこで切れているわけです、少なくとも。しかし、それは歴史の大きな流れの中から見れば切れて切れないものだ。けれども前の政治形態、社会体制、政治組織的なものはがらり変わっておるわけでしょう。非常にこれは大きなあれだね。
  〔委員長退席、理事久保田藤麿君着席〕
 それから、この第二の教育改革というのは、これはどういうことになりますか。いわゆる明治初年から敗戦の時期に至るまでのこの教育と第二の教育改革というのはどんな意味になりますか。
#230
○政府委員(奥田真丈君) 第一並びに第二のそれぞれの教育改革についての解説と申しますか、説明は答申の中には出ておりません。ただ、第二次大戦後の改革を第二の教育改革と申しておりますので、敗戦を契機として新しい教育の建設ということで非常に違っておると、私はそう思っております。
#231
○小林武君 これ審議官ばかりに聞く筋合いじゃないと思います。思いますから大臣にお尋ねをいたしますが、ここらはっきりしないと、第三の教育改革というやつはね、ほんとうの理解できないんですよ、私の考え方では。だからこれについて、大臣はどういうお考えですか。私は、もう非常に大きな革命であるとか、革命でないとかいう明治維新に対する学者の論争はこれは抜きにして幕藩体制から全然、明治政府ができたときのあの変わり方というのは改革などというものじゃ私はないと思います。全面的な一つの変革を教育界に行なったと、こう見ているんです。だからあなたも御存じのように、幕府の一たんその教育政策というものは断ち切っているわけですよ。昌平黌とかあるいは蕃書取り調べ所とか、そういう一つの幕府の教育機関というようなものとぷっつり切ってその後明治の高等教育というようなものが確立するまでの間に多少の移り変わりありますけれども、しかしその期間はきわめて短い、しかしそこで切っているということね。それと第二の教育改革というのは私はこれはもう非常な大きなやっぱり変わり方していると思うんです。このことはもうあなたと何べんも話したから私の気持ちわかってくださると思うけれども、言わんとするところはおわかりだと思うけれども、この変わり方をあなたどう思っていらっしゃるか、第三の教育改革とどこが違うか。
#232
○国務大臣(奥野誠亮君) 二十二年に六・三・三・四制が発足をいたしたわけでございますが、そのときの社会情勢あるいはまた教育情勢、今日では一変してしまっていると、こう私は申し上げていいんじゃないかと思うんであります。すでに、高等学校へ進学する人たちが九〇%にもなっている。大学へ進む人たちが三〇%にもなっている。二十二年、まことに貧困な社会だったと思うんでございますけれども、今日におきましては、経済的には非常に豊かな社会になってきたと思うわけでございまして、そう考えますと、二十二年のときに考えられた改革をもう一ぺん見直して、今後の社会において教育がどういう姿において進められなければならないだろうか、一つ一つ洗い直してしかるべきじゃないだろうかというようなぐらいの大きな変化を迎えているのじゃないだろうかと、こう思うのでございまして、そんな中でいろんな改革に手をつけていきたい。そういう意味で第三の改革といわれているのだろうと、私としては理解しているわけであります。
#233
○小林武君 この第二の教育改革というものをどういうふうに評価されていますか。
#234
○国務大臣(奥野誠亮君) 第二の教育改革は、これまた敗戦を契機に国家社会のあり方が根本的に変わってきたわけでございまして、憲法も帝国憲法から新しい日本国憲法になったわけでございますので、当然教育の姿も根本から洗い直されなければならなかったときでございます。
#235
○小林武君 私は、さっき、きょうのニュースの話をしましたけれども、第二の教育改革というものが、非常に大きな教育の目標になっておる、いわゆる使命とでもいいますか、民族の悲願とでもいいますか、そういう第九条の問題から、今度の自衛隊に対する違憲の判決が出たこのことは、やっぱり日本国民にとって、あの判決に対して反対の立場の者も、私のように賛成の立場の者も、これは重大なことなんです。日本国民にとって、これをどう受けとめるかということ。――これはしかし、あなたもその点では私なんかよりかずっとおそらくいろんな点で法律にも詳しいだろうと思うから。日本の憲法学者のほとんど過半数をはるかにこえた数の人たちが、第九条の一体解釈というのは、あの判決がそのとおりであると、こう言っているでしょう。まあ一、二の何か学者の中に、解釈は正しいとしても現実の問題が何とかといいますけれども、憲法というものは、そんな、何といいますか、その場その場限りでやるということはできないという考え方、しかも、まだそれができてから何年もたっていないという事実、これはたいへんな仕事であるということを考えますときに、これはお互いにとって重大なことです。しかし、これは防衛問題に起こったというように考えたらだめだ。防衛問題がからんで日本の教育問題そのものに非常に大きな影響を与えるということになる、こう考えますと、大臣はこれに対していまどうかというようなことを聞いてもいいけれども、聞くのも気の毒だから、あなたも言いにくいだろうし。
 しかし、ぼくは非常に大事なことが一つあるんです。これは戦争の終わったあとのことですけれども、終わった年の八月の二十六日の朝日新聞に書かれたことをぼくはここに記録してあります。文部省高官談というやつですね。このことは、いつかぼくは文教委員会で言ったことがある。――アメリカ軍が占領のため駐留してきて、おそらく日本の教育に対して大いに干渉するだろう。表面はそれに従っていなければならないが、しかし国体護持の精神というものを一貫して日本の教育政策を遂行しなければならない。国体護持の精神というのは、これは教育勅語に書かれた精神である。こういう文部省某高官の、だれだかわかりませんけれども、これは日本の当時の支配階級のものの考え方だ。
  〔理事久保田藤麿君退席、委員長着席〕
しかし、そのことが、その当時からいままで、いろいろな形でこれは続いているということがいえる。ある意味で、社会党と与党、自民党の間の政策の間にいつでもこれは出てくる問題だと思うんです。そう考えますと、私がこの教育改革というものに、先ほど言ったように、やかましいことを言っている、審議官にね、第一の教育改革、第二の教育改革はどうかというようなことの質問を発する理由はここにあるわけです。
 これについて大臣はいまのところどうですか、その当時の文部省の高官のような考え方は全然持っていないのか。しかし、政治家の中にもね、憲法改正せなければいかぬという意見もあるし、与党の自民党としては、憲法改正は党の方針だと、こう言っている。どこを改正するかといったら、一番勘どころのところでしょう。そう考えますときに、私は、中教審の答申というものがどういうふうにこれらの点について考えているのか、答申をしているのか。受けとめるところの文部省はどういう態度なのかということをこれはやっぱりはっきりしないことには、第三の教育改革というのは明確にならぬ、こう思っています。いかがですか。
#236
○国務大臣(奥野誠亮君) 教育制度のあり方も旧帝国憲法時代と今日とでは全く違っているわけでございます。教育改革に取り組みます場合につきましても、それぞれ考えをきめました場合には、国会の御審議をいただかなければならないわけでございます。国民の代表から構成されている国会の審議にかけられて、そこで決定されて、初めて改正が実現をするわけでございます。
 戦前でございますと、大権命令、勅令でいろいろなことが律せられておったわけでございますので、ものによりましては、枢密院の会議にかけられるとかいうことがございましたでしょうけれども、教育の多くは国会の論議の的にならなかったわけでございます。でございますだけに、第三の改革といいましても、改革を進めていく手続というものは全く違っておるわけでございますので、私はそれほど心配する必要はないじゃないかと、こう考えておるわけでございます。
 先ほど、帝国憲法から日本国憲法に移り変わるときの人の国体護持のお話がございましたけれども、実質的には革命が行なわれたと思うのであります。革命が行なわれたわけでありますが、帝国憲法の改正という形で日本国憲法が生まれてきたわけでございますので、その間の気持ちの変化にそれほどきびしいものがみんなあったかどうか、これはやはり疑問だろうと思います。そういうことでございますので、やっぱりある程度日時を経過しませんと、十分そういう気持ちになり切るというわけにはまいらぬ人も相当いらっしゃる。これはやむを得ないことじゃなかろうか、こうも思っているわけでございます。
#237
○小林武君 ここがやっぱりこの中教審答申というものを受け取る場合に大事なところだと思うのです。第三の教育改革というものを少なくとも文部省が受け取る場合には、どう受け取ったかということが一番大事なんです。
 そこで、審議官にお尋ねいたしますが、私は第一の教育改革、第二の教育改革と、これこそ第三の教育改革と銘を打ってやった今度の中教審の答申とは相互の関係においてどういう意味があるのか、あなたそれをひとつ答申の文章読むなり、担当の審議官ですからひとつはっきりしてもらいたい。何しろ、憲法できてから何年たちましたか。明治維新の大政奉還というのがやられてから、どうですか。ほんとうにいわゆる天皇制のもとにおけるところの、もうこれは天皇の教育としての日本の教育が確立したのは大日本帝国憲法と教育勅語の時期ぐらいに想定していいと思う。それからその後はその路線に沿ってずっと敗戦に続いてきた。戦争に入るようなあの時期に至っては、昭和の初めからだんだん軍国主義化していった。そういう状況の中で、もっとそういう天皇の教育というものが熾烈になっていったというこの事実、そういうものが一挙にくつがえって第二の教育改革というのが出た。歴史の流れの中で、あれだけの体制をつくりながら、その間には幾多の社会的な問題がありましたし、いろいろなことはあったけれども、とにかく何というか、明治百年、明治百年といってたいへん評価する人がありますけれども、その明治百年の一つの日本の進展の中に大きな転落のやはり原因があったわけです。そういうことを言うと、おまえはそういうことを言うのはおかしいと言うかもしらぬけれども、その転落の事実を的確に書いたのは文部省ですよ、われわれに示した。あとで何とかかんとかうまいことを言って、これは文部省の公式のあれじゃないというようなことを言っているけれども、われわれはぺしゃんこになって、半分腰抜けになって教育もできないような状況の中から、ひとつ日本のためにやろうとかといって立ち上がったのは、その文部省の意気込みだったと言える。あとで考えてみたら、どうもそれも何だかあやしげなものだというようなことを言い直すような状況もあっている。そして、戦後の教育のいろいろな問題点というのはこれを中心にして起こった。そして何年たったか。審議官、いいですか、そこのところを一体中教審というのはどういうとらえ方をしたのか。
#238
○政府委員(奥田真丈君) 中教審の答申の中で「初等・中等教育の改革に関する基本構想」という章がございます。その中の「初等・中等教育の根本問題」という第一に掲げられている事項があるのでございますが、そこで答申は、いまの問題についてこのように書き上げております。「戦後の学制改革によって九カ年の義務教育が定着し、教育の機会均等が大きく促進されて国民の教育水準はめざましく向上した。このことがそれまでの長年にわたる教育の蓄積とあいまって、わが国の社会・経済の発展に重要な貢献をしたことは疑いない。しかし、今日の学校教育は、量の増大に伴う質の変化にいかに対応するかという問題に直面している。」こういうように、一応戦後の新しい教育につきましては高く評価をし、しかしながら、これから先のことを考えると、量の増大に伴う質の充実ということが問題であるということを問題視して、中教審のほうでは諸提案がなされておると、こういうふうに解されます。
#239
○小林武君 文部省が学校の教師にその程度のことしかいまになっても言ってないとすれば、ぼくはこれはちょっとおかしいと思うんです。中教審がいろいろ働きかけて各方面の話を聞いたという、聞かないのはぼくだけかもしらぬね。ほかの人はみんな勉強家だから聞いたんだろうと思うが、いろいろな意見を聞いたという、その中に、「戦後、学制改革について、二十年の実績について検討した。」と書いてある。どういう検討をしたのか、どういう分析を行なったのか、それを明確にしないで書かれているような文章ですらすらといったんでは、これは教員というのはやり切れないと思うんですわ。どんな分析をやったんですか。その二十年の教育の歩みというものを一体どう評価したのか。
#240
○政府委員(奥田真丈君) 中教審が最終的な答申を出すまでに四年間かかっておりますが、その中で、前半の二年間は、大体、従来のいままでの教育の分析評価、こういう教育の発展についての分析評価ということをやって、そして、解決すべき問題というものを明らかにしております。それは、昭和四十二年に諮問が出たわけでございますが、四十四年の六月に中間報告といたしまして、「わが国の教育発展の分析評価と今後の検討課題」ということで、これは相当ページ数の膨大な分析評価の結果が報告されておるわけでございます。そこで取り上げられました問題のおもなものを拾ってみますと、大体、「学校教育に対する国家社会の要請と教育の機会均等」という問題と、それから「学校制度の変遷と人間の発達段階および個人の能力・適性に応ずる効果的な教育」という問題と「教育費の効果的な配分と適正な負担区分」と、こういうような大きな問題につきまして特別委員会を設けて検討したわけでございます。
 で、報告されております内容を見ますと、一つは学校教育全般に関する事項につきまして、たとえば、「学校教育に対する国家社会の要請と教育の機会均等」というところで、実情をあげ、さらに今後おもに検討すべき課題として五項目というその検討課題が分類・列挙されております。それからまた、「学校制度と教育の内容・方法」という小節の中では、いままでの実績を掲げるとともに、「今後のおもな検討課題」として、これは十何項目かあげておると、こういう形で、実情・実績を検討分析をいたしまして、そして、検討すべき課題というものをこの中間報告の段階で中教審は出されたわけでございます。
#241
○小林武君 審議官、あなたは教育の専門家なんですね。私は、教育をやったといったところで、教えるほうの、まあ、戦前の職人みたいなものだ。あなたは専門の勉強をした人だ。実戦から教育を考えても、専門に勉強して役人になっても、大体、行き着くどころは同じかもしらぬけれども、その第何項目ありましたというような話は、ぼくはそれは分析でも何でもないと思うんですわ。いわゆる大臣のことばを借りて言えば、第二の教育改革は、ある意味で革命的な一つの大きな転換なんです。そういう変革を行なった後に、どういう問題が起こったかということは、あなたも文部省におるからよくわかるでしょう。次に、これからの世の中というのは、社会なんというようなことを書いておりますけれども、その二十年なら二十年の間に教育の現場にある者、その教育現場のほとんどの教師を網羅した、幼稚園から大学に至るまでの教職員というような者、そういう人たちの考え方に対してどういう一体政府は対策を講じ、どういうこれに対して批判をし、ある意味では教師の考えている教育を徹底的にこれに対して圧力を加えるというようなやり方やったでしょう。だからその分析やらにゃいかぬと思うんです。私は、教育というものの実績というものは考えにゃいかぬと思うんですよ。終戦からその後現在に至るまでの間にどれだけのたくさんの若者が新しい教育によって世の中へ出たか。それはいろいろありますよ。その当時小学校に入った者、あるいはそのときいわゆる新制の中学に入った者、あるいは旧制に入って高校から行った者、その当時すでに大学生であったけれども新制大学の教育のほうにだんだん変わっていった者、いろいろありますけれどもね、私は、この現在の日本の経済的ないわゆる物質文明方面における貢献というもの、学問の世界におけるところのこの人たちの力というものは私はたいしたものだと思っているんです。そういう教育の効果の話は分析の中から出てこない。いわゆるこれはわれわれがよく言われた、コスモポリスタンの教育だと、こう言われた。あるいはひどいのになると、おまえの教育は何かよその国じゃないかと、海渡って中国かソ連の教育やっているんじゃないかというようなことまで言うような極端な人があった。それは教育の政治的中立確保に関する法律というものをつくるときに文部省が取り上げた。教育的事例ということででっち上げの実例を出した。それほどのもみにもんだような教育の実績を中教審がなんでそんなに簡単に素通りしたか。どんな立場にあっても、立場に立ってやるからには科学的に徹底的にやってこそ、私はりっぱだと思うけれども、何だかふにゃふにゃふにゃとしてさっぱりだれにも理解できないようなやり方で、そして第三の教育改革なんていう大段平を振りかぶったような言い方はぼくはおかしいと思う。そういうことに対して、あなたはどうですか、中教審のあれを担当する者として、いろいろそういう記録、経過等の上からどういう考えをお持ちですか。
#242
○政府委員(奥田真丈君) 中教審が中間報告を発表いたしました分析評価につきまして、私、詳細に説明しなかったので先生から御指摘を受けておるわけでございますが、中教審といたしましては特別委員会を組織いたしますとともに、専門委員会というようなもの、あるいは臨時に委員を委嘱して専門的に意見を聞くと、こういうようなことも回を重ねてやってきております。その結果といたしまして、中間報告で何百ページにわたって実績が発表されたわけでございますが、たとえば、その中で言われております事柄で、この本で申しますと半ページぐらい書いておりますが、「学校制度と教育の内容・方法」という項を設けて実態の分析評価の結果を書いております事項を見ますと、「わが国の学校教育は、明治当初、国家発展の原動力として時代に先んじて推し進められ、その後の発展の基礎が作られたが、戦後の学制改革もわが国の発展に先導的な役割を果たしたといえる。その全国的な普及と一般的な水準の高さにおいては、わが国は先進諸国の中でも高い地位を占めている。しかしながら、現在では、教育制度が社会・経済の急激な発展にじゅうぶん対応できる状態にあるかどうかについては疑問がある。これまでの学校教育では、わが国の経済発展段階に即応して、もっぱら社会的に有用な知識・技術の習得が重視され、それなりに大きな社会的役割を果たしてきたといわれるが、この傾向が固定化し、今日では、社会全般にわたって教育を功利的な側面だけから考える風潮がみられる。また、これまではその発展を急ぐあまり各個人のさまざまな可能性を引き出すことについてはじゅうぶんな配慮が払われたとはいいがたい。」こういうような式に過去から今日までの流れについて分析評価した結果を文章に書いて出されておるわけでございます。これの資料といたしましては、専門的な検討あるいは専門家の出されました資料がグラフあるいは統計等で提示されておるわけでございます。
#243
○小林武君 もちろん、その資料というものも見ましたよ。見ましたけれども、それは何ぼそれがその資料に従って書かれても、書かれるからにはそれが出てなきゃだめですよ。この文章の中からどうもぼくは第三の教育改革というものの性格ははっきりしないと、こう思うんです。ただ、そのことについてもう少しやっぱり皆さん研究していただかなけりゃならないと思うんですよ。文部省がそのことについてとにかく徹底的な研究を要すると思うんです。そして、それについて、賛否の問題については、これはもう大いにこれから、日本の教育のためですからそれぞれの立場に立った議論をするべきだと思う。それをうのみにさせようったってだめですわ。私は、この中にそういうするどいものが出てこないということは中教審のやっぱりこれは何といっても、委員の構成の問題だと思いますよ。これはとにかく大体仲よしクラブみたいなものばかり集まっている。年齢のことをよく言われます。平均年齢幾つなんというようなことを言われる。大体ぼくもその中に入るような年齢になっちゃった。だからあんまり人のことは言わぬ。言われぬけれども、年齢もさることながら、先ほど来いろいろ労働団体何とかといったけれども、私は国際的な常識をもってすれば――やっぱり日本の中の大きな教育団体である日本教職員組合の中から代表を出すということはぐあいが悪いといっていままでがんばってきたんだ。そのがんばってきた理由は何かというと、日本の教師の持っている教育の考え方が危険思想であるという考え方に立っている。このことが、現在の中教審の四年間もかかってやった結果になって出ているんですね。私は、この前何だかうるさく戦後の教育のことについて話しました。中教審の答申というもの、諮問を剱木さんがやって、四年間かかって答申出るまでの間に、まず、大学の中に非常に大きな問題が起こった。いわば高等教育を議論するという場合には、大学の紛争の対策というものが非常に強く出てきて、そのために、私はほんとうのことを言って大学の中にほんとうの大学改革というのは出てこない、出てこないから筑波大学出たら猛烈な反対の声がわれわれのほうから出てくるし、大学自体の中にも二つに割れるというようなことになっちゃった。私は、そういう第二の教育改革の中にあらわれている日本の教育の非常に危険な部面に対して中教審は何らこれについて答えようとしていない。それを指摘してこれに対処するという方法がないわけであります。これについて、審議官、あなたはどうですか、これについて、もう中教審のあれもあれですが、部内の中で検討をしているわけですか。これは、審議官に聞くのは無理かな、初中局長にお尋ねしましょうかな。
#244
○政府委員(岩間英太郎君) 私どもは、中教審の御答申を得まして、その精神に沿いましていろいろ行政的に事を運ばしていただいております。具体的に申し上げますと、初中局の関係では、先ほど大臣がお触れになりました教員の待遇改善の問題、それから幼稚園の問題、特殊教育の問題それぞれ計画を立てまして、その線に従ってその実現をはかっていくというふうなことでございます。しかしながら、学制全般の問題につきましては、これも先ほど大臣がお触れになりましたが、いわば国民の合意を得てから実施するということで、そのために、その基礎になるような科学的、学問的な検討をさらに進めるべきであるというふうな御提案もございますので、その線に沿いまして、私どもとじましては、あらゆる層からの意見も聞きながら、具体的に学問的、科学的な基礎に立つ検討を行なうということで、ただいまその方向で進んでいるわけでございます。
#245
○小林武君 どうも、初中局長のお話もわかったようでよくわからぬのですよ。ぼくは、やっぱり政府とわれわれとの間で賛成、反対の立場に立ちましたら、やっぱりその間において意見をなるべく戦かわして、そして日本の教育の問題ですし、日本の学術の問題になるわけですから、できるならやはり一致点を見出すべきだ。何か非常に、一種の何といいますか、教育問題についての特別の危機感をお持ちの政府、文部省というような気がするわけです。私は、その根底にあるのは、戦前の教育と戦後の教育とのこの関連が戦後教育の中にどういう入り方をしているか、戦後教育というものがほんとうに憲法、教育基本法に沿った形で進展しているかどうかということにかかっていると思います。この日本国憲法や教育基本法というようなものが、いわゆるイデオロギー的対立というものをそれほどかもし出すような内容ではないですよ。日本の民主主義というようなものの中で共通の広場を持てる内容だと思うのです。それにどうしてそんなに対立感が起こるかといったら、やっぱり、政府はいつでもものを危険に見る一種の恐怖症みたいなものがあるのです。だから、あなたたちのやることは、大学の問題の一つ取り上げても、安心できるのは管理体制を強化することだということにいつでも出てくるわけですよ。管理体制を強化するということで安心を求めようとするということは、これはもう下の下だと思っているのです。教育の政治的中立性確保に関する法律でも、あるいは教育委員会制度の改悪の問題でも、言ってみれば、結局これは管理体制との結びつきだ、文部省がどうやってこれを最終的に掌握するかというところに、これはもうきまっているのですよ。何ぼうまいこと言ったってこれは歴然たる事実だと思う。さっきから大臣も、大学局長も実にきれいごとを言って答弁しておりますけれども、そんなものおかしくて聞いていられないというぐらいにこっちは思っているわけです。
 そこで、まあそういう話はひとつ後々大学のほうへいってからやることにいたしまして、私は、そこで一つお聞きしたいのですけれども、大学教育も小学教育もみんな教育全般に関して――私は、中教審の中にあることばだってなかなかよくわからぬのですよ、正直言って。まあ何といいますか、「人格」というようなことを言いますわな。この中教審の答申の中に書いておるんですけれども、この雑誌は、違うけれども中身は全くあなたたちの持っているのと同じようなものです。「今後の社会における学校教育の役割」というものがある。ここで一体言われる「今後の社会」とは何だ。
 「今後の社会」というものを中教審の大先生たちは、かくかくの社会が出てくるというふうに見ているなら、どういう社会、具体的に言えばどういうことですか。今後の社会というものを予見しているわけですね、その予見について、ちょっと――これは審議官が詳しいんだから、どういう社会なんですか。
#246
○政府委員(奥田真丈君) 答申の第一章に「今後の社会における学校教育の役割」ということで書かれておりますが、その中で、今後の社会そのものについての定義めいたものではありませんで、今後の社会がどのように人間形成の上で影響を与えるかというようなことにつきましては、「社会環境の人間に対する挑戦」という項を設けまして、答申では六項目条項を掲げております。社会環境がどのような人間形成に影響を与えるかということでございますが、一つは、「科学技術の進歩と経済の高度成長」という問題、二つ目には、「社会の都市化・大衆化」という問題、三つ目には、「家庭生活と血縁的な人間関係の変化」という問題四つ目は、「人間の寿命の伸長」という問題、それから五つ目は、「女子教育の普及に伴う女性の社会的参加」という問題、それから六つ目が「国際交流の高まりとマスメディアの発達」、こういう事柄が人間形成に対していろいろと影響を与え、問題を投げかけてくるだろう、こういうことが書かれております。
#247
○小林武君 「今後の社会」というものをある程度予見しているとしたら、どのぐらいの先まで見ているわけですか。
#248
○政府委員(奥田真丈君) 答申の内容につきましては明確に年限がわかりません。書かれておりません。
#249
○小林武君 それは、現在並びに今後の社会といったら社会の進み方――このことは、当時の西田審議官が大阪だと思ったな――大阪で、外国の学者も集めたシンポジウム、そこへぼくも出ていったことがある。いろいろ短い時間でありましたけれどもあとでそれをまとめた記録をいただいたからあとで読ましてもらったんですけれども、なかなかそれぞれ未来社会を予見するということは、できるとも言うし、できないという考えもある、できないのではないかというような考え方もあるようだけれども、それについて、やっぱりぼくは中教審というのは大胆にやるなら大胆に言うべきなんですよ。何となしに、中途はんぱなことになっているんだね。だから出てくる問題が実際に何を言っているのかよくわからないということになる。「教育は人格の完成をめざすものである。」と、こう書いてある。この場合の「教育」というのは学校教育だけだと思われないんだけれども、この場合の「人格の完成」、「教育は人格の完成をめざすものであり、人格こそ、人間のさまざまな資質・能力を統一する本質的な価値であることは、変わることのない原則である。」と、ここに書いてある。この「人格の完成」という場合の「人格」は何なのか。どういう立場で人格をとらえているのかということをまずお聞きいたしましょうか。
#250
○政府委員(奥田真丈君) 答申に言っております「教育は人格の完成をめざすものであり」ということばは、教育基本法の第一条の「教育は、人格の完成をめざし」云々と、これと同じでございます。
#251
○小林武君 だから、それを言いなさいよ。そんなあなた教育基本法のそれと同じですなんという答弁はない。そのあとのことがあるからぼくは聞きたい。
#252
○政府委員(奥田真丈君) 答申の文面に即して考えますと、「人格の完成をめざすものであり」と、こういうことを書きまして、それからあと答申では「人格こそ、人間のさまざまな資質・能力を統一する本質的な価値である」ということを言っております。これも一つの解釈だろうと思います。
 それから、そのあとのほうで、人間形成というものにとってどのような事柄が重要な問題になるかということを答申では考えてみまして、一つには「人間形成の多面性と統一性」ということばを使いまして、「自然界に生きる人間として」あるいは「社会生活を営む人間として」、あるいは「文化的な価値を追求する主体的な人間として」説明を加えております。
#253
○小林武君 この「人格」というのは、人の特性を統一的に言いあらわすと言うんだが、これはどういうことになりますか。ぼくならぼくの、ぼく個人のからだ、そこからだけ見るのか、あるいは社会の側から見るのか。社会とか私個人のからだの、環境という面からこの場合見ているのか、どっちなんですか。
#254
○政府委員(奥田真丈君) 人間のさまざまな資質・能力の統一体として人格というものを考えておりまして、したがいまして、現代社会の面から、あるいは社会に生きる人間を取り巻いておる環境の面からと、それからもう一つは、主体としての人間のあり方、この面からと、この両面から考えておるように読み取れます。
#255
○小林武君 そうなりますというと、「人格」というのは、そういう面から見たらどういうことになりますか、具体的に説明すれば。
#256
○政府委員(奥田真丈君) 答申では、そういう両面から見まして、一つは、多面性と統一性を持ったものであるという概念を出しておるわけであります。
#257
○小林武君 どうもよくわからないから、まあ次にいきますか。
 この「人間形成」というのと、「教育」というのはどこが違うんですか。
#258
○政府委員(奥田真丈君) 答申を読んでいる限りにおきましては同じようにも書かれている面が多々ございます。
#259
○小林武君 もともと、この「人間形成」という概念は、このごろできたものらしいですね。しかし、中教審はこれは掲げたんですからね、「教育」と同じ意味なのか、「人間形成」というのは一体厳密に言ってどういうことなのか、その説明は文部省できちんとやってもらわないとね。
#260
○政府委員(奥田真丈君) 答申の内容で文面上申しますと、「人間形成とは、上述のように、人間が環境とのかかわり合いの中で自分自身を主体的に形作っていく過程であるが、教育とは、そのような過程において、さまざまな作用を媒介として望ましい学習が行なわれるようにする活動であるといえる。」と、こういうふうに明確に言っております。
#261
○小林武君 そうして、「人間形成」というぐあいにここで取り上げたからには、どうしようというんですか。人間を形成するのはだれなんです。主体はどこなんです。
#262
○政府委員(奥田真丈君) 自分自身が主体となっております。
#263
○小林武君 公教育の中ではどうなりますか。
#264
○政府委員(奥田真丈君) ここで、答申では、「人間形成」というものと「教育」というものを使い分けをしておりまして、「教育」という場合には「さまざまな作用を媒介として望ましい学習が行なわれるようにする活動である」、こう言っておりますが、「人間形成」の場合には「人間が環境とのかかわり合いの中で自分自身を主体的に形作っていく過程である」、こう言っております。
#265
○小林武君 さっきあなたの御説明では、人格の完成のところ、教育の目的はそれにあったんじゃないですか。だから、やはり「人間形成」という場合と、その「教育」とを使い分けたことについては、もっと正確に言うべきだと思うんですよ。人間形成の一体そのねらいはどこにあるかということを言わなければならぬことだと思うけれども、人間形成ということばをここにきわめて大きく出してよこしたんですから。――まあいいでしょう。
 それでは、高等教育の話に入りますけれども、高等教育の改革ということについて、この中心的な課題として言っているのは何ですか。
#266
○政府委員(奥田真丈君) お手元に中央教育審議会で問題といたしましたこの目次が届いていると思いますが、中心的課題といたしまして、今日の高等教育がきわめて大衆化されたものになって、だれでもが大学へ行きたい、また行くように押しかけていくというような大学の現状になっているということ、あるいは一面におきまして、学術研究がきわめて高度化を求められる、また、現実に科学技術の発展あるいは社会の高度化に伴ないまして、学術の各方面にわたる高度な要求というものが高まってきているということが一番基本の課題にあるわけでございます。したがいまして、そういうことから高等教育の内容に対しまする一面では専門的な教育、同時に、一面では大衆、非常に多くの青年層を受け入れる高等教育としての総合的、一般的な教育内容というものを考えなければならぬ、これが基本的な高等教育の課題でございます。
#267
○小林武君 高等教育のことをいうと大学紛争のことになるのですけれども、「大学紛争を契機として」と書いてありますね。高等教育の中心課題の中の前文には、「近年における大学紛争を契機として、高等教育の制度を根本的に再検討の必要があることが一般的に認められるようになった」、この大学紛争の見方ですけどね。文部省は、この大学紛争というのをどういうふうに見ているんですか。
#268
○政府委員(木田宏君) 従来少数のいわばエリートだけが学ぶ大学と考えられておりましたところに、先ほども申し上げましたように、幅広い層の青年たちが大学へ入ってくる。そうなりますと、大学の中におきます青年層のものの考え方がごく少数のエリートだけが集まったときとはかなり違ってくるわけでございまして、大学の学生の動き自体も社会の青年一般の動きと同じような傾向がかなり大きく出てまいります。したがいまして、政治的、社会的な問題と学内の問題とはすぐ通じ合うというような状況になってまいりました。一方、大学自体は従来からの少数の選ばれた学生に対して教育し、また、みずから研究するという体制のままでこうした学生の大衆を迎えることになりますので、大学自体が、この新しい学生層に対して十分に対応しきれないというような問題が起こってくるのでございます。その間には、戦後進んでまいりました経済的な発展と、それに対応できるようなわれわれ市民の側のものの考え方がうまくマッチしない、精神的な空白あるいは技術に対する人間の不適応な状態が起こる、これらのいろんな要素がそこにはさらにからまっておることだと思っております。こうしたやはり社会自体の経済発展に対応する新しい社会の生き方と申しますか、これがうまく見出していけない、そのままの姿が学内に青年の問題意識として持ち込まれてくる。そして大学に期待する青年層の期待と、従来から考えておりました大学の教官層の指導の意識のズレ、これらのことが大学紛争の根底にある大きな要素だというふうに理解をしております。
#269
○小林武君 一つ抜けていると思うのは、国の一体これに対するかかわり合いというやつはあまりおっしゃりたがらない。国なんて言わんでもいいわ、まあ大学局長としてだね。
#270
○政府委員(木田宏君) あの大学紛争の過程の中で、その国という問題が、どの程度正面に出たかという点につきましては的確なお答えをいたしかねますけれども、むしろ、学生たちが騒ぎました際には、権威に対する無視と申しますか、権威の打破と申しますか、体制を否定しようという動き、これは大学におきます教授会の否定あるいは学長その他の管理体制の打破、こういう形で学生の意向が表面化したと思います。これは戦後のやはり敗戦後の社会的空白ということがいろいろな方から言われておりますけれども、伝統的な権威が社会の各層にわたって従来の伝統的な権威が崩壊した、新しい社会秩序、新しい社会の発展に対応するものの考え方が十分に身につかなかった。また、一部民主化の過程におきまして、権利意識だけが非常に先走りいたしまして、責任感というものを十分に考えるというような風潮が薄くなった、こうした権利意識と責任意識とのアンバランス、これらがやはり不満の根源にあり、目の前にあるものに対して何か否定をする、打破する、こういう動きになって出てきたものだというふうに理解をいたします。
#271
○小林武君 いや、あなたの話、何べん聞いていてもとにかく青年が悪い、だれが悪いという話は出るけれども、私が聞いているのは、社会的、政治的な面でひとつあなたのほうからいえば、文教政策という角度からあなたたちのほうの責任というのはないのかどうか。
#272
○政府委員(木田宏君) これは、前回にもお答えを申し上げたかと思いますけれども、やはり大学を世話をしております文部省の立場において、こうした新しい青年層の動きに対応する大学として教育の面でも、また学生に対する指導の面でも、十分に対応できるような体制になってなかった。学生側から見て、こういう大学は何だという不満が起こってくるような大学のままになっておった、この点につきましてはやはり政府当局としての責任ということも十分考えていなければならぬというふうに思うのでございます。
#273
○小林武君 どうもわからぬな。ぼくが言ってるのは、いわゆる政治的な一体問題に学生が反抗しているということ、これはもっと分析できませんか。これはもうあなた、日本だけじゃないのですからね、ぼくらのほうは大体薄っぺらだけれども、こういうものを書いている。やはり片手落ちだと思うのですよね。大体あなたたちがものを、あなたが言ったかどうか知らぬけれども、日本の戦後の教育が悪いからこうなった、こういうことを言う、これはあなたたちも言ったろうと思う。まあ、あるところではもうそういうことばかり言ってるのがある。何か起こると、みな日教組が悪いということを言う人がおる。これは一番簡単なんだ。教育が悪いからだ、大学に起これば、大学のやり方が悪いからだというようなことを言うのです。それだけの分析では足りないというんですよ。ぼくはやっぱりあなたたちが行政を通してどういうことを感じているか、これははっきりするべきじゃないですか。どうも文部省というのは、自分の立場のことはじょうずに守っていく癖があるんじゃないかと思うんですよ。先ほどから聞いているけれども、文部省のこの点というようなことはあまりないですな。大体紛争のきっかけというものを考えたら、そのきっかけの具体的な問題の中にもあんたたち関係することあるよ、きっかけというものを見たら。それを調べて言ってみなさい、何だか学校の生徒に言うようなことを言うようだけれども、あなたそれ言わなきゃだめですよ、きっかけのことを考えないと。私は、もう学徒援護会のあの諸君が住んでいたあの場所へ行って、この人たちの抵抗、反抗というものはどこにあるかといったら、これは文部省だと思った。初めはぼくもいささかしゃくにさわった、行ったらどこの馬の骨が来たかというような顔してね。うちの党から行け行けというもんだからぼくも行った。私は、わりあいに青年から悪口言われても、あんまりおこらぬほうですからね、行ったところが、やっぱりおこらぬつもりで行ったけれども、ちょっとしゃくにさわった。しかし、まあ二度、三度通って、彼らの中からもいろんな話を聞くことができるようになったときに、私は、一番のやはり根源は文部省にあると、あすこは、御存じのように、一つの大学の学生じゃないんです、雑多なんだ。しかも、それは雑多になっているけれども、そこは言うならば彼らが開拓したようなもんだ。そこに対する、あなたたちの場合には、大学を責めるよりかも、大学に対してはあなたたちのほうは相当あれでしょう、国・公私立の大学側の学生があそこへ集まっているんだけれども、それに対してあれでしょう、大学を通してかなりいろいろな手で文部省の方針出したでしょう。学徒援護関係のあそこの責任者とも話したことがあるけれども、まあ、言ってみれば、結局は大学の当局よりも、文部省というものの考え方というのは、非常に強く出ているように思ったが、どうですか、あの状況、あなたはどういうふうにお考えになりますか。
#274
○政府委員(木田宏君) 一般的に言いまして、学生の側から見た大学の生活環境の条件は劣悪であるということは言えようかと思っております。これは冒頭に申し上げました大学が大衆化したということとの関連もあるわけでございます。いま、学徒援護会の寮の問題を御指摘になりました。しかし、たとえば一番整備されているはずの東大でございますが、駒場の教養学部のキャンパス、以前はあすこに第一高等学校が置かれておりまして、あのキャンパスの中に学んでおった学生数は、いまの学生数の六分の一とか、七分の一とかという小さい数です。当時の学生に比べたら、非常に多くの数の学生がキャンパスの中に入ってくる。とうていキャンパス自体、それを十分に戦前のような状態で受け入れるだけの余力を持ち合わせない。しかし、ある程度やむを得ない現実がございまして、それをどう乗り越えるかということにつきましては、いままで積極的な手が打たれておらない。学徒援護会につきましても、戦時中の兵舎その他を借り受けまして、当座の戦後の学生の寮として転用する等の措置をとりました。しかし、その後、それに対して積極的な改善策が思うように進んでいない。こういう点はいろいろございます。これは学徒援護会のように、文部省が直接めんどうを見ております面につきましても、また、大学が直接めんどうを見ております学生の生活環境につきましても、いろいろと問題があるという点はわかる点でございます。これらのことは、諸外国の大学その他と比べてみましても、非常におくれておる。一つはやはり、文部省の責任を逃げるわけではございませんが、今日これだけのたくさんの青年をキャンパスの中に受け入れるということになりました場合に、大学の当局者も、学生の生活環境という問題を自分のこととして考えるというそういうものの考え方をしていかなければならない時期になっている。それに対して、あまりにも教育と研究、教官の教育と研究が主体であり過ぎて、学生がおろそかにされていたという感じは、率直に言って私どもも反省しておるところでございます。しかし、それはそれなりのまあ経緯のあったことでございまするから、われわれとしては、やはり大学当局と一緒になって、こういう改善に努力しなければならない。筑波の地に新しい大学をつくります場合には、そういう点でも従来のワクとか、基準にとらわれないでできるだけの整備をしてみたい、こういう心づもりでおる次第でございます。
#275
○小林武君 その筑波の話はもう少しあとにしても、あの学徒援護会のことはまあ一つの例だ。あなたたちは、学徒援護会に対してどういうあれをやったですか、どういう対策を立てた。そして、それについては、各大学について一つの条件出したでしょう。あそこからやっぱり出ていくというような対策を講じたでしょう。そこのあたりはどういうふうにやったんですか。そうしてそれを出した場合には、今度はどこへ持っていくかということですね。それはどういうふうにあの当時やったんですか。
#276
○政府委員(木田宏君) 学徒援護会の宿舎にはいろんな大学の学生たちが、まあ込みになって入っておったわけでございますが、戦後の私は民主化のある意味で行き過ぎだと思いまするけれども、寮を世話をしておるはずの学徒援護会の管理の及ばない状態にその寮がなった、そして入っておる学生自体が自主管理という形で無秩序な状態が起こる、こういう状態のままで学徒援護会が学寮の維持、経営をするということは、これは適切ではございません。したがって、そういう学徒援護会の宿舎の現状が、いろんな学生のフラクの根城になる、そこを舞台にしていろんな大学紛争に応援団、応援隊が出かけていく、こういうような状態、学徒援護会の管理責任者が立ち入ることも一切できないような学寮の状態、こういう状態のままで学寮を維持するということは、これは責任者として基本的に考えなければならぬことでございまするから、そういう無秩序な学寮の秩序を回復する、そのために必要な措置を講じるということはいたしました。また、危険な建物のままになっております。改築その他のことも措置をしなければいけませんので、そうした施設の撤去ということもいたし、まあ今後どういう方向で学徒援護会がその本来の仕事をするかということにつきましては、将来の課題として考えてみたいというふうに思っておりますが、やはり秩序の確立ということは、この学徒援護会が援護業務をやります場合にも必要なことだというふうに考えて、それを第一のいま当面の課題にいたしております。
#277
○小林武君 まああなたは、非常に対策が貧しかったという話でありますけれども、一つは、やっぱり大学の学生の数がふえたということも一面言えるかもしれないけれども、あれは戦後のまだ影響が非常に強い時期なんです。あそこでは、とにかくうちから学費を送ってもらうというようなことの不可能な人たちがたくさんいて、ほとんどがそうですね。だから、あそこにはアルバイトに対するあっせんも、もうそろそろだんだん少なくなっておったけれども、やらなければならぬ状態にあった。で、あなたが言うように、ある程度やはりこのままの状態ではよくないということはわかっている。しかし、いつでもぼくはあなたたちのことを考える場合に、取り締まるというような感じが、ぼくはああいう環境の中において学問をしなきゃならぬというような、アルバイトが本職なのか、大学で勉強するというのが本職かといったら、これは全くアルバイトがあれであって、ひまがあったら大学でも行こうかというような状況だ。いわば最低の状況だ。そういう際における対策としては、ぼくはそこに起こっているあれをとらえて、そうしてあそこがああいう形でもって雑居状況になっておったならば、それに対策をどうしなければならぬということを考えたら、入れものを考えなきゃならぬですよ、あそこを整理しようということになれば。入れものを考えて、しかしそれも入れものも完全にいかないということになったら、選択のあれは非常な配慮を要すると思う。最後に一番問題になったのは何かといったらその選択のしかただ、ぼくは非常に憤慨にたえなかったのは。結局、選択の場合にはあなたたちの考え方ってのは表面的な、実際にやってみるというとかなり暴力的な人間を中に入れて、そうして、そういう者の力をかりて新しい転居先のあれをある程度統制しようというような、そういうあれが非常に顕著に出たからぼくは何べんもあの問題では話しに行ったんです。まあ一つとらえればそういうことです。青年を大事にするというような場合に、国がとろうとする態度というのは、もっとやはり教育的見地に立たなきゃだめだ。大学のことを言う前に、文部省というところが自分の果たすべき役割りというものを考えて、青年をどう取り扱わなきゃならぬかということを考えなきゃいかぬと思うんです。
 それからどうですか、大学紛争のときにきっかけになった問題ってのはどうです。私立の場合ならば授業料とかね、そういう問題について、一体もうあのときはやむを得なかったんですかな。授業料値上げってのは、いまだって授業料値上げをすればいろいろ起こるでしょう。そういう問題について、私立大学のほうにばかり責められたってどうにもしようがないってのが実情じゃないですか。そういう問題もあったわね。文部省がやれることはずいぶんあったと思うんです。ぼくはそういう場合に、文部省も力が足りなかったということを言うのであれば、これはぼくはお互いさま、政治の貧困も、まあ文教政策を議論する人たちの貧困てのは、その対策を十分立てられないという、そういうこともある。みんながね、そういう面でお互いががんばらなきゃならぬというようなことを言うんであればあれだけども、あんたたちはそういうことを言わないんだね。大学がだめだとかなんだとかというようなことを主として主張するものだから。何でも悪いのは、問題起きれば大学が悪いと、こういうことになる。しかし、それはもうじょうずにつくろっても、最終的にはどうかというと、日本の大学総なめにいったでしょう。そういう対策について、あなたは一体どういうふうに考えてるのか。大学の責任ばかり追及して、管理体制がだめだとか、教官は研究にばかり専念して教育のことについては関心を持たなかったからこうなったとか、そういう言い方して筑波大学と結びつけようなんだってそれはあんたいかぬですよ。だからその点について、あなたはやっぱり当時のことを考えて、ひとつどうしなきゃならぬかということを率直に言ってくださいよ。そんな大学ばかり、もちろん、大学にだってぼくは責任あると思うんですよ。あるから書いてる。
#278
○政府委員(木田宏君) 御指摘のように、大学紛争の個々の発端は授業料問題であったり、あるいはキャンパスの移転問題であったり、あるいはちょっと古くもなりますが、インターン問題であったり、あるいは学生処分の問題であったり、また、全然別個でございますけれどもエンプラ騒ぎであるといったような、全く学外の問題に端を発して動きが起こるといったようなことがございます。で、これらを通じて文部省の責任を御指摘いただいておるわけでございますが、先ほど来申し上げておりますように、いろいろと先取りをして変化に対応できるような措置をしてなかったという面での行政上の責任を回避するつもりはございません。
 しかし、あの当時、かなりのたくさんの大学で紛争が起こりましても、すべての大学で混乱と紛争が起こったわけではない。やはりそれなりの問題があり、理由のあるところで起こっておる。しかも、学生の問題というのは、やはり文部省は大学当局とタイアップしながら措置をしていくという立場にあるわけでございまして、文部省だけが大学当局と離れて何らかの対策をとればそれで問題が片がつくということではなかろうと考えるのでございます。そういう意味で、文部省の立場というものを全く責任のがれで言うわけではございませんけれども、やはり起こるべき大学にいろいろな問題が起こっておるということでありますならば、それらの点について、個別に処置をとっていくということがやはり必要なことだというふうに考える次第でございます。
#279
○小林武君 個別にとっていったら起こった大学と起こらない大学あるというのは、これはやはり言い過ぎじゃないですか。ぼくはあの当時じっと見ておって、日大の場合を考えますと、日大の場合は、あのころ学生の関係のあれがよく呼ばれましたわ。ところが、それは紛争のものすごい大学もあるし、その当時日大というのはいかにも何と言うか、きちんとしているように見えるのですわ。しかし、ぼくはそこへ行って、ほかのほうが騒ぎの大きいときにそこに行って、これは問題起きるなと思ったことがある。それは一つの学校の方針で、あるやはり圧力がくるわけです。大学の改革だとか、いろいろな問題について不満を持っている学生が何かやはりはたから――ほかの大学がやるわけですから、そういうものに刺激もされていますし、また刺激されたからやるのではなくて、自分に問題意識を持っているところにそういうあれがあるから起こる。そういうものが暴力的に押えられておったというようなことです。だからぼくはそのときにこれは必ず起きる可能性があるなと。問題はそういうようなきれいごとで押えようとしてもいまの大学の状況から見て押え切れるものではない、起きた場合にはこれはなかなか大きいぞと。そういうところは、いろいろありますね。もっと極端に言えば、ぼくなんかは、いまの例の大学、このごろ問題になっている、暴力ざたの多い大学、国士館、これはあの当時はああいう力で押えた、しかし、そのあれは結局どうかというと、いまになってから押え切れないほどの形が出てくる。だから起きるとか起きないとかというような問題を、あすこはしっかりやっているからなんという、そういう見方をしておったんではだめなんですよ。私は、そういう見方でなしに、もっとやはり根本的な原因がどこにあるかというふうに文部省が見れないところに問題がある、こう考えているのですがね。そういう点はあなたはどうですか、ぼくに同意しませんか。それは違うと、絶対そういう動揺の起きない大学もあったんだから、それはそこの起こったところの大学が内部的に問題があるからと、そうと言い切れますか。そういうことを言い切れないところがあるでしょう、政治的な問題だってありますから。私は六〇年安保のときに思ったんです。その以前から大体ぼくらも大学の学生の諸君とは相当の接触があったんです。接触というのは顔見たりなんだりするし、よく出入りする人たちもおった。別段そういう人たちと接触といってもただ顔を見ているだけですけれども。そういう時期にじっと見ておりまして、私は、ずいぶん納得のいかないところもありました。労働組合と違って幹部の諸君というのはいささかやはり軍隊みたいなところがあるのです。ぼくはそれが不満でしょうがなかった。そういうあれを見ておりましたけれども、初めは、あなたたちどう見ているか知らぬけれども、学生は初め手ぶらでしたよ。ヘルメットもなし、それから手にものを持つわけでもなし、ところが、もうこれをとにかく取り締まろうとする警察のほうは、まずその防備がいいわけですわ。小手のようなものもあれば、それからまたヘルメットもかぶって、石が投げられてもだいじょうぶなようないろいろな装備をして、そしてとにかく参議院の前でめった打ちにして、参議院の議面の中に学生がぶっ倒れて、ぼくらが救急車を呼んだりするような、そういう過程を経て学生はだんだん抵抗のあれを強化していったのですね。だから私は、そういう日本の取り締まりに対する態度、学生に対する態度というものも大きな影響を与えて、結局今日の状態の中には、その面で負うべき責任もずいぶんあると思っておるんですが、あなたたちはどう思っているのですか、それについて。
#280
○政府委員(木田宏君) 小林委員が一、二の大学の例を御指摘になりましたが、きっかけとしては、やはりそれぞれの大学にそうした特有の課題というのがある。このことはやはりすべての大学に同じ問題が起こっておるわけではございませんから、それぞれの大学の特有の問題点というのがあるということは申し上げられると思います。ただ、発端はそうでありましても、共通してそれが展開していきますときのいろいろな動きというのは多くの大学に共通した問題が出てまいります。で、その中には、先ほども申し上げましたけれども、政治的、社会的な問題と学内とのつながりというような面から考えていかなければならぬ点もあろうかと思います。いま小林委員がお話しになりましたように、学外のいろいろな政治的課題、安保でありますとか、エンタープライズの入港問題だとか、いろいろなことの際に学生が動く、治安当局が出てくる、そうした社会的な接触の中から、そういう社会の政治的課題の中で、いま御指摘がありましたような御意見も成り立っていくんだろうと思います。学生側もできるだけ装備を整えるのだというふうな動きは、確かにいまお話を伺いながら、そういうことが言えるんであろうかというふうに私も考えました。ですから、学内におきます学生の問題というものが、その意味では学内問題だけでなくて、学外のいろいろな大きな動きにつながっておるという点は、これはもう私も同感できる点だと思います。
#281
○小林武君 まあ、そういう意味で学生の問題を見れば、いわゆる安保問題に対する政治が、政治上の安保問題というようなことに対して学生がどう敏感に反応したか、こういうことを一体政府というものはどう受けとめたのか。このことは、私のほうの党でも取り上げまして、いまの学生のあれには政治的な問題がたくさんある。非常に巨大な不正というものが、政治上の不正というものが、これは先進国の中にたくさんあって、それらのものが大学の学生に大きな反抗を起こさせている。あるいは何といいますか、管理社会というものの中にあって、学生はその中で抵抗する、そういうものもある。こういう点の根本の原因に目を向けない大学対策というようなものは、何といっても政府が非常にやっぱり強いのじゃないか。結局、文部省というところがそういう対策だけしか立てないんじゃないか。だから、もうあなたたちのやることは、とにかく管理社会、管理体制をつくれば大学がうまくいくとか、少々手ぬるいようではあるけれども、大学にものをまかせてやるというやり方をあまりとらない。そういう手ぬるいやり方をするというとこれを攻撃する。やるときはかなり残酷にやる。私は安田講堂の状況をじっと一々あそこへ行って見ておったけれども、あのぐらいやられたら抵抗するという気持ちは若い者であるなら必ずあると思う。空からと下からと、あらゆる場所からやられるわけですからね。だから、無理に私は青年たちを反抗させているという気持ちをあのとき味わった、こんなやり方で大学改革をやるべきでないと思ったが、どうですか。
#282
○政府委員(木田宏君) 小林委員の御感想でございますので、これはそれとして承らせていただきますが、私は、文部省におりまして、大学問題を担当する責任者として、国立大学あるいは公・私立の大学といろいろな意味で接触をいたしますけれども、なかなか大学は、自主的に自分でいろいろなことを構想されると、そう私どもが何かを言えばそれによって簡単に動くというような存在でないということは、私なりの感じとして身をもって印象づけられておるわけでございます。東大の安田講堂の事件のことのお話もございました。あの措置につきまして、文部省がとやかく指揮できたわけのことではございません。当時の大学の総長以下大学の幹部の人たちが、長い間のああいう不正常な状態に対して、何とか学内における秩序を回復しなければならない、これはやはり大学の責任者として、東大という伝統ある大学の教育・研究の責任を持っている人たちが、社会の負託を受けてあの状態を放置しておくことができないという最終的な判断から、当時世の中の人から何であんなにぐずぐずしているのだというふうな強い御批判があったと思います。そのぎりぎりのときの措置がいま御批判をいただいたような状況にはなったかと思います。しかし、それはそれだけ、あの当時安田講堂に入っておりました人たちがすべて東大の学生でなかったということは、小林委員もよく御承知のことだと思いますけれども、一つの大学の封鎖といったような問題が、多くの大学の学生、あるいは中には大学の学生でない人たちも関係して起こってくる、社会の動きがそのまま学内に入ってくる、こういった問題に対して大学がどういうふうに学内の秩序を回復するかという課題であったかと思っております。大学は、ほかの会社や社会の場合のように、簡単にものが片づきません。これはやはり相当の時間をかけ、関係者の努力を待って進んでいく、これは大学の性格上やむを得ないところだと思いますけれども、しかし、長い時期にわたって授業ができない、入試も行なえない、こういうような状態を放置することができないというのは、大学を預かる責任者の当然の考え方で、また当然の措置ではなかったかと考えております。
#283
○小林武君 まあ、大学の紛争というものがある限界を越えていった場合には、これは容易ならぬことだということは、これは日本ばかりじゃありませんわね。これはフランスの場合のことも聞きましたけれども、やっぱりソルボンヌの前のあそこのあれがものすごい状況になったということをいう。それから、あなた先ほどおっしゃったけれども、東大に立てこもったのは必ずしも東大の学生ばかりではない。そういう若い学生の間の横のつながりというものが出てくるということは、これはまぎれもない事実なんです。これはもう何の場合でも同じです。おとながやろうが、だれがやろうがみんなそういうことが起こる。それがおそろしいことだね。だからそれぞれの対策についてのやっぱり対処のしかたというものは、私に言わせれば、やっぱり何に原因するかということについて政治の原因があったら政治的なそれについての反省がなければならない。ぼくは大学がまるっきり、大学そのものがよくて文部省が悪いからと、そんなことを言っているのじゃないんですよ。大学そのものも根本的な改革を迫られている、しかし文部省もそうだと、ある意味で、そういう教育政策にかかわり合いを持っている者は、政治やる者もみんなやはり考えにゃいかぬ。そして最小限に一体これらの抵抗をどう処理するかということが、しかも、早期にそのことを解決していくというようなやり方はどうするかといったら、それはやっぱり教育的な観点からやらなきゃだめだと思うんですよ。何をまごまごしているのだと、警察官導入してすぐやれというようなやり方は、かえって事態を非常に深刻にする。その点で文部省の態度というのはぼくはやっぱり大学紛争を通して問題があったし、また、われわれ自体の周囲の人たちの間にも最後はやり切れなくなって、もうとにかく手っとり早く、力には力というようなことを考える者だってないわけではない。しかし、それは下策だというのです。ところが文部省というのは、私はそういう点ではいつでもそういう態度に出てきている。少なくとも、教員組合対策というものを見ればよくわかる。力でもって、権力でもって押えつけようという政策がとられてきているから、私は、そういう点であなたたちのほうの反省点というものがあるべきだと思うんです。それについてあなたのほうでは、私のほうはとにかくやることはやりました、その点では手落ちはあまりないという考え方が非常に強いものだから、それに対して非常に不満を私はいつも持っているわけです。先ほども言ったように、そうでしょう。学力テストの問題でとにかくやったと、そのほかでもあるんじゃないですか。たとえばどうですか、高等教育の問題でも、高専というのはどうだろう。しかし、今度の中教審の答申の中にも高専がありますけれども、いわゆる高専がどういういま状態になっているか。あなたたちはあの高専ができた当時の、あの高専の中にある教官、学生の諸君の期待というものがいまの高専の中にあるかどうか。これはあなたたちが感ずることと、実態と実際とはもう非常に違いがある。それから工業教員養成所のあのやり方どうです。こういう時代になってから、三年制の工業教員養成所なんというのはやめたらどうだと幾ら言うてもあなたたちはそれをやった。それはわれわれの指摘したとおりになったでしょう。そういうあなたたちのやり方の中には、どうもやっぱりその場限りの政策というようなものが案外入り込んできて、そうして後々のことを考えないようなやり方がある。今度の筑波の問題だって、私はそういう点を指摘したいのです。
#284
○政府委員(木田宏君) 国会の御審議を経まして、いろんな政策として進められたことが、あとの時点から振り返ってみていろんな御批判を受ける、よかった悪かったということは当然起こり得ることだと思います。また、そういうすべてがいいというような国はよほど特別の国でございまして、やったことについていろんな御批判が起こってくるという国は、ある意味で私はけっこうな制度になっているというふうに考えるのでございます。ただ、文部省がそのそうした政策を進めていきました過程の中で、やはり御批判を受けるような責任を持つということは起こり得ると思いまするけれども、冒頭から御指摘いただきました、文部省に非常に大きな悪い要素があるというような御指摘だけは、これは私は少しかんべんをしていただきたいというふうに思います。と申しますのは、大学紛争のあのいろんな過程の中で、文部省が直接警官をどうこうできるとか、あるいは学長を指揮してどうしろこうしろと言えるものではございません。早稲田につきまして、当委員会でもいろんなあの状態をどうするのだというふうな御指摘もございました。私どもとすれば、やはり大学に対しては大学の努力にまつという姿勢で関係者の努力を期待し、その改善について一刻もすみやかに善処されていくということを期待をしておるわけでございます。しかし、一面から見ますと、何をのろのろしているんだというふうな御批判も賜わったことも、また賜わっておることも少なくございません。すべて今日の国立大学で事態がうまくいっているというふうに申し上げることも間違っておりますし、私どもも、直さなければならぬことがいろいろあろうかと思います。しかし御批判のあります点はいろいろとまた御批判を受けながら改善していく。で、もちろん、筑波の問題につきまして事前にこれを危ぶむと、心配だという御意見のあることも私はわかるのでございます。これで一〇〇%成功すると思っておるかと、これはやはり筑波大学ができて関係者が努力をしてみなければわからない要素というものは残っております。しかし、今日までの大学のいろいろな課題を考えながら、こういうふうに改善を加えてみたらどうかという提案、それが大学の多数の意見として大学全体の意思を形成いたしました際に、それを試みてみるということは、私はやはり必要なことだと、いろいろな試みをやってみる、先に行って失敗することがないとは言えません。しかし、やっぱり失敗があるかもしらぬということだけで、今日の状態を動かないということでは先ほど来問題になりました大学紛争のいろいろな課題を解決していく政府の姿勢にもなるまいというふうに確信をいたしております。
#285
○小林武君 そうすれば、まあひとつ筑波のほうにだんだん移りますがね。ぼくもあなたのおっしゃるように、ものごとが全部うまくいくということはないとあなたはおっしゃるけれども、かりにこのことは全く予想したとおり時代に適合した考え方であり、そういう目的に沿うた実績をあげたとしても、それは、そのものがいつまでもそういう状況というのはあり得ないわけです。必ずそこには次の問題がやはり起こってくる。それがなかったら発展がないわけですから。だからぼくはそういう完ぺきなものがここに考えられてできるなんということは考えていないのです。そういうことを言っているんでは決してない。ただ、試みとしては、私は新しい大学をつくってやってみるというのは必ずしもこれは日本だけではないわけです。むしろ、日本はまねをしていると言ってもよろしい。イギリスのまねをしたり、ドイツのまねをしたり、またドイツとイギリスについてもやっぱりそれぞれ従来のことを考えて何か切り抜ける道がないかという、そういう考えに立ってやった。それには大きに大学紛争というものも一つの契機になったろうし、あるいは社会の一つの移り変わりの中にもあったでしょう。その国の状態、経済状態とか、いろいろな状態もあったでしょうが、そういう状況においてやったということは、これは悪いとは言わない。そういうことがあってもいい。しかしながら、この筑波のことを考えたらいかにもどうもおかしい、ぼくに言わせると。大学は確かにあれでしょう。教育大学というのは五つに分散しているところの学部を統合して、そしてどこかに移りたいという。これは学内にやっぱり起こっていた問題だと思うのですね。ところが、こういうものに対して文部省というのは全くあれですか、この協力といいますか、当然国立大学ですから、それに対してどうやって新しいキャンパスを獲得するのに考えてやるとか、そういうことはないわけでしょう。ないから、結局どうなったかといったら、国策に協力しなきゃだめだという考え方が出てきた。大体、そのとき教育大学の学長がそう言ったというんでしょう、国策に協力しなかったらとにかく土地は手に入らないと、これは事実に反しますか。
#286
○政府委員(木田宏君) いま御指摘になりました学長の発言というのはどういうことであるか、私にはちょっとよくわかりません。しかし、今日でも毎年多くの国立大学でこういう土地をほしいという希望はかなりたくさん出てまいります。これは大学関係者、もちろん事務の当局を含めてでございまするけれども、現在あります大学のキャンパスをいまの場所で整備するということについては不可能だと判断いたしました大学が幾つか新しい候補地を見つけて、こちらへ行きたい、ここを整備したいというふうな御相談が起こってきております。そうした御相談を受けました場合に、私どものそれぞれの専門の立場の人たちが、やはりそれは現在の土地の値段のこともございましょう。また、将来その地域の見通しを考えるということもございましょう。また、地質の状態を判断するとか、一番大事な水その他の諸条件を勘案するといったようなことがございまして、希望のとおりの場所が長い目で見ると必ずしも賛成しがたいですよというような意見を言うことはございます。でございまするから、大学関係者が必要とする土地の予算を計上いたしますにつきましても、私どものほうで相談を受け、吟味をし、そしてわれわれも同意見であるというものについて国会に予算をお願いすると、こういう手順はとっておる次第でございます。
#287
○小林武君 教育大学で三十五年から三十六年、そのころにいまの移転の問題、学部五つを統合して移転したいというような、そういう意向は文部省には出てないわけですか。
#288
○政府委員(木田宏君) 東京教育大学は、御案内のように、キャンパスが狭いものでございますから、昭和三十七年の五月以来、評議会の内部に施設小委員会が設けられまして、大学の移転問題の討議を続けてこられました。まず、八王子地区について調査が行なわれて、各学部の意向が確かめられ、昭和三十八年の一月の評議会では文学部、教育学部、体育学部の三学部があすこはいいというような賛成の意見があり、理学部は検討中、農学部は同地区がいいとは認められない、それぞれの学部の判断で意見がかわされたというようなことがございます。
#289
○小林武君 その後はなかったわけですか。
#290
○政府委員(木田宏君) 結局、八王子地区の土地の取得が困難であるということがはっきりいたしまして、そのほか二、三の候補地を調査検討されたようでございましたけれども、適地で入手可能な見通しのある場所が見つからなかったということでございました。
#291
○小林武君 あれですか、三つの大学に口をかけたという話でありますが、その場合に、筑波にこの三つの大学を入れようという文部省の態度であったんですか。
#292
○政府委員(木田宏君) この筑波の問題が研究学園都市として政府で話題になりました際に、文部省は首都圏内の全国・公・私立の大学に対しまして、こういう構想がある、希望のあるところはお申し出くださいというように、全大学に対して、国・公・私立を問わず御案内を差し上げたのでございます。その際に何とか考えてみたいがという御返事がきたのが前回、御指摘のございました三つの大学でございました。
#293
○小林武君 当初どれくらいの大学をそこに招致するつもりであったわけですか。
#294
○政府委員(木田宏君) 学校の数をきめて御案内をしたわけではございません。私学用の土地といたしましては五十ヘクタールを一応予定し、国立用の土地といたしまして、筑波の現在の二百四十五ヘクタールほどを予定をして、これを教育関係、大学関係の土地として案内を出したと、こういう次第でございます。
#295
○小林武君 ぼくはそのところがわからないのだが、大学の土地さがしについて、一体政府が考えていることに、いわゆる国策に乗るというようなことがなければ適当な土地が手に入らないということ自体が、これはおかしいと思うのですよ。そういうことは、ぼくは文部省あたりが相当便宜を――便宜というか、その一つの国立大学ですから、それに対して積極的に土地の問題について考えてやるということになれば、これは解決する問題だと思う。三十五、六年のころですからね。そうでしょう。私はもうその点はこの間も言ったけれども、北海道の教育大学の統合問題に対する土地の問題だって、きわめて冷淡きわまるものだと見ているのです。どうして一体国策に乗るというとそれほど馬力がかかって、国策に乗らぬ場合には、まことに冷淡な態度をとるという、まるっきり違う態度を文部省がとるということについては、どうも合点がいかない。この点は少し間違っていませんか、そのやり方として。
#296
○政府委員(木田宏君) 現実に筑波の土地について関心を持たれました三つの大学のうち東京工業大学は、筑波とは別に神奈川県の長津田に新たなキャンパスを見つけるということで、その土地の購入の御要請があり、いまその大学の方針に沿って整備が進められております。ほかにも幾つかの大学が新たな適地を見つけて、そこに統合し発展をするというような動きを示しているところは少なくございません。ただ、御指摘がございました北海道教育大学の問題につきましては、札幌と岩見沢と両方の分校の問題がございまして、これらの関係者の意見がなかなか帰一しないという点から、長らく延び延びになっておりますことは私どもほんとうに残念に思っております。しかし、何か文部省の意に沿うものだけということで、私どもが無理な要求をし、無理な応待をしておるということはございません。先ほど申し上げましたように、持ってこられたところがほんとうに適地であるならば、それに対して必要な購入予算もし、整備もしておる。具体的には幾つかそうした事例は申し上げることができるかと思っております。
#297
○小林武君 そこのところ、ぼくは考えてみると、ほかの二つの大学が別な土地をさがしていたと。八王子がなくてもさがす道はぼくはあるような気がするんですよ。しかし、まあ一番手軽なところがというところで、まあ学長がそれに飛びついたと、飛びついたんだが、そこで、これはあれでないですか、学内が全く一致した見解で移転をするというようなことにならなければならないものでないか。ぼくはその点では北海道の教育大学と、それから東京の教育大学に対する文部省の態度は全くこれは正反対だと思う。北海道の場合は十年とにかく時を待ってるわけですね。しかし、そのことについては、ぼくは外部の圧力などではなくて、それはほかの者がかれこれ言うことではなくて学内で意思統一をしなさいと、まあ言ってみれば、あそこの場合は、この分校のうちの一つが統合の当事者だから、一つがよけりゃ一つが反対だというようなことになるけれども、まあ問題は、一つの大学の場合、それからその大学の置かれている市の理由とかでなかなかむずかしい。しかし、何といってもそこでは合意に達して大学自体がきめないというと、これがほかの者が入るというと、これは問題が深刻になるという。私は、その点では文部省が慎重に出ているということは必ずしもこれは悪いと言えないと思う。しかしながら、教育大学の場合に対するあれは、これは文部大臣が大学の意思統一があったからお手伝いをするというようなことだが、これはお手伝いとはぼくは言えないと思う。そのことの問題でもって学内が割れているという、そういう状況の中でどうして教育大学を強引に一体やるのかどうかということがある。これは文部大臣、どうですか。あなたはほんとうに意思統一されたと考えていますか。ぼくはそうは思わない。いわゆる国策の線に乗せようということで、この問題については相当やはりあなたのほうで強力な介入をしていると、こう思っているんだけれども、間違いですか、ぼくの見方は。
  〔委員長退席、理事楠正俊君着席〕
#298
○国務大臣(奥野誠亮君) もう御承知のことではございますけれども、評議会で筑波移転を決定をした。しかし、五学部のうちの文学部だけがその後は移転の関係の会合には一切代表を出さない、こういう経過できているわけでございます。全学的な意思決定機関としては評議会ということでございますので、その評議会の決定、これが一学部がその後にいろいろ異議を言うからといって、その東京教育大学の意思決定を尊重しないということでは私はやっぱり混乱を重ねるのではないだろうかというように考えるわけでございまして、そういう意味で、やはり東京教育大学がその後意思決定をひるがえさない限りは、その線に沿って文部省は協力していくべきじゃないかと、かように思っているわけでございます。もちろん、東京教育大学が評議会の決定をもちまして従来の意思をひるがえすという場合には、またそれに従って対応をしていかなきゃならない、こう思いますけれども、評議会の決定があって、それが何らひるがえされない限りにおいては、内部に異論があるにしましても、正規の機関を経た決定でありまする以上は、それに従って文部省は協力をしていくということがむしろ筋道ではなかろうか、こういう考え方をもってまいってきているわけでございます。
#299
○小林武君 しかし、あれでしょう、五つの学部があって、そうして一つの学部ばかりではないでしょう。学部全体としてのあれはいろいろあるでしょうけれども、反対と賛成のあれはどうですか。教官とか職員とかというものをやったらどのくらいの率になるんですか。これは大学局長どうですか。
#300
○政府委員(木田宏君) 大ざっぱに申しまして、移転反対が三割から四割という状況かと考えております。
#301
○小林武君 四対六ということになると、これはかなりもう接近した数ですわね。私は、何もこの北海道の場合のことを例にとってかれこれ言うわけじゃないけれども、その場合には、十年間とにかく文部省としては自分のほうから積極的な意思表示はしていない。この態度はぼくは文部省が、大学の決議機関でたとえきまっても、一つの分校が、当事者の分校が反対したという理由でそれはきまらなかった、きめなかったと、しかし、それはぼくはさっきから言っているとおり、それはやっぱり合意に達しなけりゃだめだと思っております。しかしその態度、そのあれと比較してみると、たとえばあなたに対して、もうぼくはあなたのほうの当時の審議官にぼくは話したときも、これはこういう事情があるからやっぱりある程度考えなけりゃならぬ、問題は十年もたてばもうぼろぼろになっちゃうわけですよね。しかも今度教官の編成なんかでも、これはもう片手落ちになっていく。片手落ちというか、一つの非常に片っ方の学校の状況が悪くなる。いろいろな問題があるものだから、それは解決したいのはやまやまだけれども、それに対して文部省が何か援助してやる方法がないかというようなことも言ったことがある。ほかの者がこれに口出しするというようなことは、これは非常にいろいろな弊害を及ぼす、そういったときにもう手がつけられぬ、やっぱりこれはもうとにかくこのままで両者が合意に達するまで見るよりほかしようがないと、こう言う。それがどうも教育大学になるとがらり変わってきて、まだまだ研究の余地があると思うのにやるということについては、ぼくはどうしてもわからぬ。それはやっぱり国策によるということが一つはあるんだろう。もう一つは、やっぱり文部省の中に賛成派と反対派に対する感情的なものの見方があるのではないかと思う。この点はぼくの考え方というのはやっぱりひがんで見ていますか。私は、そうでないと思っているんです。この二つの事実を見れば、比較してだね、全然腰の入れ方違うじゃないですか。どうしても解決せにゃいかぬのだと、あんたたち早くきめなさいというようなことを言ったためしもないでしょう、北海道の場合は。それぞれが話し合うべきですということも言ったことないでしょう。おそらく両方の言い分も聞いたことなければ、陳情団ぐらいは来たら会ってやったぐらいでしょう、おそらく。あるいは土地を取得して、両方の間のところに土地を買って、両方から歩み寄ってきて一緒になったらどうだという案も出て、それも合意に達しなかった。しかし、この土地というのは、なかなか何ぼ北海道でも一番いい土地なんというのはそんなに簡単にあるわけじゃないわけです。そうすると、その土地を持つということは、これは一大学がどこから金出すということもできないわけでしょう。そういうことについてのあなたのほうのいわゆる何といいますか、文部省として、これに対する対策というようなものも別になかったはずだね。こうするべきじゃないかという指導もなかったんです。しかし、教育大学の場合だけは、どうしてそういうふうにせっかちになったのか。私はやっぱりそれについて納得がいかないわけです。それならば、なぜ教育大学の問題についてももっとやはり両者が歩み寄れるようなやり方というものは文部省でとれなかったかどうか。この点の――もう大体あなたのほうでも言うことなくなったらしいところもあるけれども、本心言ってもらいたい。大学局長さん、あなた本心を言ってもらいたい。
#302
○政府委員(木田宏君) 私どもは、大学の正規の意向が表明されるまではかなり気長に待っておるつもりでございます。
 ただ、東京教育大学の場合は、私どもがせかしたわけでも何でもございませんが、教育大学自体としてキャンパスの整備統合を進めるということから昭和三十八年以来学内での検討を詰めて、四十二年に一部の御反対はありましたけれども筑波に土地を希望するという正規の意向表明がございました。大学の意思決定というものが正式になされました場合に、私どもは、その学内のいろいろな事情もございましょうけれども、その正式の意向に沿って措置をとるというのがまた文部省として心がけるべきことだと思うのでございます。
 北海道教育大学につきましては、札幌と岩見沢の両方の御関係の方々のそれぞれのお立場があってなかなかむずかしいという事情はわかっておりまするし、また、そのむずかしいままで教育大学としての正規の意思表示というものをちょうだいするに至っておりません。はらはらする点もございまするが、まあ待たしていただいておるという状況でございます。
#303
○小林武君 一つだけお聞きしますけれども、それは正規のあれがないということは、全学が一致できなかったということになるけれども、北海道の場合は各分校から評議員が来て、票数はそれぞれ賛成が出たんでしょう。ただし一つが、当事者の岩見沢がそれ納得いかぬと言って退場か何かした、そういうことじゃないですか。そういうことが結局正規の決定に至らなかったという実情じゃないですか。
#304
○政府委員(木田宏君) 北海道教育大学から文部省に対しましてこうだという大学の正式の御意見の表示がないということでございます。学内でのいろんな御相談はあったかもしれません。したがいまして、北海道教育大学の場合には、私どもとしてはただ状況をまだ見さしていただいているという以外のことがとれないという次第でございます。
#305
○小林武君 まあ、あなたどういうふうにおっしゃっても、ぼくは正規のまあ多数決でいけばこれはきまった問題だと、しかし、多数決でいって出た結果がいわゆる全学の一致ということになってはたいへんだという、そういうことでとにかく文部省の態度もそのようだということを聞いておる。私も、それについては文部省のとった態度が悪いとは言えない、特にその際には、外部からのいろいろなあれもあったものだから外部からの者が妙なことをやるというと、大学のいわゆる問題に介入したということになる。しかし、あなたのおっしゃることとはだいぶ違うわね。これは一つは、まあいまの教育大学に対するような態度からいえば解決した問題ですね、だからぼくはわからぬと言うんですよ。なぜもっと教育大学の実情を確かめてやって、そうしてあれしないかと言うんです。これがどうも納得いかぬ。しかし、このことはそれでやめておきましょう。あなたのほうでしかしそれは反省してみたほうがいい。一つの大学には、そういう態度をとり、一つの大学にはそういう態度をとらないということね。
 それともう一つ――もう一つでないたくさんあるんだけど、一つのそれにからまった問題として、どうして筑波移転ということと廃学というものとが、どうしてそういうことをやるのか。何でそういうことをやらなきゃならぬかということです。私は、伝統、伝統と――社会主義者だから伝統なんというんでぶちこわしゃいいと思っておるかもしらぬけれども、これはあなたにも言ったことがある。パリの大学なんていうのは、平清盛が厳島の神社をつくったころにできた大学だ、そういう古い大学には古い大学の一つのやっぱりよさがある。そういうものの中で伝統をつくりながらやってくれればそれはさっきも言ったとおりだ、古いからいいものということはない、古いからまたそこに欠陥もあるということもある。しかしながら、日本の大学に比べてやはりパリ大学にはパリ大学の一つの風格がある。日本からもずいぶん留学生行くでしょう。しかし、日本の大学というのは何ぼ古いとか何とか言ったところでとにかく東京大学という名前になったのは明治十年でしょう。東京師範学校という名前でやったのは明治五年、東京大学よりか五年古いと言うが、その前のほうからいけば東教大学になる前にいろいろなあれがあったからあれだけれども、東教大学というあれから言えばとにかく五年前にできたんです。それが高等師範になり、文理大になり教育大学になったんです。そうして日本の何といいますか、教員養成の大学の一つのやっぱりモデルとしての歴史的な使命も果たしてきた、いまや教育大学になって単なる教員養成だけではなくて、学部は五つしかないけれども、やっぱり東京教育大学の伝統というものも見なければならぬというような、状況になったときに、どうしてこの東京教育大学というものを廃学にしなければならぬかということです。私は、これ文部大臣、どうしても理屈がわからぬのです。教育大学の卒業生の中にある同窓会、茗渓会というのがあるが、その中に二つある。名前なくなっても、筑波大学になろうが、何になろうが、これは東京教育大学だと思えばいいというようなそれがある。片っ方の母校がなくなったらたいへんだという卒業生の皆さんはやはり東京大学よりかも五年前にできた伝統あるこの母校をつぶされてたまるかというような――私はやっぱり百年程度の大学の歴史を持っていない日本の場合、どうしてそういう伝統を重んずるというような気持ちが保守党の内部の中にないのかとふしぎでたまらない。これは社会主義者だから伝統がどうでもいいなんということは言ってないですよ。中国には中国の中にいまの人民共和国とは違う漢民族の伝統あるいはあそこに集まっているたくさんの民族の伝統というようなものを残そうということで一生懸命になってやっている。文化をどういうふうに守っていこうかということもやっているでしょう。社会主義者であろうと、何であろうと、これは伝統を重んずるということはないというわけはない。だから私は社会党の党員としてどうしてもわからない。どうして筑波大学というものを変えなければならぬのか。私は、さっきも言っているとおり、ひとつ新しい大学をつくってモデル的にやってみようというならそれならそれらしいやり方ある。これはイギリスでもやっているし、ドイツもさっき言っているとおりやっている。各国がやっぱり伝統のいわゆる大学、言うならば世界の大学のとにかく青写真のもとになるような大学があって、その大学を持っている国でさえも新しいものでひとつここから何といいますか、一つの新しい風の入った大学というものをひとつやってみようか、試みをやってみようかというあれがある。それならなぜ一体伝統のあるものをつぶさなければならぬか、その理屈がぼくはわからない。そうして、あいまいにこれはやっぱり伝統は続くんだというようなことを言ったところでそんなことはへ理屈ですよ。どうしてですか、それは。どう説明するんですか。これはぼくは説明つかないと思うね、あなたたちのほうでも。そうして何ですか、自民党の政策として大臣あれじゃないですか、既存の大学によらないところの特殊法人の大学をつくってというようなことをたしかいまの幹事長の橋本氏が委員長になって何かそういう自民党の政策を天下に公表したことがある。前文部次官の内藤議員はぼくと私立大学の助成金の問題で各党来てくれと言われて公明党さんも、民社党さんも、共産党さんもみんな行きました。ぼくは社会党から行った。そのときに内藤氏は国・公・私立なんという差別があるのはおかしいんで、これは橋本さんとはまたさらに考え方が広くて全部特殊法人にするのがいいんだ。そうしたら、どこかの大学の学長さんが、内藤さん、それは自民党さんはみんな承知をしているのですかという質問があった。私はそれまででなくても、党がそういうあれをやるなら、ほかの国のように全く新しいものをつくるというようなやり方に踏み切ればいいんだ。どうして一体そういうふうに既存の大学というようなもの、伝統のある大学、日本の大学の中では一つの教員養成というものから出発したけれども、非常に歴史のあるものだ。数の少ない百年ぐらいのあれだ、とは言いながら、百年を大事にしなかったら二百年、三百年、四百年という年数は続いていかないわけですから、どうして一体やるのか、それがわからないのだが、その点どうですか。
#306
○国務大臣(奥野誠亮君) 東京教育大学が伝統のある大学であることはそのとおりだと思います。同時に、その大学が現在の環境が大学として好ましくないという判断をしてまいってきておることも事実でございます。同時にまた、新しいビジョンを掲げて移転をしたい、これもそのとおりでございまして、新しいビジョンを考えて移転をするということになりますと、やっぱり名前も変えていく、装いを新たにするということになるのじゃなかろうかとこう考えるわけでございます。もとより東京教育大学の伝統、それは新しい筑波大学に受け継がれていくと思うんですけれども、ビジョンを掲げて新しい構想の大学をつくるということになりますと、少なくとも、やはり形式的には東京教育大学がなくなって、新しい筑波大学に発展していくというほうが、その考え方を生かしやすいのじゃないだろうかというふうに私は考えます。人によっていろいろ考え方はあろうかと思いますけれども、同時にまた、東京教育大学がそういう気持ちで対処してこられたものだと、かように判断しておるわけであります。
#307
○小林武君 それはあなたのあれは詭弁ですよ、ぼくに言わせれば。そうでしょう。ぼくはいま伝統のことを言っておる。伝統の大事さということを言っておるのですよ。それは七百年も続いた大学ならば、その七百年の星霜の中にはそれはあれですよ、新しい時代のあれを吸収しないでいくわけにはいかぬ。その中にやはりかけがえのないような伝統というものをつちかわれている。それだからこそ、世界の大学の青写真になるような、そういうよさもあるということでしょう。だから私はそういうやり方やらないでも、大体、党の方針がそういう方針なら、よその大学にどうこうするような妙な法律をつくって、ほかの大学にも波及するなんというよけいなことをやらないで、モデルならモデルのあれをやらなきゃならぬ。さっき大学局長が言ったように、あれが必ず完ぺきにうまくいくなんということはあり得ないと、それはあたりまえのことなんだ、そうでしょう。よく小学校や中学校でモデル・スクール、モデル・スクールというのがあるけれども、このモデル・スクールの実績というようなものは、簡単にほかの今度は学校にそんなに適用されるというものじゃないんです。その学校には一つの何かをもたらすけれども、何でもまねしていいというものじゃない、全然ないとは言わぬけれども。だからぼくはそのやり方がどうしてもわからない。やっぱりあなたたちはやめるべきだ、その点では。東京教育大学の廃学というのは思い切るべきだ、やめるべきだ、断念すべきだ、こう思うんです。やり方が幾らでもあるのになぜ断念できないか、そういうことになる。
 それから、いまいろいろきめたというが、その過程の中においてぼくはどうしてこういうことが起こるのかということ、内部の対立というものが、一体、三人の教授に先ほどもうちの鈴木先生が非常に憤慨されたけれども、どうして一体三人の先生に退職を強要したり、そのことのとばっちりで文学部長を罵倒して、面罵して、あとでは学長があやまったそうだけれども、そうして文学部長を辞任するというようなことがあったとかいうことも聞いている。さらには、文学部のしっぺ返しに一体、定員がどうなるかということ、教授の定員がまるきり問題にならぬような数になっても、なおかつそれを放置しておいて、そんな一体何というか、学者とか、大学とかいう内部に起こり得ないようなことが起こっているという事実は、大学局長は知っていますか。
#308
○政府委員(木田宏君) 最後に御指摘になりました東京教育大学、特に文学部の教官の人事について、通常予想できないような状態が起こっておるということは、私も聞かされております。その件につきましては、中嶋文学部長外評議員の方々からも両三度お話を直接に伺って、いろいろと意見を交換したこともございます。
#309
○小林武君 気楽におっしゃるけれども、一体、その辞職勧告をするというような問題について、これはあれですか、そういうことが起こっているというようなこと、それから、教授の定員五十八人のうち二十六人が欠員である、そういう状況はこれはあれですか、文学部で、そういうことをわざとやっているんですか。それともこれはだれがそうさしているんですか、学内の。
#310
○政府委員(木田宏君) これは、先ほど鈴木委員の御指摘になりました東京教育大学の教官選考基準に関する申し合わせについて、関係者の意見の対立で人事案件が円滑に上がっていっていないということに基本的な問題があるというふうに理解をしております。
#311
○小林武君 それはあれですか、文学部が手続をしないという、どういう手続になっていますか。私はここであれですけれども、大体わかっておりますけれども、あなたのほうで文学部の手続がなされていない、文学部は教官の定員が二十数名も少なくなったことについて黙って見ておる、それについてあるいは文学部はちゃんと正規の教官の選考については手続を経ても、どこかがこれを任命しないというようなこと、どっちですか、手続ちょっと言うてください。
#312
○政府委員(木田宏君) 私が中嶋元文学部長から伺ったお話では、こういう教官選考基準に関する申し合わせがある、文学部はこれに対して不賛成である、こういうものがあるという認識すら持っていない。だから手続をしないんだ、こういうお話がございます。それはあまりにもかたくなではございませんか……。
#313
○小林武君 文学部がそうだと言うんですか。
#314
○政府委員(木田宏君) はい、文学部長から私は直接そういう御意見を聞き、だから文学部として一切の手続をしないんだ、この申し合わせを廃止するように大学に働きかけてくれぬかという意味の御相談がございました。私は、それはあまりかたくなではございませんかという……。
#315
○小林武君 教官選考の手続というのは、どういうことになっているんですか、それはちょっと納得いきませんね。
#316
○政府委員(木田宏君) そういうお返事をしたことがございます。
#317
○小林武君 あなたそれ断言できますか。もし、違うということになったらどうですか。ぼくはちょっと休憩とって、そこに文学部の方いらっしゃるから聞いてもいい、もしそれが違っていたらあなたどうします。ぼくはそんなふうに聞いていないんですよ。欠員に対してたいへんな不便を感じて、文学部のために悲しんでいるのは文学部の人ですよ。だれが自分のほうで欠員補充について補充しないでがんばるなんということがありますか。ぼくはそんなこと聞いていないがな。あなた、それよほど考えてものを言ってください。
#318
○政府委員(木田宏君) これは私が中嶋元文学部長に文学部長在職当時お目にかかりまして、私、自身文学部長から聞いたことが耳に残っておる次第でございます。別に文書で残っておるわけでもございませんが、私の耳に残っております文学部長のことばによりますと、こうした申し合わせがあるために、これによって文学部としてはこの申し合わせに即した手続はとらない、よって発令してもらえないというお話ですから、それはあまりにもかたくなではございませんかという御返事を申し上げたことも私もはっきり記憶に残っております。
#319
○小林武君 それじゃちょっと待ってください、いまぼくがその資料を見るから。しかし、あなた、これほどふしぎなことはない。もしそれが、話が逆であった場合はどういうことになりますか。それちょっとお伺いしておきますが、あなたのほうで、もしその事実が違っていたらどういうことになりますか。もし文学部がそうではなくて、教授会ですでにきめられているところの方法に従って出したけれども、大学の責任者から拒否されているという、そういうことになりましたらどういたしますか。あなたはその中嶋さんという方の話を盛んにしますけれども、間違いないかね。ちょっとあなたのほうもちゃんとあれして、どういう資料だか、ぼくに見せてください。これは話があんまり違うんでね。それ、あなたのほうでもちょっと調べておいて、ぼくの持っている資料とまるっきり違うのか、そうでないか。
 これについては、ひとつ、ちょっといま資料どこへやったかわからなくなったので、この問題だけは、あとにします。
 あなたのほうで学群とか学系とかいろいろやっている。これについての質問をいまやってたら時間あまり長過ぎるといってまた今度は逆におしかりを受けるかもしらぬが、ただ、ここであなたに申し上げたいのは、そうしなければ、あれだけしか大学の内部の改革のしかたとしてないのかということですわね。たとえば、講座のあれに立てこもっておってそのワクから出ないために学問の領域が変わってきたり、あるいは相互に関連してやればもっと効果があげられるのにと、こう言うが、そういうことはあれだけでなければもうほかのことはやれないというふうには考えないでしょうな。ぼくは、そういう考え方に立てばあの方式をとられなければだめだという考え方ないと思うんだ。たとえば、世界の新しい大学というようなのもそれぞれやっぱり特徴を持っているんですよね。ドイツの場合でも、イギリスの場合でも、それはいろいろ新しい試みをやっている。それもよろしい。しかし、日本の大学というのは、国立大学一つ見ても、私立大学を見ても、学部を持っていたら一体一切あれがねらっているようなやり方ができないかといったら、それはできないことはないでしょう。そういうものが、あなたはたとえば文学部なら文学部について全然行なわれていないと、こう判断されているか。文学部でも、そういう一体努力をなさって効果をある程度あげているというふうに考えますか。どうですか。あなた聞いていませんか。
#320
○政府委員(木田宏君) 現在の学部、学科、講座制度が持っておりますいろんな問題点を改善するための方法が学群、学系だけにあるというふうには私ども考えておりません。他のいろいろな考え方もとり得ることだろうというふうに思っておるのでございます。学部の中におきましていろいろと改善、くふうをなさる余地もあろうかと考えておりますが、東京教育大学の文学部でどういうふうな措置を新たにおとりになったかということにつきましては、恐縮でございますが聞かされておりません。
#321
○小林武君 まず人事制度の検討について、講座制、教室制度による人事の閉鎖性、停滞を除去するために、文学部の教授会は昭和四十六年に教官選考方式内規の改正を行なった。その趣旨は、「人事の選考は、当該教室のみの発議によって行なわれたものを教授会が発議し得るようにした点、及び人事構成検定委員会の検討を経て、空席定員を他教室に融通し得るようにした点」、こういう点について人事制度の再検討というのをやっている。文学部教授、助教授選考方式内規改正案というのがあって、内規は昭和四十一年一月十二日教授会提出、改正案は昭和四十六年十月十三日教授会提出、これがあって、あなたのおっしゃることとだいぶ違うんだけどね。さっきの話の続きになったが。これはどうもそこのところの行き違いがね。文学部長から文学部長からと言うけれども、そうすると、あなたは文学部長の言うことだけですか。それから、そういう二十六名も定数が少ないということについて、一体、学長はあなたのほうに何も言わぬのですが、どうですか。
#322
○政府委員(木田宏君) 文学部の教授が定年退官のあとなかなか後任の人選が円滑に発令されないということにつきまして、中嶋文学部長から御相談を受け、私もまたその問題については、学生を不自由な状態に放置するということのないように、できるだけ早く後任者の補充整備ということを進めるべきではないかというのでいろいろと御相談もいたしました。また大学の学長のサイドにも私のほうからお話を申し上げて、学内での相談がもっと円滑に進むようにという御意見を申し上げたこともございます。それだけに私にはこの問題についての文学部長のお話が耳に残っておる次第でございまして、文学部のほうでは、この四十五年四月十七日の評議会決定という教官選考基準に関する申し合わせについて非常なこだわりがあるという印象がございました。どうしてもこの評議会決定は認めるわけにはいかぬから、きまったことはわしらのほうは関係ない、無視するというふうな御主張でございまして、そのことだけはそれは決定については、決定ということをやはり御反対であろうと、考えていただく、尊重するという手順を踏まない限りは、学内の秩序は成り立たぬではございませんかという御意見を申し上げて、そうして、選考につきましての両者のお話し合いが進むようにということを両三度関係者と会ってお話をした記憶がございます。
#323
○小林武君 しかし、おかしくないかね、それはあれですか、文学部の教授、助教授選考内規改正案というものがあって、それが教授会に提出された。そのことを認めないということもちょっとおかしいじゃないですか。それは全くのしっぺ返しをやっているわけですね、そういうことになりませんか。結局そういうことの争いですか、あなたのおっしゃるのは。
#324
○政府委員(木田宏君) 文学部が文学部の教官選考につきまして選考方式の取り扱い内規を定められる、それはそれでけっこうかと思います。先ほどお話がございましたように、教室で発議をするということを改めて教授会で発議をするというようなお取り扱いの方式にされる、それも一つの運営だと思うのでございます。問題は、文学部の選考内規ではございませんで、東京教育大学の教官選考基準に関する評議会としての申し合わせが、四十五年四月十七日に行なわれた評議会決定で、「本学の教授、助教授および専任の講師の採用およびこれらの職への昇任に際し、その候補者となる者は、次の要件を備える者のうちから選考するものとする。」ということで、その要件は、一つが「大学設置基準第十三条から第十五条までに定める教員の資格を十分に満たすこと。」、二つ、「採用または昇任のうえは、評議会の決定を遵守すること。」、この二つの要件を備える者の中から選考するという教官選考基準に関する申し合わせが評議会で決定された。この評議会の決定は文学部としては認めるわけにはまいらぬ、こういうことでございまして、この評議会の決定によらないで教官の選考をして上げていくからという御主張でございました。私は、その点はあまりかたくなではございませんでしょうか、という御意見を申し上げたわけでございまして、文学部教授会で文学部内の教官の選考基準をとやかく申し上げているわけではございません。
#325
○小林武君 元来、どうだったのですが、文学部で選考するということになっておるんじゃないですか。
#326
○政府委員(木田宏君) 教官の選考につきましては、評議会の定める基準に従ってそれぞれの学部の教授会で具体的な選考を行なうということになっておるわけでございます。でございますから、各学部で実施する選考が、評議会できめられた選考基準によって行なわれておるかどうかということが手続上は問題になるわけでございます。
#327
○小林武君 そこで、あなたに聞いているのは、従来、一体評議会というものが、人事を、そういう決定をするというたてまえになっておったんですか。
#328
○政府委員(木田宏君) これは、教育公務員特例法に規定があるわけでございますが、教育公務員特例法の第四条の規定によりまして、四条2項でございますが、教員の採用及び選考は云々とこう続くわけでございますが、この選考は、教員については、「大学管理機関の定める基準により、行なわなければならない。」と、こう四条2項で規定してございまして、この教員に関する大学管理機関は、評議会――二十五条の第三号かと考えますが、教員にあっては、「評議会の議に基き学長」、というふうに読みかえられております。でございますから、評議会の議に基づいて行なわれるということに法令上定められておるわけでございます。
#329
○小林武君 しかし、どうもわからぬのだが、四十五年の四月八日に学部教授会で十人の方について決定して出している。これは一体、どうしてそれが学長がこれに対して発令しないのかね、どういうあれだろう。文学部は手続とっているんだけれども、と言うのだが、これ手続といった場合にはあれでしょう、それはできるわけですか、基準に反対だから人事についてはできないという、そういう考え方はあれですか、これはおかしくないかい。基準に反対だから人事についてやらないということは――これはどういうことだろうね。それは、そういうことを前から、一体あれですか、教育大学というところは、そういうやり方をやっておったんですか、今度の大学の移転問題が起こったからやりだしたわけですか。
#330
○政府委員(木田宏君) 先ほども申し上げましたように、昭和四十五年の四月十七日に評議会で「東京教育大学教官選考基準に関する申し合わせ」ということが定められまして、で、以後の教授、助教授及び専任講師の採用、昇任に関しては、次の選考「要件を備える者のうちから選考する」という、評議会の選考基準がいわば決定された。で、そうなりますと、教育公務員特例法の定めに従いまして、評議会の定めた、つくった選考基準にのっとって、各学部の教授会が教官の選考を行なうという特例法の規定になるわけでございますから、その評議会で決定された選考基準にのっとって、教授会の選考が行なわれたかどうかということが、手続上の問題として起こってくるわけでございます。それに対しまして、文学部のほうは、この四十五年四月十七日の評議会決定は、文学部としてはこれは認めるわけにはまいらない、よってこの基準とは無関係に教授会で選考をして、学長のところへ届けるから発令をしてくれ、こういうふうなお話でございまして、そのために、この手続が進まないということになっておる次第でございます。
#331
○小林武君 この基準ができたのはいつだったかね。
#332
○政府委員(木田宏君) 昭和四十五年四月十七日でございます。
#333
○小林武君 それでは、基準の成立以前の場合、どういうことになっているのか。
#334
○政府委員(木田宏君) 成立以前に手続の終わっているものについては、発令されておったと思うのでございます。
#335
○小林武君 発令されておらないのだ、どういうわけだね。上申書を添えて、基準成立以前に出したものもどうしてやらないの、それじゃ。あなたの言うことだいぶ違うじゃないか、何もかにも、とにかく遡及してやったわけだね。
#336
○政府委員(木田宏君) 四月十七日に評議会でその基準ができたわけでございます。で、大学の学長のほうからは、その申し合わせの取り扱いについて、学内に通知が出されまして、その決定前に学部で選考されたものであっても、学長としての本職の処理はこの申し合わせにより行なうことになります。こういう説明を出しております。このことは、これはその取り扱いの是非について、いろいろの論議があろうかと思います。あろうかと思いますが、学長が現実に手続をいたします場合に、その手続をする日付が評議会決定以後でありましたために、こうした問題が起こっておるかと思うのでございますが、私が中嶋文学部長からお話を伺いましたのは、このときの御三人の方だけの問題ではなくて、十数人――二十人近い欠員についての人事というお話でございました。すでに四十五年を過ぎて四十七年――六年から七年の時点だったかと思いまするけれども、こうした扱いにつきまして、評議会の基準があるから手続が進まない、これは無視したいのだというようなお話でございましたので、先ほど来お答えしておるようなことを私も御意見として申し添えて、何とか事態の改善がはかれないものか、こういうことを私なりに両三度関係者と話をした記憶がございます。
#337
○小林武君 しかし、おかしいじゃないの。基準が成立しない前に、成規の手続をして出したものを発令しないというのは、そんなことをあなたやられてあれですか、だれかが横やり入れたら、それはあたりまえだと思っておりますか。しかも、あなたそういうことについて、あなたがそういう手心をやったとすれば、筑波の移転とからんできめられた、正当な手続を踏んだ者までやるということになると、あなたはおかしいですよ。そんなことできるの。人事というものは重大な問題でしょう。そういうやり方をやるのですか、あなた。それこそ、権力の乱用だよ。そんなことまかり通ったらどういうことになるのですか。
  〔理事楠正俊君退席、委員長着席〕
そういうことをあなた堂々とやって、当然のことだとあなたはおっしゃるのかね。どうです、あなたね、少なくともそういうことがあったら、少なくとも、大学局長だったら、そういう犬糞的と称する、そういうばかなことはやめなさい、何といっても筑波移転というようなものがほんとうに協力関係に立ってやるという意図があるなら、たとえ協力関係がなくても、大学の学長が、大学の人事というものはどれほど重要なものだとは知っているはずだから、そういうことをやめなさいぐらいのことを言っても間違いではないわね。成規の手続とっているのだ。一体、あとから出た基準のために、それが無効になるという、そういうことどこにあるのですか。そういうことをあなたたち認めるということになったら、重大だな。どういうことです。
#338
○政府委員(木田宏君) いま懸案になっております文学部の教官人事は、学長の申し出が文部大臣に対してはないわけでございます。学内問題でございまして、したがいまして、学内問題の扱いといたしましては、私ども、教官人事にあまりとやかく口を入れる筋ではございませんけれども、しかし、両者がかたくなにこうかまえ過ぎておるという印象は私もお話を伺いながら強く持ちました。したがいまして、学内問題ではございまするけれども、関係の方々に、こうした問題の扱いをもう少し円滑に処理をする方法がないかということは両三度双方に向けて私もお話をした記憶がございます。したがいまして、先ほど来のようなお答えをいたしております。文部省が何か公権的にこうだ、ああだということをしておるつもりはございません。これが学内の人事選考の手順として、教官の文学部におきます選考自体は前に行なわれたかもしれませんけれども、上申の日付が四月十八日付になっておるわけでございまするから、それで学内で学長が取り上げない。まあそれぞれ言い分はございましょうけれども、その両者の歩み寄りというのは、私どもももう少し期待したいというふうに考えまして、この点につきましては、両当事者にそれぞれお話をかわした記憶がいまでもはっきりと残っておる次第でございます。
#339
○小林武君 記憶がはっきりしていると、しているほどあなただめですよ。それ忘れましたというなら話はわかるけれどもね。記憶がはっきりしているならなお悪いじゃないですか。文部省は大学の人事に対しては相当いままでも妙なことをやっているのよ。札幌分校の主事を決定したら、あなたのほうで難くせつけて、そうしてこれを延ばして延ばして、最後にはしたけれどもね、そのとき。何でそんないやがらせやるのか、理由もないのに。北大の教育学部もそうだな、あるいは九州大学。文部省は、そういうことをやるのを奨励しているんじゃないの、大学なんかでも。おかしいじゃないの、基準のきまらないうちに出てきたやつが、発令しないでおいて、そうしてあとになってからこれは基準に反するからとか、認めないからとかというようなことをやるんだったら、たいへんな話ですよ、それは。それは、結局あれですか、そういう学長の意向を支持したというのは、これはあれですか、あなたの国策に協力したやつの論功行賞ということになりますか。
 文部大臣、あなた、こういう人事あたりまえだと思いますか。ぼくはもっとしっかりしたきまりがなければいかぬと思うのですよ、人事に対しては。何でこういうことをやるんです。そうしてわざと二十数人の欠員出している。文学部のだれかがにくいか知らぬけれども、文学部というところには学生もいるんですよ。
#340
○国務大臣(奥野誠亮君) 何でおこられているのか、なぜ、おこられているかわからぬ……。
#341
○小林武君 何でおこられているかわからない……もっと聞いていてくれればよかったんだよ。
 それじゃ、もう一ぺん言うね。先ほど来こういうことですわ。評議会で何か人事の基準つくったんですよ。その基準をつくったのが四十五年の四月の十七日ですね。
#342
○政府委員(木田宏君) はい。
#343
○小林武君 それで、局長の説明によると、その後出た人事に対して全部基準に賛成しておるからこれは発令しなかったと、こう言う。ところがその以前の、基準ができない以前に、四月八日というのは、基準ができない前、成規の手続をとって、そうして出したところが、これが握りつぶされてしまって発令しないのはどういうことだと、こう言うのです。それは、そのことをちゃんと説明してもらえばいいんだ、それが効力があるのかどうかね。
#344
○政府委員(木田宏君) 評議会の決定は、いま御指摘がございましたように、御説明申し上げましたように、四十五年の四月十七日でございました。文学部から上申が上がってまいりましたものは四月十八日付が二件、四月二十七日付が一件でございまして、これについては、評議会の決定以前に文学部で選考をしたからという御説明のように私ども聞かされておるわけでございます。学長のほうは、四月十八日付で文学部から上がってきておるんだから、四月十八日はもうすでに新基準によって手続を行なわれるべきものだと、こういう御意見だと思うのであります。しかし、いずれにいたしましても、これは学内の問題でございまして、発令をする、しないと申しましても、文部省にまで一切上がってきてない人事でございます。でございますから、私どもとしては、そのことについて発令を押えるとかやるとかいうような措置はございません。私も関係者から聞きまして、こうした状態で教官が欠員のままでたくさんの人が困まっておるというのは、これは適切なことでないという意味で、先刻来御説明申し上げておりますような、まあいささかわれわれも教官人事についてよけいな、差し出口でございまするけれども、何とかならぬかというお話をいたした記憶はあるわけでございます。
#345
○小林武君 あなたのほうでは、そうすると何とかならないかという話をしたわけだね。
#346
○政府委員(木田宏君) はい。
#347
○小林武君 ところが学長ががんとして聞かない、こういうわけですか。
#348
○政府委員(木田宏君) 文学部のほうの方々もこの評議会の基準というのはなきものとしか考えないんだというふうなお考えでございまして、双方ともいろいろともう少し何とかならぬかというのが率直な印象でございました。
#349
○小林武君 これね、あなた、そういう形式的なことを言うけれどもね、一体あなたの――あなたばかりでない、大臣も、大学の内部で意思統一を行なって、大学がそういうんだからお手伝いをする意味でというのが文部大臣の答弁だ、これはね、筑波のあれについては。私は、これはもう先ほど来引き合いに出した北海道教育大学のように、やっぱりそれは学内の意思統一というものが行なわれないというと、それはたとえ一つの――何校あると言ったかな、五校、五つの分校があっても、そのうちの一つでもやっぱり反対ならばというようなそういう態度を北海道の場合は文部省がとっておった。しかし、今度は相当無理してやっておる、教育大学の場合。しかも、それは廃学という形を一つとっている。先ほどから言っているように、そういう場合には、別な方法もあったろう、廃学をやらぬでもいいじゃないか、ところが今度はそういう内部のごたごたがあったから、しっぺ返しに学長が成規の手続で何らけちのつけようのないような手続について発令しないというようなやり方をするというようなことは、これはどうですか。ほんとうにこの筑波大学というものが、これから新しい、あなたのほうで新しい一つの行き方をモデルとして日本の大学にひとつ見てもらおうというような、大学ばかりでなくいろいろな方面に見てもらおうと、国際的なこのレベルの何とかいうようなあれがついている、これは、全然そういうあれがないじゃないですか。一体、学長の態度として、たいへん二十六名も欠員にしておいて、五十何名中、そんな不正常な中から大学はあれですか、皆さんは国策に沿うているからといってやるわけですか。何でおこるかといって先ほど言ったけれども、こういうことでは困るじゃないかとこう言っているんです。あなたはそれを何とも思わぬのですか。大学が意思統一をしてりっぱにやったからというふうに考えてやられるわけですか。ぼくは、これは人事の問題については、これはもう感情的じゃだめですよ。五十何名中二十六名も欠員だったら、一体学部の機能というのはどういうことになるんですか。学部の機能が機能しなくなったら結局どういうことになりますか。だれが迷惑をこうむるんですか。迷惑をこうむるばかりでなく、学問教育というものはそこで支障が出るじゃないですか。そんなことにものの判断が、そういう判断もできないような、もし、大学当局の責任者があるとしたらね、私は、もうこれはそのこと一つだけでもこの法律案はこれは無理だと思いますね。文部大臣は一体どうなんですか、それについて。これでもうあたりまえで、何でもいいから法律通して、とにかく帳面づら合わせりゃいいというようなお考えかどうかね。
#350
○国務大臣(奥野誠亮君) 東京教育大学の内部の紛争、まことに残念なことだと思いまして、同時にまた、内部の紛争が非常に深刻だと私たちも受け取っているわけでございます。四十二年に正規の全学の意思決定機関である評議会で意見を決定した、そのときには文学部の評議員の方も参加しておられたわけであります。参加しておられたわけでありますが、決定をしたということで、文学部の教授会、たいへん激高されたんだろうと思うんでありますが、三人の評議員の首をはねて評議員をかえられた。自来、移転に関する評議会が一切文学部の評議員を出席させない。私は、こういうようなことが一体民主的な社会に許されることだろうかという気持ちがいたします。しかし、あえてこれ、文学部を私は責める意思ございません。それだけ深刻な感情的なもつれが東京教育大学にあるからだろうと、こう考えておるわけでございます。しかし、いずれにしましても、その評議会の決定がその後何ら変更になっていないわけであります。変更になっていないわけでございますから、幾ら文学部の教授会が不満を持っておられるにしましても、文部省としては、一応東京教育大学が移転を決定をされたと、そういう前提に立って御協力を申し上げる以外にはないじゃないかと、こう申し上げたいのでございます。同時にまた、文学部の教授会の方々が大塚に残りたいという気持ち、よくわかるわけでございますけれども、あの大塚の地区と筑波山ろくの移転を予定しております地区と比較していただきたい。これからどんどんどんどん入ってくる学生のことを考えました場合には、学ぶにふさわしい環境をつくってあげたい。私は、日本で初めて筑波の地に総合大学をつくるんだと、こう考えているわけでございまして、単なる単科大学の統合でつくった総合大学とは違いまして、ほんとうにりっぱな、環境に恵まれた総合大学をつくりたいということを考えているわけでございますので、ぜひこの東京教育大学、発展的な解消、筑波大学を創設するということについては実現をさしていただきたいと、心から皆さん方にお願いを申し上げたい気持ちで一ぱいでございます。
#351
○小林武君 まあ、その前にこの人事の問題一つ見ても、大体ぼくはもう新しい大学つくるということ自体に、新しい大学とは言いながらこれは一つの伝統ある、日本でいえば歴史ある大学、この大学をつぶすというようなことにもう絶対ぼくは承服できない。そればかりでない、国策に乗るというようなことから人事も満足に行なわない、まさにもうこうなるというと、大学の責任者というよりかも、何というか、これはよほど露骨な行動をするような人の間でなきゃ出ないようなね、感情的には処理していけない問題だと思うんですよ。人の頭に立つ人が感情的に処理していけないことだと思う、こういう問題は。私は、そういう意味で一体この大学の設立そのものには非常に問題点がある。これはまああなたのほうと押し問答してもだめだから、ひとつ別なことに移りますが、しかしこれはよく考えておいてください。あなたのほうでそういうことを、何というか、巧みに糊塗してね、全く一致した大学の意思に下からお手伝いやりましたという産婆さんみたいなことを言ったって、これはうそになると、私は思う。
 それから、まあ私は文学部のことをたいへん、いまも話があるけれども、私は文学部というのは、たとえば学系の問題、学群の問題いろいろあるけれども、きょうはそう時間もないから、全部やるわけにいきませんけれども、非常に努力は文学部でしているんじゃないですか。総合カリキュラムをつくるとか、この点は、ぼくは文学部の態度というのはまじめだと思いますよ。かりにとにかくこれが文学部切り捨て論でやっていって、筑波大学というものがうまくいくかと言ったら、これはいかぬでしょう。国立大学の教授、助教授、専任講師は一度任用されたら定年までその身分を保証されている、いわゆるパーマネント・システムによって、ともすれば生じがちな教官研究活動の沈滞を打ち破るために、文学部教授会はパーマネント・システムの再検討を志し、一定期間ごとに業績審査制度をつくって教官の自己規律、自戒を強めるために昭和四十七年に五カ年ごとに「研究・教育業績報告制度」を実施した。これは、社会党が大学批判をやったときに、一度、大学の教授になったら、あるいは助教授になっても、安心してしまって、教育者としての、研究者としての努力を怠るということがあってはならない、そういうことが学生のその研究意欲、学習意欲というようなものをそぐのだという、そういう批判をやった。そういうことに敏感に反応しているという点、これは学部が、だから学群、学系によらなければできないとかいうような問題ではないと思う。たった一つの、いま目ざしている大学のやり方だけが有効だということになったら、あとの大学みなおかしくなってしまうから、そんなことはあり得ない。
 それから、「カリキュラムの専攻別閉鎖性を除去」するというやつは、これはうたい文句であった、今度の場合にね。それだって「講義内容についての教官の相互交流を進めるために、文学部教授会は、近年、別紙のような総合カリキュラム、リレー式講義等を採用し、教官の相互批判、学生の視野の拡大の一助としている。」、そういうやり方についてどうですか。総合カリキュラム編成について、昭和四十五年度、「ヨーロッパとは何か」、これは全学部学生に対して西洋史全教官がやった。「天皇制の諸問題」については、教育学部、農学部学生を対象として日本史全教官がこれに当たる。四十六年には、「転換期と知識人」について、全学部学生を対象にして西洋史全教官。「フランス国制史」について、文学部、法律政治、西洋史学生を対象として非常勤講師木村尚三郎氏(東大教授)がこれに当たる。昭和四十七年度、「帝国をめぐって」、全学部学生を対象にして西洋史全教官。「フランス国制史」、前年度に引き続いて木村尚三郎氏がやる。総合カリキュラムのことについてもやっぱり努力はしている。
 さらには、総合研究というのも四十三年以来――四十三年の一例をあげれは「民俗の地域性と歴史性」、日本史の和歌森太郎さんを中心にして。また「日本における歴史文献および史料の綜合的調査研究」、日本史の和歌森太郎氏を中心として。「日本倫理思想史における外来思想の受容と展開」、倫理学の渡辺正一氏を中心として。「アジアの近代化過程における日本の役割」、法律の磯野誠一氏を中心にして。これは四十三年度は一つの総合的実績というようなものをやるということも、これはいまの学部の中にだってやれるわけです。だから、どれでなければやれないということはない。しかし、私はさっき言うように、新しい試みというものもあったっていいと思う。やるならやるように、まずモデルは――モデルというのは一つでいいんです。結果を見なければやれないということはないんです。学部を置いたところがだめだというようなこと、しかし、はずすなら学部をはずすというようなことを、どこかの学部制度をはずしてやるというようなところなら、どこかの学部を持っていた大学がやってもかまわないんですよ。それぞれの自主的な立場でやるということはいいことだと言うんです。それを部内の、学内のいろいろな問題が起きている際に強行しなきゃならぬという理由は私は納得がなかなかいかないと、こう言うんです。
 私は、これはもうここに参加している委員の皆さんにも申し上げたいんですけれども、一つのやはり大きな大学問題をわれわれがやっている場合に慎重でなきゃならぬということと、そのやり方はある意図でやるというようなことは、やっぱりまずいと思うんですよ。私がまああとの人がたくさんいらっしゃるからここへ来てからいろんなことを言わぬでもいいけれども、たとえば、ぼくは今度のこの管理体制の中で執行部と、それから決議機関との二つを兼務するというやり方いかぬですよ。副学長というのはそういうあれでしょう、執行機関でしょう、これは。執行機関が今度は、一度執行機関に入ったら決議機関を牛耳ってこれをやるというようなやり方やったのでは、これは組織というものがみな混乱しちゃうですわ。私は、だから文部省に最後に申し上げたいけれども、たとえば、この大学審議会委員名簿というのをもらった。この大学審議会委員という人の名前を見てかれこれいまどれがいいとか悪いとか言いません。しかし、昭和四十六年度大学設置審議会委員名簿、大学設置分科会の名簿というのを見ると木田さんあなたが委員になっている。それから安嶋さんがなっている。これはぼくは、これはあなたのほうが審議委員に集まってもらって審議するんでしょう。これはすなわち執行する者が審議する者の中に入っていった例です。また決議機関であるというようなあれじゃないけれども。これはぼくは責任のとり方というのはどうするんだと言うんですよ。そのほかにもありますよ。私はこういうやり方はやめるべきだ。この前に、一度私は中教審のときに大臣の監督下にある教育研究所の所長がやるというのはやっぱりまずいんじゃないか、むしろ研究所所長というのは、それはやはりいろいろな資料とか何とかのその研究所としてのたてまえからいろいろな貢献をするということはけっこうだけれども、というがまあ研究所長は、研究の自由とか何とかって理屈をつければまああれですけれどもね。私立大学審議会委員というのも木田さん、安嶋さんがなっている。私は、こういうことをやっておったら、たとえばこの間のような歯学部とか、何とかの問題が起こったときにどういう責任のとり方とると言うんです。これは一人どうしたというようなことではなくて、この審議会に入っていた人全体の責任といった場合にぼくは一番責任あるのは文部省から出た委員だと思う。あの新聞の見出し見ると文部省筋は何とかいうことを書いているあれがあるでしょう。何かいかきも不正が行なわれたような見出しで書かれてある。そういうことを言われると、あなたたちをぼくは信頼しているけれども、これは一体まずいですよ。私は、そういうやり方やめるべきだと思う。中教審というものができたときに、中教審に私は文部省の役人が事務局を引き受けるということもこれは独立性がないと思った。これは新聞も取り上げて、やっぱり中教審というのはあれだけのことをやるんだったら独立の事務局があって、こういうことを言ったけれどもね。なかなかそれは実施困難だろうと思うけれどもね。そういうものでなければ審議というものはお手盛りになるんですよ。ましてやこういういろいろな問題を起こすような審議会のあれの中に入っておる。その一例をもってしても執行部として入りながら審議機関のあれを全部牛耳るようなそういう副学長のあり方というのは大問題だということをまず申し上げたい。安心してやられるような筋合いではない。あなたは、そうやるというとたいへん管理機構か充実して大学は生き生きとするというようなことを言うけれども、何も生き生きとはしない。そこからおそろしいことが私は起こるおそれが十分あると思います。
 それから外部の人を入れたらいいという、同窓会から入ったら世の中がうまくいくというような考え方だってあるでしょう。麻布学園という学園の中で同窓会の何かが入ってきて大事件を起こしたのがあるでしょう。立正大学の中に財政上の経営がたいへんうまいという会社の社長が入って、そうして大問題になった。これも新聞だねになったでしょう。そういうことがあって、私は何かそういうやり方をやればうまくいくというようなふうに考えるのは間違いだと思う。それはアメリカのその方式を取り入れたらたいへん内部がうまくいくというふうに考えたり、ヨーロッパのあれを入れたらどうだというようなことを考えても、そんなことよりもまず一体大学というものがほんとうに自主的な行動がとれるかどうかという態勢のほうがもっと大事だということなんです。だから私は、木田さんがはしなくも言ったけれども、これやってみたところで心配があるというのは、これは貴重な発言だと思う。そういうあれがあったら無理しちゃいかぬということです。あなたたちは出した法律案だから通したいという一念だろう。しかもそのことと、新設の医科大学はもう一日も早く、そう言うておるときに、分離案を出したけれども分離案にもあんたたちは賛成もしない、力でいけるという考え方でこの委員会に臨んでいた。百三十日も一体会期を延長している。その結果がどうかというと、近々何かやるだろうというような話ぐらいが出てきている。どうも新聞記者の皆さんの話を聞いているというと、こっちは何だか背筋がぞっとするような状況の中にある。私は、そういうやり方で文教やってはいかぬと思う。文部大臣に申し上げるが、よく河野議長もそういうことを言うのだったね。文教というものは、文教はとにかく与野党が対立したら絶対もうどうにもならぬ。ぼくは文教だから日本の将来のこと考えて譲り合うというような衿度がなきゃいかぬ。そんならおまえさん賛成してくれとぼくに言いそうな顔しているけどね。しかし、強行採決やったいままでのあれずっと考えてごらんなさい。戦後の強行採決史だな。このやり方でもって日本の教育をどのくらい毒したかわからぬということを私は考えてね。ひとつ最後の最後まで委員会を通して努力を続けるということ、そのルールを確立することによって日本の文教政策は決定されるということを、ひとつ私は質問終わるにあたって申し述べて終わります。
#352
○安永英雄君 文部省のほうに、資料の提出をお願いしたい。
 これは野党四党で、これを私が代表して要求するわけですが、一つは、昭和四十九年度の筑波大学に関する概算要求書をひとつ提出してもらいたい。
 次は、筑波大学のカリキュラム。
 三番目に、創設準備会の最終のまとめ。これは衆議院の文教委員会で八月中に提出するという答弁もあったようですけれども、創設準備会の最終のまとめ。
 以上この三つの資料について、明後日の十三日に間に合うように提出を願いたいと思います。どうでしょう。
#353
○政府委員(木田宏君) 御要求の資料でございますが、四十九年度の筑波の要求は御提示を申し上げられると思います。
 カリキュラムにつきましても、今日の段階までで固まっております部分については、資料として御提示できると思います。
 第三の創設準備会の最終まとめは、まだ今日の段階で最終のまとめができてございません。その意味では、実は国会の御審議の延びとかいろいろな関係から、私ども国会が終わりました段階で、発足前にまとめたいというつもりで衆議院ではそのような御答弁をさしていただきました。したがいまして、今日の段階におきまして、まだ最終まとめというものができ上がっていない。この点については御容赦を願いたいと思います。
#354
○安永英雄君 三番目の最終のまとめができてないものは、出せといってもしようがないと思います。いま、中間でまとめてあるそれを一応やっぱり委員に一通り出してもらいたいと思います。これはいろいろ手に入れることはできると思いますけれども、正式にひとつ文部省から出してください。
 以上です。
#355
○委員長(永野鎮雄君) 本日の会議はこの程度にとどめ、これにて散会いたします。
   午後七時四十分散会
     ―――――・―――――
ソース: 国立国会図書館
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