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1972/06/05 第71回国会 参議院 参議院会議録情報 第071回国会 法務委員会 第8号
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1972/06/05 第71回国会 参議院

参議院会議録情報 第071回国会 法務委員会 第8号

#1
第071回国会 法務委員会 第8号
昭和四十八年六月五日(火曜日)
   午後一時六分開会
    ―――――――――――――
   委員の異動
 五月三十日
    辞任         補欠選任
     斎藤 十朗君     増原 恵吉君
    ―――――――――――――
  出席者は左のとおり。
    委員長         原田  立君
    理 事
                後藤 義隆君
                原 文兵衛君
                佐々木静子君
                白木義一郎君
    委 員
                木島 義夫君
                中西 一郎君
                吉武 恵市君
                鈴木  強君
   政府委員
       法務大臣官房長  香川 保一君
   事務局側
       常任委員会専門
       員        二見 次夫君
   参考人
       弁  護  士  大野 正男君
       弁  護  士  山本 謹吾君
    ―――――――――――――
  本日の会議に付した案件
○刑事補償法の一部を改正する法律案(内閣提
 出、衆議院送付)
    ―――――――――――――
#2
○委員長(原田立君) ただいまから法務委員会を開会いたします。
 刑事補償法の一部を改正する法律案を議題といたします。
 この際、参考人の方々に一言ごあいさつを申し上げます。参考人の方々には御多忙中にもかかわらず本委員会に御出席をいただきまして、厚く御礼を申し上げます。本日は刑事補償法の一部を改正する法律案につきまして忌憚のない御意見を賜りたいと存じます。
 議事の進め方につきましては、大体十分程度で御意見をお述べ願い、その後委員からの質疑にお答えを願いたいと、かように存じております。よろしくお願いします。
 それでは、まず大野正男参考人にお願いいたします。
#3
○参考人(大野正男君) 参考人の大野でございます。現在審議が係属しております刑事補償法の改正案を中心にいたしまして、若干の意見を述べさしていただきます。
 私は弁護士をいたしておりますが、実は刑事補償法に関しましては、日本弁護士連合会が従来から非常に関心を持っておるところでございまして、昭和四十年には日本弁護士連合会が理事会の決議をもって刑事補償法の改正案を作成しております。
 そこで、とりあえず直接の議題になっております点から触れさしていただきますと、まずこの刑事補償の実態から見ますと、これは政府の資料をごらんいただければおわかりだと思いますが、無罪の言い渡しを受けた被告の方が刑事補償の請求をする数が非常に少ないということに注目していただきたいと思うのでございます。御承知のように、刑事補償法というのはたいへん無事の人民についての補償、権利の救済という点で、非常にじみな法律ではございますが、実は私たちの分野では、この刑事訴訟手続と補償手続がどうなっているかということが一国の文明のバロメーターであるということまで言われておるところでございますが、で、実は第一審の無罪の言い渡し数を、統計で出ておりますのでちょっと申し上げますが、昭和四十三年は五百四十一名が無罪の言い渡しを受けております。四十四年は四百七十七名、四十五年が五百八十四名ということで、全体から見ますと〇・六%ぐらいの割合だということになっているのでございます。この数は、確定した数とはちょっと違いますけれども、ほぼここ七、八年にわたって四百から五百という数が無罪、一年間に無罪の言い渡し、ないし、その確定する数であろうと思います。ところが刑事補償の請求をしたものの数は、そこに出ているとおりでございますが、四十五年の二百二十三という数字だけがやや異常にと申しますか、多いだけで、実際にはその五分の一から六分の一しか、せっかく無罪の言い渡しないし確定をいたしましてもその請求をしていないのでございます。そういう点では、刑事補償は、理念としては非常に高く人民の救済をうたっているにもかかわらず、その使われている数が非常に少ないというところに、実際の法律の精神と実情との間にギャップがあるのではないかということなのでございます。
 それでは、なぜそうなんであろうかということの原因、これはまあ種々考えられるところでございますが、一番大きな問題だと思われますのは二つあるかと思います。一つは、補償額があまりにも少ないということでございます。これは、実際にこうむった損害から見てあまりにその補償額が少ないという点でございます。それから二番目は、それにからみまして、補償をする対象の範囲が非常に狭いということでございます。御承知のように、現在の刑事補償法では、拘禁されていた日数に対する補償しかいたしておりません。はたしてこれでよろしいかどうかということをどうか国会において御検討をいただきたいと思うわけでございます。
 また、後に若干申し上げる機会があるかと思いますけれども、補償額の問題について若干申し上げたいと思いますが、今回の改正では二千二百円と、上限を上げるということでございます。それ自体はたいへんけっこうなことでありまして、何ら反対ではございませんが――上げること自体は。はたしてこれでいいのであろうかというふうに思うわけでございます。この改正の理由は、前回の改正のときと物価及び賃金の比較をいたしまして、ややスライド式にお考えになっておるようでございます。しかし、現在の裁判上認められている額というのはどういうものであるかと申しますと、たとえば交通事故でけがをして入院をしたという場合に、裁判所が全国画一的に認めますのは月十五万円、苦痛に対する慰謝料を認めております。ということは一日五千円でございます。これは実費とかそういうこととは別で、痛かったということによる慰謝料額は一日五千円を認めているわけでございます。はたしてこれとの均衡において、誤って拘禁をされたという場合の精神的苦痛と自動車事故等で入院している場合の精神的苦痛との間にバランスがとれているであろうかということが、ひとつ御検討いただきたい。
 さらに、これを現在の平均賃金から考えますと、パートタイム等を含むすべての日本の勤労者の平均が出ておりますが、これは月に八万二千六百円、これは四十六年の賃金センサスでございます。それを一日当たりの労働日に直しますと、三千三百四十円になろうということになります。こういう点から申しまして、実はこの、御承知のとおり昭和六年にこの法律が初めて立法されたわけでございまして、当時としては画期的なものだということを言われたことは先生方御存じのとおりでございます。しかし、そのときにおいてすら、昭和六年においてすら、一つだけ非常に不満がございました。それは、新しい画期的な立法ではあるけれども、この五円というのはいかがなものであろうか、補償に対してはまだ十分ではないのではないか、というような質疑がなされたやに聞いておるわけでございます。最高限が五円でございました。これは、当時の昭和六年の五円というのはどのぐらいかということはなかなかむずかしいわけでございますけれども、一番多く使われている卸売り物価との比較において計算をいたしますと、今日は――四十六年において五百三十一倍という指数が出ているのでございます。それから見ますと、これを単純に掛けましても二千六百五十五円になります。こまかい数のようでございますけれども、戦前の日本の、しかもその当時においてさえ低いと言われた額に今回の改正案は到達をしておらない。二割以上も低いということは御注目をいただきたいと思うのでございます。
 あとの補償の対象の問題につきましては、ちょうど時間が参りましたので、いささか申し上げる余裕を失いましたので、またあるいは御質問があれば述べさせていただきたいというふうに思います。
#4
○委員長(原田立君) どうもありがとうございました。
 次に、山本参考人にお願いをします。
#5
○参考人(山本謹吾君) 参考人の山本でございます。
 政府提出の改正案によりますと、現在補償額の千三百円を二千二百円に改めるということ。それから死刑の場合には、三百万円を五百万円に引き上げるということになっておるのでございまして、引き上げの額を決定されるにつきましては、資料に添付されております賃金の上昇傾向、あるいは物価指数の上昇傾向等を勘案された上で決定されたことと思いますので、この引き上げ額は一応妥当な額ではないかと私は考えるのでございます。
 もっとも、最低額はこの改正案では引き上げの対象になっていないようでございますが、この点は、無罪になる判決を受ける者の中にはいわゆる刑事責任がないという理由で無罪になる者もございますので、かような人たちが無罪の裁判を受けました場合に、裁判の実例を見ましても、補償法に定められておる最低額をもつて補償されておるのが実情ではないかと思うのでございます。また、国民の法感情という点から考えましても、さような理由で無罪になった人の場合にまで特に補償金額を引き上げることは必要としないのではないかという考え方も相当あるのではないかと思われますので、かような点を勘案いたしますと、この点の据え置きになっておりますこともおおむね妥当ではないかと、かように考えるのであります。
 あらためて申し上げますまでもなく、刑事補償法は、人の身柄を抑留または拘禁した場合を対象といたしまして、かような人たちが無罪の裁判を受けた場合に、抑留または拘禁された期間に応じて補償をするというたてまえでございますが、一体人の身柄を拘束するというふうなことは、捜査あるいは裁判の必要上やむを得ない制度ではございますが、それだけに、さような特異なと申しますか、制度によって身柄を拘束された場合には、経済上並びに精神上、あるいは名誉、信用等、諸般の点にわたりまして受ける損失が非常に大きい。したがいましてさような場合には、国家機関に過失があるかどうかということを問わないで、言いかえますと、国家機関の無過失ということを前提といたしまして補償をするというたてまえを憲法四十条並びにこれを受けております刑事補償法はとっておるわけでございます。したがいまして、さような無過失を前提といたしまして公平という立場から、どの程度の補償をするということが公平の原則から考えて相当かということから補償金額は割り出されておるのでありまして、その点は、かような法案を御審議いただく場合には基本的な問題として配慮すべき問題ではないかと考えるのでございます。
 ただいま大野参考人から、交通事故による入院の場合の一日の慰謝料を引き合いに出して御説明がありましたのでございますが、これは申し上げるまでもなく、交通事故の場合には一般の損害賠償、すなわち加害者に故意過失があるということを前提とした場合の損害の賠償であります。しかし刑事補償法はさような故意過失を前提とするのではなくて、国家機関の無過失ということを前提といたしておりますので、そこに金額上の差異のできるということは、これはやむを得ないところではないかと、まあかように考えるのでございます。
 なおまた、無罪の裁判を受けた者のうち、実際に補償の請求をしておるのはきわめて少ないではないかという御指摘もございましたが、この点はもう少し実際に刑事補償制度の活用されることが望ましいことはもちろんでございますが、実際に十分に活用されていないのは補償金額が低いという点だけに帰着しているものかどうか、この点は若干問題ではないかと思うのでございます。と申しますのは、刑事被告人は原則として弁護人がついておるわけでございます。本人はかりに補償制度のこと、あるいは補償の内容等を十分知らないといたしましても、弁護人である人はかようなことは十分に承知いたしておるはずであります。さらに、補償の手続といたしましては、補償請求書を出せばそれで事が足りるという、きわめて簡単に手続を行ない得るのでございますから、実際に利用しておる人が少ないのは、補償金額が少ないというだけに帰着するということは若干問題ではないかと思うのでございます。
 なお、補償の範囲をしからば広げることはどうかと、この点につきましては、社会党の議員の方から衆議院のほうへ改正案が提出せられておりますので、その点に関連いたしまして御質問がございましたら所見を申し述べさせていただきたいと思います。
#6
○委員長(原田立君) どうもありがとうございました。
 以上で参考人の方々からの御意見は全部お述べいただきました。
 これより参考人に対する質疑に入ります。
 質疑のある方は順次御発言を願います。
#7
○佐々木静子君 それでは、私から若干お尋ねさしていただきます。
 本日は、たいへんにお忙しいところを大野先生そして山本先生、お運びいただきまして、たいへんにありがとうございます。大野先生も弁護士として非常にいろいろと御活躍いただいている先生で、刑事訴訟法については非常に御造詣も深うございますし、また山本先生は、長い間高等裁判所の裁判官として裁判実務に精通していらっしゃる両先生から貴重な御意見をお聞きすることができましたことをたいへん感謝しているわけでございます。
 若干お尋ねさしていただきたいと思いますことは、まず、大野先生の先ほどの御説明の中にございました、この刑事補償を、現行の刑事補償の請求をしている事例がきわめて少ない。五分の一か六分の一しか刑事補償を請求していないということに関しまして、補償額がたいへんに低過ぎるということについてのお話と、それから補償の対象が限定されているという二点を代表的な例としてお取り上げになったわけでございますが、まずこの補償の請求ですね、これをいまのような手続で請求するほうがいいとお考えになりますか。あるいは、もう少し無罪の判決を受けた人が国家の責任において請求を受けられるというような制度を設けたほうがいいとお考えになるか、そのあたりのところの御意見を聞かしていただきたいと思うわけです。
#8
○参考人(大野正男君) ちょっとあとの質問の、国家の何でございますか。
#9
○佐々木静子君 無罪判決と同時に、国家のほうから、職権で国家賠償をする、請求を待たずに国家賠償するという立法を設けたほうがいいとお考えになるかどうか、その点をちょっと伺いたいと思うわけです。
#10
○参考人(大野正男君) 私は現在の刑事補償法が必ずしも十分に利用されていないということは手続上の困難があるからだとは思っておりません。それほどむずかしいことではないと思います。ただ、弁護人がついているからということはございましたけれども、しかしこの制度について、たとえば利用ができるのだということを、何らかの形で裁判機関が告知をなさるということは必要かと思います。ただ自動的に国家機関が、当然のこととして給付していいかどうかということは、これは必ずしもそこまでの必要はない場合もあろうというふうに考えております。
#11
○佐々木静子君 それではこの額の問題ですが、いま一日の補償額についてお話がございますが、死刑の場合、この死刑の場合については、大野先生は特にどういう御意見をお持ちでいらっしゃいますか。
#12
○参考人(大野正男君) お答えいたします。
 先ほど時間がないので申し上げませんでしたが、この額に至っては、はなはだしく低きに失すると考えております。まあ先ほど山本参考人は、適法手続の場合も含むのだと、これは刑事補償法のたてまえでございまして、一つの特徴でございますが、しかしその場合に、たとえば再審のときに実は死刑が誤判であったと、それはかりに裁判官、検察官に過失がないから、国家が最終的にはあやまって、人の、国民の命を奪ったときに、五百万円しか補償しない、適正手続であったからしょうがないのだと、これはもう私は基本的におかしいと考えております。で、いかにこの額が低いかということを申し上げますと、たとえば国家賠償法であった実例でございますが、まあ有名な事件なんで名前を申し上げますが、松川事件のときに、あとで国家賠償になりましたときに、終局的には無罪になったわけでございますが、そのうちに、一、二審に死刑を受けて、最高裁判所が破棄して無罪になった人に対して、精神的慰謝料として、四十五年でございますが、六百万円を裁判官は言い渡しているわけでございます。どのように死刑の判決というのが重大な意味を持つかということは、すでに最高裁判所において、人間の生命は地球よりも重いという有名なことばがございますが、かりに過失がなかったにせよ、一個の人間の命を刑の執行によって奪って、五百万円の補償というのはこれはあまりに低きに失する額であろうと考えております。
#13
○佐々木静子君 山本参考人にお伺いさしていただきたいのでございますが、いまの大野参考人にお尋ね申し上げたのと同じことで、この死刑の場合の五百万円、これは山本先生はどのようにお考えになりますか。
#14
○参考人(山本謹吾君) その点につきましては、いろいろな見方があろうかと思うのでございますが、これはまあ死刑の執行の場合と比較することが適当かどうか、批判の余地もあろうかと思うのでございますけれども、現在交通事故によって死亡したという場合の精神的な慰謝料でございます。慰謝料、これは平均的な額でございますけれども、大体三百五十万円から、最近は四百万円程度の事例が多いのではないかと、こう思うのでございます。まあさような場合は、申し上げるまでもなく、故意過失のあるということが前提になった場合でございます。もっとも死刑の場合におきましては、執行の方法から考えましても、あるいは死刑の言い渡しを受けてから死刑を執行するまでの間に本人が非常な精神的な苦痛を受けるであろうということは、これはまあ極端に言えば想像を絶するものがあると言ってもいいのじゃないかと思うんでございますが、さような点を勘案いたしましても、とにかく故意過失のないということを前提として国家の補償する額といたしましては、先ほど申し上げました交通事故の死亡の場合と比較いたしましてそれほど不当な額ではないのではないか、一応相当額と認められるのではないかと、かように考えるのでございます。
 なお、申し上げるまでもなく死刑の執行の場合に五百万円と申しますのは、純然たる慰謝料でございまして、財産上の損害がある場合にそれに当然加算されるということになりますので、さような点も考え合わせまして、私は一応さように考えておるのであります。
#15
○佐々木静子君 このいま交通事故の場合の慰謝料三百五十万円ないし五百万円とおっしゃいましたが、これは全くの精神的損害だけでございますね。
#16
○参考人(山本謹吾君) 三百万円から四百万円と申し上げたわけですが、純然たる精神上の慰謝料でございますね。
#17
○佐々木静子君 いわゆる実質的な得べかりし利益なども算入いたしましての平均の交通事故の死亡事故の場合は、平均はどのぐらいの損害額になっているか、参考人のほうでおわかりでございましたら御説明いただきたいと思うわけです。
#18
○参考人(山本謹吾君) その点正確な統計は調べておりませんが、最近だんだん高くなっておることは事実でございます。しかし統計上これは数が相当多うございますので、平均額がどれぐらいになるか、そこまで正確なことは調べておりませんので、正確なお答えはいたしかねるのでございます。
 なお、この死刑の執行の場合にも、もし国家機関に故意過失が認められるという場合でございましたら、それは刑事補償のほかにあらためて国家賠償法によって賠償を求めることができる。したがいまして、さような場合をも考慮した上でなければ交通事故による慰謝料並びに損害額全体と比較することは正鵠を失するのではなかろうかと、かように考えるのであります。
#19
○佐々木静子君 いま私のほうからもこの交通事故死の場合と死刑の場合との均衡ということを申し上げたんですが、これは両参考人におかれても十分にもう御承知のことでございますが、私も幾たびか死刑の判決を受けた人の事件を担当した経験もございますのでよくわかるわけでございますが、もう死刑に該当する事件をその人が犯したということだけで本人が非常に名誉を侵害されるのはもとより、職場からは本人はもちろんやめさせられる、家族ももちろんやめさせられて就職はできない、もうその一緒に住んでいる配偶者とか子供とか親兄弟というだけではなしに、ちょっとでも血縁のある者は職場から追われる、就職ができないというようなことで、これはもう一家眷族がたいへんな苦難に、苦汁に満ちた生活を送らなければならない、そういうことはこれは法律実務を御担当なさっている両参考人において、私から口幅ったく申し上げるまでもなく十分に御承知のとおりだと思うわけでございます。そして、まあ親が死刑判決を受けたということであれば、これはもう子々孫々に至るまで、やはり――まあそれがいいことであるとは決して申しませんけれども、いまの日本の社会の現実といたしますと、やはり冷たい目で見られる。就職はむずかしい、結婚もむずかしい、結婚している人がまた不縁になって家庭が崩壊する、さまざまな問題が起こってくるわけでございます。
 これに対して交通事故で不幸にしてなくなられたような場合は、これは交通事故でたいへんな気の毒な目にあわれたということで、普通の場合よりも人々が同情的に、職場のあっせんをするとか、いろんなあたたかい目で見られる、そこの差というものが、冷たい目で一族が見られるかあたたかい目で見られるかというそこの差というものは非常に大きいんじゃないかと思うんです。でございますから、交通事故がこうこうだから犯罪の場合もこうこうだとは一がいにとても言えないと思うんでございますが、そこら辺の事情を山本参考人はどのようにお考えになっておられますか。
#20
○参考人(山本謹吾君) あらためて申し上げますまでもなく、法律上は、有罪の判決があるまでは無罪の推定を受けるということになっておるのでございますけれども、実際におきましては、さされたというだけで経済的、精神的、いろいろな面で不利益を受けることは否定できない現実であろうと思いますし、また、ただいまお尋ねのようないろいろな事情の伏在しておるということも想像するのにかたくないのでございます。しかし刑事補償におきましても、死刑を受けた人の名誉を挽回するというところまでいくかどうか、これは断定はできませんけれども、死刑の裁判を受けた人が今度は無罪の裁判を受けたという場合には、官報なり新聞でこれを公告するという制度もとられておりますので、そのことによって、あの人は冤罪によって死刑という気の毒なことになったんだということはある程度一般社会にも知らされるのではないかと思いますので、その点について国家は全然手をこまねいておるわけではないと、かように考えておるのでございます。
#21
○佐々木静子君 この刑事補償の額でございますけれども、これも山本参考人にちょっとお伺いしたいんでございますが、これは戦前の事件で昭和十六年ごろに起こりました、これは朝鮮半島で起こった事件ですが、この金森という人が無期懲役の判決を受けて、ようやく昭和四十五年に再審によって無罪請求をかちとったというケースでございますが、これによる刑事補償額は、この現行の金額ではわずか二百二十四万四千円の補償になっているわけなんでございます。これは昭和十六年から、ずうっとこの本人は苦しみ抜いてきてやっとその補償が、一昨年無実が証明されて二百二十四万四千円、むろんこれじゃ少ないと、ですから今度その額が少しばかり上がるわけでございますが、これはもうだれの目から見てもむちゃくちゃに少ない額じゃないか、これに対していまおっしゃる故意過失の立証をしまして、いわゆる民事訴訟によってその分の国家賠償の請求をやっているんでございますが、これはたいへんに、事件の舞台が朝鮮といういま外国になっているところで起こっていることであり、まあ当時の関係者のほとんどはもうなくなっておりますし、あるいは外国人でありますためになかなか立証が困難である、やっとこれ一審判決ではこちらの主張が通ったわけでございますけれども、そうすると国はまたすぐ控訴するというようなことで、とうとうこの金森さん自身はこの判決を待たずになくなったわけなんです。
 そういうふうな悲劇がいろいろありますことと、また、先ほど来大野先生のほうからお話のございました、松川事件の話がありましたので、松川事件につきましても、たとえばこの死刑判決を受けた一番額の多い人であって刑事補償額が千四百二十八万円でございますか――百四十二万八千円でございますね、百四十二万八千円。私が単位一つ間違っても全然ぴんとこないぐらいに少ない額でございまして、それに対して民事訴訟を起こしまして、この民事事件の確定した判決が、この刑事補償の分を差し引きまして六百八十八万円という判決が出ている。これはほかの被告の方についても同様その差額が、補償額を差し引いても相当額の損害賠償が認められている。むろんこの六百八十八万円というのも、われわれ決して多いとはおせじにも言えない額でございますけれども、この裁判所で認定される民事訴訟の額と比べても、全く何分の一にしか当たらないようなわずかな額であり、しかもこの松川事件の場合は、非常に強力な弁護団がございましたのでこれができたのであって、ほかのような事件においては、やりたいと思ってもできないというのが現実でございます。この松川事件におきましても、非常に強力な弁護団があったけれども、この訴訟を遂行するために四人の弁護士が病気で倒れてしまったわけなんです。それくらいたいへんな事柄でございますので、これは山本参考人が簡単に、この刑事補償の額で少なければ、故意過失の立証さえすれば国家賠償が請求できるとおっしゃるけれども、それこそできるという権利があるということと、実際に請求を遂行できるかどうかということは、たいへんに大きなギャップのある問題でございますが、その点について山本参考人はどのようにお考えでございますか。やはりこれは相当、額が低いというふうにお考えにはなりませんですか。
#22
○参考人(山本謹吾君) その点でございますが、先ほども一言触れたのでございますけれども、刑事補償は国家機関の故意過失を前提としない、いわゆる無過失責任ということを前提といたしておるのでございまして、これを言いかえますと、被告人であった人の身柄を拘束するとか、あるいはそれに基づいて裁判手続を遂行いたしますわけでありますが、さような段階におきましては、身柄を拘束するということ、あるいは裁判手続を進めるということ、これはいずれも刑事訴訟法という法規にのっとった行為でありまして、当時においては適法な行為と認められていた行為でございます。しかし、一たん無罪の判決が確定したという事後の段階から判断いたしますと、その当時は適法と認められていた行為も、結局は事後的な観察においては違法な行為であったと言わざるを得ないのではないか。したがって、無過失責任を前提として国家が補償するということが公平に合致するのではないかと、かような考え方に立っておりますので、その人の受けたすべての損害を賠償するという前提には立っていないのではないかと、さように考えるわけでございます。
 しかし、それ以上に、具体的な金額が政府改正案で相当であるか、それは低きに失するかということは、これはやはり各人の見方によって違いの出ることはやむを得ないところじゃないかと思うのでございますが、私といたしましては、先ほど申し上げましたように、一応妥当な額ではないかと、かように考えておるということを申し上げたわけでございます。
#23
○佐々木静子君 いまお尋ね申し上げたのと同じ件について、大野参考人はどのようにお考えでございますか。
#24
○参考人(大野正男君) この刑事補償の問題、先ほど文明のバロメーターということを申し上げましたが、実はいま山本参考人が述べられたところと佐々木委員が述べられたところの考え方を一体どうとるかということにかかっているわけでございます。と申しますのは、この額が低くてもいいじゃないかという唯一の論拠というのは、故意過失じゃないからいいじゃないか、片方の交通事故と比較した場合、交通事故はともかく過失か故意か何かあるんだ、片方は故意も過失もないのを補償してやるのだという考え方が、これは補償を減額してもしょうがないんじゃないかという考え方に通ずるのではないかと思われます。しかし、交通事故との比較というのは、単に数量的に私が申しましたので、実は先生方に誤った観念をお与えするのではないかということをおそれているわけでございます。裁判というものに対しての国民の信頼というものがいかにあるべきかということが基本にあるわけでございます。
 言うまでもなく、裁判というのは正義であり公平であり、絶対に誤ってはいけないという前提があるわけでございます。もし、これが故意でも過失でもないにしましても、あやまって無罪のところを有罪に言い渡されて、それは単に国民がどれだけ損害をこうむるかという比較のみならず、国家機関がそういうことをした場合に、はたして――司法の生命が失われるんじゃないか。それであるがゆえに、交通事故でドライバーがちょっと信号を見誤ったということに対する社会的非難の大きさと、それから、誠心誠意やったけれども、いやしくも司法官が無事の人間に対して有罪として処罰する、はなはだしきに至ってはその人の無事の生命を奪った、それに対して一体どうすべきか、この比較考量がなければできないことであって、単に、こちらは無過失である、片方は故意過失がある、したがってこちらのほうが安くていいという一般の場合には通用しないのではないか。特に、無過失の場合に、国家の場合に、国家賠償以外に刑事補償法というのをつくっているゆえんのものは、いま申し上げたような司法に課された責任というものをどれだけ強く評価するかということにかかってまいるのではなかろうか。それと、先ほど申しました故意過失との要件をどちらを重きとされるかということによってこの立法の態度が決してくるのではないかというふうに考えられます。
#25
○佐々木静子君 いまの大野参考人の御意見で、司法というものに寄せる国民の信頼感というものから考えると、これは当然に、単に故意過失ということのみにとらわれて、無過失の場合も賠償するんだからということでこの法の精神を論ずるということはいささかおかしいんではないかということの御趣旨がよくわかったわけでございますが、そうしますと、先ほど来お話にございました、責任無能力者の場合もあるから額は低くてもいいんだという山本参考人の御意見でございますが、責任無能力者をあえて起訴したというようなことは、やはり国として当然賠償しなければならない、そういうふうに私は感ずるのでございます。責任無能力で無罪になった場合の賠償の問題があるから、だから刑事補償額は低くてもいいんだというようなことは私はいかがかと思うわけでございますが、その点、大野参考人はどのようにお考えでございますか。
#26
○参考人(大野正男君) 責任無能力の中には幾つかの類型があることは御承知のとおりだと思います。たとえばそれが極度の精神病、精神分裂病のような場合に、よく妄想による殺人というようなこともございます。もう一つありますのは、めいていによる心神喪失という、これは山本参考人御承知のとおりでございますが、数は非常に少なくなって、これに対して無罪を言い渡すということは非常に少なくなって、原因における自由な行為というような形で、少なくはなっておりますが、理論的にはあり得ることだと思います。後者のめいていによる責任能力の喪失ということについては、立法例の中にこれを除外しているものが、刑事補償の対象から除外しているものもございます。ただ、一般に精神病というものについての考え方が、これは本人が悪いんだというふうに考えればこれはおかしいんじゃないか、酔っぱらいと同じだと考えられるかもしれませんが、実はこれが一種の病気であって本人の責めに帰すべからざるものなんだ、その精神病者をむしろ保護あるいは擁護するのが社会の責任であるというふうに考えますと、精神病者なるがゆえにそれは刑事補償の対象から除外するということは、やや実際の実情からははずれるのではないかというふうに考えております。
#27
○佐々木静子君 それでは、あまり時間を私ばかりおとりするわけにもいきませんので、先ほどお時間の都合で十分に御説明を伺えなかった、拘束されておらない場合の補償でございますね、この拘束されておらない場合の補償について、これはやはり刑事補償の対象とすべきじゃないかという考えがございます。こういう考え方について、人権保障をモットーとするところの日本弁護士連合会で、この問題に早くから取り組んで検討されているわけでございますが、大野先生の御意見あるいは日本弁護士連合会の御意見を、この問題について若干お述べいただきたいと思うわけでございます。
#28
○参考人(大野正男君) 私の個人の意見を申し上げるよりも、これは日弁連がかなりの時間をかけまして討論し、つくり上げたものでございますから、日弁連の考え方を述べさしていただきたいと思いますが、なぜ非拘禁の補償が必要かということについては、二つの理由があろうかと思います。
 一つは、いまの質疑応答の中で佐々木委員がお述べになり、山本参考人も肯定なさいましたように、わが国においての訴追というものの持っている、つまり起訴というものの持っている社会的な意味というのは、法のたてまえに反して、これは有罪の推定でございます。これは先生方新聞等をお読みになってもおわかりのとおり、強制捜査が行なわれた翌日、その日からは一切の敬称はすべて失なわれてしまいます。かなり社会的に身分のある方であってもすべて呼び捨てになります。そして社会的に見ましても、本人あるいは家族その他はすべて有罪扱いをされるというのが実情でございます。で、これは庶民に限りませんで、たとえば戦後いろいろな高名かつ有能な政治家の方々が汚職というようなことで訴追を受けられるたくさんの事例がございます。その場合に、その方々は不幸にして社会的には有罪の推定をされました。ある方は職を失ない、ある方は選挙にも出られなくなりました。しかしそのきわめて多くはその後無罪になったわけでございます。しかし無罪が確定したにもかかわらず、かなり多くの方々はすでに政治的生命を失なわれました。幸いなごくわずかな方々は再び栄誉ある地位につかれましたけれども、実際にはその間に失なわれたものはきわめて多いのでございます。これは決して社会では訴追を受けた場合に無罪と推定をいたしておらない例だと思います。
 これは社会的評価ばかりではございません。実際の法律がそうなっております。たとえば国家公務員法は、起訴いたされますとその当該の公務員については休職をすることができる、地方公務員法もそういう規定になっております。では国家公務員法はその起訴された者を休職にしてどういう扱いをしているかと申しますと、これは給与準則で、別段の定めのない限り給与を支給してはいけないということになっております。その結果として給与を支払われていない場合が非常に多いのでございます。しかも休職中とはいえ、国家公務員でございますから兼職禁止の規定を受けます。ですから、これはほかにつとめることも法律上できないのでございます。起訴休職になりますとその方は一体どうなるのか、つまり、いま申しましたようなことで兵糧を断たれてしまう、しかも無罪になるというのはそんなに簡単に、一日や二日でできることではございません。無罪になる多くの場合には、これは相当の年数を要します。また、幸いに一審で無罪になりましても、かつてのいろいろな政治的事件がそうでございましたように、高裁、最高裁へと検事側も控訴をする場合もございます。そのような長期にわたる――五年、六年あるいはさらにもっと長く十年、さらに、極端な例ではございましょうけれども、たとえばメーデー事件のごときは二十年、辰野事件のごときは十五年、そういう期間をどうして耐えることができるのであろうかということでございます。
 これは公務員について申しましたけれども、民間の企業でもそうでございます。先生方御承知のように、就業規則がございますが、これを私が、ざっと見た限りでは、起訴の場合には休職にする例が圧倒的に多いわけでございます。しかもその休職のときに、やはり公務員に並びまして六〇%から無給までのさまざまな例があり、そのまま賃金を払うなどという就業規則は私の見たところではございません。休職をしたというだけで賃金はゼロないし六〇%というのが通常でございます。
 そのような大きな影響を受ける場合に、これは結果としてその訴追が誤っておった、あるいは判決が誤っておったという場合に、ただそれは裁判官や検察官に過失がなかったという一事によってこの決定的な負担をすべて被告、国民の側に転嫁してよろしいんだろうかということがこの最も根本にある考え方でございます。
#29
○佐々木静子君 そうしますと、具体的に先生といたしますと、こういう不拘束で取り調べを受け、有罪判決を受け後日無罪になった方々に対する刑事補償というものもやはり範囲を広げるべきだというふうにお考えでいらっしゃいますね。具体的にはどういうふうに扱うのが妥当であるというふうに先生とするとお考えでございますか、大野参考人に伺いたいと思います。
#30
○参考人(大野正男君) これは衆議院に提出されました案は、実は当時日本弁護士連合会が作成した案をそのまま出しておられるように聞いております。全く拘束のときと同じ額である必要はないと思いますが、いま申しましたような点から考えますと、上限も下限も半額ぐらいが妥当ではないかというふうに考えております。
 なお、先ほど申しました額が低いということは、実際にこの裁判、無罪になるような裁判をいたしますと、訴訟費用だけで膨大なものになります。訴訟費用と申しましても、裁判上負担するとかしないとかいうのではなくて、たとえば印刷代なんというのはたいへんなんでございます。まあおわかりいいように具体的な例を申しますと、いまゼロックス代が一枚三十円なんでございます。それを一日の法廷で、速記タイプをとりましてそれをゼロックスで写しますと、大体一回の法廷に要する、たった一つゼロックスをとっただけといたしまして二万円かかります。したがって、本人とたとえば弁護人とかというのが倍数になった場合には、一回たとえば五人いるとすれば十万円かかるんでございます。ところが、いまたとえ百日勾留されておりましても現在であれば十三万円、そういう中で、もう補償というのがいかなる意味を持っているかということは大体おわかりいただけるのではないかと思います。
#31
○佐々木静子君 この不拘束の場合にも刑事補償の対象とすべきだという先生の御意見、こういう方々にもぜひとも補償をしなければこれはどうにもならないんじゃないか、しかも現在の、あるいはいま法案として出されている額の基準であっては十分な補償というものとはおよそほど遠いという御意見をいま承ったわけでございます。
 山本参考人にお伺いしたいんでございますが、いま大野先生からも、記録代だけでもたいへんだというお話、実は私も前にやりました事件で、一件について記録を一応謄写しようと思うと、一人分で八十万円は当時の価格でどうしても要る、これは弁護人がほんとうは二百人ほどついたんでございますが、二百部はとてもできないせめて十部ぐらいは謄写したいと思ったんですが、どうしても資金が捻出できなくて四苦八苦したことがございますけれども、当然弁護士が持たなければならない最低の記録だけでも、こういう無罪を争うという事件につくと、その事件の場合などは八十万円を要した、そしてやっとこさたいへんな戦いの後に無罪になったときに、これは私も刑事補償を請求して一片の小切手を最高裁からいただいたんですが、それは当時とすると、これは八海事件のことですが、当時とすると破格な刑事補償ということで、大きく新聞にも書かれましたけれども、四人で二千万円余りであったと記憶するわけなんでございます。正直なところ、弁護人の費用はもとより被告とか被告の家族が法廷へ出たり、あるいは弁護人あるいは支援団体の方々に自分の事件を訴えに行くだけの足代にも足らない。もちろん記録代も出ない、そういうふうな額なんでございますけれども、この額について、山本参考人は法律の実務家としていろいろそういう問題にタッチなさると思うんでございますが、これはやっぱり少ないというふうにお思いにならないわけでございますか。どういうふうにお考えでございますか。
#32
○参考人(山本謹吾君) 刑事補償の対象を身柄が拘束されていない場合にも拡充することが必要ではないかというお尋ねの趣旨かと思うのでございますが、その点につきましては、いろいろ検討を要する問題があるのではないかと考えておるのでございます。
 と申しますのは、たとえば行政庁の権力の行使によって不利益な処分を受けたという場合、後にさような不利益な処分が裁判によって取り消されたという場合におきましても、その間に受けた損害なり不利益を補償するという制度は現在ないように思われるのでございます。たとえば、自動車事故を起こしたというので公安委員会で運転の免許処分が取り消される。そういたしますと、公安委員会の定める一定の期間、すなわち一年以上三年以下の期間内において公安委員会の定める期間内は運転手の資格を受ける資格が奪われるということになるのでありますけれども、そういたしますと、自動車の運転を業としておる人はもとより、自動車によって営業活動をしておるような場合を考えましても、非常なその間に損害なり不利益を受けるのではないかと思うのでございますが、かような場合、裁判によってさような処分が取り消されたということから直ちに損害の補償をするという制度は設けられていないのであります。あるいはまた、公務員が懲戒免職の処分を受けた、しかし、後に裁判によってその処分が取り消されたという場合を考えてみましても、その間に受けた不利益なり精神上の苦痛なりそういうものに対して補償制度というものは現在設けられていないのではないかと思うのであります。
 したがいまして、身柄を拘束されていない被告人であった人が無罪の判決を受けた場合、その間にいろいろな経済上あるいは精神上その他に不利益なり損害を受けることは否定し得ないのでありますが、その場合に刑事補償をすることが妥当かどうかということを考えます場合には、やはり国の制度全体としてつり合いがとれておるかどうかということも勘案する必要があるのではなかろうかと、さように考えるのでございます。
 それから、先ほど来、身柄を拘束されていない場合に、不利益を受けることが非常に多いというのでいろいろ特殊事件の例をお出しになったのでございますが、その場合におきましても、人によって受ける不利益の程度なり損害というものは非常にまちまちではないかと思うのでございます。たとえば農業とか個人で商業をやっておる人が身柄不拘束のまま起訴され無罪の判決を受けたという場合には、もちろん名誉とか信用を失墜するとかいろいろ不利益はあろうかと思いますが、財産上の損害という点から考えますと、それほどの損害はないのではなかろうかというふうに考えられますし、同じく独立して仕事をしておっても、信用を非常に重んずるというふうな場合には、起訴されたという場合で信用が失墜する程度が非常に大きい、そのために受ける損害が非常に大きいということも考えられます。あるいはまた公職についておる方を対象に考えてみましても、公務員の場合、一般の公務員の場合につきましては、先ほど大野参考人から御説明になったとおりだと思いまするが、たとえば選挙によって公職についておられる方が、公職選挙法の違反によって起訴されたという場合を考えてみますと、もちろん名誉とか信頼上という点で不利益を受けることは否定できませんが、身分そのものには直ちにそれだけでは影響を及ぼさないというふうに、いろいろな場合を考えてみますと、身柄が不拘束で起訴され、無罪の判決を受けた場合に、当該の本人の受けます経済上その他の損害というのは、非常に区々まちまちではないかということも考えられると思うのでございます。
 したがいまして、さような場合に刑事補償をするということになりますと、どういう基準を立てたらよいのか、立法技術的にも相当むずかしい問題があるのではないかと考えるのでございます。現在、外国の法制を調べてみましても、身柄不拘束の場合にまで補償するという法制はほとんど見当たらないのではないかと思うのでございますが、それは結局、私が以上に申し上げましたような点をやはり考えた結果、さような法制が実現していないのではないかと、一応のこれは推測でございますが、推測いたしている次第でございます。
#33
○佐々木静子君 それでは、両参考人から、非常に貴重ないい御意見をいただきましてたいへんにありがとうございました。山本参考人のお話では、国家のほかの部門とのバランスということをお話しになりましたし、また大野参考人の御意見としますと、やはり日本の裁判というものに対する信用、国民の裁判に寄せる信頼感ということから考えると、単に行政庁のミスで免停にしたというようなものと同列に取り扱うというのはこれはおかしい。やはり憲法で保障している司法権というものに対する国民の信頼感にこたえるためにも、この刑事補償というものの拡充強化というものが必要ではないかという点を強調なすったように思うわけでございます。たいへんに私、もっと伺いたいところがいろいろあるわけでございますが、あとの委員の方々の質問時間もございますので、きょうはこのあたりで終わらしていただきたいと思います。どうも貴重な御意見をありがとうございました。
#34
○白木義一郎君 いろいろありがとうございます。
 ただいま佐々木委員、両参考人のお話をいろいろ伺いますと、いずれも専門の方ばかりのお話で、私はしろうとなもので、素朴な立場から若干お尋ねをしたいと思いますが、最初に山本先生にちょっとお尋ねしたいんですが、無過失という前提でこの刑事補償法をお考えになっているように伺ったわけですが、その無過失であるという意味をもう少しわかりやすく御説明願いたいのですが。
#35
○参考人(山本謹吾君) 申し上げますまでもなく、一般に損害を賠償をするという場合には、故意か過失のあるということが要件になっておるわけでございます。しかし、先ほど来申し上げましたとおり、刑事補償は国家機関に故意過失の有無にかかわりなく補償をするという意味で、無過失ということを申し上げたのでございまして、それをわかりやすく説明しろということになりますと、あるいは具体的な例でも引き合いに出さないといけないのかとも思うのでございますが、通常の場合には、先ほど申し上げましたとおり、被疑者なり被告人の身柄を拘束するということ、あるいはそれに基づいて捜査なり裁判を進めるということ、これは刑事訴訟法上適法の行為として認められておるというわけでございますが、さような場合でありましても、裁判所の審理の過程で、たとえば当該の被告人が捜査の段階で強制をされ、あるいは脅迫をされた、そういうふうなことによってやむを得ず自白をした、したがって捜査官に対する供述証書は証拠として認めがたい、さようなことになった結果無罪の判決が行なわれたということになりますと、これは捜査官が強制なり脅迫を加えたということが明らかになれば、その点で故意があったのではないかということが問題になると思うのであります。あるいはまた、裁判の過程でアリバイということが認められた結果、当該の被告人に対しては有罪を認めることができない、無罪である、そういう裁判が言い渡されたといたしますと、この場合捜査の段階でもう少し慎重に取り調べを進めていたとするならば、アリバイの事実がいま少しく明白となり、起訴をしなくても済んだのではなかろうかということが、客観的な、合理的な判断を下したとする立場から考えましてそういうふうに認められる場合には、あるいは過失があったのではなかろうかと、こういうふうに認められる場合があろうかと思うのでありますが、私が無過失と申し上げておりますのは、捜査機関にも裁判所にもさような意味の故意とか過失というものが全然認められないと、そういう意味で申し上げている次第でございます。
#36
○白木義一郎君 先ほどもちょっと大野先生からのお話の中にもありましたけれども、第一審、第二審は有罪であった。しかし最高裁で無罪の判決があった。単純に伺っていますと、第一審、第二審が有罪で最終的には無罪になったとなると、第一審、第二審は間違いであったというふうにわれわれはとりたいのですが、その場合に、間違いは過失でないという点がどうも伺っていてはっきり理解ができない。こっちは勉強不足でしろうとだからということになるのじゃないかとも思うのですが、その点大野先生いかがでしょうか。
#37
○参考人(大野正男君) たいへんごもっともなお考えだと思うんです。実はかなり多くの事件が一審、二審有罪で、最高裁判所が無罪にした。ことに死刑事件が七、八件もございます。そうすると、それは全部あらためてやり直した結果、今度は無罪だということに確定しているわけでございますから、御質問のように、前の一、二審の判断は誤っていたということはもう確定しているわけでございますね。ところが、それじゃ誤り方に一この辺からだんだん、やや法律家特有のごまかしじみた議論になりますので御注意いただきたいわけですが、誤っても悪くない間違いとそれから悪い間違いとがあるんだというふうに区別せざるを得なくなってくる。実際には、よく考えてみたけれども間違ったんだ、これは人間のすることだからしようがないという考え方。しかし、同じ記録で最高裁判所があれだけ一生懸命見たらやっぱり間違って、正反対に間違っていたんだということになれば、その一、二審の判事はどこか過失があったのじゃないかというふうにも考えられるわけであります。つまり、事ほどさように過失というのが――タクシーの運転手の過失などは道路交通規則に違反したとか違反しないとか、きわめて単純なことで判断ができますけれども、裁判官の間違った――誤判であることは間違いないのですが、それが過失ということになれば、注意義務にどこか反していたということになるわけなんですが、何が注意義務であるかということは、それはもうたいへん困難な問題なんでございます。したがって注意義務というものを非常に、神のごとき裁判官の注意義務ということを前提にすれば、たいていの誤判をした判事はみんな過失があることになりますが、それはとてもそんなふうには考えられないということで、白木先生が御指摘のとおり、実は非常にむずかしい問題を含んでおりまして、実際に国家賠償で、故意か過失が検察官にあったとか裁判官にあったとかということで、国家賠償として訴えた例は十数件ございますけれども、ほぼ半々に分かれておったり、あるいは一審と二審とが全く裁判官の過失について判断が違っておったりするわけでございまして、非常にそこの辺の、一体何を基準に考えるのかということはきわめてむずかしい問題があろうかと思います。もっとも、普通の方がごらんになってわけがわからぬ、裁判官というか、法律家はわけのわからぬことを言うということは、たとえば松川事件のごときは、一、二審死刑でございました。それで最高がひっくり返しましたが、最後までこれには、あれは有罪だという有力な少数意見がついておりました。当時においても八対六でございます。ところが、今度確定しましてから国家賠償を起こしましたところが、一、二審ともこれは、死刑なんかにしたのは、まあああいうことを起訴したこと自体が間違いで、検察官の訴追行為は重大な過失があったといって賠償を求めているわけです。そういうふうに考えますと、非常にいま申し上げた過失というのは何かとおっしゃるお考えは、まことに常識的には無理もないことで、私どもにもよくわからぬことがこの問題に関してはしばしばあると申し上げざるを得ないと思います。
#38
○白木義一郎君 そこで、私が御両者から伺っていて非常に困ることは、両先生とも弁護人でいらっしゃるわけです。弁護士でいらっしゃるわけです。ということは、ほとんどの弁護すべき人たちは私同様しろうとなわけです。したがって、その被疑者なりあるいは被告なり何なりを弁護なさる先生方が、考え方がどうも逆な立場でお考えになっているような感じがして、どうもそこのところがぴんとこないのですが、大野先生にちょっと繰り返しお伺いしますが、毎年の無罪確定の人員とそれから請求をした人員に非常に大きな開きがあるという点までお話を願ったわけですが、どうしてこういう制度がありながら、また先生方がついていながら、この制度が活用されないかということについて、先生のお話では、非常に賠償金額が少ないから、話にならぬからだというのと、その対象範囲が非常に狭いからだと、こういう御説明があったのですが、また山本先生は、これはわれわれがついているのだから簡単にできるのだというようなご説明もありましたけれども、私どもの知っている範囲では、非常に手続が繁雑であるというのがおもな原因じゃないかというように思うのですが、その点大野先生いかがでしょう。
#39
○参考人(大野正男君) 先ほどもちょっと触れましたのですけれども、この手続そのものはそんなにむずかしい手続ではないのでございます。山本参考人もお触れになりましたけれども、われわれから見れば紙きれ一枚、まあ極端に申しますとですね、出せば裁判所のほうでやってくれるわけなんですが、ただそれでも全くしろうとの方には、われわれから見れば紙きれに書くようなことであっても、十分わからぬということはあろうかと思います。しかし、これは私は実際にやりました、無罪になった場合には、刑事補償を取るようにいたしておりますけれども、しかし先ほど申しましたように、何百日も勾留される事件というのは少ないので、実際に七年も八年もかかっても勾留されたのは三十日とか五十日とかという例なんですね。そうすると、先ほど申しましたようなあれで、かえって被告のほうがこれだけですかというようなことを言うものですから、被告から積極的にぜひ取ってくれという要請があることは非常に少ないのです。むしろわれわれのほうから、君、何もしないでもいいから、自分が全部やってあげるから二万でも三万でも取ったらいいよということは申しますけれども、被告のほうからほしいというような額には、全然けたはずれにならないというのが実情でございます。
#40
○白木義一郎君 ありがとうございました。
 そこで、また補償法の基本的な問題についてちょっとお伺いしたいのですが、実はこの一部改正の法律案を拝見して、若干のベースアップがあった。これは少しでも金額がふえたのだからまあいいじゃねえかと、実はこう思ったのです。ところが、いまいろいろお話を伺って、また質疑をしておりますうちに、これ、ちょっとそうもいかないぞ、無過失というような前提に立つと、これは何にも過失がなかったのだけれども、おまえらかわいそうだから国がこれだけ補償してやろう、これは法律でこうきめておいたから、ほしければ手続を経て書類を提出して申し出よ、しからば与えられんというような考え方ですと、低いよりも少しは上げたのだからいいじゃないかという考え方になると思うのです。しかし、非常に複雑な問題であっても、そこに人間のやることであって、国家機関とはいえども人間のやることであって過失がないとはいえない、被疑者の立場になってみれば、繰り返しお話があったような有形無形の被害を認められているわけです。それについて当然補償をしなければならないということになると、実は間違っていたんです、やむを得ないことですけれども、いろいろ経過をたどって間違いであったということがわかりましたから、ぜひひとつこれでかんべん願いたいというようなことで補償をするというような内容のものであれば、これは諸般の情勢から見て多少の金額が不足であったにしても一歩前進として認めたい、そういうような考えなんですが、その点この間法務大臣にもただしたところが、法務大臣は率直に、これは官尊民卑の思想の残りかすのあるよくない法律だ、いずれ検討しますと、こういう答弁があったわけです。まずいことをやったのだ、まあいいじゃねえか、文句あったら弁償してやるから取りにこいというようなことの考え方でいくと、まさにこれは官尊民卑の法律である。これを国会にかけた以上、そのまままあ金額が上がったからいいじゃねえかというようなことではちょっと済まされないような気持ちなんですが、その点山本先生いかがなものでございましょう。
#41
○参考人(山本謹吾君) 刑事補償制度というものを歴史的に考えてまいりますと、最初はただいまお話しのような国家の恩恵的なという色彩があったことは否定できないのではないかと考えるのでございますが、現在は、申し上げるまでもなく、憲法四十条によりまして、国家に対して補償を求めることができるというりっぱな重要な権利として認められておるのでありまして、単に国家の恩恵として補償するというふうな考え方は全然とられていないことはきわめて明白であると思うのでございます。ただ憲法は、法律の定めるところにより補償を求めることができるということになっておりますので、どの程度の補償をするかということは、結局立法政策の問題に帰着するのではなかろうか。さような点で、結局どの程度の額が公平の見地から妥当かということがきめられてくるわけでございまして、この点につきまして額の多寡という点につきましては人によってある程度見方の相違が出ることは、私もこれはやむを得ないところじゃないかと、こういうふうに考えております。
#42
○白木義一郎君 ありがとうございました。
#43
○鈴木強君 きょうはたいへん御多用の中、ありがとうございました。私も二、三お尋ねを申し上げたいのでありますが、すわって失礼いたします。
 最初に山本参考人にお尋ねしたいのでございますが、いまの憲法と刑事補償法との関連について、先生のお考え方がいま私わかりました。しかし、どうも先ほどから御意見を伺っておりますと、やはり新憲法四十条によって「何人も、抑留又は拘禁された後、無罪の裁判を受けたときは、法律の定めるところにより、國にその補償を求めることができる。」、これは一つの権利だとおっしゃるんですけれども、刑事補償法そのものが昭和六年に濱口内閣の当時できた思想というものは、私は、新憲法は新憲法として意義があるのですけれども、その憲法に沿わないような、要するに官尊民卑的な、いわゆる無過失的な、故意のないものに対して恩恵的に補償していくんだ、そういう考え方が先生の当初にお述べになった御意見の中にあるように私は受け取りました。ですから、非常に疑問を持っておったんですけれども、いまのお話で若干わかりました。
 しかし、そういう刑事補償法の立法精神というのがやはり官尊民卑的な色彩をずっと持っていまに至っていると思いますから、どうしても与えてやるんだというような考え方が往々にして有力になってくる、そのことがたとえば額の問題にいたしましても、見方によっていろいろ多い少ないはあるだろうということでお茶を濁されてしまうということになると思うんですけれども、私は、今度補償金額が、抑留、拘禁または自由刑の執行による場合は、拘束一日につき現行補償額が六百円以上千三百円以内というのが、この改正によって、下限は動きませんね、これはあとで伺いますが、六百円以上二千二百円以内と、こういうふうに変わったわけです。それから死刑の執行による補償については、現行三百万円が五百万円に増額されている。一体この額というものがはたして刑事補償法第四条にいうところのそれぞれの項目にどういうふうに科学的に組み込まれて算定されているのかということが私たちわからないんです。
 これは法務省にも後ほどたださなければなりませんが、歴史的にこの法制定のいきさつ等を勉強してみますと、最初は一日五円以内とか。その五円以内というのが、当時の平均賃金がどうだとか、いろいろ理由は出しているようですけれども、どうも明確にわれわれが理解できるような算出根拠になっておらぬように思うんです。一体、刑事補償法第四条を見ると、「(補償の内容)」というところに「裁判所は、前項の補償金の額を定めるには、拘束の種類及びその期間の長短、本人が受けた財産上の損失、得るはずであった利益の喪失、精神上の苦痛及び身体上の損傷並びに警察、検察及び裁判の各機関の故意過失の有無その他一切の事情を考慮しなければならない。」、こうなっているのですが、一体、この六百円以上二千二百円と増額はされましたが、これがそもそもこの四条の各項目に照らしてみて適正であるかどうかということは何にもないです。根拠がわからないです、これはね。この辺、先生どうなんでございましょうね。各個人の考え方で多い少ないということはあるだろうというような御意見だけですか。先生は賛成されているわけですね、この原案に対して。賛成されるには、私がいまお伺いするような根拠に対して、少なくともわれわれに納得できる御回答をいただかなければ、われわれは、先生の賛成という御意見に対して納得ができないですね。そういう意味でひとつ教えてもらいたいんです。いかがですか。
#44
○参考人(山本謹吾君) お尋ねの点につきましては、刑事補償法の一部改正に関する参考資料にも出ておりますとおり、常用労働者の賃金の上昇の傾向、それから物価指数並びに賃金物価指数の平均というものが出されておりますが、さようなものが勘案せられた結果、六百円以上二千二百円と、そういうふうになってあらわれたんだと思うのでありまして、裁判所はその範囲内におきまして、ただいま御指摘のいろいろの事情を考慮して具体的に決定するということでありまして、まあ、さような資料が参考としてつくられておる以上、この程度が一応妥当ではないかと、こういうことを申し上げたわけでございます。
#45
○鈴木強君 なかなかむずかしいとは思いますね。昭和二十五年当時の改正のときのやつを見ますと、男子の工業平均賃金が一日三百七十四円とか、坑内夫が四百二十九円だとか、交通業が三百五十円だとか、業種別労務者の平均賃金が三百五十二円とか、職人が四百四十八円とか、まああります。ですから、この当時から引き直してみて、たとえばこういう賃金がどうなっているか、何倍上がっておって、それに大体見合うようにやったとか、先ほど交通災害の自賠責の問題がありましたけれども、そういったものも陰に陽に一つの比較材料としては考えてきたと思います。そういうものから見ても、今度出されている額というものは、われわれから見ると低きに失すると、こういうふうに思うわけです。私はそう思うんです。先生がこれが妥当だという意見と、私はそう思わない、もう少し上げてもいいんじゃないかという考え方の中に相違が出ているわけですけれども、それは考え方によって違うんだということでなくて、もう少し刑事補償法そのものに対するはっきりした立論を立てていただいて、そして新しい憲法下における刑事補償法のあり方というものも、現行法律の中で論ずることも一つのあれでしょうけれども、さらに、今後、時代の趨勢に伴って、こういうところはこうすべきだというような、そういう御意見も私たちは伺いたいんですね、率直に言って。ですから、ただ単に現行法にこだわらないで、法律家の皆さんとしてお考えになっている点もあると思います。さっきの日弁連の非拘束の場合の補償についても、われわれが調べてみると、オーストラリアなんかではやっています、それは。ですから、日本でできないことはないし、そういうところまでやはり考えて、実際に非勾留であっても被疑者が受ける精神的な、あるいは名誉的な、信用的な損失というものに対して、やはり法律の公正な運用を期するという立場に立って、司法に対する信頼、山本先生がおっしゃったようなそういう気持ちから、お考えをやっぱりそちらの方向にやっていただくようにすべきじゃないかと思うんですけれども、これは、まあ見解の相違と言われてしまえばそれまでですけれども、もう少し先生が賛成であるという立論を立てた裏に、ただ政府が出した資料だけによって、これがあるから私はそうだということでなくて、もう少しうまい意見はないんでございましょうかね。
#46
○参考人(山本謹吾君) その点は、繰り返すようになって恐縮でございますけれども、結局、刑事補償の本質というものをどういうふうに見るかという点に帰着するんではないかと考えるのでございまして、これは先ほど来申し上げておりますとおり、行為の当時は適法と認められる行為ではあっても、無罪の判決があった以上、さような行為は客観的には違法と見ざるを得ないんだと、したがって国家は公平の原則に基づいて一定の額を義務として補償するんだと、こういう考え方に立脚していると思うのでございますが、しかし故意過失を原則といたしておりません関係上、被告人であった人が受けた全損害を補償するというところまでは刑事補償法はいっていないということは、これは認めざるを得ないのではないか。また、それはその限度でやむを得ないのではないかと、かように考えておる次第でございます。
 なお、具体的な額という点につきましては、これは先ほど見方によっていろいろということも申し上げたんでありますが、まあ賃金から考えましても安いじゃないかということも言えるかとも思いますが、拘束されております間は、きわめて粗末ではあっても食事は官給されるというふうな関係もあろうかと思いますが、その他いろいろな事情を勘案した結果、私としては一応政府案が妥当ではないかと、まあこういうことを申し上げておるわけでございます。
#47
○鈴木強君 白木先生からもちょっと意見が出されましたけれども、確かに有罪であるべき判決が無罪になったと、どこかにこれは間違いがあったんですよ。間違いなければ、これは有罪になるはずなんです。したがって、これは一般常識的に考えてみたって、少なくとも無罪の判決が出るようなものを非拘禁し、あるいは拘禁して、そして長い間名誉を傷つけるような、何々なんといって呼びつけにされるようなことを二年も三年も四年も五年もやらされて、そしてずいぶん精神的にも痛手をこうむったそういう人たちのことを考えれば、全然故意でもなかった、過失でもなかったなんということは、これは一般論としては通用しませんね、と私は思うのですよ。ですから、その辺の見方は、大野先生もおっしゃっているように、非常にむずかしいと、弁護士でもなかなかそれはむずかしいということをおっしゃったですけれども、それだけむずかしいですから、もう完全に故意も過失もなかったんだという、そういう割り切った気持ちの中でこの刑事補償というものを考えるとすれば、これは私は国民の考え方と違うと思うのですよ。そんな遊離した考え方というのは、私はおかしいと思いますね。ですから、当初かりに官尊民卑的な考え方で、当時の法務総裁ですか、司法大臣の渡邊さんという方が提案理由の説明をした中にありありと出ていますね、これに。そういう考え方がいまなお連綿として続いているということになれば、これは新憲法下における法律としてはふさわしくないと私は思いますね。そんなのはやっぱりもう少し検討する点があるということを言っているわけですから、検討していただいて、そしてもう少し国民感情にぴったりするような内容に変えなければ私はいけないと思います。そういう意味で、たいへん失礼なことを、私、申し上げるわけですけれども、まあ法律家としてたいへん御勉強なさっておる皆さんに、そういう国民感情からずれているような法制度に対して何とかひとつギャップを埋めてもらうような考え方を持ってほしいし、そういうことを期待していると思います。そういう意味で、私はちょっとくどいですけれども、山本先生にお尋ねしているわけですけれども……。
#48
○参考人(山本謹吾君) 御承知のことと存じますが、刑事訴訟と申しますものは段階的に発展していくわけでございまして、捜査の段階よりは第一審の公判の段階、さらに一審よりは第二審というふうに、だんだん段階が進むに従って検察側、被告人側の主張も一そう精密になってまいり、あるいは証拠も精細にわたっていくというのが普通ではないかと思います。さようなことから、起訴の段階において、検察官としては有罪の判決を受ける見込みがあると思って起訴をし、また裁判所においても、当該の被告人は勾留しておく必要があると認めて勾留をしておった、しかし、だんだん審理が進むに従って、起訴当時と異なった事実関係が判明してくると、これは一審と二審とを比較してみましてもそういうことが言えるのでございますが、一審当時明らかになっていなかった事実が控訴審になって明らかになるという事例も少なくないのでございます。さように、時をふるに従って段階的に展開されます結果、起訴とかあるいは身柄の拘束当時においては適法と認められておった行為も、結局、最終的な裁判において無罪ということになれば、これは客観的に違法であったということを免れないことになりますので、そこに故意とか過失は現実には認めがたいけれども、無罪の判決が確定した以上、補償をすることは国家として義務ではないかと、そういうことになってくると思うのでありまして、その点、私の考え方にも別段矛盾はないと私は考えておるのでございますが。
#49
○鈴木強君 違法であるから検挙をし、逮捕をし、調べた。ところが、違法でないということになって、無罪になるわけでしょう。ですから、適法なものを違法だといってやったことはやっぱり事実なんですからね。そうであれば、法律に違反したんじゃないですか、その点は。取り調べの段階によって、確かにそれはおっしゃるとおりに、私たちもよくわかるんですけれども、それはやはり当初の取り調べなり、証拠の取り集めなり、そういうものに対して欠けている点があっただろうし、捜査が非常に不十分な点もあったと思いますけれどもね。
 ですから、いずれにしても・よく、お役人さんとか行政府というのは、自分がやったことは多少間違いがあってもそれを正当化しようという、そういう長い日本における悪い癖がある。いまでもその残骸が残っていますけどね。決してやったことを悪いと言わないですよ。あっちからもこっちからも理屈をつけて合法化していくという、そういう悪い癖がある。私たちよく国会で、十数年間いるんですけれども、お役人の特性というか、そういうものがあるんでございますね。そういうようなものが、私はこの中にもあるように思うんですよ。ですから、神様でない限りは、違法であると思って逮捕する。取り調べをする。しかし、後になって、それが違法でなかったということがあると思うんですよ、これは。そのときには、そのあやまちはみずから正すべきですよね。そうして責任をとるべきなんです。そういうことも私はこの中にあると思うんです。
 ところが、法律制定当時の趣旨説明を聞いてみると、全く恩恵的であって、故意も過失もない者に対して、特に無過失賠償責任論なんというのが出てきてついにやらざるを得なかったというようなことで、お茶を濁したようなことを言っているんですが、これは当時ですから通ったんでしょうけれども、いまだったらとてもこんなものは通らぬと思います。そういういきさつもあるわけですから、私は、もう少しその辺の判断というものを時代に順応するような形に持っていってほしいというような気持ちがあるもんですから、非常に失礼なことを言っておるんですけれども、何回言っても同じ返事ですから、それじゃ次にまたお伺いします。
 山本先生ね、下限六百円というのを昭和四十三年のときに変えて――当時、三十九年の四百円から六百円――さかのぼると、昭和二十四年に二百円になりましたね。下限は、二十四年二百円から、三十九年に四百円、四十三年に六百円、今度の改正では六百円に据え置かれているんですね。これは私はおかしいと思うんですよ、下限の据え置きというのは。これはどういうふうに御理解になっているんでしょうか。
#50
○参考人(山本謹吾君) その点、冒頭に一百申し上げたのでございますが、いわゆる責任無能力ということで無罪になる場合があります。したがって、さような場合、従来の裁判で補償額が決定されておる額を見ますと、まず法律で定められておる最低の額が支給されるというのが大体の実例だと思うのでございます。それから、さような場合にはそう多額を支給しなくてもいいと考えるのは、一般の法感情の点からもこういうことが言えるのではなかろうかということを申し上げたのでございます。
 これは、たとえば責任無能力者が他人を殺した、人を殺したという客観的な事実は現実の問題としてはっきりしておっても、その人が責任能力がないから無罪ということになるのでありまして、この場合、被害者の立場に立って考えますと、結局そのために国家から何らの補償もしてもらわなければ、民事上の損害賠償という点が残るだけのことでありまして、いわば殺され損であると言ってもあながち過言ではなかろうかと思うのであります。さような事態が生じておる場合でございますから、責任無能力ということによって無罪になった場合に、そう多額の補償をするということは、国民感情から、法感情からいってもそういうことは求めていないのではなかろうかということを申し上げたわけでございます。
#51
○鈴木強君 先生は、ここへくると感情論が出てくるわけですね。私はさっき、やはり感情論的なことも含めて前段の質疑をしたわけですけれども、確かにそういう感情論はあると思いますね。しかし、私は、憲法四十条を受けて刑事補償法というものができておるわけですからね、少なくとも憲法でいう、「無罪の裁判を受けたときは、」「補償を求めることができる。」というこういう原則に立つと、たとえば責任無能力の場合でも、それは大酒飲みで心神喪失者とかいうやつもいるでしょうし、それから、そうでなくても心神喪失者というのはいるでしょうし、ですから、そういう責任無能力者というものが犯した罪というものは問わないという原則に立てば、それに差別をつけるというのは、私は、憲法四十条の精神からいってもおかしいと思うんですよ。
 現に、いまも申し上げたように、昭和三十九年から四十三年のときは、四百円から少なくとも六百円に上げているわけですね。一行政府の判断において、立法精神をそんなにかってに感情論で踏みにじって、そうして、そういう責任無能力者のやったことについては、国民の感情があるから、その者に対しては少し補償すればいいんだというようなそういう考え方は間違いじゃないですかね、これは。憲法に対して冒涜じゃないですかね、これは。私はそう思いますよ。だったらなぜ、昭和三十九年なり、その前からそういうことをやらなかったのでしょうか。ここへきて、四十三年までは上げておって、四十三年に上げておって、今度は六百円に下を押えるということがもし先生のおっしゃるようなことだとすれば、これは私はたいへん論議があるところだと思う。
 こういう答弁は、法務大臣も、議事録を見ますと衆議院でやっておられるんです。それと同じ見解で先生がお述べになったと思うんですけれどもね、どうも政府ベースのような気がしてしかたがないんです。その点はどうなんでございましょうね。法律家として、もう少しきびしい態度はとれないですか。
#52
○参考人(山本謹吾君) その点、法律的に申し上げますと、無罪の裁判につきましてもいろいろ理由があるわけでございまして、たとえば、起訴されておる事実が法律上犯罪を構成しない、つまり法律上の犯罪構成要件を満たさないということで罪とならぬという場合の無罪もございまするし、起訴されておる事実を認めるについて裁判官が確信を抱くことができない、したがって疑わしきは罰せずという理由で無罪になる場合もございますし、その他に、当該の被告人が犯罪を構成する事実を行なったことは証拠上はっきりしておるけれども、当該の被告人が責任能力がないからその人間に刑事上の責任を負わせることができないんだという理由で無罪になる場合、そういうふうにいろいろあるわけでございます。いま申し上げました例によってもおわかりかと思うのでございますが、その行為が法律上犯罪を構成しないという理由、あるいは疑わしきは罰せずという理由は、いずれも客観的な犯罪の構成事実というものが認められないという場合でありますが、これに反して、責任能力がないという場合は、客観的に犯罪に当たる行為はその当人が実現しておるのであります。しかし責任を負わすことができないという理由で無罪になるのでありますから、そこに、刑事補償をする場合におきましても、その程度に差を設けることは、少しも感情論ではなくして、私は合理的な根拠があるのではないかと、さように考えて申し上げておるのでございます。
#53
○鈴木強君 先生が国民感情ということをおっしゃったから私はそう申したんですけれども、まあそれはどうでもいいことですけれども、要するに、現在無罪の裁判があった場合は補償を求めることができる、こうなっておりますから、かりに責任無能力者がやっても、ここで無罪になった場合にはこれは補償の要求ができる、これは原則なんですね。ですから、かりにもし大酒飲みでめいていしておって人を殺した、殺したことには変わりない、しかしそういう者がいろいろな事情からして無罪になった、しかしその場合、一般に考えられるものと同等に補償するのはおもしろくない、そういう考え方も確かに否定できないと思いますね、確かに。そうだと、むしろそういうものについては除外例を設けておくとか何とか、法律的にきちっと整理するということが必要なんじゃないでしょうか、その辺はどうなんでしょうか。それはまたむずかしいんですか。
#54
○参考人(山本謹吾君) さような場合におきましても、とにかく身柄を拘束した以上は、補償の額は低くても補償をするということがやはり公平ではないかと、憲法並びに刑事補償法はそういう考え方に立脚しておると、こう思うのでございます。
#55
○鈴木強君 これは今後の問題点だと思うのですが、さっき大野先生のほうから、心神喪失者の場合で除外例があるということをおっしゃいましたね、ちょっと。その例というのはどういうのでございましょうか。
  〔委員長退席、理事白木義一郎君着席〕
#56
○参考人(大野正男君) 外国の例でございますが、ドイツの無罪の判決を受けた者の未決勾留に対する賠償に関する法律というのがございまして、その中では、自由な意思決定を妨げるめいてい状態で犯したときという場合には請求を拒否することができるという立法例があるということを申し上げたわけでございます。
#57
○鈴木強君 よくわかりました。
 それで、この論議は、ごく最近、要するに責任無能力者の場合、特に大酒飲みで心神喪失したとか、あるいは典型的なそういう人とか、心神喪失者とかいう者に対してはこれは補償するのはおかしいじゃないかという論が出まして、法務省のほうでもたしか検討課題になっておったと思うのですが、しかし今度の改正ではその点が明確にならない。そこでとりあえず大臣の意見を聞いてみますと、要するに除外規定を設けろという論と、そうでないという論とあるわけですね。そこで、今回の補償金額の点で六百円という最低をそのままにして、そういう趣旨に沿うような形でやっているということは事実でしょう、これは客観的に見ても。そういうことが公然とここに出てきて、六百円が全然下限が動かなかったということになりますと、これは相当私は問題があると思うのですね。もし除外するというならば、外国にも例があるそうですから、そういうことはおやりになったらいいでしょうし、そうでない、要するに憲法四十条によって、刑事補償法というものが受けてやられるとすれば、その中で除外できないものであれば、やっぱりこれは差をつけることはおかしいですべという論になるので、この辺は少し問題だと私は思っているのですけれども、これはあとでまた法務省にいろいろ伺うためにも先生方の御意見を承りたかったんですけれども、これは大野先生はどうでございましょう。いま私が申し上げているような意見に対して何かお考えがございましたら教えてもらいたいのですが。
#58
○参考人(大野正男君) 御指摘になりました刑事補償法の第四条はいろいろな、ここに記載がございますような状況を考えろとございますから、ある程度の幅があることは立法上合理的でございます。
  〔理事白木義一郎君退席、委員長着席〕
ただ、もし提案の御趣旨が根本的に、一体公平なり正義にこの価格が合致しているのかという観点でこの価格の補償額の変化をお求めになっているならば、一つの考え方だと思いますが、上限については全くスライド的に、旧法をそのままスライドさせているわけでございます。しかし下限については全然しないということになれば、下限については実はある意味では立法の変更になるだろうと思います。そこには重大な考え方の違いが出てまいりまして、むしろ、もし、立法趣旨はわかりませんけれども、めいてい者であるとかあるいは精神病者についてはこれは補償しない方向へ向かうんだという意味が加わっているとするならば、これは非常に重要な意味を持ってくるのであって、このスライドシステムを考えるのだと、それがいまの公平なり正義だとお考えになるとすれば、当然これは上限も下限も考えるべきものであろうと思います。
#59
○鈴木強君 大野先生の御意見は全く私も同感でございまして、これはいずれ審議の際に両先生の御意見も申し上げてこれは審議の参考にしたいと思いますが、いろいろ私もまだ伺いたいことはありますけれども、時間も少し過ぎてきましたから、いろいろと御意見を承りましてありがとうございました。これで終わりたいと思います。
#60
○後藤義隆君 両先生の供述でよくわかったのでありまするが、両先生の供述が一つ事項に対して真正面から食い違っておるというようなふうな感じも私は持つから、なるべく、やはりどちらも有力な弁護士でありまするから、なるべくその違いを狭めたほうがいいんじゃないかというようなふうにでき得るならばと思うから、私が一応お伺いいたしますが、ただ、私は一問一答を避けまして、そうしてずっと私の考えておることを申し上げますから、それに対して主として大野先生からお答えを願いたいと思うのでありまするが、それは、私はこの問題に対してこういうふうに考えておりまするが、もちろん、要するに憲法の十七条、さっきからお話にもあったのでありまするが、公務員に不法行為があったときには国家はこれに対して賠償せなければならぬという、いわゆる国家賠償法は十七条を受けておるんで、したがって、この憲法の十七条には「賠償を求めることができる。」ということが書いてあって、賠償ということが書いてある。またそれと同時に、これは公務員に不法行為があったということを前提にしておるんであって、無過失はこの中には含まっておらないものだというようなふうに私は考える。
 これに対して今度は憲法の四十条では「何人も、抑留又は拘禁された後、無罪の裁判を受けたときは、法律の定めるところにより、国にその補償を求めることができる。」と、こうあって、この刑事補償法は憲法の四十条を受けてできたものである。そうして憲法の四十条には補償を求めるということが書いてあって、憲法ができたすぐその後にこれはいわゆるこの刑事補償法が改正になっておるわけでありまするが、そういうようなふうに考えております。
 そして、先ほど大野先生からもお話があった、またこれは山本先生からもお話があった、大野先生もこれは同じだと思いまするが、憲法の十七条は不法行為のあることを前提としておりますが、ところがこの憲法の四十条の刑事補償法は、不法行為があってもなくても、いわゆる無過失の場合でもやはりこれは抑留または拘禁を受けたときには今度は損害を払わなけりゃいかないという、この中にはいわゆる無過失責任も含まれているんだと、当然この中には、要するに過失がある場合もあるが、両方とも含まれているんだというようなふうに私は考えるんです。
 そこでもって、いま問題になっておりますところの、拘禁されないものをやはり幾らか補償したらどうかというようなふうな論が、まあここにはありませんけれども、衆議院にあるそうでありまするが、それはいわゆる憲法の四十条には、抑留または拘禁された者とあって、「抑留又は拘禁」ということを前提にしてあって、無罪の判決を受けるということもこれは前提でありまするが、しかし拘禁も抑留もされておらないものはこの中には入らないんだというようなふうに私はまあ考えるわけなんです。
 それと同時に、もし無罪の判決を受ければ当然これがやはり何か入るということになれば、憲法四十条をはみ出してしまって、別な何か憲法の条文に基づいて、理由によってこれは払わなければいけない、請求ができるというようなふうになりはせないか。そこでもって、もしそういうようなふうなことをつくることに、法律をつくることに改正することになればですよ、その中にはすなわち抑留、拘禁をされておらない者といえども、無罪の判決を受けた場合に損害を補償するということになれば、無過失の場合も当然あり得ることになると思います。憲法の四十条は抑留または拘禁をされておるというのは、この条文があるから無過失の場合でも当然これはこの中に含まれるわけでありますが、しかしこの条文の拘禁または抑留をされておらぬ、ただ無罪の判決さえ受けりゃこれに対して損害賠償をするということは、無過失の場合でも私はやはり補償するというようなふうな結論が出てくるんじゃないか。いや、無過失の場合は入らぬというようなふうなことの条文は私はちょっとできにくいんじゃないかというようなふうに考えます。
 それでもって、国の行為によって何かだれかが損害を受けた場合には必ず、損害のあるということを立証すれば、国に対して無過失であっても何であっても損害を払うというふうな根拠があればですよ、そういうことはいま法律上検討してそういう結論が出りゃそういう法律をつくることもいいわけですけれども、しかし、現在の状態では無過失の場合に損害を払うというのは憲法四十条だけであって、それより以外には、いわゆる無過失の場合の損害を払うというものはないわけでありまするから、私はやはり無罪の判決を受けたからと言って、国に不法行為がない場合には、私はやはり賠償しなくてもいいのじゃないか、そういうようなふうに、またそんな法律を別につくることは適当でないというようなふうに考えるわけですがね。そういうようなふうな点についてあなたはどういうようなふうにお考えになっておるかどうか、その点をお伺いいたしたいと思います。
#61
○参考人(大野正男君) いま御質問のうちの前段部分、すなわち憲法の十七条と、それから四十条の御解釈については全く正確だと思います。そのとおりでけっこうだと思います。
 しかし、四十条は確かに勾留、拘禁中と無罪という要件をいたしておりますが、これは、したがって国は、立法機関は必ずこれについての法律をつくらなければならない義務を生ずるわけでございます。
 しかしこの非拘禁の無罪の者については、憲法上の義務を別に立法機関は負っているわけではございません。しかし、法律は御承知のように必ず憲法で命令されていることだけをつくるのではございませんから、いま申しましたような、おっしゃいましたような御趣旨の法律をつくりましたからといって憲法違反になるということは全くございません。したがって、これは立法機関が先ほどいろいろ申しましたような趣旨、特に司法機関のあり方についてのお考えで刑事補償法をいまのように、日本弁護士連合会がしているような非拘禁にまで拡張したからといって、憲法上の問題は全く生ずる余地はございません。
#62
○後藤義隆君 よくわかりましたがね、そういたしますと、いまあなたのおっしゃるようなふうに非拘禁の者に対しても、無罪の判決があれば、やはり国は補償する法律をつくっても憲法違反にはならないと。もちろんこれは私は憲法違反だということを申しておるわけではありませんが、その場合には憲法の条章に基づかずして別個な法律をつくるということになって、憲法の四十条を基礎にしてつくるということにならないということを私は考えるのと、もう一つはですね、自動車のひき逃げをやって、そうして会社の重役なら重役あるいはまた行政官庁の上役の人がひき逃げをやって、そうしてほかの人が身がわりに出たと。あるいは暴力団の親分がピストルで撃ったのが、だれか身がわりで自首して出てそうして行ったと。これは勾留はされておらないようなふうな場合に、全く国にはこれはなにがないわけです。いままでそういう議論が一つもなかったが、過失がないわけであります。不法行為はないわけである。そういうようなふうな場合でも、無罪になれば、それで、あるいは事件をだんだんやっておるうちに、起訴になってやっておるうちに、何だかこれは変だというので、一審あるいは二審に行ってこれは身がわりだとわかった例はたくさんあるわけでありまするが、そういう場合でも、要するに国には何らこれは過失はない、不法行為はないんでありまするが、それでも損害を払えというようなふうなことは適当かどうか。これはやはり立法府としては考えざるを得ないんじゃないかと、こういうようなふうに考えるが、その点はどうですか。
#63
○参考人(大野正男君) お説には全く賛成でございます。ただ、それは現在の法律でもそのように、いま御質問のありましたようなのはむしろ払わないという除外例が設けられてございますので、現在の拘禁、非拘禁を問わず、それは刑事補償の対象とされておりませんし、第三条でございますが、その立法の趣旨は正当だと考えております。
#64
○後藤義隆君 はい、よろしいでしょう。
#65
○原文兵衛君 大野参考人に一言だけお伺いさせていただきます。
 先ほど山本参考人のお話の中に、非拘禁の者に対しての補償をするという法制は、外国の立法例にも見当たらないというふうに私お伺いしたのでございますが、その点について大野参考人のお考え、また、もし外国の立法例にそういうものがないとすれば、どういう理由でないんだろうかというお考えをお示しいただけるとたいへんありがたいと思います。
#66
○参考人(大野正男君) 全然ないかどうかまで詳しく調べておりませんが、こういう事例はございます。刑事補償につきまして二つございまして、無罪の場合と、それから再審によって有罪判決が取り消されたと申しますか、無罪になったという二つの場合。後者の場合につきましては、拘禁だけでなくて一切の損害を賠償するという法規はございます。アメリカでもございますし、それからフランスでもそうでございます。というのは、たとえば懲役三年の執行猶予二年という判決が確定した。ところが、その後それは全くだれかの偽証によるものであるということがわかって、再審の申し立てがあって、再審によって無罪ということになった場合には、非拘禁の損害も含むという立法例はかなり多くございます。
 ただ、私が先ほど、あるいは山本先生がおっしゃった意味も必ずしも明確ではございませんが、初めから無罪が裁判所で言い渡された場合についてのは、確かに非常に数が少ないと思います。ですが、非拘禁はしないのだという原則は、いま申し上げたところからも、世界的にないと思います。
 なぜ無罪の言い渡しがあった場合については、御指摘のとおり外国では少ないのかということについて、私は必ずしも事情をつまびらかにいたしませんが、一つの考え方は、かなり、社会的にも有罪の判決があるまでは無罪の推定を受けるということは、ことに先進国においてはかなり徹底をいたしているように思います。これも私聞いたところでございますが、日本のような法制、ことに起訴されたら最後、無給になってもよろしいというような法規の存在を確めたわけでございますが、そういうことはどうも先進国にはないように聞いております。で、そういう点から申しますと、日本における有罪率の高さ、つまり九九・六%、一たん訴追されれば有罪を受けるということ。それに伴う、一たん訴追を受ければあいつは有罪であるという推定の度合い。また被告に対するいろいろなさっき申しました法制及び社会の状態の違いということはあろうかと思っております。
#67
○佐々木静子君 ちょっと先ほどの白木先生の御質問の中に出てきましたことについて、追加させていただきたいんでございますが、先日、この刑事補償をするについて、この補償を請求する側から書面を出して請求をお願いする、そういうかっこうにいまの法制上はなっているが、これはどうかということに対して、法務大臣は、これは国が国民に補償するという意味で、国民のほうから請求書を出してお願いするというようなかっこうになってはいるが、むしろ国のほうの責任でこの補償を出すように立法を変えていく考えであるという見解を前委員会で述べられたのですが、私、両参考人のお話を伺っていますと、一片の紙きれというふうに御両人ともおっしゃったので、あるいは裁判所によって取り扱いが違うのかなというふうにも思いましたので、ひとつお伺いしてみますが、私もここに持っているんでございますが、これはなかなか一片の紙きれで済んでないという補償の請求がほとんど、いまこちらにもございますが、いまちょっと数えてみますと、二〇ページこれは要しているわけでございまして、やはりその間に、何月何日にどういうことがあって、こういうことがあってというふうなことを、これは仁保事件の刑事補償の請求でございます。それからこれは、いま先ほど申し上げました金森老事件の刑事補償の請求でございますが、これはまあかなり簡略で、一片ではありませんが、三枚の紙きれで請求してあるんですが、これは足らなかったと見えてあと二回上申書で追加しております。これ実際問題として、私も追及したことがあるんでございますが、何月何日にどういうことがあってこういうことがあってということをやはり書かないと、これは裁判所のほうで御決定いただけないということで、もう一度記録を精査しなければならないというふうなことが現実の問題としてやはり、これは全国的にちょっとわからないんですが、私の知っているところでは、そういうふうになっておる。そうなると、これはいずれも百万以上の刑事補償を請求した場合でございますから何でございますが、これで勾留期間が短くて二万とか三万とかというような請求をするとなれば、これは現実の問題として、手続のほうが手続倒れになるということで請求されないというケースもかなりあるんじゃないか。もちろん先ほど来、大野参考人お述べになりましたように、補償額が少ないということがこれはもう決定的な理由だと思うんでございますが、それとともに手続の簡略化、まあ請求書を一枚、国選弁護の費用の請求のように、書面だけ出しておけば、あと裁判所のほうで計算していただけるというふうな手続の簡略化ということも、やはり国民の側から考えれば、そういうふうにしていただいたほうが国民の利益になるんじゃないか、法の精神にも合うんじゃないかと思うんでございますが、その点大野参考人はいかがお考えでございますか。
#68
○参考人(大野正男君) このような基本的な権利に関する問題について、手続が、かりに私どもから見まして容易であっても、より一そう容易にするという方向はたいへんけっこうなことであろうと思います。ただ、実際に、私どもにとって容易だということを申しましたけども、そこにやはり法律家と国民の間のギャップがはしなくも露呈されているのかもしれませんが、たとえば拘禁をいつからいつまでしたとか、いつの時期に無罪の判決が言い渡されて確定したとかいうようなことは、私どもは記録も持っておりますし、容易なことであろうかと思いますけれども、実際に被疑者自体には弁護人がついているわけでもございませんし、何年もたつと、一体いつの時期に勾留をされて、いつだったのかというようなことを一々庶民の方が覚えているということは実はなかなか困難なことなのかもしれません。そういう点から申しますと、法務大臣がおっしゃったような、より一そう簡潔に、それこそ紙に書いて補償を請求するという意思があれば、あとは裁判所がそんなことは全部職権で、これは記録があるわけですから、裁判所が、何にも要件を書いてなくても、刑事補償を請求したいという意思表示だけすれば、全部そういう計算だとか、いつやったということは裁判所が考えるんだという方式になることはたいへん好ましいことだというふうに思います。
#69
○委員長(原田立君) 他に御発言もなければ、以上で参考人に対する質疑は終了いたしました。
 参考人の方々に一言御礼を申し上げます。
 皆さま方には、御多用中にもかかわらず、長時間にわたりまして御意見をお述べいただき、なおかつ質疑に対する御答弁をいただきまして、ほんとうにありがとうございました。厚く御礼を申し上げます。
 本案に対する質疑は本日はこの程度といたします。
 本日はこれにて散会いたします。
   午後三時十五分散会
     ―――――・―――――
ソース: 国立国会図書館
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