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1972/02/23 第71回国会 衆議院 衆議院会議録情報 第071回国会 文教委員会 第3号
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1972/02/23 第71回国会 衆議院

衆議院会議録情報 第071回国会 文教委員会 第3号

#1
第071回国会 文教委員会 第3号
昭和四十八年二月二十三日(金曜日)
    午前十時八分開議
 出席委員
   委員長 田中 正巳君
   理事 塩崎  潤君 理事 西岡 武夫君
   理事 松永  光君 理事 森  喜朗君
   理事 木島喜兵衞君 理事 長谷川正三君
   理事 山原健二郎君
      有田 喜一君    上田 茂行君
      坂田 道太君    染谷  誠君
      中村 拓道君    中山 正暉君
      野中 英二君    林  大幹君
      深谷 隆司君    三塚  博君
      山崎  拓君    勝澤 芳雄君
      小林 信一君    嶋崎  譲君
      山口 鶴男君    山中 吾郎君
      栗田  翠君    有島 重武君
      高橋  繁君    安里積千代君
 出席国務大臣
        文 部 大 臣 奥野 誠亮君
 出席政府委員
        文部政務次官  河野 洋平君
        文部大臣官房長 井内慶次郎君
        文部大臣官房審
        議官      奥田 真丈君
        文部省初等中等
        教育局長    岩間英太郎君
        文部省社会教育
        局長      今村 武俊君
        文部省体育局長 澁谷 敬三君
        文部省管理局長 安嶋  彌君
        日本ユネスコ国
        内委員会事務総
        長       西田亀久夫君
        文化庁次長   清水 成之君
 委員外の出席者
        文教委員会調査
        室長      石田 幸男君
    ―――――――――――――
委員の異動
二月十二日
 辞任         補欠選任
  山口 鶴男君     大原  亨君
同日
 辞任         補欠選任
  大原  亨君     山口 鶴男君
同月十三日
 辞任         補欠選任
  山口 鶴男君     大原  亨君
同日
 辞任         補欠選任
  大原  亨君     山口 鶴男君
同月二十日
 辞任         補欠選任
  勝澤 芳雄君     大原  亨君
  山口 鶴男君     安宅 常彦君
同日
 辞任         補欠選任
  大原  亨君     勝澤 芳雄君
同月二十一日
 辞任         補欠選任
  安宅 常彦君     山口 鶴男君
同月二十三日
 辞任         補欠選任
  高見 三郎君     三塚  博君
同日
 辞任         補欠選任
  三塚  博君     高見 三郎君
    ―――――――――――――
二月十六日
 義務教育諸学校施設費国庫負担法の一部を改正
 する法律案(内閣提出第三九号)
同月二十日
 教育職員免許法等の一部を改正する法律案(内
 閣提出第六七号)
は本委員会に付託された。
    ―――――――――――――
二月九日
 学校教育において国民意識育成に関する陳情書
 (東京都北区上中里町一の一四太田財政研究所
 長太田政記)(第一三号)
 心身障害児の不就学解消に関する陳情書(愛知
 県議会議長神田效一)(第一四号)
 国立旭川医科大学の開校促進に関する陳情書
 (北海道議会議長杉本栄一)(第一五号)
 へき地学校の施設整備費国庫補助率引上げ等に
 関する陳情書(北海道議会議長杉本栄一)(第
 一六号)
 教職員の給与改善に関する陳情書(北海道議会
 議長杉本栄一)(第一七号)
 社会教育の振興に関する陳情書(十都道府県議
 会議長会代表大阪府議会議長西川徳男外九名)
 (第七七号)
 私立学校助成制度の立法化に関する陳情書外六
 件(大牟田市議会議長境慧外五十一名)(第七
 八号)
 私立学校教育の充実振興に関する陳情書(中国
 五県議会正副議長会議代表山口県議会議長近間
 忠一外四名)(第七九号)
 義務教育の管理下における児童生徒の学業災害
 補償に関する陳情書(志木市議会議長高橋金三
 郎)(第八〇号)
 義務教育施設に対する国庫負担率引上げ等に関
 する陳情書(北海道上川郡東川町議会議長木村
 重太郎)(第八一号)
 文化財保護事業の充実強化に関する陳情書(十
 都道府県議会議長会代表大阪府議会議長西川徳
 男外九名)(第八二号)
 富岡市内高等学校に工業科併設等に関する陳情
 書(前橋市大手町三の二の一〇群馬県商工会議
 所連合会長佐田一郎)(第八三号)
は本委員会に参考送付された。
    ―――――――――――――
本日の会議に付した案件
 文教行政の基本施策に関する件
     ――――◇―――――
#2
○田中委員長 これより会議を開きます。
 文教行政の基本施策に関する件について調査を進めます。
 質疑の申し出がありますので、順次これを許します。松永光君。
#3
○松永委員 大臣に質問したいと思いますが、御承知のように、去年は学制百年という記念すべき年であったわけでありますし、ことしは新しい百年に向かって第一歩を踏み出すぎわめて大切な年であると思います。そういう大切なときにあたって、先日文部大臣は文教施策についての所信を述べられたわけでありますが、それを伺ってみますと、当面の文教施策の中で最も重要な施策は、教員給与の抜本的改善をはかるということである。そして四十八年度を初年度として、年次計画を立ててこれを実施する、こういうふうに申しておられるわけであります。この教員給与の抜本的改善の構想が示されて、四十八年度の予算案に義務教育諸学校分として百三十五億が計上されましたことによって、教育の現場の大部分の先生方は非常に喜んでおるというふうに聞いておりますが、同時にまた、この給与改善のねらいは、文部省に忠実な教員をつくろうとするものであるとかいう非難も一部にあるようであります。そこで、この給与改善を大きく打ち出された大臣の基本的な考え方といいますか、趣旨、目的というものについて、この際はっきり伺っておきたいと思います。
#4
○奥野国務大臣 お話しのとおり、教育の発展充実に向かいますには、いま非常に重要な時期になっていると考えているわけでございます。私は、教育の基本は教師にある、このような考え方を年来持ち続けております。したがいまして、教師によき人材を確保したい、よき人材を確保しますには、それに値するだけの処遇をしていかなければならない、そういうようなこともございまして、まず給与の改善、これを基本的な施策に据えたい、かように考えているわけでございます。それ以外には何ら特別な意図を持っておるものではございません。教育界に人材を迎え入れたい、迎え入れるだけの処遇をしていきたい、これが念願でございます。
#5
○松永委員 四十八年度の予算案に計上してある給与改善費百三十五億の執行に関する法案をこの国会に提案されるというふうに聞いておりますが、その法案では、義務教育諸学校だけが具体的な対象となっておって、高等学校、そして幼稚園は対象外とされておる、こういうふうに聞いております。そして、そのために教育の現場では、なぜ高等学校、そうして幼稚園を対象から除外するのかということで、少なからず混乱をしておるというふうにも聞いております。学校教育というものが人間形成の上で非常に大切であるということは、だれでも承知しているところでありますし、同時にまたそのことは、義務教育だけが高等学校やあるいはまた幼稚園とは区別さるべきものじゃないのであって、高等学校やあるいは幼稚園も、義務教育と同じように取り扱わるべき性質のものであるというふうに私は思っております。
 特に最近、高等学校の進学率が高まってまいりまして、進学率が八五%にも達しておるのでありますから、高等学校と小学校、中学校とを区別して、そして高等学校のほうを対象からはずすということは、私どもとしてはどうしても理解ができないわけであります。なぜ高等学校、そしてまた幼稚園を義務教育の諸学校と区別をされたのか、その理由、そのいきさつを明らかにしていただきたいと同時に、高等学校や幼稚園の現場の先生方の不安あるいは混乱をなくす意味からも、高等学校、幼稚園のほうの教員の給与改善については具体的にはどのように措置される方針であるのか、この際明確にしておいていただきたいと思います。
#6
○奥野国務大臣 今回の教員の処遇改善の趣旨は、いま御指摘になりましたように、学校教育の水準を引き上げていきたいということでございます。同時にまた、教員の処遇を他の公務員よりも引き上げていくといたします場合には、どこで線を引くのかたいへんむずかしい問題でございます。私たちも、義務教育という見地からとらえます場合に、幼児の場合も、幼稚園と保育所を合わせると九割に向かって進んでいるじゃないか、高等学校もまた進学率が九割に近くなってきているじゃないか、準義務教育化しているのじゃないか、おっしゃるとおりだと思うのであります。
 そういう実態に目を向けて区分していって、他の公務員の納得が得られればよろしいのでございますけれども、なかなかそれぞれの所管の省もございまして非常に困難でございます。そういうこともございまして、義務教育という形式の面に目を向けますと、小中学校の先生に限られるわけでございますけれども、わりあいに区分しやすいわけでございます。この問題を推し進めていく過程におきまして、やはりこういう形式的な区分に着目する以外にはない、そういうことから、小中学校の教員の給与を、他の公務員の給与水準よりも一段と引き上げていくというようなことに踏み切ったわけでございます。
 御承知だと思いますけれども、幼稚園の先生方の給料表は、小中学校の先生方の給料表と一緒になっているわけでございます。また高等学校の先生方の初任給は、小中学校の先生方の初任給と同じでございまして、小中学校の先生方の初任給を上げれば、当然高等学校の先生方の初任給も引き上げざるを得ないと考えておるわけでございます。私どもとしては、学校教育の水準を引き上げていきたいのだ、それには教員の給与の改善をはかっていきたいのだ、他の公務員よりも改善をはかっていくとすると、どこかで区分しなければならない。そういう場合に、やはり一番区分して納得の得られやすいのは、形式的には義務教育という制度があるわけだから、義務教育教員を取り上げる、それを取り上げるならば、自動的に幼稚園の先生も、あるいは高等学校の先生も、さらにはまた大学の先生にも、学校教育に携わっている先生方に関連的に均衡をとりながら引き上げていくことが可能になっていくのじゃないか、こういう期待を持っておるわけでございます。法律的には、小中学校の義務教育教員ということで明示してあるわけでございますけれども、このことを足がかりにして、教員全体の処遇の改善を進めていくことが可能だ、こういう判断に立ち、また人事院との話し合いにおきましても、そういう姿勢で協力を求めたいものだ、かように念願をいたしておるわけでございます。
#7
○松永委員 そういたしますと、形式的には、給与改善に関連した今回提案される法律の中には、義務教育諸学校の先生だけを対象にしているような形にはなっておるけれども、実際問題としては高等学校の教員や幼稚園の教員も、同じような形で給与の改善がなされる、こういうふうに伺ってよろしいわけですね。
#8
○奥野国務大臣 そのとおりでございます。ねらいは学校教育の水準の向上にあるわけでございます。それにつきまして、小中学校の教員、この処遇の改善を足がかりにして努力をしていきたい、こういう期待を私たちとしては強く抱いているわけでございます。
#9
○松永委員 ところで、この四十八年度から実施するとして、今回の給与改善は今回限りじゃないのであって、年次計画を立てて給与改善をやる、その初年度が四十八年度の予算に計上されておる、したがって、これから計画的にさらに四十八年度に取り上げ、四十九年度でまた取り上げる、こういうふうな形になされるというふうに私ども聞いておるわけであります。そういたしますと、相当多額の予算が要るわけであります。教育をよくしていくということのために金を惜しむべきではないことはもちろんわかるのでありますけれども、しかし多額の金を使って給与の改善をしていくということでありますから、給与改善ということについての幅広い国民の理解と、そしてまた支持がなければ、計画的に給与を引き上げていくということは、実際問題としてはなかなかむずかしかろうと思うのであります。そういう意味では教員の給与改善はぜひとも必要であるということの国民の理解と支持が出てこなければならぬと思うのですが、この今回の給与改善について、大部分の現場の先生が喜んでいらっしゃる、また、このことについて、相当国民の支持もあるように私どもは聞いておるのですけれども、しかし、一部においては、毎年ストライキをやるようなそういう先生方の給与を、なぜまじめに働いている公務員よりも引き上げなければならぬのかというふうな疑問を抱いておる人もいるというふうに聞いております。
 そこで私は思うのに、とにかく給与改善という目的を達成するためには、現場で働いておる先生方が、自分の責任なり使命なりが非常に重要なんであるということを自覚されて、そして子供に対する深い教育愛を持って教育に当たっていただく。そして父兄や一般国民の期待と信頼にこたえていただく。そうすれば一般国民ないし父兄の側も、これほどりっぱな先生方の給与であるからもっと上げてやろうじゃないか、こういう国民の理解と支持が得られる、こう私どもは思うわけであります。
 そういう意味で、文部省でやろうとしておられる給与改善について、それが成功するかどうかは、一面においては現場の教師がほんとうに国民の期待にこたえるような、国民の信頼にこたえるような教育活動に専念してもらう。かりそめにも違法行為などをして、そして国民から批判を受けるような行動がないようにしてもらう。そのことが給与改善という文部省で考えておられる目的を達成するために、きわめて大切なことであろうと思うのですが、このことについて大臣はどのように考えていらっしゃるか、お伺いいたしたいと思います。
#10
○奥野国務大臣 処遇の改善は、教師の資質の向上をはかっていきたいということにあるわけでございまして、人材が教育界に入ってくれる。同時にまた、いま教育の仕事に携わってくださっている方々も、積極的にみずからの資質を高めるための努力をしてくださる、そういうことを考えているわけでございます。政府の施策というものが、おのずから先生方のそういった自覚を一そう高めていくことになるだろうと期待をいたしているわけでございます。したがいまして、また研修のような仕事も積極的に拡充していきたいと考えておりますし、また世界に目を向ける先生方になっていただけるように、五千人を海外に派遣するというようなこともあわせ考えているわけでございまして、こういうような一連の施策というものを、私は先生方はすなおに受けてくださるのじゃないだろうか。また、先生方はすなおに受けてくださって自覚が一そう高まってくる、その結果は、また世間から非難を受けることのないような姿に自覚をしていただけるのじゃないだろうか、かように考えているわけでございます。お話しになりましたこと、まことにもっともなことでございまして、そういう非難を受けることのないようにみんなで努力をさせていただきたいものだと念願をいたしております。
#11
○松永委員 時間がありませんものですから、これは私の最後の質問なんですが、最近、教師に教育権があると称して、学習指導要領や検定教科書を拒否して、教育課程を自主編成しようとしたり、あるいはまた自主教科書を使用して授業を行なおうとしたりして批判を浴びるようなことが一部の教師に見られるようであります。このように、国と国民、あるいは国と教師を対立させて、国が教育に関与すべきでないという考え方は、私どもは議会制民主主義の大原則にも反するというふうに考えるわけであります。国が国民の意思に基づいて、その負託を受けて教育の機会均等、あるいは教育水準の維持向上、適切な教育内容の確保のために必要な措置をとることは当然の責務であって、どのような国にも当てはまることと考えるのでありますが、これらの点についての文部大臣の考えを、この際はっきり聞いておきたいと思います。
#12
○奥野国務大臣 御指摘になりましたこと、まさにそのとおりだと考えているわけでございます。国と国民とをことさらに対決させるというような立場に立った行ないもかなりあるわけでございますけれども、たいへん残念なことだと思っております。国民から負託された教育という重要な任務を行なっておるわけでございますので、その責任のもとに一般的な教育水準を高めていきたい、同時にまた、よき社会人を育成していきたい、そういう責務を国としては国民から負託されているのだ、そういう考え方に立って努力していかなければならない、かように考えておるわけでございます。
#13
○松永委員 時間が来ましたので、これで終わります。
#14
○田中委員長 森喜朗君。
#15
○森(喜)委員 ただいま大臣の学校教育に対する意欲というもの、新しい学制の方向づけというものを、たいへん私ども意欲的であるということに伺ったわけでございます。私はあまり時間がございませんが、やはり教育というのは、学校教育も大事だけれども、同時に私は社会教育、特に人間教育というものを考えていかなければならぬという時期がきておると考えております。そういう面では、今度の四十八年度予算要求あるいはまた大臣の御説明を伺っておりまして、やはり文部省の姿勢というもの、文教行政の姿勢というものは、いささか――いささかじゃなくて、もうだいぶ片寄っておるという感じが実はいたしております、率直な話。
 そこで、まず大臣にお聞きしたいのでありますが、週休二日制というのは世界的趨勢であります。自由時間、余暇時間というものをどうやって生きがいと結びつけていくのか、これも私は日本民族の将来にとって大事な教育の一つの考え方の基本でなければならぬと考えております。
 そこで大臣に、まず余暇というのをどう考えておられるか、あるいは自由時間というものをどうお考えになっているか、ひとつ所見を伺っておきたいと思います。
#16
○奥野国務大臣 お話しのように、教育を学校教育に偏して考えてはいけない、同感でございます。ことに変化の激しい時代に、そういうところから生涯教育ということばも生まれてまいっておりますだけに、学校教育、社会教育、家庭教育を通じてよき人間の育成に当たっていかなければならぬ、かように思っているわけでございます。
 同時に、いまおっしゃいましたように、週休二日制などの問題が現実の問題になってきているわけでございまして、大きな経済成長の成果を国民の間に賃上げの形で分配をする。さらにはまた労働時間の短縮のような形で分配する。いずれも大切なことでございます。労働時間の短縮の形で分配をすることがさらに週休二日制に発展してまいってきているわけでございまして、そういう形で余暇がふえてくる。その余暇が善用される。善用されるように政治の面で施策を講じていく。非常に大切なことだと、かように考えているわけでございます。
 私、学者でございませんので、余暇と自由時間、どういうふうに使い分けされているか知りませんけれども、要するに睡眠時間なり食事の時間などを除いて、職場とか学校とか家事などから解放されている時間、それをひまな時間、余暇と、こういっているようでございまじて、自由時間はあるいは拘束時間に対応して生まれてきたのかもしれませんが、社会教育の上では同じように使っているんじゃないか、かように考えるわけでございます。
 私、労働時間の短縮という形で申し上げましたが、女性の場合には、ガスが普及する、水道が普及する、あるいは電気洗たく機だ、電気冷蔵庫だ、あるいは電気掃除機だというようなかっこうで、家事の時間もかなり省けてくる、こういうのが自由時間の増大、余暇の増大につながっていくわけでございますので、あわせまして私たちも、政治の面でこれをどう活用するかということを深く考えていかなければならぬ時期に差しかかっていると考えているわけでございます。
#17
○森(喜)委員 ただいまの大臣の所見、きわめて私は、社会教育行政あるいは社会体育行政と関連があるというふうに承っておきたいと存じます。
 そこで、たしか高見大臣の御就任になったときだと思いましたが、学校教育、社会教育はもう教育の両輪でありますということをおっしゃっているわけです。しかし、その当時の数字を見ましても、両輪なんということはおおよそ言えない。それからことしのこれを見てみましても、学校教育の新しい意欲的な施策に考えてみて、社会教育関係、こう見てみましても、確かにパーセンテージはたいへん伸びているわけでありますけれども、正直に申し上げまして、両輪というにはこれも全然ほど遠い。社会教育局長いらっしゃいますが、どうですか。総体的に学校教育に対する金と、社会教育に対する――これは社会体育も含めてでしょうが、どれぐらいになっていますか。大ざっぱでいいですが、大体どのくらいの比率になっておりますか。
#18
○今村政府委員 お答えいたします。
 昭和三十五年で文部省予算の中に占める社会教育局の予算は〇・三%でございましたが、現在昭和四十八年度は〇・七五%でございます。そういう意味ではいま御指摘のように、局の予算としてはずいぶん事務的には伸びているわけでございますが、文部省全体の予算の中では、比率は非常に少ないということでございます。
 ただ一言申し上げておきたいのは、文部省の予算は、文教行政費でございます。社会教育の関係では、民間の活動としての社会教育等の占める比重が非常に大きゅうございますので、車の両輪を考えるにあたりましても、国公私立といったような考え方で、全体を見た上で判断しなければ、ただ行政費の比率が少ないから両輪でないという理屈も立ちにくいのではないかと考えております。
#19
○森(喜)委員 局長のお考えはよくわかるのですが、それにしても〇・七五%、意欲的にやったとしても一%にならない。もちろん総体的な比率というのは、当然新しい学制の方向を目ざせば、総体的には大きくなりますから、パーセンテージだけでは判断できないと思う。しかし、生涯教育というようなものがこれだけ必要性を叫ばれてきておる。また中教審の答申、あるいは保健体育審議会の答申、いろいろ考えてみましても、やはり人間は生涯教育をしていかなければならぬ。それからむしろ学校を出てからの教育面あるいは幼稚園に入る前の幼児教育も含めてでしょうが、それから婦人団体、あるいは青年団体、そういう方々に――やはり日本の教育の金の行くえというものが学校に偏重しているのじゃないか。そして学校に偏重しているわりにはどうも世の中よくならない。特に最近のように幼児受難時代みたいな、いろいろな議論があると思うのですが、やはり終局的には人間性の目ざめと申しますか、人間的な教育に欠けている。これはやはり社会的な教育というものが欠けているというふうに考えるのです。そういうことを考えますと、大臣もこれはやはり車の両輪というようにお考えにならなければならないだろうと私も思うのですが、その辺に関して、これから教育を進めるにあたって、いま松永議員もおっしゃったように、新しい教育百年へ向かって、このあたりの矛盾ですね、あるいは奥野大臣がこれからお考えになっていく社会教育への意欲というもの、行政の意欲というものをお伺いしておきたいと存じます。
#20
○奥野国務大臣 私も森さんと考え方は基本的には同じじゃないかと思うのですが、いまの社会で一番大切なことは、人と人との交流を深めていく、そういう機会を多くし、同時にまたそういう施設をふやしていく、これに着目していくべきだ。これは社会教育あるいは社会体育、いろいろな面にまたがってくると思うのであります。こういうことになりますと、文部省一省の所管ではなしに、労働省も勤労者のために青少年ホームをつくりましたし、あるいはまた体育施設をつくったりいたしております。それから企業も健康保険組合がいろいろな体育施設その他のものも整備してやってきておるわけでございます。厚生省もまた、国民休暇村でありますとか、いろいろなことをやっているわけでございまして、ほかの省にもいろいろまたがってくると思います。そういうことから申しますと、文部省が一番考えていかなければならないのは、社会体育なり社会教育なりにおいて適切な指導力を発揮できる、その指導者の育成といいますか、指導者をりっぱに配置していくということと申しましょうか、そういうことに最も力を注ぐべきじゃないか、こんな感じを持っておるわけでございます。予算の面からいいますと、文部省はどうしても学校に片寄っていく、これはやむを得ないのじゃないかと思うのでございまして、指導者をちゃんと地区地区に配置する、そういうところにもつと努力を払っていかなければならない。また、すでにそういう努力も払われてはきているわけでございますけれども、一そう私としては努力していかなければならない、こんな考え方を強く持っているわけでございます。御趣旨のような方向で努力していきたいと思います。
#21
○森(喜)委員 いま大臣のお話もございましたが、特に私は、社会教育というのはもちろん設備だけじゃない、やはり人と設備というのは、これも両輪でいかなければならぬと考えるのです。
 そこで、時間があまりありませんので、今度の予算を見まして、私どもはいま大臣がおっしゃったように、しかも大臣は、失礼でありますが大抜てきを受けて文部大臣になられた。田中総理も、奥野大臣に大いなる教育行政を期待しておるのだということをおっしゃっておられる。そして、いまお話の中に、人が大事だ、こうおっしゃった。ところが、私ども党で要求もしておったし、これはやらなければならぬと思っておった社会教育主事、これは国庫補助二分の一を、おそらく全国の自治体も、社会教育をやっておられる公民館の主事の方、たいへんな期待を持っておられたのに、この構想は全くこの予算にあらわれてない。この辺をどうお考えになっておられるか。
 もう一つ、ついででありますが、これは昨年からたいへん新しい試みで好評を受けていると思いますが、社会教育指導員ということであります。これも数字的にはちょっとワクがふえた。しかし、私ども考えているのは、やはり社会的地位というものをはっきり与えてあげなければならない。もっと仕事に意欲を持ってもらわなければならぬ。そういう意味では、たしかこれは昨年並みの三万六千円だと思います。こんなことだから、何か先生方の退職されたあとの、それこそ先生方の再雇用の何か穴埋めのようにしたのじゃないかという批判もあるわけでございますが、この辺についての単価も実は上がっていない。
 この二点、こまかなことでありますが、お伺いしておきたいと思います。
#22
○奥野国務大臣 御指摘の社会教育指導員、補助職員として四十七年度初めて設けられたわけでございます。四十七年度千名、四十八年度二千五百名にふやしているわけでございます。社会教育指導員を設けたばかりであり、それをふやしていくわけだから、新しい補助職員をつくることは少し差し控えてくれぬだろうかというような気持ちが大蔵省側に強くあった結果、社会教育主事に対して補助金をこうしてくれという仕組みが今日とれなかった、かように考えておるわけでございます。
 社会教育指導員の処遇につきましても、さらに改善をはかっていかなければならない、これは当然懸案として心得てまいりたいと思います。同時に、補助職員の道しかないような気もするのでございますが、とにかく社会教育主事に適材を得る、その道をさがし求めていきたい。いま御指摘になりましたように、補助制度という以外にないのじゃないかと思うのでございますけれども、社会教育指導員とのかね合いの問題もございまして、あわせてこれも懸案にさせていただきたい。おっしゃっていることはよく私にはわかるわけでございまして、もう一年かしていただきまして、何らかの解決策を見出していきたい、かように考えております。
#23
○森(喜)委員 大臣の意欲を承りまして感謝しておりますが、同時に、どうぞひとつ、社会教育主事補助、あるいは指導員ということしかないのじゃないかということがございますが、現実にやはり青年団活動とか婦人団体の活動は、はっきり申し上げて、会合に出るのも、その他の諸雑費も、みんな自弁でしょう。もちろん社会奉仕をしていこう、青年教育をしていこうという気持ちに、いささかなりとも純粋性を欠いてはならないのですから、金がないからやれないということであってはならないが、そういうきわめて自発的な気持ちでやっておられる。だからといって、国が黙って見ていていいものじゃない。いま松永委員がおっしゃったように、教員給与に対してこれだけのことをやろうとされるのだから、ささやかなお金でいい、ささやかな金額でいいと思うのですが、すべて人さまの負担にまかせていくということでは、青年団活動も婦人活動も伸びていかないというふうに私は考えておりますので、どうぞその辺のこともお含みおきをいただいて、ひとつ奥野文政の新しい一つの柱を御検討いただきたいということをお願い申し上げておきます。
 もう一つ、いま人と設備ということになりましたが、設備の問題なんかでも、確かにこれは、今村局長なんか、昔のことから考えるとえらい仲びだということで喜んでおられるようでありますが、どうも時代的にだいぶズレがあるのじゃないだろうか。公立少年自然の家、たしか四千万ですか、現実につくったら二億ぐらいかかりますね。公民館も今度一千二百万になったということで、公民館関係者はたいへん喜んでいる。しかし、現実にはもうこんなものでつくられるはずがない。体育予算でもそうだ。プールがみっともない話で二百四十万なんて、上がってこんな程度。ところが、実際には一千二、三百万かかるのではないでしょうか。そういうことを考えますと、その辺の施設に対する補助のズレというものを私は一応感ずるわけです。特に大臣、総理府の余暇の実態調査というのが、これは四十七年の七月に出ている。ところが、見ていておもしろいのですが、平日においてテレビ、ラジオで過ごすというのが六五%。何もしないで横になったりのんびりする、これは休息、くつろぎですが、これが昨年の調査で五四%。新聞、雑誌を読むというのが三〇%。家庭の団らんというのが二一%。社交、つき合いが一五%。休日においてテレビ、ラジオが五一%。休息くつろぎが四四%。こういうふうに出ておるのですが、スポーツをやろうとか運動をやろうというパーセンテージが全然出てこない。これでは全く人間が精神的にも、からだでもおかしな方向になっていくのは当然だろうと思いますし、特にこれは産経新聞の「大きくなぁーれ」なんて、こういう記事を見ておりますと、テレビに使っている日本人の子供の時間というのはこれは三時間三十分。日本人は平均大体三時間だそうであります。ところが、家庭の主婦が、くだらないメロドラマだろうと思うのですが、あわせて四時間見ているというのです。日本を除いては世界で一番テレビを見ている時間はアメリカ、これで一時間です。起きている時間、太陽が出ている時間はわずか数時間しかない。それを三時間も四時間もテレビに過ごして、これでは大体人間の足がおかしくなる。だんだん肥満児ができてくる。これはやはり全くこういう政策の片寄りというものが私は出てきたものだというふうに実は思うわけです。その辺でひとつ体育振興、これも私は設備が大事だと思うのです。社会体育というものに対して、いまの社会教育と同じだろうと思いますが、大臣はどういうふうに進めようとされておられるか、これを承っておきたい。
#24
○奥野国務大臣 一つは社会体育の指導者が公の仕事に出かける場合にも、自弁になっている面が多いという御指摘がございました。中央研修などで、文部省が主催するものにつきまして、ある程度の補助はいたしておるようでございますけれども、国も県も市町村も、いまお話しになりましたような考え方で、積極的に必要な経費は分担していくような方向に努力しなければならないと思います。したがいまして、文部省だけでなしに、県や市町村につきましても、そういう配慮を強く求めていく努力を繰り返していきたい、かように思います。
 同時に、社会体育の施設が不十分である。これも私も痛感している一人でございます。余暇がふえてくるわけでございますから、余暇をどう活用していくか、そう考えていきました場合に、週休二日制になっても活用するだけの施設が欠けているではないか。あわせてこれらの整備を急いでいかなければならない。私はこれは政治の大きな課題だと思います。その場合に、文部省だけでなしに、府県も市町村もそういう考え方になって、整備を急いでもらわなければならない。府県営、市町村営のもろもろの施設が整備される。また、ほかの省その他につきましても、積極的にそういう面の施設の整備を急ぐように私たちも呼びかけていく必要があるのじゃないだろうか、かように考えているわけでございまして、御期待に沿えるように努力を払ってまいります。
#25
○森(喜)委員 数的にはだんだんだんだん、そういうふうに点在はしていくだろうと思います。また、そういう取り組み方を、体育局長見えておりますが、やっておられるようであります。しかし、やはり体育館だとか、グラウンドだとか、何しろ大きな場所を必要とする。これを自治体にやれといってもなかなかむずかしい。この辺の用地の問題をどう解決するか。それから将来はドイツのスポーツユーゲント制というようなものを――われわれも行ってみて考えると、やはり体育館、運動場、あるいはプール、日本でいえば柔剣道場も含めてでしょう、これを一堂に入れていくという、やはりスポーツ公園的なもの、私はこういう柱を、ひとつ奥野大臣のときに立てていただきたいと思うのです。建設省ではたしか運動公園というのがあるようでありますが、これは別であります。たしか厚生省も勤労青少年の体育施設をやっておるようでありますが、やはり文部省がひとつ大きくこれを打ち上げて、緑がたくさんあって木も植えてある自然の中に、そうした施設を織り込んでいくスポーツ公園というようなものを、少なくとも各県に最低一つくらいずつは置いていく、そういう構想をそろそろとらなければならぬ、私はそういうことを考えるのですが、大臣、いかがでありますか。
#26
○奥野国務大臣 体育施設を計画的に整備していくという問題と、それの総合的に整備された場所をつくっていくという問題、二つ御指摘があったわけでございます。昨年の暮れに保健体育審議会から生活圏ごとに屋外運動場、屋内体育館、プールなどの整備基準が示されたわけでございます。この整備基準を基礎にいたしまして、現有の施設を差っ引いた残り、その半分は五年間につくり上げようというようなことで、今年度の補助予算の基礎ができ上がっておるわけでございまして、ぜひ計画的に整備を促進していきたいと思います。
 同時に、総合的にそういう施設を設ける、これも非常に大切なことだと思います。いままでは補助予算も十分でございませんでしたので、ある市町村に補助金を交付しますと、翌年は遠慮してもらっておった。しかし、それを補助予算がだんだんふえてまいりましたので、市町村が計画的に総合的な整備を行なうという場合には、二年計画であれ、三年計画であれ、毎年、ことしは屋外運動場についての補助をする、来年はプールについての補助をするというようなことで、市町村の計画を助ける、こういう役割りは果たすことができるのではないかと思います。それを一歩進めて、総合的な補助予算を文部省が設けたらどうかという御提案もあったわけでございまして、非常に重要なことだと思いますので、これも積極的に研究させていただきたいと思います。
#27
○森(喜)委員 いま保健体育審議会の答申の話が出ましたけれども、設備のこともさることながら、緊急課題としては指導者の養成確保を急ぐ必要があるということが書いてあります。先ほどの社会教育指導員と同じことだと思います。私も社会体育指導員制度というものを考えるのですが、東京にもあるでしょうが、特にいなかに行きますと、ラグビークラブだとか、スイミングクラブだとか、金持ちでなければできない。私も自分が関係して少年ラグビースクールなどをやっておりますが、みな自分で膨大な負担をしてやっておられる。いまの国のあり方を見ておりますと、体協を通じてするか、あるいは市の教育委員会を通さなければならぬ、手続がめんどうだ。なぜもっと実績をあげているそういう少年スポーツの、サッカークラブとかいろいろあると思うのですが、そういうものに対する何といいますか、国からの援助と申しますか、手を差し伸べていく、こういうことをやはりもう一つ大臣の頭の中にぜひ入れておいていただきたい。これは質問というよりも私からお願い申し上げておきます。
 時間がございませんので、いま大臣、いろいろと意欲的であるということ十分拝察をいたしました。社会教育、そして社会体育、これは行政面の努力はよくわかっておるし、またその結果、これでも中身が不足しておることも事実だし、これからやらなければならぬということも、大臣の御意見でよくわかったわけでありますが、やはり現在の予算のこのあり方では、大体二五%内におさめる、これでは無理だと私も思うのです。これを思い切ってやる。ちょうど給与の抜本改正と同じ、思い切ってやるためには、何か予算の幅を別なワクで査定をする必要があるのではないか。あるいは社会教育施設とか、社会体育施設なんかの年次計画を、これもひとつはっきり打ち出しておく、これをひとつやっておく必要があるのではないかということが一つ。
 もう一つは、いささかちょっと飛躍するわけでありますが、やはり青少年のこういう問題は、総理府だ、労働省だと行政がいろいろばらばらにまたがり過ぎておる。厚生省も関係がある。私は年来の主張なのでありますが、各先進国はみなできておるわけですが、どうですか、思い切って青少年関係あるいはスポーツ関係含めていく新しい青少年スポーツ省なんという、いわゆるそういう行政庁、やはり将来はその方向を求めていく必要があるのではないか、こんなふうに考えます。
 三点申し上げたのですが、大臣の考えはどうですか、承っておきたい。
#28
○奥野国務大臣 いずれも重要な問題でございますので、積極的に研究させていただきたいと思います。
 予算の問題は、先ほども申し上げましたように、文部省予算だけじゃなしに、全体的に拡充されていくように努力しなければならないと思います。
 体育指導員の手当の問題ですけれども、これは地方交付税法上の基準財政需要額に若干の手当が算入されておりまして、地方団体から支給されているようであります。不十分であるかもしれませんが、そういう方法がいいのか、あるいは文部省が直接出したほうがいいのか、こういう問題も研究をしていきたいと思います。
 行政機構の面で体育に力を入れる姿勢を出す、これは大切なことだと思いますが、それをいまのままでいいのか、おっしゃるような方向がいいのか、これもまたなかなか議論のあるところだと思いますので、引き続いて検討していきたいと思います。
#29
○森(喜)委員 時間もありませんので、私どもの考え方、また大臣とのやりとりで一応終わったということで、いずれまたこの問題についてはいろいろと議論をさせていただきたいと思います。
 きょうはちょっと時間的にありませんが、話をかえて、例の国連大学設立問題でありますが、四十四年の総会で、ウ・タント前総長の提案があって、昨年の秋に決定をいたしました。たまたま十四日でしたか、ワルトハイム氏がお見えになって大臣とお会いになったわけでありますが、設立準備調査会ですか、これもできたわけですね。これから新たな段階を迎えていくわけですが、一体政府はどういうふうに取り組んでいかれるのか。現実にワルトハイムとの会談の中で、日本に誘致する条件というのは満たされたのか、その辺についてお伺いをしておきたい。
#30
○奥野国務大臣 一般に国連大学の誘致がいわれているわけでございますが、この中身には二つあると思います。一つは国連大学を誘致する問題、もう一つは、国連大学本部ともいうべき、企画調整センターと呼んでいるわけでございますけれども、これを誘致する問題、二つあると思います。
 最初のほうの国連大学は、世界で一つしかつくらないのではなしに、多数つくってよいわけでございまして、既存の大学に国連大学の機能を営めるような仕組みができれば、そこに国連大学が設けられるということになるようでございます。したがいまして、あとのほうの国連大学本部はぜひ日本に持ってきたいものだ。これに力を入れているわけでございます。二十カ国から委員を出しまして、その委員さんとの間で、国連大学憲章草案というものを九月ごろまでにまとめるようになっているようでございます。文部省の中にも、先ほどおっしゃいました国連大学設立準備調査会を設けたわけでございますけれども、ここでも、国連大学はどうあるべきかという一つの構想をまとめたい、そしてそれを参考に国連当局に差し上げたい、こう考えておるわけでございまして、秋の国連総会で国連大学の憲章がきまってくるわけでございましょうし、それに基づきまして、国連大学なり、いま申し上げました企画調整センターなり、これをどこに設けるかということを事務総長が総会に勧告するということになっているようでございます。事務総長が勧告するにあたりましては、日本側の熱意に対しまして、相当な共感を感じてくれておったようでございます。ただこれには、世界の中で競争国もあるわけでございますので、そういう国との関係の調整をはかっていかなければならない。調整をはかりながら、国連大学を日本に設けるばかりじゃなしに、国連大学本部ともいうべき、国連の下部機構になるわけでございますが、企画調整センターも日本に設けたい、こういうような考え方で努力を続けているわけでございます。
#31
○森(喜)委員 何でもほしがる日本、というような気もするし、また日本も、各県は何でもほしがる各県で、誘致にわれもわれもと言う。しかし、国連大学というのは何だということで、どうもPR不足じゃないかという気もしますが、北海道、宮城、山形、石川、何とみんなで十六くらいある。ところが現実に、この間見ていたら、筑波学園都市というものを一つの目標に置いて大臣は説明になっておる。そうだとすると、小さな研究部門はほかへやるんだというお考えかもしれませんが、そろそろはっきりと、向こうからいわゆる照会状が来ているわけですから、五月ごろまでに出さなければなりませんが、やはり日本の将来の確固たる考え方というものがないのじゃないかというような気がいたします。ワルトハイムさんのオーストリアですか、りっぱなお城を寄付するということまでいっている。日本もそれに対抗するだけの土地や建物が出せるんだろうか、それと競争できるだけのものを出せるんだろうかということを私ども心配しておりますが、その辺を一ぺん確固たる信念をそろそろ立てておく必要がある。質問にあわせて、いまのことを含めて大臣のお考えを聞いて、質問を終わることにいたします。
#32
○奥野国務大臣 国連大学を日本に持ってくるのについては、それほど心配はしていないわけでございます。当然日本にも国連大学は設けられる、こう考えておるのでございます。要は国連大学木部を日本に持ってきたい。持ってきたいというのに、ただ持ってきてほしいと言っているだけでは迫力がございませんので、東京から北へ六十キロ、ここへ研究学園都市をつくっているんだ、非常にりっぱなところなんだ、よければここへ企画調整センターをつくりますよ、こういう具体の提案をしたわけでございまして、ここへ国連大学をつくるという提案じゃございません。若干間違って伝えられている面もあるようでございます。十六カ所から提案されております国連大学とは競合しない提案でございますから、要は本部でございます。いま国連大学本部の有力な競争相手というのはカナダでございまして、ワルトハイム事務総長は、カナダとの間の調整を日本側が積極的に外交ルートを通じてはかってくださいとまで言っているわけでございまして、それほどまでに日本に対しましてはかなりの好意を持って帰ってくれたというふうに私は受け取っているわけでございます。その辺の努力を外務当局にもお願いしている最中でございます。
#33
○森(喜)委員 ありがとうございました。
#34
○田中委員長 深谷隆司君。
#35
○深谷委員 人間形成の上で幼児教育がきわめて大切であることは申し上げるまでもないことですが、そこで私は、文部大臣に幼稚園教育について若干お尋ねをしてまいりたい、こう思います。
 文部省は、三十九年に幼稚園教育振興計画を立てて、人口一万人以上の市町村における就園率を六三・五%までに高めることを目標にして御努力をなされ、それから就園率はきわめて順調に伸びて、現在では園児数だけでも実に百八十六万人に及んでいる。これは幼児教育に対する文部省の熱意のあらわれと一応評価できると思うのです。
  〔委員長退席、森(喜)委員長代理着席〕
しかし、厳密に検討してまいりますと、どうも数をふやすということに熱心であるけれども、迎え入れる側の体制というものが十分にできていないような感じがいたしてならないのでございます。たとえば、幼稚園の機能とその位置づけについても、学校教育法に規定はされておりますけれども、小学校あるいはその先の中学校も含めて、教育体系の中で幼稚園が一体どういう位置づけで、またどういう機能で置かれるか、こういう点がまだ十分明確になっていないと思うのでありますが、その点についてまずお尋ねをしたいと思います。
#36
○奥野国務大臣 お話しのとおり、幼児教育が大事だといわれておりながら必ずしも十分でない面があるじゃないかとおっしゃる点、私たちたいへん責任を感じます。特に幼稚園と保育所とが併存する形になっておるわけでございます。地域によっては幼稚園が大部分、地域によっては保育所が大部分というようなところもございます。ぜひ文部省、厚生省、もう少し連絡を緊密にしながら、教育的観点から、幼稚園と保育所とがもう少し連携のとれたものにならないだろうか、こう考えておるわけでございます。幼稚園そのものにつきましては、学校教育法上の学校であることは言うまでもございません。学校教育法第一条にそのような規定もいたしておるわけでございます。ただ問題は、幼稚園が小学校の中に併設されている、それがかなり多いようでございます。そういうようなところから、園長さんが小学校長さんの兼務になっているというようなことで、深谷さんがおっしゃるように、必ずしも幼稚園の取り扱いが、他の学校と比べた場合に十分でないじゃないかというような御指摘を受けるような羽目になっているのじゃないかと思います。また、教職員の組織につきましても、事務職員とか養護教諭などにつきまして、片方は必置になっている、片方は必置に規定がされていないというようなことがあるようでございます。こういう点につきましても、いま申し上げました保育所との関連もあわせ考えながら、人間形成が幼児期に行なわれているといわれているその実態に合うように整備を急いでいかなければならぬ、そういう努力をしておるわけでございます。
#37
○深谷委員 明らかに学校教育法一条の学校という範囲の中に入っておるわけですが、いま申し上げたような小草校との関連、あるいは家庭教育の関連の中で、幼稚園がどういう役割りで位置づけられるかという点については、やはりこれから相当検討を加えて、早く明確な答えを出していかなければならぬ、私はそう思っておりますが、どうぞひとつ急いで積極的な取り組み方をお願いしたいと思います。
 いま文部大臣からお話がございましたが、たとえば学校というその範囲の中にもちろん含めてあるのですけれども、実際のたとえば公立なんかの問題を考えた場合に、学校とは名ばかりで、いわゆる学校としてのていさいを備えていない、いま大臣も御自身で御指摘になりましたけれども、たとえば園長兼任という問題、これなど公立の場合には、ほとんど小学校の校長が園長を兼任しているというのが実態でございます。人によっては、幼稚園というのはスケールが小さいから、兼任でもだいじょうぶだという御意見があるやに聞いておりますけれども、少し現場の実態というものをながめてまいりますと、園長といえども、やはり職掌としては小学校の校長とほとんど変わらないくらいに、まことに複雑な多くの問題をかかえているわけでございます。たとえば幼稚園の維持、管理の問題、あるいは職員の管理の問題、あるいは教育課程の編成とかその実施、それ以外にも、最近ではPTA活動が活発ですから、そういうようなPTAとの会合、地域社会との連係、非常にその仕事が多いわけです。だから私は、いつまでも校長と兼務の園長がいるという形自体がやはり検討されなければならぬだろう、こう思っているわけですが、この点について文部大臣はどういうお考えでしょう。
#38
○奥野国務大臣 御指摘のように、公立幼稚園の場合には兼任の園長さんが大多数のようでございます。四千四百九十八園のうちで兼任園長さんが三千七百五十という数字をいまもらいまして、私も驚いているところでございます。幼稚園の大多数は現在のところ私立であることは、よく御承知のことであると思いますが、公立の場合は、先ほど申しましたように、小学校に併設されているというようなところからこういう結果になるだろう、かように考えるわけでございます。基本的にはやはり独立した幼稚園、したがってまた独立した園長さんというのが理想じゃないか、かように考えておるわけでございます。お気持ちを体しまして検討を続けさしていただきたいと思います。
#39
○深谷委員 前向きにひとつ御検討いただきたいのでありますが、それまでの暫定的な、兼務園長が多い実情の中で、兼務手当、これは非常に大きな問題だろうと思うのですけれども、これを調べてみますと市町村で全くばらばらなんです。多いところは川崎の六千円というところもありますし、東京の場合は千六百円、場合によってはゼロであるというような地域もある。これははなはだ問題が大きいのではないかと思うのであります。もちろん、兼務を奨励するわけではありませんから、兼務手当というものを積極的に出すということは問題があるかもしれませんが、現実には、兼務をして兼務手当をもらっているところ、もらっていないところ、その格差は相当あるわけでございます。これらについてどうお考えになりますか。
#40
○奥野国務大臣 お話しのように、兼務手当の問題もあれば幼稚園の先生方の収入の問題もあるわけでございます。私この地位につく前から、幼稚園の先生方の収入が低いことをたいへん心配している一員でございます。市町村の負担になるものでございますので、地方交付税法上の基準財政需要額に基準を定めているわけでございますが、制度的には小中学校と同様の給与を保障する制度があっても、現実にそれを使っているところは非常に少ないし、また同時に、市町村の支払いも非常に低いものになっている。ですから、こういうような歳入額を上げたり、あるいはまた積極的な指導を加えたり、あるいはよき先生方が確保されるような仕組みを、文部省としても学校教育制度上とるというような総合的な努力を続けていかなければならぬのじゃないか、かように考えているわけでございます。御指摘のとおり、兼務手当につきましては制度的な問題もあるかもしれませんので、私も、なおひとつ研究する時間を与えていただくようにお願い申し上げます。
#41
○深谷委員 幼稚園基準第六条の中には、いまの園長の問題とも関係しますけれども、先ほど大臣も言われました養護教諭あるいは事務職員を「置くように努めなければならない。」こういう文章があるわけでございます。しかし、実際には養護教諭というものは非常に少ない。ほとんどないと言っていいくらいです。全体から見れば幼児ですから、非常に子供たちは危険が大きいわけですけれども、そういう中で養護教諭が少ないということも非常に問題だ。養護教諭にしても、事務職員にしても、要は幼稚園というものが学校体系の中にありながら、学校のていさいをなしていないところに問題があるだろうと思うのでありますが、どうかこの点については実情をひとつよく御検討なさって、一日も早くこれらの体制をそろえていくような御努力をぜひお願いしたいと思うのであります。
 それから教員、つまり幼児教育を担当する先生方について調べてまいりますと、非常に先生としてつとめる期間が短いのです。これはおそらく書類で目を通されたこともあると思いますけれども、小学校あるいは中学校の教員に比べまして非常に短い期間、たとえば一年未満でやめてしまうという先生が一割以上になっている。大体二年から四年ぐらいの間におやめになる先生方が小学校の実に三倍ぐらいに及んでいるのですね。だから、ながめてみると、どうも幼稚園の先生というのは、学校を卒業してから結婚するまでの間の腰かけ的な勤務期間しかおられない。これは先ほど申し上げたような人間形成の中で大事な位置を占める幼児教育ということを考えますと、非常に問題があるであろうと思うのです。どうしてこういう腰かけ期間のような短い期間でやめてしまうのかという問題については、もちろんいろいろな問題があると思いますけれども、その中の重要なポイントは待遇改善、なかんずく給与の改善ではないだろうかと思うのです。先ほどの松永委員の質問の中でも幼稚園の給与改善については触れられました。義務教育の先生の給与改善で一〇%かさ上げの予算措置を出されたわけでありますが、特に幼稚園の先生方の給与改善という点については、相当積極的に取り組んでいかなければいけないのじゃないだろうかと思うわけであります。これについても重ねて御答弁を願いたいと思います。
#42
○奥野国務大臣 御指摘になりましたように、一年未満でやめる先生方が幼稚園の場合には一二・六%、小学校の場合は四%、中学校の場合には三・三%ということになっているわけでございます。結婚適齢期の方々が多いという問題と同時に、処遇の問題もあろうと私も思います。ぜひ処遇の改善を積極的にはかっていきたい。今回の小中学校の先生方の給与を引き上げる、それはこういう方々をてことして、幼稚園、高等学校、大学に至る学校教員の給与の改善をはかっていきたい、こういうねらいを持っているわけでありまして、御理解を賜わりたいと思います。
 同時に、幼稚園の場合には、公立の幼稚園のほかに私立の幼稚園も多いわけでございますので、私立の幼稚園に対します財政援助につきましても格段の努力を払っていかなければならない、かように心得ておるわけでございます。
  〔森(喜)委員長代理退席、委員長着席〕
そういう点につきましては、大学の私学助成に準じて幼稚園につきましても府県から助成が行なわれ、だんだんそれに準じて率も引き上げられていくということになっておるわけでございます。
#43
○深谷委員 いまのお話の中で、給与改善については積極的に取り組まれるということですが、いま、たとえば公立幼稚園の教員の給与を見ますと、全部市町村でばらばらなんですね。しかも教育公務員特例法の二十五条の五には、「国立学校の教育公務員の給与の種類及びその額を基準として定めるものとする。」こうあるのですけれども、市町村を調べてみますと、これに準じてやっている市町村というのは、全体の千八十六の市町村のうちのわずかに百三十六、吏員と同じような形とするものというのが八百四十五、独自のものが百五というふうに、まことにこの法律にかなったやり方を市町村がやっていない。だから、給与改善はするのだと一口に申されても、こういうような市町村によるばらばらな形というものを改めるような形をまずとっていかないとそれは無理だろう、私はそう思うのです。その点についてはいかがでしょう。
#44
○奥野国務大臣 お話のような実態でございます。幼児教育が大切だといわれながら、それが実際の運用上においてはいまだに確立されていない。これはやはり私たちも責任を感ずべきだと思います。幼稚園の必要な経費が市町村の基準財政需要額に算入されて、その算入されたとおりにどこまで使われているかということでございますけれども、これまで算入のしかたが必ずしも明確でございませんでした。幼稚園の経費がここまで算入されているのだということが明確になり、市町村がそれだけ使っているか、使っていないか、熱意がある、ない、こういうような議論が、市町村においても展開されるように持っていかなければならないと思います。だんだんと明確にされるようになってまいったわけでございますが、これをさらに引き上げる。同時に、それ以上に市町村で経費を幼稚園に充当してもらう、そういうような空気をつくる努力を重ねていきたいと思います。あわせまして、私立につきましても努力をしていきたいと思います。
#45
○深谷委員 この給与改善については、ぜひ格段の努力をお願いしたいわけですが、特に市町村に対する給与財政というものが非常に問題があるだろうと思うのです。交付税という形で出すわけですけれども、市町村によってはそれが適正に生かされてない。だから、このお金の出し方、極端に言えば交付税――ひもつきというわけにもいかぬかもしれませんが、明確に打ち出した財政措置というものがないと、幾ら百万言を弄しても、市町村ばらばらの給与体系というのは改良されていかないだろう。したがって、そういう意味では、特にひとつ御配慮いただきたい、こう思います。
 時間がありませんので、私立の幼稚園の問題について触れることができませんでしたけれども、いままで文部大臣の御答弁を伺っておりますと、あらゆるところでこれから検討を要する、あるいは努力をする、こういうような形が非常に多いのであります。はっきり言ってしまえば、まさに幼児教育というのはこれからだということ、そのものずばりの姿がそこに示されているのではないかと私は思うのです。ですから、たとえば先ほど申し上げた七カ年計画でもそうなんですけれども、社会的な要望があるからどんどんふやしていく。ふやすことに反対するわけではないのですけれども、ふやせばいいという考え方は、この際断じて改めていただかなければならぬと思う。やはり迎える体制というものをほんとうに鋭意努力をして完全なものにして、幼児就園率が高まると同時に、それを受けて立つ体制というものを、ぴりっとかまえられるような形にどうかひとつ一口も早く努力を尽くしていただきたい。そういう意味では、文部大臣並びに文部省当局の四つに組んだ意欲的な姿勢というものを心から御期待申し上げて、質問を終わりたいと思います。ありがとうございました。
#46
○田中委員長 木島喜兵衞君。
#47
○木島委員 文部大臣の所信についての御質問を申し上げたいと思うのでありますけれども、最初でありますから所信だけでありますけれども、この十一ページにわたる所信を読んでみますと、あなたのいわば所信というものは第一ページだけ、そして第二ページからの「以下、当面する文教行政の諸問題について」というのは、いわばこれは今回の予算説明ですな。したがって、この一ページだけの所信について、そして「以下、当面する」という個々の問題もからませながら、大臣のいわば最初の国会でありますから、大臣の基本的なお考えというものをお聞きしたいと思うのであります。
 そういたしますと、この一ページだけを読みますと何のへんてつもないようなことにも感じますけれども、しかし読み方によっては、あるいは世界観、教育観の違いによっては、この読み方がだいぶ変わってまいります。そこで最初、たいへん恐縮でございますけれども、できるだけ概念規定を明らかにして、大臣の言っていらっしゃることと私の読み取ったものと違ってはいけませんので、ちょっと最初に一わたり私の疑問に思う、といいますか、あるいは大臣がここに表現されていらっしゃることがどういう意味なんだろうかということを、先に一とおりお聞きしたいと思うのであります。
 大臣はまず、「わが国の教育は、学制百年の歴史を通じてめざましい発展を遂げ、わが国の繁栄の基礎をつちかってきたのでありますが、急激なる社会経済の進展とともに、教育のになう役割りはますます重要なものとなってまいりました。」と述べていらっしゃいます。そこで「学制百年の歴史を通じてめざましい発展を遂げ、」という、この学制百年の中におけるめざましい教育の発展というのが、一体どういう意味を言っていらっしゃるのか。これはたとえば寺子屋時代から見ればたいへんめざましいとか、先進諸国に比べればたいへんめざましいとか、あるいは量的にめざましいとか、質的にめざましいとか、量質ともにめざましいとか、いろいろありましょう。大臣の言っていらっしゃるそのめざましいというのは、どういう意味を含んでいらっしゃいますか。
#48
○奥野国務大臣 明治五年の学制発布以来、近代学校制度としては一貫して発展を続けてきて、戦後におきましては、さらに六・三制の採用で義務教育年限の延長が行なわれまして、学校制度は一そう充実してまいった、かように考えているわけでございまして、こういうことを通じまして国民全体に教育が非常に普及されてきた、それが発展の大きなささえになってきた、こういう気持ちで申し上げているわけでございます。
#49
○木島委員 すると、学校制度あるいは普及という量、たとえば就学率とか、学校の数とか、そういう量であって、教育の中身、質を言っていらっしゃるわけじゃないですね、この場合は。
#50
○奥野国務大臣 制度を通じまして教育の内容も充実してまいってきていることは、これは言うまでもないことじゃなかろうか、かように考えているわけでございます。(木島委員「質も」と呼ぶ)御指摘になっている気持ち、よくわからないのですけれども、いまの欠陥は、どちらかといいますと量的拡大、これが急速に達成されてきた。それに質的な発展充実が伴っていない。そこに一つの今日の教育問題の大きな点があろう、こう思っているわけでございます。しかし明治五年以来、制度が整備され、同時に教育内容、これが充実してきていることは申し上げるまでもないことだと思います。その教育内容ということになりますと、質という問題も当然からんでくるんじゃないか、かように考えるわけでございますので、白か黒か的な議論はちょっと困難じゃなかろうか、かように思います。
#51
○木島委員 そして、そのめざましい発展を教育は遂げてきて、「わが国の繁栄の基礎をつちかってきたのであります」、「繁栄」と言っていらっしゃる中身ですね。たとえば経済的にたいへん発展したとか、あるいは福祉社会としてたいへん繁栄してきたとか、あるいは文化的に繁栄しているとかという、いろいろ分類がございますね。あなたの雷っていらっしゃるこの「繁栄」という意味は、おもにどういう中身と理解してよろしゅうございましょうか。
#52
○奥野国務大臣 総合的に繁栄してきたと思いますが、その中でもとりわけ経済的な繁栄は国際的にも顕著なものがある、こう申し上げることができると思います。同時にまた、一面的にはいろいろな面で混乱が生じてきている、これも事実でございます。しかし、総体的に繁栄してきているということははっきり申し上げられるものだ、かように存じております。
#53
○木島委員 最初の、学制百年の歴史を通じてめざましい発展を遂げているという、質的ということの中に、私が言いましたのは、この百年の中に教育の中身において反省すべき点はないだろうか、これだけ見れば、百年ずっと一直線にわが国の繁栄のために教育は発展してきたというようにとれますけれども、この中には日本の教育の過去の反省というものがないように文章上は見受けられますね。そういう点はいかがですか。
#54
○奥野国務大臣 国際社会が激動してまいってきておりますし、そのときどきの社会もいろいろと変わってまいってきておりますので、いまから過去を振り返りまして、いまの立場に立って議論をしますと、私はいろいろな批判が可能だと思います。しかし、それぞれのときにはそれぞれのときなりに、教育の充実発展のために一貫して努力が傾けられてきた。それが今日の発展の大きな基礎になっていることは間違いないのではないだろうか、かように考えているわけでございます。
#55
○木島委員 すると大臣の考え方は、たとえば戦前の教育が富国強兵から始まって、そして第二次世界大戦にいって世界の人類にたいへん災いを及ぼした。しかし、そういうことを乗り越えて、現在そういうことの反省に立って教育はよくなってきておるのだというように、善意に理解してよろしゅうございますな。
#56
○奥野国務大臣 なかなか言い回しのむずかしい問題でございますが、とにかく明治五年に寺小屋もあり、私塾もあり、町民の学ぶところ、さむらいの学ぶところ、一括して小学校でみんな教育してきた、義務教育を充実さしてきたところから始まってきておると思うのでございますし、同時にまた、日本が追い詰められた形ではございましたけれども、戦争に突入した。いま考えてまいりますと、まことに不幸なことでございました。こういうことは二度と繰り返してはならない、こういうこともよくわかるわけでございまして、そういう意味で、そのときどきにおいては一生懸命努力がされてきたのだ。それはそれなりに買っていいのだけれども、いまから考えるといろいろな批判が当然なされるべきだ。その批判のもとに今後われわれの進むべき道を見出していかなければならない、こういうふうに考えているわけでございます。
#57
○木島委員 戦前の教育は、その当時はそれなりによかった、その発想がちょっと問題だと思うのです。そうでしょう。あの当時の教育は、その時代としていま評価するのです。いまわれわれが評価するときに、その時代はその時代としてよかったのだとあなたは評価するのですか、あの戦前の教育を。
#58
○奥野国務大臣 戦前の教育というのは、おたくの考えておられるのはおそらく第二次世界大戦のことを考えておられるのではないか、こう思うのでございますが、このときに日本がいろいろな形において追い詰められて、結局対外的な領土拡張に向かっていったようでございますけれども、まことに不幸なことだったと思っております。そういう意味において、いまそういうことを二度と繰り返さないような反省の上に立って、今後の教育を進めていかなければなりません。こういうふうに思っているわけであります。そのときはそのときの人たちがと、私がここでその罪をあげつらうような気持ちを持ちたくないために、そのことをこのような表現でお答えしたわけでございます。
#59
○木島委員 ことばじりをとらえていけばいろいろありますけれども、いま概念規定でございますから……。
 それから、大臣は続いて所信表明の中で、「教育問題は、今日の最も重大な課題であります。特に国際化社会において、わが国が世界の進運に伍し、限りない未来にわたって発展を続けるとともに、世界の平和と繁栄に寄与していくためには、今日までの成果に安住することなく、教育の刷新充実に一段と努力を傾け、国際社会において信頼され尊敬されて活躍できるりっぱな日本人の育成をめざしていかなければなりません。」とあります。
 最初に、これはことばじりなんですが、「教育問題は、今日の最も重大な課題であります。」と書いてありますが、これは何にとって、たとえば財界にとって、社会主義革命にとって、あるいは奥野誠亮文部大臣にとって今日最も重大な課題ととれますが、これはわが国にとって、と理解してよろしゅうございますな。
#60
○奥野国務大臣 わが国であり、わが社会であり、わが国民であると思います。
#61
○木島委員 いま、ことばじりをつかまえてたいへん恐縮でございますけれども、なぜここに「特に」という文字が入ってきただろうかということを私は次に問題にしたいと思うから、実は聞いたのであります。わが国にとって重大な課題である。そこで、重大な課題はいろいろあろう、今日の教育の中で、あるいは将来に向かって、より重大な問題がいろいろあろう。しかし、大臣が所信表明の中で「特に」とおっしゃったことは、ここでは国際社会の中において信頼され尊敬される人間をつくらなければならぬということが今日の日本の教育の上で重大課題であるとされる中で、「特に」という意味は、いま言いますように教育全体を考えまして特に重大だ、教育問題の中で特に重大だとお考えであるから、今日の最も重大な課題であります、「特に」、というように理解してよろしゅうございますか。
#62
○奥野国務大臣 そのように考えております。
#63
○木島委員 そこで、いまそういったようにたいへん重大である。それでは現在国際社会において信頼され尊敬されておらないから重大だというように理解すべきでありましょうか。
#64
○奥野国務大臣 そういう点もないではないと思います。
#65
○木島委員 なぜされておらないのですか。なぜされておらないかがわからないと、教育が今日日本における最大な課題である、その中で、特に国際的に信頼され尊敬されない面がある、それが一番重大である。なぜされないんだか、それがわからないと教育の目標ができませんね。そういう意味においてどうでしょうか。
#66
○奥野国務大臣 急激な日本の発展、それが国際的にも日本の地位を非常に高めてまいったと思うのでございますけれども、それだけ日本の国民みんながその見地に立つようになっているかどうかということになりますと、必ずしも十分でないような面がいろいろあるように指摘されているわけでございます。(木島委員「たとえば」と呼ぶ)一々取り上げてまいりますと、これまたいろいろ議論が出てくるわけでございますけれども、日本の旅行者がいろいろ批判を受けているとか、あるいは日本がエコノミックアニマルで日本だけのことを考えているとか、いろいろなこともあるわけでございまして、そういう点につきましても、これから日本人が教養高い国民になっていかなければなりませんし、国際社会の中で生きていく日本人である自覚も強めていかなければなりませんし、いろいろな問題が出てまいってきている、こういうようにも思ってきているわけでございます。
#67
○木島委員 わかりました。あなたのおっしゃっていらっしゃることはわかりました。すなわち、最大の課題である、その中では特に国際社会におけるところの信頼、尊敬を得なければならぬ、しかし今日、経済的に発展したけれども、エコノミックアニマルというような評価を受けておる、そういう点を直すべきことが最大の課題であるというように表現できますね。
 そこで、続いてあなたは、「また、新たな国土総合開発が進められようとしているときにあたり、すべての国民がそれぞれの能力を最大限に発揮して豊かな文化的生活を営むことができるよう、教育・学術・文化の面から積極的な施策を展開する必要があります。」と述べていらっしゃいます。「新たな国土総合開発」というものの中心的思想と申しましょうか、ねらいと申しましょうか、それは一体何でしょうか。
#68
○奥野国務大臣 人はそれぞれいろいろの感じ方があろうかと思いますけれども、私は日本の経済的、文化的な発展があまりにも東京、大阪に集中し過ぎている、国土全域にわたる均衡ある発展が営まれているとは言いがたい、やはり私たちは国土全域にわたって均衡ある発展が営まれるように努力をしていかなければならない、そういうような政策を確立していかなければならない、こういう気持ちを強く持っておるわけでございまして、そういう気持ちがこういうところにあらわれているわけでございます。
#69
○木島委員 国土全域の経済的あるいは工業開発の基盤が中心的な課題ではないのですか、国土総合開発計画の。
#70
○奥野国務大臣 そうは考えていないわけでございまして、教育の面一つ取り上げてみましても、たとえば大学があまりにも東京に集中していることは御承知だと思いますけれども、二十三区の人口が日本の八%でございますけれども、大学生は三六%をこえているわけでございます。そのことがよき教育環境を提供しているかと申しますと、私は、過密の弊害がそれをそこなっているというふうにも思うわけでございまして、経済だけじゃなしに、文化的な中心を地方に持っていかなければ、やはり地方の発展が完全を期することができないのじゃないであろうか、私はこう考えるわけでございます。経済だけじゃなしに、文化の面もあわせまして総合的に発展の策を立てていかなければならないんじゃないか、こう思っているわけでございます。
#71
○木島委員 まあこの辺はお聞きしておきます。
 そして、続いて「文教行政をあずかる私としましては、このような時代の要請と国民の期待にこたえるため、将来への洞察に立って真に国づくりの基礎をなす人づくりに最大の努力を尽くしてまいる所存であります。」と、ここで切れているわけでございますね。「将来への洞察」ということ、これはたとえば、さっきあなたは学制百年とおっしゃいましたけれども、百年前に、だれもが今日の日本というものを洞察し得なかったと思いますから、なかなか洞察というものは容易じゃないであろうと思うのです。しかし、洞察をせぬと、教育というものはあすを準備するものであって、きょうに生きるものじゃありませんから、これはなかなか容易じゃない。だから、そういうことばになるだろうと思いますけれども、中身はあまりお聞きしませんが、そういう洞察に立って、「国づくりの基礎をなす人づくりに最大の努力」ということで、この表現ですと、国づくりが目的であって、人づくりがその手段のごとき印象を受けるわけです、文章から見ますと。私は誤解がないように聞いているのですよ。大臣はきっとそうじゃないのだろうと思いますけれども、この表現からすると「国づくりの基礎をなす人づくり」、人づくりが何か手段のようであります。この問題は、私は、たいへん大きな問題にもかかわると思うんです。すなわち、簡単にいうならば、個人と人類そして国家、これは順にいえば個人、国家、人類。個人という個、人類という普遍。しかしそれは、国家、国民という媒介というものが存しなければ中身はむなしいものだろうと思うのです。しかし一方、人類という普遍のものを目標にしていますね。これは教育基本法の前文においてもそういう思想が明らかにあると思うのです。
 教育基本法の前文に「われらは、さきに、日本国憲法を確定し、民主的で文化的な国家を建設して、世界の平和と人類の福祉に貢献しようとする決意を示した。」そして教育基本法第一条には、「教育は、人格の完成をめざし、」とありますから、したがって、個人、国家、人類という思想がこの教育基本法の前文及び第一条に触れられておりますね。この関係というものをどう理解するかということが、実はあなたが前に、国際社会におけるところの尊敬と信頼ということを言っておられますから、そういう意味で、どう把握されどう理解されているかということは、日本の教育を正しく持っていくために必要なことであろう。私はこのことであまり議論をしようと思いませんが、たいへんむずかしい問題でありますから、これはこの委員会だけでもって議論をするにはちょっとなじまないかと思います。しかし、大臣のそういう問題に対する基本的なものの考え方をちょっと聞いておきたいと思います。
#72
○奥野国務大臣 「国づくりの基礎をなす人づくり」という表現で、人づくりが手段に使われているというようなお話がございましたが、私は、国という場合に、国の基本をなすものは国民だと思うのです。国土よりも国民だと思うのです。ですから、国民づくりをなすのですから、やはり国づくりの中に、それが人づくりだというふうに御理解賜わるようにお願い申し上げておきます。
 同時に、「将来への洞察」ということば、これはいろいろとれるわけでございまして、たいへん卑近な問題から始めますと、進学率がどんどん上がっていくじゃないか、大学の大衆化がどんどん進んでいきますよという問題もあれば、いま御指摘になりましたように、世界が手をつないで人類のしあわせを増進する努力を続けていかなければなりませんよという問題もございます。そういうようないろいろなことを考えながら、人づくりに努力を傾けていきたいわけでございまして、基本的には、よくわかりませんけれども、そう違っていないような感じをしながら伺っておったわけでございます。
#73
○木島委員 そういうことを全体におっしゃっていらっしゃるのでありますけれども、その中で、さっき言ったのですが、「急激なる社会経済の進展とともに、教育のになう役割りはますます重要」だという、この急激なる社会経済の進展とともに、教育のになう役割り、したがって、教育というものを見るときに、さっきの「洞察」とからむのですが、あすというものをきょうの延長線上に考えるのか、あるいは新しい世代の創造、新しい価値の創造というように教育を考えるのか。これは二つに分けるべきものじゃないと思いますけれども、お書きになったところによると、このめざましい経済的な繁栄をしてきた、そしてさらにこれが進展する、そのになう役割りということになりますと、今日の発展している経済成長の延長線上に将来を置いて、そこに教育のになう役割り、というように理解されがちでありますけれども、大臣の御所見はいかがですか。
#74
○奥野国務大臣 御指摘のように、私は高い理想を掲げながら、現実には一歩一歩前進していく以外にない、こう考えておるわけでございます。
#75
○木島委員 私、大臣のを聞いて、あとでわかりました。ただ、私はこれをすなおに読んだときに、こう思ったのです。今日の経済的あるいは物質的な繁栄の基礎は、教育百年にあった、そして急激なる経済的な成長は続けていくだろう、ことに急激に続けていくだろう、そしてそういう進展がいままでの教育にあったこと、これからもその進展に即して教育は適応し、その変化に適応していかなければならない。社会的には、国際社会の中では、さっきおっしゃったように、エコノミックアニマルというような批判がある。したがって、そういうことをなくしながらも、しかし、国土総合開発計画等による経済というものを中心としたところに人間の能力を最大限に発揮しなければならぬ、それがこのような時代の要請、国民の期待というようにあなたが言っていらっしゃるのじゃなかろうかと、私はすなおに受け取ったのでありますけれども、私の考え方は誤りでありますか。
#76
○奥野国務大臣 いまおっしゃるような一面的に考えているつもりはございません。先ほど来申し上げているところで御理解いただけるのじゃないかと思います。
#77
○木島委員 時間の関係があるものですから、私はもう少し突っ込みたかったのでありますけれども……。
 そこで、さっき私が言ったようなことになりますと、資本に支配されたり、資本に奉仕する教育であってはならないと思うのです。先ほど教育基本法の前文を読みましたけれども、これもまた、人類の理想実現は教育の力にまつといっておりますね。したがって、新しい世代の創造であれ、価値の創造であれ、それは教育によるということ、これは大臣もまた、教育のになう役割りは重要だと言っていらっしゃる意味において、教育というのは基礎である。教育は基礎であるから、したがって、その教育によっては未来というものはどのようにでもつくられていく。そこには教育万能論というものが存在する。そういう意味で、大臣が言っていらっしゃることも、あるいは教育基本法の第一条にせよ、あるいは前文にせよ、そういう思想に立っておるのだろう。教育によって世の中というものはどうにでも変わり得る、あるいはよりよく変えねばならないものもあろう。そういう教育というものがすべての基礎であり、世の中をつくるものが――先ほどあなたがおっしゃった国民主権、国家の中においての主権者をつくる、国民を教育がつくる。主権者をつくる。その主権者の意思によって民主国家というものが運営されていく。それによって創造されていく、あるいは国が形成されていくというように理解を私はするのですが、大臣、首をかしげていますな。
#78
○奥野国務大臣 ちょっとおっしゃっていることを私、理解するに乏しいかもしれませんが、教育を通じて特定の社会をつくり上げる、それに結びつけていく、そういうような考え方は持っていないわけであります。あくまでも人類のしあわせを増進していけるような個人の充実、個人の尊厳、これを目標にしながらも、よき社会人を育て上げるということが非常に大切である、そういう考え方が教育基本法の中に出ているのだろう、こう私としては理解をいたしておるわけでございます。
#79
○木島委員 確かにおっしゃるとおりです。私も特定の思想に基づいてつくろうという意味じゃないのですよ。しかし、教育というものは元来理想主義的なものだと思うのです。教育によって理想社会ができるんだ。今日理想社会かというと理想社会ではありませんね。いろいろ問題があります。しかし、教育によっては理想社会ができる、きわめて理想的です。というのは、教育というのほ常に理想の人間像ないし社会像というものを目ざしているのだろうと思うのです。だから、きょうの努力というものは直ちにあした効果をあげるというものではないということが、教育の他の行政と違う一つの分野、特徴ですね。だからそれだけに、目前の効果だとか、そのつどつどの都合だとか、あるいはその時代の現実だけに適応しようとする教育というものは、教育としてあすを目ざすだけにそれが非常に理想主義的だと思うのです。だから、大臣がおっしゃるように、何ものにもとらわれないものが必要なんです。しかし、大臣どうでしょうか、教育は何ものにもとらわれないとさっきおっしゃいましたけれども、そうありたい。教育が現実にはそうなっているだろうか。政治的要因とかあるいは経済的要因によって、教育が常に――本来は社会をつくるところの指導権が教育になければならないはずのものが、教育がその根源でなければならないはずなんだが、その根源である教育が、むしろ政治的要因や経済的要因によって左右されてきたというのが教育の世界の歴史の現実じゃないかと思うのです。この点はどうでしょうか。
#80
○奥野国務大臣 特別な政治的要因によって左右される、これは避けなければならないことだと思います。しかし、経済なり政治なりがそのときどきの情勢によりまして意見をさしはさむ、それが排斥されなければならないというようには考えない、こういうことを申し上げたいのでございます。たとえば戦後日本は占領国の支配下に置かれた、その際に、日本の過去から考えまして特別に個人主義を強調してまいった。これは非常に大事なことでございますけれども、反面、社会ということを忘れる弊害を招いてきているのではないか、こう指摘をされておるわけでございます。そういうことが、政治の面でそうじゃないだろうかということがけしからぬ、これは私は言うべきではないだろう。やはりそういう批判も受けながら教育の充実をはかっていかなければならない。特定の社会に結びつけるような、教育を歪曲するような干渉というものは排斥をしていかなければならないと思うのでございますけれども、いろいろなところでいろいろなことが言われる、それがけしからないんだ、教育だけが全く別な社会だというふうには持っていかないほうがいいのじゃないだろうかという気持ちがございます。木島さんのおっしゃっていることと私の考えていることと、変わりはないんじゃないかと思うのでございますけれども、こういう席でございますので、あるいはことばじりがどうこうなってはいけませんので、あえてこんなことを申し上げさせていただくだけのことでございます。
#81
○木島委員 教育は理想主義的なものであって、現実的なもの、あるいは政治的要因に左右されてならないというところから、憲法二十六条は、「國民は、法律の定めるところにより、その能力に感じて、ひとしく教育を受ける権利を有する。」この教育を受ける権利、この権利を実現するために、「法律の定めるところにより、」でありますから、その第一が教育基本法でございますね。その教育基本法の第十条は、「教育は、不当な支配に服することなく、国民全体に対し直接責任を」負うとうたっておる。したがって、私の言いたいことは、「教育は、不当な支配に服することなく、」でありますから、したがって、政治的要因や経済的要因に左右されないで、もっと理想的な、前文でいうところの世界の平和と人類の福祉のために貢献するところの教育、必ずしも今日の延長線ではありません。そういう意味では、教育基本法第十条の不当な支配に服せずというものが、憲法、教育基本法を貫く思想であると思う。そのことが、あなたがさっきおっしゃった何ものにもとらわれないでとか、左右されないでということになるのだろうと理解をしておるのです。
 そこで、教育基本法第十条についてちょっとお聞きしたいと思うのです。
 この十条は、見出しは「教育行政」とあります。見出しは「教育行政」であるけれども、第一項と第二項に分けて、第一項は、いま言いますように、「教育は、不当な支配に服することなく、国民全体に対し直接に責任を負って行われるべきものである。」として、第二項は、「教育行政は、この自覚のもとに、教育の目的を遂行するに必要な諸条件の整備確立を目標として行われなければならない。」「教育行政」としながらも、一項では教育というもの、二項では教育行政をうたっています。言うなれば、ここでいう教育というものは、自然権あるいは自然法的な親の教育権、親の教育権から発するところのいわゆる二十六条にいう教育を受ける権利、この権利を、個人個人ではできないからこれを組織化し、あるいは共同化して今日の学校教育ができているという思想に立つならば、非権力作用というものが必要になってまいります。教育の第一の選択権を持つものは親であります。どういう教育を受けるか、その第一の選択権を持っているものは親であります。これはたとえば家永裁判においても、両者の意見はここで一致しております。それだけに、親に第一の選択権があるのだから、したがって、権力から左右されるということは否定する、だから不当な支配に服しないということになると私は理解いたしますが、その点どうですか。
#82
○奥野国務大臣 いまお読みになりました、「教育は、不当な支配に服することなく、」ということは、逆に読みますと、正当な支配には服する、公教育制度のもとに教育もあるのだということになるのじゃなかろうかな、こういう感じを私は持つわけでございます。公教育制度のもとにおいて教育が行なわれている、国民が教育というものを国に責任づけているわけでございます。その国民から負託された責任のもとに、国会の議決を経まして教育制度というものをつくっているわけでございますから、公教育制度のもとにおいて教育が行なわれていく、これは必要ではなかろうか、それを教育基本法の十条は否定しているわけのものではない、こう私は理解したいわけでございます。
#83
○木島委員 正当の支配はよろしい、正当であるか不当であるかはだれが判断するのですか。
#84
○奥野国務大臣 国会が国権の最高権威でございますので、国会のきめましたことにつきましては、国はそれに従っていかなければならないというたてまえであろうと思います。
#85
○木島委員 不当な支配と国会との関係、これはまたたいへんな議論に――教育の問題は他の行政と違いがありますね。教育はあすのものですから、納税者の代表であるところの国会が議論する場合、教育という未来をつくるところの仕事は一般の行政と違いがある。そこで、この議論をしていますと、教育におけるところの国会の任務は一体何かということになってくるのです。このことは、十条第一項の不当な支配ということ、それをさらに進めていきますと、これは実は家永裁判の論争になってしまうのです。これはこの場ではなじみませんから、私は実は深入りしようと思っていないのです。ここでやれば、あなたは、家永裁判における文部省側、政府側の立場をとらざるを得ないでしょう。それを否定することは、いま、あなたの立場、裁判で争っている限りちょっと困難でしょう。だから、あまり深入りしようとは思わない。しかし、すなおに読んで不当な支配というのは何の支配ですか。不当の支配というのは一体どんなものをあげられるのですか。(「組合」と呼ぶ者あり)
#86
○奥野国務大臣 不当ということは公教育制度に規定されていることと違った支配が行なわれるということではなかろうか、かように考えているわけでございます。公教育制度に示されていること、それと違ったような圧力をかけていくということは、私は一応適当でない支配になるんじゃなかろうか、かように思います。
#87
○木島委員 けっこうです。岩間さん、あなたちょっと答弁してください。基本的なことですから、実は大臣にお聞きしたのですけれども……。
#88
○岩間政府委員 大臣が申し上げたとおりでございますけれども、具体的には、たとえば政党とか、あるいは組合とか、そういうものを……(「官僚は入るか」と呼ぶ者あり)官僚はもちろん入りません。官僚は国民のために公務員としてやっているわけでございます。
#89
○木島委員 では、政党だけ取り上げましょう。学者によって、政党は不当な支配の中には――いろいろな諸説があります。いまこちらで言っているように、組合が入るなんというと抗議したくなりますが、それは入れている学者もあれば入れてない学者もあります。しかし、公権力というものを不当な支配というものから除外する学者はありません。これは前に坂田文部大臣が、その点を議論して肯定されておりますけれども、それを除いた政党、しかし、いま議院内閣制であります。議院内閣制でいうならば、大臣はやはり自民党の党籍を持つ大臣であります。そうして、議院内閣制であるから、自民党の意思というものを尊重せねばならない。そうして教育行政をする。とすると、これは国というものの、あるいは文部大臣というものの国家権力、教育にかかわる国家権力というものが不当な支配というものの中に入りませんか。どうでしょう。非常に大きなことで言っているのですよ。家永裁判に行かないように、きわめてすなおな文章の一般的表現で言っているのです。そうでないと、さっき言ったように家永裁判に入りますから、あまり深入りをしないで、実は一般にすなおに文章を読んで言っておるのですよ。
#90
○奥野国務大臣 政党員である国務大臣がいろいろと助言をする。それが不当であるか不当でないかということは、やはり公教育制度に認められた、許されている方向に従っての助言であるか助言でないかということによってきまってくるのではないか、こう考えるわけであります。国会でいろんな方針をおきめになるわけでございますけれども、その方向に従って、助言、勧告にゆだねられている面も多分にあるわけでございますので、その線に従っていろいろ指導、助言を行なっていく限りにおいては私は正当なことだ、かように考えておるわけであります。そのワクをはずれるようなことのないように慎まなければならぬ、これは当然なことだ、かように考えております。
#91
○木島委員 私、さっき教育基本法第十条を一項と二項に分けて、そうして二項は教育行政、その教育行政の範囲においては、これは国会も、あなたのおっしゃる文部省の権限はあるのですよ。しかし教育そのもの、教育内容に関しては、さっき言った、その内容というものは自然法的な親の教育権から発するから、世界人権宣言等にもしるしてありますけれども、その内容の第一の選択権は親の自由にあるとある。そういう内容に権力なりそういう不当な支配があってはいけない。あなたの言っているのは、一項、二項を混同していらっしゃる。私はいま一項だけを言っているのです。そういう意味で不当な支配というものの中に政党がある。その政党の議院内閣制から出るところの大臣、これが教育内容にまで含めてはいかぬ。あなたはいま、しかし、そういうことも助言、勧告ならいいとおっしゃるが、その範囲で考えてよろしゅうございますか。
#92
○奥野国務大臣 一項と二項とさい然と分離できない問題もたくさんあるのじゃないかと思ったものですから、私は総括的に申し上げておるわけであります。教育基本法というまさに基本の法律が制定されているわけでございますので、この基本法の精神に従って行なっていかなければならないと考えておるわけであります。これにはずれるようなことがありますと、当然批判の対象になってくると思います。
#93
○木島委員 そこで、不当な支配ということを排することは、これは教育基本法、いわば二十六条から出るところの教育に関する準憲法的な性格のものですね。これはいま言いますように、不当な支配、権力の作用が教育に入ってはいけない。そうでないと教育の理想主義というものは貫かれない。新しい創造というものがないわけでしょう。だから、そういう意味で十条の不当な支配に服しない、不当な支配に服しないということだから、教育権の独立、四権分立の思想に立っておると考えますが、いかがですか。
#94
○奥野国務大臣 私はあまり教育だけが別だ別だということじゃなしに、いろいろな意見をいろいろなところで言う、それを一切排撃するということは、むしろ正常な教育の発展に必ずしもプラスにならないのじゃないか、こう考えておるわけでございます。社会党の方々も教育のことについていろいろ言っていいし、自民党の方もいろいろ言うていいのじゃないだろうか、こう考えておるわけであります。それが支配にわたるということになる場合に、公教育制度において一応のけじめがつけられておるわけでございますので、それからはずれるようなことにしなければよろしいのじゃないか、こう考えておるわけでございます。おっしゃっておる気持ちが私ちょっと理解できないのかもしれませんけれども、あくまでも「不当な支配に服することなく、」という「不当な」ということばに私はある程度ウエートを置いて読ませていただきたい、かように考えるわけでございます。およそ支配――公教育制度がある意味においては支配ということになるかもしれませんので、そういう意味で私はこういうような答え方をさせていただきたいと思います。
#95
○木島委員 少しお読みになるのを待ちましょうか。非難するのじゃありません。正直に言って、教育行政については初めてでいらっしゃいますから。だから、私は基本的なことだけで、あまりこまかいことを聞こうとは思っておりませんけれども、しかし、十条の解釈というのは教育行政にとって基本的なことなのです。ですから、このことをきちっと踏まえて、あなたがいま政治の中において最大な課題を持っておる教育という限りにおいては、一番大事なことだけは大臣にお聞きしなければならぬというふうに実は思っておるのですけれども、大臣、十条の不当な支配ということ、このことはさっき岩間さんのことばで政党、あるいは国家権力、国家権力が教育内容に入ってはいけない、これは通説です。大臣読んでいるものだから……。大臣、もし何なら後日この問題をあらためて御質問申し上げましょうか。しかし、この問題は基本的なことですから、いいかげんにちょろまかすというか、いいかげんな結論で、並行線でいっていいとも思わないのです。それともずっとこれからお進めになっていいとおっしゃるんならいいですけれども、どうでしょうか。後日またこの問題についてはやりましょうか。
  〔発言する者あり〕
#96
○田中委員長 不規則発言はしないでください。
#97
○木島委員 大臣、十条の解釈については後日もう少しやります。
 そこで大臣、たとえばいまあなたが中教審の趣旨を踏まえてというようなことばで表現されておりますけれども、中教審の答申の中にこういう表現があります。「戦前、国が学校教育の内容に深く関与したことが国民の考え方を偏狭な国家主義に導いた原因であるとして、教育行政の役割を外的な教育条件の整備や単なる指導助言だけにとどめるべきだという考え方が一戦後の学制改革のころから主張され、その考え方を今日でも強調する人々がある。しかし、日本国憲法のめざす国家理想の実現のために国民の教育として不可欠なものを共通に確保するとともに、つねに新たなくふうによって改善された標準的な内容・程度」を「人間の発達段階に応じ、また、個人の特性に応じた教育方法によって、指導できるように改善されなければならない。」という一くだりがございます。
 そこで、いまのことにからむのでありますけれども、人間の発達段階に応じ、個人の特性に応ずる、これは当然なことであって、これを具体的に個人個人の、国民一人一人の発達段階――一人一人は個人個人違いますね。個人個人の特性、一人一人違いますね。したがって、発達段階なり個性に応ずることの具体的なことは、教育の現場における教師が、具体的な、子供に日々接する中でもって考えるべきものですね。そう思いませんか。
#98
○奥野国務大臣 おっしゃっている問題は、どうも、教育が画一的に堕しているのじゃないだろうか、個人の可能性をもっと引き出すような教育努力が積み重ねられなければならないのじゃないだろうかというくだりではないかなと、私なりにそうお読みいただいたことを理解したわけでございます。
 そういう場合に、現場の先生の努力に負うところが非常に大きいと思います。同時に、制度の上におきましてもそういうことが可能になるようないろいろな配慮もあるのではなかろうか、かように考えておるわけでございます。
#99
○木島委員 いま最後におっしゃる、したがって、そういう先生方の努力ができるような条件の整備を教育基本法第十条二項にいっているわけですね。そこで、中教審は、そういうことを指導されなければならない、そこで、「標準的な内容・程度」は国が示してもいいじゃないかとこういつているわけです。私、けっこうだと思います。教育大綱的なものはいいだろうと思います。しかし、だからこそ具体的には発達段階に応じ、個性、特性に応じてやるのが教師なんだから、それに対する指導、助言であって、さっき大臣がおっしゃった指導、助言が文部省の仕事の中に入ると思うのですが、どうですか。ちょっとそこのところを……。
#100
○奥野国務大臣 十分理解していないかもしれませんが、やはり教育の水準を維持していくという責任を国としては負っておるわけでございますので、教育指導要領等を通じまして、守らるべき基準は示しておるわけでございます。その基準の中で現場の先生方が弾力ある運用をしていただきまして、個人個人に適した教育が行なわれるように努力していかなければならないと思います。示されている基準は守っていただく、しかし、それもその中でいろいろ相当な弾力のあるものだろう、こう理解をしておるわけでございます。
#101
○木島委員 だから、その標準的な内容という中には、その教育課程の大綱という中には二つあると思うのです。一つは、教育内容の制度的条件、たとえば、各学校段階における教育目的だとか、修業年限だとか、あるいはその授業日数だとか、必須教科目だとか、そういうものは制度的なものですね。こういうものは日本全体の中で共通しなければいけませんね。そういうものは文部省がきめていく。けれども各学年別の、各教科別の内容なりあるいは教材、教育方法までも文部省が教育内容の中に介入してはならない。それが十条第一項の公権力の教育への不当な支配になる。いいと思ったって、戦前の教育がいいと思ったけれども、あのようにあやまちをおかしたわけでしょう。だから、政府の考えることを押しつけるわけにいかない。その点はどうなんですか。
#102
○奥野国務大臣 先ほども申し上げましたように、教育の水準を維持し、守っていく、それを国民から国に負託されていると考えているわけでございます。そういう意味においては、国において教育課程を示していく。この教育課程はやはり現場の先生方も守ってくださらなければならない。それぞれの個人は、個人でありますと同時に社会の一員でございますだけに、社会全体から求められているもの、これをやはりそのとおりに行なっていただかなければならないということになる問題ではなかろうか、こう考えておるわけでございます。もとより現場、現場で適宜に裁量していただいていい問題は、できる限り裁量にゆだねるようにすべきだと思います。いまも御指摘のありましたように、一時間が四十五分でいいか、四十分でいいか、そういうものはそれぞれの学校で適宜選択されればよろしいという仕組みにしているようでございますが、教育課程の内容の問題につきまして、教育水準を維持していくという立場から、国から示されているもの、それはやはり現場の先生方にも守っていただく。ただ、個人、個人に適用していく場合に、その適用のさせ方のくふうというものはいろいろ考えていただかなければできないことではなかろうか、こう思っておるわけでございます。
#103
○木島委員 そうすると、指導要領で教育方法、教材等にまで触れておるのはどう思いますか。
#104
○奥野国務大臣 一応政府委員のほうからお答えをいたさせます。
#105
○岩間政府委員 ただいま大臣から申されましたように、やはり教育の水準の維持という観点から申しまして、教育の内容につきまして定めました学習指導要領については、これは守っていただく。しかしながら、その中でも、やはりいま大臣から申されましたように、時間の問題あるいは個人個人の適用の問題については、これは先生方の自主性、創造性にまかされているわけでございます。そういう点につきましては、これはある程度幅のあるまかせ方をしているというのが実情でございます。
 なお、教育の方法につきましては、これは学習指導要領では別に定めてございません。これは具体的にどうやるかということにつきましては、先生方が創意くふうをされて、よりよき学習ができるようにということになっているわけであります。
#106
○木島委員 岩間さん、さっき私が中教審の答申の一部を読みましたけれども、あの中で、外的な条件だけの整備や単なる指導、助言だけにとどめるというようなことはいかぬということを中教審は言っているわけです。そして「国家理想の実現のために国民の教育として不可欠なものを」とありますが、「国家理想の実現のために国民の教育として不可欠なもの」とは一体何でしょう。これはむしろ岩間さんに聞きましょう。
#107
○岩間政府委員 ここに書いてございます「日本国憲法のめざす国家理想の実現のために国民の教育として不可欠なもの」と申しますのは、これは言うまでもなく、日本国憲法と申しますのは、民主主義、これを基本にしているわけでございます。そういうふうなものを中心といたしまして、日本国憲法で目ざしております福祉の問題、基本的人権の問題、そういうようなものを具体的にどういう時期にどういう子供に教えていくかというふうなもの、それがここで書かれているものだと思います。こういうものにつきましては、書いてございますように「つねに新たなくふうによって改善された標準的な内容・程度の教育をすべての国民に保障する」、これが私ども政府の役目でございまして、そういうふうにやっていきたいと思います。
#108
○木島委員 そこで、さっき読んだ、学制改革のころから、外的条件と指導、助言だけにとどめるというのは誤りであるという言い方を中教審はしておりますが、これと十条の一項との関係はどうお考えになりますか。
#109
○岩間政府委員 外的な条件の整備ということは、先生も御指摘になりましたように、教育基本法の十条で定めております私どもの非常に大事な仕事だと思います。特に国の場合には、そういう全体としまして、校舎でございますとか、あるいは教員の定数、学級編制、そういうものにつきまして、基本的な施策を講じていくということは当然必要なわけでございます。それと同時に、教育の内容の水準をどういうふうに維持していくかということも、私どもの非常に大事な役目でございます。私どもは、両方軽重なしに努力してまいらなければいけないことである、そういうふうに考えております。
#110
○木島委員 そこで、教育とは一体何かという問題に触れるのですよ。文部省なり大臣なりが、いま国民として必要なものというのは一体何か。あすはきょうの延長線上にはない。さっき、洞察をしておるとおっしゃったけれども、日本の将来がどうなるかというもの、将来の未来像というものが、はたしてどこまで築けるのだろうか。すると、そういうものの標準をきめて教えるということは、あすはきょうの延長線上だという発想に立つ。ではなしに、教育基本法第一条は「真理と正義を愛し」という、たとえば真理を追求する点、真理というものは、疑ってかからなければ真理は発見されません。懐疑心から真理は生まれる。とすると、現在というものを是認し、それに順応し、それに適応するだけの教育であっては、新しい創造がないですね。だから国が、――さっき大臣は、不当な支配というのはいけないけれども、正当な支配ならいいのだ。正当というもの、それは政府が今日の権力が正しいと思って子供に教え込む。それを是として子供が成長したときには、社会というものは進展しない、発展しないということになりませんか。だから、不当な支配ということは一体何かということを明確に理解しなければならない。不当な支配の中に――だから政党政治の中におけるところの大臣の位置づけがきわめて重要であるから、私はこのことを繰り返し聞いておるのであります。このことを誤ると、日本の教育は誤ってくると思うのです。かつて、戦前の第二次世界大戦までの明治以来の教育のあれは、そこにあったと思うのです。その失敗の反省から憲法ができ、教育基本法ができておるのであります。そのことを十分に大臣が理解されて、教育行政に当たってもらわなきやならぬと思っておるのですが、いかがですか。
#111
○奥野国務大臣 たいへん重要な問題だと思います。私たちは、人類の理想を求めながら努力をしていかなきゃならないと思います。そういう理想を求めながら努力をしていかなければならないときに、どういうような手順を踏んでやっていけば国民の皆さんの合意が得られるか。これは国柄によって違うわけでございまして、日本のような国柄もありますれば、社会主義、共産主義の国もあるわけでございます。社会主義、共産主義の国々におきましては、もう小さいときからすでに特定の政治教育が行なわれております。いろんな考え方は許されません。日本の場合には、いろんな考え方が自由に議論できるわけでございます。その場合にどういう形で国民の合意が得られるか、そういう点につきましては、議会制民主政治をとっておるわけでございますので、私は先ほど、国会が国権の最高権威とされているわけだから、国権の最高権威のきめられたところに従っていくよりしかたがないだろう。しかし、自民党がいま多数をとっているから、何をやってもいいだろうという立場から政治をやっていたら、やがて国民から批判を受けるだろう。これはやはり心得て、政党も努力していかなければならない。国会が最高権威である。最終的には国会の多数決だ。しかし、多数決が乱用されることになってまいりますと、このような国柄を維持していくことは、私は困難になると思います。この場合には国会が最高権威と定められているこの憲法の規定に従って、お互いが努力していかなければならない。しかし、あくまでも人類の理想を求めながら努力する。しかし、きめ方ということになってまいりますと、そういう問題があるということを理解してかからなければならないのではないだろうか、こう思って申し上げておるわけでございます。決して、多数さえ得れば、その多数が何をしてもいいのだというような気持ちで申し上げていることでないことだけは、御理解を賜わっておきたいと思います。
#112
○木島委員 この点はどうぞよく理解してください。
 そうすると、いままで、たとえば教育問題でもってずいぶん強行採決されましたね。あんなのはいかぬね。そういう法律でもっていま教育は支配されておる。これはいけませんな。ああいうのは、いまからもう一回やり直しましょうか。――これは冗談ですが……。
 そこで、不当な支配に服せずということは、教育の独立性、教育行政の独立性ということを教育基本法第十条第一項にうたっておる。これはあとで御勉強になればわかると思いますが、この教育基本法ができたときの田中耕太郎さんの書物にも出ております。それはなぜかというと、いまおっしゃったことなんです。あの政党政治の中では多数決できめられる。したがって、政党の恣意や独断でもって教育が左右されてはならない。だから、不当な支配に服しちゃいけない。不当な支配という中に政党が入ると先ほど初等中等局長はおっしゃった。ですから、その次に、不当な支配に服せず、国民全体に対し直接責任を負うと書いてあるのです。他の行政は、国民全体に対して責任を負う。教育基本法第十条には、教育は不当な支配に服せず、国民全体に対して直接責任を負うというところに、他の行政とこの教育基本法の第十条第一項とは違いがあるのです。
 そこで、不当な支配に服さないで、国民全体に対して直接責任を負うという、そのことを保障する制度は一体何だとお考えですか。教育は、不当な支配に服せず、国民全体に対して直接責任を負うと基本法はいっておる。それを制度的に保障するものは一体何ですか。国民が権利として与えられたもの、これを国が保障するところの責任がある。元来は、保障する義務を負っておるものでしょう。
#113
○岩間政府委員 国民に対して直接に責任を負うということは、これはほかのものに対して間接的に責任を負うというようなことではないということでございまして、たとえば政党に対して責任を負うだとか、そういうことではないわけでございます。いまの教育制度というものは、このたてまえが、国会の御判断に基づきまして示されました法律に基づいて国民に対して行なわれておるという、教育制度全体が国民に対して直接責任を負うような形になっておる、そういうことであります。
#114
○木島委員 一般の行政は、国会を通じて政策が決定されます。しかし国民は、選挙というものを通して国会、そして議院内閣制、それによってすべての行政がなされております、議会制民主主義のもとに。だから、国民全体に対して責任を負っておるのです。ただ、教育基本法の第十条第一項は、国民全体に対して直接責任を負うのです。そこが、いま岩間さんおっしゃるけれども、他と違うのです。そこに独立性がある。だから、それを保障するために教育委員会制度があるのです。教育委員会制度というのはそういうことです。
 そこで大臣、私は、もう十二時半までに打ち切らなければなりません、本会議がありますから。それでこの問題だけで一応ケリをつけます。
#115
○田中委員長 ちょっと速記をとめて。
  〔速記中止〕
#116
○田中委員長 速記を始めて。
#117
○木島委員 大臣、時間がありませんから、そこで、そういう立場を立場として、この教育委員会の公選制と任命制、これはすなおに憲法、教育基本法第十条第一項を読んだときに、どっちがより――いま直ちにとうのこうのということは言いませんけれども、どっちがこの条文にすなおだと思いますか。直接責任を負う、そのことのどっちがすなおだと思いますか。
#118
○奥野国務大臣 私は、必ずしもいまおっしゃったことがこの条文に直接かかわり合いを持つというふうには理解しないわけでございます。教育委員会の公選制度があの当時非常な混乱を招いたわけでございまして、そういう弊害から反省をして、直接選挙で選ばれました地方公共団体の長が、また選挙で選ばれました議会にはかって委員をきめるいまの仕組みに変えたわけでございます。私は、やはりこのような仕組みのほうが教育を守っていくのに適当しているのではないだろうか、こう考えているわけでございます。やはり教育に力を入れるというのは、全体が教育に力を入れていく、その中心になるのが教育委員会だという方向に努力を持っていったほうが、私たちとしては望ましい教育ができるのじゃないかという期待を持っておるわけでございます。
#119
○木島委員 大臣、それはいま私が言いますように、すぐどうのこうのというのじゃないけれども、あなたとして、いま公選制のほうがいいなんて、ここでもって口がくさったって言えぬでしょう。しかし、この条文をすなおに読めば、直接不当な支配に服しないというのだから、教育権の独立的な指向があるわけです。四権分立的な指向があるわけですよ。あなた、さっき勉強なさってないというから、あとでもいいと言ったけれども、これはいなめないのです、それは他の行政と違うのだから。不当な支配に服しない、だから市町村長や知事の隷属機関ではない。独立機関です、教育委員会は。そうしてそれが国民全体に直接責任を負うのです。いまの任命制度は、住民が、主権者が選んだ知事が、直接選んだ議会に同意を得て発令する。というのは間接です。住民が選んだところの市町村長が、住民の選んだところの議会にはかって教育委員会の委員をきめる、これは間接です。公選というのは、住民が直接参加する。それは何かというと、さっきから繰り返しますけれども、自然法的な教育権というものは第一に親にある。親が教育権を持っておる。その教育権を確保したのが公教育だ。したがって、その親が教育の選択権を持っている。したがって、自分の選択するところの教育をだれにやってもらうかという、その輿望をになったものを選ぶ。そういうことによって教育がされる。そういうことによって不当な支配に服さずに済む。これが教育委員会の公選制の原理だと思うのです。だから私はいま、よりとつちのほうが――それはあなた、さっきいろいろな混乱があったということはもちろんありましょう。でもいいですよ。だが、いずれにしても、この十条一項をすなおに読めば、「不当な支配に服することなく、国民全体に対し直接責任を負って行われるべきものである。」そのことをすなおに読んだら、より公選制のほうがこの文章になじむものだろう、そこまで私のほうが要求を下げて聞いているのです。どうですか、そう思いませんか。
#120
○奥野国務大臣 これは人の読み方でございますので、いろいろな読み方があろうかと思います。また同時に、当時アメリカの支配を受けていたわけでございますので、アメリカはスクールディストリクト、学区制度をとっているわけでございまして、地方団体が教育については別建てになっているわけでございますので、そういう国柄の仕組みでありますと、木島さんのおっしゃるような考え方も出てくるかもしれません。私たち日本の教育基本法の「国民全体に対し」という表現をいまここで読んでみますと、いまここで読みながら考えたわけでございますけれども、より以上に中立性を強調しているのじゃないかという感じを私自身は持っているわけでございます。不当な支配に服することなく、一部の者に奉仕してはいけない。そのことを私は非常に強調しているのじゃないか、こんな感じも受けるわけでございます。
 そういうふうに読んでまいりますと、教育委員が直接選挙でなければ中立を守れないんだというふうなことにもならないんじゃないか、かようにも考えるわけでございます。事実、あの公選のときに、一部の方が非常に強く推されて、それが、むしろ委員が一部の方々の勢力に偏しているのじゃないかという御意見があったことも御記憶にあると思いますが、いろいろなことがございますだけに、直接それには関連を持っていないのじゃないか、こうも思うわけでございます。やはり民主的な主張がどこまで国民の間に習熟しているか、そういうこともあわせて考えながらわれわれ検討していきたいのだ、かように考えます。
#121
○木島委員 大臣、ちょっとそれはことばを取り消してくださいよ。選挙でもって出た委員が一部の方向に偏している、だからいけない、だから任命制にした。選挙をまさに――主権者をどうするのですか。主権者が判断したことでしょう。
#122
○奥野国務大臣 そのときにあった意見を申し上げたわけでございまして、言いかえれば、投票率が非常に少なかった。だから投票率が少ない中で選ばれてきたから全体を代表していないという意見があったことを私は記憶しているものですからそう言ったわけでございまして、投票率が五割を割っておって、したがって、全体の意向が十分に反映されていないじゃないか、だから教育委員の公選制が住民になじんでいなかった、だからなじませるべきだ、その意見はおかしいじゃないか、これも一つの考え方だろうと思います。そういう意見をここで御披露申し上げたわけでございまして、私がそう考えているという意味で申し上げたわけじゃございませんので、ひとつ御理解を賜わっておきたいと思います。
#123
○木島委員 まあ、そんなことは追及しませんよ。そうすると、投票率の低いところの衆議院議員は国民を代表せぬということになる。そうしたら、総理大臣は任命制にすればいいという理論になりますよ。主権者を否定するようなことはいけません、基本的なことですから。あなたは一説だと言うから、いいです。私は、そういう個々のことはいろいろあろうけれども、この十条一項をすなおに読めば、他の行政と違う、直接責任を負うということから言えば――個々のことは私は言わないとさっき言ったんだよ。いろいろあろうけれども、それはそれで主張するのですけれども、あの混乱のある現状をもっと分析すれば――しかしそのことは、いま大臣にここで聞くにはあまりにも大臣はおなれになっていらっしゃらないから、そこまで聞こうとは思わない。しかし、少なくとも十条一項をあなたはどう解釈するかということ、このことを間違ったら、教育行政の基本です、中心でしょう、そういうのを聞いているのです。したがって、すなおに読めば、公選制のほうがよりこの条文になじむものだろう。私は厳密に言うなら公選制にしなければならぬと思っているのだけれども、あなたはそこまであれだから、この文章だけで言えば公選制が望ましい、しかし、諸般のいろいろのものがあるから、それはいま任命制でいいと思うというたとえばあなたの答弁があるなら、それはそれなりに私は別個の問題としてあとで考えます。少なくともいま基本の十条というものをどう理解するか、これはアメリカから何とかっておっしゃるけれども、アメリカに押しつけられたようなことを言うが、だから、それが誤りだというなら十条の改正を出しなさい、日本にマッチしたものを出しなさい。世論があなたをどう判断するか。そんなことはいま問題じゃない。私はいま法治国家としての日本の国の教育の一番基本である基本の法律を、今日われわれ、より具体的にどうするかという立場から、この十条をあなたはどう理解しているか聞いているのです。
#124
○奥野国務大臣 アメリカの例を出しましたのは、地方団体の仕組みも変わっている。アメリカの場合には教育に関する地方団体が別建てになっておるものですから御指摘のような考え方も出てくるだろうけれども、日本の場合には地方団体、府県、市町村が財政全体を掌握しているわけでございまして、その中の教育委員会、その教育委員会の委員を直接選挙か、あるいはいまのような間接的に選んでいくかというような問題になってくると、すぐおっしゃっているような結論が解釈として生まれてくるか、そればかりではないのじゃございませんでしょうか、私はこう申し上げておるわけでございまして、いろいろな考え方があってしかるべきだと思いますが、直接結びつけて考える必要もないのじゃないか、かように存じているわけでございます。
#125
○木島委員 十二時半になりましたからやめます。あとの質問は後日に保留しますが、ただ最後に私が一つ言いたいことは、これほど明確なものを、そう言えないところに政党出身の文部大臣が政党のものの考え方に支配されておる、こういう答弁こそ私は現に今日の教育が不当な支配に服している、政党に支配されている結果だろうという気がします。しかし、そういう意味では私は本来議院内閣制では文部大臣が政党人であっていいかどうかということに対してたいへん疑義を持っているのです。そういうことのないようにこの十条については十分に御研究くださることを要望しまして、この問題についての質問を終わります。
 残余の問題は保留させていただきます。
#126
○田中委員長 本会議散会後に再開することとし、これにて休憩いたします。
   午後零時三十分休憩
     ――――◇―――――
   午後三時十分開議
#127
○田中委員長 休憩前に引き続き、会議を開きます。
 午前に引き続き、質疑を続行いたします。栗田翠君。
#128
○栗田委員 文部大臣に伺いますが、文相は今度就任されて以来たびたび御自分の抱負として、荒れた教育環境を正していくということをおっしゃっております。私も、私を選出しましたたくさんの父母、教師の人たちから、いまの教育環境を正してほしいというたいへん切実な要求を託されてきております。
 それで、きょうは国会で初めての質問でございますから、この中で特にいまおとうさん、おかあさんたち、先生たちが最も切実に感じている問題について、二、三質問させていただきたいと思うわけです。
 まず、最初の一つの問題ですけれども、これは行き届いた教育を保障するという点です。いま母親たちにとって一番ショッキングな問題として語られている一つが、いま義務教育でクラスの半分以上の子供たちが授業についていけないという調査報告の結果なんです。これは文部大臣も御存じだと思いますけれども、一昨年全国教育研究所連盟が出した調査の報告ですけれども、義務教育においてすら半分以上の子供が授業についていけない。自分の子供も、そのついていけないほうに、もしや入っているのではないだろうか、そういうことがあったのではたいへんだし、大切な基礎学力を身につけさぜるためには、何としてでもこういう子供が落とされていく状態を改善しなければならないというのが親の熱心な願いになっております。また、日本の教育の将来を考えても、たとえ就学率が一〇〇%近くても、半数以上の子供が、義務教育についていけないということは、これは大問題でございます。
 そこで、その一つの原因になっていると思われます学校のクラスの定数の問題なんですけれども、この定数がいま四十五人が最高ということになっております。この定数では、先生たちが一人一人の子供に、十分目を行き届かせることができないというような報告もこの中に出ておりますけれども、いまの定数で妥当であるとお考えかどうか、まず御質問いたします。
#129
○奥野国務大臣 御承知のように、第三次の改革目標で一学級四十五人を最高にするということで進めてまいりました。最終年度は四十八年度でございます。おっしゃいますように、できる限り小人数の学級で授業を行ないますほうが授業が充実すると思います。将来はぜひ四十五人をさらに下げていきたい。下げていきたいと思いますが、四十八年度に続く新しい計画ですぐ下げていけるかといいますと、いろいろな事情がございまして、困難なようでございます。文部省としては、学級編制の基準を下げていくという問題とあわせまして、教職員定数の改善をはかっていく。専科の教員をふやしますとか、あるいはまた教育困難な地域に対しまして教員をふやしていきますとか、あるいは小規模学校に対しましても教育を充実していきますとか、いろんなことをやっておるわけでございまして、その辺は引き続いて努力していきたいと思います。しかし、学級編制基準四十五人をさらに引き下げていくという問題につきましては、実は人口急増地域におきましては、全体としてはかなり一学級当たりの人数が減っているのでございますけれども、やはり四十人をこえるような学級が集中しております。しかも、人口がどんどんふえてまいってきておりますので、小学校を分けなければならない、中学校を分けなければならないというような問題で悩み続けておりまして、そこへもってきて、四十九年度から第二次ベビーブームが始まるわけでございます。人口急増で学校を分けていかなければならない、第二次ベビーブームで新しい学校をつくっていかなければならない、そういうことがございますので、そこへ加えて学級編制基準をさらに四十五人から下げていきますと、この上によけい学校をつくっていかなければならない、こういうような難問題をかかえておりますので、学級編制の基準をさらに下げていく問題は、もうちょっと先にさしていただいて、教職員の定数改善という面でできる限りの努力を重ねていきたい、これがいま考えております方針といたしておるところでございます。
#130
○栗田委員 そうしますと、四十八年度に定数法が改正される時期を迎えますけれども、このときには定数は改正しないというお考えだと思います。
 そこで、私が重ねて御質問したいのは、ここに「教員の地位に関する勧告」というユネスコの勧告がございます。これは一九六六年に出されたもので、いまから七年前に出されているわけでございます。ここに、これは八十五項なんですけれども、「効果的な教授及び学習の条件」ということで、「教員は価値のある専門家であるので、その仕事は、時間及び労力を浪費することがないように組織され、かつ、援助されるものとする。」というふうに書かれております。そして学級の規模についても、その「学級の規模は、教員が個々の生徒に注意を向けることができる程度のものとする。」というふうに述べられているわけです。これがもうすでにいまから七年前に出されているわけなんです。いま文相は、当分の問いろいろな事情があってできないというふうにおっしゃいましたけれども、私が質問しておりますのは、多くの親たち、それから日本の将来の問題として言っているわけなんですけれども、子供が半分も、とにかく基礎教育であります義務教育で落とされているという問題に、もう一度立ち返って考えてみたいと思います。
 当分の間しないとおっしゃいますけれども、そうしますと、当分の間子供が大ぜいついていけない状態のままで残されているというそのままでよいとなさるわけでしょうか。そしてまた七年間も前から、このようなユネスコの勧告が出ておりますけれども、それに対していままでどのような努力がされてきたのかということを伺いたいと思います。
#131
○奥野国務大臣 おっしゃっております学級編制の改善につきましては、いまから十五年前、昭和三十三年に義務教育標準法というものをつくっておるわけでございます。そのときの一学級当たりの編制は六十人でございました。六十人をだんだん下げてまいりまして、第三次の計画では最高四十五人にする、これが四十八年度に完了するわけでございます。そこで引き続いてさらに第四次計画でもつくって四十五人を四十人になり何なりに下げていくかということになりますと、先ほど申し上げたような問題にぶつかってしまうわけでございます。そこで、教職員の定数の改善をやっていきたいんだ。先生は充実していきたいんだ。さらにはまた、先生方に有能な人材が入っていただけるように、先生方の資質の向上、そういう面については、処遇の問題でありますとか、研修の問題でありますとかいうことを通じて努力を払っていきたい、こう考えておるわけでございます。ですから、おっしゃっていることはよくわかるわけでございますけれども、おっしゃっているような問題の解決を学級編制の改善という面でやりにくいものだから、他の面から努力をしていきたいんだ、こう申し上げておるわけでございます。
 なお、御参考に申しますと、中学校一学級当たりの平均児童生徒数は――小学校が三十二・八人になっております。最高四十五人でございますけれども、平均では小学校は三十二・八人、中学校では三十六・八人、こういうことになっておるわけであります。平均ではそうなんでございますが、人口急増地帯ではのべつに四十人をこえておるというような状態でございますので、学級編制基準を改善しますと、直ちに学校増設という問題になります。それだけならよろしゅうございますけれども、ベビーブームの問題もあったりしますので、混乱が生じはしないか。だから、そこに若干時期をおきたい、こう考えておるわけでございます。改善の方向については全く同じ気持ちを持っておるわけでございます。ただ、すぐやれるかとおっしゃいますと、ちょっといま申し上げるような困難があるんだという意味でございます。
 御参考までに申し上げますと、公立の初等学校の一学級当たりの平均児童数が、イギリスでは三十二・七人、フランスは二十三・九人、西ドイツは三十四・五人、こうなっておりまして、格段に日本が悪いということにはなっていないようでございます。しかし、御指摘のような方向で努力をやっていきたいと思います。
#132
○栗田委員 いま平均児童数のお話がありましたが、それではそのおもな先進国の基準ですね。クラス編制の学級定数はどうなっておりますでしょうか。
#133
○奥野国務大臣 初等学校として、イギリス、フランスはそれぞれ四十人、ソ連も四十人、西ドイツ三十三人、アメリカが二十人から三十人ということになっておるようでございます。
#134
○栗田委員 こうして見ますと、やはり日本というのは、先進国の中では学級定数が非常に多いということはお認めになりますね。なると思います。
 そこで、いま日本の国というのは、たびたびいわれていますように、国民総生産、GNPが非常に伸び率が高くて、資本主義世界第二位というふうにいっているわけです。ところが、こういう中で、こういうクラスの定数は、資本主義世界先進国の中で比べますと、最も数が多い状態になっています。で、この外国との比較で、文相はいまどのようにお感じになっていらっしゃるでしょうか。また、その時期をおきたいというふうにおっしゃっていますけれども、一体こういうふうな状態の中で、どのくらいの時期でやらなければならないと考えていらっしゃるかということを伺います。
#135
○奥野国務大臣 国にはそれぞれ特別な事情があるだろうと思うのでございますけれども、わが国の場合には、敗戦によりまして都市の学校は全部焼かれてしまいました。その際に、小学校を建てるばかりじゃなしに、中学校も義務教育にいたしまして建ててまいったわけでございます。そして、先ほどもちょっと申し上げましたように、三十三年には六十人が一学級当たりの人数でございました。それが今日四十五人になってきておるわけでございますので、おっしゃるような方向には相当な努力を続けてきたということは言えるのじゃないだろうか、こう考えるわけでございます。ただ第二次ベビーブームも始まるわけでございますので、若干その推移を見た上で、おっしゃるような方向の結論を出していくべきものじゃないだろうか。それが混乱を避けながら学級編制を推し進めていく道じゃなかろうかと考えておるわけでございます。
#136
○栗田委員 私はいまの大臣の答弁、非常に不満なんですけれども、推移を見た上でとおっしゃいますけれども、そういうことをしましたら、現在の子供が大ぜい取り残されていくというこの事情は改善されないわけなんです。いまそれは一ぺんに三十人にするということはできないまでも、非常にしっかりとした見通しのある計画を、いますぐにでも出していただくべきではないかと思うわけです。じゃ現在いまの子供たちが落とされていっていいかといえば、そうではないわけでございます。そしてまた、諸外国には事情があると言われますけれども、やはり同じように戦災でほとんど打撃を受けておるような西ドイツなどでも、日本よりははるかに学級定数が低くなっておりますから、そういう努力が続けられていると思います。そういう点で私は、さっき言われましたような文相の教育環境を正していくというその立場からいって、もっともっと努力を要請したいと思うわけです。
 それからもう一つ、それでは行き届いた教育の問題で伺いますが、やはりこの教員の地位に関する勧告の中で、先ほどの「効果的な教授及び学習の条件」の次ですけれども、補助職員のことが出ております。「教員がその職務に専念することができるようにするため、学校には、教育以外の仕事をする補助職員を置くものとする。」ということが、やはりこれは七年前の勧告で出されているわけでございます。現在その小中学校での事務職員の配置の状態、それから養護教諭の配置の状態はどんなふうになっておりますでしょうか。
#137
○岩間政府委員 事務職員、養教につきましても、先ほど大臣から申し上げましたように、年次計画をもって充実をはかっておるわけでございますけれども、現在のところは事務職員が大体学校数から申しますと六〇%程度の学校に入っておるわけでございます。それから養護教諭は大体五〇%程度の学校に入っておるわけでございます。
#138
○栗田委員 いまのお答えですと、四〇%の学校には事務職員がいないし、また半分の学校には養護教諭がいないということになると思います。それで、文相などもたびたび言われていますように、いまの教育は知育偏重ではなく、体育その他を十分に力を入れなければならないということはしきりに言われておりますけれども、養護教諭がこんなに少なくて、しかも、事務職員がこんなに少ないという状態についての対策ですね。それを伺いたいと思います。
#139
○奥野国務大臣 やはり事務職員にいたしましても、養護教諭にいたしましても、計画的にだんだんふやしていくということだろう、こう考えるわけでございまして、第三次五カ年計画におきましては、事務職員の一般的な配置基準を、小学校にありましては四百人以上の学校に一人でありましたのが三百五十人以上の学校に一人というようにされましたし、中学校にあっては三百人以上の学校に一人でございましたのが、二百五十人以上の学校に一人というふうに改善されておるようでございます。
 さらに、こういう面を補うために、学校図書館事務を考慮した事務職員の定数の加算措置がとられましたり、あるいは要保護児童生徒、準要保護児童生徒の多い学校につきましての事務職員の加算措置も新しく設けたようでございます。また僻地学校に事務職員を配置する処置を講じておるわけでございますが、こういうような面から計画的に順次ふやしていくというような方向をたどっていきたいと思います。
 養護教諭の問題につきましては、養護教諭そのものの不足もあるようでございますが、養成の面からも配慮していかなければならない点だろうと思います。御期待に沿うような努力を続けていくつもりでございます。
#140
○栗田委員 学校教育法の第二十八条によりますと「小学校には、」「養護教諭及び事務職員を置かなければならない。」というふうにされております。それがいまだにこんな状態になっているわけですけれども、これは私の考えますのには、百三条に当分の間置かなくてもよいという規定がある、それに沿って全部に配置しないということがいままでやられてきたのだと思います。ところで、当分の間といいますのは一体どのくらいをさすのでしょうか。
#141
○奥野国務大臣 人を得なければなりません。そんな問題もございますし、財政負担も漸増させるというような問題もございますので、いずれだんだん全体的に配置されるような計画を進めていって、そしてそのとおり必置というものを適用するように持っていきたい。当分の間この限りでないということを削除できるようにしたい、かように考えるわけでございます。
 何年先になればそれができるかという問題につきましては、よく検討さしていただいた上でお答えできるようにさしていただきたいと思います。
#142
○栗田委員 この学校教育法ができたのは何年でしょうか、ちょっと伺いますが……。
#143
○岩間政府委員 昭和二十二年でございます。
#144
○栗田委員 そうですね。ことしは昭和四十八年でございます。昭和二十二年からちょうど二十六年たっております。当分の間というのは、私どもの常識でいいますと、せいぜい四、五年、長くても十年、十年といえばもう一昔になりますけれども、二十六年もたって、まだ当分の間ということでこういうことがやられておりません。一体こういう状態というのが、ほんとうに日本の教育を充実したよいものにしていくという態度であるのかどうかということについて、もう一度伺います。
#145
○奥野国務大臣 二十二年のときに大理想を掲げたわけでございまして、その理想に向かって着実に進んでおる。先ほど私が学級編制基準のときにも申し上げましたが、六十人がとにかく四十五人になっておるわけでございますし、また教職員の定数改善も、相当ふえてまいっておるわけでございます。でありますので、部分的にはあるいは御不満な点もいろいろおありになることもわかるわけでありますけれども、何といいましても、やはり総合的な角度から教育を前進させていかなければならない。そのときに、順序としては、まず先生を充実させようではないか。まず、学級編制の改善をはかっていこうじゃないかということになってきておりますので、おっしゃっておるような、相当な年月を経ながらも、なお必置というものをそのまま適用できないということになっております点を御理解賜わるようにお願いしておきたいと思います。
#146
○栗田委員 最初に害いましたように、とにかく子供たちが義務教育で半分もついていけない状態が出ておるということを、私はたいへん憂えております。それで、文部大臣となさいましては、こういう問題は親以上に一番責任を感じられるべきことであると思うのです。ところが、いまのお答えですと、まあだんだんに、適切に改善してきているというお返事でございます。しかも、さっきの日本の学級定数の問題を見ましても、これは世界の先進国から比べては、非常におくれた状態になっております。四十五人ということですが、これは開発途上国と先進国とのちょうど中間ぐらいの数になっているわけなんですね。こういう状態がいままでそのままにされてきておる。それが非常に努力をして改善されているというふうに害われるのは、私はたいへん不本意ですし、おかあさんたち、おとうさんたちが聞いたら、非常に大きな問題になるだろうと思います。
 それから事務職員、養護教諭の問題にしましても、とにかく四分の一世紀そのままにされている。これは文部省、政府当局が、教育に対していろいろ言われますけれども、やはり努力がたいへん不足していると私は思います。
 そういう点で、ここにも一つこういうのがあります。これは先生たちの日常がどんなふうになっているかということについて書かれたものですけれども、いま文部大臣は人材を充実させるということをおっしゃいました。しかし、それでは解決しないということが、ここに述べられているわけですね。先生の一日はどんなふうになっているか。「まず、ラッシュ時の満員のバスにもまれて汗かいて職員室へ。朝の簡単な打ち合わせ会の後、元気な子どもたちが待っている教室へ。午前中、四時間の授業、その間には、子供たちがほんのわずか用便する程しか遊び時間がない6すぐに「給食」。食べることも仕事のうち」といってまあ食べるわけです。そして「昼食する間もなく全校清掃。そして午後二時間の授業。子どもたちと今日の一日の反省をすませれば、早や三時も三十分は過ぎている。子どもたちの持って来たノートなど、ちょっと目を通していれば、早や五時も近い。今日の授業の反省や子どもたちの日記やノート、練習問題の正誤調べ、作文の点検、はては、明日の授業のためのプラン作りなど全て帰宅後の仕事にならざるを得ない。なかなか、理科の実験準備など出来ない。あと始末すら充分にやりにくい。こうした直接的に子どもに関連する事は、まだしも、ちょっとした教育委員会からの「報告調査」などあれば、管理体制強化のもと、もう子どものノートはあとまわしにされてしまう。給食費や、その他の集金事務はいつもカバンを重くした持ち歩きが四・五日はかかる。」その他その他というふうに書かれているわけです。
 これは実際に特別な先生の状態ではなくて、もう全部の、たくさんの子供をかかえた先生たちの現実の状態だと思います。こういうふうな実態に先生が置かれて、そして一人一人行き届いた教育、目を届かせたいと願いながら、それができないという状態にあるとき、一日も早く教育条件を改善するために、ほんとうに万全の力を尽くしていただかなければならないと思います。このことに関連しまして、いままでの質問にも関連しまして、文相のこれからの対策、決意をもう一度最後に伺いたいと思います。
#147
○奥野国務大臣 いまお話を伺っていて、満員バスにゆられて学校にお通いになっている、教諭も養護教諭も事務職員もそういうところに置かれていると私は思いますよ。問題は、そういうところでは人口が急増しているところなものですから、最初に御提示になりました学級編制、これはおそらく四十五人に近いところまでいっているのじゃないかと思うのです。また大きな学校でしょうから、大体置かれている。そういうところで学級編制基準を今度下げていきますと、学校を分離したい。土地もない。そこへベビーブームがくる。大混乱になってくる。それを心配しているわけでございます。逆にまた過疎地域、というとことばは悪いかもしれませんけれども、人口がふえない、むしろ減っているくらいのところ、そういうところでは学校の規模が小さい。したがって、養護教諭、事務職員が置かれていない。そこでは編制基準を下げたところで、何の苦痛もない。学校をふやさなければならぬことはない。現実に一学級当たりの児童生徒数は少ないじゃないか、こう思うわけでございます。そういうふうなちぐはぐなところにも私たちの悩みがあるわけでございまして、そこで先ほど来の問題と別な角度で解決をしていきたい。何もしないのじゃないのでございまして、先生方の資質を高めることによって、おくれをとるような子供さんを少なくしていきたいとか、あるいは先生方の定数をふやす、専科教員をふやす、あるいはかわりの先生方をふやしていきたいとか、こういうことを申し上げているわけでございます。しかし、いずれにしましても、必置にしておきながら、当分の間適用しない、こう書いておるところ、これは適当でございませんので、なるだけ早い機会に書いているとおりに適用されるようにもっていかなければならぬ、これはもっともなことでございますので、そういう努力は続けていくつもりでございます。
#148
○栗田委員 いま私が言いましたのは、バスにゆられて云々というよりは、子供のために十分な手を尽くす時間のない状態になっているということを言いたかったわけです。
 子供といいますのは、たとえ日記一つ書いても、先生が赤ペンで丁寧に感想を入れてくだされば日記を書くことが好きになるけれども、一言も書いてなかったとか、ほんのちょっとしか書いてなかったといえば、がっかりする。それで子供が励まされたり、そうでなくなったりというような状態になるわけです。実際にこういうことをしていくためには、十分な時間が必要です。だから、いろいろな雑務に追われないように、補助職員を配置することも必要だし、そして何よりも、最初から言っておりますように、目の届く人数にすること。大ぜいの子供だったら、とても丁寧な指導というものは行き届かないわけでございます。
 幾度も同じことを繰り返しているようになりますけれども、そのためには、ただ人材を確保して先生の質を高める、先生の数をふやす、これはどうしても必要なことですが、人材を確保するということだけでは解決しない。大ぜいの子供を、人材さえ確保して能力のある先生にまかせれば全部やっていけるかといえば、これはあるところまでいったら、神わざに近いような状態になるわけです。そこで私は、その定数をもっと減らすための努力をお願いしたいということを言っております。
 それから最後にもう一つ、いまの問題で伺いますが、ベビーブームがくるということをたびたびおっしゃっています。私もこのことを心配しています。これについての対策はどう持っていらっしゃるでしょう。そのままにしたら混乱が起きるということをおっしゃいますが、文相としての対策を伺いたいと思います。
#149
○奥野国務大臣 人口が急増している地域につきましては、それに対応できるように施設を整えていかなければならないわけでございます。そういう地域につきましては整えやすいように確保する。土地に対しましても国が助成しますとか、あるいは建築します小学校や中学校の建物につきましても、国が負担する割合をふやしていくなどのことも大切でございますので、そういう金を充実したわけでございます。小学校や中学校の建設に対する国庫負担率が二分の一であったのを三分の二にいたしましたのも、そういうことを考えての措置でございます。
#150
○栗田委員 それでは、いまの問題では、養護教諭とか事務職員が全学校に配置されない状態がそのままになっているとか、その他非常に不十分であるということは文相もお認めになって、その努力をすると言っていらっしゃると理解してよろしいですね。
#151
○奥野国務大臣 御承知のような努力を続けていきたいと思います。
#152
○栗田委員 それでは次の問題に移らせていただきます。
 次は、やはりこれも親にとって実に深刻な問題ですが、いまの高校の受験地獄の問題です。もちろん大学の受験地獄の問題もあるわけですけれども、いま当面、高校の受験問題にしぼって私は質問さしていただきます。
 ここに二月二十一日の朝日新聞を持ってまいりました。この日、二人の中学生が自殺をしております。一人は新宿の中学生なんですけれども、この子供はもう高校の受験をしまして、第一志望の高等学校に失敗して、第二志望には受かっているわけなんです。ところが、こういう高校受験に失敗したということを悲しんで、自分で胸にこたつのコードを張りつけまして電気ショックで自殺をしております。全く痛ましいことだと思いますし、この記事を読みますと、この子は剣道初段のスポーツマンでたいへん明るい性格だった。親たちにとっては、さぞ未来に期待をかけていた子供だったろうと私は思うわけです。しかも、もう一人の自殺の話は、まだ中学の一年生の女の子です。この子はこんな成績ではしようがない、他人より劣っているということを悲観して、遺書にも「他人より劣っていて、いやになった。やればできると人はいうが、私にはできない」と言って、もうすでに高校受験の問題を頭に置いて、中学の一年生で自殺をしているわけです。これは、たまたま二月の二十一日の新聞ですけれども、ことしに入っただけでも受験をめぐりましてあたら若い中学生が、十四、五歳、十三歳くらいの子供たちが、自分の命を断っている記事が続々と出てきております。こういう事態は一体どういうところからきているか、どう考えていらっしゃるか。それをまず伺います。
#153
○奥野国務大臣 私もそういう記事を見ますたびに、もう少し学歴偏重といいましょうか、有名校集中といいましょうか、そういうような社会が改まらないものかなと強い希望を抱き続けている一人でございます。学校に入れないのではなしに、いまおっしゃいましたように、希望の学校に入れなかった。希望の学校というのは、両親が希望する学校じゃなかろうかというほうが適切じゃないかなという気もいたします。これだけ進学率も高まってきたわけでございますので、どこの学校を出ているかということだけで社会が評価を変えていくというような姿をぜひ改めていきたいものだ。どこの学校を出ようと、人物それぞれによって評価をしていくというような社会に持っていきたい。学歴偏重、有名校集中、これをどう打開していくかは国民の皆さんに理解を求めていくよりほかはないと思うのでございますけれども、そういう努力を文部省といたしましても一そう払うべきではなかろうか、こういう気持ちを持っておるわけでございます。
#154
○栗田委員 この学歴偏重が出てまいります原因ですね、それはどこにあるとお考えでしょうか。
#155
○奥野国務大臣 かつて大学へ進む方々は国民のごく一部であった。したがってまた、エリートを教育するというような姿がなかったわけではないと思いますけれども、今日ではもうみんなどんどん大学まで進んでいくわけでございまして、またそれができるような手だても次々に講ぜられてきていると思います。その間において、私はギャップがかなりあるのではないかなという気もするのでございます。同時にまた、それぞれ人を求める場合に、求める側にも今日なお若干の責任があるのではなかろうか、こういう気持ちもいたします。ですから、そういうあり方をぜひ変えていかなければならないのではないか、こう思っておるわけでございます。
#156
○栗田委員 私は、いま文相のお返事を聞いていまして、たいへん納得のいかない気持ちなんですけれども、これは世間のみんなが学歴偏重主義におちいっているためにそうなっているというようなお返事だったと思います。ですけれども、私はこれはまさに教育の制度そのものの中にこういう状態をつくり出す一番の原因があるというふうに考えております。大体偏重されるような差があるということです。高等学校に格差があるということと、それから全部の子供が高校に入れない、進学希望者に対して高校の数が足りないという問題、そこに私は原因があると思いますが、その点いかがでございましょう。
#157
○奥野国務大臣 高等学校もどんどんふえてまいってきておりますだけに、どうしてもある程度その内容の中には差があるということは事実だと思います。したがいまして、おくれている高等学校の内容を高めていくことも積極的にやっていかなければならない。このことも大切だと思います。
 第三点の高等学校が足りないというお話がございましたが、高等学校に入りたい方々の九八%は高等学校に入っているようでございます。問題は、自分の希望する学校に入れない、そこに基本の問題があるのじゃないだろうかと思います。有名校に集中することでございます。もう少しそれぞれの個性を生かすように、個性に適した学校への進学指導が親もできぬものだろうか、先生方もできぬものだろうか、こんな気持ちも私にはするわけでございます。しかし、なおほかにもいい手があれば、こういう問題については積極的に改善の努力を払っていかなければならないと思っております。
#158
○栗田委員 いま数の問題よりも有名校に集中するという点だというようにおっしゃいましたが、確かにそうだと思います。これこそがまさに学校間の格差という問題だと思います。これをなくしていくために努力をしたいというふうにいまおっしゃっているわけですけれども、こういう有名校とそうでない学校ができてきているという原因は、どこにあるとお考えになるのでしょうか。そこのところ、もう一度伺います。
#159
○奥野国務大臣 学校は、施設の面もございましょうし、また人的な施設、先生方の問題もございましょうし、あるいは学風というような問題もございましょう。ですから、それぞれの学校には歴史があるわけでございますので、今日いわゆる有名校というと語弊があるかもしれませんけれども、世間から評価される学校は、それなりに相当の歴史を経てきているのじゃないだろうか、こんな感じを持つわけでございます。その中からりっぱな学風が築かれてきている。また、そういうところだからりっぱな先生方も集まってきている。また、相当な年数も経てきているものだから物的な施設も充実してきておる、こういうこともありはせぬか、こういうことも考えるわけでございます。しかし、あとから生まれてきております高等学校の施設の充実などに対しましても十分な助成をはかって、内容がさらに充実していくように努力をしていかなければならない、こういう気持ちを持っておるわけでございます。そういうことを通じて高い水準にみんな引き上げていくという配慮が大切だろう、かように考えておるわけでございます。
#160
○栗田委員 いまのお話ですと、歴史とかその他いろいろな設立の条件、自然的な条件で格差ができているようにうかがえるのですけれども、行政の力でこの高等学校の格差をなくしていく対策をお持ちではないのでしょうか。そこら辺をどう考えていらっしゃるのでしょう。
#161
○奥野国務大臣 格差をなくすというと、上から下へ引きずりおろして、下を上へ上げるということになるのじゃないかと思うのですけれども、私はそれは適当でないと思う。下をてこ入れしてだんだん上に上げていく。その間に上のものはまただんだん上に上がっていくだろうと思うのです。しかし、おっしゃっておられるお気持ちはどこまでか私はわからないのですけれども、全く同じにしてしまうということは、これはちょっと実際問題としてできないのじゃないだろうか。また、学校が職種別にも分かれていると思うのですけれども、それぞれ人の持っておる能力をさらに伸ばしていくわけでございましょうから、いろいろな型の学校があってもいい。まさにそういう意味では画一的でなければならないことはないのじゃないだろうかという気持ちも持つわけでございます。
 それでは政治の面ではどうするかという問題になるわけでございますけれども、国立の学校もあれば、公立の学校も私立の学校もあるわけでございます。府県立の高等学校などにつきましては、府県に対しまして、地方の府県でありましても財政的にそういうことができるように、財政制度が今日とられているわけでございます。その財源において、内容の劣っておる高等学校に対しまして、さらに力を入れる努力を払ってくれるだろうと思います。私立の学校につきましては、御承知のように経常費について助成もするというような道も今日ではとり始めておるわけでございますので、そういう手段を通じて一そうの充実をはかっていける、かように考えておるわけでございます。
#162
○栗田委員 いまのお返事で私もたいへん驚くのですけれども、そうしますと、学校間の格差をなくすという必要はないというふうに理解していいわけですね。全く同じにすることはできないというふうにいまおっしゃいましたけれども、そういうことでしょうか。
#163
○奥野国務大臣 どうも格差をなくすというお話の趣旨がよくわからないのですけれども、学校には普通科の課程もあれば、農業科の課程もあれば、工業科の課程もある。また、普通科の課程の場合でも、その普通科の課程のあり方、若干違っていていいと思うのですけれども、それぞれの特色を発揮するように努力をしておるのです。おっしゃっているのは施設の面じゃないかなと思いながらこんな答えをしているわけなんですけれども、それぞれの学校がそれぞれの特色を発揮するように努力をしている。特色に応じてそれぞれの進学希望者が学校を選んでいくということが望ましいんじゃなかろうか、かように考えておるわけでございます。私は別に格差を好ましいと考えているわけではございません。その格差が何の格差であるかということで、私ちょっとわからないものですからこんな答え方をしているわけでございます。施設面につきましては、私、積極的に下のところをどんどん上げていかなければならない、いきたいものだ、こう念願しておるわけでございます。
#164
○栗田委員 格差が何かわからないというお話でございますので、もう一度私の考えを御説明しますと、結局できる子の行く学校、できない子の行く学校というような差がついているということですね。そのことを私は格差と言っております。専門高校の問題ばかりでなくて、普通科の高校でありましても、その間に順位がついているということですね。この問題を私は言っているわけなんです。
 それではちょっと質問の観点を変えますけれども、以前、戦後間もなく昭和二十六年の九月に文部省の「公立高等学校入学者選抜について」という通達が出ております。これを見ますと、こういうふうにいっているわけです。当時、戦前から繰り返された受験地獄をなくしていくために、この受験地獄があったために非常に学童、児童の身心の健全な発育をそこない、教育の本旨に反する結果を生ずるに至り、これが社会一般の批判の的となったためにいろいろと大正時代から試行錯誤してきたということが書かれておりまして、この試験地獄をなくすために次のようにするということがいわれております。これは、たとえば、「このようなことを繰り返した結果、志願者が特定の学校に集中しないようにすることと、なるべく多数の志願者を入学させることのほかに、解決方法のないことが痛感された。」これは文部省の通達でございます。「当時既に学区制と総合考査制とが唱導され、」これは戦前ですが、「若干の府県において実施されたという事実は、われわれに大きな示唆を投げかけるものである。」というふうにこの通達はいっております。そして「当時に比較すれば現在の高等学校入学者選抜ははるかに解決しやすい」、なぜかといえば、非常に一般的なものになってきたからであるということがいわれておりまして、「これに対して現在の高等学校は義務制でこそないが、国民全体の教育機関として、中学校卒業者で希望する者はすべて入学させることを立前とし、学区制も法律にその基礎をもつているのである。」「以上のことを考えると、現在の高等学校入学者選抜方法を解決する方向は既に決定されているといわなければならない。すなわち、なるべく多くの志願者を入学させることと、適切な学区制を実施して、志願者を各高等学校に均分させることである。」というふうにこの通達はいっております。昭和二十六年に出されて戦前からの長い経験の中で、試験地獄をなくしていくためのただ一つの方法であるといってここにいわれているのですけれども、文部大臣はこの通達を御存じだったでしょうか。そしてそれについてどうお考えになるんでしょうか。
#165
○奥野国務大臣 受験地獄をなくしていく、大切なことだと思います。同時に、学校におきましては、その学校の設けられている趣旨に従ってしっかり勉強してもらわなければならない、こう思うわけでございます。そういう意味で難問、奇問を出して子供さんを苦しめる、こういう傾向もあったものでございますので、統一テストというような構想が出てまいった。大学の場合には、高等学校の普通の教科さえやっていれば、普通に勉強していれば何も心配はない。あと個々の大学が適宜また簡単な別途の試験をやればいいだろう。高等学校の場合にも、広域的にテストを共通することによって、中学校の普通の勉強をしていれば何も心配ない。あと個々に簡単な試験をやればいいじゃないかというようなくふうもなされてきているわけでございます。ただ、学校の卒業者、それぞれ社会においていろんな役割りをしていただくわけでございまして、その社会が特別な技術を必要とするような部門もございましょうし、特別な知能を必要とするようなものもございましょうから、共産党がおっしゃっているような小学区制というものは私どもは適当でない。まあ少なくとも中学区制が適当ではないかというような考えで年来文部省は指導を続けてまいっておるようでございます。そういう考え方で、いま栗田さんがおっしゃっていることを私のみ込めない事情がわかってきたわけであります。私たちは小学区制はいけない、中学区制で、ある程度の選択の幅を与える。また、それが激しい競争にぶつかるようなことは避けていきたい、この辺の違いがあるのではないだろうか、こんなふうに思います。
#166
○栗田委員 高校三原則といわれるものは、かつて文部省が言っていた考えで、私が別に言っておったわけじゃございません。私も戦後間もなくの中学校、高校の教育を受けましたけれども、小学区制だったのですね。別に共産党が言ったからではありませんで、文部省がやっていらっしゃった。それがいまどうしてこうなってきたのかということを私は伺っているわけなんです。そのとき試験地獄をなくすためにとして、こういう努力をされてきたことが、いまこういうふうに変わってきている、その点について伺っているわけでございます。これはあくまでも文部省の通達ですからね。
#167
○奥野国務大臣 いろんな変遷を経ているようでございます。また、現在でも府県によりましては、大学区制をとっているところも若干あったりもしているようでございます。小学区制をとりましたときに、やはり父兄の側から、ある程度の選択の幅を持ちたいということから強い希望が出てきたようでございまして、そういうところが小学区制から中学区制に変わってきた動機のようでございます。
#168
○栗田委員 いま中学区制をとっているというふうに言っていらっしゃいますか。
#169
○奥野国務大臣 高等学校に進む中学校の卒業生がどこの学校を選ぶか、府県によってかなり違うようでございます。違うようでございますが、中学区制を採用しているところが府県の中では多い。私は正確には知りませんので、御必要でございましたら政府委員のほうからお答えさせます。
#170
○岩間政府委員 手元に数字がございませんので、はっきりしたことは申しかねますけれども、大挙区制をとっているところは二、三県あったと思います。小学区制をとっているところは京都、そのくらいでございましたか、その他は大体中学区制ということでございますから、大臣申し上げましたように中学区制が大部分であるということでございます。
#171
○栗田委員 最初の質問に戻りますけれども、最初に受験地獄で続々と自殺をする子供が出ている、これは憂うべき現状であるということを文部大臣もおっしゃいました。まして子供を持つ親にとりましては、自分の子供がいつ自殺をする状態になるのかという心配やら、死なないまでも自殺するような子供たちがまわりに出ているというような教育の環境であるということで、ほんとうに心を痛めているわけです。そのことは決して子供を健全に育てる状態ではないというふうに考えているわけです。いま、現在中学区制をとっているということをおっしゃいましたけれども、それならばそれはそのまま伺いますけれども、この現状で実際に大ぜいの子供が自殺をしたり、また自殺寸前ぐらいの気持ちになったり、心が非常に荒れ果てているという実態が出ているわけでございまして、そのことについてどう改善するのかということを私は伺っているわけなんです。
#172
○奥野国務大臣 さっきもちょっとふれましたように、入学試験というものが、受験地獄といわれるような内容があったんだろうと思います。先ほど難問、奇問ということを申しましたけれども、そういう問題を解決するためにはやはり入学試験制度の改善、これが大切じゃないか、かように考えるわけでございまして、入学試験制度の改善として広域的に統一のテストをやるというような考え方が、今日出てきておるわけでございます。これを充実させていきたい、これは一つの解決策だろうと思います。
 もう一つは、やはり社会が子供さんたちに無理を押しつけているような傾向が多分にあると思うのでございまして、子供さんたちの資質に応じた学校を選択させる、父兄もそういう気持ちになって子供さんの進学指導にあたっていく、先生方もそういうような気持ちを生徒に植えつけるような努力をしていく、こういうことも大切じゃないかというふうに考えるわけでございまして、それが、先ほど学歴偏重とか、有名校集中ということについて申し上げたわけでございますけれども、社会の考え方の改善、これもたいへん大切なことじゃなかろうかな、かように考えているわけでございます。いろいろお教えをいただきながら積極的にそういう問題の絶無を期し得るように努力をさせていただきたいと思うわけでございます。
#173
○栗田委員 試験制度の改善で解決はしないと私は考えます。いま言われたような、高等学校の格差をそのままにしておいて、試験の制度だけを改善しても、決してなくならないと思うのです。そのたいへんよい例は、ここに、やはり私の出身であります静岡県の子供の自殺の問題ですけれども、静岡県というのは八割を内申書で高校へ入学させております。これはテスト、テストといってテスト教育をやることを改善するということで、内申書重視という形でやられてきたわけなんです。しかし、こういうやり方をしましても決して受験地獄というのは改善されません。ますます、中学の一年生ぐらいから、今度は内申書をよくするためにたいへんな勉強をするという状態が、いま生まれてきているわけなんです。だから、この点では私と文部大臣との考え方が完全に一致しませんけれども、結局、高等学校が、できる子の行く有名校、それはまたあと大学その他へ行くのに都合がよく、将来一生をきめていくのに非常に有利なコースと、それからそこへ行ったら袋小路になっているような学校と、こういうように分けられている。だから、だれでもよいところへ行こうと思ってそこへ殺到するという、そのことから出てきていると私はあくまで考えるわけでございますが、その点について、いま試験制度の改善というふうにおっしゃったのですけれども、これは決して改善されないというふうに私は考えます。そして、親たちの考え方とかそういうところに持っていかれますけれども、やはり文部大臣の責任としまして教育行政を改めていくということを、真剣に考えていただかなければならないのじゃないか。特に、戦後間もなく出されたように、受験地獄をなくすためにどうしていくかといったような真剣な施策がどうしてもいま必要ではないかというふうに考えるわけでございます。
 それでは、続けてちょっと別の質問をいたしますけれども、さっきもベビーブームのことをおっしゃいました。それで、来年は高校の年だということがよくいわれております。第二のベビーブームを迎えまして、受験地獄というのは、このままにしておきますとますますひどくなりますけれども、こういうことについての対策を伺います。特に入学希望者が非常に激増してきている中で、どうしていらっしゃいますかということを伺いたいと思います。
#174
○奥野国務大臣 第二のベビーブームと申し上げましたのが四十九年から始まるわけでございますけれども、最初は小学校に押し寄せてくる、次が中学校、次が高等学校ということになってくるわけでございまして、そういう意味で小学校や中学校につきましては、人口急増地帯の学校増設がしやすいような財政措置をとりました、かように申し上げたわけであります。
#175
○栗田委員 それでは高等学校に対しましても、こういう国庫補助などの措置をいま考えていらっしゃいますでしょうか。
#176
○奥野国務大臣 高等学校は、地方公共団体が財政責任を負っていく、大学のほうは大体国が財政責任を負っていくというような財政負担の仕組みになっているわけでございます。したがいまして、地方公共団体が高等学校を増設していきます場合には、それに応じまして地方公共団体の基準財政需要額を算定していく。高等学校の生徒数などが算定の場合の数値になっているわけでございます。生徒数が多くなれば、自然そういう団体については、それだけたくさんの財源が確保される、こういう仕組みになるわけでございます。
 同時にまた、臨時に金が要る、そういうものについては地方債を起こしていかなければならぬわけでございますので、高等学校を建てるについて必要な地方債、資金が確保されなければならぬ。そういうことも考えられながら進められているわけでございます。必ずしも、交付税として金を出してもらって、国から府県に渡していくという仕組みをとりませんでも、国民から直接府県に金を渡してもらって、府県から高等学校に金を使っていくという仕組み、これも財政の仕組みとして行なわれていいのじゃないだろうかという考え方をいたしているわけでございます。
 しかし、いずれにいたしましても、府県で高等学校が必要なところに必要な高等学校が建てられるように、文部省としても配慮をしていかなければならないのは当然でございます。地方債とか基準財政需要額の算定でありますとか、そういう問題につきましては、自治省に対しましてもいろいろと希望を申しながら進めさしていただいているわけでございます。
#177
○栗田委員 ことしの高校進学者は中学三年生全体の何%ぐらいになるのでしょうか。
#178
○奥野国務大臣 四十七年度が八七・二%だったと思いますから、それよりも若干上回ってくるだろう、かように考えております。
#179
○栗田委員 資料をお持ちでないようでありますから、こちらのほうで、文部省から出されました数をちょっと申し上げますと、全体でことしの進学希望者九二・六%でございます。九二・六。これは初中局が出されました調査の結果です。
 局長に伺いますが、そうですね。
#180
○岩間政府委員 これはこの前の中教審の答申の際に、高等学校の進学率の見込みを求めました。その数字ではないかと思いますが、これは五十年度で九二・七という数字、四十八年度は八七・二ということでございます。(栗田委員「希望進路というように書かれています」と呼ぶ)ちょっとどういう資料を……。
#181
○田中委員長 ちょっと速記をとめて。
  〔速記中止〕
#182
○田中委員長 速記をとって。
#183
○岩間政府委員 どうもたいへん失礼しました。それは私どもが職業教育課で調査をいたしました進路指導の調査の中身だろうと思います。その中でそういう数字がございましたから、それを各県の各学校から四万人ばかり調査をいたしました。その中の希望の数字だろうと思います。そういうふうに考えます。
#184
○栗田委員 非常に希望者がふえてきておるわけでございますけれども、いまの高等学校ではこれを入れるのには数が足りないと思います。どのくらい足りないかという、学校数について伺いたい。
 それからついでに、中教審へ出されております昭和五十五年の高校への進学、試算ですか、どれくらい行くだろうという進学者の率ですね、それと、それに対して学校がどのくらい現在不足しているだろうかということについて伺います。
#185
○奥野国務大臣 先ほども申し上げましたように、高等学校に進学したい方々の九八%が現実に高等学校に進んでおられるようでございます。しかし、希望の学校に入れない方も相当数いらっしゃるわけでございます。全国的にはそういうことなんでございますが、問題は人口がどんどん毛ふえているところ、ここではたいへんな進学難になっているんじゃないだろうか、かように考えておるわけでございます。
 大阪府を例にとりますと、中学校の卒業生が昭和五十五年になりますと、現在の五割増しになるわけです。ですから、こういうところではどんどん高等学校を建てませんと、進学希望者を収容できないということになってまいります。そういうことで、地方団体が五十二年まで五年の間にどれくらい高等学校を建てる予定をしているかということで調査をしました数字が、二百三十九校になっているようでございます。しかし、これはまあ予定、見込みでございますから、相当な変動は出てくるだろうと思います。全体的に見ますと、私立の高等学校が三一%の生徒を預かっております。あとが国立や公立で預かっておるわけでございまして、したがいまして、私立の高等学校でも進学者がふえてくると、その方々を預かっていただかなければならないと思うわけでございますけれども、公立の面において、いま申し上げますような一応二百三十九校という数字が出てまいってきておるわけでございます。
 中教審の数字につきましては、政府委員のほうからお答えをいたします。
#186
○奥田政府委員 中教審が答申におきまして推計いたしました数字は、昭和五十五年では、高等学校進学率は九五%であります。
#187
○栗田委員 いまの、中教審で九五%というふうにおっしゃいましたが、これだけの子供たちを収容していくために、進学させていくために、学校というのは非常に必要だと思うのです。私、いまの文部大臣のお答えを聞いて思いますのに、予定はこうなっている、地方ではこれだけを建てる予定であるというふうにおっしゃいました。私の質問はそうではなくて、とにかく高校を希望する子供たちがみな入れるようにしていくために、一体文部大臣として行政的にどうしていかなければならないかという立場から、何校必要であるのか。地方にまかせるのでなくて、もし子供たちを全部入れるためには一体何校ぐらい必要だと考えているのかということを伺いたかったわけです。
#188
○奥野国務大臣 先ほどもちょっと申し上げましたように、一応高等学校につきましては、府県が責任を負ってくれているわけでございます。府県が責任を負ってくれているわけでございますが、その場合にも、公立でどの程度の方々をお預かりするか、私立でどの程度の方々をお預かりするか、この調整の問題がございます。府県の段階で両者で話し合ってくれているわけでございます。話し合って、結果として公立でこの程度の方々を増加収容するようにしよう。そうすると何校建てなければならない。それが二百三十九校という数字になって出てまいってきておりますので、二百三十九校が建てられるように財源措置を地方のほうで心配をする、これを基礎にして地方財政計画などを立てていくという方向に進んでいるわけでございます。
#189
○栗田委員 たいへん府県の責任にまかせていらっしゃるように伺いますけれども、結局、最初の質問に戻りまして、やはり国の責任としても、こういう入れない子供をなくしていくということが必要ではないかと思うのです。それで、財源措置と言われますけれども、これは国の助成ではなくて、さっきお話がありましたように、地方が学校を建てるために必要な財源を地方交付税のような形で出されるわけでしょうか。そういうことだと思いますが、一体どのくらいそのために組んでいらっしゃるのでしょうか。
#190
○奥野国務大臣 国の責任、地方の責任というよりも、国と地方の共同責任、こうお考えいただいたほうがよろしいんじゃないかと思うのです。同時にまた、地方債の問題につきましても、地方債計画というものを立て、その場合には高等学校にどのくらい金が要るのかというようなことがその基礎に入っておるわけでございますので、それだけの地方債資金を用意しなければならない、それは国においてするわけでございますが、その場合でも地方団体で何も全部借金しなければならないということはございませんで、自分の金もあるわけでございます。自治団体でございますので、全体の財源をどのように使うかということは、それぞれの自治団体が決定をしていく。しかし、高等学校を建てるに要する財源が、金がないから建てられないということがあってはいけませんので、基準財政需要額に算入するとかということにしておるわけでございます。いま私ここでちょっと数字を覚えていないわけでございますけれども、要するに高等学校が増設されます。増設されますと、その運営が行なわれていかなければならない。その場合に生徒一人当たり幾ら要るのかということで基準財政需要額がはじかれますから、自然それだけのものが基準財政需要額において増額される。したがって、基準財政収入が足りなければ、国からの地方交付税交付金がそれだけふやされていくということになるわけでございます。同時に、建設的な経費もその中に含まれているわけでございまするから、臨時的に足りないものは地方債資金でまかなわれていく。それは地方団体の希望によりまして国のほうで許可をする、資金の世話をするというやり方をしているわけでございます。
#191
○栗田委員 地方にまかせて地方債その他でというふうにおっしゃっていますけれども、こういう状態の中からいま各県では高校を建てるために非常な借金をしたり、静岡県あたりは、この前問題になりましたが、親からたくさんの立てかえ金を取るというような形でいままで高校を建ててきていたわけなんです。こういうことで、いま国と地方との協力でというふうにおっしゃっていますけれども、いま、現在高等学校に行く子供たちが九〇%近く、中教審の答申からいけば近く九五%になるという状態の中では、もう高校教育というのは準義務教育だというふうに考えられると思いますが、その辺はいかがでございましょうか。
#192
○奥野国務大臣 実態的には義務教育に準ずるほどに進学率が高まってきている、こう考えます。ただ、それだから国が直接高等学校の経費をまかなうほうがいいかどうかということになりますと、これは仕組みの問題でございまして、消防の責任は市町村が負っているのだ、その金は市町村から出していくのだ。小中学校の場合には、先生の給与は半分国が出すんだ、あとは府県が出すんだ。それぞれいろいろな角度からそういう仕組みをつくっているわけでございまして、高等学校の場合には現在はともかく全部府県に負担してもらおう、市町村立の場合には市町村に負担してもらおう、そのかわりに交付税制度を通じてそれだけの必要な財源が保証されるような仕組みをとっていこう、国として保証していけるような仕組みをとっていこう、こうやっているわけでございます。これはまたこれなりにいろいろ議論はあっていいと思うのですけれども、国は何もしてないのじゃないかとおっしゃられますと、ちょっと私引っかかるのです。そういう仕組みを一応御理解いただいて、その仕組みの上に立って国はお世話をしているのだ、こう御判断いただきたいものだとお願いをしたいと思います。
#193
○栗田委員 いまの現状ですと、国の高校建設に対する援助というのは非常に足りないということですね。そのために各地方では、高校増設運動なんかが起こったときに、最も困るのが学校の建設費と用地費であるということはどこの地方自治体でもいわれております。それで、そういう問題をほんとうに文相の責任として解決していかれる。いまの高校教育を改善して、特に小中学校で受験地獄その他が起こらないようにするために、もっともっとほんとうに文部大臣としてこの問題を真剣に考えなければいけないと私は思うのですけれども、いまこの点ではどうも意見が一致していないようですから、これはまたあとのときに回しましてもっと詳しく質問させていただくことにします。
 次の問題に移らせていただきますけれども、もう一ついまたいへん問題になっていますのに私立大学の学費値上げの問題があります。私の調べたところでは、最近文部省が発表しました中間報告によりましても、四十八年度で授業料などの学費値上げを予定しているところが実に百五十五校ございます。それから平均の値上げ幅が約三万二千円、一年間の平均学費が二十八万七千円というふうに出てきております。これはやはり文部省の資料で私は言っております。中には愛知医大みたいに一挙に三倍も上げまして、年間二百二十万円の学費が必要だというところも出ているわけなんです。こういうたいへんな実態になっておりますけれども、平均しても約三十万円近い学費を、私立の大学に行く子弟のために出さなければならない。この実態が教育の機会均等という立場から考えてどうなのかということ、妥当であるかどうかということについて伺います。
#194
○奥野国務大臣 いまおっしゃいました二十八万という数字は、入学金が入っての学生納付金らしいのですけれども、授業料としては十何万円近いとしましても、相当な金が最初入学のときにかかることは事実のようでございます。できる限り大学に進む分についての負担が少ないことは望ましい、そういう意味で、私立につきましても四十五年度から経常費助成を始めたわけでございます。同時にまた、奨学金の制度もそれに対応してさらに積極的に拡充をはかっていきたい、こう考えておるわけでございますけれども、今回はまだそれを希望される方に全部お貸しするというようなところまでは進めませんでしたけれども、理想としてはそういうところまで進めるようにもっていきたい。そうしていまの問題の解決に当たっていきたい、かように考えているわけでございます。
#195
○栗田委員 現在国民の平均所得が一年間一世帯百四十万円ですか、その中で三十万円というのは、入学金が入っていようといまいと、お金のない人は私立大学には行かれないという状態になって、これは親にとっても非常にたいへんな負担だし、大学へ行く子供たちにとっても負担だし、まして能力があっても大学へ行かれないという状態をつくり出しているたいへんな問題でございます。
 それで、いま経常費助成をし始めたというふうにおっしゃっておりますけれども、そういうふうな中で、しかし、いまだに学費値上げが繰り返されております。それでは現在経常費助成をしている私大の帰属収入の中で占めます助成の率、どのくらいを国で助成していらっしゃるのか。その辺伺いたいと思います。
#196
○安嶋政府委員 四十八年度、これは見込みでございますが、私大の収入の中の二二%が国の補助金でございます。四十七年度はこれが一一%でございました。これも決算が終わっておりませんので見込みでございますが、二%という数字が出ております。四十六年度はこれが九%、四十五年度が七%ということでございまして、逐年増加いたしておる次第でございます。
#197
○栗田委員 逐年増加しているといわれますけれども、そうしますと二二%の助成、残りは全部学生の納付金によるわけでしょうか。
#198
○安嶋政府委員 四十八年度の見込みについて申し上げますと、学生納付金の収入に占める割合は六三%でございます。四十七年度、これは見込みでございますが、学生納付金の割合は六四%、四十六年度はこれは決算の比率でございますが六六%、四十五年度はこれが七〇%でございます。学生納付金と補助金以外にその他という事項がございまして、これが二四%あるわけでございます。寄付金でありますとか、借入金でありますとか、そうしたものがその他に該当するわけでございます。
#199
○栗田委員 いま伺った額でも、学生の負担というのは非常に多くなっております。徐々に改善されているといいますけれども、これでは実際に改善されているとはいえない額だと私は思います。ここに教育学術新聞というのがありまして、これで文部大臣が、「荒れた教育環境を正す」という抱負をここでも述べておられますけれども、当面の重点は、私学振興であるということを言っていらっしゃいます。こういうことをわざわざ言っていらっしゃるのですけれども、いまのようなこういう現状、二二%ぐらいしか国が助成していないという現状に対して、正していくお考えはどうなのかということを伺いたいと思います。
#200
○奥野国務大臣 私学の経常費助成を四十五年から始めまして、一応二分の一まで国が持っていきたい、こういうことで進んでまいったわけでございます。四十八年度におきまして医学、歯学のほかに、理学部や工学部につきましても二分の一まで持っていきます。その他のものにつきましては四割に持っていきまして、四十九年になりますと、初めて全部が五割に足をそろえることになるわけでございます。そろえた暁におきましては、さらにもう一段の助成策をくふうしたいものだ、こう考えておるわけでございますけれども、そういう順序で四十五年度から計画的に進行してまいった、また計画的にそのとおりに進行してきているというのがいまの姿でございます。
#201
○栗田委員 いまのお返事ですと、いままでやっていらっしゃったというお返事でございますが、その結果さっきもお話ありましたように、二二%しか助成しないという状態になっているのだと思います。これでは私立大学の国公立との格差をなくしていくという問題や、それから八〇%もいま私大に学生が行っているわけですけれども、こういう公教育としての非常に大きな役割りを果たしている私学教育の条件の改善という点では、非常に手落ちの政策しか持っていらっしゃらないというふうに思うわけです。抜本的にこういう点で改善していかれることを私は要請いたします。いまお答えがありましたけれども、この抜本的な改善の面でどうするかということを、いままでどうしてきたかでなくて、私はもう一度あらためて伺います。
#202
○奥野国務大臣 大学の中でも、学生の負担の特に多いのは医学部でありますとか、歯学部でありますとかいう分野だろうと思います。私は、医学部とか歯学部とかいうふうなものを私立の大学にまかしておく時代は去ったのじゃないかという気持ちを強く持っておるものでございまして、これからはむしろ積極的に国立、公立で医学、歯学の関係者の養成に当たるべきじゃないか、こう考えておるわけでございます。すでにそういう方向を歩み出しておるわけでございまして、今年におきまして三つの医大ないし医学部をつくるわけでございますし、来年におきましてはさらに四つつくりたいというようなことでございますし、同時に公立医大につきましても、引き続いて公立医大を運営してもらいたいし、さらに拡充してもらいたいという希望もありまして、初めて四十八年度から公立医大にも経常費助成を行なうことに踏み切ったわけでございます。徐々に進めましてお話のような考え方にこたえてまいりたいと思っております。
#203
○栗田委員 いま私大に学生が八〇%も行くようになったということは、戦後大学進学者が非常にふえているのに国公立の大学をあまり建てずに私大にまかせておいたというところにたいへん大きな責任があると思います。ところが、いまのお返事ですと医学部や歯学部はもう私立にまかせておかないで建てていくということを言われておりますけれども、私がいま質問しておりますのは、いまこの私学をどうするかという問題でございまして、いまある私学をつぶすわけではないのですから、それはいままで十分大きな役割りを果たしてきている。ここに学生がいま八割いる。それをどうするかということでいま御質問しているわけでございます。もう一度伺います。
#204
○奥野国務大臣 栗田さんのお話が学生負担との関連がございましたので、私はつい身近な問題を例にとって、顕著なものを、例をとってお答えしたわけでございます。大学につきましても、進学率がどんどん上がっていくと思われます。どんどん上がっていく結果大学へ進む方々をどこが受け持っていくのか、そういう場合に、これを国で積極的に受け持つ役割りを果たしていかなければならない、こういう考え方を持っているわけでございますので、いまの私立の学生さんを引き取るのじゃなくて、どんどんふえていくほうの、どんどんふえていく人たちを積極的に国立なり公立なりが迎えられるような施策を講じなければならない。この十月に筑波大学を開学しようとしておるわけでございますけれども、東京教育大学の学生数が五千人でございます、筑波大学の予定しております学生数が九千人でございます。これもそういう意味での一つの行き方でございまして、こういうような学園都市を全国で何カ所かつくっていきたい、その調査にも当たりたい、そういう意味の予算も五千万円でありますけれども、四十八年度予算に計上さしていただいているわけでございます。
#205
○栗田委員 もう一度繰り返して伺いますが、これからふえる分の学生の収容という問題ではなくて、それじゃ、現在の私学へどう助成をされるか。こういう不十分な状態であるのに今後大幅な国庫助成を努力されるおつもりかということ、それを伺いたいと思います。
#206
○奥野国務大臣 先ほど申し上げましたように、四十五年度に立てられた計画がいま進行中でございまして、四十九年度にそれが完成するわけでございます。完成しましたら引き続いてさらに充実させる計画を立てていきたいのだ、こうお答えをしているわけでございます。
#207
○栗田委員 それではいまの計画は十分だというふうにおっしゃっているわけではなくて、かなり不十分だから努力しなければならないということはお認めになっていらっしゃるわけですね。
#208
○奥野国務大臣 不十分だからということよりも、やはり国として大学教育を私立に受け持ってもらわなければならぬわけでございますだけに、それだけにやはり国立の大学に公費をつぎ込むだけではなしに、私立の大学にも公費を積極的につぎ込んでいきたい、そういう意味でさらに充実した助成策を実施していきたいということでございます。
#209
○栗田委員 どうもあまり釈然としませんが、でもさらに充実をした助成策ということを大いに前向きの形でやっていっていただきたい、またいただくべきであると思います。
 それではちょっと、最後に……。いままでの答弁をずっと伺っていますと、結局のところ、文相の言っておられます教育環境を正すという施策は、まだまだ非常に消極的なものである、不十分なものだと私は思います。これはどういう点から言うかといえば、国民が持っています切実な教育的要求をまだ十分に満たし得ない、ほとんど満たし得ないものだというふうに考えるわけです。一口に言いましてたいへんお金をかけない教育、安上がりの教育ということがいまやられてきている結果、こういうことがある。もっともっと教育のためにお金をかけてもいいのじゃないかと私は思います。かけるべきであるというふうに思うわけです。
 それではこれからたくさんのこまかい問題については今後の文教委員会の中で聞いてまいりますけれども、いま日本の教育費予算ですね、この問題だけ最後に伺っておきますけれども、いま日本の教育費の国民所得に占めている割合というのは
 一体どのくらいでしょうか。
#210
○奥野国務大臣 私の手元にあります四十五年度の数字で国民所得に占める公教育支出の割合が四・九%という数字がございます。
#211
○栗田委員 それでは発達した資本主義諸国では大体どのくらいになっているでしょうか。
#212
○奥野国務大臣 低いところから申し上げますと、西ドイツが四・八%、フランスが五・二%、イギリスが六・四%、アメリカが六・四%という数字でございます。
#213
○栗田委員 いま低いところから言われましたけれども、これも全体として見ましても、日本の水準よりも諸外国、資本主義国の所得に占める額はたいへん高くなっていると思います。おそらくこの文部大臣官房調査課の資料でおっしゃっているようですけれども、フランスとかその他は芸術、文化、成人教育の支出とか、地方が出しております地方自治体の支出というのが含まれていないでこの数字になっているというような注釈がついておりますので、実際にはもっと高い数字だと思うわけですけれども、とにかく日本の国民所得に占める教育費支出というのは平均よりもはるかに低くなっているということです。それで、かつて坂田さんが文部大臣をしていらしたときに、国民所得の六%くらいまでの水準に引き上げたいというふうにおっしゃいましたね。――おっしゃったはずです。おっしゃったと思いますし、御本人もうなずいていらしゃいますけれども、この六%にするのには、日本のいまの文教予算をあとどのくらい加算すればよいでしょうか。
#214
○奥野国務大臣 数字の問題ですから政府委員のほうからお答えさせていただきます。
#215
○奥田政府委員 昭和四十五年度の経費を六%の場合に試算いたしてみますと、三兆五千四百二十八億八千万という実額になるわけでございます。それで、その実額と、それから今日の公教育費との開きを見てみましてやりますと、六千五百八十五億一千万の差が出てまいります。でありますので、約二十数%上げなければならないということになります。
#216
○栗田委員 六千五百八十五億といいましたら大きいようだけれども、全体からいったらたいした額じゃございません。これだけを、ほんとうに世界水準並みに引き上げるという努力を私はどうしても文相にしていただかなければならないと思うのであります。しかも、たいした金ではないけれども、これだけのものがありますと、さっき言いました高校増設の場合でも、私のほうで試算した三十五人の定員で計算しましても、あと五百六十校建てますと、中教審でいう五十五年の人数は全部入れられますが、それにかかる七年計画で、一年で一千七十億もあれば建てられるのです。それから国公私立の大学の格差是正をしていくためにも五年間で五千億くらい、年一千億あれば、こういうものが格差是正していけるし、それからプレハブ校舎なんか解消して、不足教室をなくしていくということなんかも全部やれます。ですから、いま国民の、特に父親、母親の子供たちの教育へのいろんな希望というのは切実なものがありますけれども、こういうふうなせめて諸外国並みの教育予算を日本の国にも組んでいくということにつきまして、文相はそういうことをこれからしていらっしゃる、努力していらっしゃるお気持ちがあるかどうかということ、特にいま総理大臣なんかが福祉優先型の予算ということを言っておられます。しかもいま円・ドル問題で予算の基礎がくずれておりまして、予算を再検討しなければならないときにきておりますけれども、こういう中でほんとうに教育の環境を正すのならば、これだけの予算を組んでいくべきであると思いますけれども、そういうことについての御意思を伺います。
#217
○奥野国務大臣 教育のために金を出してもらうなら、ほかのほうの分野には金を出してもらわなくてもよろしいというくらいの気持ちを持っておるわけでございます。これからも教育のために積極的に公費が向けられるように努力していきたいと思います。
#218
○栗田委員 それでは終わりにいたします。
#219
○田中委員長 次回は公報をもってお知らせすることとし、本日は、これにて散会いたします。
   午後四時三十九分散会
ソース: 国立国会図書館
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