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1972/03/02 第71回国会 衆議院 衆議院会議録情報 第071回国会 法務委員会 第7号
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1972/03/02 第71回国会 衆議院

衆議院会議録情報 第071回国会 法務委員会 第7号

#1
第071回国会 法務委員会 第7号
昭和四十八年三月二日(金曜日)
    午前十時三十三分開議
 出席委員
   委員長 中垣 國男君
   理事 大竹 太郎君 理事 小島 徹三君
   理事 福永 健司君 理事 稲葉 誠一君
   理事 青柳 盛雄君
      愛野興一郎君    井出一太郎君
      植木庚子郎君    住  栄作君
      松本 十郎君    三池  信君
      保岡 興治君    渡辺 紘三君
      正森 成二君    沖本 泰幸君
 出席国務大臣
        法 務 大 臣 田中伊三次君
 出席政府委員
        法務大臣官房長 香川 保一君
        法務大臣官房司
        法法制調査部長 味村  治君
        法務省民事局長 川島 一郎君
        法務省刑事局長 安原 美穂君
 委員外の出席者
        最高裁判所事務
        総長      安村 和雄君
        最高裁判所事務
        総局総務局長  田宮 重男君
        最高裁判所事務
        総局人事局長  矢口 洪一君
        最高裁判所事務
        総局民事局長  西村 宏一君
        法務委員会調査
        室長      松本 卓矣君
    ―――――――――――――
委員の異動
三月二日
 辞任         補欠選任
  河本 敏夫君     愛野興一郎君
  千葉 三郎君     渡辺 紘三君
同日
 辞任         補欠選任
  愛野興一郎君     河本 敏夫君
  渡辺 紘三君     千葉 三郎君
    ―――――――――――――
本日の会議に付した案件
 裁判所職員定員法の一部を改正する法律案(内
 閣提出第一三号)
     ――――◇―――――
#2
○中垣委員長 これより会議を開きます。
 おはかりいたします。
 本日、安村事務総長、田宮総務局長、矢口人事局長、西村民事局長から出席説明の要求がありますので、これを承認するに御異議ありませんか。
  〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
#3
○中垣委員長 御異議なしと認めます。よって、さよう決しました。
 この際、最高裁判所事務総長から発言を求められておりますので、これを許します。安村和雄君。
#4
○安村最高裁判所長官代理者 大阪高等裁判所長官に転出されました吉田前総長のあとを受けまして、二月二十四日、最高裁判所事務総長を命ぜられました安村でございます。
 いまさら申し上げるまでもなく、裁判所は基本的人権を擁護し、法秩序の維持に当たるという重い責務を国民から負託されております。この裁判所の使命を達成し、国民からますます信頼される裁判所となるよう、ふなれではございますが、司法行政の面において努力を尽くしてまいりたいと存じております。
 幸いにして、今日に至るまで、当委員会の皆さまの深い御理解と力強い御支援によりまして、裁判所は人的、物的両面におきましてますます充実がはかられてまいりました。今後とも一そう御支援を賜わりますよう切にお願い申し上げまして、簡単ではございますが、私のごあいさつとさせていただきます。(拍手)
     ――――◇―――――
#5
○中垣委員長 内閣提出、裁判所職員定員法の一部を改正する法律案を議題といたします。
 質疑の申し出がありますので、これを許します。稲葉誠一君。
#6
○稲葉(誠)委員 法案に入る前に、大臣がおられますので、二、三お聞きして、それから定員法の質疑に入りたい、こういうふうに考えます。
 きのう本会議で例の商品投機の問題に関連して法務大臣が答えられた。これはいろいろな法律がある、ことに物価統制令がある、そういうふうな法律で十分まかなえるというか、新しい法律をつくらなくてもいい、こういうようなことを答弁されたように新聞紙上で見たわけですけれども、その点を確かめたいのです。そういうふうなお考えでおられるのかどうか、ちょっと確かめてからあと簡単に入りたいと思うのです。
#7
○田中(伊)国務大臣 結論を先に申し上げますと、罰則については、という前提が速記録にちゃんとあるのですね。罰則については現行法の活用で十分ではなかろうかと思う、新たなる立法の必要はないと考える、こういう趣旨でございます。
#8
○稲葉(誠)委員 そうすると、法律のいわば解説という形で、こういう法律がある、物価統制令がある、罰則がある、だから罰則の活用でその点については新しい法律は必要ではなかろう、こういう程度という意味は、単にこういう法律があるというだけのお話なのか、あるいはそういう法律が現実にあるのだ、だからそれを活用して取り締まりに当たりたい、こういう意味なのか、どちらなのかをお聞きしたいわけです。
#9
○田中(伊)国務大臣 現行の法律と重複するような内容の法規はつくらないでいいじゃないか、こういうふうに私は考えております。ことに罰則に関しては強すぎるほどの罰則がちゃんと並べてございますので、何も強い、最高でやらなければならぬことはないんで、ずっと下でやっていいのでありますから、これは必要がない。新たなる罰則立法の必要がない、こういう趣旨であります。
#10
○稲葉(誠)委員 現在の法律とダブるものがあれば新しい法律をつくる必要がない、これは一般論なんであたりまえの話ですね。そういうことを聞いているのではなくて、いま言ったような法律があってこれこれの罰則がある。実はぼくも罰則があんなに重いと思ってなかったのが、あんまり重いので驚いたのですが、あれは戦争中のあれかもわかりません。
 いずれにいたしましても、そうすると、そういうものがあって、罰則についてはただあるというだけなんですか。場合によってはそれを適用してやっていくということなんですか。そこら辺のところがはっきりしないような気がするのですが、その点を聞きたいわけですね。ただあるという説明だけなのか。それから場合によってはこれを活用していきたい、そして投機の取り締まりなり何なりに資していきたい、こういう意味なのか、そこのところです。
#11
○田中(伊)国務大臣 ありていに私の見ておるところを申し上げますと、罰則は現行法のものでいいのではないか。それは商品取引所法にも罰則がございます。最高三年でございます。罰金三十万円。それから証券取引法にも同様右並えの罰則がございます。それから食管法は、政府の定めた基準、命令、指示、そういうものに従ってもらわねばならぬが、従わない場合においては罰則がちゃんとあります。それから、古い準法律でございますが、物統令にも、これまたどえらい、先生御存じのとおり重い、びっくりぎょうてんするような重い罰則がついておる。こういう罰則に関する限りは、私、これでいいんじゃないか。しかし、罰則以外の関係においては、ちょっと立法が必要なように思う。そういうことまでおしゃべりをすることは私の任務でないんですけれども、御質問の趣旨に沿う話をするにはせなならぬので申し上げますと、本来、一体売り惜しみ、買い占めというようなことは何が原因で起こるのかというと、物資の不足が原因なんですね。物資が不足でなくて幾らでもあるということなら、資本を寝かして買い占めするばかもおらぬ。それで売り惜しみをするばかもおりません。一刻も早く売りたい。そういうことでございますので、物資の不足が原因なんで、その物資の不足ということはだれの責任だというと、野党仰せのごとく政府の責任であろう、言いにくいけれども、私はそう思う。政府がどんな責任をとったらいいのかというと、物資の不足したときは不足の量を、備蓄をあらかじめ用意しておいて、放出していく、こういうことが具体的政策としてとれれば、それはとらにゃならぬ政策のように私は思うんですが、それをとるならば、物資の不足ということを原因として投機が行なわれにくくなるということになりますので、そういうことをまず政府がいたしまして、それでもなおかつ、どうも投機が起こっておるという場合においては、立ち入り検査を断行する。これは新しい法律が必要なように思います。どうも税務官吏以外は立ち入りができないようになっておりますから、これは新しい法律制度が要るんじゃないか。立ち入りをやって、直ちに事実があればこの重い罰則を適用するというのでなしに、それはいけないではないか、放出せいということで、勧告をする、こういうことも必要ではなかろうか、新しい法律によりまして。その勧告も聞かざる場合においては、いま言うた罰則の規定があるわけでありますから、この罰則をぴしゃり適用するということで、おどしもかかるんじゃなかろうか。政府の尽くすべき手は政府が尽くして、そして条理を尽くしたその上でいわゆる法律のおどしもかけるということで、私は対策が講ぜられるんではなかろうか、こう実は思っております。そういうところから申しますと、罰則以外は立法が要るように思う。罰則についてはその必要がないように思う。いやしくもこの罰則というものは、同一の事柄で二重に罰則を規定するのだということは、制度としておかしい、こう考えるので、私はそういうふうに、罰則以外の事柄、罰則のついてない法律制度というものが新しく必要となるが、罰則は無理につくらいでも、ちゃんと、適用のできるものはりっぱなものがある、強過ぎるものがある、こういうふうに私は考えておりますところ、昨日ああいう質問が出ましたので、罰則についてはと、これは現行法の適用で十分で、新立法は必要ないんだということをお答えをしたのであります。ただ、やじがわあわあ出ましたものでありますから、聞き取るほうで聞き取りかねた。何か政府の内部に意見の不一致があるようなことが一新聞だけには出ておりますけれども、そういう事実はございません。速記録に明瞭にこれは出ておるわけでございます。
#12
○稲葉(誠)委員 きょうは法案の質問の日ですからあまりそっちに入っちゃってはいけませんから、私も省いて、別の機会にやりたいと思いますが、速記録を見ないとはっきりしないものですから、それで私もお尋ねしたようなわけでございます。
 それから、お話聞いておりますと、私の質問というのは、いろいろのこういう法律がある、それはわかっておるわけですよ。それで、物統令の罰則もある。罰則があることはわかっておるのですが、それを適用するという考え方があるかという質問をしているわけですよ。それに対して、立ち入り検査だ、勧告だ、こういう手続を踏まなければ、罰則の適用というのはないわけですか。そんなことはないわけでしょう。それはまた別な問題じゃないんですか。これだけひとつお聞きして、別の問題に入りたいと思います。
#13
○田中(伊)国務大臣 私は罰則の適用は政府の責任を尽くした上でなければいかぬように思う。統制経済に戻していくような結果を来たしておいてぴしゃり適用するということは、無理ではなかろうか。まずやはり物資不足が原因なら物資の不足にならぬように、それを補うための放出をする。それがために日ごろ備蓄をしておく。そして立ち入り検査もする。しかし直ちにでない。勧告する。十分温情豊かなやり方をして運営していかなければいかぬのではないか。原則は自由経済ですから。自由経済で買い占め、売り惜しみはいけないというのは、言うとること自体が幾らかおかしいのではないか、こう私は考えるのです。自由経済であって売り惜しみを行なったり買い占めを行なう余地のないような行政上の対策を講じておいて、なおかつそれに違反をした場合においては、残念ながらという態度でこれを処罰する、こういう態度が本筋の対策であろう、こう私は考えております。
#14
○稲葉(誠)委員 私も、法律が罰則があるからそれが万能で直ちにそれを駆使してやれということを言っているわけではないのですが、これはきょうのあれではありませんから、問題は次に移りたいと思うのです。
 いま商法の改正が、これは法務省の中ではどういう形で進んでいるわけですか。提案をするとかしないという話はどうなっているのか、それをまず聞きたい、こう思うのです。
#15
○田中(伊)国務大臣 商法の問題は、ただいま党との間の調整もございますし、それからたいへん世間の、世論が沸騰するような対象になっておる案件でもありますので、よりよいものにつくり上げまして国会に提出をしたいということで、まだ私の内部において検討をしておる、こういう段階でございます。大体の骨子はでき上がっておるのでありますけれども、最終的には本ぎまりには、まだなるに至らない。たいへん時間がかかっておりますけれども、そういう状況でございます。
#16
○稲葉(誠)委員 商法の改正で党との折衝が必要だということは、これは私も、どの点が必要だということについては常識的にわかるわけですね。ただ、公認会計士と税理士等、いろいろな問題が出てきているわけですが、それをいつごろにどうつくるのかわかりませんけれども、いつまでたっても提案できないことになるのじゃないですか、現実問題として。そこら辺のめどはどうなんですか。
#17
○田中(伊)国務大臣 いつまでたっても提案になりにくいのではないかという事情がちょっとございますね、先生のおっしゃるような懸念が、あまり反対が強いものですから。このままじゃ、いつまでたってもという気配が少しございますね。そこで、それを切り抜けましてこれを提案に持ち込んで御審議をいただくようにするためには、やはり強い世論の反撃を食っておるところはこれを手直しをして提出をするようにするのがいいのではないか。国会に出したって気に入らなかったら手直しをされるわけですからね。そんなことはあたりまえのことです。それから政府独善、法務省独善のものじゃございませんから。まあだいぶん時間をかけて提出するとかせぬとかやったものですから、内容が外に漏れまして、そして幸いにして世論の光線に強く当たっておりますから、どこが世論上ぐあいが悪いのかということ、これはよくわかっておりますので、それをでき得る限り手直しをいたしまして、そんなに強い反撃を受けないで御審議が願えるように、お手数をかけることのないように、すっといけるようなものに仕立ててから出そう、これは私の考えでございます。私が就任以来、この事項を持ってこい、あの事項を持ってこいということで、私が中心となっていま苦労をしておる最中でございます。まだ、この点はこうするということを申し上げる段階に来ておりません。
#18
○稲葉(誠)委員 なぜそういうことをお聞きするかといいますと、以下述べることは私の考えというふうにとられては困るのですが、私どもの党の考え方でもない、世上一般にいわれていることとしてお聞き取り願いたいのですが、資本の自由化が好むと好まざるとにかかわらずどんどん進んでくる、そういう形になってきたときに、日本の企業というか民族資本というか、そういうふうなものが外国の資本によって非常に支配されてくる懸念ができてくる。累積投票の問題は、こうした形の一つの方策として、今度の商法の改正の中に一部入っているわけでしょう。それ以外にも、自己株式の取得の問題だとか従業員持ち株の制度だとか、その他いろいろ出てきますね、証券取引法の問題なんか抜きにして、商法だけの問題として。そうすると、商法の改正を全体としてやろうやろうといったって、いまの公認会計士、税理士の対立その他からして、商法の改正はいつまでたっても現実に提案できないとなると、資本自由化に備えて、日本の民族資本というふうなものを守っていくというか、外資に乗っ取られると言うとことばは悪いけれども、それにアデンストしていく法案というものがいつまでたってもできないのじゃないか。いまの商法の中に出ておる一部だけでは足りないようにも一般にいわれているわけですけれども、そこの点があるから、むしろ例の監査役の権限の強化の問題、あれはあれとして切り離すなら切り離して、その他の外資に関連する問題だけの商法の改正というものをワンセットにして出すという形を今後考えられないかどうか。通産省なんかそういう考え方が非常に強いのじゃないか。それがいいか悪いかは別なんですよ。そういう方向にむしろ進んできている、そういうことも考えられるのじゃないですか、そこはどうなんです。
#19
○田中(伊)国務大臣 私の手元にあって苦労をしております焦点をずばり仰せになったので、そのとおりの事柄をたいへん苦心をして検討しておるところでございます。非常に反対の強いものは、またの改正ということもなくはない。それ以外にもございますけれども、とりあえず資本自由化をめぐる対策としての大事な条項は一足先に切り離して改正に持ち込んではどうか。私も同様の事柄が胸の一部にあるものでございますから、現在の世論の動向その他の問題を検討しておる、こういうことでございます。
#20
○稲葉(誠)委員 もう一つだけお聞きして法案に入りたいのですが、例の刑法の改正、小野先生などが一生懸命おやりになっていて、どの程度進んでおられるわけなんですか。そしてその中で、二百余の尊属殺の規定は、刑法の改正案では削除のようになっておるようですが、現行法上は二百条は残っているわけですね。それについて最高裁でいま――今度大法廷でしょう、三つか四つかかっているのですが、大体結審になって判決ができ上がったとか新聞では報ぜられているのですが、それとの関連で、尊属殺が憲法違反だということの法務大臣としての考え方がもしあれば、お伺いをしておきたいと思います。
#21
○田中(伊)国務大臣 こまかい内容につきましては、事務が来ておりますから、刑事局長からお答えをいたしますが、大事な憲法違反の問題については、私から一言お答えいたします。
 これは、現行法の規定は憲法に違反をするものではない。なぜ違反をしないかというと、すべて国民は平等という原則からおかしいではないかという外形はあるけれども、しかしながら、親というもの、子というもの、この親子の関係というものは、わが日本国古来の伝統、美風でございます。そういう伝統、美風を守るということは、日本国の立場から申しますとたいへんもっともなことである。こういう意味で、国民すべて平等という基本的人権は憲法十一条の規定ではありますけれども、ひるがえって十二条の規定では、公共の福祉のためにはやむを得ぬという事情があるもの、この十二条によりまして、この法律は憲法違反にはならぬものだ、こういうふうに考えまして、その見地でただいま推し進めておるわけでございます。
#22
○稲葉(誠)委員 現在刑法二百条があって、それが現実に有効として施行されているわけですから、そこで法務大臣がその条文が憲法違反だとかなんとか言えるわけはないので、これはぼくもわかっておるのですが、ただ、最高裁の大法廷で今度判決が出るわけでしょう。どう出るかわかりませんけれども、それが出たときには、もちろんそれに従っていくということは当然ですね。だから純風美俗とか親が子供とどうとかこうとかと言うことは、ちょっと答弁としては、たいへん失礼だけれども何かよけいなことだという感じがするのです。だから、いま現行法はこれだけある、現行法がある以上、自分としては有効なもの、憲法違反でないと考えざるを得ない、最高裁の大法廷の判決が出れば、それに対して従っていかざるを得ない、このことだけでいいんじゃないですか。あまりよけいなことを言い過ぎているけれども、ぼくのほうもよけいなことを言い過ぎている。そこはどうですか。
#23
○田中(伊)国務大臣 憲法違反かどうかということで争いがありまして、私は検察を担当する立場でもあるということですから、これは憲法違反でないのだという見解を申し上げることは、何も裁判に論及するわけでもなければ、おしかりを受けることでもなかろう。先生の熱心な御質問でございますから、それに対しては一言述べた、こういう事情でございます。取り消してもいいのですよ。
#24
○稲葉(誠)委員 まあその問題はいずれ、最高裁の大法廷の判決がもう近いですね。どういう判決が出るのかもちろんわかりませんけれども、その結論に従わざるを得ないということですから、これ以上のことは私のほうも質問すべき段階でもないと思いますから、この程度でやめておきます。一般質問というかそういうような関係はまたこの次、七日水曜日にありますから、いまの問題なりあるいはその他を含めて、別にいたします。
 定員法の問題に入るわけですが、これは民事局長のお答えになるのかあるいは人事局長のお答えになるのか、どなたのお答えになるのですか、近ごろ民事はちょっとふえていますね。刑事が減っているというか横ばいというか、そういう状態になっておるというふうに大体聞くわけなんですが、そうすると、裁判官としての年間一人の大体受け持ち件数ですね、これは事件の難易とかいろいろな関係によって違うと思うのですが、民事の場合平均して一体何件ぐらいを持っている場合、これは許容量というのか限界といいますか、裁判の迅速、適正ということから考えて、何件ぐらい持った場合に一体裁判官としては、いい判決と言うと語弊があるけれども、適正な迅速な判決ができるというふうにお考えなんですか。
#25
○西村最高裁判所長官代理者 ただいまの御質問は、稲葉委員の御意見のとおり、事件数だけではなかなか判断しにくいわけでございますし、また裁判官の個性によってもいろいろでございますので、一がいに何件ぐらいと言われてもちょっとお答え申しかねるわけでございます。
#26
○稲葉(誠)委員 それはもちろん簡単な事件もありますよ。手形事件なんかでばたばたやっちゃう事件もあるし、損害賠償なんかでも、過失を争ったり何かむずかしい事件もあるわけですけれども、大体私らが聞く範囲では、裁判官に会ってお聞きしますと、新受、旧受いろいろありますけれども、大体手持ちが百五十件ぐらいなら一番いいと言われる人が多いのですよ。百五十件じゃ少ないという説もありますが。ところがいまは、場所にもよります。特に少ない裁判所、たとえば松江だとか佐賀とかいろいろありますけれども、大体普通の裁判所では、民事の場合は一人平均三百件ぐらい持っているんじゃないですか。
#27
○西村最高裁判所長官代理者 全国平均で申し上げますと、民事部で担当している裁判官の手持ちしておりますのには、訴訟事件以外にもその他の雑件類があるわけでございますけれども、それを一応省きまして訴訟事件だけで見ますと、大体年間百三、四十件というのが平均数として出てくるわけでございます。ただ裁判所によりまして多少違いまして、地方裁判所の民事訴訟事件だけを担当しておる裁判官の手持ち件数を見ますと、最高が約三百二、三十件、最低が百八十件ぐらいという数字が出ておるようでございます。
#28
○稲葉(誠)委員 これは最高裁としていろんな資料があって、全国平均しちゃうと低い資料が出てくるかもわかりませんけれども、おおむねいまの普通に忙しい裁判所は三百件をこえているのじゃないですか。それで四百件ぐらいになっている人もいるのではないですか。雑件があるというのですけれども、単独でやっている場合の話ですね。雑件といったって、それは合議の左陪席が雑件をおもにやる場合が多いのですね。そうでなくて、普通の単独の場合は三百件をこえてないですか。
#29
○西村最高裁判所長官代理者 東京、大阪、京都等におきましては三百件をこえる事件を持っておる裁判官がかなりおられるわけでございますけれども、大都市以外では三百件に達しておるところはそう多くないのではないかと思います。
#30
○稲葉(誠)委員 これは私の聞いている話とはだいぶ違うと思います。大都市だけでなくて、いわゆる近郊都市なんかでもその程度をこえているのじゃないかと思うのです。そうすると裁判官としては大体手持ちが百五十件程度ならば一番やりいい、しようがなくとも二百件だ、こういうのが裁判官のなまの声じゃないですか。そこら辺は少ないところと多いところがあって全然違うのですけれども、たとえば宇都宮、水戸、前橋というような東京の近郊、最近千葉はふえているし、横浜はもっと多いでしょう。そこら辺が多くなっていると思うのですが、そうすると裁判官一人の限界量というのはどこら辺に一体あるか、そこから割り出していかないと、裁判官の数が多いとか少ないとか言ったってとてもこれは出てこないと思うのですよ。このごろ京都なんかも非常に多いでしょう。ぼくが京都の人に会って聞いたら、第一回でやって、それからかりに証拠調べになった場合に、証人調べになると二回目の証拠調べまでの期間が京都は大体半年というふうに聞いていまずよ。それからそのほかは大体三カ月から四カ月くらいかな、大体三カ月くらいのが多いですね。そうなってくると、訴訟の迅速といったって、とても迅速はできない。訴訟の迅速というのは裁判官だけの責任ではなくて、民事の場合、特に弁護士などが、事件によりますけれども、いろんな関係であれをする場合がありますから、裁判官だけを責めるわけにいかないのですけれども、一人三百件も持っていて、ほんとうに一体一つの事件に打ち込んで、いい裁判をと言うと差しさわりがあるけれども、じっくりと事件に没頭できるのですかね。とてもできないと思うのですけれども、その点どのようにお考えなんでしょうか。
#31
○矢口最高裁判所長官代理者 制度の問題でございますので私から申し上げるべきであるかどうか、ちょっとどうかとは思いますが、率直なところを申し上げさせていただきたいと思います。
 いま京都の例をお出しになりまして稲葉委員お尋ねでございますが、確かに京都は非常に事件が多うございまして、次の証拠調べが相当先になっているというような事案がございます。民事訴訟は当事者のキャスチングボートというのがかなり重要な面を占めるといたしましても、あまりにもひどいのではないかということでございまして、昨年の一月でございます、ちょうど一年になります、一カ部三名を増員いたしまして、そういった事態の解消のために緊急措置を講ずるということをいたしました。ちょうど一年たちましてそれなりに成果はあがっておる。たとえば、ごく大ざっぱな数字でございますが、これまでここで御処理なさっておった一カ部担当事件の月間の処理件数が十数件ということでございましたが、新しく応援の体制をとりましたところ二十数件、三十件近くも処理されるというような事案も出てまいりまして、全体として落ちつきを取り戻してきたのではないかというふうに考えております。
 御指摘の大都会の近郊、横浜とか、特に川崎市とかああいう急速に大きくなりますところは、場合によって裁判の手当て等が追いつかないというようなこともございますが、いまそういうところではなくて東京のように職務の分担がわりにはっきりいたしておりますところ、ごく標準的な普通部で、むずかしい公害事件でございますとか、労働事件でございますとか、行政事件でございますとかいうものは別の部でやって、それ以外のいわゆる民事の普通事件を三人の合議の体制をとりながら裁判長、右陪席が単独で処理していく、むずかしい事件は合議で処理していくというような形を考えてみますと、大体二百件から二百五十件ぐらい持っておるのが一番いいのではないか。しかもその二百五十件と申しますのは動く事件でないといけないわけでございますけれども、事件をやっておりますと相当数の事件、一割五分から二割ぐらいの事件が寝てしまうということもあるわけでございます。これは裁判所がかってに寝させてはいけませんけれども、いろいろなことで、示談をしておるからもう少し待ってくれというような形で、原告、被告、裁判所納得の上で寝るという事件も一割五分から二割はございます。そういうことを考えてみますと、かりに三百件持っておりましても動く事件は二百五十件ということで、その辺のところは東京地裁の民事部のような、しかも普通部のような非常にコンスタントの設備を持ち、コンスタントな裁判官の配置を持っておるところではそうむずかしいことではないのじゃないかというふうに考えるわけでございます。しかしこれが少し条件が違ってまいりまして、周辺の御指摘の群馬とか宇都宮というようなところにまいりますと、そのほかに令状の手伝いもしなければならない、転付にも行かなければならないということになってまいりますと、二百五十件とか三百件という数字がずっと下がってまいります。場合によっては二百件でも少しきつい、二百五十件でも手一ぱいだというようなことも出てまいります。したがいまして、いまお尋ねのように全国的にどの程度の裁判官を配置するのがいいのかということにつきましては、いま直ちに的確なお答えをいたしかねますけれども、大体いま申し上げましたような、大きく分けまして非常に文化の発達しておりますところの大きな裁判所においては、いま申し上げたような二百五十件から三百件ぐらいの事件、それ以外は小さくなっていけばいくほど雑件とか別な仕事が入ってまいりますので、一人の平均の手持ち件数を下げていくというようなことで計算をいたしてみることも必要ではないかと考えます。しかし結論として、それではそういう計算をしても、現在の人員で足りると思っているのか、いないのかということでございますれば、補充という問題もございますので的確なお答えを申し上げかねるということでございます。
#32
○稲葉(誠)委員 数学じゃないわけですからね。それは数字でぴしっと出てくるわけじゃないのですが、たとえば本庁所在地で単独でやっておる方があるでしょう。合議の場合には二陪席に入るとかそういうようなことをやっておられるのが非常に多いのですね。場合によれば支部のほうでは甲号の場合、合議事件なんかがあった場合、甲号ですから合議といったって民事はないから刑事ですわね、刑事の合議までいって陪席をやっているわけでしょう。それからざっくばらんな話をすると、単独でやっている忙しい人は、民事の判事だって合議のときに入るときには、二陪席で入ってもどの程度関与するのかわかりませんけれども、こんなこと言っちゃ悪いのだけれども、まるで法廷に休養に入った。休養しているのでもないけれども、あんまり言っちゃ悪いけれども、法廷で居眠りするわけでもないけれども、民事の合議、控訴事件、あれなんか単独でやっている人が合議の陪席に入っているわけです。雑談してみると、まるで合議のあれに入るのが休養をとるような考え方をする人もなきにしもあらず。非常にくたびれていて、心身ともにすり減らしているわけですね。だからどの裁判所がどうだこうだというこまかいことは抜きにしても、そうなってくると場所によって差があるわけです。それを全体を貫いて見るとどうなんですか。現在のような補充、今度のような法案に出ているような補充で一体事件の迅速な処理というか適正な処理といいますか、それにどれだけ役に立つのですか。もっとふやさなければ結局足りないのではないか、こう思うのですよ。
 そこで、最高裁の、あとで出てくる修習生から裁判官にする一つの基準が、あとで問題になってくると思う。これはきょうはそこまでいかないと思いますけれども、なってくるわけですよ。これが裁判官は、おれたちは学識経験もあるのだし、学問的にもできるんだという一つの自負を持っておられるわけですけれども、持っておられてけっこうなんですけれども、判事に採用する基準というものは厳格過ぎるんじゃないですか。厳格過ぎるのを、私それをもう少しゆるめていけと言うわけにも、ゆるめますとも言えませんから。そうすると、今度は採用になったときに、厳格なときには採用にならなかったのだけれども、ゆるめたら入ってきたかもしれない人がいるのかといわれても困るからそれはぐあい悪いとしても、どうもその点で判事の採り方がもう少しよけい採ってもいいというふうに考えるのですがね。これは大蔵省が認めないのかどうかは別として、どうもそういう点をぼくは考えるのですが、いずれこれは修習生の問題の中で出てくる、こう思うのです。そこで問題になってくるのは最高裁なり何なりが、あの裁判官のたとえば転勤の問題だとか、それから昇進の問題だとか、これは昇進みんな一緒にするのかもしれませんけれども、その中でそれをどういうような人事に対する一つの考課をやるのかということなんですが、最高裁としては地裁に対してどういうような、一つの裁判官の俗にいう仕事ぶりあるいは俗にいう成績というか、そういうことに対してどういうような統計をとっておられるのですか。
#33
○矢口最高裁判所長官代理者 御承知のように司法統計等で新受、既済、未済、その処理期間等、詳細なものをとっておるわけでございます。それは各庁別、庁と申しますのは地方裁判所別、さらに甲号支部、乙号支部というふうに詳しくこまかいものをとっております。しかしそれはいわば大局的な全体的な事件の推移という観点から見るものでございまして、そういったものを担当しております各裁判官の具体的な裁判官に当てはめて、だれが昨年は何件受理して、何件処理して、何件残したというような意味の報告というものをとってはいないわけでございます。そしてまたかりにある庁の乙号支部の事件処理というものを見ますと、人を当ててみなくても、だれが裁判官であるかわかる筋合いのものでございますけれども――一人しかいない場合でございます。しかし実際問題として先ほど御指摘の転勤の問題でございますとか、昇級の問題でございますとか、そういうときに、そういったものを使ってどうこうするということを実際いたしておりません。
#34
○稲葉(誠)委員 そうすると裁判官は同期の者は全部同じように上がっていくのですか。
#35
○矢口最高裁判所長官代理者 大体二十数年の間は、病気でおくれられた方とかそういう特殊の方を除きましてほとんど同時に昇級しているのが実情でございます。
#36
○稲葉(誠)委員 じゃ、転勤なんかの場合本庁へ――本庁がいい、支部が悪いと言うことは悪いんで、これはことばが俗っぽくて恐縮なんですけれども、最高裁が個人の裁判官のいわゆる俗にいう成績、あるいは長所あるいは欠点というか、これを実によく調べていますね。実によく知っているんじゃないですか。これ以上のことは言わないけれども実に詳しく知っているんですね。たとえばある裁判官が非常に評判のいい裁判官だった。これは弁護士から見てもあるいは関係者から見ても非常に評判がいい裁判官ですよ。その人は転勤を希望した。で、当然本庁へ入ると思っていた。ところが本庁へ入らない、遠い支部へ行く。支部だって忙しいし支部も重要だから、甲号支部の場合なんか重要だから、そこへ行くということもあって、それは一がいに云々するということはぼくも差し控えたいと思いますけれども、なぜだろう、どうしてそこへ行くのだろう、いろいろ疑問に思って私なりに調べてみると、この裁判官はこういう欠点がある、どういう欠点か知りませんよ。こういう欠点があるということをよく知っているんだ、最高裁が。人事局長が一番よく知っているのかもしれぬけれども、実によく知っているのですが、どうしてそんなことがわかるのですかね。あまり具体的に言うと悪いから言いませんけれども、実によく知っていますね。たとえばこの裁判官は判決を下してから判決の原本を書くのに非常に時間がかかる、激しいものになると三、四年かかる人がいますからね、三、四年というのが相当いますね、いろいろね。そういうふうなことまで実に詳しく知っているんです。そうすると全体としての事件の推移を見るというんじゃなくて、個人個人の裁判官がどういう裁判をやっているかというその中身は別として、中身じゃなくて形式的に、たとえば判決を下したけれども判決書きがさっぱり出てこないとかなんとかということまでみんな調べているんじゃないですか、あるいは所長からの報告がいくのか、そこら辺のところなんですがね。
#37
○矢口最高裁判所長官代理者 いま申し上げましたように個々の裁判官、全国的な観点においてそういったことまで詳細に調べるということはいたしておりませんが、しかし稲葉委員御指摘の、たとえば民事で結審をしましてから判決の言い渡しまでに非常にひまがかかる、これは実は私ども一番頭を痛めておるところでございます。民事事件の進行というのは、これは当事者が御責任を持っていただかなければいけない面が相当数あると私率直に思います。しかし結審いたしました以上は、これも民訴法によりますと二週間以内というような規定がございますけれども、ものによって二週間以内にできるとは限らないものがあることは、これは稲葉委員も十分御了解いただけるところだろうと思います。しかし、常識的な期間を越えまして長い間結審も残しておるということは、裁判所としては何としても国民の皆さんに申し開きのできないところでございます。そういう点につきましては統計の上からも個々の問題ではなくて全国的な調査をいたしておりますし、それから現地の各裁判所の裁判長あるいは所長、長官には、常にその点には気をつけてそういうことのないようにということを配慮していただいております。この点は一般的には非常に特定の方に限られてくるようでございますけれども、そういうことのないように、あるとすればできるだけ早く判決の原本ができるように、場合によっては、楽な事件の担当にして早く判決を書かせるというような方法での御指導等もなさっておるというのが実情でございます。
#38
○稲葉(誠)委員 そういうのはたとえば、結審してから判決が非常におくれる場合がありますね。しかしそれは大きなむずかしい事件が入ったり労働事件が入ったり早くやらなければならぬ事件が来る、仮処分の場合なんかも審尋じゃなくて口頭弁論が入ってくるとか、いろいろあるわけでしょう。それから言い渡してしまったけれども原本ができない。率直な話、こういうようなことは相当ありますね。こういうのは報告を求めてどうこうするというわけでもないでしょうけれども、そういうのは司法行政の中に入るのですか。
#39
○矢口最高裁判所長官代理者 そういうことはあってはならないことなんでございますが、判決が結審してから非常にひまがかかったとか、実は言い渡したけれども判決の原本がその後作成が非常におくれたというようなものにつきましては、これは場合によりましては分限というようなことも考えられるわけでございまして、そういう先例も、そう多くではございませんけれどもこれまでもあるわけでございます。分限というものが起こるという限度におきましては、当然司法行政の問題として入ってくる。これは裁判の独立という問題とは全然関係のない問題であると考えております。
#40
○稲葉(誠)委員 しかしそういう点、実に最高裁がよく知っているのです。裁判官の各個人のことを一番よく知っているのは、潮見さん一生懸命やっておられるから一番よく知っておられるのかもしれない。それは別として、ぼくはこれ以上言わないけれども、実によく知っているのです。だから所長から何か各裁判官の成績の報告がいくのでしょう。成績ということばは悪いけれども、内容にはタッチしていないのだろうと思うのだけれども、所長から各裁判官の事件の処理状況とかなんとかいうことについて何か最高裁に来るのですか、どうなんです。
#41
○矢口最高裁判所長官代理者 先ほどの端的な統計的な問題は別といたしまして、いまお尋ねのそういう人事という観点からまいりますと、全国の裁判官のそういう意味の事件処理状況というものの御報告を所長からいただくということは、いたしておりません。しかし現地の裁判所では所長などのところに、あの裁判官はためて困るとか、どうも結審されたけれども、言い渡しをいまかいまかと待っているが判決をいただけないというようなことを当事者の方々からもお話がある、あるいは裁判長にそういうお話があったりすることは間々ございますので、そういう問題になったような場合、特定の方につきましては所長のほうでも気をつけておられるということでございます。しかしこれも原則として私どものほうにそういった御連絡が必ず来るものではございません。ただ、転勤の時期等の問題にからみましたときには、私ども転勤等の問題では必ず所長、長官の御意見をお聞きしておりますので、所長のほうでそういうことも加味されまして、比較的事件の少ない楽な裁判所に行っていただくのもいいのではないかというような御意見を承ることは、これは事の性質としてあるわけでございます。
#42
○稲葉(誠)委員 あと私の受け持ちの時間もう少しですが、それにしても最高裁はよく知っているのですよ。ぼくはこれ以上言わないけれども、驚いたことがあるのです。個々の裁判官のこと、この裁判官はこういうくせがあるということをよく知っておられる。ぼくらの見ているくせと合う場合と合わない場合があるけれども。
 もう一つぼくが疑問に思うのは、この前矢崎さんが次長のとき、私参議院で、一体この裁判官の成績がいいとか悪いとかあるいは人事の材料にすることをどうやって聞くのかということを聞いたことがあるのですよ。なかなか答えなかったのだが、結局三つあるというんだね。一つは所長さんの報告、一つは高裁からの報告だという。控訴事件の判決なり審理の過程を見れば、大体この裁判官ができるとかできないというとことばは悪いけれども、いろいろわかりますね。それと最高裁が独自に調べるのだ。三つが重なって、その裁判官の人事の参考にするという話をぼくは聞いたことがある。議事録にそこまで出ているかと思うのですが、どうなのですか。いまでもその三つですか。
#43
○矢口最高裁判所長官代理者 先ほども申し上げましたけれども、所長からそういう意味の御報告、御意見をいただくことがございます。それから高裁においては控訴事件を通じて非常によくおわかりになるようでございます。場合によりましては、もっと高裁に意見を聞いてくれたらいいじゃないかというような御発言をなさる方もございます。事件の処理の関係上そういうことはよくわかるようでございます。
 それから、最高裁の場合は、これはちょっと私あるいは聞き出雇えたのかもしれませんが、最高裁独自で調べるというような御趣旨でございますれば、ちょっとニュアンスが違うのではないかと思う。御承知のように、最終的には裁判官会議であらゆる司法行政をおきめいただくわけでございます。人事もまた同様でございますけれども、高裁の場合と同じく、最高裁の十五人の方々も相当数の事件が上がってまいります。そういったものを通じて非常によく全国の裁判官のことを御存じでございます。もちろん一人一人、大ぜいのことでございますから、そういったものをすみずみまでおわかりいただくということはできないこともあろうかと存じますけれども、これもやはり具体的な事件の処理ということで、一定の同じような方に同じような問題が起こって上告され、その上告の記録等を精査しておられますので、そういった関係からそれぞれの裁判官の知識をお持ちでございます。さらに会同とかそういうものを私どもやっておるわけでございますが、その会同の席上における発表力でございますとか発言の方法でございますとか、そういったもの等からその人たちの人柄を知るということもこれは実際問題としてあるわけでございます。そういったものが資料になるということでございます。
#44
○稲葉(誠)委員 だから問題は高裁で控訴事件の中で記録を見て下級審の裁判官の成績というとことばはラフですけれども、判断するあるいは最高裁で上告の記録の中で判断する。そのことは司法権の独立、個々の裁判官の独立という問題とどう関連するのですか。それは人事行政、司法行政の問題だから司法権の独立、裁判官の独立とは全く関係ないのだというふうにはっきり承っていいのですか、どうなのですか。
#45
○矢口最高裁判所長官代理者 裁判官の仕事が独立して裁判をするということであります以上、細部にわたって一々そういった一つの基準を設けまして、その基準に合わないやり方をするのはマイナスであるというような意味で評価していくということは私はいけないことだと思っております。やはり裁判の独立そのものではないといたしましても密接な関連を有することでございますから、司法行政が最高裁にまかされておりますのと同じ精神をもって、あまりそういった点に司法行政が突っ込んでいくということはいけないことだと思います。しかし、全然そういうものは許されないものではないというふうに思うわけでございます。適材を適所に配置するというようなことにいたしましても、これはやはり裁判所としてやらなければいけないことでございます。したがいまして、きわめて控え目に処置をいたしております。したがって、たとえば先ほども例で申し上げましたけれども、結審の言い渡しが少しおくれれば、もう、すぐそれを問題にしてどうごうするというようなことはいたしておりません。おそらく、どなたがごらんになりましても少しひどいと思われるようなものについて、できるだけそういったことが起こらないように、所長、長官が先輩として指導するというようなことはやらなければいけないことでございまして、現にやっておるところでございます。
#46
○稲葉(誠)委員 どうもその点が、裁判官の独立というか、そういうような問題とのからみ合いでよくわからないというか、微妙というか、そういうものを通じて最高裁のコントロールが下級審の裁判官のところにいくんじゃないかということをよく考えるのです。だから、裁判官とお話ししていますと、いろいろな、この事件早く終結してやらないと最高裁におこられるということをよく言っておられるのですよ。これは冗談話で言ったのかもわかりませんけれどもね。だから、最高裁でとっている一番の基準は、もちろん裁判の中身のことで判断はできませんからしないんだけれども、何と言うのかな、たとえば民事の事件を、何回ぐらいで何件落としたとか、そういう形のもので、月末になると、事件がたくさん落ちないとどうも調子が悪いというので、相当無理して、ことばは悪いけれども、和解をさせるとか、そういう形になって、何か統計に追いまくられているという裁判官もなきにしもあらずのような感じを受けるのです。
 それから、ぼくは、所長の権限の問題についてどうもよくわからない点があるのですが、時間が来ましたからこの次にやりますけれども、問題は、所長が裁判記録を、民事にしろ刑事にしろ見て、何か所長の判こを押す欄があるんじゃないですか。ありませんか。どうもそこらのところがよくわからぬのですけれども、それだけ聞きます。
#47
○田宮最高裁判所長官代理者 その点の取り扱いは一応各庁にまかしておりまして、若干の庁においては、その判を押す欄を設けているところがあるようでございます。
#48
○稲葉(誠)委員 そうすると、それは確定記録の場合もそうですし、控訴記録の場合に所長が判を押すところがあるんじゃないか。そうすると、所長が控訴記録の場合に、若干の庁かどうか知らぬけれども、記録を見るのじゃないですか。記録を見るというのは、まさか判が落っこっておるかどうか見るわけじゃあるまいし、中身を見るんじゃないですか。そして、その結果としていろいろな上申というか、考課表みたいなものをつくるんじゃないですか。
#49
○田宮最高裁判所長官代理者 上訴記録につきましても、これは各庁取り扱いがまちまちでございまして、現に判こを押す欄を設けておるところもございます。確かにおっしゃるように、判を押す以上は、中身を見ないでめくら判ということはないだろうと思います。それでは、中身を見るのがはたしていいかどうかということになりますと、やはり裁判官会議が司法行政権を持っておるわけで、所長はそれを総括するということに法規上はなっております。総括というのは一体どういうことかという問題はあろうかと思いますけれども、やはり裁判官会議に対して資料を収集するとか、いろいろな施策を立てて企画、立案して裁判官会議にかけるとか、そうした種々の裁判官会議との関係において所長の立場というものもございますので、そういう面からいって、やはり記録の中身を見る、どういうふうに進行したかということを見るということも、訴訟が適正、迅速に行なわれるということを裁判官会議が監督すると申しますか、そういう面もございますので、見ることも、それは法規上は特に問題はないのじゃないかというふうに考えます。
#50
○稲葉(誠)委員 時間が来たので、きょうはこれで終わりますけれども、いまのはなかなかむずかしい問題があるとぼくは思うのです。訴訟がどういうふうに進行したかというのを所長が見るというのは、それは司法行政なんですか。
#51
○田宮最高裁判所長官代理者 ちょっとその点はことばが足りませんで非常に申しわけないのですが、結局、形式的にたとえば判こがあるかどうかという点は……。
#52
○稲葉(誠)委員 じゃ、いろいろ問題があると思うのですけれども、時間もちょっと過ぎましたから、これできょうは終わりまして、続きはこの次にしたいと思います。
#53
○中垣委員長 正森成二君。
#54
○正森委員 それでは私から、きょうはおもに法務大臣に伺いたいと思いますが、その前に、この前時間がありませんでしたので、私が話すだけで最高裁のほうから御返事をいただきたいと思っている点で二、三返事をいただいていませんので、その点を先に御返事を伺いたいと思います。
 修習生の問題で、考試委員が百二十ないし百三十名いたのが、最高裁が修習生に対する規則を改定して、二十三期から四十四名に及落判定者を限定したという意味のことを私が言いましたときに、矢口さんは、たしか四十四名になったというのは認められたと思うのです。
 そこで、この考試委員会の議長は最高裁長官だと承っておりますが、構成がどうなっているのか。修習生の中で、自分が直接教えてもらっている教官がそのうち半数もいないというような意見もありますので、それについてお答え願いたい。
#55
○矢口最高裁判所長官代理者 前回は正確な数字を持ち合わせておりませんでして恐縮いたしましたが、お答え申し上げますと、考試委員は全部で四十三名でございます。失礼いたしました。もし四十四名と申し上げておりましたら、そういうふうに御訂正いただきたいと思います。
 内訳は、委員長である長官も含めまして裁判官八名、検察官五名、弁護士――弁護士会の、いわゆる純然たる弁護士としておなりになる方が三名、それから学識経験者六名、それから司法研修所の教官である裁判官、検察官、弁護士、これが合わせて二十一名でございます。これが内訳でございます。
#56
○正森委員 なお、私はそのときに、二十一期以前では修習生全員の成績が及落会議に出されておったが、二十三期以降は落第候補者といいますか、そういう者だけが審査され、かつ名前が明らかにされないということも指摘しましたが、その点はお調べになりましたか。
#57
○矢口最高裁判所長官代理者 考試委員会の内容にわたりますので、詳細申し上げることは控えさせていただきたいと考えておりますが、できるだけ判定の的確性を期するために一定の基準を設けていただきまして、その基準についても御審議いただき、その結果その基準で問題になるものだけを議題にしていただくように考試委員会の議事の進め方そのものを簡素化、合理化したということは事実でございます。
#58
○正森委員 そうすると、四十三名が必ずしも常時出席するわけではない、いまの御発言はこう承っていいのですか。
#59
○矢口最高裁判所長官代理者 そういう意味ではございませんで、修習生で合否判定の会議にかかる者を、基準でもう問題のない方はあらかじめ省いてしまうということで、考試委員会は、常に四十三名の方が御出席いただき得る状況で開かれておるものでございます。具体的には、御都合等でお休みになる方、一、二名なきにしもあらずでございますが、これまでの経験によりますと、研修所の教官として考試委員になっておられる方は、常に全員御出席でございます。
#60
○正森委員 いまの御答弁で、いわゆる考試にかかる修習生の氏名が明らかであるかどうかという点については、ちょっと私にははっきりわからなかったのですが、それは氏名は伏せておるわけですか。
#61
○矢口最高裁判所長官代理者 原則として、氏名等によって判定いただくべき性質のものではないという考えのもとに、氏名はお出ししないで御判定をいただく、これは司法試験等でもそうでございますが、そのように考えております。しかし、全体の委員会の御審議の御決定によって、名前を出したほうがいいではないかというようなお話がございますときには、お名前も委員会に発表させていただくというふうな扱いをいたしております。
#62
○正森委員 私の承知しているところでは、十七期までは落第生、ことばは悪いですけれども、なかったんですね。
#63
○矢口最高裁判所長官代理者 五期から十六期の間と正確に申し上げます。それには不合格者というのはなかったようでございます。
#64
○正森委員 つまり、そのおかげで私らのようなまん中の者ができが悪くても卒業させてもらったんですけれども、二回試験について、前沢という初代の研修所長が、第一期生の後期開所式において、次のように述べておられるのですね。「ここに一言御注意申し上げたいのは、今回の修習が終れば、試験という事になりますが、諸君が余りにも試験に関心をもち過ぎはせぬかという事であります。……如何なる方法がとられるにしろ、結局、諸君が一人前の法律実務家として法律実務を処理する能力があるかどうかを見るのでありまして決して諸君をゴシゴシいじめて、こまかい成績をとる趣旨でない事は、先に最高裁判所の裁判官会議に於て規則を制定する際に、高等試験迄パスした諸君をいつまでも試験ではあるまいという処から、その名称も「考試」という含みのある語を用いた処からもうかがわれる事と思います。」こう言っているのですね。ところが、現実にはごしごししごいておるんじゃないですか。七時間半も閉じ込めて、トイレ以外には行かせないということで。しかも、私がこの前も言いましたけれども、二回試験の合否というのは、ただ二回試験だけでなしに――やはりこれは二回試験だけ調べますか、それとも、及落については実務修習庁の成績とかそういうものも加味されるのではないかと思うのですが、そういう点はいかがですか。
 いまちょっと質問が分かれたようなかっこうになりましたけれども、あとのほうを先に答えてください。
#65
○矢口最高裁判所長官代理者 修習生に関する規則が御承知のようにございますが、その十三条で「司法研修所長は、考試の前に、修習の成績を委員会に報告しなければならない。」ということになっております。その委員会になされます報告には、実務修習に関する報告書、それは具体的に申しますと、裁判所、検察庁、弁護士会、それぞれ実務修習を委託されて御本人たちの実務修習を担当された局、庁、会から、成績に関する報告書が出てまいります。その報告書を添付しなければならないということに相なっております。したがいまして、司法研修所長が二年間の修習の結果を、そのような実務修習の報告も加味して御報告をなさいます。その御報告と考試の結果とによって、考試委員会は合格、不合格の判定をいたすということで、何も二回試験の筆記、口述の、正森委員がおっしゃったごしごしとは思いませんけれども、やった結果だけで判定しているものではないということでございます。
#66
○正森委員 そこで伺いたいのですが、そうなりますと、落第させるかあるいは及第させるかという場合には、単に二回試験だけでなしに、実務修習庁における態度あるいはふだんの研修所における発言というようなものがどうしても参考になってくると思うのです。
 そこで、私のほうで提案というか希望したいのですが、四十三名の考試委員のうち修習生を最もよく知っている教官の比重がせめて過半数になるように変えるべきではないか。それからまた、修習生の中で、裁判官に採用されない場合に成績が悪いということを問題にされる場合がある、ところが、名前があらわれずに考試委員会にかかっておるので、実際上は成績がいいか悪いかもわからないんだという不安があって、それが思想、信条による差別という疑いを生んでおるのですね。したがって、考試委員会の席にかかる何人かについては、その人の名誉の問題もありますけれども、これは限られた範囲内では明らかにされてもしかたがないと思うのです。だから、常に名前まで明らかにして、考試委員会で決定された、それで万が――私は高文まで通った者を落第がいいなんて思っておりませんけれども、しかしやむを得ない場合には、その根拠ですね、試験が悪いから裁判官に採用できなかったんだということを明らかにすべきではないかというように思うのですが、その二点についてお考えを承りたい。
#67
○矢口最高裁判所長官代理者 その二点にお答えします前に、教官方が考試委員会の委員をなさっておることの利点、欠点というものについて一言触れて申し上げたいと思います。
 確かに二年間の修習の成果からして、法曹としての資格を付与されるかどうかということを判定するためのものでございますので、二年間の修習というものと密接な関係があることは事実でございます。しかしまた一つの考え方によりますと、これは大学の卒業試験といったようなものではないわけでございます。それとは別個に、いわば国家が、先には弁護士になる方もございますし、検事になる方もございますし、判事補になる方もございます。そういう法曹資格を与えるためのいわば認定を行なう、ただその認定の中身が筆記等だけでやるのではなくて、あらゆる観点から見て十分平常点、平常の実務成績というものも加味して判定をするというものでございます。別個の資格を与えるものであるわけでございます。としますと、研修所の教官はむしろ被告と言うとおかしゅうございますが、被告的座にお立ちになる方であるという見方もあるわけでございます。そういう方を考試委員にすることはかえっていろいろと公正を欠くのではないかという意見も一方にはございます。しかし現在は、実際問題としてよく見ておられるのは研修所の教官であるわけでございますので、四十三名の中で二十一名もの方に入っていただいておる。私、このバランスというものは十分とれておるのではなかろうかと現在考えておるわけでございます。
#68
○正森委員 いまの矢口さんの意見には必ずしも、現場の修習生の意見等から見て、にわかに同意ができませんけれども、時間がありませんので、次の問題に移ります。
 修習生に対する教育ではもちろん弁護教科がございますね。これは弁護士会の推薦に基づいて任命といいますか、されていると思いますけれども、最近その教官の指名のしかたについて、日本弁護士連合会が一致して推しておっても、それを教官にしない。必ず複数ということをあなた方はおっしゃるというように聞いておりますが、それは事実ですか。
#69
○矢口最高裁判所長官代理者 これまでの慣行といたしまして、弁護教官、これは民事弁護、刑事弁護とございますが、弁護教官について、おやめになりたいという方がございますと、そのおやめになりたい方の人数の倍の人数の方について日弁連から御推薦をいただく。その中で、私どものほうで適任と思われる方を教官になっていただく、そういうふうなやり方をいたしてきております。
#70
○正森委員 私が日弁連から、あるいは教官の候補にあがった人等から伺いますと、もう弁護教官で今回はこの方以上の適任はないと思われる方を推薦しても、なかなか、複数を出せと、こう言って、しかもその結果というのが、全部が全部と言うと現在の教官の方に差しさわりがあるから、そういうことは言いませんが、しばしばより適切でない方を教官にあなたのほうは指名される。これでは、修習生の教育というものは、より適切でない教官によって教育されるということになるのではないかという意見が非常に多いわけです。特に、研修所というところは、裁判官や検察官だけを養成するところではない。弁護士も養成するのだから、それについてはもっと日本弁護士連合会の意見を尊重すべきではないかと思いますが、いかがですか。
#71
○矢口最高裁判所長官代理者 もちろん十分御意見を伺って、最適任の方に教官になっていただくというように努力いたすべきであろうと考えております。
#72
○正森委員 法務大臣がおられますから、二、三まだ聞きたいのですが、やめますが、あなた方は、私の質問に対して、この前いろいろお答えになりましたが、裁判官の新任について、団体加入によって差別することはない。あなたは、思想、信条によって差別しないということは明言されましたね、この間。団体加入によっても差別することはないということを明言いたしますか。
#73
○矢口最高裁判所長官代理者 明言いたします。
#74
○正森委員 もう一つ伺いましょう。今度の新任裁判官の給料は幾らになりますか。
#75
○矢口最高裁判所長官代理者 本俸が六万八千六百円でございます。初任級調整手当が二五二千円、それに、たとえば東京のような特甲地でございますと、八%、五千四百八十八円の調整手当がつきます。これが基本でございます。このほか、家族手当でございますとか、通勤手当でございますとか、住宅手当でございますとか、まあ一般の公務員に支給される手当等は、手当として当然つくわけでございます。期末、勤勉手当も同様でございます。この合計金額に相なるわけでございます。
#76
○正森委員 数学のできは私はあまりよくないけれども、暗算すると大体十万円近くですね。
#77
○矢口最高裁判所長官代理者 十万円を少し欠ける数字でございます。
#78
○正森委員 そこで言いたいのですけれども、これは私が知っている弁護士の初任給ですね、いわゆるいそ弁といわれる人、それよりはほとんどオーバーしかけているのですね。これは裁判所としては裁判官をたくさん採用するために一生懸命になっておるというように思うのですけれども、同時にこの間の私の質問の続きとして、「人はパンのみにて生きるものにあらず」、こうキリストも言っていますけれども、共産主義者がキリスト教のことわざを引くのはおかしな感じもするのだけれども、そういう問題もあるのだということを考えて、私がこの前に申し上げた点については今後とも十分に留意していただきたいというように思います。
 時間の関係で、お待たせいたしました、法務大臣に伺わせていただきます。
 新聞紙上によりますと、田中法務大臣は、二十で弁護士、三十で代議士、四十で法学博士、五十で閣僚、六十で総理、こういうことをおっしゃって、いままでだいぶそれが進んできた。もっとも総理だけは後世の史家にまたなければなりませんけれども――ということのようですけれども、かねがね敬意を表しておりますけれども、弁護士としては後輩ですが、職務でございますのでこれから質問させていただきたいと思います。
 法務大臣は、所信表明演説の中で、第一に法秩序の維持をあげておられます。第二、第三、第四、第五とございますが、これが大臣の就任のあいさつ、所信表明ということでございますね。
#79
○田中(伊)国務大臣 そのとおりでございます。
#80
○正森委員 つけ加えることはございませんか。
#81
○田中(伊)国務大臣 大体大事な点だけ申し上げたつもりでございます。
#82
○正森委員 それでは申し上げますが、大臣に、田中総理大臣から言い渡されたとき、昨年の十二月二十二日でございますが、就任の弁を記者会見でされておりますね。そこでおっしゃったことは、これはやはり大臣の真意ですか。
#83
○田中(伊)国務大臣 真意、真情でございます。
#84
○正森委員 それでは伺いますが、ある新聞でございますけれども、ここでは、わずか七、八行の中で、「法秩序の維持については厳粛な態度をもってあたりたい。」「もうひとつ、司法の独立に大いに協力したい。裁判所の裁判はなにものにもおかされない独立のものであり、法務省の立場でこれに最善の努力をする。」ということ、つまり二つを言っておられます。したがって司法の独立ということを大いに尊重されるというのがあなたのお考えであろうと思われるのに、所信表明では五つもあげておるのに司法の独立は抜けておるということは、結局よくよく考えてみたら司法の独立なんというようなよけいなことは言わぬほうがええ、あまり尊重せぬでもええというように変わったと勘ぐられますが、それでいいのですか。
#85
○田中(伊)国務大臣 それはさかさまで、司法の独立が一番大切なものとこう実は思っておるわけであります。あまりきまり切った、わかり切ったことですから、つい所信表明には載らなかったのですね。
#86
○正森委員 いまのおことばはさすが選挙で歴戦の雄で、みごとにお答えになったと思いますが、しかし一番大事なことをついうかうかして抜かしてしまうというのは、これはやはり大臣としてよくないのじゃないでしょうか。
 私たちも自分の女房のありがたみは、ふだん空気のように思っているから忘れておりますけれども、実際は一番大事なんですね。大臣の中には二号、三号というような人もおるらしいですけれども、しかしやっぱり女房が一番大事だということになりますと、一番大事なことでもうあたりまえのことだから抜けたということは、やはりまずいのじゃないですか。そうとられてもしかたがないのじゃないか。したがって、この席でやはり司法の独立については法務大臣として十分留意する、尊重するということを、あなたのお口からおっしゃるべきではないかと思いますが、いかがですか。
#87
○田中(伊)国務大臣 司法の独立を一番念願をいたしまして、それに協力をするということを実行してみたい、あらためてそういう所信を申し上げたいと思います。
#88
○正森委員 それではおことばとしてそれは承りましたが、今度はそれがほんとうに実現されるだろうかどうかということを伺いたいというように思います。
 というのは、ことわざにも「古きをたずねて新しきを知るとか」、その人の過去を見れば現在がわかり、現在を見れば未来がわかるというように言いますけれども、昭和四十四年の三月二十五日に西郷隆盛の子孫のある大臣が法務大臣をしておってそして裁判についていろいろ言って、これだけめんどう見ているんだからお返しがあっても当然じゃないかというとんでもない失言をして、そして当法務委員会でもさんざんとっちめられた速記録がここに残っております。わが党の松本善明議員が質問をしたときにはもうさすが往生したと見えて、「〔「かんにんしてやれよ」と呼ぶ者あり〕」という不規則発言まで載っております。ところがその直後に自由民主党は、最初は裁判制度調査会という名前でございましたが、その後司法制度調査会が発足いたしました。そしてあなた方の機関紙である、あなた方と言ったら失礼です、大臣に対する質問ですから。機関紙の自由新報を見ますと会長が田中伊三次さんである。そして偏向判決を一つの動機にしてこの会が発足しているんだという意味のことが載っております。その事実は間違いございませんか。そしてもう一つ、現在もなお司法制度調査会の会長を続けておられますか。
#89
○田中(伊)国務大臣 その記事は間違いでございます。そんな事実はございません。それから現在は法務大臣就任をいたしますと同時に司法制度調査会は私は会長の職を辞しております。すでに後任もきまっておるようでございます。
 それから誤解があるといけませんので……。偏向裁判をもとにして調査会というものができたということは誤解でございます。むしろ私は、当時は内閣総理大臣田中角榮さんが幹事長でございます。幹事長に呼ばれて司法制度調査会の会長になれという仰せをいただきましたときに、新聞を読むと偏向裁判を調査するんだということになっておるようだが、そういうことは間違いじゃないか。そういうものをやらせられる調査会の会長は引き受ける意思がない。そうでなしに、あくまでも司法制度、具体的裁判が右に傾いておろうが左に傾いておろうが気に入らなければ上訴の手続を踏め、不服申し立てで処理すればよろしい、こういうことで、ことに司法独立の大事なことは、学者や弁護士や訴訟当事者は自由に裁判を論難していいけれども、偏向であるとかないとか論議をすることは自由であるけれども、偏向を論難してならぬものが二つだけある。それが憲法の精神だ。その第一は議長をはじめとする国会議員、つまり立法府を構成するもの、これは言及をしてはいけないんだ。三権分立という立場、司法権の独立を害するのだからそれはいけない。もう一つは内閣総理大臣を頂点とする行政府の吏員、役人が具体的裁判の批判をしてはいかぬのだ。この二つのことがいけない。行政及び立法府に属するものは特に心がけて司法権の具体的裁判を審判してはいかぬという事柄であるゆえに間違いなんだ、この記事は。こういうことをやらせられるならおれはやらぬ。そこのところはどうだ。いやそうじゃない、名前で示してあるように司法制度を調査してもらいたい。日本の司法制度を世界に冠たるりっぱなものにしていくためにはどういうふうなものであるべきかという日本の司法制度のビジョンを検討するということなら喜んでやろうということで、私は念を押しまして就任をいたしましたようなことで、前後に先生仰せのような記事がどこか、うちの自由新報だけでなくて一般の新聞にも何か偏向裁判云々、あれは間違いでございます。私はそういうつもりで引き受けたのではありません。
#90
○正森委員 いま大臣からそういう答弁がありまして、今度は新聞記者諸君がおこるのじゃないかというように思いますが、あなたがそうおっしゃるのですから、いまここで水かけ論をしてもしかたがないからその点は置いておいて、これは動かせない資料に基づいて私は伺いたい。
 あなたはまだ大臣就任前の昭和四十七年十月二十四日正午、自由民主党司法制度調査会の会長として日本弁護士連合会会長あてに正式に代表を出していろいろと懇談、調査をしたいということで会談を持たれたことはありませんか。
#91
○田中(伊)国務大臣 あります。日はさだかに忘れましたが、確かにあります。
#92
○正森委員 それはあなたもよく御存じの京都の田辺哲崖先生、私も知っておりますが、以下五名でございましたね。
#93
○田中(伊)国務大臣 そうでございます。
#94
○正森委員 その五名の方が「自民党司法制度調査会の会談について」ということで、その会談の内容を正式に日本弁護士連合会会長今井忠男氏あてに出しております。これは私は入手しておりますが、その中にこう書いてある。あなたの発言ですよ。前のほうは略しますが、「すでに最高裁、法務省の意見聴取を終え、近く学識経験者の意見も聞いたうえ立案する予定である。」将来の法曹関係ですね。「先の臨司委員会の場合は立派な意見書をえたが、政府はこの実施の金を出さなかった。自分が佐藤総裁にこの委員会の会長を依嘱された際、田中幹事長も立会ったが、」現総理ですね。「結論が出た以上は金を出すという条件で自分は引受けた。だから、結論が出ればその実施は予算化されるはずである。」次は大事ですよ。「「偏向判決」は上訴で直すべきであるから調査会としてはその調査を目的とはしないが、」ここまではあなたの発言と一緒です。「どうしてこういう「偏向判決」をする裁判官が任命されるのかという制度の問題として調査をすすめている次第である。」こう言っております。実に重大である。偏向判決そのものは調査しないで、「どうしてこういう「偏向判決」をする裁判官が任命されるのかという制度の問題として調査をすすめている次第である。」こう言っておる。したがって、あなたの所属しておられる自由民主党から見て偏向判決と思われるような判決をする裁判官が出ないように制度上調査をするのだ、そしてそれは金を出してもらって一実現をはかるのだ、こういうことになっておる。そうするとこれはわれわれの一般の概念からいえば、司法権の独立を守ることとは全く縁が遠いということになるのではありませんか。
#95
○田中(伊)国務大臣 いまたいへんおしかりのようでございますが、私はいまあなたの仰せになったとおりいまも思っておる。それは重大であるという意味は、当然そうあるべきものであるという意味で重大でございまして、けしからぬという意味で重大であるとは私は考えていない。それはどういうことかと申しますと、そのとき私はいま仰せになったほとんどそのとおりのことばを使って言うておると思います。なぜかというと、いまもそう思っておるから思っておるとおり言うた、そういうことだと思いますが、私はこういうふうに考えておる。先生ただいまお読みのとおり、偏向裁判が気に入らなかったら上訴すればいいのです。いまでもそう思っておる。ところが制度としてはそうはいかぬ。いやしくも偏向というような裁判をするような裁判官が出てくることが何か制度的原因である、制度的原因にそれがあるということであるけれども、日本の司法制度としてはこの制度は改めていかなければならぬ。それはどういう基礎理論からそういうことを言うのかと申しますと、私の意見は何度も言っておりますけれども、裁判官の裁判の態度というものは偏向ではいかぬのです。右に片寄らず左に偏せざる中庸、中道、中立の態度において裁判を行なってくださる人材でなければ困る。どうして困るのか、国民が迷惑をするのです。裁判制度とは国民の裁判制度でございます。国民が迷惑をするではないか。
 そこで、そういう不偏不党、中立的態度によって裁判をしていただくような人物が任命されるような制度にはたして現行制度はなっておるか、こういうことでその制度を見ていくのでありますが、まず第一は試験制度である。第二には試験に合格した者を修習する修習制度である。修習した者を任命する任命制度である。任命した後に人事管理をする。裁判官の人事管理というものはむずかしいものではあるけれども、人事管理の現に行なわれておる制度というものははたして不偏妥当なものであるかという制度的なものは、検討して司法の独立に一向差しつかえない。
 そういうことで試験制度というものを見ていきますと、一口に言うと、中道を歩む裁判官というものは良識のある裁判官ということですね。ところが良識を養う不偏不党、そういう立場を養っていくに適するような、第一、試験制度の科目というものを見るというと、試験制度というものからいうとそうはなっていない。幾らか欠陥がある。それはどういう点に欠陥があるかというと、そういうものを養成するに必要な科目というものがないのでございます。右に片寄らず左に偏せざる中庸の態度をとってくれるような人材を求めるに必要な科目に足らざるものがある、試験制度の科目というのは。
 それから修習においても、そういう良識を養うに足る修習制度というものの運営が行なわれておるかというと、この点にも反省すべきものがあるのではないか。ここらが制度の検討でございます。したがって、制度の検討というものは、自由民主党という立場において、司法制度調査会長の私が行なっていくということは当然のことである。具体的裁判に言及して非難、攻撃をするとか、そういう偏向裁判をした人の裁判の実績を調べていこう、それを攻撃していこうとか、よい悪いを論評していこうという考え方は少しもない。どこまでも制度としてこれを検討していくということは司法制度調査会がやってよいのではなかろうか。むしろ制度としてはやるべきものである、こういうふうに私はいまも考えております。おそらくいまお読み上げのとおりを私がしゃべっておるものではないか。記者会見をして何度も言っております。また一部新聞にも出ております、いま私が言いましたのは。おかしいものとは思っておりません。
#96
○正森委員 いま大臣から、日本弁護士連合会への田辺哲崖氏ほか五名の報告が正確なものであるということを確認をしていただいて、その点は非常に収穫であったと思っておりますが、わずかの時間でこの問題についての論議をし尽くそうとは思っておりません。今国会末長くつき合っていただきたいと思っておりますが、しかし一言申し上げますと、問題は何が偏向判決であるかというところに問題がある。田中伊三次氏が偏向判決だと思っても国民の多くは実にりっぱな判決だと思っておる場合がある。中庸、中道あるいは中立ですか、そういうお考えでも、自由民主党はこれは右である。この間の稲葉委員の質問には、自由民主党にも左派がある、どんな左派かよく顕微鏡で調べてみなければいかぬと思いますが、ともかく自由民主党は右だというように思っている人がずいぶんいる。国民の四十何%の支持があるから中庸だとは言い切れない。だから問題は何が偏向判決であり、何が中庸、中道、中正であるかというところに問題がある。それを当然自明のこととして、あなた方が偏向判決だと思えば、それを生ずるような制度というのは考えていかなければならないということになる。しかもそれをいま自分は思っておるのだ――私はあなたの御発言を大体読ましていただきましたから、法務大学構想にしろ何にしろ承知しておりますが、そういうことであれば個々の判決について批判をなさるということよりももっと重大だ。個々の判決についてたまたま批判が出るというのは、ある意味では木の枝葉を刈り取ることにすぎない。しかし、ある判決を時の権力を持つ政党が調査会をつくり、しかもその会長であった人が大臣になり、あるいはそれをつくったときの幹事長が総理になって、制度そのものとして変えていくということになれば、木そのものを根元から掘りくずしてしまうということになるんですから、私はその点であなたの御発言はきわめて重大だ。そしていまここで司法の独立を尊重するということを所信表明につけ加えるとおっしゃいましたが、それがもしいま御発言になったことだとするならば、それはゆゆしいことだというように思うのです。
 そこで、良識という点について出てまいりましたので、きょうは私は局長には出ていただかずに大臣とだけお話ししたいと思ったのは、おそらくそのことをおっしゃるだろうと思ったからです。そこで、しばらく哲学的なお話をいたしたい。大臣は、昭和四十五年の五月八日の法務委員会の議事録を拝見いたしますと、ここでその問題についていろいろ発言をしておられます。時間がございませんので全部は引用いたしませんが、こう言っております。
 「裁判官の良心ないし裁判官の思想というものは一体――私は思想は良心の一部をなしておる、こう考える。」中略「私は、右でもいかぬ、左でもいかぬと思う。軍国主義でもいかぬ、共産主義でもいかぬ、無政府主義でもいかぬ。右に片寄らず左に偏せざる中庸のものでなければ良心にならぬ。」こう言って、一部の意見では「良心と思想というものは切り離し得ることになる。そういうことは通常の人格ではむずかしいだろうということになれば、良心と思想とは切り離し得ないものである、」こういうことを言われて、「そういう思想団体に参加をする者、政治団体に参加をするということは遠慮をすべきものであるということが、この憲法十二条で憲法上の根拠として出てくる。」というようなことを言っておられるわけです。これは速記録をところどころ言いましたので、御趣旨についてはまた御異論もあるかと思いますが、ここから言えることは、当時あなたは法務委員会の委員ですけれども、ずばり言えば良心と思想とは切り離し得ないのだ、したがって、一定の思想を持っておる者はこれは裁判官になれないのだということを言うておられることだ、こう思うんですね。それはそう伺ってよいですか。
#97
○田中(伊)国務大臣 そうお聞き取りをいただいてよろしゅうございます。現在の心境も変わるところがない。それから良心とはどんなものを言うのか、右でなく左でないものを言うので、いわゆる、いまわが国で言われる右翼といわれるようなもの、これは右でございましょう。私どもが言っておる軍国主義といったようなものも右でございましょう。共産主義などというものは左でございましょう。しかしその共産主義にもいろいろありまして、自分のところは共産主義だ、本来の共産主義の思想はどんなものかといえば、これはマルクス・レーニン主義だ、科学的社会主義なんだ、しかし自分たちの主張をする共産主義の中身はいわゆる平和革命なんだ、決して暴力主義的破壊活動というものはやらないんだというようなりっぱなことを掲げて、それを実行に移していらっしゃる政党もある。共産主義にもいろいろあります。その国その国によって共産主義の行き方、ねらいとする社会改造のステップは違うわけです。ですから、それは一口に言えませんけれども、いわゆる世の中でいう共産主義というものは左だ、右翼といわれるものは右だ、その右でも左でも裁判官としては適当でない。しかし、こういう人があったら適当なんですよ。どういう人かといいますと、思想は左なんだ、しかし裁判はなるほど重要な公共性にかんがみて、裁判は中道の態度でおれは裁判をするんだ。しかし、本来自分の考えは右だ左だというようなことの思想と良心とを区別することのできる人は、まあ私程度の修養の人間ではむずかしいのですね。しかしながらよほどできのよろしい、りっぱな人として完成された方がおいでになりますと、そういう理想の境地でいけるんじゃないか。日本はあなた、思想自由ですもの。その思想自由のものを、右ではいけない、左ではいけないということをチェックして裁判官に仕立てる制度をつくろうというのですから、これはなかなかむずかしいですわね。そういうことでございます。
#98
○正森委員 はからずも法務大臣の修養の程度を聞かしていただいて非常に光栄に存じておりますが、法務大臣は四十五年の五月八日にはそういう発言をしておられるが、私が速記録を調べたところでは、昭和四十二年七月十一日に参議院で亀田得治委員の質問に対して、これは大学の法学教育に関連してお答えになっておるのですが、参議院法務委員会においてお答えになっておる。それを読みますと、どうも大臣のいまのニュアンスとは似ておるが違う。こういう答弁になっておる。大臣もいろいろお忙しいでしょうから、いかに頭脳明敏、法学博士であろうとも忘れることがあるからその点を読みますと、こうお答えになっておる。「裁判官、それから検察官、もう一つは弁護士、この法曹三者の場合は、個人個人がどのような思想を持っておるということは、これは憲法の認めるところで自由でございますが、その三者の法曹がそれぞれの職務に携わります場合におけるものの考え方は、右に片寄らずに偏せざる中庸の考え方で職務をとってもらいたい。一体そういうことが可能なのかどうかということでございますが、私は自分の経験から見まして、努力いたしますれば、思想はこうだ、しかし、職務をとるにあたっては中庸でなければならぬという考え方はできるものと実は思うのでございます。」これは当時法務大臣です。そうすると、あなたは二、三年の間に、かつてはできると思ったことを私程度の修養ではできない、こういうことになると、人間は三年たてば進歩するものだと思ったが、あなたの場合は退歩されるということになると思うよりしかたがないが、そう承ってよろしいか。
#99
○田中(伊)国務大臣 ここで幾らか訂正をしておきますが、よほどの修養のできた人でなければ思想と良心の区別はむずかしい。思想どおりの心持ち、心境というものが普通であろう。思想、良心が別のものだということは普通の修養程度の者ではいかぬということはいまも持っておるわけです。しかし、表現のニュアンスがだいぶん違いますけれどもね。だれでもできるんだといまも思っておりません。先ほどから言いますように、よほどの修養のできた人でなければ、思想は左だ、思想は右だ、しかし大事な判決をするときには中庸でいくんだということはなかなかむずかしいんではなかろうか。そこらが司法制度の試験制度、修習制度、任命制度をどうとっていくかということで非常に大事なところなんですね。
#100
○正森委員 いまいろいろお話を伺いましたが、あなたが法務大臣のときの答弁あるいはその後法務委員としての質問というものを見ましたときに私が感じますことは、良心ということが出てまいりますのは、裁判官の場合には「良心に從ひ獨立してその職権を行ひ、この憲法及び法律にのみ拘束される。」という一連の文章として出てくるわけです。そして多くの憲法学者は、この良心というのは独立してというのと同意義であり、憲法と法律に従う、それだけに拘束されるというところに意味があるんだ、こうなっておるんです。ところが、あなたのいろいろの速記録を読みますと、憲法と法律に従うというところはどこかに行っておって、良心の点がものすごくクローズアップされ、しかも良心は思想と同じだ、こういう論法になっておるんですね。これは実際上、あの条文における憲法と法律のみに拘束される、こういう点から見たら、非常にわきのほうへどんどこどんどこ、いまの多くの学者の意見からもはずれていっておるんじゃないか、それこそ中庸、中道、中立の立場をはずれていっておるんじゃないかというように思うのですね。その点はいかがでしょう。
#101
○田中(伊)国務大臣 ちょっとひねってものをお考えになるとそういうふうに聞こえるのですけれども、それはそうじゃないでしょう。憲法、法律に従う、そんなことは言わずと知れた当然のことで、言わずもがなのことです。問題は良心。憲法、法律、良心に従わなければならぬのだ。基礎は良心だ。良心とはどんな良心かということが大事になってくる。どんな良心かといえば、私の信じておりますように、右でなく左でなく中庸だ。そういう中庸の良心を持っていくには思想も中庸の人であることが望ましい。思想は左右両翼であるが良心はまん中だということは、なかなか普通の修養程度ではむずかしいであろう、こういうふうに言うておるのでして、それを憲法、法律ということはほっておいて良心ばっかり言うておる、良心ばっかりで裁判できますか。できやしません。法律があり憲法があるから良心で裁判ができる。憲法、法律を適用する基礎となるべきものは何がといえば、人間の五体でいえば良心でなければならぬ、こういう考え方ですからね。そんなにひねってお考えをいただくほど妙なことを言っておるわけじゃないのですね。しかしだいぶ古い話ですね、これは。
#102
○正森委員 だいぶひねって質問しておるように言われましたが、ひねらざるを得ないのは、同一人物がかつてはこう言い今度はこう言うというようになっているから、私も速記録を右向いたり左向いたりひねって読まなければならなくなってくるということになるのです。なぜ私がこの二つの速記録を出したかといえば、四十二年七月十一日には自由民主党の司法制度調査会はできていなかった。四十五年五月八日には司法制度調査会ができ、あなたは会長になっておった。これがこの二つの時期、わずか三年間に、あなたの発言、修養の程度が変わってきた重大な原因ではないかというように思わざるを得ないから、そういうように伺ったわけです。そしていまの御発言を聞いておると、私が共産主義者に入るのかどうかわかりませんが、自分はまぎれもない共産主義者だと思っておりますが、あなたの昭和四十五年五月八日の発言では、そうするとあたかも私には良心がないかのような、それは国民に通用する良心ではないかのような、そういうように読み取れる。そうだとすれば、そういう良心のないような者が法務委員会の委員になり裁判官訴追委員会の委員になるというようなことは、あなたの立場からすればもってのほかのことで、そういうような状態に追いやった、あるいは追いやったと言ったら語弊があるが、三十九名の日本共産党・革新共同を当選させることによって当然としてそういう地位を与えた日本国民に対して、あなたはそういう選択のしかたは――良心のない人間を裁判官訴追委員にする。裁判官について言うておる。裁判官が訴追に値するかどうかをきめるのは訴追委員だ。その訴追委員は良心がない。そういう者がまじっておるということになれば実に一大事ではありませんか。もしそういうことであるなら、私がこの場で質問をするということも意味がなくなってくる。良心のない人間が言うておるのだ、おれは良心がある。そういうことに哲学的にはなるんですよ。それについてあなたのお答えをいただきたい。
#103
○田中(伊)国務大臣 それは曲解ですよ、そういうことを仰せられるのは。良心は中道でなければ良心でないなどということは、私の速記録のどこを見たって書いておりませんでしょう。そんなこと言うておりませんよ。また、そんなことを思っておりませんよ。たとえば極端な左翼、極端な無政府主義者というものをかりにとらえていうと、思想はそのとおりである。その人が極端な左的良心をお持ちになっておるのもこれはりっぱな良心です。右翼の者が右翼の考え方を良心にしておっても、これはりっぱな良心です。それを良心でないとは私は言ったことはない。またそんなことは思っておらぬ。ただ、裁判官になるに適当なる良心の持ち主とはどんなものかといえば、右に片寄らず左に偏せざる中道の良心を一番裁判官としては任命するに適当なる良心と考えるのだ。それ以外良心はないのだ、それ以外のやつは、人間どいつもこいつも良心を持っていないのだ、そんなことは言っておらぬ。そうお考えにならずに、すなおに私の言うことをお考えください。
#104
○正森委員 いまのお話で、私どもにも良心があるというようにお考えになっておることがよくわかりましたが、しかし、それだけでは済まない。あなたがもし裁判官の良心というのは右に片寄らず左に偏せず、中庸、中道、中立だということになれば、これは四十五年の五月八日の速記録ですが、「裁判は国民全体のための裁判でなければならぬ。国民全体の裁判制度でなければならぬ。」ということを繰り返し言っておられるわけですね。これは結局国民全体のための裁判だ、これは法務委員会の速記録です。何ならごらんになってもけっこうです。四十五年五月八日、衆議院です。そう言っておられる。そうすると、あなたは、裁判は国民全体のための裁判でなければならぬ、国民全体の裁判制度でなければならぬということをお考えになり、その上に立って中庸、中道、中立ということになれば、結局のところは、平たく言えば、国民感情からしてこれは右過ぎる、左過ぎるというのは裁判官にはちょっとふさわしくないのじゃないかという意味ですね。違いますか。
#105
○田中(伊)国務大臣 いま仰せになったような右でもなく左でもない中庸の良心、そういう良心を持った裁判官を将来つくっていくにはどういう制度がよかろうかということが私たちの念願のものでございまして、そういうことですな。
#106
○正森委員 もう一度伺いますが、繰り返し国民全体の裁判制度でなければならぬと言い、そのその中で中庸、中道、中立と言っておられるのは、これは最高裁判所長官代理者の発言の中にも従前あったのです。平たく言えば、国民感情から見てこれは公正らしさを疑われるようであってはならぬから、国民感情から見て納得されるようなそういう人物が裁判官になるのが望ましい、こういう意味ですね。
#107
○田中(伊)国務大臣 そういうふうな表現のほうが当たりますね。考え方がよく当たりますね。
#108
○正森委員 ということは、つまり大多数の国民に受け入れられるような健全な国民感情に合致した、そういう裁判官でなければならぬ、こういうことですか。
#109
○田中(伊)国務大臣 そういうふうに思います。
#110
○正森委員 それでは時間がありませんので最後に言いますが、そうだとすると私はいよいよ重大だというように思います。なぜなら、現在西ドイツ基本法というのがあります。西ドイツ基本法では、当初は裁判官は良心に従うという規定も入れようといたしました。しかしながらそれをやめまして、西ドイツのボン憲法九十七条第一項は、「裁判官は独立で法律にのみ拘束される」というように規定されました。それはなぜかといえば、当時の西ドイツにおける審議の中で、良心に従うという規定を入れれば、これはかっての健全な国民感情、ダス・ゾーゲナンテ・ゲズンデ・フオルクスエンプフィンデンというものと同じことになるのじゃないかという危惧があったからだというように学者は言っております。なぜドイツでそういったか、それは、健全な国民感情ということが、戦前のドイツでは即フューラー、ヒトラーの考えと同じだということで、裁判官の独立が侵害されたからです。私がいままで聞いてきたのは、そのことが聞きたかったからです。しかるにあなたは、健全な国民感情だということを言い、しかもその健全な国民感情から見てふさわしくない者は裁判官であっては困るということを言い、そういう裁判官が出ないために司法制度をどうしたらいいか考えておるのだという意味のことを結局言っておられるということになれば、自由民主党の感情に合わない者は裁判官たるにふさわしくないということになってきて、結局はドイツがかつて誤りをおかした、健全な国民感情と良心とを同一に考え、そしてそれは行き着くところフューラーと同じ考え方を持っておる者、これを健全な国民感情という誤りになりかねません。西ドイツはそれがこわいから良心に従いという文句を削ったのだということを学者は言っております。あなたの答弁を伺って、私がまさに危惧していたことが行なわれようとしているということがわかったことを非常にありがたいと思って、私の質問を終わります。
#111
○中垣委員長 次回は、来たる七日水曜日午前十時十五分理事会、午前十時三十分委員会を開会することとし、本日は、これにて散会いたします。
   午後零時三十六分散会
ソース: 国立国会図書館
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