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1972/10/27 第70回国会 参議院 参議院会議録情報 第070回国会 本会議 第1号
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1972/10/27 第70回国会 参議院

参議院会議録情報 第070回国会 本会議 第1号

#1
第070回国会 本会議 第1号
昭和四十七年十月二十七日(金曜日)
   午前十時八分開議
    ―――――――――――――
#2
○議事日程 第一号
  昭和四十七年十月二十七日
   午前十時開議
 第一 議席の指定
 第二 会期の件
    ―――――――――――――
○本日の会議に付した案件
 一、日程第一
 一、故議員斎藤昇君に対し弔詞贈呈の件
 一、故議員斎藤昇君に対する追悼の辞
 一、故議員佐野芳雄君に対し弔詞贈呈の件
 一、故議員佐野芳雄君に対する追悼の辞
 一、日程第二
 一、特別委員会設置の件
 一、請暇の件
     ―――――・―――――
#3
○議長(河野謙三君) これより会議を開きます。
 日程第一 議席の指定
 議長は、本院規則第十四条により、諸君の議席をただいまの仮議席のとおりに指定いたします。
     ―――――・―――――
#4
○議長(河野謙三君) この際、新たに議席に着かれました議員を御紹介いたします。
 議席第百三番、地方選出議員、三重県選出、斎藤十朗君。
   〔斎藤十朗君起立、拍手〕
    ―――――――――――――
#5
○議長(河野謙三君) 議長は、本院規則第三十条により、斎藤十朗君を法務委員に指名いたします。
     ―――――・―――――
#6
○議長(河野謙三君) 議員斎藤昇君は、去る九月八日逝去せられました。まことに痛惜哀悼の至りにたえません。
 同君に対しましては、すでに弔詞を贈呈いたしました、
 ここにその弔詞を朗読いたします。
   〔総員起立〕
 参議院は議員正三位勲一等斎藤昇君の長逝に対しましてつつしんで哀悼の意を表しうやうやしく弔詞をささげます
     ―――――・―――――
#7
○議長(河野謙三君) 鈴木強君から発言を求められております。この際、発言を許します。鈴木強君。
   〔鈴木強君登壇、拍手〕
#8
○鈴木強君 議員斎藤昇君は、去る九月八日郷里三重県に御帰郷中こつ然として逝去されました。そのあまりにも突然の御急逝に、われわれは耳を疑い、言うべきことばを知りませんでした。同僚議員としてまことに痛惜にたえません。ここに同君の御生前をしのび、つつしんで哀悼の意を表する次第であります。
 斎藤君は、明治三十六年三重県に生まれ、東京大学を御卒業の後、内務省官吏となり、累進して山梨県知事、内務次官、警視総監を歴任され、昭和二十三年国家地方警察本部が創設されるや、その初代長官に、次いで同二十九年警察庁長官に、それぞれ就任され、この間にあって戦後警察制度の推移する中で現行制度の確立に寄与されたのであります。
 退官の後、昭和三十年本院議員に当選され、自来、当選を重ねられること四回、その間、社会労働、商工、文教、法務の常任委員として各分野にわたる国政審議に参画してこられたのであります。
 斎藤君は、昭和三十五年には議院運営委員長の重責をになわれて国会の運営に尽瘁され、翌昭和三十六年には運輸大臣に、また同四十三年と同四十六年の再度にわたり厚生大臣に就任され、特に医療保険制度の当面する諸課題、難問に処するに粉骨砕身されたのであります。
 また、自由民主党にあっては、党紀委員長、参議院自民党幹事長、同国会対策委員長など党の要職を歴任され、最近は参議院自由民主党幹事長として御逝去の前日まで重要な党務の衝に当たられました。
 長年月にわたるこのような官界、政界を通じての御活躍によってあまたの業績を残されましたことは御承知のとおりであります。
 斎藤君は、「笑わぬ殿下」のニックネームで知られておりましたが、まことに謹厳にして篤実、思慮また緻密にして周到、事をなすにあたり、いやしくもゆるがせにせず、事に臨んでは常に穏健適正な判断に誤るところがありませんでした。
 ニックネームといえば、そのほかに、あるいは「たにし」、「するめ」または「金平糖」、さては「スフィンクス」のニックネームもあったことを同君がみずからその随筆の中にしるしておられます。いずれもかた物という意味を含んでおりますが、またそのほかに、味わいのある人物であるという善意に満ちた好意ある解釈が含まれております。
 斎藤君は、強い信念の人であり、おのれの是と信ずる道は千万人といえどもわれ行かんの気概をもって邁進され、その節を曲げず、所信を貫徹されたことは、かの有名な国警長官罷免事件においてもよく知られているところであります。
 また然諾を重んじ、人の信をつなぎ得て、まことに厚いものがありました。さらに同君は、詩情豊かな心の持ち主でもあられ、「北国の空」という題名の詩集を出版しておられます。そのロマンチックな心情は若者にも似た純粋さとやさしさにあふれ、同君の性格の一端を物語るものがあると同時に、同君の多才な一面を示しております。
 斎藤君の頭脳の犀利なことはあまねく人の知るところでありますが、かの複雑な保険理論の知識をたちまちの間に消化して、自家薬籠中のものとなし、保険制度についてもまた一家の見識を有しておられました。同君と保険制度とはまことに因縁浅からぬものがあり、二度にわたる厚生大臣として御在任中は、この問題に心を砕かれ、特に昭和四十六年、かの保険医総辞退という深刻な事態に際会されるや、事態収拾のためにたいへんな御苦労をされ、日本医師会長とのテレビ公開対談すらもあえて辞せず、一身の褒賄を顧みることなく、これが解決のためにあらゆる苦心努力を惜しまれなかったことは、いまなおわれわれの記憶に新たなところであります。同君は、まことに誠意の人でありました。
 今日、参議院が、二院制下におけるその存在意義と自主性をまさに発揮すべきときにあたり、同君のごとき高い人格識見と、豊かな力量手腕を備えた人材を欲するやまことに切なるものがあります。しかるに、いまや幽冥境を異にし、再び議場において君の英姿に接することはできなくなりました。
 斎藤君のごとき卓抜した人材を失うに至りましたことは国家的大損失であり、まことに惜しみても余りあるものと申さねばなりません。
 ここに、衷心より哀悼の誠をささげ、みたまの御冥福をお祈り申し上げて追悼の辞といたします。(拍手)
     ―――――・―――――
#9
○議長(河野謙三君) 議員佐野芳雄君は、去る九月二十七日逝去せられました。まことに痛惜哀悼の至りにたえません。
 同君に対しましては、すでに弔詞を贈呈いたしました。
 ここにその弔詞を朗読いたします。
   〔総員起立〕
 参議院は議員佐野芳雄君の長逝に対しましてつつしんで哀悼の意を表しうやうやしく弔詞をささげます
     ―――――・―――――
#10
○議長(河野謙三君) 丸茂重貞君から発言を求められております。この際、発言を許します。丸茂重貞君。
   〔丸茂重貞君登壇、拍手〕
#11
○丸茂重貞君 私は、同僚議員各位のお許しを得まして、本院を代表し、去る九月二十七日に逝去されました故佐野芳雄君に対し、衷心より追悼の辞をささげたいと存じます。
 佐野君は、明治三十六年七月二十三日、兵庫県淡路島において生をうけられました。間もなく神戸市に移られ、そこで高等小学校を終えると、直ちに就職されたのでありますが、かたわら、夜は補習学校、英語学校に通学して技術と学業との二つをあわせ修得することに努力されたのであります。
 そのころ、神戸において、賀川豊彦氏が友愛会を指導しておられました。佐野君はたまたま彼の著書「死線を越えて」を読んで賀川氏の思想と人柄に引かれて、友愛会のメンバーとなり、賀川氏の指導を受けたのであります。この賀川氏との出会いは、佐野君の生涯を貫く生活態度に、精神的な強靱さを与え、正義と人類愛に生きる人間味がつちかわれる契機となったのであります。
 大正十年に、川崎、三菱両造船所に歴史的な大争議が発生いたしました。当時、三菱造船所の旋盤工をしておられた佐野君は、この争議に参加され、それを機会に一身を労働運動に投ずることになったのであります。そして二年後には、二十歳の若さで神戸造船労働組合の書記長に推され、さらに、日本労働組合総連合神戸地連の主事となるなど、ようやく労働組合活動にその力を発揮するようになりました。
 しかしながら、昭和の初期に至り、次第に強化されてきた戦時体制の中では労働運動も制限がきびしくなり、ついに活動が不可能となったのであります。佐野君は、やむなく少数の仲間とともに将来を期して、機械工作所の自営に転身されたのであります。ここで終戦までの間、佐野君の経歴の中に企業の経営という経験が織り込まれたのであります。
 終戦後は総同盟兵庫県連合会長、全国金属労働組合兵庫県地方本部委員長を歴任するなど、佐野君の労働運動における活動は目ざましいものがありました。しかし、その活動のあり方は、組合の指導者として人目を引くはなばなしい活動というよりは、むしろ、労働者の現実の生活と権利を守り、福祉の向上をはからんとするじみで困難な方面に、粘り強く努力されて業績をあげていかれたのであります。その代表的なものは、わが国最初の労働金庫の創設であります。
 終戦後、インフレの進行する中での労働者の生活は容易なものではありませんでした。佐野君は、労働者の生活は労働者みずからの力で守るよりほかに方法がないと考え、労働者のための金融機関に着想して、昭和二十五年、兵庫県において労働金庫の設立に初めて成功されたのであります。その後、佐野君の献身的な指導によりまして、全国の労働金庫運動は発展し、各都道府県にも次々と金庫は設立されました。さらに、労働金庫法の制定、労働金庫連合会設立にも力を尽くされたのであります。かくして、労働金庫の今日の全国的発展を見るに至ったのであります。
 佐野君の政治家生活は、昭和三十七年の参議院議員選挙において、社会党から立候補され、最高得票で当選された年から始まりました。次いで四十三年にも再選され、引き続き参議院に議席を占めてこられたのでありますが、その任期半ばにして長逝されたのであります。
 本院におきましては、その間、社会労働をはじめ、大蔵、法務、商工、建設、物価対策等の委員会の委員として、また理事として活躍され、特に昭和四十五年には、社会労働委員長としてその重責を全うされたのであります。
 佐野君は、本院において、数々の業績をあげられたのでありまするが、特に顕著なものは、佐野君が平素から主張されております労働者庶民の生活・福祉の向上の推進であります。労働者のための労働金庫の強化、公益質屋の拡充、戦争遺家族互助会の設置など新しい庶民金融の開拓等に多くの実績を残されたのであります。
 また、労働金庫を基盤とした労働者による共同事業活動、特に労働者の住宅建設に積極的に取り組み、勤労者に有利な財産形成法の制定につとめられたのであります。また、現在の日本勤労者住宅協会を設立し、さらに、労働者住宅生活協同組合の組織化に力を注ぎ、その連合会の理事長をもつとめて今日に至ったのであります。
 思うに、佐野君は兵庫県下における労働界の長老の一人であるばかりではなく、全国的に労働者のみならず庶民の生活の向上をみずからの手によって築き上げることにその一生をかけておられたのでありました。
 いまや、わが国の社会福祉はその充実が強く叫ばれ、国際的にも日中国交がようやくその緒につかんとする重要なときに、佐野君のごとき老練な先輩を失ったことは、本院にとっても、また国家にとってもまことに残念なことでございます。しかしながら、佐野君生前の数々の業績は、われわれの前に光彩を放っております。
 ここに、佐野君の御逝去をいたみ、哀悼の誠をささげて御冥福をお祈り申し上げるとともに、御遺族の御多幸を念願して追悼の辞といたします。(拍手)
#12
○議長(河野謙三君) これにて休憩いたします。
   午前十時二十六分休憩
     ―――――・―――――
   午前十一時三十七分開議
#13
○議長(河野謙三君) 休憩前に引き続き、会議を開きます。
 日程第二 会期の件
 議長は、今期国会の会期を二十一日間といたしたいと存じます。
 会期を二十一日間とすることに賛成の諸君の起立を求めます。
   〔賛成者起立〕
#14
○議長(河野謙三君) 過半数と認めます。よって、会期は二十一日間と決定いたしました。
     ―――――・―――――
#15
○議長(河野謙三君) この際、特別委員会の設置につき、おはかりいたします。
 沖繩及び北方問題に関する対策樹立に資するため、委員二十名からなる沖繩及び北方問題に関する特別委員会を、
 災害に関する諸問題を調査し、その対策樹立に資するため、委員二十名からなる災害対策特別委員会を、
 公害及び環境保全に関する諸問題を調査し、その対策樹立に資するため、委員二十名からなる公害対策及び環境保全特別委員会を、
 交通安全に関する諸問題を調査し、その対策樹立に資するため、委員二十名からなる交通安全対策特別委員会を、
 当面の物価等に関する諸問題を調査し、その対策樹立に資するため、委員二十名からなる物価等対策特別委員会を、
 公職選挙法改正に関する調査のため、委員二十名からなる公職選挙法改正に関する特別委員会を、
 また、科学技術振興に関する諸問題を調査し、その対策樹立に資するため、委員二十名からなる科学技術振興対策特別委員会を、それぞれ設置いたしたいと存じます。御異議ございませんか。
   〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
#16
○議長(河野謙三君) 御異議ないと認めます。
 よって、沖繩及び北方問題に関する特別委員会外六特別委員会を設置することに決しました。
 本院規則第三十条により、議長は、議席に配付いたしました氏名表のとおり特別委員を指名いたします。
    ―――――――――――――
   議席に配付した氏名表は左のとおり
○沖繩及び北方問題に関する特別委員(二十名)
      稲嶺 一郎君    今泉 正二君
      岩本 政一君    鬼丸 勝之君
      河口 陽一君    楠  正俊君
      柴立 芳文君    高橋雄之助君
      長谷川 仁君    星野 重次君
      町村 金五君    川村 清一君
      鈴木美枝子君    田  英夫君
      藤原 道子君    宮之原貞光君
      藤原 房雄君    三木 忠雄君
      松下 正寿君    春日 正一君
○災害対策特別委員(二十名)
      伊藤 五郎君    梶木 又三君
      久保田藤麿君    古賀雷四郎君
      柴立 芳文君    高田 浩運君
      高橋雄之助君    寺本 広作君
      横田 幸雄君    八木 一郎君
      若林 正武君    杉山善太郎君
      鈴木  力君    中村 英男君
      松永 忠二君    松本 英一君
      上林繁次郎君    宮崎 正義君
      高山 恒雄君    塚田 大願君
○公害対策及び環境保全特別委員(二十名)
      青木 一男君    金井 元彦君
      菅野 儀作君    田口長治郎君
      高田 浩運君    寺本 広作君
      林田悠紀夫君    原 文兵衛君
      矢野  登君    安井  謙君
      渡辺一太郎君   茜ケ久保重光君
      伊部  真君    占部 秀男君
      大矢  正君    加瀬  完君
      内田 善利君    小平 芳平君
      栗林 卓司君    加藤  進君
○交通安全対策特別委員(二十名)
      岩本 政一君    岡本  悟君
      鬼丸 勝之君    黒住 忠行君
      橘  直治君    中村 禎二君
      中村 登美君    橋本 繁蔵君
      二木 謙吾君    矢野  登君
      山崎 竜男君    阿具根 登君
      神沢  浄君    戸叶  武君
      中村 波男君    野上  元君
      阿部 憲一君    原田  立君
     柴田利右ェ門君    小笠原貞子君
○物価等対策特別委員(二十名)
      上原 正吉君    亀井 善彰君
      川野辺 静君    佐田 一郎君
      志村 愛子君    嶋崎  均君
      玉置 猛夫君    長屋  茂君
      西村 尚治君    山下 春江君
      山本敬三郎君    片岡 勝治君
      田中寿美子君    竹田 現照君
      前川  旦君    森中 守義君
      柏原 ヤス君    田代富士男君
      中沢伊登子君    渡辺  武君
○公職選挙法改正に関する特別委員(二十名)
      植竹 春彦君    大竹平八郎君
      木内 四郎君    熊谷太三郎君
      小林 国司君    後藤 義隆君
      佐藤 一郎君    高橋文五郎君
      永野 鎮雄君    宮崎 正雄君
      渡辺一太郎君    秋山 長造君
      戸田 菊雄君    林  虎雄君
      松本 賢一君    横川 正市君
      多田 省吾君    中尾 辰義君
      村尾 重雄君    岩間 正男君
○科学技術振興対策特別委員(二十名)
      江藤  智君    大谷藤之助君
      大森 久司君    剱木 亨弘君
      源田  実君    津島 文治君
      中山 太郎君    永野 鎮雄君
      鍋島 直紹君    西田 信一君
      船田  譲君    加藤シヅエ君
      小林  武君    沢田 政治君
      辻  一彦君    森 元治郎君
      渋谷 邦彦君    矢追 秀彦君
      中村 利次君    星野  力君
     ―――――・―――――
#17
○議長(河野謙三君) この際、おはかりいたします。
 田中茂穂君から病気のため三十一日間、佐々木静子君から海外旅行のため九日間、野上元君、松井誠君からいずれも病気のため二十一日間、和田静夫君から海外旅行のため八日間、それぞれ請暇の申し出がございました。
 いずれも許可することに御異議ございませんか。
   〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
#18
○議長(河野謙三君) 御異議ないと認めます。よって、いずれも許可することに決しました。
 本日はこれにて散会いたします。
   午前十一時四十一分散会
ソース: 国立国会図書館
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