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1971/04/26 第68回国会 参議院 参議院会議録情報 第068回国会 沖縄及び北方問題に関する特別委員会 第5号
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1971/04/26 第68回国会 参議院

参議院会議録情報 第068回国会 沖縄及び北方問題に関する特別委員会 第5号

#1
第068回国会 沖縄及び北方問題に関する特別委員会 第5号
昭和四十七年四月二十六日(水曜日)
   午後二時二分開会
    ―――――――――――――
  出席者は左のとおり。
    委員長         長谷川 仁君
    理 事
                剱木 亨弘君
                丸茂 重貞君
                戸叶  武君
                藤原 房雄君
                高山 恒雄君
                星野  力君
    委 員
                稲嶺 一郎君
                今泉 正二君
                梶木 又三君
                片山 正英君
                亀井 善彰君
                古賀雷四郎君
                竹内 藤男君
                初村滝一郎君
                宮崎 正雄君
                山内 一郎君
                鈴木美枝子君
                田  英夫君
                松井  誠君
                村田 秀三君
                山崎  昇君
                三木 忠雄君
                松下 正寿君
   国務大臣
       国 務 大 臣  山中 貞則君
   政府委員
       沖繩・北方対策
       庁長官      岡部 秀一君
       沖繩・北方対策
       庁総務部長    岡田 純夫君
       外務省欧亜局長  有田 圭輔君
   事務局側
       常任委員会専門
       員        伊藤  保君
   説明員
       水産庁漁政部長  田中 慶二君
       水産庁生産部長  大場 敏彦君
    ―――――――――――――
  本日の会議に付した案件
○北方領土問題対策協会法の一部を改正する法律
 案(内閣提出、衆議院送付)
    ―――――――――――――
#2
○委員長(長谷川仁君) ただいまから沖繩及び北方問題に関する特別委員会を開会いたします。
 北方領土問題対策協会法の一部を改正する法律案を議題といたします。
 本案に対する政府の趣旨説明は前回聴取いたしておりますので、これより質疑に入ります。
 質疑のある方は順次御発言を願います。
#3
○戸叶武君 北方領土問題対策協会法の一部を改正する法律案の要綱を、政府は、「北方地域旧漁業権者等に対する貸し付け資金の財源に充てるため、北方領土問題対策協会が長期借入金をすることができることとする」というふうに述べておりますが、いま、この内閣提出案を衆議院にあっては修正採決したのが去る四月三日で、「四月一日から施行する。」という予定がずっとずれてきている模様でありますが、参議院においてきょう審議していくことになっておりますけれども、これを、どういうふうな今後スケジュールでもって審議し、採決に持ち込むような予定でいるか、そのスケジュールを承りたいと思います。
#4
○国務大臣(山中貞則君) これ、御承知のように、衆議院で、「四月一日」を、御承知のような事情でおくれましたので、「公布の日」という修正をいただきました。したがって、参議院で十分御審議いただきました結果、法律として制定、公布されまするならば、その日から施行されるという手続をとるつもりでございます。
#5
○戸叶武君 そこで、政府の提出した理由説明に対する問題に対して御質問いたしますが、この中において「北方地域」ということを強調しておりますが、内閣で言わんとしている北方地域というのは、いわゆる内閣側で考えているような、この提案の中にも具体的に出してあるのは「歯舞群島、色丹島、国後島及び択捉島」というふうに明記されておりますが、これだけに制約されて北方地域というのを指さしているのか。それとも、このほかにはみ出している、かつての日本領土であった千島列島と言われた全体に住んでいた人たちもあるんだし、また、南樺太において漁業に従事してきた人たちもあるんだが、こういう人たちのことはどういうふうな配慮なり取り扱いの上に立ってこの「北方地域」というものを規定しているか。その地域の概念と、これによって意図している、北方にかつて漁業その他の生産に従事して生活していた人たち、どの範囲までを包含するのか、その概念規定を明らかにしてもらいたいと思います。
#6
○国務大臣(山中貞則君) 私どものほうは、国内法でございますので、正確には外務省の見解というものを受けておるわけであります。すなわち、サンフランシスコ講和条約において日本側が放棄いたしました地域、外務省としては、ただいまおっしゃいましたような、南樺太あるいは私どもが北千島――まあ千島列島と言っております中の得撫島以北等については、これを放棄したものであるということになっておりますので、したがって、われわれとしては、現状がソ連との間にどういう関係にあるにいたしましても、古来、日本固有の領土であって、日本人以外のものがそこに居住した事実のない国際的な立場にある島々、すなわち、お読み上げになりましたとおり、歯舞群島、色丹島、国後島、択捉島、いわゆる南千島と言っておりますそれらの島々を、日本固有の領土として日本が引き続き責任を負うべき地域といたしております。
 そこで、北千島あるいは南樺太等で日本の方々が相当長い間にわたって居住され、あるいは商売、漁業等に従事されておられた、それらの人々に対しては、本法律の対象外といたしておりますが、これは、その他の外地の人たちと同じく、引き揚げ者に対する措置以外のものはいたしていないということでございます。
#7
○戸叶武君 引き揚げ者への処置以外にはしていないというのでは、この北方領土問題対策協会法の一部を改正する法律案による恩恵というものには何ら浴していないということを意味するんですか。
#8
○国務大臣(山中貞則君) 結果としてはそういうことになります。
#9
○戸叶武君 これについて、同じ日本国民であって、南千島における人々と同じように漁業に従事した日本国民が、南千島の人たちは恩恵に浴するが、北千島及び南樺太において同じような苦労をしてきた人は恩恵に浴しない。これは、国内法によるものであるとはいうが、非常にその中に差別があると思いますが、その問題に対する不満なり抗議なりというものは、いままで政府としては耳にしておりませんか。
#10
○国務大臣(山中貞則君) 引き揚げ者に対する対策についての議論は、なお残っておる点がございます。しかし、それ以外に、いわゆる国内法で北方地域として処理いたしております事柄の対象外となっていることについての、北千島並びに南樺太の人たちの意見というものは、この法律案の内容、あるいは今日までとってきました政府の施策について、私は聞いておりません。
 いまの問題は、むしろ、朝鮮や台湾というような、かつての日本の領土であって、永年にわたり日本人が居住していた、あるいはかつての信託統治領の南洋群島、こういうところとやはり問題点としては同列の問題ではなかろうかと思います。
#11
○戸叶武君 そこで、外務省側にお聞きしますが、いま大臣の答弁だとすると、国内法としてというふうに規定づけておりますが、このいわゆる北方地域なる概念規定の内容をなしているところの国後、択捉及び歯舞、色丹島に制約した対策がここに行なわれているのは、サンフランシスコ講和条約においてのそれを受け入れた日本政府の責任においてそういう概念規定をしているのでしょうか。どうですか、その点を外務省側から承りたいと思います。
#12
○政府委員(有田圭輔君) お答え申し上げます。
 この法律の所管は総理府でございまして、いま、長官からお話し申し上げたとおりのことであると存じます。で、外務省におきましては、ただいま問題になっておりますソ連との平和条約交渉、あるいは国境確定というような関連について申し上げますれば、われわれが一貫してソ連側に主張しておりますのは、この歯舞群島、色丹島、これは日ソ共同宣言でソ連側が一応平和条約ができた場合には引き渡すと約束しておりますが、そのほかに国後、択捉というものが日本の固有の領土である。また、この国後、択捉も含めましてサンフランシスコ平和条約で日本が放棄した、いわゆるくれるという中にはこの国後、択捉は入っていないと、したがって、これをソ連側に返還を要求するのであるという立場をとってきております次第でございます。したがいまして、今後のソ連との交渉においても、この返還を要求し、これを実現するということでございます。これに関連しまして、どういうふうな国内的措置をとるかとらないかというのは、またそれぞれ所管においてお考えいただいているというふうに御理解いただきたいと思います。
#13
○戸叶武君 ことしは、初頭に福田さんとグロムイコさんの間において、平和条約の問題を本年中に軌道に乗せようというような、だいぶ歩み寄りができたようでありますが、やはり私は、平和条約の際に一番問題になるのは、どこの国の平和条約においても、特に敗戦国の苦悩の限りを尽すのは領土問題だと思うのであります。で、この領土問題に対して、それだけにこだわるわけには現実の政治はいかないかもしれないけれども、とにかくあるところまでの筋を立てないと、敗戦国における――敗れた国というものは、おごっている戦勝国から見れば、結局敗戦国として、この程度のものは受け入れるのが当然だというおおいかぶさった態度で締めつけられ、それがために、いわゆる講和条約というものがつくりあげられても、それが逆に次の戦争を生む原因なんかになったということは、アルサス・ローレンの例を引くまでもなく、イタリアにおけるファシストの誕生も、ダヌンツィオのフィウメの占領もそういうところから発火点が起きているのでありますが、これは民族感情だけには支配されるべきじゃなくって、やはり国際情勢の上に立ってその国の利益を擁護していかなくちゃならないんでしょうが、これはサンフランシスコ講和条約を結んだ政府の精神を継承しなければならないいまの政府にも一つの苦悩があると思いますが、国際的な情勢は刻々のうちに変わってきておるのであります。私たちがあのときにおいても、何といっても日本が敗戦国であるという虚脱状態から抜け出ていられない、やはり平和条約を結んで国際社会に仲間入りをするほうが得だというような考え方が強まっておって、どちらかといえば主張すべきことも主張できないで、結局ああいうような結果から、かち得られなかったのは事実だと思うのでありまして、まあ社会党にもいろいろな意見の人があるでしょうが、私たちがやはり強く主張したのは、国が敗れたからといって、戦争の責任は日本の軍部なり、日本の指導部にあって、国民なり国土が犠牲を払う必要はないと、やはり領土を割譲しないで、そうして次の平和を保障するような平和条約をつくりあげなきゃならないという考え方の上に立って、サンフランシスコ講和条約も、行政協定もわれわれは反対してきたんです。それは不平等条約を打破するところの芽というものを国民の中に残しておかないと、時の政府というものは、現実政治をやる上においてどうしてもそのときの流れに巻き込まれてしまうが、やっぱり国家百年の計を考えるならば、毅然として、その際にそういうような卑屈な不平等条約はやはり打破していくところの勢力を温存しなきゃならぬというのがわれわれの考え方であったんですが、あの後において、日ソ関係の調整のために社会党でも平和条約を結ぶというのに重点を置いて、歯舞、色丹をとにかくとりあえず返してもらって、平和条約をつくって、それから問題を解決することが順序じゃないかというような考え方が強いようですが、私は、八年前にソ連に国賓として招かれた際にも、成田君の社会党としての主張というものをクレムリンの最高会議でもって説明したあとで、私は立ち上がって、とにかく日本の国民感情としては、曲がりなりにも沖繩や小笠原が返還される前に、やはりソ連がせめ千島でも……、私は率直に言うならば、ヤルタ協定の制約を多分にサンフランシスコ講和会議で受けていないといいながら、暗黙の間に、共同の責任はソ連だけじゃなく、アメリカにもあるんだから、やはり私はその制約を受けているという観点において、ああいう戦時中の軍事謀略協定のようなヤルタ協定というものは、われわれ国民は否定してかかっているんだ、この国民感情というものを真にくみ取るならば、ソ連がほんとうに世界の平和共存体制をつくろうとするならば、これぐらいは自発的にやっぱり返すべきであるということを強く主張して、ミコヤンと大げんかをしたこともあります。ないと言うから、ないならおれも話ししないという形で、スースロフ氏が調停に立ち、一週間後にフルシチョフ氏が、われわれとの単独の秘密会談において、何らの経済的な利益はないん、だから、軍事的な関係だけで押えているんだから、社会党内閣でも出るならば全部返しますよと、彼一流の放言をしましたが、おそらくは社会党政権が当分できないと見越してやったかもしれませんが……。その話は別として、これは私はいままでフルシチョフ氏が死なないうちにはやはりこういうことは話しちゃいかぬから、口は慎んでいたんですけれども、私は日本の政府が、もうこの段階に来たらばソ連のためにもそのほうが得なんで、そうでなくて、いまのような、なかなかいろんな安保条約の問題もあるし、アメリカとの軍事同盟もあるし、いろんな懸念もあるから返せぬというような小理屈を並べるのじゃなくて、シベリヤ開発なり、資源開発に対する協力なり、技術協力のほうが先だというなら、これも一つのかけ引きでしょうが、とにかくそんなことでもたもたしているんでは国民感情を納得させられないので、革命外交というものはソ連というがんこな国ができそうもないことをやらせるぐらいな気力が政府の中に充満していなけりゃできないんだと思うんで、いまの保守的なショウビニズムの立場から、小さな愛国主義の立場から領土返還をやるんでなくて、このアジア、太平洋の平和共存体制をつくり上げるのもここから始まらなければならないんだ。だれが先にやったか。ソ連がやったか、日本がやったか、中国がやったか、北鮮がやったか、とにかくなだれをつくってこの極東のアジア地域からそういう具体的な体制ができ上がったということによって、ヨーロッパにおける停滞と違って、ヨーロッパがあれほどECの結合がうまくできそうでいながらできないということには、一つの悩みがあると思いますが、私はどうもアジアというものは、アジア的停滞とマルクスも指摘し、皮肉っておりますが、この停滞のためにアジアの混乱と、前進をはばむものがあったんで、やはりこの北方領土問題の解決、その糸口にもなるのがこの特に漁業問題に関連すると思いますが、こういうふうなことに関して、どうも外務省にだけ日本は外交たよっているんで、どうも外交技術の末端に走って、外交経綸というものが少し乏しいと思うんですが、外務省はとにかく官僚ですから、これは忠実に義務を尽くすのはやむを得ないでしょうが、政府の中にもう少し生気のある外交を躍動させるような一つの機運というものは日本外交の中には出てこないのかどうか。そういう点はあまり自分のところのことは言えないでしょうが、外務省の中でもあなた一番むずかしいところを担当しているんですから、そこいらの関係をひとつ話してください。
#14
○政府委員(有田圭輔君) お答え申し上げます。
 先生の御所見十分承りました。私ども外務省も一生懸命日本のために外交に尽くしておるつもりでございます。
 この北方領土問題につきましては、御承知のように日本は、この国会の御承認も得まして、サンフランシスコ平和条約に署名いたしました。その条約によりまして、いわゆるクリル列島、南樺太についても権利を放棄したわけでございます。しかし、この平和条約以後におきまして、日本は今日の発展を見たことも、これはわれわれ官僚が言うことでないかもしれませんが、事実かと思います。
 またその際に、ただいまのグロムイコ外務大臣、当時次官がサンフランシスコ平和条約に出てきておりまして、ソ連側のこのサンフランシスコ平和条約に対するいろいろの見解を述べたことも御記憶かと存じます。その後、事態がだんだんに変遷いたしまして、一九五六年に日ソの共同宣言ができました。この日ソ共同宣言によりましてわれわれは日ソ間に外交関係を回復し、また、その結果として国連のメンバーにもなることができましたし、また、数多くの同胞が残っておりましたのを、これを日本の故国に引き取るということもできましたし、また漁業関係におきましても、北洋漁業についての一つの条約的基礎を得られ、またあるいは通商条約を結んで、当時のごくわずかの貿易から、今日九億ドルに近い往復貿易を遂げ、また、数幾つかの経済協力事業もできておる。あるいはシベリアを通しての最初の日欧航空路を開設するというようなこともできておりまして、万般におきまして、日ソの友好関係というものは増進され、それなりに当方面におきましてのその静ひつについても貢献があったがと存じます。そこで、その残る問題は、やはりこの日ソ間におけるほんとうの安定的関係を持つためには、平和条約、しかるべき条約基礎におけるこの関係の調整ということが必要であるということは、これは何人も否定しないところでありまして、御承知のような事情で一九五六年に日ソの間に平和条約でなくて共同宣言という形になりましたのは、ひとえにこの国後、択捉、この領土の確定の問題が残ったからでございまして、今日幸いにして本年内にこれに関する話し合いをして平和条約交渉を行なうということになったということは、これはいずれにいたしましても一歩の前進かと思いますので、このような事態を踏まえまして、われわれとしてはこの残る領土問題を解決して、またその解決をすることがこの方面における平和と安定をもたらすものと信じておりますので、これはひとり外務省ということではなく、政府の、また各党の御支援を得て、あるいは国民全体の支持を得てこれを成就しなければならないことかと存じます。まあ一官僚としては言い過ぎの点もあるかと存じますが、しかし、この委員会におきまして最初に福田大臣から、また総務長官からの所信表明におきましても、その国民的の支持を得てこれを行なうということで述べられておるかと存じますので、私からもその点を申し上げておきます。
#15
○戸叶武君 これはいずれあらためて福田外務大臣とひとつ私たちの意見の交換をやりたいと思いますが、サンフランシスコ講和条約におけるグロムイコの言動と本年初頭におけるグロムイコの言動とは内容が非常に変わってきているというのも時の流れがこれを決定づけたのであって、われわれは、政府はあの段階においてああいう平和条約を締結したほうが日本にプラスになると考えておったし、われわれとしては政府とは違う民族将来の百年の計をはかるとするならば、やはりあの不平等条約が現実的な条約としてもこれを正しきものに変えなけりゃならないという民族の主張というものはやはり秘めて反対をやって、反対のための反対ではなかったと思うのです。ですから、今後平和条約を結ぶに当たっては、一切を洗いざらいして、やはりソ連もわれわれも反省すべきものは反省して、新しい、戦争に敗れた国をさいなむというのでなく、次の平和を保障し得るような平和条約の理念というものを平和条約の中にやはり私たちは押し出さなくちゃならないと思うのでありますが、それについてもいま日ソ間において一番問題になっているのは、やはり漁業問題をめぐっての日ソ間の交渉であると思いますが、本日は水産庁の大場生産部長、この間ソ連に使いして帰られた大場生産部長もお出になっておりますので、大場さんからこの間の段階における日ソ間の具体的な交渉はどういうふうな経緯になっているか、そのことも承りたいと思います。
#16
○説明員(大場敏彦君) 私、三月一日から始まりました日ソ漁業交渉に参加いたしまして、つい三、四日前に帰国したばかりでございますが、簡単に日ソ漁業交渉の経緯を御報告申し上げます。
 三月一日から第四回の日ソ漁業交渉が始まりましたが、これは正確に申し上げますと、日ソ漁業条約に基づきます第十六回の日ソ漁業委員会、これはまあサケ・マス、ニシンその他底魚を対象として審議する委員会でございますが、相互交渉が一つと、それから第四回目に当たります日ソ間のカニ交渉、この交渉が一つございまして、その二つを総括してわれわれ日ソ漁業交渉と総称しているわけでございますが、まず第一のカニの交渉につきましては、三月一日から始めまして、四月の十八日に実質上の妥結を幸いにして見ました。それからサケ・マス、ニシンその他の日ソ漁業委員会の閉会は、四月の二十一日に妥結いたしまして、サケ・マス、カニいずれも漁期前に、まあ難航という表現は避けることができまして、妥結をいたしまして、それぞれ日本の漁業は漁期を失せず出漁することができたと、こういった経緯になっております。これは昨年の例を見ますると、昨年は四月一ぱいまでかかりましてカニもサケ・マスも全部きまらず、五月一日になってやっと話がきまったと、こういった経過になっております。昨年は非常に新聞紙上におきましても難航ぶりが喧伝されたのでございますが、ことしは幸いにしてそういった事態は避けることができたと、まあ、こう思っております。
 で、私どものこれは感想でございますけれども、ことしの交渉を通じて感じました事柄は、非常にソ連側も、この漁業交渉の難航ということを通じて、日ソ間の最近醸成されつつある接近ムードといいますか、友好ムードといいますか、そういった関係が、スポイルされるということはできるだけ避けたいと、こういった配慮は、私ども交渉過程におきまして当初から痛感いたしております。いろいろ、たとえば日ソ漁業交渉に先立ちまして、タス通信その他、例年の例で申し上げますと、日本を非難、攻撃するような論調が出るのでございますけれども、それはことしはやはり差し控えておったという形跡が明らかに見受けられるし、それから交渉のテンポにいたしましても、できるだけ早く早期妥結をはかりたいということで、いろいろ手練手管というものはできるだけ省略して、単刀直入にいろいろ向こうの提案も言ってきたと、こういったことがありますので、そこはかなり例年とは違った雰囲気というものをことしの交渉上は持っておったのではないかと思っております。そういう意味で、ことしの交渉担当者の一人として私は非常に恵まれておったという感じもいたしますけれども、しかし、また同時に、そういった外交関係の配慮というものとは別に、やはり魚には魚の世界があるということも片方において痛感いたしました。日本とソ連というのは、申すまでもなく世界の漁業国でございまして、お互いにライバルとして競い合っておりますし、ソ連は絶えず日本の漁業に追いつき追い越そうということを目標にしておりますから、そこにはやはり競争者としての激しさもあるわけで、具体的な魚の漁獲量とか規制とかいう話になりますと、友好ムードだけで、ソ連の利害を放棄して日本に譲るということだけは必ずしもなかった。やはりそこには、友好ムードの中で、やはり具体的ななまの話になりますときびしさというものは依然として例年と変わりなかったと、こういったことは痛感いたしました。しかし、それにしても、漁業交渉を進めるにあたって、日ソ関係がとげとげしいか、あるいはことしみたいに友好接近ムードがあるかということについては、非常にそこはやはり接近ムードというものがあったということは高く評価せざるを得ないし、そのために、ことしの交渉が、比較的、この数年四月一ぱいまでかかったことが、比較的早期に妥結を見たということは、最近の両国関係の友好的な雰囲気というものが多分に影響しておったと、かように感じております。
 とりとめない感想でございますが、そういったことでございます。
#17
○戸叶武君 この日ソ間の漁業交渉というものは、日本の北方漁業に関しては非常に大きな影響力を持っておるのだと思いますが、そのことが、この今回の法案でめんどうをみなければならないとされている北方領土から引き揚げてきた人たちに、はたして、いままでどのような恩恵とどのような利益があったか。その調べは、対策庁のほうですか、水産庁のほうでしょうか、できておるでしょうか。大きな漁船を持っておる人たちだけの利益で、沿岸漁業をやってきた人たちはいままであまり恩恵にあずかれなかった。そのため、今度は何とかしなけりゃならぬというような配慮もたぶんなされたのだと思いますが、そういうことはどういうふうになっておりますか。
#18
○説明員(大場敏彦君) 北方領土から引き揚げてきました漁業者、ことに御指摘の沿岸漁業者につきまして、過去において営んでおりました漁業を継続して何らかの形で確保すると、こういったことにつきましては、従来から努力はもちろんいたしております。たとえば、歯舞、色丹周辺水域、具体的には貝殻島周辺水域でございますけれども、あそこにおきまするコンブの採取事業あるいは小魚の採捕の仕事、そういったことは、これは直接政府と政府という形の交渉ではございませんけれども、民間とソ連との関係でコンブ協定というものができておりますし、逐次、毎年毎年その改善をはかっておる。現に、ことしもそのための代表団がモスクワに行っておりまして、たしか、新聞の報ずるところによれば、昨日仮調印という段階にまでこぎつけて、コンブ協定の延長ということもできております。それから、なお、懸案になっておりまする歯舞、色丹それから国後、択捉のいわゆる四島周辺水域におきまする安全操業の問題につきましても、絶えず機会あるごとに精力的に政府としても折衝を続けております。最近の例を引きますれば、昨年の一月に、ここにいらっしゃる有田欧亜局長をはじめといたしまして、代表団がそのために訪ソして交渉したし、それから昨年の十月には、ときの農林大臣であります赤城農林大臣が訪ソしてイシコフと交渉したと。そうして一時冷えかかっておった安全操業の問題にまた熱を呼び返した。それからことしの一月でしたか、ことしの初めにグロムイコ外務大臣が訪日された際にもその話をまた持ちかけておりますし、今回、またさらに、直接の担当者でありまするイシコフ漁業大臣がおそらく来月訪日するということが期待されると思います。そういった機会を通じてまた安全操業の早期実現ということには力を注いでいきたいと、かように思っております。
#19
○戸叶武君 この安全操業の問題は、いま、大臣からも注意がありましたように、零細漁民の救済には欠かすことのできない問題であって、漁獲高云々よりも、北海道に引き揚げて日の目を見られない苦悩を続けている人たちを助ける上においては非常に人道上大きな問題なのでありますが、こういう人たちの実態に対してどのような調査が行き届いているか。またこのような人たちの生活の現状、このほうはどうなっているかを、北方領土問題の担当大臣から御説明を願いたい。
#20
○国務大臣(山中貞則君) 私、現地に参りまして、座談会をあちこちでやったのでありますが、いまでも一番印象に残っておりますのは、漁家の主婦の方の叫びでありましたけれども、――自分たちは、墳墓の地である北方領土を返してもらいたい。その交渉を国家が精力的にやってもらいたい。一日もその日の早いことを期待しております。しかし、私のむすこたちはきょうも海に出ていきました。その子供たちが海に出ていって、帰ってくるまでの間は、ほんとうに、拿捕されていはしないだろうか、だいじょうぶだろうかという、無事で帰ってくるだろうかという心配で、ほんとうに母親としてたまらない気持ちの毎日であり、毎年である。ぜひ――私に外交権がないことは承知の上でそう言っておられたんですけれども、閣僚として、担当大臣として、領土交渉というものは、これは大前提であったとしても、何とか自分たちの夫や子供たちが安心して操業できることだけは、これはひとつソ連側との間に話をつけてもらいたい。それが解決するならば、自分たちはなおいま少しくは精神的な安らぎを得るのではないかという訴えを受けました。私はそのことを非常に強く印象づけられましたので、領土交渉の促進と同時に、現在の漁場に対する安全な出漁、操業というものが確保されるように、愛知大臣、そして福田大臣ともに、たびたびお願いを申し上げておる次第であります。
#21
○戸叶武君 この法案にもう一度戻りますが、この北方地域旧漁業権者等に対する特別措置に関する法律が制定されたのは、第三十九回国会でありまして、同法によって、昭和三十六年に北方協会が設立され、国は協会に対して、貸し付け業務の財源に充てるため、償還期限十年、利率年六%の国債十億円を交付して、基金を設けて、協会はこの運用益を原資として低利資金の貸し付け業務を三十七年度から行なってきていますが、これだけでは足りないので、要するに今度、この法律改正というものにやはりなってきたんだと思いますが、政府側では、やはり多々ますます弁ずべしですが、どのくらいの程度の資金を供給、与えなければ、運営は理想的には行なわれないと思っているかどうか、大まかなところでもそれを具体的に示してもらいたいと思います。
#22
○国務大臣(山中貞則君) この十億の国債は、御承知のように、昨年度予算で一挙償還がされましたので、これは権利者である旧北方領土居住者、漁業権者等の完全な合意のもとに、協会がまとめて、最も有利な手段をとりながら運用いたして、その果実を利用いたしておるわけでありますが、今日までの北対協を通じての資金の貸し出し状況、あるいは資金の貸し出し需要に対する供給の実態その他を見ますときに、この法律でも短期資金ということで一応貸し付けることになっておりますために、長期資金というものの需要が比較的強いし、それに対する供給体制がなかなか困難だということで、かといって、十億のほかにまた国債というわけにまいりませんので、そこで市中銀行から借り入れを北対協がされましたときに、現在の交付公債でやっておりましたところの低利融資の条件に劣らない条件で長期資金が貸せられるための、逆ザヤ分に対する利子補給をとろうと、新しい形式を今年度から導入しようとするわけであります。そのために、その資金を使い得る道として法律改正のことをお願いをいたしておるわけでありますが、その利子補給は融資額としては二億に相当するものであります。したがって、今日の段階で、的確にまだあと何億ということの予測は困難でありますが、大体二億円ぐらいの金を、逐次長期資金で民間から借り入れて活用できるようにしてまいりますと、まあ五、六年この利子補給措置を続けてまいりますと、北対協を通じて行ないます旧居住者のあらゆる漁業を中心とする資金の需要というものにこたえることができるのではないかと考えまして、一ぺんにたくさん出しましても、これまた、二億は融資額そのものでございますから、したがって、これは二億円ぐらいずつという感じの初年度に当たると思っております。
#23
○戸叶武君 国から四十七年度に利子補給で予算化されたのは、半年度分五百万円ですか、それで融資ワクは二億円、その関係どうなっていますか。
#24
○国務大臣(山中貞則君) 半年度分というのは、実際の新しく借り入れて、市中借り入れに対する利子補給という形態をとりますこともありまして、一応半年間で回転するということで、融資量は二億ということの確保はできるわけであります。
#25
○戸叶武君 この法律案の参考資料の中にある「協会は、この借入金と自己資金を合わせ、四十七年度における貸付原資として四億円が確保される」というのは、大臣の説明の二億に対して、さらに協会としての自己資金のほうで、それで四億ということになっているんですか。どういうんですか、これは。
#26
○政府委員(岡部秀一君) お説のとおりでございます。
#27
○戸叶武君 本法の対象となる北方地域元居住者は、二十年八月十五日現在の調べだと一万六千人と言われたが、現在は一万三千人ほどだと、これはなくなった人があるからだと思いますが、やはりこの人たちは子供も生んでいるし、家族もあるから、この問題に対する影響を受ける人というものは決して減ってないと思いますが、政府のほうではそういう調べも行き届いているでしょうか。
#28
○政府委員(岡部秀一君) 元島民の現状ですけれども、昭和二十年の八月十五日現在、北方地域の元居住者は三千五十九世帯、一万六千七百四十五人でございました。その後、お説のように、世帯分離あるいは死亡等変動がありまして、昭和四十七年の二月現在で六千五百五世帯の一万三千九百十三人、こういう現状でございます。居住の地域別の分布を見てみますと、北海道が断然多く五千五百十五世帯で一万八千四十三人、次いで富山県が二百九十八世帯九百八十一人、東京都が百六十三世帯の二百五人、青森県が百六世帯の二百十一人、その他の府県をまとめまして四百二十三世帯の千六百七十三人、こんな状況になっております。
#29
○戸叶武君 この漁業関係の交渉が、ことしにおいては非常に平和友好裏に進んできたというのは、やはりソ連にも世界にも一つの平和を求むる安定した空気というものが出ているからと思うのでありますが、せっかく出てきたよい空気は助長させるほうがけっこうなので、やはりわれわれはいままでのアメリカ一辺倒外交から転じて、ソ連とも中国とも北鮮とも仲よくして東西貿易を拡大すると同時に、友好関係を保っていかなけりゃならない、そう考えるのですが、そういう関係において、いま内政上の処置はこうであるが、外交的な政策の躍動によって将来に希望の光をもっと与えるんだというだけの意欲が日本外交の中にないと、萎縮した日本になっていく危険性があるのでありますが、国の外交というものは、お互いの立場を尊重しながら、やはり自分の国の利益を主張し、その上に立って調整していかなければならないので、自分たちだけの独走というものは許されないと思うのでありますが、最近の友好ムードの顕著なるものは、やはり日本が、特にアメリカのニクソンの北京訪問、また日本も台湾問題において若干こじれて停滞している面があるが、佐藤以後においてはやはり大きく変わらなけりゃならなくなるんじゃないか。そういう空気の中にソ連だけが孤立してはいけないという気持ちもソ連側にあると思うんですが、こういうときに、とにかくわれわれは具体的なカニ・マスの問題からコンブの問題、小魚の問題に至るまで漁業問題でいろいろ問題を煮詰めていくと同時に、日ソ関係の国交調整の主眼目はやはり領土問題にあるということは忘れてはいけないので、まあ福田さんもこの間の説明において政府の意のあるところを十分示しておりましたが、いま私たちは、日本にとって一番心配なのは、やはり多極化時代における外交に対して、日本の自主性を保ちながら、日本自体の主体性を確立して平和共存体制の方向づけをやらなけりゃならないということを政府も、また国民もとらなけりゃならないと思うのですが、日ソ親善関係は、特に親善団体が共産党の日ソ協会と社会党その他の日ソ親善協会とがあって、若干ごたごたしている面があるのですが、いずれにしても、この国において幾つかの流れがあっても、私は日本の自主性というものを堅持しながら、第三者から見て第五列的な印象を与えるような友好運動というものは百害あって一利なしであって、これはおのずから私は自主的に自己批判を通じて日本の国民運動も変わってくると思うのですが、政府がサンフランシスコ講和条約という時点で、日本の安全というものはアメリカと結んでいかなけりゃやっていけないという気持が非常に強く、その上に立ってひとつ他との友好関係を結んでいこう、日本の繁栄もそのおかげだと、さっき説明ありましたが、そういう見解もあるでしょうけれども、いまアメリカにおけるニクソンの訪中なり、訪ソなりというものは、率直に言って軍部の言うなりなり、軍需産業の圧力なりだけで動いていたらベトナムのどろ沼に入ったようにアメリカの前途はない。やはり東西貿易の拡大をする以外に、高度経済成長政策の発展を阻止しない限り活路はないという観点に立って、ニクソンの動向を見ても、中国に対してどうやって自動車を、飛行機を、石油関係のいろいろな技術協力なり、設備投資をという形が具体的にもう出てきているんです。あれほどココムだ、チンコムだ、共産圏との貿易を押えなけりゃならないと日本なんかには規制して、日本なんか縮みあがっていたら、アメリカ自身の運命を打開するのには体当たりで大統領みずからが北京に乗り込み、これからまたソ連に乗り込もうとしているのですが、そのときに、やはり領土問題と関連しますけれども、私はニクソンのやる役割りにおいて一つの大きな期待は、ニクソンが政界に出た若き日に、マッカーシズムの波に乗って、国務省における共産党の主とまで言われたヘスを追い落として、要するに、ルーズベルトを引きずって、軍部の一部と結託して、軍事戦略の上からソ連を連合国に引き込むためにヤルタ秘密協定を通じて、とにかく中国なり、日本に特に迷惑をかけた、こういう問題に対するアメリカの内部からも批判があり、事実上ヤルタ秘密協定というものを――秘密協定は、日本では政府でも、私らが国会で質問すると、それは秘密協定と言わないでくれと言って、アメリカから教わったような答弁を政府当局がやっていましたが、明らかにできた当時においては戦時中の軍事謀略協定であり、秘密協定です。それをソ連側から漏らしたのは、とにかくルーズベルト、チャーチル、スターリンの三者におけるクリミアにおける昭和二十年二月十一日、十二日のあの協定において、だれも余人はわからない、舞台装置をやったのは国務省のヘスぐらい、いまのキッシンジャーよりも大きな役割りをしたと思うのです。そういう形におけるあのヤルタ秘密協定ができたのは、ヨーロッパにおけるマーシャル元帥及びこのマッカーサー元帥、そういう人たちの軍部の意向というものが、あの日本を敗戦に追い込む前の半年ぐらいの報告が起点となって、あと二年以上もかけて日本を降伏に導くのではたいへんだ、あと百万人もの壮丁を犠牲に出すのではアメリカの世論が応じてこない。もうルーズベルトは余名幾ばくもない。ヤルタでスターリンがルーズベルトに会ったときに、その顔に精気がないのに驚いて、やはり自分の生きている間に死を賭して平和への道を歩もうとするそのルーズベルトの捨て身の政治というものに非常に打たれたということを聞いております。
 それだけに、われわれが見るだけの観点であのヤルタ協定はできたとは思いませんが、しかしあれがために、中国における今日までの毛沢東なり周恩来が反ソの、いわゆる大国支配に対する、ヤルタ体制に対する抵抗というものを強めたのは、朝鮮事変の前に、スターリンの誕生日に毛沢東と周恩来が礼を厚うして兄弟国に対して、この中国のかつての主権を回復してくれというお願いをしたが、結局あいまいにされてしまった。このことがやはり中ソ論争の原点です。このことを私はソ連にも言い、共産圏各国にも会って、いろいろソ連側とも聞いても、ほんとうのことだれも言わない。雷鳴とどろく、ちょうどユーゴスラビアの山岳ゲリラ戦をやったチトーが別荘に引っ込んでいるときに、チトーのやかたを訪れたときに、彼は簡潔に領土問題ですよと言った。これはやはりチトーは共産党といいながらも、イギリスの援助を受けながら、あのゲリラ戦の戦いをやって一つの、チエコは工業地域に、ユーゴは農業地域にというふうな設定に応じたのではユーゴスラビアの独立した国の発展はあり得ないという形から抵抗を続けた一つの異色なる人物です。それほど共産党のイデオロギーとか、社会主義とか資本主義とかというのを抜きにして、領土問題の処置というのは非常に民族の長い間につちかわれていた伝統をそこねる、プライドをそこね、民族の心を傷つけるものなんで、こういう点においては領土問題では一番中国なり、またソ連も苦労していると思いますが、やはり言うべきことははっきりものを言わないとものごとというのは片づかないのです。
 やはり御殿女中的な、お公家さんのような外交をやっている限りにおいては、けんかしてもいいから、そのあとで和解するというのが――大体人間同士のつき合いでも、大げんかやれるような人間と以外にはつき合うものじゃないので、猫なで声をやっている外交の中からは民族の悲願というものは私は開拓できないと思うので、ことしはソ連とのるかそるか、一応とにかくやってみたらいいので、そういう点からいって、漁業問題であろうが、領土問題であろうが、日本の言うなりに全部通るとは思わないが、率直にものを言って、お互いに腹を割って親しめることによってのみ次の平和の基盤というものはつちかわれるので、そういう点を、どうも総務長官はなんかだいぶ豪傑のようだし、それから沖繩問題でも何でもざっくばらんにものを言っている習慣があるから、その癖を、いいところの癖を直さないで、ひとつ閣内において微力だなんということを言わないで、もっとはっきりものを言っていったほうがいいと思うんです。とにかく国をあげていままでのような官僚的な政治体制からもう少し国民感情に密着した政治をやってくれという要望は、保守、革新を問わず私は出ていると思うんです。
 この問題に対して、時間がないので、私はこの程度で切り上げないとほかの人に御迷惑をかけるから結ぶことにいたしますが、やはりサンフランシスコ講和条約を守る道義的責任は政府にあることはわかります。やはり国際信義を保つ上においてそういうことをしなければならないでしょうが、とにかく敗戦後の混乱の中から、日本が非常な弱い立場でおそるおそる他の国の顔色を見ながら、吉田ワンマンなんといっても、国際舞台に立つとワンチンぐらいでワンマンどころじゃなかった。こういうもうワンチン時代から脱して、ほんとうに日本の国民外交ができるような平和条約の形を日ソ関係においてつくり上げることにおいて、アメリカ側も、ソ連ですらもそういうふうに変わったのだ、おれのほうも変わらなけりゃならない、中国側でも、おれのほうでもかってなことを言ったが、やはり変わらなけりゃならないというふうに出てくるんであって、問題は、他の顔色を見るんではなくて、自分の顔がもっと精気に満ちた、豪気な精神を持ってやらなけりゃ外交は展開できないと思うんですが、ひとつ大臣、元気のあるところ、どういう方向にこの北方領土問題――内政問題だなんて、内政問題も外交を伴わなければ内政問題というのはほんとうに裏道街道みたいなものですから、ひとつその辺の責任をどういうふうに果たしていくか、自分の見解を述べていただきたい。
#30
○国務大臣(山中貞則君) 外交の大先輩からのお話は一々ごもっともで、胸にこたえて拝聴いたしました。裏話などすべきではないんでありましょうが、私は外交ルートというものは外交ルートであっていいと思います。しかし、私は北方領土の担当大臣でございますから、現地の人々とも接触をしてよくわかっておりますので、私と、心配ならば北対協の鈴木会長を監視役でおつけになってもけっこうですから、私をソ連にやってくださいと、そして私が天衣無縫の、いまおっしゃったように、ソ連という国が国際社会において、いわゆる国際正義というものをソ連だけは認めないという立場では、これ以上国際社会の中で、われわれの一般社会と同様に、力ある者は国際正義あるいは社会正義というものを無視していいんだということはないんだと、そういうような話をしてきたいということを頼みにいったことがあります。しかし総理は、おまえははなはだぶっそうである、その程度のことで済みそうにない、したがって、外務大臣にまかしておけと、私に対する信頼があるのか、逆に信頼がないのかわかりませんが、おまえはぶっそうであるというようなことで却下されたことがございます。私としては、気持ちの上ではそのような気持ちを持っておりますが、いかんせんやはり外交は正規のルートということでございますので、なおかつ閣内において、その方面の、ただいまの御高見を私も胸に秘めて、ほとんど異論は私はございませんので、努力をしたいと思います。
#31
○戸叶武君 きょうは漁業関係の交渉も非常に明るい希望を持てるような報告であったし、大臣も徐々に発してくる傾向があると思いますが、私たちがこの平和条約のささえとなる北方領土返還の問題を片づけるにあたっては、結局国民の憂いが外交の中に反映しなければ、外交技術だけでは外交は躍動しないのでありますから、外務省に外交技術的なものはおまかせするにしても、荒削りな面というものはやはり国民の憂いを代表する責任ある政治家によって妥結されなけりゃならない。やはり日露戦争前後におけるペテルスブルグまで入っていった、日英同盟が失敗したときにどうなるかということを憂慮した伊藤博文の悲願なり、ヨッフェと外交交渉をやった後藤新平なり、あるいは戦後における鳩山さんなり、いま赤城さん、ちょっと小粒になったけれども、いずれにしても相当な人がこの問題には取っ組んでいるが、しかし、もっと若い世代の、いまの大臣のような意気込みが内閣の中から出てこなければならないし、これは大臣一個のスタンドプレーという形ではいかない。やはり私たちは、この委員会というものが、つぶさにやはり今日の問題を、国内における国民からの憂いと将来に対する希望というものをソ連の中にも伝え、その上に立ってやはりソ連側の考え方を変えさせるということも一方法だし、もちろんこういう観点に立って、われわれ全体がやはり千島だけではなく、ソ連にも乗り込むというぐらいな――大体外交なんて、けつまくらなければ一つの結論は出てこないのです。きたないけつじゃいかぬけれども、清潔なけつをまくって、そしてさあ来いという形で取っ組まなければ、そんななまやさしいものではないのです。ちょんまげをしたときでも、文久二年の――私はレニングラードで昔研究したことがありますが、日本の外交官で一番えらかったのは、徳川幕府が瓦解するときのやはり松平石見守と竹内下野守が行ったときの樺太の交渉というのは文久二年であり、あのときに、ソ連はいなか外交だからどうしても問題を値切ったり、まともな外交じゃいかない。北緯五十度の線で妥結しようといったときにも、あれより二度下のほうへ下げて、そこに川があるからそこで妥結しようというまでにいって、もうあの問題はうやむやになったが、あのときの唯一のちょんまげ外交官の主張の中で光ったのは、ソ連がいろいろなことを言って、これは帝政ロシヤの領土だと言ったときも、ロシヤはとにかくピーター大帝以後西欧の文化を受け入れて、大いに開国主義をとって、見るべきものがあると思うから、その施設を見せてくれといって天文台を見にいったら、グリニッチ天文台の地図には、イギリスでつくった地図だからちゃんと北緯五十度を境にして地図ができていた。それを唯一の証拠としてそのひっかかりをつくったというので、案外やはり粗野のように見えて緻密なところがあるから、大臣あたりは、沖繩問題でもだいぶ点数かせいだと思いますが、この程度ではいけない。沖繩でもだいぶ制約があって、われわれから見れば非常に不満な点があるけれども、この北方領土の問題は、沖繩問題よりこれは――沖繩問題も重大だが、非常なやはり私は日本の外交の新しい芽を育てる上において重要な問題だと思いますので、総務長官も努力するでしょうが、われわれ委員会というものも、この問題はやはり一つの民族の政治生命をかけてやはり取っ組んでいきたいと思うので、やはりこの問題に対して、これは総理府のものだとかなんとかというのじゃなくて、外務省も協力して、それから農林関係も協力して、これからやはり一つの窓を、光をやはり導入していただかれんことを希望いたしまして、私の質問をこれで終わります。
 どうもありがとうございました。
#32
○藤原房雄君 北方領土問題対策協会法の一部を改正する法律案を本日審議するわけでございますが、北方領土問題につきましては、ただいまも戸叶議員からいろいろなお話がございましたが、領土問題または漁業権の問題、触れなきゃならないいろいろな問題がございますが、本日は法案の審議でございますので、基本的な大事な問題につきましては後日に譲るといたしまして、協会法の中の何点かについてお伺いしたいと思います。
 まず最初に、これはいままで、北方地域旧漁業権者等に対する特別措置に関する法律――昭和三十六年ですか、これに基づいておるわけでございますが、この当時のいろんないきさつがあるわけでございます。
 最初にお伺いしたいことは、当時、基金として十億円が同協会に交付されたわけでありますけれども、この十億円の性格といいますか、この点をまず確認したいと思うんであります。これは、漁業権補償そのものという性格ではない。旧漁業権者等の生活安定の援助資金として、また北方問題解決の促進のための資金である、このように言われておりますけれども、最初に、この問題について、確認の意味でお伺いしたいと思うんであります。
#33
○国務大臣(山中貞則君) 積算の基礎には、旧漁業権者に対する、戦後本土で行なわれました漁業権に対する補償ということを念頭に置きながら、七億五千万円が積算としてはなされておるわけであります。しかし、全体の基金の交付についての性格は、事務次官会議の申し合わせを三十六年十二月十四日にやっておりまして、「1、この基金は、北方地域に対する日本政府の施政権が復帰した際に必要と予想される特別措置に要する資金にあてられることを考慮して交付するものである。2、したがって、将来において北方地域旧漁業権者(入漁権者を含む。)に対する措置が必要となる場合には、その所要資金は、協会の残余財産をもって処理するものとする。」、一応の基金の性格づけは、このように次官会議の申し合わせ事項になっておる次第であります。
  〔委員長退席、理事剱木亨弘君着席〕
#34
○藤原房雄君 そこで、問題になるのは、旧漁業権者の方々の問題でございます。この問題につきましては、相当時間をかけていろいろ議論しなければならないことでございますし、今日までもいろいろな議論がなされてきておりますので、端的に一つだけ総括的にお伺いしたいと思うんでありますけれども、これについては、今日までの衆参の各委員会、また、担当政府委員からのいろんな説明がなされておりますけれども、最終的な政府の統一見解といいますか、旧漁業権者の漁業権の消滅ということにつきまして、漁業権をめぐっての問題につきましていろいろ議論されておりますけれども、今日の段階における政府の考え方というものについて、概括的な説明をいただきたいと思います。
#35
○説明員(田中慶二君) 北方地域におきます漁業権につきましては、先ほど総務長官からお話がございましたように、昭和二十一年の一月二十九日付GHQ覚え書きによる行政分離措置により、北方地域に対しわが国の法令が適用されない状態になりました。したがいまして、その時点で、旧漁業法に基づく旧漁業権は消滅し、再び生き返ることがないという状態に法律的にはなったわけでございます。したがいまして、昭和二十五年から昭和二十七年にかけて本土で行なわれた漁業制度改革に伴う漁業権補償の対象とはなり得ない。したがって、国による法律上の補償の義務は存在していないというふうに考えておる次第でございます。
  〔理事剱木亨弘君退席、委員長着席〕
#36
○藤原房雄君 これにつきましては、いろんな議論のあるところでございまして、最近また、北方地域旧漁業権者補償措置に関する要望ということで、旧漁業権者の方々が強く要望しているところであります。この問題につきましては、また後日によく時間をかけて討議したいと思っておりますけれども、これに伴いまして、現在、北方領土問題対策協会法によりまして、ある程度の問題につきましては解決――解決といいますか、旧漁業権者の方々は恩恵に浴している、そういう点では、これはまあ一つの大きなささえになっているんじゃないかと思います。
 一万、六千名もおった旧島民の方々が、現在いろんな職業に携わっておりますし、特に考慮しなければならないことは、昭和二十年からもう今日二十七年もたっておりますので、旧島民の方々の老齢化という問題もございます。沖繩やまた小笠原、これは返還は沖繩につきましては五月十五日ということでございますけれども、ほかのところについてはまあ解決を見ておる。しかし、この北方領土につきましては、現在まだ確たる解決のめどというものは立っていないわけであります。こういうことを考えますと、旧漁業権者に対する、漁業権者の主張というものについては、私ども十分に考慮しなければならないものがあるのではないかと、このように思うわけであります。今度資金ワクが拡大されるわけでありますけれども、それに伴いまして各個人また法人等に対しての貸し付け金額の限度額を当然拡大しなければならないと思いますし、いずれにいたしましても、昭和三十六年当時きめたままの貸し付け限度額で今日まで来ておりますので、これはまあ当然検討なさっていることだと思いますが、非常に需要の多い現況についても、いろんなデータなども伺っておりますが、この間につきまして、今後この法案が通った後、どのようにこの貸し付け資金ワクを、まあ貸し付け限度額ですね、これを拡大するおつもりなのか、その点について現在検討が済んでおればお伺いしたいと思いますけれども。
#37
○政府委員(岡部秀一君) おっしゃるとおりの点でございますので、目下財政当局のほうと話を進めておりますが、大体現在の倍額程度というところを目途にいたしまして現在話を進めておりますような状況でございます。
#38
○藤原房雄君 現在、まあ予算も通っておりませんから、最終的には決定は見ていないのかもしれませんけれども、大体の目途は倍ということでありますけれども、まあ地元からもいろんな陳情が来ておると思いますが、実際、現在の状況を見ますと、この住宅資金にいたしましても増改築の場合三十万、それから新築資金の場合は五十万という非常に現在では考えられないような、考えられないといいますか、低い限度額で今日まできたわけでありますから、これは倍にしても足りないぐらいで、そのほか、まあ生活資金にいたしましても、更生資金にいたしましても、非常に、三十六年当時のことが今日まで、ずっと来ておりますので、資金需要の非常に大きいこともにらみ合わさなきゃならないと思いますけれども、一人当たりのこの限度額というものを二倍もしくは三倍といいますか、もっと大幅に上げて、そしてこれが十分に効果があがるものにしなければならないんじゃないか、こういうことを私は痛切に感じておるわけであります。まあ今日のこの十何年間の物価の大幅な上昇からいたしましても、それは当然なことだと思います。また据え置く期間や利率、こういう問題についても検討をいただいておるのかどうか、この点はどうでしょうか。
#39
○政府委員(岡部秀一君) ただいま財政当局のほうとの折衝過程でございますので、まだ最終決定はございませんけれども、私たちの要望を申し上げまして、大体まあ合意の点に近くなっております点をさらに申し上げますと、たとえば漁船の建造、取得、改造をとってみますると、現在一人当たり百万円でございますが、これをまあ三百万円にするとか、あるいはまた農林関係で、家畜または家禽の購入等一人当たり三十万円以内というのを百万円にするとか、あるいはまた商工業関係での工場用建物などの設置につきましては、現在百万円を二百万円にすると、それから御指摘ありました住宅関係で申しますると、改築補修などに対しましては三十万円が五十万円、それから住宅の新築に必要とします資金では五十万円を百五十万円と、大体二倍ないし三倍というところで話を詰めておりますような状況でございます。
#40
○藤原房雄君 旧島民の方々、まああれからもう二十数年たっておるわけでありますから、その個人個人にとりましてはいろいろな生活の変化があったろうと思いますけれども、実際その生活の実態等いろいろなデータを見ますと、決して恵まれた方が多いとはいえないと思います。まあその一つのあらわれとしまして、この協会の資金を借りる人が非常に多い、こういうことにも端的にあらわれております。実際に低所得者といいますか、こういう方々の立場に立ってこれは考えてあげなければならないことがたくさんあろうかと思います。まあそういう点では二倍ないし三倍ということでありますので、その点どうかひとつ十分に現地の事情を踏まえて、これが実現のできるように御努力いただきたいと思います。
 それからこの市町村事業の資金といたしまして、この中で分譲住宅建設資金が認められております。これは二百万から一千五百万までということになっておりますけれども、これもまあ地元におきましては相当活用されておるのでありますが、それに伴いまして地元で強く要望することは、分譲住宅建設ということと、もう一つは、何といいましても根室等におきましては漁業者の子供が非常に多いということで、これらの事情を踏まえて保育所等をつくる、そういう資金にも充てさせていただきたいという要望が非常に強いわけであります。この旧島民の方々で漁業に従事している方は、現在三十数%という非常に高い率になっております。まあその中で、自分で自営の方もおりますけれども、やはり船に乗って北洋へ出かけるという、こういう方も非常に多いわけであります。やはり旧島民の方々が多い地域というのがあるわけでありまして、根室は非常に産業構造が一次産業に片寄っておりまして、夫婦共かせぎでなければならないというような、まあ生活が維持できないというような、そういう非常に恵まれない環境の中にありまして、せひ子供を預かるところをつくってもらいたいという、その資金としてこれを住宅だけではなくしてそういうものにも使わせるような道を開いてもらいたいという、こういう声が実際あるわけであります。これは地元の事情をよく御存じであれば、この間につきましてはよく御了解いただけるのじゃないかと思いますけれども、こういうこの地元の問題につきまして、まあ現在すぐというわけにはいかないかもしれませんけれども、その間、その事情をよくひとつ勘案いたしまして今後の道を開く、そういうおつもりがあるかどうか、この点ちょっとお伺いいたしたいと思います。
#41
○政府委員(岡部秀一君) 住宅に困窮する者の住居の用に供する住宅関係については、これ一件当たり二百万円以上千五百万円以内というのを、これも六百万円以上二千五百万円以内というところを目標として、そこに持っていきたいと思って努力をいたしております。
 それから、保育所の件は、いままでそんなに要望ございませんでしたけれども、最近にそういう御要望が出てきておるように私たちも若干聞いておりますので、ただいま先生からの御要望の点につきましては今後十分検討をいたしてまいりたいと思っております。
#42
○藤原房雄君 先ほど戸叶議員からもいろいろなお話がございましたけれども、まあ北方領土問題につきましては非常に明るいというか、ニュースが、ムードが出始めております。これは総理府の古い統計でありますけれども、旧島民の方々は、すぐ帰りたいという人が八割以上だというまあ統計もあるわけでありますが、特にこういう明るいムードの中にありましては、どれほどかふるさとに帰りたい、こういう気持ちがあると、これははかり知れないと思います。しかし、いずれにしましても、最初申し上げましたように、非常にこの融資対象者というものは老齢化しておるという、こういう問題、これはもう政府の方もよく御存じのことと思いますけれども、いずれにしても三十六年の十月にこの制度を創設した当時の基準をもって今日まできているわけでありますので、いろんな不合理な面があるわけであります。そういうことからいたしまして、まあある程度現実に合わせるように改善しなきゃならない点があると思います。まあ先ほどの融資ワクの拡大ということも一つだと思いますが、融資対象者についてもやはりもう同じことが言えると思います。当時三十の方はもうすでに六十という、まあこういうことでありますから、これも地元からの強い要望でございますし、当局としましても御検討をいただいておることだと思うんでありますが、これにつきましては、北方地域旧漁業権者等に対する特別措置に関する法律第二条の第三号ですか、「昭和二十年八月十五日まで引き続き六月以上北方地域に生活の本拠を有していた者」と、まあこうなっておるわけでありますが、最初申し上げましたように、融資対象者の相当な老齢化ということ、それから家庭の支柱がその子弟にだんだん移りつつあるということ、また、旧島民の方々の職業の分類等を見ましても、土工、人夫のような仕事に携わる人、また日雇いなどに携わっている方、こういう方が非常に率としては多いのではないかと思います。決して恵まれた立場の方々ではない、こういう方々のことを考えますと、やはり融資対象というものをある程度現時点では考えて、この不合理というものをある程度是正していくべきときがきたのじゃないかと、こう思うのでありますけれども、この間についてはどのようにお考えになっていらっしゃるでしょうか。
#43
○政府委員(岡部秀一君) おっしゃるとおりに年限がだいぶたちましたので、年寄りの人が多いわけですが、法律上では、死亡した場合に、その子のほうに、死亡して初めてその権利が子供のほうにいくということになっておるんですが、まあしかし、それはその子供が、まだ父が死亡しませんと権利を承継しないわけですが、その子供がこの対象の諸事業をやるというふうな場合においては、その親のほうの名前でもって借り入れ等ができると、そういうふうにいたしておりますので、その点は御心配がないと思います。その他この対象外の点でいろいろ出ておる点もございますので、そういう点はさらに検討いたしてまいりたいと思っております。
#44
○藤原房雄君 それから先ほどのこの保育所のことに関連するわけでありますけれども、これは非常に老齢化していく現在の時点から考えますと、老人センターとか福祉センター建設事業とか、考えてあげなければならないことがたくさんあるわけであります。これは当然根室市としても、市民として市が見るのは当然かもしれませんが、非常に地方財政の逼迫の今日でありますし、特殊な環境の中に置かれている立場の旧島民の方も非常に多い根室等におきましては、こういう施設等についても十分に配慮がなければならないんじゃないかと、こう思うわけであります。こういう点から、先ほど保育所のことにつきましてはいろいろ検討なさるようなお話でございましたけれども、貸し付け対象事業を少し間口を広げるという、こういうことについて御検討なさっていらっしゃるのかどうか、また、老齢化する、こういう中にありまして当然必要だと、こういうことでいろいろ作業を進めていらっしゃるのかどうか、そういう面、その点につきましてどのようにお考えになっていらっしゃるか、お伺いしたいと思うんです。
#45
○政府委員(岡部秀一君) その点、北対協のほうともいろいろ打ち合わせをいたしておりまして、できるだけ取り入れられる限度内で取り入れるという方向で検討いたしております。
#46
○藤原房雄君 積極的にその問題については取り組んでいくという、このように理解してよろしいですね。
 次は各旧島民の方々について今日までいろいろな処置がなされてまいりました。一つ一つここで申し上げる時間もございませんけれども、戸籍のこととか不動産の登記のこととか、そんな問題についてはいろいろ処置がなされているようでありますが、いよいよ沖繩が返還になると、今度は北方領土だということで、総務長官も真剣にこの北方領土のことについては次の段階としてお考えだと思います。そのことにつきましていろいろな準備もなさっておることと思うわけでありますけれども、私はやっぱりこの北方領土の問題につきましては、どちらかというと、沖繩が中心でございまして、ここ数年の間はそちらのほうがずっと進んでおって、まあ具体的な問題が目の前にあるわけでありますから、当然でありますけれども、北方領土のことはやはりその後になさねばならないことがたくさんあると思います。しかも、いずれの問題も各省にまたがる問題が非常に多いわけで、やはり各省の連絡会議、今日までも連絡協議会というものがあるようでありますけれども、今日までその連絡協議会が実際に開かれてどんなことが話し合われたのか。その辺ちょっとまあお伺いしたいとも思いますけれども、やはりこの各省の連絡会議を定期的に、そしてもう十分に意思の疎通の行なわれるように開催しなければならないと思いますし、当然この各省の連絡会議の中には地元の声も反映するように、地元の参加も加えるような、こういう形のものもつくらなきゃならぬのじゃないかと、形は実際できているかもしれませんけれども、定期的な実施とか、そしてまた地元の声をどう吸い上げていくか、こういうことについてのお考えがありましたらお伺いしたいと思います。
#47
○国務大臣(山中貞則君) 事務段階でいろいろとそういう各省庁との調整、相談は当然いたしながら北対協の実施事務をやっておるわけでありますが、今日まで私も心苦しく思っておりましたことは、沖繩・北方対策庁という役所であり、まあ国会はこれは国会の御意思としても沖繩北方地域対策の特別委員会ということで、これは両方に申しわけがないんでして、沖繩に私どもの長官が参りましても、沖繩・北方対策庁長官という紹介を受けるのは沖繩の人々にとっては奇異な感じであり、北方の人々は、と言ったって北方課が一つあるだけじゃないかというやはりお感じを持っていられたと思うんです。幸いにして、まあ二十日もたたないで沖繩は晴れて本土に復帰してまいります。そこで今回、沖繩開発庁設置法の中に北方対策本部というものを設けまして、総理府総務長官――国務大臣を長とする本部を設置して、きちんと総理直属の機関として総理府にそのようなものが置かれることになります。これによって外交問題の点は別といたしまして、内政の問題で北方地域の方々に対する国のきちんとした姿勢というものが、責任者が直接北方だけの大臣がいる、担当大臣、本部長がいるということで、今後このような私自身の割り切れない気持というものもここで釈然となりますし、これからは総務長官たる者、沖繩開発庁長官たるべき国務大臣は別として、北方地域に対して本部長たるの地位と同時に責任として負わされるわけでありますから、これはやはり北方の人々にとっても初めて自分たちのためにのみ考えてくれる責任大臣が、まあ本部長が生まれるということで、今後いままでのような南船北馬といいますか、要するに南の果てと北の果てと両方一緒にやって、ついで仕事をやっているような感じは、機構の上からも政治姿勢の上からも一応前進してすっきりするものと考えております。
#48
○藤原房雄君 まあ確かに日本にとっては大きな、たいへんな重大な問題であるにもかかわらず、一つの課でそれが処理されていた。たとえそれは人員的にはわずかのことで済むことかもしれませんけれども、やはり事の重大性から大きな庁とかにすべきであろうかと、このように思っておったわけでありますけれども、あと二十日前後でそういう形になるわけでありますから、私はまあそのことについては触れませんでしたけれども……。
 それから先ほどもちょっとお話ししましたけれども関係行政機関とそれから北方関係団体、または北海道とか根室市とか、こういうところとの密接な連絡、緊密な連絡を取り合っでいくという、こういう関係の連絡協議会、こういうものも非常にまあ必要だろうと思いますし、定期的にこういうものを設けていくというお考えについてはどうですか。
#49
○国務大臣(山中貞則君) それぞれ各地方団体との連絡の問題もございますので、北海道には御承知のように北対協の事務所が置いてございます。そこを中心にして関係各団体――地方公共団体、民間団体、大体において連絡はいまのところとれているということでありますが、しかし北方対策本部出発に伴い、なおかつそこらの点はさらに一そう積極的な連携と前進ができますような努力をいたします。
#50
○藤原房雄君 次は、何と言ってもこの北方領土には人が住んでいないという、島民の方がいらしゃらないという点ではいままでのところとはまあ大いに違うところであります。それだけに、それからまあ北の端であるということ、こういうことからこれから全国的な国民運動という認識を深めていくという運動がどうしても必要だと思いますし、特に海外に対する理解と協力というものにつきまして非常におくれているのじゃないかと思います。
 こういう現況を踏んまえまして、本年度の北方関係予算の予算要求なさったのをいただきましたけれども、そういう国民運動、またPRという観点からいたしまして、いろいろな予算措置が講じられておるようでありますけれども、これを一つ一つ詳しく聞くとたいへんなことだと思いますので、概括的なことでよろしゅうございますから御説明いただきたいと思います。
#51
○政府委員(岡部秀一君) 啓蒙宣伝関係におきましては五千五百三十万七千円計上いたしてございますが、啓蒙宣伝として三千二百五十二万円。この内容は、北方領土問題国民大会や、あるいは領土展、あるいはキャラバン隊を各県に派遣をしていく費用四百四十三万六千円。それから広告塔をあちらこちらにすでに建てておりまするけれども、東京では八重洲口の裏口のほう、あるいは大阪、その他各県にこれからどんどん建てていきたいと思いますが、そういう広告塔千四百十三万四千円。それから現地におきまして研修をしたり、あるいは少年の交流をやったり、団体協力をやったりする、そういう費用を計上いたしておりますが、現地研修と少年交流で二百五十四万四千円。団体協力で百六十七万三千円。このような経費を計上いたしております。
#52
○藤原房雄君 まあどちらかというと、いままでのPRというのは地元の北海道や根室、ここに主力が置かれるといいますか、まかせきりだったといいますか、そういう感じが非常に強いわけですね。いよいよ沖繩が返る。今度は北方領土だということになりますと、これはやっぱり中央から全国民に正しい認識を与えるということで、相当まあ力を入れていくべきだろうと私は思います。まあ根室市におきましては、ことに乏しい財政の中からそのPRには非常に、茶わんをつくったり、はがきの下に印刷をしたり、非常にじみちなことを積み上げているようであります。こういうことからいたしまして、まあこの予算が適当であるかどうか、また現在考えていらっしゃることが適当であるかどうか、いろいろ検討しなければならないことが私はあろうかと思います。
 まあいずれにしましても、政府としまして沖繩の返った後、確かに北方領土については全国民に大きな認識を与えたという、そういう力強い啓蒙運動がなされるように私は要望したいと思います。まあ今回のこの本年度の予算ではたしてそういう十分なことができるのかどうか、ちょっと不安にもかられるわけでありますが、特に四十七年度予算につきましては、沖繩が返ってくる後のことも考え合わせて予算もいろいろ検討なさったと思いますけれども、今日までとこの四十七年度とで、どういう点に力を入れて予算措置を講じたのか。この点、ここに力を入れて講じたんだというものがありましたら言っていただきたいと思います。
#53
○政府委員(岡部秀一君) 特に啓蒙宣伝の点に力を入れて、各県にその点を特に浸透をしていきたいという点に特に本年度においては力を注いでおりますような状態でございます。それで、国のほうにおきましては、北方地域の総合実態調査というのをなお続けてやっていきますために百三十七万三千円計上いたしてございますし、それからいろいろとこれからの折衝、啓蒙宣伝等につきましての解説、北方領土問題の解説の資料というものをさらに十分に備えて、また、一般に配布をして啓蒙宣伝をやっていこうと思いますので、三百六十九万五千円という予算を計上いたしておりますし、特に北方問題の説明会というのを各所で、特に各県に北方問題の説明会というのを展開をしていきたいという点に特に力を注いでまいりたいと思いまして、四十四万四千円の予算計上をいたしております。
#54
○藤原房雄君 それからさっきもちょっと申し上げたんですけれども、海外に対する啓発が非常に低調である。まあ、海外といってもやり方等非常に問題があろうかと思いますし、広範でもございますのであれですけれども、やはりこの現状というものにつきましては、著名人といいますか、関係のあるところにつきましてはそれ相応の啓発というものが必要だろうと思います。この予算を見ましても、その点についてはどのようにお考えになっておるか、ちょっとわからないんですけれども、海外に対するいままで低調であった啓発、これを強力に進めていただきたいと、こう思うわけでありますが、これは大きな援護射撃となって力になるんじゃないかと思いますけれども、その点についてはどのようにお考えになっていらっしゃいますか。
#55
○政府委員(岡部秀一君) その点につきまして、北対協に対しまして調査研究費といたしまして三百三十五万一千円計上いたしてございます。これに、北対協関係で従来も特に学識経験の深い人が外国に行ったりした例もございますので、この点で活用をいたして海外のほうの宣伝に当たらしたいと思っております。
#56
○国務大臣(山中貞則君) この問題は私もいろいろと考えてみたのでありますが、現在の時期になりますと、はたしてそれを大々的に一たとえば講和条約の調印をいたしました国々、それらの国国に対しては、私どもは私ども自身として、南千島を除く地域を放棄したんだと――北方領土に関する限りですね――そういうことをあらためて確認を求め、そしてそれらの帰属について早急にきめてもらいたいというようなことも場合によってはやる必要があるのではないかという気持ちを持って、内々相談もしたこともございます。しかし、先ほど言いましたように、現時点――という意味は、急速に本年中に平和条約交渉の緒につこうといたしておる。そうすると、まあソ連が当事者でありますから、ソ連と日本との間に合意が成立すればこれはもうそれに越したことはない、それが一番のありがたいことでありますので、その線が現実のものになりつつあるときに、加盟各国に、ことさら宣伝なり理解なり、あるいは措置を求めることがプラスになるのであろうかマイナスになるのであろうか。まあソ連というお国柄もございますから、もうしばらく推移を見て――予期される、想像される明るい方向で今回の日ソ間の領土問題が決着がつく、平和条約交渉というものが妥結するとするならば、私どもとしては、日ソ間の親善友好、信頼というものを信じて、いましばらく推移を見守るほかないのではなかろうか。これが、どうしても、まだ、依然として厚い壁であるというならば、日本は、そろそろ国際的に行動を起こすべき時期にきているということは私も考えておる次第であります。そのほうは、外務省ともこれから十分注意深く配慮していきたいと思います。
#57
○藤原房雄君 二、三だけちょっとお伺いしますけれども、行政上のことにつきましても、戸籍のことや交付税のこと、こういう点につきましてもいろいろな処置がなされてきておるようでありますが、私、よくわからないのでお聞きするんですけれども、小笠原諸島が返ってきたときには、小笠原諸島の復帰に伴う法令の適用の暫定措置等に関する法律ということで、いままで使っておった村の名前が変わったといいますか、新しい村が設定された、こういうことがあったわけですが、これはどうしてこういうふうにしたのかということがよくわからないんですけれども、北方領土が返ってきたときにもこのようなことになるのかどうかという問題について、小笠原との対比でお伺いしたいと思います。
#58
○国務大臣(山中貞則君) そういうことを具体的に検討をする時期が早く参りますとたいへんありがたいことであります。現在の北方領土は、かつてそれぞれ村役場があり村が所在をいたしておりました。その行政区画もちゃんと公簿等は残っておるわけでありますから、こういうものは、その村民であった方々が新しい名前に変えたいと言う場合には変わることもありましょうけれども、私どもとしては、どのような行政区画と村名、町名にするかというようなこと等の具体的な検討のできる年を一日も早く迎えたいものだと考えておる次第であります。
#59
○藤原房雄君 小笠原のときにはどうして変わったんですか。
#60
○国務大臣(山中貞則君) それは自治省なんですがねえ。
#61
○藤原房雄君 それじゃ、いろいろお伺いしたいこともございますが、時間もありませんので、また次の機会にも関連がありましたらお伺いしたいと思います。
 最後に、北方海域における漁船拿捕の問題ですけれども、これも安全操業ということで非常に重要な問題で、このことだけでもいろいろな問題をお伺いしなければなりませんが、端的に、四月に入りまして二そうですが拿捕されておると、こういう現実があったのでありますが、こういう拿捕事件が起きたときには、外務省としてはどういう処置をとられるのか。また水産庁としても、この問題についてはどう処置されるのか。何が原因でどうしたかということについては、外務省が大使館を通じておそらくなさるんじゃないかと思いますけれども、今度のこの拿捕事件につきましてはどういうことであったのか、その点お伺いしたいと思います。
#62
○政府委員(有田圭輔君) お答え申し上げます。
 先生御指摘のとおりに、四月に入りましてから第三登竜丸、これは四名で根室船籍でございますが拿捕されておりますし、それから第十一大徳丸、これは五名、稚内。善宝丸、四月二日、五名、稚内。このうち第十一大徳丸と善宝丸につきましては、それぞれ、船体とも四月二十二日に至って釈放されております。
 外務省といたしましては、大体、消息不明になる、帰るべき時期に帰ってこない、あるいは僚船の漁船が、どうも連れていかれたらしいというような連絡を受けますと、直ちにモスクワの大使館を通じまして一体どういうことになっておるかということを問いただしまして、それからそれがソ連側によっていろいろな理由で、まあ先方の理由でございますが、拿捕、抑留されておるということが確認されますと、これは不都合であるからできるだけ早期に釈放してほしいということを抗議とともに要請いたします。それによりまして先方はその場合に、これらの船はこれこれの地点で領海侵犯している、あるいは不法漁労している、いろいろな理由をつけましていま審理中であるというようなことになります。その後、経緯がありまして釈放される場合もございますし、今回のように船体とともに全部帰ってくるというような場合もございます。これらの船につきましては、おそらくこれは単に無害航行だけをしておって不法漁労の事実はないというような向こうのほうの調査結果でもって帰してきたものと思いますし、また、全般的に日ソ関係の友好ムードの中にありまして、できるだけ早期に釈放したいという向こうの努力のあらわれかとも思います。
 ちなみに、ことしになりましてからは、一月以降私どもの調査では六件ございます。全体でただいまの十四名と、二十九名、三十六名、四十名程度の者が拿捕、抑留、一時抑留されておりますが、その中の一つの件数につきましては、第十二昭清丸というものは、これはやはり四月十二日に一たん先方に抑留されておりますが、十四日に至って船体とも全部釈放されて、十五名ともども小樽に帰ってきておりますというようなことでございまして、ただいま残っておりますのは八名、そのうちの三名は近く帰還する、釈放される予定になっております。
 最後に申し上げますが、これはわれわれの日本側の立場からしては、この拿捕、抑留を絶対に認めておりません。これはソ連側が不法にやっておるという立場で、毎回これについてはしかるべき申し入れをし、早期に釈放する、またそういうことの繰り返されないでやるようにということを要請いたしております。
#63
○藤原房雄君 それから未帰還――帰ってこない方はまだいるわけでありますけれども、こういう人たちについては、この状況というものはどういうふうに把握していらっしゃるのか、私は最後になりますからこれで終わりますけれども、墓参のことにつきましても、前の委員会でもいろいろ議論がございましたが、これが現在どこまで話が進んでおるのか。特に択捉につきましてはまだ一度も行っていないはずですね。ですからこの択捉の墓参につきましては、ほかのほうはどうでもいいというわけでは決してありませんけれども、いままでにないだけに強力に実現を交渉していただきたいというのが地元の声です。こういうことと二点最後にお伺いいたします。
#64
○政府委員(有田圭輔君) われわれも抑留者の方方、家族の皆さま方が非常に御心配なんで、これらの方の状況把握には努力いたしております。御承知のように、昨年末に十四名の方が残っております。そのうち四名の方は、その前の年からの抑留された方々でございまして、これは大臣の御努力によりまして、赤城大臣が行かれたときも申し入れをし、また、グロムイコが来ましたときも福田大臣からも申し入れいたしまして、十四名釈放され、したがいまして、一月現在におきましてはゼロであったわけでございます。その後いま申し上げたような六件の事件が起きておりますけれども、これも逐次釈放され、ただいまのところ数名の者が残っておるという状態でございます。これは大体われわれの聞いておりますところでは、拿捕される地点にもよりますけれども、大体色丹島に連れて行かれまして、そこで調査の上裁判にかける、その後一部はハバロフスクあるいはナホトカのほうにも来られるというふうにも聞いております。私ども日ソの間に領事条約というものがございますから、数年来定期的に先方に面会を許すように求めまして、そうしてモスクワの大使館から書記官を送りまして、この抑留漁夫の方々のいろいろな点について差し入れをし、また家族の方々から手紙等あればお渡しし、また状況の把握につとめるということに努力しております。それが第一点でございます。
 第二点の墓参につきましては、先般も本会議においてそのような御趣旨で――外務委員会でしたか、予算委員会においてもそのような御質問がございまして、もうすでに先方には強力に申し入れをしております。昨年は、御承知のように、四十三年に一度ありましたが、二度目には北方の諸島については墓参を許可いたしませんでした。これは先方は、ここは外国人の立ち入り禁止であるという理由に基づいて許可できないということ、ことしはそのようなことのないように、この北方諸島について墓参が許されるようにといいますか、あるいは墓参を行ない得るようにひとつ考えてほしいということで交渉しております。また、時期につきましても、八月が最もよろしい時期ですからその時期にしてほしい。先方は、必ずしも楽観は許しませんけれども、まあ歯舞、色丹島についてはことしは許可されるかもしれない。しかし、ほかの島についてはあるいはむずかしいかもしれないというようなことも、正式にではございませんけれども仄聞しておりますけれども、先生御指摘のとおり、択捉についてはまだ墓参したことのない地点でございますので、遺族の方々の心情もございますことで、許可するようにソ連側に今後とも交渉してまいりたい、このように考えております。
#65
○委員長(長谷川仁君) 本案に対する質疑は、本日はこの程度にとどめまして、本日はこれにて散会いたします。
   午後四時八分散会
ソース: 国立国会図書館
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