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1947/08/30 第1回国会 参議院 参議院会議録情報 第001回国会 厚生委員会 第12号
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1947/08/30 第1回国会 参議院

参議院会議録情報 第001回国会 厚生委員会 第12号

#1
第001回国会 厚生委員会 第12号
  付託事件
○教員の恩給増額に関する請願(第六
 号)
○食肉統制價格撤廃に関する陳情(第
 二号)
○聖霊生命眞理療法保護法規の制定及
 び名誉恢復に関する陳情(第四号)
○兒童の福祉増産に関する法令制定の
 陳情(第七号)
○恩給法の改正に関する陳情(第十二
 号)
○都市官公廳職員の生活安定に関する
 陳情(第三十八号)
○戰死、戰災遺家族並びに傷病者の更
 生に関する陳情(第五十号)
○恩給法の改正に関する陳情(第六十
 四号)
○國民健康保險組合制度を改革するこ
 とに関する陳情(第六十六号)
○國民健康保險金に対する國庫補助金
 の増額等に関する陳情(第九十八
 号)
○青少年禁酒法案(小杉イ子君発議)
○恩給増額に関する請願(第三十九
 号)
○災害救助法案(内閣送付)
○兒童福祉法案(内閣送付)
○青少年禁酒法制定反対に関する請願
 (第五十八号)
○青少年禁酒法制定反対に関する請願
 (第七十一号)
○青少年禁酒法制定反対に関する請願
 (第七十三号)
○恩給法の改正に関する陳情(第百五
 十三号)
○國民健康保險組合の振作促進に関す
 る陳情(第百五十五号)
○國民健康保險制度の更生に関する請
 願(第八十二号)
○青少年禁酒法制定反対に関する請願
 (第八十七号)
○恩給増額に関する陳情(第百九十三
 号)
○最低生活の保証に関する陳情(第二
 百十八号)
○國際電氣通信株式会社等の社員で公
 務員となつた者の在職年の計算に関
 する恩給法の特例等に関する法律案
 (内閣送付)
○医師会歯科医師会及び日本医療團の
 解散等に関する法律案(内閣提出)
○恩給増額に関する請願(第百十一
 号)
○戰死者遺族の更生対策に関する請願
 (第百十六号)
○生活協同組合法の制定に関する請願
 (第百四十三号)
○青少年禁酒法制定に関する請願(第
 百四十六号)
○青少年禁酒法制定に関する請願(第
 百五十一号)
  ―――――――――――――
昭和二十二年八月三十日(土曜日)
   午後二時四十三分開会
  ―――――――――――――
  本日の会議に付した事件
○兒童福祉法案(派遣議員の報告)
  ―――――――――――――
#2
○委員長(塚本重藏君) これより委員会を開会いたします。兒童福祉法の審議に関しまして、それぞれ関係施設の御視察を願つたのでありますが、この機会に視察においでになりました委員各位の報告を承ることにいたします。山下君。
#3
○山下義信君 お許しを得まして我々が今般視察に参りましたその状況を御報告いたします。私は主としてこの度の視察の日程の概要を御報告申し上げまして、それぞれ細部につきましては、並びに特異の点につきましては他の議員諸氏から御報告をお願いすることにいたしたいと存じます。
 八月二十三日の午後十八時三十分の急行で一行が出発をいたしまして、翌二十四日午後二時三十五分廣島に到着いたしました。縣市民その他有力者多数出迎えの中に取り敢ずそれぞれ駅長室で挨拶を交換いたしまして直ちに同市基町にございまする引揚民孤兒收容所の視察をいたしました。続いて廣島市当局の案内によりまして、同市内の原爆の被害状況を約一時間に亘つて視察をいたしました。続いて市外五日市にありまする廣島戰災兒育成所を視察いたしまして、同所におきまして午後五時から七時まで二時間関係者と懇談を交えまして、同所を出発いたしましたのは、実に同日の八時前でございました。続きまして宮島の宿舎に到着いたしましたのは、概ね午後十時でございました。翌八月二十五日早朝宿舎を出発いたしまして、再び広島戰災兒育成所に参りまして、午前九時より十二時まで廣島縣下の兒童保護施設に関係のありまする各位が参集いたしておりまする懇談会に臨みまして、種々に有益なる意見の交換をいたしましたのでございます。午後二時同所を出発いたしまして、宇品より海上似島に参りまして、似島学園を視察いたしました。再び海上を引返しまして、午後八時に廣島に到着をいたしまして、暫時休憩いたしました後、同夜午前零時三十分の夜行列車で廣島を出発して大阪に向つたのでございます。翌朝大阪に到着をいたしまするやおのおの身仕舞いをいたしまする遑もなく大阪府廳の案内によりまして博愛社を視察いたしました。お査前から正午を挟みまして大阪市役所におきまして、それぞれ関係者と懇談をいたしました。諸般の状況の報告を受け取つたのでございます。尚続きまして大阪府廳を訪問いたしまして、兒童保護施設を中心に、その他一般厚生行政につきまして、府知事より詳細なる意見を聽取し、関係者と懇談をいたしまして、午後直ちに府立修徳学院に参りまして、同所を視察いたしました。同所には大阪府下におきまする関係者がすでに参集いたしておりまして、ここで諸般の意見の交換をいたしましたる次第でございます。午後五時大阪驛に引き返しまして、大阪驛頭にございまする大阪市役所の経営いたしまする一時浮浪兒收容所を親しく視察いたしまして、同夜大阪を出発いたしまして、夜遅く京都に到着、一泊いたしましたのでございます。
 翌八月二十七日早朝宿舎を出発いたしまして、園部町にございまする淇陽学校救護施設を視察いたしました。直ちに正午京都市に引返しまして、知事公舎におきまして、京都府下の有力者殆んど綱羅いたしましたる会合に臨みまして、諸般の意見の交換をいたしましたのでございます。尚午後二時より京都府廳におきまして関係者、事業家並びに各方面の多数の参集者のありまする懇談会に臨みまして、熱心なる意見の交換をいたしまして、同夜は京都に一泊をいたしたのでございます。尚委員各位は同夜十時過ぎまで京都市内の各所の視察をいたしました。或者は徹宵いたしまして、いわゆる浮浪兒狩りと称しますものを視察いたされた方もあるのでございます。八月二十八日、これ又朝早く宿舎を出発をいたしまして、京都市役所を訪問いたしました後に、同市の経営いたしまする隣保館、或いはその他の浮浪兒、孤兒の收容所数ケ所をつぶさに視察調査をいたしまして、尚且つ市長公舎におきまして京都市の有力なる各位数十名とこれ亦会見懇談をいたしました。同日の午後再び車を轉じまして伏見町の浮浪兒收容所に至りまして同所を視察いたしました。同日の夜七時三十分の列車によりまして、八月二十九日の早朝に東京に帰着いたしましたる次第でございます。以上は大体の視察日程の報告でございますが、今般の視察に関しましては厚生省方面より事務官も随行をいたし、それぞれ本省から関係方面への事前の連絡もされてありまして、私どもの視察の上に多大な便宜を得ましたることは政府当局に感謝いたす所でございます。今囘の視察に特に私どもの感じましたることは、國会の調査ということが非常に重く考えられまして、殊に我々参議院の一行の視察調査というものには多大の期待がかけられてあつたという一点でございます。今囘の視察の結果は、これより兒童福祉法案の審議の上に実に有益無比に具現いたすと考えるのでございますが、各視察團傘下の議員諸公は殆んどこの日程中碌々休養をとる暇もございませず、京都、大阪、廣島縣下に参りましても、施設以外には一歩もその他の目的以外に出でますることもございませず、全く終始調査に努力いたされましたのでございまして、疲労を押し、暑熱を冒しまして遺憾なく目的を達成し得、あらゆる問題に関しまして深い認識を加え、且又異常なる感激の裡にこの兒童福祉法案の審議に関連いたしまして、深い決意を各位がお持ちになりましたことをここに御報告を申し上げる次第でございます。
#4
○委員長(塚本重藏君) 宮城委員、御報告を願います。
#5
○宮城タマヨ君 五分間の時間の程度の報告というお話でございました。で私が御報告申し上げますその視察いたしました施設二つについて時間の許す限り申し上げたいと思いますが、私は大阪府立の修徳学院、京都府立の淇陽学校、これは御承知のように、兩方とも昔の言葉をわかり易く使いますと、府立の感化院でございます。少年教護法によります十四歳未滿の少年で不良の行爲があるもの、又は不良の行爲ある虞れのあるもの、それらが学校や家庭で教育のできない、つまり手に余るといつたようなものを入院させますその施設でございまして、どちらも智能を啓発します、或いは情操教育をいたします。或いは意思の訓練をいたしますというような普通の学校教育と、それから家庭教育とを合せた教育をします施設で、そうしていずれも費用の点もございましようが、大低一年から一年半ぐらいで卒業させるような非常に短い期間にその不良を矯正しましてつまり反社会性を持つておりますところの精神的のものや、それから反社会性を持つております行爲を矯正して卒業させるという仕組でございますのであります。でこの二箇所のみではございません。私が今度視察をいたしましてしみじみと感じましたことは、余りに私共この公職を重んじられましたためにまあ結局見せる方の側の人情ではございますけれども、できるだけ良いところだけを見せようといつたような傾向が全部ではございませんけれどもございましたために、結局見ましたことは一番良いところでよそ行きのところだつたという感じがございまして、一方から申しますというと、私共の施設を見ました見方も少し片手落のような氣がいたしておるのでございます。その意味でこの二つの教護院によりましても、十分な御報告は勿論できませんがざつと申しますというと、大阪府立の修徳学院は、これは歴史も古うございますが、場所から申しましても大阪の中心から離れますこと、ハイヤーに乘つて一時間以上も走らなければならないといつたような郡部の町にございます。非常な大きい土地で、点々として子供達の住んでおります家庭寮がございますといつたような、施設の場所としましたら理想的なところでございます。ここに現に収容されておりましたものは男二百五十人女が八十五人余り全体で三百四十二人かと仰せになつておりましたようでございますが、これだけの男女の子供達が家族舎十八棟に分けられまして、つまり学校以外の時間は家庭で家庭的に育てられるといつた仕組になつておつたのでございます。でここは子供の住いも随分設備が届いておりますし、それから医療の方面も、それから図書の設備も娯楽設備も可なりございましたようでございますが、実際往復の時間にも随分時間を取りましたような関係もございましたし、それから参りまして食事をいたしましたが、すぐ座談会に移るといつたようなわけで、実際申しますと、今度の私共は家庭舎に参りまして詳しく見る時間がございませんので、私個人といたしましたら、ここに数囘参つておりますので、大体のことは分つておりますけれども、今度の視察では余り詳しく見る時間もございませんでした。ここでは講堂に子供達を皆お集め下さいまして、子供達の元氣な顔を見、それから上手にできた歌を聞き、それから和歌を作つておりますればその和歌を聞きといつたような、まあちよつとした学藝会をいたしてくれまして、子供達に直接会いましたのでございます。健康状態も大変宜しうございますし、これが不良の子供かと思われるように大変よい子供達でございましてうれしうございました。それから大阪はざつとそれではしよりまして、京都府立の淇陽学校にその翌日参りましたのでございますが、これは京都市からちよつとハイヤーで一時間半も走らなければならない府下の園部町にございます。これも又山の中にございます。誠にそれこそ景色の佳い場所としましたらなんとも申し分のない学校でござゐました。ここもやはり子供の生活の樣式は家庭寮式になつておりまして、家庭舎が八つばかりございましたが、ここでは男の子や女の子、合わせまして百四人程の在籍者がございましたが、女の子はその中で十二、三人おりました。これらの者が皆分れて家庭舎に住い、そうして晝の時間は皆学校で学んでおるというような仕組でございましたが、兩方とも通じまして共通にやられておりますことは、やはり先程ちよつと申しましたようにちやんと普通の学校式には朝は学校に行き、午後は年齢によつて作業をさせられて、それから普通の退ける時間になりますと家に帰りまして、それからこの家庭舎の生活が始まる。つまり普通の子供のような家へ帰つてからの生活が始まるといつたような仕組になつております。それは兩方共通でございます。ここでもやはり子供をお集め下さいまして、歌を歌わして下さつたり、それから女の子はピアノを彈いたり、或いは踊をしましたりというようなことで、ここの子供達も修徳学院と同じように非常に健康で、病人を見出したいと思つても見られないくらい健康で、丈夫そうで、そうして良い子供達だつたと見えましたのでございます。少し長くなりますけれども兩方通じまして私が切実に感じますことを一、二申し上げますと、大阪府としても京都府としましても、とにかくこれは模範的な感化収容のなされております場所でございますという説明でございましたけれども、併しこの二つの所でされます音楽なんかが非常に哀れつぽい、皆なお母さんを思い出して、お母さんお母さん、お母さんを思つて泣きますよ。お母さんを思つてこうしますよという、私共から見ますといかにも特別扱いされておるような子供らしくないような教育じやないかというようで、非常に心の痛い思いをいたしたのでございます。で先達て私が新宿の街頭で、お母さん達と街頭での放送討論会をいたしましたときに、或お母さん達、一人じやございませんでした、二、三が私を掴えて申しました言葉に二、三日前に不良少年の團体の歌がラジオで放送されましたが、もうその歌を聞いておりますと実に哀れつぽい、恐らく世の中の母という氣持を持つておる者は、あれを聞いて皆泣いたでしよう、どうかしてああいう歌を一つ取り締つて貰つて頂くことはできないかというお話しだつたのであります。それで私共の家の子供でしたら、あんなお母さん、お母さんといつて、お母さんを泣かせるような歌を決して歌わせません。子供は子供らしい歌を歌わして頂きたいということを言われましたので、私は放送局の方に連絡を取つて調べて見ましたら、それは私が保護をしておるところの保護團体の子供が、実に哀れな歌を歌つたそうでございますので、私は尚恐縮したのでございますけれども、私共母としての立場から見ますというと、どうにかしてもつと普通の子供と同じような取扱をしてできないにしてもしようという努力をして頂きたい。歌なんかも哀れつぽい歌なんか歌わして貰つたらとても耐えられなくなる。或いは男の方であつたり、素人の方であつたりしますとあんな歌を歌うと可哀そうだなあ、それがよい子供になつたというような感じになるかも知れませんけれども、どうにかしてああいうふうな普通の子供とできるだけ違わないような環境に置きたいし、教育もして頂きたいというような氣がいたしたのでございます。
 それから今一つ、私は殊に京都の淇陽学校で感じたことなのでございますけれども、私共が拜見いたしました所は、実に見事な新らしく建てられました家族舍でございまして、そうしてその座敷といい、裝飾といい、とても私共の生活でも眞似のできないような立派な寮でございました。進駐軍の方が來て、こういう綺麗な所だつたら、私共もここへ來て先生がしたいと言われたというような説明を伺つたのであります。誠に御尤もなのであります。ところがその一方又案内を受けませんでしたけれども私は古い舍を見せて頂きたい。そうしてそこの子供達の食べる食器と夜具とそれだけ見せて頂いたら子供達の生活が分ると思いまして、それを見に行きましたときに、さつき案内を受けました所とは雲泥の差の、もう古い所ではございましたけれども、お花一つもない、疊も敷いてなかつたというような感じがございまして、そうしてそのときに私はこんな所に入れられます子供と惡い所に入れられます子供と、どういうふうにしてこれを分類なさるか。これの影響はどういうふうになるか。或いは宜い設備をするその費用を半分分けして、もつといい所惡い所のないように一つして頂く方がいいのじやないかというような感じを持ちながら、非常に設備の惡い所を見て來たのでございます。
 それから今一つ感じましたことは、いい設備の中にも惡い設備の中にも、この先生、お母さんといわれる、お父うさんといわれる方は、京都の方ではつまりこの先生方が家庭で以て中に住み込んでいらしやる。その住いも子供と半分々々になつております。これは人間の良し惡しということでなくて、こういう仕組になつておる所が京都以外にも随分全國にあつたと思つております。けれどもこれの影響がどういうふうなのかといつたことを私はしみじみと感じさせられたのでございます。宜いところを言えば、本当に子供を育てております、自分も子供を持つておるというお母さんが、お母さんとなり、そうしてお父さんがそこのお父さんとなり、つまり学校では先生ですけれども、家庭ではお父さんということも、一面からいつたら非常にいいことでございますが、又半面から言つて、私がそこへ参りましたときに、はつと心を打たれまのたことは、子供の食事を子供は共同炊事でされておりますものを各家庭の食堂で子供達に配付されまして、そこで食べるようでございますけれども、そのお隣では襖一つの所で本当に和やかな家庭生活ができていて、そこには子供もおるということになりますと、その睦まじい、そうして煮炊きをして、そこで別なものを食べていらつしやる生活を見ながら、そこに收容されている子供だけはそのためにいいこともありましようが、どんなに家を思い出し、これは随分子供達に苦しい生活じやないかということを参りました瞬間に私は感じました。こういうことは大いに研究問題で、どちらがいいか惡いかということは今後の問題になるだろうと思いましたけれども、感想を申しますればいろいろございますけれども、つまりこれは人が良い惡い先生方ができているいないでなくて、自分の家庭を持つて、自分の子供というものと、どんなに可愛くても人の子供というものの間に区別が全然つかないということはむずかしい。自分の子供は惡から救い病氣をしたから救うということは親の人情だと思いますが、大きい問題として、私の心を投げつけられたことだつたのであります。とにかくいいこと惡いことごちやごちや言いましたが、時間も超えましたが、この二つの府立の修徳学院と淇陽学校につきまして、大変不用意な報告を申し上げました次第でございます。
#6
○委員長(塚本重藏君) 次に小川委員に報告をお願いいたします。
#7
○小川友三君 兒童福祉法案に親心を加えまして、未曾有の敗戰によつて、幾十万の孤兒ができましたので、この法案の上程されるに当りまして、我々厚生委員一行は、この孤兒を命がけで救うために、政府の提出されたこの法律案に眞心を加えたいと、こう思いまして、視察行きをいたしたのであります。絶対の愛は親心であります。この親心が、親を失つた子供には欠乏しておるのでありまして、我々一行は何とかして、この法律に温かい又熱の篭つたマントの中に寢かしてやりたい、私共の大きな愛を以て育ててやるための急所を発見したいと思いまして、先づ第一番に直行いたしまして、廣島市内に到着をいたしたのでありまして、第一番に同胞援護会経営になる基町引揚げ孤兒收容所の視察をいたしたのであります。これは、原子爆彈で破壞されましたるところの沙漠の中に建てられた感のする不完全な建物でありまして、その中には数十名の親のない可哀そうな孤兒が收容をせられておつたのであります。
 若き女性を以て組織された保姆の方方は、この可哀そうな子供達を一生懸命育てておる樣は、正に感激をいたしたのであります。併しこの経営者であるところの所長である青年は、我々が附合つておる間にも、又建築のすみずみを見、兒童の痩せおとろへておる者の数が他のところより多いところを見まして、もう少し親心が足りないというような感じに打たれまして、激励を更にし、何分この数十名の子供をお願いするといつて、我々一行七名の議員は御願いをしましてここを引き下り、小父さん、小母さん又來て頂戴という声に送られて、皆目頭を熱くして次の視察地たる財團法人廣島縣内の五日市戰災孤兒育成所に到着をいたしたのであります。我々一行は廣島市のおはからいで自動車に乗つて参りましたのですが、遥か一町手前で降りまして、我々議員はこの五日市の育成所に参りましたところが、さすがにフラナガン神父が賞讃を惜しまなかつた模範的な育成所でありまして兒童がララ慈養團より贈られました着物を保姆さん達の慈愛によつて、自分の身体にぴつたり合うように皆作りまして、視察團を大歡迎をして下すつたのであります。ここに参りまして非常に驚きましたのは、どこの收容所を視察しましても、職員、先生、保姆さんの入つておる部屋は一番建物のいい部屋を使いまして、子供にはその次の部屋を與えるという方式を採つておりますが、この收容所はバラツクの方に保姆さんや、いわゆるお父さん、お母さんの方が入つておりまして、非常に不自由な生活をし、子供さんたちは一番いい部屋に生活しておつたのであります。こうした犠牲、犠牲的大精神こそ正に親心である、かように視察團は感激をいたしたのであります。絶対に親心がなければ子供を育てるということはとてもできないのでありまして、この育成所の樣子を視察團は入つて拜見した、一々見たのであります。地域も風光明媚、前に川流れ又遥か二三町先に世界の湖と称せられる瀬戸内海を眺めて、小高い丘の上に段々と立つておる樣は誠に大家の構えでありまして、ここに收容されておる孤兒たちは、一般民家におる孤兒たちよりもつと仕合せな感を外観的にも與えるのでありまして、ここに收容されております孤兒たちが喜々として喜び戯れ、勉学をいたしておるのであります。又この收容所には奥の方の小高い山を登りますと、本堂がございまして疊五十疊敷ぐらひと思いますが、立派な本堂がありまして、そこで修養をする、いい環境に惠まれまして、先生たちがお父さんお母さんになりまして教育、育成に心を碎いておろ樣は、正に満点であると思うのであります。我が子、我が孫として育てておる樣は正に涙の出る感激に我々一行は浸つたのであります。特に婦人議員でありますところの河崎さん、宮城さん、木内さんの三女史も、この模範的経営には非常なる感激をせられたように自分は思つております。又この三女史も目頭を熱くしてこの子供を抱え、又保姆さん先生たちに感激しておることは勿論だと思います。男子の議員の三木先生、草葉先生も婦人議員と同じような大きな感謝と感激に打たれたのであります。健康そのものの子供たち、おじいちやん、おじいちやんと呼ぶ子供たち、約九十名前後の子供たちであります。おじいちやんという人はどの人かと我々は窃かに思いましたところが、そのおじいちやんこそは正に山下議員であつたのでありまして、又おばあちやんおばあちやんと子供達が言います。そのおばあちやんこそが正しく山下氏の令夫人であつたのであります。お母さんと呼ばれる人はまだ二十二三歳の若い女性が命を縮めて、粉骨碎心、一生懸命この子供達を教育育成いたしておる様は正に兒童福祉法案を作るに当りまして、模範的なる楔であると、私はさように信ずるものであります。この九十余名の人々と先生方、保姆さん方、百名前後の人々が正に一心一家一つの心となりまして、兒童を育成しているには驚かざるを得なかつたのであります。宗教家である山下氏が宗教の全体のいいところを活かしまして、絶対の愛に立ち上つて、算盤を度外視して、そうして廣島市竝びに全國の戰災兒を育成しておられるのであります。家庭と学校を兼ねた模範的、理想的設備でありまして、家庭であり、教室があつてすぐそこで勉強し、入浴室は完備し、料理場も亦完璧をいたしておるのでありまして、正に保健衞生上、満点であると自分は信じておるのであります。殊にこの育成所には大学の生徒が二三人いたのであります。この生徒は犠牲的精神を以て、兒童の育成と教育に当つておる様は正に感激せざるを得ないのであります。学生の多くは道義頽廃し不良少年の巷に流れ、繁華な町を漁り遊ぶ時代であつたのに、こうした世のどん底にある者に愛の灯りを捧げておる様は、我々視察團としまして感激するものであります。経営に予算を度外視してやつておる様はよく入に取るように分るのであります。母親が子供を育てるのに算盤を持つ者はありません。この育成所の九十名前後の教育の経営者は算盤を度外視して、一切を挙げて自分の着物も、自分の一切を挙げてこの兒童を育成しておるということは算盤以上の犠牲を拂つて、そうして子供を育てておればこそ、一人の痩せ衰えた兒童を発見することもでき得なかつた仕合せを我々は感謝いたすものであります。
 それから瀬戸内海の孤島である、似島にあります戰災孤兒教育所の視察をいたしたのであります。ここは開設まだ來月で一年になるというところでありまして、まだ建設中のものではありまするが、よく保姆さん達が、或いは先生達が協心協力、努力一致して兒童の教育に当つておるのであり、又感激を大いにするものがありましたが、何分にも小さい子供を、離れ小島に引つ張つて行つて育てるのであります。その子供達は遠く点々と見える廣島市内の灯りを見て、非常な淋しさを感ずるであろうと我々は涙ぐんだようなわけであります。今後この絶海の孤島に似た離れ小島に子供を育てるということは差控えて貰つて、不良少年というような犯罪的なものをここで育てるというような建前で、是非我々はそうした立案をしたいと、かように思つておるのであります。それから今後の兒童福祉法案ができ上つた上は、大臣は文化勲章をこの功労者に出すお言葉があると思いますが、とにかく徹底的に盡した者に文化勲章を出して貰いたいという氣持を私は持つ者であります。又この育兒に当りまして、兒童福祉金融金庫というものを作りまして、到る所の孤兒收容所の状態が皆赤字続きで惱んでおりますので、こういう人々が何百何十人という子供を抱えて惱んでおる、これらの人のために兒童福祉金融金庫を作つて貰いたいということを考えながら視察を終つたのであります。
#8
○委員長(塚本重藏君) 次に三木委員の御報告を願います。
#9
○三木治朗君 私も一行の末席を汚しながら各地を歩いたのであります。私の報告の受持は、京都市にある兒童院の報告をしろということになつております。この兒童院と申しますのは、御大典記念にできたのでありまして、相当歳月を経ておりますし、その当時とすればその御下賜金十九万円を以てやつたのでありますが、相当な施設があるのであります。この兒童院は、子供はむしろ母親の胎内にある内から十分に保護を加えなければいけないという建前で助産もやつております。むしろ今日においては助産が主となれるがごとき感があるのであります。尚晝間は乳幼兒の託兒所を行つておるのであります。委員長は医学博士でありまして、いろいろ意見を聽きましたが、要するに綜合的な施設を持つことが、大切だという建前で、兒童の復の中にいる内からずつとそこで面倒を見て大きくすると、健全な兒童を育て上げて行くという理想を以てやつておられるようであります。いろいろ細かしい点につきましては多少の意見もありますが、比較的よくやつているという感じを受けたのであります。又こういう行き方、いわゆる綜合的な兒童に対する施設を持つ必要を痛感して帰つて参つたのであります。この綜合的な施設をすることと同時に考えましたることは、これが一元的に厚生省なら厚生省として、今度の福祉法案の中にありまするように、乳幼兒のいわゆる腹の中の子供から十八歳に至るまで、これを一つ手で、一貫したところの計画によつてやつて行くということが非常に効果的ではないかというようなことを深く痛感して参つたのであります。
 時間がございませんので、私は簡單に申し上げておきますが、綜合的に一元的にやつて行きたい。それからこの兒童福祉の問題は仕組が大事、いわゆる機関といいますか、仕組が惡くてはいけない、仕組を良くして、そうして設備を伴つて、同時に人を得る、この三つが相伴つて初めてこの目的が達せられるのではないかということを考えて参つた次第であります。以上を以て報告を終ります。
#10
○委員長(塚本重藏君) 次に草葉委員。
#11
○草葉隆圓君 要綱を中心にして御報告申し上げます。私はこの調査に参りました第一に、調査の態度をどういふ態度でするか、その次に、調査の実際の状況はどうであるか、その結論はどうであるか、この三つについて御報告申し上げますと主として東京府下の福祉施設兒童問題というものを本日は御報告申し上げますが、それに対する私の調査の態度は第一に、戰災地と非戰災地との比較におきまして、施設の状態はどういうことが大都市と、戰災市と非戰災市とどう違うか。指導者に対する問題はどうか。殊にこの兒童問題に対する指導者の諸君がどういうふうな方針を持つておるかということに対して、戰災地の施設と非戰災地である京都とどういうふうに違つておるであらうかというのが、第一の点であります。第二点は、社会政策の立場から兒童問題というものを今後どういうふうに取り扱つて來たら宜いかということを、この施設から汲み出そうとする。第三番目は、福祉法案を以て、この法案をその侭実施して行つた場合に、敗戰後の將來の日本を本当に背負う子供ができ上つて來るかということ。大体私はこの三つの調査の態度を以て視察して参つたのであります。
 その態度を以ちまして調査をいたしました一つの状況は、第一には戰災地と非戰災地とを問わず、兒童の問題、問題の兒童というものの状況は、殆ど変りはない。燒けておらない所も、その性格においていろいろな点において殆ど変りはない。それから第二の点におきましては、全体を通覧して誠に現在の兒童福祉施設というものは無計画的であつて非科学的であつて、二、三のものを除きましては、殆ど場あたり的で、一夜作り、まあ火事場式だというような感を強く持つたのであります。これはこの前の第一次歐洲戰爭後、或いはソヴイエトなり、ドイツなり、イタリーなり、その他の同様な施設を見ながら、特に日本の現在について誠に寒心に堪えない状態を見たのであります。これは是非一つ厚生大臣に一度お廻り願つて、親しく一つ御視察をお願いしたい。具体的なことは時間がありませんから申し上げません。
 第三番目には、そういうものを見ながら、私は政府の方針に今までの行き方において大きな欠点がありはしないか、こういうことを強く感じたのであります。むしろただ政府はこの敗戰後の日本の兒童問題について、單なる予算的措置ばかりを講じて來たのではないか。而もその予算的措置も不十分な予算的措置を講じて、それを以て足れりとしておる状態ではなかろうか。これは或いは緊急施設の状態、緊急援護施設を昨年來政府がいたしました。その緊急援護施設等を見ましても、誠にむしろそれによつてできたものが却つて悲しむべき状態ではないかとさえ考えるようなものを多く見受けるのであります。極く形式的であつて、むしろ反射的と申しますか、ぱあつとひつくり返したというような状態の施設になつております。從つてそこには本当に文化的な香りの高いゆかしさとか、或いは子供らしさとか或いは祈りの心、合掌の心とか、或いは音樂、宗教というようなものの香いというようなものは、多くの所におきまして殆ど見られない状態であつた。そうして全く今多くの場合には、その少年をただそれだけをふつと見てそうして処置をするというようなものの現れであつて、從つて敗戰的日本の環境というものに対する打つ手を一つも打たれていない、呼びかけておられないというようなのが大体の状態であります。京都におきましても、そういう状態の下に京都はややそれを中心にした兒童の社会的運動というもので一、二見るべきものがあつたのを大変愉快に思いました。京都少年保護学生聯盟、一九〇四年にニユーヨークでやりましたあのピツグ・ブラザース・アンド・シスタース・ムーヴメントという動きが見受けられましたのを大変愉快に思つたのであります。そうしてもう一つは、機関と機関との連絡性というものが殆ど見受けられておりません。研究されておらない。科学的に取扱われておらない。一面に京都は社会事業研究機関を作つて殊に兒童問題につきましては研究しておりましたので、その点は非戰災地としての都市のゆとりを感じて、大変嬉しく思いました。
 いろいろと施設がありましたが、そういう施設よりも、私は一貧乏寺の住職が、ほんの破れた家をそのままにして、何十人かの子供を眞ツ裸になつて世話しておる一つの施設を見たのであります。むしろ政府の金を投じた、何十何百万円の施設よりもその施設の方に尊い雰囲氣と生きたものを見出したのであります。以上を申し上げます。
 もう一つ調査の中で結論を申し上げます。前に各施設において戰前と殆ど同じような大体の指導者が態度を以てやつておる。つまり言葉を換えて申しますと、民主的な方策、施策というものが殆ど見られないというのを痛感した次第であります。
 以上によりまして、私は自分の視察の結論を御報告する義務を持つておると存じます。それは第一には、今のような状態で一体日本は立つて行けるのか。國策として社会事業というものを強く採り上げなければならんのじやないか。それで今度兒童福祉法案が出ておりますが、この兒童福祉法案と並行して、或いはそれに先行して、一体日本の社会事業は如何に今後持つて行くベきか。殊に敗戰後のこの悲痛なる中において、明日の日本を背負う兒童をこれを育てて行くのにどういう手を打つて行くかということを、もつと眞劍に採り上げて來なんだら、私は明日の日本は正に憂うベき状態になりはしないかとさえ思う結論を得たのであります。そうして又第一次歐洲戰後の各國が殆どあらゆる犠牲を忍びながら、兒童問題、福祉問的に十分なる方策を講じた先例について見ましても、日本政府において殊に我々この厚生委員会において、そういう点について十分な方法を考えるベきものではないか。從つて本兒童福祉法案がこのまま若しや実行されるとしたら、それで明日の日本の兒童というものは、本当に幸福になる得るかということを考えますときに、もう少し根本的な問題に触れながら愼重に研究すベき余地を、この一週間余りの院議を以て参りました調査において深められたのであります。まだいろいろと御報告申し上げる点もありまするが、以上を簡單に御報告申し上げます。
#12
○委員長(塚本重藏君) 次に木内委員の御報告を求めます。
#13
○木内キヤウ君 僅かな時間に参議院ということのために非常な廣範囲の視察をさして頂いたことを、非常に自分の光栄に存じております。
 私四十年來、貧乏な板橋という所に教育をしていたために、ひがみ根性があるかも知れませんが、子供に対するところの本当の親心を盡して行くのには、いろいろのむずかしい法律ができて、外面的に縛られるほど、本当の先生になり切れない、本当の魂を子供に注ぐことができないということを、自分は痛感しておる一人であります。今度兒童の福祉法案ができまして、どうぞその弊から逃れるように、これが一番私が希うところで、案を更によく練つて行きたい根本で、私望んでおるところでございます。子供の幸福というものを願うのには、今隠れておることがどつさりあると思うのでありますが、政府がそれを見出すことが、民生委員或いは何々というものの中から必ず当を得た人を得ることができるかできないかということを、私は今まで過去の経驗において痛切に感じております。今度視察をさして頂きました時にやはりそれを私は現場においてはつきり教えられるような氣持がいたしたのであります。この社会施設、子供の教育というものは河崎さんはそれは道樂という言葉を使つてはいけないと仰しやいましたが、本は道樂という言葉を以て言いたい。本当に命も魂も、それに打ち込むところの純粹性を持つ。そうしてそれに入つたところの道樂でなければできないと思います。けども道樂というものは今日の時期においてし得ないことで、先ず今度の施策の面においても本当に仕事をなさろうというときには、経済上の殆ど悩みを持つておいでになる、又現在お持ちにならないでも、もう少し経つたら必ず行き詰ることだろうと思います。この施策が十分にできるためには國家の保護がなければならない。つまり社会施設を國家が見守つて下さらなければならない。その國家と、本当の熱愛するところのペスタロツチのような教育者と結び付ける。それが今度の福祉法案であるとしみじみと私は考えましたときに、見せて頂いたいろいろの点から、この福祉法案をもう一つ本氣に立て直して考えさして頂くことを、私の今度の視察でより一層考えて帰つて参りました。これが私の報告でございます。
#14
○委員長(塚本重藏君) 最後に河崎委員の御報告を願います。
#15
○河崎ナツ君 私は御指令によりまして、廣島、大阪、京都で開かれました兒童福祉法案を中心にし、且又平生社会事業をしております仕事の上からのいろいろの感想、及び考えておる事柄を行つて話合う、その墾談会と申しましようか。それらの墾談会に出ました問題を整理して、そうして御報告申し上げるという御指令でございますので、簡單に御報告さして頂きます。先程山下委員が最初に御報告になさいましたように、二十五日は九時から十三時まで、廣島の廿日市の戰災孤兒育成所で墾談会がございました。市当局の厚生課長さん、民生局長さん、副知事の方も非常にこのことにつきまして考えておいでになります。外に廣島市内外の社会事業家の方もお集まりになりまして、熱心に御討議がありました。それから二十六日は午後二時から三時までちよつと時間は短こうございますが、修徳学院で市の厚生課長さん、事務当局の方の外に、市社会事業家の方がお集まりになりまして、この時は少し数も少く、時間も短こうございまして、十分にできなかつたのですけれどもやはりお話いたしました。それから二十七日に京都におきまして、午後二時からこれは確か五時半まで、もつとかかつたかも知れませんが、府市当局の方々の外に、無論こちらの委員の外に、大部分の社会事業家の方その外に少年審判所、それから民生委員の方、それから警察少年防犯課の課長さん、及び少年保護学生連盟の方々、そういう各方面からの少年を中にしたそれぞれの立場の方々がお集まりになりまして、そうして墾談をいたしたのであります。最初に懇談の時には、山下委員から今の懇談の中心は兒童福祉法を今度制定いたしますにつきまして、いろいろ御懇談申し上げる。從つてそのことを中心にしての懇談でありましたが、最初山下委員から、こちらの福祉法の動きにつきましてお談であり、又G・H・Qからこの問の交渉、こういう問題については司法の方との交渉のことも宮城委員から御報告がありまして、それから後懇談に入りましたのでありますが、問題は三つ程どこでも共通に出ております。民生委員が兒童委員を兼ねる。その問題につきましてのことが一つ、それから今度の福祉法におきましては十八歳までの子供をその対象といたしておりますが、少年教護法においては十四歳末滿、そういうような取扱の、いつも宮城委員の御心配になつておる問題について意見がありましたこと、それから費用の問題につきまして多少意見がありましたことこの三つとも何処でも共通の問題になつております。京都におきましては大体それらの三つの問題を、綜合的に熱心に話合う機会があつたのでありますが、大分現在の民生委員、曾ての方面委員につきましては御心配の箇所も大分あるようでありまして、兒童委員と兼ねることについては大分異論がありまして、それにはもつと民生委員の指導が必要だということ、それからその民生委員に、結局少年が対象であれば学校の先生、校長先生を総動員して、殊に不良少年のことについては協力して行かなければならんから、兒童委員には少くとも学校長を加えるという箇條も欲しいということ。それから京都には少年防犯協会ができておりまして協会委員ができておりますが、その委員の人たちは民生委員の人もあれば非常に子供に熱心な者も町の中にある。それから少年保護司の方もある。そういう方々も動員して、少年防犯協会の委員になつて貰つておりますが、そういう委員の方もただ民生委員に限らないで入れることができるようにして欲しい。それから学生連盟の学生の方々が、先程草葉委員の御報告にございましたように外國でもそういうふうなビッグ・ブラザース、ビッグ・シスタスーの運動が起つておりますが、これは非常に欲しいことです。東京にもそういうことが少しございます。京都では学生の方々が非常に大勢起ち上つて、本当のよき兄とし、姉としてやつておりますので、ああいう中にも適任者があつたならば兒童委員にする。そういうことも考えて欲しいというような声がございまして、民生委員が兒童委員を兼ねることにつきましては、そういうふうな声もありました。それを結論として、民生委員を指導し、養成するというとおかしいが、指導するという組織が要るが、それはどういうふうになつておるか。それにつきましても是非考慮して頂きたいという声がございました。それから十八歳までの今度の年齢のことにつきましては不良少年をここからここまでは不良少年とするというけじめがなかなかむずかしいが、一般としてはこれは十八歳まではいいけれども、そういう特別の時に十八歳までを一應入れるということにつきましては、自分達もまだ疑がある。これは十分に御研究願いたいということでございましたです。それから費用の点につきましては、もう今までは特殊の考えでやつておりましたけれども、今度のこの経済的な一つの秩序の混乱によりまして、今までの篤志家がなくなつて新円階級が上つて來たけれども、その新円階級は理解がむずかしいし、援護会、少年会、社会協会、防犯協会、それらの方面から力を盡し、学生連盟なんかも、亦基金のことにつきましては力を盡しておるけけれども、なかなか方方から力を盡しておりますけれども、力が弱い。又一方には社会の声といたしまして、そういう問題は篤志家の慈善事業的であつてはならないので、やはり國家の税金で以て、國家の負担において賄つて行くべきではないかという、今までの慈善事業としての社会事業に対するやはり批判的な見方もあつて、そんな声も上つておりますから、それらもお考え下すつて、この負担のあり方について考えて頂かなければならんことにつきましては、共同募金なんかも、そういうときには重要な方法で、それをどういうふうにして各事業團体に分けるかという御質問もございましたが、費用の負担につきましてはこれを地方の負担になりますときに、地方ではその中の産院とか乳兒院、そういうふうなことはついいつでもできるというようなわけで以て、それだからそれはそこまで拵えないでもいいじやないかということで、割合軽く取扱はしないか。あれは大事なことなんだけれども、軽く取扱はしないかというようなことを心配するという意味もございまして、殊に幼少年に対する扶助とそれから乳兒に対する扶助との差が、乳兒の方は非常にお金がかかるにかかわらず、五円ぐらい少いので、つい経済的の方からも乳兒を預かることは今の負担においては困るというので十分に預かれない、断わらざるを得ないことになつておるが、これについては是非お考え願いたいと、そういうふうな声もございまして、殊に子供の問題につきましては乳兒とか、先程三木委員からも京都の兒童院の御報告がございましたが、兒童院におきましては、やはり綜合的な子供の育兒の研究とその指導と、それから一方出産の時からいろいろ指導しまして出産されて、それから一週間ぐらいの間に育兒の指導をして、退院しましてから一週間、育兒の指導をして行く、一方そういう研究したものを他の町のいろいろ母親の会に対して、或いは外の町の社会の兒童関係の人達への講習會とか啓蒙運動をして行くとか、非常に綜合的な仕事をして居りましたが、そういうような所が何となし皆の心にありまして、やはり國立兒童研究所というものがあつてもいいじやないか。その実践所が兒童院であり、その一面を兼ねておるものが兒童院の研究所であるということになると思いますが、そういうようなものをやはり中心にして欲しいというような声もございますようでございます。大体戰災前の社会事業とこの終戰後の社会事業とはそう変りはないという草葉委員の御報告なのでありますが、ただ今のところは終戰のために、戰災のために、引揚げのためにそういう浮浪兒と孤兒が多い。それに取り敢ずそれを放つておくわけには行かない。各地の社会事業はその施設に日もこれただならずというわけであります。つい他の施設にそういう子供が入つておる。どの施設もその影響で非常にざわめき立つておるようでございましたが、兒童福祉法は無論そういう子供のために、一方又思いがけない兒童福祉法は役立つのでありますけれども、ついそのことで兒童福祉法中心に視察に参りましたところが、見せる所もそういうような所だけを見せてくれましたが、兒童福祉法といたしまして皆さんの御相談もついそういう方面の方が、おいでになりましたが、精神薄弱兒の方も又他の施設の方もございましたけれども、大体におきまして当局のお示し下さる多くの場所も今申しましたような戰災地を中心にしての施設を主に拜見いたしましたのでありますが、今申しましたようなことは、併し相談の時には、懇談会の時には三点のことが重きになつていたしますが、やはり兒童の問題につきましては、福祉法で採り上げられて考えられる問題としては、そういう浮浪兒及び孤兒というものが大きな問題でございますが、尚そういうふうで産院から乳幼兒、殊に保育の問題とか、そういうこともやはり落さないように考えて、そうして兒童福祉法の必要、一番將來の方向に兒童福祉法はどこに重点をおいて行くべきかというようなことも考えて行かなけどならんということを、施設を見せて頂くにつきましても、つい戰災の結果においての余波のところについ眼が奪われ勝でありましたから、尚更にそういうことにつきましても、中心を蔽われないように考えさせられた次第でございます。以上皆さんの問題になつた点を御報告申し上げます。
#16
○小林勝馬君 皆さん方から非常に熱心なる御報告を得まして、尚又御苦労に対しまして感謝いたすものでございますけれども、おいでになつた皆さん方が一々御報告をして頂きますことは時間的にも不経済と思いますので、今後の問題につきましては代表的な男の議員から一名、女の議員から一名というふうに代表的に御報告を願いたいとかように存ずる者でございます。
#17
○委員長(塚本重藏君) 今小林委員からの御意見もあつたのでありますが、重複するようでありますが、殊に厚生大臣は衆議院の本会議に厚生省所管の二つの法案が本会議にかかつております關係で御出席に相成らなければならないのを、特に本委員会に御出席賜つておるのでありますが、一刻も早く衆議院の本会議に御出席になつて頂きたいと考えますので、私も極めて簡單に地方に視察においでになりました委員の外に、いろいろの事情で地方にまで視察に行くことができず、東京におりました残りの委員が、二十八日の日に早朝から日の暮れるまで東京都内の五つの施設について視察をいたしました所感を極く簡單に申し上げて見たいと思います。
 第一番に中央兒童相談所に参つたのでありますが、ここで感じましたことは、ここの一番大事な仕事は、兒童の相談と並びに兒童の各種の性能、性格、智能等諸般の鑑別をするということがこの中央兒童相談所の使命でありますが、そのことのためには、もう少し科学的に鑑別方式というものを重く採り入れなければならんのではないかということを考えさせられたのであります。今居りまする非常に有能な多年経驗を持つておられる方が主としてそのことに当つておられるようでありますが、個人の多年の経驗、これは何よりも大事なことでありますけれども、それと共に二層進んだ科学的な鑑別方式というものを合わせて採用することが必要である。そのことに多少欠くるところがあるように感じたのであります。
 それから二番目に板橋の保育園を見ましたが、ここで厚生当局大臣にも一應お耳に入れたいことはここに入所しまするため、ここだけではありませんが、全國のこうした保育園に入所しまする者の選定の問題であります。ここに入所しました者のうち、生活保護法ということが一つの資格條件になつております。生活保護法を受けておる家庭の子女を保育いたしますることのためには、相当額の補助が貰えるのでありますが、併しここで問題になつたのは、いわゆる入所選定の対象は生活保護法に基くのであるけれども、そういつた生活保護法を既に受けておる者からのみ入所者を採るということよりは更にその子供を預かつてやらなければその子供を保育してやらなければ、この人は生活保護法の保護を受けなければならない人となるわけである、というような人を採り上げて入所させるというこのと方が、更に一層必要ではないかということを感じて、ここの保育園ではそういうことの方に意未用いてやつておるようであります。これは至極いいことであると私どもは考えたのであります。現に生活保護法の資格者ではないけれども、そこで子供を預かつてやることによつて生活保護法を受けないで、その親たちが生活して行く、子供を育成して行くということができるという実情ならば、更に有意義なことであると考えたのであります。それから石神井の学園に参りましていろいろの施設を見たのでありますが、その中に世間並みにやはりここでも欠配、遅配があるようであります。殆んど世間並み同様の遅配が未だにあるということであります。こういう場所においては、特にこれは遅配、欠配などのないようにして貰わなければならんということを痛感いたしました。
 それから更に萩山実務学校並びに学園を見たのでありますが、先ず第一番に校庭に入りまして、庭一杯水が浸つておつて、子供が木を浮べてそうして水遊びしておるという現状であつたが、ああいう学校の校庭をもう少し水のつからないようにしてやらなければならんということを第一に感じたのであります。
 それから最後に「愛兒の家」を見たのでありますが、これは全く個人の経営でありまして、戰災孤兒、浮浪兒等六十五人も一人で以て自分の立派な家庭を開放して、そうしてそこに預かり、これを養育しておつて、その博愛に満ちた、人間愛に満ちた行爲に対しまして、全く感激の外なかつたのであります。私はこれらの施設をずつと見て参りまして、この中央兒童相談所、或いはこの石神井の学園、或いは萩山学園とそれぞれのところを見て、草葉委員の言われたように、室内の裝飾その他について潤いがない、或いは音樂の問題であるとか、いろいろの点において、もつと進んだ家庭的な温か味をあのそれぞれの中に持ち込まなければならないと考えさせられたのであります。愛は篭つておるようでありますけれども、まだその愛の表現が形の上に十分には現れていないといつたような感を深ういたしました。それからもう一つは疊や建具等の修繕が全くできていない。疊のごときは全くその表がすつかり破れてしまつて、床が露出しておるといつたものが敷きつめてあるような状態であります。それからガラスなども壞れたままに放置してあるという状態、ああいう点でももう少し手を入れなければ、やはりこれは兒童育成の上に好い成果は挙げられないのではないかと、こういつたようなことを感じました。それからもう一つ、この大阪の修徳院でもそうでありますが、父と呼ばし母と呼ばしておるのであります。それから東京におきましてもそう呼はしておる石神井の学園があることを思えば、萩山実務学校のごときは、そういう殊更らしい名前は使つていない。自然のままに、先生なら先生と呼ばしておるのである。或は保姆さん保姆さんと呼んでおるのである。これはいずれが好き成果を納めるのか研究の余地があると思うのであります。
 それからもう一つ將來に向つて我々が考えて行きたいのは、同じようなことを私は石神井の学園と萩山実務学校とで聞いたのでありますが、即ち子供のいわゆる勤労教育、実務教育といつたようなものをどの程度にやつておるかということを興味を持つて見、又先生にもそれぞれ質問して見たのでありますが、一方の方の先生は余り小さい子供にそういうことを教えないでやつて、学習にのみ專念さした方がいいという答えであつたし、学校の設備にもそういうところに手を着けていないようでありました。一方でやはり実務学校となつておるのでありますから、多少実務の方面に意を注がれておるようでありまするけれども、僅かに万年筆の部分品を拵えたり、ポンスが一台あつて、たつた一人でやつておる。一方にミシンが三台余りありましたが、そこでミシンをやつておるというような程度であつて、実務学校としての実務教育というものが充実していない。
 それからもう一つ奇異に感じたのはそういう実務教育に余り重きを置いていないと答えた、学園の方では木工機械が十二分、十二分というところまで行きませんが、大体一通り揃うた木工機械が動力を持つて据え付けられておるのであります。もう一、二台入れればこれは完備して使うんだと、こう言つておつたのでありますが、これは全く実務年齢の上から言つて萩山実務学校にああいう施設を先に持つて行くべきである。全く設備の仕方が、なんですか前後顛倒しておる感を深うしたのである。
 それから私は大阪の修徳学院などを古くから見ておりますが、あすこの実勞教育、実習教育といつたようなものから見れば、東京は遥かに遅れておるという感を深ういたしました。
 それから私も随分古くからこういう方面に興味を持つておる者でありますが、どうも私共がこの問題に關心を持ち始めた昭和初年から見まして、今も尚その進歩の後が極めて遅々としておるということを感じたのであります。今度の大きな戰爭で非常な沢山な浮浪兒、孤兒等が出ておるのでありまするから、飛躍的な進歩と発達がなければならんにもかかわらず、そういう実情と合せて考えて見て、この方面の施設の発達がそれに副うていないということを痛切に感じたのであります。
 最後にこれを綜合いたしまして、これらの施設が都道府縣の施設経営に任かされておつて、國はただそれに僅かばかりの指導と援助をしておるに過ぎないのである。これから先はもつともつとこの施設、この目的を達成することのために國がもつと大きな経費を注いで、これらの施設の充実、完備、増設を図つて行かなければならん必要を感じたのであります。ただ設備等についてばかりでありません。どなたかもおつしやつておりました人の問題であります。これに適当なる人を得るということは非常に困難でありますが、その困難を排除してこれらのいわゆる仕事に携わる適当な人を沢山に得なければならん。そのことのためにも、國家は更に進んで相当な費用をこれに投ずるの用意と覚悟とをもつて行かなければならん。兒童福祉法というものができましても、それは要するに今ある既設の施設を綜合してそれを統計的に一應法律の上に仕組んで行くといつたに過ぎないではないか。この法律を作つて、そうして民生委員、兒童委員を動かしてそうして日本國内至るところに孤兒浮浪児の一人も見ることのできないといつたような状態にするためには、もつともつと今の施設を充実しなければならん。それにはもつと多くの國家の援助を得なければならん、費用の支出がなければならんというようなことを痛感して帰つて來たものであります。以上御報告を終ります。
#18
○國務大臣(一松定吉君) 只今皆様方の兒童福祉法に牽聯して、各地の兒童收容所、保育所、授産所方面を御視察賜りました結果を詳細にこの席から承つておりまして、私当局といたしまして非常に得るところが多大でございましたことを感謝いたします。その中でこの社会施設というものが將來我が國の再建の上に重大なる任務を持つておるのであるという御意見、私全然同感であります。そういうことに關しましては、是非一つの徴力を盡してその目的達成の第一歩にもう足をかけて、そうして一つやつてみたいとかように考えておりまして、それらの点につきましても、それぞれ事務当局ともいろいろ將來のことを話合つてみたいと思つておることでございます。本日の御報告によつて非常に得るところが多大でございました。尚承りますると、施設等に關しまして不完全な点が多々ある。而もそれは経費が十分でないから、これらの点についても大いに考慮を拂わなければならんということは、私全然同感でありまして、それ等の点につきましても國家財政の許す範囲において、一つ拡大強化して行きたいとかように考えます。この際皆様の熱心なる御視察に対しまして敬意を表しまして私の所見の一端を披瀝いたす次第であります。
#19
○委員長(塚本重藏君) 本日はこれにて散会いたします。
   午後四時十三分散会
 出席者は左の通り
   委員長     塚本 重藏君
   理事
           今泉 政喜君
           谷口弥三郎君
           宮城タマヨ君
   委員
           河崎 ナツ君
           三木 治朗君
           草葉 隆圓君
           木内キヤウ君
           小林 勝馬君
           井上なつゑ君
           小川 友三君
           小杉 イ子君
           波田野林一君
           姫井 伊介君
           山下 義信君
           米倉 龍也君
  國務大臣
   厚 生 大 臣 一松 定吉君
  政府委員
   厚生事務官
   (兒童局長)  米澤 常道君
ソース: 国立国会図書館
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