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1971/02/08 第68回国会 衆議院 衆議院会議録情報 第068回国会 本会議 第6号
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1971/02/08 第68回国会 衆議院

衆議院会議録情報 第068回国会 本会議 第6号

#1
第068回国会 本会議 第6号
昭和四十七年二月八日(火曜日)
    ―――――――――――
 議事日程 第六号
  昭和四十七年二月八日
    午後一時開議
 第一 昭和四十六年度の米生産調整奨励補助金
  等についての所得税及び法人税の臨時特例に
  関する法律案(大蔵委員長提出)
    ―――――――――――
○本日の会議に付した案件
 勝間田清一君の故議員遠藤三郎君に対する追悼
  演説
    午後一時十五分開議
#2
○議長(船田中君) これより会議を開きます。
     ――――◇―――――
#3
○議長(船田中君) 御報告いたすことがあります。
 議員遠藤三郎君は、昨年十二月二十七日逝去せられました。まことに哀悼痛惜の至りにたえません。
 同君に対する弔詞は、議長において去る一月十一日贈呈いたしました。これを朗読いたします。
  〔総員起立〕
 衆議院は多年憲政のために尽力しさきに経済安定委員長の要職につきまた国務大臣の重任にあたられた議員正三位勲一等遠藤三郎君の長逝を哀悼しつつしんで弔詞をささげます
    ―――――――――――――
 故議員遠藤三郎君に対する追悼演説
#4
○議長(船田中君) この際、弔意を表するため、勝間田清一君から発言を求められております。これを許します。勝間田清一君。
  〔勝間田清一君登壇〕
#5
○勝間田清一君 ただいま議長から御報告のありましたとおり、本院議員遠藤三郎君は、昨年十二月二十七日逝去されました。まことに痛惜の念にたえません。
 ここに、私は、諸君の御同意を得て、議員一同を代表し、つつしんで哀悼のことばを申し述べたいと存じます。(拍手)
 私が遠藤君を知るようになったのは、戦前わが国の農村経済、農民生活が農業恐慌によって破局的な打撃をこうむり、いまだ疲弊と窮乏にあえぐ時代に、私が企画院において農業問題を担当し、そのとき農林省の担当であった君と互いに連携して仕事に取り組んで以来のことであります。
 私たちは、よく議論をかわし合いながらも、同郷のよしみもあってか、たちまちにして心を許し合う仲となり、ともに革新政策の立案と推進に情熱を燃やしました。そして、昭和十五年、私はいわゆる企画院事件のため退官を余儀なくされましたが、二人を結ぶ心のきずなはその後も決して切れることはなかったのであります。
 忘れもいたしません。私が新憲法下最初に行なわれた総選挙に立候補した際、君は、多忙の身でありながら、いち早く私の応援にかけつけてくださいました。そして、次の総選挙からは君も出馬することになり、互いに党派を異にして相争うことになりましたが、私たちは、政策論争を展開して、今日まで一点のわだかまりもなく、堂々たる争いに終始してまいりました。(拍手)
 その君をにわかに失い、私は、心に大きな空白を覚えるのでありまして、いまここにお別れのことばを述べるにあたり、寂蓼の感ひとしお深く、限りない悲痛の念に打たれるのであります。(拍手)
 遠藤君は、明治三十七年四月、私の隣町、静岡県駿東郡裾野町にお生まれになりました。富士を間近に仰ぎ見る小農村にはぐくまれた君は、幼少より俊秀の誉れ高く、長じて沼津中学に進み、さらに第一高等学校を経て東京帝国大学法学部に学ばれました。
 農村に生まれ、農民の生活をつぶさに体験している君は、昭和五年、大学卒業とともに進んで農林省に入り、農業問題に取り組んで大いに努力研さんを積まれました。
 若き行政官として早くから嘱目されていた君は、やがて食糧管理法の起草をなし遂げるとともに、そのうんちくを傾けた「食糧政策論」などの著書を公にするなど、その仕事ぶりは目ざましいものがありました。
 戦後、疲弊と飢餓のどん底にあったあの未曽有の食糧難の時代に、総務局長、畜産局長あるいは食糧危機突破対策本部員の要職についた君は、この難局を打開すべく、文字どおり寝食を忘れて努力し、そのあまりGHQと意見の衝突を招いたこともしばしばあったとのことでありまして、その硬骨ぶりは長く省内の語り草となっていたのであります。
 しかしながら、わが国再建の遅々とした状況に憂いを深くした君は、官途にとどまることにあきたらず、みずから政界に進出する決意を固められました。そして、昭和二十四年一月、第二十四回衆議院議員総選挙が行なわれるや、君は静岡県第二区から勇躍立候補し、みごと最高点をもって初当選の栄を獲得されたのであります。(拍手)
 本院に議席を得られてからは、豊富な経験と知識を生かして国政の審議に当たられました。ことに、農業機械化促進法案、酪農業振興臨時措置法案等、幾多の農業関係法律案の提出者となって、その立案あるいは成立に力をいたし、戦後の農業、畜産業の改善振興をはかる上に大きな原動力となったのでありまして、すぐれた農政通としての君の存在は、先輩、同僚のつとに認めるところでありました。
 昭和二十七年には経済安定委員長にあげられ、平和条約発効後におけるわが国の自立経済を達成するための諸施策の審議に当たられましたが、この間、君は、与野党委員の意見の調整をはかりつつ、委員長としての重責を十分に果たされました。
 その後、第一次鳩山内閣の大蔵政務次官を経て、昭和三十三年には、抜てきされて第二次岸内閣の建設大臣に就任し、道路、河川の整備あるいは住宅の建設に大いに力を尽くされました。
 しかして、私の脳裏になまなましくよみがえるのは、君が大臣在任中のあの狩野川台風のことであります。狩野川台風は各地に猛威をふるい、特に伊豆半島の狩野川流域においては、家は流され、田畑はどろ水に洗われ、その上、多数の死者を出すという惨状に遭遇いたしました。君は、直ちに現場に急行し、みずから陣頭指揮して不眠不休の救援活動に従事しましたが、このとき君の発揮した積極果敢な行動力と沈着冷静な判断力には、現地のだれもが称賛を惜しまなかったのであります。(拍手)そして、大臣を退いてからも、引き続き狩野川の根本的な治水対策に心魂を傾け、昭和四十年にはその努力が放水路の完成となって実ったのでありまして、台風のたびに猛威をふるったさしもの狩野川の水も、いまや静かに沼津の海に注ぎ込んでおります。この流域の田方平野は、水害の恐怖から全く解放され、穀倉地帯として実りの秋を迎えるたびにこがねの波にゆれているのでありまして、遠藤君の功績は永久に語り継がれていくことでありましょう。(拍手)
 君の御活躍は多方面に及びましたが、東名高速道路あるいは東海道遊歩道の実現に尽力し、また、自転車道の整備等に関する法律案を立案して、これが成立に寄与し、いまや自転車専用道路建設の計画は各地において着々として進められております。
 君は、このような時代の要請を先取りする新しいアイデアを次々と打ち出して国民の期待にこたえられたのでありまして、その新鮮な感覚と実行力は高く評価されなければなりません。
 自由民主党にあっても、総務あるいは農林漁業基本政策調査会長、経済調査会長等の要職を歴任し、党の重要施策の立案、決定に大きな役割りを果たし、その発言は重きをなしておりました。
 かくて、君は本院議員に当選すること連続九回、在職二十三年の長きに及び、この間国政に残された功績はまことに偉大であります。(拍手)
 思うに、遠藤君は温厚篤実で、しかも鋭い洞察力ときびしい政治姿勢をもって政治の大道を歩み続け、いささかも毀誉褒貶を顧みなかったのであります。政治家として幾多の誇り得る業績をあげながらも、みずからの功績とすることなく、政治の理想を追求するためには、節を曲げず、名利を捨て、あえて政治の捨て石たらんとしたのであります。この無私の精神こそ、まさに政治家遠藤三郎君の真髄であったと申せましょう。(拍手)
 中小企業、農林水産業、勤労大衆等、国民の中核をなす人々の生活を安定させ、その地位の向上をはからなければならない、これが遠藤君の政治信念であり、終始変わらぬ選挙公約でありましたが、特に選挙期間中は、みずからを牛になぞらえ、畜産の遠藤として、車の上に牛の似顔のポスターを掲げて運動しておられました。そこには、農業問題にかける真摯な姿勢とともに、素朴ながらも無限のあたたかさに包まれた遠藤君の人柄と政治姿勢がはっきりとあらわれているのでありまして、(拍手)選挙民の信頼と共感を呼ばずにはおかなかったのであります。
 君は、昨年九月から病のため療養につとめておられましたが、幸いにしてその後快方に向かい、十一月末から登院して審議に励んでおられたのでありまして、私どもは君の御回復を心からお喜びしておりました。
 しかるに、いわゆる沖繩国会の最終日を迎えた十二月二十七日は一たん登院した後、自宅において国会審議の経緯を見守っておられましたが、突如として襲った病に倒れ、にわかに不帰の客となられました。
 政治に対する飽くことなき意欲と責任感から、君は、過ぐる昭和三十六年にも病魔を克服してみごと再起され、このたびもまたよく病床から立ち上がられたのでありますが、その政治への悲願もむなしく、ついに六十七年の生涯を閉じて逝かれました。まことに痛恨限りないものを覚えるのであります。(拍手)
 激動する七〇年代にあって、わが国は内外ともに多事多難な情勢に直面しております。この難局を乗り切っていく上に、君のごとき練達の政治家の活躍が大いに期待されていたのでありまして、いま君の長逝にあいましたことは、ひとり自由民主党のみならず、本院にとっても、また国家にとっても、はかり知れない大きな損失と申さなければなりません。(拍手)
 ここに、遠藤君の生前の功績をたたえ、その人となりをしのび、心から御冥福をお祈りして、追悼のことばといたす次第であります。(拍手)
     ――――◇―――――
#6
○議長(船田中君) この際、暫時休憩いたします。
   午後一時三十三分休憩
     ――――◇―――――
  〔休憩後は会議を開くに至らなかった〕
     ――――◇―――――
ソース: 国立国会図書館
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