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1970/03/10 第65回国会 参議院 参議院会議録情報 第065回国会 予算委員会公聴会 第1号
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1970/03/10 第65回国会 参議院

参議院会議録情報 第065回国会 予算委員会公聴会 第1号

#1
第065回国会 予算委員会公聴会 第1号
昭和四十六年三月十日(水曜日)
   午前十時十六分開会
    ―――――――――――――
  出席者は左のとおり。
    委員長         古池 信三君
    理 事
                岩動 道行君
                小林 国司君
                白井  勇君
                林田悠紀夫君
                森 八三一君
                山崎 五郎君
                竹田 四郎君
                吉田忠三郎君
                三木 忠雄君
    委 員
                植木 光教君
                梶原 茂嘉君
                小山邦太郎君
                斎藤  昇君
                塩見 俊二君
                杉原 荒太君
                平泉  渉君
                平島 敏夫君
                星野 重次君
                堀本 宜実君
                三木與吉郎君
                山本 利壽君
                吉武 恵市君
                上田  哲君
                木村禧八郎君
                小柳  勇君
                杉原 一雄君
                鈴木  強君
                永岡 光治君
                西村 関一君
                羽生 三七君
                松本 賢一君
                塩出 啓典君
                中沢伊登子君
                向井 長年君
                春日 正一君
                市川 房枝君
   政府委員
       大蔵政務次官   藤田 正明君
       大蔵省主計局次
       長        橋口  收君
       大蔵省主計局次
       長        竹内 道雄君
   事務局側
       常任委員会専門
       員        首藤 俊彦君
   公述人
       日本女子大学教
       授        松尾  均君
       東京歯科大学教
       授        上田 喜一君
       関東学院大学教
       授        大門 一樹君
       社団法人日本サ
       ラリーマン協会
       理事・事務局長  錦織  尚君
    ―――――――――――――
  本日の会議に付した案件
○昭和四十六年度一般会計予算(内閣提出、衆議
 院送付)
○昭和四十六年度特別会計予算(内閣提出、衆議
 院送付)
○昭和四十六年度政府関係機関予算(内閣提出、
 衆議院送付)
    ―――――――――――――
#2
○委員長(古池信三君) ただいまから予算委員会公聴会を開会いたします。
 公聴会の問題は昭和四十六年度総予算についてでございます。本日は午前中お二人の公述人の方に御出席を願っております。これから順次御意見を伺いたいと存じますが、この際公述人の方に一言ごあいさつを申し上げます。
 本日は御多忙中にもかかわりませず、本委員会のために御出席をいただきましてまことにありがとうございます。委員一同にかわりまして厚く御礼を申し上げます。
 それでは、議事の進め方につきまして申し上げます。
 お手元にお配りいたしました名簿の順序に従いましてお一方三十分程度御意見をお述べ願いまして、お二人の公述が終わりました後で、委員の方から御質疑がありました場合、お答えをお願いしたいと存じます。
 それでは、これより御意見をお述べいただきます。
 まず、松尾公述人にお願いいたします。(拍手)
#3
○公述人(松尾均君) 御紹介いただきました松尾でございます。
 私は、特に四十六年度の予算案並びにこの法律案の中で社会保障に関係があるもの、特に健康保険法の改正につきまして、それを中心に御報告申し上げたいと思います。
 健康保険法の改正の経過につきましては、御存じのとおり、特にこの四年間、昭和四十二年七月の臨時国会以来、きわめて複雑な経過をたどっております。四十二年七月の臨時国会におきましては、二年間の時限立法としまして特例法が制定されたわけでございます。それから二年後の四十四年の夏の国会におきましては、この臨時特例法が廃止されまして、本法に吸収する改正法となったわけでございます。この間の経過につきましては、御承知のとおりでありますので、詳しい報告は省きます。
 ただ、一つだけ指摘しておきたい点は、以上の二回の改正におきましては、抜本改正というようなものが常に条件となっておるということでございます。したがいまして、今回の健康保険法の改正に関しましても、抜本改正というようなものがその中心課題であるというふうに私は思っております。まさしく四十五年の、昨年の秋でございますけれども、十一月十八日の社会保障制度審議会に対する厚生大臣の諮問の前文におきましても、以下のように書かれております。四十四年の改正に際して政府与党として再びかかる応急の措置をとることなく、抜本改正を四十六年度より着手することを明らかにした経緯がある、厚生省としても、この線に沿って努力したいというように明文化されております。
 これの線に沿いまして本年一月四日の社会保険審議会における健康保険法の一部改正案要綱の諮問に際しましても、「抜本改正に着手するため」というふうに強調されております。さらに私の手元に入りました健康保険法の一部改正する法律案につきましても、改正点として幾つか指摘されております。項目だけ読み上げます。退職者の医療給付制度の創設、家族療養費の給付割合の引き上げ、埋葬料の引き上げ、再診時一部負担金の設定、入院時一部負担金に関する改正、標準報酬の合理化、保険料率の弾力的調整、国庫補助の定率化等々が指摘されたあと、最後に、「健康保険制度の抜本改正への第一歩とする」というふうに明記されております。したがいまして、私は特に今回の改正案がはたして抜本改正の方向に沿っているのかどうか、はたして抜本改正への第一歩に値するかどうか、この点に私の問題意識をしぼりまして、二、三申し上げたいと思います。最初は、この改正案自体に沿って申し上げたいと思います。そのあと、この抜本改正がなぜ論議ばかり盛んであって実際に実現していないか、こういう点につきまして触れてみたいと思います。
 第一は、御存じのとおり、この医療保険というものは、医療保障のための技術的手段であるということでございます。それでは医療保障とは何ぞやということになるわけでございますけれども、やはりこれは医療の現物給付と、それから予防給付、それからいわば社会復帰のための給付と申しますか、そのような諸給付の包括的な給付、これを私は医療保障と考えております。ところが、今回の改正要綱案並びに法律案、こういうものを点検しておりますというと、はたしてこの医療保障のための技術的手段としての社会保険の持つ基本的課題、こういうものに沿っているかどうか、多分に私は疑問に思います。
 具体的に申し上げます。たとえば、政管健保でございますけれども、これ最も赤字で問題になっている政管健保でございますけれども、これのいわば経済バランスを見てみますと、この案によりますというと、単年度の収支均衡の計画というようなものが検討されておるわけでございますけれども、そのために一方では標準報酬の合理化をはかり、他方では国庫補助等々を増収するというようなことで収入の増がはかられている。他面、退職者給付とかあるいは老人給付等々の改善をはかりまして、いわば支出増というようなバランス表になっておりますけれども、問題は、この単年度バランスの維持のために、だれがどのように負担しているかというようなことでございます。こまかい係数を省きます。私が計算してみたところ、もしもこの単年度バランスのための、収支バランスのための負担分だけを計算してみますというと、労働者の割合が四七%でございます。それから、いわば事業家の割合が二三%、国家が三〇%になります。ところが、給付増がございますので、この給付増と負担分とを差し引きまして計算しますというと、労働者のほうが四二%、事業家が二五%、国家が三三%というふうになっております。要すれば、国家の負担割合というようなものを私は注目したいと思います。
 それからさらに、標準報酬の合理化と、この一部負担金の設定によって保険料率がどうなるか、これをほぼ概略的に計算してみますというと、千分の九程度になるわけでございます。ところが、御存じのように、社会保険庁長官によっての弾力条項がございます。これには千分の十を加えることができる仕組みになっているわけでございます。そうしますというと、まあ算術平均しますというと、千分の十九というようなことで、いかに被保険者負担というものが大きいか明らかであります。したがいまして、この医療保険が、先ほど指摘しました基本的課題というようなものにこたえるためには、私の意見でありますけれども、いわゆる総報酬制あるいは一部負担金制度、こういうものをとる以上は、保険料率というようなものは、やはり千分の七十に固定するか、あるいはもうそれ以下にとどめるべきであった。私はこの点を主張しておきたいと思います。それが第一点でございます。
 それから第二点でありますけれども、一歩後退しまして、医療保険――この当面の抜本改正というようなものを、主として医療の現物給付の確立というようなところに仮定します。そうしますというと、そういう角度から見ますというと、はたして今回の改正案というものは、給付がきわめて部分的改正にすぎないということであります。言いかえますというと、この部分的改正から全面的改正に至る道筋と申しますか、あるいは展望と申しますか、あるいは体系と申しますか、これが非常に不明確でございます。
 その点で特に注目すべきことは、七十歳以上の老人医療給付の改正点、これが一体何を意味するかということでございます。多少具体的になりますけれども、まず第一に七十歳以上の老人医療給付というようなものを、これを家族給付というようなものに解釈します。家族給付のいわゆる制限緩和を意味するんだというふうに仮定しますというと、この家族のうちで、特に罹病率の高いのは、老人のほか乳幼児がございます。この罹病率の高い乳幼児というものをなぜ対象にしなかったか、これがまず一つの疑問としてわきます。
 それから第二点としましては、老人給付をいままでの五割から七割にした、確かに改正でありますけれども、この七割という水準はどこからきたかという点でございます。これは国民健康保険七割給付と、いわば均衡させたというふうな解釈も可能であります。ところが、御存じのように、つい二、三日前でありますけれども、三月八日の新聞では、老人の十割給付というようなものが、そういう構想が大々的に発表されているわけでありますけれども、この抜本改正の骨格というようなものがまだ確立していない今日、老人の十割給付というような構想を聞きましても、はたしてどの程度の実現力を持っているか、実現力があるかというような点につきまして、やはり懸念せざるを得ないと思うわけであります。それが第二点でございます。
 それから第三点でありますけれども、この老人の給付が五割から七割になった、確かに改正でありますけれども、世間では、一方で入院料とか、あるいは再診料の一部負担を増加した、これとつり合いをとるために老人給付を改正したんではないかというような解釈も行なわれております。ところが、この一部負担金というようなものは、これは一種の給付制限の一つの形態でありますので、老人給付と一部負担金とのプラスマイナスをつり合いするというようなことは、これは保険政策としましても全く格別の意味がない、単なる算術じゃないかというふうな解釈もまた可能であります。というようなことでありまして、その老人の給付改善というようなものが、一つは給付制限とか制限診療とか、あるいは差額徴収等の緩和、撤廃というようなためのものだというふうに解釈されますけれども、私はやはり以上のような理由におきまして、いわゆる給付制限なり制限診療のための第一歩であるというような解釈はなかなか立ちがたい、こういう点を指摘しておきたいと思います。
 それからしばしば問題になるのは、七十歳という年齢でございます。この年齢が一体どういう根拠になるかということでございますけれども、厚生年金では文字どおり六十歳でございます。それから国民年金は六十五歳給付であります。こういう点とのいわば行き違いというものは、どのように解釈するかというわけでございますけれども、わが国の定年制とも関連することでありますし、もしも老人給付に対しまして国家がこれだけの熱意を示されるとしますというと、私はやはりこの定年制との関係、あるいは年金制度の関係からいたしまして、ずばっと満六十歳というようなところに線を切るべきじゃないかというような気がいたします。そして、給付方式としましても、あとで申し上げますけれども、公費負担の医療の方向を示すべきじゃないかということでございます。ともあれ、この七十歳と六十歳におきましては、その医療効果というようなものが、老人本人にとりましても、さらに社会にとりましても、格段の違いだということですね。こういう点を私は指摘したい。いかにも七十歳という年齢というようなものが、制度的にもあるいは社会的にも不つり合いだということでございます。
 以上が大きな第二点でございます。
 それから第三点としましては、退職者給付につきまして申し上げたいわけでありますけれども、結論として、焦点としまして強調したい点は、抜本改正というようなものを過去二回におきまして実現するというふうに強く主張しておられるわけですけれども、政府みずからの地位と役割りというものが一体どこにあるか、これを明確にすべきじゃないかという点であります。これに関連しまして問題になるのが、退職者継続医療給付制度でございます。特に、この退職者継続医療給付制度というものは、四十四年の八月の厚生省の改革案におきましてもしるされておるわけでございますけれども、四十四年の八月の当時は、いわば特例法が本法に組み入れられた段階におきましては、社会保険庁が一元的に行なうというふうに明示してございます。ところが、今回の場合には継続者の保険は以前の保険者が管掌するものとするというふうになっております。社会保険庁の一元的管理というようなものが消えまして、以前の保険者が管掌するというふうになっております。これでは、退職者給付、退職者のための医療給付というようなものの保険者が、社会保険庁ではなくして、いわば共済組合か、あるいは健保組合か、あるいはそれらが代行するのか、きわめてこれは不明であります。政府の地位と役割りというようなものが全く四十四年度当時から後退している。これがまず目につく点であります。
 さらに、この退職者給付につきましては、十五年以上の勤続を条件としているわけでございますけれども、この間の通算方法をどうするかということでございます。組合健保あるいは政管健保あるいは共済組合などの間の通算というようなものを認めるのか、認めないのか。認めるとすると、どういう方法によるのか。この点につきましては、この法律案につきましても明記されていない。これはきわめて残念だと思います。
 それからこの退職者給付につきまして、やはり最大の問題点は、この退職者給付が従来の特に医療保険における再分配方式というようなものにつきまして大きな変更を加えるんじゃないかという点でございます。文字どおり、この健康保険は短期保険でありまして、年々の保険経済計画の上に立っているわけでございますけれども、この退職者の継続給付になりますというと、一種の長期保険としての思想が入ってくるというわけでございます。したがいまして、この退職者への医療給付というものを一体だれが行なうか、事業主負担なのか、あるいは退職者のあとで働いている労働者負担においてまかなうのか。おそらく事業主負担か、いわゆる後代の労働者負担というようなものでまかなっていくという仕組みになっているわけでありますけれども、これにつきまして、要綱案におきましては、一つの給付の改善だと言っておられるわけですけれども、給付の改善というよりは、むしろ再分配機構の変化だ、あるいは変更だというふうに解釈すべきじゃないか。そうしますというと、あとで申し上げますように、医療の給付方式というものがどう変わるか、この点多大のやはり疑問がありますし、これはおそらく理論的にも、あるいはわが国の社会保障としましても、今後論争をまくことじゃなかろうかと思います。
 以上のように政府の役割りというものがだんだん不明確になってきているわけですけれども、その最もやはり端的な、あるいは単純なあらわれは国庫補助率でございます。確かに国庫の補助率というようなものは五%になりまして、いわゆる絶対額から補助率というような比例方式に変わった。この点は改正として注目すべきでありますけれども、ところが、特にこの政管健保の場合には他の制度とのつり合いがございます。現在国保の場合にはおそらく四五%前後の国庫補助でありますし、日雇い健保の場合には三五%であります。ところが、この政管健保というようなものの五%の補助率というものは一体どのようにして出されたのか。おそらく昨年度の予算等々を考慮しまして出されたと思いますけれども、確かに累積赤字をたな上げにして、今後年間計画で返すというようなプランでございますけれども、国民健康保険とそれから日雇い健保並びに政管健保の違い、この違いというようなものを、これほど如実に国庫補助率あるいは国庫補助額にあらわす必要があるのかどうか。この点は、政管健保の補助率は非常に少ないのじゃないかということでございます。私の意見でありますけれども、最低やはり一割、一〇%、こういうくらいから出発すべきじゃないか。早急に二〇%補助、こういうものを実施すべきじゃないかということでございます。これは制度間のつり合いから見てもそうでありますし、被保険者並びに保険者の性質から申しましてもそうだと思います。そうじゃなければ、今後やはり中小企業、零細企業というものが文字どおり、世間で騒がれておりますように、いわゆる健保倒産の危険というようなものが確かにあるんじゃないかと思います。
 以上、私は改正案自体につきまして幾つか申し上げました。ところが、今日までの実情を見てみますというと、確かに抜本改正に関する論議はおそろしく盛んでありますけれども、抜本改正自体というものはどの程度進行したか、これまた疑問であります。したがいまして、時間の関係もございますので、要点だけ申し上げます。
 第一点は、いまほども申し上げましたように、医療の給付方式という点についてでございます。今日までの健保の流れを見てみますというと、保険医療にきわめて重点があるということでございます。逆に最近では結核、精神病等々をはじめ、戦病者の病気あるいは原爆被害者等々ですね、公費負担医療というようなものがだんだん拡大されつつありますけれども、さらに最近では、あとで御報告になると思いますけれども、原因不明な病気が非常にたくさん出ております。したがいまして、治療方法というようなものが非常に確立していない病気、こういうものがございます。こういう点に、こういう病気に対する給付方式をどう考えるか。当然これは公費負担の医療方式によるべきだと思いますけれども、この点につきましては、一そうこれはやっぱり拡大すべきじゃないかという点でございます。
 それからさらに労働災害とか職業病とかはもちろんでありますけれども、今日の広い意味での産業災害による病気に対しましては、加害者負担の医療方式というものを確立すべきじゃないかという点であります。きわめて抜本改正におきまして抜けている点は、そうした医療の給付方式を保険医療方式とするのか、公費負担医療方式を拡大するのか、さらに加害者負担の医療を確立するのか、この点はきわめて不明確でありますし、むしろ前者から後者に拡大していくべきではないかという点、この点が第一点であります。
 さらに、この抜本改正というものが論議倒れになった一つの論点は、やはり医療供給機関のあり方だと思います。医療供給機関のあり方、その性格をどうするかということでございます。特に四十三年の二月には日本病院協会からもやはり私営医療と社会保険医療というようなものの矛盾というようなもの、これを指摘しておられます。その指摘の意味と私が言うのは多少異なるかもわかりませんですけれども、文字どおり、私的医療機関と社会保険間の関係というようなものを抜きにしまして抜本改正というのは私は論ぜられないと思います。
 結論だけ申し上げます。診療報酬体系とかあるいは薬価基準の規制とか、こういうものがありますけれども、これは当然運営上の技術的操作にすぎません。それから医療機関の適正配置とか医療機関相互の提携とかいわれますけれども、これはやはり私は医療機関の機能論にすぎないと思います。したがいまして、特に強調したい点は、医療機関の性格、いわばその本質をどうするかということでございますけれども、多少勇気を持って整理してみますと、依然として私的医療機関の自由な営利性というようなものを認めていくかどうかという点でございます。それから国公立の医療機関を拡充しながら、その他の医療機関というようなものの性格の変更を推し進めていくかどうかという点。それからさらに、まあ、いろいろな政党からも提案されておりますけれども、一大医療公社というようなものを採用していくかどうか。さらに、医療というようなものを国営化しまして、いわばお医者さんに対しまして月給制をしくか、しかないか。少なくとも大筋の展望を行なうべきだと私は思います。しかし、もしもそういう医療機関の性格づけというようなものが、いわば国家統制の危険があるというふうになりますというと、私はやっぱりこれは運営面でいわば医療給付の民主化というようなものをはかるよりほかないというふうに思います。その点で、せめて各種審議会の審議に対しましては、これを尊重していただきたい。これはもう最小限度の政府の義務だと思います。それを私は第二点として指摘したいと思います。
 それから第三点としまして、やはり抜本改正の論議を振り返りまして気のついたことは、どうもこの四十年代に入りましてから、以下のとおり、社会政策の側から経済政策に対して要請するというよりは、むしろ経済政策によりまして社会保険をはじめ社会政策への規制が非常に目につくわけであります。四十年八月の医療費問題に関する大蔵省の見解、あるいは四十三年十一月の費用負担問題に関する財政制度審議会の見解、今回は昨年十二月の財政制度審議会の建議というようなものがありまして、どうも医療保険をはじめ、社会保険の改正に先立って、こういう財政面からの強い意見が発動されるということは、国民生活というようなものを重視していくというような姿勢というものであるかどうか、この点、私はもうきわめて疑問だと思います。これが一点であります。
 それから第二点に、抜本改正の論議につきましてきわめてふしぎな点は、治療という医療行為に非常に重点が置かれております。これはもちろん緊急やむを得ない医療行為だと思いますけれども、やはり健康管理上はどうしても予防というものが基本原則になくちゃならぬと思います。ところが、どうも健康管理というようなものにつきましては作文倒れになりまして、実質的には治療という医療行為だけが重点に置かれるという点は、裏を返しますというと、ことばが多少不十分で申しわけありませんですけれども、予防では医者はやはりめしを食えないというようなのが実情じゃないか、そういう解釈がつくわけであります。したがいまして、そういうことでありますというと、今日抜本改正を論ずる際に、医療行為の行動基準と申しますか、それがきわめて欠けていると申しますか、欠如している。医療というものの終局的な行動基準というものはやはり私は予防にあると思いますし、健康管理というものにあると思います。したがいまして、この論議をまず見てみますというと、いかに予防という医療行為が実質的に軽視されているか、これに気がつくわけであります。したがいまして、そのような抜本改正の論議というものは、当然機構づくりに追われまして、いわゆる医療の思想と申しますか、こういうものを欠如することになるというふうに感ずるわけであります。それが第二点でございます。
 それから最後になりますけれども、抜本改正の論議を振り返りまして感ずることは、政府と医療関係者の発言がきわめて大きい、最大の利害関係者である国民の発言というものが弱いという点であります。もちろんこれは国民は健康であるわけでもありませんし、医療に対して関心がないわけでもございません。国民に対しましてそういう機会がなかったということでございます。もちろん常時は審議会その他の機関を通しまして、常時国民の発言は反映すると思いますけれども、こういう大改正をやるときは、やはり国民との直接の対話集会というようなものを、やはり開くべきじゃないか。そうでなければ、この抜本改正も健康保険の改正もいわゆる国民不在というふうなことが指摘されてもやむを得ないと思います。
 私の報告したい点は以上でございますけれども、最後に二月末から約十日間沖縄の健康保険の実態を勉強に行ってまいりました。ぜひ指摘させていただきます。
 沖縄におきましては非常に医療機関が不備でありまして、いわゆる貧困と申しますか、貧困の原因の大半が病気でございます。そういう実態でございます。それにもかかわらず、県民の六割を占める国保制度というようなものが現存しないということでございます。それから被用者に対する医療給付というようなものが、いわゆる療養費払いでありまして、療養費払いにおきましては、しかも七割の療養費払いでございます。その実態をいろいろ見聞してみますというと、沖縄における健康保険というのはいわゆる医療の保障どころか、医療費の補償にもなっていないというようなことを痛感してまいりました。特に目についた点は、今回の国会と、特にこの健保改正をめぐる予算案、法律案につきまして、沖縄の大半の人々が非常に関心を抱いているわけでございます。国会におきましてもぜひ慎重に審議していただきたいと思います。
 ありがとうございました。(拍手)
#4
○委員長(古池信三君) どうもありがとうございました。
    ―――――――――――――
#5
○委員長(古池信三君) それでは次に、上田公述人にお願いをいたします。(拍手)
#6
○公述人(上田喜一君) 私の専攻いたします公害関係につきまして少し考えておりますことを申し上げたいと存じます。
 今回の環境改善の予算と申しますのが非常にふえておりますということは、いろいろ新聞でも読みましたけれども、そこに指摘されておりますとおり、その大部分は下水道の建設の予算でございます。これはたぶん水質審議会からの強い要求で、そうなったんだと思いますが、流域の下水道建設に大体七兆円要るという答申を出したのでございますが、そのうちたぶん長期計画で二兆円ぐらい認められたんだと思います。こういうふうに長期計画というものが一番欠けておりますから、それを立てることはよろしいのでございますけれども、大臣の意見とか何かであるものだけに集中するということはやがてどこかに欠点を生ずることになると思います。長期計画がなかなかないことの一番の原因は、私はやっぱり行政官が転任していって専門の人が残らないということではないかと思うわけでございます。二月初旬にハワイで、重金属環境汚染という日米科学会議に参加いたしましたけれども、そういうときの印象と申しますのは、アメリカにおける大気汚染担当官は、研究者であって行政官を兼ねているということでございます。ですからその人は化学的の知識も十分持っておりますし、部下には分析をする人も持っております。その上、同じ職を続けても別に転任しないでも、官庁の中の位置は昇進しますし、予算に関しては発言力がある。これから、公害に限りませんで、専門的知識を要するような分野で、課長がかわり係官がかわっていくという行政ですと、やはりいまと同じように、事件が発生して犠牲者が出たらそのことのあと片づけに追い回されるということになるのだと思います。やはり私どもと会合しても負けないという知識を持った行政官が出ることが必要なのだと思います。
 長期計画をつくりますときに、また一方、ブレーントラストと申しますか、常設の勧告委員会を持つことが私は必要だと思います。そういたしませんと、行政担当者は自分の専門のところだけを強調するようになりまして、国全体のバランスということを忘れるかと思います。審議会というものがあるじゃないかとおっしゃる方があるかもしれませんが、私の出席した経験では、審議会というのは諮問委員会でございまして、こちらが新しい意見を出しても決して採用することはない。言いかえますと、行政官のつくった原案をオーケーするために設けたような会だと私は思います。ですから、この機能及び人選を、たとえば功成り名遂げた人ばかりを集めましたらいいだろうということにきまっておりますが、そういうこともやはり考えなければいけないと思います。
 長期計画の一つとして、たとえば産業都市をつくりまして、居住地区と分けようということなどは、たいへんいいことでございますけれども、さて私の考えますのに、人口が密集するということ自身が環境汚染の原因の一つでございます。たとえば下水の問題、それからカリフォルニア州でございますと、たき火をしてもいけないという規則がある町があります。大ぜいの人がたき火をすればそれは大気汚染のもとである。つまり人が集まりますと、個人個人のやることは小さくても、集まれば大きなことになる。このごろ、メガロポリスとかいって、はやっておりますけれども、都市の大きさの制限というものがあっていいと思うのです。これは地震のような災害に対しても同じことでありますが、いま日本ではあまりに、憲法にうたわれました自由とか権利ということでこういうことができないようでございますけれども、たとえば大きな都市になりましたときほど費用がかかりますし、完全な公害対策ができないと思います。
 いまとっております対策のうち、発生源の対策というのは一番有効で、きいてきておると思います。たとえば硫黄酸化物、亜硫酸ガスというようなものは、その発生源は火力発電でございますから、ほとんど九〇%くらいが火力発電でございますから、そこが硫黄の少ない重油をたくようになりまして、東京の硫黄酸化物の濃度はむしろ低下しつつある、横ばいよりむしろ改善しつつあるというように、わりあいにきいてまいります。ところが、一酸化炭素になりますと、その大半――大半とは申しませんが――くらいが自動車でございますから、自動車を制限するということになる。これを、一酸化炭素の出ないような自動車があと数年で、アメリカのいうようにできるかどうか、疑問であります。そうしますと、自動車の数を制限することになります。やはりこのときも個人の自由の制限が来ますけれども、やはりそれも環境をきれいに保つためには、ある制限があってよろしいのだと私は思います
 それから発生源対策の一番の欠点は中小企業でございまして、何千万もかかるような設備をとうていつくることができません。たとえば水銀の排出の実態調査をいたしますと、法律では〇・〇一とか二PPMといいながら中小企業では数PPM、ひどいのは一〇〇PPMも出しているというのがたくさんありますが、それに対してどうしたらいいかと教える技術のほうはないという現状でございます。
 次に、第二の事項として申し上げたいことは、公害政策の基礎となるような科学的データ、たとえば健康に対する影響とか環境に実在している濃度、そういうものの非常に足りないことであります。言いかえますと、バックグラウンドの調査に対しては予算がほとんど出ないということでございます。悪口を申しますと、人が百人死なないと金は出ないと昔は言っておりましたけれども、このごろそれは少し、マスコミというのが少しうるさ過ぎた結果でしょうか、かえって少し出るようになって、その効果はあるだろうと学者も申しておりますけれども、たとえば、ごく卑近な例は、ホウレンソウのカドミウムを東京都でどうしようというようなときに、幸いによその地区あるいは全国地区でホウレンソウと小松菜が比較的カドミウムが多いと、それは普通のところならどれくらいでとまる、汚染地区はどれくらいになるというデータがございましたから、非常に参考になったわけですが、カドミウムと水銀に対してはかなり進んでおりますけれども、これから始まるであろうたとえばベリリウムとか、希土類元素とか、トランジスターその他に使いますそういうものに対する環境の汚染の現在の状況はどれくらい、あるいは汚染しない地区――どうせどろの中に地質的にございますから、そういうものはどの程度であるかというような調査が実は必要でございます。
 それからいまカドミウムに対して診断の基礎となりますような、一般の人の尿にたん白が出るのはどのくらいであろうかということがよく集まっておりますが、こういうようなことを申請しても一度も補助金が出るということはない。やはり長期計画の一つに、こういうことの積み重ねを持っていないといけませんので――国では相当よく集めております、法律をつくるときはそういうのに基づいておりますが、日本では先に基準をつくれ、しかも四月五日まで、国会のあれに間に合わせるとかいって騒いでおりますが、そういうように、少しさか立ちをしております。こういうものをいたしますとき、分析機関が足りません。それは大学やなんかに参りまして――大学というところはそういうところではないと私思いますけれども、毎日毎日野菜や魚が積み重ねられるというようなことではしかたがないと思います。各地にございます公害研究所あるいは公害センターに対して十分な予算と、ことに人件費がつかないのが非常な欠点でございます。幾らいい機械を買いましても使いこなす人がいないとだめなんでございまして、やはり予算には人件費を伴うことが必要だと思います。
 第三のことは、さっき申しました公害の処理の技術が、きびしくしながらもそれに伴っておらないというのが現実でございます。たとえば排出基準をきめましたときに、さっきの水銀の例でございますが、そこまで中小企業ではとうてい到達し得ないのでございます。そういたしますと、どうしているかというと、多量の水あるいは多量の空気で薄めますと、基準のPPMまで薄めますと、それを出してしまうわけであります。ところが、出ましたところが小さい川でありますと、あるいは小さい谷間でありますと、出したのは薄くてもそこにたまりました濃度はだんだん大きくなります。そういうわけで、やはり重金属のようなものは濃度で押えるのではありませんで、出ました川とか空気の付加と申しますか、一日のあるいは一ヵ月の全体の量を考えないといけないわけでございます。そういうわけで、いまの法律で濃度だけで押えているのには欠点がある。そういうことはみなが申していることでございます。
 第四に申し上げたいのは、その犠牲者はどうするかということでございますが、私これは個人の考えで、別に学界ではそういうことはないかもしれませんが、私は公害賠償保険という制度というのをつくったらどうかと考えているわけでございます。これはその前例となりますものが皆さま御承知の労働者災害補償保険というのがございます。これは自分の雇っておりました労働者が、職業的な災害にかかりましたときの負担が、小さい企業ではたえられませんから、企業の主が政府に対してあらかじめ保険をかけておくわけです。その保険によって国のきめました一定の基準までは、労働者にどんなにつぶれそうな会社であっても補償金が出るという制度でございます。しかも、同じ事故を起こす率の多い炭鉱のようなものは保険金が高くて、五年間無事故であるとその会社だけは保険金が安くなってくるというような、一種の報奨制度が伴っております。同じように公害も、一番公害を起こしそうな会社は高くて、起こさないものは安くて、事故がありました場合に、公害と認定されましたならば、責任者は会社でないかもしれません、企業でないかもしれませんが、一応とにかく保険の基金から金が出てしまう。裁判には十年もかかりますから、すでに御存じのように、水俣とか阿賀野川では補償金ももらわないうちに死んだ方がたくさんあるわけです。私はこういう制度をつくっておいて、もしも企業が重大な過失があるときは、国が企業から賠償金の立てかえた分を没収するというような制度にすれば、十分被害者も救われるのではないかと考えております。
 最後に、二、三の現行の法律で欠点があるではないかと思うことを申し上げてみたいと思います。日本は法治国でありますものですから、法律がないと何事も守られないということの一つの例といたしまして、衣食住の環境のうち、食に関しては食品衛生法がありまして、非常にきびしくしておりますけれども、衣と住に関しては、ただいまのところ有害物質のものを制御する法律がない、ゼロと申してよろしいと思います。皆さま御存じのとおり、たとえば新しい建築物ができまして、そのところにお入りになりますと目が刺されるように感じますのは、ベニヤ板の尿素樹脂――尿素ホルマリン樹脂から過剰のホルマリンが絶えず出てくるからでございます。私のところにある奥さんが来まして、プレハブ住宅を三鷹のほうで買いましたら、毎日頭痛がする。ことに雨戸を締めてから頭痛がするし、目のところとか、つめのところがただれると申して、ほんとうにただれておりますが、この間は電気工事の人が、屋根裏に入って気絶しそうになってはい出してきたと申しております。これはほんとうでございまして、ベニヤ板の少し質の悪いのを使いましたならば、雨戸を締めておりましたならば、一晩のうちにずいぶんこもることは当然なんでございます。これに対して現在何らの規定がございません。つまり、住居を衛生的にコントロールする法律はないと申してよろしいのでございます。
 今度は、衣服のたとえば防虫加工というのがございます。ラシャを虫が食べないようにいろんな農薬を使うのでございますが、これも言いかえますと、法律がありませんから何を使ってもいいのでございます。数年前にはカビどめには有機水銀を、殺虫剤にはディルドリンと申します非常に強い薬、これをまぜてせびろならせびろをどっぶりとその液につけて出したと、そういうのも売られたことがあるわけでございますが、おそらくいまの法律では、それによって人に事故が起こった場合しか罰せないわけでございます。つまり、いまの考えは、事故が起こったら罰しようということでございます。また、たとえば文房具でヤマト糊のカビどめというのがホルマリンを使っておりましたが、ある年にはこれに水俣病を起こしますエチル水銀を防腐剤に使っていた年がございます。しかし、ある物の性質を改良するつまり、着物を虫が食わないという性質に改良すること、あるいはのりが腐らないということに改良することは、通産省の所管でございまして、厚生省は何ら手を出せないことになっておりますから、法律がないうちはそういうことが許されておるわけでございます。たとえば家の中に塗りますペンキでございますけれども、これもそのペンキを塗ったあとがしわが寄らないとか、そういうような目的で改良したものを入れましたときは、全然これはコントロールがないわけでございます。それがそこへついたハエが死ぬとか、ゴキブリが死ぬということになりますと、初めて衛生害虫でございますので、厚生省の所管になるというわけでございます。こういうふうに、私の考えておりますのは、いまは広い環境を考えておられますけれども、家庭環境衛生法というようなものを考えるとすべてのものを一つにまとめられるのではないかと思うのでございます。申し忘れましたが、赤ん坊のおもちゃはいま食品衛生法で取り締まっております、これは非常におかしいのですけれども。おもちゃがあぶない、ことに外国に輸出しましたセルロイドのおもちゃに、昔でございますが、鉛の色素が使われておったというようなことで、急選取り締まろうとしたときに、苦しまぎれにおもちゃは赤ちゃんがなめると、したがって、食品衛生法でやろうということでやっておるのでございますが、たとえば小学四年生が遊ぶおもちゃはもうおそらく食品ではありませんから、これまた取り締る法律がないわけでございます。いまのような家庭環境衛生法というのをつくれば、何でも身近なものは入ると思うのでございます。
 それからもう一つは、縦割り行政の欠点ということを申し上げたいと思いますが、その一つの例として、牛乳のBHC汚染問題が大きな話題になっておりまして、いまでも相当、まだ濃度は思ったほど西日本では下がっておりませんが、このときにどうしてこういうことが起こったかということの一つといたしまして、まず、いま厚生省では農薬が野菜に残留しておりますことを担当する課は食品化学課なのでございますが、縦割り行政の結果、乳酪と申しますか、牛乳とかバターはこの課に属さないわけでございます。それはなぜかというと、ほかの乳肉衛生課いうのがございまして、そこがやるわけでございますが、そのために分析の対象にはなっていなかったわけでございます。今度はそれが母乳に出てくるということになりまして、この原因はおそらくこのごろのお母さんは、東京都の調査でございますと、二合ぐらいの牛乳を母乳を出すために飲んでおりますので、原因はそれだと思いますけれども、この母乳の問題になりますと、これは母子衛生課というわけで、これはもう環境衛生局ではございませんで、違う局になってしまいまして、児童家庭局の問題。また違いますと、そこで集まる委員というのはまた違う小児科の先生が中心になる、こういうようなふうに分かれております。またおかしいことは、BHCとDDTを製造を中止するという、あるいは使用を中止するというこうがきまったことが新聞にも公表されまして、数週間の後に、食糧庁は米の倉庫の虫を殺すにはBHCの薫蒸がいいであろうという通牒を出したわけでございます。そのことを偶然発見しまして申しまして、急遽それは取り消しになりましたが、同じような農林省でも、植物防疫課がきめたことは食糧庁は知らないで反対のほうの通牒を出す、こういうようなわけでございまして、やはり有害物というものだったらどこか一本にすべてのニュースが集まって、すべての通牒なり行政の場の一つのところを必ず経過するというふうに、それは省と省の間ももちろんですが、省の中でもそういうふうにしないといけないんじゃないかと考えております。
 それからまた、現行の法律でも、たとえば食品衛生法の現行の法律では、九州で起こりました米ぬか油の災害が二度と起こるかどうかということを防ぐことができないのでございます。それはなぜかと申しますと、ステンレスのパイプの中に熱源であります塩化クロールジフェニールを通しました場合に、食品と絶対接触しないようになっておりましたら、これは食品衛生法では取り締まれないわけでございます。しかし、そういうものがたまたま穴があいたからああいうことになったのですから、私といたしましたら、偶然のエラーでもそういうことが起こるような危険がある場所では使ってはいけないというのがほんとうじゃないかと思うのですけれども、やはりそれは産業に対する過大な干渉だという考えがあるようでございますけれども、私は、食品とか薬品とかあるいは家庭の環境のおもちゃなんかのようなものに対しては、そういうような注意が守れないような中小企業は遠慮さすというくらいでいいんじゃないかと思うんです。つまり、重要な健康障害を与えるおそれのあるような産業に対しては、それを防ぐ資格を持った者しか従事できないという、そういう自由の束縛があってもちっともかまわないんじゃないかと思います。
 もう一つの例として、水道法に水銀を含んで検出してはいけないとか、いろいろな限度がございますけれども、これをよく読みますと、この検査は浄水場ができたとき一回だけやればよろしい、あとは必要と場長が認めたときということになっております。そうしますと、水道取り入れ口の上に危険なる産業がつくられまして排水にどんどん出ておりました場合に、もしも場長が不注意で必要と認めなかったら、この水道法の規則というのは全然生きてこないわけでございます。どうしてそういう創設時だけでよいかといいますと、やはりそういう末端の試験場にはそれだけの技術がないからだということでございますけれども、いまは各地に公害研究所が県の単位でできてまいりますと、あるいは衛生研究所がございますから、一カ月に一度それを採取してセンターに持っていくということは容易なことだと思うんです。ですから、法律の表だけをごらんになりますと、たいへんよくなっているように思いますが、実際ではこのような矛盾といいますか、国民の健康を守るには不足しているところがたくさんあるように思います。こういうようなのは、やはりさっき申しましたように、やはり常任の勧告委員会のようなものが目をつけていれば、かなり防げるのではないかと考えまして、きょう申し上げましたことは、長期の計画が必要であるということ。それからじみなデータ集め、そういうものにもつと予算を出していただきたいということ。結局は、事件ができてはそれを追うということをやっておりましたならば、永久によいほうにはいかないだろうということを申し上げたいと思います。
 どうもありがとうございました。(拍手)
#7
○委員長(古池信三君) どうもありがとうございました。
    ―――――――――――――
#8
○委員長(古池信三君) それでは公述人の方に御質疑のおありの方は、順次御発言を願いたいと存じます。
#9
○小柳勇君 松尾先生に質問いたします。今度健康保険法の改正の一番中心にならなければならぬものは、診療報酬体系の適正化であろうと考えます。これはもう四十二年も、四十四年も内閣が国民に声明したところであります。したがって、診療報酬体系の適正化の審議会の答申などを見守ってまいりまして、その後具体的な問題は、いま中医協から日本医師会が脱退された。そうしてそのことで、もう健康保険医の辞退もしかねない情勢である。いまの状態では、医師会を無視して診療報酬体系の適正化はできないだろうと思います。そうしますと、診療報酬適正化ができなければ、健康保険法の抜本改正はできないのではないか、やるべきではないと、いまのような改正は抜本改正じゃなくて、抜本改正というならば、診療報酬体系の適正化をやることが抜本改正である、そう考えるわけです、われわれは。ところが、医師会は医師会に言い分がございまして、しろうとが診療報酬体系の適正化など手がけること自体が行き過ぎだ、公益側委員の診療メモに対して大きな反発があるし、また、今度の健康保険法改正自体にも大きな不満があるということが医師会の意向であります。
 そこでこれから質問でありますが、診療報酬体系の適正化が、抜本改正、いまの体系を根本的に変えなくても、現在ある法律、規則などを徹底的に守ることによって、ある程度診療報酬の体系の適正化ができるのではないか、こういうことが一つであります。具体的にいえば、先般の総括質疑の中で、いまの医療機関の取り扱い規則の中の一部を質問したのでありますが、厚生省は、これはいろいろ理由があって、守らせることができないと言われたわけです。だから現状でも、たとえば県庁に派遣してある厚生技官の増員だとか、あるいは医師会のもう少しそういう委員の義務づけとか、何か現状の中でもできることがありはしないかと、そういうことを私考えるわけであります。これが第一点であります。
 それから第二点は、先生おっしゃった抜本改正の中でも公的負担、それから公的機関をもっとふやしていく、あるいは保険負担をもっとふやすのだ、いわゆる私的病院の、私的医療機関を重視しておるあまりに、いまの保険財政というものが、どんどん赤字をふやしていくのではないか、もっと公的医療機関をふやすのだ、あるいは保険医療機関といいましょうか、そういうものをもっと力をふやしていくのだ、こういうことをおっしゃったのでありますが、そういう点について、少し具体的なお考えがあればお聞かせ願いたいと思います。
 上田先生のほうもありますが、あとでまた。
#10
○公述人(松尾均君) 質問の点は二点だと思います。診療報酬体系が現行法で改善可能じゃないか、それから供給機関のいわば社会化をどうするかということでございます。
 第一点につきまして申し上げます。確かに現行の報酬体系におきまして、若干の改正は可能だと思います。あるいは前進は可能だと思います。いま指摘されましたように、いわば地方団体等々に出向かれている厚生省のいわば権限を拡大するということも当然であります。
 もう一つは、監査制度というようなものをもう少し厳重にする方法がないかという点でございます。私はやっぱり監査制度というのは、多少観念的でありますけれども、民主化しまして、いわゆる専門家の固定した人事だけではやるべきではないと思います。これが第二点であります。
 それからこの診療報酬体系では、もちろんこれは専門家が問題にしておられることでありますけれども、やはり技術格差というものはどうしても認めざるを得ないのじゃないか。ただしこれをどのように具体的な体系に織り込むか、これが最大の課題だと思いますし、むしろ重点は、技術水準と申しますか、それの評価じゃなかろうかと思います。それが第三点であります。
 しかしもう一つ、診療報酬体系につきまして、これはあとの供給機関の性格とも関連すると思いますけれども、特に医療機関、まあ病院をはじめ医療機関のいわば会計でしょうか、あるいは経営のあり方でしょうか、これが通常の企業の会計と同じような方式になっている、と言うと行き過ぎでしょうけれども、この点はやはりメスを入れるべきじゃないか。医療のコストというものを一体どのように見るかという点でありますけれども、多少乱暴でありますけれども、医療機関の経営のあり方、会計のあり方というようなものを通常の営利性の企業と同じような見方で考えるのはやはりおかしいじゃないか。私はそのように思いますし、いわば経理原則というようなものを変えて、そしてコスト計算をするというような方向を現行法の中では考えるべきじゃないかと思います。それが前半であります。
 それから後半は、御指摘のように、私はやはり四十年代に入りましての医療保険の最大の問題は、特に皆保険化の最大の問題は、やはり供給機関というようなものをいかに社会化するか、やはりこれにメスをふるわない限りは私はやっぱり抜本改正等々も、あるいは医療保険から医療保障への道も何か熱意に乗らないし、あるいは軌道が設定されないと思います。その点幾つかの、たとえば現行法のように、一定の診療報酬体系等々を用いて医療経営というようなものにいわば規制を加えるか、あるいは公共の医療機関を拡充することによって、いわゆる私的医療機関というようなもののあり方を変えていくか、あるいは公社制にするのか、月給制にするのか、こういうような点についてもぜひ大胆な展望が必要と思いますけれども、私個人は、やはり公立の医療機関というものを拡充しながら、そして私的医療機関のあり方を変更していく、あるいは公的な機関の中に組織的に組み入れていくとか、そのような方法が必要じゃなかろうか。私はやはり第二の方法が妥当じゃないかと思いますけれども、その場合にも先刻申し上げましたように、単なる天下り的な方式ではなくして、それはやはりいわゆる運営と申しますか、現行のあり方の中から特に地域住民等々の声を受け入れまして、そうして一定の地域における医療機関のあり方というようなものを検討すべきじゃないか。その点気になる点は、私はやっぱり国家統制とか官僚統制というものは非常に危険であると思います。やはり国が施設をつくっていただいて、府県なり市町村なり等々、この医療機関の運営というものはやはり一定の地域で運営するというようなことが大原則じゃないか。その場合に、地域における運営方式というようなものを考える場合に、公的医療機関と私的医療機関との関係というようなものを整理をしていくというような方向が最も妥当であるし、最も国民の医療に役立つんじゃないか、そのような方向で考えております。
 以上です。
#11
○小柳勇君 もう一間松尾先生に質問いたしますが、それは、いま健康保険法の改正が衆議院で上程されておるわけであります。四十二年のときに一暫定改正をして、四十四年にそれが固定化しました。今回の改正はなお一そうその改悪の方向が助長されてまいると考えておりまして、いまの上程された法案では、医師会も患者側も両方とも反対である。しかし、財政は赤字が累積してまいるものですから、政府としてはしゃにむに今度その法案をまた四十四年のようにして通すんじゃないかと心配しているわけでありますが、私は、国民の保険行政、医療行政を長い目で見まして、今回のこの案は党を離れて可決すべきじゃないと、そういうふうに信じているわけでありますが、先生の御見解を聞いておきたいと思います。
#12
○公述人(松尾均君) 最後のところが私多少あいまいになりましたけれども、四十二年、四十四年、それからやはり四十六年、いわば今回の改正案についての評価でございますけれども、その法案提出なり改正要綱案の内容を見ましても、それから厚生省等々で試みられている趣旨というようなもの、こういうものを見ましても、端的に申しまして、政府の役割りとか地位というようなものが一歩一歩後退しているということでございます。しかも、その政府の地位というようなものも、いわゆる先ほど指摘しましたように、非常に財政政策というようなものが先行し支配しまして、皆保険に至るまでの政府の姿勢というものが変わってきているんじゃないかと私は思います。今回の場合は特に顕著でありまして、医療保険なりあるいは医療保障なりというようなものの抜本改正に一歩近づくんだということをきわめて強調されておりますけれども、端的に申しまして、医療保険の問題を医療費の問題に変えられておりますし、もっと赤字解消問題にしてしまっておられるということでございます。もちろん、これは国家の財源ですから財源に制限はあると思いますけれども、その点先ほど申しましたように、この医療保障というようなものを医療保険の形でいかれるのか、公費負担の形、あるいは私が言った加害者保険のような形に転換しようとしておられるのか、その点が全く不明でありますし、私も同然であります。特に、沖繩に行ってきた関係もありまして、今回のこの特例法的な改正の第三ラウンドに入ることは私はもうきわめて反対でございます。
#13
○西村関一君 松尾先生にお伺いいたします。
 きわめて初歩的な質問で申しわけないのでございますが、一つは、先生の本日の御公述の点とは少し離れるかもわかりませんけれども、政府の予算を見ましても、社会福祉に関する予算と社会保障に関する予算とが判然としていない、ごちゃごちゃになっているというふうに思うのでございますが、その点につきまして、社会福祉とは何であるか、社会保障とは何であるかというような問題に触れて質疑が行なわれましたが、政府の見解は明確に出ておりません。その点先生のお考えはいかがでございましょうか。社会福祉とはどういうふうに規定するか、社会保障とはどういうふうに規定するかということが第一点でございます。
 それから第二点は、健康保険法の改正に伴いまして、先生のお考えは、医療公社という構想がちらっとお話の中にございました。さらに、それは医療国営というところまでいくべきである、その過程の中において、本日の抜本改正というものが、抜本改正の線に沿うて、なされ得るべきであるのに、まだそういう点については不十分であるというふうにお話を伺ったんでございますが、その点、もう少し、医療公社、医療国営とまではいかないんですが、医療公社というお考えにつきまして、そのお考えを伺いたい。
 その二点、質問いたします。
#14
○公述人(松尾均君) 最初の第一点は、社会保障と社会福祉の関係、あるいは社会福祉とは一体何を君は言うかということでございます。多少、失礼でございますけれども、社会保障という場合は、私は先ほど、医療の場合でも申し上げました。たとえば、医療の場合について申し上げますというと、いわゆる現物給付でありまして、いわゆる治療、それからもう一つは予防、それからもう一つは、いわゆる社会復帰でしょうか、復帰のための給付と申しますか、最近はリハビリ給付というふうな形で呼ばれていますけれども、そういうものを包括したのが、医療について申しますというと、医療保障だと、私はそのように考えます。したがいまして、社会保障という場合は、そのような、きわめて包括概念だと私は思います。その中に――その中にと言うとおかしいのですけれども、社会保険があるし、社会福祉があるというふうに、私はそのように解釈しております。特に御指摘の社会福祉につきましては、これは、端的に申し上げまして、社会福祉という場合は、いわゆる生活保護法というようなものにきわめて近いものでありまして、国家が直接めんどうを見る制度だということでございます。社会保険の場合は、この利害関係者が保険料を拠出し再分配を受けるということでございますし、生活保護の場合には、租税、税金によりまして再分配して給付するということでございます。その一環に、私は社会福祉というものを据えておるわけでございますけれども、それでは、いわゆる生活保護と社会福祉とどう違うかということでございますけれども、生活保護の場合には、主たる観点が、やはり所得給付だという点でございます。社会福祉の場合には、これに一つのリハビリ給付と申しますか、一定の施設とかあるいは技術とか、そういうものを加えるというような形で一種のサービスのついたものだと、私はそのように解釈しております。ついででありますけれども、その点、いま問題になっている今回の児童手当法案というようなものは、これは一体福祉的なものか、あるいは家族給付的なものであるのか、全く不明確であります。以上のように、私は、保険料によるものと租税によるもの、そのように解釈しまして、福祉のほうは、さらにそれにサービスのついたもの、そのように解釈しております。
 それから第二点。多少乱暴に割り切りまして、現行制度のように、いわゆる私的医療機関と併存していくのか、あるいはこれを活用していくのかというようなこと――最初に申し上げまして、公社制をとるのか、あるいは国営制をとるのかというようなものを述べましたし、くどいようでありますけれども、国公立病院を拡充していくのか、その四つばかりの方式を掲げましたけれども、特に公社制につきましての一つのプラス点というのは、おそらく公社制の持つ意味は何かと申しますというと、全国的な医療機関の配置というようなものを一元化するというようなところにねらいがあるのじゃないかというようなことが一つと、もう一つは、いわゆる公立病院その他も独立採算制で、私的医療機関と同じような経営なり労働状態にある、これを排除しようというようなことが公社制の一つのねらいじゃなかろうかと思いますし、そのような内容を持っておる公社制ならば、ひとつ今後の医療供給の社会化の一つのあり方として検討してもいいんじゃないか、そういう意味で掲げたわけでございます。
 ただし、公社制のいわば経済効果、あるいはプラス・マイナスにつきましては、いろんな機関でいろんな論議が行なわれておりますし、ある意味では、もうすでにプラス・マイナスが実証されているというような分野もないではありません。私個人は、したがいまして、公社制というには、そういう内容を持ったものとして指摘したわけでございますけれども、やはり、現行の私的医療機関を公的医療機関の拡充によって組織がえ、性格がえ、機能がえしていくのが最も妥当じゃないか、そういう点を指摘したのでございます。
#15
○塩出啓典君 それでは、上田先生に三点ほどお聞きしたいのでございますが、一つは、先ほど先生は非常に公害に対する基礎データ、基礎研究が少ない、そういうようなお話があったわけでございますが、確かに、そういう点は必要じゃないかと思うのです。ただ、いまの政府の行政というのは、いろいろそういう問題が出てから、あわててやる状態でして、そういう将来を見通して、こういう研究を、こういう調査をやっていかなければいけない、そういうような一つの案みたいなものが研究者等の間に検討されてできておるのか、それを政府がやらないのか、あるいはまた、そういう案を検討する組織をこれからつくって検討すべき段階であるのか、そのあたりのことを知りたいと思います。
 それと、もう一つは、公害防止の技術のないようなものは生産してはならぬ、極端に言えば、やはり、あるものを生産するならば、当然その公害防止の技術のあるものでなければ生産してはいけない。確かにそのとおりだと思うのですが、しかし、現実には、むしろ非常に公害発生のあるような危険な仕事は、大きな企業は全部下請にやらしておる、下請も実際には公害防止の力はない、そういうような現実になっているんじゃないかと思うのですね。私は、そういう点をやはりほんとうに根本的に改めていかなければならないのじゃないかなということを、いま感じたわけですが、それに対する先生のお考えを聞きたいと思います。
 三番目に、いろいろそういう現行の法律が非常に欠陥があるということのお話を聞いて、われわれもほんとうにそう思うのですが、そういう研究者とか学者のそういう意見というものが、ほんとうに行政にどのように反映されておるのか。これはやはり、学者の、先生方の立場から見た場合に、もっとこうすべきだ、われわれの意見を反映させるため、もっとこういうようなことをすべきだというような、そういうような意見なり要望なり、そういうものがありましたら、お聞きしたいと思います。
 以上、お願いします。
#16
○公述人(上田喜一君) 御質問の第一点の基礎データの案と申しますのは、いろいろあると思います。いま研究者の間で希望しておりますのは、たとえば、産業都市ができますならば、その前をよく調べておいて、それから一定の、五年なりなんなりをおいて重ねて調べていくという追跡効果がぜひ必要であるということでございます。もう一つは、いまカドミウムにいたしましても、水銀にいたしましても、こういう重金属その他有害物質が人間にたまることが悪いというところで、たまらないように押えていくということが一つの判定の目安でございますけれども、そのためには、正常な――正常と申してはおかしいかもしれませんが、普通の日本人のからだの中に、たとえばカドミウムがじん臓には幾らぐらいあるとか、そういうようなデータでございます。ことに、地方別が著しゅうございますから、東京で幾人あったというのではだめで、日本の各地でそういうのを集めたいと、いま希望しているのはそういうことでございます。もっと系統的な研究は、考えればあると思いますが……。
 第二の点でございますけれども、御指摘のとおり、水銀がいけないとなりますと、みなそれを下請けに回していくということはほんとうでございます。それからメッキ工場もそうだと思います。従業員までも下請工場にやらしておりまして、たとえば大きな製鉄会社でも、皮膚ガンを起こしそうなタール部分をスコップですくうような仕事は下請け会社にさしてしまう。私の会社にはそういう危険な作業部はありませんというのは、実はそこを下請別会社にしちゃったからでございまして、これは産業の常套手段だと思います。このごろ少し動きが変わってまいりまして、メッキ会社に青酸――シアンを売る会社が、その廃棄処分までも、危険物を売った以上、そこまで責任をとろうかという会社があります。やはり私は、中小企業に対してはそこまでいくのがいいのではないかと思います。それはどういうことかといったら、一つのタンクにためておいてもらって、全部それをタンクローリーで吸い上げてきちゃって、りっぱな施設に持ってきて処置しようと、そういう考えでございます。これは良心的な会社の場合だと思いますが、やはり法律的には、いまおっしゃいましたように、最終使用者である大きな会社まで責任者の中に入れることが、もしできましたら一番いいと思います。これは、公害ばかりではなくて、そこで労働している人たち、農村からの出かせぎの人たちが最大の犠牲者です。短期労働者ですから、危険なことをやらして帰らしてしまう、そういうような実情でございます。
 第三の点の、現行の法律の欠点を――これは何でございましたか、組織的に見つけようということでございましたか。
#17
○塩出啓典君 そういう先生方の意見というものが行政に反映されているのかどうか。そういう立場から見て。
#18
○公述人(上田喜一君) わかりました。
 これは、やはり私どもと接触するのは技官の人が多いものですから、彼らはよく知っておりますが、今度は官庁の中における技術者の位置というのが、また法律改正あるいは予算をとることには非常に微力でございますから、まずまずそこまでは反映しまして、そこから先はとまっておる。やはりもっと上級のところにいくような機関というのが必要と存じます。
#19
○小柳勇君 上田先生に質問いたしますが、一つは、公害賠償保険のお話が出ました。不勉強ですので、外国の例がありましたらお教え願いたいと思うのですが、労災保険は、被保険者、保険者が大体判然としておりますが、公害の場合は、国民オール被保険者になりませんとですね。ちょっと考えられないのでありますが、外国の例がありましたら、お教え願いたいと思うのです。
 それから家庭環境衛生法というのは、いまもちろんございませんが、私ども考えておりますが、この点も、諸外国にもう少し進んだ法律がありましたら、お教え願いたいと思うのです。
 以上です。
#20
○公述人(上田喜一君) 公害賠償保険法というのは全く私案でございまして、外国にも、私まだよく調べてないのでございますが、いまおっしゃいました被保険者というのは国民全体でかまわないのだと思います。なぜかといいますと、掛け金は企業がかけるのでございますから。労災保険もそのとおりでございまして、労働者は一文も払っておりません。ですから、要するに、企業がこうむる損害を分散しようというアイデアでございましたらば同じことでございます。私のこの構想を持ちましたもとと申しますのは、外国で自動車と自動車がぶつかりましたとき、おまえが悪いというけんかをしたり、警官を呼ぶということよりも、お互いの保険の会社を呼んで、保険会社同士で解決しちゃうというのが普通でございます。やっぱり、だれが悪いということになりますと、それをきめることは非常にむずかしいので、悪いかどうかはゆっくりきめる。しかし、ある額の生活の補償が出るということは、世界になくても日本でつくれるのじゃないかと考えたわけでございます。
 家庭環境法というのも仮りのことでございますが、いま一つ厚生省はそういう構想を持ちまして、実態調査を四月から年度に始めたいそうでございます。どれだけの被害が起こっているかということでございます。ですから、もし議員の皆さまのほうに、もっといいアイデアがございましたらば、私がむしろ教えていただきたい。
#21
○岩動道行君 私は、松尾先生に若干御質問申し上げたいのですが、まず第一に、沖繩の問題について御指摘のありましたことはまことに適切であり、また、貧困と病気の関係を明確に申されたのは、まさにそのとおりであって、これはビハリッジのイギリス社会保障の根本の問題としても取り上げられておる点であります。かような点において、御指摘はまさにそのとおりであり、われわれ与党、政府としても十分にこれは本土並みということで進んでまいりたいと、かような点から作業も進められておりまするので、この上ともよろしく御指導願いたいと思います。
 それから抜本改正については、実は医療国営をお考えになっているのかと思っておりましたが、先ほどの質疑で、その点はそのようなお考えはない、国公立医療機関をさらに整備拡充していく、と同時に、私的医療機関についてはその運営改善をはかりたい、国家、官僚のもとに置かれる医療というものは必ずしも好ましいものではない、こういう御意見を承わりまして、私も全くその点については同感でございます。問題は、やはり診療担当者の道徳――モラル、あるいはその技術をいかに尊重してまいるかということ、と同時に、また受診者のマナー、いわゆる乱受診というようなものが起こらないようにしていくこともきわめて必要であると、かような観点から、私は、先生の先ほどの質疑の中から、大体私どもの考えているところとそう違わないということを承ったのでありますが、なお、あらためて医療国営の観点についての明確な御意見を承っておきたいと思います。
 と同時に、この今回の改正の問題は、私どもは、抜本改正のいわゆる第一歩だというふうに明確にこれを考えていくべきだとも思われない点も多々あるわけでございます。しかし、少なくとも、そういうものへの一つの手がかりではないだろうか、かような観点から、私は強化をしていくべきではないか、ただこれを反対するということだけでは何らの解決にもならない、手がかりにもならない、かように存ずるわけでございます。イギリスでも、社会保障が行き過ぎたために、いろいろと問題を起こしております。
 かような観点からも、私は、いろいろ自己負担の問題もやはりある程度は考えていかなければ、ここに問題が残されてしまう。第二の食管になるとさえ言われておる政府管掌の保険の問題もございます。そこで、先生は、社会保障は所得の再配分だというような基本観念を、まず持っておられると思いますが、そのような観点から申しましても、先ほどきわめて明確に、保険料率は千分の七十に固定すべきである、あるいは老人の医療給付については六十歳からこれを行なうべきだと、あるいは国庫補助率は二〇%にすべきだと、きわめて明確な御指摘がありましたが、これらは、所得の再配分ということを考える場合には、どうしても税の負担ということにつながってまいるわけでございます。そこで、予算の仕組み、財政の仕組みということに関連をしてまいるわけでございまするが、私どもは、かような観点から見ましても、直ちに先生のおっしゃることがそのまま日本の財政の実情から、はたして可能であるかどうかということについては非常に大きな疑問を持たざるを得ません。私どもは、給与所得者等に対しても相当の減税を行なっていかなければいけませんし、あるいは公害問題に対しても相当の財政的な支出もしていかなければならない。あらゆる観点から考えられるならば、まずまず、今回の案もやむを得ないものではないか、満足すべきものではないけれども、やむを得ないものではないか、かように考えてもおるわけでありますが、先生の御意見をこの機会にあらためて伺っておきたいと思います。
#22
○公述人(松尾均君) 多少どぎつく割り切りまして、かえって反撃を受けておりますけれども、二、三お答えいたします。
 一番最初、受診者と申しますか、あるいは国民の側でも、やはり何らかのモラルが必要ではないかと言われましたけれども、その点、確かに私たちは、健康というものにつきまして、あまり考える時間的、金銭的余裕がいままでなかった。したがいまして、病気になるとなりますと、まあ、診断してもらいまして、そして薬を飲めばよろしいというような形で、きわめて受動的に考えておったということですね。したがいまして、今後は、やはりもっと健康自体をいかに保って、これを増進するかというような方向転換を、医療給付なり医療行政では行なうべきではないか、そういう芽ばえに私は注目したわけでありますけれども、依然として、やはり今回の場合は、あくまで受動的な医療の治療行為中心に終わっておった、きわめてこの点は残念だと思います。しかし、私たちの医療観念と申しますか、逆に健康に対する観念というものを、もう少し受身、しかも薬本位の受身から、積極的に考え直すべきではなかろうか。この点では、やはり私たちの啓蒙も少ないわけでありますけれども、厚生省等々は、もう少し積極的に啓蒙していただきたい。家計を見ましても、薬代というようなものがありますけれども、また乱暴に言うとおこられますけれども、予防費というような項目は一つもありませんし、その点家計を維持する者といたしましても考え直すことが必要だ。
 第二点は、やはり医療国営を主張されるのじゃないかという予測があったと思いますけれども、私も、医師会に加入している方々、たとえば五万人としまして、ずばり申し上げます、月給五十万と計算しましてみたのですけれども、まあ三千億か四千億であります、月給制にしますというと。きわめて乱暴な計算ですけれども、そういう計算をしてみましたけれども、やはり現状では、医療国営とか等々、医療の機構の早急な、あるいは早まった性格規定というようなものは、やはりその他の諸条件と合わない、多少観念論に終わるのではないか。むしろ、お医者さんというものは、私たちの病気なり健康を見てくれる人でありますし、お医者さんとの理解、対話、こういう面が必要ではなかろうかということを考慮しまして、やはり媒介口としまして国公立医療機関の拡充というところに重点を置いた。しかも、先ほど申し上げましたように、やはりこれは何らかの意味での地域単位で運営を民主化していく方向がやはり妥当じゃないかということでございます。それが第二点。
 それから三点は、この今回の改正法案にしましても、一つの抜本改正の一歩の手がかりにしたい何か芽ばえはないかというわけであります。その点、私も一生懸命その芽ばえを探したわけでございます。一つだけやはり注目したい点は、やはり老人給付のところに芽ばえておりましたように、やはり医療の給付方式というようなものを、この際、保険医療的な給付の方式と、公費負担の方式と、先ほど私のことばが悪かったのですけれども、やはり労災等々に準じた加害者負担の医療方式、この三つくらいに、この六十六年度から大きな筋道が立てられればというふうなことで、公費負担というようなものがせめてもの手がかりになるのじゃないか。多少これは老人医療のところでも指摘しましたように、あいまいですけれども、せめてもの手がかりは、私はそこに求めていきたいと思います。
 それから、やはりもう一つ、小さいことでございますけれども、政管健保における補助率計算ですね。補助率の形で、いわば割合の形で出されたというのは、金額面は幾らも増加しておりませんですけれども、今後の運営におきましては、きわめて明快な国庫補助のあり方じゃないかというふうに思います。
 それからこの公費負担で、だから私はきわめて重視したいと思うわけでありますけれども、ところが、先ほど申し上げましたように、公費負担というのは、政府なり厚生省が軸にすわっておられなければできないことであります。ところが、この政府なり厚生省の位置づけが、これは政管健保の保険者であると同時に、たとえば国保のやはり主宰者でもありますし、それから健康保険組合、組合健保並びに共済組合の統轄者でもありますので、厚生省が、この各種の保険と申しますか、あるいは保険集団と申しますか、そういうものをどのように配慮されながら、いわば政管健保における補助率等々をおきめになっているのか。先ほど申し上げましたように、継続給付につきましても、保険者はだれだということが明らかじゃないのですね。そういう点で、やはり日本の場合には幾つかの断層を持った保険集団が周辺にあるわけですから、厚生省は政管健保のいわば主宰者であると同時に、全体の主宰者でもありますから、その点をどの程度考慮しまして、そうして今後の大筋を描こうとしておられるか、この点が不明確である。そうしますというと、せっかく私が注目した公費負担医療方式も、私はやはりこの点ではあまり点数をたくさんあげるわけにはいかないというふうに思っているわけでございます。
#23
○岩動道行君 大体わかりましたが、老人の医療給付、これは、これからの日本の人口構成から見ましても、きわめて大切で、これなどは確かに公費負担でやっていくような方向にいくべきものである。ことに、地方の国保なんかでも、市町村によってはこれを実際に行なっております。しかしながら、財政的には非常に苦しい。そこで、府県がこれに対して補助をするかどうか。あるいは年齢におきましても、とうてい六十歳などという定年制に結びつけたような考え方はあまりにも非現実的な御提案ではないか、お考えではないか。少なくとも平均寿命的なところ、あるいは財政の観点からは七十五歳くらいから始めているところもあるわけでございます。かような観点から、私は趣旨としてはまさにそういう方向で今後考えていくべきであるけれども、これは漸進的でなければならない、かような観点で申し上げたわけでございます。
 以上で終わります。
#24
○杉原一雄君 上田公述人にお伺いいたしますが、一番初めに、公害に関する行政諸官庁のブレーンの問題ですが、ブレーントラスト制を設置せよという提案のようでありますけれども、ただ、政府もそうですが、あるいは東京、横浜等で公害研究所というのがあるわけですけれども、その構想とは私もやはり違ったものであろう、また、違った任務を持たせるべきだと思いますが、その辺のところを、直感的ですけれども……。教授のほうで、そういうことについての考え方がどのように整理されておるのか。
 第二点は、公害賠償保険制度の設置についても、私は非常に優れた提案だと思うのでありますが、ただ、ここで去年の臨時国会等できまったところの公害防止事業負担法という法律があるわけですが、その辺のところを、いわゆる負担の問題とか運用の問題等について、若干の食い違い等も起こってくるのじゃないだろうか。われわれは、もちろん発生源、いわゆる企業負担ということを最大限に重視しながら立法並びに運用を提起してまいったものでございますが、両者の関係について、とっさでございますけれども、教授の判断はどうなっているのかということでございます。
 第三点は、食品衛生法では――いまの米ぬかの問題、油の問題でありますが、パイプに穴があいて、それがあのような大事件を起こした。だから、穴があく、あかないにかかわらず、そういうものを使用しちゃいかんと、それに耐えられないものは遠慮してもらいましょうと、きわめてはっきりした提起だったと思うのであります。これは、先生の提案は、食品ということに限られたようにお伺いしたのであります。しかし、われわれの周辺では、そうじゃなくて、いわゆる一般化学工場の中でも、バルブのゆるみいかんによっては、どえらい爆発を起こしたり、付近に有毒なガスをまき散らすという危険は、私、富山でありますが、毎年のように起こっているわけですが、先生のいまの主張は、そうした面まで拡大されるという意図はおそらくないと思いますが、その辺のところを、ひとつ仕分けをしていただきたいと思います。
#25
○公述人(上田喜一君) ただいまの御質問の第一点の、そのブレーントラスト制のものは、私の考え方といたしましては、やはり各省で違うと思いますけれども、医学ばかりでなくて、工学、技術者も入れまして、そして若手のところをそろえて、長期計画及び予算面でどこに傾斜さすか、公害対策のバランスをどうとるかというようなことを勧告したらどうかと、こういうわけでございます。たとえば、外国の例でございますと、農薬に対する大統領に対する勧告委員会というのは、そういう専門家を集めてつくりまして、もう各省を越えた見地での対策というのを勧告したわけでございます。そういうような、大きく言えば総理大臣に対するブレーントラスト、小さくは各省の通産とか厚生、別々でもよろしいのでございますが、少し現役のちゃきちゃきしたところを集めるということでございます。
 第二の公害賠償保険というものの考えに、私は最初は人の健康に対する賠償だけを考えましたけれども、このごろは産業に対する賠償でもいいんじゃないかと思います。防止事業負担法との違いは、防止事業負担法は、そういう設備をつくるときに金融面で補助しようということと思いますが――私の解釈では。こちらは、事故が起こったときの手当ての財源を供給するという考えでございます。私は、こういうことができるだろうと思いますのは、いま富山の御出身だそうでございますが、この間富山で、ある弗素公害の問題がありましたのを見ますと、会社側は、ことしは蚕にばく大な補償金を出さなくてはならぬであろうといって、賠償の予算というのを、ちゃんとあらかじめふやしております。企業の面でさえ、こういうことをしておるのでございますから、もしそれがもっと大きな事故が起こったときということを考えますと、企業は、それに組む予算を、政府を保険者といたします国全体の保険に払い込んでおきまして、万が一それより大きな事故が起こったときも保険金が出るということになって、企業はむしろ賛成ではないかと思うのです。いま、稲とか、そういう蚕のは、すぐ出ますのですが、人間の健康の障害に対しては会社側は非常に出さない。企業側は非常に渋っております。そういう、人が一番救われるためには、産業に出す何千万と比べましたらば、人に対する補償というのは非常に小さい額でございます。それを出したがらないのは、自分がその責任者であるということを嫌うためだと思います。そういう道徳的責任をとりまして、この保険の基金が出すというと、非常に出やすいのではないか、こういう考えでございます。
 第二の、食品衛生法をほかの産業にも当てはめたいということ、私、それ、当然と思います。危険な産業はそうするように義務づけてもいいと思うのでありますが、非常に困りますことは、特許に触れるからといって、何を使っているかを明らかにしない、そういう会社が多いのではないか。通産省は知っているらしいのですが、通産省はまた、産業を守る意味で漏らしてくれません。そうしますと、危険なる産業というのを判定するのは厚生省ではできないことになります。これは、やはり通産省もそれを共同の責任をとってくださることが必要で、ただ、近来、通産省の態度は非常に改善されたと私は思っております。
#26
○委員長(古池信三君) ほかに御発言もないようですが、それではこれで質疑は終わることにいたします。
 公述人の方に申し上げます。長時間にわたりまして御意見をお述べいただき、まことにありがとうございました。厚くお礼を申し上げます。(拍手)
 それでは、午後一時に再開することといたしまして、暫時休憩いたします。
   午後零時七分休憩
     ―――――・―――――
   午後一時二十三分開会
#27
○委員長(古池信三君) ただいまから予算委員会公聴会を再開いたします。
 午前に引き続きまして、午後もお二人の公述人の方に御出席を願っております。
 昭和四十六年度総予算について御意見をお伺いいたします前に、公述人の方々に一言ごあいさつを申し上げます。
 本日は御多忙中にもかかわりませず、本委員会のために御出席をいただきまして、まことにありがとうございました。委員一同にかわりまして厚くお礼を申し上げます。
 それでは、議事の進め方について申し上げます。お一人三十分程度御意見をお述べいただいた後、委員の御質疑のある場合お答えをいただきたいと存じますが、大門公述人の御都合によりまして、大門公述人の御公述をいただきました後、直ちに委員の御質疑があります場合、お答えを願いまして、お引き取りをいただいて、次いで錦織公述人に公述を願うことといたします。
 それでは、まず、大門公述人にお願いいたします。(拍手)
#28
○公述人(大門一樹君) いつも政治の悪口ばかし言っておりましたが、きょうはこういうところへ出るはめになりました。
 消費者の運動をずいぶん久しい前から、もう十年も前から見てまいりましたが、最近のカラーテレビの不買運動をよく見ましたのですが、私が岐阜県の地婦連の大会へ参りまして、そこでお話をしたりなぞしまして、あとで懇談をいたしましたが、熱心に皆さんがこの不買運動のビラをまいたり、いろいろなさっております。そうしまして、お話聞いてみますというと、岐阜に三洋電機の工場がございまして、そこがやはりカラーテレビ不買の波を受けて工場を縮小して、そこに働いておられる。パートタイマー、主婦の方々がだいぶ失業なさったそうですが、その地婦連の会員の中には、そのために失業なさった――地婦連のカラーテレビの不買運動のために地婦連の方が失業して、それにもかかわらず非常に元気にその不買運動のビラまきなぞをやっておられるというようなことを伺いました。また、私の住んでおります鎌倉というところでは、何人かの人がビラまきなどを街頭でやっておられましたが、小さい町でありますから、顔をよく知っておりますが、カラーテレビを買う階層の方ではない――地婦連の場合にも、岐阜の方でそんなにやっておられますが、カラーテレビをまだ買う人でない方が、そうして失業のうき目にあったりして、なおやっておる。まあそんな例は幾つもありまして、カラーテレビは高い、これを安くしろということで、そうしてやっておられますが、何も買う人でない人までが、カラーテレビそのものでなくてその物価へぶつかるという、物価への怨念と申しますか、そういうことで動いておられるという感じがするわけであります。私鉄の場合もタクシーの場合も乗らない人が署名運動をする、あまりタクシーを利用することもないような人までがやっておられるというような、まあ七一年は怨念の年といいますが、そういうふうに不買というようなこと、自分の買わないものでも物価への怨念がそういうふうな行動に――まあこれは流行といえば流行のような一面があるかもしれませんが、ファッションの流行と違いまして、日々のこの買い物において、ああ高い、困ったと、そういうことに消費者心理に根ざしたものでございますので、単なる流行ではないというふうに思われるわけであります。
 最近はまた再販品――薬、化粧品それから洗剤などへの不買運動が、つまり、再販製品への不買が燃え上がってまいりまして、国会でも薬の原価は一体どうなっておるのだといって、公明党の方が佐藤総理に問い詰めておられましたが、ここで佐藤さんが、議事録を見ますと、うっかりと、そうだと、あなたの言うことは正しいと、そういう薬の原価のようなものもちゃんとしなくちゃいけないというようなこと、で、これはもしこんなことが、薬の原価を知らせるというようなことになりますと、おそらく薬のメーカーはつぶれてしまうでしょう。耳の原価のようなものは、いま仲間の間では、業者の間では五、六千円、一キロ。そうすると、一グラム五、六円でありまして、われわれののむのはミリグラム単位でありますから、五、六円の千分の一と、もうただ同然のもの、アリナミンといえども、百錠、あれは千九百円でしたか、最近はやはりこういう時勢の何で若干値下げされましたようですが、これも九層倍どころか、九十層倍に近いようなものでありまして、そういう実態を、つまり、百円の製造原価ででき上がったものを千円で売るという型の商品が非常に多い。管理価格、寡占価格、独占価格と言われたりなどいたしますが、そういう範疇に属さないものでも、そういうものが大企業製品となりますと、そういうことになっております。
 なぜそういうべらぼうな、百円でつくったものが千円でまかり通るのかということになりますというと、知らないからであります。国民が知らないからでありますが、国民がそこに正札があるから、高い値段はやはりそれだけ手間がかかっておるんだろう、コストがかかっておるんだろうというふうに考えるわけであります。一面でまたこれを知らせない、製造原価がどうであるか、流通原価がどうであるかといったような正確なことを知らせないという、ひた隠しに黒いベールで知らせないという努力を企業がする。またこれを批判するようなものには圧力がかかりまして、私が「原価の秘密」というささやかな書物を書いて幾らかそういうものをなにいたしましたところが、たくさんの新聞社の方たち、週刊誌だとか、そういうところから問い合わせがありまして、圧力がかからなかったかと何人も何人も同じことばかりお問いになる。そのことが語っておりますことは、その問われた方々が、何か書いたところが圧力を加えられたということを語っておるんじゃないかと思いますが、私の場合も圧力がなかったと言えばうそになります。
 カラーテレビの不買運動に非常に立ち働いた方がありました。そして暴力団が動いて警視庁が警戒の体制をとったと、そういうこともございます。社会党なども法案を――大企業の原価を、管理価格の商品の原価を届け出あるいはこれを場合によっては発表しろというような法案を提出されたようでありますが、大企業は企業秘密を国民が知らないから、この値段で売れておるので、一たんこれが知られますというと、カラーテレビの場合のように、ああいう不正確な価格構造、原価構造を国民の前に出さざるを得なくなって出したわけでありますが、それでもああいうふうな騒動になってしまいましたが、その他のたとえば、薬のようなものですとか、化粧品のようなもの、それが私ども外部のものがああだこうだと言ってもあれですが、メーカー自身がこれは幾らでできておるのだというようなことを言った場合においては、国民はとても憤激しておさまらないわけでありましょうが、企業秘密ということで知らせません。しかし国民は知らされる権利というものがあるわけでございまして、これはやはり……。
 同じように、「原価の秘密」という本を書きましたときに、何人も何人も同じことを新聞社の方やその他の方がお聞きになります。どういうふうにしてどういう経路でその材料を入手したかということなんでございます。まあ、ラルフ・ネーダーが来まして、企業内に笛吹く人、ホイッスル・ブローアーですか、企業内にネーダーに協力して企業の実態についてレポートをくれるというような、そういう人をつのれというようなことを教えて、帰りましたが、アメリカで盛んにやったようであります。日本にだってやはりそういう方がたくさんおられますので、自社のことはまあ問題でありますけれども、しかし、あまりにもそういうふうな高い物価、そういうものに対して疑問を持っておられる方たちは、ネーダーが言う前に、日本でもホイッスル・ブローアーになってやっておられるわけであります。
 で、百円のものがどういうふうにして千円の値段で売られておるか、これは典型的――特殊でなく典型的に語っておりますのは、やはり化粧品の例でありまして、五十円ぐらいのものが千円になって売られております。びんの中身は五十円、値段は千円、それは売る費用が非常にたくさんかけられております。最初にこういうクリームあるいは香水をつくって宣伝すれば、一体この種の香水に若い人たちは幾らまで払うだろうということを見当つけまして、そして千円払うだろうと思えば千円という値段を打ち出しまして、そうしてあとでそれじゃこれを千円らしく売るには、どのような広告宣伝をしたらいいかというようなこと、演出の費用、千円らしい扮装をもって出ていくそういう費用。それとともに大きくシェアを広げるにはどうしたらいいかというようなその費用。だから下から幾らでできたから幾らでと、こう積み上げていくのじゃなくて、まず値段をきめておいて幾らで買うだろう、そしてこれでうんと買わせるには、シェアを大きくするにはどういうコストを積み上げていったらいいか、投下すればいいかというようなことでありまして、競争時代の競争価格、自由価格というものが、安くてよいということで競争するのではありません。あの場合には全く積み上げ式でありまして、原価幾ら、どうしても必要な小売りマージン幾ら、リベート幾らといったふうに、下から積み上げてまいります。そうして幾らと言っても、その幾らをできるだけ安くすることによって、お客さんをたくさん吸収して利益を大きくしようというわけでありますが、現代のそういう大企業のプライシングと申しますか、そういうものは違ってまいりました。売価と原価は関係ないというのが一つの思想のようになっております。売り値段と製造原価とは関係ないぞと、これは薬メーカーもそう申しました。電気メーカーもそのようなことをはっきり書いております。ウイスキーなども同じようなことでしょう。何も安くできたから安く売るとかというようなものじゃない。どこまで高く売れるか、 シェアを最大にし利潤を最大にするように、どこまで高く売ることができるかというようなところで値段をきめるのだ、原価は関係ないということから、いまのような百円でつくったものを千円で売るような型の商品が多くなっております。
 それから、そうしまして宣伝費からマージン、リベートその他の販売費用、交際費――悪名高い交際費、政治献金に至るまで、いろいろなものがこの百円の原価にくっつきまして千円というふうになります。つくる費用百円に対しまして売る費用を数百円かけまして、あとは利益。その数百円の売る費用、これは全くメーカーが利益を、大規模企業が利潤を得るために消費者に負担させている。自分のもうけ仕事にふんだんに費用を使っておいて、その費用は国民に負担させておる。そういうことから、この国民の不信感ということが起こってくるのじゃないかと思うわけであります。管理価格、寡占価格というような抽象的なあれじゃありませんで、自分たちがうんと高く売る、うんともうけるために百円でつくったものに、数百円のよけいな費用を私たちに背負わせているということへの憤慨があるのじゃないかということは、いろいろなところから出てまいります。広告費と交際費、この二つだけでも日本の家庭の一軒当たりにおそらく七万円、八万円の負担をかけているわけでしょう。これを国民経済全体に見まして、結果として見てまいりますというと、包装費が一丁何千円、まあこれは生産財の包装費もございますけれども、包装費が一丁何千円。セールスマンは今日的確な数字は把握できませんけれども、百万人単位であります。そういうふうなものが一種の国民経済における浪費部門、資源の浪費というようなことになってまいります。
 それだけではありません。百円のものを千円で売るということになりますと、数百円の消費者にとっては負担に過ぎないところのもの、企業にとっては利潤の源泉であるもの、そういうものはやはりそれぞれ人的物的資源を消耗しているわけでありまして、たくさんなセールスマンは車に乗って交通難の原因となり、あるいは高い地価や何かの原因になっているわけであります。売るための費用というようなものが、製造費用よりも何倍も大きいという。そうすると、今日日本でいろいろな問題が起こっておりますが、それらは消費者にとっては負担分であるところの、企業にとっては利益ではありましょうが、そういうことのために起こってくることが非常に多い。GNPというようなことを申しましても、GNPは正札の千円の合計であります。その実態を見ますと、百円だということになりますと、GNPは何を語っているかというようなことにもなります。このような不合理がわからないから、また知らせないから、現在のような不合理な価格がまかり通っておるのであります。
 流通の問題も、最近は再販問題、不買運動の場合、薬でも三割、四割、五割、六割、神田の現金問屋へ参りますというと、また化粧品でもそうでありますが、ああいうところへ参りますというと、非常に安い値段。再販制だなんて言われて、一銭もまけないぞというような顔しております資生堂でも、あるいはポーラ三割引きなんと言って大きな看板を立てておる、そういうような二重価格、かぜ薬六割引きなんというのは、もう珍しくなくなっている。そういうふうないろんな値段が、これはつまり、再販で高い。薬の中でも、化粧品でも再販でないものはそのように安い、五割、六割引き。再販になりますと、一割だとか一割五分引きぐらいでとまっております。洗剤なぞでも再販制のものでございますけれども、大メーカーのものは一キロ二百円、中小メーカーのものは百円、しかも品質は同じということは、もうメーカーも申しておられます。そういうふうなことは、衣料にしましても家具にしましても、電気器具にしましても、カラーテレビなどでも、いまちょっと混乱期になっておりますけれども、長い間メーカーは、神田末広町にずっとたむろしておりますああいう現金問屋へ、現金正価の半値あるいはそれ以下で流してきております。メーカーも小売り店に渡しますというと、なかなかお金が来ない。そうして大量売れません。そこで、こういうところへおろしますというと、即金で大量買ってくれますので、半分くらいで。そうすると、彼らはそれに五百円か千円のマージンを取りまして、そうしてこれを全国に散在する安売り業者に流します。安売り業者はそれでカラーテレビの場合は一万円も利益をもらいますというと、それでも正価の三割引き、四割引き、どうかすると、ものによって五割引きといったようなことで売ることができるようなことになっておりまして、全くこうなりますというと、私たち普通の人間は、製造原価ということを考えるわけですけれども、いろいろな値段が出てきておる。全くこれはつくり上げられた値段だという感じがするわけであります。
 日本の二、三年来の消費者の動きは、非常に活発になってまいりましたが、それは社会全体の底流、気流が非常に激しいものになってきましたことと一つになってきております。去年のことでございましたが、朝日新聞の投書欄に声欄というのがありまして、そこにこう物価の高いのはもうしんぼうできないと、百姓一揆のように主婦一揆デモでもやらないものかなんと言って出ましたところが、次の週に、やりましょう、何月何日数寄屋橋のどこそこへ集まりましょうという投書が出ました。そうしましたら、その日にはあちらから一人、こちらから二人、主婦がてんでに集まって、百名近くも集まったそうでありますが、そうしてデモをして経企庁か農林省かどこかへ行ったということでありますが、それは毎月一回ずつ続けておるようであります。こういうことは、日本の消費者の歴史でも、非常に燃え上がって激発的なことは、米騒動以来、あるいは以前からありましたけれども、新聞の投書で呼びかけて消費者がどこともなく集まってくる。どこか大組織が動員したわけじゃありません。全く名もなき町の庶民が投書を見て百人も集まってきて、一カ月もデモを続けておるといったようなこと、これは日本では初めての、この二、三年来の気流の反映であるかと思いますが、消費者団体も非常にたくさん数がふえてまいりました。非常に告発的になってきております。しかし、六百も団体があるけれども、玉石混淆だといって朝日新聞が社説で二十日ほど前ですか、ほんとうの消費者団体が必要だと、日本消費者協会のことなぞを書きまして、こういうものはもともと批判さるべきものであったというようなことから、この消費者団体六百をふるい分けて、ほんとうの消費者のための消費者運動ということが望ましいんだというようなことを力説しておられましたが、消費者教育も花盛りをもう通り越したぐらい、モニターだとか何々センター、予算もたくさんいただいているようであります。億の単位で一つの消費者教育の機関がいただいたりなんかしておるようでありますが、今日それを内容的にどのような教育をしておるのか。それはたとえば物価なら物価を上げる教育なのか、下げる教育なのかわからないというようなことが、消費者の怨念を蒸発させるための教育であり機関であるのかと言われるようなことが、問われたりしておるようなわけでありまして、かなりの予算がそこに流れておるわけでしょうけれども、予算がふえ内容もよくなるということが望ましいわけでありましょう。
 公取のようなものも五人、十人ぐらいふやしてもらっておるようでありますが、これが十倍となり数百人数千人もふやしましても、これは国民経済的にはずいぶんペイするわけでありますけれども、ふえません。しかし、公取は小さいからこそ、ああして小骨の立つ存在なので、これが大きいものでありましたならば、小骨どころか非常に骨は大きくなりましょうが、軟骨みたいになってしまうのじゃないかというおそれもありますから、まあこれでいいのかもしれません。
 消費者の運動というのは、何だか突如あらわれてきましたが、これは労働運動に対する消費者運動、われわれ賃金は――よく総評の人たちは申されますが、搾取されておると言われますが、搾取されたその賃金で物を買う段になると、また高いもの悪いもの、品質のよくないものを買わされまして、搾取――またその人たちのことばを使えば搾取プラス収奪でありまして、その搾取の部門につきましては、長い間労働運動の歴史です。しかし、今日ではこの収奪という――あまり適当なことばじゃありませんが、収奪ということばを使えば、収奪に抵抗するのが消費者運動でありまして、消費者運動は不買運動をやりますが、労働運動は、労働力を売らない、すなわち労働力不売という、ストライキということを柱にしてやってきたようでありますが、消費者の場合は、買わないほうの不買ということで、不買以外に異議申し立てと、不買と、この二つが消費者運動のてこでございますけれども、不買も最近そういうふうになっていきました。もしこれが消費者運動が挫折するようなことになりますというと、いまは大きい団体が先頭に立ちまして、方向やブレーキがついておりますけれども、挫折するようなことになりますと、散発的な激発性を帯びてくるのじゃないか、現在の社会の底流から見ますというと、そのような感じもいたします。
 また、消費者が全く消費者運動という、そういうことをだめだというようなことになって、おとなしくなったといたしますと、いま問題は、こんなに物価が高い、そうかといってこれにどうすることもできないというふうにあきらめてしまいますと、それですべてがおさまるかと申しますと、最近の日銀あたりのあれでは個人預金の増加率がはっきりと減ってきております。いままではふえる一方でありましたが、この何年ぐらいでしょうか、二、三年ぐらいでしょうか、増加率のテンポがはっきりと鈍ってきました。これは非常に心配されておりました。週刊誌なぞが十年たつと貨幣の価値は四分の一になるぞなんということを書きました場合に、こういうふうになるのも無理はありません。中山伊知郎さんなんかが心配しておられましたが、国民の勤勉心がむしばまれるんじゃないか、いやもうむしばまれておるんじゃないか、先に何も頼むところがない。お金をあれしておいてもだめだ。そうかといって、いまにわかに土地、家というわけにもいかない。将来に希望をつなぐこともない。そうしますと、もう賃上げの闘志だけでも盛り上げておくよりしかたがないなんというようなことになりまして、しようのないことになりました。
 ことしの展望といたしましては、公害問題が広がってまいりました。この公害を住民運動、住民パワー、この感覚は、これは健康破壊に対するパワーでありますが、これが生活破壊を防衛するというようなことへ、つまり、公害をやられました感覚や体験が、ずうっと地盤が移行してまいりましてこの値上げ反対運動などに移ってくる。そして一そう底深いところから値上げ反対に立ち向かっていくような一般的な気流が出てくるのじゃないか。と申しますのは、これは私の若干の資料による推測でございますけれども、もしことしの展望ということならば、そういうことが考えられるわけであります。
 たいへん、ざっぱくなことを申しましたが……。(拍手)
#29
○委員長(古池信三君) どうもありがとうございました。
 大門公述人に御質疑がございましたら、順次御発言を願います。――別に御質疑はございませんでしょうか。――御発言もないようですから、大門公述人に対する質疑はないものといたします。
 この際、大門公述人に申し上げます。
 御多忙のところを御出席をいただきまして、まことにありがとうございました。厚くお礼を申し上げます。(拍手)
    ―――――――――――――
#30
○委員長(古池信三君) 次に、錦織公述人にお願いいたします。
#31
○公述人(錦織尚君) 日本サラリーマンユニオンの錦織でございます。
 ここに出まするについては、日本サラリーマン協会という名において出ておるのでございますが、これは最近社団法人の認可をとりまして、こういった正式の場所に出る場合にはサラリーマン協会のほうがいいだろうということで、その筋からも協会として出なさいということでございましたが、これから申し上げますことは、従来のサラリーマン運動を推進しております日本サラリーマンユニオンとして申し上げるのでございますので、その点、お話に入る前にお断わりしたいと存じます。
 最初に、これから申し上げますことの要旨を申し述べますると、政府の予算審議あるいは予算委員会における審議のほとんどは、従来、歳出面に集中しておりました観があるのであります。で、歳入面にはどうも粗漏している風潮が見えるということでございます。たてに両面があるごとく、予算審議はお金を使用することだけを討議するのでなく、どうすれば国民からの収納を減らし、国民の負担を軽くすることができるかと、こういう論議にその重点を移行してほしいということが第一であります。第二に、法の前に平等であるとの民主主義の原則に反し、目下の税制は階層により負担が公平でない。すなわち、給与生活者が支払う源泉徴収税額が他の自由申告納税者に比べて過重である。それから多少問題は離れますが、第三に、特別会計の中に厚生年金特別会計というものがございますが、これについて格別慎重な審議を願いたい。以上が要旨でございます。
 そこで、第一の税負担の不公平に関することでございます。
 予算審議の重点は、むだな歳出を極力抑制し、できるだけ少ない国民の税負担において国家財政を運営するにあると思います。しかるに、現実の運営は、必ずしも右の理想が実現しているとは思われないのであります。というよりは、はるかに遠いといった感がします。たとえば、よく言われておりますように、三K赤字の解消――三Kは国鉄、食管、健保でございますか、三K赤字の解消ということを言っておりますが、この問題すら、うたい文句を並べるだけで、現実には遅々として進まない観があります。私たちは、三K赤字を征伐するだけでおそらく一兆円の節約が可能ではないかと信じているのであります。さらに一般的な行政改革をも並行して実現をするということになりますと、現在の財政規模の大幅縮減ということは、そうむずかしいことではないと信じております。財政の大幅縮減が減税につながることは言うまでもありません。これによって国民から苛斂誅求の憂いを除くことができるのであります。ことに、現今の税制の不合理は、階層によって相当の不公平があり、徴税システム自体に矛盾があるというふうに思います。そういうことは、すでに一般的にトーゴーサンとか、クロヨンなどと――もう古いことばでございますが言われておるのでございます。ただ、これが感じだけの問題か、実際にそうなのかということについては、かなり議論が分かれるところだと存じます。
 簡単に考えまして、税金を納めている人の割合は、サラリーマンでは十人のうち八人、自営業では四軒に一軒、農家では十戸中一戸、こういうようなことを政府関係資料の中から、計算しますと出てきますので、不公平ということは十分言えるのじゃないかと思いますが、ここに税理士の川入渡という人が最近自分で計算をされた例があります。これにはむろん二、三の前提条件があって、それに基づいて計算しておられると思いますが、その前提条件を詳しく説明することは省きまして、この川入渡さん、税理士の方がやられたその結論だけを申し上げますれば、サラリーマンの場合は、年収二百六十万、給与所得控除額三十三万八千円、配偶者控除十六万七千五百円、扶養者控除二人分十九万円、基礎控除十六万七千五百円、控除合計五十二万五千円、差し引き課税所得百七十三万七千円、所得税額三十二万三千八百九十円。これは昭和四十四年度の課税システムというものを実際とりましてやりましたので、現在の新しい税法とは多少違いまするが、この場合、サラリーマンにおいて税負担が、収入に対する税金の割合一・四%でございます。このようにして計算しますると、弁護士の場合は八・二%、それから作家の場合は五・九〜%、お医者さんの場合が〇・七七%、うどん屋さん、そば屋さんの場合が一・五〇%、米作農業者の場合が一・二%。いずれも二百六十万円収入というようなことを基準にしまして計算したのでございます。このような現実的な計算によって、階層によって税負担が公平じゃないということはほとんど自明のことだと存じます。
 さらに、もっと端的なる実証は、過般、国税庁で自由申告者七万四千件を特別抽出して調べましたところ、そのうち九三%が所得をごまかして申告していたと、その脱税総額三百三十七億円に達したということから、これを自由申告者に全面的にふえん想定すれば、これの十倍とか、二十倍とかの粗漏脱税があるのではなかろうかという推定もできなくはないのであります。少なくとも、その反対に源泉徴収を受けている給与所得者を調べて、一銭、一円の脱税を発見したという、そういう政府の調査、報道、そういうものにはわれわれ接したことがないのでありますから、逆説的に申しても、このことはほとんど断言できることだと存じます。
 以上は、総体の不公平、不満でございますが、サラリーマンの立場から、特に予算編成の中で一つ申し上げたいことは、先ほどもちょっと申し上げました食管制度の問題でございます。御承知のように、毎年三千億円以上の赤字がここでは続いております。累年これは増加していくということで、休耕といい、転作といい、何かにつけてこの農業者の方面に予算がつけられていく、そうして結局米対策費としては四千六百億円というものが年間に支払われていくのだ、こういう事実があります。われわれは農家に悪感情を持つわけではございませんが、農業構造を抜本的に改造して、少なくとも農産物が国際価格に近づいていくような施策に予算がつけられることは好ましいことで、望んでいることであります。そういうことであるならば、サラリーマンの税金が農業方面に使用されても、これは先にいってわれわれがよくなる、そういう合理化資金であるならば、われわれはがまんができるのであります。ところが、ただ単にこれで赤字を補てんしてやるというようなことではわれわれはがまんできない。米作の一本地域は、これは農業規模を大きくし、それから都会人が苦しんでいる野菜、その他、そういうものの増産、それを安く供給すると、そういう方面に政府の施策が進み、その方面に資金が使われるということを望んでおるのであります。
 いま最近物価の統制令の問題がクローズアップしておりますが、その場合でも、前提として食管制度をやめて、米価を管理するといういまの直接の統制を廃止すべきである。同時に、公正取引委員会制度を制度的に強化しまして、暴利取り締まりの方策を並行実施していただきたい、こういうふうに望むのでございます。
 第二に、税の不公平ということに次いでわれわれが申し上げたいことは、全体の減税規模に対する不満もあるということでございます。大蔵省、その他の原案によれば、新しい所得減税は千六百億円、ほかに住民税で七、八百億ございますが、住民税のほう、これは物価調整プラスアルファという説明がついておるのでございますが、物価の騰貴額は七百億円に及んでおるのであります。そうとするならば、実質の減税は千億円くらいでしかない。累進税率下に源泉徴収システムというものを強要されているサラリーマン層としては、大幅減税が実行されてあたりまえのことでありまして、もし実行せられないのであれば、税の自然増収といわれるものは、そのまま増税だと、こういうふうにわれわれは考えます。その自然増収というこの増税額は、現在年間一兆四千億にのぼる、こういう状態でございます。われわれは本来この一兆四千億は減税に振り向けなければいけないというふうに考えるのでございますが、諸般の状況から要求して、世間に向かってアピールしてきましたのは、三千七百五十億円の減税を言ってまいりました。ところが、現実の減税プランによりますと、これには相当遠いというところに、われわれの減税総額に対する不満があるのでございます。この今回の減税の中で給与所得者に対する控除というものは、給与所得控除の定額部分を三万円切り上げただけでございますので、これはサラリーマンに対する減税という、その額が非常に少ないというところが大いに不満でございます。税金の負担がわが国では総体として二〇%にちょっと以下でございますが、政府筋、大蔵省筋ではスウェーデンならスウェーデン、イギリスならイギリスが税負担率が四〇%もあるではないかと、そういうのに対して、日本は税負担が少ないからまだまだ増税の余地があるというような考え方がどこかにあるかと存じますが、これはスウェーデン、イギリス等において高い税負担率において相当悩んでいるんではないか、いかにすればこれを解決するかといっても、そこまでいってしまってからはあと戻りができないというようなところで向こうの国は困っておるんじゃなかろうか。それに対して日本の国がまだ二〇%だからそっちのほうにいこうではないか、悪いほうにならっていこうというようなことであるとすれば、これははなはだ疑問な考え方じゃないかと思います。ヨーロッパ諸国には相当なストックといいますか、長い間に蓄積された金銀、財宝、宝石、その他目に見えない多額のストックがありまして、われわれの日本の、敗戦後の日本がようやく立ち上がってきた現在の所得、実質の支払い能力というものとそのまま比較できないことも明瞭でございます。現在の徴税システムでいきますならば、わが国のいまの政府というものは財政的に困るということはないのでございます。一方で経済成長が進んでいくと、それから片一方で賃上げの圧力が加わりまして所得が増加していく、そういうことにおいてこの上のほうに累進税率が網を張って待っておりまして、収入の多くを政府が吸い上げていくのであります。いまの税のシステムからいえば、歳入についての心配がないのでありますから、政府の運営、国家財政の運営ということはきわめて楽でありまして、こういう面ではもっときびしい財政のあり方というところへ、国民の負担を軽くするという方面に進んでいただきたいということを申し上げたいと思います。
 第三に、厚生年金保険の件でございます。サラリーマンが収奪されているということはいままでの面でかなり明らかでございますが、厚生省の年金特別会計について述べますると、その会計において、政府資料によりますと、昭和四十六年度に八千五百億円の収入保険料があり、給与支払い保険料は千八百五十億円にすぎなかったのであります。差し引き六千七百億円の剰余が積み立てられておるという現状であります。これを四十四年度、四十五年度、四十六年度と比較しますと、収入のほうが四十四年度五千五百億円、給付が九百億円、差し引き四千六百億円の剰余、四十五年度が収入が七千億円、給付が千五百五十億円、差し引き五千四百五十億円の剰余、四十六年度はいま申し上げたように、八千五百、千八百五十で六千七百億円の剰余、政府では一体剰余ということばを使いませんで、大福帳式にやっておりますが、実質はこれが積み立てられておりまして、毎年余っていく。これが積み立て金が積み立てられまして、現在では四兆円をだいぶ上回るばく大な金額がここにあります。こういう状況下に平均の保険金額は年に十七万円、実際に支給せられるものは減額支給と称して、それにも足りないという支給方法をとっております。一般に公称二万円年金と言われているのでありますが、なぜこのような余った状況においてこういう年金会計が運営せられているか、維持せられているかということに疑問を感ずるのであります。サラリーマン層に税金以外にもこういった形で収奪せられているとするならば、これに対して改善をなすべきである。強制保険であり、社会福祉政策であるということは大義名分でございますが、こういう余った状態というものについて一つの修正がなされなければならないのではないかと思います。厚生年金は戦時中に創設せられたものでありまして、官公吏の恩給に準じて老後の生活を保障するということでスタートしたのでございます。ところが、戦後のインフレで、昔かけた掛け金はもう二束三文にも足りない。その後直したといっても、標準二万円年金でございます。政府の言うように五百六十倍なる公称修正指数を用うるならば、さっそくこれは直していただきたいということでございます。官公吏の皆さんの恩給が実はなくなったというのですが、実は共済基金というものができまして恩給にすりかわった。そして、勤務中最後の三年間の平均給与に対し、四〇%から七〇%の給付を受けている。官公吏のそういうものがあるならば、民間であっても官公吏ベースに引き上げてもらいたいということでございます。戦時中に官公吏並みに保障するといった政府と現在の政府は、違う政府のはずはないのであります。
 一方この使用面ですが、厚生年金基金の運用に対しては、大蔵省の運用部資金に回すことになっております。これは利息が六分五厘で、この利息が高い安いということも民間の立場からいいますと相当な問題があるんでございますが、まあそれはこの問題はともかくとしまして、この資金の使用目的ということが、財政資金に運用せられていていいものか、もっと直接にサラリーマン福祉のために運用せられるようなことがあってしかるべきではないか。たとえば、近年問題になっておりますのは高年齢層のリハビリテーションの不足、そしてこれを充足することが急務だと、こういうふうになっている際でありますので、この使途に対して特別の配慮をしていただきたいということでございます。
 なお最後にちょっとつけ加えて申し上げたい点は、国有農地の問題が現在新聞紙上に報道されておりまして、これは公共転用は附帯決議で自民党の単独立法でいくというようなことでございますが、法律的にどうなりますか、高等裁判の結果がどうであるというようなことはわれわれ専門家でありませんのでわかりませんが、サラリーマン全般の立場から言いますと、この国有農地というものがどうもわれわれの納得のいくような形で処理されていかない。与野党いろいろ審議をされているようでございますが、その結論、行く先を見ますと、どうも納得ができない。われわれの納得のいくような形でこれを解決していただきたい。以上のようなことであります。
 はなはだまとまりの悪い点もございましたが、これにて公述を終わります。
#32
○委員長(古池信三君) どうもありがとうございました。
 公述人の方に御質疑がございましたら順次御発言をお願いいたします。――別に御質疑ございませんか。
#33
○杉原一雄君 サラリーマン協会では、所得政策についての検討はいかがでしょうか。協会では所得政策についていろいろ御検討なさったと思いますが、まとまった意見があればお願いします。
#34
○公述人(錦織尚君) 所得政策ということの意味はいろいろあると思います。単に所得ということでなくて、インカムといいますか、全体的に経済の、賃金だけの問題でなくて、賃金以外のあらゆる支払いと物価体系、そういうものに対して安定した状況、バランスのとれた状況ということを主張するのがほんとうの所得政策じゃないかと思います。ただわれわれのほうでこれは非常にむずかしい問題でございますので、現在大いに研究しておりますが、しからばそこでどういうふうにすれば全般的に安定したバランスがとれるのかというようなところまで最終的結論を出しにくい状態におりますので、御了承願いたいと思います。
#35
○委員長(古池信三君) ほかに御質疑もないようでありますから、質疑はこの程度にいたします。
 公述人の方には長時間にわたり御意見をお述べいただき、まことにありがとうございました。厚くお礼を申し上げます。(拍手)
 明日は午前十時開会いたすこととし、本日はこれをもって散会いたします。
   午後二時十五分散会
ソース: 国立国会図書館
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