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1970/12/10 第64回国会 参議院 参議院会議録情報 第064回国会 文教委員会 第3号
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1970/12/10 第64回国会 参議院

参議院会議録情報 第064回国会 文教委員会 第3号

#1
第064回国会 文教委員会 第3号
昭和四十五年十二月十日(木曜日)
   午前十時十七分開会
    ―――――――――――――
   委員の異動
 十二月十日
    辞任         補欠選任
     星野 重次君     田中 茂穂君
     ―――――――――――――
  出席者は左のとおり。
    委員長         楠  正俊君
    理 事
                田村 賢作君
                永野 鎮雄君
                杉原 一雄君
                安永 英雄君
    委 員
                大松 博文君
                二木 謙吾君
                宮崎 正雄君
                星野 重次君
                秋山 長造君
                鈴木  力君
                柏原 ヤス君
                萩原幽香子君
                小笠原貞子君
   国務大臣
       文 部 大 臣  坂田 道太君
   政府委員
       文部大臣官房長  安嶋  彌君
       文部省初等中等
       教育局長     宮地  茂君
       文部省大学学術
       局長       村山 松雄君
       文部省体育局長  木田  宏君
       文部省管理局長  岩間英太郎君
       文化庁長官    今 日出海君
       文化庁次長    安達 健二君
   事務局側
       常任委員会専門
       員        渡辺  猛君
   説明員
       警察庁警備局参
       事官       渡部 正郎君
    ―――――――――――――
  本日の会議に付した案件
○教育、文化及び学術に関する調査
 (教職員の給与に関する件)
 (学校給食に関する件)
 (教職員の人事に関する件)
 (文化財保護に関する件)
 (学校教育等における公害問題に関する件)
 (国立劇場の管理等に関する件)
 (拓殖大学問題等に関する件)
    ―――――――――――――
  〔理事田村賢作君委員長席に着く〕
#2
○理事(田村賢作君) ただいまから文教委員会を開会いたします。
 教育、文化及び学術に関する調査を議題といたします。
 本件について質疑のある方は、順次御発言を願います。
#3
○鈴木力君 最初に、教員賃金についてお伺いしようと思いましたが、きょうは人事院総裁がお見えになれないそうでありますので、簡単に僻地給与だけについて、それもしかもほんの一部分だけお伺いしたいと思いますが、この僻地教育については、いまさらものを言うまでもなくて、文部省でも、あるいは各県でもずいぶん努力をされておるわけでありますが、ただその現状は、この努力と僻地に勤務する先生たちの気持ちとの間にどうもすれ違いがあるような気がいたします。これは、たとえば級地の決定などについてはいま検討中と伺いましたから、まだお伺いしてもお答えが出ない段階だろうとこっちのほうから推察申し上げましてそれには触れませんけれども、しかし、たとえばどういうことかといいますと、あとで人事管理のことでもちょっと触れたいと思っておりますけれども、概して僻地に勤務する教職員は、年齢的にいうと平均年齢は非常に若いようであります。その若い先生たちが僻地に多く勤務しておるわけでありますから、いまの給与それ自体にも問題があるわけでありますけれども、給与面からいうと非常に低いわけであります。そういう現状ですから、いまのかりに僻地手当が八%から二五%の手当がついておりましても絶対額からいうと金額が非常に落ちる。しかし、僻地に生活をする条件から言いますと、これはどうも年齢差による生活条件というものはあまりありません。若い教師も、年とった教師も同じような生活条件のところに置かれているわけでありまして、たとえばどういうことかと言いますと、何か緊急の場合に、バスがないのでありますからタクシーを使って町に出なければいけない、あるいは食費もどうも年齢とは関係がない、医師の問題も同様であります。こういう状態なので、私はこの僻地手当というものの考え方も単なるパーセンテージだけではいまの現状に合わないのではないかという感じがしているのです。で、前にも私の名前で出したわが党の僻地教育振興法の改正案にも最低保障給という案を一つ提案をしたことがございます。この僻地給与、僻地教員の手当にそういう最低の保障給というような考え方を入れた最低限度、僻地教員が年が若かろうが月給が安かろうが、僻地に勤務する条件をつくるというそういう考え方は文部省はございませんか。直接伺っておきたいと思うのです。
#4
○政府委員(宮地茂君) 僻地学校は一般の官公署と異なりまして、公立等の学校は非常に僻地に多いわけでございます。そういうような考え方から、私ども現在ございますような手当、さらに特別昇給といったようなことで、――もちろんこの僻地教員に対する特別昇給は勤務成積というものが基礎にはなりますけれども、一般の平地におります教師に対する以上に、ほとんどの人が、大体三年ぐらいおられれば一号俸上がるといったような措置も講じております。こういうことは一般公務員にはない例でございまして、教師にはそういう措置も講じておるわけでございます。しかしこれで十分ということもございませんが、さらに今国会で給与法の改正もなされ、従来講じた措置以上の措置が今回の給与法の改正でなされることにもなっております。しかしそれにしても、鈴木先生のおっしゃいますような理想の姿から言えば、必ずしもそれで満足だというふうには思いませんが、またさらに先生の御提案のようなことも一つの確かにけっこうな案とは存じますが、まあできる限り僻地に先生方が喜んでいっていただける、平地と異ならない情熱を持って子供の教育に当たっていただけるようにといったようなことで、不十分ではございましょうけれども、現行の形、さらに給与法の改正で一歩前進しようということでございます。したがいまして鈴木先生のようなお考えも十分私どもも傾聴いたしたいと思いますが、少なくとも現在の段階では、政府としては、文部省としてやっておりますような措置、さらに今回の給与法の改正によって前進する措置、そういうもので少なくとも当面はいきたいというような考え方を持っておる次第でございます。
#5
○鈴木力君 私はいま実際的に処理をするという立場でお伺いしておるのですから、ほんとうを言いますと、今度提案されておる給与法案に私は非常に不満なんです、特にこの僻地なんかにつきましても。しかしいま法案が出て、もう間もなく審議が終わるという段階でこの法案にいま手を加えるといったところで、これもどうもあまり現実的な行き方ではないわけです。そしてまた、特にいま局長のおっしゃったように、確かにあの法案には文部当局も苦労された面もあると思います、改善をされた面もあると思いますが、そういう点はよくわかるのでありますが、ただし、私は、さきに申し上げましたように、いま僻地で苦労している教師たちを見ておりますと、あの程度でなるほど喜んでよいというふうには思わないだろうということなんです。しかし教師たちも現実に一ぺんに満足できるようなものになる世の中とも思っていませんから、そこのところはある程度はがまんするかもしれませんが、将来の展望を持たせないとこれは容易なことではないのじゃないかという感じが私はするのです。と申しますのは、私も多少出身が出身だけに僻地の教師とのつき合いがあるのです。僻地の教師とつき合って、おかげさまで僻地にまいりまして助かりましたと言われた人には一人も会ったことはないのです。何とか早いこと脱出したいものだなというほうがむしろ多いわけです。そういうことでありますから、したがって将来に展望を持たせるような、たとえば今度の法案でも、ここまでは努力をしたけれどもこの点については将来の問題として文部省が積極的に取り組むのだ、そういう強いものの言い方が、やっぱり三年後に一号上がるということもさることながら、僻地教師に対する一つの勇気と意欲を与えることになるのではないか。そう思いまして、いま一つの考え方として申し上げたわけですが、ついでですからもう若干申し上げますと、この僻地の教師たちの共通に持っている不満は、概して言いますと、級地の決定にしましても、決定の要素なりそういう問題についてはやや行政的であって、教師の気持ちというものとどうもすれ違っている、そういう言い方が非常に強いようであります。たとえば教師たちが一番その地域に望んでおるものはいろいろのものがあると思いますけれども、本屋を望んでおるわけです。本屋が近所にないということが教師にとっては一番さみしい環境なんです。しかし僻地の級地のついている学校で本屋といいますと、教科書の取り次ぎ販売店に漫画と週刊誌が並んでいる程度の本屋しかないわけです。そこへ注文いたしましても、東京から、あるいはどこかの本屋から取り寄せられるまでには相当の時間かかる。そういうところの苦痛にまあこたえるといいますか、たとえば本屋に本をさがしに日曜日にはせめて町に行って、本屋に行って本をさがしてくるということが教師の生きがいの一つである。そういう点についての要素というものもこれは級地改定なさる場合には級地の決定の要素になる、相当大きなものとして見るというような、これは一例であります。一例でありますがそういうような研究をぜひ私はお願いしたいと思うのです。いま研究中だということを伺いましたので、具体的な御答弁をいただくわけにはまいらないと思いますけれども、少なくとも研究中である文部省がその発想として教師が何を求めているかという、広くアンケートを出してそれにこたえるようなぐらいの気持ちを、いま僻地で働いておる教師に示すことが非常に重要な時期ではないかと思うのです。そういう点をいま提案を申し上げてみたいと、こう思うのです。いかがなものでしょう。
#6
○政府委員(宮地茂君) 先生もおっしゃいましたように、僻地のまあ一級から五級までございますが、結局は点数制でそういうふうにきめておるわけですが、その点数の取り方も必ずしもこれが理想とも思いませんし、さらに点数のもとになります個々の基準的な事項が、これが万人を納得させ得る理想的なものであるということも言えないというふうに私どもも考えております。ただ一人一人によってはいろいろ事情も異なりますので、さらにまたそういった教師の数量的にははかれない心情的なもの、こういったようなものを点数やパーセンテージであらわすということも失礼なことでもございますし、いろいろな観点からいろいろな御意見も出ておるわけですが、さらに、先生がおっしゃいましたような学校なり、本人が勤務する学校の周辺に居住しておって、そこからいわゆる本屋のある距離という、その距離の出し方も、どこまでの距離をとれば本屋がある町といえるかと、これはまあ場所によりまして非常に違ってまいりましょうから、結局は平均的なものをとらざるを得ないというようなことで、種々一人一人に当てはめてみますと、必ずしも十分でないと思いますが、気持ちといたしましては、先生もおっしゃいますように教師の気持ちをできる限りくんだ公正な基準、並びにそれに基づいての点数が出されれば一番理想であろう、そういう考え方で、私どももいまやっております指定基準の改正につきましては、先生のお考え等も十分参考にさしていただいて努力したい、こういうふうに考えます。
#7
○鈴木力君 まあ作業の進行状況によりましてまた御質問申し上げることにいたしまして、きょう申し上げたのは、僻地教育というものを、あの手も使っている、この手も使っている、ずいぶんやっぱり苦労しているということは私はわかる。苦労をしているけれども、せっかくの苦労がまだ何か大事なポイントがちょっと抜けているというような感じがする。それはいま言いましたようないろんな問題があるわけであります。そういうポイントに合わせてひとつ御検討願いたいと思いまして、これはもうお願いだけしておきまして、次に進ましてもらいたいと思います。
 次に、学校給食についてお伺いいたしたいと思います。
 まず、学校給食について、現状がどういうふうになっておるのか、現状をひとつお伺いをしたいと思います。
#8
○政府委員(木田宏君) 学校給食につきましては、現在かなりの普及度を見るまでになってまいりまして、ことしの五月一日現在、小学校では全児童九八%、学校数では、ちょっと落ちますけれども九六・四%と、ほほかなり全部に近いところまで進んでまいりました。また中学校におきましても、全生徒の八三%、学校数では逆に八四.八%と、八五%に近いところまで及んでまいりました。このうち、まあ完全な食事をとっております完全給食は、小学校におきましては全児童の九二%、中学校におきましては全生徒の、これは少のうございまして四四・六%が受けておることになっております。この学校給食は、主としてその食事内容はパンを基調といたしておりますけれども、一部米の炊飯を行なっておるところもございます。学校におきまして米を使っておりますところは、小学校で百十五校、中学校で二十四校でございます。
 今後の課題といたしましては、中学校におきます普及向上ということに力を入れていかなければならないと考えておりますが、現在の普及状況は大体そういう状況でございます。
#9
○鈴木力君 そこで私が伺いたいのは、ほとんどいまの数字からいいますと、学校給食というのは行き渡っておる、こういうことになるだろうと思います。そこで、ほとんどこういう形に行き渡っておるが、しかし、いま非常に問題が多いだろうと思うのですね。で、私がきょう質問申し上げようと思いました意図を先に申し上げますが、いろいろ問題があるけれども、ここまで普及してしまうといまさらやめるというわけにもいかないだろうと思う。そうすると、せっかく学校給食というものに父母も一つの関心が向いてきているときに、それにこたえるような学校給食にしないと、普及はしているけれども、学校では何となしに手足まといな行事になってしまっているのではたいへんなことになるのではないかという、そういう気持ちできようこの給食の諸問題について伺いたいと、こう思っておりますわけですから、その点をまず御理解の上にひとつおつき合いをお願いしたいと思います。
 まず学校給食の、このままで普及をしてまいりましたけれども、いま非常にあいまいなのは、何となしに学校給食というものがどの学校にも行なわれてはいるけれども、冷静な気持ちで、一体いま学校給食というのは学校における何なのかということが、ほんとうに検討されているだろうかどうだろうかという問題なんです、ひとつは。それでまず文部省に見解を伺いたいのでありますが、学校給食というのは学校のいまの教育体系の中でどういう役割りを占めているのか、何を目ざしているのか、もう一度はっきりおっしゃっていただきたい。もっとも学校給食に書いてあることはわかっております。
#10
○政府委員(木田宏君) 学校給食は、子供たちが学校で生活をしておりますその学校生活の中の一つの活動でありまして、発育期にあります児童生徒に栄養のある食事を提供するという現実の活動の実体でございます。それによりまして、教育的な目的といたしましては、児童生徒の健康の増進と言いますか、健康な子供を育てるという実際活動の一つだと考えております。それがまた教育的には子供たちが学校の場でみんなと一緒に同じ食事をとるという、そういうことから、その学校生活におきます子供の生活慣習というものを養っていく、またそこにかもし出されていく、いろいろな知育だけでは学べないものを身につけていくという大きな教育的な意義を持っているというふうに考えます。学校の中におきます学校給食の課題としてはそういう意味づけのものがあると思っておりますが、これがひいて学校生活を越えて大きな影響を持っているということもまたございますけれども、お尋ねに対しましては私いま申し上げましたような二点をお答えをしたいと思います。
#11
○鈴木力君 わかるのでありますがね、そうすると現在の学校給食というのはこの二つのうちのどちらに重点を置いておられるのですか。私は学校へ行って学校給食の現状を見ますと、栄養のある食事を給与する実際的な活動と、こうおっしゃるけれども、私にはそうは見えない。それから児童生徒の健康を維持する、一つの場で同じ食事をとって、そこで健康を維持するという、何かそれぞれの別の弁当では得られない一つの教育的な価値がある、こうおっしゃるけれども、一体いま学校給食というのはどういうことをやっておられるのか、局長、ごらんになったことがありますか。
#12
○政府委員(木田宏君) 何度か学校の現場は見せていただいております。
#13
○鈴木力君 たぶん局長のごらんになった学校は相当よくやっているところだと思います。私の見るところはよくいっていないところが多い。だからそういう言い方のズレがおそらく出てくるだろうと思うのですね。まず私はその教育という一つの場を考えてみるときに、その立場からひとつお伺いするのですが、先生たちが子供と一緒に食事をするでしょう。その子供と一緒に食事をすることに私はやはりこれは教育活動としての価値と言いますか、あると思うのです。それぞれ学校でもずいぶん苦労をしていると思う。たとえば校長さんが毎日何人かずつ子供を呼んできまして、そして校長さんと生徒とが直接食事をしながら何かの話をする。そういう苦労はずいぶんされておると思うのです。そういう苦労はされておるんでありますけれども、ところが生徒たちは、やれやれきょうは校長さんと会食をする番でなくてよかったという気持ちがある、一つは。
 それから、生徒たちの話を聞いてみますと、食べ残しが非常に多い。何となしに笑い話に、学校の近所に畜産をやろうかという笑い話さえいま出ております。それはなぜなのか、そして学校給食法ですかにもあるように、楽しく食事をするという雰囲気で教育をするというのだけれども、子供たちに言わせればいかにして先生に見つからないように食べ残しを始末するかということのほうが食事の時間の大きなエネルギーを使っているところです。こういう問題こういう現状の学校給食をやっておいて、いま役に立つのは村長さんの選挙運動ぐらいなものです。完全給食にいたしますと選挙公約をやって、そして補助金をとって施設はするけれども、できた結果では従事員も泣いておれば、生徒も泣けば先生も泣く。まあ私は全部がそうだとは決して言いませんけれども、だから一番先に言いましたように九八%の子供が学校給食を受けている、ここまで来たけれども現状はそういうことであってはどうにもならないという感じがするのですが、そこで私がいま申し上げたような現状を若干でも文部省にお認めいただいているとすれば、改善をすべき点はどこだというふうに考えていらっしゃるのか、まず伺いたいと思います。
#14
○政府委員(木田宏君) 学校給食がただいま申し上げましたようにかなりの学校まで普及をしてまいりましたが、鈴木先生もお感じになっておりますように、現実にはいろいろの問題があるということはいなめません。その問題は個々の学校の中の課題として考えてみた場合に幾つかの問題もございますし、また市町村なら市町村の学校を通じまして、全体として学校給食を行政の当局側がどのように指導してまいるか、また国全体の学校給食の進め方という点で考えなければならない問題点もまた多々ございます。
 まず、どういう順序から問題点を御説明していいか、かなり多面にわたるものでございますから、ちょっとうまく整理ができるかどうかわかりませんけれども、いまお尋ねのございました学校の現場という点から考えてみますと、私も幾つかの学校を見せていただきまして、毎日の食事のとり方というものについて、もっと改善くふうをしていいのではないか。これは学校ごとに食材料を調達をいたしまして、そして現在の段階では約半数以上のところは学校ごとに調理をいたしております。そして調理室から教室へ持ってまいりまして、そして教室で盛りつけをして子供たちが食べるようになっておる。その一連の過程をもう少し考え直して、改善していく余地があるのではなかろうかというふうには考えております。これはただ食事がまずいということだけではなくて、必ずしもまずいという評価ばかりを受けているとも思っておりませんが、いまの一連の流れの中で、もう少し考えていいものがあるというふうに思います。その意味でいままで努力をしてまいりましたことは、一つは調理の共同化という努力もいたしてまいりました。また文部省としては積極的な指導をいたしてまいりませんでしたけれども、個個の学校ごとに毎日食材料を調達するということのたいへんな繁雑さをいかにして少なくし、学校当局の事務の軽減をはかるかという点は、地域ごとにそれぞれの改善くふうも進められておりまして、地域によりましては物資の共同購入等のことにつきましても仕事が進められております。こういう点はとにかく学校給食が、修学旅行とかあるいはほかのことと違いまして毎日のことでございますだけに、私はその取り運び方がもう少しやりやすいようになることが、必要ではなかろうかというふうに考えております。また食事の時間になりまして、調理室から教室へ運ばれてまいります。ほとんどの学校が教室(持ってまいりまして、食事をとっておるわけでございます。しかしいつまでもこれでいいかどうかということも問題点の一つだと思っております。最近わずかではございますけれども、食事をともにする食堂の施設をつくりまして、そうして調理室と食堂とをすぐそのままつなげて、食事の時間にみんながそこへ集まって行って食事をとるという形態のものも出てまいりました。こういうことは、これからの学校におきます食事のあり方として、私どももその意味を十分考えながら、普及すべきものにつきましては力を入れていくべきではなかろうかと思ったりいたしております。いずれにいたしましても、子供たちが炊事室から、当番になって教室へ食かんを運んで行く。そうして毎日毎日、低学年でありますとことのほか、クラス担当の先生方が手伝っておかずの盛りつけをして、子供たちに食べさせるようにするまでに二十分かかっている。いつまでもこれでいいかどうかということも、これは私もなお考えてみなければならぬ課題だと思っております。
 最近体育館を食堂に使って子供たちをそこへ集めたという話――聞いた話でございますけれども、体育館で食事をするほうがほこりがひどいのではないかと思って検査してみたら、逆の結果でありまして、教室で食事をするように準備をする、事前に机その他をがたがたと動かす、そうすると、まあビニールの用意をしてそうして食べる段階でいろいろなほこりの度合いをはかってみますと、体育館で食べるよりも教室のほうがほこりが多いということもわかりましたという話も聞いております。こういったことも、かなりこれから真剣に考えなければならぬと思っております。子供たちがいまのような作業をして、みんなのクラスの者のために、食事当番として一定の作業をするということは、私はそのこと自体に教育的な非常に大きな意味があろうとは思います。また先生が一緒に手伝われて、そうして盛りつけをしてやるということは、先生としてのほんとうのよさというものを、ことばでなくて、からだであらわしていく非常にいい教育的な効果があろうと思います。しかしその教育的な効果のままでいつまでもいっていいかどうかということ自体、考えてみる必要があろうかと思っております。
 それから食事の食器でありますとかそういうものの取り扱い、あとの始末、そういうことがはたしていま満足な給食として推奨できるような、全部うまくいっているか、こういうふうに言われますと、全部が全部すばらしくいっているというふうには、ちょっと言いかねる点もございます。現に調理室その他の設備ももう二十年前から発足をいたしておりますので、初期につくりましたものは十分な設備にもなっておりませんので、新しいものにかえていかなければならぬ、そういう問題も考えています。またそこに配置されます調理従事員あるいは栄養職員の方々のあり方、これもさらに考えていかなければならぬ課題があるということは感じております。学校の中の課題としてはそれだけのことを考えますが、しかし冒頭に申し上げましたように、これは個々の学校だけに頼って今日まで進んできたという感を私自身強くいたしておりまして、確かに国では脱脂粉乳のミルクを提供し、あるいはパンのもとになります小麦粉につきましても政府として措置をとり、これについての補助政策を加えまして奨励をしてまいりましたけれども、もう少し市町村の当局が市町村の当局として学校の給食全体にあたたかい気持ちを加えて措置をとってもらうということを望みたいものだと思っています。これは毎日毎日の物資の調達ということもありますし、また施設、設備の整備ということもございますが、これを学校まかせにしないで行政上の課題として措置をとっていくようにしたいものだと、これを全国の大勢としてどのように進めていくかということにもいろいろ問題がございます。で、現在学校が購入をしております物資がどのくらいじょうずに買われておるかということを私どもの手元で調査をいたしてみましたが、これは学校の校長先生や普通の先生方がじょうずに買うということはなかなかまたむずかしい話でございまして、共同調理場その他規模の大きいところではかなり安く買っているものがあるが、必ずしもそうはいっていない。また案外安ければいいということで安易に安い、必ずしも推奨できない食材料が使われておるというようなこともございまして、こういう点はこれからの子供の健康等のためにはもっともっと真剣に考えて気持ちを加えていかなければならない行政課題であるというふうに思っています。そういう物資の取り扱いの面につきまして、私はこれからかなり大きな課題が残っておるというふうに思っております。
 なおいろいろと申し上げなければならぬ課題もあろうかと思いますが、あまり長くなりましてもいかがかと思いますので、とりあえず以上お答えしておきます。
#15
○鈴木力君 苦労のもとはよくわかるのですけれども、いま局長の御答弁の中にありましたことでもう少し伺うと、たとえば個々の学校の努力をすべき事項ですね、確かにおっしゃるとおりそういう問題が解決しますと、私は相当に給食それ自体の評価が違ってくるだろうと思うんです。ただそういくために、たとえばいままあ食堂の施設をつくることを今度の予算要求でもあることも承知しております。しかし問題は大部分が、食堂をつくって何校かがそこにテスト的に行くということも大事なことでありますけれども、いまの基準に達していないものをどうするかということを、ここを忘れていただくと給食の問題は依然として問題は深刻になるだけだと私は思うんですね。
 そこで、ちょっとお伺いしたいのは、文部省でたぶん御調査なさっていると思いますが、給食の従事員が十分に配置をされていないと思われる学校がどの程度ございますか。
#16
○政府委員(木田宏君) 調理従事員につきましては、児童の食数、児童生徒数の大きさによりまして一応の標準をきめておるわけでございまして、たとえば百人から三百人までの児童生徒数の場合では調理従事員が二人、三百人から五百人までのところで三人、五百人から九百人までのところで四人というような一応の標準をきめて指導をし、また財政上の措置もしておるところでございます。
 そういう標準に対しまして個々の学校という点はいまお答えができませんけれども、全国平均でどのくらいになっておるかと申しますと、大体小・中学校ともその標準の前後に達しておるという数字になっております。あとでこの数字は差し上げてもよろしゅうございますけれども、たとえば百人から三百人までの学校を小学校、中学校でとってみますと、全国平均では一・九人の数になっておりまして、二人という標準にほぼ近いということになっております。また五百人から九百人まで四人という標準をとっておりますが、五百人、六百人のところで小学校三・三、中学校三・八というふうに標準よりやや低くなっておりますけれども、八百人、九百人というところでは小学校で四・二、中学校で四・七人という配当の実数になっておりまして、標準を大体このまん中でとりますと、やはり四人前後というところに達しております。さらに九百人をこえて、あるいは千人をこえているという数字もございますが、千五百人のところで六人という標準数を考えておりますけれども、大体小・中学校ともそれぞれ六人あるいは六・四人という平均数になっておりますので、調理従事員につきましては、ほぼ全国的に見ましてその水準の線にいっておるというふうに考えておるところでございます。
#17
○鈴木力君 数字はよくわかりました。数字はよくわかりましたが、私がお伺いしたいのは、ほとんどの学校の給食の従事員の皆さんからの訴えは、人が足りないということです。われわれだけではどうにもならないといって、そうして多くの場合、何かPTAのほうから当番でお手伝いを出しているような学校が相当たくさんあると思う。これは私は統計を持っておりませんからわかりませんけれども、少なくともそういう訴えを聞いた限りでは、相当な数にのぼっておる。そういうことを考えてみますと、私はここでいまの個々の問題、一々やり取りしておってもしようがない問題ですけれども、この標準の問題を考え直す気はございませんか。要するに文部省はいつでも、これはお役所の特徴でありまして、いつか御自分がきめた標準は絶対のものとして、いつでも〇・何%近づいたから大体よろしいという評価を下される。しかし実際に当事者がこぼしておりますのは、たとえば百人のところが二人でいいというふうに、五百人が三人と、こうなるわけでしょう。この百人から三百人、三百人から五百人、五百人から九百人と、こういうふうに刻みをとっておられるけれども、私は最低のところの二人というのは非常に足りないと思いますよ。これもいろいろな形で給食というものが最近個々の学校でということで、調理の問題なんかも一つの課題としていまあるわけです。そういうところに課題のほうを与えておいて、従事する人のほうは最低の人数でやらすというようなところにも、これはどうも私は問題が一つあると思う。
 それからもう一つは、これはお調べいただきたいのです、調べていなければ。それはこの給食従事員というのが質的にといいますか、内容的にどういう仕組みになっておるのか、御調査をなさったのがありますか。たとえばつまり専従職員として、市の職員として正規に採用されておる従事員と、臨時職員として採用されておる日給なりほんのわずかな手当でこれも従事員として統計に入ってる数字とどの程度の割合になるのか。
#18
○政府委員(木田宏君) 現在の標準を改正する考え方はないかということでございますが、いま財政上、交付税の積算の中でめどをたてておりますものは、小学校につきましては一応の実態に近いところに水準があると考えておりますけれども、中学校につきましてはその財政上の基準というのが非常に少のうございます。でございますから、中学校は現在のところ標準規模に対して、常勤職員一人の調理従事員しか積算が出ておりません。これは現実問題として中学校におきます学校給食の普及が過半数に達していないからだ、こういうことで断わられ続けてきておるのでありますが、この辺の基準は財政上の基準といたしまして高めていきたいというふうに考えております。
 百人で二人という標準が足りないかどうかという点につきましては、にわかにいまお答えいたしかねます。もっと検討してみなければなりませんけれども、現在調理従事員全体を通じまして、大体六万二千人ほど計数の上では上がってまいっております。そのうち五万一千人が給料によって支払われておる者でございますし、八千八百人ほどが公費負担ではございますが、賃金支弁ということになっておる職員でございます。ですから約六万人が公費負担の職員になっておりまして、一部私費の負担の入っております者が千三百人、残りごく一部に無報酬で従事いたしてもらっております者が百六十三人というデータは一応調べてはおるところでございます。これらの点は指導上の今後の課題として、この調査に従って各県に呼びかけてしっかりした調理の体制がとれるようにということは呼びかけてまいりました。
 なお、この調理従事員の待遇でございますけれども、これも自治省の財務当局にこのベースアップにつきまして、積算上の問題でございますけれども強く訴えてまいりまして、四十五年度は前年度よりも給与単価を交付税の積算では七割方上げてもらいました。現在の実態にほぼ近づいたところまで財政上の措置をしてもらうことができました。財政上の問題といたしましては中学校に普及が進んでまいっておりますから、十分な人数の積算等を今後つとめていかなければならないというふうに考えております。
#19
○鈴木力君 文部省は数字が仕事をすると思っておりますが、私どものほうは人が仕事をすると思っている。それだけの違いがあるのですよ。公費負担と私費負担の区別はわかるのですが、私のお伺いしているのは、公費負担のうち正規職員の採用になっておる者と、臨時採用になっておる者との調査があるかということをお伺いしたいのです。
#20
○政府委員(木田宏君) 現在の中でその給料として申し上げました五万一千人は正規職員として採用されておる者と考えます。賃金として調査にあらわれてまいっております八千八百人が、賃金支弁で身分としては不安定な形の職員になっておるというふうに考えます。
#21
○鈴木力君 それはまあそうだ、そうでないと言ってもしようがありませんが、私はもう一ぺん調べていただきたいと思います。月給であるといっても必ずしも正規の職員になっていない者が相当おりますからね。いま私どもがたとえば東北なんかの学校に行きますと、正規の職員にしてほしいという要求があちらにもこちらにも出ている。いま局長のおっしゃったような人数だったら、これほどの大きな要求にはならないだろうと思うのですね。正規か臨時かというようなこともあればあるいは日給制というようなものもある。それから同じ月給制でも安い月給ですと勤務時間というものは非常に短くしておる。そういうこともある。そういう点についても配慮しなければ、こまかいみたいなことでありますが、私はこの給食をほんとうに軌道に乗せていくためにはここがポイントだと思うのです。局長はさっき食堂ということを言われましたが、非常にいい発想だと思います。しかしこれはいままでの文部省の仕事の進め方からすると、われわれが生きているうちにはおそらく全校にはいかないだろう。だから何分の一か食堂ができればそれでおしまいになるだろうと思うのですけれども、それも大事なことなんですが、いまやっておる全体をよくするということに本気にならなければいけないと思うのです。食堂の発想のところにも、さっき局長のおっしゃった、非常にいいことだと思うのですよ。先生の盛りつけやなんかをやる時間が二十分と言いますが、調理室からそれぞれの教室に運ぶ時間というものが、これは従事員ではとても運び切れないのですよ、いまのところ。そうすると生徒が行って運んでくる。低学年は先生が運んでいるわけです。そういうことを計算に入れないで標準は正しいとおっしゃっても、財政のほうはどうですとおっしゃるから、だから数字が仕事をすると、こう言いたくなるわけです。せっかくこの二十分の時間をどうしようと考えついたら、ついでにこの従事員の標準を変えてみようということにどうして気がつかないのか私にはよくわからないのでありますが、これはお伺いしても的確な御答弁がいただけないかもしれません。この辺から私はこの標準という問題もほんとうに給食をよくやっていくためには検討していくべき、そうこまかい問題じゃないような気がいたしますので申し上げたのです。
 それからもう一つ、ついでですから人件費について言いますと、集金ですよ。この給食代の集金というのが、まあいまこの審議会の答申を見ましても集金をよくやれと、こう書いてある。よくやれと書いてあるのは間違えなくやれということで、だれか途中で小銭をポケットに入れたりそういうことをしないように銀行か何かを使ってとじょうずに書いてある。まことに役所的にりっぱなものだと思いますけれども、このために関係者がどんな苦労をしておるかということに対する配慮が私は足りないと思うのです。東京あたりでも多くの学校では父母の代表が月に一ぺん集金日には学校へ行ってそうして先生たちが教室で集めてきたものを、それを整理して銀行まで持っていくという、ただで働いている人たちが相当いるように私は思う。これは東京だけじゃなくていなかではなおさらそうです。いなかにいって今度はそういう学校に手伝いできないような環境のところでは先生がそれをやっている。だから集金日というのは非常に先生にとっては憂うつな日にもなっているだろうと思うのですね。それは事務職員の配置との関係もありますけれども、こういう問題のところをどこかわきに置いといて、そうして三百から五百までは三人の基準としたのに二・八か二・九になっているからほぼ近づいていると言って満足されておったのでは、給食は現状では打開できないと思う。この辺については真剣になって再検討をしていただきたい、私はこれは御要望を申し上げておきたいと思います。
 それで、時間もありませんから、そろそろ締めくくりたいのでありますが、私は、一つはせっかくここまで給食というものを持ってきて、しかもさっき言いましたように、だらだら申し上げれば幾らもあるのですが、非常に問題が多い。共同調理といいましても、これについてそれをどうこう言うつもりはありませんけれども、たとえば東京の練馬なり武蔵野市なり、あの給食センターそのものにもまたいろいろ問題が新しく出てきている。私の郷里のような雪国では、しかもこれの保温の完備していないようなところでは車で回しますとまた冷えた食事を毎日食べるというようなことにもなる。食生活の改善を一方言っていながら、食生活の改善とは最も条件の悪い食事でがまんせよという教育であったら、これはたいへんなことになるわけです。そういう点を配慮しなければと、こう思うのです。そこで私は基本的に言いますと、局長のおっしゃる市町村のやるべきこと、特にこれは給食に対する基本的な理解が高まっていかなければと、こういうことをおっしゃったのです。私もそう思うのです。
 そこでこのあとは大臣にお伺いしたいのでありますが、最もそれをやっていくためには国の姿勢だと私は思うのです。それはいままでのような惰性の給食に乗って、そしてどこでやっているのか知りませんけれども、新聞を見ますと小麦粉の一円の補助金を削るとか削らないとかいうことが大騒ぎ、こんなしみったれたことを政府がやっておるようでは、町村も父母も給食に情熱は持たぬのです。私はむしろそういうことではなしに、いま九八%というから全国のほとんどの学童が給食をしている、もう一馬力をかけると全員でしょう。日本の全体の小学校と中学校の生徒が、高等学校も幼稚園もありますけれども、一日のうちの三分の一の食生活をここでやっている。国がいま政策で体力づくりとかいろいろなことに健康のことを非常に大きく言っているでしょう。そうなってきたらいままでのような惰性で給食の手当をしておるような補助金をあちこちということじゃなしに、日本の子供の三分の一の食事は国でもってやる、そういうような抜本的な姿勢を打ち出せないものかどうかということなんです。いわば負担区分にいたしましても、私はどうも父母や先生たちから金を取るというのも、どうもちょっと私はふに落ちない点もほんとうはあるのです。たとえば先生たちが同じ献立で一緒に食べるところに教育の意義があるとおっしゃるでしょう。それなら食事というものは教材でしょう。教材費を先生から金を取るというのはどういうことなんですか。局長の見解をまず伺っておきましょうか。
#22
○政府委員(木田宏君) 冒頭に申し上げましたように、学校給食は食事をともにするという生活実態の面がございまして、そこに大きな教育的な意義があることは御指摘のとおりでございます。ですからその面から見ますならば食事が、食材料がすなわち教材だという御指摘も成り立とうかと思います。しかし現在の義務教育におきまして、やはり親が子供を育てるという基本的な役割りは持っておることがあると思っておりますし、義務教育に必要な教材、教具にいたしましても、教科書のごときものにつきましては国が措置をするようになってまいりましたけれども、現在普通の家庭におきましては教材はやはり親のほうの負担もあって、学校で一緒に勉強するという教育の実態もあろうかと考えます。
  〔理事田村賢作君退席、委員長着席〕
この食事の問題は子供を育てるという親の基本的な課題と、お昼学校で一緒に勉強しておる間に一緒に学校で食事をするという教育の面と、両方が一緒になったものだというふうに考えておりますので、お手元にお持ちのようでございますが、審議会の答申をいただきます場合にも、そこの点につきましてのいろいろ議論がかわされた次第でございますが、親と学校とが一緒になって給食を実施していく体制ということを考えていきたい。現在の段階で給食費の総額に対しまして、たとえば四十四年度の実績で申しますと、人件費に三百二十九億ほど国と自治体で、公費で持っております。それに対しまして食材料が千百二十七億ほどかかっております。そのうち公費で持っておりますものが、国が百四十六億、自治体のほうで二十五億、父兄で九百五十六億ほど持っております。食材料につきましては父兄の負担分が八五%ということになっておりますが、給食全体の実施、運営という点から見ますと、父兄の負担分が六二%という現在の実情でございます。したがいまして、まあこの持ち分につきましてなお御意見はあろうかと思いますけれども、審議会の答申をいただきます場合には、現在の給食の総体から考えまして、公と父兄とで折半をして考えていくという現在の体制の基本はそう変えなくてもよかろう、しかし細部までもうそれで問題がないというわけでもございませんし、また審議会の答申の中にもちょっと触れてございますが、児童手当等の新しい観点からの問題が出てまいりましたときに、いろいろ御議論があるということは十分承知の上で、現在の体制からいたしますならば親と当局とが共同で進めていくべきもの、このように考えておるところでございます。
#23
○鈴木力君 親の問題はあとで伺うつもりだった。私はいま先生から取るのはどういう意味だと言っているのです。学校の先生は毎日食事指導でそれを食べているわけですよ。食べたくて食べているわけではないけれども、教育熱心のあまり食べている。それから食事代を取るというのはどういう意味だ。確かに教材費は親が持つ分もありましょう。理科実験のときに化学薬品を使って理科実験をやりますね。その薬品代を先生から取るという例がありますか。化学薬品を使って理科実験をするのと、それから先生たちがその食事をともにしながら教育をするのと教育的にどこが違うのですか。
#24
○政府委員(木田宏君) まあお考えの点もあろうかと思いますけれども、やはり子供と食事をともにする教師にとりましても、生活の一面があるということは事実でございますし、子供から食費を取るが、先生はただで食べているということは私必ずしもいいことではないと考えます。
#25
○鈴木力君 食費ということばを使うと、私は別な面から聞きたい。一年生の先生は一年生のカロリーを食べているのですよ、献立を。先生はおとななんですよ。あの献立をつくるときに、低学年と中学年と高学年と中学生と献立が違うでしょう。中学を終わったおとなが小学校一年生の献立を一緒に食べているわけです。何か計画的に先生たちの命を詰めることを文部省が考えているような気がする、そういうことならですよ。食事代を取るという場合にはおとなに見合った食事を与えなければいけないのですよ、仕事として食べるのですから。私はそれでこれは文部省の基本的な考え方に、給食と直接の問題じゃないけれども、学校というものと役所というものの考え方にそれだけ違いがあるのじゃないかという気持ちでほんとうは聞いているのですよ。皆さんはお客さんが来たときコーヒーとケーキぐらい出すことがあるでしょう、局長室で。局長さんは自分の食べた分は払いますか。多くの場合、それは仕事ですから公費で持っているでしょう。それ以上に先生たちが食べているのは重要な役割りを持っている。それをお前たちもただで食うのはけしからぬという言い方の考え方がすべての面において学校に対しての不信感を与えていることなんですよ。私は、だからそういう点については少なくとも教師がそういうものを食べるという場合には食事代を取るという考え方は切りかえるべきだ。ほんとうにこれが教育活動なんだというところに持っていくべきだ。チョークを使って先生が授業をするからチョーク代を出せというような考え方じゃ、これはいまのところは通らないと思う。これはそういう立場での一つの教育的な面からの指導はぜひすべきだと、こう思う。
 それからさっきの親御さんのほうですね。これをもう食わせるから給食代を取るのはあたりまえだという言い方をする。しかし親に言わせればいろいろな問題があるわけですから、うちの子には弁当持たせてやるという言い方が出てくるでしょう。食事という意味から言ったら親にも選択権を与えなければいけないはずですよ。それが親の選択権を取り返しておいて……、まあ取り返してということばは少し悪いけれども、とにかく親が子供には弁当持たせてやりたいのだと言っても学校給食というものがあるでしょう。もちろん、私は学校給食というものはほんとうのものに乗っけるべきだという基本的な考え方ですから、そこまで行く過程の間に、困るけれどもしょうがないという気持ちでいる親だっていないわけじゃないわけです。それからも金を取るのですから、選択権を与えないで教材を持ち込むというのだから、私は教科書と給食というものをいまの教育の一つの柱に考えたら、教科書は無償にしたが、こっちは金を取るという考え方は、まだやっぱり給食に対する文部省の情熱が足りないと思うんですね。給食をほんとうのものにしようという情熱の一番欠けているのは文部省です。その次が市町村、県だ。一番熱心なのは学校と親だというような、逆になっているんじゃないですか。そういうような形にいっているから、給食費というものが遅々として進まないので問題が多いわけです。いま直ちに私は全額無償にしろとは言わないけれども、しかし全額無償にすることがたてまえなんだという形で、文部省が取り組んだらどうですかということなんです。それだけの気持ちを持って、さっき言いましたように、日本全体の子供たちの少なくとも三分の一の食事を、教育を兼ねて体力づくりをやっているのだから、栄養づくりをやるんだから、それくらいの金を国が出すというのは、ほんとう言ったら私はそんなにおしい金じゃないと思うんです。そういう頭の切りかえがなければいけない。それをいまの食事代を取るという考え方を持っているのは、戦後の食事の足りないときに、学校給食ということで食事を補ってやりますよという頭がまだあるからだと思います。いまそんな頭でいたら、給食という問題はつぶれてしまう。しかし、ここまでもってきたものを、そんなことでつぶしてはもったいないから、そうしていま局長が言ったような給食の値打ちというものは相当あるから――あると私は思うんですよ、これをほんとうのものにしていけばある。いまみたいな中途はんぱならやめたほうがいいという気持ちもありますけれども、ほんとうのレールに乗っけていくためには、私はこれは文部省だとというわけにはまいりませんけれども、まあ新聞だけでも、一円の補助金を削る、削らないということを議論しているのを見れば、文部省だけというわけじゃない、政府全体の問題だと、政府全体がそんなけちくさいことを議論しているうちはだめだということなんです、私が言いたいのは、そして文部省はもっと先頭に立って学校給食の柱というものを有効なものに、もっと重いものにしていくような態度、みずからの態度で示せということがあるんだけれども、そういう態度で示していくときに、あるいは親もがまんして給食費を出そうという空気になるかもしれない、そういうことを私は言いたいわけです。これはひとつやっぱり大臣の学校給食に対する文部省の考え方について、私が言っているようなことは、ばかなことならばかなことだとおっしゃっていただいてもいいんですけれども、率直に伺いたいと思うんですよ。
#26
○国務大臣(坂田道太君) 学校給食は、小・中学校でも千三百万人の児童生徒が受けておりますので、今日の学校教育の中におきまして欠くことのできない私は大事な教育活動であるというふうに考えております。また、この学校給食によりまして栄養が片寄ったり、あるいはまた良質の食事を発育期の青少年に与えることができないということは問題だと考えるのでございまして、このために子供たちの健康あるいは体位というものが全体に向上をしたことを私は承知をいたしております。したがいまして、こういうような学校給食の共同の食生活という場を通しまして、また青少年によき生活習慣をしつけるということにも教育的意義は大きいというふうに思うのでございます。
 私は、群馬でございましたか、かなり僻地のほうでございましたけれども、子供たちと一緒に食事をとりました。先生が御指摘になったほど悪くないと私は感じました。それはやはり文部大臣が行くんだから、いいとこばっかり見せるんだということもあろうかと思いますが、あるいはそうかもしれません。しかし、行きましたところが非常に私はよかったと思っております。私が感心しましたのは、女の校長先生だったんですけれども、自分はここへ赴任してきて、まず第一に郡内の生徒児童の体位を調べてみた、明らかにビリから二番目だったと、それからもう一つ、読書力といいますか、教育上のことを見てみて、ねばりがないというか、読書を続けてやるというわけにいかない、これはどうも体位と関係しているのではないかというふうに思った。したがって、まずこれには体力づくりが必要だ、そのためには運動が一つということでサーキットというものを毎朝やっているんだ、それから同時に給食というものを大事にしようということで始められたそうでございますが、時間の経過とともに体位もずいぶん上がってきた。同時に学校教育の面においても非常に期待したような成果が出てきておる、こういうことでございまして、やはり給食というものの教育的意味というものは非常に大きい。ところがそれと同時に、廊下に毎日の献立についてのいろいろな表を出されるようになっております、カロリーその他につきまして。それから米のとぎ方についても先生が指導される。ところがあとの父兄との懇談会のときでございましたが、父兄を前にして申しわけない話なんですけれどもと言って、校長さんが言われるのには、実は米はあんまりまっ白くとぎ過ぎちゃいけないんですよ、ぬかを少し残すようにしなくちゃいけないんですよと学校では教育をするんだけれども、その翌日ですか翌々日ですか、子供たちが先生だめですよ、うちのおかあさんが米のとぎ方というのはこうするものだと言って聞かないんですよと言ってきた。そこで私ははたと考えましたということでこれは家庭にも栄養指導その他をやらなきゃいけないのだということになりました。しかし、そういうことで父兄の人たちもだんだんそういうことに興味を持つようになった、村全体として非常にいい影響を持っているというお話でございました。私は、そういう意味から学校給食は将来の国民の食生活の改善、健康の増進に寄与するばかりでなく、食料品に対する大きな安定需要を形成し得るものとしまして、今日の消費価格政策、あるいは消費者保護というような面、あるいは今後の総合農政展開にも重要な関連を有する重要な課題である、こういうふうに考えるわけでございまして、政府自体といたしましても総合的にとらえていかなければならない。いま先生が御指摘になりましたように、千三百万人の人がとにかくその食事を昼とるわけでございますから、これはたいへんなことなんです。その食材料というものの購入その他、やはりこれがうまくいくかいかないかということは物価、消費ということに影響しないわけではないわけでございます。その意味合いにおきまして、私は、政府当局としては新たな観点に立って、むしろ前向きに考えていかなきゃならないのは学校給食であるというふうに思っておるわけでございます。もちろん一円打ち切り云々というようなこともある筋から出てきておることも事実でございますけれども、私どもといたしましては、いまのような考え方で学校給食というものを進めてまいる、かように考えております。
 ただ先ほどの先生の全額国庫負担にしたらどうかということですが、何かこう近ごろ何でもかんでも国でやるということが一番いいんだということの考え方があると思います。社会主義国では、そういう考え方が非常に強いと思いますが、そのことがはたしていいのかどうなのか、あるいはいまおっしゃいました問題なんで、私はやはり負担という問題については、とにかく自分の子供でございますから、子供の食うものは国庫負担としましても、結局それは税金になってくるわけなんですよ。そういうことを考えた場合には、やはり自分の子供の昼の食事、しかも、うちで食べるよりもいろいろなことを考えられておる。あるいはまたわりあいに安い、こういうことから考えると、むしろその代金は父兄が持つということは当然ではないかというふうに私は考えます。その辺のところはあるいは意見が違うかと思いますが、いま局長から差し出したところによりますと、ソ連つまり社会主義国でも子供から食費を取っておりますということでございますが、社会主義国だから必ずしも取らないという私の論理は、あるいは推測であるいは間違っておるのかもしれません。あるいは取っておるところも取らないところもあるかと思いますが、一応それは訂正させていただきます。
#27
○鈴木力君 私は、いまの大臣の答弁に非常に不満なのは、何か私はソ連が取っておるから、取らないからという、そんなことでものを言っているような答弁をいただいたのはきわめて不満です。私はもう少しまじめにものを言っているつもりです。だから、私はいまの経済の機構もわかっている、予算の仕組みもわかっている。だから一ぺんにはいかなくてもということを私も言っておるわけです。私の言いたいのは、大臣に全部お聞きいただいたのかどうかわからぬが、私は前提として一番先に言いましたように、学校給食というものの一つの評価というものを持っておるということを前提に言っている。これをもっとほんとうのものにしなければいけないという前提で私は言っておるわけです。だから社会主義がどうとか資本主義がどうとかということではなしに、いま文部省が中心になって全国的に児童生徒の食事というものを通して、一つの改善という運動もあるわけでしょう。ある程度の一つの指導、コントロールというものも実はあるわけでしょう。そういうような形でいまやっているときに、これを国がもっと金を出して、特に体力づくりというようなところの予算をもって、情熱をもって、ほんとうに楽しい、どこからも文句の出ない給食をつくろうじゃないかと、こういうことを言っておるわけです。ですから、ソ連がどうとかアメリカがどうとか、資本主義がどうとか社会主義がどうとか、そんな立場で私はものを言ったつもりはございません。ただ、私が社会党だから、おまえが言うといつでもということで、ソ連でも金を取っているからおまえどうだ、間違っていないのだという、そういう御答弁はどうもいただきたくないと思います。それだけまず申し上げておきます。
 そして、私の言いたいのは、基本的には一ぺんに国庫負担にするかしないかという行き方もありますが、やっぱり国が本気になってやっているのだという姿勢を、給食をやっている全体のものに示してもらいたいということなんです。だからさっきも言ったように、文部省もがんばっているそうだからと、新聞には……。だけれども一円の補助金を削るとか削らないとかいうことを政府部内がやっておるということが新聞に出るような状態は、決して勇気を与えないということを私は言ったわけです。
#28
○国務大臣(坂田道太君) 私はふまじめに申し上げているわけではございません。そして今日の議論として何か全部国にやってもらえばこと足りるというような安易な考え方があることも御承知だと思います。私はまじめに考えまして、私は先生のお考えはお考えとして承りますけれども、先生は完全給食あるいは完全国庫負担ということが最高なものだとお考えになっておるかもしれぬけれども、また別な意見もあるということを私は申し上げたわけでございます。私はそのほうがいいのではないか、ただいまはそういうふうに考えておるということを申し上げておるんでございます。そういうわけでございまして、やはり自由な選択権というものが国民にある、基本的なこういう考え方というものは、どちらかというと、社会主義か資本主義かということを言えば、どちらかというと、社会主義的な国のほうがその自由を奪っておるということは言えるわけであります。そういうことを私はまじめに申し上げておるわけであります。しかもそれを踏まえまして、現在のこの私たちが遂行しております学校給食というものが、全然父兄は負担をしないで、国まかせがいいかどうかという問題については、私はそうは思いませんということを申し上げておるわけでございます。しかし先生がるる一時間にわたってお述べになりましたいろいろの点につきましては私はよく傾聴いたしておりまして、もっともな点でございますし、また私としましても激励を受けたような気持ちで、たとえば先ほどの従業員の問題であるとか、あるいはその標準であるとかというような問題については私は改善をしてまいりたい、かように考えておることをひとつ申し添えさしていただきたいと思います。
#29
○鈴木力君 これで終わりますが、学校給食については、私もさっき大臣もおっしゃったように、確かにいろいろにいままでに成果をあげてきた面というのは私は正当に評価すべきだ、そういう前提で、ここまで来たんだから、九八%までも普及しているんだから、これを多少の、まあいろいろな文句も、問題もという御指摘もあるけれども、これをほんとうのものにして、より成果をあげていくようにしなければいけないと、そう思います。それには、先ほどもくどくど申し上げましたが、これはやはりひとつ文部大臣が先頭に立ちまして、一つの片すみにある給食という考え方ではなくて、子供の学校生活には重要な柱だという観点を立てるべき時期が来ているということを申し上げておるわけです。そういう観点で具体的な施策をどんどん積極的にお進めいただきたいと、こう思うわけです。それでさっき申し上げたいろいろな欠陥等につきましては、私も全部見ているわけじゃございません。一例にすぎないかもしれません。それから運営にいたしましても、父母を交えた献立の研究会とか、いろいろなくふうをやっておるところもあるようであります。そういうような問題もいろいろ研究、指導されながら、これは後退でなしに、積極的に急速な前進を遂げるような施策を御要望申し上げて、この問題については質問を終わりたいと思います。
 次に、だいぶ長くなって恐縮でありますが、最近の人事管理の問題について若干問題をお伺いしたいと思うんです。これは時間ももうあまりないと思いますから、簡単にお伺いしますが、まず、その一つは、これは教員定数との関係があるんでありますけれども、いま各県でよく臨時採用という制度を採用しておると思います。臨時採用教員という身分の不安定な教員が相当数いるようであります。しかもこれは免許を取った正規の教員として採用になる方が臨時採用、これはどういう事情でこういう制度がいまあるのか、これは文部省が何か御指導なさっておられるのか、その辺の事情をお伺いしたいと思います。
#30
○政府委員(宮地茂君) お尋ねの臨時採用教員につきましては、教師が教育公務員特例法等の規定で休職いたしますが、そういう場合の休職代替教師、さらに女教師がお産をしました場合の産休の代替教員、こういったようなもののほかに、その他いろいろな理由からの臨時採用教員がございます。たとえば年度中途で、ある先生がやめられたといったような場合の欠員補充あるいは長期に研修に出られる、あるいはさらに留学をされるといったことの補充のため、あるいは冬季分校等が開設されたり、さらに冬季の寄宿舎が開かれたり、そういったような場合、さらには一番問題になることと思いますが、だんだんと子供の数が減ってくることに伴いまして、教師の定数が先行き減少していくというようなことから、定数減を見込みました一時的な補充の教員、こういったようなことがそのおもなものと思います。こういった臨時的に採用される教師ということにつきましてはいろいろ事情もございまして、できることならそういうことでなくて、一般の教師のように一年とか、半年とか、三カ月といったような任期を限らない普通の採用が望ましいと存じますが、以上のようなやむを得ない理由から、任期を限って教師を採用するということは必ずしも好ましいこととは思いませんけれども、必要やむを得ない場合もございますので、私どもといたしましては必要やむを得ない場合に限定して、できる限りこういう措置でない一般の採用ということをやるべきであるといったような基本的な考えで教育委員会等を指導しておる次第でございます。
#31
○鈴木力君 大体わかりますが、たとえば、さきに聞いた休職代替とか、いろいろそういう者の臨時という採用もよく事情はわかります。ただ一番あとに言われました定数減を見込んだ補充教員というもの、これは私は内容はわかっておりますから、それの説明はいただかなくてもよろしいのですが、これはちょっと最近行き過ぎているんじゃないかという感じを私は持つのですがね。それで局長おっしゃったように、最低のところでとめるような指導というものがやはりどうしても必要だし、もう少しやっていただきたいような気がするのです。もう一つの県で相当の人員が臨時採用になっておる、それが教員の定数に入っておるのでしょう。教員定数の中に入っておって、ある部分が臨時採用の職員になっておる。そうしてもしも来年定数減になったらおまえは首切られ要員だぞという採用になっておるわけです。しかし、ほんとうにそういう状況なら当たった人が貧乏くじを引いたと思うかもしれないのですが、ところが実際は翌年どういうことをやっているかといえば、やはり新採用をやっている。おまえは定数が減ってしまってどうにもならぬときは首を切られてもやむを得んぞという趣旨で臨時採用しておって、そうしてその翌年にまた新採用をやっておる。そうしてまた臨時採用をふやしておるわけです。だからそういう形の臨時採用教員というのがこれはやはりいまのところ非常に内心おだやかでない、というとことばが少しよくないけれども、やはり不安な気持ちといいますか、これは非常に多く持っておる。ですからたとえば欠員が出た場合とか、あるいは産休の場合とか、あるいは長期留学とか、冬季分校とかという事情はよくわかる。そういうところに、若干の定数にプラスという理由ならまだわかります。それが教員定数のワクの中で臨時と正規というものと分けていくことが、欠員が出た場合の補充ですと、それは外にいる場合には定数のワクにいるものですから、定数の中にあとで入ってくれば正規になるんですからこれはわかる。きめられた定数の中の相当部分を臨時採用にしておるということは、教育委員会にすると一つの温情かもしれませんが、なま首を切らぬように前から切るのを準備しておくという、そういう配慮もわからぬわけじゃないけれども、教師に与える影響というものは非常に大きいと思います。だからこれはあまりやりとりしなくてもいいと思いますが、局長さっきおっしゃったような配慮でひとつ御指導をしていただいたら、もうそろそろ異動の準備が始まっておるときに、そういうことをひとつ御要望申し上げておきたいと思います。
 それからあと、もう二つだけお伺いしたいのは、これまたそろそろ人事異動がいま準備をされておるものですから、教員の人事異動の問題、一つは退職勧奨です。退職勧奨制度というのは、一面からいうと退職する教師のあとの待遇なんかも配慮した面もありますから、私はこの退職勧奨制度が直ちにいけないというつもりで言っておるわけじゃありません。退職勧奨というのもいまの行政上あるいは必要な面があるかもしれない。ただこの勧奨の制度の運用について、これもやはり文部省が直接やるわけじゃありませんから、これは文部省けしからぬというわけにも、直接はそうは申し上げませんが、ずいぶん私に言わせれば残酷なやり方があるように見えてならない。そこでちょっとお伺いいたしたいのは、この退職勧奨の年齢に非常に各県によっても差異があるようでありますが、どういう状況になっておりますか、ひとつお伺いしたい。
 それからもう一つは、退職勧奨年齢に男女の差が非常に多くついている問題がある。この男女の差別をつけている県がどういう県で、どういう理由で男女の差別をつけて退職勧奨をしておるのか、調査されておるものがあったらお伺いしたい。まずそれだけお伺いしたい。
#32
○政府委員(宮地茂君) お尋ねの退職勧奨の実情でございますが、各県によりまして相当開きがございますが、大体五十五歳から六十歳くらいまでのところのようでございます。特に東京都、青森等は六十歳、あるいは東京などはそれ以上のようでございますが、あとの県は大体五十五歳から五十九歳くらいまでということでございますが、そのうち五十六、七、八歳というのが大体大部分の県のようでございます。
 それから女教師と男子教師との間に退職勧奨年齢に差を設けておる県は、四十四年四月一日現在で私どもが調べましたところでは、二十の府県が差を設けておるようでございます。その差の年数でございますが、大体一年ないし四年くらいがほとんどでございまして、中には七、八歳の差を設けておる。ですから男の先生であれば五十七、八歳が女子の先生であれば五十歳といったような県も、これは二県ばかりあるようでございます。
#33
○鈴木力君 それで、そういう差がついておることを文部省としては妥当と思うんですか、妥当でないと思いますか。
#34
○政府委員(宮地茂君) 私どもといたしましては、それぞれ県におきまして各県、たとえば教員の給与等も各県によりまして平均的にばらつきがございまして国立の先生の給与の種類と額によると、それを基準とするということですけれども、相当のばらつきがございます。それと同じように、退職勧奨年齢につきましても、県の事情によりまして、いま申し上げましたような開きがあります。県の事情によるとは思いますけれども、政府としてどう思うかとしいて申し上げれば、私どもとしてはあまりばらつきがあるのは県の特殊事情ではありましょうけれども、あまり好ましいことではないというふうに考えております。
#35
○鈴木力君 特にお伺いするのは、男女の勧奨年齢の差のあるのは、文部省はどういう御見解をおとりになりますか。
#36
○政府委員(宮地茂君) まあこれは私から申し上げるまでもございませんけれども、男女間で性の違いによってこういうことに特に差別をというようなことは、法律的には差別する理由はないと思いますが、まあ従来からのいろんな、あるいは日本人特有の考えかもしれませんが社会常識といっては変ですけれども、日本特有のようなそういう考え方とか、まああまり科学的、合理的理由とは思えませんが、そういったようなことが中心になっていると思いますので、これまた県のいろんな事情で、たとえば定数の問題とか教員の年齢構成の問題、さらにはあまり理由にならぬかもしりませんが、財政事情とか、いろいろその県によって理由がございますが、これまたしいてどうだとお尋ねになれば、男女間に差別をしていくような、そういう勧奨年齢に開きを生じさせるということは好ましいこととは思っておりません。
#37
○鈴木力君 そこで私がきょうこの問題を提起しましたのは、やはり文部省は行政指導ということができるでしょう。好ましくないと思うことをやっている場合には、いろいろな場合にも行政指導というのをやっておられるわけですから、これは行政指導で是正をする意思がないかということです。それもしかも、私はどうしてもわからないのは、具体的な県をあげたり、具体的な氏名をあげたりすることはできるだけしないほうがいいと思いますからしませんです。特にきまりの上からいって、男女差をつけている。女性は五十歳になったらやめるんだという追い込み方をしているということは、どうしても理解ができないのです。むしろ最近は長生きするほうが女性だと言われているのに、女性は早くやめろというのはおかしいので、特に私はこのほかに退職勧奨の理由に、これはまあ文部省もあとで調べていただきたいのです、たとえば夫婦共働きのところの奥さんのほうが、いつでも退職勧奨させられる、これは規定の年齢にならなくってもやらされるわけです。こういうことについてはどうしてもわからんのですが、そういうような事実は局長さんは御存じですか。
#38
○政府委員(宮地茂君) 文部省としては、特に調べたものはございません。
#39
○鈴木力君 これはまあいま始まったことではありませんから、やっぱり状況は把握しておいていただきたいと思います。共働きのゆえに勧奨させられる、やめさせられるということは、これはいろいろなものを御披露申し上げてもいいんです。退職勧奨させられた先生たちの訴えというもの、いろいろ私どものほうにはきておるものもある。おまえはもう夫婦二人で月給がこれだけになっているから、生活に心配はないだろうからやめてくれという言い方ですね。これだと、一方的にどっちにやめろというわけにはいかない。かりにそういう理由があるにしても、必ずしも主人の月給が全部家計費に入っているのやらどうなのやらそれもわからぬ。外側から、おまえのほうは二人でとっているのだからやめろという言い方もおかしいのですが、それは冗談ですが、基本的に言いまして、教員の人事というものを何か失業対策みたいな、生活に心配がなければやめろと、ならば生活の心配のものは教員になってこいというような、そんなようなにおいが便宜的に人事行政に使われておると思います。この便宜的に使われているようなやり方はやめさせるような御指導をぜひお願いしたい。
 それからもう一つだけ、この男女の差についての、女教師というか婦人教師に対する退職勧奨のやり方ですね、これはやっぱり、どうせ調査なさっていらっしゃらないでしょうから若干聞いておってください。こういうのがいるんです。これはある県の去年の例でありますが、四十三年の二月十三日に第一回の退職勧奨をされた。それから三月末日までに前後七回の勧奨を受けた。しかもこのうちの三月二十一日午前九時五十分ごろ県の教育委員会の主事と市の教育課長が学校に来て、ちょうど父母と学期末の懇談会をやっているところに来て、それをやめて校長室に来いと言う。そうして校長室に来いと言われてそれからがものすごい罵倒――七回も何回も言ってもまだわからぬか、これほど上司の言い方がわからぬものに教師がつとまるか、そういう勧奨をされたと言って泣きの涙で訴えてきている人もある。それからもう一つのやり方は、承知しなければ承知しなくてもよろしい、そのかわり僻地に行ってくれ。そういう勧奨のしかたがある。それでその先生は、夫と子供を置いて一週間に一ぺんも帰れないところに赴任をさせられている。赴任をさせられたら、赴任先の校長さんに、おまえも黙ってすなおにやめればいいんだけれども、つまらぬことがんばるからこういう目にあうんだ、わかったかというような歓迎会をされた。その人が一番先にやめろと言われたのは四十八歳です。そういう状態にいま人事異動ということが行なわれておるということは、私は少しこのごろ残酷過ぎるのではないかという感じがするわけです。そういう意味では、退職勧奨の実態というものを、特に婦人教師に対するしわ寄せというものを男女差という基本的な問題からも非常に疑義があると思う。こういう点は、もうことしの人事異動からはやめてもらいたいと私は思っている。もっともこれは、文部省の局長がやったのではありませんから局長けしからぬとは言いませんが、よく御指導なさって、そういう状況がなくなればりっぱなものです。依然としてなくならない場合には、これはちょっと局長さんの指導が足りないということにまたなるだろうと思いますから、そういう点についての御指導をぜひお願いしたい。
 それからもう一つだけ。長くなって恐縮ですが、文部省は、いまの人事配置の中で男女の別居している現状なんかについて御調査なさっておりますか、おりませんか。
#40
○政府委員(宮地茂君) あとのほうの夫婦別居か同居かという調査は、特にいたしておりませんので、現状をよく承知いたしておりません。
 前段のまあ御質問というよりも先生の御所見のようなものを拝聴いたしましたが、おっしゃいますような退職勧奨というものは、あくまでも事実上の行為でございまして、本人の自発的な意思に期待しなければいけないものでございます。したがいまして、お示しのような強制にわたったり、あるいは報復人事だとかいったような、そのようなことがいやしくもとられるということは、これは許されないというふうに考えますが、また同じ教育の場におきまして、先生が御指摘になられましたようなことを、いまお聞きしまして、はたしてそれが同じ職場の校長なり、教師の間柄なのであろうかといったようなことで、まあ大きく申しますれば、がく然とするような御報告を承りましたが、まあ事実と思いますけれども、後ほど、こういう場でなく、学校の名前もお知らせいただければ、私のほうも調査いたしたいと思います。
 しかしながら、別にその先生のおっしゃることに反論するわけじゃ毛頭ございませんが、つまり、この人事行政をやります場合に、教員養成大学で教師になろうということで一生懸命勉強しておる、これからの教師候補者も、四月には卒業していくわけでございます。それらの先生方が、子供が非常にふえて、定数もどんどんふえる時期なら問題ございませんが、場合によって、また県によって過疎になっていくといったようなところでは、やはり教師の適正な年齢構成ということも必要だと思います。新しい人は全然入らない、古い人ばっかりだといったような職場の人事構成ということもいかがか。さらに新卒者の期待を完全に裏切って、採用しないのだというようなこともこれはなかなか問題であろうと思います。したがいまして、人事行政、まことにむずかしいことでございますが、要は、できる限りお互いが納得し、いまの先生が訴えられたというような、報復されたのだといったような気持ちを持たないで、あたたかい血の通った人事行政がなされたいというふうに、まあ考えます。したがいまして、勧奨退職等の場合、勧奨される人は、まだまだ自分としてはつとまる。教師として新たに入ってくる者よりも、三十年のベテランなんだから自分のほうはまだまだ教師ができるといったようなお気持ちの方も、個人的にはいろいろおありと思います。毎年文部省でいたします教育功労者表彰のときにも、一人一人の先生方を見ますと、こういう方がやめていかれるということは国家的にも損失だというふうに、私どもも感ずるような面もございますが、やはり人事行政全般、あとに続く者、さらに教育の振興といったような立場から、やはりこのやめていかれる方にも相当の協力を、という点を私どもも期待したい、まあこういうふうに考えます。御趣旨のような強要、あるいは報復にわたるような人事は、御回答するまでもなく、よくないことは当然でございます。したがいまして、御趣旨のような指導は今後十分進めていきたい。こういうふうに考えております。
#41
○鈴木力君 私が申し上げておるのは、いろいろなわれわれのほうに入ってくる材料も、個々のどこ県のだれといったようなほんのわずかの現象ということではなくて、どうも全国的な現象なようなんです。きめ方は男女一緒にきめておいても、実際上の勧奨は婦人教師のほうは若いところにいく。その理由が、圧倒的に多い理由は共働きです、というふうにどうも私は見えてならないのです。共働きはやめなければいけないのだというような機械的なもののやり方や、あるいはやめないやつはばかだというような、そういうやり方をもう少し血の通った教育行政に直すことが必要だということを申し上げておるわけです。その点について、もちろん全体の人事行政からいいますと、人事というものは全部自分が行きたいというところに自分がおれるものではないということも、現状はよくわかるつもりだが、それを理由にして、機械的に残酷にどこに吹っ飛ばしてもいいのだという教育行政がいまある。そういう点は今後行政指導で是正をしていただきたい。こういうことなんです。
 いま、同じことなんですが、夫婦の別居についても、最近はもののむざんにそれをやられている傾向がある。これは、私は岩手県の例を出します。私の県でちょっと調べてみた。そういたしましたら、全体の数字だけ、全部こまかいことはいいませんけれども、七千二百二十八名を対象にして調査した。全部からの返事は来ませんでしたが、七千二百二十八名からアンケートを出した返事がまいりまして、それによって、別居している者が、一年から二年までは五百三十二人、三年から四年までは三百四十七人、五年から六年までが百七十三人、七年から八年までが八十一人、九年から十年以上というのが九十四名ある。そのほかに、準別居というのがあります。準別居というのは、大体土曜日には帰れるという人が準別居です。そうすると、いま言った、前の場合は毎週土曜日にも家庭にそろわないというのが、これだけの数字です。準別居は三百四十七人という数字になっています。こうなってまいりますと、どうも人間尊重という一つの方針が、教師には該当しないのじゃないかという感じになるのです。泣いているんですよ、ほんとうに、先生たちは。
 それで今度は、その夫婦別居をしている人たちの事情をいろいろ聞いてみた。そういたしますと、圧倒的に多いのは、他管内転出が割り当てになったから、がまんしてくれ。でなければ、やめるかという状況にいって、がまんしているわけです。まあ二年ないし三年ということでということですけれども、十年以上という人は何人も出てきているわけです。やはりこういう状況はひどいのじゃないか。聞いてみたら、しかし岩手県はまだいいそうだという話をしている人がある。全国的に相当あるのではないか。これも機械的に、全部別居はないようにということも、非常に人事管理上むずかしいという面もあるわけなんですけれども、これは岩手県でいいますと、県南の人で四十八歳くらいの御婦人が、だんなさんのところにこどもを置いて、県北の鉄道のない村にやられている。一月に一ぺんも帰れればいいというような、そういう例が非常に多い。他管内という、交流もよくわかるのです。その方針はわかるわけです。それならば少しずつ、隣の郡とか、せめて鉄道のあるところか、そういう配慮というものが、人事異動が行なわれる場合に、できないものだろうか。どうも最近の、これは岩手県だけじゃない。よその県でもそういうことを私は聞くのです。泣かされているということを聞きますけれども、ことしも人事異動が行なわれるのですけれども、多少はそういう教師の身にもなった、必ずしも隣の学校に二人置かなければいけないということも、それまではいえない状況のことはよくわかっているけれども、せめて一週間に、用事があるときには帰ってこれるような範囲に配置するというような配慮が、どうしてできないものか。
 そこでこれは、岩手県のような場合は特殊な事情もありますから、県南が教師が多くて、県北が少ないものですから、そこの交流ということはわかるのです。わかるけれども、ところがその県南の、教師が多くて出さなくてはいけないところに、わざわざ県北から、数字で交流をしているわけです。少し機械的になり過ぎている。そういう結果が、いま言ったように二〇%以上の教師が泣かされておる現状です。やっぱり私は、全部希望どおりにやれなんということは乱暴な言い方だと思いますからそういうことは言えないと思います。話してわかる範囲、常識の範囲ということぐらいはもう必要な時期なのではないか、こう思います。私は岩手県を例に出しましたが、これは私が岩手県で調査しやすかったから岩手を調べただけでありまして、よその県にも相当あるということをいろいろ聞いております。もう人事異動が始まる前に文部省としても善意の御指導をこれは御要望申し上げておきたいと思います。
#42
○政府委員(宮地茂君) 教師の配置転換につきましては、申し上げるまでもございませんが、教育の機会均等あるいは教育水準の維持向上、要するに学校教育の振興というような観点から適材適所とか、さらに職場の空気が沈滞しないようにとか、まあいろんな理由から教員の定数状況なり、さらに中学校、高等学校ですと教科等のことも勘案して、まあ県でございますれば少なくとも県下全域といったぐらいな広域的に行なわないと人事行政というものはうまくいかないと思います。したがいまして、夫婦が教員をしておられる場合に、いま申し上げましたような基本的な教員の配置転換という観点からは、その結果別居せざるを得ないといったような配置転換が起こることもまあこれはやむを得ないというふうにも考えます。しかしながら、御指摘のように夫婦が教師をしております場合に、夫婦の情、家庭生活、いろんなそういったような面から申しますれば、先ほど申し上げましたような基本的な考えで配置転換をするのだけれども、夫婦であるということを特に念頭に置いて、できる限り同居ができるようなあたたかい配慮をしていくということはぜひ必要なことと存じます。したがいまして、そういう観点で指導もしていきたいと思いますが、先ほども申しましたように、中には、教師にも限りませんが、御主人が転勤されて、奥さんがついて行かれればいいんだけれども、子供の教育のためにある場所にこれは残るといったようなこともございますから必ずしも一律にもいきませんが、それにしましても、教育委員会等も十分指導してまいりたいと思いますけれども、夫婦で教師をなさっておられる方も、やはり人事行政という基本的な点に対しましてもやっぱり十分御協力いただくということを、まあ両方のあたたかい気持ちで人事行政がスムーズに行なわれるようにそういった指導を今後強く進めていきたいというふうに考えております。
#43
○鈴木力君 もう一言だけ申し上げますが、夫婦というのは必ずしも教員同士だけが夫婦じゃありませんでしてね。違う職種の人もおりますからね。ただ、教師の訴えはこういうことですよ。たとえば国鉄の人とそれから学校の先生とが結婚をする、そうすると国鉄の人が転任をしますとその駅長さんなり管理局の方なりが頼みに来るというのですよ、こちらのほうを何とかやってくれと、学校側のほうに。そういう配慮は国鉄とかよその官庁にはある。ところが同じ教育行政の官庁では数字が合わないからおまえが行けという例が非常に出てくる。わびしくなるという気持ちで教師はいまいるということなんです。そうして局長がおおっしゃったような例もあるのです、子供の教育上奥さんは残ってというのは。最近私が調べたこの例ではその逆が非常に多いことなんです。おまえは同じ郡に何年かおり過ぎたからこの基準に合わないから郡を越えて向こうへ行けというのが出てきている。そうして主人のところに、夫のところに子供を置いて五十歳になんなんとする奥さんが県南から県北にやられているという例が多い。そういうことまでは少し残酷過ぎるのではないかということなんです。同じ管内におっていけないという基準があるから隣なりに、せめてひとつ隣なりという順序に、すべてみんなが協力するような、そういう人事行政はできないはずはないと思うのです。これは私も教師やっておるから昔のことも知っております。最近特に冷酷になっておる。そうしてやっぱり人事管理というものが金科玉条であって、そこに愛情もなければ人間尊重も何もなくなってしまうというところにそういうところがあると思うのです。基本的にそういう人事行政についてはやはり御指導をぜひともお願いしたい、こういう気持ちで申し上げます。
 これで終わります。
#44
○委員長(楠正俊君) 午前中の質疑はこの程度にとどめ、午後一時十五分まで休憩いたします。
   午後零時十五分休憩
     ―――――・―――――
   午後一時二十八分開会
#45
○委員長(楠正俊君) ただいまから文教委員会を再開いたします。
 委員の異動について報告いたします。
 本日、星野重次君が委員を辞任され、その補欠として田中茂穂君が選任されました。
    ―――――――――――――
#46
○委員長(楠正俊君) 休憩前に引き続き、教育、文化及び学術に関する調査を議題といたします。
 本件について質疑のある方は、順次御発言願います。
#47
○柏原ヤス君 公害問題が各委員会を通じて議論がなされておりますが、私はここで、公害問題を考えれば考えるほど、もう一歩進んで自然保護の重要性を強く感ずるものでございます。そこで、文化財の保護というような問題について質問をいたします。
 まず、国宝、重要文化財、重要美術品、こういうものはどのくらいありますでしょうか。
#48
○政府委員(安達健二君) 国宝とそれから重要文化財について見ますると、この中には建造物と、それから絵画、彫刻、工芸、書籍、考古のようないわゆる、美術品と両方ございますが、重要文化財の中から国宝が選ばれますので、国宝は同時に重要文化財でございます。したがって、国宝を含めまして重要文化財は一万件ございます。そのうち約一割の千十三件が国宝ということになっております。
#49
○柏原ヤス君 重要美術品のほうはおわかりでしょうか。
#50
○政府委員(安達健二君) 重要美術品といたしまして現在認定されておりますのは六千七百六十九件でございます。
#51
○柏原ヤス君 これらの保存、管理はどのように行なわれておりますでしょうか。
#52
○政府委員(安達健二君) 重要文化財につきましては、文化財保護法の規定によりましてその管理、修理あるいは公開というようなことが定められておりますので、この文化財保護法によってそのような形での保護がはかられておるわけでございますが、重要美術品は、これは現在は一応新しい文化財保護法によって、廃止されましたけれどもなお当分の間効力を有するとされておりますところの旧重要美術品等の保存に関する法律というものがなお効力を有しておるという関係でございます。この重要美術品等に認定されておりますところの物件につきましては、輸出が許可制になっておる。で、輸出の許可を得なかったときには一年以内においてこれを重要文化財として指定するか、あるいはその重要美術品としての認定を取り消すかいずれかをしなければならない、かようになっておるわけでございます。
#53
○柏原ヤス君 この保存、管理などに関する予算はどのくらいとられておりますか。
#54
○政府委員(安達健二君) いわゆる重要美術品につきましては国の予算の保護はないわけでございまして、これはただ輸出が許可制になっているということにとどまるわけでございますので、現在国の保護のような形で行なわれておりますものはいわゆる重要文化財、その中の国宝を含めました重要文化財というようなものの保護になるわけでございます。その経費の点を昭和四十五年の予算で見てみますると、まず重要文化財として指定されました美術工芸品等の保存、修理というのが約五千五百万円、それから防災施設、つまり美術工芸品等を収蔵する施設とかあるいはその保存のための金庫のようなもので、まず防災関係で約五千七百万円、それから収蔵の関係で六千四百万円というようなものが入っておるわけでございます。そのほか重要文化財等におきましてはこれを国において買い上げをするという費用が一億八千三百万円というように入っておるわけでございます。そのほか国立の博物館が東京、京都、奈良にございまして、ここで一種の保存とそれから活用というようなことをはかっておるわけでございますので、そういう博物館等に要する経費等も含めますとなお一そうございますけれども、文化財保護のため文化庁が直接支出しているものはおおよそ以上のようなわけでございます。
#55
○柏原ヤス君 そこで、この貴重な国民的財産である文化財の保護を考えますと、非常に問題があると思います。
 そこで私が問題にしたいのは、このような貴重な美術品が海外に流出されているという点でございますが、文化庁にお聞きいたしますが、重要文化財あるいは重要美術品が海外にどれくらい流出しておりますでしょうか。
#56
○政府委員(安達健二君) お答えする前に、現在そういう美術品の海外への輸出についてどのような制度が立てられておるかということを御説明申し上げたいと思います。
 まず重要文化財につきましては、文化財保護法の第四十四条によりまして、「重要文化財は、輸出してはならない。」ということで輸出が禁止されておるわけでございます。ただし、国際的交流というような理由でたとえば海外において文化財の展覧会をする、現在たとえばボストン美術館で禅の展覧会をやっておりますが、そういう場合には一時的なものとして許可をするということはございますけれども、原則は禁止されておるということでございます。
 それから第二点といたしまして先ほど御指摘なさいました重要美術品として認定されました物件については、申し上げましたように輸出は許可制になっておるということでございまして、そういうような二つの制度の運用を確保するために、実は水ぎわと申しますか、輸出の直前のところでチェックするシステムができておるわけでございます。これは関税法の第七十条によりましてそういうものの監督庁等の輸出の許可を要する等のものについては、輸出申告の際にその承認書といいますか、証明書を出さなければならぬということになっておるわけでございます。そこで税関でもってそういう美術品のものが出てまいりますと、これは重要文化財あるいは重要美術品に該当をしているかどうかということを確認するために、写真を文化庁あるいは関西方面では京都の国立博物館長のところへ送ってまいるわけでございます。そこでこれはやはり該当しているぞというようなときには、これは重要文化財であるから輸出はできない、あるいは重要美術品であってこれは重要だからできない、こういうことを私のほうで申し上げるということになって、その輸出禁止、輸出制限の確保をはかっておるわけでございますが、ただ実際問題としてまだそういう指定または認定も受けてないというようなものがございましたときは、これはちょっとやめてもらえぬでしょうかということを、行政指導といいますかお願いをしたり、あるいはこういうものでございますればそれじゃ文化財に指定いたしますから国で買いましょうというようなことによって、まあこれは必要な、大切な文化財については海外輸出の防止につとめておる、こういうことでございます。したがいまして、私どもとしてそういうものは原則として輸出が制限されておるわけでございますので、そういう件数が幾つあるかというようなことは、実際問題としてはもうないというようなことになろうかと思いますが、もちろんこの重要美術品の認定を取り消したというものもないわけではございません。これは昭和二十五年以降四十五年まで見てみますと、これが十一件ほどございます。これは重要美術品に認定されておるけれども海外に流出してもやむを得ないものと思われるものは認定を取り消して輸出を許可しておる、これが昭和二十五年以降で十一件の程度でございます。
#57
○柏原ヤス君 ただいまのお話で、非常に海外流出については文化庁としては心をお使いになっているということはよくわかりますが、この許可制で、はたして海外流出が防げるものかどうか、この点いかがでしょうか。
#58
○政府委員(安達健二君) 問題点といたしましては、一つは現に指定が完全に行き渡っているかどうかという問題があるわけでございます。つまり重要なもので指定がしてなかったために向こうへ流出してもやむを得なかったというようなことができないようにするということが必要になるわけでございます。そこで、重要文化財の指定をある程度急がなきゃならない分野がなお残っております。それはたとえば文人画、これは軸ものでございますと、簡単に巻いて持っていけるようなことで、それと相当アメリカ等でもこういうものに対する興味が非常にふえているわけでございます。そういうようなもの。あるいは銅器、これはシナのものについては日本では相当なものがあるといわれておりますが、その銅器、あるいは調度品というようなもので重要なもので、なお指定漏れはないかということにつきまして、調査をして流出を防止すべきものを早急にきめるということが必要になるわけでございますので、来年度予算といたしましても、五百万円ほどでございまするけれども、この点の指定を急ぎたいと、こういうことでございます。
 それから第二点といたしましては、重要文化財として指定をしておるものは、相当高級なものでございます。これ準高級には及ばぬけれども、なおこれは大事だというようなものは相当ありはしないかという問題がある。そうすると、重要文化財の指定のレベルというものをどこの辺に置くかという問題が第二に出てくるわけでございまして、こういうようなこともなお検討していかなければならないと、かように考えておるわけでございます。
#59
○柏原ヤス君 いまお話を承っておりますと、重要文化財とか重要美術品というように指定を受け、また認定されたものはある程度海外流出、ある程度じゃなくて海外流出の禁止はできると思いますが、これにまだ認定されてない、いわゆる将来認定される可能性の十分あるもの、そういうものが海外に持ち出される場合に、これは許可制といいますと、許可を必ず受けなければならないというものなんでしょうか。それとも許可を受けるというのは申請制度で本人が受けようと思えば受けられるけれども受けないで輸出しようと思えばそうでき得るものなのかどうか。
#60
○政府委員(安達健二君) 一つはやみといいますか、こっそり入れて持っていくという、こういう問題は別といたしまして、成規の手続によります場合には先ほど申しましたように、関税法によりまして、チェックをされるわけでございます。チェックをするときにこの重要文化財なり重要美術品にはっきり指定され、認定されているものについては、チェックは確実に法律的にできる、そうでないけれどもこれは大事だと思うものは話し合いでこれはもう少し残してもらえませんでしょうかとか、あるいはそれならば国のほうで買い上げをいたしましょうというようなことで流出を防止するということでございまして、それでとめたものをどうするかと言えば、それを重要文化財に指定するか、あるいは博物館か文化庁で買い上げ、保存をしていくということでございまして、大事なものとして輸出申請があったけれども、その当時は指定されてなかった、けれども輸出を防止したというのが最近でも十五、六件ほどございます。これは指定されてなかった、認定されてなかったけれども、輸出監査証明の段階において、輸出を防止して事ができたと、こういうことでございますので、輸出監査証明という制度を十分活用していけば、法律的はともかくとして、事実上ある程度のカバーはできるだろうと、こういうことでございます。
#61
○柏原ヤス君 この輸出監査証明をとるということは申請制度ですね。そうであれば、申請しないものは海外に流出すると、こういうふうに考えてよろしゅうございますね。
#62
○政府委員(安達健二君) 関税法の七十条によりますと、「他の法令の規定により輸出又は輸入に関して許可、承認その他の行政機関の処分又はこれに準ずるものを必要とする貨物については、輸出申告又は輸入申告の際、当該許可、承認等を受けている旨を税関に証明しなければならない。」ということですから、美術品を海外に輸出しようとするときには税関のところでとにかく一応チェックを受けるたてまえになっておりますから、そのチェックのところで成規の貨物として輸出する限りはもちろんチェックができる機構になっておるわけでございます。
 それから、あとはやみでこっそり持っていくということは、これはちょっと防ぎようはないわけでございますけれども、制度的な成規の手続きを取っている限りは一応チェックをできる体制はできているということでございます。
#63
○柏原ヤス君 チェックによって防げるとおっしゃっておりますが、チェックのことについてまた後ほどお伺いいたしますが、そうしますと、海外流出ということに対しては、文化庁としては重要な文化財あるいは重要美術品などは流出してない、こういうふうに言い切れるでしょうか。
#64
○政府委員(安達健二君) 先ほど来申し上げておりますように、一応、制度的には十分チェックできるようなシステムになっておる。ただ美術品といいましても、非常にたくさんございまして、たとえばアイヌの織り物とか鎌倉彫りだとか、そういうようなものまで数えていきますと相当なものがもちろん海外に出ているわけでございますが、どこまでのものを国にとって大切な文化財と考えるかというところによって、件数は違いますけれども、まあ、先ほど申しますようにやみと申しますか、そういうところで出ていった遺憾な事例はないわけではございませんけれども、制度的には一応確立されておる。
#65
○柏原ヤス君 文化庁で発行していらっしゃいます「文化財保護の現状と問題」というこの本の中に「美術工芸品等の海外流出の防止」という項目があげられて、そこにいろいろ問題点を出しております。そこを読みますと、「近年、日本の伝統文化が国際的に認識され、また日本の古美術品等の商品価値が高まるにつれて、国宝や重要文化財以外の未指定文化財の海外流出がとみに多くなっている。輸出ざれる多くの美術品の中には、未調査のため指定にいたっていない優品が含まれていないとはいいがたい」、こういう言い方をしております。これを見ますと、暗に海外流出を認めているのじゃないかというふうに受け取れますが、いかがでしょうか。
#66
○政府委員(安達健二君) ここでこの「文化財保護の現状と問題」で書いておりますのは、一応指定品以外ですね。未指定のものについては輸出がとみに多くなっている。その場合に「未調査のため指定にいたっていない優品が含まれていないとはいいがたい」というところで、この辺が漏れがあるいはあるかもしれないということを正直に書いたわけでございまして、指定品なり、それに近いものは、われわれとして努力をいたしておりますけれども、そのレベルをどの辺に置くかということによって、また考え方が違ってくるわけでございまして、レベルを非常に低くまで持っていけば、非常にたくさんいくということが言えますし、高くすればそういうことはほとんど防げているとも言えるわけでございますが、それと、先ほど申しましたもう一つの点は未指定ということがあって、そのためにくぐり抜けていくことがあっては困るということで、われわわとしては指定を、あるいは指定のための調査を早急にやりたい、こういうことが主眼でございます。
#67
○柏原ヤス君 そこで輸出監査証明の問題、先ほどおっしゃった許可制によってチェックする、税関でチェックするからということをおっしゃいましたが、この制度は非常に私はあいまいなものじゃないか、このチェックというのがどこまで確実にされているかどうか、現実に税関の第一線に立ってその仕事に当たっている人に聞いてみますと、税関の人間というのは古美術などについてしろうとだからその重要性は全くわからないから、そういう美術品が来ても、ただこれは美術品だなと中身を確めるだけで通してしまっている、こういうふうに言っております。事実そうだろうと私は思うのですね。重要な美術品であっても、また指定書類が添付されないものが、その品物、中身だけが税関に囲ってきた場合に、これはそうした指定されたものでもなければ認定されたものでもないというふうにしてそこを通してしまえばどんどん輸出されてしまう、そういう事実だそうでございますが、これはいかがでしょうか。
#68
○政府委員(安達健二君) 最近年度におきまするところの輸出監査証明の件数と申しますか、どれくらい輸出監査証明を出して輸出がされたかということでございますが、四十二年が一万二千件、四十三年度が一万八千件、四十四年度が一万三千件でございます。で、もちろんこれは、これだけのものは一応完全にチェックをしておるわけでございますが、それ以外に税関の人たちがこの点についての十分の経験なり知識がないからくぐり抜けてしまったというような御心配でございますが、この指定されたものがくぐり抜けるということはまずございません。ただある程度、たとえば重要文化財等でございますれば所有者等も私のほうでも相当わかっておるはずでございますし、それからそうでないものについてはあるいは全くそういうことがないということは保しがたい、あるいはそれに準ずるものとなれば保しがたいのでございますけれども、その点は、これを完全にやるためには全部、文化庁の絵画、彫刻の専門家が全部税関に出張ってやらなければならぬということにもなるわけでございますので、それは今後の状況等見合わせまして考えなければならないところでございますが、現在のところその重要文化財に指定されたものが輸出監査証明をくぐり抜けてうまく行ってしまったというのはまずないのじゃないかと思います。
#69
○柏原ヤス君 くどいような念の押し方ですけれども、完全に優秀な古美術だ、また重要美術品に相当するというものが海外に流出しないとは言い切れないと思うのですね。この点いかがでしょうか。
#70
○政府委員(安達健二君) ことばの程度問題にもなるわけでございますけれども、制度的にはなっておるし、これを十分確保するようにしたいということでございますけれども、そういうものは全くあり得ないということはもちろん言いかねることだと思います。
#71
○柏原ヤス君 そこで私は、非常にこの海外流出の問題について心配であり、また驚いたことがございます。私の友だちが海外におりますが、その人が私に手紙をよこしました。その中に、ボストンの美術館に行ったら非常に重要な美術品が飾られている、それがこういうもの、こういうものと名前まではっきり書いて言ってきているわけなんですね。これをちょっと申し上げますと、狩野探幽の孔子と二弟子図とか、野々村仁清の雁図、英一蝶の十二ヶ月風俗図などという有名な作品が現にボストンの美術館に飾られている。これは海外でこういうものを見ることは非常にうれしいけれども、日本の財産ともいうべきこういう貴重な美術品がこのように飾られているのはどうかと思うというような手紙がきたわけなんですね。
 そこで、実際に見た友だちからこういってきたので、非常にこれは問題じゃないかと、きょうこうして御質問申し上げるのもこれが一つの動機になったわけでございますけれども、文化庁のほうとしてはこうした事実はつかんでいらっしゃるでしょうか。
#72
○政府委員(安達健二君) ボストンの美術館は相当日本の美術の優品があるわけでございます。それは大体戦前に流出したものでございまして、平治物語絵巻とか吉備大臣入唐絵詞とかいうような非常に有名なものがボストンにございますが、これは戦前でございまして、いまの平治物語絵巻は明治四十四年、それから吉備大臣入唐絵詞は昭和七年でございます。
 こういう問題が契機になりまして実は昭和八年に重要美術品等の認定に関する制度ができたということでございます。したがいまして、最近その指定なり認定を受けたものが流出しておるというようなことはだんだん少なくなってきておるのではないかと、かように考えておるところでございます。
 なお、余分でございますけれども、再来年にはボストンの美術館で日本の美術品等の優品を里帰りするという意味の展覧会も企画いたしております。
#73
○柏原ヤス君 これは戦前の問題であるからと、わりあいに楽観的な感じのするようなお答えですけれども、最近とみに日本の美術品というものを世界の人々が非常にほしがっている、こういうときにこのような楽観的な考えでいればやみから流れていく美術品というものの中にそうした貴重なものがやはり流れていくのじゃないかと、こういうふうに心配するわけです。
 で、文化庁としては海外にこうした美術品がどのくらいいっているか、こういうことについて調査とかそういう点はなさっておりますでしょうか。
#74
○政府委員(安達健二君) 完全ではございませんけれども、海外にある文化財で重要文化財に相当するようなものというようなものについての一応のリスト程度のものは用意いたしておりますけれども、これはまあ完全であるとは言いがたいわけでございますが、だんだんと最近海外の展覧会等もふえておりますので、そういうときに技官等が参りましたときに、よく調査をしてくるように申しております。
#75
○柏原ヤス君 私もこの手紙を動機にしていろいろ調査してみました。私なりの調査でもここにずっと書いてみますと二十一点以上もわかったわけですね。
 この内容をちょっと申し上げますと、上野花見・隅田川舟遊図、菱川師宣とかあるいは歌川豊春の松風林雨図とか喜多川歌麿の遊女と禿図、それから葛飾北斎、北斎の絵などはずいぶん出ておりますね、筑摩祭図とか五美人図。あるいは松島図というのが俵屋宗達、竹巖新霽図というのですか、地田大雅、こういうまだ、非常に重要な文化財と考えてもいいと思われるものが出ております。
 まあ、あらあら調査したなんていうようないいかげんなものじゃなくて、こういうものをしっかりとやはり海外に流出したものは流出したもののように調査をしておく必要もあるんじゃないか、そういう点もっと積極的に文化庁というものがある以上はそうしたものをやはり調査する、そういった調査の方法を考える、そしてそれに対してどうしていくかというようなはっきりしたものがやはり打ち出されていなければならないんじゃないか、こう思いますが、いかがですか。
#76
○政府委員(安達健二君) いま仰せになりました絵画の中で、たとえば浮世絵の版画等は、これはもう相当数が出ていることは御承知のとおりでございます。それから、いまおあげになりました宗達の「松島図」というようなものももちろんアメリカに出ておるわけでございます。仰せになりますように、この美術品の海外流出という面につきましては、日本の文化財を守るという見地を最大の核心にして、それを重視しなければならないわけでございますけれども、同時に日本の文化を海外の人に理解していただくという面も他面には多少は考慮しなければならぬということもあり得るわけでございますけれども、先ほど申し上げましたように、なお未指定のためにこれが海外に流出するということがないようにすることがまず一番大事なことでございます。
 それから第二点は、制度的に見てもう少しその重要な美術品の海外流出について、これを守るための法制的な点にも検討を加える必要があるのではないか、あるいは第三におあげになりました、現に海外にあるものの完全な調査をして、なかなか買い戻すということも不可能でございますけれども、少なくともその行くえをはっきりつかんでいるというようなこともきわめて必要だと思っておるわけでございますので、今後いまお話しのような点を考えまして、さらに一そう十分遺憾なきを期する必要があると、こういうふうに考えておるところでございます。
#77
○柏原ヤス君 文化庁長官、いかがでしょうか。
#78
○政府委員(今日出海君) 私は海外流出問題というものに非常に関心を持っていることにおきましては、いまの非常にきびしい御質問をかえってうれしく思うのでありまして、私も先月ボストンへ参りまして、実にうらやましいほどの東洋に関するコレクションに驚いたのでありますが、すでにボストンの博物館にあるものは、いいというのはほとんど明治時代に流出しているんでございまして、この吉備大臣入唐絵詞などは、私は全くもう惜しくて、ほんとに持って帰りたいぐらいな感じでありました。われわれが遣隋使、遣唐使というものを派遣して、非常な苦労をして中国大陸に渡った船がどんな船であったかということも、この図がなければわからないんでありまして、その後はもうどんな船であったか、どんな様子であったかということは全くこれ一本にたよるというほどの、歴史的に見ても重大だし、また芸術的に見てもなかなかりっぱなものである、もちろん国宝級のものでございます。これはボストンでも非常に大事にしておりまして、なかなか向こうはそう簡単には見せてくれないほど大事にしておる。そういう大事にするという点では同じでございますが、いまの御指摘で、はなはだ未指定というようなものがあいまいで、私どもが楽観的であるようなおことばでございましたが、楽観はいたしておらないんでございます。ただこれは個人が深く蔵しておるものでありまして、なかなか見るのも骨が折れる、また人のものをかってにわれわれが行って、これは指定だというわけにもまいらないので、一般の文化財、美術品を愛好するという気持ち以外に、一つの非常な高価な財産としてこれを保存しておる方々が多いんでございます。それ自身けっこうですけれども、やはり保存とか何とかいうことを考えますと、なかなかこれは個人ではむずかしいんであります。何とかしてこれは国家が買い取って、いまたくさん美術館ございますが、そういうところならいいだろうと思いますが、ただ蔵の中に死蔵しておくのは惜しいじゃないかというので、保存上また社会的な意義から申しましても、国がこれを買い上げるべきではないかというんですが、この予算も御承知のごとくわずかな買い上げ費でございまして、まあ年々努力いたしましてこれでもずいぶん上がったんでございます。
 それからもう一つは未指定というのは、そういうむずかしいことと、それから金がないということもございますが、これは私どもの逃げ口上みたいなもので、何とかしてこれは私は国で保存しておきたいといま念願をしておりますが、美術品の価値というものは驚くほど変化を遂げておりまして、昨年も私スイスに日本の美術展を持って行きましたときに、織部の皿がございまして、もう非常な名品だといいますけれども、実は偶然のことですが、これは私のまだ中学生か、高等学校に入ったころ、芥川龍之介が古道具屋で買ってきたんです。その帰りにうちへ寄って話をしていたら二十円してないんですね。十何円ぐらいで買ったものを、いいだろう、いいだろうと言うのを私まだ歴然と覚えているんでございます。これがもはや何十倍になっている。これは織部の皿でございますが、そういうように四、五十年の間に価値というものは変わるんでございます。だからこれならいいぐらいで許可していると、これが非常な名品になる可能性もあるんだ、ことに日本の工芸品というものはこわれやすいもので、これ一つあればいいというのがいつこわれるかわからないんで、まあその次に位するもの、その次に位するものぐらい買っておきたい、取っておきたいと思います。そういうものが未指定というものになっているんで、おことばのごとくわれわれ鋭意それを買い上げるなり処置するなりいたしたいと思います。
 ただ、やたらにこれは外国に日本のものは行ってはならないということもどうかと思うんです。どこの国にもルネッサンスの名品が行っております。アメリカのは私見ても二流品だと思いますが、人の名前だけはそろっております。で、いまボッティチェリであるとか、そういうようなものはたくさんあるんでございます。そういうことも一つの――これは絶対に日本のものはいかぬというわけにもいかないし、こうやってお互いに各国の名品が日本にもあり、世界にもあるということが、日本の名品もあってしかるべきなんですが、まあ国民のため国の宝となるべきものは、これはもう何とかして確保いたしたいという所存でございまして、私のほうでは非常に厳格にやっておりますが、いろいろな法律の不備もございます、いろんなことがございますから、何ぶんひとつよろしくお願いいたしたいと思います。
#79
○柏原ヤス君 このような日本の重要美術品がなくなることを心配する方が非常に多い。私もそう思います。ルーブルに行きますと、エジプトの重要な美術品がほとんどあそこに集められている。あれを見ましたときに、私は日本がそのようになってしまってはならないと、そういう意味において文化庁がいま長官がおっしゃったように大いに努力しているということでございますが、今後文化庁ができたという意義がそうしたものをしっかりと日本に保存しておけるようにしていただきたい。これに対して大臣はどのような積極的な努力をなさるか、一言お聞きしておきたいと思います。
#80
○国務大臣(坂田道太君) 文化庁ができましたゆえんも、いま先生が御指摘になったようなことでございますし、ただいま今長官のようなりっぱな文化を愛好される、また日本の文化というものにつきまして非常に造詣の深い方を迎えておるわけでございますから、ますます日本の文化行政が進みますと同時に、日本人がつくりました名品は流出しないように努力を重ねなければならないと思っておる次第でございます。
#81
○柏原ヤス君 次にお聞きしたいのは美術商の、最近のことですが、国内での売買は半分以上が外人だそうでございます。ならばこうした美術品はどんどん外国に買われている。またアメリカの非常にお金のある画商などは国際的に自分のルートをつくって、そして国際電話一本で優秀な品物は押えている。もう品物が見つかると税関をごまかしてあらゆる方法で自分のものにしているそうでございます。こうした事実は御存じなんでしょうか。
#82
○政府委員(今日出海君) 大体わかっております。小さい骨とう屋はわかりませんけれども、大きいところは大体わかっておりますが、いまのところ買い手は非常に大きなところがございます。けれども私のほうで差しとめなきゃならないような逸品はございませんです。ただ数は相当に出ておりますし、また絵とか何かでも名品は、そのように名前だけのものは出ております。名品ではございませんが、出ることがございますけれども、たとえば宗達が出たなんていっても、これはもう学者もウの目タカの目にしてもないのでございます、実際は。だから伝宗達というようなものは相当ございます。そういうようなものは出るおそれはございます。しかしまあこれも骨とう屋が法網をくぐって売るというような骨とう屋ならいざ知らず、いま相当名前が出ておりますところは相当にもうけてはおるようでございますが、まあその程度の、私らのほうの許可を得なければならないようなものは出ておりません。ただ非常にこのごろアメリカに日本美術熱が盛んでございまして、ロックフェラーをはじめ石油王であるとか何とかが非常に買っております。しかし、いまの申したような美術品は出ておりませんが、ただ工芸品がわからないのでございます。これは古九谷なんというものはなかなかわれわれも見つけがたいのですが、そういうものがどこかから出た拍子に出るというようなことがございますかもしれません。しかしいまのところ、私が向こうで自慢で見せてもらってきたのですが、いいには違いありませんけれども、これは国でえらいものを流出させてしまったというような後侮の念を起こさすようなものはまだございません。ですからまあどうしてもこれはやみでポケットの中にそっとしまっていくということになると、これは問題でございますけれども、こればかりはどうもいたしかたないのですけれども、その他の名品は終戦後はそんなに出ておりませんし、私らのほうに許可を申請してきますときに大体お断わりしております。
#83
○柏原ヤス君 私が知っております美術商の方ですが、これは名前言うとまずいのでちょっと言えませんが、海外流出の美術品についていろいろお話をしておりました。で、最近、去年ですけれども、藤原時代末期の木刻の仏像ですね。これは日本にだけある木彫りのもの、こうした貴重なものが現に時価七百万ぐらいで出てアメリカに行った。こういうふうに言っておりました。こうした古美術商仲間では相当なものが動いている。高価なものほど海外に流出しているのだそうでございます。こうした点を具体的に事実として聞いておりますので、ただいいものが流れて惜しい惜しいと言っているだけではなく、また長官のお話ではあまりいいものは流れてないというようなお話でございますけれども、やはりもっと積極的な対策を立てらるべきじゃないか。こう思いますが、今後の対策についてもう少し誠意のあるおことばをいただきたいと思います。
#84
○政府委員(安達健二君) 先ほども申し上げましたけれども、未指定のもので大事なものが抜けていないかどうか、これを確実にすることが第一点でございます。それから輸出監査証明の実行を十分に確実にやるということが第二点。それから先ほど長官からも話がありましたけれども、その場合に未指定品でもぜひほしいというようなものがあった場合にこれを直ちに買い上げできるような予算措置をすることが第三点です。それからさらに現在の制度によっていいかどうか。これについてさらに実態をも見ながら検討して必要な措置――法的措置の検討も含めまして、早急にやっていかなければならない。こういうことでございます。
 それからなお先ほどおあげになりました藤原末期の彫刻でございますが、これはこちらのほうでも一応許可をしたものでございます。これは同種の作例のものが相当ございまして、これに藤原末期のものにつきましてはこれを指定して輸出を禁止し重要文化財として保護するに足りるものとは考えられないということで正式に許可をしたものでございます。
#85
○柏原ヤス君 保存とか管理とかについてフランスは非常に慎重な態度をとっているようでございます。美術品の輸出についても美術品を一週間税間でストップしておいて、そしてルーブルから美術館員が出てきて、そしてそれを一つ一つ点検している。そして重要なものは買い上げる、また輸出をストップさせるというような積極的な態度で流出を防いでいるそうでございますが、わが国の重要文化財の保護に対する方法というのは、指定してもほんとうに補助金が少ない、ほとんど出てない。文化行政のこの欠点は、そうした指定のみあって何の利益も与えてないというところにあるように思います。やはり予算の制約はあるでしょうけれども、こうした海外流出に関してフランスのような方法をおとりになるおつもりがあるかどうか、大臣と長官に最後に今後の文化財保護のあり方についてお答えをお願いして質問を終わりたいと思います。
#86
○国務大臣(坂田道太君) フランスの文化行政、しかもルーブルの海外流出に対するやり方等はわれわれとして十分参考にしなきゃならぬことだと思います。今後とも十分御指摘の件を踏まえまして文化行政に万遺憾なきを期したいというふうに考えます。また同時に、重要文化財を買い上げる費用等について十分でないというような点につきましても、予算措置について最大の努力を払ってまいりたいと、かように考えておる次第でございます。
#87
○政府委員(今日出海君) もういま大臣のお話につけ加えることはございませんが、まことに私も、まだまだ実を申しますと、流出もそうでございますが、もし少し重要文化財、重要美術以外に将来ひょっとするとかけがえのないものになるかもしらないというものがかなりございます。そういうものについては、個人の所有ならこれはどうもいたしかたない。で、まあ私は売るのは待ってくれと言って、それを博物館に少し預けてくれないかというので、いま博物館に預かってる品物というのが相当数ございます。これを何とか買い上げていきたいと思いますが、思うにまかせぬどころじゃないんでございます。一つも買えないという状況にあるので、どうかそっちのほうもなるべく大蔵省なりいろいろなほうにひとつ、私のほうはもう全く先生と同じような考えでおるんでありますから、その辺で非常に苦しんでおりますから、何ぶんその辺のほうも応援をお願いしたいと思っております。
#88
○柏原ヤス君 海外流出の問題はいかがですか。
#89
○政府委員(今日出海君) 海外流出につきましては、私は、ボストンあるいはワシントンのいま仰せの中にありました松島絵図ですね、ああいうものは明治の時代とは申しながら惜しいことをしたものだと、実はつい先月見てまいったばかりのところでございます。その他三十六歌仙にいたしましても、もうまことにその場で残念だと思っておりますが、まあ生まれない先の話なんですが、これからも十分気をつけて、名品の海外流出というものは防ぎたい。まあ税関、税関と、さっきからいかにも税関だけが関門のようでございますが、われわれのほうでもそのリストをつくっておりまして、おそまきながらいまチェックしておりますから、まあまあいま私がフリア美術館やボストンで歯ぎしりをしたようなことはいたしたくない、まただれにもいたさせたくないという念願でおります。
#90
○萩原幽香子君 前回私は、環境悪化、環境破壊の問題の中で、直面している問題として、姫路の船場小学校の例をとりまして騒音に関して具体的にお尋ねをしたわけでございますけれども、その際、照度について触れませんでしたので、前回の追加としてお尋ねをいたしたいと考えるわけでございますけれども、本日の質問が非常に時間もございませんので、時間とにらみ合わせながら後ほどこの問題についてお尋ねをしてまいりたいと存じます。
 きょうは、環境問題を根本的に解決するための学術研究及び教育上の施策についてお尋ねをいたしたいと存じます。
 先日、私の手元に届きました本の中に、公害に関する国際シンポジウムが開かれた際、外国委員たちは、この会が日本で開かれたことはまことに大きな意義があった。なぜなら、日本は経済の急激な発展の陰で、ありとあらゆる公害のサンプルをとりそろえているからだと、まるで日本が公害の大先進国でもあるかのような皮肉な発言があったようでございます。そして公害のおそろしさから見ると、GNPはもはや人類の幸福をはかるものさしではなくなったと結論をしたと書かれてございました。私もまことに同感でございます。
 うまし国といわれた日本は、その清く美しい自然風土が次々と破壊され、動植物をはじめ、人間さえも住めないような国土に化しつつあります現状でございます。大臣は、この原因をどのように、分析をされておりますでしょうか承りたいと存じます。
#91
○国務大臣(坂田道太君) いま先生御指摘になりましたように、日本の国は、元来清潔の民といわれたくらい美しい国であり、春夏秋冬の四季の変化に富む国だといわれ、またわれわれもそう思いきたのでございますが、特に戦後急速な科学技術の進歩あるいは産業経済の発達、それに伴いまする都市集中あるいは交通戦争、公害という形でわれわれの住んでおりまする都市というものがきたなくなってきたことは事実でございまして、まことに憂慮すべき事態だと考えておるわけでございます。
 で、私はやはり日本人のこの自然に対するかかわり合いというものは、世界的に見て、伝統的には非常にいい面を持っておったと思うのでございます。植物、動物、すべてわれわれ人間と同じような生命あるものだといい考え方、むしろ石みたいなものでも水をやり、そして生命あるものとして見るというような、そういう人間性豊かな国民であったと思うのでございますが、それが戦後いろいろ経済の発展、そしてそのことそれ自体は人間の生活を豊かにし、精神生活を豊かにし、人間社会というものの福祉を向上させるために始まったことであろうと思うのですが、結果は逆にそこに住んでおる環境を汚染し、あるいは害の発生源となり、そして人間の生命そのものが侵されるという事態を引き起こしておる。ここに至ってわれわれは自然と人間との関係というものをもう一ぺん見直してみる必要があるのじゃないか。人間だけのエゴイズムでものを解決するという考え方を人間は捨てるべきであると私はそう思うんでありまして、月に到達するということもけっこうですけれども、同時に、月に到達したその人間の知恵を誇る前に、私は、大自然に対して謙虚な気持ちを持つということが人間になければ、人間自身が生み出したいろいろの科学技術のために滅び去るということがないとは言われない時代を迎えておる、こういう意味合いにおきまして、私は今日公害国会が開かれ、日本人がとにかくこの公害と戦う、そして公害なき社会をどうやってつくるかということに努力をしておるということは非常に時宜を得たことであると思います。非常に困難な問題は山ほどあると思いますが、しかし人間の知恵がそういうことをしたわけでございますから、逆にわれわれの人間の知恵によって、この公害を除去する責任がわれわれにある、われわれが生きたいと思う、また人間の生命を尊重するということを口にするのであるならば、それを除去するためにあらゆる力をこれに振りしぼらなければならない、かように考えるわけでございます。そのための教育というものは、また非常に大事なことであるというふうに私は考えております。
#92
○萩原幽香子君 私があとあとお聞きしようと思うところまで、大臣は御親切にお答えをくださったわけでございます。いまの日本の状態を、豊かさの中の貧しさと評した人がありますけれども、まことにそれは言い得て妙というところだと感じるわけでございます。経済成長やGNPの美名のもとに、ブルドーザーや化学楽品あるいは工場廃水などで無反省に国土を汚染破壊し、人類の住むに適しないような状態に追い詰めたことは、先ほど大臣もそれをお認めになっておられたようでございますけれども、いまの社会全体が昔のほんとうに自然をこよなく愛するといったような気持ちがだんだん失われて、人間と環境との関係についてあまりにも配慮に欠け、認識不足であり無能で、無知であったのではないだろうかと考えるわけでございます。私は、国民のすべてが環境悪化あるいは環境破壊に対する危機感というものを持たなければならないと思いますし、そしてまたその回復につとめる意識を持たない限り、根本的な公害解決にはならないのではないかと、こういうふうに考えるわけでございます。そのための教育施策が急務だと考えられるわけでございます。たとえば、東京の自然史研究会の皆さんが東京の緑の喪失を示す地図をおつくりになった、こういうふうに聞いております。その緑の地図をおつくりになった方々が、諸外国の文献をさがしてみても、こんなに急速な変わりようはめったにない、こういうことを言っているそうでございます。私は、文化庁のほうで四十二年から五カ年計画で、天然記念物緊急調査を始められたことは、まことにけっこうなことだと存じますし、そこでその進捗状況がどうなっておりますか、文化庁の方がいらっしゃらなくなりましたので、ひとつ大臣のほうでその進捗状況をお伺いいたしたいと存じます。またこの成果というものをどのようにお使いになるおつもりか、あわせてお伺いをいたしたいと存じます。
#93
○国務大臣(坂田道太君) ちょっといま係の者がおりませんので呼びにやりましたから、あとで答弁を申し上げさせたいと思います。
#94
○萩原幽香子君 まことにどうも申しわけございませんでした、前もって申し上げておいたらよかったんですが。実は、これは兵庫県のちょうど植物園の地図でございます。私はこれを見せていただいて、たいへんうれしいと思いましたんですし、こちらにはまた動物園のほうをおつくりになっていただいております。これは兵庫県に関するものでございます。こういうもの、ちょっとこのはしがきのところを読んでみますというと、この中では特に自然保護関係の皆さんにお配りをされるような、そういう表現がなされておるわけでございますけれども、こういうものをせっかくおつくりになったのでございますから、各小・中学校にもお配りをいただきまして、いまこれはこういう状態だけれども、前はどうだったのだろうかというようなものも、あわせておつくりいただければ大へんしあわせだと思います。いまこうなっているが、破壊されたものはどのようなものがあるだろうか、こういうあたりもひとつ一緒にお示しをいただきまして、あわせましてそれをいま申しましたように、ただ保護関係だけに配るのではなくて、そういういろんなところにお配りをいただいて、皆で考えさせていただくような方途がお願い申し上げたい。これはまあ大臣にひとつお願いを申し上げておきたいと存じます。同時に、文部省におきましても、河川の魚あるいは鳥、昆虫など自然環境の失われていく推移がわかるような地図をおつくりいただいて、広く国民に訴えて関心を高めるべきではないかと考えるわけでございますが、いかがでございましょうか。
#95
○国務大臣(坂田道太君) そのことに関しましては、一応文化庁から参ると思いますから、御答弁を申し上げたいと思います。しかしながらとにかく自然環境というものと自然を破壊するということ、この実態がみんなにわからないと、結局緑を守ろう、あるいは自然を守ろうという気持ちが起こらないというふうに思いますし、それがまた施策にもあらわれてこないということにもつながってくると思うのです。したがって先生の御提案というものも十分傾聴に値することでございますから、十分われわれのところで検討いたしまして善処をいたしたいというふうにお答えを申し上げておきます。
#96
○萩原幽香子君 一つの森林ができ上がるまでには数百年の年月を要する。あるいはまた一つの湖が汚染された場合、もとの清浄なものを取り返すためにはそれ以上の歳月がかかる。そういうことも同時に子供たちに教えるべきではないだろうかと考えるわけでございます。私がこの前に、小川はさらさらとせよと訂正されたことに対して不満の意を表しましたことも、そうした意味からも御理解がいただけると考えるわけでございます。いまこんなにきたない川も以前は美しい小川だった、メダカすくいもできた、なぜこんなに川が汚れてしまったんだろう、もう一度きれいな川にするために、そしてみんなが遊べる川にするためには一体どういうふうにすればいいんだろうかといったような扱いから、美しい自然へのあこがれとその回復の道を子供に考えさせることになるのではないかと考えるわけでございます。そういうような意味でお伺いをいたしたいと考えますけれども、現在使用されております小・中学校の教科書の中で、そういったような教材がどれほど含まれておりますでしょうか、ちょっと承りたいと存じます。
#97
○政府委員(宮地茂君) お尋ねの件につきましては、実は従来からも自然の保護等についてはございますが、たとえば中学校の理科で、簡単ですから読んでみますが、「生物現象の理解を深め、自然界の事物・現象の調和を認識させることによって、生命を尊重する態度を養い、自然の保護に対する関心を高める。」こういった目標を掲げまして、従来以上にこうした人間の生命健康のみならず、生物界におきましても自然保護といったような観点から一そう子供のこういう情操を陶冶するような考えから理科でも扱うようにいたしております。さらに道徳等におきましてはこれも人命尊重が中心でございますが、さらに動物愛護といったような観点から、道徳の分野でも従来以上にそういう点を新しい学習指導要領では強調いたしております。いま教科書をという、具体的にちょっと教科書を持ち合わせませんので、こういう点でしか表現できませんが、その点御了承願います。
#98
○萩原幽香子君 こういうふうに公害国会と言われるように、やかましく言われております際でございますので、やはりその小・中学校の教科書の中でも、こういう具体的な教材をお取り上げいただきまして、そして子供が小さなうちからほんとうにそういうことがどんなに大事かということを考えられるようなものがぜひ私はいただきたいと考えますので、これからの教科書につきましてもよろしくお願いをいたしたいと存ずる次第でございます。
#99
○政府委員(宮地茂君) いま手元にあります教科書でお答えいたしますが、新しい小学校の社会五年下でございますが、そこでは、たとえば「自然や文化財をまもる」というものがございまして、たとえばいろんな産業の発達につれまして自然が変えられていくといったようなこと、具体的には「千葉県市川市の江戸川放水路の川口に近い新浜には渡り鳥がやってきますが、最近工場用地にするために埋め立てが進められており、野鳥を愛する人々から惜しまれています。」云々と、ここで野鳥のことなども一例にあげて、いま先生がおっしゃいますような動物愛護、生物を含めましての広く自然の愛護、保護ということをこの教科書でも新しく書いてございます。
#100
○萩原幽香子君 そういったような教材ができるだけたくさん取り上げられまして、自然の環境というものを破壊しないための小さいときからの子供の心がまえ、そういったようなものが養われますような教科書の編集にも心していただきたい、こういうふうにお願いを申し上げる次第でございます。
 文化庁の方がお見えになりましたので、先ほどの問題ちょっとお尋ねを申し上げたいと存じます。
 実は、文化庁で四十二年から天然記念物緊急調査をお始めになりましたのでございますね。まことにけっこうでございます。で、私もいま、これ兵庫県の分をちょっと見せていただいておりまして、たいへんうれしいと思うわけでございますけれども、この進捗状況はどのようになっておりますでございましょうか。
#101
○政府委員(安達健二君) 御指摘のように、四十二年度から五カ年計画でやっておるわけでございまして、まだ全部の県にまでは渡っておりませんが、できましたところは全国植生図というような形で地図に図化をいたしまして関係方面に配りまして、自然保護の必要性を訴え、また天然記念物として指定できるところは指定をしていくと、こういう段階でございます。
#102
○萩原幽香子君 そこでお尋ねをいたしたいわけでございますけれども、いまこれを見せていただきました限りでは、現在の状態はわかりますけれども、この中で破壊をされたというものが示されておりませんが、それはどのようになっておりますのでございましょうか。
#103
○政府委員(安達健二君) これは実は現状というとらえ方でございまして、つまり過去十年前にこういう調査をしておればそれとの比較ができるわけでございますけれども、調査をいたしましたのは今度初めてでございますので、比較いたしまして破壊されたところがどれだけというような数字は持っておりませんが、現在自然林が残っておるというのは、一番多いというところの青森県においてすら二九%しかない、まあこういうようになっておるわけでございますから、おそらく相当破壊があっただろうということは逆に予測はできるわけでございますけれども、明確なる数字はちょっと申し上げられないわけでございます。
#104
○萩原幽香子君 やはりこれはほんとう申しますと、環境破壊とかいうことがやかましい時代でございますから、その十年の間にどれほど大事なものが破壊されたかということもあわせてこの図の上にお示しいただければ、たいへんありがたいと考えるわけでございます。
 あわせまして、これ自然保護関係の方面に大体お配りいただけるようでございますね。しかし、私は、これは各小・中学校などにも配布をしていただきまして、こういうことについての子供の認識を深めるというふうに御配慮を願いたいと考えるわけでございますが、そういう御準備はございませんでしょうか。
#105
○政府委員(安達健二君) これは現在都道府県に配りまして、都道府県において管内に配っておりますが、御指摘の学校までは現在配っておりません。御指摘の点もございますので、研究さしていただきまして、あるいは予算等の関係等も見まして、できるならばそういうことも検討してみたいと思います。
#106
○萩原幽香子君 大臣、お伺いいたしますけれども、予算措置を講じてでもこういうことをほんとうにやっていくというおつもり、大臣ございますでしょうか、どうでしょう。
#107
○国務大臣(坂田道太君) 今度の公害国会で、いろいろの公害防除の法律等もできまして、いうならば画期的な時期を迎えておるわけでございます。教育の面において、どういうふうな積極的な取り組みをすべきかということは、単に教科書等の記述を改善するばかりではないので、総合的にやはり考えていかなければならないと思いまするので、その際に十分ひとつ検討をさしていただきたいというふうに思います。
#108
○萩原幽香子君 ぜひ、こうしたものも予算措置を――せっかく文化庁のほうでこういうものをおやりいただいているわけでございますから、予算措置をしていただいて、こうしたものをぜひ学校までおろしていただきますようにお願いをいたしたいと思います。あわせまして、公民館とか、そうしたところにもいろいろこういうものを置いて、そして地域住民の皆さんたちにもこういう気持ちをだんだん向上さしていただきますような御配慮をいただきたいと思います。
 そこで、もう大体大臣のお考えを承ったわけでございますけれども、環境教育に対して大臣はどのようにお考えになっておりますでしょうか、承りたいと存じます。
#109
○国務大臣(坂田道太君) まあお尋ねの内容がよくわかりませんが、自然環境がだんだんそこなわれてきたということは、先ほど私が申し上げましたとおりでございます。ところが、人間形成の上において、環境というものは非常に大事だ、特に自然環境が大事だということは御指摘のとおりでございますし、たとえば都会におきましてだんだん緑の木がなくなっていくということは、人間形成に非常に私は問題だと思うのです。したがいまして、私は社会教育の面ではございますけれども、都会の子供たち、あるいは自然に親しむ機会のない人たちに対して、できるだけ自然に親しむ機会を与えるという意味におきましても、少年自然の家等を各県につくるという政策も打ち出しておるようなわけでございます。そういうわけで、自然と人間形成という考え方をこれからやはり教育の中に大事なものとして取り上げていく、そのことが同時にいま問題にされておる人間性不在であるとか、あるいは人に迷惑をかけても知らぬ顔をしておるとかというようなことにつながっていくのじゃないかというふうに思いますので、十分その点は考えていかなけりゃならないというふうに思うわけでございます。その意味合いにおきましても、直接この害を与えておりまする発生源に対する政策、これも政府全体としていま取り組んでおるところでございます。教育の面につきましては、非常に人間形成に環境というものは大事であるということから、そういう観点から考えていかなくちゃならぬ次第だというふうに思っているわけでございます。
 ちょっといま思い出したわけでございますが、毎年天皇陛下を迎えまして植樹祭というものが行なわれておりますけれども、これなんかも長い伝統はございますが、やはり自然というものを愛し、あるいは緑を多くしよう、そして自然破壊からこれを守ろうという気持ちがその中に出ておる、こういうふうに考えられるわけでございます。ことしも実は福島県の植樹祭に私参りましたが、その植樹祭にたしかことしから初めて学校の生徒さんたちも加わってやるということでございまして、こういうようなことは、非常にいいことじゃないかというふうに思っておるわけでございます。
#110
○萩原幽香子君 イギリスの詩人のワーズワースは「早春の森が語るひとつの感動が人間についてさらに多くのことを君に教える道徳的な邪悪について、美について、あらゆる賢人が教えるよりもさらに多くのことを――」、こういうことを歌っているわけでございます。確かに自然は調和と成長と美しさを他の何よりも雄弁に教えてくれると思います。にもかかわりませず、現実の私たちは、その大切な自然を喪失し、みずからを滅ぼす結果を招きつつございますが、そういう背景には一体何があるんでございましょうか。それを私は十分検討をしなければならないと考えるわけでございますが、そういう点について、大臣はどのようにお考えでございましょうか、承りたいと存じます。
#111
○国務大臣(坂田道太君) イギリスの詩人のワーズワースのことばを引用されたわけでございますが、自然をこよなく愛した詩人、それと同様にわれわれも、この人間形成を考える場合に、自然というものをもう一ぺん見直して見なくちゃいけないというふうに思うものでございます。そういうことでございまして、これから先、子供たちの教育を守っていく上において、人間と自然との関係というものを、先ほども申しましたように、元来、日本人はヨーロッパ人と違って非常に自然を愛してきた国民でございますが、それがどうも戦後あまりにも、物質文明といいますか、それも一面において日本人には無理からぬことだと思います。戦争に負け、そして日本が焦土と化しました。特に東京はひどかったと思います。あるいはその他のところもひどかったと思いますが、したがいまして、おとなたちは、とにかく生きること、物をつくること、それに一生懸命になっておった。またそれでなければ生きていかれなかったんです。いろんな文化政策を言ってみようと、教育の問題を言おうと、精神の問題を言おうと、それはものをつくらなきゃならぬ、ものを豊かにしなければだめなんだ。貧しい中において文化論を言ってみたところが、精神論を言ってみたところが、だめだ。こういうことだったと思うんです。私たちも、そのために一生懸命になって経済発展のために努力をしてきたと思うわけでございますが、逆に、二十四、五年たってまいりますと、一面において物は豊かになったけれども、心は貧しくなってしまったじゃないか。で、マルクスは、かつて貧乏ということが、結局は意識構造、人間の意思や、そういうものを徹底していくと、こういうことをたしか言ったと思うんです。ところが、豊かになることによって物が多過ぎることになって、逆に人間性そのものを破壊し、あるいは規制していくというおそるべきことはその当時考えなかったんじゃないかという気がするんでございます。あのときはあのときなりにマルクスの意味はあったと思いますけれども、しかし、今日から見ると、逆にそれはさておきまして、私はこの二十年間の経済オンリーとは申しませんけれども、経済至上主義みたいな形になってきた、物質文明謳歌のこの世の中において、ともするとこの大事な人間性というものがそこなわれるようになってきたと。ここは、やはり切りかえのときだと。戦後二十五年、ここでやはり物質文明と、同時に精神文明、お互いの心の問題、あるいはお互い同士の思いやりや、あるいは人に迷惑をかけないとか、人が困ったときは助け合うとかいうような、そういうような問題を問題にしなけりゃならない時期を迎えておるというふうに思います。そういうふうな意味合いにおいて、私はいまの先生のおことば、それを直すのは自然と人間との関係をどう考えていくかということによってしか健全な心や精神の回復というものは生まれない、こういうふうに私は思っております。その意味において、教育の果たす役割りというものは非常に大きいというふうに考えるわけであります。
#112
○萩原幽香子君 大臣、いまはやっぱり、私は教育というものほど大事なものはないということを考えるわけでございますが、大臣は文部大臣でございますから、全く私と同じようにお考えいただけるんでございましょうね。そういう意味で、やはり自然と人間との関係というものについて、ほんとにもう少し掘り下げて考えていかなければならないのではないかというふうに私は考えるわけでございます。
 続きまして、ですから学術研究の体制というものについても考えなきゃならない時期がきているんじゃないかというふうに思うわけでございます。そこで、学術研究の体制についてお尋ねをいたしたいと存じます。
 今日、学術研究は高度化し、こまかく専門分化していく傾向にあると思います。で、そのために専門分野の違う人々の間の対話や交流というものが少なくなり、極端な場合は別世界に住む人々の間のように対話が成立しない、そういう事態が生じつつあると考えられるわけでございます。ということは、部分を見て全体を見ない専門家というものがだんだん多くなったということではございませんでしょうか。
 そこで本来、学術研究は真理を求め、人間の幸福に役立つものでなければならないということであろうと思いますけれども、今日のような住みにくい現象をつくった原因の一つは、実はそういった目的がほんとうははずれた形になって、学術の研究体制にも、こういうことになった原因の一つがあるのではないかと感じられるわけでございます。つまり、細分化された狭い分野を研究していく研究者がそれぞれ孤立的に追求し、それが人間社会全体にどのような影響を与えるかについて総合的な配慮が払われてなかった、こういうことが言えるのではないかと考えるわけでございますけれども、その点、大臣はいかがお考えでございましょうか。
 新聞の報道によりますというと、米国のカリフォルニヤ大学では、環境破壊という複雑で大きなテーマを扱うには、これまでのように細分化し、専門化し過ぎた学問体系ではどうにもならい。そこで各種の学問分野を総合して、人間と環境のバランスを取り戻す方法を考えるという角度から、公害専攻の学生を募ったといったようなことが新聞紙上に報じられておりましたので、これは御案内のとおりと存じます。それらの学生はまず生物学、生態学、そういうもの、そういったような理科系の基礎的な科目をとり、それから社会科学関係の分野に入り、また違った専門分野を総合する試みの一つとして毎週二回、大教室で専門の違う教授たちがパネルディスカッションをする時間を設けるというようなことをやっているということでございまして、それは非常に人気がいいとかいうようなことも報じられておりましたが、大臣は人間に適した環境をつくり上げるための学問研究を進展するために、どのような御配慮をこれからお払いになろうとしておりますのか、承りたいと存じます。
#113
○国務大臣(坂田道太君) 先生の御指摘はもっともなことが非常に多いと私は思うのでございます。と申しますのは、今日大学問題が論ぜられておるわけでございますが、従来の学部制あるいは講座制というものが大学なんだ、これはもう変えるべからざるものだというように大学人も考えてきた、また一般もそういうふうに考えてきた。しかしこのように学問が発達をし、社会発展をしてまいりますと、その学部制だけでほんとうの意味における学問研究ができるかどうかというと、学部と学部との境の領域の学問というものが無視されていく、あるいはその学部というものをあまりにもエゴイスティックに考えるがゆえに結局、学問が進まないという結果も出ている。これは単に日本の大学の欠陥だけじゃなく、いま御指摘になりましたアメリカにおきましてもヨーロッパにおいても、そういうわけでございまして、私、今回二週間イギリス、フランス、ドイツを見てまいりましたけれども、新しい大学におきましては、いま御指摘になりましたように、従来の学部制を改めて、そしてむしろ細分化され、専門化されたものを逆に総合した形において、一面においてはその重なっておりまする学問領域を深めていくということ、それから一面においては学生それ自身をもう少し各部にくぎづけにするということをやめまして、選択の自由というものを与えておるというこの二つの面から改革が進められておるわけでございまして、私は、そういう意味から、たとえばドイツにおきましても、ボッフム大学を見ましたけれども、ここにはいわゆる自然科学と理学部を中心とするもの、それからもう一つは医学部や薬学部という学問領域と、それから人文、社会、それからまた日本の工学部に類するような学問領域、この四つの大きい建物があって、そして十九の部門にこれを分けてそして大学の教育研究をやろうという試みをやっておるわけでございますけれども、ボッフムにおきましても、エンジニアリングのいわゆる工学関係の領域を認めたということは、これはちょっと――いわゆるアメリカあたりで工学部というのが厳然とあって、それが化けもののように大きくなり過ぎてまた問題を起こしておるわけでございますが、ヨーロッパのほうでは、むしろ工学部は学問じゃないんだ、応用科学なんだという観念が根底的にありますが、しかし同時に、そういうような動きも、すでにドイツの大学にも出てきておる。こういうことでは注目すべきことだと思うんですが、そういう意味において、これから先の大学のあり方にしましても、教育研究のやり方にしましても、もう少し、総合大学であるとするならば、自然科学と人文、社会と、あるいは動植物みたいなそういう生命あるものをやる学問とが調和ある仕組みが考えられなきゃいかぬのじゃなかろうか。そうでなければ、ちょっと常識を欠いたような子供たちができてしまうんじゃなかろうかという気がしてならないのでございまして、この問題は、これから大いに検討に値する課題であると思います。たとえば大学研究者によります公害に関する研究といたしまして、科学研究費補助金によりまして、昭和三十九年度以降二百五十四件ございます。しかも、環境問題に関連する生態学の研究、これは生物圏の動態でございます。あるいは、地球大気開発研究というようなものだとか、あるいは、人間の生存と自然環境に関する基礎的研究、これは昭和四十六年度におきまして、特定研究の領域においてこういうようなことをやろうということでございますので、私どもといたしましても、四十六年度の概算要求にいま要求をいたしておる、こういうことでございます。やはり人間の生存、生命というものを中心とした学問研究ということがこれから大いに活発に行なわれなければならないというふうに考えております。むしろそれを推進したいというふうに考えております。
#114
○萩原幽香子君 時間がまいりましたので、ここらでもう打ち切らしていただきますが、来年はちょうど教育総点検と申しますか、教育大改革の年でもございますので、それらも十分の御配慮を賜わりたいと存じます。
 最後に、一分ほどになりましたんですが、本年の八月にニクソン大統領が公害教書というものをお出しになっておりますね。大臣、これはごらんいただいたと考えます。時間がありませんので、非常に詳しく大臣の御意見を承れないことが残念ですけれども、このニクソン大統領の公害教書をお読みになりまして、大臣はどのような御感想をお持ちになりましたのか、最後に承りたいと存じます。
#115
○国務大臣(坂田道太君) これも私抜粋でございますけれども、読んだわけでございますが、その中に「自然との関係において余りにも無とん着であったことが、遅ればせながら認識されたことを」云々ということで、先ほど私が申し上げましたように「人間の形成は、その環境によって、大きく左右される。われわれの体質、精神的健全性、文化や制度、挑戦と達成への機会、われわれの生存そのもの――これらはすべて、われわれが生きている環境と直接関連しており、環境によって影響される。それは、地球の自然の諸体系が引続き健全な機能を果たすかどうかにかかっている」云々ということで、いろいろの勧告をいたしておるわけでございますが、注目すべきことは、一つの部分的なとらえ方でなくって、意識的に、そして組織的に環境の質という問題が、これから先の人間生存にとって非常に大事だと、こう指摘をしておるというところは、私は非常に味わうべきことであるというふうに思うわけでございます。
#116
○萩原幽香子君 特に第十二章の環境教育ということ、この部分、十分ひとつ御検討をいただきたいと存じます。せっかく私は前回分の照度についてお尋ねしようと思いまして、管理局長もおいでございましたわけでございますけれども、時間がなくなりましたのでこれは次の機会に譲らせていただきたいと存じます。
#117
○小笠原貞子君 私は去る七月の当委員会におきまして、拓大の安生君殺害事件の問題を通して、軍国主義教育が鼓吹されておるという点を質問をし、その後責任をもって善処していただきたいということを、あの委員会で申し上げたわけでございますが、きょうも拓大問題と関連いたしまして、いま非常に問題になっております三島事件に関して質問をしたいと思います。これは文化庁長官に質問をまずさせていただきたいと思いますので、どうぞいらっしていただきたいと思います。
 まず初めにお伺いいたしますのは国立劇場法の問題についてでございます。国立劇場法というのは、お手元にお持ちでいらっしゃると思いますが、国立劇場法の目的というところ、目的の第一条に、「国立劇場は、主としてわが国古来の伝統的な芸能の公開、伝承者の養成、調査研究等を行ない、その保存及び振興を図り、もって文化の向上に寄与することを目的とする。」とこういうふうに書かれておると思いますが、そのとおりだとお思いになりますでしょうか。
#118
○政府委員(安達健二君) そのとおりでございます。
#119
○小笠原貞子君 その目的に従ってこの国立劇場を運営するということになって、役員の項が七条でこう指摘されておるわけです。ここで会長、理事長、理事、監事九人以内の役員が選ばれるというようになっておるわけでございますが、この役員の選考はどのように行なわれるのか、つまり役員の資格条件ですね、選考基準、一体どこでその資格というものをきめて、それを任命するのかという、その選考基準というものが、文章化されてはっきりしたものがあるのでしょうか、お伺いいたします。
#120
○政府委員(安達健二君) 文章化されたものはございませんが、九条によりまして任命は文部大臣が任命するということになっておるわけでございますが、実際はあとのほうにございますように、国立劇場の監督は文化庁長官にまかされておりますので、具体的な人選、考え方等におきましては、文化庁と文部省とで協議をして選考をしていくということになるわけでございますが、まあ、この考え方といたしましては、先ほど御指摘になりましたように、第一条の趣旨によりまして、この伝統芸能の保存振興ということにあるわけでございますので、その伝統芸能に関して、高い識見と誠意を持つとともに、国立劇場の管理運営について、力量、手腕を備えた人物と、こういうようなことを考えて人選をして任命をいたしておると、こういうことでございます。
#121
○小笠原貞子君 それでは第一条の目的に従って、それにふさわしい資格を持った者が任命されると、こういうことでございますね。そうすると、任命権者である文部大臣としても、その意味において任命をしてきたと、こういうふうにおっしゃるわけですね。
#122
○政府委員(安達健二君) さようなわけでございます。
#123
○小笠原貞子君 それじゃ次にお伺いしますが、いまの国立劇場の会長以下役員、現在の会長以下役員どういう方によって構成されているか、お伺いしたいと思います。
#124
○政府委員(安達健二君) 会長は高橋誠一郎氏でございまして、これは非常勤でございます。それから理事長が斉藤正氏、これは常勤でございます。それから理事として、非常勤の理事と常勤がございますが、非常勤といたしまして、野尻清彦さん、大佛次郎さん、それから宇野信夫さん。それから常勤といたしまして柴田小三郎さん、それから西森馨さん。以上でございます。
#125
○小笠原貞子君 私がそちらから質問のためにと思ってお伺いいたしました、この「国立劇場役員調」というものの中に、そのほかに平岡公威、それから須田鐘次郎というような方が入っておりますが、入っていないのですか。
#126
○政府委員(安達健二君) 三島さんはなくなられたわけでございますから……。それから須田鐘次郎さんは監事でございます。
#127
○小笠原貞子君 それはまあなくなられたから、私が現在といったからおっしゃらなかったのだと思いますが、その平岡公威という方は、実はこの間の三島事件を起こした三島由紀夫さんであるということは確かでございますね。
#128
○政府委員(安達健二君) そのとおりでございます。
#129
○小笠原貞子君 その三島さんが国立劇場の理事に任命されたのは、今度は何回目で、最初はいつ、第二回目はいつ、ということをちょっとおっしゃっていただきたいと思います。
#130
○政府委員(安達健二君) 第一期と申しますか、最初は昭和四十二年の四月一日、それから第二期は四十三年の四月十一日、それから第三期は四十五年の七月二十七日、かようでございます。
#131
○小笠原貞子君 警察庁にお伺いしたいと思います。
 三島さんが「楯の会」を結成されたのはいつで、「楯の会」は結成の目的というようなものをどういうふうにいっているか、お答えいただきた
 いと思います。
#132
○説明員(渡部正郎君) 設立されましたのは四十三年の十月の五日だと承知しております。会の目的につきましては、あまりはっきり明確に書かれた資料がございませんので、一つは「「楯の会」のこと」という、これは三島由紀夫が書いたというふうになっている資料があるわけでございますが、この「「楯の会」のこと」の中で、目的に関連して書かれておりますことが二、三ございます。ちょっと読み上げますと、「「楯の会」は表立って何もしない。街頭のDemonstrationもやらない。プラカードも持たない。モロトフ・カクテルも投げない。石も投げない。何かへの反対運動もやらない。講演会もひらかない。最後のギリギリの戦ひ以外の何ものにも参加しない。」というような表現がございます。それから同じ「「楯の会」のこと」でございますが、後ろのほうに「楯の会」のことに関連いたしまして、「後方業務、警備、あるいは遊撃、情報活動に従事することができるからである。」ということで、これは「楯の会」そのものをいっているのか、自衛隊で訓練を受けた人についていっているのか、ちょっと前後の関係で明確でないところがありますけれども、いずれにしましても、「「楯の会」のこと」という資料の中にそういう表現が一つございます。続けまして、「しかし目下の私は日本に消えかけてみる武士の魂の焔を、かき立てるためにこれをやってみるのだ。」ということで、楯の会をつくるのは日本に消えかけている武士の魂の炎をかき立てるためにやっているのだというふうに理解されるような表現がございます。これが一つと、もう一つは、四十四年四月六日づけのサンデー毎日に「楯の会」のことが取り上げられておりまして、その記事の中で、三島が話したということばが引用されているわけでございますが、それによりますと、「楯の会」というのは、一たん火急の事態が起きたときに自衛隊の後方警備後方業務をつかさどる国民兵のようなものだというような表現もございます。大体、非常に明確に「楯の会」の任務、目的というものを具体的に述べたものはございませんが、以上申し上げましたようなのが、目的を推察する上の資料でございますし、われわれとしても、大体そういうものであろうというふうに理解しております。
#133
○小笠原貞子君 警察庁の御答弁は、まことに不十分な御答弁だといわなければなりません。非常に大きな警察力を持って、相当いろいろと手を回わしていらっしゃるのに、大事なところはみな抜けてしまっているわけですね。「「楯の会」のこと」というのは私も持っております。ここではこう書いてあります。「「楯の会」はつねにStand byの軍隊である。いつLet’s goになるかわからない。永久にLet’s goは来ないかもしれない。しかし明日にも来るかもしれない。」こういう大事なところを読まなければだめなんですよ。そういうふうに、常に三島が主宰になっている「楯の会」というのは、明らかに結成した当時から、また、そのほかいろいろの資料に出ていますから、私が本をあげるまでもありません。いろいろ三島由紀夫の、「文化防衛論」というのも出ていますし、そちらは本職なんだから、もっといろいろお調べになっているはずだと思うのです。
 そうすると、三島が「楯の会」を結成したのは、四十三年の十月五日である。そうしてそれ以来、みずから書いているものによっても、またいろいろな雑誌に出されている文章を見ても、また各週刊誌が非常に大きく取り上げて、それによって明らかにされたことによっても、その三島はこう言っているのですね。明らかに憲法改悪、天皇制の下での国軍の復活を公然と目標とし、そのためには非合法の暴力を辞さないという挙に出たことを意味しているのです。こういうところから見ると、たとえば「週刊朝日」の十二月十一日号によれば「楯の会」結成当時、警察庁の担当官に「日本民族の歴史と伝統が崩壊する国家危急の際、自衛隊と警察官が決起してなお足りないとき、われわれは武器を使う。差し迫って武器を使うのではない」とまくし立てていた、こういうふうに書いてあるわけです。それからまた四十四年二月号の雑誌「論争ジャーナル」というのがあります。これは三島由紀夫の「文化防衛論」の中に入っているのですけれども、ここにもはっきり彼自身が書いているわけです。「われわれの考へる文化的天皇制の政治的基礎としては云々」とありますが、「終局目標は天皇の護持であり、その天皇を終局的に否定するやうな政治勢力を、粉砕し、撃破し去ることでなければならない。」と述べ、その態度はまさに明らかに反共主義をむき出しにしているし、しかもその上に公然と暴力を是認し、暴力をもってやるのだということをいっている。つまりいいかえれば、三島は反共を旗じるしとするファシストであるということが、全部の彼の書いたものの中からもいえるわけでございます。
 三島が、このような非合法的な暴力も辞さないとして、武装集団である「楯の会」を結成したときは、すでに文相は三島を任命していらっしゃるわけです。先ほどいった国立劇場の理事に任命していらっしゃるわけなんです。それが七月二十七日ですか、この間ですね。ことしの七月二十七日には三選していらっしゃいます。
 もう一度申し上げますと、第二回目に選出されて文相が任命されたときに、三島は「楯の会」というものをつくって、自分はこの「楯の会」に生命をかけるのだというような、もろもろのことがあるわけです。それから、またあとで質問に入りますけれども、その四十三年の十一月三日には観閲式というのをやって、これが大きく各紙に取り上げられているわけです。そうして四十四年の二月には、いま読み上げた「論争ジャーナル」というところで、はっきり憲法否定、国軍の軍隊を復活するためには暴力も辞さないというような、そういう文章も出されて、これも公表している。こういうのが第二期に任命されている間に起こっている事件なんです。それにもかかわらず、この七月の一日から第三回目に三島由紀夫がまた三たび国立劇場の理事に任命されていると。私はその点非常に大臣の責任を追求したいわけですけれども、こういうような一連の事件があり、一連のものがあっているにもかかわらず、ことし三選されたというのは、一体文部大臣はそれを知らないでやったとおっしゃるのか。知っていて任命されたとすれば、なぜおやりになったのか。その理由を文部大臣からお伺いしたいと思います。
#134
○国務大臣(坂田道太君) 私は「楯の会」というようなものがあることは知っていましたけれども、そういうようなことは実は承知をしておりません。しかし、三島君が文芸作家としてまた劇作家として著名でありますし、かなりの人であるということは聞いておりましたし、自分の書きましたものもたしか国立劇場であれは上演されたと記憶しておりますが、そういうことで、別段御指摘のようにも思いませんでした。で私としましてはそういう承認をしたということであります。
#135
○小笠原貞子君 大体、知らないということを私は言わせたくないわけなんです。言わせられない。なぜなら、少なくとも大臣でしょう。大臣、新聞をお読みになっていらっしゃるわけでしょう。これ東京新聞ですけれども、これだけ大きく出ているわけですよ。「閲兵式に招かれた百七人」、「カッコよさ」、こういうようなのが出ておりましてね、これは一つの新聞ですけれども、こういうのが大きな話題になっているわけですよ。それも知らなかった、新聞もお読みにならなかったということになれば、これは全く大臣としての責任なしですよね。しかも、その三島の問題を知らなかったと。知らずに任命したということになれば、では任命権者としての責任はどうなるのですか。知らなかったから任命した。それで済むとお思いになりますか。
#136
○国務大臣(坂田道太君) 実際上私としましては読んでいないのです、新聞を。
#137
○小笠原貞子君 不勉強ですね。
#138
○国務大臣(坂田道太君) それで、まあ三島君は私と座談会もやったし、三派を交えまして文春でやったことがあるのですけれども、そのときはまともなことを言っておりますし……。
#139
○小笠原貞子君 まともに聞こえたわけでしょう。
#140
○国務大臣(坂田道太君) そして、暴力否定のことを言っておったのです。まあ文芸作家としてはいろんなことを言う人がおりますからね。ですから、やはりあの人も文学者なんだからというふうに私は思っておったわけでございまして、ただちょっといろんなかっこいいようなことをするとかなんとかいうようなことは聞いておりましたけれども、しかしやっぱり文学者というのはそういうようなこともあるのかなあと実は思っておったのです。
#141
○小笠原貞子君 普通の人がそう言うのなら、私はそのまま、ああそうだったのかと言いますよ。しかし、国務大臣ですよね。しかも、文相として平和教育を担当して推進していかなければならない。憲法、教育基本法を守らなければならない。そういう方が、知らなかったと、会ってみて話をしたらこうだったということで、知らなかったということでは、責任は私はのがれられないと思うのですね。責任どう感じられます。
#142
○国務大臣(坂田道太君) 私はやはり、文学者としては相当な人だったと思いますし、劇作家としても後世に残る人だと思っております。その意味において、国立劇場の理事というのはやはり適当であったというふうに思っております。
#143
○小笠原貞子君 文学者としての面を見ていらっしゃるわけですよね。そうしたら、文学者という一面だけ見ればそれでいいんですか。やはり文学者としての一面ということよりも、その人自身がその文学にどう表現しているか、文学者としての文学を見たって、いま言ったようなことがずっと出ているでしょう、一連の文学として、彼の書いたものの中に。だから、ノーベル賞の候補者だから、だから信頼したんだと。そういうふうな、全くそれでは無責任だと言わざるを得ないわけです。憲法否定論者でしょう。暴力を是認するのでしょう。しかも、クーデターまで起こしたかったけれども起こせなかったといってあの事件を起こしているわけですよね。そういう人を、何にもわからなかったというのじゃない、これだけの資料が出そろっている中で、全くこれは知らなかったので申しわけないなんていうことじゃ責任回避になりますよ。
#144
○国務大臣(坂田道太君) 私から申し上げますと、一体だれが、この時期にああいうふうなことになるということを予想し得たでしょうか。それじゃ小笠原さんは、そういうふうに、三島君は今日のような事件を確実に起こすというふうに思っておられたでしょうか。私としてはとうてい考えることができませんでした。そこで非常にびっくりしたわけです。
#145
○小笠原貞子君 事件が起こった起こらないということじゃないのですよ。こういう一連のものを書いて、こういう思想の持ち主、つまり憲法否定論者であり暴力を是認しそして憲法を改悪するためには武力をもって立ち上がらなければならないと言っているそのことが問題だと言っているのですよ。それは事実起こるか起こらないかということは、起こってみなければわからない。それはそのとおりだと思います。しかし、そういう思想を持った者が単に有名な文学者だったからそれで私は適任だと思ったというのでは無責任だと、私はこう言っているのです。
#146
○国務大臣(坂田道太君) 私どものところでは思想を調査して任命ということはいたしません。思想の自由がありますから。
#147
○小笠原貞子君 思想の自由ということをおっしゃるのだったら、憲法を否定し暴力はよろしいという思想も自由なんですか。
#148
○国務大臣(坂田道太君) それでは申し上げますけれども、私は国会におきまして春日正一君に対して暴力問題でやりとりしたことがあります。それは、私が文部大臣になる前、東洋経済だったか、資料はあとで申し上げたいと思います。共産党は一体暴力を肯定するのか否定するのかということに対して、一般的には否定しませんとこう言っている。これは一体どう考えたらいいですか。
#149
○小笠原貞子君 ずるいですよ、そんなところまですりかえてきたら。私は、現に三島由紀夫という人が理事になっていたという事実ですよね。しかも彼の書いたものが憲法違反であって、暴力を是認し、クーデターまでして国軍として出ていかなければならないというようなものを出してきているわけですね。その点について文部大臣がいかに何とおっしゃろうとも、憲法を守る立場、憲法九十九条の国務大臣の立場から考えてみて、私は文部大臣はまことに無責任であると、大いに責任を考えてもらわなければならないとこう思うわけです。
 そこで、論争していると時間がなくなってあとの大事なところがだめになりますのでやりますけれども、そんな無責任な態度ではだめなんです。いままであなたが言っていらっしゃったことは、口では暴力否定ということをよくおっしゃった。この間の拓大の問題のときもそうだった。暴力否定どころか、たとえば拓大では、あの短刀を持って校内を歩いていると、民主的な学生じゃない普通の学生が、おつかなくて学校へ行けないのだ、だからああいう拓忍会なんかはやめてくれと言っても、そういう暴力をやめてくれという学生さえも一つの暴力だというふうなことを言っていらっしゃったわけですよ。こういう点から、私は、右翼暴力学生を泳がせてきたと同じように、またこういう右翼的な人物を、はっきりその中からわかるような人物を三回にわたってまた任命されているという責任は、決して文化庁長官の責任だけではなくて、任命権者としての文部大臣が責任を負ってしかるべき問題だ。責任はのがれられないということを言いたいわけなんです。
 それで、知らずにやったというようなことをおっしゃいましたが、それでは今度文化庁長官のほうにお伺いいたしますけれども、昨年の十一月三日に国立劇場の屋上で、「楯の会」創立一周年記念として観閲式をやっていますね。これももう新聞で御承知のとおり、非常に大きな問題になっております。これは一体、どういう目的でだれが許可してあの国立劇場の屋上を使うということになったのですか。
#150
○政府委員(安達健二君) 国立劇場の屋上が使われたわけでございますが、この屋上は本来一般に貸与して使用させる場所ではございませんので、これを使用させるための規程はございませんし、したがって、使用について正式の許可をしたとか、そういう問題ではないわけでございます。文化庁としては、このことについて承知いたしておりませんでしたので、国立劇場に聞いてみましたところ、国立劇場としては役員をしておられた三島さんから使用の申し出があって、まあ同氏の良識を信頼いたしまして、便宜個人的に使用させたと、こういうことでございます。
#151
○小笠原貞子君 それじゃあ、三島さんのほうからは社交の目的のためというようなことで申し込まれて、それを信用してたと、こういうふうにおっしゃいますね。そしてまあ理事さんだからそれを貸したと、こういうことになるわけでしょう。それを文化庁としてお知りになったのは一体いつのことですか。
#152
○政府委員(安達健二君) それから新聞でああいうふうに大きく出たもんですから、それで承知したわけでございます。
#153
○小笠原貞子君 そうしますと、十一月三日に「楯の会」が国立劇場の屋上を使用したと、屋上はふだん使わないけれども、三島さんが理事だったからということでお貸しになったと、そしてその観閲式には一体どういう人が出ているかといえば、陸上自衛隊富士学校の元校長碇井準三元陸将を観閲者に迎えているわけです。同校音楽隊の友情演奏で始まった、こういうことが事実として、社交の目的でも何でもなく、まことに危険なものに使われていた、そうしてそれをお知りになったのは新聞でお知りになった、こういうわけですね。これもまことに不見識な話なんですね。三島さんがこういうものをやるというのを、ずっと案内出してるわけですね。こういうことをやりますと。そして先ほど「楯の会」というのをおっしゃいましたね。あの警察の、お読みになった、これみんな出てるパンフですよ。これ何と書いてあるかというと、ここにも書いてあるわけですね。いま「楯の会」は三日の観閲式の練習にたいへん忙しいということが書いてあるわけなんです。だから、そこでもまた全く責任はない、知らなかった、新聞を見てあとから知ったと、こう言われるわけです。あとから知られたとしても、それは十一月のことです、去年のね。そういう事件があって文化庁が知っていたにもかかわらず、文部大臣にそれを通知なさいましたか。そういう事実があったということを通知されましたか、文部省のほうに。
#154
○政府委員(安達健二君) この劇場の使用につきましては、これは国立劇場の権限でやっておるわけでございます。ただ、まあ文化庁として、それに対しての監督する義務がある、こういうことでございます。したがいまして、これはそういう外部に貸すべきところでないところを貸すのはよくないだから今後いかなる団体あるいは個人が来ても屋上をそう多数の者がそこで使用するような使い方は、一切するのは困るではないかと、こういうことを注意した程度でございます。
#155
○小笠原貞子君 それじゃ、屋上はそういうわけだったと、文部省には報告してらっしゃらないわけですね。これも非常に文部大臣任命してる責任上、報告してないというのはこれ困るんですよね。こういうことがあったという事実は、やっぱり当然責任として報告してもらいたいわけです。さっき、だから私は読んでもらった国立劇場法の目的に従ってますか。こういう軍隊のパレード、民兵のパレード、目的に従ってますか。従ってないでしょう。そういうことがやられて、新聞であとから知ったにしたって、これは当然文部大臣に報告すべきだったんじゃないか。そうすれば、この七月の二十七日の第三回の推薦のときには文部大臣もあるいは考えられたかもしれない。そこのところはともに責任は非常に重いということですよ。
 続いて伺いますけれどもね。屋上を使ってるだけじゃないですね。三島が使用したのは観閲式直後、そこで「楯の会」一周年記念パーティを二階で行なってるんですね。これは完全に国立劇場の建物の二階でございます。その許可はどういう理由で、いつだれがなさいましたか。
#156
○政府委員(今日出海君) いまのように切り込むようにおっしゃられると私はあれですが、実は私は国立劇場がどこに貸すかということは国立劇場にゆだねてあることで私は知らなかったのでありますが、知らないでいるのが習慣なんでありますが、しかしやはり三島という人は、私は今度の事件でほんとうだなと、いま大臣が言われたように思うのが当然でありまして、この会合も三島が何か変なことをやるというので、私は実はこれは権限でも何でもないのです。文化庁長官として電話したわけじゃないのですが、質問しまして、三島は何だと言った、言ったら、これは銀座の女の子たちとわれわれやっている若い者の会が懇親会をするのだと言うから、そうかということで私は終わったのです。ぜひ君も出てくれと言うから、おれはどうも銀座のあれと懇親することはないし、若い者とそういうことで会ってもしようがない、おれは出ないよというような話であって、それが翌日の新聞に出たそうですが、それは私は読んでいないですが、私の見た限りではやはり三島に対する一つのやゆがあったと思います、妙なことをやり過ぎる、はで過ぎるという意味で。いまの御指摘のような深刻な問題として、はたして世のマスコミが取り上げたかどうか、私の見た範囲ではそうじゃないと思います。ですから、これはあとになっての話で、いまでもあの事件すらどうも三島の演技のような気がしてしようがないのであります。それほど深刻であったのかということをいまごろになって思っているわけでありまして、これを遺憾を言われると遺憾ですし、私は三島が最初の作品を書いて文壇に出たときから知っております。ですから、どうしてもそういうものを前向きに見るということはおよそあの事件が起こってからのことで、どうしても前向きに見られなかったのが実情でございます。
#157
○小笠原貞子君 いまの論法でいきますと、大臣は知らなかった文化庁長官も知らなかった、みな下の者だ。それでは文化庁長官も大臣も要りませんよ、そういうわからないと言う、下の者の責任だと言うならば。
#158
○政府委員(今日出海君) 私は責任じゃないですよ。そういうことは回避していない。
#159
○小笠原貞子君 次に質問しますが、いまの長官のお答えによりますと、これはちょっと矛盾してくるわけですよ。国立劇場使用規程というのがあるわけですね。「劇場の施設の使用を希望する者は、あらかじめ、文書をもって劇場に申込み、劇場の承諾を得なければならない。」という規程があるわけです。そこを私はお聞きしたのです。それはいつ文書が出て、どういう目的になっているのかということを質問したのです。
#160
○政府委員(安達健二君) いまいろいろございますが、まず国立劇場の施設の使用規程がございまして、それで正規の許可を得て使用するものといたしましては、大劇場、小劇場、稽古室、録音室、試写室、試聴室、とんぼ切り稽古場、それと前各号の施設に付随する設備及び備品ということになっております。これは正規の許可を得て使用することになっております。
 先ほどちょっとお話になりました食堂ですが、委託経営でありまして、食堂が適宜約束してパーティをやるということもあるわけであります。それからもう一つ屋上のほうは、それにも入らない、本来一般的に貸すところでない所である、こういうことになっているわけでございます。
#161
○小笠原貞子君 それは食堂で、食堂の契約だと、また責任は食堂のほうにいってしまうわけですね。まあ責任が次から次へと下のほうに移っていくわけですね。私はこういうものを見ておりまして、だれにでもこういうものを貸していたとするならば、いまのお説でわかるわけなんですよ。しかし、一たび民主的な演劇が借りようとするときには拒否されているわけでしょう。私は、きょうの質問でそこまでやろうと思っていなかったから、何月何日というのを持ってきませんけれども、たとえば文化座というのがありますよ。佐々木光枝さん親子、あの娘さんは佐々木愛という売れっ子のスターです。あの文化座が「荷車の歌」をやろうといったときでも、そこには何ら理由にならない理由でもって拒否されているわけなんです。そういうふうに、一方では民主的なものに対しては制限を加えながら、そして三島由紀夫に関してはよく知っていたと。よく知っていたからまさかと、そういうところに私は問題がある。よく知っているからこそ、そしてしかも共通の問題を頭の中に入れているからこそ三島さんというものを軽く感じているし、そこが問題なんですよ。それがいまの軍国主義鼓吹の政策にあらわれてくるし、佐藤内閣が、いかに佐藤さんが平和国家でありますなどと言われても、やっていらっしゃることは事実としてはそれは全く反対だ。海外にもいま日本が軍国主義に進みつつあるということについての問題が論ぜられているということは御承知のことだろうと思うわけなんです。
 そういうふうに考えてみて、私は、ここのところでそういうふうな責任のがれではなくて、こういうような一つ一つのことも知らなかったじゃ済まされない。事、国立劇場という国立の劇場、目的はりっぱな目的を持っているわけですからね。それがこういうことになっていた。結果的にはわかったわけでしょう。わかったあとどういうふうに処理されましたか。結果的にこういうことになっちゃった、だまされたということになるわけですね。結果的にはこういうことに使われたと。あとどう処理されましたか。
#162
○政府委員(安達健二君) 先ほど申し上げましたように、本来貸すべきところでないのを貸したのはよくないということを厳重に注意いたしまして、今後はこういうことのないように十分注意されたいということを勧告いたしたわけでございます。
#163
○小笠原貞子君 内部的に勧告をして、そういうことがないようにと、こういうことになったわけですよね。そうすると、当然適当でないような使い方をしたという――三島由紀夫という人に関してですよ。また繰り返して言いますけれども、ここにあるわけですよね。たとえば、その理事が秩序を乱したり公益に反するようなことがあった場合には、理事は解任しなければならないというのがあるわけですわね。そういう解任もされないでいたというところに、まさにまた文部大臣にも責任があるということを私は言いたいわけなんですよね。その理事の職務に合わないでしょう。合わないからこそ今度は理事だろうとそういうことを言ってきたものについては貸さないとおきめになったわけでしょう。そうすると、まさにその国立劇場の理事としてふさわしくない人物だということがそこでわかるでしょう。ふさわしいことをやっていたんだったらそんな、あとでもうそういうことはさせないという内部処理をする必要がないんだから。内部処理をして、それは不適当だったというような不適当なことをやっている三島由紀夫に。また三たび繰り返しを言いますけれども、この七月に任命されているということは、全くこれは大臣としても真剣に責任をとっていただきたい。どういうふうにとるか、あとで決意を伺いますけれどもね。
 最後に拓大の問題で一つだけ簡単にしたいと思います。
 いままでの文部省、文部大臣、それから防衛庁長官のお話しを聞きましても、まことに無責任です。責任のがれの答弁だと言わざるを得ないわけです。だから、これがいわゆるあのトロッキスト暴力学生を泳がせてきたと同じように、右翼の泳がせ政策だと、全くそう言わざるを得ないですよ。――首振ったって、事実泳がせていらっしたのだからね。こういうことになるわけです。ここに先ほどから言っている、佐藤政府の政治的な問題として私たちが言っているところがあるわけです。
 例の拓大の問題に移りますけれども、七月ですね、あの安生君の問題で私が、あの殺された安生君の立場に立ってほんとうにああいうことが再び起きないようにということを申し上げましたよ。そうして善処するということをおっしゃったにもかかわらず、その以後も拓大の問題はますます陰湿になっているわけです。これも新聞をお読みになっていればわかることですが、学校側がテレビカメラを、隠しカメラを使っておるわけですね。そうして一人一人の学生を、民主的な学生が何かやるんじゃないかというような非常な陰湿な形でそうしてあの問題は解決されていない。だからこそ安生君のおとうさんたちがこの間起訴されましたね。大学において何らそこに改善しようという努力がなされていないから結局は起訴したと、こういうことになっているわけなんですよ。そこでこの拓大の問題を私はしょっちゅう気にしていますから、見たわけです。これは一九七一年の拓殖大学の、これなかなかりっぱなの出ています、学生募集のための。ここで見ますと、またこの前も問題にいたしましたが、特殊講座というのが、特殊講義というのが中曽根さんになってから出てきましたね。きょうまた中曽根さん出てきませんから、文部大臣のところに行っちゃうからお気の毒ですけれども、その特殊講座の講義の中の教養講座という中に、七一年度からはまたこうやって三島由紀夫という人がちゃんと載っているわけですよ、こういうふうにね。そうしますとね、こういうような、これはクーデターを起こしたとか起こさないとか、そんな問題じゃないのですよ。三島由紀夫という人がどういう小説を書き、どういう論文を書きしていたかということは、何度も言うようだけれども、憲法否定ですよ、天皇制の国軍をつくるためには武力を持ってでもやるということを堂々と書いている人が、この拓大の教養講座の講師に選ばれてこういうふうに印刷されていると、こういうことを、こともあろうにこういうことがされているわけですよね。そうすると、それは私立大学たくさんあるから、そこまでは目が通せなかった、また知りませんでしたとおっしゃるかもしれないけれども、私は拓大問題で七月に人殺しが行なわれて、私はその点を強く要求したはずなんですよ。それに対してもこういうものが印刷されているのだから、これ相当前の話でしょう。そういうことについて文部省はこのあとどういうふうに、こういうことが未だにずっと行なわれているならば第二、第三の安生君が出ないという保証ないわけですよ。一体これ、今後どういうふうにこういう問題を解決したいとお思いになるか、御所見を伺わせていただきます。
#164
○国務大臣(坂田道太君) それを印刷したときあるいは三島君に学校当局が頼んだときには、三島君がああいうことをやるなんということは……。
#165
○小笠原貞子君 やる、やらないは別ですよ。
#166
○国務大臣(坂田道太君) そんなこといったってちゃんと事実は、やはり時間的な事実関係を追っていかないとものごとというものはわからぬと思うのです。そういうわけでして、小笠原先生の話を聞いていれば、いかにも三島はああいうことをやっていることをちゃんと私は知っておったと……。
#167
○小笠原貞子君 知っていたと言いませんよ。
#168
○国務大臣(坂田道太君) 言わぬばかりの言い方なんですね。ですから、それができたということは、そういうことじゃない、彼としてはああいういろいろな、私はあんまり読んでいないのです。実際いいますと、「潮騒」かなんか、あれくらいしか読んでいないのです。週刊誌等では、人からは話を聞きましたけれども、あまり読んでいないのです、実際のところ。というくらいでございまして、だれでもああいうふうなことをやるなんということは予想だにもしなかったと思うのです。だからやはり文学者として彼に熱中しておる青年たちも非常におるわけなんです、あるいは海外にもおるわけです。この事実は小笠原さんといえども認めざるを得ないと私は思うのですよ。だから、そういう意味で、いまから言えばそれはおかしなことだということになるかもしれませんけれども、その時点としては三島君の一ぺん文学論でも聞かせてという気持ちがあったことはうなずけるのじゃないでしょうか、すなおに考えて。そういうことでございまして、責任がどうだ、こうだということでございますが、先ほどの問題は確かに私たちのところの手落ちでございますよ。それは監督不十分といえばそのとおりなんです。私もそれは認めます。したがって、たとえば理事であるとかなんとかいうような、そういうようなことでもって、この目的に違うような申し込みをしてきた場合には、これはもう絶対そういうことを許しちゃならぬぞということでこれから気をつけるということが、またそういう措置をとったということが、それが責任をとったということだと御了承いただきたいと思います。
#169
○小笠原貞子君 じゃ時間も過ぎましたので、最後にまとめてお聞きしたいと思います。いまそういうふうにやって責任をとりたいとおっしゃいましたね。拓大問題は七月に私はあれをやったわけですよ、その後何ら進展していないというと、非常に私はまた不安になるわけなんで、そのことばに責任を持って、こういうような右翼的な軍国主義思想というものが鼓吹されるようなことについては、もうほんとうに目を光らせてほしいわけですよ。文部大臣としてもそれはもう当然指導、助言する立場にあるわけでしょう。そういう大事なところやってもらわなくちゃ困るわけです。そこで、ひとつはっきりさせていただきたいことは、楯の会も全部学生ですよ、三島さん除いて。学生が体験入隊ということをやっているわけです。それも非常に特別な体験入隊やっていますよ、特別扱いされて……。またの機会に譲りたいと思いますが、先ほど始まる前に話してましたよ、体力鍛えるために大臣毎日マラソン二十分やっていると。何も防衛大学入って体験入隊を大学生やる必要ないのです。だから防衛庁長官どうおっしゃろうとも、文部大臣としては学生が自衛隊に体験入隊するということは私は好ましくないと思う。これは当然やめさせるべきことだというふうに考えるんですが、ぜひそうやってほしいと思いますが、大臣はどうお考えになるかということですね。
 それからこの事件を起こしたからこうだというわけじゃないですよ。私がたびたび言っているのは憲法を否定し、そして国軍、天皇制の軍隊を復活するためには命をかけてやるんだ、そしてそのための民兵だと、こういうことをいって全く憲法否定の思想を、いま生きてても問題なんですよ。こういうことをどんどんどんどん言っている人が国立劇場の理事になったり、拓大の講師になったりというように、事件を起こしたから起こさないからは別なんです。こういうことをいっているものを堂々とお使いになるということは、これは間違いだから当然やめていただきたいということ。以後もどうぞそれについて十分な責任を持って、今後そういうようなことが再び起きないようにやっていただきたいとそう思うわけです。
 それから最後にもう一つ警察庁のほうですが、たとえば、日本刀を持って白昼歩けばひっつかまるのに、堂々入って行って、そうして切りつけたわけでしょう。そしてクーデターを呼びかけたところの、あの檄というものを見れば、まさにクーデターを呼びかけていますよ。この檄というものをお読みになったでしょう。そうしますとそういうような「楯の会」というようなおそるべきクーデターを扇動するような団体、まだ解散させないのですか。こういうクーデター、憲法否定の暴力ですよ。刀抜いて入っていくなんていうのはこういうのをこのままにしておくつもりですか、そうしてまたこういうような、いわば人を切りつけた、まあ自殺したから帳消しかもしれないとおっしゃるけれども、人を傷つけて、こういうような事件を起こした、まあいわば犯罪者でしょう。これに対して暴力的な右翼学生は追悼会をやっている、全国の右翼団体というのはこれは方々で追悼会をやっている。これに対して警察庁はどういうふうな態度をとってこられましたか。お答えいただきたいと思います。
#170
○国務大臣(坂田道太君) 拓大の問題は、この委員会におきましても小笠原さんからきびしく追及されたわけでございます。その際に小笠原さんはとてもこの状況では大学は平和にならないというようなことをおっしゃったわけですが、事実は平穏になりまして、そして一応正常化の方向に進んでいることは御承知のとおりです。しかも、中曽根君も理事長をやめて、学長をやめ、そして名誉総長としておさまっておるわけでございますが、私も友人としても、また文部大臣としても、やはりイギリスあたりでもウィルソンとか、あるいは前のマクミランとか、それが学長というか、そういうものになって、大学の学長になっておるけれども、それは名誉学長なんだ、名誉総長なんだ。そのほうがいいのではないかということは私、かねがね言っておるわけでございますが、時期を見てそういうような措置をとったようでございます。そこでまだいろいろ内部にくすぶっている点もあると思いますが、一応私は考えた方向に進んでいるというふうに思いますし、またその善後措置等につきましても、いまいろいろ大学当局のほうでも注意をいたしておりますし、場合によっては指導もいたしたい、かように考えておるのであります。
 それからまた拓大のどういう人を選んでどうというようなこと、これもともいたしますと大学が象牙の塔になりまして、大学というものはこれを構成している教官、学生、大学院学生、事務職員、これ以外のみによって管理運営、教育、研究をやるのだというこういう時代錯誤的な考え方が一面においてあるわけです。今日のような世の中が発展する段階においては、社会の発展に耳を傾けるとか、意見に耳を傾ける、そういうようなことがなければ、大学自身が腐ってしまうのです、おくれてしまうのです。それがゆえにこそ学生から問われているし、国民から、一体大学何しているのだというふうに問われている原因もあるわけなんでございまして、やはりその意味において中曽根総長が外部の人たちのさまざまな意見を、あるいは講演等をお願いしてやられるということは、私はこれは好ましいことだというふうに思うのです。大学というところは、そもそも学問の自由というものが許されているところです。いかなる立場の者であろうともそれをうのみとしないという前提があればこそ、学問の自由と大学の自治が許されておるわけであります。その意味合いにおいて平塚さんとかだれとか、多少は小笠原さんから考えれば不都合な人だ、ああいうようなものは困るとおっしゃいましても、それは学問の自由と大学の自治でございまして、そう御心配になるようなことはない、かように思うのでございまして、むしろ象牙の塔式に大学は事務職員、大学生、大学院学生、それから教官、これ以外の者の言うことには耳をかさないなんというような、そういうコンクリートな考え方こそ私は大学を陳腐化してしまうと、かように実は思うわけでございまして、その意味合いにおいて、いろいろの話をお聞きになるということは、学生にとっても非常にいいことだというふうに私は思うのでございます。しかしながら、おっしゃるように、暴力というものはいかなる形においても許されない、三島君のあの行動は許されないことでございます。同様に大学の中におきまして、自主防衛の名のもとにおいて民青系の武力が、武装し、訓練をし、暴力をもってやるというごとはやはりこれもまた許されないことでございまして、一般的に暴力は否定はいたしておりませんなどというようなこともおっしゃらないようにしていただきたいと思う。それでなければ、あなたのおっしゃる憲法を守ることにもなりませんし、暴力否定にもつながらないわけでございます。あなた方は、口を開けば、何か泳がせているとおっしゃいますけれども、あなたたち自身が、すでに国会において、一般的に暴力は否定はいたしません、はっきり言っておられる。これは一体どういうふうにわれわれは考えていいかというふうに思うのでございますよ。ですからこの点はなかなか大事な点だと私は思っているのでございますから、これはとくと小笠原さんからお話を承りたいというふうに思っております。
#171
○小笠原貞子君 憲法としての、体験入隊のこと言いませんでしたね。
#172
○国務大臣(坂田道太君) 忘れました。
 体験入隊の問題は大体は防衛庁の長官のところできまることだと思いますけれども、私はやはりちょっと何か新聞で読みましたけれども、一定の人を長くというか、あるいは何べんも何べんもというようなことについてはやはりいかがかと思います。しかしながら一回ぐらいは学生に体験をさせるということは非常にいいことじゃないかというふうに思うのです。私自身も子供を実は去年夏自衛隊に入れましてやったのであります。というのが、どうもこのごろ自己コントロールというのができませんし、あるいは苦難に耐えて生き抜くということは実はないのでございまして、私は見るに見かねまして自衛隊に入れるのがいいんじゃなかろうかという気がしましてやったんでございますが、帰りましてしばらくはよかったんでございますが、また……、こういうことでございます。一概には申し上げませんけれども、私の気持ちを申し上げておきたいと思います。
#173
○説明員(渡部正郎君) 楯の会を解散させるべきではないかという御趣旨の御質問に承ったのでございますけれども、この種の団体を解散させるという問題は警察の所管外のことでございますので、お答えするのは差し控えさせていただきたいと思います。
 次に、三島事件の影響がいろんな面に出ておりますのは御承知のとおりでございまして、右翼団体といわれるような方面だけではございませんで、極左系の学生の間にもいろいろな反響が出ておるということはわれわれも承知しております。これらの反響が犯罪、暴力に至らないようにということで、警察としては現在――今後もでございますけれども、全力をあげて警戒しているところでございます。
#174
○委員長(楠正俊君) 他に御発言がなければ、本件についての本日の質疑はこの程度にとどめます。
 本日はこれにて散会いたします。
   午後四時一分散会
ソース: 国立国会図書館
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