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1970/04/01 第63回国会 衆議院 衆議院会議録情報 第063回国会 文教委員会著作権法案審査小委員会 第4号
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1970/04/01 第63回国会 衆議院

衆議院会議録情報 第063回国会 文教委員会著作権法案審査小委員会 第4号

#1
第063回国会 文教委員会著作権法案審査小委員会 第4号
昭和四十五年四月一日(水曜日)
    午前十時二十分開議
 出席小委員
   小委員長 高見 三郎君
      小沢 一郎君    河野 洋平君
      塩崎  潤君    谷川 和穗君
      松永  光君    森  喜朗君
      吉田  実君    川村 継義君
      小林 信一君    正木 良明君
      麻生 良方君
 出席政府委員
        文部政務次官  西岡 武夫君
        文化庁次長   安達 健二君
 小委員外の出席者
        文教委員長   八木 徹雄君
        文 君 委 員 山原健二郎君
        参  考  人
        (社団法人日本
        レコード協会会
        長)      安藤  穣君
        参  考  人
        (協同組合日本
        映画監督協会常
        務理事)    大島  渚君
        参  考  人
        (日本芸能実演
        家団体協議会常
        任理事)    紙  恭輔君
         参 考 人
        (日本シナリオ
        作家協同組合理
        事長)     橋本  忍君
        参  考  人
        (日本映画製作
        者連盟映画法制
        審議会委員長) 馬渕 威雄君
        文教委員会調査
        室長      田中  彰君
    ―――――――――――――
四月一日
 小委員森喜朗君三月三十日委員辞任につき、そ
 の補欠として森喜朗君が委員長の指名で小委員
 に選任された。
同日
 小委員伊藤卯四郎君同日小委員辞任につき、そ
 の補欠として麻生良方君が委員長の指名で小委
 員に選任された。
    ―――――――――――――
本日の会議に付した案件
 著作権法案(内閣提出第三九号)
     ――――◇―――――
#2
○高見小委員長 これより著作権法案審査小委員会を開会いたします。
 著作権法案を議題とし、審査を進めます。
 本案について、まず参考人より御意見を聴取することにいたします。
 本日御出席をいただきました参考人の方々は、社団法人日本レコード協会会長安藤穣君、協同組合日本映画監督協会常務理事大島渚君、日本芸能実演家団体協議会常任理事紙恭輔君、日本シナリオ作家協同組合理事長橋本忍君、日本映画製作者連盟映画法制審議会委員長馬渕威雄君、以上五名の方々であります。
 この際、参考人各位に一言ごあいさつを申し上げます。
 参考人各位におかれましては、御多忙中にもかかわらず御出席をいただきまして、まことにありがとう存じます。参考人各位におかれましては、十分忌憚のない御意見をお述べくださいますようお願いいたします。
 なお、各位に念のため申し上げます。御意見の発表の時間は、お一人約十五分間程度とし、その後小委員各位からの質疑があれば、お答えをお願いいたしたいと存じます。また、御発言の際はそのつど小委員長に許可を受けることになっておりますので、以上お含みの上、よろしくお願いいたします。
 それでは、順次御意見をお述べいただきます。最初に大島参考人にお願いいたします。
#3
○大島参考人 映画監督というのはたいへん特殊な職業でございまして、日本で二百二十人くらいしかいないのですけれども、それがみんな集まりまして、協同組合日本映画監督協会というのをつくっております。私は、その常務理事をしております大島渚でございます。
 きょうは監督協会を代表して意見を述べさせていただくわけですけれども、気持ちといたましては、映画をつくる場合には、監督だけでなくて、撮影、照明、美術、あるいは録音、編集、それからたいへんたくさんの俳優さんと、多くの人間が映画をつくることに携わっておるわけです、そういう人たちをいわば代表したような気持ちで意見を述べさせていただきたいと思います。
 まず最初に、この新しい著作権法案全体についての私どもの意見でございますけれども、私どもから見ますと、今回の著作権法案というのは、随所に著作者の権利を保護するという意味で有意義な規定もあるわけでありますけれども、それに反対の部分も少なくない、そういうふうに考えるわけです。そもそもこの著作権法案というものは、著作者の権利の保護のためのものであるということが、日本も加盟しておりますベルヌ条約においても、はっきりと規定されておるわけですね。ところが、その著作者の権利の保護のためである著作権法案を、今回の法案におきましては、どちらかといえば、この著作権を、いろんな各種の関係を調整する、何か調整法、あるいはひどくいえば著作権の制限法、さらにひどくいえば、著作権を擁護するのじゃなくて、利用者を保護する利用者保護法と化しているというような感じがするわけです。その一番はっきりした条項が、この新しい著作権法案の第一条に一言入っております。この中に「これらの文化的所産の公正な利用に留意しつつ」という文言が入っております。私、はっきり言って、この文言は要らないのじゃないか、そういうふうに考えるわけです。つまり著作権法というものは、あくまで著作者の権利の保護のためのものである。これを公正に利用するということは、あくまで副次的な問題であると思います。にもかかわらず、この副次的な問題が正面に出てまいりまして、著作者の権利が不当に奪われている部分が非常に多い。やはり同じ第一条において、著作権法によって「文化の発展に寄与する」と、こう書いてありますけれども、むしろ私どもは、これは文化の発展を阻害する悪法案であると、そういうふうに考えているわけです。
 以上が、今回の著作権法案全体に関する私どもの意見でございますけれども、そういったつまり悪法案であるというところが、映画においては非常にはなはだしいと言うことができると思います。その最も端的なあらわれが、この著作権法案の第二十九条であります。二十九条を見ていただきたいと思うのでありますけれども、この二十九条というのは、映画の著作権の帰属という条項でございます。ここに、このように書かれております。「映画の著作物の著作権は、その著作者が映画製作者に対し当該映画の著作物の製作に参加することを約束しているときは、当該映画製作者に帰属する。」つまり簡単に言いますと、映画の著作権というものは、映画の著作者――映画の著作者というのはだれであるかということについては、前のほうに例示があるわけですけれども、いずれにしても、この場合、法案は共同で大ぜいの著作者がいるというふうに規定しております。とにかく映画をつくった人間からその著作権を取り上げて、映画製作者に帰属させてしまう、こういうことになっておるわけです。この場合、映画製作者というのは何かといいますと、これはすなわち映画会社であるということが、いろいろな提案理由その他の御説明の中ではっきりしております。つまりこれは映画会社であって、したがって著作者がつくった映画の著作権を映画会社に渡してしまう、これを取り上げて映画会社にやってしまうという、むちゃくちゃな条項が入っておるわけです。どうしてこういう条項が入ったか、われわれとしてはたいへん疑問に思うわけですけれども、一応提案理由の中には、こういうことがいわれております。提案理由といいますのは、この著作権法案の提案理由の中に述べられている文章でありますけれども、この中で、なぜ映画の著作権を映画製作者に帰属させたかという理由として、大体三つ大きいことがあげられております。一つは「映画の著作者の多様性、」ということ。つまり映画はいろいろな人間がつくって、非常に著作者が大ぜいいるという問題。それから第二に、「映画の製作における映画製作者の寄与の大きいこと、」というのがあります。おそらくこれはお金のことだろうと思います。三番目に、「映画の利用を容易ならしめるため、権利を集中させる必要がある」ということがいわれております。つまりこの理由を見ますと、明らかに利用ということに重点を置いておるということが、はっきりします。したがって、ここでは著作者の権利を保護するよりも、利用ということに重点を置いておる。これは全く著作権の条項としては、非常におかしいと私たちは考えざるを得ない。
 そもそも著作権と申しますのは、これは人間の私権――私の権利の一つでありますけれども、私権のうちで、これは財産権に属するものであるというふうに考えられております。したがって、これは憲法二十九条によって絶対に保護されている。これをあえて著作権法案は奪おうとしている。これは財産権を保護した憲法の条項が二十九条ですね。この映画の著作権を映画の著作者から奪って会社に与えてしまおうというのが、同じくこの著作権法の二十九条というのは、ふしぎな暗合でありますけれども、まさにこの二十九条によって私どもが本来憲法的に持っておる財産権というものを奪おうとしているというふうに、われわれは考えざるを得ないわけです。
 つまり結論は、この著作権法案をつくるために、著作権制度審議会が昭和三十七年の四月に発足いたしまして、昭和四十一年の四月に答申が出ております。この答申の段階でこういう意図がはっきりと出た。それ以来、私どもの監督協会は、終始一貫これについて反対をいたしまして、かつては文部省、いまは所轄官庁が文化庁になりましたが、いろいろなお願いなどもしてきました。しかし、なかなかこれは変わらない。それからほかの団体も、いろいろな意見があるのですけれども、この二十九条だけには絶対反対ということをずっと言ってまいったわけです。また、批評家の先生方も、いろいろな御意見の方があります。たとえば映画の著作者はだれかという問題になりますと、だれを含むべきである、あるいはだれを除くべきだという、うるさい問題があると思うのですけれども、そういういろいろなうるさい内部事情がありながら、みんな一致して、この二十九条だけはひどいのではないかということをずっと言ってきたわけです。したがって、ここは二十九条に関しては、私の知っている限りでは、映画会社以外に賛成者はないと言ってもいいほどのものであったわけです。にもかかわらず、この条項というものは、昭和四十一年の四月に答申が出まして、すぐ第一次案というものが出まして、現在出ておりますものは、去年の国会に一たん提出されました第六次案とほぼ同じもので、大体六回変わっているわけですけれども、映画に関するほかの条項はずいぶん変わったけれども、この条項だけはほとんど変わらなかった。そういう意味でも、この条項が非常に問題があると言うことができると思うのです。ところが、非常に問題のあるこの二十九条が、一回だけ変わったことがあるのです。それはこの六次案になります前の第五次案、昭和四十三年の四月二日に閣議決定されております。しかし、これは国会に出なかった。この第五次案におきましては、映画製作者に帰属させてしまうというこの条項の上に、「契約に別段の定めがない限り」という譲歩句が入っておったわけです。譲歩句といいますか、留保句といいますか、つまり映画の著作権は映画製作者に渡してしまうのだけれども、契約で別に定めがあった場合には必ずしもそうはならないという留保句があったわけですね。これはどういうことかといいますと、たとえば私どもが映画をとる契約をいたします。そのときに、著作権の全部を私のほうに残させてくれという交渉をすることができる。それでそれを成立させることができる。でも、おそらく現在の映画会社と私どもの力関係では、とてもそんなことはできません。大体できるのは、せいぜい著作権の一部をわれわれのところに留保すること。これは簡単に言いますと、たとえば海外に配給する権利だけはこっちに残させてくれ、あるいはテレビに放映する権利は残させてくれとか、そういう契約ぐらいはできるのじゃないかというふうに考えております。そういう意味で「契約に別段の定めがない限り」という留保句がついていることは、それまでの何にもなかった第四次案までに対して、たいへんに進歩だとぼくらは考える。
 では、なぜ一体第五次案においてこの留保句がついたかという問題があります。それについて昭和四十三年の八月三十一日に、映画会社の連合体でありますところの映連が、文化庁の佐野著作権課長をお呼びして一問一答をやっております。その中での佐野課長のお答えの中では、こういう説明がなされております。なぜ「契約に別段の定めがない限り」という留保句を入れたかという問題ですね。最終段階で、これは法制局との討議でこの留保句を入れたんだというふうに佐野課長はお答えになっております。なぜ入れたか――法制局との討議で入れたわけでありますが、その理由は何か。問題点が二点あった。第一は、関係当事者の意思に全くかかわり合いなしに著作権を映画製作者に移してしまうことは、法律論としては問題があるというふうに佐野さんはおっしゃっておられます。おそらくこれは憲法との関係であったのだろうと私は考えます。第二点は、現状では、関係当事者間で契約による権利の処理が行なわれており、それを全く否定する形で法文を書くことは好ましくない、こういうふうにおっしゃっておられる。そのように考えたということは何かといいますと、たとえば、現在よくテレビで古もの映画を上映しておりますね。ことにこれは昭和三十年以前につくられた映画も、どんどん放映されているわけです。この映画がつくられたときには、まだテレビというものがなかった。したがって、監督と会社の契約の中に、当然テレビで放映するという問題は含まれてなかったわけです。そのままテレビで放映するという新たな事態が起きまして、この中ではテレビ放映ということは考えてなかったんだから、これについてはやはり新しく契約関係を結ばなければいけないのじゃないかということになりまして、いま映画会社の連合体であります映連と監督協会あるいはシナリオ作家協会、それぞれ協約のようなものを結びまして、一回放映するごとにお金を幾らともらっているわけです。そういう意味で、ここにおっしゃっているような関係当事者間の契約による権利の処理が行なわれている。それを全く否定する形で法文を書くことは好ましくない。この二つの理由で、「契約に別段の定めがない限り」という留保句を入れたんだという御説明がなされておりました。これが第五次案だったのです。
 ところが、これが昨年国会に出されるにあたりまして、ぼくらの印象では、一夜にしてひっくり返ってこの譲歩句がなくなった。この留保句がなくなったわけです。で、もとのとおりに、要するに何が何でも映画の著作権は映画製作者に渡してしまうんだという条文に戻ったわけです。なぜそうなったかは、私は存じません。しかし私、かつて佐野課長といろいろお話をしましたときに、大島君、君の言うことは理想論だよと言われたことがございます。法律というのは、決して現状よりもよくするためのものでもないし、悪くするためのものでもない、いわば現状の権利関係を固定するものだというお話を佐野さんから伺いまして、私はなるほどやっぱりそういうものだろうと思ったのですけれども、実にこの二十九条に関する限りは、これは明らかに現状より悪いわけです。どう考えても、われわれ現在、映画監督あるいはその他の映画の創作者が持っておる権利を現状より悪くしているということが、はっきり言えます。その証拠に、今度の著作権法案の附則第五条というのがあります。この附則第五条に「この法律の施行前に創作された新法第二十九条に規定する映画の著作物の著作権の帰属については、なお従前の例による。」つまり今度の著作権法案が施行前につくられた映画の権利関係は、要するに以前の権利関係に従うというふうになっているわけです。なぜこういう附則があるかといいますと、つまり前より明らかに悪くなるから、つまりわれわれの既得権を奪ったから、こういう附則をつけざるを得なくなったということがいえる。この附則があることを見ましても、明らかにその二十九条を置くことによって現状よりも悪く事態をこの法律によって固定して、われわれ著作権者の権利を奪ってしまっているということがはっきり言えると思うのです。
 この二十九条というのが最大の問題点なんでありますけれども、そのほかにも、映画の著作者の著作権に関しては多くの制限が設けられております。
 たとえば、著作者は、人格権というものが著作権に付随してございます。そのうちの一つに公表権という問題がありますけれども、これも、たとえば第十八条二項三号によって、公表権も二十九条によってその映画の著作権が映画会社に帰属した場合は会社に行ってしまう。監督には、あるいはそのほかの映画の創作者には、公表権はないというような条項がついているわけです。ということは、映画が製作されましても、それに心血を注いだ映画の創作者たちとしては、それを公表する権利すらない。これは全部会社がこれを公表すべきかしないかの生殺与奪の権を握ってしまう、そういう形になっておるわけです。そういう意味で、この著作者人格権のうちの公表権まで奪ってしまっておるということは、どうしようもない悪法だろうと思います。
 また、別の例をあげますと、著作権にはすべて保護期間という問題がありまして、何年間保護されるかという問題があるわけですね。これについても、映画は非常に不利な特例が設けてあります。これは第五十四条の一項でありますけれども、「公表後五十年」という法律案になっているわけです。そのほかの文芸の著作物なんかにおきましては、これは著者の死後五十年というのが常識であります。ところが、映画の場合だけなぜその公表後五十年になるのか。カッコがありまして、公表されなかったときには「創作後五十年」というあれがついております。ぼくは、これはたいへんふしぎな感じがします。たとえば、映画がつくられてなかなか公表されなかった。そうすると、創作後とにかく五十年は保護されているわけですね。ところが四十九年目ぐらいに公表された。そうすると、今度はまた公表後五十年というのがつくのですね。そうすると、九十九年保護される。これはたいへんなことになるのです。おそらく法律論としてはそうならないのかもしれませんけれども、いずれにしても公表後とか、公表されなかったときは創作後とか、非常にあいまいな出発なわけですね。それよりも、著作者の自然的な死というたいへんはっきりしたものから五十年とするのが、非常に当然のことだと思うのですね。それをもやはり公表後五十年というような奪い方をしているわけですね。
 そういうふうに、著作権そのものを映画会社に帰属するという形で奪い、さらに著作者人格権としての公表権あるいは保護期間の問題そういうありとあらゆるところで不当に著作者の権利を奪っている法律、これはぼくらは絶対にこの著作権法案、著作権法という名に値しない、これは全く利用者保護法である、文部省の管轄じゃなくて、通産省の管轄じゃないか、そんなふうに考えておるわけです。
 以上で大体終わりなんでありますけれども、私、それよりもさらにまして申し上げたい重要なことは、いま映画の世界というのは、非常に移り変わっておるということを皆さんに特にお考え願いたいと思うわけです。といいますのは、一番大きいことは何かといいますと、映画というものの利用方法が猛然と拡大したということが言えます。簡単に言えば、二十年前は、映画というのは全く劇場に行って見る以外には見られなかったわけですね。ところが、もういまは毎日われわれはテレビでもって映画を見ることができる。さらに、これがこのごろ騒がれておりますビデオカセットテープになりまして、いわば本と同じようにパッケージされて町で売られる。それをうちへ帰ってテレビのあれにかければ、幾らでも自分の好むときに好きな映画が見られる。そういうふうになってくる。そういうふうに、この映画の利用方法というのは、いまもうほんとうに日々新たに拡大しつつあると言うことができるのじゃないかと思います。そういう、つまり映画の世界が流動的なときでございますから、この権利関係というのは法律で縛らずに、何よりも当事者間の契約によってきめていくべきではないかというふうに私考えるわけです。そういう契約の習慣が積み重なった暁に、非常にお互いに理想的な慣習ができるだろう、そのときになって法律をつくっても決しておそくない、そういうふうに考えるわけです。
 御存じのように、著作権法というのはたいへんむずかしくて、一度きまるとなかなか変わりません。明治時代のものがいまだに残っておるような状態でございます。そうすると、ほんとうにこれから先多くの映画に携わろうという人間が出てきます、いわゆる映画青年というか、映画をどんどんとりたいという人間が出てくるわけですね。そういう未来の映画の作者たち、こういう人たちの権利まで今度の著作権法は奪ってしまおうというのか、そういうことを考えますときに、ぼくは非常にひどい、そういうふうに考えざるを得ないわけですね。そういう意味で、この映画の世界が非常に流動するときに、昭和三十七年から四十一年の時点で審議された答申に基づくということは、非常に古いのじゃないか、間違いをおかすことが非常に多いのじゃないか、そういうふうに考えます。しかも、いわゆる蛇足でありますけれども、三十七年から四十一年にかけての審議会で著作権法について審議されるプロセスで、映画の著作者の代表が一人も入ってなかったわけです。それに対して、もちろん学識経験者という名においてでありましたけれども、映画会社の重役を兼ねておられる方がお入りになっておった。こういう点でも、今回の著作権法は、われわれ映画の著作者に関しましては、終始一貫片手落ちで、終始一貫われわれの権利を奪う方向にしか動いていないというふうに私は考えるわけです。
 ですから、最後にお願いしたいのは、私たちは、ぜひ映画については一般の著作物と違う特別の規定がある。たとえばこの二十九条であるとか、あるいは保護期間の問題であるとか、公表権の問題であるとか、いろいろな特殊規定が設けられています。率直にいって、これらをすべて削除していただきたい。これを削除していただいても、われわれは絶対に困らない。ぼくたちは、決して著作者の権利を会社に渡さないというのではないのです。それをすべて契約によって渡そうということが一番正しいことなんじゃないか、これが自由主義経済の原則に立つわが国として当然正しい方法じゃないか、そういうふうに考えるわけです。だから、映画についての特別の規定は、すべて削除していただきたい。少なくとも二十九条は絶対に削除していただきたい。そうでなければ、今度の著作権法というものは、映画をつくる人間の権利を奪い、日本の映画文化の発展を不当に阻害するという悪名のみが永遠に残る以外に何もない、そういう法律案じゃないかと思いまして、ぜひともその映画についての規定を削除してくださること、少なくとも二十九条を削除してくださることを強く要望して、私のあれにかえたいと思います。どうもありがとうございました。(拍手)
#4
○高見小委員長 ありがとうございました。次に、橋本参考人に願いいたします。
#5
○橋本参考人 シナリオ作家協同組合の理事長の橋本です。最初に一言お断わりを申し上げたいのですが、私がこれから申し上げることというものは、現在の著作権法案にそれほど直接大きく関係のないようなことでありますが、しかし、これは本質的に著作権法案に非常に多く関係のあることですから、最初は少しがまんして聞いていただきたいと思います。
 昭和二十年の八月十五日、戦争が終わりまして、一番当初に私たちのシナリオ作家協会としては、映画製作会社の人たちとの間に団体協定を持とうとしたわけです。これはもちろんぼくらがやったのじゃなしに、ぼくらの先輩がやったのですが、そこでたいへん一つの大きな取りきめができたわけです。それはどういうことかというと、たとえば映画のシナリオを書く、脚本を書く、それがその映画会社で映画にならなかった場合の処置をどうするか、このことについて取りきめが行なわれたわけです。これは非常に大きなことなんですけれども、しかし、そのときに行なわれた取りきめはただ一つであって、そのままになっちゃったわけです。それでわれわれの先輩が、団体協定でこういうことを一つきめた。きまったのはたいへん重要なことだけれども、この一つだから、あとはおまえたちしっかりやってくれということで、それを引き継いだわけです。自来、映画会社の人たち――映画会社の人たちというより、映画の製作会社の映連というところと何回か団体協定をやろうとしたわけです。ところが、これがなかなかできないんですね。というのは、今度はいつそんなふうに団体協定のことをお願いしたいというと、ええけっこうですという。たまたまその月のその予定日の前になると、その映画会社の一つ一つのうちの、今月は松竹さんお見えにならないからちょっとぐあい悪い、先に延ばしてくれ、そういうことで、ぼくの記憶では大体三年間ぐらい延ばされたわけですね。やっと三、四年たって団体交渉が初めて開かれた。この日のことをぼくはたいへんよく覚えているのです。どういうことかというと、代表の一人が立たれて、三年間待たしておいて、それで、シナリオライターとの間は、個人の契約でたいへんうまくいっている。だから、団体協定なんかする必要は認めません。これは二分ほどで済んだわけですね。われわれはときどき喜劇を書くけれども、喜劇でもこれほどもののみごとなものはないと思われるようなものですね。それで、あえて強く団体協定をやってくれといっても、われわれはその当時社団法人であって、団体協定を申し込んでも、相手は突っぱねてしまえばそれまで、そういうことですね。
 なぜまたそういうものが必要であるかといいますと、たとえば、当時ぼくは東宝との間に契約をしていたのですが、ほかの映画会社との間に何かシナリオを書くということになると、これは契約書も何もないわけです。では著作権的なことは、あとは金額だとかなんとか、それがどうなってどうという点は一体どういうことなのかというと、それは現行法にまかせるよりしようがない。現行法というのは、皆さん御存じのとおり、明治何年かにできたもので、活動写真術ということばを使ってある非常に古いものであって、内容をどういうように解釈していいのかわからないというようなこと、そういうことが非常に多いものですし、だからどうしても団体協定をやらなければいけないわけです。ところが、そういうわけで社団法人では団体協定できないということになったから、だから今度は中小企業協同組合ですか、何かそういうことになれば、法律的に相手が団体協定を受けざるを得ない、そういうことがわかったものだから、中小企業協同組合というものに今度は変わろうとしたわけです。その当時に、ちょうど前後しましてテレビができて、かなり伸びてきましたけれども、テレビのほうはテレビ局自体のほうから、これからは著作者の団体との間では団体協定を結ばなければ、お互いにルールが確立しないじゃないかということであって、むしろ東京のキー局四局――12チャンネルはなかったんですが、東京のキー局四局との間に向こう側から進んで団体協定を申し込まれて、団体協定をやったわけです。だから、テレビに関しては、自後これまでそういうことについてのトラブルは一切ないわけです。ところが、映画のほうは、団体協定がないから、そういうことが絶えずある。だから、どうしても団体協定をするために中小企業協同組合になる手続を進めている間に、文部省のほうで著作権法改正の話が出てきた。そうすると、現行法で非常にわからない点というのは、今度の点ではっきりするのじゃないか。では、団体協定よりも前に文部省の著作権法改正の審議でわれわれ言うべきことを全部言って、はっきりさせることは全部はっきりさせて、そうしてひとまずこれでケリをつけて、そのあとで団体協定やろうじゃないか、こういうことになったわけです。ところが、皆さん御存じのように、審議が四年間かかった。その後も延々と続いているわけですね。その間にときどきわれわれも、法案というのは大体きまりつつあるのだから、団体交渉をやってくれないかという話を内々に持っていったりするんですが、いつでもその場合には、まず著作権法案がきまって、国会を通ってそれが公布されるということになったらやりましょうという話なわけですね。これはしかたがないから、そんなふうな過程で進んでいるんですけれども、そうこうしている間に、著作権法案も大事だけれども、もっと大事なことがいろいろ出てきた。われわれとしては、映画の世界というものは非常に移り変わりが早いですし、いろいろとほかにもやらなければいけないことも出てきた。どういうことかといいますと、たとえば現実に、われわれしろうと見ですけれども、外国の映画があれだけ入ってきているのに、日本の映画がはたしてどれだけ出ているのか。日本に入ってくるほど日本の映画が外国に出ていないこともわかっているし、そういうことになると、そのマーケットシェアを広げるためにはどうすればいいのか。現在の映画会社というものは、ほんとうに外国の売り込みというものに対してどれだけの適切なことをやっているのかどうか、そういうことをもっとわれわれも真剣にやらなければいけない。そのためには、どういう企画を立てなければいけないか。そういうところを、たとえば映画会社にまかしておいていいのかどうか。われわれの間では、新しい才能開発の意味でそういうことをやらなければいけない、そういう意見が出てくるわけです。ところが、われわれの協会でそういう意見が出ているけれども、一方では著作権法案がきまらずに、基本的なことができずになぜそういうことをやるのかという意見も出てくる。だから、われわれとしては一日も早くこの法案が通って、そうして団体協定をやって、次のことをやらなければいけない、そういう立場にあるわけです。極端なことをいうと、シナリオ作家協会の日常の業務というものは、大きなことから小さな日常の業務に至るまで全部著作権法案待ちであって、これは一日でも一時間でも早く通らなければどうしようもないというのが、現状なわけです。それで、いい法案をつくるのにどれほどの日数、年数をかけてもいいという考え方もあると思うのですが、現在、やはり時間というものは非常に重要だと思うんですね。現在の時の流れというものは、おそらく一年というものは従来の十年、二十年、三十年にも匹敵するくらいな時間だと思うんです。だから、われわれとしては、とにかく一日も早く法案を通してもらって、そうして基本的なことを片づけ、もっと新しいことをこれからやっていきたい、そういうふうに考えるわけです。
 その次に、現在のこの法案の中で、われわれが意見というより、一つだけ質問して聞いておきたい、そういうことがあるわけですね。それはどういうことかといいますと、映画の著作者の問題なわけです。われわれは今回の法案では、映画の共同著作者の中に入っていない。入っていないから、その内容その他については言う権利もないし、言う意見も持ち合わせておりません。ただ現状の法案の中の十六条の中にいろいろ書いてあって、「音楽その他の著作物の著作者を除き、制作、監督、演出、撮影、美術等を担当して」と書いてあるんですが、この中の衣へんのない制作、これは実は今度この委員会に呼ばれるために、これを送ってこられたのでぼくは読んだんですが――正直いいますと、文部省で昭和三十年からやったら、いいかげんでくたくたになって、四十三年の閣議決定したあとというのは、実際それほどこの内容も見ていないわけです。今度委員会に出るということで初めてこれを読んだのですが、この中の衣へんのない制作というものは、ぼくは最初ミスプリントだと思ったんですね。それで、事務局にこれはミスプリントじゃないかと問い合わしたら、いやそうじゃない、何か意味があるらしいということなんですね。それで、意味があるというのはどういう意味があるのか、ぼくにはよくわからないわけです。だから、これを持って帰って、みんなからこの衣へんのない制作とは一体何だと聞かれたら、ぼく自身もよくわからない。二十年来こういう仕事をしていますけれども、こういう字の人というのは、われわれいままでに会ったことも見たこともないわけですね。これは閣議決定したときには、ここには企画となっていました。それ以前には衣へんのある製作になっていたのだけれども、この衣へんのない制作というのはどういう職種の人か、それをこの委員会でわりとはっきりどなたか関係者からお聞きしたい。そうでないと、ぼくがこれをシナリオ作家協会に持って帰ってみんなに説明したときに、橋本君、この制作というのは一体どういう職業の人をいうのかと言われたときに、答えようがない。そういう答えようがないようなことは困るから、この委員会で、これはどういう職分の人かということをはっきりお聞かせ願いたい。そういうことです。
 以上、シナリオ作家協会としては、一日も早く法案を通してもらいたいということが第一テーマです。その次に、この第十六条の制作というのは、一体どういう職分の人か、この点をこの委員会の席上でどなたからでもいいからはっきり聞かしてもらいたい。以上二点です。終わります。
#6
○高見小委員長 ありがとうございました。次に、馬渕参考人にお願いいたします。
#7
○馬渕参考人 私は、映画会社の連合体であります映画製作者連盟の法制審議会の委員長をいたしております馬渕でございます。
 先ほど大島さんからも、るる監督の立場でお話がございましたが、映画の著作者あるいは著作権者が何びとであるかというこの問題は、各国の映画製作の製作の態様、あるいはその国の長い間の商習慣、その他いろいろの違いのために相当分かれておりまして、これをどういうふうに世界共通にまとめ上げるかということは、たいへんむずかしい問題の一つであることは、皆さん御承知のとおりでございます。しかし、一方で映画といったような文化的な所産、これの流通を円滑にいたしまして、世界各国の映画の交流をもっとスムーズにしていくということは、世界の文化政策としましても非常に大事なことであろうかと思います。これについて、世界各国とも、そういう願望を秘めて努力をしておる。また、著作権法の改正につきましても、各国ともそういう点に留意をしまして、いろいろ諸権利の関係を調節しながら今日に至っておるということも、これまた諸先生のよく御承知のとおりだと存じます。このために、たとえばストックホルムの改正条約におきましても、この点に非常に十分な留意をいたしまして、著作権者である製作者といったようなものの保護についても条文化しておりますし、また現在英国あるいはアメリカ、アメリカはベルヌ同盟でございませんで、万国著作権条約に加盟いたしておりますが、その他の国におきましても、著作権の行使の権利の集中というようなことについて、国内法を制定いたしております。
 簡単に申し上げますれば、英国の著作権法によりますと、著作者の地位というものは明文化いたしておりませんが、「映画の著作権者はフィルムメーカーとする」というふうに、はっきりと明定をいたしております。フィルムメーカーと申しますのは、つまり映画会社であります。また、アメリカにおきましても、アメリカの映画の著作権における考え方は、雇用著作の立場をとっておりまして、フィルムメーカーあるいは製作会社が雇用した監着以下の芸術家あるいは技術者をもって製作された映画というものは、製作会社が著作者であり、またしたがって権利者であるというふうな立場をとっております。その他の国におきましても、これと同じような、あるいは類似した方法によりましてお互いの諸権利の調節をはかっておる国は多々ございます。つまり映画のような多数の参加者を得て初めて一つの創作物ができ上がるといったような著作物につきましては、それぞれの著作者の権利を阻害しないで、しかもそういう著作物の流通が円滑に行なわれるように注意するということは、日本の国益のためにも、また世界の共通の利益のためにも、私は非常に必要なことだというふうに考えております。この法案におきまして、例示的に著作者を列挙いたしましてその地位を保護すると同時に、著作権者を製作者に一元化いたしましてその行使を円滑にしていこうというふうに定められておることにつきましては、以上のような諸理由からいたしまして、私はその点につきましては賛成でございます。繰り返して申し上げますように、この改正法案によりまして、著作者はみずからの人格権をもちろん保持されておりますし、同時に財産的な価値も著作権者の明確化によりましてむしろ十分に保護されるのじゃないかというふうに、私は考えております。
 ただ私は、しからばといって無条件にこの法案に賛成しておるものではございませんので、これからの御審議の過程、あるいはまたこの改正法案が立法化されました暁におきましての将来の問題点といたしまして、三点ほど申し上げまして、御参考に供しておきたいと存じます。
 大体私は、映画という著作物の著作者は一体だれかという場合に、私どもは実はアメリカ法に出ておりますように、これは法人著作物あるいはまた職務著作物というふうに考えて、製作者、いわゆるプロデューサースカンパニーあるいは個人である製作者が、はっきりと著作者の地位を持つべきものだというふうに元来考えております。その理由は、先ほども申し上げましたように、映画というものは、多数の人がこれに参加いたしまして、そうして一つのシステムの上に立ってでき上がったものでありまして、個々の人がそれぞれの立場立場の仕事をして、そのシステムの上に立って初めて映像物ができ上がっておるものでありまして、しかもその参加者は、そのときにすべて報酬を得て、監督さんなら監督さん、その他の技術者であれば技術者が、それぞれ仕事の上におきましてもうすでに報酬を取っていらっしゃるのでございます。その上で、でき上がりましたものをだれに帰属させるかというと、それは責任と地位においてその映画を企画し、そうしてつくった者、つまり製作者、これが保持するというのは、私は姿としては一番いいんじゃないかというふうに考えておるのであります。
 たとえば、簡単に申しますと、三船敏郎という俳優がいらっしゃいますが、三船君がいま独立プロダクション、つまり映画製作会社をつくっておられます。そして彼は俳優として出演をして、映画をつくっていらっしゃるのが実情でございます。その場合に、でき上がった映画が、彼が著作権者にもなり得ない、もちろん著作者にもなり得ないというふうな状態であったならば、たいへんなことになってくるだろうと思うのであります。三船君が非常な財産的な危険をおかして、しかしながらどうしてもりっぱな映画をつくってみたいということで、監督をその場合雇用し、その他の技術者を雇いまして、一本の映画をつくって、さてそれを財産的に行使しようといった場合に、それは権利者でもなければ著作者でもない、何でもないのだ。それは全部何か契約でもってあらかじめ何とかしておかなければ、あるいは話し合いをよくつけておかなければ、全然権利として行使できない、そういうものであるというふうなことになってまいりましたならば、たいへんなことになるだろうと私は考えるのであります。
 ところが、実はベルヌ条約に加盟しておりますわが国といたしましては、著作者を原則として自然人に求めていこうという法源の上に立っております関係上、著作者を法人とするといったような立場はなかなかとりにくいということは、これは私にもわかるのでございます。そこで、結局相当な無理と申しますといささかことばが過ぎますが、だれが自然人として著作者であろうかというので、当然監督さんであるとかあるいはその他の方々をいろいろ列挙いたしまして、まずこんなところであろうかというところで何々等というふうな――はっきり申し上げれば、十六条で「制作」これは個人としてのプロデューサーだと思いますが、「制作、監督、演出、撮影、美術等を担当してその映画の著作物の全体的形成に創作的に寄与した者とする。」と書いてございますが、まことにわかったようでわからないようなたいへん難解な条文になってしまったのであります。この点は、実際の映画製作の製作態様、特にわが国におきます映画のつくり方、そのシステムというものをどうしても形の上ではっきり書くことができない、どうしても自然人でなくてはまずいといったようなところから、こういうふうな条文になったのだろうと思うのでありまして、その点につきましては、今後かりにこの条文のまま法案が成立いたしました暁において、この著作者の方々と私どもとがいろいろな契約をしていきます場合に、なかなかむずかしい問題が起きてくるのじゃないかというふうな感じ方がいたします。特に「等」というふうなことばが書いてございまして、これ以外に何があるのだろうかといったようなことをこれからわれわれが発見し、そうしてまたそれらの人々と契約をしていかなければならぬといったような困難さが横たわっておるのであります。したがいまして、もしもこれが立法化されました暁には、施行令あるいはまた条文解釈といったものを相当詳しくお示しをいただきまして、そうしてその間の契約等の行為について間違いの起こらないようにお示しを願いたいというふうに、まず第一点は考えるのでございます。
 その次でございますが、十六条の一つ前の第十五条に、職務著作の条文がございます。先ほども申しましたように、われわれベルヌ同盟に加盟しておる日本といたしましては、著作者が自然人であるということはこれは原則になるわけでありますが、たまたま官公庁が職務上発行する著作物、あるいはまた法人が法人の名を冠しまして、そうして雇用いたしました人々を使いまして職務著作をさせました場合に、法人が著作者になり得るという規定が、ここにございます。これはたとえば官公庁の広報を目的とした白書類であるとか、あるいはまた新聞社がニュース映画をつくるとかいったような場合にこれが適用されるものであろうということは、われわれも容易に理解できますが、しかし、これだけを読んでおりますと、それ以外のものでも、たとえばわれわれでも、そういうことが映画会社でもできるのじゃなかろうかという感じもいたします。しかしながら、映画会社が劇映画をつくります場合に、この条項の適用はあるんじゃなくて十六条へ持っていかれるということは、これまたわれわれは理解ができます。しかしながら、私どもだけが理解しておってもしかたがないことでありまして、十五条を読みまして、これで何でも映画ができるじゃないかというふうに早のみ込みをするおそれもなきにしもあらずであろうかというふうに考えます。したがいまして、十五条でもって製作し得る映画というものは一体どういうものであるのであろうかということも、これまた将来の施行令あるいはまた法文解釈の上ではっきりとお示しをいただきまして、十五条と十六条との混乱を避けるようにひとつ取り計らっていただければありがたいというふうに考えております。
 最後になお一点お願い申し上げておきたいことは、元来この著作権法というものは、権利者の中でも、お互いの立場立場によって非常に権利が錯綜いたしておりますし、これを利用する立場のものにとりましても、権利者の間に非常に錯綜した権利関係がありまして、これを一本にまとめ上げて一つの法体系にするということは、実にむずかしい問題でございます。これについて、たとえば文部省の制度審議会におきましても、何年という長い月日をかけまして、そうしてりっぱな諸先生方がお集まりになって甲論乙駁の結果、これはやっとまとめ上がった法案であると思います。でありますので、この一角をちょっとくぎ一本抜きましても、この法案というものはがたがたにくずれてしまうおそれがあると私は思います。たとえてみれば、これはほんとうにそっとお砂糖を固め上げて、やっといろいろなもののバランスの上に立っておるお砂糖の塔みたいなものだと思うのであります。したがいまして、どこか一角の文字を変えた、どこの一条をどうしたということ自体でもって、全法体系がくずれてしまいまして、がたがたになってしまうおそれが十分あるというふうに思います。したがいまして、私はこの法案の提出に一応賛成はいたしますが、映画の条項に関する限り、一字の加筆も、あるいは削除することも、あるいは修正することも絶対にないということを保証された上で、この法案に賛成をいたします。したがいまして、もしもこれに加筆、修正あるいは削除というようなものが条文上行なわれるものでありますならば、それをあらためて拝見いたしまして、反対すべきものは絶対反対する。おそらく一行あるいは一字の改変でも、われわれは反対せざるを得ない立場に置かれておることをこの際はっきり申し上げまして、どうかもしもこれが立法化される暁には、少なくとも映画の条項に関する限り、このまま無修正で通過するということを希望いたしたい。また、そのことを留保いたしまして、賛成をいたすという次第でございます。
 きわめて簡単でございますが、私の陳述を終わらしていただきます。御清聴ありがとうございました。
#8
○高見小委員長 ありがとうございました。次に、紙参考人にお願いいたします。
#9
○紙参考人 私は、ただいま委員長の御指名にあずかりました日本芸能実演家団体協議会常任理事の紙恭輔でございます。
 日本芸能実演家団体協議会と申しますのは、日本の芸能人の大部分を所属会員としております三十個団体、それを会員として、団体を会員といたしまして、昭和四十二年の五月二十三日に許可せられました社団法人であります。徳川夢声を会長といたしまして、副会長に坂東三津五郎、以下芸能人の団体三十が会員でございます。その団体の中には、音楽では西洋音楽糸三つ、それから伝統音楽系が九つ、西洋音楽系には、演奏連盟とか、日本音楽家連合会とか、歌手協会がございまして、それから伝統音楽系には、長うた、常盤津、三曲、びわをはじめ、諸団体が入っております。俳優団体には、歌舞伎、新派、新劇、映画の俳優さんはじめ文楽座や能楽協会を含める十個団体でございます。それから舞踊団体、それから演芸団体おのおの四つの団体がございます。舞踊のほうは日舞、洋舞の四個団体、演芸としては講談、落語、浪曲などがございます。なお奇術、曲芸などが最近入ろうとしておりますので、もう少し団体の数がふえるはずでございます。
 本会の目的としておりますのは、もちろん芸能人の日ごろの職業条件の向上と社会的地位の向上、それと公益をはかること、これを目的として設立されておるのであります。この団体を代表いたしまして、御参考までに意見の一端を本日は述べさしていただきます。
 日本芸能実演家団体協議会は、この新しい著作権法が一日も早く成立いたして実施に移されるように切望しておるものであります。と申しますのは、ほとんど初めてと申していいぐらい著作権の中に著作隣接権という新しい項目が設けられまして、実演家の権利が明らかに定められることというのが、最大の理由でございます。しかしながら、本会といたしましていささかの意見もございますので、それを三点ばかり御参考のために申し述べたいと存じます。
 第一点は、著作隣接権の存続期間についてでございます。実演家は、現行法では三十年にわたって法律の保護を受けておるのに、新法ではこれが二十年に下がるのでございます。しかも現行法ではそれが死後から起算せられているのに、新しい法律では、これは実演をしたとき、録音、録画をしたとき、放送をしたときから起算せられることになるので、新法で現行法と同じように三十年ときめられても、なお実際にはだいぶ下回ることになるのです。新法の規定のままの二十年といたしますと、芸能実演家の職業的生命があるうちに法律による隣接権の保護の期限が切れることがあり得るのであります。たとえば、ある芸能人が二十歳でレコードに吹き込みをしたと仮定いたしまして、その人のそのレコード実演に対する権利は、改正の法律案だともう四十歳で権利は終わってしまうのであります。もしその人が六十で死んだとして、私がいまは六十八でありますから、六十歳というのはそう老齢ではないと私は考えるのでありますが、現行法のように死後からの起算をいたしますと、その人が初めにレコードに吹き込んだときから通算七十年の法律的の保護を受けることになります。新法だと行為後二十年の保護ですから、現行法によるとその三倍の保護年限があるわけです。このように保護期間がいまより大幅に下がることのないようにしていただきたい。これがわれわれの意見の第一点でございます。
 それから第二点は、芸能実演家の人格権についてであります。新法には、芸能実演家が演ずる実演の音や姿を不完全な形で再生したりあるいはゆがめてこれを編集したりして、実演家の芸術的名声をそこねたり、あるいは実演家が思いも寄らぬ目的に利用して実演家の名誉声望を害したりすることを取り締まる規定がありません。そのような悪い結果を招くおそれがないように、著作権法の中でもこれをうたっておいていただきたい、こういうふうに本会は存ずるのであります。西ドイツなどの諸外国においても、このような規定が著作権法の中に盛り込まれていることを仄聞しておるのでございます。
 それから第三点は、商業用レコードの二次使用についてでございます。私たちの芸能実演に関連する機械的技術の発達には、御存じのとおりまことに目ざましいものがありまして、そのスピードたるや全く対策が追いつかぬほど早いものがあることは、御存じのとおりでございます。その一つの例は、目下盛んに報道されておりますところの、操作が簡単で値段が安いことをもって特徴としておりますところのカートリッジ式ビデオテープ機。この装置の第一の目標は、放送を録画しておいたものを再生してこれを見ることにあるのでしょうが、そのようなテープを市販したり貸したりする商売が、必ずできると存じます。また、そのような市販テープを使って放送することも、また可能になるわけです。新法によりますと、商業用レコードを放送に使ったときには、放送事業者は実演家に二次使用に対する報酬を支払わなければならないことになっております。このような市販ビデオテープなどを使って放送したときにも、放送事業者は、レコードを使ったときと同じように、実演家に二次使用に対する報酬を払ってもらわなければならないのであります。
 以上の三点を申し上げて、本会の意見を終わりますけれども、先ほども申し上げましたように、本会といたしましては、ぜひとも新しい著作権法案が一日も早く実施に移されることを希望しておりますので、慎重御審議の上、一日も早くこれが実施されるよう本会としては切望しておる次第でございます。どうもありがとうございました。(拍手)
#10
○高見小委員長 次に安藤参考人にお願いいたします。
#11
○安藤参考人 私は、社団法人日本レコード協会、わが国のレコード製造会社十社で結成いたしております団体の会長をいたしております。
 著作権法改正につきましては、文部当局はもとよりでございますが、衆議院文教委員会並びに著作権法案審査小委員会におきまして、たいへんな御尽力をいただいております。私ども関係団体として心から敬意を表し、お礼を申し上げる次第でございます。また、本日は参考人としてお呼び出しいただきまして意見を述べる機会を与えられたことにつきましても、感謝いたす次第でございます。
 結論から申しまして、私どもレコード製作者といたしましては、この法案に賛成いたしますが、ただきわめて小部分の修正をぜひこの際にお願いしたい。若干のきわめて小部分の修正をお願いして法案に賛成し、一日も早くこの法案が成立いたしますことを切望いたしておるわけでございます。
 その修正は二点でございますが、その第一点は何であるかと申しますと、レコードを使用される場合のレコード製作者の及ぶ権利、これがどの範囲に及ぶかという問題につきまして申し上げます。
 法案の第九十七条では、及びます範囲、レコードを二次使用いたしました場合に報酬を支払います範囲を放送事業者及び有線放送事業者に限定されておりまするが、私どものお願いといたしましては、この二業種のほかに、ジュークボックスの事業者をぜひ追加していただきたいというお願いでございます。その理由といたしましては、この範囲を当局でおきめになりました基準は、著作権制度審議会の答申のとおり、商業用のレコードを営業の不可欠の要素として使用するものという、この答申の趣旨に基づいておきめになったものでございますが、このジュークボックス事業者というのは、これは全く営業の絶対不可欠の要素としてレコードを使用いたしております。御承知のように、皆さんよくごらんになりましょうが、ジュークボッスは、こういう機械を旅館あるいは集会室、契茶店、競技場等に設置いたしまして、コインを入れまして自分の好きなレコードを演奏させるという業者でございます。重ねて申し上げますが、レコードをこれほど営業的に不可欠の要素として使用している業者はないわけでございまして、ぜひこれを、放送、有線放送に加えて範囲の中に入れていただきたいというお願いでございます。また、無線放送、有線放送だけでジュークボックスが除外されるということになりますと、この間にたいへん不均衡な状態を生じますので、これはぜひ修正いただきたいということをお願い申し上げる次第でございます。
 お願いの第二点は、隣接権の保護期間の問題でございます。ただいま紙参考人からも御意見が出ましたと全く同じような考え方でございますが、隣接権、レコード実演家の権利の保護期間につやましては、法案の第百一条で、隣接権の保護期限は、音を最初に固定した時の翌年より起算して一十年になっておりますが、これをぜひ三十年に御修正いただきたい。理由といたしましては、第一は、現行法第六条で三十年の保護期間を現在与えられております。これを二十年に削減するということは、たいへん固い申しようでございますが、既得権を無視されておるというふうに、私たちは考えております。それから理由の第二点は、二次的著作物としてはたいへん性格の似ております映画、写真等の保護は、映画は三十年から五十年、写真は十年から五十年にいずれも非常に幅広く延長されておりますが、これに対しまして、レコード実演家の権利は、逆に三十年から二十年に短縮されているということは、これはいかにも不均衡な感じがいたしますので、これをぜひひとつお考えいただきたいとういのが理由の第二でございます。それから理由の第三は、これはたいへんまことに現実的な理由でございますが、保護期間二十年ということになりますと、レコード製造会社といたしまして、企業上の安定が非常に確保しにくくなるという点でございます。
 これは実例を申し上げますが、ここに「ヒット流行歌レコード発売年数」というリストを持ってまいりましたが、これを三十年でなしに二十年で切るということになりますと、現在各レコード会社で発売しておりますレコードで、二十年で切られますと保護期間がなくなるレコードが相当ございます。それは、あえてベストセラーのレコードとは申しませんが、相当コンスタントな売れ行きを示しておりますレコードが、二十年でちょん切られますと、二十年たったものは、どこの泡沫会社が同じものを複製して販売いたしましても、全く保護がない。これはレコード企業としては非常に大きな問題でございます。先生方こういうことにはあまり御興味があるかどうかわかりませんが、二十年でもし切られました場合に、現在でも売れておりますレコードはどういうものがあるかと申しますと、これは歌謡曲の「十三夜」、それから「湯島の白梅」、それから「リンゴの歌」、「悲しき竹笛」、それから「港が見える丘」、「長崎のザボン売り」、それから「東京ブキウギ」、それから「湯の町エレジー」、それから「異国の丘」、「トンコ節」、「青い山脈」、「長崎の鐘」、「夜来香」、こういうふうな、拾い出してみましても先生方には昔なつかしい思い出のある曲がだいぶあると思いますが、これらのものが二十年では全部保護がなくなるということになりますと、私どもレコード企業としては、非常に不安定、企業的に安定性が確保できなくなりますので、こういう以上三つの理由でこの問題点の第二、隣接権の保護期間をぜひ法案二十年を三十年に御修正いただきたい、こういうお願いを申し上げる次第でございます。
 なお、この保護期間の起算点につきましては、法案は音を固定した、つまり録音した年の翌年から起算するということになっておりますが、いつ録音したものであるかということの認定は実務上困難な場合もありますので、この固定した年の翌年よりという起算点を、発行したときの翌年よりというふうにさらに御訂正いただけばたいへんありがたいと思っております。
 以上、二点にわたりまして修正をお願いする次第でございます。
 先ほど申し上げましたように、私どもレコード製作者といたしましては、何とかここまでまいりましたものを、さらに延長することなしに、今回、今国会におきましてぜひ法案の成立を希望する次第でございます。実は、私どもレコード製作者といたしましても、この長年にわたる審議会の審議の段階におきまして、これ以外にも多数の問題点をかかえておりましたわけでございますが、法案成立の実をあげるためには、やむを得ずこれをしぼりまして、この二点に修正していただくことにしぼりましたわけでございます。しかし、いろいろ先生方のお話、御当局のお話等を伺っておりますと、修正ということもたいへんにむずかしいそうでございます。修正の幅とあるいは修正の問題点につきましては、大勢に影響を与えることも大きいということもございますので、何とかこの二点、万やむを得なければもう一つしぼりまして、最後の保護期間の修正だけをぜひひとつお願い申し上げて、一日も早く法案の成立を切望して、簡単でございますが、私の意見といたします。どうもありがとうございました。
#12
○高見小委員長 どうもありがとうございました。
 以上をもちまして参考人の御意見の開陳は終わりました。
    ―――――――――――――
#13
○高見小委員長 質疑の通告がありますので、これを許します。川村継義君。
#14
○川村小委員 参考人の皆さん方ありがとうございました。他の委員からもいろいろとお尋ねがあるかと思いますから、私二、三簡単にお尋ねをしておきたいと思います。
  〔小委員長退席、谷川小委員長代理着席〕
 まず最初に、馬渕参考人にちょっとお尋ねをいたします。先ほどいろいろ貴重なお話がいただけましたが、映画の著作権あるいは著作者について、あなたのほうはこの新しい法案に御賛成である。監督をしていらっしゃいます大島さんのほうは相当御不満な御意見であったようでございますが、映画の著作者に関しては、私たち外風物例を十分わきまえていないのですけれども、聞くところによると、英米系、ヨーロッパ系、やはりそれぞれ違っているということを聞いておりますが、馬渕さんひとつ御存じでございましたら、諸外国の映画の著作権、著作に対する立法的な関係をお話しいただけないかと思います。
#15
○馬渕参考人 私もあまりよく存じませんが、先ほど申し上げましたように、英国ではフィルムメーカー、製作者あるいは法人である製作会社、これが著作権利者でありまして、著作者の地位というのが明文で書いてないと思うのです。ただ、あそこの映画の条項でいくと、一番初めに映画の著作権利者はフィルムメーカーとするということが書いてあると思います。アメリカのほうは、御承知のように万国著作権条約でございまして、これは著作者に人格権というものを認めておりませんで、すべて財物として著作権を財産的価値として認めておるのでありますが、この場合の映画における著作者はプロデューサーでありまして、たとえばプロデューサーあるいはプロデューサースカンパニーでございます。その場合に、向こうの契約書等を私たち拝見いたしますと、プロデューサーあるいはプロデューサースカンパニーと雇用されたる監督とはこれこれの報酬その他を契約する、雇用関係にある技術監督とはこうする、雇用されたるシナリオライターとの間にはこうする、ずっと雇用されたるという文句が書いてございまして、そしてその結果著作者並びに著作権者は製作者あるいは製作会社に帰属するというふうになってくる法理の上に立っておると思います。フランスの場合は、これは態様が違っておりまして、シナリオライターあるいは監督、あるいはもう一つだれでございましたか、たぶん三種の芸術家の方々がたぶんそうであったと記憶しますが、著作者であります。フランスの場合は、ヨーロッパ風の映画のつくり方と申しますものは、あまり会社組織あるいはシステムの上に立って映画というものが継続的につくられるのではなくて、ある自然人が――大島さんのような監督なら監督のお立場にある方が、一つの責任と発意をお持ちになりまして、フィルムバンクからお金を借りてこられ、それによってその他の芸術家を契約の上で参加を求めまして、そうしてその方々の責任においてどこかの撮影所を借りてつくる。つくりますと、それは会社でも何でもない場合が多うございますから、ばらばらになってしまうわけであります。一本つくりまして、そしてもうその方々はまた別れ別れになってしまうというふうな状態が多いわけであります。したがいまして、その三人の自然人というものに著作者の地位を与えまた処分権を与えなければならぬという、これは映画製作の態様からしてそういうふうになってくる場合が多いのであります。したがって、そういうふうな著作権法になっておるのであろうと思います。ヨーロパ系のコンチネンタルな法律としましては、そういう保護をいたしておるのであります。ところが、英国あるいはアメリカあるいは日本――ソ連の場合は国家でありますからこれは別といたしまして――というところでは、やはり映画製作を定款にうたいまして、そうして映画製作を使命といたしまして――発足しておる映画会社、あるいは――映画会社と申しますと、皆さん方はいま日本にある松竹、大映、自活、東映、東宝のような会社だけをすぐお考えになって、それが何か非常に大きな専横のふるまいをしておるんじゃないかというふうにお考えになりがちだと思うのでありますが、私の申しております製作者あるいは製作プロデューサーというのは、そんなものだけではなくして、広範に、たとえば大島渚さんが映画をおつくりになる、フランス流に自分が一本の映画をつくる、あるいは自分が一つのプロダクションを興す、たとえば五千万円でもって大島渚さんが映画製作、プロデューサーの会社をおつくりになる。そしてみずから監督をして、そうしてその他の参加者を求めて、そうして映画をおつくりになったという場合を想定いたしますと、大島さんは当然監督として著作者の地位にあり、あるいは制作者の立場で著作者の地位にあって人格権をお持ちになっている。同時に彼は――彼と申しますと失礼でありますが、大島さんは、その独立プロダクションの長といたしまして、会社の社長として製作者であり、その自分の責任と発意においてつくられた映画の処分権をお持ちになるということは、これは当然だと私は思うのであります。そういう関係を私は申し上げておるのでありまして、大島さんばかりあげて恐縮でありますが、大島先生の芸術家としての地位を、この著作権改正法案によってごうまつも侵害はしていないのみならず、むしろ大島さんがそういうものを自分がプロデューサーとして今後ずっと一つのカンパニーをおつくりになったという場合を考えますと、大島さんのお立場というものがこれによって非常に著作権法上安定してくる。また、財産的な価値も、十分に保有することが可能だというふうに私は考えております。
 なお、小さい――小さいと言うといけませんが、トルコは制作者、プロデューサーが、これが著作者であり、同時に著作権者でございます。イタリアの場合は、ややフランスと同じように、監督であるとか、シナリオライターであるとか、あるいは編集者であるとかいうような方々が、たしか著作権者の地位を持っていらっしゃると思います。そんなことだと思います。
  〔谷川小委員長代理退席、小委員長着席〕
#16
○川村小委員 ありがとうございました。いま私ヨーロッパの各国あるいはアメリカ等においては、それらの関係が違っておるということを聞いておりましたので、お尋ねをしたわけでございます。大島さん、それについて何か御存じでございましたら、簡単でよろしゅうございますから、あなたのほうからもひとつ、少し見解を入れて――いまは非常に見解をいただきましたから、見解を入れてお話しいただきます。
#17
○大島参考人 外国の立法例がどうなっているかという問題につきましては、ほんとうは文化庁の担当の方からお答えいただいたほうが正確であると思います。
 基本的に申しますと、アメリカはこれはいわゆる日本が加盟しておるベルヌ条約に入っておりませんので、これは全然例としてわれわれが参考する問題にならないと思うのです。私どものほうで文化庁のほうのお調べを写してまいりましたこの紙によりますと、英国法はそれについてはっきりした規定を持っておらないというふうに、われわれは理解しております。あと、私の手元にいまあります諸外国の立法例は、まず著作者をどういうふうにきめておるかということを、フランスでは、シナリオ、翻案、セリフの著作者ですね、それから原作者、それから映画のための音楽の著作者、それから監督、これを著作者と推定しております。それからイタリアの場合、これは主題の著作者、それからシナリオライター、それから音楽の著作者、それから監督、これは法定しております。それからオーストリア、これは創作に参加した者という規定で、コメンタールで、監督、シナリオライター、フィルムビルダー、主演俳優、衣裳、セット、カメラ、録音、フィルム編集等をも、コメンタールであげております。そういうふうに、いろいろ著作者をあげている例がございます。
 それからその著作者に、じゃ、どういう権利があるかということになりますと、たとえばフランス法で申しますと、フランス法では製作者にはどういう権利があるかということになりますと、映画の利用についての排他的権利というもの、だから映画の利用権は製作者にある。おそらくこれは譲渡されたということが推定される――日本の譲渡というのは、二十九条というのは法定なわけですね。法律で渡してしまっているわけです。ところが、フランスの場合は、譲渡したと推定する。したがって、ほかの人に対する関係でいえば、製作者にあると考えて契約を結んで差しつかえない、推定という考えを置いておるわけです。これは文化庁とのいろいろな話し合いの中で、ぼくたちはせめて推定譲渡にならないかということをさんざんにお願いしたのだけれども、これもならなかったという事態があるのですけれども、フランスの場合は推定という形を置いております。その場合にも、著作者の権利として利用権を譲渡推定するわけだけれども、著作者の財産的権利、特に興行権、複製権及び上映収益に参加する権利を害しない――権利を害しないという条項を常に入れておるわけです。そういうようにフランス、イタリア、オーストリアの立法例は、明らかに、日本とやや似ておりながら、日本よりはるかに著作者に有利に通用しているということはできると思います。
 しかし問題は、やはりこれは日本でつくられる法律でございまして、諸外国の立法例を参考にすることは大切なことでございますけれども、それより、やはり現実に日本の法律は私たち日本国民を守ってくださらなければいけないわけでして、そういう意味では、日本映画界の特殊事情というものを十分に考慮に入れていただきたいと思うわけです。先ほど馬渕さんは、私がプロダクションをつくって云々というようなことをおっしゃいましたけれども、しかしながら、現実の日本の映画界というものは、やはり松竹、東宝、大映、日活、東映と五つの会社が巨大な力を持っておりまして、現実にこの映画の製作者の会社でつくっております映連という、まあ馬渕さんがきょう出てきておられる母体でありますけれども、そういうところは、まさか私がプロダクションをつくっても、入れてくれといったって入れてくれるわけはないわけです。そういう点からいいますと、圧倒的に五社の力が強い。しかも日本では、いわゆる契約の習慣というのが非常にうまくいっておらないわけですね。そういう意味では、契約の習慣というのがはっきりあれば、法律があってもそれをさらにいろいろ契約してわれわれに有利にしていくということも可能なんでしょうけれども、日本においては、まず五社が圧倒的な力を持っておるということ、それから日本人が契約ということに非常にふなれである、その二つの事情を考慮に置きますときに、やはりその二つをベースにして、なおかつ著作権が、全部会社にいってしまうということは、圧倒的にわれわれ著作者に不利になるということがありますので、その点を一番最初に頭に置いて今後の御審議をお願いしたい、そういうふうに私は考えます。
#18
○川村小委員 ありがとうございました。そこで、御指摘の二十九条に「帰属」ということばがありますが、これはおそらく映画ができ上がったら、そのまま法律上著作権が映画製作者に移っていく、こういうことを規定しているものだ、こう考えるのですが、今度は皆さん方が映画製作者と一つの映画をつくるときに、これはおそらく無契約ということはないと思うのです。何かやはりそこに、幾らでつくるかどうこうするとか、そういう契約があると思うのです。そういう場合に、著作権の問題について、たとえば製作者がいろいろな権利を行使するときにチェックしていく、自分たちの著作者としての立場を認めさせる、そういうものが契約の中に盛り込めるとお考えでございましょうか。いやもうこの法律がある以上は、とてもとてもそれはだめだ、こういうお考えでしょうか。ちょっと大島さん、その点をひとつ。
#19
○大島参考人 それはやはりこの法律がもしも成立した場合には、ほとんど著作者の権利を契約で主張するということは、もう絶対に不可能だと思います。たとえこの二十九条がありませんでも、九九%、契約をする場合には、著作権は全部会社に差し上げますという契約をぼくらさせられてしまうと思います。ましてこの法律ができました場合は、一〇〇%、われわれはもう何の権利の主張もできないであろうということは、日本のいまの現状の中ではもう全く明らかなことだと思います。
#20
○川村小委員 そこで、ちょっと次長にお尋ねをしたいと思いますが、いまの「帰属」の読み方、私がさっきちょっと触れましたように、映画ができ上がったら、もうそのまま著作権というものは製作者のほうに法的に移ってしまうのだ、そこにはいやおうのあれはない、こういうようにいわゆる「帰属」というのは読んで差しつかえないだろう、これが一つ。
 その場合に、いま私が大島さんにお尋ねしたように、監督の皆さん方と映画製作者との間にいろいろ契約を結ばれる。二、三日前に、この著作権に関する資料というこの中にいろいろと契約の資料をいただいておりますが、これを見ると、いま大島さんがおっしゃったように、全部製作者にみな帰属をしておる。しかし、これは一応の契約である。そこで契約をするときに、問題になるような著作権について何かのうたい込みができないのか、あるいはいま大島さんが言ったようにそれは現在でも九九%不可能だから、とてもとてもこの法律ができるとそれはだめだ、こういうように考えられるのか、これが二つ。
 それからもう一つお聞きいたしますけれども、先ごろからお話がありましたように、十五条においては、これはずっと法文を読まなくてもいいと思いますが、「その作成の時における契約、勤務規則その他に別段の定めがない限り、その法人等とする。」こううたってありながら、二十九条では、これは前にもお話があったように、「契約に別段の定めがない限り」とかいうようなことがいずれかの試案にあったけれども、これが消えてきておるといういきさつがあるわけですね。そこで十五条にはそういう規定があるのだが、二十九条でそのような規定を一「契約に別段の定めがない限り」などというのが、一応は昔第何次かの案にあった。ところが、これが今度はなくなっておる。これは一体はずしたのはどういう考え方で法案を作成されたか、まずそれだけ初めにお聞きしたいと思います。
#21
○安達政府委員 まず第一番目に、第二十九条で「映画製作者に帰属する。」というのは、その映画が完成したときにその権利は自動的に映画製作者に帰属するかというお話でございますが、そのとおりでございます。
 それから第二番目の、この場合において、映画製作者と映画の参加者との間において著作権に関する特約等が結び得るかというお尋ねでございます。この映画の場合に先ほど来お話しございますように、当然映画の監督その他の参加者との間には参加契約が結ばれるわけでございます。法案の考え方は、その段階においてこの映画の製作に参加する人々の経済的利益は確保されるという考え方に立っておるわけでございます。その場合に、たとえばそういう著作権の行使等についてある程度の条件を確保するということも可能であろうと思うわけでございます。たとえば、外国に輸出する場合、あるいはテレビに放映する場合、そういうような場合に何らかの措置をするというようなことが考えられるわけでございまして、そういう問題は一般的には、たとえば監督協会と製作者連盟との間においての標準的な考え方をどう求めていくかというようなことも、この二十九条というものができたその基礎の上に立って、今後両者の間でいい慣行が醸成されるということが、期待できると思う次第でございます。さらに言えば、著作権の一部を買い戻すというようなことも、あるいはあり得ることも考えられると思うわけでございます。
 それから第三番目の、第十五条において「その作成の時における契約、勤務規則その他に別段の定めがない限り」というのがあるという点でございます。十五条でいっておりますことは、著作者をだれにするか、いわゆる法人著作といいますか、職務著作において著作者をだれにするかという問題でございまして、この場合においては、著作者としては、当然人格権とそれから財産権としての著作権の両者に関係するわけでございます。そういうようなこともございますので、また現在の一般的な慣行等からいたしましても、その勤務規則その他からいたしまして、やはりそういうような状況は非常にバラエティーがあり得るということが予測されるわけでございますので、そういうバラエティーというものをやはり十分踏まえた上で法人を著作者とする、そして人格権と同時に財産権を持たせるということであるから、やはりこのような別段の理由というものの余地を認める必要があるだろう、こういう考え方に立っておるのでございます。ところが、映画の場合におきましては、第十六条で映画の著作者というものについては、映画の形成に「創作的に寄与した者」というのを著作者としておるわけでございまして、これらの著作者はそれとして人格権を所有するということになるわけでございます。その経済的利用権としての著作権についてこれをどうするかということにつきましては、先ほど大島さんも御指摘ありましたけれども、映画製作者がこの製作に対して寄与か大きい――これは単にどういう映画をつくるかという、その出発点の問題からすでにあるわけでございます。それで、また同時に経済的な問題、相当多額の金を投ずるというようなことであるから、それに関係することによって生ずるところの著作権というような経済的利用権というものを映画製作者が当然に持つことは、これはまた常識の許すところではないだろうか。あるいはさらに映画というものの世界的な流通ということを考えますると、その経済的利用権であるところの著作権を映画製作者――必ずしも会社ではなく、個人の場合も十分あるわけでございます。そういう映画製作者に帰属させることによって、この映画の利用を活発にする。それによって映画の著作者の利益をも確保するということが、より望ましいのではないか。あるいはまた映画の著作者の多様性というようなことも考えまして、こういうようにするということにしたわけでございます。したがいまして、この第二十九条の場合は、第十五条の場合と違いまして、財産権としての著作権のみにかかわること、また映画という著作物の特殊性からいたしまして、このような規定を設けることが適切であり、そしてこういう規定の基礎の上に立って契約が醸成されるということが、今後の映画の創作、製作、その流通というような面から見て好ましいものである。こういう観点に立って、審議会の答申の線に従ってこのような規定が設けられたというのが、従来の経過並びに考え方でございます。
#22
○川村小委員 次長は、映画製作の参加契約の中に、著作権関係の規定を設けることができるという見解になるようであります。つまりこの二十九条というものができたら、これに基づいてそういう慣行ができていくことを望んでいる。ところが、大島参考人のお話では、とてもとてもそれはたいへんだ、やれっこないのが現状ではないかという御意見でございます。これについて、馬渕さんのほうはどういうお考えを持っておられるかまだお聞きしておりませんが、そういうことであれば、この二十九条において、映画の著作者の契約によって権利を留保する余地を本文に残しておいたほうが、あなたが言うような意図が、考え方が、実際問題としてよい慣行をつくる土台になるのではなかろうか、こういう考え方も出るのですがね。ひとつこれをもう一ぺん答えてください。
#23
○安達政府委員 映画というものの特殊な性格、いわゆる参加者が非常に多数であるというようなことからいたしますると、著作者が多数であるということからいたしますと、そういうことについて留保の別段の定めをすることはかえって混乱を生ずる一つのゆえんでもないだろうかということも憂えられるわけでございまして、むしろはっきりしたルールをつくって、その上に立ってそれぞれ必要な債権的な契約を結ぶということのほうが、より一そうこの権利関係を明確にするということで必要であろうと思うのでございまして、この権利者はこういう権利を留保した、この権利者は他の権利を留保したということになりますると、他の国の利用者等につきましては、実際問題として非常に困るわけでございます。それが、そういうような物権的なものとしては映画製作者にはっきり帰属しておるということになっておりますと、この映画の関係が非常にすっきりしてくるわけでございまして、そういうような対外的な関係を考えますと、そしてまた映画の著作物の特殊な性格からかんがみますと、やはりこういう制度のほうがすっきりしている。こういう考え方で、こういうすっきりした基礎の上に立っていろいろな債権的な契約を結ぶということのほうが、より一そう望ましいと考えられる次第でございます。
#24
○川村小委員 どうもそうでございますかと言えないようなあれですがね。以上ちょっとお聞きしておいたのですが、あと二、三他の問題でちょっとお聞きしておきます。
 これもまたこの際皆さん方の前で次長にお聞きしておいたほうがいいと思うのですが、紙参考人からも、それから安藤参考人からもお話があったのですが、いわゆる隣接権の百一条に関係するもので、現行法で三十年、こういうレコードとか実演というものが保護されておる。これを今度は二十年にしてしまった。たいへん御不満な、修正でもぜひやってもらいたいという御意見陳述があったわけですが、これはどうした理由でございましたか。これは次長からひとつ……。
#25
○安達政府委員 著作隣接権の保護期間につきまして、法案におきまして、「実演に関しては、その実演を行なった時」から二十年、「レコードに関しては、その音を最初に固定した時」から二十年、「放送に関しては、その放送を行なった時」から二十年というようにいたしたのでございます。現行法におきましては、実は実演という広い概念ではなくて、演奏歌唱というものだけが著作物として保護される。その著作物としての保護期間については三十年であるというようになっておるわけでございます。この新しい法案では、そういう演奏歌唱だけでなしに、広く実演というものに広げまして、俳優とかそういうものにまで広げてきたということが、第一の違いでございます。それから、その権利の内容をはっきりするというようなことで、著作隣接権という新しい権利体系の中でそういうものを包括的に規定したのでございます。その保護期間をどうするかということにつきましても、審議会でいろいろと議論がございました。一つは、国際的な関係はどうであろうかということが議論になったわけでございます。それにつきましては、この著作隣接権を考える基準になったいわゆるローマ条約と申しますか、実演家、レコード製作者及び放送事業者の保護に関する条約によりますと、この保護期間はそれぞれ二十年より短くてはならない、こういう規定があるわけでございます。したがって、国際的に一応二十年というような最低限がある。今後外国との間でそういうような関係がだんだんさらに強くなってきて、この条約等にも加入するようなことも考えながら考えなければならない。そういう場合には、そういう条約との関連を考慮して、二十年でいいのではないだろうかということが一つ。それからこういうような内容につきまして、申し上げましたように、たとえば実演についてはその内容を広げたということと、それからレコードも通じてでございますが、実演、レコードに関しまして、商業用レコードの二次使用料の請求権というようなものを認めたわけでございますが、これは従来なかった権利である。言うならば、権利の内容がふくらんできたというように言えるわけでございまして、そういうようなことからして、権利の内容もこの際広まったことであるから、そういう国際的なことも考慮して、二十年でよいのではないだろうかというのが、この二十年になった従来の経過でございます。
 それから実演というのは、著作物と違いまして、実演したたびに言うならば権利が生ずるわけでございます。同じ人が、きょう歌ったときはきょうの実演の権利ができる、あした歌ったときはまたあしたの新しい実演の権利が生ずるというようなことになるわけでございます。したがって、いまレコードの場合についてお話ございましたけれども、たとえば、歌い直せば、そこからまた新しい実演の権利が生ずるわけでございます。ただ、たとえば東海林さんの最初出たころの声が聞きたいというような場合が生じますと、いまおっしゃいましたような問題がありますけれども、東海林さんが「赤城の子守唄」を新しく歌って出されれば、そこでまた新しく「赤城の子守唄」の隣接権が生ずる、こういうようなちょっと著作権とは違った性格を持つということも、ひとつ御留意願いたいのでございます。いろいろ御意見のあるところは私どもも十分傾聴すべきだと思いますけれども、こういう規定ができました考え方というものは、以上のようなものでございます。
#26
○川村小委員 いろいろ理由をいまお聞きしましたが、その中でちょっと気になるのは、外国の諸条約にも参加するということを考えながらということばだった。ところが、この前もいつか論議しましたように、附則十四条がある以上は、当分というけれども、当分は何十年続くかわからぬ。附則十四条がある以上は、ブラッセル協定にもストックホルム協定にもとても入られぬのだ、こういうことになってしまう。そうなると、いまの二十年というもの、これは諸外国のそういう条約に参加する意図をもってという理由は、ちょっとこの際いただけないのじゃないか、私はこう考えるのですけれども、これをひとついまのお話の中で指摘をしておきたいと思います。何か御意見がありましたらひとつ。
 もう一つついでに、先ほど橋本参考人お話しになりました――これはこの委員会でも、小林委員でしたかあるいは山中委員でしたか、いつか問題提起したと思うのです。いわゆるセイサク、衣のあるやつとないやつ、映画製作者の場合には、二十九条などにはちゃんと衣のついたので「映画製作者」と書いてある。十六条には「制作」と書いてある。これは橋本さん先ほどお話しでございましたから、あなたのほうからひとつ答えておいていただきたいと思います。
 それからもう一つ、大島さんのお話の中に、五十四条の保護期間ですね、公表後五十年、出なかった場合には創作後五十年、これは少し大島参考人のお読み違いではなかろうかと私は聞いたのですが、これをひとつ明らかにしておいてもらったほうがいいのじゃないかと思います。
#27
○安達政府委員 まず第一の、いまの著作隣接権の保護期間につきましての条約との関連でございますが、私が申し上げました条約と申しますのは、いわゆるベルヌ条約、著作者を保護するためのベルヌ条約ではなくて、実演家、レコード製作者及び放送事業者の保護に関する条約、いわゆる隣接権条約のことを申し上げたわけでございまして、したがって、いわゆる隣接権条約には、いま直ちにこれに入るというのは、この条約自体がまだ現在は十カ国しか入っておりませんし、またヨーロッパとも非常に隔たっておりますので、実演の相互の保護というようなことまでの必要性等についても問題がございますので、直ちに入るつもりはないけれども、将来このローマ条約、いわゆる隣接権条約に日本も入るような時期ということになりますと、やはり相互の保護ということになるわけでございますので、外国の実演家等の保護その他のことあるいはレコードの保護等のことを考えてという意味でございますので、その点で御了承願いたいのでございます。
 それから第二の点は、いわゆる衣のつくのとないのということでございました。まず第十六条の衣のない制作でございます。これはかつての案では「企画」というようなことばを使ったこともございますが、いわゆるメーカーでないプロデューサー、その映画の創作に寄与する者としてのいわゆるプロデューサーのことをいっておるわけでありまして、言うならばその映画の創作について企画し、またその創作について指揮し、あるいはその完成についての最終決定をするというような者が、いわゆる衣のない制作でございます。これに対して衣のあるほうは、実はこの第二条の第一項第十号に映画製作者の定義が書いてございまして、これは「映画の著作物の製作に発意と責任を有する者をいう。」映画の著作物をつくることについてイニシアチブをとり、そのメーキングの全過程を通じて指揮を行なうことをいうということでございます。これは条約等でも、ストックホルム規定などでも、メーカーというものといわゆるプロデューサーというものは区別して使っておるわけでございます。外国の場合は、プロデューサーとメーカーということばでMとPで全然違っておりますからいいですが、日本語の場合は、プロデューサーのことを表現する適切なことばがございませんので、実ははなはだ不十分ではございますけれども、衣へんがないのをそういうような意味に使っておるということで、この衣へんのない制作を使ったわけでございます。ただし企画といいますと、たとえば文化庁企画映画というようなものが出てまいりますと、文化庁が著作者というのもおこがましい。やはり文化庁がそうではないわけでございまして、言うならば、メーカーのほうにも当たるわけでございますので、そういう意味では、メーカーというと語弊があると思いますが、違った意味で文化庁製作の映画を一種の発意をするというような意味での面がございますので、それと企画というものとのことばでは不十分だということで衣へんのない制作ということばを用いた、こういうのが実情でございます。
 それから五十四条の関係でございますが、映画の著作物については、いわゆる「公表後五十年」という規定を置いてあるわけでございますが、これは多くの国におきまして、こういうような映画の著作物については公表後といたしておりますし、ストックホルム規定でも公表後五十年というようにいたしておるようでございます。なお、未公表のままで四十九年たってそれから公表されるというと九十九年ということになるわけでございますが、映画の場合は、その著作権というものは、全体的にはやはり経済的な利用をしてそれによって利益を受ける権利でございますので、未公表のままでは権利が稼働いたしておりませんから、稼働してから五十年ということでございますから、したがいまして、九十九年になりましても、これは理論的にはおかしくない。したがって、大島さんがおっしゃいましたその場合には九十九年になるということは、法文上もそのとおりでございます。
#28
○川村小委員 それでは最後に、大島さん、いまいろいろ文化庁次長の答弁を聞いておられまして、何か御意見があったら、一言言っておいていただきたいと思います。私は、これで質問を終わります。
#29
○大島参考人 簡単に申します。つまり、いま安達次長は、たとえば二十九条を置くことが適切であり、すっきりするとおっしゃるわけですけれども、すっきりし、適切であるのは映画会社と安達さんだけであって、われわれは全然適切でもないし、すっきりもしないわけです。やはり先ほどから申しておるように、根本的に考え方がひっくり返っておる。というのは、著作権法というのはあくまで著作者の権利の保護が中心であるのに、二言目には流通、流通とおっしゃるわけです。そっちを中心にして、それをすっきりするために二十九条ということをおっしゃる。これはいわゆる何とかの寝台でございまして、寝台に乗ったところが、からだが長過ぎたから足を切り落とすという関係で、われわれの権利を足を切り落とすように切り落としちゃっているわけです。これは全く私はファッショ的な考え方だと思うのです。ぜひ再考願いたい、そういうふうに考えます。
#30
○橋本参考人 さっきセイサクということについてちょっと御説明があったのですが、最初私が質問したのですが、このセイサク、これに関連しまして、映画の著作者ということで、法人著作というのが十五条でちゃんとあって、それから「映画の著作物の著作者」ということで十六条があるのだから、通常行なわれている劇場映画なんというものは、法人著作でないというのはたいへん明らかだと思います。それから十六条の中で映画の著作者がいろいろ出てきている。われわれはこの著作者の中に入らずに原著作者であるから、この中の著作権を持っている人と契約や交渉をいろいろやらなければならない。ところが、この中で「制作」というように出ているのが、二十九条で今度は衣へんのある製作になっている。そうすると、われわれは著作権を持っている人とすべて交渉しなければいけないんだから、衣へんのある製作の人とすべて交渉しなければいけない、こういうことになるわけですね。それで、じゃ法人著作というものは別にちゃんとあるのだから、映画というものは、著作者というものがここに出てきて、二十九条で衣へんのある製作者に著作権があるということになっている以上、やはり個人名のだれか製作者の名前が当然これからの映画に出る。衣へんのある製作者と衣へんのない制作者、この場合に、はっきりここで申してお聞きしておきたいのは、われわれは著作権のある製作者とこれから契約その他をやらなければいけない。そうして衣へんのある製作者のほうに、当然著作権が全部そこへいく以上、これはさっきからいろいろお話を聞いているのですが、人格権までぼくはいくんじゃないか、そういうように考えるわけですね。そうすると、著作権侵害が起きた場合、たとえばわれわれの書いているものがたいへんゆがめられて実際あるんだ、そういうことになった場合に、この衣へんのある製作者も、人格権その他著作権全部持たれるのだから、当然著作権侵害の対象になってもらえるのかどうか。これがたとえば法人ということになったら、法人の代表格というものは、はたして一人にあるのかどうか、よくわからない。そういうあやふやなことでなしに、これからつくられる映画の場合には、いわゆる衣へんのない制作、これは現場でいろいろやってもらうだけであって、それから最終的には衣へんのある製作者というのが必ず個人名で出るのかどうか。個人名で出ない限りにおいては、広くわれわれはだれを対象にしてすべてやっていいのかどうかということがあるから、これもこの際はっきりしておいていただきたいと思うのです。たいへん端的な言い方をすれば、たとえば東宝において藤本真澄氏だとか田中友幸氏というような製作者がおられるが、その人たちは今後は衣へんのない制作になるのか。その場合には、新しくどなたかが衣へんのつく製作者として出てこられるのかどうか。そこら辺のところをひとつはっきりお伺いしておかないと、われわれこれを持って帰っても、うちの協会でもその辺たいへん疑義が出ると思いますから、その辺ひとつわれわれのわかるように教えていただきたいと思うのです。
#31
○川村小委員 時間をとってあれですけれども、いま橋本さんからお話のあった点、次長の考え方をもう一ぺんひとつ明らかにしていただきたい。
#32
○安達政府委員 この衣へんのない制作のほうは、言うならば個人という名前で出ると思います。だから、たとえば藤本真澄さんは、プロジューサー、衣へんのない制作者として書かれる。その場合は、著作者のグループに入る。で、著作権の帰属については、いわゆる東宝株式会社という一つの法人が、その場合にはその「映画の著作物の製作に発意と責任を有する者」というような意味において「東宝製作」ということばが出ます。あるいは衣へんのある「製作者東宝株式会社」というようにして表示される。著作権の問題については、この場合は東宝株式会社、いわゆる衣へんのある製作者と話し合いをされるということ、だろうと思います。
 それからもう一つ、先ほど橋本さんのことばの中でちょっと気にかかることがございましたが、製作者であるところの映画会社、著作権を帰属されるところの映画製作会社が、人格権を持つわけではございません。著作者であるところのプロデューサーなり監督等がいわゆる人格権を持つのでございまして、映画製作会社がその人格権を行使するとか人格権を持つということはございません。
#33
○高見小委員長 正木良明君。
#34
○正木小委員 本来は参考人の方にお伺いするのでありましょうが、いまの問題に関連して、非常に疑問があるので、ひとつ次長にお伺いいたします。
 私の非常に疑問に思うことは、大島参考人がおっしゃったことは非常にもっともなような感じがするわけですね。たとえばいまの問題ですが、製作者があり、それぞれ分担をする技術者なり技術家がいますね。そうすると、製作者というのは、いまの話では、企画、いわゆる発意、それとあと資金を提供するということぐらいだろうと私は思うのですが、そこへ全部最終的には著作権が集中してしまう、帰属してしまうという問題。たとえば、ここに肖像画がありますね。この著作権者は、この絵をかいた人ですね。違いますか。これを発意した人、企画した人というのは、私の肖像をかいてくれと言った人です。そうして芸術家にこの肖像画をかかしたわけです。もちろんこれを資金を出して買い取るわけです。しかし、所有権は移転しても著作権は移転しないという大原則がありますね。こうなった場合、映画の場合と、いまおっしゃったように、人格権は残るという場合、この場合と非常に矛盾があるのでないか。これは非常に素朴な疑問として私持ったわけですが、これをまずひとつお答えいただきたいと思います。
#35
○安達政府委員 絵の場合におきまして、これらの絵の著作者、著作権者は、もちろんその絵をかいた人でございます。映画の場合についてそうではない、つまりこの法案で、著作者はそれぞれ映画を創作した人であるといいながら、なぜ著作権だけは映画会社に帰属させるか、こういう、まさにごもっともな御質問だと思います。これは、この映画の性格というものが、絵かきが絵をかくとか、あるいはある人が自分の家で小説を書くという場合とは非常に違う。これは、先ほど来お話がありますように、映画の著作物については、著作されるその著作物自体が同時に製品である。この点は多少絵には似ておりますけれども、そういう非常に特殊な性格が一つあるということ。それについては、この映画をつくろうという場合には非常に多くの金を要するわけでございまして、その場合にはペンとあるいは絵の具、筆とキャンバスがあればいいというような場合と違いまして、そうしてしかもその映画という著作物であり製品であるものをつくる場合においては、多額の金を要するのみならず、たくさんの人を動員して、そこに著作物自体もつくられるわけでございます。そのいわゆる著作物という面から見れば、それはまさにその監督等がなければ、そういう著作者がなければできないわけでございますけれども、同時に、その著作物であり製品であるところの映画の場合には、その金があり、そうしてそれを将来責任を持つところの会社といいますか――会社というと語弊がありますが、製作者というものがあってはじめて映画というものが出てくるところがあると思うのです。そしてしかもそういう映画というものは、いろいろな人が参加するわけであります。著作者においても、相当数の人が参加するわけでございます。そういう場合において、その映画というもののそういう著作物であり同時に製品であるところのものを利用するということになりますと、これはやはり当然その権利関係を明確にしなければならない。ある人はこうだ、ある人はこうだというような非常な混乱の状態においては、この権利の行使が非常に困るということからして、これは国際的に見ますと、先ほど来話がありましたように、映画製作者を著作者とし著作権者としているところもあるし、あるいはその権利の譲渡を推定しているところもあるし、あるいはイタリアとかオーストリアとか今度の法案のように、その著作権自体を映画製作者が持つというような規定もございましょうし、あるいは東ドイツ等では、その映画に関する権利は映画製作者が代行するというような形を置いているところもございまして、いずれの国におきましても、映画製作者というものを著作権の上で全然法律の中にあらわさないというところはないわけでございます。これはやはり映画というものの著作物が持つところの非常な特異の性格からして、そういうような制度が行なわれているというようなことだと思います。
#36
○正木小委員 映画が芸術作品として非常に多様性を持っておるし、ほかのものと一がいに比較もできないものを持っていることはわかるのですが、しかし、法律論からいって、権利の発生だとか権利の帰属というのは、これは資金の量や労力の量などというもので左右されるものではないと思うのです。したがいまして、結局映画という一つの芸術作品が発表されるという、こういう現実的というか、そういう形の上においては、こういう取りきめが法律の上でなされていなければ、あとで非常に大きなトラブルが数多く起こってくるということを予想しての処理だろうとは私もわかるのですが、しかし、本来的に、いまの説明によると、絵の具と筆とキャンバスだけの資金と、でかい映画になれば何億というような資金を要する映画と、資金の量で著作権というものを区別していいのかどうか。同時にまた、画家は一人だけれども、映画をつくるためには数多くの人たちが、いわゆる労力の量というものは非常に大きい、こういうことで、本来人格権、財産権という、人権としても非常に重要な問題をそういう形で制約したりまた処理していいのかどうかという非常に疑問があるのですが、この点どうでしょうか。
#37
○安達政府委員 先ほど私資金のことを申し上げましたけれども、資金はもとより、その映画をつくる過程というものが、単なるその一人の人、あるいはその創作に関与する人のみならず、非常に大きなシステムの中で行なわれているところのものである。そうしてそれがいわゆる芸術作品であると同時に、そのものがいわゆる製品としてのものを持っておるというところが、原稿があってそれを印刷にして本を出す場合でなくて、そのもの自体が一種の製品になるというところに、映画というものの特異な性格があるのだろうと私は思うわけでございます。そこで、そういうものについてそういう特別な規定を置く場合におきまして、著作者というものの地位を十分考えなければならぬということは御説のとおりだと思います。したがって、その場合において、人格権というような、そもそも創作的な創作物自体にかかわるよらな、そういうものの権利は、やはりこれは著作者自体が持たなければならない、これまで映画製作者に渡すようなことは、やはり行き過ぎである。したがって、それはあくまでも著作者に保留するということがまず必要であるということが、第一点でございます。
 それから第二の点の財産権の問題でございますが、そういう映画の著作物からして、いわゆる創作者自体に権利を与えるか、同時にその権利をその映画の製作に寄与の多いところの製作者に与えるかということは、一種の政策の問題だと思うわけでございます。政策の問題ということになりますと、それはやはり映画の流通ということも当然考えるべきことである。これは単に会社を保護するということではなくて、映画というものは多くの人に見られるということによって非常に価値があるわけでございまして、それが同時にまたその映画をつくった創作者の喜びでもあるし、またその経済的寄与にも反映するわけだろうと思うわけでございます。そういう観点から、やはり映画の流通、利用を円滑にするという政策的観点も、これもまた決して単に映画会社を保護するのではなくて、その映画そのものの流通を広くするとか、あるいはその芸術家として参加された人々の利益を守る上においても、これはぜひとも考えるべきことではないだろうか。それならば、一体映画創作者の経済的なものはどうやって保護されるかということに、最後の問題はなるわけでございます。それについては、この法案でも二十九条に書いてございますように、「製作に参加することを約束しているときは」でございまして、その場合には当然参加契約というものがあるからして、これがその場合に報酬とかそういうことが当然あるわけでございますから、この製品であるところの著作物の利用について、こういう場合はこうだというようなことは、製作参加の段階において確保されるということを期待することは決して無理なことでもない。もちろんそれは両者の間の力関係というようなことにもなるわけでございますから、その辺のところの関係においては、この法案の段階では考慮しないで、それは両者の間の力関係にまたざるを得ないけれども、法案というものは、その力関係を逆転させるとか、あるいは力関係を適切にやるというわけではないので、一定のルールをつくって、その上において、その力関係によっての関係はございますけれども、その余地を残すということで足りるのではないだろうか。そのことまで、力関係の中まで立ち入るのは不適切ではないだろうかということで、製作に参加するということを約束するというときはということによりしまして、その際において、それぞれの必要な利益は確保する余地を残すということによって、映画というものの著作物の流通、あるいはその映画の創作者の利益の保護ということも、十分はかり得るのではないだろうか、こういう考え方で二十九条ができておるわけでございます。
#38
○高見小委員長 関連して河野君。
#39
○河野(洋)小委員 ちょっと関連して。次長のお話あるいは馬渕さんのお話等を伺っておりまして、これは私の記憶に間違いがあれば御訂正をいただきたいと思います。お二方の御説明から考えますと、一つの例を申し上げますと、たとえば東京オリンピックという映画が市川さんの製作であったのを私覚えておるわけですが、この東京オリンピックの映画は、資金的には決して東宝がめんどうを見たわけではない。あれは国なりオリンピック財団なりというものが資金的なめんどうを見たし、その発意、創作にも非常に寄与をしたはずでございます。にもかかわらず、これが著作権は一体どこにあるのかといえば、あの映画を公表をし、次長流に言えば、流通をさせるためなのかどうか知りませんけれども、たしか東宝さんがおやりになったように私は記憶をいたしておりますが、この場合、市川さんという監督をオリンピック財団かどこかが指名をして、ここにお願いをした、これは明らかに会社にお願いをしたのではなくて、個人にお願いをしたのではないか、こう思います。そして市川さんも、東宝という会社を背景につくったのではなくて、別の背景の上に立ってあれはつくられたはずでございます。この場合の著作権の帰属というものは、一体どこに、どういう感覚でなったのかという点について、ひとつどちらからでもけっこうでございますが、お答えをいただきたいと思います。
#40
○安達政府委員 オリンピック映画の場合、この映画の著作権の帰属は――帰属と申しますか、著作権の所有は市川崑さんでもなく、東宝でもなく、オリンピック財団でもなくて、何か製作者、オリンピック映画製作委員会とか、そういうような何か法人のようなものをおつくりになったと思いますが、そこに著作権ができて、そしてその著作権、あるいは著作権の一部であるいわゆる配給権か、あるいはその他の権利をも東宝のほうがお買いになったというような関係でございまして、あくまでも東宝がその権利の一部または全部を譲渡を受けられたか、あるいはその権利を許諾を得て行使されたか、いずれかであろうかと思います。その間の経済的関係は、馬渕さんからお話があると思います。
#41
○河野(洋)小委員 おわかりのところだけでけっこうです。
#42
○馬渕参考人 間違いがあるかもしれませんが、間違いがございましたら、後日訂正をさしていただきます。
 あれはいま安達次長がお答えになりましたように、オリンピック財団と申しますか、協会と申しますか、が金を出しまして、田口さんがっくりましたオリンピック映画製作委員会ですか、というところが映画をつくったわけであります。したがいまして、著作者はその田口さんなり、あるいはまた市川さんも、当然著作者の地位にあると思います。その著作権利は、したがってその団体が著作権利者として持っておるわけであります。いまでも持っております。その著作権利者は、その権利に基づいて、この映画を東宝で配給してくれというお話がございまして、東宝は委託を受けましてそうして配給業務をただいたしただけでありまして、権利の譲渡は、この著作権について全然ございません。配給をさしていただきまして、配給契約に基づきまして売り上げの大部分をその権利者のほうにお納めをした、それが何億という金になりまして、今日でもスポーツ団体にいろいろそのお金が寄与しておるというようなことになっておるわけであります。だから、決してわれわれは権利者でもなければ、何でもないわけでございます。
#43
○河野(洋)小委員 わかりました。だいぶ明確になりましたけれども、そうするとつまりこれは先ほど正木さんが肖像画を引き合いに出して御質問をなさったのと同じような意味合いで、ある意味では、安達さんは配給権とおっしゃった、馬渕さんは配給をするための、まあ配給権のようなものなんでしょうが、そういうものだけが譲渡されただけで……。
#44
○馬渕参考人 譲渡されておりません。もう一ぺんちょっと詳しく……。現在でも、東宝は配給業者といたしまして、たとえば外国でつくられました外国人が著作権を持っているものをわれわれが日本へ買ってまいりまして、それを配給をいたす、配給をするという業務はあるわけであります。配給業者としてやっております。その場合オリンピック映画は、配給業者として配給をしたというわけでありまして、そのフィルムの権利関係は、何も譲渡もなければ移転もしておらないわけで、それは当然のことであります。
 また、日本内地でも、たとえばあるプロデューサーなり監督さんがつくられたものがございまして、それをわれわれが委託を受けて配給をさしていただくということは、しばしばあるわけであります。たとえば三船敏郎君がプロダクションをつくりまして権利を持っておる映画を、三船さんは配給ルートを持っておりませんから、東宝に持ってこられまして、これを配給せよ、それでは配給をさしていただこうということで、配給契約を結びまして配給業務をするということは、当然あるわけであります。
#45
○河野(洋)小委員 私、ちょっと勘違いをいたしておりました。ということになりますと、田口ささんが、代表者か何か知りませんがやっておられるオリンピック映画製作何とかという、団体と申しますか、コミッティと申しますか、そういうものが著作権を持っているという根拠は、どこにありますか。
#46
○安達政府委員 現在、現行法におきましては、実はその辺はまだ明確でございません。現行法の二十二条ノ三の「活動写真術又ハ之ト類似ノ方法二依リ製作シタル著作物ノ著作者ハ文芸、学術又ハ美術ノ範囲二属スル著作物ノ著作者トシテ本法ノ保護ヲ享有ス」ということでございまして、制作したる者は、これは衣がある字が書いてございますが、衣のあるなしは現行法では問題ではないわけでございますが、そういうことであいまいになっておるわけでございます。したがって、私が申し上げましたのは、新法流に解釈すれば、要するにオリンピック映画の製作を企画し、これについて責任を負ったというのは、オリンピック財田からそのオリンピック映画製作委員会というものがまかされてそういうものをつくるようになったので、そのオリンピック映画製作委員会というものが、一応現行法上「映画を製作したる者は」というふうになっておるのではないか、これは現行法の解釈の問題でございますが、そういうようなことになっておるわけでございます。その場合に、一体製作したのは市川崑さんであるのか、あるいは田口さんの組織する委員会であるのか、あるいはオリンピック財団であるのか、その辺は非常に不明確でございますので、この法案ではそういう点をすっきりさせて、人格権は市川崑さんほかの著作者が持たれる、そして権利関係は製作委員会が持つ、あるいはオリンピック財団との関係で著作権はオリンピック財団が持つということになっておるかもしれませんが、そういうふうにして、その権利の利用はいまそれぞれの会社との間で結んでいく、そういうようにするほうがいいということで、この法案ができておるわけでございます。
#47
○正木小委員 時間もだいぶたちましたので、参考人の方もお気の毒ですから、この問題はまた次の機会にやります。非常に疑問が残るということであります。
 そこで、紙参考人にちょっとお聞きしたいのですが、実演家のいろいろ芸術上の創作というものが悪用されたり歪曲されたりすることを防いでもらいたいという御希望があったようです。聞くところによると、今度の法律では、そういう点は予想されないことはないが、それは非常に個人の名誉ということに関することであるので、民法上の問題として民法で処理してはどうかという言い方を考えておるようですが、この点もう一度、そういうことでは足りなくて、やはり著作権法の中に、隣接権の内容の中にそれを明確化してほしいという意味のことを、もう少し詳しくお教え願いたいのですが……。
#48
○紙参考人 実演といたしましては、非常に簡単なことは、もしもわれわれ音楽家のひきましたバイオリンの音などが非常に悪く再生せられるようなことがあるとたいへんですから、それでそういうことがないように、これの予防措置をとっていただきたい。一般法でもちろん名誉棄損で訴えられることは訴えられるのですが、一般法にも予防措置はくっついておるとは思うのでありますが、著作権法の中で、つまり不完全な再生、もしくはいわゆる実演家が思いも染めないような利用をした場合は、これは著作隣接権の侵害行為とみなすという規定を置いていただかないと、これの予防措置がうまくできないのじゃないかというようなことを私たちは考えております。百十三条のほうにこれを侵害とみなすというのが二項目あがっておりますが、それの三項にでも、実演家の名誉、声望を害するような利用の方法でこれを利用したものとか、それから不完全な再生をするようなものは著作隣接権の侵害とするというようなことを規定していただけば、その前の条文の百十二条のほうで予防措置も講ぜられるのではないかというような私たちの希望があるわけでございます。実は御存じのとおりに、人格権と申しましても、公表と氏名表示それから同一性保持と、三つのことばが人格権として著作権のほうにあがっておりますけれども、公表は、もちろん実演家の首になわをつけて引っぱってきて歌えとかひけとかいうことはできませんから、これはまずないものと見て、要するに実演家の名誉、声望を害するようなことは侵害とみなすということできめていただけばいいのではないか、私どもしろうと考えでそういうふうに考えておるわけでございます。
#49
○正木小委員 けっこうです。
#50
○高見小委員長 小林信一君。
#51
○小林(信)小委員 参考人の皆さんにはたいへんに時間がおそくなっておりますので、長く質問を申し上げることは失礼だと思いますが、二、三この際でございますのでお聞きしておきたいと思います。
 最初に大島参考人の御意見の中から伺ったことでございますが、映画というものは共同製作である、きょう大島参考人はそういう人たちを代表して意見を述べる、こういうような御意思も漏らされたわけでありますが、実はきょうこの問題が中心になって参考人の皆さんに来ていただくことを知りましたので、きのう私は個人で大映にお願いをいたしまして、撮影の状況というものを実際に見せていただいたわけであります。確かに共同製作であって、それぞれの部署に著作権があるように感じてきたわけであります。ところが、この二十九条の問題について、それを考える方たちからは、大島参考人の言われるように、この条項は必要でない、省くべきであるという御意見が強いわけでありますが、これに対していままでの審議の中で政府側の意見を聞きますと、権利使用の場合に、そういうたくさんな著作権者に了解を求めて、これを譲渡するなりあるいは海外に売るなりする場合に困難である、だからこの二十九条がどうしても必要であるというふうにいままで主張されてきたのですが、私はそういう著作権者というものは、共同体というものを持っておいでになれば、一々一人一人に御意見を承らなくても、そういう共同組織の中で了解が求められ、その配分するものもその共同組織が受ければいい、こういう簡単な問題で、二十九条をつくらなくても処理できるんじゃないか、こう思ったのですが、こういう点で二十九条の必要性を説きます政府側の意見に対して、当事者であります大島さんの御意見をまずお聞きしたいと思うのです。
#52
○大島参考人 その点に関しましては、やはり実際問題として、映画の創作に携わる者がその一つの団体をなして、それとたとえばその製作者、映画会社が契約を結ぶということは、いま不可能だろうというふうにぼくは考えます。先ほどから安達次長はしきりに流通を保護する、二十九条がなければたいへんに混乱をするであろうということをおっしゃっておるわけですけれども、現在、現行法では何ら規定を持っておらなくて、かつまた何ら混乱を生じてないわけです。だから、二十九条がなければ混乱を生ずるというのは、これは全くのうそだと思うのです。こんなものはインチキです。こんなことを推定で言ってもらっては全く困ると思うのです。現在何ら混乱を生じてないわけです。だから、問題は二十九条というのが一方にあって、十六条でたいへん著作者の規定があいまいになっておる。この著作者の規定があいまいだから二十九条で一括して渡してしまうのだというのが、この立法論です。だから、私が主張しますのは、なぜそんなことをセットでする必要があるのか。だから、著作者のほうの――ぼくは、十六条もはずしてしまえ、したがって二十九条もはずしてしまえ、つまりいまのままなんです。いまのままなら何ら混乱を生じない。だれが見たって、最終的に著作権は、契約がどうなっているか知らぬけれども、会社にいっておるというのは、だれが見たって常識なんです。しかし、それはあくまで契約でやるべきことであって、さっきオリンピックの映画の例が出ましたけれども、あの場合は、明らかに市川山崑さんが、契約書でもって、著作権はオリンピック映画製作委員会かオリンピック財団に渡すという契約をしていらっしゃるはずだと私は思います。そういうふうに契約ですべて片がつくわけですね。それを二十九条というものを、それとセットしてたいへんあいまいな十六条というものをつくって、つまり強引にやっていく。そういうことは、先ほど安達次長は、よき慣習がそのうちに生まれるだろうとおっしゃいましたけれども、そうじゃなくて、いま強引にまん中にたれておる振り子を映画会社のほうへやって、それからよき慣習をつくれというのは、全くおかしいと思うのです。
 それからもう一つ付随して言いますけれども、安達次長は、映画の著作者の権利は人格権で保護するというふうにおっしゃったけれども、人格権で全然保護されておらない。それは、先ほど申した公表権というものを奪われていることです。これは、先ほども言いました映連と佐野課長の説明会の席上でも、佐野さんは、だから映画の著作者の持っている権利として意味があるのは公表権だということをはっきりおっしゃっておるわけです。しかもその公表権を取り上げているわけですから、われわれは全然人格権の上で保護されているというふうにも感ずることはできないわけです。
#53
○小林(信)小委員 大島参考人のような、そういう法案をしっかりそしゃくしておらない方たちの御意見も、率直にきのうはお伺いしてきたのですが、そういう場合はもちろんございますが、現に最も簡単に処理されておるんだ、それをあえてその二十九条に理屈をつけて、そしてわれわれの権利をかえって放棄させるようなことについては、まことに遺憾であるという意見も承ってきたわけでありますが、さらにお聞きしたいのは、大島参考人が朝日新聞に、三月十四日でありますか、出されておられます、映画の著作権には特別な規定は要らない、その理由として、いま映画界の中には、非常に、流動というのか、変化というのか、いろいろな問題がある。したがって、当事者の自主的な解決にまかせろというお話があったのですが、私も、こういう著作権というものがつくられれば、これはかなり永久的なもので、固定をしてしまう。したがって、きょうのように激動する中では、いろいろな機械等の進歩というものが激しいときには、それに追いつかない法案になるのじゃないかという点も、私は以前から一つの危惧をしておった点です。
 そこで、その中で二点伺うのですが、まず第一点として、先ほどビデオカセットというお話があったのですが、私もこれについていろいろ調べてはみましたが、もっとビデオカセットの特徴をこの際ひとつ、先ほどお取り上げになったから、お聞かせ願いたいと思うのです。それに対する、いわゆる著作権の侵害される性格というふうなものでございますね、お述べになっていただきたいと思います。
#54
○大島参考人 ビデオカセットの問題というのは一番新しい問題なんですけれども、つまりこれは日本ではおそらく昨年ぐらいまで出てこなかった問題だと思います。私、去年、秋の作品で「少年」というのをアメリカに売りましたときに、映画の劇場での上映権、すなわち三十五ミリフィルムと十六ミリフィルムを含みます。それからテレビ放映権、さらにもう一項、「今後新たに発明され得るあらゆる上映形式による上映の権利」という一項が入ったのです。ぼくは、これはすごいことだと思いまして、これはだめだよと言ったら、それはそうじゃない、向こうはとにかくこの権利をとりたくていってきているんだということで、結局この権利まで、アメリカが何としても高いお金で買ってくれるものですから、ついに売らざるを得なかったのですけれども。結局、そういうふうに、映画の上映の形というものは、非常にふえてきている。その一番ふえたのがビデオカセットですね。ビデオカセットの場合には、明らかに本と同じ扱いになりまして、本屋かなにかで売って、一人一人はそれをうちへ持って帰って、がちゃんとテレビのあれに入れて見るということになると思うのですね。そうすると、これは全く本と同じことなわけですね。その場合、本にはたとえば印税という形式がある。いま私のところにも私の権利を持っておる幾つかの作品を売ってくれないかというのが来ておりますけれども、これなんかも明らかに印税形式でやろうということがきておるわけです。そういうことを考えますと、やはり一般的な、これまでと同じような権利売買で、製作側、映画製作者と、働く、つまり著作者が、契約を結ぶというのは、たいへんむずかしいことになってきている。やはり劇場上映の権利はどこそこで、それでビデオカセットを売る権利は何々というふうに、非常にこの権利関係は、やはり一つ一つきめていかなければ、侵害される事態になるだろうと思うのです。そういう、権利が非常に細分化してきている。それを一括して取り上げてしまおうというのが今度の法律なんですけれども、そういう点で非常にひどい。つまりそれだけたいへん分化している。先ほど申し上げましたように、昔の映画に関しては、テレビ放映についてわれわれはあるお金を映連からいただいているわけですね。それは明らかに劇場上映とテレビ放映とは著作者の違う権利だというふうに映連さんもお認めになっているのだ、だからお金が出ているのだと思うのです。それがさらに今度はビデオカセットという問題が出ている。それの一つ一つについて、やはりこれはきちんと私間の契約で処理すべき問題であって、それを何かこの法案の二十九条がありますと、一気に取られてしまうということになりますと、これは猛然たるお金を払ってもらわないと、われわれは合わなくなるわけですね。ところが、現在の状況では、映画会社は、先ほど安達次長の説明では、契約のときにたくさんお金を取ればいいではないかというようなニュアンスがございましたけれども、とてもいまの日本の映画企業はたくさんのお金をそのときに払えるような状態ではないわけですね。あるいはこれもまた変わるかもしれません。そういうふうに、現在の映画会社の状況がすべていつまでも続くものではなくて、一切のことがいま非常に変わりつつあるわけですね。それを何か一気に二十九条で法律的にきめてしまうということが、たいへんぼくは危険なことであると思う。それはぼくたちにとってだけ危険なのではなくて、やはり映画製作者の側にしたって、われわれが意欲を持って働かなければ困るわけですから、こういうことが、かえって、権利だけとったけれども実質的な内容が伴わなくて、日本の映画産業そのものがだめになっていくということだってなくはないとぼくは思うのです。そういう意味で、やはりわれわれが著作者としてがんばる意欲を持てるということになりますと――最初から権利がとにかく全部行っちゃうのだということでは、とてもわれわれは一生懸命ものをつくる気にはなれない、そういうことがあるだろうと思います。
#55
○小林(信)小委員 それは一つのビデオカセットという問題なんですが、これからどんなものが出てくるかわからぬ、そういうこともやはり予想した法案でなければならない。われわれが予想できなくても、そういう将来性というものを考えた上での法案でなければならぬ、こういうふうに考えて、御意見を私は特にお願いしたわけでありますが、さらに、自主的な解決にまかせろという御意見の中で特にお伺いしたいのは、馬渕参考人が御意見を述べた中で、こういうことをおっしゃっているのですね。報酬をすでに取っているじゃないか。やはりこれが強く使用者側には念頭にあって著作権問題が考えられると思うのです。もし報酬を取っているじゃないか、報酬を出しているじゃないかという考えで著作権問題を考えたら、私は、著作権の意味はなくなってくるのではないか、こう思うのですが、残念ながら報酬というものはどういうふうに出されているのか。それは監督だけでなくて、撮影監督もあるだろうし、あるいは美術監督もあるだろうし、そういうふうな人たちに、どういうふうにそういうものが支給されておるのかということが私たちにはわからないわけなんですが、報酬をすでに出しているじゃないかという御意見がある場合には、著作権の性格というものは非常に変わってくるのじゃないか。何かその中には、もう使用者とそうでない人との関係というものは、これは雇用関係だけの問題であって、だからあとは事務的に動きさえすればいい、そして一つの映画というものが製作されるとするならば、これはやはり映画の生命であります創作性とか、芸術性とか、そういうものはなくなってくるのじゃないか。そういうものがあるから、単に報酬という問題だけでもって解決をしない著作権というものを認め、これを保護するところに意味があるのじゃないか、私はこう思うのです。先ほど馬渕さんのおっしゃったのをそのまま私が受け取って失礼になったかもしれませんが、報酬をすでに払っておるという点に立つことが、私は非常に不可解なところがあるのですが、馬渕さんにもお伺いをいたしますが、大島さんの御意見をまずお伺いしたいと思うのです。
#56
○大島参考人 その報酬の問題ですけれども、つまりこれは古い映画会社のしきたり的にいえば、確かにその報酬を支払っておるのだという時代があったと思います。ことにそのころは、いわゆるスターというもの、あるいはスター監督というものは、非常に多額のギャランティーを取りまして、それで報酬を支払って、それでいわば著作権を買ったのだみたいな気分が、明らかにあったと思うのです。ぼくは、いまでもそれが契約で行なわれるのなら、それはそれでかまわないと思うのです。しかし、世の中の趨勢といたしましては、報酬を払ったじゃないかというほど多額のお金を映画会社がだんだんわれわれに払えなくなった。むしろだんだん監督にも一種の危険負担をさせよう。最初はゼロである、もうかった場合に幾ら渡すというような契約をする監督が、少しずつふえてきております。監督としてそういう契約をしなくても、プロダクションとして、たとえば東宝さんに配給をお願いするという場合に、いわば一種のプロフィットによって入ってくるという、何かそういう形、要するに創作者にも危険を負担させるという形式が、どんどんふえてきているわけです。そういう契約もまた非常にふえてきている。そういう意味で、報酬を払ってやったんだということがすなわち著作権は帰属させるということの理屈には、すぐ絶対に結びつかないとぼくは思うのです。むしろ将来は、明らかに自分が著作者だと思うほどのいわば著作者は、明らかにだんだん印税形式というもので映画製作に参加するということが、おそらく一般化してくるだろうと思います。ビデオカセットが出てくるということは、明らかにそういうことを推進するものだろう、そういうふうに考えるわけです。だから、報酬を払った、報酬を払ったときに確かにその著作権は譲渡しました、そういうことならそれでもいい。あるいは著作権をあくまで留保する、それでつまり印税形式でもらうのだということでもいい。しかし、そういうことはすべてあくまで私ども著作者と製作者の間の契約によってすべきことであって、初めから帰属させるのは何としてもおかしい、そういうふうに考えております。
#57
○馬渕参考人 いまの報酬の件についてお答え申しますが、私が先ほど申し上げましたのは、十五条の法人著作と申しますか、職務著作でもって映画というものはつくり得る余地があるのじゃないか。たとえばアメリカにおいて、現にそういう法論理の上に立って行なわれておる著作権法もあるわけでありますから、そうなってまいりますと――もちろんつくられた芸術家というものが報酬をもらっている。それは著作権がないとかあるとかいうのじゃなくして、職務著作として行なわれて報酬関係が成り立っておって、そして著作者が法人たる映画会社であり、同時に著作権利者だという立場をとっておるところもある。それがわれわれ映画会社としては一番望ましい姿であるかもしれないけれども、しかしながら、現在われわれはベルヌ同盟に入っておりまして、そして自然人が著作者であるというたてまえをとっている以上、われわれはそれを問題にいたしません。したがって、この改正法案に盛られたような著作者の地位が確立されて、それと権利者との間ではっきりした区分がなされるということが現状においては望ましいということは、私のいま考えておる考え方でございます。ですから、報酬によってすべて権利を買い取ってしまって、そして製作者が著作権を壟断する――壟断ということばはどうかと思いますが、一方的に帰属するということに、いまの法案はなっておりませんが、この改正法案については私は賛成だと言っておるのであります。
 それから、先ほど来いろいろ著作権利の内容をこんなにはっきりすることないじゃないか、現行法でもいいんじゃないかという御説もございますし、また改正法案についても、二十九条を設けることは不必要だろうというような御意見もございますけれども、現在、この映画というものは羽がついて世界じゅう飛び回っておる商品なんでございます。外国からも入ってまいります。そうすると、そこにやはり著作権上守らなければならない法律あるいは条約がございまして、それぞれによって内国民待遇をし、保護していかなければならぬ。また、一つの映画を外国から輸入いたしますについても、この権利がだれに帰属しておるのか、どういうふうに譲渡されておるのか、あるいは譲渡はされてないのかといったようなことも、一々調べなければ、きずのついた商品を買ったりあるいは委託を受けたためにいろんな国際問題が起こっておることは、御承知のとおりでございます。また、日本の映画を現行法でもって出しますと、先ほど安達次長もお話しがございましたように、必ずしも明白でないわけであります。映画を「活動写真」ということが書いてございまして、その活動写真を二次的につくったものは製作者とすると書いてありますけれども、その製作者とは一体どんなものか、監督は入るのか入らないのか、いろんなことがございまして、それを全部われわれは統一契約フォームというものをつくりまして、その契約の中できめておるのでございますけれども、外国人はそれを知りませんから、いろいろとクレームがついてくるわけであります。この場合には、完全に会社が権利を持っておるのか、それを明らかにせよというようなことになってまいります。そういたしますと、それをそうであるというふうに申しますと、その契約内容を見せろとか、いろんなめんどうな手続がございまして、先ほど流通に重きを置き過ぎておるじゃないかというお話もございましたけれども、流通の過程において非常に不便があることも事実なんでございます。そういうような現実から見まして、今度の改正法案におきまして、いろいろの御説はあろうかと思いますけれども、権利者の地位を確立し、そして著作者との間の契約というものをもっと完備することによってそういう点が非常にはっきりしてくるということは、非常な利点であり、これはとりもなおさず著作者の地位におられます監督はじめ皆さん方の財産的保護にも十分役立つというふうに私は考えておるのでございます。駄弁を弄しましたが……。
#58
○小林(信)小委員 御質問は一時までというふうにきめられておりますので、もう時間がたいへん超過いたしましたからこれ以上申し上げませんが、それは確かにいま馬渕さんのおっしゃるように、いろんな問題が起きた場合に、明確にこれが規定づけられるような、それを法案で示してもらいたい、これは御説のとおりだと思うのです。そういう場合に私どもが心配いたしますのは、その規制をする場合に、一方にだけ規制を要求して簡便に問題が処理されるということであっては、著作権の生命をなくなしゃしないかということを憂慮しておるわけでございますが、きのうあたり撮影所へ参りまして率直なお話を聞きますと、いま謝礼とか寸志とかいう名前でもって、私どもは報酬をもらっているんだ。ところが、この謝礼、寸志というものすら、今度の法案でもってもっと薄いものになりはしないかというような心配をされる方たちがございまして、ますますこの法案は真剣に考えないといけないな、こう思ったわけであります。そういうことについての御質問を、もっと具体的に私はお聞きしたかったわけであります。たとえばいまテレビ放送がなされておりますが、大体七時から九時までの間の最も金のもうかる時間、全国ネットワークでどれくらいのスポンサーがつけられるのか、それに対する製作費がどれくらいかかるのか、そういう場合に、各シナリオあるいは監督、そういう人たちにどういうふうな報酬がつくのか、こういうふうなものまで実はお伺いいたしまして映画界の問題というのを考えていかなければ、法案審議ができない。そういう意味から、私は皆さんの御意見を承ろうとしたのですが、それはまたひとつ個人的にでもお伺いすることにいたしまして、一番最後に、これは私は一笑に付したわけですが、これはどうしても安藤さんにお聞きしたいと思うのですよ。藤山一郎さんの歌は、歌ったときから、公表してから二十年間だ。もしもっとほしければまた再度歌い直せば継続できるという、次長さんが簡単に御説明なさったのですが、そんな簡単な考え方で、そんな思想でいいのかどうか。歌手の実態というようなものを安藤さんから特に私はお伺いしたいと思うのです。
#59
○安藤参考人 お答えいたします。ただいま御質問がございましたように、二十年前に歌った歌といまの歌とは全然違います。やはり実演家にも生命がございまして、若い時代のほんとうに全盛期に歌った東海林太郎の歌と、個人的に名前をあげまして恐縮でございますが、ただいまの東海林太郎さんの歌とは全然違いまして、これはやはり現レコードがあとで吹き込み直すからこの期間が短くていいということは、これはもう実際問題として全くナンセンスでございます。はっきり申し上げます。
#60
○小林(信)小委員 私も、あなたのその味方になりまして、一言申し上げたいのです。大体二十年から三十年の間のヒットしたレコードというようなものを見ますときに、やっぱり有名歌手の寿命というものは非常に短くて、その三十年以上あるいは二十年以降、そういうところにはその人たちの名前は見えませんね。非常に短い時間の間にあの人たちの生命というものは断たれているわけなんです。それをもし、権利が、保護期間がほしかったらもう一ぺん歌い直せばいいなんという考えでこの法案がつくられておるとするならば、私はその点からも絶対これは賛成してはならないというくらいに考えたわけでありますが、残念ながら時間がありませんから、以上で終わらしていただきます。ありがとうございました。
#61
○高見小委員長 これにて参考人各位に対する質疑は、終了いたしました。
 参考人各位には長時間にわたり御出席をいただき、貴重な御意見をお述べいただきまして、まことにありがとうございました。本小委員会といたしましては、各位の御意見は今後の法案審議に十分参考にいたし、審査を行なってまいりたいと存じます。ここに厚くお礼を申し上げます。
 次回は、明二日木曜日、午前十時より開会することとし、本日は、これにて散会いたします。
   午後一時二十五分散会
ソース: 国立国会図書館
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