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1970/10/23 第63回国会 衆議院 衆議院会議録情報 第063回国会 大蔵委員会金融及び証券に関する小委員会 第7号
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1970/10/23 第63回国会 衆議院

衆議院会議録情報 第063回国会 大蔵委員会金融及び証券に関する小委員会 第7号

#1
第063回国会 大蔵委員会金融及び証券に関する小委員会 第7号
昭和四十五年十月二十三日(金曜日)
    午前十時五分開議
 出席小委員
   小委員長 藤井 勝志君
      木部 佳昭君    木村武千代君
      高橋清一郎君    中島源太郎君
      福田 繁芳君    平林  剛君
      堀  昌雄君    竹本 孫一君
 小委員外の出席者
        大蔵政務次官  中川 一郎君
        大蔵省銀行局長 近藤 道生君
        参  考  人
        (第一銀行取締
        役頭取)    井上  薫君
        参  考  人
        (神戸銀行取締
        役頭取)    石野 信一君
        大蔵委員会調査
        室長      末松 経正君
    ―――――――――――――
十月二十三日
 小委員二見伸明君同月九日委員辞任につき、そ
 の補欠として二見伸明君が委員長の指名で小委
 員に選任された。
同日
 小委員上村千一郎君及び松本十郎君同日小委員
 辞任につき、その補欠として中島源太郎君及び
 福田繁芳君が委員長の指名で小委員に選任され
 た。
同日
 小委員中島源太郎君及び福田繁芳君同日小委員
 辞任につき、その補欠として上村千一郎君及び
 松本十郎君が委員長の指名で小委員に選任され
 た。
    ―――――――――――――
本日の会議に付した案件
 金融に関する件(一般民間金融機関のあり方
 等)
     ――――◇―――――
#2
○藤井小委員長 これより会議を開きます。
 金融に関する件について調査を進めます。
 本日も引き続き、金融制度調査会の答申にかかる一般民間金融機関のあり方等について、参考人から順次意見を求めることといたしております。
 本日御出席を願う参考人は、第一銀行取締役頭取井上薫君及び神戸銀行取締役頭取石野信一君の両君であります。
 ただいま、第一銀行取締役頭取井上薫君が御出席いただいております。
 井上参考人には、御多用中のところ御出席をいただきまして、まことにありがとうございます。本件について忌憚のない御意見をお述べいただきますよう、お願い申し上げます。井上参考人。
#3
○井上参考人 ただいま御紹介いただきました第一銀行の井上でございます。
 先生方には、平素まことにごやっかいになっておりまして、厚くお礼申し上げます。
 本日は、ただいまお話がございましたように、一般民間金融機関のあり方等について意見を述べよということで参上いたしたわけでございます。
 私は、昭和四十二年十一月、今般の金融制度調査会民間金融機関に関する特別委員会の委員を仰せつかりまして、同調査会における「一般民間金融機関のあり方等について」という題について審議に参加いたしました。その審議の中で勉強いたしましたこと、あるいは日ごろ私が考えておりますことを、せっかくの機会でございまするから簡単に申し述べさせていただきたいと存じます。
 この概略を書いてお手元に差し上げてございます、その順序で公述をいたしたいと存じますが、最初の項目の調査会の審議全体をふりかえってということでございます。
 今回の金融制度調査会の審議全体を振り返ってみますると、その第一の特色は、一般民間金融機関の問題点を広く検討したということにあるかと存じます。でき上がった答申では、必ずしも明快な結論ばかりが出ているわけではございませんが、審議のために準備されました膨大な資料、異なる立場に立つ各委員の見解、これらのものは長い目で金融制度を考えていく場合に大きな役割りを果たすものと私は考えてよろしいかと思います。
 第二の特色は、金融制度検討の視点として、金融の効率化ということが明示されているということでございます。私は、この視点が審議の中心に据えられ、その基本的手段として、適正な競争原理の導入並びに金利機能の活用、この二つがあげられておることはきわめて適切であったと考えておるのでございます。
 第二の、金利自由化に積極的に取り組みを願いたいということでございます。
 金融効率化の手段の一つとしてあげられますところの金利機能の活用、すなわち金利の自由化ないし金利規制の緩和につきましては、私は原則としてこの金利の自由化を促進すべきだと考えております。ただ、現実の問題といたしましては、一挙に完全自由化をはかることには無理もございまするので、摩擦現象を避けながら段階的に進めるような配慮はもちろん欠くわけにはいかないと考えるのでございます。
 話はややさかのぼりますけれども、前の大戦の直前から、わが国では御承知のとおり、経済のいろいろな分野において統制色が強められました。金利もその例外ではなく、資金配分にあたってはプライスメカニズムにかわって人為的な資金統制が行なわれたのでございます。戦後、経済が正常な状態に戻り、統制色はほとんど払拭されたのでありますが、金利、ことに預貯金の金利はなおきびしい規制のもとに置かれております。これははなはだ異常な状態あるいは不自然といってもいいと存じますけれども、そういう状態にあるように思われるのであります。たとえば、御承知のことでございましょうが、欧米主要国では預金金利は自由な決定にまかされている。あるいは規制があってもその実際上の運用はきわめて弾力的であるように見受けられます。戦前のわが国におきましては長く銀行間の協定金利が行なわれ、たとえば定期預金金利では、短い場合は一カ月半、長い場合でも五年足らずで動かされておったのでございます。
 金融制度調査会で金利の問題が取り上げられましてから後、昨年十一月に預金金利規制方式を弾力化することが決定されました。本年三月には臨時金利調整法第二条第一項に基づくところの大蔵省告示が改正されました。この措置によって法的規制は確かにゆるめられたのでありますけれども、実質的には従来の規制はそっくりそのまま、新たに設けられました日本銀行のガイドラインに引き継がれております。
 私は、次に述べます幾つかの点から考えまして、実質的な金利の弾力化はぜひ早急に着手すべき事柄のように思うのでございます。
 その理由は、第一に、預金金利の自由化によりまして金利メカニズムの働く場が広くなり、その結果貸し出し金利も資金需給の実勢に即応して、よりタイミングよく変動することになると思うのであります。金利の景気調整効果はより十分に発揮されるものと期待されるのでございます。
 第二に、預金金利は、金融機関にとっていわば一般企業でいう仕入れ価格であります。お客さまである預金者に対しては販売価格に相当いたします。これらの自由化は金融機関の競争条件をきびしくいたしまして、金融機関の経営効率化努力を大いに刺激するに違いありません。過当競争はもちろん好ましくございませんけれども、これには行政面で歯どめを考えればよいのではないかと存じます。
 第三に、現在の預金金利は、競合しておりますところの他の金融資産の利回りに比べ比較的低く固定されております。国民大衆の利用度がきわめて高い銀行預金が、その利回りにおいて相対的に冷遇といってよろしいと思いますけれども、冷遇されているという批判をよく顧客から、お客様から耳にいたします。所得水準が上昇するにつれ、金融資産を選択する基準として利回りの持つ意味はきわめて大きくなっております。しかも一方では、物価や土地の値段の高騰によって、個人が土地やあるいは宝石などの実物資産を購入する傾向が強まっているように見受けられます。これらは、個人にとっては貯蓄の意味を持っておるかもしれませんが、国民経済的に見ますれば必ずしも貯蓄とはならないのであります。普通銀行は最も広く国民に利用されておりますところの金融機関でございます。大衆の新しい金融上の需要、ニーズに十分こたえられる機能を多く持っておると存じます。金利の自由化によってこの力を十分発揮することが貯蓄増強に役立ち、国民経済全体にとっても大きなプラスになると確信いたしておるのでございます。
 金利の自由化を進めてまいります上で一つの大きな問題は、資本市場、とりわけ公社債市場が現在きわめて特異な状態にあるということでございます。金利体系の中で、公社債の利回りは一つの中核的な地位を占めております。金利の自由化はこの公社債市場の自由化と両々相まって、というよりもむしろこれを前提として進めていくべきものと考えられます。公社債市場には、国債など公共債を含めまして多くの難問題がございますが、発行量の調整、格づけの弾力化など、少しでも金利メカニズム発揮の下地をつくっていくことが必要でございましょう。同時に、銀行の資金吸収力を強化し、金融機関の間の資金偏在を是正することも、公社債市場正常化の一環として十分考えられてよい問題であると存じます。
 第三の中期預金の問題でございます。
 今回の金融制度調査会の成果の中で一つ大きく評価いたしたいことに、中期預金という概念が新しく打ち出されたことをあげてよいと存じます。この新しい考え方は、貸し出しの実態を綿密に分析した上で打ち出されておりますが、この中期預金という概念も、各種金融機関の業務分野再調整にからんでまいりますと急に歯切れが悪くなってまいるようでございます。すでにこの金融及び証券に関する小委員会、こちらさんの委員会でも、長期金融機関の方々から、専門金融機関の経常の根幹を脅かすおそれがあるという御発言があったとも漏れ伺っております。率直に申しまして、私は、戦後の日本経済で長期金融機関が果たしました役割りは非常に大きかった、その役割りは今後とも当分の間大きいと考えます。しかし、一年を境として、それをこえる長期金融はもっぱら長期金融機関が担当する、こういう考え方は社会全体のニーズに必ずしも適合しなくなっているのではないかと存ずるのでございます。
 欧米主要国の例を見ましても、長期金融という概念は五年以上の金融をさすことが多く、一年ないし二年から五年以内のものについては中期金融という概念を立てているようでございます。またこのような中期の貸し出しのウエートが非常な勢いで高まる傾向がございます。特にアメリカにおいてそうでございます。
 一方、国内に関する実態調査によりますと、現在この中期の貸し出しが普通銀行を通じて、表面の約定の上では短期貸し出しとして、すなわちいわゆるころがしとして運用されております。全体の中期貸し出しの分野においては、長期金融機関に比べて普通銀行の貸し出しのほうが量においてずっと大きいという事実が明らかにされております。本来、五年近くあるいはそれ以上長期にわたって運用する資金を一年未満のものと考えて運用いたしますことは、銀行にとってみますれば資金繰りに狂いを引き起こし、安定性を阻害するおそれがあるということになりますし、借り入れを行なう企業にとりましても、資金を引き揚げられる不安がある。そしてまた全体として見ましてもきわめて不自然な金融になっておりますわけでございます。
 このような約定が行なわれております大きな原因は、普通銀行の業務は本来一年までの短期に限られるべきであるという概念が存在していること、これはもう長年の、日本のみならず、日本の金融機関のモデルになっておりますイギリスあたりでもそうでございます。そういう概念が日本においても、長短金融分離というこれまでの行政の御方針によってもまた普遍化されておったわけでございますが、このようなところに一つは根ざしていることであると私は考えます。しかし、より基本的に考えますと、普通銀行の資金吸収が、最長、期間一年の定期預金に限定されていることに大きな原因があると思われるのでございます。一年定期のすべてが期限到来とともに引き出されるわけでないことは確かでございます。現実にはその約三分の二が継続して書きかえられております。その底だまりの部分を中期貸し出しに運用すればよいではないかという御意見もございましょう。現在の姿、つまり、表面は短期貸し出しで、実態は中期貸し出しというころがしの姿、これがまさに、形式は一年定期だけれども、そのうちの幾らかが継続されるという資金吸収の実態を前提とした、そしてそれに対応したものと私は考えておるのでございます。
 私ども銀行経営に携わる者が留意しております問題の一つは、資産と負債をじょうずにバランスさせるということでございます。預金と貸し出しの期間の対応をあまりに厳密に考える必要はないと思いますけれども、一年の定期預金しか認められない状態において、中長期貸し出しのすべてを最初から約定の上でも三年とか五年とかに固定してしまうことはなかなかできないのでございます。また預金者の立場から考えましても、このような中期預金の有用性はきわめて高いと思われます。普通銀行に預け入れられている定期性預金を期間別に見ますると、一年定期の比率が着実にふえておりますし、先ほど申しましたように、一年定期の書きかえ継続率は三分の二ほどに達しております。一年定期の比率が高まっておりますことは、所得の上昇とともに預金者の利回りへの関心が高まっていることに対応しておると存じます。
 ただ、高い金利をという需要に対しては、貸付信託や金銭信託あるいは金融債や一般の公社債、さらには株式もあるではないか、何も新たに中期預金を設ける必要はないという御疑問もあろうと存じますけれども、しかし一般の家計の貯蓄構造はさほど単純に割り切れるものではございません。貯蓄増強中央委員会の御調査を引用させていただきますと、貯蓄の目的としては、所得階層を問わず、「病気や不時の災害の備えとして」という項目をあげている者が全体の四分の三を占め、その上に「子供の教育費や結婚資金」あるいは「土地・家屋の買い入れや家屋の新増改築・修理」あるいは「老後の生活」に備えるという、やや長期的貯蓄目的をあげておるのでございます。いま申し上げましたように、全体の四分の三の家計は流動性の高い金融資産を必要としながら、その中でできるだけ利回りのよいものを求めているわけでございます。多くの家計にとって要求払いの預金を出し入れするのは、近くの便利な銀行でございます。この、ふだん行きつけの銀行の窓口で中期預金をすることができれば、預金者にとって最も便利でありましょう。
 先ほど申し上げました三分の二という一年定期の書きかえ継続率の中には、当初は一年後に引き出しの可能性があったが、一年たってみると、その可能性はさらに一年先に延びたという性格のもの、すなわち常に一年程度の流動性を必要とするものもございましょう。しかし、それと同時に、銀行の窓口の話では、もともと一年をこえて預けるつもりの貯金だが、日ごろ利用しておる銀行にたまたま長期の金融資産がないから、やむなく、相対的といいますか、比較的低い利回りに甘んじて預金を継続書きかえているのだという預金者が、低所得層にもけっこう多いということでございます。中期預金はこのような一般の家計のニーズ、利用にも適合するものと考えるのでございます。
 したがいまして、私の申しております中期預金は、より長期の本来の公社債や信託業務とは特別には競合しない性格のものでございます。中期預金が長期金融機関の業務に全く何の影響も与えないとはいえますまい。しかし、それら専門金融機関の経営基盤を危うくするほどのものではないと存じます。これら金融機関の専門性のメリットは、期間七年とか十年とかという、より長期の分野で発揮されているのでありまして、資金吸収面についても、所得水準の上昇によりまして、より利回りの高い、より長期にわたる貯蓄手段を求める世帯層は着実に増加しております。すでに現在ある銀行の窓口を利用いたしますので、中期預金は国民経済的に見てもわずかのコストで済みます。つまり、新しい店舗をかまえないでも、現在ある店舗を利用するということだけでもコストが低くなる、大きなコストを要しないという、そして一般の人たちのニーズにこたえられるわけでございます。さらに中期預金という新しい資金吸収力によりまして、普通銀行にとって何より必要な、そして焦眉の急となっておりますところの資金ポジションも改善され、――実は、日本の普通銀行におきますところの預貸率といいますか資産構成の比率というのは、私は極端にいいますれば、世界の金融機関の中でもきわめて特殊な状態にある、また非常に好ましくない状態にあると存じます。この銀行の預貸率の改善ということを考えますと、何としても資金吸収のパイプを太くするという必要がございます。そういう意味からいたしましても、この中期預金の創立ということはきわめて必要であると存ずる次第でございます。
 中期預金というものを持ち込みますと、たとえば一年定期からのシフトが起こるのではないか、移動が起こるのではないか、それだけであって、資金コストが高まるだけではないかという御心配もあろうかと存じます。この点は、一つは中期預金の具体的条件のきめ方にもよるでありましょう。私は個人的には、このようなシフトとの関連も考慮して、期間三年ぐらいの中期預金が望ましいと考えておるのでございます。このような条件をきめましても、ある程度のシフトがあるいは若干生ずるということも否定できないかもしれませんが、そこから生ずる資金コストの上昇は、普通銀行の資金の安定性が増加し、的確な資金繰りが可能になるということによってほぼカバーできるでございましょうし、また何よりも、中期貸し出しを受ける企業と中期預金を利用される預金者の利益はきわめて大きいのでございます。また、預金を数年にわたって据え置くことによって、銀行の取り扱いコストの低下も期待できます。金融の効率化を一歩進めることができると考えるのでございます。
 第四でございますが、経済の国際化に見合った金融国際化ということでございます。
 次に、国際金融の体制のあり方でございますけれども、わが国経済の国際化が急速に進んでおります現状にかんがみますと、国際金融の問題は非常に重要な課題でございましょう。金融制度調査会の答申におきましては、まず、外国為替専門銀行、これは現在は東京銀行さんでございますけれども、この外為専門銀行の機能の強化並びに特質の拡充の必要性が強調され、一般の外国為替公認銀行、これは私ども普通銀行でございますけれども、公認銀行の外国為替業務につきましてはやや簡単に、実力に応じて充実させていく必要があると述べられております。
 外国為替専門銀行がこれまで蓄積いたしました信用と、外国為替業務面の熟練、これは率直に申し上げて、きわめて高く評価されると存じます。この信用と熟練を有効に高めていくことは、日本経済にとって当面必要でございましょう。しかしながら、外国為替専門銀行がこのような成長を遂げました陰には、国際金融業務に関しまして外国為替専門銀行の優遇というような措置がずっととられておったことを忘れてはならないと存じます。
 外国為替専門銀行制度が創設されましたのは昭和二十九年でございます。その前から横浜正金銀行がございましたけれども、戦後の制度が確立されましたのは昭和二十九年でございます。それから十五年以上を経た今日、日本経済の実質規模は当時の五倍に拡大しております。また世界貿易の中に占めるわが国のウエートも二・六%から六・五%にまで高まってまいりました。また、貿易や資本取引の自由化もさらにテンポが早まっております。このように日本経済が量的、質的に大きく国際化に向かって構造変化を遂げておりますことは、金融取引の面におきまして、国際金融と国内金融とが一そう密接にからみ合い、両者を一元的に考えなければならない時代が到来したことを意味しております。このことは、従来から国際金融と国内金融が深く関連し合っている欧米諸国におきまして、外国為替業務に専門性を認めておらないことからも推察できるのでございます。
 国際化時代におきましては、一方で、ますます国際金融業務についての習熟が一般に必要とされております。その意味では、先ほど申しましたように、外国為替専門銀行の機能を保持する必要はあると存じます。しかしながら、それと同時に、一般外国為替公認銀行につきましては、答申から読み取られます以上に積極的に外国為替業務活動を認めていただきたいと存じております。
 一般の外国為替公認銀行、つまり普通銀行、特にわれわれ都市銀行は、国内の主要な企業、大企業その他との密接な取引関係を持っております。したがいまして、国際金融業務における外国為替公認銀行の相対的強みは、このような国内金融と有機的に結びついた分野で特に発揮されると考えます。そのような一般外国為替公認銀行の機能を拡充しますには、たとえば海外店舗の設置規制をゆるめ、できるだけ自己の採算に基づく自由な行動をお認めいただきたいと思うのであります。店舗設置を自由にすれば過当競争を拡大するのではないかとの御懸念もお持ちかもしれませんけれども、しかし、現在一部で批判の対象となっておりますような行動は、一つには現在のきびしい規制の結果であるともいえるように思います。たとえば、海外店舗が一つしか出せないとなれば、どうしても世界の金融市場の中心地に希望が殺到するといった事情もあったのではないか。今後は、この面の規制を自由化いたしましても、一方では統一経理基準の完全実施、配当の自由化、金利の弾力化など、金融機関の競争原理をさらに有効に働かせる措置が講じられておりますので、それぞれの銀行がやたらに多くの海外支店を開設することはまず不可能でございましょう。自由な競争原理のもとでは、おのずと秩序ある競争が展開していくと考えるのでございます。
 国際金融業務をより広く見ますと、中長期金融の分野で、数行の外国為替公認銀行と証券会社が共同で設立する国際的な投資銀行の発足がすでに当局の御内認を得ております。また、銀行のいわゆる周辺業務、たとえばリースあるいはクレジットカードというようなことにおいて外国銀行との提携が進んでおります。金融の国際化は、当初一般に予想されておりました以上に早いテンポで、また、複雑な対応関係を形づくりながら進んでおります。このような現実を踏まえ、国際金融体制につきましては、常に弾力性を失わない行政が必要であると存じます。
 第五点の預金保険制度でございます。
 預金保険制度に関する部分は、今回の金融制度調査会の答申の中では、ほとんどただ一つといってもいい具体的な提案になっております。またほとんど異論がなく審議されておったようでございます。
 預金保険制度という思想は、現在アメリカ、カナダ等、そのほか現在ドイツあたりでも検討しておるようでございますけれども、すでにアメリカ、カナダでは実行に移されております。したがって、必ずしもこれが主要国における常識だけではございません。いろいろな国で考えられておるのでございます。さきにも触れましたように、多くの預金者は不時の災害に備えて貯蓄をしているのでございまして、そのような比較的少額の貯蓄に対して万全な保障をするという制度は、十分検討に値するものと考えます。もちろん、預金保険制度が創設されたからといって、金融機関の経営に携わる者が、その経営の安定性、流動性に対する配慮を少しでもおろそかにすることは決して許されません。預金保険制度は、細心の経営者の注意を払ってもなおかつ乗り切れない不測の事態において、少額貯蓄者の、すなわち大衆預金者の預貯金を保障しようとするものでございます。ある程度以上高額の貯蓄につきましては、当然預金者もリスクと利回りを勘案して、その計算の上に預金いたしておるものでございますから、これに保険をかける必要はございません。
 さて、このような預金保険制度を具体的に発足させます場合に、私はこれをできるだけ簡素な形でスタートさせていただきたい、また簡素な形で存続させていただきたいと存じます。常識的に考えまして、預金保険制度を具体的に発動しますのはごくまれなケース、レアケースでございます。もちろんこれがたびたびあってはならないわけでありますけれども、現在のわが国の銀行の内容から考えまして、まずこの制度発動の可能性はごくごく少ないといってよろしいでしょう。そのような場合に、預金保険制度を具体的に大きな一つの機関にして、たくさんの人材をここに固定しますことはまことにもったいない話でございます。したがいまして、これをできるだけ簡素な制度として、民間金融機関の自主的運営にまかせ、預金保険制度がほんとうの意味で預金者保護の目的に純粋に沿ったものとなるような、そんな仕組みをこれから具体的に考えていただきたい、こう私は考えておるのでございます。
 最後に一言申し添えますけれども、これまで金融制度調査会の審議事項のおもなものにつきまして私の考えを述べさせていただいたのでございますけれども、一つ最後に、私このごろ非常に残念に、また申しわけないと思っておりますことは、銀行の信頼をゆるがすような問題が一つならず起こっているということでございます。私ども銀行の役割りは、これまでも幾つかの点に関連して申し述べましたように、新たな機能を発揮して、国民の金融に関する新しいニーズを常に満たしていくというところにあるかと存じます。しかし、それらの機能も、銀行に対する国民の信頼があって初めて働き得るものでございます。国民の金融的ニーズは非常な勢いで拡大し、これを反映いたしまして銀行業務はますます多様化、大量化しつつあります。電子計算機システムの積極的活用がこれを可能にしておりますが、このような環境の変化から銀行の体質も大きく変化しており、事務組織や業務管理組織がこのような急速な変化にスムーズに適合していけないきらいもないとは言い切れません。加えて、最近の人手不足の激化によりまして、必ずしも十分な人材を確保できなくなっているという事情もございます。これら多くの原因が重なって今回のような問題が発生したものと考えます。これらの諸要因への対策をさらに進めていくことはもちろんでございますけれども、私どもといたしましては、銀行業務に携わるすべての行員、社員が、あらためて銀行業にとって信用がすべての基礎であるということを振り返って反省して、一歩一歩じみちな努力を重ねていきたいと考えておる次第でございます。
 これで私の公述を終わらせていただきます。御清聴ありがとうございました。
#4
○藤井小委員長 質疑の通告がありますので、順次これを許します。堀昌雄君。
#5
○堀小委員 ただいまお話を承りまして、まず、お話しの問題に触れます前に、井上頭取は金融制度調査会の委員として御参加をいただいておりましたし、きょうはそういう意味では個別な都市銀行の問題というのではなくて、金融制度調査会の今度の答申の主要な問題点について私が少し――書かれておりますことはそのまま字づらで読めばそのとおりわかるわけでありますけれども、そのことばの中にいろいろと解釈のしようと申しますか、問題を含んでおる点があるかと思うのであります。
 今度の答申を含めて、いまいろいろな金融機関の問題を調べて感じております点は、金融機関の経済性と公共性との関係ということだと思うのであります。突き詰めて考えてみて、金融機関の経済性と公共性というものが、ほんとうにバランスできるかどうかという点に実は最近少し疑問を感じておるというのが、率直ないまの私の気持ちでございます。今度の金融制度調査会では、金融の効率化という問題が非常に主要な柱でありますけれども、金融の効率化という問題を実現する手段としては、適正な競争原理と金利機能の活用だ、こういうふうに述べられております。
 まずその最初の適正な競争原理の問題でありますけれども、いまの日本にあります現存の金融機関の実態を考えてみるときに、一体この適正な競争というのは何を言おうとしておるのかということが、実は厳密に考えてみるとだんだんわからなくなってくるわけです。実は私も長い間大蔵委員会におりまして、かつて預金獲得だけがどうも競争の主体であって、預金量の最大であることが何かいいことだというようなふうに一般に理解されておりましたから、ちょうど高橋俊英氏が銀行局長当時、新格づけ基準というような発想を述べて、これが今日統一経理基準として実を結んできたと私は思っておるのであります。ところが最近の実態を見てみますと、統一経理基準ができ、統一経理基準に基づいて配当の自由化を促進していこうという立場でいたわけでありますけれども、その配当の自由化、いろいろなものが少なくとも適正な競争を求めながら整備をされてまいります中で、事実それがそのような公共性に基づく適正な競争になってきておるかと申しますと、どうも結果は同じ過当な預金競争につながっていっておるような気がしてしかたがないわけでございます。
 実は昨日の公正取引委員会の発表でも、拘束預金の比率が悪化しておるということでありまして、データとしては昨年の十一月とことしの五月の間の関係を見ても、公正取引委員会の調査では、拘束率が八・四から九・五に、引き出し困難――事実上引き出し困難な預金が二〇・二から二二%、こういわれておりますし、私どもが一般的に承知をしている範囲でも、最近拘束率が非常に高くなりつつあるといわれておるわけであります。なぜ拘束率が高くなりつつあるかというと、収益をあげることが配当の比率に影響するという一つの側面が出てまいっておりますために、二十一日の日に私、佐々木日銀総裁にお越しをいただいたときにも、最近の貸し出し金利の上昇ペースを見ておりまして、はたしてこれが公定歩合だけによるものかどうか、銀行の収益性の面から、どうもそういう要素を含めて貸し出し金利の上界があるのではないかということを伺ったわけでありますけれども、私どもが適正な競争を求めても、結果は適正でない過当な競争に発展をするという現在の金融機関の実態をながめてみますと、はたして金融機関に適正な競争を求めて可能なのかどうか。その適正であるかどうかの判断というのは、やはり私ども一般的な国民が、公共的であるかどうかという点で判断を下すべき性格のものではないかと思っておりますが、現実に金融機関の経営をなすっておる皆さんは、そういう角度で適正な競争を判断しておいでにならないのではないかという感じがいたしておるわけでありますが、ひとついまの歩積み・両建てなり配当との関係等で、経済性と公共性の問題、特に適正な競争という問題に触れたわけでありますが、この点について井上参考人はどういうふうにお考えになっておるか、お答えをいただきたい。
#6
○井上参考人 お答え申し上げます。
 ただいま堀先生のお話、銀行の経済性と公共性といいますか、社会性といいますか、それとの関連、そうして特に公共性については関心がないのじゃないか、競争に走り過ぎているのじゃないかというお話でございます。これは始終、私どもの頭にはこういう問題が非常に大きく浮かんでおるわけでございます。競争原理とかあるいは経済性というものが、どこまでが許されるのかということでございますけれども、これは全く基準というようなものは実はない。われわれのほうの経営者のモラルの問題でございます。むろんいろいろな規制がございますればそれに従うことは当然でございますけれども、銀行経営の全般については、あくまでもきわめて矛盾した二つの要請、公共性と経済性、どれもはっきりした基準がない、そこにわれわれの悩みがあるわけであります。これは申すまでもなく、日本ばかりではございません。アメリカあたりの銀行にしましても、常にフェア・コンペティションという。私ども気になりますのでいつも聞いておりますが、あなた方の国では競争がないのか、とんでもない、みんな競争をしておるのだ、それもフレンドリー・コンペティションとかフェア・コンペティションとかいう。そうしてその内容を聞きますと、われわれと同じことを言っております。心がけをぜひよくしていく、そうして社会のためになる、また経済性も同時に持って、株主の要求にも応ずるようにということだけでございまして、何ら明確な基準がない。これはどこの国でも同じだろうと思います。それだけに私ども悩みが多いわけでございます。明治の初めから、私ども非常に古い銀行でございますが、創立者の澁澤青淵なんかも、論語とそろばんということを明らかにする、そういう点を初めから教訓とされておったことによりましてもわかりますように、銀行始まって以来の悩みであり、また問題である。それが現在もって解決していないというのが実情でございますので、これは完ぺきに、完全に解決することはおそらく期待できない。それを始終私ども悩んで、また解決しようという努力、その過程にいま銀行はあるのじゃないかという感じがいたしております。
 こちらの委員会に私、前にお伺いいたしましたときに、先ほどお話がございました歩積み・両建て、拘束預金の問題、数年前から私も御注意を受け、また銀行関係でも努力をしておったわけであります。けさほどたまたま新聞に出ておりました、これは公取委員会の数字でございましょうが、都市銀行関係を見ましても、去年の十一月の拘束預金比率八・一%がことしの五月には八・八%になった。〇・七%上昇しておるという数字になっているかと存じますが、どうも私どもの感じでは、拘束預金がふえているといい、またふやしておるというような感じはございませんで、依然として自粛的なかまえでおるわけでございます。数字がこうなった理由がよくわかりませんけれども、一つは季節的なあれがございますようですね。あまりこまかなことを申し上げて恐縮でございますけれども、どうも毎年五月期のほうが多いのでございますね。前年五月期に比べますとこの八・八%というのは一・八%減っておるのでございます。ですから五月期だけの数字を見ますと、四十二年の五月には一〇・九%、都市銀行でございますね。四十三年の五月期が一〇・五%、〇・四%下がっております。それから去年の五月が一〇・六%でございますけれども、これは横ばいでございます。ことしの五月が八・八%で、これが一・八%減っておるということで、どうも季節的な影響が強いのじゃないかというような感じがいたします。もう少し調べさせていただきます。いずれにいたしましてもこの拘束預金、始終御注意をいただいておりますように、私どもはできるだけ減らすということを、銀行協会でもそうでございますが、おのおのの銀行においても非常な努力をしていただいておるわけであります。この努力はひとつお認めをいただきたいと思います。そういうことで、こういうことも反公共性の一つになります数字でございます。できるだけの努力はいたしてまいりたいと思います。
 それから、この自由化で競争し過ぎるのじゃないかというお話でございますが、これも先ほど申し上げましたように、きめ手はないのでございますけれども、やはり自由化、預金をふやすことを自由にさせていいとか、店舗を自由にしてもらいたいとかいうことが、ただ利益だけの追求によるわけではございませんで、あくまでも社会大衆といいますか、預金者あるいは企業者の便宜のためにということを考えて預金をふやさなければならぬ、支店もふやさなければならぬということでございます。一番の自由化の中心になりますのは、先ほどもちょっと触れましたけれども、金利の自由化でございます。これは自由に、預金者にはなるべく高率の金利を与え、貸し出し先には低率の金利をいただくという自由化、これを目ざしての自由化でございますけれども、これがやはり金融界の自由化の中心だろうと思います。このためには、非常に具体的になりますけれども、やはり預金の自由化といってもあるいは貸し金の自由化といってもなかなかここに限度もございますので、その基準になりますところの公社債市場の自由化、これが私は最大のきめ手になる。この公社債市場の自由化は、まだまだ自由化とはほとんどいえないような状態だと私は思います。私どもの銀行でもどこの銀行でもそうでございますが、発行された公社債を引き受けてこれを市場で売りますと、百円についていま四円前後の損が出る。これだけ見ましてもいかに金利というものが自由化されていないかという証拠でございます。何とかこの公社債市場の自由化について、まず金利の自由化、これから始めなければならぬ。どこの国においても、発行された公社債を売って損が出るという金融市場はございません。何とかしてこれだけは早く――銀行の金利、貸し金の自由化も当然進めなければならぬわけでございますけれども、それにいたしましてもマーケットのあるものからまず手をつけるということが自由化の一番大きな眼目でございます。公社債市場というものがある、この合理化といいますか、完全な自由化ということをまず期待しておるわけでございます。
 お返事になったかどうか存じませんけれども……。
#7
○堀小委員 いまの歩積み・両建ての問題は、私、ただ適正な競争を求めて制度の変革を努力してもなかなかそこへいかないという一つの例として申し上げたのでございます。
 今度は後段の問題を含めて少し考えてみたいと思いますのは、競争の原理ということと、今度の答申の中には規模の利益にも実は触れられておるわけですね。そこで、資本主義社会での競争の原理というものは、本来的に力の強いものがより大きくなって、現実に格差があるとすれば、競争の結果はおおむねその格差を拡大するというのがやはり資本主義社会の一般的原則だろうと私は思うのであります。私ども、この間から実はビールの問題に取り組んでおります。来週もビールの四社の社長にお越しいただくことにしておりますが、現実にビールの世界を見ておりますと、今日麒麟麦酒がシェア五五%ということになってまいりまして、ずっと競争がこういう形で推移いたしますと、五五は六〇になり、六五になり、七〇になっていくのではないか。そういうふうに競争がわりに自由に認められておれば、もうある程度以上の大きさになりますとたいへんな力を持つことになってくる。
 金融機関も非常に共通的な問題があるのじゃないか。金融機関がもしある一定以上の規模になってまいりますと、確かに規模の利益が出てくると思います。今後の新しい時代における規模の利益というものはこれまでのデータだけで必ずしも直ちに判断できないと思いますが、やはり規模の利益というものが出てくる。規模の利益が出てくれば、それだけ力が強いわけでありますからますます競争力が強くなる。そうしてそのことは市場支配力を非常に強化をさせていくということになりますから、ある意味では反公共性を拡大をするということになっていくのじゃないだろうか。
 ですから、どうも理論的に考えてみますと、資本主義社会における競争原理ということは、私も競争が必要だという論理に立っておるわけでありますが、はたしていまのような形で――今度の金融制度調査会が答申をしておるような規模の利益とかある程度の業務の多様化とか競争分野の拡大とかということは、現実に格差がなければいいのでありますけれども、現実に格差がある中でこれが次第に助長されていくことは、格差の拡大ということに非常なインセンティブを与えることになり、どうも……。そのこともまた制度的に見ると、私がいま申し上げました経済性追求という面では確かに経済性の追求あるいは部分的な金融の効率化になると思いますけれども、全体としての金融の効率化、国民経済的金融効率化と部分的金融効率化という問題、ここに私非常に大きな乖離が生ずるのではないか。国民経済的金融の効率化が公共性として求められておるにもかかわらず、現実には内部的な配分の問題という形に振りかえられていくおそれがあるのではないだろうかという点が、実は私、いろいろと自分も大体その方向を推進してきながら今日はたと行き詰まるといいますか、はたしてこれまで自分が推進をしてきた方向というのはこれでいいのだろうか。もしある程度の規模の拡大ということができてきたときには、はたしてそれは自由な資本の形で放置していいのかどうか。公共的介入といいますか、それの社会的性格への転化ということが求められなければ公共性の維持が困難になってくる、こういう問題が特に金融機関の問題として生まれてくる背景もあるのではないだろうか。こういう感じを私はいま持っておるわけなんですが、その規模の利益の問題、市場支配力、こういう側面からの公共性の問題について井上参考人のお考えを承りたいと思います。
#8
○井上参考人 自由競争をさせていくと、強いものがますます強くなって、そこにバランスがくずれてくるというようなお話のように承ったわけでございますけれども、これは私どもも同じような疑問といいますか、問題点を平生考えておるわけでございますけれども、最終的な形はあるいはそういうことになるかもしれません。日本だけの例でございませんけれども、アメリカは相当たくさんの銀行がございます。あれだけの産業を持ち経済力を持っておるわけでございますから、銀行の数も非常に多い。しかし、イギリス、ドイツ、フランス、イタリアなど先進国の例を見ますと、イギリスが御承知のとおり大銀行が四つでございますね。ドイツは三つでございます。イタリアが四つございます。とにかく三つ、四つ、長年資本主義国であり、経済の発展をしてきた先進国ではそういう形で落ちついておるわけでございます。アメリカはいま申し上げましたように非常に経済力も高いし、また自由な国でございますし、地方銀行まで入れれば一万四、五千の銀行があるわけでございますけれども、それでもシカゴは御承知のとおり二つくらいの大きな銀行。カリフォルニア州はかなり多いのでございますけれども、それでも大きな銀行というと四つ五つになりましょうか。ニューヨークはあれだけの力がありますから、都市銀行がだいぶ合併、再編成されましたけれども、国際的な銀行になりますと六つ七つでございましょうか。そういうところにだんだん集中されております。
 そういう国の例々見まして、いま堀先生のおっしゃいましたように強いものがますます強くなって、四つなら四つのうちで非常に格差ができているかというと、まあまあという競争をしておるようでございますね。ですから、ますます強くなって独占的になり、あるいはそれが社会的に見てマイナスな経営になっているかというと、そうでもないようでございます。現在の各国の資本主義の段階においてはそういう程度で、これが百年たち二百年たったらどうなるかということになりますと、いま堀先生のおっしゃるとおり問題もありましょう。あるいは局面的にはそういうことになるかもしれませんが、まだ全くわからない状態でございます。
 ですから、現在の資本主義の段階では、日本でもそうでございますし、アメリカでもそうでございますが、かなり競争的な立場にあり、厳密に預金を比べますれば一位も二位も三位もあって、その間に相当の開きもございますが、しかしそれぞれりっぱな経営を内容的にもしておりますので、それが競争率といいますか、競争関係が非常に弱くなって、独占的になり、また弊害を生むという段階にはなっておらないようでございます。日本でも御承知のとおり確かに上位銀行もあり、中位銀行もあり下位銀行もあり、そのほかに地方銀行もございますが、これがどうにもならないような格差になっておるわけではございませんで、それぞれ努力をいたしまして、そして格差もできるだけ縮めようという努力を、さっきおっしゃいましたように、正直に申しましてその面でもいたしておりますことは事実でございます。そういうことで、大きいものがますます大きくなって弊害が出てくるという段階ではまだないように私は考えるのでございます。
#9
○堀小委員 いまの私の申し上げ方が悪かったのですが、麒麟麦酒の場合には実は自分の力で大きくなってきたのですけれども、この答申を流れておりますものの考え方というのは、規模の利益がある、競争の結果は合併もあっていいのではないか、こういう角度でものが提起されていたわけですれ。そうすると、どうも井上さんにこの点を伺うとちょっとまずい点もありますけれども、私はいまはまだいいと思うのです。金融がタイトである間は金融機関間の競争というものはほんとうの競争になっていない、こう考えております。それじゃ日本経済というのは二十年、三十年にわたって、ずっと金融がタイトでいけるかと申しますと、私はやはり問題があろうと思います。確かに、私どもが四十一年からこの問題を始めましたときの情勢といまは違いますけれども、それではどこに食い違いがあったかというのは、私どもが、日本の潜在性成長力といいますか、そういうものを少し過小評価し過ぎておったという点にあったと思うのです。しかし、今日これだけの異常な成長をやってまいりまして、あらゆる面でストックがだんだんふえてまいりますと、ストックがふえれば相対的にフローが小さくなるのは当然でございますから、ある段階までくればフローはだんだんと小さくなるだろう。フローが小さくなればそこでは当然金融の緩慢という状態が起こってくるだろう。特に国民の側としましては、日本の特殊的な貯蓄性向も高いわけでありますから、所得水準が上がるにつれて貯蓄のほうはふえるのでありましょうけれども、資金需要はそれではどうなるかというと、必ずしも今日のような資金需要が続くわけではない。金融緩慢になったときに私は競争の問題というのが非常に強い形であらわれてくると思うのであります。そこでそういう再編なり合併なりが促進をされていく過程の中では、やはり規模の利益の追求という側面を見ながら、かなり大きな都市銀行同士の合併などということが起きてまいりましたときには、これは市場支配力というものが非常に強くなる。それがずっと金融緩慢だけでいけばよろしいわけでありますけれども、おそらく緩慢の中にも循環というものが生じてくるで断ろう。そうすると、かなり強い緩慢のあとにややタイトな状態ができる。タイトな状態になったときには、巨大なる金融機関の支配力というものはたいへん大きな影響力をもたらすことになるのではないかと思います。これは今日次元の問題ではございませんけれども、少し長期的にこの答申の目ざしておるものを見ますと、そこらにも公共性の問題と経済性の問題というところの乖離の問題が生ずる点があるのではないか、こういう感じがいたしましたので、ちょっと申し上げてみたわけです。
 もう一つ、競争の問題の中で現在の金融機関のパターンの問題でありますけれども、現在、信用金庫、相互銀行、地方銀行、都市銀行というのは、名前は異なっておりますけれども、実際にやっております業務はいずれも銀行業務だと私は思うのであります。このように同じ銀行業務を非常に多数の者がやっておりますが、その中で信用金庫とか地方銀行とかというのは、どちらかというと地域性を限られております。その地域性ということを限られておるというのは何によるかといえば、ある意味では公共性との関係でそういう地域性ということに結びつけられる。この地域性に結びつけられておるものと、比較的自由な立場にある都市銀行との競争ということが当然起こってくるわけでありますけれども、そういうやや次元の違うと申しますか、角度の違う金融機関が、しかし競争をするときにはやはり同じベースの中での競争になってくるというところにも、私はいまの金融機関の適正競争と公共性の問題ということに非常にひっかかる点があるわけでございます。都市銀行の場合には、いまリプレースということで店舗はどんどんリブレースができますけれども、過疎になってきたからといってそれじゃ地方銀行が東京へ全部引っ越してくることができるか、信用金庫が大都会のほうへシフトできるかというと、これは本来公共性として求められている点からいえばシフトはできない。ですから、いまの答申の中に流れておりますものが、ややもすると経済性追求のほうに少し比重がかかり過ぎて、そういう公共性に対する配慮というものがやや低く見られ過ぎてきておるのではないかという感じを全体として少し受けておるわけであります。
 ですから、これもやはりさっきから申し上げております適正競争の問題に関連があるわけでありますけれども、こういう地域的金融機関と都市銀行との競争というものを、同じものを同じパターンで扱っておりますから競争があるのは当然でありますけれども、そこに適正な競争原理だという、一つの公共的介入をすると考えるならば、一体どこらにそれは線が引かれるべきであろうか。要するに同じベースでやることなのか。都市銀行としては、そういう地域性のものとの関連では、競争をされる場合に適正競争ということのために何か考えられるべきものがあるのかどうか。そこらについてちょっとお伺いしたいと思います。
#10
○井上参考人 具体的に言いますと、地方銀行なり、ローカルな地域的な信用金庫、相互銀行と一般的経営基盤を持った都市銀行との競争関係、これを社会的に見てどう調整していくのかということでございますね。これは具体的になりますと、たとえば、地方において都市銀行の店舗は問題にならないくらい数が少ないのでございますね、地方のコミュニティーにおいては。ですから、そういうことから一つの競争上の限界があるのじゃないか、きわめて大ざっぱに申しますと。やはりその地域、地域においては、信用金庫あるいは相互銀行――地方銀行もそうでございますけれども、相当店舗網を完備して、その社会の需要に応じております。したがって、さらに預金もかなり効率的に吸収しておりますし、またその地域の企業に対しては、いわば社会性を発揮して金融をしておると存じます。都市銀行のほうはそういった地域においては店舗が非常に少ない。店舗も少ないし、また融資先も、これはそう簡単に、お金を貸しますといっても、すぐ貸せるものではございません。長年取引関係があるから貸せるわけでございますから、そういった点からも歴史的、といいますか、限界がある。つまり時間的にもあるいは地域的にも限界があるのではないか。私ども都市銀行は、確かに全国的な店舗網を持っておりますけれども、規模からいいますれば相当大型の企業に対する金融を承っておると存じております。そういうものは地方銀行さんも必ずしも全面的には取引できないということでございまして、ある意味では手分けをしているという形で調和が保たれるのではないかと、理想を言いますればそんな感じがいたしております。
#11
○堀小委員 そこで今度は、いま冒頭に承りましたお話の中身の中でちょっと伺いたいのでありますが、中期預金の問題について、「預金者にとって、中期預金の有用性は高い。一般の国民は、一方では高い利回りの貯蓄手段を求めながら、他方では、不時の支出に備えて高い流動性の保有にせまられている。このための流動性預金の多くは、ふだん行きつけの普通銀行に預けられており、これら銀行で利回りの高い中期預金ができれば、との預金者の要望も強く、」と、こうお述べになっておるわけでございますが、ちょっと私はここでことばじりをとらえて申し上げるわけではありませんけれども、私も実は、いまの都市銀行に対する預金というのは、今日金利選好性もかなり高くなって、国民としては流動資産として都市銀行に預けていると思うわけであります。ですから、一年定期というものの性格の中には、まず一年はだいじょうぶだという前提での流動性でございますね、預けている。ところが一年たってみると、まだもう一年はいまの情勢ならいける。これが引き続きそのまま次へ延びていく。また次へ延びる。そのうちに貯蓄がだんだん少しずつふえていく。定期も少し足していく。初め二十万くらいであったものが、次の年度にまた二十万定期をすると四十万になる。もう一年ぐらい、三年やると六十万くらいになる。六十万になると、六十万円というのを一年の定期に置いておく必要はない。二十万ぐらいでいいだろう。そうするとその四十万というのは、今度はさらに固定をした、しかし高い利回りのものに投資をしていく。こういうのが、私はやはり一般の国民が一年定期というものを利用しておる、個人貯蓄として見ればそういう形のものじゃないか、こう思うわけであります。
 そこで、ここにいま御提起になっておりますように、かりに三年定期というものができますと、定期というのは、私はやはりこれは解約をしない預金だということが前提だと思うのでございますね、定期預金でございますから。定期預金というのは解約をしないというのがたてまえだとなると、初めから三年を固定する場合にはかなり高い金利を求めたくなるというのが、私は貯蓄をする側の考えであろうと思うのであります。ところが、高い金利を求めるけれども、しかしここにお書きになっておりますように、いま日本の国民はまだ非常に裕福ではございませんから、やはり流動性も期待したい、こうなってまいりますね。
 そこで私は、これは定期預金の性格論になると思うのでございますけれども、確かに国民のニードは、ここにお書きになったように高い利回り、しかし流動性となりましたときに、やはり問題が出てまいりますのは、債券類とかあるいは証券であるとか、まあいまは確かに問題がありますけれども貸付信託、というのは、その意味では本来預金ではございませんから、こういう要するに売買性のあるものにいけばでございますね、高い金利を予想していたけれども、中間でもし流動性が――必要なときにはこれは換金できるという問題がこのうしろに控えておる。ですから私は、やはり定期預金という本来拘束をする形の預金形態というのは、理論的にいって一年というのがもう限界ではないか。これが延びてきたところに、これは性格が違いますけれども、CDというものがアメリカで出てきた一つの理由は、それを長期にしようとしたときには、これに対する換金性といいますか、これはいまの流動性を持ちながら、しかし流動性の保障といいますか、何かを持ちながら、高い金利で資金を効率的に回していきたいという預金者側のニードに合ってきたのではないか、こう感じるわけでございます。
 ですから、私はいまの二年定期、三年定期というものに対しては、第一点として、その理論的背景から実は賛成をいたしかねておるわけでございます。もしかりに金利を、一年のものを一年、二年、三年と置いて、それに対して同じ金利を払っておるというのは、必ずしも預金者側としてもプラスではないわけですから、それならばひとつ一年定期が自動的に二年に延長してきた場合、二年目からはそれに利子を付加いたしましょう。もし三年になれば――無限にはいきませんけれども、三年目ぐらいまでは、一年定期が延長してきて三年になったときにはそれにプラスアルファをいたしましょうということであるならば、これは定期としては一年定期でございますから、決して二年定期、三年定期を認めておるわけではありません。要するに一年定期というものが延長されたときにおける実質的な高利回り、しかし預金者側にすれば実は一年定期でございますから、また一年後には出せるわけですから、またその一年後も出せるという流動性を確保しながら、しかし金利はそれだけ支払われるということになりますならば、私は、私の一つの持論のような、定期預金というものに対する一つの概念と申しますか、その概念といまの国民のニードというものとを調節する一つの接点として出てくるのではないか。初めから三年定期で高い金利でぽんと張りつけるということは、私はどうも定期預金の性格としてはやや問題があって、そういうものは本来的にやはりどうも換金の可能性のある債券、証券の形ということになるのが筋ではないか、こういう感じがいたしておりますが、この点についての井上さんの御意見を伺いたい。
#12
○井上参考人 中期定期のことについて私は先ほど三年と申し上げましたけれども、いろいろな案があると存じますが、長期の預金、したがって金利の高い預金、これを普通銀行が取り扱いまして、これによって長期の貸し金の資源に充てる。そうして、これも先ほども申し上げましたけれども、何といっても現在われわれが一番必要としますところの預貸率の改善――預貸率の改善といいますれば預金をふやすか貸し金を減らす以外に手はないわけでございますが、貸し金を減らすということは、都市銀行が全面的に貸し金を減らすかあるいはふやさないということになったら、これは産業界に与えるショックは非常に大きいわけでございまして、貸し金を押えるということはなかなかむずかしい。引き締め政策中にはかなり押えておりましたけれども、それでも産業界に、とにかく需要に応じなければならないので、ショックを与えないようにしておったわけでございます。したがって預貸率改善のためには預金増加以外にない。
 これは何も都市銀行だけの利害関係から申し上げておるわけではございませんで、これは先ほど申し上げましたけれども、現在日本の金融機関あるいは金融体制の中に非常に大きな欠点といいますか、完全でない点は、これは特に都市銀行の一〇〇%近い預貸率、というのは海外にはないのです。アメリカあたりは七〇、ドイツも七五%くらいでございますか、金融制度調査会の調査によりましても。アメリカ、イギリスはほぼ同じでございましたが、現在預金に対して貸し金比率はどのくらいでございましょうか、まあ六〇%くらい。日本は一〇〇に近い九十何%というところでございますから、これはもう国際的に一つのシェームといってもいいくらいな状態でございますから、何とかしてこれを改善しなければならない。そういう意味で、貸し金がそれほど押えられない、また減らすわけにいかぬとすれば、預金をふやす以外にない。先ほども申し上げましたように、中期預金によって預金をかせげばほかの金融機関に御迷惑をかけるということなきにしもあらずと申し上げましたけれども、これもひとつ忍んでいただいて、とにかく国際的なシェームに近いような預貸率の改善、これは日本の金融界のためでもあり、日本の産業界のためでもあるという観点で、中期預金を私はお願いしているわけでございます。
 その中期預金をどうしたらいいのか。これはまだ具体的に私ども詰めておりませんが、三年がいいのか、あるいは二年がいいのか――私どもは三年をお願いしたいと思っております。その三年にいたします場合でも、いま堀先生のおっしゃるように、金利が、継続された場合には漸増するといいますか、一年ごとに増加するという、これは非常に着想として私はおもしろいお考えのように伺いましたが、具体的にどういたしますか、なかなか――初め一年のつもりで預けておったのが二年になってから、現在でいいますれば五分七厘五毛があるいは二年目には六分おつけする、三年目には六分二厘五毛おつけするということだろうと存じますが、具体的にどういうことなりますか、営業的な観点からも考えなければなりませんし、金融政策の上からも考えなければなりませんが、これはひとつ検討さしていただきたいと思います。私どもこれから、おそらく大蔵省さんのほうがそういう考えだといたしますれば、銀行協会のほうでも具体的なことを検討しなければなりませんが、ひとつそのときに参考にさせていただきたいと思います。できますれば初めから高いほうが――三年定期、これもまだ金利は何にも考えておりませんと思いますけれども、相当の高い金利、三年は六分五厘とか、そして二年が六分とかいうことになりますれば、やはり六分五厘ならば預けたいが六分ではちょっといやだとか、五分七厘五毛ではいやだというような方もあるかもしれません。要するに資金吸収の効果があがるということが眼目でございますので、その点はひとつ具体的に考えさしていただきたいと思います。
#13
○堀小委員 私特にもう一回そこの問題の中で、定期預金というのはさっき申し上げましたように、私は一年と、それは流動性という問題とのうらはらだという考えでございますね。ですから、一年という意味では、そこでは流動性が生きてくる。しかし三年となりますと、これは流動性がない三年でございますね。その他のものはいま三年なんかのものを買えば、これは換金性のあるもの、債券を買うにしても株を買うにしても、これは預金でございませんからもちろんですけれども、貸付信託でも、ともかくこれはルールによれば売れるわけでございますから……。そういうふうに三年に固定することは流動性がなくなるということなので、ここでお触れになった一般の国民のニード、高い金利と流動性という問題からは、私はどうも定期の期間というのは一年がいいのではないか。さっき申し上げた三年というのは、定期は一年なんでございますね、ただそれは継続していった場合には金利はふえるのですということで、流動性と高金利とを兼ね備えるという国民のニードに合うのではないかということを申し上げたわけで、定期預金三年というものが、換金性もない三年というものは理論的にどうだろうかということでございます。それは定期預金でも、もう三年定期というのはいつでも解約するのですということでは、実はこれは中期貸し金との関係では意味がなくなるわけでございますから、そこらのところと、延びていきますことについても、今回コンピューターが使える時期でございますから、かなり資金の長さの問題は、そういういろいろなフェーバーが与えられておればそれなりにまた定期預金が長期に延びるものもふえる、同時に流動性もあるということでは国民のニードに合うことになるのではないかと思いますので、長さの関係をちょっと……。
#14
○井上参考人 いまのお話、一年定期以上は流動性がないということで、ネゴシアブルでないものは長期預金としてはおかしいじゃないかというお話でございますが、そのとおりでございまして、実はさっき堀先生がお触れになったCDの考え方は、アメリカあたりまさにそういう点から出ておりますが、私ども都市銀行としましては、CDを日本につくっていいじゃないかという議論も、実は金融制度調査会の席上にも出たわけでございますが、これには御反対の方もございましたので引っ込めたわけでございます。確かにCDをつくれば、いまのお話しのようにこれはネゴシアブルである。非常に売れるから、長期なものであっても投資物件としては非常に好ましい、大衆的なものになるということでございます。できればそうしたいのでございますけれども、これは国内のいろいろな利害関係もございますと思いますが、その点を一応たな上げにいたしまして、長期あるいは中期預金ということに結論が出たように私は解釈をしておるわけでございます。
 したがって、これは繰り返しになりますけれども、一年定期以上は制度的におかしいという考え方ですと、それでは預金吸収面のパイプがどうして太くできるかということになりますと、ほとんど解決の道がないような感じがいたします。ですから、これは私だけの考え方でございますけれども、東銀さんが金融債をお出しになった。長興銀さんはもちろんでございますけれども、私は初めは金融債ということも考えていいのではないのか。これは全く私だけの個人の考えでございます。都市銀行においても金融債というものを考えていいのではないかという考えを持っておったわけでございます。これはなかなか反対論が強くなることが予想されます。しかし考え方としては、ただいまの堀先生のお話しのようにネゴシアブルなものを持って、しかもそれが相当金利の高いネゴシアブルなもの、これが都市銀行の資金獲得の新芽になるならば、きわめて好ましいと私は考えるわけでございます。
#15
○藤井小委員長 これにて井上参考人に対する質疑は終了いたしました。
 井上参考人には、御多用中のところ貴重な御意見をお述べいただきまして、まことにありがとうございました。厚くお礼を申し上げます。どうぞお引き取りくださってけっこうでございます。
    ―――――――――――――
#16
○藤井小委員長 次に、神戸銀行取締役頭取石野信一君から意見を求めることといたします。
 石野参考人には、御多用中のところ御出席いただきまして、まことにありがとうございます。一般民間金融機関のあり方等について忌憚のない御意見をお述べいただきますよう、お願い申し上げます。石野参考人。
#17
○石野参考人 神戸銀行の頭取の石野でございます。
 本日は、金融制度調査会の一般民間金融機関のあり方等についての答申について意見を述べるようにということでお呼び出しを受けたのでございますが、神戸銀行もいわゆる都市銀行に属しております。都市銀行の見解といったことにつきましては、すでに他の委員の方々から陳述が行なわれておるように承っております。また私が金融制度調査会の委員に選任せられましたのは、大蔵省をやめまして神戸銀行に入ります前、いわゆる浪人中でございまして、そのような意味合いから、特に都市銀行としてとか神戸銀行としてとかいうような立場でのお答えを必要とするような御質問がございました場合は別でございますが、全く個人的な立場での意見を申し述べさしていただきたいと思います。あらかじめ御了承をお願いいたします。
 お手元に一枚紙で発言内容の目次のようなものを配らしていただいておりますが、実はもう少し要旨といったものを織り込んでお配りすべきかとは存じたのでございますけれども、あとでおわかりいただけるかと思いますが、私がこれから申し上げようと存じますることは、要約をいたしまするとかえって意を尽くさず、誤解を生ずるおそれがあるように存じます。このような簡単な形でさせていただきましてまことに申しわけないのでございますが、発言の順序はこういうことで第一と第二に分けまして、まず答申の一般的評価、それから第二に個別問題。答申の一般的評価としては、現段階における答申としては、よくまとまっていて妥当なものと思う。「現段階の答申としては」というような留保をつける理由として、四つ申し述べたいと思います。一は、現行制度の全般的な検討の困難性。二は、経済情勢見通しの困難性。三は、目的及び理念の多様性と抽象性。四は、他の金融分野との関連性。第二の個別問題につきましては、一般的評価をふえんするような意味におきまして、一は中期預金、二は預金保険、三は合併、提携、四は健全経営の確保、こういった項目について私の考えを申し述べさしていただきたいと存じます。
 まず第一の、答申の一般的評価でございますが、「現段階における答申としては、よくまとまっていて妥当なものと思う。」というふうに存ずるのでございますが、無条件で高く評価するというような言い方をせずに、「現段階の答申としては、」というような留保づき的な言い方をいたしますゆえんは、またそういうふうにせざるを得ないというふうに考えますゆえんは、次の理由からでございます。
 第一は、現行制度の全般的な検討の困難性でございますが、そもそも、一般民間金融機関のあり方等を全面的に洗い直して検討するということには、たいへんむずかしい問題があると私は思うのでございます。それは、現に生きて動いている信用機構に改変を加えることでございますので、かりにこの答申の中に、ある特定の金融機関や特別の種類の金融機関についてその存在を危うくするような、あるいはその存立の意義を否定するような内容が織り込まれました場合には、そのこと自体によって、直ちにその金融機関の経営を困難ならしめるというような危険があるわけでございます。その意味では、白紙に絵をかくのと違いまして、非常にデリケートな問題がございます。金融制度の改変というものは、どうしても、現実の変化に即応しながら徐々に改変するという考え方に立たざるを得ないというふうに考えるのでございます。
 第二に、経済情勢見通しの困難性の問題でございますが、経済情勢の変化によって金融制度というものも異なるべきであるのは当然であります。したがって、一般民間金融機関のあり方等を検討するにあたっては、当然、将来の経済情勢の判断を前提とする必要があるわけでございます。答申の中におきましても、一応経済情勢の見通しについての考え方が述べられているのでございますけれども、はたしてそのとおりになるかどうかということは、必ずしもいま断定できないと思います。したがいまして、今後の時々刻々の経済情勢をも十分考慮しながら、これに即応した改変を行なっていくということが必要であると思うのでございます。
 第三は、目的及び理念の多様性と抽象性。まず、一般民間金融機関のあり方等についての目的なり理念なりが多様的であると言い得ると思います。従来の金融行政が過保護的だといわれました基本の考え方といたしましては、過去においてたび重なる恐慌、特に昭和二年の大恐慌によって金融機関の信用が動揺いたしまして、経済界に多大の混乱をもたらしたことを契機といたしまして、また貯蓄奨励という見地もございまして、金融機関の信用を維持すること、端的にいえば金融機関は倒産することがない、したがって取りつけというようなことを心配する必要はないのだという一般的な観念を確立することが、金融行政の重要な目的の一つとなっておったといえるかと思うのでございます。このことは、戦後においても資本蓄積の不足のゆえにオーバーローンの形で経済が成長いたしました。その経済のささえとして、このことが大きな役割りを演じてきたものと思うのでございます。そこで、このような考え方が反面金融機関の経営を安易なものにするという批判を生みまして、競争原理の導入とか効率化といった考え方が答申にも織り込まれることになったものと考えるのでございます。しかし、従来基本的な考え方として金融行政の柱となっていたこういう考え方は、今日においてもやはり重要な要素でございまして、これを全く競争原理という考え方に置きかえるわけにはいかないものだと思います。二つの考え方をどの程度に調和させていくかという問題であると思うのでございます。
 また、効率化という理念と公共性という理念につきましても、経済社会が完全な合理主義、自由主義、個人主義に徹し得るようなものでありますれば、効率性の追求と公共性の追求が一致するでありましょうけれども、現実の経済社会は、必ずしも両者が一致しない場合があるわけでございます。また、効率化とか公共性とかいうことばそのものも抽象的でございます。具体的な事例においてはどの程度にどちらを優先させるかについて判断を要するものが多くて、必ずしも答申の文章ですべてが解決しているとは言いがたいわけでございます。したがって、競争原理の導入、金融の効率化という考え方を問題として提起し、答申に至るまで、これらの問題について種々と議論が行なわれましたことはきわめて意義が大きかったのでありまするが、その具体的な運用につきましては、今後の金融行政と金融機関の経営の良識にまたなければならないところが多いと思うのでございます。
 第四は、他の金融分野との関連性でございますが、一般民間金融機関のあり方等を答申するにつきまして、これと関連する他の金融分野の検討が同時に必要なものがございます。たとえば金利機能の活用の必要性が答申の中にうたわれておりまするが、これについては資本市場、特に公社債市場の育成、平常化、こういった問題が至急に検討されなければならないと存じます。長期金融と短期金融の調和の問題、これも公社債市場の整備により解決されるところが大きいんじゃないかというふうに考えるのでございます。それからまた、農業金融と一般金融との調整の問題も検討する必要があると思います。それからまた、一般民間金融機関に、公共性のゆえに採算をどの程度犠牲にさせるべきかというような点につきましては、政府関係金融機関がどの程度その役割りを果たすべきかの問題とも関連がありまするので、政府関係金融機関のあり方の検討も必要であるかと存じます。
 以上、要するに、今回の答申につきましては、一部には結論に具体性がないとか、大山鳴動してネズミ一匹だといった批判もあるようでございますが、以上申し述べましたような理由から、現段階においてはこのような形になるのはむしろ当然なことでもあり、またいろいろな考え方をよくまとめ得たものと存じます。結局、この答申に対する評価は今後に残された問題でございまして、重要なことは、この答申と、この答申を得るまでに行なわれましたいろいろの角度からの議論を参考にしながら、今後の情勢に即応し、かつ摩擦や副作用に十分留意しながら一歩一歩と着実に制度と運営の改善を進めていくことだと思うのでございます。
 以上、答申の一般的評価についての意見を終わりまして、次に個別問題に移りたいと存じます。
 まず第一は中期預金でございます。
 中期預金の問題については、答申にも「今後の方向としては、預金者の需要、企業の安定資金への要望等の見地から、中期預金の導入は検討に値するものと考えられるが、なおその場合においても、経済の動向を勘案すること、公社債市場育成との関連を考えること、各種金融機関の経営に及ぼす影響につきよく見きわめること等十分の配意が行なわれるべきであり、また実施の方法についても金利、期間等の面で、長期金融機関の資金吸収手段との権衡を考慮することが必要である。」この前に積極論と消極論が書いてございまして、そのあとにいま読み上げましたように書いてあるのでございます。全くそのとおり、いろいろの要素を検討しなければ結論を出しにくい問題だと存ずるのでございます。ことにこの金利体系の問題をどうするかということと関連があるのでございまして、中期預金の導入によって全体の貯蓄総額が増加するということもないとはいえないでありましょうが、特定の金融機関にこれを認めますれば、どうしても他の分野に向かうべき資金がそこに吸収されるという問題は避けられないと思います。したがって、信託銀行、長期信用銀行、資金運用部の資金源、公社債等、これらとの関係において、普通銀行等の資金吸収を現状よりも促進すべきだという政策判断に基づいて初めて決断できる問題であると思います。かりに、これと並行して他の分野における資金調達金利の上昇をはかるとすれば、全般的金利水準の上昇を行なうという政策判断が必要ではないかと思います。資金コストが上昇すれば、どうしても高圧経済が続きます限りは貸し出し金利の上昇に影響する可能性があると思うのでございます。したがいまして、中期預金の問題は、答申がうたっております、諸般の情勢を考えて金融当局が決定すべきことであって、金融制度調査会において結論を出すということは困難な問題であるといえるかと思います。
 それから預金保険でございますが、預金保険制度につきましても私は委員としてこれに賛成しているのでありますが、その必要性の考え方については私なりの考えを持っております。答申には「現行の制度では、預金者の保護と金融機関の保全とは分離できない体制にあるため、戦後の金融機関行政においては、金融機関の経営保全を通じて預金者の保護を図るという立場がとられてきた」云々、それから「適正な競争原理を導入し、その経営の効率化を促進していく見地からは、この際、預金者保護と金融機関保護との分離を図る必要がある」云々、こういうふうにうたってございまして、まあこういう考え方を主眼として預金保険制度を導入しようということになっていると思うのでございます。
 しかし、これは読みようによっては、競争原理が導入されてやってはいけない金融機関が出ればかまわずつぶす、その場合に、預金者を保護するために預金保険制度が必要なんだというふうな考え方にウエートがあるようにもとれないではないのでございます。しかしながら、この金融機関の経営保全と預金者保護の分離という考え方は、そんなに割り切れるものではないというふうに私は考えております。百万円以上の預金者といえども、預金者である限りは保護されるべきことは当然でございます。金融機関が倒産、整理されることによって、そういう預金者に不測の損害を与える危険があるということでは、先に申しました経済成長の基礎となっておりまする信用秩序が動揺する危険がございます。そもそも、金融機関が認可を受けて設立されて、金融当局の監督下にあるのが原則でございます限り、その経営を健全ならしめるべく指導監督することが当然でございまして、競争原理が導入されたといたしましても、それぞれの金融機関の与えられた地域的経済的基盤、諸条件を基礎にしてその金融機関がまじめに経営している限り、何ら不安を生じないようにされなければならないと私は思うのでございます。かりに経営に問題がある場合には、事前に合併の慫慂あるいは経営者の交代等を慫慂して不測の事態を防止するのが本則であると思います。行政は、乱に流れることは絶対に許されませんけれども、しかし同時に、必要な場合には強くなければならないと存ずるのでございます。
 そう申しますと、預金保険制度は要らないじゃないかというふうにいわれるかと存じますけれども、私は必ずしもそう言い切れないと思うのでございます。というのは、今後わが国経済は国際化をいたしまして、金融面その他多くの面で外国の経済と混合し、入り組んでまいると思うのでございます。したがいまして、世界経済の変動あるいは外国におけるたとえば取りつけ騒ぎといったような個々の現象も、直接、間接にわが国に影響する度合いも強くなると存じます。また、預金者の数も一般所得の増加に伴いまして増大するでありましょうから、少なくとも一定額以下の預金者については、いかなる事態が起こってもその預金は保障されるという安心感を与えておくことが、信用秩序の維持という観点からも必要なことであると思います。このような観点から預金保険制度に賛成をいたしたのでございますが、その機構については、いま言ったような趣旨もございます、できるだけ簡素なものとすることが望ましい、そういうふうに考えております。
 それから第三は合併、提携でございますが、合併、提携の問題につきましては、一般論として――これはあくまでも一般論でございますが、一般論として申しますならば、経済の拡大に伴いまして金融機関の合併も起こるということは、一つの方向であるとは思います。しかし、実際の問題といたしましては、金融機関は株主、取引先、従業員等の関係もございまして、それらの関係を含めて円滑に合併が行なわれます場合は、効率もあがり、規模の利益も享受されることになりましょうが、合併後に摩擦を生じたり、逆に効率が下がるというような弊害を伴います場合もあり得るかと存ずるのでございます。そういった意味で、無理やりに合併さえすればいいというわけにもいかない、こんなふうに考えるのでございますが、これに対して業務提携のほうは、そのような摩擦を生ずることが少ないという意味で、今後合理化を進めるためにも、業務提携の関係の種々のくふう、努力が行なわれてしかるべきであろうと存ずるのでございます。ただ、現在は新聞、雑誌等がたいへん発達をいたしておりますので、何か業務提携をいたしますと、すぐその相手の銀行と合併するのではないかというようなうわさが立ちますので、業務提携の進め方もむずかしいというような要素もないことはないのでございますが、しかし、それはたいしたことはございませんで、やはり業務提携といったようなことで合理化を進めていくということは必要なことじゃないかというふうに考えております。
 それから第四は健全経営の確保でございます。
 金融の効率化という問題が取り上げられまして、統一経理基準による指導が行なわれておりますのは、金融機関の経営を健全化し、合理化する上において私は非常に有意義であると存じます。その場合、効率化が利潤第一主義とかあるいは弱肉強食といった弊害をもたらさないように、段階的にかつ実情に即して指導が行なわれますならば、その効果はきわめて有益なものとなるのではないかと思うのでございます。あまりこれが急なことを要求しますと、そこに無理が起こります。したがって、全体の金融機関の合理化を進めるとか効率化を進めるということを、実情に即しながら段階的に指導していくということでございますならば、全般的な金融機関の合理化、効率化という面で非常に有益じゃないかというふうに思うのでございます。この意味では、系列融資とか過度の集中融資の問題あるいは経営の健全性に関する諸指標の改善等につきましても、経済に混乱を起こさないように――ことにわが国経済の事情は外国と違います。わが国経済の特殊事情というものがございます。特に自己資本が少ない、借り入れ資本が非常に多いというような特殊事情もございますので、そういった問題等を十分に考察しながら、きわめて慎重に、実情に即しながら改善するというような前提で、これは検討が行なわれることが望ましいというふうに考えるのでございます。
 一応私のほうで申し上げる意見はこの程度にさせていただきます。御質問でもございましたらまた補足させていただくかと存じますが、御清聴をいただきまして、厚くお礼を申し上げます。どうもありがとうございました。
#18
○藤井小委員長 質疑の通告がありますので、順次これを許します。堀昌雄君。
#19
○堀小委員 ただいま石野参考人がお述べになりましたことは、実は先ほど井上参考人との間にも少しお話をいたしましたことにも関連いたしておりますが、実は私が今日まで金融制度のいろいろな今日の問題について申してまいりましたり、また考えておりますことと、石野参考人のいまお述べになりましたことは、ほとんど同一のように私は考えるわけでございます。この金融制度調査会の答申に関連する参考人をお招きをいたしまして、その最後に石野参考人がたいへん適切な締めくくり的な御発言をいただいたことは、当小委員会にとってもたいへん有意義であったと、私、高く評価をさせていただきたいと存じます。
 そこで私、前半でいまお触れになりました経済性追求と公共性との併存という問題とその接点という問題をかなり論議をしてまいりました。やはり石野参考人のお触れになりましたように、この答申の中に使われておりますことばがやや抽象的でありまして、あらわしておるものが実体は何かということがよくわからないものが少しあります。その一番中心は適正な競争原理ということば。その適正という表現が、実は私非常にひっかかってまいるわけであります。それについて、ちょっと角度が違うのでありますけれども、石野さんもこの委員のお一人だと思うのですが、全国銀行協会の業務管理等改善委員会で、昭和四十五年十月十三日、「業務管理等の改善について」という取りきめをなさっております。その中でちょっと具体的に申し上げますと、「業務活動の正常化に関する事項
 行き過ぎた預金獲得行為や過剰サービス等を自粛し、窓口接客体制の充実を図るため次のような措置をとるものとする。
(1) 外訪活動等の正常化
 イ 行き過ぎた外訪活動の自粛
  休日出勤による外訪活動や勤務時間外における店内事務要員を含めた外訪活動等の行き過ぎた業務活動についてはこれを行なわないこととする。
  また、行き過ぎた外訪活動の自粛に関連し、銀行本来の業務以外の過当な役務サービスについてもこれを行なわないよう併せて自粛するものとする。」
こういう表現がございます。この表現を読んでおりますと、行き過ぎた預金獲得行為、過剰サービスというふうな表現が使われておるのでありますけれども、実は現在の競争というものは、これに表現されるように確かに過当なんだと思う。それを何とか適正にしたい、こういうことで私どもはかねてから当委員会でいろいろと議論をしてまいりましたけれども、今日、たとえば前段でもちょっと触れましたけれども、配当を自由化するという方針がきまりますと、配当自由化のためのいろいろなファクターの中では、やはり銀行の収益を拡大することが配当を多くできる、配当を多くできたことがその銀行はいい銀行だ、そのためには、やや問題があってもいろいろな手段を通じて預金を拘束する、要するに歩積み・両建てを行なうことが最も端的に収益を拡大する道になるのではないかということで、最近産業界からも、また本日新聞に出ました公正取引委員会からの報告等に見ましても、実はそういうものが広がってきている。ですから、私どもは、お述べになりましたような健全経営を確保するということのために、いろいろと当委員会でも努力をしてきましたけれども、その努力が実際の経営上に動いてまいりましたときには、いつの間にか異質の形のものになる。どうも適正でない形に転化をするというのが最近の実情のような気がいたすのであります。
 そこで、先ほどもちょっと井上参考人に伺ったのでありますが、一体現状でそういう適正な競争というものは期待できるのかどうか。裏返して申しますと、先ほどもお述べになりました高圧経済がある程度安定をしないことには、金融機関外経済情勢といいますか、そういうものがある程度安定をしなければ、適正な競争というものを求めることが困難なのではないのかという感じもいましておるわけでありますが、そこらについて石野参考人から、適正な競争という問題のいまの経済性の問題と公共性との関連で、もう一回ちょっとお答えいただきたいと思います。
#20
○石野参考人 御質問の、適正な競争原理の導入、この「適正な」ということも抽象的ではないかという御意見、これは私も全く抽象的であるといわざるを得ないと思うのであります。したがいまして、それが適正であるかそうでないかということになりますと、結局、当事者の良識とか金融当局の指導とか、あるいはまた世間一般のそういうものについての考え方の基準といいますか、そういったものがやはり判断の基準になるということで、外訪活動というものもおよそ一切やらないで、とにかくお客さまが窓口に見える以外は外に出ていけないということもあまりひどいじゃないか。そうかといって、引っ越しの人が近所に来たというと、銀行員が各銀行から寄ってたかって荷物を運ぶというようなこともまた行き過ぎじゃないかという意味で、どの程度のことならいいかということになりますと、結局社会の常識といいますか、そういったものによって判断せざるを得ないんじゃないかというふうに考えるわけでございます。
 御質問の趣旨は、適正な競争原理とはいいながら、競争原理を導入すると、配当の競争とか、そういうようなことで、歩積み・両建ての面とか、要するに利潤第一主義におちいるんじゃないかという点が御質問のポイントじゃないのかと思うのですが、先ほども申しましたように、金融機関というものはもしも破綻したりするとたいへんだという気持ちが、昭和二年恐慌以来、大蔵省の基本的な考え方だったと思うわけです。そういう意味においては、それを破綻させない、いやしくも金融機関が何らかの形で弱くなるとかいうようなことになるとこれはたいへんだというような気持ちが、基本的にはあったと思います。それがかえって金融機関の経営を安易にするという反省から、ここで競争原理の導入という考え方が出てきたこと自体には、やはり私は意味があると思います。したがいまして、そういった考え方をある程度織り込むということはけっこうだと思うのですが、しかし、配当の自由化というものが行なわれることになったからといって、それをえらいたいへんなこと――たいへんなことと言うとおかしいですけれども、それを第一に金融機関の経営の目的にして、高い配当を競い合うというようなことは、やはり金融機関の経営上は問題であって、この辺は、高率配当というものに対して全般的な社会の批判というものもありましょうから、金融機関がみんなその辺のところを考えながら適度なところでやる。配当も全部一律でなければいかぬということではありませんけれども、ある程度は、利益が多ければ株主に還元するという考え方はあってもいいとは思いますけれども、何か配当を自由化したからといって、それを競争のめどのようなことにしないように、おっしゃるところは、結局金融行政なり金融機関なり一般の社会の常識なり、その辺のところで解決していくということのほかはしようがないんじゃないか。そういう意味において、適正な競争原理の導入は考え方としては間違ってはいない、こういうふうに存ずる次第でございます。
#21
○堀小委員 その次は、さっきもちょっと伺ったのでありますが、中期預金に関連してでありますが、石野参考人は、中期預金は、いま承った範囲では、慎重に考えてやるべきだというお考えのように承ったわけであります。私も全く同感なんでありますが、その理論的な面といたしまして、これは井上参考人に先ほど伺いましたけれども、私は、定期預金というものは本来的にこれは預けたら返さないといいますか、一定期間を固定するものだという概念のものだと思うのでございます。さっき井上参考人は三年とおっしゃいましたが、三年とか二年とか、いるいろ希望はございますけれども、定期預金というものは一年以上というのはおかしいのではないか。国民のニードというのはできるだけ高い金利がほしい。しかし、そうだからといって、いま特に銀行に期待をしておるのは流動性もほしいんだ。こういう二つの、やや相反しますけれども、要求があるんだ、こう考えているわけです。私はそういう意味では、一年定期というのは一年間はいい、しかし一年目には解約できるという条件、そういう範囲での流動性として国民は銀行に期待を持っておると思うのでありますが、初めから三年ということになりますと、三年間は固定したものになる。そういういまの資金の状態というのは、普通はないんじゃないか。三年となれば当然金利は高くなりますけれども、これの流動性を確保しようとすれば、それは定期預金ではなくて、あるいは証券類、債券類といいますか、貸付信託もある意味では債券だと思いますけれども、そういうような換金の可能性のあるものというものになるのが理論的には筋ではないだろうか。そういう意味の理論的な追求の結果が、アメリカでCDができた背景につながっているのではないかというような私なりの理論分析を、この定期預金と長期のものとについて私はしておるわけでございますけれども、そういうものの考え方ですね。定期預金は最大一年ということで十分だ、さっき私はちょっと触れたのですが、しかし、そうだからといって、預金者が二年も三年も置いておるのも実情でございますから、そういう二年、三年置いておるという実情に対してフェーバーを与えるという意味では、一年定期だけれども二年、三年継続するのはいま現実に行なわれておりますから、二年に継続するときには、二年目はたとえば六%になる。もし三年継続されれば三年目は六・二五%の金利を差し上げましょうというようなこと、しかし、それはいずれも一年定期なんです。一年定期がたまたまその次一年延長したというだけであって、三年とか二年とかいう、スタートからそれを固定したものでないという考え方をとるならば、預金者に対するフェーバーを与えることにもなるし、そういう制度ができれば、銀行に預けておいても流動性も確保できるし、二年目、三年目は金利も高いものがもらえるしということで、両面から、さっき私の申し上げた国民のニードにも合うのではないかという気持ちもするわけでありますが、それは具体的な実行面の問題でありますけれども、そういう問題も含めて、一体定期預金というものが、二年も三年も確実に固定して換金性のないものなどというのは理論的にはちょっと問題がある、一年をもって最長としたらいいのではないか、こう私は思うのでありますが、その点について伺いたいと思います。
#22
○石野参考人 私も深く考えてみたことはございませんが、二年定期、三年定期というものが理論的に絶対に成り立たないかどうかということになりますと、貸し出しのほうも二年とか三年というような中期の貸し出しをやる、それに見合って二年、三年というような定期預金もつくって絶対に理論的におかしいともいえないのじゃないかと思うのです。しかし、堀委員のおっしゃるようなことかともいま伺ってみますと思うのですけれども、まあしかし、貸付信託などは五年ということになっておりまして、これは公社債と同じように途中で売ればいいというようなことではありましょうけれども、実際上は預金のような形でいま運用されていると思います。そういう意味で、絶対にいけないかどうかという問題は、ちょっと私も必ずしもそう言い切れないかと思うのですけれども、その場合に、一年が二年になり、二年が三年になり、自然にまかせておいて金利が上がっていくという考え方は、これは郵便貯金にも一つの種類があったかと思います。そういう考え方も、全体の預金コストの問題とも関連はありますけれども、一つの考え方だと思います。預金金利を引き上げなければいけないという考え方としては、一つの考え方かとは思いますけれども、ただ銀行の資金運用の計画というようなことからいきますと、やはり預金のほうも、一年ものは幾らとか半年ものは幾らというようなことになっているほうが、運用の計画を立てるというような場合には便利だと思います。ことに、従来、商業銀行というものはできるだけ短期の貸し出しをやるというたてまえになっておりまして、そういう意味で一年定期以下六カ月とか三カ月というようなことになっていたのだと思います。中期貸し出しの問題等がどの程度実際に行なわれるかというようなこととも関連しまして、いまのような問題も検討に値すると思いますけれども、私、いまどっちがいいというふうにも申しかねる状態でございます。
#23
○堀小委員 私も一年以上絶対いけないという意味ではなくて、理論的に見ますと、要するに、いまのいろんな経済社会の通念、国民の金融資産の保有量等を見まして、大体私は、固定されている資金というのは一年というのが限度でいいのじゃないか。それ以上長いものになれば、理論的には、場合によってはいつでも換金できる性格のものという――ですから貸付信託が、おっしゃるように私ども確かにあれは五年の預金だと思っています。その証拠には、この間当委員会に信託銀行からお越しになって、預金保険ができたら貸付信託も預金保険に入れてくれという話ですから、私は、とんでもない話だ、それではみずから貸付信託は預金ですということを言うことになるだけで、意味はないように思ったのですが、それくらいの感触を信託銀行は持っておられるところを見るとまさに預金みたいに思いますが、制度的にはあれは換金ができるという仕組みになっておるわけでありますから、そういう制度的な理論的な意味で、私は、そういう完全に固定をした預金というのは一年というのが最長でいいんではないか。理論的な問題でございますね。それは実行面としては政策的な必要等で変更することもあり得るかもしれませんが、それにしても、その変更するときはさっきお話しになったような、答申が触れておりますような諸条件というものを十分検討した上でなければ簡単に行なうべきでないというのが私の理論でございますが、理論的には一年くらいをもって限度とし、それから長期のものをつくるとすれば換金性のあるものということになるのが、金融の制度としては理論的に相当ではないだろうか、どうも私、こういう感じをいたしましたので、ちょっとお伺いしたのであります。
 次に、預金保険でありますが、私もこれまでしばしば、いま石野参考人のお述べになったようなことを言って回っておるわけであります。私が申しておりますのは、実はいま証券に、御承知のような証券会社免許制という問題が大蔵省の手によって行なわれて今日に至っております。私はその証券免許制を強く要望して今日に至ったわけでありますが、証券の問題を免許制にしてくれというのは、証券会社というものがあまりにもルーズでありまして、少なくとも投資家の期待にこたえられるような安定した広義の金融機関だということにしないことには、私は投資家保護が十分行なえないのではないかという気持ちから、実は証券免許制を推進してきたわけであります。その角度では、私どもは、免許をした証券会社はつぶれないのだということにいたしませんと、免許をした会社だけれどもつぶれるのだでは、一体何のために免許したかわかりませんから、あの発想は免許をするための条件を非常にきびしくしております。負債倍率まで法定化をするほどきびしくしておいて、しかし、できた以上はつぶさないという発想があるわけであります。ところが、たまたまいま石野参考人がお述べになったように、預金保険のいろいろな問題の経過の議論の中では、何か金融機関はつぶれることもあり得るぞということだ、ということになりますと、同じ大蔵省がつくっております法案の中で、新しいほうの法案では証券会社をつぶさないために免許制にした、こっちは免許制だけれどもつぶす――つぶすというと悪いですけれども、つぶれることはあり得るんだ、こうなりますと、私は大蔵行政として少しおかしいんじゃないか、これが第一点。
 二点目は、たいへん強大な検査権、監督権を実は持っておられるわけです。これは石野参考人も、御自身で御経験をいただいておる経過があって、よく御存じのはずです。それだけ監督権があって免許しているものがつぶれるということは、言うなれば大蔵省に責任があるわけだと私は思うのです。ですから、私はいろいろな話の中で申し上げたのですが、預金保険というものを理論的に考えるのならば、ほんとうは大蔵省が監督権を放棄した場合には私は直ちに賛成するけれども、あれだけ手厚い監督権、検査権を持ちながら、どうもそれが責任回避のような感じに受け取れるような預金保険制度というものは少しひっかかってくる、こう言っているわけです。実はそれについて、前金融制度調査官でありました徳田さんが銀行協会の方との対談の中で、「たとえば行政上の監督の強化にしても、銀行法上いろいろ処分権が認められておりますけれども、現実に金融機関に、たとえば業務の停止とか役員の解任というような措置がとられますと、そのうわさが伝わっただけで預金者が非常に動揺して、かえって取付騒ぎが起こって、つぶれなくてもいい金融機関までつぶれてしまうということがありまして、いわば伝家の宝刀的なものとして、従来ほとんど発動されなかったわけです。」こういうふうに書かれておるわけであります。これは銀行法二十二条、二十三条に明らかに規定がありますけれども、考えようによっては、業務の停止よりも問題は役員の問題だと私は思うのです。最近の西京都信用金庫でありますか、たいへんな事故を起こしておりますけれども、いまの問題は、競争の結果つぶれるのならば、これは経営比率をちゃんと見ておればだんだん、とってもよくないな、ここらで考えよう――信用金庫の場合には決算承認金庫というものがあるくらいでありますから、かなり早くわかるわけですから、おっしゃったような事前の処置がとれるはずであります。とれないのは、そういう役員がフェアでないことをやるか、非常にルーズなことをやるか、その二点が問題なんでありますから、それについて役員の解任権のようなものが与えられておるのならば、役員を解任することが直ちに取りつけにつながるとは私は考えておらないわけでありますから、そういう点で、もしいまの二十三条が不備であるというならば、私は、ここにもう少しファインチューニングをつけた銀行法の改正をすることは当面非常に重要ではないかと思う。そういう不測の事態を避けるためには、預金保険よりも、やはり石野さんがおっしゃったように、私は金融機関の保護と金融機関の経営者の保護とを分けてもらいたい、率直に言いますと。金融機関そのものというものはやはり公共性の高いものとして運営されるべきであって、それを金融機関の経営者が利潤追求の手段として使っておるというのなら、その経営者には問題がありますけれども、金融機関そのものというのは、本来的に公共的なものとして維持、持続させるべきだというのが免許制というものの土台ではないのか、私はこう考えておるわけでありますから、そういう意味では、つぶさないことをもってたてまえとするということがまず先行すべきじゃないかという点については、私、石野参考人の考えと全く同感なんであります。
 そこで伺いたいのは、いまの監督権というものをもう少し合理的に使えるようなファインチューニングとしての銀行法の改正といいますか――預金保険の前の話なんでありますけれども、そういうことによって銀行の不測の事態を避ける方法を、免許を持つ大蔵省に認めるべきである。ただ、しかし、その問題については、政府の民間に対する介入の問題というのが起きないとも限りません。そこで、それは少なくとも拒否権といいますか解任権だけであって、あの役員はどうもフェアではない、適正でないからやめてくださいということはできても、あとを補充することについては、私は、これは当然そういう協会なり、同業の全体の場でいろいろ検討されてしかるべきで、要するに拒否権を持つことがあれば十分ではないか、こういうふうな気持ちでおりますが、まず預金保険の前段の部分として、大蔵省の監督行政のあり方を、銀行法の改正を含めて御意見を承りたいと思います。
#24
○石野参考人 最初に、認可をした以上つぶさないという考え方、このたてまえの問題と申しますか、ものの考え方としては、堀委員と同じような方向の考え方をいたしておりますけれども、実際に行政を担当する者といたしまして、それなら一切絶対につぶれることがないかということになりますと、ほんとうに経営者といってもいろいろあって、何と言っても言うことを聞かないというようなこともあり得まして、そういう意味では絶対につぶれないというふうにはいえないと思うのです。したがいまして、預金保険の問題は、さっきの国際化の問題とかいろいろの問題とも関連し、かつ非常に落ちこぼれた場合にそれを救うというような意味においても、やはり必要だというふうには考えるわけでございます。
 そこで、監督権の行使の問題でございます。ファインチューニングのような形で拒否権だけを与えるような銀行法の改正をしたらどうかということでございますが、先ほど来堀委員の理路整整たる御質問を久々で拝聴いたしまして、なつかしくも思っておるのですが、私が銀行局長をやっておりましたのは十年前でございます。事情もいろいろ変わっておるかと思いますけれども、実は法律の規定がどうであるからそれがやりやすいとか、やりにくいとかいうような要素は非常に少ないのじゃないか。その辺のところは、どうにもしようがない経営者となるとほんとうに解任せざるを得ないかもしれない。しかし、たいていの場合は、解任権というものが法律にあれば、話をしているうちに、それではかわりましょうというようなことにもなるのじゃないか。それをファインチューニングの法律を改正すれば非常にうまく事が運ぶかというのは、結局行政の問題ではないかというふうに考えるわけでございます。銀行法の改正というものが必要かどうか、その点まではまだ考えておりませんけれども、要はやはり行政上どの程度のことができるか。それが逆に乱に流れますとこれまた非常に弊害があるものですから、しかも、解任を求められた場合に行政権の行き過ぎだというようなことで、非常に抵抗があるというようなこともあり得るかと思います。したがって、金融当局として万々一の場合に備えて、やはり預金保険制度というものがあったほうがいいという考え方は私どもも理解できると思うのでございます。
#25
○堀小委員 私も先にそれを申し上げておけばよかったのですが、預金保険はあってはならないということではないのです。あっていいのです。あっていいのですが、預金保険を使うというのは、これは最後の最後の場合でして、本来は、預金保険の制度はあってもその制度が使われないことが最も望ましいのでありますが、それは石野さんが前段でお触れになったような、金融というものは信用の問題、これが最大でありますから、ちょこちょこ預金保険が使われたりすれば、これはどういう角度からにしろ、国民の金融というものに対する信用は大幅に減退をするわけですから、これは制度としてあっても使われない制度がいいと思うのです。
 そこで、いま伺ったんですが、なるほどどうも私ども、徳田さんここに書いておられるだけでなく、われわれ行政当局の皆さんと接触しますと、いや堀さん、なかなかそう言われても解任なんてできないんですと、こう言われちゃうものですから、できないなら何かできる方法をひとつ法律的にでも考える手はないか、こういうことなんですね。もう少しここに書いてある――私はこれだけでけっこうだと思うんです。ここに書いてあります法律は、「銀行ガ法令、定款若ハ主務大臣ノ命令ニ違反シ又ハ公益ヲ害スベキ行為ヲ為シタルトキハ主務大臣ハ業務ノ停止若ハ取締役、監査役ノ改任ヲ命ジ又ハ営業ノ免許ヲ取消スコトヲ得」とありますから、これでかなり広範囲な条件が具備されておりますから、何も公の利益をそこなうおそれがないのに解任したりしては、さっきおっしゃったように行き過ぎになるわけですから、当然公の利益を害するというふうにすべての第三者が判断をするようなときしか使わないのですから、使っていいと思うんです。営業停止は、たいへん周囲に及ぼす影響が大きいからこれは無理でありますけれども、私はやはりその程度はできると思うんですが、ここに書いてありますように、いま申し上げたように、行政当局はそれはできないんですという話が多過ぎるものですから、ちょっと経験者である石野さんにいかがかと思って伺ったわけであります。
 その次に、やはりここにお述べになっているように、できるだけ簡素なものにしたほうがいいとおっしゃっているんですが、私は、預金保険が発動しないほうがいいということはおそらくすべての関係者の一致した意見だと思います。じゃ、預金保険が発動しないような条件が長く続くと、そのことがまた金融機関の健全性に結びつくという仕組みがあわせ併存しておるならば、時間がたてばたつほど、そういう危険は減ってくるんだということになる仕組みというものがあってもいいんじゃないか。
 これは私はずっと銀行局にもお話を申し上げているし、当委員会でも何回か申し上げてきたんですが、大体日本の銀行の支払い準備というものは非常に不足をしております。特に都市銀行は、預貸率の関係もありますけれども、日本銀行が支払い準備みたいなかっこうになっているのは、私は、適正な競争原理ということばが適用しないのではないか。競争原理というのは、自己が自己を守るといいますか、企業責任があって、支払い準備がちゃんとあって、そのお互い対等な者同士の中での競争というものが適正な競争だと思うんですが、片や日本銀行に支払い準備があるものと、片や何もないものとが一緒に競争すれば、日本銀行に支払い準備があるものが強いにきまっているわけですから、その点で問題があると思うのであります。そこで私は、都市銀行を含めて、適正な支払い準備というもの、たとえばアメリカならアメリカ方式、イギリス方式というふうに、現金準備その他についていろいろなルールがありますが、せめてあの程度まで、法律をもって各金融機関に支払い準備を年率幾らということで、アメリカの方式で考えれば、そこまでいくために向こう十年間が適当だと思えば十年間なり、十五年なり、タームは適当に、いまの金融の諸情勢等勘案しながら考えればいいわけですが、そういうルールによって、各金融機関の中に法律に基づいて強制的に支払い準備を積ませる。その支払い準備を積んでおる過程でもし事故が起きれば、各金融機関はその支払い準備の中から一定割合を取りくずしてその事故に出す。出損するという形ですね。そうすれば事故が起きたときにはその資金は自動的に預金保険の効果を発揮する。事故が起きなければ時間がたつほど支払い準備はどんどん積まれていきますから、金融機関の健全性というものは事故が起きないに比例してだんだん安定度が増していく。十五年か二十年先には、そういう制度が実質的に働くことがなくて、支払い準備が十分にできた健全な金融機関になるのではないか。そうすれば、ルールだけでありますから、人間の問題、人件費等も要りませんし、各行はともかく内部に積むわけでありますから、別に外に積むのでなければ、そのことについては積極的に支払い準備を積まれるという点で抵抗もないんじゃないか。経済的なロスも少ないということで、私は、いまの預金保険の制度についてはそういう仕組みを実は銀行局の皆さんに申し上げて、当委員会でも発言を申し上げておるわけです。同じやるならば、そのことが使われないで済む。使われないで済むだけでなくて、銀行の健全性に役立って、預金保険の必要を減らすという方向に働く仕組みのほうが合理的じゃないか。こういうふうに考えるわけでございますが、それらについてのお考えを承りたいと思います。
#26
○石野参考人 支払い準備を強化しなければいけないという考え方と預金保険制度を結びつけて、保険料相当額を金融機関のほうで積み立てておけばいいじゃないか、こういうお考えだと思うのですが、確かに一石二鳥のように、非常に合理的な考え方のように思えるのでございますけれども、ただ、預金保険制度の方向といたしましては、これから大蔵省が立案をして、そして国会に提出して国会で御審議になるのだと思うのですけれども、私いまちょっと考えますと、全然主体がなくて各銀行、金融機関に積み立てておいて、何か事故が起こったときにそれをみんなから持ち出してというようなことになりますと、たとえば保険料がたまる前に何かが起こった場合には借り入れ金をしなければいけない。その借り入れ金の主体がないというようなことになります。あるいはその場合に、一体損害がどのぐらいかとか、幾らそこへ支出すればいいかとか、いろいろな査定の問題だとかいうようなこともありましょうし、それから、あの銀行が、あるいはあの金融機関が問題になりそうだというようなことを知っているべき者とそういう査定をする者とは一つであるという意味においても、何か金融保険制度そのものの主体が必要なのじゃないかというふうに考えるわけでございます。そういうような点を、私どもいま別にこの預金保険制度の立案を考えておりませんからわかりませんけれども、どうも何か主体も何もなしに、ただ金融機関の中に積み立てておくだけではやりにくいのじゃないかというような感じがするわけでございます。
 それから、積み立て金であります場合に、そういう保険料を税法上利益金とするのか損金とするのかというような問題もございまして、これからの検討を見ますところでございますが、現状では私はそういう問題があるのじゃないかというふうに考えております。
#27
○堀小委員 確かにおっしゃるような御指摘の問題点はあると思います。ただ、外に積んでも実は使われないことが望ましいものを積むということも経済効果としていかがであろうかと思いますし、預金保険の制度があるから金融機関は健全でないわけじゃございませんでして、金融機関が健全になることと預金保険の外に出すものとは無関係でございますからね。ただ、要するにヘッジのためにだけあるということがいいのか、制度といまの金融機関の健全性とがパラレルに進行するほうがいいのかという点では、私は、やはりいまの石野参考人のお話しになったようないろいろな問題を含めて検討する必要があるだろうと思いますが、できればそういうほうが合理性があるのではないかということだけでございます。
 最後に、御承知のような一連の金融機関の不祥事件というものがたいへん発生をしております。これについて、ちょっと私さっき触れました「業務管理等の改善について」ということで御努力いただくようでありますけれども、私は、はたしてこういうことをおきめになって実際に行ない得るのかどうかという点に非常に疑問を感じておるわけであります。ですから、たとえばいまの歩積み・両建て問題というようなものは、大蔵省からいただく資料ではどんどん減っているわけですね。ところが、公取のほうの調査で、要するにアンケート調査として企業側のほうから入ってまいりますものは、必ずしもそうなっていないというのが実情でありますね。ともかく、どの金融機関の問題というものも、たとえば架空名義預金問題一つをとりましても、これを取り上げてかなり努力をしてやっておりますけれども、国税庁から出てくるデータは、ちっとも減らないどころか、逆にふえつつあるというようなことになっておりまして、金融機関というところでは、トップになり上層部の方の考え方と現場第一線の人の考え方と相当食い違っておるのではないだろうか。この間もある金融機関の人たちと話しておりますときに、金融機関の現場では、上のほうでこうしてはならぬということを言われたら、あれはやれということだというふうに理解をして、どっと行くということになっているのですよという話を聞いたことがあるのです。これではどうしようもないな……。上のほうは言い方があるだろうと思うのです。要するに、この際ひとつ歩積み・画建ては大いに自粛をしてもらいたい、しかし配当の自由化もあることなれば、などというのがうしろにつけば、ああそうか、こうなるんだろうと思うのです。ですから、どうも銀行の顔というものがいろんなふうにあって、公共性の面から見るとたいへん遺憾だと思うのでありますが、歩積み・両建てにしろ架空名義預金にしろ、きわめて反社会的な問題で、銀行の公共性の問題から見るならばこれはどうしても減らしていただかなければならぬ問題だ、こういうふうに思うのであります。不祥事件等もそういう一連のものの背景の中から生まれてくるのではないか。ですから、さっきの「業務管理等の改善について」という中を拝見しましても、おきめになったけれども、はたして実際できるのかどうかたいへん疑問があるのですが、ここらの問題については、石野さんはどういうふうにお考えになっておりますか。
#28
○石野参考人 金融機関の不祥事件の問題につきましては、私どもも金融機関の一員としてたいへん遺憾に存じ、申しわけなく存ずる次第でございます。これを契機にそういった不祥事件がなくなりますように、ちょうど先ほど申し上げました昭和二年の恐慌以来、金融機関の信用が非常に動揺するというようなことが重要視されましたように、これを機会に空気が非常に変わってきて、そういう不祥事件がなくなるというふうになることが望ましいというふうに考えるわけであります。その通牒が、こうやれといって頭取が言ったのは、実は反対のことをやれという意味だというほどにひどいことにはなってはおりませんけれども、その通牒だけで、すべてのものが防げるかと申しますと、それは確かに不十分だと思います。私が不祥事件の問題につきまして考えておりますのは、やはりいろいろの理由なり原因なりがすでに一般にもいわれておりますし、大蔵省でもあるいは銀行協会でもそういった問題を検討されておるわけでございますけれども、特に私が感じますのは、一般的に部下に対する指導という面が、仕事の上で技術的に能率をあげるというようなことに片寄り過ぎておる。やはり一般的な責任感の欠如とか金銭に対する潔癖感の欠如、あるいは道徳的な観念の欠如というようなものが、何となく全般的に社会全体としてもあるのではないか。そういう意味におきまして、職場における経営者なり管理者というものが、仕事の技術的な面だけでなくて、やはり道徳意識の向上というような意味で、人生観だとか道徳観、そういうようなものも話し合うというふうにやっていかなければいけないのではないか。ただ、それが金融機関の場合、支店に分かれておりまして、行員と毎日会っておるわけでもありません。結局支店長を通じてというようなことになります。できるだけ支店に参りまして直接いろいろ話をする必要はあると思いますけれども、時間はかかると思います。非常に時間はかかると思いますけれども、やはりそういう努力というものが基本的には必要ではないかというふうに考えるわけでございます。
 それから技術的な面につきましては、ダブルチェックの方法をいろいろやっております。部内で検査もやっております。私どものほうも抜き打ちに検査をするというような制度になっておりますけれども、検査がある程度マンネリズムと申しますか形式的になっているきらいがないか。ポイントをついて、こういうところが問題になる可能性があるというようなところを、ポイントをついて何度も検査する。一般的な形式的と申しますか、いつもやるような検査はある程度間を置いてもいいけれども、ポイント、ポイントの検査はたびたびするとか、そういうようなことが必要ではないか。
 それからもう一つは、決してわずかの金額を無視するという意味ではありませんけれども、項目ごとに非常に大きな動きが起こった場合には、それをただ効率とか業績とかいう観点からだけでなくて、検査的な観点からその問題を見てみるという制度が必要なのじゃないか、そういうようなことでひとつ研究をしろということを部内には申しておるのでございまして、何ぶん検査のことなどになりますと、別に過当に競争をする必要もないことなんで、銀行間においても協力して、そういう検査の相談、協議をするとか、やり方について相談、協議する。場合によりまして、ここに銀行局長もいらっしゃいますけれども、大蔵省の検査部で各銀行の検査部の人間の研修をやって、いろいろ各銀行から問題点を持ち寄って、そしてこれについてこういうふうにやるほうがいいというような知恵をお互いに話し合いながら、大蔵省の全般的な立場から研究、指導していただくというようなこともやっていただけるといいのじゃないか、そんなふうに考えておるわけでございます。しかし、何と申しましても力が足りませんで、そういういい案ができるかどうか、私ども自信はありませんけれども、目下そういうふうに考えて研究を命じておる次第でございます。
#29
○藤井小委員長 これにて石野参考人に対する質疑は終了いたしました。
 石野参考人には、御多用中のところ貴重な意見をお述べいただきまして、まことにありがとうございました。厚くお礼を申し上げます。
    ―――――――――――――
#30
○藤井小委員長 堀昌雄君。
#31
○堀小委員 この間阿部助哉君が要求をしておったと思いますけれども、西京都信用金庫でございますか、いよいよ告発をされておるようでありますので、きょうは御準備があるかどうかわかりませんが、次回には、この西京都信用金庫の事情の概要についてひとつ当小委員会に御報告をいただきたいと思います。
 それからもう一つ、この間富士銀行の頭取に参考人としてお越しをいただいたわけでありますけれども、富士銀行の問題はさることながらでありますが、実はあのときにちょっと私質問をしました中で、銀行の債権確保のあり方が、新しい会社に債権が移動するということの点は、これは理論的に少し検討しておく必要がある事項ではないのかどうか。たまたまそれは関係者が寄ってできたにいたしましても、ある一つの会社ができたとたんにそこに五億円の債権が生じておるのだ。しかし、本来生じるはずはないものであります。ですから、債権債務の関係というものがそのような形で――要するにトムソンと富士銀行との間の債権債務、それが全然異質の法人の債権債務にどういう法律的な手続によって移動できるのかという点。これを私、その点で異例という表現をしましたが、これが不法なのか不当なのか、そこらの点について、銀行局としてこの問題を、法律的角度を含めてひとつ検討していただいて、次回の小委員会に報告をしていただきたいと思います。二点です。
 それから三点目は、新聞の伝えるところによれば、何か一年半定期などというものが話題になっておるかのように伝えられておりますけれども、本日は時間がありませんから触れませんけれども、先ほどから私が一連申し上げておりますように、定期預金の制度というのは、確かに運用上の問題もありましょうけれども、私は、制度的な問題として理論的な解明の必要な問題ではないのかというふうに実は考えておるわけであります。ですから、その運用上の問題ならば、そういう制度を固定したままでも――私はかりにここで一つの考えを申し上げましたけれども、私はこれをやれということではありません。そういうことでもいける道があるではないかという、一つの問題提起をしただけでありますけれども、制度は制度として、それの活用の方法というような角度からの検討もあり得るのではないか、こういうふうに考えておりますので、きょうは時間もおそうございますから伺いませんが、次回の小委員会ではこれらについての、一年半をどうするとかそんな議論よりも、まず理論的に定期預金の性格とはどういう形であるべきかというような問題を含めて、少しお答えを準備をしていただきたい。
 私も、先ほど申し上げましたように、これら諸問題についてはただいまお話しの石野参考人と全般的にいってたいへん共通の意見を持っているわけでありまして、特に答申にもありますように、もし定期預金の問題が検討されるならば、諸般の検討の末でなければならないというふうに考えておるわけでありますから、それらも含めて念のために申し添えておきたいと思います。次回がいつになるかわかりませんが、次回の小委員会が開かれる際には、これらの問題についてのお答えを準備しておいていただきたいということだけをお願いしておきたいと思います。
#32
○近藤説明員 承知いたしました。
#33
○福田(繁)小委員 いい機会だから銀行局長に、いまの堀君の次回までのあなたに対するお願いに付加したい。
 と申すのは、ほかじゃないのだが、あなたのほうから銀行協会に御照会されて、銀行自体が例の当座取引者の当座勘定帳を廃止しましたね。勢い、預金者は当座入金帳はあるけれども、小切手の半ぴらには小切手の支払い金額はわかっておるけれども、台帳はありません。本店にはあるわけだ。巷間聞くところによると、取引者と銀行とに若干相違があるような、物議をかもしておるような経歴があるような、そういう事実があり得るやいなや。あれば、その件数を次回までに参考に資料としてもらいたい。お願いしておきます。
#34
○近藤説明員 承知いたしました。
#35
○藤井小委員長 私から最後に一つお願いしておきますが、先ほど石野参考人からもお話が出、最近の続発する銀行不祥事件、この防止対策として先般の大蔵委員会でも話が出ておりましたが、強制休暇制度の問題、あるいは、ただいま話が出た、各行に検査部があるわけですが、その検査部並びに銀行協会あたりと連絡をとって、検査員の銀行検査並びに監査のあり方の指導を銀行局として制度化する、こういったこともひとつ御検討を願いたい、こう思います。
 それでは、本日はこれにて散会いたします。
   午後零時五十分散会
ソース: 国立国会図書館
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