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1969/11/29 第62回国会 衆議院 衆議院会議録情報 第062回国会 本会議 第1号
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1969/11/29 第62回国会 衆議院

衆議院会議録情報 第062回国会 本会議 第1号

#1
第062回国会 本会議 第1号
昭和四十四年十一月二十九日(土曜日)
    ―――――――――――――
 議事日程第一号
  昭和四十四年十一月二十九日
   午前十時開議
 第一 議席の指定
 第二 会期の件
    ―――――――――――――
○本日の会議に付した案件
 日程第一 議席の指定
 日程第二 会期の件
 災害対策を樹立するため委員四十人よりなる特
  別委員会、公職選挙法改正に関する調査をな
  すため委員二十五人よりなる特別委員会、科
  学技術振興の対策を樹立するため委員二十五
  人よりなる特別委員会、石炭に関する対策を
  樹立するため委員二十五人よりなる特別委員
  会、産業公害の対策を樹立するため委員二十
  五人よりなる特別委員会、物価問題等に関す
  る対策を樹立するため委員二十五人よりなる
  特別委員会、交通安全に関する総合対策樹立
  のため委員二十五人よりなる特別委員会及び
  沖繩及び北方問題に関する対策樹立のため委
  員二十五人よりなる特別委員会を設置するの
  件(議長発議)
 原子力委員会委員任命につき事後承認を求める
  の件
 科学技術会議議員任命につき事後承認を求める
  の件
 公正取引委員会委員長任命につき事後承認を求
  めるの件
 国家公安委員会委員任命につき事後承認を求め
  るの件
 中央更生保護審査会委員任命につき事後承認を
  求めるの件
 社会保険審査会委員任命につき事後承認を求め
  るの件
 中央社会保険医療協議会委員任命につき事後承
  認を求めるの件
 運輸審議会委員任命につき事後承認を求めるの
  件
 労働保険審査会委員任命につき事後承認を求め
  るの件
 中嶋英夫君の故議員小泉純也君に対する追悼演
  説
 佐野憲治君の故議員正力松太郎君に対する追悼
  演説
   午後一時六分開議
#2
○議長(松田竹千代君) 諸君、第六十二回国会は本日をもって召集せられました。
 これより会議を開きます。
     ――――◇―――――
 日程第一 議席の指定
#3
○議長(松田竹千代君) 衆議院規則第十四条によりまして、諸君の議席は、議長において、ただいまの仮議席のとおりに指定いたします。
     ――――◇―――――
 日程第二 会期の件
#4
○議長(松田竹千代君) 日程第二、会期の件につきおはかりいたします。
 今回の臨時会の会期は、召集日から十二月十二日まで十四日間といたしたいと思います。これに賛成の諸君の起立を求めます。
  〔賛成者起立〕
#5
○議長(松田竹千代君) 起立多数。よって、会期は十四日間とするに決しました。
     ――――◇―――――
 特別委員会設置の件
#6
○議長(松田竹千代君) 特別委員会の設置につきおはかりいたします。
 災害対策を樹立するため委員四十名よりなる特別委員会、公職選挙法改正に関する調査をなすため委員二十五名よりなる特別委員会、科学技術振興の対策を樹立するため委員二十五名よりなる特別委員会、石炭に関する対策を樹立するため委員二十五名よりなる特別委員会、産業公害の対策を樹立するため委員二十五名よりなる特別委員会、物価問題等に関する対策を樹立するため委員二十五名よりなる特別委員会、交通安全に関する総合対策樹立のため委員二十五名よりなる特別委員会及び沖繩及び北方問題に関する対策樹立のため委員二十五名よりなる特別委員会を設置いたしたいと存じます。これに御異議ありませんか。
  〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
#7
○議長(松田竹千代君) 御異議なしと認めます。よって、そのとおり決しました。
 ただいま議決せられました八特別委員会の委員は追って指名いたします。
     ――――◇―――――
 原子力委員会委員任命につき事後承認を求めるの件
 科学技術会議議員任命につき事後承認を求めるの件
 公正取引委員会委員長任命につき事後承認を求めるの件
 国家公安委員会委員任命につき事後承認を求めるの件
 中央更生保護審査会委員任命につき事後承認を求めるの件
 社会保険審査会委員任命につき事後承認を求めるの件
 中央社会保険医療協議会委員任命につき事後承認を求めるの件
 運輸審議会委員任命につき事後承認を求めるの件
 労働保険審査会委員任命につき事後承認を求めるの件
#8
○議長(松田竹千代君) おはかりいたします。
 内閣から、原子力委員会委員に有澤廣巳君、山田太三郎君を、科学技術会議議員に加藤鮮三郎君、篠原登君、土光敏夫君を、公正取引委員会委員長に谷村裕君を、国家公安委員会委員に坂西志保君を、中央更生保護審査会委員に赤塚孝君、三宅富士郎君を、社会保険審査会委員に軽部弥生一君、畠中順一君を、中央社会保険医療協議会委員に高橋正雄君、東畑精一君を、運輸審議会委員に木内曽益君を、労働保険審査会委員に加藤光徳君、山口武雄君を任命したので、それぞれその事後の承認を得たいとの申し出があります。
 まず、原子力委員会委員、科学技術会議議員及び中央更生保護審査会委員の任命について申し出のとおり事後の承認を与えるに御異議ありませんか。
  〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
#9
○議長(松田竹千代君) 御異議なしと認めます。よって、いずれも承認を与えるに決しました。
 次に、公正取引委員会委員長、国家公安委員会委員、社会保険審査会委員、中央社会保険医療協議会委員、運輸審議会委員及び労働保険審査会委員の任命について申し出のとおり事後の承認を与えるに賛成の諸君の起立を求めます。
  〔賛成者起立〕
#10
○議長(松田竹千代君) 起立多数。よって、いずれも承認を与えるに決しました。
     ――――◇―――――
#11
○議長(松田竹千代君) 御報告いたすことがあります。
 議員小泉純也君は、去る八月十日逝去せられました。まことに哀悼痛惜の至りにたえません。
 同君に対する弔詞は、議長において去る八月二十二日贈呈いたしました。これを朗読いたします。
  〔総員起立〕
 衆議院は多年憲政のために尽力し特に院議をもってその功労を表彰されさきに外務委員長公職選挙法改正に関する調査特別委員長の要職につきまた再度国務大臣の重任にあたられた議員正三位勲一等小泉純也君の長逝を哀悼しつつしんで弔詞をささげます
     ――――◇―――――
 故議員小泉純也君に対する追悼演説
#12
○議長(松田竹千代君) この際、弔意を表するため、中嶋英夫君から発言を求められております。これを許します。中嶋英夫君。
  〔中嶋英夫君登壇〕
#13
○中嶋英夫君 ただいま議長から御報告のありましたとおり、本院議員小泉純也君は、去る八月十日逝去せられました。まことに痛惜の念にたえません。
 私は、諸君の御同意を得まして、議員一同を代表し、つつしんで哀悼のことばを申し述べたいと存じます。(拍手)
 小泉さんは、明治三十七年一月、鹿児島県加世田市にお生まれになり、幼少にして両親を失いましたが、その不遇の中にあって少しもくじけることなく、勉学と勤労に励み、世の辛酸をつぶさになめられたのであります。
 この少年時代を通じての幾多の貴重な体験から、君は、政治家となって広く社会民衆のために奉仕しようと志し、昭和二年、中学を終えるや、燃ゆるがごとき決意を秘めて上京し、日本大学に入って政治学を専攻されるとともに、立憲民政党事務局につとめられました。
 ここにおいて、君は、同党の幹部として中央政界に名をはせておられた小泉又次郎氏に認められ、親しくその薫陶を受けることになり、政治生活との深いつながりを持つに至ったのであります。
 昭和五年、文字どおり苦学力行の末、大学を卒業されたあなたは、そのとき浜口内閣の逓信大臣となっておられた小泉又次郎氏の大臣秘書となり、政治家たるべき素地の練磨に励まれたのであります。
 昭和十二年四月、第二十回衆議院議員総選挙に際し、郷里の鹿児島県第一区から勇躍立候補されました。粛正選挙の旗じるしのもと、君は、烈々たる憂国の至情を吐露し、まさに言論一筋をもってみごと当選の栄誉をかちとられたのであります。(拍手)時に弱冠三十三歳、少壮有為の政治家として議会政治に新風を吹き込まれたのであります。
 あなたは、言論と自由の制約が次第に強められてまいった戦時体制下の困難な情勢のもとで、よく議員としての職責を果たされ、また、昭和二十年には、鈴木内閣の内務参事官として内務行政に参画されました。
 やがて終戦を迎え、あなたは、民主国家に真にふさわしい政治家として、国土の復興と国民の生活の安定に身命をささげるべく、心中深く期するところがありましたが、不運にも公職から追放されたのであります。政治を生命とした君の人生において、その後の雌伏六年は、実に耐えがたい、長い、暗い時期であったでありましょう。このような政治的な試練に遭遇した君の胸中の苦悩は、察するに余りあるものがあります。
 追放が解除されるや、昭和二十七年十月、第二十五回総選挙に際し、君は岳父小泉又次郎氏の墳墓の地神奈川県第二区から立候補されました。晴れて待望の選挙戦に臨まれた君は、選挙が正しく行なわれなければ国は滅ぶとのかたい信念をもって戦い抜かれました。あなたは、後日、このときのことを顧みて、選挙資金五千円、古新聞を利用したポスターを自分で張って歩いた、と、しみじみ述懐されておりますが、当時のなみなみならぬ苦労と決意のほどがしのばれるものがあります。(拍手)
 かくて、選挙区の人々の絶大な信頼と共感を得、再び本院に議席を占められたのであります。
 本院に復帰されたあなたは、各般にわたる国政の審議に卓越した識見を示され、昭和三十五年には外務委員長、また、同三十八年以来しばしば公職選挙法改正に関する調査特別委員長の要職につかれました。あなたは、温厚な中にもき然たる態度をもって終始公正円満な委員会の運営に当たり、与野党委員の信望を一身に集めて、よく委員長の重責を果たされたのであります。(拍手)
 昭和三十九年七月、嘱望されて第三次池田内閣の国務大臣に就任し、防衛庁長官の職につき、第一次佐藤内閣においても、引き続きその重任に当たられました。あなたは、わが国防衛の直接責任者の地位に立ったことを男子の本懐とし、最大の情熱を傾けて防衛問題に取り組み、日夜粉骨砕身されました。(拍手)私は、わが国防衛のあり方については、君と見解を異にするものでありますが、あなたのこの熱意とまじめな態度は、高く評価されるべきものと信じます。(拍手)
 党にあっては、日本民主党内閣部長、自由民主党外交調査会副会長、広報委員長等を歴任し、政策の推進あるいは党務の処理に縦横の活躍を示されたのであります。
 昨年十二月、第六十回臨時国会において、あなたは本院議員として、永年在職のゆえをもって、院議によりはえある表彰を受けられました。(拍手)その際あなたは、木壇上において、議会政治の健全なる発展に全力をささげたいとの決意を力強く披瀝されました。思えば、戦前、戦後を通じ、ひたすら政治の道を直進されたきっすいの政党政治家小泉代議士にとっては、その政治生活を飾った晴れの舞台でありました。(拍手)
 かくて小泉君は、本院議員に当選すること前後九回、在職実に二十五年九カ月の長きに及び、この間憲政のために尽くし、民意の伸長につとめられた功績は、まことに偉大なものがあります。(拍手)
 思うに小泉さんは、温厚篤実、常に春風のごとき笑みをもって、上下の隔てなく人に接するという包容力豊かなお人柄でありました。しかも、その体内には、脈々として青年の血が流れ、弁舌一たび火を吹けば、その正義の主張は、聞く者をして共感を呼び起こさずにはおかなかったのであります。
 日常の生活は、質素で、かつ、規律正しく、清廉の政治家たるにふさわしいものでありました。また、自然に親しみ、石を愛したあなたは、名石、奇石の数々を集めておられました。ひとり石に向かって端座し、そこに自然を見出し、無上の喜びを感じておられた君の姿がほうふつとしていま浮かんでくる思いがいたします。
 政治は誠であり、大いなる愛情である、そして国民大衆のものでなければならない、それは君の終生を貫いた政治的信念でありました。君は、いささかもこの信念を曲げることなく、自粛自戒、常にみずからの政治姿勢を正し、国民の代表者たるにふさわしい道義感をもって行動するとともに、明るく清い政治の確立のために全力を打ち込まれたのであります。(拍手)その嵩高な民主政治に対する君の至誠と情熱は、われわれ議員のことごとくが範とするところであります。
 私は、過去幾たびかの選挙において、小泉さんとは所属政党を異にして相争ってまいりましたが、顧みて、一点のわだかまりもなく、常に紳士の争いに終始してまいりました。これひとえに君のすぐれた人格と識見の結果にほかなりません。
 私は、あなたのような清廉の士を好敵手として持ち得たことを日ごろから誇りとしてきたのであります。しかるに、卒然として小泉さんはこの世を去っていかれました。まことに寂寥の感ひとしおなるものがあります。
 現下、わが国内外の情勢は重大な時期に直面し、解決すべき幾多の重要問題が山積しております。このときにあたり、小泉君のごとき多年の政治的経験豊かな真の大衆政治家を失いましたことは、本院にとりましても、国家、国民にとりましても、大きな損失であり、惜しみてもなお余りあるものがあります。(拍手)
 いま、この議場に、小泉さんのあの温顔を見ることができません。しかしながら、生前あなたの薫陶を受けてりっぱに成長された御令息が、政治家としてあなたの御遺志を受け継ぐ決意をされたと聞き及んでおります。(拍手)私は、御令息純一郎君の今後の御活躍を期待し、あなたの霊とともにその将来を見守ってまいりたいと存じます。(拍手)
 ここに、小泉君の生前の御功績をたたえ、その人となりをしのび、心から御冥福をお祈りいたしまして、追悼のことばといたします。(拍手)
     ――――◇―――――
#14
○議長(松田竹千代君) 議員正力松太郎君は、去る十月九日逝去せられました。まことに哀悼痛惜の至りにたえません。
 同君に対する弔詞は、議長において去る十月十四日贈呈いたしました。これを朗読いたします。
  〔総員起立〕
 衆議院は多年憲政のために尽力し再度国務大臣の重任にあたられた議員従二位勲一等正力松太郎君の長逝を哀悼しつつしんで弔詞をささげます
     ――――◇―――――
 故議員正力松太郎君に対する追悼演説
#15
○議長(松田竹千代君) この際、弔意を表するため、佐野憲治君から発言を求められております。これを許します。佐野憲治君。
  〔佐野憲治君登壇〕
#16
○佐野憲治君 ただいま議長から御報告のありましたとおり、本院議員正力松太郎先生は、去る十月九日逝去されました。
 正力先生は、私の父の中学時代の知人であるとともに、私にとりましても高岡中学の大先輩でありました。わが郷土富山の生んだ偉材正力先生に対し、私は、日ごろ限りない誇りと敬愛の念を抱いていたのであります。
 顧みれば、私が初めて衆議院議員総選挙に出馬した際、立ち会い演説会の控え室でたまたま同席した先生は、私に対し、「うそをつかない政治家としてやっていけよ」と、朴訥ながらも、あたたかい励ましのことばをくださいました。激しい選挙戦のさなか、先生が示された党派を越えて後輩を思う深い愛情は、この上ない感激とともに、私の終生忘れ得ないところであります。(拍手)
 いま、正力先生を失い、哀悼痛惜の念ひとしお深いものを覚えるのであります。
 私は、ここに、諸君の御同意を得て、議員一同を代表し、つつしんで追悼のことばを申し述べたいと存じます。(拍手)
 正力先生は、明治十八年四月、富山県射水郡大門町にお生まれになり、長じて第四高等学校を経て東京帝国大学法学部に学び、明治四十四年卒業して、官界に入られました。
 一たん内閣統計局に在職した後、間もなく警視庁に移られた先生は、警察署長をはじめ、監察官、刑事課長、官房主事、警務部長等を歴任しましたが、その間、どんな問題に遭遇しても、また、どんな地位にあっても、その仕事ぶりは目をみはらせるものがありました。当然、その将来が大いに嘱目されていたのでありますが、大正十二年十二月、突如、虎の門事件が起こり、先生は、その責めを負って退官のやむなきに至りました。
 大正十三年二月、先生は、時あたかも戦国時代と称された新聞界に入り、発行部数わずか五万の読売新聞の経営に当たることになりました。もとより徒手空拳、その経営は悪戦苦闘の連続でありましたが、従来広告に使われていた第一面を報道本位の記事に当てたのをはじめ、囲碁将棋欄を拡大し、ラジオ版を添付する等、絶えず紙面の刷新をはかるとともに、また、他方では常に斬新な事業企画を断行して、声価を高める努力を怠らなかったのであります。読売新聞が今日の大をなしたのも、このような正力先生の大衆に密着した創意とくふう、果断な実行力とによって初めてなし遂げられたものと申せましょう。(拍手)
 しかしながら、新聞人としての正力先生の評価は、単に経営の成功に尽きるものではありません。戦争中、軍部が報道管制を強化すべく、新聞界に新聞共同会社案を迫ったとき、先生は、命を賭しても新聞の自由を守るために反対する、と、敢然これに抵抗し、ついに軍部の干渉を許さなかったのであります。
 また、戦争直後の読売争議のまっただ中、占領軍によって戦犯の指名を受け、絶体絶命の苦境に追い込まれながら、折衝を続け、これを打開して妥結に導きました。時まさに巣鴨下獄の前夜のことでありまして、私はそこに、いかなる苦難をも克服せずにはおかない先生の不屈の闘志をはっきりとうかがうことができるのであります。(拍手)
 先生は、また、プロ野球の父であり、テレビの母であります。昭和六年、全米野球団を招き、昭和九年には、みずからプロ野球チームを創設し、引き続き野球連盟を結成し、これを育成して今日の発展を呼び、また、戦後いち早くテレビ放送を企画して、テレビ時代の幕をあけ、同時に、街頭にテレビを公開することによってテレビの飛躍的普及をもたらしました。
 先生が打ち立てられたこれら数々の金字塔は、正力松太郎の名とともに、さん然としていつまでも輝き続けるでありましょう。(拍手)
 政治においても、先生はその真価を遺憾なく発揮し、面目躍如たるものがありました。
 先生は、かねて抱懐していた明るく力強い政治の確立と原子力の平和利用の実現を期するため、政界に進出する決意を固め、昭和三十年二月、第二十七回衆議院議員総選挙に際し、富山県第二区から勇躍立候補されました。このときすでに七十歳になんなんとしておられましたが、清新にして洞察力に富んだ言動は、たちまちにして選挙民の心をとらえるところとなり、みごと当選の栄を獲得されたのであります。
 本院に議席を得るや、保守政党の大同団結を目ざして、活発な行動を始められました。この保守合同の大業は、同年十一月、自由民主党の結成となって成就されましたが、この間、同志とともに文字どおり心魂を傾け尽くされた正力先生の奮闘が、幾多の障壁を突破する上に大きな力となったものと信じて疑いません。(拍手)
 原子爆弾の唯一の被災国として、原爆許すまじの願いは、すべての国民とともに先生にとっても最大の悲願であることは申すまでもありません。しかしながら、産業、文化の発展のためには、原子力の開発が不可欠であることを痛感された先生は、原子力がなお平和の脅威として受け取られていた国民感情の中で、あえて平和利用のための原子力の開発を主唱し、報道あるいは展覧会の開催等を通じて積極的に啓蒙運動を展開してこられました。
 昭和三十年十一月、第三次鳩山内閣に入閣された先生は、北海道開発庁長官になられるとともに、念願の原子力問題を担当することになりました。あたかもこのとき、濃縮ウラン受け入れのための日米協定をはじめ、自民、社会共同提案の原子力基本法案等、いわゆる原子力三法が審議され、わが国原子力時代の第一歩が踏み出されたのであります。そして、先生は、三十一年一月に発足した原子力委員会の初代委員長となりましたが、その後、同年五月、科学技術庁が設置されたのに伴い、科学技術庁長官に就任され、また、昭和三十二年七月には、第一次岸内閣の国家公安委員会委員長と科学技術庁長官を兼ねられ、この間原子力委員会委員長として終始原子力の開発、推進に尽くされました。原子力にかけるあまりにもひたむきなその姿勢に、ときには周囲から独走の声もあがりましたが、先生はあくまでも所信に向かって邁進されたのでありまして、この営々たる努力が実り、昭和三十二年八月二十七日、東海村においてついにわが国最初の原子の火がともされたのであります。この歴史的瞬間を迎えた正力先生の胸中は、この原子の火が人類永劫の平和と幸福をもたらす火となることへの期待と祈願であったに違いありません。(拍手)近く原子力発電所が運転を開始し、また原子力船の建造も進められ、まさに実用化時代の幕が切って落とされようとしている今日、先生の残された業績は一そうの光彩を放って私たちの心によみがえってくるのであります。
 また、先生は、国技の振興にかねてから力を尽くされていましたが、昭和三十七年には同憂の士と相はかって、国技の振興のための総合会館建設に関する決議案を超党派で提出し、みずから趣旨弁明に立たれました。この決議に基づき建設された日本武道館は、オリンピック東京大会以来、スポーツの殿堂として広く国民大衆に親しまれ、大いにスポーツの振興に寄与していることは周知のとおりであります。
 かくて、正力先生は、本院議員に連続して当選すること五回、在職十四年九カ月に及び、その間国政に残された功績はまことに偉大なものがあります。
 思うに、正力先生は比類ない創意と果断な実行力を持った時代の先覚者でありました。しかして、先覚者としては避けることのできない宿命であったのでありましょうか、その生涯は、文字どおり悪戦苦闘、波乱万丈の連続であり、幾多の試練に遭遇されました。しかし、不正と不義を最も憎み、みずからを信ずることの厚かった先生は、逆境におちいるたびに一そうの勇気をふるい起こし、難関を打ち破り、障害を踏み越え、一身の力をもってその運命を切り開いてこられたのであります。この不屈の信念と勇気こそ、まさに正力先生の真骨頂でありまして、もって後世の範としなければならないところと信ずるのであります。(拍手)
 また、先生は宗教心に厚く、毎月御両親の命日には、きびしい戒律と読経を欠かさず、また、読売ランド内の聖地公園には仏舎利等を安置して法要を営むなど、その日常生活はきわめて敬虔な信仰に貫かれていたのであります。先生の行くところ可ならざるはなかったのも、生来の資質に加え、この信仰生活によって会得された宗教的信念が大きな精神的支柱となっていたからでありましよう。
 不撓不屈、常に未来に生きた人、正力松太郎先生も、去る六月以来、熱海国立病院で療養されておられましたが、早く東京へ帰るんだ、早く東京へ帰るんだとのことばを最後に、ついに八十四歳の生涯を閉じて逝かれました。巨星落ち、落莫の感ひとしお深いものを禁じ得ません。いまや私たちは、先生が生前深く信仰されていた如来のみもとに、安らかにお眠りくださることを祈るばかりであります。
 わが国将来の展望を思うとき、先生のような偉材を失うに至ったことは、国家にとって一大損失でありまして、惜しんでも余りあるものがあります。
 ここに、つつしんで正力先生の生前の功績をたたえ、その人となりをしのび、心から御冥福をお祈りして、追悼のことばといたします。(拍手)
     ――――◇―――――
#17
○議長(松田竹千代君) 本日は、これにて散会いたします。
   午後一時三十九分散会
     ――――◇―――――
 出席国務大臣
        法 務 大 臣 西郷吉之助君
        厚 生 大 臣 斎藤  昇君
        運 輸 大 臣 原田  憲君
        労 働 大 臣 原 健三郎君
        国 務 大 臣 荒木萬壽夫君
        国 務 大 臣 木内 四郎君
        国 務 大 臣 床次 徳二君
     ――――◇―――――
ソース: 国立国会図書館
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