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1968/03/25 第61回国会 参議院 参議院会議録情報 第061回国会 文教委員会 第5号
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1968/03/25 第61回国会 参議院

参議院会議録情報 第061回国会 文教委員会 第5号

#1
第061回国会 文教委員会 第5号
昭和四十四年三月二十五日(火曜日)
   午前十時十六分開会
    ―――――――――――――
  委員の異動
 三月二十五日
    辞任         補欠選任
     萩原幽香子君     高山 恒雄君
    ―――――――――――――
  出席者は左のとおり。
    委員長         久保 勘一君
    理 事         楠  正俊君
                中村喜四郎君
                小林  武君
                安永 英雄君
    委 員
                大松 博文君
                永野 鎮雄君
                二木 謙吾君
                吉江 勝保君
                川村 清一君
                鈴木  力君
                成瀬 幡治君
                内田 善利君
                高山 恒雄君
                小笠原貞子君
   国務大臣
       文 部 大 臣  坂田 道太君
   政府委員
       文部大臣官房長  安嶋  彌君
       文部省初等中等
       教育局長     宮地  茂君
       文部省大学学術
       局長       村山 松雄君
       文部省体育局長  木田  宏君
   事務局側
       常任委員会専門
       員        渡辺  猛君
   説明員
       文部省体育局審
       議官       中島  茂君
       文部省体育局ス
       ポーツ課長    松島 茂善君
   参考人
       財団法人札幌オ
       リンピック冬季
       大会組織委員会
       副会長      竹田 恒徳君
    ―――――――――――――
  本日の会議に付した案件
○理事の辞任及び補欠選任の件
○参考人の出席要求に関する件
○札幌オリンピック冬季大会の準備等のために必
 要な特別措置に関する法律の一部を改正する法
 律案(内閣提出)
○教育、文化及び学術に関する調査
 (昭和四十四年度における文教行政の重点施策
 に関する件)
 (昭和四十四年度文部省関係予算に関する件)
    ―――――――――――――
#2
○委員長(久保勘一君) ただいまから文教委員会を開会いたします。
 川村清一君から文書をもって都合により理事を辞任したい旨の申し出がございました。これを許可することに御異議ございませんか。
  〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
#3
○委員長(久保勘一君) 御異議ないと認め、さよう決定いたします。
 つきましては、直ちにその補欠選任を行ないたいと存じます。
 理事の選任につきましては、先例により委員長にその指名を御一任願いたいと存じますが、御異議ございませんか。
  〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
#4
○委員長(久保勘一君) 御異議ないと認めます。
 それでは理事に安永英雄君を指名いたします。
    ―――――――――――――
#5
○委員長(久保勘一君) 参考人の出席要求に関する件についておはかりいたします。
 札幌オリンピック冬季大会の準備等のために必要な特別措置に関する法律の一部を改正する法律案審議のため、本日参考人として財団法人札幌オリンピック冬季大会組織委員会副会長竹田恒徳君の出席を求め、その意見を聴取したいと存じますが、御異議ございませんか。
  〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
#6
○委員長(久保勘一君) 御異議ないと認め、さよう決定いたします。
    ―――――――――――――
#7
○委員長(久保勘一君) 札幌オリンピック冬季大会の準備等のために必要な特別措置に関する法律の一部を改正する法律案を議題といたします。前回に引き続き質疑を続行いたします。
 なお政府側から坂田文部大臣、木田体育局長、中島体育局審議官、以上の方々が出席いたしております。
 本案について質疑の申し出がございますので、これを許します。鈴木君。
#8
○鈴木力君 この前に、法案についての直接的な点につきましてはだいぶ伺いましたので、きょうはこの前に漏らしておりましたといいますか、大臣がいらっしゃらなかったので、残しておいたその点だけについて伺いたいと思います。
 国民体育大会について伺いたいのです。国民体育大会というものは、やはり国民の体育大会でありますが、ただ単に体育大会ということではなくて、いわゆる日本国民がほんとうに体育を生活の中に取り入れるきわめて重要な役割りを果たしておると思うのですけれども、しかし、その反面に、最近のいわゆる国体に対する世論の批判というのがずいぶんきびしくなっておる。で、この世論の批判、これは必ずしもそのとおりであるとか、あるいはどこが間違っておるとかいう議論をするのはあまり得策ではないと思いますけれども、少なくともいま文部省としまして、主催者の一人として、最近の国民体育大会のあり方についてどういう点が欠陥であり、どういう点が長所であるのか、あるいは改善を加えなければならない点はどういうことなのか検討されていらっしゃると思うんですけれども、検討されていらっしゃるなら、それらの点につきまして最初に大臣の見解を承りたいと思います。
#9
○国務大臣(坂田道太君) 国民体育大会は、御承知のとおり、毎年開かれてまいっておるわけですが、やはりこれは国民全体の体育に対する認識、理解、また同時に、それを国民全体が身につけるという意味においては非常に大きな貢献を果たしてきておるというふうに私は思うわけでございまして、単にこれを選手養成みたいな、スペシャリストということでなくて、アマチュア、そして体育を通じて心身を健康にする、からだを鍛え、あるいはまたそれでもって楽しむという意味において非常にいい一面もあるかと思うんでございます。しかし、これかあまり行き過ぎまして、――私の記憶に間違いがなければ、何か勝つために、あるいはその県が優勝するためにほかの県から、もともとはその県の生まれであったでしょうが、いまは他県におる人を急に呼んで選手に出して、そしていい成績をあげるというような面は少し行き過ぎじゃないかというふうに思いますし、それからまた開催県としましては、その国民体育大会を通じましていろいろの費用も相当お出しになるし、それから行事としてもせっかくほかの県から多数選手を迎え、あるいは国民体育を見にくる人を迎えるわけでございますから、少し度を越した行事ということも一面においては弊害があるんじゃないかというふうに思います。でございますから、その辺はやはりほどほどに節度をもって行なわれるべきことであるというふうに私は思うんでございます。詳しいことにつきましては、ひとつ体育局長からお答えを申し上げます。
#10
○鈴木力君 いまの大臣のおっしゃったことは、実は私もそういう気持ちでいま御質問申し上げているわけでありますが、ただ何といいますか、私は最近の国体をやっている主催県のほうをいろいろ聞いてみたり、あるいは苦心談を聞いたり、行ってみたりしますと、いろいろな弊害がある。確かにいま大臣がおっしゃいましたように、勝つために手段を選ばずにジプシー選手をどうこうしたとか、これはもう私は論外だと思いますし、この点については体育団体側のほうでも、だいぶこれの是正といいますか、そういう弊害除去のために努力をされているようでありますからこれはだんだんに直ってくると思いますが、ただそれ以外の点につきまして、たとえばいま大臣がおっしゃいましたように、開催県が費用の負担にたえ切れない、というと言い過ぎかもしれませんけれども、相当に負担を感じながら無理してこれに取り組んでおる、あるいは行事等も、何といいますか、相当無理をした、本来の県民のそれぞれの生活を相当犠牲にした国体のための行事なり何なりに取り組んでおるということは確かにあると思う。しかし、県側のほうの心情からいいますと、いま回り番になっているものですから、そういたしますと、たとえば前の前の県ではどの程度にサービスを受けた。そうすると、うちの県としてもせめてこれのつき合いとしては、そこまでりっぱにできないにしても、ややそれにこたえるようなものというような観点で、それぞれの県が無理して取り組んでいると思うのです。これは私は、そういう形なものですから、何か県がやっていることだからけしからんというような、そういうものの言い方でこの国体のあり方を是正していくということには非常に無理があるのじゃないかという感じがするわけです。その点が一つです。
 だんだんに具体的に伺いますけれども、それからもう一つは、そういう中に国民体育大会というもののあり方が、さっき大臣がおっしゃいましたように、国民がほんとうに体育大会を通じまして体育に対する理解の度合いを深めていくのだ、全部が全部すべての競技種目なり何なりを、国民全部がそれをマスターできて、走ったり飛んだりできるということは、これは期待しても意味がないことだと思いますけれども、少なくとも体育というものに対する国民が理解を深めていく。そのことから、あるいは国民の生活の中に体育が入り込んでくるような一つの重要な機会でもある、そうしなければいけないのではないかという感じを持っているのですが、その場合に、そういう観点でものを見ますと、いま大臣もおっしゃいましたように、何か選手養成というものが頭に出てきまして、ほんとうの国民体育なり社会体育なりというものの観念のほうがだんだん薄れてきている。これがやはり非常に大きな弊害といいますか、行き過ぎの一つの部分だと思うのです。
 それで、それを直すためにどうするかということだと思うのです。直さなければいけないのではないか。大臣も、その点は行き過ぎであると思うから、是正すべきであるという趣旨のお答えであったと思うのですけれども、これを直していくのに、どういう手を講ずればいいのか、この辺は文部省としては検討されているのですか。
#11
○政府委員(木田宏君) いま大臣からも御答弁申し上げましたように、勝つためのいろいろな方策が度を過ぎて講じられるという問題が一つございますが、そのほかにまた、競技種目が多過ぎるではないかというような問題、全部の県が全部の競技種目に出られないという問題もございます。また、年々参加選手の数がふえてまいっておりまして、昨年の大会では一万六千人という数になっているわけでございます。参加者の層を広げるという点では、このことはいいわけでございますけれども、しかし参加選手の数が年々ふえるということは、競技の運営そのものにも問題がございます。そこで、これからの国体のあり方を一度このあたりで基本的に考えてみる必要があるということから、体育協会におきましても、国民体育大会委員会を持ちまして、この参加選手の扱い方の問題、いま国体の中に高校生の部もあり、一般の部もあり、青年の部もあるという分け方になっておりますが、その分け方、区分の問題、競技種目の問題、あるいはゲームその他開閉会式のあり方の問題 それらを含めましてひとつ再検討しようということで、検討が進んでいるわけでございます。文部省といたしましても、国体委員会の中にありますその検討とあわせまして、私どもも材料を持ち寄って意見を述べていく、こういう手順がいま始まったばかりの段階でございます。
#12
○鈴木力君 私が伺いたいのは、いろいろそういう面もあると思いますが、この前の委員会でも局長さんに伺って、どうしても私は納得できなかったことが一つある。それば、やはり国体の主催者は、文部省とそれから主催県と、それから体育協会ですか、三者の主催になっていると思うのですが、この出場選手の資格からいいまして、どうも国民体育大会という、その精神なり名前なりにふさわしくないような問題があるんじゃないか、それはつまりどういうことかといいますと、私の記憶では、間違っておればこれはいいんですけれども、たとえば陸上競技に出場する選手は、陸上競技連盟に登録をしている選手でないと出場資格がない、もしそれがそこのところに非常に重点を置かれますと、国民体育大会という、国民というのは一体どこにいくんだという感じがするのです。これは事実上からいいますと、そういう大会に出るぐらいの選手であったら、ほとんどそれは体育団体にあるいは加盟しているといいますか、登録していることになるだろうとは思うのですけれども、事のあり方として私はそういう制限をされているというのはどうも納得ができない、その点の見解を伺いたいと思うのです。これは大臣の見解を……。
#13
○国務大臣(坂田道太君) 私もしろうとでございまするが、お尋ねでございますから考えたわけでございますけれども、アマチュア・スポーツと、それからいわゆる職業スポーツというものがあるという場合に、アマチュアだということをどうやって、まあアマチュアというのじゃなくて、むしろ職業スポーツ家というものを区別する場合に、やはり登録という手続をもってアマチュアとした、単純に考えればいいんじゃないかというふうに簡単に私は思うのですが、しかし御趣旨はやはり国民の体育なんだから、だれでも参加する資格があるんだ、ですからそこのところの手続が、実際上のその年その年ですぐはっきりプロフェショナルじゃないんだということがもしできるとしますならば、そういうようなやり方をやってもいいんじゃないか、理念的にはそういうふうに考えるわけです。
#14
○鈴木力君 登録をすることがアマチュアであるという判定になるというお答えなんですけれどもね。私はこれにほんとうは疑義を持っているのです。これはたぶん体育協会の、いまのアマチュア規定の中にあると思うのですけれども、体育協会が主催する大会に出るのは、これはけっこうなんですが、その体育協会が認めない競技会なり大会なりに出場した者はアマチュアの資格を失うということが、体育協会のアマチュア規定に、そういう趣旨のことがあると記憶しているのです。そういたしますと、もちろんプロに行って、何かに行って賞金をもらってくるような大会に行った者は、これはもちろん体育協会ばかりじゃなくて、アマチュアではないわけですけれども、そういう目的ではなくて、体育協会を構成している人たちがいやな大会、たとえば前にも例がありましたけれども、――こんなことを議論するつもりで言うんじゃないですけれども、例をあげますと、新興国の競技会というのがあった。体育協会は、その大会に選手は出ちゃいかんと言って、協会員に対してはそう言っているわけですね。ところが、体育協会に所属していない人は行けるわけですから、その大会に参加をした。そのことによって国民体育大会に出場する資格が、アマチュアでないという体育協会内部の規定によって、この条件が奪われるわけです。そういたしますと、私は国民体育というのは、体育協会のアマチュア規定によって全部を拘束されるということになってくると、問題がありはしないか、こういう意味も含めていまお伺いしているのです。
#15
○政府委員(木田宏君) 委員長。
#16
○鈴木力君 いや、局長さんにはこの前聞くだけ聞いたから、きょうは大臣にお伺いしたい。そうでないと、時間が――大臣のを残しておるというので、きょう私の質問をさせていただいているんです。同じことなんですよ、局長さんは。
#17
○国務大臣(坂田道太君) もう少し具体的に聞かないと、私の申し上げる判断がつきませんので、済みませんけれども、簡単に……。
#18
○政府委員(木田宏君) いま御指摘のように、日本体育協会のアマチュア規定の中には競技者が、本大会加盟団体が承認する以外の競技会に出席した場合には、アマチュアの資格を喪失するという規定がございまして、御指摘になりましたような、新興国スポーツ大会に出席した選手の取り扱いが国内の競技会で問題になったこともございました。しかし現在ではこのことはすでに問題としては解消をしておりまして、現在の時点でこのことが問題になるわけはないのでございますが、経過といたしまして、御指摘のような事実がございました。ただ現実の問題として、前回も御説明申し上げましたように、アマチュアであることの確認ということをする手続の、現実のやり方の問題でございます。各競技団体は、各府県の競技団体に申請者が登録の手続をいたしますならばそれによってみな受け付ける、これはどこの県に申し出てもいいわけでございまして、結局アマチュア・スポーツマンがそれぞれの自分のやろうとするスポーツのクラブに加入しているということによりまして、お互いの仲間うちでアマチュアとしての相互の確認をやっているということになっておりますから、国体の選手は、各都道府県の各競技団体ごとに登録されておりますその登録者をもって、国体をやるということになっておるわけでございます。現実の処理といたしまして、その四月の現在において各都道府県の競技団体に登録されている者をもって、その年の国体の参加資格を与えるということになっております。このことが、実は毎年毎年それじゃ県をかえて登録をすれば、その県から出られるかということがジプシー選手の問題を起こしまして、結局その登録のときに、昨年特定の県から出場した者は翌年違った県から出てはいかぬという規定をいたしましたのも、結局その資格の確認の問題、登録の問題によって規制をしてやっているわけでございます。ですから登録する実態につきまして非常に不都合な問題があれば、そのことの疑義の是正というものは考えていかなければなりませんけれども、アマチュアスポーツマンとしての資格の確認をするという手続の問題として現在とっております登録の制度というのは、やむを得ざる方法ではなかろうか、このように思っているわけでございます。
#19
○鈴木力君 現在こうなっているのですからやむを得ませんというなら、私は質問の意味がないのですよ。大臣の御答弁でも国民のものにしたいという御答弁があり、われわれも国民のものにしたいという意図のもとに、将来あり方を変える意思がなかろうかというつもりで聞いているのに、いまこうなっていますという御答弁では答弁じゃない。いまこうなっていますということは、私が知っているから聞いているのです。だからそういう御答弁は、私はどうもいただいても納得できない。各府県の体育団体に所属をしている者が集まって、国民体育大会をやるのですと、私はこの気持ちがわからぬのです。内部的な手続はあるかもしれないが、たとえば私なら私が、まずそうでないからいいけれども、何か陸上競技なり卓球なり、ある種目に私自身が非常にすぐれているとしましょう。しかし私はその卓球協会には入っていない。そうすると私には国民体育大会に出場する資格がないのですよ。いまの規定はそうなっているでしょう。登録することによってアマチュアの判定をするのだと言うと、登録しないで、ほんとうにこの競技で何かにひいでている者はアマチュアでないのだと――国民体育大会ですよ。政府が主催者であり、地方自治団体が主催者であるこの体育大会において、ある一つの団体に登録されていない者はアマチュアでないんだから出場権がないんだと、これがいまそうされておるから、将来もそうしなければいけないというのなら、私はこの前にも局長さんに言いましたけれども、思い切って国民体育大会という名前を取ったらどうなんだ。全国体育団体総合競技会とかなんとか名前を変えて、そうして政府なり、地方自治団体なり、公共団体の負担というものを、精神的な負担を、あるいは県民の負担をもう少し軽くしたらどうなんだ。その点についての考え方を伺っておるのです。
#20
○国務大臣(坂田道太君) いま鈴木さんのお話をちょっと聞いて少しわかりかけてきたのですが、いまでも鈴木さんが国民大会に出たいということで登録をなされば直ちにできるわけなんですね。ところが、いまのお尋ねは、もうできないんだ、できないんだとおっしゃっているわけですけれども、そうじゃない。登録をなさればできる。私もいま登録はしてません。しかし、一年前に登録をすれば来年の出場資格があるわけです。でございますから、それを閉ざす何かが、規定なりがあれば、これはいけないと私は思います、国民のための体育大会でございますから。しかしそれは閉ざされてない。何かそこに資格をふるい落とすものがあるとするならばプロフェッショナルであるということでそれで落とす。これは当然なことだ。あるいは年齢に制限があるかどうか知りませんけれども、そういうものもないとするならば、年齢でもなんでも、あるいは身分がどうとかなんとかということでも制限がない。いつでも登録はプロフェッショナルでない限りは受け付けるのですというたてまえにもしなっておるとするならば、いまの鈴木さんの御疑問も解消されるのじゃないだろうかというような気がいたすのであります。
#21
○鈴木力君 もう、私はそのことはわかって申し上げているのですよ。いまのところは、登録をすれば登録は拒否しないのだから、それでいいのだと、こういうことでしょう。しかし、日本国民は、体育を愛する国民は、民間団体であるある団体に加入しなければ、体育を愛する国民といえないということになりますか。たとえば、私なら私がどうもある体育団体に加入する気にはならない。しかし、国民であり、体育を愛し、ある一つの能力を持っておって国体に行ってみたい。おまえはこの団体に入りたいといえば入れるのだから、国体に出れるのだからいいのだという考え、そのこと自体は、私は、一つの民間団体である体育団体が国の体育というものを全部そこでチェックできるとか、いま現実にそういうことがあるとかなんとかということでないけれども、もののあり方として、私はその点が納得できない。
#22
○国務大臣(坂田道太君) 私は鈴木さんのおっしゃるのが実はよくわからないのでございまして、国民体育大会に出ようと思えばそういうように手続をするのが当然であって、それを拒むものは何もないのです。しかし、何も競技団体に所属していないからといって、国民体育を楽しんだり、あるいは自分でやったりすることを何にも妨げられているわけじゃないので、そのために国民体育という趣旨に合わないなんということは、ちょっと私としては考えられないのでございまして、私もどこの競技団体にも所属はいたしておりませんけれども、大いに国民体育といいますか、そういうものを楽しんでおる一人であります。
#23
○鈴木力君 そこで、出場の資格なんですよ、私の言うのは。たとえば一つの例をとれば、卓球協会なら卓球協会でもいいです。卓球協会の運営なんかにどうも私は自分の気持ちがぴったりこない。だからあの卓球協会には入りたくないのだ、自分は。しかし、国体でやられておる卓球に自分が出たいのだ。そのときに、卓球協会に登録をしないと出れないのでしょう。そういうことがいまの規定ではあり得るわけです。登録をしなくともアマチュアであるという判定ができるなら、国民として私は出場権というものが与えらるべきだ。何でも卓球協会なら卓球協会に登録をした者でなければ国体に出る資格がないというこの規定は、国民体育といういまわれわれが取り組んでいるものとどうも違うと思うのです。それは民間体育団体ですから、私はいろいろなことがあってもよろしいと思うのですよ。しかし国体はやっぱり別だ。ただし、専門家が集まっているのですから、いろいろな判断をしてもらうことを委託することもそれはできると思います。現実にそれもやっていらっしゃる。しかし、おれの会員でなければ出さぬぞ、そこまで体育協会が言っておる。それをあたりまえだといって国も県も言っておる。この考え方がどうも私には納得ができないと、こういうことなんですよ。ただし、体育協会にアマチュアであるという判定は頼んでもよろしい、しかし、体育協会内部でもってアマチュア規定全部それを適用することじゃなしに、ほんとうにもう選手のいままでの経歴を調べるなんということはできるはずだ、こう思うわけです。その点は私はやっぱりはずすべきだと思うのです。
#24
○政府委員(木田宏君) 登録でございますが、国体の関係の登録で申しますと、先ほど申し上げましたように、各都道府県に登録の申請をいたしております。したがいまして、どこの都道府県に登録の申請をするかということは申請者のまた自由でございますから、たとえば学生によりましては、学校の所在地で申請をすることがあり、また自分の居住地で登録することもございます。ですから、体育協会に属するといっておりましても、現実には個々の都道府県の体育団体に加盟するということだろうと思います。それがどこの都道府県でなければならないということに必ずしもなっておりませんので、したがいまして、都道府県を変えて歩き回る選手が出てきたりする。そのために、今度は逆に、ある県で出たら翌年はほかの県から出れないという逆の規制をいたしまして、選手の規制というようなこともその登銀の手続を通じてやっておるわけでございますから、私はやはり、アマチュアであることの確認をいたしますための手続としては、その登録、スポーツの団体に身近に属しておるということが現在やり得るいい方法ではないだろうかというふうに思うわけであります。
#25
○鈴木力君 私は国でなければいけないとか、県でなければいけないとかという場所を言っているのではないのです。局長が言うように、県に登録をすることになっているのですと、それなら私はわかるのです、県が登録を受けつけるのですとね。ところが、県が受けつけるのじゃないのです。県の体育協会に登録をさせるということを、これを県に持っていったらどうかということを私は言っているのですよ。
#26
○説明員(中島茂君) 登録の問題は、先ほど局長が申し上げましたように、アマチュアを認定するのは、競技団体、都道府県にあります協会が一番よく知っておりますから、そこで登録をしてもらって、アマチュアであるということを確認してもらって出てもらうということがあります。
 それともう一つは、所属をはっきりする、やっぱり登録しておりませんと、ほんとうに岩手県の選手であるのか、長崎県の選手であるのかわからぬような場合もありますので、やはりこの種の大会ではある種の資格制限というか、資格を設けないで野放しじゃなかなかいけないので、そういう措置をとっておるものでございます。
#27
○鈴木力君 審議官にちょっと伺いますが、岩手県に登録して国民体育大会に出た場合に、体育協会に登録をしなければどこの選手だかわからぬということがありますか。いま岩手県ということを言われたから岩手県を言いますよ。県に登録して、全国の大会に岩手県という何かここにつけて出る者がそれはどこの選手わからぬので、岩手県の体育協会に登録をした者は岩手県の選手だということはわかる。それはどういう意味なんです。
#28
○説明員(中島茂君) 数多い選手の中にはいろいろな例がございまして、名前は忘れましたが、某大学の選手がある県に登録をいたした。これがたまたま千葉県の人であって東北に登録して東北から出ようとしたことがありまして、そういう例を私どもちょっと申し上げたわけでございます。
#29
○鈴木力君 それは県に登録したんじゃなしに、県の体育団体に登録したんでしょう。それでそういうことが起こったわけだ。県に登録したわけがないんだから。県に登録したらわけがわからなくなったという例はどこかにあるんですか。
#30
○政府委員(木田宏君) 結局鈴木委員のお尋ねの点は、その登録の実際の手続だと私は考えるのです。県に登録するというふうに御意見をおっしゃるわけでございますが、結局アマチュア資格の確認というのは、各競技種目ごとに競技関係者が一番よく知っておるものというやはり前提をとらなければならないんじゃないか。県に登録といいましても、たとえば県のほうで各競技種目ごとの登録を、アマチュア資格を判定できるということにも必ずしもなり得ない。どうしてもその県のそれぞれの種目ごとの体育団体の手によってそのことの確認をしてもらうということでないと実効を期し得ないのではないかというふうに思うわけでございます。でございますから、現在のところはどこの県におきましても、県の体育団体がそれぞれ窓口になってその登録をする、確認している。その方法でかなり手広く登録の申請を受けつけ、処理ができておるということでございますので、お尋ねの点の御心配は少ないんではないかというふうに思う次第でございます。
#31
○鈴木力君 私は事実上さっきも言いましたように、ほんとうにそういう体育を競うくらいの選手であれば大体は体育団体に所属してやっているのが実情だろうということはさきに申し上げているとおりです。しかし、国民体育ということをほんとうに国民のものに植えつける場合に、体育団体に登録をして体育団体に一切のその権利を与えたようなことで、それを固執していることで、これが国民体育なんですよというところにどうも疑義があると、こういうことなんです。だから体育団体が専門家が多いからそのアマチュアの判定は体育団体の人が一番できるんだと、それはそのことも私はわかって言ってるんです。それでも登録は県に登録をさして、国民体育大会に出場する者については。そうして県が体育協会に判定を頼むとか、そういうことなら私はまだわかるんですよ。それが体協のある種目の団体に登録をしたいわば加盟員だ、入会費を添えて加盟をした者でなければ出場資格がないんだというところに、おれのところに金持って加入した者でなければアマチュアじゃございませんぞと言っておるわけだ、体育団体は。そうするとおまえのところは気に食わないけれども、国民体育大会はおれは好きだからそこへ出たい、それはおまえのところはだめだと、こうなっているんですから、逆な言い方をすればそれを直せと私は言ってるんです。事実上は同じ結果になるかもしらぬですけれども、国民体育という理念をはっきりと国民に植えつけるためにはそのワクをはずして、そして各県が登録をするんです。知事が団長で国体に来るんですから、その知事が団長で来る国体に出る選手が民間の体育団体の登録員でなければならぬことに規制されるところにちぐはぐなところがある。そこの考え方を直さないと、私はあらゆる体育大会というのは国民のものにおりてこないという感じがするんです。それは現状では登録するか登録しないかというひとつの技術的な面であるかもしれないけれども、私は基本的にそういうことを固執されている皆さんは、国民体育というのがある一つの団体のものであって国民のものじゃないというひとつの独善意識がある。あるいは独善意識ということばは悪いかもしれぬけれど、そこのところを体育団体のほうはもっと謙虚にならないとこれは国民のものにほんとうにおりていかない、そういう気持ちでものを言っているわけであります。
#32
○政府委員(木田宏君) いま基本的な問題を鈴木委員御指摘になっていると思いますが、私ども
 スポーツを考えますときに、いまお話しのように、各県の選手団の代表として出て参りますときにも、結局県知事さんが県の知事という資格で出ておられるのじゃなくて、その県の体育団体の会長という格で出ていらっしゃいます。このことば体育を国民のものにするという発想からすると、その体育をする人たちの手の一番近いところで処理できるものは処理させていくということでもいい。むしろそのほうが体育を国民のものにするからということで目的を達し得られるのじゃないか。行政当局が管理し登録資格を確認するということでないと国民のものとならないという鈴木委員の御意見に対しましては私自身多少疑義に思うところがございます。ただ、おっしゃるように、その国民の中の団体が非常に特殊な性格のものに変質していった場合に、そういうものにまかせていっていいかどうかという御指摘は十分成り立つことだとは思いますけれども、それは団体の運営の問題であると思うのであります。でございますから、その団体の運営が健全でありますからスポーツのことはできるだけスポーツの関係者、団体がそのいいものを育てるという方向でまかせたほうがよろしいのじゃないか、たいへん恐縮ですが、そのように思うわけでございます。
#33
○鈴木力君 手続的に知事は体育団体の何々とそういうものを委嘱されているかもしれませんよ、しかし県民はそういう形に国体というものを考えていない。国体準備委員会とか国体実行委員会とかそういう会を組織して、そうして県のいろいろな機関を総動員してやっている。それを文部省の局長は、知事は知事の資格でやっているのじゃないからいいのだ、それから教育長は教育長の資格でなくてやっているからいいのだ。そういうものの考え方でいまやられている国体というものがほんとうにその趣旨を生かせるか、その頭が私はわからぬけれども、あなた方の行政官的な役人的な気持ちから言えば、法律的に合わないところを直せばそれで合ったのだということになります。この役人的な考え方が体育団体と結びついて、ある一つの団体が官僚的になり過ぎているという批判さえ受けているわけです。その体育団体が官僚的になり過ぎているという批判から、おれは加盟するのがいやだということがいま出てきている。それが国体に出られないのだということになってくるから、そろそろその辺は考え方として直すべきじゃないかということなんです。
#34
○国務大臣(坂田道太君) 先ほどから伺っているわけですが、やはりそれはアマチュアの、しかも国民の体育ということからいうと、むしろそういう行政の権力主義的なやり方そのものが、むしろこれはアマチュア国民大会という考え方と相反するのじゃないかというふうに私は思うのです。ただ御指摘のように、そういうことはおそらくないと思いますけれども、体育協会自身が非常に官僚的になっているというような、あるいは運営がまずいのだ、そのためにとにかくその前提としてはその体育協会のメンバーにはおればならないのだ、指図は受けないのだという二、三の人がいることも、これは多数の国民でございますからあるのでございますが、それがゆえに、きらいであるけれどもしかし登録を希望さえすればとにかく国体には参加できるということであれば、それはもう国民全体が一つの県に押し寄せるということはできないわけなんで、ここにはセレクトというのがあるわけです。それくらいのルールはなければいけないのじゃないか、たてまえからいいましてもやはり国家あるいは県というような行政官がやることのほうがかえっていけないのであって、かっこうはみんなが喜んで参加をするという形に持っていくならば、むしろ民間団体はそのかわり責任を持って、しかしその国民の声をくみ入れないような運営をしていくものは改めていく。あるいは規定等でそういうことがあれば改善していくというようなことも、おそらく何十年か経まして本大会が少しマンネリズムにおちいっている。そこであの県ではこういうふうにすばらしいものをやった、今度はその上をいこうという日本人特有の考え方がだんだん定着しつつある。この辺で、いやわれわれのところは経済的にも不如意であるから、むしろ非常に簡素であるけれども、ほんとうのアマチュア・スポーツとしての国民大会をする、こういう考え方をむしろ示すのだというようなくふうが、当該県において行なわれてもしかるべきじゃないか。いままでは比較的に富裕県において行なわれたと思いますけれども、あと残っております県は、おそらく地方財政から考えましても、非常に恵まれない県が多いと思うので、それだけに無理があると思うので、この辺でやはりその県にふさわしいところ、そういうような簡素なやり方でも、かえってむしろ御指摘のような国民大会としての祭典が催され、そしてそれが国民の生活のすみずみまで及ぶというようなことになるチャンスを与えてやる。ですからそれはむしろ当事者の問題、あるいは体育協会自身の自覚と反省と、そして国民のためのスポーツということに帰するのじゃなかろうかという気がしてならないのであります。
#35
○鈴木力君 行政が、この国民体育大会にあまり出ないほうがよろしい。それはそれで私もその気持ちはわかるのです。国民体育大会の主催者というのはどこなんですか。
#36
○政府委員(木田宏君) 日本体育協会、文部省及び開催県の三者であります。
#37
○鈴木力君 文部省と県は行政機関ですか、民間のそういう団体なんですか。
#38
○政府委員(木田宏君) 行政当局でございます。
#39
○鈴木力君 だから私が言うんですよ。行政当局である県が主催者なんだ。そうして文部省が主催者なんですよ。行政が国民体育大会にあまり口を出していい、悪いとかというそのあり方の問題については、いろいろの意見もありますから、私らもそうだと思う。しかし、県は主催者なんですよ、そうでしょう。だから県民は、たとえばさっき岩手県の話が出たから岩手県を例にとれば、岩手県民が主催しているのだから、文部省が主催しているのだから、これはほんとうに国の体育行事なんだという気持ちで岩手県民は取り組んでいる。日本には陸上競技連盟という団体があるそうで、この団体の人たちが岩手県に集まって競技をやるそうですという考えはあまりない。私はそれでいいと思っている。ただ、やり方を県なり文部省なりが何でも強引に、いわゆる行政当局の権威をかさに着て、それでやろうというのは私はいけないと思うのですよ。民間団体の意見を非常に尊重しながら、あるいは民間団体に重要な役割りを与えながらやるのはいい。しかし、たてまえとしては、あるべき姿は、行政がここまで関与しちゃいけないのだというたてまえで、出場資格をその民間団体に所属したものでなければいけないというのなら、これは県も文部省も主催者から手を引くべきだ。そうではなくて、私は国体というものを、行政があまりやり過ぎてはいけないというのは大臣と同感ですが、いまの日本の体育が国民に溶け込んでいる度合いから見ると、あまり進んでいると私は思っていない。そういう現状ですから、一年に一回くらいは政府も主催し、会場県が主催者側になって、そうして多少の予算も使いながらも、国民がここで体育をやるのだということも私はあっていいという感じをいま持っているのです。その場合に、これは県がやっている県民のもの、国がやっている国民のもの、そういう気持ちがいま手がかりになって、体育というのが国民のものに広がっていく。そういうときに、いまのたてまえとして、その団体に加盟していない者は出場権がないですと頭からぴしゃっと出てくる、そこのところが固執をされてどうも検討ということもあまりする気もなさそうだ、こうなってきますと、協力の態度というのは違ってくるような気がするのですよ。だから私は、選手の登録ということにつきましては、登録という一つのことじゃなしに考え方、基本的な国体というものをどうして国民になじましていくかという考え方の問題、基本的な立場の問題だと思って、私はいま指摘をしているわけです。時間がありませんので、これ以上は同じことのむし返しだと思いますけれども、少なくとも私はやはりそういう点から、いままでやってきたことも振り返りながら将来のあるべき姿としての、実体は変わらないにしても、理念的にはどういうものかということを検討してみてもらいたいという気持ちは持っております。これだけ申し上げておきます。
 それから次に、いまの同じような気持ちから申し上げるのですけれども、これは直ちにどうという御返事をいただけるかどうかわからない、あるいはいただけないのじゃないかとも思いますけれども、いろいろな欠陥として指摘されているうちの、たとえばさっきのジプシー選手とか、これらについては体育協会自体も、それから主催県もずいぶんそれぞれ自粛をされるといいますか、この弊害除去のために努力をされていると思いますから、そういうふうに伺っておりますので、これはもうそういう関係者の努力によって相当期待できるのじゃないか、こう思っておりますから、この点はそういうことでいいのですけれども、全体からいいますと、たとえばこの競技について、さっき局長からも参加種目が多い、あるいは選手の数が多いということも御指摘なさいまして、これは受け入れの状態等も勘案での問題だと思いますが、競技のあり方について、これはしろうとの私見なんで適切かどうか自分もどうもはっきりしないのですけれども、体育振興のすそ野を広げていくという意味もこの国民体育大会にありとすれば、アマチュアではあるけれども一流のいわば選手として固定してしまったような人が、何べんも何べんもその人たちだけの競技ということを再検討してみる必要があるのじゃないかという感じを一つは持っているのです。つまりこれは文部省も後援団体に入っておりますが、青年団の青年大会というのがありますね。あれはまあ交流が目的であって、国体とも多少目的が違うからあのとおりやれとは言いませんけれども、あの青年大会では、一ぺん出場した選手は翌年はたぶん出場しないことになっているようにも聞いているのです。そういう形で、新しい選手というのがどんどんどんどんそういう晴れの舞台に出てくる機会を与えていく、そういうことによっての体育振興のすそ野を広げるという役割りも果たせるのじゃないか。そういたしますと、いわゆる記録を競っていくようなそういうものは、体育団体の選手権大会なりそういうことで役割りを果たしていって、国民体育大会というのはもうあまり記録とか公式的な規制とかいうものを一応思い切ってやめてみて、そうしてたとえば前年何位以上に入賞した者は出場しないとか、あるいはこれも、これでなければという案もないのですけれども、二年連続入賞した者はもう出場しないで、後輩が、新しい選手がかわって出ていく、そういうような形にひとつ切りかえていくことはどうなんだ。しかし、そうはいいましても、せっかく地方を回っているのですから、地方を回りますと、やはり地方の人たちは一流のほんとうのすぐれた演技を見るということもまた一つの意義もある。これを捨てるわけにもまいらない。そうすると、国体の種目の中に、勝敗を争うものは別とした、何といいますか、模範演技といったような、そういうことも一つ取り入れながらすそ野を広げていく、こういうことは検討の余地があるのかないのかということを伺ってみたい。逆に言えば、私は、そういう点は検討に値するのじゃないか。いまの国体のあり方からいろいろな批判を受けましてこんな気持ちなんですけれどもいかがなものですか。
#40
○政府委員(木田宏君) いま、国体は都道府県単位に総合点で天皇杯、皇后杯を競うという形になっております。そのことがジプシー選手の問題を生んだりいろいろなことを起こした一つの原因でもございました。しかし、各地に国体の会場を持って回りまして、その地域のスポーツを振興させるためには、御指摘のように、すそ野を広げて愛好者をふやすということと同時に、いま御意見の中にもございましたように、その地元の選手が勝つということもまたやっぱり普及のために大事だという要素があるわけでございます。そのことから都道府県対抗の天皇杯、皇后杯を競うといういまのやり方になっています。天皇杯、皇后杯が、その点数の競い方そのことにも問題がございますが、いま体協では、その競技種目の取り扱い、点数の取り扱い、そういうことと合わせて今後の課題として検討を始めようとしておるところでございます。どのように持っていけばいいか、私どもも必ずしもいまうまい方向を感じとっておるわけではございませんけれども、いろいろと改善の方向は一緒になって考えてみたいと思います。
#41
○鈴木力君 私がそういうことを申し上げますのは、私個人は国体が各府県を回るということについては賛成する側に立っているのですよ。いまいろいろな意見があるように伺っているのですが、一切、地方回りをやめてしまってそして中央大会にしたらどうかという意見も相当強いようにも伺っているのですけれども、ほんとうに国民体育としてもっていくためには、やっぱり私はある程度地方を回るということも一つの意義があるのじゃないかという、そんな気持ちでものを考えているわけなんです。ただ、そうしますと、たとえば施設設備につきましてもたいへんに主催県に負担がかかっていることはもう間違いないですね。ものすごく負担がかかるわけです。それは種目が多いから負担が多いという、そういう考え方もありますけれども、だから今後いつからというわけにもいかないかもしれないけれども、思い切ってある施設でやれるような国体ということをどうも私は提唱したいような気がするのですね。したがって、その何種公認グラウンドでなければいけないとか、あまりそういうやかましい規定をなくして、まあ、体育の普及なり体育が国民的に向上していくためには、そういう施設、設備をつくらせていくということは、一つは重要な課題なんですけれども、それと同時に、間に合わなければ、多少公認グラウンドでなくても、公認要件に多少欠けておっても、そこでもやれるような国体というものをつくり出してみたらどうなんだろう。そうすると、当然そこでは公認記録というものが出てこないわけでありますから、したがって、さっき言いましたような公認記録を追うような国体でないものに変えてみたい、そういう感じを持っておるのです。いま検討されていらっしゃるということを伺っているのですけれども、この辺はどういうことになっていますか。
#42
○説明員(中島茂君) お説のように、競技施設が規模が大きくなりしますと、したがいまして経費が非常にかかる。きわめて専門的でございますが、施設で非常に金がかかりますのはスタンド面でばく大な経費がかかるわけでございます。公認の施設である、たとえば陸上競技の四百メートル走路というのは、これは四百メートルであろうと五百メートルであろうと三百メートルであろうと、たいした経費の差はないのでございますが、これはスタンド・キャパシティー収容力の問題でばく大な金がかかります。国立競技場が二十億かかった、そうするとあの走ったり飛んだりするほんとうの競技施設は五千万円でできるのでございます。たとえば岩手の総合グラウンドでありますと、あの中の飛んだりはねたり競技しますところの部分は四千万円であがっているはずでございます。かかりますのはスタンド面でございますので、そういう収容力をある程度制限する、その一策として国体では、仮設スタンドを大会時に脚榻で組みましてやるという方法もとっております。諫早の競技場はことし実施されるということでございますが、収容力は二万ちょっとでございますので、大会時は三万三千入場するために移動の仮設のスタンドをつくる、そういうふうなことをすればいいじゃないか、こう思うわけでございますけれども、そういう意味で検討が進められておりますようでございます。
#43
○鈴木力君 くどいことは申し上げませんけれども、どうも伺いますと、印象ではやはりマンネリだと、さっきどなたかおっしゃったように聞いているのですけれども、何かいままでやってきたことが絶対に正しくて、それからこういろいろな批判が出るものをばんそうこうを張るみたいに直していって、何とかなるのじゃないかという苦労をされておるような、どうもそういう印象を受けてならないのです。しかし、もうこれから各府県を回って体育というものを各県ごとに一年に一ぺんくらいは楽しむのだ、やっていくのだという場合に、全種目とも全部公認競技場としてのきちっとした条件が整わなければということでなっておると、たとえばスタンドをどうするとかというようなことじゃ間に合わないような気がするのです。かといって学校大会もずいぶん盛んになっておりますから、きちっとした公認まではいけるかどうかしらないにしても、相当程度の施設設備というのは、そういう面ではあるいは社会体育の面からもできているわけなんですから、国体のために特につくらなければというような考え方はもうやめてもらいたい、そうするとさっき言ったように、基本的には公認記録を追う国民体育大会という形で選手制度というものがほんとうの選手制度になっていると施設設備との関係もこれは断ち切れない、だからそういう点では思い切って国体のあり方ということを、さっきの選手の出場資格も含めまして再検討してみる時期にきているのじゃないか、そういうことをしないと、おそらくもう地方回りお断わりという空気のほうが非常に強くなってきて、意図せざるところに国体が追い込まれるのじゃないか、そんな感じを持っておりますから伺ったわけなんです。
 時間がないそうですからもう一つだけ。これはこの前に局長さんにお伺いしたことなんで、もうそれでいいと思いますけれども、一つはやはり学校教育との関係だと思うのですよ。これも前提としては各県とも、まあことしは長崎県ですか、来年は岩手県というふうに、この当事者である当局は学校教育に弊害を与えまいとしての涙ぐましい努力を払われていらっしゃると、私はそう見てはいるのです。しかし、やっていることを見ますと、これでほんとうに学校教育に弊害を与えていないのだろうかというとどうもやはり疑問がある。この前にも申し上げたのですけれども、たとえば私の県でも前提はかけ声としてそう言っている。日常の学校教育の域を出ないように練習をしよう、これは県の当局もそういうふうな言い方をしておる。しかし、今度出てきた計画書を見ますと、一週間に一ぺんは、水曜日の五校時は小学校は合同練習の体育の時間としなさいときめてある。そうすると体育の時間があると小学校で一週間に一時間は体育の時間を設けるわけです。しかもそれが合同体育の時間にしなさい。国体が何か一切の学校行事までも、国体が先にものをきめなければ学校の教育計画が立たないとすると、ずいぶん排除しておってもこれじゃやっぱりいろいろな弊害が出てくるんじゃないかという心配をまあ私は持ってるんですね。それは局長さんからもそういう過ぎた点については検討をしたいという御答弁いただいておりますので、重ねて申し上げることもないんですけれども、もう一つは、計画を見ますと、来年やる国体で、ことしの十月が完成という目標になってる。そうすると、学校体育というのが国体に参加するために、もう去年も一通りやってるわけなんですから、三年前からそういう形で取り組んできて、そうして開会式を盛り上げるために協力をするということは、一体どういうことなんだろうという疑問を私は持ってるんですね。しかも出演時間というのは十二分です、小学校は。だからこの集団演技というものに学童が参加することの是非という議論もありますけれども、私は別に学童を参加させるべきじゃないというようなかたくななことを考えているわけじゃないけれども、あの開会式の行事のあり方というものもこれは私は検討してみるべきだと思うんです。で、集団演技というのは、まあいろんなことがあると思いますけれども、たとえば学童が出る場合は、普通、全然練習するなと言ってもこんなことは事実上あり得ないわけで、学校内の運動会やる場合にだってある程度の練習というのはそれはやりますが、その程度の練習でできるような開会行事にすることができないものだろうか。その場合にはそれはふぞろいなこともあると思うんです。学校の合同でやりますというと当然そろわないこともある、あるいは間違う子供もあるかもわからない。しかし、それが国体の開会式のほほえましい盛り上がりというふうに関係者が見られるようなものにできないのかどうかということです。この点につきましては局長さんにもこの前にほぼ同じお考えのように伺いましたので、あらためてきょうお伺いするわけじゃないけれども、くどっぽいことを申し上げますのは、さっきの選手の問題にしても競技の問題にしても、あるいはいまの集団演技にいたしましても、持ち回りでやっておる、それを受ける当番県、長崎県なら長崎県にしても、岩手県にしても、やっぱり、意識としてはその弊害を除去しようとする善意の上に立ちながらも、前の県でこういうりっぱなものを見たというイメージがあるから、やっぱりある程度はこれにおつき合いできるような、長崎県なら長崎県らしい、弊害のない素朴ないいものをという気持ちがあるだろう。この善意といいますか、熱意というものを、ただそれがけしからぬと言っておったって私はしょうがない。そうすると、主催者である文部省なら文部省が、最低限度こんなものでいいんだから、たとえば学童は少なくとも練習期間というのはおよそそういう長期にわたらないようにしろとか、主催者である文部省からのそういう指導がないと、地方の人たちはもうやり切れないというような気がいましてならない。こういう点につきましては、まあ議論すれば長くなりますからやめますけれども、いまの教育課程の考え方からも多少私は疑義があるんじゃないかというふうにも見ておるんです。こういう点については将来のこととして再検討するということよりも、早急にやっぱり関係者とひとつ御相談なさって善処をしていただきたいと、こう思って申し上げるわけです。
#44
○国務大臣(坂田道太君) ただいまの鈴木さんのお話、私もっともなことだと思うので、やはり何十年に一回の国民大会を自分の県で催すわけでございますから、県民が張り切ることも無理からぬことだと思いますけれども、しかし、やはり学校教育との関係においては、節度を持ってもらわなければならぬ。その点については十分ひとつ関係当局と打ち合わせをしまして指導をいたしたい、かように考えます。ただ、実際、国民大会ということでもって、まあ来年とかあるいは再来年とかということで、その出場する時間は十分間とかあるいは十二分間とかということであるかもしれませんけれども、その日も出場するのが十二分であっても、二年間なら二年間のそのプロセス、つまり学校は学校において、あるいは青年団は青年団において、そういうことこそが国民のために国民大会がずっとしみ通っていくことだし、施設設備にしましても、こういう機会でないとなかなか公認されたような施設ができないので、それはまあ運営としましては十分に、四角四面に私は言うべきではないと思いますけれども、しかし、この機会につくっておこう、そしてそのことでもって将来の県の体育の振興ということに利用されるということも、また意義のあることだというふうに考えるわけでございます。しかし、御趣旨のことは私も同感でございますので、十分手落ちのないように指導してまいりたい、かように考えております。
#45
○安永英雄君 スポーツ行政の問題について、特にいま提起がありました国民体育大会の問題について、質問をしたいと思います。
 私は、主として国民体育大会そのものが学校教育に非常に影響を与えているこの問題についての真意をひとつ聞かせていただきたいと思う。その前に、まあ体育大会年々行き過ぎがあるし、そういったものを、大臣のことばではほどほどにしてもらいたいということでありましたけれども、私の調査した限りでは、特に学校教育に与える影響という問題に限っては、私はほどほどにせいというふうな指導では、もう行き詰まっているのではないか。大げさに言うと、これはもう引き受けた県の教育がある面では大きく破壊されている、こういうふうに私は調査をして感じたわけです。たとえばことしの大学問題に端を発して、高等学校の卒業式で非常なトラブルがあるというふうなところがありますが、こういったところも私は調査もしたことがあるのです。ところが、やはり国体を引き受けたということで、上から次々に指図が来る、そうして学校自体で判断はもうできないようながんじがらめな状態の中で生徒に押しつけられていく、そういうところから不満が出てきて、われわれ卒業生としてはこの四年間こういった学校の、国体に対する学校当局の態度というものについては非常に批判をする、こういったところまで発展をしてきているわけです。やはりここで国体全般についての反省の時期がきたのではないか。先ほどからもおっしゃっておりましたが、次々に改善はしていったと言いますけれども、私はあとで実情を報告いたしたいと思うのですが、年々改善はしていると言いますけれども、今度の秋に行なわれる長崎のこの国体の準備のいまの状態といったものは、私があとで申し上げる埼玉と同じです。もうあらゆることが――選手の強化の問題にしても、あるいは学校のマスゲーム、あるいは住民の人の協力、こういった問題について、非常に県民の不満が爆発寸前にきているのではないか、あるいは学校教育も破綻を来たしておる、場合によっては学校側は敢然とこの国体の問題についてはもう協力しないと、こういう立場が出るかもしれないというふうな状態も、いまから行なわれようとする長崎で現にあるということですから、私はやはり特に学校教育という問題についての国体の及ぼす影響、こういったものについては、十分考えていかなければならぬのではないか。そういう意味で私もずいぶん検討してみたのですけれども、国民体育大会のこの目的ですね、さっき大臣も言われたのですけれども、正確に言うとどういうことなんです、国民体育大会の目的は。私はここから出発しなければ、いま非常に目的そのものがゆがめられていると思うんですよ。
#46
○政府委員(木田宏君) 国民体育大会は、その開催基準要項で、その趣旨といたしまして、「広く国民の間にスポーツを普及し、アマチュアリズムとスポーツ精神を高揚して国民の健康増進と体力の増強を計り、併せて地方スポーツの振興と地方文化の発展に寄与するとともに、国民生活を明るく豊かにしようとする」という趣旨をうたっておるところでございます。
#47
○安永英雄君 国民体育大会開催基準要項というのはいつごろできて、この要項を決定するときにはどういう立場で決定されたのかお聞きしたいと思います。いわゆるどういうメンバーで決定されたか。
#48
○政府委員(木田宏君) スポーツ課長から答弁させます。
#49
○説明員(松島茂善君) 現在の国体開催基準要項は、昭和四十一年に改定されたわけでございます。四十一年三月の二十九日だと記憶しておりますが、改定されました。先ほどからいろいろ御質問がございましたように、国体も相当回数を重ねてきまして、問題やあるいは世論の批判も幾つかあるものですから、そういうふうな問題に対処するために、将来を展望して国体のあり方を再検討しようということで、一年半ぐらいにわたりまして委員会において論議されたわけでございますが、そのメンバーは国体の正式種目として取り上げられております競技団体の代表ですね、それから各都道府県の体育協会の代表、それに高等学校体育連盟と若干の学識経験者が入っております。それに文部省からも二名ばかり大会委員として入っておるわけでございます。そういうふうな関係者によって論議され、まあ常時の論議はそのたくさんの人たちで論議できませんので、常任委員会というものを設けました。さらにその常任委員会の中に改定小委員会というものを設けまして、いろんな角度から国体のあり方について検討されて、現在の改定がなされたわけでございます。しかし、さらに今後長い将来を展望して、国体の開催のあり方について再検討しようじゃないか、先ほどから御指摘のような、いろいろな問題もあるわけでございます。昨年からこの開催基準要項を中心にいたしましてさらに再検討を加えておる最中でございます。小委員会において再検討いたしております。
#50
○安永英雄君 国民体育大会開催基準要項というのが大体国体の運営実行、これについてはほとんどこれ一つで大体規制しているわけですね。そういうことですね。そこで、この点はどうでしょうね。さっきもお話がありましたが、各県でそれぞれ文部省も加わって実行委員会あるいは準備委員会、こういうものができますね。できてます。どこの県でもあるんです。そこで結局弊害が生まれてきているのは、その委員会、いわゆるすべての企画、実行も受け持つこの実行委員会、こういったものの中に学校当局、教育委員会はもちろんですが。学校の校長あたりが全部入っている。あるいは自衛隊も入っている。この実行委員会で決定をした項目というものがそれぞれ実行委員長名、あるときは体連の会長ですか、そういった名で直接学校はこうきまりました、こうやれと、こういう仕組みにほとんどなっているようなんですよ。そこできまったことが行政機関の教育委員会から、あらためてそこでああ言いこう言いやり、教育委員会から各学校へ、学校では職員会を経てそれの実行にかかる、こういうことではないんですね。もうその実行委員会に入っている、校長は。こういう形で実行委員会が編成されていますから、学校の意思にかかわらず、生徒の意思にかかわらず、教員の意思にかかわらず、それを押しつけられている。ここに私は大きな弊害がありそうな気がするのですが、そこで、基準の要項というものについては、そういったものは何か入っているのですか、規制するような。
#51
○説明員(松島茂善君) 先ほど申し上げました国体開催基準要項は、一つの基本的なレールといいますか、基本的な方針を確立して、これは相当幅がございますので、開催県におきましては、この方針に基づきまして、この範囲内で開催県独自な計画を立案するわけです。この立案の過程におきましては、いろいろ競技団体等とも相談いたしまして計画を立案する、それを国体委員会に持ち込みましてどうだろうかと話し合いがなされます。そこで、先ほど申し上げました国体委員会の大勢の人たちがいろんな角度から検討されまして、これでいこうじゃないかということになるわけですが、いまのお話しの県の実行委員会の問題でございますけれども、実行委員会が中心になりまして、その県にふさわしい国体計画が立案されるのです。一例を申し上げますと、学校教育との関係は、先ほどちょっとございましたですが、たとえば岩手県のマスゲームの問題、先ほどちょっとマスゲームの問題が出ておりましたが、マスゲームの計画は実行委員会の中にマスゲーム委員会というもの、これは各県でほとんどそういうマスゲーム委員会が設けられておりまして、そのマスゲーム専門委員会は、これは現場の先生方が非常に多いのです。そこでいろいろ検討して、マスゲームの内容の問題、これは学校の体育の教材を基本的に踏まえながらどういうふうに構成していくかというようなことがずいぶん大勢の方々で論議されるわけです。そこである程度の試案ができますと、その試案を、岩手県の例でございますと、昨年の七月にそういうふうな試案ができまして、盛岡市内の関係学校の校長先生、それから教頭先生、教務主任の先生、そういう方々に全部集まっていただいたそうです。そこで、これについていろいろ検討され、あるいは練習時間、期間というものを検討されまして、そして基本的了解を得られたというふうなことで、それで昨年恒例の盛岡市内の連合運動会で一回やったきりです。それである程度皆さんの批判を受けて、直すべきところを直してことしの練習に持ち込もう、先ほどの問題になった。そういうふうな形で私どもの知る範囲では民主的になされているように聞いております。
#52
○安永英雄君 民主的にいってないのです。だから聞いているのですが、私はやはり文部省が、先ほどいろいろ改善したいと、こうおっしゃっておられたんですが、改善の手をつけるところは、やはり先ほどから聞いたように、国民体育大会の開催基準要項、これにはっきり国体の目的も入っているし、幅もあるのはありますけれども、ここで私はやはりきちんとしないと、各県におまかせする、そして岩手県は非常によかった、これでは私は文部省の仕事というのは足らないと思うのです。いまから私はその点について多少申し上げてみたいと思います。
 選手強化という問題が学校教育に大きな影響を与えていることは間違いないです。それを申し上げてみたいと思うのですが、まず埼玉が、私が調べたところでは埼玉の国体が学校教育に一番大きな悪影響を与えたというふうに感じます。いま記録も残っておりますし、調査もしたんですけれども、大体埼玉の体育協会の会長さんが、福永さんがやっておられる、その当時「埼玉のスポーツ界は非常時体制でありますので、限られた時間であっても選手の指導強化に全力を尽くされることを確信します。」あるいは知事も「本県選手団が日頃の実力を遺憾なく発揮し、全種目に優勝、もしくは入賞を果たして、天皇、皇后両杯をわれわれの手にいただき、県民ともども」これを喜び合いたい、これが、先ほど言った基準に基づいて第一回の実行委員会があったときのあいさつであります。そういう発想からやはり埼玉の準備は出発したわけです。
 そうして、選手強化というのはどのようにして行なわれたかと申しますというと、結局三年前ぐらいに一応選手をえりまして、その選手も出場数の三倍ないし四倍一応とっているのです。そうして三年間のうちに競い合わせて、一年ごとに次々に落としていって、そうして開催当年のときには、当初のときには二倍に選手を一応確保しておいて、そうして開催まで徹底的に、どちらが出場するのか言わないで徹底的に競わせる。とにかく三倍ないし四倍の選手を確保しておいて、そうしてそれを競わせながらやっている。もちろん一般の選手もそうですけれども、高等学校の選手、これあたりは徹底的にその方法でやっている。そこで結局、選手に選ばれようと、こういうことでこの三倍ないし四倍にあたる選手団は懸命に競い合う。
 極端な例は、あそこでちょっと作文を見てみたのですが、ある選手が足をけがした。そうするとほかの選手は非常に喜んでおる、こういうのですが、私は、一人だれかが足をけがして出場できなくなったと、こういうような競わせ方、これを徹底的にやるものですから、高等学校の場合も、選手になったのは、あらゆる授業その他を免除されて、そうしてとにかく朝から晩までそのスポーツに専心できる体制をとらしておる。こういうことで、結局やはり学校体育あるいは学校教育の向かう健全な心身の育成、こういったものに大きな障害を与えている。いまでもそのときのことを述懐して高等学校卒業生が言っておりますけれども、実にあの三年間というものはもうわれわれとしては人間らしい生活というものはとれなかった、私どもの青春というものは国体三年間にかけられておった、こういうふうなことを現地で言っておるのを私は聞きました。
 そのほか、選手強化の問題についてはたくさんなデータがありますけれども、たとえば、中学生のときから――三年前ですから、中学生のときから選ぶわけなんです。そうしてそれがみごとに高等学校に合格しなければならぬわけです。そこで、方針を立てて、中学生の有望選手を発掘強化する、それから有望中学生の県内進学を推進する。この二つのために、当該校長、家庭、高校に協力を求める、こういう大方針が立っておるのであります。そうして中学生の試合をウの目タカの目で見ながら、いまの三つの方針に従って三年間準備をしたわけですが、たとえば私の調べたところでは、バスケットボールで中学校の体育会で優勝した浦和市内のある中学校がございます。このチームの選手、これが三カ月合宿を受けまして、そうして、高等学校進学については成績のいいのと悪いのと一応分けまして、そうしていいほうは県立の、名前は申しませんが、浦和の高等学校、成績の悪い者、これは市内の工業高等学校、こんなふうにきちんと完全に進学できるように、こういう配慮までしておるのであります。それから、県内だけの中学生じゃなくて、たとえば水泳で男子の水泳選手の十二名を、十名が川口市のある高等学校で、そのうち五名は九州その他他県から入学ができるように勧誘をして入れておる。こういう実例もあります。それから、水泳でも、女子の十二名の高校選手、そのうちの四名が関西の中学から入ってきておる。これはすべて、試合、国体が終わりまして、全部それぞれの県に帰っておる。こういうひどい選手の強化をやっておる。
 それから、私は、これは相当文部省としても今後調査の必要があるのではないかと思いますが、教員の選手の確保について、大学の一流選手を採用させるために、埼玉県のこの強化委員会が関係大学を訪問して依頼をする、優秀選手に個別に折衝する、こういう方針を先ほどの委員会できめまして、そうして受け入れ体制についてもわざわざ明確な方針を出しまして、まず教員の定員増というので、四十年から四十三年の定員増を、選手の場合はワク外にこれはとっている。ワク外にとっている。処遇についてということで、適当な配置校がない場合は県庁の職員として採用する。採用試験については、たとえ採用試験を受けなくても臨時の教員として採用する。この方針を先ほどの委員会できめて、教育委員会もこれを承知をして、そのとおりの実施をやっておるのであります。そこで体育教官が百四十三名採用されています。したがいまして、同じ種目の体育の先生が一校に三人ないし四人、こういう配置のしかたもされています。ある高等学校には体育教官が九人一挙にそこに来ている。また、県庁職員という名の教員がそこで生まれるわけで、生徒を教えない教員、これが三十名も出ている。いわゆる先ほど申しました処遇の問題ですが、行くところがないと、県庁職員ということで採用しておいて、教育現場におってこれが選手としての練習をやる、こういう形もとられておるのであります。
 いろいろ実例をあげましたが、たくさんありますけれども、私がお聞きしたいのは、これははたして体育局がやられる仕事かどうかは別として、この教育に与える国体の弊害というのは確かにあるわけです。これについての調査をなさったことがあるかどうか。週刊誌や新聞等にはときどき出ますけれども、これは大きな問題なんですよ。調査をなさったことがあるかどうか。
#53
○政府委員(木田宏君) 埼玉国体につきまして、選手の強化にいたしましても、あるいは指導の強化にいたしましても、度が過ぎておるのではないかというような御意見の出たことは確かにございますし、そういう事態につきまして、それぞれ必要な実態の把握ということを私どもも心がけて、調査も必要に応じてやってきておるところでございます。
#54
○安永英雄君 調査の結果がありますか。
#55
○説明員(松島茂善君) 昨年、国体に対するいろいろ批判がございますので、国といたしましてもある程度実態を把握する必要があろうかということで、昨年の夏から秋にかけまして、過去に国体を開催されました県五県、六県ぐらいでしたか、選びまして、調査員を現地に、大学の先生等にも依頼いたしまして、現地に派遣いたしまして調査を実施したわけでございます。ただ、主としてそこでは国民体育大会が国民あるいは県民、住民のスポーツの振興にどういう役割りを果たしてきたか、住民のスポーツに対する意識がどういうふうに変化してきたか、その施設が国体に使われたあとどういうふうな利用のされ方をしているか、施設を中心にどういうふうにスポーツ組織がつくられて、スポーツの大衆化の方向に向かっているか、生活化の方向に向かっているかといったような、そういう方向に力点を置いて調べたわけであります。したがって、いま御指摘の、学校教育に与える影響という角度からは、少しは調べましたが、まだそこまでは深く入っておりません。その調査の結果は現在集計中でございますので、あと
 一月ばかりいたしますと集計、分析をしたものが出ると思います。
#56
○安永英雄君 まあデータ持ってきていますから、参考に申し上げてみたいと思います。
 マスゲーム、これは全般的に選手だけでなく、
 マスゲームというのは全生徒に非常に影響があるわけですが、これは埼玉のデータですけれども、高等学校の場合、このマスゲームによって授業時数が削られたと、こういったのが昭和四十一年の四月から十月までの間に、男子の場合は練習量が最高九十二時間、平均で大体六十四時間、四十二年になりますというと、いまの数のほかに毎月一回ないし二回六校の高等学校の合同演習でさらにそれが加わっている。大体二百時間、ちょっと驚くべき数字なんですよ。マスゲームについやされて授業が欠けたのが二百時間。小、中学校ではさらにひどいんです。このマスゲームの練習のために欠課時間というのが四十一年で小学校で最高百八十時間、最低百時間。中学校で最高七十四時間、最低五十一時間。マスゲームだけをとりましてもこれだけの欠課時間というのが出ている。で、私はいまも答弁いただきましたけれども、体育局で調べられるという、まあその立場で調べられる場合には、先ほどおっしゃった範囲ぐらいじゃなかろうかと思う。したがって、大臣のほうで、私はいま施設がどれだけ残されてどう活用されているとか、いろいろな問題もこれは大事だと思うんですけれども、スポーツ行政としては、私はこれはスポーツ行政というよりも学校教育行政の問題だと思うんですが、これについて、いま体育局のほうはもう一カ月ぐらいで調査が終わるとおっしゃいますけれども、これと並行しながら、いまからでもけっこうなんですけれども、これはぜひこういった国体から受ける教育上の弊害といいますか、そういったものを直ちに調査をしたらどうかと思いますが、その点どうですか。
#57
○国務大臣(坂田道太君) いま安永さんからお話しのことにつきましては、私が聞いておりましてもちょっと節度をこえておるというふうに思われるわけでございまして、この点について、体育局だけじゃなくて学校教育の面からこの種の影響は調べてみなければいけない課題であるというふうに思います。
 ただ、一般的に申しまして、スポーツというものについての考え方、私は学校教育の中において非常にウェートは大きいと思うんです。むしろこれをないがしろにしたから、むしろ知的な面だけ詰め込み教育みたいになっておる、そういうものが非常にすばらしい人間であるということでセレクトされた人たちが学生になる。むしろ情緒性や、あるいは集団生活や、あるいは友情や、そういうものがなくなってきておる。あるいは自立的な精神といいますか、自己コントロールということもできなくなっている。で、私は先生もおそらくそうだと思いますけれども、スポーツをやった者として非常に苦しいことがある。しかし、その苦しいことを乗り越える力というものを与えるというのが私は教育の大事なところじゃなかろうか、その意味においてスポーツというものは非常に結果がはっきりするわけです。競走というものでその評価がきまるわけですから。マラソンやりましてもそれは体力もございましょう。あるいは技術もございましょう。あるいは能力もございましょう。しかし、ある程度のがんばりがなければこれは勝つことができない。そういうものは学校を出まして、社会に入るやはり一つの重要な教育の課題であって、そういうものを経験した者と経験しない者とでは非常に違う。御承知のように、イギリスにおきましてはいまもやっておると思いますけれども、オックスフォードやケンブリッジ等では午前中は勉強する、しかし午後はもうスポーツなんだという、こういう非常にはっきりした考え方も持っておるわけなんで、むしろ私は今日の知的教育詰め込み主義に対しまして、もう少し学校教育の場においてスポーツというものを取り上げなければいけないのではないか、あるいは強力に推進しなければいけないのではないか、そうしてまた学校の先生自身が、まあ私は国の何か見ておりましても、自分は自転車に乗ってそして走らせておるという姿をちょいちょい見ておる。こういうようなことでスポーツの振興や、あるいは学校教育におけるスポーツというものをどう先生は一体考えているかというふうに思うのでございます。私たち小学校、中学校のときには先生が先頭に立って山登りも一緒にやった、あるいは一緒になって走ったというような行為それ自体が子供たちにスポーツというものの意義をわからせ、スポーツというものを体得させるということになると思いますので、いま御指摘になりました点はまさに私は指摘さるべき点であって、これは私は学校教育における弊害だと承知をいたします。しかし一般的に言うならば、むしろあまりにも学校教育の中においてこのスポーツというものを軽視している傾向があるのではなかろうか。あるいは形骸化しているのではなかろうか。形式的だけに、あるいは単に国体だけに参加することをもってスポーツの普及でありスポーツであるというふうに思っているのではないかというふうに――何十年かに一回開かれる国体を通じまして、やはりある程度の普通のときの学校教育計画の中に少しぐらいはやはりその強化の時間がふえても私はむしろ教育的であるというふうに思います。
#58
○安永英雄君 もう時間ありませんけれどもね。私は大臣としておっしゃること、ほんとうじゃないかと思うのですがね。学校の中でスポーツが非常に軽視されておる、それが何かこういまの青年が惰弱なとか大学問題までは触れなかったけれども……。
#59
○国務大臣(坂田道太君) いや、触れてもいいですよ。
#60
○安永英雄君 しかしですよ、イギリスの例とられたけれども、午前中授業、午後スポーツ、そういう教育課程なり、学校の、国の方針なりそういうものを立てればいいと思いますけれども、大臣のおっしゃるのであれば、時間数、ちゃんときまっているのですよ。体育時間、ちゃんときまっている。だから結局朝早く授業始まる前にやるか放課後のクラブ活動、この中で結局やるわけでしょう。そのクラブ活動をスポーツ全部やらせろというわけにいかぬ。いまの場合それぞれのクラブに入ってやるのですから、そうすると大臣としてはいまの趣旨からいけば、学校体育という問題について、これは相当の改革をされるという考え方があるんですか。どこでやれというんです、あなたのおっしゃることは。
#61
○国務大臣(坂田道太君) 私が言うのはそうじゃなくて、一般的にスポーツというものに対する考え方が、何か形式的なワクの中でなければやれないというふうな前提があるということが私はおかしいということを申し上げておるのであって、放課後であろうが、あるいは日曜を利用しようが、もうちょっと積極的に先生方がやってもいいんじゃないかというふうに思いますし、それからまた自分が自主的にやってもいいわけなんです。スポーツの施設がなければできないようなものでないので、私から言わせますと、おのおのが、たとえば私なんというのは陸上競技やったわけですが、いまでも朝走っておるわけですけれども、とにかく朝人より早く起きて二十分でも三十分でも走ればそれだけやっぱり強化練習になるわけです。そういうことをあまり形式的に時間がこうだからああだからというようなものの考え方ではスポーツの振興はできないという一般論を私は申し上げておるんです。ですけれども、この与えられた教育計画の中においてそれは行なわるべきが当然でございます。それをいま御指摘のような埼玉のごとき場合は少し節度をこえておるんじゃなかろうかということにつきましては、私も同感なんでございますが、しかし、何十年かにおいて一回のいわば国民大会がわが県において行なわれるという場合においては、多少のいままで平生どおりの教育計画の中に少しはみ出す部面があっても、それは許されてしかるべきではなかろうかというような気持ちを申し上げたわけです。
#62
○安永英雄君 わかるような気がしますけれども、やはり私はスポーツという問題よりも、それと関連した学校教育、学校教育の中における体育、こういったものが非常に弊害を加えられておるということを申し上げただけの話であって、私自身も国体の今日まで果たしてきた役割りというものは十分承知もいたしておりますし、曲がり角にきておるからといって、国体をやめろというような考え方を私は言っておるわけじゃないし、高等学校のそういうときどきしかないそのときにやっぱり重点的に体育をやっていくということは、これは私は認めておるんです。あまりに正規の学業を変えてみたり、あるいはめちゃくちゃに人事異動をやってみたり、こういったことはすでに違法ですよ。私はこういった点についての調査をやるお考えはございませんかと――いま言ったことは調査のあれから漏れておるようですから、それを私は聞きたかったわけなんです。肝心なところを答えていない。
#63
○国務大臣(坂田道太君) 先ほどの速記録を見ていただきますとちゃんと私は申し上げておる、調査をしますということを申し上げておるわけです。それからたとえば高等学校の段階では受験勉強に追われまして、体育の時間があってもむしろしていないんじゃないですか。あるいは課外活動においてもそういう運動をむしろやることのほうがいいんですよ。ところが実態をお調べいただくなら、むしろそうじゃなくて運動の時間がなくなってしまって、そうして予備校化してしまっておるんじゃないですか、現実は。そういうようなことがやはり学生の全人格的な、いわば人間形成に欠けるところが多い、教育というものはやはり昔から言われる、古いことばで失礼でございますけれども、知育、体育、徳育というような一つの考え方というものは、やはり今日のスプートニクの時代においても言われることだと私は思います。この三つ、知育、体育、徳育、こういうものが調和されて初めて人間的な、全人的な教育というものが行なわれるのじゃなかろうか。ところが今日は入学試験の制度そのものにも問題があろうかと思います。ほかにもいろいろ問題はあろうかと思いますけれども、とにかく入学をしなければならないから、結局スポーツや、あるいはもう二年まではそういうような陸上競技や、あるいは剣道や何をやっておった人も、三年になったら受験勉強だからといってやめてしまう。それははたして高等学校の教育としてちゃんとした教育であろうかというと、そうではないのじゃないだろうか。高等学校三年の、有名校においてもスポーツを奨励して大いにやるべきではないか。そういうような調査もひとつやらなければならぬというふうに私は考えております。
#64
○安永英雄君 いまの点わかりましたけれども、私はそういった面の調査もやってもらいたい。調査が出たらその結果、大臣少しちょっと先走ったことをおっしゃるようですけれども、これは相当出たデータをお互いに検討しなければならぬところだと思う。
 それから時間もありませんから、調査で私は急ぐのは、ぜひとも調査していただきたいのは、長崎の国体の問題です。あまり詳しく申しませんけれども、大学時代の優秀選手を教員として長崎県に雇っておる状態、これは非常にいま行なわれておるわけですが、非常に無理な採用なり、埼玉に似たようなケースが起こりつつある。それから高校生の選手の強化というのも埼玉とほとんど同じような方針でやっておる。教員のジプシー選手の導入というのも、すでに行なわれつつある。それから他県の中学、この中学生をすでに入れているのですが、そういったことも現に行なわれておるわけです。福岡県あたりからずいぶん行っている。
 それからマスゲーム、これあたりも割り当てられて相当反撃を食らっておるようです。たとえば島原というところがありますが、婦人会のマスゲーム参加、これのうちに大体予定してあった者が半分しか参加をしない、なぜかというと、これらについては経済的な負担が大きいわけです。そろいの着物やら何かつくらなければいかぬということで、問題をあそこは起こしておる。それから大村でも幼稚園の園児が母親と一緒に踊るように、マスゲームに参加するようになっておりますけれども、これについては相当な金額がかかるということで不平が相当出ておる。それから着物も夏用、冬用、練習ずっとあるのですから。そうしていよいよ秋用と三つつくってそれで大体三千円から四千円かかる、簡単なゆかたみたいなもの。それでとにかくたいへんだということで、これも辞退する向きが相当多い。それから諫早、ここでは小学校のマスゲームにやはり夏の練習用、秋の本番用ということで千円以上個人に出させるというので問題を起こしておる。そのほか、先ほどの埼玉に似たような状態もずいぶんあって、そうして学校教育がこわされる、こういうことで地元のほうではあるいは学校関係の協力をすまいや、こういう空気まで生まれつつある。こういった弊害というものは、だからこれはりっぱな国体をやらなければならぬと思うのですけれども、私はまだまだあるこういった弊害をやはり文部省も主催主体ですから、やはり強硬に言われて、そして事態をやはりすっきりした国体にしていただきたい、このように思います。さらに私自身もまた調査に長崎に行きます。あなた方も少しやってもらわぬと、先ほど来言うように、これは年々やっておるけれども、ことしの秋にある国体が埼玉と似たような状態があると思うのです。そういった点で調査をお願いしたいと思います。
#65
○政府委員(木田宏君) 行き過ぎた選手強化策あるいは御指摘のようなマスゲームの華美にわたるようなものというものは、やはり慎むべきことでございまして、私どももいままでも県の当事者から事情を聴取しておるつもりでございますけれども、なお御指摘の点等含めまして、十分に実態の把握につとめ、指導して遺憾なきを期したいと考えます。
#66
○委員長(久保勘一君) 速記をとめて。
  〔速記中止〕
#67
○委員長(久保勘一君) 速記を起こして。
#68
○大松博文君 ちょうど冬季札幌オリンピック、これが四十七年に開催されますが、これにつきましては、完全に、またりっぱになし遂げてもらわなければいけないということから御質問さしていただきます。
 ちょうど東京オリンピックのときの、あれは七月でしたか、私がドイツへ行きましたときに、ドイツで日本のニュースが流れておった。何が流れておったかと言いますと、ちょうど東京の道路を掘り返しておる、またいろいろな施設は鉄骨がこんなになっておるようなニュースが流れておった。それをドイツの連中が見ておりまして、大松、あんなことであと三カ月そこらでほんとうにオリンピックができるのか。ドイツと日本は同じときに負けた国だ、ドイツ人にあんなことでオリンピックをやれと言われても、わしらはとうていできない。ほんとうにだいじょうぶか、だいじょうぶかと言って、あのとき肩をたたいて心配をされ、たということを思ったときに、世界各国がそういう眼をもって日本を見ておったと思いますが、一億が挙国一致をして完全にりっぱにオリンピックをなし遂げた。ましてや世界第三位の金メダルを取ったということは所期の目的を果たしたことになると思いますが、私はほんとうはそんなことはどうでもよかったのではないか、日本の若い青少年がほんとうに日本の国を心の奥底から引き出してくれたということが私は一番うれしかった、私そういうように思います。それがひいては現在いろいろなところで、いわゆる社会体育というようなものが発展していったもとにもなっている。だからして今度の冬季オリンピックでもそういうようにやっていただきたい。
 そこで、住宅問題でございますが、これが今度の法律の改正案、そしてこれの規模また計画、これが一体どうなっておるんだろうか。あのメキシコのときは百十五カ国、それが札幌では四十五カ国の参加だと言っておりますが、選手、役員が男子が二千名、女子が三百名、そしてこれに対して住宅が八百戸。そうすると、どういう建物になるか、私わかりませんが、一戸にすれば大体三名。プレス関係が千八百人で四百五十戸だと、そうしてこの計画をちょっと見たところでは住宅公団で中層住宅、これは四十五年から四十六年度まで、また高層住宅、これは一棟から二棟、これは四十四年度に着工だと、こういうようなことだけで一体どういうようにしようとするのか、この計画をひとつお知らせ願いたいと思います。
#69
○参考人(竹田恒徳君) お答えをいたします。
 東京オリンピックがおそらく日本の全国民の力強い応援を得まして成功いたしましたことはまことに幸いでございましたし、大松さんのいま言われたとおりでございます。次いで札幌が一九七二年に冬季大会を開く栄誉をになうことになりました。その決定の原因はいろいろございますけれども、最もやはり大きかったと思うのは東京オリンピックの成功であったと思います。東京であれほどできたんだから札幌でもりっぱなオリンピックをやるだろうということがやはり一つの大きな底流にあったと思います。事実札幌がきまりましてからあとでも、札幌はもうりっぱにできるだろうという声が世界の各国に起こっております。それだけに、いま御指摘のありましたとおり、札幌オリンピックが普通の成功ではだめなんで、東京にむしろ上越すりっぱなオリンピックにしなければならないということをわれわれ関係者は強く肝に銘じておるわけでございます。
 なお、冬のオリンピックと申しますと、ただいま選手村につきましてお話のございましたとおり、夏のオリンピックに比べますと、はるかに規模の小さいオリンピックでございますけれども、天然気象の影響を非常に受けるオリンピックでございますし、またスキーやそり、その他の競技は、夏の陸上あるいは水泳、プールあるいはバレー・コートというようなものと違って、天然自然の山を利用しスロープを利用して、そうして雪と氷を相手に行なうスポーツばかりでございます関係から、たいへんむずかしいのでございます。ローマでこの札幌オリンピックを決定いたしましたときに、すぐ私はイタリーのオリンピック・コミュニティにまいりまして、いろいろ話をいたしました。と申しますのは、戦後、夏と冬の両方のオリンピックをやったのはイタリーだけだからでございます。そのときに集まってくれました人々がいろいろ教えてくれました最後の結論は、自分は大きな夏のオリンピックと規模の小さな冬のオリンピックをやったけれども、どちらがむずかしいかといったら冬のほうがうんとむずかしいということを注意をしてくれまして、そうしていろいろとアドバイスを受けました。それだけに私は、夏のオリンピックがりっぱにできたから冬のオリンピックもできると安心することは絶対許されない。むしろ夏よりも非常にむずかしいという覚悟のもとにやらなければならないと感じて、いまもせっかく進めております。
 いま、オリンピック村のことでございますが、オリンピック村につきましては、いま御指摘のとおりに、オリンピックの前の年の秋に完成をすることで準備を進めております。これは、ほかの競技施設その他から見ますとたいへんおそい工程になっておりますが、競技場につきましてはできるだけ早くつくりたい。できれば二年前に完成をしたい。少なくとも一年前には完成をしたい。そうしてそれを、その競技場で実際に競技をやってみるということがオリンピックを成功させるためにたいへん必要でございますから、いわゆるリハーサルのできる期間を持つために早く工事を始めております。また、そういう競技場を早く使いますれば日本の選手のためにもたいへん有利になるといえるわけでございます。しかしながら、選手村は、ただいま計画は御指摘のとおりに、住宅になりますものを建てていただいて、そうしてそれを最初にオリンピックに使わしていただくという計画でございますから、あまり早くできて一ぺん人が入ってしまったのでは困りますし、したがってオリンピックの前に、準備が整うだけの期間をもって完成をするという計画で進んでおります。現在、住宅につくりましたものを転用する、規模や大きさは御指摘のとおりでございますが、その細部につきましては、したがってこれから具体的な計画に入るという段階でございまして、いままだ細部を決定いたしておりません。以上、ただいままでの経過を申し上げました。
#70
○大松博文君 オリンピックというのは、ちょうど一年前にプレ・オリンピックをやらなければいけない、そうしてこれが全種目でなくてもいいということに私はなっていると思いますが、プレ・オリンピックといいますと四十六年だ。四十六年といいますと、いまからもう六百八十日ぐらいしかない。そうして工事をやりましても、大体北海道は十一月から四月ぐらいの間工事ができないような状態だ。そうすると、いまのようにまだ計画も立てておらない。そうしてただ、いろいろな面から考えましても、関連公共事業、これだけは地元の議員さんが多いからして、あっちのほうはがっさがっさ続いている。しかし、こちらのほんとうのオリンピックの施設なんか、こういう方面は一向にだれも関心持たない。私これはひとつ文部省に言いたいのですが、こういうことはほんとうは文部省がやるべきものだ。文部省に一番の責任がある。にもかかわらず、文部省も案外のんのんとしているような気持ち、私はこれが一番いけないところじゃないか。また現在でも札幌地区の登録のホテル、旅館というものを調べますと、千八百室しかない。そうしますと、今度は外客の宿泊の需要のワクというものはどうするのか、そのときによって掌握するのだというが、私一体これ、どういうような掌握をするのだと、そうすると、あの東京オリンピックのときでも、何万室と言った。それがほんの四、五万か来なかったというようなことも言ったりする。今度の万博、これだって八十万から百万来るだろう――まあほんとに来るか来ないか、これも地域的な状態からわからない。こういうことを考えますと、こういうのんのんとしていることでは、私、メキシコのあの怠け者の連中が、あんなこと言いながら最後にやってしまった。日本人は勤勉だ、だから、やる、やれるのだというような気持ちで安穏としていては、もうすぐ目の前にきてしまうプレ・オリンピックのときにしましても、――東京オリンピックのときには準備は整っていなかったということからして、外来選手に非常な御迷惑をかけて、そしてあちらこちらから非常なおこごとをいただいた。私そのとき非常に各国の選手に対して申しわけないと思った。そういうことがないようにしなきゃいけないのでございますが、プレ・オリンピックというのは一体やるのか、やらないのか。それまでに間に合うのか。そしてまたこの外客を一体何ぼにつかんでおるのか。その収容能力はあるのかないのか。これをお伺いしたい。
#71
○国務大臣(坂田道太君) 四十六年の二月に開催する予定、計画でございます。この大会は、各競技とも原則といたしまして全日本選手権大会の形式として、外国選手、役員約百二十人程度招聘する予定でございます。参加選手、役員の宿泊は私設のホテルを利用する計画であります。何かつけ加えることあれば……。
#72
○説明員(中島茂君) 第一段の競技施設等について、文部省の責任ではないか、案外のんのんとしているじゃないかというお叱りでございますが、おことばをお返しするようでございまして、まことに恐縮でございますが、札幌オリンピックの準備のしょっぱなに計画をいたしましたのは競技施設でございまして、御承知のように、札幌オリンピックは競技施設が皆無でございます。一つ大倉山ジャンプ台、古いものでございますが、これは全く規格に合いませんので、これも徹底的に改造いたしまして、つくりかえる。いわゆる新設に属するものばかり十四ございます。そこで一昨年の八月に準備対策協議会で、この競技施設の施工主体はだれがなるのかということが論議されまして、いろいろな経緯がございましたが、メーンエベントでありますところの九十メートルの純ジャンプ台は国が施工主体になれということが決定されました。それから開会式場であります真駒内のスピードスケート競技場、これは開会式場であるから、東京のときと同じように国が施工主体になる。参考資料三八ぺ−ジにあげられております。それから閉会式場であります屋内スケ−ト場も国でやる。この屋内スケート場はホッケー並びにフィギアスケ−トを行なう競技場でございますが、それを国がやる。それからバイアスロン競技場、これは御承知のように距離競技と射撃の近代二種競技でございますが、これは自衛隊が訓練用として使うということで国が施工主体になるということで、四つは国が直接施工主体になる。そのほか宮の森のジャンプ競技場、月寒の屋内スケート場、美香保の屋内スケート場、それから手稲山の回転競技場、手稲山の大回転競技場、それから藤野リュージュ競技場、これは第二競技場でございますが、これは地元札幌市が施工主体になるということに決定されました。そのほかボブスレーの手稲山のボブスレー競技場、それからリュージュの手稲山リュージュ競技場、これはその種目は全く日本人には新種目でございまして、これが日本人に定着するかどうか疑わしい要素もございますので、これはテンポラリーに作る、仮設的につくるとして、組織委員会が施工主体になる。そのほか滑降の恵庭岳の滑降競技場、これは場所が国立公園でございますので、付帯施設等は撤去せざるを得ないことになる懸念もございますので、仮設的な考をもって組織委員会、それから距離競技場は真駒内にセットいたしますが、これも組織委員会というように決定いたしまして、予算規模約九十一億というのがおのおの国庫債務によって予算化もほぼ内定といいますか決定といいますかをみている次第で、その点については明るい見通しを持っております。すでに宮の森、それから恵庭岳等は着工に入っております。国際競技施設は現在施工業者の入札中でございまして、もう自主設計ですべて完了いたしましてこれらに書きあげられましたように競技施設はおおむね四十五年十二月をもって完成する勢いで進んでおりますので、いま先生のおっしゃる御懸念は競技施設に関してはおおむね御安堵いただいてよろしかろうと、いろいろの問題が出てくるかと思いますけれども、さように思っております。
#73
○大松博文君 いまちょうど大臣が言われましたが、この外客の掌握ができた場合には、入れないとか何とかのときには住宅ということをちょっといま言われたように思いましたが、この住宅というのは今度の改正の中を見ましても、これは選手及び選手団の役員並びに報道関係者の居住の用に供するということになると、これを改正しなければ、ここを書きかえなければこれは入れられないということになりますか。
#74
○説明員(中島茂君) いま御審議をお願いいたしております日本住宅公団から賃貸したいと思っておりまする日本住宅公団が建てられる住宅は、仰せのとおり選手、役員、選手にくっつく直接の役員二千三百名と、それから外国の新聞、ニュース、テレビ、そういう報道関係者のための千八百名だけを限って住宅公団が業務以外に提供できるというものをお借りするということで進んでおりまして、いまの観客並びに外人の宿泊施設についてのことでございますが、この札幌オリンピック大会の観客の受け入れにつきましては、直接計画はいま札幌市が中心となりまして、札幌オリンピック冬季大会受入対策連絡会議を設けて検討しております。それによりますと、大体次のように思っております。オリンピック札幌大会の会期中における宿泊の必要者は、一般観客を全期間十七万五千名と見込んでおりまして、そのうち宿泊利用者は、最も宿泊する利用者の高い日は開会式前後でございまして、これを一日三万五千名程度を見込んでおります。そのうちいま申しました住宅公団に入る選手とプレスマン以外に、外国人の観客が、これはオリンピック組織委員会の招待者あるいは各国の視察員等を含めました外国人が六千名来ることを推定しております。しからばこういう施設の札幌市及びその周辺のホテルの現状では、札幌市内あるいは定山渓等の近郊を合わせまして二万六千七百八十人の収容力を擁しておりまして、これにいま申しました三万六千名程度の宿泊需要者があることからしますと九千名分が不足するわけでございますが、まあ過去の実績等から考えまして、今度の大会で、三年間には約五千名程度の宿泊施設の自然増が予想されますので、大会のために既設の旅館、ホテル等の増改築、あるいは新築等を勘案しますと、いま申しました六千名の外国人を含めて大会時における全宿泊利用者の利用には充当可能ではないかという見通しも立てております。かなり厳密に関係者の間で検討されておりますので、この数字はあまり狂いはなかろうと私どもも思っておる次第でございます。
#75
○大松博文君 時間がございませんから、もう簡単にやりますから。
 ちょうどいま体協でいろいろやっさもっさといわれているのがきのうの新聞にもまた載っておった。四日ほど前にも載っておった。私たちスポーツをやっているもの、またそれ以外の方でも、いわゆる純真な体協の中でああいういろいろなごたごたが起こっているということは、ひいては若い青少年、進んでスポーツに取っ組んでいこうとするような連中にも悪影響を及ぼすと私は思います。まあ、いろいろなところに原因がある。私もうすうすは知っておりますが、これを一日も早くなおしていただきたい。ともにまた、なぜこんなようなことでこういういざこざが起こるのか。
 それともう一つは、ちょうどこの前にも前田理事に私は聞きましたが、アマチュアスポーツ規定というものを今度改正する。これもほんとうにやっていただかなければいけないのでございますが、ちょうど安永委員もいまそれに似通ったことをちょっと言っておられました。こういうものをどういうようにほんとうに直すのか。
 それとまた、あともう三年弱だ。プレまでには八百六十日でございますか、もうこれだけしかない。そうすると、四十一年度から強化の対策を立てておる。にもかかわらず、そういう方面も前田理事にお伺いすると、まだ何もそういうはっきりした線が出ておらない。そんなばかなことはないんだ。もういままででも何億近くの金を使っている。使っていて、四十一年度から一期、二期、三期、本格の一期、二期、三期という計画まで立てて、そういう金を使いながら、何一つそういうものの具体的計画は出てこないという、こういうことじゃ私情けない。やるからにはいい成績をおさめるべきなんだ。これをまた国民も願っておる。にもかかわらず、こういうことじゃいけない。きょうの新聞を見ますと、アイスホッケーというものが、報道関係の連中は大体こういう線だということが出ております。それでひとつJOCのほうでもまたこういう線をひとつ明確に出していただきたいと思います。
#76
○参考人(竹田恒徳君) お答えいたします。
 最初に、日本体育協会の中でたいへんごたごたがあるように新聞に出ておりますことについて御質問がございました。御承知のように、三月末、年度末で役員の交代期でございますので、その交代に関連して新聞がいろいろの記事を書いておることと思いますが、私どもは何かあそこにありますことがむしろ私どもにはわからない。何か派閥の争いのようなふうに書いておりますのを不思議に思っておる一員でございます。私も実はJOCの委員長をここでやめさしていただきたいと申しておりますが、私がJOCの委員長を二期つとめてまいりました。その間に、三年前にIOCの委員を命ぜられましたが、IOCの委員、JOCの委員は全く違った立場を持ったものでございます。IOCの委員というのは、国際オリンピック委員会から日本に派遣されている大使という資格で、日本におけるオリンピック部門、あるいはアマチュアスポーツの促進をはかるのが任務でございまして、日本の代表者ではございません。それからJOCというのは、日本オリンピック委員会でございまして、その委員会は日本を代表して日本のオリンピック部門を推進するとともに、国際オリンピック委員会等に日本の主張をもの申す立場でございます。したがって、これを兼任いたしてまいりましたけれども、任期がまいりましたときにはっきり分けて、私は国際オリンピック委員会の仕事に専念したいということ以外の何ものでもございません。したがって、そこに何か派閥があったり何かすることでは絶対ございません。また体育協会におきましては、現在体育協会が、従来ややともすると、いわゆる協議会中心といいますか、オリンピックの選手を養成して送るとか、先ほど来お話しの国体をやるとかいうことに重点がいっておりましたが、もっと広い意味で国民体育の向上に資することをやるべきだということで発展をいたしつつある過程でございまして、その最中における人事でございますから、いろいろな意見、批判もあるのはむしろ当然でございますが、これは日本体育協会がさらに進歩するための一つの過程と考えられましても、決して後退をしているのではないということは確信をもって申し上げられると思います。
 次にはアマチュア問題、これは前田アマチュア委員長が前に来てお話を申し上げたそうでございますが、事実アマチュア問題は、いま世界的な一つの問題でございます。たとえばテニスにおきまして、プロと一緒に競技ができる。その際にアマチュア選手にも賞金が出るというような問題が出たりいたしております。したがって、これをいろいろ改正する必要に迫まられていることも事実でございます。ただ、この改正を研究している途中におきまして、発表のしかたが悪かったのか、聞き方が悪かったのか、新聞に最初にアマチュア規定をなくすると、あるいはゆるめるというような意味にとれるような発表がございましたが、これは実は真相ではございません。むしろ現在の国際オリンピック委員会、あるいは各協議団体内におきましても、アマチュアの規定を強くしてもゆるめるという考えは基本的にないのでございますが、ただ改正ということが誤ってそう伝えられたというのが事実でございます。まだ結論は出ておりませんけれども、アマチュアを保護し、発展させるために、むしろいままでよりもきつくする必要があるという前提のもとに、現状いろいろ食い違いや問題点が起こっているものを整理して、そうして現状に適するアマチュア規定をつくるということが、現在行なわれている作業の途中でございまして、具体的に申すまでにはいっておりませんが、思想的にはそういう動きで、決してアマチュア規定をゆるめる方向ではございません。
 それからアイスホッケーの、ちょっと御質問の意味がわかりかねるのですが……。
#77
○大松博文君 アイスホッケーの、七一年には大体B級の優勝ができるというのが、これは報道関係の評でございますが、前田理事にこの前聞きましても、強化対策は立てておる。しかし目標は何一つないのだと。それじゃ四十一年から一期、二期、三期、そうして次は本格的な一期、二期、三期、この計画まで立てておって、現在何位になるのかわからないというばかなことはないのだと。たとえば現在の力は三十位だと、しかし、そのときには六位になるんだと、この種目は六位だと、これは何位だというような目標を立てぬでやっていって、その目標に到達するいい成績があがるものではない。人間は目標を立てる、これにお互いが協力し、努力研さんを積み重ねていって到達するものだと、その目標を立てずに、まだわからないの何のというのではいけない。もう立っているはずなんだと、そうすると、この何が何位で何が何位だという目標を一応知らせていただきたい。この前グルノーブルでは、大体何が何位だと言った。そうして実際試合をしてみると、みな悪かったものだから、みなから、国民から、何だあんな金使って行ってという批判をされた。それがおそろしいからして、何一つそういうことは立ててないのだろうかと、私疑念を抱くわけです。
#78
○参考人(竹田恒徳君) お答えいたします。選手強化は、オリンピックを成功させるための一つの柱として、これはまことに大事な問題だと思います。日本で行ないましたオリンピックで、日本の選手の成績が悪いということでは、これはどうしても盛り上がってまいりません。したがって札幌オリンピックが決定いたしましてから、各競技団体は真剣にこれに取っ組んでおりますし、日本オリンピック委員会としても強力にバックアップをしてまいりました。しかし、もう前半の基礎づくりは終わって、あと三年、いよいよ具体的な強化に入る時期になりましたので、先般札幌オリンピック選手強化対策本部というものを発展的にもう少し強いものにするという決定をいたしまして、本部長を置いて、専任の本部長に常時強化の仕事をやってもらうということで、日本スキー連盟の理事長野崎君を本部長にすることを決定をいたしました。対策本部を強化本部に、対策委員会を強化委員会に切りかえるそのいま作業中でございます。したがって、さらに具体的に強化の実績があがるように、目下改正中でございます。
 なお、いま御指摘のございましたとおり、オリンピックでは目標を持って進まなければならないことは、そのとおりでございます。ただ、いま実際幾つどうなるかということを申すことはたいへんむずかしいことで、これはやってみなければわからぬということでございますけれども、しかし各方面から応援を得て、そしてみんな努力すればここまでいくだろうという気持ちは持っております。率直に申し上げたいと思いますが、先般、昨年のグルノーブルのオリンピックではまことに不成績、一つも入賞をしないという結果で、たいへんおしかりを受けました。当時は、いろいろこれには原因もございましたし、また勝つ機もあったのに負けたのでございますが、いろいろ申しますと、ただ申しわけを言っているということになりますので申しませんでした。しかし本日はざっくばらんに申し上げますが、冬のオリンピックはグルノーブルでちょうど十回目でございます。日本は二回目からスキーだけは参加をいたしました。そして最初二回はもちろん全く成績があがりませんでしたが、参加して三回目に、戦前最後のオリンピックでございますドイツのパルテンキルヘンで行なわれました冬季オリンピックで、スピードスケートの五百メートルで石原省三選手が入賞をしております。それをきっかけに第十回までに入賞者一人もないオリンピックは昨年のグルノーブルだけでございます。それまでには入賞者を毎回出して合計八人の入賞者を出しております。すなわち冬の競技におきましてももう一歩で金メダル、銀メダルというところまでいくチャンスは十分に持っておる。わび言ではございませんが、昨年のグルノーブルにおきます鈴木恵一は、世界記録を持っておりながら、そのときに第三コーナーで失敗をいたしまして破れました。あれが普通でございますならば、もう当然勝っておりますことは、自他ともに許したのでありまして、あの日私もホテルを出ますときに、相手の強敵でございますノルウェーの委員から、きょうはおまえの日だなと言って肩をたたかれたことを思い出しましたが、そのくらいに五百メートルは鈴木恵一のものとさえ思われておった。ところが失敗をいたしました。失敗をいたしましたのはそれだけの原因があった。鈴木の弱さがあったと言わざるを得ませんけれども、その直後にまた再び世界記録を出しておりますし、本年も世界選手権の五百で五回目の一位をとっております。これは決してメダルをとれないチャンスではございませんでした。またスキーの九十メートルのジャンプにおきましても、藤沢選手の第一回のジャンプは非常にみごとなものでございまして、まさに一位にランクされました。もう一回飛ぶわけでございます。そのときにフランスの委員が来て、藤沢は一位になるかもしれぬ、なったときには日本の委員である私がメダル授与をやってくれという話さえあった。もう一本りっぱに飛びますれば金メダルはとれたところであったのでありますが、それをあまり張り切り過ぎましたか、失敗をいたしました。入賞できなかったわけでございます。
 で、この間のグルノーブルのオリンピックの敗戦で、冬は全くだめじゃないかという感じをどうも持たれたように思いますが、私どもは決してそうは思っておりません。
 そこで、札幌はどういうことかと申し上げますならば、私は、スケートの短距離では必ず旗を上げられると思っております。私は二本上げたいと思っておるのでございます。それから女子の長距離、男子の中距離でも従来入賞した成績がございますのでどうしてもここらでもう一本上げたいということを考えております。スキーでは、私は専門ではございませんが、一番望みのあるのはジャンプだと思います。ジャンプはいまの藤沢の例もございますが、グルノーブルの直前に行なわれましたユニバーシアード大会、これは大学生でございますから程度は多少下がりますけれども、あそこでは純ジャンプ一位、二位、三位を日本がとっております。そうした技術的には十分に世界の最高のレベルに達しておりますが、ただ一本勝負の競技でございます、非常に危険性はございますが、ぜひ札幌では旗をと考えております。
 なお、そりの競技、ボブスレー、リュージェは、いままで日本では経験のない競技でございますから何とも申し上げられませんけれども、バイアスロンという競技は数年前からもうすでにやっておりますが、これは比較的望みの持てる競技でございまして、ことしの世界選手権では澁谷選手が五位に入りました。チームでもって七位になっております。もう一息で日の丸を上げるチャンスは決してないことはないと思います。そうしたことを総合いたしますと、私はまず五本は旗を上げたいということをいま考えておりますが、しかし、これのためにはただではどうしても上がらない。やっぱり上げるためには、それだけの合宿をしたり、あるいは外国との交流をして、各国に行ったり呼んだり、やはり選手強化には選手強化をやるだけの費用と熱意がなければその結果は上がらないだろうと思いますが、これから各方面の御熱意と御協賛を得ますれば、五本の旗は札幌に上げたいと、こうわれわれは考えております。
#79
○大松博文君 もう時間がございませんから、最後一つだけお願いします。
 今度、四日に出された次官通達の改革案というのが、出ておりますが、これを見ますと、今度は学校スポーツから社会体育スポーツに変えていくという案が出ておるので、私はこれには非常に賛成だ。しかし、これの出たとたんに、今度は体協のほうで社会スポーツの計画を立てるといわれている。これも私非常にいいことだと。いままでの体協というものをいろいろ聞いたり何かしてみますと、体協というものは選手強化のためにできていったものだ。だからわしらは選手強化をやるんだというように一本やりでやっていた。それがひいてはいろいろなところから体協に対する反発が出てきた。オリンピック後には体協に対しての信用度も落ちてきたということも私はそういうところにあるように思うのです。これは一般に広めていくということがスポーツのほんとうの趣旨であり、心身鍛練これが趣旨でございますが、しかし文部省というものがほんとうは体育のもとにならなければいけない。これはいま全国どこへ行ってみましても、スポーツをやっているのはあれは体協だといっておる。文部省がやっておるということはだれ一人いわない。またそういうように感じられる。これはいけないのであって、これは文部省が管轄しているのだ。そうなれば、文部省が体協に、いろいろあったときでも指導、助言をして、そうしてまた、先ほどの国体の問題もございましたが、これも協賛ならば監督する義務があるのだ、こういうことを怠っているからして、いろいろな面でいろいろな弊害も生じてきたと思いますが、まあいずれにしても、健全なる身体には健全なる精神が宿る、これは私は事実だと思います。この前のメキシコのオリンピックなんかでも、ちょうど世界の青少年を千五百名集め、日本からは百五十名の青少年が行った。体力テストをやったところが日本の青少年は、アメリカとか欧州の女性並みの体力しかなかったというところから、メキシコの連中に、日本の青少年は能力の程度もその程度かと言われたから、それは違うぞ、戦後の教育が間違って知育だけに走ってしまったのだ、だから体育特技が抜けてそういう現象をきたしたのだと言いながら、内心私は恥ずかしい思いをして帰ってきましたが、こういうことのないように、ほんとうに健全なる国民をつくっていくのは私はスポーツだということからしまして、ほんとうのもとは文部省が指導、管轄しているのだ、これをやっていってそうして今度のオリンピックにもいい成績をおさめる、そうして国民がスポーツに親しんでいくような基礎をつくっていただきたいということをお願いをするわけです。
#80
○委員長(久保勘一君) 午前中の委員会はこの程度とし、午後一時三十分まで休憩いたします。
   午後零時五十二分休憩
     ―――――・―――――
   午後一時四十分開会
#81
○委員長(久保勘一君) ただいまから文教委員会を再開いたします。
 この際、委員の異動について報告いたします。
 本日、萩原幽香子君が委員を辞任され、その補欠として高山恒雄君が委員に選任されました。
    ―――――――――――――
#82
○委員長(久保勘一君) 午前中に引き続き質疑を続行いたします。
#83
○内田善利君 札幌オリンピック大会について二、三質問したいと思います。今度の札幌冬季オリンピック大会の全体の事業費は大体どれくらいになるものか、教えていただきたいと思います。
 それから、その事業費の財源について、国及び地方公共団体の補助並びにスポーツ資金財団の資金調達計画とその見込みについて教えていただきたい。
#84
○政府委員(木田宏君) お答え申し上げます。全体の経費でございますが、直接的な経費について中心的にお答えを申し上げたいと思います。まず競技施設関係でございまして、競技施設につきましては先般来御説明申し上げております十四の競技施設に対しまして約九十一億五千七百万ほどの全体規模を考えております。その内訳といたしましては、国の財源が六十九億八千万、地元の、おもに札幌市でございますが、財源が十五億、それから組織委員会の持ち分といたしまして六億二千七百万という程度の負担区分をもちまして、十四の競技施設を整備する予定でございます。そのほかオリンピック村の建設に必要な経費がございますし、また建設その他維持運営いたしてまいります経費としては、現在のところオリンピック村の建設に、諸経費入れまして約四十億ほどの概算見積もりをいたしております。なお、オリンピックの運営そのものを担当いたします組織委員会の運営費といたしまして約五十億前後のものを考えております。そのほか選手強化費として七億五千万、選手強化のための施設費といたしまして若干の金額を、これは選手強化の訓練用の競技施設その他、一般の体育普及施設といたしまして若干の金額を用意いたしておりまして、合わせて競技施設等との関係で約二百億見当、二百億を若干上回るのが直接必要な経費になるのではないかというふうに思っております。その間、資金財団の関係で措置すべき事項でございますが、オリンピック資金財団は冬季大会全体を通じまして約二十六億の資金を調達いたしまして、一つは札幌オリンピック組織委員会の必要資金にそのうち十九億六千八百万ほど、これも概算見積もりでございますが、その程度を札幌オリンピック組織委員会のほうに充てる。また選手強化の七億五千万のうち、資金財団のほうからは四億五千万ほど充てまして、選手強化費はこの四億五千万の資金財団の経費と国庫補助金の二億九千万円の経費で選手強化に充てる、こういう見通しを立てておるわけでございます。で、以上の直接関係の施設その他、運営費のほかに、関連いたしまして、道路、空港等の整備の経費がございますが、これらは現在詳細な総額というところまではまだ至っておりません。
#85
○内田善利君 総額はわかりませんか。
#86
○説明員(中島茂君) いま直接経費については局長から御説明がありましたが、関連施設については局長から申しましたように、北海道開発庁、建設省並びに組織委員会等詰めの段階に入っておりますが、まあ全体総額として千二百億から千四、五百億であろう、こういうふうに言われております。
#87
○内田善利君 この大会の国内及び国外に対する宣伝啓蒙ですが、この宣伝啓蒙について、具体的にどのようにやっておられるか、お聞きしたいと思います。東京オリンピックは五輪協力メーカーの広告大会というような悪評も招いておりますし、東京でまいた種がグルノーブルで育成されたと、このようにも言われておりますし、札幌ではこういうことがないように望むわけでありますが、特にグルノーブルにおきましては、選手、役員、それから記者に与えられた九百台の車が全部ルノー提供の新車だったとか、あるいはプレス・センターでは電気スタンドとかあるいは灰皿に至るまでがメーカーの広告ばかり。あるいは食堂ではブドウ酒やビールが飲みほうだいであったとか、いろいろうわさされておるわけでありますが、言われておるわけでありますが、こういった選手に関係のないところでは大騒ぎをしないようにしたいと思うのですけれども、この国内、国外に対する宣伝啓蒙の具体的な方策をお伺いしたいと思います。
#88
○説明員(中島茂君) 札幌オリンピック大会の啓蒙宣伝活動についてのお尋ねでございますが、現在のところ開催地でございますところの北海道札幌市はもちろん、大会組織委員会並びに文部省と、それぞれの立場で啓蒙宣伝を行なっております。たとえば国際競技大会のおり、あるいは札幌の雪祭のおりとか、あるいは冬季国民体育大会のおりとか、オリンピック・デーとか、それからまだ計画の段階でございますけれども、あるいは万国博覧会の機会を見て諸外国にPRしたい。あるいは冬季競技の指導者の講習会を持っておりますが、そういう機会を利用いたしまして、現時点ではポスターとか、パンフレットとか、カレンダーあるいはサイン・ボード、あるいは展示会、映画、オリンピック精神普及資料の作成等によりまして、冬季オリンピック大会の広報活動普及につとめております。もちろん文部省といたしましても、東京大会のときの例に準じまして、五カ年計画を立てましてオリンピック精神普及啓蒙の資料を作成することといたしておりまして、すでに四十二年度「オリンピック読本」を、これは小学校、中学校向け全国に配付いたしております。また昭和四十三年度は「雪と氷のスポーツ」というサブタイトルの「オリンピック読本」を社会教育関係向け――公民館とか体育指導委員とかそういった社会教育関係方面に作成配付する予定でございます。これは旬日中に寄贈いたしたいと思っております。また四十四年度は壁写真を作成いたしましてわかりやすいPRをいたしたい。それから四十五年度はスライドによりまして競技施設の解説等を行ない、最終年度の六年度は、オリンピック冬季大会の実施競技の解説書を作成いたしまして、これらを通じまして札幌競技の啓蒙普及をはかりたいと思っております。なお、開催時期が近づくにつれましてこれらの活動を強化して時宜に応じた適切な処置を行ないたいと、かように思っております。現在北海道で行なっております関係での予算といたしましては三百二十万円、札幌市が昭和三十九年度からオリンピック大会時までの総経費を一億四百万円ほど札幌市では見積もっております。なお、組織委員会も昭和四十一年度から六年度までの分として約一億三千万円を見込んでやっております。文部省は現在のところ、本年度分まで六百六十万円ほどこれの経費に充てました。なお、大会時におけるそれらの外国選手並びに外国のプレスマンあるいは視察員等に対するサービスその他については、まだ具体的な検討が進んでおらない状況でございますので御了承願いたいと思います。よりよりこれから検討されると思いますが、いずれにしても、関係者の間では幸いに東京大会の経験もございますので不必要な事業なり、あるいは経費をかけるということは極力慎みたいという話し合いをいたしておるところでございます。
#89
○内田善利君 選手の育成強化対策については先ほど説明があったわけですが、特にこの日本に新しいボブスレー、それからリュージュ、この二つの競技種目については大体選手が日本にどのくらいいるものか。
#90
○説明員(中島茂君) 団体がごく最近に、一昨年できましてリュージュの競技者は現在三百名から五百名程度生まれております。ボブスレーはそれよりずいぶん下回ってると思われますが、私まだ数を正確につかんでおりませんが、リュージュよりはるかに下回っておるだろうと思われます。
#91
○内田善利君 手稲山のボブスレー競技場ですが、これが四億七千九百万円でできることになっておりますが、この大会が終わったあとの維持費ですね、これはどのくらいかかるものか。また雪で埋もれてしまうようなことはないかどうか。
#92
○政府委員(木田宏君) 現在まで施設を整備してまいりますときの一つの基本的な考え方がございまして、大会が終わりましたあとも恒久的にその施設の本来の機能を生かして使うことが望ましいし、当然そうあるべきものと考えられますものを国と札幌市が中心になって施設をいたします。いろいろな状況によりまして必ずしもそのままの形で引き続き運営することが適当であるかどうかについて問題のありますものにつきましては、仮設的な意味を含めまして、オリンピック組織委員会が担当して工事をするということに一応工事の担当区分もきめたわけでございます。手稲山のボブスレーの競技場、手稲山のリュージュの競技場、恵庭岳の滑降競技場、それと真駒内の距離競技場、これらはその意味で組織委員会が担当して、仮設的なものとしてその大会に間に合わせるという考え方をとっておる次第でございまして、現在の段階では、競技が終わりましたあとは別の形に変えていくということを考慮しながら、将来のあり方をどうするかという相談をこれから先の課題にしようということになっておる次第でございます。
#93
○説明員(中島茂君) ボブスレーの維持管理費につきましては氷張りの経費がおもなるものだと思われますが、これはシーズンによって暖冬異変等起こりますと、シーズンに二回三回それを張りかえるというようなことに相なりますので、一回の張りかえがやはり五百万から六百万ぐらいを要するのではなかろうかと、こういうふうに思われます。
#94
○内田善利君 雪で埋もれてしまうようなことはないですか。
#95
○説明員(中島茂君) もちろんこれは素掘りコースでございますので、雪に埋もれるということは、大いにあり得ることでございます。手稲山の山麓でございますので、これはあり得るようでございまして、維持管理費は、その除雪費は必ず見込まなければならん、こういうふうに思います。
#96
○内田善利君 グルノーブルの氷の宮殿といわれたアイススタジアムですけれども、いま聞くところによりますと、ローラースケート場になり果てようとしているということですが、たくさんの屋内競技場ができるわけですが、そういった心配は、プレオリンピックの不安としてないかどうか。
#97
○説明員(中島茂君) グルノーブルの氷の宮殿が、いまどういうふうになっているか私は存じませんが、私はまあアイススケート場としてつくった競技場でございますし、そのエリアは十分あるのでございますから、いろいろな面において使われることは考えられるわけでございますが、一応わがほうの、グルノーブルの氷の宮殿に匹敵するのは、閉会式をやります真駒内のスピード競技場でございますが、これは冬場はスケ−ト、フィギア、ホッケー、それから一般公開のスケートに使用いたします。それから夏、秋、冬、これは一般の体育館として使用したい、すなわちバレー、バスケット、卓球、体操、武道、テニス、スポーツ博物館といったようなものをして多角的に全シーズンを通じて多様的に使用したい、こういうふうに考えております。
#98
○内田善利君 雪の多いほうが、少ないよりも非常に競技場はつくりにくいということですが、それから周辺の道路が、国道、道道、市道、それから各道路、それから自動車専用の高速道路、こういったものも早急に整備しなければならないと思います。雪国で非常に雪の多いところでありますが、この進捗状況はどの程度いっておるのか。
#99
○政府委員(木田宏君) 関連施設の道路でございますが、御指摘のように、札幌オリンピックで一番関係者が競技に際して心配をしておりますのは大雪でございます。その意味では、まず道路の施設を整備いたしますとともに、その除雪能力を高めるということに力を入れて、市当局が開発庁と一緒になって、いま施策を進めてくれております。道路の進捗状況につきましては、いまこまかいデータをちょっと持っておりませんけれども、開発庁の担当者からは、かなり施設と同様に順調な予定を組んで進めておるようでございまして、四十四年度四十九億ほどの道路工事をする予定になっておる次第でございます。
#100
○内田善利君 話が変わりますが、本大会に参加する各国選手が二千三百人、それからプレスハウスに収容する記者団が千八百人ということですが、グルノーブルでは、あのデュブドー市長の話では、千五百人の選手に二千五百人の記者が集まったということでありますが、日本の札幌の場合には、そういったことはないかどうか、そういったことも見込んで収容施設をつくっておられるのかどうか、この辺についてお聞きしたい。
#101
○説明員(中島茂君) グルノーブルにおきましては、私も参加さしていただきましたが、副都心的な集落としてオリンピックシティというものをつくったようでございまして、いま先生おっしゃいますように、選手団二千三百名、それから組織委員会関係者は非常に要員が多くて、私たちには非常に理解ができないような要員が多くて一万四百名も要員を使っておったようでございます。これらすべて学生寮を十一棟、それから塔状のアパートを一棟、それから高層、中層の青年勤労者用の宿泊施設が充てられたようでございます。そのほか、プレスマンのためにオリンピックシティとは別施設の住宅団地のアパート、これに六百三十七戸を建てたようでございまして、三千人を収容したと私どもの調査ではなっておるわけでございますが、御質問のように、グルノーブル大会では一番丁寧に扱ったのはプレスマン、報道関係を一番優遇したようでございますが、これは雑誌記者からすべて週刊誌に関係するような方々も集まっておったようでございまして、わが国としては組織委員会が承認してプレスマンハウスに入れる方々は約千八百名程度見込んでおりますので、ややグルノーブルより過小かもしれませんけれども、実際はそのくらいで間に合うだろうという見込みを立てておるところでございます。
#102
○内田善利君 昨年のグルノーブルの冬季大会でのオリンピックの五輪マークの使用、それから競技用具、服装などの商社の宣伝、利用などについての把握はどの程度にしてあるのか、また今度の札幌大会ではどのようにこれに対策を講ずるか。
#103
○説明員(中島茂君) 報道によれば、いろいろ優勝いたしましたキリーという選手が特殊の商社のスキーのマークをつけたというようなことで問題になったようでございます。まことに不勉強で恐縮でございますが、その辺の把握は私どもまだ十分いたしておりませんが、至急調査いたしたいと思いますが、いずれにしても、わが国の選手、あるいは外国の選手を通じまして札幌大会におきましては、選手諸君の、外国選手を含めて協力を得てさようなトラブルが起こらないように極力注意してまいりたい、かように思います。
#104
○内田善利君 以上で終わります。
#105
○委員長(久保勘一君) 本案に対する本日の質疑は、この程度にいたします。
    ―――――――――――――
#106
○委員長(久保勘一君) 教育、文化及び学術に関する調査として、昭和四十四年度における文教行政の重点施策に関する件並びに昭和四十四年度文部省関係予算に関する件を一括して議題といたします。
 なお、政府側から坂田文部大臣、安嶋官房長、以上の方々が出席いたしております。
 本件について質疑の申し出がございますのでこれを許します。鈴木君。
#107
○鈴木力君 前の前の委員会でありますが、小林委員の質問のところの関連で、国立教育研究所の所長さんが、ある地方紙でありますけれども、全面PR版に、ある社の雑誌の宣伝の役割りを果たしておったこと、もう一つは、国立教育会館の館長さんが、これは読売新聞でありますけれども、例の大学の学生の地位の中間報告にからんでの談話で、学生の処分について「排除することは処罰ではない。大学として、学生にどういう方向を選ぶべきかをアドバイスする。どうしてもきかない学生には、あなたは、いる場所が違うのではないか、労組などでお働きになった方がいいのではないかと申し上げる。そういう学生を応援される先生もいるが、革命大学でも作って、そこで働いたらどうかと思いますね」という談話を出しております。私はこの前は関連でありますから、ただ簡単にこの事実を指摘をいたしまして、あと大臣に、お調べの上大臣としての御見解を伺いたいと、こう申し上げておったので、まずこの御見解を伺いましてから若干の御質問をいたしたいと思います。
#108
○国務大臣(坂田道太君) まず本人に問い合わせました事実関係につきまして、官房長からお答えいたします。
#109
○政府委員(安嶋彌君) 国立教育会館の館長の高坂氏に、先般当委員会でお取り上げになりました事柄につきまして口頭で質問をいたしましたところ、高坂氏は、取材記者と対談的に自由に話し合った際に、気軽な気持ちで発言をしたものがそのまま記事になって誤解を生んだということで、自分といたしましてもこれから十分注意したい、こういうことでございました。
 それから平塚氏につきましては、これも御本人に口頭でお尋ねをいたしましたところ、自分は従来からも教育的に見て適切な教材であれば、発行所のいかんを問わず慎重に検討の上推薦をしてきたものである、こういったような説明がございました。文部省といたしましては、このお二人とも教育界に非常に影響の大きい方でございますので、その言動につきましてはさらに慎重な配慮をいただくように要望をいたしておる次第でございます。
#110
○国務大臣(坂田道太君) ただいま事実関係につきまして官房長からお答えをいたしたわけでございますが、先ほどの高坂さんの発言でございますけれども、やはり中央教育審議会のメンバーでもございますし、あるいは教育会館の館長でもございますし、その文面を見ますると、少し適当を欠いておるというようなところもあるように思われます。この点につきましては十分平塚さん、高坂さんにも言動に注意していただくように申し上げ、また各先生もこれからは気をつけるという御返事でございまするので、御了承をいただきたいと思います。
 平塚さんのほうは、具体的に参考書等について、自分はいろいろ純粋の教育研究者という立場から、いずれの方々からそのような御要望があっても、ひとしく公正な気持ちで推薦すべきものは推薦する、推薦しないものは推薦しないというはっきりした態度をとっておられるようでございますが、その点は今日先生のお考えはそうであっても、言うならば、これを商売にしている参考書等を発行しております教科書会社等が営利の目的であれ、あるいは非常な広告宣伝というそういう別な角度から公正なるべき先生を利用するというようなことも考えられ、この点はやはり多少影響があるようにも私は思うんです、率直に申し上げて。やはりそういうような点には、御本人はそういうおつもりかもしれませんけれども、やはり御注意になってしかるべき問題じゃないかというふうに私はあっさり考えるわけなのでございます。
#111
○鈴木力君 まあそういうことだと思うんですけれども、実は先にお願い申し上げておきたいんですが、私はたとえば平塚先生にしても高坂先生にしても、学者としての御本人については私どもも尊敬している先生でありますから、このことによってどうも個人をどうこうというような、あまりそういう角度でものを言うことは自分としても気持ちもすっきりしないんです。ですから、個人の問題ではなしに、まあどなたでもけっこうだが、その立場にある者はこういう行為はどうなんだと、こういうつもりでひとつ御答弁もいただきたいし、私もそういうつもりで申し上げるんですが、それでまず平塚先生のほうなんですけれども、いま伺いましたように、学者としてはどんな本でも、あるいはどういう雑誌でも、あるいは実験の器具、器材にしても、これがいいというものをすすめる、これはいけないというものはいけないという、そのことについて私は別にどうとは考えていないんです。ただしかし、大臣ごらんになっているかどうかわかりませんけれども、問題なのはこれなんですね。私が大臣に伺いたいのは、きょうはちょうどここですから国立教育研究所という名前が出たんで、ところが一方、ここには教育行政の責任者が推薦をしているんですね。教育長、それから小学校の校長会長、それから図書館協会長というふうにずっと出ている。一面見ますと、これは全面広告欄ですから雑誌社がこれを買った、それはもう当然のことかもしれぬ、行為としてはたいしたことはないと言えるかもしれませんが、私はこういうことを考えて、これを拝見をしまして、そのものが、雑誌がよかった悪かったというような感覚で、文部省の中におる人がそういう感覚でいることがどういうことなんだろうということなんです。念のために伺いますけれども、国立教育研究所というのは文部省の設置法できめられているんですが、内局なんですか外局なんですか。
#112
○政府委員(安嶋彌君) 所轄機関でございます。
#113
○鈴木力君 それで、俗にいう内局とか外局とかいう分け方ではどっちに入るんですか。
#114
○政府委員(安嶋彌君) 国家行政組織法におきましてはいわゆる内局、外局の区別がございますが、いわゆる八条機関というものに該当するわけでございまして、内局でも外局でもないそういう機関であるというふうに承知しております。
#115
○鈴木力君 まあ所轄機関であるということで、それでもいいと思います。それで、そういう地位にいる方、そういう場所にいる方が、いまの義務教育ということをどういうふうにお考えになっていただいておるのかということが、これが実は私が問題にしたいことなんですね。おれは学者だから雑誌がいい悪いということを言ったということであって、そのことが教育にどういう影響を及ぼすかという配慮を全然しない、そういうことでそういう場所がつとまるのかどうか。それからもう一つは、教育行政がこれに一枚からんでおる。このことが私は問題の本質的なところじゃないかと思うんです。たとえば、実は私の県なんですけれども、この新聞はですね、私の県のある親でこういうことを私に聞いてきた者がある。それは読んでいない親なんです、子供にとらしていない親なんです。子供にとらしていない親が、文部省の専門家とそれから教育長さんや校長会長さんや、そういう人たちが、これを読めば義務教育が伸びていくんだと言う、私の子供が学校の成績がもし悪いといわれると、このせいなんでしょうかと、まじめにものを考えている親が実はあった。私はその親からものを聞かれて初めてこのPR版を見たんですけれども、こういう点は、国立教育研究所なり、あるいは県の教育長というのは直接文部省の所轄でないとかなんとかいうことになりましょうから、そこまで言わないにしても、少なくとも行政の系統というのは、そういうことをいつでもやられておるというような形では、どうも義務教育が乱れており過ぎるのじゃないか、こういうことを懸念をするのです。
 そこで、たとえばさっきオリンピックのときに、大臣がおっしゃいましたが、先生が体育の指導の場合に、自分は自転車に乗って、生徒を走らせておるのはけしからぬ、そういうことをおっしゃいました。教育のやり方については、そういう問題があろうかと思う。私は最近は教育行政の責任者たちが。たとえば自転車に乗っている先生であって、走らされている生徒と大臣が言ったのは、日本のいまの教育の実態では、学校の先生になるのではないか、あまりにも教育行政の任にある人たちが、私に言わせれば、乱暴で、無ぞうさで、そうして教育に与える影響を先生たちにしりぬぐいをさしてしまっている。そういうことがありはしないかと思うのです。それで自分の意見だけを申し上げるのですけれども、たとえば一時この種の問題で――この雑誌ということを私は申し上げません。それからこの雑誌がいいとか悪いとかということをここで議論するつもりもありません。ただ、この種の問題で、教材、教具を取り扱うことによって、そういう学校の先生たちがリベートを取ることが一時問題になったことがある。三ト主義とか言われて、父母からも批判をされたり、あるいは世論からも批判をされたりしたこともある。ところが同じようなことが――ここで金を取っているとか取っていないとかいうことを論ずるつもりはありませんけれども、少なくとも全面PR版にこういう名前を出している限りは、世間の人はただとは思っていないと思うのです。そうすると、国の機関のえらい人たちや専門家や教育長さんならそういうことをやってもよろしい。学校の先生が推薦をして、お茶菓子をもらっても、三トのトの一つだということできびしく責められておる。こういう教育行政の現状で、しかも問題が、いま私が指摘したのだからたいしたことがないと思いますけれども、国会の場で指摘をされますと、自分は学者としてどんな本でもいいものはいいと言う、悪いものは悪いと言う、どこが悪いのだ、こういう態度をとっていらっしゃる。私は尊敬する先生にしては、きわめて遺憾な一つの事実だと思いますけれども、こういう点につきましても、もう少し大臣の考え方を伺いたいと思います。
#116
○国務大臣(坂田道太君) 先ほど申し上げたことで、ことばは少なかったわけでございますけれども、私の気持ちは尽きておると思うわけでございますが、やはり学者の方々は、その道においては専門家かもしれませんけれども、ちょっとやっぱり世間知らずと申しますか、ちょっとそういうようなところは一般的に言ってあるんじゃなかろうかというわけでございますが、いやしくも文部省の関係します重要な中央教育審議会の任にあったり、あるいは教育会館の館長であったり、あるいはまた国立教育研究所の所長であったりする人々は、そういう言動というものがどういうふうに社会に影響を与えるか、あるいはまた教育行政にも影響を与えるかということについての慎重な配慮が行なわれなければならないということは申されるかと思うのでございます。
#117
○鈴木力君 私は大臣に、もう少しこういう点について御要望申し上げておきたいと思うのです。あまり具体的にだれとかどこの何とかということを言いたくないのですけれども、私の申し上げる気持ちはおわかりいただけると思うのです。行政の筋で何か最近法律的に支障がなければいいんだという言い方が非常に盛んになり過ぎているような気が私はするのです。これは言えば議論になると思いますけれども、私は、学校の校長なんかについても管理職管理職といって行政面のことばかりつぎ込んでおって、そして行政の面とかなんとかいうことをつぎ込んでおることによる混乱だと思いますけれども、そういうことを言いますと議論になりましょうからこれはたなに上げておいてもよろしいと思います。少なくともこういう形でのものを多少影響があったから注意すべきであるというようなそういう扱いではなくって、この際、文部省の所轄管内にいられる人たちなり、あるいは全国的に行政の立場にある人たちなりに相当厳重な注意を私は促しておくべきだと思うのです。出たことが大したことではないという判断では私はどうもがまんができない。たとえばこの中の、これは国立研究所でないから直ちに文部省どうこうという筋合いでもないと思いますけれども、一人の校長がこういうことを言った。私の学校で八〇%がこれを購読している。そして私の学校の子供が、いわば伸び伸びと学習をして非常に朗らかにうまくいっているのはこの雑誌のおかげであるというような言い方をしておる。そうすると、学校教育なんというものは、一体どういうことになるのやらわけがわからない。それよりも、私はあとの二〇%の購読をしていない子供たちにどういう影響を与えるのかという配慮が常になされてなければほんとうの正しい教育者といえないのじゃないか。したがって、それの上にいる教育行政の人たちとして私は資格がないくらいの気持ちを持ちたいと思うのです。単に法律上の違反であるとかなんとかいうのは、これは場合によれば子供の教育の現場に影響を与えることもあり得るだろうと、しかし教育というのは、子供が生きていますから、生きている子供に常にそういう配慮をしていないといけないのであって、単なる小さなできごとという形で片づけることなしに、これは相当厳重に注意を促してもらうようにお願いしたいと、こう思います。これはこれだけにいたしまして、それからもう一つ、いま伺いました高坂先生のおことばなんですがね、いま官房長から伺いましてそのとおりだろうと思うのです。ただ私はそこでこれは注意をすれば直ることなのかどうかということですね。いま伺ったことはこういうことです。取材の記者と対談的に自由に話し合ったものであるが、気軽な気持ちで発言したものがそのまま記事になったので誤解を生んだ、そういうことでしょう、さっき伺ったことば。気軽な気持ちで正直に言ったらそれがそのまま新聞記事になって誤解を生んだと、こういう。誤解じゃなくてこの新聞が、自由の立場で、あとで突っ込まれたりすることを考えずについほんとうのことを言ったら出てしまったので困ったと、こういうことなんでしょう。だとすると私は問題だ、こういうことなんですね。言い回しはあとで問題になるから適当に逃げておこうという人のほうがむしろたちが悪い。私は高坂先生は非常に正直だと思うのです。りっぱだと思うのですがね。ただし不用意にしてもこの学生に対して、おまえは大学にいてはもうだめなんだと、いる場所が違うのだ、労働組合にいって働けと、それからまた先生たちにはそういう学生を応援するものは革命大学でもつくれ。これが今度私は重要だと思いますのは、大学問題のいまの中教審の何か特別委員会の主査をなさる方なんです。そうしますと、中教審で主査をなさる方がこういう発言をして問題になれば、つい正直なことを言ったので、もう少し言い回しをごまかしておればよかったのにということを言われておる、これはどういうことなんですか。そういうことで大臣は大学問題なり教育なりというものを進めていかれるというつもりなのですか。これは私は非常に重要だと思いますから伺いたい。
#118
○国務大臣(坂田道太君) まあこのごろよく新聞やあるいはラジオ、テレビ等におきまして人の言動について取材をされる、これは当然のことでしょうけれども、ただ、もうそれだけを取り上げていろいろ議論をするということもこれはやはり必要なことだと思いますけれども、しかし、あまりにもそれがみだりに行なわれる場合は、これはかえっていろいろな問題になるかと思うわけでございまして、それだけに今度は発言する方も社会的な地位にある人は十分注意をして発言をしなければならないというふうに思うわけでございます。したがいまして、この高坂先生のこの前の新聞等に出ましたことはやはり適当ではないことだと私は考えるわけでございまして、十分この点については私からも申し上げ、また御自身も反省をしておられるわけでございまするから、ひとつ御了解を賜わりたいと思うわけでございます。で、もちろん高坂先生重要な職務を担当されるわけでございますが、そのことはまた同時に今日数多くの審議委員の中におきましても特別のその方面に関する役職というものは高い方だと私は信じておりますけれども、ひとつそういう言動等については今後十分注意をしていただくと同時に、現在の職務にあくまでもまともに取り組んでやっていただきたいというふうに考える次第でございます。
#119
○鈴木力君 私は、いまのこの高坂先生の場合は言動に注意すれば済むというふうには考えないのです。さっきの平塚先生の場合はそれはおそらく、こういうふうに使いますから、こことこことこれはだれをやって宣伝に使いますからというようなこともなしに、いわゆる対談という形になったのだろうと思いますから、そういう点を注意いただければ私はそれで済むことだと思っているのです。ところがこの高坂先生の場合は、要するに自分の思っていることを不用意に言ってしまったのでいけなかったという反省なんでしょう、真意と違うといういまの官房長の御報告だと自分の考えていることと違った記事になったということを言っていらっしゃらない。ただ気軽にほんとうのことをしゃべったらそのとおり書かれたので自分とすれば誤解を受けた、これは誤解じゃなくて正解なんです。私はこの先生をそういうことで詰めるとか責めるとかいうことじゃなくて、大臣に伺いたいのは、中教審のあり方なんですね、私は前々からどうしてもこれを疑問に思って承知できないのは、中教審が秘密主義をとっていることなんです。中教審の会議が公開をしていない。これはこの文教委員会でも何べんか中教審の会議録を出せ、出さぬ、見せい、見せぬということでずいぶん議論をした。国会にもその会議録を出してこない。その秘密主義をとっているのは私はこれだと見ざるを得ない。だからほんとうに信頼される中教審であるなら、大臣は国民に恥じない中教審として諮問をし、その諮問に応じて教育行政をやろうとするなら、まずその秘密主義をはずす考えがあるかどうか。
 それから、思想的に、少なくとも労働組合というものを、大学に見込みがないから労働組合に行けなどというような、いまの国の法律に保障されている日本の一つのセクションを自分の持っているそういう固定の思想で侮辱するようなことを、たとえ軽率と言われようとも、それだけに逃げられようとするような無責任な人たちが集まって、そうして秘密会でものごとをやって、そうして答申をしたものが国の教育の本筋を歩いていく。これではいまの民主的な日本の教育行政の、あるいは教育制度の本筋とはどうしても考えられない。非常におそろしいことがこの中にあると思う。大臣の御見解を伺いたい。
#120
○国務大臣(坂田道太君) 中教審のやり方等については、実は私も三十八年の大学管理法を提出しようとしたときから、もう少し中間的に草案等も国民に投げかけて、そうして率直に批判も仰いで、そうしてそれを取り入れながら運用をしていくということをやらなかったところに、その法案が出て、とたんにみんなの反対にあって、つぶれてしまったというようなことなんです。それだけが一つの原因じゃございませんけれども、もう少しやはり国民的コンセンサスの上に立ってでなければ、今日の大学の改革というものはあり得ないというような気持ちを私は持っておるわけなんです。ですけれども、ただいまの中教審の、何といいますか、やり方というのは、一応規則といたしまして非公開ということになっておるようでございます。しかし、それはもう少し運用によってある程度はやれるんじゃないか。毎日の委員会を公開にするかどうかは、これは私はプラスの面もあるかもしれないけれども、マイナスの面もある。それからいまいろいろ大学の問題を処理していきます場合に、やはり紛争大学の教授や学長や、あるいはまた紛争はしておりませんでも、大学の教授等の方々が参加をされるということになりますと、その一々の言動が同時にまたその教授の所属されておる学校に影響をしてくる、そしてまた紛争をエスカレートするという場合も現実の問題としてはあるわけでございまして、そうなりますと、結局先生は口をつぐんで言うべきことも言わない。言わないがために、それこそ中教審の審議というものが形式主義的なものになってしまうという意味において、私はどっちがプラスかマイナスかという点はまだ残ると思う。先生の御指摘ですけれども、私はそういう面が残ると思う。ただその運用のしかたとして私も多少そういうような先生の御指摘の点も考えまして、就任以来、中教審の運用というものについてもう少し多少考えていただいたらどうだろうかということを、森戸先生とも御相談をして、森戸先生自身もそういうふうにお考えになり、一つの例でございますけれども、今度の第二十四特別委員会の一つの課題でございまする学生の地位の問題について、普通ならば、あの二十四特別委員会の検討すべき課題というものは四項目に分かれているわけです。それをすんなりやってしまって、それから発表ということ、そうして発表になったとたんに、われわれはこれをどうするか、どう処理するか、行政的にどうあらわしていくか、あるいは必要によっては立法しなければならないというようなことになるわけでございますけれども、そうじゃなくて、その一つの学生の地位という問題についても、各大学においていろいろお考えもある、国民の間でも考えられている、各政党の間においても問題にされている。とするならば、やはりこの学生の地位という一つの課題についても、中間報告という、はっきりした結論じゃなくて、草案として世に問う、各大学にこれを送付して大学の意見も聞くということを考え、またそれを実行しているわけでございます。それからもう一つは、いままではございませんでしたけれども、とにかく若い助教授クラスの人たちを参考人として呼びまして、そういう方々の意見をも取り入れる。その際には新聞発表等もやられたというようなこと、あるいは会長招待という形でやはり若干の方々をお呼びになって、そうして懇談をされたということで、少しいままでのやり方じゃなくて、コンクリートなことじゃなくて、問題をかかえた、そうしてここまでやった、そうしてそれを世に投げかけるという形をして、国民全体の理解と関心あるいは要望というものを、一面においては深める、またくみ入れるということを考えられているわけでありまして、少しぐらい変わりつつある、また変えつつあると申しても差しつかえないかと思います。もちろん森戸先生の御同意を得てのことでございます。そういうことで、ひとつりっぱな中教審の審議が行なわれるようにいたしたい、こう考えておるのでございます。
#121
○鈴木力君 私は中教審を、さっきも申し上げましたけれども、いわゆるほんとうに中教審のある趣旨からいえば、もう少し国民に信頼をされる中教審でなければいけないと思うのです。あまり時間もございませんからそうふろしきは広げませんし、またの機会にも一つと詳しく伺いたいと思うのですけれども、少なくともいまの中教審の任命についても、この前に小林委員からも指摘があったとおり、文部省の直轄機関の長が中教審に入っている、あるいはかつての文部省の大臣をやった、あるいは文部省で役人をやられた人、こういう人たちが任命をされて、そうしてこの中教審というものを運営をされている。そうして、事務から全部が文部省がやっているわけですね。そういたしますと、どう考えてみたって、少なくとも直轄機関だけははずすということぐらいしておかないと、中教審というのは文部省の隠れみのであって、意見を聞きまして、ここを通りましたというための、弁解をするための機関に過ぎないというような印象を与えて、私はどうもそういう疑いを持っているわけです。これは、おまえがけしからぬとおっしゃられるだろうと思いますけれども、どうも私はその辺は文部省の、何といいますか、国民に弁解をするために一つの機関として中教審があるのであって、国民の側の討議の場としてはどうも考えられない。それはさっき私が言いましたけれども、そういう任命されておる人たちの個人をどうこうということじゃない。その機関の長がそういうところに入っておるということが一つある。それからもう一つは、このメンバーの中の文部省関係者はさっき言いました。今度は、ある特定の人は非常に長いのですね。そしてその非常に長い人を念のために調べてみますと、ここにも資料がありますけれども、私のほうで調べてみたのがありますが、一々は申し上げませんが、この人はずいぶん長いし、かつて文部省にも関係のあった人だなと思ってちょっと注意してみますと、中教審以外の文部省の審議会や審議機関にあっちにもこっちにも顔を出している人だ。そういう人がいるのです。そうしますと、文部省の審議会、審議機関というのは特定の人を手なずけて――このことばは悪いからこのことばは取り消しますが、特定の人を使ってそして文部省の直轄機関の人をも任命して、そして大体文部省当局のお気に召したようなことをずっと続けていらっしゃる方は長期に何べんも任命される。しかも、今度は運営では、出席日数は委員によって違うのでしょう。出席しなければならない日数も違っている。そういう長期に任命をされる人は出席日数という招集される日数が一番多い人なんだ。具体的にあげますと時間がかかりますから言いません。傾向としてそうです。これを直さないでおいて、中教審はりっぱな国民の場での審議機関であると幾ら言われても国民は信頼しないであろうと思うのです。それが一つです。
 それからもう一つは、いまの中間発表、四つあるうちの一つの中間発表をしたのは前進だともおっしゃいましたけれども、かつて文部省の審議機関の発表した中に反対意見を公表したことがないでしょう。私の記憶では、ほとんど反対意見が、こういう意見があったという公表すらない。最近、御存じのように、健康保険法の審議の場合には、あちらのほうではどういう人からどういう反対意見があったということをあわせて公表されておる。そういうこと。
 それからいま言った、高坂先生には気の毒な話ですけれども、ここで出てしまったから高坂先生を例にとりますけれども、こういうようなわれわれからいうと国民をばかにしているような言動に、これは注意して言わなければよかったという程度の反省の人がいる。そしてそれが公開されたい秘密会であるというのが原則になっておる。この国会の場で問題になってすらそれが公表はされないのだ、そういうことになりますと、非常に日本の民主主義を毒している、教育を非常に毒している根源がこの仕組みであるというふうに私はどうも見えてしようがないのです。
 私がいま指摘した三つの点についての大臣の御見解を伺いたい。
#122
○国務大臣(坂田道太君) 三つというのがちょっとよくわからなかったのですが……。
#123
○鈴木力君 もう一ぺん申し上げます。
 一つは、文部省は直轄機関の人をはじめ、かつて文部省でそれぞれの役職をやられたような方が審議会のメンバーに相当数いつでもいるということ、どの審議会にもいるということですね。それから諮問される側なんですけれども、たとえば私立大学とか私立何々審議会ならばその担当局長が審議委員になっている、そういう形です。これは文部省直轄でやっていこうというそういう機関だとどうしても見える。
 それからもう一つは、特定の方はきわめて任期が長い。長い方を調べてみると、文部省の相当の機関にあっちにもこっちにも顔を出している。これもやはり疑えば正常の審議機関とはどうしても見えない。
 それからもう一つは秘密主義。秘密主義であればその中では言いたいことを言っておるわけでしょう。憲法にどうあろうが、あるいは国民のどの層を侮辱しようが、かってなことを言っておる。そういう秘密会議でなれておる人たちがたまたま新聞記者に会うと、ついほんとうのことを言っちゃって注意が足りませんでしたという反省になる。私が指摘した三つの点だけでも、いまの中央審議会というものをほんとうに中教審として文部省が民主的な教育行政を進めていく国の機関として持っていくなら、この三つの点は私は改めるべきだと思うのです。その点についての大臣の見解を伺いたい。
#124
○政府委員(安嶋彌君) 先に私からお答えいたしたいと思いますが、問題を中教審に限って申しますと、現在の中教審の構成員は十五人でございます。そのうち鈴木先生おっしゃいました、文部大臣が任命権を有する、あるいは文部省にかつてつとめた方がある程度いらっしゃることは御指摘のとおりでございます。一々申し上げてちょっと恐縮でございますが、会長の森戸先生は育英会長でございますが、元文部大臣、広島大学長をやられた経歴の方でございまして、私どもは中教審の委員として適任だと存じあげております。副会長の河原先生は古い文部次官でございますが、東京文理科大学の学長、枢密顧問官等をおつとめになった方でございます。高坂先生は、ただいま御指摘のとおり。平塚先生は教育研究所長ということで特にお願いをいたしておるようなことでございます。教育研究所というのは、教育行政、教育内容についての総合的な文部省直轄の研究機関でございます。そこの成果を中教審に反映するために特にお願いをいたしておるわけでございます。それから田中義男先生でございますが、この方はいまは東京都の教育委員長をおやめでございますが、東京都の教育委員長というお立場を背景にして任命をいたしておるわけでございまして、それぞれ確かに文部大臣が任命権を有し、あるいはかつて文部省に在職された方ではございますが、その学識経験その他から考えまして適当だという、そういう観点でお願いをいたしておるわけでございます。それから、長い方があるということでございますが、これも確かに御指摘のとおり長い方がございますが、こういった点につきましては、近く任期の切れる方もございますので、その際に大臣から御判断をいただくことに相なろうかと思います。それから、あちこちの審議会に顔を出している方があるという話でございますが、これは政府部内におきまして一応の内規がございまして、四つ以内ということに制限をいたしております。特例的な場合は一つ二つこえる場合もございますけれども、総理府の人事課で統制をとっておるような状況でございます。それから、秘密会であるということにつきましては、これは中央教育審議会令の第九条に、審議会の運営に関し必要な事項は審議会みずからが定めるという規定がございまして、これを根拠にいたしまして、中央教育審議会運営規則の第六条におきまして、「審議会の会議は、非公開とする。」こういうふうに書いてありますが、これは審議会の委員の自由な討議を期待してのことかと考えております。
#125
○国務大臣(坂田道太君) いま官房長から申し上げたとおりでございます。特に教育制度の問題は、やはり若い人たちばかりでもだめでございまして、たとえば終戦直後のときの状況や、あるいはまたいま明治以来の制度の問題もやっておるわけでございまして、その古い時代のことを直接知り、また経験を持たれ、あるいは責任を持ってやられたというような方々がメンバーの中におられるということも、私は有力な、いい意味における審議を進める意味において大事なことかと思うわけでございますけれども、やはり時代もどんどん進んでまいりますし、大学にいたしましても非常に変わりつつわけで、若い人でなければやっていけないというような時代でもあるという意味において、やはり若い人たちの意見というものが反映されるような運営のしかたというものは当然考えていかなければならないのじゃないかと思います。まあ近く任期の切れる時期もまいりますので、その時点においては十分そういうようなことも踏まえまして考えてまいりたいと、こう思っております。
#126
○鈴木力君 いろいろ、その方の適任か不適任かということを一人ずつ言いますと、これは全部ポストに適任だということになるだろうと思うのです。これはだれだってやはり、長いこと学者なんかやられた方に、あなたは不適任だと、名ざしで不適任だと言う元気は私もありません。ただ全体からいって、それならば私のような者は、あるいは誤解とおっしゃるかもしれないし、おまえはひがんでいるとおっしゃるかもしれないけれども、しかし、そういう国民が相当多数いるということだけは大臣ひとつそのとおり受け取っていただきたい。そうすると、そういうような疑いを持たれるような人でなければ、あとは適任者がいないのかという議論になってくると、私はまだいると思うのですね。少なくとも、どんなにすぐれた人であっても、国の直轄機関で、そうして文部大臣の直接の監督の場におる方々を、その人たちを文部大臣の諮問機関の主要なメンバーに入れておいて、特に国立教育会館の館長さんは、今度は主査でしょう。そういうポストに据えておいて、文部省は、フランクにただ諮問をいたしまして御意見をすなおに聞くのですと、幾ら弁解したって、弁解すればするほど文部省の腹の中に何かあるなあととられるのはあたりまえだと思うのですね。だから私はそういうことはこの際やめるべきだ、そうしてもう少し広く人材を見つけていく。これでもおまえひがむかというような人材を並べた審議会をやっぱりつくるべきだということなんです。
 それからさっきの、特定の方が長い間というのも、これもどうもあまり言うべきじゃないと思いますけれども、ほんとうに傾向としては、一々あげはしませんけれども、長い人があっちにもこっちにも顔を出しているのです。確かに私は、四つ以上がいけないという規定も知っている。一つ、二つはこえるかもしれないけれどもと言うのでしょう。一つこえれば二五%こえているのですよ、二つこえれば五〇%こえているのですよ。だから、そういう人がいつもそういう重要な場所に顔を出していると、口の悪い人は、文部省には文部大臣が二人いるのかという言い方さえする。本物はちょいちょいかわるから、こっちのほうがほんとうじゃないかというような、そんな見方をされるような形で、そんな悪口を言われるようなかっこうでほんとうにいまのようなむずかしい教育行政がいけるのかどうかということですね、私に言わせれば。だから長い人は、それはもちろん画一的に、全部任期が二年だから、二年で切れとは言いませんよ。しかし、やはりあまりにも、われわれのような者が外から見ても、何か文部省が言うと、すぐああこの人がというのがいつでも顔を出している。こういうことは私は望ましいことじゃないのだろう。そういう気持ちをもって中教審を見ておって私がいまの新聞談話を読みますと、これだと、秘密主義というのはここにあるというふうに私は思う。そうすると、いまの政府がいろいろなことを言っておるけれども、期待される人間像の主査の方もいま私があげたうちにはいられるように記憶しておりますけれども、社会の批判がそういうところに向いていったら、これは私は中教審のあるべき姿じゃないと思う。したがって、さっき申し上げましたような三つの点につきましては、特にこの直轄機関につきましては即刻でも私は変えられると思います。できるところから先にやって、ほんとうに国民から見える、信頼して、安心してまかせられる中教審をつくるということをやってもらいたいということを御要望申し上げる次第です。
#127
○安永英雄君 私は、九州大学の井上法学部長の学長代理就任の問題について質問いたしたいと思います。
 九州大学では、原先生の辞任ということで三月の十一日に、評議会で原氏の辞任を認め、そして後任に井上氏をきめ、そして事務局員が上京したり、あるいは郵送で文部省に上申をしたりというのが事実のようでありますが、しかし十八日のこの文教委員会で大臣は、この点について私が質問をいたしましたところ、上申書はきてない、調査はしているという、そういう趣旨の答弁があったわけですが、実際はこの十八日の日には何らかの形でこちらに上申の手続というのがとられておったのではないか。そういうところを明らかにしておきたいと思うのです。そしてその間の、その間といいますのは、日にちをちょっと切っていきますからあれですけれども、十八日現在で文部大臣のほうで調査をしておると、調査は進めておると、こうおっしゃったが、どういう調査をされたのか。
#128
○政府委員(安嶋彌君) 三月十七日現在におきまして、九州大学の井上正治教授の言動につきまして九州大学長あて照会を発しております。これが十七日であります。したがいまして、十八日は調査中という時点に該当するものと思います。なお十八日現在におきましては、九州大学から井上正治法学部長を学長事務取扱にしてほしいという上申は参っておりません。そういう話はきいておりますけれども、上申書は参っておりません。上申書が文部省に到着いたしましたのは、先週土曜日の二十二日でございます。
#129
○安永英雄君 いや、私が言ったのは、それがそうであれば調査を、そういう正式にこちらに二十二日にきた、それ以前に調査をしたというのは、だれがどういう権限で調査をされたのか。
#130
○政府委員(安嶋彌君) 井上正治教授のことにつきましては、すでに二月の二日に、サンデー毎日に、いわゆる勇ましい井上発言というような見出しで、かなり詳細な記事が載っておりますが、さらにTBS放送のマスコミQという番組におきましてもいろいろ発言をされているわけでございまして、この点はかつて衆議院予算委員会におきましても問題として取り上げられたものでございますので、私どもはその事実関係及びこの事実についての九州大学当局のお考え方を照会いたしたわけでございます。だれがやったかということでございますが、官房長の私の名前で文書は出ております。それから根拠は何かというお話でございますが、これは国家行政組織法の第十条に基づきまして、各大臣は「職員の服務について、これを統督する。」というような規定がございます。一般的に文部教官である職員の服務の状態について調査をすることは、法令上認められているところであるというふうに考えております。
#131
○安永英雄君 具体的にこの文部教官の調査はそういったことでやれるということですけれども、明らかにこれは上申はしていないけれども、一応九州大学のほうで十一日に代理として決定をしたらしいと、それと結びついての調査ですか。一般的にあれというのは定期的にどんなことをされるのか。またどの範囲か。いまおっしゃった法律のどの範囲、常にやられておるわけですか。この国立大学の教官が、何と言いますか、テレビに出たとか、週刊誌に出たとか、そういうときには一般論的に、いまの調査をされておるということですか。
#132
○政府委員(安嶋彌君) この種の調査はいつもやっている、あるいは一般的にやっているという調査ではございません。特別にお願いをした調査でございます。
 それからなお九州大学の井上教授だけではなく、京都大学の井上教授――人文科学研究所の井上教教につきましても調査はお願いをいたしておるわけでございまして、特別に九州大学の学長事務取扱に評議会において決定されたからということでは必ずしもございません。しかし、その間に全く関連がなかったかと申しますと、それは関連が全くなかったわけじゃございません。しかし学長事務取扱に決定するということがかりになくても、これは当然調査をすべき事柄であるというふうに考えております。
#133
○安永英雄君 そうすると、時間もないですけれども、大事なことですから、お聞きしたいのですが、そういった代理になると決定されたということと関連は多少はするけれども、大体せにゃならぬ事項だというようなことですけれども、この調査というものは、それでは京都もされたということですけれども、その定期的とか、とにかくテレビや週刊誌に載ったと、こういうときに調査をするというのですか。いま先の法律どおりに権限があるのだからやるというのですか。どんなふうな取り扱いをしているのですか、国立大学の教授の調査というのは。調査ということはありますか。いまの法律に調査権があるのですか。
#134
○政府委員(安嶋彌君) 調査権があるという明文はございません。ございませんが、先ほど申し上げましたように、第十条に、各大臣は職員の服務についてはこれを統督するという規定がございます。文部大臣は文部教官の服務についてもこれを統督し得る立場にあるというふうに考えております。それからいつも一般的にやっておるかということでございますが、これはいつも一般的にやるということではございません。特別な問題が起こった場合と申しますか、まあ最近の例が初めての例でございまするが、そういった問題が起こりましたので、前例のないことではございますが、特にこういうふうに調査をお願いしたと、こういうことでございます。
#135
○安永英雄君 それではっきりしましたがね。それではテレビとか週刊誌、こういうことで調査をしようとした、こういうことですか。そればどういう項目についての調査をしたのですか。
#136
○政府委員(安嶋彌君) 九大の井上正治教授につきましては一月十三日のTBSマスコミQにおける発言、及び二月二日号サンデー毎日の一一〇ページから一一四ぺ−ジに記載された発言についてその事実の有無、事実とすればその内容を調べるということでございます。
#137
○安永英雄君 それではもう一ぺん聞きますが、あなたは新聞によりますと、二十四日、きのうこの九州大学から上京してきた部長ですか、これについて井上教授がテレビや週刊誌で、警察は敵だと発言したことについてその真意を文書でお答え願いたいと、こんなふうにおっしゃっておるのですね。これは事実ですか。
#138
○政府委員(安嶋彌君) きのう申したというよりは十七日に文書でそういうことを申してお願いをしております。
#139
○安永英雄君 きのう同じように話されたのですか。
#140
○政府委員(安嶋彌君) きのう同じようにと申しますか、すでにお願いしてある照会に対してはすみやかに御回答願いたいということを申し上げております。
#141
○安永英雄君 それではすでに上申書というものが届いたと、こうなってくると、きのうあらためてまた上京した部長に対して、いまのような調査について報告しろというのは、十七日の場合と意味が違いますね。今度は学長代行代理という立場の人事という問題とこの調査というものが直接結びついておるというふうに考えてよろしいか。
#142
○政府委員(安嶋彌君) 関連はあると考えます。
#143
○安永英雄君 関連じゃなくて、それではこの調査というものはこの新聞その他によって見ますと、私も九大のほうにはちょっと行ってきたんです。この答えが出る出ないとかいう、この調査がおそくなるとか早くなるとかいうことは別にして、この代理という問題の人事の決定はそれとは関連はあろうけれども、厳密に言えば別のものだというふうに考えてよろしいか。人事は人事として、調査というのが関連はあると、こう言いますと、これは上申書も出てこない前に一般論的にテレビのあれに出たからといって一応文部省としては調査してみようというのと、代理という任命の、選任の問題について関連があるとかないとかおっしゃいますけれども、関連はないけれども報告が手間どるとか何とかいう形で、ある場合は人事の選任決定というのが先にされてその後報告が出てきても、そういう場合もあり得るわけですな。これとの関連の関係……。
#144
○国務大臣(坂田道太君) こういうことなんです。私の気持ちは予算総会等でも申し上げたわけでございますけれども、テレビにしましてもそれから週刊誌にしましても、非常なとっさの場合の、たとえば何らかの取材の立場ではございましょうけれども、あなたの敵はだれですかと、こういうような問いかけで、とっさに反射的にことばをとらえるやり方が最近はやっておるわけでございますが、その場合、やはりよほどの人でないと、正確に自分の気持ちを表現し得ないような場合もある。私文部大臣としましても、かつてあるテレビに出まして、最初聞かされた意図とは全然違った状況でたたみかけてやられまして、さすがの私もたじたじとした経験があるわけですが、幸いにいたしまして、そう乱れた答弁はいたさなかったつもりでおるわけでございます。そういう状況があったやに伺っておりますし、またそれをもととして週刊の離誌に取材された。そしてそのことについてそれが非常に問題があったという場合に、その二つか三つのことばを取り上げるならばはなはだ不当な言動であっても、そのいきさつ、あるいはその雰囲気あるいはまたその人の真意はそうではなかったのだということでございまするならば、不適当ではあったかもしれないけれども、はなはだ不適当ではなかったというようなこともあり得るんじゃなかろうかということで、私は文部大臣としてこの教授任命の最終的な責任を負っておるわけです。これは国民の皆さま方に対して負っておるわけでございます。したがいまして、いやしくもそういうような人の名誉にかかわる問題あるいはまたその人の地位に関するような問題であるならば、そういう片言隻句だけを基礎として、もととして最終的な任命権者が、はなはだ不適当であるとか、あるいは適当であるとか、よろしいとかいうことを言うことはいかがかという私の真情であるわけでございます。したがいまして、調査ということは、いかにも形式的、官僚的ではございましょうけれども、しかし条文がございますから、そうでございますが、しかしその調査の内容というものは、あなたがあのときにああおっしゃったことは、あなたの真情はどうだったんですかという意味において真意をお聞かせいただきたい。それは毎日新聞にも出ております、あるいはフジテレビのあれも聞きました、おおよそはわかっております。しかし少なくとも私は、国民に対して責任を持っておる文部大臣としましては、直接のいわゆる機関、大学当局またあるいは評議会、教授会あるいは御本人から何らかのお話があってしかるべきではなかろうかという気持ちでおるわけでございまして、そのことをもって、私といたしましては、はなはだ不適当であるのか、あるいは普通に不適当であるのか、あるいは適当であるのかの判断をいたしたい、かように思うわけでございまして、私といたしましては、文部大臣としての職責からいって全く厳正公平なる、公正なる判断をいたしたい、かように考えておる次第でございます。
#145
○安永英雄君 だから、要するに調査というものを、これは今度の学部代理をきめる一つの大きな要因だということを言われたと思うのです。そうすると、これは、西日本新聞に載っておった記事ですけれども、「二十日から」文部省の「幹部や九大関係者が非公式に九大当局側と接触〃井上教授に善処をうながすための意向打診を始めた。」という記事があるわけです。要するに意向打診という善処の内容は明らかではないけれども、要するに井上氏自身がみずから代理に就任することを辞退を促す、こういう大体趣旨の善処というふうに地元ではとっております。こういう動きを実際にされたのかどうか、あなたの話によりますというと、そういった調査を向こうに依頼しただけだと文部大臣がこの前十八日に答えられた。調査というものは、内容は、あなたに言わせれば、結局何か書類を出して、こういう問題についてお答えを願いたいというだけだとおっしゃいますが、福岡に、この問題で文部省の幹部その他が動いて、選任された井上氏について善処を促すような行動に出たことがあるかどうか、これは事実かどうか。
#146
○国務大臣(坂田道太君) 私はあくまでも、その事実関係をお尋ねをしておるわけで、その真意を聞いておるわけでございまして、そのことを一般の新聞には真意は述べるけれども、文部省には真意は伝えられないというのは一体どういうことなのか。私はこれでもって井上教授の学問的な事柄についてとやかく言っておるものでもなければ、あの人の思想傾向を何か判断の基準としておるものでもございません。あるいは政治主張というものを問題にいたしておるわけではございません。少なくとも事務取扱というからには、管理運営の衝に当たられる方でございます。また管理運営のみならず、教学の責任を持たれる方でございます。国民に対して教育をやりあるいは研究をやる責任者であるわけでございまして、その人がやはり識見の高い、あるいは社会のことについても常識をよくわきまえた人であり、そしてさらに学識も高いという方こそ、われわれの国民のための大学の事務取扱として適当な人である。また適当な人でなければ、これやっていけないわけでございますから、そういう意味合いにおきまして、先ほどから別な問題ではございますけれども、高坂先生やあるいはまた平塚先生、学者としては非常にりっぱな方であり、そうしてまた学識豊かな方でありますけれども、われわれ一般市民から考えた場合にはちょっと世間知らずと申しますか、そういうような常識を欠くような方々も実はあるわけなんでございまして、そういうことについては、やはりわれわれが最終の任命権者として関心を持つことは、国民のために当然な責務ではなかろうか、そういうようなことを全然承知しないままでこの任命をするということはいかがかというのが私自身の心境なのでございます。
#147
○安永英雄君 いま私の聞いたのは、文部省の幹部――どういうところか知りませんけれども、この井上教授に対して善処方を要望するというふうな動きがあったというのは、いま大臣がおっしゃったように、そういうことですか。そうすると、大臣としていまおっしゃったように、思想の問題とか政治路線の問題については何も問題はないのだ、実際。どういう人かということで調査をする、こういうことの行為がこの二十日ごろから起こったわけですか、やられたわけですか、調査をされたというのですか。
#148
○国務大臣(坂田道太君) いや、私が申し上げているのは、ああいうような文言というのは、とっさの場合にはよくやるものだ。たとえば敵ということばだったって、政敵あるいは恋がたきとか、あるいはまた論敵、いろいろこれはお互いの市民社会の中においていうことばなんです。で、そういうようなことを言うこと自体が間違っているということも言えます。確かにそうなんです。しかしながら、少なくとも学長代行になろうというような人は、とっさの場合であっても、そういうようなことはやはり考えてものを言わなければならないと思うけれども、しかし、とっさの場合だったのだからあるいはそういうようなことがあったかもしれない。そのことはどうなんですか、よそで毎日新聞あたりではこういうふうにいっておられるが、あるいはテレビではこういっておられるけれども、何かそこにつけ加えられることはないでございましょうかというような気持ちの意味の、私のほんとうのその意味の真情というものを、真意というものをテレビやあるいは新聞社を通じないで、任命権者である私のルートを通じてお話しいただきたいという、それだけなんです。
#149
○安永英雄君 そうすると、やっぱり官房長のほうで言われた井上教授がテレビや週刊誌で警察は敵だということを発言されたことについて、その真相を文書でお答え願いたい。この文書が来なければ、この選任の問題についてはきめないのですね。これと密着しているわけですね。
#150
○国務大臣(坂田道太君) いや、私としてはそうせざるを得ないのです。そうでないと、私は国民に対して責任を果たせないそしりを免れないと思う。それは国会というところは、御承知のように皆さん方は国民を代表して御質問をいただいておる。だからやはり国立大学の学長であれあるいは教授であれ、国民からはやはり批判をする自由を持っておると思うのです。その意味において、御承知のように、自民党からも質疑がございました、民社党さんからも質疑がございました。社会党さんからも御質疑がございました。こういうような、いわば国民の代表の方々が国会で発言をしておるということについては、大学教授といえども、学長に任命される人としても、当然自分のことがそういう問題になっておるということについては十分考えなければならない。そういうようなことを考えない、こういうところに、私は今日国民が大学に問いかけておる、あるいは学生から問いかけられておるということだと私は思うんです。だから、私も文部大臣の職責といたしまして、国民に対して責任を持っておる者といたしまして、そういうことの事実関係についてその真意を確かめるということは、私はやるべきことであって、それを怠ったならば、私は責任をまぬかれないというふうに思います。したがいまして、そういうような何らかの回答がなければ、私は発令いたさない覚悟でございます。
#151
○安永英雄君 そうすると、結局そういった手続が、まあ九州大学のほうで真意はこうだったと、こういう文書が来るということになって、それを一応基礎にして選任をきめると、こういうことになると思うんですが、来なかった場合どうしますか。
#152
○国務大臣(坂田道太君) 私としては発令をいたしません。
#153
○安永英雄君 大体いままでの学長の選任とか、いままで取り扱われたと思うんですが、こういう事例はありましたか。調査をする、調査が出ないそのときに発令しない、こういう例はいままでありましたか。
#154
○国務大臣(坂田道太君) いままではあまり聞いておりません。
#155
○安永英雄君 時間がありませんからまた次の機会にもやりたいと思いますけれども、そうすると教育公務員特例法の十条の規定が、これは文部大臣の権限になっているわけですが、これはあれですか、あくまでもそういった現地の九州大学できめたそれに対して、そういった手続上の問題、あるいは調査の結果でだめだと、こういったときには、もうすっぱり切って捨てるという権限がこの中にあるというふうにお考えですか。
#156
○政府委員(安嶋彌君) 教育公務員特例法十条の規定は、御承知のとおり、大学管理機関の申し出に基づいて任命権者が大学の学長等の任用等を行なうということでございますが、この点につきましては二つ問題がございまして、一つは、今回の上申というものは学長事務取扱の上申でございまして、学長の任用ではございません。したがいまして、この教育公務員特例法十条の規定が形式的にそのまま発動するかどうかという点につきましては、なお検討する余地があろうかと思います。
 それから第二に、ただ、従来の慣行的な扱いといたしましては、事務取扱の発令は任用と同様に扱ってきたという事実はございます。
#157
○国務大臣(坂田道太君) ちょっといまのあれですけれどもね、やはり任命権は私にあるんですよ、これは。ですけれども、慣行としてはいま申し上げたようなことだと思います。私もそう心得ております。しかしながら、さればといって、それじゃあ全然任命しないということは絶対にないかというと、私は法制上はそれは残ると、あり得ると。どういう場合かといえば、私が申し上げましたような意味合いにおいて、国家公務員として、あるいは管理者として、あるいは教授として、はなはだ不適当な場合、それが非常に明確な場合ということに限っては、そういうこともなし得るというふうに私は解釈をいたし、そういう解釈の上に立って、ずっとこの問題について一貫して私は御答弁を申し上げておるわけでございますが、しかし今日までそういうような事例というものはないということも私は承知をした上で申し上げておるわけでございます。
#158
○安永英雄君 まあ、この問題については、時間がありませんから、また次の委員会に私は質問を保留します。
 ただ、私は九州大学はよく知っております。原先生あたり恩師ですから、原さんあるいはこの井上さん、よく存じ上げておるわけです。現在の九州大学の紛争の問題については、ほんとうに体を張って学生のこの暴力という問題については絶対してはいけないということを日夜叫び続けておりますよ、この人は。徹底的にやっている。私はこの問題の取り扱い一つでは、ただ単に九州大学のこの大学の紛争だけにとどまらず、この問題は必ず私は全国的な大きな問題になってくると思う。これは確かにいまの法律解釈とされましても、十条の解釈とされましても、私はどうしてもこれはやはり文部省の大学自治に対する一つの大きな介入するという姿だと思うのです。大学紛争そのもの自体が、いろいろな理由があろうけれども問題なのです。私はこれはもう火に油かけるような問題になってくるということを心配するわけです。そしてさらに先ほど、辞任勧告、これはないとはおっしゃったけれども、こういうことがあってはいけないので、上申書を受け付けないで、その間に押さえつけて辞任を勧告するとか、あるいはこの回答書がこなければ絶対にとにかく任命はしない、こういう言い切り方では、私はただ単に九州大学の学長代理の問題ではなくて、当面の大学問題の処理について大きな誤った方向にいくのではないかと思う。もう少し私は次には具体的に質問したいと思いますが、きょうはやめます。
#159
○鈴木力君 ちょっと三十秒くらい関連して……。これは大事なことですが、いま官房長のお答えの、教育公務員特例法十条の適用ですけれども、学長代行は学長じゃないから、直ちにこれは適用しない、まあ慣例としてはやりますけれども、というふうなかっこうに聞いたのですけれども、法律の解釈はそうなんですか。
#160
○政府委員(安嶋彌君) 実は最終的にその解釈を詰めておるわけではございませんので、先ほどの答弁でも、そういう考え方もあり得るというようなニュアンスで私は申し上げておるつもりでおりますが、学長事務取扱というのは、これは一種の職務命令であるというふうに考えることが可能かと思います。したがいまして、通常の学長任命は、これは学長という身分を設定する任用行為、こういうふうに考えることができるわけでありまして、その間に法律上の性質が多少違うという考え方もとり得るのではないかということを申し上げたつもりでございます。
#161
○鈴木力君 わかりましたが、職務命令という場合には、この特例法の何条によってやるのですか。どこがやるのですか。
#162
○政府委員(安嶋彌君) 特例法には規定がございません。国家公務員法上のそれに対する明文はございません。ただし、これは文部省等におきましても、局長が外国出張いたします場合には、事務次官に局長事務取扱を命ずるといったような発令はしばしばいたしております。任命権者の権限に当然含まれる権限である、こういうふうに考えることができるかと思います。
#163
○小林武君 関連。文部大臣にお尋ねしますがね、これは新聞で見たのではありませんけれども、何かこういううわさといったかどうかわかりません、院内で聞いたのですけれども、閣議で井上学長問題について、法制局の見解をただして、その上に立ってそれに照らした井上教授の対策を立てるというようなこと、こういうことを決定したというふうに言われているのですが、事実ですか。
#164
○国務大臣(坂田道太君) 閣議におきまして、やはりこの井上問題は国会で論議がありますから、問題になるわけでございます。しかしながら私は閣議におきましてもただいま皆さま方に御説明を申し上げましたような意味合いにおいてお話を申し上げておるのでございますが、多少私の説明があるいは足りない点について御意見等があったことも事実でございます。したがいまして、やはり法制上の問題であるし、また大事な問題でもありますし、それからかつて大学自治の一番の根幹はここにあったわけでございますから、私といたしましても非常にこれは慎重に公正にやらなきゃいかぬというふうでございますから、閣議等でも多少でも疑いを持たれるというようなことがあってはいけないわけでございまして、その点は法制局長官のところでもう一ぺんその点をはっきりさせるということには私も同意をし、またその作業を始めておるというふうでございまして、ただいま安永委員から御指摘がありましたような問題点についても、あわせてやはりこの際でございますから見解をただしておきたい、かように考えておるわけでございます。
#165
○小林武君 もう一回。その際ぼくはテレビも週刊誌も何も見てないものですから……、それはあれですか、警察は敵だというそういうことばですか、問題になったのは。どういうことなんですか。テレビも見てないし、週刊誌も私は全部見てないもんだから、どういうことが閣議の中で法制局長官の見解を求められる対象になったかということなんです。どういうことば、発言が……。
#166
○国務大臣(坂田道太君) ちょっとその点は、そのこと自体じゃなくて、まあ言うならば任命権者は文部大臣であるんだけれども、慣行上はほとんど機械的に行なわれておると、そうすれば法制上絶対にそれじゃ文部大臣はこれを拒否することはできないのかというようなことが言われておるわけでございまして、その点につきましては、私は従来からの文部省当局が言い続けてまいりました見解を繰り返し繰り返し申し述べておるわけでございますけれども、しかし、これから先いろいろこういうような事態も発生する可能性もございまするので、やはり十分その点は法制上にも疑義のないところでこれはやらなければいけないというふうに思っておるわけでございます。
#167
○川村清一君 先般の委員会におきまして、文部大臣から昭和四十四年度の文教行政の基本方針並びに重点施策をお示しされました所信の表明があったわけです。私はこの所信表明について若干質問をしたいと思うわけでありますが、これに関連いたしまして、その前にちょっとお尋ねしたいことは、大臣のことばじりをとらえるようではなはだ恐縮なんですけれども、しかし、いままで鈴木委員やあるいは安永委員と大臣との質疑を聞いておりますと、やはり高坂先生のことばだとか、それからたとえば九州大学の井上教授のことばだとか、そういうものがやはり問題になっています。私も大臣のことばをちょっと問題にしたいのですが、これは歴代の大臣がときどき妙なことをおっしゃる。坂田文部大臣は、先般の参議院の予算委員会におきまして、どなたの質問に対する御答弁であったか、ちょっとそれ忘れてしまいましたが、こういう御発言があったのです。知性の高い坂田文部大臣にしてはちょっと軽率な発言でないかと思ったのですが、しかし、そのちょっとしたことばの中に思わず本人の持つ、何といいますか、思想の本質といいますか、本音がちょっと出ることがありますね。たとえば倉石農林大臣が記者団と雑談したときにとんでもない発言をして大問題を起こしたように、あなたはこういうことばを述べられたのです。ゲバ棒を支持したり支援するような教授は教授をやめて、そういうのは政治家になったほうがいいと、こういう発言をされたわけです。これは妙なことを言われた。何を言われておるのか私にはわからないのですが、どういうことなんですか。その前の、前段のほうですね。ゲバ棒を支持したり支援するものはというのはどなたをさしているのかわかりませんが、それは教授には不適格であるというふうに、あなたのそういうお考えはあなたのお考えとしてそれはわかるといたしましても、そういうものは政治家になったほうがいいというのはこれはどういうことなんですか。(笑声)
#168
○国務大臣(坂田道太君) こういう意味なんです。これはいまの暴力という問題、一番われわれの関心事になっておって、大学から暴力を一切排除すべきである、これは国民の声だと思います。ところが、それなのにやっぱり暴力を肯定するような言動が非常に行なわれておる、しかし、これは教育的に見ていかがかというのが私のまず第一の考え方でございます。それが暴力肯定の言動ということだけではおそらくこれは刑事事犯にはならぬと思います。しかしながらいやしくも大学教授がああいうトロッキストたちの暴力行動については非常な批判があるし、そしてそのことは現在学問の自由と大学の自治を侵しているわけなんで、一般の多くの学生たち、勉強をしよう、教育を受けよう、研究をしよう、あるいはまた教授たちもそういうような大学としての使命でありまする教育、研究というものが暴力によって行なわれないということは、これははなはだ残念なことなんです。ところが、その教授の一人ですか、いろんな方もおられるようでございますけれども、暴力を肯定しまして、むしろそれを英雄視するような言動ということは、教授としてそれがたとえば教育公務員特例法に違反するとか違反しないとかいうことではなくて、やはり教育者としてはあるまじき言動ではないか、あってほしくないことではないか、そういうようなことをかねがね口にされるならば、それは結局暴力学生を育てるようなことになってしまう、しかもまだ手紙を出したぐらいならまだしものこと、それを今度はちまたに出て、ある会合に行って同様の趣旨のことをお話しになるということはいかがかと、それは教育者として、教授として、あるいは研究者として――市民の一人だからどんなことをやってもかまわないという議論もございましょうけれども、私は少なくとも公務員として、あるいは教授として、研究者としてはふさわしくはないという、ふうに思うわけでございます。そういうふうないわば政治活動をやりたければ、むしろ政治家になってそういう政治行動をおとりになるほうがいいのではないだろうかということなんでございます。
#169
○川村清一君 いや、それでいまよく御説明になりました前段のほうは、これはよしあしは別として私はわかる。私、賛成するしないは別としてそれはわかると言うのです。ただし、そういうものは政治家になったほうがいいということが私はわからないと言うのですよ。それじゃ政治家というのはゲバ棒を振るってやるのをみんな賛成している、支持しているということなんですか。それはそういう政治家がいるということなんですか。どういうことなんですか、これは一体。政治家はそういうものを賛成しても支持してもいいということなんですか。どういうことなんですか、これは。
#170
○国務大臣(坂田道太君) いや、そういう意味じゃございませんで、この井上清教授のほうなんですけれども、この方は、むしろ現在の政党、非常にラジカルな左翼とかねがね昔からいわれたような共産主義というもの、そういうものをも批判の対象としておられるわけですね。これをも反体制のもの、こういうものに対する批判ということをもってまあ、あの文言から推察いたしますると、一つの井上さんの政治主張じゃないかと。そうすると、そういう政治主張を持っておられる人は、それは私は一つの考え方だと思うんです。それをもって、あなたはそういう思想を持っておるから教授として排除するという法律は、いまのところ私はないんじゃないかというふうに思います。しかし、そういう政治主張というものは学問的な意味においての御研究であって、自分がそのことを真理探求の一つのこととして専門的な御研究として御講義になっても、それはやはりそれなりに守られておると思います。しかしながら、そういう一つの政治主張を学内において、あるいは研究所において宣伝をするということになると、それはやはり一つの教授としてのワクを越えたものではないかということでございます。教育の中立性ということを踏みはずしておられるのではなかろうか、精神をですよ、ということでございます。で、ほんとうにそういう政治主張というものを貫きたいのであるならば、学内では行なってはならないわけでございますから、精神規定であろうと、倫理規定であろうと。でございますから、それはひとつ教授という資格、あるいは研究員としての資格を離れて、そうして一市民としてあるいは党をつくり、そうしてその政治主張を貫くために行動されたほうがいいのではなかろうかという私の見解を申し上げたわけでございます。
#171
○川村清一君 そういうようなことを議論しておってもしようがないからやめますけれども、一国の文教をあずかる文部大臣として国会の予算委員会の記録に永久に残るのですから、一応私も政治家の端くれとして、あなたも大政治家として、政治家みずからが政治家を侮辱するようなそういうおことばはちょっと慎んでいただいたほうがいいのじゃないかと思うのです。真意はどこにあるかわかりませんけれども、端的に言って私の感じですからそれだけ申し上げておきます。どうも妙なことをおっしゃるのです。これは問題ではないですか。前の灘尾文部大臣もこれは昨年ですか、北海道へ行かれましたね、九月の十八日から北海道で全国の中学校長会議、全国普通科の高校長会議がありまして、それに出席のために行かれて、九月十七日に札幌で記者会見をされましていろいろ話されたのですが、その話の最後にこういうことを言われている。新指導要領に従わないと言っている京都府教育委員会は全学連と同じだ。制度上文部省は指導と助言しかできないが、指導要領に従ってもらわなければならないと、文部大臣として指導要領に従ってもらわなければならないということは、これは文部大臣の考えですから言ってもいいと思うのですよ。それについての是非はまた議論しますが、これが、今度京都府教育委員会は全学連と同じだと、こうくるのです。ゲバ棒を支持したり支援するような教授は政治家になったほうがいい。それから文部省の指導要領に従わない京都の教育委員会は全学連と同じだ。どうもたとえが悪い、たとえるにしてももう少しうまいたとえようはないですか。どうです、大臣、あなたの率直な御見解をひとつ述べてください。
#172
○国務大臣(坂田道太君) 私は非常に頭が悪うございまして、乏しい語彙でございますので、今後はひとつ注意いたしたいと思います。
#173
○川村清一君 それでは本題に入りますが、私はこういうことをお尋ねしようと思いましたことは、先日の委員会におきまして坂田文部大臣が教育の基本的な問題につきまして文明論をひもとかれまして、ルネッサンスから説き起こされまして、非常な学識を披瀝されまして、非常に私も勉強になったわけであります。そこでこの点をひとつお聞きしようという気になってお尋ねするわけでありますが、書き始めのほうです、一ページの。すなわち「わが国の文教は、明治五年に学制がしかれてから発展を続け、わが国が敗戦による廃墟の中から復興し、世界の驚異とされるほどの経済的社会的発展を遂げるに至ったのは、もとよりわが国民の勤勉と努力によるものでありますが、とりわけわが国民のすぐれた資質と、その教育の成果に待つところが多いと考えるのであります。」これは読めばそのとおりだと思うわけであります。しかし非常にたんたんと書かれているわけであります。すなわち、明治五年に学制がしかれてわが国の文教は発展を続け今日に至っているとして、約百年間の教育の歴史というものがこの二行か三行のことばの中につづられているわけであります。しかし明治五年から今日に至るまで約百年間の日本の文教の歴史というものはこれはもうたいへんな内容を私は含んでおるものと思うわけであります。すなわちわが国が敗戦による廃墟という、これまでに一つの歴史があるわけであります。その廃墟の中から復興し、世界の驚異とされるほどの今日の発展を遂げるに至った、ここにも一つの歴史があるわけであります。この間において日本の教育というものは制度的にもあるいは内容的にも非常な幾多の変遷が行なわれてきておるのであります。これを大臣はどうとらえられ、どういうふうに分析されているか、そうして今日の教育をどうこれを把握されているか、この中に今日の大学問題などの根源が存在しておると私は思うわけであります。ですからいわゆる世界の教育史をるる述べられたのでありますから、その学識をもってひとつ日本の教育史をここで披瀝されて教えていただきたいと思います。
#174
○国務大臣(坂田道太君) やはり明治五年に学制がしかれたということは、これは非常に私は国民教育を普及するという上において偉大な功績だと考えております。私の記憶によりますと、たしか明治二十年ころは就学率がその当時四年制であって義務教育が二十数%であったのがもう三十年ころになるとぐっと上がってきた。それから三十八年から四十年にかけて六年制になってもう八〇%をこえるというような就学率になって、明治の終わりから大正にかけまして九〇%をこえた。それから戦後は御承知のように、六・三・三・四の制度がしかれて義務教育はさらに九年に延びましたけれども、これがやはり九九%、世界に類例のない教育の普及率、それからまた高等学校にいたしましても約七十数%にもなってきております。こういうことはいかに日本の国民が教育に熱心であるかという象徴かとも思いますし、それからアジアの中におきまして近代社会を築き得たのはやはり日本だけだと思います。その一つの原因は、やはりこれはイギリスのたとえば「エコノミスト」の記者が指摘しておるように、あるいはまた、アジアの文部大臣会議におきまして羨望の的となったとおりに、日本があまねく教育を普及して、そうして無学文盲をなからしめた成果であるということを、日本以外の方々が称賛をし、また世界の方々が驚異をもって見ておられるということは、私は率直にこれを評価しなければならないと考えておるわけでございます。しかもこの教育投資にいたしましても、非常に少ない少ないとは申されますけれども、全体の流れといたしましては相当の教育投資をやってきておるわけでございまして、このことがいわば日本の経済成長あるいは近代化というものをもたらした一つの有力な原因であるというふうに思います。しかしまた、明治五年にぽつんと学制がしかれて、あの怒濤のごとき就学率をなぜもたらしめたかというと、いろいろこれは御議論のあるところだと思いますけれども、私は、やはり徳川末期におきましてすでに寺小屋の制度、あるいはまた、これは封建社会ではございますけれども、武士階級におけるところの藩学、郷学等のエリート教育というものがあった。これは学者の調べによると、寺小屋の数が大体四万数千、そうして明治五年の発布以来の小学校の数が大体同じ。それから藩学の数が大体二百五、六十から三百、それが大体中学校になっておる。こういうふうなことを考えますと、すでに徳川末期においてその土壌がつちかわれておった。そこのところにおいて近代的な明治五年からの学制発布が非常にうまく進んできた、こういうふうに私は考えるわけでございまして、その中におきましても東京帝国大学ができ、あるいは京都大学ができ、九州大学ができるという、今度はエリートの大学でございますけれども、しかしまた、この大学が相当高度のものであって、もちろん一部の相当の経済的な余裕のある者でなければ学べなかったということはございますけれども、しかし相当英才であるならばこの大学に入れた。すでに私は明治の時代から、たとえば陸軍大将とか、あるいは海軍大将とか、あるいは今日でいう知事さんとかいう官僚という人たちの養成にもあずかって力があった。いまでこそこれにはいろいろ批判がありますけれども、その時代にはそれなりの働きをした。しかし、もはや今日の時期はそうではなくて、学歴だけがものをいう、どこの大学を出なければもう一生その人はうだつが上がらぬという時代は去った、これからはやはりその能力に応じた、あるいは能力主義、実力主義の時代でなければならぬし、そういうような教育制度というものが持たれなければならぬということが次の項に書いてあるわけでございまして、年齢に応じ、能力に応じ、適性に応じた教育をやるという意味はその意味であるというふうに私は考えておるわけであります。
#175
○川村清一君 大臣の唱えられておるその一つの日本の教育の歴史というものは、それは一面の正しい見方だと思いますが、それはあくまでも一つの側面であって、私はそれだけでは足りないと思う。形式的な量的な面、たとえば就学率が非常に高まってきた今日におきましては、大学がすでにもう昔の中等教育みたいに就学率が高まりまして、もう全国で百五十万も大学生がいるというような状態になってきたのであります。そういう非常に量的な面だけ、あるいは政府の教育に対する投資額といったような面だけとらえることは、これはほんとうの本質をつかむことにはなり得ないと思います。もっとやはり質的な面、内面的なもの、内容的なものをつかんでもらいたいと思うのですが、そういう意味において私お尋ねしますが、ただいま大臣は、たとえば東京帝国大学あるいは京都帝国大学、いわゆるエリート養成のそういう使命を持った一つの教育機関は、その時代においては確かにそういう大学の使命というものは、これは客観的にも認められておったかもしれませんね。しかし、いまの時代はそうでないということをあなたはおっしゃっておる。それじゃいまの時代というもの、いわゆる明治五年からずっと続いてきた、そしていまに来るその来る過程において一つの私は区切りがあったと思うわけですね。それは、いまの時代というものは、どこから始まったとお考えですか。
#176
○国務大臣(坂田道太君) やはりそれは終戦直後から始まっておるというふうに考えます。
#177
○川村清一君 その点は私もそう思うのですね。そうすると、その明治五年から続いてまいりましたわが国の教育というものが、いわゆる敗戦という一つの現実の前に教育そのものも崩壊したと、そうして廃墟の中から平和的な民主国家をつくると、その民主主義国家というものの基底は何だ、あくまでも教育である、民主主義教育を確立するのだと、この民主主義教育が確立されてはじめて平和日本、民主国家日本ができるんだと、こういう一つの信念を、この教育にたずさわっておる教育者はもちろん全国民がそういう気持ちを持って、私は前途に非常な希望を持ってそうして立ち上がったと思うわけです。そこで、大臣は、この明治五年から始まった教育が、敗戦というこの昭和二十年までの間に、この教育がどういう誤りをおかしてきたか、この教育と敗戦というものと一体つながりがあるのかないのか、この一つの反省の上に立って新しい教育はこうあるべきだという、そういう新たな意欲を持ち、希望を持ってやったと思うのです。そこをはっきり持ってもらわなければぼくは誤ると思うのですがね。そこでお聞きしたいのは、この明治から昭和二十年までに至るこの教育というものはどういう教育であっただろうか。先ほど東京帝国大学のことでちょっと触れられてをったようですが、一体その教育の基本的な理念というものは何であったかお尋ねしたいのです。
#178
○国務大臣(坂田道太君) なかなかむずかしい問題でございますけれども、明治を考える場合はやはり徳川三百年というものを考えなければならないわけで、全く世界の中から閉ざされた社会の中にわれわれは育ってきた。もちろんその中においてはいろいろ教育的な土壌というものは形成されつつあったわけでありますが、それが明治維新で世界の文明――当時はヨーロッパ文明、そういうものが怒濤のごとく日本に入ってきた。それに対して日本人がどういう受けとめ方をしたかということだと思いますが、教育の面については、先ほど申しましたような受けとめ方をしてきた。そのことそれ自体はやはりその時代としまして非常にいい、今日の近代社会のもとをつくったと私は信じております。どちらかというと中央集権的であったと思います。あるいはまた教育勅語を中心とした教育でございますけれども、一面においてはやはり道徳教育というような面もその中には含まれておるわけでございまして、それがむしろ大正、昭和となりまして、あるいは戦争直前になりまして多少ゆがめられてきたというふうには思いますけれども、全体論といたしますと、やはり日本が初めて世界の波にさらされ、そしてその中に生きてくるために、やはり当時としてはあのような中央集権的なやり方はよかったというふうに思います。しかし終戦前のいろいろの教育等において、あまりにも画一的、あまりにも中央集権的なやり方で、個人の自由というものが、あるいは自由な教育というものが行なわれがたくなってきたということは、やはりマイナスの影響を与えたのではないかというふうに考えております。
#179
○川村清一君 大臣は昔の教育に非常に強い郷愁を持たれておるようでございますが、私は、いまの教育と昔の教育は基本的に理念が全く違うと思うのでありまして、いわゆる敗戦までの教育というものは、要すれば昔の帝国憲法をもとにしたいわゆる天皇制のもとに行なわれた教育勅語を基本にした教育でありまして、もっとこれを政治的に言うならば、富国強兵を目ざした教育でございまして、これは徳川時代から明治に入って近代国家に入って世界に伍していく日本として、当時は富国強兵を目ざして、世界の一流国になろうとする民族的な意識があったかもしれない。それはその意味においてわかるわけでありまするけれども、したがって、その教育そのものが大臣も言われたように、中央集権的であり、全体主義の教育が行なわれて、その反面個性というものが全く無視された、そしてそういう教育がずっとやられてきて、その結果として要すれば戦争というものになり、敗戦という現実を迎えたわけです。その廃墟の中からわれわれは新しい国家をつくらなければならない。その新しい国家とは何か。絶対平和主義の国家であり、民主国家でなければならない。その基盤は何か。民主教育の確立でなければならない。したがって、大臣は、失礼ですが、戦前あるいは戦争が終わった直後のあたりはどういうことをされておったのか私わかりませんけれども、私は昭和五年から小学校の教員をやって、ずっと昭和三十年まで二十五年間教員をやって、戦前の教育、戦後の教育、みなやってきた。結局戦争に負けて、私の優秀な教え子がたくさん死んだことについて、やはり教師として深い反省を持ち、もうある意味においては、この子供たちを殺したのはおれじゃないかといった末端の戦争犯罪人といったような、そういう自責の念にかられ、正直いって教壇に立つ元気もなかったわけでありますが、しかし、やはり新しい国をつくりその基礎になる教育をやるんだ、二度と再び絶対かかるあやまちをなしてはならぬという、そういう考えのもとに教壇に立ったときに、やはり非常に明るい希望を持ったし、勇気も持ったし、情熱も持ってやれましたね。したがって、教育の質が変わってきていると思うんですよ。すぐ道徳教育がどうとかこうとか言いますけれども、それは昔の教育勅語だから道徳教育があって、いまは学校で教えないから、道徳教育を直接しないから、子供の道徳はどうでもいいんだと、そんなことを考えている人はだれもいないのであって、そういう教育観というものをもう少し大事にしっかり考えてもらわなければ誤まる。だからいまの大学問題も、現象ばかり言っている。このゲバ棒をつかまえて、そして暴力暴力、確かに暴力は悪い、それは認めません。認めませんけれども、なぜこうなってきたか。
 そこで大臣にお尋ねしますが、先般あなたは、いまの教育というものはもう知識偏重の教育であって、そうして情操教育というものに欠けておると、マル・バツ式の教育であって、そこに今日の大学の問題を起こした根源があると、それも一つの理由であるということを大臣はおっしゃいました。そこで私お尋ねするんですが、そういう情操教育をだんだん軽んじてきておる、そうしてマル・バツのその教育を学校がしなければならなくなってきた一体責任はどこにあるか。そういうような風潮をつくることに大いに文部省は努力してきたんじゃないですか。ちょっとこれは言い過ぎかもしれないけれども、私はそう思うんです。大臣がそうおっしゃるんですからそういう風潮をつくる。文部省やらせませんでしたか。文部省のいままでの教育行政の方向というのは、そういうものができるようなことをやってきたんじゃないですか。それをちょっとお尋ねしたい。
#180
○国務大臣(坂田道太君) なかなかそこら辺はむずかしいところなんですけれども、終戦になって民主主義というものが取り入れられてきた、新憲法のもとで。ですけれども、どうも制度や法律は、いかにも新しい制度ができ、民主主義的立法も数多くなされたんですけれども、それを運用するのはやはり人でございますから、その人そのものがやはり民主主義的なものの考え方というものを持たなければ、そういうような意識を持たなければなかなかそればうまくまいらないわけであります。大学制度にしましても、旧帝国大学の考え方、意識は残っていて、そして頭はそうなんだけれども、土台はむしろアメリカの開放型の教育制度が取り入れられたというところで、なかなか機能しないということ、それから、大学設置委員会等のいろいろの設置基準等もございますけれども、これが国公私立を通じてやはり行なわれるということで、非常に画一的になってしまった。もう少し私立大学は私立大学としましての個性ある大学というものができてよかったのではないか。国立大学にいたしましても、やはり設置基準等もございます関係もありますが、頭が頭でございますから、やはり地方の大学でもみんな東京や京都と同じような学部を持たなければ総合大学じゃないんだという、こういうような考え方があって、しかも指導、助言というような形しかわれわれは大学当局に望むことはできない。とすれば、やはり大学自体が社会に適応する大学をつくっていけといっても、その大学を構成しております、あるいは管理運営、教育研究に当っております教授の頭が、昔の帝国大学の管理運営というようなことになりますので、やっぱりそれはなかなかうまく社会の変化に対して対応できなくなってきてしまっておる。むしろ新制大学という形であれば、やはり国民のための大学でございます。万人のための大学でございますから、大衆のための大学でございますから、その大衆や国民の意思を反映するような管理運営、したがって、あの当時としても、商議会とか評議会とかいう中には大学以外の人たちが入るというような仕組みがなされなければならなかったのではないかというような点については、われわれは反省をいたしております。また教育のやり方等につきましても、どうも、私たち自身が率直に申しまして六・三・三・四というものがなじまなかった。一部の進歩的な人たちからいうならば、この制度こそ日本の新しい教育制度であるということを申された方々もあるわけでございます。でございますけれども、われわれとしてはどうも敗戦のショックもございましたろうし、あるいはまたこれに対して十分その意味とそれからしっかりした理念を持って、自信を持ってこれを懸命に育てるというところの努力ということを考えれば、多少やはり率直に言って反省せなければならないのではないか。ただ、結果としては、それはそれなりに、量的な意味における高等教育に農民の子供も、あるいは労働者の子供もどんどんいけるような仕組みになってきて、それが今日の経済発展の基礎をなしてきておる。それに引きかえ、ヨーロッパの教育制度というものは、一般的にいって、非常に閉鎖的な教育制度であるし、あるいはまだ身分制度が残っておるといっても過言ではないと思う。イギリスの場合でございましても、十一歳で分けてしまうというような制度はまさにそのあらわれであるというふうに思うわけであります。労働党内閣におきまして、パブリックスクール等を廃止しようという声もありますけれども、なかなか長い間育ってまいりましたその伝統を打ちこわすまでには至っていない。しかし、そのために高等教育機関に学ぶ数量というものが足りなくて、そして近代のいわゆる科学技術の進歩に対応できなくなってきておるということもまたこれは認めなければならないので、われわれの重点というのは、確かに量の拡大はできた。しかし、もう少し質に重きを置いていかなければならないということははっきり出てくるのじゃなかろうか。あるいはまた指導要領等につきましても、やはり現場の先生方の自由裁量の道を開くという方向に進まなければならないということも考えなければならないのじゃないか。あまりにも画一的に、一人の人間に対して数学もあるいはまた英語も物理も化学も何もかにもということを強制するというようなやり方はいかがかということで、今度高等学校の教育課程の改善ということもいま進めておるようなわけでございまして、やはりこれからは質的なものに転換をしていく、充実をしていくということがわれわれの方向かと考えるわけでございます。なるべくやはり画一性というものじゃなくて、生徒たちの能力に応じ、適性に応じ、あるいは年令に応じた多様性というものをくみ取るような制度、そういうものを取り上げていくということがこれからの方向ではなかろうかというふうに考えておるわけでございます。
#181
○川村清君 時間がないようですからもうやめますけれども、いま大臣がおっしゃっておるようなことは、これからの教育でなくてこれはこの新しい教育、六・三・三教育はそういう理念でできたのですよ。それをやろうともう全国の先生方は一生懸命努力したんですよ。それが最初のうちはそういう方向に進んだけれども、それが停滞したり停滞だけでなくて今度は逆行して昔の教育にだんだん返りつつある。前向きじゃないのですよ。一体そういうふうにしたのは、そういうふうな力を与えたものは何かというと私は文部省だということを指摘したいのですよ。これは大学の卒業生のことを盛んに大臣はおっしゃっておりますが、私は大学入っていませんから大学わかりませんが、しかし、ものの本を読むというと、ドイツの大学の卒業生に対して、社会は、あれは大学を出たけれども何を知っているか、こういうふうに聞くというのです。イギリスでは、大学を出てくると、社会は、一体あれは大学を出てきたが何ができるか、こう聞くというのですね。ところが日本の社会は大学卒業生に対して何を聞くか、あれはどこの大学を出てきたか。または人間の評価が、あれは大学卒業生である、あるいは高校だけか中学だけの卒業生か、これでもって人間を評価してしまう。実力の評価でなくて、どこの学校を出たかというその学歴によって評価して、それで官庁に入っても会社に入ってもどこの職場に入っても、その人間の一生が一体どこまで昇進できるかということがきめられる、こういう社会の仕組みになっているのでしょう。そこに問題があるので、そういうものをやはり間違いだと言ってそれを是正していくために努力するのが、文部省が中心となっての政府の政治でなければならないと私は考える。それが今日まで全然やってきてないでしょう。あなた方はうまいこと言うが、一体それじゃあ聞きたいのですが、先生をどう評価します。あの先生はいい先生だ、この先生は悪い先生だ、何で評価します。この学校はいい学校だ、この学校は悪い学校だ、何で評価します。あるいは東京の日比谷高校は何であれは有名なんですか、それは東京大学に入学率がいいからいい学校だというふうに評価されているんでしょう。ですから、私が北海道から東京に出て来て聞いて驚いたのですが、こんな世界に出る前ですが、東京ではうちの息子は東京大学をぜひ出したい、東京大学を出すためには高等学校は日比谷高校でなければならない、日比谷高校に上げるためにはどこどこの中学でなければならない。その中学に上げるためにはどこどこの小学校でなければならない。その小学校に上げるためにはどこどこの幼稚園に上げなければならないと逆算してくるというじゃないですか。そうして今度は寄留するだけでなく、その子供を上げれる学区に養子にやって戸籍まで直して、そうして幼稚園から小学校に上げるために努力するというじゃないですか。こういうばかげた世の中をつくってきた。ですから最初、終戦直後何年間は私も中学校の教師をやった経験がありますが、生徒会活動なんというものにつきましては、これはみんな生徒は一生懸命やった。高校も同じでしたよ。その生徒会活動をみなやることによって子供の個性は非常に伸長されますよ。そういう活動を通じて、その友だち同士が一緒に仲よく助け合う、協調するという、そういうものも自然に養われる。何も道徳教育、修身教育をやらなくても、そういう日常活動を通じてそういう道徳の芽が養われる。ところがだんだんやっていくうちに、中学校の三年になったら生徒会活動も、こんな役員になる者はだれもいなくなる。高校になったら高校の一年生くらいでしょう、そんなことをやるのは。二年、三年はやらない、何をやっているか、勉強だけ。なぜガリ勉やるかというと、みな上級学校ですよ。そこであなた方は学力テストというのをやった。学力テストやって点数いい学校はいい学校と評価したでしょう、いままで。そうすると、文部省、教育委員会から高く評価されたいと思うから一生懸命先生方はマル・バツを教えたわけです。だから高い理想を掲げて情熱を持った教育が全くいま形骸化されている。それを一生懸命やる先生は、あれはろくでない先生とあなた方は評価するわけですよ。ここに問題がある。こういうものの集積が今日の大学問題を惹起しておるということを反省していただきたいのですよ。時間がありませんからこのくらいでやめておきますが、ひとつ大臣十分考えてください。それに対してお考えがあれば述べていただきたいし、それから私は僻地教育のことをきょうお尋ねすることになって来たのですが、時間が過ぎましたから、この次にまた何かの機会に僻地教育のことを、せっかく局長さんお出になって恐縮ですが、この次に延ばさしてください。大臣の答えを聞いて終わります。
#182
○国務大臣(坂田道太君) 御指摘の点、われわれも反省すべき点があると思うのでございます。ございますけれども、私たちが望みたいことは、現場の先生方がやはり何といいますか、自主的に、そして信念を持ってやはり子供の教育に当たっていただかなければならないというふうに思うわけです。行政制度としては非常に地方分権的な制度になっております。もし先生方が非常な自主性を持っておやりになるならば、相当いままでの教育の欠陥を、御指摘になったような点も私は弊害は除去されるというふうに思うわけでありまして、私が申し上げておりますことは、行政に当たる者も反省をするが、同時に、実際に生徒たちと毎日顔を合わせておられる先生方も、ひとつお考えをいただきたいと、かように思うわけであります。
#183
○小笠原貞子君 北大教育学部長の発令が延びているという問題についてお伺いしたいと思います。
 きょうは二十五日で、たしか北大の卒業式だと思うのです。きょうの卒業式までに何とかこの人事の問題を解決して、卒業証書や就職証明書に学部長事務取扱ではなくて、学部長の名前で出したいと教授も非常に心配していらっしゃったし、また当時者である学生もそれを非常に望んでいたわけですが、きょうまでの段階では、ついにまだ発令されていないというふうに思われますが、いままでの例ですと、上申書が出されまして、二週間前後で大体の場合には発令されておる。ところが北大当局が上申書を出したのが、二月十七日に航空便で出したということになりますと、一ヵ月以上の時間がたっているわけですけれども、一体何が原因で発令されていないのか、その原因について簡単にお答えをいただきたいと思います。
#184
○政府委員(村山松雄君) 北海道大学の教育学部の学部長の任用の上申につきましては、その書類が来るころに、――これは新聞報道によりまして承知したわけでありますけれども、教授会の規定を改正して、教授会で選考する前提といたしまして、教授会の構成員のほかに事務職員等まで含めまして、候補者三名を推薦させ、その三名につきまして今度は学生の投票を求めて、学生側が過半数の反対をした者につきましては候補者からはずして、はずした者について教授会で選考するというような規定をつくって、それに基づいて選考が行なわれたということがございましたので、その間の事情につきまして大学に照会をし、その結果を見ましてから判断をいたしたい、こういうことで処理がおくれておるわけであります。
#185
○小笠原貞子君 それでは、その一つの原因になっているのは、選考の過程に学生が参加しているというところが一つの考えなければならない問題だと、そういうふうなことから発令が引き延ばされているというふうにおっしゃったわけですけれども、それではお伺いいたしますけれども、ほかの学校で学生がこういうような形で参加して行なわれているというようなところが全くないのかどうか、またあるのかどうか、その辺をお伺いしたいと思います。
#186
○政府委員(村山松雄君) 学部長の選考につきましては、ないと承知しております。
#187
○小笠原貞子君 私どもで聞いたところでは、たとえば一橋大学で、昭和二十五年ごろからずっと今日まで行なわれている。それは第一次の場合に、職員も教官と同じように候補者推薦委員会になる、選挙権を与えられている、その推薦委員会で選考した候補者について全学生が投票をして、その投票がいわゆる三分の二以上をもって候補者として推薦して、そしてそれを推薦を受けた教授会で、第三段階で学長を選んでいくと、こういうような形が、もうすでに昭和二十五年の十一月以降、ずっととられているということがあると思うのですけれども、それはどうなんですか。
#188
○政府委員(村山松雄君) 一橋大学の学長の選考の段階で、ある程度の学生の意思表示が関係することは事実でございますが、これは文部省としては当時から望ましいこととは実は考えておりませんので、その旨一橋大学にも申し上げておるわけでありますが、一橋大学としては、これは単に学長選考を教授会が行なう場合の参考であって、教授会の議を必ずしも拘束するものではないというような御説明もございまして、望ましくはないが、絶対に文部省で拒否するほどの事由にはならないのではなかろうかというような配慮のもとに、そういう関係もあって、選考された学長についての任命が行なわれているというぐあいに承知しております。北海道大学の場合とはまたこまかい点においてかなりの相違があるようでございます。
#189
○小笠原貞子君 北海道大学とこまかい点について違うというのは、具体的にどこが違うのですか。
#190
○政府委員(村山松雄君) それがよくわかりませんものですから、目下調査をいたしているのであります。
#191
○小笠原貞子君 教育公務員特例法の第四条、もう御承知だと思いますけれども、学部長の選考について「当該学部の教授会の議に基き、」と明記されているのであって、この学生が参加したというのは、教授会を拘束するものではなくて、いわゆる教授会の議に基づくその過程において、学生の意見を聞く、そういう過程の問題になっていると思うのです。それは大学自身の問題だというふうに考えられるわけです。文部省として、こういうような過程でもって意見を聞こうというふうな形で、この内規というものが改正されて出てきたわけですね。内規そのもののというのは決してだれかがつくって押しつけて、教授会のほうが拘束されたのではなくて、教授会自身がこの内規をつくっているわけなんです。教授会自身がつくっている。しかもその選考する過程においては、教授会自身の最終的な意思というものは、何ら拘束されていないわけでしょう。そうしたらそれが問題になるということについて非常に文部省としてはこれは越権行為ではないか、こういう権限が一体どこにあるのかというふうに考えたのですけれども、大臣はどうお考えですか。
#192
○国務大臣(坂田道太君) その辺がやはりもう少し具体的にお聞きしないと実は判断できないと思っているのです。まあ新聞等の報道によりますと、アンケートを求めた、そうしますとそれはやはり思想上の問題を学生が点検するということです。そうすると学問の自由、しかもその結果として教授の身分というものが保障されている教授というものは研究あるいはその任命等については何人によっても侵されないという強い慣行が樹立されていると思う。そういうことはどういうことかと言えば、お互いの同じ歴史学なら歴史学をやっている教授にしましても、ほかの立場をとった教授からも独立して自由が保障されているということでありますから、教えている学生からも同時にその学問研究の自由あるいはそれに伴う身分というものが保障されている、こういうことが私はやはり大学自身かと思うのであります。ところがそれがいわば安保条約に賛成するのか、反対するのかとか、あるいはどうだ、こうだといったようなアンケートを、あらかじめ用意して、そうして、そういうようなことに基づいてこの学生が参加をするということがもし事実であるとすれば、実質的に教授の自由あるいは身分保障というところに迫る問題じゃないかというふうに考えるわけです。その点はひとつちょっと事実を明らかにしていただかぬことにはいいとか悪いとかということは言えないんじゃないかというふうに私は考えて、実は照会をいたしておるところでございます。
#193
○小笠原貞子君 それではお伺いしたいんですけれども、いままで北大の学部長選挙というような形というのは、第一段階で事務職員、用務員の人たちの意向を反映させるという形で全員の投票を求めたわけです。そうしてその全員投票の中から最多数を三名選んで、そしてその三名を次期学部長候補者として教授会に推薦する。教授会はこれを受けて推薦された候補者の中から次期学部長を選考する。これは教育学部に限らず、北大の場合は多くの学部で行なわれていた。従来はこうでした。今度それがどういうふうに変わったかといいますと、これは北海道大学教育学部教授会の内規というものが一月の二十四日に一部改正されているわけです。ここの中で、第一段階の教職員全員の推薦と第二段階の教授会の選考との間に、学生、大学院生による信任投票を設け、学生、大学院生の意向を民主的に反映させることを意図したものであります。すなわち、教職員の全員投票による得票第一位から第三位までの教授三名について教育学部学生、教育学研究科大学院生による信任投票を行ないますと、こういうふうに言っているわけですね。そうすると、まだこれがよくわからないと先ほどお答えになったわけですが、これは北大の教育学部の教授会が発表していることなので、いま言ったことがこれがほんとうの教授会の発表で、この選考の過程というものは出ているわけなんです。こういう北大でやられておりますやり方と、それから先ほど言いました一橋大学で行なわれている、昭和二十五年からずっと行なわれているやり方と、どこを差別されて今度の場合は問題だとおっしゃるんでしょうか。具体的な点をお伺いしたいと思います。
#194
○政府委員(村山松雄君) 北大の場合の具体的な細部の点が不明でありますので、現時点でこまかく比較することはできないわけでありまして、その意味で北大に照会をしておるわけであります。
#195
○小笠原貞子君 細部の点といっても、選挙のやり方に学生が参加したということが問題だとおっしゃったわけですね。そうして、これが北大の教育学部の教授会で出されているわけなんです。これから判断しなくて、いま私が言ったことで――私が言ったんじゃなくて、教育学部でちゃんとこれを発表しているわけですから、こういうやり方でやっているんだというこの段階ですね、ここの事実と、いままでやられてきた一橋大学とのこの差はどこにあるのかと伺っているわけなんです。これが基本的な選挙の過程のやり方なんですから、このほかに別なやり方をやってないわけです。これは教育学部の教授会が出しているわけですから、これを私が言っているわけですから、私の言ってることが信用できないとおっしゃられればそれまでですけれども、これに書かれているやり方と、一橋大学で二十五年以来ずっとやられているやり方、どこを区別して今度の場合は問題だとおっしゃるのかということを伺っているんです。
#196
○政府委員(村山松雄君) 教育公務員の人事は教育公務員特例法に定める基準、手続に従って行なわれなければならないわけでありまして、各大学から文部省に人事の上申がある場合には、教育公務員特例法の所定の手続を経たものであると、その手続の内容の概要を付して上申があるわけであります。そこで、北大の場合には新しいやり方をされたという報道がございましたので、そのやり方の内容につきまして照会しておるわけでありまして、新しい教育学部の規定、手続等につきましてまだ文部省に届いておらないわけであります。いろいろ報道もされておりますので、大体のことは承知しておりますが、正式に判断いたしますには、やはり大学当事者の御報告、御説明を承った上でやりたい、こう考えておるわけでありまして、そこで、現時点では北海道大学の教育学部の学部長選考については詳細が不明であるからいいとも悪いとも言えないし、他と比較することはできないと申し上げている次第でございます。
#197
○小笠原貞子君 さっきと同じお答えなんですが、まだ調査も、それでおわかりにならないとおっしゃるのはわかるのです。まだ調査の結果がきてない、だから私のほうの手に入った教授会でちゃんと言っている、これをいま言っているわけなんです。だから、じゃ私の言っているこの内容というのが信用できないということなんですか。
#198
○政府委員(村山松雄君) 別に信用するしないの問題ではないと思います。
#199
○小笠原貞子君 それじゃ何ですか、教授会はこういうふうにやったと言っている。この段階でこう言っている、やり方について。私は一橋大学の例と違ってないと、こう判断するのです。いま私が言ったこのやり方、一橋大学と違っておりますか。
#200
○政府委員(村山松雄君) ちょっと判断つきかねます。
#201
○小笠原貞子君 これだけ問題になっているのに、いままで調査がここまでなされない。私のほうがしろうとですけれども、一生懸命調べれば調べられたし、聞くことができたわけです。おたくのほうはその担当で心配なさらなければならないところが知らないと、知らなければ知らないでいいです、忙しいから。
#202
○国務大臣(坂田道太君) こないから。
#203
○小笠原貞子君 こないから、だから私こないといけないからお知らせしたのです。それでどうだと言うとわからないと言うのです。非常に簡単な中身がわからないと言われることが、これははっきりした相違点がないからちょっとわからないようです。はっきりした相違点があれば、一度お聞きになればいいかどうかすぐわかると思うのです。それがおわかりにならないというのは、一橋大学で二十五年以来やられている学生さんのやり方と、今度北大がやったことがそんなにたいへんな違いがあってこれが問題になるというようなことではないと判断せざるを得ないわけです、私といたしましては。それからまた、その次に続けておっしゃいましたね、これは教育公務員特例法によって云々と、このやり方が教育公務員特例法に照らしてみてこれが不備であるかどうか、違法性があるかどうかという点についても、ここに一つの問題があると思うのです。これは当然学部長の選考については「当該学部の教授会の議に基き」第四条ですが、行なわれることになっているわけです。今回の教育学部の場合においても、選考は教授会の議によって行なわれているわけです。教授会の議によって選考が最終的にやられているわけです。学生、大学院生、職員が学部長の選考そのものに参加しているわけではないです。選考そのものに参加しているわけではないので、この特例法の規定に照らしても何らの矛盾がないというふうに言われるわけです。これらの方法というのは、あくまでも学部長が選考される過程です。そのプロセスの中に学生、大学院生の意向も反映させると、学部全構成員の総意で学部長が選ばれるようにという非常に配慮された、しかも、非常に全学的な意向を反映させるという民主的なやり方をとって、しかも教授会を拘束するものではないわけですね。そうすると、このやり方についてこれは発令を延ばす、そういう原因にはならないというふうに言わなければならないと思うわけです。いかがですか。C政府委員(村山松雄君) 教育公務員特例法は、第一条にありますように、「教育公務員の職務とその責任の特殊性に基き、教育公務員の任免、分限、懲戒、服務及び研修について」の特例を規定しておるわけであります。そこで、教育公務員特例法に従いまして、一般国家公務員と違う処置をするのは、特例法に定める教育公務員の間で、その職務の専門的特殊性に着目してなされるわけでありますから、教育公務員でないものが、この教育公務員特例法の一般国家公務員とは違った特例的な扱いに参画することは望ましくないというのが、この法律の精神であるというぐあいに従来解釈され、運用されてまいっております。したがって、学長なり学部長なり教員などを大学が自主的に選考いたします場合でも、その選考に参画する者は、それぞれの職務の特性に応じまして、教育公務員の範囲で参画するのがたてまえでございます。教育公務員でない事務職員が参画したり、それから学生が参画したりすることは望ましくないというぐあいに解され、また運用されておるわけであります。現在、従来の大学のあり方、したがって、場合によっては教育公務員特例法などにつきましても、改善すべき点があれば改善するという議論が起こっておることは御承知のとおりでありますが、新しい扱い方はその議論が結着して新しいやはり諸措置を講じた上でなさるべきでありまして、それ以前に大学がそれぞれ独自の判断で教育公務員以外の者が教育公務員の人事に参画するような新例を開くことは望ましくない、かように考えておる次第でございます。
#204
○小笠原貞子君 それでは、次にお伺いいたしますけれども、じゃあ具体的に言いまして、学長を選挙するときに、大学院生や学生や――まあ教授だけで大学というものは成り立つわけじゃなくて、相手の学生があり、そうして研究者があり、それを準備して大学を運営する職員もある。大学というのは教授だけで構成されているものじゃないと思う。その大学というものが民主的に効果的に学術研究の場で、教育の場で非常にいい成果をあげようとするならば その学部長という責任ある者がいろいろな人の意見を聞いて、そうしてその任に当たるのが当然だと思う。そういう意味で、この教育公務員特例法をいまいろいろ云々されましたけれども、ここで問題になるのは選考の過程で学生や何かが入っていったんであって、選考の過程ですよ、あくまで。その段階で意見を反映させるというところに入っていったんであって、その決定というものに参加しているのではない。いまのお話ですと、そういう学生だとか、いろいろな職員だとかが意見を反映していくという、そういうこともいけないと、これはまずいのだと、そういうふうにお考えになるわけですか。
#205
○政府委員(村山松雄君) 現在の教育公務員特例法のたてまえからまいりますと、選考の過程で教育公務員以外の者が権限的に参画することは望ましくないと考え、そのように運用されております。権限的にでなくて、学生の意向を徴して教育公務員のほうがそれを体して動くというようなことであれば問題は別であろうかと思います。
#206
○小笠原貞子君 それでは、いまおっしゃったように、これも結局反映させるというところは過程で反映させるということですから、権限的に入っているというわけにはならないわけですから、じゃあこの北大の場合には問題はないということになるのじゃないですか。
#207
○政府委員(村山松雄君) そこら辺をよく当事者の御説明を聞かないと判断つきかねるわけでありますが、私どもがよそから伝え聞いた新しい規定に関する限りにおいては、選考過程にどうも権限的に関与しているんではなかろうかという感じを持っておりますので、望ましくないという言い方を再三いたしておる次第でございます。
#208
○小笠原貞子君 権限的に関与していないということが事実になれば、これは原因とはならないわけですね――文部大臣ははいとおっしゃった、頭を下げて……。
 私の言ったことどうですか。権限的に関与してないということが事実であればこれは問題にならない……。
#209
○国務大臣(坂田道太君) その辺が問題で、権限的にやっておるか、やってないかということは、やはり事実の照会に対して、正式のルートで、任免権者の私のほうに正式の文書でお答えいただきたいし、小笠原さんが御提出になったようなしろものも私の方面に当然まいって、それをつぶさに聞いて私としては判断をいたしたいと思います、大事な問題ですから。
#210
○小笠原貞子君 それから、ただいま五分というのをいただいたのですけれども……。
#211
○委員長(久保勘一君) どうぞ質問を続行してください。
#212
○小笠原貞子君 途中で切らないでください。きょうは私が最後ですから、大臣も、すみませんが、ちょっとおつきあいしていただきたいと思います。
 次に、大臣、先ほどアンケートの問題を一つの問題として出されていたわけですけれども、このアンケートという問題もいま教育学部で始まったことではなくて、北大においては十年近く民主的な慣行としてやられているわけなんですね。そうなんですよ。それで、たとえば昨年十一月に行なわれました理学部の学部長選挙でもやっぱり今回と同じようなアンケートを行なってやったわけなんです。そのときには、文部省は従来どおり二週間後の十一月二十五日に発令していらっしゃるわけなんですね。だから、このアンケートの問題を問題になさるのならば、今回が初めて出たのじゃないから、この前そういう内容のアンケートが出されたときに問題にされなければならなかった。そうすると、そのアンケートが今度なぜ問題になったかということが問題点になると思うのです。そのアンケートについてもこういうふうな考え方で出しているわけなんですね。これは十年間余り行なわれてきた民主的な慣行です。学部長選挙に対しての推薦や信任投票は、単なるうわさや伝言やそういうものでやる人気投票とは違うのです。国会議員や日本学術会議会員の選挙の際の選挙公報と同じように、学部長選挙においても客観的な資料に基づいて行なわれることが必要だ。こういう考え方からアンケートというものが出されてきたんだということになれば、これは当然だと思うのですよ。外から見てあの先生はいいとか悪いとかということじゃなくて、やっぱりいろいろ選挙公報が出されるように、そういう立場でアンケートを出したということになれば、これはまた問題にはならないのじゃないか。しかも、十年前からやっていたことだし、理学部の場合にもそれをやって、そうして発令はちゃんと二週間後に出されていたということになれば、今度これだけまた特別問題になるというような問題ではないと思うのですけれども、 その辺はどうなんでしょうか。
#213
○政府委員(村山松雄君) まあ選挙の場合のお話が出ましたが、立候補制の多数の選挙人から選ばれるところの選挙の場合と、それから学部長の選挙のような場合とはきわめて性質を異にすると思います。国会議員にいたしましても、それからまた学術会議にいたしましても、これはまあ立候補制でありますし、関係者が多数おりますから、一般に選挙人が立候補者の識見抱負について何か明示されるものがなければ承知しないのが通例でございます。そこにおいて、たとえば識見を語るとか、あるいはアンケートを出すとかというようなことも、場合によってはあってしかるべきだと思いますが、大学の学部長の場合には、本来特例法第四条の規定をすなおに読めば、学部長だけは別に何らの基準がなくてずばり、「当該学部の教授会の議に基き」と書いてあります。学長につきましても、法律に基準の一部がありまして、「大学管理機関の定める基準により」選考されることになりますし、それから教員及び学部長以外の部局長につきましても、やはりまずもって基準をつくって基準に基づいて選考が行なわれます。学部長については、そういうことがなくて、ずばり「当該学部の教授会の議に基き」きめられます。これは元来が学部教授会というお互いにもう識見能力等について知り合った間柄で互選をするということに基づくものと考えられます。そこで、そういう性格の学部長選挙について他人行儀のアンケートを出すとかなんとかということは、そもそもあまり望ましくないのではなかろうかということからいたしまして、どんなアンケートをやったんだろうか、一体それは必要なんだろうか、あるいは人権を拘束するようなことはなかったろうかということも調べた上で判断をしたいという意味で照会をいたしておる次第でございます。
#214
○小笠原貞子君 望ましくないというそちらの立場でのお考えはわかりました。それならば、そういう望ましくないことがすでに十年北大でやられておるわけです。そういう望ましくないとおたくで判断されるだろうその学生参加も二十五年から一橋でやられているわけです。そういうことに対していままで何ら調査されていないわけでございますよね。そしていまになってこれが問題になるというところを私は問題としたいわけなんでございます。そして続いて言いますと、このアンケートも特定の候補者に送ったんではなくて、全教官に送っているわけです。そして教授会自身が言っていることは、この教授会は学部内の二つの団体から出されたアンケートについては積極的に、自発的に書いている。押しつけられて書いたんじゃないですね。教授会自身が、自発的に教授が出しているんだと、こういう点から見ても、どう御答弁なさろうとも、いままで望ましくないといわれていたのに十年間放置されており、一橋大学、二十五年からやられているこれが放置されていて、いまのこの段階になってこれが問題だと、調べなければならないと、なぜ十年前、二十五年からやられているときにお調べにならなかったんですか。いまになってこれを問題にして調べられるというのは一体どういう根拠があって、どういう考え方でなさったのか、ここを伺いたいわけなんです。
#215
○政府委員(村山松雄君) 七十五もある国立大学で、また各部局に分かれておるものの運営の実態について、文部省としては常に承知しており、望ましくない点があれば指導、助言によって是正につとめる責務があるわけでございまして、その点につきまして行き届きませんでした点につきましてはおわびをしなければなりませんが、北海道大学の場合には、たまたま外部から報道機関による報道もあり、それから国会等による御指摘もあり、従来の怠慢はこの際改めることといたしまして、よく調べてこれから善処いたしたいと、かように考えておるわけでございます。
#216
○小笠原貞子君 誤解されたら困るんです。どんどん調査やれといって、私奨励しておるわけじゃないんですから、いままでしなくていまになってこれをやったのはどうか、こういうことなんで、一生懸命小笠原から言われたからこれをやるなんということは全く逆なんですから、その点はっきりさせておいていただきたいと思います。時間ありませんし、次に進みますけれども、この調査というものをお出しになりましたね、この調査に応じなければ、向こうが応じません場合には、この学部長の発令というのはずっと応じない段階では引き延ばされると、こういうことになるわけですか。大臣、いかがですか。
#217
○国務大臣(坂田道太君) 大学のほうも、良識のある人たちですから、何らかの依頼がある。小笠原さんにいっているようなものが私にこないということもなかろうと思いますし、そういうようなアンケートの内容を十分承知した上で判断をいたしたいと考えております。
#218
○小笠原貞子君 しばらくはこのまんまで、発令はしないと、こういうことなんですね。調査結果によって、調査するというのは発令するかしないかという段階での調査でございますね。そうすると、その調査結果で拒否すると、最終的な権限でと、何度もおっしゃっていましたけれども、それで拒否するということもあるわけですか。
#219
○国務大臣(坂田道太君) その辺はまだ拒否するとか何とかいうようなことばを用いないほうがいいんじゃないかと考えております。
#220
○小笠原貞子君 ことばじゃなくて、結局発令するかどうかというための調査なわけですね。もう発令するつもりだったら調査しなくていいわけですわ。調査は、別の段階での調査としても発令するかどうかというところで調査があるわけでしょう。そうすると、この調査結果によって拒否するというのがあるかどうかというのはやっぱりどうなんですか。
#221
○国務大臣(坂田道太君) それはやっぱり現物を見てみないことには判断ができないと思っております。
#222
○小笠原貞子君 現物について、現物を見てそれで悪かったら、大臣の権限でこれはまずいということになれば拒否するわけですね。
#223
○国務大臣(坂田道太君) 私はまだ拒否するとか、あるいは拒否しないということは、現在の段階で言わないほうがいいと思っております。
#224
○小笠原貞子君 いままで拒否されるというようなことが具体的にはないということだと思うんですけれども、拒否されるというような場合は、一体どういう具体的な場合に拒否されるというな事実が起こってくるわけですか。
#225
○国務大臣(坂田道太君) 非常にそっけないお答えで申しわけございませんけれども、やはりこういうものは、具体的に小笠原さんに入っているような資料が私の手元にこないということもいかがかと思うわけでございまして、そういう大っぴらなものならば早く私のところにもそういう資料を送っていただいたほうが処理がしやすいということでございます。
#226
○小笠原貞子君 北大へ正式に調査を依頼なすったのはいつなんですか。
#227
○政府委員(村山松雄君) 文書としては三月十四日付で照会いたしております。
#228
○小笠原貞子君 北大から上申書が来てるのは、向こうは二月十七日に航空便で出したというふうに言ってるんですけれども、こちらにはその程度で着いてるわけですか。
#229
○政府委員(安嶋彌君) 上申書が着きましたのは二月の二十日ごろと聞いております。
#230
○小笠原貞子君 それじゃ二月の二十日ごろ着いて、そして三月十四日にお出しになったわけですね。ちょっとその間時間あり過ぎますね。どうなんですか、その間。その間何にもなさらなかったわけですか。
#231
○政府委員(安嶋彌君) その間、先ほど来大学局長からも申し上げておりますようないろいろな事情は事務当局から聴取をいたしておりますが、しかし事務当局も、事務当局と申しましてもこの場合本部の事務当局でございます。北大の本部の事務当局でございますが、北大の本部の事務当局も、教育学部の事務当局と申しますか、事務室のほうから、必ずしも正確な、あるいは十分な説明を受けていないような事情もあったようでございまして、私どもはその説明では十分納得しがたかったということと、もう一つは、ただ単なる口頭説明だけではなくて、事柄が非常に重要なことでもございますので、文書でこれを報告願いたい、こういうこと、こういう作業がその間にあったわけでございます。
#232
○小笠原貞子君 いろいろ作業が行なわれているというふうにおっしゃっていますけどもね、事実調べてみますとね、おたくのほうでは電話一本庶務課長に、選挙日程についての簡単な問い合わせがあっただけだと、こういうことに向こうは言っているわけなんですね。時間がありませんからけっこうですけれども、調査調査ということで非常にこれが問題になっているのに、電話一本で向こうに選挙日程はどうなんだと簡単なことを言っておいて、三月十四日まで長い非常に貴重な時間引き延ばされてきたということは事実だと思うんです。
 その次に、調査なさった内容というのはこれですか。このむずかしい文人審第五十一号、三月十四日、大臣官房安嶋さんと村山大学学術局長と、これございますね、調査として。
#233
○政府委員(安嶋彌君) 電話一本云々というお話でございますが、それはどういう事実をさすのか私どもわかりかねますが。私どもは電話で照会したこともあるかと思いますが、大学事務当局との行き来もございますので、直接に庶務部長等からも人事課長が事情の聴取はいたしております。なお、照会した文書はこれかというお話でございますが、文書の番号はただいまおっしゃいましたとおり文人審第五十一号という書類でございます。
#234
○委員長(久保勘一君) 速記をとめて。
  〔速記中止〕
#235
○委員長(久保勘一君) 速記を起こして。
#236
○小笠原貞子君 そうしますと、先ほど大臣のおっしゃった中に、小笠原さんのほうに手に入るのにというようなことがあったと思うんですけれども、大学側として見れば、大学の人事というものは、教授会が自主的に責任をもって、法律上からいっても問題なくこれがやってたわけですよね、それに対して文部省側から非常な政治的な圧力と見られるような発言が方々であったり、またこういう調査というような形で公式張ってやられてくれば、これは当然向こうとしても、こういうものを突きつけられればちょっとこれ、かまえるようになっちゃうと思うんですよ。で、またこの内容が問題だと思うんですよね。この内容を見ますと、特に1、2、3、4、とありますけれども、四番のところにこういうのがございますね、「教育学部運営協議会について」「協議会設置の経緯、教育学部運営協議会内規の内容、これが運用についての申し合わせ事項等があればその内容、学生自治会、」ここから問題だと思うのですよ。「学生自治会、職員組合等これに参加する組織の性格内容、(これらの組織の規模、加入者数を含む。)等、協議会に対する付議事項(今回の学部長選挙に際し協議した事実の有無及びその結果を含む。)教授会との関係など。」こういう内容ですね。これは逆に言わせれば文部省側が完全に思想調査の形ですよね。こういう形で出されている、この内容がまず問題だと思うのです。こういう内容を調査するということと、今度の学部長の選挙の問題、選挙のやり方がどういうふうに法的に違法になるのかという問題とどういう関係があるかということを伺いたいわけなんですよ。まあ時間を制限されましたので、そこのところをはっきりひとつお答えいただきたいですね。こういう内容ですね、自治会の性格だとか組織の何とかかんとかいうような、こういう内容がこの学長の選挙に当たってどういう関係があるのですか。次元が違う問題じゃないかということをはっきりさせたいわけです。非常に文部省としては権限を越えた調査というか――先ほどおっしゃいましたね、調査というのは権限がないのだと、その権限を越えた形で調査がどんどんやられる。その調査の内容もこういうような非常に次元の違った関係のない、それこそ思想調査のようなもので出されるというようなことが、非常に私は問題になると思う。その辺のところを、大臣からでもお答えいただきたいのですけれども、いままでのいろいろないきさつ、答弁を聞いてみますと、もう明らかに調査――まだこないからというふうにおっしゃってますけれども、事実からずっと見てみれば非常に不当な理由をつけて政治的な圧力をかけておられると見ても、これは事実そうだと思うのです。先ほど大臣おっしゃいましたね、人事問題は大学自治の根幹をなすものであると、こういうふうに先ほどもおっしゃいましたよ。そうすると、この北大と、先ほど時間がなくて九大のことは私は申し上げられませんでしたけれども、北大と九大におけるこの人事に対しての問題というのは、まさに大学自治の根幹に対して外部から圧力をかけている、そういうふうに言わざるを得ないじゃないですか。いままでの事実からいったって。外と比べて、よそと比べてみて違ったところ、出なかったでしょう。何年も前からやってるのにそれはほっといて、いまの段階になってポッと出すというようないろいろな問題、権限を越えたやり方というようなことに対して、私は非常にいまの大学紛争という問題が起きるのも、そういう文教政策ですよね、政府の文教政策、この反動性、こういうところから出てくるのだと、ほんとうに言わざるを得ないですよ。だから私といたしましては、わが党としても、この人事問題は、何といったって大学の教授会がそんなとんでもない人を選ぶなんていう、そういうことは考えられないでしょう。教授会自身にこれは権限として与えられていることですし、だからこういうことを考えてみれば、いままでのいきさつからみて早急にこの発令をしていただきたい、するのが当然ではないかというふうに考えるわけです。それで質問を終わります。
#237
○国務大臣(坂田道太君) 小笠原さんは、何かわれわれが思想調査をしているような――とんでもない話でありまして、これは実態調査、実態を明らかにしなければいけないということでございます。それから圧力をわれわれがかけていると、ちっとも私は大学自治を侵そうとは毛頭考えておりません。またその事実もございません。またその事実もなければ、圧力というようなことではなくて、教育公務員特例法が適正に運用されるように指導、助言をしているわけでございまして、これは私が国民に対して責任を負うものとして当然やらなければならないことだと思っておる次第でございます。
#238
○中村喜四郎君 時間がたいへんおそくなったので、私は二、三分で文部省に二つの点についてちょっとお尋ねしたいのですが、千葉大学の問題で、十七日に川喜田学長は文部省のほうに試験の結果を報告され、そうして十八日には学生に七時間半いわばかん詰になって、自己批判をさせられて、十六日の試験は不備であったので再試験をやりますと、それから自衛官の入学するというのには疑問があると、こういうことで、学生との確認書を取りかわしている。その後千葉大の短大の教授会では、試験は有効であったと、こういう決定をして、なお千葉大の評議会、教授会では、短大のほうの教授会の意向を尊重して、その試験は有効であって、白紙撤回をする必要はないと、こういう結論が出たわけです。そうすると、教授会、評議会の結論と、学長の考え方とは明らかにこれは矛盾しておるわけなんですが、二十七日たぶんこれ大学の入学試験の結果を発表することとなると思うのですが、大学局長から二十七日に発表されるのか、そうしてその場合に試験の有効無効の問題が起きやしないかと私たいへん懸念しているのですが、どんなふうになっているか、ちょっとお聞かせいただきたい。
#239
○政府委員(村山松雄君) 千葉大学工業短期大学部の入学試験につきましては、御指摘のような若干の出入りがございましたけれども、現段階では去る二十三日に行なった試験は有効であって、それに基づいて判定をしてやり直しはしないということに教授会、評議会きめております。で、それに対してさらにまた千葉大学卒業式があったわけでありますが、卒業式に出席された学長、それから短大主事、学生部長等々に対しまして短期大学部の学友会が何といいますかさらに方針の再変更を迫るというような状況もあったわけでありますが、その点については結論を得ないままに学長、短大主事、学生部長は疲労のため現在千葉大学病院に入院しております。その後入試は変更せずという方針をさらに変更するという連絡はまいっておりません。
#240
○中村喜四郎君 そうすると、学長さんは新聞紙上で見ると、体を張って職を賭しても試験をやり直しする、無効にするという、教授会は、短大の教授会のほうも評議会のほうも試験は有効であるという確認をして、文部省のほうにもそういってきているはずですが、その場合に、学長のいわゆる権限と、評議会、教授会との権限の問題がやがて私は二十七日にたとえば試験発表した場合に無効の訴訟やなんか起きる可能性も含んでいると思うのですが、それらの関係はいままでの調査ではどういうふうになっていますか、ちょっとお伺いしたい。
#241
○政府委員(村山松雄君) 学長は入院された関係もありまして、直接真意をただしておりません。文部省としては新聞報道等は参考にはいたしますけれども、直接の判断は学長、あるいは学部長、短大主事、事務局長といったようないわゆる大学当局から聴取の上で判断いたしたいと思いますし、指導、助言としては、適正に行なわれた試験が曲げられることのないように指導をいたすつもりでございます。
#242
○中村喜四郎君 時間がございませんからけっこうだと思います。私は学生の二十七日の発表後において問題が起きないよう、教授会、評議会等の意向を頭に入れつつ指導、助言を求められるときには明確な判断を与えてやる必要があるということを考えるのであります。
 それからもう一つ、十九日に各大学のほうに自衛官の問題について通達を出されましたが、その反応どうなっていますか。
#243
○政府委員(村山松雄君) 大学から直接の御意見等は別に寄せられておりませんが、新聞報道としては、東京新聞、読売新聞、それから産経新聞、毎日新聞等々自衛官の教育を受ける権利といいますか、そういうものを認めるのは当然であって、自衛官なるがゆえに、入試を拒否するというようなことは、現在の憲法、教育基本法のもとにあり得ないというぐあいに指摘しております。世論の支持も受けておることでありますし、大学も通達の線に沿って適正に入試を管理されることと考えております。
#244
○中村喜四郎君 憲法違反であり、教育基本法違反であるということは明確になっており、その趣旨に沿って各国公立の学校に指示をしておるわけですが、大学側が指示をしてもこれを受け入れないということの場合には、これは指導、助言がどうも効果がないわけでございますが、いまの制度の中では。したがって、今後十分この問題については適切にその趣旨が理解されるように協力されるように要望いたしまして質問を終わります。
#245
○委員長(久保勘一君) 本件に対する本日の質疑はこの程度にいたします。本日にこれにて散会いたします。
  午後五時十二分散会
     ―――――・―――――
ソース: 国立国会図書館
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