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#1
第061回国会 大蔵委員会 第30号
昭和四十四年七月十五日(火曜日)
   午前十一時八分開会
    ―――――――――――――
   委員の異動
 七月十四日
    辞任         補欠選任
     林田悠紀夫君     今  春聴君
     高田 浩運君     津島 文治君
 七月十五日
    辞任         補欠選任
     浅井  亨君     鈴木 一弘君
    ―――――――――――――
  出席者は左のとおり。
    委員長         丸茂 重貞君
    理 事
                青田源太郎君
                岩動 道行君
                戸田 菊雄君
                多田 省吾君
    委 員
                青木 一男君
                大竹平八郎君
                鬼丸 勝之君
                西田 信一君
                矢野  登君
                木村禧八郎君
                松井  誠君
                松本 賢一君
                横川 正市君
   国務大臣
       大 蔵 大 臣  福田 赳夫君
   政府委員
       大蔵政務次官   沢田 一精君
       大蔵省主税局長  吉國 二郎君
       国税庁長官    亀徳 正之君
   事務局側
       常任委員会専門
       員        坂入長太郎君
   説明員
       国税庁調査査察
       部長       大島 隆夫君
    ―――――――――――――
  本日の会議に付した案件
○国税通則法の一部を改正する法律案(内閣提出、
 衆議院送付)
    ―――――――――――――
#2
○委員長(丸茂重貞君) ただいまから大蔵委員会を開会いたします。
 まず、委員の異動について御報告いたします。
 昨七月十四日、林田悠紀夫君及び高田浩運君が委員を辞任され、その補欠として今春聴君及び津島文治君が選任されました。
 また、本日、浅井亨君が委員を辞任され、その補欠として鈴木一弘君が選任されました。
    ―――――――――――――
#3
○委員長(丸茂重貞君) 国税通則法の一部を改正する法律案を議題とし、質疑を行ないます。質疑のある方は、順次御発言願います。
#4
○松井誠君 私は主として法律的な疑問をただしたいと思うのでありますが、最初の二、三点は主として大臣にお尋ねをいたしたいと思います。
 この通則法の改正案を全体として見てみますと、たとえば、異議の申し立ての期間を延長したとか、あるいは更正の請求の期間を延長したとかというそれだけを切り離して考えても、問題なく納税者の利益になる、そういう改正が含まれておるとともに、新しい審判機関をつくったというこのことをどう評価をするかという問題が実はあるわけでありますが、私は、結論を言えば、新しい審査請求の機関、それはいろいろ言われておりますけれども、全然私らとしては評価をしない。そういうことで、何がしかの前進的な部面と一緒にそういう改正案が含まれて、一緒になってセットになって出ておるものですから、ちょっと困るのでありますけれども、先年災害対策基本法が制定されるときに、私はちょうど衆議院の地方行政の委員会におったんですが、あのときに法律の一部の中に戒厳令の布告を思わせるような個所があって、その第八章というのが問題になりまして、その国会ではその分だけ除いて審議をするということになったわけでありますが、そのことを思い出しまして、そういう故知にならうというか――その次の年に出てきまして、たいして変わりばえしなかったから、故知にならうというほどのこともないんですけれども、明らかに前進的な部分だけを審議して、いろいろ問題のある部分についてはこの次まで持ち越すというようなことができないものかどうか。のっけからたいへんぶしつけな質問でありますけれども、そういうことを実は思うのです。いままでの協議団の方式というのは、例の同じ穴のムジナ論がむしろ定説化してきたと思うのでありますが、しかし、それを今度酷評する向きにすれば同じ穴の大ムジナだと、大ムジナかどうかわかりませんけれども、とにかく同じ穴のムジナであることには間違いない。いろいろ言われますけれども、私は、その点については、あとで同僚の委員から具体的な質問があると思いますし、そのことに深く触れるのじゃありませんけれども、むしろ今度の審判機関というのは形の上ではあたかも何がしか相対的な独立性を持っておるかのような装いをこらしておるだけに、かえって協議団方式よりも罪が重いのじゃないかという気がするんです。協議団方式と今度の新しい機構というものとは、その実質において変わるところがないんじゃないか、実際の運営でも。なまじっかそういう新しい装いをこらしておるだけに罪が深い。もう一つ致命的なのは、いわゆる前置主義というのをそのまま存続したというそのこと、この二つのせめてどっちか一つでもわれわれの考えておるような考え方をとっておったならば、また評価は違ったと思うんですけれども、そういうことでわれわれは全くこれを評価しないわけです。そういうことでありますので、セットになって出ておるこれを分割して、例の災害対策基本法のときの審議のような故知にならうお考えはあるかないかということをまずお伺いしたい。
#5
○国務大臣(福田赳夫君) これは、一つの制度を創設をする、こういうことでありまして、この制度の中のいずれか一部を留保してあとへ回す、こういうことは許されない案件かと思うのです。まあこの制度全体がどうかというような御意見はあるいはあり得るかと思いますが、しかし、その一部の機能をどうするとか、一部の機構をどう停止するとか、そういうことはなかなかむずかしいのじゃあるまいか、さように考えます。松井さんの御意見によると、おそらく審判所を準司法機関的な独立性のあるものにしたらどうかというような点、それからまた前置主義をここで一歩改革するというような方向はどうだろうか、こういうようなことかと思いますが、準司法機関にするという考え方は、これは行政案件としての扱いのもとに納税者の企図するところを迅速に解決していこう、これがまた納税者の利益に大きく還元していく、そういうようなことを考えまして準司法機関的な立場をとらなかったわけであります。それからまた前置主義、これは行政案件全体を通ずる問題でございます。そういうようなことから前置主義というものはこれを堅持する、こういうたてまえをとっておるわけでございます。しかし、その二つの点につきましては、今後この制度をやってみて、この制度に非常に支障があるというようなことでありますれば、また考えてみるという弾力的な考え方を持っておるということだけは申し上げさしていただきます。
#6
○松井誠君 新しい機構が一つのセットとして出されておるので、何か分けることができないかのようなお話でありましたけれども、私が先ほど申し上げましたような異議の申し立ての期間の延長だとか更正請求の期間の延長だとかいう問題は、審査請求の機構がどうであろうとそれには関係ない、そのこと自体は実現ができるわけでありますし、そういう意味では分離可能であって、決して不可能ではない。しかし、そのことを私はここで深くお尋ねしようとは思いませんが、ただいま大臣が言われました前置主義をとった、あるいは審査請求の機関がわれわれの意図しておるような準司法的な機関でないという、そういう問題について、このあいだの衆議院の附帯決議が御承知のようにあるわけでありますが、これによりますと、「国税不服審判所の人的構成及び運用についてその独立性を強めるよう留意し、今後における社会経済の進展に即応しつつ、国税庁から独立した租税審判制度の創設、出訴と不服申立ての選択等についても、絶えず真剣な検討と努力を行なうべきである。」と、こういう表現になっておるのですが、この附帯決議の趣旨とするところは、少なくともいま大臣が言われたように、やってみてどうしてもうまくなければまたそのとき変えるという、見通しのないといいますか腰だめ的な考え方でこの国税通則法の改正案というものを位置づけるのでなしに、このあいだ参考人の方がいろいろ言われましたけれども、やはり準司法的な機関にするのが理想としてあるいは理念としてはいい。あるいは、前置主義は、必要的な前置主義というものは廃止するほうがいい。しかし、現在すぐにそれを取り入れようということになると、いろいろ差しつかえがある。私はその現実の障害というものはたいしたことはないと思うのでありますが、とにかくそういうことで将来そこへ行く一つのステップとして当面こういう不服審判の制度をつくる。当面は必要的前置ですけれども、将来のあるべき姿としては、選択的前置というか、あるいは前置主義を廃止するというか、そういう方向に行くべきものなんだと、そういう見通しをもってこの改正案というものを位置づけているのかどうか。少なくともこの附帯決議というものが超党派的に最終的な成案を得るまでの間にそういうことが論議され、そうして私がいま申し上げましたようなそういう位置づけの了解のもとにこれができたと私は理解をしておるわけですが、その点について大臣の御見解を伺いたいと思うのであります。
#7
○国務大臣(福田赳夫君) 納税者の権利救済の機構として、現在のところ、ただいま御提案申しておる機構が最善であると、こういう確信のもとに御提案をしておるのであります。しかしながら、衆議院の大蔵委員会の御決議もある、また、参議院の当委員会においていろいろな意見も述べられておるのは、私もよく拝聴しております。そういうこともありますので、この機構を動かしてみていろいろ反省を要する点が出てくるということがありますれば、その際は弾力的な構えで対処していこうと、かように考えておるわけであります。
#8
○松井誠君 いまのようなお考えならば、わざわざ附帯決議で取り上げた意味がなくなると思う。どんな制度でも、やってみて悪ければ変えますよというのは、何もこの不服審判の制度に限らず、すべての機構に当てはまることでありますから、それだけの念を押すためにわざわざこの附帯決議をつけたのではないと思う。やはりあるべき姿を一応想定をして、そこへ行く一つの道程として今度の改正案というものを位置づけるというのでなければ、附帯決議の精神というものは全く死んでしまう。そういうことを考えるんですけれども、いまのような御答弁ですと、これは全く附帯決議はアクセサリーにもならないと思うのですけれども、どうでしょう。
#9
○国務大臣(福田赳夫君) 附帯決議につきましては、私は尊重いたしますと、こう言っておるわけなんです。尊重いたせばこそ、ただいま申し上げましたように、この制度の運営にあたりましては常に反省をいたしていきたいと。それで、処置を要するというような点を発見しますれば、現在の機構にこだわっておるという考えじゃなくて、これを何とか改善をするという構えで対処したいと、こういうふうに存じておりますので、決して附帯事項が意味がないというふうには考えておりません。その線に沿って善処いたしていきたいということをはっきり申し上げておる次第でございます。
#10
○松井誠君 押し問答を繰り返しませんけれども、これを尊重するということは、大臣の先ほどの御答弁のようなことにはならないということなんです。つまり、悪ければ制度を変えますというのは、尊重した結果ではなくて、尊重しようとしまいとそれは当然のことでありますから、したがって、尊重するというからには、繰り返しますけれども、いずれ将来はそういうところへ移っていくんだ、そういうことをまず頭に描いて、そして新しい制度の運用をやっていくというので、はじめて附帯決議を尊重することになると思うのでありますが、押し問答は避けます。
 念のために、あらためて申し上げておきたいのでありますけれども、この前置主義をとったというそのこと自体、これはもう多くの人たちが批判をしておるように、納税者の権利救済という立場からいえば全く意味がない。税法学会の意見書なんかも痛烈に非難をしておるように、前置主義というものは納税者の側からは合理的な理由というものは全然発見されない。あるいは、新しい不服審査の機構そのものも、いろいろなからくりによってどうしても同じ穴のムジナ論から抜け出ることはできない。ですから、この附帯決議が言っておるような、国税庁から独立した租税審判制度をつくる、あるいは、直ちに出訴をしようと審査請求をしようとそれは納税者個人の選択にまかせるという選択制度をとる、こういうことをその場限りの答弁の技術としてではなくて、真剣に考えていただきたいと思うのです。
 そこで、だんだん具体的な質問に入っていきたいのでありますが、この国税通則法の改正案の不服審査の制度、あるいは行政訴訟の制度、これは納税者の権利や利益を救済する、そういう立場からの機構であり、その立場からの改正案というようにまず理解をすべきだと思いますけれども、その点を念のためにまず大臣のお考えをお伺いしたいと思います。
#11
○国務大臣(福田赳夫君) その点は、そのとおりであります。
#12
○松井誠君 このあいだ参考人がお見えになりましたときに、行政不服審査法と国税通則法との不服審査の関係について、行政不服審査法は一般法であり、国税通則法の不服審査の機構、手続というのは特別法、そういう関係だから、したがって、行政不服審査法の第一条に書いてある権利救済のためだというその精神は、税金についての不服審査の国税通則法のこの手続にももちろん貫かるべきだと思うと、私のほうからそういう質問をしましたら、必ずしもそうではないという考え方の先生もおったわけです。それは、こういう手続というのは、権利救済というよりも、むしろ税務行政の延長だ、そういうように考えるべきだというのか、現実の姿がそうなっておるというのか、その辺ははっきりしませんでしたけれども、そういう議論があり得るわけです。現実に、権利救済だということになっておりながら、実は権利救済を主たる目的にしないような機構なり運営なりがいろいろあるものですから、念のためにお伺いをしたいのですけれども、行政不服審査法は明らかに権利救済を第一の目的に掲げておる。それと同じ精神で国税通則法に書いてある不服審査の機構、手続というのもやっぱり考えるべきだと、これは間違いないでしょうか。
#13
○国務大臣(福田赳夫君) 御所見のとおりであります。
#14
○松井誠君 ところが、実際には、税金の関係の税務署に対する異議の申し立てをやって、それに対する調査というのは、見直し調査という実体を持っておる、そういうことが当然であるかのようにいわれておるわけなんです。これは普通の行政不服の手続ではちょっと考えられないことだと思うんですけれども、異議の申し立ての手続の結果、調査をして税務署が判断をする、それはいわゆる見直し調査だというようにいわれておるのは一体どういうことかということです。これがもし納税義務者の権利救済が目的であるとすれば、納税義務者の申し立て以外のことを調べ上げるということ自体、権利救済の立場からいえばおかしいと思うのですが、そういうように普通の行政不服審査の手続と違って、見直し調査が当然であるかのように考えられておる理由、税金の争訟に限ってそういうように考えられておる理由というのは一体どこにあるのか、それはいわばどういう合理的な根拠を持っておるのか、この点はいかがですか。
#15
○政府委員(吉國二郎君) この点は、先般青木委員が御質問になった点にも関連する問題でございまして、私どももいろいろあらためて研究もいたしておりますが、従来からの考え方を申し上げてみたいと思うのですが、先般須貝参考人が指摘されましたように、税の争訟というのは、普通の行政処分に対する争訟のように不当処分というようなことを含んでいないのではないか。つまり、租税法規というものによって租税債権というものは抽象的に成立をするもので、納税者の権利救済ということは当然でございますけれども、納税者は、本来、租税法規に従って適正な納税を行なう義務がある、同時に、租税法規に反した決定を受けない権利がある。その権利を救済するのが本質である。したがって、須貝参考人の考え方は、租税の決定というものは、裁判所の確認判決のようなものである。したがって、それは法規によって当然存在する租税債権というものを確認する性質のものである。したがって、審査請求、訴訟の各段階を通じてそれらは常に適正なる真実の法規に従った所得を確立するということが前提である、それによって権利救済も果たされるという考え方のようでございます。従来、裁判所等が判例として示しておりますのは、これは先生御専門で、私から申し上げるのは釈迦に説法かもしれませんが、従来から裁判所でとっておりました態度は、すべてそれに似た態度、要するに、租税に対する訴えというのは、客観的に成立した租税債権の不存在を確認するという訴えである、したがって、あらゆる主張というものを通じてその租税債権を確認するというのが任務である、ことに違法な決定が行なわれることを防ぐ意味においてまさに権利救済の本質がある、かような考え方でございますので、したがいまして、訴訟の段階においても、最終口頭弁論の段階まではあらゆる主張を容認する。したがって、最終的に正しい租税債権の確認を通じて権利救済をはかるという考え方であるかと思います。つまり、税につきましては、納税義務というものを通じて客観的な租税債権がある、それを確認し、それを正確に実現することが権利救済の本質であるという考え方のように須貝参考人は言っておられたはずであります。もちろん、これに対しては、別の考え方もあるわけであります。権利救済というのは、納税者が申し立てたことを中心に考えてやればいいんだ、したがって租税債権がもしそれによってゆがめられても、それは救済制度としてやむを得ないという考え方もあり得るようであります。現在、学者の通説、あるいは裁判所の公式見解としては、やはり客観的な租税債権の存在を正確に確認をするということを通じて権利救済が行なわれるという考え方のようでございます。それが租税に関する争訟について、他の行政処分に対する争訟と異なった見解がとられるゆえんだ、かように理解をいたすわけでございます。
#16
○松井誠君 まあ一度に問題が争点主義か総額主義かというところへ行ってしまったようでありますけれども、それではその点からお尋ねをしたいと思うのですが、まず、訴訟の場合の考え方として、なるほどあなたの言われたように、租税債権関係というのは、あなたが言われたようなそういう普通の民事上の訴訟を類推していろいろ考えることができるような考え方は、申告納税という制度をとってからはそれは私は必ずしも間違いじゃないと思うのですけれども、しかし、裁判所の判決の中でも、たとえば権利処分が違法である。違法という判断はどういう時期を基礎にしてやるべきか。つまり、更正決定なら更正決定をやったその段階で違法であれば、その後その違法というものがかりになくなっちゃうと言うとおかしいですけれども、その後の事情によってその違法というものがなくなって瑕疵――きずがなくなるというわけではない、そういう考え方もあるわけですから、そういう考え方でいけば、これはもう争点主義か総額主義かに直接結びつくかどうかは別にして、やはり処分時の違法というものが判断の基礎になる。そういう考え方を裁判所が持っているとすれば、租税の法律関係、租税の債権債務関係というものは、あなたがいま言われたように考えているとしても、なおかつ争点主義か総額主義かというものは別の問題として残ると思う。そういうことで、私は、やはり権利救済という大目的が税務の争訟の基礎にあるとすれば、争点主義か総額主義かということもどう理解をすればいいかということについて私はおのずから結論が出るのではないかと思うのです。この前、青木委員のほうから同じような問題が出されましたけれども、やはり権利救済というものを考えて、なおかつ総額主義というものをとり得るという考え方が私にはどうしても理解できない。異議の申し立てばこれはもう初めから見直し調査なんだ、ほかの行政争訟の手続とは違うのだということであるならば、それはそれとして別にまた議論をしなきゃならぬと思うのですけれども、訴訟まで含めて同じような考え方で総額主義というものに導いてこられるということになると、権利救済という目的がどこへ飛んでしまうのか。結果的には債権の存在というものを客観的に正しく判断をすることが権利救済だ、こう言うのですが、それは権利救済ではなくして、まさに行政の適正な運用ということに奉仕するということになる。私は、何も、行政の適正な運用というものを曲げてまで権利救済を認めるべきだというような積極的意味ではない。しかし、権利救済をやるということがまず前提であって、その結果として個々のケースとして行政の適正な運営というものが曲げられてもやむを得ないのじゃないか。逆に言えば、権利救済というものと、行政の統一というか行政の適正な運営というものとが矛盾するというような場合、これは観念的にはあり得ないかもしれませんけれども、実際的にはあり得る。そういうときに、やはり権利救済というものに軍配を上げる、そういうことが権利救済制度ということばの持っている当然の結論だと思うのですがね。そういう意味で、あなたのお話ですと、私の最初お聞きをしたのは異議の申し立て段階における見直し調査の問題であったのですけれども、いきなり裁判の段階まで行かれたものですから、私もそこまでお尋ねをしたのですが、少なくとも訴訟の段階では見直し調査的な総額主義的な考え方が別に支配的ではないのじゃないか。その点はどうでしょう。
#17
○政府委員(吉國二郎君) 御指摘のように、権利救済と行政の適正な運営というものが両立しない場合があるのではないかという点は、先ほど申し上げましたように、行政処分の中には幾つかの形成行為もございます。行政権限として適正な形成行為をやりながらも、結果において権利侵害を起こすということは十分あり得ると思います。さような場合に、一般の権利救済においては権利救済に重点が置かれる、これは当然のことだと思いますけれども、先ほど申し上げたように、納税義務というものが適正に実現されるということが実は国民全体の利益につながっている問題である。したがって、それが国会の場を経て租税法規として成立をしている。したがって、その正しい租税債務というものが前提になるといたしますと、権利救済というのは、もちろんその手続の違法とかあるいはそういう問題から出てまいる場合もございましょうけれども、本質的に違法な決定内容というものは、納税者の義務を不当に拡大するもの、あるいは不当に軽減するもの、いずれかであるわけでございます。その場合に、適正な税務行政というものにもし権利救済と矛盾する面ありとすれば、それは法律の解釈を誤っておる。もちろん、法律の解釈を誤っておるという場合も、個々のケースで誤っている場合と、国税庁なり何なりの行政統一という面から出される通達というもの自体が具体的ケースを法律に照らした場合に適当でない結果にしている場合もあると思います。かような場合には、これは当然権利救済というのが前提になるのは当然でございます。そういう意味の行政統一の要求というものによる解釈の結果が誤っておるという場合には、行政の統一という目的は達せられても、適正な行政であるかということになると、問題があるわけでございます。そういう面で、今回の改正では、通達自身が適正でないという場合には、行政の統一を破ってもこれを改めるという方向をとっているわけでございます。そういう意味では、私は、権利救済というものに本質的に即した制度である。しかも、租税債権という特殊な国民の義務というものに関連する適正な権利救済という制度はかような線を通じて確保できるのではないか、かように思うわけでございます。
 次に御指摘のございました裁判所の判決等の実例はいろいろございますけれども、先生も御承知だと思いますが、基本的に、裁判所の判断が、租税債権の訴えにつきましては債務不確認訴訟という考え方をとっておりますから、口頭弁論の終結のときまであらゆる攻撃、防御方法を用いることができる。しかも、租税債務と考えておりますために、たとえば所得税でございますと、課税標準、総所得金額というもの、並びにそれに基づく税というものが争いの対象である、かように考えております。それを維持するための主張は適正なものであれば最後まで主張できるというたてまえをとっておる例が、昭和二十六年以来、東京高裁の四十年判決まで一貫しているように思います。ただ、これは今後の権利救済の一つのシステムといたしましてどう考えていくべきかという問題はあると思います。本質的に真実の所得を発見するということと、それに合わした制度の立て方ということ、その制度の立て方自身がそういうことをとりながらも、しかも最終的には納税者の権利救済に強く志向するというシステムをとり得ると考えられるわけでございます。私どもがいまいろいろ検討しておりますのは、たとえば今回の改正におきましては、できるだけ当事者の主張というものを明らかにさせ、課税官庁側もそれに対する答弁を出すというような形を通じて、できるだけ納税者側の主張というものを中心に審理をするという一つのシステムを開いたわけでございます。このシステムというものは決して先ほども申し上げたことに矛盾はしないけれども、結果においてはできるだけそのシステムを通じた限りにおいて真実発見が行なわれるとすれば、それが一つの権利救済に大きく寄与する動きになるだろうと、かように考えるわけでございます。裁判所の考え方は、この審査に対する私どもの考え方とまた別個の立場で租税に対する取り消しの訴えというものの理論構成から出てくるものだと思います。一応いままでの裁判所の考え方はかようになっておると私どもは理解しているわけでございます。
#18
○戸田菊雄君 関連して。重要な問題だと思うので、ちょっと関連で質問しておきたいのであります。いま問題になっておりますのは、法律的な問題は松井先生がいま言われています。その具体的な問題として、関係条文は今回は八十一条から八十二条、八十三条、これがいま異議申し立ての関連条文だと考えます。そこで、いままでの衆議院での国税庁長官なり主税局長なりその間の一貫した答弁は、異議申し立てに対する見直し調査ということで大体回答が一定しているんですね。ですから、そこで疑問になりますのは、異議申し立ての対象は一体何なのかということが明確になっていないということが私は考えられる。ですから、その辺の見解をひとつお聞かせ願いたい。いま主税局長もちょっと言われましたけれども、あくまでも権利救済に視点を置くならば、見直し調査そのものが何かわれわれとしてはどうもしっくりしない、疑問に思う。その辺の異議申し立ての対象というものは一体どういうものであるか。少なくとも税務署の真実発見主義、そういうところに尽きるのだろうと思うのですが、それをさらに見直し調査をやっていくということになれば、いわゆる不服処分等に対する不服申し立ての全体のこの法案を流れる精神というものから踏みはずされているかっこうになるんじゃないか、こういうように考えるのですが、その問題が一つであります。
 それから八十一条の二項、三項の一貫していることは、検査の権限の問題ですね。これも法的根拠としてはきわめて希薄だというようにわれわれ考えるのですが、そういう問題に対する明確な御回答をいただきたい。従来は、少なくとも不服審査法、こういうものによって明確化しておったわけですね。今回はそういうものがわれわれが検討する限りでは見当たらないように考えるわけでありますが、そういう救済のための調査のいわゆる法的根拠というものを明確化する必要があるのではないか、こういうように考えるのですが、それで、衆議院段階において、主としてこの問題について、八十一条の第二項、第三項、ないしは九十一条、こういう問題について若干の修正が加えられていることは、そのとおりだと思うのです。この修正内容を見ましても、まだまだ実際われわれとしては、いま質問したような、本来からいくならば非常に異議の多いものである、こういうように考えるわけでありますけれども、その辺も含めてひとつ御回答願えれば幸いだと思います。
#19
○政府委員(吉國二郎君) 異議申し立てと審査と区別いたしまして考える場合に、異議申し立てが見直し調査であるという従来の考え方について御説明申し上げたいと思いますが、異議申し立てにつきまして従来から見直し調査であるというたてまえをとっておりましたのは、同一の税務機関に対して異議を申し立てる異議申し立ての内容というのは、従来の考え方でございますと、その当該租税に対する最終的な租税債権の存在を争っている。いわば税務署が更正をいたしますが、その前には当然に申告があるという前提でございます。申告に対する更正は、申告税額そのものを更正する性格を持っております。それだけ租税債権が拡大するわけでございます。これに対する異議であるということから、先ほど申し上げましたような意味で、税務機構といたしましては、国民の正しい納税義務に基づく債権というものを正確に実現するということは一つの義務になっているわけでございます。納税者の異議に対しては、それにこたえる道は、正確な調査に基づいて、そうして確実に納税者の租税債権を明らかにし、それに基づいて前回の決定を訂正するというところにあるかと思います。もちろん、旧来の考え方でございますと、この際に、真実の所得が課税標準がより大きい場合には増額決定もあり得るという考え方がございましたが、これは青木委員が御指摘のとおり、昭和二十五年以後、いわゆる請求に理由がないというとき、つまりその請求が相立たずというときには棄却ということで、増額決定をしないというたてまえをとりましたので、増額決定というものはあり得ないということになっておりますけれども、真実の所得を発見して、それを通じて正しい権利義務の実現をはかるということがその本質であろうかと思います。
 検査権限につきましては、これは御承知のとおり、行政不服審査法は一般法でございますので、行政不服審査法固有の調査権限というものを定立いたしませんで、もちろんそれの中に検査もできることにいたしておりますけれども、そのほかに、それぞれの当該法令に基づく検査権限を行使することを認めておるわけでございます。したがいまして、従来は、国税通則法におきましてはその条をすべて不服審査法によっておりましたので、したがいまして、現在各税法に定めてございます検査権限をそのまま当該官吏が行使し得るということになっていたわけでございます。 つまり、権利救済の際の検査というものにつきましても、一般法に規定される質問検査権限というものはそのまま適用し得るというのが従来の行政不服審査法のたてまえでございます。今回の改正におきましては、この行政不服審査法の部分をも国税通則法に取り入れましたが、その際に本人についての検査権限というものはもちろん残しますけれども、これについては罰則は付さないことにしたわけでございます。つまり、本人は自分の租税債権について不服を申し立てているわけでありますから、検査拒否をしてそのためにその不服の事実が明らかにならなかった場合には、本人が結局損を受けるだけの話であります。したがいまして、本人について罰則を付することは適当でない。――私、いまちょっとごっちゃに申し上げましたが、異議申し立ての段階は従来と同じでございますけれども、審査請求の段階では、いま申し上げましたように、本人についての罰則を検査権限の中からはずしたわけでございます。これは、本人が検査を拒否したために自分の主張が成り立たなくなればそれで十分なはずであります。本人に対する検査権限はこれをはずしておりますが、第三者つまり取引の相手方につきましては、もし相手方の協力がなければ真実の発見ができない、したがって納税者の権利救済ができないという結果になるわけでございます。よく例にとられますけれども、本人が売り上げが計上されていなかったということで問題にされました場合に、自分は売り上げ計上漏れは認めるけれども、それに対応する仕入れ金額が実は落ちておったという主張をいたしました場合には、その仕入れ金額に対応して第三者に当然売り上げがあるはずでございます。その売り上げを調べれば、本人の主張する仕入れ金額は明らかになり、それで権利が救済されるわけでございますけれども、その場合に第三者が検査を拒んで、そうしてそれによって売り上げの事実が明らかとならなければ、本人の権利救済も果たされない結果になりますので、やはり一般の調査の場合と同じように、第三者に関する限りは当然に質問検査を行ない、それに対して罰則を適用する必要があるという結果になると思います。従来の協議団は税務機構の中にありましたので、異議申し立ての場合と同様に、審査請求の場合にも、協議団の職員は、行政不服審査法の規定に基づきまして、所得税法、法人税法その他の各税法の質問検査権の行使ができたわけでございます。しかし、今回は、それをそのままにしておきますと、結果においては、先ほど申し上げましたように、本人まで罰則をこうむるという結果になります。不服審判所に不服を申し立てている本人が、質問検査に対してこれを拒否したという場合にまで罰則を科するかとなりますと、本人の不服自体が結局成り立たなければもともとであるわけでございます。その上に罰則をこうむるということはやや重過ぎるということで、今回は不服審判所の質問検査に関しては本人の罰則をはずし、第三者だけを従来の各税法と同様の質問検査権並びにそれに対する罰則を設けるということをいたしたわけでございます。したがいまして、今回の改正による質問検査の検査権の内容というものは、異議申し立てについては従来どおり各税法の質問検査権が適用になり、審判所が取り扱います場合には特別の規定を置いて、本人に対する質問検査については罰則をはずし、第三者に対する質問検査につきましては各税法を通じて均衡のとれた罰則を新たに設けまして、各税法の罰則は適用しないということに直したわけでございます。
#20
○戸田菊雄君 もう一点だけですが、その内容はまだ若干疑問がありますので、次に質問するときに質問してまいりたいと思いますが、いまの主税局長の答弁によりますると、この検査の権限、こういったものは、従来行政不服審査法によって一応明確化されておる、それを今回は各税法のそういう検査の該当条文によって適用していくこういう言い方だろうと思うのです、その法的根拠は。そういう意味で受け取っていいですか。
#21
○政府委員(吉國二郎君) 行政不服審査法では、三十二条にございますが、「(他の法令に基づく調査権との関係)」というのがございまして、不服審査法にある調査権限等を書いたあとに、「前五条の規定は、審査庁である行政庁が他の法令に基づいて有する調査権の行使を妨げない。」ということにいたしております。したがいまして、所得税法の不服申し立てであれば、その所得税法の質問検査権を行使して調査ができるということで従来から規定があったわけでございます。今回、そのままでまいりますと、審判所の手続がこれによることになるという結果になりますと、本人も罰則適用の結果が生ずる、これは不適当であるということで、審判所の質問検査については特則を設けまして、その質問検査に対する罰則については本人ははずすという改正を行なったわけでございます。でございますから異議申し立てについては、従来から、不服審査法に基づいて、各所定の税法の質問検査権が行使できたし、その罰則もまた適用があった。今回も、異議申し立てについては、従前と同様で、審査請求の場合に限りまして、新たにできた審判所については、本人には罰則はない。質問検査が第三者に対しては、「三万円以下の罰金」ということで、これは各税法を通じた最低の線をとった罰則を設けたわけでございます。
#22
○松井誠君 質問検査権のことにつきましては、あとでまとめてお尋ねをしたいと思うのですが、いま戸田委員から質問のあった異議申し立ての段階における質問検査権、調査権の根拠は何かという問題ですね。これは、この改正案ができる前は、いまあなたが言われたように、行政不服審査法の第三十二条で各税法の調査権というものがあるのだから、したがって、不服審査の段階でも、あるいは異議申し立ての段階でもそれでいけるのだという説明であったと思うのです。ところが、今度この国税通則法の改正案が出てきて、行政不服審査法の手続規定の関係の部分がそのまま適用にならないで、わざわざ国税通則法で独立の手続をたくさん書いてある。それで、この改正案の八十条の規定によって行政不服審査法の二章の一節から三節までを除くということになるわけですから、したがって、当然この三十二条というものも除かれてくるわけですね。ですから、いままで異議申し立ての段階における調査権の根拠というものを行政不服審査法の三十二条に求めておったとすれば、この三十二条は今度の国税通則法ではずされるわけですから、異議申し立ての調査権の根拠もなくなってくるというふうに考えなければならないと思いますが、どうですか。
#23
○政府委員(吉國二郎君) 御指摘のとおり、今回の改正案では、不服審査法の当該規定を排除しておりますが、一応従来の制度とは変わっておりますけれども、異議申し立てば、御承知のとおり、当該調査を決定した行政庁が再調査を行なうものでございます。そういう意味では、たとえば所得税法でございますと、二百三十四条で、「国税庁、国税局又は税務署の当該職員は、所得税に関する調査について必要があるときは、次に掲げる者に質問し、又はその者の事業に関する帳簿書類その他の物件を検査することができる。」というこの規定がそのまま適用になるわけでございます。それに従って調査を行ない、異議申し立てに対する決定を行なうという法制に変わるわけでございます。従来と同じと申し上げましたのは、つまり、行政不服審査法では従来そういう一般的な規定を置いておりますが、異議申し立てについては、本来固有の税法の規定が適用になるべきものであった。その点を今回は審査請求の場合と区別いたします関係で、不服審査法に基づかず、直接各税法に基づく質問検査権があるという結果になったわけでございます。
#24
○松井誠君 そうしますと、従来というか、改正案以前の現行の異議申し立ての段階における調査権というものは、行政不服審査法の三十二条ではじめて認められるものではなくて、三十二条というものがなくても、当然各税法の調査権というものは本来あるのだ。そういう意味ではこれはいわば当然なことを言ったまでで、この三十二条によってはじめて調査権ができるのではないのだというふうにでも言わないと、いままでのような説明で、三十二条に根拠を置いてあった説明であるとすれば、おかしくなってしまうのじゃないですか。三十二条に基づいて、異議申し立ての段階でその各税法の調査権というものが生きてくる。その根拠というものは三十二条にあったんだとすれば、三十二条がなくなれば、各税法にある調査権というものはそのまま持ってくることはできなくなるわけですが、あなたのいまのお話だと、もともと見直し調査みたいなものだから、各税法の調査権が本来の異議申し立て段階で生きてくるべきものだ、それをいわば注意的に三十二条で書いただけなんだ、そういう説明になるわけですか。
#25
○政府委員(吉國二郎君) 三十二条は、規定の体裁からごらんになりましても、他の法令による調査権を妨げるものではないという言い方でございます。行政不服審査法としては、調査権のない場合等を想定いたしまして一般的な調査権を規定しておりますけれども、本来行政不服審査というものが行政機関によって行なわれるという前提をとっておりますので、それぞれの当該法規に調査権があればこれを妨げないことは明らかであるという意味でこれは注意的な規定として設けられたことは、行政不服審査法の解釈として従来から明らかにされているところでございます。そういう意味では、当該行政庁が行なう場合には、当然にそれぞれの基本法の調査権が適用になることは、これは行政不服審査法三十二条を待たずに当然であったわけでございます。
#26
○戸田菊雄君 ちょっとまた。そうしますと、国税通則法の第一条の「この法律は、国税についての基本的な事項及び共通的な事項を定め、税法の体系的な構成を整備し、」云々ということを今回の改正では第八章の不服審査との関係で改正をされてやっているわけですね。そういうものに明確にいわゆる検査の権限なりそういうものを法文化する必要はないのかどうか。それは各税法によっていま言ったようにそういう法的根拠はあるのだから、それを適用していけばよろしいと。法体系としては複雑なような気がします。いまこういうことで審議して主税局長の意見を聞けば、なるほどそういうところにいくのかと思うけれども、一般の人がわかりやすく読むということになれば、なかなか困難じゃないかというふうに考えるのですね。だから、そういうものがはたしていいのかどうか。少なくとも国税通則法の第一条からいけば、そういう内容であるならば、どこかに法的な根拠を一項差し入れる、そういうことがあってしかるべきじゃないかという気がするんですけれども、その辺はどうですか。
#27
○政府委員(吉國二郎君) 形式的に申しますと、国税通則法の第四条に、「この法律に規定する事項で他の国税に関する法律に別段の定めがあるものは、その定めるところによる。」ということでつないではおりますけれども、御指摘のように、質問検査権とかそれに対する罰則というものをむしろ通則法に規定すべきではないかということは、実は、国税通則法制定の際に、税制調査会等におきましては、質問検査権等の統一的規定ということを言っておったわけであります。しかし、いろいろ国会の審議その他におきまして、いまある質問検査権というものを特にまたあらためて国税通則法に持ち込む必要はないではないかという御議論等もございまして、それではやはり各税法のままにしておこうかということで残った経緯がございます。体系としては、御指摘のように、質問検査権を一カ所にまとめて各税法を皆同じ罰則にするのが適当かとは思います。ただ、そういう立法上の経緯がございまして、従来のばらばらな形が残っております。そういう意味では、間接国税と直接国税で罰則の内容が違ったりいたしておりまして、でき得れば私どもは通則法で統一的な質問検査権というものを設けたいという気持ちはございますけれども、立法過程におきまして必ずしも御賛成を得られない点もございましたので、いまこういう形になっておるわけでございます。御指摘のように、体系としてはそのほうがベターであると私も思っております。
#28
○松井誠君 私はあとでまた質問しますから、あまり深追いしませんけれども、必ずしも形式的な法体系だけの問題じゃないと思うんですよ。つまり、所得税法なら所得税法の調査権というものは所得を調べるための調査権、異議申し立ての段階における調査権というものはその異議申し立てが理由ありやなしやを調べ調査する、そういう意味で目的が違うわけでありますから、私は、別に異議申し立ての段階における調査権の根拠は各税法にまかせるというのじゃなくて、どだい罰則が違うわけですから、目的を明らかにした上で調査権というものをあらためて通則法の中に設けるべきだと思うのですけれども、しかし、このことは、国税徴収法の調査権、あるいは国税犯則取締法の調査権、いろいろありまして、あとでまとめてまたお尋ねをしますけれども、最初の問題に戻りますが、真実発見のために総額主義をとるのが当然だというような言い方なんですけれども、私は争点主義をとることによって真実発見が妨げられるというように考える必要はないのじゃないかと思うんですよ。つまり、争点に縛られて、したがって不服の申し立ての限度においてしか判断ができない。しかし、調査の結果、ほかの遺漏なり脱税なりというものが出てくれば更正決定ができるのですし、再更正、再々更正というのが一定の期限内ならできるわけでありますから、真実の発見というものをあくまでもやはりそういう方法でやるべきであって、いわば異議の申し立てをやったのを機会に真実を発見しようという、そういうことを考える必要はないのじゃないか。そういうことにいわば便乗して、真実発見という名前で異議の申し立てに便乗してやろうとするから、権利救済という目的がぼけてしまう。権利救済というものがほんとうにその名前に値するものであるとするならば、やはり申し立ての限度に縛られて、そこでの判断だけになる。しかし、それによって真実がゆがめられるわけにいかないとすれば、更正決定をさらにやることによって真実の発見をやり得るように、いろいろな制度の機能というものをちゃんと区別をしないで全部どんぶり勘定みたいにごっちゃにしますから、権利救済という目的で始まったはずのこの不服申し立て制度というものが、いつの間にか、お上、税務署のための手続であるかのように変質をしてしまうのじゃないか。ですから、われわれは、何も真実発見を妨げるというそんなことを考えておるのじゃなくて、それはそれで真実発見は別途の方法があるじゃないか。その別途の方法というものが残されておるとすれば、権利救済のための制度はまさにその目的に徹してそれだけでやればいい、こういう考え方なんです。
#29
○政府委員(吉國二郎君) 先般青木委員から審査請求について御同様な意見がございました。現在私どもも十分これは考えてみる必要があると思っておりますが、異議申し立ての場合は、御承知のように、これは同一の税務機構がやっているわけでありまして、そういう意味では更正と異議申し立てとを分けて取り扱うということももちろん可能でございますけれども、いわゆる異議申し立てをするとかえって損だというようなことをよく言われます。したがって、異議申し立ての範囲内で他の所得が発見をされる、それが最終的な税額であるという確信を得た場合に、その申し立て額の範囲内で直すのがいいか、それは全部それ自身は正しいとして直しておいてさらに更正をするのがいいか、これは異議申し立ての段階ではかなり政策と申しますかそういう判断が必要かと思います。たとえば、百万円の申告に対して百五十万円の更正を打った、これに対しまして異議申し立てがあって全部取り消しを要求された、しかしそれを調べてみれば百三十万円の所得があったという場合に、しかしそれは本人の申し立てとは違った内容の所得であったといたします。その場合に、本人の所得は一応申し立ての部分については正しいとすれば、それを百万円に減額をしてあらためて三十万円の更正決定をするということがはたして納税者の感覚として妥当であるのかどうか、そういう点が一つの政策判断になるかと思いますが、その場合に三十万円について相手方が疑問もなく確かにそのとおりというときには百三十万円に修正をするということが、増額更正ではないのでありますし、そういう意味では一つの解決方法ではないかということが言えるかと思います。これが審判という形になった場合にはたして同じであるかどうか、これについて私どもも大いに考えてみる必要があると思いますけれども、異議申し立てについてはそういう意味では同一の行政官庁がやっておるだけに、同じ真実に対して二重の扱いをするのが妥当なのか、あるいはそのまま処置をして納税者の不服に応じて答えを出すのがいいか、これはやはり一つの行政処分のあり方として考え方が二つあり得る問題だろうと、かように思っております。従来から、そういう観点から、異議申し立てに対しましては、その税務署の決定自体――税務署の決定というのは、一応真実と信じたものを決定するわけでございます。それが争われた場合には、その内容を明らかにし、それに応じた答えをすべきでありますけれども、それの答えのしかたは納税者の異議申し立てに答える形ですべきか、あるいはまた、別個に、それとは全く切り離して更正という形で答えるべきかということになると、私どもはやはり異議申し立ての中で正しい所得がこれであるという結論を出すのが妥当ではないのか、かように考えて従来運用をいたしておるというわけでございます。
#30
○委員長(丸茂重貞君) 午後一時十五分に再開することといたしまして休憩いたします。
   午後零時十四分休憩
     ―――――・―――――
   午後一時三十五分開会
#31
○委員長(丸茂重貞君) ただいまから大蔵委員会を再開いたします。
 休憩前に引き続き、国税通則法の一部を改正する法律案を議題とし、質疑を行ないます。
#32
○松井誠君 午前中の委員会で、幕切れのところで、不利益変更の禁止の問題をちょっと吉國さんから出されましたけれども、不利益変更の禁止が法律上明定されておるということを考えても、真実発見という大義名分は必ずしもオールマイティではないので、たとえば不利益変更の禁止というその限度においていわゆる真実発見が阻害をされる、チェックをされるということがあると思います。ですから、真実発見ということでたとえば総額主義というものをストレートに理由づけできるかどうか疑問だと思うのですけれども、この不利益変更の禁止について、一体、不利益とは何かということをちょっとお尋ねしたいと思うのです。どうも、不利益というのを、経済的な不利益というように初めからきめてかかってしまっておって、所得の金額とかあるいは税額が多くなるのは不利益で、少なくなるのは不利益じゃない、まあ同じ額であるならばこれは不利益変更の禁止には当たらない、こういう考え方も多いようですが、不利益というのは、そういう意味で経済的な不利益というように一義的にはっきりしているかどうか、その点を……。
#33
○政府委員(吉國二郎君) 現在、御指摘のございましたような意味の、たとえば所得金額、あるいはそれに引き続いて当然税額にも関係があるのでございますが、それを多くすることが不利益であるということは、これは明らかだと思いますが、この数額の争いの点につきましては、現在の規定では、請求の理由がないときは棄却する。請求の理由があると認めるときには、その決定の全部または一部を取り消すという表現であらわしていると思います。そのほかに不利益な変更を許さないという規定、これはむしろその数額というよりは、たとえば徴収猶予申請をいたしまして、三カ月の徴収猶予を認めないどころか、もっと徴収猶予をしてもらわなければならないということを申し立てをいたしますと、それに対して六カ月とか八カ月というような意味の決定をすれば、これは不利益な変更ではない。徴収猶予そのものが必要ないのだということになれば、これは不利益変更であるという意味で、本来、御指摘になりましたような点は、むしろ棄却、一部取り消し、全部取り消しという表現であらわされていると思います。したがいまして、御指摘のような意味の不利益変更というものについては、その数額の決定に関するもの以外のものを言うと私ども解しているわけでございますが、その場合の不利益というのは、御指摘のように、経済的な不利益だと必ずしも言えない点があるかと思います。具体的な例をあげるのはちょっとむずかしいわけでございますが、そういうような意味で、更正決定の内容を争う場合は、ほとんど棄却、取り消しという規定で問題が解決しているのではないか、かように思っております。
#34
○松井誠君 たとえば所得金額百万円という認定がある。それに対して、その所得金額百万円が生じてきた取引なり何なりの原因が一、二、三、四、五とあるとしますね。そうしますと、一、二、三、四、五のうち、一、二、三は不服申し立てのほうの理由が通ったので、その限りにおいてはこの百万円は少なくなった。しかし、一、二、三、四、五のほかに六、七、八というような新しい取引なり何なりの原因がわかってきて、したがって、総額としては結局百万円だ、総額が変わらないのだから、不利益変更の禁止にはひっかからない、こういう場合に不利益変更の禁止というのは使われるのじゃないですか。
#35
○政府委員(吉國二郎君) この場合は、いわゆる請求の理由がないということになると思うのであります。つまり、その決定を変更してもらう理由というものがございませんので、したがって、棄却ということになる。その意味では不利益変更ではない、実質的には。いわばその請求自身が意味がないということになるということだと思うのであります。
#36
○松井誠君 じゃ、もっと例を極端にして、百万円の所得金額というのは、税務署の調査による百万円の所得というものは全然ない。その最初の決定の理由になった百万円の所得というものは生じていない。しかし、それ以外の理由で、また、かりに百五十万なら百五十万という所得の金額というものははっきりした。そのときに、百五十万円と認定することは不利益変更の禁止に当たるけれども、不利益変更の禁止ということもあるものですから、その百万円の限度において認めるということで不利益変更の禁止の規定が生きてくる、そういうように使われるというのでもないのですか、これは。
#37
○政府委員(吉國二郎君) ここに言っております不利益の変更は、その意味ではないと思います。つまり、その場合は、前段にございます異議申し立てが理由がない、その所得金額百万円を取り消してくれという請求自身が理由がないではないかということで、棄却ということになると思います。
#38
○松井誠君 そうですが。その点はわかりましたが、しかし、それは、先ほどの総額主義との関係にもなるのですけれども、実質的に不利益変更じゃないかと私は思うんですね。結局、同じ金額だから棄却をするというのは、不利益変更になるんじゃないか。たとえば、一、二、三、四、五という争点があって、一、二、三はその不服申立人の主張が認められた、しかし、それ以外に、新しい六、七という理由が出てきて、結局、総額は同じに一致した。その場合に、総額が同じだから不利益変更にはならないということにはならないのではないか。つまり、一つ一つの争点を比べてみて、結局、新しい争点を認められたということは、たとえば六、七なら六、七という新しい所得が生ずる原因の事実というものがわかってきて、それに基づいて百万円なら百万円ということが認定をされるとすれば、その申立人が申し立てをしないそういう新しい事実を認定すること自体が、かりに所得金額の総額には狂いがないにしても、不利益だと言うべきではないかと私は思うんです。その点はどうなんですか。
#39
○政府委員(吉國二郎君) その点が総額主義云々の問題だと思いますけれども、請求の対象物というのは課税標準なり税額である。その課税標準なり税額を計算する基礎になる幾つかの事実があるといたしますが、その最終の課税標準額というものが、いわば納税者にとっては租税債権の基礎になっているわけでございまして、その部分にその請求の理由についていろいろ差があるということ自体はございましょうけれども、実際に納税者がその課税によって受ける経済的な負担というものが変わらないという限りにおいては、不利益変更とは考えておらないわけでございます。
#40
○松井誠君 ですから、どうも不利益変更の不利益というのは経済的な不利益だけしか頭にないのではないかと私が申し上げたのは、そういう意味なんですね。それではなしに、総額さえ合えば、そろばんさえ合えば、お前の言うことはいいじゃないかということではなくて、税務署なら税務署の認定に対して不服申立人が異議を言って、そうしてそれが何がしか認められたとすれば、認められたとおりのやはり結論というものが出てくるのが当然で、ほかのことを引っ張り出してきて、結局数字が同じだからいいということは私はおかしいということを言うのです。ですから、私が言いたいのは、不利益変更というこれがあるから当然総額主義をとっておるんだというような、別に不利益変更の規定が総額主義を理由づける理由にはならなくて、争点主義をとっても、一つ一つの争点についても不利益変更禁止の規定が動くということだって考えられる。そういう意味で不利益変更の禁止の規定というものと争点主義とはちっとも矛盾はしない。ですから、もし総額主義というものが不利益変更の禁止の規定ということを一つの理由づけにしておるとすれば間違いじゃないか。ですから、その一つ一つの争点について不利益なりや否やということも考え得るわけでありますから、そういう意味で不利益変更の禁止ということを理解すれば、争点主義をとってもちっとも矛盾をしない、こう考えるのですがね。
#41
○政府委員(吉國二郎君) 私もそういう意味でアプリオリに不利益変更の制度が総額主義と争点主義に関係しているとは考えていないわけでございますが、いわば立法の推移、経過というものから申しまして、総額主義というものを制限する意味で不利益変更の制度が成立したという歴史的な事実から考えまして申し上げたわけで、アプリオリに不利益変更があるから総額主義だという趣旨で申し上げたわけではないのであります。
#42
○松井誠君 もう一つ、総額主義というものを理由づける根拠として、職権主義というものをよく持ち出すように思うのですが、衆議院の議事録を見ましても、職権主義か争点主義かというようなとらえ方をしているのがよくあって、職権主義というのは当然に総額主義になる、当事者主義というのは当然に争点主義になるというような理解をしておられるのじゃないかという気がするんです。なるほど行政不服審査法では職権による証拠調べということを書いてありますが、行政訴訟の手続が職権主義だということを私は否定しない。しかし、その職権主義ということから総額主義が導かれるというようには私は考える必要がないと思うのですけれども、その辺の関係はどうですか。
#43
○政府委員(吉國二郎君) 職権主義と当事者処分主義という考え方と、総額主義と争点主義が、直接結びつくかどうか、これは必ずしも結びつかない、かように考えております。職権主義というものをとっておっても、法制のやり方によっては、争点主義的なあるいは不告不理的な立場をとることも可能であろうと思います。ただ、職権主義というものが、ある程度総額主義的な立場のときにはその制度の論理として職権主義が採用されている場合が多い。また、職権主義を採用しないと、総額主義に不十分な結果が起きる。当事者処分主義だけでいきました場合、あるいは弁論主義だけでまいりました場合には、総額主義と言いながら実は争点主義と同じ結果になるということも考えられるわけでございます。そういう意味の制度の結びつきとしての牽連性というものは強くあると思いますけれども、その二つがいわゆる争点主義と総額主義に対応するものであるということに考えてはおりません。
#44
○松井誠君 私もそう思うんですね。あなたはそういうことばの使い方をしていないようですけれども、職権主義か争点主義かというような使い方をしているのが一、二あるわけです。ですから、私が言いたいのは、なるほど職権主義というものは現在のこういう手続の中に法定をされている、あるいは不利益変更禁止というものが法定をされている。しかし、総額主義というものは、そういう法定をされているこういう原則から導かれるというように現行法の規定から出てくるものじゃないのだということを言いたいんですね。たとえば争点主義をとったって、職権主義で一つ一つの争点について何が真実かということを職権で調べるのはちっとも矛盾をしないわけですから、したがって、職権主義をとっているから総額主義だというようにはとうてい考えられない。そうすると、現行法の制度として総額主義をとっているというあなたの考えというのは、不利益変更の禁止なりあるいは職権主義なり、そこから来ておるということではないわけですね。そのことを明らかにしたがったわけなんです。
 そこで、最初にちょっと戻りまして、異議の申し立てのことですけれども、先ほど局長もちょっと言われましたが、今度、新しい異議の申立書に請求の趣旨及び理由を書けということになった。あるいは、異議の決定について理由を書けということになった。そういう意味で、その争点がはっきりするという新しい前進があるということを言われるのですけれども、しかし、そういうように争点がかりにはっきりしても、私がこの前参考人に言ったように、総額主義という前提に立っておる限りこれは意味がない。争点主義というものを守ってくれるならば争点がはっきりするということは意味があるわけですけれども、総額主義をとるということになると争点がはっきりするというのは意味がない。むしろ、私は、意地の悪い言い方かもしれませんけれども、見直し調査ということをはっきりさせないで、何か当事主義をとって一種の審判めいたような粉飾をしていることがかえって罪が深い、そう思うんですよ。ですから、むしろ――その見直し調査が全然必要かないとは思いませんけれども、もし見直し調査をやるんだとすれば、異議の申し立てというような普通の行政争訟の形式ではなくて、これは税法学会なんかも言っているように、まあ税法学会だけではありませんけれども、やはり事前照会という制度に切りかえて、異議の申し立てをするという制度はなくしてしまう、そして事前照会ということによって争点をはっきりさせることのほうが国民を惑わさないと思うんですけれども、いかがですか。
#45
○政府委員(吉國二郎君) 手続の中にできるだけ争点を明らかにするという方向を取り入れたという点は、決して粉飾のつもりではないのでございまして、とかく、従来、押し合いへし合いと申しましては語弊がございますが、同床異夢の争いをしている傾向が非常に強いものですから、問題を明らかに整理をした上で逐次迅速な処理ができるように考えていくべきではないかということから出ている趣旨でございますけれども、いま御指摘のありました事前照会の問題は私どもやはり一つの大きな課題だと思っております。ただ、先般も御説明申し上げましたが、何らかの意味で思意表示がないと事前照会というものの意味がなくなってしまう。そういう意味では、アメリカのように調査官に権限を与えまして、調査官みずからが一種の決定に近いような意味のレターを出し得ると、あれには一つの法的な基礎があるわけであります。そういう意味では、わが国の場合単独性官庁制度をとっておりますので、官庁意思決定というものがどうしても税務署長の名前にならざるを得ないという点がございます。各調査官に単独の権限を与える行き方というのも将来研究に値する問題だとは思いますけれども、いまの形ではちょうどこの異議申し立てに相当するような処理のしかたというものを考えていくべきではなかろうか。したがって、異議申し立てについては、あまり手続上のうるさい問題も言わずに、できるだけ納税者の気軽な申し立てにより率直な再調査をするということが必要ではないかと、かように考えておりますが、同時に、これは国税庁長官がお答えする問題だと思いますけれども、アメリカでやっておりますように、三十日レターに対しては別の上級のコンフェリーというものが調査に当たるような制度というものを考えまして、税務署においても、異議申し立ての審査というものは、できればより上級の担当者がこれを担当するという形で異議申し立ての主張が明らかになると同時に、より適切な調査ができるように配慮していくべきではないかと、かように考えているわけでございます。
#46
○松井誠君 具体的に事前照会の制度をとった場合に、いわゆる単独官庁というのですか、独任官庁というのですか、そういう制度をとる前にどうするかという問題があるかもしれませんけれども、とにかく税務署が処分をしてしまって、それに対して異議を言うという形と、こうしたいと思うけれどもどうでしょうかということでそれこそ事前に決定の前に協議をするというのでは、少なくとも納税者に対する圧力なり何なりが非常に違ってくる。それだけに、見直し調査という性格をもしとるんだとすれば、こういう中途はんぱな異議の申し立てという形でないほうがやっぱりいいのではないかと思うんです。
 そこで、これは直接の関連はありませんけれども、いままでよく特にこの異議申し立ての段階での理由付記の不備で取り消されるということが多かったわけですけれども、この附帯決議にも書いてありますが、なるべくわかりやすいように書けというような意味のことを書いてあるんですけれども、衆議院で、広瀬君が、この理由の付記の問題について、その通達について質問しておりますね。昭和三十四年か何かに詳しい通達が出て、これがいまも生きているのかという質問に対して、どうも長官の答弁は必ずしもすっきりしていなかったようですが、これはいまも元気で生きていることは間違いないですね。
#47
○政府委員(亀徳正之君) ただいま元気で生きております。
#48
○松井誠君 それを殺さないようにやっていただきたいということを申し上げたいと思うのですが、それで、この点に関連をして、いわゆる推計課税といわれるものですね。これに標準率表というのですか、あるいは効率表というのですか、そういうものの秘密性というものがどうかということについて何か裁判所の判決があって、これは秘密にはならないということになったわけですが、私もどうも標準率表とか効率表というものを秘にしてそれを外にばらしたら刑罰をくわなければならぬほどの秘密性があるかどうか疑問に思う。私は弁護士ですから、たとえば弁護士の場合にも、事務所と自宅が同じ場合、違う場合、経費というものは収入の約何%ということは、税務署との交渉で大体きまるでしょう――きまるんですよ。それからいま申し上げた判決にも書いてありますように、租税特別措置法でお医者さんは七〇何%かといったはっきりした経費というものを認められておる。農業の場合は、御承知のように、いわゆる税務署との交渉で毎年それをきめていくわけです。ですから、業種によっていろいろいわゆる標準率というものはもちろん違うでしょうけれども、それを秘密にしておくということが一体どれだけの意味があるか。むしろそれを公表するほうが紛争を未然に防ぐということにならないか。ほんとうに厳重に秘密にされておって文字どおり部外秘になっていたら別ですが、実はいろいろな形で半ば公然となっているとすれば、どうして秘密性というものを無理に補充をしていかなければならぬのかよくわからぬのですがね。
#49
○政府委員(亀徳正之君) 農業所得とそれから営業所得と若干ニュアンスの差があると思っておりますが、特に私たちは標準率なり効率というものを特に部外秘といいますか秘扱いにいたしております理由は、やはり所得というものは納税者の方が自主的に自分の所得を計算して申告されるというのが本来の筋ではないか。あくまでも効率なり標準率というものは平均的なものであって、これを公開することによって、平均的なところで申告すればそれでいいのかということで競ってみんな平均的なそれで申告するということになるのではないか。それは、申告納税制度のたてまえからいって、おかしいのではないか。標準率なり効率というものは、直ちにそれで各人の所得を全部押っ付けようという趣旨では決してないんで、むしろ標準率、効率の本来のいろいろな使い方があるのでございますが、出された申告なり何なりがどうも一般の水準から非常に離れている。そうすると、その申告についてはあらためてもう一度調査をしなければいけないというような一つのチェックをする役目を主としては持っております。今日、青色申告も相当普及いたしまして、大体帳簿に基づいて申告していただく風習ができております。ただ、白色申告者の方々がどうも帳簿をつけておられないということで、やむを得ず推計課税をいたす場合もございますけれども、しかし、それも、それじゃそういった平均的なもので申告をすればそれでいいのだというようなことになりましても、これは申告納税制度のたてまえからいっておかしいのではなかろうか。かえってそれは納税者の方をミスリードすることになりはしないか。そういった趣旨から、私たちは、標準率、効率というものは、部外秘に、部内限りといいますか、秘扱いにいたしておる次第でございます。
#50
○松井誠君 この標準率、効率というのは、一番重要な役目をするのは、いま言われたような推計課税のときが一番多いのじゃないですか。帳簿を備えつけろといったって、なかなか備えつけることができない。そういう意味で、収支の計算を書類の上ではっきりすることができない。そういうときに使うやむを得ない方法として推計課税をやる。推計課税をやるときに所得金額なり税額なりをはじき出すのに使われるのが標準率だと効率だとかいうんだとすれば、それがほんとうに合理的にできておれば、それを公表をして、むしろ白色申告の人たちがそれにみんな右へならえしたってかまわないんじゃないかと思うのですね。そうすることによって国家財政が危殆に陥るわけでもないし、ほんとに合理的なものであるならば、標準以上であるとか標準以下であるとかいう特別な人は、それ相応のいわば主張なり立証なりをすればいいのであって、とにかく合理的にできておるならば、公表をして、よらしめるべき道というものをはっきりさせるほうが、むしろ未然に紛争を防げるのじゃないか。いずれ訴訟にでもなれば裁判所に出てくるんでしょうし、裁判所に出てくれば当事者にはわかるだろうし、秘密といってもそういう意味では大ざっぱな秘密なんですから、衆議院の段階でいろいろ主張をされておるように、あの判決というものをむしろ機縁にしてその秘密性というものをなくする、そのかわり各業種別にほんとうに細かい合理的な標準率あるいは効率というものをつくる、そういうことのほうが税務行政は円滑にいくんじゃないでしょうかね。
#51
○政府委員(亀徳正之君) 私は、それと財政収入の確保とかいう問題とは次元の違う問題と考えております。申告納税制度の徹底といいますか、極力帳簿をつける慣習をつけていただいて、御自分で所得を算定していただくという風習を定着させるということが本来のたてまえで、これを発表してまあそのとおりやりゃいいじゃないかと。これはあくまでも平均的なもので、千差万別でございます。もちろん、標準率の中でも、標準外経費というものも別途標準外にいろいろ適用することによって、全く機械的になることをその中でも避けるようにいたしておりますが、いずれにしろ、私たちの基本的な考え方は、やはり御自分で所得を算出する慣行をつくっていく。ただし、そのために、帳簿の様式なり何なりというものを極力簡素化して便宜づける。それからこれはちょっと手前みその表現になるかもしれませんけれども、御自分で原始記録をつけておられるということが、たとえば商売をやっている場合に、自分の経営というものを的確に把握しておくと、それはいかに規模が小さくても、自分の経営がどういう状況かということを認識しながら経営していかれるということは、単に税の問題ばかりじゃなしに、事業を運営していくという立場からも必要ではないかと思います。
 まあこれは若干脇道に入りましたが、いずれにしろ、申告納税制度というものを育成していくという立場からいいますと、とにかく標準的なものを出して、そのとおり申告すればいいじゃないかということになりますと、何も一帳簿をつけなくたって、そのとおりやっていればいいじゃないかということになってくるのではないか。そんなことにならぬと、こういう御議論もございましょう。しかし、私どもは、やはりそれが問題だという立場をとって、標準率、効率は公開すべきでない、かように考えている次第でございます。
#52
○木村禧八郎君 ちょっと関連して。いまのお話を伺いますと、財政収入をあげる立場というものとは全然違った次元だとおっしゃいますが、これは歴史的経過から見まして、占領中に駐留軍が徴税の督励をしたんですね、御承知のように。あのころから推計課税が問題になって、ずいぶん国会でも問題になりましたよ、あのころ。池田さんの大蔵大臣のころ、それは絶対にやらぬと、そういうことはよくないことだと、そういう経過もあるんですね。ですから、そういう歴史的経過から見まして、財政収入をあげるそういう次元と違うとおっしゃいますけれども、私は、はっきり違うということにはならぬで、実際にはこういうものがあって、ある程度の税収が落ちちゃ困ると、そういうことに実際なっているのじゃないかと思う。そうであるとは答弁できないでしょうけれども、いままでの歴史的経過から見まして、実際はそうだと思うんですよ。
#53
○政府委員(亀徳正之君) その歴史的経過は、まさに私も経験いたしました。私は昭和二十四年から二十五年にかけまして福岡国税局で直税部長をいたしておりまして、その実態を申し上げると、司令部もおりまして、約七割の人たちに対して更正決定をする。まああのとき非常に悪いのは、更正決定をして、文句が出ますとまたあとで直すとか、その次に今度は申告の時期になりますと、どうせ更正を受けるからといって低い申告を出す、またそれに輪をかけるというか、ばっと更正を打つという、こういう一つの悪循環をせっかく申告納税制度を採用しながら断ち切ることにならないということで、その次善の策として更正の件数を少なくする意味で、お知らせ制度といいますか、一応事前にこれくらいあるのじゃないかという調査をした額を、これだって申告納税制度のたてまえからいうとおかしいわけでございますが通知して、その人がその額で申告すれば更正しないということで、更正の件数を相当思い切って減らしてきた。しかし、よく考えると、それも自主申告納税制度のたてまえから見るとおかしいのではないか。そこで、青色申告制度をやはり勧奨しようじゃないか、もっと帳簿をつけて申告してもらう慣行をつけようじゃないかということで、青色申告制度ができ、また、お知らせ制度も廃止したわけで、実はスタートにおいてはまさに財政収入のことがありましたが、あと税務行政の混乱を収拾するためにわれわれが心魂を傾けた点は、やはり申告納税制度をいかにして定着し発展させるかということであったわけです。そのためには、こういった標準的なもので右へならえで申告すればいいではないかということは、少なくとも帳簿をつける慣行を養うというゆえんではない。先生のおことばを返すようですが、むしろそういう歴史的な過程での非常につらいまずかった経験からして、やはりわれわれの本来の税務行政のあるべき姿は、自主申告納税制度の定着ではないか。そういう観点からいいますと、こういう標準的なものを公開してみんなそのとおりやればいいじゃないかということは本来の道筋でないのではないか、かように考える次第でございます。
#54
○木村禧八郎君 それは、そのお話はわかりました。しかし、秘密にして、公表しないという理由ですね、それには税務署がとにかく心づもりとして持っていて、そこに問題があるのじゃないですかね、ですから、そこで過小申告があるかないかを――大体えんま帳ですわ。えんま帳があって、そこでどうも実際には苛斂誅求になるのではないか、機械的になって。そういうあれはあるのじゃないでしょうか。ですから、公表しないということについては、みんな納税者のほうでは、税務署にちゃんとえんま帳があるんだと、それに照らして、それが過小申告であるか適正であるかと、こうやっているのじゃないか、客観的に。たとえばいろいろな景気変動で収入やなんか変動しますね。しかし、それにもかかわらず、不景気になって収入が減っているのにちゃんと標準があって、それに合わないとやっぱり過小申告を出したのじゃないかと、そういうようにわれわれ聞くんですけれどもね。
#55
○政府委員(亀徳正之君) 決して、標準率が、この程度で収入を確保しろというものでは全くございません。いろいろ調査したものの業種ごとの平均的な数値でございます。で、まあどうしてもやはり税務署のやることは何かたくらんでいるのじゃないかということでいろいろ疑われがちなんでございますが、決してそういう趣旨ではございません。
 それからまた、私たちのほうは、極力青色申告はふやしたいし、それから白色の方といっても、帳簿を何がしかつけておられれば、議械的な適用じゃなくて、ある素材に基づいてその所得というものを調べる必要があるときは調べる。だから、白色だからもう一切標準率でやっていくという指導はいたしておりませんし、白色の方についても、帳簿というとやはり統計的に全部つけておらなければいかぬものでございますけれども、かりに一カ月の分がついておりましても、ある程度の見当がつきますから、そういうもので、たとえば今月の全体の趨勢から見てうちの店はこのくらいのあれなんだという御主張をなさいますれば、そんなもの帳簿がないからだめだ、すぐ効率だというような指導はいたしておらないわけでございます。まあその点は御了承願いたいと思います。
#56
○木村禧八郎君 どうも、税収と全然関係ないというのですけれども、実際問題は、税法どおり調査していまの税法をかけたら、それはものすごい苛斂誅求になると思うんですよ、実際は。と思いますがね。それで、申告納税と源泉徴収の場合と違うと思うのですけれども、申告の場合、七割捕捉ということをよく聞くのですけれども、大体これは税金が高いですから、ある程度の幅をもって何らかの形で税負担を軽くしたいと、そういう気持ちからまあ節税をやるわけですね、税法を正しくとらえてなるべく課税が軽くなるように。ですから、そういう場合に、やっぱり全体の税収をにらんで大体捕捉率というものを持っているわけですよ。全体のですよ、個々じゃないけれども、捕捉率というものがあるでしょう。大体どのくらいの捕捉率で、それであれをかければどのくらいの税収になるかという計算をする。そうでしょう。じゃ、税収の全体の計算はどうやってやるのですか。
#57
○政府委員(吉國二郎君) 税収の見込みは、国税庁ももちろん立てておられるわけでございますが、国会で御説明いたしますのは主税局の責任でやっております。これは先生もよく御承知のとおりで、課税実績をとりまして、そして業種別の経済的な伸びとかそういうものを勘案して推計するわけでございますから、そういう意味では実績を伸ばしておるということで、その実績に先生のおっしゃるような捕捉率があるかないかは別問題でございますが、捕捉率というものを考えてやっているということはないわけでございます。実績をとって、それをあるべき指数で伸ばすという考え方で計算いたしております。また、実際私どもがいくら計算いたしましても、国税庁はそれによってやるわけではないので、実際に調査して、取れなければ取れないで歳入欠陥ができるとか、あるいは場合によってはオーバーするとかというようなことで、私どもはあくまでも見積もりでございますから、いつも御指摘を受けますように、二千億も三千億も違ってしまうというような結果になるわけでございます。そういう意味で、捕捉率を考えて見込みを立てているということはないのでございます。
#58
○木村禧八郎君 そうですが、ほんとうにないですかね。標準率とか効率表というものと捕捉率とか全体の税収入に関係は全然ないと、そういうふうに伺ったのですけれども、全然なしで税収の確保ができるのかどうか。ぼくは何か関連があるような気がするのですがね、われわれことに徴税のほうはよく中身がわからぬですから。
#59
○政府委員(亀徳正之君) あらかじめこの業種には捕捉率は幾ら、それでやれというようなものではございません。むしろ結果論として、たとえば源泉徴収を受けているサラリーマンの人と営業所得の人と比べて、どうしても捕捉率が相対的に低いのじゃないかということは、結果論としてはいろいろ言われることがありますが、あらかじめ個々の捕捉率は幾らにしておいてどうということでできるものでは決してございません。
 それからもう一つ申し上げたいことは、税収の中での特に直接税の中の大宗は、やはり源泉所得税がそうでございますが、法人税、それから個人、特に法人税の中で大法人の法人税が圧倒的に多うございます。それから法人でございますと、ほとんどみんな帳簿をつけておりますから、大体帳簿に従って調査いたしております。それから個人の所得税も、最近、半分以上は青色申告になっておりますし、むしろ青色申告している方で近ごろ課税最低限が上がっておりますので、それからまた専従者控除というものを相当大胆にやっておりますので、青色申告をやりながら失格しているという人が相当ございます。したがって、標準率を適用して更正する比率も、件数で三%前後で非常に微々たるものでございますし、その更正の件数の中にしかもこの標準率で適用してやっているのはさらに少ない。やはり所得税の大宗も青色申告なり大口の納税者のほうの分が総体的に多うございまして、こういう方々はみんな帳簿をつけて――もちろん、帳簿をつけていても、大もとの帳簿と裏の帳簿と違えて、裏の帳簿でばく大に二倍もある、こういう方が残念ながらありますので、そういうときには調査して、申告よりも相当大きい額をちょうだいすることになることがあるわけでございますが、大半の方はその帳簿に基づいてやっております。したがって、標準率なり効率なり税収その他に先生がいま御疑問を抱かれたような意味で収入と密着しているということはございませんので、その点は御理解願いたいと考えます。
#60
○松井誠君 長官の御答弁は、基本はそういう趣旨のことを言われるのですけれども、私はどうもおかしいと思うんですよ。標準率や効率というものが青色申告へのいざないの役割りをするというようなお話でしょう。青色申告を進めたいということになれば、青色申告に対していろいろな恩典を与えるとか特恵を与えるとか、そういうことで政策的にやるべきであって、標準率とか効率とかというものを使って、青色申告にしなければ、帳簿を備えつけなければ、こっちはこういう表があるのだぞ、こっちのほうがよっぽど多いのだぞということでおどかして納税者を不安におとしいれることは政策的に考えていいのかどうかということですね。青色申告をもっと普及させようとすれば、あるいは帳簿を備えさせようということでやろうとすれば、そうすることによって利益を受けるというそういう形で政策的に誘導すべきであって、標準率とか効率とかというものを手のうちを見せないでおいて、そうして実質的にそういう強制的な方法で持っていこうというのは、政策的にもまずいのじゃないですか。
#61
○政府委員(亀徳正之君) 私の気持ちを若干誤解しておられるような感じがいたすわけでございますが、青色申告は、もちろん先生おっしゃるようないろいろな特典を与え、それから前向きに帳簿をつけたほうが事業経営の上でもぐあいがいいのじゃないかということで、前向きに宣伝をするわけでございます。ただ、先ほど効率、標準率との関係で申しましたのは、何もこれでやらないとこれでやっつけるぞというおどしに使うわけではさらさらないんで、むしろ、こういうことでやると、もうつけぬでもいいではないかということになって、やはり帳簿をつけていただいて自主申告をしていく基盤というものを逆にそこなうことになるのではないか、かような意味でございます。
#62
○木村禧八郎君 ちょっと……。効率とか標準率、推計課税、これは景気変動が相当ひどいときにしょっちゅう問題になると思うんです、業者なんかの人が。とにかくもうかっておると思ったら、景気変動で非常にもうかっていなかった。それを正確にちゃんと税務署が押えなくて、平均的なあれで推計というのがあって、いや、おまえのところは損しておるはずがないと、こういう機械的な推計課税が行なわれる、これをわれわれはよく聞くんです。ことに景気変動がひどいときですよ、そういう点、前に、そういうことはよくない、やらぬと、池田さんが大蔵大臣のとき。たしか記録にあるはずですがね。
#63
○政府委員(亀徳正之君) したがいまして、推計課税でこういうものを使うのは、極力限定的に、帳簿がほんとうはあっても見せないとかいう、非常に例外的な場合にやむを得ず使うわけです。先ほど御説明いたしましたように、ほかの方についても極力ある素材その他をいろいろ使って調査していくという考え方をとっております。
 なお、効率標準率も、先生おっしゃいますように、年によって非常に変動しますから、一ぺんつくったものを毎年同じように固定して使うということでなしに、特に問題の業種については年ごとに改めておりますし、常にそのときどきに――と申しますのは、効率、標準率の素材は、具体的なそういう納税者の方の申告あるいは調査した結果、そういったものをベースにしてホットな数字をとっておりますから、まあ全くそのとき時代即というわけにはなかなかいかないかもしれませんが、極力新しい事態に合うようには作成いたしております。
#64
○戸田菊雄君 関連して。国税庁長官のいまの説明ですと、いわゆる青色申告をより多くして、青色申告をすれば税金のほうもかけやすくなるでしょうし、事業もよくなる、これだけだと。いま松井委員が指摘したように別な面の政策宣伝があるのじゃないか、こう私は考えます。まあそれはあとでいずれお伺いしたいと思うのですが、標準率とか効率は現にいま算定をされて国税庁は持っておるわけです。その積算の内容、あるいは算定されておる標準率といいますか、そういうものを資料として御提示願えませんか、どうですか。
#65
○政府委員(亀徳正之君) これは部外秘にいたしておりますので、やはりここへ提出することは公開することになりますので、ひとつお許し願いたいと思います。実は、これも、裁判で第一審では負けてはおりますが、控訴いたしておりまして、松井先生も弁護士の経験をしておられますからよくおわかりと思うのですが、ここへ提示しますと、みずから控訴しておりながらしり抜けで公開しておるというのでは、これはもう控訴しても負けるわけでございまして、まあひとつその点は御勘弁願いたいと思います。
#66
○戸田菊雄君 いろいろと論理はありますよね。いずれ、長官はそういうことを言うが、またあとで検討しまして何らかの手だてで国税庁長官のほうへ別途質問してまいりたいと思います。
#67
○松井誠君 それで、審査請求の条文のところへ入りたいと思うのですが、八十七条の一項の三号ですね、審査請求の書面に「請求の趣旨及び理由」を書けというようになっておるわけですが、それが納税者に煩瑣な手続を新しく強要するのかどうかということを衆議院でずいぶん議論されておりますが、私はそういうことは繰り返しませんけれども、この規定の性格というか効力について、衆議院で、これは政府委員の方から訓示規定だというような答弁が一、二あるわけです。訓示規定だというのはどういう意味ですか。
#68
○政府委員(吉國二郎君) 訓示規定ということばが正確かどうかは私ども問題だと思いますけれども、ここでそういう趣旨のことを申し上げましたのは、「審査請求の趣旨及び理由」というものが書いてある場合には、これはいわゆる理由不備の却下ということにはならない。したがいまして、第三項は、できるだけその審査の趣旨及び理由が明らかになっているほうが両方とも仕事がしやすい。ことに、今度は、異議申し立ての際に原処分の理由を示すということにいたしておりますから、その理由に対応して書いてもらうとなおはっきりするではないかという趣旨の意味をあらわしているわけでございますので、また、これに当たらないという趣旨理由もないと実は私は思うのでございまして、「処分の取消し又は変更を求める範囲を明らかにする」、これはもう当然不服があれば趣旨として書くべきことだと思いますし、また、「処分に係る通知書その他の書面により通知されている処分の理由に対する審査請求人の主張が明らかにされ」るということも不服は当然それに対してあるわけでございまして、これに当たらないような趣旨及び理由というものはおそらくないとは思いますけれども、たとえこれにぴたりと該当していなくても、それによって却下を受けることはないという趣旨でございます。
#69
○松井誠君 それでよくわかりました。その訓示規定というのは、たとえばこれに違反をしても効力には影響ない、したがってこれを理由に却下はできない、そういう意味ですね。――わかりました。
 それで、その次に、複雑でよくわからないのですけれども、七十五条の二項の、これは何というのですか、調査課所管の何とかという術語に当たる部分ですね、これに対して、いままでは現行法では七十九条の一項で、「審査請求をすることができる。」ということになっておったのを、今度改めて、「異議申し立てをすることができる。」というように変わったわけですね。変わって、現在の七十九条が改正案の七十五条のほうに行って「異議申し立て」ということになっている。これはいまの制度の変更ですから、あるいはこれに対して間違って審査請求をやるというそういうときに、審査請求じゃなくて、今度異議申し立てになりましたよということで却下になって、なったときには期限が過ぎておったというようなときの救済規定みたいなものはないのですか。
#70
○政府委員(吉國二郎君) 処分に対する請求の相手方を誤った場合につきましては、直ちに補正をするという方法で補正をしてもらうということがまず第一だと思います。
 なお、行政不服審査法の第三章に、「行政庁は、審査請求若しくは異議申し立て又は他の法令に基づく不服申立てをすることができる処分を書面でする場合には、処分の相手方に対し、当該処分につき不服申立てをすることができる旨並びに不服申立てをすべき行政庁及び不服申立てをすることができる期間を教示しなければならない。」ということで、決定の際に教示をいたすということになりますので、教示が欠けている場合には直ちに審査請求ができるという規定になっておりますから、そういう意味では異議申し立てを飛ばして審査請求をしてしまっても、これはまた問題ない。したがって、教示ということで問題は解決できるのではないかと思いますが、実際の扱いとしては、間違いがあった場合、直ちに相手方を指示して提出してもらうということも可能なわけでございます。若干制度が変わりましたけれども、その点は更正通知にすべて教示をするということで間違いがなくやっていけるのではないかと、かように思っているわけでございます。
#71
○松井誠君 九十六条の書類の閲覧の規定のことなんですが、私は実務は全く知りませんけれども、いままでの取り扱いですと、この「閲覧」というのは、その処分の決定書であるとか、その申立人自身が持っておって申立人は見る必要がないような書類は閲覧を許すけれども、一番見たい所得金額を算定したその理由の基礎になるものだとか、先ほど言った確率表だとか効率表だとか、そういうもののほかに、認定した理由そのものも見せない、そういうのが実情なんだそうでありますが、そうして、その閲覧を拒む理由を、九十六条に書いてあるように、「第三者の利益を害するおそれがあると認めるとき、その他正当な理由があるとき」ということで拒否をするのだろうと思うのでありますけれども、その「正当な理由」というのは、たとえばどういうときにその拒否の「正当な理由」ということになるのか、一番多く使われる理由というのはどれになるのですか。
#72
○政府委員(吉國二郎君) 「第三者の利益を害する」というのは、これは明瞭でありますが、まあその利益を害するかどうか問題がある、たとえば第三者のプライバシーを侵害する結果になるというような場合があり得ると思います。例はあまりいま思いつきませんけれども、「第三者の利益を害する」というまではいかないまでも、プライバシー侵害というような問題がある場合等が現在多いように聞いております。
#73
○松井誠君 公務員法の百条の、公務員が職務上知り得た秘密を漏らすわけにはいかないという秘密を守る守秘義務といいますか、それが理由になることが一番多いやに聞いておるのですが、必ずしもそうではないのですか。
#74
○政府委員(吉國二郎君) 理由にしている多くはそれだと思います。つまり、調査をいたします際に、第三者から資料を徴集する。そのこと自体は、第三者としては、自分の計算でございますので、それを他に見せられることは困るということは当然あるわけでございます。そういう意味で、守秘義務に該当する場合が多いことは事実でございます。
#75
○松井誠君 その守秘義務のことなんですけれども、この秘密というのは一体だれに対する秘密かということをまずはっきりさせなければいけないのじゃないかと思うんですね。つまり、この審査請求人の秘密ということであれば、審査請求人に審査請求人の秘密を見せるということは、秘密を漏らすということにはならないのじゃないか。第三者の秘密であって審査請求人に対して秘密である、そういうものであれば、これはそうでしょうけれども、審査請求人の秘密というのは、審査請求人に対する秘密にはならないのじゃないか。だから、そういう場合には、おまえの秘密だから見せられないということじゃなしに、おまえの秘密だからこれは秘密じゃないのだから見せますよということになってしかるべきだと私は思うのですけれども……。
#76
○政府委員(吉國二郎君) それは、まさにそのとおりだと思います。
#77
○松井誠君 それはわかりましたが、あと、このあいだ参考人からもちょっと要望があったと思うのですけれども、この拒否の理由がかりにその書類の一部にあるとしたら、その一部だけの拒否をして、そのほかのところは見せるというような方法はとれないものか。書類全体が第三者の利益を害するというものじゃなくて、そのうちのかりに一部分であるとすれば、技術的にどうやってやるかは別として、書類の一部の閲覧を許す、書類の一部の閲覧を拒否するという、そういうきめの細かい方法で閲覧の機会というものをなるべく大ぜいの納税義務者に与える、そういうことの考慮はできないものですか。
#78
○政府委員(亀徳正之君) いずれこれは不服審判所ができまして、審判所長がいろいろ指導通達その他を出す範囲に属することだろうと思いますが、先生おっしゃいましたようにその分離が可能であるような場合には、やはり先生おっしゃいましたようなことで処理すべきであろうと、かように考えるのでございます。
#79
○松井誠君 たとえば、このごろはもうリコピーの技術が進んでおるわけですから、肝心なところ――正当に拒否かできるところは写らないような形でリコピーしますとか、そういうことで具体的にできると思うのです。ですから、そのような方法でやるように御指導をいただきたいと思います。
 次に、九十七条の質問検査権のことなんですが、最初に、午前中に問題になったあの点をもう一ぺんお伺いをしたいと思うのですが、先ほど吉國局長は行政不服審査法の三十二条の書き方からいってということでしたが、「他の法令に基づいて有する調査権の行使を妨げない。」というこの書き方というのは、この行政不服審査法の調査というのは行政不服を審査をするための調査の調査権を書いてある。しかし、各税法その他に書いてあるのは、それぞれ固有の目的を持った調査を書いてあるわけです。それとこれとは別なんで、ここで書いてあるからといって、各税法に書いてある、そういう目的での調査権というものがなくなるのではないのだという、そういう意味の規定ではないのでしょうかね。
#80
○政府委員(吉國二郎君) 不服審査法におきまして調査権を一応規定をいたしまして、同時に、各基本法、いわば審査というものを前提にしない基本法にある調査を妨げないという趣旨は、その審査の段階でもそれぞれの基本法の検査権が発動できるという趣旨で書いたものだと思っております。それで、不服審査法に調査権を書いたから、他の法律の規定の調査権がなくなるという趣旨のものではないわけでございますから、そういう意味では他の法令の効力を示しただけという意味ではなくて、審査請求の段階で他の法令の規定の質問権は当然行使されるという趣旨で書いて、したがいまして、他の法令の権限を行使し得るものは審査の段階においても当然それを行使できるんだということを注意的に規定をしたと、かように解すべき条文だと私は思っております。
#81
○松井誠君 この質問。検査権の問題でいままで問題になっておりましたのは、罰則で間接的に強制をするのは憲法三十八条の規定の趣旨からいってどうかというようなことがあったわけでありますが、そういう議論を盛んにやりますと、必ず局長は、社会党の案でもやはり過料を取っているんじゃないか、金を取るという意味では同じだというように言われるわけですが、私は、秩序罰としての過料というものを取るというようにわざわざ配慮をしたのは、やはり憲法三十八条の関係を考慮したからだと思うんです。憲法三十八条がどういう趣旨の規定かということはもうここで繰り返しませんけれども、かりにこれが刑事手続だけに適用になる条文であるとしても、少なくともその精神というのは行政手続に生かされなきゃならぬわけですし、その限りにおいては、間接的に強制をするということは憲法の三十八条の精神からどうであろうかという問題がある。そうかといって、その秩序を維持するという最小限度の目的を達するためには、やはり秩序罰で対するというこれは最小限度の要求であろうというのが社会党案の精神だと思うんですが、どうなんでしょう。その秩序罰も――行政罰というんですか、刑罰も、憲法三十八条との関係で同じように考えていらっしゃるのかどうかですね。
#82
○政府委員(吉國二郎君) 私が社会党案も何らかの意味で罰則をつけているではないかと申したのは事実でございますが、それは行政罰と刑事罰では軽重の差があることはもう当然でございますけれども、問題は、間接強制というものになるか、ならないか。したがって、もし憲法三十八条がこの条項に該当するかどうかという観点から見ますると、いかに軽微であっても間接強制しているという点は同じであるという意味で申し上げたわけでございまして、刑事罰よりも行政罰で強制しているほうがより軽いことは、それは認めているわけです。しかし、間接強制という点、それが問題であるとなると、これは同じあると、こう申し上げたわけでございます。
#83
○松井誠君 どうも、いま社会党案が直接審議の対象に残念ながらなっておりませんから、それはやめますけれども、この質問検査の点について、国犯法にもあり、あるいは国税徴収法にもあり、各税法にもある。それはおのおのその性格が違うわけでありますけれども、たとえば各税法に基づいて質問検査をやっておったと、そのときに国税犯則の疑いがあるということになれば、国税犯則取締法に基づいて今度は質問検査に移る。そういうときに、調査をされる人としては、これは罰則がみんな違うわけですし、罰則を受ける対象になる人も違うわけですから、そのけじめけじめをはっきりしないというと、一緒くたに調査をされるというと、非常に不安定な状態に調査をされる人が置かれる。したがって、ここまでは税法上の検査をやってきましたけれども、しかしこれから先はこういたしますよとか、そういうことが必要じゃないのですかね。実際のあれとしてはどういうことになっておるのか、ひとつ……。
#84
○政府委員(亀徳正之君) 調査査察部長から答弁させます。
#85
○説明員(大島隆夫君) 国税犯則取締法に基づきまして調査をいたしますにつきましても、直接税の犯則事件と間接税の犯則事件とがあるわけでございまして、それぞれ機構が違っております。間接税の調査におきましては、一般の税務職員が一般の税法に基づく調査を行ない、また、犯則取締法に基づく質問権を行使するということがあり得るわけでございまして、こういう場合には、いずれに基づいて調査をするということをはっきり告げることにしておりまして、切りかえる場合には、はっきりそのことを相手方に告げることになっております。それから直接国税の場合におきましては、全然調査の機構が違うわけでございまして、また、携帯する身分証明書というようなものも違っておりまして、おのずから、そのいずれに基づく調査であるということが明瞭になっておりまして、御心配のような点はないかと考えております。
#86
○松井誠君 そうしますと、ときどき聞くように、何のために調査に来られたのかよくわからない、その根拠というものがわからない、そういう不安というものは一応ないわけですね。たとえば、税法に基づく調査であるのか、あるいは国犯法による調査であるのか、そういうことはいま言ったように移り変わりのけじめのときにはちゃんとその旨を伝える、これは間違いなくやっているわけですね。
#87
○説明員(大島隆夫君) その点のけじめは、非常にはっきりいたしております。
#88
○松井誠君 これはあげ足をとるような意味ではないのですが、荒井さんでしたかおりませんか、法制局は。――では、その点はやめましょう。
 次に、九十七条の四項というのがあって、どうも私はこの意味がよくわからないのですが、まず最初に、九十七条の四項の「審査請求人等」というのを政令で定めるということになっておりまして、この政令というのは、いただいたところによりますと、「審査請求人の特殊関係者は、おおむね次の者とする。」と書いてあるんですが、この
 「おおむね」というのは、正式な政令には抜けてきちっとなるのでしょうか。
#89
○政府委員(吉國二郎君) これは要綱でございますので「おおむね」と書きましたが、正確にきちっと書く予定でございます。
#90
○松井誠君 それならいいんですけれども、「おおむね」というような範囲で書かれると非常にあいまいと思ったものですからお尋ねしたんですが、この九十七条の四項は、何とも私は意味がわからない規定なんでありますが、まずこの文章を最初にお尋ねしますと、「主張の全部又は一部についてその基礎を明らかにすることが著しく困難になった場合」の著しく困難になった理由が、質問、提出要求または検査に応じないために著しく困難になった、こういう因果関係が必要であるように書いてあるわけですけれども、これはそう読んでもいいんでしょうね。
#91
○政府委員(吉國二郎君) そのとおりでございます。
#92
○松井誠君 わからないのは、主張の基礎を明らかにすることが困難になったその場合に主張を採用しないことができるということの意味は、その文章の意味としてはわからないのではないんですけれども、そのときに著しく困難になった原因として、質問、提出要求または検査に応じない、そのために困難になったというように限定をしておる。かりにこれを、そういう応じないためではなくて、応じたけれどもなおかつ基礎を明らかにすることが困難になった、そういう場合には、困難になったことは同じなんでありますし、困難になった限りにおいては主張を採用しないことができるというようにつながってもおかしくないと思うのですが、困難になった原因をこのように特定をした理由というのは一体どういうことですか。
#93
○政府委員(吉國二郎君) この四項の趣旨は、先般御説明申し上げましたように、本来ならば、請求人等が一定の主張をいたしまして、その主張を裏づけるための厳密な意味の証拠ではございませんけれども、それを証明するような事実を当然審判庁としては求めるわけであります。その求めに、本人の主張がございますから、当然本人の主張するにはそれの基礎があるわけで、帳簿を書くとか、あるいは原始記録を書くということを前提にしているわけでございますが、それについて、それを明らかにしたいということで検査をいたす、あるいは質問いたしました場合に、それを拒否したという場合、本来の税法でございますと、質問検査権に対する拒否でございますから、構成要件に該当すれば罰則が適用になる種類のものでございます。しかし、審査請求というものは、税務署の決定というものに対して争っているわけで、審査請求人としては、たとえまずくいっても税務署の決定の範囲にとどまるということになるわけでございますから、そういうことであれば、そこで税務署として新しく所得調査を特に必要とする一般の所得調査の場合と同様に罰則を適用する必要があるかどうかという点がいろいろ議論になりまして、結局は、相手の主張が成り立たずに審査が棄却されてしまえば、本人としてはそれで目的を達しないことになって、審査請求をした意味がなくなりますから、そこで努力をして質問検査に応ずるであろうという程度に、罰則にかえてこういう不利益をこうむらせるということでとどめようというのがこの趣旨であるわけでございます。
 そこで、御指摘のように、主張したとしても、また、検査に応じたとしても、その主張の基礎が明らかにならない場合も当然ございます。しかし、この場合には、審査庁としてはそれに対応する税務署の主張等を彼此勘案をいたしまして、そこで請求人の主張が真実性ありと認定されれば、これをいれることもあるわけでございます。ただ、この場合、このように相手方が拒否したということによって主張の基礎を明らかにできない場合は、本人の懈怠に属することでございますから、審査庁としては、その主張を特に取り上げるについては、前に申しましたような場合と違いまして、これを単にこの主張は成り立たないといって退けても差しつかえないんだという、いわば罰則の変形のような形で規定をしたということでございます。
#94
○松井誠君 そうしますと、質問、提出要求、または検査に応じなかったけれども、しかし、ほかの資料で主張の基礎が明らかになったという場合には、応じないという範囲では基礎を明らかにすることは困難だけれども、ほかの資料で明らかになったという場合には、もちろんこの四項というものは適用がなくて、主張は採用する、こういうことになるのですか。
#95
○政府委員(吉國二郎君) いまその主張が他の資料で確実に証明されれば、その主張を採用することは当然でございます。
#96
○松井誠君 そうしますと、応じなかったけれども、しかし、主張を採用するということになれば、先ほど言った罰則にかわる一種の強制という効力は全然なくなってくる。この場合はそう理解していいわけですね。
#97
○政府委員(吉國二郎君) その点はそのとおりでございます。
#98
○松井誠君 そうすると、「著しく困難になった」というこの「著しく」という理由をわざわざ入れたのは、どういうことなのか。応じないために基礎を明らかにすることができなかったというのではなくて、できない、または言わないけれども、しかし、著しく困難だというような中途半端な規定の仕方をいたしたのはどういうことなのか、よくわからないのですがね。つまり、応じないために著しく困難にはなったけれども、しかし、基礎を明らかにすることが不可能じゃない、何がしかの可能性が残されている、こういう場合は、いわば処罰をしてやろうという意味で主張を採用しないぞ、こういうことなんですか。
#99
○政府委員(吉國二郎君) 「著しく困難になった場合」ということをつけ加えましたのは、やはり審査庁としてはできるだけ努力をして真実をつかむということに努めるべきである。本来、罰則的な意味であるならば、拒否をしたら直ちにその主張を退けるというやり方があると思います。それでは審査庁の本来の精神にそぐわないので、できるだけ努力はしなければならない。しかし、著しく困難である、不可能ではないがこれではばく大な日数を要するとかそういう場合にまでこのような本人が自分の主張を裏づける事実も出さないというふうな者に対してそれだけのことをするのは、全体の審査請求をおくらせるというような結果にもなりますし、はたして公益に適するかどうか疑問でございます。そういう意味で、拒否をしたという、一つの要件があっただけでは主張を退けないけれども、その結果として著しくその裏づけが困難になってしまったという場合には、罰則にかわるものとしてこの程度の段階まで行けば、それ以上の手数をかけることを要求されることは本人の努力とのつり合いからいって、無理ではなかろうかということで、不可能という字は使いませんでしたけれども、かなり強く努力をした結果なお困難な場合ということで、「著しく」という字を使ったわけであります。
#100
○松井誠君 とにかく、著しく困難であっても、しかし、不可能ではないということははっきりしているわけですから、基礎を明らかにすることが不可能ではないのに、しかしその主張を採用しないということになると、常非に矛盾をしたことになると思うですね。その主張の基礎をはっきりさせることが不可能ではない、何がしかの可能性が残っているのに、おまえの主張は認めないぞとこう言うのでしょう。そういうことが一体判断の筋道として許されるのかどうか。おまえの言うことははっきりしないから認めないぞというのはわかるのですが、何がしかは認められるのだけれども、しかし、資料の提出に応じないから主張は採用しないぞというのは、それこそ間接的強制のために具体的真実の追及をゆがめるということになりはしませんか。
#101
○政府委員(吉國二郎君) 税務当局として一つの確信を持って決定をいたしまして、それに対して異議申し立てをしている。異議申し立てをし、それに基づいて当然税務官庁、あるいは審査庁に対しましておのれの主張を裏づけるものを提出して、はじめてそこに主張が成り立つ。主張をして努力もしたけれどもなかなか立証困難という場合もありますけれども、この場合には審査庁はできるだけ最後まで努力を尽くすべきだと思いますが、本人が努力しないということは、ある程度そこに真実を何らかの意味でゆがめる事実があるとも考えられるわけです。本人の努力をしないところに着目いたしますと、これまた社会党案を引っ張り出して恐縮でございますが、社会党案では、「国税審判庁は、事件関係人が、正当な理由がなく、第一項第一号若しくは第二項の規定による処分に違反して出頭せず、陳述をせず、報告をせず、若しくは虚偽の陳述若しくは報告をし、第一項第三号の規定による処分に違反して物件を提出せず、又は第一項第四号若しくは第二項の規定による検査を拒み、妨げ、若しくは忌避したときは、その審判の請求を棄却し、又はその意見を採用しないことができる。」というふうにしておられますが、政府案のほうはもう一歩進みまして、そこでなおかつ主張を基礎づけることが「著しく困難になった場合」まで譲歩しているわけでございます。これはよほど考えた規定であると、かように考えておるわけでございます。
#102
○松井誠君 そうしますと、繰り返しますけれども、懲罰的な意味があるものですから、応じないということのために「著しく困難になった場合」には、その主張の基礎を明らかにすることは不可能ではないにかかわらず、主張は採用しない。そういう意味では、その出てきた資料と結論との食い違いができることもあり得る。出てきた資料では何がしかの可能性があるのに、その主張を認めないというのですから、その限りでは矛盾が起きてくる、こういうことは一応あり得ることとして前提をしておるわけですね。
#103
○政府委員(吉國二郎君) 真実というものを発見するということは、これはもう当然必要なことでございますけれども、真実発見については、税務署には調査権があり、納税者には申告があり、また、審査の場合には審査庁にも調査権を与える、本人に立証の権利を与えるということで手続的に真実がきまってくる面があると思います。この場合には、手続的に真実を明らかにするべき責任を負っている者が懈怠をしているわけでございますから、その面では、私どもは、これによって棄却したという場合には、それが真実に適していないことが証明できなかった。本人が証明する意思がなかったのであるから、真実であるとやはり推定せざるを得ない、かような制度的なシステムを考えているわけでございます。
#104
○松井誠君 しかし、この規定は、「主張を採用しないことができる。」というので、採用してはならないという規定の仕方じゃないわけですから、「著しく困難」ではあっても、なおかつ可能性があるとすれば、主張を採用することもできるわけでしょう。そういうことですから、採用することも採用しないことも、懲罰をしてやろうかやらないでいいかという審判所の意向できまる、そういうことですね。
#105
○政府委員(吉國二郎君) 私は、この「著しく困難になった場合」という中に含まれている寓意と申しますか、その意味は、審判庁は常に努力をし、あるいは資料を収集して、真実をつかむということの努力をすべきだと思いますけれども、その一番根本にある本人の資料というものを提出しないということによって事実上まあ主張を裏づけることができなくなったという想定をやはりしていると思います。「著しく困難」とは言っておりますけれども、客観的に申せば不可能ということは実はこういうものには全然あり得ないわけでございますから、「著しく困難」ということは、実体的に不可能を意味する程度のものであります。もちろんほかの資料でたまたまこれが明らかになれば、こういう事実があっても審判庁はあくまでも真実に即してこれはいれるべきものだと思います。そういう意味で、ほかに相当容易に調査し得るものがあるにかかわらずこういうことをするという意味ではない。しかし、大体において、本人が主張することを本人がその内容を提示することを拒否した場合に、第三者からそれを得るということはまず蓋然性としては不可能に近いという事実を踏まえてこの規定はできているというふうにお考えを願いたいと思うわけでございます。
#106
○松井誠君 局長の答弁がニュアンスがちょっと変わってきたと思うのですけれども、ともかく主張を採用しないこともできるしということで、やっぱりすることもできるという余地も残されておるわけでしょう。したがって、その主張を採用することができるということは、逆に言えば、提出に応じなかったけれどもしかし主張の採用をすることができるようなその程度のものは残っておるということを初めから前提にしておると思う。しかし、あなたの言われるように、「著しく困難」というのは実際は不可能に近いんだということならば、当然これは採用しないということを書くべきであって、「著しく困難」であってあくまでも不可能ではないからこそ、「採用しないことができる。」という形で採用する道をも開いておる、そう考えなきゃならぬのじゃないですか。
#107
○政府委員(吉國二郎君) 私は、本人が応じないために著しく本人の面では不可能ではあっても、他で容易に得られるものであれば、やはり主張を事実に基づいて確認すべきものだと思います。そういう意味では、「著しく困難になった場合」というのは、その道もなかなか困難である、実際上無理が生ずるというときを考えておると。しかし、さっきも申し上げましたように、審査庁というものは、両者が互いに主張を証明し得ないときでも、何らかの決をとるべき義務を負わされているわけです。そういう場合に、イギリスの禁反言のように、本人が拒否というような不協力に出て本人の主張自身を裏づける努力をしない場合には、本人が不利な判定を受けるということはやむを得ないと思いますが、突き詰めていけばそこまでまいる趣旨のものだと思います。しかし、本来これだけの義務を課しているものでありますから、そうぎりぎりまでいかないでも、もう「著しく困難」であるということが明らかになれば、そこは主張をいれないこともできるということを言わざるを得ないということがこの法律の趣旨であると思います。
#108
○松井誠君 どうもよくわかりませんね。これはやはり懲罰の意味でこういうことを入れたために、事実認定の原則というものを曲げるような形でこのような規定が入ったものですから、どうもわかりにくいのだと思いますが、私は、しかし、この規定というものは、いままで申しましたような意味でも問題がありますけれども、さらに、一体これが挙証責任というものをどう考えておって、どういう挙証責任というものの前提でこの規定ができてきたのだろうか、それのほうが実は大事だと思うのです。裁判所が普通とっておりますように、租税の争いについても、やはり租税債権というものの存在を主張するほうがまず立証責任がある、そういう考え方が正しいと思うのですけれども、そういうたてまえからいくと、この規定は、もういやでも挙証責任というものが納税者にこの規定で転換をされる。あるいは、転換をされるということじゃなしに、初めから納税義務者に立証責任ありという形で考えておるからこういう規定になったのか、そうじゃなしに、一応処分庁のほうに立証責任があるのだけれども、何か懲罰的な規定でそこで立証責任が転換をされるということなのか、前提にある立証責任はどのように考えているということでしょうか。
#109
○政府委員(吉國二郎君) 訴訟で申します挙証責任論というのは、これは私もよくわからないので、非常にむずかしいもののようでございます。欧米で申しております、いわゆる立証責任、バーゲン・オブ・プルーフとアメリカでは言っておりますが、その主張する者がまず立証すべきであるという考え方から申しますと、欧米では、納税者はまずみずからの所得を立証すべきである、それによって税務官庁がそれに対して判断をするという前提をとっているようでございます。その点、わが国の裁判所は、先ほど申しました債権不存在確認の訴えという構成をとっているために、債権を主張する税務官庁に立証責任があるような解釈しているのとだいぶ違うようであります。欧米では、納税義務者というものが、それをまず何らかの意味で、非課税であっても課税すべきものであっても、すべてそれを立証する義務があるという前提でできているように思います。ただ、私どもは、ここで挙証責任論のような本格的な訴訟の場合を想定しているわけではないのでありまして、そういう意味では、むしろ通常に言われておりますように、主張というものをお互いにぶつけ合ってその中で真実を求めていく、しかし主張する以上はそれに対して裏づけをするという義務が主張者に当然あるのではないか、その裏づけの義務を怠って無責任な主張をしておったのでは真実に対する寄与にはならないのであります。そういう意味の、限定された、個別の、いわば本来の筋道として、主張する者がそれを裏づける義務はあるはずであるという前提をとっているとお考え願ったほうがいいと思います。
#110
○松井誠君 主張責任の問題じゃなくて、ここで問題になっているのは立証責任の問題ですよね。何をまず主張すべきかという問題じゃなくて、主張したことについてどっちが立証すべきかというそういうことですから、この規定によってその主張をすると、もう当然立証責任がかぶさってきて、その立証責任の責任を果たさないというと、おまえはそれを立証しないのだからおまえの言うことは認められないということになると、まさに立証責任は納税義務者にある、そういうことにならざるを得ない。あなたがいま言われた日本の裁判所は、大体処分庁、行政庁に第一次的には立証責任がある、そういうのがほとんど通説で、そのこと自体についてはあまり争いがないくらいで、そのあとのほうの立証責任のいろいろな転換の問題はまた別として、第一次的な立証責任が行政庁にあるということは、これはほとんど定説に近いと思うのです。そういうものがあるにもかかわらず、この規定を置いたというのは、一体、ここで転換をしようということなのか、そうじゃなくて、裁判所の訴訟の段階における立証責任とそれから行政手続における主張、立証とは全然違うものなのだ、違う原則でものを考えなきゃならぬのだというような考え方からこういう規定が出てきたのか、その辺はどうなんですか。
#111
○政府委員(吉國二郎君) いわゆる挙証責任の厳密な考え方というのは、私はやはり訴訟の段階で適用になるものだと思っております。そういう意味で、この規定で挙証責任を規制するとか、あるいは立証責任を負わせるとか、転換をするとかいう趣旨のものではない。したがいまして、裁判所としては、これによって排斥された主張というものに対して裁判所固有の判断をもって対処すべきものであるということになると思います。ただ、その場合に、納税者の主張というものがはたして確かであるかどうかということを判定する心証としては、この規定があるということによって裁判所の心証において何らかの影響があるかもしれないということは言えますけれども、これが裁判所の挙証責任を転換したりあるいは裏づけたりする性質として考えたわけではございません。
#112
○松井誠君 私も裁判所の挙証責任の問題としてお尋ねしておるのではなしに、行政手続において挙証責任というものを一体どう考えておるのかということをお尋ねしたわけです。それにも、やはり、審判の形式をとっておるわけですから、主張し立証するそういうときに税務署なりあるいは審判庁なりがどちらに立証責任があるかということを考えることは、非常に重要な役割りを持っておるわけです。おまえはそう言うけれども、おまえの主張は認められないじゃないかということをまず税務署に対して言う場合と、納税者に対して言う場合とでは、結論というものはすっかり変わってくる場合もあるわけですから、どちらかまず立証しなければならぬというのは、裁判所へ行く前の行政手続でも、審判庁や税務署としてはきちっと持っていなければならないはずでしょう。そういう意味で、この規定というのは、これはもう明らかに審査請求人に立証責任を負わした規定だと言わなければならぬわけですから、その根拠というのを私は聞いている。その根拠というのが、懲罰的な規定でここで転換されるのか、それ以前に初めからそうなのか。
#113
○政府委員(吉國二郎君) いわゆる民事裁判において発展をいたしました挙証責任論というものが、行政手続において一体どこまで適用になるかということは、これはまだ定説がないように思います。もちろん、挙証責任の前提になるいまの債務不存在の確認の訴えにいたしましても、納税者のほうに帳簿その他の記録がある、それをもとにして所得計算が行なわれるということが一つの前提であるかと思います。やはり、納税者は、納税義務というものを果たすためには、その所得を計算し得る体制を整える義務が当然にあると思われるわけでございますが、しかし、それが行政段階において挙証責任というものとしてあらわれるかどうかは、これは私は疑問である、かように思うわけでございます。ここで挙証責任的なものに触れておりませんところは、まさに主張の全部または一部についてその基礎を明らかにすることが著しく困難になる――証明するということばを使っておらないのはもっぱらその意味でございまして、行政の審判あるいは行政の判断というものは、客観的な事実をいろいろ集めて、そこで最も真実に近いものを得るというところにあると考えるわけでございますが、その場合には、主張というものはそれを裏づける正当性というものをある程度持たなければ、単なる主張であっては採用することはできないわけでございます。もちろん、その背後には、請求人の主張が証明されなければ請求人が負けだというような、いわゆる民事的な挙証責任論はないわけでございます。先ほど申し上げましたように、審判庁は、ほかの資料を集めても、この当事者の主張を公平にながめて最終の判断をすべきものであります。その場合の挙証責任というものは、いま行政の段階では定説がないということを言わざるを得ないと思っております。
#114
○松井誠君 訴訟のほうでは、最高裁の昭和三十六年の(オ)の二一四号というのがここに一つ例をあげていますけれども、同趣旨の判決がたくさんあって、「挙証責任の配分に関しては、判例は所得の存在及びその金額について課税庁が立証責任を負うことを通説としている。」と、これが通説ですよ。その通説は行政手続における挙証の問題とは別だと。したがって、そういう意味では定説がないという考え方であるとすれば、それはそれなりに伺っておきますが、私は、訴訟の段階における立証責任の問題と、行政手続の段階における――これはまあ見直し調査の場合は別としまして、審査請求の段階における挙証責任の問題とは、別意に解釈取り扱いをされるべきものじゃないと思うのです。この点はひとつ今後さらに検討をしていただきたいと思います。
 いよいよ最後に、もう一つ、今度九十八条ですけれども、審判官の議決というのは議決の方式というかそういうことはなんにもここには書いてありませんけれども、政令では、多数決によるというような政令が予定をされておるようでありますが、多数決によるというだけでまかなえるのですか。具体的に言いますと、裁判の場合の合議というのは多数決ですけれども、たとえば甲か乙かという結論が出るだけでなしに、甲、乙、丙と三つの結論がある、刑事の場合なんか一番はっきりしているわけですけれども、一年の懲役、八カ月の懲役、六カ月の懲役という場合に、これは多数決じゃきめられないわけでしょう。その場合にどうするかということを裁判所法では書いてある。民事事件についても、金額が大、中、小と三つ結論が出た場合には、これは多数決ではきめられない。そういうことを考えると、多数決というようなきめ方だけではまかなえないのじゃないですか。
#115
○政府委員(吉國二郎君) この多数決というのは、たとえば国会等でも多数決という原理をとっておりますが、多数決のコロラリーとしていま御指摘のような問題が出てくると思いますけれども、その三つなら三つの結論に対してどれをとるかということは、最後多数決にならざるを得ないと思います。一人一人は主張はしているけれども、三人でじゃどれにきめるかという場合は、やはり多数決だと思います。
#116
○松井誠君 三人いれば三説あって、そのときには多数決というものはあり得ないでしょう。そのときにはどうして多数決のところへ持っていくかという経路をはっきりさせないと、多数決というものは出てこない。これは何もがんばる必要はないので、裁判所法を見ていただけば、多数決だけではまかなえないということはわかるわけです。私は、こういうものを政令に書くということ自体がほんとうはおかしいと思うんですよ。これはやはり大事なことですから、だれだって審判官の議決はどうして行なうのだろうかということは疑問に持つはずですから、それを何も好きこのんで政令にまかせる必要はないので、しかもこれは時々刻々移り変わっていくようなものでもございませんし、こういう議決の原則なんというものは、ちゃんと法律に書いたらどうなんでしょう。
#117
○政府委員(吉國二郎君) 議決ということ自体が一つの法律要件であるといたしますと、その議決のやり方については御指摘のような点があると思いますので、政令につきましては十分その点を考えて書いていきたいと思います。法律に書くということも一つの考え方だと思います。ただ、普通行政庁のやっておりますことにつきましては、議決というもの、その議決の内容というものは、政令等で書いているのが普通でございましたので普通のスタイルによっておりますが、御指摘のように法律に書くということももちろん考えられると思いますけれども、むしろ、この際、私としては、いま御指摘のあった点は十分注意をいたしまして、政令において万遺漏なきを期したい、かように考えるわけでございます。
#118
○委員長(丸茂重貞君) 本案の質疑は、本日はこの程度にとどめ、これにて散会いたします。
   午後三時二十一分散会
     ―――――・―――――
ソース: 国立国会図書館
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