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1949/04/12 第5回国会 参議院 参議院会議録情報 第005回国会 在外同胞引揚問題に関する特別委員会 第15号
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1949/04/12 第5回国会 参議院

参議院会議録情報 第005回国会 在外同胞引揚問題に関する特別委員会 第15号

#1
第005回国会 在外同胞引揚問題に関する特別委員会 第15号
昭和二十四年四月十二日(火曜日)
   午前十時十九分開会
  ―――――――――――――
   本日の会議に付した事件
○吉村隊事件
 (右事件に関し証人の証言あり)
  ―――――――――――――
#2
○委員長(紅露みつ君) 只今より在外同胞引揚問題に関する特別委員会を開会いたします。本日の議題は通称吉村隊事件の審査をいたすわけでありますが、本委員町は先に英彦丸事件赤鹿元中將等の証人喚問によりまして、ソ連地区内に残留しておりまする人達に関する貴重な資料を得つつあるのでございますが、本年度こそは待ちに待つております在留同胞も皆帰つて來ることと想像されるのでございます。併しながら当委員会としまして最も懸念いたしておりますところの残留同胞中の死亡者の記録は未だに得ておりませんので、本年度は当然予想せられました問題として、國民に対し、この問題に関し、万遺漏なきを期するために、又一般留守家族に取りまして、待ち侘びております未帰還者の心情に想いを馳せるとき、吉村隊の報道は最も大きな衝撃を與えたものでありまして、與えられました國会の権限において、当委員会は愼重にその眞相を糾明いたしまして、事実ありのままを國民に知らしめようといたしますために、又有史以來最も大きな敗戰という事実に直面して、私達日本民族が持つておりますところの人間性を、この事件を通じて自己反省の機会とし、私達の子孫に対する大きな教材として記録いたしますために、ここに証人として事件関係者の出頭を求め、前述の通り通称吉村隊事件を只今より審議いたします。
 先ず最初に証人の宣誓を願いますから全員の御起立を願います。田代喜久雄君より順次宣誓を願います。
   〔総員起立、各証人は次のように宣誓を行なつた〕
   宣誓書
  良心に從つて眞実を述べ、何事もかくさず、又、何事もつけ加えないことを誓います。
        証人 田代喜久雄
   宣誓書
  良心に從つて眞実を述べ、何事もかくさず、又、何事もつけ加えないことを誓います。
        証人 山崎 隆弘
   宣誓書
  良心に從つて眞実を述べ、何事もかくさず、又、何事もつけ加えないことを誓います。
        証人 長谷川貞雄
   宣誓書
  良心に從つて眞実を述べ、何事もかくさず、又、何事もつけ加えないことを誓います。
        証人 原田 春雄
   宣誓書
  良心に從つて眞実を述べ、何事もかくさず、又、何事もつけ加えないことを誓います。
        証人 池田 重善
   宣誓書
  良心に從つて眞実を述べ、何事もかくさず、又、何事もつけ加えないことを誓います。
        証人 酒井 幸次
   宣誓書
  良心に從つて眞実を述べ、何事もかくさず、又、何事もつけ加えないことを誓います。
        証人 阿部  忠
   宣誓書
  良心に從つて眞実を述べ、何事もかくさず、又、何事もつけ加えないことを誓います。
        証人 清水 一男
   宣誓書
  良心に從つて眞実を述べ、何事もかくさず、又、何事もつけ加えないことを誓います。
        証人 小峰 光治
   宣誓書
  良心に從つて眞実を述べ、何事もかくさず、又、何事もつけ加えないことを誓います。
        証人 笠原金三郎
   宣誓書
  良心に從つて眞実を述べ、何事もかくさず、又、何事もつけ加えないことを誓います。
        証人 鎌谷 參司
   宣誓書
  良心に從つて眞実を述べ、何事もかくさず、又、何事もつけ加えないことを誓います。
        証人 君島甚五郎
   宣誓書
  良心に從つて眞実を述べ、何事もかくさず、又、何事もつけ加えないことを誓います。
        証人 堀金  榮
   宣誓書
  良心に從つて眞実を述べ、何事もかくさず、又、何事もつけ加えないことを誓います。
        証人 酒井 一郎
   宣誓書
  良心に從つて眞実を述べ、何事もかくさず、又、何事もつけ加えないことを誓います。
        証人 津村 謙二
#3
○委員長(紅露みつ君) 宣誓が終りました。御着席を願います。
  ―――――――――――――
#4
○委員長(紅露みつ君) この際証人の各位に申上げますが、議院における証人の宣誓及び証言等に関する法律第六條によりまして、宣誓した証人が虚僞の陳述をした時は、三月以上十年以下の懲役に処する。かようなことになつております。以上のような罰則もございますので、虚僞の御証言のないように、この点十分御了承置き願いたいと存じます。尚御証言に当りましては、十分に御発言を願いたいと存じますが、ただ御注意を申上げて置きたいことは、質問に対して要点を逸脱したり、又御自分の御意見の開陳に亘らないように、つまり質問の需めに應じて御証言下さるようにお願いをいたして置きます。
 尚附加えまして、傍聽者の各位にも念のために一言申上げて置きたいと存じます。本会は申上げるまでもなく、神聖な委員会でございまするので、仮りにも喧騒に亘るようなことのないように御靜粛に願いたいと存じます。万一右樣のことがございました場合には、御退場願うこともあると存じまするので、この点予め御了承置きを願いたいと存じます。
 最後に委員の各位に御了承願いたいと存じますことは、議事の運営につきましては、昨日一應の打合せを済ましておりますので、皆さんにはお手許に配付しておりまする質問要綱の順に從いまして、先ず委員長から証言を求め、次いで委員各位に御質問を願いたいと存じます。
 尚議事の進行上、御質問の時間は大体、大体でございまするが、一回五分程度に願えたらと存じますが、御異議ございませんか。
   〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
#5
○委員長(紅露みつ君) 御異議ないと存じます。
  ―――――――――――――
#6
○委員長(紅露みつ君) 尚お諮りいたしますが、昨日の委員打合会の決定に從いまして、先ずA項目の審議から始めますが、この項目の証人である田代証人、田崎証人、長谷川証人、原田証人、以上の証人を除きましたところの証人各位には一時御退席を願う方がよろしいかと存じますが、御異議ございませんか。
   〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
#7
○矢野酉雄君 退場に承諾を與える前に、委員長に対して助言を申して置きます。これは昨日の委員会においても明確に主張して置いたのでありますが、この委員会は断じて自由討議でもなければ、公聽会でもない。我々國民が一日も早くその帰りを待つておる。その待望の氣持をこの委員会にも現わして、そして四十数万の諸君が一日も早く帰るに十分の我々は受入態勢を作るためにも、万全の準備をしたいというような、この友情の氣持が十分ここに溢れておるわけでありまするから、そのための資料を得る尊い機会であるので、この前みたような自由討議であるとか、或いは公聽会であるとかというような誤解がないように、十二分に委員長は前以て証人及び委員諸君に対してもこのことを申し添えて置かれる方がよかろうかと思いますので、一言助言を申上げます。
#8
○委員長(紅露みつ君) 矢野委員の御発言御尤もに存じます。皆樣お聞きの通りの事情で、これは各位におかれても御同感のことと存じますが、全く自由討議でも公聽会でもございません。申上げた通り神聖な委員会でございまするので、この点は各位におかれまして十分御了承おきを願つておきたいと存じます。
 それでは只今のA項目についての四証人の外、一時証人各位に御退席を願いたいと存じますが、この点は御異議ございませんですか。
   〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
#9
○委員長(紅露みつ君) それでは御異議ないと認めます。
 それでは審議に入りたいと存じますが御異議ございませんか。
   〔「異議なし」「議事進行」と呼ぶ者あり〕
#10
○委員長(紅露みつ君) A項目の一、田代証人にお尋ねいたしますが、朝日新聞が本件を取上げましたというその目的と根拠について御証言を願いたいと存じます。
#11
○証人(田代喜久雄君) 去年の半ば頃からでありますが、いろいろの仰留記を我々が読みまして、仰留記の中に吉村隊のことが出ております。これはその種類は四種類あります。それで吉村隊というのは非常に悲惨な状態にあつたらしいということを、我々はそういう仰留記によつて知つたのであります。それで何とかして、そのときは半信半疑で、併しこういう事実は確かにあるだろう。何とかして眞相は分らんものだろうかと思つておりました。たまたま週刊朝日がまず手始めといたしまして、その仰留記のダイジエストをやろうというわけで、三月のはじめでしたか、ダイジエストをやりました。それは週刊朝日に出ております。吉村隊のことが各仰留記の中から集めまして載つているわけであります。それを出しましたところが、方々から又反響がありまして、どうしてもこの眞相を知りたいというような声が高かつたのであります。それで生残りの隊員というのを何とかして見つけようと思つておりましたところが、漸くそれが見つかりましたので、まず吉川という人の伝を聞きました。とも角一遍これを公表すれば隊員の方がいろいろ帰つて來ておられるから、続々と眞相を言つて來られるだろう。それで眞相が明らかになるだろうと思いまして取上げたわけであります。その外には附加えることはありません。
#12
○岡元義人君 只今の田代証人の証言に対しまして、もつと明確に、何と何からそれを取上げたということをお答えして頂きたいのと、尚もう一、二点お伺いしますが、あなたがその記事をお取上げになりましてからいろいろの方々が今まで資料を持つて、又名乘り出て來た方があつたと思うのです。そういう方々でいわゆる告発をしよう、こういう申合せをされまして、その告発を最初しようと言つた人が段々時日の経つにつれまして、一体最後には何人になつたか。この点を明らかにして頂きたい。それからそういう工合に最初はやろうと思つていた人が、最近に至つてから僅かな人になつたと私達は考えるのですが、どういう理由でそういう工合に減つて來たかということを田代証人はどのようにお考えになつておるか。この点を述べて頂きたいと思います。
#13
○証人(田代喜久雄君) まず第一の我我が初め知りました仰留記の名前であります。これは「われらソ連に生きて」というのがあります。第二に「國境物語」それから「三つの敗戰」「戰う捕虜」「春なき二年間」私の知つているのはこれだけであります。外にもあるかと思いますが、私はそれはまだ読んでおりません。それからあれを発表しましてからいろいろ私共の方に、あれは事実であると、とに角一日も早くもつと眞相を尚らせてくれということを言つて來られまして、いつでも証人に立つということを言つて來られました方は、正確な数というのは毎日何ですから多少変つておりますが、それを申出て來られた方が今私の方で約六十名の達すると思います。更に正確な数字が必要でございましたら後程でも計算しましてお知らせいたします。それから初めあの記事が出ましてから吉村隊員と言われる方が続々と詰めかけて來られたのです。それでその席上に、彼が生きているとは知らなかつた、もうソ連で死んだものと思つておつた。併し生きておると分つたならこのままにしてはおかれない。告発するのだと言つておられました。併しその後いろいろ事情を聞いてみますというと、確に吉村という男は悪い男かも知れないけれども、お前達もまあ何となく無事で日本に帰つて來たのだ。今更むかしのことをあばきたてなくてもいいのじやないか。それに裁判などというのにかかれば、それぞれ皆勤めもあるし、若い方が多かつたのですが、それに又將來いろいろやらなくちやならん男が裁判にかかるとよくないのではないかという親戚の反対が殆んどだつたと思います。それで結局初めは四人でございましたけれども、告発すると申合せたのは結局二人になられたのです。それでよろしゆうございますか。
#14
○岡元義人君 重ねてお伺いしますが、その四人の方の名前と、最後の二人の名前を御承知であつたらお述べ頂きたいと思います。
#15
○証人(田代喜久雄君) 笠原金三郎氏、それから吉川嚴作氏、それから浪野敏治氏、その席上の告発すると異口同音に言われましたときに、加倉井さん、加倉井寛という方であつたと思いますが、それからもう一人おられましたが、これはちよつと名前は忘れました。笠原氏か何かにお聞きになると分ると思います。
#16
○岡元義人君 この中で誰が二人残つたわけですか。
#17
○証人(田代喜久雄君) この中の笠原氏と吉川氏が残られたわれです。
#18
○岡元義人君 もう一点だけ田代証人にお聞きしておきたいことがあります。いろいろ六十人もあなたのところに情報を持つて來られ、又いろいろな意見の開陳もあつたと思うのでありますが、田代証人はこの問題がすでに告発されておつた事実があるということを御存じであつたかないか、いわゆる函館においてそういう事実があつたということを知つておられたかおらないか、この点を一点だけ伺つておきたいと思います。
#19
○証人(田代喜久雄君) それは知りませんでした。
#20
○淺岡信夫君 田代証人にお尋ねをいたしたいのですが、吉村隊が引揚げて参りましたのは、大体昭和二十二年の十一月十二日新興丸、更に同日に入港しました北鮮丸、それから十一月一五日、三日遅れて入港しました信洋丸であります。そこで上陸港の函館港におきまして、この問題に対して告訴をいたしたのは、十一月十九日、原田春雄元通訳、長谷川貞雄元大尉、長谷川隊長、こうした両人の人が告訴をしたということに対して、証人はそれを知つておられたかどうか、或いはその後において知られたかどうか、この一点をお尋ねいたしたいのであります。
#21
○証人(田代喜久雄君) それは先程申上げましたように知りませんでした。第一吉村という人が日本に帰つて來たなんということは全然分らなかつたわけであります。その後においてあれが出ましてから知りました。
#22
○委員長(紅露みつ君) 次に山崎証人にお尋ねをいたします。毎日新聞がどういう目的と根拠の下にこの問題を取上げておられるかということについて御証言願います。
#23
○証人(山崎隆弘君) いわゆる吉村隊事件というものは、先ず朝日新聞社がお取上げになつたものでありまして、毎日新聞社としましては、朝日新聞の報道が確か三月の十九日付と二十日付、二回大々的に載つたと思いますが、それによりまして、この事件が仮りに法廷にまで発展した場合に、私共としましても、その眞相を掴んでおらないと、後の報道というものができなくなると思つて取上げたわけであります。
#24
○委員長(紅露みつ君) 委員各位の御質問はございませんか。
   〔「進行々々」と呼ぶ者あり〕
#25
○委員長(紅露みつ君) それでは次に移りまして、長谷川証人にお尋ねをいたします。あなたが函館において告発をなさつたのですが、その理由と、それからその後の経過について御証言を願いたいと存じます。
#26
○岡元義人君 今の質問に対して少し漠然としておりますので、内容について二、三こちらから質問して、この問題は新らしい問題でありますので、質問はそういう工合にお許しを願えませんですか。
#27
○委員長(紅露みつ君) 発言を許可いたします。
#28
○岡元義人君 只今委員長から長谷川証人が函館において告発の処置が取られた。これは一應証人にその名を伺つて見たいのでありますが、当時函館に入港されましてから、そういう事実があつたかどうか、いわゆる告発の手続を取られたんではないか。それからその後に手続を取られたといたしましたならば、その後それは一体どうなつたのか、この点について述べて頂きたいと思います。
#29
○証人(長谷川貞雄君) 告発しておりません。但し警察の方から人が見えて、吉村はこうこういうことをやつたかということを、実情を知りたいということで我々に聞きには來ましたが、告発はしておりません。
#30
○岡元義人君 尚重ねた聞きますが、そのときに告発しようといつて告発の手続を書かれた方はどなたですか。
#31
○証人(長谷川貞雄君) それは知つておりません。
#32
○千田正君 長谷川証人に伺いますが、函館において告発しようぢやないかとか、或いはこの問題について内地において池田隊長に対して何らかの方法を取ろうじやないかというような相談をしたことはありませんか。或いは若しそういうことをやるというふうな場合に、あなたの周囲に集まつて來た人は曽てのあなたの部下であつたのか、或いは後に編成された吉村隊の隊員であつた人達であつたかどうかについてお尋ねいたしたいと思います。
#33
○証人(長谷川貞雄君) そういう事実はありません。
#34
○矢野酉雄君 長谷川君にお尋ねしますが、全く私も全然白紙ですから分りませんが、あなたは一体吉村隊と通称いわれておるその吉村隊のどういう地位におられた人であつて、郷理はやはり函館であられますか。又今のお話を聞くというと、世間で長谷川氏が告発したかのように相当宣傳せられておつたが、全然それがないと今御証言のようであるが、警察当局があなたに向うから自発的に尋ねに來たときに、これに対して大体この問題に関連のある重要部面だけでよろしいんですが、大要どういうようなことを尋ねられ、どういうことをこれに対して回答したか、これを御発表願いたいと思います。
#35
○証人(長谷川貞雄君) 大体新聞に出ているようなことは噂に聞いておる、それは恐らく事実だろう、その事実に関しては原田元通訳がよく知つていると思う。原田通訳にその内容を聞いてこれという答弁をしております。
#36
○矢野酉雄君 どういう地位でありましたか。
#37
○証人(長谷川貞雄君) 地位は、奉天から承徳で編成されるべく、新らしく自分が中隊を引き連れて承徳に参りました。そうして十九日の降服するちよつと前に、部下を掌握するにはやはり元の中隊長でなければならんという関係で自分が全部兵隊を握るようになり、それに憲兵の者も自分の中隊に配属されて來ました。その中に吉村……元池田憲兵曹長が入つておつたかおらんか今はつきり記憶しておりませんが、多分自分の中隊に配属になつて來たものと思われます。その後、作業大隊として編成されたときは、自分の部下として外蒙に一緒に入つて行きました。で外蒙に入つてからは自分は元の中隊の者と外の者とで兵三百名を引連れて羊毛工場に働きに行きましたが……
#38
○委員長(紅露みつ君) 証人に御注意いたします。成るべく質問の要点だけに触れて…   〔矢野酉雄君「要点に触れている」と述ぶ〕
#39
○証人(長谷川貞雄君) 吉村との関係ですから…
   〔矢野酉雄君「全然白紙だから言つてよろしい」と述ぶ〕
#40
○岡元義人君 只今の矢野委員の御発言でございますが、昨日お手許に配つてあります通りに、当然今の経過については後に申す筈であります。
   〔矢野酉雄君「経過じやない、御本人の地位を…」と述ぶ〕
#41
○岡元義人君 経過となりますと非常に長くなるわけでありまして、議事の進行上大体打合せ通りにして頂くように私は希望します。
#42
○矢野酉雄君 大体打合せ通りにやつています。進めて下さい。
#43
○委員長(紅露みつ君) それではいずれあとで、この項目が出ますので、簡單にお結び頂きます。
#44
○証人(長谷川貞雄君) そうして吉村は約四百名の部下を連れて羊毛工場に一緒に働くようになつたというだけであります。
#45
○天田勝正君 ちよつとこの際にはつきりしておきたいのは、長谷川君が函館に上陸して、告発して、その後一本その告発がどうなつたかということで、それが警察なら警察に取上げられないならば、不満を持つておつたかおらないか、こういうことが一番はつきりしている筈なので、それがなければないのだ、こういうふうにおつしやつて頂ければ結構だと思います。
#46
○証人(長谷川貞雄君) 告発しておりませんので、その後の考えはありません。
#47
○岡元義人君 重ねてもう少し、大事な問題でありますので長谷川証人に聞きたいのでありますが、函館の警察に対しまして、いわゆるあなた方の中から告発状でなくても、先程の御証言によりますと、それは警察から聞いて來て、取調べに行つた、いわゆる聽取書みたいなものですか、それとも警察に出してある書類ということに対しては、全然長谷川証人は知らないとこうおつしやるのですか、その点を明らかにして頂きたい。
#48
○証人(長谷川貞雄君) 警察に出してある書類は知つております。
#49
○岡元義人君 その書類は一体何かということを聞いているんです。
#50
○証人(長谷川貞雄君) それは多分尋問書というようなものだつたのじやなかつたろうかと思います。
#51
○淺岡信夫君 長谷川証人にお尋ねいたしますが、今述べられた十八日に極秘に告訴状をしたためたということを本員は聞き及んでいるんですが、今のあなたのお話を聞きますと、告訴状ではない、警察からの聽取りによつてそれをしたためたのだというような御証言でありますが、それはいずれでありますか。はつきりして頂きたいと思います。
#52
○証人(長谷川貞雄君) これはつい近くになつて分つたことなのですが、阿部忠氏が告発しております。その告発によつて自分達が尋問されたものだと思われます。
#53
○矢野酉雄君 長谷川君はその聽取書に対しては読み聞かせられて然る後に捺印しましたかどうか。更に世間でいろいろとやかましくなつてから、何かあなたに対して、こういう問題にはもう何も関係するな、黙つておれとか、或いはこういうふうにやれとか言つて、何か話を持込んで來た者があるかどうか、当初に眞実を述べ、附け加えず又省略もしないということを御証言になつておりますので、その立場からはつきりとお答えを願いたいと思う。警察の調査に対してはいわゆる読み聞かせられて署名捺印をしたのですかどうですか。その次の問題は、何か騒がしくなつてから後にあなたに対して、いろいろこういうようなことをやるなとか、或いはやれとかというように、いろいろな話を持込んで來た者はないかどうかということをお尋ねしたわけです。ゆつくりお考えになつて……
#54
○委員長(紅露みつ君) 証人に申上げけすが、お急ぎになりませんでも、ゆつくりお考えになつてからでも結構でございます。
#55
○証人(長谷川貞雄君) 警察でその調書を読み聞かされたことはありません。ただこうこうこうだということを申述べて、ではそれは事実だろう、では事実だ、それに対して、じやここに判を押してくれというだけで、そのときは判を持つておらんので拇印を押してやつたと思います。それからその後世間からとやかくということは絶対ありません。
#56
○淺岡信夫君 証人にお尋ねいたしますが、池田重善は、伊藤邦義、渡邊廣太郎の両名をして部下を不法に殴打せしめ、三名を死に至らしめ、後、池田重善は部下に支給された食糧を横領して部下を栄養失調に陷れしめたというような告訴状の内容であるのですが、それに対して署名或いは今述べたように拇印を押したということであるけれども、その内容はこういうふうな内容であつたかどうかということを証言を願いたい。
#57
○証人(長谷川貞雄君) そういうことに関しては、今日もここに見えられておる原田氏或いは酒井氏がおるので、おのおのその関係者がそのとき警察で捺印されて事を処理したと思います。
#58
○淺岡信夫君 更に証人にお尋ねいたしたいのですが、十一月十九日函館警察署の橋本巡査部長を知つておられたかどうか、この点をお尋ねしたい。
#59
○証人(長谷川貞雄君) 名前ははつきりしておりませんが、警察の者だというだけは知つております。
#60
○岡元義人君 議事進行上、長谷川証人の証言をまだ求めなければなりませんが、一應留保して頂きまして、関連がありますので、原田証人の証言を求めたい、かように希望いたします。
   〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
#61
○委員長(紅露みつ君) それでは原田証人にお尋ねを申上げます。函館におきましてあなたの行動、どんなにしておられましたか。それからその御心境についてお尋ねいたしたいと思います。
#62
○証人(原田春雄君) 函館に上陸しましてから、吉村氏と起居を共にしておりました。そのとき当地の警察の方が見えまして、私一人を別室に呼ばれました。そうして、実は吉村隊員の中で、被害を受けた人々から、非常に猛烈な抗議が出ておるので、その実状についてあなたの知つておられることを一切したためて頂きたいという申入れがありましたので、私は失礼ですけれども、あなたの御身分をお尋ねしますと申しましたところ、警察の者でありますということで、私は吉村氏の、二年間における行状に関しまして、一切の私心を挾まないところをしたためました。その題目が陳情書であつたか、申請書であつたか、今記憶しておりませんけれども、告発状でなかつたことは事実であります。私が警察のお尋ねに対して、そういう陳情書をしたためるに至りました氣持は次のようなものであります。一つは吉村氏からいろいろな圧迫を受けたために、泣き苦しんだ人が非常に多く、その人々が祖國の土を踏んで、このままでは済まされないという強い氣持になつておられたことと、又あの地で非業な最後を遂げられました人々の御遺族に対しまする申訳、これが第一の氣持でありまして、第二の氣持は、法治國である日本に帰りまして、もしもこれを私が肯んじなかつたならば、或いは不幸にして、非合法的な手段による不祥事が起らないことが断言できないと思つた。この二つの氣持から、私は一切をしたためて警察に提出したのであります。從つて、これに関係のある人々はどなたかというお尋ねがありまして、私の知つておる範囲の方を申上げまして、その人々が署名捺印をされたものと思います。
#63
○矢野酉雄君 その原田君が、警察の当局に、そのままの眞実の氣持を訴えられましたのは、沢山あると思いますが、その主たる項目だけでよろしうございますから、こういう問題、こういう問題、こういう問題という、その大まかな項目だけここで御返答願いたいと思います。
#64
○証人(原田春雄君) 申上げます。いわゆる長谷川大尉と、吉村氏との個人的いきさつ、それが一つであります。次に蒙古側からの命令による処罰と、ノルマの問題、並びに吉村氏が單独で決定したノルマと処罰の問題、三番目に蒙古側から当然支給された金品の取扱い状況、四番目に、吉村氏が個人的感情などのために、部下を虐待した事実、最後に、こういう結果から非業な最後を遂げられた方々のこと、以上であります。
#65
○天田勝正君 この警察官の求めに應じてあなたがしたためられた文書にあなたの名指しの人たちが署名捺印したと、こう御証言になつたと記憶しておりますが、それらの人たちは、あなたの今の御記憶では、どなたとどなたでありますか。
#66
○証人(原田春雄君) 長谷川貞雄氏、磯部勝次氏、あとは今ちよつと浮び上りません。
#67
○天田勝正君 あと何人ぐらい署名したか……
#68
○証人(原田春雄君) あと四名ぐらいだつたと思います。
#69
○千田正君 原田証人に伺いますが、今あなたの申されたそこに捺印された方々は、前々から長谷川隊の隊員であつたのでありますか。それとも後程吉村隊が合併してからの隊員もその中に入つていたかどうか、その点を伺います。
#70
○証人(原田春雄君) もとの長谷川隊に関係のあつた人、それから純粋のいわゆる吉村氏の部下であつた人、それからそのいずれでもなくて、途中で他の部隊から轉入して來られた人、この三者があります。
#71
○淺岡信夫君 原田証人にお尋ねいたしますが、通称あなたは吉村隊の通訳として全般の通訳に当つておられたそうでありますが、長谷川隊、或いは吉村隊、その隊員は約六百名おるということを聞いておるのですが、その六百名であつたかどうか。それからその六百名の大半はどういうふうな人達であつたかという点を知つている範囲において御証言頂きたい。
#72
○証人(原田春雄君) 長谷川大尉の率いられた人数が最大になりましたときで四百五十名と記憶しております。この人々は長谷川大尉が隊長でありまして、その部下に中尉が二名、少尉が一名、その他下士官、兵で、民間人の方は三名ばかりおられたと思います。次に吉村氏の率いて來られました部隊は同じく四百五十名ぐらいでありまして、その中約半数は、当時の吉田氏の階級より以下の階級にあつた下士官、兵、残る半数は軍籍のない民間人であつたと思います。
#73
○淺岡信夫君 簡單で宜しうございますが、この全部合せて六百余名、この過半の人は刑務所を出たての人によつて編成されたということを聞いておりますが、そういう点がどうか。
#74
○委員長(紅露みつ君) 淺岡委員に申上げますが、御承知の通りこれはあとの項目に含まれると存じますので保留願います。
#75
○草葉隆圓君 先の長谷川証人の御発言によりますと、この告発は阿部証人がなさつたということでありますが、この機会に、控室におられます阿部証人をお呼び出し願つてその告発の状態を承つたら如何かと思います。
   〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
#76
○天田勝正君 阿部証人を呼びまする前に長谷川君にお聞きしたいと思います。それに先程阿部忠氏が告訴したのであるが、これを後で知つたんだと、その後というのはいつ頃お知りになつたのか、どういう径路でお知りなつたのか、少しお聞きしたいと思います。
#77
○証人(長谷川貞雄君) 昨日東京へ参りまして、初めて阿部忠と会つて分りました。
#78
○岡元義人君 私もちよつとの時間を借りて、今の警察に出されます調書と申しますか、まだはつきりいたしておりませんけれども、それをお書きになるときに四、五人の方がどつかにお寄りになつて、そうして人に知られないようにこれを認めた、こういう事実があるか、これを長谷川証人からお伺いしたい。
#79
○証人(長谷川貞雄君) それは警察の人が別室に呼んで別室でそういうことを聽かれ、そういう調書をしました。
#80
○岡元義人君 原田証人に伺つておきたいことがあるのですが、いわゆる調書を認めになつたと、調書でもよろしうございますが、そのときの原田証人のいわゆる氣持と、それから現在の至るはでいろいろこの問題が取上げられて來たわけですが、その間においてなぜこの問題についてその後の処置をばはつきり付けようというような行動をお取りにならなかつたか、その点のお氣持をこの際伺つておきたいと思います。
#81
○証人(原田春雄君) 申上げます。その当時の氣持は先程申上げたのですが、更に繰返して申上げる必要はありますか。(「ない、ない」と呼ぶ者あり)それではその後の経過でありますが、私は一應その当時思いました二つの心理状態を和らげて頂きまして郷里に帰りましたところ、約四ケ月の後に神戸の民間情報教育局でありますか、C・I・Cから呼出しがありまして、そこで更に当時の模様を一切述べろということでありまして一切申上げました。そのときに軍政部の方が、そこで若しも吉村氏が現在出獄したと仮定すれば、お前は不安であるかどうかということを尋ねられましたので、私は率直に不安を感じますということを申上げたのであります。で現在吉村氏がどうしておりますかということを聽きましたのですが、それに対する回答は得られませんでした。私は恐らく尚取調べなり、或いは反省の期間が彼のために與えられておるものと信じて今日の至つておりました。ところが最近の朝日新聞紙上その他におきまして、御郷里に帰つておられるということが分りまして、尚その中に四ケ月間函館で取調べを受けたということが出ておりましたので、相当反省をされたものという思いと、もう一つはこの実情を一應警察が調べたにも拘わらず、再び社会に公表することは、向うでたとえ病氣のために亡くなられた方々であつても、その多くの人々の遺家族並びに社会の人々に非常に思い切れないような歎きを與えるということを恐れまして、これを徒らに社会に公表することは、必らずしも当を得たものでないのではないかというような氣持で現在に至つております。(「進行」と呼ぶ者あり)
#82
○委員長(紅露みつ君) 阿部証人が出席されましたが…
#83
○草葉隆圓君 阿部証人に対しまして、函館における告発の理由、その後の経過並びに当時の心境ということをお尋ねを願いたい。
#84
○委員長(紅露みつ君) 阿部証人御発言を願います。
#85
○証人(阿部忠君) 証人阿部忠、私達が帰還のとき、昭和二十二年の十一月十八日、函館上陸当時、船内において、各出先の警察官から一應の取調べを受けました。その際この船の中に吉村、もう一人橋本という輸送團長がありました。この二人については特に申述べたいが、この事件に関係がないから今暫く橋本の件は拔きます。吉村の件については、私達が帰還直前、三ケ月間における轉属された事実を体験したに過ぎません。併しその中に私達の作業に從事した石切りのノルマ、生活の状況や待遇、それらの一切のものが余りに他の收容所に比してひど過ぎるという点であります。その感じは私達が通称罐詰工場と言われるそういう收容所から吉村隊に轉属されたのであります。この前隊においては酷寒の眞冬においてノルマ三〇%しかできないときも間間ありましたが、それらにおいても蒙軍が要求された過酷なそういう絶食乃至は時間を逸脱した深夜にも及ぶ作業というものは與えられませんでした。吉村隊に関する限り、四時半乃至五時起床、それから起き拔けに石切場の麓まで行軍して到着しなければならん。薄明るくなると同時に山へ駈け登つて石割の作業に從事するのでありますが、実際に俘虜が、ノルマに決つた食物、当時の晝飯一食拔くことは現在における晝飯一食拔くことではなかつたのであります。三日ぐらいに相当すると、私は現在でも思つております。あとにも先にも補充のつかない四百グラムのパン、それの絶食になるのが恐さに皆が血みどろになつて働いたのであります。今から皆さんに言つてもお分りにならんと思いますが、九月の半ば頃、すでに手足はひび、あかぎれ、裂傷で指先から血が流れております。箸も満足に持てません。箸を持てる者は何人あつたか。そうして革の手袋も三日と保たぬ。それは吉村におどかされるばかりでなく、その晝飯を食うために一生懸命になつた者もあるでしよう。それでもできない所もあつたでしよう。それらの者に対してまでも、一組三人六立米というノルマが完全にできなかつたので絶食をさせるということが、彼が隊長として、同胞として取るべき態度かということであります。これは端的に一つの実例を申したのでありますが、その絶食の経過というものは今ここに或る人の手紙があります。(「ちよつと注意して下さい」と呼ぶ者あり」)そういう心境で吉村をどうしても帰つてからやらなければならん、これは同胞の問題にしなければならないというこの心境で、函館で係官に私はその事情を述べて告発したのであります。
#86
○草葉隆圓君 阿部証人に伺いますが、内容を極く簡單明瞭で結構でございますから、告発の時期、内容を……
#87
○証人(阿部忠君) 船中であります。十八日、上陸前の船中であります。
#88
○草葉隆圓君 誰に告発されたのですか。
#89
○証人(阿部忠君) そのときに係官に、私は氏名を申述べましたが、向うの相手の警察官の名前は聞いておりません。
#90
○草葉隆圓君 船内に警察官が当時乘り込んでおりましたか。
#91
○証人(阿部忠君) 取調べに出張しておられました。
#92
○草葉隆圓君 その内容はどういう内容ですか。
#93
○証人(阿部忠君) それについて、今言つたそれらの事実にして、少くとも栄養失調から死に至らしめるという事実、それから私たちが傳え聞く暁に祈るという傳聞の事実も、恐らくああいう態度からして事実であろうと思われるから一應の実状調査を願いたいということを申出でました。
#94
○草葉隆圓君 伺つておりますると、阿部証人はナホトカにおいて数ケ月いわゆる吉村隊長と一緒におられた、その噂を……
#95
○証人(阿部忠君) ナホトカではありません。
#96
○草葉隆圓君 どちらです。
#97
○証人(阿部忠君) ウランバートルです。
#98
○草葉隆圓君 そういうことによつてこの告発をされた、そうするとお一人でなされたのか、当時最もそういう長い間吉村隊長と一緒におつて悲惨な状態を知つておる人たちとは関連なしに独自におやりになつたか。この点を……
#99
○証人(阿部忠君) 輸送船團のときにばらばらに組まれまして、各隊必ずしも旧隊員相互のままで輸送されなかつた事実、尚私たちが僚友としてこういう司法関係に携つておる友人グループは一緒でありました。
 それらの人々と話を合せて私が代表でそれを申述べました。
#100
○草葉隆圓君 それは申述べられた形であつたか、書類の形であつたか。
#101
○証人(阿部忠君) 書類ではありません。口頭であります。
#102
○天田勝正君 三月二十日の朝日新聞を見ますると、あなたが上陸されると同時に告発して、併しながらこれが取上げられなかつたことを非常に不満に思つておると、こういう記事が出ております。その通りでありますか否か。第二は三月二十四日の朝日新聞に先程の笠原金三郎並びに吉川嚴作の両君が告発いたしまして、あなた初め十六名の方が証人になるということが出ておるのでありますが、更に加えてあなたが証人に呼び掛け、吉村隊員よ、進んで証言に立てと言うて檄を飛ばしたということが出ておるわけでありますが、これらは事実でありますか。
#103
○証人(阿部忠君) 事実であります。尚これについては朝日新聞は企画としてこれを取上げたらしかつたのですが、既に約十日前に私たちの僚友の間で、名前を挙げるならば、現在長野におられる檢察官の山浦、それらの方々以下全部檢察官、裁判官、事務官の方々です。それらの者と、若し私たちがあのままで來た、もうお互に職場に落付いたからその後の吉村の動向を調べて、若しあのままで放されているならば改めてこれは問題にしなければいけないのじやないかということを申し合せまして、そうして私たちがそれに着手しよう、併しそれについては國外犯であり、法律的な因果関係において説明することが非常に困難じやないかという点で、私たち如何にそれを組立てるべきか、事実がそれに適合するかという点に專門的な見方をされる方もありましたので、延引しておりましたとき、たまたま十日乃至一週間後に週刊朝日十三日の発表になつたわけであります。
#104
○天田勝正君 私のお問いしたのはその程度で結構です。
#105
○矢野酉雄君 阿部証人は東京地方檢察廳の経理課長の現職におられますから、法的方面においても專門家でありますが、口頭で訊問を受けられた場合に、それを口頭の告発、正式の告発として訴えられたのですか。若し訴えられたとしたならば、その後その告発事件は如何に進展して、現在に至つてはどういうところまで落ちついておりますか。
 それから、さいぜんからあなたの陳述に対して委員側からいろいろな話があつて、話を牽制したかのように見えたかと思いますが、それはそういう意味でなくて、何れ内容は詳しくお尋しますけれども、草葉委員がお尋ねしたのは、ただ告発なすつたかどうかということだつたので、その内容をお話になるのは別の機会という意味でしたから、決して言論の自由を圧迫したという意味でないので、その点は誤解のないように私から申上げて置きます。
#106
○委員長(紅露みつ君) どうぞお坐り下さい。
#107
○矢野酉雄君 今尋ねたところです。
#108
○委員長(紅露みつ君) それじやどうぞお続け下さい。
#109
○証人(阿部忠君) 告発は口頭若しくは文書で受理さるべきものだと思います。しかしそれが私達が引揚の船中であり、必ずしも正式な告発と受取られなかつたかも知れません。又私達が内地へ上陸できるという嬉しさに一杯の時期でありました。又自分がリユツクサツクを背負いながら親が兄弟がどうしておるか心配で一日も早く故郷に帰りたい時期でありました。從つて船から上陸して函館において尚その後の受理がどうなつたかまで突きつめて來なかつた手落ちはあると思います。
#110
○矢野酉雄君 そうすると告発事件の今の現状は如何ですか。それなりになつて打切られていますかどうか。
#111
○証人(阿部忠君) それはその後全然連絡する機会もありませんでした。みずからもやりませんでした。そのためどうなつておるかわかりません。
#112
○矢野酉雄君 そうすると告発したか告発しないかもはつきり法的には……
#113
○証人(阿部忠君) 告発として向うが採上げられたかどうかもわかりません。
#114
○矢野酉雄君 わかりました。
#115
○岡元義人君 今船中で阿部証人は口頭で申上げた、こういうことを言つておられるのですが、調書等について捺印されたことがあるか、いわゆる援護局内においてそういう調書に対して捺印をされたことはないか、その一点、もう二三点一緒に答えて頂きます。
 次は長谷川証人や原田証人等とこの告発に対して連絡がとれておつたか。
 第三点は、あなたは口頭又文書という今お話がございましたが、復員業務のいわゆる輸送途中におけるそういう事件を裁判するために、一時昔の形がそのまま残されておつたのですが、中途において指令に基きまして今度は一般の裁判所においてこれを処理する、こういう工合に変つておるのであります。援護局にお着きになりましてから、この事件をあなたが当然何とかしようというお氣持があつたわけですから、その点について誰かからかそういう手続について教えられたか、援護局の方から教えられたか、或は警察から教えられたか、その点を明かにして頂きたい。
#116
○証人(阿部忠君) 第一点はどういうことでしたか。
#117
○岡元義人君 第一点は書類に捺印されたか。
#118
○証人(阿部忠君) 捺印しませんでした。
#119
○岡元義人君 第二点、は長谷川証人、原田証人との連絡がとられたか。
#120
○証人(阿部忠君) 今回の告発については全然そういうことがありません。
#121
○岡元義人君 そうじやありません。援護局に着いたときに……
#122
○証人(阿部忠君) とりません。長谷川証人が同船で帰られたかどうかもそのときはわかりません。
#123
○岡元義人君 それからちよつとここで聞きますが、函館に上陸しておりますか、舞鶴ですか。
#124
○証人(阿部忠君) 函館であります。
#125
○岡元義人君 それから今私が第三に申上げたのは、援護局の方々から、政府の出先になつております援護局から、そういう問題はこういう工合に処理されるようになつておるのだということを教えられたか、この点。
#126
○証人(阿部忠君) 教えられませんでした。(「進行」と呼ぶ者あり)又そのときお尋ねもしませんでした。
#127
○北條秀一君 大分進行いたしましたが、今まで聽きましたところで、未だ足りない点がありますので、一点お尋ねしたいのであります。それは朝日新聞でありますが、朝日新聞の田代証人にお聽きしたいと思います。先程毎日新聞の山崎氏は、この記事を取上げた目的をはつきりされたのでありますが、朝日新聞は当時この事件を記事として扱われる際に、どういう考えを持つておられたか、その点でありますが、これにつきまして四月三日の週刊朝日の週間放言欄には、この事件についてこういうふうなことが書いてあります。「この兇悪部隊長を当時の被害者たちが」云々、更に「しかし社会通念は、このような人非人の酒々として、良民の間に伍して生活するのを不適当と断定することに一致しているのである。」更に「この人非人の社会から葬られることを期待するのは、ひとり旧吉村部隊の関係者のみに止まらない。」というのが、最近の週刊朝日に出ておりますが、これは恐らく朝日新聞の皆さんのお考えであると思いますが、その点について田代証人の心境を伺いたいのであります。
#128
○証人(田代喜久雄君) 週刊朝日の週間放言というのは、決して朝日新聞の態度を代表しておるものではないと思います。それは週間放言を書かれる筆者の個人の意見でありますから、決して朝日新聞の態度ではありません。私も朝日新聞の上層部の態度はどういうものかは知りません。私とそれから社会部の幹部が、これをやろうと決意しました意図と言いますのは、要するに眞相をどこまでも突き止めて行くということであります。その他に何も他意ありません。
#129
○北條秀一君 田代証人に重ねてお尋ねしますが、現在の田代証人のお考えは、眞相を明らかにすればいいというのは、現在も尚そういうお氣持でありますか。
#130
○証人(田代喜久雄君) 勿論そうであります。
#131
○岡元義人君 ちよつとこの問題で、まだ非常にすつきりしないものがあるのですが、それは長谷川、原田、阿部、三名の証人からの証言によりまして、告発をしたその後の状況が全然分つていないのでありますから、もう一、二点委員長のお許しを得て伺いたいと思います。先ずその書類を警察に確かに誰が届けたかという点について知つておる方がありますならば原田証人から伺いたい。誰が警察にその書類を届けたか、或いは復員援護局の方にお出しになつたのか、或いは直接に警察にそれを渡したか、この点について知つている方があつたら御証言願います。
#132
○証人(原田春雄君) その調書は、私が直接警察の方に差上げました。警察の方から関係者の署名捺印を求められたのも私が目撃しました。
#133
○委員長(紅露みつ君) それでは次に移りますが、この際他の証人は一時退席して頂いておりますが、本件につきましては、未だ証人も不足しておりますが、不足の方だけにいたしましようか、全部証人に御出席を願いましようか、お諮りいたします。
#134
○草葉隆圓君 次の問題に対して必要な証人を全部、御一緒にお出でになる方が結構だと思います。
#135
○岡元義人君 大体津村証人を除けまして、他の証人は全部B項につきいろいろ証言を得たいと考えられますので、津村証人を除けた全部の御出席を願いたい。
#136
○細川嘉六君 昨日の委員会の打合せでは、一部の証言が済めば、全部同席して証言を続ける。そういうようであつたと、私は記憶しております。
#137
○委員長(紅露みつ君) 大体そうであつたのですが、又一應念のためにお諮りしただけです。それではそういうふうに取計らいます。……それでは長谷川証人にお尋ねをいたしますが、ウランバートルの收容所に至るまでのあなたの経過、それから部隊の編成の樣子、その素質、並びに池田証人、当時吉村隊長が隊長となられたところの経過等について御証言を願いたいと思います。
#138
○証人(長谷川貞雄君) 承徳で、日にちは、はつきりいたしておりませんが、確か九月七日頃であつたと思います。自分はソ連側から命令されて、一千名の作業大隊を編成されました。その中には特警の兵、下士官約四百五十人位、他に当時承徳にいた八八一部隊兵、下士官約四百名くらいだつたと思います。春部隊の若干名、それに民團の百数十名、計一千名の編成でありました。そうして承徳を九月十五日出発、外蒙ウランバートルに着いたのは十月二十日……、十月の二十八日か、二十九日であつたと思いますが、日にちは、はつきり記憶しておりませんが、一部の者はその当時行先きは、はつきりしませんでしたが、後で分つたことでありますが、炭鉱に約二百名、外に自分の中隊の者、外に八八一の中隊、春部隊というもの、合計二百二十名を連れて先ず羊毛工場に入りました。で十一月一日からその職場で作業開始、更に十日ぐらい遅れて八十名の追加、計三百名となりました。吉村隊は十二月五日頃だつたと思います。約四百名を連れて、その同じ職場で働くようになりました。爾後二十一年の六月頃自分がその收容所を出るまで、自分は自分の部下の長として、吉村は吉村隊の長として別々の宿舎を持ち、同じ工場で働いておりましたが、六月に出されて、続いて吉村が交替して長となつた。経過はそれで終ります。素質はさつき言いましたように特警の兵隊と……
#139
○千田正君 長谷川証人に伺いますが、二十二年の十一月の十二日に函館に上陸した当時、函館の上陸地の引揚者の、満州からウランバートルに至る間の状況を、引揚げて來た人達の報告を見ますというと、承徳からウランバートルに行くまでの間に、輸送中種々なる事故が起きた。而もその組織されたところの、この列車に入つた人達の素質が非常に悪いために、誰言うとなく地獄列車、こういうような言葉を以て言いなされたという程非常な悲惨な列車であつたということを函館において上陸した当時の隊員の人達の何人かが、上陸地においてこういうことを報告しておりますが、実際それ程悲惨な事故が満州承徳からウランバートルまでに行く間にこの列車内に起つたかどうか、この点について伺いたいのであります。
#140
○証人(長谷川貞雄君) 承徳から平泉まで約百粁行軍しました。この際は被服は全部支給され、食糧は全部支給され、三日間の食糧、被服は防寒服まで支給された。それを全部背負つて行軍しなければならないという状態で、非常に苦しい行軍でありました。但し全員よく頑張つて一人の落伍者もなく平泉に全員到着いたしました。二十二日だつたと思いますが、貨車に乘せられまして出発いたしましたが、ウランバートルに着くまで自分の大隊では三名の死亡者が出ておりましたが、外の大隊の話に比べて死亡者の数は非常に少なかつたようであります。又食糧関係も配給事情、こういうことを関しましては、蒙古側も非常に自分の言を入れて呉れまして、各停車々々の度毎にできるだけの食糧、或は水というようなものを補給してくれました。但し我々の腹を一杯に満すには至りませんでした。その糧秣たるや、玄穀、高梁というようなものが主食でありまして、それにパンというような状態で、我々以下持つておる品物とを満人と交換いたしまして、漸く空腹をかかえて行つたようなことは事実であります。但し自分の大隊では一人も逃亡者が出ておりません。よつて自分の大隊としては苦しいことには苦しみましたが、外の大隊に比較して苦しさはより以上苦しかつたということは今尚考えておりません。以上で終ります。
#141
○千田正君 重ねて質問しますが、途中に陸軍刑務所を解放されたところの囚人部隊がこのウランバートルに向うあなた方と同じ列車に乘込んだかどうかということと、そういうような人達によつて暴行或いは掠奪というような点において、一緒に乘つておつた人達に対して危害を加えたかどうかという点について、若しあなたが目撃しておつたならば伺いたいと思います。
#142
○証人(長谷川貞雄君) そのような事実はありません。刑務所から出た者と一緒になつたというようなこともありません。終ります。
#143
○天田勝正君 先程の御証言で始めに一千名の部隊が編成された。その編成の中の春部隊とか、いろいろ述べられましたが、どうも言葉がはつきりしない点があるのです。併しながらこの一千名を編成するに至つたのは一体勝手にそうやつたのか、どこかの機関によつて命令されたが故にこの一千名の部隊になつたのか。それから更にその次にウランバートルに着きましてあなたの隊が羊毛工場で三百働いた、こういうことを言われておるのですが、どうして一千名の部隊が三百になつたか。そこのところの説明がちよつとあつたと思うのですが、言葉がはつきりしませんので聞き取れない点があるので、それも附加えて御説明願いたいと思います。
#144
○証人(長谷川貞雄君) 申上げます。一千名の編成はソ連側でやつてくれておりました。それにただ大隊長要員の一名と、中隊長要員の四名がソ連側によつて入れられたというに過ぎません。それから蒙古に入つて三百名を連れて行つたということは、蒙古側の命によりまして、この職場には何名出せ、この職場には何名出せという割当によつて三百名になりました。終ります。
#145
○天田勝正君 他はどこへ行きました。残つた者は……
#146
○証人(長谷川貞雄君) 残つた者はあとから入つて來た大隊の者と混成によりまして建築業に主として出たようであります。
#147
○岡元義人君 隊長になられるところの経過について少しお尋ねしたいのですが、いろいろ長谷川証人がいわゆる吉村証人と隊長が代るというようなその……
#148
○天田勝正君 ちよつとその前に……。そうすると今のあなたの千名の部隊を編成したのはソ連側の命令でやつたのだ、こういうことがはつきりしたのですが、そうすると最高の人事、つまりその部隊長が、直接に言えばあなた、或いはその下の中隊長というものは直接ソ連側の指名ですか。
#149
○証人(長谷川貞雄君) そうです。
#150
○矢野酉雄君 僕は終戰のとき丁度八月の九日に錦縣まで行つて、あなたのおつた承徳に入ろうとしてあすこへ待機した者ですが、あの九日、十日、僕は承徳に対して電話を掛けたが、既にそのときは日本の部隊は相当移動を開始しておつたのか。あなた達の部隊は一体どれだけおつた中でどれだけが残つたのですか。ちよつとそれを……
#151
○証人(長谷川貞雄君) 自分の中隊は八月の九日に承徳に着きました。そのときの人員は約百五十名で、その以前に特警要員として行つておつた者が約三百名内外だつたと思われます。それ以外に残つておつた者は当時の第百八師の一箇連隊の若干、それに北支から入つて來た春部隊の一部。
#152
○矢野酉雄君 そうすると、そのとき最後にですね、ソ連の部隊が入つたのは……。しよつぱない入つたのは何時で、そうしてその命令を受けたのはソ連の分團長でしたか、或いは他の系統の人ですか。
#153
○証人(長谷川貞雄君) 入つて來たのは八月の十九日、そうして……
#154
○矢野酉雄君 蒙古の方に千名の編成をして、そうして移動せよという命令を受けたのはソ連の部隊長でしたか、分團長でしたか。
#155
○証人(長谷川貞雄君) それはよく分りません。
#156
○矢野酉雄君 ただ口頭でそういう命令を受けたのですか。
#157
○証人(長谷川貞雄君) ソ連の隊だつたと思いますが、何の隊か、名前は分りません。
#158
○矢野酉雄君 そうすると、それからのちの一切の輸送の責任は、あなたが隊長として、あなた一人のみだつたのですか。或いは又ソ連の上級將校がおつて、その指揮下にあつてあなたがその部隊を輸送して行つたのですか。
#159
○証人(長谷川貞雄君) ソ連の少佐の人と軍医の少佐の人、ソ連人二人、他に蒙古の少佐を長とした警備兵約五十名ぐらい同行いたしております。
#160
○矢野酉雄君 そうすると、最前千田委員からお尋ねになつたいわゆる地獄列車と言われたような、仮に事件があつたとしても、あなたの上にそうした蒙古並びにソ連の部隊將校が監督指揮をしておつたというので、あなたの独断によつて一切の部隊の行動を指揮したというわけじやないのですか。
#161
○証人(長谷川貞雄君) そうであります。
#162
○千田正君 先程お話の中に三名死亡したということがありましたが、それは栄養失調或いは何かの外傷その他によつて死亡したのでありますか。
#163
○証人(長谷川貞雄君) 主として下痢患者でありますが、それは承徳の離宮に入つておつて当時からの食糧難と、それに加えて苦しい行軍と、更に急に飲食物が変つたというようなことからして腹をこわし、その結果死亡したというのが三名であります。
#164
○千田正君 重ねて質問します。長谷川隊長は、吉村隊長に変らなければならなかつたという事情は、どういうために変らなければならなかつたのでありますか。長谷川隊長のその当時の状況はどうであつたかということをお聞きしたい。
#165
○岡元義人君 先程私質問を、そこまで行つていないというので抑えられてしまつた。又関連して一緒に、少しその問題に触れるというなら長谷川証人から聞きたいと思いますが……
#166
○委員長(紅露みつ君) 許可いたします。
#167
○岡元義人君 大体長谷川隊長が吉村隊長に讓られたその月日、昭和二十一年の何月であつたかということを明らかにして頂きたい。それからその変らなければならなかつた理由の中で、沢山ありますが今当初一つだけ伺つておきますが、前の日にちと、それからあなたの方の隊の中で逃亡兵その他が沢山出た事実があつた。それから又あなたの隊で医務官等が病院の掃除婦と姦通した事件があつた、こういうような事件が事実あつたか。それからもう一点は、あなたは吉村隊長が隊長になるということに対して反対の意見を述べられた。それがために自動車に乘せられてウランバートルの司令部に監禁された、こういう事実があつた、尚ずつとありますが、そのあたりまで一つお答え願いたいと思います。
#168
○証人(長谷川貞雄君) 日にちははつきり記憶しておりませんが、確か六月までは、その時分前の收容所におつたと思います。
#169
○天田勝正君 何年何月と言つて貰いたい。
#170
○証人(長谷川貞雄君) 二十一年の六月までであります。それから理由としてはこれは自分の想像であります。当時内蒙の通訳エリツチという男が入つておつたのでありますが、そのエリツチの言によりますと、君は兵隊に敬礼など嚴正にやるように指導しておらない。それから君はどうも作業を一生懸命やるように指導しておらん。更に蒙古人を馬鹿にしておるような言動を吐いておるというようなことはよくないから、今後注意したらよいではないかというようなことを、その通訳から言われました。じや、そんなことがあつたのかなあ、まああつたとすれば悪かつたから今後注意しようと、自分はその通訳に答弁して置きましてが、これはおのおの長によつて部下を指導するという指導方針が異なるので、大体自分の部下に対しては敬礼ということに関しては、君達は蒙古人に対して或いはソ連人に対して尊敬に値するという者に対しては敬礼してもよいが、外の者に対しては、したければしてもよいし、したくなければしなくてもよい、どつちでも君達に任せるという方針でありました。次に作業云々ということに関しては、我々はとにかく健康体で内地に帰らなければならんのだから、それまで身体に注意しなければならん。よつて向うの言われる作業はやるような努めなければならんけれども、敢て身体を死ぬまで頑張つてやる必要はないと思う。但しやらなければ我々にも何とかそれに対する報復があるから、まあそういうような報復に訴えられない程度に徐々とやつて行きたいというような指導をとつておりました。更に自分の言語云々というようなことに関しては、職場々々毎に兵隊と蒙古人と衝突しておるような状態であります。それは結局兵隊の言うことが蒙古人には理論と言いますか、理窟が分らない。どう言つても分らない。で日本の兵隊は腹を立てるというようなことからして、まま対立状態に入る。で自分も作業やら、何やらいろいろなことで從來蒙古人の收容所長と折衝し、その都度こつちの言うことを分らせようと努力したのでありますが、その理窟が分らないということで自分も非常に腹が立たのでありますが、先ず兵隊の喧嘩を抑えるために、貴公らも腹立つだろうが、貴公らが腹立つ以上に自分らは腹が立つ、但しここで喧嘩をしておつては我々に有利には展開しない。よつて奴らと話する際は、叱られたときは奴らを犬畜生と思えば我々の腹立つことも我慢できるということを部下に言いました。で、できるだけ逆らわんように、一つ犬畜生と考えて我慢してくれということを言うたことが、監督將校の耳に入つたものと思われます。蒙古人の收容所長でありますが……。そういうことからして長谷川は生意氣だということを中國人が言うておつたのを原田通訳から聞いた。長谷川は生意氣だから少し懲らしめてやれというような状態で、営倉に叩き込まれた。その結果結局吉村隊と合流の際に、長谷川を長にすればいいか、吉村を長にすればいいかと選任の際も、長谷川は駄目だ、吉村はいいということになつたのではないかと思われます、長になつた理由はそれでありますが、監禁というようなことは、自分がおつたときは自分がやつた監禁はありません。但し蒙古の收容所長がわざわざ自分の隊に出張して來て、この者はこういう罪状によつて何日かの営倉を命ずというようなことは一回ありました。
#171
○岡元義人君 ちよつと証人に私が質問いたしましたのは、あなたか吉村証人か池田証人が隊長になるということを言われたとき、隊長はどうかというときに、あなたが飽くまでそれを拒否された。それによつて先ほど私が質問いたしましたように、蒙古の司令部に監禁された、こういう事実があるかという点を
#172
○証人(長谷川貞雄君) そういう事実はありません。
#173
○岡元義人君 全然ないですか。その次は、あなたの元医官であるところの者が工場の病院の掃除婦と姦通事件があつた、その事件を……
#174
○証人(長谷川貞雄君) このことに関しては、自分も当時の收容所長から恐られたので調査して見ましたが、併しそういう事実は認められません。それは兼松氏でありますが、兼松氏は満州から持つて行つた医藥がある、その医藥を蒙古人の看護婦と性病医藥として交換する。その交換は、藥をこつちからやつて、食糧を向うから貰う。たまたまその交換場所がある部屋において行なわれた、それが運悪くも他の蒙古人にみつかつた。それでそういう噂になつたのではないかしらと想像されます。
#175
○岡元義人君 もう一つ、あなたの作業隊の中から逃亡者が沢山出た。並びに十七名がストライキをやつたことがありますか。
#176
○証人(長谷川貞雄君) 逃亡者は、自分のおつたとき一名あつたように記憶しております。それは余り腹が空いて、自分が前に働いておつた職場にパンがあることを思い出した。それでその職場に行つてそれを取つた、それがために行つたというようなことを兵隊が申立てたように記憶しております。それから十七名のストライキ、その事件はありました。但しその際も、本当に君たちはやるのか。ストライキをやるのならやつてもいい。その代り君たちの責任は俺が負う。但しやれることならばやつて辛抱するのが本当じやないか、もう一應相談してくれと言うたところが、兵隊は自分の氣持を察してくれまして、早速作業に從事しました。それで直ちにストライキは解決されました。
#177
○天田勝正君 三月二十一日付の長崎日日新聞を見ますと、森山氏の談がずつと長く出ておるのですが、それによると、あなたは兵隊をかばつたために四回監獄に入れられたということが出ておるのです。その監獄は入つたかどうか知りませんが、入つておるときにそうした隊長の交替が行なわれたのかどうか、この点をお聞きいたします。
#178
○証人(長谷川貞雄君) 責任罰で前後七回営倉に叩きこまれました。交替の時期は、自分が入つておつた時交替されました。
#179
○天田勝正君 もう一つ、その交替になつてから、あなたはそのまま隊におられたのか、或は又別の隊に配属になつて隊長のような地位にあつたのか、それとも又別の隊で一隊員になつたのか。
#180
○証人(長谷川貞雄君) 交替してから暫くその隊におりました。籍のあつた期間は約四五十日であつたのじやないかしらと思います。その間、道路工事と煉瓦造り作業に出されておるので、一緒に居た期間というのは十日か十五日ぐらいであつたかと思います。
#181
○天田勝正君 それは一隊員であるかどうか。
#182
○証人(長谷川貞雄君) 一隊員として労働に從事させられました。
#183
○細川嘉六君 長谷川証人は七回とか譴責を受けたと言われたが、その譴責の受けられた事情はどういうことか。
#184
○証人(長谷川貞雄君) 各回とも理由ははつきり分りませんが、第一回目はたしか「長谷川は生意氣だ、懲らしめてやれ」という意味で叩きこまれたと記憶しております。第二回目は煉瓦工場に長として行けというような命令を受けましたが、その間、收容所長が命令を出さんのに君は何で勝手な行動を取つたかという理由の下に第二回目は叩きこまれました。第三回、四回は君は長として患者がこんなにあり、患者をかばつて作業に出さんということは不届きだという名各目で叩きこまれました。五回六回は罪状不明で叩きこまれました。終ります。
#185
○草葉隆圓君 一点伺つて置きますが、さような事情で隊長を変られたが、長谷川証人といたしましては、この隊長を変るということの自分の心証としては、むしろ他の日本人からこういうふうなことで自分が隊長を追われたというような氣を起されたのかどうか。又そういうことを耳にされたかどうか。この点を伺つて置きます。
#186
○証人(長谷川貞雄君) これは自分の邪推かも知れませんが、日本人が日本人を賣るというようなことはありました。そうして自分の指導方針というようなことも日本人の口から蒙古人に漏れたようなことは或いは原田君が知つているかも知れません。それから今一つは……
#187
○矢野酉雄君 こういうデリケートな問題はいわゆる証人諸君が同席の場合に言えないこともあるかと思います。それで、これから先の追及は一應機会を見たいと思います。それで議事を進行してむしろ証人池田君の問題について一應委員長から先ずお尋ねになつた上で、我々から尋ねたいと思うから、長谷川君の証言は一應これで保留しておきたいと思います。
#188
○岡元義人君 議事進行について……。もう時間の関係によつて私は一時間休憩の動議を出します。
#189
○委員長(紅露みつ君) それでは只今の問題につきまして矢野委員からの御提案に御異議がなければ、差し障りもあろうかというお心遣いのようでございますので、さように取計らいたいと思いますが、御異議ございませんか。
#190
○岡元義人君 只今議事進行について述べたのでありますが、矢野委員の御質問は、これは相当時間をとると思うのであります。ここで休憩の動議を取上げて頂きたいと思います。
#191
○千田正君 動議の前に、矢野委員の先程差控えたらどうかというような御意見がありましたが、私はこの際宣誓をされたこの神聖なる委員会におきましては、堂々と如何なることも含み隠さずに質問に答えて欲しい。私はさように考えるのであります。
   〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
#192
○委員長(紅露みつ君) それではこの問題は一應保留にさせて頂きまして、休憩の動議が出ておりますので、御異議がなければ休憩をいたしたいと存じます。
   〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
#193
○委員長(紅露みつ君) それでは休憩にいたします。午後は一時十分より開会いたします。
   午後零時十二分休憩
   ―――――・―――――
   午後一時四十九分開会
#194
○委員長(紅露みつ君) 休憩前に引続きまして委員会を再開いたします。この際申上げておきたいと存じます。それは委員の各位には勿論御承知のことでございますが、この審議の進め方でございますが、これは大体の筋を一通り御証言を願いまして、それから後に又詳しく御証言を願うことになつておりまして、今その荒筋を進めておるところでございますが、証人の各位には、お立ちになりましたときに、この機会より外にないというような御氣持があるといけませんので、念のため大体これから進めます項目について、一應申上げて置きたいと存じます。只今審議中の点は、長谷川証人にこれから証言を求めますが、池田証人に、收容所に至るまでの経過並びに隊長が代られたところの経過、そういう点についてこれからお尋ねすることになつておりますが、それにつきましても、阿部証人、清水証人、原田証人、これらの証人の証言も求めることになつております。その次には、收容所の設備、特に季節との関係、これには、池田証人、原田証人、酒井一郎証人。その次の第三には、外蒙側ソ連と捕虜との指揮系統との関係、これには池田証人、原田証人、長谷川証人、阿部証人。次は作業の状況で、池田証人、原田証人、長谷川証人、酒井証人。その次は食糧で、池田証人、清水証人、小峰証人、長谷川証人、原田証人。次は医療施設、疾病の種類及び死亡率、これには池田証人、長谷川証人、酒井一郎証人。その次は、事件の原因経過の段で、笠原証人が告発に至るまでの経緯、それから次が告訴状に示されたる事実、これについては、長谷川証人、原田証人、笠原証人、酒井一郎証人。その次が鎌谷証人、君島証人、池田証人、阿部証人、堀金証人、酒井幸次証人、小峰証人、清水証人。それから事件の原因及びその結果。ナホトカにおける人民裁判のことにつきまして、人民裁判の内容、池田証人の人民裁判における状況、人民裁判を行なつた根拠、こういうふうにまだ荒筋の証言を頂いておりません。これを一應済ませまして、更に細かい点に証言を頂く筈になつておりますので、一應申上げて置きます。
#195
○岡元義人君 先程草葉委員から質問を留保されております長谷川証人を残しまして、これから愼重に審議する必要がありますので、外の証人は退席して頂くように動議を提出いたします。
   〔「賛成」「異議なし」と呼ぶ者あり〕
   〔淺岡信夫君発言の許可を求む〕
#196
○委員長(紅露みつ君) 動議についてですか。
#197
○淺岡信夫君 動議に賛成しますが、岡元委員の動議に賛成します。
#198
○委員長(紅露みつ君) それでは動議に賛成がありましたので、御異議がなければ……
   〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
#199
○委員長(紅露みつ君) さよう決定いたします。それでは……
#200
○草葉隆圓君 午前中長谷川証人に対しまして私は、長谷川証人が隊長を代られましたいろいろな表面的な筋は午前中お話しになりましたが、長谷川証人自身がお感じになつた当時の御心境として、これは午前中お話のあつたような意味の以外に、尚日本人同志において何かさような原因が生じたのではないか。具体的に申上げますると、或いは自分が代らされるような雰囲氣を作り上げて來られたので代つたのじやないかというようなお感じをお持ちになつたかどうか。そういう点について具体的に耳にされお考えになつたところがありましたら、具体的に一つ証言を願いたいと存じます。
#201
○証人(長谷川貞雄君) 只今の御質問のような感じは受けました。エリツチサンボウという内蒙から連れて來られた通訳が自分の見たというそのエリツチサンボウに誰が言うたかということに関しては、はつきり証拠は握つておりませんが、日頃仲のよかつた吉村自身が言うておつたというふうに自分は考えております。更に各職場の蒙古側の監督者には原田を通じて、長谷川は部下に作業をさせないというようなことを宣傳したように聞いております。但し部下の指導方針、自分の指導方針が外部に漏れたということに関しては、結局自分としては部下に対する信用がなかつたというような面もなきにしもあらずであります。以上、終ります。
#202
○矢野酉雄君 長谷川証人は自分の心証を省みられまして、吉村との間に何か自分で省みて勢力爭い、自分みずから勢力爭い的な行動に出たか、或いは一方から勢力爭い的な、隊長に、まああなた自身としては隊長の椅子を飽くまで固持したいというような意味のそうした目に見える爭い、或いは目に見うざる爭いというようなことについて、今から考えられてどういうような今お氣持をお持ちですか。或いはその氣持を立証するために何か具体的個々の事実があれば、それも御披瀝願いたいと思います。
#203
○証人(長谷川貞雄君) 吉村に対しては、元々自分の部下である。而も蒙古に入るときも自分の部下として連れて行つた。更に同じ羊毛工場に働かさせては、自分の部下は吉村の部下と比べて作業能率という点は絶対負けておりませんでした。その作業能率に負けておらんということは、蒙古側のゲー・ペー・ウーをやつておつた一將校の人がはつきに言うておりました。更にその人に、自分は吉村隊と比較して敬礼等は悪かつたかも知らんが、作業能率という点において負けておるか否やということを質しましたが、負けてはおらんということをはつきり言うて呉れました。規律などということに関しての処罰ということも、自分の兵隊の方にはそんなにありませんでした。一つの工場で二組の兵隊が働き出しておるということに関して、今申上ぎたような上官、部下というような関係で、庇いこそすれ、勢力爭いというようなことは、自分の考え上絶対持つたことはありません。その一例としては、吉村隊と自分と合併した際、吉村隊には軍医がなかつた。その軍医として認めさせるのに吉村も相当骨を折りましたけけども、蒙古側としてはそれを認めて呉れませんでしたが、その当時そのような作業能率の関係で若干自分の方に蒙古側の印象がよかつたと見えて、自分の助言によつて今お出でになつておる酒井軍医を採用して貰いました。そのようい庇いこそすれ、吉村からも又個人的な怨みを受けるようなことはなかつたと確信しております。
#204
○天田勝正君 一つずつお伺いして行きますが、先ずあなたは先程の御証言で、同一工場に働くようになつたけれども、吉村隊は吉村隊、長谷川隊は長谷川隊であると申されておりますが、三月二十日の朝日新聞によりますると、あなたの語つた談として、十二月の初めにその二隊が合流して、それに、長谷川さん、あなたが総監督になつたんだと、こういうことが出ておるわけですが、この通りでありますか。若しそうであるとするならば、その期間はどのくらいでありましたか。
#205
○証人(長谷川貞雄君) そうではありませんでした。
#206
○天田勝正君 やはり午前中の証言の通り、飽くまで別々に……
#207
○証人(長谷川貞雄君) はあ。
#208
○天田勝正君 では次に、あなたが七回監獄に入れられた、この原因は部下を庇うが故であつた、その入つておるうちに吉村が全隊の隊長になつてしまつた、こう言われておる。そこであなたが出て來られたときは、今度は一隊員としてその下に使われるという身分になつたということでありますが、そのようになつてから吉村隊長から何か虐遇されたようなことはございますかどうか。
#209
○証人(長谷川貞雄君) 別にそういう事実もありません。從前通り將校室には寢させて貰いました。但し精神的には若干引け目を感ずるのか、精神的には圧迫感を感じておりました。それと共に吉村はスローガンとして如何にも自分に当て擦りをするような文句を並べて貼付をしました。それは結局今も記憶しておるのですが、人を相手にせず、天を相手とする。結局自分に言わせると、長谷川を相手とせず、天を相手とするというような心境を物語つたものではないかと解釈しております。
#210
○天田勝正君 いつの場合でも必らず自分の味方というものはある筈であります。あなたが監獄を出て來られた場合に、あなたが可愛がられたこうした旧部下の人が、こういうことから、あなたは日本人同士によつてこういう運命になつたということを直接お聞きになつたことはありますか、自分の部下から……
#211
○証人(長谷川貞雄君) 自分の部下と、そういうふうになつてからはゆつくり話をするような機会は設けられませんでした。それは何となく蒙古人の監視、或いは自分の一言半句によつてますます不利になつて行くというようなことからして、自分からも部下と相接しない。自分から離れて行つた後においては、自分に好意を持つて呉れた部下はますます不利に陷るだろうというように考えたので、自分からも寄り付かんように……
#212
○天田勝正君 離れたといつても作業に出る場合はやはり自分の旧部下と一緒ではなかつたのですか。
#213
○証人(長谷川貞雄君) そうではありません。
#214
○天田勝正君 というと別に……
#215
○証人(長谷川貞雄君) そうです。
#216
○天田勝正君 ちよつと具体的に申しますが、旧長谷川隊があり、吉村隊があるというと、あなたは旧長谷川隊の諸君と仕事に出させられずして、これと断ち切られて新しい吉村隊の諸君と一緒に仕事をさせられたと、こうおつしやるのですか。
#217
○証人(長谷川貞雄君) 合流後の諸君と仕事をさせられた。
#218
○天田勝正君 その中にはあなたの旧部下もおつたのでしよう。
#219
○証人(長谷川貞雄君) そうです。
#220
○淺岡信夫君 証人にお尋ねいたしますが、後の吉村隊長池田重善はウランパートル到着後憲兵出身者等は更に奥地に送られるというような噂を聞き、そうしたところから、外蒙の某准尉に取り入つて、隊長長谷川の悪口を言い、これを陷れんといたというような模樣があつたかどうか、その事実の点を御証言願いたい。
#221
○証人(長谷川貞雄君) そのような実は認めておりません。
#222
○細川嘉六君 あなたは部下を愛したと言われるが、それ程の人が七回も譴責を受けておられる。そうしてその場合部下がどういうような態度を取つたか。
#223
○証人(長谷川貞雄君) 入つておつた際は食糧的に相当贈與を受けました。
#224
○細川嘉六君 それからあなたは隊長を罷めさせられたときは皆はどういうような態度でしたか。
#225
○証人(長谷川貞雄君) 或る者は非常に流を流しながら同情して呉れた者もあり、自分に対する仕打に対する憤慨でありますが、相当憤慨したような人もありました。
#226
○細川嘉六君 あなたに対して接近すると旧部下の者がひどい目に遭いはせんかと氣遣われたというか、それはどういうようなことから來ておりますか。
#227
○証人(長谷川貞雄君) それは長谷川と同類とみなされるというような関係で、今まで樂な作業場であつたものが苦しい作業場に替えられる。
#228
○細川嘉六君 そうすると吉村隊長の意伺というものは余程ひどく効いておつたものと見てよろしいですか。
#229
○証人(長谷川貞雄君) そうです。
#230
○細川嘉六君 あなたは日本人で日本肉を賣る者があつたということを午前中言われたが、それは具体的に言えばどういうことですか。
#231
○証人(長谷川貞雄君) だから午前中に言うたように、部下の指導というものは、向う側に言わせるとそんなようなことを自分としては言つておつたのだろうと思います。それを結局言うと悪感情を懷くのは当然であると思います。
#232
○細川嘉六君 代つた隊長があなたについてかれこれ言つたことを具体的にお聽きになつたことはありませんか。吉村隊長があなたについて言つたということを他からお聽きになつたことはありませんか。
#233
○証人(長谷川貞雄君) 自分に直接言うたようなことはありません。
#234
○細川嘉六君 あなたについてかれこれ言つたことを……
#235
○証人(長谷川貞雄君) 蒙古側にですか。
#236
○細川嘉六君 一般軍隊内の人達に対しても、向う側に対してもどつちでもよい。
#237
○証人(長谷川貞雄君) 吉村が隊長になつて兵隊に云々したということは、さつきのストライキ事件の時、自分がそういうふうに兵隊に言い残した直後に、俺ならこういうふうにやる。兎に角君達は働かねばならん、働けということを言われたと兵隊が言つておりました。
#238
○細川嘉六君 どのことですか。
#239
○証人(長谷川貞雄君) ストライキの時
#240
○細川嘉六君 ストライキの場合についてさつきおつしやつたけれども、内容は分らないのですが、ストライキのことはどういうことから起つたのであるか。
#241
○証人(長谷川貞雄君) 結局はその当時の食糧が悪かつた。それにノルマも更に上げられた。これに対しては当時の靴工場の隊長をやつておつた者が、蒙古側の言うように引受けた。それが不届きだという兵隊の感情から、これではとてもおれ達の隊長に使われておつては、おれ達はますます苦しくなるばかりだ。今蒙古側の要求された事項を撤回して呉れと言つて靴工場の日本側の現場隊長にストライキを起したわけであります。
#242
○細川嘉六君 もう一つ午前中の証言によりますと、外の人達に仕事をサボるように、身を庇うように言われたというが、そういうことも宥めるために出る言葉でしようが、実際は働かなければ食糧も不足するという関係でしようが、食糧が不足しないように働く人達にいろいろの指揮なり手配なり、そういうことに盡力なさつたのか。
#243
○証人(長谷川貞雄君) 作業量によつて食糧が不足になるということはありませんでした。作業は成績が挙らなくても食糧の給與される基準量が示されておるので、作業が悪いからといつて食糧を不足して呉れたりするとますます作業が悪くなる。だから基準量は呉れておるから、幾らでもよく言い得る立場でありました。それで食糧の不足ということはありませんでした。
#244
○細川嘉六君 あなたはさつきの話によると、相当成績を挙げておられるのに、どうして隊の指導者たる地位から追われたかちよつと分り兼ねるのですが、……、皆からも尊敬されておられた筈だろうと思うが、それが隊から追われるということになつたか、少し詳しく言つて呉れませんか。
#245
○証人(長谷川貞雄君) それは先程も話したように、示された作業はやるように努めなければならんけれども体が大切だ。よつて、八時間働いていいものは日本人は大体四時間が五時間で仕上げるように体ができて來たわけです。但し、それを八時間で仕上げないとまだノルマが上げられる関係上、四時間や五時間で仕上げてしまつては困る。だから八時間かかつてゆつくりやれ、そういうことが向うの耳に入るようになつて、もつとやれるのに何でやらなかつたか、作業の問題に関してはそうです。
 更に敬礼の問題についてそのように自分が指導しておつた関係上、敬礼をしたくなければしないというような兵隊が相当あつたので、それに対して片一方の兵隊は蒙古人を見さえすれば、停止敬礼をやつておつた。そこで規律というものが判然として來たわけです。それと今一つは自分の言うた言葉が相当癪に触わつたと思います。
#246
○細川嘉六君 どうも私は、ここで打切りますが、あなたがそう隊から追われる筈がなかつたと思うのです。その理由については他の証人から聽くことにします。
#247
○岡元義人君 二、三点長谷川証人に午前中に分らないところをばお聽きしたいと思うのですが、これは返事だけで結構ですが、大体一ケ所に吉村隊と長谷川隊が作業場で一緒になつたのは、先程天田委員から御質問があつた中にもありましたが、二十年の十二月九日であつて、それから翌年の六月、先程あなたが吉村隊長が隊長になつた日にち六月、この間はまだどちらが隊長であるということは分らなかつた。そうして二十一年の六月に至つて初めていわゆる吉村を隊長とするということに決まつたのだ。こういう工合の順序になつておるのだと解して宜しうございますか。
#248
○証人(長谷川貞雄君) 蒙古側の方と、これは自分の想像でありますが、吉村との間には、それ以前に誰かを隊長とするということは分つておつたようであります。自分が分つたというのは、営倉に入つてから愈々合体、吉村が自分の隊に入つて來て、これじや自分が追われるのだなあということが分りました。
#249
○岡元義人君 今私がお聽きしておるのは、あなたが隊長になられるまで別々であつたのだ。先程証言があつたのですが、その別々という意味は、二十年の十二月九日に一緒になられてから、そうして翌年の六月まで、いわゆる隊長が決まるまでは別々であつたのだ、こういう意味ですかと聽いておるのです。
#250
○証人(長谷川貞雄君) 別々でありました。別々の收容所に入つておりました。但し第一回目の処罰は五月中にあつたので、五中月に交代されておつたわけです。
#251
○岡元義人君 ちよつとはつきりしないのですが、そうしますと二十一年の六月には一緒になつたのですか。
#252
○証人(長谷川貞雄君) 五月に一緒になつております。
#253
○岡元義人君 隊長が決まつたのは六月ですか。
#254
○証人(長谷川貞雄君) 五月です。
#255
○岡元義人君 分りました。それからもう一、二点聽きますが、あなたが承徳から出発されまして、その途中においていろいろ汽車で旅行して行かれるわけですが、その間に一般邦人がどしどし内地に帰るという状況を見られましたか。
#256
○証人(長谷川貞雄君) 見られました。
#257
○岡元義人君 その時にあたなたの梯團の中になぜ一般居留民も含んでおるかということに対して疑念をお抱きになりませんでしたか。
#258
○証人(長谷川貞雄君) それは最初疑念は持ちましたが、ソ連側の命令であつて、一般人もそれはどうにもならなかつた実情でありました。
#259
○岡元義人君 一般の邦人と、そうして軍人軍属とは、これは別個に処置さるべきものだというようなことはお考えにならなかつたですか。
#260
○証人(長谷川貞雄君) そういうふうに考えましたけれども、如何ともいたし方ありませんでした。
#261
○岡元義人君 何かその点について連絡をとられたような、処置をとられたようなことはありましたか。隊長として……
#262
○証人(長谷川貞雄君) とりません。
#263
○岡元義人君 それからもう一点あなたのいわゆる吉村隊と違う特異な点につきまして、あなたの方は、もうあと一年もすれば帰られるのだ。こういう観念の下に、あなたが隊長として隊を指導された。その点が吉村隊と違つておつた。こういう点はありませんでしたか。
#264
○証人(長谷川貞雄君) 帰られることは間違いないということは部下に言うておりました。それに対して吉村の方ではいつ帰られるか分らないというようなことは、よく言うておつたようであります。
#265
○岡元義人君 もつとはつきり、あと一年もすれば直ぐ帰れるのだ、一年も立たない中に帰れるのだ、だから体を大事にして、我々はソ連とは交戰していないのだと、だから速かに帰されるべきであるということをあなた自体が常に言つておられましたか。
#266
○証人(長谷川貞雄君) それは蒙古抑收容所長に、我々は捕虜でない、抑留されておるのだから、押付けるような労働に服するわけにはいかん、我々は間もなく帰るのだということを常に持論として蒙古側の所長に言うておりました。
#267
○岡元義人君 その点については吉村隊長と性格が非常に違つて來た、その点はいかがでありますか。
#268
○証人(長谷川貞雄君) そうです。
#269
○岡元義人君 それからもう一点、承徳を出発したそのときに、承徳の離宮の中におきまして抑留民等の状態について、くわしく御承知ですか。何かお聞きになつたのですか。
#270
○証人(長谷川貞雄君) 別に知つておりません。ただ蒙古に入つてから地方人の一人が來て、我々は軍人でない、日本に國籍もない、よつて軍人と一緒にされては困るというようなことを言つた人がありますが、それに対しては、何を言うか、今さらここまで引つ張られて來て國籍があろうとなかろうと同じ日本人ではないかということを言つたことがあります。
#271
○岡元義人君 もう一点承徳の問題を聞いておきますが、私は当時承徳から沢山避難して來た者を北京で收容した者なのです。そのときの情報を得ておるのでありますが、承徳において或いは昔、御存じかも知れませんが、通州事件みたいな、ああいう事件があつたということをお聞きになりませんか。
#272
○証人(長谷川貞雄君) ありません。
#273
○淺岡信夫君 証人にお尋ねいたしますが、証人は元大尉である、ところがその吉村隊の隊長となつて後から出て來た池田、それは大尉の手腕よりか手腕が相当ある、或いはその吉村隊長の池田が身分を隠しておるのではないか、実際は少佐であつたのじやないかというようなことを当時聞かれたことがありますか。
#274
○証人(長谷川貞雄君) ありません。
#275
○岡元義人君 尚、長谷川証人について、この問題についての質問はあるのですが、一應留保いたしまして、そうして関連のある池田証人の方の証言に進めて行きたいと思います。
   〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
#276
○委員長(紅露みつ君) 御異議がなければさよう確定いたします。長谷川証人は一時御退席をして頂きます。
#277
○草葉隆圓君 いろいろ関連性はありますが、この問題の中心には池田証人だけをお呼び願つて、他は御退席を願うようにして頂きたい。
#278
○委員長(紅露みつ君) それでは池田証人に伺いますが、あなたがウランバートルの收容所にお出でになりますまでその経過と、それからあなたの部隊の編成などにつきまして、その構成しております隊の素質と言いましようか、そういうことなども伺いたいと思いますし、それからこの隊の隊長になられましたその経過、それだけを御証言願いたいと思います。
#279
○証人(池田重善君) 私は昭和二十年八月七日寧安憲兵分隊より承徳特別第六大隊の編成要員として七日の日に承徳につきました。そうして八月の十九日離宮において武裝解除になりまして、離宮内の宿舎に住むようになりました。八月二十三日より警察官並びに憲兵、檢察官こういう方々の八路軍からの手配が参りまして、首実驗が実施されるようになりました。それで当時の特務機関長斎藤中佐殿が身分を隠すようにと言われまして、私は妻の実家の吉村という姓を取りまして吉村重善こういうふうに僞名したのであります。その中には承徳の高等法院次官の現在福岡の高等地檢におられます野田先生もおられまして、野田先生も久留米の久留という字を取りまして、僞名して、やはり兵隊となつて八百八十一部隊の歩兵隊に投じられました。それから私は特務機関の渡會大尉ではないか、渡會大尉の副官ではないかというふうに注目せられまして、二十三日から四日間に亘つてソ連側の將校の方に取調べをされまして、無事通過しまして、九月の十五日、当時承徳には民團の方が入りまして、婦女子の方も入りまして五千余りおられました。その中の男子の方が約四千五百余りが五個大隊に編成されまして、私はその第三大隊の長谷川さんの隊に編入になりました。そのときに編成は大体持警隊が三百五十ぐらいと、八百八十一部隊の歩兵隊が四百五十ぐらいと、それから春部隊で北支の部隊が若干と、これは民團の方が、これははつきり記憶しておりますが百五十六名入つておられました。そうして九月の十五日徒歩にて平泉まで歩きました。九月の十七日の日に到着しまして、それから九月の二十二日の日に無蓋車に乘りまして北上いたしました。十月の三日の日に丁度初霜が下りまして、これが丁度ハルピンに到着いたしました。ハルピンの監獄内に一泊して、そこで有蓋車に乘り込みまして四日か五日だつたと思いますが、それから満州里を通りまして、十月の二十二日の日にソ蒙國境の、ソ連内の終点のナホトカに着きました。そうしてそこに一泊しまして、二十三日の日に歩きましてスーバトルまで十八粁行軍いたしまして、あそこを二十四日の日に出発しまして、二十六日の日に外蒙ウランバートル郊外のホジルポロン收容所に一旦おさまりまして、そうしてあそこに着きまして、二十七日の日に蒙古の將校の方、ソ連の將校の方がおいでになりまして、特業者と特業者でない者に分けることになりまして、私は自宅が、父が鍛冶職おやつておる関係で、鍛工に少々の経験がありますので、特業者として残ることになりました。二十七日の日だつたと記憶しておりますが、長谷川隊の中の片山少尉、この方が二百名を引率されまして、どこへ行かれたか分りませんが、出て行かれました。後から聞きましたのですが、これはナダハ炭鉱の方に行かれました。二十八日の長谷川隊長が三百名を連れて出られたと思います。その次に私達は特業者として富山という中尉の方に引率されまして、ウランバートルのラマ寺の方に到着いたしました。それは十月二十九日でありました。そうして約十日間そこに待機しておりましたが、ちようど革命記念日が十一月八日になつております。その翌日の九日から、私共は技術隊の建築場に派遣されることになりました。その時は私が長として二百名連れて出るように言われまして、作業場に行きまして、約十日ばかりそこに通いまして、今度はその大学内に宿舍が設けられまして、熊本縣出身の方の藪という中尉の方の指揮下に入りました。それから同年十一月の一日に、又ウイドリンコンビナーツと申します総合工場に轉職を命ぜられまして、その時に部下三百名を連れて行つて呉れと言われまして、私がそこから三百名を貰いましてウイドリンコンビナーツに着きました。それから五日ばかりして、又百二十名増加されまして、結局四百二十名を率いるようになりました。そうしてそのときの内容は、民團の方が約半数を占めておられました。民團の方の内容は満州の警察官のお方、満軍の將校のお方、省並に縣の官吏の方が大部分を占めて、民團の方が一部入つておられまして、その他は下士官と兵隊ばかりであります。それから私は先任者として工場長のところへ呼ばれまして、長として爾後作業を実施するように……、そのときにチヤツトラバルという少尉の方が、私共の蒙古側の監督者でありました。それから糧秣係としてバートラという少尉の方がそのとき就任されておりました。それからゲーペーウーの將校のレキシントンという少尉の方が、同じくその部屋に來ておられました。そうして作業を十日から実施するように言われまして、その間被服の整理とか、或いは木材の残つておるものの運搬だとか、軽作業に就いて十日まで待機しました。九日の日に大体作業別に、その工場は大体内容を申上げますと、製材工場、木材工場、それから羊皮工場と言つて羊の皮をなめす所もあります。又革外套工場と言つて革外套を作るところもあります。長靴工場と言つて長靴を作るところもあります。牛皮工場と言つて、牛皮を一日千枚から二千枚もなめすところもあります。短靴工場、それから織物工場、それから羊毛工場、それから絨氈工場、鉄道工場、電氣工場、それに自動車修理工場、こういうふうに分れております。それの兵隊の配置を蒙古側から來て、人員をそれぞれ取つて行かれまして、配置が終ります。そうして約八ケ月、昭和二十一年の七月上旬頃と思います。長谷川隊との合併の問題が起りまして、そのときに長谷川隊において些細な事故もありましたし、その関係上、私が隊長を命ぜられまして、私はそのときにも丁度村上さんという方と一緒にやつておりましたが、日本の軍隊制度として先任者が立つべきであるからということを言つて、その場で再三断りました。そのとき長谷川大尉殿もおられて、今度技術の方に入りたいという願いも出した。ところが、あれでは駄目だと言われて、次に中村中尉殿の應援で、その方にお願いした。それから倉持中尉がおられましたので、その方にも依頼したが、兎に角駄目だと言われまして……、その前に言い忘れましたが、隊長になるときに私達は一回ゲーペーウーの方に取調べを受けております。そうして向うの方から、強制的に最初誓約書を取られました。その誓約書の内容は、作業命令に対しては絶対に服從するように、第二番目に逃亡、治安その他保安事項のことについては、先ず速かに連絡をして呉れるように、若しこれに違背したときは如何なる処分も差支ないということは、各隊長とも取られておられる筈であります。そうしてそういうふうに隊長のことについて申上げましたが、聞き入れられませんので、私が今の工場内で、そのことについては申されましたのですが、聞き入れられないのですから、結局コンブジロンという副工場長の方であります。これは日本人関係の人事をやつておられた方ですが、その方とゲーペーウーのレキシントンという方と、その当時の收容所長はモチヨグ中尉でありましたが、その三人と私は司令部の方まで呼ばれて行きました。そうしてゴンチキ中佐という高級副官がおられましたが、その方によつて、君は命令に背くのか、蒙古の命令は絶対服從するようになつておる、君達は軍隊でそういうふうに習つておるだろうと言われましたが、私は聞き入れずにおりました。黙つて自動車に乘つて、又再び私はどこへ行くか知りませんでしたが、自動車で連れられて來ましたが、工場長も同車でしたが、今の長谷川隊へ連れて行かれました。そうしてとにかくここで長として坐つて、君がやるようにと言われて、私の兵隊も全部その日にはここに移つて來ておりました。私の方は、吉村隊の方においては私の方が應援をします。又当時長谷川大尉の反対派と申しますか、狐塚准尉、上田准尉というものが部下を持つて二箇小隊おりましたが、その者の支持を得まして私としてはいたし方なく長として住むようになりました。そうして大きくなつた吉村隊というものを編成したのであります。
#280
○星野芳樹君 今の証言について……初め承徳ではあなたは名前を祕して兵卒の中に入つておられたのですね。ずつとウランバートルまで行くまで長でも何でもない一人の兵隊だつたわけですが、技術大学の建設場に行くとき初めて二百人の長になつたようですが、どういうわけで今まで名前も祕しておつた人が二百人の長になつたか、そこの経緯をちよつと詳しく伺いたいのですが……
#281
○証人(池田重善君) 今の行く途中においては、日本側においては私は全然僞名をしておりませんでしたが、日本側の方においては皆知つておられます。それで行くときは長谷川隊の第三中隊の片山少尉という方の、これは長崎の方であります。その人の部下で本部の先任下士として本中隊の本部附としておりました。
#282
○星野芳樹君 位階は何ですか。
#283
○証人(池田重善君) 先任下士として……
#284
○矢野酉雄君 軍曹か。
#285
○証人(池田重善君) 曹長であります。
#286
○千田正君 新聞紙上に吉村大尉の身辺に親衞隊と称するごろつき或いは遊び人というような者たちを大分手下に持つておつて、これが作業の際の監督の任に当つておつたということが新聞に書いてありますが、こういうような事実があつたかどうか。これを伺いたい。
#287
○証人(池田重善君) 私の隊には今の早稻田大学の柔道の先生をされておりました北林光雄、今の角力の宮田先生と本名言われておりますが、早高萬平という方とが長谷川隊の部下としておられました。そうしてこの方が私が行つたときには体も弱つて作業を休む日が多かつた。ところが酒井先生が、私どもの軍医の方でありますが、酒井先生がどうも病氣の原因が分らない、御飯が足らないのじやないだろうか、こう言われますから、それでは二人食をやつて見たらどうだろうか。これは実は私が独断で二人食をやるようにいたしまして、足らないところは私の俸給から割いて買つて食べさせる。それも人目を忍んで医務室或いは炊事場に呼び寄せまして御飯を食べさせておりました。ところが体がずんずん癒りまして、柔道の北林先生の方は、これは監督でも何でもありません。自分の方の縫工場という……、片一方の早高という角力取の方は、これは靴工場のノルマ作業についておりました。そういうのが外の方ではこれを暴力團或いは親衞隊というふうに言われたのではないかと私は思つております。
#288
○矢野酉雄君 最前の証言中に、長谷川隊に小さい事故もありましてという言葉がありましたが、その小さい事故の内容と、更に今の証言中に酒井軍医に相談してというような陳述がありましたが、酒井軍医はいつ誰が吉村隊長に対してその就任を推薦したのですか。この二点をお尋ねいたします。
#289
○証人(池田重善君) ちよつともう一回質問して頂きたい。
#290
○矢野酉雄君 最前今のあなたの自発的の委員長に対する質問に対しての話の中に、長谷川隊に小さい事故もあつてという、いわゆる隊長が轉換するときのその一つの理由と思われるその中に、長谷川隊に小さい事故もありましてこれを機会にというような言葉があつた、その事故の内容……
#291
○証人(池田重善君) これは私は現実に見たことでありますが、長谷川隊の兵隊が、丁度二月頃であつたと思います。第一番目に、雀が窓にとまつておりました。その雀にいたずらをして石を投げたところがたまたまガラスを破りました蒙古人の事務員の方が作業をしておるところの机の上に轉がつて來まして、そうしてそれが反蒙思想だというところで引張られて、兵隊の方が來られて石を持つて、その証拠品として持つて來られて、長谷川大尉殿に相当お叱りを受けておられました。第二番目にやはり二月末に小川一等兵が逃亡しまして、私の兵隊ではないかというところで晩の十一時頃連れて來られました。第三番目に、これは酒井先生から聞いた話でありますが、又蒙古側の通訳のエリツチ・サンボーからも話を聞いたのであります。兼松という軍医の方が今のガバという掃除婦と姦通して嚴重な調べを受けておりました。その次に今の藥の件でありますが、藥を、アルコールを、沢山あるものですから非常に兼松先生がお酒が好きで、それを一分づつ割いて呑んでおられた。又漢方藥と称しまして牛の骨とかいうのを炊事場の中で燒きまして、炊事場の火の中で燒きまして、それを藥だといつて呑ませておるのを軍医の方に、蒙古の院長の方に見つかりまして、いや蒙古でありません、ソ連の院長でありますが見つかりまして、それを突き出された。そういう事故が続発しておりました。
#292
○矢野酉雄君 第二は酒井軍医を推薦したのはどの人ですか。あなたの最前御質問に対してお答えになつた酒井軍医と御相談して、北林それから柔道及び角力のできる方々に推薦をしておられましたので、酒井軍医にも御相談申上げて善処したという……
#293
○証人(池田重善君) いや、これは私の言葉が間違つておりましたが、酒井軍医殿の方からそういうふうに私の方に申込んで來られたのであります。
#294
○矢野酉雄君 その酒井軍医は誰が推薦しましたか。
#295
○証人(池田重善君) 酒井軍医は最初私の吉村隊に入られまして、兼松軍医、その人が医者の権威でおられましたが、私のところは四百二十名で無医でありましたから、私の方では使つて呉れないかと蒙古側の方に話しました。そうして蒙古側の方から命令が出まして私のとこで使うようになりました。
#296
○矢野酉雄君 長谷川……その時は隊長であつたかどうか知らないが、長谷川隊長が酒井軍医をあなたの方の軍医にお世話なすつたというのではないですか。
#297
○証人(池田重善君) いや絶対そうではありません。
#298
○矢野酉雄君 間違いないですか。
#299
○証人(池田重善君) 間違いありません。
#300
○千田正君 池田証人の証言の中に、長谷川隊の中にも吉村隊と解消する場合に准尉その他の相当の人達の支持者があつたように伺つておりましたが、それは單に吉村隊長になつたということに対する支持という意味ですか。それとも長谷川隊長に対して何らかの反感、そうした関係上あなたが、隊長になつたことに対して賛成して支持して呉れたものかどうか、その点の事情分りましたら……
#301
○証人(池田重善君) その点についてお答えいたします。狐塚准尉というのは、これは春の部隊から來られた方で、春兵團の兵隊を一箇小隊持つておられた方であります。それから上田準尉という方は、これは元來の特警隊、特別警備隊の、今の長谷川さんの直系の、要するに部下以外の者を收容して指揮しておられた方であります。そのうちの百二、三十名を指揮された方でありまして、結局私の方に、是非あなたが隊長になつてくれるようにと申されております。
#302
○矢野酉雄君 最前の陳述を伺つておりますというと、私は何にも先入観がありませんから、そのままお聞きしているというと、実に立派な途を盡されて、いわゆる隊長の交替の場合においては、あなたは全く頭の下がるような人道をお蹈みになつている。それを私は信ずる信じないはここでまだ発表しませんが、世上非常に、隊長の更迭に当つて、あなたがいろいろな術策を弄せられたということを新聞雜誌等においてもすでに報道せられておる、それほどさように立派な途をとられたあなたが、全くそれと質を異にするような報道が頻りに世間に行われているというのに対しての、あなた御自身のその思い当られるようなことはございませんか。
#303
○証人(池田重善君) この件につきましては、まあ私の推察でありますが、長谷川隊長さんがお代りになりましてアマグロンの方へ行かれました。アマグロンといいますと、ここは元新京の刑務所がソ連入城と共に解放になりまして刑務所の出身者が殆んどそこに集結されておりました。そうして服部部隊長さんがそこの隊長としておられました。そうしてそこに今のやくざというような一家ができまして、そうしてこれは私は富田中尉という方から聞きましたのですが、そこに行くときにき、必ずそのやくざの親分に被服その他金銭を持つて行つて、お願いしますからと言わなければ、そうして許しを受けて初めて指揮下に入る、こういうような状態になつておるということをお聞きしました。そうしてそこで結局私のことについて相撲取或いは今の柔道取とかという吉村が暴力團を持つている、向うで出入りをしようじやないかというような噂も立つておりましたが、私としてはそれは耳を止めておりませんで、そうして私のところは、これは事実でありますが他の收容所と比べて、作業の点において確かにきつかつたことは爭えないのであります。そのために、今の他隊から入つて來た兵隊の身体が弱かつたという関係上続かなかつたのであります。そのために他隊に轉出して行く、そうすれば結局出て行つてしまいますと、結局きつかつたものですから、それに対して悪評が起る、そうして私に対して二、三回も出入りを申込んで來ました。私は全然受付けませんでしたが、その後に長谷川隊長がアマグロンの收容所長になりました。そうしたときに私のところでモジツクというのが長に代つて直ぐに長谷川隊長が監獄に入られたようであります。そうしたところが私の内通があるから、結局あれがやつておるのだというように受取りまして、帰る途中におきまして……実際は話に聞きますと、吉村が今の作業において兵隊を殺したから、一つ帰る道だけでも懲らしめてやろうというように言つて、ナホトカに着きましたときに私の方に出入りを申込んで参りました。私はその出入りを受附けずに、その方に、いろいろお話もあるから向うの親分という方に來て頂きたいということを申しましたら、山口さんという方が親分を連れて参りました。そうして私に非難があつたら、私は内地に帰ればどこでもどんな処分でも受けますから、ここで血を流すことはお互いに困る。ここで血を流せば乱れてしまう。ところで向うでは、こんな指導方針がありました。要するに指導方針は、言い忘れましたが、最初吉村隊を作りますときに皆と相談したのですが、各部隊共、これは停戰である、敗戰ではなくて停戰であるから、我々は抑留者だ、これは長谷川さんが眞先に言つておられました。それで、いい加減にやつて身体を損わないようにして帰ろうではないかと、こう申されまして、それは十二月十三日であります。自動車修理工場で面会しました。そういうふうに言いました。私はとにかくこれは停戰ではない、敗戰で無條件降服したものである、だからとにかく俘虜だというふうに考えなくてはならない、そうして身は蒙古の大陸の孤島と言われるウランバートルまで連れられて來ておる、あなた方は來年の三月帰れると言つておるが、私としては三月帰れる見込はない、満州の在留邦人が百五十万とすれば、これでも帰るまでには約二年はかかるのじやないだろうか、そうすればここにおいて私達は生き方があるのじやないか、しつかりした生き方があるのじやないか、先ず第一番に考えなくちやならんのは、眞面目に仕事をやつて管理者たる監督官の收容所長の同情と好意を得ることじやなかろうか。二番目は、作業を眞面目にやつて、日本人をソ連人の方或いは蒙古人の方或いは一般の方の信用と名誉を失わないようにすることではないか。そうすることによつて我々は早く日本に帰れるのではないだろうか。このためには共に助け合つて、共に苦労して仕事をして行こうじやないか。そうしてこの二ケ年間というものをうやむやに過すのではなくて、丁度我々はよい所に、技術の工場に來ておるから、眞面目にここで技術を覚えて帰ろうじやないかという、この五つの方針を立てまして皆と相談して最初の四百名の吉村隊というものを編成したのであります。そういうことをナホトカに來ましてその親分に話しましたところが、話が分つて呉れまして、一旦手を引いて頂いたのであります。ところがその子分というのが私の方に來て、服部隊の方が呼んでおられる、直ぐに來て呉れと言われたものですから、私は直ちに飛んでその方に行きました。ところが行つたところは兵舍の中で、丁度親分というのが三人、眉毛のところをインクで染めて入墨した方が三人前に木劍を持つて座つております。その後ろに四十五名ぐらいの者が木劍を持つて立つておられました。そうしてそこには長谷川大尉殿もおられたと思うております。
#304
○矢野酉雄君 おられたのですか。
#305
○証人(池田重善君) おられたと思うております。
#306
○矢野酉雄君 思うのですが、その点はつきりして下さい。
#307
○証人(池田重善君) あとでおられたから、そこにもおられたと思います。
#308
○矢野酉雄君 想像ですね。
#309
○証人(池田重善君) はい。そうして私が行きましたら、そこに座れと言いますから、跪づいて座りました。ところがお前はやくざだから膝を組めと言いますから、自分はやくざではない、あなたの知つておる通り憲兵上りの池田です。何か御用で呼ばれたのですか。君はうちの中隊の者二十名も叩き殺しておる、部下の者を殺しておるじやないか、自分は、それにはそういうことはない、隊室でやつたことはあるでしよう。そうしたところが、それの供養をしなければならないから全部丸ぐるみ脱いで行け、お菓子と線香を買つてやるのだと言われましたので、それじや仕方がないからお願いします。とに角ここで部下のことについては手をつけずにおいてくれ。それじや出すからといつて、そこで全部脱ぎまして渡しました。ところが渡して帰りますと、今度は親分となる本人がその私の服を全部着替えて、私の古いのを持つて來て、これを着て行けというて投げました。そうして今度は私が帰つて見ると、すぐ西村曹長に來いと言われたものですから、西村曹長はすぐに出て行くといつて立つて行かれましたが、私は心配になるものですから、ついて行きました。ところが私が服部隊長の部屋に入るとすぐに頭を約三寸ばかり割られて血みどろになつて出て來ました。私にどうも済みませんでしたというから、とに角我慢して帰ろう、手を出したりすると蜂の巣を突つくようになるからといつて連れて帰りました。ところがお茶沸しにおりました吉田という一等兵がありましたが、間もなくそれが又行つて三寸ばかり頭を割られて血まみれで帰つて來ました。そうして途中でソ連の兵隊に会いまして、お前は叩かれたのじやないかと言われたところが、そのやくざの組は全部逃げてしまいました。逃げてしまつたと本人が言つておりました。それからその場はそのままで済みまして、夕方になりまして、晩に寝ておりますと、きやつという声がしましたから、誰だといつて外へ出て見ますと、富山という軍曹が頭を割られて倒れておりました。それから又治療しまして……
#310
○矢野酉雄君 ちよつと僕のお尋ねをしたのに対して、あなたのこういう意味で、こういう評判が出たろうという核心だけこれから先……まだお尋ねする機会が沢山ありますから。
#311
○委員長(紅露みつ君) それでは又機会がありますから簡單にお結び下さい。
#312
○証人(池田重善君) それから今度はナホトカの民衆裁判にかかりまして、私に蒙古で評判されておつたような、或いは兵を重労働で使う、或いは処罰の曉に祈るがあつたというので二千名の前に立たされまして、そのときに全員で約六千名くらいおつたと思いますが、そこで一方的な評判になつて、これが拡大したのじやないかと思います。
#313
○天田勝正君 今の問題は、吉村氏が総隊長になられたその経緯をお聞きしているのでございまして、そこで、私まずお伺いするのは、最初あなたは承徳からいらつしやるときに、別に隊長でも何でもない、御証言によれば長谷川隊の一隊員であつた。そこでウランバートルに参られてから、まず最初に二百名の隊長になられて、それが段々殖えて四百二十名までになつた。こういうところは明らかなんです。そこで、そういうふうになられてから昭和二十一年の六月でありますか、両隊、つまり長谷川隊と吉村隊が合併されるまでの間は、この二隊は全く並立の状態でありましたか、まずこれを伺います。
#314
○証人(池田重善君) ……
#315
○天田勝正君 つまり長谷川隊と吉村隊といううものは二つの隊が同じ資格で同一の場所に働いておつたのかどうか、こういうわけです。
#316
○証人(池田重善君) 私は吉村隊の隊長として同資格であそこで働くように命ぜられました。
#317
○天田勝正君 そこで同一の場所で働くには、それが不便で、長谷川隊長の方が旧軍隊でいえば先任者であるから、それが総監督になつたというふうなことはありませんか。
#318
○証人(池田重善君) ありません。
#319
○天田勝正君 そこで、もう一点は先程星野委員もおつしやいましたが、あなたは僞名をされておつた。それに対して相当の追及をされておつたわけです。そうした人が簡單にソ連側に信用されて隊長に任命されるという……、この隊長になつてから、さつきの両隊が合併するときには成績が挙つたとかいろいろな理由がありましようが、その前には一体誰が統率者であるということが分らないわけですね。然るに僞名等をすればそうした統率をせしめるのにむしろ向うの心証は普通で言えば悪い筈なんです。その場合にあなたが隊長に指名されたというのは何か原因がありますか。
#320
○証人(池田重善君) 原因はありませんが、ただ私のところの隊は曹長が先任者でありました。下士官以下軍曹、曹長が一名別におりましてあとは下士官でありました。
#321
○天田勝正君 そうして僞名のままで、つまり吉村隊長になつたのでありますか。
#322
○証人(池田重善君) そうであります。
#323
○天田勝正君 それからあなたと長谷川隊との作業能率とかそういうもので、具体的にあなたが総隊長になられたそれには何か具体的な理由がありそうなものだというのが我々の常識ですが、あなたの方の隊が二隊並列になつた場合に遥かに成績がよかつたということはないのですか。
#324
○証人(池田重善君) 例えばこういうことがあります。羊皮工場でありますが、使役が申込まれて來ました。そのときに長谷川隊と両方に命じられまして、直ぐに一日私が行つてやりましたが、二時間作業で帰らして頂きました。ところが長谷川隊の方は今の作業の時間が多いからといつて大分厭がつたらしいのです。そのときに今の作業を徹底的にやらされまして、晩の十時頃までやつたわけであります。結局私としてとにかく命ぜられたことは皆がそういうふうに話合つておりますから、まあ飛び込んで行くような恰好でやつたわけであります。
#325
○天田勝正君 作業のことは後にいたしまして、私は一應これで打切ります。
#326
○鈴木憲一君 あなたは先程隊長になるのに先任者を非常に推薦されたということをおつしやつておりました。例えば中村中尉とか倉持中尉だとかを先任者に推しておられた。ところがあなたが隊長に認められてしまつたわけのように聞いておるのであります。それには何か理由がある筈だと思われるのであります。あなた何か認められた理由について感ずいておられることがありましたら述べて下さい。
#327
○証人(池田重善君) 私達は指導方針について今のゲ・ペ・ウの方と收容所長の方に指導方針を出せと言われまして、紙に書いて差上げました。それから今の事故関係と……。私のところにはそれまで事故というものは起りませんでした。私が合併して隊長に任ぜられるまで起りませんが、作業能率の点においても今の方針が違つている関係かも知れませんが、とにかく從順で兵隊が全部やるというような関係で、積極性と積極性でないとの点によりまして向う側でも認められておりました。
#328
○鈴木憲一君 その次に只今は自分が曹長で先任者であつたから隊長になつたのだ、こう言われましたが、前の隊長と今度の隊長と何か違うのですか。
#329
○証人(池田重善君) 私は結局大学の方の建築に参りました。長谷川隊長殿は私達と別れてホロンバイルへ直接隊長として行かれた。私は藪中尉とそこに大学の建築の方の総監督の收容所長がおられましたが、先任者として三百名を貰つて行つたわけであります。
#330
○鈴木憲一君 それで隊長になるために何かあなたは運動をされた覚えはありませんか。
#331
○証人(池田重善君) 私は運動は一つもしておりません。
#332
○鈴木憲一君 今一点、部下の或る軍人が持つておつた写眞機を取上げて收容所の監督の贈つたというようなことがございますか。
#333
○証人(池田重善君) あります。
#334
○鈴木憲一君 ありますか。
#335
○証人(池田重善君) ええ。これは防謀上兵器として向うで取上げられるようになつております。
#336
○鈴木憲一君 総隊長になつたときはいつでありますか。
#337
○証人(池田重善君) 総隊長でありますか。それは七月の上旬であつたと思います。革命記念日のちよつと前だと思います。
#338
○岡元義人君 ちよつと最初から……少し二三点を池田証人に伺つて置きたいと思います。一つずつ行きます。先ずあなたのお名前ですが、その僞名されましたお名前は……今池田重善と読むのですか。
#339
○証人(池田重善君) そうであります。
#340
○岡元義人君 その前久佳という名前は奥さんの名前と子供さんの名前を取つて久佳と言つたのですか。久佳はいつ止めたのですか。
#341
○証人(池田重善君) それについて申上げます。久佳という名前で大体蒙古まで入りましたが、今考えますと、内地にこの名簿が行くのじやないか、そうした考えが……名前が分らないことはない。それで重善と書いて久佳と言つておりました。
#342
○岡元義人君 その次に伺いますが、その吉村久佳、いわゆる久佳としてあなたは承徳でどのような取調を受けましたか。その間の事情を詳しく述べて頂きたいと思います。
#343
○証人(池田重善君) 丁度私がその時縁なしの眼鏡をかけておりました。渡會大尉という人が高級副官でありますが、その方の身代りではないかというふうに追及を受けました。私は最初のときは歩兵伍長で通しておりました。ところがそのときは紙にも何にも筆記されておりませんが、そのまま通りまして、明る日お出でになりまして、又取調を受けたときは今度は歩兵曹長に変えました。そうして歩兵曹長になつて取調を受けまして、今の型通りの取調を受けましたが、今度は第二回に聞かれたことは、やはり終戰当時は酒が少し渡りましたから、それを飲んでおりました。そのためにその時分の聯隊長を聽かれて、次に又聯隊長を聽かれて、そういう話で相当怒られました。そうして今度は満軍の元の司令部の所に連れて行きまして、今の電話器の、電池の裝置をくくり付けられまして、そうしてそこで今の電氣を、二ところ電氣を通じて取調を受けました。それから二回に亘つて実施されました。やはり歩兵曹長で……その後は取調べに参りませんでした。
#344
○岡元義人君 尚そのときに、いわゆるあなたの憲兵隊の方に、特務機関長から命令を受けて僞名にしろと言われたときに、僞名をした中で取調を受けて、それは同じように電氣を持たせられてやつたわけでありますか。
#345
○証人(池田重善君) その点については私は知りません。
#346
○岡元義人君 その中で以て分からずに通した人間は誰と誰ですか。
#347
○証人(池田重善君) これは大部おります。これも申上げますと、大体憲兵百十七名おりました。その中に二十七名、八路軍に何かありそうな二十七名は二十三日の夕方八八一部隊に逃がれました。それには田原准尉、前橋軍曹というふうにして逃がしております。それから今の現在福岡の檢察廰におられる野田檢事も、久留と僞名してそのまま逃がしております。
#348
○岡元義人君 それから次に伺いますが、途中新京から、先程淺岡委員から出ておりましたが、新京から合流した部隊はなかつたのですか。
#349
○証人(池田重善君) 合流した部隊ですか。
#350
○岡元義人君 それでは外の收容所におつたというお話でありますが、あなたの隊に帰つて來るまでの間……帰つて來るまではいいですが、あなたの隊にいわゆる服役者が入つて來たのですか。例えば新京の刑務所の受刑者というような者があなたの隊にも……先になつてもいいですが、少し入つて來たのですか。
#351
○証人(池田重善君) それは入つて参りました。例えば私の工場が夏は結局建築に重点が占められますから、三百人ぐらいおりますが、冬になるともつと代つて入つて來ます。
#352
○岡元義人君 次に伺います。伊藤少尉を知つておりますね。
#353
○証人(池田重善君) 知つております。
#354
○岡元義人君 渡辺廣太郎を知つておりますか。
#355
○証人(池田重善君) ええ。
#356
○岡元義人君 これはいつどういう状態で入つて参りましたか。その経過を承わります。
#357
○証人(池田重善君) 伊藤少尉、これはホジルボロンの病院から冬になつて、二十一年の十一月頃轉送して來た方と思います。渡辺軍曹は二十二年六月十五日、司令部の石切りが再開されましたときに入つて來ました下士官であります。
#358
○岡元義人君 それからそのとき伊藤、渡辺両名に対しては、これはあなたの命令で監督を命ぜられましたか。
#359
○証人(池田重善君) 監督はすべて現場の蒙古側の將校が命じております。
#360
○岡元義人君 次に伺いますが、大体民團側の者はあなたの隊は百八名ですか。
#361
○証人(池田重善君) 最初百八名であります。
#362
○岡元義人君 あなたの隊は三百名ですか。
#363
○証人(池田重善君) 四百二十名であります。全部で……
#364
○岡元義人君 百八名を合して……
#365
○証人(池田重善君) それに又百八名というのは、最初三百名連れて行きますときに三百名に入つておつたのであります。
#366
○岡元義人君 あなたの隊は三百二名じやないですか。
#367
○証人(池田重善君) 四百二十名であります。
#368
○岡元義人君 民團を除けば三百二名でありませんか。
#369
○証人(池田重善君) 民團を除けば三百名まで行つておりません。二百四十何名と思います。
#370
○岡元義人君 合せて四百二十名……
#371
○証人(池田重善君) そうであります。
#372
○岡元義人君 自分の隊の人数は分りませんか。
#373
○証人(池田重善君) 今はつきり記憶しておりません。四百二十名ははつきりしております。
#374
○岡元義人君 簡單ですが、もう一点は、あなたは隊長、いわゆる長谷川隊長に対して、その隊長になる経緯に対して長谷川大尉と会つて話したことがありますか。
#375
○証人(池田重善君) 長谷川大尉は一緒に事務室におりまして、監督所の事務室で、長谷川隊長にお願いしたいということを話しました。
#376
○岡元義人君 直接。
#377
○証人(池田重善君) 監督將校が付いてそこにおられましたから。
#378
○岡元義人君 面と向つて……
#379
○証人(池田重善君) 面と向つて言つておりません。
#380
○岡元義人君 それから長谷川隊長が、いわゆるあなたが隊長になるということに対して、これをば拒否する、飽くまでそれを承服しないというので、自動車に乘せられて司令部に連れて行つて監禁されたということをあなたは認めておりますか。
#381
○証人(池田重善君) 長谷川隊長が監禁されて行つた……
#382
○岡元義人君 ええ。
#383
○証人(池田重善君) その事実はありません。
#384
○岡元義人君 認めていない……
#385
○証人(池田重善君) ええ。
#386
○岡元義人君 誰かに聽いたのですか。
#387
○証人(池田重善君) 聽いてもおりません。私が承服しないで連れて行つたことは事実であります。
#388
○岡元義人君 そこのところをはつきりしたいのですが、あなたは見られたことも聽いたこともないのですか。
#389
○証人(池田重善君) そうであります。
#390
○岡元義人君 あなたは北海道の函館に上がられたときは自分で記録されておりますが、それは嘘を記録されましたか。
#391
○証人(池田重善君) そうではありません。それは間違つているかも知れませんが、私が引張られて行つたのであります。
#392
○岡元義人君 そうじやないでしよう。長谷川隊長が、いわゆるあなたが隊長になるということを承知しないというので司令部に連れて行かれた……
#393
○証人(池田重善君) 私が連れて行かれたのです。
#394
○岡元義人君 あなたが連れて行かれて、あなたは監禁された……
#395
○証人(池田重善君) そうであります。
#396
○岡元義人君 少しそこのところが……どういうわけですか。
#397
○証人(池田重善君) 軍隊制度だから、長谷川大尉が日本の軍隊制度を維持して、今復員せざる軍人と言われておりましたが、それで長谷川隊長殿へ日本の軍隊上、私は下で働かして呉れということを申込んだのであります。
#398
○岡元義人君 それではあなたが隊長にならん、飽くまで長谷川大尉を隊長に直して呉れと言つたために連れて行かれて監禁されたのでありますか。
#399
○証人(池田重善君) ならないというために連れて行かれて、私は命令を服從するように誓約書を突き付けられたのであります。
#400
○岡元義人君 はあ、分りました。
#401
○証人(池田重善君) 私が監禁されたのであります。
#402
○草葉隆圓君 今の点を池田さんにもう一つ伺いたいと思いますが、さつき私聽き漏したかも知れませんが、あなたのお言葉では、あなたとしてはいたし方なく長として進むようになりましたが、どうしても向うから長としてやれといわれたけれども、あなたとしては長谷川隊長が先任者だから推薦して、あなたが聽かなかつたら自動車で工場かどこかに連れて行かれて、そこで向うから命令を受けて、それで隊長になつた、こういうことじやございませんか。その点をもう一つはつきりと伺いたいと思います。
#403
○証人(池田重善君) 今の私、監獄に連れて行かれると考えておりましたが、ところが今の工場の副工場長のコンブジロン、レキシントン、もう一人ロツタとか何とか中佐だと思いますが、それが乘つて收容所に行きました。長谷川隊長の收容所に連れて行かれました。そうして全部引継ぎ申し送れと言われました。そのときは私のところの兵隊は全部到着しておりました。
#404
○草葉隆圓君 そこでさつきからお話を承わつておると、如何にも連れて行かれて監禁されたかのごとく感じますが、それは全然そうでなしに、連れて行かれて長になつたわけですか。
#405
○証人(池田重善君) いいえ、違います。夕方連れて來られました。朝連れて行かれて……
#406
○草葉隆圓君 そうしてそこで長になることを誓約されたか、收容所に連れて來られて、そこで長になることを決められたのですか。
#407
○証人(池田重善君) そうであります。
#408
○草葉隆圓君 それからあなたは長になつたのですか。
#409
○証人(池田重善君) そうです。
#410
○草葉隆圓君 そのときは長谷川隊長はどこにおられましたか。
#411
○証人(池田重善君) 長谷川隊長はそのときは留置所に入つておられたと思います。その件はあとで申上げます。
#412
○草葉隆圓君 そうすると、長谷川隊長が不在中にあなたが長になられたのですか。
#413
○証人(池田重善君) そうであります。
#414
○草葉隆圓君 それからもう一つ伺いたいのは、先に誰かの御質問の中に、写眞機を贈られた、確かに贈つたというお話でありましたが、それはいつ贈られたのですか。
#415
○証人(池田重善君) それは到着しました十二月中だと思つております。
#416
○草葉隆圓君 到着直後ですか。
#417
○証人(池田重善君) そうであります。
#418
○草葉隆圓君 それからもう一つ伺いたいと存じますのは、先のお話では長谷川大尉は、停戰であり、從つて我々は抑留者である。從つて明年の三月頃は大体帰るという観測の下に隊を取扱つた。併しあなたは停戰でなく敗戰であり、從つて捕虜だという考え方で、まじめに仕事を信用と名望を以てやる。こういう方針でおやりになつておつたようでございますが、だんだんと他から承われますと、收容所というのはいわゆる修身の收容所であり鍛錬所であるという訓辞と、從つて我々の捕虜生活というものは賠償の償いであるという方針の下におやりになつておつたかどうか、この点を隊長におなりになつたときにそういう訓辞をされましたか。
#419
○証人(池田重善君) いいえ、收容所は我々の收容所だということは訓辞しました。併し賠償の対象になるということは申しません。
#420
○草葉隆圓君 賠償の償いという言葉を使いましたか。
#421
○証人(池田重善君) それは使つておりません。
#422
○千田正君 先程ナホトカにおけるところの服部大尉に招喚されていろいろなことを言われたというお話でありましたが、服部大尉と長谷川大尉とはどういう関係にありましたか。それと服部大尉はウランバートルにおられた時代の隊長ですか。
#423
○証人(池田重善君) 長谷川大尉は留置所から出まして、アマグロン收容所に行つた。ここには服部隊の教化隊があつて、逃亡者や窃盗者の一應監獄から出たものを教化するところで、そこに長谷川隊長は連れて行かれました。
#424
○淺岡信夫君 大体証人の隊長になるまでの経緯につきましては分りましたが、そうした点に対して蒙古側のいろいろ命令を受け或いは折衝するという点に対しては、あなたは言語は相当お分りでしようか、或いは通訳を使つたか。
#425
○証人(池田重善君) 私も約六ケ月後には大体言葉も分るようになりましたが、その当時は私のところに内蒙人でエソツチ・サンボーという通訳がおりました。その他にもう一人、原田という通訳が靴工場だけの通訳であすこで働いておりました。
#426
○淺岡信夫君 そうしますと、日本側の日本人の通訳というのは原田通訳一人だつたのですか、例えば靴工場の通訳ということで……
#427
○証人(池田重善君) そうであります。
#428
○淺岡信夫君 そうしますと、今の原田通訳は全般的な通訳をやつたことがありますか、ありませんか。
#429
○証人(池田重善君) 全般的の通訳をやつたこともあります。
#430
○淺岡信夫君 それから証人は隊長になる前に、外蒙側の將校、そうした面に対して熾烈な運動をしたというようなことを聞いておりますが、そういう事実があつたかどうか。
#431
○証人(池田重善君) 隊長になる運動はいたしません。
#432
○鈴木憲一君 あなたは隊長になられる前に、先方の警備兵に金を借してやつたことがありますか。
#433
○証人(池田重善君) 警備隊長でありませんが、これは警備の下士官に百二十円借して呉れと言われ、借してやりました。私が長になつた昭和二十二年の七月頃と思います。
#434
○鈴木憲一君 長になつてからですか。
#435
○証人(池田重善君) そうです。
#436
○鈴木憲一君 その金はあなたの給料のうちからですか。
#437
○証人(池田重善君) 私の俸給から百二十円借しました。
#438
○鈴木憲一君 その当時のあなたの俸給は幾らです。
#439
○証人(池田重善君) 私は当時月二百五十円貰つておりました。
#440
○鈴木憲一君 隊長になられる前ですか。
#441
○証人(池田重善君) はあ、そうでございます。
#442
○淺岡信夫君 あなたは歩兵曹長として取調べに際して、そのまま押し切つたということでありますが、その当時少佐であるという疑を受けたことがありますか。
#443
○証人(池田重善君) そのときに承徳におられました日本人の通訳が言われるのに、あなたの聯隊長の名が先と後で違うからいかん。一律にしておらんからいかん。大体あなたは特務機関の渡會少佐に睨まれておるから、もう少し愼重にしなければいかんと言われました。
#444
○淺岡信夫君 重ねて問いますが、そうしますと、少佐という疑をそのとき受けたのですか。
#445
○証人(池田重善君) そうであります。
#446
○淺岡信夫君 それからもう一つお尋ねしますが、先程早稻田の角力の先生の北林と、それから角力取りの早高、こうした人に酒井軍医、こうした人から注意を受けて、注意と言いましようか、両人が非常に食物が足りないというようなことで、二人分を給した。それはあなたが隊長になる前ですか。
#447
○証人(池田重善君) 隊長になつてからです。それまでは長谷川隊の兵隊です。
#448
○淺岡信夫君 それからその北林という早稻田の柔道の先生というのは幾つくらいですか。
#449
○証人(池田重善君) 四十二三歳ではないかと思つております。
#450
○淺岡信夫君 柔道何段ですか。
#451
○証人(池田重善君) 柔道七段であります。
#452
○淺岡信夫君 それから角力取の早高というのは、これは本職の角力取でありますか。
#453
○証人(池田重善君) 十両幕内と聞いております。
#454
○淺岡信夫君 何歳ですか。
#455
○証人(池田重善君) 二十四歳だと思つております。
#456
○淺岡信夫君 幕内では何と言つておりましたか。
#457
○証人(池田重善君) 早高であります。
#458
○細川嘉六君 証人は吉村隊長となられる前に、長谷川隊に自分の支持者があつたと言われたが、この支持者というのはどういうことなんですか。どういう付き合いだつたんですか。
#459
○証人(池田重善君) 大体内蒙の通訳から聽きましたんですが、そのときに村上さんという方もおられましたが、合併になると……そうして大体私のところに合併になる問題は、私達が住んでおつた劇場が、内蒙の方が今度連行されて來られまして、その宿舎に当てるために改造するのであります。そのために兵舎がないために私達が長谷川隊に合流することになつたのであります。
#460
○細川嘉六君 支持者とはどういうことですか。
#461
○証人(池田重善君) そして私達が引張られていきましたときに、上田、狐塚という准尉が、とにかく長谷川隊ではやつていけないから、君が是非來て呉れるようにと言われたんであります。
#462
○細川嘉六君 つまりあなたが吉村隊長となられる前に、君でなければならんという者が長谷川隊の中におつたということですね。
#463
○証人(池田重善君) そうです。
#464
○細川嘉六君 それは幾人おりましたか。
#465
○証人(池田重善君) 結局今の長谷川隊の状況を見ますと、青森縣の出身の方が腹心の部下であります。それを炊事関係に使つた関係で、長谷川隊長に反感を持つておりました。
#466
○細川嘉六君 それであなたはそれらの人達と往き來しておつたわけですね。
#467
○証人(池田重善君) はあ。
#468
○細川嘉六君 交際しておつたわけですね。
#469
○証人(池田重善君) 承徳の隊に一緒におしましたから知つておりました。
#470
○細川嘉六君 それらの人達は普通の兵隊達ですか。
#471
○証人(池田重善君) 准尉です。大体向うの小隊長であります。
#472
○細川嘉六君 そういう人達をあなたは、あなたの支持者として知つておつたわけですね。
#473
○証人(池田重善君) そうです。
#474
○細川嘉六君 そこで先程からあなたのお話を承わつておると、自分は好きこのんで隊長になる氣はないが、外蒙側から推されて止むなくなつたということでありますが、外蒙の人達でも盲でもないのだから、この人はそういう何百人の人達を統率して行く力があるというのでなければ、あなたを隊長にしないのでありましよう。
#475
○証人(池田重善君) そうであります。
#476
○細川嘉六君 それをあなたに聽いても、ちよつと無理かとも思うが、向う側はどういうことをあなたに対して期待しましたか。
#477
○証人(池田重善君) はあ。
#478
○細川嘉六君 あなたとどういうことを期待しておると考えられるか。
#479
○証人(池田重善君) 蒙古側の作業にいいと思いました。
#480
○細川嘉六君 何か向う側が期待しておるように感ぜられましたか。
#481
○証人(池田重善君) はあ。
#482
○細川嘉六君 あなたについて、あの人に任したならば、どういうことがあるかと向うが理解しておるように考えられたことがありませんか。
#483
○証人(池田重善君) 作業に点において一般に言いますと、技術を磨くという積極性があつたからだと思います。
#484
○細川嘉六君 あなたは技術の腕があつたのでありますか。
#485
○証人(池田重善君) 私は技術はあります。
#486
○細川嘉六君 ありますか。
#487
○証人(池田重善君) はあ。
#488
○細川嘉六君 何の技術……
#489
○証人(池田重善君) 炭礦の方であります。
#490
○細川嘉六君 それは後の問題になりますが、全体の隊長となられたところの事情は、あなたの部隊が長谷川隊よりも仕事の成績がよかつたということにあるようですね。
#491
○証人(池田重善君) はあ。
#492
○細川嘉六君 これは又後でお聽きすることにいたします。
   〔「進行」と呼ぶ者あり〕
#493
○委員長(紅露みつ君) それでは本件につきましての池田証人への御質問は大体御終了になりましたので、一應池田証人の御退席を願いまして、次の阿部証人の御出席を求めます。御異議ございませんか。
   〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
#494
○委員長(紅露みつ君) それでは池田証人は暫くお引取を願います。
#495
○草葉隆圓君 大体の概論は長谷川、池田両氏の問題が中心でありまして、後は御一緒でも別に差支ないような氣がいたしますが、お諮り願つて、よかつたならば御一緒に一つ証人として列席して頂くようにお願いします。
#496
○岡元義人君 今草葉委員から御提案がありましたのですが、尚原田証人と微妙な関係にあるものがあると思います。それで先程お決め願つたように、一人ずつお願いしたいと思います。
#497
○委員長(紅露みつ君) それではそういうことにいたします。
#498
○岡元義人君 この際できましたならば、むしろ原田証人を先にお願いしたいと思います。
   〔「よかろう」「賛成」と呼ぶ者あり〕
#499
○矢野酉雄君 岡元君の動議に賛成いたします。
   〔証人原田春雄君着席〕
#500
○委員長(紅露みつ君) 原田証人にお尋ねいたしますが、吉村隊長が長谷川隊長の後任として坐られましたその経過について、御承知の点を御証言願いたいと思います。
#501
○証人(原田春雄君) 原田証人申上げます。最初羊毛工場を狹んで、南兵舎に長谷川隊、北兵舎に吉村隊の二つが存在しました。これが一九四五年の十二月の初めから始まつたのであります。当時の蒙古側の收容所長はチヤツトラバルという中尉でありまして、この人は長谷川氏に対して相当親密な態度を示されておりました。その後吉村隊の隊長の方々が、民間人の方が多くて、又年輩の方や年少な方が多いために、作業能率が面白くなく、しばしば吉村氏に注意が與えられました。その後四六年の二月に收容所長の更迭がありまして、その後任に來たのがモヂツクという同じく赤軍の中尉であります。と同時に内蒙古から拉致されて來ましたヱリツチ・サンボーという内蒙人の通訳が吉村隊に附いたのであります。その頃から吉次氏の心境は一変いたしまして、我々は作業をすることによつてのみ食糧を確保し、而して生命を全うすることができるという信念をしばしば私にも述べられておりました。長谷川氏は依然として、我々は強制労働に服する業務を持たないという信念から、労働は身体の持ち耐える程度に止めろというようなことを日夜隊員に泥をしておりました。次に、長谷川氏のことを吉村氏が蒙古側に中傷したかどうかという問題について申上げます。吉村氏は、私を通じて蒙古側にお話になつた事柄は盡く事実のことを申されました。決して虚僞のことを以て中傷されたことは私の記憶にはありません。そこでどんな眞実を以て内蒙側に申されましたかと言いますと、ありのままに長谷川市はこう言つておられる。併し私はこう考えるということを、收容所長に申され、然る後に各工場の現場監督のもとへ私を連れて行つて、その場で、君は長谷川氏の部下であるけれども、通訳は自己の意思を差し狹んで通訳することは許されない。私も勿論それを承知しておりますという会話から始まりまして、長谷川氏は兵隊に対して作業を無理をするなと言うておるけれども、吉村はたとえ身体が続かなくなろうとも、與えられた作業は克服するということを兵隊に話しておる。その結果は遠からずして作業能率の上に現われるのであろうと思いますというようなことを各工場の現場を廻つて話をしました。次に、長谷川氏がいわゆる南收容所から追放せられました直接の動機は、長谷川氏が蒙古側から命ぜられた作業を、最小限度にやれということと、もう一つはノルマ以外に課せられた收容所の南側に図拉川という川がありまして、そこに流れて來る筏の陸場作業を拒否された。尚続いて当時我々の食糧は、穀物として満州産の小豆だけが一日約二百五十グラム配給されておりまして、これをお汁にしますと、飯盒のかけ蓋に一杯あるかないかという程度の食事でありまして、このために兵隊の衰弱が甚だしく、長谷川氏は食糧改善のために当時の收容所長であるモヂツクに対して、この食糧を改善されない限り、我々はサボタージュをも辞せないという意味のことを私を通じてお話になり、それが直接の動機で、作業忌避の廉により長谷川氏が一週間の投獄を受けられたのが最初の発端でありまして、続いてその主義主張を変えず、又蒙古人に対しての侮辱的な言辞があつたために、遂に一ケ月の投獄という形になつて、南北の両兵舎が合併しまして、いわゆる南の兵舎に全員が移つたのであります。そのときに吉村氏は蒙古側の收容所長から、君が今度は全員を指揮する隊長をやれということを言われまして、そのときに吉村氏は未だ日本の軍隊組織が保たれておる以上、私よりも上級者のおるところで隊長の指揮を取ることはできないということを私を通じて話されました。それに対して蒙古側の收容所長は、長谷川は近いうちにこの收容所から追放する。從つて残る上級者は中尉、少尉級であつて、君はそれらの上級者に氣兼ねすることなく、隊長の仕事をやれ、若しもそれらの將校が君の主義主張に対して反駁を加えるというような場合には、速かに蒙古側において処置を取つておるから引受けろという重ねての話に、吉村氏は引受けたのであります。以上が大体隊長の更迭及び南北両兵舍の合併するに至つた経緯であります。
#502
○天田勝正君 非常に筋道の立つたお話で可なりはつきりして参つたのですが、一点どうも理解ができないのは、あなたの御証言にもあります通り、むしろ初めは吉村隊の方が作業能率も悪かつた。そうした作業能率の悪い方があべこべに向うのお覚えがめでたい。いわばこういうことは実際我々にはどうも解し兼ねるのですが、それが段々改善されて、こつちの方が、遥かに吉村隊の方が作業能率関係その他の点についても改善されたから、結局さように隊長更迭にまで立至つた。こういうような点が若し承われれば一つお話願いたい。
#503
○証人(原田春雄君) お答えいたします。御尤もな疑問だと思いますので申しますが、それは二回目にこの收容所長になつて來ましたモヂツクという中尉が、私利私慾を考えた人でありましたので、内蒙から來たエリツチ・サンボーと私と両者を使い分けながら、長谷川と吉村のいずれが自分の私利私慾を満たすのに都合がいいかということを探りを入れましたことは事実であります。例えば長谷川氏に時計を寄越すように私を通じて話がありました。又内蒙人の通訳を通じて、吉村氏に時計を寄越すようにという話があつたのであります。それに対して長谷川氏はこれを拒絶した。吉村氏はこのモヂツクの申入れに應諾して時計を進呈したということは、旧吉村隊員の人によつて明らかにされております。尚いわゆる筏揚げの作業が工場からの命令でありまして、俘虜司令部からの命令ではない。從つてこれに対する謝礼が一本の材木を陸揚げして運ぶごとに二円の賃金を支出するという工場側の申出がありまして、それは後で知つたのでありますが、当時モヂツクの腹の中にはすでにその賞金に目が眩んでおつたことは後で分つたことであります。その間に吉村氏とモヂツクの間に話合いがあつたかどうか知りませんが、いずれにしても吉村氏は筏揚げの作業を快よく引受けるという意思表示をすることになり、長谷川氏はそれを強硬に拒否し続けた。尚その間に吉村氏は約十日間病氣と称して休んでおります。休むに至つた直接の原因は、彼の部下の一部が羊毛の工場におきまして、非常に能率が悪いという理由を以て、その工場の現場監督から吉村氏が突倒された事実があります。それを機として吉村氏は約十日間寢込んだのであります。その間に例の内蒙人通訳が日ごと夜ごと吉村氏の枕頭に訪ずれ、その間の話合いは、私が後から吉村氏から聽いたことですけれども、大体次のようなことであつたのであります。結局内蒙人は同じ俘虜でありましても、我々よりももつと突き進んだ情報を持つておりましたので、君達日本人は到底ここ一年や二年のうちに日本に帰ることはできない、從つてこの労働者の國におきましては、働かざる者食うべからずという鉄則は民族の如何を問わず適用される。從つて君達がかりそめにも作業を忌避するとか、又は怠けるというようなことがあれば遠慮会釈もなくそれに対する制裁は加えられるであろう。例えば蒙古人、中國人、ソ連人においても、これは同様に行われていることであるし、特別に日本人だけに行われるべき性質のものではないというような話があつた、吉村氏が今現場の監督から突倒されたと言つて悲観をしている際に非常な激励を與えて、そして二、三ケ月のうちに帰國するというような当時のデマを一掃して吉村氏の決意を固めさせるに至つたのであります。
#504
○矢野酉雄君 最前のお話の中に、長谷川隊の能率が上らないのは、老人や子供が多いというような御説明があつたんですが、もつとそうでなくて、長谷川氏自身のイデオロギーそのものにそうした能率の上らないものが含まれてはいなかつたのですか、吉村隊の中に。
#505
○証人(原田春雄君) はい。
#506
○矢野酉雄君 それから次に、今から考えられて結構ですが、長谷川隊長と、それから吉村隊長に現われている部面では、いわゆる作業の実際を見て見ると、その現われておる部分が全然違つているようですが、吉村隊長の頭の中に結局内在しているところの考え方と、長谷川隊長の作業に当つての考え方、この二つの全然平行線でもう相一致するところがないというふうにお認めですか、或いは形は違うけれども長谷川氏の一つの考え方と、吉村隊長のその考え方には相一致するものがあるというふうに考えられますか、この点についてのあなた御自身の御心証を承わつて置きたいと思います。
#507
○証人(原田春雄君) 当初は長谷川氏の考え方と吉村氏の考え方は正に一致点があつて、共どもにできるだけやろうということを言つておられたことは事実であります。それが先程申上げましたような、吉村氏が現場監督から叱責されるとか、或いは病氣中に内蒙人通訳から情報を聽かされるというようなことによつて、その後の吉村氏と長谷川氏の作業に対する考え方はついに全然対應的な態度を取つた。最も極端に申上げますと、長谷川氏はどんなに作業をサボつて或いは減食をされ、投獄をされても生命の保障はして呉れるであろうという固い信念を持つておられました。これはソヴエツトという國が決してそんな非人道的な國ではないというお考えと、もう一つは今回の戰爭はソヴエツトと日本だけの戰爭ではない。いわゆる連合國と日本との戰爭であつて、從つてソヴエツトが独断で日本人俘虜を処置することができないであろうというようなお考えであつたと思います。吉村氏はこれに対していわゆる内蒙人通訳の話を信じられて、我々が作業をサボるときは恐らくその生命は保障されないであろうということを強く信じられ、從つて坐して死を待つよりはみずからの力で行けるところまで行こう、そのためにはいわゆる大の虫を生かして、小の虫を殺すも止むを得ないというようなことを私に語られました。
#508
○天田勝正君 御証言の中にあなたとエリツチ・サンボーと使い分けられて、モヂツク中尉が金品を要求した、物を要求した、こういうお話があつたのでありますが、その要求したものは一体当然命令的に取り得るものですか、取れないものを要求したものですか、先ずそれをお聽きします。何か物によつては向うが要求してもいいものもありましようし、そういう点を‥‥
#509
○証人(原田春雄君) それはいわゆる隊長を通じて、言わなくても取り得るものかどうかという意味です。
#510
○天田勝正君 そうそう。
#511
○証人(原田春雄君) 我々が抑留されまして以後は、輸送指揮官でありましたソ連の少佐がお話をしたことによりますと、君達の現在持つておる財産は武器、兇器以外のものは絶対に脅かされないということを言明しました。從つて直接取るということは不可能であつたのであります。
#512
○天田勝正君 それはそれで結構ですから、木材の陸揚作業はこれは何か正式の命令系統によるところの命令ではなかつたというお話のように聽きましたが、これは全く非合法にモヂツク中尉が勝手に、要するに命令したとおつしやるのでありますか。そう了解してよろしいのでありますか。
#513
○証人(原田春雄君) それは工場の仕事でありまして、我々が到着するまでは工場側が賃金を拂つてやつておる仕事であります。従つて工場はこれを日本人の俘虜がやつて呉れないかなという氣持があるところへモヂツクが便乘したと、こういう結果になつたのであります。
#514
○天田勝正君 その工場というのが、それでも日本のような工場の場合だつたらあの言う通り直ぐ分るのであります。ところが向うはそうした工場も國営でありましようから、一体それに対して國営からモヂツク中尉が利益が取れるというのがちよつと普通理解ができないのであります。
#515
○証人(原田春雄君) 我々の所属しましたのは、いわゆる俘虜司令部直轄の作業ではなくて、一應國営の総合工場に配属されてその総合工場から、総合工場の経費を以て我々を養なつたわけでありまして、外の部隊と若干趣きが異なつておつたわけであります。從つて工場がどれだけのノルマをやるかということは、工場で立案して、これを司令部の許可を得て、そうして実施して來たのであります。
#516
○天田勝正君 その木材の陸揚作業というものは、その司令部の許可を得たところのノルマ以上のものであるということをおつしやるのでありますか。
#517
○証人(原田春雄君) そうです。工場のノルマは当然決まつております。從つて木材揚げの課外作業をやらそうとして、司令部の許可を得たわけであります。その司令部の許可というのは、收容所長を通じて司令部に申請書等を出せと、そこでモヂツクはこれを申請して許可を取つております。
#518
○矢野酉雄君 ああいう実に未だ曽て経驗したことのない環境に置かれたときのいわゆる心理状態、私自身も置かれたわれですが、それを今からよく原田証人は冷靜にお考えになつてですね。最前、私の間に対しては、最後には、もう対蹠的で全く相反した考え方であつたという御証言があつたが、更にもう一度私はその点を、非常に私としては重大な問題でありますので、お尋ねをして置きたいと思いますが。いわゆる長谷川隊長が余りに苛酷な労働に唯々諾々として從つておれば体を壞し、結局病氣をして亡くなるというようなことになるので、皆一人でも欠けないように、恙なく懷しい祖國に帰りたいという、帰らしたいという、その氣持と、一方池田、吉村隊長が向う側の、ああいう環境の中ですから、要求せられるままに唯々諾々としてこれを了承して、そして皆が能率を高めて食糧も多く配給して貰う。そうして向うのお氣に入るようなことをしたら、早くもう帰されようというような氣持から、そうした向うの要求されたノルマ通りに、或る場合にはそれ以上にもやつたというふうに考えたならば、全く現われた形は両者において違うけれども、その両人のその部下に早く祖國に帰らせたいという氣持において相一致する点がないと、或いはあると、今から冷靜にお考えになつて、この問題についてどういうような御心境でありますか。
#519
○証人(原田春雄君) それは今まで私は何回も繰返して考えて参りましたので申上げます。先程対蹠的になつたと言いますのは、いわゆる作業に対するその方法論が対蹠的になつたのでありまして、只今申されましたように、早く自分も、又自分の部下も祖國に帰りたいという氣用においては、正しくこの吉村隊出発当時は一致したものと私は思います。ただそれが後になつて吉村民の行過ぎ、過失という問題になつて現われたことは事実でありまして、当初の出発点における吉村氏の氣持は決して間違つていないと吉村氏は常に信じておりました。又その究極の目的とするところは、先程のお話の通り、若干の犠牲はあつても、大分部の者が日本に帰る方がよろしいと、長谷川氏の言うように坐して死を待つことは却つて大多数の死亡者を出すことになると、こう考えたのでありますが、結果におきましては、それは反対でありまして、外の收容所を見ましても分ります通り、隊長の処罰されることによつて兵隊は救われたという例は沢山あるのであります。
#520
○岡元義人君 ちよつと一点ずつ聽いて参りますが、原田証人はこの最初から、いわゆる承徳を出発されるときから最後までずつと一緒でありましたか。
#521
○証人(原田春雄君) どなたとですか。
#522
○岡元義人君 吉村隊長と……
#523
○証人(原田春雄君) 長谷川隊長と一緒でありまして、吉村隊になつてからは、吉村氏と一緒でありました。
#524
○岡元義人君 それから第二点は、あなたは通訳をされたのですが、蒙吉語、ロシア語、両方おやりになりましたか。
#525
○証人(原田春雄君) 申上げます。当初は中國語を用いまして、当時のウランバートルの土地の通訳を通じて、三段通訳をやつておりました。その後蒙吉語の方が都合がよくなりまして直接通訳をやりました。ロシア語は分りません。
#526
○岡元義人君 それから続けてお尋ねしますが、あなたはウランバートルの收容所に着かれてから帰られるまでの、殆んど通訳という通訳は大概あなたがやられたのですか。
#527
○証人(原田春雄君) 向うの政治部員、いわゆるゲー・ペー・ウーという方がありまして、その中には非常に日本語のよく分る方がおられまして、その方と吉村氏が直接話をした以外は、全部私が当つてやりました。
#528
○岡元義人君 それではお伺いしますが、收容所に入りましてから、いわゆる收容所に着かれて、いよいよ作業に出る、始めるという前にです。あなたの隊はいわゆるいきなり作業に就くようになつたのですか。それともいわゆる希望によつて、作業を希望して出るということから、先ず署名捺印等が行われたのでありますか。
#529
○証人(原田春雄君) 申上げます。それは到着しましてから、長谷川氏が三百名を引連れて出られるときに職業調査がありまして、いわゆる皮革製絨の業務に特有の技能を持つている者を選抜して三百名連れて行かれました。それから收容所に着いてから、約一週間の間更に私が通訳をしまして、工場長と收容所長立会の上で、個人的な職業、いわゆる從來の特有の抜能或いは経驗のある職業ということを調査しました結果、蒙古側において、お前は靴をやけ、お前はなめしをやれというように、その特業を生かすべく配当されたのであります。
#530
○岡元義人君 いや、私がお聽きしているのは、俘虜というものは、仕事をしなければならないんだということじやないわけなんですね、本当は。だからしてそれは向うから、希望によつて仕事をやらしたんだというような署名捺印等の事務的処理が取られたかどうかということを聽いております。
#531
○証人(原田春雄君) 事務的処理は取られません。但し食べ物を食べ、着る物を着るというためには、それだけの費用は自分達で賄つて貰いたい。これは入國した当初、口頭で向うの將校からお話がありましてた。
#532
○岡元義人君 尚念のためお聽きしまますが、帰るときまで全部それに対する署名は行われていないんですね。
#533
○証人(原田春雄君) こんな作業をいたしますという宣誓的な署名ですが。
#534
○岡元義人君 希望して作業するという意味ですね。
#535
○証人(原田春雄君) そういうことは、帰るまで私の記憶ではありませんでした。
#536
○岡元義人君 その点について、あなたは通訳としておかしくお考えにならなかつたですか。
#537
○証人(原田春雄君) 向うの國法によつて、徒衣徒食は許されないという前提條件の下に、自分の生活、いわゆる衣食をするのに必要な労働をするということは当然であると考えました。
#538
○岡元義人君 俘虜の取扱いということについての向は全然お分りになつていなかつたですか。
#539
○証人(原田春雄君) 分りませんでした。
#540
○岡元義人君 じやあ次にお聽きしますが、肝心な問題に触れまして、隊長更迭の経緯は、私が今申上げることに違つている点があつたら、違つている点だけ述べて頂きたい。先ず第一、長谷川隊におきましては、十七名のストライキをやつた。そのために久木村少尉とかいう人が三日間の処罰を受けているですね。そういうことがあつても、靴をば月額の定量以上に長谷川隊に作れという指令が出たのに対して、長谷川隊長がそれを拒んだ。こういう問題と、これはまだはつきりいたしておりませんけれども、病院の清掃婦ですか、それとの姦通問題があつた。そういうようなことから、長谷川隊の方に仕事をさせるよりも、吉村氏を隊長として仕事をさして方がよいというような見解から吉村氏を無理に隊長にした、こういう工合な見解でよろしいのか、この点違つておる点があつたら一つ述べて頂きたい。
#541
○証人(原田春雄君) 申上げます。只今おつしやいました久木村少尉というのは久木原少尉の間違でありまして、久木原少尉の処罰は事実であります。それから靴工場のノルマを拒絶したのではなくて、長谷川氏が直接指揮をされましたけれども、所定のノルマはできなかつたのが事実であります。三番目に、お医者さんの病院における不徳事件というのは、眞僞の程は私は承知しませんが、一室に入つておられたというような……それが藥品の交換であつたかどうかは分りませんから、疑惑を招いて処分されたということは、いずれも事実でありますけれども、これが直接の動機で長谷川氏がお代りになつたとは考えられないのであります。それは結局吉村氏の心境の変化と、恰もモヂツクという悪徳の收容所長が來て、これがうまく吉村氏の心境の変化に結び付いたということによつて、むしろ吉村氏よりも、モヂツクの方で長谷川は邪魔者だというように、吉村氏のお考えになるのが仮りに三分程度でありますと、モヂツクが七分通り長谷川氏を邪魔者だと考えて、この挙に及んだものと私は解釈しております。
#542
○岡元義人君 最後まで吉村隊長は、隊長になるのを拒んだ、その拒んだら蒙古の指令に背くのかといつて、自動車に乘せられて行つて、そうして司令部で先程夕方に帰されたと申しておりましたようですが、監禁されたというような事実があつたかどうか、その点原田証人は知つておられるかどうか。
#543
○証人(原田春雄君) それは拒んだのは私を通じて一回、その前後の事情から考えまして吉村氏は当然引受けるつもりでおりましたし、拒みましたのは儀礼的に一回收容所長の事務室で拒んだだけでありまして、その当時吉村氏が司令部に連行された事実はありません。但し後半期を過ぎてから吉村氏が司令部に連行されましたことは、当時彼が憲兵曹長であるということを祕匿しておつたことが暴露しまして、それの取調べのために監禁をされ、遂に彼は泥を吐いたということを後程私に語つたことがあります。その以外に司令部に連行され云々ということは私は記憶はありません。
#544
○岡元義人君 突然でありますけれども、この点非常に食違つておりますので、池田証人の証言を更に得たいと思います。
#545
○千田正君 只今の吉村隊長となつた長谷川隊の中におつたところの准尉或いは少尉、若しくは中尉の人達、そういう人達は何ら不平を持たなかつたかどうか。或いはその後においてそういう人達は、吉村に対する不平から、所属しておるところの兵の煽動とか、そういう問題を起したような形勢がなかつたかどうか。その点がお伺いしたい。
#546
○証人(原田春雄君) 当時の一般の空氣としてはすでに階級はなくなつた。ただ秩序維持のために軍隊組織を続行するというのが大多数の將校下士官兵を通じての氣持でありまして、從つて当時おられました中尉、少尉の人々は、仮に曹長である吉村が指揮を取ろうと、それに対しては何ら不服めいたことは申しておられません。ただ長谷川氏が氣の毒だということは非常に強く感じられたと思います。尚後に至つていわゆる旧長谷川系の者共が、吉村氏に対する報復として何らかの策動をしたか云々ということは、私の知つている範囲においては皆無でありまして、その後いわゆる石切りの作業が始まるまで旧長谷川隊、旧吉村隊の人々は仲よく暮したことはどなたの証言によりましても間違いないことと思います。尚帰る途中、シベリア鉄道においていろいろの暴漢が出まして、そのために吉村氏の身辺が危うくなるときに、長谷川氏は私を通じて吉村氏を長谷川氏の乘つておられる貨車に移し、そうして吉村氏の身を守られた事実によりましても、そういうことは一切認められないと私は思います。
#547
○淺岡信夫君 一点お尋ねしますが、先程からの証言によりまして、吉村並びに長谷川両人のことはよく分つたのですが、その根本においては差異が生じたという点は、長谷川元大尉は停戰である。それから吉村隊長は敗戰である。こうしたところにその根本的な食違いがいろいろな面に現われて來たというふうに証人は思われないかどうか。
#548
○証人(原田春雄君) お答えします。最初は池田氏、長谷川氏共に停戰であるということを主張されておりました。で、お互いにポツダム宣言ということは全然、その全文を知らなかつたので、停戰で、而して我々はどうなのかという問題については模糊としておつたのであります。その後吉村氏は内蒙人通訳の話によりまして、我々は停戰とか何とか言つておつてもすでに駄目だ。完全に生殺與奪の権をソ連側に握られたものであるということを意識されて後、敗戰云々という言葉を用いられるようになつたのであります。
#549
○淺岡信夫君 それは長谷川元大尉も同樣でございますね。
#550
○証人(原田春雄君) 長谷川氏はこの内蒙人通訳の言葉を直接聽いておりませんし、又吉村氏を通じてそういう話を聽かれても頑として信じられなかつたのであります。
#551
○淺岡信夫君 あなたが吉村隊長と長谷川元大尉との通訳をされたのでありますが、その間において、回数においてはどちらに接触をしておつた回数が多いか、回数というか、月日が多かつたかという一点と、それから收容所の場所で隊長と通訳の位置はどういうふうなところに起居しておつたか。この二点を一つ……
#552
○証人(原田春雄君) 接触期間と申しますのは、隊長の更迭があるまでの話でありますか。
#553
○淺岡信夫君 初めから終いまでの間において……
#554
○証人(原田春雄君) それは、長谷川氏と私とが、接触しました期間は、抑留されまして以來約八ケ月、古村氏と私が接触をしました期間は一年半に及んでおります。次に隊長と通訳との位置の関係は、同室に起居いたしまして、蒙古側からのいろいろの命令その他は通訳が單独でこれを受けるということは皆無であります。必ず命令を達する場合には、隊長を連れて來いと、私は單独で行つて押返されたのであります。又隊長から蒙古側に達するいろいろの具申、そういう問題につきましてはいずれも隊長を通じてやつておりました。從つて通訳が單独で蒙古側に話をするということはなかつたのであります。
#555
○淺岡信夫君 殆んどの通訳は隊長を連行して行つて命令を聽かれたということでありますが、吉村隊長は常にあなたの通訳によつてのみなされたかという一点と、それから相当の時日を閲した曉において、吉村隊長は蒙古語を解するようになつたかならないか、この二点をお答え願いたい。
#556
○証人(原田春雄君) いわゆるモヂツク中尉のいた時代は、主として内蒙人通訳ヱリツチ・サンボーを通じて吉村は会話をしておられました。ただその間に長谷川氏の事柄について向う側に話をされるときは、殊更のごとく私を通じてやられました。次に、吉村氏が後程蒙古語を解するようになつたかどうかという問題は、同じような事柄を何回を繰返して彼が耳にしたというような言葉については、聽き取る能力ができておりましたけれども、話す能力は殆んどなかつたものと私は思います。
#557
○矢野酉雄君 最前の岡元委員からの動議は……岡元委員の動議に賛成します。
#558
○委員長(紅露みつ君) それじや動議は賛成の方が沢山ございますようですから、これはもう成立したものとしまして、そのように取計らつてよろしうございますか。
   〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
#559
○委員長(紅露みつ君) それでは、原田証人の御証言によつて更に池田証人に御質問の必要があるということでございますから、原田証人に一應御退席を……それとも一緒にしますか。
#560
○岡元義人君 問題は非常に簡單でございますから一緒でもいいのじやないかと思います。
   〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
#561
○委員長(紅露みつ君) それじやそういうことにいたします。
   〔証人池田重善君着席〕
#562
○岡元義人君 ちよつと池田証人にお尋ねしますが、先程の証言が少し合点の行かぬところがあるのですが、それは隊長になるのを自分は拒否した。その際に蒙古側の司令部から、命に背くというのであつたならばというので自動車に乘せられた。そうして連れて行かれた、そして監禁されたと思つた、こういう工合に御発言があつたのですが、そうして箱自動車に乘せられて、それから監獄に送ると言つて連れて行かれて、着いたところは自分の事務所だつた、こういうことをあなたは前に函館で述べておりますね。それにははつきり監禁されたと書いてありますが、監禁されたかのようにも先程発言があつた。その点に対して尚一遍ここで証言して頂くと共に、誰がその事実を証明して呉れるか、その点についてそういう人が若し今日出席されている証人の中にあつたらその名前を述べて頂きたい。
#563
○証人(池田重善君) これは合併になる昭和二十一年の七月の頃であります。会社の工場の中にまだ事務所があつたときであります。そのときに呼ばれまして、そうしてモヂツク中尉、それから工場長のコンブジロン、それからレキシントン、これはゲ・ペ・ウの少尉であります。これらから呼ばれまして隊長をやるようにと言われました。私は、今の私としてはとにかく日本はまだ軍隊の制度が破壊されておらないのだし、軍隊の延長だと皆言つておりましたから、私としては先任者がおるのに、それに就くわけにはいかないというので、長谷川隊長を推薦したのであります。又第二番目に、それでは駄目だと言われて、次に中村中尉、その次に倉持中尉を推薦したのであります。そうして私としてはできないと言つたのですが、とにかくやれと言う、今階級はないじやないかとまで言われまして、そうしてそのまま司令部に連れて行くからと言われて自動車に乘つて司令部に行きました。そうして司令部に連れて行かれまして、軟禁というか、部屋の中に閉じ込められました。そうしてゴンチキ中佐の前に出まして、隊長をやる、やらんで、再びそういうふうに言われましたが、君は最初隊長になるときに誓約書を書いておるじやないか。それでも私としては軍隊制度があるからできないというふうに應じまして、そうしてそこに夕方までおりました。夕方と言つても四時頃です。どこに連れて行くとははつきり分りませんでした。君がやらんのなら監獄に行くことは決まつておるのだといつて、そうして自動車に乘せられまして行きました所が收容所でありました。そうして長谷川隊の收容所に連れて來られまして、今日から君がやるのだから、とにかくここを全部炊事その他一切医務室とかいうものを管理するように、材料は幾らでもやるからというように命ぜられまして、仕方なくあそこで引受けたわけであります。
#564
○岡元義人君 それを証明して呉れる人は。
#565
○証人(池田重善君) 私もはつきり覚えておりませんが、村上という方がおられると思います。
#566
○岡元義人君 今日出ら來られておる証人の方の中には誰もそれを証言する人はおりませんですね。
#567
○証人(池田重善君) おりません。
#568
○岡元義人君 あなた一人で行つたのですね。
#569
○証人(池田重善君) はあ。
#570
○岡元義人君 監禁されたかのように思つたというのと、監禁されたというのでは大分……
#571
○証人(池田重善君) 一部屋に連れ込まれて……やはり司令部の中であります。
#572
○岡元義人君 監禁されたと思つはのですか。
#573
○証人(池田重善君) はあ、そうであります。
#574
○岡元義人君 分りました。
#575
○委員長(紅露みつ君) それでは他の証人にいたしまして、池田証人は御退席願いましようか。
   〔「退席」と呼ぶ者あり〕
#576
○委員長(紅露みつ君) それでは池田証人には又御退席を願います。次の阿部証人の出席を求めます。
#577
○矢野酉雄君 これは打明けた話ですが、原田さんに実に俗つぽいことをお伺いしますが、あなた御自身実にはつきりした態度で御返答願つておるのですが、世俗によく言いますが、最前のお答の中にもありましたが、長谷川派とか、何とかいう派がいろいろあるというふうな言葉があつたんですが、あなた御自身は今の御心境からしますと、いわゆる長谷川さんとここに吉村さんという二人があるとする場合に、いわゆるあなた御自身の今の心境は嚴正中立ですか、或いはどちらかの派に属せられるような氣がしますか、どちらでございますか。
#578
○証人(原田春雄君) お答えします。私は長谷川さんにもお世話になりましたし、吉村さんにもいろいろお世話になりました。又長谷川さんが旧來の隊長でありましたけれども、私は軍隊当時の隊長に今更忠誠を盡す程古い頭を持つておりません。
#579
○矢野酉雄君 次にお尋ねしますが、ここに御出席になる前に何か長谷川前の隊長、或いは前の吉村隊長と、或いは文書の往復とか、或いはその他直接に会つていろいろな打合せ等をなすつて、この証人台にお立ちになつたのですか、全然全くこの御両人に対して何らの事前の交渉なくしてここに御出席になつたか、この点僞わらず御発表願いたいと思います。
#580
○証人(原田春雄君) 吉村氏とは全然沒交渉で参りました。次に長谷川氏はで四月の六日頃速達で手紙を寄越されまして、今回自分が証人に立つことになつたので、若しも貴殿が立つことになつていなければ、自分は参議院に行つて是非とも貴殿を証人にお願いするつもりであるという手紙が参りまして、私は証人に立つという返電を打ちました。尚その外に、当時の酒井一郎軍医が私の近くに住んでおられますので、これは当時いわゆる事件によつて亡くなつた人の生命、出身地、その他の記憶を確かにするために、酒井氏を訪れてその死亡した人々の事柄について打合をいたしました。それだけであります。
#581
○岡元義人君 議事進行で……非常に予定の定刻を過ぎておりますので、証人の方の問題は今日はこれくらいで止めて頂きまして、尚委員だけの委員会を多少の時間開いて頂くような動議を提出いたします。
   〔「その動議に賛成します」と呼ぶ者あり〕
#582
○委員長(紅露みつ君) それではお諮りいたします。今日は証人の証言審査につきましてはこの程度にいたしまして、散会にいたしたいという動議が出ておりますが、御異議ございませんか。
   〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
#583
○委員長(紅露みつ君) それでは本日はこれをもつて閉会にいたします。御苦労樣でございました。明日……(「閉会じやないのです」と呼ぶ者あり)散会にいたします。そうして明日は午前十時から……
#584
○岡元義人君 私が出した動議は違う。委員だけの委員会を継続して頂く、明日の問題がありますから……。
#585
○委員長(紅露みつ君) それではもう一遍申上げますが、証人に対する証言聽取の件はこれを以て一應打切りといたしまして、あとは委員だけの委員会を継続いたします。御異議ございませんか。
#586
○草葉隆圓君 本日の委員会はこれを以て散会されて、あとは懇談会にされる、こういう動議を提出いたします。
   〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
#587
○委員長(紅露みつ君) 御異議ないものと認めます。それでは本日はこれを以て散会にいたします。御苦労樣でございました。証人の方にも大変御苦労樣でございました。明日は午前十時から本委員会を続行いたしますから、どうで定刻に御出席願います。
   午後四時三十六分散会
 出席者は左の通り。
   委員長     紅露 みつ君
   理事
           天田 勝正君
           草葉 隆圓君
           岡元 義人君
           星野 芳樹君
           鈴木 憲一君
   委員
           淺岡 信夫君
          池田宇右衞門君
           水久保甚作君
           伊東 隆治君
           小畑 哲夫君
           木内キヤウ君
           北條 秀一君
           穗積眞六郎君
           矢野 酉雄君
           細川 嘉六君
           千田  正君
  証人
           池田 重善君
           笠原金三郎君
           原田 春雄君
           酒井 一郎君
           鎌谷 參司君
           君島甚五郎君
           長谷川貞雄君
           阿部  忠君
           堀金  榮君
           酒井 幸次君
           小峰 光治君
           清水 一男君
           津村 謙二君
           田代喜久雄君
           山崎 隆弘君
ソース: 国立国会図書館
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