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1949/02/12 第5回国会 参議院 参議院会議録情報 第005回国会 文部委員会 第1号
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1949/02/12 第5回国会 参議院

参議院会議録情報 第005回国会 文部委員会 第1号

#1
第005回国会 文部委員会 第1号
昭和二十四年二月十二日(土曜日)
   午前十時三十八分開会
  ―――――――――――――
  委員氏名
   委員長     田中耕太郎君
   理事      河崎 ナツ君
   理事      松野 喜内君
   理事      高良 とみ君
   理事      岩間 正男君
           梅津 錦一君
           若木 勝藏君
           小野 光洋君
           左藤 義詮君
           大隈 信幸君
           木内キヤウ君
           梅原 眞隆君
           河野 正夫君
           堀越 儀郎君
           三島 通陽君
           山本 勇造君
           中野 重治君
           鈴木 憲一君
           西田 天香君
  ―――――――――――――
  本日の会議に付した事件
○小委員会設置の件
○議員派遣要求の件
○法隆寺の火災に関する件
  ―――――――――――――
#2
○委員長(田中耕太郎君) 大体お揃いになりましたようですから、第五國会の第一回の文部委員会を開会いたします。
 本日の議題は、小委員会設置の件、議員派遣の件でございます。先ず第一の、小委員会設置の件についてお諮りを申上げます。文化に関する小委員会は從來設けられておりまして、これは各國会ごとに解消するわけになつておりますので、新たに設置すべきや否やということについてお諮りを申上げます。
#3
○鈴木憲一君 文化小委員会は從來の通りに設置されて、その委員等については委員長に一任されたら如何かという動議を、私は提出いたします。
#4
○委員長(田中耕太郎君) 鈴木君の提出されました動議につきましてお諮り申上げます。
#5
○高良とみ君 只今の動議に賛成いたします。
#6
○委員長(田中耕太郎君) それではこの動議についてお諮り申上げます。御異議ありませんか。
   〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
#7
○委員長(田中耕太郎君) 御異議ないものと認めます。
#8
○山本勇造君 ちよつと、それと同時に委員長と副委員長の問題、今一任ということに御異議がないようですから、その点もはつきりしておかないと、もう一遍選び直すということになりますから、その点を……。
#9
○委員長(田中耕太郎君) その点も御異議ございませんければ、一括して委員長にお任せ願います。
   〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
#10
○委員長(田中耕太郎君) それではお任せ願つたものといたしまして、小委員の方々を御指名申上げます。從來通り河崎ナツ君、松野喜内君、大隈信幸君、三島通陽君、山本勇造君、中野重治君、岩間正男君、鈴木憲一君、でございます。尚小委員長といたしましては三島通陽君、又副委員長としましては中野重治君を御指名いたします。それでは文化小委員会設置の件及び小委員にお成りの方並びに委員長並びに副委員長を決定いたしました。
 次に議員派遣に関する件でございます。これは実は昨日委員長懇談会が開かれまして、その際各委員会におきましても随分派遣の希望がございまして、それでどういうふうに取計らうか、実は今日から本会議は自然休会にした方がよくはないかというような意向もございましたけれども、併し委員長懇談会におきましては、これはやはり委員会でもつて派遣の人員なり或いは期間なり、或いはその他の点について、十分委員会で諮らなければならない。だからして自然休会はあとに延ばしても、今日各委員会におきまして会議を開いて、そうして決定した方がよくはないかというようなことであります。文部委員長といたしましてもさような希望を述べて置きましたわけで、それで今日この議員派遣に関することも、併せまして御協議願うために委員会を開きましたわけでございます。でこの点につきましては、この前の國会の時からすでにいろいろ御相談は願つておりまして、大体決定までに行つておりましたけれども、併し解散も目捷の間に迫つておつた結果、新國会が落着したあとの方がよかろうというわけで延びておつた次第であります。大体この前に御相談願つておつたような形で原案ができておるのでございます。これを先ずお諮り申上げて差支ございませんでしようか。
   〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
#11
○委員長(田中耕太郎君) それではさように一應……、これは原案の原案と申すべきものでございます。ちよつと速記を止めて……。
   〔速記中止〕
#12
○委員長(田中耕太郎君) 速記を始めて。第二の議題であります議員派遣の件につきましては、派遣調査の班の数、それから派遣される議員の数なり又氏名等につきましては、又期間も同様でございますが、委員長並びに理事に御一任願うことにいたしまして、手続を取運ぶことに御異議はございませんか。
   〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
#13
○委員長(田中耕太郎君) 御異議ないものと認めます。さように取計らいます。議員派遣の件はこれを以て決定いたしました。
 次に今日議題にはなつておりませんけれども、法隆寺の壁画が火災のためにえらい損傷を蒙つたことは御承知の通りでございます。これにつきまして、文部委員会、特に又文化小委員会としましては、非常に関心を持ち、又その眞相を確め、今後の対策を講じなければならないと痛切に感じます次第であります。これにつきましては文部委員会から竹内專門員が視察に行きまして、材料も持つて帰つて來たわけであります。又文部省の係官の方でもこれらの実情について報告されることがあると思います。御異議ございませんければ、その問題に入りたいと思います。
   〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
#14
○委員長(田中耕太郎君) それでは法隆寺壁画の損傷の問題につきまして、文部省社会教育局長の柴沼君から、國宝保存の問題及び法隆寺関係のことについて、柴沼説明員。
#15
○説明員(柴沼直君) 一月二十六日に法隆寺金堂の内より出火いたしまして、壁画に著しい損傷を生じましたことは、私共関係職員としまして誠に申訳のない次第と考えている次第であります。念に念を入れてやつている積りでありましたのですが、尚恐らくは不注意の点があつたろうかと存じます。そういう点につきまして非常に申訳のない次第であります。これからその前後の状況を概略お話申上げたいと存じます。
 法隆寺は、國宝として指定された物の中でも、特別な價値があるというところから、一般の國宝と違いまして國から特に多くの補助金を出しまして、昭和九年以來これが修理に着手したのであります。丁度十三の建造物の修理を終りまして、尚五重の塔と金堂だけが修理が済まずに残つておつたのでありますが、戰爭にさしかかりましたために、実は五重の塔と金堂も取り外せるだけ取りはずしまして、安全な所にその材料を疎開しておつたのであります。併しながら御承知の通り壁画は非常に貴重な美術品であると同時に、これが宗教的な意味を持つておりまして、法隆寺はその壁画に対して礼拜し、或いは香華を捧げるというような行事が行われておるものでありますので、壁画を疎開するということが、その関係からどうしてもできなかつたのであります。所有者である法隆寺側の了承が到底取れなかつたわけであります。そのために金堂につきましては、一番下層の柱と、その柱の間にある壁画、それだけが残りまして、その上に乘ります、丁度二階が見えるようになつております上の部分をそつくり外して、そうして仮の素屋根を建てて、雨をよけるというような形になつておつたわけであります。一方この工事の進め方につきましては、実は國の補助が非常に惡いということと、もう一つは物が貴重であるというような観点から、法隆寺側だけの力では到底修理がうまく進行しないというので、当時の昭和九年に文部省に寺側から依頼がありまして、そうして法隆寺保存事業法というものを、いわば文部省の別働隊のような形でございまするが、そういうものを作りまして、それに学識経驗のある方に参加して頂いて、修理の方針を決め、そうしてそれを現場の工事事務所が実行するというような形で、その修理を進めて來ておつたのでありますが、戰爭中はそういうわけで、疎開騒ぎで殆んど組立る方はできなかつたのであります。それから最近まで、壁画の保存が既にもう何十年となく保存の方法についていろいろ研究されておりまして、どうしたらあれが剥落を止めることができるか、或いは壁体を亀裂のできないようにすることができるかというようなことの、自然科学的な研究も続けて参つております。又一方どういう方法を用いるにしても、結局現在の姿がそのまま残ることは困難ではないかということから、先ず初に現寸大の写眞を攝り、その写眞を土台にして現場で模写をするという計画を立てまして、それも着々進行して参つて來ておつたのでありますが、その模写が実は眞夏と眞冬は、從來は氣候の関係から止めておつたのでありますが、最近いろいろな事情から画家が非常に熱心になつて、たとい嚴冬であつても自分たちは模写を継続したいというようなことから、保温の設備をすることになりまして、実はこれは私共事前には承知しなかつたのでありますが、とにかく京都の高島屋に依頼した電氣座蒲團を内部に用いたのであります。
#16
○左藤義詮君 いつ頃ですか。
#17
○説明員(柴沼直君) それは正確な日が分つておりませんが、本年の一月の十六日だといわれております。失火は一月二十六日でございますから、丁度十日前程になるかと思います。
#18
○左藤義詮君 文部省の誰が許可したのですか。
#19
○説明員(柴沼直君) 現場に工事事務所というのがありまして、技師がいる、その主任技師が画家と相談で入れたもののようであります。この電氣座蒲團というのは、申上げるまでもなくいろいろな品質のものがございますので、常識的に非常な警戒をいたすわけであります。それで事務所でも一應警戒はしたようでありまして、電氣座蒲團を監視するために、電氣の技術者を同時に採用するということを試みております。そうして電氣技術者が、その電氣座蒲團を、余り精神ではないようでありますが、一應調べまして、尚安全を増すためにというので細いヒユーズを電氣座蒲團の中に裝置して、少し怪しい場合は直ぐに消えるようにしようという計画で、実は火災の起ります前日の二十五日に、大阪にそのヒユーズを買いに行つて、その晩遅く着きまして、いよいよ取つけようとしたその朝に火事が起きたということになるわけであります。併し火災の原因が電氣座蒲團であるということは、まだ檢察廰方面では確定はいたしておりませんが、我々常識から見ますと、どうも電氣座蒲團の外に火の出ることが考えられないので、一應電氣座蒲團ということを前提にして問題を考えておる次第であります。
#20
○左藤義詮君 ヒユーズを切替える程心配であつて試驗までしなければならん程のものを、主任技師の程度で許可をするというその関係は、どういうふうになつておりましようか。螢光燈を入れるときも随分問題になつておつたのであります、非常に喧しかつたのを入れたのですが、それ以上に危險なものを主任技師程度で許可をするということは、どういうふうの段取りになつておるのでしようか。
#21
○説明員(柴沼直君) お話の通り、螢光燈を入れますときには、保存協議会において皆さん熱心に討議して貰つて、安全性を確めた上であれはやつておるのであります。從つて今度も当然若し電氣座蒲團を使うためには、そういうこともやるべきだつたと思います。併し何と申しますか、少し物事を軽く考えたのでありましようか、非常に急にやりたいというので焦つたのでありましようか、そういう方面に少しも相談せずに事実上やつてしまつたわけであります。それで二十六日の朝七時過頃でありまするが、数名の者によつて殆ど同時に金堂の内部から煙の上るのが認められまして、それから皆駆けつけて消火に從事したのでありまするが、発見してから約十分ぐらいで水が堂の中に入り始めまして、これが御承知のように周りをすつかり閉め切つた建物でありますために内部に空氣が余り入らないのでありまして、蒸焼のような形になつておつたわけであります。そこで素屋根と天井との間からホースで水を入れまして、あとで扉を開けましたときには、水が約一尺以上も溜つておつたというぐらいの大量の水が非常に早く入りました。そのために消火そのものは、消防関係の人に襃められるぐらい非常に手順よく行つたのでありますけれども、併し問題はあそこの木材でなしに壁画でありましたので、その火と水と両方のために壁画が非常な損傷を受けるという結果に相成つたわけであります。丁度ホースの出ますときに、隣の五重の塔にも、大きな百尺を越すような素屋根が直ぐ傍に建つておりまして、それにも火が移りかけたのでありますが、この方は水圧が非常に高い消火栓であるために、一瞬にして消すことができまして、幸に五重の塔の上には少しも損傷を與えることなしに、火水共に損傷を與えることなしに、その方は済んでおります。それから只今申上げましたように、内部が蒸焼きのようになつたのでありますので、柱や木の扉は約五分から一寸ぐらいの程度に、堂内平均に黒焦げになつております。無傷の柱が北西の方に一本あるのでありますけれども、これがどうして火が行かなかつたかというぐらいでありまして、その他は全部殆ど同じ程度に焼かれております。壁画は写眞で御覧下すつたと存じますが、大きな六号壁と申しますのに大穴が三つ程あいたのであります。その他剥落、亀裂等相当入つておるのでありますが、六号壁以外の損傷は、大体從來ありました損傷の線に沿うて、その損傷が拡大されておるのであります。それから顔料は熱によつてすつかり酸化されました色彩を殆ど失つております。丁度見ました感じが写眞のネガチヴの印画を見るような感じでありまして、線だけが残つておるという事情になつたのであります。尚その壁画に直接に触れております以外のものは、先ほど申上げました通り安全なところに疎開してありましたために、この方は無論損傷はございませんけれども、建造物そのものをもとの通り建直すことは、殆ど問題ないくらい簡單にやれるのであります。ただ壁画だけはどうにも回復の見込がない程度まで損傷を受けてしまつたわけであります。そういうことになりましたので、私も実は即日向うに駆けて参つたのでありますけれども、直ぐに善後措置に取掛ることになりまして、取敢ず壁画の損傷の現状を、そのまま將來に記録を残すための調査及び写眞撮影を開始いたしました。尚同時に前ありました素屋根が焼け落ちておりますから、それに代る小さな雨蓋いを作り、それから一方壁画に從事しておりました画家の人たちには、記憶の新しいうちに若干でも昔は偲ぶことができるような模写……模写ではございませんが、記憶画と申しますか、そういうものをコロタイプの線を土台にして、色彩の複原を図るというようなことを取敢えずいたして置きまして、復旧の方針につきましては今月の五日、六日に約三十名の委員の方が、いずれも專門家でありますがお集まりを願つて、又寺側もそこにおりまして相談をいたしたのでありますが、その結果決まりましたことは、事ここに至りましたために、もはや壁画を絶対に動かしては相成らんということは言つておられないのであります。土台から組直さなければいけないのでありますからして、これは寺側も了承しまして、一時壁を取除いて解体をする、そうして表面の燒けた材木につきましても、果して再び使うことができるかどうかを檢討し、壁は水平にして安全なところに一時納めて置く。將來この壁が元へ戻せるかどうか若干疑問なのでありまするが、尚これは科学的な研究を加えて、できれば壁がもう一遍元へ戻れるように準備だけしよう。しかしそれにしても燒けたために顏料の剥落が激しくなりましたので、顏料だけを取敢ず壁に固着させるような方法を、アクリル酸樹脂を用いてするということが決められました。それから燒けて現在のままでいつまでも放置して置きますと、若し地震でもありましたときに、更に大きな損傷が壁画及び構造物に來ますので、金堂の修理計画が二十六年度からになつておりますのを、もし予算が許せば繰上げて五重塔と並行に二十四年度からやりたい。そうして取敢ず解体してしまつて、後直ぐに組上げて行くというようなことをいろいろ相談をいたしたのであります。尚壁画の專門家に言わせますと、燒けても残つている線が非常な参考資料として貴重なものであるので、今日の損傷程度よりもより以上の損傷が及ぶことをできるだけ避けるような方法をして貰いたい。そのためには場合によつては相当な藥品を用いてでも、とにかく壁の崩れるのを防いで貰いたいというような希望が非常に出ておりまして、そのために外して、その方は壁体の硬化ということの研究をいたそうということに相成つておるのであります。そういう方法で取敢ず差当りの調査、差当りの手当というものに取り掛つておりまして、本年度一杯はそういうことに掛るかと思いますが、若し予算が許せば來年度勿々に一つ根本修理をして、再び組上げるということを進めて参りたいという希望を持つておるのであります。
 それで、火災に関して、法隆寺についてはどういうことが從來施設してあつたかということを申上げますと、実は能見式と申します警火装置がございまして、これは非常に敏感な警火装置でございまして、堂内で新聞紙一枚を燃やした程度で事務所に警報が來るという程敏感なものでございますが、これを從來修理のできたものには一つ一つつけて参つて來ておるのであります。ところがこの会社が戰爭中企業整備に会いまして、警火装置を作ることができなくなりまして、現在尚まだこの会社が再編成されておらないのでありまして、恐らくはこの四月からは作業が始まるのではないかと言われております。そういう関係で、戰爭中の戰爭中と申しますよりも、戰爭少し前頃からの修理したものにはこの装置をつけることができなくなつております。そのために実は窮余の策でありますが、法隆寺の裏山の高いところに大きな貯水池を作りまして、それから消火栓を要所々々に引いたのであります。これは大体百尺を越しますところの五示の塔よりは遥かに高く上るところの水圧を持つた消火栓が境内各地に引いて來ておるわけであります。それからその他の、自動的に水の落ちるようになる装置なども、現在発明されておるのでありますけれども、この装置をすることは非常に実際問題として困難があるのであります。一つはこの装置をつけて日常使つておる佛像や坊さんのおりますところに実驗をすることが非常に困難であります。一遍つけますと、二十年も三十年も試驗なしにつけておる。故障のあるなしを分らずにつけておくというような結果になり易いのと、もう一つは故障を起しますと何でもないときに水がさつと出て來るというようなことのために、中に宝物を入れておくことが極めて困難である。そんなことからスプリングラーと申しますのは、採用を実は余り寺院では好まないのであります。現在私の知つておりますのは、奈良の大佛殿がこれを装置しておるのでありますが、これも実は果して有効に働くかどうかということは必ずしも確かではない。それからガス消火の方はこれは実は法隆寺関係としても研究を進めて來ておつたのでありますが、炭酸ガス消火方法がいいというので、そういうことを随分研究して貰つておるのでありますが、まだこれは学術的に必ずしも結論が出ておらないようでありまして、尚これを採持するところまで來ておらなかつた。そんなこんなで今までのところは警火装置と消火栓というだけで、あとは、避雷針などは無論ございます。そういうものはやつておるのでありますが、直接の消火としてはそれだけでありまして、後はまあ大体二時間置きぐらいに、事務所から夜廻りが決められた道順を廻つて歩くというような方法で警戒をいたしておつたのであります。当日はその火事の起きます約三十分程前に、あそこの住職が直ぐ脇を通つておるのでありますけれども、その異変に全然氣が付かなかつたというようなことで、まあ一番安全だと思つておつた油断が、恐らくは禍いをしておるのじやないかというふうに考えられるのであります。この辺は滋常に遺憾に存じておる次第であります。尚電氣座蒲團から仮に火が出たといたしまして、そういうことが学問上考えられるかどうかということを、檢察廳からも大阪大学に依頼して調査いたしましたし、私の方も大阪、京都その他の大学專門家の方々に研究をお願いいたしておるのでありますが、無論学術的に必ず電氣座蒲團が原因だというようなことはなかなか言えないようでありますけれども、併しこの電氣座蒲團は、京都の高島屋という百貨店から納められたものでありますが、燒けなかつたものを解剖して見ますと、石綿の使い方が非常に少い。それから線の接触状況が不良であつたそういうことで明らかに戰爭前のものよりも品質が落ちておる。併しスイツチは一應切つたということにこれは確定されておるのでありますが、スイツチが切つてあつて尚且電氣座蒲團から火が出るということは非常に不思議なのでありますが、恐らくはスイツチを切る直前に接触の惡いところからの火花が綿に移つて、それが十数時間継続して燃えたのではないかという推定でございますが、そういう推定がされておる。ただ学問的にはそういう推定ですと、やや時間が少し長過ぎる。時間がかかり過ぎておるそうでありますけれども、それもまあ説明をこじつければ、別段説明が付かんという程の難点もないだろうというような、今のところまだ推定なのでありますが、そういう意見が有力であります。現場といたしましては、差当りその関係者の責任追及等をいたしておりますとより以上の損傷が來、混乱するのを虞れまして、実は即日應急手当の方に直ちに一同を從事させまして、その責任の所在等につきましては檢察廳の調査、それから文部省にも尚この法隆寺問題の調査の委員会がございます。そういう方面の意見等を聽きまして、科学的な根量を以つて一つ処分して参りたいと、そういう考で目下善後措置と並行して、その方の調査にも取掛つておる次第でございます。併しいずれにいたしましても、國宝のうちの筆頭とも申すべきものについて損傷を起したという点につきましては、誠に我々責任が重大でありまして、この点は関係者といたしましても深く皆さまにお詑びを申上げたいと思つており次第であります。一應法隆寺の火災の経過を申上げまして、尚その他のことはお尋ねによりましてお答え申上げます。
#22
○山本勇造君 ちよつと質問いたします。非常に大きな問題でこれから議会としては大分この問題をやらなければならんと思いますが、その前に極く簡單に僕は文部当局に御質問をしたいと思います。実はこの文部委員会の前に文教文化の両委員会がありまして、まあ我々はその文化の方をやつておりましたのでありますが、その文化委員会におきましては昭和二十二年の十月、つまり一昨年の十月に法隆寺は如何にも大事に考えておつたものでありますから、特に調査團を派遣いたしまして、そうしてこの状況を仔細に調べて頂きました。そのときは十人程も参りまして、團君が御專門でもあり、旁々その團長でおいでになつたのであります。そうして帰りましてから二十二年の十一月の十一日の日に、時の文部大臣を初めとしまして、当局の方の御出席を願つて、團長からそのときの視察の報告をして御注意すべき点を多々御注意申上げてあるはずでありまして、これは文部省としても御承知であると思います。不幸にいたしましてあの当時は速記の事情が非常に惡いためにあのときの速記が残つておらないのでありますけれども、我々の方に控えが取つてありますので、どういうことを言つたかということの要点だけは分つておるのであります。その要点の中には、ああいう燒ける危險のある物に対しては、消火の点は非常に御注意してくれということが入つております。又ああいう國宝の物は燒ける可能性のあるところに置くと危險だから、それは離した方がいいじやないかと、そうしてそれは法隆寺だけの問題でなくて、正倉院やらその他の問題についても御注意をいたしておりまして、そうして文部当局はそのときにそういう注意について十分なことをするような御返答が得られておるのでありますが、それらの点については文部省として、それぞれのところに十分なる御注意を與えられたものか、或いは與えられてないのかその点を一つお聞きいたいと思います。我々の方で派遣團を出して、そうして御注意を申上げるということは、單にこの議場内だけのことでなくて、本当に全國のそういう國宝を守りたいと思うからやつておることなんでありますが、それらの点が本当に御注意になつておるんであるかどうか。先程のお話を聞きますというと、電氣座蒲團ではないかと、しかもその電氣座蒲團の処置は大体において今のところは、出先の技師の裁量によつてそういうものは入れられたように見えまして、文部省では恐らくはそのときは知らなかつた。問題になるのは、そのときそういう出先の技師のことに責任があるかのように考えられると、しかし若し前に一昨年にそういうあれで出ておつたならば、出先の技師が電氣座蒲團をああいう火を入れてならんところに自分の一人裁量を以てやるというようなことはできないことだと思うのでありますが、そういうふうな点が御注意になつておつたかおらんか、それが一つ。
 それからもう一つ今後において大分そういう燒ける建物の中に大事な國宝がそのままになつておりまするが、あれをなんとかして離してするというような御意思があるかどうか。いくつもお問いしたいことがあるけれども、取敢えずその二点についてお尋ねいたします。
#23
○説明員(柴沼直君) 前に文化委員会のときにいろいろ御注意を頂いたことは私もよく記憶いたしておるところでございます。実はこれは繰返して申上げても詮のないことのようでありまするが、御注意頂きまして、更にあの方の関係の技術者ともいろいろ相談いたしております。その相談をいたしました一つが、丁度團議員がお触れになりました金堂の場合ですと、壁をよそへ移すことがどうしてもできないかどうかという点が一つ問題になつた。それから法隆寺の場合には、実は我々も非常に心配なものでありますからして、特に鉄筋コンクリートの安全な宝物の倉を二棟作りまして、できるだけその中に貴重なものは收納するように、又同時にそれによつて一般に展観させることもできるようにというような考えでやつて参つたのであります。併し何分にもこれが國営の國宝でありますれば、もつと徹底的にやれたのでありますけれども、お寺の所有に属し、且つ何と申しますか、宗教的なことに使うということのために、どうしてもお寺の了解を得なければ、物が動かせないという実情にあります。そのために現場で技師達も屡々お寺と懇談をして、先ず今までのところできるだけのものは移したのでありますけれども、結局壁だけはどうしても移すというところまで話が進んでおらなかつたということになります。若しお寺さんの方であれを移すということをもう少し早く承知して下さつたらというような氣持もするのでありますが、そんなことは正直のところ單なる言い訳にもなりませんし、言つても仕樣がないのでありますが、随分学者の方々もそういう方面について努力して下すつておるのでありますけれども、どうしても移すことのできないものが相当部分できたというのであります。
 それから火災の予防ということは無論我々の方では、いわばそういうことがいかに大事であるかということは、前々いろいろにがい目にあつておりますので、いろいろそのための方法を工夫さしておるのであります。例えば画家の膠を解くために火が要るのですけけども、これは小さな電氣コンロを從來から使つております。何故電氣コンロを使わせるかと申しますと、その電氣コンロですと、光がよく見えるために、それがよく消せるというわけであります。而も煙草とか何とかはのませないで、別にドアの外に仮小屋を作りまして、そちらの方で休憩をしたり、お茶を飲んだり、煙草をすつたり、というようなことをさして、金堂の中は一つ一つスイツチを、一つの火について大体少くとも二段階にスイツチを切るような方法をとつておつたのであります。ただ電氣座蒲團の場合だけはどういう加減か、聊か調査の不十分なものを早まつて使つた、これは私事実を申上げておるのでありまして、どこに責任があるというような意味で申しておるのではないのでございます。事実早く使つてしまつた。これは恐らくは推定いたしまするのに、画家の熱心さに係の者がつい人情に負けたのだろうと思うのでありますけれども、結局從來やらなかつた冬やり、而もそこで使うためにはいろいろな手続を履まなければならんものを、つい不用意に使つてしまつたというようなことなんであります。折角あの時もいろいろ御注意を頂いたのでありますが、頂いておりながら、そういうふうな問題を起して、その点は誠に申訳ない次第と存ずるのであります。
#24
○中野重治君 私簡單なことをお尋ねしたいのですが、一つは、町で賣つておる電氣座蒲團は、熱が或るところまで來ると、自動的にあれがこつちの方に曲つて遮断されるようになつておるのですが、それと違つていたかどうか、そういう裝置のない座蒲團であつたかどうかということが一つ、それから能見式警火裝置、あれはいつから始まつていつまで続いたかという時の関係、それからもう一つ――ほんの四つですから簡單な問題ですから言つてしまいます。第三は私の記憶によると、模写が始まつたのは可なりあとであつて、その前から建前をほどいていたと思います。それで例えば食堂や聖霊院の方はほどいて改築するのが大分前から始まつておつたと思いますが、模写が始まつてからは手落のあつたなかつたに拘わらず、相当きちんと注意をした。併しその前は私の見たところでは、非常に落ちておつたと思います。例えば説明は少し不足かも知れませんが、あれをほどいて、たしかあれは私は食堂か聖霊院が覚えておりませんが、あの頃は昭和十年か、十一年頃だつたかと思いますが、あの頃は大工さんが入つていて、下帶一本、バツトをくわえて仕事をしておりました。その頃と模写が始まつてから以後との間では、やはり火の注意、その他で格段の相違があつたと思いますが、そうであるかどうか。
 第四は、法隆寺のお寺の何と言いますか、経済問題ですね。收支とか、経常費とか、これは分らん部分もあると思いますが、社会教育局の方で或る程度この数字を出して貰えるかどうか。この四つ。
#25
○説明員(柴沼直君) 高島屋から納入された座蒲團はサモスタツトは附いておつたのであります。併し燒残つた物を大阪帝大で実驗したところでは、必ずしも座蒲團の温度に適当するサモスタツトかどうか疑問だということであります。つまり本來六十度くらいで止るべきものが八十度ぐらいになつて、初めて利くというようなことの実驗があるようであります。從つてそれのみに頼るのは危險だというので、コードとの接触の部分に、一本非常に細いヒユズを入れようじやないかということの話が起つた。話が起つたときはサモスタツトのことは分つてんらなかつたのでありますが、念を入れようというような話の出る程度のつまり電氣工事関係者から見ますと、一應不安を持つようなものではないかと思うのであります。だからもう少し電氣の知識のある者がおつたならば、或いはつかなかつたのじやないかと思います。尚内部構造としては、普通はニタロム線を巻いたものの上下を、石綿の薄いマツトで挾むのだそうであります。そうして直接接触するのを避けるのであります。その石綿の二枚入れるのを略してあつたそうであります。併し普通でしたらば略しておいても綿に火のつくことはないそうであります。ニクロム線の温度はそれ程高く上らないそうであります。併し断線が起きますと切れたところに火花の起きる虞れがある。恐らく火が出るとすればそういう断線、或いは接触不良というようなことなのではないかという想像であります。それから能見式警火裝置は、昭和九年からやり出しまして、只今正確に分らんのでありますが、恐らく昭和十六年までやれたような記憶でございます。十七年以後はもう機械が入らなかつたようであります。機械と申しますか、その裝置が手に入らなくなつたようであります。それからその工事場の火災に対する注意でありますが、実はお話のように、その火災に対して特に注意をするようになりましたのは、螢光燈を入れるときのようであります。螢光燈を入れての裝置は、これも昭和十五年かと思うのでありますが、その頃は特に火災に対する注意が喧しくなりまして、実は毎年の專門家を集めます協議会でも、工事関係者は、毎日その協議委員の学者から注意をされて参つたのであります。それからお寺の経済につきましては、実は数量的に申上げようにも材料がないのでありますが、最近非常に苦しくなつておりますのは、全國を通じて苦しくなつているようであります。法隆寺もその例に漏れませんので、從來おりました、いわゆる寺男というような者の数が、ほんの二、三名になつてしまつております。それ以上の人が経済のために抱えられない。從つてその夜廻りなども、工事事務所の方の人間が夜廻りをいたしておりまして、寺の方はそういうことをする余裕が全然ないのであります。從つて寺の経済は、まあ非常に逼迫しておると見て宜しいかと思います。工事に対する負担金なども本当の名目だけしか取れないのでありますけれども、それを出すのにも寺自身はなかなか出せませんで、聖徳太子奉賛会の方に頼んで出して貰うというような実状のように承知しております。
#26
○中野重治君 法隆寺保存事業部のできたのは、螢光燈を入れたあの頃ですか。つまり法隆寺保存事業部がいつできたか、及びその仕事に直接関係なさつている專門地の名前を……。
#27
○説明員(柴沼直君) 事業部は昭和九年、この修繕の始まるときの、昭和九年にできております。そして事業部が実は本当の事業部と申しますのは、実体のない事業資金だけでございますが、この構成メンバーは、次官と関係局長と会計課長と、それだけでございまして、それに保存協議会というのがついております。この協議会が実際の修理方針を指示する役割をするわけであります。この協議会の役員は、今それを持つておりませんが、例えば京都大学の前の総長の羽田さんでありますとか、東京の伊東忠太先生、それから……。
#28
○中野重治君 それは後で……。
#29
○説明員(柴沼直君) それでは後で、いつでも表を……。
#30
○三島通陽君 先程山本前文化委員長から御質問がありました点でございますが、その点につきまして、もう一つ当局に伺つて置きたいと思うのでございます。前の文化委員会は何処にも調査に行きませんでした。たつた、天にも地にも一回行つたのが今のお話の法隆寺に行つたのでありまして、これは山本前委員長初め各委員が是非法隆寺には、行きたいという非常な熱意で参りまして、そして帰られてから、先程委員長がお述べになりましたような警告を政府にお與えしたのでありまして、その第一は、ああいう燃え易い物だ。ああいう燃え易い建築物の中にあるというのは、心配だということであります。もう一つは、どうも予算的にもう少し考えなくちやならないという警告を與えておつたように思うのでございますが、ここに丁度そのときの、当時速記がなくて筆記なんでありますが、この筆記にも第一義には予算的の処置をもう少し講じろ、という意味のことが、ここに詳しく出ておりますが、それを全部私は読む必要はないと思いますけれども、ただああいうふうに文化委員会でわざわざ十人からの人が奈良に行つて、そうして帰つて來て、当局に御警告を申上げた。その中の第一のことにつきましては、今山本前委員長の御質問によつてお答が……どうもまあいろいろ御相談はあつたようでありますけれども、十分なことができなかつたように承つております。もう一つは予算的処置なのでありますが、大藏省にどれだけ、参議院の文化委員会がこれほど熱心に言つておるのだが、こうやつてどうだということで御交渉になつたものが、御交渉に大藏省が肯かなかつたかどうか、この点をもう一つ序でに伺つて置きたいと思うのであります。
#31
○説明員(柴沼直君) 予算の処置につきましては、実は私共も文化委員会の意を体して、大藏省と再々折衝と申しますよりも、寧ろ懇談をいたしました。その結果実は大藏省は非常に理解を持つてくれて参つたのでございます。現に昭和二十三年度は、当初予算が四百五十万円だけ法隆寺に向けられたのでありますが、これは前年は、昭和二十二年は百四十万円程度であつたのであります。それを四百五十万円、とにかく当初予算で増してくれました。それで而も大藏省のいろいろ予算的措置の上でも操作があると見えまして、秋になりましてその四百五十万円に対して更に四百五十万円を追加して出してくれました。合計九百万円が二十二年度の法隆寺の予算になつております。從つて前年度百五十万円足らずに比べまして、九百万円になりますから、大藏省としては非常に誠意を示してくれたと寧ろ申上げていいと思うのであります。そのために五重培が解体されてからどうにも手がつけられなかつたのが、その九百万円をとりまして、とにかく中の工事も進み、やや順調になりかけたところで、今度の惨事を出したのであります。その点は私大藏省に対して相済まんような感じがいたしているような次第であります。
#32
○堀越儀郎君 政府委員にちよつとお伺いいたしたいのですが、先程から電氣座蒲團などについていろいろ御説明がありましたが、更に配線だとかいうことについての御調査なんかありましたかどうか、私が檢察当局から直接聞いたのでは、十二月の電力使用量が百九十キロ位であつた、二百キロ足らずであつたのに、一月の消費量が一躍十位の二千キロになつた。これは実際にルーズに電氣を使つたのか、或いは配線が非常に不完全であつたのか、或いは責任のない工事請負会社にやらせたために、電力を使いすぎた結果になるのか、十倍の電力使用に上つているということも、非常に大きな原因になつておりはしないか、そういう点について、どういう御調査になつておりますかお伺いいたします。
#33
○説明員(柴沼直君) 電氣の配線につきましては、これは燒けた後でありますが、專門家にも立会つて貰いましていろいろ調べて貰いました。そうしてそのお話によりますと、前に螢光燈を入れましたときの配線は、無機の配線と申すものだそうでありますが、この配線から漏電をするということは、殆ど絶対と申してもいいくらいないものである、そういう鑑定でございました。それから最近電氣座蒲團を入れるために、暮に新たに配線をいたしております。この分は、その螢光燈の配線に比べますと、最近の品物で、やはり品質が相当落ちておるそうであります。併と実際の火災と関連して考えて見ると、どうも漏電があつたとは思えないという專門家の意見でございました。それから電氣使用量が一月になつて急に殖えましたのは、御思像の通り、從來十一月、十二月ともにあの中で模写をいたさないために、全然電氣を使つておらないのであります。使つておりますのは、五重の塔の方の工事に幾分使つておるという程度でありまして、それも本格的な使用になつておらないのであります。模写を始めて、螢光燈の電源、或いは電氣座蒲團、それから五重の塔の方の工事の進行に伴う動力、捲き上げるような機械でありますが、そういうようなものが、工事が活溌に動き出したために、電氣の使用量が急に殖えておるのでありまして、又そのくらいの電氣量は、あの工事をするのには当然要つたのではないか、ルーズにつけつ放しにしておつたというのではなしに、一應その程度の使用量が必要であつたものというふうに考えておる次第であります。
#34
○三島通陽君 議事進行についてでありますが、本日ちようど法隆寺の問題が速記がついたということは、私どもは非常に喜んでおります。というのは、我々はこの問題を非常に重大に考えておりますので、ちようどなかなか得られない速記がついて、これだけの話が伺えたことを喜ぶ者でございますが、併し又速記がない方が却つて懇談的にいろいろ伺える点もあろうと思いますので、適当な時期に速記をお止めになつて、懇談会にして頂いた方がよいのではないかという動議を提出いたします。
#35
○委員長(田中耕太郎君) 三島君の動議に……。
   〔「賛成」と呼ぶ者あり〕
#36
○委員長(田中耕太郎君) それでは御賛成がございましたから、速記をこの程度で止めまして、懇談会に移つてよろしうございますか……。
 それでは懇談会に移ります。
   午前十一時五十三分懇談会に移る
   ―――――・―――――
   午後零時二十九分懇談会を終る
#37
○委員長(田中耕太郎君) それでは懇談会を閉じまして、本日の委員会を散会いたします。
   午後零時三十分散会
 出席者は左の通り。
   委員長     田中耕太郎君
   理事
           河崎 ナツ君
           松野 喜内君
           高良 とみ君
           岩間 正男君
   委員
           梅津 錦一君
           若木 勝藏君
           小野 光洋君
           左藤 義詮君
           木内キヤウ君
           梅原 眞隆君
           河野 正夫君
           堀越 儀郎君
           三島 通陽君
           山本 勇造君
           中野 重治君
           鈴木 憲一君
  説明員
   文部事務官
   (社会教育局
   長)      柴沼  直君
ソース: 国立国会図書館
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