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1949/03/24 第5回国会 参議院 参議院会議録情報 第005回国会 文部委員会 第2号
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1949/03/24 第5回国会 参議院

参議院会議録情報 第005回国会 文部委員会 第2号

#1
第005回国会 文部委員会 第2号
昭和二十四年三月二十四日(木曜日)
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  本日の会議に付した事件
○派遣議員の報告
○調査承認要求の件
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   午前十時五十四分開会
#2
○委員長(田中耕太郎君) それでは文部委員会を開会いたします。今日の議題は派遣議員の報告でございます。先般東北、東海、近畿及び九州の四班に分けまして我々文部委員が教育事情並びに國宝関係の調査に派遣せられましたわけで、今日は各班におきまして調査になりましたところの御報告をお願いするためにお集まりを願いました次第であります。先ず東北班、御報告をお願いいたします。
#3
○岩間正男君 それでは御指名によりまして東北視察の概況を御報告申上げたいと思います。梅津錦一君、若木勝藏君、それから岩間の三人は二月二十日に上野を立ちまして、福島縣を皮切りに宮城、岩手、青森、秋田の各縣を廻りまして三月三日に帰京したのであります。
#4
○委員長(田中耕太郎君) ちよつとお話中失礼ですが尚時間の都合もございますし、詳しく御報告願えれば非常にいいわけですけれども、併し内容が非常に多岐に亘つておりますから成るべく簡單にお願いしまして、約十分乃至十五分ぐらいの程度でお願いしたいと思います。失礼しました。どうぞお続け下さい。
#5
○岩間正男君 主として見たのは現地の学校の施設、それから教育委員会の運営状況、それから教員組合、その他仙台では大学、師範、それから國宝としましては岩手縣で中尊寺、それから引揚者の学校、秋田縣では盲唖学校なんかの実情を視察して参つてわけであります。で、時間が余りありませんので概括的に御報告申上げたいと思うのでありますが、教育委員会事務局並びに教育組合なんかとの懇談会によりまして、六、三の実情がどうなつているか、その実情の大体について概略的に先ず申上げてみたいと思います。
 福島縣においては大体所要教室数が最低限度としまして三千六百人、その中現在二十三年度の建設が終つたとしてどれだけ建築が完了するかと言いますと、約一千四百五十二、結局パーセンテージは全体の所要額に対して四〇%というようなことになつております。
 宮城縣では所要教室の二千四百に対しまして現在まで約八百教室ができ上つております。これは既存のものを加えて約五〇%、岩手縣では一千三百七十六の所要数に対しまして五百五十六、これは大体四〇%、青森縣では二千八百三十の所要数に対しまして一千百八十二、これは四二%、大体以上のような結果を総合しますというと、六・三制の新制中学の校舎は、東北においては大体四〇%程度しか現在において完了していないということが把握されたわけであります。
 次に建築費の状況はどうかということを申上げますと、東北におきましては木材が比較的豊富であるということから、更にまあ賃金なんかの割安というような面からしまして、全國平均よりは幾らか安くなつているようであります。こういうところに惠まれた点もあるのでありますが、併し資材の入手の点、その他経済的な関係からして又非常に困難な面もあるのであります。大体この建築費の負担の内容はどうなつているかということを考えますと、大体五分の二から三分の一程度が國庫負担でありまして、五分の三から三分の二程度が地方負担ということになつております。地方負担の場合には先ず第一に、村有林のあるところは村有林を伐り拂うなり賣り拂つて財源を求める、その次には六・三貯金を土台として地方起債に求める、併し現状の経済状態におきましては、六・三の貯金が非常に不振を極めている、こういうような形でなかなかこの地方起債も困難であります。併しただ一つの大きな財源として、この地方起債に対する要望は高まつているのであります。それが若し不可能な場合には寄附の割当ということになるのでありますが、今日の状態では寄附の割当が非常に強制的になされている、例えば福島縣におきまして一戸当り三千円というような例が沢山あるのであります。又南津軽部、これは青森縣でありますが、南津軽郡の或る村では村民税の七倍七百円、又或る村では十三倍、こういうような現在非常に税金で苦しんでいるところの地方の人民大衆にとつては殆んど出すことのできないような高額の寄附が課されている、こういうために村会あたりで折角決議しても、又PTAあたりでそういうような決定をしておりながらその寄附が集まらないというような実情に追い込まれているのであります。こういう点について十分に今後の文教政策の上で考慮をしなければならないという実態を我々としては把握して來たつもりであります。更にすでに二十四年度の補助金を見通して現在工事に着手しておるものが相当数予想されるのでありまして、こういうような問題も現在の六・三予算の全額削除というような方向と連関して非常にこれは大きな政治問題を発生させるのじやないかと思うのであります。その次に以上のような建築状況で大体四〇%程度の最低限しか充たされていないために、これは中学におけるところの一部教授、三部教授それからまあ仮校舎使用、小学校からの校舎借受というようなことが非常に強化されておる、次に教員配置について申上げますというと東北の実情では、大体まあ小学校においては一学級に対して一・二から一・一五というような低い配置掛の状況になつておるのであります。又中学校においては大体一・四から一・五というような現状にあります。更に一つ問題にしてみたいと思いますのは、この助教の数が最近の教員の生活苦のために青年の男子が非常にどんどんと辞職しておる、職場を離れておるというような関係からその後に中学校、女学校の助教を以て補充するというのでこれは全國的傾向でありますが助教の数が非常に多くなつておる、このような数が例えば福島縣におきましては三四・三九%というような線が出ておるのであります。その中而も目立つものは男子の割合が女子に対して少い、福島の例を挙げますとその助教の中の四七%が男であつて五三%が女であるというような形で結局若い助教の女の人が非常に多くなつておるということは、教員の質の低下の問題が最近問題になつておりますが、それと連関してこれを十分に考慮しなければならない問題だと思うのであります。それから次にこれは時間も余りないのですが簡單に今中学校と小学校の学歴はどんな工合になつて現われておるかといいますと、これを簡單に申上げますと、先ず高師卒、これは福島の例でありますが、中学では二十五人小学校ではない、それから青年師範出、師範出、これが千八百七十三、中学では十八百七十三に対して小学校は二千六百二十人、大学出は中学では百二十三に対して小学校では十四、高專の出身は中学では九百七十九に対して小学は二百九十七、それから中等学校出が中学では千二百六十七に対しまして小学では三千九百八十四、青年学校出、これが中学では五十人に対して小学校は百四十四人、それから小学校出、これが中学では百三十人に対しまして小学は四百八十五人、その他が中学では百十人、小学では二百二十五人とこういうような大体の数字が出ておるのでありますが、こういうようなことで現在の教員の学歴乃至質の内容を檢討するに手掛りになるのじやないかと思うのであります。このように全体的に見まして教員の質は一般に低下の傾向を辿つておるのでありますが、この現状は言うまでもなく一番大きな原因は何と言つても教員の経済状態に求めざるを得ないのであります。殊に公務員法が実施されまして、その結果において二月の切替によりまして、これを見ますというと、教員の生活程度というのは非常に苛酷な現状に遭遇しておることが分るのであります。ここにもそのようないろいろな例がございますが、例えば秋田縣の藏館小学校の例を採りますと校長さんが五十三歳、二級でありますが、この人の本俸が八千六十円、家族が四人で家族手当が一千円、それの半期分だけ、まあ二月上半期、下半期の二つに分けて給與せられておるのでありますが、上半期においては四千五百三十円、その中税金が三千四百七十八円、結局差引手取が千五十二円、こういうようになつておる、下半期においてもその手取が僅かに百六十円、これを加えましても三千五百円程度の手取であつた、これが一校の校長の手取であるのであります。その他年齢の若い例えば助教の人を見ますと、二十六歳の助教で二千六百円、そうしてこの上半期の手取が千三百円というような形になつております。下半期がこれに対しまして一千百三円両方合せましても二千四百円というような現状であります。併しこれらは良い方でありまして、中には今度の俸給の切替によりまして全然空袋を貰つたというような非常に深刻な例が出ておるのであります。こういう点につきまして、教員の質の問題とそれから教員の給與の問題、これは早急に文教政策の中に考えられなければならない問題と思うのであります。
 次に、大体新制中学の問題を終りまして、定時制高校の問題に入りたいと思うのであります。定時制高校の実施状況は大体どうなつておるか、例えば福島縣の例をここで申上げたいと思います。独立校が現在十三校、併設校十九校、分校が五十一校、それに併設夜間校が四校、そうしてこれらの学級の総計は百四十六学級、生徒数が五千二百二十一名、併しながらこの数は全体の該当者と推定されますところの十四万に対しまして考えますときに、僅かに四%に過ぎない、つまり定時制高等学校に行われておるというように宣傳されておるのでありますが、その実質的な恩惠を受けておるのは僅かに全体の四%に過ぎない、そうしてそれに対しましてその足らないところを通信教育や社会教育で補つておるということが言われておるのでありますが、そんならば通信教育の内容はどういうものであるかと言いますと、福島縣におきましては僅かに二百人しかその恩惠を受けていない、こういうような恰好でありまして、現在問題になるのは勤労青少年の教育、この点において名前を一應体制の上では、各目的プランにおきましてはできておるような幻覚を與えられておりますが、その実質内容は極めて貧困であるということをはつきりこのような統計が示しておるじやないかと思うのであります。
 次に定員定学制の問題が今盛んに論議されておるのでありますが、これに対しましてどういうような実情が現われておるか、これも非常に重要でありますので、この点について実際の調査を申上げて見たいと思います。例えば秋田縣の例でありますが、秋田縣では縣下の平均人員が小学校におきまして四七・九八人ということになつております。これが実際の分布状況を見ますと、七十一人以上が三十九学級、六十六人から七十人が八十学級、六十一人から六十五人が百五十学級、五十一人から六十人が一千百六十八学級、四十一人から五十人が一千二百五十三学級、三十人から四十人が七百三十三学級、こういうような分布状況を示しておるのであります。これは現在文部省で問題になつております一学級五十人というような数で抑えれば、もつともつとこれより大きな超過が出ると思うのであります。この統計によりましても四七・九八人の平均であつても、大体五十人以上のものが半ばに達しておるというような実情を我々は掴んでおるのでありまして、こういう点について現在の五十人というようなものは、ともすれば五十人だけの印象を我々は持ちまするけれども、実際七十人、八十人というような形ではつきり現われておる、そういうことが言えるのであります。殊にこれは東北のように非常に辺鄙なそうして人口の密度が疎である、人口に割合が疎であるというところにおきましては、一方において山間には二十人、三十人の学級を設けなければならん。当然それとの対比におきましては、一方におきましては七十人、八十人というような超満員的な学級が現出しておるという、このような実態を我々はやはり掴まなければならんじやないかと思うのであります。
 次に教育委員会の問題について申上げたいのでありますが、先ず第一に我我の設問としまして、教育委員会の選挙に対して希望はないか、それから教育委員会の現行法に対してどういうような考えを持つておるかということを、教育委員の方並びに事務当局の人たちと懇談をして参つたのであります。そうしてその中で一番大きく問題になつておりますのは來年の、二十五年度の十月までに必ず市町村におきましては、教育委員会を設けなければならん、そういうことがあの法案に規定されておるのでありますが、それがどのように響いておるかといいますと、現状におきましては、殆んど口を揃えたように、これに対しましては現状ではそれはとても無理である、第一に人材を得ることが困難である、経済的な措置において現状のままで教育委員会を二十五年度までに強化するということは不可能である、それでできたら法案の修正をやつて欲しい、若しそれができないならば、せめて地方事務所單位ぐらいに委員会を設けられないか、又それも不可能ならば、せめて郡單位ぐらいのところで抑えて貰わなければ何ともならんということが、殆んどこれが全部の意見であるということを申上げたいのであります。
 次に教育委員、並びに事務当局と懇談をいたしまして感じましたことを申上げます。それはどういうことであるかというど、教育委員会は、これは極端に申しますと、殆んど現状におきましては無力化されておるのじやないか、それはどういうところの点であるかといいますと、先ず人物の点から考えられるということ、果して本当に高い教育に対する識見を持つておる人たちによつて充たされておるかどうかということ、それから次にこの教育委員が縣内の到るところに分散しております。これを中心都市に集めて、そうしてそこで委員会を持つということが、月二、三回持たれておるのでありますが、殆んどこれによつて、重要なことを処理するという機関にはならない、更に大きな問題は、我々の法案審議のとき問題にしましたように、予算に対するところの権限がない、こういうことのために、教育委員会はいわば何か刺身のつまのような形になつて、その実体は教育長に握られておる、そうしてその教育長は教育委員会を巧みに一つの何と申しますか、教育委員会の権能というものを惡い言葉で言いますと利用することによりまして、そこに権力集中が行われておる、或る縣のごときはこういうことを言つておる、教育委員の一人々々については権限はないのである、ただ委員会が全体会議制で、その会議そのものに権能があるのである、從つて代表的に教育委員が出ておるような場合には、それは教育長がこれをなさなければならんのである、そういうような形で教育委員の一人一人の権限というものは非常に弱められておる、そうして実質的には教育長が非常に大きな権限を握つており、そうしてその又教育委員会の運営そのものが、府縣において独自の一つの見識と権能をまだ十分に取り得ない、何か問題が起るというと、最後的にはこれを文部省にすべてを聽いておる、そうして文部省の指令を仰ぐ、そういう形で問題を裁断しなければならないというような弱体な状態であります。教育委員会法そのものの持つておりますところの地方分権の精神というものが、完全にこういうような形におきまして実現されていない、蹂躪されておるというように考えられるのであります。現在におきましてはこういうような教育長が、いわゆる過去の教育事務官僚が横すべりしまして、文部省との連絡が緊密に担当、……表面ではないのでありましようが、行われておるということが分るのであります。例えば調査課のごときを見ますというと、これは殆んど文部省の下請け機関になつておる、文部省が問題を出して、これに対して調査を命じた事項については調査するけれども、実に大切な教育改革の、例えば先つきから私が申上げましたような観点に立つてのいろいろの資材、データの調査のごときは、殆んど何ら整つたところの、我々の要求に対して殆んど完全に答えることができなかつたような状態であります。こういうことは何を意味するかというと、これは言うまでもなく、まだ発足以來日が浅いということにも基因しますけれども、本当に教育改革の眞の精神というものを掴んで、今日この教育委員会が十分なる活動を日本教育の民主化のために展開しておるということは、実情からこれは甚だ遠いのじやないかということを、我々は率直に痛感して参つたのであります。こういう点につきまして、教育委員会法との連関におかまして、相当再檢討する必要があるのじやないか。機構の問題、その機構を通じての運営の問題につきまして、十分に今後我々文部委員会はこの問題についてタッチする必要があるということを感じて來たわけであります。
 更に地方における教育予算の状況はどうであるか、東北におきましては、大体これは四〇%から五〇%というような割合が縣の予算に対する教育費の割合であります。こういうような形におきまして、現在教育費は大きな地方財政を圧迫しておるところの原因となつておるのであります。これに対して当然我々として考えられるものは、全額國庫負担の措置でないかと思うのでありまして、こういう点についても、これは文教政策の今後の重大なる関心を持つべき問題であると思うのであります。
 次に特殊学校としまして、盛岡の青山小学校、これは引揚者の学校でありますが、いつかこの前の委員会におきまして、これは盛岡の市長から請願書が出されまして、これに対して本委員会はこれを採択すべきであるという一つの決定がなされた、その小学校を見て参つたのであります。これは現在におきまして、全國におきまして約十ケ所の引揚者の收容の学校がございます。北海道に七つ、それから東北におきましては青森、秋田、岩手各一校ずつございまして、十ケ所ございます。そのうち盛岡を見て参つたのでありますが、盛岡に引揚者の現在住まつておりますのは、岩驚寮というところに四百九十世帶おりまして、これが二千二百六人、それから青山寮というのがございまして、これが三百四世帶でありまして、これが一千二百二十六人、計七百九十四世帶、三千四百三十二人ということになつております。これの兒童数は、男が三百七人、女は三百九人、計六百十六人が学童なのであります。これに対して十四学級の必要があると言われておるのに対しまして、現在は五つの教室があるのみでありまして、從つて二部、三部の教授に追いやられておる、これに対して、是非あとの分を全額國庫負担でやつて頂きたい、こういう要求でありますが、これに対しまして、この前の打合会のときにもちよつと一端を申上げたのでありますが、その後の状況の工合を我々は観察したのでありますが、これは軍隊の元の馬小屋でありまして、その馬小屋を改造いたしまして、中に通路を設けて、その左右に二十四、五戸の世帶を設けたのであります。その世帶というのは殆んど太陽の光がささない、晝でも薄暗い、その幅の一戸を私達は憚りながら戸を開けて見たのでありますけれども、その薄暗いところに汚い煎餅蒲團を敷かせまして、乳呑兒にお母さんがその兒に乳を呑ましていた、そういう実情を私は見ました。そういう太陽が照つても電氣をつけなければならないという住宅が現在あるのだそうであります。そこから出て來ておる子供たちが、これは学校を非常に頼りにしておる、子供たちの懇談会をあそこの盛岡の放送局の中で持つたのでありますが、そのとき我々の質問に対して、学校と家とどつちが樂しいかというような質問に対しまして、子供は、無論学校が樂しい、何と言つても太陽の光がさしているからという端的な言葉で述べられたのであります。こういうような実情によりましても、我々は当然大きな任務を持ちまして、この問題の解決のために努力しなければならないということを痛感したわけであります。
 次に秋田の盲学校について申上げます。いろいろ問題があるのでありますが、前年度から実施された義務制度、それがどのように実施されているかということを簡單に申上げたいと思います。
 義務制度につきましては、予想を裏切つて就学率が非常に惡いというようなことが言われているのであります。これは校長さんの説明であります。その原因といたしましては、先ずそのような、いわば不具者の子供たちを親は偏愛しまして、親許から遠くの学校に離したくないというような感情的な問題が一つ出ておるということが一つであります。併しながらその次には、第二の大きな原因としまして、非常にそれらの人たちは貧困である、そうしてこの貧困であるということが出せないばかりでなく、このような貧困が又この盲聾唖の大きな原因であつたということ、そういう原因であるということは農村においてこのような盲聾唖の子供たちが非常に多いという実情を見ればはつきり分ると思うのでございます。それで從つて学校へ出すというと非常に金が掛かる現在の状態においては、これらに対して十分な國家的な補助がなされて無論いませんので、從つて親の経済負担が非常に大きくなる、出したくても出せないというようなことが又起つているのであります。更には学校の現状を見ますと、十分な設備がなされていない、殊に職業教育、まあいろいろ盲聾唖の子供たちに対しますいろいろな職業教育の設備がまだ内容的になされていませんので、從つてそこを卒業しても十分に先々立つて行われるかというような親の不安が残されておる、そのことが又学校に対する信頼も薄いというような結果を來しているのであります。そのような原因のために必ずしも発足以來の盲聾唖の学校はその希望の線を進んでいるとは思えないのでありまして、この点についても十分に考慮しなければならないと思うのでございます。その他いろいろ盲聾唖の問題につきまして、実情を私達は見て御報告申上げたいことがあるのでありますが、いずれこれは委員会の方に讓りたいと思います。
 最後に教育の視察の結論的にここで申上げたいのは、今まで全國の文教政策というものは画一主力を以てなされて來た。東北も、東京も、関西も、九州も同じであるというような感じでなされて來た、例えば定員定学制を採るときに、全國同じように五十人というような形で割つて來た、このようなことが一体果して正しい本当の教育の機会均等確立という文教政策というような観点からしまして、東北の教育の特殊性についてここで我々の把握して來たものについて申上げたいと思うのであります。御承知のように東北は米の供出地帶であります。それから木材、水産物におきまして、これは都市に対するところの奉仕が非常に行われておるのであります。併しながら都市に與えるものは非常に多いけれども、反対に中央から受けるところの、國家から受けるところのものは非常に惠まれていないということを我々は感ずるのであります。
 第一に産業の開発が東北においては非常に遅れている、未開墾地も非常に多い、水力発電等も十分に開発されていない、從つて河川、道路、港湾などの開発が十分になされていない、殊に我々は感じましたのでありますが、例えば二度の水害によりまして破壞されましたところの東北の基幹線が岩手の一ノ關附近におきましては今日でも殆んどもう間に合せの修理をやつて、そうしてそこのところをのろのろと徐行しておるような程度なのであります。それから我々が参りましたときには相当冬も暖かでありまして、雪が降るともう直ぐ解けてしまうような形でありまして、至る所泥濘の道が残つておる、芭蕉が「笠島はいずこ五月のぬかり道」というようなことを東北の紀行の中で、あの「奥の細道」でよんでおるのであります。あのような情景が今日におきましてもまだ至る所に展開しておるというような形で現われておるのであります。こういうように惠まれないところの東北の状態がやはり教育文化の面におきましても現われておるように我々は把握したのでありまして、特質的な点としましては二、三点を挙げることができると思います。先ず人口の密度が非常に疎である、從つて学校が分散的である、僻陬地の兒童や、学級兒童数が一方において非常に少いというような、つまり分校とか、單独の学校というようなものが非常に残つておるような形になりますので、從つて都市部分では非常に一学級の兒童数が多くなるというような形になつて現われております。これは先程秋田の例で申しましたように、單にこれを平均五十人で割つても、東京の五十人と、それから東北におけるところの岩手や青森、秋田というような縣におきますところの五十人とではその分布の状況が丸で違つておる、このような実体について一体今まで文政の当局は把握しているかどうかということを私は怪まざるを得ない、東京でありますならば、これは大体五十人を越える学校があるならば、又一方で四十人の学級があるために、割合にして五十人程度で抑えることができるが、その偏在の仕方が非常に東北のようなところでは多いという、こういうようなことをはつきり握みますと、例えばそのために多くの犠牲を受ける子供が出て來る、七十人、八十人、九十人というような学級におきましては何といつてもこれは教育的な大きな犠牲でありまして、これはやはり最低線で抑えるというような文教政策を採らなければならない、そうでなければ本当にこの均等したところの教育をとることはできないのであります。それを平均で抑えて、そうして東京も東北も同じように抑えておるところに根本的なこの文教政策のやはり從來の誤りがあるということを私は指摘したいと思うのでありまして、東北の子供もやはり都市並みにこれは惠まれ得るということが今度の教育改革の基本方針でなければならないのでありまして、こういうような地理的の状勢から東北だけが過大な犠牲を拂わなければならないという理由は少しもないと思うのであります。從つてそのような状勢が教員配置に非常に困難を來しておる、山間、漁村、それから島、こういう所は東北には非常に多いのであります。こういうところの僻陬地への教員の希望者が非常に少い、例えば下北半島、岩手の三陸地帶、こういうようなところにおきましてはもうちよつとした中心地からはそこに参るには二日、或いは三日というような、そうして他縣を廻つて行つた方が早いというような交通状態であります。こういうようなところになりますと住宅もない、從つて非常に希望者が少い、そういうようなことのためにいろいろな問題が発生しております。例えば山田線があのアイオン颱風によりまして崩壞したのでありますが、現在この交通が遮断されて、そうして、運輸の便が断たれておる、從つて米のごときはこれは人力で以て人の背によつて運搬しなければならん、大体盛岡のところの米の闇値が百円であります。これが山田地帶の地方に参りますと、二百円というような状態になつておる、こういうような実情で教員の生活は非常に圧迫されておる、そのようなところには誰も行き手がない、行き手がないというよりも、そこでは暮せないからである、こういうような問題を本当に親身になつて解決しなければならん、無論縣当局は幾分考えておつて、住宅手当とか轉任手当、僻陬地手当のようなものを考えておるようでありますけれども、もつと全般的にこれを大きな施策として國家的な手を差延べなければこの問題を解決することができない、私達はこの旅行の中で非常に不幸な一つの例を聞いた、それは下閉伊郡、今申しました山田線の中で、下閉伊郡の川井地区の教員が四、五十人とてももう我々はこの職場に堪えられないから今度はもうはつきり罷めるのだと言つて連袂辞表を提出したというような情報がもたらされておるのでありまして、そういうような問題は教員の生活の破壞と深く絡み合つて、当然考えられなければならない問題であると思うのであります。次に又非常に冬季が長くて積雪が深いということのために当然考えられるのは雨天体操場の設置の問題であります。これはまあ余り多く申上げなくても御了解頂けるのじやないかと思うのであります。この問題は兒童の冬季における保健問題とも深く連関して参るのでありまして、現在六・三制のためにそれらの雨天体操場が殆んど取られておる、そうして分割して教室に使われておる、そういうことのために子供達の健康状態が非常に憂慮すべき状態に追いやられておると思うのであります。從つてこれは、新制中学校、小学校の雨天体操場は絶対必要な問題としてできるだけ早いうちに解決されなければならない、更に積雪が深いために一坪の建築費用というものと、一方におきましては、例えば木材の石数が外よりは、温暖地方よりは多く取らなければならないということが出て來るのであります。雪が深くて重くなりますから三寸角を使うところを五寸角、四寸角を使わなければがつちりしたものができない、そういうような特殊性もあるのでありまして、こういうような点からしまして、未だまあ文化の及んでいないところの東北に対して十分な措置が取られなければならないと思うのであります。
 以上で教育問題は終りまして、最後に簡單に國宝の問題に触れたいと思うのであります。
 私達は平泉の中尊寺を中心に参りまして、仙台におきましては大崎八幡、それから秋田の、あすこの如來、そういうところを見て参つたのでありますが、そのうちで一番問題になるのは平泉だと思うのであります。無論、仙台における大崎八幡、伊達藩時代の大崎八幡のごときもこれは爆破されまして、そこの屋根が破れたために、更に屋根を突き拔けて疊まで燒かれておるというので、現在非常にこの修理問題で地元では騒いでおるのでありますが、それにも増して平泉の問題が國宝保存の立場から大きな問題になるだろうと思うのであります。言うまでもなく平泉は東北における法隆寺ではないかと思うのでありまして、そこでこれは私は國宝的な價値についてくどくどしく申上げることは省きますが、あの藤原三代から残されておるところの國宝の保存状況がどうなつておるか、それは私は丁度昭和十七年におきまして、これは個人的なことでありますが、私の師匠の白秋の伴をいたしまして平泉に参りまして中尊寺に泊り光堂の中の内陣を開けて貰つて見て來たことがあつたのであります。その当時の印象から比べますというと、やはり非常に荒廃を感じておるのであります。今度あすこの内陣を開けて貰いましたが、殆んど初めて新聞記者がそれを機会にフラツシユを焚いてあの内部を撮るというようなことがせられたのでありますが、それをど今までは祕密に、人民大衆の目から遠ざけられておる、そういうような形なんであります。而もあすこに入りまして感じた印象は、何か非常に荒廃の色が濃いということを感じたのであります。例えばあの光堂の側の閼伽堂に藥師如來の坐像があるのでありますが、これが宝珠の銅板の合せ目から雨が漏り、藥師如來の坐しております膝の凹みのところに雨水が溜つて、木像を腐朽させるような原因を作つておるということが出ておるのであります。それから更に荒廃が目につきましたのは、光堂の後にありますところの経藏であります。あの経藏は第一建物が國宝建造物になつておるのでありますが、それが非常に痛んでおる、更にその中に入りまして、保存されておりますところの屋根や経でありますが、この経が非常に痛んでおる、今日この経藏は紺紙金泥経と、それから紺紙金銀泥経と宋紙版、この三種類が保存されて約四、五千巻あるのであります。その中で紺紙金泥経の方は大体一千二百三十巻、これが明治三十年に美術学校の應援を得て修理されたそうでありますが、現在問題になつておりますのは、紺紙金銀泥経の方なんであります。これが未修理のままに残されまして、二千八百巻の中、約千百巻が未修理のままに残されまして、これに対する修理を二十二年の九月に申請したけれども、現在までそれが行われていない、実にもう虫食いが甚だしくなつて、字が読めないばかりじやなくて、その半ばが潰滅しておるというような点を私達は痛ましく見て來たのであります。こういうようなことに対しまして、今後の國宝保存の問題と連関しまして、十分にこれは考えられなければならないのであります。更にさや堂の修築の問題、更にいろいろなあすこに今までに建築様式の特殊な瓦を必要とするというような情勢でありまして、修理の困難な面が今までにあつたのであります。それは今までに明えなかつたというのは、すべて経済的な原因というふうに考えることができるのであります。終戰後に何があつたかと言いますと、今までこれらの修理、それから寺の経営を調べて來たものは、あすこの寺の寺領地みたいなところ、それが大体四十町歩あるのでありますが、その殆んどが今度の農地改革によりまして、これは一般の開放されてしまつた、もう一つはあすこは今まで団体、学生などの團体参観が非常に多くて、それらの観覽料が寺の收入になつておつたのであります。併しこれが團体のそういう立入禁止というようなことで、去年の後半期においては非常に收入も少くなつた、かれこれしまして、その寺の経済的な現状が非常に國宝の保存を十分にさせていないというような実情になつているのであります。これに対しまして、盛岡に参りまして社会党、共産党と文化團体の人たちといろいろ懇談会がありまして、それに我々も出席したのでありますが、その席上でいろいろこの保存の問題について地元の代表者の意見を聽取したのであります。どうしましてもこれに対しまして十分な檢討が加えられなければならない、從來の部の宗教的関係によつてこれは自分の私有観念で以てこれを保存するという考えについて一つ大きな檢討が加えられなければならない、國宝的な價値に対して檢討を加えなければならない、それにも増してこれを人民の文化そのものの面に大きく解放してこの問題を採り上げて、そうして大きなそういうような大衆との連関においてこの問題を解決するというような方法が考えられなければならないのじやないか、現在の國宝問題はいろいろ問題が沢山ありまして、私がここでくどくど申上げるまでもないことなんでありますけれども、大体我々としてはそういうような点が考えられる、その懇談会の後におきまして、即刻地元において、つまりこの文化を我々人民の手で守ろうというような氣運が非常に高まりまして、そうして結局保存協会の準備会のようなものが早速持たれ、我々もその資金カンパに参加させられたというような形ができたのでありまして、こういうような形が残つたことが今度のやはり一つの観察の成果でなかつたかと思うのであります。この観察の中でミイラの問題がこの懇談会の中で問題になりまして、このミイラが果してあるのかどうか、非常に寺が今迄秘密主義を守つて來たので、或いはミイラなんかないのじやないか、傳説に過ぎないのじやないかということを言われているが、これはどうなんだというような質問があつたのであります。これに対しまして寺の佐々木という主事の人が出席されましたが、いや、そういうことはない、この前東北帝大と思いますが、東北大から学者が参りまして、これを調べて見て、そのとき確かにはつきりあつた、殊に三代秀衡將軍のごときははつきり顴骨の高い、そういうような姿まで現在見ることができる、而もそういうような一つの過去の文化物に対しまして十分にこれは科学的に研究する必要があり、いろいろな文化的な價値の問題に対して研究の自由が欲しいのだが、これはどうか、寺側では十分寺側の態勢を纒めて、それに努力したいということが述べられているのであります。その後そのような氣運が岩手に高まりまして、是非そのときも寺側から、地元民からの要望があつたので、國会において権威ある調査團を派遣して欲しいという希望があちこちで述べられたのであります。こういうような情勢がありますので、この問題を合せて御報告申上げたいと思います。
 以上少しく時間が延びまして、申訳ありませんが、私の纒りのない報告でありましたが、以上を以て東北観察班の報告といたします。
#6
○委員長(田中耕太郎君) 次に東海観察團の御報告を願います。
#7
○松野喜内君 東海観視察班の方は、三月二日から三月八日まで岐阜縣、愛知縣、静岡縣、三縣を視察した次第であります。木内委員は丁度引揚の方の視察の御都合があつて、途中岡崎市から御同行でありました。時間がありませんので、お手許を御参考にお配りして置きました岐阜縣の教育実態、こういつたことを元にして、若干申上げて見たいと思います。何を言つてもこの教育の裏付けの経済の問題、予算の問題が沢山あつて、それが強く問われたところであり、御同様に國会におけるお互い文部委員の心配したことが、地方の第一線に如何ようにあるかということを眺めて、今更私共はこの予算問題をいろいろ一層檢討せねばならんと思う次第であります。各縣における縣の総予算とそれからその教育費との割合等を見まして、現して教育費の方が割合多くなつているとは見えません。例えば岐阜縣のごときも縣の総予算が二十八億に対して、教育予算が七億といつた約四分の一という次第であります。さて然らば六・三実施に対してそういつた予算の不足はどうして補うかというようなことを、檢討して見ますというと、やはり市町村の負担が最も多いのでありまして、不足の大半はこれを市町村によつて賄う、市町村の特つている財産、例えば町有林というようなものを処分してこれを充当しているところがあるかと思いますと、又一面においては捜の生産的ないろいろ工夫を凝してこれに醵出しているところもあるような次第であります。又P・T・Aの方の寄附が多くあつて、愛知縣だけ見ましても一億円に上り、つまりこれがためにP・T・Aの名前をB・T・Aと呼ばれるようになり、ボス的な存在になりはしないかという噂をされる実情を聞きまして、私はこの教育予算を廻つて今後の建設に格別考慮せねばならんと考えた次第であります。静岡市のごときは愛市公債を発行している、五千万円です、この愛市公債によつて教室の不足分を醵出し得たことは著しい結果であると思います。これを校舎等について見ますというと、例えば岐阜縣のごとき全体の中学校の約半分以上校舎ができないために、つまり間借りしているというような状態を示しているわけであります。校舎がそれである上に、又例えば文化的なラジオの設備のない学校が岐阜縣で申せば百八十七校ある、オルガンのない学校が縣下に七十一校もあるといつたような調子で、映画のごときは山村におきましては年一回見るか見ないかというような状態で、ミシンのない学校が小学校九十一、中学百四十一というような岐阜縣の状態を見ましても、誠に文化教育にさびしい感じをいたした次第であります。そういう施設方面のみでなく、教育の内面的と申しましようか、これらの点についても、いろいろ考えねばならん点が多いのであります。教科書以外の読書の傾向を見ましても中学生の方に科学的の方の読書の少ないのと、又小学生の方には偉人の傳記を多く読んでおらない、こういうことを見ても文教の施設と相俟つて考えねばならんと思う次第であります。学用品の配給状態を見ましても、ノートあたりが小学校に一年に一人八册程度、中学校では三册程度、靴に至りましては十人に一足というような割当てられておる状態、以て学童の困つておることも思いやられた次第であります。給食の配給を受ける物資の資金にもいろいろ苦慮されておるところがあり、これが予納金を一人二十円ずつ納めて、それで以て受入態勢をしておられるところも見受けた次第であります。殊に心配に考えたのは青少年の不良化の多くなつたこと、十四歳末満の犯罪の多いこと、これはひとり我々が今度参りましたところの地方のみでなく、更に他と比較して見ると大阪に最も多く、京都に多く、北海道に多いというような現象を、我々文部委員としてはその原因、結果等を見て処することを考えねばならん点があると思う次第であります。殊に青少年が昭和二十二年よりも二十三年の方に著るしく犯罪行爲が殖えておる現象はそぞろ心配せずにはおられません。それは十八歳以下の者が多いとか、怠情の精神が原因しておるとか、映画から來たところの惡影響が多かつたとかというようなことを見ましても、我々委員といたしましては、文教政策に大いに考えねばならんと思つた次第であります。かくて学校教育のみならば、公民館といつたような施設に力を入れねばならんと思つた折から、こういう方面のことを考えて見ますと、私は予定外の滋賀縣の大津の公民館に参りましたが、これは日本において最もよくできておるといわれておる、軍政部の上の直接の指導があつたためでもありましようが、施設を見て誠に参考になつた次第であります。かようの目を以て愛知縣を見ました日においては、名古屋市においては、名古屋市の教育館を小学校を改造して作り、そして一般大衆のため、母親のため、又健全なる娯樂のため、殊に教育に関するアメリカの図書を全部そこに蒐集いたしまして、これを活用するために名大の先生方とも連絡をとり、近縣の者などもこれを活用しておるなどは大変見上げた設備であると思いました。安城の公民館を訪ねて見ると、これはこれまでの既存のいろいろの文化團体、既存の例えば寺であるとか、神社といつたものを巧みに活かすことに大変工夫しておられます。これら公民館、教育館、文化の施設がよく行けば行く程、六・三の問題と緊密な連絡の下に日本の教育は立派に行く、この公民館のことを更に我々文部委員は考えねばならんと思つた次第であります。図書館に至りましては普く町村にまで及ぼしたいことでありますけれども、なかなかどうして三分の一程度のみで、全部の村に亘つておらないということを思うと、今後各村毎に、字毎にといつたふうに図書室を設け共同によつて、これらの施設を利用し得るようなふうにしたいと考えております。保育所の施設に至りましては誠に未就学兒童のことを思わねばならんが、未だその緒にもついておらんように思われた次第であります。
 小学校の先生の資格を見るというと無資格者が約五分の一といつたふうで、教員の質の低下を思い、教育の実績と相関連して、私は心配に堪えません次第でありましたが、そもそもこういう原因は何にあるか、資格のある人が早く退職してしまうのは、いずれも生活困窮に起因するように思います。どうしても教育者の給與をよくせねば教員になり手もなく、なつた人も轉退職してしまうというような実情も読める次第であります。平均六千三百七百ベースといいましても、師範学校を出ましたところの初任給は四千二百二十二円、五年経ちまして五千四百四十四円、十年で六千六百三十三円というようなもので、先ず十年ぐらいで止める人が一番多いように思われます。こういうことを思うと、今更に尊い教育者としての使命を達成するためには、このことについて考えねばならんことを痛感いたした次第であります。師範学校に入る者が段々少くなりつつあり、昭和七年を最上といたしまして、師範の入学者は次第に減少の一途を辿つておる、殊に昭和二十三年のごときは定員を割つて再募集せねばならんといつた調子である、これはやはり一身を教育界に投じようという心持の起らないことは、これは生活問題、経済問題に関連すると思う、どうしても教育を盛んにするためにはこういつた方面を考えなければならん、更に師範卒業生の配置の問題等におきましては、むしろ初め師範入学に、各町村必要の数を推薦によつて師範入学生を地区的に送るというようなことを考えた次第です。都市のみに集りまして、僻陬の地に行き手がない、こういう状態であることを思うと、私共はこの人の待遇のみならず、さように人を入学せしめるのにも、配置にも考えなければならんかと思つた次第であります。教育委員会諸君、教員組合の諸君とも膝を交えていろいろ懇談するうちに、発足したばかりの教育委員会でありますから、まだ手始めの感はありまするが、それにしましても、なかなかに頼もしき、新時代の教育を本当に考えてやつていることに私共は頭の下る思いをいたしました。なかんずく実驗学校もその一つであります。先程申した大津においては、中央小学校というのがありますが、これも日本における実驗学校の最も代表的なものの一つだと言われております。それにも優るとも劣らないようにやつているものが、今回視察したところの愛知、静岡方面に見る次第であります。愛知におきましては、岡崎に今度学藝大学、これがつまり愛知縣下における教員養成の一番中心をなすということに相成りまして、岡崎市に教育の本山ができたというようなわけなんでありますが、これは非常に環境がいいので、学藝大学、つまり師範教育をする中心になるところのものにも、例えば愛知第二師範の附属等におきまする生活、学修指導計画と、いわゆる生活教育の研究からの活動が目覚しいことを思つた次第であります。或いは岡崎市におきますところの連尺小学校のごとき、特に健康教育についての実驗学校として誠に今日の公衆衞生等に劣つていると言われる日本の教育において有益な参考実益というようなことをやつておられることを見た次第であります。養護学校の経営といい、朝より帰るまでの間に体温の調べをはじめ、いろいろ衞生的の習慣をつけること、その指導の過程を見ます時に、從來に見られなかつた新らしい衞生教育が示されつつある次第なのであります。そういつたことを始め、或いは子供ながらに兒童の自治会等ができているし、又その兒童の自治会等においては、子供が道に落ちているガラスを拾つて、それを集め、それを板ガラスの原料に賣つて、月に千円得たというような美談もあり、校長はそれを以て窓ガラスの破れているところを嵌めるといつたような美談もあります。こういうふうに健康に衞生に経済に活きた教育の面をこうした模範学校、実驗学校、そこでは親も一生懸念教育上の責任を持つ、先生はもとより生徒も創意工夫、藝能藝術は一生懸念だ、竹を以て「とんぼ」を作り、竹を以て凧をみずから作る、自分が作つた字凧に絵凧というふうにしてこれを校外スポーツに遊びに持出して來る、不良化防止にも役立つのみか、病人の友人のところに見舞にも行つたというような美談があるということを思うと、藝能を活かし勤労をする兒童生徒の教育に私共はこれあるかなと思つた次第であります。こういう実驗学校の創意工夫の樣子を見ると、そこには角突き合いやいがみ合いとか、相剋摩擦とか対立とかいうような場面は更に見られん、先生も自分の待遇問題等に何の頓著もなく、全く教育に沒頭しておられる次第であります。私はこの実驗学校等の今日眞の民主教育、眞の教育内容の改善に日本は向いつつある姿に誠に感激して來た次第であります。かような方面に教育委員会が公民館とか又教育館とか或いは更に文化研究所、愛知縣におきましても明大の先生と連絡を取られまして、愛知縣文化研究所を作つておられる、ここでは理論的にも、又各般のカリキュラム、小学校、中学校、高等学校、殊に高等学校のカリキュラムの研究のごときは誠に実際にも又理論的にも丹念にできておる、例えば從來ありし学籍簿などというようなもの、つまり兒童の價値を評價するのに、簡單にあの学業成績簿とか通知簿とか学籍簿があつたに過ぎなかつたものをば、文部省の指令も基準もさることながら、これを如何に全うせしめるかということにおいては、或いは学籍簿の名前において、或いは通信簿の名前において、その兒童の学力は申すに及ばず、体力方面でもその他の方面でも、詳しくこれを心理学的に科学的に分類して、そうしてこれが段階をつけと調査するというような調子、私はこういつたふうに民主教育、文化文教が進みつつある現状……言い出したのは教育委員会であるが、又学校の諸施設、大学、師範のあるところは師範というふうに、それぞれの機関が持つておる施設を人を連絡、活用、運営よろしきを得て進みつつある姿は、誠に敗戰國の今日ながらも、私は教育内容という方面において喜んで参つた次第であります。いやが上にも行かなければならんが、何にしても発足したままですから、まだ十分な成績を見るまでには至つていないことは無理もないことでありますけれども、今後にこれを期待し、希くは議会等においても、この近くにかような実驗学校を設けられてお互い文部省にしても、議院にしても直ぐ参考になるような部面も展開せられたいということを熱望するものであります。遠くの視察も結構だが、東京とか、その他の地元、足元のところもこれは見る必要があるということを感じた次第であります。愛知縣の名古屋市教育委員会が特に我々に要望する事項があると書かれたものを読んで見ますと、四つの項目が書いてございます。今度学制が布かれて、そのための、いろいろ過渡期であつたから問題になつたのでありましようが、一般にはこういうことをいつておられる、「一、五大市においては、高等学校通学区域の設定及び変更を市や愛育委員会に一元化すること。二、國庫補助並びに府縣費支弁人件費を直接五大市に配当せられたいこと。三、学校建築補助並びに起債について強力な措置を講ぜられたいこと。四、教育財政の独立を考慮せられたし。」こういう要望があつたことをここに御報告申上げておきます。以上六・三問題を持ち、小、中、高等学校の方面と共に私は申上げましたが、先程学藝大学に一言しておきましたが、更には軍の施設を一つ総合大学の方にお願いしたいといつての、例えば岐阜の総合大学におきます件はその一つで、私は各務ケ原の飛行場を見て來た次第でありますが、これを総括的に考えますというと、やはり経済、予算の問題が一番に問題になるので、これを國家は國家でできる心配を議院を通してせねばなりませんけれどもが、地方側にも又教育の線に副うて生産の方と直結するというようなふうにして進めねばならん。父兄も先生も生徒もというふうにあらしめたいということを、勤労教育と共に進めたいというようなことを念願する次第であります。
 最後に、一言申したいのは、名古屋城が燒けてしまいましたが、若干の襖等が残つておつて、それが保存されておるのですが、天主閣の一部に今保存されておる次第であります。櫓の方に。尚靜岡縣には、霊嚴寺という寺がありますが、これが國宝になつておるのでありますが、雨が漏つて、これが修理には、屋根をちよつと直したいが、三、四十万円要ります。檀家二十七戸ではどうにもならんというような地元の声がありましたが、これらもやはり今三十万円で直して、又次から追加をして行くということならば私はやはり維持、管理は自営的には何とかなると思います。例えばそこの寺の上り、そういうもので管理をせねばならんということを私は感じた次第であります。
#8
○委員長(田中耕太郎君) じやあ、まだ近畿班と九州班と残つておりまして、各般の御報告は、大体同じぐらいの詳しさの方がいいかと思いますが、少し一班、二班は相当に詳しく御報告願いたいと思います。第三班、第五班もやはりそれに該当する時間を取つて頂く、その方がいいんじやないかと思います。今日はこのくらいで、……今日やりますか。
#9
○山本勇造君 食事にしてから続けたら、あと三時まで空いているんでしよう、委員長が何か御用がありますか。
#10
○委員長(田中耕太郎君) 文部大臣が、何か会いたいという。
#11
○河崎ナツ君 委員長は会つて來て下さい。
#12
○山本勇造君 委員長は会つて來て、これを続けて……、速記の方はどうだ。
#13
○委員長(田中耕太郎君) その方はいいようです。
#14
○山本勇造君 それじやこの辺で飯を食わして呉れよ。
#15
○委員長(田中耕太郎君) それじや休憩いたしまして、一時半に午後は開会いたします、休憩いたします。
   午後零時十七分休憩
   ―――――・―――――
   午後一時五十六分開会
#16
○委員長(田中耕太郎君) それでは午前に引続きまして委員会を開会いたします。議員派遣の件につきまして、近畿班の御報告をお願いします。
#17
○河野正夫君 近畿班は二十七日に東京を出発しまして、十日間三重、奈良、京都、大阪と、主として國宝保存状況を視察し、併せて各府縣の教育状況、特に六・三制実施状況、教育委員会の運営状況というものを見て参つたのであります。一行は田中委員長を初めとして、十名の予定でしたが、左藤義詮君が文部政務次官に就任した関係上、欠けましたが、併し民自党から平沼彌太郎君が左藤義詮君の名代というわけでもありませんけれども、参加されました。特に一行について言うと、奈良においては柏原文部政務次官が加わりまして、視察もし、並びにいろいろし教育委員との談話の場合にも文部当局の代表としていろいろ應答もされたわけでございます。非常に朝早くから夜遅くまでいろいろと視察して歩いて、日程が立て込んでおりまするので、一々丁寧に御報告申上げるとよろしいのでございますけれども、時間が掛かりますので、極めて簡單に概要を御報告申上げることにいたします。
 先ず行程を最初に概括的に申上げますると、二十四日に津に着きまして、三重の高等農林、それから名前をちよつと失念したのですけれども立誠という小学校、及び橋内中学校を視察し、教育委員、知事との懇談、及び教育委員との懇談を重ねたわけであります。翌日二十五日に伊勢神宮の建造物の状況を見、神社本廳というのですか、について、いろいろ聞き、奈良に入つたわけであります。二十六日に縣廳で知事と懇談し、更に教育委員や、奈良教員組合と、いろいろと教育の関係のことについて懇談し、且つ事情を聽取し、それから主として國宝保存状況の視察に移つたわけであります。この日には、東大寺や大佛殿、二月堂乃至正倉院、春日神社、新藥師寺、十輪院、極樂院、法華寺、秋篠寺というようなところを視察したわけであります。翌日二十七日には、藥師寺、唐招提寺、法隆寺、中宮寺はその中にあるわけですが、中宮寺等を視察して、天理図書館の状況を併せ見たわけであります。二十八日には当麻寺を見て、吉野に入つて金峯山寺の状況を視察いたしました。これで奈良の視察を終つて、三月一日に京都府の視察を始めたのでありますが、午前中府知事も教育委員も、いろいろ事情で、予定してはおつたのですが、会えなくて、桂離宮の視察をし、その午後京都市の教育委員、及び京都府の教育長というような人々と懇談をして、教育事情を聽取しました。その当日には尚京都市教員組合の人々との懇談もあつたわけであります。二日に京都市内の國宝保存状況を視察したわけでありますが、智恩院、高台寺、八阪の塔、東本願寺、二條城、大報恩寺、北野神社、大徳寺というようなのを視察しました。翌日三日に三十三間堂や醍醐寺、黄蘖山平等院、東寺、西本願寺というような社寺を建造物を見て廻つたわけであります。そうして四日、最後の日に大阪に参りまして、大阪の文部省大阪出張所に寄りまして、大阪の大学の幹部諸君ともいろいろ懇談を重ね、府縣において教育委員諸君と、府会議員の諸君と教育事情について、いろいろ聽取したのであります。この大阪においては連絡が惡くて教員組合との懇談が遂げられなかつたのは残念でありました。以上が大体の行程でございますが、細かいことを一々各府縣の事情を丁寧に申述べますと、時間が掛かりますので、概括的に申上げたいと思います。先ず教育事情の方面で申しますると、我々の目につけたことの、注意すべきことの第一といたしましては、教育委員会の運営状況ということでございますが、どうも教育委員会の立案の精神に副つて運営されていない面が多いのではないか、こういうことに氣附いたわけであります。東北班の方の御報告にもありましたけれども、教育委員の活動を月に一回、而も一回の参集時間は二時間半くらいに止めて置けというような強力な勧告があるというようなのが大体において、我々の廻つた地方の共通した事情でございました。とにかくその会議の開催を予定されている日以外の場合には届出なければならんとかというようなことが行われているというので、これは我々は却つて本委員会の意向として何とかしてこの点を地方の教育委員の自主的な活動性というものをもつと強めるように、何らかの手を打つ必要があるのじやないかと感じて帰つて來たわけであります。
 それに関連して御報告申上げますると、教育委員会の報酬が各府縣でばらばらでございますけれども、大体において三重縣あたりが三千円、大都市の京都、大阪が六千円、大阪は一万円にする予定であるということでありましたけれども、大都市の大阪、京都は比較的よろしいけれども、府縣、奈良とか、三重とかいうものは三千円程度であつて、地方の議会の議員よりも待遇が惡いという状況であります。
 第二に申上げたいのは、我々が幸いに京都とか、大阪とかというようないわゆる五大都市のあるところを廻つたために氣が附いたことでありまするけれども、都道府縣の教育委員会と市の教育委員会、こういつたようなものの連絡状況ということが問題になり得る、こういうことを見て取つて帰つたのであります。特に連絡の惡いのが京都府と京都市の教育委員会でありまして、実は我々の懇談の日程に京都府教育委員会との懇談と、京都市教育委員会との懇談というのを全然別な時間に取つておるのであります。我々はいろいろな仕事の関係上一緒にして頂きたい、こう申出たのでありまするが、その一緒にして貰つたときには府の教育委員は現われないのであります。そういつたようなわけで、府市が非常にうまく行つていない、市の教育委員の諸君は市に人事権と給與権とを與えて貰いたいというような話もあつたのでありまして、これは給與負担法に基いて都道府縣が持つておるべきものであつても、実質的には人事権、或いは給與権、そういうふうな法律的でなくとも、実質的にはそういう権利に相当するものを持ち得るのじやないかと思うのでありますけれども、対立しているところではうまく行つていないようであります。大阪においては大阪府の管理権を持つているところの高等学校の移管問題が生じておりました。市の方へこれをよこせとこういうのでございます。而もこの際にちよつと皆さんに御注意願いたいと思うのですけれども、府立の高等学校を市に移讓すべきものであるというその筋の強い要請であつたというので、幾多の例を挙げてそれは不合理であるということを大阪府教育委員会は主張しておつたようであります。ここらにも府と市との教育委員会がうまくスムースに行つていない面が見出されるのであります。恐らく今後、岩間委員からの御報告にもありましたけれども、細かい市町村において教育委員会ができて來るときには、ますますそういう問題が起るのじやないか、こう思うので、この教育委員会法の実施の場合にこれは相当考慮しなければならんのである、教育委員全法自体を何んとか考え直す必要があるのではないかと見て取つて帰つたわけであります。
 第三に教育委員会と地方議会との関係というものについてでございますが、大阪府を除いては、この関係が余り円満に行つていないと見て帰つたのであります。三重縣のごときはこれは私一人の観察かも知れませんけれども縣知事の圧力が強いのではないか、京都においては、京都市教育委員会においては市長の圧力が強いと委員が言つておりましたが、とにかくこれは地方議会でなく、地方の市長のことになりますけれども、要するに教育委員会の自主性というものが確立されていないというふうに見て取られたのであります。ここで一つ法律的な問題を聞いて帰つたのでありますが、地方議会には地方自治法によつて、教育委員に説明を求めることができるという條文があるそうであります。併しながらこの場合に教育委員が地方議会に出て行つても、教育委員会は合議制の行政官廳と考えらるべきものでありまして、從つて個人の教育委員がその地方議会に出て行つて発言することは如何なる意味を持つか、そういう法的根拠がないではないかというような点において問題を起しておる、これは京都でそういう問題を起しておつたのでありますが、これは我々も一考を要することだろうと思うのであります。
 第四に教員の給與の件につきましては今日の情勢上六千三百七円ベースというものが、而も一月以降のものは実質的に六千三百七円になつていないということ、及び政令四〇一号に基く再計算、而もいわゆる闇給與を認めないというような点から特に教員組合の諸君が強くもつと給與の改善を要望しておることを尤もであると見て帰つたのであります。特に僻陬地の問題が奈良縣などにおいては起されておりましたが、先程東北方面の視察における岩間委員の御報告にあるように定員の割出し方ということが非常に不合理であるということを各府縣共に言つておつたのであります。例えば、定員を一クラスに一人半としようとも或いは一・八人としようとも、その割合も問題でありますけれども、それを全國の或いはその府縣の学童数を五十で割つて学級数を拵え、それによつて、教員定員を一人或いは一・五人というふうに掛けて行くのでありますからして、実質的に僻陬地、山本部落などにおきましては、三十人二十人のクラスもあるというような場合も今のような割合で行くので非常に問題を起しておる、つまり、実際にいる人数よりも遥かに少い人数しか割出されてこない、こういう点を何んとかして貰いたいというような問題があつて非常に尤もだと思つて帰つたのであります。更に僻陬地手当の問題でありますけれども、この僻陬地手当を割出す原則として汽車の駅、或いはバスの発著駅から何粁といつたような考え方をしているけれども、そのバスの発著というのは一日にたつた一回しかない、或いはそれも、杜絶えるといつたことから、そこから何里という計算の仕方は非常に不合理である、もつと現実に即してやつて貰いたいというのが特に奈良縣三重縣の山間部及び三重縣の島の方面において問題とされておりました。
 第五に交舍建築費の問題或いは教育予算の問題について申上げますると、大体我々の廻つたところは、平均しまして、その府縣、或いは市当局の予算の四二・三%を上下しておつたと思います。それで我々の見たところでは非常に困る困ると言いながら、これらの近畿諸縣は比較的この地方の人々が教育に熱心で、自発的にその府縣の議会などで経費を出して貰つておるというようなふうな印象を持つたのであります。けれども非常に無理があり、特に教育費の寄附金といつたようなものは、一戸当り最高五千円にも達するであろうというようなところもありまして、これは当然國庫負担として貰いたい、京都府などでも金額ということはいけないとしても、三分の二くらいは是非國庫負担として貰いたいというような強い要望があつたのであります。これは奈良縣でございましたか、新制中学の校舎を建てる問題が二十三年度に補助金が來ないというので、引責辞職した町村乃至はその議員の中の学務委員といつたようなものが相当あつたというようなことも聞いておるのであります。この件につきまして、更に去年度の問題でありますけれども、教育費が議会を通り、新制中学の校舎の補助費というものが決定されておるにも拘わらず、各四半期毎にその経費が地方に渡されるのだそうであります。地方から申しますると、こういう校舎を建てたいというので府縣当局を通じて文部省に申請する、文部省の方で認証――それを設計や何かを見てでしよう、認める、認証をするのだそうですけれども、その認証する手続というものが非常に暇が掛かつて、二十三年度の初頭から要るものが第四、四半期になつて、漸くその証証が下り、経費が來る、これでは二十三年度は全然間に合わない、こういつたような、建築が間に合わないというような事情である、だから認証を早めて貰いたい、これはどの府縣でしたか、そういう要望があつたのであります。とにかく教育予算、特に新制中学を含めた学校建築予算というものを十分に取らない以上は、六・三制教育制度というものが崩壞に瀕するという実情は、やはり近畿地方でも十分に認められたところであります。
 第六に予算に関連いたしまして、京都、大阪はそれ程でもございませんでしたけれども、三重、奈良両縣においては、教育委員の諸君から教育税というようなものを設定して貰いたいものである、要するに地方議会に頭を抑えられてしまう、何とか自分たちが教育についていろいろな改善方策を講じても財源が伴わない、それがために教育委員会の自由になるような教育税といつたようなものの設定方を考えて貰いたい、これは國会においても議題に上つたこともありましようし、いろいろありましようが、三重縣、奈良縣あたりでも頻りにそういう主張がされておつたことを御報告申上げるのであります。その他詳しいことを申上げたいのですが、大体以上のことを主として感じたのでありますから、御報告申上げまして、若し時間の余裕がありましたら、外の派遣議員の諸君から補足をして頂きたいと思います。
 次に國宝の保存状況、或いは國宝管理に関する立法のためのいろいろな調査ということを行なつて來た点について簡單な御報告を申上げたいと思います。我々が見て参つたところでは相当すでに修理が進められておるのもありまするし、目下その最中のものもあり、又極めて荒廃して手を加えていないものもあるというようなものもありまするが、その一々については只今申上げませんが、要するに総括的に申上げますると、第一に今日ここ数年が最も大事な、保存、復旧、修川のためには非常に重要な時期であるということを総括的に申上げることができると思うのであります。
 第二に國宝の保存、主として建造物が多いのでありますけれども、國宝の保存には國宝そのものの保存、修理も必要でありますけれども、環境の保存及び整理ということが極めて重要であろう、こう見て取つて來たわけであります。即ち或る建造物がある、例えば平等院というようなものがありましても、元は平等院の前の堤防がなかつたというのであります。堤防がない方が、或る程古に平等院が建てられたときのいろいろな氣持というようなものが分り、そこに一つの價値があるのじやないかこう思うのでありますが、もとよりあの場所は洪水を防ぐという、これは止むを得ない処置でありますけれども、最近においてはそういう必要も、河川の改正やなんかなくなつておるそうであります。そういうような意味で、或る建造物の後ちに原始林がある、或いは大きな樹木があるが、それをそのまま保存するということが必要なのであつて、建造物そのものだけを保存するということは意義が薄くなるのではないか、こう思うのであります。その環境の問題について更に奈良の市街地の中に頭る極樂院は人家が密集しておる、こういうのはその建物の保存修理をしましても、注意が行届きましても、一度市街に火災が生ずるというような場合には、惣ち類燒を免がれない、こういうような意味においてそういう点をどう処置すべきかということは重要な問題ではないかと思うのであります、そういう意味で環境の整理ということも考えられなければならない、こう見て來たわけであります。
 第三に管理の問題でありまするが、我々見て來たのは主に奈良、或いは京都でもそうでありますが、古い時代、奈良平安時代の社寺が多い、特に寺院が多い、これらの寺院はすでに信者を失なつておる、殆んど宗教的な意味において、そこが宗教的活動の中心というふうな意味を失なつておるのであります。從つてこれらの寺院にはみずからその建造物を、或いは國宝を保存、管理する能力に欠けておるのが大部分である、だから從つて國家にその補助金を要望する声は強いのですけれども、彼らみずからがこれをどうするということはできない、できないにも拘わらず自分たちの國宝であるという私有観念というか、或いは宗教的な意味かも知れませんけれども、それを非常に他人の管理に委せたくないという意欲が強い、かようなものは國宝として管理能力を國家が行使するように早く措置を講ずべきではないかというような意見も生れて來るわけでありまして、参加した一同の討議を経たわけではございませんが、大体において何らか管理権というようなものを確定する必要があるのじやないかということを言い合つた次第であります。支も更にその國宝の中にはその寺院に置かなくてもいいものがある、その社寺に置かなくてもいいものがある。宗教上の礼拜の対象になるといつたようなものでなく、或いは例えば、そういうものでも、例えば当麻寺の当麻曼茶羅の代りに模写佛を置いて実物は別の方にしまつて置いて、それで事を足しておる、或いは戰爭中京都、奈良の國宝も一部そういうことがなされて居つたかも知れませんが、醍醐三宝院など立派なコクンリートの安置所に疎開されて、それで宗教活動にも何ら差支なかつた。だからそういうような意味において、そこに置かなくても、もつと安全の場所に安全な保管方法を講じて置くことがいいのではないか、こう思われるものが多々あります。そういう意味の完備した方法をやはり考える必要があるのではないか、こう見て取つて來たのであります。
 更に管理について消防の問題を申しますと、特に京都では消防長が同行しまして、いろいろ消防の点についても注意を與えながら、我々にも説明して呉れました。法隆寺とか東本願寺といつた大きなところは相当消防の設備が整つておりますけれども、他の國宝の消防というようなことについてはしつかりした設備があるところが少いのであります。ただ三十三間堂にはノミ式の火災報知機といつたものがあつて、この前、三十三間堂が火災を起しかかつたときには、あの地下室は法隆寺の燒けた地下室と同じように眞黒になつたが、ノミ式の火災報知機によつて延燒を免れたのであります。醍醐三宝院でしたか、所は忘れましたが、一ケ所行つて見て参りましたが、ああいうところにこのような設備を將來十分にする必要があるのではないか、それには十分費用が掛かることであるが、何らかの意味で國宝が保存されるならば、ああいう消防方面においても十分の予算が要る、それが管理の面の上にも大切である、こう見と取つて來ました。
 第四に保存、修理のための予算の問題でありますが、各社寺とも國庫の補助を切に要望するのは、それは至極尤もなことでありますが、先程、岩間委員から東北方面についても報告がございましたが、寺院は農地法の影響を受けて、耕作地というものを全部提供してしまつたわけであるし、特に社寺に対しては学生團体の見学ということについて非常に制限される指令が出ておるというような関係で、その方面の收入も少く、自らの手で保護、修理を行うということには相当の困難を感じておる、門徒や檀信徒からの節附というようなことも極めて乏しくなつた今日において、ひたすら國家や地方公共團体に頼る外ないという実情であります。これは尤もなことではあるけれども、先つき申上げましたように國家なり地方公共團体がこれに十分な補助を與えるとともに、國宝の保存のために強力な管理を國家の手で行う必要があると、こう見て取つて來たのであります。
 それから最後に國宝公開の問題でございますが、我々は正倉院の御物を拜観しなかつたのでありますが、そこで屑になつてしまつたような、非常に古いぼろぼろの切れ地を非常に学術的に調査して再現しておるところの研究室を見て参つたのであります。そういうふうなものを見ましても、この切れ類というものは非常に細かな微粒子となつて落ちてしまう落ちてしまつたら問題にならない。その非常に細かな振つて落ちるようなものを集めて、いろいろと研究して、古いものを再現しておる努力を非常に多として來たのでありまするが、あれを見ましても、又その他の例えば、高台寺でもそうであつたと思う、或いは醍醐寺もそうである、二條城もそうであつたと思いますが、公開時において特に開け立てをすることが多いことによつて、ああいう障壁画の類が非常に痛んで、その風の入るところは、二條城などでも非常にそういう点を見て來たのであります。高台寺もそうであつた、成る程國宝は民衆のものである、だから公開すべきものであるには違いないけれども、公開することが、非常に保存ということにおいて打撃を與えるという面も大きいのであります。ここに公開と保存とについて、如何にすべきかということを相当考慮する必要があるのじやないかということを第五番目に感想を申上げるわけであります。その他いろいろ申上げたいのでありますが、まあ以上で我々の視察して來た所感を概略申上げて御報告に代える次第であります。
#18
○委員長(田中耕太郎君) 次に九州班の御報告を願います。中野君。
#19
○中野重治君 九州班の報告をいたします。九州班の報告をするにつきまして、九州班は最低二人行くことになつておりましたが、前日になつて一人が急に都合惡くなりまして、結局一人で九州班を構成することになりました。これは報告者として残念に思います。二月の二十四日の朝出発しまして、三月の五日に向うの臼杵を立ちました。この間に遠いために汽車そのものにまる三日ぐらいとられましたために、実際の視察行動が狹めらたことも残念に思います。それで、その間に長崎縣、熊本縣、大分縣を廻りました。それで、小学校五つ、中学校七つ、高等学校一つ、國宝及び特別保護建造物を五つ、その外に長崎市の博物館、これは國有に移して欲してという運動が盛んに行われておる博物官ですが、それと、それから國宝に指定されるのが妥当と思われる豊後の深田の石佛、これをみました。それでこういうものについては私の方の希望も出しましたが、主として縣の方の世話で次々に引き廻されたという形で、時間の関係もあり、十分なことは見て來られなかつたといわなければならんと思います。それから全般的にいうのは教育の問題に関しても美術品の問題に関しても、今まで他の班の方々が言われましたことと惡い点については共通すると、こう考えます。好ましからざる点は殆んど私の廻りました九州にもそのまま当て炭まる。その点は私として一應省きたいとこう考えます。それでその間に三つの縣の教育委員会、それから二つの縣の縣知事、それから一つの縣の教員組合の代表の方々にも会いました。先ず、六・三制の教育状況の方から申しますと、重複を避けて言いますと、長崎縣のようなところでは特にそうですが、戰災による学校及び教育施設の被害というものは今日に至るもなかなか惨たらしい有樣です。例えば長崎で原子爆彈の落ちた所に最も近いのにありました小学校は、鉄筋コンクリート三階建の大きなものでありましたけれども、三階以上は完全に駄目になつております。そうして二階以下も非常に苦心をして、無理なやり方で使つておりますけれども、その有樣は惨澹たるもので、特にこういう学校について同情に堪えないのは、教師も生徒も一樣に被戰災者であることです。それでその辺には住居もまありませんから、教師も遠くの方から通つて來なければならない、その教師が戰災者であり、或いは引揚者である、校長自身が家族の中で校長その人しか残らなかつたと、こういうような所があります。こういう所では学校の備品というものは非常に乏しいもので、ちよつと正視できないような有樣です。熊本でも割りに貧しい地域にある学校が完全に焼けて、これは直ぐ樣非常な努力で建てられたのですけれども、それも今となつてはぼろぼろになりかけておる。そうしてその学校なんかでは、教室から教室へ先生が廻るためには、雨の降る日には傘をさして行かなければならない。生徒が便所に行くためには廊下の端から端まで掛け衣を掛けて雨の中を駈けて行かなければならんというような所がありまして、そういう工合ですから、生徒の中には相当率の養護家庭の子供があつて、そういう人々からは、給食費を集めておりませんが、併し学校で給食費を出さないということが生徒たちに惡い影響を及ぼしやしないかという配慮から、学校ではいろいろ配慮しておるように見受けました。学校は小学校から中学校、高等学校までも含めて、学校自身のための備品のないことに一般的に悩んでおります。特に生從のために教師が勉強するための参考書を買う金がない。これは一つの物を沢山買わなければならんということもあつて、非常に金のないのに困つております。そこで教師の給與について言いますと、今まで他の人々が言われた通りですが、特に住宅難のために、いわゆる乙地に住んでいて内地まで通つて、内地の給與を受けなければならんということが、厄介な問題になつて來ます。それから学校のばらばらに散らばつておる状況からして、或る所では、これは大分縣の数字ですが、通学距離が非常に大きくなつて、小学校一年生で片道一里半の所を通わなければならん所があります。先つきちよつと給食のことを申しましたが、給食に関しては不良品が渡つて、その分の品物の取替乃至その分の金の拂戻がないために困つている所があります。例えば島原の第三小学校では教師たちは非常に努力しておりますが、学校給食ということが始まつて以來、ずつと不良品の配給があつて、これについてはその都度申出しているけれども、いまだに一回も金が文部省から戻つて來ない、これに関しては、日本兒童給食協会の存在が、場合によつては疑惑の眼を以て見られておるという実情があります。こういう兒童を抱えた学校の建築状況がどうかと言いますと、今言いました島原の第三小学校では、二十三年度のガラスが一枚も配給されておりません。それから他の熊本その他でも、二十二年度に比べて二十三年度は公共事業費から出るところのガラス、セメントなんかの配給率がずつと上つておりますが、それは数字の上では上つておるけれども、現物はまだ渡つていない、こういう状態です。こういう状態の中で、私の廻つた三つの縣では何と言いますか、学校へ行かない子供、不就学兒童の数が相当殖えていて、これは土地の新聞でも大分問題になつております。可成りに学校によつて、見ていて氣の毒になるような仕合せな学校と、割に仕合せな学校とがあつて、その隔りは大分大きく見られますが、押し並べて生徒の父兄たちが可成り金の面で行詰つている実情が見受けられます。熊本市について見ますと、熊本市全部の中学校生徒は九千人ですが、学校へ着て行くための制服の配給がありましたけれども、それを買つた者は九千人の中でただ十人であつたという数字が出ております。こういう中で、学校の教科内容はいろいろ新らしい試みをまあ試みられておるようですけれども、私の目に付いた限りでは、例えばコア・カリキュラムが採用されておるところがありますけれども、こういうやり方をやつておる学校の人たち自身、教師自身が、コア・カリキュラムの本質を弁えておるかどうか、ああいう方式はどういう條件の下で始めて効果を挙げ得るものであるかどうかというふうなことについては知らないし、又研究しようといてもいない、多少がさつな言葉を使いますと、例えば小学校であつたものを今度國民学校とするだといわれて國民学校に一斉にしてしまつたというふうな方式で、コア・カリキュラムをやつておるところがあり、從つてそういうところではコア・カリキュラムが正しくやられるならば收めるかも知れない効果を少しも收めていないと見受けられるところが相当にありました。
 それから学校の費用は、言うまでもなく非常に足りないので、例えば熊本市では熊本市のPTA連合会が過去一年間にやつた財政上の仕事の八五%は、実は学校の正常の経営費に廻わされておるという数字が上つております。そしてこの八五%を学校の経営に廻すために、PTA自身が通信その他の活動をするために残り一五%が使われておるのであつて、從つてPTAの財政面における全活動が、そうあつてはならない学校経営費に全部廻わされておるという結果になつております。そうしてこういう状態の中で、学校を何とかしようとして地方公債をやろうとしても、これも他の人の報告にありましたように、非常に遅れる、或いは削られて許可されて行く、その時には間に合わないという状態で悩んでおります。そこでこういう状態に対して縣の教育委員会がどういう活動をしておるかというと、大体においては他の人人の報告に現われた通りでありますけれども、私の皆さんにお会いしてお話を聞いたところから見ますと、教育委員会がすでに報告されたあの権限の問題、地方自治法との衝突の問題で悩んでおるのみならず、こういう悩みを正当に突破できる程の質を持つておるかどうかが疑わしいという事例にぶつかつています。例えば教育委員会の人々が、國の予算と國の教育予算との関係について何も御存じない、國の予算の編成がああいう方式であるのに、その中から教育費だけ何とかそのまま取つて來たいというような甘い考えを、ただ強く希望しさえすればそれが可能であるかのように考える虞れがある、それから又今度何法と言いますか、ノートや鉛筆をただで学校の生徒に配給する、それで貧しい親たちが非常に喜んでおるという記事が出ると、それをそのまま呑込んで教育委員が喜んでいる、今まであらゆる場合に予算がない、財源がないというので、教育費が削られて來たのに、まるで鉛筆やゴムや帳面だけはただで降つて來るように考えて、何と言いますか、いわば無智な貧しい親たちと同じように、縣の教育委員が喜んでいるというような笑止な状態があります。それですから、この人々は主観的な努力はよく分りますけれども、しばしば間違つている、特に先つきの権限の問題に関しまして、九州でこれは調べましたところ、私の廻つた長崎、熊本、大分三つの縣のみならず、全九州に亘つて、二月の初めに福岡に教育委員長の一種異樣なる、半分は私的な半分は公的な集会がありました。そこで教育委員というものは、教育委員会を開いて、その時間の間だけ教育委員なのであつて、それ以外は教育委員ではない、單なる市民に過ぎない、それだから教育委員は教育委員の名において小学校その他の卒業式へ列席するというようなことはいけないというふうな話が出て、それをそのまま呑み込んでおるというような状態であります。そういう状態ですから、教育委員会が選出して東京に送つて教育を受けさせた教育指導主事、教育長なんかが、どういう講習を受けて來たか、どういう試驗を受けて來たかということについては、報告も受けていないし、報告を受けるべきものとも考えていないし、又それに対して教育委員会の自主的な批判は全く加えていないという有樣であります。このことはどうしても今後の大きな問題として残つて行くのであるから、どうしても解決しなければならない、こう考えられました。
 教育保養所へ行きましたが、これは大分縣でありましたが、大分縣の教員保養所に、医者は所長である人がただ一人しかいない、このことは申しておきたいと思います。もう一つは、そこで病を養つている先生たちの一日の費用が全部で二百万で、その中食費は一日分五十円であるということを報告しておきます。
 全体をして見ますと、六・三制は、私の廻りました範囲では、でき上らない中に崩れようとしているという状態であると思います。
 次に美術品の問題ですが、長崎の市立博物館は、これは先つきちよつと言いましたように、國立になるように皆さんが運動しております。或いはこれは成功するのではないかと思います。ただこれについては可成り荒されていました。その荒されておるというのは、戰爭中に憲兵隊に建物を取られてしまいました。それから戰爭が済んで憲兵隊が取つた建物から出て行つた後で、市がこの建物を或る銀行の支店に賣り拂つてしまいました。それであの非常に狹いところに個人の宅を空けて貰つてそこに入り込んで苦労しております。長崎では國宝建造物は大浦の天主堂と崇福寺、興福寺、皓台寺であります。福濟寺は丸燒けになつて一物も留めておりません。天主堂はあれは何といいますか内陣の後の正面のステンドグラスその他が可なりいたんでおります、これは今修繕に取に掛かつております。崇福寺、興福寺は両方とも可なりいたんでいました。これも技師が入つて仕事をしております。この全体を通じて長崎市の三つのキリスト及び佛教のお寺は、天主堂の方はザビエル渡來から四百年記念察が賑々しく行われようとしておるので、これには長崎市も非常に力瘤を入れておりますから割に捗るように見えますが、二つのお寺の方はなかなか捗りがはかばかしくないように見受けられました。その次に行きましたのは熊本城ですが熊本城については、先きに私が皆さんに写眞をお廻しして御覽願えたことと思いますが、問題が幾つもあります。一つは熊本城の櫓が、幾つかの櫓が実にひどい有樣に荒らされていて壁は全くでち拔けており、床板は全く引つぱがされておる、床板の根本も完全にないところもあり根本の残つているところも鋸で切られて焚火になつております。それで何故こういうことが生じたかというとこれは戰爭が済んだときに沖繩から連れて來られた憲兵隊と沖繩から動員されて來た多くの家族とが解放されましたが、この人達に全く住居の與えなかつたのだそうで國宝建造物を一時使うことを許してここに一杯押し込めた、ところがこの人々に薪の配給が全くなかつた、そのためにこういう事態が生じています、それで今では空つぽになつていますが、縣の人或いは熊本城保存会の人の中の或る人々は、こうやつて荒して置くよりも、むしろ人を住まわせる方が用心にもいいだろう、こうさえ言つております。それからこの根本が切られておるのは、ルンペンが鋸や鉈を持つておりますから、見張人が行つても穏かされて追い返えされてします、夜は熊本城内を追剥が跳梁しております。もう一つ、熊本の城で殆んど呆れたことの一つは戰爭が終る頃に、日本の軍部が火が拡がつてはならないという口実の下に、あの大きな宇土櫓その他の櫓に造り著けた防火壁であります。この防火壁の写眞を先つきお廻わししたわけですが、恐らくあの防火壁の成れの果の写眞だとお氣附になつた方はなかろうと思います。あれは私は何という樣式か知れませんが、あの安カフェーなんかにいかめしい出入口やなんかを造る場合に、棒を四本建てて幅一寸ばかりのぺらぺらの板切れを張り付けて枠を作ります。こういうふうに枠を作つてそうして中へ石炭の燃え殼を詰めて、そうしてセメントか何か薄くはたいて黒く色を塗つておりました。ですから非常に立派な防火壁ができたように見えるのですが、それが戰爭が済んで間もなくぼうぼうと落ちて來たのである、その石炭殼が流れ出て溜つております。それに「ぺんぺんぐさ」が生えておる、それで縣の人すらも報告に、あれは防火壁ではなくて引火壁なりとの感が深いと書いております。殊にところによつては、とにかくこういうインチキなものを……、櫓の中を切つて中まで通したところもありますが、併しただそうだけに造つたこころもあります、先つきの写眞の中にそういう例も一つ挙つております。そういう有樣であります。この外に大事な天然記念物の樟が伐られておつたり、或いは備前堀という堀がいろいろの事情から埋められつつあつたり、それから差渡し大きいものは九メートルもあるような大きな陷沒が地下壕を掘つたために今できておるというふうなことがありますが、それ以上は触れません。それですから熊本城の場合はそういう過去の軍部のやつておる非常に憎むべきことは別としましても、一方でソルペンその他の住宅問題を解決するということをも考えなければあの建造物の十分な保存ということは考えられないということが考えられます。尚長崎縣と熊本縣では國宝で失われておるものがあります。これは長崎の福濟寺が丸燒けになつて一物も留めていないというのは取除いて言うわけです。長崎では神え島神社の環頭の太刀と言います、頭にこういう環の附いた古い太刀が失われております。熊本縣では阿蘇神社の二つの國宝、糸巻の太刀、牡丹造りの短刀が失われております。この三つのものが失われた事情は分つておりますけれども、これは事情が分つておるために、これは取戻すように縣の人も努力しておりますが、併し早急に戻るだろうとは考えられないような事情にあります。大分では特に富貫寺に行きました。ここは非常に不便な所で、駅から山奧に三里程入らねばなりません。これは非常に荒れ果てております。富貫寺のことについては美術研究所から出た富貫寺壁画に相当詳しく出ておりますが、あれは昭和何年頃でしたか、私今ちよつて覚えておりませんが、あの写眞集が出たのは昭和十三年頃であつたどしよう。あのときは赤外線写眞を使つて非常に立派な画集ができておりますが、今はああいう画影は全くありません。何故かというと、あの富貫寺の大堂の眞後ろの山に爆彈が落ちて、爆風を後ろから正面にかぶつたものですから、内陣の後ろ壁の立派な壁画のあるものが吹飛んで、柱は裂け、屋根は完全に吹飛びました、そこで今技師が入つて修理しておりますけれども、これはやはり先つき河野委員の話されたようなことがここにもあります。それは環境という程のことではなくて、この寺その他に特有の問題だろうと思いますが、この建物は特別保護建造物で、それが後ろが破けて、柱が割れて、屋根が吹飛んだ、この中に國宝の如來の座像があつたわけですが、これを庫裡に移さなければならないというのでこれを庫裡に移しておりますが、ここの壁も破れて外が見えます。雨が降れば雨が入つて來ます。ところがこの庫裡の方はこれは特別保護建造物ではありません。ところが庫裡を直す材料がこの寺にありません、全く貧乏ですから……。天台宗ですけれども、天台宗の本山もこれに少しも何しない、驚くことはこのお寺は去年の八月までまる六年以上無住という全くの貧乏寺でありますから、それですから爆風がなくても非常に荒廃しておつた筈です。又中の倒れずに残つた柱を見ますと、この柱には元佛樣が描かれていて非常に美しいものですが、先つき言いました美術研究所から出た写眞にはその佛がよく出ておりますが、これは全く見えません。ただ標札が非常に古くなつたような場合に字が消えても、こう何と言いますか浮彫のように恰好だけが残つておりますが、あんなようなふうに残つておるに過ぎません。技師自身が東京からここに家庭を連れてこの山奧にやつて來ておりますが、住むところがありませんし、仕方がないからこつちに移つて來て佛樣の置いてある庫裡の一偶に幕を張つて家族が住んでおります。ただ富貴寺がそれでも残つて熊本城のような無茶苦茶な落書なんかが書かれていないのは全く人々から見捨てられていたからです、ということとそれからこれは先つき河野委員の紹介された場合とは逆の関係ですが、私有物であるという観念は全くないわけです。自分自身が赤貧洗うがごとき坊さんですから、無住ですから、お寺に住んでないのですから、私有の観念は分らないわけです。ところが逆にこれは國宝であるから傍へ寄つていけない、屋根が吹飛ばされて危いから村の青年が何とか應急の処置をしようということで相談したところが、村の人々が、壇家が、そんなことをして貰つては困る、触れるなと反対した、こういう状態なんです。これは恐らく河野君の報告された場合とは感じ方は逆ですが、管理をどうしなければならないかということは同一の結論に行くのではないかと考えます。
 最後に深田の石佛へ行きましたが、これは國宝ではありませんけれども、恐らく早く國宝に指定されるべきものではないかと私としては考えます。それの美術上及び美術史上の議論は私にはできませんから、ここでは省きます。併し他方から言いますと、これはすでに京都大学の研究も発表されておりますし、濱田耕作博士の論文も発表されておりますからそういう点に関しては私の言うことはありませんが、京都大学の研究が発表された当時、濱田さんの研究が発表された当時に比べて非常に危險な状態に立至つております。これは石の端を研ぎ出して掘り出して佛を作つたものですから、これが割れて崩れております。あの名高い大日の首なんかもそのまま残つておりますが非常に危險であつて、これは泥棒に盜まれるということが非常に危險であると同時に、上から崩れて來る、崖そのものが割れるという点でも非常に危險です。ここには多くのグループがありますが、最初のグループのある佛のあるところには非常に太い根が下つています。それから十三佛というグループの一番大事な佛樣の頭のてつぺんには椿が生えています。これは頭の上に木があつて根がその割目々々に插しています。それで益々割目が大きくなる、それで頭が割れないように突つかえ棒をしておりますが、非常に危險です。前に柵を立てておりますが、ペンキを塗つただけで縣がやつてこ出した一万円が掛かつてしまつております。これはどうしても國宝というふうな形に移さなければ今後は完全に行くまいというのは、この上は畠になつております。この崖の上は畠の端に木が生えており、竹藪になつております。この畠を手に入れなければ崖を保存することはできません、木はこんなふうに被さつて來ておりますから、これはそういうふうな方式で適当な措置を講じなければならないと思います。全体として言いますとこういうようなものに対しては國家が補助を出すことになつておりますが、補助が出るということは知りません。村の役場の人さえも知らないくらいで、幾ら地元からその請願なり申請なりを出すようにと言つてもなかなか分らない、今度やつと出すことになりました。私も行つて極力薦めました結果、この富貴寺にしても、深田の石佛にしても、それから熊本城にしても、長崎の方のいろいろなものにしても、金がないために縣の方でも土地の人もいろいろ苦心してやつておりますが、やり方を見てみますと智慧が豊富でないということも考えられますし、やり方が非常に姑息な手段で、やつておる人は一生懸命ですけれども氣の毒に思います。例えば富貴寺を保存するために或る團体を拵えて皆さんやつていますけれども、その團体の役員、幹部、会長というような者は縣知事とか、縣会議長とか、そういう人々ばかりでなるようになつておりますから、そういう人々は次々と変るからいつもぐらぐらして委員会の中味が変つて來る、こんなふうなんです、そうして坊さんを行脚に立たせて、そうして資金募集をやると同時にその辺では柿が出るから富貴寺柿という吊し柿でも作つて賣り出そう、そんなふうに産業と結び付けようという、智慧としてはいい智慧かも知れませんが、非常に言葉は惡いかも知れませんけれどもしみつたれた考えで、一生懸命苦労しております。それではとてもうまく行くまいと私には考えられました。とにかく私の行きました班は私一人なのでこういうことを言うのはちよつと困るのですけれども、深田の石佛は國宝のようなものに早く指定されなければなるまい、あれはとにかく日本では一番優れた石佛ですから、全体としてそれですから國宝、古美術の類は現行國宝保存法の下に放棄されてある、荒されてある、或いは失なわれつつある、こう言うことができると思います。
 最後にこれは調査の報告とはやや異りますが、私はああいう形で調査に行きましたのは初めてだものですから、初めて行つて、派遣される調査團の旅費の問題に当面して困りました。それは日当り千二百円ということになつております。行く先々で縣がその土地で一番いい、或いは一番でなくとも二番目ぐらいの宿屋に連れて行つて呉れます。これは非常に結構ですが、米を持つて行きませんから支拂いするとなると足が出ます。それで私達は瀧氏と二人でありましたが、瀧氏に台所をやつて貰いましたから、相談して長崎、島原から熊本と行つて、それから後は知り合いとか、安い宿屋とかに泊つてやつて凌ぎをつけました。私は旅費が十分でないということは場合によつては仕方がないと思います。併し調査費が一銭も出ないということの方が非常にむしろ大きな問題だと思います。私共は地方に行きまして地方の財政が非常に乏しいことを見て來ておる。ところがその地方財政の中でもそういう燒けた小学校の問題だとか、ぼろぼろのお寺の問題とかというところを取扱う方面は、やはり一層金がないと、その金をこつちから出掛けて行つた調査で食い潰さなければならないということは、非常に道理に合わんではないか、こういうふうに私は考えます。そしてこの調査費というものを本当に十分に出すのでなければ、派遣された調査團が、今度の我々のような場合は、これは余り危險もありませんのですけれども、相手が炭鉱とか貿易関係の仕事だとかいうことになりますと、そこにそういうふうな陷穽も考えられなければならない、そのことは國会としても是非きちんと処理するようにして欲しいということを感じました。これを以つて簡單に私の感想を終ります。(拍手)
#20
○委員長(田中耕太郎君) これを以ちまして本日の日程でありまする派遣議員の報告は終ります。各班の代表の方方からそれぞれ非常に良心的な御報告を得まして、委員会としましては感謝に耐えない次第でございます。今後の、或いは教育問題なり、或いは國宝問題につきまして、非常に貴重なる資料を得たと思います。さような意味におきまして今度の文部委員会といたしましての、最初の議員派遣は大成功であつたということを、皆様と共に確信をいたす次第でございます。次にやはり國宝関係のことでございます。從來國宝及び重要美術品に関しまする問題は、これは文化小委員会におきまして懇談会の形で調査研究して参つたのでございまするが、國宝及び重要美術品に関しまする問題に正式に文化小委員会としまして調査研究する方が便利だと思われます。調査承認要求書を議長に提出したいと思いますが、如何でございますか。
   〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
#21
○委員長(田中耕太郎君) では承認要求書の案を朗読いたします。
   國宝及び重要美術品に関する一般調査承認要求書
 一、事件の名称、國宝及び重要美術品に関する一般調査
 一、調査の目的、國宝及び重要美術品の指定及び保存の現状を調査し諸般の状勢の変化に即應してこれに対する國家の新対策を確立する。
 一、利益 國宝美術品の完全なる保全に貢献し文化國家の建設に寄與する。
 一、方法 政並及び関係係官、民間有識者、國宝所有者等より説明及び意見を聽取し資料を要求し必要に應じて実地を調査し以て対策の立案を行う。
 一、期間 今期國会開会中右本委員会の決議を経て、参議院規則第三十四條第二項により要求する。
というのでございます。議長宛になつております。御異議ございませんか。
   〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
#22
○委員長(田中耕太郎君) それでは本要求書を議長に提出することにいたします。
#23
○河野正夫君 今の件ですが、これは序でに小委員会で國宝保全、或いは重要美術品の何とかの法律、そういうものの改正方も研究して下さいますか。
#24
○三島通陽君 それはこの前の文化小委員会の時から段々研究しておりますので、併せてこの小委員会におきまして研究いたしたいと思つておりますけれども、どうせこの法律案ができまして提出するときにはやはり文部委員会としてやつて頂きます。
#25
○河野正夫君 御尤もです。
#26
○委員長(田中耕太郎君) それでは今日の委員会は、別に御発言もなければこれで閉会いたします。
   午後三時十五分散会
 出席者は左の通り。
   委員長     田中耕太郎君
   理事
           河崎 ナツ君
           松野 喜内君
           高良 とみ君
           岩間 正男君
   委員
           若木 勝藏君
           大隈 信幸君
           河野 正夫君
           堀越 儀郎君
           三島 通陽君
           山本 勇造君
           中野 重治君
ソース: 国立国会図書館
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