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#1
第061回国会 文教委員会 第12号
昭和四十四年四月十六日(水曜日)
    午前十時五十分開議
 出席委員
   委員長 大坪 保雄君
   理事 久保田円次君 理事 河野 洋平君
   理事 高見 三郎君 理事 谷川 和穗君
   理事 西岡 武夫君 理事 唐橋  東君
   理事 長谷川正三君
      櫻内 義雄君    中村庸一郎君
      羽田武嗣郎君    広川シズエ君
      藤波 孝生君    八木 徹雄君
      加藤 勘十君    加藤 清二君
      川村 継義君    斉藤 正男君
      帆足  計君    岡沢 完治君
      有島 重武君    石田幸四郎君
 出席国務大臣
        文 部 大 臣 坂田 道太君
 出席政府委員
        文部政務次官  久保田藤麿君
        文部大臣官房長 安嶋  彌君
        文部省初等中等
        教育局長    宮地  茂君
        文部省大学学術
        局長      村山 松雄君
        文部省管理局長 岩間英太郎君
 委員外の出席者
        専  門  員 田中  彰君
    ―――――――――――――
四月十五日
 委員竹下登君、岡沢完治君及び有島重武君辞任
 につき、その補欠として田中龍夫君、西村榮一
 君及び小濱新次君が議長の指名で委員に選任さ
 れた。
同日
 委員田中龍夫君及び西村榮一君辞任につき、そ
 の補欠として竹下登君及び岡沢完治君が議長の
 指名で委員に選任された。
同月十六日
 委員竹下登君、原茂君及び小濱新次君辞任につ
 き、その補欠として羽田武嗣郎君、加藤清二君
 及び有島重武君が議長の指名で委員に選任され
 た。
同日
 委員羽田武嗣郎君及び加藤清二君辞任につき、
 その補欠として竹下登君及び原茂君が議長の指
 名で委員に選任された。
同日
 理事藤波孝生君同日理事辞任につき、その補欠
 として高見三郎君が理事に当選した。
    ―――――――――――――
四月十二日
 産炭地域における公立義務教育諸学校の標準定
 数改正に関する請願(中村重光君紹介)(第三
 八二六号)
同月十五日
 過密地域における公立義務教育諸学校の標準定
 数改正に関する請願(佐々栄三郎君紹介)(第
 三九三九号)
 過疎地域における公立義務教育諸学校の標準定
 数改正に関する請願(稲富稜人君紹介)(第三
 九四〇号)
 同(鈴木一君紹介)(第四一二七号)
は本委員会に付託された。
    ―――――――――――――
本日の会議に付した案件
 理事の辞任及び補欠選任
 文教行政の基本施策に関する件
     ――――◇―――――
#2
○大坪委員長 これより会議を開きます。
 この際おはかりいたします。
 理事藤波孝生君より理事辞任の申し出があります。これを許可するに御異議ありませんか。
  〔「異議なし」と呼ぶものあり〕
#3
○大坪委員長 御異議なしと認めます。よって、辞任を許可するに決しました。
 次に、理事の補欠選任についておはかりいたします。
 これは先例によりまして委員長において指名するに、御異議ありませんか。
  〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
#4
○大坪委員長 御異議なしと認めます。よって、高見三郎君を理事に指名いたします。
    ―――――――――――――
#5
○大坪委員長 文教行政の基本施策に関する件について調査を進めます。
 質疑の通告がありますので、これを許します。羽田武嗣郎君。
#6
○羽田委員 本日は文教のレギュラーメンバーでない私の質問について、お許しをいただきました委員長並びに理事各位の御高配並びに委員の皆さんに対して厚く御礼を申し上げます。
 私、昭和十二年以来ちょうど国会在籍二十三年と八カ月ばかりになりますが、最近健康を害しましたので、次期総選挙には立候補しないという決意をいたしておりますので、私といたしましてはおそらくこれが最後の質問になるかと存じますので、しばらくの間お聞き取りをいただきたいと存じます。(拍手)
 まず第一に、文部省の事務当局では、信州大学繊維学部から繊維農学科を廃止しまして、これを東京農工大学に併合しようとしておられるようであります。四十二年収繭量が一万六千トン、百八十億円の蚕糸業の主要県たる長野県を離れて、わずかに三百四十五トンの収繭量しかなく、しかも人口過密の大都市たる東京に合併するということは、大学の地方分散、大学の特色の発揮という観点から、時代に逆行するのではないか、こう存ずる次第であります。大学学術局長の御所見をお聞きいたします。
#7
○村山(松)政府委員 蚕の養い方、それから繭をつくり絹糸をとるまでの教育研究というのは、現在国立大学では東京農工大学の養蚕学科、それから信州大学繊維学部の繊維農学科、京都工芸繊維大学の繊維学部の養蚕学科、この三学科で、入学定員合わせまして九十名という形でやっておるわけであります。これらの学校は、いずれも戦前の専門学校として発足いたしまして、戦後大学に改組せられ、大学の学科という形になったわけでありますが、そこで養蚕に関する教育研究をやってまいったわけでございます。
 近年になりますと、わが国の蚕糸業は、一面におきまして生活水準の高度化に伴いまして、綿製品の需要が伸び、増産の計画なども立てられておりますが、養蚕業という産業の実態からいたしますと、なかなか生産目標の拡大が困難な事情もございます。そこで養蚕方法の改善と技術革新や企業の合理化によりまして、蚕糸業も近代化し、増産目標にも合致せしめるような施策が望まれるに至りました。
 そこで、こういう情勢を反映いたしまして、いろいろな意見が各方面から出されてまいりました。たとえば昭和三十七年の三月には、日本学術会議が蚕糸業技術者の養成についての答申をしておりますし、それから昭和三十八年七月には、日本蚕糸学会及び中央蚕糸協会というような学界、業界から、養蚕教育をやっておる大学の施設、設備の改善充実あるいはカリキュラムの改善充実等についての要望が出されるに至りました。
 こういう御要望を受けまして、文部省におきましては昭和三十九年五月に、技術教育協議会という諮問機関がございますが、ここに蚕糸教育のあり方につきまして諮問いたしました。なおこの諮問は、当時関連して問題になっておりました農学、水産学、林学等の改善について諮問しましたものとの関連におきまして、蚕糸学教育の改善についても諮問したわけでありますが、そこで関係学識者あるいは協会等の方々には討議願った結果、一応の答申を昭和四十年三月に得ました。その内容は、蚕糸教育は改善の必要があるけれども、現在のように三つの大学で小規模でやっておるよりは、むしろ、これを統合して内容の刷新、改善充実をはかるべきであるという内容を骨子としたものでございます。
 そこで、これは事が大学教育にかかわることであるし、また産業との関連のあることでもございますので、文部省としましては、この答申を直ちに事務的にこなすということではなくて、まず関係の三大学の間でこの答申を受けて十分案を練っていただきたいということで、関係の学長あるいは直接教育を担当せられておる方々で何回かの懇談会が量ねられております。学長レベルの懇談もございますし、学部長レベルの懇談もございますし、直接担当されておる専門家の間の検討、それから大学の当事者だけではなしに、学会レベルの方々を交えての検討等々が重ねられておるわけであります。
 そこで問題は、一応統合による改善充実が示唆されておるわけでありますが、統合ということになりますと、それぞれの大学では長い伝統もあり事情もございますし、どこに統合するかというようなことが具体的には一番問題になるわけでありますので、結論を申し上げますと、御質問のように信州大学の繊維学部繊維農学科を廃止して東京に移すということが現時点においてきまっておるわけではございません。どこにどのようにするのが将来の蚕糸教育のために一番適当であるかということを、現在当事者の間で慎重に検討しておる段階でございます。文部省といたしましては、当事者の検討の結果も承り、また、私どもの行政的な判断を加えまして最終的にはこのことを処理いたしたい、かように思っておるのが現状でございます。
#8
○羽田委員 ただいまの御答弁によりますと、まだ態度決定していないというお話でございますから、続いて私は質問をいたします。
 信州大学繊維学部の前身である上田蚕糸専門学校は、明治四十三年、秋田鉱山専門学校とともに、特殊産業に対する高等専門教育機関として、日本一の蚕糸王国たる長野県上田市に建設されたのであります。自来五十九年の歴史と伝統を持っておるのであります。事実、上田市は空気乾燥いたしまして夏涼しく、学問研究の場所として最適地であり、かつ養蚕の最適地でもあります。上田の場合は、歩いて十分か十五分も行けば養蚕農家があり、学問の場と実験の場が直結しておるのであります。養蚕篤農家に下宿している者もあり、繁忙期にはアルバイトをする者もあるのであります。三百四十五トンの収繭量しかない人口過密な東京に、一万六千トンの収繭量のある上田から疎開合併するというようなことはあるべきでないと考えるのであります。これは全く本末転倒で、いわゆる孟母三遷の教えといいますか 教育に環境がいかに大事であるかということは君からいわれておるのでありますが、この孟母三遷の教えにもそむくところの全くこっけいなることである。もし上田から東京にでも持ってくるならば非常な重大な問題である、こう考えるのであります。むしろ、東京、京都から上田に合併すべきではないかと考えるのでありますが、これについては大臣の御答弁をいただきとうございます。
#9
○坂田国務大臣 羽田先生のこの問題に対しましてお答えを申し上げたいと思います。
 ただいま局長が申し上げましたとおりに、まだ最終的に東京農工大学の農学部に併合するというようなことはさまっておるわけではございません。また、その前提といたしまして、信州大学の中におきましても、全学的な意思決定というものが行なわれない状況でございます。三つの大学の間においていろいろ協議はございましょうけれども、しかし、やはりいま御指摘いただきましたように、今日大学というものが国民から問われております一つの問題点は、やはり大学の本質である学問研究というものの成果を地方に還元をするという役割りがあると思うのでございます。その意味合いにおきまして、大学というものはその土地の教育的な条件あるいは教育的な伝統というものを重んじなければならないことは申すまでもないことでございまして、そういう意味から申しますと、やはり信州大学は信州大学なりの特色ある地方大学として、これから新しい出発をすべきものではないかというふうに考えるわけでございます。
 たとえて申しますと、アメリカにおきまして、カリフォルニア大学というものは、最初は農学の大学として出発をし、そしてその農学における研究の成果というものがカリフォルニア州における農業経営の近代化や合理化や、そういうものを進めてまいって、そしてカリフォルニア州というもの全体が、産業も活発になるし、そして生活水準も高まってまいって、ある段階に至っては、もう農業だけではなくて、さらに工業の部面、特に石油化学等の需要も多くなるということについて、新たに自然科学系統の学部を創設し、その研究の成果がまた各分野で州に還元されるという働きをしつつ、同時に今度は教育的な学問水準の普及にも寄与をしてきた。そういういきさつもあるくらいで、昔でございますと、大学というならば、アメリカでは東部のほうの大学が真の充実した大学なんだ、西部の大学というものは大学の内容からいってもまだ貧弱である。こう言われておったわけでございますけれども、今日では、もはや東部のハーバード大学とか、あるいはコロンビア大学とかいうような大学よりも、この州立のカリフォルニア大学のほうが、スタッフもすぐれた人たちが集まり、そしてその研究能力においても世界の水準をきわめておる。そしてまた、その成果というものがあらゆるカリフォルニアの教育機関にも及んでおりますし、あるいは産業あるいは科学技術の進歩のために役立っておる。こういう新たな大学像というものをつくり上げてきた経緯もあるわけでございます。
 そういう意味合いにおいて、今日の日本の大学というものが、昔の旧制の帝国大学の考え方一本で、地方の大学もこれに右へならえするというようなものの考え方というものが、戦後の新制大学が出発いたしまして、万人のための大学、国民のための大学、そして国民の意思を反映した、あるいは地方住民の意思を反映した大学と、特色ある大学というものを求めておったにもかかわらず、それがなされておらないというところに、実は今日の大学問題というものが国民から問われておると、私は思うのでございます。その意味合いにおきまして、現在のその学部編制等についても、やはり抜本的に考え直す時期がきておるのじゃないだろうか。それに対しまして、文部省というものの指導、助言というものが、大学自治を尊重するという美名のもとに、実はやるべきことをやらなかったという点は、やはりここできびしく反省しなければならないと私は思っておるわけでございます。したがいまして、われわれはあくまでも、しかしアカデミック・フリーダムというものの基本的な問題については、これを尊重していく考えでございます。そして第一次的には、大学そのものが自主的に問題を解決し、そして新しい国民の要請にこたえるような大学に出発してもらわなければならないと私たちは思っておるわけでございます。
 そういうことから考えまして、信州大学というものが新たな出発点にきておるのではないだろうか。それから養蚕の問題につきましても、非常に変動のある農業の過程を経てきておることもまた否定することはできません。景気のいい時代、あるいは景気の悪くなった時代、しかしまた今日新たにこの養蚕、生糸というものが見直されてきておる。一方において化学繊維というものが非常に進みますと同時に、天然の養蚕というものが新しい眼で見直されつつある。しかもその歴史と伝統を持っておる長野県というものは、その生育につきましても、あるいは技術等におきましても、相当に普及をしてきておるわけでございます。そういう地域において、さらにそれをどうやって今日の日本の新しい要請にこたえていくかということ、あるいはまた単に教育的なことだけではなくて、今日日本の農業というものが、総合農政という形において新しい出発をしておるこの時期におきまして、むしろ大学というものはそれに回答を与えなければならない機関であるとさえ、私は考えるわけでございます。そういう意味合いにおきまして、先生のこの御質問の趣旨というものは私は十分理解ができるわけでございまして、ただいま局長から申し上げましたように、最終的にきまっておるわけではございません。したがいまして、やはりわれわれ文部省もそういう観点に立ち、また信州大学の自主性というものも尊重をし、また、大学当局も、地方の産業との関連というものを十分お考えいただき、長野県の知事さんや、あるいはその他県議会等のこともお考えいただいて、そしてこの問題と取り組んでいただきたいというふうに思うわけでございます。そういう気持ちを持っておるということを表明いたしまして、先生の御質問にお答えを申し上げた次第でございます。
#10
○羽田委員 大臣の御答弁に深く感謝をいたす次第であります。大学が、地方の産業に大学の研究の成果というものを還元しなければならぬ。ことにカリフォルニア州における農業、その他の産業に大学の果たした使命が非常に大なる結果を果たす基になっているとの御説明をいただきまして、深く敬意を表する次第でございます。
 それで、続いて申し上げますが、上田の卒業生は、養蚕学科が二千百三十三名、製糸学科がが千六百二十五名、合計三千七百五十八名でありますが、これらの諸君はそれぞれ全国の官庁とか、繊維会社、それから試験研究機関、大学、高等学校等に奉職いたしまして、各自の専門の技能を生かして、斯業発展に尽くしているのであります。
 しかるに東京農工大学、京都工芸繊維大学の卒業生は、蚕業以外の方面に活躍する者が多いのであります。上田繊維農学科を東京に移すことは、世界一の養蚕国たる日本から、指導者を失うことであり、国家的に見てゆゆしい重大事といわなければならないのであります。地方に分散された技術の大学におきましては、大学の根本問題については、ひとり大学独善の自治だけでなく、広く地方の声を聞く。たとえば、ただいま大臣の御答弁のごとく、知事やあるいは県会、その他国会議員の意見も聞いてやるというお話で、まことにありがたい話でございますが、大学独自の自治だけでなく、広く地方の声を聞いて決することがよいと考えるのであります。
 われわれ政治家がこの合併の問題について文句を言うのは、明治四十年、国会の議決を経て、政府は上田町に蚕糸専門学校を設立することになりまして、設備費二十九万八千九百三十円、維持費十万円、合計三十九万八千九百三十円の寄付を長野県に求め、県会において可決いたしまして、私がいま住んでおります上田市と、私の生まれました小県郡でございますが、この上田町と小県郡は建設費十万円、それから経常費五万円を県に寄付し、別に農地五万坪を買収提供したのであります。すなわち、建設費、敷地等、地元負担でまかなっておるのであります。
 明治四十四年開設、養蚕科及び製糸科の二科だけで始まったのでありますが、今日完全に地元の産業に定着しているのであります。こうした因縁からも、繊維農学科を東京に移すことには、西沢県知事、それから長野県の国会議員一同はもちろんでございますが、そのほかに実は蚕糸関係の群馬県、それから埼玉県、それから山梨県、それから福島県、それから長野県、これらが超党派的に、自民党もあり、社会党もあり、それから民社党もあり公明党もあり、共産党まで入っております。その衆参全員七十二名の要望書をもちまして大臣にお願いをいたしておるのでございます。そういうような意味において繊維農学科を東京に移すことには絶対に反対をいたす次第であります。これに対する文部事務当局の大学局長の意見を承りたいと思います。
#11
○村山(松)政府委員 三大学の養蚕学科及び繊維農学科をどうするかということは、先ほど御説明申し上げましたように現在関係者の間で検討中の課題でございます。関係者の検討を経まして、さらに先ほども申し上げましたように、文部省でも行政的判断を加えて結論を出そう、こう考えておるわけでございます。そこで現在のところ、上田の信州大学繊維学部繊維農学科を東京に持ってくるということに、もちろん文部省は同意しておるわけでもございません。しからば御指摘のように、そういうことはなすべからざるものとして積極的に指導するかどうかということについてのお尋ねかと思いますけれども、その点になりますと、やはり文部省といたしましては、当事者の考え方を十分によく聞いた上で必要な指導、助言をしてまいりたい、かように思っておるわけであります。
 それから、当事者と申しましても、大学関係も大学関係の独断で事を運ぼうということは考えておらないのでございまして、大学関係の者の考えをまとめると同時に、関係の地元、あるいは繊維関係は特殊な事情がございまして、同窓会等とのつながりもかなり密接でございますので、同窓会関係との話し合い、それらすべてを十分進めた上で納得のいく線で、ものごとを処理したい、かように考えておるわけでありますので、文部省としてもそれと対応しながら、先生御指摘のような点を十分含めまして結論を出してまいりたい、かように考えております。
#12
○羽田委員 大学の当然の使命といたしましては、教授陣の研究の業績いかんということが存在理由を左右すると考える次第であります。これについて大学局長の御意見を承りたいと思います。
#13
○村山(松)政府委員 たてまえといたしましては、御指摘のとおりだと思います。
#14
○羽田委員 五十九年にわたる研究の業績は実にかくかくたるものがありまして、日本の養蚕業発展に尽くしたことは忘るべからざるものがあるのであります。
 たとえば蚕の二大病というべき微粒子病と伝染性軟化病でありますが、まず、微粒子病といって、蚕が成虫して上簇期に入るころ、蚕が腐ってまっ黒になって死んでしまうというおそるべき病気でございます。これは大森博士によりまして病原菌が発見され、その消毒法も開発されまして、今日はほとんど全国にわたってこの病気はなくなっておるのでございます。
 次に、伝染性軟化病でありますが、これもやはり蚕の成虫期になりまして、からだがやわらかくなって腐って、猛烈な伝染性を持っておるおそるべき病気でありますが、山崎博士が五、六年前にビールスを発見いたし、今日は非常に少なくなっておるのであります。
 それから川瀬博士の桑葉化学と施肥に関する基礎研究、それから蒲生博士の蚕の発育とビタミンCとの関係、これを応用して蚕の人工飼料を開発いたしておるのであります。
 それから次に、関博士の桑の染色体を三倍体、四倍体にしまして、大きな、しかも厚い桑の葉で、滋養分のうんとある倍数体葉樹品種の研究をいたしまして、四十四年度からは長野県は「千曲大葉」と命名いたしまして、指定品種として奨励することに相なっておるのであります。
 それから田中茂光博士の機械養蚕の研究であります。コンベヤーのついた機械じかけで桑をやり、蚕沙――蚕のふんでございますが、蚕沙を除きまして上簇を簡単にしまして、人手を何分の一にする省力飼育の方法を開発をいたしまして、今日実用化されておるのでございます。
 それから高橋清七講師の条桑育の研究、すなわち桑を枝のままで蚕に与える方法で、今日ほとんどの農家で実行いたしております。
 それから、一日一回の給桑の研究であります。蚕に桑を与えることは、明治、大正時代においては、土蔵づくりの蚕室で、温度、湿度に大いに注意をいたしまして、一日桑を八回も与えたのであります。したがって、午前三時から起きて桑をやり、非常に重労働であったのでありますが、大学の研究の結果、今日では、一日三回給桑をいたし、あるいは一日一回枝のままの桑を与えるというような方法まですでに研究が進んでおるのでございます。
 それから、飼育の方法も、土中育といいまして、幅一メートルに、深さ五十センチ、長さ五メートルでもけっこうでございますが、土中に穴を掘りまして、ここでもって蚕を育てておるのでございます。それから露天育、あるいは桑畑の中に屋外育と申しまして、鉄の棒を組み立てまして、それからトタンの屋根をふきまして、壁はむしろをつり下げまして、そうして蚕を飼うというようにいたしまして、いわば桑畑のそばに蚕室を持っていく。こういうようなやり方によりまして、省力化し、清浄な空気の中で育てることのほうが、むしろ部屋の中で温度や湿度を非常に注意してやるよりもいいという結果がすでに生まれておるのでございます。こういうような飼育の方法についても革命的な省力的方法が発明されておるのでございます。
 これら飼育法は、繊維農学科と、蚕糸試験場と、それから信州人特有の非常な研究熱のある熱心な養蚕篤農家の、三位一体の合作でありまして、今日では全国に普及しておるのであります。
 次に、大学と県庁と篤農家の三位一体で開発いたしました稚蚕共同飼育所であります。つまり、小さい蚕を共同に飼育するということであります。蚕は一眠二眠の幼虫時代に強い蚕に育てるということが一番大事でございます。その省力飼育の方法として、稚蚕共同飼育所といいまして、養蚕農家が一戸一戸で小さい時代を飼うことをやめまして、そういう稚蚕を、農協単位に稚蚕共同飼育所をつくりまして、大きなものは百戸、小さいものでも三、四十戸分を共同飼育をしまして、数人ないし十人くらいで世話をしまして、二眠以上に育ちました蚕を各自自分の家に持ち帰って三眠、四眠、五眼を経過して繭にするのであります。
 長野県では、この共同飼育所の数は五百に達して、普及率は九六%に達しております。群馬県では六〇%に達しておるのであります。これは非常な省力方法と相なっておるのでございます。
 以上のごとく、繊維農学科の果たした、わが国養蚕の向上に貢献されたことは筆紙に尽くせないものがあるのであります。東南アジア、アフリカ、中南米、中近東諸国から、日本の養蚕業の視察者及び学習者等が上田の繊維学部を訪れる者が年々非常に多くなっております。いまや上田は世界の蚕糸科学のメッカとも考えられております。
 次に、わが国の養蚕の歴史について若干申し上げますが、わが国の養蚕の歴史は、明治、大正時代はもちろん、昭和五年ころまでは、輸出生糸は、わが国の輸出貿易において三〇%ないし五一%の外貨獲得をいたしておりまして、輸出産業の大宗であったのであります。しかるに、ナイロン等の合成繊維の開発によりまして、米国向けの輸出生糸が漸減し、戦争で輸出がとまりましてからは、養蚕は衰退し、ついに三十三年には桑園の整理策が打ち出されました。つまり、桑をこいだ農家には補助金を与えるという制度が設けられたのであります。このころにいわゆる、先ほどの局長の御指摘のような、いろいろな委員会の意見が出たと存じます。
 しかるに、三十五年後半には、経済の高度成長に伴いまして、国民の消費生活に変化を来たし、絹が衣料原料として最もすぐれた性質を有するので、成人式の振りそでとか、結婚式のけんらんたる式服、一般婦人の着物、男子の着物というように大いに用いられまして、生糸ブームが生じまして、生糸の需要は激増いたしまして、いまでは国内生糸の不足を来たしまして、四十三年度においては中共、韓国等から、原糸で二万俵、織物で二万俵の輸入を見るに至ったのであります。
 そういうようなぐあいに、先ほど大臣も御指摘のように、非常に変化に富んだのが蚕糸業でございます。それから、大臣も先ほどの御指摘のような、いわゆる総合農政でありまして、米作を中心の農政からして、畜産とか、あるいは果樹園芸とかいうような、こういうものを大いに盛んにするというような総合農政の立場において、少しく申し上げたいと思います。
 本年は総合農政の第一年目であります。養蚕は、三十五日ぐらいで十万円、二十万円、あるいは五十万円という農家に現金収入が入るのでございます。しかも春、夏、秋、晩秋と、四回も飼育ができまして、農家の収入を得る最適の産業の一つであります。養蚕主要県である、二万五千二百五十二トンを生産する群馬県、一万六千トンの長野県、一万二千八百二トンの山梨県、一万二千八十一トンの埼玉県、一万一千六百四十五トンの福島県の五県をはじめといたしまして、全国で養蚕をやらないのは北海道と大阪府だけでありまして、あとの四十数県においてはそれぞれ養蚕をやっておるのでございます。したがって、総合農政として、やはり養蚕の農家に収入を得るという道につきまして各県とも考えまして、ことしは養蚕が非常に盛んになる大勢にあるのでございます。
 中共、韓国の安い、粗悪な生糸に対抗しまして、内需を満たすためには、ますます省力化した、能率ある、安全なる養蚕を振興せねばなりません。そのためには専門の指導者が必要であります。今日、事実上の指導者養成機関は上田繊維農学科をおいてはほかにないといっても過言ではないのであります。
 現に長野県では、上田出身者のみを県庁に採用しまして、長野市にあった蚕糸試験場の本場を本年からは上田市の支場にこれを移しまして、上田市を本場といたしまして、松本、飯田の支場とともに、上田の繊維学部の研究成果をかりながら、蚕糸振興に取り組もうといたしておるのでございます。
 養蚕衰退期に七人委員会の意見と称しまして、上田市と京都を東京農工大に合併しようとして、京都に強く反対され、上田に工学学科が四つになりまして、工学科の教授陣がふえまして、農学科をだんだん威圧してまいり、また、文部省は工学科には鉄筋の教室を新築しながら、農学科は五十九年の古教室に放置して、研究施設も旧態依然として、いわゆる兵糧攻めにする。だんだん予算をやらないでおいて、兵糧攻めにして、それで上田の教授陣に大学の意見を決定させよう、こういうようなわけでありまして、したがって農学科の教授陣もだんだん意気消沈して、繊維農学科の入学試験募集を本年限りとすることに、いやいやながら同意させられたのであります。実は、先ほどまだ決まってないと言われましたけれども、すでに本年だけ入学試験をして、来年から休止して、四年後には上田はもう自然消滅、こういうことに文部省は現に実施に移っておるのでありまして、上田の繊維学科をすでに指導しておるのであります。ひさしを貸しておもやを取られるということわざがありますが、工学科の教授も、将来夢見の悪い思いをさせる結果を招来することは、はなはだ遺憾と存ずるのでございます。
 幾度も申しましたように、大学の自治に政治が関与することは慎むべきでありますが、養蚕振興に果たす上田繊維農学科の使命の重大なるにかんがみまして、地方の声を反映する意味において、先ほども申しましたように、今回群馬、長野、埼玉、山梨、福島の五大養蚕県の衆参両院の七十二名全部が、超党派的な立場において上田繊維学部の存続を要望するところの、そしてまた建物も新たにコンクリートのものを建てて、それから研究費も、施設も充実をするということを、文部大臣に要望書を提出しておるわけであります。
 次に、カリキュラムの問題についてでございますが、大臣も先ほどお話しのように、カリキュラムについては、やはり全体的に、総合的に考え直す必要もあるのじゃないかというお話がございましたが、上田、東京、京都をそれぞれカリキュラムを比較いたしてみまするに、大同小異でありまして、大なる相違はありません。
 それは大学設置基準に基づき、大学設置の際に、文部当局が十二分の検討をされた結果でありますから、当然のことと存じますが、ただ、上田に不足するのは放射線生物学がないということであります。
 ここで考うべきは、大学の最初の二年の期間を教養課程にいたして、そして一般教育科目を教えまして、後半の二年に専門科目を教えるいまのやり方はどうかと思われるのであります。高等学校から大学に入学して、高等学校の延長のような教養科目を教えられるよりも、当初から専門の科目を教えて、「おれは大学に入ってたんだぞ」という自覚を学生に持たせるようにしたならば、今日の大学問題も幾分様相を異にするのではないかと存じます。人心をしてうまざらしめないようにくふうすることがなされなければならないのでございます。
 専門科目と教養科目を四年間に適当に割り当てる必要があるのではないか、これについて坂田文部大臣の御所見を承りたいと思います。
#15
○坂田国務大臣 カリキュラムの問題につきましては、現在中教審におきまして御検討をいただいております一つの課題でございます。一般教育と専門教育との関係でございますが、最近の一般的な研究の結果、これは中教審ではございませんけれども、いま御指摘になりましたような、専門教育にもう最初から入って、そして四年を通じた一つのカリキュラム構成というものも、現にたとえば一橋大学等においては行なわれておるわけであります。少し異なるかもしれませんけれども、お茶の水大学では総合コースというやり方もやっておられます。その成果はかなり上がっておるように聞いておるわけでございます。ただ、これを全部に当てはめるかどうかということについては、ただいま申しますように、中教審の答申を待ってこれは考えなければならないというふうに思っておるわけでございます。
#16
○羽田委員 どうもありがとうございました。そういうような方針をぜひ再検討していただきたい。こう存ずる次第であります。
 以上、いろいろ論じてまいりましたけれども、結論としまして、文部省当局案として、上田繊維農学科を廃して東京農工大学に移管をするという考えを――大学局長は、そういうことはまだ決してないと言うけれども、事実は、もう現に宮山科学官が上田に去年の秋に出かけまして、文部省の方針はすでにきまっておるからといって指導をしている事実があるのでありますが、これについて坂田大臣に、さらに最後の御決定というか方針を承りたいと存じます。
#17
○坂田国務大臣 先ほど来、局長も私も申し上げておるわけでございまして、やはりこういうような決定につきましては、地元の方々、それからまた大学側、それからわれわれ、やはり三位一体よく相談をして、納得のいく形できめなければいけない問題だと思います。
 それからもう一つは、先ほど冒頭に申し上げましたように、新しい大学というものが求められておる。そういう形の中において、この信州大学はどういう位置づけになるのかということについても、やはり大学当局自身が、もう少しよく全学的な意見決定をなさらなければ最終的にはきまらないと私は思うのでございますので、これから、超党派的に御要望もございますことでございますし、この辺のところもわれわれのほうにいろいろお話をされますと同時に、地元の方、あるいは国会議員の方々が、信州大学自体に対して、ひとつ御協力あるいは御要望を賜わるならば、大学としてもやはり考えていくのではないかというふうなことを考えておるわけで、私どもといたしましては、先ほど来申し上げているようなことでございますから、これに対しましては慎重に対処して、やはり信州大学の養蚕というものが歴史を持ち、そしてまたこれから先、総合農政の一環としての農家の収入の一つの非常に大きなものになっておるということも考えて、これに対処してまいる所存でございます。
#18
○羽田委員 文部省のお役人の団体である大学設置問題研究会というものが出しております「大学設置の手引」という書物があるのであります。これによりますと、
 第一に複合学部は原則として認められない。すなわち繊維学部として工学科と、それから農学科を二つ複合するようなことは認められない。すなわち一学部より工学士と農学士を出すということは認められない、こういうことであります。
 それから第二には、単一学科だけで学部をつくることは、限られた場合にしか認められない。単一学科だけでは一つの学部をつくるということはできない。こういうことが書いてあります。
 それから第三には、三つ以上の学科がなければ一学部として認められない。というような、この三つの条件が内容に書いてあるのであります。
 すなわち、上田繊維農学科を中核にいたしまして一つの学部をつくっていただきたいと考えるのであります。つまり現在の繊維学部を廃止しまして、新たに繊維工学部と繊維農学部の二つの学部を新設していただきたいのであります。
 しろうとの私の考えですが、御参考に願いたいのでございますが、繊維農学部としては、繊維農学科のほかに、農業荘本に基づき、いわゆる果樹園芸学科というのを一つ、それから農業経済学科というものを一つ、合わせまして三学科にして繊維農学部あるいはかりに蚕糸園芸学部というような学部でも置いていただけたらどうかと存ずる次第であります。
 というのは、先ほども大臣は、やはり研究の成果を地方に還元するというお話がございましたが、信州はリンゴとかナシ、桃、ブドウ、カキ、クリ、菓子グルミ、アンズ、スモモといった特産物の果樹が非常に豊かでございます。また、菅平の白菜、キャベツ、レタス、アスパラガスというような高原野菜、それからビニールハウスのトマト、キュウリ、イチゴ、桑の苗の促成芽があります。それから花というようなものが上田近郊では盛んに栽培されておるのでございます。ここに大学の研究の結果が地方の産業に貢献できればいい。今度は学問の基礎の裏づけをきちんとしたら、これらの産業の振興が、どれだけできるかと夢を見ておるのでございます。この新学部の構想は、上田繊維学科と御相談をいただき、それから農林省の蚕糸園芸局とも御相談をいただき、大学学術局において十分御検討をいただきまして、できればこの学部を新しく創設をしていただきたい、こう考えるのでございます。これは三年計画ぐらいでけっこうでございますが、新学部設置について、坂田文部大臣の御所見を承れれば幸いでございます。
#19
○坂田国務大臣 いろいろ示唆に富んだ御指摘があったわけでございます。われわれも研究をいたしたいと思います。また同時に、やはり先ほど来申し上げますように、信州大学自身が、あるいは上田繊維学部自身がどういうふうに考えていくかという自主的な大学の考え方というものをまずやはり考えていただかなければならぬのじゃないか。それに対しまして、ひとつどうぞ超党派的にそういう御要望を大学側にもお示しいただくことが、先生のおっしゃるようなことにもつながっていくのではないかというふうに思うわけでございます。私どもといたしましても、十分検討に値する問題であるし、国民のための新しい大学というものがいま求められておるやさきでございまするから検討していきたい、かように思います。
#20
○羽田委員 たいへんありがたく存ずる次第でございます。ただ、地方の大学の教授というものは、文部省の意見がどこにあるか、その意見がもとにおいてきちんとしたところの御意見があって、それによって大学の教授の意見がおのずから定まってまいるというわけでございますから、何といっても指導力は文部当局にあるのでございます。ことに文部大臣を中心にしての文部当局の意見というものが、結局地方に反映していく、そうしないと、こんなものを予算要求をたとえばしてもどうかというように、大学の教授連中がしり込みをしてしまうおそれがあるのでございます。そういう意味において、まず文部当局の根本的な御所見を大学にお示しをいただく、それから先ほどの大臣の御指摘のように、われわれ超党派的に大学当局にも働きかけていく、こういうようなふうにやって、まず文部省が第一に方針をおきめいただくということが必要なことであるということを、ひとつ御留意をいただきたいと存ずるのでございます。
 最後に、上田繊維学科は明年六十周年を迎えるのであります。還暦になるのでございます。記念事業といたしまして、上述のごとくに、新学部をつくることがまず第一。それから次に、来年度予算要求にあたっては、信州大学の申請したときにおいては、上田繊維農学部を開設すること。それから繊維農学科の教室または研究室を鉄筋に新築をお願いしたいということ。それから現在信大のカリキュラムで欠けております放射線生物学研究室等を設置するようにいたしまして、研究施設費の増大をお願いをいたしたい。この点について十分御高配をいただきたい、こう存ずるのでございます。これについて文部大臣の御所見を承れれば幸いでございます。
#21
○坂田国務大臣 その点につきましては予算要求の段階において十分考えてまいりたいと存じます。
#22
○羽田委員 なお、新学部の教授、助教授、講師、助手の選考にあたりましては、広く学界を見渡して、新進気鋭の優秀なる人材を御選択をいただいて、それで最高の陣容を整えていただきたいのでございます。これについて大臣の御所見を承れれば幸いでございます。
#23
○坂田国務大臣 その点につきましても、もう少し検討してみなければならないかと思っております。
#24
○羽田委員 以上でございますが、幸いにして大臣の御親切なる御答弁を種々お聞かせをいただきましてありがとうございました。
 なお、委員の皆さんもたいへん長い間、私の愚見をお聞き取りいただいたことを心から感謝をいたし、委員長並びに理事の皆さんにもありがたく感謝をいたして、私の質問を終わる次第でございます。(拍手)
#25
○大坪委員長 斉藤正男君。
  〔委員長退席、高見委員長代理着席〕
#26
○斉藤(正)委員 私は、ここ一、二年の間に続発をいたしております愛媛県教育界の不祥事件に関通をし、かつ、四国の全体にわたって教育の正常化がそれぞれの立場で提唱されている今日、大臣以下関係者にその事態と今後の対策について伺わんとするものでありますけれども、まず第一に、最近愛媛県におきましては、いわゆる土居町の校舎損壊事件、鴨川中学の暴力事件、教育関係者の参議院選挙の違反事件等々続発をしておるわけでありますけれども、まず伺いたい点は、土居町の校舎損壊事件、これは一体どういう事件であったか、御承知でありましょうか。
#27
○宮地政府委員 所管は施設で管理局の問題でございますが、小中学校の関係でいろいろ教職員の問題ございますので、私から答弁さしていただきます。
 いまの御質問の点につきましては、私どもも概況は承知いたしております。すなわち、土居町の土居小学校、関川小学校、土居高等学校で、老朽校舎の指定を受けるために校舎の柱など数本を大工などを使って切断損壊させるといったような事件が四十二年十二月に起こりました。同町教育長、校長、教頭などの関係者が建造物損壊容疑で四十三年の十一月に逮捕されたという事件でございます。
 この件につきましては、文部省といたしましては、かねて、この倒壊さしたものに対してではございませんで、三十八年の調査で、これらの学校がすでに文部省で考えます老朽危険の部分が八百八十九平米もあったということでございまして、これらの学校ではその三十八年の調査以後、そのときの調査では危険と指定されなかった部分も一緒に改築の対象にするために、危険度を高めるためにそのような不正な作為を行なったということでございます。その後、管理局でも事情を聴取いたしますとともに、現地にも係官を派遣いたしまして、その損壊個所を修理することを命じて、このようなことのないようにいたしました。
#28
○斉藤(正)委員 鴨川中学の暴力事件はどのように把握をされておりますか。
#29
○宮地政府委員 鴨川中学校の件でございますが、これも一応事情は、私どもが知り得ておりまする限度で申し上げますと、松山市鴨川中学校の三年生三人と二年生五人が、教師に反抗したり暴行を働くといったような問題がひんぱんに起こりまして、学校の指導体制が問題になって、市教委では家庭、地域、学校が協力体制をつくるように努力いたしておる次第でございますが、いま申しました三年生三人につきましては、昨年十月二十八日に家庭裁判所に通告し、少年鑑別所に送致し、試験観察をするということで鑑別所に行っているというのが一応の概要でございます。
#30
○斉藤(正)委員 参議院選挙のときにおける教育関係者の選挙違反事件は、どのように把握をされておりますか。
#31
○宮地政府委員 昨年七月の参議院選挙で、福田候補の選挙につきまして、県教委、市教委の職員やその他一部の教職員に選挙違反の事実があったということで、愛媛県教組その他の方から地検に告発されましたが、証拠不十分として、起訴にはならずに不起訴になりました。なお、告発人はこれを不当として検察審査会へ再審査の申し立てをしておるという状況でございます。
#32
○斉藤(正)委員 その福田何がし候補の前歴は御存じですか。
#33
○宮地政府委員 存じております。
#34
○斉藤(正)委員 言ってください。
#35
○宮地政府委員 経歴、あまり何年何月にどこといった程度のことは不十分でございますが、もと文部省に長くおられて、最後は文部事務次官をされて退職された方でございます
#36
○斉藤(正)委員 今回松山教育事務所の所長が、人事異動に際して収賄をした。また、教科書の採択にあたって収賄の事実があったということで、ゆれ動く愛媛県教育界の重大な一つの事件として、現地でもあるいは国全体の教育界としても重要視されている問題でありますけれども、この松山教育事務所の所長の収賄事件といったようなものがどういう内容のものであるかお聞かせ顧いたい。
#37
○宮地政府委員 いまお尋ねの件につきましては、当人が現在逮捕されてもおりますし、いずれ司直の手によってその詳細は明らかにされると思いますので、一応私どもが連絡、報告を受けております概要について申し上げますと、前の松山教育事務所長篠原祐一は、昨年の三月の教員異動に際しまして、昨年二月当時上浮穴郡小田町立田渡中学校の教諭をいたしておりました渡部晴年と同町立田渡小学校の教諭をいたしておりました渡部教諭の妻、この両名が、僻地の関係もございまして、松山市周辺に転任したいというかねて希望を持っていたというような状況でございましたが、その事情を住田という教諭に渡部という教諭がお願いをした。住田教諭から前の篠原所長にその旨をお願いし、またギフトチェックを贈ったということがございまして、まあ贈ったから転勤さしたかどうかの因果関係は別としまして、渡部晴年夫妻はその後松山市外の小、中学校に転勤がなされておるということでございます。ちなみに篠原は、そのようなことがうわさになった関係でございましょうか、昨年十二月住田教諭を通じて渡部教諭にもらったギフトチェックは返却したということのようでございます。ただ篠原前所長は、ことしの一月十四日に病気の理由で退職を県教委に申し出、県教委としては退職をさせておるということでございます。その後住田、渡部夫妻の教諭三名は、以上のような点が明らかになりまして三月十五日に逮捕され、三月二十日に県のほうは依願免職という措置をとっております。
 あわせて、この事件で篠原が逮捕されましたが、その取り調べ中におきまして、教科書の採択に関しまして同人が収賄したということが判明いたしております。贈賄いたしましたのは、もと愛媛県の教員、当時の小学校長でございました、大阪書籍の駐在員をしている人から篠原前所長に同じく金品が贈られたということ。篠原につきまして、いまの人事問題と大阪書籍の駐在員から金品を受け取ったというこの二件でいま逮捕され、調べられておるということでございます。
#38
○斉藤(正)委員 大阪書籍からあるいはその駐在員から受け取った収賄の金額は何ほどですか。
#39
○宮地政府委員 十万円と聞いております。
#40
○斉藤(正)委員 いま概括的な答弁をいただいたわけでございますけれども、この松山教育事務所長であった篠原祐一なる御仁、この人の経歴については多少御調査でありましょうか、あるいは愛媛県教育委員会からその経歴について報告がございましたか。
#41
○宮地政府委員 同人は愛媛県の師範学校を卒業し、小学校の教員等を歴任して、同時にその後教育委員会の職員も長くやっておった。現場の教師と教育行政と両方を愛媛県下で今日まで長くやっておった人物のようでございます。
#42
○斉藤(正)委員 そこで伺いたいわけでありますけれども、この篠原所長の収賄事件の発端は、先ほど説明のあった教職員の人事異動に伴う収賄でありますけれども、私が伺いたい点は、この篠原所長の行動につき一月の十四日愛媛県教育委員会は臨時委員会を招集いたしまして、篠原所長の進退につき議題としてはかったわけでありますけれども、この際、すなわち一月十四日の時点で、篠原所長の収賄のうわさあるいはその他のうわさについて愛媛県教育委員会はかなりのことを知っていたというように思うわけでございますが、その辺の経緯について、文部省はどのように愛媛県教育委員会から報告を受けられておるのか承りたい。
#43
○宮地政府委員 私どもが県教委から連絡を受けております点は、住田、渡部教諭等の依願免とは多少事情を異にしまして、事実本人が健康の理由でやめたい、教師も、また教育行政官としても長かった同人の経歴から、病気を理由にやめたいということで、そのことを信じて依願退職にしたというふうに聞いております。
#44
○斉藤(正)委員 表向きそういうことになっているようでありますけれども、その後の事件の発展に伴い、竹葉県教育委員長の発言あるいは教育長の県議会における答弁等々を詳細に調査をいたしてみますと、こういうことになっておるのであります。すなわち竹葉教育委員長は、ほかの委員も言っておりますけれども、一月十四日の臨時委員会で、篠原が病気のため年度末の人事異動など激職にたえない云々との退職理由の説明があったほかに、「気にかかることもあるので」、こういうことを言っているのであります。さらに県議会における教育長の答弁では、「いささか反省すべきことがあることが察せられたので」、こういう発言がされて、これは議事録にも載っているわけであります。病気で激務にたえない、これを了として退職させること、あるいは教育事務所長の職をやめることを認めたことはわかりますけれども、「気にかかることもあるので」とか、「いささか反省すべきことがあることが察せられたので」、こういう正式な発言をされておりますけれども、いささか気にかかることとか、いささか反省すべきことがあることが察せられた、これは一体何をさしておるのか。愛媛県教育委員会の教育委員長でもないし教育長でもございませんから、局長答弁がしにくいと思いますけれども、気にかかることもあるのでとか、反省すべき点もあると思われるのでとかいうことは何を意味しておったのか、局長の見解はいかがでございますか。
#45
○宮地政府委員 私ども詳細を承っていないのですが、いまお尋ねの件、斉藤先生が先日現地に御調査に行かれましたときの御調査に関連してのことと思います。詳細な報告を受けていませんが、いまの点につきましては、そういうお尋ねがあった、しかし、自分は気にかかるようなことがあるということは言った覚えはないということを県の教育長が答えたということを、県の係官が地方課のほうへ大体の報告をしてきたときに言っておったようでございます。したがいまして、私、あとからいろいろ問題を勘案いたしますと、その後篠原前所長は逮捕されてもおりますので、あとからいろいろ思い合わしての言であろうかと思いますが、私、詳細をつまびらかにいたしませんが、いまのお尋ねに対して、県の教育長が言ったのは、そういうことは言っていないという報告が電話で来ておるようでございます。
#46
○斉藤(正)委員 前者は了とするとしても、後者の県議会議事録に掲載されている「いささか反省すべきことがあることが察せられたので」というこの「いささか反省すべきこと」とは何をさしておられたのか、推量できますか。
#47
○宮地政府委員 一般論でございますれば、いろいろ先生のお尋ねに対して私も一般的な感じとしてお答えできるわけでございますが、問題が具体的な、逮捕され、いずれ起訴され司直の手でさばかれるという事件でもございましょうから、一般的な感想めいたものは差し控えさしていただきたいと思います。私はそれ以上その状況を承知いたしておりませんので、以上で御了承いただきたいと思います。
#48
○斉藤(正)委員 愛媛には五つ教育事務所がありますけれども、松山教育事務所というのは最大にして一番の中心的な教育事務所で、この松山教育事務所の所長の篠原祐一氏がこういう形で依願免になったという人事の事実は未発表であって、報道関係にも一切知らされなかった。そうして事件が発覚をして司直の手が延びたという段階で、篠原祐一氏が一月の段階で教育事務所長を退任されているという事実が明らかになったのであるがこの人事を秘密裏に行ない公表もしなかったという背後に、何か私はうしろめたいものを感ぜざるを得ないわけでございますけれども、局長、どのようにお考えでございますか。
#49
○宮地政府委員 一般的には、当人のその後の逮捕されたというような事情をあわせ考えますれば、いま先生のお感じになられたような気持ちも一般論としてはいたしますが、それ以上の報告を私具体的に受けておりませんので、それ以上お答えするのもいかがかと存じます。
#50
○斉藤(正)委員 これはあなたのお考え方を聞いておるのです。一月十四日の臨時委員会で、秘密会議で篠原所長の退任をきめて、その後の異動につきまして一切発表をしていない。しかもそれが一小学校長の人事だというなら私もわかりますけれども、中途の任用なり退官ということは。愛媛県で一番中心地で一番大きな教育事務所長の退職につき、事の理由はいかんにしろ、秘密裏に事を運んで、一切公表しなかったということについて、事実を知らぬから何も申し上げられませんというんじゃなくて――私はいま事実を教えてあげているんですから、そういう事実があったんだから、これは間違いないのです。そういう秘密裏の人事のやり方についてはどうお考えですかと聞いているのです。
#51
○宮地政府委員 一般的に、教育事務所長が依願退職をする場合に隠す必要はないと思います。したがいまして、隠すつもりでそれを公表しなかったとすれば、これは事の理由は別としまして、隠すべきことでもない普通のことを公表しなかったとしたら、これは適切なやり方ではなかったと思います。
#52
○斉藤(正)委員 退職をした篠原祐一氏は、一月二十二日にすかさず退職金の請求の手続をとりました。四月四日には全額支払い済みになっておるわけでありますけれども、この依願退職という措置について、当時の状況としてはやむを得なかった措置だというようにお考えなのか、それとも、当然当時いろいろにいわれておった事実もあるわけでありますけれども、一体この依願退職という退職のさせ方、しかたについて、文部省としてどのような見解をお持ちでありましょうか。
#53
○宮地政府委員 一般論と、具体的なこういう問題についてのお答えは、やはり一がいにはいえないと思いますが、一般論といたしましては、懲戒事実がある、しかも当然免職をさせなければならないというほど明らかな事実があるのに、依願退職させるということは適切なことではないと思います。しかし、懲戒事件として扱います場合に、これは停職もございましょうし、減給もございますし、戒告もございますし、いろいろございましょうから、そういったような処分を受けるよりも、前非を悔いて、自分はもうやめたいというような、そういう考え方の場合もありましょうし、(「もっと真剣に答えなさい」と呼ぶ者あり)私、真剣に答えております。したがいまして、一般的な場合に、懲戒免職に当たるべき事実がはっきりしておるのに、これをことさらよけて依願退職させるというようなことは私はよくないと思います。
#54
○斉藤(正)委員 県議会の議事録を見ますと、「いささか反省すべきことがあることが察せられたので」ということは、教育委員会は当時すでにこのことを知っていた。愛媛県教育委員会から、私が調査に行ったことをつぶさに文部省に報告があったようでありますけれども、なるほど三月十八日の毎日新聞に、竹葉委員長はじめ各委員の発言が載っておるわけであります。その記事によれば、一月十四日の臨時委員会で篠原が病気のため年度末人事の異動などの激職にたえないから云々との退職理由の説明があったが、ほかに気にかかることもあるのでとのことばがあった。それから県議会では、「いささか反省すべきことがあることが察せられたので」ということが正式の議事録に載っておるのです。したがって、私どもとしては、県教育委員会は当時すでに篠原祐一氏の不正事件がほぼキャッチをされておったと判断をする。その際に、病気だということで依願退職を認めたということ自体が、非常に大きな問題であるというように考えざるを得ないわけでありますけれども、最後の答弁で、もし当時そのようなことが察知をされておって依願免の措置をとったことは不都合だ、こういうように局長は言われたわけでございますが、これは処分は遡及をしないという原則から考えて、地元教育委員会も、遡及して退職金を没収するぞとか、あるいは依願免を懲戒免にするぞとかいうようなことはできないという判断に立たれておるわけでありますけれども、行政上、法律上、そのような措置がもしかりにとれないとしても、道義上はきわめて重要な問題だというように思うわけでありますけれども、局長の見解はいかがでございますか。
#55
○宮地政府委員 ほぼ先生と同趣旨のように感じております。
#56
○斉藤(正)委員 このことは実は篠原祐一氏の問題だけでなくて、たとえば三月十六日の毎日新聞愛媛版によりますれば、篠原がまだ松山教育事務所の管理主事をしていた昭和三十六、七年ごろから身辺にとかくのうわさが出ていた。教員の異動期が近づくと門前市をなす盛況ぶりだったという。こういうことで先ほど篠原氏の略歴について伺いましたけれども、彼は二十八年四月宇摩郡の教育事務所を振り出しに管理部門に入りました。三十二年二月西条教育事務所管理主事になり、そして三十六年松山教育事務所の管理主事になり、三十八年四月に八幡浜教育事務所長に転任をされ、四十二年四月から松山教育事務所長になった人なんです。この松山教育事務所の管理主事をやっていたころ、すなわち三十六、七年ごろからいま言ったような状態が続いておったというわけである。こういうことから考えましても、私は、まずこの人事を秘密委員会で決定をし、一切の公表を避け、できることならばくさいものにはふたをして逃げようというように考えた県教委の態度はまことに卑劣であり、まことに間違いを起こしているというように思うわけでございますけれども、三十六、七年ごろから教員異動期には門前市をなすような状態であって、物品が持ち込まれ、依頼が行なわれた。こういう事実があったとするならば、これはきわめて遺憾なことだというように思わざるを得ないわけでありますけれども、局長の見解はいかがでございますか。
#57
○宮地政府委員 斉藤先生のおっしゃいますことが事実でありますとしますれば、お説のように私どももまことに遺憾なことだと思います。
#58
○斉藤(正)委員 これも地元の記者から聞いたことでもありますし、また記事にも出ていますけれども、松山市の有名校は父兄の贈りもの合戦で有名だ、金品をその筋に贈って有名校に転勤しても、その分は一年間で取り返せるということらしい。こうした教育界の風潮が今度の汚職を誘発した。いいですか、三年前にすでに校長、教頭になるには十万円、辺地からの転勤には五万円、その他便宜をはかってもらうためには三万円という相場が半ば公然と先生たちの間でささやかれていた。愛媛県教職員組合を脱退しない組合員には見せしめのために十年以上も辺地をたらい回しさせられている者がざらにいる。十数年来家族と別居生活をしいられている人も多い。そこが問題ではないのか。裏返せば一部の不心得者のしわざという本質をすりかえて逃げる感じだ、反省の色少しもないというような記事が載っているわけでございまして、この背景はきわめて重要だと思うわけでございます。
 なぜこのように愛媛県の先生方が、異動にあたっては金を使うしかない、地域のボスを使うしかないということにまで追い込められたかという理由は、一体那辺にあるのであろうかということを私は実は調査をいたしたわけでございますけれども、いま申し上げましたようなことが特に松山市を中心とした教育界の常識だというようなことが堂々と新聞に載っているのに、教育委員会もこれに対して何らの抗議も何らの抵抗もしてない。まことに奇妙な姿だと思うわけであります。私は、権威ある県教育委員会、自信を持った県教育委員会ならば、このような記事が連日新聞をにぎわす場合、あえてその証拠を示せ、その事実がどこにあるかということで厳重に抗議をし、記事の取り消しを要求されても当然だと思うのでありますけれども、何にも言ってないのであります。この裏には、やはり教育委員会みずからが事実を事実として認めておるがために抗議ができない、抵抗ができないということであろうと思うわけでありますけれども、プレスとの関係で、局長一体この記事をどのように把握をされ、どのようにお考えでありましょうか。
#59
○宮地政府委員 そのような異動にからみまして金品が贈られるのが通り相場になっておるというような風潮が事実であるといたしますれば、これはまことに重大な問題だと思います。ただ、これは私個人的な感情で恐縮でございますが、それがすべて事実であるとは信じたくもございませんし、また、それが通り相場で、そうしなければ全く異動ができないということは想像がつかないわけでございますが、ただ、それに対します県教委が抗議云々ということ、私も考え方によりましては先生と同じような考えを持ちますが、憶測いたしまするに、篠原氏のようなこういう問題が起こったときに、そういうことを言われることに対しましては、一つの非がクローズアップされておりますから、同じようなことを言われても、それに抗議するということはまだ反省が足りないというようにかえって世論から言われるおそれもあるし、そういうようなことで、そこまでいわれることはあまりにも事実に反すると言いたい気持ちは県教育委にあると思います。しかし、篠原氏のこの問題にからんでそういうことがいわれる場合には、何としても篠原氏のやったことは悪いことですから、それを抗弁するかのごとく逆にとられてもという、そういう配慮が県教育委にあるのではなかろうか、これは私一人の想像でございますので、ただ感じでございますが、いずれにいたしましても、おっしゃいますようなことが事実であるとしますれば、これはただ形式的に、事情を調べて善処しますといったおざなりのことでなくて、ほんとうに心から真剣にその問題は事実かどうか、また、そういうことについての指導ということは厳正にすみやかにやる必要があると思います。もちろん、こういう問題が起こるということは指導以前の問題で本人の心がまえがまず第一であろうと思います。そこまでみんなの気持ちがゆるんでおるとは私は信じられませんが、いずれにしましても、おざなりな調査とか指導とかいうことではなくて、いま先生のおっしゃいます点は十分県にもただし、今後の綱紀粛正ということにもいかなければいかぬと思いますが、同時に、先ほど先生御指摘になられましたように、篠原氏が教育事務所長を長く、しかも教員の人事を扱う管理主事の職歴があまりにも長かったというようなお話もございましたが、そういった面では行政上の問題として、人事行政をやる場合の組織機構、こういった点もももちろん今後十分検討しなければならぬというふうに考えます。
#60
○斉藤(正)委員 文部省は昭和四十年一月二十六日、僻地学校に勤務する教職員に対する特別昇給の実施について、という初中局長通達を各都道府県教育委員会に出しておりますけれども、愛媛県が僻地を多くかかえている中で、僻地勤務の先生方に対してどのような特別昇給の措置をとってきたか、御承知でありましょうか。
#61
○宮地政府委員 いま御指摘になられました四十年一月二十六日に出しました初中局長通達でございますが、この趣旨に従いまして今日まで僻地の特別昇給等は扱いたいという気持ちで指導をいたしております。具体的に申しますれば、僻地の中に勤務をするということは、一般の平地に勤務するよりも、とかく日本人の心情として、いろいろ不便なこともあるといったようなことから、普通の人があまり進んで行きたがらない場所でもございます。しかしながら、逆に僻地の教育こそ、いろいろ教育環境にめぐまれておりませんから、平地の教育以上に教師が努力をしなければならぬといったような、非常に識務の実態、責任も強いと思います。そういうようなことを勘案いたしまして、大体特別昇給は従来から職員総数の十分の一の範囲内で行なわれるようになっておりますが、その場合に、僻地勤務教員は、その十分の一の範囲内の数の三分の一くらいは特別昇給の対象にしてやるべきである。また一定年数、大体三年に一度くらいの特別昇給を考えてやるべきではなかろうか。もちろん、ただ僻地に行ったということだけで、それだけで機械的に特別昇給をするということになりますと、僻地に行って、極端ですが、十分な教育もしないで三年たてば特別昇給ということも起こりますから、おのずから勤務成績ということも当然考えるべきでございますが、そう
 いった指導をいたしております。
#62
○斉藤(正)委員 勤務評定ということばもありますし、出てきたわけでありますけれども、その勤務評定の結果、評定点数の低い者を僻地へ赴任をさせる。この傾向については全国的な傾向なのか。文部省がよもやそのような指導はしていないと思うのでありますけれども、もし勤務評定というものが客観的に行なわれているとするならば、その勤務評定を参酌をして、僻地の教育を振興するという立場に立つならば、当然優秀な教員を僻地に送るというのが僻地教育の振興だというように思うわけでありますけれども、いま局長のことばの中に、僻地へ行ってもろくな教育もしないというような者には特昇はない、これはどこにいたって同じことでありますからわかるわけでありますけれども、しかし、勤務評定の結果、評定点数の低い先生方を僻地へ送るという異動が現実に行なわれているとするならばきわめて遺憾でありますけれども、一体全国的に見ても、あるいは特に愛媛においてそういう傾向が強いのか弱いのか、局長、一体どういうように把握をされておりますか。
#63
○宮地政府委員 僻地には勤務成績の悪い人を送るのだ、いわゆる島流しで、何か刑にでも処するというような気持ちで人事行政をしておるとすれば、これはたいへんな間違いだと思います。したがいまして、私どもの気持ちとしますれば、勤務成績のいい人でなければ僻地教育は十分な効果はあがらないと思います。したがいまして、僻地には勤務成績の悪いのをやるのだということを一般原則にしておるとすれば、これは間違いである。また、愛媛県としてそのような勤務成績の悪い者は僻地に送るのだというようなことはとっていないと思います。ただ、全国的に日本人のこれは性分、性格でしょうか、ヨーロッパなどではそうではなくて、進んで僻地教育に行くという希望者、僻地の教員需要よりも希望者のほうが多いというように聞いておりますが、日本ではとかく僻地のようなところへ行くのはあまり好きでないというような気持ちが一般的にございます。したがいまして、そういうことも勘案しまして、学校の先生がつとめられる過程において、いろいろな基準はありますが、一度は僻地をみんなに経験してもらおうといったような考えで人事をやっておられる県は相当あるように思っております。愛媛県だけ特異なということは私聞いてもおりませんし、そうあってはならないというふうに考えております。
#64
○斉藤(正)委員 まさに原則的にはそのとおりだと思いますけれども、現実は、たとえば夫婦別居でなければ学校勤務ができないというような異動、さらに乳飲み子を置いて赴任しなければならないというような女教師、さらに僻地の間を僻地から僻地へとたらい回しというようなことで、三年どころか五年、七年、十年たっても平たん地へ帰ってくることのできない異動、これが数えることのできないほどたくさんあるわけであります。一体文部省としては、いまもお話がありましたけれども、どの先生でも僻地教育の経験をされることが長い間の教育生活の上でいい経験にもなるし、また僻地教育を経験しないような者は教頭にも校長にも抜てきをしないというくらいの基本的な考え方というのは、従来から聞いてもおりましたし、どこでもやっていることなんですけれども、大体僻地に何年つとめれば平たん部へ帰れるのが普通なのか。もちろん、都道府県の実情によって違う点はあるかと思いますけれども、どのようなものさしが人事異動の方針として望ましいというようにお考えなのか、局長、見解はいかがでございますか。
#65
○宮地政府委員 今日どの程度僻地に勤務しておるかというような詳細な実態調査はいたしておりませんが、大体県におきましては三年くらいを目安にしておるのが一般的な基準のようでございます。ただ本人が、三年くらいではなくて自分は生涯僻地の教育をやりたいのだといったような僻地教育の熱情に燃えておられる先生もございますから、そういう先生はまた希望をかなえるのでしょうが、十年もいてもなおかつ僻地から平地に帰してもらえないというようなことがかりにあるとしますれば、これはまことに適切なことではないと思いますし、本人がいやで平地に一刻も早くかわりたいのに、あまり長く在職させるというようなことがございますとすれば、そういうことはそうでないようにという指導はもちろんいたすのにやぶさかではございません。
#66
○斉藤(正)委員 文部省の見解と現地の実情はだいぶ違っております。私は、いま局長から答弁のありました、僻地の経験も三年は必要だ、三年いたならば平たん地へ戻すというのが原則的な考え方だというようなことについては、これを了とするものでありますけれども、Aという僻地に三年いた、当然平たん部へ帰れると思ったのに、今度はBという僻地へ異動されて、そこでまた三年たった、今度こそ平たん部へと思ったら、またCという僻地へやられた。これでは勤務する学校は三年ごとにかわるといたしましても、僻地勤務の合計は十年にも十五年にもなってしまう。しかも、それが僻地教育に非常に情熱を燃やし、僻地教育にたいへんな手腕を持っていて、平たん部はいやだ、一生僻地で暮らすのだという使命観を持った先生ならばいざ知らず、一刻も早く平たん部へ出たい。家族の関係もある、あるいは夫婦の関係もあるというようなことで、勤務地をかえたいというのに、僻地、僻地でたらい回しをされているというような事実が数多くあるとするならば、これは文部省の指導方針とは大きく違っているというように思うわけでありますけれども、局長はどのようにお考えですか。
#67
○宮地政府委員 人事異動につきましては、一がいにいえませんが、大体どこにおきましても一応の基準がきめられておると思います。そういった一般論といたしまして、基準にかんがみて人事をやる場合に、本人が一刻も早く僻地を出て平たん地に行きたいという希望が強いのに、いま先生から御指摘のように、本人を転々と僻地ばかりを回らせるというようなことは適切な人事行政ではないと思います。ただ本人の希望だけで人事をやるということはいろいろ支障がございますが、非常に長くそういうことが繰り返されるということでございますれば、もう少し本人の希望も勘案してやる必要は当然であろうかと思います。
#68
○斉藤(正)委員 私は、そういう文部省の指導方針があるならば、原則的な僻地教育の振興なりあるいは教育全般の振興という立場から、当然適切な指導と助言を行なってしかるべきだというふうに考えるわけであります。また、もしかりに成績の悪い問題のある先生があったといたしましても、これを報復的な意味で、僻地に島流しをするというような人事は人事の本道ではない。むしろ、それは平たん部のしかも指導力のある仲間や上司の中に入れて、その中でもし足らざる点があるならば是正をしていくべきだというふうに考えるわけでありますけれども、報復的な人事が僻地というようなことで行なわれているものとするならば、これはまことに遺憾であり、間違いだというように思いますけれども、この点についての見解はいかがですか。
#69
○宮地政府委員 いま先生がおっしゃいますように、文字通り報復のために僻地に異動させるといったようなことは、当然すべきことではなかろうと思います。
#70
○斉藤(正)委員 今回の松山教育事務所長の汚職事件は、愛媛県はかつて教員勤務評定の実施をめぐってたいへんな問題を引き起こした県でもあるし、現実に愛媛県の先生方は今日その大部分が愛媛県教育研究会という団体の所属であって、愛媛県教職員組合に所属する先生方は、全教員の一割にも満たないといったような実態にあるわけであります。しかも愛媛県教育研究会に所属をするならば採用をする。しかし愛媛県教職員組合に加入をするならば採用しないということまで明確に言明をして、新しい教員の採用にあたってのものさしにしているという事実もあるし、今日なおその傾向は強く残っているわけでありますけれども、いやしくも教職員がいかなる団体に所属をしようが、その処遇において、その待遇において差別をすべきではないというように考えるわけでありますけれども、今日の愛媛県教育研究会の実態、そしてまた愛媛県教職員組合の実態といったようなものを考えましたときに、採用の条件とし、異動の条件として、愛媛県教職員組合に所属している者が相変わらずひどい仕打ちを受け、そしてまた採用もされないというような実態に対して、文部省としてはどのように把握をされ、どのようにお考えなのか、局長の考えを聞きたい。
#71
○宮地政府委員 いま先生がおっしゃいましたような考え方で愛媛県が人事等をやっておるというように、私ども報告も受けておりませんし、そのようにも考えておりません。これは愛媛県のほうから私のほうへ送ってまいりました四十三年度末の教職員異動方針を見ましても、いろいろな観点から方針が書かれておりますが、その一つに「全県的な立場から適材の適所配置により教職員組織の強化と均衡をはかり、全人教育の徹底を期するる」という項がありまして、その中で「僻地、過疎等の教育困難地域における教員組織の充実強化につとめ、これらの地域の教育の同上発展をはかる」とあります。したがって、本人がたまたま組合の仕事をしていたとか、あるいは本人がそのように感じて、自分はそのために僻地へやられたといったようなふうにあるいは本人が考えるかもしれないといったようなことも具体的にあろうかと思います。しかしながら、県教委としては、先ほどから私が申しております一般的な考えと同じように、僻地、過疎等の教育困難地域の教育を充実したい、こういう方針で人事はやるのだということを基本方針の一つに掲げておりますので、少なくとも愛媛県の掲げておる異動方針からは、先生のおっしゃいますような点はうかがえませんし、また、この異動方針に基づいていろいろな報告、先生のおっしゃいますような考えで異動をしておるという報告は受けておりません。
#72
○斉藤(正)委員 天下に公表する異動方針に、愛媛県教職員組合に所属する者は僻地へやる、愛媛県教育研究会に所属する者は平たん部に戻すという、そんなばかはないですよ。実質的に愛媛県教職員組合に所属している者がより多く僻地に送られ、そして僻地をたらい回しされ、愛媛県教育研究会に所属する者は三年を待たずして平たん部へ戻される、あるいは条件のいいところへより多く配置をされるという事実がこれを証明しているのであって、何もそんなことを公表する、人事異動の要項に書くばかはない。事実がそうなんでして、私はその点を追及したいわけでありますけれども、局長の答弁としては、その辺しか言えないということも当然わかります。
 そこで伺いたいわけでありますけれども、愛媛県の教育界には、今日篠原所長の収賄事件だけではないと思うのです。いろいろな問題が起きておるのだけれども、教科書の採択にあたって、篠原所長が教科書会社の宣伝員と申しますか、駐在員と申しますか、その男からわいろをとった、この理由は一体どこからきていると思うのですか。教科書採択にあたって、一教育事務所長が教科書会社の駐在員からわいろをとった、その原因は一体どこからきているとお考えですか。
#73
○宮地政府委員 教科書なるものの性格が一般の物品とは違う、私どもはこの教科書に対して、一種の物と見るよりも、もっと精神的な、教育的なな、尊厳な気持ちを持っているわけでございますが、ただそういうものを一つの経済流通上の物と見て、そのためには宣伝をやって、少しでも多く販売をして、といったような気持ちが宣伝員にあったのではなかろうか。結局駐在員としましては、自分の所属する会社の品物を一般の経済原則と同じように考え、同じように多く売って、多くもうけようといったような気持ちで、そのためには少しでもそういうことにかかわりある人に宣伝をしし、またその効果をねらおうといったようなことが基本であっただろうと私は思います。しかしながら、いま先生のおっしゃいますように、篠原個人に駐在員が宣伝をし、金品を渡しましても、愛媛県だけでございませんが、教科書採択はしかくさように本人が贈った金品が効果を発揮するような採択状況にはなっていないわけでございます。私どももそのために、この駐在員自身も教職の関係者を駐在員にしてはいかぬといったようなことも毎年教科書協会なりに通知もしておりますが、しかしそういうことでございます。それを受け取った側といたしますれば、心のゆるみと申しますか、自分の仕事に対する、教育行政職の重要な尊厳な気持ちを忘れたところに基本的な原因があったというふうに考えます。
  〔高見委員長代理退席、委員長着席〕
#74
○斉藤(正)委員 このわいろを贈った駐在員は大阪書籍の駐在員である点は間違いない。その大阪書籍の教科書が四十四年度の新教科書採択にあたってどのような結果になったか、当然お調べだと思うわけであります。すなわち、わいろを贈らない四十二年以前の大阪書籍の教科書採択の実態と、わいろを贈った以後の昭和四十四年度の教科書採択の実態の中で、大阪書籍が発行している教科書がどのような形になってあらわれたか、数字をあげて、資料が来ているようですから御説明ください。
#75
○宮地政府委員 大阪書籍の愛媛県での教科書の採択状況でございますが、中学校の社会が、四十三年度四地区、これは今治地区は入っておりませんが、四地区で二万三千二百五十七冊であった。ところが四十四年度は今治地区が入りまして、五地区で二万七千二百一冊ということで、四千冊ばかりの採択増になっております。ところが、中学校の数字では、四十三年度には今治地区が採用されていて、一年から三年までで一万五千百五十一冊でありましたが、四十四年度には今治地区が採用されてないというふうになっておりまして、この篠原氏との因果関係云々は別といたしまして、実態としては社会は一地区ふえ、数学は一地区減っておるという状況になっております。
#76
○斉藤(正)委員 このわいろを贈った男は、先ほども局長からお話がありましたけれども、牧野種三郎、六十三歳、市会議員であります。しかもお話がありましたように、教育界の出身である牧野は、県小中校長会長、愛媛県教育研究会会長をつとめた大物だ、こういうことになっているわけでして、いわゆる教育界のボス的な存在でありますが、これがやはり現職の教育界のボスである松山教育事務所長の篠原祐一にわいろを贈ったわけでございます。なるほど社会はふえ、数学は減ったという形になっておりますが、もしこのわいろを贈らなければ、数学も減る、社会も採択しなかったということも考えられるわけでございまして、社会はふえたけれども数学が減ったから十万円を使った効果は出ていないというような、因果関係の分析のしかたも一応あったようでありますけれども、そうではないのですか。そこはどうなんですか。
#77
○宮地政府委員 因果関係があったかどうかは別といたしまして、四十三年度と四十四年度の採択状況はこうなっておりますということを申し上げた次第でございます。
#78
○斉藤(正)委員 そうすると、因果関係があったかなかったかということは触れていない。触れられませんか。
#79
○宮地政府委員 因果関係がありましたかどうか、私にはわかりません。
#80
○斉藤(正)委員 先ほど局長は、教科書は、そういうようなわいろを使おうがもらおうが採択には関係ないのだ、こういう答弁もあったわけでありますけれども、愛媛県の教科書の採択の組織、これはきわめて奇妙な組織であります。十五人の審議会の委員が選ばれておるわけでありますが、この十五人の審議会の委員は、だれにも公表しない。全く秘密のうちの決定であり、秘密の運営であります。教職員の仲間も知らない。まして父兄も知らないというような十五名の審議会の委員の一人一人が、教科書会社の駐在員には全部わかっておる。これは一体どういうことか。審議委員は秘密だといっているにもかかわらず、仲間も知らぬ、父兄も知らぬ、市教委の事務局も知らぬというのに、教科書会社の駐在員には全部それがわかっているというのは、一体どういうことか。
#81
○宮地政府委員 全国的に申しますと、いま御指摘の審議会の委員を公表しておりますところは二十県、公表していない県が二十六県ございます。大体半々くらいで、公表していないほうが若干多いわけでございますが、公表しないというおもな理由は、公表することによってその審議会委員に働きかけがあるであろう、そういったいろいろとかくの問題を起こしやすい、そういうことが公表につながるとすれば、公表しないほうがよいであろうということで公表していないものだと思います。愛媛県は公表していないようでありますが、公表しないのになぜ関係者が知っておるかという点につきましては、私どうもよくわかりません。
#82
○斉藤(正)委員 わからぬと思います。私もわからぬ。一体どういうことだろうかと思っていろいろ調べたのですが、愛媛県教育委員会は、一つの教育事務所単位に教科書を統一して採択する、こういうことになっているわけでありますけれども、教科書採択の仕事、言うならば権利あるいは義務、どちらでもいいのですけれども、一体教科書の採択の責任者はだれなのでありますか。
#83
○宮地政府委員 形式的には、設置者である市町村の教育委員会でございます。ただ、各県では幾つかの、愛媛県は五地区でございますが、採択地区を設けまして、各地区では同一の教科書を使うというたてまえになっております。その場合に、県としましては各地区で採択する教科書の採択事務について種々指導をしている。それは県の審議会等の後意見も十分聞いて指導をしておる。そういう形になっておりますから、形式的な採択権者は、小中学校でありますければ市町村教育委員会。しかしながら、本人だけの考えではございませんで、採択地区の場合は、採択地区の教育委員会が合議で一つのものを決定していきますし、また、県の指導も十分そこに行なわれておるといったようなかっこうでございます。
#84
○斉藤(正)委員 採択権は設置者である市町村教育委員会にある。しかし、県はいま申し上げましたような十五人の委員の審議会を開いて採択基準なるものをつくり、それをおろして採択に便宜を与えているというのがどこでもやっている実態であろうと思うわけです。愛媛県においてもその例を踏んでいるわけでありますけれども、一番問題なのは、教育事務所単位に教科書を統一をするという申し合わせのような既成事実の中で、篠原祐一なる権力者がおって、この所長のさいはい、考え方がこの教育事務所別の教科書の採択にあたって大きな力になっているという事実はお認めでありましょうか。
#85
○宮地政府委員 私は、事実問題として篠原氏がどれだけの影響力を持ったかということはわかりません。しかしながら、本人が教育者として、また教育行政者として長年県内で枢要な地位を歩いておるといったようなことから、いろいろ指導、助言します場合に、相当な指導力なり影響力が出てくるであろうということは一応想像されると思います。
#86
○斉藤(正)委員 後ほどまた教科書採択については大臣にも伺わなければなりませんけれども、このほかに実は松山市の素鷲小学校という学校、横田正清という校長でありますけれども、児童約二千人の大規模学校で、いわゆる子供銀行なる組織で父兄から集めたお金を農協に預金をしているわけでありますが、法定金利以上の金利をかせいで、これが使途不明になっているという事件があるわけでありますけれども、この事実を御承知であろうか。承知とするならば一体どのように処置されようとしているのか伺いたい。
#87
○宮地政府委員 いまお尋ねの子供銀行にかかわる問題でございますが、ただ、私どもが受けました報告ではその使途は明確である。それは主として子供の遊び道具なり、それからそうしたものの修繕費として用いられた、使途ははっきりしておるのだ、いわゆる着服横領とかあるいは飲食に費やしてしまうといったようなものではない、使途は明確であるということでございます。しかし、使途は一応別といたしましても、そのような何となく利ざやをかせぐような形である金が学校に子供銀行の運営から送られてくるということは、私どもが子供銀行につきまして従来指導しております点と相当相違いたしております。この子供銀行の運営につきましては、ごく近い年次では四十一年五月に、大蔵省の銀行局長と当時の初中局長の連名で、教育委員会の教育長や、私立学校を含みますので知事等に、子供銀行の運営について通達がなされておりますが、子供銀行で今回問題になりましたようなことにつきましては、従来文部省が指導しております考えは、子供銀行が取りまとめた預貯金を他に融通したり、あるいは親金融機関に預貯金があることを見返りとして融資を受けるようなことは、たとえ児童、生徒のために役立つ事由がある場合でも厳に慎むべきであるというように指導いたしております。したがいまして、御指摘の学校の子供銀行の運営につきましては、そうしてつくりました金の使途は別といたしましても、そのように疑惑を招くような形でそういった子供の直接の利子以外のものが学校にプールされるということはよくないと思いますので、子供銀行の運営の適正という面からも十分今後指導していきたいと思っております。
#88
○斉藤(正)委員 大臣に伺いたいと思うわけでありますけれども、現地へ参りますと、教育に関心を持っている方々、もちろん愛媛県教育全体の問題でございますから、関心を持っていない者は一人もいない、皆さんが持っておられるわけでありますけれども、非常な衝撃のようであります。当然だと思うわけであります。しかも、この篠原事件は氷山の一角であって、まだまだより深いより広いものがあるのではないかという心配と風評すらあるわけでございます。私は、愛媛県教育委員会の問題だけでなくて、同時に発生をいたしました大阪府教委の問題あるいは兵庫の問題、かつて発生をいたしました福岡とかあるいは奈良とか、各地にいろいろな不祥事件が発生をいたしておりますけれども、特にこの愛媛の今度の事件は、私は長い間の辺地の勤務あるいは意図的な辺地への配置転換、あるいは愛媛県教育委員会がとってきた愛媛の教職員組合に対する一連の弾圧政策といったようなもののひずみがここに出てきて、ようやくそのうみが出始めたというように考えざるを得ないわけであります。私はここにある新聞記事を持っているのでありますけれども、たとえば愛媛は学テ日本一を誇った県であります。勤評の実施の前後にいろいろな問題もあったことも事実だし、学テを実施するについて日本一を誇るようになったことも事実であります。しかし、どのようにして学テが行なわれたかということの一端は、こういう記事になって出ております。「調査当日だけ子供の座席を変更させた。成績優秀児の左側へ成績不振児をすわらせる。右側だと文字を書くとき手のかげになってのぞき見ができない」「テストをうけるとき子供に三つの注意を与えた。1姿勢を正しくし、背をちゃんと伸ばして書く。2エンピツは色の濃いものを使う。3○や×や番号、記号は、はっきりと大きく書くこと。」当然なことではないかというようにお考えであるかもしれませんけれども、成績優良な子供の右側へ不振児を置かないで左側へ置いたということは、右側へ置くと成績優良児の筆の運びで答案が見えない。左側へ置けば、いまここで書いていますけれども、すぐ私にも見えます。こういうことをさしている。それから姿勢を正しく背をしゃんとということは、そうしないと見にくい。しゃんとしていればちょっと見るだけで見える、こういうことなんです。それから鉛筆は色の濃いものを使えというのは、薄い鉛筆だとわからないのでして、濃いものだとちょっと見るとすぐ答えがわかる。それから○や×や番号、記号ははっきり書け、これも薄ぼんやりしていたのではわからぬ、はっきりしておけばのぞき見がしやすい。こういうこともやって愛媛の教育が日本一になったのではないのか。「当日だけ子供の座席を変更させた。成績優秀児の左側へ成績不振児をすわらせる。」それから、いまの三つの注意、さらに「年表や地図などが急に教室にはられた」「先生が回っててきてまちがったところを黙って指で押えて教えてくれた」「成績の悪い子供にあす休めと指示した」、こういうことが実はあったと新聞記事に出ているわけであります。学テの行き過ぎがここまでなった、そしてまた学テをどれほど押しつけられたか、その前にいわゆる勤務評定で先生方に対するたいへんな圧力が加わったというようなことから考えて、私は不幸にして愛媛県教組の勤評前の実態について承知をいたしておりませんけれども、多少行き過ぎはあるいはあったかもしれません。そのようなことはないと思いますけれども、それにしても、勤評闘争以来、学テ闘争以来、とにかく愛媛県教職員組合に所属する先生方が九〇%も脱落をして、愛媛県教育研究会にのみ所属をされておる。そうして愛媛県教組に所属する先生方に対する不当な人事が今日なお行なわれているというならば、私は愛媛県の教育の正常化はむしろそのことによって逆効果が生まれ、今日憂うべき不正常化への道をたどっておるのではないかというようにしか考えられないわけでありますけれども、大臣としてはどのような見解をお持ちでありましょうか。ひとつ率直に、忌憚のない御意見を伺いたいと思う。
#89
○坂田国務大臣 今回の愛媛県におきます篠原教育事務所長にまつわりますところの不正事件、これはまことに私は遺憾なことだと思うのでございます。その他いろいろの不正事件が発生しておるわけでございますが、このようなことは特に教育においてはあってはならないことだと思います。したがいまして、これに対する教育委員会あるいはまた教育行政に携わる者として反省すべきことだと考えております。教育行政に従事する者は常に自分の使命というものを自覚をしてみずからの姿勢を正し、社会の信頼をそこなうことのないようつとめなければならないことは申すまでもないことでございまして、一連の汚職事件あるいはこの関係職員にそのような点についての自覚に欠けるところがあったといわなければなりません。また一般社会の風潮として、有力者に頼めば何とかなるとか、あるいは金品を供応すれば何とかなる、そういうようなこともこのような不正事件を惹起する一つの大きな誘因となっておると思います。私は公務員の側にもそれぞれ反省を要する点があると考えます。特に人事関係の汚職につきましては、人事行政機構の欠陥あるいは昇任、転任基準の不備に基因することも少なくなく、この意味において人事行政の運営面における改善の必要もあると考えております。
 最近、御指摘もございましたように、あちこちに、たとえば大阪であるとか、あるいはさきには奈良であるとか和歌山であるとかいうような、汚職事件が続発いたしております。したがいまして、四月十四日に開かれました都道府県の教育委員長及び教育長を集めました際におきまして、私は特にこの点に触れまして、昨年来教育界に不正事件が続発をし、しかも重要な管理的地位にある者が関係している事件も少なくなく、さらに今日なおこの種の事件があとを断たないことが、児童、生徒及び社会に与える影響は甚大である。ひいては教育界全体に対する信頼がそこなわれることになることはまことに遺憾にたえないことであります。この際、各位におかれましても、決意を新たにして、国民の疑惑を招くような事態の発生を防止するため特段の配慮、御指導をお願いする次第であります。というように説示をいたしたわけでございます。
 愛媛県につきましては、勤評問題あるいはまたいま御指摘の労力テストの問題、いろいろあったことも私も承知をいたしております。しかしながら、教職員が非常に多数脱退しておるというのは、あに愛媛県だけではなくして、徳島県にしても、あるいはまた香川県にしても、あるわけでございます。あるいは栃木県にしてもそうでしょう。こういうようなこととそれとが結びつくのかということについては、私はいささか斉藤さんと見解を異にするわけでございまして、学テの問題についての新聞報道、私はそれを見ておりませんし、また、その事実関係も知りません。したがいまして、とかくの批評は差し控えたいと思いますけれども、しかし、労力テストをやって、それを指導に当たる者が、まあいうなら昔のカンニングを奨励するようなことがもし事実だとすれば、これは教育者ではない、あるいは教育行政に当たる資格はないのだ、そのように教育界というものは堕落しておるのかというふうに思わざるを得ないのです。一部にはあるいはそういうような不心得な教職員というものもあるかもしれない、あるいは教育委員会だって絶無だと申しません。しかしながら、大部分の教職員というものは、そうではなくて、やはりそれぞれの自分の使命を感じてやっておられるものだと私は信じておるわけです。したがいまして、私といたしましては、やはり、特にほかの職業と違って、児童生徒に対して、教壇に立って、そして人格的触れ合いを通じた一つの教育というものをやる、職分というものはそういう使命を持っておるのだ、聖職とはあえて私は申し上げませんけれども、少なくとも子供たちの道徳的考え方や、あるいは情操というとちょっとわかりませんが、道徳的な心情というものを身につけるという、その一番大事なのは先生だと私は思うのです。自分の小学校のときの先生との触れ合い、あるいは教育というものを通じて私自身がそれを感じておるわけでございまして、その意味合いにおきまして、教職員たる者あるいは教育界に携わる者といたしましては、特に道徳的なそういうものをきびしくみずから反省すべきものである。いやしくも法に触れたり、あるいはまたいやしくも司直の手にかかるというようなことがあってはならないと思うわけでございます。
 しかし、日本全国がこういうような大衆社会の中にあります。そしてまたテレビあるいはその他のいろいろの影響もございます。あるいは科学技術の発展のために社会が変革をしております。あるいは急激な経済の成長というようなものとあわせまして、そういうような道徳心であるとか、あるいは道徳的心情であるとか、あるいは法を破るとかいうようなことに対して、いささかの反省のない者もないとはいえないわけでございます。この中において、少なくとも教職にある人たちは、子供たち、児童に与える影響、社会に与える影響というものを考えてひとつやっていただきたいということを私は念願をし、就任以来そういうような気持ちでおるわけでございますが、残念ながらこういうことが続発をしてくるということについては、斉藤さんと同様に憂慮にたえないものでございます。私もこういうようなことが今後起こらないような指導、助言を続けてまいりたいというふうに思う次第であります。
#90
○斉藤(正)委員 愛媛県教育委員会の実態を調査してみますと、委員五名の平均年齢はまさに七十一歳でございます。私は社会的な地位、教育的な手腕、識見、委員各位には手腕はあまり期待いたしませんけれども、少なくとも社会的な地位あるいは識見といったようなものがもちろん高く評価されている皆さんだと思いますけれども、平均年齢七十一歳という構成はいかにも若い階層との断絶を痛感したわけです。同時に、竹葉教育委員長、非常に人格、識見ともに清廉潔白の方のようでありますけれども、十三期教育委員長を歴任している、十三期教育委員長の職にある。平均年齢七十一歳、教育委員長の十三期の重任という事実は喜ぶべき現象であるとばかりはいえないと思います。また愛媛県教育委員会の事務局も、教育長も次長もいずれも一般事務職員上がり、いわゆる教職経験者ではないわけであります。私は教育長はすべて教職経験者が望ましいと思いますけれども、事情によっては、あるいは事務系統の方もあり得ますけれども、教育長も次長も二人とも事務系統の皆さんだというような教育委員会の事務局の編成、これにも大きな問題があるし、望ましい姿だとは考えておりません。また、教科書の贈収賄につきましても、今度の人事異動の贈収賄につきましても、もちろん贈った者、贈られた者、それぞれ悪いわけでありますが、その仲介に立った者等の立場を考えてみますと、当然贈られた側の側近であり、贈られた側ときわめて身近な立場にある人であります。また贈った側も、大阪書籍と篠原事務所長との間を取り持った者も、先ほど申し上げましたとおりの経歴であって、長い間の教育界の重鎮であったというようなことを考えますと、贈った側にはもちろん一般教職員もあるのですが、仲立ちした者、もらった者とかというのは、いずれも管理の経験があったり管理職であったりということで、いわゆる権力の機構の中の一こまとして動いた皆さん方のとった措置であります。こういうことから考えていきますと、教員に生活の姿勢を正せ、教育に情熱を燃やせということも当然であるし、わかるわけでありますけれども、むしろ悪いことをしているのは管理機構の、しかも中堅的な上層部だということになってくると、これに対する教師だけじゃなくて、父兄、一般県民あるいは児童、生徒の疑惑、疑問、不安、こういったものははかり知れないものがあると思うわけでございますが、大臣、一口には言えないと思いますけれども、教育委員各位の平均年齢七十一歳、委員長歴任十三期、そして最高事務屋であります教育長、次長がいずれも教職の経験がないといったようなことを総合してお考えになって、どのようにお考えでございましょうか。非常に言いにくい答弁になろうと思いますけれども、ひとつ率直に忌憚のない御意見を伺いたい。
#91
○坂田国務大臣 私は、先ほど申し上げましたように、教職員のみならず、その教職員の指導あるいは管理者的立場にある者は、なお一そう教職員よりも道徳的なことについての自覚と反省がなければならぬということを申し上げたつもりでございます。年齢等の問題についてのお尋ねでございますけれども、これは一応県の教育委員会それ自体におきましておきめいただくということがたてまえになっておるので、その点についての言明を私は避けたいと思いますけれども、ただ何事にせよ、一般的に申しまして、やはりあまり権力的な地位にある者が長い間おるということは適当ではないということはいえるかと思います。そういうようなところからいろんな問題が派生してくるということは一般的に申して考えられなければならぬのではないかというふうに思う次第であります。
#92
○斉藤(正)委員 私は、国会に出てきてまだ二年三カ月でありますけれども、この間に大臣は三人かわっておるわけなんです。私は剱木さんに聞いたこともあるし、前大臣に聞いたこともあるし、今度また新大臣に聞いておるわけでありますけれども、一国の文教の最高責任者である文部大臣が二年三カ月に三人もかわっている。このことは政党政治の関係からやむを得ない、あるいは政治の機構というのは違うのだということはもちろんありますけれども、それにしても少しかわり過ぎる。反面教育委員長は十三年もやっておるということは、いみじくも大臣が何ごとにつけというような表現で答弁されましたけれども、少なくとも好ましい問題でないし、とかくたまった水にはボーフラがわくということになってくると思うのでございますので、適切な指導と助言も当然文部省の責任としてあってしかるべきだというように思うわけでございます。
 同時に大臣、学テの問題でこれを批判した当時の井上という愛媛県教組の委員長は、いきなり停職処分を食らったのであります。さきの篠原教育事務所長といい、それから贈賄側あるいは仲介に立った者を含めた三人といい、依願免という形で退職をされている。学テのあり方を批判したことを不届きとして停職処分にした愛媛県教育委員会が、薄々承知しておりながら依願免とした篠原事務所長の進退問題、あるいは贈賄あるいはその幇助の三人、これまた依願免というような形の処分について、大臣どのようにお考えでございますか。
#93
○坂田国務大臣 大体、県の教育委員会の人事にいたしましても、それからそういうようなことも、やはり県の教育委員会が第一次的にやることでございます。そういうことについては、たとえば教育長を承認する場合においては私がタッチをするということで、やはり県の教育委員会にまかせるという態度は堅持してまいりたいというふうに思っておるわけでございます。しかしながら、一般的な問題あるいは違法な問題等につきましては、やはり私は指導しなければならぬ立場にあると思うわけでございまして、今回の処置がどうであるかということについては、その事実関係がはたして知っておられたか知らないかということがやはり問題点だと思うわけでありまして、私はここではその点については差し控えたい、かように思います。
#94
○斉藤(正)委員 高知に参りますと、これまたいろいろな事情があります。大臣、率直にお答え願いたい。戦後とは昭和何年以後をいうのでございますか。日や月はいいのですよ。われわれの常識的に戦後戦後といっているのは、いつ以後を戦後というのでありましょうか。
#95
○坂田国務大臣 戦争に破れてからだと思うのです。
#96
○斉藤(正)委員 私どもも昭和二十年の八月の敗戦以来を戦後というように言っておるつもりでありますけれども、少なくも高知県教育委員会では、戦後ということばは昭和二十年八月十五日以後ではなく、昭和三十六年の勤評の問題以後が戦後ということばで表現をされておるのでございますが、それほど激しい勤評戦争というのが高知県にあったのであろうか。少なくも高知県の教育委員会の委員長は、戦後といえば昭和三十六年以後のことをいうのであります。私はがく然とした。いわゆる戦後ということばは昭和二十年へ月十五日以後をいうのだとばかり思っていた私は、高知の教育委員会ではそれが通じない。高知県教育委員会では、戦後ということばは勤評以後をいうのです、こういうことであります。非常に違った認識があると同時に、今回、驚いたことに高知県教育委員会は、今日腹背に敵を持ったという表現を堂々とされて、新聞発表をされているのであります。腹背に敵を持った。文部大臣、表の敵は何でうしろの敵は何だか想像してみてください。おわかりになったら答弁してくれませんか。
#97
○坂田国務大臣 いまお話を聞いたのですけれども、何が何だか少しもわからない。
#98
○斉藤(正)委員 まさにそうだと思うのです。高知県教育委員会が腹背に敵を持ったというその表現は、これは私が追及したことに対し答弁はしませんのでわかりません。しかし、否定はしませんでしたから私はそう信ぜざるを得ないのでありますけれども、表の敵は高知県教職員組合、うしろから迫ってくる敵は高知県地教連絡協議会だというのです。そうですね、と言ったら否定をしないのです。どういうことで高知県地教委連絡協議会を高知県教育委員会が敵にせざるを得なくなったのか、御判断できますか。
#99
○坂田国務大臣 どうも私ちょっと頭が悪いものですからわかりませんけれども、斉藤さんがどういうことをお尋ねになろうとしているのかが実は私わかりませんものですから、もうちょっと詳しくお話をしていただかなければ答弁のしようがないのでございます。というのは、最近、敵だ敵だという話があるわけです。これを真意を聞いてみると、恋がたきだとか、あるいは政敵であるとか、いろいろいわれるわけです、庶民の間には、またお互いの間には。それをことさらに敵だということで表現しますと、いかにも何かがあると、そういうものの発想のしかたや受け取り方というものが、日本の民主主義というものを定着させておらないところではないだろうかと思うので、私といたしましては、やはりその背景なり何なりをよく伺って、そしてそのことば等も翻訳をされてお聞きいただきますと、私としても答えが出てくるかと思うわけでございますから、念のために申し添えておきます。
#100
○斉藤(正)委員 これは私、重要な質問をこれからするのだが、定数はもう少し整備してくださいよ。
#101
○大坪委員長 速記をとめて。
  〔速記中止〕
#102
○大坪委員長 速記を始めて。
 それでは午後四時より再開することとし、休憩いたします。
   午後一時四十五分休憩
     ――――◇―――――
  〔休憩後は会議を開くに至らなかった〕
ソース: 国立国会図書館
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